東北関東大震災 教皇、犠牲者のための祈りを呼び掛け

歳でブラ
現地では列福運動が盛んに進
父列福委員会日本側代表委員
シャード市内にある同師の墓
字 架︑ロ ザ リ オ の一部︑金 歯 ︶
会から託された遺品3点︵十
を 訪 れ︑現 地 の 列 福 調 査 委 員
の野下千年師と共に大司教館
生涯をかけ宣
り出された副葬品の一部がこ
が初めて開かれた︒その時取
昨年 月はマッ
ジ ル に 渡 り︑ められていて︑
親善に尽く
教司牧と日伯
を髙見三明大司教に渡した︒
副 葬 品 を 届 け たの は︑現 在
掘調査に立ち会った検証医
野 下 師 は︑
﹁今回の墓地発
の2月 日︑
長崎に届いた︒
司祭ドミンゴ
ブラジルで宣教している日伯
は︑神 父 の 遺 骨 は 埋 葬
した長崎教区
ス中村長八神
司牧協会の松尾繁詞師︵コン
道会︶
︒松
〜1941︶
︒ ベンツアル聖フランシスコ修
めていると証言している︒こ
し て も︑極 め て 明 晰 さ を と ど
の自然腐敗は免れなかったと
年間
父︵1865
尾 師 は︑中
2 0 1 0 年 度︑教 区 評
明 師 は︑評 議 会 が 目 指 す
評議会事務局長の小瀬良
第 回
長崎コレジオ卒業式
第 回長崎コレジオ卒
西田祐尚︵飽の浦︶
︑
松尾
堂崎教会
浦頭小教区
回
教
会
め
聖ヨハネ五島の
聖遺骨が安置
巡
英樹︵相浦︶
︑
山口憲次郎
之
︵鹿児島教区・大笠利︶
︑
今年の卒業生は田代竜
え︑
行われた︒
は土井ノ浦小教区
︵主任・ て 髙 見 三 明 大 司 教 を 迎
鶴崎伸也師︶所属の下原
和希神学生︒
式 後 は︑教 会 近 く の 長
崎堂で祝賀会が開かれ
た︒ 司 祭 団 や 家 族︑ソ ロ
家 族︑出 身 教 会 の 主 任 司
モ ン 友 の 会︑大 浦 コ レ ジ ︵ 浦 上 ︶ の 4 人︒ 式 に は
オ 会︑そ し て 大 浦 教 会 信
部にキリシタ
ン 資 料 館 が 開 設 さ れ︑布
た︒柱やタルキにあてる
杉 材 は︑中 五 島 の 神 之 浦
の食料を積み込み現地に
た 信 徒 た ち は︑持 ち 寄 り
か ら 運 ば れ︑船 を 仕 立 て
向 か い︑伐 採 作 業 に 5 日
ぐり
教時代から迫害を経て復
年を要し1922年︵大
も と︑鉄 川 氏 は 工 期 3 カ
間を要した︒その情熱の
活に至る信仰の歴史が展
堂 崎 地 区 に は︑現 在 約
示されている︒
戸 の 信 徒 が 住 み︑毎 週
土曜日に堂内外の清掃を
聖人の1
人︑聖 ヨ ハ ネ
行 っ て い て︑浦 頭 小 教 区
は
た 下 原 神 学 生 は︑晴 れ 晴
五島の聖遺骨
の信徒による奉仕作業も
祭︑講 師 の 先 生 方 な ど 多
れとした表情で巣立って
が安置され
年2回行われている︒第
徒の方々から祝福を受け
い っ た︒ こ の 4 月︑日 本
て い る︒ ま た
㌔︑奥 浦 湾 を 右 手 に 眺 め
頭教会広報委員長・竹山
要司︶
折上天井に浮かぶ
椿に鉄川氏を魅る⁝
力をあげて修復に取り組
半泊教会
分 ︶ が あ る︒︵ 浦
カトリック神学院︵東京
長崎カトリック神学院
な が ら 行 く と︑そ の 先 端
︵昭和
1日曜日には一番ミサ
髙見三明大司教司式のも
の卒業式が2月 日
︵月︶
︶ 内 ︵5 時
1980年
福江港から北方へ約9
