特集・岐路に立つ「われらの時代」

第
2014年
広島ジャーナリスト
号
19
月
12
特集・岐路に立つ「われらの時代」
松元 剛 沖縄、保たれた尊厳と誇り
大湾 宗則 経ヶ岬Xバンドレーダーに抗して
池田恵理子 安倍政権の歴史認識を問う
澤野 重男 歴史を学ぶ高校生
津久井 進 人間の復興こそ重要
松田 正久 教育とは人間の尊厳の確立
藤田 祐幸 止めよう原発再稼働
田中 利幸 自滅に向かう原発大国日本㊦ 井上 一夫 連載エッセイ「われ、その驥尾に付して」
大島 寛 「オバマ的」なるものを拒否したアメリカ
日本ジャーナリスト会議広島支部
≪1≫
沖縄・辺野古沖で、基地建設のためのボーリング調査に抗議する
カヌー隊を強制排除する海上保安庁=8月 21 日(海上ヘリ基地
建設反対・平和と名護市政民主化を求める協議会撮影・提供)
目次
「昭和」からの遺言 浅川泰生 2
教育とは人間の尊厳の確立 松田正久 52
本島等氏 信念と情の人 平野伸人 58
特集・岐路に立つ「われらの時代」
「星の恵み」今こそ実感を 湯浅一郎 61
沖縄、保たれた尊厳と誇り 松元 剛 3
止めよう原発再稼働 藤田祐幸 69
書評「普天間移設 日米の深層」
7
自滅に向かう原発大国日本㊦ 田中利幸 78
経ヶ岬Xバンドレーダーに抗して 大湾宗則 13
連載エッセイ「われ、その驥尾に付して」
X バ ン ド は い ら な い 18
井 上 一 夫 84
安倍政権の歴史認識を問う 池田恵理子 19
「オバマ的なるもの」を拒否したアメリカ 日本軍慰安所マップ 24・25
大島 寛 87
書評「NHKが危ない!『政府のNHK』ではなく
命と尊厳破壊する「イスラム国」
坂井定雄 92
『国民のためのNHK』へ」
32
朝日新聞「慰安婦」報道の検証をめぐる一連の報道
メディアスクランブル 「政治とメディア」を考える
真崎 哲 98
真崎 哲 100
33
THE BOOK 「検証・法治国家崩壊 砂川裁判と日米
歴史を学ぶ高校生 澤野重男 35
密約交渉」
「残してきた風景―私たちが湖北省で犯
大江健三郎氏が広島でスピーチ 40
したこと」「海・川・湖の放射能汚染」「アジア主義
書評「大江健三郎自選短篇」
42
その先の近代へ」 人間の復興こそ重要 津久井進 43
風訊帖「『かき船移転』もっと公開の議論を」
書評「福島原発事故 被災者支援政策の欺瞞」
51
暁治 104
に抗議し訴えます 102・103
広島ジャーナリスト 19 号
山下耕作監督)として結実する。鶴田浩二主演のこの作品を、三島は「あ
[2]
たかも古典劇のよう」と絶賛、「
(高倉健は)鶴田のかたわらでは、ただ
この見立てには半分だけ賛成する。「デク人形」は否定形として使わ
れているが、小津映画の笠智衆がそうであったように、高倉健には演技
のデク人形」と書いた。[
「あざとい」は「小聡明い」と書くそうだ。漢字だとそれほど悪印象
はないが、使うときは悪らつ、ごり押しのイメージがついて回る。この
を感じさせない演技者の良さがあった。美術家・横尾忠則はその背中に
[3]
形容詞が適切と思われた事例が最近二つあった。
「日本人が忘れかけていた情念」を[見るが、それは見るものが託したも
果であろう。だが、国債
年)で都市の擬制村(第二のムラ)に言及したころである。
のだろう。「デク人形」だからこそ出来たワザのように思う。
一つは、 月 日の日銀の追加金融緩和策。市場も反応した。従来の
小出しの金融緩和策を批判し、1年半前に「異次元緩和」と称する手を
しかし、大衆が情念の先に見たのはノスタルジックな共同体への追慕
[4]
で あ っ た と、 四 方 田 犬 彦 は 指 摘 す る。[背 景 に は 高 度 経 済 成 長 前 史 と し
ての村落共同体の崩壊がある。神島二郎が「近代日本の精神構造」(岩
はるひこ
打った黒田東彦総裁が、まさか小出しの追加策をとるとは、と驚いた結
波書店、
選挙。安保法制化や原発再稼働を来年に控え、野党がまとまらないうち
にこれまでのことをリセットしようというのだから、あざとい。
首 相 の 衆 院 解 散 表 明 を 伝 え た 月 日 付 朝 刊 各 紙 1 面 に は「 あ ざ と
い」イメージから最も遠いと思われる一人の映画俳優の訃報があった。
高倉健の訃報から 日余り後、菅原文太の死が伝えられた。任侠路線
の後、実録シリーズ「仁義なき戦い」で、焼跡闇市を出発点に非情で不
スクリーンでは男っぽい役柄を演じた二人だが、晩年の生きざまは対
照的だった。高倉健は私生活を見せなかったが、菅原文太は有機農業に
合理なやくざ社会を泥臭く生きるアンチヒーローを演じた。
1960年代の任侠路線や、その後のヒューマンな作品で人気を博した
たけし
取り組み、脱原発を唱えて福島原発事故被災者に寄り添い、 月1日に
任侠映画の高倉健を評価しなかった小説家がいた。三島由紀夫である。
東映任侠路線は、
尾崎士郎「人生劇場」をアレンジした「飛車角」
( 年)
りの軽妙さを組み合わせた監督の職人芸が光る作品だった。
しかった。スピーチはYou Tubeで見ることができる。安倍首相
にも聞いてほしいものだ。せめて、あざとくではなくまっとうな政治を
た高倉健も彼らしいが、最後まで誠実に声を上げ続けた菅原文太も彼ら
[2]三島由紀夫全集 巻「『総長賭博』と『飛車角と吉良常』のなかの鶴田浩二」
(新
潮社、1976年)。初出は1969年「映画芸術」 [3] 月 日付朝日新聞「日本中が背中(せな)で泣いてます」
[4]「日本映画史110年」(集英社新書、2014年) するために=文中敬称略。
(「広島ジャーナリスト」編集長 浅川泰生)
に住んでいる人たちのものだ―。どれもがまっとうだ。風のように去っ
は沖縄知事選のさなか、反基地を訴える翁長雄志候補の応援を買って出
おなが
高倉健である。代表作を問われて
「幸福の黄色いハンカチ」(1977年、
て感動的なスピーチをした。政治の役割は国民を飢えさせないこと、戦
だが、革ジャンの背中にはかつての任侠路線の残像があった。ほぼ
11
年、
25
11
19
34
に始まり、「義と情(=組織と個)
」の相克を追求した「総長賭博」
(
30
68 63
前の「昭和残侠伝」シリーズの風の残量を計算し、武田鉄矢、桃井かお
10
[1]
山 田 洋 次 監 督 ) を 挙 げ る 人 は 多 い。 ピ ー ト・ ハ ミ ル の[原 作 を、 網 走 か
ら夕張へと向かうロードムービーに仕立てた。銀幕では相変わらず寡黙
争をしないこと、そして海も山も空気も風も国家のものではなく、そこ
19
10
30
年
10
61
兆円買い増し効果も、一部の富裕層や市場投
機筋を除けば、やっぱり縁はなさそうだ。じわじわ進む円安だけが暮ら
31
しの重圧になるに違いない。もう一つは、安倍晋三首相による解散・総
10
[1]1935年ニューヨーク・ブルックリン生まれ。 歳でニューヨーク・ポスト
紙記者。その後いくつかの大衆紙でコラムを書き、 代で短編小説を発表。「幸福の
黄色いハンカチ」の原作は「ニューヨーク・スケッチブック」(河出文庫)に収めら
れている。6㌻ほどの短篇である。妻はジャーナリスト青木富貴子さん。
2014.12.15
「昭和」からの遺言
≪2≫
万票差の意味
月
日に投開
米軍普天間飛行場に代わる新基地を名護市辺
野古沖を埋め立てて建設することの是非が最大
の争点となった沖縄県知事選は
16
おなが
たけし
沖縄県民が出した回答は明確な「辺野古ノー」 覇市長の翁長雄志氏( )が、埋め立てを承認
未来を託す1票に込められた思い なかいま ひろかず
に は「 沖 縄 の こ と は 沖 縄 で 決 め る 」 であり、沖縄に基地を押し付ける安倍晋三政権 して移設を推進した現職の 仲井真弘多氏( )
知事選 翁
長氏圧勝の深層
戻りすることはもはやないだろう。
特集・岐路に立つ「われらの時代」
松元剛 沖縄リポート
10
票された。新基地に反対する無所属新人で前那
11
保たれた尊厳と誇り
≪3≫
への不信任である。そして、沖縄の過重な負担
の大差を付けて初当選を果たした。仲井真氏の
=無所属、自民、次世代の党推薦=に約
万票
という意思が凝縮されている。
に見て見ぬふりをする圧倒的多数の本土の国民
3選はついえた。
危険な普天間飛行場はできるだけ
早く閉鎖し、新たな基地を沖縄の豊
の「人ごとの論理」に対する厳しい問い掛けで
75
沖縄の尊厳、誇りは保たれた。
63
ひら
よせだ
かねとし
)=無所属=に約4万3千票差を付けて大
民、公明が推す元沖縄県副知事の与世田兼稔氏
市 副 市 長 の 城 間 幹 子 氏(
もある。
さらに、翁長氏の県知事選立候補に伴って実
沖縄の試練は続くが、沖縄の「自己決定権」 施 さ れ た 那 覇 市 長 選 で も、 後 継 候 補 の 前 那 覇
が正面から問われた今回の知事選は、沖縄の未
)=無所属=が自
10
固な民意が後
い。 沖 縄 の 強
とは間違いな
に刻まれるこ
沖縄近現代史
月の名護市長選で「辺野古の海にも陸にも基地
ど、翁長氏、城間氏の圧勝ぶりが際立った。1
この日は投票箱を閉めた午後8時すぎ、報道
各社が一斉に「(開票率)ゼロ当確」を打つほ
勝した。
な岐路として (
来を拓く重大
63
かな海を埋め立てて造ることは認め
ない―。
まつもと・つよし 琉球新報
記者。一貫して基地を取材。雑
誌「世界」に隔月で「沖縄(しま)
という窓」を連載。2013年
か ら 編 集 局 次 長 兼 報 道 本 部 長。
1965年那覇市生まれ。
64
広島ジャーナリスト 19 号
≪4≫
続き、埋め立て承認と辺野古新基地にノーを突
推進派の候補者に大差を付けて再選されたのに
かをしっかり見極めねば、この選挙の意義は薄
ちろん正しいが、保守分裂の核心に何があるの
翁長、仲井真、下地の3氏は保守に基盤を据
えてきただけに、保守分裂選挙とみなすのはも
行場の機能の暫定統合を訴えた。
立て承認の取り消しと嘉手納基地への普天間飛
し、その結果に従う」と主張し、喜納氏は埋め
て、支持を求めた。下地氏は「県民投票を実施
判し、沖縄のアイデンティティーを前面に据え
のである。
い」という決意を込めて翁長氏に軍配を上げた
たという思いを抱く県民は「もう、だまされな
捨てて埋め立てを承認した仲井真氏に裏切られ
展の阻害要因」という訴えに多くの県民が共鳴
よりアイデンティティー」「基地は沖縄経済発
仲井真氏の変節の対極に自らを位置付けた翁
長氏による「私たちはぶれない」
「イデオロギー
る「足し算の選挙」となった。
翁長氏と城間氏の支持基盤はかつてない構成
だった。保守層と革新陣営が「オール沖縄」を
基地負担の押し付けにノーを示した。
沖縄県民の心の奥底にたまっていたマグマが
一気に噴き出し、県民の多数意思がこれ以上の
)が移設
き付ける強固な民意が再び示され、新基地建設
まってしまう。
基地受け入れの引き換えに、中央政府との信
頼関係をてこにした経済振興策を獲得する旧来
は造らせない」と訴えた稲嶺進氏(
に抗う地元・名護市と県知事のねじれが解消し
前回まで仲井真氏を支持していた沖縄経済界
の有力企業グループである「金秀」や「かりゆ
型の「アメとムチ」施策を県民は見限ったわけ
した。昨年末、
「県外移設」の公約をかなぐり
掲げて結集した。保革を超えた選挙母体が県政
し」が翁長氏擁立の流れをつくる旗振り役と
だ。
た。
と県都のダブル選挙を勝ち切ったことは、県民
なった。翁長那覇市政与党の自民党系の「新風
安倍首相も敗者
県知事選の得票数は、翁長氏が 万820票、
仲井真氏は 万1076票、下地氏は6万94
3 党 も 翁 長 氏 を 支 持 し、 保 守、 革 新 を 超 え た
47票、喜納氏は7872票だった。前回の県
から出馬し、仲井真氏と保革一騎打ちとなった。
知事選は元宜野湾市長の伊波洋一氏が革新陣営
めた。
仲井真氏は前回の得票(
万5708票)から
7万4632票も減らした。逆に翁長氏は、前
「オール沖縄」を標榜する支持基盤が結束を強
産、沖縄の土着政党である沖縄社会大衆の革新
翁長氏擁立に向け結束した。そして、社民、共
を受けても「辺野古ノー」を貫き、知事選への
抗 議 決 議 を 主 導 し、 自 民 党 県 連 か ら 除 名 処 分
会」は仲井真氏による辺野古埋め立て承認への
が辺野古新基地をめぐって分裂し、いがみ合う
時代に終止符を打つ意味合いがある。
保革対立構図崩れる
「基地か経済か」を主な争点にした、沖縄の
政治風土に息づく保守、革新の対立構図が初め
て崩れた知事選だった。
無所属新人で元郵政民営化担当相の下地幹郎
氏( )
、無所属新人で元参院議員の喜納昌吉
前回まで仲井真氏を推薦した公明党も県内移
設に対する創価学会員などの支持層の反発が強
回の伊波氏の得票(
立候補した4氏はいずれも争点に辺野古移設
の是非を掲げた。現職の仲井真氏が普天間飛行
称されてきた翁長氏は、自身に期待を寄せる保
を強いられたのに対し、沖縄の保守のエースと
ない。仲井真氏の強固な基盤だった経済界の票
翁長氏の得票率は有効投票の ・6%に上り、
仲井真、下地、喜納の3氏の票を足しても届か
や公明が離反した仲井真氏が「引き算の選挙」 3738票積み増した。
万7082票)から6万
場の危険性除去と背中合わせの辺野古移設推進
守層の心をつかみ、革新票や一部公明票が加わ
)も出馬した。
36
く、自主投票とした。支持基盤から一部経済界
33
を主張したのに対し、翁長氏は県外移設から県
氏(
26
68
内移設に転じた仲井真氏の公約違反を厳しく批
2014.12.15
66 53
51
29
≪5≫
た多くの企業が選挙前から優勢で、報道各社の
知事選は米軍統治下の1968年に実現した琉
沖縄の置かれた不条理を改めることを求める
民意が明確に打ち出されたという点で、今回の
今回の知事選は、世論調査で常に辺野古移設
に反対する県民が7割を超える沖縄の民意を無
のエネルギーは沖縄の施政権を返還させる原動
ねりが主席公選を実現させた。ウチナーンチュ
沖縄の指導者は沖縄人が決めるという民意のう
県立那覇高を卒業後、政治家を目指して法政大
翁長氏は1951年生まれ。父は那覇市に合
併する前の旧真和志村長・市長を務めた助静氏。
た翁長氏はどんな経歴を歩んだのか。
月の知事選は、
11
稲嶺保守県政樹立と自公連携の立役者が翁
長 氏 で あ っ た。 そ の 後、 公 明 と の 信 頼 関 係 を
された。
携 の お 手 本 と も さ れ、 自 民 党 中 央 か ら も 評 価
と 呼 ば れ、 そ の 後、 国 政 で の 自 民、 公 明 の 連
になった。沖縄での自公連携は「沖縄モデル」
全 国 に 先 駆 け て 自 民、 公 明 が 手 を 携 え る こ と
込 ん だ。 そ の 後、 公 明 党 は 県 政 与 党 入 り し、
せ、 実 質 的 に は 公 明 票 の 多 く を 稲 嶺 氏 に 取 り
さびを打ち、「大田基軸の自主投票」に転換さ
翁長氏は大田県政を支持していた公明党にく
と し て 知 事 選 出 馬 を 決 断 さ せ た だ け で な く、
稲 嶺 氏 が 大 田 氏 を 破 っ た。 稲 嶺 氏 を 口 説 き 落
氏 擁 立 の 中 心 と な っ た。 同 年
を第一に掲げた元県経営者協会長の稲嶺恵一
98
広島ジャーナリスト 19 号
固めも不発に終わり、終盤には、様子見してい
世論調査でも大きな差を付けてリードを保った
視し続け、辺野古沖埋め立てを強引に進める安
力となった。
翁長一家と沖縄の保守
翁長氏支持に雪崩を打った。
球政府の主席公選に匹敵する歴史的意義を帯び
「私が沖縄の保守本流」
と訴え、「イデオロギー
る。絶対権力者だった米軍の統治下であっても、 よりアイデンティティーでまとまろう」と訴え
倍政権への不信任でもあった。敗者は仲井真氏
年から自民
年から那覇市議会議員を
党県連幹事長を務めた。
2 期、 県 議 会 議 員 を 2 期 務 め、
85
年 は 大 田 昌 秀 氏 が 知 事 3 選 を 目 指 し た が、
翁 長 氏 は 政 府 と の 協 調 姿 勢 を 取 り、 経 済 振 興
97
法 律 学 科 に 進 学。
と安倍首相の2人である。
翁長雄志氏の知事選勝利を伝える 11 月 17 日付琉球新報1面
≪6≫
深めた翁長氏は2000年の那覇市長選挙に自
に、
世論のうねりをつくり出す一翼を担った。さら
年4月の普天間飛行場県内移設反対県民
民、公明の推薦候補として立候補し、初当選を
年9月のオスプレイ配備反対県民大会
ている。
した計
知事を務めた保守政治家。だが、父と兄が出馬
翁長氏は子どものころから政治家に憧れた。
父助静氏は真和志市長、助裕氏は西銘県政で副
にも実行委員会の共同代表を務め、県民一体の
大会、
訴えへ流れをつくる先頭に立ってきた。
年続いた県都の革
新市政に終止符を打ち、2期目、3期目、4期
回の選挙は8勝7敗。基地か経済か、
目の市長選でも相手候補に大差を付けて再選を
県都の市長は、米軍基地問題や沖縄戦の歴史
認識などでも、その考え方を問われることが多
い。翁長氏は任期を重ねる中で、沖縄に基地を
押し付けておきながら、
「沖縄は基地があるか
で、子ども心に悔しさや悲哀を味わった。
小学生のとき、父が落選した後、相手の革新
系候補を応援した担任教員が職員室で万歳三唱
ないとの思いを強め、沖縄固有の問題解決に向
ある基地問題の解決には、保守、革新の垣根を
のだという思いを深めた。沖縄の最大の課題で
るようになる。沖縄の保守と本土の保守は違う
放つ本土の政治家や首長たちに強い疑問を覚え
を獲得できる沖縄がうらやましい」などと言い
た。絶頂期の大田氏が2期目を迎え、助裕氏は
保守系候補として1994年の知事選に出馬し
記者が深掘りした連載企画「駆ける」で掲載さ
ここで、翁長氏の政治家としての歩みをたど
る上で、県知事選中に候補者の人となりを担当
南の端にある基地の島に米軍専用基地の
しさを心の奥底で感じてきた。そして、日本の
「なぜウチナーンチュは自分で持ってきたわ
保革の超越 継ぐ系譜
「保革を超え、県民の心を一つにした県政を」。 けでもない基地を挟み、いがみ合うのか。誰か
。政府が押し付けた
翁長雄志氏の兄助裕氏(故人)は大田県政の前 が上から笑っていないか」
れた記事を若干再構成し、引いてみたい。
押し付け、過重な負担を是正することに無関心
の知事、西銘順治知事の下で副知事を務めた後、 基地をめぐり、県民同士が対立することのむな
◇ ◇ ◇
な本土の政治家、国民にも疑問を深めていく。
言う。
れた時、逆に政治家を目指すことを決めた」と
翁長氏は「不思議なことに、母に抱かれて諭さ
対に政治家になってはいけない」と説いたが、
する光景を見た。母親は雄志氏を抱き締め、「絶
け、具体的な行動で示していくようになる。
大敗を喫した。その最後の街頭演説で訴えた一
ラウンドに座った。さらに 年、教科書検定で た。
自民党県連幹事長など県内保守政界の要職を
高校の日本史の教科書から、沖縄戦で起きた強 あれから 年がたち、兄・ 助裕氏の言葉は、 歩み、革新との対決を重ねる中で「保革一緒に
制集団死(集団自決)に対する日本軍の関与を 「オール沖縄」「イデオロギーよりアイデンティ とはなかなか言えなかった」と話す。積年の思
ティー」と掲げる現在の翁長氏の政治理念と重 いを自然と口に出せるようになったのは近年、
74
越え、結束して中央政府に対抗しなければなら
年8月に起きた宜野湾市の沖縄国際大への
米軍ヘリ墜落事故の後、事故に抗議し、普天間
節が、当時県議だった 歳の弟の胸に強く残っ
%を
基地の閉鎖を求める宜野湾市民大会の会場に姿
ら財政が潤沢」
「基地があるから政府の振興策
15
を見せ、一参加者として会場の沖縄国際大のグ
遺骨収集が原点に
果たし、盤石の翁長市政を築いた。
果たした。本土復帰前から
10
12
本土復帰への向き合い方で保守、革新が激しく
そして、翁長氏は保革を超えた出馬要請を受
け、4期目の任期途中に知事選出馬を決断する。 対立した米軍統治下。保革対立の政治風土の中
32
反発した際、県民大会の共同代表を務めて、文
なる。保革を超えた県民一致の政治を目指す姿
長、県知事、県議会、すべての市町村議会が反
皮肉にも民主党政権、自民党政権が県内の全首
20
勢は「翁長家の伝統」(翁長氏)として息づい
薄める指示が出されたことに沖縄社会が強く
07
部科学省に対する抗議と検定意見撤回を求める
2014.12.15
44
04
≪7≫
古移設を強権的に推し進める姿勢を崩さないか
「普天間移設 日米の深層」
基地政策の不条理に憤怒の書
した一人は「日米同盟をガイムショウは自分
のものと思っているのだろう」と感じた。
米 側 は ど う か。 民 主 党 政 権 が 県 外 移 設 を
んな決断を下しても同盟関係は続く」とし辺
天間飛行場を名護市辺野古に移設する日米合
員は非公式の会合で米議会議員の秘書らに普
を明らかにした。たとえば在米日本大使館職
本書はまず日本の官僚の対米姿勢の実態
留必要の神話づくりの一因にもなった。
上げられることはなかった」。尖閣問題が駐
移設を否定する声が「日本国内で大きく取り
い。米側にあった「抑止力」や普天間の県内
に固執するのかという疑問には答えていな
に関することでコメントする立場にないとの
説 明 が 目 立 っ た。「 県 外・ 国 外 移 設 を 阻 む 最
大の壁は、全国に潜む沖縄への差別意識かも
しれない」。不条理に対する憤怒の書だ。
(青灯社、1400円=税別)
広島ジャーナリスト 19 号
対したオスプレイ配備や、普天間飛行場の辺野
らだ。
年2月、知日派の重鎮で元国
務副長官のリチャード・アーミテージ氏はワ
模索していた
沖縄知事選前の9月末、出版された。知事
シントンでの公開討論で普天間移設について
(琉球新報「日米廻り舞台」取材班)
選が終わったからと片隅に置かれてはならな
「県民の心がまとまらなければ、対峙できな
い強大な中央政府の露骨な沖縄差別が強まって
みきこ
きた」
野古への移設とは別の代替案を持つべきだと
い。今後も続く普天間飛行場移設問題を考え 「われわれは少し深呼吸すべきだ。日本がど
年3月ま
る上で欠かせない重い報告だ。元になったの
は琉球新報が2013年 月から
県外移設を阻むものはなにか。防衛省は抑
止力としての米海兵隊沖縄駐留を唱えてきた
述べていた。
がめどがつかず辞任した鳩山由紀夫元首相の
が海兵隊には機動力があり、米側は太平洋で
意を変えるべきでないと主張。地位協定は改
の兵力分散戦略を進めている。なぜ沖縄駐留
定できないとの認識も示唆したという。参加
に迫った。
証言を引き出しながら、米国のフテンマ深層
で計 回連載した「日米廻り舞台 検証フテ
ンマ」。普天間飛行場の県外移設を公言した
14
妻樹子さん( )は「復帰運動のすさまじさ
を知る世代ができる、
最後の戦いだと思う」と、
知事選に臨んだ夫の心中を代弁する。
月 日の告示日。翁長夫妻は午前6時にそ
ろって糸満市の魂魄の塔へ手を合わせた。沖縄
戦の後、父・助静氏らは野山に散らばっていた
身元が分からない戦没者の遺骨を集め、慰霊塔
「魂魄の塔」を建立した。中学生のころから翁
長氏も遺骨収集を手伝った。大きな節目の日が
来る度、翁長氏は魂魄の塔を訪ねる。「政治の
原点は平和」と繰り返していた父の言葉を胸に
刻み、沖縄の保守は平和を守ることが原点であ
ることを自らに言い聞かせている。
11
琉球新報が 年1月に都道府県知事に「(辺
野古への)移設を進める政府の姿勢をどう思
人中
人は明確な態度を示さなかった。安全保障
うか」とアンケートしたところ回答者
43
(引用文終わり)
忘れられぬ取材
1999年秋から冬にかけて、米軍普天間飛
行場の県内移設を導く意図を込めた決議が三つ
の議会で相次いで可決された。私は、ほぼ徹夜
の激しい攻防を議場で追った。
34
58
10
14
30
当時の稲嶺恵一知事の県内移設推進の公約を
支えるため、普天間飛行場を抱える地元宜野湾
40
10
≪8≫
内移設促進」決議が周到に筋立てされた。
護市議会の順で、
まるでドミノ倒しのような「県
市、県議会、移設先として有力視されていた名
に基地反対派を抑え込む役回りを担わねばなら
つになることを望んでいた私の政治信条とは逆
で後押ししたが、保革を超えて沖縄の民意が一
時は稲嶺知事を支えることが第一で県議会決議
になったら勝てない」とため息をつきながら、
いてくると信じ切っていた。候補者が裸の王様
がった。自分の判断に誤りはなく、有権者が付
立て承認を『苦渋の決断』と表現することも嫌
発表で形式的な謝罪をするまで釈明せず、埋め
知事選の投開票日の8日前、菅義偉官房長官
が来県し、県内企業を集めた会合で仲井真氏支
なかった。割り切れぬ思いが一瞬沸いたことは
持を訴え、票固めに躍起となった。しかし、そ
後 に 防 衛 省 の 天 皇 と ま で 称 さ れ、 権 勢 を 振
るった守屋武昌氏(元防衛事務次官)らが、決
し始めた携帯電話を議場で通話状態にして、緊
翁長氏は普天間飛行場の名護市辺野古移設を
迫した審議を政府・与党の有力者に〝実況中継〟 拒む沖縄社会の急先鋒になった。政府に立ちは
の会合に参加していた有力企業の中にも顔を出
冷静に敗因を分析した。
だかる超党派の結束の中心に立ち、県知事選で
すにとどめて、ほとんど仲井真氏の集票を指示
確かだ」と述懐した。
圧勝した。沖縄の民意の地殻変動を翁長氏が象
議文案まで地元議員らにもたらしていた。普及
する議員の姿も目にした。
徴している。
致と安倍政権として全面支援するという「アメ」
サル・スタジオ・ジャパン(USJ)の沖縄誘
していない経営者も多くいた。菅氏は、
ユニバー
稲嶺知事と岸本建男名護市長(当時)に辺野
古移設の受諾を迫り、日本政府はなりふり構わ
ず年内決着の圧力をかけた。主客が転倒し沖縄
は濁流にのまれるかのように翻弄されていた。
見限られた「アメとムチ」
らわれた。
心、自己決定権が切り刻まれるような感覚にと
られる」と語った。その2日後、仲井真氏は辺
応援団」「有史以来の予算だ」「良い正月を迎え
れ、高揚した表情で記者団に「私は安倍政権の
円台の沖縄振興予算を付けることなどを確約さ
倍首相と会談し、2021年度まで毎年3千億
ど結びつかなかった。
に終わり、仲井真氏の集票の後押しにはほとん
程度の影響しか起きず、菅氏のてこ入れは不発
た。しかし、このUSJ誘致支援発言もさざ波
誘導に近い禁じ手を帯びた仲井真支援策だっ
のテーマパーク誘致を全面支援するという利益
を繰り出した。官房長官が選挙応援の中で特定
県議会決議の提案者代表は、自民党県連幹事
長を務めていた翁長雄志氏だった。普天間代替
野古埋め立て申請を承認する。保革を超えた多
沖縄の有権者はもはや、基地受け入れの代償
としての経済振興策に見切りを付けているので
押し付けられた国策の下、選挙で選ばれた県
民の代表が賛否に分かれていがみ合う。怒号が
基地建設を受け入れる代償として、振興予算を
くの県民が、政府の圧力に屈し、振興予算獲得
日、 仲 井 真 知 事 は 首 相 官 邸 で 安
手厚く獲得して経済を浮揚させる。沖縄の保守
と引き換えに「県外移設」の公約を覆したとみ
ある。基地の返還跡地の発展ぶりを見ている県
月
政治家の信念だ―と胸を張ったが、可決の瞬間
なし、猛反発した。特に「良い正月」発言への
民は「基地は沖縄経済発展の最大の阻害要因」
昨年
の安堵の笑顔がすぐ曇り、険しい顔付きになっ
反発はすさまじく、知事選まで尾を引いた。
たことが記憶に残る。
知 事 選 を 通 し、 終 始、 劣勢 だ っ た 仲 井 真 陣
営幹部は「仲 井真支持に引き寄 せても、『良い
那 覇 新 都 心 地 区 や 北 谷 町 の 美 浜 地 区 で は、
基地があった時よりも生産誘発額が 倍から
216倍に上がり、数千人単位の雇用が生み出
16
渦巻く議場で、沖縄の自立・自律に向けた自尊
今年になって翁長氏に聞いてみた。「徹夜の
激しい攻防の末、あの決議が可決されて自民党
正月―』を繰り出されると票がさっと逃げてい
という翁長氏の訴えに共鳴した。
県議団に高揚感が漂う中、なぜ翁長さんは疲れ
く。致命的な失言だったが、仲井真さんは政策
25
た表情を浮かべたのか」と。翁長さんは「あの
2014.12.15
12
≪9≫
「アメとムチ」に彩られた「補償型の沖縄基
地維持施策」は終焉の時を迎えたことを、今回
されている。
幹部が働きかけて首長らによる仲井真3選待望
ず、自らの出馬に傾き始めたころに知事後援会
たころだが、仲井真氏が後継者を意図的に決め
アの差を付けられ、既に劣勢がささやかれてい
を1期務めた親川盛一さん( )だ。
で知事公室長を務めた後、自民党で県議会議員
翁 長 陣 営 の 選 挙 母 体「 ひ や み か ち う ま ん
ちゅの会」の南城支部長を務めたのは稲嶺県政
出した仲井真氏の実績を評価する首長連合の動
いとされる「沖縄振興一括交付金制度」を引き
を 頑 張 り す ぎ て、 膝 に 水 が た ま っ て い る ん だ 」
青く澄んだ美しい海を見下ろす南城市内の自
宅を訪ねると、足を引きずる親川さんが「運動
論が繰り出された。使い道の自由度が比較的高
の知事選の結果が物語っている。
南城市の〝地滑り〟
と笑顔で迎えてくれた。南城市の旧知念村は海
し、支持拡大の起爆剤と位置付けた。
三郎選対本部長・衆院議員)と懸命にアピール
誉の膝やみー(痛み)」と苦笑した。
親川さんの膝が悲鳴を上げたのだが、本人は
「名
辺まで丘陵地が迫る地域も多く、アップダウン
きは3選出馬へと仲井真氏の背中を押した。
が激しい。そこを歩き回り、翁長支持を訴えた
かつては普天間飛行場の県内移設を推進した
勢力にいたにもかかわらず、今回の知事選では
氏は市部だけで7万2千票余の差を付けられる
人は集めたい」と弱気の声
が出たが、わずか2日、ほぼ口コミだけの呼び
た。準備会合で「
県内移設ノーを強く訴えた翁長氏を全力で支え
の顔写真が入った意見広告が載った。その中心
掛けで350人余りが押し寄せ、会場を急きょ、
市長は仲井真支持首長のリーダー格で、仲井真
人。県内有数の保守地盤である。3期目の古謝
伊波を擁立した前回、前々回の県知事選の事務
南城市在住だ。瑞慶覧さんは「革 新から糸数、
の元委員長で元県議の瑞慶覧長方さん(
ずっと自民系候補を支持してきた市民の顔が
多くあった。沖縄の土着政党・沖縄社会大衆党
屋外の駐車場に変えた。
氏が3選されれば、副知事候補ともささやかれ
ガッツポーズを取り、
「現職知事を応援します」 沖縄本島南部の南城市は4町村が合併によっ
て発足し、 年目を迎えた。人口は約4万2千
伏線は、6月に古謝景春・南城市長らが呼び
掛け人となって2度開かれた「仲井真知事激励
ていた。前回、前々回の保革一騎打ちの知事選
)も
会」だった。辺野古埋め立て承認への反発の強
所開きの4、5倍の人が来た」と高揚感を隠さ
親川さんは自宅がある旧知念村内を支部の運
動員とくまなく歩き、翁長氏の政策ビラと法定
ちょうほう
さを受け、仲井真氏も今年初めごろまで勇退を
で、仲井真氏は対立候補の糸数慶子、伊波洋一
が、ふたを開けてみると、翁長氏の得票は仲井
ビラの計4枚を全戸配布した。仲井真陣営のビ
ずけらん
ほのめかし、高良倉吉、川上好久の両副知事を
真氏を3200票余り上回った。南城市の票の
ラよりもいち早い動きだった。
氏有利は動かないと見られていた南城市だった
は仲井真氏にひそかに勇退を打診した。
出方としては、地滑り的な大差と言っていい。
82
相手候補が翁長氏になった場合を想定した自
民党本部の独自調査で、仲井真氏がダブルスコ
仲井真氏による後継指名もなく、自民党県連内
なかった。
とPRした。
10
50
後継者に挙げる一幕もあった。だが、その後、 の両氏に約1500票差をつけていた。仲井真
10
惨敗を喫した。
は宮古島と石垣の先島2市だけだった。仲井真
た2人に会った。
翁長氏圧勝に終わった県知事選で示された沖
縄の民意の深層をどう読み解くか。
知事選期間中、仲井真陣営は「 市町村のう
ち、 を超える首長が応援している」(西銘恒
73
9月末に支部長を引き受けた親川さんがすぐ
に取りかかったのが 月初めの事務所開きだっ
41
だが、首長が仲井真支援でスクラムを組んだ
九つの市で、仲井真氏の票が翁長氏を超えたの
30
で、翁長氏と稲嶺名護市長を除く県内9市長が
知事選に突入し、琉球新報、沖縄タイムスの
2紙に仲井真氏を支援するとする市町村長 人
27
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 10 ≫
容認」に転換した沖縄県連所属国会議員4氏の
親川さんによると、その全戸配布は、ことの
ほか長い時間がかかったそうだ。
恒三郎氏の父・順治氏は大田昌秀氏に敗れる
まで県知事を2期務め、「沖縄保守のドン」と
た。
「お茶飲んでいけ 」 の 激 励
「ご飯を食べなさい」と
「お茶を飲んでいけ」
呼び止めて家に招き入れてくれる人が多く、知
も称された。順治氏の出身地は南城市内の久高
事選についてじっくりと話し込んだからだ。前
島だ。琉球 の聖地とも称され、「神 の島」とし
野古新基地が造られれば、永久に米軍専用とな
那覇市中心部にあった翁長選対の事務局長を
務めた又吉民人さん( )は昨年6月まで、沖
良心に訴える戦術奏功
とだ」
る。それは許されない。私を含め、沖縄の民意
公約破りを先導した。
は基地負担との決別を望んでいる。私が未来に
南城市は西銘氏が当選した沖縄4区にあり、
知事選を機に有権者の反発も噴き出す形となっ 残す仕事は誇りを懸けて翁長新知事を支えるこ
回は仲井真氏に投票した人が多く、
「沖縄の誇
県漁業協同組合連合会は仲井真氏を推薦した
が、
「辺野古を埋めると、沖縄本島東海岸のモ
んしかいない」などと熱っぽく激励された。
足蹴にする安倍政権と対峙する知事は、翁長さ
なる」
「もう保革対立の時代じゃない。沖縄を
「仲井真が勝てば、金で沖縄を売り渡すことに
心」と述べて話題になった。今年春、琉球新報
県知事在任中、順治氏は「沖縄の心」につい
て「ヤマトンチュになりたくても、なり切れぬ
ない」と語っていたという。
願の祭事)には招かない。もう、島に入れたく
氏は)酌取り(しゃくとぅい、旧正月の健康祈
りに怒り、「順治氏なら公約を守った。(恒三郎
後進に託していた。くしくも「オール沖縄」を
ル沖縄で沖縄経済の発展を目指してほしい」と
野球部のエース投手だったことでも知られる。
子園で沖縄県勢として初勝利を挙げた首里高校
協会専務理事を6年間務めた。1963年、甲
縄の経済団体で最も影響力がある沖縄県経営者
りに懸けて、
仲井真だけは勝たせてはいけない」 て知られる久高島の有力者が恒三郎氏の公約破
ズク漁全体の死活問題になる。翁長さんに絶対
に手応えがある選挙はかつてなく、大いに励ま
駄目という人ばかり。基地のない南城でこんな
ティーに県民の目が向いていることを照らし出
す ぶ っ て い る、 と い う。 沖 縄 の ア イ デ ン テ ィ
と発言したことへの反発や違和感も久高島でく
又吉さんは「私が翁長さんを推すことは自然の
沖縄経済界の内部では驚きと反発もあったが、
の又吉さんが、翁長陣営の中枢に入ったことに
昨年7月、専務理事退任を機に又吉さんは
「オー
に阻んでほしい」と訴える漁民も多くいた。親
のインタビューで、恒三郎氏が「自分は日本人 経済界にも求める言葉を残していた。
だ。親父のような微妙な心理は自分にはない」 前回の知事選まで、又吉さんは仲井真氏の企
業票の取りまとめに大いに手腕を発揮した。そ
された。私は最初のビラ配りで翁長勝利を確信
す話である。
川さんは「子や孫のために新基地は造らせては
した」と話した。
知事公室長と県議を通し、稲嶺恵一知事の県
内移設方針を支えた親川さんはなぜ、県内移設
ノーの主張を強めたのか。
ビスを最優先する市政改革を成し遂げた―と。
に降り立ち、4期市長を務める中で、市民サー
2000年の那覇市長選で初当選した翁長氏
の歩みを又吉さんはこう表現する。革新の牙城
流れだ」と話す。
さらに、親川さんは西銘恒三郎氏に対する強
い反発に驚いたという。 年 月の衆院選で「県
外移設」を公約に掲げた西銘氏はわずか5カ月
「稲嶺知事の辺野古移設には 年使用期限の
条件があった。将来は県民の財産にするという
だった那覇市に落下傘で一人降下するかのよう
後に「県内移設容認」に転じた。県選出の自民
ぎりぎりの歯止めを掲げた。今の計画通りに辺
2014.12.15
68
党国会議員では一番早く、公約を覆した。半年
12
後、自民党本部の猛烈な圧力に屈し、
「辺野古
12
15
≪ 11 ≫
ようという主張は着実に有権者の心をつかんで
んのオール沖縄やアイデンティティーを発揮し
る社員が多く出るという確信もあった。翁長さ
票する候補を考える、いい意味での面従腹背す
人一人に誠実に訴えれば、必ず自らの判断で投
真支持を打ち出しても、そこに務める従業員一
かった。しかし、今回の選挙は、経営者が仲井
選 時 を 上 回 る。 仲 井 真 陣 営 の 締 め 付 け は 厳 し
氏への企業、団体の推薦数は前回の2期目の当
えに自信を深めていった。又吉さんは「仲井真
者の良心に訴え掛ける戦術を徹底し、その手応
旧来型の企業や団体票頼みの集票に力を割い
た仲井真陣営に対し、翁長陣営は、個々の有権
らの反発を意に介さない。
たねばならなかった」と話し、経済界の一部か
そ、沖縄の尊厳を懸けた選挙には何としても勝
縄という印象が全国に振りまかれる。だからこ
で翁長氏が勝たなければ、政府の金に屈した沖
た仲井真さんは県民の期待を裏切った。知事選
のアメを受け入れて、辺野古埋め立てを承認し
のは至極当然の流れ。安倍政権の沖縄振興予算
で、私が手腕を高く評価する翁長さんを支える
選でも翁長氏当選に向け、自らの経験を生かす
すには1万人を集めることに挑むことでまと
を尽くした上で、保革の超党派のまとまりを示
いがそがれると懸念する声も出た。しかし議論
呂敷を敷きすぎて集まりが悪い場合は一気に勢
知事選の総決起大会では過去に例がない1万
人集会の開催が議論された際、あまりにも大風
人集会だった。
の代替案として出てきたのが、野球場での1万
チの差で仲井真陣営に会場を押さえられた。そ
だったが、開催時間の調整がうまくいかず、タッ
月7日に県立武道館で総決起大会を開く予定
うバロメーターにもなってきた。翁長陣営は
こで開かれる総決起大会の入りは選挙結果を占
収容力があり、満員になると6千人が入る。そ
かれることが大半だった。屋内では県内最大の
決起大会は球場に隣接する県立沖縄武道館で開
起大会が開かれた。これまで沖縄の全県選挙の
セルラースタジアム那覇」で、翁長陣営の総決
月1日、沖縄の幹線道路である国道 号を
挟んで那覇軍港の道向かいにある野球場「沖縄
た。
を実感したのは初めてだ」と手応えを語ってい
又 吉 さ ん は「 保 革 を 超 え て、
『 オ ー ル 沖 縄 』 ん、お願いします』と訴えかけてくる。単なる
で 歴 史 の タ ー ニ ン グ ポ イ ン ト を 刻 む 知 事 選 挙 頑張ってくださいではない、決意を帯びた支持
ことを決断した。
まった。
何よりもほとんどの人が私の目を見て『翁長さ
懸けた天王山だった知事選で、『オール沖縄』『イ
別』と言わざるを得ない。沖縄の尊厳、誇りを
幾重にも積み重なった、まさに『構造的沖縄差
いがあった。しかし、今の状況は民意の無視が
「 私 の よ う な 保 守 の 側 に い た 者 は、 沖 縄 問 題
で差別という言葉を口にすることに強いためら
さんは語気を強めた。
明になった。にもかかわらず、安倍政権が辺野
翁長氏の当選により、移設先の名護市と県政
のねじれが解消され、移設反対の民意が一層鮮
と思った」と話す。
気、盛り上がりを見て、翁長勝利は間違いない
選の歴史に残る大結集だった。人数を水増しし
起きた。又吉さんは「あの総決起大会は県知事
スタンドに陣取る参加者から何度もウエーブが
上がりとなった。大会の持ち方も趣向を凝らし、
「仲井真さん、弾はあと1発、残ってるがよ」。
割れんばかりの拍手が沸き、この日一番の盛り
を沖縄知事選に置き換えて繰り出した。
た。俳優らしい抑揚をきかせた演説で盛り上げ
優の菅原文太さんも駆けつけ、応援弁士に立っ
せた。辺野古移設の不条理を訴え続けている俳
が気でなかったが、土曜日の午後3時からの大
十回も選挙をやってきたが、遊説で握手をした いるため、来場者の数を水増しして発表するこ
有権者が握り返してくれる力の強さ、そして、 とは難しくなる。一部の選対幹部は最後まで気
た菅原さんが映画「仁義なき戦い」の名せりふ
て発表できない会場で心配もあったが、あの熱
古の工事を強行する姿勢を改めないことに又吉
広島ジャーナリスト 19 号
又吉さんは翁長那覇市政を高く評価し、県知事
いった実感がある」と話す。
総決起大会当日、野球場は座席数が決まって
58
会には1万4800人(主催者発表)が押し寄
翁長氏自身も「自分の選挙と応援を含め、何
11
11
≪ 12 ≫
きていることを示すことになる。それを深く自
受け止めるべきだ。それが日本の民主主義が生
とする安倍政権、本土の国民はそれを正面から
民の健全さを証明した。安倍晋三首相をはじめ
翁長さんの圧勝は、構造的差別の解消を望む県
デオロギーよりアイデンティティー』を訴えた
野古海上工事を一段と強硬な姿勢で推し進める
やし、沖縄県知事選の敗北をリセットして、辺
た日米の安全保障政策が信任された」と言いは
衆院選の結果を受け、自民党が多数を維持す
れば、安倍 首相は恐らく、「辺野古 移設を含め
となった。翁長知事を誕生させた勢力は、全4
したこの国の民主主義の矛盾を鋭く突き、米国
付け政策を冷静に見つめ直し、沖縄を踏み台に
沖縄の戦後史や現在進行形の差別的な基地押し
維持し、自民党の現職と戦う体制を整えている。 基地被害にあえぎ、国策の矛盾のつけを背負わ
区でも保革を超えた「オール沖縄」の枠組みを
が尊ぶ民主主義の価値を沖縄にも適用してほし
1972年の施政権返還後も後を絶たない米軍
沖縄戦の体験をはじめ、戦後の過酷な米軍統治、
出すべきである。
尊重し、日米合意を白紙に戻す対米折衝に乗り
退転の決意で翁長氏を当選させた沖縄の民意を
つもりだろう。しかし、それは許されない。不
告発という性格をも帯びている。
ふりをする本土の国民の「人ごとの論理」への
は安全な所に身を置き、沖縄の苦渋に見て見ぬ
いという叫びを上げたのである。それは、自ら
されてきた。今回の知事選で、県民はこうした
覚してほしい」
沖縄知事選敗北隠し解散
翁長氏が圧勝した県知事選からわずか5日後
の 月 日、安倍首相は衆議院を解散した。経
沖縄が示した民意は、特定のイデオロギーに
基づく怒りではない。命と人権、尊厳を懸けて
民主主義のあるべき姿を問い掛けているのであ
年ぶりに新基地に正面か
意向だった翁長新知事の戦略は、衆院選によっ
で仲井真氏を推した首長らとの関係修復を図る
沖縄の民意をバックに日米両政府に辺野古移
設の白紙撤回を求めて攻勢をかけつつ、知事選
取り巻き議員もいた。
インパクトを薄めることができる」と進言する
県知事選で辺野古移設反対派の翁長氏の当選の
けている」と。沖縄の現状は、米国の建国の精
「戦後ずっと、沖縄の人々は米国独立宣言が
糾弾する『権力の乱用や強奪』に苦しめられ続
設の中止を求める声明を発表した。
立宣言を引きながら、普天間飛行場の辺野古移
スキー氏ら欧米などの有識者103人がこの独
昨年1月、アカデミー賞受賞監督のオリバー・
ストーン氏や世界的言語学者のノーム・チョム
いる」
白紙に戻して、沖縄に新たな基地を造らない前
を招くことは避けられない。辺野古移設計画は
り、日米関係の核心である日米安保の不安定化
米国の顔色ばかりをうかがい、日米の基地施
策に当事者中の当事者である沖縄の民意を反映
見ても、
日米安保の根幹が揺らぐことは自明だ。
縄の民意をこれ以上踏みにじれば、中長期的に
ら反対する知事が誕生したことは見て見ぬふり
る。米国にとって、
て出鼻をくじかれる形となった。
神、民主主義の理念に照らしてもあまりに理不
提での見直しに踏み出すべきだ。
び幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられて
一方で、前回の衆院選で辺野古移設ノー、県
外移設を掲げながら、公約を覆した自民党の4
尽であることがほかならぬ米国などの有識者が
させる回路を設けない構図が改められない限
ができない重大な沖縄の民意の発露だろう。沖
衆議院議員に対し、有権者の審判が下される機
沖縄県民は、本土防衛の「捨て石」とされた
鋭く指摘した。
会ともなる。衆院選の沖縄の4選挙区は、安倍
県知事選の敗北をにらみ、早い段階から「沖縄
米国の独立宣言の序文はこう記す。
済政策の是非を問う「アベノミクス解散」と首
「すべての人間は生まれながらにして自由で
相は言うが、沖縄から見れば、
「沖縄県知事選 大敗隠し解散」
にほかならない。首相周辺では、 あり、その創造主によって、生命、自由、およ
21
政権への向かい風が吹く全国でもまれな注目区
2014.12.15
16
11
≪ 13 ≫
経ヶ岬Xバンドレーダーに抗して
沖縄にも京都にも基地はいらない
米軍は 月 日、京都府京丹後市の経ヶ岬にミサイル防衛用の早期警戒レーダー「Xバンド
レーダー」を搬入した。年内にも本格運用の見通しだ。これに対して現地では反対闘争が展開
大湾 宗則
京
( 都沖縄県人会元会長 の
) 大湾宗則さんが8月 日に廿日市市商工保健会館で行った講演(岩
国基地の拡張・強化に反対する広島県西部住民の会主催)を紹介する。沖縄出身の大湾さんは「沖
されている。問題の背景を考えるため、米軍Xバンドレーダー基地反対・近畿連絡会共同代表
21
立ちあがるよう呼び掛けた。
人が聴き入った。以下、講演要旨。
(文責・編集部)
中心とする現代戦では、とりわけXバンドレーダーが重要な位置を占めるとして、反対運動に
縄にいらない米軍基地は、私たちの第2の故郷である京都にもいらない」と話し、ミサイルを
23
お願いしてきた。2013年2月
日の日米首
方々に沖縄の普天間、辺野古の問題で、協力を
なぜXバンドレーダーに取り組むことになっ
た か。 沖 縄 県 人 会 と し て こ れ ま で 近 畿 地 方 の
そこの出身です。
[1]
岬( 宇 川 地 区 ) へ の X バ ン ド レ ー ダ ー 配[備 が
[1]Xバンドレーダー 波長2・5~3・ ㌢の波長を
使 う レ ー ダ ー。 従 来 の レ ー ダ ー に 比 べ 精 細 な 画 像 が 得
ら れ る た め、 迎 撃 ミ サ イ ル の 探 知 用 な ど に 使 わ れ る。
波 長 が 短 い た め 大 気 の 影 響 を 受 け や す く、 遠 方 に ま で
電波を飛ばすには大出力が必要になる。「X」の語源は
諸説ある。
75
米軍Xバンドレーダー基地が予定される
経ヶ岬と周辺軍事施設の位置関係
日の着工まで、
いる。そんな所だから反対運動は困難を極めて
いる。日米合意から今年5月
わずか1年ちょっとだ。
問題。三つ目は沖縄。最後に、京都の闘いにつ
いて。
疎が進んでおり、Xバンドレーダーを持ってい
ではよく知られているものを簡単に三つに分け
まず、Xバンドレーダーについて。Xは周波
数。レーダーの周波数は多岐にわたるが、ここ
現代戦はレーダー中心
こうとしている宇川地区は人口2千人を切って
あるとか、そういう関心はあるが。経ヶ岬は過
じられない。米軍が来るとか、電磁波の影響が
説明が大変難しい。車載式だからあまり怖く感
難だ。「Xバンドレーダーって何?」と聞かれ、
し か し、 X バ ン ド レ ー ダ ー は 取 り 組 み が 困
好意的に受け止められた。
もいらないと決議して立ち上がった。市民団体
大きく三つに分けて話したい。一つはXバン
にも、沖縄県人会がやるのなら一緒にやろうと、 ドレーダーについて。二つ目は集団的自衛権の
地は、私たちにとって第2の故郷である京都に
都沖縄県人会で話をし、沖縄にいらない米軍基
村、今問題になっている辺野古 合意され、近畿初の米軍基地を造るという話が
