「飼い葉桶の中の子」

2013 年 11 月 26 日
144 号 日本聖書神学校学報
2013 年 11 月 26 日
第 144 号
発行人 小 林 誠 治
印刷所 山猫印刷所
〒 161-0033 東京都新宿区下落合 3-14-16・☎ 03-3951-1101 ~ 2・Email: jbts@jbts.ac.jp
【クリスマスの随想】
今号の内容
クリスマスの随想
1
オープンキャンパス報告
2
クリスマス礼拝のご案内
2
理事会・評議員会の報告
3
メーヤー宣教師の三女来校
3
『聖書と神学』第 26 号の
原稿募集
全校修養会報告
2014 年度春季入試
募集要項
4
4
4
神学校礼拝堂の
ステンドグラス④
制作:三浦啓子氏
(ステンドグラス作家)
砂漠と星空
(旅するアブラハム)
創世記 12:1 ~ 4、同 15:1 ~ 6
「飼い葉桶の中の子」
教授 柳 下 明 子
日本の経済を立て直すという旗印の下に
とうに破綻したシステムを力業で延命させ
ようとする政策を押しとどめきれず、世界の
中で応答責任を果たせないまま、わたしたち
は一年を終えようとしています。無力感と失
望感にさいなまれる今、世界を取り巻く闇の
最も深いところにこそ、光が届くというクリ
スマスの出来事をわたしたちは味わい直し、
新たな希望に立ちたいと願います。
ルカによる福音書の伝えるイエスの降誕
物語では、 羊飼いたちに救い主の誕生を告げ
る天使は「今日ダビデの町で、あなたがたの
ために救い主がお生まれになった。この方こ
そ主メシアである。あなたがたは、 布にくる
まって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を
見つけるであろう。これがあなたがたへのし
るしである」
(2・11-12)といいます。そし
て羊飼いたちは「急いで行って、 マリアとヨ
セフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子
を探し当てた」
(16)と聖書は伝えています。
天使の言葉通りのことを羊飼いたちが求め
るなら、「飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子」
だけを探し当てれば充分なのに、なぜ「マリ
アとヨセフ」ののちに子どもを見つけたと聖
書は伝えなければならなかったのでしょう。
「飼い葉桶の子どもの両親に言及してい
るのは、 この子どもが捨て子ではないとい
う こ と を 伝 え て い る 」 と (Word Biblical
Commentary)いわれます。それはすなわち、
この物語の初期の聴衆にとって 「飼い葉桶に
寝かせてある乳飲み子」 は見捨てられた存
在、関わりを放棄された存在として理解され
るべきものであったと言うことです。飼い葉
桶に寝かされるような状態に置かれる子ど
もは、 しかるべき配慮も手当も受けられない
存在、その最も信頼すべき保護者からも遺棄
された存在であることを想像させるもので
す。そうであるからこそ、16 節においては
わざわざこの子どもにはしかるべき保護者
がいることを聖書は伝えねばならなかった
ということです。
ところがその一方ルカの降誕物語では 「飼
い葉桶に寝かせた」(7)
「飼い葉桶に寝てい
る」
(12)「飼い葉桶に寝かせてある」(16)
と繰り返し、この子どもは飼い葉桶に結びつ
けられて語られます。あたかもしかるべき庇
護もなく、 生きるために必要な手立ても備え
られない状態でこの世にあるもののように。
それはこの世に生まれる救い主は遺棄の象
徴であるような飼い葉桶としっかりと結び
つけられねばならないのもまた聖書の真実
であるからです。
飼い葉桶に寝かされることは、この子ども
がどこに生きるか、 誰と生きるかということ
を象徴しています。この子どもは見捨てられ
たものとして生きるもの、その生存への保護
を放棄されたものとして生きるもののため
に生まれたのです。いのちの危機に瀕してい
るものを最も脅かさないかたちで、 自分自身
がいのちの危機に瀕するかたちで。
