ミステリアスな能面の表情を解明する To solve the mysterious Noh mask!

ミステリアスな能面の表情を解明する
To solve the mysterious Noh mask!
西村 律子※1,岡ノ谷 一夫※1,2,川合 伸幸※1,3
Ritsuko Nishimura, Kazuo Okanoya, Nobuyuki Kawai
※1
2
3
JST-ERATO岡ノ谷情動情報プロジェクト,※ 理化学研究所BSI,※ 名古屋大学情報科学研究科
JST-ERATO OEIP, RIKEN BSI, Nagoya University Depertment of Cognitive Science
nishimura@cog.human.nagoya-u.ac.jp
Abstract
A Noh mask expresses various emotions during
traditional Japanese Noh performances: a mask
looking up expresses happiness and looking down,
sadness. In Experiment 1, we investigated whether
the facial expressions of a Noh mask inclinations
had features common to facial expressions of
happiness and sadness. Participants changed the
facial expressions of a computer image of a Noh
mask by moving its eyebrows, eyes, cheeks and
mouth using FaceTool software and created facial
expressions similar to a Noh mask that were happy,
sad, looking up and looking down. Results showed
that when tilted up, eyebrows were similar to a sad
face, the eyes to a happy face, and the mouth to a
sad face, whereas tilted down; the eyebrows were
similar to a happy face, the eyes to a sad face and
the mouth to a happy face. These findings suggest
that the facial expressions of the Noh mask were a
chimera.
In Experiment 2, we investigated which parts of a
Noh mask are crucial for judgments of the facial
expression of the Noh mask. We made 8 non-tilted
images of Noh masks by combining different
eyebrows, eyes, or mouth from Noh mask that tilted
up or down. Participants judged facial emotions as
happy or sad depending on the shape of mouth.
Keywords ― Traditional performance, facial
expression, Noh mask, Emotion
の能面は「喜び」と判断される割合が高いことが
示されている(Lyons et al., 2000; 西村・岡ノ谷・
川合,投稿中)。この結果は,能における能面の傾
きとその能面が表現する表情との定義に反するも
のである。では,上下方向に傾きを変えた能面は,
何の表情を示しているのか?本研究では,上方
向・下方向に傾けられた能面の表情と,喜び・悲
しみの表情に共通点があるか否かを検討した。
2. 実験 1
2.1. 方法
実験参加者 14 名(男性 7 名,平均年齢 21.4 歳)
。
刺激
刺激は,能面師倉林朗氏が作成した,能
面「小面」を正面から撮影した写真であった。
「小
面」というのは,女面のひとつであり,若く清純
な美しさを表現した面である。刺激の大きさは,
視角にして 18.9°×11.4°(高さ×幅)であった。
手続き 実験には表情作成ソフトである
Facetool(東京大学原島研究室作成)を使用した。
Facetool では,眉,目,頬,口といった顔の領域
の形を変化させ,様々な表情を作成することがで
1. はじめに
無表情の代名詞でもある「能面」。その表情は,
きる。顔の各領域を操作するコントローラーは,
「眉・内側を上げる」
「眉・外側を上げる」といっ
微笑んでいるのか,泣いているのか,捉えどころ
た 23 項目から構成されており,人間の表情筋の動
のない表情といわれる。しかし能の世界において
きによって表情の記述を可能にするシステムであ
は,能面を上下方向に傾かせることで,表情を変
る FACS(Facial Action Coding System, Ekman &
化させている。
「喜び」を表現する時には,能面を
Friesen, 1978)における AU(Action Unit)に対応
わずかに上に傾かせ,
「悲しみ」を表現する時には,
して作成されたものである。
能面を下に傾かせる。
実験参加者は Facetool のコントローラーを操作
ところがこれまでに,上下方向に傾きを変化さ
することで,正面から撮影された能面の画像を,
せて能面の印象を評価させた研究で,上向きの能
「喜び」の表情,「悲しみ」の表情,「上向き」能
面は「悲しみ」と判断される割合が高く,下向き
面の表情,
「下向き」能面の表情の 4 つの表情に変
化させた(図 1 参照)。4 つの表情の作成順序は,
の表情を作成した際に得られたデータ別の,第 1
実験参加者間でカウンターバランスがとられた。
主成分における各項目の因子負荷量を示す。
「喜び」
「悲しみ」の表情は,参加者自身が思う通
りの表情を他の画像を参照することなく作成され
た。「上向き」
「下向き」能面の表情は,正面から
撮影された能面画像の左隣に並べて呈示された,
正面より 10°下から撮影された能面の画像(上向
きの能面),あるいは,10°上から撮影された能面
の画像(下向きの能面)を参照しながら作成され
た。各表情の作成時,制限時間は設けられず,参
加者が作成完了の合図を出すことによって,作成
を完了した。全実験参加者において各表情作成時
のコントローラーの値が記録された。コントロー
ラーの値は,それぞれの領域の可動範囲を 100 分
割した任意な相対値である。実験開始前に,全実
験参加者からインフォームド・コンセントを得た。
表 1.
