2008 年 9 月 人 間 発 達 研 究 所 通 信 No.114 1998 年 9 月 3 日学術刊行物認可第 430 号 ISSN 0913-7092 Vol.24(2) 人間発達研究所 大津市朝日が丘 1-4-39 梅田ビル 3F Phone/Fax 077-524-9387 「あるもの感じました」 (2008 年 3 月) 石 景萍 CONTENTS 発達の視座で障害のある人の表現を語る(6) 発達論的エッセイ⑤「闇」と「光」 発達関連資料のデジタル化 山田宗寛 ………………………… 2 髙谷清 ……………………………………… 4 中村隆一 …………………………………………………13 事務局より …………………………………………………………………………………14 (1) 2008 年 9 月 人 間 発 達 研 究 所 通 信 No.114 幕の向こうに,手を伸ばせば触れられる, 発達の視座で しかし触れられない,そんな距離感と霧 障害のある人の表現を語る(6) に姿が投影されたような抽象的な表現で 山田宗寛(唐崎やよい作業所) す. 彼女の作品を見たときに,私自身絵の 今回紹介する作品は障害のある人のも 向こう側に我が子が幼かった頃を思い出 のではありません.「アウトサイダーア し,過ぎ去った時がすぐそこに存在して ート」ではなく「インサイダーアート」 いるような強い懐かしさを感じました. を取り上げながら,障害のある人の表現 しかし,描いた石さんには,愛らしい我 を考えてみたいと思ったからです.また, が子がすぐそこにリアルタイムに存在し モチーフとなっている子どもの姿から, ています.また,ある人は,未来の我が 発達への願いを美術からも感じとれるこ 子がそこにいるように感じるかも知れま とがあることについても理解をしていた せん.このように見る者によって一枚の だきたいと考えたからです. キャンパスのあちら側とこちら側,過去 今,障害のある人の作品が紹介される と現在,現在と未来という二つの世界を 時に「アウトサイダーアート」という用 同時に強く感じさせる絵です.具象と抽 語 が 一 般 化 し , 定 着 し つ つ あ り ま す. 象の間が表現されているとも言えますが, 112 号 で 紹 介 し た 「 ア ー ル ビ ュ ル ッ ト そこに二つの世界を同時に感じます.抽 展」が来場者総数 3 万人というように, 象的なものを見つめれば見つめるほど, かつてない規模で社会的な関心も集まっ 見る側の人に鮮明に具象的なものが浮か ています.障害のある人の作品が注目さ び上がって来ないでしょうか. れることは喜ばしいことですが,同時に, 社会的に「アウトサイダーアート」が 障害のある人の作品が社会でどのように 注目されるなかで,障害のある人の表現 扱われているのかが気になります.「障 がどのように扱われていくのかは大切な 害のある人の作品をどうみるか」に加え 問題だと思います.作品をどうみるかは て,「どう見られているか」ということ 鑑賞者の感性に委ねられる問題とも言え が気になるようになったからです. ますし,用語の問題にこだわるのは意味 石景萍(せき・けいへい)さん.大学 がないと主張する人もあります.しかし, 院の美術教育コースに通い創作を続ける アウトサイダーアートと称することで, 中国人留学生です.11 年前に中国の西 障害のある人の表現を社会の外側におい 安から美術を学びに訪日した三児のお母 てしまうようになってはいけないと思う さんです.中国では生活用品に写実的な のです.私は「一般美術として認めるべ デザインを描く仕事をされていました. き」といったことを主張しているわけで 数年前から“愛する我が子”をモチーフ はありません.障害のある人の表現はそ とするようになりました.薄い半透明の の人の生活へとつながっています.社会 (2) 2008 年 9 月 人 間 発 達 研 究 所 通 信 No.114 やインサイダーの芸術関係者が,ただ素 る問いかけとなります.その発達を見つ 晴らしい,おもしろいと扱っているだけ める目で障害のある人の表現を見つめた では充分ではないと思うのです. 時に,あるべき障害者アートの方向性も 障害のある人の作品は美術品として社 見えるような気がしています. 会に発信しようと意図的につくられたも 私たちは社会にも実践にも,もう一度 のではなく,その人の生活のなかで表現 目をこらすことが大切ではないでしょう したいように創作されたもので,その人 か.その時にもう一つの私たちの願いを らしく作品が作られます(人間発達研究 込めた世界と未来がパラレルに存在する 所通信第 109 号参照).鑑賞者は,作品 ものとして浮かび上がってこないでしょ について語らない彼らの作品を前に,そ うか. の人の世界がどのようになっているか, のぞいてみたい思いに駆られると言いま 石景萍・個展 す.それは自分たちの理解力をこえる表 9/23 ~ 9/28,12:00 ~ 18:00 現で,私たちにはないものと思えるから 「ぎゃらりい古今」(滋賀県大津市中央 です.インサイダーのアーティストも真 1-5-5 Tel/FAX 077-522-7880) にて開催 似できないと言われる所以ですが,それ は,自分たちにない文化,感性,芸術と して相手を尊重し,対等性を認めるから でしょう.ボーダレスと言われることと 同じ意味です. 具象も抽象も,アウトサイダーアート もインサイダーアートも,表現を見つめ れば見つめるほど,双方が可逆性を持っ て世界が成立していることに気づかされ ないでしょうか.