本文公開 冒頭 p.9-13

 章 乳 飲 み 子
﹁醜い子だわ﹂と母親は言った。﹁私の兄弟はみんな整った顔立ちだし、お母さまは美人の評判
が高かった。私だってみっともないほうではないのに、どうしてこんなにかわいげのない子ども
が生れてしまったのかしら﹂。
﹁息子を授かったことに感謝しなさい﹂と父親は言った。﹁これまで女の子の死産ばかりだった
ことを忘れたのかね。息子を授かったのだよ﹂。
﹁あなたはユダヤ人としてそうおっしゃるのでしょうけど﹂と、母親は白く華奢な手をひと振
りして抗議する。﹁私たちはローマ市民でもあるのだし、話しているのは野蛮なアラム語ではな
く、ギリシア語ですよ﹂。
そして揺籃の中の息子を、ますます憂鬱そうに、いくらか嫌悪感の混じった眼差しで見やった。
この人にはギリシア文化への憧れがあり、娘時代にはギリシア語の五歩格の詩もいくつか書いた
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ことがある。父の友人らはその詩風がサッポーを思わせるともてはやし、自身も学者だった父を
喜ばせたものだった。
﹁それでもやはり私たちはユダヤ人だ﹂と、ヒレル・ベン・ボルーシュは妻に言い聞かせ、金
色の顎鬚を撫でながら息子に目を落した。
到底美しいと言えない子でも、息子は息子。しかも、神の目から見たら美しさなど一体どれほ
どのものか。すくなくとも肉体的な美しさについては?
人は魂を所有するのかどうか、とりわ
け最近は議論がかまびすしいが、考えてみればそれは信心深い人のあいだでも昔からずっとおこ
なわれてきた論争ではないか。人の使命は神を讃えることにあり、魂を所有するかしないかは関
係ない。ヒレルは知らず知らず、生れたばかりの息子が愛らしい魂を持っているようにと願って
いた。なにせこの子の外見は子守を魅了するものではなかった。しかし、体が何だ。塵、糞、尿、
情欲。重要なのは内なる光で、その光が死後も残るのか、それとも息絶えた肉体の無限の闇に永
遠に封じこめられてしまうのか、それは大したことではない。年寄りがあれこれ考えて、希望を
持っていればいいこと。
デボラは溜息をついた。みごとな鳶色の髪の毛はほんの一部がヴェールに覆われているだけで、
しかもそのヴェールはごく薄く透きとおるような絹である。ギリシアの空のように鮮やかな青色
の大きな目には無邪気と不機嫌と両方の色が浮び、何かを探すように落ち着かず、赤みがかった
長い睫毛の奥で瞬いていた。夫以外の誰もが彼女はとても教養のある素晴らしい夫人だと考えて
いる。ヒレル・ベン・ボルーシュは運のいい男だ、と友人たちは した。デボラ・バス・シェブ
アは貧乏な学者である彼に多額の持参金をもたらし、しかもこの妻は上品さ、魅力的な笑顔、教
養と文才で名高く、エルサレムで個人教授による教育を受け、父親が自慢する娘だった。背が高
く垢抜けていて、魅力的な胸とギリシア彫刻のような手足を持ち、その衣は美しい人に着てもら
えたことを喜ぶように波打つ襞を見せている。当年とって十九歳のデボラはこれまで三人の子ど
もを産んでいた。最初の二人は女の子で死産。三人目がいま揺籃にいる男の子である。
大変色白の瓜実顔で、肌は大理石、唇は薔薇のつぼみを思わせ、顎はきゅっと引き締まって、
鼻筋が上品に通っている。ローマ風にはおった青い長外衣には金色の刺繡が施してあり、足に履
いているのは金を被せた革のサンダルである。彼女の周囲にはまさしく美のオーラが漂い、後光
が差しているようだった。高名な家系で裕福な旧家の若いローマ人が結婚を申し込んだことがあ
り、デボラも彼を憎からず思っていた。しかしくだらない迷信やら偏見やらが最後になって邪魔
