Report Kasama Vol.60 【特集】論争 ! 目次 ■特集・論争 福田安典/論争回避の時代に生まれて―それは日本文学研究熱低下の一因なのか ? 3 宮本祐規子/シンポジウム「江島其磧の再発見」とその後 6 飯倉洋一/木越治氏へ―「菊花の約」の尼子経久は論ずるに足らぬ作中人物か 9 井上泰至/とかく論争というものは―論争のルール、論争のマナー 12 ■オピニオン 古田尚行/文学雑誌の休刊―国語科教員が研究を考えるということ 16 ■レビュー 岡田一祐/「変体仮名あぷり」「くずし字学習支援アプリ KuLA(クーラ) 」 「木簡・くずし字解読システム―MOJIZO―」レビュー 18 ■連載[全三回]第二回 加藤敦子/東奔西走・観劇映画日記 22 ■研究の扉 久保木秀夫/『新古今和歌集の新しい歌が見つかった!』その後―補遺一点・新出二点 26 ■学界広場 [書評] 日置貴之/安藤宏『「私」をつくる―近代小説の試み』(岩波新書) 32 [面白かった、この 3 つ ] 35 川崎佐知子/入口敦志/吉田幹生/吉野朋美/黒石陽子/城﨑陽子/植田 麦/ 小助川元太/石澤一志/橋本貴朗 [学界時評] 竹内史郎/日本語の歴史的研究[2015.7-2015.12] 48 [学会リポート] 新美哲彦/中古文学会秋季大会シンポジウム 「室町戦国期の『源氏物語』―本の流通・注の伝播―」報告 51 河野貴美子/上代文学会秋季大会・シンポジウム 「日本霊異記―その文学史的位置付けを考える―」レポート 54 浜田泰彦/京都近世小説研究会二〇一五年十二月例会報告 ―西鶴をどう読むか(続・続)― 56 勝又 基/明星大学日本文化学科国際シンポジウム 「本がつなぐ日本と世界―古典籍と目録・研究の国際化」報告 59 ■新刊案内 2015 年末〜 2016 年刊行の本 62 ■編集後記 96 Report Kasama Vol.60 総合案内 『リポート笠間』の定 期購 読について 本書『リポート笠間』は年 2 回、5 月・11 月頃に発行しています。無料(送料も)でお読み頂 けますので、定期購読ご希望の方は笠間書院までお気軽にご連絡ください。お待ちしております。 住所変更があったかたも、笠間書院までご一報下さい。 住所●〒101-0064 東京都千代田区猿楽町 2-2-3 笠間書院 営業部 電話● 03-3295-1331 Fax ● 03-3294-0996 メール● inf o@kasamashoin.co.jp 笠間書院 刊 行 物のご 注 文について 本書で紹介している小社の書籍はすべて全国の書店にてご注文いただけます。内容にかんす るお問い合わせや、直接小社にご注文したい場合は、以下までお気軽にご連絡下さい。お待 。 ちしております。 [※直接ご注文の場合、1 回につき送料 380 円を申し受けます] 住所●〒101-0064 東京都千代田区猿楽町 2-2-3 笠間書院 営業部 電話● 03-3295-1331 Fax ● 03-3294-0996 メール● inf o@kasamashoin.co.jp ― (二〇一六年) 近 時、 笠 間 書 院 か ら 出 た『 上 田 秋 成 研 究 事 典 』 に木越治の次の言が載る。 というより、意見を戦わす、という 学界全体が、論争 ようなことに対して、とても臆病になっているような気が します。ですから、ほとんど、論争ともいえない、西鶴に 関するちょっとした議論が、学界時評などでさわがれたり するのです。 (「卒業論文を書くまえに」) 木越は、中野三敏の「西鶴戯作者説」についても同じような 主張をしていて (「「近世文学会」的な、あまりに「近世文学会」的な!」 、要するに現在の日本文学 二〇一四年三月十四日、笠間書院ブログ) 研究界に論争が巻き起こることを期待しているようである。 「そ 福田安典 それ は 日本文 学 一因な 研究熱低下の のか 論争回避の 時代に 生まれて info@kasamashoin.co.jp ? Report Kasama Vol.60 【特集】 論争 近世文学研究をテーマに組んだ特集ですが、 他 ジ ャ ン ル で も「 論 争 」 が も っ と 起 こ る よ う に な れ ば、 という願いを込め編みました。[この特集は基本的に敬称略です] メール [福田安典/宮本祐規子/飯倉洋一/井上泰至] 3 ! ※異論、反論、ご意見募集中です。笠間書院までお寄せ下さい。 【特集】論争 ! れ」は言い換えれば、現在が「論争回避の時代」であって、 「そ れ」が日本文学研究熱の低下の一因であるということになる。 ◆論争は格好悪いのか そ の 要 因 を 木 越 は 臆 病 の 一 言 で 説 明 す る が、 言 わ れ て み れ ば、論争などは下手すればパワハラやいじめと受け取られがち だし、何やら格好悪い。 「空気が読めない」という酷評も受け る。近年の「若手研究者養成」というお題目の下では、論争は 消えてしまった方がよい愚行なのかもしれない。 「誉めて育て る」というソフトな風景が今後の学界発展の起動力なのであろ う。 しかしながら、果たして論争はそこまで格好悪いものなので あろうか。 ◆近世期の論争 近世期には論争がいくつかあった。上田秋成と本居宣長の論 争をはじめ、 和歌では『挙白集』と『難挙白集』 ・ 『筆のさが』論争・ ていもん は 国歌八論論争などがある。俳諧では、初期の貞門派がまず内部 だんりん は で論争を巻き起こし、次いで談林派が台頭するに及んではその おか にし い ちゅう 攻 撃 は 談 林 に 移 り、 論 客 の 岡 西 惟 中 が 大 い に 筆 を 揮 っ た。 思 そ らい 想史では徂徠と反徂徠を代表としていくつもの論争があり、そ か がわしゅうあん やくせん れは宗教界においても同様である。医学では香川 修 庵『薬選』 とだきょくざん つ が ていしょう と戸田旭山『非薬選』の論争は、秋成や都賀庭鐘、平賀源内の 作品にまで影響を与えている。小説界に転じては、論争という はちもんじじしょう え じま き せき わけではないが、八文字屋をめぐる八文字自笑と江島其磧の確 執もこの範疇に加えてよいであろう。そこに役者評判記や「難 〜」 「非〜」 「斥〜」などという冠を持つ作品群も加えれば、近 世期の文芸思潮は論争によって大いに盛り上がったかのようで ある。近世文芸は論争を抜きにしては論じられない。 ◆論争は不毛か こ こ で 考 え な け れ ば な ら な い こ と は、 こ れ ら の 論 争 は 不 毛 で あ っ た の か ど う か、 と い う こ と で あ る。 論 争 回 避 時 代 以 前 しゅんじょう の 指 摘 例 と し て 中 村 俊 定「 貞 門・ 談 林 の 論 争 」(『国語と国文学』 一九五七年四月)を引いてみる。 要するにこれらの論争 (筆者注:初期貞門俳諧の論争)は縄張 り争いにすぎず、俳諧文学になんらの深化も向上ももたら さなかつた。ただこの花々しい難陳によつて、俳諧に対す る一般の関心が深まつたことと、古典の知識をあさるとい う傾向が生じたことは一貢献といえよう。 中村によれば、初期貞門の論争は文芸としての俳諧深化には 寄与しなかったが、一般へのPRと論争のために勉強するとい う、本来の目的外で成果があったと言う。その考えを適用すれ ば「ことごとしくふりまわした惟中の寓言論も、彼らにとつて は一つのかくれ簑」であったことになる。論争がなければ「寓 言論」に今の輝きがあったであろうかとの問いである。そして、 中村は、 こめびつ ただわれわれはこれらの論争が多分に職業俳人の米櫃に関 係のあつたことを考慮に入れる必要があると思う。ともあ れ、千編一律な俳諧が、これらの喧嘩によつて根本からゆ すぶり返されて反省させられたことと、「芸」と「たわごと」 とがはつきりちがうものであることを俳人に自覚させた点 において歴史的意味があったといつてよい。 と結ぶ。この結論については現在いくつもの反論ができるであ ろうが、近世期の論争の不毛さを自覚した上で、その功績を認 めようとする指摘としては重要であるはずである。そして、そ の重要さは、近世期初期俳諧に於ける、という安心な範疇にと どまらない。まさに現代の研究シーンにも強く呼びかけている はずである。 4 ― 話を戻して、この「世話物」論争と、先に引いた初期俳諧に おける論争とを付き合わせてみたい。江戸期の職業俳人の「米 ◆近世文学研究者の論争 一九六六年九月に「信多純一氏に対する批判」と副題付で反論 を発表した。これは信多が『曽根崎心中』以前に切り浄瑠璃と 木越治はどうやら以前は論争が盛んであって、その時代が輝 ける日本近世文学研究の青春期であったといわんばかりの口吻 して助六心中物があり、それが「世話物」の初期作品であると であって、論争回避の時代に生きる (私を含めた)草食系研究者 したのに対し、高野はそれらは「傾城浄瑠璃」や「武道浄瑠璃」 に奮起を促しているようである。 であって世話浄瑠璃の定義に入らないと反論したのである。 総里見八犬伝』の隠微をめぐる高田衛と 確かにかつては『じ南 ここからが信多の真骨頂で、まず高野に書を送り、反論の猶 ゅていに 徳田武の論争や、寿貞尼をめぐる田中善信と今栄蔵の論争、そ 予を申し出る。これを高野が快諾し、そして一九七四年六月、 して上野洋三・山本唯一らの『おくのほそ道』真贋論争などが 日本近世文学会春季大会で「曽根崎心中の成立過程―高野正巳 あった。 氏拙論批判回答に代えて―」として反論した。信多の結論は変 わらなかった。この高野との誠意ある真剣勝負の論争体験が信 それに対して、近年に至っては斯界ではなじみのなかったシ ンポジウムやラウンドテーブルが次々と企画される風潮が高 多純一という学者を形成したのみにとどまらず、 『曽根崎心中』 まっている。また、西鶴研究会や演劇研究会などの研究会での とは何かを学界に問うきっかけとなったのである。その体験に 白熱した議論の場もあるようである。雑誌やメデイアの充実に より信多は論争を重んじているのだと思う。 よって書評の数もかつてより確実に増えている。 「論争回避の ◆論争の拓いた地平 時代」ではない、真摯に議論が成り立つ時代だとの反論が聞こ 『曽根崎心中』以前に切り浄 信多と高野との論争の結論は、 えてきそうである。 瑠璃として助六心中物があり、それが「世話物」の初期作品で それでも、木越の指摘が説得力を持って響くのはなぜなのか。 あるということに落ち着いたが、その結論に落ち着く過程が重 しかも論争の黄金期を知らない世代に、なんとなくそのつぶや 要である。すなわち、当時は定義が曖昧であった「世話物」 「世 きが伝わってしまっているようである。果たして、現代の近世文 話事」とは何かの議論を深化させたこと、また『曽根崎心中』 学研究者は暑苦しく格好悪い論争の時代を求めているのであろう の成立、先行作の利用や独創性を分析するきっかけとなったの か。 が、信多―高野論争が切り拓いた地平だったのである。信多の 「世話物」論争 ◆論争の傑作 「初期の世話物作品が『曽根崎心中』以前に存在するとしても、 しのだじゅんいち 多純一先生は論争好きである。論 決してその光輝をそこなうものではなく、かえってその高さを 話は変わるが、私の恩師信 争が学界のカンフル剤であることをよくお教えいただいた。そ きわ立たせて見せてくれている」とする『曽根崎心中』論は、 の 信 念 の 原 型 は 高 野 正 巳 と の 論 争 に あ る ( 以 下、 詳 細 は「『 切 上 まさに論争を経て初めて誕生した珠玉の卓論である。 ◆論争のすすめ る り 曽 根 崎 心 中 』 の 成 立 に つ い て 」 〈 信 多 純 一『 近 松 の 世 界 』 平 凡 社、 一九九一年〉に詳しい)とみている。 [福田安典/宮本祐規子/飯倉洋一/井上泰至] 5 一 九 六 二 年 四 月 に 信 多 が 出 し た 論 文 に 対 し て、 高 野 は 【特集】論争 ! 江戸の医学と文学が作り上げた世界 福田安典 それは「医学書」なのか、 「読み物」なのか。理系×文系 という対立構造のなかでは読み解けない、面白い江戸の 本の世界 ! 医学と文学が手を携えて作り上げた豊かな世界を紹介、 そのありようを検証する。 ISBN978-4-305-70804-5 C0095 定価:本体 2,200 円(税別) A5 判・並製・ カバー装・280 頁 じ ま き せ き え じま 〇一五年九月十五日、日本女子大学にて開催された「江島 き二 せき 其磧の再発見」と題したシンポジウムとその後について報告し たい (なお本稿は敬称略という編集の方針に従っている。ご了承いただき 。 たい) 本シンポジウムは企画した司会の福田安典をはじめ、江本裕、 佐伯孝弘と稿者がパネリストとして参加した。テーマである江 島其磧は、井原西鶴没後、八文字屋本の中心作家として活躍し 宮本祐規子 え シンポジウム 「江島其磧の 再発見」と その後 櫃」から生じる論争と、誠意ある真摯な研究上の論争、似ても 似つかないものではあるが、両者から「論争」を取り除いてし まえば、いかなる風景を見せるのであろうか。俳諧は一般を巻 き込まず収斂し、理論武装もできない「たわごと」で終始した かもしれず、 『曽根崎心中』の文学的研究も、深化しない、寂 寥たる荒野があるだけであっただろう。 そしてそのことは近世文学全般にも当てはまるはずである。 気がすすまないが、論争はやはり現状打破のカンフル剤なので あろう。 医学書のなかの 「文学」 。拙文に対する信多純一先生を筆頭 まずは「隗より始めよ」 とする、筆鋒鋭き方々よりの御斧正をお待ち申し上げる。 最新刊 ★ 77 ページで詳しく紹介しています 6 うきよぞうし つよし ふうりゅうしどうけんでん た浮世草子作者である。其磧の研究は、長谷川強の大著『浮世 本に分類される『風流志道軒伝』が何故浮世草子ではないのか、 草子の研究』(桜楓社、一九六九年)によって一気に進んだことは を議論の叩き台として提示した。多くの要素が浮世草子と重な ま 言を俟たない。西鶴没後の出版界の中心にいた人気作者であり る点を確認した後、それでもやはり源内と其磧は異なるはずで かたぎもの 研究も着実に進められてきた。 「気質物」創始者として評価され、 あり、それを明確にすることが求められている、と述べた。 つ が てい しょう しかし、どうしても西鶴と比較され、西鶴には劣る作家として 「 都 賀 庭 鐘 と 江 島 其 磧 」 と し て、 都 賀 庭 鐘 作 し稿め い者ぜ んは、 『四鳴蝉』を題材に、庭鐘と其磧の演劇摂取の違いについて述 無意識に低く扱われがちだったことは否めない。つまり今回の べた。 『四鳴蝉』は、能・歌舞伎・浄瑠璃の全四作品を漢文戯 企画の目的は、其磧自身の魅力を改めて考えてみたい、という 作に仕立てたもので、従来高く評価されている。しかしその刊 点にあった。それは文学史における其磧の位置付けを改めて考 行に際しては、準備も慌ただしかったことが窺え、特に歌舞伎・ えることにもなる。それを「再発見」と表現したのであり、当 まるほん 浄瑠璃を題材にした作品は、演劇作品の山場を丸本そのままに 然の如く其磧の従来の研究史に対して否定するものではない。 漢文訳しただけの短いものになっていることは、意外にも論じ 企画意図を当日のシンポジウムのチラシから掲げて確認してお めい わ はく わ られていない。この明和期の白話ブームに乗じた刊行は、同時 こう。 期に白話ブームを当て込んだ八文字屋の刊行姿勢と変わらな い。つまり、初期読本の創始者である庭鐘と大衆作家である其 近 世 文 学 の 重 要 人 物 で あ る 江 島 其 磧 は、 西 鶴 の 後 を 承 け せけんむすこかたぎ せけんむすめかたぎ 『世 間娘気質』など 磧の読者層は、実は重なっている。漢文体であるということに た浮世草子作者である。 『 世間 子 息 気 質』 の「気質物」と呼ばれる一群の小説はよく知られているが、 惑わされ高く評価されすぎてきたきらいがある『四鳴蝉』の「低」 そ れ 以 外 に も 歌 舞 伎 や 中 国 小 説、 日 本 の 古 典 に 精 通 し た 江 評価と、同じような読者を想定したとすれば、その演劇摂取の 戸期の代表的職業作家である。また、出版に目を転ずれば、 方法においては其磧に軍配を上げるべきとの「再」評価を提唱 はちもんじじしょう 八文字自笑との確執から生まれた競争は結果としてこの時期 した。 みやこどりつまごいのふえ の小説ジャーナルを育てている。 「江島其磧の時代物考」として、 『都鳥妻恋笛』等を 佐伯は、 とりあげた。時代物浮世草子を改めて読むことの必要性を指摘 にも拘らず、近年の研究は小説に限れば井原西鶴と上田秋 成に言及するものが多いように見受けられる。それに反して、 し、その構成・展開の独自性と評価及び時代物浮世草子のもつ 共通要素について指摘した。後世の作品への影響にも触れ、現 其磧についての論考は少なく、まして其磧に焦点を当てたシ 在の評価の再考を求めたと言える。 ンポジウムは皆無である。本シンポジウムを企画する所以で とうせいおとぎそが 江本は、 「其磧の創作技法臆断―『当世御伽曽我』を中心に」 ある。 として、典拠との詳細な比較を通じ『当世御伽曽我』の、曽我 物としての位置付けを改めて述べた。特に、構成の緻密さにつ いて高く評価し、演劇作品を典拠として利用するだけでなく、 [福田安典/宮本祐規子/飯倉洋一/井上泰至] 7 まず福田は「平賀源内と江島其磧」と題して、卒論提出時に 信多純一先生から投げかけられた「長年の宿題」である、談義 【特集】論争 ! 再構成することで全く新しい作品として完成させた点に其磧の 価値と筆力がある、とまとめた。 以上のように、奇しくも全ての発表で演劇に関連する言及が あった。これは別に示し合わせたわけでは無い。パネリストの 興味が、今そこにある、ということにすぎない。結局、 「気質物」 を生み出した作者としての其磧の評価は既に定まっているが、 その其磧を「再発見」するためには、演劇という視座が不可欠 である、ということなのだろう。なぜなら、西鶴でもなく秋成 でもない其磧らしさ、とは、演劇との距離感と利用の絶妙な姿 勢にあるからである。それは従来の 「気質物」 の評価に対して 「時 のろし 代物」の反撃の烽火と言い換えても良い。 例えば江本は、其磧の伏線の張り方を高く評価したが、その 伏線と回収の様子は其磧が長編小説を破綻無く構成できる能力 が高かったことを示す一方で、多分に演劇からの影響がある。 みあらわ 佐伯も指摘するように、 歌舞伎の「見顕し」のように、「実は○○」 という正体が明かされる演出は、まさに伏線とその回収にあた る。このような演劇の演出技法や発想などをもうまく取り入れ、 小説としての体裁を整え再構成していくところに其磧の魅力が ある。それが、近世期の読者が支持した其磧の面白さであった。 その同時代評価にもっと注目していくことが必要であろう。 「近代的」な読みにも耐えうる偉大な作者で 確かに西鶴は、 はある。そして、現在の我々の評価軸や価値観は、必ずしも近 世期の読者とは重ならないことも明白である。それでも其磧の 同時代における評価という視座を欠いてはならないと考える。 それが其磧を「再発見」するということなのである。 さて本誌の今回のテーマは「論争」である。古今東西「論争」 はあらゆる分野で存在し、歴史に残るものも多い。 「論争」が 研究を推し進めることの契機になったことも多々あった。正々 堂々たる 「論争」 は研究に対し資するものと考えられる。今回 「江 島其磧の再発見」がシンポジウムという形になったのは、パネ リストが投げかける各々の問題意識について、フロアを交え刺 激し合おう、という目的があった。そこから有用な「論争」も 生まれ得ることを期待するものでもあった。 その意味でも、学会や研究会での発表の形式とは違うものを 目指した企画であった。しかしながら、パネリスト側の問題も 含め、結局学会発表と同様なものに収まってしまったのは、課 題とすべき点であろう。参加していた近世文学分野以外の方か ら、 「あれはシンポジウム?」という疑問を投げかけられたの は、シンポジウムという形式を生かせなかったという憾みに尽 きる。 「論争」を生み出そうと試み 結局、今回のシンポジウムは、 たものの「論争」にたどり着けなかった、というのが率直なと ころであろう。その意味では、今回の特集に合致しているとは 言えないのかもしれない。シンポジウム後の懇親会では、江島 其磧のシンポジウムが企画されることなんてもう無いんじゃな いか、という (多分非常に)素直な感想が、彼方此方から聞こえ てきていた。その感想こそが、現在の其磧が文学史に占める位 置を端的に示している。その意味でも本シンポジウムは得難い ま 場であり、パネリストは火種を撒くつもりで、あえて荒削りな 発表や挑発的な文言を使用した。篠原進は、シンポジウムの時 間不足と燃焼不足を指摘した上で、 「むしろ課題は「シンポ後」 にある。石川淳流に言えば、パネリスト、聴衆を問わず同じ空 間に集い、挑発を受け止めた全員の「その後」が問われている ( 「習作期の其磧」 『青山語文』二〇一六年三月) と述べた。 「論争」 のだ。 」 が芽吹くとすれば、まさに今、 「その後」なのである。 蛇足ながら、最後に稿者の「その後」である。まさに本シン 8 きっか 飯倉洋一 ちぎり あま こ つねひさ 論ずるに足らぬ作中人物か 「菊花の約」の尼子経久は 木越治氏へ ポジウムの問題意識のもと、敢えて演劇と其磧の浮世草子 (時 『時代物浮世草子論 江島其磧とその周 代物)に視座を設定し、 縁』(笠間書院)を本年二月に上梓した。長谷川強という巨大な 存在に対する敬意と畏怖を抱えつつ、従来其磧の作品中低評価 を与えられることの多かった時代物浮世草子にこそ、其磧の心 髄があると論じることを目指した。この場を借りて一点付け加 えさせて戴くなら、シンポジウム席上、稿者に対し「若手にあ 0 0 0 0 0 0 りがちだが、誰もやっていない領域を気が進まないままやって いるのは先がない」という趣旨の言葉を賜った。その認識に対 しては、明確にNOと答えておきたい。もともと時代物浮世草 子を面白いと思ったところから、研究を志した。其磧の洒脱な 感性に惹かれたのが拙著の出発点である。シンポジウムにおい て庭鐘を取り上げたのも、切り口を変えて見える其磧を模索し た結果であり、其磧研究者の端くれにいる自らが其磧の評価を 貶めることのないように自戒するのみである。稿者なりの「江 島其磧の再発見」の解答になっていることを願う。 め、簡潔にまとめたことをお断りしておく。また、本シンポジウムに ※パネリストの発表内容に関しては、各々発表されることと拝察するた ついての言及は公刊されたもの以外には触れていない。併せてご了承 願いたい。 ページで詳しく紹介しています 10 最新刊 ★ 笠間書院から二〇一六年一月に刊行された『上田秋成研究事 典』は、秋成研究の現況の見渡しという点ではよく目配りの効 いた、今後の研究展望という点では実にチャレンジングな一書 である。その研究史の記述について、編者の木越治は「担当者 の個性を強く出して書くように求めた」という。もっとも『事 典』という性格上、執筆各氏は、おおむね穏当な記述をしてい る。しかし、他編と比べると倍近い長さの「菊花の約」研究史 (木越執筆)は、主要な論文を挙げて、毀誉褒貶をはっきりと表 現している点で確かに個性的だ。光栄なことに拙論も取り上げ られ、 「いささかきつすぎる物言い」で評された。その論評は 作品論とはいかにあるべきかという、文学研究の根幹に関わる ものだから、ここに反論を試みる。 木越は拙論1「「菊花の約」の読解―〈近世的な読み〉の試み」 (『テクストの読解と伝承』平成 年 月)および拙論 「尼子経久物 語としての「菊花の約」」(『日本のことばと文化』 平成 年 月) 12 2 時代物浮世草子論 頁 326 3 江島其磧とその周縁 判・ A5 21 宮本祐規子 円︵税別︶ 4,000 [福田安典/宮本祐規子/飯倉洋一/井上泰至] 9 ISBN978-4-305-70787-1 C0093 定価 本: 体 【特集】論争 18 69 ! について、次のように述べている。 この作品の基本的な語の一つである「信義」や「軽薄」等 の語彙について、同時代の用例から確認していくという作 業は、たぶん、この論文ではじめて試みられたものである。 また、(中略)左門の行為が〈近世的〉通念からみて、あら まほしいものであったとする議論も説得力がある。(中略) しかし、問題は、そういう手続きにつづいて展開される作 品解釈にある。表題にいう〈近世的な読み〉というのは、 お そ ら く、 青 木 (飯倉注、青木正次)や 木 越 の よ う な 読 み の 対極にある、同時代的コンテクストに配慮した「読み」と いうことなのであろう。しかし、テクストにある重要な語 の意味を、同時代的資料によって決定していくことは学問 的に当然とられるべき手続にすぎない。また、それに基づ いて作品を「読む」段階になると、 〈近世的〉でもなんで もない、 飯倉自身の「読み」が展開されているだけである。 とすれば、 〈近世的な読み〉というようなものがどこかに 存在するような言い方は、単なる幻想でしかない。 いささかきつすぎる物言いと感じられるかもしれない が、 と い う の も、 飯 倉 の い わ ゆ る〈 近 世 的 な 読 み 〉 を 深 化させた結果が、(中略、拙論 )だと思われるからである。 しかし、こういう読みの方向に私は賛成できない。左門と 赤穴の「信義」に批判的な読み方に疑問を呈するのはいっ こうにかまわないが、だからといって、作品において脇役 ですらない尼子経久を、さも重要な人物であるかのように 引っ張り出してくるような読み方は、 「菊花の約」の作品 論として成立しない、と私は考える。あらためていうまで もないことだが、作者も語り手も経久の側にいないことは 明白だからである。 2 批判の要点は二点。第一は、拙論1の〈近世的な読み〉と称す る「読み」は、飯倉自身の「読み」でしかない。第二は、拙論 2のように、 「脇役ですらない」尼子経久を重要人物として論 じる読み方は作品論として成立しない、というもの。 * まず第一点。木越は、同時代的な用例を踏まえて作品を解釈 することに反対しているのではなく、その解釈を〈近世的な読 せんしょう み〉と僭称し、あたかも絶対的な正しい読みであるかのように いうのは問題であると言うのであろう。私が試みた〈近世的な 読み〉が、「飯倉の読み」であることは仰る通りである。ただし、 私は〈近世的な読み〉について、それは「一つには収斂しない」 ことを強調し、「〈近世的な読み〉と称する排他主義を自戒し、「こ うも読める」ということを〈近世的な読み〉にも適用してみる 試み」を行ったのである。第一に『雨月物語』と同年に同版元 わ じ こう か じ ち ろく から刊行された『和字功過自知録』の読者を仮想的に『雨月物 語』の読者に想定し、 『和字功過自知録』において高い評価が 与えられる無縁の病人に対する手あつい看病や、兄を敬い弟を 愛する義兄弟としてのありようを読めば、左門と宗右衛門の言 動は、それがいかに観念的で偏奇であったとしても、素晴らし いものと受けとっただろうとした。第二に「信義」のイメージ は、「菊花の約」の典拠を収める『古今小説』の別話や『水滸伝』 りゅうほう の用例から、 『三国志演義』の劉邦らの盟約に淵源すると考え、 さ もん あか な 左門は赤穴と「同年同月同日」に死ぬことを期し、逐電後信義 に殉じて自死したと解釈した。私は、自身の読みを、近世読者 の誰もがそう読んでいた、 絶対的・標準的な読みであるとは言っ ていない。そもそも唯一無二の〈近世的な読み〉がどこかに存 在するとは私も思っていない。したがって、木越の「単なる幻 想でしかない」という評には戸惑いを感じるばかりである。 10 [福田安典/宮本祐規子/飯倉洋一/井上泰至] 拙論 は、従来様々に議論されてきた〈菊花の約〉のいくつ かの問題を私なりに解明したものだった。①物語と直接関係の ない尼子経久の富田城攻略の挿絵がなぜあるのか。②この物語 は信義を描いたものなのか、信義という観念にとりつかれた人 を描いたものなのか。③左門は何のために逐電し、どこへ姿を 消 し た の か。 ④ 尼 子 経 久 は な ぜ そ れ を 許 し た の か。 ⑤ 冒 頭 部 の「交わりは軽薄の人と結ぶことなかれ」の教訓と本文内容は ちょっとずれていないか。⑥原拠ではなく、本話で繰り返され る冒頭部と同内容の「ああ、軽薄の人と交はりは結ぶべからず となん」の意味をどう考えるか。これらの謎には尼子経久がす 0 0 0 0 べて関わっている。そして 「菊花の約」 は一面では経久の「狐疑」 から「信義」への改心の物語であり、語りの構造としては、左 門らの友情に感銘した経久が後世に伝えた物語である。つまり 」という経久の 末 尾 の 一 文 は「 あ あ ~ と な ん ( 経 久 は 嘆 じ け る ) 感慨を原イメージとしている (ちなみに拙著『上田秋成―絆としての 文芸』(大阪大学出版会、二〇一二年)でも同趣旨のことを述べてい る) 。以上が拙論の要約である。では、経久は作品の作中人物 としては取るに足らず、また作者や語り手は経久の側にはいな いのか? はんきょけい 巨卿 (宗右衛門に相当)が多忙にかまけて再会を約 原拠の、范 いんとくたいへい 束の日を忘却したという設定を、 「菊花の約」では、『陰徳太平 き 記』の世界を持ち込み、幽閉という状況の中で宗右衛門が約束 の日に動けないという設定とした。『陰徳太平記』の世界の中 心には経久がおり、彼らの再会を阻害した張本人が経久なので ある。経久に「菊花の約」の作品を解く鍵があると考えるのは 当然ではなかろうか。二人の再会を阻害し、臣下を左門に殺害 されながら、経久が二人の「信義」に感じて、逐電した左門の 跡を追わせなかったのは、目の当たりにした「信義」が経久の 11 「 菊 花 の 約 」 私 案 」(『 秋 成 論 』 ぺ り か ん 社、 ち な み に 木 越 の「 一九九五年所収)の読みは、原拠との比較に基づき、主人公を偏 はく わ 執的人物ととらえる読みであって、秋成周辺の、白話文学に通 かたぎもの じ、かつ気質物浮世草子も読んでいた上方知識人であれば、十 分にありうる読み、 すなわちひとつの〈近世的な読み〉である。 「外的な情報をできるだけ排除し」といいながらも、木越は最 も重要な外的情報、 すなわち原拠については排除していないし、 木越自身明言してはいないが、気質物浮世草子をも射程に入れ た読みだと思う。あるいは木越は、原拠はテキスト内部の情報 であると言うのであろうか。原拠が誰でも知っているテキスト はんきょけいけいしょしせいのまじわり であればそうも言えるだろうが、 「范巨卿鶏黍死生交」の存在 を知っている 『雨月物語』 の読者が、 そんなにいるとは思えない。 木越が「テクストにある重要な語の意味を、 同時代的資料によっ て決定していくことは学問的に当然とられるべき手続き」と言 いながら「外的な情報をできるだけ排除し、 テキストを「読む」 (ママ) ことだけに撤」する作品論を目指すというのは、私にはいささ かわかりにくい。 * 第二に、「脇役ですらない尼子経久を、さも重要な人物であ るかのように引っ張り出してくるような読み方」は作品論では ない、なぜなら「作者も語り手も経久の側にいないことは明白 だから」という批判である。 。本編の「作品 そもそも尼子経久は「脇役ですらない」のあか ま こ つねひさ あか 分析」を担当した井上泰至は、左門の母と尼子経久、そして赤 な たん じ 穴丹治を「主な脇役」としている。同じ事典の中で、見解が矛 盾していることはこの際不問に付すが、すくなくとも、木越の いう、経久は「脇役ですらない」という認識は、当該事典共著 者間にすら共有されていないのである。 【特集】論争 ! 2 論争の ル 論争の ール、 マナー ◆日本人は論争のルールに疎いのではないか (以下敬称をつけな 近世文学会に入ったばかりの頃、信多純一 ひ けん いのは編集の方針)の「馬琴『南総里見八犬伝』の一大秘鍵」なる、 ド派手なタイトルの発表が、大会のトリでなされた。ちょうど 高田衛・徳田武が論争に火花を散らしていた頃でもあり、発表 前から話題になっていた。司会からタイトルと発表者の「呼び 出し」がかかった時、真後ろにいた、あの温厚な水野稔が「一 大秘鍵かっ」と怒気を含んでつぶやいていたことも、よく覚え て い る。 発 表 は 信 多 流 の 名 調 子 で 進 み、 小 僧 の 私 は 圧 倒 さ れ る思いで拝聴したが、予想どおり徳田から厳しい反論、それに 高田までが参戦して、信多はさらに声が大きくなり、 「あなた」 井上泰至 とかく 論争という ものは 「狐疑の心」を揺さぶったと考えていいだろう。 が問題とされるのか。本話は戦乱の世、 つまり 「信 なぜ「信義」 義」が言うは易く、行うに至難な時代に設定されている。歌舞 なぞら 『陰徳太平記』が「世界」である。井 伎の時代物に准えれば、 上泰至流にいえば、本話は『陰徳太平記』の異伝または外伝な のである (「『雨月物語』の時代設定と主題」『近世刊行軍書論』笠間書院、 二〇一四年) 。人を信じるのが困難であるのに対し、人に対して 疑 り 深 い の が 戦 乱 の 世 に お い て は 普 通 で あ ろ う。 「信義の人」 の対極にいるのは「軽薄の人」というよりは、疑り深い人、こ の「菊花の約」の中の言葉でいえば「孤疑」の人、すなわち経 久なのである。 の語りにどう関わるのか。原拠においては、 経久はこの物語 めいてい 彼らの信義は、明帝によって称えられ「信義の祠」を立てるこ とで、語り継がれることになる。 「菊花の約」において、彼ら の信義を称えたのは、経久である。 「信義の祠」を立てたとは 書かれていないが、物語が「語り手の今」に語り継がれてきた 源流に、経久の、信義への賛美があることに間違いはない。 「語 りは経久の側にない」とは、言えないのではないか。 最後に、私は松田修の衆道説を尊重しており、松田論文を再 評価した木越論文ともども否定する意志は全くないのである。 と い う の は、 尼 子 経 久 が、 宗 右 衛 門 を 幽 閉 す る 時、 宗 右 衛 門 は、経久の「怨める色」を感知した。この「怨み」には、左門 と赤穴の強い絆への嫉妬が込められているだろうと読むからで ある。この「怨み」を、衆道説の文脈で読み取れば、松田説と 拙論は共鳴することになるのである。 け井口洋氏には、有益なご教示を受けたことを記して深謝申し上げる。 ※本稿を成すに当たり、多くの人々のご示唆に恩恵を受けたが、とりわ 12 [福田安典/宮本祐規子/飯倉洋一/井上泰至] ― 法「テキスト批評」を、実践的にしかもコンパクトに紹介した もので、この手の本ではロングセラーとなっている。読後、大 変勉強になったという印象だ。 ただし、河野の姿勢は徹底していて、論文とは結局「形」な のだという態度に、引っかかった。そこでお礼をメールで送る 時、論文といえども、レトリックが必要なのではないのか、と 余計なことを書き加えた。今から思えば「アイツが何でオレの 領分に」という気分もあったことを否定できない。すると、河 野も早速、ただし冷静に反論。特に文学ではレトリックが命だ ろうが、この本の目的はそうではない、議論は「公」の目的の ためにあるもので、だからこそ、一定の「形」を共有する必要 があるという「倫理」の問題でもあり、そこが日本人には欠落 していると思うから、書いたのだ、と。 「そこまで言うの」と いう感情は残りつつも、河野とは研究室でも議論をし、本の「あ とがき」を読み返すうちに、納得する部分も芽生えてきた。や がて、ゼミで論文の書き方を指導し、今や別の領分だったはず の西鶴で論文を書いたり発表したりするに及んで、今では河野 の言っていた通りだと思うようになった。 「あとがき」にはこ うある。 知り合いのフランス人にふとしたことで、 「論文って 何だと思う?」と聞いたときのことです。 「それは、序論 で問題が示してあって、議論がなされて、結論がある文章 だよ」と即座に彼は答えました。教科書どおりです。他の フランス人に同じ質問をすると、 もっと簡単に「問いがあっ て最後にその解決がある文章だね」と言いました。彼は日 本語が達者なのですが、 「日本の雑誌や新聞の文章のほと んどは、論文とは呼べないな」とつけ加えました。……大 学でレポートの採点をしていると、テキストや講義の「引 13 から「アンタ」と呼び名を変えられたあたりで、司会の内田保 廣が、 「私もいっぱい聞きたいことがあるんですが、これくら いで」と割って入って水入りとなった。 こんな昔話を思い出すのは、馬琴論争の行方について語りた いからではない。どうも日本人は論争のルールに疎いのではな いかと思うからである。あくまで私個人の見聞と体験に基づく 見方であり、上記の例でいえば、声が大きくなり「アンタ」呼 ばわりになってしまう点のみを問題にしたいのだが、決まって 論争では、相手の論拠を論破するより、自分の論拠や意見を滔々 と述べて、声が大きくなり、時間を超過し、相手個人への攻撃 すれすれか、それそのものになってしまう。 その大声や、攻撃の奥底にある「声」を私なりに忖度すると、 「アイツの論文をつぶせ」 「アイツがオレ/ワタシの論文をつぶ そうとした」 「アイツが何でオレ/ワタシの領分に入ってくる んだ」 「オレ/ワタシの方が分かっている、アイツは何もわかっ ていない」 「アイツに発言させるな」という「自己主張」の感 情が聞こえてくるのであって、どうもルールになっていない。 場合によっては、その本音が公言されることすらあり、マナー 上よろしからざることになりがちである。また、聴衆も傍目に は「すごかったね」と言いながら、それを楽しんでいる風すら ある。見世物ならそれもいいが。 ◆議論は「公」の目的のためにある ただし、ここで「日本人は」と大きく括ったのには、別の体 験がある。もう二十年近く前のことだが、私の同僚であった哲 学研究者の河野哲也から、 『レポート・論文の書き方入門』(慶 応 義 塾 大 学 出 版 会、 一 九 九 七 年 )を 頂 い た。 代 表 的 な 論 文 を 読 み、 その論点と論拠を整理する要約を行い、その論文の賛否につい て論拠を挙げて行わせる。フランスを中心に行われている教育 【特集】論争 ! ― き写し」が多いのですが、根拠や証拠を示さない「自己主 張」が同じくらい多いのに驚かされます。それは、 「言いっ ぱなし」ないし「聞きっぱなし」な態度です。そこに欠け ているのは、相互的な対話であり、相手を説得しようとす る表現であると気づきました。……私見によれば表現にお ける欠落は、思考における欠落であり、同時にある種の社 会的な関係の欠落です。本書にこんな問題意識を感じてく れれば幸いです。 河野との議論の経験は、今や私の教育と知的生産の柱になっ ている。卒論に進む前のゼミというのは、テキストを、工具書 を使って輪読するのがふつうである。しかし、卒論のテーマを 決め、書く準備をする 年生にはそういう指導よりも重要なこ とがあると思う。論文とは、研究書から自分が「いいね」と思 う意見を「引き写して」それで終わりというものではない。そ れは、来る東京オリンピックで問題になった、佐野研二郎のエ ンブレムと変わりがない。 「君たちはサノ論文を書いていませ んでしたか?」 と問いかける。実は日本の論壇にはこの手の 「芸」 があって、小林秀雄なんかもけっこうやっていたことを付け加 え、文芸学の亜流などは注もないサノまがいのものを「論文」 と称している、と紹介もする。すると、学生の中には、 「実は 私もサノ、やっていました」と懺悔する人間も多い。 ◆『雨月物語』のゼミ そこで『雨月物語』のゼミでは、前期に 編を分担して読解 の発表をやらせる。方法は刊行されたばかりの『上田秋成研究 事典』に「作品分析のためのマニュアル」として示したから、 ご参照頂きたい。近世文学の作品で、近代小説に近い分析がで きるのは、 『雨月物語』と西鶴の作品だと言及しつつ、まず読 みの共通理解を確定させる。ここが議論をするときの、根拠に 3 9 なるからだ。 