サラマンカ 〔スペイン文化瓦版 vol.5〕 2006.3.25発行

NPO法人スペイン文化交流センター
サラマンカ
〔スペイン文化瓦版 vol.5〕
2006.3.25発行
<祭り>
∼ラス・ファジャス Las Fallas∼
地中海に面するスペイン第3の都市バレンシア。旧市街の歴史的な建物の他にも、新観光ス
ポットとして注目されているヨーロッパでも最大級の水族館や博物館のある芸術科学都市、夏
にはマドリード市民で溢れかえるビーチなど様々な顔を持つ都市ですが、この街を語る上で、も
う一つ欠かせないものといえばLas Fallas(ラス・ファジャス)。スペインの三大祭りのうちの一つと
して有名なため、世界中からこの祭りを見にたくさんの観光客が訪れ、期間中3月12∼19日は
街中どこへ行っても人と花火、爆竹の音。闘牛シーズンもこの祭りとともに始まります。今年は19
日が日曜日、マドリード州では20日が振替休日で週末3連休だったために特にマドリードから多
くの人が訪れたようです。
Las Fallasとは・・・
3月19日はスペインでは、キリストの父親サン・ホセ(聖ヨセフ)の日(スペインの父の日はこの
日です)であり、彼が大工だったことから、この日に大工職人たちが材木を集めて焚き火をした
のが祭りの起源といわれています。
期間中、街中いたるところに張子人形(=falla)が飾られていて、その多くは1年間に話題に
なった人物や出来事、社会風刺などを表しています。ちなみに今年の話題となったのは、フェリ
ペ皇太子夫妻の間に生まれたレオノール王女でしょうか。他にもブッシュ大統領とビン・ラディン
というのもありました。
祭りの期間中は様々なイベントが開かれたり、バレンシアの民族衣装を身にまとった女性たち
の姿も見られたり、様々な楽しみがあります。
また、バレンシアといえば、食べ物もポイントの一つ。バレンシア・オレンジや、スペインのイメー
ジといえばすぐに思いつくパエージャもバレンシア発祥。日本でもおなじみなのは魚介パエー
ジャや鶏肉、野菜のパエージャですが、本場のパエージャには兎肉のも多く見られます。他に
は、日本では知名度が低いですが、オルチャタ(horchata バレンシア方言表記ではorxata)と
いうchufaという植物の根を原料とする白い色をした飲み物も名産です。好きか嫌いかどちらか
にはっきり好みが分かれる飲み物ですが、スペインに訪れた際には一度試してみるものよいと
思います。
クライマックス
約1週間の祭りも19日の夜にクライマックスを迎えま
す。1年かけて作ったfallasも、コンテストで優勝したもの
の一部以外はすべて焼かれてしまうのです。24時にな
ると街中のfallasに火がつけられ、日付も変わった深夜1
時、市役所広場のfallaに火がつけられ祭りは終了となり
ます。これを見るために時間近くになると市役所広場は
人で埋め尽くされます。音楽とともに花火があげられ、
fallaに火が点けられると人々の歓声があがり、あっという
間に巨大なfallaは燃え尽きてしまいます。バレンシア州
を讃える歌が流れた瞬間人々が一緒に歌う姿はとても
印象的でした。その後、スペイン国歌が流れ(これもまた
みんな歌っていたのですが、スペイン国歌は歌詞がな
いため、それぞれ個人によって、nanana…とかlalala…
など好きなように歌っていました。こういうときに歌詞がな
いとちょっと不便ですね。)祭りはついに閉幕。
次の日からまた街は通常に戻り、一年後に向けて新し
いfallasを作りはじめます。(貴)
巨大なfallas(張子人形)
<スペインの芸術>
∼スペイン三大画家∼
前回は、スペイン三大画家を拡張した四大画家の前編として、エル グレコとベラスケスに
ついてご紹介しました。今回は時代順に後の二人をご紹介します。
バルトロメ エステバン ムリーリョ(1618∼1682):
ベラスケス同じセビーリャ出身で、活躍した時代
もベラスケスとほぼ同時代です。ただ、宮廷画家
としてマドリードの王宮内だけで活躍したベラスケ
スと異なり、ムリーリョは、セビーリャで庶民のため
に絵を描きました。「無原罪の御宿り」という、聖
母マリアがその母アンナの胎内に宿る場面をモ
チーフにした絵画がムリーリョの代表作で、同一
のモチーフで何枚も描いています。また、愛らし
い子供を描いていることでも知られています。
フランシスコ ゴヤ(1746∼1828):サラゴサの近く
にある小さい村フエン デ トードスの出身で、サ
ラゴサで絵画を学びました。若い頃は、マドリード
のコンクールなどに提出しても、審査員から一票
も得られないなど、失意を経験し、イタリア遊学に
行きました。ゴヤは、このイタリア遊学の際に、パ
ルマの王立美術アカデミーのコンクールに参加
し、審査員から6票を得た。このイタリアのアカデ
ミーで認められたことと、イタリアで学んだ様々な
ことが後のゴヤにとって非常に大きな経験となりま
した。帰国後に、ゴヤは、義兄で当時権力を持っ
ていたフランシスコ バイェウの力添えなどで、マド
リードのカルトン(タペストリーの下絵)描きの仕事
無原罪の御宿り(ムリーリョ)
に就きます。
その後頭角を現したゴヤは、カルロスIV世の主席宮廷画
家となり、王家の肖像画などを描きます。しかし、重病によ
る聴覚障害や、ナポレオン軍のスペインへの侵攻など、激
動の時代を生き、黒い絵のシリーズや戦争の様子などを
描くようになります。彼の代表作は、着衣・裸のマハの2点
や、我が子を喰らうサトゥルヌスなどが挙げられます。
前回と今回で、スペインの代表的な画家について、簡単
に書きましたが、それぞれの画家については、この紙面で
語り尽くせるようなものではありません。もし、ご興味を持た
れたなら、マドリードのプラド美術館まで行って実物をご覧
いただきたのですが、とりあえず、3月25日から上野で開催
される「プラド美術館展」へ足を運ばれてはいかがでしょう
か。(浩)
発行者 : NPO法人スペイン文化交流センター サラマンカ
埼玉県朝霞市西弁財1丁目10番9-1403号
執筆:松平貴子 / 編集:河村浩一
Homepage : http://www3.to/salamanca/
e-mail : npo_salamanca@ybb.ne.jp
我が子を喰らうサトゥルヌス(ゴヤ)
※ 上記の絵画は両方ともプラド美術館蔵