2006.11.24 19世紀末に豊富な天然資源で経済的に潤い、2つの大戦を逃れ数多くの芸術 家が亡命した南米大陸には、ブエノスアイレスのテアトル・コロンのような アンドレス・ロドリゲス氏 豪奢なオペラハウスや劇場がいくつも存在する。チリの首都サンチアゴに建 (Mr. Andres Rodriguez) つ由緒あるサンチアゴ市立劇場は、2007年に創立150周年を迎える。このほ チリ・サンチアゴ生まれ。サンチアゴ市立 劇場総芸術監督。1978年チリ・カトリック ど来日した、同芸術監督アンドレス・ロドリゲス氏が語る、この南半球にあ 大学法学部卒業。1979年イタリア・ る劇場で繰り広げられる舞台芸術の実像とは? Benedetto Marcello音楽学校に留学。チリ (聞き手:渡辺和・音楽評論家) 国内の文化団体理事を務める他、さまざま なコンクールの審査員を歴任。アメリカ、 ■ フランス、ドイツ各政府から招待を受け る。特にドイツからは、第1位十字勲章を受 ける(1998年)。 市立劇場の基本活動 国内においても、Ernesto Pinto Lagarrigue ユs Medal(1997年)、Pablo Perez Zanartu(2004年)授賞。サンチアゴ市立 ──簡単にサンチアゴ市立劇場の歴史と現状を教えてください。 劇場芸術事務局長兼芸術監督を経て、1986 年より現職。 2006年9月に、国際交流基金「文化人短期 サンチアゴ市立劇場は南米でも最も歴史のある劇場のひとつです。1853年に建設が 招へい」プログラムにて、日本とチリの芸 始まり、1857年9月17日にオープンしました。来年が創設150周年の大きな記念年 術交流のための文化・芸術関係機関関係者 となります。ウルグアイのモンテヴィデオのテアトル・ソリスは1年古く、今年150 との意見交換、および日本伝統芸能の視察 のため来日した。 周年を祝っているところですが。私たちの劇場はオペラやコンサートの公演をフル シーズンで行い、合唱団、バレエ団、オーケストラ、技術スタッフを常設で擁し、 サンチアゴ市立劇場 http://www.municipal.cl/ 各種作業場もあり、出し物は全て自前で制作できます。建物は仏伊バロック式の劇 場建築に則って建てられ、客席1500のとても美しいオペラハウスです。内装は暖か い赤と金色。古いオペラハウスなのでアップデートするには限界はありますが、で きるだけ新しい技術を取り入れるようにしています。 ──市立劇場は基本的にはオペラ劇場と考えてよいのでしょうか。 オペラは最も人気があり、聴衆も多く、劇場で最も求められている活動と言えるで しょう。ですが、市立劇場はオペラシーズンの他、バレエとオーケストラのシーズ ンもあります。全てのシーズンの需要をまかなうオーケストラも有しています。 ──舞台裏関係者を含め、劇場スタッフは何名ほどなのでしょうか。 総勢約400名が働いています。うち合唱団60名、オーケストラ82名、バレエ団員は 55名です。バレエ学校があり、そのスタッフを入れれば65名です。オペラシーズン はありますが、自前のオペラ団はありません。オーケストラと合唱団を有し、シー ズン毎にオペラを企画し、チリや外国の独唱者と契約する形を採ります。専属歌手 もおりません。シーズン前に公開オーディションをします。あくまでも歌手として の資質によって決定され、年齢や国籍は問いません。 1 ──ロドリゲスさんが選考の責任者ですか。 はい。数人のスタッフとチームで動いています。理事会が毎シーズンの予算の最終 決定をします。来シーズンは記念年で例外ですが、基本的に毎年大きな変化はあり ません。 ──理事会メンバーはどんな方なのですか。 大企業経営者や文化人など、影響力を持つ人たちです。音楽についてある程度の理 解はあります。スタッフと同じほどの見識がある方もおりますよ。理事の仕事で大 事なのは、全体のバランスを取ること。市長が理事長です。 ──あなたをディレクターとして採用したのは市長ですか。 そうです。私の職業は弁護士です。以前イタリアで音楽を学んでいたときに、当時 のサンチアゴ市長から、チリに戻り音楽のために働くよう説かれました。私は、ま ず予算を増やし、オーケストラとバレエ団を改革したいと申し出ました。最初に取 り組んだのが、当時チリにはなかったプロの合唱団の設立でした。30人でスタート し、40人に増え、今では60名を擁しております。 ──劇場での言語は。 オペラは全て原語上演です。