『イスラエル学』(24)

ニュース
ローザンヌ・ユダヤ人伝道協議会 日本支部発行
203
2016.9
一部 ¥
2016.9.01発行
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P2 3
ハーベスト・タイム イスラエル学(24)
P4
巻頭言
ミッション宣教の声
黒田 禎一郎
P5
シオンとの架け橋
あ ら ゆ る 国 の人々を
石井田 直二
P6
アルコ・イリスミニストリーズ 早川 衛
P7
ライフ・イン・メサイヤ
P8
シンガポール JCF 牧師 シンガポール JCF の専任牧師の任期は一期 3 年間です。
今年 3 月に第一期が終わり、第二期が始まるに際して 1 ヶ
月間の休暇が与えられましたので、このタイミングにと第
2 回聖地旅行を企画しました。今回はエミレーツ航空を使
い、アンマン経由でイスラエルに入ることにしました。前回
1 年半前に行ったばかりでしたので、何名くらいが参加され
るか予想がつきませんでしたが、ふたを開けてみると日本、
インドネシア、ヨルダン、サウジアラビア、香港からも合流し、
31 名のグループとなりました。ちなみに、前回からのリピー
ターは 3 名です。アンマン到着後、モーセが約束の地をは
るかかなたに見たネボ山に行き、ヨルダン側の死海で一泊
した後、
バスでイスラエルに入りました。今回のガイドはツァ
イリ享子さん。4 年前に私たち夫婦が 1 ヶ月間エルサレム
のバイブルスタディで奉仕した時に参加してくださった方で
す。ユダヤ人と結婚して 4 人のお子さんたちがいらっしゃい
ますので、様々なイスラエル事情についてもお話しをうかが
うことができました。
今回私が初めて訪れたのはガリラヤ湖畔のアルベル山。
大宣教命令が語られた山と言われているそうです。マタイ
28 章 16 節には、
「十一人の弟子たちは、ガリラヤに行って、
イエスの指示された山に登った」と書かれています。断崖
絶壁からガリラヤ湖全体、さらにその向こうまで 360 度見
渡せる場所で、ここで復活のイエス様から「それゆえ、あ
なたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい」と
語られたら、
「わかりました!」と答えるだろうなと思いまし
た。2 千年前のこの命令の成就として、地の果てに住む私
たちがイエス様を信じる者となって今ここに立っていると思
うと、主の御言葉の真実を実感せざるを得ませんでした。
そして、このバトンを受け取った者として、私たちがさらに
この命令に従って行く者でありたいと思いました。主が帰っ
て来られるその時まで。
9 日間の旅路を終えて、
皆さんをアンマンの空港で見送っ
た後、アンマン在住の日本人ご夫妻のお宅にお世話になり、
さらに 3 日間、ヨルダンでの聖地旅行を続けることができ
松本 章宏
お知らせ
石黒 イサク
事務局より
ました。IS の関係で観光客が激減したヨルダンでは、価値
ある聖書的遺跡が無造作に放置されており、もったいない
なあと思いました。普段めったに行けない所に足を伸ばそ
うと思い、バプテスマのヨハネが捕らえられたマケラスの砦、
ヨルダンのグランドキャニオンと呼ばれるアルノン川にまで
足を伸ばしました。翌日は、日本人女性と結婚した関西弁
を話すヨルダン人ガイドに案内してもらい、夢にまで見たヤ
ボクの渡しに行くことができました。ここは、ヤコブがイエ
ス様と格闘した所(創世記 32 章)ですが、そこに立ちな
がら、私もこれまで何度イエス様と格闘して来たかを振り
返り、この方の祝福によって今日があることを感謝しました。
私たちがイスラエルを後にした翌朝、私の長男と彼がマ
ネージャーをしているナイト de ライトというクリスチャン
ロックバンドを含む 25 名の若者ツアーがイスラエルに到着
し、享子さんが連続してガイドをしてくださいました。この
ツアーは、まずポーランドに行き、5 月 5 日のホロコースト
記念日にアウシュヴィッツで「命の行進」に参加しました。
彼らが日本人だとわかると、一人のユダヤ人のおばあちゃん
が駆け寄って来て、
「杉原千畝さんを知っているかい。私は
6 歳の時に彼に命を救われたのよ。日本人としてあの人の
ことを誇りに思ってください」と話しかけてくれたそうです。
今年のイスラエルの独立記念日は 5 月 12 日でした。28
年前から毎年その日に野外劇場を使って 4 千人規模のイベ
ントが行われており、多くのミュージシャンが演奏してきま
したが、今年初めてそのステージに異邦人が立ちました。
その異邦人とはなんと日本人であり、ナイト de ライトでし
