聖書の言葉に立つキリスト教会 発行・2014 年 1 月 26 日 稲の城 第 59 号 稲城聖書教会会報 〒206-0804 東京都稲城市百村 66-8 ℡.042(377)5546 E-mail. yunjinsu@gmail.com http:/ www.geocities.jp/inagibch/ 【今月の黙想】 『神の愛に支えられて』 ただ、神の恵みにより、 キリスト・イエスによる 贖いのゆえに、価なしに義と 認められるのです。(ローマ書3:24) お母さんが台所で夕食を支度する時、子ど もが母親に近づき、紙を渡しました。お母さ んはエプロンで手を拭いた後、それを読みま した。そこには次のようなことが書いてあり ました。 「芝刈り 5 ドル!一週間分の自分の部屋掃 除 1 ドル!お店へいく手伝い 50 セント!弟の 世話 25 セント!ゴミ捨て 1 ドル!良い通信表 をもらったこと 5 ドル!お庭の掃除 2 ドル! トータル 14.75 ドル!」 お母さんはそこにいる子どもを見つめなが らペンをとり、こう書きました。 「あなたをお腹で 9 カ月も育てた料金はタ ダ!あなたが痛かった時に夜中ずっと起きて 看病し、祈ったこともタダ!長年の間ずっと あなたのために流したすべての涙もタダ!あ なたのことで心配し悩んだこともタダ!それ に玩具、食べ物、服、あなたの鼻水を拭いた ことまでもタダ!あなたに対する私の愛のコ ストはすべてタダ!」 お母さんが書いた文章をすべて読み終えた 子どもは涙をこらえながら、「お母さん、ぼ くはお母さんが好き!」と叫び、ペンを取っ て大きく書きました。「PAID IN FULL」(完納) 母親の愛という文章からの引用ですが、神 の愛の素晴らしさを思い出させます。預言者 マラキは、「どのようにあなた(神)が私たち を愛されたのですか」と叫ぶイスラエル民の 声を紹介しています。それに対する主の答え です。 「エサウはヤコブの兄ではなかったか。主 の御告げ。―わたしはヤコブを愛した。…子 は父を敬い、しもべはその主人を敬う。もし、 わたしが父であるなら、どこに、わたしへの 尊敬があるのか。もし、わたしが主人である なら、どこに、わたしへの恐れがあるのか。」 子どもでさえ親の愛情が示されると頭を下げ ますが、預言者マラキの時代の人々は神の愛 が示されても神を愛さず、尊敬もせず、敬お うともしませんでした。それでも神はご自身 の愛を示します。 「神はそのひとり子を世に遣わし、その方 によって私たちに、いのちを得させてくださ いました。ここに、神の愛が私たちに示され たのです。」(第1ヨハネ4:9) 日々の生活は容易くありませんが、キリス ト・イエスを通して示された私たちに対する 神の愛を覚えながら、神を愛し、敬い、畏れ る者として歩みましょう。また、私たちの教 会も「神の愛に支えられて歩む教会」である ことを祈りましょう。 心というものはその人の鏡だよ、 だけどもう少しいうと、心というものは、 神の愛をうつし、光を受ける場所なのだ。 牧師・金 俊起 「使徒信条」の学び 「三日目に死人のうちよりよみがえり」 「三日目に死人のうちよりよみがえり」とい う、復活の告白は、キリスト教の教えの中心 となるものです。しかし死んだ人が甦るとい うことは、常識を超える特別な事件です。福 音書も半信半疑の弟子たちの姿を記していま す。弟子でさえ疑ったのですから、ローマや ユダヤの当局も、多分疑ったと思うのですが、 彼らは反証を挙げることが出来ませんでした。 それどころか、弟子たちの宣教活動は、復活 を契機として燃え上がりました。 1.復活を確信して:教会は西暦 56 年頃には すでに、復活の記念日である日曜日に、礼拝 を守るようになっていました。キリストの復 活を確信して、教会は大きく変わったのです。 (1)主イエスの死で落胆し臆病になっていた 弟子たちは、僅か数週間のうちに、復活の証 人へと、それこそ劇的に変貌しました。 (2)弟子たちへの迫害者だったサウロ(パウロ) は、復活のキリストに遭遇して、回心し、教 会の指導者になりました。 (3)ユダヤ人キリスト者は、早くから主の日 (日曜)を守りました。彼らは、安息日(土曜) がユダヤ人にとって聖なる日で、主イエスも 守られたにもかかわらず、そうしたのです。 (4)復活が伝道の中心となり、今日まで続いて います。 2.復活の主の恵みを受けて: (1)罪とその赦しは、私たちにとって、とても 大事な問題です。キリストは、その私たちの 罪のために十字架で死なれ、私たちが義とさ れる(神に愛されるようになる)ために復活 されました(ローマ4:25)。