に入り、デボラが嫁がされた先はヒレル・ベン・ボルーシュ、信仰心と教養の深いことで名を知
られ、名家の出だが貧乏な青年だった。
残念なこと、とデボラは思った。あのコスモポリタンのお父様でさえ廃れた因習にとらわれて
いらっしゃるのだから。若者はたまらないわ。年寄りは信じようとしないけれど、世界は変って
古臭い神々は死に、神殿はがらがらと崩れ落ち、祭壇はひっくり返されてそこに刻まれた名前は
消え去り、参拝する人もいなくなる。私にしたって、今は信じる人もいない因習やわけのわから
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ない考え方の犠牲者ですもの。私は生れた時代が早すぎた。けれどこの子は、都会的な楽しみと
進んだ知識に満ちた新しい世界に生きることができる。教養あるギリシア人が言うように、そこ
では人間が万物の霊長として抜きん出ている。この進んだ時代に、神様なんて考えただけでも鬱
陶しくてくだらないし、おまけに恥かしいことだわ。客観的な現象とは両立できないものよ。デ
ボラは心に誓った。この子の心は、迷信の膜で被われたり、黴くさい埃や汚れた手の跡で曇った
鏡のようにはさせないわ。
﹁サウロ﹂とヒレル・ベン・ボルーシュが口を開いた。
﹁ええっ、そんな!﹂とデボラは悲鳴をあげた。﹁サウロですって。なんて垢抜けない名前、と
お友達が思いそう﹂。
﹁サウロ。この子は神のライオンなのだ﹂。
デボラは赤毛の眉を寄せて考えこんだ。しかし急いで顔をゆるめる。しかめ面をしていると蜂
蜜とアーモンドの粉でもとれない皺ができてしまう。デボラは良家の婦人であり、良家の婦人は
いかに愚かなことでも夫と言い争いはしないもの。﹁パウロ、それなら申し分ありません。ロー
マ風に言えばパウロですもの﹂。
﹁サウロ・ベン・ヒレル﹂と父親は言った。
﹁パウロ﹂と言ったデボラの顔に微笑みが浮んだ。高貴な響のする名前だわ、ギリシア風にも
ローマ風にも。
﹁タルシシュのサウロ﹂と、ヒレル。
れ、しかも楽しそうで、年若い妻の目
﹁タルソスのパウロ。タルソスをタルシシュと言うのは野蛮人だけです﹂
。
ヒレルはにっこり笑った。その笑顔は柔和で、愛情に
から見ても魅力的である。ヒレルは妻の肩に手を置いた。女性には話を合せてやるものだ。
﹁ど
ちらでも同じだよ﹂。
デボラは魅惑的な女だ、とヒレルは思っていた。それと同時に愚かだとも思う。しかし、それ
は残念ながら彼女がサドカイ人の家庭に生れたためにちがいない。かれらは神を喜ばせることに
ついては考えが浅く無知だが、神を喜ばせることこそ人が生れてきて存在を持つ理由ではない
か。他に理由はない。サドカイ派は俗世間に根を下ろして生活し、みずからの五感で証明できる
もの以外は受け容れず、ただの物知りを知性と、気の利いたおしゃべりを学識と取り違えている。
ヒレルはそんなかれらに憐れみを感じることが多かった。きっとそれはこの世界に無数に存在す
る陰翳や色彩や色調を感じられないように生れついてしまったのと同じようなもので、思索や瞑
想から得られる神秘も楽しさも終りなき喜びも、さらには壮大な不思議も奪われているのだろう。
ヒレルは人々が神のいない世界でも平気なことに、しばしば驚き呆れた。そのような世界に棲む
のは動物だけで、動物の命には何の意味もない。
﹁何をお考えになっているの﹂とデボラはいぶかしそうに尋ねた。夫が考えこんでいるときの
表情は好きになれない。三十歳の夫と比べて自分の幼さを思い知らされ、不安になる。
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