が 完成しました。 - イラクの子どもを救う会

(1) 2015 年 11 月 15 日 イラクの子どもを救う会機関紙 No.40
イラクの子どもを救う会
が造らせたもの。ヒトラーは
「 ア メ と ム チ 」 政 策 で、 フ ァ
ッシズム独裁恐怖政治を進め
る一方、アウトバーン建設な
どの公共事業で、失業率を改
本人スタッフ中岡麻記さんが
ピンチになるはず。だからこ
事なので、当然、国家財政は
善していたのだ。大型公共工
ゲストハウスにやってくる。
そ侵略戦争を仕掛けて、他国
日早朝、平和村の日
中岡さんの運転で、ドイツ中
ドイツには高速道路網が整備
から「果実」を奪い取る必要
に寒い。コートやセーターを
されている。いわゆるアウト
間のドライブでフランクフル
部フランクフルト郊外の「セ
月
ドイツ国際平和村 取材
こ の 夏、 私 は フ ラ ン ス と ド イ ツ を 訪 問 し た。 パ リ で シ
ャ ル リ ー エ ブ ド 事 件 を 取 材 し た 後、 ド イ ツ 北 部 の オ ー バ
ー ハ ウ ゼ ン と い う 街 へ。 こ の 街 に は﹁ ド イ ツ 国 際 平 和
村 ﹂ が あ り、 ア フ ガ ン 戦 争 で 傷 つ い た 子 ど も た ち の そ の
後を取材した。
「 ド イ ツ は 寒 い で し ょ う?
着込んだ人々に混じって、半
バーンで、ナチスのヒトラー
アウトバーンを時速100
昨日からの雨で、気温がぐっ
袖の私は少々場違い。日本で
境抜群の地域に
森に囲まれた環
閑静な住宅街、
トマリア病院は
トに到着。セン
時
と下がっちゃったんです」
。
は連日の猛暑だったが、ここ
キロ越えで突っ走る。約
平和村の日本人スタッフ金巨
の涼しさである。
バスを乗り継ぎ、平和村へ。
今回の主な目的は、エレビ朝
日系列でオンエア予定「テレ
メ ン タ リ ー」 の 取 材 だ。
「絶
建っていた。
病院の 階は
リハビリ施設に
なっていて、
ように微笑んで
ゃんははにかむ
つく。アミナち
子の少女に抱き
中岡さんが車椅
「アミナー!」
。
と…。
のドアを開ける
階が病室。個室
2
望から希望へ~ドイツ国際平
和村の子どもたち」と題する
約 分のドキュメンタリー。
ツを往復し、子どもたちを撮
分にまとめ上げる。平和
影してきた。その集大成とし
て
村のゲストハウスに宿泊し、
明日からの取材予定を相談す
1
8
年間アフガニスタンとドイ
25
3
25
る。
セントマリア病院でアミナちゃんと再会した
月でも初冬なみ
ドイツでは
まで迎えに来てくれる。確か
3
があったのだ。
19
ントマリア病院」を目指す。
8
未来(かねこみき)さんが駅
平和村はドイツ北部デュッセルドルフ空港から北へ1時間
November 2015
〒 564-0041 吹田市泉町 1 - 22 - 33
TEL 06-6170-4757 FAX 06-6378-6625
E-mai l : nishinishi@r3.dion.ne.jp URL : http://www.nowiraq.com/
ニュース
No.40
発行 : イラクの子どもを救う会 発行人 : 西谷文和 両足に重傷を負
った。
カンダハルは
タリバーンの本
拠地で、国道を
通過する米軍の
車列を狙った路
肩爆弾が頻繁に
爆発する。アミ
ナちゃん( )
して、何を聞いても答えるこ
してしまう。彼女は暗い目を
時、この子は危篤状態だった。 と、毒素が全身に回って死亡
この足を消毒し、切断しない
両足にハエがたかっていた。
復力に信頼しようという治療
た。子どもが持つ治癒力、回
せて両足を残す治療を選択し
足を切断せず、細胞を復活さ