キャンパス︶
に進学する︒
長崎カトリック神学院
業 式 が︑ 2 月 日︵ 日 ︶
卒業式
た ち の 祈 り と 運 動 を︑熱 心 な
と︑み 言 葉 の 祭 儀 の 中 で
に赤れんがの教会堂が姿
時半から大浦教会にて
祈りで支援することだと思
時 か ら︑神 学 院 聖 堂 に
う﹂と話している︒
暗 闇 の 中︑凄 ま じ い 風
︶
パリ外国宣教会マルマ
み︑鉄 川 与 助 氏 が 建 て た
1 8 7 9 年︵ 明 治
を現す︒
数 参 列 し︑卒 業 を 祝 福 し
がごう音とともに屋根
五島の信徒は機会が限ら
た︒その後分科会があり︑ れ て い た が︑今 回 は 自 己
ン師によって堂崎に仮
正 ︶に完成させた︒献
た︒式の後には卒業生を
堂式はコンパス司教のも
囲 ん で 会 食 を 共 に し︑在
を 打 ち 砕 き︑落 と し た︒ 教会を見事に復旧した︒
の日々の奉仕とその意味
半泊教会は1920年
を 問 い 直 し︑新 た に 出 発
一瞬の静寂の後に現れ
一連の研修会は日程の
の 後︑ペ ル ー 師 に よ っ て
熱心な討議が行われた︒
す る よ い 機 会 と な っ た ﹂ 校生による歌や聖歌指導
上 五 島︑ 7
と語った︒教区評議会の
ち合った︒卒業生は﹁楽
も あ り︑喜 び を 皆 で 分 か
の先生のフルート生演奏
1908年︵明治
中 に 立 つ 聖 櫃 だ っ た︒ が 具 体 化 し︑信 徒 は 近 く
建 て 替 え 工 事 が 行 わ れ︑ た の は︑折 れ た 柱 や 瓦 の ︵ 大 正 9︶ か ら 聖 堂 建 築
てくれたアイルランドの
と で 行 わ れ︑基 金 を 送 っ
︵ 昨 年6 /
開 催 は︑地 区 内 の 教 会 同
松 尾 勝 議 長 は﹁ 研 修 会
士が交流し情報交換を行
人に支えられてここまで
か っ た け れ ど も︑多 く の
しいことばかりではな
1987年︵昭和
の山から資材を切り出し
教会﹁島のひかり﹂編集
クにささげられた︒︵浦頭
守護の聖人・聖パトリッ
号は五島
た︒ 建 設 基 金 は︑司 教 の
日︑台 風
綱代の信徒は全
著
乗り越えて 澤田愛子=
言︱長崎・広島の悲劇を
★原爆被爆者三世代の証
究に倣い行われた被爆者
織的信仰を守り抜いてこ
が︑五 島 で も 最 後 ま で 組
クレキリシタン︶の方々
の地区は元帳︵通称・カ
雲仙殉教者たちが歩いた道を
共に歩きませんか
に 宿 泊 し︑信 徒 への 教 理
道婦中島ヤナが巡回時
子 に よって 仕 切 ら れ︑伝
た︒また聖堂の一隅は障
︶当
頭教会所属・木口利光︶
る姿は感動的である︒︵浦
りと聖歌を全員で唱和す
が 行 わ れ て い る が︑お 祈
1・3日曜日︶の巡回ミサ
化 が 進 む 中︑月 2 回︵ 第
された︒現在地域の高齢
を中心に地区総出で改築
時の地区総代宮崎武夫氏
1971年︵昭和
朽 化 が 進 ん だ こ と か ら︑
伝道に努めた︒その後老
長・木口重憲︶
月
間伏・
地区総出で改築
民家風の素朴な教会
初代教会堂はマルマン
られた地区︒
年︵明治
神父在任後期の1885
︶に建てられ
渡ると民家風の素朴な宮
体験や戦後の生活とその
三世代インタビューとそ
本 書 は︑被 爆 者 の 被 爆
信 条 が 被 爆 二 世︑三 世 に