今年もまたわたしたちが飼い葉桶に寝か
せてある乳飲み子を救い主として迎え入れ
るとき、そのことはまたわたしたちにその乳
飲み子と共に生きることを促します。3 世紀
の教父オリゲネスはルカ福音書の説教にお
いて 16 節をイザヤ書 1:3「牛は飼い主を
知り ろばは飼い葉桶を知っている。しかし、
イスラエルは知らず わたしの民は見分けな
い」と結びつけて理解し、救い主を認識する
ことの困難を語ります。そして「わたしたち
も飼い葉桶を理解しよう。救い主をそれと知
り受け入れられるよう務めよう。そして救い
主の誕生だけでなくその復活と栄光に満ち
た再臨をも見分けられるように」と結んでい
ます。飼い葉桶の子どもを救い主として人生
に迎え入れることは、危機に瀕しているいの
ちと共に生きること、そしてまたそれを守る
ために奮闘すること、そしてまるで失われて
しまいそうなその命をそれでも支える約束
を信じることへとわたしたちを招くのです。
1
2013 年 11 月 26 日
日本聖書神学校学報 144 号
2013 年度オープンキャンパス報告 2013 年 10 月 22 日
オープンキャンパス実行委員長 縣 洋一(2 年)
今年も秋の大きな行事の一つである
「オープンキャンパス」が10月22日
(火)に行われました。今年は学生が主
催するという意義を更にもう一歩踏み込
んで考えてみることからスタートしまし
た。神学生26名が「今、何を考え、何
に悩み、何に飢え渇き」そして「今、皆
さんに何を伝えたいのか…」。そのこと
を共に分かち合い、一歩前に踏み出せる
場にしたいということで方向性がまとま
りました。
では神学生にとってのその「今」とは
何なのか。沢山の話し合いの末に出され
た答えが「召命」でした。
私たちの生活は、昼の職場と夜の神学
校の生活を繰り返し、ギリギリの毎日を
送っているのが現状です。そして疲れと
忙しさの中で、時に神さまからの召しに
応えてこの場に来たという喜びを見失っ
てしまう「今」があります。そのような
中で「自分は本当に神さまから召命を受
けたのだろうか」という不安や迷いを感
じながら神学生の生活を送っている者は
少なくないのです。だからこそ、皆でこ
の「召命」に正面から向き合ってみるこ
とにしました。更に神さまから与えられ
た使命は、神学生に限ったことではなく、
全ての信仰者がそうであるはずだという
ことにも行きつきました。
以上のことを踏まえ、内容が企画され
ました。テーマはイザヤの召命の御言葉
「私がここにおります」に決まり、内容
は三部構成になりました。
第一部は「召命の礼拝」です。自分た
ちで召命をテーマにした式文を作り、共
に礼拝を捧げるという試みです。式文の
中には「アブラハム」
「イサク」
「エリヤ」
「ペ
トロ」「ザアカイ」の5人の召命物語を盛
り込み、自らがその役になって考えた台
詞を言う場面も入れました。また、説教
は40期の卒業生であり、今ギリシャ語
を教えている菅原裕治先生から「弟子の
召命」というテーマで説教して頂くこと
になりました。更に、お互いを支え励ま
し合うという意味を込め、「平和の挨拶」
が礼拝式文に組み込まれました。
第二部は「交わりの時間」です。軽食
を用意し、自由に歓談できるカフェ形式
の場を作り、共に語り合い、交わりを深
める時を持つのが狙いです。
そして最後の第三部は神学生の今の声
を、お互いに共有するために「パネルディ
スカッション」を企画しました。しかも、
自分たちの殻に閉じこもるのではなく、
他の神学生の声も聴こうということにな
り、JBTS か ら の 2 名 の 他 に、 他 神 学 校
からも2名を招き、計4名がパネラーと
なってお互いに意見を交換し合うという
ユニークな企画です。
当日は来年度の入学希望者や、卒業生
など50名を超える方々が神学校に来て
くださいました。
暗闇の中をローソクを持った司会者が
入堂し、闇に光が届くという場面から召
命の礼拝が始まりました。召命物語では
5人の迫真の演技が続き、まさしく聖書
の登場人物そのもののようでした。また、
菅原先生の説教も心に染みる素晴らしい
お話でした。アブラハムをはじめとする