初はドイツの医師も彼女も、
の全身麻酔に耐えてきた。当
れる。アミナちゃんの厳しい
立ち上がった写真を見せてく
て、歩行補助車につかまって、
た時の写真よ」
。義足ができ
「これが最初に立ち上がっ
院内を案内してくれる。
椅子を漕ぎながら、彼女が病
行動半径が広がる。器用に車
やはり細胞は復活しなかった。 くれた。
アフ ガ ニ ス タ ン 南 部 の 主 要 都
とができなかった。あまりの
だった、消毒液が入ったお風
リハビリ生活が始まった。取
にはプールがある。両足のな
ながら体を鍛えてくれる。
階
車椅子に乗せてもらえば、
いものがこみ上げる。
ビデオカメラを回しながら熱
「あのアミナが歩いている」。
市の カ ン ダ ハ ル 、 家 族 と 一 緒
ショックで質問に答えること
呂に入る時は、必ず全身麻酔
材した日は、左足の義足が壊
年間、頑張り続けていたが、 補助車を使って見事に歩いて
年前、両足を切断。
に知 人 の 結 婚 式 に 出 席 し よ う
ができなかったのか、それと
をしなければならなかった。
だった。ズドーン! 爆音が
轟き 車 は 吹 き 飛 ば さ れ た 。 タ
のか…。
ドイツにやってきて、 回
リバ ー ン の 路 肩 爆 弾 が 炸 裂 し
たの だ 。 母 親 は 即 死 、 彼 女 は
86
年前カブールで出会った
と、 国 道 を 車 で 走 っ て い た 時
も死を覚悟して絶望していた
義足をつけてアミナが歩いた!
い彼女にとって水泳は楽しみ
切断手術後、最初に立ち上がった時の写真。アルバムに大事そうに保管していた
1
1
1
組織が破壊され、
筋肉や骨などの
私は息を飲んだ。
くり上げた時、
ースの敷布をめ
女の足を包むレ
叔父さんが彼
てしまったのだ。
闘に巻き込まれ
タリバーンの戦
たちは、米軍と
12
れていたので、右足の義足と
いる 。
2013 年に出会った時は、両足が腐りかけていてハエがたかっていた
痛くて苦しい治療だった。約
2
2015 年 11 月 15 日 (2)
No.40 イラクの子どもを救う会機関紙 (3) 2015 年 11 月 15 日 イラクの子どもを救う会機関紙 No.40
トレーニングルームへ。マ
ったキャッチボ
く子どもが多い。 かろうじて電気が通り、プロ
大やけどで傷つ
パンガスで調理するのだが、
家事に追われて
ていく。母親は
児が火に近づい
変寒くて、乳幼
ブールの冬は大
て調理する。カ
地面に穴を開け
上がり、内側の皮膚が露出し、
当初は、顔面の皮膚がめくれ
痛そうにしている。焼かれた
黒いケロイドが盛り上がり、
な炎で焼かれたのだろう、赤
ば大爆発事故が起きる。猛烈
ているわけではない。しばし
「ここまでひどいケロイド
地獄の日々が続いたことだろ
い時間帯がある。
は珍しいです。爆発の瞬間、
いるので、目を
そして…。穴に
彼は口を閉じたので助かりま
う。
落ちる。顔面か
した。口を開いていれば、熱
ドイツで指を切り離す手術を
合してしまう。
けどで溶けて癒
両手指の骨がや
顔と再会した。昨年カブール
手に回りこんだ時、懐かしい
平和村の女子用宿泊棟の裏
医師が状況を説明してくれる。
死 し て い た で し ょ う 」。 矢 倉
で踏ん張るので、 風が気管から肺に入って、即
ら落ちて、両手
離さざるを得な
い貧困家庭では、 ガスコンロに安全装置が付い
ガスも水道もな
キスタンの「中流家庭」では
ール。体のバラ
ンスをしっかり
取れないと、義
足歩行で転んで
しまう。そして
太ってはダメ。
義足にかかる体
重が、切断部分
を痛めつけてし
まう。
「アフガンに
帰 り た い?」
「 も ち ろ ん。 早