センター︶同 行︒巡 礼 後︑雲 仙 殉 教 祭
に参加します︒︿参加費﹀2千円︵車代
往復・弁当込︶当日集金︒
申し込み先︵先着 人︶
℡ 0 9 5 ︲8 4 2 ︲ 4 4 5 0 カ ト
リックセンター内 シスター辻原まで
緊 急 連 絡 先 ℡ 0 9 0︲9 5 6 9︲
5782 木場田友次
ドからの浄財があてられ
様式の教会が完成した︒
聖
人 に さ さ げ ら れ︑堂 内 に
こ の 教 会 は︑日 本
に大被害を与えた︒
半泊・ 配 慮 に よ り︑ア イ ル ラ ン
︶現
長崎
平 戸︑ 8 /
北︑ / 下五島︑今年1
うことも目的の1つ︒今
来 る こ と が で き ま し た︒
宮原教会
︶8
/
都合により6地区で開催
聖 堂 が 建 立 さ れ た︒ そ
ついて導入講話を行っ
行われた︒今年の卒業生
を 一 層 深 め︑ブ ラ ジ ル の 信 者
と は︑中 村 長 八 神 父 へ の 認 識
たい︒わたしたちにできるこ
のはずみとなることを期待し
の調査がこれからの列福運動
議会が主催し各地区で 開
も の は 宣 教 で あ り︑伝 え
30
村長八神
催していた地区評議会 研
るべきことは〝キリスト
20
在 の 赤 れ ん が︑ゴ シ ッ ク
/
回ある程度かなったと思
長崎中︑3/6長崎
南︶
︒下五島での参加者
う﹂と話している︒
29
は﹁教区の研修会は長崎
これからもがんばりま
す﹂と決意を語った︒4
人の神学生たちは︑4月
から長崎コレジオに進学
福江から堂崎教会の手
62
20
方面での開催が多いため
24
2010年度
地区評議会研修会終了
修 会 が 3 月 6 日︑長 崎 南
の 愛 〟 と 講 話 し︑ま た 中
浜敬司事務局次長は〝油
地区での研修会をもっ て
終了した︒
塗られた者はキリストの
26
12
原教会が見えてくる︒こ
前 で 左 折 し︑戸 岐 大 橋 を
31
どのような心理的・社会 の 考 察 が 記 さ れ て い て︑ 5月 日︵日︶午前8時 カトリック
的影響を及ぼしてきたの 被爆体験の継承問題にも
センター集合︑
マイクロバスで出発︒
殉教者
かインタビューを通して 触れている︒著者は元長 ︿巡礼コース﹀小浜海岸で下車︑
が歩いた道を約1時間 分 歩 く︑健脚
分 析 し︑ま と め た も の︒ 崎 シ ー ボ ル ト 大 教 授︑カ
コース︒タ オル︑帽 子︑水 筒 な ど 持 参︒
※小雨決行︒下窄英知師︵カトリック
46
テーマは﹁信徒の奉 仕
12
トリック信徒︒
し︑
新しい歩みを始める︒
41
創元社︑3990円︒
40
手足として生きる〟とい
20
70
●クリスマス募金
昨年 12 月から 3 月 17 日現在の募金額
¥4,769,050 −
送金実績
①長崎市(生活困窮者支援)
¥500,000 −
②長崎ホームレスを支援する会
¥500,000 −
③長崎ダルク
¥500,000 −
④福岡教区 美野島司牧センター
(ホームレス支援)
¥500,000 −
⑤東京教区シェルター山友会
(援助マリア会経由、ホームレス支援)
¥500,000 −
⑥大阪教区イエズス会社会司牧センター旅路の里経由で
釜ヶ崎キリスト教協友会(ホームレス支援)¥500,000 −
⑦ハイチ クリスト・ロア宣教修道女会経由で
ハイチ援助会(ハリケーン、コレラなど災害支援)¥500,000 −