召命を受けた人たちの共通点は、何か特
別な長所があったからではなく「主が選
ばれた」ということや、マルコ福音書に
おける弟子の招きにおいても「理由のな
い招き」であったこと。イエスさまは逃
日本聖書神学校 クリスマス礼拝のご案内
と き:2013 年 12 月 6 日(金)
18:30 ~
ところ:日本聖書神学校 礼拝堂
説 教:「 彼 ら に は 泊 ま る 場 所 が な か っ た 」
小林 聖 牧師(日本基督教団豊岡教会、兵庫教区総会議長)
礼拝後、祝会がございます。どなたでもご自由にご参加ください。
2
げてしまった弟子を「もう一度招かれる
方」であり、私たちも失敗を繰り返し「十
字架を見上げながら」歩んで行くことの
大切さを、御自身の体験談も含めながら
熱く語って下さいました。会場にいた一
人一人がそのメッセージに心を打たれま
した。そして互いに熱い握手で平和の挨
拶を交わし、第一部が終わりました。次
の 交 わ り の 時 間 は、 笑 い 声 や 驚 き の 声
の飛び交う、大変良い雰囲気に包まれ、
30分という時間があっという間に感じ
られるほどでした。そして今回の目玉の
イベントであるパネルディスカッション
が始まりました。
4人のパネラーがまずそれぞれの献身
に至った動機を話し、次に神学生生活の
エピソードを話してもらいました。まさ
に涙あり笑いありの話が次々と飛び出し、
会場は「えーっ」という驚きや、
「そうだっ
たのか…」という感嘆の連続でした。互
いに一番大事な献身のことを真剣に聞く
機会も少なかったので、本当に新鮮な良
い時となりました。また、入学者説明会
には8名の方が来て下さり、入学希望の
方達にも学生の「今」を伝えることがで
きたことは嬉しいことでした。
これからも召しへの不安や迷いはある
ことでしょう。しかし、今回のオープン
キャンパスを通して、新しい一歩を踏み
出す確信が持てたことも事実です。この
日の恵みを忘れずに、共に励まし合って
歩んで参りたいと思います。
2013 年 11 月 26 日
144 号 日本聖書神学校学報
理事会・評議員会の報告 2013 年 11 月 18 日
11月18日(月)に第191回評議員会、
第192回理事会・評議員会が開かれまし
た。今回は3年に一度の理事・評議員の改
選期に当たり以下の方々が選出されました。
理事長
久山庫平 ( 河辺伝道所 )
理事
小林誠治 ( 校長 ) 内田汎 ( 大宮前教会 ) 高橋克樹(総務部長、豊島岡教会)
中村眞 ( 埼玉新生教会 ) 古旗誠 ( 目白教会 ) 笠原義久 ( 教授、信濃町教会 ) ギッシュ・ジョージ(宣教師)
吉岡光人 ( 吉祥寺教会 )
菊池公平 ( 目白教会員 )
佐竹順子 ( 大塚平安教会員 )
政岡豊 ( 田園調布教会員 )
監事
鈴木茂 ( 田園都筑教会員 )
丸山和則 ( 小金井教会 )
評議員
小林誠治 ( 校長 ) 鈴木脩平 ( 教務部長、北柏めぐみ教会 )
高橋克樹 ( 総務部長) 稲垣千世 ( 教授、甲府中央教会 ) 古谷正仁 ( 教授、蒔田教会 ) 柳下明子 ( 教授、武蔵野緑教会 )
内田汎 ( 大宮前教会 ) 小河由美子 ( 祖師谷教会 ) 栗原清 ( 武蔵豊岡教会 ) 久山庫平 ( 河辺伝道所 )
島田進 ( 日立教会 ) 神保望 ( 下落合教会 ) 田村博 ( 調布教会 ) 土橋誠 ( 飯能教会 ) 中村眞 ( 埼玉新生教会 ) 古旗誠 ( 目白教会 ) 上遠恵子 ( 田園調布教会員 )
小林道彦 ( 三崎町教会員 ) 唐沢健太 ( カンバーランド長老キリス
ト教会・国立のぞみ教会 ) 小林恵 ( 南甲府教会 ) 中村公一 ( 高輪教会 ) 中村征一郎 ( 東金教会 ) 村上信男 ( 小石川白山教会員 ) 六田文秀 ( 大久保キリスト教会員 ) 渡辺知子 ( 田園江田教会員 ) なお、常任理事には久山庫平理事長、小
林誠治校長、内田汎、中村眞、古旗誠、菊
池公平の各氏が選出されました。
理事会では学事報告、図書館運用委員会
報告、カナ委員会報告、不動産管理委員会
報告、後援会報告がなされており、今回は
2013年度収支中間報告がなされました。