ここに救いの御 業が完成したのです。 (2)私たちは、罪の支配から解放されて、復活 のキリストと聖霊の御導きにより、新しい歩 みが出来るようになりました(ローマ6:4-9)。 (3)キリストの復活のゆえに、私たちは、人生 が永遠の生命の流れの中の歩みであって、死 によっては終わらないことを信じられるよう になりました。キリストの復活は、私たち自 身の復活の保証なのです(ローマ8:11)。 (4)私たちは、信仰生活が孤独な一人旅ではな いことを信じます。生きている限り、私たち は、様々の問題に直面しますが、復活された キリストが相談者としてそこにおられ、助け、 慰め、守って下さるからです(マタイ28:20)。 十字架で死んだだけなら、死に勝ったとは言 えません。復活されたからこそ、その証人と して教会が生まれ、私たちの救いがあります。 復活は信仰の確かさのもとなのです。 聖書の植物の紹介 『アーモンド』 ~「聖書の植物に思う」 奥山順子著より~ モーセはそれらの杖を、 あかしの天幕の中の主の前に置いた。その翌 日、モーセはあかしの天幕に入って行った。 すると見よ、レビの家のための杖が芽をふき、 つぼみを出し、花をつけ、アーモンドの実を 結んでいた。 民数記 17:7~8 アーモンドはバラ科サクラ属の落葉樹、約 5mにもなる高木。アジア西南部を原産地と するが、現在は南ヨーロッパ、アメリカ、オ ーストラリア等、日本の小豆島でも栽培され ている。和名は「扁桃」又は「あめんどう」。 イスラエルでは1月早々に桜の花に良く似 た5弁の淡いピンクの花をつける。夏には実 が熟し、食用とするものは種子の固い殻の中 にある「仁」というもので美味で栄養豊富。 この為、アーモンドは古来イスラエルに於い ては豊かさや神の祝福を約束するものとして、 宗教的にも重要な意味をもっていた。アロン の杖もアーモンドの木で作られていたし、モ ーセが作った聖所にはアーモンドの花の形を した飾りが付けられた支柱や燭台が置かれて いた(出エジプト記 25:33~34 他)。 アーモンドを桜だと思いこみ、 (著者が遠く ロンドンの地に住み挫折感、自分の弱さを知 らされ)切ない思いで眺めていたその時に、 この(冒頭の)御言葉と同じように主が目を 注いでくださり、主が私を選んでくださった のだと、今にして思う。そう思うと、感謝と 共に熱いものがこみ上げてくる。 インド短信⑫ 「変わりゆくインド」 山崎のりこ 稲城も寒さが最も厳しい季節ですね。ここデ リーでも最低気温が 2 度前後と、都心と変わ らないくらいの冷え込みが続いています(2 月 は底を脱して徐々に気温が上がっていきます が)。路上生活をしている人々はもちろん、た とえば病院などで掃除の仕事を任されて暮ら している人々も、暖房などない建物の床に薄 い敷物を敷くだけで休まざるを得ないため、 この時期になると凍死する人が出るくらいで す(暖房設備がついている家屋は豪華フラッ トくらいで、恩恵を受けているのは豊かな暮 らしをしている日本人駐在員の中でもひとに ぎりです)。 そんなふうにデリーの暮らしは一般のイン ド人にとって厳しいものですが、さらに時代 が変わり、人々が携帯を手放さなくなり、気 になるのは近くの他人よりも遠くのモバイル 繋がりになって(分不相応の高価な携帯を持 っている人が多いです)、私が一番好きだった インドの人々のおせっかいとも思える温かさ や思いやりが急速に消えていっています。 先日、メトロでのこと、乳飲み子を抱えた 女性が乗ってきました。以前であれば、乗っ てきた途端に複数の男性たちがサッと立って 席を譲ったものでしたが、誰も彼もが見て見 ぬふり。狸寝入りを決め込む風景は東京のそ れと同じでした。インドの女性は強いので、 座っている相手が寝ていてもつついて起こす のですが、田舎から出てきた様子の女性には そうした勇気はなかったようです。そのまま 最後まで立っていました。お年寄りに対して もやはり同じで、 「どうした、インド!」とい う気持ちになることが増えています。 一方、デリーの中でも昔からの暮らしを保 っている場所に行くと、今も人の温かさが残 っています。市内にはいくつかの決まった場 所があり、そこにある食堂では正規の値段と は別に貧しい人に施しをする専用のクーポン があって(大抵 25 ルピー≒42 円)、自分の懐 と相談しつつクーポンを買うと、その枚数に 従ってしゃがんで待っている貧しい人に食事 を振る舞えるようになっています。お金であ げようとすると争いが起こったり、無駄遣い をしたり、マフィアに巻き上げられたりしま すが、クーポンであれば確実に一食食べられ るので、とてもいい方法です。