沖縄は今帰も仁
とぶ
の北の方、本部半島の上のところが今帰仁村、 出た時、黙っておくわけにはいかなかった。京
42
脳会談(安倍晋三首相・オバマ大統領)で経ヶ
22
27
10
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 14 ≫
る。周波数の長いLバンドと、周波数の短いX
バンド、この間にSバンドがある。Lバンドは
遠くまで届くが正確にモノが見えない。Xバン
ドは、遠くを見るためには大出力がいるが、精
細に見える。
これまで戦争は制海権、制空権をめぐって行
われ、それが確保できると上陸作戦をした。第
2次大戦のノルマンディーも沖縄戦もそうで、
上陸前に空爆と艦砲射撃をした。しかし、現代
の戦争は全然違う。
電子工学が発達したためだ。
みんなコンピューターで動く。発射したロケッ
トの先にはレーダーが付いていて、それで追尾
する。
イラク戦争ではトマホークがそうだった。
開発競争の中で精度が高いものができる。その
結果、弾道ミサイルが中心の戦争になる。何が
一 番 重 要 か と い え ば、 電 子 工 学 の 粋 を 集 め た
レーダーだ。もう一つ、優れた光学レンズがい
る。
これらを組み合わせたのが弾道ミサイルだ。
これらがどれだけの水準にあるかで、弾道ミサ
[2]
ジ ス 艦 が お り、
これで撃ち落
と す。 こ の 時、
大 気 圏 内、 大
気圏外という
言葉が使われ
る。 地 上 か ら
120㌔以上
が大気圏外で
空 気 は な い。
120㌔以下
は大気圏内で
空 気 が あ る。
朝鮮国から撃
たれた弾道ミ
サ イ ル は、 青
年に配備
森県つがる市
に
したXバンド
レーダーでも
とらえられるが、これは角度からするとハワイ
を狙ったものを追尾する。経ヶ岬は、角度から
道弾を撃つにはノドンではダメで、テポドンX
ダーはLバンドだから物体が何か分からない。 らハワイまで直線距離で8千㌔。この距離の弾
仮 に、 朝 鮮 国([北 朝 鮮 ) が 弾 道 ミ サ イ ル を
んできたミサイルを撃ち落とせるか、そんな戦
争をやっている。
現代戦争はレーダーが中心だ。 発射したとする。3万6千㌔上空の軍事衛星が
上昇速度で弾道ミサイルと分かったら他のレー
すると、朝鮮国―グアム線上にある。朝鮮国か
Xバンドレーダーはなぜ開発されたか。世界
に配置されているミサイルは、大きくいえば弾
かテポドン2を使うことになる。8千㌔飛ぶ弾
朝鮮国―グアムは3700㌔。それでもミサイ
ジス艦のSM3は250㌔までしか届かない。
道弾は600~800㌔上空を通過する。イー
ダーで調べる。日本海では京都の舞鶴港にイー
[2]朝鮮国 通常の表記は北朝鮮(朝鮮民主主義人民
共 和 国 ) だ が、 こ こ で は 講 演 者 の 呼 び 方 を 尊 重 し「 朝
鮮国」とした。 道ミサイル、迎撃ミサイルの二つだ。迎撃ミサ
弾 道 ミ サ イ ル の 発 射 を 感 知 す る。 衛 星 の レ ー
イルがどれだけ正確に飛ばせるか、あるいは飛
06
イルは、一つはイージス艦搭載のスタンダード
ミサイル(SM3)
、もう一つはパトリオット
ミサイル(PAC3)
、もう一つTHAADミ
サイル(終末高高度迎撃ミサイル)がある。
2014.12.15
X バンドレーダー㊤とミサイル迎撃システム(いずれも防衛省のHPから)
≪ 15 ≫
ルは400㌔上空を飛ぶ。やはりイージス艦は
届かない。
そこでPAC3が置かれている。ところが、
兵站基地がある。これを線で結ぶと、日本海最
演習場がある。その南の京都・宇治に自衛隊の
東の高島市には海兵隊が軍事訓練できる饗庭野
その南には福知山陸自基地がある。さらにその
東 の 舞 鶴 港 に 自 衛 隊 の イ ー ジ ス 艦 が 寄 港 す る。
い。丹後半島にXバンドレーダーがあり、その
とないと思うかもしれないが、考えてみてほし
レーラーに載せたレーダー1台ぐらい大したこ
で、そのために作ったのがXバンドレーダーだ。 する。しかも朝鮮国に照準を合わせている。ト
ドレーダーが中心になる。イージス艦もSM3
もPAC3もほとんど売りつくした。兵器産業
としては、新製品ができたと売りに回れる。
日本海最大の軍事基地
ここで言おうとするのは次の二つだ。今年3
広島ジャーナリスト 19 号
月、マレーシアのクアラルンプールから北京に
向かったマレーシア航空機が行方不明になっ
た。あの海域と空域には多くの船舶や航空機の
航路データがあり、軍事衛星も飛んでいる。し
かし、たかだか1機の航空機を見つけられない
のが今のレーダーの性能だ。今年3月から4月
にかけ、韓国内で不時着した小型無人機3機が
見つかった。開けたらソウル市内が全部映って
いた。大統領府も映っている。マレーシア機は
見つけられない、無人機が韓国上空を飛んで写
真をとっても、韓国軍も在韓米軍も見つけられ
ない。爆弾を積んでいたらどうなっていたかと
いう話もあるが、高性能をうたい文句に売りま
くったものが何の役にも立たなかった。それで
また新たな開発が行われる。
もう一つは、Xバンドレーダーの問題でいえ
ば、安倍首相は慰安婦問題、教科書問題、領土
問題と、ありとあらゆるかたちで朝鮮国や中国
の航空機が飛ぶ高度だ。軍事的感覚では低い。 を挑発し東アジアに緊張をもたらしている。そ
㌔ ま で し か 届 か な い。 当 た っ た ら
そこで開発されたのが終末高高度迎撃ミサイル
地上から
鉄の破片が雨のように落ちてくる。イラクがス
25
のうえ、経ヶ岬にXバンドレーダーを置こうと
カ ッ ド ミ サ イ ル を 撃 ち、 イ ス ラ エ ル が パ ト リ
15
[3]イラクのスカッドミサイル攻撃 1990年のイ
ラ ク に よ る ク ウ ェ ー ト 侵 攻 で 始 ま っ た 湾 岸 戦 争 で、 イ
ラクはイスラエルに向けて改良型スカッドミサイルを
発 射、 イ ス ラ エ ル は パ ト リ オ ッ ト ミ サ イ ル で 迎 撃 し た
が、 ミ サ イ ル の 何 発 か は 地 上 に 到 達 し た と さ れ る( 具
体的な発射弾数などは諸説ある)。2月 日にはサウジ
の 米 軍 兵 舎 が ス カ ッ ド ミ サ イ ル で 攻 撃 さ れ、 や は り パ
トリオットミサイルは迎撃できなかった。
[3]
おそらくこれからTHAADミサイルとXバン
経ヶ岬のXバンドレーダー基地計画図(防衛省HPから)
オ ッ ト で 応 戦 し た こ と が あ る。[い く つ か 命 中
し、鉄の破片が市街地に落ちた。 ㌔は、普通
15
≪ 16 ≫
との軍事的緊張を高めている。日本も高めてい
で足かせがかかっている。集団的自衛権は9条
かされれば助けにいきたい。ところが憲法9条
ろうとしている。滑走路左側にはキャンプハン
辺野古のシュワブに1800㍍滑走路を2本造
ムは潜水艦6隻をロシアに発注、インドネシア
る計画で5年間に約2千億円注ぎ込む。ベトナ
離警戒機、戦闘用ヘリ、対潜ヘリなどを購入す
ら、次の国会で大きなヤマ場を迎える。
日の閣議決定をした。国内法の整備が必要だか
第2項に違反するとなっている。だから7月1
大の軍事基地になる。
軍事基地は単独ではほとんど役に立たない。 る。このためフィリピンがFA を 機、長距
センという海兵隊訓練基地がある。キャンプハ
・3%上がった。この結果、アジア諸国
月
後最高の額を
日)の日経新聞に出ていた。[
[5]
年度予算でつけると、きょう
(8
要ということで、軍事予算5兆545億円、戦
的な平和主義で対応するには集団的自衛権が必
の軍事費は前年比 ・5%上がった。カンボジ
アは
防衛白書では水陸両用軍をつくるといって
の軍事予算は 年に3218億㌦となり、欧州
いる。軍隊を自衛隊と言い換えたように、海兵
ワブがあり、弾薬庫とレーダー基地がある。だ
ラク戦争の時も、海兵隊が動く時は佐世保の強
隊を水陸両用軍と言い換えた。
を超えた。
襲 揚 陸 艦 エ セ ッ ク ス が 寄 っ て、 そ れ で 連 れ て
から、新基地は辺野古でなければならない。イ
いった。その揚陸艦が接岸できる設備を辺野古
陸上自衛隊を海兵隊仕様に転換するため、中
期防衛力整備計画で日本政府は 兆円を確保し
拡、兵器輸出を推し進めさせる危険を感じるか
張をつくらせることが、安倍内閣にますます軍
レ ー ダ ー に 反 対 す る の は、 そ う い う 軍 事 的 緊
行 使 容 認 を 閣 議 決 定 し た。 私 た ち が X バ ン ド
いうのは単独では守れないと、集団的自衛権の
の核とミサイルの開発、中国の海洋進出、こう
事的緊張はますます高まる。安倍首相は朝鮮国
安倍首相がアジア及び中南米やアフリカ諸
ム戦争もそうだ。
同意を得て出ていっている。朝鮮戦争もベトナ
第2次大戦後、侵略という形はとらず相手国の
集団的自衛権だ。米軍がイラク北部で空爆をし
集団的自衛権とは軍事同盟のこと。日米安保も
岳、ジャングル、市街戦。その他にオスプレイ
いる。しかし、滑走路の要らない飛行機である
輸送車は、中国や朝鮮への抑止力と説明されて
手国の同意がなければ海域、空域、領土を越え これらは朝鮮国や中国と戦争するには何の役
られない。同意がなければ侵略になる。しかし、 にも立たない。たとえばオスプレイ、水陸両用
ているのも、イラク政府の要請があるから。相
は使えない。水陸両用輸送車も、制海権と制空
た強襲揚陸艦。
ク。
さらに、 年導入を小野寺五典防衛相が言っ
ずも」
。それから米軍の無人機グローバルホー
プレイ 機、水陸両用戦闘輸送車、F
ステル
年。そこで買うのは、まずオス
集団的自衛権の本当の狙い
らだ。
国を回って「友好国」の約束を取りつけ、要請
権を掌握した時しか使えない。出ていくことが
35
14
していることは、「手に負えないようでしたら
17
た。1年目が
地機能は全部間に合う。
集 団 的 自 衛 権 が な ぜ こ ん な に い わ れ る か。 ス戦闘機、昨年8月6日に進水した護衛艦「い
25
信基地がある。
キャンプハンセン、
キャンプシュ
ンセンの右に辺野古弾薬庫。山手にレーダー通
12
首相は中国は拡張主義であり、朝鮮国は核と
ミサイルの開発で危険だという。これらに積極
50
経ヶ岬にXバンドレーダーが配備されたら、
日本海に軍事要塞基地ができる。東アジアの軍
につくる。辺野古の基地ができれば海兵隊の基
15
26
オスプレイの使い方は四つしかない。砂漠、山
15
[5]「防衛省、5兆円超要求へ 来年度予算」 日本軍の派兵を要請して下さい」ということだ。 あるとしたら、相手国から集団的自衛権のお呼
今、世界中に日本の権益がある。その権益が脅
2014.12.15
23
12
10
月 日)の朝日新聞にこん
ちなみに今日(8
[4]
な 記 事 が 載 っ て い た。[こ の 年 間、 米 国 の 世
界戦略がアジアにシフトしたことで中国、朝鮮
10
[4]
「ザ コ
・ ラム アジアの軍拡 それでも戦闘機は必
要か 柴田直治」 23
≪ 17 ≫
1万5千社。安倍首相はあと5年で倍増の3万
ア進出日本企業1万1500社とある。現在は
金だ。いずれ米軍は沖縄から出ていく。しかし、 する。会報、チラシ、パンフ、集会、デモと教
ら。ところが、辺野古の基地の資金は日本の税
の資金は米国から出ている。米軍基地があるか
から絶対に引かない。青森と経ヶ岬のXバンド
い時で十数人、少ない時で数人。2千戸を訪問
3時間半かけて現地に訪問団を出している。多
三 つ 目 は、 私 た ち は 月 2 回、 京 都 か ら 片 道
あと何年かしたら、アジアでアフリカで中南米
際に何人来てどこに住んでいるか分からない。
を造ったらいかんという。それは考えが浅い。 ないとある。住民登録もしなくていいから、実
れず自国軍隊で対応した。その反省から、日本 最後に私たちの運動の報告をしたい。経ヶ岬
の軍隊を海兵隊仕様に転換しようとしている。 は写真でも分かる通りとてもきれいな所。都会
の人は、こんなきれいなところにレーダー基地
ト が 武 装 勢 力 に 襲 わ れ た。[ア ル ジ ェ リ ア 政 府
は集団的自衛権の行使を拒否し、外国軍隊を入
資本主義が都市と農村を分離し都市に人を引っ
その人たちが遊んだりする時に交通事故が起き
人が来る。日米地位協定には入管法は適用され
1千人、561筆が撤回に賛成した。工事は進
いた。丹後地方に自然が残るというのは過疎化
守らなければいけない。沖縄の専門家を呼んで
そういうことに対応して、住民は自分で自分を
る人が多数だ。工事が一段落すると米軍160
の結果だ。この状態をどうするということと無
日米地位協定の学習会もする。そういう闘いを
(おおわん・むねのり)
している。
関係に基地反対闘争はできない。
二 つ 目 は、 沖 縄 闘 争 の 経 験 だ が、 闘 い の 当
広島ジャーナリスト 19 号
事者、闘いの主権者が前に出て闘うまで支えな
いといけない。昔は押しかけ闘争みたいなこと
をやっていたが、これでは勝てない。防衛・外
交は政府の専権事項だというのは違う。基地を
社にしたいという。ところが、日本企業はアジ
日米安保の枠組みは残る。基地は日米の自由使
造るかどうかは私たちの問題だ。これが沖縄の
集団的自衛権の最前線基地は沖縄だ。そして、
海兵隊機能の総合的なデパートが辺野古だ。だ 原則だ。経ヶ岬でもこれを徹底する。
いるのか。中国、朝鮮ではない。
模での集団的自衛権を進めている。日本は軍事
びがかかった時だけだ。
強化してどこに行こうとしているのか。集団的
中国や朝鮮と戦争するための兵器とは違う。
抑 止 力 と い う の は 嘘 だ。 で は、 ど ん な 戦 争 を 自衛権=海外派兵。海外派兵はどこに向かって
年
日本は考えているか。
「日本の多国籍企業がア
ジアで起こしている事態」という記事を、
年度末でアジ
アの人々には蔑視的で搾取も労務管理も厳し
用になり、米軍は有事駐留という関係になる。 省交渉、対京都府交渉、対京丹後市交渉、これ
月
で、多国籍資本の下で労働争議が起きる。これ
張って農村、漁村を過疎化してしまった。それ
んでいるが、宇川地区では基地建設撤回を求め
をなんとかしたい、というのが先進各国支配者
る、酔った勢いで若い女性に悪いことをする。
き、基地受け入れ撤回署名運動をしたところ、
した。ところが、経ヶ岬で自衛隊官舎などを除
衛省が全部やった。そして今年5月
日に着工
日付で米軍の土地借り上げは1筆を除いて防
らの報告を会員に配る。そういう中、昨年
育宣伝活動には力を入れている。それで対防衛
い。インドネシアで200万人の労働者がデモ
らせてはいけない。
ジアへ向けた最前線基地。だからこそ絶対に造
辺野古は日本が欲しい基地だ。日本政府の、ア
働争議が起き、暴動になり、反政府闘争になっ
12
で過疎地に原発を持っていき、沖縄に基地を置
[6]
ている。昨年1月、アルジェリアで石油プラン
27
たちの思惑だ。だから手を打とうと、国際的規
過疎化と基地、無縁ではない
27
ているが、全体の6割は日本企業だ。そこで労
をした。スローガンは「日本の奴隷にはなりた
8月6日付毎日新聞が載せた。
12
くない」
。アジアには米国も欧州も資本投下し
10
[ 6] ア ル ジ ェ リ ア 人 質 事 件 イ ス ラ ム 系 武 装 集 団 が
2013年1月にアルジェリア東部の天然ガス精製プ
ラ ン ト 施 設 を 襲 撃、 多 数 を 人 質 に し、 逮 捕 さ れ た メ ン
バ ー の 釈 放 な ど を 要 求 し た。 ア ル ジ ェ リ ア 軍 特 殊 部 隊
が 突 入、 制 圧 し た が、 日 本 人 人 を は じ め 多 数 の 死 者
が出た。
10
≪ 18 ≫
京都・京丹後市の経ヶ岬に 月 日早朝、つ
いに米軍Xバンドレーダーが搬入された。米軍
ミサイル防衛中隊」に格上げ、発足式を強行。
はさらに搬入翌日、
「レーダー通 信所」を「第
10
近畿初の米軍基地が具体的な姿を見せた。これ
10
18
21
に対して
「米軍Xバンドレーダー基地反対京都・
㊨工事車両の前に立ちはだか
って抗議する市民( 月 日)
㊧柚志の住民にアピールしな
がら歩く大湾さん( 月 日)
10
10
近畿連絡会」は激しい現地闘争を展開した。闘
Xバンドレーダー搬入
後、 ゲ ー ト 前 で 抗 議 の
意思表示( 月 日)
21
いのもようを写真で報告する。
反対京都・近畿連絡会」提供)
経ヶ岬に搬入された車載式Xバ
ンドレーダー( 月 日)
2014.12.15
経ヶ岬から丹後町柚志集落へ、海沿いにデモをする抗議行
動参加者(10 月 18 日)
10
14
Xバンドレーダー基地ゲート前で、工事車両の通行を止めて行われた抗
議行動(10 月 18 日)
(写真はいずれも「米軍Xバンドレーダー基地
Xバンドはいらない
経ヶ岬で
反対行動
10
21
≪ 19 ≫
安倍政権の歴史認識を問う
「慰安婦」問題とNHK
い け だ・ え り こ 1950 年
東京生まれ。73 年にNHK
入 局、 デ ィ レ ク タ ー と し て
主に「おはようジャーナル」
や「ETV特集」で女性、人
権、教育、エイズ、戦争など
の 番 組 を 制 作。2010 年 に 定
年退職、現在はアクティブ・
ミュージアム「女たちの戦争
と平和資料館」(wam)館
(岩波書店)、共編著書に「N
長。著書に「エイズと生きる」
HKが危ない!」(あけび書
房)、「女性国際戦犯法廷の記
録」(緑風出版)など。
ジアム「女たちの戦争と平和資料館」館長を務める池田恵理子さんが9月2日、広島市中区の広 ら6月初めにかけて第 回日本軍「慰安婦」問
島市まちづくり市民交流プラザで開かれた「不戦のつどい」で、「安倍政権の歴史認識を問う 題アジア連帯会議が東京で開かれ、インドネシ
アや政治家たちが朝日新聞たたきをしてすさま
教育、戦争などの問題に取り組み、退職後はアクティブ・ミュー じ い 喧 騒 を 引 き 起 こ し た。 他 方、 5 月 下 旬 か
NHKディレクターとして人権、
池田 恵理子
ディアへの露骨な介入を批判した。そのうえで、池田さんは「NHKでは『慰安婦』、南京大虐殺、 集まった。7月下旬にはジュネーブで国連の自
天皇の戦争責任問題を取り上げることはタブーになっている。そのままにしておいてジャーナリ 由権規約委員会があり、日本の人権状況の審査
『慰安婦』問題とNHK」と題して講演。自身がかかわった「女性国際戦犯法廷」のNHK内部 ア、韓国、フィリピン、中国などから日本軍の
での改変問題を、放送現場の視点で生々しく語り、「記憶の暗殺者」とも呼ぶべき安倍政権のメ 「慰安婦」にされた被害者や遺族、支援団体が
12
政権の下でメディアとしてのNHKが置かれて
た。
本のメディアに小さく取り上げられただけだっ
い。
日キャンペーンを張った。吉田清治証言は虚偽
とりわけ 今年の夏は、「慰安婦」 問題や「戦
争」がさまざまな論争をよんだ。朝日新聞が8
ってあふれている。私はいま東京・西早稲田に
による戦争犯罪がなかったかのような論調にな
であった、そこで語られた強制連行はなかった
月5日・6日付で「慰安婦」問題の報道を検証
あるアクティブミュージアム「女たちの戦争資
ということで、あたかも日本の「慰安婦」制度
する記事を掲載、それに対して、右派のメディ
「慰安婦」
「戦争」で熱い夏
朝日新聞の「慰安婦」報道検証に関しては、
新聞、週刊誌が毒々しいまでのタイトルで反朝
いる状況をお話しする。参考にしていただきた
判が勧告の形で出た。残念ながら、これらは日
ズムといえるのか」と、メディアに対する政権の圧力をはねのけるための闘いを呼び掛けた。日 が行われた。
「慰安婦」問題への日本政府の取
本ジャーナリスト会議広島支部と日本軍「慰安婦」問題解決ひろしまネットワーク共催。市民ら り組みがおろそかになっているという厳しい批
130人が聴いた。以下、講演の要旨。
[1]
「慰安婦」問[題をベースに、第2次安倍晋三
[1]本誌では、常に「慰安婦」をカギカッコ付きで使
用する。以下のような認識を根拠にしている。
「慰安婦」とは日本軍が勝手に作った名前だ。だから
私 た ち は( カ ッ コ 付 き で ) 日 本 軍「 慰 安 婦 」 問 題 と 言
っ て い る。 女 性 か ら 見 た ら 慰 安 所 と い う の は 苦 痛 と 地
獄 で し か な い 性 奴 隷 制 だ が、 軍 か ら 見 た ら 兵 士 に 慰 安
を 与 え る、 だ か ら 慰 安 婦 で あ り 慰 安 所 と 呼 ば れ る。 名
称 そ の も の に 軍 の 犯 罪 性 が 現 れ て い る。 女 性 に と っ て
は嫌な言葉だが、歴史に残していく。(2013年5月、
日 本 軍「 慰 安 婦 」 問 題 解 決 全 国 行 動 の 梁 澄 子 共 同 代 表
講演=本誌 号収録=から) 13
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 20 ≫
の報道ぶりに関する情報を集めている。検索を
しているが、そこでこの問題に対するメディア
に対しても、NHKの経営委員を辞任してほし
川三千子さんら非常識な歴史認識を持つ人たち
声明を出して辞任を要求、百田尚樹さん、長谷
になった籾井勝人さんにも、私たちはすぐ抗議
る。
「 美 し い 国 日 本 」 や「 戦 後 レ ジ ー ム か ら の
争は間違いでなく正しかったことになってい
くりを進めていく。彼の歴史認識では、先の戦
化する。そういうやり方でどんどん軍事国家づ
やめてしまって、今度は閣議決定で9条を空文
㌻別表参照)の館長を
かけると、読売新聞、産経新聞、そして日経新
いと申し入れている。しかし、いまだに居座っ
料館」
(通称wam=
聞が、この機に朝日新聞を追い落とそうという
籾井会長は就任後初の会見で「『慰安婦』は
脱却」というキャッチフレーズにあるように、
どこの国にもあった」「オランダの飾り窓がど
勢いで、
シリーズものでバッシングをしている。 たままだ。
新聞あたりが積極的に取り組んできていて、分
「慰安婦」問題では朝日新聞、毎日新聞、東京
がよく言うせりふだ。「慰安婦」は売春婦だか
番組は 年以降、いくら企画を出しても通らな
ど「慰安婦」の番組を制作した。
しかし、「慰安婦」
持ちが深くあるように思う。
戦前の大日本帝国に憧れ、回帰したいという気
かりやすくいうと右と左という感じで二分され
こにもあるように、どこの国にもあったことだ」
私はNHKを4年前に定年退職した。 年間
ディレクターをやり、1991~ 年に8本ほ
らどこにもいるし、今でもあると言う。慰安所
ている。発行部数の合計でみると、
ほぼ互角だ。 と発言した。右派の人や歴史修正主義の人たち
読売新聞など右系で1400万部あまり、朝日
37
新聞など左系で1100万部あまり。
96
ていて、安倍首相もそういう立場だが、問題の
問題の本質だという。産経新聞などが言い続け
関係も日韓関係も悪くなった、こういう状況を
誤った情報を世界中に流し、それによって国際
朝 日 新 聞 の 虚 偽 報 道 が「 慰 安 婦 」 問 題 で の
ったのかという、戦時性暴力が女性への重大な
グループの主張だ。強制連行の有無が
「慰安婦」 の人たちがどんなに無残な人生を送ることにな
つくっているのは朝日新聞だ、というのが右系
人権侵害だという認識もない。そんんな人がN
たくない。被害者が各国にどのくらいいて、そ
全部焼却させたものだが、そういう認識はまっ
設けて運営・管理し、敗戦間際にはその資料を
は日本軍が設置を決め、戦場のいたるところに
てきた人である。
安婦」の記憶と記録を抹殺したいと血道をあげ
になって以来、「慰安婦」問題を根絶したい、「慰
私は、彼らのような歴史修正主義者を「記憶
の暗殺者」と呼んでいるが、安倍首相は政治家
えなくなって、今に至っている。
くなったから、市民活動として取り組まざるを
年
HKのトップに就いた。
安所」が各地に作られるようになったのは
の南京大虐殺の時からだ。この時にはすごい数
反日感情、国際世論の対日非難が高まり、日本
大強かんとか言われるほどだったので中国人の
安倍氏は「記憶の暗殺者」
本質を強制連行の有無に特化している。そして
amでは急きょ、安倍首相や新聞などメディア
各社にあてて「朝日新聞『慰安婦』報道の検証
このような非常に危機的なメディア状況を招
いた第2次安倍政権は、明らかに「戦争ができ
の戦場強かんが発生し、南京大レイプとか南京
る国」に向かってまっしぐらに走っているとし
軍上層部も困ったらしい。兵士の強かんを減ら
・ ㌻参照)
。特に安倍首相には、「慰安
婦」問題の基礎が分かっていないから…とwa
か思えない。昨年末の特定秘密保護法成立、今
た(
mへの招待券を2枚入れ、
「wamへ来てもら
年7月の集団的自衛権の行使容認の閣議決定。 すための対策の一つが「慰安所」設置だった。
性病予防の目的もあった。他にも、兵士の息抜
憲法 条改正をやろうとしたら反対が強いから
をめぐる一連の報道に抗議し訴えます」を出し
37
「慰安婦」問題を朝鮮半島に限定している。w
「慰安所」という言葉が出てくる最も古い公
文書は1932年だが、中国への侵略の中で「慰
96
えばいつでもガイドをします」と伝えている。
2014.12.15
34
問題は安倍首相だけではない。NHKの会長
96
33
34
≪ 21 ≫
婦」として送り込まれたのは、当時植民地だっ
略した中国各地に慰安所がつくられた。「慰安
たが、一番の目的は強かん防止と性病予防。侵
れる恐れがあるので、機密保持のためでもあっ
きのためとか、中国人の遊郭を使えば情報が漏
る。部隊の所在地、部隊名は書けなかった。い
彼は処罰された。[従軍作家だった火野葦平が、 の運営ルール、女性たちの移送方法…女性たち
戦後、軍から命じられたことを明らかにしてい を 軍 事 物 資 と 同 じ よ う に 移 送 し て い る わ け だ
を書いたら、掲載した中央公論は発禁になり、 が作った「 慰安所」の形態、個々 の「 慰安所」
場強かんや「慰安所」を数多く目撃した。それ
して南京に侵攻した部隊に同行取材した時、戦
が、それら が分かってきた。これ が「 慰安所」
で発掘された文書は膨大な数にのぼり、日本軍
示されたことはない。しかし、これまでに各地
[2]
た朝鮮半島と日本の内地の女性が中心だった。
の実態だった。
[3]
銃 後 の 国 民 に は 知 ら さ れ な か っ た が、 ほ と
はならない」とあった。[
ター、強かん所。それがアジア各地にできた。 や軍資料を燃やすよう指令を出し、おおかた焼
とんどが「戦場に稼ぎに来た売春婦」として描
戦後間もなく帰還兵たちが戦場についていろ
いろ書く中で「慰安婦」にも触れているが、ほ
「戦争犯罪」の意識がない
くつもの項目の最後には、「女のことは書いて
太平洋戦争が始まると、戦域が東南アジア一
帯に広がる。女性を遠方から送り込むのが難し
くなり、占領地域の周辺の女性を、ごぼう抜き
の よ う に 拉 致 監 禁 し て 強 か ん し た。
「 慰 安 所 」 んどの兵隊が知っていたのが「慰安所」だった。
却されたが、旧内務省(現総務省)の地下には
かれており、これが戦争犯罪にあたるという意
敗戦間際に軍上層部が「慰安所」関係の公文書
被害者、加害者の証言、公文書、戦記物などの
相 当 な 文 書 が 残 っ て い る ら し い。 吉 見 義 明 さ
などという生やさしいものではなくレイプセン
資料に基づいてマッピングしてみると、インド
識はまったくない。映画や文学にも取り上げら
[4]
れ た が、 加 害 者 意 識 は 出 て こ な い。「 慰 安 婦 」
洋の真ん中のアンダマン諸島からロシア国境近
ん ら[が 何 年 も 文 書 の 公 開 を 求 め て き た が、 開
くまで、
あらゆるところに慰安所ができている。
でも次々出てくる。
12
60
キムハクスン
も中国でもインドネシア、マレーシア、ビルマ
ィリピンでも被害者が次々と出てくる。台湾で
ルナ・ヘンソンさんが体験を語った。するとフ
た。それを聞いたフィリピンのマリヤ・ロサ・
韓国内で同じような被害者が次々と立ち上がっ
た」
と勇気を持って名乗り出た。それを知って、
いた金さんは怒って「私は日本軍の犠牲になっ
ことだと国会で答弁した。それをニュースで聞
は軍が連れ歩いたのではなく民間業者がやった
り出てからだ。この前年に日本政府は、「慰安婦」
のは、 年に韓国の被害者、金学順さんが名乗
91
問題が戦争犯罪として私たちに突きつけられた
[2]1937年 月に起きた南京事件を石川達三は翌
兵士たちに挙手させて調べた軍医さんの話に 年1月に取材、「生きている兵隊」を3月号に掲載した
よると、部隊の8~9割の兵士が慰安所に行っ 中 央 公 論 が 発 禁 処 分 と な り、 石 川 は 安 寧 秩 序 を 紊 乱 し
た 罪 で 禁 固 4 カ 月、 執 行 猶 予 3 年 の 判 決 を 受 け た。 原
ていた。私たちは 年代後半の数年間、8月
本は1カ月後、中国語に翻訳され上海で出版された。
日に靖国神社へ行って、元兵士らしい人たちに
[3]NHKスペシャル「従軍作家たちの戦争」
(2013
突撃インタビューをやったことがある。彼らは 年 8 月 日 放 映 ) に よ る と、 火 野 葦 平( ひ の・ あ し へ
慰安所での行為を「強かん」とは思わず、遊郭 い、 1 9 0 7 ~ ) は 戦 後、「( 従 軍 小 説 で は ) 負 け て
いるところ、戦争の暗黒面、女のことは書けなかった」
に行く気分で利用したから、加害者意識がほと と 書 き 残 し て い る。 火 野 は 1 9 3 7 年 の 杭 州 上 陸 後 の
んどないことがわかった。ところが、慰安所の 中国戦線での体験を書いた「麦と兵隊」「土と兵隊」「花
と兵隊」三部作で300万部以上を売り上げたといわ
存在自体は、国民には知らされていなかった。
れ る。 応 召 前 に 書 い た「 糞 尿 譚 」 で 第 6 回 芥 川 賞。 授
従軍記者や従軍作家が報道しようとすれば、途 賞式は戦地で行われ、小林秀雄が赴いた。
[4]よしみ・よしあき 1946年山口県生まれ。中
端に規制がかかった。
央大教授。民衆の視点に立った日本近現代史を追究。
「従
有 名 な の は、 作 家・ 石 川 達 三 が 書 い た「 生
軍慰安婦」(岩波新書、1995年)、「焼跡からのデモ
クラシー(上下)」
(2014年、岩波書店)など著書多数。
きている兵隊」の例。彼が中央公論の特派員と
90
15
14
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 22 ≫
合うことなく「解決ずみだ」と言い逃れをする
日本政府は彼女たちに対してきちんと向き
とから、 年から中国の性暴力被害者を支援す
かった。私はそういう兵士の娘であるというこ
てしなかった。絶対やっていると思うが話さな
虐殺とか強かんとか放火とか、加害の話は決し
動きがあったのが
こで性奴隷制は犯罪だと認めていく、そういう
すにはどうしたらいいか。当然のことながらそ
いる。旧ユーゴ紛争で起きた集団強かんをなく
年だった。
だけだったので、被害者は日本政府を訴える民
まで行ってすべて原告敗訴だった。しかし、日
省の村で古老から聴き取りをしている最中だっ
月、父が亡くなった時は、ちょうど中国・山西
るグループに入り、今も事務局にいる。この8
運動の中で、女性への性暴力は重大な人権侵害
背後に何があったか。大きくいえば、女性解放
年 に 金 学 順 さ ん が 名 乗 り 出 る、
本軍が女性たちを監禁し強かんして被害を与え
た。それぞれの国で多くの市民が聴き取り調査
だ と い う 概 念 が は っ き り し て き た。 ア ジ ア の
アジアで
件の裁判は、最高裁
たという事実認定はされている。時効とか国家
をしてきた。この 年間にそういう事実が積み
年に国際的にもそれが認められていく、その
兵士として中国・杭州に出征した。高校時代か
査を行い、多くの資料を発掘した。私の亡父は
行」という言葉は使わないが、女性たちに対す
がどれだけひどい人権侵害をしたか、「強制連
なったことも、研究者がこの問題を正面から取
った。日本の歴史家の中には、昭和天皇が亡く
作られなかった「慰安婦」番組
り組める大きな契機になったという人もいる。
年
年 は、 父 の 選 挙 区 を 引 き 継 い で
安倍晋三さんが議員になった年でもある。ここ
奇しくも
ーンで国連の世界人権会議が
年 に N H K の E T V の 番 組 で、 沖 縄
には運命的なものを感じる。
私は
パク スナム
に残留した在日韓国人、裴奉奇)さんを取り上
ポンギ
初 め て 認 め ら れ た。 普 通 に 考
げた映画「アリランのうた」
(在日の朴寿南監
ペ
えれば戦場強かんは犯罪だと
分ぐらいの短い枠だったが、
年の6・ 、沖縄慰霊の日に向けて放送した。
20
金 学 順 さ ん が 8・
に 名 乗 り 出 る 直 前 だ っ た。
かにアジアで立ち上がった女
23
その時、今まで「慰安婦」問題はNHKでどう
91
性たちの動きを受けてのこと
さ れ た こ と は な か っ た。 明 ら
督)
を紹介した。
91
思 う が、 そ れ が 高 ら か に 宣 言
大な人権侵害で戦争犯罪だと
開 か れ、 戦 場 で の 強 か ん が 重
に と っ て も 重 要 な 年 だ。 ウ イ
は 世 界 的 に 見 て も、 女 性 運 動
の 調 査 が 2 回 行 わ れ た。
る強制性は明確に認め、日本の責任を認めて謝
民が声をあげるようになった。東西冷戦も終わ
国々で民主化が進み、軍事政権が打倒されて市
93
罪すると言った。河野談話の前提として、政府
年 の 河 野 談 話 で、 日 本 軍
91
93
93
ら何度か戦場体験の聴き取りをしたが、父は兵
既に日本政府も
はなったが、被害事実は認められた。その間、 上がっている。
無答責とか、2国間協定や条約で解決済みとい
事裁判を始めた。これら
93
う日本政府の立場を追認して、最終的に敗訴に
96
士としてどんなに大変だったかは話すが、住民
弁護士や研究者、市民団体が丹念に聴き取り調
20
93
で、現にアジアからの「慰安婦」 報道されているかをデータベースで調べたが、
14
被 害 者 が こ の 会 議 に 参 加 し て 「慰安婦」
「従軍慰安婦」「慰安所」という言葉
2014.12.15
10
≪ 23 ≫
[6]
ん、[私 た ち 全 共 闘 世 代 に と っ て は 教 祖 の ひ と
りだったが、彼がひとり語りで1週間、ぶっ通
「お金が欲しくて名乗り出たわけではない」「日
本政府が国家責任を認め、法的責任があること
しで話をするというシリーズ番組が放送になっ
本政府から賠償金が支払われたら支援金は政府
自らの「慰安婦」体験を書いた「マリヤの賛歌」 が、生活支援金を渡すという制度をつくり、日
そ う い う 女 性 た ち に は 韓 国 政 府、 台 湾 政 府
が、この放送が終わった時、埴谷さんのご自宅
のだ。すごくいいシリーズ番組で本にもなった
たのを、何年もかけて説得して出ていただいた
谷さんは今までテレビに出たことのない人だっ
会議が北京で開かれ、戦時性暴力の問題がNG
席していて、宴たけなわの時に、こんなことを
岡 昇 平 さ ん の[「 レ イ テ 戦 記 」 の ド キ ュ メ ン タ
リー番組を準備していた後輩ディレクターも同
[5]わだ・はるき 1938年大阪生まれ。専攻はロ
シ ア 史、 朝 鮮 現 代 史。 年 ま で 東 京 大 社 会 科 学 研 究 所
所 長、 2 0 0 7 年 ま で ア ジ ア 女 性 基 金 専 務 理 事、 事 務
「レイテ戦記」はたいへんなボリュームのあ
る大作で、日本兵だけでなく米兵からも聴き取
りをしている。日本側、米軍側、最後はフィリ
(
年)でも注目された。
77
性たちからは強い反発があった。特に韓国、台
湾の女性たちや、
フィリピンの一部の人たちは、 局長。
98
97
61
88
71
広島ジャーナリスト 19 号
では一本も番組が出てこなかった。
をきちんと認めた上で賠償することを求めてい
た。 年安保世代の反骨のディレクターが、埴
年 代 に は、 千 田 夏 光 さ ん
のベストセラー「従軍慰安婦」が出たり、朝日
るのだ」とはねつけた。
1 9 7 0 年 代、
新聞記者の松井やよりさんはタイに残留した元
を出版したという動きもあった。だからNHK
に返済してくれと、そういうことをやっている。
で パ ー テ ィ ー が 開 か れ た。
「埴谷ファンは来て
「慰安婦」の記事を書いた。城田すず子さんが
でも当然報道されてしかるべきだったが、1本
国民基金を批判する番組をつくったら国民基金
[5]
もなかったので驚いた。それから2カ月して金
そのころ私は薬害エイズ問題をやっていて
Oフォーラムで大きなテーマになった。私は若
埴谷さんに聞いた。「レイテ戦記」
は、
住民虐殺、
[7]
いいよ」というので私も参加した。この時、大
学順さんが立ち上がり、それからはNHKでも
本ぐらい番組を作っていた。広島大の高田
い女性ディレクターと2人で取材に行き、ET
飢餓、人肉食と、凄まじい戦場を克明に描いて
計
昇教授の協力を得て広島にもたびたび取材に伺
Vの3本シリーズの中で放送することもでき
痛感した「戦後責任」
96
年 に は 国 民 基 金 が 話 題 に な り、 国 際 的 に
強かんと「慰安所」が出てこないのか―。
った。作る番組はエイズが中心だったが、「慰
年からだった。
「慰安婦」の取材は続けていた。本格的に番組
づくりに取りかかったのは
略戦争を詫びる談話を残したが、一方で「慰安
年 当 時、 村 山 富 市 首 相 は、 は っ き り と 侵
95
婦」問題解決のため「女性のためのアジア平和
くった。
いるのに、なぜレイテ島にあんなにあった戦場
95
安婦」
裁判を傍聴するとか証言集会に行くとか、 た。それも入れると 年までに7本の番組をつ
ニュースで取り上げるようになった。
派 の 和 田 春 樹 さ ん ら[か ら 批 判 が 来 た り、 抗 議
されたりした。 年8~9月に国連の世界女性
60
80
国民基金」をつくった。この国民基金は禍根を 重要な動きがあったが、個人的な動機もあった。 [6]はにや・ゆたか 1909~ 。思想家。終戦直
後 か ら 死 の 前 ま で 長 編 小 説「 死 霊 」 を 書 き 続 け る。
残す制度だったと思う。被害者へのお詫びの気 「慰安婦」問題は日本人の戦後責任の問題とし
年 に「 埴 谷 雄 高 作 品 集 」 刊 行。 新 左 翼 系 学 生 ら の 支 持
持ちで償い金を渡すようになっているが、国庫 て向き合わねばならないという切羽詰まった思
を得たほか吉本隆明、三島由紀夫らからも評価された。
からの税金などは使われず、国民から集めた募 いに駆られていた。この年の1月、埴谷雄高さ
埴谷雄高忌は「アンドロメダ忌」と呼ばれている。 金を渡した。首相のお詫び状は添えられたが、
[7]おおおか・しょうへい 1909~ 。作家、評
論家。仏文学の翻訳でも知られる。戦後、
「俘虜記」「野
国民からのカンパを受け取ることに被害者の女
火 」 で 過 酷 な 戦 争 体 験 を 表 現。 さ ら に マ ク ロ 的 視 点 で
長編「レイテ戦記」を著した。「花影」
( 年)や「事件」
95
30
95
≪ 24 ≫
資料提供:アクティブ ・ ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」
2014.12.15
≪ 25 ≫
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 26 ≫
て充実させていった。私も後で読み直してみた
し、大岡さんは亡くなるぎりぎりまで書き直し
ピンの資料も調査して、それをどんどん書き足
んじゃないか」という言い方をされた。
いは言葉があれば書いただろう、書けなかった
いていく。だから、よく分かっていれば、ある
こと書かないが、彼は自分自身の問題として書
埴谷雄高さん、久野収さん、大岡昇平さん、小
絶対に「慰安婦」番組を作ろう」と決心した。
この対談を収録して私は「東京に戻ったら、
ーん」と考えて「男と女の問題は難しい、越え
か」という質問が出たのだが、埴谷さんは「う
たから、
「なぜ書かなかったのだと思われます
書いてない。埴谷さんと大岡さんは仲が良かっ
て性病のことは少し出てくるが、女性の被害は
えてきた。そういう意味で震災は戦後日本を考
医療や行政など様々な社会資本のほころびが見
わにしたのは、戦後の高度経済成長が目指した
久野さんと小田さんは対談で、「大震災が露
だ。
戦後の日本が忘れてきた問題だとしている。
に語る言葉がなかった、書けなかったというの
ことではないか。高速道路がぺしゃんこになり、 たちがみな、「慰安婦」問題は大事な問題なの
繁栄が、張り子の虎のようなものだったという
私は改めて大岡さんの本を読み直してみて、も
は大きな影響力を持った知識人たちだ。その人
投獄された方もいるし、戦後の民主主義社会で
田実さん…という、戦中に軍部から弾圧されて
り語られた。
が、性暴力は書いてなかった。
「花柳病」とし
られない壁がある。君たちの孫の代になっても
とばっかりおっしゃっていた。
「私は作品を人
のが「慰安婦」問題である。兵士たちは戦場に
れてきたのは戦争加害の問題で、その最たるも
そ し て 最 後 の 7、8 分 で、「 日 本 人 が 戦 後 忘
「これはともかくやろう」と思って、東京に
残念ながらそこまでは生きておられなかった。
戦記」にも書きこまれたに違いないと思ったが、
し大岡さんが生きている間にレイテ島の「慰安
類に向けて書いているのではない。アンドロメ
駆り出されて彼らも被害者だった。しかし兵士
帰ってから次々と企画を出した。その頃は「慰
を考え直す契機になる」という話をされた。
ダ星雲の生命体に向けて書いているのだ」など
には強かんせよとか、慰安所に行けとかの命令
埴 谷 さ ん は そ れ ま で、 す ご く ぶ っ 飛 ん だ こ
なかなか解決しないだろうね」
とおっしゃった。 える原点になる、戦後の繁栄とは何だったのか
と言って、みんなで「へえー」と驚いたりして
はなかったわけで、それは自発的な行動だった。 安婦」問題はトレンディーだったので、企画は
婦」被害者の証言を聞いたら、きっと「レイテ
面白かったのだが、随分まともな答えだったの
通った。 年夏には終戦関連特集としてNHK
問題を日本人は省みてないのではないか」と話
で、兵士は末端であっても加害者だった。この
み、海外取材もガンガンできるという恵まれた
っ た。 デ ィ レ ク タ ー 数 人 で プ ロ ジ ェ ク ト を 組
スペシャル並みの陣容で番組ができるようにな
絶対的な被害者は「慰安婦」とされた女性たち
た。私も神戸に応援に行き1カ月半ほど滞在し
された。
そ れ か ら 少 し し て 阪 神・ 淡 路 大 震 災 が あ っ
が印象に残った。
て、
「大震災が日本社会に問うもの」というテ
番組だった。私たちは勢い込んでいたが、放送
の 2 カ 月 前 ぐ ら い に 法 務 省 が 持 つ 資 料 を 出 す・
この番組を見た同僚たちからは、「池田があ
た「慰安婦」問題にかかわる市民から抗議が一
NHK上層部が番組中止を命じた。それを知っ
私たちの世代に残された課題
ーマで、ETVの5回シリーズの番組を放送し
た。最後の回は、被災者である作家の小田実さ
んと思想家の久野収さんに対談をしていただい
あいう話で終わるように、仕組んだんじゃない
出さないでトラブルになり、それを聞きつけた
か」と言われたが、そんなことは全くなかった。 斉にきた。国内はもちろん韓国、ドイツからも。
た。久野さんも大岡さんと親しかったので、打
で女性への性暴力のことを書かなかったのかと
二人はその話を何の打ち合わせもなく、じっく
ち合わせの時、なぜ大岡さんは「レイテ戦記」
聞いてみた。久野さんは、
「大岡君はすごく正
NHKとしては「中止」というわけにいかなく
直な男で、文士が遊郭に行っても普通はそんな
2014.12.15
96
≪ 27 ≫
たが、誰かにリークされてしまった。スタッフ
電までプロジェクトルームに行って取材を続け
と、エンタープライズの仕事が終わってから終
ープライズに左遷された。しばらくはこっそり
ームは解体され、私は外郭団体のNHKエンタ
なって「延期」にした。しかしプロジェクトチ
科書をつくる会」のメンバーを講師に招いて勉
員100人以上を集めた会で、「新しい歴史教
がる。安倍晋三議員が事務局長だった。衆参議
ないなら、市民が自分の手で記録を撮っていく
なっていく。元兵士もそうだ。マスコミがやら
思っていた。被害者は年をとってどんどん亡く
教科書攻撃を始めるのだが、翌2月には「日本 クトから身を引いてからは、一人の市民として
の歴史と前途を考える若手議員の会」が立ち上 「慰安婦」の記録を残していかないとだめだと
た。ここがリーダーシップをとって中学の歴史
しかない…ということで、
年に若い女性たち
安婦」番組の企画は何回も出したが、とうとう
プライズではプロデューサーだったから、「慰
と脅され、やむなく私は手を引いた。エンター
今使われている2012年版の教科書には「慰
ッシュが起こったのがこの頃だった。ちなみに
いこうという大キャンペーンを張り、バックラ
てに「慰安婦」が載っている。これをなくして
始めていた。活字系は竹信三恵子さん、映像系
資料センター主催でジャーナリスト養成講座を
を定年退職した松井やよりさんが、アジア女性
グループをつくった。その前年から、朝日新聞
と自主ビデオの制作集団、「ビデオ塾」という
う上司はいなかったが、問題を起こしたくない
なぜ「慰安婦」番組ができないかをはっきりい
ュに抗して女性団体が集まり、「歴史は消せな
ころで行われていたので、そんなバックラッシ
科書をつくる会」のプロパガンダもいろんなと
させようという歴史修正主義者の運動が盛り上
中学校の歴史教科書の「慰安婦」の記述をなく
は、「よかった」と思うと同時に少し悔しい思
TV2001が番組で取り上げると聞いた時に
だから2000年の女性国際戦犯法廷をE
さんが亡くなったので、彼女の追悼ビデオをビ
のハルモニ、姜徳景さん―私の尊敬するおばあ
い 女たちは黙らない 緊急集会」を 年3月
に開催した。この年の2月に韓国のナヌムの家
カンドッキョン
がってきたことがある。小林よしのりさんは漫
年1月に結成され
画で「慰安婦」を否定していたし、
「新しい歴
史教科書をつくる会」が
97
97
広島ジャーナリスト 19 号
1996年の終わりごろ、「慰安婦」プロジェ
が
「そんなことやっていると放送を中止するぞ」 強会を開いていた。 年版の歴史教科書はすべ
一本も通らなかった。
安婦」も「慰安所」もまったく出てこない。完
は私がコーディネーターをつとめて、
年 以 降、 2 0 0 1 年 の 番 組 改 ざ ん 事 件 が
全に消えてしまっている。安倍さんたちは、ま
いの女性たちが半年ほど勉強にきていた。そこ
人ぐら
起きるまで、NHKがまともに「慰安婦」問題
ず歴史教科書から「慰安婦」を消した、次にメ
私 が 提 案 し た「 慰 安 婦 」 番 組 の 企 画 は た な
という自主規制の空気が醸し出されていたのは
あまりにも右翼の反撃がすごく、「新しい教
市民の手で裁き、伝える
とにした。
を取り上げたことはほとんどなかった。オラン
マの問題として取り上げたことはあったが。ニ
ざらしになるか、エンタープライズでは通って
ビデオジャーナリストが集めた素材で、トラウ
ュースは出たが、自主企画で「慰安婦」問題を
年以降に番組が出なくなってしま
ことが後で分かったりした。理由を聞いても、
もNHK本体の企画会議には提出されなかった
な ぜ、
右派によるバッ ク ラ ッ シ ュ
