ロボット演劇北京初上陸!

ロボット演劇北京初上陸!
――不条理文学の古典的名作『変身』アンドロイド版が中国に
2008 年、大阪大学で披露された世界初のロボット演劇は、演劇界とロボット工学界を震撼させ、未来
のロボットの可能性について、そして人類とロボットの本質的な違いとは何かという哲学的命題まで、
様々な議論を巻き起こしました。日本の小劇場界で最も存在感のある劇団「青年団」とロボット研究の
最先端を担う大阪大学とが連携して進めてきた、このロボット演劇プロジェクトはすでに 7 年の経験を
積んできました。そして今年夏、演出家・平田オリザ氏とアンドロイド研究者・石黒浩氏が手がける最新
のアンドロイド演劇が、満を持して、北京の地に上陸します!
フランツ・カフカの原作『変身』とは異なり、
主人公グレゴール・ザムザは目が覚めると
自身がアンドロイドになっていることに気付き
ます。終始ベッドに横たわり、働くこともでき
ないザムザは、はたして原作のように家族か
らも見放されてしまうのでしょうか。
青年団+大阪大学ロボット演劇プロジェクト
アンドロイド版『変身』
時
会
間:2015 年 7 月 31 日
19:30~
2015 年 8 月 1 日
14:30~
2015 年 8 月 2 日
14:30~
19:30~
場:鼓楼西劇場
上演時間:90 分(休憩なし)
言
語:(フランス語上演/日中二ヵ国語字幕予定)
※チケットのお求めは蓬蒿劇場まで
http://www.douban.com/event/24262307/
TEL:010-64006472
E-mail:penghaopiaowu@126.com
【スタッフ】
原作:フランツ・カフカ
作・演出:平田オリザ
アンドロイド開発:石黒 浩(大阪大学&ATR 石黒浩特別研究所)
翻訳:マチュー・カペル、小柏裕俊、田村容子(中国語台本翻訳)
出演:リプリーS1(アンドロイド) 声:ティエリー・ヴュ・フー
イレーヌ・ジャコブ
カンヌ映画祭女優賞『ふたりのベロニカ』(1991)
ジェローム・キルシャー
レティシア・スピガレリ
ティエリー・ヴュ・フー
舞台監督:中西隆雄
舞台美術:杉山 至
照明・字幕:西本 彩
音響:泉田雄太
衣裳:カール=アンドレ・ティリオ
ロボット側ディレクター:力石武信(東京藝術大学 アートイノベーションセンター/大阪大学石黒浩研究室)
通訳:原真理子
制作:西山葉子、山守凌平
北京公演主催:国際交流基金北京日本文化センター、蓬蒿劇場
企画制作:青年団/(有)アゴラ企画・こまばアゴラ劇場、大阪大学、ATR 石黒浩特別研究所
音響協力:富士通テン(株)
エグゼクティブ・プロデユーサー:ノルマンディの秋芸術祭
共同制作:臺北藝術節 、テアトル・ドゥ・フドル オートノルマンディ国立演劇センター、Le TAP テアトル・オー
ディトリアム ポワチエ国立舞台、エスパス・ジャン・ルジョンドル コンピエーニュ国立舞台
協力:城崎国際アートセンター
特別協力:在中国フランス大使館
助成:国際交流基金アジアセンター
【あらすじ】
主人公グレゴール・ザムザは、息苦しい夢から目
を覚ますと、自分が一体のアンドロイドになってい
ることに気がつく。彼は、自分がアンドロイドにな
ってしまったことを家族に伝えるが、家族は、どこ
かに、このアンドロイドを操作しているザムザ自
身がいると思い込み、ザムザの話を信じない。家
族たちはアンドロイドの存在に苛立ち、やがて戸
惑いを示すようになる。
【「変身」アンドロイド版について】
フランツ・カフカの代表作『変身』は、不条理文学、実存主義文学の先駆と位置づけられ、人間存在の
不条理性を描いた作品である。今回は、この『変身』をモチーフとして、アンドロイドと人間の俳優を使
って、翻案上演を試みる。
大阪大学で進められてきたロボット演劇、アンドロイド演劇は、すでに 7 年目に入り、本作が六本目の
制作となる。本演目は、フランスでは重要な芸術祭のトップ 10 に数えられる Automne en Normandie(ノ
ルマンディの秋芸術祭)からの委嘱作品であり、ロボット演劇プロジェクトとしては初めての国際共同制
作作品となる。このことは、「現代口語演劇理論」という、精緻な演劇メソッドと、これを体得した青年団
の俳優との共演のもとに成立してきたアンドロイド演劇が、ヨーロッパの伝統ある演技スタイルに貫か
れた俳優陣の身体との出会いを通じて再生成されるという、新たな領域への進出を意味する。オーデ
ィションの結果、フランスの国民的映画女優イレーヌ・ジャコブをはじめ、4 名の優れた俳優の参加が決
