第38巻 - 東北福祉大学

38 2014
38
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二〇一四年 〔I〕
Aiming at Supporting Former Inmates’ Return to Society : The Meaning and Effect of Volunteer Probation and
Parole Officers’ Attitudes, Based on Survey Results from the White Paper on Crime 2012 ………… Yoshihide Sugawara… 1
The Structure of Social Support of the Aged in Vietnam …………………………………………………………… Mieko Goto… 17
Current Environmental Issues for Children from the Viewpoint of Guardian Support…………………………… Akiko Takano… 33
A Study on the Structure of Support Networks for Mothers of Children with Severe Motor and Intellectual Disabilities
through the Life Stories of Mothers ………………………………………………………………………… Nobuhiko Chiba… 47
School Social Work in Practice : Outreach and Learning Support for Maladjusted Students …………………… Yoshihide Ono… 59
Expertise in School Social Work : Analysis of Practical Case Studies …………………………………………… Tomoko Sodei… 79
An Analysis of Social Support Systems by Social Welfare Facilities for Those in Need : Before and After the Great
East Japan Earthquake ……………………………………………………………………………………Tomihiro Kakinuma… 93
〔II〕
The Influence of Self Effacing Presentation on the Perceiver’s Self Evaluation : Examining Associations between
Interpersonal Relationships, Authenticity of Self Presentation, and Internalization of Self Presentational Norms
…………………………………………………………………………………………………………………… Ayano Yoshida…105
〔III〕
English Rhythm Training through Effective Use of ICT ……………………………………………………… Kazuko Takahashi…117
Post Class Feedback and Discussion Sessions : Student Perceptions of Language Classroom Activities … Kenneth Schmidt…129
How do novice teachers experience their own lessons? (part 1) : Forming a hypothesis for teacher education
………………………………………………………………………………………………………………… Haruo Kamizyou…145
The New Direction of Musical Activities in Primary School in England : A Key to Developing Discourse and Exuberance
in the KS1 Classroom ………………………………………………………………………………………… Atsuko Suzuki…165
Students’ Attitude Toward Foreign Language Curriculum and Their English Study : A Suggestion from a Student Survey
……………………………………………………………………………………………………………………… Soichi Ota…175
〔IV〕
Clinical and Societal Issues Surrounding New, Non Invasive Prenatal Genetic Testing Methods ……………… Tadao Funato…185
Nursing Students’ Learning through Volunteer Activities after the Great Japan Earthquake
…………… Yayoi Tomizawa, Hiroshi Onogi, Naomi Sugawara, Toshiko Sugiyama, Chieko Sugawara, Masato Kawamura, Chiaki Suzuki, Makino Ichinose, Yoko Kudo, Yoko Nihei, Reiko Nakamura and Kumiko Kadoya…199
Human Neural Activation in Response to Infant Cry and Facial Cues : A Review of fMRI Studies ………… Katsuko Niwano…221
Effects of Infant Facial Expression on the Brain Activity of Young Adults : A NIRS Study …………………… Motoko Tanabe…233
〔V〕
Ichibutsu Ryōso and Shōsō Monju by Namba Magojiro at Tohoku Fukushi University ……………………… Kayoko Kadowaki… 一
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第三十八巻(通巻
号)
41
〔I〕
菅 原 好 秀 刑務所出所者等の社会復帰支援に向けて
─ 平成 24 年版犯罪白書の保護司の意識調査の意義・効果について ─……………… 1
後 藤 美恵子 ベトナム社会における高齢者のソーシャルサポートの構造………………………………… 17
高 野 亜紀子 保護者支援から見る子どもをとりまく環境の今日的課題…………………………………… 33
千 葉 伸 彦 重症心身障害児をもつ母親のサポートネットワークの構造
─ 母親らのライフストーリーからみえたサポートネットワーク ─ ………………… 47
小 野 芳 秀 スクールソーシャルワーク実践におけるアウトリーチに関する研究
─ 学校不適応生徒に対する学習支援の実践事例を通して ─ ………………………… 59
袖 井 智 子 スクールソーシャルワークの専門性に関する一考察
─ 実践活動事例集等の分析から ─ ……………………………………………………… 79
柿 沼 倫 弘 東日本大震災時における社会福祉施設等の要援護者支援体制構築に関する現状分析…… 93
〔II〕
吉 田 綾 乃 自己卑下呈示が受け手の自己評価に及ぼす影響:対人関係、自己呈示の信憑性および
自己呈示規範内在化傾向との関連性の検討…………………………………………………… 105
〔III〕
高 橋 加寿子 ICT を活用した英語のリズム習得の実践的トレーニング …………………………………… 117
Kenneth Schmidt Post Class Feedback and Discussion Sessions : Student Perceptions of Language
Classroom Activities ……………………………………………………………………………… 129
上 條 晴 夫 新人教師は自らの授業をどのように体験しているか ?(その 1)
─ 教師教育のための仮説づくり ─ ……………………………………………………… 145
Atsuko Suzuki The New Direction of Musical Activities in Primary School in England : A Key to
Developing Discourse and Exuberance in the KS1 Classroom ………………………………… 165
太 田 聡 一 本学学生の英語学習および本学外国語カリキュラムに関する意識
─ 学生アンケート調査からの報告 ─ …………………………………………………… 175
〔IV〕
舩 渡 忠 男 非侵襲的出生前遺伝子学的検査(新型出生前診断)における課題と問題点に
おける考察………………………………………………………………………………………… 185
富澤 弥生,小野木弘志,菅原 尚美,杉山 敏子,菅原千恵子,河村 真人,鈴木 千明,
一ノ瀬まきの,工藤 洋子,二瓶 洋子,中村 令子,門屋久美子
東日本大震災ボランティア活動による看護学生の学びに関する検討……………………… 199
庭 野 賀津子 乳児の泣き声と表情に対するヒトの脳反応
─ fMRI による研究の文献検討 ─ ………………………………………………………… 221
田 邊 素 子 乳児の表情が若年成人の脳活動へ及ぼす影響
─ 近赤外線分光法による検討 ─ ………………………………………………………… 233
〔V〕
門 脇 佳代子 東北福祉大学所蔵 難波孫次郎作「一仏両祖像」および「聖僧文殊坐像」……………… 一
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2014
刑務所出所者等の社会復帰支援に向けて
1
刑務所出所者等の社会復帰支援に向けて
─
平成 24 年版犯罪白書の保護司の意識調査の意義・効果について ─
菅 原 好 秀
要旨 : 平成 24 年版犯罪白書の特集である「刑務所出所者等の社会復帰支援」では,厳密
な概念化とカテゴリー化を媒介としてその形式性において適切に作動し,普遍的ルールの
客観的事実への厳格な適用を理念とする犯罪白書が保護司の意識調査の主観的な内容の意
義・効果を分析している。この保護司の主観的な言説には,保護観察対象者などの刑務所
出所者等の社会復帰支援に向けて,どのような意義・効果があるのか。つまり,犯罪白書
の保護司の意識調査の主観的な内容の意義・効果を分析することで,刑務所出所者等の社
会復帰支援に向けて保護司の意識調査が保護観察対象者の再犯を防止し,安全・安心な社
会を構築するにとどまらず,保護観察対象者をどのように社会に貢献する一員として再統
合し,積極的に国民全体の利益の増大を目指すことにつながるのかを研究目的とした。
保護司の主観的な意識調査は,保護司同士の「社会復帰支援」の共通目的の情報共有と
ともに,刑務所出所者等に早く仕事について,規則正しい生活を送り,二度と犯罪をせず,
健全な社会の一員として再統合し,更生意欲を高めて欲しいという日常的な「語り」(ナ
ラティヴ)が含まれ,その「語り」(ナラティヴ)が国民の協力意識を向上させているの
である。専門的言説を中心としたアプローチとともに,民間篤志家という国民意識に近い
保護司の意識調査という個別的体験に根ざす日常感覚的な語り(ナラティヴ)を犯罪白書
に取り込むことによって,本来,犯罪者や非行少年とはなるべく遠ざけておきたい,関わ
りたくないという国民感情を軽減し,刑務所出所者等の社会復帰支援に向けて国民に積極
的理解や支援が得られ,社会に貢献する一員として再統合し,結果的に積極的に国民全体
の利益の増大を目指すことにつながるものと思われる。
キーワード : 語り(ナラティヴ),保護司の意識調査,刑務所出所者等の社会復帰支援
一 は じ め に
平成 24 年版犯罪白書(以下白書とする)1)の特集である「刑務所出所者等の社会復帰支援」で
は,保護司がやりがいを感じた回答として,「保護観察対象者がだんだんと心を開いてくれてい
るのを実感したとき。」
,「来訪や往訪を繰り返すうち,保護観察対象者や家族が成長していくこ
と。
」,
「接しているうちに,言動が前向きになっていくこと。」など,更生への変化を感じ取れた
ときの感慨や,更生して保護観察が無事終了したときの笑顔や感謝の言葉が多く挙げられた点を
挙げている。
本来,白書は,厳密な概念化とカテゴリー化を媒介としてその形式性において適切に作動し,
普遍的ルールの客観的事実への厳格な適用を理念とする近代法の常識のもとで,感慨や感謝の言
葉など情緒・感情を喚起させる「主観的」エレメントと目されるものは,白書の客観性と形式性
2
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
の秩序とは対極にあるものと考えられる。そのため,保護司の主観的な意識調査が,社会事象や
現象という社会的現実が存在する中で社会復帰支援にどのような影響を与えるのかが問題とな
る。この意識調査を社会復帰支援に応用するには,局所的,微視的であるにもかかわらず,白書
は保護司の主観的な回答という意識調査の具体的な内容を挙げて社会復帰支援の効果を期待して
いる。以下,この保護司の主観的な言説には,保護観察対象者などの刑務所出所者等の社会復帰
支援に向けて,どのような意義・効果があるのか。つまり,白書の保護司の意識調査の主観的な
内容の意義・効果を分析することで,刑務所出所者等の社会復帰支援に向けて保護司の意識調査
が保護観察対象者の再犯を防止し安全・安心な社会を構築するにとどまらず,保護観察対象者を
どのように社会に貢献する一員として再統合し,積極的に国民全体の利益の増大を目指すことに
つながるのかを研究目的とした。
二 法制度とナラティヴ・アプローチ 1. 保護司と保護観察官の法制度上の位置づけ
本来,保護司は,給与は支給されない非常勤の国家公務員である。犯罪をした者や非行のある
少年の立ち直りを地域で支える民間のボランティアであり,保護司法に基づき,法務大臣の委嘱
を受け,民間人としての柔軟性と地域性を生かし,保護観察官と協働して保護観察や生活環境の
調整を行うほか,地方公共団体と連携して犯罪予防活動等を行っている。保護司の使命は,「社
会奉仕の精神をもって,犯罪をした者及び非行のある少年の改善更生を助けるとともに,犯罪の
予防のため世論の啓発に努め,もって地域社会の浄化をはかり,個人及び公共の福祉に寄与する
こと」
(保護司法 1 条)と定められており,① 人格及び行動について,社会的信望を有すること,
② 職務の遂行に必要な熱意及び時間的余裕を有すること,③ 生活が安定していること,④ 健
康で活動力を有することという条件を備えた者の中から,所定の手続により委嘱がなされている。
保護司の職務は,「保護司は,保護観察官で十分でないところを補い,保護観察所等の所掌事
務に従事するもの」(更生保護法第 32 条)と定められており,保護観察官との協働態勢のもと,
更生保護全般に活動領域がわたっているところに特色がある。
これに対して,保護観察官は,医学,心理学,教育学,社会学その他の更生保護に関する専門
的知識に基づき,保護観察,調査,生活環境の調整その他犯罪をした者及び非行のある少年の更
生保護並びに犯罪の予防に関する事務に従事する(更生保護法第 31 条 2 項)と定められている。
保護司は,この「保護観察官で十分でないところを補い」という立場とはどのような立場であ
ろうか。保護観察官は,心理学,教育学,福祉及び社会学等の更生保護に関する専門的知識に基
づき,保護観察対象者の生活環境,就業能力,社会生活の適応能力などの状況をみて,専門的,
法的戦略の観点から支援をする。つまり,保護観察官は,保護観察対象者の社会復帰支援を更生
保護の専門的立場から支援するのである。これに対して,保護司は,民間のボランティアの立場
刑務所出所者等の社会復帰支援に向けて
3
で「保護観察官で十分でないところを補い」ところに特色がある。つまり,保護司は,保護観察
官のような専門的存在ではなく,保護観察対象者のもっとも身近な存在として位置づけられてい
る。
保護観察対象者のもっとも身近な存在として,社会復帰支援をするために保護司に何が求めら
れているのであろうか。思うにそれは,保護観察対象者に対して社会復帰支援の身近な存在とし
て日常的な語り(ナラティヴ)を通じて保護観察対象者と寄り添い社会復帰支援を努めていくと
いうナラティヴ・アプローチに特色があるのである。
このナラティヴ・アプローチには保護観察対象者の社会復帰支援に向けてどのような効果が期
待できるのであろうか。
前述のように白書では,保護観察対象者の処遇に関する項目において,保護司のやりがいの自
由回答を求めたところ,やりがいについては,更生への変化を感じ取れたときの感慨や,更生し
て保護観察が無事終了したときの笑顔や感謝の言葉が多く挙げられた。また,保護観察終了後に,
「
(結婚した,就職した,近くに来たなどの理由で)元保護観察対象者が会いに来てくれたこと。」,
「元保護観察対象者やその家族に,偶然町で会うと,声をかけてくれること。」,「まじめに働いて
いる姿や,落ち着いた生活を送っているのを見たとき。」などを「保護司冥利に尽きる」とした
回答が挙げられている2)。
また,就労を安定させるための支援策として保護司に示した 10 の項目の中で,保護観察対象
者の社会復帰支援には,「家族や保護者の監督・協力や支え・励まし」が「特に必要」と回答し
た保護司は,成人では 6 割を超え,少年に対しては,8 割を超えている3)。このように保護司の
ナラティヴ・アプローチを通じて,更生への変化を感じ取れたときの感慨や,更生して保護観察
が無事終了したときの笑顔や感謝の言葉,家族や保護者の支え・励ましの言葉が保護観察対象者
の社会復帰の阻害要因を除去し問題解決に導いている一要因であると思われる。
2. ナラティヴ・アプローチの問題と課題 保護観察対象者の社会復帰支援には,保護司の理解と協力が必要であり,保護司の意識調査の
語りに伴うナラティヴ・アプローチが今後の法制度の制定や改正においても重要である。
この点,
「一人の人間の語りによって,社会事象や現象がその意味を変えるほど社会の力は弱
くない。社会には厳然とした法制度,社会規範,文化があり,われわれはそれに従うことにより
社会生活を営むことを可能にしている」という見解がある4)。確かに,保護司の主観的な意識調
査の語り(ナラティヴ)だけでは,局所的,微視的で法制度,社会規範そのものを変えることは
難しいように思われる。しかし,「非嫡出子(婚外子)法定相続分 2 分の 1 規定の法令違憲決
5)
定」
では,結婚していない男女の間に生まれた非嫡出子(婚外子)の遺産相続分を嫡出子の半
分と定めた民法 900 条 4 号但書の規定が,法の下の平等を保障した憲法に違反するかが争われた
事案で,最高裁大法廷は規定を「違憲」とする初判断を示した。最高裁が法律の規定について憲
4
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
法違反と判断したのはこの判決を含めてわずか戦後 9 件しかない。この事案で注目すべきなのは,
婚外子の語り(ナラティヴ)である。婚外子の語り(ナラティヴ)の中で,「この民法の規定に
より,存在の価値も半分,命の重みも半分,あなたには,100% の命はないのですよ,と言われ
ているような気がした」と主張していた点である6)。
この裁判では,提出書類の内容や和解の是非をめぐって,訴訟上の法的戦略の観点から主張や
解決案を構成しようするために,有利な相続分という金銭賠償を目的としているように思われる。
しかし,現行の訴訟構造や法専門家の活動形態が当然の前提とされる中で,婚外子の「なぜ,婚
姻届という紙切れ一枚で,婚外子として認定され,存在の価値も命の重みも生まれながらにして
半分なのか」という語りが法専門家にとって,直接裁判の争点にならない「核心に触れない」語
り(ナラティヴ)である。しかしこの「核心に触れない」婚外子の語り(ナラティヴ)こそ,婚
外子もそして裁判も「核心」そのものだったのである。この婚外子の語り(ナラティヴ)の根底
には,子にとって父母が婚姻しているかどうか,全く関与できないことであり,自己の責任のな
い行為について不利益を受けることがないように,法改正をしてほしいという願いが込められて
いるのである。この語り(ナラティヴ)に今後の類似の婚外子の相続差別問題の将来志向的な問
題の解決を図っていく視点が裁判官に法形成過程に少なからず影響を与えていることは否定でき
ないのである。
この婚外子の語る物語には,生活そのものに根を下ろした力強さがある。婚外子は,弁護士か
ら法律上,専門的な合理的な案が示されたとしても,婚外子の気持ちそのものが生活の論理(日
常的言説)であって,納得ができないものは受け入れられないというその最後の線で権力をもつ
のである7)。
法がいかに自律的なものになっても,最後には,それは人々の現に生きている世界の中で妥当
しなければならないというそのことのゆえに,その生活の論理と折り合いをつけることが必要と
なるのである8)。つまり法的言説よりは,一人の語り(ナラティヴ),日常的な言説によって裁
判官の心証に影響を与えて,法そのものを違憲判決へと導く場合があるのである。
また,法制度においては,平成 23 年 8 月 5 日に公布された障害者基本法の一部を改正する法
律では「国及び地方公共団体は,障害者の自立及び社会参加の支援等のための施策を講ずるに当
たっては,
障害者その他の関係者の意見を聴き,その意見を尊重するよう努めなければならない。」
(10 条 2 項)の規定が新設されており,「障害者その他の関係者の意見を聴き,その意見を尊重
する」と明記されている。このことは,法制度そのものにおいても,障害者の意見を反映するた
めには,前提として,障害者の日常的言説である語り(ナラティヴ)を求めているのである。
よって,最高裁の判決及び法制度上も「語り(ナラティヴ)
」によって,社会事象や現象がそ
の意味を変えるという社会の力を有し,法制度,社会規範を変える力を有していることは否定で
きないように思われる。
刑務所出所者等の社会復帰支援に向けて
5
3. 保護司と保護観察対象者の関係性
保護司が保護観察対象者の社会復帰支援に向けての「語り(ナラティヴ)」には次の要素がある。
保護観察対象者の社会復帰支援へ向けて,周辺には物語やストーリーがあふれている。保護観察
対象者が自己の苦痛やトラブルの物語を語る。保護司は,保護観察対象者の物語を可能な限り理
解し,社会復帰支援に向けて「支えや励まし」を保護観察対象者に語りかけ,保護観察官は,そ
の保護司と保護観察対象者の相互に繰り広げられる様々な物語,相対立する物語に耳を傾けて保
護観察対象者の社会復帰支援に向けて法制度上,最善の方法を提供するのである。この保護司の
語り(ナラティヴ)の中に保護観察対象者の社会復帰支援に向けての重要な愁訴が非言語的に語
られている場合も存する。
保護観察対象者が「だんだんと心を開いてくれている」,「言動が前向きになっている」という
この語り(ナラティヴ)の基底層の分野を構成する要素として,保護司は,自然本性上,保護観
察対象者の社会復帰の状況を把握するために,保護観察対象者の言葉によって,振る舞いによっ
て,場合によっては,わずかな眼差しを受けること・与えることを欲求している。このような「身
体知」に依拠した喜びという本源的欲求はあらゆる人間関係の始点であって,この欲求が人間の
存在の喜びに由来するのである9)。保護司の存在自体に価値があり,保護司の存在自体の喜びは,
保護観察対象者の社会復帰支援には必要不可欠であると思われる。
では,保護司の存在自体の喜びの前提として,保護司が保護観察対象者との信頼関係の構築に
は,どのような語り(ナラティヴ)が必要になるのであろうか。それは,保護司が保護観察対象
者に対して,
「あなた自身を大切にし,あなた自身の社会復帰支援に向けて全力で立ち向かって
います」という語り(ナラティヴ)を相手に伝える姿勢である。つまり,保護観察対象者を多数
の保護観察対象者のうちの一人と位置づけるのではなく,自分の家族のように一人ひとりが大切
な保護観察対象者であるという受容的な姿勢という感情性が必要である。ここでいう受容とは,
単に保護観察対象者の感情や思考をそのまま受け入れることではなく,保護観察対象者に「非審
判的な態度をとり,感情を受け入れつつ,自己決定を尊重し,自主的主体的にその態度や行動を
変容することのできるような脅威のない状況を醸成する」10)ことである。
そのためには,保護観察対象者個々人,あるいはその家族を丁寧に個別に評価し,社会復帰支
援を集団的,画一的提供をするだけではなく,その保護観察対象者や家族の「必要と求めと同
意」11)に応じて,個別相談方針を立てて保護観察対象者に社会復帰支援を提供することである。
保護観察官は専門的言説によって社会復帰の専門家として支援するが,保護司にとっては,日常
的な語り(ナラティヴ)の中で保護観察対象者本人に必要とされていること,求められているこ
とを的確に判断し,保護観察対象者の社会復帰のために何を望んでいるのか,そのためにできる
ことは何か,ということを確認して,その両者による「合意」形成に基づく実践が重要である。
そして,また,社会復帰支援の要望のすべてに応えていくことが現実的に困難な場合にも,保護
6
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
観察対象者に説明して納得を得るというプロセスが保護観察対象者と保護司との関係性を豊かに
し,信頼の構築につながるのである。保護司は日常的言説を用いたとしても保護観察対象者との
関係では,非対称性という「強者」「弱者」の関係性にある。保護司は「個人が抱えている生活
問題を解決するために,その人の生育史や心理分析も行うと同時に,その人や家族の生活全体の
分析を通し,その生活が社会環境との間でどのような軋轢と課題を有しているかを明らかにし
12)
た」
上で,社会復帰支援の阻害要因の除去は「医学モデルのように,身体的にどこの部位に病
変があり,それはどのような要因で起きており,どのような治療法があるかといった部位に関し
て検査・分析をするのとは異なり,ソーシャルワーカーの診断法は社会福祉観,人間観に大きく
13)
左右される」
のであるというソーシャルワーカーの診断法の視点も保護司には必要である。
4. 保護司と保護観察対象者との信頼関係とナラティヴ
「語り(ナラティヴ)」が保護観察対象者の社会復帰に向けて効果的に達成するためには,保護
司と保護観察対象者とが「信頼関係の構築」14)を図ることが求められる。
保護司と保護観察対象者の信頼関係樹立のためには,第一に,保護司が保護観察対象者の社会
復帰支援に向けての立場,動機を明瞭に伝えることである。特に,この伝える意欲の根底に,保
護観察対象者の心をゆさぶる思いがあるかどうかである。打算的・合理的ではなくボランティア
として非打算的な利他精神の思いがどれだけあるのかが重要となるのである。第二に,
「受容的
態度」で臨むことである。保護観察対象者を犯罪者・非行少年として捉えるのではなく,存在価
値が平等である同じ人間として,対等な人間として受け入れることである。保護観察対象者の持
つ属性,特性,特徴,犯罪歴・非行歴などによって偏見や先入観を持つことなく,また,犯罪者・
非行少年としての特別な条件設定をすることなく,同じ価値のある人間として等しく,ありのま
まに受け入れることが必要である。第三に「深い関心」と「誠意」をもつことである。人は誰も
他者から関心を払ってもらいたいという潜在的願望がある。犯罪者や非行少年は犯罪行為という
行為によって,他者からの関心を受けたい場合がある。常に複合的な問題状況に接している保護
観察対象者には,日常生活・社会生活において,敗北感,無力感,屈辱感にさいなまれており,
他者から関心を払ってもらいたいという感情が一層強い。保護司が保護観察対象者に対しての思
いを語り(ナラティヴ)の中でどれだけ構築できるのか,態度,表情で表現することができるか
が,保護観察対象者の信頼を得るためには必要である。
さらに,保護観察対象者は保護司から真剣な真心のこもった社会復帰支援を受けているかどう
かによって,保護司を信頼に足る相手かどうかを推し量るのである。また,保護司自身も社会復
帰支援の法的専門家ではないため,保護観察対象者との考え方の相違や失敗もあろう。しかし,
保護司自身が社会復帰支援に向けて全力で支援している誠意が伝われば,それなりの信頼を得る
ことは可能である。保護司がどんなに経験豊かに成長しても,保護観察対象者に対し常に謙虚な
誠意と真心をもち続けることを忘れてはならない。また,保護司は犯罪歴がある保護観察対象者
刑務所出所者等の社会復帰支援に向けて
7
を,社会を構成する立派な一員として更生することができると「自信」をもつことである。社会
復帰支援の過程において,保護司が自信なさそうに躊躇していては,保護観察対象者は保護司に
信頼を寄せることができない。経験の浅い保護司であっても,保護司自身,全力を尽くせば保護
観察対象者の社会復帰支援の阻害要因を解決できるという強い信念と自信をもち,保護観察対象
者と接するべきである。保護観察対象者との信頼は,保護観察対象者が信ずるに値すると認める
ことのできる,保護司の特定の行動,態度,つまり,保護司から発せられる語り(ナラティヴ)
から生まれる人間関係の状態であると考えられる。
また,保護司が語り(ナラティヴ)を通じて温かい人間味のある積極的関わり,共鳴的・共感
的理解,励まし,有用感の強化などが必要である。このような支援的な態度を示すことにより,
保護観察対象者は自己の問題の要因を直視し,客観的に受け止め問題点を改善し,自分の感情や
現実を冷静に見直すことができるようになり,社会復帰支援に向けて積極的意欲が生まれてくる。
さらに,保護観察対象者の潜在能力や資質を発見し,それらを保護司が評価・支持することによ
り,保護観察対象者の社会復帰意欲が高まり,自分自身に誇りと自信をもち,問題解決の方法を
自分の力で模索するようになる。保護観察対象者が,社会復帰に向けて意欲と自信をもつのは,
保護司の醸し出す態度・表情による語り(ナラティヴ)である。保護観察対象者は犯罪行為をす
ることにより,過去の自己に対して,不信感,恐れ,怒り,恨み,不安などの否定的な感情に支
配されている中で犯罪歴という前歴自体がスティグマとして国民の感情を支配し,保護観察対象
者の社会復帰支援を阻害している。そこで,保護司の語り(ナラティヴ)は保護観察対象者が自
由に感情を表現できる状況をつくり,意図的に感情表現を促し,支配されている否定的な感情か
ら解き放すことができるのである。それにより,保護観察対象者の心理的・精神的・情緒的な安
定が図られ,閉鎖的な自分から開放感や安定感がもたらされ,社会復帰に向けての生活行動,対
処行動に変化が生まれるのである。特に,就労における対人関係での視野の広がり,自己理解の
客観化,就労継続の新たな展開・展望への期待が生まれ,問題解決活動に参加していこうとする
積極的態度が育つことになる。この社会復帰に向けての意欲を持たせる雰囲気作りは,保護司の
語り(ナラティヴ)によるところが大きい。
保護観察対象者は,社会の秩序や規範を受け入れない自己中心的な傾向が強く,特に就労にお
いては,差別や偏見により困難に直面している保護観察対象者は一層その傾向が強くなる。しか
し,その阻害要因の解決を目指すためには,問題の客観的状況とその意味や自分の置かれている
立場を冷静に認識する必要がある。これを深め,促進できるように導くためには,保護観察対象
者の自身のパーソナリティ,行動のパターン,対人関係の状況,自分にとっての問題の意味,問
題の客観的状況などについて洞察を加える必要がある。保護司の役割は保護観察対象者の問題を
取り巻くさまざまな出来事や人間関係を多面的に捉え,専門的言説ではなく,保護観察対象者の
身近な存在として,日常的言説である語り(ナラティヴ)を通じて,創意工夫,判断,解釈など
の独創性な視点から保護観察官とは異なった立場からの解釈や理解を提供し,保護観察対象者が
8
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
自由に広い視野で考えることができるように導いていくことが必要であろう。
三 専門的法的言説と日常的言説の協働の視点
1. 保護観察官の法的言説と専門性の問題点
保護観察官は保護司と異なり,保護観察官の長は,保護観察処分少年について,その改善更生
に資すると認めるときは,期間を定めて,保護観察を一時的に解除または解除することができる
という良好措置ができる(更生保護法第 69 条 70 条)。一方で保護観察対象者に対し,出頭を命
ずることができ(更生保護法第 63 条 1 項),出頭の命令に応ぜず,又は応じないおそれがあると
き保護観察所の長は,保護観察対象者について,裁判官のあらかじめ発する引致状により,当該
保護観察対象者を引致することができる(更生保護法第 63 条 2 項)など国家的強制力に基づい
て権利を実現できる点に保護司との大きな相違がある。
このように保護観察官が教導しつつ先行する言説構成の形式,内容は,それ自体,「専門性対
日常性(専門家対素人)」という図式を前提に保護観察の解除という「専門家による弱者の救済」
という「善意に満ちた」措置が講じられているが,一方で,出頭や引致など「権力的」な物語を
喚起している。また,一般的に「法による秩序の形成」という物語をもそこに内在させている。
そのため,通常,それに違和感を抱きつつも多くの対象者は異議申し立てすることなく,その個々
の体験に根ざす「声」は抑圧されていき,法の進行過程において,保護観察対象者の声を専門的
言説が打ち消してしまう可能性が生じてしまうのである15)。保護観察官は,このように微細な権
力の行使があるため,専門職のコミュニケーション定義を貫徹させ,保護観察官と保護観察対象
者という特殊な関係を作り上げているのである16)。
保護観察官―保護観察対象者関係の本質的な専門性のギャップからくる権力性と「法の問題は
法で解決するのが正しい」という法イデオロギーという法的言説の相関的な作用の中で,対象者
の生きる世界から法の意味付けを語らせない,あるいは語っても聞かないという抑圧が現れてい
るのである17)。
2. 保護司の語り(ナラティヴ)による日常的言説
保護司の語り(ナラティヴ)には,保護観察官ほどの権力性はないため,純粋で,非打算的で
非合理的な力強さがある。法にいかに強制力があったとしても,最後には,それは保護観察対象
者の現に生きている世界の中で妥当しなければならないという生活の論理と折り合いをつけるこ
とが必要となるのである18)。このように保護観察官と保護司との協働とは専門的法的言説と日常
的言説の協働に他ならないのである。
本来,保護観察対象者の社会性の欠如,性格,生育上の問題,家族関係,親族関係,近隣関係
に目を向けて保護観察対象者の社会復帰に向けてのストーリーが形成され,その社会復帰に向け
刑務所出所者等の社会復帰支援に向けて
9
て必要な行動・行為を選択し,必要な法律手段を用いてそれを実践することが求められるため,
法的言説が日常的言説に優越してしまう傾向がある。法的言説のレベルでは,法律に基づいた社
会復帰支援である。しかし,保護司の語り(ナラティヴ)に表れた社会復帰支援を読み聞くとき,
さまざまな解釈を行うことができる。これらの語りが結びつくには,ベクトルの異なるさまざま
なものがあり得るからである。例えば,そこに,「保護司と保護観察対象者」をめぐる物語に基
づいて,保護観察対象者が社会復帰したい「声」を聞き取ることができるかもしれない。ここで
は保護観察対象者の社会復帰をめぐる複数の解釈可能性が明示的,黙示的に提起されている。法
は抽象的な命題の背後に,具体的な出来事をつないだパラダイム事例をその語り(ナラティヴ)
として持っているのである19)。
保護観察対象者がまず,社会復帰に向けての内容を主張し,保護司がそれを裏付け,そして専
門家である保護観察官がそれを聞いて心証を形成するその一連の事実認定過程において,各関与
者の,それぞれ断片的な出来事を一定のプロットのもとに配置し,それを意味ある事実として構
成していくその営みが,そこで保護司の生の声という消去されない状態で,認定される事実に付
着する形で法の中に入ってくることは,法を一般に考えられるよりもはるかに人間くさいものに
するのである20)。
法がこのように語り(ナラティヴ)を通じて,各当事者の断片的な出来事を自分の経験として
語るとき,人間くさい道徳的な評価が織り込まれ,生活空間を貫通している規範と接触すること
になる。保護司の語り(ナラティヴ)そのものが,将来志向的に問題の解決を図っていく可能性
を裁判の中に取り戻し,裁判官を交えて事後的に確認していくのである21)。この現時点での事実
の事後的な確認作業が当該問題の解決という展望的な関心を反映するのである。
このような保護司の体験に基づく語り(ナラティヴ)は,対象者を社会復帰支援に向けての語
りのフィールドが,きわめて専門的な用語と知識の地点から,日常的な現場の情景へと力点を変
えているように見える。保護観察官によって粛々と進められていた専門知を鍵とする対象者との
応酬は,保護司の語りへの移行を契機に,体験に基づく日常感覚的で個別的な語り(ナラティヴ)
に強く浸潤されていっている。語り(ナラティヴ)において,保護司は対象者の人そのものに向
き合い,社会復帰に向けて実体を日常的な実践に帰結していくのである22)。
3. 専門的法的言説から日常的言説への変容と協働
対象者,保護司,保護観察官との関係が,専門というスリットを通じてしか関わらなかったも
のから,人と人との関係論の視点に根を下ろすことによって「保護観察対象者とのやりがいをい
かに語り,聞くか」というメタレベルの関係へとコミュニケーション定義が変容しているのであ
る。保護司のやりがいをどのように強調して話すかによって保護観察対象者の社会復帰に向けて
の支援方法が大きく変化するのである。語り(ナラティヴ)の組み立て方によって保護観察官の
裁量に影響を与えるのである。単に客観的な真実のみを保護観察官に報告し,保護観察官は認識
10
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
し,それに基づいて普遍的な法則命題を確立することを科学的な営みとしてきた事実認定作業が
変容しているのである。保護司の語り(ナラティヴ)には一般に社会復帰支援の阻害要因という
核心に触れるものは多いのである。保護観察官の法専門家の活動形態を支援するために,保護司
の語り(ナラティヴ)が存在し,専門的言説ではないという理由だけで一方的に否定されてはな
らないのである。
保護観察官という専門的言説は,保護司の語り(ナラティヴ)によって社会復帰支援のための
世俗的出来事の細部を通じて明細化していくとともに,精緻化され,そして,明細化され精緻化
される過程を同時に語るのである23)。
本来,保護観察官は,専門的言説に依拠しつつ社会復帰支援の方策を考える。専門的言説では,
専門家による専門的スキルを適用した解釈を実践し,難解な法律用語が散りばめられた法制度の
中から種々の社会復帰にむけてのリスクやアドバンテージを読み取る。その専門家が長年の勉強
と研鑽によって培ってきた専門家としてのフレイムによって「現実」を,非専門家とは異なった
形で読み取るのである。しかし保護司は対象者の体験に根ざしたさまざまな日常的言説が呈示さ
れるのに対応して,保護観察官も従来の形に加え,保護司の日常的語りへの応答を行うようになっ
ていくのである。保護観察官は,専門知識に欠ける保護司の語り(ナラティヴ)への優越的な位
置から脱却し,法的論理より日常的な言説に耳を傾け,変容するのである。
保護観察対象者の専門的言説の補充的要素から保護司の日常的語りの協働を求めたのは,利害
の対立や価値の対立のように,単純な「専門的言説」対「語り(ナラティヴ)」の対立構図だけ
ではなく,保護司の語り(ナラティヴ)は,自身の語りを構成するひとつの要素として自己の語
り(ナラティヴ)の中に取り込まれているからである。そして,その取り込んだ相手方の語り(ナ
ラティヴ)の中には,また自身の語り(ナラティヴ)が固有の解釈の仕方で取り込まれている。
そこには,相互に相手の,あるいは別の関与他者の語り(ナラティヴ)を,解釈を通じて包含し
た,複雑な語り(ナラティヴ)の錯綜が見られるのである。
語り(ナラティヴ)は,他者の語り(ナラティヴ)を関係性という要素として含みつつ構成さ
れるという構造をもつ。語り(ナラティヴ)は,話し手が自由にストーリーを作り上げることの
できるいわゆる文学の領域に属するものと考えられてきたのに対して,現代の語り(ナラティヴ)
は,歴史的な記述や社会科学,精神分析的な現場など,広汎な人間的な営みという関係性の中で,
物語を発見していくものである24)。
しかし,保護司の語り(ナラティヴ)は,保護観察対象者の不良行為によって感情の起伏が生
じ,冷静な判断ができなくなる場合があるため,節度がなく当事者の一方的な語り(ナラティヴ)
があるとされている25)。しかしながら,そうした可能性を排し,保護司の語りをより説得性のあ
るものとして解釈させるのは,やはり保護観察対象者の体験そのものに根ざした語りの「迫力」
そのものである。
これらの語りは,個人的な体験の語り(ナラティヴ)でありながら,普遍的な「理解」をもた
刑務所出所者等の社会復帰支援に向けて
11
らすのである。保護観察官の専門的な記述,数式に支配された無機的な記述,そうした淡々とし
た脱文脈的な記述からは得られない「理解」を保護観察対象者はこの語り(ナラティヴ)のなか
に読みとるのである。保護司の語り(ナラティヴ)が,社会復帰支援のための阻害要因を除去す
る扇の要のような位置にあり,これらの語り(ナラティヴ)が保護司と保護観察対象者との信頼
関係を強化している。その語り(ナラティヴ)は,まさに保護司という「位置」ないし「形式」
において,より強い喚起力を獲得しているのである。しかしまた同時に,扇の要が,個々の扇の
骨組みなしには存在し得ないように,保護司の語り(ナラティヴ)の説得性は保護観察官の専門
性に依存していることも看過してはならない。すなわち,この保護司の語り(ナラティヴ)とい
う日常的言説は保護観察官の専門的言説と,相互に部分が全体を,全体が部分を構成し規定して
いるような相互的な性格をもっているのである26)。保護観察対象者の社会復帰支援のための各専
門機関を有機的な統一体として把握し,統合させるという,部分を総合して得られる全体の枠組
みと,
その全体を文脈として意味づけられる部分との循環的な関係を保護司の語り(ナラティヴ)
から読み取ることができるのである27)。
保護観察対象者の社会復帰のためには,このような日常的言説の喚起力を柔軟に取り込むこと
によって,
保護司の語りの中の個別体験に根ざす日常的な言説が社会復帰の支援体制を構成させ,
日常的語りと法的言説の間に架橋を行い,保護観察官の心証形成に,感情や困惑,利害など,無
数の要素が渾然一体となり,保護観察対象者の社会復帰支援という新たな支援体制を構築してい
るのである。
四 刑務所出所者等を社会に貢献する一員として再統合させるために
1. 保護観察対象者の就労支援と現状
白書によると,受刑者・在院者の出所・出院を控えての気持ちにおいて,仕事に就いてまたは
学校に通学する,規則正しい生活を送ろうと更生を決意している受刑者が,87.3%,在院者は
99.7%,二度と犯罪はしない,非行はしないは受刑者が 92%,在院者は 99.7% となっている28)。
ほとんどの受刑者・在院者は,二度と犯罪はせず,仕事に就いて,規則正しい生活を送ろうと改
善更生意欲があるが,しかし一方で,保護観察終了時の無職率は,24.1% となっている29)。
現在,法務省と厚生労働省が連携し,継続的かつきめ細かな就労支援を実施するため,刑務所
出所者等総合的就労支援対策や更生保護就労支援モデル事業等が開始されている。つまり,平成
18 年度から法務省と厚生労働省との連携により,「刑務所出所者等総合的就労支援対策」では,
矯正施設,保護観察所及び公共職業安定所等が連携する仕組みを構築した上で,矯正施設入所者
に対して,公共職業安定所職員による職業相談,職業紹介,職業講話等を実施している。また,
保護観察対象者等に対しては,公共職業安定所において担当者制による職業相談・職業紹介を行
うほか,
(1)セミナー・事業所見学会,(2)職場体験講習,(3)トライアル雇用,(4)身元保証
12
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
等の支援メニューを活用した支援を実施している。
平成 23 年度から,一部の保護観察所において,民間のノウハウを活かし,矯正施設入所中か
ら就職後の職場定着まで,継続的かつきめ細かな支援等を行う「更生保護就労支援モデル事業」
を実施している。この事業では,就労の確保が困難な者の就労支援や雇用管理に関する専門知識
及び経験を有する就労支援員により,
(1)就職活動支援,
(2)職場定着支援,
(3)雇用基盤整備,
(4)定住支援の 4 つの支援を実施している30)。
このような制度があるにも関わらずまた,稼動能力を有し就労意欲があるにも関わらず,早期
退職,職場に定着できずに転職を繰り返す者も少なくないとはどのようなことであろうか。
保護司の意識調査では「前科や非行歴のために採用されない」の該当率が成人で約 3 割,少年
で約 2 割に上っている。こうした問題が原因となって就労に結びつきにくい対象者がいる。また,
就労継続が,前科や非行歴のために,同僚や職場の理解が得られず就労を継続できないことを原
因とするのが,約 2 割と見ている保護司が一定程度いる31)。
保護観察対象者の中には,前科や非行歴を負い目と感じて他者との関わりを避けるようになっ
た人,また,前科や非行歴が原因で求職活動を続けるがなかなか職に就けず,自尊感情を喪失し,
生きていくことや,物事に取り組む意欲を失ってしまうことが考えられる。犯罪者や非行少年に
対する国民感情の根底にあるのは,なるべく関わりたくない,できれば避けたい,再犯の恐怖と
いう心理的要因が交錯しているように思われる。つまり,国民感情として,犯罪者や非行少年に
対して差別や偏見などによって社会から排除する点があることは否定できないのである。このよ
うな社会的要因によって早期退職,転職に追い込まれている現状がある。
2. 保護司の語り(ナラティヴ)と国民の理解及び支援
前述のように,受刑者・在院者のほとんどが自ら犯した犯罪や非行を真摯に悔い改め,立ち直
りを目指して地域住民の一人として再び生活を始めようとする意欲をもっている。刑務所出所者
等をいかに社会的な孤立を防ぎ,長期にわたって見守り,支えていくのか,そのためには,国民
全体の犯罪者・非行少年の理解を広めることが非常に重要である。
地域社会の様々な分野・場面で刑務所出所者等を受け入れるためには,国民の全員の理解と積
極的な協力や支援が不可欠であろう。
本来,客観性の伴わない主観的な回答は,主観の世界で問題が改善されたとしても,それが社
会性を持たなければ,社会復帰支援にはなっていないものと思われる。すべての保護司の主観が
同一であるなどあり得ず,法制度,規則,社会的原則のもとで客観性をもった社会的解決でなけ
れば社会復帰支援とは言えないのである。白書では,国によって進められた施策が地域社会にお
ける取組や民間の協力・参加へと拡充されるために,住居確保等と就労に関するものを中心に,
刑務所出所者等の社会復帰支援の現状と課題をできるだけ分かりやすく「説明」し,有益な情報
を国民に「発信」することで,国民の協力や支援をその大きな目的としている。白書は,毎年,
刑務所出所者等の社会復帰支援に向けて
13
継続的に膨大なデータを提供し,制度や施策の効果を検証し,課題を明らかにし,日頃,一般の
国民が接することが少ない領域の活動内容を紹介し,統計数値を示し,施策や活動内容を高め,
国民の信頼を維持している。
刑務所出所者等の社会復帰支援では,白書では住居確保等と就労という概念に焦点があてられ,
それに沿った問題発生に到るストーリーが作り上げられている。保護司は,刑務所出所者等との
相互関係(対話)を通して解決に必要であると考えられる行動や行為を選択し,それを実践する
ことにより,問題を解決することになる。
このように社会復帰支援は社会復帰の妨げとなった原因となる要素や環境を科学性と客観性を
おびた因果律によって問題の関係を結びつけ,問題の把握を行い,客観性をおびた言説によって
支配された知識と意味と行為によって,問題理解や社会復帰支援が進められているのである。た
だ,社会復帰支援者である保護司の理解なくして社会復帰支援はあり得ないといえる。保護司に
言語化できなかった事実を顕在化させ,顕在化した当事者の主観的事実に基づいたストーリーを
語らせることにより,そこに固有の意味を持った社会復帰支援の根底が展開されるのである。そ
してこの保護司の主観的な「語り」(ナラティヴ)が国民に分かりやすく伝えられ,国民に社会
復帰支援へむけて理解と積極的な協力が得られるものと思われる。刑務所出所者等の社会復帰支
援は保護司のストーリーを言語化させ,そこに埋め込まれた問題を取り除き,新しいストーリー
を作成させ,それを尊重し,当事者自身の意味の世界から現実を共有把握し,自らがなすべき行
為や行動を発見できるように支えてゆくことも必要である。社会復帰支援に向けて問題と言われ
る当該の現実に,保護司として何が必要であり,保護司が何をすれば刑務所出所者等が心地よく,
いきいきと社会復帰ができるのかという視点を探求することができるようになれば,社会復帰支
援が一層充実されるのである。更に,保護司として社会復帰支援に必要な行為・行動が引き出さ
れ,保護司が本来あるべき生き方を獲得し,保護司としての役割や存在価値を認識し,ひいては
刑務所出所者等の社会復帰につながるものと考えられる。
保護司の主観的な意識調査は,保護司同士の「社会復帰支援」の共通目的の情報共有とともに,
刑務所出所者等に早く仕事について,規則正しい生活を送り,二度と犯罪をせず,健全な社会の
一員として再統合し,更生意欲を高めて欲しいという日常的な「語り」(ナラティヴ)が含まれ,
その「語り」
(ナラティヴ)が国民の協力意識を向上させているのである。専門的言説を中心と
したアプローチとともに,民間篤志家という国民意識に近い保護司の意識調査という個別的体験
に根ざす日常感覚的な語り(ナラティヴ)を白書に取り込むことによって,本来,犯罪者や非行
少年とはなるべく遠ざけておきたい,関わりたくないという国民感情を軽減し,刑務所出所者等
の社会復帰支援に向けて国民に積極的理解や支援が得られ,社会に貢献する一員として再統合し,
結果的に積極的に国民全体の利益の増大を目指すことにつながるものと思われる。
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
14
脚注・引用文献
1) 平成 24 年版 犯罪白書 http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/59/nfm/mokuji.html
2) 白書 前掲 1) http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/59/nfm/n_59_2_7_3_1_4.html
3) 白書 前掲 1) http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/59/nfm/n_59_2_7_3_1_3.html
4) 秋山薊二「社会構成主義とナラティヴ・アプローチ ─ ソーシャルワークの視点から ─」 『関
東学院大学人文科学研究所報』第 27 号関東学院大学人文科学研所,2004 年 4 月 秋山教授は,
自己の持つ意味が変容しても,社会的圧力に抗することが可能であろうか。社会環境システム
が依然として同じであれば,スティグマを受けた者は,自己のオルタナティヴ・ストーリーを
外在化しても,それは拒否され客体化することはなく,意味の変容には到らない。社会の極め
てミクロ的な側面での意味の変容による行動の変化は認めることができるが,社会福祉現場に
応用するにはあまりにも局所的,微視的発想ではなかろうか。自己イメージに関する意味の変
容は可能であっても,現実や事象の意味の変容は極めて難しいと言わざるを得ない、と論じて
いる。
5) 最高裁平成 25 年 9 月 4 日大法廷決定(事件番号 : 最高裁判所平成 24 年(ク)984 号,第 985 号・
遺産分割審判に対する抗告棄却決定に対する特別抗告事件)http://www.courts.go.jp/search/jhsp0
030?hanreiid=83520&hanreiKbn=02
〈決定要旨〉 「本件規定の合理性に関連する以上のような種々の事柄の変遷等は,その中のい
ずれか一つを捉えて,本件規定による法定相続分の区別を不合理とすべき決定的な理由とし得
るものではない。しかし,昭和 22 年民法改正時から現在に至るまでの間の社会の動向,我が
国における家族形態の多様化やこれに伴う国民の意識の変化,諸外国の立法のすう勢及び我が
国が批准した条約の内容とこれに基づき設置された委員会からの指摘,嫡出子と嫡出でない子
の区別に関わる法制等の変化,更にはこれまでの当審判例における度重なる問題の指摘等を総
合的に考察すれば,家族という共同体の中における個人の尊重がより明確に認識されてきたこ
とは明らかであるといえる。そして,法律婚という制度自体は我が国に定着しているとしても,
上記のような認識の変化に伴い,上記制度の下で父母が婚姻関係になかったという,子にとっ
ては自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許さ
れず,子を個人として尊重し,その権利を保障すべきであるという考えが確立されてきている
ものということができる。以上を総合すれば,遅くとも A の相続が開始した平成 13 年 7 月当
時においては,立法府の裁量権を考慮しても,嫡出子と嫡出でない子の法定相続分を区別する
合理的な根拠は失われていたというべきである。したがって,本件規定は,遅くとも平成 13
年 7 月当時において,憲法 14 条 1 項に違反していたものというべきである。」
判決では,婚外子の出生数や離婚・再婚件数の増加など「婚姻,家族の在り方に対する国民
意識の多様化が大きく進んだ」と指摘している。諸外国が婚外子の相続格差を撤廃しているこ
とに加え,国内でも平成 8 年に法制審議会(法相の諮問機関)が相続分の同等化を盛り込んだ
改正要綱を答申するなど,国内でも以前から同等化に向けた議論が起きていたことについても
言及した。そして,法律婚という制度自体が定着しているとしても「子にとって選択の余地が
ない事柄を理由に不利益を及ぼすことは許されず,子を個人として尊重し,権利を保障すべき
だという考えが確立されてきている」とし「個人の尊重」の視点から言及した点に意義がある。
その上で,遅くとも 13 年 7 月の時点で「嫡出子と婚外子の法定相続分を区別する合理的な根
拠は失われていた」と結論づけ,審理を各高裁に差し戻した。一方で,決定は 7 年以降に出さ