た。この日のために初めて作った英語の曲は“Let Every
Nation”
。英語が 苦手な平野くんが一生懸命に練習して
歌った時、確かにイスラエルの人々の心にそのメッセージは
届きました。その歌詞の一部を紹介します。
「全ての国民よ、
平和と希望と愛と一致を求めて叫ぼう。全ての国民よ。愛
によって立ち上がろう、愛に強くより頼もう。私たちが一
つになって住む、その日まで。
」その証しを聞いた時、ここ
にもまた大宣教命令の成就があったことを知りました。
○この時のステージの様子はこちらでご覧いただくことができます。▶ https://www.facebook.com/nightdelight/?fref=ts
No.203 LCJE 日本支部発行
1
◀アーノルド・フルクテンバウム博士著▶
『イスラエル学』
(24)~組織神学の失われた環~
ハーベスト・タイム・ミニストリーズ 佐野 剛史 : 訳
本記事は、アーノルド・フルクテンバウム博士著『Israelology(イスラエル学)』の日本語訳です。本書は、
イスラエルの過去、現在、将来を論じ、これまで組織神学の盲点であったイスラエル論を体系化した先駆
的著作です。
【今回の記事について】
「新約時代に生きる信者はモーセの律法を守る必要があるのか」という全体のテーマの中で、安息日規定
について取り上げます。これまでの連載で、
(1)安息日は創造の秩序に基づく命令か、
(2)安息日は永遠に
有効な命令かという問題について見てきました。そして、その答えはいずれも「いや、違う」というもので
した。今回は主に、律法を祭儀法、市民法、道徳法に分けて、祭儀法と市民法は無効だが、道徳法は今も有
効という教えに正当性があるのかという問題を取り扱います。
B. 現在のイスラエル
4. モーセ契約とモーセの律法
e. 安息日(前回の続き)
張にも聖書的根拠がない。613 の命令は統一体であり、
全部そろって初めてモーセの律法となる。
トリニティ神学校の新約聖書学教授、D. A. カーソン
(Carson) は、 マ タ イ 12:1 〜 8、 マ ル コ 2:23 〜
28、ルカ 6:1 〜 5 の注釈として次のように語っている。
(3)モーセの律法は無効とされた
安息日の厳守を主張する人々はよく、律法を祭儀
新約聖書がはっきりと教えていることは、モーセの
法、市民法、道徳法に分ける。そして、安息日の命
律法はキリストの死によって無効になったということ
令にはすべての人が従う必要がある、それは安息日
である。つまり、もはや律法はだれに対しても効力は
が「創造の秩序に基づく命令」というだけではなく、
なく、生活を規定する原則でもない。このことに関す
道徳法である十戒の一部であることからもわかるこ
る聖書箇所はすでに取り扱った。
とだと言う。モーセの律法を祭儀法、市民法、道徳
法に分類することは理にかなっていて、特に律法に
(4)祭儀法、市民法、道徳法の区別
どのような命令があるのを学ぶのに役立つ。しかし、
ふつうに聖書を読めば、旧約聖書や新約聖書の記者
モーセの律法の大部分は現代に適用できないことは、
が旧約の律法をそのように区分し、その区分に基づ
安息日の厳守を主張する人々でさえも認めている。そ
いてこの律法は今も続いている、あの律法はもう終
こでこうした人々は、律法の一部だけを現代に適用す
わったと分類しているようには見えない。たとえそ
るために、律法の命令を祭儀法、市民法、道徳法に分
のような区分があったとしても、(訳注:上記聖句に
類する。そしてこの区別をもとに、信者は祭儀法と市
出てくる)ダビデの律法違反も、(マタイだけに出て
民法からは解放されているが、道徳法は今も有効だと
くる)祭司の律法違反も、どちらも祭儀法に対する
するのである。こうした人々は安息日を道徳法の一部
違反だということに注目する必要がある。そうなる
とみなすので、安息日は今でも従う必要のある規定だ、
と、安息日の命令自体も祭儀法に分類されると結論
ということになる。
付けても差し支えないだろう。
……以上のような分類をマタイ 5:17 〜 20 に読
聖書はモーセの律法を統一体とみなしているという
み込み、そこで前提になっているのは道徳法だけだ
ことはすでに見てきた。モーセの律法を祭儀法、市民法、
というような主張は時代遅れだと言わねばならない。
道徳法に分類することは、律法にどのような命令があ
ここで言いたいのは、イエスは旧約聖書の律法をそ
るのかを学ぶには役立つが、聖書そのものにそのよう
のように区分することがあったとか、そんな区分は
な区分があるわけではない。また、613 ある命令から
存在しなかったということではない。そうではなく、
十戒だけを切り離して十戒だけは今も有効だとする主