⑧パキスタン・アフガニスタン大洪水
(ペシャワール会経由)
¥500,000 −
職 ﹂ で︑各 小 教 区 の 評 議
17
55
10
10
12
う信徒の奉仕職の原点に
28
教区評議会には、一菜募金からの送金について奄美大島豪雨災
害(鹿児島教区)
、上五島地区火災(信徒)
、ハイチ地震災害(ハ
イチ・レデンプトリスチン修道院)など各支援先から受け取り
の報告と感謝をつづった手紙が寄せられています。
長崎南地区での研修会
3月6日
11
17
19
¥1,004,587 −
¥150,000 −
¥1,000,000 −
¥1,006,468 −
¥150,000 −
¥150,000 −
¥5,000,000 −
¥500,000 −
23 10 11
58
※支援金(送金実績額)は、2010年度の募金額と過去のプー
ル金とを合わせたものから送金しました。
員ら奉仕者が参加︒教 区
(教区評議会)
④
22
18
¥4,000,000 −
合計
26
ホロコースト生還者の心
理社会的影響の世代間研
15
¥6,518,971 −
●一菜募金
昨年 4 月から 3 月 17 日現在の募金額
送金実績
①チリ地震災害支援
②上五島地区火災見舞い
③奄美大島豪雨災害見舞い
④ハイチ地震災害復興支援
⑤長崎南地区火災見舞い
⑥長崎北地区火災見舞い
⑦東北地方太平洋沖地震災害支援
⑧アフリカ・コンゴ内戦貧困支援
¥8,961,055 −
合計
中村長八神父の
副葬品、長崎へ
2010 年度一菜募金・クリスマス募金支援状況
(昭和27年1月12日第三種郵便物認可) 第
983 号
よ き お と ず れ
4 月1日(毎月1日発行)
(3)2011 年(平成23 年)
四旬節︑皆さんの教会では
どのように過ごしていますか?
﹁和解の火﹂の儀式が︑主
ための独自の行事である
灰 の 水 曜 日 か ら 復 活 祭︵ 復 活 の 主 日 ︶ ま で
の 四 旬 節 期 間︑信 者 は 節 制 と 回 心 に 努 め︑自 分
の 生 活 を 振 り 返 る︒ 長 崎 地 区 に お け る 3 教 会
の︑
四旬節の過ごし方について紹介する︒
深堀教会︵南地区︶
徒も多い︒これらを﹁鬼
て ら れ ず︑困 っ て い る 信
いをつづった﹁和解の手
とした︒希望者は心の思
まりを燃やし尽くす儀式
すぶっている心のわだか
節 を 迎 え る に あ た っ て︑ 節 目 を 4 年 後 に 控 え て
の 答 え も あ っ た が︑四 旬
心境にはなれません﹂と
う 質 問 に︑
﹁まだそんな
紙は書きましたか﹂とい
150周年という大きな
に 信 徒 発 見︵ 3 月
に 参 加 者 は︑
﹁今年は特
と思いますか﹂との質問
教会共同体として和解を
祈っていきたいと思って
い る こ と を 意 識 し︑日 々
植松教会︵北地区︶
週4回︑十字架の道行
います﹂と答えた︒
意識する大切な日となっ
式 後 に は︑お い し い お
にぎりと豚汁︒﹁和解の手
の自由を得させてく
ゆるす願い﹂
﹁信仰
たようだ︒
ともできる︒
日︶
火焚き﹂のように燃すこ
紙﹂を火の中にくべるこ
カトリックらしい儀式
とができれば⁝︒
象徴とし︑ゆるし︑ゆるさ
に す る た め︑火 を 和 解 の
れ る こ と を 祈 念 し て︑く
﹁十字架山﹂で道行
浦上教会︵中地区︶