真正面から描く番組はなかった。
いこうと考えたのだと思う。
で、そのメンバーと「ビデオ塾」を結成するこ
97
ダのテレビ局がつくった番組を放送したのと、 ディアをコントロールして「慰安婦」を消して
97
いがした。企画を出しても通りっこないと思っ デオ塾のメンバーと初めて作り、この緊急集会
ていたので、その時は提案もしてもいなかった。 で上映した。マスコミが後退していったから、
ったかと考えると、この年の後半あたりから、 確かだ。
96
10
96
≪ 28 ≫
い、という思いだった。
市民がビデオで証言記録を撮っていくしかな
仕事も猛烈に忙しかったから、仕事をやりすぎ
証言を撮ってくる。NHKエンタープライズの
る国には、ビデオ塾のメンバーが現地へ行って
れた。そして放送当日、番組を見てびっくりし
をみんなで注視してほしい」というメールが流
流れた。「NHK の中で何か起きてい る、放送
と こ ろ が 放 送 直 前 の 1 月 末、 不 穏 な 情 報 が
月 の 女 性 国 際 戦 犯 法 廷 は、 松
本の裁判所で証言しても勝訴できなかったの
被害者は落胆した。勇気を持って名乗り出て日
つらだったが、病気療養中だったため、仕事を
受けたので、生き残った。頭髪を剃って頭はか
分 の 1 と い わ れ る が、 私 は 幸 い 早 期 に 手 術 を
人と後遺症が残る人と生き残る人がそれぞれ3
決や起訴状がどんなものかも伝えない。元兵士
ン否定論を言う。法廷の主催団体はどこで、判
なっている。歴史研究者の秦郁彦さんがガンガ
取り上げていながら女性法廷を否定する内容に
短くなっているのと、全体の論調が女性法廷を
た。あまりにも異常な番組だったからだ。
たのだろう。私は、法廷が始まる直前の 月に
2000年
井やよりさんが発案した民衆法廷である。日本
だ。私たちが支援していた中国・山西省の被害
持っていたら絶対にできなかった女性法廷の傍
2人が証言したが、それも入っていない。被害
政府を訴えた民事裁判はすべて最高裁で敗訴、 クモ膜下出血で倒れた。この病気は、亡くなる
者の中には敗訴のショックで体を壊したり、た
聴が、この時はできた。ビデオ塾のメンバーで
証言は各国すべてやっているが、ほんの少しし
[9]
分に
ぶんそれが原因で死期を早めたりする人がい
インターネット中継をしたので、最前列の席か
か 入 っ て い な い。 ス タ ジ オ で 高 橋 哲 哉 さ ん と[
分 の 番 組 が、 こ の 2 回 目 は
た。韓国の被害者は刑事裁判にも訴えようとし
た。後になって、このネット中継した映像を集
の責任はどこにあり、だれが責任をとるのか。 ら無線でカメラへ指示を出すのが私の役目だっ
たが、受理されなかった。この重大な戦争犯罪
めて編集し、ビデオを1巻つくった。
通常は
そして「慰安婦」制度の実態はどんなものだっ
[8]
米 山 リ サ さ ん が[コ メ ン ト し て い る が、 米 山 さ
んの発言がめちゃくちゃに編集されて何が何だ
か分からない。カリフォルニア大学の米山さん
は、番組改ざんを後で知ってNHKに説明を求
めたが何も回答がない。そういう番組が放送さ
状を作成しなければならない。そのために資料
準備に専念した。各国では検事団をつくり、訴
て、それからの2年間は馬車馬のように猛然と
顧問などの専門家も協力してくれることになっ
な賛成してくれた。国連関係の戦犯裁判の法律
やろうと思ったし、被害国の方に聞いてもみん
こ の ア イ デ ア は 非 常 に 新 鮮 で、 即 み ん な で
た。法廷を撮るにしても、私たちは小さな家庭
しなかったんだろうという忸怩たる思いもあっ
った。正直言って、どうして自分で番組を提案
プロダクションなので、いい番組ができると思
つくるのはドキュメンタリージャパンという名
あるETVの番組でこれを取り上げると聞き、 が何もなく、謝罪もなかったのでNHKや関連
廷の実行委員会のメンバーだったから、古巣で
戦犯法廷の主催団体)の運営委員だったし、法
れた。
集めと証言の聴き取りが始まった。日本軍の資
用カメラ、ドキュメンタリージャパンはしっか
授。
[8]たかはし・てつや 1956年福島県生まれ。東
京 大 教 授。 哲 学 者。 戦 後 責 任 論 で は 左 派 の 論 客 と 目 さ
れ て い る。 年 代 に 加 藤 典 洋「 敗 戦 後 論 」 を 批 判 し 注
目された。 [9]よねやま・りさ 1959~。米国在住の日本近
現 代 史 研 究 者。 カ リ フ ォ ル ニ ア 大 サ ン デ ィ エ ゴ 校 准 教
会社を訴えて、7年間、裁判をやった。東京地
V A W W ― N E T と し て も、 説 明 を 求 め た
料は日本の実行委員会が探し出して提供しなけ
私 も V A W W ― N E T ジ ャ パ ン( 女 性 国 際
めちゃくちゃに改変された番組
たのか。松井さんは加害国日本の女たちに、今
何ができるかを考えて、もう日本の司法に任せ
ていられないから民衆の手で裁判をやろうと思
いついた。民衆法廷のイメージはアメリカのベ
40
りしたプロ用のカメラだ。羨ましかった。
トナム戦争を裁いたラッセル法廷だ。
44
ればならない。入国許可が下りない可能性のあ
2014.12.15
10
12
90
≪ 29 ≫
ルしようと狙っていたことになる。
鮮半島の被害者を強制連行したという文書証拠
れたと認めて、NHK、NHKエンタープライ
は、政治家の意図を忖度して番組改ざんが行わ
など関係者も法廷で証言した。そして東京高裁
きないかとあたってみたが、できなかった。こ
イブスに配属になった時、この2回目を公開で
回目だけは封印されている。私がNHKアーカ
回シリーズの中の3本は借り出せるが、この2
NHK職員も見ることができない。職員なら4
今、 私 た ち が 強 制 連 行 の 証 拠 と し て 認 識 で
れて来い」などと書いた文書があるはずはない。
とは文書に残すものではないし、「強制的に連
で残すだろうか。「強かんせよ」などというこ
証拠とは何だろうか。普通そんなものを公文書
領地には山のようにあるが。ただ、強制連行の
と こ ろ が こ の 番 組 は 今、 視 聴 し た く て も、 は確かにない。植民地ではない他のアジアの占
ズ、ドキュメンタリージャパン3者はVAWW
のようなことをしてきた安倍さんだから、 年
政治介入はなかったと言い続けている。反省も
いと言いだして、諸外国や国際機関から批判を
行はなかった、その証拠は明らかになっていな
N H K は こ の 判 決 を 偏 向 し た 形 で 報 道 し、 の第1次安倍内閣の時には「慰安婦」の強制連
れた時の兵士の証言の中で、女性たちを「慰安
事例である。強制売春がBC級戦犯裁判で問わ
きるのは、戦犯裁判で強制売春として裁かれた
そん たく
―NETに200万円支払えという有罪判決を
説明もない。最高裁ではめちゃくちゃな判決で
にあるように、また河野談話でも同様だが、朝
今 回 の 朝 日 新 聞 の「 慰 安 婦 」 報 道 検 証 記 事
やベトナムのケースの記録が証拠として入って
把握されていた。また東京裁判でも中国の桂林
も、こういうケースは明らかな強制連行として
ネ シ ア の バ タ ビ ア 裁 判 だ。 日 本 政 府 の 調 査 で
ある。オランダ女性たちの事件を扱ったインド
所」に連行した経緯が明らかになったケースが
浴びることになった。
有名詞が出て、番組に介入した政治家が明らか
にされたのは前代未聞の事件だった。ここでも
やっぱり安倍さんたちが動いていたのである。
教科書から「慰安婦」記述を削除させた彼らは、
次なるターゲットとしてメディアをコントロー
消せない被害・目撃証言
原告敗訴になったが、東京高裁でこのように固
07
広島ジャーナリスト 19 号
裁ではドキュメンタリージャパンが責任を問わ
れたがNHKは不問だったので東京高裁に訴え
た。高裁判決の少し前に、番組のデスクをして
いた長井暁さん(NHKのチーフプロデューサ
ー)が内部告発をした。事件から4年たってい
たが、
「言わないでいたら生涯後悔すると思う
から」と記者会見を開き、番組の最終段階で自
民党議員から介入があって、ああいう番組がで
きてしまったと告発した。NHKは否定してい
るし、そこで明らかになった安倍晋三さん、中
川昭一さんたちも「自分はそんなことしていな
い、中立公正でやってくれと言っただけだ」と
しているが、その時のプロデューサー、永田浩
NHK番組改編事件の経緯
出した。
三さんや松尾武・放送総局長(2001年当時)
12.8
2000
「女性国際戦犯法廷」開催
~ 12
制作現場による試写。その後、N
1.13
HK内部で試写が繰り返される
松尾武・放送総局長らNHK幹部
1.26 3人による粗編試写と構成決定合
意
NHKに右翼・市民団体が押し寄
1.27
せる
スタジオ一部撮り直し、秦郁彦氏
1.28
のインタビュー撮影
NHKの松尾総局長、野島国会担
2001
当局長らが安倍晋三氏、中川昭一
1.29
氏ら自民党議員と面談。その後、
番組の大幅な改変が言い渡される
松尾総局長らの指示でさらに番組
1.30 カット。4回シリーズのうち、法
廷を中心にした第2回を放送
米山リサさんらがNHK会長あて
3.15
に抗議文
VAWW-NETジャパンがNH
7.24 Kなど3者を相手取り東京地裁へ
提訴
2002 12.27 原告松井やよりさん死去
地裁判決。ドキュメンタリージャ
3.24
パンに 100 万円支払い命令
2004
4.01 東京高裁へ原告控訴
朝日新聞朝刊、NHK番組改編問
1.12
題を 1 面で報道
2005
長井暁さん(事件当時NHKデス
1.13
ク)が記者会見
控訴審でNHKなど3者に 200 万
2007 1.29 円支払い命令。同日、NHKが控
訴
2008 6.12 上告審(最高裁)判決
(参考:永田浩三「NHKと政治権力」、飯室
勝彦「NHKと政治支配」)
≪ 30 ≫
おり、それらがいわゆる公文書といわれるもの
「慰安婦」制度そのものの存在や日本の戦争犯
行が朝鮮半島に関してなかったということが、 最も苦しんでいる人やそれを体験している人た
ちを取材して事実を掘り起こし、その声を伝え
だった。
に送りこむことも自由にできた。だから女性た
度のもとで業者が手先になるし、軍用船で各地
も、いくらでも連れて行く手はあった。公娼制
ら、無理やり武力で脅して女性を連行しなくて
日本国内と同じように公娼制を敷いていたか
貶めたという論調で朝日新聞を批判する。私は
題が日本の国際関係を悪化させ、日本の名誉を
かのように言っている。あるいは「慰安婦」問
うことで、「慰安婦」制度そのものがなかった
の女性たちに関して強制連行の証拠がないとい
で も、 な ぜ か 日 本 の 右 派 メ デ ィ ア は、 朝 鮮
たか、被害彼女たちは何を訴えているのか、元
な政治論争に明け暮れる。被害実態がどうだっ
日本軍が関与したか・しなかったかというよう
をあおる形で、強制連行があったかなかったか、
る。
「 慰 安 婦 」 報 道 と い う と、 ナ シ ョ ナ リ ズ ム
うになって、報道が自主規制され控えられてい
安婦」問題を取り上げること自体がタブーのよ
ていくという仕事がある。ところが今では「慰
ちをだましたり、甘言を用いたりして海外へ連
朝日新聞の論調に全面的に賛成はしない。国民
し か し 朝 鮮 半 島 は 日 本 の 植 民 地 に さ れ て、 罪を否定することには決してない。
れていき、そこで慰安所に入れるというのが大
なかろうか。
兵士たちは何を思うのか…という取材がほとん
われないのは仕方がない、という日本政府の見
基金の評価については批判的だし、朝日新聞が
た だ、 朝 鮮 半 島 の 女 性 た ち で も か な り 暴 力
解を追認する論調である点も、違うと思ってい
ど見当たらない。これはとても異常なことでは
的に連れて行かれた例もある。姜徳景さんは富
る。しかし今、朝日叩きをしているメディアが、 京大虐殺、天皇の戦争責任問題だと言われてい
2国間協定や条約で解決済みだから、賠償が行
山の軍需工場に女子挺身隊として動員され仕事
る。いずれも、かなりの覚悟をして取り組まな
半だった。
をしていて、あまりの空腹にいたたまれなくな
自社のこれまでの「慰安婦」報道を朝日と同じ
し か も、 こ の「 慰 安 婦 」 問 題 が 始 ま る き っ
のだろうか。朝日新聞も、覚悟を決めて「慰安
ーのままにしておいてジャーナリズムといえる
N H K の 3 大 タ ブ ー は、
「慰安婦」問題と南
っ て 逃 亡 し て 憲 兵 に 捕 ま り、 そ の 憲 兵 に 強 か
ければならない重いテーマだが、これらをタブ
回 日 本 軍「 慰 安 婦 」 問 題 ア ジ ア
婦」被害者の声を聞いて報道するということを
から始まった被害者証言だ。今、朝鮮半島だけ
きちんとやらない限りは、「慰安婦」報道をし
かけになったのは吉田証言からではなく、 年
うは思えない。
んされた後、
「慰安所」に入れられて「慰安婦」 ように検証する勇気はあるだろうか。とてもそ
今年の第
生活を強いられた
連帯会議の時に、政府の第2次調査以降に強制
連行も含めて公文書で慰安所制度を明らかに
五百数十件あった。これらはwamにすべてコ
いる。これら全部を否定するようなプロパガン
それが現在の「慰安婦」問題の全体を形作って
ているかを検証しようと、「放送を語る会」の
今 の 時 代、 ど れ く ら い N H K の 放 送 が 偏 っ
する資料がどれだけ出ているか、集めてみた。 ではない、アジア全域でそういう声が上がって、 たことにならないのではないか。
ピーがある。それぐらい多くの資料が発見され
ダが行われていること自体異常なことだ。
委員会の勧告は、7月
日午前4時半に1回だ
な数字を出している。例えば国連の自由権規約
人たちがデータ化していて、びっくりするよう
ている。それ以上に膨大な数に上るのは、主に
問われる「ジャーナリズム」
ジ ャ ー ナ リ ズ ム の 本 来 の 仕 事 の ひ と つ に、 争があった特定秘密保護法も、
「クローズアッ
け放送されただけだという。国論を二分する論
25
市民団体が聴き取りをしてきた被害者の証言や
目撃証言だ。元兵士たちも、数は少ないがきち
んと証言してくれた人は何人もいる。このよう
な聴き取り調査は山のようにあるから、強制連
2014.12.15
91
12
≪ 31 ≫
当議論があったとは漏れ伝わってきたが…。集
プ現代」は1回も取り上げなかった。内部で相
題を取り上げていない。
の番組改ざん事件以降、ほとんど「慰安婦」問
国として世界からさげすまれる、そういう道を
語られ続け、永遠に日本は戦争責任をとれない
官にキャスターの国谷裕子さんが鋭い質問をし
団的自衛権の行使容認問題では、菅義偉官房長
かだが、私たちは日本人として、親たちや祖父
私たちひとりひとりがやれることはささや
ということがあってはならない。それでは日本
この「慰安婦」の記憶と記録を抹殺してしまう
歩むことになる。安倍さんの歴史観によって、
たというので、
放送後に自民党から抗議があり、 たちが解決できなかった戦争責任・戦後責任を
が敬意を持たれる国にはならない。私たちには
回は与党の内容中心だ
が114分、反対する側は
が母や祖母の遺志を継いで、立ち上がっている。 思いと志を持っている方、ぜひご一緒に闘って
いきましょう。
語っているのは上原栄子さんだけだ。
の慰安所で働かされた。その中で自分の体験を
145カ所とか146カ所とかあるという島々
会場との質疑
私たちの代で解決できなければ、これは永遠に
受けとられた日本人はおられるか。
日 本 国 内 で は、 戦 争 中 の 慰 安 所 の ほ か に、
A)日本の被害者の多くは遊郭で働いていて
海外に行ったケースが多く、城田すず子さん、 戦 後 間 も な い こ ろ R A A( Recreation and
マインドコントロールというか、安倍政権のイ
ると、よく分かる。そういう小さな積み重ねが
されている。国会中継を見た後でニュースを見
格好いいところだけが編集されてニュースで流
に 明 ら か に、 そ う い う 仕 事 を さ せ ら れ た の で
調書を見たことがある。捕虜となった女性の中
カイブス(米国立公文書館)を訪れ、捕虜尋問
い。 番 組 の 取 材 で ア メ リ カ の ナ シ ョ ナ ル ア ー
り、本名は分からなかったりで、表に出ていな
おたしたりしているところは全部カットされ、 人余りが聴き取りをされているが、仮名だった
いない。
しようと思っている。
いる。wamは数年以内にこれらも含めて発掘
人もいた。これも日本政府はずっと隠し続けて
させられた。自殺する人も、気がおかしくなる
た。女性をだますような形で米兵相手の仕事を
=特殊慰安施設協会)
Amusement Association
という米兵相手の慰安所が基地周辺につくられ
メージを作っている。日本人は流れる水に従っ
はないか、コンフォートウーマンだったりコン
Q)「慰安婦」問題を自国内で告発するのは
珍しいと思われるが、世界の例は。
の方がはっきりと自分の体験を語っている。
てしまう習性のようなところがあるので、安倍
フォートユニットだったり、そう思える人たち
安倍首相の国会答弁も、もたもたしたり、おた
政権がこれだけひどいことをしていても支持率
がいたが、名乗り出てもいないのに訪ねること
ある遊郭から女性たちが何百人も駆りだされ、 で自国の内戦における女性への性暴力を告発し
「国民基金」の償い金を受け取った日本人は
があまり下がらないのは、このような民族性も
A ) 女 性 戦 犯 国 際 法 廷 の 後、 同 じ よ う な 形
推 し て 知 る べ し だ が N H K は、 2 0 0 1 年
影響しているのだろうか。
もできないので調べていない。沖縄でも那覇に
10
たが、
丁寧に見ていた人はここまで調べている。 最後は「かにた婦人の村」で亡くなったが、こ
ことが多いので、このところ見る気がしなかっ
N W 9 は、 高 飛 車 な 上 か ら 目 線 だ と 感 じ る
驚くべき数字である。
77
このような戦後責任があると思う。同じような
背負っている。被害者はその多くが亡くなって
NHKは平謝りに謝ったそうだ。
日から7
集団的自衛権の問題の取り上げ方を見ると、 きているが、今では子どもたちや孫たちの世代
「放送を語る会」の統計では、5月
月1日まででニュースウオッチ9(NW9)が
15
回で、そのうち与党協議の
回あり、うち
これを扱ったのは
紹介が
14
22
った。報道時間は、167分のうち与党の主張
Q)日本人慰安婦で体験を話された方は。「女
秒だったと言う。 性のためのアジア平和国民基金」で、償い金を
17
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 32 ≫
Q)国連の委員会から「慰安婦」問題への対
法廷を考えている。
処を日本政府は
い。旧ユーゴの女性たちが今、この問題で民衆
スタンでは、実現したかどうか確認できていな
いた。カンボジアでも行われている。アフガニ
ようと、グアテマラの女性たちが民衆法廷を開
かったのが日本政府だ。
政府に働きかけているが、何の対応もしてこな
市民団体はみんなこれを実現してほしいと日本
してもらいたいし、「慰安婦」問題にかかわる
れもまっとうな内容で日本政府はきちんと対応
辱や事件の否定への非難)が出されている。ど
公的な謝罪表明と国家責任の認知、被害者の侮
なって表に出ない。でも心あるディレクターや
の 姿 勢 が 蔓 延 し て い る よ う で、 な か な か 力 に
とは自分の番組を出していけばいいという逃げ
言っているが、自主規制、あきらめ、委縮、あ
う時こそ慰安婦問題の番組もつくるべきだとも
分会があり、ディレクターの分会では、こうい
きりした答えはなかった。日放労にもいろんな
害者処罰、完全な被害回復、証拠の開示、教育、 入れをしているが、労組は様子見のようではっ
求められている
く た め に 」 は「 ク ロ ー ズ ア ッ プ 現 代 」
「NH
Kスペシャル」などのディレクターを務めた
改変事件の当事者でもあり、その時の苦しい
OG3人が、現役の人たちに読んでほしいと
指摘する一方で、良心的な番組をつくり続け
(あけび書房、1600円=税別)
る。
立行政委員会を設けることなどを提起してい
主権実現へ放送行政を政府から切り離し、独
現在の仕組みをいかに変えていくか。視聴者
いるのに、選任過程に加わることができない
める市民運動について紹介。受信料を払って
脱しているとして会長、経営委員の罷免を求
組み換えるか」では戸崎氏が、放送法から逸
第 4 章「 N H K と 視 聴 者 と の 関 係 を ど う
た制作者たちの存在などに触れている。
人事に対して、いかに公共放送の矜持を取り
緊急出版した。安倍晋三政権による政治介入
NHKの現場で番組をつくってきたOB・ 記憶を語る。原発事故報道について問題点を
戸崎賢二・永田浩三著)
「問われる戦時性暴力」番組
く『国民のためのNHK』へ」
(池田恵理子・ 永田氏が担当。
「NHK が危ない!『政府のNHK 』ではな
公共放送の復権訴える
A)その通りで、私たちもNHK労組に申し
と報じられてい
㌻参
戻していくか。第3章「番組制作の良心を貫
Q)最近の状況を見ると、NHKの現場労働 記者は苦しんでいるし、なんとか彼らを応援し
者は悶々としていると思うが、具体的な動きは。 たいと、いま退職者たちが動き出している。
る が、 そ れ へ の
対応はどうなっ
ているか。
「慰安婦」
A)
問題で国連から
厳しい勧告が出
て い る。 勧 告 は
まっとうな内容
で、 レ ジ ュ メ に
あ る「 慰 安 婦 」
問題の要請文の
・
中 の、 傍 線 の 部
分(
被害の訴えにつ
勧 告(
「慰安婦」
続いて6項目の
た 所 見。 こ れ に
約委員会が出し
照)が自由権規
34
いての捜査と加
2014.12.15
33
≪ 33 ≫
被害を朝鮮半島に極小化し、問題を矮小化しよ
うとしてきた日本政府の〝下心〟にも迫ってほ
しいと願わずにはいられません。
ところがこのような朝日新聞の検証記事を受
けて、一部のメディアや政治家たちが、これを
政治利用しようと動き出しました。彼らは朝日
新聞の報道が全部間違いであり、「慰安婦」被
害という戦争犯罪に当たる歴史的事実までな
かったような言い方をしています。朝日新聞の
報道が日韓関係を悪化させ、国際緊張を招いた
と言わんばかりです。
自民党の石破茂幹事長は国会での検証まで言
い出しました。これはまさに報道の自由への国
家介入にあたります。橋下徹大阪市長は「産経
が頑張って、朝日が白旗あげた」と大はしゃぎ
で、「国家をあげて強制連行をやった事実がな
かったことがほぼ確定した」などと述べました。
彼らは白を黒と言いくるめるつもりなのです。
恥ずかしげもなく、何と犯罪的なことをしよう
とするのでしょう!日本国内では言いたい放題
の彼らの滅茶苦茶な暴論は国際社会では全く相
手にされず、ただ危険視され蔑まれるだけだと
いうことに、まだ気がついていないようです。
彼らは、 代から 代の頃に慰安所に監禁さ
れ、毎日数人から数十人もの日本兵に強かんさ
れ続けた女性たちの残虐な被害と、半世紀を経
て勇気を持って名乗り出、日本政府に対して裁
判を起こし、謝罪と賠償を求めて立ち上がった
朝日新聞「慰安婦」報道の検証をめぐる一連の報道に抗議し訴えます
朝日新聞は8月5日・6日の朝刊で、これま
での「慰安婦」報道の検証結果を発表しました。
一部のメディアやネット上に、
「
『慰安婦』問題
は朝日新聞の誤報・捏造によって作られたもの」
という中傷や批判があることへの反論です。
特集記事では、故吉田清治氏による強制連行
の証言は虚偽として記事を取り消し、
「慰安婦」
と「女子挺身隊」を混同した誤用を認め、取材
記者による事実の歪曲を否定しました。「強制
連行」に関しては、
朝鮮半島や台湾に限れば「軍
による強制連行を直接示す公的文書」は見つ
かっていないが、
他の地域には証拠もあること、
問題の本質は軍の慰安所で女性たちが自由を奪
われ、意に反して「慰安婦」にされたという強
制性にあることだとしています。
「いまさら…」と嘆息した
これらの内容は、
くなるほど、日本軍「慰安婦」問題を少しでも
知る者たちには常識となっていることばかりで
す。このような検証なら、もっと早くに行って
もよかったのに…と思いましたが、事実確認も
検証も全く行わずに暴論と虚報を垂れ流してい
る産経新聞などの一部メディアが跋扈している
現状を考えれば、朝日新聞の姿勢と自己批判は
真っ当で、意義あるものと言えるでしょう。た
だ、朝日新聞が相変わらず「女性のためのアジ
ア平和国民基金」を評価していることには、失
望を禁じえません。
「国民基金」による負の影
響 を も っ と 学 ぶ べ き で す。 そ し て、
「慰安婦」
10
20
彼女たちの存在を一顧だにしないのです。
被害女性の国籍は カ国以上に上ります。開
館から9年が経つアクティブ・ミュージアム「女
たちの戦争と平和資料館」(wam)では、1
年ごとに各国・各地の被害を伝える特別展を開
いてきました。展示の中心は、被害女性たちひ
とりひとりの被害と人生を伝える個人パネルで
す。これらの個人パネルを読んでいくと、あま
りにも深い傷跡とそれをも乗り越えた女性たち
の勇気と決断に心打たれると同時に、戦争が終
わってから 年、被害女性が名乗り出てから
年以上も経つというのに、被害者の訴えに耳を
傾けないできてしまった日本政府の非情さと犯
罪性を痛感せざるをえなくなります。
私たちは日本政府に訴えます。今、求められ
ているのは「河野談話の作成過程の検証」では
なく、日本軍「慰安婦」制度についての第3次
政府調査です。第2次調査以降、慰安所の設置
や運営、「慰安婦」の移送などに ついて、研究
者や市民によって膨大な数の公文書や証拠文書
が発掘されています。これらの検証と、聞き取
り調査が進められてきたアジア各国の被害者の
証 言 と 目 撃 者 や 元 兵 士 の 証 言 を 収 集 し、
「慰安
婦」制度の実態について更なる真相究明を行う
べきです。高齢となった被害女性への聞き取り
は、今が最後の機会になるでしょう。
この7月にジュネーブで開かれた国連の自由
権規約委員会は、「慰安婦」問題(「慰安婦」に
対 す る 性 奴 隷 慣 行 ) に つ い て 日 本 政 府 に 対 し、
以下のような所見を出しました。
委員会は、締約国が、慰安所のこれらの女
性たちの「募集、移送及び管理」は、軍又は軍
14
69
10
20
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 34 ≫
のために行動した者たちにより、脅迫や強圧に
よって総じて本人たちの意に反して行われた事
例が数多くあったとしているにもかかわらず、
「慰安婦」は戦時中日本軍によって「強制的に
連行」されたのではなかったとする締約国の矛
盾する立場を懸念する。委員会は、被害者の意
思に反して行われたそうした行為はいかなるも
のであれ、締約国の直接的な法的責任をともな
う人権侵害とみなすに十分であると考える。委
員会は、公人によるものおよび締約国の曖昧な
態度によって助長されたものを含め、元「慰安
婦」の社会的評価に対する攻撃によって、彼女
たちが再度被害を受けることについても懸念す
る。委員会はさらに、被害者によって日本の裁
判所に提起されたすべての損害賠償請求が棄却
され、また、加害者に対する刑事捜査及び訴追
を求めるすべての告訴告発が時効を理由に拒絶
されたとの情報を考慮に入れる。委員会は、こ
の状況は被害者の人権が今も引き続き侵害され
ていることを反映するとともに、過去の人権侵
害の被害者としての彼女たちに入手可能な効果
的な救済が欠如していることを反映していると
考える(2条、7条、及び8条)
。
国際社会が問題視しているのは暴力的な連行
の有無ではなく、
「被害者の意思に反して行わ
れた」行為なのです。上の文章に続く、日本政
府への6項目の勧告(
「慰安婦」被害の訴えに
ついての捜査と加害者処罰、完全な被害回復、
証拠の開示、教育、公的な謝罪表明と国家責任
の認知、被害者の侮辱や事件の否定への非難)
もたいへん厳しいものです。しかし、日本は規
約の締約国として勧告を順守する努力義務があ
<「女たちの戦争と平和資料館」(wam)>
月、東京都新宿区西早稲田にオープンした。開館は水~日
曜日の午後1~6時。資料閲覧やビデオ視聴ができる。18
歳以上 500 円、18 歳以下 300 円、小学生以下無料。HP
は http://wam-peace.org/、電話 03(3202)4633。
以下、wam のHPから。
2005 年8月にオープンしたアクティブ・ミュージアム
「女たちの戦争と平和資料館」(wam)は、日本ではじめて
戦時性暴力に特化した記憶と活動の拠点です。
を発案し、実現に奔走した故松井やよりさんの遺志を受け
wam は、日本軍性奴隷制を裁いた「女性国際戦犯法廷」
継ぎ、①ジェンダー正義の視点で戦時性暴力に焦点をあて
②被害と同時に加害責任を明確に③平和と非暴力の活動の
拠点を目指し④民衆運動として⑤国境を越えた連帯活動を
推進する、という五つの基本理念を持って運営しています。
動を通して、多くの皆さんが被害女性たち一人一人の存在
wam では特別展をはじめイベントの開催や調査、連帯活
と人生に出会い、戦時性暴力の実態と加害責任に向き合っ
てほしいと願っています。そして、一日も早く被害者の正
私たちに何ができるのかを考え、共に行動していきたいと
思います。
2007 年には wam の活動にパックス・クリスティ平和賞
「慰安婦」問題の解決を求める声はますます強くなってい
が授与されました。国際社会、そして日本の地方議会でも
ます。不正義を正し、未来の平和と非暴力・被差別の社会
を実現するため、私たちはみなさんと共に歩んでいきます。
2014.12.15
ります。アジアの被害国だけでなく、世界中が 員会をはじめとする国際社会の勧告に、日本政
この戦争犯罪の実態を知るに至り、一向に問題 府がどう対応するのか、これもしっかり取材し
解決に乗り出そうとしない日本政府、むしろ問 て、私たちに伝えてください。
題そのものを否定したがっている日本政府に厳
日本政府も日本人も日本のメディアも、「慰
しい目を向けています。新しい調査の結果をも 安婦」問題をタブー視して避けて通ろうとした
とに、これら勧告にしっかりと対応してくださ り、歴史修正主義者たちのでたらめな暴論を許
い。
したり、沈黙したりすることが許されなくなっ
そして朝日新聞、産経新聞も含めた全てのメ てきました。今こそ私たちは、未解決の戦争被
ディア関係者に訴えます。各国・各地で「慰安 害である日本軍「慰安婦」問題に、真正面から
婦」にされた女性たち(多くは故人になってし 真摯に向き合わなければなりません。
まいましたが)の証言や被害にあった時の状況
2014年8月 日
を、今からでも遅くはないですから丹念に取材
アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と
し、それをメディアを通して多くの日本人に伝 平和資料館」(wam)
える努力をしてください。また、自由権規約委 【注】傍線は編集部
戦時性暴力に特化した日本初の資料館として 2005 年8
10
義が実現され、戦争や女性への暴力のない社会を築くため、
新聞の日本軍「慰安婦」問題検証報道をきっか
けに、
「慰安婦」問題の事実を歪曲・捏造する
りませんでした。こうして、一緒に行動してい
て行かれまし た。[私は抵 抗したのですが、
『抵
抗すれば殺す』と脅かされたため、従うしかあ
店に着きました。店の一室に閉じ込められ、外
「一日中トラックは走り、どこか分からない
金学順さんを表紙にした「ヒロ
シマ部落研 NO.23」
広島ジャーナリスト 19 号
きにキーセンで稼ごうと考え、その養成学校へ
行きました。そんなころ……女子も強制連行さ
れるという噂が流れてきて、ここにいては危な
いと思い……ピョンヤンから3家族と一緒に北
京に入り、昼食を食べ終えたときです。ここに
はいないと思っていた黄色い服の日本軍が突然
現れたのです。一緒に行動していた男性たちは、
を踏まえて、歴史教育と平和教育に取り組んで
た1歳年上のお姉さんとトラックに乗せられ、
[1]
軍服に3本線が入った位の高そうな軍人に連れ
号「歴史を学ぶ高校
「ヒロシマ部落研」第
来た者として、黙っているわけにはいかない。
制連行・強制労働問題の特集号である。表紙を
から鍵をかけて軍人たちは出ていきました。私
連行されました」
一部メデイアの報道と政治家たちの発言が喧し
飾るのは高知の写真家・奈路広さんの「証言す
日発行)は、朝鮮人強
い。まるで「慰安婦」問題がなかったかのよう
る金学順さん」の写真だ。金学順さん(1924
キムハクスン
だ。
「慰安婦」問題への軍の関与と官憲の加担
ていますが、閉じ込められていた部屋のドアが
人が参加した「高校生・韓国平和の旅」 開き、光が一筋差し込んできました。そこには
日までの4日間、高知・広島・埼玉の高
めて名乗り出た人。特集号には、 年8月 日
から
[1]韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会「証言」
で は、 キ ー セ ン 学 校 の 養 女 に な り、 養 父 に「 中 国 な ら
金 が 稼 げ る 」 と 北 京 に 連 れ ら れ て 行 っ た と 記 す。 研 究
者の吉見義明氏は「『従軍慰安婦』をめぐる のウソと
真実」で「養父に売られた可能性がある」と述べている。
いきました」
て、布きれで仕切っただけの別の部屋に連れて
3本線の軍人が立っていて、『従わなければ殺
証言の内容は、同行した高知高校生ゼミナー
歳のと
14
ル顧問が簡潔にまとめている。
金学順さんの証言
「母と貧しい生活をしていたので、
30
のだ。
す』と言い、抵抗する私を殴ったり蹴ったりし
校生ら
ければ』と言いあいました。今も生々しく覚え
とお姉さんは泣きながら、『とにかく脱出しな
周年の終戦記念日
にあたって」植民地支配と侵略戦争の反省を述
た「河野談話」や、
「戦後
)は、 年に「慰安婦」であったことを初
生」(1994年6月
23
―
かまびす
澤野 重男
10
91
島の高校教師として、「河野談話」や「村山談話」 の記録が載っている。高校生たちは旅の2日目
45
に金学順さんの話を聞いた。写真はこの時のも
べた「村山談話」が攻撃にさらされている。広
93
97
13
50
を認め、日本政府としてのおわびと反省を述べ
15
済州島で「慰安婦狩り」をしたという吉田清
治証言。これを「虚偽」として取り消した朝日
―日韓の溝を越えるもの―
歴史を学ぶ高校生
≪ 35 ≫
≪ 36 ≫
うことを知りたがるのはうれしい。皆さんのよ
奪われました。この後、私はアイコ、お姉さん
かと思います。私たちも学順さんの青春を奪っ
てもきれいで、若いときはどんなに美しかった
「学順さんは、優しそうなおばあさんで、と
す』
」
ナール・中山奈緒さん)
はエミコと名付けられ、その店で2カ月間生活
金学順さんの感謝の言葉が、高校生の閉じた
心を開くのであった。
歳の私は強制的に処女を
をしました。店は日本軍に押さえられていまし
た日本人なのに、最初から最後までわかりやす
「服を破かれて、
たが、彼らはここがどこなのか、何部隊なのか
くていねいに話してくださいました。こんな良
うに熱心に勉強する姿をありがたく思っていま
も教えてくれませんでした。私たちを含めて5
この 年の「平和の旅」は映画「渡り川」に
収録された。「平 和の旅」のあと にも、 年の
ろうかと、日本人であることが嫌になってしま 「共生の旅」、
年の「歴史と平和の旅」と、日
その後、さらにトラックで1日半くらい走った
いました」(埼玉高校生平和ゼミナール・鈴木
人で、300人くらいの軍人を相手しました。 い人を、どうしてひどいめにあわせられるのだ
北方へ連れ去られました。そこでは、馬小屋の
人くらいの軍人と寝
出かけ、朝は酔っ払って帰ってきては、人をい
じめました。朝のうちに
たことがあります。生理の日でも相手をしなけ
ればならず、抵抗すれば殴られました」
心を開く言葉
金学順さんの証言を聞いた高校生の感想を
年発行)というブックレットにまとめられた。
42
韓の国境の壁を越える旅が続いた。
98
軍の「慰安婦」となることを強制された金学順
「行かな いと殺すぞ!」などとお どされ、日本
広島高校生平和ゼミナールの新後伸子さん
は、自分とちょうど同じ年頃のとき、日本人に
綴られている。
ける限り、両国の友好関係は築かれないと思い
ん。過去にあった事実に耳をふさぎ、目をそむ
行為を繰り返した過去を忘れることはできませ
この二つの国について考えるとき、日本が残虐
「共生の旅」の参加者のひとり、広島高校生平
「
( 金 さ ん を ) 迎 え に 行 っ た 時、 部 屋 へ 上 が
た。『 私 が 今 日 ま で、 こ の こ と( 従 軍 慰 安 婦 の
「最後に金さんはこんなことを言っていまし
意気込みがこもる。
らせてもらったけど、一人しか寝ころぶことが
を隠す。どうして認めないのか』と何度も何度
た。なかでも『日本はどうして過去にしたこと
今日までのつらかった過去の話をしてくれまし
このように知りたがっている若者がいる。日本
。旧日本軍の「慰安所」で「性奴
ている。でももう私はこんな年です。殺されて 「分かちあい」
日本人が沢山人を殺しているのを幼い時から見
には、
「 ナ ヌ ム の 家 」 の 敷 地 内 に 日 本 軍「 慰 安
で す。 今、 話 し て 良 か っ た と 思 う。 日 本 で も、 けあって生きる生活の場である。訪問の3日前
もいい!そう思って今日のように話しているの
婦」歴史館も開館していた。「ナヌムの家」の
隷」とされた女性たちが、余生をおたがいに助
も言っていたのが心に残っています。……日本
は教育されていないから、(皆さんが)こうい
ヌ ム の 家 」 を 訪 ね て い る。
「ナヌム」の意味は
80
が過去にした事はもちろん、今、それを隠して
かりました。証言の時は金さんが生まれてから
出来ないくらい狭い部屋で、生活の苦しさがわ
ます」という言葉に、「歴史を学ぶ高校生」の
和ゼミナールの梅地はな絵さんの「日本と韓国、
さんの、次の言葉を印象深く紹介している。
過ちを認めることの大切さと被害者への共感が
ようなところで生活しました。軍人たちは夜に
95
高知・広島・千葉の高校生など 人が参加し
蘭さん)
感想文には「日本がはずかしい」とか「日本 た「共生の旅」の記録は『高校生の韓国旅ガイ
人であることが嫌」という言葉がある。同時に、 ド―「友情づくり」の旅のために』(平和文化、
93
こと)を言わなかったのは、こわかったからな 高知・広島・東京・埼玉・千葉の高校生など
んです。日本人に殺されると思っていました。 約 人が参加した「歴史と平和の旅」では「ナ
読んでいただきたい。
96
10
いる日本がはずかしいです」
(高知高校生ゼミ
2014.12.15
17
≪ 37 ≫
㊤工事中の高暮ダム。左手前の一段低い所にあるのが朝鮮人飯
場。上から監視できる所にあった
㊦高暮ダム
(いずれも県北の現代史を調べる会編「戦時下広島県高暮ダムに
おける朝鮮人強制労働の記録」から)
定着した。「足下から平和と青春を見つめよう」 高 暮 ダ ム は、 広 島 県 の 北 部、 島 根 県 と の 県
境、 庄 原 市 髙 野 町 に あ る。 中 国 山 地 の 猿 政 山
る。長野の旧松代大本営壕(長野市松代区)の
在 映 画「 笹 の 墓 標 」 の 上 映 運 動 を 展 開 中 で あ
ちの東アジア宣言」
「遺骨」の出版となり、現
共同ワークショップ」の開催・継続、「若者た
建立と「笹の墓標展示館」の建設、
「東アジア
朝鮮人の強制労働でつくられた高暮ダムの調査
民地支配の歴史を学び始めた。 年と
広島の高校生は、 年代以後、朝鮮中高級学
校との交流をすすめ、民族差別や侵略戦争、植
も継続している。
どに定着させた。日韓高校生の交流活動は現在
版と映画化、「津賀ダム平和祈念碑」の建立な
所( 7 2 0 0 ㌔ ㍗ ) に 送 っ て 発 電。 以 上 合 計
ケ原ダムに送り、貯水して隧道に流し、君田発
発電所(2万㌔㍗)で発電。さらにその水を沓
㌧。ここで貯めた水を隧道へ流し込んで神野瀬
年には、 3万6820㌔㍗を発電し、西城川に流れ下る。
年までの足かけ
年に
工事は日本発送電(日発)が計画し、奥村組が
年から
広島ジャーナリスト 19 号
ハルモニ(おばあさん)たちの証言を聞き、「慰
安婦」歴史館の展示を見た高校生たちの表情は
硬かった。
「あなたたちに罪はない」という慰
めも、若者たちのショックを和らげるものでは
なかった。だが、持参した千羽鶴がハルモニた
ちに笑顔で受け入れられたとき、緊張が一瞬と
けたようだった。人間としての苦痛や絶望を共
感し、日韓両国民の和解のために残された課題
を果たすことの大切さを、彼らは学んでいたの
である。
高暮ダムの朝鮮人強制連行・労働
特集号には、北海道・長野・岡山・広島・高
知の高校生が教職員・市民とともに「朝鮮人強
制連行・強制労働」問題に取り組んだ報告が収
しゅまりない
録されている。
現在まで続くその運動の成果は、 を合い言葉に活動する高知の高校生は、よく知
をせき止めて建設された高暮ダムの長さは約
られているビキニ被災船調査活動と同時に、津 ( 1 2 6 0 ㍍ ) を 水 源 と す る 神 野 瀬 川。 こ れ
賀ダム(四万十町)の朝鮮人強制連行・強制労
200㍍、高さは約
およそ次のようなものである。北海道の朱鞠内
働問題に取り組み、その成果を「渡り川」の出
㍍、総貯水量は約4千万
標」の出版、
「民族の和解と友好を願う像」の
(幌加内町)における遺骨発掘運動は、「笹の墓
調査・公開運動は「松代大本営と崔小岩」「生
請け負った。
10
およぶ大工事で、神野瀬川の谷あいのいたると
49
91
年には、高暮ダムとその周
辺地域でワークショップを実施した。
40
87
80
94
電所(9620㌔㍗)で発電、さらに森原発電
徒たちのマツシロ大本営」の出版となり、岡山
をはじめ、 年と
70
の亀島山地下工場建設(倉敷市水島)の実態調
査は「はじまりはアリランから」の出版として
93
≪ 38 ≫
北の地で、寒さと飢えに苦しみ、死者は数知れ
ばれ、牛馬のように酷使されていた。雪深い県
労働者の総数は約2千人。彼らは「集団」とよ
に達した。工事のために強制連行された朝鮮人
数は地元の人口の数倍に相当する5千~6千人
ころに日本人や朝鮮人の飯場が並び、労働者の
は戦死。ダムのためといって田を買いたたかれ
2、3回あります。…私も戦争の犠牲者です(夫
島根県の方へ逃げるように教えてやったことが
におむすびを握ってやって、イクリ谷を通って
奴隷時代そのままです。私も逃げている朝鮮人
記録」)。逃亡する者も多く、失敗して捕まると
域で近現代史の史実を掘る実践の成果と到達点
朝鮮人強制連行・労働問題にかかわって、地
い、未来を担う若者として、平和を誓います」
アの新たな友好と平和を築く礎となることを願
て『集団』を追い回して働かせるというのは、 犠牲者の存在を永遠に歴史に刻み、日本とアジ
ひどいリンチをうけた。「親方が棒を振り回し
は、
( 1) 調 査 活 動 を す す め る 高 校 生 自 身 の 人
ることにしました。…この碑が、韓国・朝鮮人
本にまとめ、その本を売った代金を募金にあて
人は死ん
から
人
ず。
「このダムの基礎工事だけでも
う人もいる」
(県北の現代史を調べる会編「戦 (地元の小野久子さん)。このように、朝鮮人の
のであり、
( 3)国際連帯をすすめ るものであ
戦争のかかわり、戦争責任の自覚につながるも
た)。犠牲者同士が助け合うのは当たり前です」 間的成長につながるものであ り、(2)地域と
強制労働被害者を援助し、同情する人たちもい
り、
(4)文化創造につながるものであり、
(5)
地域の反戦・平和民主的伝統を自覚するもので
あった。
敬意を表明すること」を自らの課題として、三
極的な民間交流だ。
溝を越えるものは、事実に基づく歴史学習と積
人被爆者連絡協議会(李実根会長)などととも
に「高暮ダム朝鮮人犠牲者追悼碑」建設運動に
参加していった。 年7月、高暮ダムのダムサ
イトに碑は建立・除幕。高校生は次のような「誓
い」の言葉を読みあげた。
年を迎えるまでに、高暮ダムに追悼
戦時の軍事的性奴隷制度に関する国連のクマ
ラスワミ報告書( 年)は、日本政府に道義的
碑を建てようという運動に私たちも協力するこ
る組織的強姦、性奴隷及び奴隷類似慣行に関す
け入れることを求めている。武力紛争時におけ
責任にとどまらず、国際法違反の法的責任を受
とにしました。街頭募金をしました。集会や交
安婦」問題に関する日本政府の法的責任を求め
る国連のマクドゥーガル報告書(
年)は、「慰
流 会 の 場 で カ ン パ を 訴 え ま し た。 こ れ ま で 勉
「戦後
96
95
強してきたことを『歴史を学ぶ高校生』という
50
「慰安婦」問題をめぐって
次地方史研究会(藤村耕市会長)や在日本朝鮮
「慰安婦」問題や強制連行・強制労働問題に
取り組む高校生は、国境を越え、地域に根ざし
高校生たちは、朝鮮人強制連行・強制労働の
歴 史 を 学 び、 調 べ、 さ ら に「 被 害 者 を 追 悼 し、 て活動することの大切さを学んでいる。日韓の
朝鮮人追悼碑建設に協力
た。
だ。
『立ったまま生き埋めになっている』とい
は死んでいる。ダムの堰堤工事では
30
時下広島県高暮ダムにおける朝鮮人強制労働の
高暮ダムのダムサイトに立つ朝鮮人犠牲者追悼碑
2014.12.15
50 20
98
≪ 39 ≫
は完全に決着しているのである。
ている。法的責任に関する「論争」は国際的に
可能な全ての証拠の開示」「教科書での十分な
及び被害者やその家族への十分な補償」「入手
つくりあげたとし、まるで自分たちが被害者で
つつ、朝日の報道が「慰安婦」問題の加害性を
の あ と、
「 河 野 談 話 」 を 否 定 す る 発 言 が 続 く。
の語句が消えている。朝日新聞の記事取り消し
委 員 会 に よ っ て 採 択 さ れ た「 見 解 」 を、 日
府が公に謝罪し国家責任を認めるよう求めた。
た。
ために、迅速で効果的な措置をとるべきだとし
つき悲しみ、苦しみ、怒りを覚え、日本のイメー
あるかのように「『誤報』で多くの人びとが傷
安倍晋三首相は「河野談話」を継承すると言い
を否定するあらゆる企てへの反論」を確保する
今年7月、
国連自由権規約委員会は、「慰安婦」 記述を含む生徒及び一般市民の教育」「公的な
問題が法的責任を伴う人権侵害であり、日本政 謝罪表明と責任の公認」「被害者を中傷し事件
本の外務省のホームページの訳文によって、確
重大な人権侵害を受けた被害者の原状回復、 ジは大きく傷ついた。『日本が国ぐるみで性奴
賠償及び更生を求める国連のテオ・ファン・ボー 隷にした』との、いわれなき中傷がいま世界で
[2]
月 3 日、 衆 院 予 算 委 員 会 )
正確な記録
のカリュキュラムと教材に人権侵害に関する
いばかりか、これを「いわれなき中傷」とする
「歴
と発言している。国際社会の批判に耳をかさな
行 わ れ て い る 」(
認しておきたい。
ベン報告書( 年)の再発防止補償にも「教育
一方で、軍や軍のために行動した者による強制
「 委 員 会 は、 締 約 国 が[『 慰 安 婦 』 は 戦 時 中
日本軍により『強制連行』されなかったとする
や脅迫を通じ、多くの場合、本人の意思に反し
て慰安所における女性の『募集、移送、管理』
はなされたとする締約国の矛盾した立場を懸念