れた最高裁判断については,「その相続開始時点で規定の合憲性を肯定した判断を変更するも
のではない」とも言及した。さらに,今回の違憲判断が他の同種事案に与える影響については
「先例として解決済みの事案にも効果が及ぶとすれば,著しく法的安定性を害することになる」
とし,審判や分割協議などで決着した事案には,影響を及ぼさないとした。
6) フジテレビ「新報道 2001」婚外子の相続差別問題 2013 年 11 月 3 日
刑務所出所者等の社会復帰支援に向けて
15
7) 宮川光治(1992) 「あすの弁護士 ─ その理念・人口・養成のシステム ─」宮川光治『変革の
弁護士(上)』有斐閣 5 頁 本件では語りという形で,最後の線で権力をもつのである。語り
という可視化されて状況的権力として顔を出すところで,対等化,すなわち依頼者がその法援
用に対して有意味な統制の可能性を回復する展望を得ようとするのである。
8) 棚瀬孝雄(1994) 『現代の不法行為法 ─ 法の理念と生活政界 ─』有斐閣 295 頁
9) 葛生栄二郎(2007) 「ハビトスとしての人間の尊厳」 ホセ・ヨンパルト他編 『法の理論 26』 成文堂 119 頁 10) 古川孝順(2005) 『社会福祉原論 第 2 版』 誠信書房 318 頁 古川教授は社会福祉の援助技術については,生活支援ニーズを理解し,援助の方向性を定め,
援助関係とそこに起こる状況を制御するために必要とされる価値規範,一定の知識,技法(ス
キル)が必要であるとしている。
11) 大橋謙策(2002) 「地域福祉とコミュニティソーシャルワーク」『ソーシャルワーク研究 Vol.28』
相川書房 5 頁。大橋教授は社会福祉ニーズを把握,分析するにあたって,地域自立
生活支援という場合の自立の捉え方,考え方が重要であるとしている。自立の捉え方としては
利用者の幸福を追い求めるという「幸福追求権」を踏まえて,保護観察対象者の自立を尊重し
た幸福の枠組みと視点が重要であろう。
12) 大橋謙策(2004) 「『統合科学』としての社会福祉学研究と地域福祉の時代」 日本社会福祉学
会編 『社会福祉学研究 50 年の回顧と展望』ミネルヴァ書房 67 頁 13) 大橋謙策 前掲 11)6 頁。大橋教授はソーシャルワークの機能が発揮できる社会システムをど
のように構築すべきか,ソーシャルワーカーをどのように育てるかという社会福祉教育の問題
等を提唱している。社会福祉教育のあり方は,保護観察対象者の生活全般のサポートを考える
と,人間の根幹を考察する必要があるため,社会学,経済学,哲学,心理学,教育学,法律学,
医学など各分野の統合的視点が必要であろう。
14) 秋山薊二(2002) 「アートとしての援助技法」 太田義弘,秋山薊二編著『ジェネラル・ソーシャ
ルワーク』 光生館 147 151 頁
-
15) 和田仁孝(2001) 「法廷における法言説と日常的言説の交錯 ─ 医療過誤をめぐる言説の構造
とアレゴリー ─」 棚瀬孝雄編著 『法の言説分析』 ミネルヴァ書房 58 頁
16) 西坂仰(1992) 「エスノメソドロジストは,どういうわけで会話分析を行うようになったのか」
好井裕明編『エスノメソドロジーの現実』世界思想社 23 頁 社会の秩序は,あらかじめ確固とした構造として存在し,人の行為を規律するというよりも,
人々が日常的に出来事を説明し,しぐさ,身振りを相手に向かって行い,また,それを相手に
理解され,支持されるといった人々が行う日常的な相互作用のその一つ一つにおいて協同的に
達成される観点を取る。そこから,この協同的な秩序の形成において働く微細な権力作用も観
察可能となるのである。
17) 棚瀬孝雄(1995) 「語りとしての法援用」『民商法雑誌』111 巻 6 号,887 頁 18) 棚瀬孝雄 前掲 8) 295 頁
19) 松浦好治(1983) 「法的推論 模範例による法思考」長尾竜一・田中成明『現代法哲学』第 1
巻 東京大学出版会 167 頁 法のパラダイム事例と今,目の前にあるケースとが同じ規範的
処理を受けるだけの同一性をもっているかどうかは,一般に対象相互の類似性あるいは差異を
認識するさいの判断形式である隠喩(メタファー)に依拠しているとされる。
20) 棚瀬孝雄 前掲 17)868 頁 物語として自分の経験した出来事を語るとき,そこには道徳的な評価が織り込まれてくるので
あって,法は直接にその人々の生活空間を貫通している規範と接触することになるのである。
21) 井上治典(1993) 「ある不動産取引の分析」『民事手続論』有斐閣 141 169 頁 -
22) 廣田尚久(1993) 『紛争解決学』信山社 166 頁 210 頁
23) 樫村志郎(1992) 「法律的探究の社会組織」
好井裕明編『エスノメソドロジーの現実』世界
思想社 96 頁。出来事の記述と規範的な評価とは日常的な語りの中では不可分なものとして同
16
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
時に存在しているのである。
24) 棚瀬孝雄 前掲 8) 866 頁 25) 和田仁孝 前掲 15) 66 頁 26) 和田仁孝 前掲 15) 68 頁 27) 石前禎幸(1989)「物語としての法」『思想』777 号 64 87 頁 -
28) 白書 前掲 1) http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/59/nfm/n_59_2_7_3_2_3.html
29) 白書 前掲 1) http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/59/nfm/n_59_2_7_2_1_2.html
30) 法務省ホームページ http://www.moj.go.jp/hogo1/soumu/hogo02_00030.html
31) 白書 前掲 1) http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/59/nfm/n_59_2_7_3_1_3.html
ベトナム社会における高齢者のソーシャルサポートの構造
17
ベトナム社会における高齢者の
ソーシャルサポートの構造1)
後 藤 美 恵 子
要旨 : ドイモイ(Doi Moi : 刷新)政策(1986)は,基礎的な社会集団である家族機能や
地域社会の生活構造にも多大な影響をもたらした。本研究では,ベトナム社会主義共和国
(以下,「ベトナム」と略す。)の継続研究を踏まえ,その研究成果として,今後重要とな
る高齢者のソーシャルサポートの構造を明らかにすることを目的とした。ソーシャルサ
ポートを独立変数とし,主観的幸福感を従属変数として χ2 検定によって比較した。情緒
的支援は,性別( p<.01),職業の有無( p<.01),病気の有無( p<.001)。手段的支援は,
地域( p<.001),職業の有無( p<.01),病気の有無( p<.001)。認識評価的支援は,地域
( p<.001),職業の有無( p<.05),病気の有無( p<.001)。情緒的支援は,心理的安定( p<.001),
楽天的思考( p<.001)。手段的支援は,心理的安定( p<.001)。認識評価的支援は,心理
的安定( p<.001),楽天的思考( p<.01)において有意差が認められた。
以上の結果から,高齢者のソーシャルサポートの構造が明らかとなり,さらには都市部
と農村部との地域社会を視座においたソーシャルサポートシステムの検討が不可欠な課題
であることが示唆された。
キーワード : ベトナム,ソーシャルサポート,社会関係
I. ベトナム社会の現在
1986 年,ベトナムにおいて採択されたドイモイ政策は,統制計画経済から市場経済への質的
転換を促し,
社会変動の契機となった。ドイモイ政策は,
「貧しさを分かち合う社会主義」から「豊
かさをもたらす社会主義」への政策転換であった。しかし,現実は戦後の混乱と国際関係の変化,
模索されるドイモイ政策が複雑に社会に絡み合い,その結果,経済格差は拡大し社会生活は悪化
している2)。
国連開発計画(UNDP)によれば,ベトナムでは 1990 年以降の経済成長によって,都市と農村・
山間部の所得格差が 2 倍以上に拡大し3),都市部と農村部の地域格差,および地域内格差を派生
させ,ベトナム経済のパラダイム転換は同時に,国民生活に社会的変化・価値体系の変化をもた
らしたことで社会病理現象を生起させる複合的要因が顕在化するようになった。特に,ベトナム
社会に根付いていた伝統的村落(ムラ社会)の希薄化,家族主義・家族機能は変容し,さらには,
高齢者の身分的地位・社会的役割が衰退し,高齢者を取り巻く生活環境に大きな変化が生起して
いる。
一方で,経済格差はあるが,人々は自由に商売を展開して,生活に活気を感じる側面もある。
18
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
数十年もの間,個人で生計を立てることが禁止され,個人のビジネスも制限された。また,自由
市場システムは禁止されていたが,ドイモイ政策を契機に,国民は自由に生計を立てられること
によって,
経営と商売を行う権利および個々の財産や能力を活かすことができる社会に変化した。
市場経済が活性化し自由をもたらしたことは,保守的で教条主義的な経済体制を維持し,数十年
も社会全体を統制していた政治体制が与えてきた影響の強さの裏返しとも言える4)。ベトナム社
会の経済格差は都市部と農村部,さらには,階層格差も連動して,市場経済に伴う自由がもたら
した影響は,現実社会の中で光と陰として複雑な生活環境が取り巻いている。
II. 伝統的な生活基盤と近代化 従来のベトナム社会の基盤は父系組織であり,また伝統的に階層的な君主制を持っていた。君
主制は,儒教的なイデオロギーによって基礎づけられたものであり,村は人間関係の緊密な共同
体であり,農業を中心とした多くの共同作業は村の内部で行われた5)。近代化や政治的な変化,
および都市化などの変容によってベトナム社会の組織力は,人々に根付いていた伝統的価値はも
とより,共同体の結びつきの強さも変化してきている。社会にはそれぞれ固有の発展観が存在し,
地域社会の世界観に裏付けられている。多くの伝統的社会は,人間の力によって改変することに
対して行動規制がみられる6)。この行動規制が「経済成長」などの新たな価値観の導入によって
伝統的社会の機能を失うとき,急激な生活環境の悪化が発生する場合が多いと推考される。
ドイモイ政策以降,近代家族とされる家族形態が広がりをみせ,家族構造は核家族化へと移行
し,伝統的家族から近代的家族へと家族変容をもたらした。従来,ベトナムの家族は大家族で,
高齢者の多くは家族と一緒に生活し,子どもや孫が世話をしてきた。高齢者法第 3 条によると「高
齢者を扶養することは,その家族の最優先の責務である。一人で生活し,扶養すべき者のない,
また収入のない高齢者は国家や社会によって保護されるものとする。」と法的にも規定されてい
る7)。しかしながら,社会変動による都市化や核家族化に伴い,一人暮らしの高齢者,しかも子
や孫が遠隔地にいたり,たとえ近くにいても,彼らが貧困状況下にある高齢者が全体の 6 割近く
を占め,社会の支援が必要な高齢者のための施設や施策の重要性が指摘されている8)。さらに,
急激な社会変化の中で,老衰より,孤老死に陥る人々も増えていると報告されている9)。
ベトナムの特徴として,国民の約 80% が農村部に暮らしており,伝統的な暮らしは現在でも
大きな影響力を持っており,生活は本質的に過去と分断されずに地域共同体がいまだに強固な規
制力をもって農民の暮らしを律している。さらに,政治的には「社会主義体制」を標榜する国家
で,統治機構や政治制度は社会主義的であっても,それは極めて表面的なもので,社会の深部ま
で変化させるものではなかったという側面もある。ベトナム民主主義共和国が成立した 1945 年
から 75 年の 30 年間は戦争に継ぐ戦争であり,土地改革や合作社などの社会主義的改革は実施さ
れてはいたものの,「民族独立」という価値が最優先されたこともあって,国内諸階層の団結の
ベトナム社会における高齢者のソーシャルサポートの構造
19
方がより強調された。ベトナムは,個人と共同体との関係は独特な「強い共同体」という関係が
存在し,村人同士の連帯意識が強固で,郷約などの共通のルールを定めて村の運営を共同で行う
という内実がある10)。
現在のベトナムは,経済発展と生活水準に関して,北部(北緯 17 度線以北の旧北ベトナムの
地域)と南部(17 度線以南の旧南ベトナムの地域)で有意に異なり,また都市部と農村部とい
う範疇でも地域格差,および経済格差がある11)。さらに,都市部と農村部では経済的だけでなく
て,文化的・社会的にも大きな格差が生じている。こうした社会的現象の中で高齢者の生活にど
のような影響をもたらしているかを検討することが,今後の必然的な課題であると言える。
特に,
人間の安全保障は,冷戦構造の崩壊を契機として世界各地で発生する諸問題に関して,
「国
家」を中心にした安全保障という伝統的アプローチ(一国の政府が国の安全と繁栄を維持し,国
民の生命・財産を守る取り組み)の中では十分に機能しなくなってきたとの認識のもと,人間の
一人ひとりの生存・生活・尊厳に対する脅威から各個人を守り,それぞれの持つ豊かな可能性を
実現するために,
「人間」を中心とした安全を重視する取り組みを強化しようとする考え方である。
人は誰もが等しく豊かな可能性を持つ存在であり,個人として尊重されるべきものであり,自由
な個人の創造的な営みの積み重ねが人類の発展を支えてきた12)。
こうした現状を踏まえると,高齢者が社会の変化によって,生活が脅かされることなく,さら
には,尊厳が冒されることがない平穏で自らの可能性や能力を発揮できる安心・安全な日常生活
の環境が整備されていることが重要だと捉える。
III. 地域社会と社会構造の相関関係
ドイモイ政策は,国民生活にも大きな影響を及ぼし,特に,都市部では核家族化を進展させる
など,さまざまな形態で都市化現象をもたらした。また,農村部では,経済成長が鈍化したこと
で,農村労働者の失業が増加し,農村部から都市部へ人口移動を派生させたことにより都市問題
を悪化させた。その中でも家族意識の変容は,同時に高齢者の扶養問題として,ベトナム社会に
顕在化した。ベトナムの人口動態の推移状況では推計で,2013 年の高齢化率13)は 8.48% で,10
年前の 2003 年の 7.70% と比較して伸び率は 0.78 ポイントであるが,10 年後の 2023 年には
12.63% と伸び率は 4.15 ポイントと高くなっており,今後,ますます高齢化は進展し,高齢者の
扶養問題が顕在化することが確実とされる(表 1)。
生活が抱える問題のうち,特に,世帯の縮小など生活単位の変容とそこから生まれる家事やケ
アなどの遂行困難という問題があり,わが国においても,ケア対処資源として,地域福祉サービ
スの制度を導入してきた。時代変遷における生活変容の過程から分析すると,新しい生活単位の
考え方や多様な生活像に社会福祉がどのように貢献できるのかを模索することが必要だと言え
る14)。
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
20
表 1. ベトナムの人口動態(Population by age and sex)
単位 : 人
2003
Age
group
2008
2013
男
女
合計
男
女
合計
男
女
合計
男
2023
女
合計
0-4
3,464,593
3,285,295
6,749,888
3,753,756
3,571,379
7,325,135
3,817,340
3,628,159
7,445,499
3,678,119
3,496,788
7,174,907
7,513,853
5-9
3,844,072
3,653,282
7,497,354
3,504,651
3,340,767
6,845,418
3,631,964
3,463,815
7,095,779
3,846,849
3,667,004
10-14
4,700,981
4,462,885
9,163,866
3,772,416
3,589,176
7,361,592
3,518,259
3,360,281
6,878,540
3,813,294
3,642,214
7,455,508
15-19
4,553,424
4,346,136
8,899,560
4,673,986
4,448,317
9,122,303
3,742,161
3,569,362
7,311,523
3,589,490
3,436,833
7,026,323
20-24
3,953,625
3,945,093
7,898,718
4,504,962
4,318,215
8,823,177
4,629,186
4,424,689
9,053,875
3,474,438
3,340,193
6,814,631
25-29
3,321,237
3,398,746
6,719,983
3,902,465
3,913,383
7,815,848
4,452,029
4,288,867
8,740,896
3,675,784
3,537,097
7,212,881
30-34
3,202,504
3,214,241
6,416,745
3,275,353
3,367,673
6,643,026
3,853,579
3,883,134
7,736,713
4,535,592
4,376,045
8,911,637
35-39
2,912,210
2,967,088
5,879,298
3,153,982
3,180,508
6,334,490
3,230,139
3,337,519
6,567,658
4,353,025
4,233,565
8,586,590
40-44
2,598,355
2,756,402
5,354,757
2,860,146
2,927,191
5,787,337
3,102,682
3,143,512
6,246,194
3,754,608
3,819,957
7,574,565
45-49
1,999,419
2,201,650
4,201,069
2,538,476
2,707,422
5,245,898
2,799,152
2,880,636
5,679,788
3,124,582
3,261,828
6,386,410
50-54
1,300,888
1,507,905
2,808,793
1,933,987
2,147,527
4,081,514
2,460,420
2,646,673
5,107,093
2,960,947
3,041,355
6,002,302
55-59
866,054
1,049,579
1,915,633
1,240,000
1,455,310
2,695,310
1,848,343
2,078,297
3,926,640
2,611,813
2,744,015
5,355,828
36,717,362
36,788,302
73,505,664
39,114,180
38,966,868
78,081,048
41,085,254
40,704,944
81,790,198
43,418,541
42,596,894
86,015,435
60-64
759,709
987,600
1,747,309
806,319
994,463
1,800,782
1,158,490
1,384,563
2,543,053
2,218,427
2,459,923
4,678,350
65-69
725,599
921,174
1,646,773
645,670
870,998
1,516,668
723,546
914,696
1,638,242
1,572,303
1,845,942
3,418,245
70-74
500,523
710,583
1,211,106
575,016
782,956
1,357,972
543,879
758,708
1,302,587
887,195
1,126,546
2,013,741
75-79
307,070
514,680
821,750
439,577
598,982
1,038,559
430,804
606,266
1,037,070
484,497
649,566
1,134,063
80 +
230,322
479,141
709,463
329,857
572,218
902,075
408,714
644,499
1,053,213
460,895
723,922
1,184,817
2,523,223
3,613,178
6,136,401
2,796,439
3,819,617
6,616,056
3,265,433
4,308,732
7,574,165
5,623,317
6,805,899
12,429,216
0-59 合計
高齢者合計
高齢化率(%)
総人口
6.43%
8.94%
7.70%
6.67%
8.93%
7.81%
7.36%
9.57%
8.48%
11.47%
13.78%
12.63%
39,240,585
40,401,480
79,642,065
41,910,619
42,786,485
84,697,104
44,350,687
45,013,676
89,364,363
49,041,858
49,402,793
98,444,651
出所 : GENERAL STATISTICAL OFFICE. PROJECT VIE/97/P14, “RESULTS OF POPULATION
PROJECTIONS FOR WHOLE COUNTRY, GEOGRAPHIC REGIONS AND 61 PROVINCES/CITIES
VIET NAM, 1999 2024,” STATISTICAL PUBLISHING HOUSE HA NOI, pp. 55 59, 2001. をもとに
筆者作成(2013)。
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「生活」とは,人間が生命を維持し保全するために必要な財貨を消費し,自立を目標として,
何年または何十年にも渡って,さらには,世代間にも渡って長期に営まれていく人間の活動であ
る。それらを通じて自ら働く力(労働力)を作り出し,次代を担う人間を家族の中で作り出して
いくものである。それらの行為は,地域社会の中で集団の中で行われながら,そこには人々と地
域との社会関係が作られ,生産関係が生まれるのである。また,生活は社会や国によって文化や
慣習を異にし,社会の中でもさまざまな矛盾や格差と闘いながら日々の生活を送っている15)。生
活が何らかの要因によって阻害されることがあれば,地域共同体の思想に基づき,地域社会の中
で対処し解決してきた。
浜岡(1998)によると,地域社会は「一定の地的範域において形成される人々の生活の共同」
と定義されるように,地域性(area)と共同性(common tie and social interaction)の両方を備え
た人々の生活状態を指している。前近代の自給自足的な共同体中心の社会から市場経済化による
社会では,都市においても,農村においても,生活の共同体をもった地域の境界線(生活の空間
的範域)は全般に拡大・拡散し,社会圏による格差の大きさや,その広域性の構造も多様化して
きている。共同体が単なる地域社会としての色彩を強めることによりその結合の範囲は不明瞭な
ものとなり,他方では地域性が部分化した共同体社会となっている。伝承されてきた伝統文化を
保持した上での近代化という意味で,伝統的な価値に基づく近代との融合の観点から,現代のベ
ベトナム社会における高齢者のソーシャルサポートの構造
21
トナムの社会状況を考えることが必要であると言える16)。
こうした生活に対する捉え方から,家族関係や地域社会との関係からソーシャルサポートは,
精神的・身体的健康に効果的な影響を与えると考えられている。また,精神的健康に関して言え
ば,ソーシャルサポートは,感情・認知・行動に反応システムの調整を維持し,機能不全に伴う
反応システムの過剰反応を防止すると考えられている。ソーシャルサポートが健康に影響する条
件を明確化する目的の 1 つである「主効果(直接効果)モデル」は,サポートなどの社会的資源
は,個人に良い影響をもたらすと考えるものである。家族関係を含めた社会との関係によって,
ソーシャルサポートが生活にどのように作用しているのか,主効果をあげる関連要因を検証する
ことによって前述した「人間の安全保障」として機能する一要因であると推考する17)。
ソーシャルサポート量と健康との関係を明らかにするのには,閾値的関係か勾配的関係である
かの検討が必要である。閾値的関係は,健康の維持ないし増進にとって必要とされる最低限のサ
ポート量が必要であり,サポート量がその閾値に達した後は,サポート量が増えてきても,あま
り大きな健康上の恩恵とはならないとする立場である。一方,勾配的関係は,サポート量は健康
上の利益と直接的関係にあり,サポート量の増加に比例して健康状態は向上するとの立場であ
る18)。ソーシャルサポートが効果を与えるものは個人であり,また社会の変化がサポート量に影
響していると解釈すると,個人の変化や社会の変化によって,サポート量が閾値に達するという
ことよりかは,特に,高齢者は加齢の変化に応じて勾配的にサポート量が必要であると捉える。
ベトナムでは,高齢者の扶養は「子ども,孫は,父母,祖父母を尊敬し,世話し,扶養する義
務を有する」と民法(1955 年制定)に定められている19)。一方,1986 年のドイモイ政策以降の
伝統的村落(ムラ社会)の希薄化,あるいは家族主義・家族機能が変容したことによって,同時
に高齢者を取り巻く環境にも影響を与えたことは前述の通りである。1985 年に配給切符が廃止
されるまでは,最低限の生活保障がされていたが,市場経済化の導入によって国民一人ひとりが
自らの手で生活保障をしなければならなくなった。しかしながら,高齢者の扶養意識は表面的に
は希薄化されていると捉えられるが,国民の心の中には存在していると言える。そのことは,
「敬
老得寿(老人を敬う者は長寿を得る)」という老親思想がベトナムには今も根強く残っているこ
とが証明している。高齢期においてはさまざまな心身や環境の変化が訪れる。高齢期はそれらの
変化を受容し適応しながら生きる時代であり,ソーシャルサポートは必要不可欠な要素である。
社会変容に伴う現代社会において,高齢者のソーシャルサポートの構造を明らかにし,高齢者が
生活をしていく上で,ソーシャルサポートのシステム化を図るが生活保障の要素となると措定す
る。
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
22
IV. 高齢者のソーシャルサポート調査
1. 調査の視点と目的
ベトナムの社会背景を踏まえ,社会保障の構成要素としての基盤を模索することを主旨とし,
ベトナム高齢者のソーシャルサポートの構造を明らかにし,地域社会におけるソーシャルサポー
トシステムの方向性を示唆することを目的として実施した。
2. 調査方法
調査は,2012 年 9∼10 月の南部地方にある都市部,農村部で 60 歳以上の高齢者 200 名を対象
とし,無記名自記式の質問紙調査を実施した。調査対象者には,調査の趣旨と調査協力を依頼し,
任意回答であることを伝えた。調査に用いた指標は,基本属性,生活認識,ソーシャルサポート
20)
21)
22)
(岩瀬ら,2008)
,主観的幸福感(Lowton,1975)
(前田ら,1989)
である。
3. 調査結果
(1)
調査の対象者の概要
1)
回収率
配布 200 票中 200 票(100%)が回収され,このうち必要項目に全て回答のあった有効回答数
は 193 票(96.50%)であった。
2) 基本属性
① 性別は男性 72 名(37.3%),女性 121 名(62.7%)であった。平均年齢は,73.93±9.2 歳。
② 出身地域は,北部 60 名(31.1%),中部 73 名(37.8%),南部 60 名(31.1%),農村部と都
市部の比率は表 2 参照。農村部と都市部の差異は,都市部は中部からの流入者が全体の割
合では 26.94% と多かった。
③
婚姻上の地位は,未婚 11 名(5.7%),死別 92 名(47.7%),離婚・別居 1 名(0.5%),既
婚 89 名(46.1%),農村部と都市部の比率は表 3 参照。農村部,都市部の共通点として,
死別,既婚者の割合が全体を占めていた。
表 2. 地域と出身地のクロス表
n=193(%)
出身地
北部
中部
南部
合計
農村部
34(17.62)
21(10.88)
42(21.76)
97(50.26)
都市部
26(13.47)
52(26.94)
18(9.33)
96(49.74)
合計
60(31.09)
73(37.82)
60(31.09)
193(100.00)
ベトナム社会における高齢者のソーシャルサポートの構造
23
表 3. 地域と婚姻上の地位のクロス表
n=193(%)
婚姻上の地位
未婚
死別
離婚・別居
合計
既婚
農村部
1(0.52)
46(23.83)
1(0.52)
49(25.39)
97(50.26)
都市部
10(5.18)
46(23.83)
0(0.00)
40(20.73)
96(49.74)
合計
11(5.70)
92(47.67)
1(0.52)
89(46.11)
193(100.00)
表 4. 地域と家族構成 のクロス表
n=193(%)
家族構成
一人暮らし
未婚の子ども
と同居
夫婦
既婚の子ども
と同居
三世代家族
合計
農村部
5(2.59)
12(6.22)
0(0.00)
70(36.27)
10(5.18)
97(50.26)
都市部
17(8.81)
17(8.81)
16(8.29)
40(20.73)
6(3.11)
96(49.74)
合計
22(11.40)
29(15.03)
16(8.29)
110(56.99)
16(8.29)
193(100.00)
表 5. 地域と職業のクロス表
n=193(%)
職業有無
④
職業なし
職業あり
合計
農村部
76(39.38)
21(10.88)
97(50.26)
都市部
88(45.60)
8(4.15)
96(49.74)
合計
164(84.97)
29(15.03)
193(100.00)
家族構成は,一人暮らし 22 名(11.4%),夫婦 29 名(15.0%),未婚の子どもと同居 16 名
(8.3%)
,既婚の子どもと同居 110 名(57.0%)
,三世代家族 16 名(8.3%),農村部と都市
部の比率は表 4 参照。農村部,都市部の共通点として,既婚の子どもとの同居の割合が多
い。差異としては,農村部に比べて都市部は一人暮らし,夫婦という縮小家族の形態が特
徴的である。
⑤
職業を持っていない人は 164 名(85.0%),持っている人は 29 名(15.0%),農村部と都市
部の比率は表 5 参照。農村部,都市部の共通点として,職業を持たない人の割合が多いが,
農村部と比較して,都市部の方が職業の割合が高かった。
⑥
病気を持っていない人は,94 名(48.7%),病気を持っている人 99 名(51.3%),農村部と
都市部の比率は表 6 参照。農村部と都市部の差異は,都市部の方が病気の割合が高く,農
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
24
表 6. 地域と病気のクロス表
n=193(%)
病気有無
病気なし
合計
病気あり
農村部
80(41.45)
17(8.81)
97(50.26)
都市部
14(7.25)
82(42.49)
96(49.74)
合計
94(48.70)
99(51.30)
193(100.00)
表 7. 生活認識得点
n=193
mean
(SD)
低群
高群
家の周りの力のいる仕事を他の人の手を借りないで行うことが
できる
1.67
(0.47)
32.6%
67.4%
この 1 年間に,あなたが病気の時,周りの親しい方はどの程度,
お世話をしてくれましたか。
1.76
(0.85)
50.8%
49.2%
あなたが周りの人たちにしてあげていることは十分だと思いま
すか。
2.33
(0.72)
51.8%
48.2%
あなたは現在,経済状態にどの程度満足していますか。
2.50
(0.81)
39.4%
60.6%
あなたは今の生活で国の支援は十分だとおもいますか。
2.20
(0.75)
65.3%
34.7%
あなたは今後の生活で,困った時に相談にのってくれる専門の
人が必要だと思いますか。
1.97
(0.16)
2.6%
97.4%
あなたは今後の生活で,健康のことで困った時にお世話をして
くれる専門の人が必要だと思いますか。
1.98
(0.12)
1.6%
98.4%
現在,あなたは健康だと思いますか。
1.44
(0.50)
56.5%
43.5%
村部は逆に病気の割合が低かった。
3)
生活認識
現在の生活に関する認識について 8 項目で回答を求め,
「低群」と「高群」分けた。(平均値を
基準)
(表 7)
。国の支援対する評価は 65.3% と否定的な評価であり,一方で今後の生活において
専門の相談員が 97.4%,専門の介護者が 98.4% と圧倒的な数値割合で多かった。
(2)
ソーシャルサポート(DSSI-J)
岩瀬ら(2008)が開発したソーシャルサポート(DSSI-J)尺度を使用した。本尺度は 24 項目
からなり,各項目について 3 分法で最も否定的な選択肢に 1 点,最も肯定的な選択肢に 3 点にな
るようにスコア値を付与し,各項目得点について,
「低群」「高群」の 2 群に分けた。なお,SS4 は,
人数区分を 5 分法とした。(平均値を基準)(表 8)。因子分析(主因子法・バリマックス回転)
の結果,因子負荷 0.4 以上の 20 項目が選択され,3 因子が抽出された(累積因子寄与率 49.76%)
(表 9)。因子負荷量の高い項目を優先し,かつ先行研究との整合性をとりながら第Ⅰ因子から順
に「情緒的支援」
「手段的支援」
「認知評価的支援」とした。ソーシャルサポートの 3 因子につい
ベトナム社会における高齢者のソーシャルサポートの構造
25
表 8. ソーシャルサポート得点
SS1
SS2
SS3
SS4
SS5
SS6
SS7
SS8
SS9
SS10
SS11
SS12
SS13
SS14
SS15
SS16
SS17
SS18
SS19
SS20
SS21
SS22
SS23
SS24
友人や身内と会う頻度に満足していますか。
どれほどの頻度で寂しさを感じますか。
家族や友人はあなたを理解していますか。
長く続いている親しい人が 1 人以上いますか。
家族や友人はあなたを理解していますか。
家族や友人に何が起こっているか知っていますか。
家族や友人に話しを聞いてもらっていると思いますか。
家族や友人の中であなたの明確な役割があると思いますか。
トラブルの時,家族や友人を頼れますか。
あなたの一番深刻な問題について話しができますか。
家族や友人との関係でどれくらい満足していますか。
病気の時に手助けしてもらえますか。
買い物に行ってもらえますか。
プレゼントをしてもらえますか。
お金を貸してもらえますか。
家の周りの片づけをしてもらえますか。
家事をしてもらえますか。
仕事や経済的な問題のアドバイスをしてもらえますか。
仲間に誘ってもらえますか。
あなたの問題を聞いてもらえますか。
生活上の問題の対処についてアドバイスをしてもらえますか。
車を出すなど,交通手段を準備してもらえますか。
食事を作ってもらえますか。
老親の世話をしてもらえますか。
n=193
mean
(SD)
低群
高群
3.33
2.33
2.72
2.88
2.66
2.27
2.46
2.62
2.41
1.98
2.74
2.98
1.91
1.55
1.21
1.23
1.8
1.4
1.56
2.26
2.32
1.92
1.94
2.85
0.91
0.70
0.57
1.40
0.63
0.73
0.58
0.58
0.60
0.66
0.51
0.12
0.83
0.76
0.52
0.54
0.82
0.74
0.71
0.77
0.72
0.74
0.82
0.47
43.5%
53.4%
22.8%
38.9%
24.9%
56.5%
50.3%
32.6%
52.8%
22.3%
22.8%
1.6%
39.4%
60.6%
83.9%
82.9%
45.6%
75.1%
57.0%
53.9%
53.4%
31.6%
36.8%
9.8%
56.5%
46.6%
77.2%
61.1%
75.1%
43.5%
49.7%
67.4%
47.2%
77.7%
77.2%
98.4%
60.6%
39.4%
16.1%
17.1%
54.4%
24.9%
43.0%
46.1%
46.6%
68.4%
63.2%
90.2%
表 9. ソーシャルサポート : 因子分析結果
SS8
SS10
SS3
SS9
SS7
SS20
SS6
SS21
SS5
SS11
SS4
SS23
SS13
SS22
SS17
SS19
SS16
SS14
SS15
SS18
家族や友人の中であなたの明確な役割がありますか。
あなたの一番深刻な問題について話しができますか。
家族や友人はあなたを理解していますか。
トラブルの時,家族や友人を頼れますか。
家族や友人に話しを聞いてもらっていると思います
か。
あなたの問題を聞いてもらえますか。
家族や友人に何が起こっているか知っていますか。
生活上の問題対処についてアドバイスをもらえます
か。
家族や友人はあなたを役に立つと思っていますか。
家族や友人との関係でどれくらい満足していますか。
長く続いている親しい人が 1 人以上いますか。
食事を作ってもらえますか。
買い物に行ってもらえますか。
車を出すなど,交通手段を準備してもらえますか。
家事をしてもらえますか。
仲間に誘ってもらえますか。
家の周りの片づけをしてもらえますか。
プレゼントをしてもらえますか。
お金を貸してもらえますか。
仕事や経済的な問題のアドバイスをしてもらえます
か。
因子寄与
因子寄与率(%)
n=193
回転後因子負荷量
mean
(SD)
2.62
1.98
2.72
2.41
2.46
0.584
0.657
0.565
0.599
0.577
0.692
0.644
0.643
0.633
0.632
−0.154
−0.156
0.108
0.238
0.053
0.077
−0.021
−0.098
0.162
0.263
0.435
0.480
0.357
0.488
0.471
2.26
2.27
2.32
0.769
0.729
0.715
0.608
0.603
0.598
0.311
−0.352
0.286
0.233
0.029
0.260
0.509
0.484
0.439
2.66
2.74
2.88
1.94
1.91
1.92
1.8
1.56
1.23
1.55
1.21
1.4
0.634
0.505
1.404
0.824
0.834
0.738
0.82
0.713
0.54
0.756
0.522
0.737
0.539
0.521
0.492
−0.096
0.101
−0.015
−0.090
0.451
−0.094
0.090
0.039
0.274
−0.210
−0.226
−0.484
0.782
0.769
0.742
0.731
−0.453
0.044
0.458
0.103
0.364
−0.149
−0.084
−0.059
0.145
0.266
0.089
0.176
−0.048
0.722
0.647
0.646
0.515
0.330
0.672
0.636
0.429
0.532
0.574
0.473
0.411
0.521
0.507
0.559
0.642
4.328
21.641
3.600
18.001
2.023
10.116
9.951
49.759
情緒的支援 手段的支援 認識評価的支援
共通性
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
26
図 2. 手段的支援 : 度数分布
図 1. 情緒的支援 : 度数分布
図 3. 認識評価的支援 : 度数分布
表 10. ソーシャルサポートと属性の比較
n=193
情緒的支援
手段的支援
認識評価的支援
人数(%)
人数(%)
人数(%)
低群
地域
高群
農村部
47(24.35) 50(25.91)
都市部
56(29.02) 40(20.73)
男性
40(20.73) 43(22.28)
女性
74(38.34) 47(24.35)
職業の
有無
なし
99(51.30) 65(33.68)
病気の
有無
なし
35(18.13) 59(30.57)
あり
68(35.23) 31(16.06)
性別
あり
4(2.07)
25(12.95)
p値
n.s.
**
**
***
低群
93(48.19)
高群
4(2.07)
33(17.10) 63(32.64)
49(25.39) 23(11.92)
77(39.90) 44(22.80)
100(51.81) 64(33.16)
26(13.47)
3(1.55)
84(43.52) 10(5.18)
42(21.76) 57(29.53)
p値
***
n.s.
**
***
低群
95(49.22)
高群
2(1.04)
35(18.13) 61(31.61)
46(23.83) 26(13.47)
84(43.52) 37(19.17)
106(54.92) 58(30.05)
24(12.44)
5(2.59)
84(43.52) 10(5.18)
46(23.83) 53(27.46)
p値
***
n.s.
*
***
χ2 検定:*p<.05, **p<.01, ***p<.001, n.s. : not significant
て,各項目の得点を合計した(図 1, 2, 3)。さらに,各因子について項目数で除したものを各因
子の得点とし,
「低群」と「高群」の 2 群に分けた(平均値を基準)。
1)
ソーシャルサポートと属性の比較
各因子について,項目の得点によって分けられた 2 群と,属性との関連に差があるか否かを χ2
検定によって比較した(表 10)。
情緒的支援については,性別( p<.01),職業の有無( p<.01),病気の有無( p<.001)におい
て有意差が認められた。手段的支援については,地域( p<.001),職業の有無( p<.01)
,病気の
有無( p<.001)において有意差が認められた。認識評価的支援については,地域( p<.001),職
業の有無( p<.05),病気の有無( p<.001)において有意差が認められた。
2) ソーシャルサポートと主観的幸福感の比較
各因子について,項目の得点によって分けられた 2 群と,主観的幸福感の各因子の低群と高群
ベトナム社会における高齢者のソーシャルサポートの構造
27
表 11. ソーシャルサポートと主観的幸福感の比較
n=193
低群
M:
心理的安定
M:
楽天的思考
情緒的支援
手段的支援
認識評価的支援
人数(%)
人数(%)
人数(%)
高群
p値
低群
65(33.68) 31(16.06)
高群
38(19.69) 59(30.57)
低群
51(26.42) 12(6.22)
高群
52(26.94) 78(40.41)
***
***
低群
高群
p値
41(21.24) 55(28.50)
85(44.04) 12(6.22)
48(24.87) 15(7.77)
78(40.41) 52(26.94)
***
*
低群
高群
46(23.83)
p値
50(25.91)
84(133.33) 13(6.74)
50(25.91)
13(6.74)
80 (41.45)
50(25.91)
***
**
χ2 検定 : *p<.05, **p<.01, ***p<.001, n.s. : not significant
表 12. 主観的幸福感得点
n=193
mean
(SD)
否定群
肯定群
M1
あなたは自分の人生は年をとるにしたがって,だんだん悪くなっ
ていると思いますか。
1.39
0.49
60.60%
39.40%
M2
あなたは現在,昨年と同じくらいに元気がありますか。
1.44
0.50
56.50%
43.50%
M3
寂しいと感じることがありますか。
1.51
0.50
48.70%
51.30%
M4
ここ 1 年くらい小さなことを気にするようになったと思いますか。
1.77
0.42
23.30%
76.70%
M5
心配だったり,気になったりして眠れないことがありますか。
1.51
0.50
49.20%
50.80%
M6
年をとることは若い時に考えていたより良いと思いますか。
1.77
0.42
23.30%
76.70%
M7
生きていることは難しいことだと思いますか。
1.49
0.50
50.80%
49.20%
M8
若い時と比べて今の方が幸せだと思いますか。
1.46
0.50
54.40%
45.60%
M9
悲しいことが沢山ありますか。
1.56
0.50
44.00%
56.00%
M10 不安に思うことがありますか。
1.52
0.50
47.70%
52.30%
M11 前よりも腹を立てる回数が多くなったと思いますか。
1.94
0.24
6.20%
93.80%
M12 今の生活に満足していますか。
1.71
0.46
29.00%
71.00%
M13 物事をいつも深刻に受け止める方ですか。
1.85
0.35
14.50%
85.50%
M14 心配事があるとすぐに不安になる方ですか。
1.60
0.49
39.90%
60.10%
において差があるか否かを χ2 検定によって比較した(表 11)。
情緒的支援については,心理的安定( p<.001),楽天的思考( p<.001)
,において有意差が認
められた。手段的支援については,心理的安定( p<.001)において有意差が認められた。認識
評価的支援については,心理的安定( p<.001),楽天的思考( p<.01)において有意差が認めら
れた。
(3)
主観的幸福感(P.G.C. モラール・スケール)
主観的幸福感は,ロートンが開発した P.G.C. モラール・スケール(Lowton,1975)を前田ら(1989)
がアメリカとの比較で用いた尺度を使用した。
本尺度は 14 項目からなり,各項目について 2 分法で否定的な選択肢に 1 点,最も肯定的な選
択肢に 2 点になるようにスコア値を付与し,各項目を「否定群」
「肯定群」の 2 群に分けた(表
12)
。因子分析(主因子法・バリマックス回転)の結果,因子負荷 0.4 以上の 12 項目が選択され,
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
28
表 13. 主観的幸福感 : 因子分析結果
n=193
M5
心配だったり,気になったりして眠れない
ことがある。
mean
(SD)
1.51
(0.50)
回転後因子負荷量
心理的安定 楽天的思考
0.809
共通性
0.161
0.573
0.552
M10
不安に思うことが沢山ありますか。
1.52
(0.50)
0.798
0.318
M3
寂しいと感じることがありますか。
1.51
(0.50)
−0.793
−0.324
0.734
M14
心配事があるとすぐに不安になる方ですか。
1.60
(0.49)
0.787
−0.217
0.681
M9
悲しいと思うことが沢山ありますか。
1.56
(0.50)
0.756
0.289
0.467
M7
生きていくことは難しいことだと思います
か。
1.49
(0.50)
0.715
0.249
0.573
M1
人生は年をとるにひたがって,悪くなると
感じますか。
1.39
(0.49)
0.707
0.269
0.498
M2
現在,昨年と同じくらい元気がありますか。
1.44
(0.50)
0.578
0.466
0.656
M13
物事をいつも深刻に受け止める方ですか。
1.85
(0.35)
0.457
−0.123
0.739
M6
年をとることは若い時に考えていたより,
良いと思いますか。
1.77
(0.42)
−0.198
0.654
0.286
M8
若い時と比べて今の方が幸せですか。
1.46
(0.50)
0.319
0.629
0.224
M12
今の生活に満足していますか。
1.71
(0.46)
0.178
0.505
0.667
因子寄与
因子寄与率(%)
4.841
1.808
6.649
40.341
15.066
55.407
図 4. 心理的安定 : 度数分布 図 5. 楽天的思考 : 度数分布
2 因子が抽出された(累積因子寄与率 55.41%)(表 13)
。因子負荷量の高い項目を優先し,かつ
先行研究との整合性をとりながら第Ⅰ因子から順に「心理的安定」「楽天的思考」とした。主観
的幸福感の 2 因子について,各項目の得点を合計した(図 4.5)
。さらに,各因子について項目数
で除したものを各因子の得点とし,「低群」と「高群」の 2 群に分けた(平均値を基準)。
ベトナム社会における高齢者のソーシャルサポートの構造
29
V. 考察と今後の展望
1. ソーシャルサポートと他の要因との関連性
都市部と農村部において,情緒的支援に有意差は認められなかったが,手段的支援・認識評価
的支援においては,圧倒的な分散の差として農村部において低くなっている。農村部で暮らす高
齢者は,情緒的支援は地縁関係に基づく人間関係が存在していると推考される。また,農村部で
は疾病に罹患している割合が都市部と比較して低かったことも要因であると推考される。ベトナ
ムの社会構造の変容によって,都市部はもとより農村部においても国民生活は大きく変化した。
特に,農村部から都市部への人口移動は著しく,それによって家族および,地縁の関係性が低下
した。その結果として,手段的支援・認識評価的支援の授受は高齢化に伴い,支援に対する必要
性としての意志の有無とは別の次元において農村部では難しい状況を招いていると 2 つ側面から
推考される。
性別においては,情緒的支援は女性が有意に低い水準であった。ベトナムでは,儒教伝来後の
男性規範として大部分の農民層に家父長制の影響下にあったことが影響し,女性は支援を授受す
るよりも提供する存在としての意識が根底にあったことが要因として推考される。
職業においては,仕事を持っていることが情緒的にも手段的・認識評価的にも授受に影響を与
えていることが明らかになった。仕事を通しての対人交流や社会関係が成立しやすいという条件
が要因となり,同時に,仕事を持たない高齢者の社会関係をどのように築くかの検討が必要な課
題とも言える。
病気に関しては,病気によって手段的・認識評価的支援は比例関係にあるが,逆に情緒的支援
は負の相関関係であることが明らかになった。生活を継続していくためには,情緒的支援も必要
であるが,より手段的支援の必要性が生活の中では色濃いものになっていると推考される。
2. ソーシャルサポートと主観的幸福感の関連性
情緒的支援は心理的な安定と比例関係であり,さらには,情緒的支援は楽天的な思考に影響を
及ぼしていることが明らかになった。一方で,手段的・認識評価的支援は,心理的安定や楽天的
思考において,負の相関関係であることが明らかになった。つまり,手段的・認識評価的支援は,
生活で必要な時に必要な量が提供されるものであり,同時に情緒的支援が充足されることで心理
面や思考に相乗効果をもたらし,手段的・認識評価的支援は二次的な支援手段であると推考され
る。したがって,因子項目から概観し,情緒面において必要な時に必要な社会関係を結べる環境
が重要であり,ソーシャルサポートの中軸であると言える。
主観的幸福感の得点結果おいて,14 項目中で加齢に伴う 4 項目について中立点よりわずかに
否定的な方向へ偏っていた。加齢に伴う過去との比較であるために,身体的な変化が現実の中で
自覚的に起こっていると推考される。一方で,年をとることについて若い時に考えていた時での
30
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
比較においては,76.70% と極めて高い数値で肯定的な評価であった。高齢者に対するエイジズ
ム(ageism)が存在していたと言える。エイジズムについては,最初に批判的考察を行ったアメ
リカの精神医学者ロバート・バトラー(R. Butler)によれば,それは「人種差別や性差別が皮膚
の色や性別を持ってその目的を達成するように,老人差別は,年をとっているという理由で組織
的に 1 つの型にはめ差別することである。老人差別は,われわれの生産性志向の社会が,非生産
者に対して,ほとんど用はないかのような態度をとる現実を認め,これと正面から対処すること
を回避する逃げ道としている」と定義されている。さらに重要なこととして,バトラーはこうし
たエイジズムに影響されて高齢者自身がそれを内在化させ自己を否定的にとらえてしまうことも
24)
指摘している23)。一方,アードマン・パルモア(E.B. Palmore)
は,エイジズムを回避するた
めには,基本的な前提条件として,老化や高齢者に関する偏らない科学的な認識を持つことであ
ると論じている。したがって,高齢者を支える世代において,敬老思想を思想に留まらせないた
めには,高齢者に対する知識をもつことが一方に偏したステレオタイプ的な老化・高齢者観を避
けることになり,ソーシャルサポートへと繋がると推考される。また,高齢者自身が高齢期を迎
えたステージにおいて,現実を肯定的に捉えていることを支える一要因になり得ると言える。
3. 今後の課題
生活認識の結果から,国に対する支援に対して 65.3% と不十分だと感じていることは,逆接
的な解釈として,国に対する期待の大きさの表出であると言える。また,専門の相談員は
97.4%,専門の介護員は 98.4% が必要性であるとする高い数値結果は,外部機能としての生活保
障を政府に求めていると推考される。農村部と比較して,都市部は他の地域からの流入者の比率
割合が多いことからも,地域社会との結びつき地縁関係が形成されていないと推考される。
以上の研究結果から,ソーシャルサポートのシステム化にあたっては,都市部と農村部におけ
る生活環境の相違を視野におくことが不可欠であると言える。また,ベトナムの地域差を北部・
中部・南部の枠組みから歴史的に見ると,北部は強い共同体意識を持つ農民のイメージが支配的
で,生真面目で保守的,ベトナム社会の揺籃の地を自負する誇り高さを共有している。中部は耕
地が限られかつ台風などの自然災害が多い地域なので,特に貧しさが強調される土地柄で,人々
は忍耐強く,向上心のある実直な人が多い。南部は新たに開拓された土地で,輝く太陽と熱帯気
候で豊かで開放的である25)。したがって,地域によるベトナム人の気質の違いもソーシャルサポー
トに大きく影響していると言える。
ベトナムの人口動態を踏まえた人口構造やドイモイ政策以降の社会的変化,家族機能の変容か
ら概観し,地域社会を視座においたソーシャルサポートシステムの検討が不可欠な課題として示
唆された。
ベトナム村落は,地縁及び地縁関係に基づく社会結合の強さが,伝統的な共同体の基盤にある。
ベトナムでは,「国王の法も村の習慣に従う」という諺にみるように,伝統的な村落を補完する
ベトナム社会における高齢者のソーシャルサポートの構造
31
対処資源としてソーシャルサポートは今後の高齢者支援において重要な意義を持つと言える。
註
1) 振興会による平成 24∼26 年度科学研究費補助金基盤研究(c)JSPS 科研費 24530720 の助成に
おける成果の一部として執筆されたものである。
2) 後藤美恵子「ベトナムと日本の介護職員に職務意識構造の比較研究 ─ ベトナム社会における
高齢者対策としての専門教育の示唆 ─」『東北福祉大学研究紀要』第 37 巻,p. 84, 2013.
