2011年4月8日 活水学院中学・高等学校入学式式辞 活水中学・高等学校 校 長 湯 口 隆 司 桜満開に咲き誇るなか、雨が木々を潤すこの季節に、本日入学された生徒の皆さん、 保護者の方々に,まず心から入学のお喜びの言葉を送りたいと思います。またお忙し い中、本式典に参加を賜りましたご来賓の方々にも心より感謝をもうしあげます。 しかし一方で東日本を襲った地震と津波で家族や家を多くの方々が失い、その後原 発事故による汚染で、さらに追い討ちをかけられ沈痛な気持ちで今を生きる人々のこ とも覚える、今年度はそのような特別な入学式にもなりました。共に痛みを荷いつつ、 この式に参加できることを感謝したいと思います。 さて実は私自身も新入生の皆さんと同じく、3月末にこの長崎の町に移り、活水学院での生活が始まった ばかりです。そこで、本学院へ移るときに私が考えたことを、皆さんと分かちあい、校長の挨拶としたいと 思っています。 活水学院は明治12年(1879年)に設立されました、女子教育の分野では日本でも有数の歴史と実績 を積み重ねてまいりました。私が校長として赴任する際に自分自身、はっきり捉えておこうと思ったことは、 本学院設立の経過と設立の目的でした。公立の学校と異なり、設立者により建てられたミッションスクール は、明確な設立の意志・目的を持って教育を始めたからです。 本学院は、米国人の女性宣教師エリザベス・ラッセル女史が明治12年12月1日にたった一人の生徒か らその働きを始めたのでありますが、ラッセル先生が長崎に来られたときの彼女の年齢は43歳でした。今 の感覚では働き盛りの年齢です。しかし当時つまり19世紀末の米国人の平均寿命は44歳、日本人は41 歳であったのです。現在日本人の女性の平均寿命を考えると少なくともラッセル先生は80歳前後で米国か ら単身出国し、約一ヶ月の船旅をして長崎までやってきたと考えるとイメージが持ちやすいでしょう。派遣 を決定した宣教団もよくその決断をしたものだと思いました。肉体的には無謀な旅を決めたもの、彼女を動 かしたものは、何だったのかに思いをめぐらせました。 もう一つの事実は米国をたつ直前まで彼女の任地は日本ではなくインドでの宣教だったということです。 長く英国が間接統治をしてきた国であり英語も通じる土地柄ですが、それが米国を発つ直前に、所属宣教団 により、急遽日本に変わってしまったのです。みなさんも入試を経験して、そのような目に見えない力、計 り知れない人生の力学を感じつつ、この学院に入学した人がいるかもしれません。 しかしラッセル先生はその決定を受け入れ、子羊のように、未知の国、日本に向かったのです。なぜその ような行動が可能だったのでしょう。そのヒントは、活水学院のスクール・モットーでラッセル女史が教育 おりくち のよりどころとした「知恵と生命との泉―主イエス・キリストに掬べよ」にあると私は思います。この 折 口 しのぶ 信夫によると「水を掬ぶとは、人の中にたましいをいれて神と結合させること」だと説明しています。ラッ セル女史はイエス・キリストの人格に触れることが教育の基本であり、知恵と生命はこのイエス・キリスト から尽きることなく泉のごとく与えられると考え、いや考えただけでなく実践したのです。 この学院の教育の目的についても、皆さんには考えてほしいと思います。国よって定められた教育の目的 は「教育は人格の完成を目指し、平和で民主的な国家および社会の形成者」(教育基本法)です。しかし、 活水学院での教育は、この日本の法律で定められた言葉は同じでも、意味が相当異なっていると思います。 それは主語が神である点です。神がなさる教育であり、それは神さまが一人ひとりを顧み、一人ひとりを生 まれや国籍、性別、などで差別しない、「神とあなたとの関係」のなかで人格の完成をめざす教育をする、 そのような教育の方法を活水学院はめざしています。「主イエス・キリストに掬べよ」ということばにはイ エスに依り頼む姿勢とそれによる人格形成の確信が表されていると思います。 もう一点の驚きは明治20年後半から大正初めまで、英語だけでなくドイツ語とラテン語、そしてギリシ ャ語が私たちの学校では教えられていたという事実です。ここには女性の人材育成という大志があったので す。(すなわちラテン語はギリシャ哲学から脈々と続く西洋の文化と知識の吸収と研究、ギリシャ語は古典ギ リシャ哲学と新約聖書への学習と理解そして信仰へと進ませるための手段、そしてドイツ語は自然科学と人 文科学への吸収という意味で必須のものであったからです。) この言語学習の究極の目的は、日本女性の知 識を世界レベルまで引き上げ、平和への貢献ができる人材の養成を目指したということです。実際本学院か らは多数の著名な女性が輩出したのであります。 最後になりますが、「知」につても一言述べたいと思います。ギリシャの哲学者は「知る」ということの 意味を追い求めました。その中で最高の「善」とは、幸福であること。そのためには卓越性(アレテー)を 身につけることが必須であることを見出しました。それこそ日本語で「徳」とも訳される言葉なのです。活 水学院の希求する女性像は「品位と知性あふれる女性」であります。卓越性、すなわち高い徳を持つ女性と なることです。卓越性と反対の意味の言葉は「無節制」「意思の弱さ」です。皆さんも、さまざまな機会を 通して厳しく自分を見つめ、また神様との出会いにより「卓越性」(徳)を身につけて頂きたいと期待いた します。 今回の大震災以降、将来に暗い予感しかもてない、心も次第に悲観的な考え方に向きつつある社会です。 しかし私たちは、今から約130年以上前、社会的に虐げられてきた日本の女性にたいして教育を通し女性 の中に光明を見出し、この地に着たことを神さまのご計画だと心から信じ、祈りつつその歩みを始めた一女 性のことを思いだしたいのです。そこにこそ「知恵と生命の泉」という活水学院の源泉があるとおもいます。 皆さんはこれからの学院生活で、脈々と続く活水精神を身につけて頂きたいと思います。今回の入学式がこ の「ウィナフレッド・M・ティモンズ・メモリアル・チャペル」での最後の入学式となる特別な式となりま した。この礼拝堂で数多くの皆さんの先輩がた、教師が祈りを捧げられたことを感謝したいと思います。 皆さんがたの学習と生活が神様によって守られ、神様によって用いられる平和の器となることを祈りつつ、 校長としての式辞といたします。
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