する。委員会は、被害者の意思に反して実行さ
れたこうした行為は、それらの行為が締約国の
直接的な法的責任を伴う人権侵害と見なすに十
あいまい
分であると考える。委員会は、
元『慰安婦』が、
おとし
公人や締約国の曖昧な立場により促された者に
よる非難を含め、
名誉を貶められることにより、
こ の よ う な 誤 っ た「 歴 史 認 識 」 が ま か り 通
ではすべて
な り、 現 在
撃が激しく
る教科書攻
史観」とす
が、「 自 虐
な さ れ た
婦」記述が
く に「 慰 安
教科書の多
中学校歴史
い。
たちと肩を並べて参加したのは言うまでもな
島の高校生たちが広島朝鮮初中高級学校の生徒
今年も9月 日、高暮ダムで毎年恒例の「朝
鮮人犠牲者追悼碑」の碑前祭が開催された。広
忘れてはならない。
を切り開く道は、憲法9条とともにあることを
史の真実を学び、アジアの人たちと平和な未来
侵略戦争の歴史を反省し、再び戦争を起こさ
ないようにすることを決意した日本国憲法。歴
世界からの信頼は期待できない。
話」ののち、 るかぎり、アジアの人々の信頼は得られない。
「 河 野 談
と」がある。 源である。
史認識」こそが、日本の政治と外交の不安の根
93
を含めるこ
10
の 教 科 書 か (さわの・しげお 広島高校生平和ゼミナール
ら「慰安婦」 世話人、平和・国際教育研究会事務局次長)
14
再び被害者となることについても懸念する」
「河野談話」を継承す
自由権規約委員会は、
ると表明しながら「強制連行」はなかったと強
弁する日本政府の矛盾した態度を批判し、「被
害者の人権侵害が継続している」と断言する。
そして日本に次のこと、つまり「性奴隷制の調
査と加害者の訴追・処罰」
「司法へのアクセス
[2]日本を指す。 碑前祭に参加した生徒たち。前列中央右が李実根氏
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 40 ≫
憲法に見た「個」の思想
大江健三郎氏が広島でスピーチ
その宙吊りの状態のまま、雑誌編集者と約束し
ていたルポルタージュを書くために広島を訪れ
歳。大江氏は
た。原爆病院の被爆者や、重藤文夫院長たちを
取材するなど走り回った。当時
「はっきりいえば広島に逃げ出してきた」のだ
が「その後の私の人生、文学を決定した」と振
中 で も 心 に 残 っ た の は 重 藤 院 長 だ っ た。 昼
り返った。
代半ばの官僚がやってきた。
の食事の1時 間、会うことがで きた。その時、
東京の役所から
面目」に向かい合っていくか。大江さんの
国」は分岐点にある。その局面に、いかに「真
の行使容認の閣議決定など「戦争をしない
迎えた。安倍晋三政権による集団的自衛権
る活動を続けている作家の大江健三郎氏を
いえない」と応じたのである。大江氏のインタ
来最大の暴力を経験した。原爆と関係ないとは
のである。重藤氏は「人間の歴史が始まって以
断を下すのは「無責任ではないか」となじった
病状の研究がまだ進んでいないのに、次々と診
あがる最初の段階だった。その官僚は、被爆の
分も超過した。それができ
るなど安心して学べる環境にない」と窮
などを披露した後「県の補助金が停止にな
のかなどとしばしば重藤氏に議論を吹っかけて
数多くの患者がいるが、なんの役に立っている
投下されて間もないころ、若い医師がこんなに
に は 大 き な こ ぶ が あ っ た。 当 時 の 医 療 技 術 で
1963年に生まれた長男の光さんの頭部
ており、憔悴しきっている大江氏に配慮したの
如、自殺したのである。そのことが気にかかっ
いではないかと突き放していた。その医師が突
大 江 氏 は「 広 島 」 に ひ と 区 切 り つ け た 後、
は、それが単なるこぶなのかそれとも脳の一部
ば、命は助かったとしても障害が残りかねない。
戦争をさせないヒロシマ集会が 月4日、広
島市中区の市文化交流会館であった。戦争をさ
歳を目前に
ではないかと。
県9条の会ネットワークが協力。
なのか判断がつかない。手術して脳に傷がつけ
島 と 自 身 の 結 び 付 き に つ い て 語 り 始 め た。 きた。重藤氏は今は治療するために働くしかな
状 を 訴 え た。 そ の 後、 大 江 氏 が 登 壇。 広
コーラス部がステージに。「翼をください」 た理由について看護士が話してくれた。原爆が
最 初 に 広 島 朝 鮮 初 中 高 級 学 校 の 舞 踊・ ビューは予定より
スピーチに約1100人が聴きいった。
「真面目」の力を見直す
28
当時は被爆者にかかわるさまざまな法律ができ
30
30
してなお憲法9条を断固守り、原発廃止を訴え 「3週間手術をすることを決定できなかった」。 文学について語りだした。明治に始まった「日
2014.12.15
( 撮影・長谷川潤=ギルドフォトニュース )
せないヒロシマ1000人委員会の主催で広島
10
80
≪ 41 ≫
うで長い」
。その最大の作家として知られる夏
本の近代文学の歴史は長いようで短い。短いよ
する。
らに自分の罪についても告白する。そして自殺
目漱石が新聞連載小説として「こころ」を書い
歳 ご ろ の 時 は、 こ の 小 説
がよく分からなかった」という。しかし再読し
、
て今年でまだ100年しかたっていないのであ
大 江 氏 は「
る。
「こころ」は今も日本人の心を打ち続けて
歳の時に新憲法が公布になった
明 治 に な っ て 人 々 の「 真 面 目 の 力 」 が 次 第 に
広島ジャーナリスト 19 号
退化してきて、社会に出てなにもしないよりも
もっと悲惨な状況が広がる中で、漱石は「真面
目」を書いたのである。
「 こ こ ろ 」 の「 真 面 目 」 に 着 目 し た 作 家 に、
大江氏とほぼ同年代の古井由吉氏がいる。古井
氏は岩波文庫「こころ」の解説の末尾で「近代
年後、日本は軍国主義にのめ
大 江 さ ん の ス ピ ー チ を 受 け て 参 加 者 は「
『戦後
働させないように努力しよう」と呼びかけた。
を紹介。「これが 反原発の根本だ。原 発を再稼
ことができない世界にしてはいけないことだ」
質は、この環境を次の子どもたちが生きていく
クンデラの言葉として「人間にとって一番の本
に、チェコ生まれのフランスの作家、ミラン・
て「ドイツの国民は真面目」とも述べた。さら
大江さんはドイツの原発ゼロの決定につい
る国への分岐点にあるのではないか。
の大きな犠牲を引き起こした。いままた戦争す
りこみ敗戦を迎えた。核兵器による広島、長崎
執筆からわずか
ている」と大江氏は力を込めた。漱石の「こころ」
面目に考えれば「時代遅れという考えは間違っ
あるというかもしれない。広島の地で育ち、真
友だちの何人かは、その真面目さはこっけいで
けた。
「戦争をさせない集会に行く」と話せば、
生きていく根本の態度を見直すべきだと呼びか
氏は今のような時代、「真面目の力」すなわち
会になにもしないで生きてきたとはいえ「書き 人の孤立のきわみから、おのれを自決に追い込
残すことに意味があると自覚した」のである。 むだけの、真面目の力をまだ残していた」世代
へ の 挽 歌 の 語 り 口 で あ る と 述 べ て い る。 大 江
て、どのように生きてきたか、どういうことに
15
苦しんできたかを語ろうとする「先生」は、社
14
いると前置きしたうえで大江氏は自らの戦後体
験について、
ことが大きかったという。
「ひとりの個人、人
間として生きていくことが基本と憲法に書いて
あった」
。その考えは今も持ち続けている。憲
法を尊重するのが原理だが「安倍首相はもっと
も露骨に憲法を変えようとしている。これを打
ち破らなければならない。このままではアメリ
カの大きい戦争に参加していくことになる」。
な ぜ「 こ こ ろ 」 に つ い て 話 す か。 大 江 氏 は
粗筋をたどりながら、漱石がしばしば文中に織
り込んでいる「真面目」という言葉を取り上げ
た。
「こころ」を要約すれば、親友が好きだと
話していた女性と主人公の「先生」が、親友に
なんの説明もすることなく先回りして結婚の約
束をする。絶望した親友は自殺した。時はたっ
て明治から大正へ。資産家で社会に出て働くこ
とのなかった「先生」は海水浴場でたまたま知
り合い、
親しくなった青年から議論を迫られる。
親友を裏切った罪の意識が消えない「先生」は、
自分はこのまま生きていくことはできないと覚
悟。青年に「あなたは本当に真面目ですか」と
問い詰めて後日、青年に長い遺書を郵送したの
である。自分はどのような人生を送ったか、さ
30
11
≪ 42 ≫
郎 作家自身を語る」の増補・改訂文庫 のこの金井論説委員ただひとりだった」
本(新潮社刊)そして本書である。
と書いた。金井氏は「核権力」の中で「『世
誌に掲載中の同作品(「ヒロシマ・ノー
本書の成り立ちについて氏は「晩年 界』
)で、大江氏のつくり上げた私の虚
様式集」を書きあげた後「自分が書いて ト」
きた小説 像に対面してどきりとした。私も年に一
のすべて 度か二度は、原爆犠牲者の無言の訴えを
を読み直 代弁するための清浄な気持ちになりたい
す こ と 」 と願う」と述べている。
を思い立
さてパール・ハーバーに思いをめぐ
ち、短篇 らせた文芸家に詩人の栗原貞子もいる。
から始め ホノルルで 1980 年に開かれた非核太平
た。残す 洋国際会議に参加。自作の「生ましめ
ものを選 んかな」の朗読とスピーチをした(「人
んで「必 類が滅びぬ前に 栗原貞子生誕百年記
)
。滞在中、土産店で奇襲を伝える
要に思う 念」
書き直し 1941 年 12 日7日の英字新聞号外を入手。
は し て、 1982 年出版の「核時代に生きる-ヒロ
と述べている。半世紀以上に及ぶ作家活 ロシマ・ナガサキを中心に考える日本人
動だけに精選したとはいえ、23 作 840 の意識的・無意識的な被爆ナショナリズ
㌻ある。その総体を紹介することは手に ムの視野の狭さをこわしてくれた」と書
余る。広島ゆかりの一篇に集中したい。 いている。栗原にとって初めての海外旅
それは連作「
『雨の木』を聴く女たち」 行だった。
の4として書かれた
「さかさまに立つ
『雨
大江氏は本書あとがき「生きること
の木レイン・ツリー』
」である。初出は の習慣」で「それらの短篇のいちいちか
「文学界」1982 年3月号。氏らしきプロ ら、自分の生きた『時代の精神』が読み
フェッサーがハワイに滞在した折に出 とりうることを(しばしば消極的・否定
会った日系の老婦人が「反核運動と日本 的な表現となっているのではあります
のパール・ハーバー奇襲」の間で戸惑う が)信じるようになりました」と述べて
といったストーリーだ。そこに老婦人を いる。書くことへの意志が強く感じられ
取材したKさんという広島の新聞記者が る。 (岩波文庫、1380 円+消費税)
2014.12.15
る。
(三一書房)で「ヒ
最終的な定本作りをこころがけました」 シマ・死の中の生」
で被爆し、広島のすべての人間が沈黙を強制さ
タイル」
(講談社刊)
、続いて「大江健三 生真面目な維新の下級武士といった印象
あわせましょう」と集会アピールを採択した。
と書いた「晩年様式集イン・レイト・ス に激昂している日本人を僕が見たのは、
の精神』とは、沖縄、広島・長崎で戦争に対し
る。氏が帯に「おそらく最後の小説…」 の夏広島での大会のさまざま会場で、真
れていた1945年暮、すでにあの正確な『夏
大江氏は「ヒロシマ・ノート」に「こ
作 家、 原 民 喜 の お い で あ る 原 時 彦 氏 が 大
するかのように次々と新刊を出してい
て反対の声をあげ、抵抗してきた人々の生き方
昨秋から大江健三郎氏は総仕上げを かる。
の花』を書いていた。
そして朝鮮戦争がはじまっ
井利博氏の人物像を借りていることが分
1965年に世に問うた「ヒロシマ・ノート」 た翌年、作家は自殺したのである」と悼んでい
の紹介があり、中国新聞論説主幹の故金
にこそ体現……日本国憲法の保障する、集会・ 江 氏 に 花 束 を 手 渡 す 場 面 も あ っ た。 大 江 氏 は
「大江健三郎自選短篇」
デモ・言論・表現の自由を使い、みんなの知恵
-ヒロシマの告発」(1970 年、三省堂刊)
の「プロローグ 広島へ…」で「原民喜は広島
あるジャーナリストの横顔
と力を集めてこの危機を乗り越えるために力を
登場する。Kさんの著作として「核権力
「災害と憲法」を考える
阪神・淡路大震災があった1995年に弁護士登録、その後一貫して災害問題に取り組んで
きた津久井進さんが 月3日、広島市中区の市青少年センターで「災害と日本国憲法」と題し
津久井 進
条を念頭に憲法は災害時の人間復興の道筋を示したものだと強調した。また、東
11
8月
日に発生した広島土砂災害を現地支局で取材する中国新聞の久保田剛記者が、広島特有
語った。広島県9条の会ネットワーク主催、市民ら約250人が耳を傾けた。講演に先立ち、
自尊感情を取り戻すことができているかどうかだ、と自ら被災地を回った体験を踏まえながら
日本大震災をはじめ各地の災害被災地でうまくいっている所といっていない所の差は、住民の
て講演し、
13
つくい・すすむ 弁護士。1969年名古屋市生ま
年神戸大法学部卒。 年弁護士登録。日弁連災
れ。
95
と憲法」(日本評論社)など共著多数。
害復興とそのミッション」(クリエイツかもがわ)
、「3・
援機構事務局長。
「大災害と法」(岩波新書)のほか、「災
害復興支援委員会副委員長、阪神・淡路まちづくり支
93
阪神・淡路大震災の年に弁護士になった。震
災の時は研修で埼玉県の寮にいた。慣れ親しん
ひと事であっても、なるべくわが事としてとら
わが事か、他人事か。そうしたことが起きた時、 成り立つ。憲法も、大事なのは想像力だ。その
二・五人称の視点
立場に置かれた人の気持ち、状況にどう想像力
てその正体が分かった。一言で言えば彼我の差。 言っている。それが自由主義と混ざって社会が
だ地域が火の海に包まれ、それをテレビで見て
ラウマみたいなものがある。テレビ画面の中の
[1]やなぎだ・くにお 1936年栃木県生まれ。N
H K 記 者 を 経 て ノ ン フ ィ ク シ ョ ン 作 家。 被 爆 直 後 の 広
島 を 襲 っ た 台 風 被 害 を 気 象 台 職 員 の 視 線 で 追 っ た「 空
白 の 天 気 図 」 や 航 空 機 事 故 の 原 因 究 明 に 迫 っ た「 マ ッ
ハの恐怖」、がん研究の前線を描く「ガン回廊の朝」など。
90
出来事は、私にはわが事だったが、見ている仲
間は「すごいね」とか言う。真剣なのだが、言
尼崎で2005年4月 日にJR脱線事故が [2]1723~ 。イギリスの経済学者、哲学者。
起 き た。 被 害 者 支 援 を や っ て い て 柳 田 邦 男 さ 年に「国富論」出版。
25
今も災害の問題に取り組んでいる。その時のト
えるという気持ちで弁護士をしている。
か、さらには同情する気持ちが人間の本質だと
ム・スミスは[、別の本では「道徳感情論」を説き、
大変な目にあった時に気の毒とかかわいそうと
[2]
神の見えざる手で世の中うまくいくというの
が新自由主義の論拠だが、その根源であるアダ
の話を聞いて私も腑に落ちるところがあった。
間にある二・五人称が大事だと気づかれた。そ
が自殺され遺族になった時、三人称と二人称の
本質なりに迫れない。柳田さん自身、息子さん
う感じがある。すると結果的に真実なり事件の
に違和感があったそうだ。ひと事、冷たいとい
家族。三人称は専門家とか第三者。この三人称
んと[出会い「二・五人の視点」ということを教
えられた。一人称は亡くなった本人。二人称は
[1]
11
いることに罪悪感を感じた。それがきっかけで
と述べた。以下、津久井弁護士の講演要旨。 の土地事情など被害拡大の原因を報告、「住宅二重ローン救済など息の長い取り組みが必要」
20
葉の端々に人ごと感が感じられた。何年かたっ
76
人間の復興こそ重要
≪ 43 ≫
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 44 ≫
憲と思われる特定秘密保護法が堂々と通って
として大きく方針を右に切ったし、明らかに違
か。戦争前だろう。集団的自衛権については国
テーマだが、今は戦後ではない。では何の時期
いる。
「戦後レジーム脱却」が安倍晋三首相の
うな講演タイトルだが、私の中ではつながって
「災害と日本国憲法」というミスマッチのよ
さんが機雷の爆発によって亡くなった。この番
隊と呼称し、掃海活動に携わった。中谷坂太郎
の田村久三さんを総指揮官に任命して特別掃海
来た。吉田茂首相は密かに決断し、元海軍大佐
だ占領下だったため、アメリカから日本に話が
時の日本の技術が優れていたということで、ま
いた。北朝鮮が海にまいた機雷を回収する。当
いた、その拠点港だったという話を取り上げて
鮮戦争時に日本の民間人8千人が駆り出されて
味もない。近づけるべき理想のラベルがはって
なったゴミ箱にラベルをはるだけだから何の意
状をただ追認するようになったら、いっぱいに
じるのか、という話だ。自民党草案のように現
るが、ではどういう意識で我々は日本国民を演
たとかではない。前文は「日本国民は」で始ま
業を我々国民が怠ってきた。
をやっている。理想に現実を近付ける、その作
が、まかり通っている。表のラベルと違うこと
切秘密にするようにといい、国会で追及される
ない憲法は無意味だ。その憲法の使いどころは
と「現在、そのような記憶は消失しております」 いつなんだ、今でしょ、という感 じだと思う。
を働かせるかが大事ではないか。
いる。その一方で、憲法9条のおかげで誰も死
組では 人亡くなったと出たが、吉田首相は一
私たちが憲法を作っていく。アメリカが作っ
んでいないし殺してもいないと言い続けてきた
が、この言葉の緊迫感のなさに最近、気がつい
災 害 は 忘 れ た こ ろ に や っ て く る。 憲 法 は 忘
条( 次 ㌻ 別 表
れた時に大事さが分かる、ではいけない。
誰もが等しく誰もが違う
憲法の中で一番大事なのは
衛権が認められるという9条の解釈は小
しまなものをどんどん入れる。集団的自
事で、それをしてないから変な人がよこ
身はない。その中身を誰が埋めるかが大
ぽなものだ。理想が書いてあるだけで中
を見て気付いたが、憲法はもともと空っ
を充たすために」(かもがわ出版)。それ
SMAPの「世界に一つだけの花」。2003
と言っている。このことを言い当てているのが
いうことでもある。この二つを重ねて「すべて」
もに「誰もが違う、その違いを尊重しよう」と
く尊重されなければならない」ということとと
が同じだけの価値がある。だから、誰もが等し
うという意味だが「一人ひとりの人間は、誰も
べて」に注目したい。一人ひとりを大切にしよ
だ。この条文の中の「すべて国民は」の
「す
んは本を書き、タイトルが「憲法の『空語』 参照)
は後援を拒否した。それをネタに内田さ
田樹さんの講演をやるといったら神戸市
はないか。今年5月3日の憲法集会で内
のではないか。その緊迫感が今、必要で
9条にはまだまだ足りないところがある
9 条 に ノ ー ベ ル 賞 を と 言 っ て い る 半 面、
戦 後、 憲 法 9 条 が 存 在 し た 時 代 の こ と だ。 た時に止めるのが歯止めだ。
」 と答弁した。
は、かつて神戸が集団的自衛権の最前線で、朝
憲法は歯止めだと言ってきたが、権力が暴走し
た。
56
学校の国語を習っていれば無理だと思う
2014.12.15
13
昨 年、 深 夜 に 放 映 さ れ た「 M B S 映 像
‘14
≪ 45 ≫
東北の被災地だ。牡鹿半島の雄勝町は石巻市に
合併、編入されたが、もともと漁業の町だ。人
口4300人ぐらいだが、そのうち3千人が津
条 を 読 む と「 す べ て 国
民は」は「被災者の困難にわが事として寄り添
波 被 害 に 遭 っ た。 死 者 も 1 0 0 人 ほ ど お ら れ
災害的発想で憲法
る。
う」とい うこと、「幸福追求」は「 絶望の中に
きる。言い換えれば「人間の復興」がキーワー
自己決定権を尊重する、こう読み解くことがで
で、そうし た権利は「最大限の尊 重」、つまり
に考えていきましょう、さあ手を挙げてくださ
賛成しない人は終わりです、賛成する人は一緒
うと市が決め、1回目の集会で示した。そして
希望を見いだし、あきらめずに求めていくこと」 る。復興にあたって、海辺は捨てて高台に移ろ
ド。このことを阪神大震災以来言い続けている。 いとやった。9割が手を挙げた。それで作業は
こうしたことが平時からできていれば災害時に
い。後の7割はどこに行ったか。聞いてみると、
進んでいったが、帰って来る人は2割しかいな
の上で、最大の尊重を必要とする。
年のNHK紅白歌合戦のトリで歌った。捨てた
一人ひとりを尊重することが震災復興なん
もできる。普段からやっていなければ、災害時
自分だけが反対するのはよくないと思ったとい
自分が反対して遅くなるとよくないと思った、
だ、これができていないと言いたい。災害時は
年、 国
にもできない。
ブ ー タ ン の ジ グ ミ・ ケ サ ル 国 王 が
秩序維持が大事だという。ある意味でその通り
だ。災害救助法にも、秩序維持と被災者救済が
えて同調すればどうなるか。たぶん雄勝町は限
う。そういう人が7割もいた。自分の考えを抑
界集落化する。それも極めて早く。それは正し
民総幸福量(GNH)が大事だという話を日本
幸福量とは①公正公平な経済②文化的精神的な
条にも
「公共の福祉に反しない限り」 の国会でした。これだなと思った。ブータンで
いことではないだろう。
目的と書いてある。そのバランスをどうとるか
とあり、人権と人権の衝突を調整するというの
遺産③環境④しっかりした統治。日本では②③
かない政策が展開されている。ここから学ばな
よる経済の復活。ブータンでは不幸せというほ
繰り返された情報統制
は、やむを得ないということは分かる。災害救
国会では、人権を制限することが人権侵害にな
問題はその後で、復旧復興の営みの中で個人の
もらうとか与えられるとか受動的にではなく、 日の号外。「朝鮮 人の暴徒が起こ って横浜、神
被災者は自分自身の自立を求める。何かをして
被災地のことは国ではなく自分たちで決める、 東大震災あたりから。1823年だから、まだ
歴 史 を 振 り 返 る。 憲 法 と 関 係 す る 時 代、 関
尊重があまりに軽視されている。
「関連死」と
年しかたっていない。注目したいのは9月3
は、人がすべきことを怠ったために命が奪われ
自分自身で決定できる。そうしたことが被災者、 奈川を経て八王子に向かって盛んに火を放ちつ
浜で戦闘開始」とか「屋根から屋根へ鮮人が放
つ あ る の を 見 た 」 と か、
「不逞鮮人一千名と横
実際にそれを実践しているのが新潟県中越
火して廻る」とか書いてある。こうした情報媒
被災地に必要だ。
地方の被災地だ。逆に、自分の考えを抑えて同
日時点で1都9県3089人にのぼって
て関連死で1704人で、関連死が100人近
体 し か な い 時 代 だ か ら、 国 民 は 信 じ た だ ろ う。
いる。福島県の場合、直接死1607人に対し
90
調するといったことが多く展開されているのが
3月
た「人による死」だが、東日本大震災では今年
することについては疑問もなく通っていくが、 ければいけない。自分のことは自分で決める、
らないかと議論していた。今は全く逆だ。制限
助法は憲法ができた翌年に成立した。その時、 ④は全然ない。求めているのは単に高度成長に
だ。憲法
11
広島ジャーナリスト 19 号
[個人の尊厳と公共の福祉]
憲 法 条 す べ て 国 民 は、 個 人 と し
て尊重される。生命、自由及び幸福追求
13
もんじゃないと、この年は思った。
福祉に反しない限り、立法その他の国政
に対する国民の権利については、公共の
13
13
く上回っている。救えたはずの命が失われてい
31
≪ 46 ≫
その結果、中国人や朝鮮人の方々、あるいは社
視察を加え、鮮人の行動に対しては厳密なる取
聞は「中部地方に地震、重要施設の被害僅少」
。
は1千~2千人、敗戦直後には台風で死者不明
えられていなかった。それがこうしたことを招
採し、防空壕はあっても災害に対する避難は考
に起きた東南海地震と三河地震。今、警戒され
日 本 は 戦 後、 高 度 経 済 成 長 期 に 入 る と 災 害
戦 時 下、 い か に 情 報 が 操 作 さ れ る か、 と い
特ニ注意ノコト
軍人サンヘノ通信ハ士気ニ関係シマスカラ
マス
コレハ郵便局デ検閲スルコトニナッテオリ
トハ禁ゼラレテオリマス
軍 事 上 ノ 必 要 カ ラ、 被 害 ノ 情 況 ヲ 知 ラ ス コ
書いてあった。
三重県九鬼町、今の尾鷲市での回覧板にはこう
両紙とも「死傷者は極めて少なく」と報道した。
先 ほ ど の 新 聞 と 文 言 は ほ と ん ど 一 緒 だ。 こ
締を加えられたし」
が勝手に虐殺したという例もある。裁判の判決
うしたデマを流すのは政府、中央であるという
会思想家の方々の虐殺が行われた。民間自警団
などをみると、外国の方が助けを求めて避難し
のが関東大震災の教訓だ。
あ ま り 知 ら れ て い な い が、 戦 争 中 に は 大 災
た警察署の中で殺されたりしている。そうした
ことが秩序維持とかの名目で起きるのはなぜ
これは国が流している。記録によると、海軍省
3756人にのぼった。尋常ではない数だ。当
か。こうしたデマはどこから出たか。定説では、 害がたくさん起きていた(別表参照)。死者数
分、次のよう
船橋送信所が9月3日午前8時
「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に
時は防災に全くカネを使っておらず、樹木も伐
放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京
いている。注目してほしいのは昭和 年と 年
に全国に打電している。
市内に於いて爆弾を所持し、石油を注ぎて放火
するものあり。現に東京府下には一部戒厳令を
ているのが南海トラフと東海だが、こうした規
戦中・戦争直後の大規模災害
う一つの表れだ。
施行したるが故に、各地に於いて十分周密なる
のことは忘れてしまう。高度成長は1990年
年の雲仙普賢岳火砕
模の地震が直前に起きたのはこのころだ。東南
路大震災が
人が亡くなった。
年。 西 宮 市 仁 川 百 合 野 町 で は 地
年 に は 奥 尻 島 の 津 波 が あ り、 阪 神・ 淡
半田市では繊維工場を航空機工場に変え、学徒
滑りで
震が来ると、壁がないからつぶれる。入口が1
を閉め切り、入口も1カ所にして働かせた。地
が多くあった。この年はほかにも三宅島噴火、
2000年には鳥取西部地震をはじめ台風被害
07
年の東日本大震
年に新潟中越地震、
有珠山噴火があった。
は女学生とか中学生だったらしい。そうしたこ
90
でもほとんど報じられなかった。朝日新聞は「東
普段弱いところが現出する。社会の課題が前倒
人 間 の 体 と 一 緒 で、 自 然 災 害 が 起 き る と、
11
04
しで出てくる。
とも含めて隠された。政府の方針だった。新聞
災。
カ所しかないから逃げられない。下敷きになっ
戸が押しつぶされ
動員の若い子が働いていた。壁をぶちぬいて窓
悲 惨 だ っ た の は、 被 害 が 隠 さ れ た こ と だ。 る。
流から今日まで、毎年のように災害が起きてい
91
年 に 能 登 半 島 地 震、 そ し て
34
起きた。
ぐらいで終わりになり、
20
海地震から約 日後に三河地震が愛知県中心に
19
て150人ほど亡くなった。そのうち 人余り
13
95
93
40
海地方に地震、被害最小限度に防止」、読売新
2014.12.15
15
死者不明 3756 人
死者不明 1443 人
死者不明 1930 人
※年表記は昭和
三宅島噴火
長野北部地震
豊橋竜巻
台風 16 号
鳥取地震
台風 26 号
東南海地震
三河地震
以下、戦争直後
20 年9月 17 日 枕崎台風
21 年 12 月 21 日 南海地震
22 年9月 14 日 カスリーン台風
死者不明 46 人
死傷者 23 人
死傷者 53 人
死者不明 1158 人
死者 1083 人
死傷者 1461 人
死者不明 1223 人
死者 2306 人
15 年7月 12 日
16 年7月 15 日
11 月 28 日
17 年8月 27 日
18 年9月 10 日
9月 20 日
19 年 12 月7日
20 年1月 13 日
≪ 47 ≫
入っている。これが、阪神大震災の時は絶対ダ
に「復興は住宅の再建から」という署名用紙が
あ っ た 住 宅 復 興 に つ い て。 き ょ う の 配 布 資 料
た い。 ま ず、 阪 神 大 震 災 の 時 の 一 番 の 課 題 で
振 り 返 っ た 中 か ら、 い く つ か の 教 訓 を 上 げ
が2011年にあるはずだったが、東日本大震
律だった。その後2度改正され、3度目の改正
困った分への手当て、補てんだと、こういう法
活再建支援法が1998年5月、震災から3年
名を集めた。こうした後押しもあり、被災者生
2482万8964筆、国民の5人に1人の署
小田実さんを中心にした市民活動ではなんと
た。そんな馬鹿な話はないと運動した。作家の
わった。運動の成果だ。能登半島地震や中越沖
100万円なり300万円なりが出る制度に変
い と 改 正 さ れ な い。 2 度 目 の 改 正 で 皆 さ ん に
市 民 が 作 っ た 法 律。 だ か ら 市 民 が 声 を 上 げ な
領収書と引き換え、住宅には使ってはいけない、 大 き な ず れ が あ る。 被 災 者 生 活 再 建 支 援 法 は
たって成立した。100万円あげるよ、それは
地震、中越地震の被災者が声を出して改正され
たわけだ。
そんな条文あるわけがない。憲法の空語を埋め
てほしいと反論し、論破は簡単だったという。
たそうだ。では憲法何条に書いてあるのか教え
明に上がった。憲法違反だからやめろと言われ
「住宅再建に公 金 」 は 違 憲 ?
メ と 言 わ れ た。 私 人 の 住 宅 に 公 金 を 使 う の は
災が起きたため、ほったらかしになっている=
霞が関がいう公共と私たちがいう公共には
私有財産制度の否定で憲法違反だ、財政法上認
改正ポイントは別表の通り。
た。
そ う 考 え る と、 憲 法 は 復 興 の 方 針 を 示 し た
広い意味で「平和」をとらえる
た。「国体を変 革し、または私有財 産制を否認
法律だと分かる。憲法は戦後できたが、実は関
の絶好の機会」と言ったのはご存じと思うが、
のは人間だ、特に営生権、生存権が大事だと「復
間が生きていくための手段にすぎない、大事な
[4]
これを喝破したのが片山善博さんで、鳥取県知
大 正 デ モ ク ラ シ ー で 活 動 し た 福 田 徳 三・[一 橋
大教授は、そのアンチテーゼとして、都市は人
者ハ七年以下ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス
ニ処ス
[4]ふくだ・とくぞう 1874~1930。経済学者。
前 項 ノ 未 遂 罪 ハ 之 ヲ 罰 ス 第 二 条 前 項 第 一 項 ノ 目 的 大 正 デ モ ク ラ シ ー 期 に は 吉 野 作 造 ら と 民 本 主 義 啓 蒙 に
ヲ 以 テ 其 ノ 目 的 タ ル 事 項 ノ 実 行 ニ 関 シ 協 議 ヲ 為 シ タ ル 努 め る。 関 東 大 震 災 直 後、 失 業 率 調 査 を 行 い、 国 な ど
へ支援を訴えた。 [3]治安維持法 第一条 国体ヲ変革シ又ハ私有財産
制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織シ又ハ情
ヲ知リテ之ニ加入シタル者ハ十年以下ノ懲役又ハ禁錮
制度をつくったが、総務省から猛反対があり説
事の時に住宅支援300万円を拠出する補助金
は禁錮に処する」。ご存じ治安維持法だ[。政府 東大震災の時も「人間の復興」を言う人がいた。
関係者は、治安維持法に反すると思ったようだ。 後藤新平が「(大震災は)理想的帝都建設の為
[3]
することを目的として結社を組織し…懲役また
めない法律はあるのかと調べたら一つだけあっ
するはずがない。私有財産制に反することを認
住宅再建支援は私有財産制度に反するのか。反
政 府 の い い 分 は ウ ソ ば か り だ っ た。 例 え ば
め ら れ な い、 国 民 は 納 得 し な い、 こ う 言 わ れ
「災害被災者支援と災害対策改善を求める広島県連
絡会」資料から
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 48 ≫
興経済の原理及若干の問題」という本で言って
たら、民主主義とか愛とか家族とか環境とか人
か。こういう被災地はうまくいっていない。似
みんな貧困だからだ。ところが日本では、なん
たことが子どもの貧困にもいえる。アフリカや
実は日本の憲法前文にもそう書いてある。平和
で僕だけと子どもが言うらしい。そして年を重
権とか自由とか、生活に密着した言葉が返って
的生存権の個所は「安全と生存を保持しようと
ねて、どうせ僕なんて、と言う。格差感、差別
いる。今の憲法ができる前からデモクラチズム
実 際、 戦 後 最 初 に 開 か れ た 帝 国 議 会 の 議 題
決意した」「全世界の国民が、ひとしく恐怖と
観。ないがしろにされて自尊感情が害され、プ
くるらしい。「平和」は日常の延長線上にある。 東南アジアに貧困家庭は多いが、みんな元気だ。
は「戦災者救済に関する質問」
(1945年9
欠乏から免れ」とある。平和主義は災害からも
の中では「人間の復興」は当然の発想だった。
月5日の衆院本会議)
。国家や経済をどう再建
救われる、ということも含めた概念ではないか。 ライドを失いアイデンティティーを失う。うま
一 人 ひ と り の 復 興 に 成 功 し て い る の は、 中
憲 法 は、 こ の 自 尊 感 情 を 取 り 戻 す た め の 手
するかよりも前に、被災者救済を考えた。松本
勤労省的性格を社会政策的性格に変えていかな
越の被災地だ。恐ろしく過疎が進んでいる。高
法 が 書 い て あ る も の で は な い か。 そ れ を 災 害
治一郎さんが質問し、東郷實大臣は、厚生省の
ければならない、人を救うための省庁にすべき
齢 化 も は な は だ し く、 震 災 後 は ど ん ど ん 人 が
バージョンに落としたものが必要ではないか。
ていない所に問題があるのではないか。
くいってない被災地では、自尊感情を取り戻せ
日の帝国議会本会議) 減っている。先日、 周年ということで中越に
行ってきた。復興はうまくいったと皆さん胸を
そ れ が、 私 た ち が 提 唱 す る 災 害 復 興 基 本 法 案 [
月
で「住宅の問題は最も深刻」と言っている。そ
張っている。聞いてみると、自分自身の力で政
だ。絶対入れたかったのは「日本国憲法が保障
年
だと答弁した。幣原喜重郎さんも首相就任時の
うしたことを踏まえて憲法ができた。基本的人
策を実現している。自分たちで自分たちのこと
する基本的人権が尊重される協働の社会を新た
所信表明演説
(
権の問題は人間復興の問題であり、国民主権は
を決め、自分の地域のいい所を発見してそれを
[6]災害復興基本法案の前文は次の通り。
う広い意味の平和を言っている。
のいう復興指標と国民総幸福量とは違うという
我 々 は、 幾 多 の 自 然 災 害 に 遭 い、 多 大 な 犠 牲 を 代 償
子 ど も た ち の 国 語 の 問 題 で「 戦 争 」 の 反 対 ことだ。
に 数 々 の 教 訓 を 得 て き た が、 地 球 規 模 で 大 災 害 が 続 発
語を書きなさいと言うと「平和」と書くが、実
郡 山 か ら 山 形 に 避 難 し た 中 村 美 紀 さ ん と い す る 中、 災 害 列 島 た る 日 本 国 土 で 暮 ら す 我 々 に 突 き 付
は平和の反対は戦争だけではない。平和とはあ う女性が、今年9月 日にフェースブックにこ け ら れ た 課 題 は 尽 き な い。 た と え 我 々 が 防 災・ 減 災 に
力 の 限 り を 尽 く し て も 現 実 の 被 害 は 避 け 難 く、 災 害 後
らゆる「恐怖と欠乏」から免れた状態を意味す んなことを書いた。
の
復
興の取り組みこそが求められる。
る。戦争や軍隊といった「なまの暴力」だけで
「復興って、自分が幸せになることなんじゃ
自然災害によって、かけがえのないものを失ったと
な く、 貧 困、 飢 餓、 抑 圧 な ど の「 構 造 的 暴 力 」 ないかって。そのために、がんばることなんだ、 き、 我 々 の 復 興 へ の 道 の り が 始 ま る。 我 々 は、 成 熟 し
た現代社会が災害の前では極めて脆弱であることを強
もない状態、これが平和である、と浦部法穂教 たぶん。…あのときたまたま福島にいた私たち く 認 識 し、 コ ミ ュ ニ テ ィ と 福 祉、 情 報 の 充 実 を 図 り な
[5]
授 が[「 憲 法 学 教 室 」 で 書 い て い る。 コ ス タ リ が、ひとりひとり幸せになることが復興なんだ」 が ら、 被 災 地 に 生 き る 人 々 と 地 域 が 再 び 息 づ き、 日 本
こ う 言 わ れ て ハ ッ と 気 付 い た。 ど う せ 自 分 国 憲 法 が 保 障 す る 基 本 的 人 権 が 尊 重 さ れ る 協 働 の 社 会
カの小学生に「平和とは何だと思うか」と聞い
を 新 た に か た ち 創 る た め、 復 興 の 理 念 を 明 ら か に す る
たちの町なんてとか、どうせ見捨てられている
と と も に、 必 要 な 諸 制 度 を 整 備 す る た め、 こ の 法 律 を
制定する。 [6]
被災者主権だ。平和主義も「戦争しない」とい
10
伸ばそうと努力している。分かったのは、政府
28
う狭義の平和ではなく、命と暮らしを守るとい
11
[5]うらべ・のりほ 1946年愛知県生まれ。神戸
大名誉教授、弁護士。 11
とか、産業もないし、高齢者だけではどうせと
2014.12.15
45
≪ 49 ≫
いから、あたかも法律に書いてあると勘違いし
スになっている国(ドイツ、フランスなど)や、 てないが行政マニュアルにある。それを知らな
国など)がある。戦争時の有事法制は別として、 てきた。
[7]
子 ど も・ 被 災 者 生 活 支 援 法 も ほ っ た ら か し
日付毎日)。追及した
言って、必要がなくなったら引き上げるという。 読んでみてほしい。法治国家ではなく放置国家
[ 8] Federal Emergency Management Agency of the
遅れる。しかし、
うまくいっている地域もある。
( 米 連 邦 緊 急 事 態 管 理 庁 )。 1 9 7 9 年
United States
に カ ー タ ー 大 統 領 が 設 置。 2 0 0 3 年、 ブ ッ シ ュ 大 統 [ 9]「 シ ョ ッ ク・ ド ク ト リ ン 」
( ナ オ ミ・ ク ラ イ ン 著、
領によって国家安全保障省に編入された。 岩波書店2011年、上下各2500円=税別) 広島ジャーナリスト 19 号
にかたち創るため」という部分。これが理念に
人 命 を 最 優 先 に、 生 活 再 建 に つ な が る、 そ
なっている。裏話だが、東日本大震災の直後、 有事法制と災害法制がふくそうしている国(韓
国会議員らにこれをやってほしいと言ったとこ
地震国である日本ほどには災害時のことは考え
保護することを目的とする」とあるのに情報を
ろ、多くの方は、今は理念とか大所高所の話は
守るために個人を犠牲にする。復興予算流用問
ういうことを被災者中心に考えるべきだと提唱
国家緊急権を政府が握ると三つ悪いことが
ていない。日本は有事法制と災害法制を明確に
ある。一つ目は、混乱防止の名目で重要なこと
題はご記憶の通りだ。災害復興基本法の中に
「日
はいらない、具体的実務的な法案がほしいとい
を隠す。二つ目は情報関係で「大丈夫だ、落ち
本の再生」
「日本のあるべき姿を目指す」とあ
している。個人情報保護といって被災者情報を
つけ」と連発する。三つ目に私権制限、情報統
るためだ。
この法律は私たちが求めたものとは、
分けている。そうした国で、なぜ災害時に国家
制をする。そして全体主義に向かう。普段でき
名 前 は 似 て い る が 中 身 が 全 然 違 う。 こ れ ら は、
われ、そんなものかと思ったが、何年かたって
違いだったと思う。理念なき復興は、必ずどこ
ないことは災害時にもできない。普段できるこ
震災直後に出た「ショック・ドクトリン」で[
は
知らせなかった。法律には「個人の権利利益を
かで間違う。広島でもここが必要ではないか。
ともできない。だから普段から災害時にどう対
緊急権を必要とするようなことが出るのか。
「災害ユートピア」と[いう本が東日本大震災
の 前 年 に ベ ス ト セ ラ ー に な っ た。 エ リ ー ト パ
処するか、専門技術集団を育てないといけない。 「惨事便乗型資本主義」というらしい。
みると、やはりここが欠けていたのが一番の間
ニックのことが書いてある。ハリケーン・カト
だ。復興庁幹部がツイッターで暴言を書き連ね
国家緊急権なん て い ら な い
リーヌの時のアメリカの例だが、州知事が治安
FEMAの[日本版が必要だ。
今 の 日 本 は 法 治 国 家 で は な い。 法 律 の ミ ッ
たことがあった(6月
[9]
維持のため、必要に応じて射殺を許可したとた
ションをないがしろにしているからだ。平等の
[8]
ん、被災者を助けようとした黒人男性十数名が
毎日新聞の日野行介記者が「福島原発事故 被
㌻参照=を出した。
だ。だれが放置しているのか。政府は法律で国
災者支援政策の欺瞞」=
の支配は場合によっては害悪だ。だから国家緊
現物支給の原則と言って、カネはあげないとい
民を縛るが政府は憲法で縛られる。しかし、そ
原則と言って、隣の避難所も我慢しているから
急権はいらない。緊急事態が起きた時に権力者
う。現在地救助の原則で、出て行った人は知ら
れがされていないから憲法がかすむ。放置して
こ っ ち も 我 慢 し ろ と い う。 必 要 即 応 の 原 則 と
に権限を集中させるという仕組みで、東日本大
ないという。職権救助の原則だから文句は言わ
誤殺されたという。パニックに陥るのはたいて
震災の時、私権制限はやむを得ないという意見
年5月
言うが間違いだ。
他国をみると、
有事法制がベー
[7]「災害ユートピア」(レベッカ・ソルニット著、亜
紀書房2010年、2700円=税別)
お 任 せ 民 主 主 義、 お 任 せ 復 興 だ か ら 復 興 が
いるのは実は国民だ。
い権力だ。災害時には法の支配が必要だが、人
13
せないという。災害救助法にそんなことは書い
51
日付日経新
が国民の8割だったし(
15
聞)
、憲法調査会や中央防災会議でも必要だと
11
≪ 50 ≫
る。新地町は8千人ぐらいしかいない。町長は
町…。田野畑村は、復興住宅はみんな住んでい
岩手県田野畑村、宮城県東松島市、福島県新地
範囲でしか責任を負わない。サラリーマンはボ
やっている。株式会社の株主は、出したカネの
年の計、何年もたって初めて効果が出ることを
半分に切って
危ないと誰でも分かるという。ペットボトルを
やっている。専門家は、それだけの雨が降れば
政の情報を信用するしかないと待ちの姿勢で
㍉のやつをベランダに置き、そ
「すべての世帯の名前が言える」と言っていた。 スの言うことを聞いているだけで、人の支配に
てないから。住民が主役になる、他人の意見に
地で最後だった。民主主義を復興の現場でやっ
発が起き、国土交通相の認可が下りたのは被災
宮城県名取市は最初に復興計画を出した。大反
利益の追求。それにコストの外部化、例えば原
人の支配、結果を市場の判断に委ねる、金銭的
いうシステムには五つの特徴がある。有限責任、
いう相いれないものにいれていないか。会社と
服している。そういう株式会社の論理を、国と
2012年=別表)。しかし、災害派遣のため
遣 」 が 1 位 だ( 内 閣 府 世 論 調 査 1 9 9 5 年、
在 す る 目 的 を 聞 く と、
さ ん、 自 衛 隊 の お か げ だ と い う。 自 衛 隊 が 存
学ぶ情報リテラシーを私たちは持っているか。
れがあふれたら逃げる。そんな基礎的なことを
年 前 も 今 も「 災 害 派
自 衛 隊 と 災 害 救 助 の 問 題 を 考 え て み る。 皆
耳を傾ける、情報に基づき多様性を尊重しなが
トを安くするため原発再稼働をしろという。そ
ら熟議を尽くす。
時間はかかるかもしれないが、 発で考えると、電力をつくる時に発生するコス
10
復興では大事だ。
そこから先の執行は早い。こうしたことが災害
こで発生する事故のリスクに対する責任はとら
自衛隊法には「我が国の平和と独立を守り、国
に自衛隊があるといえば、それは間違っている。
た。復旧か建て替えかの選択を迫られ、紛争が
思う。神戸の被災地、特にマンションで見られ
この仕組みや発想と国という公との根源的な違
は広い意味ではなく、どう考えても戦争の反対
会社だ。資本主義がどうという問題ではなく、 の安全を保つため…」
とある。ここで言う「平和」
災害救助をするのはどこか。法律には消防庁と
語。こうしたことのために自衛隊はある。では
復 興 が 進 ま な い も う 一 つ の 原 因 は、 地 方 自
いに気づかないといけない。
ション「宝塚第3コーポラス」では、震災から
書いてある。では皆さんは、消防隊をほめてい
何のための裁判だったか。どちらにするかの前
地 方 が、 そ れ ぞ れ じ ぶ ん で じ ぶ ん の こ と を
団をつくるべきだとい
ことに特化し、むしろ災害救助のため専門家集
法 律 の 縦 割 り で 言 え ば、 自 衛 隊 は 国 を 守 る
売りだが、国は会社じゃない。わが国の人間は
取得し、共有することが大事。広島の土砂災害
ない、ではどう したらいいか。自分 で発信し、
次 に 情 報 に つ い て。 政 府 の 情 報 は 活 用 で き
民 の、 市 民 に よ る、 市
ボランティアとは市
を目指せばいい。
における名誉ある地位
隊 を 設 け て、 国 際 社 会
創 設 し、 国 際 災 害 協 力
い た い。 災 害 救 助 隊 を
治めてゆくのが、いちばんよいのです。なぜな
あり、その地方に住んでいる人が、いちばんよ
くこれを知っているからです。
サラリーマン、あるいは株式会社が一番いいと
で避難勧告が遅れたのは大問題だが、結局、行
なんと簡単な言葉で本質を言っているか。
思っているのではないか。売れ筋商品かどうか
も う 一 つ 大 事 な こ と は、 内 田 樹 さ ん の 受 け
公共と会社は違 う
らば、地方には、その地方のいろいろな事情が
るか。
治がうまくいっていないこと。文部省が出した
年を経て
年に建て替えが完了した。ところ
起き、裁判になった。兵庫県宝塚市の分譲マン
こ の 合 意 形 成 の 反 対 は 何 か。 二 者 択 一 だ と
ない。そうしたことを正当化する仕組みが株式
20
に、どう考えるかから始めなければいけない。
が131世帯のうち1世帯しか戻らなかった。 「あたらしい憲法の話」にはこう書いてある。
07
市場にすぐ反応を求める。しかし、国は100
2014.12.15
15
1995 年
1位 災害派遣
66.0
2位 国の安全の確保 57.2
2012 年
1位 災害派遣
82.9
2位 国の安全の確保 78.6
内閣府世論調査、単位%
自衛隊が存在する目的は?