く家族に会いた
い わ 」。 カ ブ ー
ルでは決して笑
うことのなかっ
して、包帯を巻く。平和村で
た彼女だったが、
暇をとって平和村にやってく
ん、 腹 筋 運 動 の 後 は 腕 立 て 伏
に 行 け ば、 来 年(2016
は平和村に帰ってきた。順調
り組んで、現在( 年
あえて非常勤医師になり、休
平和村にやってくるために、
員の医師として働いていたが、 る作業を、毎朝繰り返してい
希望を語ってくれている。
みながら将来の
ドイツでは微笑
彼女は厳しいリハビリに取
で出会ったゼタラちゃん
せ。 車 椅 子 を 運 転 す る に は 、
月の援助飛行で、カン
年前、アフガニス
きたムスリムベック君( )
ウズベキスタンからやって
いう街で、地雷を踏んだ。右
タン北部のマザリシャリフと
ている。
暇を取りやすくしてドイツま
アフガニスタンの病院では適
で飛んでくるのだ。アンゴラ、 を、矢倉医師が診察している。 足は切断、左足は複雑骨折。
彼の顔と両手には無残なケロ
切な治療ができなかったので、
アフガニスタン、タジキスタ
リ病棟へ。毎日の日課である
イド。プロパンガスが爆発し
日本人医師矢倉幸久さんと再
が必要だ。腕立て伏せの後は、 「 包 帯 替 え 」 が 行 わ れ て い る。 ン、ジョージアなどからやっ
トレ ー ナ ー と バ レ ボ ー ル を 使
傷口から菌が入り込み、骨髄
日、平和村のリハビ
) が、 義 足 を つ け て 歩 い
は包帯を巻き換えて、消毒す
上腕 の 力 が な い と ダ メ 。 ま し
年)
10
ダハルに帰れるだろう。
15
たらしい。アフガンやウズベ
月
る。
て段 差 の 多 い ア フ ガ ン 社 会 。
バリ ア フ リ ー の 概 念 な ど 存 在
しな い 社 会 を 車 椅 子 で 移 動 し
(
る。北海道富良野市で正規職
会。矢倉さんは毎年 回、休
ケロイドが痛むのか、両親が恋しくなったのか、診察が終わってもずっと泣いていた
月)
4
9
2
10
ット に 横 た わ っ た ア ミ ナ ち ゃ
義足歩行は身体のバランスが大事。車椅子生活なので、腕も鍛えなければならない
20
てくる子どもたちの中には、
てい か ね ば な ら な い 。 腕 の 力
2
8
は大 き く 外 に 開 い て い る 。 こ
曲が っ て し ま っ た の で 、 左 足
炎に な っ て い た 。 関 節 が 捻 じ
年
た」と思うだろう。現在(
が 見 た ら、「 奇 跡 が 起 こ っ
いている姿をアフガンの両親
の最後に使わせてもらった。
の映像を、ドキュメンタリー
15
で歩行訓練をしている。平和
し て い く だ ろ う。
「ドイツの
や村の人々を、この子は励ま
望になる。戦争で疲弊した街
と座 っ た ま ま 家 の 中 で 暮 ら し
村から最新映像が届いた。ゆ
ビリを手伝ってもらったんだ
た。 昨 年 、 カ ブ ー ル で 出 会 っ
手術を終えて骨髄炎を克服し、 メラに向かって歩いてくる。
よ」
。 彼 女 の 証 言 は、 村 や 街
病院で手術してもらったの」
「ズーパー!(やったね!)
」
の人々の間にあっという間に
っくり廊下を歩いていくゼタ
厳し い リ ハ ビ リ に 耐 え て 義 足
カメラに微笑むゼタラちゃん
た時 は 、 左 足 の 骨 か ら 腐 っ た
で歩 い て い る の だ 。 彼 女 が 歩
「日本人のお医者さんにリハ
月 )、 彼 女 は 松 葉 杖 な し
この子はアフガニスタンの希
の状 態 で 年 間 、 彼 女 は じ っ
1年ぶりにゼタラちゃんと再会した。義足と松葉杖で歩いている!