今回の理事会・評議員会では、学校債券
償還について協議し、
「会計処理規則」制定、
「図書館規則」改定、「教授会規則」改定が
決議されました。また、2014年4月か
らの教務部長は高橋克樹教授 ( 鈴木脩平教
授は定年退職 )、総務部長には土橋誠牧師 ( 飯
能教会 ) が就任することが承認されました。
(文責・高橋克樹)
メーヤー宣教師の三女来校 2013 年 11 月 4 日
日本聖書神学校の大きな母体の一つで
ある福音教会のメーヤー宣教師の三女で
あるジーン・メイヤーさん(91歳)が
11 月 4 日 に 来 校 さ れ、 メ ー ヤ ー 宣 教
師の遺品であるアルバムなどを寄贈され
まし た。 今 回 の 来 日 は 目 白 教 会 の 創 立
100周年記念式典への出席と、毎年清
水ヶ丘教会で行われているメーヤー宣教
師ご夫妻の召天記念礼拝に出席するため
です。
また、メーヤー宣教師の長女ルースさ
んの息子さんであるジョン・ボルストさ
ん、同じく次女のフランシスさん(今年
二 月 に 召 天 ) の 娘 さ ん で あ る ア ン・ ビ
ショップさんも一緒に来日され、祖父に
あたるメーヤー宣教師の日本における働
きの足跡をたどられました。
来日中のジーンさんは、今は千葉県大
網市に中村征一郎牧師の尽力で移築再建
メーヤー宣教師の遺品のアルバムの寄贈を受ける
された宣教師館も見学されました。ご自
分が生まれ育った家がいまも大切に保存
されていることを感謝されていました。
アルバムは1880年代以降の福音教
会に関わる貴重な写真集で、クレッカー
宣教師やメーヤー宣教師の働きを記録し
たものです。
(文責・高橋克樹)
前列右から2人目がジーン・メイヤーさん
『聖書と神学』第 26 号の原稿募集について
2014 年度の「聖書と神学」26 号は「ポ
ストコロニアル神学と 3.11 以降の神学動向」
を特集します。
「ポストコロニアル」という
言葉は、いま欧米のみならず、アジア・アフ
リカ・ラテンアメリカなどでさかんに使われ、
西洋中心主義を超えて、という含みだと理解
します。各自の裁量でお書きください。なお、
従来通りの自由研究や書評の入稿をも歓迎い
たします。論文の形式は、従来通り 400 字
詰原稿用紙 50 枚相当の字数 ( 注も含む ) が
目安です。締め切りは来春 3 月末を原則と
し、最大限 5 月中旬まで延長できます。
E メールでの入稿をお願いします。アド
レスは< a002509@attglobal.net >です。日
本キリスト教団八王子栄光教会のホーム・
ページのメールでも結構です。
*神学校宛てではありません。
*容量の大きな原稿は、次のアドレスで:
< wrrpk860@yahoo.co.jp >)
、文字化けが
心配の方は、< pdf ファイル>のような画
像ファイルを伴に添付ください。詳しくは、
編集責任者(郷義孝)までお尋ねください。
3
2013 年 11 月 26 日
日本聖書神学校学報 144 号
2013 年度全校修養会報告
2013 年 10 月 25 日~ 26 日 八王子セミナーハウス / 参加者 35 名
輩方から経験を分かち合っていただくこ
10 月 25 日(金)から 26 日(土)にか
とは、とてもうれしいことでした。
けて、八王子セミナーハウスで 2013 年度
例えば石田先生は、自らの開拓伝道の
の全校修養会が開催されました。台風の
経験を振り返りつつ、こんなふうにおっ
接近があり直前まで開催が危ぶまれたの
しゃいました。 ですが、修養会が無事に終わった土曜日
「開拓伝道を始めたころ、礼拝に誰も来
の午後、私は家路をたどりながら「よかっ
ない日曜日がありました。そんな時、自
たなあ。力をいただいたなあ」としみじ
み感じました。きっと多くの神学生が、 信をなくすわけですね。でもそういう経
験を重ねながら考えるようになったのは、
同じ思いだったろうと思います。
『私という牧師がここにいるということの
* *
中に、
神の目的がある』ということでした。
今年の修養会は、石田学先生(日本ナ
人にはそれぞれの賜物があって、つい他