≪ 51 ≫
と戦時下の隣組と同じことになる。作法を強調
民のための活動。しかし、行政の下請けになる
して、あきらめないこと。絶望が蓄積されると
いった意味で皆さんの活動は大事だと思う。そ
の思いを主張すること。言えば必ず、他の被災
が希望を持つために大事だ。そのためには自ら
は失いたくないと思う。最後に、発信すること
地は呼応する。山びこみたいなものだ。
量と健康」の問題である。本書は被曝の線量
をどう考 えるかを「重要な軸」 にしている。
その具体的な数値は法令などで定めており、
一般人の被曝限度は年間1㍉シーベルトであ
る。ただし、この数値は絶対的なものではな
い。著者も「安全か危険かを決める数値とは
思っていない」。
した責任があるにもかかわらず、基準数値を
追跡取材で分かった復興庁被災者担当参事官
災者生活支援チームが避難指示解除予定地域
いことは隠される。たとえば内閣府原子力被
非難を受けがちだ。その根幹にあるのが「線
は約 人でほぼ全員が経産省の職員、その別
毎日新聞が今年3月報じた。チームの職員数
年間推計値が高いとの意見が出て見送ったと
で実施した個人線量計の調査結果を「半年に
避難母子たちは「風評被害を助長している」
と被害者であるにもかかわらず、いわれなき わたって公表していない」ことが分かった。
の暴言ツイートからも明らかである。
よっていかに無責任にゆがめられているか。 無視した形で帰還を促進している。都合の悪
被災者生活支援法」の取り扱いが国、官僚に
数値を決めたのは国であり、
る。被曝から母子たち避難者の健康、生活を しかしである。
守るために議員立法でつくられた「子ども・ 国は守る義務がある。しかも事故を引き起こ
の総体を報道しなければとの気迫に満ちてい
著 者 は 毎 日 新 聞 記 者。「 福 島 原 発 事 故 県
民健康管理調査の闇」に続く第2弾で、被害
「福島原発事故 被災者支援政策の欺瞞」
(日野行介著)
暴言ツイートの先にあるもの
い。戦争も忘れなければ防げる。こうした希望
したり、組織化したりするのではなく、自由、 戦争が起きる。災害は忘れなければやってこな
自主、無償という本来の役目に立ち、自由にボ
ランティア活動をさせるべきだ。
憲法前文の「日
本国民は」という主語を「ボランティアは」に
置き換えたら、そのまますべて当てはまる。
アフガンで武装解除をした伊勢崎賢治さん
はPKOの一員だが、基本的にはボランティア
精神でやっている。中田厚仁さんはカンボジア
選挙監視をしていて殺害されたが、その後父の
武仁さんがサラリーマンを辞め、ボランティア
大使として平和活動を引き継いだ。争いが起き
たら丸腰でないと本当の解決や話し合いはでき
ない。そこにボランティアの役目があるのでは
はると
ないか。広島の土砂災害で亡くなった平野遥大
君という小学校5年生の記事を読んだが、家で
も学校でも、争いごとがあったら間に入る、そ
ういうお子さんだったようだ。同級生からも慕
われたという。争いごとがあった時、何とかし
ようと思える自主、自立、無償性というボラン
ティア精神こそが本当の信頼を集める。
あきらめない、 発 信 す る
最 後 に、 広 島 に 三 つ の 言 葉 を 伝 え た い。 一
つ目は、温度差が一番良くない。格差とか取り
残されるとか、
それはすごくつらいことだ。「忘
れない」ことが一番の支援だと思うので、そう
(岩波新書、780円=税別)
いう。真の人間復興へ、第3弾が待たれる。
は県民健康調査と驚くほど酷似している」と
著者は行政の被災者支援について「被災者
の意思をくみとらず、秘密裏に進めるやり方
働隊である。
30
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 52 ≫
教育とは人間の尊厳の確立
時代の行列に並ばないために
月5日、廿
人の
まつだ・まさひさ 前愛知教育大学長。名誉教授。
専攻は物理学。1948年島根県仁多郡八川村(現・
年愛
奥出雲町)生まれ。名古屋大理学部、広島大大学院、
名古屋大大学院で素粒子論を専攻、理学博士。
年3月まで学長。
年制定の「愛知教育大学憲章」
知教育大に勤務、教授、副学長を経て2008年から
77
て い た。 い ろ ん な 教 育 学 者 が そ う い う こ と を
の人は戦前は猛烈な国粋主義的なことを言われ
宗 像 誠 也 先[生 が、 1 9 5 8 年 に「 私 の 教 育
宣言」という本を岩波新書で書かれている。こ
のために教育はあると学生たちに話してきた。
にある、つまり個人としての自立といったもの
り、それが教育 の目的だと言って いる。「人間
打ち立てること、つまり人権の確立が必要であ
時代の行列にならないためには、人間の尊さを
ちが必ずいる、それをこのように表現した。戦
林 達 夫 と[い う 哲 学 者 が「 時 代 の 行 列 」 と い
う言葉で、世の中の流れにくっついていく人た
に、子どもたちが夢を持って生きられる、そう
第3節にこの言葉が出てくる。僕はいつも学生
含めて時代の行列に並んでいた。宗像さんは、 まえて銃殺する。その時に彼が詠んだ長い詩の
時中は、一部の人々を除き、研究者も科学者も
いうふうな教師であってほしいと言ってきた。
もナチスがやってきて抵抗する教授や学生を捕
フェランというところに移る。しかし、そこに
スブールの大学がナチスの侵略で、クレルモン・
[1]
言っているが、戦後になって口をつぐむ人が大
の尊さということを若い世代の心の中に打ち立
こうも言っている。「人間にとって一番大切
ているのかということを考えるのが大事だ。国
世 界 は ど う 動 き、 そ の 中 で 日 本 は ど う 動 い
連憲章は、
第1次、第2次世界大戦の反省に立っ
なのは平和であり、だからして今最も先覚者で
世界の視点から日本をみる
半だった。だけど先生は、
「俺は戦時中こうい
刻むこと」という言葉がいつも浮かぶ。ストラ
えるとは希望を語ること、学ぶとは誠実を胸に
ルイ・アラゴン(1897~1982)の「教
も う 一 人、 フ ラ ン ス の レ ジ ス タ ン ス の 詩 人
大切にせよ」
的思考を堅持せよ、個を確立せよ、人間の生を
の戦争中の間違いから得られる教訓は、…科学
よく知っているものであるといっていい」「私
あるものは平和を守ることの大切さをもっとも
の起草責任者を務めた。
03
てるには、理性の教育と感情の教育と意志の教
[2]
14
育を考える必要がある」と。
教育というのは人の尊厳の確立をするため
教育を通じて未来の担い手を育てようと呼びかけた。以下、講演の要旨。
軍産学共同が進み、学問・言論の自由が危うくなっていると指摘。憲法全ての実現をめざし、
準など、公的負担が少なく私的負担が多い日本の大学教育の現状を示し、学長への権限集中や
田さんは、GDP(国内総生産)に占める公的負担大学教育費の割合がOECD諸国で最低水
市民を前に「教育から憲法を考える」と題して講演した。愛知教育大で6年間学長を務めた松
日市市商工保健会館交流プラザで開かれた「九条の会・はつかいち」の定期総会後、約
「教育の目的は人格の発展と人間の尊厳の確立」。物理学者の松田正久さんが
松田 正久
60
うことを言った」ときちんと自己反省して今は
)。教育学者。元
[2]はやし・たつお(1896~1984) 2014.12.15
10
こういうことを考えているということを言われ
た。
[1]むなかた・せいや(1908~
東京大教育学部教授。 70
≪ 53 ≫
条に経済、社会、文化、教育、
年にユネスコの教育における差別待遇防
ナショナリズムの教育を否定している。
政権になって進まず、今、高校教育は完全な無
償化ではない。中等教育の高校教育がそうだか
求めてきたが、給付制は一切なく、利子付きな
れわれは大学生への奨学金を給付制にするよう
権規約)と市民的及び政治的権利に関する国際
付けて取り立てる。それで自己破産する学生が
ま た「 教 育 は、 す べ て の 国 又 は 人 種 的 若 し
尊重を強化すべきことに同意する」。そして2
分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の
人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十
ている学生がすごく増えた。一般家庭の貧困化
ん出ている。愛知教育大をみても奨学金を借り
下しているので奨学金を返せない学生がたくさ
づる権利であり、あらゆる教育の手だてを得る
広島ジャーナリスト 19 号
て、国際の平和と安全を維持することを決めて
作られた。憲章
憲法に書かれている、基本教育は義務制とし義
人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の
規約(自由権規約)があるが、社会権規約の第
くは宗教的集団の相互間の理解、寛容及び友好
アメリカでは民間会社が教育ローンを貸し
尊重の強化を目的としなければならない」と述
いっぱい出ている。日本でも今、労働賃金が低
関係を増進し、平和の維持のため、国際連合の
1985年のユネスコの学習権宣言では「学
習権とは、読 み書きの権利であ り、問い続け、
特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に
権利であり、個人的・集団的力量を発達させる
年)
応じ、すべての者に対して均等に機会が与えら
訳)とうたっている。子どもの権利条約(
権利である」(子どもの権利条約をすすめる会
年に社会権規約を批准してい
にも学習権は「生きる権利・守られる権利・育
日本政府は
るが、(b)(c)項は無償教育を承認できない
つ権利・参加する権利」として盛り込まれてい
年)の前文で「高等学習と研究は、
今や個人・地域共同体・国家が文化的・社会経
世界宣言(
高 等 教 育 に つ い て は、 ユ ネ ス コ の 高 等 教 育
る。
撤回すると通知したこと。民主党はまず高校教
育の無償化をやろうとした。ところが、自民党
98
は、政権末期の2012年9月に国連に留保を
ということでずっと留保していた。民主党政権
90
で悪いことはいっぱいあったが、評価できるの
76
れるものとすること」と書いてある。
「(c)高等教育は、すべての適当な方法により、 であり、自分自身の世界を読みとり、歴史をつ
者に対して機会が与えられるものとすること」 深く考える権利であり、想像し、創造する権利
り、一般的に利用可能であり、かつ、すべての
活動を促進するものでなければならない」と、 方法により、特に無償教育の漸進的な導入によ
が急激に進んでいる。
13
項には「(b)中 等教育は,…すべて の適当な
間の尊厳の確立だ。
べている。つまり教育の目的は人格の発展と人
条1項に同じことが書かれている。「教育が
主として利子付きを増やしているだけだ。
年 に で き た 国 際 人 権 規 約 に は、 経 済 的、 奨学金を「増やした」と言っているが、それは
66
しく開放されていなければならない。教育は、 社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会
「高等教育は、能力に応じ、すべての者にひと
いしは利子なしの貸し付けだ。最近、文科省は
務教育は無償という、全く同じことがこの条約
止に関する条約ができ、日本も批准している。 ら、高等教育の無償化は全く進んでいない。わ
60
て人は、
教育を受ける権利を有する」とうたい、 に書かれている。
国 連 の 下 で 作 ら れ た 世 界 人 権 宣 言 は「 す べ
ている。
保健の分野において国際協力を推進すると定め
13
≪ 54 ≫
要素となっている。…教育は人権・民主主義・ スタンダードをきちんと把握しながら各大学は
ければならない」と書いている。こういう世界
半ばに達している=グラフ1。
ECD平均の3・1%には届かないが、2%台
ると、日本 は1・8%と非常に低 い。韓国はO
公財政支出に占める高等教育費の割合をみ
済的に環境を損なわず発展するための不可欠の
持続的成長および平和の根本的な支えであり」 高等教育を展開してほしいと思っている。
主的な社会に生きる市民としての基礎をなす価
をみるとどうか。日本の大学は公的負担が非常
こういう国際的な背景の中でわれわれの国
が高い。
フィンランド、デンマーク、ノルウェー、
を個人が出している=グラフ2。だから授業料
ECD、2013 を
) 見ると、韓国は7割以上
が私費。日本は3分の1を国が出して3分の2
高 等 教 育 に お け る 私 費・ 公 費 負 担 割 合( O
値観をきちんと若者たちに身に着けさせ、将来
に少なく私的負担がすごく多い。よく似た国は
スウェーデンはほとんど私的負担がない。僕は
教育の公費負担が少ない日本
とうたっている。高等教育をテコとして国際社
会の安全を図っていく、ということだ。
にかかわる重大な岐路の選択や人道的な視野を
韓国だ。私学が多い。私的負担が多い。公的負
宣言では「高等教育の使命と機能」として「民
深めるのに役立つ批判的・客観的な視点を提供
増進に貢献する」
「 平 和・ 正 義・ 自 由・ 平 等・ に占める公的負担大学教育費の割合をみるとO
な ぜ 北 欧 で こ う い う こ と が で き、 日 本 で で き
ば、
学生が生活するだけのお金を国が支給する。
することによって、社会の根本的価値の維持・ 担が少ない。2011年のGDP(国内総生産) スウェーデンに研究で2年間いた。大学に入れ
ECD調査の カ国の中で日本は最低水準だ。
% を 超 え て お り、
な い か。 北 欧 は 人 口 が 少 な い が、 人 口 の 多 い
含めて私費負担の割合は2000年に比べる
人 口 の 問 題 で は な い。 哲 学 の 問 題 だ。 日 本 を
80
%が私学で
%、 公 立
11
% が 国 立。 構
% が 私 学。 国 立 が
日本は大学数、学生数とも私学依存が強い。
と年々大きくなっている。
%。 韓 国 は
4年制大学の
が
15
77
85
%。 逆 に 言 え ば 私 学 の 方 が 教 員 1 人
57
偏 重 だ と 私 学 の 先 生 た ち は い つ も 言 う。 韓 国
当 た り の 学 生 数 が 国 立 よ り 多 い。 だ か ら 国 立
私学が
日本の4年制大学の専任の教員数の割合は
だ。
造 が 似 て い る。 ヨ ー ロ ッ パ は ほ と ん ど が 国 立
12
日本の学生数は
% が 私 学 で、 国 立 が
73
%、
は国立も私立も同じぐらいで、そこは違う。
22
2014.12.15
フランスだって公費負担は
<グラフ2>上部が私費負担、下部が公費負担。右から順に
公費負担割合が高く、ノルウェー、フィンランド、デンマーク、
アイスランド、スウェーデンの順。フランスは9位。日本(左
から 4 番目)と韓国(日本の左)は最下位に近い
連帯を含む普遍的価値を守り、積極的に広めな
<グラフ1>右から2本目が日本、12 本目が韓国。トップは
ニュージーランド、最下位はイタリア
37
≪ 55 ≫
学生の3分の2以上が私学に依存している。あ
分なので進学率は高い。構造はほとんど同じで
約300万人。韓国の人口は日本のだいたい半
公立が5%。全部で287万人ぐらい。韓国は
授業料の約半分が人件費に充てられている。そ
国からの交付金では払えなくて、学生が払った
ずっと減っているから、今は教職員の人件費も
の交付金(補助金)だ。交付金が毎年1%ずつ
基礎科学には来ない。これから日本を担える人
お金がくるが、そうでない人には来ない。特に
はない。役立ちそうな研究をやっている人には
また同じ大学の中でもみんながもらえるわけで
という話で、大学間の格差がどんどん広がる。
%。 1 学 年 1 2 0 万
万人が大学にいく。まだ進
日本の大学進学率は
が出てくるだろうかという不安を持っている。
ういう大学が増えている。
日 本 は 教 員 1 人 当 た り の 児 童 生 徒・ 学 生 数
とイギリスも3分の2以上が私学依存だ。こん
なふうに日本の高等教育の体制は世界でまれ
が多い。初中等教育では少人数クラス化が進ま
万人から
現 場 の 先 生 方 は た い へ ん 多 忙 だ。 大 学 も そ
の一つは9条。もう一つの柱は基本的人権。教
条 に は「 す べ て 国 民 は、 個 人 と し て 尊 重
育は人間の尊厳の確立のためにあるということ
人を育てる余裕がない。だから、STAP細胞
う。研究費を確保するために始終ドキュメント
憲 法 と 教 育 の 関 係 に 入 る。 憲 法 の 二 つ の 柱
教育は国のため―自民改憲草案
るか。
これがピークではないかという気がする。
して今の経済状況でどれだけの人が大学にいけ
学率も絶対数も増える国は言っているが、はた
人で、
51
される。生命、自由及び幸福追求に対する国民
本は一部の大学への重点投資を行っている。ラ
最近、大学の世界ランキングを上げようと、日
する」と書いてある。これに対して自民党の憲
立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要と
日決定)は「全て国民
法改正草案(
金を使う。そうすると大学全体のパイは同じか
れを構成している個々の人、地位・身分などと
個人とは、国家や社会、周囲の集団に対してそ
される」は全然意味が違う。
「大辞林」によると、
「個人として尊重される」と「人として尊重
は、人として尊重される」としている。
年4月
ンキングトップ100の中に の大学を入れよ
年間出す。これだけでも100億円近い
創成ということを含め支援に1件3億から5億
27
減る一方だからパイをどういうふうに分けるか
円を
12
だ。
人、その他の学年は 人、中学校は 人、高校
ないとして、少人数化に持っていく施策をとら
ない。前期中等教育の1学級あたりの児童生徒
数を国際比較すると、日本は世界 位。韓国も
60
を憲法に盛り込んだのが基本的人権だと思う。
順位は低い=グラフ3。
50
そ れ か ら 研 究 環 境 が た い へ ん 劣 悪 で あ る。 の権利については、公共の福祉に反しない限り、
みたいなことが起きる。
13
年前に国立大
お子さんが大学生だと実感されると思うが、 ず、今、学級編成基準は小学校の第 学年が
35
を書いていなければならなくて、研究室の若い
25
うとしてスーパー・グローバル・ユニバーシティ
10
日本は授業料がたいへん高い。
40 1
人で少人数化はストップしている。文科省
40
は少人数にしたから教育効果があがった証拠は
学は法人化して、例えば愛知教育大の場合は、 は
収入の3分の1が授業料で、3分の2が国から
<グラフ3>
40
10
10
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 56 ≫
1期4年の任期中に最低1回は人事権を行使で
できない。教育は個人のためにあるのであって、 きるようにする。首長が入った統合教育会議で
切り離したひとりの人間のことだ。一方、「人」 い」の「教育が国の未来を切り拓く」には同意
というのは僕には、
「種」
、要はホモ・サピエン
し、教育行政の基本方針を決めるというふうに
学校統廃合などについて教委メンバーと協議
国のためにあるのではない。
変わる。また、いじめ自殺など児童・生徒の生
する情報を不当に取得し、保有し、又は利用し
心の自由は、保障する。2、何人も、個人に関
なったら、国があっても意味がない。安倍政権
いる。国は残るが、民が亡くなる。民がいなく
安 倍 政 権 を 僕 は 安 倍「 亡 民 」 政 権 と 言 っ て
て、重要なことを審議しなければならない、と
法人法の改悪。今までは大学には教授会を置い
高 等 教 育 で 大 問 題 は 学 校 教 育 法・ 国 立 大 学
教育で進む安倍「亡民」政治
スとしか思えない。ヒトはサルとは違うぞ、と
条「 思 想 及 び 良 心 の 自 由 は、 こ れ を
分類して尊重されても何の意味もない。
あと
命や身体に被害が生じる恐れがある場合には、
てはならない」としている。社会全体としてお
は壊憲に向けて暴走している。国家安全保障会
なっていた。重要なことが何かということは大
文科相が教委に対策を講じるよう指示できるよ
互いに「侵してはならない」と言っているのが
議を設置して、特定秘密保護法を作って、集団
学全体の合意だった。ところが、重要なことを
うになる。
家」
と読める。主権がどこにあるのか本末転倒。 的自衛権容認の閣議決定をした。武器輸出三原
今の憲法。自民党案では、「保障する」のは、「国
則を撤廃し、原発を再稼働し、海外に売ろうと
審議するというところを削り、学長は必要と認
めたときは教授会の意見を聞くことができると
ついても自民党案は「学問の自由は、
保障する」
ている。初中等教育と教育行政では、学制改革。 は意見を変えることなく自分のやりたいことが
なった。教授会で反対の意見が多くても、学長
6・3・3・4制 を変え、勝手にでき るようにし
政 府 は 教 育 再 生 実 行 会 議 を 作 っ て、 教 育 を
社会全体として、これを保障しましょうという
よ う と し て い る。 次 に「 道 徳 」 の 教 科 化。 今、
の先生たちが、現場の意向を把握しながら、学
今までは教育の現場を預かる直接の責任者
できるシステムになった。
取り決めの意味が込められている。たったこれ
道徳は評価の対象ではないが、教科化すると先
生の教育をどうやっていくかを議論して決め
条「 す べ て 国 民
た。現場でどういう教育が行われ、学生がどう
あ と 教 育 を 受 け る 権 利。
生は点をつけなければいけない。何をもって道
は、法律の定めるところにより、その能力に応
負ふ。義務教育は、これを無償とする」は、自
の保護する子女に普通教育を受けさせる義務を
育委員会が教育長を任命するが、今度は教育委
し、教育委員長と教育長を一体にする。今は教
そ れ か ら 教 育 委 員 会 改 革。 首 長 権 限 を 強 化
私立を問わず全大学に適用される。大学の法人
て、
来年4月1日から施行される。これは国立、
いと思ったら、それができるように法律を変え
長はほとんど知らない。だけど学長がこうした
いうことを考え、何をやっているかを普通の学
民党案でも1、2項は今の通りだが、問題は新
員長と教育長を一体にして、新教育長は首長が
すべて国民は、法律の定めるところにより、そ
設 し た 3 項。
「 3、 国 は、 教 育 が 国 の 未 来 を 切
年前だが、それに次ぐ大きな改悪
化は今から
だ。
議会の同意を得た上で直接任免する。教育長の
任期は現行の最長4年から3年に縮め、首長が
り拓く上で欠くことのできないものであること
含め現場は大混乱すると思う。
じて、
ひとしく教育を受ける権利を有する。2、 徳の評価をするか、そもそも教科に適するかを
26
だけをとってもたいへん意味が違ってくる。
と
「これを」
という語を取っている。
現憲法には、 「亡民」政治に巻き込むような手を着々と打っ
条「 学 問 の 自 由 は、 こ れ を 保 障 す る 」 に
国民主権の憲法の用語ではない。
している。非常に危惧を覚える。
侵してはならない」を自民党案は「思想及び良
19
に鑑み、教育環境の整備に努めなければならな
2014.12.15
23
10
≪ 57 ≫
大学の研究者を国が軍事研究に引っ張りこもう
がかなり進んでいること。最近、研究者、特に
も う 一 つ 大 き な 問 題 は 産 学 共 同、 軍 学 共 同
たっている。平和憲章は 年に全学の過半数の
関に所属する者の教育はおこなわない」とう
からの研究資金を受け入れない。また軍関係機
する者との共同研究をおこなわず、これら機関
で署名を集めている。
る。
「 負 け る な 北 星! の 会 」 を 作 っ て、 み ん な
なければ学生を傷つける」という脅迫が来てい
署名を集めて宣言した。愛知教育大の憲章もそ
業で「慰安婦」の映画をとりあげたところ、一
れ守らないといけない。そういう意味では非常
教授の自由も含まれる。それをどういう形であ
学問の自由というのはその体系を裏付ける
りあげて、攻撃した。
人の学生が産経新聞に投稿、産経が大々的にと
学問・言論の自由が危うい
うだが、同様の宣言や憲章を持つ大学は多い。
広 島 大 学 で も 5 月 に、 韓 国 籍 の 准 教 授 が 授
としている。防衛省技術研究本部は今年、大学
と共同研究を既に5件やっている。
これからの研究は民生用と軍事用の両方で
きる形のものを開発していくような動きになっ
てくると思う。例えばロボット。筑波大の研究
者はお年寄りの体の動きをサポートする介護用
先 日 国 会 で、 確 か 維 新 の 議 員 が「 大 学 で こ
んなことをやっている。けしからんじゃないか」 に物が言えない空気を感じる。
度 で か く っ と 曲 が ら な い で、 だ ん
と名古屋大の平和憲章を攻撃した。
だん曲がってくる。こういうこともその一つだ。
物事は
うと思えば軍事用になる。普段の力の倍の力を
「慰安婦」問題では、朝日新聞が吉田清治さ
まだ大丈夫、まだ言わなくてもいいだろう、今、
相は「慰安婦」問題が全くなかったかのように、 生活に追われているし、私には関係ない話だと
んの証言の記事を撤回したのを受けて、安倍首
90
の時の確認書で、そういうものはやっちゃいか
時の首相がこんなことをやるのは変な国だ。過
奪われていたということになる。
ことだ。それから、原発から出る核廃棄物や国
ではどうするか。9条のみならず憲法全ての
実現をめざす運動、守るのではなく攻めに出る
の1千兆円の借金、こういう負の遺産を未来に
ちは過ちとして認めて、言論の自由を守ること
帝 塚 山 大 学 は 脅 迫 状 が 来 て、 元 朝 日 記 者 の
残さない運動を展開する。大飯原発裁判の判決
んということになっていたので拒否した。そう
先生が辞職した。北星学園大でも非常勤講師を
に述べられているように普通の人々が普通に暮
したら、東大教授は個人で参加した。
後内外を問わず、一切の軍隊からの援助,その
務める元朝日記者をめぐり、大学が脅迫される
らせることこそ国富であり、人格権がすべてに
年前の1966年に日本物理学会は「今
決議したが、だんだん怪しくなってきている。 事件が起こっている。その元朝日記者の植村隆
他一切の協力関係をもたない.
」ということを
さ ん は、 こ の 春 か ら 神 戸 の 私 立 大 学 に 採 用 が
優先することを基軸にしてわれわれは訴えてい
約
でも決議は今も生きている。名古屋大の平和憲
いったん決まったが、「うそつき朝日記者をな
を問わず、軍関係機関およびこれら機関に所属
究と教育には従わない。そのために、国の内外
いかなる理由であれ、戦争を目的とする学問研
講師をどうするかという時期だが、「やめさせ
なく同意した。今、北星学園大は来年の非常勤
ないでほしい」と態度を変え、植村さんはやむ
の将来を次の世代に託すことが出来る。
を通じて未来の担い手を育てることで、私たち
そ う い う こ と を 保 障 す る の は 教 育 だ。 教 育
く必要がある。
章は「大学は、戦争に加担するというあやまち
が大事だ。
の原因究明の協力を依頼した。大学は東大紛争 「 朝 日 新 聞 は 世 界 に 謝 れ 」 な ど と 言 っ て い る。 見過ごしていると、気がついたら自由も人権も
防衛省は5月に東大の教授に輸送機の欠陥
かいろんなものがある。
ると軍事用になる。ナノテク、ウイルス、薬と
出すロボットスーツを作って、兵隊に着けさせ
ロボットスーツを作った。ああいうものは使お
87
を二度とくりかえしてはならない。
われわれは、 んで採るんだ」と脅迫状が来たため、大学は「来
50
広島ジャーナリスト 19 号
本島等 元長崎市長死去
日、肺炎のため
衆院議員秘書や県議5期、自民党
去1カ月前のことだった。
京 都 大 工 学 部 を 卒 業。 高 校 教 師、 たと思う」と語った。昭和天皇死
県連幹事長などを経て、 年4月
年1月 日、発言に反発した
右翼団体幹部に長崎市役所前で銃
18
としても知られる。
が、命を取りとめた。
撃され、左胸貫通の重傷を負った
90
退任後も被爆地の元市長として
核廃絶や言論の自由を訴えて活動
連続4期務めた。カトリック信徒
に長崎市長に初当選し、 年まで
95 79
天皇の戦争責任をめぐる発言は
3期目の 年 月7日に市議会で
12
元長崎市長で、在任中に昭和天
皇の戦争責任に言及したことで銃
び、旧制高校在学中に徴兵された。 でも「戦争終結を早く決断してい
のもとで働きながら夜間中学に学
裔で非嫡出子だった。貧困と差別
1922年、長崎県の五島列島
で生まれた。隠れキリシタンの末
す」と述べた。議会後の記者会見
皇の戦争責任はあると私は思いま
自身の軍隊経験などを踏まえ「天
的自衛権の行使容認に反対した。
になり、憲法解釈変更による集団
道を許さない」運動の呼びかけ人
た。被爆者らとともに「戦争への
対し、積極的に市民集会に参加し
「天皇に戦争責任」以来の関係
夫人よりも先に逝ってしまった。
い
で答える「市場の人気者」だった。そのスヱ子
う、おう、元気にしとるね」と答えながら笑顔
に多くの市民が声をかけていた。そのたびに
「お
陸 軍 教 育 隊 で 敗 戦 を 迎 え、 戦 後、 れば、沖縄、広島、長崎はなかっ
「戦争責任」終生問う
本島等氏 を し の ぶ 信念と情の人
撃された本島等(もとしま・ひと
行 っ た。 共 産 党 議 員 へ の 答 弁 で、 した。近年は特定秘密保護法に反
88
「銃撃」に屈せず反核平和訴え
し)さんが 月
31
亡くなった。 歳だった。
10
92
今年も1月1日の 核兵器の廃絶と平和な
わたしと本島さんのつきあいは、1988年
元長崎市長の本島等さんが2014年 月
「
月7日、長崎市議会での質問に答える形で「昭
日午後5時 分、亡くなった。 歳になって 世界の実現を求める正月座り込み に参加し、
」
からは入退院を繰り返し周囲を心配させたが、 7月6日には 中
「 国人原爆犠牲者追悼式 に
」 も 和天皇の戦争責任がある」と発言した時から始
参列した。 歳を越えてなお市民運動の先頭に まった。タブーへの挑戦ともいえるこの発言を
31
92
10
状態だったので、まさかという思いだった。す
は2人暮らしのスヱ子夫人の介護にあたりなが
立つ姿には、晩年の生き方が表れていた。近年
和活動の一端を担っていた。この事件は「天皇
が始まった。当時、わたしは被爆2世として平
めぐって、本島さんへの街宣車による抗議活動
12
ら、近くの市場で食事の材料を求める本島さん
90
ぐに駆けつけたが、晩年の生きざまを物語るよ
亡くなる前日まで見舞いに来た人と会話できる
27
うな穏やかで優しい死に顔だった。
2014.12.15
平野 伸人
≪ 58 ≫
≪ 59 ≫
の戦争責任」をめぐる論点が言論の自由をめぐ
る言動によって本島さんは民主主義の象徴的な
主主義について声高に語るより、愚直ともいえ
年の
る議論とすり替わった側面はあったが、わたし
自身は「言論の自由」の問題として受け止め、 存在となっていった。
本 島 さ ん は、 事 件 の 衝 撃 も や ま な い
市長選に勝利し、4期目に入った。その本島さ
市民有志で「言論の自由を求める市民の会」を
つくって活動した。そうした中で本島さんとの
んと 年、平和公園の駐車場工事で見つかった
日、 銃 撃 事 件 が 起 き た。 市 役 所
長崎刑務所旧浦上刑務支所の死刑場の保存をめ
ぐって激しく対立することになった。当時、韓
国の被爆者実態調査に取り組んでいたわたしに
本島さんが 韓
「 国に行って被爆者を支援したい
と 電 話 し て き た。 パ
」
「 フォーマンスにすぎな
いのではないか と
」 疑 っ た が、 誠 実 さ も 感 じ、
案内役をつとめることにした。
ら 3.6 ㌔の長崎市梅香崎町で
被 爆。 千 葉 県 の 小 学 教 諭 を
経て 79 年、長崎市福田小教
諭。2007 年 ま で 教 員 を 勤 め
る。86 年、 長 崎 県 被 爆 二 世
年には全国被爆二世教職員の会会長。98 年から
教職員の会を結成し会長。87
2006 年まで、全国被爆二世団体連絡協議会会長。
98 年には高校生平和大使を発案し、国連へ派遣。
09 年に 21 回「谷本清平和賞」受賞。著書に「本
島等の思想」編・監修(長崎新聞社)「海の向こ
うの被爆者たち」編著(八月書館)「台湾の被爆
者たち」編著(長崎新聞社)「高校生1万人署名
活動」編(長崎新聞社)など。
中止になった。世界へ被爆地の声が届かないこ
かけにしたいと考えたからである。
原爆展」を開催した。戦争と原爆を考えるきっ
と を 実 感 し た わ た し た ち は、
「韓国ソウルでの
戦
「 争と
日
「 本は原爆の悲惨さを訴える前に侵略の歴史
その韓国では、原爆展反対運動に直面した。
謝罪の光景や、人間的な
を反省することが大切だ と
」 の韓国の人々の主
張は、わたしたちの主張でもあった。結局、こ
絶と訴えても届かない と
」 いう本島さんの思想
をより強固にするきっかけとなった。
の原爆展は ア
「 ジア諸国への侵略戦争への反省
と謝罪がない限り、日本が戦争反対、核兵器廃
役職にもつかず、戦争と
本島さんは、韓国の被爆者をはじめ在外被爆
後、一市民に戻って何の
原爆への問題意識を持っ
被爆
してわたしたちは 同
「志
的な関係 に
」 なった。
周年の 年以
優しさにもひかれ、一転
に
」 共感していっ
た。韓国の被爆者宅での
原爆観
は、本島さんの
勉強会を持った。わたし
」 服せざるをえない。
同じ年、米スミソニアン博物館での原爆展が
長崎市生まれ。母が爆心地か
軍
「 人だった自分を含め戦争責任がある 。」出
発前の数カ月間、韓国の被爆者問題で一対一の
日
「 本の戦争が朝鮮人被爆者を生み出した
ひらの・のぶと 1946 年、
者に被爆者援護法の適用を求めた数々の訴訟で
には不思議な存在感があった。言論の自由や民
件の前も後もなんら変わることのない本島さん
なった。本島さんは発言を撤回しなかった。事
言論を圧殺するという民主主義の危機的事態と
死の重傷を負った。衝撃は大きかった。暴力で
玄関前で背後から拳銃で撃たれ、本島さんは瀕
年1月
銃撃事件後も変 わ ら ぬ 言 動
出会いがあった。
91
95
18
92
(2014年6月、長崎市内の自宅) て 行 動 し 続 け た 姿 に は 敬
50
90
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 60 ≫
湾攻撃について謝罪し、広島と長﨑が、原爆投
し か し、 そ の た め の 条 件 は、 日 本 人 が 真 珠
そ、大きな価値を感じる。それこそが「本島等
となってからも平和運動に尽くした生き方にこ
件を経てなお変わらない信念。そして、一市民
い。市長時代の天皇の戦争責任発言から銃撃事
かして運動の先頭に立った。多くの人が行きか
下を赦すということである。怒りや憎しみは個
本の過去と未来のためにも。
うJR長崎駅前での座り込みにも加わった。こ
の思想」であり「遺言」ではないだろうか。
も支援を惜しまなかった。韓国訪問の経験を生
こにも原爆投下を戦争責任に結びつけた思想が
人にとっても、国家にとってもよいことではな
本 島 さ ん に は 三 つ の 特 徴 が あ る。 ① 多 く の
弱い者の側に身を置く
あった。
い。娘を殺された父親が相手を殺すというよう
に、ゆるしえないことを赦す考え方、それが必
広島、長﨑は『和解の世界』の先頭に立つべ
人に愛された庶民的な性格②時には物議を醸し
要である。
広島の原爆ドームの世界遺産登録について
きであろう。 世紀は『和解の世代』でなけれ
「広島よ、おご る な か れ 」
年の論文「広島よ、おごるなかれ」と
述べた
た平和への固い信念③弱い人や困った人を見て
ての論文である。広島平和研究所発行の「平和
参加したわたしも当時、広島の被爆者の方々か
この論文をめぐる広島でのシンポジウムに
や情が先にある」と言い続けた。生い立ちを語
この3点で 本
「 島等 は
」 言い尽くせる。本島
さんは常々「世の中はイデオロギーより温もり
黙っていられない人情。
教育研究」に掲載された。侵略戦争への反省が
貧しかった」ことを原点に据え、弱い者の側に
解の世界』への努力は同一のものでなければな
なければアジア諸国との信頼関係は構築できな
ら多くの非難を受けた。 本
「 島さんの言いたい
ことは、原爆投下にいたる戦争の歴史への反省
身を置こうと努めた。
前者は、世界遺産委員会で日本が推薦した「原
いとの認識に立ち、広島の原爆ドームの世界遺
が必要だということで、決して原爆投下が正し
らない」
産登録に強烈な異議を唱えたものだった。あた
◇
本島等さんの葬儀は
月2日、長崎・中町教
ば、彼の言動はすべて理解できる。
この本島等を語る三つの特色にあてはめれ
る時はいつも「私生児で、離島のキリシタンで、
かも原爆投下が肯定されるかのような辛辣な語
いとは考えていない と
」 ひたすら言い続けたの
年近くの本島等にわたしは価値を見出してい
長 崎 市 長 と い う よ り、 市 長 を 退 任 し た 後 の
を思い出す。
「原爆の被害は人間の想像をこえるもので
会で密葬のかたちで行われ、遺骨は西町教会の
日、長崎市民会館文化
る。やたら電話をかけまくってはさまざまな人
月
あった。特に放射線が人体をむしばみ続ける恐
ホール。
納骨堂に納められた。市民有志による「本島等
ンを増やしていった。
と長話をしていた。晩年になるほどに素直な意
集団的自衛権の行使容認の先に 戦
「 争の影 」
がちらつく昨今の世相に、「戦争と原爆」を問
ろしさ。しかし、日本の侵略と加害による虐殺
た。
い続けた本島思想は投影されなければならな
さんを送る会」は
今、われわれがやらなければならぬことは中
国はじめアジア、太平洋の国々と国民に謝罪す
見を言い、優しい笑顔が「人間本島」へのファ
11
分だった。その結びはこう述べられている。
り口は、広島の被爆者、市民を怒らせるのに十
爆ドーム」が世界遺産に登録されたことを受け
﹁ 原 爆 投 下 は 正 し か っ た か ﹂ は 物 議 を 醸 し た。 ばならない」「核兵器のない世界への努力と、『和
21
の数は原爆被害をはるかにこえるものであっ
20
ることである。心から赦し乞うことである。日
2014.12.15
96
12
13
湯浅 一郎
[1]
汚染問題に取り組む。1971 年からの女
川原発をはじめとして多くの公害反対運
反対を契機に平和運動にかかわり、ピー
スリンク広島・呉・岩国(89 年)、核兵
器廃絶をめざすヒロシマの会(2001 年)
結成に参加。現在、NPO法人ピースデ
ポ代表。環瀬戸内海会議顧問。著書に「海・
川・湖の放射能汚染」(緑風出版)、「海
の放射能汚染」(緑風出版)、「科学の進
ロシマを問う」(技術と人間)など。
前段として、瀬戸内海の持つ特徴に触れたい。
起きたらどんな問題になるかを考えたい。その
[2]
後、 最 も 気 に な っ て い る の は フ ェ ル
デ ィ ナ ン ド・ フ ォ ン・ リ ヒ ト ホ ー フ ェ ン の[
こ と だ。
「 シ ル ク ロ ー ド 」 の 命 名 者 で、 ヨ ー
3・
対運動にかかわっていたので地震でどうなった
ロ ッ パ に 日 本 の よ さ を 伝 え た 一 人 で も あ る。
[2]1833~1905。ドイツの地質学者、地理学
者。 1 8 6 0 年 か ら 年 に 日 本 を 訪 れ た ほ か、 年 か
ら 年 ま で 中 国 を 調 査 し た 際 に 日 本 に 立 ち 寄 り、 そ れ
ぞ れ 印 象 記 を 残 し た。 最 初 の 日 本 紀 行 は「 リ ヒ ト ホ ー
フ ェ ン 日 本 滞 在 記 ド イ ツ 人 地 理 学 者 の 観 た 幕 末 政
治」
(2013年、九州大学出版会)にまとめられている。
か気になったが、女川ではなく福島原発で大事
瀬戸内海を対象に海のことを何十年か研究
「知らなかった欲望」の出現
故が起きた。
横浜の事務所にいた。学生時代に女川原発の反
をつくってくれているということだった。
福島の事故でどういう問題が起きたかを踏ま
えながら、瀬戸内海の伊方原発で大きな事故が
ていただく。
3年間で2冊の本を出した。その一部を話させ
する作業がいると感じている。その観点でこの
能汚染がどうなっていくかを系統的にフォロー
してきた経験を活かして福島の事故で水の放射
れ。東北大理学部卒。元産業技術総合研
現在は「ピースデポ」で、核軍縮と基地問題
の情報提供をしている。2011年の3・ は
陽とか地球の自転とか、星が瀬戸内海の豊かさ
究所職員。2009 年まで瀬戸内海の環境
11
原発はどこにあっても問題だが、とりわけ瀬
戸内海という閉鎖性の強い海域では問題だ。産
業 技 術 総 合 研 究 所 は[、 私 が 2 0 0 9 年 ま で
年間いた職場で、今はないが瀬戸内海の2千分
の1の模型があった。この水理模型を使ったり
して水の流れや物質移動を調べ、瀬戸内海の環
歩とは何か」(第三書館)、「平和都市ヒ
68
境保全に役立てるのが仕事で、当初は通産省の
11
動にかかわる。84 年のトマホーク配備
61
研究機関だった。そこで感じたのは、月とか太
[1]中央省庁再編の一環として、通産省の工業技術院
と全国に あった研究所を統合再編して発足した独立
行 政 法 人。 産 総 研 中 国 セ ン タ ー( 当 時 呉 市、 現 在 東 広
島 市 ) の 前 身 は、 全 国 に 七 つ あ っ た 地 域 セ ン タ ー 研 究
所のうちの中国工業技術研究所。 15
ゆあさ・いちろう 1949 年東京生ま
72
34
打撃をこうむると述べた。市民ら130人が聴き入った。以下、講演の要旨。
した。また、いったん原発事故が起きれば、漁業面だけでなく瀬戸内文化圏にとっても大きな
太陽、地球、月など星の動きであると強調、この恵みを原発事故によって失ってはならないと
で基調講演し、瀬戸内海は世界でも群を抜く漁業生産性の高い海であり、それを保障するのは
ウム「原発と瀬戸内海~豊かな海を守るために~」
(広島弁護士会・中国地方弁護士連合会共催)
産業技術総合研究所職員として2009年まで呉市に在住、瀬戸内海の環境保全問題に取り
組んできた湯浅一郎さんが9月6日、広島市中区、YMCA国際文化ホールであったシンポジ
伊方原発から放射性物質が放出
された場合の瀬戸内海への影響
「星の恵み」今こそ実感を
≪ 61 ≫
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 62 ≫
く船旅の途中で日本に立ち寄り、瀬戸内海を3
1868年、明治維新の年に米国から中国に行
が問われているのではないかと思う。直接的に
福 島 の 事 故 を 振 り 返 る と、 こ の 最 後 の 2 行
る。伊方は瀬戸内海ではないという議論だった
造るのはダメだと言い、中止になった経過があ
一さんが、瀬戸内海の奥まったところに原発を
年にできた瀬戸内法でいえ
ば瀬戸内海の一角だが、大型タンカーが出入り
かは分からない。
の も の へ の 問 い か け と 考 え ら れ る。 そ れ か ら
するという意味で明石海峡から柳井あたりまで
この後150年ぐらいの間に人類が歩んだ道そ
日ほど航行している。 年9月1日の日記には、 は瀬戸内海のことを言っているが、基本的には
こんなくだりがある。
年後、 世紀前半に入ると、あらゆる領
上のものは世界の何処にもないであらう。将来
か。1905年にアインシュタインが物質=エ
の中の一つが核エネルギー利用の問題ではない
域で彼が懸念した問題がたくさん出てきた。そ
ながら伊方原発は
方は少し外れていたという可能性はある。残念
を瀬戸内海とするようなイメージがあって、伊
~
この地方は、世界で最も魅力のある場所のひと
5年後、山口県上関町に中国電力の原発建設計
わた
つとして高い評価をかち得、沢山の人を引き寄
ネルギーという相対性理論を打ち出した。三十
画が出た。そうした流れの中で、瀬戸内海は核
年に稼働を始めた。さらに
せるであらう。
(略)かくも長い間保たれて来
数年後それが実証され、 年に太陽エネルギー
核分裂の連鎖反応で膨大なエネルギーが発生す
ド 侵 攻 し て 第 2 次 大 戦 が 始 ま っ た 年。 そ う い
(
「支那旅行日記」1943年) ることが発見された。 年はナチスがポーラン
うタイミングでの核分裂現象の発見だ
っ た。 こ れ ら は リ ヒ ト ホ ー フ ェ ン が 懸
エネルギー利用とかかわり続けている。
世界でも群を抜く生産性
瀬 戸 内 海 に つ い て 少 し お さ ら い を し た い。
㌔。平均水深も非
大阪から北九州まで、東西450㌔、南北は場
㌔から
㍍といわれる。水の出入り口は紀
核エネルギー利用と瀬戸内海のかか
て浅いので100のうち1にも満たない量で、
伊水道と豊後水道と関門海峡。関門海峡は狭く
接 的 な 被 害 を 受 け た 広 島 も、 瀬 戸 内 海
域だ。日本国内では一番大きな内海だが、国際
を決めているといっていい。非常に閉鎖的な海
東部にある鹿久居島の南岸に建設計画
つ の 原 発 立 地 政 策 が 浮 上 す る。 岡 山 県
米国とカナダ国境にある5大湖の中の4番目の
的には、
湖と比べても小さいと思った方がいい。
そこに3千万人ぐらいがかかわる。
年代の重
でも建設計画が出てきた。鹿久居島は、 いる。世界的に見れば比較的小さい入れ物だが、
大きさのエリー湖とほぼ同じ面積だ。形も似て
70
が 出 て き た。 ほ ぼ 同 時 に 愛 媛 県 伊 方 町
の 一 角 に あ る。 そ の 後、
年代には二
利用で
わ り を 振 り 返 る。 核 エ ネ ル ギ ー の 軍 事
常に浅く、
念した「以前知らなかった欲望の出現」 所によって違うが
60
紀伊水道と豊後水道が、瀬戸内海の水の出入り
38
年 8 月 6 日、 歴 史 上 初 め て 直
そのものではないか。
77
20
39
38
39
欲望の出現とである。
は核融合によって得られていること、 年には
―― 広 い 区 域 に 亙 る 優 美 な 景 色 で、 こ れ 以
73
たこの状態が今後も長く続かんことを私は祈
50
る。その最大の敵は、文明と以前知らなかった
20
45
年にできた環境庁の初代長官大石武
60
2014.12.15
40
68
71
≪ 63 ≫
業出荷額を持つコンビナート開発が一方的に進
化学工業の誘致に伴って英国、ドイツ並みの工
年ぐらい前から理解されるようになっ
が重要な役割を果たしていることが海洋物理学
瀬戸では、上げ潮時に渦がつくられる。この渦
いう認識を持ちながら瀬戸内海と付き合うこと
海の豊かさを生んでいるといってもいい。そう
内海の豊かさをもたらす。地球の自転が瀬戸内
められた。人口にしても工業出荷額にしても、 で も
れた。閉鎖性海域は汚染されやすい半面、生産
一 方 で、 瀬 戸 内 海 は 豊 穣 の 海 と 昔 か ら い わ
いくつかの瀬戸がある。広島湾にたくさんいる
ある。福島と同じ軽水炉だが、型が違う(福島
れて窒素やリンに戻り、深い所に栄養がたまる。 かを話したい。伊方には加圧水型原子炉が3基
植物プラントンが死んで海底に落ちる。分解さ
第1原発は沸騰水型)。計202万㌔㍗の発電
ような事故が起きた場合、どんな問題が起きる
そ う し た こ と を 前 提 に、 伊 方 原 発 で 福 島 の
が求められている。
性が高いことで知られ、北海やバルト海と比べ
地中海だと1回使われた栄養はもう使われない
能力があり、福島の事故に関係した1~4号機
た。例えば広島湾や伊予灘をみると、中島など
い。
世界最高レベルの生産性を持つ海といえる。 が、瀬戸内海では、ある時間がたつと瀬戸部に
ても、単位面積あたりの漁獲量は群を抜いて高
動いていって、渦によって上と下の水がまざり
伊 方 は 現 在 止 ま っ て い る が、 動 い て い た ら
それを可能にするのは、一つの栄養を何回も利
表層に供給される(図1参照)
。潮流によりそ
どのくらいの死の灰ができるか。100万㌔㍗
の7割に相当する。
れがふたたび灘や湾に戻っていく。一つの栄養
の原発が稼働率
%で1年間動くと、広島原爆
が何回も利用されるメカニズムだ。
あう。鉛直混合で、下にたまった栄養の一部が
過重に開発されてきた。
20
用するメカニズムだといえる。
これは一つの例だが蒲刈島と本州の間の猫
瀬戸と渦の役割
図1
なく、流体である海水とか大気にも働く。地球
だ。万有引力は月と地球という固体同士だけで
の万有引力との関係で証明したのがニュートン
知られていたが、300年ほど前に、月と太陽
ことは、海辺に住む人たちには何千年も前から
よって起きる。海面の高さが規則的に変動する
渦 は 潮 の 満 ち 引 き に 伴 う 上 げ 潮、 下 げ 潮 に
確な数字はよく分からないが、その3~5%ぐ
の一部が環境中に放出される。福島の場合、正
分かあるはずだ。事故が起きた場合、そのうち
持っていけない一時貯蔵の使用済み燃料が何年
らに、青森県六ケ所村(核燃料再処理工場)に
2千発分ぐらいの死の灰があることになる。さ
といわれる。200万㌔㍗が稼働していたら、
の死の灰の1千発分ぐらいが原子炉にできる
一つは大気に放出されたものの何割かが海
四つぐらいのルートで海に出ていくだろう。
で月と地球の万有引力が小さくなったり大きく
にそのまま落ちる。二つ目は、原発サイトから
っているが続いている。この二つは一次的な問
汚染水として流れ出る。福島では今も、量は減
潮 汐 に 対 応 し て 潮 流 が 発 生 し、 潮 流 が 渦 を
題。二次的な問題として、大気に放出されたう
なったりする。それが海の潮汐現象を引き起こ
つくって栄養の利用効率を高める。それが瀬戸
すことが分かっている。
地球の直径分だけ距離が違う。その距離の違い
をみると、月に最も近い時と遠くなった時では、 らいが放出されたと想像されている。その後、
は1日に1回自転するから、地球上のある地点
80
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 64 ≫
りして移動する。
湖底などに残るものもあるが、 くなって、避難地域を ㌔圏から ㌔圏に広げ
所にとどまらず、水に溶けたり、風で運ばれた
ちの何割かは陸地を汚染するが、それは同じ場
も何もなかったが、福島の事故後そうもいかな
発で事故は起きないと言っていたので避難計画
汚染された水は何らかの形で地下水に浸透した
を使って冷却を進めなければいけない。そこで
ら、何らかの形で、崩壊熱に対処するため、水
にたまってじわじわ溶けだしていく。二次的な
水に溶け海に入るものもある。もう一つ、海底
し、結果を公表するとかした。伊方の拡散予測
予測シミュレーションを2012年 月に実施
るとか、全国原子力サイト カ所について拡散
の海が往復流であることだ。行ったり来たりを
伊 方 原 発 の 場 合、 福 島 と 違 う の は、 目 の 前
41
16
それ以外の %ぐらいは東であったり、西であ
が出ていくことは、おそらく避けられない。
模型実験の結果で、矢印の長さが流れの速さを
ったりする。事故が起こった時の風向きは、確
に出ていく、ということが毎日繰り返される。
がずっとある。6時間、中に入って6時間、外
も し、 瀬 戸 内 海 が プ ー ル の よ う に き ち ん と
宇和海にかなりの量が落ちる。これが汚染源に
つまり物は動かない。しかし、実際には地形も
げ潮が繰り返されても、最後は同じ場所に戻る。
天気さえよければ目前に見える。 ~
㌔の範
った実験でも、結果として少しずつずれていく
が移動することが分かっている。
福 島 沖 で は、 海 流 は ほ ぼ 一 方 向 に 流 れ て い
って別の動き方をするかもしれない。
残差流によって移動する。風の条件などが加わ
強は動く。もし放射性物質が海に出たら、この
図3参照)
。毎秒3㌢と想定すると、1日2㌔
では、残差流は北東方向に向かっている(次㌻
だと、なかなか動いてくれない。伊方原発近く
囲だ。伊方で事故があれば、風向きにもよるが
メ ル ト ダ ウ ン、 核 燃 料 が 溶 け て し ま う 事 態
遅くて複雑な物質の移動
の事故後、「風景」の意味が一変した。
るので、それなりの速さで物は動く。瀬戸内海
50
これらの島の一部は強制避難地域になる。福島
40
と、上関原発が計画されている長島や祝島が、 のが分かる。残差流と言い、これによって物質
伊方原発から北側の伊予灘を撮った写真を見る
る。そういう形での供給プロセスが一つある。 複雑で水深も場所によって違うから、浮標を使
なり、一部は黒潮の方に、一部は瀬戸内海に入
射性物質を含んだ雲)を想定すると、豊後水道、 した長方形で水深も一定であれば、上げ潮と下
最 も 頻 度 が 高 い 南 南 西 方 向 の プ ル ー ム( 放
率的には南北方向が半分以上占める。
中に入ってくる。下げ潮では、外に向かう流れ
いあり、それぞれ3、4割ということが分かる。 表す。上げ潮では一斉に北東方向、瀬戸内海の
北の伊予灘、広島湾方面に向かうのが同じぐら
2参照)
、 見 る と、 南 に 向 か う の が 割 合 多 い。 繰り返しながら少しずつ移動する。これは水理
12
り、直接海に出たりする。原発から海に汚染水
ものは前の二つに比べケタ違いに小さいが継続
では1年間の風向きを調べたデータがあり(図
30
性、長期化という点で問題になる。
10
になれば、原子炉を冷却できる状態にはないか
2014.12.15
20
政 府 は、 福 島 の 事 故 が 起 き る ま で 日 本 の 原
図2
*原子力規制庁
(2012 「)拡
: 散シミュレー
ションの試算結果(総点検版)
」 ㌻
伊方原発地点における風下方位の出現確率
≪ 65 ≫
水 理 模 型 で、 太 田 川 の 河 川 水 を 見 立 て て 染
行く。西は周防灘の出入り口ぐらいまで。瀬戸
つと、水は備讃瀬戸を越えて小豆島あたりまで
で帯状のもの が見える。それから茨 城、千葉、 落ちるものが相当ある。そのうえで、広島県の
ろだと東京都の雲取山とか、そういうところま
とか谷沿い、盆地沿いに広がり、一番遠いとこ
ると思われる地域は、福島から郡山とか二本松
その次に高濃度の放射能の影響を受けてい
平野部に沿って谷沿いに中に入ることも考えら
が出るだろう。北方向に行ったものは広島湾に
りに降る恐れがある。九州の一部にも陸の汚染
九州の大分県、宮崎県まで到達し、阿蘇山あた
ないが、海に落ちるものもあれば、落ちないで
ういうことになるか現時点で正確には予測でき
内海の3分の1とか2分の1の領域にまで物質
れ、中国山地のある場所は汚染されてしまう。
万人ぐらいが故郷を奪われている。
が広がることが分かっている。伊方原発から放
埼玉の県境に、ホットスポットといわれる塊が
西風が吹けば四国山脈に沿って帯ができる。雨
料拡散実験をやった結果では、3カ月ぐらいた
射性物質が出てしまったら、2、3カ月後には
存在する。これは、いったん海に出たものが茨
が降ると物質を溶かし、その水が川に入る。四
城県沖に来て、太平洋の海風で再び陸の方へ入
長 期 的 な 視 点 で 見 る と、 陸 に 降 っ た も の は
ってきて止まった。そういう分布が事故時の気
西瀬戸一帯に広がると考えざるを得ない。
ど う な る か。 福 島 の 事 故 か ら 半 年 後 に、 ヘ リ
国には吉野川があり、上流には早明浦ダムがあ
について事故直後から海水中のセシウム
東 電 は、 福 島 第 1 原 発 の 付 近 4 カ 所
で、汚染の長期化が想定される。
入れ換わるには年単位の時間がかかるの
なかなか移動しない。内海側の水が外と
能 性 が 高 い。 瀬 戸 内 海 は 流 れ が 往 復 流 で
故より伊方原発事故の方が深刻になる可
海 へ の 影 響 を 考 え る と、 福 島 原 発 事
は中四国九州にしみわたっていく。
し て 太 平 洋 に 出 る。 そ う い う 形 で 放 射 能
のは、分水嶺によっては四万十川を経由
み 水 が 危 険 に な る。 四 国 山 地 に 降 っ た も
る。香川県の水ガメだ。汚染されれば高松の飲
象条件との関連で決まってくる。
図4
だ か ら、 伊 方 原 発 で 何 か 起 き た と し て、 ど
コプターで表面のセシウムの沈着量を調べ分
気中に放出
性物質の約
8割は太平
洋に落ちた
といわれ
る。 残 り の
2割が東日
本のかなり
広い範囲に
落 ち た。 色
の濃いとこ
日にかなりの濃
1 3 7 の 濃 度 を 測 っ て い る( 次 ㌻ 図 5 参
照 )。 事 故 直 後 の 3 月
21
ろが濃度が
高 い 地 域。
強制避難地
域になって
16
広島ジャーナリスト 19 号
15
度が原発から ~ ㌔地点で検出された
地表面へのセシウム134、137の沈着量の合計
こ と を 考 え る と、 事 故 か ら 4 日 目 ぐ ら い
(文科省2011年9月 日調査)
に は 海 に 出 始 め た の で は な い か。 一 番 高
10
された放射
(出典:柳哲雄ら (1992): 愛媛大学工学部紀要、12-3,329 - 336.)
