85 冷戦後ヨーロッパの安定と 安全保障共同体の拡大 OSCE を通した協調的安全保障概念の国内制度化― ― 笹井 篤 (宮岡研究会 4 年) はじめに Ⅰ 近現代ヨーロッパの歴史と問題提起 1 近現代ヨーロッパの歴史 2 冷戦終結前後の冷戦後ヨーロッパに関する論争 3 冷戦後ヨーロッパの現状 Ⅱ 主要国際関係理論による冷戦後ヨーロッパの安定分析 1 リアリズムの分析 2 リベラリズムの分析 3 コンストラクティビズムの分析 Ⅲ OSCE を通した国家の協調的安全保障概念の制度化 1 OSCE とバルカン半島 2 事例研究①:クロアチア 3 事例研究②:ボスニア・ヘルツェゴビナ おわりに はじめに 「ヨーロッパはかつてないほどに繁栄し、安全で自由である。20世紀前半の衝 突は、ヨーロッパの歴史に先例のない平和と安定に取って代わられた1)。 」これは、 2003年に欧州理事会が発表した『より良い世界の中の安全な欧州―ヨーロッパ安 全保障政策』の冒頭文である。これが表すように冷戦後ヨーロッパは平和を維持 86 政治学研究49号(2013) してきた。 冷戦終結後、世界は大きな変化を経験してきた。東アジアなど不安定化してき た地域がある一方で、北米とヨーロッパにおいては安定が築かれてきた。北米に 関しては、アメリカとカナダ間の戦争は考えられるものではない。それに対し、 ヨーロッパでは、確かに中欧・東欧において、特に1990年代に民族間の紛争が勃 発した。しかし、西欧内ではすでに冷戦期を通して平和が確立されており、また、 中欧・東欧においても、冷戦終結後、平和が拡大されてきた。国家間の統合が進 んできたことや、ヨーロッパ連合(EU)・北大西洋条約機構(NATO)・欧州安全 保障協力機構(OSCE)と 3 つの大きな地域的機関が存在することは他地域には 見られない点である。 ヨーロッパは過去国際政治の中心であり、多くの戦争や対立が生まれてきた。 19世紀のヨーロッパ協調に代表されるヨーロッパが安定した時代は例外的であり、 ほとんど常に国家間対立がつきまとっていた。そういった過去と現在の対比とい うのは国際政治学の分野でも議論がなされてきた。しかし、各国際関係理論に よってなされる説明には差異が存在している。 そこで本論文においては、冷戦後ヨーロッパを分析する主要国際関係理論を検 証し、その要因の妥当性を検証していくことにする。まず、第Ⅰ章において、近 現代ヨーロッパの歴史を振り返り、冷戦終結前後の将来予測に関する論争も紹介 する。第Ⅱ章では主要国際関係理論、すなはちリアリズム、リベラリズム、コン ストラクティビズムの冷戦後ヨーロッパの安定に関する分析を検証する。その検 証を通し、コンストラクティビズム理論の分析による安全保障共同体の拡大とい う要因を最も妥当性の高いものとし、「冷戦後ヨーロッパの安定の説明には、地 域機構との相互作用を通した国家の協調的安全保障概念の制度化という要因が最 も妥当である」という仮説を提示する。そして第Ⅲ章で、OSCE とバルカン半島、 特にクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナに焦点を当てながら安全保障共同体 の拡大過程を分析し、その重要性を示すことで、仮説が正しいことを証明してい く。 ここで言葉の定義をしておく。本論文にて「平和」や「安定」という表現が多 用される。ミラー(Benjamin Miller)によれば、地域的平和には「冷たい平和(Cold Peace)」 ・ 「通常の平和(Normal Peace)」・「温かい平和(Warm Peace)」の 3 つの タイプが存在するという。表 1 が表すように、「冷たい平和」の平和の程度が最 も低く、「温かい平和」が最も高い。本論文では、主に実証部分で用いる「平和」 87 表 1 地域的平和の 3 タイプ 紛争の重要問題 冷たい平和 通常の平和 温かい平和 緩和 解決 解決 超克 完全解決ではない 戦争の偶発的計画 戦争への回帰可能性 重要でない 依然として存在 あり得る 不在 存在 あり得る 考えられない 出所:Benjamin Miller, “When and How Region Become Peaceful: Potential Theoretical Pathways to Peace,” International Studies Review, Vol. 7, No. 2, 2005, p. 232. や「安定」の定義として、紛争の重要問題が解決され、戦争の偶発的計画がなく、 戦争への回帰可能性もないという意味での「温かい平和」の定義を借りることと する。 Ⅰ 近現代ヨーロッパの歴史と問題提起 本章では、まず近現代から冷戦までのヨーロッパの歴史を振り返る。その後、 冷戦終結前後のヨーロッパの将来予測に関する論争を紹介したうえで、冷戦後 ヨーロッパの状況を振り返る。最後に、本論文における問題を提起する。 1 近現代ヨーロッパの歴史 近現代ヨーロッパの歴史は現在の状況とは大きく変わったものである。三十年 戦争をはじめに、七年戦争やナポレオン戦争はもちろんのこと、20世紀の 3 つの 戦争、すなはち、第 1 次世界大戦、第 2 次世界大戦、および冷戦がヨーロッパ大 陸を横断して勃発した。要するに、近現代ヨーロッパの歴史は戦争の物語であっ たのである2)。特に、 2 つの大戦はともに総力戦となったこともあり、人的被害 も含め多大な被害をヨーロッパに与えた。これらの忌まわしい経験は現在のヨー ロッパの安全保障環境に大きな影響を与えている。 1648年のウェストファリア条約以降、ヨーロッパでは主権国家体制が確立され た。その結果、バランス・オブ・パワーが国家戦略の土台となった。政策として のバランス・オブ・パワーは、国家が「どこかの国が圧倒的優越を達成するのを 3) 防ぐように行動」 することを意味しており、単独で軍事を強化することもあれ ば、他国と同盟を組んで対抗することもある。特にナポレオン戦争終結後、ヨー 88 政治学研究49号(2013) ロッパは多極構造だったこともあり、バランス・オブ・パワー政策が頻繁に採用 された。1815年から始まるヨーロッパ協調時には例外的に大国間の安定が保たれ たが、その後、ナショナリズムが再び活発化し不安定化していく。 特に、ビスマルク(Otto von Bismarck)によるバランス・オブ・パワー政策は 顕著であった。ビスマルクは、普仏戦争の結果ドイツに対する復讐心に燃えるフ ランスの孤立化を目標に様々な同盟政策を行った。1873年にオーストリア・ロシ アと三帝同盟、1882年にオーストリア・イタリアと三国同盟を形成し、三帝同盟 解消後、1887年にロシアと再び再保障条約を締結した。ビスマルクの政策の特徴 は、 「柔軟性」と「複雑性」4)であり、特に後者は第 1 次世界大戦に繫がることに なった。 ビスマルクの宰相退任後、ドイツのウィルヘルム 2 世(Wilhelm II) は複雑な 同盟システムを維持することが難しくなり、帝国主義的戦略を追求した。その結 果、ロシアとの再保障条約の更新を拒否し、これがイギリス・フランス・ロシア の三国協商とドイツ・イタリア・オーストリアの三国同盟の勢力均衡システムを 生むことになった。その際、三国協商・三国同盟ともに硬直化していったため、 安全保障のジレンマが増大し、第 1 次世界大戦の勃発を招いてしまう。 第 1 次世界大戦終結後、アメリカのウィルソン大統領(Thomas Wilson) を中 心にバランス・オブ・パワー体制から集団安全保障体制への移行が試みられた。 その一環として国際連盟が設立されたが、拒否権など問題点が数多く存在し、集 団安全保障体制の機能を果たすことはできなかった。それを一因として第 2 次世 界大戦が勃発した。 それに比べて、冷戦期のヨーロッパではある程度の平和は保たれた。冷戦期に ヨーロッパ統合が進んだこともあり、それまでの特徴であった戦争の可能性は低 下した。ドイツのシュレーダー(Gerhard Schröder) 政権時の外相フィッシャー (Joschka Fischer)によれば、1945年以降、ヨーロッパ概念の中心はバランス・オ ブ・パワー原則の拒否であった。その結果、冷戦期、西側陣営と東側陣営間の東 西対立はあったものの、過去のような目立った武力衝突は起こらなかった。 以上のように、近現代のヨーロッパの歴史には戦争がほとんど常につきまとっ ていた。それに比べると冷戦期はヨーロッパでは武力衝突が起こらなかったが、 冷戦終結前後、ヨーロッパの将来に関しては様々な論争がなされた。次節では当 時の予測を見ていく。 89 2 冷戦終結前後の冷戦後ヨーロッパに関する論争 本節では冷戦終結前後の冷戦後ヨーロッパの予測に関する論争を簡単に紹介す る。冷戦期ヨーロッパ一の大国であったソ連の崩壊や経済発展により再び大国化 してきたドイツの再統一などにより、冷戦後ヨーロッパの安全保障環境に関して 大きな懸念が生まれた。当時の予測は、大きく分ければ、安定化と不安定化の 2 つに区分される。 まず、不安定化を予測したのはミアシャイマー(John Mearsheimer)であった5)。 ミアシャイマーによれば、冷戦期ヨーロッパの「長い平和」は 4 つの要因による ものであった。すなはち、①米ソ 2 極構造、②米ソ間の軍事均衡、③米ソの核兵 器保持、④ナショナリズムの低下の 4 つである。 