そういう点ではインサ イド・アウトサイドではなく,パラレル ワールドとして捉えるのが的確のように 原稿を募集しています 思います.しかも,その世界が同時に存 在しているのが私たちの社会であり,ど 字数:2500 字~ 5000 字程度. ちら優れているとか,劣っているとかで 期日:次号掲載は 11 月 10 日まで. はなく,どちらも価値あるものとして捉 投稿の際は E-mail もご利用下さい. えられると言えないでしょうか. ※匿名をご希望の場合は,その旨お知 らせ下さい. (編) 子どもの発達を見つめれば見つめるほ ど,障害のある人の発達を見つめれば見 つめるほど,私たちの社会や考えに対す (3) 2008 年 9 月 人 間 発 達 研 究 所 通 信 No.114 発達論的エッセイ⑤ 「闇」と「光」――「この子らを世の光に」が語ること―― 高谷 清 (びわこ学園医療福祉センター草津) り,その一人息子の中島達一郎と親しく Ⅰ なった.小学校卒業後は,新しく設立さ 糸賀一雄の成育と内面の世界 れた鳥取第二中学校(現鳥取東高校)の 試験を受け,中島達一郎といっしょに合 糸賀一雄は,1914 年(大正 3 年)3 月 格した.当時は小学校を卒業すると働き 29 日,長男として鳥取市立川(たちか に行くか,2 年制の高等小学校に行くの わ)町で生まれ,今からちょうど 40 年 が普通で,5 年制の中学校に行くのは恵 前,1968 年 9 月 18 日に 54 歳の若さで まれた少年たちであった.女性のばあい, 逝去している. 男性の中学校にあたるのは高等女学校で あった. 小学校時代 糸賀一雄は幼児期に米子町(現米子 中学校時代 市)に引っ越した.6 歳になり,近くの 中学校では,遠くの小学校から入学し 義方(ぎほう)小学校に入学した.この てきた小倉親雄と親しくなり,糸賀,中 頃の糸賀少年は,いつもおだやかでめだ 島,小倉は「三人組」と呼ばれるように たない少年であった.勉強はよくでき, なっていた.学校が終わってから「一ノ とくに理科や算数が得意であった.母親 湯」でうどんなどを食べ,精いっぱい少 とはいつもいっしょであったが,父親は 年らしい課題をだしあって論じた. 仕事の関係で忙しくしていることが多く, 一学期が終わりに近づいてきた頃,同 あまり接触はなかった.父親は滋賀県彦 じクラスの圓山文雄と親しくなった.圓 根町(現彦根市)の出身の人で,滋賀県 山の家に行き,いっしょに勉強をしたり, 八幡町(現近江八幡市)で生命保険関係 その兄や弟とも親しくなり,圓山から大 の仕事をしていた. きな影響をうけ,キリスト教への接近し, 小学 4 年生の 9 月にふたたび鳥取市に その後洗礼を受けることになった. 転居することになり,以前に住んでいた 当時,中学校を卒業すると高等学校へ 立川町の近くの吉方(よしかた)村(現 入学する生徒が多かった.中学校は通常 吉方温泉町)に住むことになった.すぐ 5 年間であるが,成績のよい生徒は 4 年 近くの日進小学校に転校した. 間をおわったところで高等学校を受験す 家のすぐ近くに「一ノ湯ホテル」があ ることができた.糸賀の学年は一学年 (4) 2008 年 9 月 人 間 発 達 研 究 所 通 信 No.114 100 名のうち,9 名が 4 年生で高等学校 その 2 か月後,開学十周年の記念式典 に合格している.圓山は医者になる希望 のとき,生徒側の要望に対する学校側の をもって,愛媛県松山高等学校理科に入 処置に不満が爆発し,学校側が 3 名の生 学,糸賀はやはり医者になる希望で島根 徒の退学,1 名の放校,8 名を 60 日間の 県松江高等学校(現島根大学)理科に入 停学処分とした.それに対して生徒側は, 学した.三人組の中島は同じく松江高等 ストライキに突入,18 日間におよぶこ 学校理科に入学,小倉も松江高等学校の とになった.その間生徒は寮に籠城し, 文科に入学した. とりくみをすすめた.糸賀もこの籠城に 参加し,高揚した気持ちを後までもち続 高等学校時代――その時代 けていた. 高 等 学 校 に 入 学 し た の は , 1930 年 高等学校時代――生きる悩み (昭和 5 年)で,その 2 年前の 1928 年 (昭和 3 年)には,「普通選挙法」が成 こうして世の中がファッシズムと戦争 立していたが,一方で共産党,労農党に へ向かう危険性に対して,多くの生徒が 対する大弾圧,大学自治への介入がおこ 抵抗し,時には退学させられている.糸 なわれ,多くの大学教官,生徒が検挙さ 賀の関心は,これら時勢に抗(あらが) れている.糸賀が高校に入学した翌年の うことにもあったが,主たる関心は自分 昭和 6 年は「満洲事変」がおこり,第二 自身の生き方であり,自分がどう生きる 次世界大戦につながる 15 年戦争が始ま かということであった. り,その 2 年後 1933 年(昭和 8 年)に 松江高等学校入学後,寮には入らず, は,日本は国際連盟を脱退している.こ 一人で下宿住まいをしていた.一学期間 うした日本の戦争への傾斜は,全国の高 は,熱心に勉強をし弓道部にも入部した. 等学校にも自由の圧迫として強まってく 糸賀は,解放感を味わい自由を満喫し ていたが,親友の圓山と別れ,中島や小 る. こうした風潮に反対して,糸賀の入学 倉もそれぞれの友だちをつくるなか,新 前後の 3 年間に全国の高等学校の同盟休 しい友だちもできず,ふたたび孤独な感 校 46 校 49 件,これに「左翼関係」とい 情に苛まれるようになっていた.