新約聖書は上記の区分をもとに、この律法は続いて
2 LCJE 日本支部発行 No.203
いるが、あの律法は終わったというような仕分けを
法ではない。安息日の厳守を求める人々が道徳法は有
しているようには見えない、と言っているのである。
効だが祭儀法と市民法は無効だと言い張るのであれば、
「律法の中の一点一画でも決してすたれることはあり
安息日規定もまた無効だとしなければならない。それ
ません」という言葉から、この聖句が語っているの
でもなお安息日は道徳法だと言い張るのであれば、安
は道徳法のことだけだと解釈する余地は一切残され
息日を守らない人々は不道徳であると高らかに宣言す
ていない。
る必要があるだろう。
上記著作の執筆者の一人、
ロンドン聖書大学
(London
(6)要約と結論
Bible College)新約聖書学講師のマックス・ターナー
(M. Max B. Turner)もこう記している。
安息日を守ることを「創造の秩序に基づく義務」と
する主張だけでなく、モーセの律法をもとに安息日の
道徳法、祭儀法、市民法という分類もそうだが、
遵守を求めることにも根拠はない。ロンドン聖書大
ルカはそれ以上に「廃止された律法と今も有効な律
学の元講師で、現在はケンブリッジ大学のリドリー・
法」という分類は設けていない。ここでそのような
ホールで教鞭をとっている D. R. ド・レイシー(de
分類を持ち出すのは時代遅れである。イエスは律法
Lacey)は、先述の『From Sabbath to Lord’s Day(安
を成就する方、律法を超越した方である。
息日から主の日へ)』の中で律法とは何か、律法は現代
に適用できるかという問題について、以下のように見
ゴードン・コンウェル神学校の A. T. リンカーン
事に要約している。
(Lincoln)もこう語っている。
律法は、聖なる神の倫理的基準を人類に示してい
パウロは、議論として用語としても、モーセの律
る。そのため、律法が良いものであることは疑う余
法全体を一つのパッケージとして扱っており、道徳
地がない。しかし、律法の効能は、私たちには罪が
法と祭儀法に分けて考えるようなことは一切してい
あること、その罪のために有罪に定められているこ
ない。
とを示し、もっと罪を犯すように駆り立てることし
かない。肉の弱さによって、律法が要求する義を学
祭儀法、市民法、道徳法という区分も、モーセの律
んでも、それ以上の効能はないのである。私たちが
法の命令を有効なものと無効なものに分類した上で安
有罪宣言から解放されるには、キリストともに死ぬ
息日は有効な命令に入ると(特にユダヤ人信者に対し
以外にない。そうしなければ、律法の基準に従って
て)主張することにも、聖書的根拠はない。
生きようとする者の上には絶え間なく有罪宣言が下
されることになる。
(5)安息日規定は道徳法か祭儀法か
また、律法は神がシナイ山でイスラエルの民と結
んだ契約全体の象徴でもある。しかし、この契約は
たとえ今述べたような区分があったとしても、安息
今やキリストにある新しい契約に置き換えられた。
日規定は道徳法なのだろうか。もし道徳法であれば、
以上の 2 点からパウロは、クリスチャンの生活の中
安息日を守らない信者は不道徳ということになる。論
で律法が果たす役割はない、という認識を持ってい
理的な一貫性を保とうとするなら、安息日の厳守を主
た。パウロは「罪の極度の罪深さ」に目が開かれる
張する人々は安息日を守らない人、特にユダヤ信者で
ことで、クリスチャンであっても、律法に従うこと
守らない人の不道徳を糾弾しないといけない。だが、
によって神の御前に立とうとすれば結局は「高慢」
モーセの律法は安息日を道徳的な命令ではなく、祭儀
の罪に陥る、つまり神ではなく自分に信仰を置くこ
的な命令として扱っている。安息日に関して求められ
とになると見ていた。クリスチャンが神に対して務
ている要求事項はすべて、道徳ではなく祭儀にかかわ
めを果たす唯一の方法は、御霊によって歩むことで
ることである。姦淫についての律法が道徳法だという
愛の律法(自我よりも他者を優先させるという律法)
ことはだれもが認めるところだろう。姦淫は、週のど
を守ることである。この愛と御霊という 2 つの要素が、
の日に犯すかに関係なく常に悪である。しかし、安息
神に従おうとするクリスチャンが形式的な律法主義
日に禁じられていることは他の日には許されている。
に堕してしまうことを防ぐ力になるとパウロは見て
そのため、行為そのものは道徳とは無関係である。安
いた。パウロの持っていた洞察力を教会が保つこと
息日規定が祭儀法であることは明らかであって、道徳