い て、 今 も
18
布図にしたものがある(図4参照)
。事故で大
図3
≪ 66 ≫
く。少しずつ減っていくが、5月になっても1
㍑に何万ベクレルというのが2週間ぐらい続
たり1ベクレル以下になったが、これは1立方
っている。5カ月ぐらいかかってやっと1㍑あ
だ高いが、そこにいくまでに3カ月ぐらいかか
になる。だから下がったように見えてもまだま
100ベクレルは、1立方㍍だと 万ベクレル
㍑ あ た り 1 0 0 ベ ク レ ル も あ っ た。 普 通、 海
日ぐらいまでで、1
水中の濃度は1立方㍍あたり2ベクレルぐらい
㍍に直せば1千ベクレル。伊方原発の場合はこ
かったのは4月に入って
だ。大気圏の核実験とかチェルノブイリ原発事
放射能を含んだ水が下層にいったのではない
か。
漁業にとどまらない被害
魚 へ の 影 響 で い う と、 セ シ ウ ム の 基 準 値 で
ある1㌔㌘あたり100ベクレルを超えるもの
は東海村沖。茨城沖が高くて女川沖
番高いのは原発沖だが、次に高いの
ム137の濃度はどうだったか。一
続けている。さらに宮城県、
茨城県ではスズキ、
漁協で始めたのを除き、操業自粛や出荷停止を
3年たった今年春でも、福島県は試験操業を2
茨城沖に基準値を超えたものが多い。事故から
がとれた場所をみると、福島原発沖から南の方、
は茨城より低い。青森沖でも若干の
で達している。親潮と黒潮がぶつか
黒潮の勢いが増し、茨城県北部にま
度を見ると、事故後3週間ぐらいで
いったことが分かる。当時の海面温
て下層は低いが、下層に水が沈んで
度が高いことだ。普通は表層が高く
葉県の銚子沖まで、南北約350㌔の範囲でス
キは金華山沖あたりでも基準を超えている。千
い。スズキやクロダイは移動範囲が広く、スズ
を合わせると約200㌔の範囲で操業ができな
まで基準値を超す魚が出ている。原発の北と南
福島原発沖の南側、ひたちなかや東海村あたり
度 が 高 い 状 態 が 続 い て い る( 次 ㌻ 図 6 参 照 )
。
メバル、ソイなど瀬戸内海でも知られるが、濃
問題なのは海底で生きている魚。アイナメ、
クロダイなど特定魚種は今も操業できない。
りあっていて、二つの潮流では9度
ス ズ キ、 ク ロ ダ イ は 瀬 戸 内 海 で は 非 常 に ポ
ぐらいの水温差がある。そこで何が
ピ ュ ラ ー な 魚 だ。 瀬 戸 内 海 は 水 の 移 動 が 遅 く、
ズキはいまだに濃度が高い。
がきて、表面にプランクトンなどが
でいく現象が起きていたと思われ
冷たい水が暖かい水の下に沈み込ん
植物プランクトンを動物プランクトンが食
に深刻な状態が予想される。
く る の で い い 漁 場 に な る。 そ し て、 外と内の入れ換わりが時間がかかるので、さら
集まる。それを目当てに魚が寄って
起きているかというと、両方の海流
のは、茨城沖では表層より下層が濃
影響があることが分かる。特徴的な
青森から銚子ぐらいまでの海水中のセシウ
れより長時間かかるのではないか。
図5
データでは通常の1千倍の濃度だ。1㍑あたり
故などがあるのでゼロではない。しかし、この
10
る。 そ う し た 現 象 が 茨 城 沖 で 起 き、 べ、それをイカナゴ、カタクチイワシなどの小
2014.12.15
10
≪ 67 ≫
した面できちんとフォロ
も福島原発事故も、そう
ど予測できていない。チェルノブイリ原発事故
魚が食べ、それをタイやサワラが食べるという 形で生態系のさまざまな場所に放射性物質が入
食物連鎖構造があるが、
、放射性物質が入ると、 りこみ、どうバランスが崩れていくかはほとん
散して降下したものとか、黒潮に乗って1年ぐ
ている。さらに偏西風に乗って太平洋全体に拡
どは、三陸沖でも何十ベクレルという魚が取れ
い範囲を移動する魚がいる。回遊魚のマダラな
がある。加えてスズキ、クロダイなど非常に広
とは逆に、砂堆で夏眠を
イカナゴだ。クマの冬眠
に、とりわけ大事なのが
この問題を考えるの
先 ほ ど 話 し た 通 り、 福 島 沖 か ら 茨 城 沖 は 親
きれば、同じような構造を持つ現象が生じる。
故の一つの姿ではないか。伊方原発で事故が起
然環境に浸透しているというのが、福島原発事
そういう何重かの構造を持って放射性物質が自
り返されている。砂が汚
る。そういう生活史が繰
2月に卵を産み、孵化す
例えば太平洋では北太平洋亜熱帯循環流がある
な海では赤道をまたいで大きな循環流がある。
だ。太平洋と大西洋という地球上の二つの大き
潮と黒潮がぶつかりあう世界三大漁場の一つ
減っているがスナメリク
る。瀬戸内海では、数は
サワラにも汚染が波及す
る。それを食べるタイや
環流ができる。
をならすための力がかかることで、こうした循
近と北極、南極の太陽エネルギーのギャップ=
地球が受ける太陽エネルギーの不均一=赤道付
こ の 循 環 流 の 一 部 を 構 成 す る。 地 球 の 自 転 と、
かり合う所に、世界三大漁場の一つがある。こ
こ の 循 環 流 の 中 で、 暖 流 と 寒 流 が ぶ つ か り
れは自然、
星が作ってくれているといっていい。
ナゴやカタクチイワシを
見 て き た よ う に、 ア
あう所ができ、潮境に大きな漁場ができる。大
イナメなどに第1次的な
その漁場に面して福島原発があり、そこで事故
餌にしているので、影響
影響があり、その周辺で
が起きた。
西洋でもメキシコ湾流とラブラドル海流のぶつ
少し濃度は低いが深刻な
が出る恐れがある。
ジラもいて、やはりイカ
60
広島ジャーナリスト 19 号
汚染領域があり、その周囲に、さらに汚染領域
ーができていないのでは
らいかけて米国西海岸にいくものとかがある。
する。 月に出てきて1、
染されると、イカナゴは
ことが、
年ほど前に明らかになった。黒潮は
生活史全般が汚染され
12
どの階層も一様に汚染されてしまう。そういう
ないか。
図6
(「海・川・湖の放射能汚染」から)
≪ 68 ≫
[3]
めぐる海」1951年)
。この「惑星海流」と
て、その結果避難しなければならないものはな
視するのであれば、事故が起きる可能性があっ
不遜だ。昔から暮らす人たちの生存権をこそ重
域にして防災計画を立てさせているが、非常に
融合によってでき、ベータ線やガンマ線が放出
程度に抑える能力を持つ。太陽エネルギーは核
動をし、生命体が誕生していくため支障がない
を持つ。ゼロにはならないが、生命体が生殖活
る放射能を地表面に届くのを抑えるメカニズム
いう概念を理解することで、私たちが暮らす地
され続けている。地球にも届いているが、抑制
㌔圏を避難区
球のありがたさ、日本でいえば三陸沖から常磐
くすしかない。加えて、事故による被害を過小
されているのは、地球が磁石だからだ。地表面
政府はいま各原発サイトで
沖の漁場のありがたさを実感できる。そこに原
に到達するまでに吸収されてしまうメカニズム
を 持 つ。 地 球 内 部 で マ グ マ が 移 動 す る こ と で
弱 い 磁 力 が 発 生 し て い る た め だ。 銀 河 系 に は
1千億ぐらいの星があるといわれるが、こうい
う条件を持つ星は非常に限られている。そうい
う存在として地球はある。
年間で、自分たちの生活の場に放射性物
1 9 3 9 年 の 核 分 裂 の 発 見 以 降、 人 類 は、
だが、いくつかの条件の中で生存できている。 この
それを備えた星だった。地球の表面温度は 度
第一は水が循環できる温度条件で、地球だけが、 質を作り出すことを始めてしまった。これを地
らまだ間に合う。
ぐらいで水が液体の状態で存在でき、水蒸気に
球の外から眺めると、あまりにも愚かしい構図
福島原発から出た放射能は世界三大漁場の
が見えるのではないか。
に し た。 広 島、 長 崎、 ビ キ ニ、 チ ェ ル ノ ブ イ
た環境だ。火星は地球より太陽と距離があり、 一つを直撃し、宇宙がつくる恵みの場を台なし
も氷にもなる。これは太陽との距離が生み出し
年、ストロ
瀬 戸 内 海 は 歴 史 的 に 重 要 な 航 路 だ っ た。 何
性物質の半減期、例えばセシウム
表面温度はマイナス 度より低く、二酸化炭素
リ、そして福島。海を核のゴミ捨て場にする奴
年たってもまだ半
でも固体になる。水は動きようがない。金星は
年を考えると、
はだれだ。生命の母としての海を毒壺にするな
ンチウム
太陽に近いため、逆に表面温度が高すぎる。太
年たっても4分の1残っている。す
という海のうめき声が聞こえる。原発、とりわ
年後も何もできず、海とつきあうこと
陽との距離関係で、水が循環できる環境を持つ
け伊方原発は瀬戸内海の中にあるから再稼働で
ると、
ができない可能性がある。原発事故は漁業だけ
はなく廃炉にする。ましてや上関には造らせな
最良の答えではないかと思う。
150年後の現代から見たせめてもの、そして
い。それが、リヒトホーフェンの懸念に対する
も う 一 つ、 地 球 は 太 陽 や 宇 宙 か ら 飛 ん で く
で行ってしまう。
小さいため、大気や海洋ができたとしても飛ん
のは地球だけである。さらに、大気や海洋が保
まう暴力性を持つものでもある。
62
分残る。
70
持されるためには一定の大きさが必要だ。月は
50
でなく瀬戸内海文化圏そのものを喪失させてし
30
30
千年も重要な意味を持っていたと思うが、放射
15
事故が起きれば非常に深刻な状態を引き起こす
地 球 に は 生 命 が 存 在 し、 私 た ち も そ の 一 つ
生命存続へいくつもの条件
も影響を小さく見すぎている。
こす可能性がある。 ㌔避難自体が、あまりに
評価している。いったん事故が起きれば200
る豊かさが瀬戸内海の豊かさを保障していると
渦が瀬戸内海に豊かさをもたらす。宇宙がつく
つくり、
地形の複雑さとの相互作用で渦ができ、
と太陽と地球の自転がつくる潮汐現象が潮流を
瀬 戸 内 海 に 関 し て も 同 じ こ と が い え る。 月
る。
㌔とか250㌔とか、そういう範囲で問題を起
30
恐れがある。幸い大きな事故は起きていないか
いえる。
その瀬戸内海の一角に伊方原発があり、
30
発をつくってきたことのありようが問われてい
レ イ チ ェ ル・ カ ー ソ ン は 大 循 環 流 を 惑 星 海
[
年前に言った(
「われらを
流と呼ぶべきだと
60
[3]1907~ 。生物学者。化学物質の入った農薬
による環境破壊を取り上げた「沈黙の春」( 年)で注
目された。 2014.12.15
60 29
60
64
福島の事態、未曾有の惨事
た。以下、講演の要旨。
年間、関東圏で暮らしたが、原発
7年前、東京から長崎へ避難した。千葉県で
生まれ、東京で育って神奈川県で仕事をすると
いう人生で
の問題にかかわり、とてつもない事態に突入し
最大ピーク時も太陽光で賄える
ら起きると、その怖さを訴えてきた。関東はい
感した。誰も体験したことのない問題がこれか
が止まったのは 年9月
ての日本の原発が止まったのではなく、全原発
原発再稼働へ向けた動きが着々と始まってい
る。2011年3月 日の福島原発事故ですべ
日付朝日新聞西部本社版でこの
たい年に1回運転を止め、燃料を入れ替えて修
過ごしたくない、という思いが強くなり、定年 「止まった」のではなく、定期検査中だ。だい
から認可した設備容量が1787万㌔㍗。太陽
再生可能エネルギーの買い取り制度が始まって
需要のピークが1600万㌔㍗。
これに対して、
広島ジャーナリスト 19 号
査中だ。通常だとこの状態での再稼働は、法的
には電力会社が「明日から運転再開」といえば
動かせる。ところが原発事故後、それが簡単に
こ う い う 中 で 安 倍 晋 三・ 自 公 政 権 は、 民 主
はできなくなった。
党政権が引いた路線を崩しながら、原発事故以
前の時代に戻したいという思いがあるのだろ
う。民主党政権は脱原発の方向へ日本政府とし
て初めて舵を切った。これはそれなりに歴史的
に評価しなくてはいけない。しかし、今年4月
には安倍政権下のエネルギー基本計画で原発を
ベースロード電源とすることが決まった。 月
には太陽光発電の新設抑制、再生エネルギー買
い取りを国が見直す、ということが始まった。
九州電力が太陽光発電の電力買い取りをやめる
月
と言い出し、日本中の電力会社が従おうとして
い る。
ニュースが伝えられたが、翌日の紙面では「川
内再稼働 市議会同意へ」とある。太陽光発電
の買い取り抑制と川内原発再稼働が、ひと続き
の物語として見える。
九州電力で、国が認可した太陽光発電の総量
が、管内の夏の最大電力を超えてしまった。太
陽光発電だけで夏の最大電力を賄えれば、原発
年夏の
まで1年あったが大学を辞め、すべての日本の
理をし、運転を再開する。福島の4基を除く原
はいらないことになる。具体的には、
原発の風上はどこかと探したら長崎だったので
日だ。正確に言えば
ずれ放射能まみれになる、そういう中で老後を
ているということが明らかな時代になったと実
ないうちに福島で思った通りのことが起きた。
さよなら原発ヒロシマの会と上関原発止めよう!広島ネットワークが共催し、280人が聴い
「チェルノブイリは蓋が飛んだが、
福島は底が抜けた」と、海に直結する汚染の深刻さを訴えた。
た放射能汚染は人類が体験したことのない大惨事であると強調。特に福島事故の形態について
きたというのはウソ」と多角的なデータを使って説明した。そのうえで、福島原発事故で起き
ンターで「再稼働を止めて、原子力の終焉へ」と題して講演、「原子力が発電の3割を担って
原発事故による放射能汚染を恐れ、2007年に慶応大助教授を退官、長崎県に移住した物
理学者、科学史家の藤田祐幸さんが「原子力の日」の 月 日、広島市中区の広島市青少年セ
藤田 祐幸
光発電が、電力会社の発電所の容量を超えた。
16
10
26
子炉は廃炉でも運転停止でもなく単なる定期検
13
16
10
移住を決めた。しかし、移住して3年しかたた
13
11
65
10
止めよう原発再稼働
≪ 69 ≫
≪ 70 ≫
買い取りを止めるという動きになる。
年 に 飛 躍 的 に 増 え た。 3・
9 基 分。 こ れ は 名 目 上 で、 実 際 に は
すべての太陽電池が発電するわけで
はないので稼働率を7割ぐらいとみ
て も、 原 発 な ど と 競 い 合 う 程 度 に は
増 え て い る。 そ れ で も、 全 発 電 量 の
年 )。 ド イ ツ(
・ 9 %)、 ス ペ イ ン
とケタ違う。
こ の、 わ ず か 2 % 程 度 の 電 力 会 社 以 外 の 電
発電と送電と配電を1社独占でやってきた弊害
消費地では依然として少ないが、北海道や九州
では多い。それを融通させるためのエリアごと
の電力ネットワークがあればいいが、非常に脆
基の原発を持っていたから東北と東京の間
弱だ。これがもう一つの問題。東京電力は福島
に
トワークがあるが、九州、四国、中国との間は
弱い。
原発事故から3年半、原発再稼働に向けて電
力会社は防潮堤のかさ上げなどにばかばかしい
投資をしてきた。その投資を、電力会社間のネッ
ネ ッ ト ワ ー ク で つ な ぐ こ と で 変 動 を 平 準 化 し、
が盛んになったが、
風の吹き方で変動が大きい。
阪で使えばいい。脱原発のドイツでは風力発電
は終わっているはずだ。九州で余った電力を大
中での再生可能エネルギーの比率は、日本は2・ トワーク充実に振り向けていれば、とっくに話
りを決めた時、
見くびっているなと感じていた。 2 %(
がない、と経産省あたりは思っただろう。とこ
自然エネルギーは東京や関西のような大量
太 陽 電 池 の 国 内 出 荷 量 を み る と、 だ。
~
以 降、 や は り 意 識 が 変 わ っ た。 人 び
と の 意 識 の 変 わ り 方 の 大 き さ と、 政
治を担う人たちの意識の変わらなさ
のギャップが世の中を嫌な気分にさ
せている。
年で8546㍋㍗、 には非常に太い線ができた。関西電力は中部電
11
つまり800万㌔㍗強だから原発8、 力、四国電力と電力のやり取りをしたからネッ
太陽光発電は
13
13 20
民主党政権が再生エネルギーの定額買い取
12
棄地もいくらでもあるから、メガソーラーがあ
る。だから太陽光発電の設備を置ける。耕作放
しまった。その時の埋め立て地があちこちに残
てたが、それが終わったころバブルは終わって
九州は乗り遅れていた。あちこちの海を埋め立
よる発電量も電力需要も予測できる。その分火
の程度分かるようになった。それなら太陽光に
なっており、気候や気温の変動は前日にかなり
て い な い だ け の 話。 天 気 予 報 が 非 常 に 精 密 に
ムに外部参入があり、システム的な対応ができ
これは、独占形態で生産、販売してきたシステ
を話しておこうと思う。
原発問題とはエネルギー問題ではないと十何
年も前から主張してきたが、もう一度そのこと
「原発は必要」というウソ
ちこちにできた。
うなったか。高度経済成長期とバブル時代に、 力が参入したために市場は統御不能になった。 使いやすいシステムにして克服したと聞いた。
ろが、九州では逆転現象が起きた。どうしてこ
10
11
どうせ電力市場を脅かすほどのものになるはず ( ・4%)、イギリス( ・6%)と比べてひ
13
し か も 九 州 で は、 川 内 原 発 が 再 稼 働 の 最 有 力発電の出力を落とすとか、そのぐらいのシス
電気は貯蔵が難しいエネルギーだ。だから生
力候補として浮上する。そういうことがあり、 テムの切り替えはできる。それをしないのは、 産と消費がほぼ同時に行われる。供給と需要が
2014.12.15
26
≪ 71 ≫
ずれると電圧変動が起きて危険なことが起こり
れて
いうのは疑問もあり定義は難しいが、沖縄を入
社ある電力会社の統計上の最大電力の合
かねない。だから最大需要の時に供給できる発
電 設 備 が 必 要 に な る。 こ れ は 1 9 6 5 年 か ら
2012年までの最大電力と設備容量データ
実際に発電した電力量を見ると(グラフ2参
照)
、 原 発 は 全 体 の 3 割 ぐ ら い を 担 っ て い る。
年以降は、原発の発電量が減ってその分火力
壊以降増えていない。こういう状況の中で原発
がカバーしている。全体の消費量は、バブル崩
計を入れている。
分 か る こ と は、 高 度 成 長 期 に 最 大 電 力 は 増
(グラフ1参照)
。 一 番 下 が 水 力、 真 ん 中 が 火
ショックのため。そして 年、福島原発事故で
線がその年の最大電力。最大電力の瞬間は各社
ぐらいのレベルに戻るだけだ。白い点を結んだ
を必要とする状況は一度もなかったわけだか
需要の増加は見込めない。これを見れば、原発
か。
もかかわらず停電は起きない。なぜそうなった
き放題電力を使い、昔のような街に戻った。に
壮な放送をしなくなった。東京でも大阪でも好
時に電力会社は「節電してください」という悲
は全部止まり、1年が過ぎた。夏の需要ピーク
年あたりで頭打ちになる。2008
年にかけて激減したのはリーマン
落ち込んだ。 年ぐらい前から電力の需給構造
えたが、
力。1970年代からのバブル期に増え、それ
は変化し始めている。だからこれから先、電力
年から
年
で同じ日の同じ時間にピークになるわけではな
これは、1965年から2012年までで、
右が原子力、左 が火力( グラフ3 参照 )。右は
白いとこ
ろまでが
設備容量
で、 黒 い
ところが
実際の発
電 量。
年 以 降
を 除 く
と、 原 発
は 7、 8
力。 原 発
左側は火
て い る。
率で動い
割の稼働
11
代に戻るという政治家がいるが、せいぜい
に伴って原発も増える。原発を止めると江戸時
11
ら、電力生産のために原発を動かすという理屈
20
は存在しない。
グラフ3
95
11
10
力、一番上が原子力の設備容量、つまり発電能
95
09
グラフ2
いから、それを全部合わせて日本の最大電力と
グラフ1
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 72 ≫
を造れば火力発電はいらないと思いがちだが、 が止まっても電力供給ができるよう配慮してき
原発時代にも火力発電の建設は進んだ。しかし、 た。
原 子 力 は 2 0 1 1 年 の 3・
で 終 焉 す る。
この状態で、バブル期の最大電力、最大エネル
ギー消費量のところで止まっている。だからこ
れからのエネルギーを心配する必要はない。電
だから福島の事故後、火力の発電量をあげる
だけで対応できている。設備容量と稼働率をみ
年で %程度。水力に至っては %。こう
い。さらに、石炭や石油を使った火力発電の部
とか。原発建設に関わる人たちは、原発事故が
は
力生産のために原発を再稼働する必要は全くな
稼働率は半分を超えたことはない。どういうこ
11
起きるとすべてが止まることを覚悟している。 ると火力発電は %を超えたことがなく、原発
だから、原発が止まっても大丈夫なだけの発電
20
50
原発は怖くて造れない。火力発電所を建設して
つくって、その結果、原発を止めたら3分の1
原発は総電力量の3分の1を担うという事実を
か。
際に目の前で見ている。その先に何を構築する
解決していかなくてはいけな い。福岡、佐賀、
もなく、我々の地域の問題を我々の問題として
うことではなく、東京の政治家に期待するので
しかし、それで日本全体の原発がどうなるとい
原発の倍程度の発電能力を確保しておき、原発
13
んど石炭で戦争していたことが分かる。 年か
黒いのは石炭。1945年の谷間は敗戦。ほと
中国、四国の人たちと連帯して伊方原発を止め
鹿児島県民は川内原発を止めよう、大分県民は
からの一次エネルギーの推移(グラフ4参照)
。 長崎県民は玄海原発を止めよ う、熊本、宮崎、
3・ 以降の時代をどうすべきか。少し長い
スパンで考える。これは明治 (1880)年
「最大電力」は既に頭打ち
地域の皆さんに地域の原発を止めてほしい。
東京では毎週、反原発デモをやってくれている。
容量を確保する必要がある。そうしなければ、 いう中で無理矢理火力を止めて原発を動かし、 分が太陽光発電に置き換えられている現実を実
65
11
ら急速に高度経済成長期に入り、石炭から石油
積み重ねでしか、歴史を前に動かすことはでき
よう。自分たちに近い原発を止めていく。その
イルショックで止まる。そこから ~ 年、消
入量は高度経済成長で急速に伸びたが 年のオ
然ガスが主力で石油は2割ぐらいだ。石油の輸
合、実は石油より石炭のほうが多い。石炭、天
輸入量は増える。火力発電の材料としてみた場
は世界でも最大規模の活断層、中央構造線があ
して玄海原発にいく。広島の皆さんの目の前に
は伊方、高浜という順になるのではないか。そ
をぜひ実現してほしい。川内原発が動けば、次
稼働阻止、上関原発計画の白紙撤回。この二つ
増えている。国内の炭鉱がつぶされただけで、 ない。広島の皆さんの目下の目標は伊方原発再
に離脱する。ところが、その後も石炭の需要は
60
る、そこに伊方原発があり、上関原発が計画さ
い く し か な い。 川 内 原 発 が あ る 鹿 児 島、 宮 崎、
費量はあまり変わらない。原子力と天然ガスが
40 72
れている。こういう危険な場所の原発は止めて
30
その後のバブル期のエネルギーを担った。そう
いうことが見える。
2014.12.15
09
の電力が失われるという。これはウソだ。
グラフ4
≪ 73 ≫
中性子線が当たると鉄の中には不純物としてコ
る種の元素は放射性元素に変わる。例えば鉄に
放射化生成物とは何か。非常に強い中性子線
が核分裂の時に出て、何かの物体に当たる。あ
ミ用語だ。
の証言から「死の灰」と名付けられた。マスコ
さんが亡くなった。灰のようだったという船員
たサンゴのちりが降り注ぎ、浴びた久保山愛吉
染する。福島の場合は原発が3基あったから、
射能が吹き上がって、風に乗って漂い大地を汚
それに対して原発事故はそれほど高温でない放
被曝の規模をみると、広島ではだいたい3㌔
以内ぐらいだ。一つの都市を壊滅させる規模。
る二次被曝だ。
たちが被曝したのは主にこの放射化生成物によ
広島、長崎で、肉親を捜しに爆心地に入った人
質は放射化して二次放射線を出すようになる。
熊本一帯は世界でも有数の火山地帯だ。
への原爆投下直後の1945年8月8日付ワシ
バルトが入っており、コバルト という放射性
物質に変わる。原爆がさく裂すると、皆さんが
原爆の3千発分、使用済み核燃料を全部入れる
原 子 爆 弾 と 原 発 の 違 い に つ い て。 被 爆 地 は
「 年間は草木も生えない」と言われた。広島
原発の死の灰は 原 爆 の 1 千 倍
ントン・ポスト紙に、マンハッタン計画にかか
わった物理学者ハロルド・ジェイコブソン博士
の談話が掲載されたためだが、これはウソだっ
と5千~6千発分程度の放射能がそこにあった
年に現
ことになる。チェルノブイリ原発事故では、ど
座っている椅子の鉄は放射線を出し始める。こ
れを放射化生成物という。
う い う こ と が 起 き た か。 1 9 9 0 ~
ちゃになり、天然には存在しない原子核ができ
れたかけらの中の陽子と中性子の数はめちゃく
裂した時、原子核がいろんな割れ方をする。割
核 分 裂 生 成 物。 ウ ラ ン や プ ル ト ニ ウ ム が 核 分
もう一つ、被曝を考える時、二つの放射能に
ついての知識がいる。一つは死の灰と呼ばれる
が多い。
いうだけではなく、平和利用の方が死の灰の量
けない。軍事利用と平和利用には境界がないと
核爆発が起きている。そのことを見逃してはい
変えれば原発の原子炉では、毎日原爆3発分の
の1千倍の放射能を囲い込んでいる。言い方を
ここでは1㌔と考える。つまり、原子炉は原爆
の問題がある。核爆発で放出された極めて強い
灰は落ちていない。ところがここで、二次被曝
被爆地の皆さんは外部被曝と、黒い雨による
内部被曝を浴びる。黒い雨の地域以外は、死の
がる。
いだ黒い雨で、ここから内部被曝の問題につな
強い外部被曝だ。もう一つは周辺地区に降り注
中性子線やガンマ線を一瞬浴びる。1回だけの
爆心地付近の人たちは、爆発点から非常に強い
て強い上昇気流に乗ってほとんどが成層圏に舞
死の灰が数万度の火の玉の中で生成され、極め
は爆発があったから蓋が飛んだように見える
飛び、死の灰が爆発的に外に出た。福島の場合
抜けたかという違いだ。チェルノブイリは蓋が
少し軽微な可能性がある。原子炉の事故の形態
こした。しかし、チェルノブイリと比べ同等か、
チェルノブイリはたった1基の原発事故だ
が、福島は複数の原発が同時多発的に事故を起
部は黒い雨となって地上に降る。炸裂の瞬間、 汚染水が世界に拡散
い上がり、世界中にばらまかれる。しかし、一
が、格納容器にたまった水素ガスの爆発で圧力
では250㌔だ。
も300㌔という数字がすぐ浮かんだ。東京ま
う問題をみておく必要がある。核兵器の場合、 300㌔が大ざっぱな目安だった。福島の場合
地 で 集 め た 資 料 で 汚 染 地 図 を 作 っ た が、 周 辺
る。これが核分裂生成物。第5福竜丸がビキニ
中性子線が大地や建物に降り注ぐ。ある種の物
が違うためだ。端的にいうと蓋が飛んだか底が
核実験場の近くで被曝したが、その時破壊され
発は1年間の運転で約1㌧になる。広島、長崎 広 島 や 長 崎 の 被 曝 を 考 え る 時、 こ の「 死 の
の原爆は一瞬だから本当は1㌔に満たないが、 灰」と放射化生成物、あるいは二次放射能とい
95
核 分 裂 し た 瞬 間 の 死 の 灰 の 量 を み る と、 原
た。
60
75
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 74 ≫
に出て爆発が起きセシウムやストロンチウムが
低い放射性物質が水素ガスとともに原子炉の外
容器自体の蓋が飛んではいない。比較的沸点の
ないと思う。
それでも100年や200年、手の打ちようは
ルトダウンを、チェルノブイリ原発事故から核
だった。我々はスリーマイル島原発事故からメ
遮断された棺の中に原子炉を収めるしかない。 ルトダウンを起こし、底が抜ける。それが福島
た全核種は水中に入り、汚染水が世界中に拡散
福島ではしかし、底が抜けた。放射能を持っ
撃で制御棒パイプが少しでも歪むと途中で引っ
ら制御棒が下りてくる仕組みだが、地震の第一
かは保証できない。特に加圧水型原子炉は上か
しかし、今後の地震でそれがうまくいくかどう
だから3・ の時、原子炉停止には成功した
が全電源喪失(ブラックアウト)と聞いて、こ
炉はあとかたもなく吹き飛ぶと想像していた。
の塊が接触して巨大な水蒸気爆発が起き、原子
たまった水と、溶岩のように流れ落ちるウラン
出た。チェルノブイリでは全核種が出たが、福
していて、止める手立てがない。チェルノブイ
掛かってしまう。すると制御不能になり、核暴
の世は終わりだと考えた。250㌔、300㌔
福 島 は 奇 跡 的 に 制 御 棒 の 挿 入 に 成 功 し た。 暴走を学んだ。底が抜けた場合は原子炉の底に
リは石棺をかぶせて100年はほっといて、そ
走が起きる。蓋が飛んでチェルノブイリ型事故
島はそうはならなかった。
こから先は後で考えるという方針だが、福島は
功しても停電で冷却できなくなると原子炉がメ
強制避難を具体的に考えざるを得なかった。
しかし、現実に福島で起きたのは、一瞬にし
てではなく、ちびちび、ぽたぽたと核燃料が溶
け 落 ち た よ う だ。 そ の 結 果 大 爆 発 に は 至 ら な
かったが、もっと悪いことに、全放射能は水の
中に入っている。その水は海につながっている。
手の打ちようがない。にもかかわらず、すべて
はコントロール下にあると表明し、日本の原発
は世界一安全だと言って再稼働に踏み切ろうと
する者たちがいる。何を考えているのか、恐ろ
しい限りだ。
悪質、政府の情報統制
参照)。福島はいくつもの
福島で何が起きたかを、もう一度みる。これ
は、大気中に漏れ出た放射能を1カ月分蓄積し
て 描 い た 図( 地 図
列島の東側にあったということだ。日本列島の
2014.12.15
どうすべきか。可能性の問題を抜きでいえば、 になる。制御棒がきちっと入って緊急停止に成
地図2
11
幸運が重なっているが、その一つは原発が日本
1
福島は下に棺をつくるべきだ。地下水と完全に
地図1
≪ 75 ≫
イカが必要だ。
真実をそこから外に向けて発信していた。その
ラリア…。福島の放射能がどう流れているかを
4月、新学期が始まる時に九州に1回だけ放射
洋全体を回る。もう制御できない。福島の四つ
でなく海中に沈み、生態系に入っていずれ太平
を起こし、海にこれだけの放射能が流れ込んだ
仮に玄海原発、川内原発、若狭湾の原発が事故
日本海で起きたら…。瀬戸内海はもう論外だが、
ているノルウェーやスウェーデン産のピートモ
ス(ミズゴケ)を買ってきて放射能を測ったら、
ていて民主
巷にあふれ
園庭の地上1㍍の放射能値を測定した。3・
中学校、幼稚園、保育園1637 カ所の校庭、
福島県内の放射能の流れをみる。 年4月5
~7日、福島県職員が、県内すべ ての小学校、
広島ジャーナリスト 19 号
イムでネットで流してくれた国がたくさんあ
世界に発信した。海外では、チェルノブイリの
卓越風は西からの風だから、ほとんどの放射能
その国はもうなくなっている。メルケル独首相
後でこうしたシステムを構築し、福島の時に有
点、日本の方が悪質だ。日本には今ペレストロ
はこの地図を見て、フランスの原発が事故を起
能は、ほぼ太平洋の真ん中に達した。海面だけ
問題は海の汚染だ。オーストラリアのデータ
によると( 地図3参 照)、 年 月 日、放射
は太平洋に流れる。
福島の東に隣国があったら、 る。ドイツ、デンマーク、フランス、オースト
こしたらドイツはなくなると直感的に知ったに
効に作用した。我々はその恩恵を被った。 年
し か し、 春 先 で 季 節 風 の 変 動 が 激 し い 時 期
能の雲が流れた。韓国はこの時、自主休校にし
違いない。
だから、風上側もだいぶ汚れた。その結果、地
ら、日本海という半ば閉鎖された海域での汚染
いことが今起きている。もしこれが瀬戸内海や
の原子炉の下からだけでなく、阿武隈川河口か
政府に対して過剰反応と抗議したと聞く。
同じことを
は想像を絶するものになる。日本の国内問題で
事 故 が 起 き る と、 日 本 政 府 は 完 全 に 情 報 統
やった。ちょ
汚れているということは想像がつかなかった。 制 に 入 る。 チ ェ ル ノ ブ イ リ の 後 の ソ 連 政 府 と
や四国山地にも及んでいる。北海道がこれだけ
うどあの時
は終わらず、アジア全体の問題として厳しく責
チェルノブイリ原発事故後、園芸用に輸入され
ソ連ではペ
何万カウントというのが出てきて驚いた。その
カのあらし
任が問われる。
ミズゴケを食べたトナカイが深刻な状態に陥っ
ていることをその時知った。
が 吹 き、 自
由化を求め
化の情熱を
以降、自治体がやった作業としては最大限の評
る若い人が
持った若い
価をしなくてはいけない。そのデータがネット
11
北の大地に降り注いだ放射能が湿原から海に
流れ出る。何百年、何千年の間に何が起きるの
か。これを何もなかったことには、絶対にでき
ない。チェルノブイリの汚染地帯で語ったこと
人たちが現
深刻な福島の放射能汚染
レストロイ
深刻な放射能汚染に曝された。汚染は中国山地
たそうだ。しかし、九州の我々には何の情報も
11
上に残留したセシウムの推測値を見ると(前㌻
11
らも膨大な放射能が流れ出ている。とてつもな
11
地図2参照)
、 岩 手 南 部 か ら 東 京 あ た り ま で、 なかった。それだけではなく、日本政府は韓国
11
地 で 被 曝 者 に公開された。どう可視化するか悩んだが、市
と 向 き 合 い、 町村ごとの平均値をとり、地図上に置いてみた
11
と同じことを、福島に住む人に語らなくてはな
らない。非常につらいが、それが現実だ。
日本の緊急時迅速放射能影響予測ネットワー
クシステム(SPEEDI)はなんのデータも
出なかったが、世界では、事故直後から放射能
の流れについてのシミュレーションをリアルタ
地図3
≪ 76 ≫
と思われるが、その時の放射能が大川町や富岡
(地図4参照)
。2号機の爆発時が一番強かった
る。放射能雲(プルーム)は山で冷やされて冷
山越えで入っていることが地図上から読み取れ
に強い放射能が流れ込んでいる。福島市へは、 る」といえるのか。
の数字だ。ここから福島市や二本松市、郡山市
万年」
㍉シーベルト。これでも「コントロール下にあ
町から山間に沿い飯舘村に流れ込んだ。飯舘は
たくなって山を下り、そこには阿武隈川河川敷
ABCCが持っていた広島、長崎の被爆者デー
国際放射線防護委員会(ICRP)が一般人
の 被 曝 限 度 を 1 ㍉ シ ー ベ ル ト と 定 め た 根 拠 は、
人類の手に負えない「
㍃シーベルトだから、ケタ外れ
㍃シーベルトだ。我々が普通住んでいる
を南に放射能が流れた。例えば
タから導き出された結論だ。これは、1980
がある。両側は山がある。そこ
㍃シーベ
に乗って移動し、大地を汚染す
うに放射能雲が地表をはい、風
ルト。これだけ違う。朝霧のよ
島で起きたことを再現し被曝量を推定したIC
米国のネバダ砂漠に日本家屋をつくって広
年を境に、5から1に下がった(左の表参照)
。
万
ある。例えば福島市
万 7 千 人、 郡 山
㍉シーベルト
人。被曝平均値は、福島市の子
は人口
プすると
ある。この市町村をリストアッ
ばいけない汚染地帯がこれだけ
法的に管理区域に指定しなけれ
0・6 ㍃ シ ー ベ ル ト だ か ら だ。
線管理区域の設置基準が毎時
以上の地域に色を付けた。放射
地 図 で は 0・6 ㍃ シ ー ベ ル ト
ている。
HIBANプロジェクト、そのデータが機密解
が隣の下郷町は0・
天栄村で1・
㍃シーベルトだ
10
にもなる。法律では1㍉シーベ
ルト以上の被曝はだめと言って
国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告の変遷
=ミリシーベルト/年=
放射線作業 一般人
年
被曝に対する原則
従事者 (公衆)
0 0
1931
730
0 0
36
500
0 0
48
250
54
150
15 実現可能な最低限のレベル(1)
58
50
5 実行できるだけ低く(2)
65
50
5 容易に達成できるだけ低く(3)
73
50
5
77
50
5
合理的に達成できるだけ低く(4)
85
50
1
90
※ 20
1
(1)to the lowest possible level
(2)ALAP:as low as practicable
(3)as low as readily achievable
(4)ALARA:as low as reasonably achievable
※年間 50 ㍉シーベルト未満かつ 5 年間で 100 ㍉シーベルト未満
る。そういうことを地図は表し
16
55
どもたちで年間
22
㍉シーベルト、相馬市は
10
2014.12.15
33
25
29
いるにもかかわらずだ。伊達市
は
14
・
地図4
74
ところは0・
05
10
≪ 77 ≫
年。それを見て世界の科学者
対して広島、長崎の被爆者の側から問題を見据
たる。いつ氷河期に戻るか分からない。そうい
万年とかいう。1万
う中にいて、1万年とか
[2]
え た の は 米 国 の ジ ョ ン・ ゴ フ マ ン と[い う 科 学
者で、彼はこう言っている。
年の温暖期に緑地が増え食糧の生産が増えたこ
広島、長崎の被爆者は、人類に対して比類の
ない重要なデータベースを提供してきた。彼ら
90
放射能に汚染されたものを汚染地域の外に出さ
まったことの意味が問われている。
を持つことのないよう祈りたい。
給すること。そういうシステムを構築する必要
たいどれだけ「ノーモア」を積み重ねればいい
る。これをみると、暖かい時代は1万年ぐらい
掘って気温や環境をロシアが調べたデータがあ
なぜならぼくらがそれを
ぼくはきっとできるとおもう。
10
[ 1] し げ ま つ・ い つ ぞ う 1 9 1 7 ~ 2 0 1 2。
しかなかったことが分かる。その前は氷河期が
いまかんがえているのだから。
1 9 8 1 年 か ら 年 ま で 放 影 研 理 事 長。 年、 I A E
万年ぐらい続いていて、その前に間氷期があ
Aのチェルノブイリ原発事故国際諮問委委員長。「チェ
ル ノ ブ イ リ 汚 染 地 帯 の 住 民 に 健 康 被 害 は 認 め ら れ ず、 る。それが繰り返されている。今は間氷期にあ
と い う 宮 沢 賢 治(「 ポ ラ ー ノ の 広 場 」 か ら )
放射能恐怖症による精神的ストレスが問題」と発言。
や ま し た・ し ゅ ん い ち 1 9 5 2 ~。 長 崎 大 副 学 長 兼 [2]1918~2007。化学者、医学者。1954 の言葉とともに、話を終わりたい。
年 に カ リ フ ォ ル ニ ア 大 バ ー ク レ ー 校 教 授。 年、 教 授
福 島 県 立 医 科 大 副 学 長。 福 島 県 放 射 線 健 康 リ ス ク 管 理
(ふじた・ゆうこう)
を辞し、原子力の恐怖を訴える市民運動に身を転じる。
アドバイザー。「放射線の影響は、実はニコニコ笑って
低線量の放射能の影響が過小評価されていると主張し
い る 人 に は 来 ま せ ん。 ク ヨ ク ヨ し て る 人 に 来 ま す 」 と
た。 発言。
97
10
73
広島ジャーナリスト 19 号
除になったのが
が驚いた。広島とネバダの空気中の湿度を計算
に入れなかったからだ。中性子は特に水分に吸
はこのデータベースを、彼ら自身と彼らの愛す
過ちを繰り返さないことは我々の責任だ。今
しなくてはいけないのは、これ以上の被曝者を
とで、石器時代から今の文明へとつながった。
いた放射能を、実は0・1㍉シーベルトしか浴
る人びとの高価な犠牲をもとに提供したのであ
生みださないこと。そのためにすべきことは、
この1万年を超えるものを人類が身につけてし
びていなかったことになった。にもかかわらず
る。人類が2度と再びこのようなデータベース
収される。広島の8月の朝の湿度を入れて計算
倍厳しくすべきだ、ということが分かった。
これだけのことが起きた。だったら被曝基準は
分の1にす
ないこと、汚染された地域から人が出ること、
と、あるいは非汚染地帯の食糧を汚染地帯に供
Pが真っ二つに割れ、その結果として被曝限度
は 5 分 の 1 に な っ た。 い ず れ に せ よ 年 間 1 ㍉
非汚染地帯は汚染された人々を受け入れるこ
福 島 で は 広 島、 長 崎 を 遥 か に 上 回 る デ ー タ
ベースが生み出されてしまった。
がある。広島、長崎、チェルノブイリ、
福島。いっ
倍にしなければならず、原
日本政府は今、1万年とか 万年とかを目安
に放射能を処理するという。処理するとは、放
出されるのか。これは重要なテーマだ。これに
どうしてこうも御用学者が広島、長崎から生み
かも1万年、 万年はそうたやすい年月ではな
長崎として断固容認できない。
そして過ちをを繰り返さないという決意をこ
[1]
し か し、 重 松 逸 造 氏 か ら 山 下 俊 一 氏 ま で、[ い。人類の前のネアンデルタール人の時代だ。 めて、
1 万 年、 2 万 年 前 と は 石 器 時 代。 南 極 の 氷 を
10
子力産業が成立しなくなるということでICR
シーベルトという数字は広島、長崎の被爆者の
のか。「ノーモア」をこれで終わりにしたい。
れば労働者の数は
10
し直すと、広島で1㍉シーベルトと考えられて
10
80
命によって得られた。それをいともたやすくな 射能を水に触れさせないこと。しかし、水は既
かったことにするのは被爆国日本、
被爆地広島、 に汚染されている。いったいどうするのか。し
10
し か し、 一 般 人 の 被 曝 限 度 を
10
≪ 78 ≫
自滅に向かう原発大国日本
㊦
現状である。
原爆被害国として核兵器の残虐性と長年に
わたる被爆者の苦痛を目にしてきた日本人の中
に、意識的 にせよ無意識的にせ よ、「核兵器の
使用」が犯罪行為であるという認識は広く共有
されている。無数の市民を無差別に殺戮し、放
射能による激しい苦痛をもたらす核兵器の使用
せんめつ
が、国際刑事裁判所ローマ規程第7条「人道に
対する罪」(とくに[a]殺人、[b]殲滅、[c]
住 民 の 強 制 移 送、
[k] 意図的に著しい苦痛を
与え、身体もしくは心身の健康に重大な害をも
現在は地方創生担当相。後述の発言当時は政調
ならびに民用物、財産への攻撃)であるという
為)
、ならびに第8条「戦争犯罪」
(とくに文民
直後から、しばしば、「原発を維持することは、 認識は、国 際的にも共有されて いる。同時に、
会長)もまた、2011年の福島第1原発事故
の石破茂幹事長(注、本稿執筆の今年6月時点。 たらす同様の性質をもつその他の非人間的な行
いかに阻止すべきか
原発・核兵器政策による国民殺戮行為を
三 核抑止力ならびに
拡大核抑止力の犯罪性
と繰り返 し発言している。つま り、「原発停止
も、専門家の間では強く支持されている。
する条約」)に違反する行為であるという判断
るという〈核の潜在的抑止力〉になっている」 国連採択の「集団抹殺犯罪の防止及び処罰に関
核兵器の使用はジェノサイド条約(1948年
置法」の法案作成の中心人物は、塩崎恭久衆議
は、すなわち核抑止力停止」を意味すると主張
核兵器を作ろうと思えば一定期間のうちに作れ
院議員で、彼は「核の技術を持っているという
㌻上段)
「原子力規制委員会設
安全保障上の意味はある。日本を守るため、原
ところが、「核抑止力」の保持は、実際に核
し、全国で高まっている脱原発運動に対して批
核兵器を実際に保有していなくとも、核兵器製
の傘」、すなわち核抑止力に依存する「拡大核
日本の為政者は戦後一貫してアメリカの「核
いう誤った判断が一般的になっていると言って
はなく、政策ないしは軍事戦略の一つであると
兵器を使う行為ではないことから、犯罪行為で
造技術を保有しているだけで「核抑止力」にな
よい。実際には、
「核抑止力」は、明らかにニュ
や「潜在的核抑止力」の支持者が多数いるのが
0
0
備、開始、あるいは遂行、またこれらの各行為
0
らびに官僚の中には、こうした「拡大核抑止力」 際条約、協定、誓約に違反する戦争の計画、準
0
を働かせていると考えてきた。日本の政治家な 「平和に対する罪」とは、「侵略戦争あるいは国
うに、自国の核兵器製造能力の開発・維持を陰 ル ン ベ ル グ 憲 章 第 6 条「 戦 争 犯 罪 」 a
( 「
)平
に陽に国外に示すことで「核の潜在的抑止力」 和に対する罪」
に当たる重大な犯罪行為である。
抑止政策」を国是としてきたし、すでに見たよ
ない」と述べたと伝えられている。すなわち、 判の声をあげている。
子力の技術を安全保障からも理解しないといけ
上記(前号
田中 利幸
るというのが、その主張の主旨である。自民党
前号㊤の 内 容
一 原子力平和利用に利用された広島
核製造能力開発の歴史的経過
二
2014.12.15
45
≪ 79 ≫
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
0
その国家の元首をはじめとする為政者ならびに
は、しばしば「自衛」という口実で開始される
か、その定義は非常に難しい。武力紛争や戦争
明示されたそれを使用する用意は、国連憲章第
とと同義であることから、石破茂や塩崎恭久が
争犯罪」を犯す「計画と準備」を行っているこ
「想定される武力の使用それ自体が違法ならば、 明示すること自体が、「人道に対する罪」や「戦
力と格差がありすぎてはならず、ある程度の均
の際使われる軍事力は、攻撃してくる敵の軍事
という必要に迫られて行う戦闘行為であり、そ
は、自国をどうしても防衛しなければならない
たらす徹底的でかつ極端な破壊行為であること
境破壊、最悪の場合は人類破滅という結果をも
「自
す「 共 通 の 計 画 あ る い は 共 同 謀 議 へ の 関 与 」、 逆に極めて弱小であれば、戦闘の内容自体が
とは、「人道 に対する罪」や「戦争 犯罪」を犯
メリカの「核の傘」に依存する「拡大核抑止力」 いうのが一般的な認識である。自衛する側の戦
衛」という性格をもたなくなってしまうからで
広島ジャーナリスト 19 号
0
てはならない。
く、一体のものと考えるべきである。C・G・ た明らかに「平和に対する罪」と定義されなく
0
ウィーラマントリー判事は、上記ICJの勧告
0
し た が っ て、 こ れ ま で 日 本 政 府 が 長 年 依 存
0
してきた安保同盟の下での「拡大核抑止力」も、
0
のいずれかの達成を目的とする共通の計画ある
されている。
「核抑止力」とは、核兵器を準備、 的意見に関連して出した個別意見の中で、核兵
核兵器製造能力の開発・維持、すなわち「潜在
0
いは共同謀議への関与」
(強調=田中)と定義
器を使用しての「自分の敵の徹底的な破壊ある
0
がある。
保有することで、状況しだいによってはその核
0
兵器を使ってある特定の国家ないし集団を攻撃
0
的核抑止力」も、いずれも国際法に違反する明
0
いはその完全な消滅をもたらすであろう損害あ
0
るいは荒廃を起こす意図は、明らかに戦争の目
0
し、多数の人間を無差別に殺傷することで、
「戦
0
確な犯罪行為であることを我々は強調する必要
0
的を超えている」と述べて、「核抑止力」の不
0
争犯罪」や「人道に対する罪」を犯すという犯
0
有それ自体が、極端な威嚇行為、すなわちテロ
核使用を容認した岸田発言
罪行為の計画と準備を行っているということ。 条理性を強く非難している。すなわち核兵器保
さらに、そうした計画や準備を行っているとい
リズム行為であり、したがって「核抑止力」を
では、「自衛のための核兵器使用は合法的行
0
為」であるという主張に正当性はあるだろうか。
0
う事実を、常時、明示して威嚇行為を行ってい
使う人間は「テロリスト」であると認識されな
0
ることである。核兵器の設計、研究、実験、生
ければならない。国家が「核抑止力」を使うと
0
産、製造、輸送、配備、導入、保存、備蓄、販
誓約に違反する戦争の計画と準備」である。し
軍指導者たちは明らかに「テロリスト」なので
売、 購 入 な ど も、 明 ら か に「 国 際 条 約、 協 定、 いうことは、それゆえ「国家テロ」行為であり、 「自衛」とはいったいどのような行為を指すの
たがって、
「核抑止力」保持は「平和に対する
罪」であると同時に、「核抑止力」による威嚇は、 あり、「平和に対する罪」を犯している「犯罪者」 ことからも分かるように、「自衛」は極めて恣
自衛」と称して侵略戦争を正当化した。米軍に
意的な概念である。例えば、ナチスは「予防的
よるアフガン攻撃やイラク攻撃すら
「自衛戦争」
なのである。
核兵器を実際にはいまだ保有していなくと
であるとブッシュ政権は主張した。
「自衛戦争」
年の国際司法
も、核兵器製造能力を十分持っており、いつで
国連憲章第2条第4項「武力による威嚇」の禁
止にも明らかに違反している。
項において、 も製造する「計画と準備」があるということを
2条第4項で禁じられた威嚇である」と明記し
示唆する「潜在的核抑止力」もまた「平和に対
衡性を保つようなものでなくてはならない、と
から、その実際の使用行為と準備・保有による
つまり「共犯行為」であるところから、これま
力 が 敵 の 軍 事 力 よ り は る か に 強 大 で あ っ た り、
威嚇行為は、性質上二つの異なった行為ではな
核兵器の使用は大量殺戮と広域にわたる環
ている。
する罪」と定義しうる行為である。同時に、ア
に関する勧告的意見」も、
その第
裁判所ICJの「核兵器の威嚇・使用の合法性
96
47
≪ 80 ≫
必要がある。2014年1月 日、衆院広島1
さらに悪化していることに我々は深く注意する
戦争を行うなら、米軍と同じ戦力を備える必要
なら「集団的自衛権」を行使して米軍と共同で
核兵器の持つ特殊な破壊力と性質上、「人道
があり、そのためには核兵器保有も必要である
に対する罪」や「戦争犯罪」を犯さずに核兵器
区選出の岸田文雄外相は、長崎で「核軍縮・不
の使用を個別的・集団的自衛権に基づく極限の
を使用することは現実的に不可能であるところ
という論理を許してしまうことになるからであ
状況に限定する」ことを核保有国が宣言すべき
拡散政策スピーチ」と題して講演、その中で政
だと述べた。要するに「日米が集団的自衛権を
から、「合法な自衛戦争」においてもこれを使
る。
行使するような戦闘で『極限の状況』と判断す
用することはできない。また、どのような理由
る場合にのみ使用するという政府の主張に、「明
本の国家と国民にとって「明白な危険性」があ
なんらの定義も説明もない。集団的自衛権は日
とはいったいどのような事態なのかについては
実的にも許されないことであり、したがって、
の核兵器使用」ということは、法理論的にも現
ることも明ら かである。よって、「 自衛のため
用へと急速にエスカレートしていく危険性があ
兵器が使用されれば、大型核兵器の全面的な使
内外に向けて明らかにしてきた。しかし「核兵
大量破壊兵器である核兵器が、この「必要性」 「核の傘=核抑止力」に依存するという方針を
と「均衡性」という二つの要素が重要視される。 すでに説明したように長年、日本政府は米国の
そのものが「潜在的核抑止力」と一体となって
