MIA Vol29

MIKI
INTERNATIONAL
ASSOCIATION
VOL.
29
March
2007
平成19年3月
三木市国際交流協会
平成18年度事業へのご協力ありがとうございました
いつの間にか、ゆるめの寒さが消えて、春が早い目に来てしまったようなこの頃ですが、
会員のみなさまにはいかがお過ごしでしょうか。当協会では設立1
0周年目の記念事業を行
なってきました。お陰様で、ほとんど全てを終えることができました。みなさまのご協力と
ご支援、誠にありがとうございました。
来年度からは設立20年目に向けて再スタートです。従来の事業を見直し、新しいアイデア
をとりいれて企画し、より多くのみなさまのご参加を願っています。特に、姉妹都市事業と
しては、バイセリアとコロワの両市から学生訪問団が三木市を訪れます。日本が初めての青
年を、温かく迎え、この地の文化や人々の優しさに触れてもらいたいと思います。みなさま
のご協力をお願いします。
会長
岡田
保
「三木市のみなさん、こんにちは!!! 私たちは中学校で英語を教えています。
」
Hello and nice to meet you. We are English Teachers coming from abroad.
私たちは三木市教育委員会に所属するALT
(Assistant
Language Teacher=英語指導助手)です。私たち5名
はそれぞれ市内の中学校に配置され、英語の先生と組ん
で英語を教えています。時には、小学校に出かけて、こ
どもたちに自分の国を紹介したり、行事に参加して楽し
いときを過したりすることもあります。M
I
Aのみなさん
とは、クリスマスパーテイーやこども英会話などに参加
してお知り合いになっている人もたくさんあります。私
たちは、折角、日本に来ることができたのですから、こ
とばを覚えたり、生活文化に触れたりしたいと希望して
います。8月から、もう1年間、私たち全員が三木に留
まり、より多くのお知り合いや友を増やしたいと希望し
ています。町のどこかで出会ったら、気軽に声を掛けて
ください。
Gareth / Canada
Mellissa/ USA
Nicholas/ AUS
―1―
Laura/ UK
White/ USA
July 14, 2006 教育センター
第1回国際理解講座「帆船と海のロマン」
海洋画家 服部 武司 氏
が生じ、そこに魅力があると感じています。
アルフレッド(3級戦列艦)の進水
私は少年の頃から絵を描くのが好きでした。平成11年
に教職を退いてからも描き続けています。特に、帆船の絵
を描くのが中心でしたので数点の原画を持ってきました。
それをご覧いただきながらお聞きください。
コンスティテューション
(アメリカ・フリゲート艦)
アクリルで描いた絵です。私は原画を発表する機会を
得るため、「神戸帆船の会」に入っています。模型作り
の好きな者50名ばかりが入っていますが、私のような絵
の好きな者、古いエンジンを復元するのが好きな者など
も入っています。毎年、三の宮で展示会をしますが、
30
隻ほどの模型を並べます。壁が空いているので私の絵を
展示させてもらいます。たまたま、この会が3年前に20
周年を迎えたので、このアルフレッドの大きな模型(長
さ130cm)を共同制作されました。それに合わせて要
請され描いたものです。この絵には進水式に出席してい
る人々を会のメンバー、子供時代の自分、そして、昔の
ガールフレンドに見立てて描いています。これは74門艦
です。砲甲板が2層あり、当時の軍艦の半分程度がこの
74門艦でした。これは経済性、機動性、戦闘能力のバラ
ンスがよく、使い勝手が良い船とされていました。
油絵30号です。アメリカの独立戦争を戦った大陸海軍
は財政難のため解散します。アメリカの貿易船がフラン
スやイギリスの海軍に襲撃されたり、地中海ではアフリ