ができたケースはまことに少なかった。 (続く)
No.203 LCJE 日本支部発行
3
混迷と不安に生きる欧州世界 —キリストの福音を語る—
ミッション・宣教の声主幹 黒田 禎一郎
2015 年に、ドイツには 110 万人もの難民が押し寄せました。その大多数はイスラム教徒であり、寛容に難
民を受け入れたドイツ国は新たな火種となる問題を抱えています。
昨年、出版された本「自ら壊れゆくドイツ」
(ザラツィ
が増えることを意味します。終末論的視点から考えるな
ン著)は、すでに 120 万冊以上売り上げるベスト・セラー
らば、その衝突が見えてきます。そこにユダヤ人たちの
となっています。内容はドイツが外国人受け入れ政策を
存在が大きくなります。ユダヤ人たちは人類史上、いつ
寛容に取ってきたことにより、自国を崩壊させることにな
もスケープゴートとされてきました。キリスト教、イスラ
るというものです。すでに 400 万人以上のトルコ系イス
ム教の関係悪化は、ユダヤ人問題に飛び火することが十
ラム教徒がいますが、ケルンなどの都会では 1000 人以
分考えられることです。
上収容できるモスク(回教寺院)が建ち、イスラム教徒
急増の勢いは、もうブレーキが効かない状況となってい
◉不安に生きるドイツ人
ます。一方、長い伝統を保持するキリスト教会は日曜日
これまでテロ事件を未然に防いできたドイツで、最近
の礼拝時、空席が目立つ状態です。
テロ事件が起こり始め、国民の不安は増大してきました。
◉イスラム教教育
欧州ではベルギーのテロ事件、フランスのパリやニース
でのテロ事件、トルコのクーデター事件がつづく中で、
ところで、ドイツの学校では宗教教育が行われていま
多くの人々が不安を抱えています。最近、RV 保険会社
す。これまではカトリック教とプロテスタント教が 2 本
が「不安調査」を行い、その結果が発表されました。そ
柱でしたが、1960 年代から始まったトルコからの移住
の調査によれば、次のようなことが明らかになりました。
イスラム教徒によって、イスラム教教育が叫ばれていま
す。今や彼らはすっかり定住し、二世から三世の時代で
ドイツ国民は現在、7 つの不安を抱えていると言いま
す。彼らは立派な市民権を持つイスラム教徒で、信仰の
す。第一位はテロ事件に対しての不安で 73%です。第
自由であるドイツ社会において、自分たちの信仰の権利
二位は過激な政治集団の台頭に対し 68%、第三位は外
を主張しています。そこに更に加わるように、今回のイ
国人流入による緊張感の高まり、第四位は難民流入によ
スラム教難民が入ってきました。
る政府が求める過剰の国民負担、第五位は EU 負債によ
る税金布単の増加、第六位は政治家の過剰要求、第七
現在すでに、公立学校においてイスラム教教育を行っ
ている州があります。ニーダーザクセン州で 62 校、ノル
ドライン・ウエストファーレン州で 176 校、ヘッセン州で
位は老人介護問題です。
◉キリストの福音
46 校、バイエルン州で 260 校です。ドイツでは各州が
この世には絶対という言葉は、神以外は使えません。
独立し、教育に関しては文部科学省が実権を握っていま
世界は常に試行錯誤してきましたが、
正に現在のヨーロッ
す。それに対して賛否が出ています。反対派は次のよう
パは生きる道を求めています。不安材料が山積する中、
に主張します。
「もし過激派思想を持つ教師が講壇に立
真面目に取り組むならば光は見えないことは明らかです。
ち、子どもたちにイスラム教育するならば大変なことに
イエスは「あなたがたは心を騒がしてはなりません。
なりかねません。それはキリスト教教育に敵対するもの
神を信じ、またわたしを信じなさい。」
(ヨハネ 14:1)
となり、キリスト教とイスラム教間の葛藤は増大すること
と言われました。不安をかかえ心騒ぐ今日であるからこ
になる。アラーの神こそ唯一神と主張するイスラム教と、
そ、キリストの福音が必要です。ヨーロッパで求められ
愛を説くキリスト教がどうして共存できるだろうか」等、
ているものは、キリストの福音です。そのための働き人
不安を持つ人は多くいます。一方、それは時流であると
が不足しています。
肯定的理解を持つ人もいます。教育は国の未来を決定す
神のみことばは、
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良
る重要事項ですから、それだけにこの難問題の取り組み
くても悪くてもしっかりやりなさい。」
(2 テモテ 4:2)
が鍵となっています。
命じています。混迷と不安が増す時代ですから、イスラ
◉スケープゴートのユダヤ人
ム教徒にもユダヤ教徒にも必要なキリストの福音を語ろ