「イェヌーファ」(レオシュ・ヤナーチェク Leos ヴェルディ『オテロ』 Janacek作、1904年初演の3幕オペラ)もチェコ語で上演しました。ドイツ語、英 © Juan Millán T. 語など、すべてオリジナル言語を使用します。その際、私たちはスペイン語の字幕 Teatro Municipal de Santiago を付けて上演するようにしています。ヒューストンで1984年に初めて字幕を付けて いるのを見て、直ぐにサンチアゴにもシステムを導入しました。もう20年になりま す。大スキャンダルになりましたよ。オペラ聴衆は内容を理解しているのになぜ必 要なのだ、って。あらゆる人がオペラに親しめるようになるために必要だと私は 思ったのです。今では劇場に字幕がないなど信じられないでしょう。 ──日本の国立オペラハウスである新国立劇場は自前のオーケストラを持っていま せん。オペラハウスは自前のオーケストラがないと良いオペラを制作できないので はないかという意見をどうお考えになりますか。 私は自分のオペラ劇場にオーケストラがないことを想像することすらできません。 オーケストラだけでなく、バレエ団も合唱団も同様に、それらなしにシーズン維持 は不可能です。とはいえ日本の新国立劇場の考え方も理解できます。東京には沢山 のオーケストラがありますからね。 私たちの楽団は創設51年になりますが、実はそれ以前、特に19世紀から20世紀初 頭にかけては劇場は外国のオーケストラやオペラ団を受け入れたり、チリ大学交響 楽団の定期演奏会が行われているだけでした。今では私たちには、独自のオーケス トラ、バレエ団、合唱団が不可欠になっています。すべてが自主制作です。 もちろんそれには経費もかかりますし、問題がないわけではありません。オーケス トラとは常に協議しながら、調整し続けています。今シーズンの「オテロ」公演の とき、オーケストラはストライキを打ちました。観客の目の前で。理事会は事態を 即座に収拾しようとしました。聴衆やスポンサーに迷惑をかけるわけにはいきませ ん。理事会は新ルールで仕事を再開する必要があると提唱し、オーケストラの半数 のメンバーはその新たな規約を受け入れてくれました。今、来シーズンに向けて新 バレエ『CUERPOS PINTADOS Y LOS たにメンバーのオーディションをしているところです。 PÁJAROS DE NERUDA』 © Teatro Municipal de Santiago 2 チリの舞台芸術状況 ──チリでの劇場の状況を説明してください。 劇団も劇場も沢山あります。少なくとも15から20の劇団があります。チリ大学やカ トリック大学にも劇団があり、シェイクスピアやモリエールなどの古典と現代劇と を組み合わせて上演したりしています。最近は、現代劇の愛好家の方が多いと思い ます。客層は幅広く、それぞれの劇場に多くの観客がついています。 イキケなど北部にも古い劇場があります。チリが硝石を産出し、ドイツ人が代用と なる化学製品を発明する第1次大戦頃まで、北部は極めて栄えていたのです。バル パライソにも大きな劇場がありましたが、1906年の大地震で倒壊しました。今はバ ルパライソの隣の都市のビニャ・デル・マールにすばらしい劇場がありますし、南 部のテムコ、中部の都市タルカ、チリ・パタゴニアのプンタ・アレーナスなどにも 新しい劇場があります。 しかし、こうした劇場には作業場も専属オーケストラもバレエ団も合唱団もありま せん。チリのいくつもの劇場の中で、大きなカンパニーをもって活動しているの は、実は私たちだけなのです。ですから私たちは頻繁に国内ツアーを行ない、地方 劇場を教育し、スタッフが育つように働きかけています。 ──国内ツアーを行っているのはオペラ公演ですか。 オペラは費用が高額になるため、テムコ、ビニャ・デル・マール、プエルトモン ト、タルカで上演したことがある他は、ほとんどはテープ録音によるバレエ公演 や、室内楽公演です。最近の公演では、例えば、ボディ・ペインティングを衣裳に 見立てた新作バレエを、バルパライソやプンタ・アレーナスで上演し、イタリアの ヴェニスでも公演ました。今年はバレエ団は2回北部ツアーを行い、ブエノスアイ レスにも行きました。合唱団は来年11月に南部ツアーを実施する予定です。 ──ある意味、国立劇場みたいなものですね。 ええ。国立の適当な団体はありませんから、クラシックに関してはバレエ、オペ ラ、オーケストラにかかわらず、どの劇場もうちに公演を依頼してきます。