一学期 われる事件を加えると,205 校 278 件と の終わりごろ,良友でも悪友でもあると なり,処分された生徒も 1000 人を超え いってよい一人の同級生と親しくなる. るという時代であった.松江高校でもさ 糸賀は,夏休みが近づくと休み中の計画 まざまな動きがあった.1931 年 ,糸賀 をたてているが,それは 7 日間の弓道部 が入学した翌年,警察は松江高校に「左 の合宿,鳥取への帰省,知人の訪問.そ 翼分子」の摘発を目的に極秘の調査に入 してドイツ語と英語の勉強,数学をやる り,13 名の生徒と 2 名の卒業生を逮捕 と計画を立てている.「ドイツ語は根本 した. 的知識の獲得,英語は原書を読む,数学 (5) 2008 年 9 月 人 間 発 達 研 究 所 通 信 No.114 は高等代数および三角関数をできるだけ どうしても勉強が続けられないため保 精密にやる」と具体的で,意欲的であっ 健室へ行き,紹介された病院へ行くと, た. 結核と診断され,さらに 1 年間の休学を ところが二学期になると勉強が手につ 余儀なくされた. かず,良友兼悪友といっしょに,その頃 長く続いていた心の悩み はやりだしたカフェー(女給を売り物に した大衆的な店で,女給はウエイトレス 糸賀が松江高等学校の時代に,留年す というより,現在で言えばバー・クラブ るほどに悩んでいたのは,そのときに始 のホステスの役割を果たしていた)に出 まったことであろうか.実はこうした悩 入りするようになった.酒,たばこの退 みや,糸賀のこの性状はかなり小さい時 廃的な生活で,そのために勉強には手が からみられる.米子で小学校 1 年生にな つかず 1 年間留年することになった. った頃から,憂いを含んだ気持ちは,そ そしてじょじょに「神経衰弱」,いま の後長ずるにしたがっていろんなかたち でいうノイローゼになる.神経が鋭敏に で存在するが,そうした心の闇は小学校 なり,寝られない夜が続く.夜に寝るた から中学校時代にも大きくなっていった. めに昼はむちゃくちゃ運動し勉強をした, 地元であった鳥取県をでて,島根県の松 しかし夜も昼も寝られなくなり,とうと 江高等学校に入学してからも闇は消える う半狂乱というような状態になってしま ことなく続き糸賀を苦しめ,やがて糸賀 い,何度も自殺を決心するのであるが, は自分自身を見失うことを求めるように 生への執着もはげしく,実行できなかっ カフェに溺れ,自殺を希求するに至る. 糸賀は感性がするどく,人の心を感じ, た. 三学期になって,むちゃくちゃ勉強す 少しのことも気になる性格があったし, るが,落第をしてしまう.このときも自 青年時代には自分の生活と当時の青年に 殺を考えるが,何かしら大きな力で後へ 多く見られた生きることの根源的な悩み 引き戻すものを感じ,恥をしのんで 1 年 があった.自分が精神的な苦痛に苛まれ 生からやり直す決心をした.毎日毎日学 てきたことが,ずっと後に,戦争によっ 校へいくが,陰鬱な表情で自分でも情け て親を奪われたり,障害があるために辛 ない気持ちであった.何のために発奮す い目にあって,闇をかかえ放浪する子ど るのか,何のために勉強するのか,駄目 もたちの心を感じ,ほうっておけない心 だ!! 情となり,近江学園を建設していくこと 俺は駄目だ!! 毎日煩悶を繰り返 につながっているのであろう. し,4 月の終わりごろふたたび神経衰弱 に陥る.この頃,お金に困っていたこと 子どもたちに光を与えたいと思った. もあった.生活費は減らされて,1 か月 そしてやがて糸賀自身が,子どもたちが 25 円の仕送りであった.当時下宿代が 内包している光によって,心の闇に光が 21 円であった. あたることを感じていくのであるが,こ (6) 2008 年 9 月 人 間 発 達 研 究 所 通 信 のことは後に述べる. No.114 めに来たのだけれども,今はむしろ君の 行く新しい道のために祝福を祈ってやま 洗礼をうけ,宗教哲学の道へ ない.僕は将来,医者としての使命を与 結核の療養をつづけながら,糸賀は自 えられている.君は直接に福恩の使者と 分のことを考え,なぜこのような状態に して立っていく.行く道は違っても互い なったのかを自問自答していた.ある日, にたすけあって生涯,神の御栄(みさか 以前に圓山文雄が送ってくれたが,その え)のために働こう」と祈りながら,泣 ままにしておいた「聖書」を病床で読み きながら松江北堀教会のガランとした会 出す(なおこの聖書は現在も糸賀の書斎 堂で話しあったのだった. に存在し,表紙を開いたところに,圓山 の字で「これによりて真に神を見出され 京都帝国大学文学部哲学科(宗教哲学) んことを祈る」と書かれている).何者 入学と結婚 かに対する関心と驚異(おどろき)が沸 1935 年(昭和 10 年)京都帝国大学文 き起こってきて,圓山が「真の神」とい 学物哲学科に入学した糸賀の学生生活は, うその神を知りたいという気持ちになっ アルバイトをしながら学資,生活費,そ ていく. して妹への仕送りを稼ぐという苦しい生 1 年間の療養でよくなった糸賀は,松 活であった.宗教哲学の 1 年先輩の鈴木 江高等学校入学 3 年目に 1 年生からやり 重信,2 年先輩の藤原英夫と知りあい, 直す.夏休みになると,糸賀は鳥取へ帰 また農学部の塚本洋太郎,室町教会の若 省し,圓山も愛媛から帰ってきて,二人 い牧師である麻生隆義とも知りあった. はよく話しあった.糸賀は,このとき始 そして秋に結婚をすると宣言をし,お めて教会の牧師にも紹介され会った.