うではありませんか。
キリスト信仰の立場から見れば、回教徒の増加は伝道
そのために、先ず不安と混迷が支配する欧州のために、
のチャンスであります。しかし、それは霊的戦いと葛藤
祈り始めようではありませんか。
4 LCJE 日本支部発行 No.203
LCJE韓 国支部が 発足へ
シオンとの架け橋 石井田 直二
7 月 30 日に韓国で開催された、LCJE支部設立準備セミナーに出席してきました。この動きの中心となっている
のは、私たちの韓国でのパートナーであるIMNの関係者です。LCJEのトゥビヤ・ザレツキー会長が、LCJEの活
動ビジョンについて語って下さいましたので、そのメッセージの要約をご紹介させていただきます。
編集注 : 前月号 202 号本項の原稿執筆者は 「 石井田直二 」 氏と掲載しましたが、「 石井田晶二」氏でありました。
大変失礼しました。お詫びして訂正いたします。
◉ローザンヌ運動のビジョン
韓国でLCJE支部設立の動きがあることを喜ばしく思
います。LCJEはローザンヌ運動の一部です。運動のコー
ディネイターであるリンゼイ・ブラウン師は、最新号の機
関誌 (Lausanne Global Analysis) で、この運 動の特
徴を 7 つの点にまとめています。
①世界宣教を目指す「運動」であり「組織」ではない。
②聖書の言葉に従うことを目指す運動である。
③教会が宣教と社会活動の両方に同時に取り組む必要
性を認める。
④協力関係(パートナーシップ)の構築を目指し、自団
体より他団体の利益を考える。競合を防ぎ、協力を
推進する。
⑤触媒となって諸団体を結びつける。
「影響力のある人と
世界宣教のアイデアを結合する」がローザンヌの原則。
⑥不変の原理と方法論を区別して、文脈化を推進する。
⑦ネットワークの構築。リーダーたちを集めるだけで、
正式セッション以外の食事や喫茶の時間に、様々な
出会いがある。
この説明は、現在の運動の精神をよく表していると思
います。簡単に言うと、ローザンヌ運動は、誰かが誰か
を支配する組織ではなく、開かれた自由なネットワークで
あり、協力を促すことが目的なのです。
◉第一回のローザンヌ世界宣教会議
この運動は、1910 年のエジンバラ会議、1921 年の国
際宣教会議、そして 1937 年の世界教会協議会(WCC)
の流れをくむ運動です。第二次大戦以降「宣教」は権力
による支配に結びつくとの認識が広がり、教会が宣教に
消極的になりましたが、その反省から 1974 年にローザン
ヌで世界宣教会議が開催されたのです。
その時、私はとても若く信仰歴も浅かったのですが、
大会に参加することになりました。私はジューズ・フォー・
ジーザスで働いていたのですが、その団体は 1973 年に
設立されたばかりでとても忙しかったのです。そこで、
リー
ダーのモシェ・ローゼン師は代わりに私を派遣しました。
私は全く「宣教師」ではなく、まだヒッピーのような若者
で、そういう大会に参加できるような人間ではありません
でした。それが、世界 150 ヶ国から 2300 人の宣教団体
リーダーの集まる大会に参加したのです。
そこで感じたのは、福音は西洋の人間ものじゃないと
いうことです。さまざまな言語と文化があり、お互いを受
け入れることが重要なのです。その会議の中では、障碍
者やイスラム教徒など、様々な種類の人々に福音を伝える
ための専門分科会がありました。そしてユダヤ人伝道のた
めの分科会もあったので、私は喜んで参加しました。そし
て、以前から面識のあったイスラエルのメナヒム・ベンハ
イームやビクター・スマジャ、バルーフ・マオズらとも会い
ました。これはすばらしい会議でした。
◉ローザンヌ・ユダヤ人伝道協議会(LCJE)の誕生
世界宣教会議は、1980 年に再びパタヤで開催されま
したが、その時は「未宣教民族への宣教」が主題でした。
その「未宣教民族」の一つがユダヤ人だったのです。ユダ
ヤ民族は未宣教というよりも誤った宣教でキリストに反発
しているので、未宣教とは言えないかもしれませんが、と
にかくユダヤ人のための分科会が設定されました。そこ
に集まった 22 人がLCJEを結成したのです。それから
36 年の歳月が流れましたが、今や私たちはローザンヌの
ネットワークの中で最も機能しているサブグループの一つ
だと言えます。世界で 31 の団体が参加し、約 200 人の
個人会員、そして 8 つの支部があります。LCJEの活動
目標は以下の 5 つにまとめられます。
1)情報と資源を提供し合う。
2)最新の潮流を研究し、報告する。
3)神学的、宣教学的な問題について、お互いに刺激を与
えあう。
(つまり、互いに相手に同意する必要はなく、