りわけ高速増殖炉)と核燃料再処理工場の存在
かつはなはだ不条理である。同時に、原発(と
際法の観点からしても、論理的に不整合であり
と「均衡性」という要素の条件を満たすような
器の使用」については具体的にどのような状況
性格の兵器でないことは明らかである。
ルギー関連施設の存在は、憲法第9条の「武力
0
いることを考えると、これらのいわゆる核エネ
による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決
ちなみに、「集団的自衛権行使容認」をめぐっ
ての安倍晋三の「自衛」の拡大解釈論は、「自衛」 及したことはなかった。岸田発言は、日本政府
する手段としては、永久にこれを放棄する」と
0
が初めて「核兵器の使用」を公然と容認するも
いう条文に違反するものであるといえる。すな
0
のであった点 で、極めて深刻で ある。「集団的
衛隊を派遣して戦闘行為を行うことができると
いう意味では、ナチスの「予防的自衛」にもつ
0
自衛権」行使のもとでの「核兵器使用」は、単
わち、
「核抑止力」は「平和に対す る罪」であ
ながる議論であり、
危険極まりない。
しかも、「核
0
に米国の核兵器使用容認にとどまるものでは
ると同時に、憲法第9条にも明らかに違反する
0
なく結局は、日本の核武装そのものの容認にま
と称する軍事行動であれば世界のどこへでも自
抑止力」に関する日本政府の見解は、この「集
犯罪行為である。
0
で使用を認めるかについては、これまで全く言
あ る。 す な わ ち、
「 自 衛 戦 争 」 で は、
「 必 要 性 」 かについての説明が全くないのと同様である。 「核兵器合憲論」は、憲法自体のみならず、国
白な危険性」とはいったいどのような事態なの
る」という主張である。ところが「極限の状況」 があるにせよ、いったん、小型のものであれ核
るような事態であれば、核兵器の使用が許され
府の新たな核兵器政策に関して言及し「核兵器
20
団的自衛権行使容認」
への強い動きにあわせて、 でつながっていく危険性をはらんでいる。なぜ
2014.12.15
(10 月 25 日、広島市内)
≪ 81 ≫
四 原子力発電 の 犯 罪 性
の他に、「住民の強制移送」を引き起こし、「身
である。その意味で原発は、火力発電や水力発
の不条理性と反倫理性が問題にされるべきなの
幼児の発病ケースが多いことからも明らかであ
ことは、チェルノブイリ事故の被災者、とくに
内臓疾患、眼病など、様々な病気を引き起こす
両被曝が、後発性の癌や白血病、心臓病などの
故によって放出された放射能による外部・内部
その近辺地域で被曝した人たちと同様、原発事
験場、核兵器製造工場、ウラン採掘場ならびに
の精神的疾患である。原爆攻撃の被害者、核実
りうる犯罪であるということを忘れてはならな
れており、「戦前」、すなわち平時おいても起こ
的・人種的・宗教的理由による迫害」と定義さ
的扱い・強制移動などの非人道的行為と、政治
おける、一般人民に対しての殺害・殲滅・奴隷
か し「 人 道 に 対 す る 罪 」 と は、「 戦 前、 戦 中 に
種と一般的には考えられてきた傾向がある。し
るいは戦時にのみ犯される残虐な戦争犯罪の一
生息する家畜はもちろん、あらゆる種類の生物
く説明するまでもないであろう。住宅地、農地、
環境そのものを汚染することはあらためて詳し
間の健康を冒すのみならず、広範囲にわたって
原 発 事 故 に よ っ て 放 出 さ れ る 放 射 能 は、 人
原発事故は核兵器使用と同じ
るべきものは、核兵器なのである。
(注4参照)
原発と同じレベルで、しかも統合的に議論され
に全ての環境を汚染し、その結果、その地域に
を無差別かつ大量に殺傷する。したがって、こ
日に国連で採択され
れは「環境に対する犯罪行為」とも称せる行為
然の環境と人が創り出した環境は、ともに人間
「人間環境宣言」は、その前文において、
「自
る。したがって、原発の建設・設置そのものが、 た「人間環境宣言」に明らかに違反する。
広島ジャーナリスト 19 号
わたる大量無差別殺傷、すなわち「殺人」、「殲滅」 一企業に与えられているという、そのこと自体
心両面の健康に重大な害をもたらす非人間的な
原 子 力 発 電 事 故 に よ る 最 も 深 刻 な 被 害 は、 行為」であることから、核兵器の使用と同様に、 電とは全く性質が異なるものであり、決して同
じレベルで、例えば「発電コスト」というよう
放射能被曝による死亡または多種にわたる癌や 「人道に対する罪」であると判断できる。
これまで、「人道に対する罪」は、紛争時あ な観点から議論されてはならないものである。
い。しかも、地震や津波によって引き起こされ
る。
原 発 事 故 の 場 合、 核 兵 器 攻 撃 と は 異 な り、 る 過 酷 事 故 の 場 合 に は、 必 然 的 に 無 数 の 市 民
を放射能被曝の被害者にするということを明確
白血病などの発病、さらには被曝の恐怖が原因
瞬時にして無数の人間が無差別に殺傷されると
であり、1972年6月
森林、植物、河川水、海水と、これまた無差別
いったケースは少ないかもしれないが、事故後、 に知りながら原発や放射能関連施設を稼働する
何年にもわたり、時には後世代にまでわたり、 ことは、「人道に対する罪」を予防しようとす
る意志が完全に欠落していることを表明してい
犯罪行為と称せるのではなかろうか。いわんや、
放射能被曝は被災者の健康を蝕み、さまざまな
病気を発病させ、
最終的には死をもたらす。チェ
地震が起きれば大事故を引き起こすような活断
び将来の世代のために人間環境を守りかつ改善
ルノブイリや福島での原発事故からも明らかな
することは、人類にとって至上の目標」である
の福利および基本的人権ひいては生存権そのも
本 来 な ら ば、 無 数 の 人 間 の 生 存 権 を 一 瞬 に
層の存在する地域に原発を建設することは、犯
して左右するような可能性をたとえわずかなが
と述べ、環境汚染は基本的人権ならびに生存権
ように、放出された放射能は、原発から数十㌔
曝を余儀なくさせられる。さらには、残留放射
らでも持っている、そのような壊滅的な危険性
から数百㌔圏内に至るまで降り注ぎ、そのよう
能レベルが高い原発近隣地域やいわゆるホット
の侵害であることを示唆している。この宣言の
の の 享 有 に と っ て 不 可 欠 で 」 あ り、
「現在およ
スポット地域の住民は、故郷を失い、移住を余
を孕んだ設備を建設し運転する権限が、政府や
罪行為と言えるのではないか。
儀なくされる。すなわち、原発事故は、長期に
な広い地域に居住する多くの住民が無差別に被
16
≪ 82 ≫
すことを強要され、
「将来の世代のため環境を
われ、不自由で差別された生活環境の中で暮ら
たちは、日常生活において「尊厳と福利」を奪
う」とうたわれている。福島原発事故の被災者
のため環境を保護し改善する厳粛な責任を負
準を享受するとともに、現在および将来の世代
できる環境で、自由、平等および十分な生活水
は、その生活において尊厳と福利を保つことが
可能な措置をとらなければならない」とされて
質による海洋の汚染を防止するため、すべての
……海洋の正当な利用を妨げるおそれのある物
険をもたらし、生物資源と海洋生物に害を与え
原則「海洋汚染の防止」では「人間の健康に危
の放出は、停止しなければならない」し、第7
は濃度の有害物質その他の物質の排出および熱
によれば、「環境の能力を超えるような量また
第1原則「環境に関する権利と責任」では、「人 「野生生物とその生息地は……人はこれを保護
であり、「女性の全面的参加」からはほど遠い、
問題を担当している官僚たちもほとんどが男性
は男性で占められた)。環境省や通産省で原発
日発足の第2次安倍改造内閣でも大臣、副大臣
である(注、本稿執筆の今年6月時点。9月3
境相ならびに2人の環境副大臣は両名とも男性
あった)
、原子力防災担当相を兼任している環
たわれている。第6原則「有害物質の排出規制」 委員会も5人の現委員のうち女性は1人だけで
し、賢明に管理する特別な責任を負う」ともう
恥ずべき状況となっている。
うち3人が男性であり(廃止された原子力安全
子力規制委員会の委員長は男性、4人の委員の
日に国連で採
る「ガレキの全国拡散」は、これらの原則全て
リオデジャネイロで開催された「環境と開発に
物、核燃料再処理など)では、核兵器の使用や
の 応 用 で あ る 原 子 力 産 業( 原 発 稼 働、 核 廃 棄
環 境 問 題 に 関 す る 他 の 国 際 宣 言 と し て は、 核兵器製造、核実験、核兵器輸送)ならびにそ
U=劣化ウラン=兵器を含むさまざまな種類の
ウラン採掘・加工を出発点とする核兵器(D
五 結論
保護し改善」できるような社会条件を著しく奪
われているのが実情である。
月
に違反する政策であり、東電は高レベル放射能
年
で汚染された大量の排水を海に放出し続け、激
命、自由、身体の安全」と第
の自由」の二つに対する権利を剥奪する違法行
為である。それは同時にまた、日本国憲法で保
関する国連会議」で、 年6月 日に採択され
原発事故ではもちろん、そのあらゆる工程で多
権利」を有していることをはっきりとうたって
自然と調和しつつ、健康で生産的な生活を営む
が、福島原発事故以後しばしば口にされるよう
市郎の晩年の言葉、「核と人類は共存できない」
者でもあり、反核運動のリーダーであった森瀧
殺傷する。
物を含む海陸の生きものを無差別にかつ大量に
世紀半ばから始まった「核の時代」
女性の全面的な参加が持続可能な開発の達成に
開発において重要な役割を有する。そのため、 かなように、放射能は、人間のみならず、動植
チェルノブイリ・福島での原発事故からも明ら
原則「女性の役割」 になった。しかし、広島・長崎への原爆投下や
である。第 原則では「女性は、環境の管理と
で注目すべき原則は、第
いる。リオ宣言の中で、福島原発事故との関連
の宣言も、第1原則「人の権利」の中で、「人は、 量の放射能を放出している。被爆者にして哲学
た「環境と開発に関するリオ宣言」がある。こ
14
条(生命権、幸福追
条ならびに
条(教育を受
条(居住・移動の権利)、
条(生存権)
、
条(働く権利)
、
92
障された人権、すなわち
求権、環境権)
、
条(財産権)
、
ける権利)
、
条(将来世代国民の権利)を剥奪するものでも
ある。さらにそれは、憲法前文でうたわれ保障
されている「平和的生存権」をも侵すものであ
る。(注5参照)
「人間環境宣言」の第3原則「再生可能な資
しい海洋汚染を行っている。
条「移動と居住
核兵器の使用と同様、
し た が っ て、 原 発 事 故 に よ る 環 境 汚 染 は、 いる。ところが、現在、日本政府が推進してい
()
29
97
択された「世界人権宣言」
、
とりわけ、
第3条「生
48
源」では、
「再生可能な重要な資源を生み出す
20
不可欠である」とうたわれているが、日本の原
2014.12.15
12
13
能力を維持し、可能な限り回復または改善しな
20
10
13
11 26
22
25
ければならない」とされており、第4原則では
20
27
≪ 83 ≫
の行為は、あらゆる「生きもの」の「生存権の
制の確立と維持に努力または協力してきた人間
会・文化体制」であるといえる。このような体
げられてきた、いわば「殺戮の政治・経済・社
すなわちさまざまな生命体を犠牲にして築き上
は、
かくして、
人類を含むあらゆる「生きもの」、
もまず、原発再稼働や原発輸出をすすめ、戦争
社会・文化体制」を変革するためには、何より
導入し、市民をそのような体制の犠牲者にする 国民殺戮行為の危険性を除去することはできな
こ と を 全 く い と わ な い。「 殺 戮 の 政 治・ 経 済・ い=文中敬称略。
ることではなく、さらに強化する政策を次々と
政治・経済・社会・文化体制」を変革し改革す
まことに残念ながら、安倍政権は、「殺戮の
所教授)
倍内閣打倒なしには、原発・核兵器による日本
る安倍内閣を即刻打倒しなければならない。安
に日本市民を駆り出すことを着々とすすめてい
明確な「犯罪行為」であったし、現在も多くの
25
人間が、そうした犯罪行為に深くかかわってい
次㌻下段へ続く
13
るのが実情である。
我 々 に は、 現 在、 そ の よ う な 世 界 を 根 本 か
ら変革するために貢献していくことが要求され
ている。そのためには森瀧の「核と人類は共存
で き な い 」 と い う 思 想 は、 兵 器 で あ れ エ ネ ル
ギーという形であれ「核と〈生きもの〉は共存
できない」というものにまで深められかつ広げ
られていく必要がある。つまり、我々にいま要
求されていることは、総体的かつ長期的にみれ
ば、単なる人間としての「世直し」の倫理的行
動ではなく、あらゆる生命体を守るための「生
きもの」としての倫理的行動である。このよう
な根本的な視点に立って、日本がこれまで進め
てきた「核エネルギー=核兵器製造技術」開発
政策の本質にもう一度注意深く目を向けてみる
と同時に、我々市民運動のあり方自体を、「人
25
(たなか・としゆき 広島市立大広島平和研究
否定」という行為であり、人類とすべての生物
「 個 人 の 生 命、 身 体、 精 神 及 び 生 活 に 関 す る
利益は、各人の人格に本質的なものであっ て、
その総体が人格権であるということができる。
人 格 権 は 憲 法 上 の 権 利 で あ り( 条、 条 、
)
また人の生命を基礎とするものであるがゆえ
に、我が国の法制下においてはこれを超える価
値 を 他 に 見 出 す こ と は で き な い。 し た が っ て、
この人格権とりわけ生命を守り生活を維持する
という人格権の根幹部分に対する具体的侵害の
おそれがあるときは、人格権そのものに基づい
て侵害行為の差し止めを請求できることにな
る。人格権は各個人に由来するものであるが、
その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害す
る性質を有するとき、その差し止めの要請が強
く働くのは理の当然である」
か く し て、 原 発 運 転 そ れ 自 体 が 人 格 権 を 根
本から侵害するものであることを、この判決文
は明確に認めている。
と こ ろ が 政 府、 と り わ け 原 子 力 規 制 委 員 会
と 規 制 庁 は、「 大 事 故 が 起 こ っ た 時 の 対 策 論 」
ということのみを議論の対象としており、しか
間の全生命体と環境に対する犯罪行為に対する
責任」という観点から再検討してみる必要があ
21
と地球を絶滅の危険に曝すことを厭わなかった
(注4)この点を極めて明晰な文章で解説し
たのが、2014年5月 日に出された大飯原
発差止請求事件裁判の判決文の中の以下のよう
な文章である。
「被告(関西電力)は本件原発の稼働が電力
供 給 の 安 定 性、 コ ス ト の 低 減 に つ な が る と 主
張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存
そのものにかかわる権利と電気代の高い低いの
問題等とを並べて論じるような議論に加わった
り、その議論の当否を判断すること自体、法的
には許されないことであると考えている。この
コストの問題に関連して国富の流出や喪失の議
論があるが、たとえ本件原発の運転停止によっ
て多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富
の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土
とそこに国民が根を下ろして生活していること
が国富であり、これを取り戻すことができなく
なることが 国富の喪失であると当裁判所は考
えている」
(注5)とくに憲法 条ならびに 条の人格
権 と の 関 連 性 に つ い て は、 上 述 の 大 飯 原 発 差
止請求事件裁判の判決文でも触れられているの
で、再び引用しておこう。
るのではないだろうか。
13
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 84 ≫
われ、その驥尾に付して
99
65
91
井上 一夫
[1]ゴードン・チャイルド(1892~1957)。オー
ス ト ラ リ ア 生 ま れ、 ヨ ー ロ ッ パ 先 史 時 代 の 研 究 を 専 門
と し、 イ ギ リ ス の エ ジ ン バ ラ 大 教 授、 ロ ン ド ン 大 考 古
学研究所所長を歴任した。著書に『文明の起源』『歴史
のあけぼの』など。 前㌻から続く
2014.12.15
65
も「われわれは原子炉に過酷事故が起こった時
の、放射能の拡散シミュレーションをおこなっ
ている。近隣住民の避難を考慮すると、 ㌔㍍
圏内が危ない。したがって自治体がその対策を
とらなければならない」と、自分たちの責任を
棚に上げて、自治体にのみ責任を負わせるとい
その1 寧楽の逸民 考古学者、田中琢さん
う態度。さらに、「 新規制基準を満 たした原発
でも事故は起きます。
この基準は最低のもので、
田中琢(たなか・みがく)さん。いま、ご存 時代、忘れられていくのはやむをえない。だが、 あとは事業者の責任です。規制庁の役割は審査
じの方はどれほどいらっしゃるだろうか。 あ
「 それだけではない。この人、自分自身で忘れら することであり、審査結果と審査過程を国民に
あ、かつて奈良国立文化財研究所(奈文研)の れることを望んだのである。引退が早かっただ 丁寧に説明していくまでで、地元了解をとるこ
所長だった人だね? よく発掘報告でマスコミ けでなく( 年。彼は 歳 、)その徹底ぶりが とはしません。地元への『説明』と『了解』は
切り離すというのが政治的判断です。政治的判
に登場されていたよ」という方は失礼ながら多 鮮やかだった。そこにまた、彼のすごさをみる。
断を含む了解手続きに、規制庁はタッチできま
分、お年を召されている。 卑
「 弥呼の鏡の論争 じつは彼は現役時代、自著に強烈なコラムを せん。放射能の拡散シミュレーションモデルに
で画期的な説を唱えた研究者だ」という方は考 書 い て い た(『 倭 人 争 乱 』 年。 集 英 社 版「 日
[1] も限界があります。その結果、どうするかは自
古学に詳しい。 最
「 初の木簡を発見した人じゃ 本の歴史」2)。敬愛する考古学者チャイルド [治体と住民、
および事業者で判断してください」
なかったけ? 、
」そこまで知っていればすごい。 の生の終え方である。チャイルドは考古学研究 (2014年1月 日、再稼働阻止全国ネット
だがおそらくいま、一般的知名度はそれほど の水準を一気に引き上げた学問的リーダーであ ワーク主催で行われた原子力規制庁との院内交
高くないと思う。長く平城宮発掘に携わり、埋 るとともに、終始変わらぬマルキストの魂を持 渉集会での発言)と、責任を完全に放棄する無
蔵文化財センター長、文化庁文化財鑑査官をへ ち続けたという。そして 歳を一期に自死した。 責任極まりない発言をしている。その一方で、
て奈文研所長と、日本考古学研究をリードする 死後公開された遺書によれば、この年ではもは 原発再稼働審査を着々とすすめている。これは、
本道を歩み、八面六臂の活躍をした人であるに や新しい発想を生み出すことはできない、有能 換言すれば、原発事故で多くの市民が無差別大
ふさ
こしょくそうぜん
量殺傷されることをはっきりと自覚していなが
もかかわらず、である。それはなぜか。
な後輩たちの道を塞いではならない、古色蒼然
ら、大量殺傷手段の運転審査を平気で進めてい
とした権威になってはならない、社会の重みに
るということである。彼らの思考の中には、市
チャイルドにならって
民の「人格権」や「平和的生存権」など、人間
にとって最も重要な人権に対する深い考慮が
すっぽりと抜け落ちている。
彼は1933年生まれである。 歳になられ
た。引退して久しいから、何かとせわしいこの
81
20
30
≪ 85 ≫
ならないうちに生を終えたい、云々。田中さん
う望まれようと、周囲がどう期待しようと、そ
るのではない。勁い意思あってこそできる。ど
その後彼は、周囲の期待にまったく頓着する
ことなく、自在に遊び(あの人、ネットの達人
行本の編集にかかわり、営業では全
国の書店を回った。
なら
[2]
こにあったが、彼はみずからを「寧楽の逸民」 [
と称して悠々自適の生活に入り、ものの見事に
たとえば、かつてナチスドイツが領土併合の
論理として利用した学問が考古学と言語学だっ
たことを、いまどれほどの人が意識しているだ
ろう? 原始ゲルマン人の遺跡のある地域はゲ
ルマン人の故地であるとし、その土地を回復す
考古学の社会的意味を問う
だが、学界にとってというだけでなく、ぼく
にとっても彼の引退はあまりに惜しく、失われ
るのは正当なドイツの権利だという論理。そし
引退しきる。
もっとも引退直後にこんなことがあった。頼
まれた原稿を一本、書き忘れていて、ぼくに電
たものの大きさを感じないわけにはいかなかっ
てこれは過去の問題などではないと、彼は言う。
その典型はイスラエル。旧約聖書の記述にもと
た。そのひとつは考古学のイデオロギー性にか
かわる問題である。
話が来たのである。 必
「 要な本がもう手元に無
い。岩波図書室から貸してくれないか 。
」これ
には笑ってしまったが、そこまで徹底して処分
省堂)だけだと思う。
この講座はそれまでには無い斬新な構成であ
はその発掘作業はアラブ遺跡の破壊と同義なの
ら。これが国際的非難の対象となってユネスコ
だ。ただただイスラエル遺跡を探し、その上部
では、遺跡保護問題から学校教育、ジャーナリ
から除名され、イスラエルに同調するアメリカ
り、そこには彼の意思が大きく働いていた。彼
ズムとの関係、また外交問題すら引き起こすナ
が編集責任者となった第7巻『現代と考古学』 に あ る ア ラ ブ 遺 跡 は 無 視 さ れ て し ま う の だ か
[2]寧楽は万葉集などに出てくる奈良の異表記
思い
ぼくはこのとき、ふと中国の「隠者」を
ひっそく
だした。枯れたから、気力が衰えたから逼塞す
長年ひっかかっていた『日本考古学辞典』(三
してしまったのだ。引退後もかかわったのは、 岩 波 講 座 に「 日 本 考 古 学 」 が あ る( 年 。
) づき、ヘブライ人アブラハムが神ヤハウェから
彼はこの講座の編集委員のおひとりなのだが、 与えられたカナンの地の画定を意図する。じつ
86
広島ジャーナリスト 19 号
つよ
はこの遺書を紹介し、彼の生き方に感動したこ
歳をもって奈文研所長を定年退官するにあ
新書『大往生』など多数の新書・単
である 、)奥さんと世界各地を旅行し、個人的
な葉書通信を書き続ける。ついに「寧楽の逸民」
ベストセラーとなった永六輔さんの
ての蔵書を寄贈して、学問世界から完全に身を
に移り、2003 年同社役員。13 年退任。
ショナリズムの問題まで取り上げられていた。
行本・新書編集などをへて、営業部
これは田中さんの問題関心なくして実現しな
新聞の編集に
という生き方を貫きとおしたわけで、この身の
携わった。73 年岩波書店入社、単
処し方の見事さには舌を巻く。いま自分がその
代は東京大学
引く。このいさぎよさには誰もが驚いた。公的
科卒。学生時
立場からは去っても、研究者としてはまだまだ
東京大国史学
かったのはたしかである。そしてぼくも大いに
富 山 で 育 つ。
年を超えているとき、あらためてそのすごさを
ま れ、 新 潟、
現役であっておかしくない年であり、影響力も
年福井県で生
目を開かされたのであった。
いのうえ・
ひしひしと感じている。
か ず お 1948
また大きかった。復活を期待する声がそこかし
は退官と同時にすべての学会から退会し、すべ
られたほうがいい、とふつう言えるか。
とを言う。このとき田中さんは 歳。
れを受けないという徹底した姿勢は、 世
「 間か
「 色蒼然とした権威になってはならない 、」 ら忘れられることを怖れる」凡人にはとても考
古
これに共感する人は多いだろうが、自分がその えられないことだ。忘れられてけっこう、忘れ
は
立場となったときにそれができるか。田中さん
57
たり、まさにチャイルドにならうのである。彼
65
≪ 86 ≫
が知っていたか。
こんな事態になっていることを、どれだけの人
いる。これは学術エッセイ集として十分成立す
きちんと整理していない問題が豊富に含まれて
遷等、誰もフォローしておらず、あるいは誰も
題性、そしてそもそも文化財保存の考え方の変
田中さんが思いを吐露した文章がある。それ
を最後に掲げよう。
に問うことができるのは嬉しいことである。
予定 。)むろん、すでに退社しているぼく自身
はかかわることはないけれども、本となって世
もまた、ユネスコから脱退する(現在は復帰)。 し、格闘することになる世界遺産登録の持つ問
こうした観点から考古学を見るということ
は、当時はほとんど無かったし、いまもそうだ
「 九 九 八 年 の 夏、 ポ ー ラ ン ド か ら カ ジ ミ ュ
一
ジ=スモーレンさんが来日しました。ナチドイ
ろう。
ぜひ発展してほしい論点だったのだ。せっ
る! 構 成 案 を つ く っ て み よ う と 必 死 に 読 ん
だ。幸運の神様には前髪しかない。せっかくの
ツがユダヤ人を大虐殺したアウシュヴィッツの
かく田中さんが切り開いた問題が埋もれたまま
生き残りの一人です。新聞記者がかれに『いま
答 え て い ま す。
『かってなにがあ ったのか、そ
最大の問題は執筆時期が古いことであった。 日本人になにを望むか』と質問しました。彼は
こで、なにが、どのように生起し、変転したの
から、もっとも新しいものでも1990年代。 れを正確にただ知ってほしい』と。かって、ど
歳をもっていっさいの原稿執筆を断ったのだ
になってしまうのは、日本社会にとっても不幸 チャンスを逃してなるものか。 こ
「 れで本にな
である。
何らかのかたちで実現できないものか。 るの?」といぶかしげな田中さんを説得した。
しかし、彼の身の処し方の徹底ぶりは見事とい
うしかなく、これは見果てぬ夢というしかない
のかと残念であった。
世の中の状況が変わっている。何らかの注釈が
すれば、同種の城は指定対象にならない。世界
いうこと。城郭建築でいうと「姫路城」を指定
ことだけ、少し。最大問題は「優品主義」であ
思わぬ幸運が舞い込んだのは2011年冬
だったろうか。
田中さんから突然電話があった。 り、一つを指定すると、それ以外はできないと
いまこそ重要ともいえる。たとえば世界遺産の
くは多くの魅力的な方々と出会い、教えられ刺
* * *
出 版 社 に 勤 務 し た と い う 仕 事 の 性 格 上、 ぼ
す」
らす、と私は確信するようになっていったので
が混迷の現代社会に生きる私たちに多くをもた
瞞に充ちがちです。ことばだけではなく、もの
必要だ。しかし、根本的問題はまだ生きていて、 か。それを明らかにし、知ること。ことばは欺
前年、久しぶりに奈良のお宅を訪ね、雑談した
でたい」ことだけど、それに踊っているだけで
そしていま甦る
ことがきっかけになったのかもしれない。じつ
いいのか。この問題性はほとんど報道されるこ
激される機会に恵まれた。それぞれの方にそれ
役の研究者がフォローするということで、遠か
この企画、いろいろ経過があったが、やはり
彼の仕事を惜しむ声は大きく、彼が信頼する現
きび
から連載します。
(編集部)
に携わった井上一夫さんのコラムを本号
岩波書店で
年 間、 編 集、 営 業 な ど
を通して過去の実像を明らかにすること、それ
は自費出版を考えているのだという。 親
「 父が
何をしてきたのか、子どもたちくらいには伝え
とがない。遺跡保護とは何かという大問題が欠
そ こ か し こ に あ る。 考 古 学 と ナ シ ョ ナ リ ズ ム
らず刊行される運びとなった(2015年3月
遺産指定は観光資源獲得の立場からすれば「め
んとな。まあ、オレの棺桶の蓋が閉まるときに
ぞれの思いがある。連載タイトルを「われ、そ
まんじゅう
みんなにあげる饅頭本や。編集者としてのアド
落しているのである。あらためて彼の問題意識
の驥尾に付して」としたゆえんである。
き
バイスを訊きたい」
の鋭さに驚かされる。
の 問 題 は む ろ ん 入 っ て い る。 そ れ だ け で は な
40
送られてきたものを読み、興奮した。書いた
時期こそ古いが、いまこそ必要と思うテーマが
い。彼が文化庁文化財鑑査官時代に初めて当面
2014.12.15
65
「オバマ的なるもの」を
2014年米中間選挙
[2]
戦略上、最大限利用したのは当然といえる。投
は選挙後の記者会見で「民主党が彼らにとって
れば、共和党の選挙対策幹部のロブ・コリンズ
和党の戦略に、戦わずして屈した。CNNによ
るかもしれない」
と一瞬でも世界に思わせた「オ
とすれば、
「超大国アメリカの在りようが変わ
挙が数十年後に、なお「歴史的」と評価される
政治を続けることがほぼ確実だ。今回の中間選
の信任投票という意味合いを帯びるのは珍しく な投票行動をとったのか。出口調査に[よって、
ないが、これほどオバマという個人の「罪と罰」 いくつかの特長が見て取れる。共和党に投票し
選の中間年に行われる中間選挙が、現職大統領
争点はオバマ大統領その人。4年ごとの大統領
は、米メディアの一致した見立てでもあった。 という。民主党が最大の武器であるオバマを使
54
[3]
で は、 ア メ リ カ の 有 権 者 は 今 回、 ど の よ う
た人、民主党に投票した人の割合で顕著な差が
[2]ギャラップ社世論調査。 [3]NBCテレビなど米メディアが共同委託した全国
出口調査。 広島ジャーナリスト 19 号
た。[共 和 党 が こ の「 オ バ マ 熱 の 消 失 」 を 選 挙
票日の朝、共和党全国委員会が上院の各激戦区
で、ツィッターなどで流した広告は象徴的だ。
民主党候補者とオバマのツーショット写真にこ
んなコピーが付けられた。「あなたがもし投票
に行かなければ、オバマを止められない」。メ
ディアでは「オバマ・ドラッグ(オバマは民主
党の足かせ」というコピーがあふれた。
民 主 党 は ど う し た か。 オ バ マ 隠 し で あ る。
オバマは激戦区の選挙応援に一度も呼ばれるこ
ともなく、民主党候補者たちはオバマとの距離
というのが通説だ。しかし、そうではない。た
史的大敗」とメディアはこぞって書き立てた。 中間選挙は何をめぐって戦われたのか。「ナッ
そして、
敗因は「オバマの不人気」と。しかし、 シング(何ものでもないもの)をめぐる選挙戦
最善のメッセンジャーをベンチに置いたのはあ
争点はオバマ
不思議なのは、この「歴史的な」選挙結果でア
だ一つ、国民がオバマ大統領をどう見ているか
りがたかった」と語り、民主党に「感謝した」
の「遠さ」を競い、ある者は大統領選挙でオバ
メリカの政治が変わるという予測はほとんど見
をめぐる選挙だ」。ワシントン・ポスト紙のベ
バマ的なるもの」を、アメリカは結局、受け入
に収れんしたのは異例だ。
41
わなかったことが勝因というわけだ。
れることができなかった、という負の意義にお
%あったオバマの支持率(不支持は %)は
15
選挙直前には %(不支持は %)まで下落し
65
オバマが争点化したのは、もちろん「自然に」 表れたカテゴリーを拾うと、まずジェンダーの
そ う な っ た の で は な い。 6 年 前 の 就 任 時 に は
[1]本稿執筆時点で、上院は共和党が53議席、民主
党 が 議 席、 未 確 定 が 1 議 席、 下 院 は 共 和 党 が 2 4 4
議席、民主党が186議席、未確定が5議席。 46
いてのみだろう。アメリカがチャンスを逸した
マに投票したかどうかさえ、口をつぐんだ。共
かけないことである。共和党はこれまでも、そ
ことを、あらためて確認する選挙結果だった。
大島 寛
してこれからも「オバマには一点もやらない」 テラン政治記者、ダン・バルツのこうした見方
わ っ た。[オ バ マ 大 統 領 が 率 い る 民 主 党 の「 歴
[1]
を占めていた下院でも大幅に議席を伸ばして終
月4日に投票が行われた米中間選挙は、野
党の共和党が8年ぶりに上院を奪還、既に多数
11
拒否したアメリカ
≪ 87 ≫
≪ 88 ≫
%
選では全投票者の %を占めたが、今回は %
と、それぞれ回答した。6対4の割合でオバマ
個 別 の 問 題 で は、 オ バ マ の 唯 一 の 大 仕 事 と
%、民主党が
に過ぎなかった。また、黒人もヒスパニックの
いえる医療保険改革(オバマケア)については、
%へと大幅に増えた。今回の中間選
% が 肯 定 的 だ っ た。
年に法律が成立、今年か
挙は投票率そのものも %台(AP通信の推定) オバマケアは約4600万人の無保険者に保険
%が否定的に評価し、
へのネガティブな評価が多いという結果だ。
割合も、それぞれ数㌽減少した。他方、共和党
%だっ
%
の支持層である、 歳以上の中高年層の割合は
㌽もの差があった。女性は共和党が
%と、民主党がやや優勢。世代
ギャップ。男性は共和党が
と、
で、民主党が
~
%に対し、民主党は
歳以上
%から
歳の若
13
に政府は介入すべきではない、もっとあからさ
まに言えば、貧乏人のために税金を使われたく
ないという保守派からの反対論が根強いことを
示した。さらに、米国内でまた大きなテロ攻撃
% に 上 り、
「それほ
が起きる可能性について、
「非常に心配」「ある
程度心配」という回答が
%。 ど心配していない」「全く心配していない」を
合わせた %を大きく上回った。
以上の傾向をまとめると、共和党は男性(特
民の最大の関心事である経済について、米経済
感できないという現状に対する不満や怒り、過
況の声をよそに、その恩恵が家庭の食卓では実
%だった。米経済が「上向き」と考えている
%と評価は三分された。家計については、2
人は %、「下向き」は %、「変わらない」が
%、 支
%が「不
か く し て オ バ マ の 民 主 党 は 大 敗 し た。 そ の
失敗大統領?
マ個人への批判につながっている。
年前と比べて「良くなった」は %、「悪くなっ
持しない人は
55
%は「満足だが 熱心ではない」、
% は「 熱 心 に 支 持 」、
%。 ま た、 オ バ マ 政 権 に 対 す
かわっている。2度の選挙でオバマを大統領に
る 気 持 ち を 聞 か れ て、
オバマの仕事ぶりを支持する人は
押し上げた、いわゆるオバマ連合は生きている
きな差が出たのは各カテゴリー別の投票率にか
45
32
25
満だが、怒ってはいない」、 %が「怒っている」
29
10
27
ものの、投票所に足を運んだ人が激減したとい
年大統領
12
44
2012年大統領選での投票行動とそれほどの
来の楽観主義とはほど遠い。こうしたネガティ
者発生時のパニック反応といい、アメリカ人本
カ社会の姿が浮かび上がる。エボラ感染熱の患
剰とさえ見えるテロへの不安があふれるアメリ
%。「 非 常 に 良 い 」「 良 い 」 は
が分かる。中間選挙と大統領選とはにわかには
32
ティ(非白人)
、低所得者から票を集めたこと
が「あまり良くない」「非常に悪い」と答えた
%だけだ。国
65
人は合わせて
「正しい方向に進んでいる」は
ドや政治意識を表している。「アメリカは間違っ
出口調査はまた、現下のアメリカ国民のムー
ネガティブなムード
これでは民主党は勝てない。
同時に投 票者の「高齢化、白人化 」が進んだ。 ら運用が始まったが、保険という個人的な領域
%と、 で、戦後の中間選挙史上最低の水準となったが、 加入を義務付けた。
%で、圧倒的に共和党
%対 %
%が民主党
46
別ではミレニアム世代と呼ばれる
歳台以上で支持政党が逆転し、
%、
民主党が
36
者では共和党が
19
40
た」は %、「あまり変わらない」が %だった。 ブなムードがオバマ政権、より直接的にはオバ
比較できないものの、オバマ大統領を再選した
70
かい離はない。にもかかわらず、選挙結果に大
28
34
32
29
に白人男性)
、中・高年者、高所得者から票を
共和党、それ以下は民主党が強い。
10
た。
%、民主党が
が強い。特に、白人男性を見ると、
74
た方向に進んでいる」と考えている人は
%。有色人種の有権者の
%だけ。ヒスパニックでは民主
と驚くべき大差がついた。黒人は
64
間で民主党は強かった。家計別では、年収5万
%、共和党は
で、共和党は
33
和党が
共和党の優位が拡がる。人種別では、白人は共
のシニア層では共和党が
41 65 54 29
㌦(約550万円)を分岐として、それ以上は
党は
64
集 め、 民 主 党 は 女 性、 若 者、 人 種 的 マ イ ノ リ
31
71
57
38
49
こ う し た 調 査 結 果 を ま と め る と、 経 済 的 好
28
36
10
89
60
うことだ。例えば、上記の若者層は
2014.12.15
57
47 41
43
18
51
16
40
62
≪ 89 ≫
うまくやるべきだったとはいえるかもしれない
現在の共和党支持者の中核をなす南部の白人層
い 変 化 を 象 徴 し て い る リ ー ダ ー だ と 言 え ま す。
「 オ バ マ 大 統 領 は、 共 和 党 が 受 け 入 れ た く な
方は、極めて説得的だ。
統領就任以来、共和党、保守派からの攻撃にさ
が、オバマの政策が失敗だったと描くのは完全
にとっては、それほど多様ではない小さな町こ
用は劇的に拡大した。クルーグマンは「もっと
年の中間選挙で共和党に
な 誤 り だ 」 と 指 摘 す る。 外 交・ 安 全 保 障 で は
年の大
下院の多数派を奪われてからは、ことごとく政
そが『本当のアメリカ』のイメージです。しか
責任はオバマの失政なのか。オバマは
策の実現を阻まれた。就任早々に打ち出したグ 「(ブッシュ政権のような)いわれのない戦争を
銃砲規制強化は手がつけられず、不法移民の合
ンは主張した。
それは大きな意味があるものだ」とクルーグマ
表しています。共和党の中核から見れば、オバ
スモポリタン、進歩的な精神といったものを代
のではない。し かし、別の選択肢に 比べれば、 し、オバマ氏はアフリカ系であり、多様性やコ
らされてきた。特に
アンタナモ収容所の閉鎖はいまだに実現せず、 しない、という政策は国民をわくわくさせるも
法化に道を開く移民法改革は失敗した。アメリ
はや理想として語られることもない。こうした
賞で後押しされたはずの「核のない世界」はも
数意見だ。それにしても、と思う。オバマが期
しいアメリカのメディア状況の下では完全な少
かつ妥当と思えるが、オバマ無能論でかまびす
クルーグマンのような見方は私には常識的
ン)」とは、アメリカの保守的な「普通の人々」
こ こ で 語 ら れ た「 小 さ な 町( ス モ ー ル タ ウ
としているように映るのです」
。[
[6]
実績にリベラル派の失望は大きい。一方で共和
マ政権は自分たちの信じるアメリカを変えよう
党から見れば、オバマの社会的弱者に向けた政
が今でも理想とするイメージである。ハートラ
からの危険なものに対しては小さな銃をとって
家族を守る―。開拓時代から続く保守的精神の
バマが体現するもの」をアメリカの保守的な
第一に、問題は個々の政策というよりも、
「オ
もちろん、現実の「小さな町」は理想上の「小
される。
拒否される。そして、オバマ的なるものも拒否
異文化や異人種の侵入。こうしたものはすべて
原型がここ にある。生活の変化、 政府の介入、
ン(プリンストン大教授)は、オバマが「米史
人々は受け入れられないということだ。オバマ
さな町」ではあり得ない。実際の小さな町はあ
「本当のアメリカ」という壁
人気がないのか。三つの観点から考えてみたい。 信仰心の厚い人々が、つつましく生活し、外部
悪 の 大 統 領 」 と ま で 言 わ れ る と[い う こ と は、 ンド(アメリカの中心)と呼ばれる中西部の農
どういうことなのか。なぜ、それほどオバマは 村地帯に点在する小さなコミュニティ。勤勉で
[5]
策は我慢できず、ウクライナやシリアの問題、 待外れだったとしても、第2次世界大戦後「最
イスラム国への対応はすべて後手に回り弱腰
だ。とすれば、オバマは左右いずれから見ても
やはり「失敗大統領」だったのか。
い や、 そ う で は な い と い う 声 が な い わ け で
はない。ノーベル経済学賞受賞者で時にオバマ
上、最も成功した大統領の一人だ」と高く評価
の不人気は、アメリカ人の文化や思想にまで深
まりにも狭く、保守的で排他的な、白人だけの
の 厳 し い 批 判 者 で も あ る ポ ー ル・ ク ル ー グ マ
す る。[国 民 の 最 大 の 関 心 事 で あ る 経 済 は 確 実
に上向きで、失業率も 年の %から6%を切
くかかわっている。アメリカン大学のレオナル
[4 ]
るまで改善した。評判の悪い医療保険改革も今
ド・スタインホーン教授が述べた次のような見
日付朝日新聞「耕論」欄。 小宇宙だ。そんな退屈な場所に反発する人は、
年中には無保険者のうち、1千万人が加入でき
月
28
る見通しだし、環境問題で再生エネルギーの利
月
[5]今年6月に米キニピアック大学が実施した、戦後
日号)掲載 最悪の大統領を問う世論調査結果。オバマはブッシュ、
[6]
ニクソンをしのぐ「最悪」となった。 10
10
[4]米誌ローリング・ストーンズ(
の「オバマを支持する」。
10
23
広島ジャーナリスト 19 号
08
カの監視国家化は今も続く。ノーベル平和賞受
10
09
≪ 90 ≫
から脱出する。ブルース・スプリングスティー
新しい人生を切りひらくためにスモールタウン
者の %)では、共和党が %、民主党が %
テスタントのコア・グループ)の白人」(投票
領であることの「居心地の悪さ」と言ってもよ
ているのではないかと私は思う。オバマが大統
ジ・ギャップの仮説」としておく。
とりあえず「イメー
となった。この差は驚くべきと言うしかない。 い。実証する術がないので、
アメリカ社会の主流である。主流の人々にオバ
の守護神として邪悪な敵を倒し、世界をリード
ルを制度としてはぐくんだ最初の国であり、そ
ギーをアメリカ例外主義( Exceptionalism
)と
いう。アメリカは民主主義、個人の自由とモラ
民主党票とオバマ票と同一と見なすわけにはい
ン も 作 家 の レ イ モ ン ド・ カ ー ヴ ァ ー も そ う し
普通のアメリカ人にとって、アメリカは「特
が大きな「失言」になったことが思い出される。 マは支持されていない、ということだ。大統領
する特別の国―。宗教心に根付いた、脈々たる
[7]
かないが、オバマ人気を示す指標にはなるだろ
就任以来、6年たっても、彼らは黒人の大統領
アメリカ人のプライドである。それなくして、
別な国」である。その特別さを信じるイデオロ
オバマは、
「スモールタウンの人々が欲求不満
に慣れてもいないし、受け入れてもいない。そ
リカのメディアでは声高に語られることはな
人種は、「政治的公正さ」を建前とするアメ
名高いシーモア・M・リプセットは次のように
することは難しい。アメリカ例外主義の研究で
「プロテスタントの白人」はなんと言っても
を表すために、怒りっぽくなり、銃や宗教にし
う推論しても大きな間違いではないだろう。こ
な白人労働者たちの総スカンを受けたのだ。真
「小さな町」の実情について思わず語り、それ
がみつき、自分たちとは違う人々を嫌い、移民
れはやはり驚くべきことだ。
実を語ったことで、オバマは罰を受けたのだ。
述べる。「戦争を肯定し、人々に敵 を殺し国の
ある。今年1月、オバマ自身がニューヨーカー
は依然として、隠れた、しかし重要なテーマで
る神の側に立つと規定しなければならない。す
戦争における自分たちの役割を、悪魔と対決す
ことは少なかった。しかし、オバマの「黒人性」 ために死ぬよう求めるためには、アメリカ人は
オ バ マ が 嫌 わ れ る 第 二 の 理 由。 ス モ ー ル タ
なわち、道徳性を擁護し、悪と戦うのだ。アメ
[8]
してのことではない」
。[しかし、オバマは悪と
戦う「世界の警察官」というアメリカの役割は
国 民 の 愛 国 心 を 鼓 舞 し、 国 の た め 死 ぬ よ う
早々と放棄しているのだ。
「オバマ不人気」の第三の理由は、オバマの
求めるのは軍最高司令官でもあるアメリカ大統
カの保守的な国民は、オバマは自分たちが描い
[8]シーモア・M・リプセット「アメリカ例外論」)。
思想、キャラクターにかかわるものだ。アメリ
「複雑系」の大統領
からであって、物質的利益を守ろうと自ら意識
誌にこう語っている。「黒人の大統領というこ
とさらに問題が鮮明になる。まず、
「プロテス
%を
%で民主
タントの白人」のカテゴリー(投票者の
39
% と 差 は 拡 大。 さ ら に、
「 福 音 派( プ ロ
占める大票田)で見ると、共和党が
党が
72
う人々がいることは疑いない」。
ウンにつながることだが、やはり人種の問題に
%)で共和党に流れたこ
リカが戦争をするのは、主として悪に反対する
%対
とが好みではないという理由で、私が嫌いとい
人種の壁
い。選挙の事前事後の報道でも取り上げられる
アメリカがこれほど戦争をしてきたことを説明
に反感を持っている」と述べた。これが保守的
年 大 統 領 選 の キ ャ ン ペ ー ン 中、 オ バ マ が
た。[眠 気 を 催 す よ う な ハ ワ イ の 町 か ら 飛 び 出
したオバマ自身も、そのくちだったのかもしれ
20
う。
78
ない。
26
触れざるを得ない。先に白人男性の票がほぼ2
対1の比率(
33
とを述べたが、これに宗教ファクターを加える
64
[7]村上春樹「ブルース・スプリングスティーンと彼
のアメリカ」
(「意味がなければスイングはない」所収)。 ている大統領のイメージにそぐわない、と感じ
2014.12.15
08
26
≪ 91 ≫
されてきた。では、オバマは何と言ってきたの
メリカ例外主義を信じていない」と激しく非難
マはそれを信じていない(ように見える)。オ
じていないとすればどうなるか。そして、オバ
領である。その大統領がアメリカ例外主義を信
づく「戦争をしたくないのだな」と感じる(実
をフォローしていると、この最高司令官はつく
け入れやすいことを述べた後に、「しかし」と
統領」を、普通のアメリカ国民も、士官学校の
なと思う。はっきりしているのは、最高司令官
が好む「 but話法」だ)。
アメリカ例外主義への懐疑を突き詰めれば、 として、法学者として、そして、慎重な思索者
アメリカの戦争への懐疑にたどり着く。オバマ としての矛盾を抱え込んだような「複雑系の大
続けて本当に言いたいことを言うのは、オバマ
学生も、ワシントンのエスタブリッシメントも、
演説をしたことを思い出した。変わっていない
しい戦争」はしなければならない、と苦しげな
バマは共和党、右派のイデオローグたちに「ア
か。
「例外の国」の代わりにオバマが多用する
ある語句選択だろう。ただし、喚起力はない。 ピーチは近く実戦に赴くであろう士官たちへの
いた共和党が責任野党に変身する可能性は小さ
最後に、アメリカ政治の今後の見通しを付言
する。中間選挙の結果、右派がますます勢いづ
あまり好きにはなれないということだ。
はなむけの言葉としては、ある種、異様なもの
外主義という言葉を使うが、
必ず注釈をつける。
応は最高司令官らしく述べたが、「そうした状
されたときには単独でも軍事行動を取ると、一
オ バ マ は、 ア メ リ カ の 核 心 的 な 利 益 が 脅 か
ある。2010年の中間選挙で民主党が下院を
党にとっては反オバマの政争そのものに意味が
オバマが拒否権で対抗するのは確実だが、共和
いることを忘れてはいけないのだが)。このス
だった。そこにあるのは「悩める大統領」だった。 い。共和党の第一の目標は、すでに運用されて
のは
「アメリカは世界で必要不可欠の国である」 際には、対テロの「見えにくい戦争」は続けて
そして、オバマはどうしても使わなければなら
たとえばこうだ。
「私はアメリカ例外主義を信
況でも、アメリカの行動が目的と釣り合ったも
というコピーだ。中立的で、客観的な妥当性の
ないときには、やむなく(たぶん)アメリカ例
じます。イギリス人がイギリス例外主義を信じ
いるオバマケアを蒸し返し、
撤回させることだ。
るように、ギリシャ人がギリシャ例外主義を信
オバマは、内政では大きな仕事ができない状態
力によってではありません」
。この後、オバマ
は、国際的な規範や法による支配を愚弄する能
じます。しかし、私たちを例外的にしているの
チした。
「私はアメリカ例外主義を全面的に信
今 年 5 月、 ニ ュ ー ヨ ー ク 州 の 陸 軍 士 官 学 校
(ウェストポイント)卒業式でオバマはスピー
た。そうした、あれやこれやの条件を付けた戦
確かなときにのみ、アメリカは攻撃する」と語っ
いるときにのみ、民間人の犠牲が出ないことが
う際には、「われわれに対する脅威が切迫して
ドルは高くなる」と述べた。そして、テロと戦
ものでない場合は、「われわれの軍事行動のハー
ても、それがアメリカに直接的な脅威を及ぼす
ばれることになるのだろう=文中敬称略。
リントンのような、ごく「普通の大統領」が選
上、いたしかたない。2年後にはヒラリー・ク
が、現在のアメリカがオバマを受け入れない以
が予想される。アメリカにとって不幸なことだ
の大統領選までアメリカの政治には混乱と空白
大きな成果は望みにくい。総じて、2016年
と し て の フ リ ー ハ ン ド が あ る 外 交 し か な い が、
失って以来、事実上、レームダック化していた
が続く。オバマに活路があるとすれば、大統領
はグアンタナモ収容所の閉鎖が必要だと続けた
争があり得ると、オバマが本当に信じているの
[9]
け加えた。また、国際的な重大事が起きたとし
じるように」。これではアメリカはギリシャと のであるか、効果的であるか、正しいものであ
[
同列になってしまった。
例外でもなんでもない。 るかを自問しなければならない」と、直ちに付
のだが、オバマの力点が例外主義信仰にはない
賞式で、自分はアメリカの最高司令官として「正
局長)
かといぶかりつつ、5年前、ノーベル平和賞授 (おおしま・ひろし、元共同通信ワシントン支
ことは明らかだ。
(ちなみに、まず一般的に受
[9]2009年4月、フランスのストラスブールでの
演説で。
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 92 ≫
命と尊厳破壊する「イスラム国」
国連中心に各国が協力し制圧を
政権の化学兵器による集団虐殺に対する国際的
な制裁行動は、安保理でのロシア、中国の拒否
権行使でなにもできなかった。しかしいま、安
保理がISに対する制裁行動で、一致できない
はずはない。
本稿では、イスラム過激派「イスラム国(I
S)」と呼ぶが、少し厳密に呼べば、サラフィー
主義の過激な聖戦派(ジハーディスト)となる。
れ な い、 高 次 元 の 規 範( 強 行 規 範 )」 を 踏 み
が支配地域を拡げるイラク、シリア両国の北、 I S は、 条 約 法 に 関 す る ウ イ ー ン 条 約 の
度にも達する 「 国 際 法 の 土 台 と な る、 い か な る 逸 脱 も 許 さ
のための戦いを聖戦(ジハード)としてイスラ
の統治・社会への復帰を目指す復古主義で、そ