自 どろく友人たちを尻目に翌年 1936 年 2 分が求めていた場所はここにあるとの気 月 11 日に,広島県福山教会で小迫房と 持ちで,この年(1932 年,昭和 7 年) 結婚式を挙げ,友人たちの前に新妻を伴 の秋(9 月 18 日)に鳥取教会で洗礼を って悠然と姿をあらわす.この頃,学生 うける. 結婚は少なく,まして入学した 1 回生で, キリスト教の洗礼を受けてから 2 年経 貧しくアルバイトに走り回っている糸賀 ち , 卒 業 半 年 前 ( 1934 年 , 昭 和 9 年 がよく結婚に踏み切ったものだと驚くと 秋),糸賀は目指してきた医者になる志 いうか,呆れるところである. 望を変更し,宗教哲学に行くと決意をす 糸賀房さんは今も元気で滋賀県湖南市 る.これには母も圓山も驚き,圓山はい 石部に,娘夫妻と住んでおられる.この っしょに医師としてやっていこうと,金 結婚のいきさつについては省略するが, 沢から松江まで説得に来るが,糸賀はど ただ二人が交際していたとき,糸賀は毎 うしても宗教哲学を学びたいとその節を 日厚い手紙を出していたこと,ときには 曲げず,圓山も「僕は君を引き止めるた 1 日に 2 通も 3 通も届いて,とても返事 (7) 2008 年 9 月 人 間 発 達 研 究 所 通 信 を書くことができなかった,と房さんか No.114 ④ 近江学園では,戦災孤児といわれ ら聞いたことだけを書いておく. る子どもたちや障害のある子どもたちか ら影響をうけた.子どもたちは,周囲の 大人たちが真に自分の味方であると納得 Ⅱ 「この子らを世の光に」 するやたちまち変わる.向上心,人への 思いやり,共感が現れてくる.糸賀は, 糸賀一雄の思想形成 子どもたちのなかに「光」をみる. 京都帝国大学で宗教哲学を学び,糸賀 ⑤ の思想形成が始まる.それは学問や書籍 の確立.人間の発達のみちすじは,障害 からの思想形成ではなく,主として近江 があろうとなかろうと同じであること, 学園やびわこ学園などでの実践や経験, 発達はタテだけでなくヨコへの拡がりが 発達や教育へのとりくみによって深めら あり,そこにその人としての生きるよろ れ,築きあげられたものである. ① こびがあること. 大学時代の思想形成としては,ま ⑥ ず指導教官である波多野精一教授の影響 世界の平和.この子どもたちが社 会のなかで守られていくためには,世界 がある.波多野は,独自の体系的な「宗 が平和でなければならない.そのため 教哲学」を確立した.この根本思想は 「世の光」と名づけた彫刻「母子像」を 「人格主義」であり,「自己と他者の共 近江学園の入り口に建立し,世界の平和 同こそが人格の本質である」というとこ を願ってレリーフ「友愛」を講堂の壁面 ろに到達したものであった. ② 近江学園での実践と「発達保障」 に作成した. 大学卒業後,木村素衛(もとも ⑦ り)と知り合い,その思想の影響を受け 重症心身障害児へのとりくみから, 「自己実現」について深めている.それ る.その中心的なことは次のことである. は学生時代に考えていた「自己実現は他 「人間は向上的な存在である.同時に 者を『可能性自己』とし他者を破滅させ, 絶対的存在である.向上という次元では その結果自己も破滅する」と,「自己実 未完成であっても,その人の存在自身, 現」を否定したのとはまったく異なる意 それぞれの人は他の人と取替えができな 味であった.次のように語っている. いあるがままの姿で存在する(これが絶 「この人たちが,じつは私たちと少し 対的存在).そのことがそのままお互い もかわらない存在であって,その生命の に肯定されるという存在である.これは 尊厳と自由な自己実現を願っており,生 絶対愛の原理といえる」(木村素衞『表 ま れ て き た 生 き が い を 求 め て い る 」. 現愛』岩波書店 1939 など). 「排他的でないところに,この光の照ら ③ 滋賀県庁勤務時代は,近藤壌太郎 す特質がある」 知事に薫陶を受け,指導者としての物事 そして具体的にとりくむ人たちの姿を のすすめ方を身につけている. 述べたうえで,重症心身障害児へのとり (8) 2008 年 9 月 人 間 発 達 研 究 所 通 信 No.114 くみは,「人間の新しい価値観の創造を の子たちに接することによって,何かを めざす歴史的なたたかいの一環である」 得るというよりは,自らの中にある 「この子らをほんとうに理解してくれる 「光」に気づく,少しずつ光り始めるこ 社会・差別的な考え方や見方のない社会, とがあるということではないだろうか. 人間と人間が理解と愛情でむすばれるよ その光は,また他の人に自らの中に存在 うな社会をつくりたい」と語っている. する光を気づかせることになるかもしれ 糸賀は,「自己実現」は他者を破滅さ ない.その光はこれが人間の姿なのだ, せるのでなく,他者とのかかわり,共感, という気持ちであり,その表現であった 共同の関係であること,「他者実現」と と感じる. ともにあるものであることを知り,人間 糸賀の心情から言えば,この子らの光 の価値観,社会のあり方を考え,そのよ は,糸賀の心の闇に光をもたらしたのか うな社会を希求している. もしれない.糸賀はその子らに惹きつけ 以上のような思想的遍歴を経て到達し られ,糸賀の生きる力になったのでない たのが「この子らを世の光に」である. かと思う.幼少のころからの寂しい心, なにか疎外された気持ち,それをそのま 糸賀の心情 までは外に出さずに,ときには落ち込み, 糸賀の「この子らを世の光に」の言葉 ときには暴発し,やがて自分を見つめる は有名であるが,この言葉は頭で考えて 糸賀を感じる. 