意見の違う者たちが集まり、互いに学ぶ。
)
4)多くのユダヤ人がメシア・イエスの福音を聞いて信じる
ことができるよう、世界的レベルで戦略を考える。
5)ユダヤ人伝道に関わる人々にとって有益な協議の場を
設ける。
(LCJEは「食卓」を用意し、
「食べ物」は各
自が持ち寄るという考え方。全員が協力して作り上げ
る。
)
韓国で始まるLCJEの支部が、このようなビジョンで
活発に活動されるよう、期待しています。
No.203 LCJE 日本支部発行
5
アルコ・イリスミニストリーズ代表 主の計画に基づき私たちが執り成すべきユダヤ人とは
誰なのか。また、
彼らは今、
どこにいるのか。これらのテー
マは、イスラエルを執り成す者にとって、あまりにも基本
的なものであり、再考の必要なしと思わるものではない
だろうか。しかし、今回は、あえて、これらのテーマに
ついて記すこととする。効果的な執り成しの祈りを捧げ
るためである。
主の計画の中にあるユダヤ人とは、アブラハム、イサク、
ヤコブの子孫であると言えよう。詩篇 105 篇 8 ~ 11 節
に記されているように、主はアブラハムを選び、契約を
結んだ。そして、その契約をイサクおよびヤコブに引き
継ぎ、イスラエルに対する永遠の契約とした。その契約
を読み解くキーワードは、土地、国民、祝福の 3 つである。
主はイスラエルにそれらを与えると誓った。しかし、それ
は、諸国民にも不可欠なものである。主はアブラハムに
「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う
者をわたしは呪う。地上のすべての民族は、あなたによっ
て祝福される。
」と仰せられたからである。しかし、ユダ
ヤ人の歴史は、迫害そのものである。また、主がユダヤ
人に約束した土地は異邦人に踏みにじられ続けている。
さて、話題を変えるようではあるが、ヨハネの黙示録
1 章から 3 章には、当時小アジヤに存在した 7 つの教会
について記されている。それらは、教会の 7 つの性質や
型を表すと同時に教会史をも表すと考えられる。これら
7 つの教会の中で自称ユダヤ人と関わりのある教会が 2
つある。スミルナ教会とフィラデルフィア教会である。前
者は、
教会史の中では AD100 ~ 313 年に位置付けられ、
後者は、1648 ~ 1900 年に位置付けられる。前述のと
おりユダヤ人の歴史は迫害そのものである。
ならば、なぜ偽ってまで自らをユダヤ人とする必要が
あったのか。両者ともサタンの会衆に属すことから、そ
の自称行為はサタンの意図と関係している、と想像でき
よう。スミルナ教会は、自称ユダヤ人にののしられた。
それは、教会とユダヤ人との関係の悪化を意味したは
ずだ。AD132 年、バル・コクバの反乱が起こった。これ
は、自称メシヤであるシメオン・バル・コシェバによるもの
であった。これを鎮圧したローマのハドリアヌス帝はユ
ダヤ人のエルサレム居住を 2 世紀の間禁止した。その結
果、エルサレムは異邦人の町となり、エルサレム教会も
異邦人の教会となった。つまり、スミルナ教会に表され
る AD100 ~ 313 年は、ユダヤ人と異邦人との関係が悪
化した期間である。そして、それは、AD313 年、コンス
タンティヌス 1 世のミラノ勅令(キリスト教の国教化)に
6 LCJE 日本支部発行 No.203
早川 衛
よって完了した。次にフィラデルフィア教会が示す教会史
の期間 1648 ~ 1900 年を見てみよう。この間、ユダヤ
人は、ソ連やヨーロッパ諸国において殺りくの標的となっ
た。それが、シオニズム運動の原動力となったと言われ
る。聖書は、このような歴史の中に、自称ユダヤ人が現
れ、サタンの計画のために用いられた、と言いたいのだ
ろうか。自称ユダヤ人に関する記述は、歴史をもう一度、
新しい視点で見直すことを私たちに要求するものである
かもしれない。いずれにしても聖書が、自称ユダヤ人の
存在に触れていることを忘れてはならない。
それでは、次の問いである。私たちが執り成すべきユ
ダヤ人は、今どこにいるのだろうか。エレミヤ書 16 章
15 節のみことば等は、イスラエルの子ら、つまりユダヤ
人は、イスラエルの地から見て北の地やすべての地方か
ら帰って来る、と教える。今日のイスラエルへのユダヤ
人帰還者は、このみことばの成就と捉えられる。そして、
同 16 章 16 節は、今後も帰還民が続くことを示している
ように思われる。つまり、聖書は、主の計画の中にある
ユダヤ人が、北の地や全世界に存在すると明言する。
では、オバデヤ書 20 節 b のみことば(セファラデに