四旬節中は各教会でし
ださった神の加護へ
の感謝﹂をもって設
時
ばしば十字架の道行が行
日︵ 金 ︶
われるが︑
植松教会︵主任
3月
われた︒今年で3回目︒
立 さ れ︑現 在 も 祈 り
日のミサに引き続いて行
3月6日︵日︶︑深堀教
の場所として大切に
司祭・中村倫明師︶では
過 ぎ︑日 が 落 ち て 辺 り は
四旬節中の毎週金曜日か
すっかり暗くなったもの
こ の 日︑十 字 架 山
受け継がれている︒
ら日曜日にかけてミサ前
着 想 は︑近 隣 地 域 で 正
での道行に参加した
月後の行事として行われ
辻町︶には次第に人が集
て い る﹁ 鬼 火 焚 き ﹂︒ の︑﹁十字架山﹂︵長崎市
信徒は
会︵主任司祭・紙﨑新 一
まってきた︒祈るために
師 ︶ で は︑四 旬 節 導 入 の
こ の と き︑門 松 や し め
徒歩や車で丘へと登って
〜
に代わって十字架の道行
をしています︒教会で祈
日︵ 土 ︶ 夕 方︑ る 時︑イ エ ス さ ま︵ の 受
難の姿の像︶を見ると涙
が出てきます﹂と話して
たイエスさまを思いま
に道行があり︵金・ 時︑ と 尋 ね る と︑
﹁わたした
れることができるよう足
る キ リ ス ト 像 に︑直 接 触
聖堂正面に掲げられてい
つ︑﹁ こ の 四 旬 節 を ど の
の意味も考えさせられつ
る︒週4回におよぶ道 行
前
教会に来れない時は家
す︒
わたしは足がわるく︑ 場が組まれる︒キリスト
十 字 架 山 で︑そ れ ぞ れ 十
か ら 聖 堂 で︑ 時 半 か ら
キリストの受難の丘カル
信 者 た ち に よ っ て 築 造︒ よ う に 過 ご し︑祈 り た い
は︑典 礼 委 員 が 先 唱 を 分
で︑四 旬 節 中 は ロ ザ リ オ
祈りの声は今日も響く︒
の受難をしのび黙想する
まった︒
ん︒ し か し︑確 か に キ リ
またファッション性もあ
ト や︑
﹁座ったまま﹂は
ら脇下まで開くジャケッ
に と っ て 着 脱 し や す く︑ の際に便利なよう袖口か
3月
日︑教 区 青 年 黙
想会︵教区青少年委員会
主催︶が大司教館で行わ
︱
れ︑ 人 の 青 年 が 集 ま っ
︱
た︒テーマは
﹁あかし
︵あ
かみさまの
しめされたみちを︶
﹂
︒
︱
ゆみだそう
ちは︑3年前に188福
6月開催予定の﹁あっち
こっちミサ﹂のテーマと
服の着脱ができるよう工
者殉教者の列福式を経
仰の証し﹂を数多くいた
験︑殉 教 者 が 示 し た﹁ 信
だいた︒それをいかに受
その準備に役立てること
と 服 の 印 象 を 語 り︑会 場
参加した多くの青年た
を目的として行われた︒
夫 さ れ て い る と 思 っ た ﹂ 同 じ で︑今 回 の 黙 想 会 は
案内を手伝ったスタッフ
サと秘跡の恵みに満たさ
髙見三明大司教司式のミ
祈 っ た︒ ゆ る し の 秘 跡︑
話 を も と に 分 か ち 合 い︑
分 か り や す く 話 し︑そ の
は188殉教者について
伸也神父
︵土井ノ浦教会︶
題︒説教を担当した鶴崎
していくかが今後の課
け 止 め︑自 分 た ち が 証 し
の1人︵長崎純心大学現
代福祉学科社会福祉コー
ス3年生︶からは﹁この
ような機能性とおしゃれ
なデザインがある服を初
め て 知 っ た︒︵ こ の 服 が ︶
一般的になってほしい﹂