カの海賊に襲われたりしました。やはり、海軍が必要と
いうことで、独立20年後に海軍を創設し、6隻のフリゲー
ト艦(小型快速船)を建造しました。そのうち、一番有
名な船です。1812年、
イギリスのフリゲート艦ゲリエー
ルと一騎打ちとなり、相手の帆柱を3本ともへし折り勝
利を収め、一躍ヒーローとなった船です。現在もボスト
ンに保存されています。船の技術発達史の細かいところ
は別にして、描く側からいうと、波を描くのが難しいの
です。個性が出るところですが、いまだに、満足のいく
描写に至りません。
(以下は原画ではなく映像を見ながらの話です。抜粋し
て纏めています。)
帆走するアルフレッド(アクリル画)
船は後部を豪華に飾り、上官の部屋はそこにあります。
乗組み員の部屋やトイレは前です。帆船は風を後ろから
受けるため臭いを防ぐ構造になっています。
ヴェローナ(74門艦)とカッター
ロシアのアンドレイ・ポルトフさんの注文で描いた80
号のアクリル画です。彼は「ソビエト・ロシア原子力潜
水艦建造史」の著者ですが、私の絵が月刊誌「世界の艦
船」に掲載されたのを見て注文いただきました。ウラジ
オストックの自宅に飾ってあるということです。
ソレイユ・ロワイヤル(アクリル画)
17世紀初期のフランス大型艦です。一番上のマストが
降ろされています。帆船は風に合わせて帆を畳んだり縮
めたりして事故を防ぎます。友人阪田君の100分の1プラ
モデルを見て描きました。
ロドニー(油彩)
神戸海洋博物館がリニューワルされ、その玄関を飾る
とのことで寄贈しました。神戸の港(兵庫)は日米修好
通商条約締結により、
1868年(明治元年)に開港しました。
当時、イギリス東洋艦隊が来訪し祝砲を撃ちました。こ
の時の旗艦がロドニーです。
1級戦列艦プリンス(イギリス・Prince)
ロンドンの科学博物館に模型が展示されています。
優れた模型として有名です。17世紀は船の美しさが最
高潮に達した時期です。特にヨーロッパでは、装飾と船
の機能がうまく溶け合った時代です。帆船の魅力は、あ
えて言えば、船のエンジンである帆、それを支えるマス
トとヤード、それを支えるロープ、帆を畳んだり動かし
たりするロープと滑車などが剥きだしになっている所や
船体の微妙なカーブです。プリンスは100門の砲を3層
の甲板に積んでいて、スリーデッカーと呼ばれています。
大砲は車が付いているので平坦なラインの甲板となって
います。それに対して、船は波を切って行くので、反り
(シェア)があり、砲門の平坦なラインとの微妙なずれ
私の絵は時々、雑誌「世界の艦船」に載せていただき
ます。以下は最近載ったものです。私は創刊号からの読
者で、家にはこの「世界の艦船」が50年分あります。横
―2―
に並べると6mにもなります。趣味の雑誌としては第1級
のものだと思います。
ゴールデンハインド(水彩)
イギリス人のドレイクは海賊上がりの船長です。マゼ
ランに続いて東回りで世界1周を成し遂げました。マゼラ
ンは途中フィリピンで死にましたが、実際生きて帰った
のはドレイクが最初です。約100トンの帆船です。
バウンテイ号(水彩)
「バウンテイ号の叛乱」で有名な船(250トン)です。
1787
年、フライ船長がタヒチから「パンの木」の苗をイギリ
スの植民地へ運ぶ途中、叛乱に会った船です。
戦艦「三笠」(油彩)
日本海海戦(1905年)で、旗艦として東郷平八郎司令
長官や秋山真之作戦参謀を乗せ、ロシア艦隊を打ち破り
ました。
した。 電車の中でも描いたものです。特に、夜行列車
では、みなさん半分寝たような状態で警戒心を解いてい
ます。描く方としては宝の山に入ったようなものです。
こんな絵をたくさん描いて朝日新聞に送りました。
挿絵ボツになる
しばらくして、注文が来ました。それは週刊朝日の別
冊に挿絵をという注文でした。頼まれたのは曽野綾子さ