ラちゃん。Uターンして、カ
10
ウミ が 出 て い た 。 そ れ が 今 、
2
2015 年 11 月 15 日 (4)
No.40 イラクの子どもを救う会機関紙 2014 年に出会った時は、立ち上がることも歩くこともできなかった
かして
年前の
の腫瘍が異常に
…。あの時は首
2
ンがドイツや日本を標的にす
や日本に感謝する。タリバー
れている。気管に穴が開いて
成功して腫瘍が見事に切除さ
ズハイル君の手術は見事に
先天的奇形の子どもが右肩上
るようなことがあれば、村人
いるのは、まだこの子の手術
広がっていく。そうすればア
はタリバーンを厳しく叱責す
が完了していないということ
がりで増え続けている。
るだろう。これこそが「積極
だろう。呼吸はこの穴から、
男の子を指差す。えっ、もし
リハビリ病棟で、矢倉医師が
んでいる子どもたちの中にイ
平和村の中庭で元気よく遊
「この子、ズハイルですよ」
。 食事は口から普通にできる。
的平和主義」ではないのか。
フガニスタンの人々はドイツ
ガニスタンでは
なのか…。アフ
るいはその両方
性」なのか、あ
金属の化学的毒
能」なのか「重
「ウランの放射
突 き 刺 さ る。
サイルは大地に
にした銃弾やミ
グステンを弾頭
れた。鉛やタン
ウラン弾が使わ
では大量の劣化
アフガニスタン
しそうだった。
呼吸するのも苦
膨れ上がって、
えっ?この子がズハイルなの? 腫瘍が切除されて別人のようになっていた
(5) 2015 年 11 月 15 日 イラクの子どもを救う会機関紙 No.40
ブ ラ ヒ ム 君(
) が い た。
と顔面の癒着部
きる子どもが発
表される。平和
村の食堂で、帰
国できる子ども
の名前が数名ず
つ読み上げられ
ていく。緊張の
瞬 間。「 イ ブ ラ
回目で
ヒム・ムハンマ
ド 」。
が撮影してくれた映像より)
はわからないが、素晴らしい
赤新月社で、平和村として
フ国際空港まで、帰国便を見
笑顔になっているのだろう。
ル 国 際 空 港 に 着 陸 す る。
「や
の最後の診察が始まる。両親
「ナー、ハウゼ!」(家に帰
日、援助便がカブー
ラヒムたちがタラップで手を
っ た ー!」
「帰ってきた
月
国できる子どもが歓声を上げ
振りながら帰国便に消えてい
送りに行く。ズハイル、イブ
て外へ出て行く。今から記念
当? 男 前 に な っ た ね ー」。
思わ ず 叫 ん で し ま う 。
撮影になる。一方、帰国でき
ザが出なかったので(この
に今後の治療方針や、薬の飲
年前、彼の焼けただれた
ない子どもが食堂に残る。赤
年間で出なかったのは初め
そして最後に大きなボストン
ぞ!」子どもたちが一斉に立
皮膚 は 顔 面 と 首 を 癒 着 さ せ 、
い目を腫らして一生懸命涙を
て)
、 帰 国 便 に 同 乗 で き な い。 社へ。バスが赤新月社の敷地
バック。中にはその子が必要
く。私には、今回アフガンビ
彼は 自 由 に 首 を 振 る こ と も で
こらえている女の子、友達に
に滑り込む。出迎えの家族が
み方、食事やリハビリなど基
きな か っ た 。 灯 油 ボ イ ラ ー が
平和村スタッフのクレッチマ
いる。ズハイル、イブラヒム
肩を抱かれ、慰められている
22
10
(以下はクレッチマンさん
ブルカを着た女性たちの表情
爆発 し て 、 大 や け ど を 負 っ て
日、デュッセルドル
ンさんにビデオカメラを託す。 総出で拍手喝采を送っている。 とする薬がぎっしり詰まって
月
少年など悲喜こもごもだ。
ち上がり、拍手。空港からは
るぞ)の大合唱が始まる。帰
た。
笑顔で手を挙げ
時、彼は満面の
名前を呼ばれた
2
本的な治療方針が伝えられる。
1年前、やけどのため顔と首がつながっていて、彼は首を振ることもできなかった