3) 恩田守雄『開発社会学 ─ 理論と実際』ミネルヴァ書房,p. 270, 2006.
4) タイン・ティン・中川明子訳『ベトナム革命の素顔』めこん,p. 403, 2002.
5) ジョン・マクラー,宮崎弘和訳「社会構造と価値体系」上智大学アジア文化研究所編『新版 入門東南アジア研究』めこん,pp. 125 126, 2009.
-
6) 佐藤 寛編『援助と社会の固有要因 ─ 経済協力シリーズ第 177 号』アジア経済研究所,pp.
22 23, 1995.
-
7) 黒田学・向井啓二・津止正敏・藤本文朗編『胎動するベトナム教育と福祉 ─ ドイモイ政策下
の障害者と家族の実態』文理閣,p. 53, 2003.。
8) 中村優一他編『世界の社会福祉年鑑 2002 年』旬報社,pp. 427 429, 2002.
-
9) 黒田学他(2003),前掲書,p. 89.
10) 坪井義明『ヴェトナム現代政治』東京大学出版会,pp. 37 39, 2002.
-
11) 坪井義明(2002)
,前掲書,pp. 222 223.
-
12) 唐木圀和他編『現代アジアの統治と共生』慶應義塾大学出版会,pp. 33 34, 2002.
-
13) ベトナムでは,1998 年に高齢者保護法(Ordinance on Care for Elderly)が制定され,60 歳以上
の国民を高齢者と規定した。
14) 江口英一編『改訂新版 生活分析から福祉へ ─ 社会福祉の生活理論』光生館,pp. 15 16, 1998.
-
15) 江口英一編(1998),前掲書,p. 4.
16) 江口英一編(1998),前掲書,pp. 46 47.
-
17) シェルドン・コーエン,リン G. アンダーウッド,ベンジャミン H. ゴットリーブ編・小杉正太郎,
島津美由紀,大塚泰正,鈴木綾子監訳『ソーシャルサポートの測定と介入』川島書店,p. 14,
2005.
18) シェルドン・コーエン他(2005),前掲書,p. 19.
19) 青柳まちこ編『老いの人類学』世界思想社,p. 45, 2004.
20) 岩瀬信夫・池田貴子「Deke Social SupportIndex 日本語版(DSSI J)の開発」『愛知県立看護
-
大学紀要』Vol. 14, pp. 19 26, 2008.
-
21) Kowton, N.P., The Philadelphia Geriatric Center Morale Scale : A revision. Journal of Gerontologyi,
30, pp. 85 89, 1975.
-
22) 前田大作他「高齢者の主観的幸福感の構造と要因」『老年社会学』No. 30,東京大学出版会,
1989.
23) ロバート・バトラー・中薗耕二監訳『老後はなぜ悲劇なのか ?』メヂカルフレンド社,p. 15,
1975.
24) アードマン・B・パルモア ; 鈴木研一訳『エイジズム 高齢者差別の実相と克服の展望』明石書
-
店,pp. 166 168, 2002.
-
25) 坪井義明(2002),前掲書,p. 18.
保護者支援から見る子どもをとりまく環境の今日的課題
33
保護者支援から見る子どもをとりまく環境の今日的課題
高 野 亜 紀 子
要旨 : 保護者支援から見えてくる保護者の現状を明らかにした上で,子どもを取り巻く環
境(とりわけ人的環境)に関する今日的課題について検討するため,保育者を対象とした
インタビュー調査を行った。その結果,保護者の価値観や考えが多様化し,保育者には様々
なクレーム対応に迫られることがあるが,それ以上に,複雑な事情を抱える家庭や人間関
係の希薄化が進む保護者への支援に苦慮し,保育者の心理的負担にもつながっていること
が明らかとなった。保育者は,こうした保護者の姿が,将来的な側面を含め,子どもの成
長過程に影響を与えていることを危惧しているが,子どもを第一義的に考える保育者と,
必ずしもそうではない保護者との間には齟齬が生じていた。これらのことから,子どもの
生活環境の安定化に保護者支援は重要な役割を果たし,子育て支援サービスの充実は必須
の課題ではあるが,その内容については,保護者が保護者としての役割やあり方を見失わ
ないよう慎重に検討していくことの必要性が示唆された。
キーワード : 保護者支援,子どもの環境,保育者
I は じ め に
厚生労働省によると,2012 年の合計特殊出生率(1.41)が 2 年ぶりに上昇傾向を示した一方で,
同年の出生数は過去最少(103 万 7,101 人)となり,依然少子化傾向が続いている1)。また,都
市部を中心に深刻化する待機児童問題や,核家族化の進行による子育ての孤立感・負担感の増加
をはじめ,子どもや子育て家庭をめぐっては喫緊の課題が山積しており,実行性のある支援策が
求められている。
こうした現状を受け,保護者が子育てについての第一義的責任を有するという基本的認識の下,
幼児期の学校教育・保育や,地域の子ども・子育て支援を総合的に推進すべく,平成 24 年 8 月,
2)
「子ども・子育て関連 3 法」
が可決・成立し,平成 27 年 4 月から,それに基づく「子ども・子
育て支援新制度」(以下,「新制度」と略す。)の本格スタートが予定されている。新制度は,「質
の高い幼児期の学校教育・保育の総合的な提供」,「保育の量的拡大・確保,教育・保育の質的改
善」
,「地域の子ども・子育て支援の充実」といった,すべての子どもに良質な育成環境を保障し,
一人ひとりの子どもが健やかに成長することができる社会の実現を目的にしている3)。具体策の
一つとして,学校と児童福祉施設としての法的位置づけを持ち,幼児教育と保育を一体的に提供
する「認定こども園」の普及を推進し,どのような働き方の親の子どもについても,学校教育が
受けられる環境を目指している4)。加えて,地域のニーズに応じた多様な子育て支援,待機児童
解消のための保育の受入れ人数の増加,子どもが減少傾向にある地域の保育支援が,主な取り組
み内容となっている 5)。この新制度では市町村が実施主体となり,地域の実情を反映した事業計
34
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
画を策定し,それに基づき施設やサービスを整備・実施していくこととなっており,事業計画の
策定に向け,各市町村では地域の保護者を対象にニーズ調査が実施され始めたところである。
このように,子ども・子育て家庭のニーズをすくい上げ,幼児教育・保育・子育て支援の質・
量の充実を目指した新制度開始に向けた準備が進められようとしているが,新制度の基本的認識
で「子育てについての第一義的責任を有する」とされている保護者については,保育者がその対
応に苦慮している現状が報告されている。望月(2008)6)は,虐待遭遇経験のある保育士を対象に,
保育士が子どもの虐待を疑った時の対応と,その際に苦慮したことを検討した。その結果,保育
者は,保護者とのコミュニケーションの取り方,虐待と躾の見極め,通告時期の判断,他施設と
の連携,虐待の認識や価値観の違いに,対応の難しさを感じていることが明らかになった。また,
7)
久保山(2009)
が幼稚園・保育所に勤務する保育者を対象に,保育者にとっての「気になる保
8)
護者」
を尋ねた調査によると,幼稚園では「子ども観や子どもの見方が気になる」,
「子どもや
育児に対する不安・心配」,「子どもに対して過保護,過干渉」,「園に関心が薄い,協力的でない」
のカテゴリーが順に高い割合を示したのに対し,公立保育所では「子どもに無関心,放任」,
「子
どもより自分(保護者)中心」,「子どもに対して乱暴」,
「保護者の病気や病的な状態」のカテゴ
リーが高い傾向が見られた。加えて,保育園保育士を対象に「気になる保護者」についてアンケー
トを行った藤後(2010)9)によると,「気になる保護者」は子どもの年齢が上がることに増加し,
養育態度や親子関係が最も気になる行動として保育者に認識されていることが明らかとなった。
これらのことから,虐待(身体的虐待,ネグレクト)や障害の可能性が疑われるケースに限らず,
日常的な関わりの中でも保育者が保護者支援に何らかの難しさを感じていることは明らかであ
る。
しかし,これらはいずれもアンケート調査で,かつ,保護者支援の実態とその難しさに焦点を
あてたものであり,その対応の仕方や子どもへの影響を含め質的研究により言及した調査は類を
見ない。
そこで本稿では,保護者支援から見えてくる保護者の現状を明らかにした上で,子どもを取り
巻く環境に関する今日的課題について検討することを目的とする。なお本稿では,子どもの成長
過程に最も影響を及ぼすと思われる保育者,保護者という人的環境の視点から,課題を捉えてい
くこととする。
II 研 究 方 法
1. 対象者
社会福祉法第 82 条及び児童福祉施設最低基準第 14 条の 310)には,苦情解決に関する規定が明
記されている。これを根拠に,保育所では苦情解決に関する規程や窓口,委員会等が整備されて
おり,苦情解決体制における責任者は,施設長や理事等が務めることになっている11)。このこと
保護者支援から見る子どもをとりまく環境の今日的課題
35
から,保育所における保護者支援に関する事例が施設長に集約されることを推測し,対象者は保
育所の園長(園長代行を含む)とした。研究の趣旨や倫理的配慮等を事前に説明し,調査協力を
依頼した結果,保育士資格を有する 3 名の園長(うち,園長代行 1 名を含む。以下,「保育者」
という。)から同意を得た。対象者の平均保育経験は 33 年で,3 園中 2 園において,通園児以外
に地域の子育て家庭を対象とした事業(一時預かりや地域子育て支援,園庭開放)を行っていた。
2. データの収集方法
調査期間は 2013 年 9 月 4 日から 9 月 27 日で,1 対 1 の半構造化面接によりデータを収集した。
データは,事前に対象者から許可を得たうえで面接内容を IC レコーダーに録音し,逐語録をお
こした。面接では,対象者が自由に思いを語れるようを意識しながら,日常的にどのような場面,
あるいは手段を用いて保護者と関わりをもっているか,所属機関における保護者支援の具体的な
事例とその対応方法や,保護者支援に対する思いを中心に質問を行った。
3. 分析方法
得られたデータから逐語録を作成した後,修正版グラウンデッド・セオリー・アプローチ(以
下,「M-GTA」という。)を用いて分析した。M-GTA は,看護領域における質的研究の分析方法
として,1960 年代に B.G. グレイザーと A.L. ストラウスによって考案されたグラウンデッド・セ
12)
オリー・アプローチを,木下(2003)
が実践的に改良・発展化した研究手法である。近年では,
看護,保健,医療領域に加え,福祉,教育,心理など,様々なヒューマンサービス領域における
13)
質的研究技法として高い評価を得ている。木下(2003)
は,人間と人間が直接的にやり取りを
する社会的相互作用に関わる研究であること,ヒューマンサービス領域に関する研究であること,
研究対象とする現象がプロセス的性格をもっていることの 3 点を,M-GTA に適した研究として
挙げている。本研究は,保育者と保護者の相互作用から導き出される子どもの環境について検討
することを目的としている。また,子どもの環境に関する今日的課題は,保育者と保護者の経年
的な関わりや,保護者が育ってきた環境というプロセスを通じて形成されてきた事象に基づくも
のである。これらのことより,本研究では分析方法として M-GTA を採用した。
分析は,M-GTA が求めるプロセス14)に基づき,逐語録の中から保護者支援,子どもを取り巻
く環境等に関する文脈をチェックした。そこから分析ワークシートに具体例を書き込み,概念化
し定義を設定したうえで,類似例や対極例等を理論的メモに整理し,複数の概念の関係からなる
カテゴリーを生成した。カテゴリー相互の関係から分析結果をまとめ,その後,概念間の関係図
(図 1)とストーリーライン(概要を簡潔に文章化したもの)の作成を行った。
4. 倫理的配慮
対象者には,事前に調査の目的,方法,プライバシーへの配慮等について口頭及び文書で説明
36
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
図 1 保護者支援における概念関係図
を行い,自由意志に基づき同意書を得た。また,面接の際,語りたくない質問には回答を拒否す
ることができること,面接の途中でも対象者からの申し出により面接を中断,中止ができること
に加え,参加に同意した場合でも随時これを拒否及び撤回することができることを説明した。な
お,本研究は研究者の所属する大学の倫理委員会の承認を得て実施した(東北福祉大学研究倫理
委員会)
。
III 結 果
M-GTA の分析手順に従い,分析ワークシートを作成し,概念,カテゴリーの解釈を行った。
その結果,22 の概念と 8 つのカテゴリーが生成された。以下文中において,カテゴリーは【 】,
概念は〈 〉
,インタビュー対象者の具体的な語りの引用は “ ” で示す。なお,具体的な語りの
内容に対する補足は,( )で示す。
1. ストーリーライン
ライフスタイルの多様化が進む中で,保護者には子育てや保育所に対する〈考え方,価値観の
多様化〉が見られる。日々の保育や行事に関し,保育者に自らの要望について〈直接的な意思表
示〉をする保護者の場合,それがクレームという形であっても,保育者には互いの理解,意思の
疎通につながると,前向きに捉えられることもあるが,むしろ〈間接的な意思表示〉が見られる
保護者に対して,保育者はその心情を把握することに苦慮している。このような点において,
【保
護者からのクレーム】に対する保育者の思いとしては,対極性が存在しているが,いずれの場合
保護者支援から見る子どもをとりまく環境の今日的課題
37
においても,〈日々の丁寧な関わり〉,〈組織内の連携〉を念頭に保護者支援を心がけ,特に〈間
接的な意思表示〉を示す保護者に対しては,
〈保育者からの働きかけ〉を意図的に行うことで,
【信
頼関係の構築】に努めている。
また,最近の傾向として親の病気や介護など,保育所への〈入所理由の変化〉が目立ち始めて
いる。子育ての中心的役割を担う母親だけでなく,父親も含めた〈家族全体に対する支援〉が必
要なケースも存在するが,〈プライバシーや個人情報保護の問題〉が絡み,支援の必要性を感じ
つつも踏み込むことが難しい現状もある。こうした【複雑な事情を抱える家庭】への支援は保育
者への負担増につながっている。これに対し,保育所で〈様々な角度からの対応〉を試みながら,
保育所だけで対応しきれない部分については〈関連機関との連携〉をはかることで【多角的な支
援】を行っている。
加えて,保育所では〈保護者同士の交流〉が見られる場面もあるが,〈深い関わりを避ける保
護者〉が増え,いざというときに助けあう相互扶助の関係は育ちにくい状況にある。また,働く
母親の場合は,仕事を通じて〈社会とのつながり〉が保たれる一方,働いていない母親の場合は
それがないため,〈社会からの疎外感,孤立感〉を感じやすい傾向にある。こうした傾向を保育
者は,親自身が育ってきた環境,育てられ方の影響といった〈育ち方の連鎖〉が背景にあるので
はないかと捉えており,【人間関係の希薄化】が保護者支援における問題の一つになっている。
これに対し,保育所では行事等を通じて親同士をつなぐ〈きっかけづくり〉を心掛けているもの
の,親自身の意識を変えるのは容易ではなく,【人をつなぐ支援】は保育者の意図するようにい
かない状況である。
こうした保護者の姿から,保育者は,〈「親の写し鏡」〉のように保護者の心身の状態が子ども
の態度,様子に反映されることや,子どもが〈狭い価値観〉の中だけで育つこと,他者との関係
形成がしにくくなるといった〈関わり方の連鎖〉に,【子どもへの影響】が及ぶことを懸念して
いる。
これらの課題に対し保育者は,子どもの将来を見据え,保護者が〈親のあり方〉を再考するこ
とが必要だと感じている。保育者には,〈子どもを中心にした思い〉が先にあり,保護者支援に
おける諸課題についても,子どもを第一義的に捉え対応を検討している。しかし保護者の場合,
〈子
どもを中心にした思い〉が必ずしも先に立たない場合があり,【保育者が求めるもの】との間に
齟齬が生じている可能性がある。
以上のストーリーラインを示す概念図を,図 1 に示す。
2. カテゴリーごとの説明
1)
保護者からのクレーム
数十年の保育歴を通じて,保育者は,昨今,保護者の子育てや保育所に対する〈考え方,価値
観の多様化〉が見られることを感じており,“子どもが育つ環境が変わってきているのと同時に,
38
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
それだけでなく,親の環境が変わってきているのと,考え方もその人によっていろいろで,いろ
いろな親御さんがいるなと感じることが多い。” と語っている。そうした〈考え方,価値観の多
様化〉により,保育所に対して,クレームという形で〈直接的な意思表示〉を示す保護者も見ら
れる。日常の中で起こる小さな出来事やクレームは,例えば,『洋服がなくなった』
,
『他の子の
汚れものが入っていた』など,“保育士からすれば些細なことのように思う。” 場合も少なくない。
そうしたクレームに対し保育者は,“それこそ価値観の違いよね。” という視点で受け止め,“言っ
てきて下さった方が保育園に対してどう思ってるかな,とか,この親御さんはこういう風にした
いんだな,とか,子育てに対してこう考えているんだな,というのがわかる。”,“それ(クレー
ムという形)でも言ってくれる人はいいと思う。” と,必ずしも批判的に受け止めているわけで
はない。
反対に,時には,“
(保育所を)とびこえて福祉事務所に直接いかれることもあるし,逆に福祉
事務所とか保育課から(保護者からの苦情,相談に関する)情報が入ることもある。” ように,
保護者から保育所に対し〈間接的な意思表示〉が見られることもある。この〈間接的な意思表示〉
は,
「保育所に対し何も語らない」という態度で示されることもあり,“ただ預けるだけ,という
感覚でものを言わないのか,言っても無駄だと思っているのか,その辺はわからない。”,“言っ
てくれないと,どう思っているかな,と思うし,思っていることすら気づかないこともある。”
と保育者を困惑させている。そうした保護者の姿を保育者は,“ひょっとすると自分の子どもの
姿を捉えられていないのかもしれない。” ため,何も言ってこないのかもしれないと推測してい
る。
2)
信頼関係の構築
こうした【保護者からのクレーム】に対し,保育者は “小さなケガでも親によってとらえ方が
違うし,そういうあたりでの対応ではだいぶ私たちも苦しくなってきています。大分慎重に,丁
寧に対応しなければならないなということを感じてます。” と支援の難しさを実感しながらも,
“日常的なことは丁寧に対応していけばなんとか解決できるところもあるし,信頼関係を築いて
いくためにも,丁寧に対応していけば大丈夫な事例はたくさんある。”,“説明を丁寧にやってい
” と〈日々の丁寧な関わり〉により解
くことで,いまではほとんどクレームはなくなったかな。
決に結びつけている。また,いずれの保育所においても,「子どもに関することは基本的には担
任が対応するが,親が納得しないようなケース,保育所全体に関する意見,質問が寄せられた場
合は主任や園長が対応する」という,ある一定の体制を整えている。加えて,“みんなが認識し
て共通理解しておけば,誰でも(その保護者に)声をかけられるようになるので,そういう連携
だけは怠らないようにしましょうと,職員の中でするようにしています。” という語りにあるよ
うに,〈組織内の連携〉が強く意識されている。他方,〈間接的な意思表示〉を示す保護者に対し
ては,“親御さんの方も,プライベートなことを私たちに言えるかというとそういうわけではな
くて…。” と,その心情を推し量りながら,子どもだけでなく保護者の日頃の様子や変化にも気
保護者支援から見る子どもをとりまく環境の今日的課題
39
を配っている。そのうえで,“親との何気ない世間話だとか,行事の時の子どもたちの姿を交え
ながら,何気なく(気持ちを)さぐり,「もし何かあったら遠慮なく言ってね」,ということにし
” という語りにあるように,さりげなくしかし意図的に〈保育者からの働きかけ〉を行っ
ています。
ている。
3)
複雑な事情を抱える家庭
社会状況の変化に伴い,最近の傾向として,介護や病気,特に母親が心の病を抱えていること
から保育所を利用するケースが増えてきており,〈入所理由の変化〉が見られる。男女平等とい
われる世の中であっても,やはり子育ての中心は母親が担うことが多く,子どものことに関し,
保育者が心の病を抱えた母親とコンタクトをとることもある。しかし,“一応そういう方(心の
病で感情のコントロールが難しい母親であるということ)だというのは,こちらも認識して職員
で確認して,そういう事例があれば些細なことも職員で確認するようにしています。お話の聞き
方とか伝え方とか,私たちもすごく意識してやるんですけど,それがうまくいかなかった時が大
変。うまくいかなかった事例もあります。” という語りにあるように,細心の注意を払っても,
母親の病状に左右されたり,言葉の選び方,伝え方等,コミュニケーションの取り方に大変な苦
労を抱えている。なかには,“最近の事例で一番難しかったかなと思う。ともするとこっちもお
かしくなってしまうんじゃないかと…。” という語りもあり,こうした保護者に対する支援が保
育者にとって非常に大きな心理的負担,ストレスになっていることがいえる。こうしたケースの
場合,母親への直接的なフォローアップはもちろん,“家族の問題になれば,お父さんとどうい
う風にコンタクトをとっていったらよいかという問題” が出てくる。“仕事が終わったお父さん
に保育所に来てもらって,「お母さんをどうフォローしたらよいかな」と面談をさせてもらって,
陰の部分で(支援に)つなげた家庭もある。” ように,父親も含めた〈家族全体に対する支援〉
が非常に重要になってくる。
また,保育者は,身体的虐待やネグレクトが疑われるケースを含め,潜在的に,あるいは今後
顕在化しそうな問題を事前に察知し,支援の必要性を感じる場合もある。しかし,それにもかか
わらず,
〈プライバシーや個人情報保護の問題〉から家庭に容易に踏み込めないことにもどかし
さを感じている。“大きい事故や事件につながりかねないことだってあるかもしれない,知らん
ぷりしているつもりじゃなくても,もしかして何か起きてからでは遅いというケースがあるかも
しれないので…。お家でどうしているんだろうとか心配なケースもあるので。今はプライバシー
” と,介入の必要性を感じても,即支
の関係で(中略),個人情報が絡むと踏み込むのも難しい。
援に結びつけることができないことに,歯がゆさを感じている。
これらを総体的に “子どもと付き合うより大人と付き合う方がてんで難しい。”,“
(子どもへの)
保育っていうよりは,保護者支援,家庭支援の方が多いと思う。”,“子どもの(障がい,虐待に
” と捉えている保育者の語りに象徴され
関する)対応といっても,親を変えていくのは難しい。
るように,前述のクレーム対応に比べ,【複雑な事情を抱える家庭】に対する支援は極めて困難
40
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
かつ心理的負担が大きいことがわかる。
4)
多角的な支援
こうした【複雑な事情を抱える家庭】に対し,保育所ではカウンセリング等の専門的な研修に
参加し勉強を重ねたり,専門家から助言・指導を頂きながら,必要に応じて家庭訪問を行うなど,
ケースに応じて〈様々な角度からの対応〉を試みている。しかし,“私たち(保育所)だけで解
決しようとすると限られてくる部分もある。” ため,保健師や区役所,福祉事務所など,様々な〈関
連機関との連携〉を通じて解決を試みるケースが増えている。この〈関連機関との連携〉は,難
しいケースの対応を単に専門家や専門機関につなぐという意味ではなく,“丁寧に関わるという
ことの一環ともいえるかな。私たちで解決できないからどうしたらいいかな,で終わるのではな
くて,どうしたら解決できるのかというのを,外部機関の力も借りながら広げていく。” と捉え
ている。また,“私たちが話すよりも第三者からの話の方がお母さんたち(の頭)に入ることも
あるし,また違う面で情報を入れて頂くとスムーズにいくこともある。” ことから,外部の専門
家や機関とそれぞれの立場を活かし,わきまえ,役割分担をしながら,多角的な視点で家庭を支
援しているといえる。
5) 人間関係の希薄化
保育所に通園する親同士に関しては,懇談会や朝夕の送迎の機会を通じて,
〈保護者同士の交流〉
が見られることがある。ここでは,親同士が子育てに関する相談や情報交換をしあう姿が見られ
る一方,“なるべくつながってほしいなと思うし,働いているからこそいざというときに隣近所
に助けてもらえる関係性を築いているといいよ,と(保護者に)いっているんだけど,
『園長先生,
無理だよ』と言われることが多いですね。” という語りにあるように,保護者同士の相互扶助の
関係が形成されにくい現状がある。保護者同士の相互扶助について,保育者は “お母さんも助か
るけど,子どもにもいい。違う家庭を見たり,違う家庭の価値観を感じるっていう意味で。” と
いう語りにあるように,子どもの経験や価値観を広げる,人との関わり方を学ぶという面におい
て,その必要性を感じている。しかし,現実的にはそうした関係形成が少なくなってきており,
中には “保育園も送迎,延長をそんなに広げてしなくたって,昔は親同士が 5 組くらい組んで,
(迎
えに)行けなければ誰かにお願いするっていうことをやってみたりしてたんだけど,今はそうい
うことをするんだったら,お金出してもいいから『保育園がやってよね』って言う感じ。お金で
済むんだったらお金で,と…。” と,〈人との関わりを避ける保護者〉がむしろ増えてきている。
こうした傾向は地域の子育て家庭を対象とした事業に参加する保護者においても同様で,子ども
のことで誰かと関わらなければいけなくなったり,またそこでトラブルが生じたり嫌な思いをす
るくらいなら,子育て支援活動に参加せず,自宅にこもっていた方が良いと思う保護者も見られ
るようになっている。こうした現状を保育者は,“でもそれで親は楽かもしれないけれど,子ど
もはかわいそうだなと思う。” と,危惧している。
また,働いている母親の場合,子育てと仕事の両立という大変さを抱えつつも,仕事を通して
保護者支援から見る子どもをとりまく環境の今日的課題
41
満足感を得られたり,人との関係性を築くなど,様々な意味で〈社会とのつながり〉が保たれる。
しかし,
専業主婦や病気等により働いていない母親の場合はそれが得られず,
〈社会からの疎外感,
孤立感〉を感じやすい傾向にある。こうした母親の場合,“地域でそういう話(悩み事)をでき
る相手がいないし,地域の人に話したがらない。だから,少し距離のある微妙な人間関係の人(保
育所の保育士)には相談できるけど,これから先も付き合っていかなければならない人には言え
” という語りからも,近隣の他者と深い関係を築くには至らず,孤立感,孤独感を
ないとか…。
感じながら子育てをしている状況が伺える。
こうした現状に保育者は,“親も育ってきた環境の影響が大きいから。”,“お母さんを育てたお
母さん世代がどう育ってきたかなんだよね。”,“お母さんの前の世代の方たちもそうだったの
か…。社会がそうなっちゃったのかな。” と〈育ち方の連鎖〉に起因するのではないかと推測し
ている。
6) 人をつなぐ支援
保護者に対し,夏祭りや同窓会など保護者主催の行事を後方支援すること,すなわち,保育者
主導ではなく,かつ,保護者同士が表面的な関わりだけでなく,必然的に協力し合いながらコン
タクトをとる機会を意図的に用意することを通じて,自然に親同士が集まりあえるような〈きっ
かけづくり〉を保育所は行っている。親同士がつながりあい互いに行き来しあうことで,その子
どもが他の家庭の様子,価値観を垣間見る機会が得られ,豊かな経験につながることを保育者は
期待し,“保育所は親同士をつなぐ場でもあるのかな。” と役割を見出している。
しかし,いくら保育所がそうした機会を用意したり働きかけを行っても,“保育園だけでは限
界がある。すべてできない。”,“やっぱり親同士だよね。問題は。” という語りにあるように,親
の意識を変えることはそう容易ではないことが伺える。
7) 子どもへの影響
こうした保護者の様子から,次のような【子どもへの影響】があることを,保育者は危惧して
いる。
まず 1 点目は,“子どもを豊かにしていくということは,お母さん自身も心が豊かでないと,
子どもも豊かになれない。親の姿=子どもの姿に生きてくるような気がするな。” という語りに
もあるように,いわば〈「親の写し鏡」〉のように,親の心身の状態や関わり方の影響が子どもの
姿に如実に表れることである。実際,“こちらからも,どの親御さんにも分け隔てなく声をかけ
るようには心がけているんだけど,表情にしたって挨拶の返し方一つにしたって,今日はお母さ
んおかしいな,とか何かあったかな,とかわかるし…。何かおかしい理由を言ってきてくれれば
わかるが,
どうしたんだろうと思うことがあれば気になるし。それが子どもにも出ていたりとか,
” という語りにある
そうすると,やっぱり今日は(親の調子が)悪いのかな,とか思うので…。
ように,日常生活の中で親が抱える気持ちの浮き沈みやそこからくる子どもへの態度が,子ども
自身の姿に現れていることがある。こうした現象が一過性のものである場合は,それほど大きな
42
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
問題にはつながらないが,例えば,母親が心の病を抱えている場合,“子どもも大人の顔色を見
たり,また何か言ってるんじゃないかと感じたり…。神経質になっている,神経過敏になってい
るところがあって,見ていてかわいそうだなと思いましたね。私たちも気づかれないよう一生懸
命普通に接しているつもりではあったけれど,親御さんの調子が悪ければてきめんに(子どもに)
影響するので…。” と,母親の心身の不安定さが子どもの情緒面に影響を及ぼしている。
2 点目は,
〈人との関わりを避ける保護者〉が増え,
〈親同士のつながり〉が少なくなることで,
ますます〈狭い価値観〉の中でしか子どもが育たないことである。人づきあいを苦手とする親の
影響で,“違う家庭を見たり,違う家庭の価値観を感じるっていう,そういう場面が今は少なくなっ
てきているなって。”,“(親が)子どもを縛ってしまっている部分ってあると思う。自分の価値観
の中に子どもたちを閉じ込めてしまっているというか…。” という現象につながっており,子ど
もの世界やそこから広がる可能性を,親によって狭められてしまっていることに,保育者は問題
を感じている。
こうした親の様子に加え昨今の社会状況も鑑み,保育者は “昔はいろんな価値観に触れてきた
し触れざるを得なかったけど,いまは親御さんだけの価値観の中で育つ時代だから…。ましてや
母子家庭,父子家庭となったらより狭い中の関係で育つから,子どもも大変だなと思う。親も大
” と語っている。ここで語られた子どもに関する「大変さ」とは,“その中(親だけの
変だけど。
価値観の中)で育つと,子ども自身も将来,人を受け入れることがなかなかしづらいとか,それ
をしたくない,
どうしていいかわからなくなる。だから構えてしまったり,疲れてしまうから(人
と関わることを)やめてしまえ,ということになるんだろうね。” という意味での「大変さ」で
ある。すなわち,保育者は,幼いころから親の影響で人との関わりが薄いまま育つと,人付き合
いをわずらわしく感じる,人との関係性を築きにくくなるなど,〈関わり方の連鎖〉という影響
が見られることを懸念している。 それに対し保育者は,“『親が子どもにできることは,直接何かをすることよりも,どんな人に
出会わせるかとかどんな体験をさせるかということの方が大きいかもよ』,とお母さんたちに機
会があるごとにいう” よう努めているが,“(保護者には)ぴんと来ていないみたい。” と,保育者
が期待するような反応が得られにくい現状がある。
8) 保育者が求めるもの
数十年の保育経験を踏まえ,保育者は,良くも悪くも “親のあり方で子どもの世界は変わる”
と考えている。そうした意味で,
〈親のあり方〉について “親も子をもって初めて自分の殻(性格)
を破らなきゃならない部分があると思う。”,“自分とは違う考えの人もいるんだということにま
ずは気づいて,少しずつ折り合いの付け方を学んでもらわなければならないんじゃないかな。”
と語っている。また,“子どもにいろんな体験,経験はしないよりはさせた方が良い。”,“人に何
かしてもらったこと,言ってもらった記憶がまた次の世代につながるのかな。そのあとで生きて
くれば良いと思う。それがその子を育てていくことになるんじゃないかな。” と,子どもの今だ
保護者支援から見る子どもをとりまく環境の今日的課題
43
けでなく将来を見据え,親は子どもに様々な機会や人との出会いを積極的に与えるべきだと考え
ている。
こうした考えの根幹には,次の語りに象徴される保育者の思いが存在する。“こちらが対応に
困ることもあるけれど,いろんな方がいるんだ,子育てに対する考え方も色々あるんだというこ
とを認識した上で,私たちも嫌だとか困るなだけじゃなくて,対応を考えていかなければならな
いというのがあって,そのために子どもを真ん中においてどういうふうに対応していったらよい
かなということを考えるようにしています。”。すなわち保育者は,人的環境を含め,子どもを取
り巻く環境がその成長過程にとってどうあるべきか,どうかかわるべきか,また,どうなること
が子どもにとって最も望ましいものであるか,あくまでも〈子どもを中心にした思い〉から保護
者支援を考え,実践にうつしている。
IV 総 合 考 察
今回の調査の結果,【保護者からのクレーム】に対しては,〈日々の丁寧な関わり〉等により保
護者と【信頼関係の構築】をしておくことで解決につながり,また,大きなトラブルを未然に防
ぐ予防線にもなっていた。その一方,【複雑な事情を抱える家庭】への対応,保護者の【人間関
係の希薄化】に関し,保育者は特に対応に苦慮し,
【子どもへの影響】を懸念していた。こうし
た保護者に対し,保育者は常に〈子どもを中心とした思い〉が原点にあり支援を行っているが,
そもそもその点において保護者との間に少なからず齟齬が生じているのではないだろうか。
15)
これに関連し,
「気になる子ども」の保護者と保育士の関係について調査した木曽(2011)
は,
「保育士は “子どものため” という思いだけで支援を行うことができるが,保護者は自責感や否認
等の負の感情と向き合わなければならない」と述べている。また,木曽は “子どものため” とい
う思いが保護者に理解されないことで,保育士が保護者との関わりの初めに困り感を頂くことも
指摘している16)。保育士は,一人ひとりの子どもの最善の利益を第一に考え,保育を通してその
福祉を積極的に増進する専門職であるため,必然的に子どもを中心に据えたうえで諸問題に向き
合う。しかし今回の結果から,保護者の場合は,時として「子どものため」より「自分のため(嫌
なことは避けたい)」という思いや都合が優先される場合があるといえる。またこのことから,“子
どものため” という思いより先に保護者が自分自身の感情と向き合う傾向は,前述の木曽の調査
が対象とした,「気になる子ども」の保護者に,必ずしも限定されたものではないということが
伺える。
また,保護者自身が普段,人間関係の希薄さや人と関わってきた経験の少なさに困難さを感じ
ず,その弊害に気づいていなければ,保育者が「子どものために…」とどんなに諭しても,その
言葉は実感をもって響きにくいであろう。こうした保護者の場合,そもそも親としてどうなるこ
と,どうすることが子どものためになるのか,ということに気付きにくいため,保育者との間に
44
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
感覚のずれが生じるのではないだろうか。あるいは,子どもへの関心より保護者自身が抱える問
題の方が大きければ,子どもの変調,ましてそれが保護者や家庭内の問題が原因となっているこ
とには気づきにくく,自分のふるまいを顧みるきっかけには至りにくいのではないかと思われる。
このように,〈子どもを中心にした思い〉が優先されなかったり,そうした思いに行きつかな
い保護者の姿から,保育者にとっては,子どもがおざなりにされた家庭環境の中で育つことに危
機感やもどかしさを感じているといえる。保護者,保育者双方に立場や事情,役割の違いはある
が,子どもにとって最も身近で影響力のある人的環境といえる両者が,子どもの健やかな成長の
ために理解と連携を深めていく必要があろう。
加えて,こうした保護者の背景には,保護者自身が育ってきた環境の影響が大きく,今回の結
果では,さらにそれが子どもへ連鎖,影響を与える可能性が見出された。親から子への世代間連
鎖については,子どもの貧困に関する問題が注目されているが,価値観や人との関わり方や関係
性の築き方といった人間関係,社会性の面に関しても,その連鎖の問題を考えていく必要がある
のではないだろうか。
「子どもを産み育てやすい環境づくり」は,保護者の都合にあわせ,保護者にとって子育てが
しやすい環境というだけであってはならず,「子どもが健やかに育ち成長できる環境づくり」で
もなければならない。保護者を支援することは,単に保護者を助けるためだけでなく,その保護
者に養育されている子どもの生活環境の安定化や,その成長を心身ともに支えることにつながる。
そしてその点において,保護者支援の重要性がある。それゆえ,子育て支援サービスは今後ます
ます充実化が図られるべきではあるが,サービスの利便性,充実さゆえに保護者が保護者として
の役割やあり方を見失わないよう配慮しながら,慎重に検討していくことが必要であろう。
V 今 後 の 課 題
本研究は,長年保育に携わってきた保育士の語りに基づいたものであり,保護者の思いや変遷,
背景については,保育士の推測,視点から捉えられたものである。そのため,今後は保護者を対
象に,子どもや子育て及びその環境について調査を行う必要がある。また,保育者の調査人数や
対象の幅を広げ調査内容を深めていくことも,今後の課題としたい。
謝 辞
本研究の調査にあたり,多大なご協力を頂いた保育者の皆様に心より感謝申し上げます。
保護者支援から見る子どもをとりまく環境の今日的課題
45
附 記
本研究は,JSPS 科研費 25870659 の助成を受けまとめたものである。
註
1) 厚生労働省による平成 24 年人口動態統計月報年計(概数)の概況によると,2012 年の合計特
殊出生率(1.41)が 2 年ぶりに上昇傾向を示した一方,2012 年の出生数は過去最少(103 万 7,101
人)となり,減少傾向が続いている。また,母の年齢(5 歳階級)別の出生数を見ると,15∼
34 歳の各階級及び 50 歳以上では前年より減少していたが,35∼49 歳の各階級では反対に増加
傾向にあり,第 1 子出生時の母の平均年齢(30.3 歳)から見ても,いわゆる「晩産化」が進ん
でいる。
2) 子ども・子育て関連 3 法とは,「子ども・子育て支援法」,「認定こども園法の一部改正法」,「子
ども・子育て支援法及び認定こども園法の一部改正法の施行に伴う関係法律の整備等に関する
法律」の 3 法を指している。
3) 小林孝明(2012) 「新たな子ども・子育て支援制度の創設 ─ 子ども・子育て関連 3 法案 ─」
『立
,
法と調査』333, 32 47.
-
4) 内閣府(2013) 『子ども・子育て支援制度に関する Q&A』
5) 内閣府・文部科学省・厚生労働省(2013) 『おしえて ! 子ども子育て支援新制度』
6) 望月初音・北村愛子・大久保ひろ美・ほか(2008)「子ども虐待の早期発見・予防に関する研
究 ─ 保育士が子どもの虐待を疑った時の対応と苦慮していること ─」
『つくば国際大学 研究
紀要』(つくば国際大学)14, 175 188.
-
7) 久保山茂樹・齊藤由美子・西牧謙吾・ほか(2009) 「『気になる子ども』『気になる保護者』に
ついての保育者の意識と対応に関する調査 ─ 幼稚園・保育所への機関支援で踏まえるべき視
点の提言 ─」『国立特別支援教育総合研究所 研究紀要』(国立特別支援教育総合研究所)36,
55 76.
-
8)「気になる保護者」とはどのような保護者をさすのか,その定義は明らかでないが,藤後(2010)
は「虐待に限らず,クレーマーなどを含むより広い意味で,いわゆる保育者が普段感じ取って
いる『気になる保護者』」を想定している。
9) 藤後悦子・坪井寿子・竹内貞一・ほか(2010) 「保育園における『気になる保護者』の現状と
支援の課題 ─ 足立区内の保育園を対象として ─」
『東京未来大学研究紀要』
(東京未来大学)3,
85 95.
-
10) 社会福祉法第 82 条によると,「社会福祉事業の経営者は,常に,その提供する福祉サービスに
ついて,利用者等からの苦情の適切な解決に努めなければならない。」とされている。さらに,
児童福祉施設最低基準第 14 条の 3 では,「児童福祉施設は,その行つた援助に関する入所して
いる者又はその保護者等からの苦情に迅速かつ適切に対応するために,苦情を受け付けるため
の窓口を設置する等の必要な措置を講じなければならない。」と明記されており,苦情解決に
向けた体制づくりを行うことが求められている。
11) 福祉サービスを提供する経営者が自ら苦情解決に積極的に取り組む際の参考として,苦情解決
の体制や手順等について示された「社会福祉事業の経営者による福祉サービスに関する苦情解
決の仕組みの指針」(厚生省大臣官房障害保健福祉部長・厚生省社会・援護局長・厚生省老人
保健福祉局長・厚生省児童家庭局長(2000))によると,「2 苦情解決体制」において,「苦情
解決の責任主体を明確にするため,施設長,理事等を苦情解決責任者とする。」と明記されて
いる。
12) 木下康仁(2003) 『グラウンデッド・セオリー・アプローチの実践―質的研究への誘い』,弘
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
46
文堂
13) 前掲 12)
,89 90.
-
14) 前掲 12),236 237.
-
15) 木曽陽子(2011) 「『気になる子ども』の保護者との関係における保育士の困り感の変容プロ
セス ─ 保育士の語りの質的分析より ─」『保育学研究』(日本保育学会)49(2), 84 95.