『雨月物語』各編で代表的な論文、それもか 後期になると、 なり作品の解釈に立ち入った論文を学生に担当させ、河野の方 式を説明して、テキスト批評をさせる。いわばいちゃもんをつ けさせるのである。もちろん、読んだ論文に何もかも反論する 、ここが何だか (ハアー?) 、 必要はない。ここはいい (ナルホド!) という読後の感想を、論文にタグ (記号)として書き込ませ、そ こから論拠を考えさせて、単なる論文の要約に終わらず、 「批評」 をさせる。さらに発表を通してもんでいくと、かなりいい出来 の、オリジナルのレポートが出来上がる学生が半分、どうでも いい議論をふっかけたり、論拠になっていなかったり、論文を 誤読してしまったりするケースが半分、というところか。これ で成績をつければよい。 誰言うともなく、 私のゼミを「ヤバイゼミ」 、 略して「ヤバゼミ」 と呼ぶ学生もいる。ズルイと言われるかも知れないが、私の論 文は対象から外す。本人を目の前に学生が議論をするのはきつ い。完成度が高くて学生では歯が立たない論文も読ませない。 いいことを言っていて、時に脇が甘い論文だと、大変有り難い。 学生は、論文の筆者の個人情報を知らないから、 「この方、大 変真面目な方だと思うんですけど、何で重要とも思えない問題 にこんなに言葉を費やすんでしょうか」とか、はたまた「この 方自身、頭が整理されていないのか、論文で多用するキー・ワー ドの定義が曖昧ですよね」とくるとシメタもので、個人に関す る論評は研究発表や論文でしてはいけません、個人攻撃が目的 ではないのです。発表や論文とは、その議論を通して当事者だ けでなく、周囲がどう判断するかが大切で、そこが学問の「公 共性」というものなのです、と強調しておく。そして、論文を 書くこと、発表をすることとは、そういう責任を負うことでも 14 [福田安典/宮本祐規子/飯倉洋一/井上泰至] ■特集執筆者プロフィール ページで詳しく紹介しています ▼福田安典︵日本女子大学教授︶。著書に﹃三輪田米山日記を読む﹄︵共 著、創風社、二〇一一年︶、﹃平賀源内の研究 大坂篇︱源内と上 方学界﹄︵ぺりかん社、二〇一三年︶、﹃医学書のなかの﹁文学﹂ 江戸の医学と文学が作り上げた世界﹄︵笠間書院、二〇一六年︶など。 ▼宮本祐規子︵清泉女子大学・日本女子大学非常勤講師︶。著書に﹃時 代物浮世草子論 江島其磧とその周縁﹄︵笠間書院、二〇一六年︶ など。 ▼飯倉洋一︵大阪大学教授︶。著書に﹃上田秋成︱絆としての文芸﹄︵大 阪大学出版会、二〇一二年︶、﹃秋成考﹄︵翰林書房、二〇〇五年︶、 ﹃秋成文学の生成﹄︵共編著、森話社、二〇〇八年︶など。 ▼井上泰至︵防衛大学校教授︶。著書に﹃雨月物語の世界﹄ ︵角川選書、 二〇〇九年︶ 、﹃子規の内なる江戸﹄︵角川学芸出版、二〇一一年︶、 ﹃江戸の発禁本﹄︵角川選書、二〇一三年︶、﹃近世刊行軍書論﹄ ︵笠 間書院、二〇一四年︶など。 最新刊 ★ 泉鏡花、芥川龍之介、谷崎潤一郎、三島由紀夫、村上春樹。名だたる作 家たちが傑作だと評価した『雨月物語』の奥行きを知るにはどうしたら い い の か。 普 通 に 読 ん で「 な ん と な く 面 白 か っ た 」 と い う 感 想 を こ え、 なぜその作品を「面白い」と思ったのか、それを分析的に自分で解説し ていくにはどうしたらいいのか。 秋成研究会編 上田秋成研究事典 91 ISBN978-4-305-70790-1 C0095 定価:本体 2,800 円(税別) 頁 菊判・並製・カバー装・ 432 15 あるのです、とも。 むしろ、戦略的な論文は、論争相手よりも読者や聴衆を味方 に引き付けることの方を意識して、高度なレトリックの「演技」 をするものであることも紹介する。 「博識で知られる著者に今 後多くを期待したい」などと、一見謙虚な姿勢を示しつつ、実 は相手の決定的な弱点だけは、感情を込めず提示する。相手が 冷 静 に 受 け 止 め れ ば そ れ で よ し、 感 情 的 に な っ て も こ ち ら は 淡々と根拠を持った問いを畳みかけていく。決して個人攻撃は しないが、相手の判断や論拠の誤りは浮かび上がる、そんな恐 ろしい論文もあるのだ、と。上田秋成と怪異の関係の本質を問 わず、各編の登場人物の倫理や人間性を論じて、怪異の問題を 併記する重友毅とその亜流が、往々にして注のない論文を生産 する傾向を、ばっさりと切って捨てる広末保「 『雨月物語』の 文芸性」(『広末保著作集』第三巻)や、宣長の学問的周到さを認め つつ、その独善的なドグマは徹底批判する日野龍夫の一連の仕 事などである。 それと全く逆なのが、ご本人はカッコいいことを言っている つもりで、アクロバティックな論理や読みを実践してみせたり、 あるいは華麗な表現やレトリックを多用したりはしているが、 実際それらは確証や説得力に乏しく、むしろそれを補おうとし ている疑いのある論文で、個人的には、それらを自作自演のサー 」論文と名付けている カス論文、あるいは「 Shall We Dance? が、自分のレトリックに酔う姿勢は見極めないといけないし、 上記の演技が過剰になされた、ナルシステッィクな論文は、 「公」 への貢献を第一義とする社会的な場では、特に初学の段階では 疑問視するべきだ、と名指しはしないが、注意する。私も如上 数々の誤りを知らずにやっているかもしれない。そこは自戒し たいものである。 【特集】論争 ! オピニオン 文学雑誌の休刊 ― 国語科教員が研究を考えるということ ご意見・ご感想募集中です。 info@kasamashoin.co.jp 笠間書院までお寄せ下さい。 メール 21 [広島大学附属中・高等学校] 12 11 古田尚行 編集部注 ▼ 岩 波 書 店 の『 文 学 』 が 休刊 昭 和 年 創 刊。 平 成 年 月末に刊行される 、 月号をもって休刊。 「同 社 は「 大 学 で の 文 学 研 究 に逆風が吹いている状況 や 出 版 不 況 に よ り、 部 数 が減少した」としている」 ( 読 売 新 聞、 二 〇 一 六 年 四月三日)。 ▼『国文学 解釈と鑑賞』 昭 和 年、 至 文 堂 よ り 創 刊。 平 成 年、 ぎ ょ う せ いと業務統合したのちも 刊 行 し 続 け た が、 平 成 年、 二 〇 一 一 年 十 月 号 を ▼こだ・なおゆき。一九八四年生まれ。論文に、「メディア・リテラシー教育の諸問題」『国語教育研究』 五三号(広島大学国語教育会、二〇一二年)、「「らしさ」考: 「敦盛最期」、「木曾最期」の実践から」『論 叢国語教育学』復刊四(広島大学大学院教育学研究科国語文化教育学講座、二〇一三年)、「『古今集』と『伊 勢物語』の想像力―「二条后物語」を軸にした授業―」 『国語科教育研究紀要』四六号(広島大学附属中・ 高等学校、二〇一五年)などがある。 岩波書店の『文学』が休刊するのだとか。この雑誌は今の勤務校に入ってきているので、ちょくちょく 読んでいました。 (學燈社)も休刊になって早五年以 解釈と教材の研究』 (ぎょうせい)と『國文学 『国文学 解釈と鑑賞』 上経つんですね。 休刊にはなってはいないものの、国文学や国語学系の雑誌が販売元を変えて発刊されているものもあり ます。 この原因を単なる社会の人文系軽視という文脈の中でしかとらえていない研究者がいるとすれば、この 流れは当然といえば当然なのではないかと思います。 こうなる前にもっと研究者たちは「この小説のこういうところが面白いんだ!」とか「こんな風に教室 で扱ってもいいのではないか」という提言をしていくべきだったのではないかと思うのです。 28 11 23 8 11 16 研究者の中には、自身の研究成果がどこで活かされているのか、活かされていけるのかを自覚的に発信 している人もいますが、多くの場合はそうではないように感じます。 僕などは文学研究も語学研究も、それを一番に活かしていけるのは教育の場だと思っているので、 「私 はこう読んだ」という単なる上からの高み的なものではなくて、どこか「こんな風に扱ってください」と いう教育の場との共同的な知の営みの中に研究者として立ってくれた方が有益だと思っています。 いずれにせよ大部分は研究者の意識の問題だと思うのです。 いわば作家作品論のような限定された世界の中でしか扱ってこなかったのではないか。 もって休刊。 ▼『 國 文 学 解 釈 と 教 材 の研究』 昭 和 年、 學 燈 社 よ り 創 刊。 平 成 年、 二 〇 〇 九 年七月号をもって休刊。 ▼国文学や国語学系の雑 もちろんすべての研究成果が社会に還元できるわけではないし、純粋に真理なり読みの追求をしていく 誌が販売元を変えて発刊 例えば以下。 ことはあってしかるべきだと思いますが。 ・東京大学国語国文学 会『 國 語 と 國 文 學 』[ 月 刊 ]( 大 正 年 創 刊 ) は、 文学という制度は、社会との接点なしにはありえなかったものです。このことは文学という制度をより 平 成 年 に、 ぎ ょ う せ い 一層強固なものにしてきたわけでもありますが、いつのころからか文学を社会から切り離して、そして文 から明治書院に発行元変 更。 学を他の領域と論じていくことがむしろ文学研究に対する背信行為なのではないかという意識を高めて ・ 京 都 大 学 文 学 部 国 語 学 いったのではないかとも思います。結果として、文学は孤立してしまったというのが実情なのではないか。 国文学研究室『國語國文』 [ 月 刊 ]( 大 正 年 創 刊 ) 作品を多元的なエクリチュールのテキストとしていろいろ関連させて論じてきたはずなのに、文学自体は は、 平 成 年 に 中 央 図 書 新 社 が 破 産 し た た め、 臨 川書店に発行元変更。 21 13 15 付▼その他の近年の休刊 月刊『言語』 (大修館書店) ことばの総合雑誌として 昭 和 年 月 に 創 刊。 平 成 年、 二 〇 〇 九 年 十 二 月号をもって休刊。 26 4 国語科教員が研究を考えるということ…… 古田尚行[広島大学附属中・高等学校] http://monkokugo.blog.fc2.com/blog-entry-230.html ●初出=ブログ「国語科教員の部屋」、 二〇一六年四月四日「文学雑誌の休刊」 研究者たちは失望感や怒りを抱いたのであれば、もっと魅力をプレゼンしていくべきだと思います。 それこそが文学雑誌が休刊に追い込まれてしまったことに対する唯一の供養の形ではないか。 ― 文学雑誌の休刊 研究者はもっと語り方を変えて語らねばならない。 そんなに難しいことではないと思うのですが……。 オピニオン 17 31 23 47 21 「変体仮名あぷり」 「くずし字学習支援アプリ (クーラ」 ) KuLA ―」 MOJIZO ▼ 東 京 外 国 語 大 学 ア ジ ア・ ア フ リ カ 言 語 文 化 研 究 所 特 任 研 究 員。 論 文 に、 「明治検定期読本の 平仮名字体」 ( 『 日 本 語 の 研 究 』 第 一 〇 巻 四 号、 二〇一四年) 、 「小学校令施行規則第一号表おぼえ がき」 ( 『国語国文研究』第一四六号、二〇一五年) など。日本語学会 二〇一四年度日本語学会論文賞。 [東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所] (クーラ) 」 KuLA 習支援アプリが近時たてつづけにふたつリリースされた。 ひとつめは、早稲田大学とカリフォルニア大学ロサンゼルス校 “ The が二〇一五年秋にリリースした「変体仮名あぷり」であり( Android 版は二〇一五年一〇月二九日、 iOS 版は十一月四日。英語版の名称は ▼注 ▼ (以 」 KuLA ) 、そしてもうひとつは、今年の二〇一六年二月一八 Hentaigana app” ▼注 [ 日に大阪大学がリリースした「くずし字学習支援アプリ 下「 KuLA 」 )である。 「変体仮名あぷり」は、早稲田大学と UCLA の連携プロジェクト「柳井正イニシアティブ グローバル・ジャ UCLA 注[ ]のエメリック氏の投稿を見るかぎり、 「変体仮名あぷり」も今後の漢 」は漢字と仮名の両方を含めたものとなっている (ただし、 「 KuLA ているように、「変体仮名あぷり」は仮名を中心としたものであり、 一環として開発されたものである。このふたつの名称の差に現れ 究「日本の歴史的典籍に関する国際的教育プログラムの開発」の のマイケル・エメリック氏が中心となって開発され、 「 KuLA 」は、 大阪大学大学院文学研究科の飯倉洋一氏が代表者の挑戦的萌芽研 パン・ヒューマニティーズ・プロジェクト」の一環として ▼ 「木簡・くずし字解読システム ― レビュー 岡田一祐 ▼注[ ▼ 回で扱ったように、変体仮名やそれに負け ▼ 。 字への拡張を予定しているようである) が文字として認識できず、 「これで読みやすいとはいったい?」な 大学の入門科目で、読みやすいからと言って先生に渡されるもの よい。唯一、 国立国語研究所による「米国議会図書館蔵『源氏物語』 うちにはなく、現在の環境で学びやすいものはなかったといって が稿者の知るかぎ 学習ソフトウェアは楊暁捷氏らの kanaClassic ▼注 [ ▼ りもっとも古いもののようであるが、その後に続くものも管見の これまで古文献の手書き文字は容易に習得できるものではな く、そこにこのふたつのアプリが現れた意味は大きい。変体仮名 どと思ったりもするものである。そんな古文献の手書き文字の学 ▼ のを読むのは慣れと経験が大きくものをいう世界になっている。 2 「変体仮名あぷり」 「くずし字学習支援アプリ 一〇〇年前の日本の手書き文字は、いまの文字の知識ではほと んど太刀打ちができない。そこで、古い文献を扱うには、まず文 情報学月報」のこと)第 字を学ぶ必要があるのだが、本連載 (編集部注・メールマガジン「人文 ▼ ず劣らず漢字の崩し方もいまとは流儀が違っていて、そういうも 8 18 翻字と原本画像を容易に対比できるようにしているのを見るのみ 画像 (桐壺・須磨・柏木) 」が、古文献手書き文字の教材ともすべく、 はなく、筆勢で崩れてしまったようなものも見受けられ、改善の ということもあって、かならずしも典型的な字体が現れるわけで 分があるように思われる。また、両者とも実際の用例から覚える ▼注[ ▼ である。英語圏においても古文献の文字を読み解くのはたやすい ▼注 [ ▼ 余地があるように感じられた。 ▼ ことではないものの、学習用アプリはとくに開発されてもいない 比しながら読み進めてゆく機能や、古文献手書き文字学習コミュ モードや漢字などに発展していくようで、用意された翻刻文と対 り異なる。今後の方針としても、 「変体仮名あぷり」は続け書き あるようである。このようなこともあって、両者は操作感がかな をベースに、テストをこなしていくことで覚えるというところが 」は、国文学 カード方式で一字一字覚えこむのに対して、 「 KuLA 研究資料館の画像データベースなどをもとに、用例つき字書機能 は、早稲田大学図書館の所蔵する古典籍から採字してフラッシュ 取っている。学習法の大きなちがいとしては、 「変体仮名あぷり」 このふたつのアプリは、どちらも覚えはじめようとする初学者 に一字一字文字のかたちと読み方を覚えてもらおうという方式を 「変体仮名あぷり」の開発はよく分からないが、 「 KuLA 」の る。 メリック氏の同僚はほかの文字体系への応用に期待を寄せてい すでに述べたように前近代の手書き文字文化を手軽に学べる手 段があまりないのはひとり日本にかぎったことではなく、現にエ みは尽きない。 また、そもそも読もうという気持ちにはどうしたらなるのか、悩 古文献の利活用ということも現実味を帯びてくるのかとも思う。 るいはこのふたつのアプリに刺激を受けた第三第四のひとびとに の段階から実際の文献を読む段階にはなお容易に達しがたい。あ にときとして研究者さえ読み間違えることを考えると、単字学習 ▼注 [ ▼ よって、この隙間を埋めることができるアプリが今後登場すれば、 ぎない。古文献手書き文字は、おおく続け書きがされ、そのため 」とはこの点も異なるようで ニティなどを支援してゆく「 KuLA ある。画像に関していえば、 「変体仮名あぷり」は一字一字抽出 組み合わせられればさらに便利となるだろうと思わせられた) 。 ソフトウェアは翻字作業の答え合わせができて文字の学習・参照機能とうまく ▼注[ ようで、開発者の同じアプリが見つかるのみであった (ただ、この このアプリは当初の目的をよく達成しているものと思うが、 」の読む機能を試してみると分かるように、単字学習は 「 KuLA それ自体は古文献に親しむというゴールからすれば、序の口にす ▼ ▼ ろ盾のもとに、古書体学が各地で発展する機縁になれば興味深い (クーラ) 」 「木簡・くずし字解読システム― MOJIZO ―」レビュー…… 岡田一祐 KuLA 」は元画像から切り出したそのままで しているのに対し、 「 KuLA あり、まわりの文字も入り込んでしまっているため、字の判別の 「変体仮名あぷり」 「くずし字学習支援アプリ ことだろう。 を拝見するかぎり、人文情 開発者である橋本雄太氏の関連 tweet 報学的な手法がかなり取り入れられているようで、そのような後 ▼ さまたげになっていることがあり、その点「変体仮名あぷり」に レビュー 19 ▼ である。木簡の文字は、木の板や木簡という媒体の特性上、白い 傷んだり、文字がにじむなどの変化を来すなどのことがままある。 う事情があるうえに、地中にあったことによって木簡そのものが 紙に書かれた文字と同じように文字認識を行うことができない。 そこで、画像処理の方法を工夫したり、また文字の大体の範囲を ▼注[ ▼ ▼注 [ ▼ たが、てもとにある画像を判別できるものは管見のかぎりなく、 には、木簡の文字検索システムでの経験が活かされて MOJIZO ▼注[ ▼ の技術基盤になった「木簡字典」 いるという。ここでは、 MOJIZO ということのようである。二〇〇四年ごろに最初期 Mokkanshop ▼注 [ ▼ の構想が公表されている。 そもそも木の板に書かれていて文字と素材とを見分けにくいとい 簡字典」や「電子くずし字字典」を利用して作られたもので、利 」 所の共同の開発による画像引きくずし字検索システム「 MOJIZO ▼注[ ▼注 ▼ がベータ版として公開された。両所でそれぞれ開発している「木 指定することで検索結果の向上を図るなどできるようにしたのが 「木簡・くずし字解読システム― MOJIZO ―」 二〇一六年三月二五日、奈良文化財研究所と東京大学史料編纂 に送信すると、 MOJIZO データベースと照合してかたちの近いものを教えてくれるとい ▼注 う。これまでにも古文献の文字認識を行うシステムは存在してい ▼注[ ▼ 用者の持っている読めない一字の画像を ▼注 ▼注 で培われた類似字形検索機能を 本サービスでは、 Mokkanshop 独立させて「木簡字典」 ・ 「電子くずし字字典」のデータと照合 は できる利用できるようにしたということである。 Mokkanshop 二〇〇八年に一般公開され、現在は新規利用ができない状態に 二〇〇三年度から開発がはじめられ、二〇〇五年に公開されたも 典」は、木簡一点一点の釈読情報を集めたデータベースであり、 は、木簡の解読支援を行うために 「木簡字典」と Mokkanshop 奈良文化財研究所が中心となって開発したものである。 「木簡字 介してみたい。 簡をもっぱらにするのに対して、本データベースは正倉院文書か 対して二十二万余の画像を数えるとのことである。木簡字典が木 られ、二〇〇六年に一般公開されたものである。現在約六千字に データベース化したものである。二〇〇一年度から開発がはじめ もうひとつの「電子くずし字字典」は、東京大学史料編纂所の 開発したもので、古文書・古記録・典籍類から字や熟語を選び、 うになったのは喜ばしいことと言えよう。 なっている。一部分ではあるが、こうして広くサービスされるよ のである。二〇一六年二月の追加更新の結果、現在、収載する木 ▼ 簡は一四、 一七九点、文字画像では八九、 六四八点を数えるとのこ にあるといえよう。また、漢字だけでなく、平仮名も扱えるよう ▼注 ら近世にいたる幅広い紙資料の文字を集めている点で相補う関係 ▼注 [ は、桜美林大学の耒代誠仁氏や信州大学 とである。 Mokkanshop の白井啓一郎氏らの協力を得て開発された釈読支援ソフトウェア にも目を向けつつ、どのようなことができるサー と Mokkanshop ビスなのか、あくまで部外者なりに理解の及ぶかぎりにおいて紹 ▼注 ▼注 ▼注 そこにサービスとしての新規性があるものと思われる。 ▼注 20 である。実物に当たると、漢字か平仮名か判然としないものも多 く、このようなデータベースを画像で検索できるようになると、 前半で紹介した学習アプリの次の段階に移りやすくなるだろう。 で利用できた検索結果を改善する 現在のところ、 Mokkanshop ための画像に対する前処理などは、木簡以外への適用はすぐにと はいかないからか、利用者に任されており、その点に難があるよ うである。画像準備マニュアルも用意はされているが、それが難 の需要があるわけで、技術的な支援が望ま Mokkanshop れよう。また、本サービスはどんな資料の文字でも扱えるような しいから 氏によるレビューなどを参照した [ ]稿 者 未 見。 Aileen Gatten 。 (doi:10.2307/2668366) [ ] http://dglb01.ninjal.ac.jp/lcgenji_image/ [ ] iTunes Store および Google Play 内を検索した結果による。 [ ] https://play.google.com/store/apps/details?id=com.agbooth.handwriting. medieval https://play.google.com/store/apps/details?id=com.agbooth. handwriting.renaissance [ ] http://newsroom.ucla.edu/stories/new-app-helps-students-learnto-read-ancient-japanese-writing-form [ ]木簡・くずし字解読システム http://mojizo.nabunken.go.jp/ [ ]木簡・くずし字解読システム― MOJIZO ―の公開 http://www. (二〇一六年三月二六日) u-tokyo.ac.jp/content/400040782.pdf [ ]木簡画像データベース木簡字典 5 8 7 6 9 11 10 http://jiten.nabunken.go.jp/index.html [ ]東京大学史料編纂所 12 触れ込みであるが、典拠となる類似字形検索データベースの得意・ 。 不得意は十分に考えられる(相撲文字や浄瑠璃本も読めるのだろうか ) ベータ版とは、ひろく一般に協力を得て、安定して使えるかど うか試してもらうために公開するものである。利用者からよい提 案を得て、正式版の完成度がなお高まることを願う。 注 「 「 Digital Japanese Studies 寸見」第 回 [ ]岡田一祐(二〇一五) 「変体仮名のユニコード登録作業はじまる」 」人文情報学月報第 号。 「変体仮名あぷり」 「くずし字学習支援アプリ http://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/db.html [ ]た と え ば、 寺 沢 憲 吾・ 川 嶋 稔 夫( 二 〇 一 一 ) 「文書画像からの 全文検索のオンラインサービス」 『じんもんこん二〇一一論文集』 http://id.nii.ac.jp/1001/00079427/ など。 寺沢氏の技術は、日本文学研究資料館と凸版印刷が共同開発した「古 」にも活かされているとのことである。 文書 OCR 「古文書字形デジタルアーカイブのた [ ]耒代誠仁ほか(二〇一五) めの検索システムの試作」 『じんもんこん二〇一五論文集』 http://id.nii.ac.jp/1001/00146516/ [ ]耒代誠仁ほか(二〇〇四) 「木簡解読支援システムの基本設計と 試作」 『じんもんこん二〇〇四論文集』 http://id.nii.ac.jp/1001/00100470/ [ ]井上聡(二〇一五) 「東京大学史料編纂所「電子くずし字字典デー タベース」の概要と展望」 『情報の科学と技術』六五(四) (クーラ) 」 「木簡・くずし字解読システム― MOJIZO ―」レビュー…… 岡田一祐 KuLA http://www.dhii.jp/DHM/dhm52-1 [ ] Michael Emmerich. The Hentaigana App. H-Japan, 2015. https://networks.h-net.org/node/20904/discussions/94186/ hentaigana-app http://www.waseda.jp/top/news/34162 [ ] https://twitter.com/yuta1984/status/700003313454985218 [ ]本稿にいう(日本の)古文献手書き文字は KuLA にいう崩し字 と同じものを指している。 レビュー 21 ? 52 8 13 14 15 16 17 1 2 4 3 本稿は、初出「スマートフォン向け日本の古文献手書き文字学習アプリが 2 種リリース」 (メールマ ガジン「人文情報学月報」[DHM055]二〇一六年二月二七日)。これに「木簡・くずし字解読シス テム―MOJIZO―」のレビューを新たに追記したものです。(編集部注) ○連載[全三回]第二回 [都留文科大学] 東奔西走・観劇映画日記 加藤敦子 1 15 ンにはお馴染みの人物。第 代国王・正祖の父でもある。 (ユ・アイン)の回想で綴ら 物語は米櫃の中での 日間のサド れる。少年時代、青年時代、息子が生まれ父となった後。政治的 22 いる面白い監督。 (ジュンイク)監督は「王の男」 「ラジオスター」 「ソ イ・ジュニク ウォン/願い」と全くタイプの異なる作品を高水準で作り上げて 演技は圧巻。 らでも見どころを挙げられる作品。英祖を演じるソン・ガンホの 集の力量、親子の葛藤や命を繋ぐという普遍的テーマ等々、いく を行き来する入り組んだ構成の脚本とそれを映像化する演出・編 出した。限られた史料からドラマを構築する手法、何層もの時間 背景を後退させ、三世代にわたる父と息子のドラマを前面に打ち 8 過去の時間層と現在とを行き来する構成を初見で把握しきれ ず、 月 日再見。日本公開は残念ながら未定らしい。 月 日 (木) 1 http://nana-kato.tea-nifty.com 10 ▼近世演劇(歌舞伎・人形浄瑠璃) 。著書に『韓国映画 この容赦なき 人生』 ( 共 著、 鉄 人 社、 二 〇 一 一 年 ) 。 『週刊 江戸』一号~一〇一号 (二〇一〇~二〇一一年、デアゴスティーニ)監修、演劇 DVD 韓国語 いるようです。 10 錦秋文楽公演第二部『玉藻前曦袂』@国立文楽劇場 (サドセジャ)を指す。荘献世子 (チャンホンセジャ)とも呼ばれ、 タイトルは、朝鮮王朝第 代国王・英祖の息子である思悼世子 映画「サド (思悼) 」@ソウル・ピカデリー劇場 その日の芝居が観客の心をとらえると、幕が下りた後の客席は 上気したような空気に満ち、観客は「面白かったね~」と言い合 舞台に仕上がっていた。 形を持ち替えての七化けなど、人形と舞台の演出で満足度の高い で狐に変わる玉藻前双面の首、宙乗り、景事「化粧殺生石」の人 浄瑠璃作品としての評価はそれほど高くなく、カットも多い上 演方式。しかし、金毛九尾の妖狐が主人公とあって、美女が一瞬 少論派・老論派の対立の中で父の英祖によって廃嫡され生きなが 月 日 (金) 19 11 字幕監修など。ブログ 今回は鑑賞本数が少なくてマズイ!と焦りつつ、 年 月から 年 月に見た芝居・映画を数えたら 本。前回比 本減でした。 52 どうやら月 本という達成目標が自分の中で感覚的に設定されて 3 30 11 16 10 ら米櫃に閉じ込められて餓死した皇太子として、韓国時代劇ファ 21 22 いながら興奮さめやらず劇場を後にする。この舞台はまさにそう ング』の演出でトニー賞を受賞しているが、今回の演出にも京劇、 びついて鑑賞。ジュリー・テイモアはミュージカル『ライオンキ ている人だ。キャサリン・ハンターは、日本の公演でも野田秀樹 文楽、歌舞伎の影響が見て取れる。古今東西の演劇をよく勉強し いう公演であり、こういう舞台も今の文楽には必要なのだと思う。 月 日 (木) 『スポケーンの左手』@シアタートラム を拘束し、自分の左手にまつわる出来事と思いを語る。話が進む 設けられ、観客は部屋の中の出来事を覗き見ている形。男は二人 部屋に偽の左手を持ってやって来る。舞台を挟んだ両側に客席が を想起させる。 見えない身体の動きは、パントマイムの神様マルセル・マルソー な舞台美術・演出と相俟って、期待に違わぬ怪演。もはや人間に 能力を見せてくれた役者で、大きな布と縦の空間を活用した大胆 につれ、左手を取り戻すことに執着する男の情けなく滑稽な狂気 開と演出がその狂気を突き抜く。左手探しを暗喩と解釈すること で生で見ていたらどのように見えたのか。どこでもドアがあれば 月 日 (土) 世界中の芝居を見て歩けるのになぁ。 『夏の夜の夢』 月 日 (水) テイモアの演出でキャサリン・ハンターのパックという情報に飛 英国ロイヤル・ナショナル・シアターが世界の話題の舞台を映 ) 」 。ジュリー・ 像化する「ナショナル・シアター・ライヴ ( N T L マーティン・マクドナー、小川絵梨子はどちらも今最も注目し ている演劇人の一人。 りそう。 ある。今後「左手」に接する度に、この舞台を思い出すことにな もできようが、この脚本にはそれを拒否する奇妙なリアリティが が舞台上に充満していくが、 「左手」が「炸裂」する衝撃的な展 「夢」 複数台のカメラで複数日撮影した映像を編集した映像は、 @ブルックリン) の舞台そのもの。劇場( Theatre for a New Audience (中嶋しゅう) 。若い男女が報奨金目当てに男が滞在するホテルの 』( English Version 、原作は筒井康隆「毟りあい」 ) 、 『カフ 『 THE BEE カの猿』(原作はフランツ・カフカ「ある学会報告」)で驚異的な身体 27 マーティン・マクドナー作、小川絵梨子演出。主人公は少年時 代に切断され持ち去られた自分の左手を 年間探し続けている男 26 連載[全三回]第二回 東奔西走・観劇映画日記 …… 加藤敦子 30 バル、一葉に関心を抱く文学青年たちを配して、 「書く女」を見 営為を中心に据え、金策に苦慮する母と妹、萩の舎の親友とライ るために書き続ける一葉を描く。 「書く」という演劇化しにくい いう。作品・日記に丁寧に取材し、戸主として一家の生計を立て 永井愛作・演出。樋口一葉を主人公とした作品で、タイトルは 亀井秀雄「 「物語を書く女」の物語」(『明治文学史』)から取ったと 『書く女』@世田谷パブリックシアター 1 事に際立たせた。一葉の体験が『雪の日』『たけくらべ』『にごりえ』 23 11 N 1 T L 13 などの作品に昇華する瞬間を捉えた場面も面白い。黒木華演ずる 美しく光り輝く「青海波」もさぞやと思いを馳せる。 月 日 (土) 稽にも見せる。観客と一葉の距離感が、一葉の体験と作品の距離 なわ 沖縄芝居『渡地 (わたんじ)物語』 『貞女と孝子』@国立劇場おき 一葉は時に戯画化された演技表現で、それが一葉を愛おしくも滑 感に重なる。 歴史の場面に至るとは。野田秀樹がここまではっきりと戦争への が、訓練を受けた若者たちが人間魚雷に乗り込んで出撃していく すっと受け入れさせるのは野田秀樹の得意技。そのおかしな世界 間魚雷」回天の話だった。おかしな世界のおかしな論理を観客に 「人魚」の話と聞き、科研費でプロジェクト人魚に参加してい ることもありチケット確保。蓋をあければ「人魚」から始まる「人 野田地図『逆鱗』@東京芸術劇場プレイハウス 実際、トークショウで上映された氏の過去の舞台映像は、見るも ある」(筆者が標準語に変換)ときっぱり語られたことに感動した。 伎に東京の芝居の品格があるように、沖縄芝居には沖縄の品格が 舞台に立つ。沖縄芝居の魅力について「沖縄の品格。東京の歌舞 上演前に「沖縄芝居名優によるトークショウ」があり、この日 は與座朝惟氏。両親ともに沖縄芝居の役者で、本人も幼少時から また見たい。言葉がわかる人たちにはもっと面白いはず。 てくると沖縄方言になり、ほとんど聞き取れなかった部分があっ 月 日 (火) 15 院生の希望で一緒に観劇。宮内庁式部職楽部による公演で、演 目は「振鉾」 「長保楽」 「春鶯囀」 。昭和四十二年に復活した大曲「春 たが、 前回同様素晴らしい舞台だった。一家の長・龍吉の「働いて、 韓国人俳優も含め初演キャストが「総とっかえ」(鄭義信)となっ 『パーマ屋すみれ』 ) 上演の一。〇八年(未見) 、 一一年に続く再々演で、 『焼肉ドラゴン』@新国立劇場小劇場 THE PIT (本作、『たとえば野に咲く花のように』 、 新国立劇場の鄭義信三部作 3 鶯囀」一具が見もの聞きもの。舞楽を見るたびに、これほど単調 3 な振りがこれほど力強く面白いことに感嘆し、光源氏と頭中将の 雅楽公演「舞楽」@国立劇場大劇場 月 日 (土) のを惹きつける力があった。とは言うものの、 トークでは興が乗っ 意外なほどコミカルな要素が多く、笑いと涙の人情歌劇。面白い。 !! 道を危惧する芝居を作ってきたことが衝撃であった。 月 日 (火) 沖縄芝居初見。今回の舞台は「沖縄芝居のレジェンドが一同に 会し」た「夢の舞台 」(国立劇場おきなわ)らしい。字幕付き。 12 舞台に幅の狭い階段式の道を設置して、本郷菊坂、龍泉寺界隈 の路地の雰囲気をうまく表現していた。 3 たのは残念だった。言葉がわかればもっと面白かったはず。 16 27 終演後、パンフレット売り場で戯曲の掲載された『新潮』 月 号がばんばん売れていた。 2 2 24 の物語だが、貧しい暮らしの中でこつこつと働くことを美徳とし ツィーラー「ウィーン娘」でいきなり音色が変わり、ウィンナ・ 黄金のホールでのイースターコンサート。プログラムにはウィ ン ナ・ ワ ル ツ を 始 め、 オ ー ス ト リ ア 所 縁 の 楽 し げ な 曲 が 並 ぶ。 働いて…」は観客を涙の渦に巻き込む名セリフ。在日韓国人一家 てきた日本人の共感を呼ぶ芝居である。 が口笛を吹いていた (後で調べたら、今年のウィーン・フィルのニュー イヤーコンサートでも同様に演奏されていたらしい) 。 ワルツに付き物の飛び道具的楽器かと舞台上を見回すと、楽団員 終演後のトークショウで、新国立劇場の芸術監督宮田慶子氏が 「新国立劇場の財産」と評したが、まさに。日本戦後史の一面を 月 日 (木) 完成度の高い様式の中で聴衆を驚かせ楽しませる趣向と演出の 楽しさ。私がウィンナ・ワルツを好きな理由の一つはそこにあり、 切り取った作として、長く上演され続けてほしい。 映画「オデッセイ」 スに歌舞伎の雨団扇やトヒヨを教えてあげたい。 分があるのだが、 「ゼロ」のライアンが娘を事故で亡くしたこと ◯余談 歌舞伎研究やっているのと根は同じと思う。ヨハン・シュトラウ 「火星版 村」というネット評に引かれて見たら、 「宇 宙版ロビンソン・クルーソー」であった。宇宙を舞台に絶体絶命 に囚われているという情緒的背景を持つヒューマンドラマの主人 は一人取り残された火星で生き延びて地球に生還するというミッ ケットになる。公式サイトで購入したチケットは、公認の譲渡売 学的な姿勢は清々しくもあり、危機に瀕した際の彼我の差異を思 の席種・金額を範囲指定して前売の予約登録ができる劇場もあり、 売チケットのキャンセル待ちができる。また、前売開始前に希望 ウィーン交響楽団コンサート@ウィーン楽友協会大ホール はチケット販売の慣習とシステムを根本的に見直すべきだよね。 前売開始時にスマホ握ってトイレに籠城しなくてもいい。日本で う。この差が映画製作にも表れてるのだなぁ。 月 日 (土) ◯番外 は最近、チケット転売が興行主側から問題視されているが、まず S F ついつい新訳の『ロビンソン・クルーソー』を入手し、大塚久 雄を読み返してしまった。 ションに合理的に従事する 買サイトで再販できたりする。キャンセルが可能な劇場では、完 P D F 作品の主人公。その徹底した科 公であったのに対し、 「オデッセイ」のマーク (マット・デイモン) ヨーロッパの主要劇場は、日本からネットで座席を選んでチ をプリントアウトすればそれがチ ケット購入が可能で、 の危機を設定した点で、近年の「ゼロ・グラビティ」に通じる部 30 26 連載[全三回]第二回 東奔西走・観劇映画日記 …… 加藤敦子 25 D A S H 3 3 補遺一点・新出二点 補遺一点 ― に供された「竟宴本」に相当近い なぜ見落としてしまったか? か、といったことなどを、一書にまとめたものである。 一本だったか、もしかするとまさに竟宴本そのものではなかった 言わば完成お披露目祝賀会 月二十六日に (ひとまずの)完成を記念して催された「竟宴」 きょうえん ― 『新古今和歌集の新しい歌が見つかった!』その後 研究の扉 ― だん かん ― ▼ 鶴 見 大 学 文 学 部 准 教 授。 主 要 編 著 書 に『 平 安 文 学 の 新 研 究 物 語 絵 と 古 筆 切 を 考 え る 』( 共 編 著、 新 典 社、 二〇〇六年) 、 『 林 葉 和 歌 集 研 究 と 校 本 』 (単著、笠間書院、二〇〇七年)、『中古中世散佚歌集研究』(単著、青 簡舎、二〇〇九年)、 『伏見院御集[広沢切]伝本・断簡集成』(共編著、笠間書院、二〇一一年)、『日本の書と 紙 古筆手鑑『かたばみ帖』の世界』 (共編著、三弥井書店、二〇一二年)などがある。 久保木秀夫 これまでの経緯 先般、鶴見大学図書館ほか編、中川博夫との共著として『新古 こひつてかがみ 今和歌集の新しい歌が見つかった! 年以上埋もれてい た幻の一首の謎を探る』という小冊子を、笠間書院より刊行し かん す ぼん さてその際、考察の前提として、伝寂蓮筆巻子本切の、元同一 の巻子本から切り出されていった「ツレの数々」を「集められる 一帖のうち、伝 寂 蓮 筆の、もと巻子本だった古写本の断簡 (以下 だけ集め」 、結果十一葉をも見出した、などと大見得を切ってし 0 0 の、これまでまったく知られていなかった新出の異本歌と推断さ 「巻子本切」と呼ぶ)一点を取り上げて、それが『新古今集』巻十一 。ところが刊行後あまり間をおかないう まった (前著「はじめに」) ぎれ れること、かつ分割以前のその巻子本が、元久二年 (一二〇五)三 じゃくれん 。これは鶴見大学図書館に収蔵された古筆手鑑 た (二〇一三年十月) 8 0 0 26 。 という一点がそれだった (前著から通して断簡Lとする。図版一) 一点を示された。すなわち久曽神昇氏『古筆切影印解説 Ⅲ新古 今集編』(一九九九年三月、汲古書院)所収の「伝寂蓮法師筆四半本」 ちに、日比野浩信氏から、これもツレなのではないか?と、図版 )で、右『影印解説』 情報データベース」( http://base1.nijl.ac.jp/~kohitu/ 0 0 0 における「伝寂蓮法師筆四半本」という記載情報を、そのまま登 どうしてそんな、初歩の初歩、以前のミスをしてしまったのか。 思い返せば要するに、論者もデータ作成に携わった「古筆切所収 らないものなのである。にも関わらず、完全に見落としていた。 縦長の冊子本)という情報を鵜呑みにし、そうかこれは元巻子本で 0 0 0 0 録してしまったからであり、かつ、その「四半」(縦二十㎝代前半の 0 0 0 もう、まさしくツレ以外の何物でもないのであった。この、あ り得ないような見落としに、愕然とし、悄然としてしまった。何 はないのかと、図版の確認すら怠って、はじめから調査対象外と してしまったから、だった。 