の神の預言者ムハンマドの直接的後継者の時代
寒さのなかで、ISと戦いあるいは過酷な支配
隷 制 度、 海 賊 行 為、 虐 待 な ど を 挙 げ て い る。 のタリバンはじめいくつも活動しているが、I
ム教徒の義務とするのが聖戦派。サラフィー主
100万人を超える新たな難民に支援は行きわ
に じ る 行 為 を 重 ね て い る。 国 連 と 国 際 法 専 門
たらない。8月8日から米軍が、ISと苦闘す
Sは政府軍などの敵対勢力だけでなく、
異教徒、
国 連 の 人 権 諸 機 関 は、 イ ラ ク、 シ リ ア で の
深刻な人道危機を詳細に訴え、ISを非難し、 異民族に対して特に残酷で、人々を集団虐殺す
の下で生きるために苦闘している。国連と国際
るイラク政府軍やクルド人民兵部隊を支援して
増え続ける難民救済活動を必死に広げている
義の聖戦派は、イスラム世界の歴史の中で、さ
IS部隊への爆撃を開始、英、仏、湾岸諸国も
の に、 肝 心 の 安 全 保 障 理 事 会 の 動 き は 鈍 い。
まざまに現れてきたし、現在もアフガニスタン
加わり、オバマ米政権はイラク支援に軍事顧問
ノ サ イ ド( 集 団 虐 殺 )、 人 道 に 対 す る 罪、 奴
団を派遣、増強し続けるなど、中東のど真ん中
[1]1994年4~7月に、中部アフリカのルワンダ
で 起 き た 集 団 虐 殺。 2 大 民 族 の 一 方 の フ ツ 族 系 政 府 と
フ ツ 族 過 激 派 に よ っ て、 片 方 の ツ チ 族 と フ ツ 族 穏 健 派
が 組 織 的 に 大 量 虐 殺 さ れ た。 ル ワ ン ダ に 駐 留 し て い た
国 連 平 和 維 持 軍 の 司 令 官 は 虐 殺 を 防 ぐ た め、 部 隊 の 増
強 な ど を 要 請 し た が、 安 保 理 は 逆 に 削 減 を 決 議 す る な
80
見えたフセイン政権下の軍と支配政党バース党
実上の「勝利宣 言」
。 7 月 か ら、 離 散 し た か に
2 0 0 3 年 3 月 米 軍 主 力 の 有 志 国 が イ ラ
クで地上戦争開始。5月にブッシュ大統領が事
れた。現在に至る過程を年表的に振り返る。
争直後から始まった反米武装闘争のなかで生ま
「イスラム国(IS)
」の前身組織はイラク戦
反米武装闘争の中で成長
る集団だ。
で、新たな、前例のない国際紛争が拡大しつつ
援助団体が必死の支援活動を広げてはいるが、 家 は、 強 行 規 範 に 反 す る 行 為 と し て、 ジ ェ
中部ではいま、人々がマイナス
イ ス ラ ム 過 激 派 組 織「 イ ス ラ ム 国( I S )」 自由と人権への残虐な攻撃を許さない立場だ。 サラフィー主義は、イスラム教の始祖、アラー
坂井 定雄
ず、 万人
安保理が人道支援の役割を果た[せ
1]
が 集 団 虐 殺 さ れ た ル ワ ン ダ の 悲 劇([1 9 9 4
年)を繰り返してはならない。シリアのアサド
ある。
本稿を書くうえで、まず、ISとその行動へ
の、 筆 者 の 視 点 を 明 確 に し て お き た い。 そ れ
は、いまでは世界人口の4分の1以上を占める
イスラム教徒たちが1400年間かけて築いて
きた、他宗教、多民族、他文化の人々との相互
理解と共存を破壊する、復古的、非人間的で傲
慢なイスラム法解釈による、人間の命と尊厳、 どし、平和維持軍の目前で大虐殺が行われた。 2014.12.15
20
≪ 93 ≫
ダッドのイスラム大学で修士、博士号を得たと
イラク中部の古都サマラで生まれた。首都バグ
し、シリア人の幹部とともに戦闘員を募集し、
た。ISIは8月ごろからシリアに幹部を派遣
権はロシアとイランの支援を受けて反撃に転じ
中部、北部での支配地域を拡大した。アサド政
委員会の長になった。バグダディは1971年、 酷に弾圧、内戦が始まり、反政府勢力がシリア
されている。イスラム教の宗教指導者の資格と
年に設立した過激なイスラ
ム聖戦主義グループも、国際テロ組織アルカイ
して重視されるカイロのアズハル学府やメディ
拠点づくりを開始。
年 ISIはアラブ諸国や、ロシアのチェ
チェン、中央アジア諸国、欧州など世界各地か
係を修復。中部アンバル州を
部のスンニ派部族勢力との関
の敵意を強めていたイラク中
犠牲者急増のためにISIへ
無差別テロによる一般市民の
6月 人口 万のシリアのラッカ市を支配、
ISILの本拠地とした。シリア北東部の油田、
示した。
で目指し、アルカイダから離れた独自路線を誇
ラク、シリアにとどまらず、この地域の支配ま
語名。英語 名は レバント(Lev ant)。イ
続いているシリア第2の都市アレッポ攻防にも
年 1 月 軽 ト ラ ッ ク に 分 乗 し た I S I L
広島ジャーナリスト 19 号
の残党による反米武装抵抗が始まった。ヨルダ
ダの支援を受けて、米軍と一般市民に対する爆
ナのイスラム大学の認証を得てはいないが、説
ら数千人の志願者を集め、アサド政権の軍・警
表。アッシ ャム(AL―sham )はシリア、
本拠地として、旧イラク軍将
製油所を占領、さらに激しい攻防戦が2年以上
していった。
て支配地域を広げた。
反政府勢力をアサド政権が過
加わり、政府軍だけでなく反政府勢力も攻撃し
年 シ リ ア で は「 ア ラ
ブの春」で民主化に決起した
22
ン人ザルカウィが
弾テロと人質作戦を開始。
教師としての学識と過激なサラフィー主義の説
月、 イ ラ ク で は 米 軍 が イ ラ ク 軍 訓 練 要 員
年 ザルカウィはグループ名を「イラクの
アルカイダ(AQI)
」と改名。バグダディ(現
AQIは他のスンニ派反
察が手薄になったシリア北東部の政府軍基地と
1400人を残し撤退完了。
米武装勢力とともに「イラク・
2006年にザルカウィが米
年に
その後継幹部も米軍に殺され
校たちを吸収して組織を強化
者に就任した。バグダディは、 はトルコ南部を含む歴史豊かな地域のアラビア
レバノンから東はイラク、南はパレスチナ、北
軍によって殺された。
年4月 バグダディは「イラクとアッシャ
ムのイスラム国(ISIL)」を設立したと発
成し、反米テロを強化したが、 町や村を、次々と攻撃して占領し始めた。
幹部になった。
イ ス ラ ム 国( I S I )」 を 結
得力でザルカウィの信頼を得て、AQIの有力
12
12
ると、バグダディが最高指導
10
13
14
11
09
「イスラム国」最高指導者)が、AQIの宗教
イギリスの公共放送BBC電子版は8月 11 日、
「イスラム国の台頭」
という見出し記事で、イスラム国のこれまでの歩みをたどった。写
真は進撃する「イスラム国」武装勢力の動画画面
04
≪ 94 ≫
部隊は国境を越えてイラク北部に逆侵攻。中部
アンバル州と首都バグダッド周辺でも、政府軍
と警察から支配を奪う攻勢を強化。
6 月 イ ラ ク 第 2 の 都 市 モ ス ル を 占 領。
日、組織名から「イラクとアッシャム」を外し
継者たちが
の死後、後
ムハンマド
は、預言者
た。カリフ
とを宣言し
任したこ
ダディが就
リフにバグ
樹立と、カ
ラム国」の
する「イス
域を領土と
し、支配地
さなかったようだ。
レビはさすがに転がった首の映像は一瞬しか映
に流した。筆者もその動画をみたが、各国のテ
像をYouTubeなどの配信サイトで全世界
光景を、転がった首まで動画に撮影、鮮明な映
数の捕虜がひざまずかされ、次々に斬首される
虜たちは刃物で首を切りおとされた。ISは多
770人が殺害され、3カ所に埋められた。捕
し、逃げずに捕虜になったイラク兵士550~
によると、同基地から1万1千人の兵士が逃亡
人権団体ヒューマン・ライツ・ウオッチ(HRW)
の兵士たちを捕虜にした。イラク政府軍と国際
の北西150㌔)を攻撃、降伏した政府軍基地
ISは6月、モスルを占領後、その南のサダ
ム・フセインの故郷ティクリート(バグダッド
隷化まで、実行している。
ディが勝手に解釈し、現在では、ほとんどすべ
継承した国
て単に「イ
家の統治と
ISは斬首処刑の動画を流すことによって、
イラク軍兵士や民兵たちに恐怖感を与え、戦う
てのイスラム国家が禁止している、捕虜の集団
イスラム教
意欲を失わせることを狙ったに違いない。それ
スラム国
を兼ねた最
虐殺、斬首、投石死刑や女性と子供の売買、奴
高指導者の
が世界中から若者たちを集めるのに役立つとも
(IS)」と
名称。
だ。ISはイスラム世界の歴史とそれを律して
イ ス ラ ム 過 激 派 I S の 行 動 は、 極 め て 残 虐
集団虐殺、人身売買、奴隷制
Sのスポークスマンは、8月8日から始まった
し、その光景を動画サイトで世界に流した。I
同月末にスティーヴン・ソトロフ氏を斬首処刑
ISは8月中旬、人質として拘束していた米
国人ジャーナリスト、ジェームズ・フォリー氏、
信じているのだろう。
き た イ ス ラ ム 法 を、 カ リ フ を 自 称 す る バ グ ダ
2014.12.15
イスラム国の勢力圏 イスラム国は、シリア(SYRIA)北部のアレッポ(Aleppo)
からイラク(IRAQ)のバグダッド(Bagdad)の東のイラン(IRAN)国境までを領
土とすると宣言。イラクでは北部のモスル(Mosul)や中部のファルージャなど
を占領、シリアではトルコ(TURKEY)との国境の町コバネの包囲攻撃を続けてい
る。図はイスラム国勢力の支配地域(Control)、攻勢に出ている地域(Attack)、
後方支援地域(Support)
、クルド人自治区支配地域(Kurdistan Governmentcontrolled)=米国のシンクタンク The Institute for the Study of War 作成
29
≪ 95 ≫
ISに対する米軍の空爆への報復だと語った
るイスラエルの破壊と虐殺だけだろう。
れる古い宗教 で、太陽を大切に し、「クジャク
ペルシャの宗教や紀元前1千年ごろに生まれた
ISは本拠地ラッカで発行している機関誌で
て東方のクルド人自治区に向け逃れていった。
に逃れ、クルド人民兵と米空軍機の支援を受け
出した約5万人の住民は、近くのシンジャル山
リ(戦闘員に訓練する子供)にした。町から脱
配分し、一部を競売にし、子供たちをイェニチェ
を捕え、奴隷として一部の女性を戦闘員たちに
国連の確認によると5千~7千人の女性と子供
だ と し て 残 酷 に 扱 い、 約 5 0 0 人 を 惨 殺 し た。
た。戦闘員たちはヤジディ教徒を〝悪魔信仰〟
8月上旬、ISの戦闘員たちが大挙して襲撃し
シリア国境に近い、無防備なシンジャルの町を
活してきた。そのヤジディ教徒の町の一つで、
作って何百年あるいはそれ以上、ひっそりと生
数 民 族 ク ル ド 人 の 一 部 が 信 仰 し、 町 や 村 落 を
の天使」を崇拝する一神教。イラクでは主に少
ゾロアスター教(拝火教)に起源があるといわ
が、身代金目当てでもあった。家族や米当局者
もっとも残酷に取り扱われたのは、ヤジディ
教徒たち。総数で 万人以下と推定され、おも
によると、ISは人質解放の条件として1億㌦
にイラクに住み周辺諸国にも集落がある。古代
18
を超える身代金を要求していたが、米政府が拒
否を貫いた。2人の以前には、英国人の人権支
援団体のスタッフ、デーヴィッド・へインズ氏
が、9月下旬には米国人で、イスラム教徒に改
宗してシリアで難民支援活動をしていたピー
ター・カシッグ氏が、同様に処刑された。
これまで、紛争下の国を取材するジャーナリ
ストや国際支援団体のスタッフが、政府側や反
政府側に殺害されることは、シリアやイラクに
限らず稀だった。どこでもジャーナリストや国
際支援団体のスタッフに対しては、政府側も反
政府側も報道の恩恵と殺害した場合の国際的非
難を理解しているからだ。だが、その常識はI
Sには通用しなかった。
ISは動画サイト、ソー
た
イラク人口の約9%、 万人の少数民族トル
クメン人はシーア派が多くISの攻撃対象だ。
当化した。
記事でヤジディ教徒の女性と子供の奴隷化を正
月、
「審判の日の前に奴隷制を復活」と題した
10
シャル・ネットワーキング・サービス(SNS)
の利用に長け、欧米水準に近い出来栄えのPR
動画を頻繁に世界に流し続け、時代錯誤の残虐
さを宣伝の武器にしている。
異教徒・異民族 迫 害 と
戦うクルド人
れに匹敵するのは、ガザのパレスチナ人に対す
た。
府軍とクルド人民兵部隊がIS部隊を追い払っ
想した全市民が必死に2カ月間抵抗した末、政
は、6月にIS部隊に包囲されたが、虐殺を予
人口約1万5千人のトルクメン人の町アメルリ
57
50
B B C 電 子 版 は 8 月 日、「 イ ラ ク 危 機 シ
ン ジ ャ ル 山 か ら の 難 民 逃 避 行 」 の 見 出 し で、
「イスラム国の兵士に数百人が斬首されて殺
ISは、イラクとシリアで長い歴史を生き、
され、数百人の女たちが連れ去られた。われ
定住してきた、少数派の住民を迫害し、生命と
われ少数派ヤジディ教徒は集団虐殺で消滅し
財産を奪い文化を破壊している。中東で現在そ
てしまう」と 歳のヤジディ教徒難民の嘆き
を伝えた
65
広島ジャーナリスト 19 号
≪ 96 ≫
~
き、 年のイラク戦争前には約140万人のキ
輸、重要資金源としている。ISの総兵力は今
年6月にモスルを占領、「イスラム国」を宣言
%) に
リスト教徒が住んでいた。それ以来、反米テロ
~
%)
。長年の曲折
イ ラ ク で ア ラ ブ 人( 人 口 の 約
次 ぐ の は、 ク ル ド 人(
で支援、ISと戦い続けている。戦う住民たち
トルコ領を通って支援に加わり、米軍機も空爆
シュメルガがはるか東方のクルド人自治区から
た 住 民 た ち が 頑 強 に 抵 抗。 さ ら に イ ラ ク の ペ
Sに占領され、コバネも包囲されたが、武装し
い人口5万人ほどの町で、7月に周辺地域がI
国境に接するシリアの町コバネはクルド人が多
もシリアでもISと勇敢に戦っている。トルコ
かで育った民兵部隊ペシュメルガが、イラクで
居しているヤジディ教徒もいる。独立運動のな
た。大部分がスンニ派だが、キリスト教徒や集
イラク北東部にクルド人自治区が正式に発足し
が住みついた。モスルではISの占領後、イス
なった家屋と財産はISが奪い、戦闘員と家族
ド人自治区へと脱出、難民になった。空き家に
徒とくにアッシリア人たちはほぼ全員が、クル
つで直ちに出ていくよう強制した。キリスト教
うか、死を選ぶかを迫り、そうでなければ身一
ラムへの改宗か高額のシズヤ(人頭税)を支払
スルを占領した直後、キリスト教徒たちにイス
ルはじめ北部の町や村に住んでいた。ISはモ
になったアッシリア人。イラク第2の都市モス
ミアからの住民で、いち早く東方キリスト教徒
ていた。そのうち 万人ほどは、古代メソポタ
上が国外に移住し、最近まで、 万人ほどが残っ
に全力を注ぎ、北東部一帯を軽視したために、
部での自由シリア軍はじめ反政府勢力との戦い
地中海沿岸そして北部のアレッポに至る中・西
まず、シリアでは、アサド政権が、首都から
政府軍基地を奪い、支配地域を拡大できたのか。
いえ、なぜISが短時日のうちに勝利を重ね、
奪った兵器と車両を使用するようになったとは
して小型トラックぐらい。最近では政府軍から
いぜい携帯式ロケット弾、迫撃砲と小火器、そ
有している近代的軍隊なのに、ISの武装はせ
軍は戦車、装甲車、兵員輸送車、戦闘機まで保
の授業が大部分禁止された。
者だとして攻撃する。
ISにとってクルド人は、 すべての学校ではアラビア語とイスラム教以外
キルクークを中心とする北部の油田地帯の争奪
万人、イラク軍は
万人。両
一方、イスラエルと4回の戦争を戦ったシリ
ア軍の総兵力は
まったことは確かだ。イラクでは、長く続いた
シーア派偏重のマリキ政権に対するスンニ派部
族の反感が強く、ISに協力したことと、政府
を、イラクでは誰もが口にしている。それにし
軍内部の腐敗がひどく、規律が放漫だったこと
イラク人口の約 %を占めるアラブ人シーア
派は大部分が南部に住むが、北部、中部の都市
が、シーア派のモスクは次々と爆破され、捕虜
に収めた。シリアでも 年の介入以来、国土の
次々と占領、イラクの3分の1の地域を支配下
ないか。
ても、米軍は8年間も駐留して,新生イラク軍
になったシーア派の政府軍兵士や警官がISに
最高指導者バグダディの卓越した宗教的、政
治的指導力を挙げないわけにはいかない。その
他 宗 派、 他 民 族 ほ ど に は 迫 害 さ れ て は い な い
の訓練・育成に大きな力を注いできたはずでは
「イスラム国」が強い理由
27
50
にもかなり住みついている。その住民たちは、 ISは6月以来、2カ月ほどで首都バグダッ
ド周辺やクルド人自治区以外の都市や村落を
戦の相手でもある。
18
30
定が有力だった。
の中には若い女性たちもおり、その写真がネッ
ラム戒律が強制され、違反者は斬首、石投げ死
90
トで世界中に拡がった。ISはクルド人を非ア
をへた独立運動の結果、イラク戦争後の
した時点では2万人程度に増えているという推
03
の目標にされ、 年の米軍撤退までに 万人以
80
年に
75
刑や手首の切断、むち打ちなどの刑が執行され、 ISに町や村落、軍事基地、油田を奪われてし
11
20
ラブ人で異教徒、あるいはスンニ派でも裏切り
05
15
集団虐殺されている。
も油田地帯であり、採取した石油をトルコへ密
3分の1ほどを支配するに至っている。どちら
ことは、
ISの最大の弱点でもある。バグダディ
12
イラクには東方キリスト教が6世紀には根付
2014.12.15
60
≪ 97 ≫
4万7千バレル)の密輸出収入が1日当たり
団指導体制もなく、分裂、解体に向かうだろう。 イ ラ ク と シ リ ア の 油 田 か ら の 原 油( 推 定 日 量
が あ る と い う。 主 な 収 入 源 は ① 支 配 し て い る
統合参謀本部議長は、地上軍派遣を視野に入れ
た訓練要員に加えた。米軍トップのデンプシー
将 兵 を イ ラ ク に 派 遣 し、
「撤退完了」後も残し
作戦顧問として8月以降、新たに3千人以上の
大を主張し始めた。フセイン政権の大量破壊兵
ていると発言。共和党も地上軍の派遣を含む拡
空爆は続けるが、地上兵力派遣はあくまで限定
的だと再三言明しているが、介入拡大をどこま
で抑制できるか、危うい。
爆を開始、9月 日からシリア領内へ拡大した。 S)」との戦いの主導権を握り、両国はじめア
て、8月8日からイラク領内のIS部隊への空
ラブ諸国とトルコ、イランを主力に、ISの壊
装集団の経験者、チュニジアを筆頭に、世界中
南アジア、中東、アフリカの反政府イスラム武
た。爆撃は両国のIS拠点と前線の車両部隊に
はじめアラブ5カ国もお付き合い程度に加わっ
軍も参加、サウジアラビア、アラブ首長国連邦
導でISと戦ううえで、小さいが重要な前進に
案、アサドは前向きな姿勢を示した。国連の主
め、アレッポに限定した停戦に合意するよう提
サド・シリア大統領と会談、ISとの戦いのた
広島ジャーナリスト 19 号
が死ぬか、捕まれば、ISを統率する個人も集
万 ~ 1 6 4 万 ㌦ ② 誘 拐 に よ る 身 代 金( 年 額
所に集中、軽トラック部隊に満載して急襲し、 3500万~4500万㌦)。さらに遺跡の盗
導したブッシュ政権の残党、ネオ・コンの悪霊
らの寄付もある。6月にモスルを占領した際に、 器の脅威をでっち上げ、
掘品密売もやっている。湾岸産油国の支援者か
がまたうごめきだしている。オバマ大統領は、
ISは、政府軍や民兵部隊が守備する軍事基
地や都市や村落を攻撃する際に、戦闘員を1カ
相手を狼狽させ、捕虜にして惨殺する。こうし
真っ先に中央銀行の支店を襲い、4億2千万㌦
ろうばい
て政府軍にISへの恐怖心を植え付ける戦術を
といわれる現金を奪ったのは大きかった。
年のイラク戦争を主
とった。作戦計画も戦場での指揮も、旧フセイ
だ。ISが隠そうともしない、バグダディの十
数人の幕僚リストを見ると、旧政府軍の幹部が
少なくとも半分を占め、それに、チェチェンや
人物らも加わり、いずれも実戦の経験豊富な連
滅、支配下の住民の解放、平和と安全な生活の
米国の戦争にしないためにも、国連安全保障
理事会が、
イラク・シリアでの「イスラム国(I
中だ。
オバマ大統領は国連事務総長への書簡で「空爆
日、国連特使がア
から志願してきた若者たちだ。ISは豊富な資
集中している。現地住民と混じり合っている都
なると期待したい。
月
金で、こうした戦闘員たちに手当(月額500
市や村落のIS部隊を攻撃することは難しい
ズベキスタンやチェチェンはじめ中央アジア、 日のように爆撃し、小規模ながら英・仏両国空
~800㌦程度)を支払い、住居を与え、訓練
米国は、空爆に続いてイラク軍の訓練要員、
信記者)
が、戦闘員を満載した車両への爆撃は有効で、 (さかい・ さだお 龍谷大名 誉教授、元共同通
もISの攻勢に耐え続けたのは、空爆のおかげ
している。武装は主にトルコ経由の密輸と政府
だ。コバネがISに占領されれば、抵抗した住
月
17
億円近くになる可能性
民たちの集団虐殺が行われたに違いない。
日
シリアのトルコ国境に近いコバネが2カ月以上
回復を実現すべきだ。
は自衛権の行使」と説明した。以来、米軍は連
米 オ バ マ 政 権 は、 イ ラ ク 政 府 の 要 請 を 受 け
03
10
22
軍から奪った兵器で豊富だ。
11
I S の 戦 闘 員 は、 イ ラ ク と シ リ ア の バ グ ダ
ディを信奉している少数のイスラム過激派、ウ
グルジアの反ロシア武装勢力の有力幹部だった
米国の戦争にしてはならない
ン政府軍の残党の将校たちが行っているよう
84
そ れ に 必 要 な 資 金 が 豊 富 な こ と も、 I S の
際立った特徴。国連の専門家委員会が
11
にまとめたISの資金源に関する報告書による
と、ISの年間収入は
50
日付
25
で「政府・与党の一部には『負け幅が少ないう
授は「長期の安定政権をめざすために今のうち ちに』と早期解散を求める意見がくすぶり始め
に選挙をしておく」という話と理解している、 ている」と報じた。読売はさらに翌 日付で「自
報じられた。海外出張中だった首相が帰国する
日までに、舞台はしつらえられた。
7~9月期の国内総生産(GDP)が発表さ
れたのが 日。2期連続のマイナスは事前に察
知していたのであろう。与党内の増税推進派の
解散論/その発想はあざとい」だった。
民内に年内解散論 内閣支持率堅調で」とした。 費税を上げなくていいですか」と言いたいらし
ソースを「首相に近い中堅議員」とし、発言内 いが、
「上げない選択肢」は 年成立の消費税
政権の都合による解散だから「争点」
しかし、
として何をあげてもおさまりが悪い。首相は
「消
トと称する人たちがさんざん解説してきた内容
増税法付則
日付中国)
。政治ジャーナリス
を踏まえれば、そういうことだろう。2012
り、こうした条項を設けた理由は、財政の根幹
月
17
容は前日の毎日とほぼ同じだった。安倍政権に
という(
17
批判的と見られている朝日が支持率アップを伝
29
条、いわゆる景気条項に書いてあ
12
少しさかのぼって、選挙に至る経緯を追って
みる。小渕優子・経済産業相と松島みどり法相
日が「解散風吹かす消費増税」、翌9日付読売
日後、再び「解散」が出て来た時にはシナ
リオの背景は「消費税」だった。 月8日付毎
10 10
26 20
10
11
27
の日経は、前回より5㌽ダウンの
日付では「消費増税1
13
11
12
真崎 哲
53
49
48
メディアスクランブル
打つこと自体がおかしい。
冒頭の森氏に戻る。彼は「書きながらうんざ
りする」と漏らしている。安倍政権で、言葉の
言い換えや軽量化がはなはだしいからだ。金田
一秀穂・杏林大教授も同じ指摘をする。
―― 安 倍 さ ん も 勇 ま し い 言 葉 は 多 い。( 略 )
深く考えてないから言い切れるんです。考えて
いる人は、なかなか言い切れないですよ。
単なる「おまじない」をアベノミクスと言い
(9月4日付朝日「風向きは変わったか」
)
散検討」と報じたことで、
その割に失言が目立たないのは、やっぱり言
情 勢 が 決 定 的 に な っ た。 葉が軽いからです。
世論調査をしている。 月 日付読売は「内閣 が「増税先送りなら解散」。特に読売は情報の
支持率下落 %」と、前回調査より9㌽ダウン 出所を「複数の政府・与党幹部」とし、解散政
を伝えた。ところが翌 日付朝日では「内閣支 局が政権内で広く検討されていることをにおわ
持率微増 %」と、3㌽アップだった。同じ日 せた。読売は 日付1面で「来週 解散案浮上」
%だった。 とダメを押し、 日付各紙が首相を主語に「解
がダブル辞任したのが
月 日。直後に各紙は
いうち解散」と呼ばれたが、今回は「今のうち えたことが大きかったのではないか。ここまで の問題を政党間の取引材料にしないということ
解散」
である。あくまでも政権のための選挙だ。 は「政治とカネ」を契機とするシナリオだった。 だったから、そもそもこれを材料にして解散を
18
28
12
総選挙」という。映画監督の森達也氏は「大義
月
10
解散風を吹かせる。その過程で、
まず読売が 月 日付で「内閣支持 急落は 動向をにらみ、
回避 ダブル辞 任『打撃は最小限』と 書いた。 メディアを巧妙に利用する。官邸の戦略がよく
同じ日、毎日が「じわり解散ムード」の見出し 分かる。 月 日付毎日社説の見出しは「早期
師 走 の 忙 し い 時 期 に、 突 然 の 総 選 挙 で あ る これらの数字をどう読むか。
(注・ 月3日記)
。メディアは「大義なき解散・
はないが、事情はある」と書いた(
11
年、民主党が政権から転げ落ちた総選挙は「近
11
11
12
中国)
。事情とは何か。萱野稔人・津田塾大教
28
年半先送り」もセットで
2014.12.15
「今のうち解散」でどこへ行く
≪ 98 ≫
≪ 99 ≫
読売
中国
そ ん な
中、 コ ラ ム
がいったん
朝日に掲載
拒否された
日号
25
池上彰氏が
9月
週刊文春の
連載コラム
で「 罪 な き
者、 石 を 投
げ よ 」 と、
自社の行為
を棚に上げ
る同業他社
を戒めた。
一 方、 自
民党は在京
29
毎日
が止まらない。この問題で朝日は「信頼回復と
28
政治と増税/解散に大義はあるか
衆院選 首相の増税先送り/「いきなり解散」の短絡
衆院選 政治とカネ/解散でリセットか
衆院選 安倍政治への審判/有権者から立てる問い
衆院選 与党公明党/連立の意味を語れ
衆院選 アベノミクス/抱えたリスクこそ課題
自民/実績ばかり並べても
11.26 衆院選 選挙公約
民主/「対立軸」は見えるが
11.30 衆院選 憲法と首相/立憲主義には逆らえない
12.1 衆院選 安倍政権の安保政策/「異次元」の転換を問う
12.2 衆院選きょう公示/白紙委任にしないために
11.12 早期解散論/その発想はあざとい
11.19 首相 解散を表明/争点は「安倍政治」だ
首相の説明/財政再建の覚悟見えず
11.20 衆院解散・総選挙へ
野党の役割/熱い闘いができるのか
定数大幅削減/約束破りの罪は大きい
11.21 衆院解散・総選挙へ
政治とカネ/これで帳消しにできぬ
11.22 安倍政治を問う/アベノミクス/期待頼みでは続かない
11.23 安倍政治を問う/原発再稼働/脱依存の道が見えない
11.24 安倍政治を問う/集団的自衛権/真正面から論戦深めよ
11.26 自民党公約/ 300 項目列挙で何を問う
11.28 安倍政治を問う/社会保障と負担/将来世代の衰弱を防げ
11.29 安倍政治を問う/歴史認識と外交/戦後 70 年を見据えて
12.1 衆院選公約/風化するマニフェスト
12.2 衆院選きょう公示/国民が主導権を握ろう
11.12 衆院解散検討/課題を掲げて信任を求めよ
11.19 衆院解散表明/安倍政治の信任が最大争点だ
11.21 きょう衆院解散/野党の協力はどこまで進むか
11.22 14 衆院選/衆院解散/首相への中間評価が下される
11.23 14 衆院選/安倍政権総括/経済最優先で「好循環」目指す
11.24 14 衆院選/主要な争点/経済再生の具体策を議論せよ
11.25 14 衆院選/民主党公約/与党への「対案」として十分か
11.26 14 衆院選/自民党政権公約/「この道」の具体策が問われる
11.28 14 衆院選/アベノミクス/持続的成長の処方箋を競え
11.29 14 衆院選/地方創生/人口減止める活性化策を示せ
11.30 14 衆院選/集団的自衛権/行使容認の意義を堂々と語れ
12.1 14 衆院選/消費税先送り/財政再建への目配りも必要だ
12.2 14 衆院選/きょう公示/誤りなき日本の未来定めたい
11.13 衆院の解散風/政治空白生んでよいか
11.19 衆院解散へ/増税延期 大義にならぬ
11.22 衆院解散/争点は有権者が決める
11.23 ’14 衆院選/軽減税率/弱者配慮へ十分議論を
11.24 ’14 衆院選/野党の役割/「1強」に対抗するには
11.25 ’14 衆院選/政治とカネ/うやむやにはできない
11.26 ’14 衆院選/自民党の公約/問題の先送りが目立つ
11.28 ’14 衆院選/野党公約/政権批判だけではなく
11.29 ’14 衆院選/震災と復興/「置き去り」は許されぬ
11.30 ’14 衆院選/身を切る改革/断行の道筋 論戦で示せ
12.2 衆院選きょう公示/日本のこれから論戦を
【注】2 行見出しは 1 行目だけ掲載。広島市内版をもとに作成
朝日
換え、憲法9条を「集団的自衛権の行使容認は
11
民放テレビ局とNHKに選挙報道の公平中立を
可能」と読み換える。消費税は信を問うが、集
日放映されたテレビ朝日系討論番組では評論家
30
再生のための委員会」を設置、4人の外部委員 求める要望書を出した( 月 日付毎日)
。免
を招いた。その一人江川紹子さんは「(朝日は) 許制であるテレビ局には圧力になりかねず、
10
団的自衛権は信を問わない(選挙公約に「集団
10
的自衛権」という言葉は出てこない)。普通の 『正義』の眼鏡をかけて物事を見ている」とし
人間から見れば詐欺に等しいが、本人にはそう
たうえで「すねに傷を持たないメディアはほと の出演が取りやめとなった( 日付朝日)
。記
日付中国)。 事によると、番組関係者は「圧力」を否定して
日付
29
んどないだろう」と書いた( 月
日抗議声明を出し、
28
した自覚はないのだろう。金田一教授がいうよ
いる。民放労連が
メディア総体の危機であり、営業戦略を絡めて
うに、彼は「言葉の力を信じていない」だろう
「 ア ン グ ル 」「 メ デ ィ ア 論 余 滴 」
は休みました。
朝日社説が「政権党が言うことか」と批判した。
お断り
から。
こうした首相を戴く日本はどこへ行くか。 いる場合ではないだろうという。月刊「創」編
集長の篠田博之氏は朝日たたきの誌面で「売国
◆朝日バッシングが止まらない
奴」という言葉がためらいなく使われることに
「 慰 安 婦 」 報 道 と 福 島 第 1 原 発「 吉 田 調 書 」
報道での記事撤回に端を発した朝日新聞たたき 危機感を表明する(9月 日付中国)。
19
衆院解散をめぐる各紙社説見出し
11.12
11.19
11.21
11.22
11.23
11.24
広島ジャーナリスト 19 号
かれている。そこには、永田氏自身の「何をす
べきだったか」という自省をこめた率直な思い
がにじんでおり、記録や証言にとどまらないノ
ンフィクションとしても読める。改変指示は放
物を経営トップとし、ニュース・報道・ドキュ
道分野に関しては何の見識も持ち合わせない人
度重なる政治介入の末に籾井勝人氏という、報
NHKと朝日新聞は日本の代表的報道機関だ
が、今この二つが大きく揺れている。NHKは
徴 的 な 事 件 が あ っ た。 2 0 0 1 年 1 月、 あ る
N H K に 対 す る 政 治 介 入 と し て、 極 め て 象
そうした観点から何冊かの著書を取り上げる。
こ う し た 言 論 を め ぐ る 状 況 は、 マ ス コ ミ 2
克 服 す べ き 体 質 の 問 題 ③ 安 倍 政 権 の「 戦 後 レ
保てないカッコつき民主主義という、NHKの
は報道機関として致命的である②政権と距離を
アと権力」の問題として考えられるべきだろう。 総括する。①現場へのリスペクトがない。これ
社の問題に限定されることなく、広く「メディ
ジームからの脱却」がもたらす反知性主義によ
映当日の夕刻まであったというから、異常とし
メンタリーのあからさまな変質が進む。朝日新
ドキュメンタリー番組に複数の自民党議員が
る集中砲火が浴びせられている。
聞は「慰安婦」報道での吉田清治証言取り消し
極めて真摯な1冊、との評価に異論はない。
こでNHK職員自身の責任も免れない―。
著 者 は「 あ と が き 」 で 以 下 の よ う に 事 件 を
か思えない。
に続いて吉田昌郎・福島第1原発所長の事故聴
る公共財としてのNHKの毀損。もちろん、こ
い た 女 性 国 際 戦 犯 法 廷 を 取 り 上 げ た「 E T V
な っ た 番 組 は、 旧 日 本 軍「 慰 安 婦 」 問 題 を 裁
取記録、いわゆる「吉田調書」が誤報であった 「圧力」をかけたとされる問題である。標的と
と 朝 日 自 身 が 認 め、 木 村 伊 量 社 長 辞 任 に ま で
至ったため、右派メディアからは低劣ともいえ
いた永田浩三氏が事件の
支配 ジャーナリズムは誰のものか」②。著者
は元中日・東京新聞論説委員で、長年マスメディ
点を追究したのが、飯室勝彦著「NHKと政治
N H K 問 題 を 通 し て、 ジ ャ ー ナ リ ズ ム の 原
しかし、著者自身「真相にまで至れず力不足」
経緯を細かく綴ったのが
アやジャーナリズムの問題に取り組んできた。
2 0 0 1」 の 4 回 シ リ ー
「 N H K と 政 治 権 力 番
組改編事件当事者の証
NHK番組改変問題を取り上げたうえで「編集
と自省するように、あくまで永田氏一人の視点
言 」 ①。 自 民 有 力 議 員
権とは何か」に言及する。NHK問題では、「編
ズ の 中 の 1 回。 担 当 プ ロ
と接触したNHK幹部
集権の自立」が市民団体からの批判を避けるた
で書かれたものである。そこは一定の限界とと
ら の「 忖 度 」 を 含 め た
めの道具として使われる一方、政治家に対する
デ ュ ー サ ー と し て、 こ の
過 剰 な 反 応 ぶ り が、 当
臆面もない擦り寄りぶりが見られる。「編集権
らえるべきであろう。
事者の息遣いまで伝わ
番組改変問題の渦中に
るような生々しさで描
2014.12.15
「政治とメディア」を考える
≪ 100 ≫
≪ 101 ≫
の登場からネット時代まで」④。テレビ放送免
①岩波現代文庫、1240円
②現代書館、1700円
③集英社新書、760円
④中公新書、920円
⑤ちくま学芸文庫、1500円
(いずれも税別)
みが潜んでおり、そうした戦略が有効に働いて
は、もちろん官邸によるメディア操作のたくら
えられよう。こうしたブロック化が進む背景に
前者は革新的、後者は保守的メディアと言い換
沖縄返還交渉での密約の存在を裏付ける外務省
のが「テレビはどこかね」「偏向的な新聞はき
として意識し始める。その思いが頂点に達した
を揺れ動く党メディアが、ナチのシンボル操作
栄作首相退陣会見ではないか。その前年には、 公共空間を背景に、理論的啓蒙と大衆宣伝の間
らいなんだ」と発言した1973年6月の佐藤
による大衆扇動技術の前に屈していく経緯が精
の「ニューメディア」の出現で変容する市民的
側面から追っている。ラジオ、映画という当時
の前に崩壊するまでの
年間を「メディア」の
いるというのが著者の見立てである。
公文書が毎日新聞によって暴露されている。
も ち ろ ん、 各 紙 が 均 一 な 論 調 で な い こ と は
べきことだが、あまりにも二極化が進めば議論
代を迎え、ニュース番組のショー化が始まる。
センター9」や「ニュースステーション」の時
そ の 後、 ロ ッ キ ー ド 事 件 を 経 て「 ニ ュ ー ス
慄然とする。 (真崎哲)
に、ある種の既視感が漂うことに気づかされ、
白さ」の根源を探っていくと、1世紀前の物語
緻に語られ、非常に興味深い。そしてその「面
今に始まったことではなく、それ自体は歓迎す
は「二者択一」に極論化され、お互い「言い放
来しかたを振り返り、行く末を考える1冊。
新 聞、 テ レ ビ、 イ ン タ ー ネ ッ ト と 続 く 戦 後
などのテーマで、各紙の論調を追っている。
護法」
「集団的自衛権」
「原発」
「靖国」
「NHK」
こ う し た 問 題 意 識 に 立 ち、
「改憲」
「秘密保
決着になる恐れがあると著者は危惧する。
し」になり、最終的には熟議より数の論理での
70
属企業の枠を越えた共通の表現の場として
「広島ジャーナリスト」を発刊したが、活動
の停滞によって1980年代に刊行が途絶え
ていた。 年近い休止期間を経て、自由な言
論の場の再生をという声が高まり、2010
年7月に季刊誌として復刊した。真実に迫り、
信頼されるメディアを目指す。
30
広島ジャーナリスト 19 号
の自立」とは本来、報道の自由を担保するため
とすれば、「政治改革」で言質をとり宮沢喜一
のものであり、
それは何より国民の「知る権利」 許 が 交 付 さ れ た 1 9 5 2 年 が ス タ ー ト だ っ た
に根差したものだと、著者は詳述する。そのう
政権に引導を渡した田原総一郎インタビュー
の時代とは、 年体制と軌を一にするものだっ
(1993年)まで、振り返ってみればテレビ
えで「編集権のダブルスタンダード」はメディ
アの自殺行為にほかならないと結論付ける。
テ レ ビ か ら 新 聞 の 側 に 目 を 転 じ る と、 徳 山
◇
「政治とメディア」を考える上で重要な1冊
者数の推移という面白いデータが載っている。 が 年余ぶりに再刊された。佐藤卓己著「大衆
宣伝の神話 マルクスからヒトラーへのメディ
ア史」⑤である。1863年結党のドイツ社会
20
産経、日経をもう一つのブロックととらえる。 ころから、政治はテレビを「利用すべきツール」 民主党(SPD)が1933年にナチスドイツ
毎日、東京を一つのブロックととらえ、読売、 のは、安保闘争直後の1961年である。この
る。
「 二 極 化 」 と タ イ ト ル に あ る よ う に 朝 日、 これをみるとテレビが新聞、ラジオを凌駕する
幹事。朝日に限らず新聞各紙を俎上に上げてい
喜 雄 著「 安 倍 官 邸 と 新 聞 『 二 極 化 す る 報 道 』 たとあらためて思わされる。
の危機」③がある。著者は朝日新聞記事審査室
N H K テ レ ビ・ ラ ジ オ 契 約 者 数 と 新 聞 購 読
55
JCJと「広島ジャーナリスト」
日本ジャーナリスト会議(JCJ)は敗戦
から 年後に、新聞、放送、出版などジャー
ナリズムの現場から「ふたたび戦争のために
ペン、カメラ、マイクをとらない」を合言葉
に発足した。広島支部は広島を拠点に活動す
る報道各社の記者らが1967年に結成。所
のメディアと政治権力との距離を通史的に追っ
たのが逢坂巌著「日本政治とメディア テレビ
10
≪ 102 ≫
THE BOOK
(敬称略)
「検証・法治国家崩壊 砂川裁判と日米密約交渉」
「残してきた風景―私たちが湖北省で犯したこと」
(吉田敏浩+新原昭治、末浪靖司著)
(原著者:「第三十九師団罪行概史」集大成小組)
安倍晋三政権の憲法無視の暴走の源は、祖父の
アジア太平洋戦争中に日本軍が中国で何をした
岸信介首相時代にあった。岸が日米安保条約を強
かを、加害当事者が告白した記録である。1939
行改定した 1960 年の前年、米軍立川基地(当時
年 10 月、広島、山口、島根の3県出身者で編成
東京都砂川町)に学生らが数㍍入ったことに東京
された第 39 師団の将兵 12 人が共同執筆。11 月
地裁は「米軍の駐留と基地を憲法違反」と判断し
に中国の湖北省に侵攻してから、45 年8月中国
て無罪判決を出した。
衝撃を受けた米は、
マッカー
で敗戦を迎えるまでをつづった。
サー2世駐日大使が藤山愛一郎外相と密かに会い
中国にわたった直後の作戦では、中国共産党
「地裁判決を正すことの重要性を強調した」
。この
影響下の農村を攻撃し、年寄り、子供はその場で
くだりは約 50 年後の 2008 年、新原昭治が米国立
殺し、女は強姦して殺害。家屋は一軒残らず焼き
公文書館で大使の「極
払い、若い男は略奪物
秘」公電から発見した。
資を運ばせた後、初年
岸内閣は高裁を飛ば
兵の刺突訓練や実弾射
して最高裁に跳躍上告
撃演習の的、あるいは
した。時を置かず、大
将校の軍刀の試し斬り
使は最高裁の田中耕太
にして惨殺した。別の
郎長官とも密談。長官
作戦では、隠れていた
は審理の扱いなど内部
少女を7人の兵隊が輪
事情を漏らした。2回
姦した後、酒がめに投
目の密談では審理の方
げ込んで殺した。撤退
向性と大法廷での裁判
する時に、各中隊から
官の実質的な全員一致への思いまで述べた。裁判
出た放火班が町の民家、農家をしらみつぶしに火
所法第 75 条(評議の秘密)違反である。
をつけて焼いた、など軍の蛮行が記されている。
米の意向に沿うように最高裁は地裁に差し戻
敗戦時にソ連に連行・抑留された日本軍将兵
した。憲法 9 条が禁止した戦力は自国が主体と
のうち 969 人が戦犯として新中国へ移管され、中
なって指揮権・管理権を行使し得る戦力を意味し、
国は自分の罪と軍国主義の誤りを自覚させる方針
駐留する外国の軍隊は9条にいう戦力には該当し
で戦犯に対処した。12 人はこの時、戦犯管理所
ないという詭弁が弄された。
少数意見はなかった。
で自分たちの罪行をつづった。戦犯に死刑・無期
「米軍の駐留に合憲のお墨付きをあたえる内容」
は一人もなく、ほとんどが 56 年に起訴免除とな
だった。これにより「安保法体系」が「憲法体系」
り釈放され、有罪者も全員が 64 年までに釈放さ
よりも優越する司法の流れがつくられた。日米地
れた。帰国した彼らは中国帰還者連絡会を結成、
位協定は超法規的存在となった。
戦争犯罪の事実を日本各地で語り伝えてきた。
本書には外務省がその存在をいまだ認めない
首相がこの国を戦争できる国へ導こうとして
密談などの米側公電が数多く収録されており、そ
いる今、鬼畜から人間に立ち戻った人たちの血の
れら英語原文を読むこともできる。
「天皇の官吏」
したたるような罪の告白を読んでみる必要がある
意識のまま、
敗戦後も改革が施されなかった司法、
だろう=酒井真知。(山陰中国帰還者連絡会・山
外務省の醜態が浮かび上がる。
田中長官は退任後、
陰中帰連を受け継ぐあさがおの会共同編集委員会
米国の力を得て国際司法裁判所判事に当選した=
編集・発行、税込み 1000 円、入手希望者はあさ
浜風子。 (創元社刊、
税別 1500 円)
がおの会☎ 080〈8240〉5764)
2014.12.15
≪ 103 ≫
THE BOOK
「海・川・湖の放射能汚染」(湯浅一郎著)
(敬称略、価格は税別)
「アジア主義 その先の近代へ」
(中島岳史著)
福島第1原発事故から生じた水の放射能汚染。
「アジア主義」をめぐる議論は、戦後民主主義
安倍晋三首相は五輪招致の場で、汚染水の影響は
の下で長く放置されてきた。記憶に残るのは「日
「(港)湾内の 0.3 平方㌔以内の範囲で完全にブ
本とアジア 竹内好評論集 第3巻」であるが、
ロックされている」と述べた。しかし溶融した燃
初版は 1966 年である。橋川文三「順逆の思想 料棒を水で冷却し続けている現状では、汚染を止
脱亜論以後」は 73 年の出版だった。
めることはできない。
そのため、2009 年に成立した鳩山由紀夫政権
著者はまず汚染問題の根源に迫る。
「1~3号
が「東アジア共同体構想」を持ち出したとき、そ
機を中心に、未だに 2000 度以上の熱を発してい
れはいかにも唐突であり、内実を測りかねるもの
る溶融燃料の塊が、その存在不明のまま、3つ
だった。しかし、今日の過度な対米従属外交を見
の原子炉や格納容器周辺に現存している」
。いま
れば、日本と米国、そしてアジアとの距離をどう
さらながら、その高熱
とるかは、国の針路を考
に驚いた。さらに主要
える上で必須の課題であ
な物質の半減期を考え
る。その点、この書は時
ると「少なくとも数十
宜を得たものといえる。
年以上にわたって崩壊
「アジア主義」はなぜ、
熱を出し続ける」
。推
置き去りにされてきた
定 100 ㌧以上の溶融燃
か。言うまでもなく、そ
料が、閉じた冷却循環
れは侵略思想そのもの
系統の再構築を許さな
だった、という認識に立
い。不確かさと決着を
つからだろう。著者はそ
つけられない気の遠くなるような事態が続く。
れゆえに「アジア主義」の持つ多彩な側面から説
事故以降の放射能汚染について著者は、数々の
き起こす。まず、
「侵略」とのかかわり。これを「王
公表資料を丹念に収集して地点ごとに綿密にト
道/覇道」の問題ととらえる。王道を歩むべきだっ
レースしている。陸地に降った放射能も、いずれ
た日本は結局、米欧と同じ覇道(覇権主義)の道
少なからぬ量が湖、河川を伝い海に移る。一部は
を歩んだ。二つ目は「抵抗としてのアジア主義」。
海底に落ち、一部はプランクトンとともに魚介類
宮崎滔天の侠気が、この代表である。しかし、近
に取り込まれ、食物連鎖によって濃縮される。一
代功利主義への批判から出発しながら最終的に国
部の放射能は潮流によって拡散する。範囲は北太
家の近代化を促すというアポリアを抱える。そし
平洋に及ぶと予想されており、生物への影響を含
て「思想としてのアジア主義」。岡倉天心、柳宗
めて注視する必要がある。沿岸についても海岸生
悦らが代表である。行動力が決定的に不足したた
態系への影響などについて「まだほとんど調査結
め、影響は限定的だったと著者はいう。
果が出ていない」が小さな巻貝イボニシが原発か
「アジア」といっても、把握はかなり困難である。
ら 30 ㌔の範囲で見つからないとの研究もある。
共通の認識論や価値論があるわけではなく、宗教
本書について著者は
「放射性セシウムを中心に、
も多様である。柳はこれを、山登りに例える。頂
水圏の泥や動植物における放射性物質の蓄積量の
上=真理は一つであるが、そこにいたる道程は、
分布と時間変化にすぎない」と説明。本質はその
いくつもある。単一論でなく「多一論」である。
先にあり①生物の繁殖力②遺伝的変化③食物連鎖
今日の思想的隘路ともいえる問題を、極めて広
構造への長期的な影響-などを今後の課題に挙げ
い視野と平易な文章で著した一冊だ=真崎哲。
ている=宮島守。
(潮出版社、1900 円)
あいろ
(緑風出版、2800 円)
広島ジャーナリスト 19 号
さわしくない」―。平和公園近くの元安川
「 か き 船 が、 被 爆 都 市 広 島 の シ ン ボ ル で
世界遺産の原爆ドーム近くに居座るのはふ
し て き た。 し か し 治 水 対 策 は 具 体 化 せ ず、
て国は治水対策を条件に河川の利用を許可
の一つ」として残すよう要望。これを受け
広 島 市 は、 か き 船 を「 貴 重 な 観 光 資 源
に係留し飲食を提供するかき船「かなわ」
国は2014年度で占用許可の打ち切りを
定 し て い る 元 安 橋 東 詰 め 南 エ リ ア( 原 爆
できる河川区域に指定することを承認し
ドームから約200㍍下流)を営利活動が
風訊帖
月1日に
た。 国 は 翌 日 に 指 定。
「かなわ」は河川な
どの占用許可を求める申請書を
提出。年内にも許可される見込みだ。
現 在、 広 島 の 川 に は 二 つ の か き 船 が あ
る。
「 か な わ 」 と、 そ の 対 岸 の「 か き 舟 ひ
年から現在地で営業してい
ろしま」
。 か な わ は 1 9 6 3 年 か ら、 か き
船ひろしまは
年の台風では、かき船が平和大橋に
撤去を求め、あわせて、まちづくりを進め
川管理者である国交省は危険が多いとして
トなどがかき船の近くに多数滞留した。河
ぶつかって欄干を損傷し、プレジャーボー
る。
67
通告。その結果、川の流れの影響が少ない
が治水上の危険を理由に原爆ドームに近い
上流に新たな船を造って移転営業すること
月下
日には官民でつくる「水の都ひ
10
をめぐり、市民から反対の声が出ている。
月
移転計画が明らかになったのは
旬。
27
ろしま推進協議会」が開かれ、移転先に予
11
91
る広島市の考えを問い合わせていた。
情報を広く明らかにし、市民レベルで十分
に傾いた 決定になっているの ではないか。
と は 考 え に く い。「 観 光 」 と「 ビ ジ ネ ス 」
都市づくりの基本的な観点を踏まえたもの
こ れ ま で の 経 緯 か ら み て 市 の 判 断 は、
その内容を広く市民に公開すべきだ。
転問題が どのように討議され てきたのか。
る勧告」にも反する③これまで、かなわ移
いてイコモスが出した「原爆ドームに関す
備方針」に反し、世界遺産周辺の景観につ
移転は、広島市の「平和記念施設保存・整
ながら、市民に秘密裏に進められている②
しての基本的な性格にかかわる問題であり
移転営業する計画は、被爆地広島の都市と
分はこうだ。①かき船が原爆ドーム近くに
かき船移転に反対する市民たちの言い
リミットは来年3月末だ。
の死水域への移転を検討している。タイム
もう一つのかき舟ひろしまは、広島の六
つの川のうち、元安川の西を流れる「本川」
「死水域」への移転話が浮上した。
「かき船移転」もっと公開の議論を
な議論が行われることを求めたい。(暁治)
編集後記
広島ジャーナリスト第 18 号
特集「
『集団的自衛権』と広島」
迷走する日本の民主主義 柳澤協二
平和憲法との背反性 浅井基文
黙したヒロシマ 役割の再認識を 加戸靖史
長崎、正面からの批判避ける 樋口岳大
原爆文学を「記憶遺産」に 土屋時子
自滅に向かう原発大国日本㊤ 田中利幸
なかったことにできるのか 若松丈太郎
大飯原発判決・裁判所判断全文
自衛官を「護憲」の力に 新倉裕史
「開かれた政府」を求める 山田健太
申し込みはファクス 082-231-3005 かメー
ル hiro9@opal.plala.or.jp ▽紀伊国屋書
店広島店、フタバ図書などでも好評発売中
「昭和」を語るのに欠かせない人たちが、次々
と亡くなった。映画俳優の高倉健さん、菅原
文太さん。二つの祖国のはざまを生きた山口
淑子さんは俳優から参院議員に転身した。山
口さんの死に際して、評論家・松本健一さん
は「満州国、五族協和の夢と悲惨を体験した
人 」 と、 談 話 を あ る 新 聞 に 寄 せ た。 そ の 松
本さんも鬼籍に入った。北一輝の思想的出自
を発掘した人だ▼「山が動いた」の元社会党
委員長・土井たか子さん、
「天皇に戦争責任」
を言い、銃撃された元長崎市長・本島等さん。
地球環境問題で発言を続けた理論経済学者・
宇沢弘文さんも▼訃報に接して、何か根底で
通じるものを感じる。それは何だろう、とし
ばらく考 えた。皆さん個性豊か な人たちだ。
いや、それでは言いつくせない。戦後をひと
癖もふた癖もある軌跡で生き抜いてきた人た
ち。そんなところだろうか。学ぶべき遺言は
(真崎)
多いように思う。
2014.12.15
12
≪ 104 ≫
広島ジャーナリスト第 19 号
▽ 2014 年 12 月 15 日発行
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