ザレン教団小山キリスト教会牧師)
、松本
人をうらやんだりしてしまうのですが、
敏之先生(日本基督教団経堂緑岡教会牧
しかし『私という牧師』は、私しかなる
師)をお迎えし、
「牧師とは何か」とい
ことができない。だから、自分の存在を
う主題によって行われました。一日目の
喜んでいい。この自分の存在を喜びなが
夜は、この両先生と、本学教授の古谷正
ら牧師を務めていけばいい。そういう思
仁先生が、この主題を巡って、それぞれ
三〇分ほどの発題をしてくださいました。 いを与えられてきました。今日ぜひ皆さ
んにお伝えしたいのは、自分の存在を喜
お三方とも自分がどのようにして牧師
んでいただきたいということです。それ
となったのか、またこの働きの中でどん
があってこそ、喜びをもって主に仕える
な困難と恵みを経験してきたのかを率直
ということが可能になるのだと思います」
に語ってくださいました。私を含め神学
松本先生も古谷先生も、それぞれに同じ
生の多くは、
「本当に自分は、この召し出
ことを教えてくださったように思います。
しの道を歩んでいくのにふさわしい者な
のか」との迷いの中にあるわけですが、 「ありのままの自分を認めて、自然体で教
会員の前に立つこと」
「よい意味でプライ
そのような私たちにとって、前を歩む先
ドを持って、自分で自分を認めてあげる
こと」
「私たちは長い教会の歴史の中で、
限られた時期に限られた課題を担うに過
ぎない。だからこそ、今ここでやらなけ
ればならないことを、吟味すること。夢
中になりすぎないこと」
。そのような自分
を大切にすることの大切さを、それぞれ
の経験に即して具体的に語ってください
ました。
2014 年度
神学科学生募集
神学生 土肥 研一(3 年)
牧師とは自分を捨てて神と人に仕える
仕事なのだ、と理解していた私にとって
は、
「自分を喜ぶ」というメッセージはま
ことに大切なものだったと改めて思いま
す。牧師の仕事を長く、感謝の内に続け
ていくための秘訣を伝授された気がして
います。
二日目の朝は、まず前日の発題を受け
て各学年一名、計四名の神学生が応答を
行いました。続けて参加者全員が三分団
に分かれて議論し、さらにもう一度全体
で集まって、分団で話し合ったことを分
かち合いました。そのそれぞれが、心を
開いて和やかな雰囲気の中で行われたこ
とを、感謝の内に思い出します。
* *
修養会の閉会礼拝で説教をさせていた
だきました。その中で私は
「牧師とは何か」
と、たとえば、教会を知らない方に問わ
れたら、
「主を賛美する者だ」と答えたい
と語りました。誰もが絶望するほかない
ような状況にあっても、なお心を高く上
げて主を賛美する者、そういう牧師にな
れたらと願います。そしてそういう者で
あるために、自らを喜ぶことが大切なの
だと教えていただきました。自分に死ぬ
ことと、自分を喜ぶこと。そして自らを
喜ぶことと、与えられた教会のおひとり
おひとりを喜ぶこと。これらは一見矛盾
しているようで、しかし深く結びついて
いるのでしょうね。
修養会で大切な気づきを与えてくだ
さった、神さまに感謝します。
日本基督教団認可神学校 〈修業年限 4 年間〉
日本聖書神学校 募
集 要 項
春季入学試験
出 願 期 間
2014 年 1 月 10 日(金)~ 2 月 5 日(水)
試
2014 年 2 月 13 日(木)~ 14 日(金)
験
日
受験資格
1. 大学卒業者またはそれと同等の学力を有すると本校におい
て認められた者。
2. 受洗後2ヶ年以上の忠実な教会員であり、伝道の召命を受
洗礼を受けて主のものとされた者は
生涯に一度、この主のお声の前に
立ちとどまってみませんか
4
け、所属教会牧師と役員会の推薦する者であること。
*日本基督教団以外の教派からの献身者も受験することができます。
*最終学歴が大学卒業でない者にも「正科生に準じる者」として入学を許可する場
合があります。ただし、入学後、本校が必要と認める学科について所定の単位の
修得が必要となります。この場合、修業年限が 5 年間となります。
*筆記試験の「旧約聖書」の出題範囲は創世記のみとなります。