データベースの元データ作成者自身が、データの不備にミス ていたらく リードさせられたというこの為体、まったく笑えない冗談にすら なりそうにない。またそれ以前に、何よりもまず、データのブラッ シュアップができていないこと自体について、お詫びを述べてお かねばならない。ただ、それでも本件、失敗した張本人なればこ その (喜べない)説得力を持てそうなので、あえて開き直ってみる ならば、データベースにもこのような落とし穴が (もちろん意図的 ではないにしろ)ある場合も、やはりある、ということを痛感し、 再認識した次第である。いよいよデータベース全盛の世となりつ つある今、もはや言わずもがな、かと思われもしたが、それでも こうした失態が、わずかなりとも反面教師になればと考え、反省 とともに告白しておく次第である。 補遺一点・新出二点⋮久保木秀夫 ちなみに問題の断簡Lは、縦二十八・二㎝×横二十一・二㎝。こ れまでのツレと同様、巻十一・恋一に属する部分で、『新編国歌大観』 ︱ ﹃新古今和歌集の新しい歌が見つかった!﹄その後 マからすると、見落とすことなどあろうはずがない、あってはな 研 究 の 扉― 27 今回のテー しろ『古筆切影印解説』の『新古今集編』なのであるから、 ▲断簡 L(図版一) では一〇二四~二五番歌に該当している。四行目の最初三文字の 修正痕、四~五行目間の紙継ぎ痕などがやや眼にとまるが、大き な異同は見当たらない。従って竟宴直後に始まる切り接ぎ期にお いても、ほぼ手は加えられなかった部分であると推定されよう。 新出二点 もっともこうした見落とし分の補訂だけでは、さすがに活字化 まではしづらい。かと言って学問的な姿勢としては、きちんと訂 正してもおきたい。さてどうしたものか、といささか困っていた ところ、その後幸いにも、新出の (見落としではない)ツレ二点を さみたれはそらおほれするほとゝきす ときになくねはひともとかめす という一点である。この歌の前後をも含め、 『新編国歌大観』の の成果に基づく) 、その紹介 JSPS25370243 をも含めるならば、単なる補訂ばかりではない、新たな知見をも 見出せたので (なお一部、科研 該当本文を掲げてみると、 だこの断簡Mの出現によって、大変面白い存在となってくるのが、 見栄えとしても、やや物足りないところがないとは言えない。た 子本切のツレとみてよい。歌の部分が欠けており、内容としても や裁断)×横七・一㎝+三・六㎝。寸法・書式・筆蹟から、一連の巻 断簡Iが収まっていて、一続きの料紙・一続きの本文となってい うか、言い換えれば、断簡Mの二行目と三行目との間に、本来は あった詞書が、断簡Mの左半分だった、とみられるのではなかろ 断簡Iの直前にあった作者名が、断簡Mの右半分であり、直後に 出の断簡Mの本文と、見事に合致するのであった。とするならば、 しそめてつかはしける のようであり、断簡Iのちょうど前後に位置する本文が、今回新 返し 馬内侍 五月雨はそらおぼれするほととぎすときになくねは人もとがめず 兵衛佐に侍りける時、五月ばかりに、よそながらもの申 備えた一文になるではないか、とひらめいた。よって以下、それ ら二点を取り上げていく。 ●一点目 前著で断簡Iと紹介した、石川県立美術館蔵手鑑所収・一〇四四 (M。図版二)である。二行分の一葉と、一行 これは架蔵の断簡 分の一葉とを呼び継ぎした一点で、縦二十五・六㎝ (天地の余白をや 番歌の歌のみ二行分が書写されている、 ▲断簡 M(図版二) 28 たのではなかろうか、とも思われてくる。分割されてしまった以 上、断言まではできないものの、可能性はそれほど低くないので は、と推量している。 ●二点目 続いてこれは、昭和美術館蔵手鑑『若菜集』所収、詞書部分の である。この本文もやはり 『新古今集』 に、 み三行分の断簡(N。図版三) 天暦御時、神無月といふことをかみにおきて、歌つか 藤原高光 うまつりけるに かみな月風に紅葉のちる時はそこはかとなく物ぞかなしき (巻六・冬・五五二) のように見えている。料紙自体は縦二十三・五㎝ (×横八・四㎝)と 短いものの、やはり天余白が裁ち落とされているのだろう、一~ 二行目の字高がほぼ十七・〇㎝という寸法は、一連の巻子本切と にも見られるが、詞書は大きく異なる。また『定家八代抄』(巻六・ である。なお当該歌は『後葉集』(巻六・冬・二〇九)や『高光集』(一) 冬・四七七)にも見られ、こちらは自ずと詞書も酷似しているが、 巻子本切と同筆同体裁の同抄断簡の存在などは、おそらく想定し 得ないだろう。 ●断簡Nのもつ広がり よって右断簡Nについても、巻子本切のツレである、と認定し てよさそうである。が、しかしながらそうすると、逆に今度は、 ひとつの小さくない問題が、新たに生じてくることになる。それ 0 は今日知られている『新古今集』の本文において、この断簡Nの 0 0 0 0 0 0 三行は、巻六・冬に入集している一首の詞書であり、一連のツレ である。とすると、断簡Nも確かにツレであるならば、伝寂蓮筆 がそうだったような、巻十一・恋一のものではない、ということ 巻子本切は、巻十一のみならず、巻六の一軸もまた、とある時点 までは伝存しており、分割対象となっていた、ということになる であろうか。 しかし、ここでぜひ検討してみたいのが、もうひとつの可能性 である。すなわち『新古今集』の、それこそ竟宴本という最初期 の段階においては、実はこの高光詠も、恋歌として扱われ、巻 十一のうちの「冬の恋歌」歌群 (一〇二八~三〇)あたりに配され ていたのではなかろうか…?という可能性である。もちろん現状、 指摘できるのはせいぜいがこの程度に違いなかろう。また実際、 補遺一点・新出二点⋮久保木秀夫 この高光詠を恋歌として読めるのか、という問題もあろう。けれ ︱ ﹃新古今和歌集の新しい歌が見つかった!﹄その後 一致する。また書式・筆蹟などからしても、ツレと判断できそう 研 究 の 扉― 29 ▲断簡 N(図版三) 昭和美術館蔵[二次使用を禁じる] ども、都合十四点見つかった巻子本切のうち、十二点までもが (新 出異本歌記載の断簡Xは、念のため含めないでおく)ほぼ確実に巻十一と いう状況下、断簡Nが巻六であった蓋然性と、巻十一であった蓋 然性とは、どちらが果たして、高いであろうか。 『新古今集』の巻十一に「藤 ともあれ前著における結論からは、 原隆方朝臣」の「新しい歌」を持った伝本が見出されれば、それ はまさに竟宴本に該当する本文であるかもしれない、という可能 性が導き出された。それに加えて、本論にも相応の妥当性が認め 0 0 0 られるのであれば、竟宴本の本文はまた、前述高光詠が巻十一に 含まれており、かつ、巻六には含まれていないものでもあった、 ということになりはしまいか。 些細な徴証、と言えばそれまでだろうけれども、しかしこれま でまさに幻とされ、具体的にどのような本文だったのか、誰も知 ることのできなかった竟宴本の姿が、少しずつ、少しずつ、立ち 現れ始めてきている、という手応えがある。 『新古今集』の伝本・ 【目次】 ご挨拶 [鶴見大学図書館 図書館長・二藤 彰] はじめに―新出歌は、古典文学研究の推理小説的な面白 さや奥深さを伝える。 [久保木秀夫] 第 1 章 『新古今和歌集』新発見の一首の謎を探る―紹 介と考察―[久保木秀夫] 第 2 章 作者・解釈・配列 [中川博夫] ●主要参考文献 ●鶴見大学図書館のご案内 ISBN978-4-305-70741-3 C0093 定価 : 本体 800 円(税別) 菊判・並製・60 頁・フルカラー 本文に関する、あらためての、徹底的な調査研究の機運が、いよ 本書は、その『新古今和歌集』新出歌を記載している断 簡について、あらためて紹介し、かつ関連資料を徹底的 に集めた上で考察するものです。 鶴見大学日本文学会・ドキュメンテーション学会/鶴見大学図書館[編] 日本古典文学研究の推理小説的な面白さや奥深さ、必要 性、重要性を存分に伝えるエキサイティングな書。本書 の原本資料を活用した、書誌学的・文献学的方法に基づ く論述は、古典文学研究の魅力をあますところなく伝え ます。図版多数掲載、フルカラー。 久保木秀夫・中川博夫著 いよ高まってきたと言ってよいのではなかろうか。 ︻付記︼ご所蔵資料の調査研究、及び断簡Nの学術利用をご快諾下さっ た昭和美術館、仲介の労をお取り下さった田中大士氏、及び、断簡 Lの図版掲載に際しご高配賜った日比野浩信氏に厚く御礼申し上げ る。なお以上の十四点以外にも、ツレが数点現存している(らしい) という情報を、数名の方からご教示いただいている。大変に不躾な がら、ご所蔵者の方々による公表を鶴首している次第である。 800 年以上埋もれていた幻の一首の謎を探る 新古今和歌集の新しい 歌が見つかった ! 2012 年、鶴見大学図書館に「古筆手鑑」一帖が収蔵さ れ、その中から、 『新古今和歌集』の歌としては、これ までまったく知られていなかった一首が、新たに発見さ れました。鎌倉時代のごく初期に書写された巻子本を、 主に観賞目的で分割した、いわゆる古筆切(断簡とも) の一葉として、それは姿を現しました。 ◎ 2014 年 10 月刊行 30 Report Kasama Vol.60 学界広場 学 界 広 場 31 http://kasamashoin.jp/jihyo.html 。 「下手なエッセイ」に分類することはあっても、小説と呼ぶことはなかろう) しかし、日本の近代小説を読んでいるとしばしば、これと似た ようなことをいう作品に出会う。文章を書くことを生業として いるらしい「私」が、作品を書こうとしているが、さまざまな 要因により、ついにそれを完成させることができない (この書 評が完成に到らないと私としては非常に困るが)というような――。 そうした「小説」は、なぜ「エッセイ」ではなく「小説」た り得ているのであろうか。著者は、かつてある留学生に、志賀 直哉の『城の崎にて』を薦めたところ、「興味深く読んだけれ ども、これは「小説」ではなくてエッセイなのではないか? という質問を受けた」のだが、「決してそのようなことはない、 『城の崎にて』は発表当時から理想的な「小説」として高く評 価されてきたのだ、と、とりあえずは答えてみたものの、実は エッセイではないという理由をうまく説明でき」なかったとい 。 う (第七章、一五九頁) この経験は本書で述べられる論が生まれる一つのきっかけと もなったようである。本書はこのような「『城の崎にて』はな ぜエッセイではなく小説といえるのか」 「なぜ日本の小説には 小説家の主人公がよく登場するのか」といった素朴なレベルに 始まって、小説を小説たらしめているものは何か、言文一致体 の誕生と普及のなかで小説家たちは、小説を小説たらしめるた めに、どのような試みを行ってきたのかに関わるさまざまな疑 問に答えてくれる。それによって、本書は優れた近代小説論で メモ▼学界時評として、学界広場のバックナンバーはインターネットで公開中です。 書評 安藤 宏 『「私」をつくる――近代小説の試み』(岩波新書) ○日置貴之(白百合女子大学) 近代小説の専門家による書評は他の媒体にいくらでも掲載さ れるであろうから、目先を変えて素人の感想を、というのが編 集部の意図なのであろう。それにしても無謀を承知で、近代文 学の研究をするわけでも、また小説を専門とするわけでもない のに (ついでにいえば、かつて末席ながら著者の講筵に連なり、学恩を受 けた身でありながら不遜にも) 、私がこの書評をお引き受けしたの は、本書が実に面白かったからである。にもかかわらず、こう して筆をとってみると、何を書いたものか考え込んでしまうの である――と、ここまで読んでこの文章が「小説」であると思 う読者はいないだろう。何しろ題名に「書評」と書かれている のだから (「評」と呼べるほどのものではなさそうだ、と思われた読者も、 32 …………書評 ● 安藤宏『 「私」をつくる ― あることは当然として、統一的な問題意識に支えられた近代小 説史ともなっている。 著者の説明に従えば、近代小説は世界を統一的な視点から整 合的に語り得ると考え、これを実践した点に特色があるが、そ こからはさまざまな矛盾が生じる。たとえば、 「世界を俯瞰的 に語る視点と、現場の実況中継的な視点」の両立はかなり困難 な問題である。そこで登場するのが、どの近代小説にも存在す る「 隠 れ た 演 技 者 」(著者はそれを人形浄瑠璃の黒子に例える)で あ る。この演技者は、上述の矛盾を解消するために、作中で独自 。 この演技者こそが、 のパフォーマンスを繰り広げる(「はじめに」) 本書の題名にもある「私」である。 言文一致体小説の試みの初期においては、人称の概念が存在 「伝統的な和文体の利点を活か しなかった (あるいは希薄だった) しつつ、なおかつ小説全体を統括する主体を創生する」ために 工夫がなされた。その結果生まれたのが、作中である時は「一 人称的視点」を、 またある時は「三人称的視点」をよそおう「私」 であったという。語りが全知の視点に立つ三人称小説では、本 来すべての人物の内面心理が断定されうるはずだが、そこには しばしば登場人物の内面心理を推定する表現が現れる。著者は これを「黒子としての「私」 」が姿を現し、 「場面に内在的な実 況中継の役割を果た」しているのだと説明する (第一章、十八~ 。 こ う し た「 私 」 に よ る 演 技 は、 い わ ゆ る 一 人 称 小 説 の 九頁) 場合にも見られる。一人称小説のなかの「私」は、 「潜在する 「描く私」によってバイアスがかけられ、 自在に変形された「私」 。近代小説は、このような「私」と、 「私」 である」(同、二十頁) に対置される「あなた」が、時と場合に応じて顔を出したり/ 出さなかったり、さまざまなふるまいをして見せることで、小 説たり得ているというのが著者の論の要諦であろう。こうした 学 界 広 場 る 議 論 が 本 書 の 主 題 で あ る と 思 う 方 も あ る か も し れ な い が、 著 者 は こ の 概 立場に立てば、 「一人称小説」「三人称小説」という区分は本質 的なものではなくなり、また近代小説史は「私」や「あなた」 の活躍の度合いのせめぎ合いという一本の軸から捉え直すこと ができるなど、かなり近代小説の見え方が変わってくる。 これらの論のかなりの部分は、著者の前著『近代小説の表現 機構』(岩波書店、二〇一二年)においてすでに説かれており、内 容の上で重複する点もある。しかし、 完全に書き下ろしであり、 新書という形式で刊行された本書においては、問題意識がさら に徹底され、また専門知識を持たない読者にもより理解しやす い も の と な っ て い る。 著 者 は、「 私 小 説 」(題名から私小説に関す 念そのものに関しては、あえて最後の第八章まで論じない)に関する従 来の議論を概説した上で、 「私小説」をめぐる問題は、作家論 (書いた作者はどのような人 物であったのか)だ け で は 解 決 で き な い し、 表 現 論 的 視 点 (純 粋に言語の構築物として作品を検討する立場)だけでも解決できな いし、また文化論的視点 (社会的歴史的な表象として小説を捉える 立場)だけでも解決できない。あえて言えばそれらのすべて を視野に入れた上で、作者と読者がそこでどのような綱引き を演じていたのかを、表現に潜在する「私」の演技性、とい う観点から明らかにしていく“複眼”が不可欠なのである。 (第八章、一八五頁) と述べる。研究の世界に関していえば、おそらく今日では単純 に作家論だけに立つことも、表現論にのみ寄りかかる姿勢も成 り立たなくなっているのではないかと思う。しかし、曲がりな りに教室で文学を扱ってみると、過剰に作品の上に作者を投影 近代小説の試み』(岩波新書)…日置貴之 33 http://kasamashoin.jp/jihyo.html ) 1 5 7 2 交差する歌舞伎と新劇』(森話社)など。 舞伎史』(笠間書院)、共著に、神山彰編『近代日本演劇の記憶と文化 文学部講師。著書に『変貌する時代のなかの歌舞伎 幕末・明治期歌 ▼日置貴之(ひおき・たかゆき)。一九八七年生まれ。白百合女子大学 岩波新書 (新赤版 発売日二〇一五年十一月二〇日 ISBN978-4-00-431572-8 定価 (税込)八二一円 中世の能楽に関して竹本幹夫氏 (「『文学』創刊八十年に思う」『文学』 十四 ―三、二〇一三年五月) 、近世の歌舞伎に関して児玉竜一氏 (「歌 舞伎の研究をめぐる壁」『リポート笠間』五十五、二〇一三年十二月)が指 摘するように、演劇研究と文学全般の研究の間の懸隔は近年か なり広がっている。外側から眺める限り、近代文学研究の世界 でも、状況は似たようなものかと思う。これにはもちろん、演 劇研究の側にも大きな責任があり、研究をより開かれたものに していかねばならないのだが、小説 (に限らず他ジャンルの)研究 者からも思い切ってボールを投げ込んできていただき、その上 で対話をしていくべき問題ではないだろうか。 ただ、このように書いてきたが、一方で近代文学の「主役」 が小説であることは認めざるを得ない。あるいは近世演劇研究 者の贔屓目もあるかもしれないが、近世において演劇は、ほぼ あらゆる「小説」ジャンルに大きな影響を与えた、極めて大き な存在であったはずである。それが近代に入ると (先述の「大正 戯曲時代」のような時期こそあれ) 、小説に対して優位を譲る最大の 要因は、あるいは言文一致体小説の試みのなかで、本書が解き 明かすような「「私」をつくる」さまざまな表現を小説が獲得 したことなのではないか、などと本書を読みながら想像した。 近代小説以外に関心を持つ者にとっても、極めて刺激的な一書 である。 メモ▼学界時評として、学界広場のバックナンバーはインターネットで公開中です。 したり、テクスト以外に注意を払わない(往々にしてテクスト「にも」 注意を払っていない?) 「文学の読み方」はまだまだ横行している ことに気がつく。 「あとがき」に今日、 「一定以上の年季を積ん だ大学教員は、すべからく、自身の習得してきた読解のスキル を一般に役立ててもらう責務を担っている」(二〇四頁)という 言葉があるが、本書が広く読まれ、多くの人が近代小説の魅力 を再発見することを期待する。 こ の よ う に、 本 書 は 強 い 問 題 意 識 に 貫 か れ た 内 容、 そ し て 平易な文章によって近代小説の面白さを門外漢にも伝えてくれ る。一冊の書物としてのまとまりを考えても、本書にこれ以上 を求めるのは無い物ねだりであろうが、著者に答えてもらいた い疑問はまだまだ尽きない。素人の浅知恵でいくつか例を挙げ れば――俳句革新は小説に「挫折」した正岡子規や高浜虚子に よって成し遂げられるが、彼らの俳句と小説の関係をどう捉え るべきか、また主観句/客観句といった概念をどう考えるか。 小説において、自然主義・耽美派・白樺派・新技巧派が並び立ち、 「近代を代表する名作のかなりの部分が発表された黄金期」(第 七章、一七〇頁)であり、私小説という言葉が、 「用語として固まっ てくる」(第八章、一七六頁)など、著者の問題意識からしても非 常に重要な時代である大正半ばは、 「大正戯曲時代」と呼ばれ る近代戯曲の黄金時代でもあったのであり、その担い手は少な からず重なるわけだが、両者の関係をどう見るか、などなど。 「 「私」をつくる」上での試行錯誤というと、小説特有の問題の ように見えるが、この問題意識から出発して、さらに詩歌や戯 曲といったジャンルにも言及することは不可能ではないように 見えるし、著者ならではの斬新な論が生まれるように思われる。 特に演劇を研究するものとして期待したいのは、小説研究者 からの積極的な演劇 (戯曲)への言及である。近いところでは、 4 34 (立命館大学) ● 川崎佐知子/入口敦志/吉田幹生/吉野朋美/黒石陽子/城﨑陽子/植田 麦/小助川元太/石澤一志/橋本貴朗 廃仏毀釈の影響もあり、門跡・尼門跡寺院における文事の解明 が難しいことをあらためて思い知らされた。 材質調査から保存へ』 (思文閣出版、 米田該典『正倉院の香薬 二〇一五年)は、一九九四年開始の第二次正倉院薬物調査に参 加し、庫内に伝存する香薬の材質調査を実施した著者による報 告と論考である。奈良時代のごく限られた期間に献納された宝 物が、ほとんど手つかずの状態で保管されてきた唯一無二の事 例、しかも有機物の文化財を、いかに調査し、保存へとつなげ るのか。理化学的な調査ではあるが、意外にも、文書や文献の 引用が多い。正倉院では、奈良時代以来、曝涼や宝物の所在確 認などがしばしばなされている。宝庫の修理も一度ではない。 現代の調査は、多少意味合いは異なってきていても、長い年月 をかけて継続されてきたものの一環なのである。香材や香道具、 調度などへの言及もあり、興味深い。毎秋の奈良国立博物館(奈 良県奈良市)での正倉院展の鑑賞が変わる一冊である。末尾近 く、最近の文化財保存に対する風潮を懸念し、 「どんな財物で あれ保存を考えるとき、 はじめには財物の内実を知って欲しい」 とした著者の主張に共鳴する。 小川剛生・川﨑美隠・出村奈那恵「直江兼続一座漢倭聯句百 韻「 楓 散 風 紅 色 」 注 釈 」( 『 三 田 國 文 』 第 六 十 号 二 〇 一 五 年 十二月)は、文禄二年(一五九三)秋の張行とみられる標題漢 和聯句百韻の翻刻と注釈である。百韻の各句に、句意と付合の 面白かった、この三つ …………………………川崎佐知子 …面白かった、この三つ (思文閣出版、二〇一六年) 宇野日出生編『京都 実相院門跡』 は、天台宗山門派の門跡寺院実相院(京都市左京区岩倉上蔵町) を特集する研究書である。京都府京都文化博物館(京都市中京 区)での平成二十七年度特別展「実相院門跡展―幽境の名刹―」 ( 会 期、 二 〇 一 六 年 二 月 二 十 八 日 よ り 四 月 十 七 日 ま で ) の 開 催 にあわせて刊行され、同展覧会の図録の役目も兼ねる。 「論考」 冒頭の宇野日出生「総論 洛北岩倉と実相院門跡」にあるとおり、 同書は、実相院に伝存する古文書約四〇〇〇点の調査を基礎と した研究論文集である。はじめ紫野今宮北(京都市北区)から 今出川小川(現在の京都市上京区五辻通油小路)を経て、応仁 文明の乱の戦禍を避け、現所在地の岩倉上蔵町へ移転した実相 院の沿革から、門跡寺院としての寺格が確立される過程が説明 されている。ついで、寺院を構成し、全般を支える衆徒・坊官 以下の人員に及ぶ。各論は、建築・庭園・絵画・彫刻・文学・ 史料の計八名の研究者による。東山天皇の中宮承秋門院御所を 移築した建造物と、 京狩野四代の狩野永敬の作品を含む襖絵を、 展覧会の実物と、豊富なカラー図版により確認できる。詳細な 史料調査が、最も理想的な形に結実しているように感じた。強 いて難をいうならば、歴代の門跡側の史料に乏しい点である。 学 界 広 場 35 http://kasamashoin.jp/jihyo.html にされており、ここにもまた、朝鮮王朝の対日本政策が関わって いたのである。日本における朝鮮本をめぐる状況には、二重の意 味で意図的に形成された偏差があったことになる。経済原理だけ で書籍が流通していたわけではなく、すぐれて政治的な事柄でも あったのだ。長崎を窓口としてもたらされた唐本にも同様の状況 はなかったかと勘ぐってみたくもなる。研究の性質上、何があっ たかということは立証しやすいが、何がなかったかということは 立証がむずかしい。そのなかで、朝鮮から受け取らなかった、あ るいは受け取ることができなかったものがあったことを明らか にしたことの意義は大きいと思われる。この論文が提起した問題 は、書籍流通だけではなく、政治・文化全般にわたって、今後更 に考究すべき課題だろう。 伝奇的な小説は、非日常的であればあるほど面白い。どれだけ 日常的な想像力からかけ離れた世界を見せてくれるのか。読者は そこに期待して読むものだろう。しかし、だからといって全くの 絵空事ではリアリティがない。物語や小説の研究において、典拠 論が盛んなのはこの点に起因しているのではないだろうか。全く の未知の世界では、リアリティがわかないのだ。だから、既知の 典拠を踏まえることでリアリティを確保するということが、一つ の方法となっていると思われる。しかし、リアリティを保証する ものは、 典拠だけではない。作者も読者も日常生活を営んでいる。 米の飯を食べ、着物を着、木と土と紙でできた家に住む。あまり にも当たり前すぎて見落とされてきた、リアリティを支える日常 があるではないか。近衞典子『上田秋成新考 くせ者の文学』 (ぺ りかん社、 二〇一六年) はそのことを提起する。当代性がそのキー ワード。その象徴ともいうべきは第一部第三章で採りあげられた 「夢占と鎮宅霊符」であろう。秋成と同時代を生きた人々、すな わち読者となる人々にとっては、妙見信仰の護符などは極々身近 メモ▼学界時評として、学界広場のバックナンバーはインターネットで公開中です。 詳解が付されており、 たいへんありがたい。張行された背景や、 文禄頃の文壇の様子、個々の連衆の伝記など、まだまだ考察の 余地がある。直江兼続の漢籍蒐集、謡曲との関連など、さらな る研究の進展を期待する。語釈・典拠や付合を見ると、連衆の 教養・関心の拡がりがうかがわれる。注釈には、必ずしも文献 として残っているわけでもなく、共通したテーマも方向性もな く拡散・展開する一座の認識や常識に、徹底的に寄り添ってい かねばならない。作業の困難は推して知るべし、である。学部 演習の輪読から、卒業論文にまとめた成果がもととなっている と仄聞したが、ただただ敬意を表するのみである。 ▼川崎佐知子(かわさき・さちこ)著書に『 『狭衣物語』享受史論究』 (思 (国文学研究資料館) 文閣出版) 、共著に『中臣祐範記 第一 史料纂集 古記録編』 (八木 書店)など。 ………………………入口敦志 徳川時代の朝鮮通信使といえば、善隣外交の象徴としてとら えられている。そのため我々は書籍の流通においても、友好的に 輸入が行われていたと思いがちである。しかし、実際には朝鮮王 朝によって統制されていたことが明確にされた。阿比留章子「対 馬藩における朝鮮本の輸入と御文庫との関係について」 ( 『雅俗』 第一四号、二〇一五年七月)である。論文の主眼は、対馬藩の御 文庫からどのようにして幕府や林家に朝鮮本が献上されていた かということにある。そこには対馬藩の対幕府(林家)政策とも いうべき思惑があったことが浮き彫りにされる。また、朝鮮王朝 によって朝鮮本の日本への移譲が統制されていたことも明らか 36 …面白かった、この三つ (成蹊大学) ▼入口敦志(いりぐち・あつし)。著書に『武家権力と文学 柳営連歌、 『帝鑑図説』』(ぺりかん社)など。 ………………………………吉田幹生 黒田徹『万葉歌の構文と解釈』(万葉書房、二〇一五年六月) 論の厳密さを追求することが対象作品の文学性を掬い取るこ とに必ずしも結びつくわけではないし、時に例外を認める勇気 が必要であったりもする。しかし、そのことを免罪符に自由気 ままな解釈をすることは許されない。 「万葉歌を正確に読解す るためには、現在では既に訓が固定して、訓み方の上で特に問 題がない歌であっても、感覚で読むことをせずに、語句の切れ 続き、係り受けの関係を詳しく検討し、一首の構文を正しく把 握するように心掛けることが大切である」と始まる本書は、万 葉歌の解釈について、一首一首丁寧な吟味分析を施していく。 これまでなんとなく通説に従い理解していた歌々についても、 その問題点が指摘され別解が提示されていく過程は、実に痛快 である。古典作品を解釈するためには、そこに用いられた言葉 や表現に即して、まずは作品を丁寧に読み解くことから始めな ければならない、という基本的な心構えを改めて教えられた一 冊であった。 『国語と国文学』特集「教育と研究」(二〇一五年十一月号) 自身の研究成果を社会に向けて発信することは研究者の重要 な責務の一つである。しかし、研究内容が専門的になればなる ほど、当該分野に習熟した特定の研究者集団に向けて論文を書 くことになりやすく、その反動として、専門家以外の人たちに とってはよくわからないものになってしまいがちである。「教 ● 川崎佐知子/入口敦志/吉田幹生/吉野朋美/黒石陽子/城﨑陽子/植田 麦/小助川元太/石澤一志/橋本貴朗 にあったあたりまえのものであったはずである。ただ、当時のあ たりまえは現代の我々にとってはあたりまえではない。そのこと を丁寧に掘り起こし、 物語としての結構のなかに位置づけていく。 そして当代文学としての『雨月物語』を支えたリアリティは、ま さにここにあったのだと気づかされる。秋成もまた、秋成の読者 と同じ時代に生きていた一生活者であったことを忘れてはなら ないだろう。 次にとりあげるのは、国文学のものでもなく、最新刊でもない のだが、 お薦めしたい一冊。黄仁宇 『万暦十五年 一五八七 「文明」 の悲劇』 (稲畑耕一郎・岡崎由美・古屋昭弘・堀誠訳、東方書店、 一九八九年八月(中華書局、 一九八二年中国語版) (イェール大学、 一九八一年英語版) ) 。中村幸彦に「一つの作品、一時代の作品群 などすべてに就いて、この年輪の図が示す如き、輪切りの時代時 代の文学生活の実態と、そしてこの年輪図を縦にたどってその推 移を詳らかにすることが文学史の基礎作業である」( 「近世的表現」 ( 『中村幸彦著述集』第二巻) 、 「近世文芸賸稿」 (同第三巻)でも 言及される)との言がある。該書はそれと同様の構想を、歴史の 叙述において高次に実現したもの。歴史を万暦十五年で輪切りに し、その年輪を構成する人物・事象について丹念に描いていく。 何もなかったように見える万暦十五年という年に、中国の歴史に おける病理のようなものを見いだし、 それを深くえぐって見せる。 記述そのものは資料に基づいた淡々としたものであるが、次第に そのうねりのようなものに巻き込まれていくような感覚になり、 一気に読み終えてしまった。ドストエフスキーの長編小説を読ん だときの読後感に近いだろうか。末尾に置かれた李贄(李卓吾) の章は特に印象深い。単に実証するだけではなく、現代に通じる 明確な問題意識があり、まさに鑑としての歴史になっている。構 想・方法・叙述など、いろいろな面において刺激的である。 学 界 広 場 37 http://kasamashoin.jp/jihyo.html (中央大学) 研究をひらい 文学研究の成果や面白さを魅力的に伝える ていくことを、まさに実践していると感じた最近のもの三つを 取り上げる。 横山泰子「小人島はどこにあるのか」『文学』〈特集〉近世の異 国表象(十一・十二月号、岩波書店、二〇一五年) タイトルからして想像が膨らみ、そして不思議に思う。なぜ、 0 「小人島」なのか。 幻覚が神話や伝承を生むという観点から本論は語り始めら れ、西洋に多く見られる小人の活躍するおとぎ話の例、日本で は生活圏に小人の群れがいる話がないこととその理由が次々と テンポ良く語られる。飽きない。さらに、近世初期の日本の地 図で「小人島」が北方に描かれること、その「島」の表象をめ ぐる考察、草双紙類から見る異民族としての小人への江戸人の まなざしが具体的に論じられる。図版の小人がどれもかわいい。 ― ………………………………吉野朋美 院)、共編著に『データで読む日本文化』(風間書房)など。 ▼吉田幹生(よしだ・みきお)。著書に『日本古代恋愛文学史』(笠間書 ろう。氏は後者をさらに詠歌のきっかけとなる直前の男の言葉 を基準として、歌ことば・名問い・それ以外に細分化するのだ が、女性からの詠歌という大きな括りのもとで議論するのでは なく、このような選別作業がこれからは大事になってくると思 う。従来もこういう分類が等閑視されていたわけではないが、 「女からの贈歌」という大雑把な問題設定ではもはや概念が緩 すぎることを改めて痛感させられた。 メモ▼学界時評として、学界広場のバックナンバーはインターネットで公開中です。 育」に限らずとも、自身の研究内容を平易に語ることは、避け がたい今日的なテーマとなっている。本特集号には、中学高校 および大学の教員十四名による実践報告や論考が収められてお り、いずれも興味深く読まされた。特に、久木元滋昌氏の「果 たして、国語・国文学の研究者たちは、 「裾野の拡大」に努め ているであろうか。彼らは、自分の研究している対象が、いか に知的にスリリングで面白いのかということを、若い人たちに 向けて発信しているであろうか」という問いかけや、中野貴文 氏の「我々古典研究者は、未だ専門性を身につけていない学習 者に対し、十分に門戸を広げられているであろうか。ともすれ ば、その敷居を上げようとはしていまいか」という自問の声に、 はっとさせられるものがあった。と同時に、上野誠氏の論考に 紹介された植垣節也氏の「むかし、 「古文」といってゐたころ の国語の授業は、 先生の自己陶酔の場面がよく見られた。 (中略) 無茶な話であるが、その代はり国語の時間はたのしかった」と いう回想にも共感を禁じえなかった。入口を低く設定すること と出口を高く保ち続けること、その兼ね合いが重要なのであろ う。 風 岡 む つ み「 『源氏物語』贈答歌考―いわゆる女からの贈歌を めぐって―」 『同志社国文学』 (二〇一五年十二月) 近 年、 女 性 か ら 和 歌 を 詠 み か け る こ と を 問 題 に し た 論 考 に 接 する機会が増えたように思うが、女性からの詠歌という共通点 にのみ注目し異質な要素に十分な配慮が払われていないと感じ られるものも少なくない。そのような現状に対して、風岡氏が 「女側が男に装束などを贈る際に女が詠んだ歌が添えられてい る場合」「女の歌の前に男の言葉があり、それをきっかけとし て女が歌を詠んでいる場合」など状況ごとに五つに大別してい るのは、問題のありかを明確にするという点で重要な作業であ 38 …面白かった、この三つ 65 ● 川崎佐知子/入口敦志/吉田幹生/吉野朋美/黒石陽子/城﨑陽子/植田 麦/小助川元太/石澤一志/橋本貴朗 39 江戸時代、小人は身近にはいないがさまざまなレベルの書物に 思った次第。 描かれることでよく知られ、また小さくか弱いが故に好まれた 『国語と国文学』特集「教育と研究」(二〇一五年十一月号) 異民族だったのだ。 乖離しがちな国語教育と国語国文学研究の架橋をこころみる が、明治になり西洋の目にさらされたときに、自分たち日本 企 画 が 相 次 い で い る( 二 〇 一 五 年 十 月 の 和 歌 文 学 会 学 会 創 立 人こそが「小人」だったのかもしれないと気づいたことが指摘 六十周年記念シンポジウム、二〇一六年一月『日本文学』 号 されるくだりで、気づかされるのである。小人島、小人の話は、 など。少し前では岩波書店『文学』二〇一四年九・十月号、同 0 日本の対外認識の歴史的経緯を明らかにし、矮小な島国である 年 十 一 月『 リ ポ ー ト 笠 間 』 号 の 特 集 も あ っ た )。 私 を 含 め、 日本自らのアイデンティティの問題に帰着するのだということ この分野の研究教育に携わる多くの人が現状に危機感を抱いて を。わくわくおもしろく読めて、ちょっとこわい論文である。 いることのあらわれだろう。 安 藤 宏『「 私 」 を つ く る 近 代 小 説 の 試 み 』 ( 岩 波 新 書、 本 誌 に お さ め ら れ る の は、 中 学 高 等 学 校 の 教 員、 大 学 教 員 二〇一五年十一月) 十四名による授業実践の具体的な報告と、これからの教育と研 究のあり方にむけたそれぞれの提言である。いずれからも大い 近代小説において、どのような文体・視点で語るか、つまり 「言表主体」 (語り手)である「私」にどのようなふるまいをさ に示唆を受けたが、 大谷杏子「生徒の『今』を広げる授業」(副 せているかを明らかにすることによって、小説の表現構造を明 題略、以下同)、小林俊洋「和歌文学研究と高等学校における らかにする一冊。著者はこれ以前に研究書『近代小説の表現機 授業実践について」は、研究者による研究成果を教材作品の読 構』(岩波書店)を上梓しており、本書はその成果を一般向け 解に生かし、 生徒の主体的な読みにつなげる工夫をすることで、 にわかりやすくひらいたものである。 より深く作品を理解しながら現代に通じる問題意識を養う授業 実践の報告で、特に興味深かった。男子校に勤める大谷の、 『讃 有名な小説の一節が具体的に多く挙がる。それらが手際よく 分析されるのを読むだけでも楽しいし、本書を読むと、それま 岐典侍日記』の読解にキューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』を援 で小説を漫然と読んでいたことがもったいなく思える。それに 用する発想、『古今和歌集』の学習後、生徒に恋歌を創作させ しても、「私」がこんなにも読者をつねに意識し、共感を求め、 実際に女子校に送ることで恋歌の贈答を体感させた同僚教員の 「架空の共同体」を作らんと努力しているとは。 授業実践はユニーク。また和歌における「視点の重層性」を理 解させるために、その和歌世界を別形式に創作させる小林の実 しかし、思えば表現というものは相手の共感を得るために工 夫されるものである。私の主な研究対象である和歌も、物象に 践は、自分も取り入れたいと思うものだった。 託し、別のものに見立て、豊かなイメージを内包する歌ことば ▼吉野朋美(よしの・ともみ)。著書に『後鳥羽院とその時代』(笠間書 を用い、皆の知っている古歌や物語をふまえるのは、詠歌主体 院)、『まんがで読む 万葉集・古今和歌集・新古今和歌集』(監修、学 である「私」の見方、 感じ方に共感してもらうためである。ジャ 研プラス)、『西行全歌集』(共著、校注、岩波文庫)など。 ンルや時代を超えても、求めようとすることは同じなのだ、と 学 界 広 場 57 メモ▼学界時評として、学界広場のバックナンバーはインターネットで公開中です。 (東京学芸大学) http://kasamashoin.jp/jihyo.html ず省みさせられた一書である。 阪口弘之「街道の牛若物語―近世初頭の浄瑠璃の語られ方」 (鈴 木健一編『形成される教養 十七世紀日本の〈知〉 』勉誠出版、 二〇一五年十一月) 「浄瑠璃御前物語」が近世初期に操りに結びついてやがて浄瑠 璃として発展していくという理解は前提である。これに加えて 阪口氏は御架蔵の新出資料、 本『浄瑠璃御前物語』の本 文の分析を通して、牛若が鞍馬を出て奥州をめざすまでの長い 道行きの物語が支持を得て、街道筋で連鎖するごとくにいくつ もの牛若物語が誕生し、 その中の一つが「浄瑠璃御前物語」であっ たという大きな流れを明らかにされた。近世初頭の浄瑠璃誕生 の背景にある、牛若物語の豊かさに改めて気づかされるととも に、そうした共通の雛形本文を提供していた絵草子屋の存在に 一層の興味が湧く論文である。 丸井貴史「 『太平記演義』成立の背景―冠山の不遇意識を視座に ―」 『近世文藝』 (一〇三号、二〇一六年一月) 「儒者になり 岡島冠山はなぜ『太平記演義』を執筆したのか。 たかった冠山」という視点が面白い。序文の分析、冠山の不遇 意識。当時広く流布していた『太平記評判理尽抄』を引かずに 『参考太平記』の記事を踏まえたあり方を導き出し、冠山の意識 に学問的な営為を志向するものを見い出している。これまでの 『太平記演義』に対する語学的な観点からの研究とは一線を画し、 これまで十分には意識されることのなかった冠山の人となりに 光を当てた点が誠に興味深かった。 田書院)、義太夫節浄瑠璃未翻刻作品集成 『石橋山鎧襲』翻刻・解説(玉 ▼黒石陽子(くろいし・ようこ)。著書に『近松以後の人形浄瑠璃』(岩 川大学出版部)など。 41 …………………………黒石陽子 フランソワ・ビゼ・秋山伸子訳 『文楽の日本 人形の身体と叫 び』 (みすず書房、二〇一六年二月) 「自分の感じたままの思い出を大切にしたい。 」本書の一五八 頁で著者が述べている一文である。二〇〇四年に来日した著者 は、数ヶ月後に竹本越孝と鶴澤三寿々の女義太夫に出会い衝撃 を受ける。その後国立劇場の文楽公演に各公演ごとに数回にわ たって通い詰め、やがては越孝に弟子入りして自らも義太夫節 を語るようになる。