分を切り離して、
今では痛みも治
まり、首を振る
日、 ア
こともできる。
月
21
フガンに帰国で
8
いた の だ 。 ド イ ツ の 病 院 で お
「 え ー っ、 イ ブ ラ ヒ ム? 本
えー、イブラヒム? 男前になったねー
23
2年前、ドイツに飛び立つ前のズハイル。両親と別れて泣きじゃくっていた
バスでカブール郊外の赤新月
8
7
腹の 皮 膚 を 顔 面 に 移 植 し 、 首
8
1
No.40 イラクの子どもを救う会機関紙 2015 年 11 月 15 日 (6)
新 月 社 を 後 に し て い く。「 も
界大戦の反省から、戦争で傷
ドイツの人々は、第 次世
主義とは何か」を教
「本当の積極的平和
望になる。
うド イ ツ に は 戻 っ て き た ら ダ
ついた人々を救いたいと、平
たち が 両 手 を 振 り な が ら 、 赤
メ だ よ 」。 ス タ ッ フ た ち も に
和村を発足させた。
2
から、喜びの連鎖へ。
平和村の活動は、
えてくれる。
こや か に 手 を 振 る 。
の人々は、元気になった我が
そして今、アフガニスタン
( 映 像 は、 こ こ で 終 わ っ て
子を見て、平和のありがたさ
絶望から希望へ。戦争から
いる。)
平和村から帰国した子ども
平和へ。そして憎しみの連鎖
をかみしめる。
たち は 、 ア フ ガ ニ ス タ ン の 希
帰国できる子どもだけで記念撮影。ナーハウゼ(家に帰るぞ!)の大合唱
カブール国際空港に着陸。帰ってきたぞ!子どもたちが大歓声
命の価値
私のお腹には今、新しい命が宿っている。眠気と
吐き気と戦い、ろくに食事もとれず、今まで当たり
前だった満員電車や階段の上り下りでフラフラにな
ると、日常がこんなにも大変なことだったのかと気
づく。それでも、月に一度の検診でどんどん人間ら
しくなっていく赤ちゃんの姿を見ると、辛さも吹き
飛ぶほどの幸せを感じ、お腹に手をあてるだけで、
不思議と何でもできるような気持ちになる。道です
れ違うサラリーマンも、私が日々関わる思春期の高
校生たちも、お母さんは不安と幸せを抱えながらお
腹の中で育んで来たのだ。この世界にひとつの命と
して生まれてくることの奇跡の尊さを、まだ10㎝に
も満たない赤ちゃんが教えてくれている。
私は体の変化に伴い、週に一度通っていた大阪の
釜ヶ崎という町での夜まわりをお休みしている。毎
週仕事終わりに、野宿をされている方々と雑談し、
医療に繋げたり、寄付されたおにぎりを渡したりす
る。寒さが町を覆う季節になると、寝ている方の呼
吸を確認するたびにホッとしていた。今年は祈るし
かできない。
「おっちゃんなんで外で寝なあかん
近藤麻衣(大阪 YMCA) 20
の? おっちゃんだってお母さんから生まれてきた
んやろ?」これは、初めて夜まわりに参加した幼児
さんの言葉だ。そうなのだ。路上で寒い夜を過ごさ
なければならない人々も、内戦で故郷を追われて安
全な地へ必死で逃げる人々も、自我と人間関係の中
で悩み死にたいと願う高校生も、私の大嫌いなこの
国の首相でさえも。誰だってみんなお母さんから生
まれて来たのだ。
私が日々向き合う生徒たちは、様々なバックグラ
ウンドを持つ。国籍も、これまで暮らしてきた地域
も、言葉も多様だ。彼らが1つのテーマについて色
んな意見を交わす時間を、私はとても尊く思う。自
分が考えたことを伝え、自分と違う意見を受け止め
て、悩む。彼ら1人ひとりが対話によって平和を創
りだしている瞬間は感動だ。多様な意見があること、
多様な価値観があること、多様な命があること。何
より、その1人ひとりが肩を並べて同じ目線で対話
することが尊いのだ。やはり、首相に言いたい。あ
なたの命も、路上で生きる命も、戦場で奪われた命
も、同じだけ尊い。それを、忘れてはいませんか?