服を企画した前野いず
との声も聞かれた︒
トリック信徒︶は︑
﹁いつ
み さ ん︵ 愛 知 県 在 住︑カ
担 し て 実 施 し︑毎 回
3月
人が参加している︒
道 行 の 参 加 者 に︑祈 る 時
この日の道行後のミサ
くれた︒
で は︑灰 の 水 曜 日﹁ 灰 の
式﹂に参加できなかった
人のため信者が互いに額
に灰をかける機会もあ
り︑ま た︑ 2 人 の 方 の 洗
礼志願式も行われた︒
﹁わたしが子どものころ
から続いている︵ ある典
礼 委 員の話 ︶
﹂ とい う 同
教会の十字架の道行︒聖
日︶には
今年は火曜日夕方のミサ
土・ 時半︑
日・8時半︶
︑ ちの罪のために亡くなっ
金曜日︵4月
とはまた別にこの場
どのような気持ちですか
所で道行を行うこと
人余︒聖堂
燃 や し︑鏡 も ち を 雑 煮
縄などを持ち寄って
きた人々だ︒
教会主任司祭プトー師を
浦 上 教 会︵ 主 任 司 祭・
などにして食べる︒教
中 心 に︑流 配 か ら 帰 っ た
会には門松やしめ縄
小島 栄師︶では四旬節
時半からも行ってい
礼 ﹂ や﹁ 毎 日 の ミ サ ﹂ 中 の 毎 週 金 曜 日︑ 時 半
といった使い捨ての
ワリオによく似たこの地 尊厳のある服
ファッションショー
は な い が︑﹁ 聖 書 と 典
信心のための冊子や
字架の道行が行われてい
に︑﹁ 禁 教 時 代 の 絵 踏 み
催 さ れ︑約 1 5 0 人 が 集
古 く な っ た 祈 り 本︑聖
る︒十字架山は1881
モデルを務めた信徒ら
ストはわたしたちのそば
る 服 を 紹 介 す る﹁ 尊 厳
葉 を 心 に 抱 き な が ら︑毎
活 の 中 で︑常 に イ エ ス・ あるでしょうか︒この言
青年の黙想会
テーマは
「あかし」
歌 集 な ど︑心 情 的 に 一
の罪の償い﹂
﹁為政者を
ま 方︑い つ も 見 守 り 支 え
に い て︑共 に 歩 ん で く だ
くことができるよう左右
日の信仰生活の歩みを続
れた青年たちからは︑﹁あ
りがとう﹂という感謝の
言葉が多く聞かれた︒
年︵明治 ︶︑当時の浦上
します︒そしてそれは決
て く れ て い た 家 族︑常 に
さっています︒あの時の︑ の あ る 服 フ ァ ッ シ ョ ン
の脇が全開するズボンな
キリストのことを意識し
けていきたいものです︒
も身近に寄り添っていけ
る服であるようこれから
も目指したい﹂と話した︒
50
般のごみと一緒に捨
して1人では乗り越え
応援してくださる信徒の
シ ョ ー﹂
︵教区福音化推
どを紹介︒来場者は﹁少
人 が︑注 射 や 血 圧 測 定
ていくことができませ
方 々︑自 分 の 人 生 に 多 く
あ の 人 の︑あ の 励 ま し の
進部主催︶が2月 日カ
高齢者や障害がある人
﹁わたしは世の終わりま
ん︒ 互 い に 助 け 合 い︑支
の 人 が か か わ り︑多 く の
言葉︑癒やしの言葉︒きっ
節
で︑い つ も あ な た が た と
え合っていくことが必要
人が支えてくださってい
し で も 長 い 期 間︑自 分 で
マタイ 章
中学1年で神学校に入
です︒今の自分であるた
トリックセンターで開
共にいる﹂
学 し た と す る な ら ば︑小
とキリストはいろんな人
を通していつもわたした
れだけの支えがあったこ
ているかといえば決して
!
