「ひとナビの展望と課題 - 地図学の観点から-」 森田喬(法政大学工学部) morita@k.hosei.ac.jp 概要: ひとが動くには頭の中の地図を含めて何らかの地図が要る。地図は実空間と空間情報を結 びつけるインターフェースの役割を果たすが、知識の構造化や表現方法によって使い勝手 に相違が生じる。「実空間」と「地図空間」、「伝統的地図」と「システム地図」、 「ルートマ ップ」と「サーベイマップ」、「2次元表現」と「3次元表現」、「メトリック」と「ノンメ トリック」、などの地図分野の今日的話題について、地図の「図」と「地」、あるいは「視 覚変数」の観点より整理し、今後の「ひとナビ」について考えてみたい。 はじめに 「ことば先にありき」、つまりあらゆる事象は人にとって言語化されなければ存在しないも 同然という考え方がある。言語化されなければ知識の操作ができないし、そうなっていな ければ人とは無関係であり、逆に言語化してはじめてその事象が存在するということにな る。地図についても、地図言語という考え方がある。地図として表現してはじめて、その 事象が認知できる。特に、空間的な事象には、地図的な表現が向いている。しかし、表現 行為には伝達性から見てそれが良好なものとそうでないものが生じる。良好なものは、表 現意図が確実に伝わるが、そうでないものは情報内容が理解されなかったり、誤解された り、更には無視されることもあり得る。伝わる地図の基本要件は何であろうか? 1.地図コミュニケーション 人々が、思いをめぐらせ、思っていることをコミュニケーションするには、広い意味での コトバが必要であり、地図は空間に関する事柄を記述するのに優れたコトバであり、地図 言語とも呼ばれる。空間に関する事柄を伝えるには、空間を何らかの単位に切り分け、そ こにおける事柄を視覚的に記号を通じて伝えるのが都合がよい。もちろん日常的に用いて いる話し言葉を通じて伝えようとすることも行われるが、例えば駅から目的地までの道順 を電話で行うのと地図を描きながら説明するのとでは伝えやすさが違う。空間的な事柄は、 話しコトバよりも地図コトバのほうが伝えやすい。このように、地図を地図言語としてと らえると、コミュニケーションの一般的な過程は図1のように表すことができる。 全体は、左側半分の送り手と右側半分の受け手に分かれる。送り手は、まず地図の形で伝 えたい「課題」を思い浮かべ、それを表現すべき「主題」とする。その主題に対して、頭 の中の既存知識だけで記述することもあり得るが、多くの場合はそれを表すための位置情 報や統計情報などの「情報収集」を行う。それは、ベースマップや数表であったりするが ひとまとまりの空間「情報」としてまとめられる。次に、それらを地図として「作図」す るために空間情報と記号を対応付ける図式化を行い「地図」として表現する。表現された 地図は受け手によって視覚的に「認知」され、 「脳内イメージ」を形成する。そのイメージ は更に経験や知識や直感により「解釈」され、送り手が伝えたかった主題のメッセージが 受け手に伝わる。しかし、伝えたかったメッセージと伝わったメッセージが全く同じであ る保障はない。表現の如何によって両者のズレは変化し、それを最小にする努力が地図学 によって研究されている。この「送り手」と「受け手」の図式は、伝統的な印刷図では専 門的な地図製作者とその利用者という関係で理解しやすいが、GIS のように両者が一体化 する場合もある。そこでは、両者の間の過程が循環し図的思考が進む。また、作図や読図 には、それを行いやすいかどうかの置かれた環境があり、作図者と読図者も専門性や文化 的相違などの影響を受ける。 2. 地図の「図」と「地」 送り手 受け手 課題 課題 空間情報は視覚表現され全体が見渡せる 主題 読図環境 脳内 イメージ 思考 認 図 知 作 地図 図1 地図コミュニケーション図式 読図者属性 釈 評価 認識 情報 という俯瞰力を得て、はじめてそのパワー 解 集 表現 作図環境 作図者属性 情 収 報 を生かすことになる。俯瞰することにより 全体の配置関係・構造が見えてくる。つま り要素相互の関係性が見えてくる。また、 本来見たいものとその背景との関係、つま り「図」と「地」の関係も見える。これら が地図の基本的パワー・機能である。とこ ろが、 「図」と「地」は同じ視野に入ってい るために、表現が適切でないと「図」が見えてこない。特に地域の空間的財産目録のよう な一般図では、何かを特に強調しようとはしていないため、試行錯誤的に読み進むことに なる。そこで情報を整理し、主題に関する情報を中心に作成するのが主題図である。この 場合、情報が選択されているので一般図よりは「図」が見えてくる筈である。ところが、 全体観察の時には「地」として背景部分であったものが、部分観察では「図」になること はよくある。また、主題図は「主題」を持っているから、その主題が果たして確実に伝わ るように設計・構成されているかという出来不出来の問題がでてくる。これを制御するの が視覚変数である。 3.視覚変数の考え方 フランスの地図学者J.ベルタンは、視覚変数という概念を 1967 年に「セミオロジー・グ ラフィック(図の記号学)」を出版し提案している。