定し、世界中から注目を集めるロボット演劇をさらなる挑戦へと押し出すことになった。
本作の制作は、日本の兵庫県豊岡市に誕生した城崎国際アートセンターにて行われた。2014 年 9 月
から 1 か月間かけての城崎での稽古を経て、日本国内でプレ上演ののち、ノルマンディの秋芸術祭参
加作品として、ノルマンディ他ヨーロッパ各地で上演した。
カフカの『変身』の執筆から 100 年が過ぎ、これまでも多くの舞台化、映像化がなされてきたこの名作を、
最先端のアンドロイドを用いることで、新たな『変身』として創造したいと考えている。
【経歴】
平田オリザ・・・・・・作・演出
1962 年東京都生まれ。劇作家、演出家。こまばアゴラ劇場芸術監督、
劇団「青年団」主宰。東京藝術大学COI研究推進機構 特任教授、大阪
大学コミュニケーションデザイン・センター客員教授、四国学院大学客
員教授・学長特別補佐、京都文教大学客員教授。平田の戯曲はフラン
スを中心に世界各国語に翻訳・出版されている。2002 年度以降中学校
の国語教科書で、2011 年以降は小学校の国語教科書にも平田のワー
クショップの方法論に基づいた教材が採用され、多くの子どもたちが教
室で演劇を創作する体験を行っている。
石黒浩・・・・・・アンドロイド開発
知能ロボット研究者。 大阪大学教授、ATR (国際電気通信基礎技術研究所) 石黒浩特別研究室長。 こ
れまでにヒューマノイドやアンドロイド、自身のコピーロボットであるジェミノイドなど、多数のロボットを
開発。現在世界から注目されているロボット研究者。 主な著書に『ロボットと
は何か』(講談社現代新書)『どうすれば「人」を創れるか』(新潮社)、『人と
芸術とアンドロイド-私はなぜロボットを作るのか』 (日本評論社) など、著
書多数。国際交流基金の最近の事業では、平成 24 年 11 月、 南アフリカ・
アンゴラ・タンザニアでレクデモを実施。
アンドロイド「リプリーS1」Repliee S1 (androïde)・・・・・・・・グレゴール・ザムザ
石黒浩教授が開発した最新型アンドロイド。胴体、四肢の皮膚がなく、スケルトンと呼ばれる(S1)。
イレーヌ・ジャコブ Irène Jacob・・・・・・・・・・・ザムザの母
1980 年代にルイ・マル監督『さようなら子供たち』で映画デ
ビュー。1991 年にクリストフ・キシェロフスキー監督『ふたり
のベロニカ』でカンヌ国際映画祭女優賞を受賞。また、同監
督の『トリコロール―赤の愛』でナディーヌ・トランタニヤン、
ジャン=ピエール・ダルッサンらと共演。舞台ではイリーナ・
ブルック、フィリップ・カルヴァリオ、ジャン=フランソワ・ペレ、
ダヴィッド・ジェリの作品に出演。2013 年にはブッフ・デュ・ノール劇場(パリ)にてダヴィッド・レスコーと
ブノワ・ドゥルベックの音楽劇『Tout va bien en Amerique』で舞台に立つ。スクリーンでの近作はクロー
ド・ルルーシュ監督『ろくでなし、愛してる』(2014)。
ジェローム・キルシャー Jérôme Kircher・・・・・・・・・・・・・・・・ザムザの父
フランス国立高等演劇学校(パリのコンセルヴァトワール)でパトリス・シェロ―、
パトリック・ピノー、ジャン=ピエール・ヴァンサン、アラン・フランソンの指導の
もと修業を積む。ロマン・ガリーの『L’Etourdissante performance de Berthe
Trépat』や『Je sais qu’il existe aussi des amours réciproques』(『Gros Câlin』の
翻案作品)などに出演。近年の代表作は、2012 年に出演したドゥニ・ポダリデ
ス演出『町人貴族』、リュック・ボンディ演出『帰郷』(ハロルド・ピンター作)など、
2 つのエデン・フォン=ホルバート作品集のフランス語翻案作品、2013 年 11 月
にシャイヨー国立劇場で上演されたアンドレ・アングル演出『La Double Mort de l’horloger』がある。映
画ではフランソワ・オゾン監督『ムースの隠遁』、シリル・ムネガン監督が第 38 回セザール賞新人監督
作品賞を受賞した『Louise Wimmer』に出演。
レティシア・スピガレリ Laetitia Spigarelli・・・・・・・・・・・・・・・ザムザの妹
フランス国立高等演劇学校(パリのコンセルヴァトワール)卒業後、オリヴィエ・
アサイヤス監督『クリーン』、『パリ、ジュテーム』、『カルロス』に出演。マニュエ
ル・シャピラ監督が第 57 回ベルリン国際映画祭で入選をはたした短編作品