んの「こもり」という小説の挿絵です。現在、彼女は保
守派の論客として有名ですが、当時は、有吉佐和子さん
とふたり、若くして芥川賞を受賞し、才女ブームを起こ
していました。「こもり」は、おばあさんが子守をして
いるという短編でしたので、気乗りがしないまま描いて
送りました。しばらくして、「没になりました」と返事
があり、編者の奥山さんは「せっかくでしたが、やや深
みにかけるので、今回は見送らせて貰います」と付け加
えてくださいました。原稿料3,
000円をいただきましたが、
私は、いっぺんに、挿絵画家への夢から醒めてしまいま
した。
不滅の12隻(日本海軍の戦艦)
「世界の艦船」にシリーズで掲載されたペン画です。
自分としては一番よかったのではと思う作品です。原画
はもうありません。福井静夫という日本軍艦研究の第一
人者がこれ見て、自宅から手紙をくださいました。「貴
方の絵を見せて欲しいので、鎌倉までお越しください」
とのことでした。福井さんは、敗戦時、海軍技術少佐で
した。日本海軍軍艦の資料を集めて後世に残すことをラ
イフワークとされた方です。その膨大な資料は呉の「大
和ミュージアム」に譲渡されています。絵は福井さんに
差し上げるつもりで鎌倉に置いてきました。どこかにあ
れば再会したいと思っています。
マンガ風のイラストレーション
年を重ねて仕事も面白くなり、また、責任も重くなっ
てきたので、次第に趣味の世界からは遠ざかってしまい
ました。ところが、杉浦昭典先生(元神戸商船大教授)
の著書「海の昔ばなし」と「海賊たちの太平洋」のイラ
ストを頼まれました。短時間で多くの作品を描かねばな
りませんから、スクリーントーンを用いて描きました。
この本には写真はなく、全て私の挿絵が用いられまし
た。ありがたくうれしい思い出になっています。
ここで、私が何故絵好き、船好きになったのかという
ことをお話しします。
ペン画の樺島勝一
少年の頃、樺島さんのペン画が好きでした。戦前には
「敵中横断3000里」という冒険小説に挿絵を画いて人気
があったそうです。戦後、
「少年倶楽部」にペン画が載り、
それを切り取って机の前に貼りだしていたのを覚えてい
ます。彼は独学で絵を勉強した人ですが、
「船の樺島」
とも呼ばれ、その作品は多くの人々に愛されました。
少年たちの神様・小松崎 滋
彼の画集は7,
8冊ありますが、いずれも、派手な軍艦
の絵ばかりで、私が夢中になった絵物語はありません。
というのも、平政7年(1
995年)、小松崎さんの家が火災
に遭い、数万点の原画が消失してしまいましたので、今
に残っている絵はプラモデルの会社にあるものを編集し
たものが多いようです。ペン画に凝っていた私は「世界
の艦船」に投稿し、小松崎さんにその読者交換室で誉め
て貰ったことがあります。私がもう少し若ければ、また、
一人っ子でなければ、弟子入りさせて貰っていただろう
と思います。事実、現在、ミリタリー系のイラストレー
ターのほとんどは、小松崎さんの弟子です。
最高の絵物語作家・山川惣治
山川さんは、画家を志していたのですが、生活のため
に紙芝居の「少年王者」を描きました。ターザンの日本
版、牧村真吾という少年がジャングルの中でゴリラと暮
し大活躍するというストーリーです。「面白ブック」に
連載され、爆発的な人気を博しました。他に、「幽霊牧
場」とかありますが、今見ても素晴らしい作品だと思い
ます。
ちなみに、私自身を「絵物語世代」と位置づけていま
す。
時代もの挿絵画家・木下二介(じすけ)
村上元三作「源 義経」の挿絵が好きでした。ちょう
ど高校生の頃です。夏休みなどは、毎日、座敷を開け放
して写していました。近所の人はこれを見て、「武司君
はたいした勉強家やで」とうわさしていたらしいです。
実は、いくつかの新聞の連載を全部写していたのです。
当時は、下絵を描くことを知りませんから、直接、薄墨