しかし、ミアシャイマーによれば、冷戦終結に伴い、上記要因も変化すること になる。まず、冷戦後、ヨーロッパには米ソ 2 極構造に代わり多極構造が再び現 れる。その結果、 2 極構造の特徴であったシステム内の均衡も崩れ、パワーの不 均衡が生じてしまう。多極構造下では、対立二者間関係が増え、敵対国家や敵対 連合の決断を見込み違いする傾向が助長されるというデメリットが生じる。また、 核兵器に関しても、ドイツや東欧諸国に核兵器保有の刺激を与え、ヨーロッパに おける核拡散の可能性が高い。最後に、冷戦期は沈静化していたナショナリズム が、冷戦後、アメリカとソ連の撤退により東欧で再興する可能性が高い。 以上のように、冷戦期の戦争不在状態を形成した要因が冷戦後に変化すること で、ヨーロッパが不安定化し、危機や戦争の可能性が増大する、とミアシャイ マーは予測していた。 その一方で、冷戦後ヨーロッパの安定化予測も様々な学者から主張された。例 えば、スナイダー(Jack Snyder)はネオリベラル制度主義を用いて冷戦後ヨーロッ パの安定を予測している6)。同様に、ヴァン・エヴェラ(Stephen Van Evera)は多 極構造になっても以前のような戦争の可能性が高いヨーロッパには戻らないと主 張している7)。すなはち、核兵器の発展により拡大主義的動機が緩和されること や、民主主義普及や急進的中枢に支配される国家の消滅などを通して国内秩序が 変化することを要因に、冷戦後のヨーロッパが安定化することを予測していた。 また、カプチャン夫妻(Charles Kupchan and Clifford Kupchan)は、19世紀のヨー ロッパ協調と冷戦後ヨーロッパを比較し、安定化を予測している8)。冷戦後の ヨーロッパは、民主主義普及や情報革命、経済的相互依存などにより、現状維持 90 政治学研究49号(2013) に対する満足や大国間戦争を有益としないこと、相互依存、高レベルの透明性な どの特徴が生まれてきた。そういった状況がヨーロッパ協調時の国際システムの 特徴と類似しているために、集団安全保障が実現可能であるとしている。 以上、冷戦終結前後のヨーロッパの将来予測に関する論争を紹介した。当時は、 安定化と不安定化で大きく分かれたが、第Ⅱ章で示すように、ミアシャイマーも 安定化を認めるなど、現在ではほぼ安定化してきたとの点で国際関係論者の中で も一致してきている。そこで次節で冷戦後ヨーロッパの安定化状況を見ていくこ とにする。 3 冷戦後ヨーロッパの現状 冷戦終結後、ヨーロッパではソ連の崩壊やドイツの再統一など大きな変化が生 まれた。また、駐留アメリカ軍の数が大幅に縮小されたこともあり、冷戦後ヨー ロッパの安全保障環境への大きな懸念が生じた。 しかし、そういった大きな変化にもかかわらず、ヨーロッパの安定は冷戦後も 保たれてきた。確かに、1990年 7 月のコソボの独立宣言以降、ユーゴスラビアは 内戦状態に陥った。しかし、2000年にユーゴスラビア紛争が終結して以降、目 立った紛争は見られない。バルカン半島以外の国々も含め、中欧・東欧は安定化 してきていると言えるだろう。 また、ミアシャイマーの懸念した多極構造であるが、西欧諸国はヨーロッパ統 合過程などを通し 1 つの極を形成してきたと言える。EU は、経済統合はもちろ ん、ハイポリティックスの面での統合も進めてきた。また、ロシアとの関係に関 しても、EU や NATO とロシアの間でパートナーシップが締結されるなど、決し て敵対関係にあるのではない。 冷戦期、西欧諸国にとって、ソ連の存在は脅威であり、東側諸国は「他者」で あった。しかし、ソ連の崩壊に伴い、その構造も変化した。西欧にとって、元共 産主義国であった中欧・東欧の国々の一部に対する認識は段々と他者から我々へ 変化してきた。ロシアに関しても、ソ連時代と比べると、脅威の度合いはかなり 低下している。ロシアはソ連時代と比べてパワーが低下したのは言うまでもなく、 西欧のロシアへの認識もソ連時代とは異なるものになった。2003年に発表された、 9) 前述の『より良い世界の中の安全な欧州』 においても、ヨーロッパの冷戦後の 新しい脅威にロシアは含まれていない。要するに、EU はロシアの伝統的脅威を もはや認識しなくなったのである。 91 以上述べてきたように、過去戦争によって特徴づけられてきたヨーロッパは、 冷戦後過去にないほどの安定を生み出してきた。ヨーロッパは「安全の消費者」 ではなく「安全の生産者」になったのである10)。このようなヨーロッパの安定化 は注目に値することであり、様々な分析が行われてきた。しかし、その要因に関 しては、各国際関係理論によって異なる。そこで「冷戦後ヨーロッパの安定の説 明にはどの要因が最も妥当か」という問いをたて、次節では主要国際関係理論の 分析を見ていく。 Ⅱ 主要国際関係理論による冷戦後ヨーロッパの安定分析 本章では、冷戦後ヨーロッパの安定に関する主要国際関係論、すなはち、リア リズム・リベラリズム・コンストラクティビズムの分析を紹介する。それらの評 価をしたうえで、コンストラクティビズムの観点から安全保障共同体理論に基づ き、仮説を提示する。 1 リアリズムの分析 リアリズムは、世界は上位政府が不在のアナーキー状態であると想定している。 その中のアクターである国家は「最小限自己保存を、最大限世界支配を追求す る」11)存在であるため、相対的パワーや国益を重視することになる。 リアリズムによれば、冷戦後ヨーロッパの安定にはアメリカや NATO の存在 が重要であったという。それらの重要性は冷戦終結直後から予測されていた。例 えば、グレイサー(Charles Glaser)はアメリカの存在が西欧内の対立を抑制する ことを一因として NATO の重要性を主張している12)。また、アート(Robert Art) も冷戦後ヨーロッパにもリアリズム分析が妥当であると示したうえで同様の主張 をしている13)。アートによれば、アメリカのプレゼンス目的として、①西欧の政 治的・経済的結束の維持、②ドイツの核兵器保持の阻止、③西欧内の安全保障競 争の防止の 3 つがあるという。 第Ⅰ章で示したようにかつては不安定化を予測していたミアシャイマーも、近 年は冷戦後ヨーロッパの安定化を認めており、その要因としてやはりアメリカの プレゼンスを挙げている14)。それによれば、アメリカはヨーロッパにおいて平和 を維持する「番人」としての役割を果たしてきた。つまり、アメリカの存在は、 NATO に加盟している 2 国家間で戦争が起こる機会がほとんどない、というこ 92 政治学研究49号(2013) 図 1 USEUCOM の規模変遷(1991-2004) 350,000 駐留米軍数 300,000 250,000 200,000 150,000 100,000 50,000 2004 2003 2002 2001 2000 1999 1998 1997 1996 1995 1994 1993 1992 1991 0 出所:The International Institute for Strategic Studies, The Militar y Balance, London: The International Institute for Strategic Studies, annual. とを意味するという。 このように、冷戦後のヨーロッパの安定にアメリカの存在が重要であったとい う主張が多くのリアリストによってなされている。しかし、冷戦終結後、ヨー ロッパにおけるアメリカのプレゼンスは低下している。これは、アメリカの安全 保障上の関心がヨーロッパから、テロ問題に伴い中東地域へ、さらにその後中国 の台頭などに伴いアジアへ移ったためである。実際に、アメリカ欧州軍(U.S. European Command, USEUCOM) の規模は、図 1 が示すように、冷戦終結以降縮 小されている15)。2012年現在で80,000人の米軍がヨーロッパに駐留しているが、 2017年までにさらに10,000人規模の縮小が決定されている。 そのような大幅な米軍のプレゼンス低下にもかかわらず、アートが危惧してい たようなことは実際には起こってこなかった。例えば、再統一ドイツパワーの恐 怖であるが、ドイツは核兵器保有への姿勢すら見せなかった。カッツェンシュタ イン(Peter Katzenstein)は、ドイツとヨーロッパの関係を「ドイツとヨーロッパ (Germany and Europe) 」ではなく「ヨーロッパ内のドイツ(Germany in Europe)」 という表現で表している16)。また、安全保障競争に関しても、ヨーロッパ内では 緩和されていたことが見て取れる。図 2 が示すように、ヨーロッパの主要国の国 防費は削減傾向にあったのであり、その後もその傾向は続いている。その一環で ドイツでは、2011年に連邦軍の徴兵制が廃止された。 リアリズム分析を総じて判断すると、冷戦後ヨーロッパの安定の説明にはアメ リカのプレゼンスだけでは不十分であり、その他により妥当な要因が存在すると 考えるのが妥当であろう。 