作られたり,書かれたものではないであ その糸賀を惹きつけてやまなかった子 ろう.それは,糸賀の心情と,取り組み どもたち,障害のある子どもたち,心身 接してきた子どもたちの姿から見えてき の重い障害に苦しみながら生きる子ども たものであり,糸賀の心情そのものであ たちは,何を生きているのであろうか, ろう.つまり戦災孤児となった子どもた 人の心から何を引き出すのであろうか. ちや,障害のある子どもたち,さらに身 「世の光」と発達,生命,人格 体機能としては「ねたきり」であり,認 糸賀の晩年の執筆や講演の表題や演題, 識の能力も強く障害を受けている重症心 身障害児に接してきて感じてきたこと, あるいはキーワードは「この子らを世の 深められてきたことから感覚的に感じ, 光に 」「自 己実現 」「 発達の 権 利」で あ 見えてきた子どもたちの姿があり,そこ る.さ ら に「 共 感 」「人格 」「 生命」 な に人間の本質を感じ,それを表現すると どもある. 糸賀は語る.「どんな発達段階の子ど いうことになったのであろう. 「この子らを世の光に」は,この子ら もたちにも,その自発性と主体性が尊重 に対する同情ではないし,その子どもた されねばならぬことを信条とし,生命の ちをモデルにすることや,そこから 創造的な発展を期待し助長することを目 「光」をあびるということではない.そ 的としている」 (9) 2008 年 9 月 人 間 発 達 研 究 所 通 信 No.114 「どんなに遅々としていても,その存 など.これらは『糸賀一雄著作集Ⅰ~ 在そのものから世の光を明るくする光が Ⅲ』日本放送出版協会 1982 にすべて収 でるのである.単純に私たちはそう考え 録されている) る.精神薄弱な人びとが放つ光は,あれ このように発達,人格,生命が「世の どもなきがごとく,押しつぶされている. 光」と結びついており,それはまた「世 その光は異質の光なのである」 界の平和」につながることは,近江学園 「人間の本当の平等と自由は,この光 入口に建設した「母子像」を「世の光」 を光としてお互いに認めあうところには と名づけ,それと一体になる世界の人と じめて成り立つということにも,少しず 動物を描いたレリーフを「友愛」とした つ気づきはじめてきた」 ことからも明らかであろう. 「そこにかすかではあるが,この世な イエス・キリスト らぬ,一条の光が放たれていることに気 「この子らを世の光に」という言葉は, づかされるのである.この光は,新しい 理屈っぽく考えるのでなく,それぞれの 『世の光』である」 そして,すでに述べたように, 人が自分の感性で捉え,自分なりに感じ, 「排他的でないところに,この光の照 考えることであろうと思う.しかしここ では,少し理屈っぽく考えてみたいと思 らす特質がある」 う. と語っている.この「光」にかかわっ 「世の光」は,聖書にでてくる言葉で て,また次のように語る. あり,多くの聖書を読んでいた糸賀は当 「すべての子どもは発達する権利をも っています.どの子もどの子もそうです. 然,十分理解していた. 私たちも同じことです.その発達権を, 「ヨハネによる福音書」第八章には, どう保障していくかということです」. 「イエスが再び言われた.『わたしは世 そして, の光である.わたしに従うものは暗闇の 「この子らが,生まれながらにしても 中を歩かず,命の光を持つ』」とある. っている人格発達の権利を徹底的に保障 「マタイによる福音書第五章」には 「あなたがたは世の光である.あなた方 せねばならぬということ」を述べ, の光を人々の前に輝かしなさい」として, 「すべての,文字通りすべての人間の 生命が,それ自体のために,その発達を あなたがたについて,次のようの述べて 保障されるべきだという根本理念を現実 いる.「こころの貧しい人々,悲しむ人 のものとする出発点にたったことなので 々,柔和な人々,義に飢え渇く人々,憐 ある」 れみ深い人々,心の清い人々,平和を実 (以上の引用は『この子らを世の光に』 現する人々,義のため迫害される人々」 柏樹社 1969,日本放送出版協会 2003. である. 糸賀は,それらの人々とともに,「重 『福祉の思想』日本放送出版協会 1968 (10) 2008 年 9 月 人 間 発 達 研 究 所 通 信 No.114 い心身の障害をもって生きている子ども 「発達段階のなかで,発達そのものは たち」を世の光として実感したのであろ むしろヨコへの拡がりが中身である.ヨ う. コへの拡がりとは,かけがいのないその イエスは,困難な中で生きる人々に世 人の個性です.療育とは,あらゆる発達 の光を感じ,また人々のために働く人た 段階の中にあって,その子がかけがいの ちに世の光を見出している.糸賀もまた, ない個性を形成していくプロセスである 重症心身障害児に,さらにその子どもた といえます」(「両親の集い」127 ~ 128 ちと共感する人たち,取り組む人たちに 号.1966 年 11 ~ 12 月). も光を感じた. こ こ で の 「 実 存 の 奥 深 い 核 心 」「 個 「排他的でないところに,この光の照 性」は,「人格」に置き換えられるか, らす特質がある」と糸賀が語っているの それに近いものといえるだろう. は,「 他者 を利用 す る 」「自己 実現」 で 人格という概念は,さまざまな位置づ な く ,「 他 者 と と も に あ る 」「 自 己 実 けや解釈があるが,糸賀の経歴や文章か 現」を意味しているのであろう. ら考えると,哲学の西田幾多郎,波多野 さて,以上から考えると,「この子ら 精一などの京都学派からの影響が強くあ を世の光に」というときの,「光」とい り,またそれはエマニエル・カントと深 うのは,言葉を代えるなら,その子に存 いつながりのあるものである. 