-
16) 前掲 15)
重症心身障害児をもつ母親のサポートネットワークの構造
47
重症心身障害児をもつ母親の
サポートネットワークの構造
─
母親らのライフストーリーからみえたサポートネットワーク ─
千 葉 伸 彦
要旨 : 重症心身障害児(以下,重症児)とその介護者である母親に関するサポートネット
ワークの構造と課題について母親らの語りから明らかにすることを目的として,重症児を
持つ母親 4 名を対象に半構造化面接を実施した。母親らのライフストーリーは,過去から
現在へ,子どもの「出産から退院まで」,「自宅での生活のはじまり」,「病院や障害児通園
施設における出会い」,「学校生活のはじまり」,「現状」というように時系列に展開してい
た。また,母親が獲得していたサポートは,乳児期から幼児期にかけて「出産後の医療関
係者」,「地域における信頼できる専門職」,「重症児をもつ母親ら」からのサポートを獲得
し,その後に「母親同士の情報交換と精神的サポート」を獲得している結果となった。
母親らのライフストーリーから,子の出産から現在までのサポートネットワークの構造
を整理した結果,乳児期から児童期,そして現在に至るまでに,共通している点はソーシャ
ルワークや相談支援機能の充実が必要となっていることである。子どもの出産後からの入
院生活,そして退院後の在宅における生活を継続してきた過去,そして現在においても,
ソーシャルワークや相談支援が十分にその機能を果たしていない状況が見受けられる。実
際には,母親自らが重症児の生活全てをマネジメントする実施主体となっており,重症児
とその母親を取り巻くサポートシステムの構築や支援を統合する相談窓口を確立する必要
性があると考える。
キーワード : 重症心身障害児,サポートネットワーク,ライフストーリー
I. は じ め に
障害のある人の地域での自立した生活を支援する,地域における生活を支援する,施設ではな
く住み慣れた地域での生活を継続するといった視点が重要視されている。重症心身障害児(以下,
重症児)の地域生活においても同様の視点が求められている。筆者が参加する,障害のある子ど
もをもつ母親の会「A の会」における定例会では,「重症児の一日の生活の流れや介護負担量,
1,2)
重症児の状態が支援者および行政施策担当者・地域住民に深く理解されていない」
窮状を伺う
ことがある。母親らは精神的・身体的負担が強いられている状況下においても,母親自らが支援
のネットワークを広げ,地域生活を継続している。子どもの障害が重ければ重い程,社会的支援
が必要となっている。
また,障害のある子どもとその家族へのサポートでは,乳幼児期,児童期から思春期,青年期
以降のライフステージを見据えた関係機関の連携において,最も支援の分断が起こりやすいのは,
48
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
① 就学前から学齢期への移行期と,② 学齢期から社会参加期への移行期とされている。特に学
齢期は,学校や特別支援教育と地域の社会福祉サービスとの連携が十分になく,また,特別支援
学校とその児童生徒が居住する地域の小中学校との連携が現状では存在していない。学齢期以降
の時期は,本人や家族に変化が大きく,多様な支援を必要とするにもかかわらず,支援が十分に
図られていないことがその後のライフステージのあり方に大きな影響を与えていると考える。そ
のような現状からも,学齢期までの社会的支援ネットワークのあり様を解明すること,学齢期以
降の社会参加期に必要とされる社会的支援ネットワークのあり方を再構築することは,重症児の
生活の質向上に好影響を与えると考える。
そのためには,子どもの出産から現在まで,子どもと母親および家族がどのような生活を送り
現在に至ったか,どのようなサポートがあり,どのようなサポートが不足していたのか,どのよ
うなニーズがあったのかを見つめ直す必要がある。
本稿では,重症児とその介護者である母親のこれまでの生活を捉え直し,子どもの出産から子
どもの成長に応じた各ライフステージにおいて必要となるサポート源,サポートネットワークに
ついて重症児を持つ母親らの語りから諸課題を明らかにすることを目的とする。
II. 方 法
1. 調査の目的
重症児をもつ母親を対象に,面接の内容としては「子どもの出産からこれまでの生活」につい
て自由に語ってもらった。子どもの出産から現在に至るまで,母子がどのようなサポート源から
どのようなサポートを受けてきたか,重症児とその介護者のサポートネットワークの構造を明ら
かにするための基礎情報を得ることを目的とした。
また,本調査ではこれまでの重症児や母親らの生活のありのままをより具体的に語ってもらう
ことを念頭に置き,半構造化インタビューを実施することとした。
2. 調査方法
重症心身障害児をもつ親(全て母親,子どもの年齢は 9 歳∼14 歳)4 名を対象に,平成 25 年
1∼3 月に半構造化インタビューを実施した。調査実施前に,B 県 C 市の D 相談支援機関の職員
から重症児を持つ母親がグループを作り活動している情報を得て,その母親らに主旨を説明し,
調査協力を得た。筆者は母親らが作る A の会の活動に定期的に参加しており,母親らとすでに
信頼関係を構築しているため,母親らの胸の内を聞くことができると判断しインタビュー対象と
決定した。なお,本調査の対象となった母親らはいずれも重い障害のある子を持っており,その
子どもの中には日常的に医療的ケアを必要としている子もいた。インタビューは C 市の D 相談
支援機関内の,障害のある本人やその家族が余暇活動や会合に利用できる一室で実施,インタ
重症心身障害児をもつ母親のサポートネットワークの構造
49
ビュー中の母親の語りについては IC レコーダーにて録音をした。面接の内容としては「子ども
の出産からこれまでの生活」について自由に語ってもらった。インタビューの所要時間は一人あ
たり 1 回 60 分∼90 分であった。なお,調査協力の依頼および調査で得たデータ処理は第三者に
特定できないよう処理することを説明し,調査協力に同意を得た。
分析方法については,ライフストーリー法3,4)を用いた。まず,逐語記録を筆者が作成し,母
親らの語りを子どもの出産から現在までの時系列に沿って整理した。その後,母親がサポート源
からサポートを得た時期やサポートを必要としていたもののサポートが獲得できなかった時期な
ど,各ライフステージにおいて様々なサポート源からのサポートの有無を整理した。また,各ラ
イフステージにおける母親が抱える不安を抽出し,相談支援やソーシャルワークとの関係性につ
いて検討を行った。なお結果の分析の信頼性と妥当性の確保に努めるため,D 相談支援機関の職
員に内容の妥当性および現状の生活との関連,把握しているニーズとの乖離がないかといった点
で客観的立場から検討した上で整理を行った。
なお,本調査は本学研究倫理委員会にて調査内容について事前に審査・承認を受け実施した。
3. 調査結果
母親らに自由に語ってもらうため,インタビュー中は語りの途中等では制限せず,事前に筆者
が設定していた設問についてはインタビュー開始前に母親らに示した。母親らには自由に語って
もらい,筆者は語りの内容の確認や促しといった程度に留めた。語り手である母親の個別性や語
りに重きをおくことで,母親の主観的世界や人生におけるターニングポイントとなる体験の変容
過程,および母親が獲得してきたサポート内容を読み解くことのできるライフストーリー法を採
用することとした。
各話し手のライフストーリーを「通時的変化」と「現状」という時間枠を設定,通時的変化と
は,出産から現在までに関する語りであり,田垣5)を参照し,通時的変化を「出産から退院まで」,
「自宅での生活のはじまり」,
「病院や障害児通園施設における出会い」,
「学校生活のはじまり」,
「現
状」という時系列に区分した(図 1)。
上述した時系列の時点にて獲得したサポート源,サポート内容に関する語りを抽出,さらに研
究目的から重症児と母親を支える「サポートネットワークの構造」にあたる語りを取り出し,表
1 から表 4 に表した。
(1) 出産から退院まで
出産後から入院時,そして退院後を通して,医療機関や医療従事者との関係は外部からのサポー
ト源として,子どもと母親に近いサポート関係にあると語られている。子どもの心身状態が医療
とのつながりがあってこそ安定を保ち,安心を得ることができるためと示唆された。定期的に子
どもの通院があり,服薬や季節の変わり目における体調変化への対応など,必要に応じて関わり
を持つ関係性ができていると見受けられる。日常的に医療的ケアを必要とするからこそ,重症児
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
50
図 1 母親が語った出産からこれまでの通時的変化
に専門的に関わる医療職から子どもの生活に必要な情報を取得する,ケアに関する助言を得る関
係性ができている。
表 1 「出産から退院まで」に関する語り
母親 A : NICU で 1 ヶ月半,練習しなさいと言われ,自宅に帰るまで吸引や子育てについて教えても
らった。子どもを生かすためにどうすればいいのか,教えてもらった。
母親 B : 医師や看護師が傍にいることの安心感があった。
母親 C : 退院後のケアまでしっかりやってもらえた。
(2)
自宅での生活の始まり
母子ともに病院を退院後,自宅での生活の開始と同時に,目の前にいる子どもをどう育ててい
くかといった不安を母親は抱き始める。子どもの定期健診等で,保健師等に子どもの障害の相談
をする,または子育てや生活の困り事がある場合には保健師等と具体的解決の方策を一緒に考え
る,保健師等から地域の行政窓口となる担当者の紹介を受ける等の対応がなされる。そういった
対応によって,母親が様々な専門職との信頼関係を構築し,各専門職が子どもと母親を支えるキー
パーソンとなっているケースがあった。乳幼児期には相談支援等の福祉従事者や教育機関との関
係性は母親らの語りからはあまりみられなかった。一方で,情報収集をはじめ誰にも頼ることな
く,母親一人で子育てに向き合っていた語りがみられた。
重症心身障害児をもつ母親のサポートネットワークの構造
51
表 2 「自宅での生活の始まり」に関する語り
母親 A : 通園施設の先生から学んだことが多い。親がかこっていたことを切り開いてもらった。子
どもに様々なことを経験させてもらった。
母親 B : 出会いって大きいと思います。(専門職と)つながれるかどうか,つながることによって明
るく育てていけるか,ずっと抱え込んだままになるかの違いになるのだと思う。
母親 C : 何かあったら助けてくれる人の存在があった。「何かあったら私のところに電話して」
母親 D :(専門職に話を伺う)機会はなかった。自分で(子育てについて)ネットで調べた。
(3)
病院や障害児通園施設での出会い
定期的な通院時に医師から他の母親を紹介される,病院待合室での他の母親との出会いと語ら
い,障害児通園施設における同じ障害のある子どもをもつ母親との出会いによって,母親自身の
悩みや困りごとを話すことのできる環境ができ始めたとの語りがみられた。
表 3 「病院や障害児通園施設での出会い」に関する語り
母親 B : ドクターから先輩のお母さんを紹介される。同じようなお子さんがいて安心した。同じ悩
みもあるというお母さんとお話をした。
母親 C : 話を聞いてもらえるだけでも安心できる。
母親 A : どうしていいのか分からず,私はどうしたらいいのだろうと思っていたところ,母子入院
をして友達ができ,知識を教えてもらった。その時から子どもと向き合えた気がする。あ
の時期が一番大変だった。
(4)
学校生活のはじまり∼現状
子どもの就学前,重症児をもつ母親同士(友人)との出会いを通して,同じ悩みや困り事を言
い合うことのできる関係を構築している状況が見受けられる。母親が集まり,子どもの様子を報
告しあう姿や日々の生活に関する愚痴や日常のストレスについて話をする,自身が収集した福祉
や医療の情報を互いに伝え合う,互いの経験を共有し子育てに活用する等の語りがみられた。
表 4 「学校生活のはじまり∼現状」に関する語り
母親 B : 同じ悩みもあるという人もいて,お母さん達から聞いて情報は得られた。
母親 A : 母子入院でお母さん同士がつながったことが大きい。つきあいが広がって,先輩お母さん
を紹介されて話を聞き救われた。先輩お母さんから話を聞き,「なるほど」と思ったことが
たくさんある。
母親 C : 母親同士で話し合い,解決してきたことが多い。
母親 D : 他のお母さんと仲良くなることが大事。他のお母さんに,勇気を出して,分からないこと
を聞くようにしていた。
III. 考 察
調査結果を通じて,重症児をもつ母親らは,子どもの出産から現在までに獲得したサポートネッ
トワークについて語り,① 医療関係者,② 地域における各専門職,③ 重症児をもつ母親同士,
等からのサポートを獲得していると整理・集約することができた。重症児をもつ母親らのサポー
52
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
トネットワークの構造とその課題について考察する。
1. サポートネットワークの現状と構造
母親らが語った現在のサポート源や必要としているサポート源の内容と結果は,以下の通りと
なった。母親らの語りは,子どもの出産から現在に至るまでのサポート源として,
「医療関係者
からのサポート」,「地域における信頼できる専門職からのサポート」,
「同じ障害のある子どもを
もつ母親同士の出会い」,
「母親同士のピアサポート」からサポートを獲得している結果となった。
子どもの出産からこれまでの生活におけるサポート源とサポート内容について図 2 に示した。
子の出産から現在にかけて,具体的には,乳児期から幼児期には「出産後の医療関係者」,
「地
域における信頼できる専門職」,「重症児をもつ母親ら」との出会いからのサポートを獲得し,そ
の後に「母親同士の情報交換と精神的サポート」を獲得している結果となった。母親らのライフ
ストーリーを読み解いていくことによって,日常的にはうかがい知ることのできない母親一人ひ
とり6,7)の置かれていた現状,サポート状況を語りから見出すことができた。
(1)
出産後の医療関係者からのサポート
子どもの出産後から,子どもの身体状況や日常生活における注意事項など,医師や看護師から
専門的な知識や技術の指導助言を受けていた。子どもの状況が把握できず,母親は不安を抱えて
いる状況の中,医療従事者を通じて疾病や障害の理解を進めていた。また,自宅に戻った後に,
日常生活ですぐに必要となる知識や技術の提供を受け,母親としての役割を担うことになってい
た。出産後,退院後,現在に至って,子どもの成長とともに,医療従事者からの子どもの心身状
図 2 重症児と母親を取り巻く現在のサポート源とサポート内容
重症心身障害児をもつ母親のサポートネットワークの構造
53
況や健康状況に関するサポートは継続されている。
(2)
地域における信頼できる専門職からのサポート
病院から自宅へと生活の場所が変わり,子どもが在宅生活に適応する必要が生じていた。母親
は家事をこなしながら,育児をすることが家庭での役割となっていた。特に,子どもの主たる介
護者としての役割を一人で背負っている姿があった。困りごとや悩みを抱えながら,日々の生活
に必死に向き合っていた。定期に行われる乳幼児健診が母親を支えるものであったケースもあっ
た。健診時に障害に理解のある保健師と関係構築することが母親のサポートネットワークの一つ
となっていた。子どもの状態をどう理解するか,誰も頼ることのできない母親に地域の他専門職
や行政窓口を紹介し,橋渡し役となっていた。
現状をみると,日常的に困りごとを専門職に相談している等の語りはみられず,機会があれば,
生活時間に余裕があれば,専門職と会う機会があれば,といった条件付きの状況であることが考
えられる。保健師や理学療法士などの医療に近い専門職の対応に関しては語りがみられたが,福
祉などの相談支援専門職との関わりや対応に関する語りがみられなかったことから,母親と相談
支援専門職との関係が希薄であると捉えることもできる。「相談支援事業の存在を知らない,今
後の相談支援利用の希望無し」といった回答が多いという調査結果8)からも推察することができ
る。
(3)
重症児を持つ母親同士のサポート
病院への通院,障害児通園施設への通園,学校への通学などを通して,同じ障害のある子ども
をもつ母親との出会い,そして関係構築がなされていた。母親同士が出会うきっかけは,医師や
看護師からの紹介,病院での待合室で勇気を出して声をかける,通園施設で同じクラスになる,
母親のグループを紹介され参加する等があった。日頃の子育てや生活のストレスや愚痴を吐き出
す場が,母親同士の語らいであった。また,自身の子育て経験を語り,互いに経験や知恵を共有
し支え合っている姿があった。さらに,母親同士の語らいの場が,福祉や医療の情報を共有・交
換することで,情報にアクセスできない母親も情報収集できる場となっていた。ピアサポートは
大変有効であり,母親自身の自尊感情を肯定的に回復する時でもある。笑いあり,涙あり,感情
を発散しながら会話を楽しむ,互いに支え合う場が母親らによって創り出されてきたと考えられ
る。
2. 重症児とその母親を取り巻くサポートネットワークの課題
日常の生活を通して重症児と母親の関係性は深く,これまでの生活で蓄積された経験や思いと
いったものと重なり,母子が一体化している状況が見受けられる9,10)。周囲のサポート源がサポー
トできる内容についても,母親が一人で担っている現状である。地域に目を向けてみると,なお
一層母親らが置かれている環境の厳しさが明らかになった。母親らの語りからも近隣住民や地域
内のサポートはほとんど無い状況である。子どもと母親らに専門的に関わる専門職種の存在や医
54
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
療機関からの情報提供,相談支援窓口との関係性などが母親らの日常生活を支える要因となって
いることが明らかとなることでこれからのサポート体制のあり方を検討することが可能となる。
母親らのライフストーリーから,子の出産から現在までのサポートネットワークの構造を整理
した。乳児期から児童期,そして現在に至るまでに,共通している点はソーシャルワークや相談
支援機能の充実が必要となっていると考えられる。各ライフステージにおける母親の抱えている
不安とソーシャルワークおよび相談支援の関係性について図 3 に示した。子どもの出産後からの
入院生活,そして退院後の在宅における生活を継続してきた過去,そして現在においても,ソー
シャルワークや相談支援が十分にその機能を果たしていない状況が見受けられる。実際には,母
親自らが重症児の生活全てをマネジメントする実施主体となっており,重症児とその母親を取り
巻くサポートシステムの構築や支援を統合する相談窓口を確立する必要性があると考える。
母親らが語ったサポート源と内容に加え,ソーシャルワークや相談支援が機能することにより,
母子の生活の困りごとの具体的解決に見通しを持つことができるのではないだろうか。図 2 に示
したように,各ライフステージにおいて母親は様々な不安を抱えている。医療従事者や母親同士
だけでは解決することのできない不安も見受けられる。今後は既存のサポート源と併せて,ソー
シャルワークが十分に機能し得るサポートシステムの構築(図 4)
が必要であると考える。併せて,
重症児の生活実態について詳細が把握されていない現状があるため,重症児の生活課題の把握お
よび母親の現状を把握するために量的調査を実施する必要がある。
本調査により,「重症児のこれまでの暮らし・生活」・「重症児に関わるソーシャルサポートの
図 3 母親が語った各ライフステージにおける不安
重症心身障害児をもつ母親のサポートネットワークの構造
55
図 4 重症児と母親の地域生活サポートシステム構築について
現状」を再考することは重症児および母親にとっては,意識化・可視化されていない生活上のノ
ウハウ・社会資源を捉え直し・再構築する機会になったと考える。重症児は通院や医療的ケアが
日常的に必要となり,医療専門職との関わりが多くなる。生活上でのサポートが点在し,時によっ
ては孤立する可能性もある。あらためて生活を福祉の視点から捉え直し,サポートを円環的に,
有機的につなげることにより,さらなる生活の質向上となり,今後の重症児の地域生活のモデル
を示すことができると考える。
IV. 今 後 の 課 題
今後は母親一人ひとりのライフストーリーをより詳細に検討する必要がある。また,本研究に
おいて重症児をもつ母親らのライフストーリーを整理・検討したが,地域における状況が異なる
こと,子どもの年齢によって子どもや母親を取り巻く環境が異なること,その家庭環境によって
母親らが語るストーリーが異なること,等といったことが挙げられる。そのため,乳幼児期,児
童期,青年期の子どもをもつ母親のライフストーリーをそれぞれみていくことが,その地域のサ
ポート構造の変容を明らかにするのではないかと考える。神奈川県が行った調査では,重症児を
もつ家庭には,十数年前の調査結果と同様のニーズがあったと報告されており,母親らが置かれ
ている状況に大きな変化がない11)と述べられている。「障害者総合支援法」12)においては,「計画
相談支援」などのサービス内容が定められている。「計画相談支援」では,障害児の抱える課題
の解決や適切なサービス利用に向けたサービス等利用計画の作成などが実施されることになって
いる。重症児をもつ母親らにとって意義のあるものとなっていくことを期待したい。一方では,
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
56
そういった相談支援に結びつかない母子が地域に生活していることも示唆されており,今後は重
症児のサポートシステムを母親らや行政と協働で構築に取り組み,重症児とその家族の生活の質
が向上する地域を創っていきたいと考えている。
註
本研究は,平成 23 年度文部科学省科学研究費補助金若手研究(B)「重症心身障害児をもつ母親の社
会的支援ネットワークに関する研究」の研究成果の一部として執筆されたものである。
1) 千葉伸彦(2012) 「重症心身障害児の地域生活支援のあり方に関する一考察 ─ 母親へのサポー
トネットワーク構築の必要性 ─」,『東北福祉大学研究紀要』36, pp. 115 124
-
重症心身障害児をもつ母親にグループインタビューを実施し,「重症児とその母親の生活実態
の理解促進」,
「サービス利用の柔軟性確保」,
「既存サービスの利用拡大・新サービス創設」,
「情
報集約と提供窓口の設置」,「社会的支援ネットワーク構築」,「介護技術の提供,ピアサポート
体制構築」といったニーズがあることを明らかにした。
2) 千葉伸彦(2012) 「重症心身障害児をもつ母親の社会的支援ネットワーク ─ 母親へのインタ
ビュー調査から ─ 」,『日本重症心身障害学会誌』37(2), pp. 333
重症心身障害児をもつ母親らへのグループインタビューを実施し,地域における支援ネット
ワークについては,「母親自身の健康管理」が子どもの命を支える基盤となっていること,「現
在の生活を維持することの重圧」を母親が一手に引き受けている実態を明らかにした。また,
現在生活している地域内では「相談相手がいない」,「家族以外の支援者がいない」現状が示唆
された。
3) 桜井厚(2002) 『インタビューの社会学』,せりか書房
ライフストーリーは人生物語や生活物語などと訳され,個人の人生,生活,生などについて語っ
た口承の語りを指す。桜井は,ライフストーリーとライフヒストリーとの違いについて,「ラ
イフヒストリーは,調査の標準である語り手に照準し,語り手の語りをさまざまな補助データー
を補ったり,時系列的に順序を入れ替える等の編集をへて再構成される。それに対し,ライフ
ストーリーは口述の語りそのものの記述を意味するだけでなく,調査者を調査の重要な対象で
あると位置づけているところが特徴なのである。調査者の位置づけが異なるところにライフス
トーリーをライフヒストリーから区別する大きな理由」があるとしている。
4) 桜井厚・小林多寿子(2005) 『ライフストーリー・インタビュー』,せりか書房,pp. 129 173
-
5) 田垣正晋(2001) 「障害者の人生と語り」『カタログ現場心理学』,金子書房,p. 52 59
-
田垣は,男性外傷性脊髄損傷者のライフストーリーを検討し,「通時的変化」と「現状」とい
う 2 つの視点から語られた出来事を区分した。通時的変化を「受障」,「入院時」,「長期」とい
う時系列的に区分した。
6) 金子絵里乃(2004) 「小児がんで子どもを亡くした母親の悲嘆のプロセスとその対応」『社会
福祉学』44(3), pp. 32 41
-
7) 金子絵里乃(2007) 「小児がんで子どもを亡くした母親の悲嘆過程」『社会福祉学』47(4),
pp. 43 59
-
金子は,小児がんで子どもを亡くした経験をもつ母親の悲嘆過程を分析し,外からではうかが
い知ることのできない母親一人ひとりが子どもとの死別を通して体感してきた「主観的な生活
世界」を母親自身の語りから見いだした。
8)『重症心身障害者(児)の今後の暮らしを考える総合アンケート調査』(2010),豊川市,
pp. 3 13
-
9) 土屋葉(2004) 『障害者家族を生きる』,頸草書房,pp. 151 166
-
重症心身障害児をもつ母親のサポートネットワークの構造
57
10) 藤原里佐(2006) 『重度障害者家族の生活』,明石書店,pp. 35 47.
-
11) 前掲 8,pp. 1 2.
-
12)「障害者総合支援法」,厚生労働省 http://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/
shougaishahukushi/sougoushien/index.html
スクールソーシャルワーク実践におけるアウトリーチに関する研究
59
スクールソーシャルワーク実践における
アウトリーチに関する研究
─
学校不適応生徒に対する学習支援の実践事例を通して ─
小 野 芳 秀
要旨 : スクールソーシャルワーカーによる直接援助及びアウトリーチ(訪問支援)の実施
について,統一的かつ明確な定義付けはなされていない。「教師」以外に問題を抱える児童・
生徒に関わる専門職として「訪問支援」が法に規定されているのは「保健師」「児童相談
所のワーカー」等であり,スクールソーシャルワーカーの「訪問支援」や「直接援助」の
明確な法的根拠はない。しかし,実際には,毎年度文部科学省で発行している『スクール
ソーシャルワーカー活動報告』においても,スクールソーシャルワーカー自身による学習
支援や訪問支援についての活動が報告されている。国の補助事業である「スクールソーシャ
ルワーカー活用事業」の実施主体である都道府県において,積極的に捉えるか消極的に捉
えるかで見解が分かれているのが実情である。本研究では,スクールソーシャルワークに
おける直接援助活動の実践事例から,積極的な直接援助及びアウトリーチの有効性につい
て考察し,実施に際して配慮すべき事項について検討した。
キーワード : スクールソーシャルワーク,直接援助,アウトリーチ
1. は じ め に
現在,学校教育現場では “いじめ問題” をはじめ,不登校,非行・不良行為,暴力行為等,児童・
生徒の抱える問題は増々複雑化,多様化の様相を呈し,教育上の大きな課題となっている。さら
に,児童虐待などの家庭の問題やネット上のいじめの問題等,近年の子どもたちを取り巻く環境
の変化とともに,これまでの学校における生徒指導体制では十分に対応しにくいケースが増加し
てきている。このような状況に対応するため,スクールソーシャルワーク(以下,SSW と表記)
が教育現場に導入されてきた。SSW では社会福祉の専門的な知識・技術を用いて,問題を抱え
ている児童・生徒を取り巻く環境(家庭・学校・地域等)に対し改善を働きかけ,教師を含む支
援関係者の協働・連携を図ることにより問題の解決を目指す,計画的な支援活動が展開される。
スクールソーシャルワーカー(以下,SSWr と表記)は,主に社会福祉士や精神保健福祉士また
は過去に教育や福祉の分野において活動経験があり,教育と福祉の両面に関して専門的な知識・
技術を有する者が任用される(文部科学省 2013)
。SSW 実践の歴史は,1900 年初頭のアメリカ
において,経済的・社会的原因によって教育への権利を享受できないでいる児童・生徒への支援
に始まる(門田 1998 : 65-67)。わが国においては,1986 年に始められた埼玉県所沢市における
60
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
取組が SSW 活動の嚆矢となる。平成 20 年度からは国の調査研究事業である「スクールソーシャ
ルワーカー活用事業」が開始され,平成 21 年度からは補助事業として各市町村教育委員会に
SSWr が配置されている。
文部科学省によれば,SSWr の主な職務内容として,① 問題を抱える児童・生徒が置かれた
環境への働き掛け,② 関係機関とのネットワークの構築・連携・調整,③ 学校内におけるチー
ム体制の構築・支援,④ 保護者,教職員に対する支援・相談・情報提供,⑤ 教職員への研修活
動 等,と定められている(文部科学省 2010,2013)
。
しかし,
「学校側の,SSW の役割への理解が曖昧」
,
「何でも SSW 頼みになってしまい,その
結果,教職員の主体性を奪ってしまったり,一人ひとりの教職員へのアドバイザー役に限定され
たり,子どものお守り的な役割を任されたりする状況も発生しやすい」ことが課題として指摘さ
れている(文部科学省 2008 : 71)。また,現任者の SSWr から,支援計画を検討する際,ケース
によって周囲との関係性が希薄化している児童・生徒に対して「いかにして,その子の本音を引
き出し,その子にとっての最善の利益を見定めるか」という「支援の見立て」や支援計画の妥当
性・有効性への「不安」や「迷い」に悩むことが指摘されており,SSW の活動が本来教職員や
関係機関の専門職が担うべき支援の「代理行為」となっていたり,児童・生徒にとって有効な支
援がありながら,その担い手が見つからず,「誰かが担わなければならない」という使命感から,
SSWr 自らが積極的に直接援助を担っている実情がある1)。
こうした SSWr の支援活動における “迷い” は,保健師による家庭訪問が「母子保健法」「結核
予防法」
「老人保健法」「精神保健福祉法」等の各法規により,また,教師による家庭訪問が「生
徒指導提要」において明確に規定されているのに対し,SSW による家庭訪問については平成 21
年に成立した「子ども・若者育成支援推進法」第 15 条において「一 社会生活を円滑に営むこ
とができるようにするために,関係機関等の施設,子ども・若者の住居その他の適切な場所にお
いて,必要な相談,助言または指導を行うこと」とあるけれども,その対象は「社会生活を営む
2)
上での困難を有するもの」
であり,SSW における学校不適応児童・生徒に当てはめられるかど
うかが曖昧とされていることによる。
以上のことから,SSWr は「教師と学校組織が教育の力を十二分に発揮できるよう支援するこ
とが重要」であり「できる限り『黒子(くろこ)に徹する』姿勢を心がけることが大切」
(文部
科学省 2008 : 4)とする,問題を抱える児童・生徒に直接的に関わる教師や保護者をエンパワメ
ント3)し,コンサルテーションすることで間接的に当該児童・生徒の支援を行うべきする考え方
と,ケースによっては,むしろ積極的に「節度ある押しつけがましさ」または「節度ある強引さ」
(田嶌 1998b : 417-428)により,SSW のベースとなるソーシャルワーカーとしての専門性を活か
して,虐待や非行など当事者に問題意識のない事例でも,ニーズとして支援が必要な事例には積
極的に関わって行くことが求められる(山野 2007 : 72)とする考え方との間で,多くの SSWr
が支援の視座における迷いや偏りに陥っていることが推察される。
スクールソーシャルワーク実践におけるアウトリーチに関する研究
61
そこで本研究では,SSWr による直接援助ならびにアウトリーチ4)の必要性について,「学校と
保護者,あるいは保護者と当該児童・生徒の関係性が希薄化しコミュニケーションが上手く図ら
れていない状況においては,SSWr 自身が積極的に仲介者としての役割を担い,またはソーシャ
ルワークの専門性を活かし,直接的支援者として関わるべき」とする立場から,SSWr による直
接的援助の有用性とアウトリーチの必要性及び実施に際しての判断基準について検討した。
検討にあたっては,質的調査法として事例研究(case study)を用い,筆者の SSW の実践活動
の中から,アウトリーチならびに直接援助に関連する事例を抽出し分析の対象とした。
本研究で扱う SSW の実践事例は,県教育委員会が国の補助事業として実施する「スクールソー
シャルワーカー活用事業」において筆者自身が担当したものである。不良行為少年5)として学校
不適応ならびに怠学の問題を抱えていた中学校男子生徒 7 名の生活行動の改善について,SSWr
として配属6)された市町村教育委員会に対しての生徒がそれぞれ所属する中学校からの支援要請
に基づき担当した事例である。
本研究では,本人のプライバシー保護の観点から対象者を特定できないよう匿名化して使用し
た。また,事例内容についても研究趣旨の範囲内で一部加工を行い,個人情報の取り扱いには細
心の注意を払った。
2. 事 例 研 究
1)
支援の開始と経緯
支援対象は,非行・不良行為により学校不適応ならびに怠学の状態にあった複数校の生徒によ
るグループで,中学 3 年生 5 名,2 年生 1 名,1 年生 1 名による計 7 名で構成された。これに時折,
単発で数人の生徒が入れ替わり参加した。生徒と学校との関係性については,担任等の教師とコ
ミュニケーションが図れる状態にある生徒,あるいは生徒の方からの教師への反発によりコミュ
ニケーションが十分に図られていない生徒と様々であった。グループはリーダー的役割の生徒と
その友人および後輩で構成されていた。支援の当初は,学校側からは他校との交流を避け,学校
単位で学習支援を展開することが要望として挙げられたが,グループの集団凝集性や仲間意識は
高く,集団力動(group dynamics)による効果が期待されたため,「所属学校ごとに分断しない
で学習支援を実施して欲しい」という生徒側の希望にも沿う形で,各学校の了解のもと複数校の
生徒による編成で支援が実施されることとなった。本事例の主訴としては,生徒が所属する学校
からは,非行・不良行為の改善であり,保護者および生徒からは高等学校進学のための学習支援
であった。対象の生徒達の学校での生活状況は,給食前の昼近くに登校し,授業に参加せず保健
室で過ごす「保健室登校」が常態化していた。
62
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
2)
支援の方針およびその内容
支援対象である生徒の学校での不適応(遅刻早退・喫煙や校則違反等の逸脱行為)あるいは乱
暴な言動や授業参加への否定的な態度は,授業について行けない状態に対し,自尊心が傷付くこ
とへの防衛的行動であるという「見立て」に基づき,学習支援により学習の遅れを取り戻すこと
で自己肯定感の回復と教室への復帰が図られることを目標とした。また本人の意向に基づく高等
学校への進学という具体的目標を設定することにより,対教師への反抗的な態度や生活行動の改
善が企図された。また支援にあたっては対人援助におけるエンパワメントを重視し,支援対象グ
ループの凝集性を活かし,協同学習による学習効果ならびに社会的スキルの獲得が図られた
(Johnson ら 1984 ; 15-56)。梅山・撫尾(2012)は,協同学習が児童の自己肯定感・社会的スキル・
相互作用を高めるのに効果があるとしており,本ケースの学習支援はソーシャルワークにおける
グループワーク(集団援助技術)として実施された。
学習支援は原則毎週火曜日,放課後の 16 : 00∼18 : 00 の 2 時間を基本とし,200X 年 7 月から
翌年 3 月の 9 カ月間に渡り計 27 回(そのうち 1 回は被災地ボランティア活動)実施された。
学習支援は,教育委員会との連携・協力により,町の公民館と生涯学習センターの会議室にお
いて実施され,毎回の活動終了後は,SSWr から各生徒の所属校に参加状況について報告し,学
校からは生徒の学校での様子など,適宜,情報交換が行われた。
中学校ならびに地元の教育委員会からで各校に配置している自立支援相談員(教育委員会で独
自に担当配置している生徒の健全な育成を目的とした学校支援員)との協議における支援の「見
立て」としては,学習支援の継続には保護者の協力が不可欠であり,各校の担任・養護教諭なら
びに地元の教育委員会から各校に配置されている自立支援相談員と保護者との関係性を活用しな
がら,保護者の同意を得た後で SSWr が直接電話により個々の生徒へ参加を呼びかけが行われた。
学習支援は,特別支援教育コーディネーターを中心に授業時間が空いている教員が交代で分担
する学校登校時の別教室でのプリント学習または養護教諭による保健室での学習,これと放課後
の公共施設を会場とした「放課後学習支援」とを連動させて実施した。
「放課後学習支援」の支援者として地域のボランティアの活用を計画していたが,地元の大学
に要請し学生ボランティア 5 名の派遣協力を得た。なおボランティアは全員が女子であり,対象
生徒の 7 名が全員男子であったことから,適切な運営上の配慮から監督兼学習支援者として
SSWr 自身が支援に関わることとなった。本支援における SSWr の役割を担える人材が見つかっ
た時点で引き継ぐことも考えられたが,適当な人材が見つけられなかったこと,むしろ積極的に
SSWr による対人援助の専門性を学習支援に活かす理由から,支援の終結まで SSWr がすべての
学習支援に関わった。
スクールソーシャルワーク実践におけるアウトリーチに関する研究
63
3)
支援経過
① 支援開始期(7 ∼ 9 月)
学習支援の参加を呼び掛けるにあたっては,学校側のアドバイスに従い,対象グループの中で
子どもへの教育意欲が比較的高く,学校にも協力的な保護者に対し学校を通じて SSWr から連絡
を取ることから始めた。グループの特性として集団凝集性が高かったことから,リーダー的存在
の生徒の保護者ならびに生徒本人に電話により参加を呼び掛けた。
当初,学習支援は,学校側の意向もあり,対象生徒が所属する学校ごとに個々の生徒の学習能
力や学習の進度に応じて実施するよう,少数編成で実施する予定になっていたが,生徒からの「皆
で一緒に参加したい」との意向を尊重し,グループ全員を対象とし,対象者を限定しない「来る
者拒まず」
の方針で実施することとした。このことから,
「他校生徒の学校施設の利用を認めない」
という学校側の方針に基づき,中間施設として公民館ならびに生涯学習センターの会議室におけ
る実施となった。また,他の一般生徒ならびに保護者への公平性の配慮から,学習支援はあくま
でも SSWr の放課後における学校外での生活態度の改善を目的とした支援活動として位置づけら
れた。
学習支援の内容は,5 教科ごとの中学校 1・2 年の復習に対応した市販の参考書を用い,先ず
指導者が板書にて例題を実際に解いて見せ,次に問題を出題してそれぞれに解答させ,1 問ごと
に答え合わせを行う反復方式を採用した。対象生徒の学習能力にはバラつきがあり,好みの科目
もそれぞれであった。その日の科目は生徒自身の相談により選択させ「やればできる」という成
功体験の積み重ねにより,学習に対する自信の回復を重視した。終了時には次回の予定について
確認した。
支援開始当初は順調な参加を見せ,対象生徒が後輩や友人を連れてくることもあったが,8 月
の夏休みに入ると学習支援の当日直前になってキャンセルしたり,連絡がつかず後になって「家
の都合」や「釣りに行っていた」ということがあった。
生徒の攻撃性を抑制するためには,親,教師,地域の人々,友人等の自分にとって重要な人物
からの肯定的感情の認知を高めることが有効であり(久保 2009 : 77-88),本支援においても社
会貢献活動の導入を試みた。活動内容の希望を生徒に聞いたところ,東日本大震災の被災地にお
けるボランティア活動を希望したため,地元と被災地の社会福祉協議会の協力を得て,グループ
のうち 3 名を対象に,SSWr の引率により被災者の写真洗浄ボランティアに参加した。被災地では,
参加生徒の真摯に活動に取り組む様子が見られた。
移動中の車中で,ある生徒から,
「先生は A には注意するけれども,B に対しては何も言わない」
と教室における対応の違いを敏感に感じ取っていることを窺わせる発言があった。また,生徒達
は卒業した先輩達に憧れの感情を抱いており,生徒達に作用する環境因子として,グループ内の
横のつながりだけでなく,高校生や社会人である先輩との縦の関係も強く影響していることが推
64
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
察された。生徒達の保護者との連絡は必要最小限に留め,毎回の活動の報告はすべて生徒の所属
する学校および教育委員会にのみ行なった。各中学校に配置されている自立支援相談員との連絡
は密に行ない,月一回の自立支援相談員の定例連絡会にも参加しながら,知り得る範囲で生徒の
生活環境や学校において変化があれば,すぐに SSWr に情報が入る体制が組まれていた。
② 展開期(10 ∼ 12 月)
地元のボランティア学生の協力もあり,学習支援活動が安定して実施されるようになった。生
徒達の所属する学校の養護教諭や自立支援相談員からは,プリント学習に取り組んでいる様子や,
自身で参考書を購入する等,学習意欲の向上や授業に積極的に参加する等の改善の様子が報告さ
れ,養護教諭からは「この子達が集中して学習に取り組んでいること自体がすごい」との感想も
寄せられた。支援開始当初に見られた,無断で欠席する行動は少なくなり,学習支援の場におい
ても学習に対する意欲の向上や積極的に取り組む様子が観察された。
一方で,グループのリーダー的生徒が暴力事件を起こすなど,外的刺激に対し直情的に反応し,
その結果グループ全体にマイナスの影響を及ぼし,構成メンバーが心理的に不安定な様子になる
等,学習支援の継続が危うくなる場面も見られた。この頃には,それぞれの志望校に合格するた
め,入試の得点の獲得に向けた具体的な学習が展開されたが,受験勉強はあくまでも学習支援の
2 時間のみで,自宅での自主学習までには結び付かなかった。「本気で合格してもらいたい」と
いう思いと,一方で,支援者自身の学習指導や教授法に関する専門的な技術の低さ,生徒の受験
に対する認識の「甘さ」が支援者自身に「焦り」を生じさせ,「今の勉強量では足りない」「自宅
での自主的な学習が必要」という支援者の言動により,生徒達との関係が一時パターナリズ
ム7)に陥る場面も見られた。
③ 終結期(2 ∼ 3 月)
生徒達はそれぞれ志望校の受験に臨んだが,希望通りにはいかない結果となった。合格発表の
後,SSWr の携帯電話のメールに,生徒達から「せっかく指導してもらったのに結果を出せなく
て済みませんでした」と感謝と詫びの内容のメールが寄せられた。3 年生の生徒達は卒業後就職
し,1 名は現在求職の状態にある。
3. 考 察
以下,筆者の学習支援によって得られた実践的知見から,支援場面における SSWr の直接援助
の有効性を “役割” の視点から考察し,併せて SSWr のアウトリーチの有効性について検討する。
1)
権利擁護と「学校-生徒-保護者」間の関係性の修復のための仲介者としての役割
問題を抱える生徒に対し,学校側にしてみれば,これまで何度となく改善のための指導を試み
たが,生徒から拒否され,指導を受入れない状態が続けば,教師の指導意欲も相応に低下するこ
スクールソーシャルワーク実践におけるアウトリーチに関する研究
65
とが予想される。「やる気のない生徒」として学校からラべリングされることで,「教育的指導対
象」から「逸脱行為を抑制する対象」として扱われる。ラべリングによる誤解の実例として,あ
る生徒が教室の入口のドアがレールから外れていたため,手で直そうとしたところ上手くはまら
ず,足で蹴ってはめようとしていたのを,教員が見つけて注意するということがあった。大きな
音をたてて激しくドアを蹴る生徒の様子を見れば,先ず注意するのが通常の対応である。教師と
の関係性が構築されていれば,誤解を晴らすために生徒は状況を説明しようとするが,関係性が
希薄になっていれば,反発しそのまま誤解された状態のままとなる。このように非行不良行為の
問題を抱える生徒においては,本人ならびに保護者への直接的な面接を通して,本人と学校側の
誤解が修正されないまま関係性が悪化している状況が明らかとなる場合がある。誤った情報によ
り,当該児童・生徒の評価が間違った状態でケース会議等において支援計画が協議されることが
危惧される。支援対象に関する情報や評価の妥当性を担保するため,適当なアセスメントの担い
手が見つからない場合は SSWr 自身がその担い手となる必要がある。場合によっては,SSWr 単
独での学校施設や家庭訪問による面接の実施を検討する必要があろう。SSWr による支援は,ソー
シャルワークにおける対人援助のプロセスに沿って,① アウトリーチ(家庭訪問あるいは学校
での面接)→② インテーク(受理)→③ アセスメント(事前評価)→④ プランニング(支援
計画の策定)→⑤ インターベンション(介入)→⑥ エバリュエーション(事後評価)→
⑦ ターミネーション(終結)の流れで展開される。SSW の実際の支援においては,学校からの
支援要請に対し,上記流れの ② から支援が展開される。その後,アセスメントにより教師や保
護者や地域の関係者等の情報から,問題の経緯や原因を探る「状態の見立て」が行なわれる。こ
の時,当該生徒を取り巻く環境にある保護者や教師の見立てが誤解されたものであると,正しく
ニーズを把握することが困難となる。「状態の見立て」において重要なことは,当該児童を取り
巻く環境にある大人が,ニーズを的確に捉えているかどうかの「見極め」である。当該生徒の支
援者として的確なアセスメントを実施し得ない場合においては,中立的な立場からの SSWr によ
るアセスメントが必要となる。この時,留意しなければならないことは,「生徒自身あるいは保
護者が問題を抱えていることを自覚しているのか」あるいは「学校のみが問題と認識しているの
か」である。SSWr は「児童・生徒の最善の利益」を優先しなければならない。そのためには中
立的・俯瞰的な立場からの視点(perspective)が必要であり,それは児童・生徒を「家庭」「学校」
「地域」の環境に生活する一個の人間として捉えることでもある。こうした視点により「問題を
広く捉え,関係性と相対的な重要さが理解できる」ことになる。例えば不登校の問題について,
それが前向きな自己選択に基づくものであるのか,不本意な反応として教育権が剥奪された状況
であるのかを見極める視点が必要である。また,福祉領域においては「自己選択・自己決定」が
援助の基本とされているけれども,問題を抱えている児童・生徒が,狭められた視野や限られた
選択肢の中で,「将来的展開を十分に理解した上で自身にとって最適な進路を選択し得る」とす
ることには疑問を呈せざるを得ない。ここが学校ソーシャルワークと一般的な福祉ソーシャル
66
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
ワークの異なる点である。教育権の擁護と併せて,児童・生徒に対する,より好ましい状態への
指導・誘導かつ教育的な関わりが必要になる。
また対教師暴力を行った児童・生徒においては,被害者である教師と当該児童・生徒との関係
性が希薄化している場合があり,このような場合,中立的に双方の間を取り持ち,児童・生徒の
謝罪から始まる一連の関係性を回復させる関わりの調整役が必要になる。このような適切な担い
手がいない場合,直接援助者として中立的な立場の SSWr の関わりが有効となる。ただし,この
場合有効となるのは,当該児童・生徒と SSWr との関係性がすでに構築されている場合において
であり,これを行い得る支援者が他にいる場合においては,その人物が担う方が本来調整役とし
ての SSWr の役割からは望ましい。当該児童・生徒にとって親身な存在として支援する人物が学
校内に 1 人もいないという状況にならないよう予防的な観点からも問題を抱えると予測される児
童・生徒に対し,予め支援し得る人材を確保・配置しておく必要がある。いずれにせよ,いかな
る理由においても他人に暴力を振るった行為については謝罪した生徒に対しては,むしろ積極的
にスクール・インクルージョン8)を目指す学校側の姿勢が必要となる。
2)
問題を抱える児童・生徒の自己肯定感を向上させる存在としての役割
児童・生徒に対して,「できないこと」よりも「できること」に着目し,「できたこと」を評価
する(褒める)ことで,その強みをさらに強化していくことを目指す関わりがエンパワメン
トである。児童・生徒は「無限の可能性を有した存在であり,成長し変わることができる」とい
う絶対的な信念,そのことを前提とした関わりが児童・生徒を改善させることについて支援関係
者間での共通理解を促す。
不登校児童・生徒や不良行為を行う生徒は自身に対する肯定的感情が低いことが指摘されてい
る。本事例においても,周囲からのレッテルに対する反発と同時に自導感情や自己肯定感が低い
特徴が生徒から見受けられ,養護教諭や教師との関係性を有しながらも,全体的印象として学校
に対する疎外感情を有していることが言動から窺えた。このような状態を踏まえ,学習支援にお
いては,「能力がないから勉強が分からないのではなく,授業に参加しなかったり,習っていな
いから分からないのは当然」というメッセージを送ることが重視された。学習支援は,板書を用
い支援者が参考書から出題し,学習者が同じ問題に対しそれぞれが解答し,ステップアップ方式
により,簡単な問題から徐々に応用問題に移行する方法がとられた。また集団力動(group dynamics)を活用し,ゲーム性を取り入れ,メンバー間での競争が促された。問題が解けない生徒
に対しては,必ず名誉挽回の機会を設け,挫折感を抱かせないよう配慮し,成功体験の積み重ね
から,自己肯定感の向上が図られた。
SSW におけるストレングス視点とは,生徒それぞれの固有の存在としての価値を自覚させる
ことである。授業に参加できない生徒は,「授業内容が分からない」という状態に対して「反抗」