93 国防費︵単位 図 2 英仏独の国防費変遷(1996-2000) 一〇〇万ドル︶ 45,000 40,000 35,000 30,000 25,000 20,000 15,000 10,000 5,000 0 ■ 1996 ■ 1997 ■ 1998 ■ 1999 ■ 2000 イギリス フランス ドイツ 出所:The International Institute for Strategic Studies, The Military Balance, 2000-2001. 2 リベラリズムの分析 リベラリズムは、国際システムがアナーキー状態であるという点においてはリ アリズムと一致するが、国家間の協調に注目している点では大きく異なる。また、 国家だけが国際政治における単一のアクターではないとし、国家の行動はむしろ 様々な目的を持つ国内アクターによって形作られるという点でも特徴を持つ17)。 リベラリズムによれば、冷戦後ヨーロッパの安定は民主主義の普及や経済的相 互依存、国際制度による結果であるとしている。まず、民主平和論によれば、民 主主義国家同士は戦争をしない。その平和は民主主義国間の紛争に対する規範的 制約の浸透や民主主義国の戦争開始の意志決定に対する構造的制約によるもので ある18)。実際、ヨーロッパの価値観の 1 つとして民主主義があり、その点で安定 形成に大きな役割を果たしていると言える。しかし他方で、エコノミスト・イン テリジェンス・ユニットの統計データが示すように、ヨーロッパにもまだ民主化 過程が不十分な国もあり19)、そのような国家間でも武力衝突は起こっていない。 つまり、民主主義の普及と冷戦後ヨーロッパの安定の説明に直接的な関係を見出 すまでには至らない。 次に経済的相互依存による平和であるが、これは相互依存が深まることで軍事 力の行使が制限され平和が生まれるという主張である。確かに、ヨーロッパでは 単一通貨ユーロに表されるように経済統合が進められてきた。しかし、相互依存 は過去には第 1 次世界大戦を引き起こす要因ともなっており、現時点で相互依存 と冷戦後ヨーロッパの安定の間に因果関係があると断言することは困難であろう。 94 政治学研究49号(2013) また、ユーロ危機以降、特に EU と非 EU 加盟国の貿易量が減少している傾向も 見受けられ20)、今後の動向にさらに注目していく必要があるだろう。 最後に、国際制度による安定はネオリベラル制度主義者が主張するものである。 それによれば、国際制度は「利己主義によって動機づけられた取り決め」21)であ る。ネオリベラル制度主義は制約された合理性の前提を持つ。つまり、制度化さ れた国家間環境において、国家の行動は国際的規範に制限される。その中で、利 己主義的国家は国際的正当性の利益を得るためにそれらの規範に従う。その際、 国家は従順の利益がそのデメリットに値するかどうか、そしてどのようにしてそ の利益を最小コストで得られるかを計算するのである22)。 そのようにして形成された国際制度は国家間の透明性を高めることが期待され る。つまり、国際制度を通して、他の国家がどのような行動をとるかなどの予測 が容易になるのである。事実、ヨーロッパには EU・NATO・OSCE と少なくと も 3 つの大きな地域機関があり、国際制度の果たす役割は大きいであろう。しか し、ヨーロッパの国家間関係の特徴は「高レベルの透明性や低い取引費用よりも もっと深いもの」23)に基づいているように思われる。その「深いもの」について は第Ⅲ章で論じることにし、ここでは、ネオリベラル制度主義に対する批判とし て、彼らが主張する国際制度の形成や国際制度への従順の際の合理主義的アプ ローチ方法に対する批判に焦点を当てる。 ネオリベラル制度主義による社会化過程の分析アプローチは、中欧・東欧諸国 の EU や NATO への加盟を通した社会化過程の分析によく用いられる。例えば、 それらの国々は加盟が巨大な経済的・地政学的利益をもたらすために加盟過程に 関 与 し て い く と い う 主 張 が な さ れ る24)。 ま た、 シ ン メ ル フ ェ ニ ッ ヒ(Frank Schimmelfennig)によれば、国家の社会化要因として、① EU や NATO への加盟 という高い物的・政治的報酬、②政府による政治的なコスト―利益の計算、③国 内政党のコンステレーションの 3 つが重要とされている25)。 しかし、このような主張は必ずしも妥当ではないように思える。その理由とし ては、チェッケル(Jeffery Checkel) などが主張するように、旧東側圏の国々の 一部では、加盟報酬がインセンティブとして使われる前に重要な変化がすでに起 こっていたことが挙げられる26)。例えば、チェコでは1990年に非共産主義者の文 民防衛大臣を任命するなど、加盟報酬のインセンティブの前から民主化発展を開 始していた。また、ネオリベラル制度主義は社会化過程における社会化推進側の 役割を軽視していると思われる。 95 以上のように、リベラリズム分析による要因も冷戦後ヨーロッパの安定の説明 には不十分という評価ができよう。 3 コンストラクティビズムの分析 コンストラクティビズム理論においてはアイデンティティや規範などの理念的 要因に注目がなされている。例えば、規範やアイデンティティの差異や変化は国 家安全保障の利益や安全保障政策そのものを形成する27)。コンストラクティビズ ムの根本的原理によれば、エージェント(アクター)は「対象が自身に対して持 つ意味を基に、その対象に対し行動する」存在であり、エージェントと構造は相 互構成的である28)。 コンストラクティビズムによる冷戦後ヨーロッパの安定の説明としては、ヨー ロピアンアイデンティティやヨーロッパ規範29)の形成や安全保障共同体の拡大 が挙げられる。例えばヨーロッパでは欧州安全保障アイデンティティが、戦争に 特徴づけられた過去を他者として否定し統合を進めることによって形成された30)。 冷戦後、冷戦期から西欧を中心に形成されてきたアイデンティティや規範が東 側に拡大されてきた。旧東側圏の国々の側から見れば、その過程を通し、「ヨー ロッパ化(Europeanization)」31)してきたのである32)。ヨーロッパ化過程は地域的 機関を中心的媒体として行われてきた。コンストラクティビズムはその過程を、 制度主義と違い、 「学習(Learning)」と「説得(Persuasion)」からなる相互作用 と捉えている33)。また、社会化過程において、国家が国内集団や国際社会からの 圧力に従順する要因として、物質的要因ではなく、国際的イメージなどの非物質 的なものが挙げられる34)。 そのような社会化過程を通して共通規範や共通アイデンティティが発展、共同 体感覚が普及し、安全保障共同体が形成されてきた。ドイチュの定義に従えば、 安全保障共同体とは、共同体のメンバーが互いに物理的に戦わず、メンバー間の 紛争を何か違う方法で解決するという現実的な確証が存在する集団である35)。 ドイチュが分類した、統合型と多元型のうち、アドラー(Emanuel Adler)は多 元型に注目しており、共同体を単一のユニットに結ぶのは、主に「感覚(主観的 感情) 」ではなく「間主観的認識」や「共通アイデンティティ」であるとしてい る36)。また、ドイチュによる多元的安全保障共同体の特徴、すなはち、①共通価 値観の所有、②行動の相互予測可能性、③平和的変化の信頼できる予想のうち、 アドラーとバーネットは 3 つ目の特徴が安全保障共同体を一般的な共同体と分け 96 政治学研究49号(2013) 図 3 冷戦後ヨーロッパの安定の基本構造 安 全 保 障 共 同 体 民主主義 平和的変化の期待 肯定的な影響 集団アイデンティティ 必要 必要ではない 多国間主義内面化 協調的安全保障概念の制度化 国家 相互作用 地域機構 筆者作成 るものとしている37)。 以上のような主張がコンストラクティビズム論者からなされている。彼らの主 張の欠点としては、ヨーロッパにて民主規範が普及しているとの前提から、リベ ラルな安全保障共同体論に基づく民主平和論的な主張38)が多いことが挙げられ る。しかし、上記でも指摘したように、ヨーロッパ全体を見ると、民主規範はそ こまで浸透していない。この事実から、本稿では、冷戦後ヨーロッパにおいて安 全保障共同体が拡大されてきたという前提の下、それを支えるものを民主規範以 外に求めることにする。そこで、「冷戦後ヨーロッパの安定の説明には、地域機 構との相互作用を通した国家の協調的安全保障概念の制度化という要因が最も妥 当である」という仮説を立てる。つまり、図 3 が示すように、国家は地域機構と の相互作用の中で協調的安全保障概念を学習・制度化する。それにより信頼が醸 成されると、安全保障共同体出現の指標の 1 つである多国間主義39)が国家に内 面化されていく。これにより、超国家アイデンティティおよび平和的変化の期待 の形成が助長され、安全保障共同体が拡大されていく。その際、民主主義は肯定 的な影響を及ぼすが、必ずしも必要ではない。次章では実際にこの仮説を検証し ていく。 97 Ⅲ OSCE を通した国家の協調的安全保障概念の制度化 本章では、第Ⅱ章第 3 節で述べた安全保障共同体の理論を使い、実際に冷戦後 ヨーロッパの安定を検証していく。まずは、以降の検証の際に焦点を当てる OSCE とバルカン半島について説明する。その後、クロアチアとボスニア・ヘル ツェゴビナの 2 つの事例研究を通し、仮説の証明をしていく。 