13
12
30
モデルの信徒らが会場で服を披露
17
19
提出・お問い合わせ先
〒852-8113 長崎市上野町10−34 カトリックセンター内
カトリック長崎大司教区広報委員会 電話095
(843)
3869
18
18
小・中学生
はがき、またはA4サイズまでの大きさの用紙。
描画材料は自由。
募集期間 2011年4月1日(金)〜5月9日(月)必着
選考発表 本紙への掲載をもってかえさせていただきます。
そ の 他 住所・氏名・学年・所属教会を記入。応募作品は
1人1点までとし、原則返却しません。
ることに気付かされま
す︒ 今︑神 学 校 で 働 き な
とでしょうか︒自分自身
そうではないかもしれま
対
象
応募規格
めにわたしたちは一体ど
す︒きっとそこにキリス
ちに語り掛けてくださっ
ているのでは
トもいてくださったのだ
ないでしょう
か︒
が ら︑司 祭 へ の 道 を 歩 む
の歩みを振り返ってみて
27
本紙掲載の「みことばにふれて」のカット(挿し絵)を募
集します。
「みことば」や「祈り」からイメージしたものを絵
画で表現していただき、ふるってご応募ください。応募いただ
いた中からいくつかの作品を広報委員会が選考し、本紙 2011
年6月号以降の「みことばにふれて」シリーズに掲載します。
50
神 学 校 を 6 年 間︑長 崎 コ
レ ジ オ を 4 年 間︑そ し て
に な る た め に は 年と い
大 神 学 校 を 6 年 間︑司 祭
う長い月日がかかりま
﹁いつもあな
たがたと共に
いる﹂とはキ
リストのわた
したちへの約束です︒こ
学生たちがまさにこう
も︑共 に 歩 み を 続 け て い
れほどの励ましの言葉が
いった苦難を体験して い
せん︒実感することもあ ︵ 次 回 か ら 山 口 竜 太 郎 神
父︶
まりないかもしれませ
人は誰もが苦難を経 験
「みことばにふれて」 のカットを募集します
19
18
わたしたちは日常の生
ろうと思います︒
カット
大山裕貴神学生
召命黙想会のご案内
15
19
く仲間︑励まし︑力となっ
野濱達也神父
るのを感じています︒
(長崎カトリック神学院)
てくださる先輩の神父さ
じ︑多 く の 困 難 も あ り ま
が あ り︑悩 み や 迷 い も 生
そこにはさまざまな葛藤
て そ う で は あ り ま せ ん︒
でいけるかといえば決 し
に司祭職を目指して歩 ん
年 間︑い ち ず
73
日 時:2011年4月29日㈮17時〜5月1日㈰午前中
場 所:長崎市 立山黙想の家
対 象:未婚の若い女性(35歳くらいまで)
指 導:ディアス神父様(イエズス会)参加費:3,000円
締 切:2011年4月25日㈪
主 催:聖フランシスコ病院修道女会 長崎修道院
申し込み シスター石岡ヒロ子(聖フランシスコ病院 看護部)
TEL095-846-1888㈹ FAX095-845-7600
E-mail:ishioka@sfh.or.jp
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みことばにふれて
す︒ こ の
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﹁和解の火﹂燃える
983 号 (昭和27年1月12日第三種郵便物認可)
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4 月1日(毎月1日発行)(4)
2011 年(平成23 年)
よ き お と ず れ
第