により自尊心を維持しようとしている。本事例における生徒達の学習意欲の向上から,いずれ教
スクールソーシャルワーク実践におけるアウトリーチに関する研究
67
室の授業に戻ることを目標に,学校側の教師ではない第 3 者的立場の支援者が,ストレングス視
点とエンパワメント・アプローチの視点から支援することの有効性が確認された。
一方,
「SSWr は,児童・生徒,教師を含む学校,保護者,関係機関の専門職がそれぞれの立
場から取り組んでいる当該児童・生徒の問題解決を単に代行する者であってはならない」とする
考え方がある。児童・生徒を取り巻く支援関係者が,それぞれの持ち味を活かして児童・生徒に
適切かつ効果的に関われるよう,それらの可能性を引き出していく視点も重要である。
このようにエンパワメント・アプローチには,対象生徒や保護者へのエンパワメントと支援者
である教師や支援関係者へのエンパワメントの二面性がある。SSWr が何れの方法をとるかは,
対象となる児童・生徒の置かれた状況から判断されるべきであろう。重要なのはこうした判断の
必要性が,ケース会議等において支援関係者間で共有されることである。
学校や社会から疎外されているという感情を持つ生徒児童が,例えばボランティア活動等の社
会貢献活動により他人から感謝される経験を通して自信や社会性を回復することがあり,地域資
源としての社会福祉協議会やボランティア団体・NPO との連携は有効である。
ただし,ボランティア活動の活用に際しては,強制的な活動にならないよう,対象者の主体性
を尊重して実施しなければならない。
本事例では,学習支援の初期において東日本大震災による被災地域のボランティア活動が導入
された。活動内容は危険性回避のため被災者の写真洗浄であった。喫煙・飲酒が習慣化している
と思われる生徒が,活動中は SSWr に迷惑をかけるという理由から喫煙を控える行動が見られた。
また活動に際しては地元と活動先の社会福祉協議会の協力を得て,
「ボランティア活動保険」に
加入した。他人から感謝される体験は自己肯定感の回復に有効であった。
ナラティブ・アプローチとは,問題を抱える児童・生徒にとっての支配的なドミナントストー
9)
リー(dominant story)
に耳を傾け,本人と問題を切り離して代替的な新たなオルタナティブス
10)
トーリー
(alternative story)
に作り変えることである。本事例におけるドミナントストーリーは,
「反抗的行動によって周囲から自身へ向けられた否定的感情」であった。問題を抱える児童・生
徒は,こうした負の感情を敏感に感じ取っていた。支援対象のある生徒の「先生は A や B には
いろいろ注意するけど,自分には何も言わない」という発言からも,学校生活において疎外感を
感じており,本事例におけるグループの仲間意識の強さの根底には,こうした「寂しさ」がある
ことが推察された。悲観的な感情体験を支援者との関わりを通してオルタナティブストーリーに
変えて行く作業が必要である。
本事例の反省としては,こうした生徒との「対話」や「語り」が不十分であったこと,目標で
あった高等学校進学を実現するための有効な学習支援を実施し得なかったことから,挫折感を体
験させ新たなドミナントストーリーを与えたのではないかという点があげられる。受験後に不合
格が分かった生徒達からそれぞれメールで,SSWr の支援に対し応えられなかったことを詫びる
内容が寄せられた。これは物理的な時間不足と学習支援に関して専門家の協力を要請し得なかっ
68
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
たことが原因であり,専門職との連携による支援の必要性を実証する結果となった。
また,「児童・生徒は皆,適切な条件さえ整えば成長していく存在であり,無条件の「信頼」
こそが,相手の可能性を実現していく」という信念が必要である。SSW においては前項でも述
べたように,問題を抱える児童・生徒に対しては教育的なかかわりが必要になる。SSW は「学
校教育法」に定める「心身の調和的発達」,「国家及び社会の有為な形成者として必要な資質を養
うこと」
(「学校教育法」第 18・36・42 条)を保障し,「学習権」や「人権」が剥奪された状態を
改善しようとする活動である。社会福祉的援助のように利用者本位の視点から,本人が望むまで
あるいは自主的に行動を起こすまで「待つ姿勢」で本人の意向のみ尊重していては,治療を優先
すべき精神疾患等による病気を原因とするケースを除いて,例えば不登校においては義務教育の
期間が過ぎてしまい,結果として教育権が剥奪・放棄されたことになり,その後の人生に大きく
影響することになる。また,生徒自身がそのことによる損失を自覚するのは後になってからであ
ることからも,教育的・涵養的促しが求められる。SSW の目的は,学校ソーシャルワークの性
質上,教育権と人権の擁護にある。不登校の問題を抱える児童・生徒に対しては,侵襲性に配慮
しながらも適切な「登校刺激」を与える必要がある。問題を抱える児童・生徒の状況が膠着して
いる時には,経過観察に留まることなく SSWr 自らが打開に向け積極的に介入し,望ましい方向
に促す関わりが必要である。
3) 児童・生徒の環境に改善を働きかける存在としての役割
SSWr は,児童・生徒あるいは保護者が抱える問題を個人の病理としてではなく,児童・生徒
を取り巻く環境との不適応状態として捉えようとするエコロジカルな視点に立って支援する。
児童・生徒を取り巻く環境とは,学校,家庭,地域社会等の様々な生活場面における環境を指
す。そこに関わる保護者や家族,教師,関係機関の支援者,友人,地域住民といった “人” もま
た環境を構成する要素であり人的社会資源として活用することが可能である。SSWr も人的社会
資源の一つとして,他の支援者と対等な立場から,それぞれの持ち味や専門性を活かして役割を
遂行できるよう,間接的に支援の連携体制の構築に関わることを主とし,時には直接的介入によ
り支援を展開していかなければならない。
児童・生徒を取り巻く環境における人的社会資源がチームとして児童・生徒への支援を展開す
るため,ケース会議等においてアセスメント(事前評価)に基づいた「支援計画」が立案される。
支援の方向性としては,環境との不適合状態に対処できるよう個人の力量を高めることと,個人
のニーズに照らして環境そのものを調整するという,個人と環境の双方への相乗的な働きかけに
よる問題解決が目指されることになる。
例えば,学校環境においては,教師やスクールカウンセラー,あるいは学内に配置されている
支援専門員等が児童・生徒やクラス生徒,保護者に対する直接援助を担い,家庭や地域社会環境
においては児童・生徒や保護者に対し関係機関や専門職が問題の改善に向け働きかける。SSWr
スクールソーシャルワーク実践におけるアウトリーチに関する研究
69
は俯瞰的な視点に立ち,それぞれの環境における支援が有機的に連携し,相乗的かつ効率的に効
果を発揮するよう,連携体制の構築や連絡調整等のコーディネート,SSWr の専門性からの各支
援者への助言等のコンサルテーションを担うことになる。
非行問題や不登校において問題が長期化しているようなケースでは,当該児童・生徒や保護者
の「状況を改善したい」という前向きな意思と行動をいかに引き出すかが問題改善の鍵となる。
そのため,時には SSWr が専門性と中立的な対場を活かして本人や保護者に対して直接的に働き
かけることで,望ましい状況に向けて歯車を回す最初のきっかけを担うこともある。この場合の
直接援助は,あくまでも一時的な加勢あるいは助成であり,周囲に然るべき支援の担い手がいる
ような場合は,徐々に引き継ぎながら交代し,または最初から計画の一部として期限を切って介
入することが,一人の SSWr がより多くのケースに関わり改善に向けて対応するという観点から
は望ましいと言えよう。
本事例の学習支援への生徒の参加については,当初は「最初の 1,2 回の参加があっても後は
誰も来なくなる」ことが支援関係者の大方の予想であった。実際に生徒を取り巻く環境からの様々
な外部刺激(人間関係の軋轢や突発的なトラブル)により,生徒の言動はめまぐるしく変化し,
学習支援への不参加につながった。SSW における直接援助の特徴としては,外部環境からの刺
激により,めまぐるしく “揺れる” 児童・生徒に対し,いかに適切に即応するかがあげられる。
そのためのツールとしては,生徒が個人用の携帯電話を所持している場合は,携帯電話への連絡
やメール機能の活用が有効である。時間と場所をあらかじめ指定する面接を中心とした支援だけ
では,日々の変化に対応することは困難である。今後 IT 環境11)におけるアウトリーチは,直接
援助技術の有効な手段として積極的な活用が期待されるが,これにより空間的・対面的な関わり
が不要になるということではない。本事例においても何度も連絡不通による学習支援の中断の危
機があったが,教師や自立支援相談員の対面的な促しにより回避することができた。
また,支援対象の生徒から「親に SSWr に聞けと言われた」として「定時制の高等学校に入学
しても継続することが可能かどうか」との質問があり,学習支援や生徒の進学に対して保護者が
関心を寄せていることが窺えた。支援の継続には保護者の理解や協力が不可欠であり,本事例に
おいても大きく影響したことが推察された。一般に保護者が,問題として認識し,改善を望まな
いうちは,支援が機能しないと言われている。本事例における保護者との連携については,既に
保護者との関係性が構築されている自立支援相談員や学校側の理解・協力が大きく作用した。
4) 危機介入者としての役割
支援対象者にとって危機的な事態に対し,すぐその場に駆けつけ心理的苦痛を和らげる心理的
な作業が必要な場面では,「迅速性」「積極性」が求められる。SSW において危機的介入を行う
かどうかは,現任者間で意見が分かれる。筆者の扱った別の事例では,深夜の 2 時に車の無免許
運転で警察に補導された生徒から携帯電話に連絡があった。着信に気付かなかったため,後日の
70
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
対応となったが,連絡先を開示して支援する場合はこうしたケースも起こり得る。これらは支援
者と被支援者とのバウンダリー(境界)の問題であり,緊急時の対応については,予め学校や支
援関係者ならびに非対象者との間で取り決めておく必要がある。
5)
ファシリテーターとしての役割
問題を抱える児童・生徒が「問題」として自覚・認識しているものを取り組むべき「問題」と
して扱い,大きな問題は小さく分割してステップアップ方式で段階的に問題解決を図ろうとする
方法も有効である。SSW において「主訴は誰によるものか」という問題がある。不登校や非行・
不良行為において当の本人には問題が意識されず,学校だけが「困っている」場合がある。しか
しながら,SSW が対象とする問題を抱える児童・生徒は,自我の発達途中にあり,自己選択に
よる将来への自己責任を課すには「未熟」と言わざるを得ない。本人の可能性を最大限尊重し自
己努力による「伸びしろ」を想定した様々な選択肢を提示することが肝要である。「問題」の自
覚には,保護者の意向や認識も大きく影響するため保護者への支援的関わりや福祉教育も必要で
ある。特に発達障害を抱える児童・生徒の保護者に対しては「個別教育プログラム」への理解を
促すことも必要である。本事例においては,国語能力等小学校レベルから学習し直す必要がある
と思われる生徒も含まれていた。「問題」の自覚への促しとそれに対応した支援プログラムが計
画的に提供される必要がある。生徒の所属する学校の校務分掌において特別教育支援コーディ
ネーターの配置が明記されている。本事例における学業遅滞生徒の学習支援においても,双方の
学習支援の内容を包括・連携させて実施すべきであった。
SSW の中心的な支援業務の柱の一つに,ケース会議における支援計画の策定へのコンサルテー
ションがある。
「いつまでに・誰が・何を支援するのか」を明確にし,支援者と被支援者が一緒
に解決したい問題を選択し,具体的課題を設定して計画的に問題解決に取り組む手法である問題
中心理論の視点からは,上項 1)に述べたソーシャルワークにおける対人援助のプロセスに沿っ
て支援が展開される。筆者がこれまで扱った不登校の問題を抱える児童・生徒においては,母子
家庭で母親が精神疾患を抱えているケースが比較的多く見られた。既に医療機関に受診している
場合は,保健師等のサポートが確保されているが,本人に自覚がなく面談等の実施により精神疾
患の疑いがある場合は,精神保健福祉の専門性による助言や支援を根気よく続け「問題」を認識
してもらうための促しが必要である。
支援者が被支援者に対し望ましい行動が起こるような刺激を与える援助手法として行動理論が
ある。本事例における学習支援は行動理論・アプローチによる「褒める」ことによる強化を活用
して実施された。学習支援では所属校の養護教諭や自立支援相談員の参観があり,菓子等の「差
し入れ」が行われた際には,全員で礼を言うよう促し,社会性やコミュニケーションの能力の向
上が図られた。望ましい行動に対しても「褒める」ことで強化が行われ,支援の後半には生徒か
ら自然に発せられるようになった。学校関係者に学習支援の場に顔を出してもらうことが,「学
スクールソーシャルワーク実践におけるアウトリーチに関する研究
71
校からも認められ応援されている」という学習支援の参加への強化となっていたことが推察され
た。
「褒める」ことによる「強化」については,日本海軍軍人の山本五十六の「やってみせ,言っ
て聞かせて,させてみせ,ほめてやらねば,人は動かじ」という教育方針のとおり,学習遅滞生
徒の支援においては,まさに手とり足とりで教える個別指導が有効である。
認知行動療法では,認知の歪み(癖)を改善していくことで感情や行動を変化させ,問題解決
を図ろうとする援助手法が用いられる。本事例の生徒には,非行・不良行為の問題を抱える生徒
に共通する特性としての「キレやすい」という易怒性と「相手を受入れる」寛容さの両面性が観
察された。認知の歪みは,事象に対するネガティブな感情ばかりだけでなく,反発的な感情も含
まれる。
「現実的かつ多面的な考え方」を獲得することを目指す。本事例で観察された行動の変
化としては,
支援者や周囲からの期待に対してこれに応えようとする動きが見られたことである。
人は善人として期待されればこれに応えようと努力し,悪人と見られれば同じくそれに応えよう
とする。隣市町村の学校生徒と喧嘩をした生徒に対し,一方的に非難するのではなく「どうせ C
君を庇おうとしたんだろ,ただ相手への暴力は良くない」という肯定的解釈による指導が行われ
た。この場合,暴力は暴力としてこれを否として注意したうえで,その行動の動機となった心情
を汲み,肯定的にフィードバックすることが必要である。行動に対する正のリフレーミング
(reframing)により,直情的な感情を矯正していく関わりは有効であった。
6) 直接援助とアウトリーチの有効性についての検討
若者向けキャリア・コンサルティング研究会作業部会の報告(2008)によれば,自立支援を目
的とした若者に対するアウトリーチを,① 若者自立支援機関に誘導するための家庭へのアプロー
チ「機関誘導型」,② 直接的自立支援を行うための家庭へのアプローチ「関与継続型」,③ 支援
対象者を発掘し,接触するための関係機関へのアプローチ「機関連携型」,④ 支援対象者を発掘
し,接触するための若者の集まる居場所へのアプローチ「直接接触型」の 4 つに分類している。
本事例は,
公民館という学校と家庭の中間施設を援助の場に設定しているけれども,上記 ② の
「関
与継続型」として位置づけられよう。SSW の支援では,支援チームの一員として,ケース会議
におけるコンサルテーションや問題を抱える児童・生徒に直接的に関わる支援者(教師や保護者
等)をエンパワメントし間接的に支えることを主な業務としながらも,状況によっては問題解決
に有効と判断された場合,積極的にソーシャルワーカーとしての専門性を活かしアウトリーチに
よる直接的介入が必要である。
アウトリーチとは,これまで述べてきたように学校や支援機関による家庭への直接援助やアセ
スメントをいう。通常,保護者や児童・生徒への面談は,学校において行なわれるが,学校での
面談の実施が困難な場合においては,教職員もしくは支援機関による家庭訪問による面談が実施
される。この時,学校や保護者からの要請,またはケース会議における支援計画に基づく支援の
一役割として,SSWr による家庭への直接介入が行われる場合がある。通常は教員等の同行によ
72
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
り実施されるが,状況や必要に応じて SSWr が単独で直接介入する場合もある。SSWr が単独で
直接介入する際は,予め配属先あるいは派遣先の学校長もしくは教育長の了解を得ていなければ
ならない。なお,SSWr が単独で直接介入する際の判断は,閉鎖的・孤立的支援に陥らないようケー
ス会議や支援関係者とのケア会議において予めその必要性が認められる場合に限るのが望まし
い。SSWr の直接介入は,それ自体を支援として捉えるのではなく,あくまでもその後に続く本
来担うべき人材による支援への引き継ぎを前提とした一時的手段として位置付けるべきであろ
う。現在,SSWr が単独で家庭に直接介入することについては,児童相談所のワーカーのような
法的根拠はなく,全国の SSW 活動報告からも直接介入を認める自治体と認めない自治体とに分
かれており,見解の統一は図られていない。各自治体の教育委員会が,法的根拠がないことを積
極的に捉えるか,あるいは消極的に捉えるかの違いによって対応が分かれているのが実情である。
いずれにしても,問題を抱える児童・生徒にとっての有効性の観点から,前者をとる場合は,
SSWr を守るための業務規定や保険等によるバックアップ体制が整備されなければならないだろ
う。SSWr が支援チームにおける黒子として問題を抱える児童・生徒に対し間接的に保護者や教
師に対しエンパワメントすることも,必要に応じ児童・生徒や保護者に対し直接的に支援するこ
とも,ソーシャルワークの多様な支援方法の一つに過ぎない。既存のマンパワーや公的機関のサー
ビスをでき得る限り活用しながらも,問題が長期にわたり常態化・膠着化しているような状況に
おいては,SSWr それぞれの基礎となる専門性に応じた「一歩踏み込んだ支援」が有効かつ安全
に実施されることが求められる。なお,アウトリーチの実施については業務として SSWr に強制
するものではなく,所定の手続きを経た上で上記の必要に応じて SSWr の判断で実施されるべき
であろう。
前述の文部科学省の『スクールソーシャルワーカー活用事業』ならびに『生徒指導提要』によ
れば,SSW の支援対象は,「保護者,教職員」と明記されている。また,「問題を抱える児童・
生徒が置かれた環境への働き掛け」という表記から,SSWr は「問題を抱えた児童・生徒が置か
れた環境である,家庭における保護者や学校における教師を支援することで,間接的に当該児童・
生徒を支援する」という解釈が可能である。これにより SSWr は「問題を抱える児童・生徒」に
対して「SSWr 自身の直接援助による本来支援を担うべき支援者の代理行為は避けるべき」とい
う理由から「SSWr は直接援助者となってはならない」という誤った認識が生じていることが推
察される。
1906 年から 1907 年にかけてアメリカで始まった学校ソーシャルワークサービスでは,訪問教
師
(visiting teacher)として問題を抱える生徒の家庭に派遣される形態を取られていた。アウトリー
チにより,学校外の生活が児童・生徒にどのような影響を及ぼしているのかを学校に気付いても
らい,児童・生徒のニーズに適合するように学校に変革を働きかけるアドヴォケイト(代弁)機
能が訪問教師(後の SSWr)に課せられた課題であった(門田光司 1998 : 65-67)。これまでの筆
者の活動実践においても「学校でのことは我々教師がやるので,対保護者や児童・生徒の家庭や
スクールソーシャルワーク実践におけるアウトリーチに関する研究
73
表 1 SSWr による直接援助のデメリットとメリット
【デメリット】
① ケースに介入することにより,一人の SSWr の時間と労力がそれに割かれることで,扱えるケー
スが少なくなる。
② アウトリーチそのものが持つ当該児童・生徒への侵襲性の問題。
③ SSWr が犯罪や事故,あるいはセクハラ等の訴訟問題に巻き込まれる危険性があること。
④ 本来支援を担うべき支援者(教師やその他の専門職)の代理行為として本来の支援者をパワー
レス状態にしてしまう危険性があること。
【メリット】
① 当該児童・生徒と支援者(教師やその他の専門職)との関係性が破綻している状況下において,
適当な支援の担い手がいない場合の支援者の役割(直接援助者としての役割遂行)。
② 教育委員会に所属しているという SSWr の立場から,当該児童・生徒が通う学校や家庭・地域
において中立的な立場から児童・生徒に寄り添う視点で「児童・生徒の最善の利益」を優先し
た「支援の見立て」が可能。
③ SSWr の支援者としての基礎となる福祉的専門性や相談援助技術を活用することができる。
④ 当該児童・生徒と対学校,対保護者との関係性が希薄化あるいは破綻している状況において,
双方への直接的働きかけによって関係を繋ぐ役割を担うことができる。
地域環境における問題について SSWr に担って欲しい」という教師からの要望が多く聞かれた。
SSWr に対する教育現場である学校の教師からの期待は,専門的見地からのコンサルテーション
に加え,家庭環境への積極的な直接・間接援助による分業体制を担うことであり,SSWr の支援
の独自性と意義を示すものと言えよう。
これまで筆者の実践的知見や全国の SSW の活動事例集等における報告内容を基に,SSWr に
よる直接援助のデメリットとメリットとして,それぞれ 4 点を挙げる(表 1 :「SSWr による直接
援助のデメリットとメリット」参照)。
支援関係者によるケース会議におけるコンサルテーションも SSW の主要な業務ではあるけれ
ども,上表 1 のメリット ② にあるように,問題を抱える児童・生徒に関する各支援者からの情
報が必ずしも正しいとは限らない場合があり,そのため誤った情報や状況の解釈に基づいて支援
計画が立てられる場合や膠着した状況から結果的に「支援の棚上げの対象とされる危険性」があ
る。アウトリーチによるアセスメントはそうしたリスク回避の有効な一手段となり得るだろう。
上記に挙げたデメリットを解決し,メリットを最大限活かした有効なアウトリーチが実践され
るために取り組むべき課題を以下に述べる。
① 支援の優先性を判断するための優先順位の確立
一人の SSWr がマンパワーとして担当できるケースには限りがある。複数の学校あるいは,同
一校から同時に複数のケースの支援を求められた場合,支援の緊急性や優先順位の判断をいかに
行うかについては,SSWr 自身のトリアージ12)としての判断基準,あるいは各学校の SSWr に対
する要支援児童・生徒の選定における基準の明確化が求められる。判断基準として,対象児童・
生徒の「状態」の視点では「自傷他害の危険性の有無」は明確であるが,「時間」の視点におい
ては「不登校」の場合,「早期介入」の方が優先されるべきか,
「学年が上」(中学・高等学校で
74
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
は受験・就職等が迫る 3 年生)の方が優先されるべきかは,SSWr の置かれている状況や支援方
針によって意見が分かれるところであろう。
「学校組織」の視点からいえば,「非行」においては学内の風紀の低下や他の生徒への影響を防
ぐために犯罪行為や逸脱行動,特に警察沙汰になりマスコミが大きく報道するような事件の防止
が優先されがちである。学校から支援を要請されても状況を判断し SSWr の判断により担当を後
まわしにするケースがあるとすれば,「何を基準として判断するか」等の「経験知による見立て」
は,SSWr 間で体系化され共有されなければならない。ネグレクトによる虐待のケースでは,保
護者と子どもを即分離させるべきか,分離後の双方の影響を考え,別な有効な方法を模索すべき
か,結論を出せないまま時間が流れ支援が停滞しているケースもある。熟練した石工は石を見た
だけで “石の目” を読み,何処にタガネを打ち込めば石が割れるのかを経験的に知っている。
SSW においても,問題の性質・特性を見極め,実行可能かつ有効な支援とそれに伴う展開の予
測が求められる。
担当する学区において,問題を抱える児童・生徒は何処にいるのか,その中で優先して支援す
べきは誰なのか,学校側が選定し,SSWr に支援を要請する「困難ケース」の優先度は妥当なのか,
すべての児童・生徒がその状態に応じて公平に学習権が保障され,適切な支援が受けられるよう,
今後 SSW 実践を重ねながら明確な基準が設けられなければならない。
SSWr による支援者へのエンパワメントや間接的支援を展開するための時間的余裕がない場合,
緊急介入として,いずれ,しかるべき支援者に引き継ぐことを前提に SSWr が先行的に支援を担
うことも必要となる。
② アウトリーチを実施するにあたっての判断基準の確立
SSWr の個人特性(性別等)と対象者の特性(性別や抱えている問題の特性),あるいは問題
を抱える児童・生徒に関わる支援者の状況,当該児童・生徒の置かれている状況に応じて,アウ
トリーチの実施の可否について判断するための基準を設置する必要がある。チェック項目等の具
体的な判断基準を設けることで,支援対象の置かれている状況や支援体制に応じた実施の判断が
可能となる。これらの指標により不適切なアウトリーチの回避やリスクの低減が期待される。ま
た,SSW を実施する都道府県の業務指針にアウトリーチの実施が明記されていることも必要で
あろう。筆者が提案する有効なアウトリーチの実施のための判断基準を表 2「SSW におけるアウ
トリーチ実施の判断基準」に示す。
③ 保険体制の充実化
社会福祉士や精神保健福祉士の有資格者については,公益財団法人である協会が設置する対物
対人賠償責任に対応した保険があるが,これらの団体に所属していない SSWr は配属先の教育委
員会で指定される SSWr 本人の事故や怪我にのみ対応した保険に加入しているのが現状である。
ソーシャルワークの先進国であるアメリカにあるような現任者が安心して活動できるような保険
による支援体制の構築が喫緊の課題である。
スクールソーシャルワーク実践におけるアウトリーチに関する研究
75
表 2 SSW におけるアウトリーチ実施の判断基準
① SSWr 以外に当座,問題を抱える児童・生徒にとって有効な介入の担い手がいない。
② SSWr の特性,対象者の特性,支援の状況から SSWr による介入によるリスクが少ないと判断さ
れる。
③ ケース会議等において SSWr によるアウトリーチの実施について合意が得られている。
④ 教育委員会および学校長の了承を得ている。
⑤ アウトリーチの実施について支援対象者および保護者から予め了承を得ている。
⑥ アウトリーチによる支援対象者への侵襲性のリスクが少ない。
⑦ SSW 活用事業の業務内容にアウトリーチの実施について明記されている。
⑧ アウトリーチのリスクに対応した保険に SSWr が加入している。
④ 既存の支援体制の活用
保健師や児童相談所や教師等,必要に応じ教師や他の支援者との同行訪問や専門機関への訪問
の依頼等による実施を可能とするため,普段から関係機関における専門職との連携体制の構築さ
れている必要がある。リスク回避のため,同行訪問についても必要に応じて検討されるべきであ
ろう。
4. ま と め
非行・不良行為の問題を抱える生徒への学習支援事例から,SSWr による専門的援助者として
の直接援助の必要性と有効性について考察を試みた。
SSWr は,問題を抱える児童・生徒にとって,問題が常態化し膠着した状況を打開すべく派遣
される「救世主」ではない。問題を解決するのは,児童・生徒本人であり,保護者や日々実直に
教育・支援に関わる教師や関係機関の専門職あるいは地域住民達であり,彼らが学校ソーシャル
ワークという舞台の「出演者」となる。SSWr は常に強くこのことを肝に銘じ支援にあたらなけ
ればならず,支援の連携において支援関係者に伝えるべきは,SSWr が「黒子(くろこ)
」とし
て支援の「裏方役」に徹する存在であるということである。
それでもなお,児童・生徒が置かれている状況によっては,SSWr は支援者のエンパワメント
を図りながら,必要に応じソーシャルワーカーとしての専門性を活かして積極的に安全かつ有効
なアウトリーチが実施されることが期待され,実施に際しての検討事項について述べた。
SSWr が問題を抱える児童・生徒の学校教育現場や生活現場において目の当たりにするのは,
複雑かつ多様化する問題の困難性と問題の改善を目指し,それぞれの立場から真摯に業務に取り
組む,教師ならびに保健師等の学校・関係機関の専門職の姿であった。今後も SSWr は彼らの一
助となるべく「子どもの最善の利益」の擁護を目指し,援助技術の研鑽と経験を積み重ね,果敢
に試行錯誤を繰り返しながら,SSW 業務の標準化ならびに技術向上に取り組まなければならな
い。
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
76
謝 辞
支援対象のプライバシー保護の観点から具体的名称の記載を避けるが,学習支援の場で共に活
動した生徒達,保護者の方々,地元大学の学生ボランティアの方々,配属先教育委員会の教育長
様,教育総務課の方々,自立支援相談員の方々,支援対象生徒が所属した中学校の校長先生をは
じめ教員の皆様に対し感謝の意を表したい。また,SSW のスーパーバイザーとしてご指導をい
ただいている阿部正孝教授ならびに県教育委員会,また SSW の活動機会を与えていただき研究
活動のご指導をいただいている寺下明通信教育部部長,および通信教育事務部課員の皆様に対し
心から御礼申し上げたい。
注
1) 筆者自身の SSW の実践に基づく知見のほか,筆者の所属する SSWr のスキルアップを目的と
した研修の場において,実施の是否が問題となっている。
2) 本法で定める支援は,修学支援というよりも “ひきこもり” や “ニート” に対する社会適応,就
労支援の色合いが濃く,SSWr の家庭訪問の法的根拠とするには弱い印象がある。
3) 被援助者を元気にすること,既有の力を引き出すこと。
4) アウトリーチとは「接近困難な人に対して,要請がない場合でもワーカーの方から積極的に出
向いていく援助のこと。生活上の問題や困難を有しているものの,福祉サービスの利用を拒ん
だり,ワーカーに対して攻撃的,逃避的な行動を示す人に対して積極的に働きかけることを指
す。アグレッシブ・ケースワークの具体的方法であり,ワーカーの側に積極的な態度が求めら
れる。」
(山縣文治,柏女ら : 2013)と定義されており,「積極的接近法(positive approach)」
とも呼ばれるソーシャルワークの一援助手法である。
5) 不良行為少年とは,少年警察活動規則第 2 条に規定する,非行少年には該当しないが,飲酒,
喫煙,深夜はいかいその他自己又は他人の徳性を害する行為(「不良行為」)をしている少年を
いう。
6) SSWr の配属先市町村での活動形態は,① 配置校型(特定の学校に配置され,そこの学校組織
のメンバーとして深く学校組織の活動に関わることが可能),② 拠点校型(特定の学校を拠点
として,他校の相談に応じるスタイル),③ 派遣型(直接の指揮監督者は市町村教育委員会に
あることが多く,教育委員会に配置され派遣要請のある学校や教育委員会が必要と考える学校
へ派遣され個別ケースに対応。担当するケースは問題が常態化・膠着化している困難ケースが
中心),④ 教育委員会のサポートチームのメンバーとしての配置(学校運営や組織改善に取り
組むもので,この形態による活動は比較的少ない)がある。
7) 父権主義ともいう。良かれと思い高圧的に指示する関わり方。被援助者の主体性を奪い従うだ
けの存在にしてしまう弊害がある。
8) ここではソーシャルインクルージョンという「全ての人々を孤独や孤立,排除や摩擦から援護
し,健康で文化的な生活の実現につなげるよう,社会の構成員として包み支え合う」という理
念を学校場面に置き換え「学校的包摂」として用いる。障害を有する児童・生徒が普通学級で
他の児童・生徒と一緒に学ぶ「インクルーシブ教育」における “障害” を “様々な特性” に広げ
た概念。
9) ドミナントストーリー(dominant story)とは過去の経験に基づくその人をネガティブに支配
している「優勢」な物語のこと。
スクールソーシャルワーク実践におけるアウトリーチに関する研究
77
10) オルタナティブストーリー(alternative story)とは,過去の経験に対して新たな解釈により上
書きされた「代わり」の肯定的物語をいう。
11) 近年急速に普及した携帯電話による IT によるネットワーク環境が挙げられる。特に中学校生
徒においては,校則等により学校内での使用は禁止されているが,多くの生徒が携帯電話を所
持し,頻繁にコミュニケーションを取っているのが実情である。当該生徒や保護者との関係性
構築のためのツールとして,携帯電話や E メール等の活用は,様々な外部からの刺激により状
況や状態が変化する多感な児童・生徒にとって無視できない。近年社会問題となっているネッ
ト・ゲームへの依存や SNN(ソーシャルネットワークサービス)による “いじめ” や不特定多
数との交流による犯罪被害等が問題となっている。こうした情報ネットワークへの介入も今後
SSWr が扱う問題となる。なお IT を用いた支援については,バウンダリー(支援者と被支援者
との関係性における境界線)の観点から,被支援者との面接を時間・場所を指定して実施する
方法のみを用いるか,これとは別に支援者個人の携帯電話やメールアドレスを開示し常に連絡
を取れる状態にする方法を用いるか,あるいは支援用の連絡先を用意するかのいずれを選択す
るかについては SSWr の支援方針や姿勢に関わる問題として慎重に検討されなければならない。
12) トリアージとは,一般には災害医療において,負傷者等の患者が同時発生的に多数発生した場
合に医療体制・設備を考慮しつつ傷病者の重症度と緊急度によって分別し,治療や搬送先の順
位を決定すること。助かる見込みのない患者あるいは軽傷の患者よりも処置を施すことで命を
救える患者に対する処置を優先するというもの。
文 献
梅山ひさの・撫尾知信(2012) 『協同学習が児童の社会的スキル及び自己肯定感の向上に及ぼす影
響 ─ 協同学習におけるペアグループの構成に着目して ─』 佐賀大学文化教育学部研究論文
集,17(1), 1 22.
-
門田光司(1998) 『アメリカにおけるインクルージョンとスクールソーシャルワーカーの役割につ
いて』
西南女学院大学紀要,Vol. 2, 65 67.
-
久保元芳(2009) 『中学生における攻撃性と特定領域別セルフエスティームとの関連』宇都宮大学
教育学部紀要,第 1 部 59, 77 88.
-
田嶌誠一(1998b) 「暴力を伴う重篤例との『つきあい方』」心理臨床学研究,16 5, 417 428.
-
-
文部科学省(2008) 『スクールソーシャルワーカー実践活動事例集』,4, 71.
文部科学省(2010) 『生徒指導提要』,130, 152, 167, 199, 201, 232.
文部科学省ホームページ(2013) 『スクールソーシャルワーカー活用事業』,
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/046/shiryo/08032502/003/010.htm
文部科学省初等中等教育局児童生徒課(2012) 『平成 23 年度スクールソーシャルワーカー実践活動
事例集』,
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/_ _icsFiles/afieldfile/2012/10/05/1326605_01.pdf
文部科学省(2013) 『スクールソーシャルワーカー 活用事業実施要領等』
内閣府(2009) 『子ども・若者育成支援推進法』
山縣文治,柏女霊峰 編(2013) 『社会福祉用語辞典』第 9 版,ミネルヴァ書房.
若年者向けキャリア・コンサルティング研究会作業部会(2008) 「平成 19 年度若年者向けキャリア・
コンサルティング研究会」報告書,厚生労働省及び中央職業能力開発協会.
∼若年者向けキャリア・コンサルティング実施に必要な能力要件の見直し等に係る調査研究∼
学校等における児童虐待防止に向けた取組に関する調査研究会議(2006) 『学校等における児童虐
待防止に向けた取組について』
(報告書),第 3 章第 1 節 5 スクールソーシャルワーカーの活用,
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/06060513/001/019.htm
Johnson, D.W., Johnson, R.T. & Holubec, E.J.(1984) Circles of Learning ; Cooperation in the classroom. 東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
78
Interaction Book Company. 杉江修治・石田裕久・伊東康児・伊東篤(訳)(1998)『学習の輪』
二瓶社,15 56.
-
スクールソーシャルワークの専門性に関する一考察
79
スクールソーシャルワークの専門性に関する一考察
─
実践活動事例集等の分析から ─
袖 井 智 子
要旨 : 地域や職場,家庭でのつながりが薄れ「社会的排除」が顕在化し,子どもを取り巻
く環境も大きく変化している。2006(平成 18)年 12 月,教育基本法が改正され,翌年 7
月には,
「児童生徒の教育相談の充実について」という報告書がまとめられた。これにより,
相談体制の重要性が認識され,翌年,スクールソーシャルワーク活用事業が導入されるよ
うになった。
そこで本稿では,子どもを取り巻く状況の変化に伴い,2008(平成 20)年にスクールソー
シャルワーカー活用事業として開始されたスクールソーシャルワーカーについて,スクー
ルソーシャルワーカーに関する取組,スクールソーシャルワーカー活用事業,スクールソー
シャルワーカーの専門性について検討し,スクールソーシャルワーク活動を展開するため
に必要となる視点は何かについて考察した。
結果として,スクールソーシャルワーク活動を進めていくためには,スクールソーシャ
ルワーカー活用事業等の体制整備が必要であること,関係諸機関との連携の充実が急務で
あること,専門的な教育を受けた質の高いスクールソーシャルワーカーが不可欠であり,
大学等専門機関における養成が急がれることが明らかになった。
キーワード : スクールソーシャルワーク,専門職,地域
1. は じ め に
我が国では,急速な少子高齢化により,人口構造が大きく変化すると予測されている。また,
核家族化や共働き家庭の増加,家族形態の変化により,家庭機能が低下している。さらには,地
域や職場,家庭でのつながりが薄れ,社会的排除が顕在化している1)。
このような家庭や社会の変化に伴い,子どもを取り巻く環境も大きな影響を受けている。2006
(平成 18)年 12 月,教育基本法が改正され,同法第 13 条において,
「学校,家庭及び地域住民
その他の関係者は,教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに,相互の連携及び協
力に努めるものとする」と規定された。また,2007(平成 19)年 7 月には,「児童生徒の教育相
談の充実について ─ 生き生きとした子供を育てる相談体制づくり ─」
(教育相談等に関する調
査研究協力会議)がまとめられた。これにより,相談体制の重要性が認識され,翌年,スクール
ソーシャルワーク活用事業が導入されるようになったと考えられる。さらに,学校現場で顕在化
しているいじめへの対応策として,2013(平成 25)年 6 月,いじめ防止対策推進法が制定され,
同年 9 月に施行した。同法において,「地方公共団体は,関係機関等の連携を図るため,学校,
教育委員会,児童相談所,法務局,警察その他の関係者により構成されるいじめ問題対策連絡協
80
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
議会を置くことができる」と規定されている。このような状況下において,スクールソーシャル
ワーカーには,いじめへの対応も求められている2)が,スクールソーシャルワーカーによる専門
的な支援方法について,実践活動事例を俯瞰的に検討するという研究は,未だ十分検討されてい
るとは言い難い。
一方,2011(平成 23)年 3 月に発生した激甚災害である東日本大震災により,児童生徒は大
きな被害を受けた。親を亡くした児童は,震災孤児が 241 人(岩手県 94 人,宮城県 126 人,福
島県 21 人),震災遺児が 1,483 人(岩手県 487 人,宮城県 857 人,福島県 139 人)である。被害
の甚大な 3 県(岩手県,宮城県,福島県)等被災地の学校から他の学校に受け入れた幼児児童生
徒数は,25,516 人という状況である。このように震災により大きな被害を受けた児童生徒への専
門的な関わりは,不可欠であると考える。
そこで本稿では,スクールソーシャルワーカーによる専門的な支援の在り方について検討する。
具体的には,2010(平成 22)年度,2011(平成 23)年度,2012(平成 24)年度のスクールソー
シャルワーカー実践活動事例集3)及び児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査4)
結果を用い,スクールソーシャルワーカーの専門性について考察する。
2. スクールソーシャルワーカーに関する取組
我が国におけるスクールソーシャルワークの取組5)として,1981(昭和 56)年埼玉県所沢市
における活動を挙げることができる。この活動は,埼玉県や神奈川県を中心として市町村の施策
に影響を与えたが,スクールソーシャルワークとして明示した活動は 2000(平成 12)年まで現
れなかった。2000(平成 12)年,兵庫県赤穂市教育委員会と関西福祉大学の協力により,ソーシャ
ルワーカーが実験的に配置され,2001(平成 13)年には香川県教育委員会が健康相談活動支援
体制整備事業の一環としてスクールソーシャルワーク制度を導入した。その後,2002(平成 14)
年には,茨城県結城市と千葉大学附属小学校にスクールソーシャルワーカーが配置され,2006(平
成 18)年には,東京都杉並区と兵庫県教育委員会でも導入された。同年 12 月には教育基本法が
改正され,同法第 13 条において,
「学校,家庭及び地域住民その他の関係者は,教育におけるそ
れぞれの役割と責任を自覚するとともに,相互の連携及び協力に努めるものとする」と規定され
た。また,同年秋に全国で相次いで起きたいじめ自殺など,多発する事件・事故の対応や自然災
害など緊急時の児童生徒に対する心のケアが大きな社会問題として捉えられ,2007(平成 19)
年 7 月に「児童生徒の教育相談の充実について ─ 生き生きとした子供を育てる相談体制づく
り ─」がまとめられた。
このような時代背景のなかで,文部科学省は,2008(平成 20)年,141 の地域を指定地域とし
て,スクールソーシャルワーカー活用事業を開始した。本事業を開始した経緯としては,「子ど
もたちを取り巻く環境の急激な変化が,いじめ,不登校,暴力行為,非行といった問題行動等に
スクールソーシャルワークの専門性に関する一考察
81
も影響を与えている。1995(平成 7)年度から,文部科学省では,児童生徒の心の問題をケアす
るため,臨床心理の専門家であるスクールカウンセラーの導入を進め,現在,全国の公立中学校
に配置するとともに,新たに,小学校への配置も進めるなど,その充実に努め,一定の成果をあ
げているところである。しかし,こうした心の問題とともに,児童生徒の問題行動の背景に,家
庭や学校,友人,地域社会など,児童生徒を取り巻く環境の問題が複雑に絡み合い,特に学校だ
けでは解決困難なケースについては,積極的に関係機関等と連携した対応が求められている6)」
と記されている。つまり,国は,臨床心理を専門としたスクールカウンセラーとともに,児童生
徒を取り巻く環境への働きかけを行う専門職として,スクールソーシャルワーカーの導入を行っ
たのである。さらに,2008(平成 20)年 7 月に閣議決定された教育振興基本計画では,今後 5
年間に総合的かつ計画的に取り組むべき施策として,「いじめ,暴力行為,不登校,少年非行,
自殺等への対応の推進を図るため,外部の専門家等からなる学校問題解決支援チームや非行防止
教室等を有効活用し,関係機関等と連携した取組を促進する。教育相談等を必要とするすべての
小・中学生が,スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカー等による相談等を受けられ
るよう促す」と記されている。このようにスクールソーシャルワーカー活用事業は,いじめ,暴
力行為,不登校,少年非行,自殺等の問題を解決するために重要な役割を持った事業として開始
したのである。加えて,社団法人日本社会福祉士養成校協会では,2009(平成 21)年 3 月,スクー
ルソーシャルワーク教育課程認定事業を創設した7)。社会福祉士等ソーシャルワークに関する国
家資格有資格者を基盤としたスクールソーシャルワーク教育課程認定事業に関する規程では,第
1 条 2 項において,「スクールソーシャルワークの基本は,児童生徒の発達権・学習権を保障し,
貧困の連鎖,社会的排除を是正し,一人ひとりの発達の可能性を信頼し,多様な社会生活の場に
おいて,とりわけ学校生活を充実させ,児童生徒とその家庭の自己実現を図るために,人と環境
の関わりに介入して支援を行う営み」と規定されている。また,同規程第 6 条に,「教育課程認
定審査を受けることを希望する社会福祉士の養成校」,第 7 条には,
「教育課程認定審査を受ける
ことを希望する精神保健福祉士の養成校」に関する内容が記されている。つまり,スクールソー
シャルワーカー養成に関する規定を定めることにより,その専門性を高めようとしているのであ
る。
一方,2009(平成 21)年度,スクールソーシャルワーク活用事業は,学校・家庭・地域の連
携協力推進事業として再編成された。スクールソーシャルワーク活動が導入された 2008(平成
20)年度は全額補助であったが,翌年には 3 分の 1 が補助事業となり,残りの 3 分の 2 は自治体
で負担することとなったのである。結果として,スクールソーシャルワーカー活用事業を取りや
めた自治体も出てきており,この事業の先行きが見えない状況が続いた。しかし,2011(平成
23)年にはスクールソーシャルワーク活用事業における補助の対象範囲が広がった。スクール
ソーシャルワーク活用事業開始当初,補助の対象範囲は,都道府県及び政令指定都市であったが,
都道府県及び政令指定都市,中核市まで広がり,2013(平成 25)年からは,教育支援体制整備
82
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
事業(いじめ対策等総合推進事業)として事業展開している。このような背景には,スクールソー
シャルワーク活用事業の開始後 5 年が経過し,スクールソーシャルワーカーの役割が徐々に認識
されるようになったことと,近年の学校を取り巻く環境が深刻化していることが影響していると
考えられる。
3. スクールソーシャルワーカー活用事業
スクールソーシャルワーカー活用事業については,スクールソーシャルワーカー実施要領に定
められている。本事業の趣旨として,「いじめ,不登校,暴力行為,児童虐待など生徒指導上の
課題に対応するため,教育分野に関する知識に加えて,社会福祉等の専門的な知識・技術を用い
て,児童生徒の置かれた様々な環境に働き掛けて支援を行う,スクールソーシャルワーカーを配
置し,教育相談体制を整備する」と記されている。つまり,教育及び福祉の両面にわたる知識と
技術を備えたスクールソーシャルワーカーが,教育相談を担うことになったのである。
スクールソーシャルワーカーとして選考する者について8)は,「社会福祉士や精神保健福祉士
等の福祉に関する専門的な資格を有する者が望ましいが,地域や学校の実情に応じて,福祉や教
育の分野において,専門的な知識・技術を有する者又は活動経験の実績等がある者」と定められ
ている。これに加え,「① 問題を抱える児童生徒が置かれた環境への働き掛け,② 関係機関等
とのネットワークの構築,連携・調整,③ 学校内におけるチーム体制の構築・支援,④ 保護者,
教職員等に対する支援・相談・情報提供,⑤ 教職員等への研修活動」を適切に遂行することが
求められる。また,事業内容として,「① スクールソーシャルワーカーの配置,② スーパーバ
イザーの配置,③ 研修会等の開催,④ 連絡協議会の開催,⑤ その他必要な事業(地域や学校
の実情に応じて,スクールソーシャルワーカーを効果的に活用するために,その他必要な事業を
実施)
」が記されている。ゆえに,スクールソーシャルワーカーは,福祉に関する知識及び地域
や学校に関する知識を兼ね備えたうえで,他機関との連絡・調整など学校内外の活動をすること
が求められる。しかしながら,実際のスクールソーシャルワーカーの資格取得状況9)は,社会福
祉士,精神保健福祉士,教員免許,介護福祉士,看護師,社会福祉主事,臨床心理士等,多岐に
わたる状況であり,必ずしもスクールソーシャルワーカー活用事業実施要領に示されている人材
が活動を行っているとは言えない状況である。
スクールソーシャルワーク教育課程認定校10)は,2013(平成 25)年 4 月 1 日現在,全国で 29
校であり,その内訳は,北海道が 1 校,関東が 12 校,北陸が 2 校,中部が 1 校,関西が 7 校,
中国が 1 校,四国が 1 校,九州が 4 校という状況である。関東と関西ではスクールソーシャルワー
ク教育課程認定校が多い。この地域では,スクールソーシャルワーカーが必要とされており,ス
クールソーシャルワーカーの専門性が学校現場で認識されていると言える。
スクールソーシャルワークの専門性に関する一考察
4.