で描いていました。今も自宅にこれらを置いています。
挿絵画家をめざす
大学生の頃、
「井上 靖」の小説に挿絵を描いていた
「生沢 朗」に憧れて、さかんに人物のデッサンをしま
話はまだ続きましたが、まとめはこれまで
にしておきます。服部氏が船の画に魅せられ、
歩んでこられた姿をまざまざと見る思いでし
た。最後には、ご友人や元船長さんからの発
言もあり、少年が夢と出会うような興奮を覚
えるひと時でした。今夏には個展(堀光美術
館)が予定されています。(倉橋)
―3―
第2回国際理解講座「イタリア見聞録」
前ローマ日本人学校教頭 横田 政美
氏
みんさまこんにちは。私はついこの間まで3年間、日
本人学校への派遣教員としてローマに住んでいました。
これから現地での体験を基にイタリアとイタリア人につ
いて話します。
最近の日本人には海外旅行をする人が多くなっていま
すが、イタリアは人気スポットの1つといっていいでしょ
う。曰く、音楽、美術、建築、歴史からファッションや
パスタ、機械工芸に至るまで、日本人が憧れたり好んだ
りする分野がたくさんあります。
塩野七生氏の著書「ローマ人の物語」が多く読まれた
り、たまたま上映されている映画「ダヴィンチ・コード」
が話題にされたりするのも、日本人がイタリアについて
特別の興味関心を持っている証拠だと思います。
ご存知のように、イタリアの国旗は3色で構成されてい
ます。緑は野山、白は雪、赤は血液を表わします。イタ
リアの国土は長靴に例えられます。面積は日本の約8割で
す。一般に、北は涼しく工業が発達し、南は暑く農業が
中心です。また、南と北では歴史や人々の生活習慣、気
風も違います。
▲
▲ 交流校(ラ・サッリアーニ校)の学習発表会
日本人学校というのは現地の日本人会が出資して運営
する私立学校です。文部科学省から派遣された教員が日
本の学習指導要領に基づき指導に当たります。しかし、
折角ローマにある学校ですから、イタリア文化の理解と
か、イタリア人との交流を目標にして、特色あるプログ
ラムを実施しています。例えば、「ローマの時間」とい
う総合的な学習の時間を設けていますが、ここでは、各
学年に応じて、イタリアやローマについて調べ、それを
纏めてちらしを作ります。時には「トレビアの泉」など
の観光スポットにそれを持って行き、日本人観光客を捉
えて「観光ガイド役」を買って出て使います。また、近
くのイタリアの学校との相互交流をします。相撲大会、
だるま落とし、餅つき大会、バザ−などに多くのイタリ
ア人を招いて楽しみます。またイタリアの小学校で、授
業を見学したり先生たちと教育について情報交換したり
もしました。そのとき、学級定員の話になり、「日本で
は40人」というと、即座に「そんなに大勢では、教育が
成り立たないでしょう」と驚かれました。「日本の先生
は指導技術を磨いてうまくやっているよ」といっても信
じて貰えません。実際、イタリアの小学校の1クラス定
員は25人です。教室では子どもたちが手をあげて先生に
当ててもらおうとします。これは日本と同じなのですが、
あげている手の形が違うのに気付きました。人差し指を
突き出しています。ムッソリーニのファシズム時代を拒
否するための習慣だそうです。とにかく、子どもたちは
先を競って発表したり、意見を言ったりします。この点
が日本とずいぶん違うなと感じました。日本の学校では
いじめや自殺が大きな社会問題となっています。しかし、
ここでは宗教上の教えも影響しているようですが、自殺
が少ないです。
ローマの人々の生活について、衣・食・住・車・受難
の順にお話しします。
<衣> とにかく、彼らは手足が長く、スタイルがいい
です。顔が小作りということもファッション性を高めて
いるように思います。若干おどけているようにも見える
デザインや色使いの衣服でも、ぴったりと着こなします。