1 OSCE とバルカン半島 本節では検証に入る前に、以降の検証段階で焦点を当てる OSCE とバルカン 半島(以下、南東欧) について説明する。まず、OSCE を選んだ理由であるが、 協調的安全保障機構であることやその規範が EU や NATO における規範の土台 にもなっていること40)、そして汎ヨーロッパ的機関であることがまず挙げられる。 また、ヨーロッパにおいて一番多くの平和ミッションを展開しており、それに加 え、OSCE ほど紛争予防を進んで行っている機関はないこと、さらに他の機構と の協力関係もあることも OSCE に焦点を当てる理由である。アドラーによれば、 OSCE は安全保障共同体の形成を促進する機構の良い例であり、そのような機構 が果たし得る役割として、価値観や規範の枠組の形成、価値観や規範の普及・制 度化、国内や国家間の政治過程における安全保障共同体の発展を可能にするよう な政治的選択の形成の 3 つがあるという41)。 OSCE や全欧安全保障協力会議(CSCE) の歴史をさかのぼっていくうえで、 最も注視すべきは、1975年のヘルシンキ宣言42)であろう。同宣言においては政 治・軍事面、経済・環境面、人道面からなる 3 つの活動「バスケット(Basket)」 が作られ、安全保障に対する包括的アプローチがとられた。これらは、法的な拘 束力はないものの、政治的に拘束力のあるものであり、現在までのヨーロッパの 価値観の土台となっている。1990年に採択されたパリ憲章(Charter of Paris) で は紛争予防センター(CPC) が設立され、信頼・安全醸成措置(CSBM) の強化 が図られた。同年には、欧州通常兵器条約(CFE)が CSCE の枠組で署名された。 以上のように、冷戦期において、統合過程に加え、CSCE による規範的枠組が形 成されたことにより、特に西欧を中心に共通の価値観が形成されたことは明らか であろう。 冷戦後、冷戦期に発展した以上のような特徴を中欧・東欧へ輸出することが試 98 政治学研究49号(2013) 表 2 南東欧における OSCE ミッションの紛争サイクルによる分類 紛争サイクル 南東欧におけるミッション 不安定な平和 該当なし 危機や紛争 コソボ(1992-1993)、マケドニア、アルバニア 紛争後の再建 BiH、クロアチア、コソボ(1999以降)、セルビア、モンテネグロ 出所:Heiko Borchert and Wolfgang Zellner, “The Organization for Security and Co-operation in Europe (OSCE) and its Contribution to the Stabilization of Central and Eastern European Countries,” Columbia International Affairs Online: Case Study, January 2003, pp. 13-19. みられ、機構の構造強化が図られた。1992年に設置された安全保障協力のための フォーラム(FSC)は CSBM の強化などを目的に毎週開催することがきめられた。 このような協議の場は加盟国間のコミュニケーションを増大させた。それと同時 に設立され少数民族高等弁務官(HCNM)は早期警戒や紛争予防の機能を負い、 紛争の未然防止が図られた43)。また、1994年に署名された「安全保障の政治・軍 事的側面に関する行動規範(Code of Conduct on Politico-Military Aspects of Security, CoC)」 は、特に武装部隊の民主的統制などの面においてヨーロッパ規範の枠組 44) を形成している。これらの発展とともに輸出過程が始まり、安全保障共同体が拡 大してきたのである。 本論文ではその拡大過程において南東欧に焦点を置くが、その理由としては、 1990年代に民族紛争が勃発したこと、割り当てられる OSCE の予算の割合が他 地域に比べて大きいこと45)、などである。南東欧における現時点におけるミッ ションは、アルバニア、ボスニア・ヘルツェゴビナ(BiH)、モンテネグロ、セル ビア、コソボ、マケドニアの 6 つであり、2011年まではクロアチアでもミッショ ンが行われていた。以上のミッションを紛争サイクルの段階で分類すれば上の表 2 のようである。また、予算配分やミッションの規模も様々であれば、ミッショ ン内容も様々であり、 3 つのバスケット全てに渡る幅広い活動が展開されてきた。 以下では、クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナ(BiH)の 2 国に焦点を当 てるが、その理由としては、まず、OSCE の安全保障に対する包括的なアプロー チに注目することが挙げられる。つまり、人権面に焦点が置かれたクロアチアの 例と軍事面に焦点が置かれた BiH の 2 つの事例の検証を通すことで、安全保障 に対する包括的アプローチを含む協調的安全保障概念の拡大が見て取れる。また、 民主平和論との差別化を図ることも上記事例選定の理由である。表 3 が示すよう 99 表 3 南東欧諸国の民主化度合(2011) 国 順位(/167位) 平均得点(最大10) 政治体制 クロアチア 53 6.73 不完全な民主主義 セルビア 64 6.33 不完全な民主主義 マケドニア 73 6.16 不完全な民主主義 モンテネグロ 74 6.15 不完全な民主主義 アルバニア 87 5.81 混合型 BiH 95 5.24 混合型 注:平均得点は①選挙過程と多元主義、②政府の機能、③政治的参加、④政治文化、⑤市民の自 由の 5 つの平均得点を表す。また、政治体制は①完全な民主主義、②不完全な民主主義、③ 混合型、④権威主義の 4 つの分類からなる。 出所:Economist Intelligence Unit, Democracy Index 2011: Democracy under stress, 2011, pp. 3-8. に、BiH では民主化があまり進んでいない。 2 事例研究①:クロアチア 本節では、OSCE の規範が全般的に浸透してきた例としてクロアチアに焦点を 当てる。クロアチアのミッションは2011年をもって終了している。クロアチアに おいては、憲法で武装部隊の民主的統制を規定46)するなど、軍事的側面の活動 も行われてきたが、主要な側面は人道的な面であった。クロアチアでは、1990年 代に起こった紛争で、特にセルビア系の人々を中心に多くの難民が生まれ、また、 戦争犯罪も起こっており、活動は難民帰還や少数派保護、戦争犯罪裁判などに焦 点が置かれた。 OSCE はクロアチアでの活動において「プラットフォーム」というミッション 側とクロアチア側の会議のための政治的フォーラムを創設し、ミッションを展開 してきた。特に、クロアチア政府が2001年末に EU と安定化・連合協定(SAA)を、 また、2002年 5 月に NATO の加盟行動計画(Membership Action Plan)に加わって 以降、さらに2003年の総選挙以降、クロアチア政府の EU 加盟への動きが活発化 してきた。その中で、OSCE は HCNM などとの協力で様々なセミナーや協議を 開催した。こうした中で、クロアチア政府は2002年12月に少数派の権利に関する 憲法を採用し、難民帰還にも積極的に取り組むようになった。その後も、OSCE はオンブズマンなどの人権に関する機関の設立や活動を支援するなど、人権面で 100 政治学研究49号(2013) の状況のさらなる改善を図ってきた。結果、2007年の時点で元々登録されていた 270,000人の難民のうち、185,000人が本国に帰還した47)という改善も見られた。 2005年には、OSCE や国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)らのイニシアティ ブで、当時のクロアチア、BiH、セルビア・モンテネグロの間でサラエボ・プロ セス(the Sarajevo Process)が合意された。これは、難民帰還に関する巨大な問題 を解決することを狙ったもので、各国で行程表が作られた。クロアチアは、2007 年までには破壊された、あるいは損害を受けた195,000の家々のうち142,480の 家々を再建48)するなど、着実に国際社会からの要求を満たしてきた。それに加え、 戦争犯罪裁判に関する国家間の司法協力を促進するためのパリック・プロセス (the Palić Process)でもクロアチアは積極的な役割を果たした。 以上のように、クロアチアでは、人権保護などに関する民主的規範を含めた OSCE の規範が全般的に浸透してきた。確かに、EU の加盟交渉という動機はあっ たかもしれないが、EU も少数派保護等に関しては OSCE の専門知識に頼ってい た49)。ミッションの「目」や「耳」として機能するクロアチアの OSCE 事務所に よって発見された問題は文書化され、地域的レベルから国際的レベルまで継続し て取り上げられていく、という「アジェンダ設定」方法50) によって、OSCE は 中心的な役割を果たしてきたのである。 クロアチアは、2013年 7 月に EU に加盟することが決定されている。