私たち は国内ツアーを実現するために、新たにスポンサーを探さなければなりません。チ リは南北4000キロあり航空運賃がとても高くつきます。それでも私たちはツアーを できるだけたくさん行うようにしていて、オーケストラは北から南まで訪れていま す。 ──チリ政府には国立劇場や国立オペラ団の構想はないのでしょうか。 国は文化に強い興味を持っていますが、国立劇場はありません。文化省はやっと2 年前に教育省の一部門から独立したばかりです。すべてはこれからだと思います。 彼らは私たちの活動に対し、非常に協力的です。 3 オペラの新作上演(自主事業)について ──市立劇場に話を戻しましょう。劇場にオペラ団がないということは、歌手や演 出家や衣裳デザイナーなどを上演毎に探して契約するわけですか。 ええ。歌手に関して言えば、国際的な名声のある歌手と地元歌手とを混ぜていま す。舞台装置家や衣裳デザイナーにも優秀な人材があり、私たちとともに仕事をし ています。私たちの関心事は、常に高いクオリティーにあります。能力があると判 断すればチリ人の若手アーティストとも契約します。 ──資料を拝見すると、サンチアゴ市立劇場で行われたオペラ公演にはミヒャエ ル・ハンペなどのビッグネームが演出した作品もありました。ハンペ演出の「ド ン・ジョヴァンニ」のプロダクションは、どこかヨーロッパの劇場のものなので 子ども向けプログラム『白雪姫』 しょうか。 © Teatro Municipal de Santiago 私たちのための新作です。ハンペは私たちの劇場で何度も仕事をして貰っていま す。モーツァルトの「ティトゥス」「魔笛」「コシ・ファン・トゥッテ」、今度の 「ドン・ジョヴァンニ」など。彼はスカラ座やザルツブルグでも同じ演目を出して いますね。来シーズンはハンベ演出の美しい「魔笛」を再演する予定です。彼の演 出では舞台装置と衣裳を地元デザイナーが担当し、照明もチリ人です。 ──つまり、常に国際文化交流をおやりになっているのですね。 その通りです。歌手についても同様で、高いクオリティーを維持するために、地元 アーティストとコラボレーションしてもらうこともあります。日本の新国立劇場 や、メトロポリタン歌劇場で歌っている歌手も出演しており、オペラの国際的ネッ トワークになっています。 ──劇場の聴衆はどのような人たちですか。 成人、老人、若者、子ども、あらゆる年齢層の人がいます。そのために私たちは複 数のシリーズを用意しています。例えば25歳以下の学生のためのオペラ会員シリー ズというのがあります。これは、主に18歳から25歳までの学生を対象にしていて、 モーツァルト 『ドン・ジョバンニ』 彼らが劇場を体験し、継続的に劇場に足を運んでくれるよう観客育成を目的にして © Juan Millán T. います。公演の前に指揮者やソリストなどがレクチャーをしますが、このシリーズ Teatro Municipal de Santiago はとても成功しており、今はバレエやコンサートでも同様の取り組みをしていま す。 ──短縮版を上演するのですか。 いえ、フルヴァージョンで、メインの国際シリーズと同じプロダクションです。で すが、国際シリーズと比べるとチケットは非常に廉価で、通常の会員価格が約20ド ルなのに対し、学生たちは各公演2ドルほどで見られます。クラシック音楽やクラ シックバレエ、オペラを聴いて大人になって欲しいと思っています。 子ども用のシリーズもありますよ。「眠れる森の美女」「ヘンゼルとグレーテル」 「コッペリア」などを、飽きないように1時間に短縮して公演します。空軍シン フォニック・バンドが映画音楽を演奏する回もあります。全て日曜日の正午開演、 ランチタイム前です。 ──学校のクラスがそのまま来るのでしょうか。それとも、子どもシリーズとして 個人にチケットを売るのでしょうか。 4 マーケティング部が学校に売り込みに行くこともありますけど、基本的には個人に チケットを売っています。日曜日に子どもをどうするかは大きな問題なんです。両 親は遅くまで寝ているけれど、子どもは早く起きる(笑)。 ──オペラの本公演について説明して下さい。 オペラは年間に6演目あり、国際的な歌手が登場する国際シリーズと、同じプロダ クションをチリ地元キャストで上演するものがあります。私たちは地元演奏家に チャンスを与えたいと考えているからです。