いるエルサレムの捕囚の民は南の町々を占領する)は何
を示すのか。セファラデとはスペインを表す。つまり、聖
書は、捕囚のユダヤ人がスペインにもいると言うのだ。
1492 年、スペインからイスラム勢力が一掃された。い
わゆるレコンキスタの完成である。この時期を上述の小
アジヤの 7 つの教会に当てはめるならテアテラ教会に相
当する。同教会は、イゼベルという女をなすがままにさ
せていたのだが、1492 年 3 月 31 日、スペインからのユ
ダヤ人の追放令に署名した女王の名もイサベル(イゼベ
ル)である。
これにより当時スペインにいたユダヤ人は、国外への
移住を余儀なくされた。また、多くのユダヤ人はカトリッ
クに改宗した。しかし、改宗者であっても彼らがユダヤ人
であることに変わりはない。また、バビロン捕囚の際、
ユダの地に残された何も持たない貧民の一部(エレミヤ
39 章 10 節)の子孫たちは、ユダヤ性を喪失し、ユダヤ
人であることに気づくことなく今も生きているのかもしれ
ない。
以上のことから、歴史の中に埋もれた上記ユダヤ人の
存在に気づき、彼らを覚え執り成すべきだ、と提言したい。
それは、主の計画の成就を早める効果的な執り成しの祈
りとなる、と思料する。
4 年ぶりのスタッフ・カンファレンス
ライフ・イン・メサイヤ・インターナショナル日本委員 この度ライフ・
イン・メサ イヤ・
インターナショナ
ルは、4 年ぶりに
宣 教 師 たちとそ
の 家 族、 支 援 者
たちとスタッフな
どが 一 堂に 会 す
る 機 会 を持 つこ
とができました。インディアナ州北西部の湖畔にあるクリ
スチャンのキャンプ場にて、約一週間の集中プログラムで
した。
私がアメリカ最古のユダヤ人伝道団体と、直接関わりを
持つようになったのは、約 25 年前のことです。前代表の
ビル・カリー先生と私の父が、長年親しく交わりを持って
いたことから、先生が私の留学中に夏休みの特別プログ
ラムに誘ってくださいました。その時から私は、アメリカ
ばかりかイスラエルにおいても、直接ユダヤ人伝道に関わ
ることができ、帰国後は LCJE 日本支部の発足当時から、
日本においてもいろいろな機会を得て、啓蒙活動や、講
演などをさせていただくようになりました。
過去 20 年ほどの間に、イスラエルに対する日本のキリ
スト教界の理解も姿勢も変化いたしました。そしてそれ
以上に、ユダヤ人やイスラエルを取り巻く環境も大きく移
り変わってまいりました。また私たち、ライフ・イン・メ
サイヤも大きく変わってきています。当初は本部の建物
で 30 ~ 40 名が集まっていたスタッフ会議も、今回は大
人だけで 100 名以上、子どもたち赤ちゃんまで加えると
140 名を超える大所帯の盛会となりました。それでも参
加できなかった人たちが二割ほどいたのです。また世代
交代もかなり進み、若い有能な人々が続々と加入してい
ることは大変に嬉しいことであります。
普段はほとんど毎集会、講壇に立って説教の奉仕をし、
聖書研究を導いている私ですが、久しぶりに聴衆側に座
り、御言葉に耳を傾け、黙想するというすばらしい霊的
休息を満喫することができました。午前中のセッションで
は、イスラエル聖書大学教授で、我らスタッフの一員でも
あるセツ・ポステル師が、使徒行伝から「いかに福音が拡
大していったか」というテーマで語り、
夜のセッションでは、
元ウガンダ宣教師のブラント・スラター師が、ヨハネ福音
書 13 ~ 17 章から、
「どのような局面でも、主の守り支え
がある」と自身の経験を交えて語ってくださいました。も
ちろん他にも事務的なこと、経済的なことや、宣教の諸
石黒 イサク
問題についての討論や報告も多々ありましたが、本当に
充実した学びと、老若男女、人種国境を越えて、メシアに
ある親しい交わりが与えられて、とても恵まれました。
宣教地も、伝道の方法なども刻々と変化しています。
若いつもりでいた私ももう、古い時代の人間に属する者
に数えられ、マルチメディアなどの急速な発展にはついて
行けません。しかし、あの古風かつ閉鎖的な超正統派の
ユダヤ人ラビたちも、ついに“コーシャー携帯電話”なる
ものを承認したそうで、正統派の人たちの多くもインター
ネットやマルチメディアにアクセスする時代になりました。
そこで、以前から紹介しています、インサーチオブ・シャ
ロームという働きが、大きな成果を上げてきているのです。
たとえ興味を持っていたとしても、大通りの人々の目にさ
らされている状態では、決してクリスチャンや異邦人と言
葉を交わすことはできない正統派の人でも、あるいはイェ
シバの学生であっても、マルチメディアのチャットならば他
人に知られず(特にラビに知られずに)