協調的安 全保障概念を含む民主的規範が普及し、上記 2 つのプロセスなどに代表される多 国間主義も内面化されたことで、リベラルな安全保障共同体が拡大されていく過 程をうまく示している例と言えよう。OSCE の「セミナー外交」は特定地域の社 会的に構築された共通の価値観や超国家的アイデンティティの媒介としての役割 を果たすものである51)。これは米軍のプレゼンスや、経済的相互依存、制度主義 だけでは説明できないものである。その一方で、以上の事例は、完全ではないも のの民主化されてきたという点で、民主的平和論の枠組には当てはまるものであ る。そこで、次節では、民主化過程が不十分である国に焦点を当て検証し、民主 的平和論との差別化を図りたい。 3 事例研究②:ボスニア・ヘルツェゴビナ BiH では1992年から1995年までボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起こった。こ の紛争を終結させたデイトン合意(Dayton Peace Agreement)では、BiH における OSCE の役割が与えられた。例えば、選挙プログラムの採用と実施に向けた民主 101 化支援や、CSBM 合意に関する交渉の支援である。しかし、民主化支援に関し て言えば、全般的な民主規範はあまり浸透していない。2001年に欧州評議会に加 盟し、2008年には EU との間に SAA が署名されたが、上記の表 3 が表すように 民主化過程は南東欧諸国の中でも最低レベルである。BiH の国内政治では民族的 分離が続いており、2010年の選挙時も民族や居住地に基づいた制限を伴って行わ れた他、過密投票や代理投票などのケースもオブザーバーによって指摘されてい る52)。 その一方として、軍事面では大きな進歩が見られている。デイトン合意後、 OSCE は小地域軍備管理に関する合意(Agreement on Sub-Regional Arms Control) の履行を支援した。この合意では、最低レベルの軍備に基づく安定的な軍事バラ ンスの確立は平和や安定の確立や信頼の醸成に不可欠な要素であるということが 合意された。また、OSCE は BiH において軍事将校に対する CoC に関するセミ ナーの開催に重点を置いてきた。そのような OSCE による CSBM 等といった「ソ フト」な手段を通して、当時の 2 つの統一政府は、1999年から2001年の初めまで の間に、13,000人の解隊に献身した53)。2002年には中央防衛法が制定され、それ まで 2 つの分離民族軍からなっていた司令部が 1 つに統一された。 その後も、BiH は CSBM の強化に努めてきた。軍事情報の交換はもちろん、 2004年から2006年の間には国連開発計画(UNDP) の援助で90,000個以上の小型 武器・軽量兵器(Small Arms and Light Weapons, SALW) を破壊し、2007年には小 型武器管理・削減計画に調印した。2009年にはさらに1,200トンの、2010年には 30,600個もの小型兵器を破壊してきた54)。以上に加え、BiH は領空自由査察に関 する条約(Treaty on Open Skies)の批准や武器や軍事装備の移動の規制に関する 法律の制定など、CSBM を着実に順守してきた。 以上のように、全般的な民主規範は浸透していないものの、BiH が OSCE と の相互作用を通し、協調的安全保障という概念を学習・制度化してきたことは上 記の事実から見て取ることができるであろう。以上のような BiH の安全保障に 対する理解の変化は国家間に信頼を醸成し、その結果、BiH は多国間主義行動を とるようになった。つまり、軍備管理などヨーロッパの重要問題に対し、他国と 協調して取り組むようになったのである。それを通して生まれる集団的な理解は 超国家的アイデンティティの形成を、さらには平和的変化の期待を助長するもの である。また、OSCE のような制度は、アクターの行動を制限するだけでなく、 アクターのアイデンティティを形成する役割も持っているのである55)。 102 政治学研究49号(2013) BiH の例は、米軍の存在や経済的相互依存、制度主義に加え、民主主義の普及 による安定説明でも補えないものである。また、東欧全体を見ても、「完全な民 主主義」という政治体制を持っているのはチェコのみであり、その他は「不完全 な民主主義」や「混合型」、 「権威主義」に当てはまる56)。このような現状から判 断しても、民主平和論でなく、協調的安全保障概念の制度化や多国間主義の内面 化に注目する妥当性が見て取れるであろう。 OSCE にはヨーロッパの全ての国が加盟しており、その機構を通して協調的安 全保障概念が拡大していくことで、国家間に集団アイデンティティや平和的変化 の期待が形成されてきた。換言すれば、国家間に「互いに戦争しない」という確 証が生まれてきたのであり、安全保障共同体が形成されてきたのである。これは、 南東欧以外にも当てはまることであり、国家の協調的安全保障概念の制度化とい う要因が冷戦後ヨーロッパの安定の中心にあると考えるのが妥当であろう。 おわりに 第Ⅲ章でのクロアチアと BiH の 2 つの事例検証を通して、 「冷戦後ヨーロッパ の安定の説明には、地域機構との相互作用を通した国家の協調的安全保障概念の 制度化という要因が最も妥当である」という仮説の検証への第一歩を踏み出すこ とができたであろう。しかし、そのような認識面での変化の検証は、多くの時間 と方法を要し、学部生にとってまだ困難であることは認めざるを得ない。 また、協調的安全保障と安全保障共同体の関連性について、近年アドラーが興 味深い研究をしている。アドラーによれば、安全保障共同体の拡大を検証する際 には、実践に注目する必要があるという57)。つまり、協調的安全保障においては、 実践共同体の理論に基づき、国家間に背景認識の変化とともに、武力行使の回避 という意味での自制実践が発展し、それが安全保障共同体を拡大させていくとい う。ただ、「自制実践をどのように測るか」という点など、研究上の問題点も多 くあるように思われ、今後の研究課題として残る。ただ、自制実践に注目するこ とのメリットは強調しておくべきであろう。アドラーによれば、そのメリットの 1 つは、非リベラル的な安全保障共同体形成の可能性にあるという。 近年、国連の世界的秩序形成の限界が明らかになり、また、新しい脅威が超国 家的なものになったために、地域的安全保障共同体の役割が拡大してきた58)。東 アジアでも、安全保障共同体形成が試みられてきた。1967年の東南アジア諸国連 103 合(ASEAN)の創設以降、1976年の東南アジア友好協力条約(TAC)や1993年の ASEAN 外交フォーラム(ARF) 設立など、協調的安全保障体制の確立が試みら れた。2007年の ASEAN サミットでは、2015年までの共同体設立を目指すことで 合意した。以上のように、東アジアでも安全保障共同体形成に向けた取り組みは 行われてきた。しかし、ASEAN 諸国間では共通価値観が存在せず、独自の ASEAN 方式(ASEAN way)が生まれ、これが共同体形成の妨げになっている59)。 しかし、東アジアにおいても、近年は非伝統的な分野を中心に国家間協調が生ま れ始めている。これにより国家間で信頼醸成が進み、協調的安全保障概念が制度 化され、自制実践が発展することで、非リベラルな安全保障共同体が形成される 可能性は十分考えられるであろう。 2010年の OSCE のアスタナサミットでは、最終宣言にて、加盟国が「合意さ れた規則や共有された義務や共通の目標に根付いた、自由で、民主的で、共通で、 不可分な欧州 ―大西洋 ―ユーラシア安全保障共同体というヴィジョンを再び支 持」していくことが表明された60)。 しかし、その一方で、その安全保障共同体にも問題点は存在する。まずは、安 全保障共同体の発展度合いが国によってかなり異なることが挙げられる。このよ うな発展度合いにおいて整合性のない安全保障共同体は、その内部に脆弱性を抱 えるものであり、将来の安定に好ましくない。また、個々の国家は安全保障共同 体という概念を異なる観点で定義している61)。その理解をより統一させるために はそれらの国々と OSCE などの機構による相互作用が必要であろう。ただ、 OSCE 自体も、それ自身の構造的問題62)を頻繁に指摘される。そこで必要となっ てくるのは、OSCE 自体の改革はもちろんのこと、他機構とのさらなる密な連携 であろう。上記でも述べたとおり、OSCE の強みは現場から得られる高度な専門 知識であり、他機構との連携でその知識が効率的に生かされれば、より強固な共 同体が形成されるに違いない。 ヨーロッパの安全保障に関しては、今後も安定が続くであろうが、楽観視しす ぎるのもよくない。ヨーロッパが地域的安全保障のモデルとして活用できるよう、 国家からも、地域的機構からもさらなる努力が要求される。 1 ) European Council, A Secure Europe In A Better World: The European Security Strategy, December 2003, p. 2, http://www.consilium.europa.eu/uedocs/ cmsUpload/78367.pdf. 104 政治学研究49号(2013) 2 ) Andrew Cottey, Security in the New Europe, Palgrave Macmillan, 2007, p. 11. 