演出家やプロデューサーは国際キャス トと同じで、国際キャストと並行して仕込みを行うので、地元の演奏家も多くを学 ぶことが出来ます。難役のオテロには外国人をキャスティングしました。 ──ローカル・キャストとはいえ国籍を制限している訳ではないのですね。 基本はチリ人ですが質が問題です。質に満足できなければ、外国から呼んでくるこ とになります。ですから、私たちは同じ演目で、国際シリーズ4公演、ローカル・ キャスト公演、若者向けのユース公演、それにスポンサーのための公演など、ひと つのプロダクションで、6、7回の公演を行い、制作資金をペイ出来るようにしてい ます。 ちなみに、バレエ団は3年前から元・シュトゥットガルト・バレエ団のマルシア・ ハイデが率いています。彼女は今チリに住んでおり、お陰で私たちのバレエ団は新 作上演も増え、レパートリーともにコンスタントな公演活動を行っています。 新作委嘱について ──新作委嘱はされているのでしょうか。 先ほども申したように、バレエ団は新作をいくつも出しており、来年も新しい作品 を上演します。2年前には「蝶々夫人」をプッチーニの音楽の編曲でバレエ化し、 成功しました。衣裳には美しい着物を使いました。また、マルシア・ハイデが、ビ ゼーの「カルメン」のフルヴァージョンをバレエ化しています。歌はなく、楽器の 演奏だけです。 現在は、2008年1月に劇場オープン150周年の記念として特別上演する作品を企画 していて、「White Wind」と題される予定です。2年前にチリで起きた悲劇的実話 を背景としています。冬が突然やってきて、若い兵卒を訓練していた部隊が猛吹雪 に巻き込まれ、何も出来ないまま遭難し、18名が命を落としました。私たちは若い チームにこの物語のオペラ化を委嘱しました。 ──若いチームというのは。 30歳くらいの若い作曲家とプロデューサーです。強力なスタッフですが、困難な作 業になるでしょう。国家芸術財団という大きな財団があり、プロジェクトに資金を 提供してくれることになっています。オペラの制作スタッフを申請し、認められま した。1年半は国家によって生活が保証され、オペラが制作可能となりました。舞 台上演のための申請もしました。一種の投資だからです。私も多くの人々が現代オ ペラを観るために劇場に来るとは思っていません。公的な支援は不可欠です。 ──バレエの新作について説明してください。 先程触れました「ペインティド・ボディ」という作品も新作のひとつです。コス チュームもセットもなく、体全面にペイントを施した踊り手が、アンデスの鳥や巨 大なコンドルが投影され、踊り手は鳥のように舞います。 5 ──振付は伝統的な古典バレエの応用ですか。 いいえ。我が国の高名なノーベル賞詩人パブロ・ネルーダが、詩人の創造力で想像 の鳥を創り上げました。その物語にもとづいた振り付けです。3人のチリの若い振 り付け家が振り付け、4年ほど前に初演しました。昨年ヴェニスで上演し大成功で した。 ──チリ人の作曲家セルヒオ・オルテガの新作オペラもネルーダ原作で初演してい ますね。 ネルーダは偉大な詩人です。1970年代に亡くなってからも、チリの芸術にとても影 響を与えています。ネルーダのテキストでオルテガが1960年代終わりに書いた作品 は、音楽の間奏を挟んだ劇場作品でした。亡くなる前、ネルーダはオルテガにオペ ラ化を頼んでいたので、2001年に私たちの劇場がプロデュースし、初演しました。 最初はシーズンと別枠で上演し、2003年にシーズンに組み込み、その2週間後に フィンランドのサヴォリナ・オペラ祭で公演し大成功でした。 作品はとても南米的です。劇場、音楽、ミュージカルの融合で、歌手にはとても負 担が大きく、巨大な合唱パートがあります。オルテガは合唱曲の巨匠でしたが、こ のオペラには少なくとも5曲は彼の合唱作品の最高傑作が含まれています。ヨー ロッパでも大きなインパクトを与えました。 海外との交流について ──チリのオペラで私たち日本の聴衆が記憶しているのは、数年前の新国立劇場で の「ナブッコ」のセットです。あれはチリの劇場が制作したと聞いています。演出 や舞台の輸出は普通に行われているのでしょうか。 常に販売を考えております。新国立劇場が買った「ナブッコ」は、私たちサンチア ゴ劇場で自主製作・上演したものです。私たちはヨーロッパの劇場と比べ、とても 廉価に装置を提供できるのです。「オテロ」「ジョコンダ」「アイーダ」「トロバ トーレ」などの製作コストは、ヨーロッパの劇場なら新作で50万∼100万ドルはか かりますが、私たちの製作費はその1割程度です。