それらは、二次元平面状における視覚 記号の「位置」、および「大小」、「濃淡」、「きめ」、「色」、 「方向」、「形」の六つ視覚的な操 作変数で構成されている。ベルタンが自ら語ったところによれば、身の回りで見かけた図 表や地図を片端に集め、やがてそれらが自分の背の高さ位まで達したところで、それらを 納得できるものとそうでないものに分け、更に分類していく中で、視覚変数の概念に達し たという。同じ制作意図があっても、視覚変数の用い方で図の説得力が違ってくるという わけである。 視覚変数のなかでも、「大小」および「濃淡」は、視覚刺激に直接かかわるので量的表現 や順序表現に優れている。「きめ」 、 「色」、「方向」、「形」は意味性との結合が生じやすいた め、ある記号がほかの記号と違うことによる区別や、逆にある記号がほかの記号に似てい ることによる類似性に基づくグルーピングに適している。 4.地図情報の基本構造 地図は最近のデジタル化により、その存在様式が大きく変貌しつつある。ここで、地図の 八つの様態による特徴を見ることにしたい。 (1)言葉・データによる表現 全体の配置関係・構造を示すことが動機となっていなければ地図表現する必要はない。「札 幌は雪だ。」、「札幌は気温マイナス5度だ。」といった情報は、確かに場所の情報を含んで いるから空間情報である。しかし、この情報を地図の上に何らかの方法で表現したところ であまり意味はない。空間的な関係性を示す必要がないからである。このような点的、エ ピソード的な情報は、言葉やデータとして提示しても不都合はない。 (2)手書き地図 手書きなのか印刷されたものなのかといった手段の区別ではなく、頭の中にある地図を目 的に応じて外在化させたものであり、イメージマップである。要素間のトポロジカルな関 係性に意味があり、メトリックな地図ではない。 (3)基図と主題の重ね合わせ 何らかの与えられた標準的な基図が存在しており、その基図を頼りに主題情報の位置決め を行い主題を基図上に重ねて表す。 (4)組み地図・対話型システム地図 テーマが複数の地図で表現するのがふさわしい場合は組み地図とする。システム化された 地図は、それを対話的に必要に応じて必要な様式で作成することを可能にしたものである。 (5)基図の3次元化・主題の半透明化 基図が陰影図として立体的な表現になっていると、その上に重ねられた主題が地形と密接 な関係がある場合は理解しやすい。主題が面的表現の場合、その面が不透明であると下の 地形が隠されてしまうため効果が半減する。シェーディングが反映できるような画像処理 を行うか半透明にするとよい。 (6)主題の4次元化 地域の水害のように、地形は動かないが水面の上昇という主題内容が刻々と変化する場合 は動的に表すと分かりやすい。主題情報は、人や車のようにそのものが実際に動くもので あってもよい。 (7)基図と主題の4次元化 背景が変化する中で主題情報も変化する場合である。 (8)個別化・エゴセントリズム化 視点を設定して、そこから見たい主題だけを遠近法的に表現する、あるいは関心度の高い ものを強調表示する。 5.ひとナビの観点から 「ヒューマン・ナビ」の試みがはじまっている。カーナビに比べて、行動範囲が狭まり移 動速度も遅くなるが、それだけ人間スケールの細かな空間情報が求められる。また、個人 行動の中での情報ニーズであるから、利用者の空間経験・認知・操作スキルの差や文化的 背景も考慮する必要がある。更に、参照される地図の機能やその存在理由は道案内に限ら ない。空間記述へのニーズのバリエーションは殆んど限りがない。 (1)「実空間」と「地図空間」 空間の基本骨格を分節化し、必要に応じて「図」として提示するのが地図である。また、 その「図」を背景として求めたい主題情報をその上に「図」として表す場合もある。指示 されている目標物を現実空間の中で照合するのは意外に難しい。目標物は人が意味を付与 した記号であり、対景を見ればその中に記号が自ずと見えてくるわけではないからである。 (2)「伝統的地図」と「システム地図」 地図は、モノとして独立した地図から、人と地図とが関わり持つ一連の動的な過程全体へ と移行しつつある。ナビ利用の場合も、実空間・地図空間・空間構造理解・行動判断・地 図空間と実空間の照合、という一連の動的な流れが存在している。そこではシステム化さ れた地図の可読性向上のため視覚変数の活用が期待される。 (3)「ルートマップ」と「サーベイマップ」 ナビでは、道案内としてのルートマップの提供は当然であるが、知的好奇心を満たす空間 発見に寄与するサーベイマップの参照も期待される。このためには、一般図よりは「図」 の明瞭な各種主題図が必要となる。 (4)「2次元表現」と「3次元表現」 市街地では、側面景観の参照も効果的であるが、写真の提示では分かりにくい。特徴抽出 を行う3次元の総描(「図」としてとりだす)についての理論化が期待される。 (5)「メトリック」と「ノンメトリック」 感覚器を通して取り出した「図」としての空間は、均質ではなく遠近法的であり、また興 味を持つ部分が大きくなるなどデフォルメされる。均質空間との間の双方向の変換の仕組 みが期待される。
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