第 1 主成分における因子負荷量
左の表は喜び,悲しみの表情を作成した際の結果,右の表は上
向き,下向き画像の表情を作成した際の結果である。
項目
喜び
悲しみ
眉内側上げる
上瞼上げる
唇引き上げる
唇鋭く引き上げる
唇下げる
押さえつける
口を大きく開く
顎を下げずに唇を開く
下顎上げる
第1
主成分
0.96441
-0.96441
-0.75637
0.385414
0.675443
0.685158
-0.93567
-0.4069
0.535782
0.55444
-0.41974
項目
上
下
眉内側上げる
上瞼上げる
唇鋭く引き上げる
唇下げる
唇引き上げる
押さえつける
口を大きく開く
顎を下げずに唇を開く
下顎上げる
第1
主成分
0.876971
-0.87697
0.837077
0.800378
-0.63406
0.824261
-0.51124
0.628363
0.379076
0.609667
0.656695
第 1 主成分を構成する要素として,
「喜び」の表
情を作成したデータからは,眉は内側を下げ,目
は大きく開き,口角は上げる,という項目が抽出
された。一方,
「悲しみ」の表情を作成したデータ
からは,眉は内側を上げ,目は閉じ,口角は下げ
る,という項目が抽出された。また,
「上向き」の
表情を作成したデータからは,眉は内側を上げ,
目は大きく開き,口角は下げる,という項目が抽
出された。一方,
「下向き」の表情を作成したデー
(a)正面画像
(b)上向き画像
(c)下向き画像
タからは,眉は内側を下げ,目は閉じ,口角は上
げる,という項目が抽出された。この結果から,
「上向き」能面の表情において,眉と口は「悲し
み」の表情を作成する際に認められた特徴と共通
しており,目は「喜び」の表情を作成する際に認
(d)喜び
(e)悲しみ
(f) (b)を模倣
(g) (c)を模倣
図 1. 作成画像例
(a)が初期画像であり,この画像を様々な表情に変化させた。
められた特徴と共通点を持つことが示された。一
方,
「下向き」能面の表情において,眉と口は「喜
(d)(e)は,参加者が任意で作成した「喜び」と「悲しみ」の表
び」,目は「悲しみ」の表情を作成する際に認めら
情である。(f)(g)は上向き能面の画像(b),下向き能面の画像(c)
れた特徴と共通点を持つことが示された(図 2)。
をそれぞれ,模倣したものである。
眉: 悲しみ
分析 記録された全項目の値は,
「喜び」および
眉: 喜び
目: 喜び
「悲しみ」の表情を作成した際に得られた値と,
「上向き」および「下向き」の表情を作成した際
目: 悲しみ
口: 悲しみ
口: 喜び
に得られた値に分けて主成分分析にかけられ,
「喜
び」
「悲しみ」の表情と,
「上向き」
「下向き」の表
情との間に共通して変化する顔の領域があるかが
検討された。
2.2. 結果と考察
表 1 には,
「喜び」
「悲しみ」
,
「上向き」
「下向き」
上向き能面
下向き能面
図 2. 上向き,下向き能面の各顔領域が表現する情動
このことは,上下方向に傾けられた能面は,顔
の各領域が異なる情動を表出しており,
「喜び」と
「悲しみ」が複合された表情を持つことを示唆し
画像を作成するために,上向き能面,下向き能面
た。
の画像から,左右両眉を含む領域,左右両目を含
3. 実験 2
む領域,口の領域をそれぞれ切り出した。切り出
実験 1 からは,上下方向に傾けられた能面は,
された眉領域,目領域,口領域は,正面画像に合
顔の各領域が異なる情動を表出しており,キメラ
成された。各領域の合成の組み合わせは全部で 8
であることが示唆された。では,
「喜び」と「悲し