現在、
「戦争とメディア。ウ
ソか ら 始 まったイラク、シリ
ア、アフガン戦争」
(仮題)と
いうDVDを作っている。イン
ターネットや 専 門 書、今 まで
の取 材 素 材などから、改めて
この 年を振り返っている。
イラク戦争では、イギリス
のブレア首相が「イラクは
分以内に大量破壊兵器を発射
する能力がある」と演説した
(写真 )。米国の国防長官ラ
ムズフェルドは「アメリカは
イラクが大量破壊兵器を保有
写真 1
写真 2
10
1
2
しているという証拠をつかん
でいる」と言い切っていた。
。そんな「メディア
(写真 )
で 繰 り 返 し 流 さ れ たウソ 情
報 」に 乗っかって、ブッシュ
大統領は「多国籍軍で、イラ
クを武装解除させてやる!」
。
と民衆を煽っていた(写真 )
みなさんご存知のように、
2003年の時点でイラクは
大量破壊兵器を持っていなか
った。このウソで、戦争が始
まり、イラク人は数十万人殺
されたし、数千人の米兵も犠
牲になった。しかし、これら
政治家たちは誰もその責任を
取っていない。
湾岸戦争では、ナイラ証言
が有名だ。米議会で、 歳の
少女ナイラは「私はクウェー
トの産科病院でボランティア
として働いていました。イラ
ク軍がやってきて、保育器に
眠る赤ちゃんを、冷たい床の
上に放置して、イラク軍は赤
ちゃんを次々と殺していたの
です」
。 彼 女 は 泣 き な が ら、
。
そ う「 証 言 」 し た( 写 真 )
ブッシュ大統領(パパだよ!)
は 个月に 回も、ナイラ証
言 を引 用し、イラクのフセイ
ンは大悪党だと扇動した。
アメリカ市民の世論が戦 争
反 対 から 賛 成へと変 わってい
く。当初は戦争に反対するデ
モがアメリカ本国で起こってい
たが、
(写真 )戦争に賛成す
る人々も増えてきて、1991
年 月 日、アメリカは湾岸
戦争に突っ込んでいく。
戦争が終わり 年以上が経
過した。
少女ナイラはクウェート大
使の娘で、クウェートには住
んだことがなく、アメリカ生
まれアメリカ育ちであること
がバレた。あの証言の台本を
書いたのも泣く演技を指導し
たのも、ヒルアンドノールト
ンという広告代理店だった。
戦争はウソで始まるのだ。
安倍首相は東京オリンピッ
ク 招 致 演 説 で、「 福 島 の 汚 染
水は完全にコントロールされ
ている」
「 福 島 事 故 の 影 響 は、
東京には全く影響がない」と
1
1
6
4
写真 5
3
5
15
45
写真 3
写真 4
戦争はウソで始まる
(7) 2015 年 11 月 15 日 イラクの子どもを救う会機関紙 No.40
17
1
6
7
。
言い切った。(写真 、 )
全くのウソである。
今回の後藤さん事件では、
政府はあえて救出せず、IS
が残酷にもお二人を殺害した
の ち に、
「テロには屈しな
い」
「強い憤りを覚える」な
どと述べた。身代金を払わず、
交渉もしなかったのに。
結 果、
「テロとの戦い」だ
けが粛々と進み、アメリカの
ISへの空爆が正当化され、
その後方支援のために集団的
自衛権が行使されようとして
いる。
イラク戦争でも、湾岸戦争
でも、現在のISへの空爆で
も、「武器製造メーカー」「そ
こに投資している銀行」は巨
額の利潤を得ているのだろう。
私たちはもうそろそろ気が
付かねばならない。軍産複合
体、政治家、大手メディアは
グルなのだ。来年の参議院選
挙 で は、
「戦争だけはやらせ
てはいけない」という大きな
世論が湧き上がること願って
いる。
写真 6
写真 7
No.40 イラクの子どもを救う会機関紙 2015 年 11 月 15 日 (8)
「戦争のリアル、
安保法制のウソ」
が
ブックレット