人形浄瑠璃の歴史を学び、様々な疑問に向 き合いながら、文楽とはいかなるものかを追求し続けていく。 その際、絶えず、近代ヨーロッパの詩人、作家、劇作家、画家、 映画監督たちがかつて義太夫節や文楽に対して感じとり、残し ていった言説と真っ向から向き合い、疑問を呈していく。また 日本の近世演劇研究者の言説に対しても自身の納得のいかない 部分についてはひるむことなく自らの考察を深めていく。そこ には「自分の感じたまま」を決して裏切ることのない、人形浄 瑠璃に対する真摯で熱い情熱と愛情、尊敬の念があり、感動を 覚えた。 『文楽の日本』とあるように、これは一つの日本文化論でもあ る。 「日常の言語がこのようなある種の音楽性を持つがゆえに、 義太夫の誕生に有利に働いたのだろうか」 (一九八頁) 。 「文楽に おいて、個人は何よりも他者との関係性において捉えられる」 (二二〇頁) 。最後に自ら舞台で義太夫節を語り終えた著者は「差 異によって私たちは、 民族としての豊かさを獲得する」と述べて、 自身の身体を通して獲得した確信を吐露している。 自分自身はいかに人形浄瑠璃と向き合ってきたのかを、思わ M O A 40 城﨑陽子 …面白かった、この三つ ● 川崎佐知子/入口敦志/吉田幹生/吉野朋美/黒石陽子/城﨑陽子/植田 麦/小助川元太/石澤一志/橋本貴朗 ………… … … … … (國學院大學兼任講師) そして、真淵と「松阪の一夜」で師弟の契りを結び、書簡の 往来によって『万葉集』の教えを受けたのが本居宣長である。 その宣長が著述のそこここに記した「言葉」を手掛かりにこれ を解説し、 「本居宣長」という人物を描き出した一冊が吉田悦之 私自身が専らとしていた「万葉集の編纂論」から「万葉集の 享受論」へと研究を方向転換する中で、 『万葉集』という作品の 『日本人のこころの言葉 本居宣長』 (創元社、二〇一五年五月) みならず、この作品を「訓んだ人々」への関心は次第に高まっ である。吉田氏は伊勢松阪にある本居宣長記念館の館長を勤め ていった。その結果、 『万葉集』の注釈書が数多く生み出され ており、 「宣長の生き字引」と称されるほど、現代に残されてい た近世期の万葉集研究へ興味が湧いてきたのは自然な成り行き る宣長のあらゆる遺産に精通している。当該書が対象とする「言 だった。ちょうど、荷田春満の文献調査にとりかかり、 「奇異」 葉」は、宣長の学問を知るだけでなく、彼の人生観をうかがう と評される春満の諸説が「神祇道学」という思考に基づくもの ことができるものでもある。当該書の価値は、宣長の著述を研 であることがわかりはじめたころでもあった。 究対象とする場合、忘れがちな「人生観と研究内容との関連性」 をもう一度思い返すことができる点にある。宣長の思考が文学 春満の「神祇道学」という思考が儒教的な和歌解釈に拠るも のであることは、その名称から容易に推察がつくだろう。近世 史的にも、思想史的にも一つの画期を成したことはいうまでも 期に『万葉集』の注釈を行った人々は、「国学者」とも呼ばれ、「日 ないが、この関係性の中に宣長本来の研究が位置づけられなけ 本国」に対する愛着をもち、 対外国への意識の高まりとともに「日 ればならないのだ。こうした試みを実現した一冊として田中康 本人」であることの意味を問い続けていった人々である。その 二『本居宣長の国文学』 (ぺりかん社、 二〇一五年十二月)がある。 端緒は儒教や漢学に対する自身の立ち位置を求める所にあった 田中氏の視点は広く、宣長の思考と研究を一致させようとする のだ。 ものとして評価される。しかし、宣長の万葉集研究を近世期の 万葉集享受史に位置づける詳論にはなっていない。本居宣長記 春満の万葉集研究を「古道・古学」として受け継ぐのが賀茂 真淵である。この真淵を扱った研究書で近時出版された著書に 念館に残された『万葉集』関連の資料研究が進み、宣長の万葉 高野奈未『賀茂真淵の研究』 (青簡社、二〇一六年二月)がある。 集研究が明らかにされることが待たれる。 高野氏の著書の特徴は、真淵の詠歌と古典注釈との関係性を解 近世期の万葉集研究は、思想史に列なる人々との関係も密接 いた点にある。 「真淵の当代和歌批判―和歌指導に即して―」や に絡んでいる。現在、私が注目しているのは儒者との接点であ 「真淵の長歌復興」といった章立ては、真淵の和歌研究が漢学に る。これは、漢籍の引用と言った表面的な問題でなく、 「古活字 対抗することに出発点をもち、当代和歌の意義を探求する点に 本万葉集」 の作成といった文化的活動にも及ぶ。そうしたなかで、 あったことを示している。こうした真淵の文学営為と和歌研究 例えば江戸初期の儒者・藤原惺窩の行った万葉集校正の様態が を有機的に結びつけようとする研究は、その発想を探る上で有 論じられ、 「万葉集の写本研究」を基軸とする研究活動が起こっ 効な手段となりうることを提示したともいえよう。 ていることは、これまで自明とされてきた『校本万葉集』の研 学 界 広 場 41 (明治大学) http://kasamashoin.jp/jihyo.html ついて論じ、妖怪と擬人化の差異について触れる。そして、現 代の擬人化表現への接続について言及して論は結ばれる。さほ ど長くない文章ながら、擬人化の文化史的概要を容易に理解す ることができるのである。 ■日本文学・日本語学のエデュテインメント 」 (二〇一六年) 「変体仮名あぷり」 (二〇一五年) ・ 「 KuLA (好文出版)を読んで、研究 大学院生のころに『電脳国文学』 の電脳化の行く先に思いをはせたのが、ずいぶんと昔のように 思われる。それくらいに、日本文学・日本語学を取り巻く研究 状況の電脳化は著しい。とすれば、研究のみならず、教育にお いてもICT(情報通信技術)を効率的に利用するべきだろう。 とはいえ、教員側から押しつけるような「 ラーニング」では、 その効果の程もたかがしれている(それはたとえば、科研の倫 理教育を受講する際の、我々のモチベーションによって経験的 に証明されるだろう) 。つまり、受講する側に、積極的に参加し たいと思わせられるようなもので、かつある種のゲーム性に近 い動機付けがなされなければならない。 」を 「変体仮名あぷり」および「 KuLA そういった観点から、 紹介したい。いずれも、スマートフォンでくずし字を学ぶため による共同制作、 のアプリである。前者は早稲田大学・ UCLA 後者は飯倉洋一氏が代表の科研による成果である。期せずして、 ほぼ同時のリリースとなった類似アプリであるが、性格はかな りちがう。 変体仮名アプリは名称どおり、仮名の習熟に特化している。 画面に現れる三つ(設定で数値の変更が可能)の変体仮名とそ の字母をフリックで切り替えることで、いわば「仮名の多読」 を実現している。ただし、単独の仮名の読解のみで、物足りな さを感じるのも事実である。本稿執筆時点ではまだ実装されて メモ▼学界時評として、学界広場のバックナンバーはインターネットで公開中です。 究領域を刷新する研究活動として注目される。 今、近世期の万葉集研究は面白い。 ▼城﨑陽子(しろさき・ようこ) 。著書に『万葉集の編纂と享受の研究』 麦 人々―「万葉文化学」のこころみ―』 (新典社)など。 (おうふう) 、 『近世国学と万葉集研究』 (おうふう) 、 『万葉集を訓んだ …………………………………植田 ■サブカルチャーと研究、サブカルチャーの研究 (笠間書院、 二〇一六年) 伊藤慎吾編『妖怪・憑依・擬人化の文化史』 伊藤氏といえば、 「現代物語研究会」の代表者として、サブカ ルチャーと文学研究を融合した活動を活発にされている、とい う印象である。最近は『ライトノベル妖怪資料』などの報告が あり、それ以前は『現代擬人化考』の研究成果がある。そのう ちこれらをリライトして公開されるのだろうか、などと思って いたら、単著ではなく編著が出版された。 「妖怪」 「憑依」 「擬人化」について、 本書はタイトルのとおり、 その発生や発展、受容についての論究が全体を占める。目次を みてみれば、「 「くだん」が何を言っているかわからない件」や「犬 神系の一族」と、これまで伊藤氏が公にしてきたものの〝ノリ〟 が遺憾なく発揮されている(掲題のコラムは、いずれも永島大 輝氏の執筆担当箇所) 。つまりそれは、全体を外から見ればユル そうだが、その内実は手堅い調査と考察の集積である、という ことである。たとえば、テーマ「擬人化」の総説である「擬人 化された異類」 (伊藤氏執筆担当)をみてみると、前近代におけ る多様な作品群をもとに、擬人化の傾向を分析し、また展開に e 42 いない「続き書きモード」が待たれる。 は文字の習熟からテキストの読解までを目指すアプリ KuLA である。変体仮名のみならず、草書体漢字の学習も可能である。 「まなぶ」機能は書籍の仮名手引の類の簡易版ともいえるもので、 用例も充実している。 「まなぶ」機能では、方丈記他のテキスト を教材にして、実際の写本・版本を読解する練習が可能である。 本文の写真のみの画面と翻刻を付したものの画面とを切り替え ることができるのであるが、翻刻といっしょに字母も示してく れたら、というのは欲張りすぎだろうか。また、本アプリの目 玉は「つながる」機能で、読みづらい字をアップロードして、 他のユーザーに尋ねることができる。 昨年から今年にかけては、ICTを利用した研究環境の進展 が著しかった印象がある。ここで紹介したもの以外では、 「 『木 簡画像データベース・木簡字典』 『電子くずし字字典データベー ス』連携検索」や、ウェブ上での形態素解析が可能である「 web 茶まめ」などが、その主たるものであろう。日本文学・日本語 学を学ぶ学生が少なくなり、それと比例するように研究者の数 も減少しつつある今、わたしたちはより積極的に研究の電脳化 をはかり、また情報科学分野の研究との連携をすすめるべきで はなかろうか。 ▼植田麦(うえだ・ばく) 。著書に『古代日本神話の物語論的研究』 (和 号)など。 …面白かった、この三つ ……………………………小助川元太 (愛媛大学) 我々研究者の仕事の一つに、古典作品や資料の翻刻や注釈、 現代語訳がある。現在も注釈の仕事を二つほど抱えているのだ が、こうした作業をする際に、つねに意識しているのは、自分 が想定している読者は誰なのかということである。たとえば、 私がこれまでやってきた仕事でいうと、高校教科書の指導書で あれば、現場の教員および彼らの授業を受ける生徒のことを考 え、描かれた状況や場面、その背景がわかるように注釈をする。 明らかに研究者向けの専門書の場合は、作品や資料の性格を知 るための情報提供が中心となる。一般向けの場合でも、現代語 訳のない、注釈のみのものは、ごく一部の古文が読める人たち、 たとえばカルチャーの古典文学講座の常連さんのような古典文 学が大好きな市民や、今や希少価値的存在ともいえる、大学や 大学院で古典文学を専攻する学生さんたちを意識して、作品を 読むための補助的な解説をすることにしている。 ところで、ほとんどの世間一般の人にとって、古典文学その ものが縁遠い世界であることを考えると、一般向けに出版され る古典文学作品には、注釈だけではなく、現代語訳をつけなけ ればならないだろう。私自身、古典文学を味わうためには、訳 者の解釈が入ってしまう現代語訳ではなく、まずは本文を読ま なければならないと思う立場なのだが、考えてみれば、海外の 名作も、原書で読める人はごく一握りであり、ほとんどは翻訳 を読んでいるのだから、古典文学もまずは現代語訳によって読 者を増やすことが先決なのではないかと考えている。ただし、 そうであればこそ、現代語訳はできるだけ作品の魅力を伝える ことができるものでなければならない。その意味で、 「特集 古 ● 川崎佐知子/入口敦志/吉田幹生/吉野朋美/黒石陽子/城﨑陽子/植田 麦/小助川元太/石澤一志/橋本貴朗 泉書院) 、論文に「須佐之男命の自己規定と文脈上の意味」 ( 『文学史 研究』 学 界 広 場 43 54 http://kasamashoin.jp/jihyo.html 弥井書店)、 『月庵酔醒記』(上)(中)(下)(共著、三弥井書店)など。 ▼小助川元太(こすけがわ・がんた)。著書に『行誉編『壒嚢鈔』の研究』(三 ためには、民俗学的な視点からのアプローチも必要である。た とえば話型の確認のために、稲田浩二編『日本昔話通観』二八 巻(同朋舎出版、一九八八年)のタイプインデックスのお世話 になることが多いのだが、そのたびに昔話資料への目配りの必 要性を痛感させられる。その昔話関係の新刊で面白かったのが、 松本孝三『北陸の民俗伝承―豊饒と笑いの時空―』 (三弥井書店、 二〇一六年二月)である。本書が長年にわたる著者自身のフィー ルド調査に裏付けられた報告として貴重な成果であることはい うまでもないが、本書の魅力はそれだけに留まらない。多くの 研究者の調査によって蓄積された昔話資料の丁寧な読み返しの 必要性を説くところや、話型の一致だけではない、古典文学と 昔話との繋がりに注目するところなど、昔話資料を有効に生か すための重要な提言がなされている。何よりも、分かりやすい 説明と親しみやすい語り口が、こうしたジャンルに馴染みのな い読者の理解の助けとなっており、昔話研究の入門書としても 十分通用するのではないかという印象を受けた。 以上、自分の今手がけている仕事に関わって読んだものを紹 介したが、そろそろ注釈の仕事に戻らなければならない。ここ まで書いたからには、当然すばらしい注釈をしてくれるのだろ う、という周囲からの期待が生まれないことを願いつつ…。 メモ▼学界時評として、学界広場のバックナンバーはインターネットで公開中です。 典の現代語訳を考える」 ( 『リポート笠間』五九、 二〇一五年一一 月)は、さまざまな立場からの現代語訳についての提言がなさ れており、興味深かった。中でも、大塚ひかり「誰のための現 代語訳か」は、一般の読者のための良質な現代語訳、注釈のあ り方を考える上で、大いに参考になった。 さて、注釈にせよ、現代語訳にせよ、結局のところは「自分 はこの作品・資料をこのように読んだ」ということを示すこと になるため、まずは作品を読んで自分なりに理解することが求 められるのだが、そのためには、当然のことながら、作品の背 景にある同時代の思想や信仰、文化、あるいは政治状況につい ての基礎的な知識が必要となる。最近は、中世中期以降の作品 すぎょうろく にしばしば名前の挙がる『宗鏡録』が気になっていたのだが、 柳幹康『永明延寿と『宗鏡録』の研究―一心による中国仏教の 再編―』 (法蔵館、二〇一五年二月)の存在を知り、早速読んで みた。本書は仏教史の専門書ではあるが、 『宗鏡録』の仏教史に おける位置付けや意義を、専門外の者にもわかりやすく丁寧に 解説してくれている。本書の眼目は、 『宗鏡録』が唐代以前のあ らゆる仏教文献を渉猟して要文を集め、 「一心」を核にそれらを 有機的に組み合わせた書物であったことを解明するところにあ るのだが、本書の説く唐代以前の仏教と宋代以降の仏教との関 係は、日本におけるいわゆる旧仏教と禅宗との関係にスライド させることができる。つまり、この問題が中国仏教史に留まら ないことは明らかであり、末木不美士『日本仏教史―思想史と してのアプローチ―』 (新潮文庫、一九九六年)と合わせて読む と、 『宗鏡録』が中世の日本でもよく読まれた背景が見えてくる。 その意味で、まだ読んでいない中世文学研究者には、ぜひ読ん でほしい一冊である。 また、研究者として古典文学作品を理解し、読者に紹介する 44 ………………石澤一志 (学習院大学他非常勤講師) …面白かった、この三つ を凌駕する面を持つ。 「老舗は江戸時代以来の約四〇〇年にわたる歴史を有する東京 の、 「生活文化遺産」といえるのではないでしょうか。おいし くて安全な食べものを提供してくれるだけではなく、町、店、 人にまつわる生活の記憶を宿していて、私たちにそれらの記 憶を呼び起こしてくれるもの、それが老舗なのではないでしょ うか。しかし私たちは、飲食店として日常的に老舗に接して いるために、このような文化的な価値に気付かずに過ごして います。よく老舗のことを「歴史と伝統のある料理店」など と言ったりしますが、この場合の「歴史と伝統」は老舗の枕 詞のようなものであり、実際にはそれに目が向けられること も、ましてや老舗を取りまく「歴史と伝統」に注意が払われ ることもなかったように思います。本書では、老舗のそうし た文化としての価値をお伝えすることを心がけました」 (あと がき) とあるのは極めて重要。こういう視点からの老舗紹介の本はこ れまであまりないのではないか。ちゃんこ川崎・嶋村・花ぶさ・ 笹乃雪、の辺りを読んで特にそれを感じた。笹乃雪は父上もお 好きだったお店ですね。いせ源・大黒屋・まつや・尾張屋・玉 ひで、辺りは私も行ったことがあるが、これを読んでまた行こ うと思った。他のお店にも、ぜひ行ってみたい、行かなければ、 と思わされた。続編を期待している。出来れば簡単でいいので 地図も欲しいかな。古地図でなくてもいいですから。 『 書 物 学 6 「書」が語る日本文化』 ( 勉 誠 出 版、 最 後 に、 二〇一五年) 。 『書物学』は毎号興味深く拝読しているけれど、 この号はやはり自分も関わる分野のものがのっけから連発で登 場して、 もう面白くない訳がない。海野圭介氏の 「短冊の愉しみ」 、 日比野浩信氏の「古筆切の世界」 、この二つだけでも十分面白い ● 川崎佐知子/入口敦志/吉田幹生/吉野朋美/黒石陽子/城﨑陽子/植田 麦/小助川元太/石澤一志/橋本貴朗 本稿を書きはじめようとした直前になって岩佐美代子『為家 千首全注釈』 (笠間書院、二〇一六年)が飛び込んできた。素晴 らしいので取りあげておく。 『為家千首』は為家の歌人としての つと メルクマールであり、その重要性は夙に指摘されてきた。以前 小林大輔氏(早稲田大学本庄高等学院)と一〇首づつ交互に注 釈しつつ通読したことがあるが(未成稿) 、後の京極派的和歌の 萌芽とも言えるような斬新な歌があるかと思えば、いかにも伝 統的正統派の歌(これが謂わば二条派的和歌というものになろ う)も、実にきっちりと詠みこなしている。さすがに千首もあ るので(しかも速詠) 、やや破綻気味の和歌も見られるがそこは ご愛敬、全体的に非常に面白い作品なのだが、これに岩佐氏の 的確な注が付いたことで、格段に読みやすくなった。さらにこ の本、各句索引が別冊になっていて、非常に使い勝手がよい。 この工夫には、感謝・感服。 「あとがき」にある「形式的に確立 している題詠世界での、自在に古歌を引きながらの独創性、そ してその中に匂う、ほのかな諧謔性。これはまさにプロの練達 の業、出来そうに見えて誰も及ばない、 「稽古」の成果です」と いう部分は、為家の和歌の本質を実に的確に言い当てている。 ひいてはこれは、為家以降の中世和歌、特に二条派和歌の本質 に関わるのではなかろうか。 「平淡温雅、伝統墨守と見えつつ、 実は強い個性を秘めた為家詠の面白さ」が十分に味わえ「従来 余りにも軽視され、誤解されてきた大歌人の真価を見直し」得 る好著。為家は抜群に上手い、そして面白い。 (亜紀書房、 二〇一五年) 。 次に安原眞琴『東京の老舗を食べる』 この本は所謂研究書ではない。しかしこれはある意味で研究書 学 界 広 場 45 http://kasamashoin.jp/jihyo.html うんぺい を唯一伝えているのが攀桂堂で、代々藤野雲平の名を継ぎ、当 代は十五世。雲平筆の名の所以である。 「雲平筆の種 本誌は、日野楠雄氏による「筆の歴史と巻筆」 類と形状」 「雲平筆の歴史」 「略年表」 「筆師と攀桂堂の所在地」、 攀 桂 堂 と 交 流 の あ っ た 大 正 か ら 平 成 ま で の「 名 家 書 作 品 と 書 簡」 、 「寄稿」 「寄稿〈近江編〉 」、「筆の歌」 、 「資料」からなる。 村上翠亭氏らによる寄稿文においては巻筆独自の効用も説か れ、さらに各種の筆の仕様を記した「十二世手控え」を掲載す るなど、類書のない資料的価値の高い一冊となっている。 筆はおよそ近世以前の書写活動において欠くべからざるもの であるが、攀桂堂はその号を近衛家煕から授けられ、有栖川宮 家に伝えられた書流・有栖川流とも深い関わりを有するなど、 宮廷社会に近しい点でも注目される。書道史のみならず、文事・ 文化を考究する上でも重要な位置を占めるものであろう。広く 一読を薦めたい。 日常使用されていた筆は反面、消耗品とも言え、後世に伝わ りにくい。有芯筆・無芯筆(初発期の筆もこちら)ともにその 実像はなお不明な点も少なくなく、これを機にいっそうの解明 が俟たれる。 じ こう じ 覧会から。埼玉県比企郡ときがわ町の慈光寺に伝わる 次に展 いっぽんきょう 法華経一品経(慈光寺経)が、二〇〇八年から七年かけて行わ れ た 約 八 十 年 ぶ り の 修 理 を 終 え、 こ れ を 記 念 し て 二 〇 一 五 年 一〇~一一月、埼玉県立歴史と民俗の博物館で特別展「慈光寺 ―国宝 法華経一品経を守り伝える古刹」が開催された。 ぎしゅうもんいん 慈光寺経は、附属する「一品経書写次第」に宜秋門院の名が あることから、鎌倉時代前期、九条家周辺の制作と推定される 装飾経である(一部は江戸時代の補写) 。 久 能 寺 経・ 平 家 納 経 とあわせて、三大装飾経とも称される。 メモ▼学界時評として、学界広場のバックナンバーはインターネットで公開中です。 のだが、一戸渉氏の「書を買う、書を売る」は当方も大いに興 味のあるところ、 刺激を受けた。今後の展開が楽しみ。小特集 「清 原家の官・学・遊」も、 展示(慶應義塾大学文学部国文学専攻主催、 二〇一五年六月二十六日)を参観した身にはより興味深かった。 呉三郎入道筆「佐保切」には今後注意したい。ところで、記事 の最後にある「 (ヲコト点・訓点の類を細長い木製板の両面に記 した)点図の複製を作って配ったらどうか」というのは、私の 発言のような気がするのだが、こんなにいい写真が掲載された のであればこれで十分です。ありがとうございました。 ▼ 石 澤 一 志( い し ざ わ・ か ず し ) 。 学 習 院 大 学・ 成 蹊 大 学・ 鶴 見 大 学・ 『為 日本女子大学・目白大学・立教大学非常勤講師。著書に『京極為兼』 (笠 はんけい (國學院大學) 間書院) 、 『風雅和歌集 校本と研究』 (勉誠出版) 、和歌文学大系 家卿集/瓊玉和歌集/伏見院御集』 (共著、明治書院)など。 ……………………………橋本貴朗 64 まず、書籍から。二〇一五年、雲平筆で知られる筆匠・攀桂 どう 堂が創業 年を迎え、記念誌『筆の源流 巻筆の世界―攀桂堂 雲平筆四百年―』 (二〇一五年、攀桂堂。東京文物取扱)が刊 行された。 まき ふで 筆とは、現在一般に用いられる筆(無芯筆)とは異なり、 巻 あらかじめ芯とする毛を紙で巻き、その上から化粧毛を付けた もの(有芯筆)である。正倉院に伝わる筆はいずれも巻筆で、 まと 空海の「筆を奉献する表」 ( 『性霊集』巻四)に見える「紙を纏 うの要」も、これに該当するとされる。現在、この巻筆の製法 400 46 …面白かった、この三つ 上人絵伝の巻四・五・六の詞書も行房筆ということになろう。当 該期の書道史研究の進展も大いに期待される。微力ながら小生 も尽くしたい。 芸術新聞社)、論文に「南北朝・室町時代における世尊寺家の書法継 ▼橋本貴朗(はしもと・たかあき)。著書に『決定版 日本書道史』 (共著・ 承―絵巻物・古筆切を中心として―」(『鹿島美術研究』年報三一号別 冊)など。 ● 川崎佐知子/入口敦志/吉田幹生/吉野朋美/黒石陽子/城﨑陽子/植田 麦/小助川元太/石澤一志/橋本貴朗 五百弟子品のように傷みの激しい巻も見られるが、今回の修 理に伴う科学的な調査・分析により、慈光寺経の界線や経文の しんちゅう 多くに真鍮泥が用いられていることが確認された。紺紙に薄く 金泥で書かれたものと思われた法師品などの経文も、真鍮泥で あることが判明した。酸化・腐食しやすい真鍮の使用は傷みの 原因と見られるが、制作当時においては金とは異なる輝きをそ こに求めた可能性が指摘されている。慈光寺経がどのような筆 で書かれたのかも、気になるところである。 最新の知見を踏まえて、前期・後期あわせて慈光寺経全巻が 展示される貴重な機会となった。修理については、川端誠氏に よる講演会「国宝 法華経一品経を修理して」も催された(同 展図録も参照) 。 最後に口頭発表から。二〇一五年一二月一二・一三日に筑波 大学・東京キャンパスで開催された「玄奘フォーラム」におけ る落合博志氏の「 『玄奘三蔵絵』の成立と制作―詞書筆者資料 を基点として―」を挙げたい。 げんじょうさんぞう え 奘三蔵絵 初紹介の東京大学国語研究室蔵『絵詞難訓抄』は玄 の詞書から難読の語を抜き出して読みを付したもので、各巻の 見出しの下に詞書の筆者が注記される。そのうち遺墨の残る四 人について、玄奘三蔵絵の詞書との比較検討を行い、注記の通 たかつかさふゆひら 、巻三・ り、巻一・二は鷹司冬平(早く松原茂氏の指摘がある) とういんさねやす せ そん じ ゆきふさ ろくじょうありただ 四は洞院実泰、巻五・六は世尊寺行房、巻七・八は六条有忠の真 跡であると認めるものである。制作背景については、洞院家の 役割を重視する見解が示された。 これを受けて、美術史をはじめ多方面に反響のあることと予 想されるが、ここでは能書の家・世尊寺家十一代の行房に着目 したい。中世の同家による確かな筆跡の少ないなか、まとまっ た資料が新たに加わったことになる。従来、同筆とされる法然 学 界 広 場 47 メモ▼学界時評として、学界広場のバックナンバーはインターネットで公開中です。 学界時評 日本語の 歴史的研究 10 http://kasamashoin.jp/jihyo.html 20 国際シンポジウム等、毎月のように多数の聴衆を集めて開催さ れた。出版の形で研究成果を公にする予定もあるようである。 充実した内容がより多くの方々に示されるという意味でも大変 喜ばしい。それにしても日本語の歴史的研究の舞台は 年前、 年 前 の そ れ と は 確 実 に 変 わ り つ つ あ る。 「 国 際 」 や「 合 同 」 と謳われているところからもわかるように、いずれのシンポジ ウム・ワークショップにおいても、言語類型論、機能言語学、 生成文法等の分野で活躍する研究者に交じって、あるいは他言 2015.7-2015.12 語や日本の危機言語を記述する研究者に交じり、伝統的な日本 語史研究の流れを汲む文法や語彙分析を専門とする研究者が登 竹内史郎 [成城大学] 壇している。こうした変化は、日本語の歴史的研究におけるア プローチや研究手法がより自覚されてきていることの現れと見 受けられる。今後、日本語の歴史的研究をより意義のあるもの ▼竹内史郎(たけうち・しろう) 。論文に「古代語の動作主標識をめぐっ にしようとする試みが広がりを見せ、当該の研究者の活躍の場 て─助詞イと石垣法則─」 ( 『日本語文法史研究1』ひつじ書房) 、 「取 がひらかれていくことを望んでやまない。 り立て否定形式の文法化─岡山方言と関西方言を対照して─」 ( 『日本 風間伸次郎「日本語(話しことば)は従属部標示型言語なの 語文法』 巻1号、くろしお出版)など。 か?」 ( 『国立国語研究所論集』9、7月)は異彩を放ち、それ ゆ え 多 く の 示 唆 に 富 む 論 で あ る。 日 本 語 書 き 言 葉 は 格 助 詞 に よって文法関係を示すので、書き言葉をみる限りでは、日本語 は典型的な従属部標示型の言語に見えるが、一方の話し言葉の 実際を観察すると、主語の人称が述語の方でわかるようになっ ている場合が多く、むしろ主要部標示型の言語としての性質が 認められるという。おそらく古代日本語でも同様の性質がより 今期は国立国語研究所においてシンポジウムやワークショッ プの開催が目白押しであった。7月の国際シンポジウム「文法 、8月の合同シンポジウム「日 化 日: 本語研究と類型論的研究」 本語のアスペクト・ヴォイス・格」 、9月の国際ワークショッ プ「 比 較 的 観 点 か ら 見 た 係 り 結 び 」 、 月 の「 通 時 コ ー パ ス 」 13 10 48 色濃く認められると思われるが、このこと以上に思い知らされ ることがあった。標準日本語(書き言葉)研究における知見は きわめて重要であるが、ともすればこの研究にとらわれた視点 を持つことが真実を覆い隠してしまうことがある。風間論文は、 時代語や地域語を含む日本語研究を矮小化させないために標準 日本語研究にとらわれない言語類型論的な視点が不可欠である ことを教えてくれる。 ( 『日本語の研 坂井美日「上方語における準体の歴史的変化」 究』 巻3号、7月)は研究手法もさることながら、歴史的研 究の意義が意識された好論である。文献から導かれた結果を仮 説と位置づけ、琉球宮古方言における準体の変化をも考慮する ことで複線的に変化の妥当性を検証しようとする姿勢に共感を 覚えた。衣畑智秀「係り結びと不定構文―宮古語を中心に―」 ( 『日本語の研究』 巻1号、1月)は、逆に中央語の歴史を視 野におさめつつ琉球宮古方言における調査・分析をメインにし て、係り結びと不定構文との相互排他的とも言える関係につい ての整理を示す。坂井、衣畑の研究は、くしくも共に琉球宮古 方言の研究と日本語の歴史的研究との接点を捉えたものである が、そこから日本語の歴史的研究の価値や重要性を再確認する ことができた。 『日英語の文法化と構文化』 秋元実治・青木博史・前田満(編) (ひつじ書房、 月)も新たな日本語の歴史的研究の可能性に 関わるという点で注目される。秋元実治による「第1章 文法化 から構文化へ」は文法化研究の展開を概説する。秋元実治・前 田満(編) 『文法化と構文化』 (ひつじ書房、二〇一三年)に所 収の「第1章 文法化と構文化」と併せて読めば一層啓発され ることうけあいである。三宅知宏「第8章 日本語の「補助動詞」 と「文法化」 ・ 「構文」 」からも学ぶところが多い。歴史的な現 象を扱う際に「構文」という概念がどう活かせるのかというこ とを考えさせられた。 先に標準日本語研究にとらわれた視点を持つことが真実を覆 い隠してしまうことがあると述べたが、標準日本語研究と歴史 的研究を関係づけて論じるにふさわしいテーマが扱われ、これ まで多くの重要な知見がもたらされてきたのは言うまでもな い。しかしこの二つの研究の連関を前提とした場合、記述がど のような姿をとるべきかを突き詰めた研究はそうそうあるもの ではない。野村剛史「現代日本語のアスペクト体系」 ( 『国語と 国文学』 巻8号、8月)は、 「言語学研究会の人々」の図式 的な整理を批判的に検討し自説を示す。納得させられはするが、 著者が価値を見出す歴史的な説明に耐え得る体系は、空間的な 説明に耐え得る体系や通言語的な説明に耐え得る体系と比較し た場合どう述べられるのか知りたいと思った。この続編に、野 村剛史「物語・小説のテンス・アスペクト形式」 ( 『言語・情報・ テクスト』 Vol. 、 月)があり、テンス・アスペクト形式の 歴史的な変化を跡付けている。林淳子「疑問文における「ノ」 のはたらき」 ( 『国語と国文学』 巻 号、 月)も歴史的研究 を視野に入れた標準日本語の研究である。先行説にも十分に目 配りしながらノの用法が手際よく整理されており今後の展開が 期待される。辻本桜介「古代語における引用表現「~と見る」 について─現代語と比較して──」 ( 『国語と国文学』 巻1号、 月)は標準日本語と平安時代語との対照研究。よい結果を出 していると思う。 『日本語文法』 ( 巻2号、9月)で「品詞論 の現代的意義」の特集があった。この中の一つ、小田勝「古代 語の品詞はどう捉えられるか」は「品詞について、現代語と古 代語で同一の理解が成立するとは限らない」ことを指摘し、積 極的に現代語研究を相対化する視点の必要を説く。音韻史に関 12 92 22 10 …………学界時評 ● 日本語の歴史的研究 [ 2015.7-2015.12 ]…竹内史郎 92 10 15 93 12 11 学 界 広 場 49 11 10 メモ▼学界時評として、学界広場のバックナンバーはインターネットで公開中です。 http://kasamashoin.jp/jihyo.html わるところでは、江口泰生「タタリノフ著『レクシコン』から 関係では、 山本真吾「 「ささふ(支) 」から「ささへまうす(支申) 」 みた一八世紀下北佐井方言の四つ仮名」 ( 『国語と国文学』 巻 へ─訓点語から文章用語への史的展開─」 ( 『訓点語と訓点資料』 号、 月)があり、坂井論文と同じく複線的に変化の妥当性 輯、9月)が目を引いた。定評のある氏ならではの論考であ を検証しようとする特色をもつ。 ると思う。また、大坪併治『平安時代における訓點語の文法』 が『大坪併治著作集5』および『大坪併治著作集6』 (風間書房、 日本語の歴史をまっすぐに見据える研究を取り上げよう。渡 辺由貴「文末表現「と思ふ」と「とおぼゆ」の史的変遷」 ( 『日 月)として上と下に分割され再版された。名著でありながら 本語文法』 巻2号、 9月)は、 近代にいたるまでの文末表現「と 入手困難であった状況が改善されたことは実に喜ばしい。 『原 思ふ」と「とおぼゆ」の使用状況を明らかにし、両表現を中心 文万葉集(上) 』 (岩波書店、9月)の刊行もあった。西本願寺 とした思考動詞による文末表現の変遷を検討したもの。右の辻 本を底本とし諸本により校訂して校異の注を示す。巻一から巻 本論文と併せて一読されたい。渡辺には、 「 『虎明本狂言集』に 十までを収める。抄物関係には、蔦清行「両足院所蔵『黄氏口 おける「と思ふ」と「と存ず」─『日本語歴史コーパス』を利 義』の構成と成立について」 ( 『訓点語と訓点資料』 輯、9月) 用して─」 ( 『国立国語研究所論集』9、7月)もある。上代文 と山田潔「抄物における副助詞「だに」 「さへ」の用法」 ( 『国 献に終止形ミルが存在しないという謎めいた現象の解釈を、岡 語国文』 巻 号、 月)があった。 村弘樹「上代における動詞ミルの終止形」( 『国語国文』 巻 号、 今期の書籍から。常盤智子『英学会話書の研究』 (武蔵野書院、 月)が示している。従来文末命令形とされていたミの中に引 7月)は氏の長年の研究の蓄積をまとめたもの。英学資料の下 用節末終止形終止および主文終止形終止と解すべきものが存す 位区分の一つである英学会話書の研究を行い、近代日本語の一 ることを指摘し、そうであるならばミトモの形で現れる例も終 端を明らかにしており貴重である。宮岡伯人『語とはなにか・ 止形とみなすことができるという。その上で上代以前では、馴 再考』 (三省堂、 月)は前著にも増して刺激的な趣だがやは 染みのミルに代わってミが終止形であったと結論づけている。 り傾聴に値する。このほか、福沢将樹『ナラトロジーの言語学』 著者自身も指摘しているが、終止形のミを認めることで動詞の (ひつじ書房、 月)もあった。澤田治美(編) 『ひつじ意味論 形態論における整合性が失われる。岡村論文の評価はこの「犠 講座 第7巻 意味の社会性』 (ひつじ書房、 8月)が刊行され、 牲」を補って余りあるシナリオが今後示されるのかどうかにか これにて「ひつじ意味論講座」シリーズが完結した。 共同研究プロジェクト 「通 かっているように思われる。 NINJAL 記念すべき論文集の創刊が二つあった。日本方言研究会(編) 時コーパスの設計」にまつわる研究成果、近藤泰弘・田中牧郎・ 『方言の研究1』 (ひつじ書房、9月)は待望されていた日本方 小木曽智信(編) 『コーパスと日本語史研究』 (ひつじ書房、 月) 言研究会の機関誌で、特集として「方言研究の新しい展開」が が出版された。本書は、研究論文集であるとともにコーパス活 組まれている。大橋純一、小西いずみ、新井小枝子らが先陣を 用の概説書としての性格も有する。間淵、 鴻野両氏による「コー 飾る。加藤重広(編) 『日本語語用論フォーラム1』は「日本 パス日本語史研究目録」も収められており便利である。訓点語 語文法研究と語用論研究の連絡」を刊行の目的の一つとするが、 12 12 10 10 92 11 10 9 11 9 15 84 135 12 84 135 50 筆者などの立場からは歴史語用論への貢献も期待したい。辞典 類の刊行もあった。ノンフィクション作家高橋秀美の『不明解 日本語辞典』 (新潮社、 月)は見出し語がわずか 語。その 名に反しエッセイ風の読み物として楽しめる。斎藤純男・田口 (三省堂、8月)はま 善久・西村義樹(編) 『明解 言語学辞典』 学会リポート ○新美哲彦(早稲田大学) 中古文学会秋季大会シンポジウム 「室町戦国期の『源氏物語』―本の流通・注の伝播―」報告 32 さに明解で内容も充実している。ハンディで通勤通学の際や旅 先での活用も便利であろう。 繁簡よろしきを得ず役目を果たせたかどうかもわからない が、筆を擱くこととしたい。土井知子氏、沖野久美子氏からは 貴重なご助言を賜った。記して御礼申し上げる。 二〇一五年度中古文学会秋季大会において開催されたシンポ ジウム「室町戦国期の『源氏物語』―本の流通・注の伝播―」 についての報告を行う。 まずは、登壇者の方々、会場校のみなさま、事務局のみなさ ま、当日、的確な質問をお寄せ下さった方々、そのほか、この シンポジウムに関わったみなさまに深く感謝したい。細密な講 演・報告や充実した質疑に、コーディネーターとして間近に接 し、至福の時を過ごすことができた。 はじめにシンポジウム趣旨を掲げる。 シンポジウム趣旨 「 『源氏物語』を含めた平安時代の「古典」は、成立と同時 に「古典」となり、いきなり現代の我々の手に届いたわけ ではない。 『源氏物語』成立から現代まで千年の時が流れ ているわけで、その間、それぞれの時代の人々が、その作 品の価値を認め、書写し、校訂し、保存し、補修し、注釈 を施し、周辺文化を形作るという具体的な営為を継続して …………学会リポート ● 中古文学会秋季大会/上代文学会秋季大会/京都近世小説研究会/明星大学日本文化学科国際シンポジウム 日にち 二〇一五年一〇月二四日(土) [講演] 秋山伸隆(県立広島大学) [パネリスト] 小川陽子(松江工業高等専門学校) 川崎佐知子(立命館大学) 佐々木孝浩(慶應義塾大学附属研究所斯道文庫) [コーディネーター] 新美哲彦(早稲田大学) 学 界 広 場 51 11 http://kasamashoin.jp/jihyo.html という問題設定をされた。 まず、十九帖に押されている「宮河」印の「宮河」が、 そして、 陶晴賢の家臣宮川甲斐守(房長)に比定される説に関して、宮 川甲斐守の事蹟を、 「残されたわずかな史料から見る限り、武 人としての印象が強く、奉行人・右筆のような職務に就いてい た形跡は全く見えない。彼には大島本『源氏物語』を入手した いという「動機」は、認められないように思われる」と結論づ けた。 次いで、吉見正頼の入手経路について、吉見正頼は、大内氏 旧蔵の「日本国王之印」を接収、覚書を添えて毛利元就に献上 しているが、 大内氏滅亡の際に、山口に進入した吉見正頼が、「日 本国王之印」同様、大内氏の館から大島本『源氏物語』を接収 したのではないか、と推定した。 秋山氏が講演の終わりに述べられた「日本史(研究者)と日 本文学(研究者)の隙間は、 「大きく」もなるし、 「小さく」も できる」という言葉は、「文系」全般が縮小傾向にある現在こそ、 心に留めておかなければならない。 次に、小川陽子氏に、「 『岷江入楚』と先行注釈」と題して提 言していただいた。 ①「 『岷江入楚』と先行注釈」趣旨 「慶長三年の序跋を持つ『岷江入楚』は、その序に「古来 の註釈を一覧のためにしるしあつむ」とあるとおり諸注集 成を企てたものであり、室町戦国期の源氏学を集大成する もののひとつといえる。本報告では、京都大学附属図書館 中院文庫蔵本における表記のあり方を通して通勝の先行注 釈に対する態度を明らかにした上で、『岷江入楚』後半の 注記の減少について検討し、慶長三年にこの注釈書が仕上 げられたことの意味を考えてみたい。 」 メモ▼学界時評として、学界広場のバックナンバーはインターネットで公開中です。 