83
スクールソーシャルワーカーの専門性
(1)
調査報告書にみるスクールソーシャルワーカーの専門性11)
児童生徒による問題行動の推移は,資料 1 のとおりである。スクールソーシャルワーカー活用
事業が導入される前年である 2007(平成 19)年度は,いじめの認知件数及び不登校児童生徒数
が最も多く,スクールソーシャルワーカーの必要性が高まってきた時期とも言えるが,その後い
じめの認知件数及び不登校児童生徒数は減少傾向にある。暴力行為については,2009(平成 21)
年度が最も多い件数であるが,2011(平成 23)年度には減少している。
次に,スクールソーシャルワーカーが,暴力行為,いじめ,不登校に如何に関わっているかに
ついて焦点をあて,スクールソーシャルワーカーの役割を検討する。本調査報告書において,問
題行動へのスクールソーシャルワーカーの関わりは,スクールカウンセラー等という欄に含まれ
ている。つまり,スクールソーシャルワーカー単独の項目は存在せず,スクールカウンセラーや
スクールソーシャルワーカーという相談員が,同一の項目で分類されているのである。
暴力行為については,2011(平成 23)年度,加害児童生徒に対する学校の対応としてスクー
ルカウンセラー等(スクールソーシャルワーカー含む)の相談員がカウンセリングを行ったのは,
小学校が 353 人,中学校が 1,387 人,高等学校が 673 人である。加害児童生徒の全体比率では,
小学校が 5.2%,中学校が 3.5%,高等学校が 5.7%,全体として 4.1% という数値である。既述の
とおり,スクールカウンセラー等という記載方法では,暴力行為が 2011(平成 23)年度減少し
たのは,スクールソーシャルワーカーの活動によるものとは断言できないが,スクールソーシャ
ルワーカーの活動が大きな役割を果たしたと考えられる。
いじめについては,いじめる児童生徒への対応について(複数回答)は,スクールカウンセラー
等(スクールソーシャルワーカー含む)の相談員が状況を聞くが 2.4%,スクールカウンセラー
等(スクールソーシャルワーカー含む)の相談員がカウンセリングを行うが 2.3% という状況で
ある。一方,いじめられた児童生徒への対応について(複数回答)は,スクールカウンセラー等
(スクールソーシャルワーカー含む)の相談員が状況を聞くが 7.0%,
スクールカウンセラー等(ス
クールソーシャルワーカー含む)の相談員が継続的にカウンセリングを行うが 4.4% という結果
である。この数値から,スクールソーシャルワーカー等(スクールソーシャルワーカーを含む)
の相談員がいじめる児童生徒及びいじめられた児童生徒双方に対し,数値としては低いものの関
わっていると言える。これに加え,学校におけるいじめ問題に対するスクールカウンセラー等(ス
クールソーシャルワーカー含む)の日常の取組(複数回答)は,2008(平成 20)年度が 9,368 校,
2009(平成 21)年が 21,275 校,2010(平成 22)年が 22,123 校,2011(平成 23)年が 22,659 校
と年々増加しており,いじめに対し積極的に相談にあたっていると考えられる。
不登校については,指導の結果,登校する又はできるようになった児童生徒に特に効果があっ
た学校の措置(複数回答)としては,スクールカウンセラー等(スクールソーシャルワーカー含
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
84
表 1 児童生徒による問題行動の推移
項 目
2007 年度
2008 年度
2009 年度
2010 年度
2011 年度
※1
52,756
59,618
60,915
60,305
55,899
いじめの認知件数(件)※ 2
101,097
84,648
72,778
77,630
70,231
不登校児童生徒数(人)※ 3
129,255
126,805
122,432
119,891
117,458
暴力行為発生件数(件)
※ 1,2 小学校,中学校,高等学校の総数である。 ※ 3 小学校,中学校の総数である。
資料 : 文部科学省「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」を基に筆者作成
む)専門的に指導にあたったが 39.6%(2011 年度)という結果であった。不登校児童生徒への
指導の結果,登校する又はできるようになった児童生徒は,31.5% であるが,登校する又はでき
るようになった児童生徒に特に効果があった学校の措置として(複数回答)
,スクールカウンセ
ラー等(スクールソーシャルワーカー含む)が専門的に指導にあたったが 47.7% という状況で
ある。つまり,スクールカウンセラー等(スクールソーシャルワーカーを含む)の相談員は,不
登校児童生徒に対しても積極的な働きかけをしていると言える。
(2)
実践活動事例集にみるスクールソーシャルワーカーの専門性12)
スクールソーシャルワーカー実践活動事例集は,各々の教育委員会による取組が記されている
が,2010(平成 22)年度が 38 都道府県教育委員会,2011(平成 23)年度が 40 都道府県教育委
員会,2012(平成 24)年度が 39 都道府県教育委員会により実践活動が記載されている。そこで,
スクールソーシャルワーカーの専門性を明らかにするために,スクールソーシャルワーカーの配
置状況,スクールソーシャルワーカーの対応件数,スクールソーシャルワーカーの職務内容,ス
クールソーシャルワーカー活用による主な改善事例,成果と課題という 5 項目について,各都道
府県教育委員会が記した 2010(平成 22)年度から 3 年間分の実践活動事例集を比較検討する。
スクールソーシャルワーカーの配置状況(都道府県教育委員会別)については,表 2 のとおり
である。本表は,各々の教育委員会が記したスクールソーシャルワーカー実践活動事例集から筆
者がスクールソーシャルワーカーの配置状況を抽出したものであるため,一部記載なしとしてい
る教育委員会もあるが,2010(平成 22)年度が 444 人,2011(平成 23)年度が 534 人,2012(平
成 24)年度が 596 人と年々増加している。2012(平成 24)年度,スクールソーシャルワーカー
が最も多いのは東京都であり 55 人,次いで北海道と京都が 40 人,高知県が 39 人,埼玉県が 36
人である。また,2010(平成 22)年度から 2012(平成 24)年度のスクールソーシャルワーカー
の配置人数の推移(都道府県教育委員会別)は,各教育委員会では概ね増加傾向にあり,全体数
は 152 人増加している。スクールソーシャルワーカーの人数が増加している背景としては,スクー
ルソーシャルワーカーが学校現場においてその役割が強く求められているということが挙げられ
る。
スクールソーシャルワークの専門性に関する一考察
85
表 2 スクールソーシャルワーカー配置状況(都道府県教育委員会別)
教育委員会名
2010 年度
2011 年度
2012 年度
教育委員会名
北海道
35
34
40
滋賀県
青森県
本文記載なし
本文記載なし
本文記載なし
京都府
2010 年度
2011 年度
6
8
2012 年度
7
15 校(小)17 校(中) 20 校(小)18 校(中)
40
岩手県
10
9
本文記載なし
大阪府
17
19
宮城県
11
13
本文記載なし
兵庫県
6
6
6
秋田県
4
4
奈良県
3
3
3
4
28
山形県
本文記載なし
小学校 20 校
小学校 20 校
和歌山県
4
10
10
福島県
本文記載なし
本文記載なし
本文記載なし
鳥取県
13
19
19
茨城県
本文記載なし
本文記載なし
25
24
5
6
栃木県
2
3
9
島根県
3
3
岡山県
4
群馬県
本文記載なし
本文記載なし
本文記載なし
広島県
本文記載なし
本文記載なし
埼玉県
36
36
36
山口県
本文記載なし
34
32
本文記載なし
本文記載なし
本文記載なし
6
千葉県
5
5
5
徳島県
東京都
33
44
55
香川県
5
5
9
神奈川県
7
6
9
愛媛県
20
19
19
39
新潟県
4
4
4
高知県
32
32
富山県
23
20
19
福岡県
8
8
6
石川県
15
15
17
佐賀県
14
17
16
福井県
12
12
13
長崎県
6
7
8
山梨県
11
11
10
熊本県
15
15
19
2
長野県
5
5
5
大分県
2
2
岐阜県
本文記載なし
本文記載なし
本文記載なし
宮崎県
7
7
7
静岡県
15
11
10
鹿児島県
39
32
35
愛知県
本文記載なし
本文記載なし
本文記載なし
沖縄県
11
三重県
4
4
4
合計
444
11
※1
534
12
※2
596 ※ 3
※ 1, 2, 3 この数値には,学校数として計上している都道府県は含まれていない。
資料 : 文部科学省「スクールソーシャルワーカー実践活動事例集」を基に筆者作成
スクールソーシャルワーカーの対応件数(都道府県教育委員会別)については,表 3 のとおり
である。本表は,各々の教育委員会が記したスクールソーシャルワーカー実践活動事例集から筆
者がスクールソーシャルワーカーの対応件数を抽出したものであるため,記載なしという表記も
ある13) が,2010(平成 22)年度が 7,925 件,2011(平成 23)年度が 7,669 件,2012(平成 24)
年度が 12,763 件である。2012(平成 24)年度,対応件数を記載している都道府県教育委員会の
なかで,最も対応件数が多いのは神奈川県であり 2,513 件,次いで,東京都が 2,135 件,新潟県
が 1,400 件,兵庫県が 1,204 件,大阪府が 1,094 件という状況である。一方,スクールソーシャ
ルワーカーの配置人数は,神奈川県が 9 人,東京都が 55 人,新潟県が 4 人,兵庫県が 6 人,大
阪府が 28 人という状況である。東京都,大阪府という大都市ではスクールソーシャルワーカー
の人数が多いが,その他の教育委員会では 10 人以下という状況である。ソーシャルワーカーの
勤務時間数には差異があるものの,一人のスクールソーシャルワーカーが抱えるケース件数が多
いと言える。2010(平成 22)年度,長崎県が行った不登校生徒の減少率(対前年度比)は,ソー
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
86
表 3 スクールソーシャルワーカー対応件数(都道府県教育委員会別)
教育委員会名
2010 年度
2011 年度
2012 年度
教育委員会名
2010 年度
2011 年度
2012 年度
326
岩手県
149
145
本文記載なし
和歌山県
本文記載なし
146
宮城県
415
317
本文記載なし
鳥取県
本文記載なし
本文記載なし
35
茨城県
本文記載なし
129
132
島根県
本文記載なし
本文記載なし
245
千葉県
36
38
28
岡山県
93
本文記載なし
本文記載なし
東京都
本文記載なし
本文記載なし
2,135
香川県
443
本文記載なし
本文記載なし
神奈川県
247
1,277
2,513
愛媛県
482
401
393
新潟県
625
1,001
1,400
佐賀県
190
367
287
福井県
400
317
421
長崎県
本文記載なし
340
485
山梨県
223
309
284
大分県
本文記載なし
131
102
長野県
213
337
366
宮崎県
87
本文記載なし
317
大阪府
1,373
本文記載なし
1,094
鹿児島県
752
691
839
兵庫県
2,197
1,723
1,204
沖縄県
本文記載なし
本文記載なし
157
合計
7,925
7,669
12,763
資料 : 文部科学省「スクールソーシャルワーカー実践活動事例集」を基に筆者作成
シャルワーカー配置校が 12.9%,スクールソーシャルワーカー未配置校が 4.2% という状況であ
る。したがって,児童生徒の問題解決のために,スクールソーシャルワーカーは大いに貢献して
いると言える。スクールソーシャルワーカー実践活動事例集には,
「相談件数が多く現在のスクー
ルソーシャルワーカーでは対応できない」,「年間勤務時間数に制限があり,多様なニーズに応え
るための時間が不足している」という記載がある。今後,スクールソーシャルワーカーの体制整
備及び人材育成が不可欠である。
ソーシャルワーカーの職務内容については,スクールソーシャルワーカー活用実施要領におい
て,「① 問題を抱える児童生徒が置かれた環境への働き掛け,② 関係機関等とのネットワーク
の構築,連携・調整,③ 学校内におけるチーム体制の構築,支援,④ 保護者,教職員等に対す
る支援・相談・情報提供,⑤ 教職員等への研修活動」と定められている。同要領に記されてい
る活動以外として,① ケース会議の設置,② 不登校や問題行動等に対する未然防止,③ 学校
内外でのチームを組み対応する,④ SSW のスーパーバイザーである弁護士や精神科医からアド
バイスを受ける,⑤ 運営協議会への参加,⑥ 県内の活動状況のとりまとめ,⑦ 事業の方向性
の検討,⑧ 幼保小連携,小中連携,⑨ 個々の事例について検討会議,⑩ 児童虐待に係る事例
分析・支援,⑪ PTA 研修会や保護者会での講話,⑪ グループワークの実施,⑫ 校内委員会へ
の参加,⑬ 学校復帰に係る教育相談及び家庭への支援,⑭ 要保護児童対策地域協議会及びひき
こもりに関する事例検討会への参加などが行われている。このように,スクールソーシャルワー
カーは,児童及び保護者の問題解決に向けて状況に合わせた手段を用いているため,職務内容は
広範多岐にわたるのである。
スクールソーシャルワーカー活用事例集にスクールソーシャルワーカー活用による主な改善事
スクールソーシャルワークの専門性に関する一考察
87
例(複数回答14))として記されているのは,2010(平成 22)年度が 79 件(38 の都道府県教育委
員会が回答)
,2011(平成 23)年度が 80 件(40 の都道府県教育委員会が回答),2012(平成 24)
年度が 90 件(39 の都道府県教育委員会が回答)である。この事例を,各都道府県教育委員会の
判断により,① 不登校,② いじめ,③ 暴力行為,④ 児童虐待,⑤ 友人関係の問題,⑥ 非行・
不良行為,⑦ 家庭環境の問題,⑧ 教職員との関係の問題,⑨ 心身の健康・保健に関する問題,
⑩ 発達障害等に関する問題,⑪ その他に分類している。そこで,スクールソーシャルワーカー
の関わりにより問題が改善した事例の共通性を明らかにするため,筆者が各教育委員会により記
された事例内容を集計した。結果として,表 4 のとおり 2010(平成 22)年度から 3 年間共通して,
不登校の問題の事例が多い。つまり,スクールソーシャルワーカーは数多くの不登校問題に関わ
り,問題解決に向けた取組を行っていると言える。不登校の要因としては,家庭環境の問題が多
く挙げられており,
「経済的な面も含めた生活の不安定さや,保護者の教育・養育への意識の低さ,
学校への不信感等がある」,「母子家庭での母親からの虐待疑いや,学校等に対する母の粗暴な行
動など家庭環境の問題もあった」,「両親が昼夜問わず飲酒,子どもたちは家庭での居場所がなく
外泊,深夜徘徊,飲酒等で補導される」という記載がある。このような事例より,スクールソー
シャルワーカーには,地域の社会資源を有効に活用し,児童生徒への働きかけを行うとともに,
家庭全体への支援を行うことが必要であると思われる。
尚,2012(平成 24)年度は,いじめ問題解決ためのスクールソーシャルワーカーの活用事例
を記載することが必須であるため,いじめの事例件数が多い状況となっている。このことは,
2013(平成 25)年からは,教育支援体制整備事業(いじめ対策等総合推進事業)として事業展
開していることが影響していると考えられる。
最後に,各都道府県教育委員会のスクールソーシャルワーカー実践活動事例集からスクール
ソーシャルワークの成果と課題を概観する。スクールソーシャルワークの成果としては,「不登
表 4 スクールソーシャルワーカー活用による主な改善事例(複数回答)
項 目
2010 年度
2011 年度
2012 年度
不登校
41
38
23
いじめ
1
2
40
暴力行為
4
4
6
児童虐待
13
14
7
友人関係の問題
0
2
0
非行・不良行為
8
7
1
家庭環境の問題
19
29
10
教職員との関係の問題
3
4
2
心身の健康・保健に関する問題
7
3
1
発達障害等に関する問題
4
8
10
その他
0
2
2
資料 : 文部科学省「スクールソーシャルワーカー実践活動事例集」を基に筆者作成
88
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
校児童生徒が改善した」,「いじめ,暴力行為,その他の問題行動が改善した」,
「欠席児童が減少
した」という記載の他,「関係諸機関との連携が円滑になった」,
「児童生徒の学習環境が改善さ
れた」
,
「学内外のネットワークづくりが進んだ」,
「市町村レベルでのネットワーク構築が進んだ」
という記載がある。一方,今後の課題としては,「専門的知識と経験をもつ人材の確保」
,「学校
による温度差の改善」,「時間数不足」が挙げられている。つまり,スクールソーシャルワーカー
の活動により児童生徒の問題行動等は改善し,関係機関等との連携は進められているが,今後,
如何に専門性の高い人材を確保していくかということや学校間によるスクールソーシャルワー
カーの認知度の差を如何に改善していくかということが求められている。
5. 考 察
本稿では,スクールソーシャルワーカーに関する取組,スクールソーシャルワーカー活用事業,
スクールソーシャルワーカーの専門性(スクールソーシャルワーカーの配置状況,スクールソー
シャルワーカーの対応件数,スクールソーシャルワーカーの職務内容,スクールソーシャルワー
カー活用による主な改善事例,成果と課題という 5 項目)について検討した。そこで,スクール
ソーシャルワーク活動を展開するために必要となる視点は何か,今後の展望を含めて考察する。
まず,
スクールソーシャルワーク活用事業等の拡充のための体制整備が不可欠であると考える。
2008(平成 20)年度に導入されたスクールソーシャルワーク活用事業は,現在 6 年目を迎えて
いる。
文部科学省が実施した児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査結果により,
スクールカウンセラー等(スクールソーシャルワーカー含む)の相談員による児童生徒の問題行
動への対応は,大きな役割を果たしていると言えるが,スクールソーシャルワーカーの配置状況
は整備されているとは言い難い。加えて,スクールソーシャルワーカー実践活動事例集には,
「相
談件数が多く現在のスクールソーシャルワーカーでは対応できない」,
「年間勤務時間数に制限が
あり,
多様なニーズに応えるための時間が不足している」と記されている。つまり,スクールソー
シャルワーカーの必要性が高まる一方,スクールソーシャルワーカーの配置状況や選考基準は,
各教育委員会により差がある現状も浮かびあがっている。一方,2010(平成 22)年度,長崎県
が行った不登校生徒の減少率(対前年度比)は,スクールソーシャルワーカー配置校が 12.9%,
スクールソーシャルワーカー未配置校が 4.2% という結果であり,児童生徒の問題解決のために,
スクールソーシャルワーカーが大きく貢献していると言える。一人ひとりの児童の問題を解決し
ていくためには,スクールソーシャルワーカーの拡充を図る必要があり,今後長期的にスクール
ソーシャルワーカーの増員のための予算措置が求められる。したがって,スクールソーシャルワー
カーの体制整備は,早急に行うべき課題である。
また,スクールソーシャルワーク活動を進めていくためには,関係諸機関との連携が急務であ
る。不登校の背景として,家庭環境の問題が数多く挙げられている。ソーシャルワーカー実践活
スクールソーシャルワークの専門性に関する一考察
89
動事例集において,「母親からの虐待疑いや,学校等に対する母の粗暴な行動など家庭環境の問
題もあった」
,「両親が昼夜問わず飲酒,子どもたちは家庭での居場所がなく外泊,深夜徘徊,飲
酒等で補導される」等の記載があり,スクールソーシャルワーカーには,地域の関係諸機関との
連携を密にし,児童生徒の環境に働きかけることが求められる。また,希薄化した繋がりを強固
にし,児童生徒を取り巻く環境へのネットワークを強化することが求められる。加えて,震災後
の事例として,
「震災の影響により,児童生徒の自立を取り巻く課題が増加していることから,
学校と地域及び児童家庭福祉等関係機関との一層の連携や体制づくりが必要である」と記されて
いる。したがって,学校内のネットワークを構築するとともに,学校外のネットワークを強化す
ることが求められる。児童生徒を取り巻く環境全般への支援を行うためには,日頃から学校内外
の福祉分野に係る専門職,地域で生活する人びと,NPO 法人,医師,弁護士,町内会,学校,
ボランティアとの連携を密にする必要がある15)。つまり,児童生徒が抱える課題を解決していく
には,地域の社会資源との連携を強化することが不可欠である。
さらに,実際にスクールソーシャルワークを展開するためには,専門的な支援を行うことがで
きるスクールソーシャルワーカーが必要であると考える。既述しているが,ソーシャルワーカー
の職務内容としては,「① 問題を抱える児童生徒が置かれた環境への働き掛け,② 関係機関等
とのネットワークの構築,連携・調整,③ 学校内におけるチーム体制の構築,支援,④ 保護者,
教職員等に対する支援・相談・情報提供,⑤ 教職員等への研修活動」の他に,「ケース会議の設
置,不登校や問題行動等に対する未然防止,運営協議会への参加,児童虐待に係る事例分析・支
援,PTA 研修会や保護者会での講話,校内委員会への参加,学校復帰に係る教育相談及び家庭
への支援,要保護児童対策地域協議会及びひきこもりに関する事例検討会への参加」等,広範多
岐にわたる。また,スクールソーシャルワーカー活用事例集にスクールソーシャルワーカー活用
による主な改善事例(複数回答)として ① 不登校,② いじめ,③ 暴力行為,④ 児童虐待,
⑤ 友人関係の問題,⑥ 非行・不良行為,⑦ 家庭環境の問題,⑧ 教職員との関係の問題,
⑨ 心身の健康・保健に関する問題,⑩ 発達障害等に関する問題が挙げられている。つまり,ス
クールソーシャルワーカーは,不登校,いじめ等様々なケースを担当し,生徒児童が抱える課題
を改善していくことが求められる。大橋謙策16)は,「親子,家庭を支援するとなると,ソーシャ
ルワーク的な援助をしない限り親も子どもも豊かにならない」,
「家族全体を考えてソーシャル
ワークを展開することが大事である」と記している。スクールソーシャルワーカーには,児童生
徒への関わりとともに,家庭全体への支援が求められるのである。なかでも,複雑に絡み合って
いる問題を解決していくためには,根拠にもとづき実践を展開する必要があると考える。門田光
司17)は,
「A 町教育委員会での学校ソーシャルワーク実践を通して,学校・家庭・関係機関・地
域の協働をより一層有効に推進していく上で,学校ケースマネジメントをパワー交互作用モデル
の重要な実践方法に据えた。この学校ケースマネジメントは,まさにわが国での学校教育現場に
おいて他分野とは異なるソーシャルワーク固有の専門的支援として位置づけていくことができ
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
90
る」としている。このような実践モデルを活用し,スクールソーシャルワークの質を高め,その
拡充に努めていく必要があると考える。そのためには,専門的な教育を受けた知識と技術を備え
た質の高いスクールソーシャルワーカーが必要不可欠である。ゆえに,大学等専門機関における
スクールソーシャルワーカーの養成が急務であると考える。
6. お わ り に
本稿では,子どもの取り巻く状況の変化に伴い,2008(平成 20)年にスクールソーシャルワー
カー活用事業として開始したスクールソーシャルワーカーの専門性を考察した。今後も実践事例
集等の文献資料を丁寧に読みとき,児童生徒の諸問題を如何に支援していくかについて研究を深
め,スクールソーシャルワークの質の向上のために寄与したいと考えている。
註
1) 厚生労働省編(2013) 『厚生労働白書(平成 25 年版)』p. 186.
2) 内閣府(2013) 『子ども・若者白書(平成 25 年版)』p. 160.
3) 文部科学省(2011) 『平成 22 年度スクールソーシャルワーカー実践事例集』,文部科学省(2012)
『平成 23 年度スクールソーシャルワーカー実践事例集』,文部科学省(2013)『平成 24 年度 スクールソーシャルワーカー実践事例集』をもとに,各都道府県教育委員会におけるスクール
ソーシャルワーカー実践活動を比較研究する。
4) 文部科学省(2008) 「平成 19 年度児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」,
文部科学省(2009) 「平成 20 年度児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」,
文部科学省(2010) 「平成 21 年度児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」,
文部科学省(2011) 「平成 22 年度児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」,
文部科学省(2012) 「平成 23 年度児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」
をもとに,児童生徒における問題行動へのスクールソーシャルワーカーの関わりを検討する。
本調査では,1995(平成 7)年度より文部科学省において導入された児童生徒の心の問題をケ
アする臨床心理の専門家であるスクールカウンセラーと,児童生徒を取り巻く環境への働きか
けを行う専門職であるスクールソーシャルワーカーが同一の欄に,スクールカウンセラー等と
記されている。
5) 文部科学省(2006) 「学校等における児童虐待防止に向けた取組について(報告書)」
6) 文部科学省(2008) 『スクールソーシャルワーカー実践活動事例集』p. 2.
7) 日本社会福祉士養成校協会(2008)「スクール(学校)ソーシャルワーカー育成・研修等事業
に関する調査研究(報告書)」
8) 前掲(6)
9) 文部科学省(2012) 『平成 23 年度スクールソーシャルワーカー実践事例集』
10) 社団法人日本社会福祉士養成校協会「スクール(学校)ソーシャルワーク教育課程認定事業 教育課程認定校一覧」(http://www.jascsw.jp/ssw/ssw_school_list.html, 2013.11.11)
11) 前掲(4)
12) 前掲(3)
13) 2010(平成 22)年度からの 3 年間,「スクールソーシャルワーカー実践活動事例集」において
スクールソーシャルワークの専門性に関する一考察
91
対応件数が記載されていない場合は,本表に記載していない。
14) 各都道府県教育委員会が,複数ケースを提示していたり,1 事例について,複数の問題項目に
該当すると提示していたりする。
15) 袖井 智子(2008) 「 地域 福祉に おける 専 門 職 の 役 割」『 地 域 福 祉 の理 論 と 方 法』 弘 文 堂,
p. 101 116.
-
16) 大橋謙策(2010) 『地域福祉の新たな展開とコミュニティソーシャルワーク』社会保険研究所,
p. 77.
17) 門田光司(2010) 「学校ソーシャルワーク実践」ミネルヴァ書房,p. 189.
東日本大震災時における社会福祉施設等の要援護者支援体制構築に関する現状分析
93
東日本大震災時における社会福祉施設等の
要援護者支援体制構築に関する現状分析
柿 沼 倫 弘
要旨 : 災害時の社会福祉施設には要援護者を支援するための一定の役割が期待されてい
る。本研究では,災害時における社会福祉施設等の要援護者支援体制構築の実態及び要援
護者への安否確認や見守り支援等において社会福祉施設等が果たした役割について明らか
にする。これらを達成するためにアンケート調査を実施し,統計的検定によって検証を行っ
た。
主な結果として,① 平時からの防災訓練参加を他施設や自治会 ・ 周辺住民に呼びかけ
をしている施設では,年間の防災訓練の実施回数が平時からの呼びかけをしていない施設
と比較して有意に多いことが判明した。② 平時から呼びかけをしている施設では,自治
会 ・ 周辺住民の訓練への参加割合が多い。③ 介護老人福祉施設では,何らかの安否確認
をしている施設が他の施設と比較して有意に多いことがわかった。
平時から呼びかけをしていない施設の訓練に参加している自治会等は,ほとんどないの
で,平時から自治会 ・ 周辺住民に対して施設側が能動的に活動する必要がある。
キーワード : 東日本大震災,社会福祉施設,要援護者支援体制
1. は じ め に
2011 年 3 月 11 日に三陸沖で M 9.0 の巨大地震が発生した。地震に伴った津波や余震等の被害
は甚大で,東日本を中心として非常に多くの人々が被災した。被災者には多数の要援護者が含ま
れている。
本研究でいう要援護者とは,災害時要援護者のことを指す。災害時要援護者の避難対策に関す
る検討会(2006)では「必要な情報を迅速かつ的確に把握し,災害から自らを守るために安全な
場所に避難するなどの災害時の一連の行動をとるのに支援を要する人々をいい,一般的に高齢者,
障害者,外国人,乳幼児,妊婦等があげられている。
」とされている。本研究でも同様の意味で
用いている。
本研究の目的は,次の 2 点である。第 1 に,災害時における社会福祉施設等の要援護者支援体
制の構築の実態について明らかにする。第 2 に,災害時における要援護者への安否確認・見守り
活動について,社会福祉施設等が果たした役割を明らかにする。
1.1 研究の背景と意義
多くの要援護者が社会福祉施設,医療機関,学校等に避難を強いられ,避難のための支援が求
94
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
められた。また,発災直後の避難後及び仮設住宅での生活であっても,要援護者への支援は求め
られ続けている。これらの支援の一つが安否確認や見守りである。要援護者の安否確認や見守り
等を実施するためには,複数の医療福祉施設,行政といった組織間レベル,あるいは多くの専門
職が連携し,協働することが求められている。
北川 ・ 宮本 ・ 橋本(2010)は,介護保険施設の自然災害による被災経験の有無が防災意識に与
える影響等についてアンケート調査の分析から明らかにしている。被災の有無にかかわらず施設
入所時に利用者 ・ 家族には災害時の対応を説明していないことがわかった。田原 ・ 北川 ・ 高山
(2012)は,社会福祉施設の避難所としてのあり方について論じている。介護保険施設が避難所
となる際に,当該施設への負担が大きくなりすぎないような支援体制が求められている。松橋 ・
村上(2011)は,新潟県中越沖地震における高齢者施設の災害時の対応について,2 か所の特別
養護老人ホームを対象としたインタビュー調査を実施し,利用者及び避難者への対応,防災訓練
の実施内容,今後の課題等を明らかにしている。高村 ・ 山田(2012)は,東日本大震災時の東京
都墨田区の高齢者見守り活動を地域包括支援センターと高齢者みまもり相談室の業務記録をもと
に時間経過とともに明らかにしている。峯本(2013)は,東日本大震災時の仙台市の地域包括支
援センターの防災や減災のための視点について考察している。これらの研究から,災害時に備え
た多職種間の要援護者支援体制の構築が求められていることはわかっているが,要援護者支援体
制の実態や状況について,全体的な傾向を明らかにしている研究は多くはない。特に,東日本大
震災のような災害は,未曽有のものであるため,当時の状況を明らかにし,将来に備える必要が
ある。
今後,わが国では大規模な震災の発生が予想されている。社会福祉施設等には,要援護者の支
援において一定の役割が期待される。しかし,社会福祉施設等のみでは資源運用面で限界がある。
社会福祉施設等は,居宅介護サービス事業所や地域包括支援センター等とは要援護者支援の面
で機能が相違している。多数の要援護者が一時的にでも避難できる点,備蓄や非常用電源等によ
るライフラインの損傷が軽度の可能性が高い等の特性がある。したがって,社会福祉施設等がど
のような要援護者支援体制を構築しているのかについて明らかにすることには意義がある。要援
護者支援のための連携体制や見守り ・ 安否確認等の体制を構築しておくことは,施設入居者及び
利用者やその家族,周辺地域住民の安心感につながる可能性が高い。事前に相互の役割分担や災
害時等の取り決めができていれば,双方にとっての安全管理に寄与することが可能である。本研
究は,東北のみでなく他の地域への示唆となることが期待される。
2. 研 究 方 法
上記の目的を達成するために,本研究の検証には後述する WEB アンケート調査を試みた。こ
こでは,「WEB アンケート調査システム」を用いて,災害時における社会福祉施設等の要援護者
東日本大震災時における社会福祉施設等の要援護者支援体制構築に関する現状分析
95
支援体制等について実態把握する。
分析には,それらのデータを用いる。分析では,施設間や要援護者支援のための取り組み状況
等を単純集計分析,クロス集計分析を用いて群間比較について統計的検定を用いて行う。施設間
の比較を実施する際は,介護老人福祉施設,介護老人保健施設,障がい者支援施設の 3 つの施設
の比較を行った。統計的検定には,χ² 検定,Mann-Whitney 検定を用いて,それぞれ有意水準
1% で実施した。
本研究の調査対象は,岩手県,宮城県,福島県の介護老人福祉施設,介護老人保健施設,障が
い者支援施設合計で 693 施設(住所の確認できた所)である。回答は,それぞれの施設長に依頼
した。回答期間は,2012 年 12 月 10 日∼12 月 27 日で,主な調査内容は,施設属性,要援護者
や職員の被災状況の実態,東日本大震災前後の要援護者支援のための連携体制構築の実態,東日
本大震災前後の他施設または自宅からの要援護者受け入れ実態,今後の要援護者支援体制構築の
ための要望等である。調査手順は,調査対象の施設に依頼文,見本のアンケート用紙,WEB 調
査システムの操作説明書をメール便で郵送し,回答者が WEB から入力するものである。アンケー
ト調査への回答施設は 116 施設(6 施設は郵送による回答)で,回収率は 16.7% であった。本研
究の分析は,WEB 上での回答のあった 110 施設のデータに基づいている。
調査協力を依頼する際は,倫理的配慮として,各施設の識別をしない対応をし,回答施設の情
報は統計情報としてのみ利用されることを明記した。調査には,筆者らの研究グループが文部科
学省の「知的クラスター創成事業」で開発した WEB 調査システムを用いた。
3. 結 果 と 考 察
3.1 施設属性と被害状況ついて
回答施設は,岩手県が 34.5% と 3 分の 1 以上,宮城県が 28.2% と約 3 割,福島県が 37.3% と
約 4 割を占めた。都道府県に大きな偏りはみられなかった。施設種別は,介護老人福祉施設が
43.6% と 4 割以上,介護老人保健施設が 28.2% と約 3 割,障がい者支援施設が 26.4% と 4 分の 1
以上を占めた。介護老人福祉施設と介護老人保健施設の要介護 3 以上の方の割合,3 つの施設別
の定員数について表 1 に示す。
介護老人福祉施設の要介護 3 以上の方の割合は,中央値で 90%,介護老人保健施設では同じ
表 1 各施設別の属性
要介護 3 以上の方の割合
(中央値)
定員(ショートステイを除く)
(平均値)
介護老人福祉施設
90.0%
66.9 人
介護老人保健施設
73.8%
85.8 人
障がい者支援施設
─
50.1 人
96
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
く 73.8% であった。厚生労働省(2012a)の平成 23 年介護サービス施設・事業所調査によると,
介護老人福祉施設の要介護 3 以上の方の割合は,88.1%,介護老人保健施設の要介護 3 以上の方
の割合は,72% であった。ほぼ全国的な傾向を反映しているので,本研究で分析した施設は,
入居者の要介護度について一般性があるといってもよい。
介護老人福祉施設(有効回答数 40 施設)の定員は,平均が 66.9 人,介護老人保健施設が 85.8
人であった。同上の厚生労働省の調査では,1 施設当たりの定員が介護老人福祉施設は 71.8 人,
介護老人保健施設は 90 人であった。また,厚生労働省(2012b)平成 23 年社会福祉施設等調査
の概況をみると,障がい者支援施設数は 1,661 施設,定員数は 94,405 人となっているので,1 施
設あたりの定員数は,56.8 人となる。本研究の障がい者支援施設の定員数は,平均値が 50.1 人
であった。各施設の定員数には全国的な傾向との大きな相違はみられなかった。したがって,定
員数においても本研究は比較的一般性がある議論が可能である。
2011 年 3 月 11 日夕方時点で,建物に何らかの被害のあった施設が 68.1% と約 7 割を占めた。
そのうち 7 割以上が一部損壊であった。大規模半壊や半壊の施設も 1 割程度でみられた。津波の
被害を受けた施設は,3.6% と一部の施設にみられたが,本研究の回答施設は,震災直後において,
ハード面では一定程度の施設機能を保持できていた施設であると考えられる。
ライフラインの復旧状況については,図 1 に示している。図 1 では,震災後 3 か月間の経過を
示している。
2011 年 3 月 11 日を 1 日目とすると,食糧の外部供給が最も早く 100% に達している。ガスは,
1 日目に復旧している施設が 6 割以上あるが,地域の被害状況等の差により元々ガスが止まらな
かった可能性が高い。食糧飲料水は震災翌日には,6 割以上の施設で外部から供給されていた。
電気は,
3 日目に半数の施設が復旧し,水道は 4 日目に半数の施設で復旧していたことがわかった。
電気については,非常用電源等での対応,水道は受水槽等による対応がなされたと考えられる。
食糧については,半数以上の施設で 3 日以上の備蓄を用意していたことが判明しており,それら
図 1 ライフライン別の復旧状況等の比較
東日本大震災時における社会福祉施設等の要援護者支援体制構築に関する現状分析
97
での対応が推察された。平時からの備蓄状況のモニタリングや非常時に使用する設備 ・ 機器等の
メンテナンス及び使用方法の確認 ・ 研修等が求められる。
3.2 緊急時の連携対応体制の構築状況
表 2 は,施設別の東日本大震災前後での緊急時等に連携対応をするための他機関との間で取り
決め等の有無について示している。
施設別にみると,東日本大震災以前より緊急時の取り決めを他の機関としていたのは,介護老
人福祉施設,障がい者支援施設で約 4 割を占めた。介護老人保健施設は,震災後に連携した施設
が多いことがわかった。施設種別と連携対応の関連性について χ² 検定を有意水準 1% で行ったが,
有意な関連性はみられなかった。
全体でみると,東日本大震災前より緊急時の取り決めをしていた施設は,33.3% と 3 分の 1 を
占めた。震災後に連携をした施設は,23.1% と 2 割以上,震災後も他機関との連携を行わなかっ
た施設は,43.5% と 4 割以上を占めた。何らかの連携対応を実施した施設が 61 施設みられ,
56.5% と約 6 割を占めた。表 3 は,震災前後で緊急時の対応について取り決めをした外部機関の
表 2 施設種別の東日本大震災前後の緊急時の連携対応の取り決め状況
連携対応の取り決め状況
震災前からあった
介護老人福祉施設
介護老人保健施設
障がい者支援施設
全 体
震災後に連携
震災後もなし
全体
N
19
9
20
48
割合
39.6%
18.8%
41.7%
100%
度数
6
10
15
31
割合
19.4%
32.3%
48.4%
100%
N
11
6
12
29
割合
37.9%
20.7%
41.4%
100%
N
36
25
47
108
割合
33.3%
23.1%
43.5%
100%
χ²=4.39, n.s.
表 3 緊急時の対応について取り決めをした外部機関
緊急時の連携対応取り決め機関
施設数(N=61)
割合(%)
自治体
30
49.2
病院
25
41.0
消防署
17
27.9
自治会・町内会
15
24.6
系列の介護老人福祉施設
12
19.7
系列の居宅介護サービス事業所
12
19.7
系列の障がい者支援施設
11
18.0
系列の居宅介護支援事業所
10
16.4
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
98
表 4 緊急時の連携取り決め内容
緊急時の連携取り決め内容
施設数(N=61)
割合(%)
役割分担
26
42.6
情報把握の方法
24
39.3
食糧供給方法
20
32.8
緊急連絡網の整備
19
31.1
燃料確保方法
18
29.5
うち,主なものについて示している。
緊急時の対応について取り決めをして,連携を想定もしくは実際に連携をした外部機関は,自
治体が最も多く,49.2% とほぼ半数を占めた。病院は 41.0% と 4 割以上を占めた。系列の居宅介
護サービス事業所等は,併設されているところも少なくないと考えられるが,2 割弱となってい
て多くはない。自治体や病院,消防署は,災害時に必然的に連絡,それに応じた対応,利用者の
搬送等があるので,これらの機関が連携先として多い理由と考えられる。表 4 は,連携機関との
主な取り決め内容について示している。
取り決め内容で最も多かったものは,役割分担で,42.6% と 4 割以上を占めた。次に情報把握
の方法が 39.3% と約 4 割,食糧供給方法が 32.8% と約 3 分の 1 を占めた。
相互の役割,役割を果たせない場合の対応を事前に決めておき,どのような情報を発信し,ど
のような手段で把握するのかを決めておく必要がある。これらの施設では,今後のために連携体
制の再確認や取り決め内容について継続的な検討や対応が求められるだろう。
特に,自治会や町内会等には,インフォーマルな支援を期待することができる。社会福祉施設
等は,一時的にでも避難所となる可能性が高いので,施設職員と住民が協働する機会があると想
定される。緊急時の連携対応の内容で,役割分担が最多であったことを考慮すると,事前に近隣
の住民と役割を明確にしておけば,緊急時に効果的かつ効率的な資源運用が期待される。平時か
らの訓練等によって,関係者が共通の認識を有することができるようにしておくことが重要と考
える。
施設や自治会 ・ 町内会等が組織として連携体制を構築する際には,個々人で行うのではなく,
情報を一元化し,ゲートキーパーのような役割を担う部門や担当者がいたほうが情報の混乱は招
きにくい。担当者には,組織の構成員との情報共有が求められる。
一方で,4 割以上の施設で震災後も他の施設等との連携体制の構築ができていないことがわ
かった。当該施設では,平時から災害時等の緊急時の対応について近隣の施設や事業所,地域包
括支援センター等と取り決めをしておく必要があるといえる。
連携対応の取り決め内容で多かった項目として,情報把握の方法があるように,緊急時の連携
対応をするためには,情報が重要な資源となる。特に,要援護者に関する情報が発信され,施設
は必要に応じて外部からの支援を受ける必要がある。災害規模が大きい場合は,被災する地理的
東日本大震災時における社会福祉施設等の要援護者支援体制構築に関する現状分析
99
な範囲が広くなることも予想される。したがって,地理的に離れた他の都道府県の施設等と要援
護者の受け入れ等について事前に取り決めをしておくことは,緊急時の連携体制構築のための準
備となる可能性が高い。
情報を発信するためには,発信するための手段が不可欠である。近い将来大地震等が予想され
ている地域の社会福祉施設等で,防災行政無線や衛星電話がないような施設では整備の必要があ
る。
しかし,連携体制を有効に機能させるためには,外部のみではなく組織内部への事前説明と情
報共有が同時に求められる。特に,災害の規模が大きく,施設内で入居者や利用者の支援が困難
な場合は,他施設等への移動の可能性を想定しておかなければならない。入居者や利用者によっ
ては,住み慣れた地域の近隣を望むことも想定されるので,災害時等の対応については,本人や
家族に事前説明や希望を把握しておく必要があるだろう。
3.3 平時からの防災訓練参加の呼びかけについて
平時からの自治会や町内会,民生委員等を通じた災害時の対応について協議しておくことは,
発災時に効果的かつ効率的に資源配分を行う上で求められる方策の一つである。
平時から周辺の住民と協働する行事として,防災訓練が挙げられる。介護老人福祉施設,介護
老人保健施設,障がい者支援施設では,都道府県の指導監査等において避難訓練を実施すること
を指導されている。図 2 は,平時からの訓練参加の呼びかけの有無別に年間の施設全体規模の防
災訓練の実施回数について示している。
Mann-Whitney 検定の結果,有意水準 1% で平時からの訓練参加の呼びかけの有無で,2 群間
の年間防災訓練の実施回数の中央値には有意な差がみられた。平時からの訓練参加の呼びかけが
あった施設では,中央値が 6 回,呼びかけがなかった施設群では,中央値は 2 回であった。
平時からの訓練参加の呼びかけがあった施設のほうが平時からの訓練参加への呼びかけがな
かった施設と比較して,年間の施設全体規模での防災訓練を頻回に実施していることが判明した。
図 2 平時からの訓練参加の呼びかけの有無別にみた年間防災訓練回数の比較
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
100
地域に開かれた環境での防災訓練の実施回数が多ければ,地域住民としては参加する機会は増
加するので,施設と地域住民側との接点が多くなる可能性が高い。2 か月に 1 回程度か半年に 1
回程度の差は大きい。平時から周辺の自治会 ・ 住民に声がけをしている施設では,積極的に住民
との接点をつくろうとしていると考えられる。
平時から防災訓練の呼びかけについて,施設別にみると,介護老人福祉施設では回答のあった
48 施設の半数の 24 施設であった。障がい者支援施設では回答のあった 29 施設のうち 21 施設が
実施しており,7 割以上を占めた。介護老人保健施設では回答のあった 31 施設のうち 8 施設で,
4 分の 1 以上を占めた。平時からの防災訓練参加の呼びかけのみが地域の周辺住民との関係を形
成していくための手段ではないが,各施設で取り組む余地は大きいといえる。
実際の訓練への参加者は,施設以外では,消防署が最も多く,71% と 7 割以上を占めた。2 番
目に多かったのは自治会 ・ 周辺住民で 37% と約 4 割を占めた。表 5 は,平時からの周辺の他施
設や自治会等への防災訓練参加への呼びかけの有無と実際の参加の有無の関連性について示して
いる。
χ² 検定を有意水準 1% で行った結果,平時からの訓練参加への呼びかけと自治会 ・ 周辺住民の
参加との有意な関連性がみられた。
平時からの訓練参加への呼びかけが実際の参加に結びついているのか,自治会や周辺住民の防
災への意識が高い方々に声がけをしている施設が多いのか等の因果関係の検証は必要である。先
述したように,施設別にみると,平時から防災訓練への参加の呼びかけのあった介護老人福祉施
設は 24 施設,介護老人保健施設は 8 施設,障がい者支援施設は 21 施設であった。そのうち,自
治会 ・ 周辺住民の参加のあった割合は,介護老人福祉施設が 79.2%(19 施設)と約 8 割を占め,
障がい者支援施設が 81%(17 施設)と 8 割以上を占めた。
これらの結果から,平時からの防災訓練への呼びかけに一定の効果があることが示唆される。
しかし,逆説的に考えると,平時からの呼びかけがないと自主的な参加には結び付きにくい可能
性がある。したがって,施設側からの訓練参加等の働きかけが重要であると考えられる。それら
表 5 平時からの訓練参加の呼びかけの有無と自治会 ・ 周辺住民の参加の有無との関連性
自治会・周辺住民
参加なし
平時からの呼びかけ
有無
全 体
χ²=56.1, p<0.01
あった
なかった
参加あり
全体
N
15
40
55
割合
27.3%
72.7%
100%
N
54
1
55
割合
98.2%
1.8%
100%
N
69
41
110
割合
62.7%
37.3%
100%
東日本大震災時における社会福祉施設等の要援護者支援体制構築に関する現状分析
101
の積み重ねから地域内の要援護者支援体制構築等につながることが期待される。
3.4 安否確認と見守り活動の実態
表 6 は,施設種別と震災後 1 週間以内の施設内外における要援護者への安否確認や心身状態の
把握等の見守り活動の実施の有無との関連性を示している。
両者の関連性について,χ² 検定を有意水準 1% で行った結果,有意な関連性がみられた。介護
老人福祉施設では他の施設と比較すると,震災後 1 週間以内に要援護者に対して何らかの安否確
認や見守り支援を行った割合が多い。
先述したように,介護老人福祉施設で平時から防災訓練参加の呼びかけを実施した場合には,
自治会 ・ 周辺住民の参加割合が 8 割程度あるので,周辺地域の要援護者情報を把握していた施設
が一定数あると考えられる。
また,介護老人福祉施設は,通所介護事業所や訪問介護事業所,居宅介護支援事業所等を併設
するのみではなく,地域包括支援センターを市町村から委託されるかたちで運営している場合も
多い。地域包括支援センターは,中学校区を目安に設置されていて,地域内の要援護者情報を有
している可能性が高い。実際に,筆者の所属する研究チームが同時期に実施した別の調査からは,
地域包括支援センター職員が要援護者支援の主な活動主体であったことが示唆された。
これらの取り組みが震災後 1 週間以内の安否確認や見守り等につながったと考えられる。安否
確認や見守り活動の対象は,表 7 に示している。
震災後 1 週間以内に安否確認や見守り支援活動を行った内容では,施設内に避難してきた要援
護者を対象とした施設が 43.6% と 4 割以上を占め,最も多かった。施設周辺に居住する要援護
者の安否確認や見守り活動を実施した施設も一定数みられた。一方で,未実施の施設が 36.4%
と約 4 割を占めた。
表 6 施設種別と要援護者への安否確認 ・ 見守り等の実施の有無との関連性
安否確認等実施の有無
未実施
施設種類
何らかの安否確認等あり
全体
介護老人
N
9
39
48
福祉施設
割合
18.8%
81.3%
100%
介護老人
N
13
18
31
保健施設
割合
41.9%
58.1%
100%
障がい者
N
16
13
29
支援施設
割合
55.2%
44.8%
100%
全 体
χ²=11.4, p<0.01
N
38
70
108
割合
35.2%
64.8%
100%
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
102
表 7 震災後 1 週間以内の安否確認や見守り支援活動の対象
安否確認や見守り活動の対象
(複数選択可)
施設内に避難してきた要援護者
施設数
割合
48
43.6%
発災後の施設への来訪はないが,近隣在住
(自宅生活)の要援護者
16
14.5%
施設近隣在住で,発災後に施設に来訪した
が自宅生活の要援護者
14
12.7%
施設以外の近隣の避難所の要援護者
10
9.1%
未実施
40
36.4%
その他
7
6.3%
安否確認や見守り支援を行う際の課題は,施設内に避難してきた要援護者を対象とした施設
(48 施設)では,職員の過労が最も多く,70.8% と 7 割以上を占めた。2 番目に多かったものは,
職員の不足で 64.6% と約 3 分の 2 を占めた。3 番目は燃料関連で 60.4% と 6 割以上を占めた。
これらの結果から,災害等の緊急時には,施設内に平時以上の要援護者がいる場合が想定され
る。また,
これらの施設では,マンパワー面で不安が生じる可能性が高いと考えられる。したがっ
て,平時から少ない職員数で多くの要援護者支援をするための方法を学び,実践すること,その
内容についての評価,現場での共有をする必要がある。
燃料については,燃料供給のための優先的な契約を締結しておくことが求められる。災害の時
期や地域によっては暖房等が必須となる。燃料は,地域内の他の社会福祉施設や事業所も同様に
求めている可能性が高いので,自家発電機の整備等は考えなければならない選択肢である。
ここでいう燃料は,暖房等のみではなく移動面でも必要となると考えられる。これは,表 7 に
あるように,安否確認や見守り支援活動の際には,施設周辺の要援護者を対象にした施設が一定
数みられたことから指摘できる。災害時の要援護者の安否確認や見守り等には,マンパワーが必
要である。しかし,職員自身も被災者であること,体力の限界,山間部等の地理的条件も考える
必要がある。地域によっては,自家発電機を配備し,ガソリンを必要としない電動自転車等の整
備による要援護者の支援者のバックアップが求められる場合もあると考えられる。迅速に行動に
移すことが可能な災害時の体制が整備される必要がある。
わが国は,これまでよりも少ない人数で要援護者となる可能性の高い人々を支えていく社会と
なっている。災害等に対応するための地域による取り組みは,喫緊の課題である。
4. 結 論
社会福祉施設として,災害時に求められることは,要援護者への支援である。それは,施設の
内外を問わないが,入所している入居者の安全の確保,入居者家族への連絡等,入居者以外の要
援護者のみではなく,職員の安全や健康状態にも注意が求められる。平時とは全く異なる資源運
東日本大震災時における社会福祉施設等の要援護者支援体制構築に関する現状分析
103
用をしていかねばならない。したがって,平時における施設や事業所等の機能に応じた役割分担
や要援護者支援のための連携体制構築が重要となる。
本研究では,社会福祉施設が災害時に要援護者支援のための連携体制の構築状況や安否確認や
見守り支援活動の実態が明らかになった。6 割前後の施設で連携体制や安否確認等が実施されて
いた。したがって,平時からの周辺地域の自治会 ・ 住民のみでなく,他の施設や事業所とも災害
時おける対応について取り決めをする余地があると考えられた。このような施設では,早急に要
援護者支援体制の構築に取り組む必要がある。平時の防災訓練参加者数や震災当時の安否確認や
見守り支援の実施者数等のアウトカム評価は,今後の課題としたい。
本研究は,平成 24 年度 セーフティネット支援対策等事業費補助金 社会福祉推進事業「東
日本大震災後の要援護者の行動実態と支援実態に関する調査・研究事業」(事業受諾者 学校法
人栴檀学園 東北福祉大学 学長 萩野浩基)の成果の一部である。
最後になりましたが,大変ご多用のところ WEB アンケート調査にご回答いただいた皆様に心
より御礼申し上げます。
参 考 文 献
北川慶子 ・ 宮本英揮 ・ 橋本芳(2010) 「介護保険施設の自然災害による被災と防災に関する研究」
『老
年社会学』第 32 巻第 3 号,328 337.