ブティックなどのショウウィンドウを眺めて、目を肥や
してから店内へ入ります。買う気のある人が入りますか
ら、当然店員はいろいろとアドバイスをしながら、あれ
これとコーディネイトしてくれます。ところが、日本人
は遠慮なしに店の中に入り、品物を触りまわり、挙句の
果ては、何も買わないで、しかもありがとうとも言わな
いで出て行く場合が多いのです。店員は相当のプライド、
つまり、単に物を売るだけでなく、それぞれの人に合う
ファッションを助言するという誇りを持って働いていま
すから、大方の日本人のこのような振る舞いは顰蹙〈ひ
んしゅく〉を買うことになります。といって、みんなが
ローマの時間「名観光ガイドになろう」
ローマの日本人学校は小学部と中学部を合わせて50人
あまりの小規模校です。3月15日の赴任直後に、校舎が
危険なため、どこかへ移転しなければならないと知らさ
れました。とりあえず、ホテルを借り切って授業が出来
るようにした後、あちこちの物件を当たり、イタリア人
学校の旧校舎を借りる契約が成立しました。日本でした
ら、学校の移転とか改修は夏などの長期休暇中を選んで
行われますが、あちらでは待ったなしです。早速、新校
舎への備品用具の運び込みが始まりました。職員に指示
し、イタリア人を雇って、連日夜半までかかって事を進
めました。全般に、イタリア人はあまり背が高くないの
ですが、筋肉ムキムキマンが多いようです。5
00キログ
ラムぐらいの金庫を3人で軽々と2階まで運びました。代
わりに、食事は日本人の3倍ぐらい摂ります。そして夏
休みに改装工事を始めました。困ったのは予定通りに捗
らないことです。例えば、窓枠ですが、作る人、運ぶ人、
嵌める人などが分かれています。お互いの連携が上手く
いかずスムーズに進みません。おまけに職種によって、
北の人と南の人に分かれています。北の職人がペンキ塗
り、南の職人が枠作りというわけです。一般に、北はよ
く働き、南はのんびりしています。昼時に出て行って帰っ
てこないのは南でした。散々な目に会わされましが、9
月6日の竣工式には何とか間に合いました。私たちは、
これを「イタリアの奇跡」と呼びました。
―4―
高級ブランド店へ行くわけではありません。それこそ、
スーパーで安いものを選んで着る人も多いのですが、そ
れぞれが様になっています。さすがファッションとデザ
インの国イタリアだと思いました。
<食> イタリア料理は日本人の多くに好まれています。
しかし、多くの日本人は日本でイタリア料理、例えば、
パスタを食して美味しいと思っているのではないでしょ
うか。実際、本場のパスタはそれほど美味しいとは思い
ませんでした。向こうでは砂糖をほとんど使いません。
塩が使われ、やたらとオリーブ油を使います。また、火
曜日と金曜日は魚の日と決められていて、魚を使った料
理が主流となります。果物も日本の方が種類も質もいい
ようです。ただし、メロンは断然イタリアだと思いまし
た。メロンに生ハムを載せて食べるのがイタリア流です。
きのこ、ポルチーニ茸も美味しく、鰹節をまぶして醤油
味で食べました。高級レストランでは前菜(アンティパ
スト)だけで充分です。イタリア人は日本人の3倍位食
べますから、日本人が全コースを食べるのは大変です。
おまけに、デザート〈ドルチェ〉は美味しいのですが超
甘で、ボリューム満点です。街中には喫茶店(バール)
が多くあり、銀行やオフィスでも、午前と午後にはバー
ルでコーヒー(エスプレッソ)を飲む習慣があります。
店の中で立って飲むと1杯100円程度です。座ると高くな
ります。店では、一人一人のお客の好みを詳しく聞いて
くれます。日本人などはそんなに聞かれてもと思うぐら
いですが、面倒くさがらないでサービスに努めてくれま
す。
<住> ローマは約4キロメートル四方の城壁内にあり、
全てが遺跡といっていい位です。ところが、いたる所が