きたからこそ、現代の我々が、その作品を手に取り、わか りやすく読むことができるわけである。そしてその作品の 価値には、内容的な価値以外にも、政治的な価値、美術的 な価値、文化的な価値など、さまざまな価値が含まれる。 いずれの時代においても、さまざまな人のさまざまな意 図によって『源氏物語』およびその周辺文化は変容・享受 されているが、 その中でも室町戦国期は、 特にその知識(情 報)の拡がりが見られた時期である。 今回対象とする、室町から戦国、さらには近世初期にか けての時代は動乱の時代であった。地方の大名や有力武将 は文化を欲し、 『源氏物語』や『古今和歌集』などの古典 やその周辺文化の吸収に励んだ。公家は、注釈書や写本を 作成し、古典やその周辺文化を維持・深化させた。そして 地方と都を取り持つ役割を担った連歌師は、古典やその周 辺文化を地方へと拡散させた。 本シンポジウムでは、室町戦国期における『源氏物語』 の写本の流通と注の伝播が、誰によってどのように行われ てきたかの具体相を見ていく。当時の人々の具体的な営為 を知り、内容以外の価値を視野に入れることで、この時期 の『源氏物語』のさまざまな側面が見えてこよう。 」 登壇者には、作品内容以外の面からも『源氏物語』などの古 典作品へアプローチされており、室町戦国期に造詣の深い方々 にお願いした。 まずは、秋山伸隆氏に、 「戦国大名毛利氏と『源氏物語』 」と 題して講演していただいた。 秋山伸隆氏は、大島本『源氏物語』が、従来説通り、大内氏 旧蔵であるとするならば、どのように吉見正頼が入手したか、 52 「連歌師紹巴と『源氏物語』 」と題 続いて、川崎佐知子氏に、 して提言していただいた。 ②「連歌師紹巴と『源氏物語』 」趣旨 「現存する『源氏物語』写本のうちに、室町戦国期を経た 室町末期から近世初期にかけての転写本が占める割合は大 きい。しかも、その書写には、連歌師が関与している場合 が多い。本報告は、室町末期における地下の権威者、連歌 師紹巴を取り上げ、 『源氏物語』書写に関する功績とその 影響の様相を、明治大学図書館・北野天満宮・春日大社に 伝わる資料をもとに整理し、 室町戦国期の産物としての 『源 氏物語』享受の一端を提示するものである。 」 「室町・戦国期写本としての「大 最後に、佐々木孝浩氏に、 島本源氏物語」 」と題して提言していただいた。 ③「室町・戦国期写本としての「大島本源氏物語」 」趣旨 「「大島本源氏物語」の「若紫」 「宿木」両冊に存する俊成 を模したとされる筆跡は、個性的で識別しやすく、少なく とも五三冊中の一五冊に見出すことができる。その内容は 本文、補訂、引き歌や注記の書き入れなど様々で、 「大島本」 書写の監督的な立場にあった逍遥院流に属する者の手と考 えられる。この事実とその様相から、 「大島本」が傍注本 として仕立てられた、室町戦国期的な性格の濃い伝本であ ることを明らかにしたい。 」 この奥書は本奥書であり、大島本関屋巻は、大内政弘旧蔵本の 転写本である。さらに、飛鳥井雅康の奥書は、関屋一巻にかか るものであって、『源氏物語』全巻にかかるものではない。つ まり、 大島本 『源氏物語』は大内氏と直接関わる根拠を有さない。 大内氏の家臣であった吉見正頼が所持していたこと、 ただし、 大内氏旧蔵河内本の奥書が転写されていることなどから、大内 文化圏で大島本『源氏物語』が形成されていったことは確かで ある。 以上の事柄が壇上で確認された。 その後の質疑も多岐にわたり、『岷江入楚』後半の注記減少 について、南都における室町後期の学問の交流について、筆跡 鑑定の客観的な基準について、都周辺の注釈書と地方の注釈書 の差異について、『古今和歌集』や『伊勢物語』との関わりに ついて、等々、活発な討論が繰り広げられた。 文学作品の研究には、作品に何が書かれているかについての 研究、 作品がどのように書かれているかについての研究以外に、 作品が社会とどのように関わるかについての研究がある。 今回の報告はすべて、作品が社会とどのように関わるかにつ いての研究であった。これら、一見地味な研究によって、大島 本『源氏物語』の形成過程や流通、中院通勝の諸注集成に対す る姿勢、 連歌師紹巴や南都における『源氏物語』書写活動など、 さまざまな事柄の「発見」がなされる。 このような研究の継続によって、現在から見た過去の文化の 重層性・多様性は、日々更新されていく。これはつまり現在の 文化の重層性・多様性も、日々更新・蓄積されていくというこ とであり、このような研究が停滞・消失してしまえば、文化の 重層性・多様性も更新・維持できなくなるということでもある。 …………学会リポート ● 中古文学会秋季大会/上代文学会秋季大会/京都近世小説研究会/明星大学日本文化学科国際シンポジウム ディスカッションでは、まず、大島本『源氏物語』が大内氏 旧蔵か否かについての質問が上がった。 大 島 本『 源 氏 物 語 』 は、 関 屋 巻 末 奥 書 に「 文 明 十 三 年 九 月 十八日依大内左京兆所望染紫毫者也 権中納言雅康」とあるこ とで、大内政弘旧蔵、飛鳥井雅康書写とされてきた。しかし、 学 界 広 場 53 http://kasamashoin.jp/jihyo.html 上代文学会では、毎年の秋季大会においてシンポジウムと研 究発表会を行っている。その上代文学会のシンポジウムで『日 本霊異記』をテーマとするのは一九五二年の学会創設以来初め てということである。今回のシンポジウムの司会を務められた 山口敦史氏から示された趣意文は以下のとおりである。 〝日本最初の仏教説話集〟というのが『日本霊異記』の、 各種辞書等における位置付けであろう。『日本霊異記』に ついては、さまざまな学問分野(歴史学・仏教学・日本思 想史など)からの、多種多様なアプローチがされてきた。 そこには、研究方法の変遷や、『日本霊異記』に何を読み 取るか、などの時代状況の反映があったことは否定できな い。 今回のシンポジウムでは、上代文学、ひいては日本文学 史の上で、 『日本霊異記』をどのように位置付けるのかと いう観点から、異なる方法論を持つ論者に、『日本霊異記』 の研究方法のあり方について論じてもらい、その文学史的 位置付けと展望について考えることとする。 平城京から長岡京を経て平安京へと都が遷されていく中、薬 師寺沙門景戒を名乗る人物によって編纂された、この仏教思想 を色濃く反映する、しかしまたそれのみにはとどまらないさま ざまな志向、傾向を内包する著作を文学史上にいかに位置付け うるのか。三名のパネリストがそれぞれの方法によってこの課 題にアプローチし、上代文学会という場において研究の可能性 を展望してみようという試みである。 仲井克己氏は、『日本霊異記』が撰述された嵯峨天皇在位の 弘仁年間という時代に注目し、『三宝絵』や『今昔物語集』と の比較などを通じて、景戒が描いた世界がいかなるものであっ たのかを論じられた。『日本霊異記』において救済の論理がい メモ▼学界時評として、学界広場のバックナンバーはインターネットで公開中です。 文化の重層性・多様性の維持・更新は、また、われわれの視 点の重層性・多様性の確保にもつながる。 近 年、 学 問 の 世 界 で も「 実 学 」 以 外 の 切 り 捨 て が 甚 だ し い が、「 役 に 立 つ 」 こ と の 定 義 は 難 し い( 早 稲 田 ウ ィ ー ク リ ー 「 え び 茶 ゾ ー ン 」 第 回 http://www.wasedaweekly.jp/detail. ) 。 php?item=1477 ― 日にち 二〇一五年一一月一四日(土) [パネリスト] 「日本国/仏法/救済」仲井克己(帝京平成大学) 「試される「心」 」三浦佑之(立正大学) その表現と存在」 「日本文学史における 『日本霊異記』 の意義 河野貴美子(早稲田大学) [司会] 山口敦史(大東文化大学) ○河野貴美子(早稲田大学) 上代文学会秋季大会・シンポジウム 「 日本霊異記─その文学史的位置付けを考える─」レポート 文化の重層性・多様性の維持・更新、われわれの視点の重層 性・多様性の確保が、いかに「役に立つ」か、それらが失われ たならばどのような社会になるのか、を、われわれ「文系」の 研究者は、専門分野の垣根を越え、想像し、発信しなければい けない時代となっているのだろう。 シンポジウムの報告を書きながら、そんなことを考えた。 950 54 に成立した『日本霊異記』を「文学史」に位置付けるというこ とは、日本の言説文化、書物の歴史と「文学」とをいかに説明 するのか、という根本、原点にいま一度立ち返り、思考すべき 問題ではないか、ということである。『日本霊異記』を生み出 した人、時代、場、あるいはそれを享受し、伝えた人、時代、 場において、それはいかなるものとして存在し、いかなる意義 をもつものであったのか。そしてそれを現代に至るまで伝えて きたことにはいかなる意味があるのか。こうしたことはこれま でも繰り返し追究されてきたことではあろうが、しかし「文学」 や「文学史」という枠組みをいかに捉え考えるのかということ は、やはり常に問い続けられるべき問題であろう、ということ である。 そしてまた、シンポジウム当日の議論を通して、今後さらに 追究していくべき課題やヒントも複数得ることができた。例え ば、仲井克己氏のご講演は、 『日本霊異記』が、菩薩の生まれ 変わりとされる聖君嵯峨天皇による日本統治を寿ぎ幕を閉じる ことに注目されたが、嵯峨朝は、空海が活躍し、また勅撰の漢 詩文集が編纂されるなど、古代日本文学史の一画期ともいえる 時代を形成している。九世紀初頭前後の日本の 「文学」 について、 『日本霊異記』も含めて、いま残る複数の著作を合わせて捉え、 改めて時代を俯瞰することで、上代から中古への流れや変化に ついて、新たな発見や考察を導きだしうる可能性もあろう。 また三浦佑之氏が論点とされた、『日本霊異記』が「個々の心」 を語ろうとしているということは、おしひろげて考えれば、 「文 学」は個人や、あるいは共同体といかに関わり、人びとや社会 の中でいかなる意味をもって生み出され受け入れられてきたの かという、通時的な、より大きな問題にもつながるものであろ う。そして、そうした『日本霊異記』の語りが仏教から導かれ …………学会リポート ● 中古文学会秋季大会/上代文学会秋季大会/京都近世小説研究会/明星大学日本文化学科国際シンポジウム かに構築されているのか、どのような国が理想とされているの せんだい ・銭・道・ か、仏国土・天皇・闡提(心に仏性を宿さないもの) 話末詞書をキーワードとして考察が進められた。 『日本霊異記』説話が語ろうとするのは、 『万 三浦佑之氏は、 葉集』の相聞歌や挽歌にみられるような共同体的な心ではなく、 人間ひとりひとりのありようが試される「心」 、 すなわち「個々 の心」であったと指摘、それが八世紀という時代の仏教思想と 律令制度がもたらした結果であることを、報恩譚、および平城 京という都市に現れた家族や親子の関係を語る説話を通して分 析、検討された。 ないきょう げしょ 」 「外書(仏典以外の書) 」双方 「内経(仏典) 河野貴美子は、 に通じる「深智」を理想とする『日本霊異記』が、その知識を 駆使して創出した表現の工夫を、日本の文章表現史上の一実作 として改めて見直すとともに、仏教を主題とするその後の一連 の著作の先駆として『日本霊異記』が存在することを、中国文 学史上における類同の著作のあり方と比較しつつ考察を行い、 『日本霊異記』の意義と日本文学史の特徴について検討を試み た。 シンポジウム当日は、司会の山口氏による趣旨説明に続いて 三名のパネリストが三十分ずつ講演を行い、休憩をはさみ、再 び三名が若干の補足説明を行った後、会場から質問票および口 頭による質問を募りディスカッションが行われた。 今回、このシンポジウムテーマに向き合い考察を進める中で、 自分自身が最も大きな課題として意識したのは、 「文学史」を 考えるとはどういうことなのか、さらには「文学」とは何か、 ということ自体を改めて見直す、ということであった。いうま でもなく、現在いうところの「文学」とは、古代から固定した 普遍的な観念としてあったものではない。つまり、八~九世紀 学 界 広 場 55 http://kasamashoin.jp/jihyo.html ― (暉峻康隆氏『西鶴―評論と研究―』下) かつて、「低調な作品」 と酷評された『武家義理物語』(貞享五・一六八八年二月刊)を 井上氏は、刊行当時の武士の倫理観や行動規範を正しく理解す れば、 「面白く読む」ことができる作品であるが、同時にその 理解が十分及ばないと「面白く読めなく」なる作品でもあると して、二つの章段の解釈を示した。 天橋立で袖が摺 「我が子を打ち替へ手」(巻二ノ四)は、 り合った大代伝之助と同家中の七尾八十郎が斬り合い、年少者 でかつ目下であった八十郎が打ち果たす。八十郎の父久八郎は 始終を聞き、伝之助の父伝三郎に身柄を預ける。伝三郎は息子 か」報告を兼ねて」 (本誌 号、二〇一三年十一月)、拙稿「報 告「ワークショップ 西鶴をどう読むか(続)」 (『上方文藝研究』 第十一号、二〇一四年六月)等の報告文を参照されたい。 当日は、ツイッター・ブログ等で事前に告知が打たれたこと もあり、五十弱用意した座席のほとんどが開会前には埋まって しまった。今や、西鶴研究(者)にとって、 “聖地”と化した (?)キャンパスプラザ京都に残る熱気、あるいは火種が、全 国各地から多くの研究者諸賢を集結させる原動力となったので あろう。 『武家義理物語』を面白 本研究会での発表は、井上泰至氏「 く読む/読めなくする視点―巻二の四、巻六の一を中心に―」 及び、木越治氏「よくわかる西鶴―『好色五人女』巻三の文体 分 析 の 試 み 」 の 二 本 で あ っ た。 い ず れ も、 「 火 種 」 を「 着 火 」 せんとする挑発的な題目であり、じっさい、そのような内容で あった。 以下、両氏の発表内容の概要ならびに質疑内容を報告する。 紙幅の都合上、割愛の多いことを何卒了承されたい。 メモ▼学界時評として、学界広場のバックナンバーはインターネットで公開中です。 たものであったということからは、日本の「文学」 、 「文学史」 と仏教の密接な関係が改めて浮かび上がってこようし、それを 東アジアや世界の文学状況と比較するならばどのような特徴が 見いだせるか、等々、興味深い観察が展開できそうである。 最後に記したのは、あくまでも個人的な関心から抱いた感想 であるが、ともかく、さまざまな示唆に満ちた有意義なシンポ ジウムに参加できたことを感謝している。 京都近世小説研究会二〇一五年十二月例会報告 ―西鶴をどう読むか(続・続)― ○浜田泰彦(佛教大学講師) ― 日にち 二〇一五年十二月二十日(日) [パネリスト] 井上泰至(防衛大学校) 木越治(上智大学名誉教授) ― 昨年(二〇一五年)十二月二〇日、京都小説研究会例会にお いて、西鶴浮世草子作品の読み方をめぐる二名の口頭発表が行 われた。会場は、キャンパスプラザ京都。同会、同会場での西 鶴作品の読み方に関する発表といえば、二〇一三年九月七日に 開催されたワークショップ「西鶴をどう読むか」を想起させる。 とりわけ こ の ワ ー ク シ ョ ッ プ に お け る、 西 鶴 作 品 の 解 釈 『武家義理物語』 「死なば同じ波枕とや」巻一ノ五「若殿御機嫌 が、研究者の間で 良く御帰城を見届け」の一節をめぐって 争点となったことは記憶に新しい。上記の経緯については、飯 倉洋一氏「西鶴読解の壁―「ワークショップ 西鶴をどう読む 55 56 ― …………学会リポート ● 中古文学会秋季大会/上代文学会秋季大会/京都近世小説研究会/明星大学日本文化学科国際シンポジウム の敵である八十郎を養子にとり、大代家を継がせる という ていた本物の蜷川家の子孫次郎丸が現われ、この件を咎め、打 梗概である。伝三郎が実子を無情に切り捨てた読後感も否めな 首となった結末は、いかにも唐突だが、当代の武士にとっての いが、「武道も格別に勝れば、申し受けてこの家継ぎにすべし」 帯刀が単なる装束にとどまらず、精神をも表象するという常識 と伝三郎が妻に告げた通り、武士が最も尊重すべき「勇武」を に照らして読むなら、当然の成り行きである、との解釈を示し 優先した結果であり、養子に入って以来、実親との対面も絶っ た。 た八十郎が、 「昔の恨みなくして」 、大代家に孝を尽くした、 「義 ところで、当発表中、井上氏は、篠原進氏が、「基本的に西 理に身を果たせる」 (序)ストーリーである、との解釈を井上 鶴の読者と軍書のそれは異質」 であり、 洛下之野人撰 『人倫糸屑』 氏は示す。そもそも、先述の鞘咎めは、天橋立が初見で、 「浦 (貞享五年四月序)の「読者の方が重なる部分が大きい」(「 『武 いやなかたぎ 珍しく」、「月夕影うつるまで彼方此方を眺め巡りて」 、八十郎 道伝来記』の〈不好容儀〉」『青山語文』第四十五号、二〇一五 年三月) と指摘されたのに対し、異論を唱えられた。会場からは、 がよそ見がちであったのが引き金となったアクシデントであっ 徳山藩第三代藩主毛利元次旧蔵書である「棲息堂文庫」(現在、 た。この落度は、彼の「勇武」により帳消しとしたと解するべ 山口大学附属図書館所蔵。)に、『甲陽軍鑑』や『楠知命鑑』(延 きなのだろう。さらに、井上氏は、章題の「打ち替へ手」が、 宝八・一六八〇年三月刊)といった近世刊行軍書と並んで、『武 一旦相手に石を取らせ、その後それ以上の石を取り返す囲碁の 家義理物語』も所蔵されている例も挙げられ、おおむね、読者 手法に由来する点に着目し、一旦大代家が実子伝之助を失いな を異質とする説は分が悪いようであった。谷脇理史氏が、 『本 がら、後に伝之助以上の実力を持った七尾八十郎を養子に迎え、 朝二十不孝』と『本朝孝子伝』の読者は異質である、とかつて 伝之助を襲名させて、取り返した展開を西鶴が読み取らせよう 述べた( 「 『本朝二十不孝』の教訓の意味―作者の姿勢と読者の とした、というスリリングな解釈を示した。井上氏が、結末を 問題―」 『雅俗』第五号、一九九八年一月)論調を想起させる 知って読み返した読者には気が付く巧妙な仕掛であると指摘し この議論にも、今後何らかの進展が見られることだろう。読者 た の に 対 し、 章 題 は 結 末 を 予 言 す る も の で あ る、 と い う 見 解 層はさておき、武家を啓蒙する必要に迫られない西鶴と、軍書 や、反対に予言だとすると本文が茶番劇に落ちてしまう、との 作者とは明らかに作者の質が異なる。にもかかわらず、西鶴は 見解も会場から出された。本章段の解釈については、南陽子氏 何故、 『武家義理物語』で武家の規範となる倫理を描いたのか、 「京都近世小説研究会西鶴特集レポート」 (二〇一五年十二月 と報告者も会場で疑問を呈した。井上氏は、『北条九代記』(延 二十九日、西鶴研究会ブログ)にも、本当の勝者が鞘咎めに直 宝 三・一 六 七 五 年 十 月 刊 ) ・ 諏 訪 忠 晴『 本 朝 武 林 記 』( 延 宝 七・ 接関与していない大代伝三郎である旨詳細に検討されている。 一六七九年八月序)等が刊行された延宝期以降、形態上長篇読 (巻六ノ一)で、宇治の浪人が系 また、「筋目を作り髭の男」 み物化が進み、内容的には娯楽的読書に供する軍書が刊行され 図を捏造し、蜷川新九郎と名乗り、岐阜中納言秀信に致仕する、 る 傾 向 に あ り(「 近 世 刊 行 軍 書 の 沿 革 」 『 近 世 刊 行 軍 書 論 教 当代武家社会に横行していた事態を諷刺した場面の後、新九郎 訓・娯楽・考証』二〇一四年・笠間書院、参照。)、本作もこの が岩田外記之進の刀を取り違えるに至り、家系図の件は許容し 学 界 広 場 57 ― http://kasamashoin.jp/jihyo.html 。一連の西鶴作品をめぐる論争を、本誌で中嶋隆 最後に 氏は有意義に展開していないと批判した(「西鶴浮世草子を小 説化すること―剽窃・翻案・改作」本誌 、二〇一五年十一月) 。 確かに、各人が「権力批判がある/ない」といった思い込みを ぶつけ合うだけならば、徒労に終わるだろう。今回の研究会で ― などは、主語はすべて略記された上、専門家ですら手を焼きか ねない転換甚だしい一節である。だが、目印が皆目ないわけで はない。たとえば、引用文に見られる接続助詞「て」の多用を 挙げることができる。古くは、平秩東作『莘野茗談』 (天明八・ 一七八八年頃成)に、「てといふ字」を「よくつかひ覚えて書し」 と西鶴の文体的特性に言及し、それを承けた中村幸彦氏が「謡 曲文脈」において抑揚を付ける効果を狙い、用いられるとした 文体である( 「好色一代男の文体」 『中村幸彦著述集』第六巻)。 以 上 は、 当 日 会 場 か ら も 指 摘 さ れ た。 な お、 西 田 耕 三 氏 か ら は、西鶴の文体はわかりやすくはなく、「世態風俗形成の臨場 感」を醸し出す効果を狙った「主語の散乱」をみとめるべきで あり、尾崎紅葉『三人妻』(明治二五・一八九二年)に継承され た、との指摘もなされた( 『主人公の誕生』二〇〇七年・ぺり かん社) 。西鶴の文体を「曲流文」と評した板坂元氏が、「内容 も西鶴とへだたるところ少なく、わざ〳〵文を論理的に書き直 した八文字の方が、われ〳〵に印象を与えることが少い」(「西 鶴の語法」 『 国 文 学 解 釈 と 鑑 賞 』 第 十 八 巻 第 一 号、 一 九 五 三 年 一月)と指摘したことがあったが、当日、廣瀬千紗子氏から言 及された通り、むしろ八文字屋本のリライトの方が、格段に理 解しやすい文体であろう。ともあれ、文体論的分析はこれまで 『一代男』に集中していたが、 『五人女』等ほかの作品について も、木越氏と同様の試みがなされてしかるべきだろう。 メモ▼学界時評として、学界広場のバックナンバーはインターネットで公開中です。 ― 流れに付置することができる旨回答された。先述の「打ち替へ 手」を例にとってみても、武士ではない西鶴には、武士が生き る上での規範や尺度に興趣をそそられた。折からの軍書の娯楽 化傾向が呼び水となり、西鶴も時に面倒な行動をとる武士の姿 面倒な行動の描 に、読み物としての娯楽性の鉱脈を発見し 、本作の刊行をみた、 写は、皮肉あるいは諷刺にも結実する と報告者なりに総括・補足できると思われるがいかがであろう か。 『好色五人女』 (貞享三・一六八六年二月刊) 「し 木越治氏は、 てやられた枕の夢」 (巻三ノ二) 、すなわち、おさん・茂右衛門 が出奔する契機となった章段本文を「叙述」 ・ 「語り」 ・ 「修辞」 の三種に腑分けし、文体分析を試みた。就中、 「叙述」とは、 「時 間的経過に従い、物事の生起する状況について述べていく。あ わせて、その時の心理なども説明する」 (配布資料二頁) 、 ストー リーの根幹をなす部分である。西鶴浮世草子作品(に限った現 象ではないが)は、ストーリーとそれ以外の作者の批評・随想・ 警句が述べられる「語り」及び、和歌等に見られる「修辞」利 用が混在しているため、殊に教室で提供するテキストとしては 扱い難い。そこで木越氏は、教育的配慮の一貫で、腑分けを明 示したテキストを作成したのだ、という。 では、「叙述」だけに絞ると、発表題目を借用すれば、飛躍 的に「よくわかる」テキストになるかというと、そう一筋縄で はいかない。最大の難関の一つは、際立った目印を伴わずに行 われる主語の転換である。 「してやられた枕の夢」においても、 しほやいひ 【りんがやいとを】自然 「【茂右衛門は】塩灸を待ちかねしに、 0 0 【 や い と が 】 背 骨 つ た ひ て【 茂 右 衛 門 は 】 身 の と 据 ゑ 落 し て、 皮 ち ぢ み、 苦 し き 事 し ば ら く な れ ど も( …) 」 ( 傍 点、 筆 者。 ) 59 58 の両氏の発表のように、具体的な事例に基づいた挑発が今後と も相次ぐことを望みたい。 本研究会の模様は、先に触れた南氏の書き込みのほか、飯倉 洋 一 氏「 京 都 近 世 小 説 研 究 会 の 西 鶴 ま つ り 」 (二〇一五年十二 月 二 十 一 日、 『忘却散人ブログ』 ) ・同氏によるツイッターでの 実況(加藤敦子氏によりまとめられた)による報告がある。あ わせて参照されたい。 明星大学日本文化学科国際シンポジウム 「本がつなぐ日本と世界―古典籍と目録・研究の国際化」報告 ○勝又 基(明星大学) 日にち 二〇一六年一月一一日(月祝) [講演者]マルラ俊江(UCバークレー校図書館) 洪淑芬(台湾国家図書館) マシュー・フレーリ(ブランダイス大学) [代表質問者]山本嘉孝(東京大学大学院) 定村来人(東京大学大学院) [司会・コーディネーター]勝又基(明星大学) ) 。 帰 国 し て 以 来、 こ の 問 kasamashoin.jp/2014/11/57_11.html 題意識を国内で共有できる機会を作りたいと考えていたのだ が、折よく三菱財団の助成と勤務学科の理解を得てシンポジウ ムを開催することができた。 「目録」というキーワードを入れたのは、デジタル化の時代 である今こそ、海外に所蔵される古典籍という「現物」が現地 の研究者に利用されるべきであり、そのために目録の果たす役 割は重いのではないか?と考えたためである。 当日は、遠くは海外、九州、関西から、近くは沿線の国文学 研究資料館から、約五〇名に参集いただいた。 ◆マルラ俊江「海外図書館における日本古典籍の整理と利用に ついて―カリフォルニア大学バークレー校所蔵コレクション を中心として」 氏 は ま ず、 欧 米 の 図 書 館・ 美 術 館 等 で 所 蔵 さ れ る 日 本 古 典 籍コレクションの所在を調べるツールについて注意を促した。 や WorldCat のような総合目録データベースが一応はあ CiNii るものの、個々の所蔵館の事情もあって、これらだけで所蔵を き ち ん と 調 べ る こ と は 期 待 で き な い と い う。 代 わ り に、 国 文 学研究資料館HPの「在外日本古典籍所蔵機関ディレクトリ」 )を手がかりに ( http://base1.nijl.ac.jp/~overseas/index-j.html して、所蔵館の担当者に直接コンタクトする方が確実なのだそ うである。 そ し て 驚 か さ れ た の は、 U C バ ー ク レ ー 校 は 旧 三 井 文 庫 の 二八〇〇点におよぶ写本群を所蔵しているが、この整理に頭を 悩ませている、という発言であった。なぜ驚いたかと言えば、 同コレクションには、一九八四年に国文学研究資料館の錚々た る面々によって編まれた目録「カリフォルニア大学バークレー 校 旧 三 井 文 庫 写 本 目 録 稿 」(「 調 査 研 究 報 告 」 五 http://id.nii. …………学会リポート ● 中古文学会秋季大会/上代文学会秋季大会/京都近世小説研究会/明星大学日本文化学科国際シンポジウム 海外での日本文学研究を見ていると、目を見張るものが多い 一方で、現代の問題意識に引きずられすぎていたり、考証・調 査が不十分に見受けられるものも存する。ただ、だからといっ て、「あっちはあっち、こっちはこっち」というような閉じた 姿勢のままで居続ければ、いずれ日本文学研究はガラパゴス化 し て ゆ く の で は な い か。 こ れ は 昨 年 海 外 で 学 ん で の 実 感 で あ る(本誌第 号「ハーバード大留学おぼえがき」参照 http:// 学 界 広 場 59 57 http://kasamashoin.jp/jihyo.html か。すべては台湾大学所蔵の日本古典籍が、整理をきっかけに 現地の学習者(研究者)に利用されることを願い、その意欲が 日本人研究者を動かして成し遂げられたことである。そして逆 に言えば、これだけの手間をかけなければ現地では利用されに くい、ということを意味しているのだと、我々は肝に銘じるべ きであろう。 ◆マシュー・フレーリ「欧米研究者から見た日本学資料の蔵書 目録・データベース・デジタル化」 氏のお話は興味深い体験談から始まった。いま欧米では、参 考文献を記すさい、ネットではなく印刷物で読んだものの場合 」 と 記 す 傾 向 が 生 じ つ つ あ る。 そ れ ほ に は、 わ ざ わ ざ「 print どまでに書籍の絶対性が揺らぎ、ネットに重心が移りつつある というのである。 また、いま四〇代である氏が大学院生であったころ、美術史 はともかく日本文学研究の世界では、くずし字を読むべしとい う風潮はなく、そうした授業もなかった。そこから氏が独学で くずし字をマスターするに至ったのは、早稲田大学「古典籍総 合データベース」の登場であったという。そして今や、事情は ガラリと変わった。くずし字の基本的な読解は、前近代日本を 学ぶ大学院生にとっては必須の技能になり、昨年イェール大で の研究集会で国文学研究資料館のデジタル化事業が紹介された さいには、盛大な歓迎の拍手が起こったという。 さすが氏だ、と思ったのは、国文学研究資料館HPの「近代 ) 書誌・近代画像データベース」( http://base1.nijl.ac.jp/~kindai/ に、 「問い合わせ」の機能が欲しいと要望されたことであった。 記載の間違いを見つける時があり、恩恵を受けている恩返しの 意味も込めてフィードバックしたいのだが、その窓口がないの だという。世界から寄せられるこうした改善の機会を逃してい メモ▼学界時評として、学界広場のバックナンバーはインターネットで公開中です。 ) が す で に 備 わ る か ら で あ る。 氏 の 発 言 ac.jp/1283/00001794/ はつまり、この目録では現地で資料が活用されるには十分では ない、ということなのだ。ここ三〇年ほど、日本から海外へ赴 いて古典籍の目録が数多く作られてきた。もちろん調査時間の 制約などさまざまな事情は存しただろうが、そうした中で、現 地の研究者・学生への配慮は十分になされて来ただろうか。こ のことを顧みる段階が来ていると実感させられた。 ◆洪淑芬「多国研究者が利用できる日本古典籍目録作成をめざ して」 (二〇〇九 氏は『国立台湾大学図書館典蔵日本善本解題目録』 年刊 台湾大学)の中心的な編者である。未見の方にはぜひ一 覧をおすすめしたい。中国語が分からなくとも、これが他と一 線を画するものであることは一目瞭然である。この目録編集に おける氏の苦労話を聞くことが、そのまま現在の日本古典籍目 録の問題点の洗い出しになるのではないか、と考えて登壇を依 頼した。 氏は善本の解題を中国語に対訳しただけでなく、その中に出 て く る 書 誌 学 用 語、 文 学 史 用 語、 歴 史 用 語、 地 名、 人 名 な ど 一〇種の用語集を選定して日本語で作文し、日本人研究者と連 携して内容の正確さを確認しながら、中国語訳も行った。また 掲載された善本を日本文学史年表の中に位置付け、中国文学史 と対照させた。さらに索引は、日本語・中国語でなんと六種類 を備えた。 印象深かったのは、氏が目録の構想当初から、日本文学史の 教科書として読まれることまでも目指していた、ということで ある。善本選定の段階であらかじめ教科書としての構想を伝え、 年代・ジャンルに偏りのない選定を依頼したのだという。 これらのために氏が費やした時間と手間はどれほどであった 60 だ国内向けとの印象が残った。 シンポジウムを終えて実感したのは、昨今の日本古典籍のデ ジタル化が、きわめて国際的な問題なのだということである。 世界中の多様な人々が、 多様な興味にもとづいて、 それを見守っ ている。 日本の大学や研究機関は、 世界からの興味に応えるデー タを提供できるのかだろうか。そして日本の研究者は、多方面 からの興味と切り結ぶ研究ができるのだろうか。こうしたこと が今、問われているのである。 …………学会リポート ● 中古文学会秋季大会/上代文学会秋季大会/京都近世小説研究会/明星大学日本文化学科国際シンポジウム るのは、なるほど勿体ないことである。 ◆代表質問・質疑応答 代表質問者の一人目、山本嘉孝氏からは、日本文化自体には 関心がなくても、日本の「書物」や「書物文化」に潜在的な興 味を持っている人々は、世界中に数多く存在するはずで、そう した人たちにどうやって訴えかけるのか?というスケールの大 きな質問が投げかけられた。たしかに、今我々が関わっている デジタル化は、我々の想像をはるかに越えた広汎な興味を持た れている可能性がある。折しもつい先日、ペンシルバニア大学 」という世界の写本を対象とする研究 で「 Manuscript Studies ) 。 雑 誌 の 創 刊 が 予 告 さ れ た( http://mss.pennpress.org/home/ その創刊号の表紙は江戸時代の書籍の書影である(なぜか木版 本のようだが) 。 二人目の定村来人氏からは、複数コレクションをつなぐ共通 プラットフォームを作ることと、各コレクションの個別性を活 かした目録作りとのバランスについて、どのように考えている か?という質問が投げかけられた。マルラ氏はそれこそまさに 今悩んでいることだと慨嘆し、フレーリ氏は冊子体目録の価値 を認めつつ、その場合はせめて、検索可能な形のPDFファイ ルを作ってリポジトリに入れて欲しいと訴えた。 会場との質疑応答も盛んだったが、そのうちマクヴェイ山田 久仁子氏(ハーバード大学燕京図書館) からの意見が印象的だっ た。現在、日本の各大学がデジタル化を独自に行っているが、 きわめて見つけにくい。一度に検索できるようなポータルサイ トができないか、というものである。これについては登壇者に 代わって国文学研究資料館の山本和明氏から、いま二〇の大学 とそうした試みを始めているところだ、との回答があった。た だし英語対応については今後の検討課題だとのことで、まだま 学 界 広 場 61 新刊案内 62 ……………2016 年刊行予定 ! 63 新刊案内 としての秀吉の応援要請/毛利方との和睦/中国大返し 6 清須会議と天下簒奪 虚像編[丸井貴史] 秀次事件を描いた作品/物語としての秀次事件/殺生関 白秀次/秀次の妻妾たち/仏法僧―戦う秀次 実像編[谷口 央] 清須会議と織田家家督/織田家を支える人々・その立場 12 豊臣政権の政務体制 と運営方法/勝家と秀吉の対立/「織田体制」の改編― 実像編[谷 徹也] 秀吉のクーデター―/織田家家督織田信雄と秀吉/秀 「五大老」「五奉行」に関する通説/小瀬甫庵『太閤記』 吉・家康と関東諸氏/小牧長久手の戦い/北国攻めと信 の記述/秀吉生前における奉行の役割/秀吉生前におけ 雄・家康/家康の臣従と全国統一 る大老の役割/政権内のその他の政務/秀次事件による 虚像編[菊池庸介] 政務体制の改変/「五大老」「五奉行」制の実態/乖離 はじめに/山崎の戦/清須会議/大徳寺焼香場―秀吉の する名分と実態/そして関ヶ原の戦いへ 天下簒奪 虚像編[藤沢 毅] 五大老・五奉行/太閤検地、刀狩りは描かれない/富裕 7 秀吉と女性 の町人への処罰/武断派と文治派の対立 実像編[堀 智博] はじめに/ねねの実像/『淀』の実像/秀吉死後のねね 13 関ヶ原の戦いから大坂の陣へ と淀/おわりに 実像編[谷 徹也] 虚像編[網野可苗] 大坂の陣への道程/関ヶ原戦後の上方情勢/秀頼の立場 悲劇のヒロインにはなれなかった女性/徳川史観の被害 /公儀のゆくえ/大坂の陣の始まり/豊臣方の民衆/ 者/事件の黒幕には淀/豊臣贔屓≠淀擁護/実録の力/ 関ヶ原の戦いからの道程 近代文学の中の淀/淀の悪女像を押し出したもの/選ば 虚像編[井上泰至] れた悪女 徳川寄りの軍書/関ヶ原モノの集大成―『関ヶ原軍記大 成』/徳川贔屓の構図を引き継ぎ文芸化―『難波戦記』 8 秀吉と天皇 /大坂贔屓への転換―『厭蝕太平楽記』/徳川コードの 消失とともに―『名将言行録』と『日本戦史関ヶ原役』 実像編[遠藤珠紀] /民間史学から歴史小説・近代歌舞伎へ―山路愛山・徳 聚楽第行幸/『聚楽行幸記』の作成/近世に語られた聚 富蘇峰・高安月郊・司馬遼太郎 楽第行幸/行幸の行列/公家の家業の興隆/何故「聚楽 第行幸」か? 14 秀吉の神格化 虚像編[森 暁子] 乱世の忠臣/主君利用パターンの類似/つれないそぶり 実像編[北川 央] /古代の天皇権威の利用/世論操作のための「忠臣」ア 神になった秀吉/秀吉の神格化と御霊信仰/織田信長の イコン 神格化をめぐって/秀吉神格化のモデル/豊国大明神の 性格/新八幡と豊国大明神/豊国大明神の多様な信仰/ 9 秀吉はなぜ関白になったのか 大坂城への勧請/江戸から明治の豊国社 虚像編[井上泰至] 実像編[堀 新] 神社の荒廃とにわか震災神/対外的武威の神として―宣 秀吉の関白任官/このエピソードの問題点/家康の源氏 長の古道論の内面化と和歌/征韓論の神話的先例―幕末 改姓・将軍任官は特殊例/秀吉の関白任官と徳川史観 から明治 虚像編[森 暁子] 関白任官の打算/「下剋上」の回避 /「朝敵」排除の思 惑 /「朝敵」の烙印への恨み①―島津氏/「朝敵」の ○コラム 烙印への恨み②―後北条氏/ 枷からの脱却 / 政敵の排 北政所の実名[堀 新] 除 刀狩令[堀 新] 太閤検地[谷口 央] 10 文禄・慶長の役/壬辰戦争の原因 「惣無事」と「惣無事令」[谷口 央] 実像編[米谷 均] 豊臣秀吉の本心を読み解くこと/朝鮮出兵の原因・目的 破り捨てられた? 冊封文書[米谷 均] をめぐる諸学説/朝鮮出兵の動機と目的/秀吉が成りた 二つの「キリシタン禁令」[堀 新] かったもの 虚像編[井上泰至] ○付録 「徳川史観」 「皇国史観」 「帝国史観」/林家とその後― 秀吉関連作品目録 徳川史観の形成/絵入歴史読み物と国学・後期水戸学― (軍記・軍書・実録・近代史論・歴史小説)[井上泰至編] 皇国史観/帝国史観―幕末の危機意識の中で/ナショナ リズムか愛すべき英雄か 主要秀吉関連演劇作品一覧[原田真澄編] 11 秀次事件の真相 実像編[金子 拓] あとがき[堀 新×井上泰至] はじめに/秀次事件解釈の新説/秀次事件の発端/秀次 執筆者プロフィール の高野山出奔/「公式見解」の形成と秀次切腹/「秀次 事件」の成立/秀次の個性 新刊案内 64 ◎ 2016 年 6 月刊行予定 秀吉の虚像と実像 編者 堀 新・井上泰至 [執筆] (執筆順) 井上泰至[防衛大学校教授] 堀 新[共立女子大学教授] 湯浅佳子[東京学芸大学教授] 北川 央[大阪城天守閣館長] 太田浩司[長浜市長浜城歴史博物館館長] 柳沢昌紀[中京大学教授] 原田真澄[演劇博物館招聘研究員] 堀 智博[共立女子大学非常勤講師] 菊池庸介[福岡教育大学教授] 谷口 央[首都大学東京教授] 網野可苗[上智大学大学院] 遠藤珠紀[東京大学史料編纂所助教] 森 暁子[お茶の水女子大学研究員] 米谷 均[早稲田大学講師] 金子 拓[東京大学史料編纂所准教授] 丸井貴史[上智大学大学院] 谷 徹也[京都大学助教] 藤沢 毅[尾道市立大学教授] 【目次】 本書の読み方 ○序 虚像編・編者より 秀吉の「夢」、語り手の「夢」[井上泰至] 実像編・編者より 実像と虚像、歴史学と文学、どちらも面白い[堀 新] 1 秀吉の生まれと容貌 実像編[堀 新] 生まれ―秀吉の生年月日/天文五年か天文六年か/ 容貌―木の下の猿関白/猿か禿鼠か/外国人の見た 秀吉/むすびに 虚像編[湯浅佳子] はじめに/出生をめぐる奇瑞/異常誕生譚と特異な 容貌/放逸な少年時代/まとめ 2 秀吉の青年時代 実像編[北川 央] 太閤様のご先祖/秀吉の父/秀吉の兄弟姉妹/秀吉 生家の生業/家を出た秀吉/秀吉と陰陽師集団 虚像編[湯浅佳子] はじめに/忠義と信の人、秀吉―『太閤記』巻一よ り―/策謀家としての秀吉―『真書太閤記』より― /おわりに 3 浅井攻め 実像編[太田浩司] 小谷落城と秀吉/堀・樋口氏の誘降/姉川合戦と秀 どのようにして秀吉は「虚像」として語られ、 吉/志賀の陣と秀吉/横山城主として/野一色家の 秀吉仕官/箕浦合戦と湖北一向一揆/元亀二年から 今その「実像」が問われているのか。 三年の戦い/虎御前山城の城番へ 歴史学と文学のコラボレーションにより、 虚像編[柳沢昌紀] 理想の信長・秀吉・家康を造形―甫庵『信長記』/竹 実像も虚像も追究する書。 