在する人間の「人格」を意味するのでな 人格については,カントが哲学の中心 いだろうか.そしてその子と接する人の 概念に高め,次のように言う.人格は, 「人格」と共感しあう関係が生まれると 人間が理性的存在者としての〈尊厳〉で いうことであろう. あり,それ自身〈目的自体〉として実存 する.手段としての相対的価値しかもた 人格と人格性 ない「物件」と違って,人格は「絶対的 では,糸賀は「人格」をどのように考 価値」をもつとした.「人間はだれから えていたのか.次の文章がある. も単に手段として使用されることはでき 「この子らの人格発達の権利や発達権 ず,常に同時に目的として使用されねば を徹底的に保障すること」 ならないからである.この点においてま 「自我の実存の奥深い核心についてい さに人間の尊厳(人格性)が存する」と えば,万人のどこにちがいがあるだろう いうことをくりかえし叙述している(樽 か.この核心にふれることによって,ま 井正義,池尾恭一訳『人倫の形而上学』 た核心に向かうことによって,一切の表 1797. カ ン ト 全 集 11 p350 岩波書店 現 が 意 味 を も っ て く る 」(「 未 発 表 原 2002 など). 稿」1967 ~ 1968 年頃.『糸賀一雄著作 西田幾多郎は,人格については「私と 集 第Ⅱ巻』日本 放送出 版協会 汝」(1932)という論文などにも書いて p.142 いるが,「私の中にあなたがある,あな 1982) (11) 2008 年 9 月 人 間 発 達 研 究 所 通 信 No.114 たの中に私がある」と表現しているよう 今回は,糸賀一雄の「闇」と「光」を に,人間と人間の関係の中に,お互いの 梃子(てこ)にしながら,「この子らを 存在しあう関係として人格を考えている. 世の光に」についての考察をおこなった. 波多野精一は,人間と人間の人格的関係 なお,この内容は,第 46 回特殊教育学 ということで,どちらかというと他者実 会(9 月 19 ~ 21 日)の一般公開企画で 現に軸足をおいた関係としてみている の講演予定内容のうち,最初と最後の部 (波多野精一(1935)「宗教哲学」波多 分を変更しながら書いたものであること 野精一全集 4 を断っておきたい. 1949 年 岩波書店).な お心理学では,「自己意識」と「自己同 一性」を人格としている. 私は糸賀一雄について,成育,仕事と 人格の理解については,このようにさ 思想形成を中心にして,『異質の光―― まざまであるが,私は糸賀が「この子ら 糸賀一雄の魂と思想』(大月書店 2005 年 を世の光に」と言うときには,それぞれ 335 ページ 2310 円)を書きました. の人間に存在する「人格」について,さ 今回,糸賀の蔵書整理や新しく入手した らに人間に普遍的に存在する「人格性」 文 献 も 踏 ま え , 青 年 期 の 心 情 を 考 え, を語っているのではないかと考える. 「この子らを世の光に」についても考察 人格というのは,一人ひとりに存在す を深めました.しかし全般的なことにつ るものであり,人格性というときには, いては,関心のある方はぜひ『異質の 人間としての普遍的なものとしてとりあ 光』を読んでいただきたいと思っていま げているということになる.つまり「こ す(私の方に連絡していただければ,送 の子らを世の光に」の言葉には,「この 料当方負担でお送りします. 子」という個と,「この子ら」という普 ( FAX 077-552-9193. メ ー ル ア ド レ ス 遍性を含んでいると考えられる.糸賀が tkya@hera.eonet.ne.jp). そのように考えて発言,叙述したかどう 今年は糸賀没後 40 周年にあたり,鳥 かは定かではないが,そのように考える 取(米子市)での第 46 回特殊教育学会 ことは,糸賀の気持ち,意図に合致して (9 月 19 ~ 21 日)で「没後 40 年の集 いると思う.なお「『この子』ら」とい い」(映画と講演)として取り上げられ, う読み方については,渡部が指摘したも 滋賀でも記念行事として「講演とシンポ のである(渡部昭男「目の前にいる一人 ジウム」(11 月 29 日)などをおこなう ひとりの子どもへの,具体的でリアルな ことになっています.今日の日本で,糸 メッセージ」2006 年 9 月 賀が切り開いた地平がさらに発展するこ とっとり県 とを願っています. 民の日記念事業フォーラム). (たかやきよし) 糸賀は 1968 年 9 月 18 日に逝去した. その 36 年前の 1932 年 9 月 18 日は,糸 賀が洗礼を受けた日であった. (12) 2008 年 9 月 人 間 発 達 研 究 所 通 信 No.114 文字データとして扱うことができると, 「検索」が容易になります.たとえば, 発達関連資料のデジタル化 田中昌人氏が「可逆操作」ということば ――デジタル・アーカイバーの をいつ使い始めたか,を調べる際に,文 字列の検索でそれを確認することができ つぶやき―― 運営委員長 る,ということです.