3 ) ジョセフ S. ナイ・ジュニア『国際紛争―理論と歴史』田中明彦・村田晃嗣訳、 有斐閣、2007年、85頁。 4 ) 同上、92頁。 5 ) John J. Mearsheimer, “Back to the Future: Instability in Europe After the Cold War,” International Security, Vol. 15, No. 1, Summer 1990, pp. 5-56. 6 ) Jack Snyder, “Averting Anarchy in the New Europe,” International Security, Vol. 14, No. 4, Spring 1990, pp. 5-41. 7 ) Stephen V. Evera, “Primed for Peace: Europe After the Cold War,” International Security, Vol. 15, No. 3, Winter 1990/91, pp. 7-57. 8 ) Charles A. Kupchan and Clifford A. Kupchan, “Concerts, Collective Security, and the Future of Europe,” International Security, Vol. 16, No. 1, Summer 1991, pp. 114161. 9 ) European Council, A Secure Europe In A Better World, pp. 4-5. 10) The Economist, January 14, 2012, p. 36. 11) ケネス・ウォルツ『国際政治の理論』河野勝・岡垣知子訳、勁草書房、2010年、 155頁。 12) Charles L. Glaser, “Why NATO is Still Best: Future Security Arrangements for Europe,” International Security, Vol. 18, No. 1, Summer 1993, pp. 5-50. 13) Robert J. Art, “Why Western Europe Needs the United States and NATO,” Politics Science Quarterly, Vol. 111, No. 1, 1996, pp. 1-39. 14) John J. Mearsheimer, “Warum herrscht Frieden in Europa?,” Leviathan, Vol. 37, No. 4, 2009, pp. 519-531. 15) The International Institute for Strategic Studies, The Military Balance, London: The International Institute for Strategic Studies, annual. 16) Peter J. Katzenstein, “United Germany in an Integrating Europe,” Katzenstein, ed., Tamed Power: Germany in Europe, Cornell University Press, 1997, p. 49. 17) Frank Schimmelfennig, Internationale Politik, UTB, 2010. 18) Bruce Russett, Grasping the Democratic Peace: Principles for a Post-Cold War World, Princeton University Press, 1993, p. 119. 19) Economist Intelligence Unit, Democracy Index 2010: Democracy in Retreat, 2010, pp. 4-9, http://graphics.eiu.com/PDF/Democracy_Index_2010_web.pdf. 20) European Commission の統計データを参照。 21) ロバート・コヘイン『覇権後の国際政治経済学』石黒馨・小林誠訳、晃洋書房、 1988年、70頁。 22) Frank Schimmelfennig, “International Socialization in the New Europe: Rational Action in an Institutional Environment,” European Journal of International Relations, Vol. 6, No. 1, 2000, pp. 109-139. 105 23) Charles A. Kupchan, “Introduction: Explaining Peaceful Power Transition,” Charles A. Kupchan et al., eds., Power in Transition: The Peaceful Change of International Order, United Nations University Press, 2001, pp. 1-17. 24) Andrew Moravcsik and Milada Anna Vachudova, “National Interests, State Power, and EU Enlargement,” East European Politics and Societies, Vol. 17, No. 1, 2003, pp. 42-57. 25) Frank Schimmelfennig, “Strategic Calculation and International Socialization: Membership Incentives, Party Constellations, and Sustained Compliance in Central and Eastern Europe,” International Organization, Vol. 59, No. 4, Fall 2005, pp. 827860. 26) Michael Zürn and Jef frey T. Checkel, “Getting Socialized to Build Bridges: Constructivism and Rationalism, Europe and the Nation-State,” International Organization, Vol. 59, No. 4, Fall 2005, p. 1064. 27) Ronald L. Jepperson, Alexander Wendt, and Peter J. Katzenstein, “Norms, Identity, and Culture in National Security,” Peter J. Katzenstein, ed., The Culture of National Security: Norms and Identity in World Politics, Columbia University Press, 1996, pp. 33-75. 28) Alexander Wendt, “Anarchy is What States Make of It: the Social Construction of Power Politics,” International Organization, Vol. 46, No. 2, Spring 1992, pp. 391-425; Alexander Wendt, “The Agent-Str ucture Problem in International Relations Theory,” International Organization, Vol. 41, No. 3, Summer 1987, pp. 335-370. 29) 冷戦後ヨーロッパにおける規範に注目した論文として以下参照。Gregory Flynn and Henry Farrell, “Piecing Together the Democratic Peace: The CSCE, Norms, and the ‘Constr uction’ of Security in Post-Cold War Europe,” International Organization, Vol. 53, No. 3, Summer 1999, pp. 505-535. 