中重門の『豊鑑』と林家の『将軍家譜』/浅井氏三代 豊臣秀吉総体を捉えようとする、初の試み ! の事蹟を記す軍書―『浅井三代記』/智将秀吉の誕生 ―『絵本太閤記』/万能なる智将へ―『真書太閤記』/『日 本戦史・姉川役』と山路愛山の『豊太閤』 実像と虚像、歴史学と文学、どちらも面白く、重要であるこ とが本書により改めて説かれる。単なる秀吉の通史ではない、4 秀吉の出世 多様な見方と大きな見通しの確認・発見を目指す書。 実像編[太田浩司] 秀吉の改姓と名乗りの変化/「木下」から「羽柴」へ 【本書は、豊臣秀吉を素材に、歴史学が実像編、文学が虚像 の改姓/「筑前守」の官途を名乗る/播磨侵攻と黒 編を、それぞれの学問スタイルで執筆した。実像編は、主に 田孝高の幽閉/「筑前守」から「藤吉郎」への後退 古文書・古記録を使用して、現在何が、どこまで明らかになっ /秀吉の城下町政策/再び「筑前守」へ/於次秀勝 ているかを述べた。そのさい、必要に応じて典拠となる古文 の独立と名乗り/その後の秀吉の叙位任官 書・古記録を示している。これに対して虚像編は、一般に流 虚像編[原田真澄] 布している歴史常識が、どのような軍記物語によっていかに 秀吉と信長の出会い/墨俣一夜城/願望の鏡として 形成されたのか、その虚像のあり方を浮き彫りにしている。 の虚像 この両者があわさることによって、「実像も虚像も追究する」 ことができるのである。それは、豊臣秀吉という人物はもち 5 高松城水攻めと中国大返し ろん、彼の生きた社会もより深く理解することである。それ 実像編[堀 智博] だけでなく、秀吉死後の時代の姿をも、豊臣秀吉という人物 はじめに/『高松城水攻め』に至るまでの過程―織田・ とその伝説を通じて掘り下げることでもある。】…序(堀新) 毛利間戦争/『高松城水攻め』の実態/毛利勢との より 講和/『中国大返し』の実像/おわりに 虚像編[菊池庸介] ISBN978-4-305-70814-4 C0021 はじめに/『太閤真顕記』における高松城水攻め・中 予価 : 本体 2,800 円(税別) 国大返しの構成/高松城水攻め/本能寺の変の発端 A5 判・並製・カバー装・412 頁予定 65 新刊案内 一 『新撰菟玖波集』の巻子装 二 『新撰菟玖波集』成立に纏わる伝本 ア草案本 イ中書本 ウ奏覧本 三 奏覧本の可能性の書誌的検討 四 奏覧本の可能性の本文的検討 おわりに 慶應義塾大学附属研究所斯道文庫蔵『新撰菟玖波集』存巻 一【翻刻】 第三章 巻子装であること―早稲田大学図書館蔵『新撰菟 玖波集〔政弘句抄出〕 』をめぐって― はじめに 一 もう一つの『新撰菟玖波集』巻子本 二 『新撰菟玖波集〔政弘句抄出〕』の書式 三 その本文 四 その成立過程 おわりに 早稲田大学図書館蔵『新撰菟玖波集』一軸【翻刻】 二 「長門切本」が巻子装であること 三 「長門切本」の大きさと界線の問題 四 「長門切本」の書風の問題 五 「長門切本」は絵巻詞書か おわりに 第三章 「屋代本平家物語」の書誌学的再検討 はじめに 一 書誌事項の再確認 二 書誌事項の再検討 三 屋代本の書写時期の検討 四 屋代本の補写の問題 おわりに □第五編 古典文学と書誌学 第一章 定家本としての枕草子 はじめに 一 三巻本枕草子の呼称の問題 二 安貞二年奥書の記主の問題 第三編 □ 源氏物語と書誌学 三 安貞二年奥書の再確認 四 定家本としての特徴 第一章 「大島本源氏物語」の書誌学的研究 五 定家本の受容 はじめに 六 定家本の抄出本 一 従来の学説 七 定家本の流布の問題 二 従来説への疑問 おわりに 三 問題点の再検討 第二章 書物としての『枕草子抜書』 四 大島本の奥書 はじめに 五 大島本の親本 一 研究史と伝本 六 藤本孝一氏説の再検討 二 伝本の書誌情報 ア若紫末尾の四行 イ柏木巻末の問題 三 伝本の関係 おわりに 第二章 二つの「定家本源氏物語」の再検討―「大島本」 四 連歌書としての性格 おわりに という窓から二種の奥入に及ぶ― 第三章 書物としての歴史物語 はじめに はじめに 一 定家自筆本と奥入残存本文の関係 一 歴史物語古写本の書誌情報 二 六半定家本の特徴 A 栄花物語 B 大鏡 C 今鏡 D 水鏡 E 増鏡 三 六半定家本の書写時期 二 歴史物語の書物としての特徴 四 四半定家本の特徴 三 歴史物語に対する当時のジャンル意識 五 四半本と青表紙 おわりに おわりに 第三章 「大島本源氏物語」続考―「関屋」冊奥書をめぐっ 第四章 室町期東国武士が書写した八代集―韓国国立中央 図書館蔵・雲岑筆『古今和歌集』をめぐって― て― はじめに はじめに 一 韓国国立中央図書館蔵の『古今和歌集』 一 「大島本」解釈の問題点 二 韓国国立中央図書館蔵の『拾遺和歌集』 二 「関屋」奥書の解釈 三 雲岑筆写本を求めて 三 大島本「関屋」冊の本文 四 雲岑筆『後撰集』・『後拾遺集』・『金葉集』 四 大島本「関屋」冊の書き入れ 五 雲岑の素性 おわりに 六 雲岑筆八代集の位置付け □第四編 平家物語と書誌学 おわりに 第五章 長門二宮忌宮大宮司竹中家の文芸―未詳家集断簡 第一章 書物としての平家物語 から見えてくるもの― はじめに はじめに 一 室町時代以前の平家物語写本 一 室町期の断簡から見えてくるもの 『平家物語』古写本の略書誌一覧 二 竹中(武内)家の文芸活動 二 『平家物語』写本の形態的特徴 三 竹中家の和歌短冊 三 『平家物語』内題のあり方 四 竹中家の歌道師範と書流 四 その他の特徴 五 「大島本源氏物語」と竹中家 おわりに 第二章 巻子装の平家物語―「長門切」についての書誌学 おわりに おわりに―本書で明らかにしたこと 的考察― 初出一覧 あとがき 目次(英訳)おわりに(英訳)索引(人名・書名) はじめに 一 「長門切」の基礎情報 新刊案内 66 ◎ 2016 年 5 月刊行予定 日本古典書誌学論 【目次】 はじめに 佐々木孝浩 書誌学は、文学作品を読み解く上で何の役に立つのか。 巻物や冊子といった書物の装訂や形態にはヒエラル キーがあり、書物とそこに保存されるテキストには相 関関係がある。また書物に保存されているのはテキス トのみではなく、書物とテキストにまつわる様々な情 報も秘められているのである。そうした相関性や情報 □序編 第一章 日本古典書誌学論序説 はじめに 一 和本の装訂の種類 ① 巻 子 装 ② 折 本 ③ 粘 葉 装 ④ 綴 葉 装 ⑤ 袋 綴 二 装訂と作品の関係 ①巻子装 ②折本 ③粘葉装 ④綴葉装 ⑤袋綴 三 装訂の格と改装 おわりに 第二章 日本語の文字種と書物の関係について はじめに 一 日本語の文字の種類 二 文字種と装訂の関係 三 文字種と版式の関係 おわりに □第一編 巻子装と冊子本 第一章 冊子本の外題位置をめぐって を把握した上で、作品を具体的に読み解く必要がある。 はじめに 既存の文学研究では明らかにできなかった事柄を、書 一 書誌学文献における題簽位置の記述 二 入木道伝書における題簽位置の記述 誌学的な「読み」によって示す、古くて新しい書誌学 三 歌書の古写本にみる外題の位置 の具体的活用法! 四 物語の古写本にみる外題の位置 五 外題位置の違いが意味すること おわりに 第二章 絵巻物と絵草子―挿絵と装訂の関係について ― はじめに 一 巻子装と物語 二 絵巻物という存在 三 絵入り本という存在 四 絵入冊子本の登場 おわりに 本書にまとめた論文は、「書誌学研究は文学研究において 何の役に立つのか」という、世に珍しい書誌学の研究所に所 属し、古典籍に囲まれながら書誌学の講義を二十年続けてき た自分にとっての、大きな命題に対する答えとして書いてき たものである。……書誌学は文学研究の基礎を固める学問で ある、これを疎かにした研究を行うと永遠に真実に辿り着け ないのである。既存の文学研究に何が足りなかったのか、そ のことを考えることが、書誌学を役立たせる方法をはっきり □第二編 巻子装と歌書・連歌書 と教えてくれたのである。 ……「あとがき」より 第一章 勅撰和歌集と巻子装 はじめに ……内容を深く検討するためには、まずその本文の器たる 一 日本における巻子装 書物の書誌的な情報を抽出し、それを活かしてその本文の性 ア巻子装の日本伝来 イ巻子装の地位 格や価値を確定した上で、研究に用いるように心掛けること 二 巻子装と勅撰和歌集 が大切であることを明らかにできたものと確信する。これを ア勅撰集と巻子本の関係 イ勅撰集奏覧本の姿 行うことによって、誤りが少ないより本格的で深い研究が可 三 勅撰集奏覧本の実態 能となるのである。……基礎的にして即物的でもあるこの研 A 金葉集(三奏本)・詞花集 B 千載集 C 新古今集 究方法の有効性は、考察を重ねても揺らぐことはないはずで D 新勅撰集 E 続古今集 F 風雅集 G 新千載集 ある。 H 新続古今集 ……「おわりに——本書で明らかにしたこと」より 四 奏覧本の清書者 五 現存する奏覧本 ア『風雅集』竟宴本 イ『新続古今集』中書本・再 清書本 ウ伝為家筆『続後撰集』切 エ伝為世筆『新後撰集』・『続千載集』切 オその他 の巻子本切 六 天皇周辺の巻子本 おわりに ISBN978-4-305-70808-3 C0095 第二章 勅撰和歌集の面影―『新撰菟玖波集』の巻子 予価 : 本体 9,000 円(税別) 装本をめぐって― A5 判・上製・函入・542 頁予定 はじめに 67 新刊案内 ◎ 2016 年 5 月刊行 噺本と近世文芸 表記・表現から作り手に迫る 藤井史果 江戸時代を通して書き継がれた笑話集「噺本」の謎に、 新たな視点で迫る。 【目次】 はじめに 凡例 第一部 「はなし」の定義 第一章 噺本研究史 はじめに/一、前期噺本/二、後期噺本/おわりに 第二章 「噺」と「咄」 ─噺本にみる用字意識─ はじめに/一、 「話」の用字/二、 「咄」の用字/三、 「噺」 の用字/四、 「咄」と「噺」の併用/五、作り手の用字 意識/六、 「噺本」と「咄本」/おわりに 第二部 噺本にみる表記と表現 第一章 噺本における会話体表記の変遷 はじめに/一、上方軽口本と江戸小咄本/二、庵点に関 する先行研究/三、庵点の出現/四、明和・安永期以後 の軽口本/五、洒落本にみる会話体表記/おわりに 第二章 噺本に表出する作り手の編集意識 ─戯作者 と噺本─ はじめに/一、朋誠堂喜三二/二、山東京伝/三、感和 亭鬼武/四、十返舎一九/五、曲亭馬琴/六、烏亭焉馬 /七、その他の個人笑話集/おわりに 再録や改作を繰り返す性質から 作り手や創意に不明な点が多い噺本。 噺本を文字化された文芸として捉え、 会話に付される記号「庵点(いおりてん・〽) 」の使用方法など、 第三部 謎につつまれた噺本の作り手 ─山手馬鹿人 を中心に─ 従来見過ごされてきた表記・表現の面から検討。 新たな手法で噺本を読み直し作り手の実像、その創意に迫りな 第一章 大田南畝・山手馬鹿人同一人説の再検討 はじめに/一、 『蝶夫婦』書誌/二、 『蝶夫婦』の構成/ がら、近世文芸史上のさまざまな謎の解明に挑む。 三、 『蝶夫婦』と庵点の用法/四、南畝の噺本三部作と 『蝶夫婦』と『話句翁』/六、山手馬鹿 【目新しい笑話を収集し、書き記すことに主眼をおく噺本にお 『蝶夫婦』/五、 いて、たしかに編者の影は薄く、その独創性を見い出すことは 人と洒落本/おわりに 容易ではない。また、一口に噺本といっても、その時代や地域、 第二章 山手馬鹿人の方言描写 そして何より作り手によってその成立の背景や過程は大きく異 はじめに/一、馬鹿人の洒落本と方言/二、洒落本にお 『粋町甲閨』と仙台方言/四、 『蝶夫 なっており、一様に論じることができるものではない。しかし、 ける田舎言葉/三、 これらの噺本を単なる笑話の記録や寄せ集めではなく、文字化 婦』初編と南畝噺本三部作における田舎者/五、他の噺 された「記載文芸」として捉え、一作にまとめた編者の存在を 本との比較/おわりに 意識して読み直すと、これまでみえなかったさまざまな特色が 第三章 山手馬鹿人と洒落本 はじめに/一、馬鹿人の文体/二、洒落本における少女 浮かび上がってくる。 「子ども」の描き方/四、馬鹿人以前、そして以 そこで本書では、この噺本について「作り手の意識」を軸に /三、 『南客先生文集』の作者/おわりに 据え、従来看過されることの多かった表記や表現の観点から検 後/五、 討を行い、その文学史上における意義を考察するとともに、ま だ不明な点の多い噺本の作り手について具体的に明らかにし、 第四部 噺本作者の横顔 ─瓢亭百成をめぐって─ 噺本研究の多様な可能性を提示することを目的とする。…… 「は 第一章 瓢亭百成の文芸活動 はじめに/一、百成の閲歴/二、百成の噺本/三、咄の じめに」より】 構成とその特色/四、 『山中竅過多』/五、百成をめぐ る人々/おわりに 第二章 瓢亭百成の著作 ─未翻刻資料の書誌および 翻刻─ Ⅰ『福山椒』 (享和三年〈一八〇三〉 ) Ⅱ『華の山』 (文化二年〈一八〇五〉 ) Ⅲ『百夫婦』 (文化元年〈一八〇四〉 ) Ⅳ『舌の軽わざ/とらふくべ』 (文化三年〈一八〇六〉 ) Ⅴ『申新版落咄 瓢孟子』 (文政七年〈一八二四〉 ) ISBN978-4-305-70811-3 C0091 Ⅵ『一口はなし 初夢漬』 (文政十三年〈一八三〇〉 ) 定価 : 本体 5,200 円(税別) A5 判・上製・カバー装・260 頁 初出一覧 あとがき 索引【人名・作品名】 新刊案内 68 ◎ 2016 年 2 月刊行 時代物浮世草子論 江島其磧とその周縁 宮本祐規子 【目次】 序章 第一章 時代物浮世草子の習作 ─其磧の赤穂浪士もの 第一節 『けいせい伝受紙子』論 ─「陸奥」の人物造型を中心に─ 第二節 『けいせい伝受紙子』の独自性 ─男色描写と野村事件─ 第三節 『忠臣略太平記』試論 ─其磧作の可能性を求めて─ 第四節 まとめ 第二章 其磧と演劇 ─時代物浮世草子を考えるために 西鶴没後の小説界を牽引した作者 江島其磧(えじまきせき)の作品を再定義する。 其磧が数多く残した歌舞伎・浄瑠璃を典拠とする、 長編小説「時代物浮世草子」 。 作者の独自性が無いと低評価が続いていた これらの作品群を習作から順に取り上げ、 後世の作家に与えた影響まで丹念に考察。 其磧研究に新たな視点を提示する。 第一節 其磧と荻野八重桐 ─『風流七小町』 『桜曽我女時宗』 『女将門七 人化粧』を中心に─ 第二節 『安倍清明白狐玉』論 ─浄瑠璃・歌舞伎における晴明ものの系譜として─ 第三節 『鬼一法眼虎の巻』と「鬼一法眼三略巻」 ─浄瑠璃ずらし─ 第四節 時代物浮世草子作者論 第五節 まとめ 第三章 時代物浮世草子の消長 【其磧は、浄瑠璃脚本に関わり、役者評判記の執筆という演劇 ─演劇と江島其磧への視座から に近しい場所から作家として出発した。長年携わり、自家薬籠 中のものであった演劇から、枠組み(あるいは世界)を借りて、 第一節 八文字屋本の中の都賀庭鐘 演劇からの趣向と浮世草子の知識を自由に取りこみながら作り ─『四鳴蝉』私論─ 上げた作品群が、時代物浮世草子と言える。其磧にとって、晩 第二節 其磧と初期洒落本 「漂游総義」を中心に─ 年になって出発点に回帰してきたとも言え、作家としての集大 ─『本草妓要』 成でもあったのではなかろうか。そう捉え直すと、従来の低い 第三節 上田秋成『諸道聴耳世間狙』と歌舞伎 評価に再考の必要があるかと思われる。 (中略)本書では、従 ─團十郎を中心に─ 来の時代物浮世草子の評価を再定義し、後の浮世草子への影響 第四節 其磧没後の浮世草子 も含め、浮世草子周辺ジャンルとの密接な関係と、その文学史 ─『怪談御伽桜』とその周辺─ 的位置づけを明らかにしたい。……「序章」より】 結章 資料 1 時代物浮世草子典拠作一覧 2 蓍屋勘兵衛出版事項年表 3 北田清左衛門出版事項年表 初出一覧 あとがき 索引【作品名・人名】 ISBN978-4-305-70787-1 C0093 定価 : 本体 4,000 円(税別) A5 判・上製・カバー装・326 頁 69 新刊案内 ◎ 2016 年 5 月刊行予定 万葉挽歌の表現 挽歌とは何か 高桑枝実子 ISBN978-4-305-70813-7 C0092 予価 : 本体 7,500 円(税別) A5 判・上製・カバー装・336 頁 ◎ 2016 年 5 月刊行 『枕草子』連想の文芸 章段構成を考える 斎藤正昭 ISBN978-4-305-70809-0 C0095 定価 : 本体 8,500 円(税別) A5 判・上製・カバー装・336 頁 新刊案内 万葉人は、死や死者に対してどのように向き合おうとし たのか。挽歌が必要とされた理由とは―。 万葉集に挽歌として載せられた歌は、編者にそのように 判断され配列されたものがほとんどである。歌の作者に 「挽歌を詠む」という意識があったとは限らない。では、 編者が挽歌だと判断したポイントはどこにあるのだろ うか。編者の挽歌観を探ると共に、挽歌部に収載された 歌の表現と、収載されなかった表現との違いを見極め、 挽歌の成立とその本質を解明する。 【目次】序章 万葉挽歌研究の視点 第一節 万葉挽歌 研究史と本書の目的―予備的考察として―/第二節 万葉挽歌の表現と変遷 第一章 万葉人の挽歌観 第 一節 有間皇子自傷歌群の意味/第二節 有間皇子自 傷歌群左注考―編者の挽歌観と意図―/第三節 山上 憶良「日本挽歌」の表現 第二章 万葉挽歌の方法 第 一節 天智挽歌群 姓氏未詳婦人作歌考/第二節 柿 本人麻呂「日並皇子殯宮挽歌」の方法―反歌をめぐって ―/第三節 柿本人麻呂「高市皇子殯宮挽歌」の方法 /第四節 柿本人麻呂「吉備津采女挽歌」の方法―「秋 山の したへる妹 なよ竹の とをよる子ら」考― 第 三章 万葉挽歌の周辺 第一節 巻八夏雑歌 大伴旅 人の望遊唱和歌考/第二節 ホトトギスと死者追慕の 歌―万葉歌から中古哀傷歌へ―/《補論》東歌のホトト ギス詠―巻十四・三三五二番歌の考察―/第三節 倭建 命の喪葬物語―『古事記』と鎮魂― 終章 万葉挽歌の 実体と課題―挽歌とは何か― 『枕草子』の章段の順序は置き換えられているのではな いか ?! ―複数回にわたって成立した形跡が見られる『枕 草子』を、幾度かにわたって成立したことを前提とし、 全章段の繋がりをたどることにより、これまで見落と されていた章段の連続性(全章段の約三分の一に及ぶ 一〇〇余の事例)を掘り起こす。その連続性を手掛かり に、新たな章段の順序に並び替える野心的な書。 【目次】基礎篇 第一章 章段の構成(一)―接続関係 からの検証 第一節 章段前後の接続関係(一)―一 本全二七段と跋文を含む全章段の検証/第二節 章段 前後の接続関係(二)―章段群の整理 第二章 章段 の構成(二)―跋文を踏まえての検証 第一節 『枕草 子』の発表時期―跋文の検証/第二節 『枕草子』の構 成―総合的検証 考究篇 第一章 連想の文芸―見落 とされていた章段の連続性 第一節 連想のパターン (一)―章段の繋がり方の基本的特徴/第二節 連想の パターン(二)―前段と次段の接続関係/第三節 見落 とされていた連続性(一)―三巻本の前後章段において /第四節 見落とされていた連続性(二)―四期構成か ら浮かび上がる連続章段において/第五節 連想の文 芸 第二章 四期構成の特性 第一節 第一期 原初 『枕草子』の章段群/第二節 第二期 日記回想的章段 初出の章段群/第三節 第三期 跋文の章段群/第四 節 第四期①~③―跋文後の章段群/第五節 四期構 成の特性 第三章 三巻本の実態と能因本の位置づけ 第一節 一本全二七段の実態/第二節 三巻本の実 態/第三節 能因本の位置づけ 付・枕草子全章段表 70 ◎ 2016 年 4 月刊行 奈良・平安朝漢詩文と 中国文学 波戸岡旭 東アジアという漢字文化圏の中における日本文化をどうとらえ るか。 政治外交史的な見方では知り得ないかたちの中にこそ、豊かな 文化交流の実態は見いだすことが可能である。全体を、第一篇 「 『懐風藻』と『万葉集』 」 、 第二篇「嵯峨天皇と空海」 、 第三篇「島 田忠臣・菅原道真」 、第四篇「白居易」 、第五篇「杜甫と芭蕉」 にわけ、文学世界の豊かさを論じ尽くす。 最古の漢詩集『懐風藻』 、そして平安初期の漢風謳歌の時代の 本質、ことに嵯峨天皇と三勅撰漢詩文集の研究、平安朝漢文学 最高峰の菅原道真『菅家文草』 『菅家後集』の研究、更に平安 朝漢文学が享受した白居易詩研究と続けてきた著者の第三冊目 の著作。 ISBN978-4-305-70800-7 C0095 定価 : 本体 8,500 円(税別) A5 判・上製・カバー装・374 頁 及び『懐風藻』の遣唐使関連詩歌/三 藤原宇合・吉 備真備・阿倍仲麻呂/四 空海/五 菅原清公/六 結 語 第二章 嵯峨御製の梵門詩 一 前言/二 桓武 天皇と梵釈寺/三 嵯峨天皇の仏教観と梵門詩/四 結語 第三章 渤海使節と三勅撰漢詩文集 ―『文華秀 麗集』と王孝廉・釈仁貞とを中心に― 一 前言/二 不刊の書『文華秀麗集』/三 渤海関連詩収載の意義 第四章 空海の詩文―その文学性と同時代への影響 ― 一 前言/二 修辞と達意と/三 無常観と無常 感/四 山岳清浄と梵門詩 第五章 空海の山岳詩 一 前言/二 山岳修行僧/三 空海の山岳観/四 白雲の人/五 空海と良岑安世 第六章 空海の文学 観―『文鏡秘府論』を中心に― 一 前言/二 空海 の文学観と『文鏡秘府論』南巻「論文意」/三 『性霊 集』中に見える詩論/四 結語 (附) 『玉造小町子壮 衰書』の出典に就いて 一 前言(小町説話の生成と『玉 造小町子壮衰書』 )/二 白居易「秦中吟」の投影/三 張文成『遊仙窟』の影響/四 空海『三教指帰』の投 影/五 結語 第三篇 島田忠臣・菅原道真 第一章 島田忠臣の釈奠詩 一 前言/二 島田忠臣 の釈奠詩/三 文章生時代の作/四 兵部少輔時代の 作/五 典薬頭時代の作/六 結語 第二章 白居易 「閑適」詩と島田忠臣の詩境―島田忠臣詩に見える白居 易詩境からの禅の受容― 一 前言―白居易の詩境の 特長―/二 白詩渡来と島田忠臣/三 島田忠臣の白 詩讃仰/四 忠臣の閑適詩と禅―『荘子』語の多用の真 意―/五 結語 第三章 菅原道真「讃州客中詩」―「行 春詞」を中心に― 一 前言/二 若き日の道真が描い た良吏像/三 讃岐守菅原道真の詩境/四 行春詞の 構造/五 「路遇白頭翁」と「藺笥翁問答詩」と/六 結語 第四章 菅原道真「秋湖賦」―感は事に因りて発 し、興は物に遇うて起こる― 一 前言/二 秋湖賦の 構造と典故/三 結語―秋湖賦の主題 第五章 白居 易詩と菅原道真詩と―湖上詩を中心として― 一 前 言/二 曲江と白居易詩/三 江州時代の白居易の湖 上詩/四 菅原道真の湖上詩/五 結語 【目次】 第一篇 『懐風藻』と『万葉集』 第一章 『懐風藻』の国際感覚 一 前言/二 日本の帝国意 識と中華思想/三 記紀の「神功皇后の三韓出兵」記事につい て/四 『懐風藻』序文の作者の国際感覚/五 新羅使たちと の応酬詩/六 結語 第二章 『懐風藻』序文の意味するとこ ろ 一 前言/二 『懐風藻』編者の歴史観/三 天智天皇の 文治政策/四 『懐風藻』編纂者の文学観/五 『懐風藻』と平 安勅撰三詩文集 第三章 『懐風藻』の自然描写―長屋王邸宅 宴関連詩を中心に― 一 前言/二 大津皇子の自然描写の修 辞技法/三 宴詩と国際性/四 長屋王宅の詩宴における自然 描写/五 結語 第四章 大伴旅人「遊於松浦河」と『懐風藻』 吉野詩 一 前言/二 望郷・亡妻挽歌/三 遊於松浦河歌/ 四 結語 第五章 大伴家持「越中三賦」の時空 一 前言/ 二 大伴家持と中国文学/三 「越中三賦」について/四 結 語/講演資料 第四篇 白居易 第一章 白居易閑適詩序説 一 前言/二 白居易十 代の作/三 白居易二十代の作―省試及第以前―/四 省試及第頃の詩/五 結語 第二章 白居易閑適詩 と禅 一 前言/二 『孟子』 「尽心章句上」における「兼 善・独善」/三 閑適詩と行禅/四 結語 第五篇 杜甫と芭蕉 第一章 杜甫の近世俳人に及ぼした影響 一 前言/ 二 深川時代の芭蕉と杜詩/三 杜甫の侘びと芭蕉の 侘び/四 芭蕉の紀行文に見える杜甫の影響/五 芭 蕉以後の俳人における杜甫の影響 第二章 杜甫「登岳 陽楼」と芭蕉『おくのほそ道』 「松嶋」と 一 前言/ 二 「登岳陽楼」詩の解釈/三 『おくのほそ道』 「松嶋」 と杜甫「登岳陽楼」 第二篇 嵯峨天皇と空海 第一章 遣唐使節の人たちの文学 一 前言/二 『万葉集』 あとがき 初出一覧 71 新刊案内 ◎ 2016 年 6 月刊行予定 【目次】 はしがき 序論 「聖西行」の系譜 はじめに/一 『西行物語』 『撰集抄』の旅/二 聖の 発生と展開/三 近世の聖の展開/四 民間の「聖西 行」の諸相/おわりに Ⅰ 地域・伝説の西行 猪苗代の西行戻り橋 はじめに/一 「西行戻り橋」の 伝承/二 小平潟の兼載伝説/三 『小平潟天神縁起』 花部英雄 と天神信仰/四 兼載と道真の誕生譚/五 「西行戻り 橋」の形成と背景/おわりに 阿蘇小国の西行伝承 一 片田観音堂の西行伝説/二 瑞龍寺と北里氏/三 観音堂と遊行聖四熊本の西行伝説 吉崎御坊の西行伝 承 はじめに/一 「汐越の松」と芭蕉・利一/二 「汐 何が西行を変えていったのか。 越の松」の歌枕化/三 伝承歌から西行歌、蓮如詠へ 中世の歌人としての西行ではなく、民間の西行は、 「遊行聖 /四 蓮如と「塩越の松」/おわりに 西行」や「旅僧の西行」 「俗聖西行」 「職人サイギョウ」など、 Ⅱ 昔話・歌謡の西行 修行者、はたまた狂惑の法師などと多様な相貌をもって伝え 「西行昔話」と西行咄 はじめに/一 「西行昔話」の られているが、その伝承の西行はどのようにとらえていけば 話型と分類/二 「西行昔話」の文献一覧/三 狂歌咄 いいのだろうか。 から「西行昔話」へ/四 咄本における西行咄と昔話 本書は、西行の伝承地を直接に訪ねて、そこで調べ考えたこ /おわりに 西行問答歌と「西行昔話」 はじめに/一 とを、安易に史実の西行には結びつけず、 「大衆文化」を視座 西行の「織抒問答」/二 昔話の「西行と女」/三 におきながら伝承の西行をとらえていく。それぞれの伝承は、 西行の「お茶問答」/四 西行と「熱田問答」/お 「遊び 固有の生成と展開を持つ。そのすべてを、例えば西行の歌な わりに 西行問答歌と民間歌謡 はじめに/一 どに安易に結びつけてしまうと、伝承の意義を過小評価して 妙」との問答歌/二 西行問答歌―星の数型―/三 しまうことになる。伝承のとらえかたに細心の注意をはらい 西行問答歌―椿問答歌―/四 問答歌と民間歌謡/五 つつ、西行伝承がそれを享受する大衆によって形成されてき 民間歌謡の掛け合い歌/おわりに たことの意味を、伝説、昔話・歌謡、旅、信仰・民俗という Ⅲ 旅と漂泊の西行 四つ柱を立て論じていく。時代や文学ジャンルを超えて愛好 西行の旅と西行伝説の旅 はじめに/一 修験の旅/ され、高度な歌とかかわるものからサブカルチャーやキャラ 二 巡礼の旅/三 歌枕の旅/四 生活の旅/おわり クター化したものまで、様々に日本中に散らばる「西行」は に 芭蕉における旅と西行伝承 一 西行と芭蕉と伝 統/二 芭蕉の西行歌受容/三 『奥の細道』の西行伝 私たちに何を伝えるのか。渾身の一冊。 承歌/四 芭蕉の旅と西行伝承歌 西行とサイギョウ 【本書の中では「遊行聖西行」や「旅僧の西行」 「俗聖西行」 「職 の伝承 一 西行伝承概観/二 西行と富士の伝承歌 人サイギョウ」などと、さまざまな呼称や風貌を持って登場 /三 波立寺の西行/四 昔話「十五夜の月」/五 するが、もちろんそれらを最大公約数的に合成しても、けっ 西行とサイギョウ して歴史的西行に近づくことはない。確かに民間伝承の西行 Ⅳ 信仰・民俗の西行 の淵源は、実在の歌人西行に始まるものであるが、そこから 「西行泡子塚」と赤子塚 はじめに/一 説話、民俗に 「西 大きく逸脱し、それぞれ独自の存在様式を示している。いっ 見える泡子の話/二 世間話、伝説の泡子歌/三 「泡子塚」 「泡子地蔵」の背景 たい何が西行を変えてしまったのか、変化の原動力に何が関 行泡子塚」の成立/四 わったのか、本書のテーマはここにある】……「はしがき」 /五 地蔵信仰から泡子塚へ/六 赤子塚と「茶碗塚 地蔵」/おわりに 西行と親鸞の伝説 一 宿を借り より る西行/二 「西行と女」から親鸞伝説へ/三 越後の 親鸞伝説/四 親鸞から西行伝説へ 「田畑村西行庵」 の顚末 はじめに/一 「田端村西行庵」の西行木像/ 二 「七福神巡り」と「江戸西国三十三所」/三 西行 庵「庭上」の見世物細工/四 文化/自然としての「西 行庵」/おわりに―江戸のフォークロリズム 終論 西行伝承の研究史 はじめに/一 西行の伝説、昔話への研究/二 西行 歌と西行崇敬化/三 「西行伝承研究会」から「西行学 会」へ/おわりに ISBN978-4-305-70805-2 C0095 予価:本体 4,200 円(税別) 西行伝承の研究史年表 初出一覧 A5 判・上製・カバー装・270 頁予定 あとがき 索引 [ 和歌・俳句 ][ 語句・書名・人名 ] 西行の伝承を歩く(仮) 大衆文化論の試み 新刊案内 72 ◎ 2016 年 5 月刊行 萬葉写本学入門 【目次】 萬葉写本学への招待―文学作品における本文とは何か (小川靖彦) Ⅰ 実践!萬葉写本学 『校本萬葉集』の理念と方法(小川靖彦) 1 『校本萬葉集』の成立過程 2 『校本萬葉集』の理念 3 『校本萬葉集』の方法 小川靖彦編 4 『校本萬葉集』が投げかける課題 万葉集仙覚校訂本のはじまり―仙覚寛元本の復元に挑 [執筆] む(田中大士) 小川靖彦/田中大士/城﨑陽子/新谷秀夫/景井詳雅/池原 1 寛元本の姿は見えない 陽斉/新沢典子/樋口百合子/大石真由香/舟木勇治/李敬 2 寛元本の底本 美/安井絢子/岩田芳子/小田芳寿/嘉村雅江/茂野智大 3 寛元本の訓の二本立て構造 4 寛元本はどんな姿だったのか 万葉集享受の歴史―写本から版本へ(城﨑陽子) 〈読む〉楽しみは、ここから始まる! 1 はじめに―写本から版本へ 2 テキストによって学ぶ 文学作品を読むためには、まず本文のあり方を知っておく必 3 近世期の万葉集享受―テキストと注釈 要があります。今、目の前にある萬葉集はどれだけ「原文」 4 おわりに―「万葉集享受の歴史」にむけて に近いのか遠いのか。どこまで解明され、何が課題となって * いるのか。 写本を実際に見てみよう(新谷秀夫) 基本研究文献、萬葉集の伝本一覧、複製・画像、写本・刊本 1 『萬葉集』の三つのすがた 所蔵機関の情報も掲載。知っておくべき、知識と技術の基本 2 『萬葉集』写本を実際に見る意義 を紹介します。 『万葉集』研究における「写本学」とは何か(景井詳雅) 1 はじめに 【……『萬葉集』に限らず、 『古今和歌集』 『源氏物語』 『平家 2 『校本萬葉集』 物語』 『奥の細道』 、さらには近現代の小説や詩など、文学作 3 『万葉集』と写本 品は音楽作品に似ています。音楽作品は作曲家が創作したも 4 写本から見えてくるもの のですが、演奏されることで初めて姿を現します。演奏者の 5 「萬葉写本学」と受容研究 解読・解釈によって、同じ作品が全く異なる表情を見せます。 6 「萬葉写本学」とは " 唯一の正しい作品 " がどこかに抽象的に存在しているわけで はないのです。それぞれの演奏が 「作品」と言えます。しかし、 Ⅱ 現在の研究状況はどうなっているのか それは演奏家による創作ではなく、あくまでも作者は作曲家 [本文校訂] 『萬葉集』伝本と本文の問題―本文異同の です。 実例から(池原陽斉) 文学作品も書写・出版されるたびに、解読・解釈されなが [平安・仮名萬葉と本文研究]本文批評における仮名万 ら、新しい姿に生まれ変わってゆくものと考えられます。紙 葉の価値(新沢典子) などの物質的な素材や装丁、文字・絵・図、さらにレイアウ [中世・歌書と萬葉集]中世名所歌集所収万葉歌の価値 トとともに、文学作品の本文は、その都度新たに立ち現れる (樋口百合子) のです。しかし、それぞれの写本・刊本・近代的印刷本、今 [近世・本文系統]禁裏御本書入本の系統関係再考―近 日ではさらにコンピュータ上 世初期の書写活動(大石真由香) のデジタル情報として現れた 作品は、それぞれの製作者の コラム 書物、そして人に出会う旅(小川靖彦) 創作ではないのです。それは、 コラム " 掘り出し物 " を求めて(池原陽斉) 『萬葉集』ならば『萬葉集』の 一つの姿であることに変わり Ⅲ 知っておくべき基本研究文献・伝本・基礎資料 ないのです。】……「萬葉写本 基本研究文献紹介(景井詳雅・舟木勇治・李敬美・安 学への招待―文学作品におけ 井絢子・岩田芳子・小田芳寿・池原陽斉・嘉村雅江・ る本文とは何か」より 大石真由香・小川靖彦・茂野智大) 上代文学研究法セミナー ISBN978-4-305-70812-0 C0092 定価:本体 1,300 円(税別) A5 判・並製・カバー装・112 頁 口絵カラー 2 頁 73 伝本一覧―系統別時代順・全二十八本紹介(小川靖彦・ 池原陽斉) 基礎資料紹介―複製・画像、および写本・刊本所蔵機 関についての情報(小川靖彦・池原陽斉) 新刊案内 ◎ 2016 年 6 月刊行予定 【目次】 一 構造への序走 1 構造への序走/ 2 婚姻規制をめぐり―基本構造 図/ 3 フェミニズムによる批判/ 4 基本構造図と その裏面/ 5 「むかひめ」 、正妃、正妻/ 6 め、 「を むなめ」/ 7 こなみ、もとつめ、 「うはなり」/ 8 婿取り、嫁取り、よめ/ 9 遊君、白拍子、妾/ 10 術語と定義/ 11 北の方と居住形態/ 12 権力 で身動きできなくするとは/ 13 「せんけうたいし」 藤井貞和 =善見太子 二 比香流比古(小説) 三 源氏物語というテクスト―「夕顔」巻のうた 1 雨夜の品定めから夕顔の物語へ/ 2 光源氏の油 断―顔を見られる/ 3 「心あてに」歌/ 4 筆致を 書き換える―「寄りてこそ」歌/ 5 秋にもなりぬ ―中将のおもととの「朝顔」贈答/ 6 夕露に紐解 くとき/ 7 「まし」をめぐる光源氏作歌と軒端荻の 秀歌 四 赤い糸のうた(小説) 五 性と暴力―「若菜」下巻 1 にゃくにゃーにゃるらん/ 2 密通という暴力/ 書名にかかわって、 「追跡」とは『源氏物語』をどうすることか、 3 魂を女三の宮のかたわらに置いて/ 4 死病にと ―源氏物語が構造主義を変えることを夢見るのか、といっ りつかれる/ 5 『源氏物語』の性的結びつきは/ 6 た〈厳密化〉を、読んでくれるすべてのひとたちのために、 ジェンダー、シャドウ・ワーク/ 7 皇女不婚と 問い下ろしてみる作業がまだのこっている。 結婚 六 橋姫子(小説) 本書の読み方について、一つの提案をしよう。これは『源氏 七 千年紀の物語成立―北山から、善見太子、常不軽 物語』をあいてにして、 ぜんたいを小説となす試みなのだ、と。 菩薩 ―いや、 『源氏物語』という物語じたいが、そんな書き方 八 源氏物語と精神分析 をされているのではないか。……[はしがき]より 九 物語史における王統 1 王権という語と日本語社会/ 2 王権論は回復す 【……『構造主義のかなたへ』という本書の題はどう受け取 るか/ 3 東アジア興亡史からの予言/ 4 言い当て られるのだろうか。もう古めかしいという感触に包まれてよ られる王妃密通/ 5 冷泉王朝の未生怨―「なほう いし、 反対に「方法に時効はない」という確信があってもよい。 とまれぬ」考/ 6 王権外来論の行くすえ 私は言語学的にも、また思想的にも、構造主義と格闘したの 十 世界から見る源氏物語、物語から見る詩 だと思う。一九六〇年代から七〇年代にかけての、日本社会 十一 源氏物語の分析批評 でのある種の空白期、停滞期に、世界の中心の発光源のよう 1 分析批評の源流/ 2 描出話法の視野で/ 3 「述 にしてフランス語圏から、構造主義およびその周辺の〝便り〟 主」あるいは語り手/ 4 「作者」とはだれか/ 5 が暴力的に訪れて、パリ・カルチェラタンのバリケードはあ 『テクストとしての小説』―記号学的批評/ 6 テク たかもアルチュール・ランボオを襲ったパリ・コムミューン スト間相互連関性としての描写/ 7 「語る主体」の の再来のようにも思えてならなかった。なんと幼い日々の自 発見/ 8 主体の二重化―和歌をふくんで/ 9 人称 分であったことか。 重層構造―sujet の交換 そこからかぞえても四十年以上という計算になる。】 十二 物語論そして物語の再生―『宇津保物語』 ……「キーワード集―後ろ書きに代えて」より 十三 『源氏物語の論』 『平安文学の論』書評 十四 国文学のさらなる混沌へ 十五 構造主義のかなたへ(講義録) 1 言葉と物/ 2 語り手たちを生き返らせる/ 3 歩く、見る、聴く/ 4 双分組織と三分観/ 5 う たの詩学/ 6 ウタ、モノ、モノガタリ、フルコト、 そしてコト/ 7 過去からの伝来と文学の予言/ 8 コレージュ・ド・フランスの庭 構造主義のかなたへ 『源氏物語』追跡 ISBN978-4-305-70807-6 C0095 予価:本体 3,800 円(税別) 四六判・上製・カバー装・376 頁 新刊案内 キーワード集―後ろ書きに代えて 索引[総合・うた初句] 74 ◎ 2016 年 5 月刊行 【目次】●口絵 序 論 〈獄中〉と文学的想像力 なぜ〈獄中〉なのか/監獄制度と「近代」/本書での「 〈獄 中〉言説」 「 〈獄中〉表象」/「書くこと」の想像力と 歴史的に結びつく〈獄中〉/近代日本の〈獄中〉表象 夢想する近代日本文学 の展開/近代日本文学の〈獄中〉表象の特異性とは何 か/普遍的イメージ空間としての〈獄中〉をどう捉え るか/本書での〈獄中〉言説のカテゴリーを定義する 第一章 明治期―〈獄中〉の主題化とその表象の展開 副田賢二 1 〈獄中〉言説の定義とその表象の系譜/ 2 近代監獄 制度の成立と浮上する〈獄中〉言説/ 3 北村透谷の「牢 獄」―孤立する〈獄中〉表象/ 4 「社会主義者」たち 〈獄中〉のことばが社会と文学のなかで特権的な意味を持ち による〈獄中〉言説の構造化/第一章・注 続けてきたのはなぜか。 第二章 大正期 1―メディア空間で記号化される 「言葉」 と「獄中記」 過剰な言葉あふれる〈獄中〉 。そのダイナミックな営みの歴 1 「大正的」言説の構造的特性をめぐって/ 2 メディ 史的記憶を明治期からたどる書。 ア空間としての『中央公論』―雑多な記号の交錯と流 通/ 3 松崎天民の流通と終焉―記号の駆使者として/ 様々な意味やコンテクスト、そして同時代的な欲望が多様に 4 大杉栄『獄中記』の誕生―規範的ジャンルとしての 交錯し、化合することによって生み出されてきた、イメージ 「獄中記」/ 5 〈獄中〉の想像力のゆくえ―こぼれ落ち と記号が重なり合う入れ子型の空間であった〈獄中〉。その る言葉/堕胎される身体/第二章・注 中で育まれた近代日本文学の想像力は、現代日本の言説空間 第三章 大正期 2―内的な自己超越のトポスに変貌す にも、いまだ影響力を与え続けている。一体そこでは何が起 る〈獄中〉 こっていたのか。明治期から平成にいたるまで、検証してい 1 近代出版メディアと山中峯太郎(一)―変貌する自 く。付録「 〈獄中〉言説年表」 (明治期~一九九〇年代まで)。 己記号性とその流通/ 2 近代出版メディアと山中峯太 郎(二)―〈獄中〉者と宗教者の融合/ 3 〈獄中〉に 【近代日本文学が抱え込んできた歴史性を示す言説として、 投影される内的変革のドラマ/ 4 ジャンル化される 一連の〈獄中〉言説とその表象の展開、そして消費形態を捉 〈獄中〉言説/制度化される想像力/第三章・注 え直し、そこに発動した想像力と「文学」との関係構造を検 第四章 大正期 3 ~昭和期 1―文学的トポスとしての 証することが、本書の目的である。出版ジャーナリズムと政 〈獄中〉と「闘争」のロマンティシズム 治体制との対立構造が生まれた明治初期から、一九三〇年代 1 プロレタリア文学の〈獄中〉と「闘争」をめぐる表 後半のいわゆる〈文芸復興〉期までの近代日本文学の歴史的 象/ 2 芥川龍之介と「獄中の俳人」和田久太郎/ 3 展開を中心に、 〈獄中〉言説とその表象がそこで果たした多 暴力性のゆくえと治安維持法/ 4 『新青年』における 元的機能を検証してゆきたい。