落書きだらけです。大方は品位の無いものが多いのです
が、中には「ハッ!」とするほど芸術の香り高いものが
あります。内外ともに落書きだらけの地下鉄車両も堂々
と走っています。トイレが少なく、ガイドが一番気にす
ることは、
「しばらくトイレがありません。みなさん、
水を沢山飲まないでね。」ということです。また、トイ
レには便座がありません。勢い、しゃがんでするという
ことになります。最も、日本は昔からそうでしたが・・・。
街灯が少なく、夜の散歩はできません。また、夜景を
楽しもうと、展望台など高いところに登っても何も見え
ません。電気を隣国(フランス・スイス)から買ってい
るため、電気代が高いことや、防犯のために家々のシャッ
ターを下ろしてしまうことが原因だと思われます。
私たちが住んでいたエウルという町は、1942年万国博
覧会後に造成された住宅地にあります。中央に人造湖が
あり、庭付きの大きな家が並んでいます。家の庭には、
レモンの木やオリーブ、松などもありました。休日には、
たくさんの人々が散歩をします。というのも、周辺から、
きれいな公園のあるエウルに、寛ぎを求めてやって来る
からなのです。我が家は窓が大きく、1階は泥棒よけに
シャッターが付けてあります。それでも、ついに空き巣
に入られてしまいました。
車のことになりますが、たいてい、街路の両脇に縦列
駐車させています。車取得の際に、車庫証明などがいら
ないため公道を使うことになります。縦列駐車の際に、
バンパーとバンパーをぶっつけ合いますからたいていの
車はキズだらけです。日本では、新車ばかりが走ってい
るような感じですが、向うでは、走行19万キロという車
や、20年前の車などが平気で走っています。踏切での一
旦停止はしません。踏切に差し掛かると急いで渡ってし
まうのが普通です。私などは、どうしても停まる癖がつ
いていますから、何度も後ろからクラクションを鳴らさ
れました。
高速道路でも、街灯が無く真っ暗です。右側通行です
が、例えば3車線のうち右側が救急用、中央が普通走行
用(130km/h)左側が追越し用となっています。日本
人には何かと迷うことの多いシステムでした。道路には
ところどころ監視カメラが設置されています。ルール違
反の場合には後ほど反則通知が届きます。ところが、反
則後3ヶ月後、時には6ヶ月後に届きます。その間、同
じ反則を繰り返す場合もあるはずですが、そんな時はど
うなるのでしょう。事実、同じ日に反則金を2回に渉っ
て請求された人もいました。
▲
市中の交通違反監視カメラ
<受難の巻> ある日、帰宅してみると空き巣に入られ
ていました。部屋という部屋、引き出しやクローゼット
が荒らされています。しかし、洋服や食器などは全く盗
られていませんでした。妻の真珠のネックレスなどが無
くなっていました。引き出しは下から開けていたのには
感心しました。これですと、次々開けるだけで済みます。
何がしかの泥棒銭を目立つところに置いておけばよかっ
たのですが、あとの祭りです。窓の広い家は住むのには
快適ですが、防犯にはなりません。ドアも内開きになっ
ていますが、内側に閂(かんぬき)をつけるためです。
外側にかんぬきをつけても、簡単に壊されてしまうから
です。犯罪の多い社会ですが、殺人事件は極まれです。
3年間でたったの2件だけ記憶しています。
ローマに住んで、陰の面も多く見ました。そして、
日本人や日本の社会の素晴らしいところも再認識いたし
ました。それでも、陽気で親切なイタリア人やローマ帝
国以来の歴史や遺跡に裏付けられたイタリアの文化には
惚れ抜いて帰ってきました。この貴重な体験を三木での
教育や社会づくりに活かしていきたいと思います。あり
がとうございました。
▲
―5―
市中の交通違反監視カメラ
January 21,2007 吉川町公民館
第4回国際理解講座「こども国際交流」
小学生35名と5カ国留学生が参加!!!