それに私たちの装置の質は極め て高く、ダラスやスペインのオヴィエドにも作品を提供していますし、ワシントン には「ティトゥスの慈悲」のフルプロダクションや、ハンペ演出の「コシ・ファ ン・トゥッテ」なども出しました。私たちの劇場には装置を保管したり収集したり する場所がないということもありますが、お互いに良い商売なのではないかと思い ます。 ──貴方の劇場は巨大な輸出品を製造しているわけですね。 そうです。質は良いし、まあ、チリワインやサーモンなどの従来的な意味での輸出 品ではありませんが(笑)。 ──新国立劇場の「ナブッコ」はどうして日本に来ることになったのでしょうか。 私たちの「ナブッコ」新演出を知り、新国立劇場関係者が日本から来られ、公演を ご覧になりました。即座に関心を持って下さり、価格交渉がありました。私たちの 装置には日本の法律に則った防火対策が施されていなかったので、作業場に戻し消 防法に適合する対応をし、東京に送り出しました。 ──なるほど。完全にビジネスなのですね。 はい、そうです。 6 ──南米諸国との交流はないのでしょうか。 南米とアメリカとはアソシエーションを作ろうとしています。ブエノスアイレスと は深い関係にあり、ウルグアイのモンテヴィデオも同様です。コロンビアやブラジ ルとも関係を広げつつあります。オペラを上演するアルゼンチンの小規模劇場とも 関係を結ぼうとしています。まだとっかかりの状態ではありますが。なにせ、私た ちの劇場は先までを準備しますが、多くの南米のオペラハウスはあまり計画を立て ません(笑)。 日本との交流について ──今後の日本との関係は予定がありますか。 まずこれまでのことについてお話しますと、過去15年間に日本から3度の大きな協 力がありました。1988年に照明機材や音響装置の提供を受け、93年にはオーケス トラへの楽器の提供がありました。2005年には新しい音響・映像システムのための 資金も提供され、最新設備にアップデートされました。 さらに、劇団四季の浅利慶太氏演出の「蝶々夫人」を2001年にチリで上演したので す。1986年にスカラ座で上演した浅利氏演出の改訂版です。私は当時あのステージ に接し、美しさと質の高さに感銘を受けました。サンチアゴから一晩かけてミラノ に到着したその足で出向いたのですが、余りの感銘に、翌日も別のキャストの上演 を観に行きました。そのときに”アサリ”という名前を知ったわけです。その後、 個人的な用件で日本に来たとき、たまたま「ライオンキング」の上演に出かけまし た。この技術的に極めて優れた舞台を演出しているのは誰かを人に尋ねました。 で、”アサリ”と言われてその名前は聞いたことがあると思ったんです。翌日に チャイコフスキー『エウゲニ・オネーギン』 © Juan Millán T. Teatro Municipal de Santiago なってスカラの「蝶々夫人」の人だと判った。そこでこの人に会わねばと思い、そ こから全ての話が始まりました。15分の予定が2時間の会見になり、会見の終わり に、私の演出を差し上げます、と仰って下さったのです。さらに浅利氏は演出料を 免除、スタッフの一部を派遣してくれました。公演は大成功で、観客も評論家たち も絶賛していました。 ──なるほど。 2年前、私たちのスタッフは来年の劇場設立150周年記念シーズンの企画を始めまし た。最近上演したいくつもの美しい舞台の中で、聴衆に大きなインパクトを与えた 舞台はどれかを考え、その答えは浅利氏の「蝶々夫人」でした。そこで再び氏にお 願いし、許可をいただいたわけです。 ──公演はいつの予定ですか。 2007年9月を予定しています。9月は二重の記念なのです。ひとつは劇場創設150周 年で、まさにそのときにこの「蝶々夫人」を上演する予定です。もうひとつ、日本 とチリとの修好条約締結110周年記念の月でもあります。日本の舞台をチリで上演 するにはとても良い機会だと思います。サンチアゴの日本大使館も大きな協力をし ワーグナー『ローエングリン』 てくれています。まだまだ実現までにはいくつかの壁がありますが、150周年記念 © Juan Millán T. シーズンは生涯に一度ですからね。 Teatro Municipal de Santiago ──実現を期待します。ありがとうございました。 7
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