そこでは、いわゆる「獄中記」〈獄中〉表象の消費/第四章・注 的言説に限らず、報道や娯楽記事、広告等をも含めた〈獄中〉 第五章 昭和期 2―プロレタリア文学から一九三〇年 に関する雑多な言説を、同時代の出版・雑誌メディアとの関 代の言説空間へ 係と相互作用という側面を重視して考察する。また、そのよ 1 昭和初期の〈獄中〉言説―メタ視線とニヒリズムの うな〈獄中〉表象が、アジア・太平洋戦争の敗戦に伴う制度 浮上/ 2 〈獄中〉文学者・林房雄(一)―「文学」を 的転換と社会構造の変化を経由した戦後の言説空間において めぐる発信と受信/ 3 〈獄中〉文学者・林房雄(二) どのように展開され、消費されるようになったのかについて ―氾濫するエクリチュール/ 4 「歴史」と「文学」の も考察を加える。 】……「序論」より 接合と〈獄中〉表象/ 5 空白としての「言葉」の消費 ―一九三〇年代から戦時下へ/第五章・注 第六章 昭和期 3 ~平成期―戦後日本のメディア空間 と消費される〈獄中〉 1 敗戦後の〈獄中〉表象をめぐる転換と連続/ 2 他 者性と実存の空間―椎名麟三の〈獄中〉表象/ 3 政治 性からの分離と「塀の中」のトピックス消費/ 4 見沢 知廉における〈獄中〉者の系譜とその断絶/第六章・注 終 章 〈獄中〉の想像力と「文学」のゆくえ 「監獄法」の終焉と〈獄中〉言説の歴史性/後藤慶二と 中野重治の「監獄」/「文学」のゆくえと〈獄中〉の 想像力/現代日本の文化消費における〈獄中〉 ISBN978-4-305-70806-9 C0095 定価:本体 2,200 円(税別) あとがき 四六判・並製・カバー装・436 頁 付録○〈獄中〉言説年表(明治期~一九九〇年代まで) 口絵 7 頁(カラー) 索引(人名/書名・作品名・記事名・絵画名) 〈獄中〉の文学史 75 新刊案内 ◎ 2016 年 4 月刊行 戯曲を読む術(すべ) 戯曲・演劇史論 林 廣親 ISBN978-4-305-70801-4 C0093 定価 : 本体 3,700 円(税別) A5 判・上製・カバー装・296 頁 ◎ 2016 年 4 月刊行 対校 水鏡〈改訂版〉 戯曲のことばを前に「なす術を知らない」思いにとらわ れてこそ読みへの意欲は動き出す──。技術や方法では 得がたい作品の読みを模索した、記録の集積。 〈劇文学〉 という言葉が生きていた時代、戯曲は文学的感受をもっ て読まれていた。舞台・劇評にこだわる今日の読みを離 れ、 「戯曲の読み」を柱とした戯曲論。文学・演劇に関 心を持つすべての人へ。 【目次】 はじめに 第Ⅰ部●読みによる戯曲研究の射程 第一章 森鷗外「仮面」論―〈伯林はもつと寒い……併し 設備が違ふ〉/第二章 岡田八千代「黄楊の櫛」論―鷗外・ 杢太郎の影/第三章 岸田國士「沢氏の二人娘」論―菊池 寛「父帰る」を補助線として/第四章 井上ひさし「紙屋 町さくらホテル」論―〈歴史離れ〉のドラマトゥルギー 第Ⅱ部●読みのア・ラ・カルト 第一章 谷崎潤一郎「お国と五平」/第二章 横光利 一「愛の挨拶」/第三章 矢代静一「絵姿女房―ぼく のアルト・ハイデルベルク」/第四章 田中千禾夫「マ リアの首―幻に長崎を想う曲」/第五章 渋谷天外「わ てらの年輪」/第六章 恩田陸「猫と針」 第Ⅲ部●演劇史・戯曲史への視界 第一章 近現代演劇史早分かり 上・下/第二章 演 劇と〈作者〉―山本有三の場合/第三章 〈演劇の近代〉 と戯曲のことば―木下杢太郎「和泉屋染物店」 ・久保田 万太郎「かどで」を視座として 索引[書名・人名・事項] 現存する『水鏡』の最古抄本で鎌倉時代中期を下らぬ専 修寺本『水鏡』を底本に、 応永頃の書写といわれる善本、 蓬左本『水鏡』を対校する書。 私家版で刊行してきた 『対校水鏡上』 (昭和 62 年 2 月) 『対 校水鏡中』 (平成元年 12 月) 『対校水鏡下』 (平成 3 年 12 月) を改訂したもの。専修寺本『水鏡』声点語彙一覧付き。 また新たに、蓬左本『水鏡』傍訓総索引を備える。 『水鏡』及び、その時代の語彙・語法の研究に必携の書。 小久保崇明・山田裕次編 【目次】 凡例 水鏡上巻 水鏡中巻 水鏡下巻 専修寺本『水鏡』声点語彙一覧 「つけたま□らん」考 蓬左本『水鏡』傍訓総索引 あとがき ISBN978-4-305-70778-9 C0095 定価 : 本体 12,000 円(税別) B5 判・上製・カバー装・322 頁 新刊案内 76 ◎ 2016 年 5 月刊行 【目次】 序 章●医学書のなかの「文学」 第 1 章●それは「医学書」なのか、 「読み物」なのか はじめに 第 1 節●愉快な書物―「読み物」としての医学書 江戸の医学と文学が作り上げた世界 第 2 節●『医者談義』談義―人文学と自然科学という 対立を無化する書物 第 3 節●医学書に擬態する文学作品たち、さまざま 1 売らんかなのための医書擬態―『神農花合戦』 『加 福田安典 2 題名のみの擬態―本草綱目物 3 医家書生の戯作 1―『瓢軽雑病論』 4 医家書生の戯作 2―『本朝色鑑』 5 本草書に擬態した漢詩文の傑作―柏木如亭『詩本草』 それは「医学書」なのか、 「読み物」なのか。理系×文系と 第 4 節●江戸のカルテ、医案の世界―『武道伝来記』 いう対立構造のなかでは読み解けない、面白い江戸の本の世 にみる西鶴のねらい 界! 1 医道のまじはり、医師のドラマ 第 5 節●江戸以前の医学の文芸―御伽草子『不老不死』 江戸時代には医学書や本草書の知識無しには理解できない作 1 漢方医学を装わせて描く『不老不死』―耆婆の伝 品や文化交流が存在していた。それは現代風に医学と文学と 2 医学知識は新趣向のスパイス―読者層を考える にジャンル分けして論じていては、そのありようを把握でき 第 6 節●「医学書」と「読み物」の間にある幻想 るはずもないものである。 第 1 章・注 第 2 章●江戸期を通じて愛されたヤブ医者、竹斎 本書は、医学書に通じていなければ読み解けない作品、逆に はじめに 言えば医学書に通じていれば簡単に読み解くことのできる作 第 1 節●『竹斎』のモデルは誰か―曲直瀬流医学と関 品を紹介、また、江戸期を通じて愛されたヤブ医者竹斎(ち わって くさい)の周辺を詳しくたどりながら、医学と文学が手を携 1 知苦斎と竹斎 えて作り上げた豊かな世界をつぶさに検証する。本書により、 2 東下り、京見物について いままでとはまったく違ったもう一つの「江戸時代」が導き 3 曲直瀬の落ちこぼれとしての竹斎 出される。 4 「道三ばなし」の流行 第 2 節●『竹斎』作者・富山道冶の家―仮名草子のふ 【……医学書と読み物がそれぞれの必要性から、接近あるいは るさと 越境する現象が近世にはあったのである。というよりは、そ 1 富山家について の当たり前の現象を、現代の学問体系から勝手に理系/文系 2 『竹斎』と富山道冶 の対立構造を押しつけて、別の領域として存在しているがご 3 富山家とその後の文芸 とくの共同幻想を抱く側にそもそもの問題があるのかもしれ 4 現存する富山家屋敷 ない。医学書と読み物との間には実は何もなく、ただ現代の 第 3 節●「芸能者」としてのヤブ医者―唄われた竹斎 学問が作り上げた「異領域」という幻想があるだけなのかも 1 唄われた『竹斎』 2 『竹斎』亜流作品と芸能 しれない。 】……第 1 章第 6 節より 第 4 節●『竹斎』と文化圏が重なる『恨の介』―戦国 1 木村常陸介の娘 本書所収▼医学書メモ一覧 『本草備要』/『歴代名医伝略』/『黄帝内経素問』/『衆方規矩』 2 医家、竹田家について 3 『恨の介』と芸能 『万病回春』/『傷寒論』/ 4 『恨の介』の作者が竹田家周辺にいたと想定してみ 『神農本草経』/『本草綱目』/ る 『金匱要略』/『本朝食鑑』/ 5 読者は『恨の介』に何を見ていたのか 『大和本草』/『医学正伝』/ 第 5 節●江戸文芸の発展を映し出す、御伽の医師の「書 『医学天正記』/『医案類語』/ いた物」 『啓廸集』 第 2 章・注 結 章●近世文学の新領域 コラム●医学書のある文学部研究室から―いかなる手 順で医学書を操ったか ・書名索引/人名索引/事項索引 ・中醫經典被「另類改編」成娛樂刊物 !?[陳羿秀] ISBN978-4-305-70804-5 C0095 ・Breaking boundaries between literature and medicine 定価:本体 2,200 円(税別) A5 判・並製・カバー装・280 頁 [ボグダン真理愛] 医学書のなかの 「文学」 77 新刊案内 【目次】 宮廷のみやびを伝える陽明文庫―序にかえて…名和修 はじめに―本書をお読みいただく方に…田島公 Ⅰ 近衞家と文庫の歴史 四 清少納言の立場 五 春は曙 おわりに Ⅲ 朝廷を支えた近衞家―歴代当主と家司たち 1 陽明文庫の沿革―成り立ちといまのありよう…名和修 1 『兵範記』紙背文書やその他の断簡からの発見…尾上 一 近衞家の歴史 陽介 二 貴重な所蔵品群 一 『兵範記』紙背文書から 三 継承の労苦 二 陽明文庫所蔵の断簡から 四 未来へ向けて 【付表】陽明文庫所蔵『兵範記』(十五函文書第十一函・第 [近衞家略系譜/陽明文庫所蔵歴代関白記/近衞家家司・ 十二函) 関連の深い家柄の公家の日記の例/陽明文庫目録分類項目 2 南北朝時代の公武関係―『後深心院関白記』にみる足 一覧] 利義満の成長…本郷恵子 2 『摂関家旧記目録』の筆者は藤原忠実か―摂関家再興 はじめに の象徴…湯山賢一 一 『後深心院関白記』とは? はじめに 二 公家政権―後光厳天皇から後円融天皇へ 一 自筆と右筆 三 武家政権―足利義満と細川頼之 二 料紙の特徴 四 永和元年の状況 三 記載内容について 五 公武の交渉 四 記載の順序の意味 六 室町幕府の構想 五 摂関家略系図 七 道嗣の晩年 六 「殿」箱の成立は何時か 3 織豊期の近衞家をめぐって―前久と信尹の武家的性格 七 記載の事実比定 …藤井讓治 むすび はじめに 3 禁裏文庫と近衞家―江戸・明治期の様相…北 啓太 一 前久・信尹の略歴 はじめに―禁裏文庫と東山御文庫 二 前久の下国・在国 一 江戸時代前期における禁裏文庫の再興と『槐記』の 三 信尹の在国 記述 おわりに 二 蔵書・文庫の維持 三 東山御文庫本中の近衞家歴代 Ⅳ 書跡・漢籍・古地図の貴重書をさぐる 四 明治時代における東山御文庫の形成と近衞忠凞 おわりに 1 近衞家の書跡―その価値と魅力…島谷弘幸 はじめに 一 近衞家伝来の宸翰 Ⅱ 世界記憶遺産『御堂関白記』の世界 二 近衞家と公家日記 三 宮廷貴族の教養と調度手本 1 『御堂関白記』の魅力あれこれ…名和修 四 道長の書と信仰 一 世界最古の自筆日記 五 近衞家と学芸 二 具注暦とは 六 近衞家凞(予楽院)と書 三 金峯山参詣 さいごに 四 藤原公任との贈答歌 2 陽明文庫の漢籍―優品三十六点を厳選解説…芳村弘道 五 一条天皇の辞世 はじめに 六 望月の歌の顛末 一 中世漢学と関連する古版本・古写本 七 『御堂関白記』の「不思議」 2 藤原道長『御堂関白記』が語る栄華の真実―三代の天 二 近衞家凞の学芸の諸相を伝える漢籍 3 「宮城図」をめぐって―九条家本・陽明文庫本・東山 皇を孫で独占するまで…朧谷寿 御文庫本への系譜…金田章裕 はじめに はじめに 一 誕生、二人の実兄の死、そして政権の座へ 一 九条家本『延喜式』「宮城図」と「左・右京図」 二 賜姓皇族の二人の妻と子女 二 陽明文庫本「宮城図」 三 嫡男頼通と春日祭使 三 東山御文庫本「大内裏図」と「宮城図」 四 外孫の誕生と喜びに沸く土御門殿 四 「宮城図」諸図の系譜 五 一条天皇の崩御 六 三条天皇の中宮妍子 七 孫の天皇に三女が入内 Ⅴ 陽明文庫の現在―未来へ向けて 八 後一条天皇の出現と望月の歌 3 『御堂関白記』と『枕草子』…五味文彦 1 公益財団法人陽明文庫の事業活動…名和知彦 はじめに―二つの書物の関係 2 「陽明文庫講座」実施記録…粕谷真里子 一 『枕草子』を考える 3 陽明文庫と学術創成研究―目録学研究の進展と古典学 二 『枕草子』の「枕」 の再生のために…田島公 三 道長と清少納言 新刊案内 78 ◎ 2016 年 4 月刊行 宮廷世界は何を生み、 守り伝えてきたのだろうか。 近衞家名宝からたどる 陽明文庫からその真髄を学ぶ。 宮廷文化史 陽明文庫が伝える千年のみやび 田島 公編 [執筆] 名和修(陽明文庫理事・文庫長) 田島公(東京大学史料編纂所教授) 湯山賢一(奈良国立博物館長) 北啓太(元宮内庁京都事務所長) 朧谷寿(同志社女子大学名誉教授) 五味文彦(東京大学名誉教授) 尾上陽介(東京大学史料編纂所教授) 本郷恵子(東京大学史料編纂所教授) 藤井讓治(京都大学名誉教授) 島谷弘幸(九州国立博物館長) 芳村弘道(立命館大学教授) 金田章裕(京都大学名誉教授) 名和知彦(陽明文庫事務長) 粕谷真里子(東京大学学術支援職員)。 世界記憶遺産『御堂関白記』をはじめ、近衞 家の名宝 10 万件を伝える陽明文庫。奈良・平 安初期から近代まで、あらゆる時代の資料を 揃える文庫の全貌に迫り、貴重な書物の数々 を読み解く。藤原氏嫡流として、常に朝廷の 中枢にいた近衞家の史料から、どのような政 治の動きがみえるのか。どれほどの素晴らし い芸術品が伝えられているのか。日本が世界 に誇る宮廷文化の真髄を披露する。名宝掲載 の口絵カラー 8 頁付き。 【本書は、財団法人陽明文庫の全面的な協力を 得て、二〇一一年一月より開催している「陽 明文庫講座」を書籍化するものです。素晴ら しい講師の方々が講演をもとに新たに書き下 ろしたものを中心にまとめました。本書口絵 にあるように、陽明文庫には多種多様な名宝 が収蔵されていますが、そのなかから貴重な 書物を対象に、新しい発見の報告をはじめと して、最新の研究成果をわかりやすく社会に 還元する興味深いものばかりです。 「陽明文庫講座」と銘打った連続講座は財団法 人創設以来、初めてのことであるそうで、千 年の至宝を伝える近衞家陽明文庫に関わる「宮 廷文化学」の入門ともいうべき書です。 】 …「はじめに―本書をお読みいただく方に」より ISBN978-4-305-70802-1 C0021 定価 : 本体 3,200 円(税別) B5 変型判・並製・カバー装・ 292 頁 カラー口絵 8 頁 79 新刊案内 「 わ が 立 つ 杣 」 は 伝 教 大 師 の 名 歌 の も じ り で す。 愉 快 じ ゃ あ り ま せ んか。最深の悲傷であった娘の死の翌年、立ち直ってこんなユーモ ラスな歌も詠めるのです。 これまでは「中世的修行道」といっ その歌論「詠歌一躰」についても、 た、観念的な読解しかされていません。しかしこれは、幼年の為相 の 為 に 書 き 残 し た、 実 に 具 体 的 で 懇 切 な「 作 歌 方 法 論 」 な の で す。 詳しくは小著『藤原為家勅撰集詠 詠歌一躰新注』(二〇一〇、青簡舎) を御覧下さい。まことに簡明率直に、 作歌の要諦が説かれております。 そのような為家の、歌道家後嗣としての出発点、 歳で詠んだ「為 家千首」の全注釈という、大それた仕事を試みました。する方も大 変でしたが、読んでいただく方はもっと大変。果して活用していた だけるかしら、と案じられます。でも、どうぞ我慢して、飛び〳〵 にでも、参考歌と読み合わせながら味わって下さいませんか。みん なの記憶の中に埋もれている古歌を巧みに生かし、自詠との二重奏 の 効 果 で、 三 十 一 字 に 盛 り 切 れ な い 豊 か な 内 容 と 余 情 を 表 現 す る。 しかもそれは、決して魂のない擬古典主義ではない。 26 自著解説『為家千首全注釈』○ 岩佐美代子 か だな 一 体 私 は、 何 で こ ん な に 為 家 さ ん が 好 き に な っ て し ま っ た の で しょう。生来のつむじ曲がりから、一般的な世評につい反対してみ たくなる性格。古風な縁語掛詞や引き事で、結構時事問題をも詠み 得た「歌日記」を残した祖母の影響。また御子左家には遠く及ばず ながら、学者の家の「三代目」として、いささか有難迷惑をも蒙っ た体験。それらもかなり影響しているとは思います。しかし何といっ ても一番大きかったのは、彼の作品そのものの力でした。 あ 閼伽棚の花の枯葉もうちしめり朝霧深し峰の山寺 (千首、九三五。風雅、一七七七) 古 来 た っ た 一 つ の、 こ の 主 題 の 秀 歌。 近 世 に 類 似 詠 三 首 が あ り ま す が、詩情において到底及ばぬ、似て非なるものです。 歳の詠。 66 ― ― 80 新刊案内 26 歎かるゝ身は影ばかりなりゆけど別れし人に添ふ時もなし ゑ (秋思歌、一五六) 秋来れば軒端の栗もうらやましすゞろにいかにさは笑まるらん (千首、九四二) 最 愛 の 一 人 娘 の 死 を 歎 く、 歳 の 悲 歌。 率 直 そ の も の の 哀 慟 で あ り ながら、その陰にひっそりと、他に誰一人活用した事のない古歌、 秋が来ると、軒端の栗だってうらやましいよ。何のいゝ事もないの 私はいつ に、どうしてあんなににこ〳〵していられるんだろう 。 「笑む」というのは栗 も憂鬱でしかめ面ばかりしているのに 恋すれば我身は影となりにけりさりとて人に添はぬものゆゑ (古今五二八、読人しらず) が成熟して、いがが割れ、実がのぞく事で、つい先年まで普通に使 われた言い方です。誹諧的な表現の中に、作歌不堪、失意のあまり が身をひそめています。しみ〴〵うまい。しかも技巧を越え、身を 出家を覚悟した千首詠出当時の、切実な心情がこもっています。 切って得た真情です。 従来の国文学界に、余りにも疎外されていた為家の評価を、その 為家と言えば、大真面目な擬古典主義と思われていましょう。いゝ 作品の詳細な検討を通じて正当な位置に定めたく、佐藤恒雄氏『藤 ・ 『藤原為家研究』(二〇〇八、笠 え、とんでもない。 原為家全歌集』(二〇〇二、風間書房) 間 書 院 )の 二 大 著 に 支 え ら れ て の、 私 と し て 最 後 の 大 仕 事 で ご ざ い そま ます。果してどの程度まで、この大歌人の真実に迫り得たか、甚だ 思ひきや大津の鐘の浦づたひ我が立つ杣に鳴らんものとは (夫木抄、一五二四五) 心許ない次第ですが、忌憚のない御批判御教示をたまわりますよう、 切にお願い申上げます。 「当らずといえども遠からず」と笑っ 文永元年、 歳の時、三井寺と延暦寺の争いで、三井寺の鐘を叡 心 か ら 敬 愛 す る 為 家 さ ん、 山にかつぎ上げてしまった事件を詠んだ歌。 「浦づたひ」は源氏物語、 て下さいますかどうか。謹んでその霊前に捧げます。 67 ◎ 2016 年 3 月刊行 為家千首(ためいえせんしゅ) 全注釈 【目次】 はじめに 凡例 入道民部卿千首 詠千首和歌 春二百首 夏百首 秋二百首 為家の和歌は決して一般に理解されているような平明温雅な古 冬百首 恋二百首 典主義のみではない―。 俊成・定家と父祖の跡を継ぎ、三代にわたり勅撰集の撰者となっ 雑二百首 た歌人、藤原為家が 26 歳で詠んだ『為家千首』初の全注釈。 補遺 『為家千首』は貞応二年(1223)八月中、五日間に詠出した現 存最古の千首和歌、しかも個人による速詠というただ一つの作 解説 であり、同時に、慈円の諫めによって出家を思い止まった 26 一 成立 歳の為家が、はじめて父定家に認められ、歌道家第三代宗匠の 二 本文と詠出実況 1 一首詠出時間 自信を得た記念すべき作品である。 藤原為家の出発点の大作の意義をも押え、俊成とも定家とも異 2 無歌題千首の意義 三 内容考察 なる、為家という人物と詠作のあり方に迫る。 「稽古」―「證歌」活用能力 本文は冷泉家時雨亭文庫蔵「入道民部卿千首」により、注釈は 1 2 万葉語摂取 【現代語訳】 【参考】 【他出】 【語釈】 【補説】の順に示す。 代表歌をもたぬ大歌人の真実に迫ることが出来る、格好の藤原 3 三代集以下摂取 4 定家・家隆・慈円継承 為家入門でもある書です。 5 新発想・新用語 6 誹諧性 [本書の特色] 7 語彙に見る言語能力 1・初の全文現代語訳付きの注釈書。 2・ 【現代語訳】 【参考】 【他出】 【語釈】 【補説】の順に示し説明。 8 創作力の根源 「詠歌一躰」への進展 3・成立、本文と詠出実況、内容等を詳細に示した解説付き。 四 1 稽古 4・1000 首を自在に行き来できる、別冊各句索引付き。 2 百首詠法 【…一度は細部にこだわらず、千首を通読する事をおすすめする。 3 「新」の奨励 (中略)全体を虚心に読んでいただけばいろいろな意味で実に面 4 「制詞」の意味するもの 白い歌が多数あり、平淡な古典主義と一括し去る事は到底でき 五 結語 ないと理解されよう。そしてまた、春部では緊張し、謹直であっ た歌風が、詠み進むにつれて次第に自在の度を増して、万葉語 参考文献 や独自句、独自発想を多用、雑部に至って楽しい誹諧性を発揮 あとがき するまでに至る様相が、まざまざと味わい得られるであろう。 千首に見る為家歌風は、決して平淡温雅な古典主義ではない。 ※別冊各句索引付き。 そこには宗匠家後嗣なればこその、豊富な和歌資料を精読記憶活 用し得る「稽古照今」の精進と、それを生かしつつ自詠を独自の 物とする才気・誹諧性が明らかに示されている。それらは抽象的 常識的な「習練」 「練磨」のみで到達し得る性格のものではなく、 為家にとっては当然、かつ必須の修学方法であったにもかかわら ず、以後の後進歌人らの動向が彼の真意に反して、伝統と権威に 寄りかかった二条派歌風に堕して行ったのは、まことに已むを得 ぬ所であった。けれども為家の作品、殊にもその出発点なる千首 と、到達点なる「詠歌一躰」との子細な検討無くして、彼を軽々 に論断する事はできない。今後の和歌研究者は、俊成・定家に比 し余りにも過小評価されて来た従来の為家観にとらわれず、虚心 に彼の和歌・歌論に向き合い、前掲為家関係小著・小論をも併せ ISBN978-4-305-70794-9 C0092 読み、忌憚のない吟味・批判を加えられた上で、万葉から近世ま 定価 : 本体 13,000 円(税別) で一千年の和歌史の中の正当な位置に、彼を据え直し、評価して A5 判・上製・函入・464 頁、 別冊索引・52 頁 いただきたいと、切に願う。 】…解説より 岩佐美代子 81 新刊案内 JunCture(ジャンクチャー)、第 7 号の特集は「国境 未満の異文化接触/衝突/浸潤」です。 【掲げたテー マ文言の核心は「浸潤」である。接触や衝突について (ジャンクチャー) はこれまでも再々議論が重ねられてきたが、異文化の 浸潤が問題とされることは多くない。】 超域的日本文化研究 【目次】特集 西郷隆盛伝と「奄美」●高江洲昌哉/ 敗戦後における昭和天皇の「日本」意識●河西秀哉/ 特集 : 国境未満の異文化接触/衝突/浸潤 韓国・欝陵島現地調査報告 :「国境」との関わりで● 名古屋大学「アジアの中の日本文化」研究センター 福原裕二/近世・近代移行期における韓海出漁の展開 過程●木部和昭/樺太における日本人書店史ノート─ ─戦前外地の書物流通 (3) ●日比嘉高/細井肇の和訳 『海游録』──大正期日本人の朝鮮観分析をめぐる断 代行販売しています 章●池内敏/柵の中で──日系人強制収容所の中の書 記空間●坪井秀人 研究論文 「彼」のデカダンとは 何か──佐藤春夫「田園の憂鬱」再考●暢雁/金史良 の日本語文学が生成された批評空間──植民地出身作 家の交流の場としての『文芸首都』●高橋梓/国家と 戦争と疑惑──太宰治『新ハムレツト』論●金ヨンロ ン/立ち上がる団地の母親たち──『彼女と彼』にお ける直子の曖昧な身体●今井瞳良/作者としての出演 女性──ドキュメンタリー映画『極私的エロス・恋歌 1974』とウーマン・リブ●中根若恵/『ねじまき鳥ク ロニクル』から見る村上春樹の歴史認識──「真実」 と「事実」をめぐって●王静/連想文学の生態──カ ISBN978-4-305-00297-6 C0095 ンブリアンゲームにおける作品創出の構造●寺尾麻里 定価 : 本体 1,800 円(税別) ほか レヴュー等掲載。 B5 判・並製・232 頁 ◎ 2016 年 4 月刊行 JunCture ◎ 2016 年 3 月刊行 昭和文学研究 第 72 集 昭和文学会編 ISBN978-4-305-00372-0 C3393 定価 : 本体 4,200 円(税別) A5 判・並製・238 頁 新刊案内 第7号 昭和期の文学を中心とする近現代文学の研究を対象と した学会誌。従来、会員以外は入手困難でしたが、通 常の書籍同様、書店にてご注文いただけるようになり ました。年 2 回刊行。定期ご購入をご希望の場合は入 会されると金額的にお得です(年会費 7000 円、入会 金 1000 円)。 【目次】特集 第三の新人 「第三の新人」論―核家 族・母・そして受験―●綾目広治/「第三の新人」と 高度経済成長下の〈文学〉―戦中派・太宰治・純文学 論争―●滝口明祥/馬になる小説―小島信夫『別れる 理由』における男性性からの逃走―●村上克尚/戦後 性、身体性、「第三の新人」―島尾敏雄と庄野潤三の 一九五〇年前後―●西尾宣明/劣等兵から見出される 「希望」―安岡章太郎『遁走』―●安藤陽平/決意の 旅―安岡章太郎『アメリカ感情旅行』―●金岡直子/ 遠藤周作論―〈劇〉を生成するトポス―●長濵拓磨/ 吉行淳之介の 「私」 ―昭和三〇年代の吉行淳之介―● 小嶋洋輔 自由論文 「××が始まつてから」―小林 多喜二「党生活者」論―●金ヨンロン/佐多稲子「灰 色の午後」論―〈同志的夫婦〉とは何者か―●谷口絹 枝/〈甘美〉な震災の記憶を語る―堀辰雄「麦藁帽子」 論―●宮村真紀/日系アメリカ人の日本語文学雑誌 「収穫」の世界―一九三〇年代におけるコミュニティ・ メディア・女性表象―●北川扶生子【資料紹介】織田 作之助新資料「俄法師」とその周辺●斎藤理生。他に 【研究動向】【研究展望】【書評】【新刊紹介】会務委 員会だより 編集後記 82 ◎ 2016 年 3 月刊行 SP 盤演説レコード がひらく日本語研究 Exploring 78rpm record archives in Japanese language research 【 S P 盤 レ コ ー ド(standard playing record) と は、 1948 年 頃 に L P 盤 レ コ ー ド(long playing record) が開発されて以降、それ以前の蓄音機用レコードを standard playing record と 呼 ん で 区 別 す る よ う に なった、その名称の略称である。日本ではこの呼称が 普通に使われるが、国際的には、このレコードの 1 分 間の回転数に由来する "78rpm record" という名称の方 がよく使用される。最初期には片面盤のものも見られ るが、通常は両面盤で、一面の録音時間は 3 分程度ま でのものがほとんどである。】 相澤正夫・金澤裕之編 [執筆] 【目次】 相澤正夫/金澤裕之/東照二/岡部嘉幸/小椋秀樹/尾崎喜 光/高田三枝子/田中牧郎/南部智史/松田謙次郎/丸山岳 はじめに●相澤正夫 彦/矢島正浩 [資料解説]SP 盤レコードと岡田コレクション●金澤 裕之 I 音源資料がひらく音声・発話の研究 1 幕末~明治前期のガ行鼻音を推定する●相澤正夫 演説の言語は、近代日本語形成史において、どのような役割 2 大正期演説のピッチ―ピッチレンジおよび大隈演 を果たしたのか。 説の final lowering について●高田三枝子 日本最古のまとまった音源である大正~昭和戦前期のレコー 3 大正~昭和前期の演説・講演における漢語の読み ド音声と文字化資料を対象に、方言を中心とする音声研究、 のゆれ●松田謙次郎 変異理論や談話分析に基づく社会言語学的研究、文法・語彙 4 戦時中の広報―東京市情報課の「巻き込み」手法 を中心とする近世・近代語研究、話し言葉・書き言葉のコー ●東 照二 パス言語学的研究、と多角的アプローチ。 大正以前の過去へ、そして現代へとつながる言語理論を切り II 文字化資料がひらく文法・形式の研究 ひらく。 【本書は……SP盤レコードに遺された、大正から昭和戦前 期の政治家・軍人・実業家・文化人等の演説・講演を中心と する録音音声資料と、それを忠実に文字に起こした文字化資 料に基づき、多様な背景をもつ 12 人の日本語研究者が、そ れぞれの持ち味を生かして新たな研究活用の方途を探索した 成果である。書名では「SP盤演説レコード」と一括りにし たが、実際に収録されている内容は演説に加えて講演・訓話・ 法話・説教、朗読・実況・ドラマ、さらには自治体の行政広 報と、そのジャンルにはかなりの広がりがある。……「はじ めに」より】 1 大正~昭和前期の演説・講演レコードに見る「テ おる/テいる」の実態●金澤裕之 2 大正~昭和前期における助動詞マスの終止・連体 形について―マスルの使用状況を中心に●岡部嘉幸 3 従属節の主語表示「が」と「の」の変異●南部智 史 4 大正~昭和前期の丁寧語諸表現の動態●尾崎喜光 III 文字化資料がひらく文体・表現の研究 1 条件表現の用法から見た近代演説の文体●矢島正 浩 2 大正~昭和前期における演説の文体●小椋秀樹 3 演説の文末表現の変遷―明治時代から昭和 10 年代 まで●田中牧郎 4 大正~昭和前期の演説に現れる文末表現のバリ エーション●丸山岳彦 「あとがき」に代えて―文字化を巡るこぼればなし● 金澤裕之 ISBN978-4-305-70795-6 C0081 定価 : 本体 3,900 円(税別) A5 判・並製・カバー装・308 頁 83 新刊案内 ◎ 2016 年 3 月刊行 万葉集の恋と語りの 文芸史 大谷歩 ISBN978-4-305-70796-3 C0092 定価 : 本体 5,800 円(税別) A5 判・上製・カバー装・292 頁 ◎ 2016 年 3 月刊行 風土記研究 第 38号 風土記研究会編 ISBN978-4-305-00308-9-9 C3395 定価 : 本体 4,000 円(税別) A5 判・並製・80 頁 新刊案内 日本人の恋の起源を解き明かす。 〈古物語り〉から〈今物語り〉へのラブヒストリー。 東アジア文学圏では特殊な、 「恋」という概念を文芸上 に成立させた日本。その源流を求め、万葉以前より語り 継がれた伝説 〈古物語り〉 から、 近時の現実性をもった 〈今 物語り〉へと至る物語り形成の系譜を辿る。明かされる 男女の恋の歴史。 【目次】 はじめに 愛のはじまりの物語り―序論 第一章 磐姫皇后と但馬皇女の恋歌の形成―〈類型〉と 〈引用〉の流通性をめぐって 第二章 桜児・縵児をめぐる〈由縁〉の物語り 第三章 真間手児名伝説歌の形成―歌の詠法を通して 第四章 嫉妬と怨情―古代日中文学の愛情詩と主題の 形成 第五章 怨恨歌の形成―〈棄婦〉という主題をめぐって 第六章 「係念」の恋―安貴王の歌と〈今物語り〉 第七章 「係恋」をめぐる恋物語りの形成―「夫の君に 恋ひたる歌」をめぐって 第八章 愚なる娘子―「児部女王の嗤へる歌」をめぐっ て 初出論文一覧 おわりに 事項索引 学会誌として、従来、会員以外は入手困難だったものが、 通常の書籍同様、書店にてご注文いただけるようになり ました。年一回刊行。会員には配布されるので定期購入 をご希望の場合は入会されると金額的にお得です(年会 費 3000 円) 。 【目次】 多変量解析をとおして見た九州風土記の性格―クラス ター分析を使用して―●松田信彦 日向国風土記逸文知鋪郷考―籾を投げる行為について ―●大館真晴 豊後国風土記の漢語表現―景行紀「排草」 「車駕」との 対照をめぐって―●葛西太一 地誌と歌謡―『常陸国風土記』新治郡笠間村条について ―●衛藤恵理香 風土記関係書新刊・報告・予告 入会を希望される方は、下記の要領で事務局に申し込ん でください。1、氏名・所属・住所・電話番号、入会希 望の旨を明記して、以下のアドレスにメールを送信する か、あるいは事務局宛に郵送してください。 〒 880-0929 宮崎市まなび野 3-5-1 宮崎県立看護大学 大館真晴研究室内 風土記研究会 メール fudokikenkyu @ gmail.com 2、 折り返し、 事務局から振替用紙を郵送いたしますので、 年会費 3,000 円を納入願います。 会費振込先 : 郵便振替 01790-3-143187 風土記研究会 :みずほ銀行伊勢支店 普通 1678297 風土記研究会 84 ◎ 2016 年 3 月刊行 誘惑する西鶴 浮世草子をどう読むか 平林香織 ISBN978-4-305-70799-4 C0095 定価 : 本体 10,000 円(税別) A5 判・上製・カバー装・428 頁 ◎ 2016 年 2 月刊行 論集上代文学 第三十七冊 万葉七曜会編 ISBN978-4-305-00227-3 C3391 定価 : 本体 12,800 円(税別) A5 判・上製・函入・248 頁 85 いたるところに施された西鶴の仕掛けは、どのように埋 め込まれているか。西鶴を「わかる作品」として読み直 すべく、その小説作法を解明し、どう読むべきかを問う。 短編なのに一人の長い人生を追ったドキュメンタリーの ように人物を描きだす西鶴のリアリティとはどこにある か。作品の仕掛けを掘りおこし読みの扉を次々に開く。 【目次】はじめに 第Ⅰ部 作品形成法―表象と仕掛け 第一章 『好色一代男』の方法 1 ●船に乗る「世之介」 は何を意味するか 2 ●「都のすがた人形」における「鶉 の焼鳥」は何を意味するか 第二章 『好色五人女』の 方法 1 ●「おなつ」をとりまく滑稽 2 ●「お七」の 母の小語 第三章 冒頭部の仕掛け 1 ●『男色大鑑』 「墨絵につらき剣菱の紋」を解く 2 ●『日本永代蔵』 「浪 風静に神通丸」の小さなエピソード群 第Ⅱ部 語り紡 ぐ仕組み 第一章 『西鶴諸国はなし』における伝承の 活用 1 ●「夢路の風車」における『邯鄲』 『松風』の 活用 2 ●「身を捨て油壺」と「姥が火」の伝説 第二 章 『懐硯』における語り紡ぐ仕組み 1 ●積層構造― 「伴山」の役割― 2 ●旅物語―『東海道名所記』と比 較して― 第三章 『新可笑記』巻一における反転の仕 掛け 1 ●「理非の命勝負」の理と非 2 ●「木末に驚 く猿の執心」の生と死 第Ⅲ部 〈はなし〉の広がり 第一章 〈こころ〉と〈からだ〉 1 ●西鶴浮世草子に描 かれる顔 2 ●顔の変貌―『武家義理物語』 「瘊子はむ かしの面影」の姉と妹― 第二章 西鶴が描く愛の変奏 1 ●西鶴浮世草子における兄弟姉妹 2 ●男が女を背負 うことは何を意味するか 上代文学研究の最新成果を世に問う、年 1 冊刊行のシ リーズ第 37 弾。 [執筆]山口佳紀/遠藤宏/新谷秀夫/谷口雅博/金 井清一/神野志隆光/林勉。 平成 25 年刊行の上代文学関係の単行本・雑誌論文を 網羅した文献目録付き。 【目次】 古代の歌における掛詞と「類音」●山口佳紀 万葉集の「孤語」(二)―予備的な調査―●遠藤宏 「あゆの風」異聞 ―『萬葉集』伝来をめぐる臆見・余滴―●新谷秀夫 大国主神の「亦名」記載の意義●谷口雅博 古事記の「いたくさやぎてありなり」 ―その再出の意義と構想について―●金井清一 『日本書紀』の「歴史」と「聖徳太子」 ―いわゆる遣隋使をめぐって―●神野志隆光 兼右本敏達紀訓点の敬語表現―用言―●林勉 上代文学研究年報二○一三年(平成二十五年)単行本 等・雑誌論文等●万葉七曜会編 執筆者紹介 新刊案内 ◎ 2016 年 2 月刊行 【目次】はじめに 第一章 散切物と古典 第一節 「於岩稲荷験玉櫛」と五代目尾上菊五郎―「四 谷怪談」大詰の演出をめぐって― はじめに/一、 「於 岩稲荷験玉櫛」/二、五代目菊五郎の怪談狂言における 敵討/ 三、 「祭礼の場」のその後/おわりに 第二節 黙阿弥「東京日新聞」考―鳥越甚内と景清― はじ 幕末・明治期歌舞伎史 めに/一、散切物の定義とその初作/二、 「東京日新聞」 /三、甚内と景清/おわりに 第三節 黙阿弥散切物 と古典 はじめに/一、初期作品における古典的イメー ジの利用/二、西南戦争以降/三、筆売り幸兵衛の誕生 日置貴之 /おわりに 第四節 三遊亭円朝「英国孝子之伝」の歌 舞伎化 はじめに/一、円朝「英国孝子之伝」について 「飜訳西洋話」 「江戸の芝居」を見ることができないとすれば、いま私たちが /二、歌舞伎への脚色と従来の評価/三、 の内容/四、 「西洋噺日本写絵」の真の姿/五、団十郎 見ているものは何か。 現代に生きる私たちが歌舞伎を見る空間とは明治以降に形作ら の切腹の演技/おわりに れたそれ以外にはあり得ず、そこで演じられる芝居も、そうし 第二章 戦争劇と災害劇 た空間で近代に形作られてきたものでしかあり得ない。では 「明 第一節 上野戦争の芝居―黙阿弥・其水の作品を中心に ― はじめに/一、 「狭間軍紀成海録」/二、 「明治年間 治の芝居」とは何なのか。 東日記」/三、 「皐月晴上野朝風」/四、その他の上野 「会津産明治組重」考 本書は日本の歴史上屈指の激動の時代の、幕末・明治期の歌舞 戦争物狂言/おわりに 第二節 伎の全貌を、あらためて捉えなおすべく編まれた。当時「正統」 ―其水の日清戦争劇にみる黙阿弥の影響― はじめに 派が読みなおしていた古典作品の様相や、 「正統」派だけでなく、 /一、日清戦争劇の上演と「会津産明治組重」/二、会 「組重」の意味/四、黙阿弥からの 「傍流」とされてきた上方劇壇、今日では忘れられた存在となっ 津戦争と騙り/三、 ている戦争劇や災害劇にも目を向け、今日の私たちが見ている 継承/おわりに 第三節 幕末・明治の芝居と災害 は じめに/一、幕末・明治の芝居と現実の災害/二、災害 歌舞伎との新たなつながりを見い出す。 の演出/三、災害劇と戦争劇/四、戦争劇との共通性― 【……だが、 「明治の芝居」にしても、そうした、 「江戸時代の 「真に迫る」ということ―/おわりに 芝居」の次に現れて、今日の歌舞伎につながるもの、というよ 第三章 上方劇壇と「東京」 はじめ うな図式でのみ捉えられるものではないのではないか。団十郎、 第一節 明治初期大阪劇壇における「東京風」 菊五郎が今日の歌舞伎の基礎を築いたことも、彼らの存在が従 に/一、新作狂言の増加/二、三栄、河竹能進・勝諺蔵 「東京風」か 来の演劇史の中で大きな位置を占めていることもわかるが、で 親子と黙阿弥受容/三、劇場と興行/四、 は、彼らの演じた芝居は同時代の他の人々のそれと何が違った ら東京への「還流」/おわりに 第二節 上方における のか。あるいは、彼らの演じた芝居でも、今日まで残らなかっ 初期の散切物について―「娼妓誠開花夜桜」を中心に― 「娼 たものは無数にあるわけで、そういった作品はどういったもの はじめに/一、上方における散切物の始まり/二、 であったのか、また、なぜ残らなかったのか。明治期の東京以 妓誠開花夜桜」/三、古典の利用と描かれた東京/お 外の地域、たとえば大阪や京都、あるいはそういった大都市の わりに 第三節 狂言作者佐橋富三郎 はじめに/一、 役者が旅芝居で回ったような地方では、どういった芝居が演じ 佐橋富三郎の経歴/二、佐橋富三郎の作品/おわりに られていたのか。こういった疑問について見ていくと、明治期 第四節 桜田門外の変の劇化について はじめに/一、 の歌舞伎が、日本の歴史上屈指の激動の時代にふさわしい、多 上方の明治維新物狂言/二、黙阿弥による「暗示」/ 三、上方における劇化(一)―旅芝居から中芝居、そ 様な姿を持ったものであることが して大芝居へ―/四、上方における劇化(二)―内容 わかってくる。と同時に、そうし の変遷―/五、東京での上演/おわりに 第五節 明 た多様性の中から、ある方向への 治期大阪の歌舞伎と新聞―続き物脚色狂言の誕生― 「統一」の機運も現れてくる(そ はじめに/一、明治期大阪の新聞と演芸/二、新聞続 れこそが私たちが漠然と思い描 き物の歌舞伎化/三、原作との距離/おわりに 第六 く、今日の芝居の礎となった「明 節 明治期上方板役者評判記とその周辺 はじめに/ 治の芝居」である、といえるかも 一、明治期の役者評判記/二、明治期上方板役者評判 しれない) 。本書では、そうした 記(一)―櫓連系―/三、 明治期上方板役者評判記(二) 変わりゆく時代のなかの歌舞伎の ―中井恒次郎系―/おわりに 第七節 東京の中の「上 姿を描き出していきたい。 