-
厚生労働省(2012a) 「平成 23 年介護サービス施設事業所調査結果の概要」
厚生労働省(2012b) 「平成 23 年社会福祉施設等調査の概況」
松橋朋子 ・ 村上照子(2011) 「高齢者施設における災害時の対応 ─ 新潟県中越沖地震にて避難者を
受け入れた施設への調査から ─」『日本赤十字秋田看護大学紀要・日本赤十字秋田短期大学紀
要』第 16 号,37 44.
-
峯本佳世子(2013) 「地域包括支援センターにおける災害時支援の実態 ─ 東日本大震災被災地の災
害時要援護者対策と災害時対応 ─」『同志社政策科学研究』14(2), 161 174.
-
災害時要援護者の避難対策に関する検討会(2006) 「災害時要援護者の避難支援ガイドライン」
高村弘晃 ・ 山田理恵子(2012) 「大都市における災害時の高齢者見守り活動支援の構築についての
一考察 ─ 東日本大震災時の墨田区の高齢者見守り活動を通して ─」
『東洋大学社会福祉研究』
第 5 号,pp. 36 42.
-
田原美香 ・ 北川慶子 ・ 高山忠雄(2012) 「社会福祉施設の避難所機能に関する研究 ─ 介護保険施設
・ 障害者自立支援施設に対する全国調査から ─」『社会福祉学』53(1), 16 28.
-
自己卑下呈示が受け手の自己評価に及ぼす影響
105
自己卑下呈示が受け手の自己評価に及ぼす影響 :
対人関係,自己呈示の信憑性および
自己呈示規範内在化傾向との関連性の検討
吉 田 綾 乃
要旨 : 本研究では,自己卑下呈示が受け手の自己評価に及ぼす影響について検討した。自
己呈示者と受け手の関係性(友人・知り合い)と,自己呈示の信憑性(高・低),自己呈
示規範内在化傾向(高・低)の効果を検討した。133 名の女子学生を対象に質問紙調査を
実施した。分析の結果,
(1)知人による信憑性が低い自己卑下呈示は,受け手に自己批判
傾向を生じさせる,
(2)友人による信憑性の高い自己卑下呈示は,受け手に自己向上傾向
を生じさせる,
(3)自己卑下呈示規範内在化高群において,他者の自己卑下呈示は常に自
己批判傾向の生起と結びついているが,自己卑下呈示規範内在化低群では,対人関係およ
び信憑性が自己批判傾向の生起を左右することが示された。考察では,自己卑下呈示によっ
て受け手に自己批判が生じることが文化的な自己呈示規範の形成に寄与している可能性に
ついて論じた。
キーワード : 自己呈示,自己卑下呈示,自己評価
問 題
自己呈示は,他者との関係の中で自己の勢力を増大しようとする動機に基づき,自己の特性に
関する他者の帰属を誘発あるいは形成するために行われる行動(Jones & Pittman, 1982)と定義
される。しかしながら,近年では自己呈示を特定の場面で生じる勢力の拡大を目的とした表面的
な振る舞いとして限定的に扱うのではなく,日常的な社会的相互作用も含め,広く目標志向的な
コミュニケーションとして捉えることが提唱されている(e.g., 福島,1996 ; Schlenker & Weigold, 1992 ; Schlenker & Pontari, 2000 ; Tice, Buttler, Muraven, & Stillwell, 1995)。例えば,Leary,
Allen, & Terry(2011)は,過去 50 年間の自己呈示研究の多くが実験室で行われており,日常的
な自己呈示が反映されていないことを指摘し,自己呈示の定義や機能を再考する必要性を主張し
た。日本でも,自己呈示の効果を扱った実証研究が十分に行われていないこと(沼崎・工藤,
2003)
,自己呈示は日常的には具体的な他者に対して行われるにもかかわらず,受け手の要因が
十分に検討されてこなかったことが指摘されている(村上・石黒,2005 ; Tice et al., 1995)。 自
己呈示を,呈示者と受け手の双方向のコミュニケーションとして捉え,その効果について実証的
な検証を行う必要性があるといえる(吉田・浦,2003b)。
日本を始めとする東アジア文化圏では,自己卑下呈示がしばしば認められることが報告されて
106
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
きた(e.g., 村本・山口,1994)。自己卑下呈示とは「他者に対して選択的に自己の否定的な側面
を提示すること,自己の肯定的な側面を積極的に呈示することを避けること」(吉田・浦,
2003b, p. 121)と定義される。自己卑下呈示の効果に関する研究では,日本では,自己卑下的に
振る舞う人物は他者から好印象を獲得すること(吉田・古城・加来,1982)
,他者からの賞賛に
対して自己卑下呈示的に振る舞う人物は,社会的に望ましく,個人的に親しみやすいが活動性が
低い人物と見なされること(樋口・川村・原・塚脇・深田,2007)が報告されている。また,自
己卑下呈示に対して受け手が作為性を高く認知するとき,呈示者の印象が否定的な内容になるこ
とも見出されている(稲富・山口,2003)。さらに,自己卑下呈示よりも,自身の優れた能力に
言及する自己高揚呈示に対して,受け手が呈示者の能力を高く推定する傾向があることも報告さ
れている(沼崎・工藤,2003)。これらの研究から,日本において行われている自己卑下呈示の
研究は主に受け手が呈示者に対して形成する印象に焦点が当てられてきたといえる。
しかしながら,自己卑下呈示は受け手が呈示者に対して形成する印象にのみ影響を及ぼすわけ
ではない。他者の自己卑下的な振る舞いは,受け手の自分自身に対する認知や評価に影響を及ぼ
す可能性がある。日常生活の中で行われる身近な他者の自己卑下呈示を,受け手が自分自身と全
く関連性が無い他者の振る舞いとして切り離して捉えることが困難であろう。そのため,他者の
自己卑下呈示によって,自分自身にも劣ったところがあると見なす自己批判傾向や,自分も努力
しなければならないとする自己向上傾向が生じる可能性がある。そこで,本研究では,他者から
自己卑下的に振る舞われることが,受け手の自己評価にどのような影響を及ぼすのかについて検
討する。また,これらの影響過程に,呈示者と受け手の関係性,自己呈示の信憑性,受け手の自
己呈示規範内在化傾向(吉田・浦,2003a)が及ぼす効果を検討する。
自己卑下呈示者と受け手の関係性
自己卑下呈示が受け手の自己評価に及ぼす影響は,呈示者と受け手の関係性によって影響を受
けることが考えられる。例えば,Tice ら(1995)はアメリカ人を対象に,知人には自己高揚的
な呈示が行われるが,友人にはやや控えめな自己呈示が行われることを見出している。また,石
黒・村上(2007)は日本人を対象に「良く知らない顔見知り」と「友人」では自己卑下的な振る
舞いの頻度が異なることを明らかにしている。さらに,笠置・外山・大坊(2008)は会話中に相
互作用相手が示した自己呈示方法が,受け手の自己呈示スタイルに及ぼす影響を検討している。
彼らは自己卑下的もしくは自己高揚的自己呈示を行うサクラと会話し,その時の反応がどの程度
自己卑下的な振る舞いになるかを測定した。その結果,相互作用において相手が自己卑下的,自
己高揚的な自己呈示を行っても,返報性の規範による影響は生じず,受け手は自らの自己呈示方
法を変化させないことを見出している。そして,影響が認められなかった原因として実験参加者
と協力者との関係性の影響を指摘している。具体的には,受け手は相手との将来の相互作用の予
期がある場合には,相互作用相手の自己呈示方略の影響を受けるのではないかと論じている。笠
自己卑下呈示が受け手の自己評価に及ぼす影響
107
置ら(2008)が主張するように,将来の相互作用の予期が影響の有無に重要であるとすれば,相
手との関係性の深さが,自己呈示が受け手に及ぼす影響を左右する可能性が考えられる。
よって,自己卑下呈示が受け手の自己評価に及ぼす効果を検討する際に呈示者と受け手の関係
性を考慮することは重要であるといえる。そこで本研究においても相互作用予期のある「友人」と,
相互作用がそれほど予期されない顔見知り程度の「知人」を取り上げる。そして,知人よりも友
人の自己卑下呈示が受け手の自己評価により影響を及ぼすと予測する。
自己卑下呈示の信憑性の影響
沼崎・工藤(2003)は,自己呈示者の能力推定に関する効果が実験室実験とシナリオ法では異
なることを見出した。そして,これらの検討方法による違いが認められる理由として自己呈示行
動の信憑性が影響している可能性を指摘している。自己呈示の信憑性を左右する要因のひとつに
自己呈示動機の顕現性がある。自己呈示の顕現性とは「ある行動が自己呈示のためにとられた行
動であることが明白であると受け手に知覚されるかというものであり,自己呈示の動機の顕現性
が強いほど行動の信憑性が低くなる(沼崎・工藤,2003, p. 46)」とされる。そして,自己呈示の
顕現性が強く信憑性の低い自己呈示は,受け手が行う呈示者の能力推定に影響を及ぼさない可能
性が指摘されている(沼崎・工藤,2003)。
このような自己呈示の顕現性による信憑性の高さは,自己卑下呈示が受け手の自己評価に及ぼ
す影響を左右することが予測される。本研究では,知人と友人の自己呈示した事柄に対する情報
を有しているか否かを操作することによって,これらの自己卑下呈示の信憑性の効果を検討する。
具体的には,受け手が友人や知人の自己呈示内容に関する情報を有しており,自己卑下である
ことが明白な場合(自己呈示の顕現性が強い),信憑性は低くなるため,受け手の自己評価に及
ぼす影響は小さくなるだろう。対して,受け手が自己呈示内容に関する情報を有していない場合
(自己呈示の顕現性が弱い),信憑性は高くなるため,受け手の自己評価に及ぼす影響は大きくな
ると予測する。
自己呈示規範内在化傾向の影響
吉田・浦(2003a)は「自己卑下的な呈示を行うことは望ましい」という規範を内在化する程
度である自己卑下呈示規範内在化傾向を測定する尺度を開発した。そして,自己卑下呈示規範内
在化高群と低群では,他者から返される反応の受け止め方,自己卑下呈示が精神的健康に及ぼす
影響が異なることを見出している(吉田・浦,2003b)。よって,本研究においても,受け手の自
己卑下呈示規範内在化傾向が他者の自己卑下呈示が受け手の自己評価に及ぼす影響が異なると予
測し,探索的な検討を行う。自己呈示規範を強く内在化している人,あるいは内在化していない
人では,他者の自己卑下・批判的な呈示の解釈の仕方およびその呈示が及ぼす自己評価への影響
が異なることが考えられるためである。
108
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
なお,本研究では日常的な自己呈示には性差の影響が大きいこと(Leary, Nezlek, Down, Radford-Davenport, Martin, & McMullen, 1994),女性は男性よりも謙遜する傾向があること(吉田ら,
1982 ; 相川,2003)を踏まえ女性を対象に調査を実施する。
方 法
調査対象者
女子大学生を対象とした質問紙調査を行った。回答に不備にあったものを除き 133 名が分析対
象者となった。平均年齢は 19.87 歳(SD=1.87)であった。
質問紙構成
自己呈示規範内在化尺度 吉田・浦(2003a)が開発した尺度の改訂版(吉田・浦,2003b)を
用いた。自己高揚呈示規範内在化傾向を測定する 11 項目と自己卑下呈示規範傾向を測定する 11
項目から構成される。「全く望ましくない」から「非常に望ましい」までの 5 件法であった。
対人関係と自己呈示の信憑性の操作 自己呈示者と受け手の関係性と自己呈示の信憑性は刺激
文によって操作した。知人条件では「普段,教室であった時に挨拶をする程度の同性の知り合い
を思い浮かべてください」とし,友人条件では「数ヶ月にわたる付き合いがあり,休日には一緒
にどこかへ遊びに行くこともある,あるいは機会があれば遊びに行きたいと思っている同性の友
人を思い浮かべてください」とした。続いて「あなたがその人と会話をしていたところ,話の流
れの中で彼女が自分自身の事柄について “全然だめだ”,“私にはいいところがない” などと自分
を悪く言い始めました」と自己卑下呈示場面の想定を求めた。次に信憑性の操作を行った。信憑
性低条件では「その時あなたは,彼女が言っている事柄についてよく知っており,彼女が実際以
上に自分を悪く言っており,彼女の言っていることが正しくないことを判断できる情報を持って
いました」とし,信憑性高条件では,
「あなたは彼女が言っている事柄について,彼女が本当に劣っ
ているのか,あるいはそうではないのかを判断する情報を持っていません」とした。
受け手の自己評価測定尺度 他者の自己卑下呈示を受けた後に,「あなたは自分自身に対して
どのように感じると思いますか」と問うた。11 項目からなる尺度を作成した。「全く当てはまら
ない」から「当てはまる」までの 5 件法であった。
自己呈示場面のイメージのしやすさ 呈示場面のイメージのしやすさについて「イメージでき
た」から「できなかった」までの 1 項目 5 件法で問うた。
日常的な自己卑下呈示の頻度 自己卑下呈示の頻度を確認するため「あなたは普段,自分が本
当に考えている以上に,自分自身を好ましくなく,劣っているように周囲の人に伝えることがあ
りますか」という 1 項目に対して回答を求めた。「全くない」から「非常に多くある」までの 5
件法であった。
自己卑下呈示が受け手の自己評価に及ぼす影響
109
結 果
自己卑下呈示場面のイメージしやすさの評定の平均値は 3.84(SD=0.81)であった。よって,
各場面についてある程度イメージが可能であったと解釈した。また,自己卑下呈示の頻度の平均
値が 3.85(SD=0.80)であったことから,本調査の対象者がある程度の自己卑下呈示を日常生活
において行っていると見なした。
分析に先立ち,自己卑下呈示規範内在化得点の信頼性係数を算出したところ α=.61 であった。
また,自己高揚提示規範内在化得点の信頼性係数は α=.64 であった。続いて,自己卑下・自己
批判的呈示授領後の被呈示者の自己評価測定尺度に対して主因子法,バリマックス回転による因
子分析を行った。因子負荷量の値が小さく,複数の因子に負荷していた 1 項目を除いたところ,
2 因子構造であることが確認された。第 1 因子は,自己の否定的な評価に関連した 6 項目から構
成されていたことから,自己批判因子と命名した。また,第 2 因子は,自己をより向上させたい
という項目から構成されていたことから,自己向上因子と命名した。信頼性係数を算出したとこ
ろ,自己批判因子は α=.81 であり,自己向上因子は α=.79 であった。以後,これらの因子構造
に基づいて算出された得点を用いて分析を行うこととした。
自己卑下呈示規範内在化傾向得点を平均値(M=30.87, SD=4.56)によって高群(M=33.94,
SD=2.82)と低群(M=26.91, SD=3.09)に分類した(t(124)=13.32, p<.001)。自己卑下呈示の
被呈示者の自己批判得点に対して,自己高揚規範内在化傾向得点を共変量とする,関係性 2(知人・
×信憑性 2(高・低)×自己卑下呈示規範内在化傾向 2(高群・低群)の 3 要因の共分散分析
友人)
を行なった。その結果,関係性×信憑性の 2 要因の交互作用が有意であった(F
(1,117)
=3.97,
p<.05)。下位検定の結果,知人による自己卑下呈示は,信憑性高条件よりも低条件において自
Table 1 自己卑下・批判的呈示受領後の被呈示者の自己評価測定尺度の因子分析結果
因子 1
因子 2
共通性
自分は他の人よりも優れている(逆転)
− .724
−.033
.526
自分に自信がある(逆転)
− .681
.032
.465
自分には誇れるところが何もない
.611
.257
.439
自分は他の人よりも劣っている
.594
.422
.531
自分は全くうまくできていない
自分に満足している(逆転)
自分には努力すべきところが残っている
自分をさらに向上させたい
.541
.241
.351
− .524
−.068
.279
.150
.752
.588
−.055
.712
.509
自分をもっと改善したい
.145
.705
.518
自分には反省すべきところがある
.333
.628
.505
固有値
寄与率(%)
Note. 5 件法。主因子法,バリマックス回転による。
3.84
1.90
38.38
18.98
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
110
己批判傾向を生じさせることが示された。また,信憑性の低い自己卑下呈示が,友人よりも知人
によって行われた場合に自己批判傾向が生じることが示された(Figure 1)
。
また,3 要因の交互作用が有意傾向であった(F
(1,117)
=3.05, p<.10)
。下位検定の結果,自己
卑下呈示を受けた場合,自己卑下呈示規範内在化傾向高群は,関係性の違いや信憑性の程度にか
かわらず自己批判傾向が生じることが示された。そして,知人による信憑性の高い自己卑下呈示
は,自己卑下呈示規範内在化低群には自己批判傾向を生じさせないが,自己卑下呈示規範内在化
傾向高群の自己批判傾向を生じさせることが示された。さらに,自己卑下呈示規範内在化低群は,
知人から信憑性の高い自己卑下呈示よりも信憑性の低い自己卑下呈示を受けた場合に,自己批判
傾向を生じさせていた。また,知人から信憑性の高い自己卑下呈示を受けた場合よりも,友人か
ら信憑性の高い自己卑下呈示を受けた場合に,自己批判傾向を生じさせていた(Figure 2)。すな
わち,自己卑下呈示規範内在化高群は,他者の自己卑下呈示に対して自己批判傾向が付随するの
に対して,低群の自己批判傾向は相手との関係性および信憑性に大きく影響されることが示され
た。そして,友人による信憑性の高い自己卑下呈示が自己批判傾向に及ぼす効果が,自己卑下呈
示規範内在化の程度によって大きく異なる可能性が示唆された。
続いて,自己卑下呈示の被呈示者の自己向上得点に対して,同様の 3 要因の分散分析を行なっ
た。 そ の 結 果, 関 係 性×信 憑 性 の 2 要 因 の 交 互 作 用 の み が 有 意 で あ っ た(F
(1,117)
=4.60,
p<.05)
。下位検定の結果,信憑性が低いよりも高い自己卑下呈示を友人から受けた場合,受け
手に自己向上傾向が生じることが示された。また,信憑性の高い自己卑下呈示を知人よりも友人
から受けた場合,受け手に自己向上傾向が生じることが示された(Figure 3)
。
Figure 1
関係性および信憑性が受け手の自己批判得点に及ぼす影響
Note. *p<.10
自己卑下呈示が受け手の自己評価に及ぼす影響
Figure 2
111
自己卑下呈示規範内在化傾向,関係性および信憑性が受け手の自己批判得点に
及ぼす影響
Note. **p<.05
Figure 3
関係性および信憑性が受け手の自己向上得点に及ぼす影響
Note. *p<.10
考 察
本研究の目的は,他者の自己卑下呈示が受け手の自己評価に及ぼす影響について明らかにする
ことであった。特に,これらの影響過程に呈示者と受け手の関係性,自己呈示の信憑性,受け手
の自己呈示規範内在化傾向が及ぼす効果を検討した。
112
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
分析の結果,知人の信憑性の低い自己卑下呈示は自己批判傾向を生起させること,友人の信憑
性の高い自己卑下呈示は自己向上傾向を生起させること,自己卑下呈示規範内在化高群は,他者
の自己卑下呈示に対して常に自己批判傾向を生起させるが,自己卑下呈示規範内在化低群は,相
手との関係性や信憑性によって自己批判傾向が生起しない場合があることが明らかとなった。本
研究には,調査参加者が女性のみであること,シナリオを用いた研究であるといった限界はある
ものの,自己卑下呈示が受け手の自己評価に影響を及ぼすことを明らかにした。また,他者の自
己卑下呈示による自己批判傾向と自己向上傾向の生起が相手との関係性と自己呈示の信憑性に
よって左右されることを示した。
では,なぜ相手との関係性や自己呈示の信憑性によって自己評価に及ぼす影響が異なったので
あろうか。本研究では,「相互作用の予期」がある場合はない場合よりも相手の行動による影響
を受けやすいこと(笠置ら,2008)から,知人よりも友人の自己卑下呈示によって自己評価が影
響を受けると予測した。また,受け手が呈示内容に関する信憑性が低いよりも高い時に自己評価
に及ぼす影響が大きくなると予測した。よって,自己向上傾向の生起に関しては,先行研究に基
づく予測と一致していたと考えられる。友人から信憑性の高い自己卑下呈示を受けた場合に受け
手の自己向上傾向が顕著であったことは,受け手は,知人よりも友人が行った自己卑下呈示を自
分自身に影響を及ぼす行為として捉えていたと考えられる。また,自己卑下呈示の信憑性の高さ
が,受け手自身の内省を促し,「自分も努力が必要である」と自己向上を志向したと考えられる。
なお,本研究の自己卑下呈示内容は,自分は「だめだ」
「良いところがない」と伝えるという
ものであった。よって,呈示者と受け手の間に社会的比較が生じていた可能性も考えられる。社
会的比較には,自分よりも優れた人と比較する上方比較と,劣った人と比較する下方比較がある。
今回はどちらが生じていたかは明確ではないが,上方比較によって自己向上が生じる(Suls,
Martin, & Wheeler, 2002 ; Wood, 1989)ことを踏まえると,受け手は,自己呈示内容に関する情
報を持たないために,友人を自分自身よりは優れているだろうと判断し,自己向上傾向が生起し
たのかもしれない。今後は,他者の自己卑下呈示によって,どのような社会的比較過程が生じる
のか,あるいは他の心理過程が生じるのかについて詳細な検討を行いう必要があろう。
一方,自己批判傾向の生起に関しては予測とは異なる結果が得られた。知人による信憑性の低
い自己卑下呈示は,受け手に自己批判傾向を生じさせた。すなわち,親しくない人物から自己呈
示の顕現性が強い振る舞いを受けることによって自己批判傾向が生起したのである。
鈴木・山岸(2004)は,知人は友人よりも相対的に規範的な振る舞いが出やすい相手であると
捉えられていることを指摘している。そのため,本研究においても,受け手は,知人の信憑性の
低い自己卑下呈示を文化的な自己卑下呈示規範に即した振る舞いとして捉えた可能性がある。そ
して,「規範的な振る舞いができる人物」と自分自身の間に対比が生じ,文化的あるいは社会的
な規範を十分に満たしていない自分自身に注意が向いた結果として自己批判傾向が生起したのか
もしれない。
自己卑下呈示が受け手の自己評価に及ぼす影響
113
なお,この効果は自己卑下呈示規範内在化傾向によって調整されることも示唆された。文化的
な自己卑下呈示規範を強く内在化している者は,関係性や信憑性の程度に関わらず,自己卑下呈
示を受けることによって,自己批判傾向が生じていた。自己卑下呈示規範内在化高群にとっては,
他者の自己卑下呈示は,自己への批判的思考を促す刺激となっている可能性が考えられる。
一方,文化的な自己卑下呈示規範を内在化する程度が弱い人は,知人 ─ 信憑性低条件,友人 ─
信憑性高条件よりも知人 ─ 信憑性高条件において自己批判傾向を生じさせた。自己卑下呈示を文
化的に望ましい規範として内在化していない人であっても,文化的な規範に沿った振る舞いを行
う人物と接することは,そのような行為を行わない自分自身に対する批判を生じさせるのかもし
れない。また,自分よりも優れた友人の自己卑下的な発言を聞くことは,自己卑下呈示規範内在
化低群であっても,自らに対する反省が促されるのかもしれない。対して,知人の信憑性が高い
自己卑下呈示は,自己とは切り離して捉えられ,また,言葉通りにその人物が劣っている可能性
もあると判断されたために,自己批判傾向が生起しなかった可能性が考えられる。すなわち,自
己卑下呈示規範内在化傾向低群と高群では,他者の自己卑下呈示が持つ意味とその効果が大きく
異なっていることが示唆されたといえる。
他者から自己卑下呈示を受けることによって,受け手の自己評価が影響を受けるという結果は,
「なぜ」自己卑下呈示規範の内在化が生じるのかという点を考える上でも興味深い結果であると
言える。すなわち,日本文化において,自己卑下呈示規範の内在化を促進させる文化的なしかけ
は 2 通りあるのかもしれない。ひとつは,望ましいと思っていない呈示者に対して周囲が好意的
反応を返すことによる促進,すなわち自己卑下呈示が脅威ではないと思わせるというもの(吉田・
浦,2003b)である。もうひとつは,本研究によって示唆された,周囲の他者から自己卑下的に
振る舞われることで,自らの中に自己批判傾向が生起し,そのネガティブな感情や,文化的規範
と自己呈示規範内在化傾向の間にある不協和を解消するために,自己卑下呈示規範を徐々に内面
化するというものである。今後は,自己呈示に関する文化的規範がどのようなコミュニケーショ
ン過程を経て形成されあるいは変容するのかに関する検討も必要であろう。
本研究の限界
最後に本研究の抱えるいくつかの問題点を指摘する。沼崎・工藤(2003)が明らかにしたよう
に,自己呈示の効果に関する研究において,実験室実験とシナリオ実験では異なる結果が生じる
ことが報告されている。本研究は女子大学生に対してシナリオを用いて条件操作を行っている。
今後は,実験室実験が必要であろう。また,より日常的な文脈において影響過程について検討す
る必要があると考える。本研究は,自己卑下呈示が受け手の自己評価に影響を及ぼすことを明ら
かにしたが,行動面にどのような影響を及ぼすのかについて検討を行っていない。受け手が,自
己批判や自己向上傾向に基づきどのような行動を生起させるのかについて検討する必要があるだ
ろう。
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
114
さらに,本研究では自己卑下呈示の次元・領域を明確に指定していない。能力や性格など,自
己呈示に含むことができる内容は多岐にわたる(伊藤,1999)。自己呈示次元が異なることによっ
て,自己批判や自己向上傾向の生起頻度が異なるのかを検討する必要がある。例えば,能力より
も性格に関する自己卑下呈示が行われても,当該領域の自己関連性が低い場合には,自己評価に
影響を及ぼさない可能性もある。また,先述したように,他者の自己卑下呈示によって自己批判
や自己向上が生じることが,人々が日本文化に適応してゆく上で,どのような意味を持つのかに
ついても実証的な検討を行うことも重要であろう。今後は自己卑下呈示が受け手に及ぼす影響に
ついて,より多面的な検討が必要であると考える。
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吉田綾乃・浦 光博(2003b).自己卑下呈示を通じた直接的・間接的な適応促進効果の検討 実験社
会心理学研究,42, 1 11.
-
吉田綾乃・浦 光博(2004).日本人の自己卑下呈示に関する研究 : 他者反応に注目して 社会心理
学研究,20, 144 151.
-
吉田寿夫・古城和敬・加来秀俊(1982).児童の自己提示の発達に関する研究 教育心理学研究,30,
30 37.
-
Wood, J.V.(1989).Theory and research concerning social comparisons of personal attributes. Psychological Bulletin, 106, 231 248.
-
116
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
The influence of self-effacing presentation on the perceiver’s
self-evaluation : Examining associations between interpersonal relationships,
authenticity of self-presentation, and internalization of self-presentational norms
Ayano Yoshida
This study examined the influence of self-effacing presentation on perceivers’ self-evaluation. We explored associations between interpersonal relationships(friends vs. acquaintances), the authenticity of self-presentation(high vs. low), and the internalization of self-presentational norms(high vs.
low)
. One hundred thirty-three female Japanese university students completed a questionnaire. Results suggested that(1)perceivers displayed self-criticism when exposed to an acquaintance’s lowauthenticity self-effacing presentation,(2)perceivers displayed intentions towards self-improvement
when exposed to a friend’s high-authenticity self-effacing presentation,(3)and individuals high in internalization of self-effacing presentational norms always experience self-criticism as a result of exposure to others’ self-effacing presentation. Conversely, the presence of self-criticism in individuals
low in internalization of self-effacing presentational norms was influenced by interpersonal relationships and the authenticity of self-presentation. The paper concludes by discussing the possibility that
perceivers’ engagement in self-criticism as a result of exposure to self-effacing presentation in others
contributes to the formation of cultural self-presentational norms.
Key Words : self-presentation, self-effacing, self-evaluation
ICT を活用した英語のリズム習得の実践的トレーニング
117
ICT を活用した英語のリズム習得の実践的トレーニング
高 橋 加 寿 子
Abstract : This paper focuses on the importance of teaching English rhythm to Japanese learners of English, especially from the viewpoint of the information structure and meaning to
convey. It outlines the differences between Japanese and English pronunciation, phonetic
structures, rhythm and information structures. It shows that it is very important for Japanese
college students learning English to recognize that rhythm and intonation can convey meaning
in English. Also it shows a practice in class to learn English rhythm effectively by using various functions provided through the CALL system.
Keywords : English rhythm, stress, ICT
1. は じ め に
日本人が英語を身につけるにあたり,英語学習者にとって壁となるのは,多くの場合,聞き取
る力をいかに伸ばしていくかということにあると言われている。長年にわたり,教育現場で英語
を教えてきた筆者にとっても,「生の英語を聞き取れるようになりたい」と願う学生は毎年後を
たたない。また,筆者の授業において,話す力,読む力,書く力を学習によって積み重ねていく
際,学習者は目の前に提示された英語を,それほどストレスを感じずに順序よく理解し,納得し
ていく行動が見られるのに対して,聞き取りにおいては,同じレベルの簡単な英語であっても,
「ど
うしてもそのようには聞こえない」「まったく言っていることがわからなかった」など,お手上
げ状態になってしまうことが多い。聞く力を養うということは,文字通り,感覚器官である聴覚
の精度を高め理解につなげていくということであるが,相手の話し方の癖や発音の違い,スピー
ド,周囲の雑音による聞こえにくさ,すぐに消えてしまう音声によって実時間で発話されること
など,話し手である自分ではなく常に相手のペースに合わせなければならないところにその難し
さがあると言える。「聞く力」を養うためには,様々な生の音に触れ,慣れるための十分な量の
インプットとそれを消化し,慣らし,多少の違いはあってもそれらを捨象し最大公約数的な英語
に適切に反応できるようになるための十分な継続的時間が必要不可欠である。
では,授業という限られた場所と時間の中で,いかにこの量と時間を要する「聞く力」を効果
的に養成し,持続性を保っていくことができるであろうか。本稿は,英語の音声的特徴である強
勢拍リズム(stress-timed rhythm)の学習に焦点を当て,英語のリズムの成り立ちと意義を理解
しつつ,CALL 教室の機能を利用した実践的なさまざまな練習を通して,英語のリズムを身につ
け,そのプロセスを通して「聞く力」を伸ばしていくための,実践的な試みを示すものである。
118
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
最初に日英語のリズムや音声構造を比較検討し,その成り立ちとリズム学習の意義を論じ,英
語の特徴である強勢拍リズムが英語を聞いて理解し,発音する際に避けては通れない学習事項で
あることを示す。最後に英語のリズムを効果的に学ぶための一つの実践例を提示する。
2. 日英語のリズムの成り立ちと意義を学習する必要性
本節では日本語と英語の情報構造の違いがそのリズムの成り立ちに直接反映しており,英語で
意味を伝えるためには強勢拍リズム(stress-timed rhythm)の習得が学習者には必要であること
を示す。
まず,日本語はよく知られているように,既知情報を省略する傾向が強く,コンテクストへの
依存度が高いと言われている。例えば以下の例では,映画館という「場」が与えられることで,
その場にいる「相手」が何を見たいと思っているのかを聞いており,さらに,場を構成している
「映画館関係者」が名画をたくさん提供していると述べていると,日本人であれば文脈から容易
に想像することができる。
(1)
それで,今夜は何が見たい ? 名画たくさんやってるよ。
これに対応する英語の文を見ると,
(2)
So, what are you in the mood for? They’ve got a bunch of great classic movies tonight.1)
(2)では,日本語で表現されていない you や they が主語として現れている。また,次の例は友
人の姉の家族の写真を見ながら話している場面である。
(3)
A : ニューヨークで楽しんでるみたいね。
B : 実は,住んでるの。
A : そうなの ? すてき。どのくらい会いに行ってるの ?
(4)
A : Looks like they’re having a great time in New York.
B : Actually, they live there.
A : They do? Wow! How often do you see them?
(4)では,日本語の対応する文には現れていない主語(they, you)や目的語(them),さらに副
詞(there)が省略されずに生じている2)。場面の設定は,以下の例の「明日は」と「仙台は」の
ように文頭に生じる話題(Topic)によっても同様に行われ,(5)では,主語である「天気が」が
言語化されていない。
(5)
明日は仙台は雨になりそうですね。
(6)
It’s going to rain in Sendai tomorrow.
これらの省略されている主語や目的語は日本語では場面やコンテクスト,話題の共有によって,
さらに,動詞や複合動詞の形から容易に推測できることであるが,場面からの推測という点では,
日本語に限らず,英語でも同様の判断が働いてもおかしくないはずである。しかし,英語が日本
ICT を活用した英語のリズム習得の実践的トレーニング
119
語のように省略が頻繁に起こらないのは,主語や目的語などの文法関係が「て,に,を,は」な
どの助詞や動詞の活用によって示されるのではなく,もっぱら語順に頼って示されているためで
あり,また,時間・場所・状況などの場面や話題を表す要素が多くの場合文末に生ずることと関
係している。英語においては,文内の相対的位置関係によって文法関係や修飾関係が捉えられる
ため,主語や目的語を頻繁に省略することは文法関係がとらえにくくなる恐れが生じることを意
味する。したがって,(2),(4),(6)の you, they, them, It のような主語や目的語は文脈から当然
得られる既知の情報であっても,文法関係を維持するために所定の位置に省略されずに残してあ
る。日本語において既知情報であるために省略される要素が,英語では同じく既知情報でありな
がら,表面に現れている。言い換えれば,日本語は話される内容の多くは新情報であり,場面か
ら想定される要素(主語や目的語)は言語化されないことが多いのに対して,英語では,文内に
新旧の情報が混在していると言いかえることができる。
以上の情報構造の違いをリズムの観点から考察すると興味深いとらえ方ができると思われる。
すなわち,英語においては,伝えたい重要な情報である新情報と既知の情報が混在しているため
に,強勢(stress)の付与による音声上の強弱の違いによって両者を区別することがきわめて理
にかなっているということである。意味的に重要な要素に強勢を付与し,はっきり強く長く発音
することによって際立たせ,意味的に既知のものは,弱くあいまいに速く発音することによって
できるだけ目立たないようにする。先の例の(2)と(4)を改めてリズムの観点から表示すると
以下のようになる。●は最も強く,◦はやや強く,・は弱く発音されている。
(7) So, what are you in the mood for? They’ve got a bunch of great classic movies tonight.
● ◦ ・ ・ ・ ・ ●
● ・ ・ ◦ ・ ● ・ ● ●・
● ・・●
(8)
A : Looks like they’re having a great time in New York.
◦ ● ・ ・ ● ・ ・ ● ● ・ ・ ●
B : Actually, they live there.
●
・・・ ● ・
A : They do? Wow! How often do you see them?
・ ● ● ◦ ● ・ ・ ● ・
意味的に重要な部分を構成する新情報はまさに日本語として表現されている部分と重なる。この
ことからも,日本語は英語に比べて,ほとんどが新情報から成り立っており,その点で,強弱で
区別する必要がないととらえることもできる。むしろ,一つ一つの音をはっきりと同じ音量で発
音することが日本語の情報構造には適応していると言うことができる3)。
このように日英語のリズムの成り立ちの違いを情報構造の観点から学習者に説明することは,
英語のリズムの習得が意味を伝える上できわめて重要であり,ひいては,「通じる英語」への一
歩につながることを示す重要な観点であると考えられる。
120
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
3. 日本語のモーラと英語の強勢拍リズム
本節では,日英語の音節構造を概観し,日本語と大きく異なる英語の強勢拍リズムを学習者
が認識することが効果的なリズム学習につながることを述べる。
日本語は,その音声的特徴として,音節よりも小さな単位であるモーラ(mora,拍)がほぼ
等しい間隔を持って現れると考えられている。モーラは母音や半母音がその核となるだけではな
く,撥音の「ん」や促音の「っ」によっても 1 モーラが形成され,言わば平仮名や片仮名の 1 文
字に相当する単位が 1 モーラであり,このモーラがほぼ同じ間隔,同じ長さ,同じような明瞭さ
で順次聞こえてくるのが,典型的な日本語のリズムと言われている(田窪 1998)。例えば,以下
の例は 6 つのモーラによって構成されている。
(9)
ダ イ ヤ モ ン ド
da i ya mo N do
2 節で考察したように,日本語の発話の情報構造が新情報に偏っており,どの要素も相手に伝え
る必要があるとすれば,一つ一つの音を同じ間隔,同じ明瞭さではっきりとていねいに発音する
日本語のリズムはその情報構造の成り立ちと互いに補う合う関係にあるということができる。
これに対して,英語のリズムの現れ方は大きく異なる。英語においては,音のまとまりを構成
する最小単位は音節であり,内容語(名詞,動詞,形容詞,副詞,疑問詞,指示代名詞など)に
は,第 1 強勢(primary stress)である最も強い強勢音節があり,2 音節以上では強音節以外は弱
く,速く,あいまいに発音され,多音節において第 1 強勢よりもやや弱く発音される第 2 強勢
(secondary stress)が生じる場合もある。このような単語レベルの強弱のリズムがさらに句のレ
ベル,文のレベルへと拡大していき,2 節で考察した情報構造の新旧が直接反映されたリズムが
構成されていく。新情報として現れる内容語の強音節が,ほぼ等間隔に順次現れる,強勢拍リズ
ムと呼ばれるリズムを作り出すと言われている。
その際,英語の学習者にとって重要となるのは,英語においては,等間隔に生じる音のまとま
りは意味のまとまりでもあることに注意する必要があるということである。例えば,以下の例に
おいて,
(10)
I missed Pirates of the Caribbean when it was playing.
I missed, Pirates of Caribbean, when it was playing は強音節を含む音のかたまりを構成するが,
それぞれ,「見逃してしまった」,「Pirates of Caribbean を」,
「上映していたとき」といった意味
のまとまりでもある。このことは逆に,意味を介することによって,日本人学習者は強勢拍リズ
ムを構成している音のかたまりを認識することができることを示している。
次節では,2,3 節で述べた英語のリズムの成り立ちと典型的な強勢拍リズムの特徴を学習し
た上で,英語とはまったく性質の異なるリズムを持つ日本人の学習者が英語のリズムを如何に習
得していくのが望ましいかを示す一つの実践例を挙げる。
ICT を活用した英語のリズム習得の実践的トレーニング
121
4. 英語のリズム習得の実践例
先の節で述べたように,英語の実践的なリスニングやスピーキングの学習において,強勢拍リ
ズムの習得は,個々の音の発音の学習以上に,コミュニケーション上きわめて重要で不可欠なも
のである。本節では,英語のリズム習得の実践例を示すとともに,CALL 教室の機能を十分に活
用することで一定の効果が期待されることを示す。
まず,実践例を示す前に,英語のイントネーションについても少し触れることにする。英語の
リズムが意味や情報構造に直結しているのに対して,イントネーションはより普遍的であり,英
語に限らず,日本語においても,話し手の発話内容に対する心的態度や意図などを表している。
実践例では,リズムとイントネーションを切り離すことなく,両者を同時に習得することを意図
した。
4.1 英語のリズムとイントネーション習得の授業設計
授業で英語のリズムとイントネーションを学習するに当たっての目標,学習者,使用テキスト,
学習期間,CALL 教室の活用状況などを以下のように設定した。
■教育目標の設定 英語のリズム・イントネーションの基本を理解し,身につけ,新しい文に接
したときも自ら英語のリズム・イントネーションを実践できる。
■授業科目 英語 I(大学 1 年生向け総合英語)。
■対象学習者 大学 1 年生(1 クラス 27 名)。
■期間 2013 年後期(10 月 14 日~ 10 月 31 日 週 2 回の授業)。
■教室 CALL 教室。
■使用テキスト Joan Saslow and Allen Ascher 著『Top Notch 1A』,Pearson Longman.
■学習内容 テキストのスキット(写真付きの Photo Story。以下参照)を音声教材とし,ほぼ 3
週間にわたり,授業の最初の 20 分間をリズム・イントネーションの習得に当て,そのための
知識(2,3 節参照)や実践など,4.2 で挙げるさまざまな方策を用いてリズム・イントネーショ
ン学習を行った。以下は具体的な学習内容であるが,リズム練習のためにスキット(Photo
Story)を Part 1 から 3 まで三つに区切って学習を行った。
10/14 初めての Photo Story,内容理解,音読。
10/17 英語のリズムとイントネーションの説明(英語のリズムの成り立ち)
,リズム練習,第
1 回目の録音。
10/21 録音の評価,Photo Story の Part 1 のリズム・イントネーションの学習,音声変化の学習。
10/24 Photo Story の Part 1 の復習,Photo Story の Part 2 のリズム・イントネーションの学習,
リズムの取り方の説明(英語の強勢拍リズム)と練習。
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
122
10/28 Photo Story の Part 2 の復習,Photo Story の Part 3 のリズム・イントネーションの学習,
日本語を聞いて英語を発話する練習(4.2 節参照)。
10/31 Photo Story のリズム・イントネーションの総復習,録音の 2 回目。
用いた教材 : Photo Story
Anna : Who’s that guy? Your brother?
Jane : No, that’s my brother-in-law, David. He’s married to my older sister, Laura. And
this is their son, Michael. He’s adopted.
Anna : Do they have any other children?
Jane : Just the one. He’s an only child.
Anna : Looks like they’re having a great time in New York.
Jane : Actually, they live there.
Anna : They do? Wow! How often do you see them?
Jane : About twice a year.
Anna : And what about these kids?
Jane : They’re my younger sister’s. Vicky’s the girl. And these are her little brothers, Nick
and Alex.
Anna : Nick and Alex look so much alike! Are they twins?
Jane : They are. My sister and her kids all live in Hong Kong.
教材は上記のように,強いストレスのある音節が見た目にはっきりと分かりやすいように書き
換えたものを準備した4)。
4.2 リズム学習の実践的ストラタジー
以下の点に留意しながら,折りに触れて 2, 3 節で述べた英語におけるリズムの成り立ちと強勢
拍リズム,普遍的な意味でのイントネーションの重要性を繰り返し学習者に伝えた。概ね,以下
の項目の順序で実際に学習を行った。
1)
Photo Story の内容を学習者が十分に理解する。
2)
単語の発音練習の際に,強音節の発音練習だけではなく,むしろ,弱音節のあいまい母音
[ə]音を如何に弱く目立たないように発音するかに気を配り練習を行う。平行して,内容
語が強音節を担い,機能語や代名詞,冠詞,and, but などの接続詞が弱音節を担う学習も
行う。単語の強弱リズムが句へ,さらに文へと広がり,最終的に強音節がほぼ等間隔に現
れる強勢拍リズムになっていくことを学習者に繰り返し伝える。以下の例のように,●が
等間隔になる練習を行う。
ICT を活用した英語のリズム習得の実践的トレーニング
123
[例] brother-in-law[brʌ́ ðərənlɔ]
my brother-in-law[məbrʌ ́ ðərənlɔ]
deivə
(d)]
that’s my brother-in-law, David[ðǽtsməbrʌ ðərənlɔ
́
● ● ● ●
強勢拍リズムを身体を動かすことで体感できる方法として,強音節のところで片方の腕
を前に勢いよく出し,次の強音節のところでもう片方の腕を出すと同時に最初に出した腕
を引っ込め,これを交互に強音節毎に繰り返していくと,等間隔のリズムを自然に作るこ
とができる。また,このような腕の動きを使った身体のリズムを利用することで,全体的
にゆっくり発音したり,また,逆に速くスピードを上げることがリズムを維持しながら可
能になる5)。
3) 第 1 回の録音はオーバーラピング(Overwrapping,文字を見ながらネイティブスピーカー
の英語と同時に発音する練習)やシャドーイング(Shadowing, 文字を見ずにネイティブス
ピーカーの英語に後から追いかけて発音していく練習)の後に行う。
4)
録音の評価をリズムやイントネーションの観点から行う。ファイル名に評価を書き込み,
CALL の機能を使って学習者にファイルごとに配信する。学習者は評価を参照しながら,
前回の授業で吹き込んだ録音を聞くことができる。以下に,評価の例を挙げる6)。
・その調子で,今度は意味のかたまりを意識して,かたまりごとにまとまって発音をする練習
をしてください。
・you が強くならないように。音がかたまって一つの単語のように発音されているところはそ
のように発音して下さい。
・途中までよくスピードについて,いい流れになっています。強弱のメリハリがつくように
しましょう。
・ゆっくりながらもリズムはできています。意味のまとまりごとに発音してみましょう。
・スピードに慣れましたか ? きれいに聞こえる英語ですが,強(長くはっきり)弱(速くあ
いまいに)のメリハリを。
・リズムができています。この調子でスピードにも慣れるようにがんばってください,等。
5)
以下の 2 つの音声変化のルールを学習する。
a) 音連結。子音で終わる語に母音や半母音が後続すると[子音+母音]が連結して発音
される。[例]He’s adopted.[həzədɑ ´ ptəd]
b) 閉鎖音で終わる語に子音が後続すると,閉鎖音はその口や舌の位置で閉鎖をするだけ
で破裂することなく,次の子音に移行する。この現象は語末に閉鎖音が生じた場合も
同様に起こる。
[例] I missed Gangs of New York when it was playing.
r k)wénə
[əimís
(t)gǽngzəvnju:jɔ́(
(t)wəzpléiŋ]
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
124
これらの規則および現象は多くの日本人学習者にとっては,意識的に学び,練習する必要
があると思われる。また,慣れるまでに時間を要するが,一旦習得されると,速く自然に
発音することができ,リスニングの上達にもつながる。
また,練習の際,強く発音することが苦手な学習者には「長く」
「はっきり」発音する
こともできることを伝える。
6) 日本人の英語学習者は 2 節で触れたように,情報構造の成り立ちから,文頭を最も明瞭に
発音し,徐々に音が小さくなっていく癖がついている7)。したがって,以下のように代名
詞から始まる文は英語の情報構造上多いのであるが,最初の代名詞を高く強く長く伸ばし
て発音する傾向がある。この点は折りに触れて指摘し,繰り返し練習によって直す必要が
ある。
[例] She missed the train.