、個人的に質問を
したりすることができるようになったからです。今ライフ
では、マルチメディアの専門家を獲得して、この分野の開
発と充実に特に力を入れています。時代の変化の大きな
一つであります。
また 昨 年 発 足
した、香港支部の
人 たちも 初 参 加
したことは、私た
ちに取って大きな
祝 福 で した。 欧
米のクリスチャン
よりも、アジア系
の方がユダヤ人伝
道にはハードルが低いと感じます。確かに主は、今まで多
くの欧米のクリスチャンたちを用いて、ユダヤ人たちに妬
みを起こさせて、救いに導いて来られました。
そして今イスラエルの若者たちの多くが東洋の神秘宗
教に引かれて、インド、タイ、香港などを訪れている時に、
アジアのクリスチャンたちと接する機会が拡大して来てい
るのです。またテロや偏見の多いヨーロッパでなくて、南
米のアルゼンチンなど秘境を旅するイスラエル人たちも増
加していて、これもまた私たちの宣教の大きなチャンスで
あり、チャレンジとなっています。
主は続いて救いの御業を推し進めておられます。皆様
のお祈りとご支援を心より感謝いたしますとともに、今後
ともよろしくお願いいたします。
No.203 LCJE 日本支部発行
7
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■「イスラエルの歌
C
D
内 容
金 額
全 6 枚・税・送料込み 全 50 曲 CD6 枚
(歌入り 3 枚・カラオケ 3 枚)
10,420 円
歌入り全 50 曲 3 枚組 CD 1 CD2 CD3
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販売制作/サムエル企画 代 表/鳥谷部 裕之 住 所/京都市右京区太秦安井馬塚 6-4
電話・ファックス/ 075-813-7873 電子メール/ samuelplanning.@yahoo.co.jp
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LCJE日本支部事務局レター L C J E は、ユダヤ人伝道団体の情報交換ネットワークです。加盟しているユダヤ人伝道団体それ
ぞれの立場・活動を尊重して、機関紙などに情報を掲載しています。しかし特定の立場・教理などを、
L C J E として支持するものではありません。読者におかれましては、個々の見識によって提供され
る情報を判断してくださいますよう、お願いいたします。
2016年度祈祷会予定
9月
9日
10日
場 所
大阪(6:30より)
東京(1:30より)
10月
7日
8日
11月
11日
12日
会 場
北浜スクエア(VIP関西センター8F)
御茶ノ水クリスチャンセンター 8F 811号室
【大阪祈り会にご参加される方へ】 祈り会の曜日が第二木曜日から、第二金曜日へ変更となり、会場は8Fを継続してお借りすることになりました。
【東京祈り会にご参加される方へ】ご注意ください。通常祈り会の会場は、811号室ですが、変更される場合がります。
階下の掲示板をご覧になってご参加ください。
LCJE日本支部2016年7月度会計
収入・献金
支出・現金
科 目
金 額
科 目
献 金
145,000
事
大阪祈り会席上献金
10,000
合 計
155,000
費
10,082
NEWSレター製作費
50,120
郵
費
43,300
郵便振替手数料
3,650
110,397
8 LCJE 日本支部発行 No.203
務
送
費
7,750
賃借・管理費
21,600
高熱費・共益費
7,583
交
費
7,000
祈 り 会 経 費
4,000
合 計
155,095
通
信
通
旅
高
-95
翌 月 へ の 繰 越
110,302
差
前月よりの繰越
金 額
引
残
事務局よりのお知らせ
LCJE 日本支部では、皆様からの声、そして証や、記
事の御投稿をお待ちしています。インターネットでの御
投稿、原稿用紙での御投稿いずれも大歓迎いたします。
文字数は 2000 文字でお願いいたします。
投 稿 記事は、封 書で事 務 所まで送っていただくか、
あるいは LCJEJAPAN@HOTMAIL.COM まで。
編集後記
暑い夏ですが、如何お過ごしでしょうか。今月も手に
取ってお読みいただけたこと感謝致します。ユダヤ人が
イエスを信じたお証を多くのメディアを通し聞くことので
きる幸いを感謝します。しかし、反面暴力の応酬に歯止
めがかからず、多くの尊い命が奪われています。主にあ
る「平和」を切に祈り求めたいと思います。今月も一人
でも多くのユダヤ人が救われますように。
LCJE 事務局長 高瀬真理