通りであったため,作成された合成画像は全部で
み」が複合された表情を呈示された時,我々は,
8 種類であった(表 2,図 3)。全ての刺激の大き
どの領域が表出する情動に基づいて,その表情を
さは 22.6°×13.7°(高さ×幅)であった。
判断するのだろうか?そのことを検討するために,
手続き 評定は集団で実施された。作成された
眉,目,口の各領域が,異なる情動を表出する画
合成画像は,各実験参加者の 50 cm 前に配置され
像を作成し,その画像の表情を評定させた。
たモニターに呈示された。8 種類の合成画像は,4
3.1. 方法
回繰り返し,ランダムな順で呈示された(全 32
実験参加者
63 名(男性 34 名,平均年齢 19.1
試行)
。モニターには,評定を行う画像が呈示され
る前に,試行番号が 4 秒間呈示され,その後合成
歳)。
刺激 刺激作成には,実験 1 と同様に能面師倉
画像が 8 秒間呈示された(図 4)
。呈示時間はコン
林朗氏が作成した,能面「小面」を正面から撮影
ピュータによって制御されており,参加者は自動
した画像,
下 10°から撮影した画像
(上向き能面),
的に切り替わる画面に合わせて,手元に配布した
上 10°から撮影した画像(下向き能面)を使用し
評定用紙に,呈示された能面画像が,
「喜び」ある
た(図 1 の(a),(b),(c)を参照)
。
いは「悲しみ」のどちらを表現しているかの評定
を行った。評定は二者択一であった。
表 2. 実験 2 で使用された合成画像の作成パターン
例えば,パターン 1 は,眉,目,口がすべて上向き能面の各領
域を合成された画像であることを示す。また,表の下段には,
実験 1 の結果に基づき,上向き能面と下向き能面の各領域が表
試行
1
現する情動を示す。
パターン
能面の向き
表現する情動
1
2
3
4
5
6
7
上向き 下向き 上向き 上向き 下向き 上向き 下向き 下向き
目
上向き 上向き 下向き 上向き 下向き 下向き 上向き 下向き
口
上向き 上向き 上向き 下向き 下向き 下向き 下向き 上向き
眉
悲しみ
喜び
悲しみ 悲しみ
目
喜び
喜び
悲しみ
喜び
悲しみ 悲しみ 悲しみ
喜び
口
悲しみ
喜び
喜び
悲しみ 悲しみ
喜び
悲しみ
喜び
悲しみ
喜び
喜び
← 能面画像
8秒間呈示
8
眉
喜び
← 試行番号
4秒間呈示
試行
2
← 試行番号
4秒間呈示
図 4. 実験 2 における試行スケジュール
本試行に先立ち,練習試行が 3 試行実施された。
本試行は,およそ 7 分間であり,調査全体にかか
った時間は,およそ 20 分であった。実験開始前に,
パターン1
2
3
4
全実験参加者からインフォームド・コンセントを
得た。
分析 各合成画像において,4 回の評定中「喜
び」と評定した回数から,
「喜び」評定の割合を算
出した。算出された値は,画像パターンの 1 要因
5
6
7
8
図 3. 実験 2 で使用された合成画像全パターン
眉,目,口の各領域が,異なる情動を表出する
8 水準の実験参加者内分散分析にかけられた。
3.2. 結果と考察
図 5 は,合成画像の全パターンにおける,
「喜び」
評定の割合が示されている。分散分析の結果,画
6),パターン 1,2,3,8 に対しては,4 回中すべ
像パターンの主効果が有意となった(F(7, 434) =
て「悲しみ」と評定した人数が最も多く,パター
445.4, p < .001)。テューキーの HSD 検定を行った
ン 4,5,6,7 に対しては,4 回中すべて「喜び」
結果,パターン 1,2,3,8 の間に有意差は認めら
と評定した人数が最も多いことが明らかになった。
れず,パターン 4,5,6,7 の間にも有意差は認め