30) Ole Wæver, “European Security Identities,” Journal of Common Market Studies, Vol. 34, No. 1, March 1996, p. 128; Ole Wæver, “Integration as Security: Constructing a Europe at Peace,” Charles A. Kupchan, ed., Atlantic Security: Contending Visions, Council on Foreign Relations Press, 1998, pp. 45-63. し か し、 必ずしもヨーロッパ諸国が単一のアイデンティティを持っているわけではなく、 以下文献のように、ヨーロピアンアイデンティティの多様性を主張する論者も存 在 す る。Thomas Risse, A Community of Europeans? Transnational Identities and Public Spheres, Cornell University Press, 2011, p. 38; Peter J. Katzenstein and Jeffrey T. Checkel, “Conclusion: European identity in context,” Peter J. Katzenstein and Jeffrey Checkel, ed., European Identity, Cambridge University Press, 2009, p. 213. 31) ヨーロッパ化の理論的枠組については以下文献を参照。Thomas Risse, Maria Green Cowles, and James Caporaso, “Europeanization and Domestic Change: Introduction,” Maria Green Cowles, James Caporaso and Thomas Risse, eds., 106 政治学研究49号(2013) Transforming Europe: Europeanization and Domestic Change, Cornell University Press, pp. 1-20. 32) 主要国のヨーロッパ化に関しては例えば以下文献を参照。Martin Marcussen, et al., “Constructing Europe? The Evolution of French, British and German Nation State Identities,” Journal of European Public Policy, Vol. 6, No. 4, 1999, pp. 614-633; Thomas Risse, “A European Identity? Europeanization and the Evolution of NationState Identities,” Maria Green Cowles, James Caporaso and Thomas Risse, eds., Transforming Europe: Europeanization and Domestic Change, Cornell University Press, 2001, pp. 198-216. 33) 社会化過程における「学習」や「指導」、「説得」については以下論文参照。 Jeffrey T. Checkel, “Why Comply? Social Learning and European Identity Change,” International Organization, Vol. 55, No. 3, Summer 2001, pp. 560-564; Alexandra Gheciu, NATO in the “New Europe”: The Politics of International Socialization after the Cold War, Stanford University Press, 2005; Alexandra Gheciu, “Security Institutions as Agents of Socialization? NATO and the ‘New Europe’,” International Organization, Vol. 59, No. 4, Fall 2005, pp. 973-1012. 34) Thomas Risse, and Kathryn Sikkink, “The Socialization of International Human Rights Norms into Domestic Practices: Introduction,” Thomas Risse, Stephen C. Ropp, and Kathryn Sikkink, eds., The Power of Human Rights: International Norms and Domestic Change, Cambridge University Press, 1999, pp. 1-38. 35) Karl W. Deutsch et al., Political Community and the Nor th Atlantic Area: International Organization in the Light of Historical Experience, Princeton University Press, 1957, p. 5; Emanuel Adler, “Seasons of Peace: Progress in Postwar International Security,” Emanuel Adler and Beverly Crawford, eds., Progress in Postwar International Relations, Columbia University Press, 1991, pp. 128-173; Charles A. Kupchan, How Enemies Become Friends: The Sources of Stable Peace, Princeton University Press, 2010. 36) Emanuel Adler, “Imagined (Security) Communities: Cognitive Regions in International Relations,” Millennium: Journal of International Studies, Vol. 26, No. 2, 1997, p. 250. 37) Emanuel Adler and Michael Barnett, “A Framework for the Study of Security Communities,” Emanuel Adler and Michael Barnett, eds., Security Communities, Cambridge University Press, 1998, pp. 29-65. 38) 例 え ば、Andrew Cottey, Security in the New Europe, Palgrave Macmillan, 2007, pp. 13-16. 39) Adler and Barnett, “A Framework for the Study of Security Communities,” p. 55. 40) 各地域機構の採用している行動規範は無比のものであり、その点で行動規範は OSCE の 輸 出 物 と 言 え る。Alexandre Lambert, “Implementation of Democratic 107 Control of Armed Forces in the OSCE Region: Lessons Learned from the OSCE Code of Conduct on Politico-Militar y Aspects of Security,” Geneva Center of the Democratic Control of Armed Forces (DCAF) Occasional Paper, No, 11, 2006, pp. 1-58. ただし、本稿は EU や NATO の役割を軽視しているのではない。 41) Emanuel Adler, “Seeds of Peaceful Change: The OSCE’s Security CommunityBuilding Model,” Emanuel Adler and Michael Barnett, eds., Security Communities, Cambridge University Press, 1998, p. 151. 42) ヘルシンキ宣言は、共産主義圏の国家―社会関係を再形成し、80年代末の変化 への道を固めた。Daniel C. Thomas, “The Helsinki Accords and Political Change in Eastern Europe,” Thomas Risse, Stephen C. Ropp, and Kathryn Sikkink, eds., The Power of Human Rights: International Norms and Domestic Change, Cambridge University Press, 1999, p. 205. 