が、女性にが ここに並んでいたことがないのが、非常に悲 しいのですけれども。 温かさと都会の冷 たさが同居している デリーで、今年も頑張 ります。 結婚記念日にスカイプで家族と礼拝 松永 千恵子 1 月 12 日聖日、礼拝後の愛餐会で「この教 会で(クリスチャンとして)生まれたので、 ふる里のように嬉しい」と語られた稲葉大幸 兄。あゆみ姉にとっては二人の子どもさんを 連れて一年半振りの里帰りでした。 更に、1月 19 日はご夫婦にとっては金牧師 の司式により結婚式を挙げられた思い出ある 記念日。江別は豪雪地域の為、冬は教会に行 くのが困難と伺いましたが、今回先に北海道 に戻られた大幸兄は、記念日が聖日だったの で、初めてスカイプで妻子と共に礼拝すると いう機会を得て喜んでおられました。 遠くインドにおられる山崎姉親子のために 始まったばかりのスカイプによる映像での礼 拝の配信です。今後も、主の恵みが届くため、 大いに用いられますように! 放蕩息子の兄 松永 旭 先日、祈祷会において、ルカによる福音書 15 章 11~32 節の放蕩息子の記事について、 金牧師から説教があった。父親と放蕩息子、 その兄の三者が登場人物であるが、弟の帰還 後の兄の心境や行動についてはあまり追求し てないことに気が付いて、話の続きがあるの ならどのような展開になるのでしょうと質問 した。 放蕩して身代を使い果たして帰還した弟息 子に対する父親の厚遇には兄息子はあきれて 怒るのはもっともなことである。父親が兄息 子をなだめたことにより、その場は収まるも のの、将来的には問題が出てくるかもしれな い。父親の甘さにあきれて、今度は兄息子が 家出してしまうかもしれない。とにかく、三 者が再び共同生活しても、うまくいかないの が世の常だろう。父親がいるうちは弟息子も 父親の家で甘えていられるかもしれない。弟 息子が改心して使用人と一緒にまじめに働け ばなお良いことだろう。良縁を見つけて他家 に婿入りするという道もある。しかし、父親 がいなくなれば財産分与でもめるかもしれな い。弟が相続放棄すればよいのであるが、ま るっきり無一文になるというわけにもいかな いので、少しばかり分与してもらえばまるく 収まるかもしれない。 このようにいろいろな展開が想像できるが、 イエス様のたとえ話はこの世のことではなく、 天の御国についての例 えであり、誰でも罪を悔 いて信じれば救われる ということを強調する 狙いがある。だから、兄 息子のその後の行動に ついては詮索しないの であろう。 伝道集会のご案内 日時 講師 2014 年 3 月 2 日 11:00 永井 敏夫牧師 (J.Clay Mission Network、日本福音 同盟宣教委員会協力スタッフ) 永井先生は、稲城市に近い町田市に住んで います。日本ウィクリフ聖書翻訳協会のメン バーとしてパプアニューギニアで宣教師とし て働き、帰国後は日本ウィクリフ聖書翻訳協 会の総主事として働きました。今は、帰国者 クリスチャンのための活動など幅広くキリス ト教会のために活動をなさっています。 伝道集会のためにチラシを作りますので、 ご協力をお願いします。(*^U^*) 12月会計報告 12月度の会計報告は以下の通りです。 献金(収入)総額は 580,038 円 主日献金 108,038 円 月定献金 219,000 円 感謝献金 16,000 円 特別献金 237,000 円 11 月の繰越金 297,213 円 463,877 円 支出総額は 牧師謝儀 240,000 円 会堂家賃 95,000 円 その他 128,877 円 1月への繰越金 413,374 円 皆様の尊い献金を感謝致します。 主の恵みと祝福に応答し、教会の働きと必要を覚 えてささげましょう。 2月の予定 2 月 2 日 聖餐式、使徒信条の学び、世話人会 2 月 16 日 信徒会 2 月 23 日 分かりやすい聖書講座 2月の奉仕者 2 月 2 日(司会) 9日 16 日 23 日 金師 (祈祷)松永姉 岩崎兄 片岡姉 松永兄 岩崎姉 岩崎兄 南真兄 編集後記 雨が降らないせいか、乾燥していて外で喉が 渇く等、今までになかった気がしております。家の 中では暖房でまたカラカラ。鼻も喉も肺まで空気 の通り道がちょっとヒリヒリ辛いとは…人間が生きら れる環境というものがある のだとしみじみ感じます。 今年も「忠実で思慮深い しもべ」を目指して、様々 な面での良い環境づくり に祈り励みたいものです (松永)
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