現状ではデータの 中村隆一 容量も小さくなり,今述べた検索なども 可能なためにもっとも利用価値が高いと 人間発達研究所のデジタル・アーカイブ もいえますが,文字データを得るために のそもそも は相当な労力が必要です.資料をスキャ 表題にある「デジタル・アーカイバ ナーで読み取り,文字の画像を文字に変 ー」ということばを見て不審に思われた 換するソフトをつかって文字化するとい 方がたくさんおられると思います.実は, う流れですが,変換ミスのチェックや体 人間発達研究所では,2001 年から研究 裁の修正などに時間がかかります. 所の活動として「発達関連資料のデジタ 第 2 に,資料をスキャナーに読み込ん ル化」に取り組んできました.発端は, でそれを画像ファイルとして保存する, ピアジェやヴィゴツキー,ゲゼルなど, というもので,現在 PDF ファイルとい 発達あるいは発達診断にかかわる古典と う形式で保存をしています.この場合, いわれるような邦訳された文献が次第に 労力は文字化に比べるとずいぶんと軽減 絶版となり,入手困難な状況がでてきた され,かつ必要であれば PDF 形式のフ ため研究所でそれを収集しデジタル化し ァイルからでも文字化ができること,書 よ う と い う も の で し た . そ の 後 , 2005 籍や資料の形での保管には本棚などが必 年に人間発達研究所の前所長であった田 要ですが,そうしたスペースが節約でき 中昌人氏が亡くなり,同氏の研究業績や ること,ファイル名に書誌情報を入れて 蔵書についてもその作業の重要な柱とし おくことで実際の資料を探すより簡単に て位置づけてきました. 必要な資料があるかどうかを検索できる こと,などがあり,現在の人間発達研究 デジタル・アーカイブとは? 所のデジタル・アーカイブの作業の中心 ここでいう「デジタル・アーカイブ」 となっています. とは,いずれも現在のパソコンで閲覧で 第 3 に,田中昌人氏の資料整理の過程 きる資料ですが,大きく 3 つに分かれま で,映像資料が新しい課題になっていま す. す.1960 年代のびわこ学園の療育記録 第 1 に,テキストデーターです.テキ 映画『夜明け前の子どもたち』をはじめ ストつまり文字です.文献の内容を文字 として,田中昌人氏の研究のあゆみと映 データとして保管することをさします. 像資料とは密接な関係をもっています. (13) 2008 年 9 月 人 間 発 達 研 究 所 通 信 No.114 また実際に監修した映像資料も多くあり いています.実際のところ,デジタル化 ます.ただし,その多くは 16 mm のフ の必要な資料は膨大です.地味な作業で ィルムのため,すでに映写機のある施設 すが,次の世代に資料を手渡すという重 もどんどん無くなってゆく中で,映像資 要な課題でもあります.デジタル・アー 料のデジタル化が課題となってきていま カイバーとしてご協力いただける方を募 した.幸いなことに,こうした関連の映 っています.関心をお持ちの方は是非一 像の制作に参加しておられた大野松雄さ 度お問い合わせください. ん,障害児教育の資料を整理しておられ また,すでに述べた映像資料のデジタ る奈良教育大学の玉村公二彦さんのご協 ル化にかかわって,『シリーズ未知への 力を得て,映像資料についてもデジタル 挑戦 1 次元の子どもたち』(1965-04-04 化作業を進められるようにありました. 放映,制作東京 12 チャンネル)のフィ 現在,『光の中に子どもたちがいる―― ルムを探しています.近江学園の 1960 大津市における新しい保育の実践――』 年代の映像記録で,「渦」などの概念で 『光の中に子どもたちがいる 2 ――カ 集団の意味を明確化しようとする時期の ズエちゃんの二年目――』『光の中に子 ものです.このフィルムの所在に関する どもたちがいる――「わかれ」は「かど 情報がありましたらお教えください. で」――』(いずれも企画・制作は綜合 (中村隆一 reach.nakamura@nifty.com) 社)については作業を終わり,大津市の 寄贈本 制作した『保育元年』,『続保育元年』, 『続々保育元年』を今年度中には完了す (記入例)著者名 る予定です. 行所 発行年 表題・書名 発 寄贈者(著者・発行所と同じ場合は 省略)敬称略 みなさんのご協力を こうしたデジタル・アーカイブの活用 岐阜大学地域科学部,2008,岐阜大学地域科 については,著作権など関連するルール 学部研究報告,Vol.22,岐阜大学地域科学部 を守りながらも有意義に活用できるよう 全国保育問題研究協議会編集委員会,2008, な方向を検討しています.現時点でも学 保育問題研究,No.229,新読書社,滋賀保 術資料として閲覧などは可能です. 育問題研究会 表記のデジタル・アーカイバーとはこ ヤニク・バイヤ,ローネ・ガメルトフト著, うしたデジタル化の作業を担っている人 井上洋平・荒木穂積訳,2008,自閉症と遊 び,クリエイツかもがわ をさしています.現在,研究所では専従 ジェームス三木・藤井克徳,2008,これまで 事務局員の加藤淳子さんが業務の一環と の道,これからの夢,きょうされん して取り組んでくださっています.