んが改めて「ado英語落語グループ」を立ち上げ、今回
の「ado英語落語寄席 i
n Mi
k
i」の開催となりました。
当日、外国人を含む過去最高120名のみなさんにご来場
いただき、笑いの渦が会場に溢れました。
プログラムは
四笑亭○丸・たまご家きみ子
の「R
akugo 」から始まりました。フロワーにも参加してい
昨年10月、三木市国際交流協会は市町合併にともない、
吉川町国際交流協会と一つになりました。そして、今年
ただきながら落語の面白さを紹介します。続いて、カナ
度2事業を吉川町公民館で行ないましたが、その一つが
ダ人演者
ランス
四笑亭○丸
「こども国際交流」です。
の「ふぐ鍋」とado 代表でもある
の「千両みかん」でした。いずれも、江
指導進行は吉川国際交流グループにお願いし、会員ボ
戸時代の古典ですが、現代との生活の違いや英語という
ランティアや三木市ユネスコ協会のみなさんにもアシス
外国語の壁を乗り越えて笑わせる工夫が見られました。
タントとして協力いただきました。
また、外国人ゲストとして関西国際大学留学生5名(ア
メリカ、フィリピン、中国、ベトナム)を招き、小学生
38名との交流を深めました。
中入りの後は、関西学院大学落語研究会のみなさんに
よる
お囃子
演奏です。普段は舞台袖で姿を見せずに
演じるものですが、みなさんの耳と目へのお披露目とな
りました。
5名の留学生はそれぞれのグループで絵や文字を使い、
こどもの質問に答えます。こどもはそれをまとめて発表
しました。特に、フー・ホー(モンゴル自治区)さんは
鮮やかなブルーの民族服で参加、こどもたちから、「き
れい!」と賞賛を浴び、服装や食べ物など生活一般につ
いて質問を受けて盛り上がっていました。留学生も子供
たちを通じて、日本をより深く理解する機会になったの
ではないかと感じました。
February 4, 2007 教育センター
第5回国際理解講座「ado英語落語寄席 in Miki」
満員御礼!!! 120名「笑いの渦」
後半はイギリス人で来日18年目の
ダイアン吉日
の
「犬の目」で始まりました。彼女は体全体に落語キャラ
クターが溢れている感じです。外国人がこれほど見事に
落語を語れるのかと感心しました。真打は桂吉朝門下の
桂
当協会では「英語落語寄席」を過去4回開催しています。
朝吉
の「かき割り盗人」です。笛、三味線、踊
昨年2月も予定していたのですが、リーダーの山本さんが、
りと多芸のうえに英語落語家として、桂
突然逝かれたため中止となりました。
かいし
ところが、後に残った「英語落語グループ」のみなさ
―6―
に迫る演者と見受けました。
枝雀 や
桂
私と国際交流
フィリピンを訪ねて
会員番号B49 有野
る事業です。この事業により多くのこどもたちが失明
を免れているということです。ここでは、地元ライオン
ズがこどもたちに眼鏡をプレゼントしていました。
勇
私は、この2月9日から13日まで「ライオンズクラブ
国際財団第4回視察団」の一員として、フィリピン・マ
ニラを訪問しました。この視察団には全国から30名が参
加しました。
眼鏡検査
また、モンテンルパの ビリビット刑務所 にある 社
会復帰センター を訪ねました。ここでのセレモニーで
は、視察団からのプレゼントを受刑者に贈りました。そ
の時、聞いたのですが、終身刑を受けていても模範囚に
なれば、施設内で自由に散歩したり、家族とともに過し
たりできるそうです。
診療所入り口
初日9日の夕方には マカティライオンズクラブ と
国際財団 から、この事業に関するオリエンテーショ
ンを受けました。
12日、ストリートチルドレンの救護施設を訪問しまし
た。ここは地元ライオンズクラブやフィリピン政府など
が、ストリートチルドレンを救うために運営している施
設です。 58名のこどもたちが教科の学習をしたり、料理、
理容、縫製、家具作り、菜園作業などをしたりしていま
した。そして、三木市ユネスコ協会から預かってきた学
用品などを渡しました。こどもたちからは笑顔と感謝の
ことばを何度もいただきました。フィリピン全土では、
このようなストリートチルドレン約300名が5つの施設
に受け入れられているそうです。
人人人の診療所受付
理髪技術訓練
1
0日、マニラ郊外、モンタルバンのカシグラシ高校で、
日本とフィリピンが合同で行なっている医療奉仕活動を
見学しました。診療奉仕団長の石田貞夫氏は、朝5時過
ぎに起き、医療物資、医薬品、眼鏡、タオルなどを車に
積み込み、ホテルを7時に出発されたそうです。マニラ
から車で約2時間の仮設診療所へは、国家警察特別機動
隊(SWAT)の先導で着いたそうです。私たちが訪れ
た時には、多くの人たちで一杯でした。また、診療所周
辺には屋台も出ており、ちょっとしたお祭りムードでし
た。
普段は医師の診療を受ける機会など全くない人々が、
内科、眼科、歯科のテント前に列を成していました。日
本・フィリピン医師団とボランティアのみなさんが、汗
だくになりながら奉仕する姿を目のあたりにして心を打
たれました。診療を受けた人々は、ほっとした様子で感
謝のことばを述べていました。今回の医療活動では2日
間で約1万人の人々を診療したということですが、この
事業は32回も続けるそうです。
美容技術訓練
(マニキュア)
また、他にもスラムの中に設けられている図書館も訪
れました。これも名古屋のライオンズが協力してできた
ものでした。フィリピンの公立学校は3部制(午前・午後
・夕方)であり、多くのこどもたちを受け入れていますが、
それでも、学校へ通えないこどもがたくさんいるという
ことでした。私たちが、日頃行なっている奉仕活動が、
多くの人々に感謝されていることを知り、ほっとすると
同時に、まだまだ多くの救いの手が必要とされていると
感じて帰ってきました。
グループや個人で海外旅行をされた感想をお寄せ下さ
い。「私と国際交流」はあなたの文を待っています。
1
1日、医療奉仕活動 サイト・フォー・キッズ の現
場を訪れました。 これは国際協会が世界保健機関(WH
O)とともに、こどもたちに目の病気に関する知識を教
えたり、じっさいに、眼科検診を受けさせたりす
―7―
年間30回・3万円
場所:教育センター
平成19年度「ことばの教室」受講生募集!!!