以上の結果は,能面の表情は,口の形に基づい
られなかった。ただし,パターン 1,2,3,8 とパ
てカテゴリカルに判断されることを示した。
ターン 4,5,6,7 の間には,有意差が認められ,
パターン 1,2,3,8 に比べ,パターン 4,5,6,
7 は「喜び」評定値の割合が高いことが明らかと
4. 総合考察
本研究は,上下方向に傾けられた能面は,眉,
なった。
目,口がそれぞれ異なる情動を表出しており,喜
100%
びと悲しみを複合した表情を持つことを明らかに
80%
した。さらに,眉,目,口がそれぞれ異なる情動
60%
を表出している場合,観察者は口の形に基づいて
40%
表情を判断することが明らかとなった。
( )
喜
び
の
割
合
%
20%
本研究で得られた知見は, Lyons et al. (2000) ,
0%
1
2
3
4
5
6
7
8
西村他(投稿中),の結果を整合的に解釈する。彼
らの結果は,上方向に傾けられた能面は「悲しみ」
合成画像のパターン
図 5. 各合成画像パターンにおける「喜び」評定値の割合
と評定され,下方向に傾けられた能面は「喜び」
点線は,
「喜び」評定値の割合が 50%である地点を示す。した
と評定されるというものであった。この結果は,
がって,点線よりも下にプロットされている能面は「悲しみ」
と評定され,点線よりも上にプロットされている能面は「喜び」
能の世界における,
「能面の傾きとその能面が表現
と評定されたことを示す。
する表情」の定義とは反するものであった。しか
し,本研究は,能面は口の形に基づいて表情が判
この結果は,眉,目がどちら向きの能面の領域
を合成されたかに関わらず,
「上向き」能面の口を
合成された画像は「悲しみ」と判断され,
「下向き」
能面の口を合成された画像は「喜び」と判断され
ることを明らかとした(図 3,図 5 参照)。
0%
25%
50%
75%
断され,さらに,上向きの能面の口は「悲しみ」
を表現し,下向きの能面の口は「喜び」を表現す
ることを示した。したがって,能面だけが呈示さ
れる場合は,能の世界における定義には従わず,
口の形に基づいて,その表情が判断されることが
100%
明らかとなった。
70
60
50
人
40
数
人 30
( )
5. 参考文献
[1] Ekman , P., & Friesen , W. V. (1978) . “Facial action
20
coding system”. Palo Alto ,CA: Consulting Psycologists
10
Press.
0
1
2
3
4
5
6
7
8
合成画像のパターン
[2] Lyons, M. J., Campbell, R., Plante, A., Coleman, M.,
Kamachi, M., & Akamatsu, S. (2000). “The Noh mask
図 6. 各合成画像パターンにおける評定値割合ごとの人数
凡例の 0%とは,4 回中すべて「悲しみ」と評定したことを示
し,100%とは,4 回中すべて「喜び」と評定したことを示す。
effect:
Vertical
viewpoint
dependence
of
facial
expression perception.” Proceeding of the Royal Society
of London B, Vol. 267, pp. 229-2245.
さらに,各合成画像のパターンにおける,
「喜び」
評定値割合ごとの人数分布を算出したところ(図
[3] 西村律子・岡ノ谷一夫・川合伸幸 (投稿中). “能面は
能で想定した情動を正しく伝えているのか?”