完成しました。
安倍政権は国民多数の反対を無視するかのように、
安保法制という名前の戦争法を強行採決しました。
「日本が戦争に巻き込まれることは絶対にありませ
ん」
。ウソで塗り固めた安倍政権が「絶対に」という
言葉を使うときほど、
「絶対に信用してはならない」
のだ。詐欺師の手口に「絶対に儲かります」と煽り
つつ、
「もう時間がないよ」
「急いでね」というのが
あるが、最近の安倍首相以下、閣僚の答弁は、まさ
に詐欺、それも下手くそな詐欺師のそれである。
安倍首相は米軍への後方支援について、
「危なくな
ったら撤退します」
「
(後方なので)戦闘に巻き込ま
れることはない」などと平然とウソを吐く。
アフガンやシリア、イラクでの戦闘では、弾薬補
給のトラックこそが狙われたし、多数の死者を出し
ても英・仏・独などの同盟軍は撤退させてもらえな
11 月中旬からイラク北部に入り、IS 支配
地域からクルド自治区に逃げてきた難民キャ
ンプを取材します。IS はキリスト教徒やヤジ
ディー教徒にイスラム教スンニ派への改宗を
迫り、拒否した男性は殺害します。女性はレ
イプして、IS の「首都」ラッカなどへ連行し、
兵士の妻にします。IS が兵士を募集するとき
今の安倍内閣のウソ、騙しを許すことができなかっ
たので、緊急出版することに。
詳細は日本機関紙協会大阪府本部まで。
電話 06 − 6465 − 1254
FAX06 − 6465 − 1255
今年 1 月に完成しました『シリア内戦~イスラム国の正
体を暴く』は本当にたくさんの方から関心をよせて頂き、
ご購入してくださったおかげで、オンラインショップを
担当している事務局 ( 神戸 ) は、今までの新作発売とは比
べものにならないぐらい忙しかったです。それに伴い、
新たにニュースレターの送付先が 100 以上も増えました。
西谷さんの貴重なレポートを読んで下さる方が増えて本
当にうれしいです。
今回は郵便局払込取扱票に書かれたメッセージをご紹
介いたします。
― 会に寄せられたメッセージへのお礼 ―
﹃イラクの子どもを救う会﹄
事務局便り
次回の取材& 支援予定
かった。戦争のリアルを取材してきたものとして、
(1)最近、支援者の方が、地元の繋がりでの「上映会」
や学校の文化祭など、イベントで募金箱を設置してくださ
に「給与を支払う」ことと「兵士には妻をあ
り、会に送ってくださる方が増えてきました。周りの方に
てがう」ことを掲げています。
声をかけて動いてくださった岸和田市の U さん、吹田市の
狂った原理主義集団で、いわば「米国のイ
T さん、他の皆様、本当にありがとうございました!
ラク侵略による負の遺産」のような存在です。 (2)長崎市の T さんより、早くも次回の新 DVD 制作へ
イラク北部のクルド自治区は山に囲まれた高
のカンパを頂きました!ありがとうございます!
(3)千葉県 M 先生をはじめ、授業で取り上げてくださ
原地帯なので、冬は寒いのです。ですから、
る先生、学校の図書館、学校生協からの購入も少しづつ
現地で毛布を調達して配りたいと思います。
増えてきました。学生さんに真実が伝わる機会を作ってくださり、
いつも募金をいただき、本当に感謝してお
本当にありがとうございます。
ります。
(4)毎月、子どもたちのために送金してくださる方へ、
冬を迎える前に毛布は必要不可欠です。引
いつも本当にありがとうございます。とても子どもたちが支えら
れてるなぁと感じます。もし振込用紙をご希望の方は是非お知ら
き続き、ご支援をよろしくお願い致します。
(釘嶋)
せください。こちらより発送させていただきます。
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