さら お茶の水女子大学人間発達研究会,2008,人 に今年人間発達研究所副所長に就任して 間発達研究,No.30,お茶の水女子大学人間 いただいた大泉溥さんもご協力をいただ (14) 2008 年 9 月 人 間 発 達 研 究 所 通 信 No.114 立大学人間社会学部社会福祉学科 発達研究会 障害者問題研究編集委員会,2008,障害者問 ひとなる書房,2008,現代と保育 Vol.70 日本体育大学体育研究所,2008,日本体育大 題研究,Vol.36,No.1,全国障害者問題研究 学体育研究所雑誌 Vol.33,日本体育大学体 会 育研究所 塩野谷斉・木村歩美編,2008,子どもの育ち 総合社会福祉研究所,2008,総合社会福祉研 と環境――現場からの 10 の提言,ひとなる 究,No.32,総合社会福祉研究所 書房 龍谷大学教育学会紀要編集委員会,2008,龍 加藤義信編,2008,資料でわかる認知発達心 谷大学教育学会紀要,No.7,龍谷大学教育 理学入門,ひとなる書房 学会 日本特別ニーズ教育学会,2007,SNE ジャー 碓井敏正,2008,人生論の 12 週――愛と自由 ナル,Vol.13,No.1,文理閣 と幸福のために,三学出版 立岡晄,2008,共同作業所のこころと実践, 成沢真介,2008,自閉症児さとしの一日――, 全国障害者問題研究会出版部 物語から学ぶ発達障害,大月書店 三木裕和,2008,人間を大切にするしごと― 立命館大学産業社会学会,2007,立命館産業 ―特別支援教育時代の教師・子ども論,全 社会論集,Vol.43,No.3,立命館大学産業社 国障害者問題研究会出版部 会学会 奥住秀之,2008,どうして?教えて!自閉症 立命館大学産業社会学会,2008,立命館産業 の理解,全国障害者問題研究会出版部 社会論集,Vol.43,No.4,立命館大学産業社 村岡真治,2008,ゆうやけで輝く子どもたち 会学会 ――,障害児の放課後保障と実践のよろこ 高谷清,2008,こどもの心・おとなの眼―― び,全国障害者問題研究会出版部 人間・障害・思想,クリエイツかもがわ 名古屋市立大学大学院人間文化研究科,2008, 日本体育大学紀要委員会,2008,日本体育大 人間文化研究,No.9,名古屋市立大学大学 学紀要,Vol.37,No.2,日本体育大学 院人間文化研究科 全国幼年教育研究協議会,2008,幼年教育, 全国幼年教育研究協議会,2008,幼年教育, No.154,全国幼年教育研究協議会 No.155,全国幼年教育研究協議会 全国保育問題研究協議会編集委員会,2008, 障害者問題研究編集委員会,2008,障害者問 保育問題研究,No.230,新読書社,滋賀保 題研究,Vol.36,No.2,全国障害者問題研究 育問題研究会 会 基礎経済科学研究所,2008,経済科学通信, 新規会員の方 (申込み順) No.116,基礎経済科学研究所 大 阪 府 立 大 学 人 間 社 会 学 部 社 会 福 祉 学 科, 久保 梨香さん 宜子さん 髙林 顕史さん 2007,社会問題研究,Vol57,No.1,大阪府 閔 立大学人間社会学部社会福祉学科 小西 哲也さん 山本 翔太さん 猪島 彩さん 小野 陵太さん 大 阪 府 立 大 学 人 間 社 会 学 部 社 会 福 祉 学 科, 2008,社会問題研究,Vol.57,No.2,大阪府 (15) 楨允さん 北川 2008 年 9 月 人 間 発 達 研 究 所 通 信 No.114 庭山 芙美さん 田中 未知さん ナー心理専門職コース 安藤 史郎さん 松井 寛泰さん 北川 邦江さん 渡部 崇充さん 12 日 発達診断各論コース 吉野 晴美さん 市川 友里恵さん 13 日 第 23 回総会,第 22 回研究集 西村 進さん 柿島 静子さん 田中 正子さん 谷口 久美子さん 7 月 4 日,25 日 運営委員会 会 19 日 人間発達と集団コース 20 日 個人の発達の系概論コース 寄付を頂きました 26 日 発達保障実践論コース 和久井美恵子さん 兼森 訓子さん 大下 松原 巨子さん 二三子さん 発達基礎理論研究コース 編集後記 (以上 7 月末まで) 秋の風情が漂うように 活動報告 なりました.よく見ると琵 5 月 2 日,23 日 運営委員会 琶湖にもう鴨が……実は 3 年ほど前から 7 日 紀要編集委員会 一部の鴨が渡りをしないで住み着いてい 10 日 発達診断セミナー事務局 るのだそうです.温暖化のせいで,北の 発達基礎理論研究コース 国の夏もこちらと変わらないのではとの 17 日 人間発達と集団コース ことでした.徐々に変わっていく地球の 発達保障実践論コース 環境にあわせて,生き物がその生態を変 えていこうとしています.今号はいかが 24 日 発達診断各論コース でしたか?(N.S) 2007 年度下半期会計監査 25 日 個人の発達の系概論コース 人間発達研究所通信はメール配信もし 31 日 発達基礎理論研究コース ています(PDF ファイル) .ご希望の方 発達診断セミナー事務局 は,お知らせください. 6 月 1 日, 6 日,20 日,27 日 運営委員会 人間発達研究所 7 日 発達診断セミナー事務局 〒 520-0052 滋賀県大津市朝日が丘 11 日 紀要編集委員会 1-4-39 梅田ビル 3 階 14 日 発達診断各論コース 15 日 個人の発達の系概論コース TEL/FAX 077-524-9387 21 日 人間発達と集団コース E-mail j-ih63su@j-ihd.com 発達保障実践論コース URL http://www.j-ihd.com/ 発達診断セミナー事務局 年会費 5,000 円 22 日 発達基礎理論研究コース 振込口座 28 日~ 29 日 第 22 回発達診断セミ 加入者名 (16) (郵便)01010-7-32709 人間発達研究所
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