43) HCNM は表向きには少数民族の保護を目的に設立されたが、少数民族の保護は、 現実には、地域的安定という目的に向けた手段の 1 つであった。Bruce Cronin, “Creating Stability in the New Europe: The OSCE High Commissioner on National Minorities and the Socialization of Risky States,” Security Studies, Vol. 12, No. 1, Autumn 2002, pp. 132-163. 44) 宮岡勲「OSCE の『安全保障の政治・軍事的側面に関する行動規約』―軍の民 主的統制・使用に関する国際規範を中心に」『大阪外国語大学論集』第32号、 2006年 2 月、165-181頁; Victor-Yves Ghebali, “Revisiting the OSCE Code of Conduct on Politico- Militar y Aspects of Security (1994),” Heiner Hänggi, and Theodor Winkler, eds., Challenges of Security Sector Governance, Münster, 2003, pp. 85-117. 45) OSCE, Annual Report, annual. 46) OSCE, Response by the Delegation of Croatia to the Questionnaire on the Code of Conduct on Politico-Military Aspects of Security, May 2012, p. 20, http://www.osce. org/fsc/90463. 47) OSCE, Annual Repor t 2006, March 2007, p. 34, http://www.osce.org/ secretariat/31303. 48) OSCE, Report of the Head of the OSCE Office in Zagreb Ambassador Jorge Fuentes to the OSCE Permanent Council, March 2008, p. 13, http://www.osce.org/ zagreb/31356. 49) Manuela Riedel, Minderheitenschutz in EU-Erweiterungsprozessen: Normförderung und Sicherheitsinteressen in den Verhandlungen mit den Staaten Mittel- und Osteuropas und Westbalkanländern, Springer VS, 2012. 50) Manja Nickel and Danijela Cenan, “The OSCE’s Slow Withdrawal from Croatia,” IFSH, ed., OSCE Yearbook 2007, Baden-Baden, 2008, pp. 129-141. 51) Adler, “Seeds of peaceful change,” pp. 138-139. 108 政治学研究49号(2013) 52) International Election Observation Mission: Bosnia and Herzegovina – General Elections, 3 October 2010, Statement of Preliminary Findings and Conclusions, October 2010, pp. 1-12, http://www.osce.org/odihr/elections/71633. 53) OSCE, Affordable Armed Forces in Bosnia and Herzegovina, March 2003, pp. 1-2, http://www.oscebih.org/documents/osce_bih_doc_2003032815211560eng.pdf. 54) OSCE, Response by the Delegation of Bosnia and Herzegovina to the Questionnaire on the Code of Conduct on Politico-Military Aspects of Security, May 2012, p. 16, http://www.osce.org/fsc/90735. 55) Adler, “Seeds of peaceful change,” p. 150. 56) Economist Intelligence Unit, Democracy Index 2011, p. 9. 57) Emanuel Adler, “The Spread of Security Communities: Communities of Practice, Self-Restraint, and NATO’s Post-Cold War Transformation,” European Journal of International Relations, Vol. 14, No. 2, 2008, pp. 195-230; Emanuel Adler, “Europe as a Civilizational Community of Practice”, Peter J. Katzenstein, ed., Civilizations in World Politics: Plural and Pluralist Perspectives, Routledge, 2009, pp. 67-90.; Emanuel Adler and Vincent Pouliot, “International Practices: Introduction and Framework,” Emanuel Adler and Vincent Pouliot, eds., International Practices, Cambridge University Press, 2011, pp. 3-35. 58) Rolf Mützenich, “Regionale Sicherheitsgemeinschaften als Bausteine für den weltweiten Frieden?,“ Zeitschrift für Außen- und Sicherheitspolitik, Vol. 4, No. 2, 2009, pp. 475-493. 59) Dirk Strothmann, Das ASEAN Regional Forum: Chancen und Grnzen regionaler Sicherheitskooperation in Ostasien, Springer VS, 2012. 60) OSCE, Astana Commemorative Declaration: Towards a Security Community, December 2012, p. 2, http://www.osce.org/cio/74985?download=true. 61) The Initiative for the Development of Euro-Atlantic and Eurasian Security Community (IDEAS), Towards a Euro-Atlantic and Eurasian Security Community: From Vision to Reality, October 2012, p. 7, http://www.pism.pl/files/?id_plik=11986. 62) 例えば以下文献を参照。Heiko Borchert, “Wie die OSZE durch inter-institutionelle Zusammenarbeit wirksamer sein könnte,” Dieter S. Lutz amd Kurt P. Tudyka, eds., Perspektiven und Defizite der OSZE, Baden-Baden: Nomos, 1999/2000, pp. 17-46; Wolfgang Richter, “Zur Rolle der OSZE für die Sicherheitskooperation in Europa,” Zeitschrift für Außen- und Sicherheitspolitik, Vol. 5, No. 4, 2012, pp. 645-661.
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