『Pick up』に主演。ニコラス・コルツ監督の『Heartbeat Detector』、ヴァレリア・ブ
ルーニ=トドゥスキの長編第 2 作『Actresses』、ダニエル・シカール監督の
『Drift Away』主演等。舞台では、ロベール・カンタレラ、アラン・フランソン演出
作品に出演。
ティエリー・ヴュ・フー Thierry Vu Huu・・・・・・・・・下宿人/ザムザの声
ヘクター・マラムド、オリヴィエ・シャルノー、フィリップ・ミンヤナ、ミシェル・セ
ルダ、ロベール・カンタレラ、ジルベール・ルヴィエール、ディディエ・ルイズ、
コレット・アレクシ、クリスチャン・エスナ、アラン・ベアール、アルノー・ムニエ
などの作品に出演してきた。1998 年以来ディディエ・ルイズ率いる劇団「コン
パニー・デ・ゾム」の 『L’Amour en Toutes Lettres』に出演。2000 年にクリス
チャン・エスナに出会い、以来ジュヌヴィリエ国立演劇センター、オデオン劇
場(アトリエ・ベルティエ)等で彼の 14 の演出作品に出演。2009 年にミシェ
ル・ヴィナヴェール原作・平田オリザ翻案『鳥の飛ぶ高さ』(アルノー・ムニエ演出)に関わる。ミシェル・
ヴィナヴェール作『2001 年 9 月 11 日』(アルノー・ムニエ演出)に出演しパリ市立劇場で初演された。
【作者からのことば】
2008 年、最初のロボット演劇『働く私』は大阪大学の小さなスタジオで、約 100 名の観客を前に上演さ
れた。この 25 分の作品の上演後、世界初のロボット演劇を巡るシンポジウムの席上で、私は、当時の
大阪大学学長の鷲田清一氏(日本におけるメルロ=ポンティ研究の第一人者)に対して、「ロボットと演
劇を作っている間、いつも不条理や実存主義について考えていた」と話した。
たしかに、ロボットと演劇を作っていると、「実存(現実存在)は、本質に先立つ」という実存主義の最大
の命題が強く意識される。ロボット、アンドロイドと人間の本質的な差はない。しかし、人間は、たしか
に人間である。ロボットはたしかに、「働くために」作られた文字通り「本質的な」存在である。しかもそ
れが、人間の様々な機能を模倣するように作られているために、その「本質」においては、当然、人間
との差異はない。しかし、人間は、人間としてアプリオリに「存在」している。
ロボット開発者の石黒浩教授は、ロボット演劇を観た観客からの「ロボットはどこまで人間に近づけま
すか?」という素朴な質問に対して、常に、「あなたが人間とは何かを定義してくれるなら、私はその通
りのロボットを作ってみせる」と答え続ける。そうなのだ。およそ人間のみが、本質を問われず、本質に
先立って存在している。人間存在に意味はない。ならば、ロボットは永久に、人間には近づかない。
さてしかし、この五年間のプロジェクトの中で、私が感じたのは、ただ単に、「人間は無前提にこの世界
に投げ出されている」という実存主義の命題の確証だけではなかった。私たちはロボット演劇を、「単
なる、新しい人形劇に過ぎない」と言う。日頃からロボットやアンドロイドを見慣れている私たちにとって
は、それらはただの機械に過ぎない。
しかし一方で、多くの観客が、そこに人形劇とは違ったものを見ていることも事実である。観客の多くは、
ロボットが自分で考え、自分の意志で行動しているかのように感じる。
サルトルの有名な比喩、「何故、人は、ベンチに座って通りを眺めているときに、通りがかった人を操り
人形としてではなく『人間』として認知するのか」という命題・・・まさにこの命題が、ロボット、アンドロイ
ドによって、再び問いかけられる。
サルトルは言う。
他者の自由が、私の自由を不安定にする。
ならば、アンドロイドが進化すればするほど、人間が不安になるのは当然なのだ。
アンドロイドが自由になればなるほど、人間の自由が不安定になる。
ロボット工学の世界では、「不気味の谷」と呼ばれる仮説が存在する。ロボットが人間に近づいていくと、
人びとはある段階までは親近感を持つが、それが人間に似過ぎると突如、不気味さを感じると言う。
「不気味の谷」の根拠は、もしかすると、サルトルの言う「他者の自由が、私の自由を不安定にする」と
いう命題によって説明できるかもしれない。アンドロイドの進化が進んで、その自由度が増せば増すほ
ど、それは人間にとって脅威となる。
私たち人間は、明日、虫になっているかもしれない不条理な存在である。私たち人間は、自らアンドロ
イドとの区別を証明することもできない不条理な存在である。21世紀の新しい『変身』は、そのことを明
晰に観客に突きつけるだろう。私たちはそこで、新しい他者と出会えるかもしれない。
平田オリザ