】…… 方」―鳥熊芝居以降の春木座について― はじめに/ はじめにより 一、鳥熊芝居とその影響/二、鳥熊以後の春木座/三、 ISBN978-4-305-70798-7 C0095 「大阪風」と「東京風」/おわりに 定価 : 本体 6,500 円(税別) 附録 東京都立中央図書館加賀文庫蔵『合載袋』―明 A5 判・上製・カバー装・348 頁 治期狂言作者の手控え― 変貌する 時代のなかの歌舞伎 新刊案内 86 ◎ 2016 年 2 月刊行 【目次】 前書 総論 古代漢詩文の思想理念とその展開 一 はじめに/二 斉魯之学―二つの側面/三 皇猷― 文学と憲章法則/四 雕章麗筆―文学の自立/五 近江 風流/六 平城の詩風/七 むすびに 第一部 詩人論 第一章 大友皇子の伝と詩―近江風流を今に伝える詩 胡志昂 人― 一 はじめに/二 伝記/三 侍宴詩/四 述懐詩/ 五 むすびに 古代日本漢詩文の魅力は、その豊かな国際性にある。 第二章 大津皇子の詩と歌―詩賦の興り、大津より始れ り― 大規模な遣唐使船団が海原を行き来していた時代。 一 はじめに/二 古今集序の言質―大津皇子初めて 時代の先端を行く、異文化交流を担い、新しい時代文化の創造 詩賦を作った/三 伝記の吟味/四 五言詩・春苑言宴 に直接関わってきた人々の学識や人となり、彼らの遭遇した紆 /五 五言詩・遊獵/六 「述志」は幼時の習作か/七 余曲折及びその心中の喜怒哀楽といった感情の起伏と色彩は、 臨終の絶句/八 むすびに 文学研究からしか伝わってこない。 第三章 釈智藏の詩と老荘思想 本書はそのようなスタンスから、古代日本の文化、ひいては中 一 はじめに/二 生い立ち/三 遣唐留学の期間と 日交流が緊密で頻繁であった古代東アジア文化圏の一端を明ら 行状/四 五言詩二篇の趣向/五 仏教と玄学/六 かにする。 むすびに 第四章 大神氏と高市麻呂の従駕応詔詩 【……大規模な遣唐使船団が海原を行き来していた時代の異文 一 異色の従駕応詔詩/二 大神高市麻呂その人と評 化交流の様相は、当時の史料が豊富に現存しているため、すで 判/三 諫争事件/四 大神氏と三輪山信仰/五 三 に相当に確実に解明されてはいる。しかし、時代の先端を行く 輪氏と大和政権/六 むすびに 異文化交流を担い新しい時代文化の創造に直接関わってきた 第五章 最盛期の遣唐使を支えた詩僧・釈弁正 人々の学識や人となり、彼らの遭遇した紆余曲折及びその心中 一 はじめに/二 「滑稽」の意味/三 五言詩「与朝 の喜怒哀楽といった感情の起伏と色彩が歴史学的研究から伝 主人」 の制作背景/四 「朝主人」 と李隆基/五 絶句 「在 わってこない。これは文学研究の領域であり、文学作品を実際 唐憶本郷」に見る表現趣旨/六 むすびに に読む楽しみでもある。言い換えれば、つまり詩賦や和歌の生 第六章 奈良王朝の「翰墨之宗」―藤原宇合 まれる時代社会背景を視野に入れつつ文学の作品を読めば、そ 一 はじめに/二 遣唐副使の収穫/三 東国総官の の時代社会の様相を人々の感情の色彩も含めてもっと生動的に 活躍/四 長屋王時代/五 藤氏四子の時代/六 西 読み解くことができるのである。その意味で文学は歴史に肉付 海道節度使の苦悩/七 むすびに け、感情を添える花とも言えるであろう。 】……「前書」より 第二部 主題論 第一章 藤原門流の饗宴詩と自然観 一 はじめに/二 不比等の「元日応詔」/三 房前の 侍宴詩と公宴詩/四 藤原家の私宴詩/五 むすびに 第二章 暮春三月曲水宴考 一 歳時上の春/二 暮春上巳の祓禊/三 漢代の上 巳と禊/四 三月三日と上巳/五 流觴曲水の宴/六 日本上代の曲水宴/七 歳時行事の移り変わり/八 むすびに 第三章 遊士と風流 一 はじめに/二 先秦遊士―その発生と活躍/三 秦漢遊士の変質/四 魏晋風流の展開/五 斉梁風流 の成立/六 むすびに 古代日本漢詩文と 中国文学 所収論文一覧 後書 ISBN978-4-305-70792-5 C0095 定価 : 本体 8,000 円(税別) A5 判・上製・カバー装・352 頁 87 第三部 国際学会論文 第一章 遣唐大使多治比广成的述怀诗―透视遣唐使最 盛期的政治与文学― 第二章 关于少女投水传说歌辞的几点探讨 第三章 《古今集》两序与中国诗文论 新刊案内 その結果、 生き物以上の性格付けがなされた異類が広まり、 う語り物が伝承されていた。これは人ならぬ虱を浄土から 定着していくわけだ。 この世に降ろして憑依した体(てい)で語るものだ。降り てきた虱は自分の最期を語った上で子孫の虱たちに教訓を 3 垂れる。虱が人間の口を通して子孫の虱に語るという設定 自体、これが真実ではなく口寄せの形式を用いたパロディ 古代的な心性からすれば、生き物にはすべて霊的な性格 であることを示している。 が重ねられていたことだろう。しかし今日においては、遊 昭和八年(一九三三)に岩手県盛岡市在住の民俗学者橘 び相手、話し相手、ペットならぬ家族の一員と扱う風潮が 正一が出したガリ版刷の私家版小冊子『盛岡猥談集』は民 強い。異類というよりは、人間の延長として認識する傾向 間伝承の猥談を集めたものである。その中に次のような話 が広まっているのではないだろうか。 が載っている。 そうなると、人間と同じように犬・猫の魂はどこにいく のだろうかと考える人も増えてくる。かつては死んだら木 ある男、イタコ(市子)の所に夜這に行つて乗りかか の下に埋める、庭に埋める程度であったものが、ペット霊 ツた。イタコ目をさまして「そんな事せば、狐つけるぞ」。 園に埋めるようになる。更には埋葬だけではなく、葬儀も 男「それでは止める」 イタコ「やめれば三匹つけるぞ」 本格化する。昭和後期には中世以来の古刹であってもペッ ト霊園を併設する寺院が現れる時代となった。では埋葬後 イタコは在地の巫女だ。そこに夜這いに行ったものの、 の魂の行方はどうか、あの世でどんな暮らしをしているの 狐を付けると脅された。だから男は諦めたのだが、すると か。人間ならば年忌法要や盆行事で解決したものの、伝統 却って「三匹付けるぞ」と三倍増しで脅されたという笑話 的な葬儀・法事は人間に限られている。ペット葬儀がゼロ である。では結局どうすればよいのか。オチが付いている 年代以降盛んになってきた。しかしペット葬儀は葬儀屋の ようで付いていない気がする。藤沢美雄『岩手艶笑譚』 (津 領分であって魂の行方については分野外である。この需要 軽書房、一九七四年)に類話が載っているのだが(「狐の には、伝統的な口寄せや祈禱師よりも、スピリチュアル系 穴」)、そちらでは三匹付けるという言いがかりの後、男が のカウンセラーが目ざとく反応して拡大していっているよ どうすればよいのか訊ねるモティーフが続いている。イタ うに思われる。ペットに限っていえば、人間の霊を呼び出 コ(本文中では「女の祈禱師」)は次のように言う。 すのが当然であった状況から、家族の一員であった犬・猫 の霊を呼び出すことが自然に受け入れられる状況を迎えた 「この穴から、狐が出たがっているから、お前の棒で といえるのかもしれない。 奥へ推しこめてくれ」 一般的には、かつて霊的存在としての異類は生き物であ りながら神霊として客体化されていたと思われる。しかし いかにも猥談といったオチである。 人間の家族、あるいは人間と同等に生きる権利が与えられ このように、異類の憑依もまたその出来事を滑稽な文芸 る中、人間と変わらぬ霊魂をもった存在として、いわば疑 として展開していく題材となってきたわけである。 似的な人間とみる傾向が強まった。一方、かつて暗がりに 潜む妖怪であったものが、本質的にもっていた怪異を形だ 4 け残し、人間の友達、良き隣人として変質していくように もなる。 さて、話が下がかってきたので、話題を冒頭の謎々に戻 日本において近代に至るまで異類の霊性を最もよく身近 すことにしよう。 に見聞する機会となっていたのは、狐が人を化かすという 私が感心することは、その発想力である。誰もが知って 出来事であろう。これについては、昭和一桁の人々までは いる「古池や」の名句。つまり普通ならば〈句〉という 見聞、時には体験した人が少なくない。地域差もあるが、 枠組みの中で当然のように理解しようとするところだが、 「親たちは化かされたことがあるが、俺たちはない」とい 薫少年はそうではなく、全く別のジャンルであるである うことを話す人もいる。私の祖母は大正一五年(一九二六)〈謎々〉として読み換えたのだった。 生まれ、荒川下流域で生きた人であったが、同様のことを 本書も多少そうした新しい発想を試みようという狙いを 言っていた。そういう祖母も、荒川の向こう岸に狐の嫁入 企画に盛り込んでいる。妖怪は妖怪、憑き物は憑き物、擬 りを実際に見た。たくさんの光が一方向に進んでいく様子 人化は擬人化と、異なる関心のもとにそれぞれを扱ってき であったという。 た流れをここでガラガラポンと、一緒くたにしてみたらど 異類は怪異を示すばかりでなく、人に取り憑くこともし うだろうかと思ったのである。この三つの術語の上位概念 ばしば行った。今でも地方のニュースに、狐を落とすと称 として〈異類〉を位置付け、その上で改めてこれら三つの してクライアントに暴力を振るい、高額のお布施を要求す 要素間の関係性を問い直す契機になれば面白いだろうと る事件が載ることがある。異類が人に憑くことは当事者か 願ったわけである。 らすれば不幸なことであり、他人からすればその不可解な Ⅰ「変貌するヌエ」、Ⅱ「狐憑き」、Ⅲ「擬人化された鼠 言動は恐ろしいものであったろう。 のいる風景」は前近代の文化の中に現代文化に通底する異 と思ったら、滑稽にも映ったようである。これを文芸化 類をめぐる精神や文化様式を明るみに出そうとしたもの。 したものが中世以来時々生み出された。狂言「梟山伏(ふ 一方、Ⅰ「ゆるキャラとフォークロア」、Ⅱ「ペットの憑霊」、 くろうやまぶし) 」は人間に憑いた梟を祓う祈禱の可笑し Ⅲ「物語歌の擬人化表現」は現代の文化現象に近代以前か さを舞台化したものだ。そもそも梟が人に憑くのかという ら連綿と続く文化的要素を見出そうとしたもの。そしてそ 問題もあるが、あるとしても稀有なことであって、その意 れぞれの論考の前後に関連する問題をコラムとして提示し 外性に加えて、憑いた人間が突然両手を上に伸ばしてホ てみた。 ホーと高らかに鳴く所作の滑稽さが笑いを誘う。 こうして様々な現象として現れる異類と、その背後にあ また東北では昭和前期の頃までボサマ(盲目の芸能者で る文化的要素を読み解いていくことが、本書の目的である。 琵琶法師の末裔)が語った「虱(しらみ)の口寄せ」とい 付記 謎々の答え。「どんぶり」! 新刊案内 88 ◎ 2016 年 2 月刊行 異類の出現する時──本書の手引き[伊藤慎吾] 妖怪・憑依・擬人化 の文化史 1 伊藤慎吾編 [執筆] 伊藤慎吾/飯倉義之/伊藤信博/今井秀和/北林茉莉代 佐伯和香子/塩川和広/杉山和也/永島大輝/毛利恵太 古池や蛙(かはづ)とびこむ水の音 芭蕉の名句中の名句と称されるものだから、ご存じ の方も多いだろう。この句については数多くの先人達 が数えきれないほど解釈を施し、鑑賞の手引きを示し てきた。ところが、この句を「考物(かんがえもの)新題」 として、次のように読み換えた子供がいる。 台所道具一つ なんと名句が謎々となってしまった。古池に蛙が飛 び込んだ時の音(擬音語)がキッチン用品の名称に等 しいのだそうだ。これを作ったのは、東京は麹町(こ 文学・絵画・民俗資料や、小説・マンガ等の中で うじまち)に住む小山内薫君である。時に明治二七年 (一八九四)三月。児童向け月刊誌『小国民』に掲載さ 異類たちはどのように表現され、 れた。 ところで後に劇作家として名を馳せた人物に小山内 背後にどのような文化的要素があったのか 薫(一八八一~一九二八)という人がいる。出身は広 異類の文化を解き明かす、初の入門書! 島市だが、明治一九年(一八八六)に東京府麹町区富 士見町に移り住んでいる。薫の妹岡田八千代は後に少 【本書では人間に対する異類、人間に擬えられた異類を対象 年時代の薫を回想して次のように述べている(『若き日 としている。異類として表現された実在/非実在の動物は人 の小山内薫』古今書院、一九四〇年)。 兄は小学校の高等科へ行く頃から、よく「小国民」 間から離れて存在しないのである。物理的に未踏の山奥や海 だとか、「少年世界」?とか、さう言つた少年の読 底に棲むとされるものといえども、目撃され、あるいは想像 物になつて居た雑誌へ投書してゐた。 されることで立ち現れるのだ。以下では日本の精神文化を映 同じ時期、同姓同名の子供が同地に住んでいたとい し出す鏡として異類を見ていくことにしたい。】 うことは考えにくいから、恐らく「古池や」の謎々を …「異類文化学への誘い」より 投稿した薫少年は後の薫先生なのだろうと思う。 古代から現代、『日本書紀』から『妖怪ウォッチ』まで 本書の目次は表紙裏の広告に掲載しています ISBN978-4-305-70797-0 C0091 定価 : 本体 2,200 円(税別) A5 判・並製・カバー装・362 頁 89 2 子供の発想力にはしばしば驚かされるが、わび・さ びの境地にある蛙の飛び込む音からキッチン用品の名 前を連想するのも奇想というべきだろう。生き物を生 き物として、現象を現象として認識することが観察者 として、また芸術の鑑賞者として在るべき姿勢である とすれば、その枷(かせ)を填(は)められていない 子供には観察・鑑賞よりも創造・表現の担い手として 時代や社会的な制約を離れて得られる発想があるよう に思う。 猫の群がるさまを猫の集会とみたり、闇夜に眼から 光を放つ黒猫に怪異をみたりする。生き物としての生 態はいざ知らず、猫たちの社会を想像して何か相談ご とをしているとみなし、あるいは猫に妖力があるもの と信じて化け猫出現と恐れる。猫の行動や生態から、 時として人間のような猫のメルヘンチックな社会生活 を心に思い描き、あるいは霊的能力を備えた猫と判断 して妖怪とみなす。方向性としては異なるものの、ど ちらも異類として猫を捉えていることに変わりはない。 このように、生き物を生き物としてだけではなく、 それ以外の価値や性格を重ねていく。ここに人間の文 化・社会に組み込まれた異類が立ち現れる。 こうした経験的な想像力によって、言葉に紡ぎ出さ れて目撃談、噂話、都市伝説、怪談、さらに怪異小説 やマンガ、ドラマといった物語が生まれ、また言語や 絵画、工芸、映像、パフォーマンスとして表現される。 新刊案内 ◎ 2014 年 2 月刊行 【目次】 はじめに 凡例 序 章 中世初期の和歌と仏教―その研究史 一 和歌と仏教の接点/二 仏教的和歌観の問題/三 釈教歌の問題/四 釈教歌以外の和歌と仏教/五 文学と宗教の間/六 本書の構成 第一部 寂然 第一章 寂然『法門百首』の形成と受容 一 成立と企画の目的/二 全体の構成と題の採集意 山本章博 識/三 和歌の表現/四 和歌の後代への影響/五 左注の構造/六 左注の後代への影響/七 おわりに 第二章 寂然『法門百首』と天台思想―浄土を観る 一 はじめに/二 天台の唱導テクストとしての『法 釈迦の教えの和歌(= 釈教歌)から、浄土を観る。 和歌は長い伝統の中でいつしか仏教と結びつき、仏教文化の 門百首』/三 円教の発心としての和歌/四 四季の 一つとしても意義づけられ存在し続けた。なぜ仏教の教義や 風景と煩悩即菩提/五 恋情と一念三千・中道/六 言葉と和歌はここまで接近し、同等と見なされるようになっ 浄土の風景を観る/七 仏・菩薩・二乗の姿を観る/ たのか。平安末期から鎌倉初頭、寂然・西行・慈円が生きた 八 おわりに 第三章 恋と仏道―寂然『法門百首』恋部を中心に 時代の釈教歌から考える。 一 はじめに/二 恋と仏道の歌題の流行と『法門百 【和歌は長い伝統の中でいつしか仏教と結び付き、仏教文化 首』/三 『法門百首』と『発心集』/四 寂然と澄 の一つとしても意義づけられ存在し続けた。僧は和歌を詠 憲/五 明恵『四座講式』との関わり/六 おわりに み、和歌を詠むことは仏教の真髄を悟る基盤になると信じら 第二部 西行 『聞書集』 「法華経二十八品歌」の詠法をめぐって れ、そしてその和歌によって教化し、人々は和歌によって祈っ 第四章 た。この世で苦なく迷いなく生きたい、来世には美しい所に 一 研究史/二 花と月と山と海と/三 冒頭序品歌 の読解/四 『山家集』巻末「百首」・『久安百首』と 生まれ変わりたいと思うならば、仏教でいう「悟り」とはな の関連/五 寂然『法門百首』との関連/六 詠法の んだろう、「浄土」とはどんなところだろう、と人々は思い 特徴/七 成立をめぐって を巡らす。哲学的な論議が行われる一方、絵画や図像でその 第五章 西行「あみ」の歌をめぐって 姿を表し、 また日本では伝統的な和歌によって「悟り」 「浄土」 一 あみ漁はなぜ深い罪なのか/二 歌群からの考察 を表現し、それを捉えようとした。釈迦の教えの和歌、すな /三 網と阿弥陀の掛詞/四 その他の仏教語を掛詞 わち「釈教歌」というジャンルが登場するのである。 とする歌/五 海人の無明の罪と生態への興味/六 平安末期から鎌倉初頭、本書で扱う寂然・西行・慈円が生 日本語と仏教語の縁/七 王越・青海・長船の西行伝承 きた時代、和歌と仏教の同等性を強調する言説が散見される 第六章 西行と海浜の人々 ようになり、同時に釈教歌、特に経文を題とした法文歌が盛 一 はじめに/二 海人に語りかける西行/三 西行が んに詠まれ、四季や恋歌の中にも、仏教と関わらせる歌が見 接した海人/四 西行の殺生観と唱導/五 おわりに られるようになる。この頃が、和歌と仏教が本格的に関わり 第三部 慈円 合い始めた時期であり、その二つの結び付きの回路を解明す 第七章 慈円『法華要文百首』と法華法 るためのポイントとなる時代である。仏教の教義や言葉と和 一 はじめに/二 『法華要文百首』題と『法華別帖』 歌はなぜここまで接近し、同等と見なされるようになったの 「要文」との関わり/三 『法華別帖』「要文」の性格 か。仏教と和歌の接点である釈教歌の表現の分析からそれを /四 『法華要文百首』題の性格 解明したい。本書の問題意識は 第八章 慈円『法華要文百首』と後鳥羽院 そこにある。 一 はじめに/二 「病即消滅」題の歌/三 「世間相 現世の風景でありながら現世 常住」題の歌/四 「止々不須説」題の歌/五 「如世 ではない風景。この世でもあの 尊勅」題の歌/六 おわりに 世でもない風景。無常と永遠の 第九章 慈円「金剛界五部」の歌をめぐって 狭間に浮かび上がる風景。その 一 はじめに/二 仏部の歌/三 蓮華部の歌/四 魅惑的な釈教歌の表現世界を紐 宝部の歌/五 金剛部の歌/六 羯磨部の歌/七 密 解いていきたい。 】 「はじめに」 教観相の歌の中で より 終 章 宗教テクストとしての和歌 一 永遠を観る/二 仏教における和歌の役割 初出一覧 あとがき 和歌・歌謡・俳諧索引 ISBN978-4-305-70793-2 C0092 書名索引 定価 : 本体 6,000 円(税別) 人名・仏名・事項索引 A5 判・上製・カバー装・280 頁 中世釈教歌の研究 寂然・西行・慈円 新刊案内 90 ◎ 2016 年 1 月刊行 上田秋成研究事典 【目次】 『雨月物語』とその作者を知るために 秋成研究会編 ○執筆者 飯倉洋一/糸川武志/稲田篤信/井上泰至/加藤十握/木越 治 木越秀子/紅林健志/郷津 正/近衞典子/宍戸道子/高松亮太 長尾直茂/長島弘明/野澤真樹/丸井貴史/三浦一朗 泉鏡花、芥川龍之介、谷崎潤一郎、三島由紀夫、村上春樹。 名だたる作家たちが傑作だと評価した『雨月物語』の奥行 きを知るにはどうしたらいいのか。普通に読んで「なんと なく面白かった」という感想をこえ、なぜその作品を「面 白い」と思ったのか、それを分析的に自分で解説していく にはどうしたらいいのか。 本書は、文人秋成の業績を総体として捉え、あらゆる角度 から分析するために編まれた事典であり、また同時に、文 学作品を読んで「なんとなく面白かった」という地点から、 その作品の魅力や豊かさを自分のことばで最大限引き出し ていく、 「研究」に向かうための入門書です。 『雨月物語』 『春雨物語』の両代表作は、重要な論点とそれ を示した論文を整理・紹介しました。そこでは、ふつうの 読み方を超える、新しい「読み」の可能性に挑戦した論文 をたくさん取り上げています。それらの要点をわかりやす く紹介しつつ、 『雨月物語』の各作品が、どのように読まれ てきたかがわかるようにしました。また『雨月物語』につ いては、作品分析のためのマニュアルと、分析の実例を挙げ、 作品を読んだ後、それを参照しつつ自分なりの分析に取り かかれるよう配慮しています。 また秋成の浮世草子・和歌・俳諧・随筆・和文・学問的著作、 そして秋成自身の生涯についても、今日明らかになってい る情報のレベルを呈示し、 「研究」のための一助としました。 その他、 『雨月物語』の典拠である中国の白話小説の原文・ 書き下し文・語釈・日本語訳を掲載するほか、上田秋成を 研究していくうえで知っておきたい主要文献のガイドも収 録しています。 上田秋成を知るための手引であ ると同時に、文学「研究の手引」 でもある、かつてない、文学を 今まで以上に楽しむヒントに満 ちた事典です。 ISBN978-4-305-70790-1 C0095 定価:本体 2,800 円(税別) 菊判・並製・カバー装・432 頁 91 序 古典を愛する若者にむけて―『雨月物語』のすすめ 1『雨月物語』 『雨月物語』作品別研究史について 作品分析のためのマニュアル 研究史概説 白峯/菊花の約/浅茅が宿/夢応の鯉魚/仏法僧/ 吉備津の釜/蛇性の婬/青頭巾/貧福論 2『春雨物語』 研究史概説 血かたびら/天津処女/海賊/二世の縁/目ひとつ の神/死首の咲顔/捨石丸/宮木が塚/歌のほまれ 「月の前」 「剣の舞」 「楠 /樊噲/その他の作品(「妖尼公」 公雨夜かたり」 「背振翁伝」 ( 「茶神の物語」 ) ) コラム 卒業論文を書くまえに 3 浮世草子作品 4 『書初機嫌海』 5 『癇癖談』 6 和歌・俳諧・狂歌 7 『胆大小心録』 コラム 社会人のための「学問のすすめ」 ―あるいは、「趣味・学問」と書けるようになる ためのマニュアル 8 秋成の和文 9 秋成の伝記 10 秋成の学問 11 秋成と近代作家 コラム 現代語訳と研究―上田秋成から考える 12 典拠作品の世界―原文・書き下し文・語釈・日本語訳 1 愛卿伝『剪燈新話句解』【「浅茅が宿」の典拠】 2 牡丹燈記『剪燈新話句解』 【「吉備津の釜」の典拠】 3 魚服記 付 薛録事魚服証仙(抄) 【「夢応の鯉魚」の典拠】 4 范巨卿鶏黍死生交【「菊花の約」の典拠】 5 白娘子永鎮雷峰塔【「蛇性の婬」の典拠】 付録 文献ガイド 1 単行研究書 2 関連単行書 3 科学研究費による報告書 4 雑誌特集号 5 参考文献目録・索引・研究書復刻 6 本文・注釈・影印など 7 外国語に翻訳された秋成 付録 上田秋成略年譜 新刊案内 ◎ 2016 年 1 月刊行 後鳥羽院とその時代 野朋美 【目次】 凡例 はじめに 第一篇 周辺歌人と場と 第一章 始発期を中心に 『新古今』成立前後、後鳥羽院と同時代の歌人たちは どのような和歌活動を展開したのか 勅撰和歌集の歴史において特異な下命者である後鳥羽院の存 在和歌活動を中心に据えて眺めるとどのようなことが見えて くるのか。 『新古今和歌集』成立前後のさまざまな問題点について、後 鳥羽院をめぐる周辺の歌人たちと後鳥羽院自身の動向の二つ の観点を時代に即して考察する。 【本書は、ここに述べたさまざまな問題について、ふたつの 観点から考察を試みるものである。ひとつは、後鳥羽院周辺 で院のいる和歌行事に何らかのかたちでかかわり、院の存在 や志向に影響を受けた、あるいは与えた歌人たちの動向や和 歌表現を考察の主対象に据え、後鳥羽院の存在や志向との関 係をあぶり出そうとする観点である。もうひとつは、後鳥羽 院自身の動向や和歌表現の考察を通じて、後鳥羽院が時代と どのように向き合い、前代の和歌や同時代の歌人たちとかか わったのか、その志向や思惑を明らかにする観点である。そ の際には、できるだけその催しのおこなわれた状況や詠まれ た和歌の背景を明らかにし、その時代に即して考えていく姿 勢を心がけたい。……「はじめに」より】 第一節 大内の花見 ─最初の詠歌をめぐって─ 第二節 『仙洞十人歌合』の特質と表現 ─判者の推定に及ぶ─ 第三節 後鳥羽院の和歌活動初期と寂蓮 第二章 時空間の共有意識 第一節 「熊野懐紙」の和歌 ─後鳥羽院の熊野御幸途次当座歌会をめぐって─ 第二節 後鳥羽院御所の空間的特質(一) ─水無瀬をめぐって─ 第三節 後鳥羽院御所の空間的特質(二) ─最勝四天王院をめぐって─ 第二篇 『新古今和歌集』とそれ以後 第一章 『新古今和歌集』の思想 第一節 『新古今和歌集』と鎮魂 ─西行・慈円をめぐって─ 第二節 伊勢神宮と和歌 ─『新古今和歌集』神祇部神宮関連歌群とその周辺─ 第二章 『新古今和歌集』以後 第一節 建暦二年の後鳥羽院 第二節 実朝懐柔と和歌 ─建保三年『院四十五番歌合』の場合─ 第三章 隠岐における和歌活動 第一節 『遠島百首』の方法 ─改訂されなかった歌を通して─ 第二節 神仏への信仰 第三節 後鳥羽院における源俊頼 ─『後鳥羽院御口伝』から「俊頼影供」へ─ むすびに 「置文」を契機として ─後世の後鳥羽院受容・点描 ISBN978-4-305-70791-8 C0092 定価:本体 9,000 円(税別) A5 判・上製・カバー装・512 頁 新刊案内 初出一覧 あとがき 索引(書名・人名・和歌初句) 92 ◎ 2015 年 12 月刊行 中世往生伝と 説話の視界 田嶋一夫 ISBN978-4-305-70788-8 C0091 定価:本体 12,000 円(税別) 菊判・上製・カバー装・674 頁 ◎ 2015 年 12 月刊行 ひめぎみ考 王朝文学から見たレズ・ソーシャル 小林とし子 ISBN978-4-305-70786-4 C0091 定価:本体 1,500 円(税別) A5 判・上製・カバー装・310 頁 93 伸びやかに積み重ねられた 五〇年にわたる研究の集大成── 散逸した「中世往生伝」の実像を鮮やかに浮かび上が らせた著者の代表的研究をはじめ、神道集・中世説話・ ちりめん本とテーマごと 36 本の論考と、研究・教育へ の思いが伝わる 15 本のエッセイを収録。 【田嶋さんは、庶民と貴族を対立させてとらえない。人 間という普遍の相において観察し、 そして認識する。 (中 略)どちらをも考察の投網にとらえて、作品が生まれる ダイナミズムを日本文化の深層構造を通して把握する。 民俗学にも似た発想を底に沈めて、文学作品のまっとう な研究に立ち向かう。……錦 仁「序文」より】 【総じて、著者の研究は人柄に応じて誠実であり、真摯 に対象と向き合い、地道に積み上げていく方向性で一貫 している。 (中略)研究とは何かを常に問いかけ続けて きた足跡がそのまま論考に結実化していて、若い研究者 への今後の道行きを照らし出しているといえるだろう。 ……小峯和明「解説」より】 【目次】 序文─田嶋さんの心(錦 仁)/Ⅰ 中世往生伝の視界 /Ⅱ 神道集と神明説話/Ⅲ 中世の説話と歴史叙述/ Ⅳ ちりめん本の世界/Ⅴ エッセイ/Ⅵ 略歴及び著述 目録/初出一覧/解説─田嶋一夫氏の仕事(小峯和明) /あとがき(小峯和明)/索引(書名・人名・地名) 姫君を中枢とした〈女社会=レズ・ソーシャル〉が 社会で果たした役割を平安文学から読み解く── 古代社会において共同体を結束させる装置として必要 とされた高貴な女の威力・聖性が、根強く残っていた 平安時代。 『枕草子』 『伊勢集』 『紫式部日記』 『源氏物語』 には生き生きと躍動する〈女社会〉が描かれていた。 【女社会を悩みながらも生きた、優れた女性たちによっ て書き記されたものが平安から鎌倉時代にかけての文 学作品であって、そこからはその時代と社会を生きたも のならではの認識と美意識が見えてきます。さらに気迫 も覇気も批判精神もあります。彼女たちが格闘したもの は、現代の私たちにとってもやはり同じく格闘して見据 えていくべき問題ではないかと思うのです。 〈王朝レズ・ ソーシャル〉への批判も含めてですが、今後も検証して いきたいと思っています。…「はじめに」より】 【目次】 はじめに/女神のお食事/翁幻想─『枕草子』/めで たき女 伊勢御息所─『伊勢集』に見る女社会/女神 のお仕事─『枕草子』の世界/女社会の分析批評 リ アリストのまなざし─『紫式部日記』/夕顔 死と再 生の物語─『源氏物語』/断想(〈傍ら〉にあるもの ─歴史のなかの暗がり/橋を渡る、ということ/山の 麓の世界)/超越するまなざし─誇り高き女たちの物 語/あとがき 新刊案内 ◎ 2015 年 11 月刊行 文学はなぜ必要か 日本文学&ミステリー案内 古橋信孝 ISBN978-4-305-70784-0 C0091 定価:本体 2,400 円(税別) A5 判・並製・カバー装・304 頁 ◎ 2015 年 11 月刊行 親鸞の発見した日本 仏教の究極 諏訪春雄 古事記から髙村薫、伊藤計劃まで。日本語の文学の流れ を、言葉とはどういうものかから導き、各時代の名のあ る作品、作家を取り上げ、そのおもしろさを述べながら、 それぞれの時代背景に迫る。そしてその作品が、なぜ書 かれたか、なぜ要求されたかも考えていく、新しい日本 文学史。 【目次】 序 1 言葉の表現とはどういうものか 2 文学はどのように始まったか 3 八世紀になぜ書く文学が登場したか 4 古今和歌集はなぜ編まれたか 5 竹取物語はなぜ書かれたか 6 源氏物語はなぜ書かれたか 7 今昔物語集はなぜ書かれたか 8 平家物語はなぜ書かれたか 9 徒然草はなぜ書かれたか 10 元禄期の文学 11 近代はどう表現されてきたか 1 近代とはどういう時代か/ 2 近代の探偵小説/ 3 第 二次世界大戦後の推理小説/ 4 現代の推理小説 12 現代とはどういう社会か 1 管理される知/ 2 伊藤計劃の語る近未来/ 3 ゲーム 世代の原風景 終章 文学はなぜ必要か [私の戦後史] 後書き 索引 親鸞に導かれて、古代の日本に逢いに行く。人間は死ん でも霊魂となり、神として永遠に生きつづける。この日 本人の霊魂不滅の人間観の本質を理解させるために出 現された方便の仏が、親鸞が最後に説いた阿弥陀であっ た―。親鸞の思想を通して日本仏教の本質をあきらかに する書。 数多くこの列島に伝来した異国の宗教のなかで、なぜ 仏教だけが日本に定着できたのか。そして仏教各派の なかで、なぜ浄土真宗がこれだけ巨大になりえたのか。 親鸞の思想に、その疑問を解くもっとも有力な手がかり がある。親鸞の思想こそが当時の仏教・神道の諸派、思 想家がこぞって追求した日本人固有の神信仰と渡来の 仏の関係を考える神仏習合理論の究極の到達点だった。 【目次】 はじめに Ⅰ 親鸞の悪人―問題の所在― Ⅱ 日本の浄土信仰―先人に学ぶ― Ⅲ 親鸞の地方体験―日本の伝統に学ぶ― Ⅳ 深まる親鸞の信仰―日本人の人間観の認識― Ⅴ 親鸞の発見した日本人の原信仰 Ⅵ 日本仏教の究極 Ⅶ 親鸞の後継者たち―浄土真宗の確立― ISBN978-4-305-70789-5 C0091 定価:本体 1,900 円(税別) 四六判・並製・カバー装・272 頁 新刊案内 参考文献 親鸞理解の三つの視点―あとがきに代えて― 94 たかと想像する。あらためて連歌の注釈は個人ではなく、 複数の読み手が必要だという思いは深くなっていった。 今回、伊藤さんに、二人で心敬連歌を解読する機会を提 案されて非力ながらお受けしたのは、如上の経験を生か した試みをより深化させた形で実現できると考えたから である。 】…「あとがき」 (奥田勲)より ○『落葉百韻』 本能寺第四世日明上人が、心敬を宗匠に迎え、心敬や正 徹とも関係の深い清水寺、東福寺の僧や、畠山氏の被官 伊藤伸江・奥田 勲 である武士たちを連衆として張行した百韻。一条兼良の 発句を拝領している。成立は康正二年(1456)から寛正 六年(1465)の間である。 ○『寛正六年正月十六日何人百韻』 ISBN978-4-305-70775-8 C0092 寛正六年(1465)正月十六日に、 心敬を宗匠として、 専順、 定価:本体 13,000 円(税別) 行助、宗祇、宗怡ら連歌師と細川氏と関係の深い僧実中 A5 判・ 上製・カバー装・520 頁 らが張行した百韻。宗祇と心敬がはじめて同座した百韻 連歌は作品として、 「百韻」であり「千句」である。連歌作品を、 連歌かと考えられ、有力連歌師の出句数も多く、応仁の 読む。連歌の本質を、 考える。連歌作者心敬が張行した 『落葉百韻』 乱直前の京都の連歌界の状況がわかる。また『所々返答』 『寛正六年正月十六日何人百韻』 『 「撫子の」百韻』の訳注と、心 第三状の題材になった付合も含まれる百韻である。 「撫子の」百韻』 敬の連歌についての論考を収める。本書からは、京都在住の心 ○『 敬の詩歌、詩学の精神が、宗祇ら同時代を生きた連歌師の作風 心敬を宗匠に、細川勝元とその家臣らが専順、行助、宗 や動向と共に浮かび上がり、百韻をさばいていく連歌師と一座 祇ら連歌師と張行した百韻。発句は勝元が詠んでいる。 心敬が在京時に密接な関係をもった細川右京兆家とその の人々の一句ごとの息づかいがよみがえってくる。 【これは撰集であるが、…複数の読者の様々な見解や解釈が、そ 廷臣が連衆であり、多くの連衆が『熊野千句』と重なり、 れぞれに有益であるとともにいかに示唆的かつ刺激的であるか 『熊野千句』と近い時期の張行と注目される。成立時期 を痛切に感じた。連歌の実作の場もこのようなものではなかっ は文正元年(1466)夏以前。 ◎ 2015 年 10 月刊行 心敬連歌 訳注と研究 ◎ 2015 年 9 月刊行 昭和俳句の検証 俳壇史から俳句表現史へ 川名 大 ISBN978-4-305-70785-7 C0092 定価:本体 4,500 円(税別) A5 判・ 上製・カバー装・384 頁 95 昭和俳句の表現史的構築をめざす。新興俳句を中心に、 戦後の根源俳句・社会性俳句・前衛俳句などを再検証。 俳壇史的要素を取り払い、作品と直に向き合うことで、 これまで評価されてきたものだけでなく、埋もれた句や 俳人をも正当に復権させる。初公開の第一級資料も多数 収録。 【目次】はじめに/昭和俳句の検証―俳壇史から 俳句表現史へ/昭和俳句表現史(戦前・戦中篇)―『昭 和俳句作品年表』という方法/戦後俳句の検証/知られ ざる新興俳句の女性俳人たち―東鷹女・藤木清子・すゞ のみぐさ女・竹下しづの女・中村節子・丹羽信子・志波 汀子・坂井道子・古家和琴の境涯俳句と銃後俳句/中田 青馬は特高のスパイだったのか―特高のスパイの風評に 対する中田青馬の手紙と「京大俳句」弾圧事件に関する 天皇関西行幸説/GHQの俳誌検閲と俳人への影響/三 橋鷹女の「年譜」の書き替え―新資料「遠藤家、東家、 及三橋家の家系大略」 『成田市史叢書』 (第二集・第三集) に拠る/真砂女の海―昭和十年代( 「春蘭」 「縷紅」時代) の鈴木真砂女/飯島晴子論―俳意たしか、ニュートラル な世界/新資料で読み解く新興俳句の興亡/富澤赤黄男 没後五十年 句日記「佝僂の芸術」初公開!/渡辺白泉 と新興俳句同人誌「風」/増補・渡辺白泉評論年表/三 橋敏雄と新興俳句誌「朝」/新興俳句の新星・磯邊幹介 の稿本句集『春の樹』初公開!/『天の狼』上梓の経緯 ―富澤赤黄男の「日記」から/「京大俳句」 「新興俳句・ プロレタリア俳句諸俳誌」に対する特高の諜報活動資料 /新興俳句弾圧事件の新資料発見! 新刊案内 【お詫びと訂正】 前号「リポート笠間」 号掲載「プロジェク ト人魚・日本ハイジ児童文学研究会主催 シン ポジウム「高畑勲の〈世界〉と〈日本〉」 (一〇四 〜一〇六頁 兼岡理恵執筆)におきまして、誤 りがありました。 ▼一〇四頁下段 「高畑氏と「高機」」→見出し・削除 ▼一〇五頁下段 「 か ぐ や 姫 が 使 っ て い る 織 機、 あ れ、 高 機 ですが」→傍線部・削除 「以下、居坐機と高機の違い」→「地機」 「 福 岡・ 沖 の 島 遺 跡 出 土 の「 金 銅 製 雛 機 」 が高機であると発見したこと」 →「 は「 金 銅 高 機 」 と い う 名 称 で 展 示 さ れ る こ と が 多 い が、 実 は 地 機 で あ る と 気 が つ いたこと」 「先の「高機」語りと同じく」→「「地機・ 高機」」 ▼一〇六頁下段 「高機を熱く語る高畑氏」→「織機について」 これは高畑氏の発言を誤認したものでした。 高畑勲氏、ならびに読者の皆様にご迷惑をお かけいたしました。ここに訂正いたします。 発行者 池田圭子 発行所 笠間書院 59 〒 101-0064 東京都千代田区猿楽町 2-2-3 電話 03-3295-1331 Fax 03-3294-0996 web :http://kasamashoin.jp/ mail:info@kasamashoin.co.jp 「訂正版」を公開中です) (※インターネットには、 非売品・無料 後八〇〇年。四年前の(もうそんなに経ってい 編集後記 ▼岩波の『文学』が年内で休刊すると発表されま たんですね)方丈記記念のときにブームが起こ したが、それより少し前に休刊になった両『国文 りましたが、今また手にとっています。(重光) 学』はサブタイトルがそれぞれ「解釈と鑑賞」 「解 ▼ 本誌の発送業務担当です。昨秋、左のアキレ 釈と教材の研究」というものでした。その単語自 ス腱を切り難儀しましたが、ようやく元の生活 体が、まさに今求められているものではないかと に戻りました。追加で本誌ご入り用の節は遠慮 編集過程でいろいろな方と話して思いはじめまし なくお申込みください。強く、そして太~くなっ (相川) た。両『国文学』のバックナンバーを図書館に行っ たアキレス腱で踏ん張り発送いたします。 ▼古典を題材にほどよく調理された軽やかで面 て、創刊号から見てみようかと思っています。 白いコンテンツを目にするたび嫉妬していま 本号の「面白かった、この つ」のコーナー では『国語と国文学』十一月号への言及が複数 す。それらの出発点は研究者が日々積み重ねた あったり、あるいはオピニオンとして掲載した 研究の成果です。その狭間をうまいこと自分で 古田さんの「文学雑誌の休刊―国語科教員が研 繋ぎたいというのが、昨今の目標です。(西内) 究を考えるということ」に見るように、かつて ▼先日、教えてもらったのですが、両国駅そばの なく、研究をどう一般にフィードバックしてい 横網町公園の中に、関東大震災で溶けて固まった くか、をきちんと考えることが求められている 鉄骨があります。最初は、オブジェと思ったので ような気がします。研究者・教員・一般読者の すが、当時のものでした。他にも震災資料を展示 三者が集える場というのは、なかなか難しいで しています。是非行ってみてください。(大久保) すが、そこを目指していきたいと思います。 ▼「文学」の終焉とともにあたらしい風がかす 次号(十一月刊)は、特集「理想の『日本文 かに吹き始めているように感じている、その兆 学史』」(仮)です。古典を対象にします。 (岡田) しを捉えたい。おそらく日常そのものと密着し ▼今これを書いている時点で、まだ熊本全域へ たあらゆる事象が問いかけてくれている。映画 の配送は再開されていません。今年は鴨長明没 「あん」も、カラバッジョも、若冲も。(橋本) 平成 28(2016)年 5 月 20 日発行 笠間書院は日本語・日本文学の研究書を中心に刊行している出版社です。近年では文学だけ にこだわらず、周辺領域も含んだものを意欲的に刊行しています。本誌『リポート笠間』の 組版・装丁 笠間書院装幀室 印刷・製本 大日本印刷 ほか、インターネットでも情報を発信中です。 ▼笠間書院のブログ(公式サイト) http://kasamashoin.jp ▼笠間書院のメールマガジン[まぐまぐにて配信] http://archives.mag2.com/0000222327/ [笠間書院広報室] @kasamashoin Twitter [国語国文 無料公開 論文紹介] @kasamashoinRS Twitter ▼ ▼ リポート笠間 60 号 3
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