(日本語入会金2,
000円) Let's learn foreign languages together from May to March 申込み:4月末までに協会へ
クラス
講
師
曜日・時間帯
内
容
①
英会話実用
Manning Gareth
月(19:00〜20:30) Topics に従がってfree talk or debate
②
日本語初級
ボ ラ ン テ ィ ア
月(19:00〜20:30) ペア学習・日本語学習サポート
③
英会話中級
Starnes Laura
火(19:00〜20:30) 日常会話のレベルを更にアップ
④
韓国語初級
韓 国 人 留 学 生
火(19:00〜20:30) 基本から会話の初歩へ・(テキスト使用)
⑤
英会話初級A
永 尾
恵 美
水(19:00〜20:30) 行事や天候を話題に日常会話(テキスト使用)
⑥
英会話初級B
新 田
俊 子
木(10:00〜11:30) 文法を大切にしながら会話力アップ
⑦
中国語初級
山 口
玉 花
木(19:00〜20:30) 発音・基本文型から日常会話(テキスト使用)
⑧
中国語中級
陳
那 森
木(19:00〜20:30) 初級を超えて更にレベルアップを
⑨
英会話初級C
河 越
恭 子
金(10:00〜11:30) Jazz Chantz/ small talk 円滑な会話
⑩
スペイン語入門
未
定
金(19:00〜20:30) 初歩から(テキスト使用)
平成1
9年度総会 5月10日木曜日 10:00〜12:00
三木市役所5F大会議室へどうぞ!!!
三木市国際交流協会のより確かな歩みのため、みなさまのご参加をお願いします。
*記念講演*「日本とスリランカのこどもたち」
ニャーナーランカーラ師
1953年スリランカ生まれ、仏教僧、ぺーラデニヤ大学卒、高野山大学仏教学専攻、現在、
伊丹市スリランカ総本山仏歯寺駐日日本代表。教育・文化・福祉の分野で活躍中。
編集あとがき
編集・発行
国際理解講座、服部氏の「帆船と海のロマン」と横田氏の「イタリア見聞録」をやっと
のことでまとめました。どちらも、興味津々で聞かせてもらったことを思い出しました。
私たち一人一人の人生は短く、見聞きする範囲も限られています。ですから、自分と異な
る体験や生き方をされた方の話を聞くことによって、自分の人生を広め深められるのでは
ないでしょうか。これからも、個性ある生き方をされた人の講座を企画します。会員のみ
なさまも、講師を推薦してください。案外、身近に、素晴らしい人(講師)がおられると
思います。
平成19年度は、
「ことばの教室(5月第3週)
」や「総会(5月10日)」から始まります。み
なさまのご協力ご支援をよろしくお願いいたします。
三 木 市 国 際 交 流 協 会
Miki International Association
〒673-0492
三木市上の丸町10-30(市企画部市民協働課内)
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TEL(0794)89-2318
FAX(0794)82-9755
〔E-mail〕 kokusai@city.miki.hyogo.jp
〔ホームページ〕http://www.city.miki.hyogo.jp/