[ʃi:mist ða toreiN] ⇒[ʃəmís
(t)ðətréin]
日本人学習者
7) リズム・イントネーションの練習のためのスキットの英語がこなれてきたら,CALL の機
能を用いて,日本語訳の音声ファイルを作成する。その際,3 節で述べたように,できる
限り,音のまとまりが意味のまとまりと一致するようにし,英語が話されている順に日本
語が聞こえてくるようにする。
[例] Photo Story の冒頭の部分は以下のようになる。文中の「/」は一定の無音が挿入
されていることを示す。
Anna : どなた,その男の人は ? /お兄さん ?
Jane : ううん/これは義理の兄さんの/ David なの。結婚してるの/姉の/ Laura と。
また,
(1 -2)の例は以下のようになる。
それで,/何が見たい ? /あるわよ/たくさん名画が/今夜はね。
学習者は聞こえてくる日本語を順次英語にしていく。このようにして音と意味を定着させ
ながら,なおかつリズムとイントネーションが日本語化しないよう練習を積み,CALL の
機能で録音を行い,自分の発音をチェックする。
8) 7)の練習と共に,PowerPoint 教材として,同じ Photo Story をアニメーション機能を用い
て,英語が話された順に合わせて日本語が画面に出てくるような教材を作成する。学習者
は,画面を見ながら順次英語に直していく練習を行ない,音と意味,さらに,構文がスムー
ズに発話できるように練習する。以下にその一例を示す。
な が ら 順 次 英 語 に 直 し て い く 練 習 を 行 な い 、
音 と 意 味 、 さ ら に 、 構 文 が ス ム ー ズ に 発 話 で
125 す 。
を活用した英語のリズム習得の実践的トレーニング
き る よ うICTに
練 習 す る 。 以 下 に そ の 一 例 を 示
9) 最後に
をシャドーイングしながら,
回収を行い,
Photo Story を シCALL
ャ の機能を使って録音し,
ド ー イ ン グ し
な が
9 )Photo
最 Story
後 に
評価する。1 回目に比べてリズムがどのくらい身に付いたかを最終的に評価する。
ら 、
CALL の 機 能 を 使 っ て 録 音 し 、 回 収 を 行 い 、
以上が一連のリズム・イントネーション学習の実践例である。これらの学習効果を厳密に測る
ことは難しいが,CALL システムの機能の一つである音の強度を表す波形を用いて,同一学習者
評 価 す る 。 1
回 目 に 比 べ て リ ズ ム が ど の く ら
の 1 回目と 2 回目の録音を比較し,ある程度の効果を推測することは可能である。以下の例は,
い の
身Looks
に like
付 they’re
い たhaving
か を
最 time
終 in
的New
にYork.
評 の部分をそれぞれ同一学習者の
価 す る 。
Photo Story
a great
1 回目の録音(上)と 2 回目の録音(下)で比較してみる。
学習者 A.
以 上 が 一 連 の リ ズ ム ・ イ ン ト ネ ー シ ョ ン 学
習 の 実 践 例 で あ る 。 こ れ ら の 学 習 効 果 を 厳 密
に 測 る こ と は 難 し い が 、
CALL シ ス テ ム の 機 能
の 一 つ で あ る 音 の 強 度 を 表 す 波 形 を 用 い て 、
同 一 学 習 者 の 1
回 目 と 2
回 目 の 録 音 を 比 較 し 、
24
学習者 A では全体に 1 回目よりも 2 回目の方が強弱のメリハリがついている。また,中央部
の波形の塊の部分は,time in New York の部分であるが,1 回目では time in New York のように
日本人学習者にありがちな最初が強く後になるに従いだんだんと弱くなる発音が観察されるが,
2 回目では音の連結ができているだけではなく,後半の York が強くなっており,リズムとイン
126
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
トネーションがより自然な英語に近づいている。残念ながら,2 回目では,前半の Looks like
they’re having a great の having a の部分が抜けてしまっており,1 回目の方が文字通りに正確に
発音されている。しかし,これもリズムの観点から言えば,文字を一字一句丁寧に発音するので
はなく,リズムに乗り遅れないように重要な言葉を確実につないでいこうとするプロセスである
と解釈することができる。以下の例でも同様に強弱のメリハリと文末のイントネーションが自然
に身に付いていることが窺える。
学習者 B.
大半の学生がこのように 1 回目よりも 2 回目のほうが強弱のリズムがはっきりし,間の取り方
もうまくなっている。強い音節ははっきり長めに,弱い音節はあいまいに速く発音することを優
先し,日本人が陥りやすいひとつひとつ丁寧に発音する癖が取れてきていると観察された。いず
れにしても,リズムを意識することが多くの学生に共有されたと考えられる。なお,ネイティブ
スピーカーの同じ部分の発音およびリズムは以下のようになっている8)。
ICT を活用した英語のリズム習得の実践的トレーニング
127
ネイティブスピーカーの発音 :
ネイティブスピーカーの場合,like,they’re having a,great,そして time in New York の部分
がそれぞれ塊となり,強音節が等間隔に現れている。このようなリズムパターンは学習者が意識
的にわかっていても,自然にリズムに乗って発音できるようになるまでには繰り返し練習するこ
とが必要となるであろう。
最後に,学生からのコメントとして,以下のようなリズムや発音の指導に関する肯定的な意見
が多数を占めたことを紹介したい。
・発音の練習を身体を使ってすると覚えやすくよかった。
・単語や文章などのアクセントを重点的に学べて良かった。
・手を使い,リズムに合わせて文を読むのはとても良かったので続けたい。
・リズムの練習は高校ではあまりやらなかったが,リズムの重要性がわかって良かった。
・聞くこととリズムは大切だと分かった。速く話せるようになってきてうれしい。 ・PC で発音練習やシャドーイングを練習でき,リズムや発音が身に付いて良かった,等。
アンケートの結果からは,発音やリズムの習得は大学生が関心を持って身につけたいと願ってい
る能力の一つでありながら,なかなか授業では十分な教育が得られていないのではないかと推察
された。
5. お わ り に
本稿では,英語のリズムの習得の意義と重要性を述べ,ICT を活用して如何に日本人の学習者
にとって苦手なリズムの習得,ひいては,それによってリスニング力の向上につなげていくかの
実践例をあげた。今後,ネイティブスピーカーと学習者の英語の波形の違いや学習による成果が
如何に波形の類似性につながっていくかなど,十分な検証を行う必要があると思われる。また,
今回,大学生の多くが発音やリズムの指導を強く望んでいることがアンケートの結果からもうか
がわれた。
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
128
注
1) 英文は 2013 年度に筆者の授業で採用したテキスト(Joan Saslow and Allen Ascher『Top Notch
1A』,Pearson Longman, 27 頁)から引用している。
2) 例(4)にあるような英語の主語の省略はくだけた会話において時に見られ,Want to see it?,
Sounds good. などがある。しかし,本稿では英語の主語や目的語の省略は原則としては行わな
いものと考える。
3) ただし,実際の言語活動においては,話題の提示の前に,相手の注意を引く呼びかけ表現や何
らかの前ぶれ表現のようなものがあり(南 1999),通常は話題の聞き逃しを避けているものと思
われる。
4) 強音節の表示の仕方は色々あるが,今回の授業では視覚的に分かるように文字を大きくする方
法を取っている。CALL システムの教材では文字を大きくすることが難しかったため,●や・
を使った教材を用いた。
5) このような身体を使ったリズムの取り方を教室で実演することは学生には少々抵抗がある。た
だ,この動きを楽しんで実行する学習者のリズム習得はめざましいものがある。
6) 学生はこれまで音声やリズムの評価をまともにされたことがないことが多く,評価の善し悪し
はさておき強い関心を持ち,リズムの習得に意欲を高める傾向がある。
7) このような発話の終了にピッチが低下する現象を発話末の下降(final lowering)と言う(田窪他
1998 : 47)
。
8) CALL システムが提供している音の強度を表す波形やピッチ表示は,リズムやイントネーショ
ンについてある程度の情報を与えてくれるが,学生自身が練習している際に視覚的に違いを認
識して発音やリズムの矯正に利用するには至っていない。今後,リズムやイントネーションを
学生自身が改善することのできる「見て即座に判断できる」形の表示が標準装備で含まれるこ
とが望まれる。
参 考 文 献
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小菅和也(2009) 「英語発音指導体系化の試み〔1〕─ リズム・音連結を中心として」,武蔵野英米
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Post class feedback and discussion sessions : Student perceptions of language classroom activities
-
129
Post-class feedback and discussion sessions :
Student perceptions of language classroom activities
Kenneth Schmidt
Abstract : Over a two month period, the author hosted a weekly, post class discussion group
-
with six English majors in his fourth year English discussion course at Tohoku Gakuin University, Sendai, Japan. Focusing on language learning activities from the immediately preceding
class and related topics on language learning and teaching, the engaging conversations yielded
practical insight for teacher and students, alike. Discussion summaries and comments for six
of the topics covered are included here : a) pair vs. group work, b) monitoring during pair or
group work, c) wrap up discussion following pair or group work, d) discussion activities :
-
question types and background knowledge, e) vocabulary activity design, f) activity likes and
dislikes, g) staying in English during communication activities and classroom language policy, h)
questions, responses and social context in the classroom.
Student perceptions and insights informed the author’s understanding of leaner experience in
the classroom and contributed to changes in his design of learning activities and approach to
student orientation. Likewise, student participants reported gaining a better understanding of
instructor goals and purposes and the factors involved in designing and running a task based,
-
discussion oriented course. They also appreciated hearing the varying views of other stu-
dents and felt the experience would make them better classroom learners and inform their approach to future teaching. The author believes this type of regular, post class discussion session could be profitable for
-
many teachers and students, particularly students considering careers in language instruction.
Keywords : post class feedback and discussion, student perspectives on communictive language
-
teaching, discussion activities in the language classroom
Introduction
In the spring of 1999, I was particularly impressed with the students in my fourth year, elective English communication course for English majors at Tohoku Gakuin University, Sendai, Japan. I had
known many of them for two to four years, and their high level of interest—in the topics we discussed,
in the language involved, and in each other—made the group a real pleasure to work with. Many
were taking courses in English education, second language acquisition, and learning styles and strategies, and several had mentioned how they enjoyed analyzing our class in light of what they were learning elsewhere.
This intrigued me, as I often wondered about students’ perceptions of classroom language learning
experiences : What purposes and learning opportunities did they see? What victories and frustra-
130
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
tions did they experiences? How did their perceptions of classroom activities compare to my intentions in designing them and my impressions of their success? Peacock (1998) points out that student
and teacher perceptions of the purpose and value of activities can vary widely. Seeing an opportunity for mutually beneficial discussion with a motivated group of students who
were comfortable with me and interested in language learning and teaching, I asked if any students
would like to meet for 30-40 minutes after class each week and talk about what had happened in class
and about related topics on language learning and teaching. Six students—Naoki, Takako, Eriko,
Chiaki, Satomi, and Ritsuko—met weekly with me over a two month period. Wide-ranging discussion resulted, with topics nominated by both the students and myself. I kept a detailed diary of our
sessions, and here summarize and comment on some of the ideas and issues that arose—particularly
focusing on perceptions of learning activities in the university EFL classroom. Post-class questionnaires and student journals or diaries have frequently been used to assess student response to language learning activities (Davies, 2006 ; Garrett & Shortall, 2002 ; Matsumoto,
1996 ; Spratt, 1999 ; Spratt, 2001). Some studies have included one-to-one teacher-student interviews (Aubrey, 2010 ; Peacock, 1998 ; Rao, 2002) or focus group interviews/discussions (Dushku,
2000 ; Ho, 2006 ; Melles, 2004), but ongoing, post-class teacher-student discussion groups, in which
both teacher and students gain insight into the others’ views of learning activities are rarely mentioned. I hope the insights gleaned from this experience encourage others to consider this type of exploration with their students, particularly those likely to become teachers themselves. From the range of topics we covered, I have chosen six to specifically address here :
・Pair vs. group work
・Monitoring during pair or group work
・Wrap-up discussion following pair or group work
・Discussion activities : question types and background knowledge
・Vocabulary activity design
・Activity likes and dislikes
・Staying in English during communication activities and classroom language policy
・Questions, responses and social context in the classroom
For each topic, I summarize the related discussion and offer comments (in italics) on the exchange
and how it has influenced my thinking and/or teaching going forward. Pair vs. group work
In planning many communication activities, instructors make a choice between students working in
Post class feedback and discussion sessions : Student perceptions of language classroom activities
-
131
pairs or groups. Our discussion group examined this choice together—focusing on relative strengths
and weaknesses, and how the two arrangements could complement each other.
In our class, students sat anywhere they wished, and typically did the first pair or group activity of
the day with the neighbors they chose to sit by. Through the course of a lesson, pairs or groups
would change several times, often alternating between new partners and original neighbors. My hope
was that working frequently with neighbors would create a low stress situation and ease interaction
(Klippel, 1984), but that students would also have the benefits of working with a variety of partners
(Long, 1990 ; Yoneoka, 1999).
I asked students how they felt about this situation. Takako understood the need to work with different partners, but mentioned that working with her good friend, Eriko, created an “island of safety,”
allowing her to risk a bit more, both personally and linguistically (they could laugh about mistakes together). This applied during pair work and even when sharing their ideas later in whole class discussion. On the other hand, Naoki (a powerfully social individual), didn’t like spending too much time with
one partner. He wanted to switch partners more, and preferred not to work with the same person every class period. This would allow him to get to know other class members better and yield a greater
variety of chances for discussion, listening, and language use. Naoki also strongly preferred pair work over group work, pointing out that turn-taking was almost a
necessity in pair work, while in group work, one or two people often did little, if any, talking. Pair
work, overall, thus resulted in more extensive speaking practice. It also helped him to more quickly
build a deeper level of connection, and this connection endured to facilitate effective collaboration in
future pair or group sessions, as well. Chiaki agreed. I replied that we did change partners fairly often, but Naoki strongly felt that you should do no more than one activity with the same person during a
class.
Comment : While I understood Takako’s feelings and continued to provide opportunity to work with
chosen neighbors, Naoki’s comments encouraged me to provide students with an even wider variety of partners, which I hoped would yield benefits in greater rapport as partners worked together multiple times over
the course of the school year (Doyon, 2000). I found this to be the case, and students in my current communication classes typically work with their original neighbors only once or twice over the course of a lesson. On exit questionnaires, many students comment on the numerous positive relationships developed
through this.
Takako then brought up the problems she faced when she and her partner were not well matched. 132
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
If their interests or approach to discussion were too dissimilar, or they just didn’t “hit it off,” discussion
was often limited. They could complete the basic task in a halting, bare-boned way, but couldn’t build
on that to make a real conversation. She added that while she realized the benefits of working with
various partners, that did not make it any easier when a mismatch occurred. Comments : Each year I told students that in most walks of life they would interact and make conversation with strangers on a regular basis. I acknowledged that pair or group work with unfamiliar partners could be daunting (even in Japanese), but stressed that this was a valuable opportunity to develop their
interpersonal skills, as well as language skills. This typically met with a mixed response, but here was
Takako, an outgoing young woman committed to building her abilities, who after four years, still struggled
with these situations. This gave me new appreciation for the difficulties that pair work could pose. I usually assigned new partners or groups randomly using various numbering schemes. As Takako
mentioned, this at times resulted in poor matches. However, on occasions when I told everyone to form
new pairs on their own, several embarrassed students were typically unable to find a partner. My Japanese students generally disliked the time-consuming, socially risky negotiation involved in finding new
partners, and on one course evaluation, a student wrote : “Please don’t do that to me!!” I found that overall, after an initial activity with immediate neighbors, random pairing with fairly frequent changes (2-4
times per 90 minute class, depending on activity type) seemed to work best for my students. Returning to the pair vs. group work issue, Ritsuko, in contrast to Naoki, was more positive about
group activities, especially valuing the greater variety of ideas generated. She thought she would especially like to follow up a group activity with a pair activity structured to allow more in-depth discussion of ideas generated in groups. Without the initial group time, she could not have such a rich following discussion.
Comments : Following group work, I occasionally paired students with a new partner and asked them
to briefly report on their groups’ results or administer a quiz or questionnaire they had developed with their
group. However, I had rarely designed activities in which students took results from a group task (e.g.,
brainstorming) and moved on to discuss the ideas or issues further in pairs. Results from a questionnaire administered the previous year, about preferences for groups vs. pairs,
echoed the thoughts of our group. Many students reported being able to speak more deeply —exploring the
topic further and more intimately in pairs. If comfortable with their partner, they could risk more and reveal more of themselves and their feelings. However, others said they liked the variety of ideas they could
get with a group and that there was less chance of having nothing to say, as there could be with an incom-
Post class feedback and discussion sessions : Student perceptions of language classroom activities
-
133
patible partner.
Monitoring during pair or group work
During pair or group work, rather than getting a partner and doing the activity like everyone else, I
typically circulated around the room, monitoring progress. I wondered how students perceived this
and asked for their impressions. Rather than venture guesses, they immediately asked me to spell
out my reasons (listed here) :
・Class management : How is everyone doing?
Who is already done?
Who needs more time?
Etc.
・Serving as a resource : Answering questions, providing helpful vocabulary, helping to negotiate
meaning, supplying helpful ideas, etc.
・Noticing common language difficulties : Occasionally offering immediate repair ; more often noting
for later attention with the whole class.
・Gleaning good ideas and strategies to share later, with the whole class.
・Monitoring activity strengths and weaknesses for future modification and application.
・Monitoring student participation for evaluation (very minor).
Although initially not able or willing to guess at these purposes, students accepted them as reasonable and consistent with their experience.
I then asked why underclassmen (1st and 2nd year students), in particular, sometimes stopped talking
or got quiet when I came near. 1. Ritsuko recalled that she knew I was there to help, but that she was embarrassed by her inability
to communicate well.
2. Chiaki mentioned that accuracy had always been stressed in her junior and senior high school
English classes. Close enough did not count ; it needed to be perfect. This made it very
difficult, initially, for her to speak in her “broken English” when she knew the teacher was
listening. 3. Satomi admitted that she still had not become accustomed to this, and felt uncomfortable as she
saw me approaching.
Comment : I was interested to learn that— for these students, at least—student inhibition had more to
do with insecurity about language ability than a sense of invaded privacy. While I was sure that issues of
privacy and personal space also played a role, I was encouraged to think that some initial orientation about
my monitoring and its purposes might help to alleviate consternation and help students use me more effec-
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
134
tively as a resource during activities.
Wrap up discussion following pair or group work
-
In small, adult, evening English discussion classes I had previously had good success with wholeclass discussion following pair or group work. Pairs and groups sharing their ideas and results and responding to those of others also brought a helpful sense of significance and closure to the preceding activity (Duquette, 1995). However, this success had not carried over to large classes (30-40) of college
students, who participated actively in pair and small group work, but rarely appeared eager to share
their results with the whole class. Trying to provide some exchange of ideas without embarrassing
anyone (Doyon, 2000), I typically monitored groups as they worked, then shared interesting ideas and
language that come up with the whole class, or called on individuals that I knew were confident and
ready with ideas (see Takako’s comment, above). I often invited free comments and responses, but
honestly didn’t expect many. This seemed to go well enough, but I still suspected that I was unnecessarily dominating this feedback/wrap-up time, and wondered if—however slow and painful (to me)—
students would prefer to participate in a freer time of whole class discussion. I brought this up with our discussion group, and asked if hearing the ideas of other groups was important to them. They replied strongly in the affirmative, but did not feel that students should necessarily drive such discussion. They were generally comfortable with my approach of sharing interesting ideas I had gleaned from students. I asked for other options. Takako, with support of the others (and echoing Ritsuko’s idea, above),
suggested forming new groups so individuals could share results from the previous group discussion. Naoki chimed in that he preferred more chances for personal interaction over extended whole
class discussion or feedback. A fairly short wrap-up period and on to more pair or group work was
preferable to him, and the others agreed. Comments : Students were interested in hearing the ideas of other classmates and desired the sense of
closure and validation this brought to classroom activities, but they wanted it to be done efficiently, with
minimum personal risk, in a way that would prioritize the more valued, safer time spent in small group interaction. This is consistent with Duquette’s (1995) emphasis on brief closure activities and, I feel, confirmed my general approach. But I was challenged to do more to facilitate sharing results and ideas from
group work without putting people unwillingly on center stage—for example :
・developing a greater repertoire of ways for students to share their results with new groups or partners
・creating report forms with supports allowing groups to confidently and efficiently report their results to
Post class feedback and discussion sessions : Student perceptions of language classroom activities
-
135
the whole class
・appointing group secretaries to note and summarize group findings̶ to be displayed on a video monitor
and read by me.
Discussion activities : question types and background knowledge
Near the beginning of a unit on family structure and relationships, students listened to tapes of individuals from Uganda, New Zealand, the USA, India and Israel talking about family life. I then handed
out related questions to groups of three for discussion which would prepare us for later comparative
analysis of family life in different cultures. Questions :
Introduction : What’s your general image of Japanese families today? How do you think they’ve
changed over the years? Discuss the following questions with your group. Choose a secretary to take
notes and summarize your group’s answers. You’re free to skip questions and come back to them later.
1. In Japan, who typically has the role of head or boss of the family—the mother or the father?
What does “head or boss of the family” mean to you? What power or responsibilities are
involved? Who’s the boss in your family? Why do you say so? What other roles, responsi­
bili­ties or powers do other members of a family have?
2. Is descent in Japan patrilineal (i.e. all children take their father’s surname) or matrilineal (all
take the mother’s name), or bilineal (take either or both names)? Who is responsible for
parents as they get older and need help? When both parents die, who inherits their home,
money, etc.? Is it split evenly between children? How is it decided?
3. How do you think Japanese family life has changed over the last 50 years?
4. What do you think are the biggest difficulties or problems with family life in Japan today?
5. What’s the best thing about Japanese family life today?
6. What do you think are the biggest differences between family life in the USA and Japan?
I expected groups to take considerable time working through these questions. After about 25 minutes, while no group had finished, discussion seemed to have bogged down, so I brought it to a close
and went on to the next step. Following class, I asked our group if I had let the discussion run too long. Of the five present, two
said “No,” while three said “Yes,” adding that the content had not been exhausted, but their groups’
ability to discuss it in an engaged, constructive way had. Three reasons were offered :
・The task was too involved, and they simply had trouble sustaining discussion that long.
136
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
・Question 4 was about “problems,” which is explicitly negative and thus more risky to discuss than
“changes” (Question 3).
Students were troubled by the thought, “What if a problem I mention is
particularly true for one of my group members?”
・The students all said they didn’t know enough to comment intelligently on differences between family life in Japan and the USA (Question 6).
In reply to the last point, I countered that I was not so interested in accurate knowledge as I was in
their impressions or pre-conceptions/stereotypes. Chiaki perceptively replied that that might be very well for an elementary school child, but they
were now adults, expected to have some knowledge of the world. To offer impressions that might
turn out to be largely mistaken risked displaying ignorance—especially embarrassing with a native of
the USA (me) present. The risk here was too great, so everyone clammed up. Comments : This struck me on two levels :
1. Activities that don’t recognize students’ sense of self respect and fear of appearing ignorant (or even
worse—ignorant and opinionated) are doomed. Tasks and questions, such as Question 6,
should be framed to lessen or remove the risk. 2. A question, like #6, that seems interesting to me as part of a cross-cultural exchange, may have little
apparent relevance to a mono-cultural group living in their own country. At the minimum, such
questions should be framed in a way that makes the cross-cultural aspect more accessible. On both counts, a more productive question might have been this : “Imagine you are one of the speakers
we heard earlier. If you came to Japan on a homestay, what do you think might surprise you about family
life in Japan?” In regard to background knowledge, this makes students accountable only for what they
heard earlier (and any inferences based on that), and in regard to cultural context, it puts them explicitly in
the role of a foreigner seeing Japanese culture through new eyes.
Moving on to a general critique of the family unit, everyone felt a need for more background information, particularly on kibbutzim, polygamy, and other aspects of family life in some of the cultures we
looked at. They felt they lacked a good enough picture of the situations involved to form opinions or
make adequate comparisons. This hindered their ability to engage in productive discussion (Brilhart
& Galanes, 1989). I asked if they were interested enough in the topic to make the extra time and effort worth it, and they definitely were. The unit had helped them think a great deal about their own
family situations and goals, but the unit and discussion could have been much richer and more involving. The thing they most wanted was visual input—photos and video to better visualize the situations
we were considering. Concluding, everyone felt that adequate knowledge of the topic was more im-
Post class feedback and discussion sessions : Student perceptions of language classroom activities
-
137
portant than linguistic fluency in pursuing discussion. Comments : These thoughts were entirely consistent with Chiaki’s earlier point about the need for
enough information to form and express opinions in a productive, adult way. For this reason, some English materials focus on personal experience as the basis for most interaction (Omaggio-Hadley, 1993). However, learners also crave topics that take them beyond themselves to learn about the world around them,
and, having provided a new perspective, allow students to examine their own experiences and views in a
new light (Prodromou, 1992). This challenged me to do more to help my students prepare for discussion,
not only linguistically, but by providing improved content (including audio-visual materials) for background building and/or facilitating independent access to such content (e.g., Web pages, downloadable audio-visual materials, language lab materials). Vocabulary activity design
Over the course of our “family” unit, I gave the students three different vocabulary activities :
1.Read, search and define—Student pairs read a text related to our topic, then searched the text
for words from a list and tried to define their meanings in each particular context. I then went
through the list, eliciting and explaining meanings as needed. 2.Pre-reading definition match—Before reading an important text, student pairs previewed the
vocabulary in quiz-like fashion—taking turns reading definitions, while the other searched a list
for the matching words. 3.Pre-reading listen and match—In preparation for another reading, I gave the students a word list,
then explained the terms in random order while the class listened and told me which word they
thought I was talking about.
I asked our group whether they preferred vocabulary activities before or after they read the associated text. Chiaki preferred doing the activity before reading, as long as she had some familiarity with
many of the words. The activity thus wasn’t too difficult and helped prime her to understand the
text. With unfamiliar words, however, she was afraid that the pre-reading activity would prove too
difficult to be worth doing. She might have a better chance with the task after reading the text by
combining information from both definition and text. Comments : This opened my eyes to a range of post-reading vocabulary activities in which students
use the text in combination with additional information (e.g., definitions or examples in other contexts) to
discover word meanings and build deeper word knowledge. 138
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
Of the three, Satomi preferred the first, “Read, search and define,” activity because it gave her a
greater sense of the word’s actual usage. My subsequent explanations of meaning in the context also
provided valuable listening input.
However, Ritsuko warned that finding meanings in context can be frustrating when there is not
enough support in the text (Dubin & Olshtain, 1993). She liked the second, “Pre-reading definition
match” activity for the game-like challenge aspect. It was motivating and fun. Conversely, she felt
that in the third, “Pre-reading listen and match” activity, it was easy for her mind to wander and miss
things.
Comments : The third, “Pre-reading listen and match” activity included listening practice, but did not
require active involvement of all students and, for Ritsuko, wasn’t as engaging as the others. This is not a
reason to drop this activity style, but I resolved to be careful about keeping down the number of items and
not going too long with it.
There was no consensus on the “best” activity, but understanding student perceptions encouraged me
to…
・think carefully about vocabulary level and task difficulty in activity design and sequencing.
・design tasks to help students integrate existing word knowledge with information from target text/audio,
and with further supplemental information (definitions, examples).
・focus on learner engagement, even with activities that are “simply” preparation for the “main” task.
Activity likes and dislikes
Vocabulary activities came up again during a discussion of classroom activity likes and dislikes. Chiaki and Takako mentioned a course in which they often listened to words in isolation and
picked matching words from a list. Chiaki felt unable to connect this to any meaningful use of language, and thus had great difficulty remembering anything done during that time. Takako and Naoki agreed, with Naoki adding that his main concern was whether the activity was fun
and interesting. If it was, he thought the experience was rich, and he could build lots of connections
between the words/language he was using and hearing, the content they were discussing and the experience they were sharing. Comment : I replied that that was a focus of many things we did in our class—building opportunities
for exposure to language enriched through engaging listening, reading, and interaction or discussion. As
Post class feedback and discussion sessions : Student perceptions of language classroom activities
-
139
Naoki had expressed, I hoped this helped develop lots of connections to aid memory and facilitate use (Stevick, 1996). The students strongly agreed and felt this was consistent with their experience in our class.
Staying in English during communication activities
I noticed that first year students typically had more difficulty staying in English through the course
of communication activities than the students in this fourth year class, even when activities were
clearly level-appropriate. I asked our group to think back and offer some ideas on why this was the
case. In the course of our conversation, Takako and Eriko offered seven ideas :
1. Most first year students had had few opportunities to speak in English. They knew many
English words and constructions, but could not use them in real-time speaking.
2. It was easier to communicate in Japanese (path of least resistance), and freshmen had not yet
developed discipline that could develop later.
3. If a comment or exclamation came out in Japanese, conversation tended to continue in
Japanese. It could be difficult to switch back because you had changed into a Japanese thinking
stream. Even if you wanted to go back to English, this could be difficult because discussion in
Japanese moved quickly on while you were processing the English you wanted to use. 4. I asked if there were any social barriers to English use. For example, if a group switched into
Japanese, was it socially difficult to switch back into English? “What a serious student! What
a brown-noser!” They both said this wasn’t a serious factor for them, though it might have
been for some groups of freshmen. In fact, they mentioned one student, who though somewhat
lacking in social skills, was generally and sincerely respected for his resolve to use only English. 5. Another factor was motivational. English conversation was required for freshmen at this
school. Although all students were English majors, not all saw improved ability to communi­
cate in English as central to their goals. 6. For many students, this was the first time they had had a foreign teacher, and were being asked
to deal with situations and behave in ways that were new to them. This could create stress,
and make it difficult for them to function.
7. Many students did not know how to use procedural/facilitative language like, “Who’s next?” “It’s
your turn,” “I’ll start,” and “What do you think?” This made it difficult to continue an activity
completely in English, and presented an opportunity for Japanese to enter and then dominate an
activity. Students needed to be made aware of these devices, but it also required considerable
motivation to pick them up and use them.
140
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
Comments : Takako and Eriko’s points added to my understanding of the factors involved in L1 vs.
L2 use. In particular, the last point reminded me that I also often slipped into Japanese for some procedural/facilitative language, e.g., “This homework is due next week” or “Please exchange papers.” There are
times when the teacher may employ the L1 constructively (Nation, 1997 ; Schweers, 1999). In my case,
students readily understood the information or instructions in Japanese, and it helped us get going quickly. But given the number of times the same phrases were repeated over a term, I was encouraged to discipline
myself to keep these, as far as practical, in English and to provide students, on an ongoing basis, with helpful procedural language for their own use. Looking back, I am sorry that I did not ask our group if or how the use of L1 could facilitate learning
and interaction (Auerbach, 1993 ; Cook, 1999). As my question framed L1 use as a “problem” (which
overuse can be), students responded in that vein.
I did, however, ask the group’s opinion of language policies for the classroom. I explained that I had
been hesitant to enforce English-only rules because I believed that there were valid uses for L1 in the
classroom (Schmidt, 1996) and that students could make reasonable decisions if they were aware of the
issues and were committed to improving their ability to communicate. They said that the motivational aspect was key. I proposed several different policies, both teacher- and class-dictated, but they had
no strong reaction—positive or negative—except that if an absolute “no L1” policy were enforced,
they might be so intimidated that it could inhibit both Japanese and English communication.
Comments : The students strongly believed in the importance of using English as much as possible,
but acknowledged occasional use of Japanese. Interestingly, they did not seem to have done much deliberate thinking about when use of L1 might be helpful or how they would feel about limits on its use. I resolved to put a bit more time into awareness-raising on this issue in hopes of students making more informed, prudent choices. Questions, responses and social context in the classroom
On questionnaires and in our discussion group, university students frequently mentioned that it was
typically easier to discuss personal subjects in pairs or trios, and especially difficult in whole-class situations. This reminded me of my first adult English conversation class in Japan—a small, intermediate level
group. One day our eight members were talking about entertainment options. I asked a very congenial, middle aged business man, “What’s your favorite bar or drinking place in Sendai?” No an-
Post class feedback and discussion sessions : Student perceptions of language classroom activities
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141
swer. I repeated myself… Smile, but no answer. “Do you ever go for a drink after work?…” Smile, no answer. Finally, another classmate whispered, “I don’t think he wants to say.” “Oh, sorry! No problem…” It had not occurred to me that this would be private information, or, if it was, that he
would not reply obliquely with something like, “Well, it’s not my favorite, but many people like such
and such a place.”
Comment : Clueless teacher begins cultural education.
Thinking of this and other teacher-student exchanges in the classroom, I asked our group if they had
ever felt forced to answer questions that were too personal in a large-group setting. They all said,
“No.” They agreed that many questions would be too personal, but didn’t expect to be asked these
and had not been asked in their classes.
As we discussed this, Chiaki’s thoughts turned to more innocuous classroom questions : “What
kinds of music do you listen to? Who’s your favorite actor or singer? What movies do you recommend?” She sometimes wondered why a teacher so much older than her would care about what movies or music she liked—”Would they really think of taking my recommendations?”
Comments : I thought Chiaki’s experience and the situation with my unresponsive business man were
both rooted in mismatched perceptions of the purpose of communication in particular contexts. Sakamoto
brings this out in her book, Polite Fictions (Sakamoto & Naotsuka, 1982). Her husband, a Japanese, was
sometimes offended by the rapid fire questions from visiting foreigners : “How tall is that building? Where are these made? Why is it done that way? …” “How should I know all those things?” But he
wasn’t required to know. They were merely making conversation. The information was not central ;
talking—making relationship, finding areas of shared interest, etc.—was the goal. In my English communication classes, I often saw interaction with students in this, relationship building, way. Some students, like Chiaki, may occasionally have been a bit perplexed by such questions from a middle-aged man,
but could get used to it over time. Other students, however, seemed to display an even greater mismatch. From their perspective, they were in a classroom being asked a direct question by a teacher. They might as
well have been at court, giving testimony before a judge. I now try to raise awareness of this issue with my
students, assuring them that in social conversation, it is completely OK to take replies in any direction one
feels comfortable—giving a frank answer, sidestepping, generalizing, recalling a humorous episode, turning
the question back on the questioner, etc.
Chiaki then recalled another teacher’s question : “What are you doing to improve your ability?” 142
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
She interpreted this as, “You’re not making very good progress. Are you really doing anything?” Eriko replied that this question, even if understood in a positive way—“You’re doing great. What’s
brought you such success?”—would also cause consternation in calling unwelcome attention to the
student. Comments : This further reinforced the point that there may be much more to a student’s response, or
lack of response, to a question or comment than linguistic competence and attitude. Understanding of the
context, of appropriate roles and responses in that context, and of surface and underlying meaning also
come into play (Hwang, 2008). This topic could, itself, form a fascinating unit for a discussion-oriented
class like this one. Discussion
Our post-class discussion group provided me with a valuable opportunity to elicit student perceptions of classroom learning activities and issues surrounding these. Their responses and insights…
・informed my understanding of student classroom experiences.
・provided food for further reflection on important issues.
・resulted in real changes in my teaching, particularly in regard to design, organization and sequencing
of pair or group activities, and to orientation̶helping students to better understand the philosophy
behind the class and the goals and purposes of the learning activities we undertook.
Our student members assured me that they had gained a better understanding of my goals and purposes, and the considerations that go into designing and running a task-based, communication- and
discussion-oriented course. Other benefits were the opportunities to formulate and express their
own preferences and beliefs, and to hear the views of other students, which might differ substantially
from their own. They felt this experience would help them to make better use of classroom activities
as learners and inform their thinking if/when they became language teachers, themselves.
Key elements of our group were its small size, its voluntary, ongoing nature and its immediate postclass timing :
・Being a small group, students felt relatively at ease and had ample opportunity to exchange ideas at
some depth.
・As volunteers, students had an investment in making our times together worthwhile, and each committed to participate in at least six of our eight sessions.
・Meeting weekly over two months allowed us to ...
・develop a greater level of comfort with each other
Post class feedback and discussion sessions : Student perceptions of language classroom activities
-
143
・visit topics multiple times as classroom experience shed new light or posed new problems
・give our thoughts time to gestate and find an appropriate time to share them.
・Meeting immediately after class ensured that, for the most part, we were discussing shared experiences, and that the situations and emotions involved were still clearly in mind.
While the small size and self-selected nature of the group, and the freely ranging nature of our discussion ruled out statistical generalization of any findings, these characteristics facilitated our central
goal of exchanging ideas for everyone’s benefit. However, it is possible that groups of this type could
be used in combination with quantitative instruments to yield constructive results (Ho, 2006 ; Johnson
& Christensen, 2004).
Conclusion
A weekly, post-class discussion group focused on classroom language learning activities and related
issues yielded engaging discussion and practical insight for teacher and students, alike. I would recommend this type of experience to other language instructors and their students, especially students
considering careers in language instruction. References
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新人教師は自らの授業をどのように体験しているか?(その 1)
145
新人教師は自らの授業をどのように体験しているか ?
(その 1)
─
教師教育のための仮説づくり ─
上 條 晴 夫
要旨 : 国を上げて「教員の質向上」が叫ばれているが,リフレクション(省察)の指導は
まだ十分ではない。そこで本研究では「新人教師は自らの授業をどのように体験している
か ?」をリサーチクエスチョンとするライフヒストリー・アプローチを取り入れることで
教師教育におけるリフレクション(省察)指導の重要な着想を得た。それは指導者側が自
らの授業観と方法論を一旦括弧に入れて,新人教師の「こだわり」と彼/彼女の自前の「学
びのしかけ」から見えてくる授業風景に焦点を当てて話を聴くこととその重要性である。
このアプローチによって新人教師は自前の「学びのしかけ」の不安定さに不安を感じつつ,
自らの「こだわり」に沿って授業を観察し記憶していることがわかった。新人教師の「こ
だわり」と「学びのしかけ」に寄り添って聴くことで彼/彼女のリフレクション(省察)
はフローを発生させた。
キーワード : 教師教育,ライフヒストリー・アプローチ,リフレクション(省察)
1. 序 論
本論文では「新人教師は自らの授業をどのように体験しているか」について研究する。
新人教師とは採用 1 年目∼3 年目までの教師と定義する。大学での教員養成教育の後,現場で
仕事を始めて 1 年∼3 年の若い教師たちが自らの「授業を中心とした教育活動」にどのような困
り感や充実感などを持ちつつ仕事を進めるのかについて内側から理解をしようとするものであ
る。
この研究の背景には学校教育における教員の質が大きな問題になってきていることがある。
たとえば,平成 18 年に中央教育審議会答申「今後の教員養成・免許制度の在り方について」
が出ている。それを受けて国立教育政策研究所は平成 19 年度から平成 22 年度にかけて「教師の
質の向上に関する調査研究」という大がかりな調査研究を行って,その報告書が平成 23 年 3 月
に提出されている。また平成 24 年 8 月には中央教育審議会答申「教職生活の全体を通じた教員
の資質能力の向上方策について」が出ている。この平成 24 年答申の報告書の「現状と課題」に
おいては以下およそ 5 つのことが大きく指摘されている。
146
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
① グローバル化ほかの大きな社会変化の中で人材育成像にも変化が起きている。
② 変化の時代を生き抜くには基礎と同時に思考力・判断力・表現力なども必要になる。
③ このために新しい学びを支える教員養成と学び続ける教員像確立が求められている。
④ その一方でいじめ・不登校,ICT の活用など,諸課題への対応も必要になっている。
⑤ 上記を踏まえ,教育委員会と大学が連携した教師教育改革が求められている。
大学に限定すると,カリキュラム改革とその中身となる授業改革の 2 つが要求されている。
1 つ目のカリキュラム改革については全国の大学で「体験型の科目」の充実という形で少しず
つ変化が起きている。こうしたカリキュラム改革については先の国立教育政策研究所が行ってい
るように海外の事例研究や国内他大学の先進事例を参考にする形で変化が起こっている。しかし
2 つ目のその中身となる授業改革は必ずしも前進しているとは言えない。確かに FD のような試
みはある。しかし小学校∼高校にあるような教師が自らの授業を記録し,考察をするという「当
事者研究」の文化が大学にはなかった。研究を尊ぶ原則が,教育には逆に作用しているのかもし
れない。
こうした中,教師教育に向けた(カリキュラム再考も含めた)大学授業改革の最初の一歩とし
て新人教師の授業体験に着目した。大学卒業後の「新人教師の授業体験」を研究することによっ
て,大学の教師教育の授業を変えて行くためのきっかけになるはずだと考えたからである。
現在,教員の質的向上が言われている中で,教師教育改革はカリキュラムだけを変えれば済む
というわけにはいかない。そのためにはこれまで行われてきた「この教育内容とその順序であれ
ばよい教育が行われるはずである」というカリキュラムレベルだけではなく,「その教育内容を
どのような教材・教授行為によって達成するのか」という授業レベルへと前進させる必要がある。
そのための手掛かりとして「新人教師の授業体験」に研究の目を向けることにした。
2. 研 究 目 的
新人教師は自らの授業をどのように体験しているかを調査する。新人教師の授業体験を踏まえ
て,大学での養成や新人教師の研修を再考するためである。従来の「大学で理論を教え,現場に
出たらその理論をもとに実践を積み重ねて成長すべし」や「大学では現場で使われていた基本的
スキルを身につけ,その基本的スキルをもとに実践を積み重ねて成長すべし」を再考するためで
ある。
3. 先 行 研 究
(注 1)
教師が「自らの成長をどう創り出すか」の研究で以下 3 つの特質が挙げられている。
新人教師は自らの授業をどのように体験しているか?(その 1)
147
第 1 に「教師の実践的知識は信念と深く関連する」という特質である。教師が実践で用いてい
る知識は暗黙的で個人的で,職人的であることは以前から指摘をされていた。それが近年の研究
では,
語りやメタファーを分析する方法によって実践的知識の中身も明らかにされてきた。結果,
教師の実践的知識は「個人の(来歴による)信念と深く関連する」ことがわかってきた。
第 2 に「教師は授業を自らの先入観によって作る」という特質がある。「観察による徒弟制」
と呼ばれるものである。すべての教師が教職生活の開始以前に長い被教育経験を持つ。授業につ
いて,それぞれがよく知っている。この観察による徒弟制のために,教師としての学習に先立っ
て強固な授業イメージ(先入観)が形成される。このことが教員養成課程の大きな課題となる。
この「授業かくあるべし」の先入観は大学で教員が教育プログラムで教えようとする「理論」
と相容れないことがしばしば発生する。そしてその先入観を変えようとする伝統的な試みは驚く
ほど効果がない。教師自身が好む教え方と自分が馴染んできた学び方には相関が存在する。
第 3 に「教師は『理論』を容易に実践化できない」という特質がある。その理由として,教師
は多くの学習者に同時に対応しなければならないという「授業の複雑さ」などの理由が考えられ
る。教師が理論を実践化するには,単に教師らしく振る舞うだけでは不十分で,コトバとして獲
得した理論を複雑な教室状況の中で実践を繰り返し,実践的知識に創り変えることが必要である。
以上 3 つの教師学習の特質から教師教育では「授業実践後の『省察』(reflection)」が現職教師
の授業力形成の中核と考えられるようになってきている。ショーン(1983)は,都市工学,建築
学,精神分析,経営コンサルタントなどの専門家の実践を分析し,専門家の行為(action)と省
察(reflection)の関係を明らかにした。専門家は数多くの技術を現実に適応させる「技術的合理
性」の下で実践するのではなく,状況に応じながら,何が最も問題なのか,という問題枠組その
ものの問い直しをしながら実践している。ショーンはそれを「行為の中の省察」(reflection-inaction)と呼んだ。しかし「行為の中の省察」を意識し,深めていくためには,教師が日常的に
授業実践を営む中で,暗黙的に機能させている思考枠組を問い直し,実践的知識を形成していか
なかればならない。ショーンは,これについては「行為についての省察」
(reflection-on-action)
(注 2)
と呼んでいる。
本研究で新人教師の授業体験を探る上でもこの省察をベースに置くことにする。
ところで,新任教師は「リアリティ・ショック」と呼ばれる現象に遭遇すると言われてる。新
任教師が教職につく前に抱いていた教師と子どもの関係についての憧れや教職のイメージが,現
(注 3)
実の複雑で多様な教室の現実に直面して衝撃を生む。それがリアリティ・ショックである。
リアリティ・ショックは,子どもが教師の考えていた枠内に収まると思っていたところ,遙か
にはみ出る存在であることに気づかされることや,赴任した学校がいわゆる「荒れた」学校で,
子どもたちが新任教師の言うことを聞かず,逆に,教師のほうがいろいろ試されること,教育に
理想を求めている新任教師が現実的な子どもたちの行動の前に空振りに終わることなども含まれ
る。
148
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
リアリティ・ショックに関する研究は看護師,保育士などにより多くの蓄積がある。
看護師では「医療専門職のイメージと実際のギャップ」
「看護・医療への期待と現実の看護・
医療のギャップ」「組織に所属することへの漠然とした考えと現実の所属感とのギャップ」「大学
教育での学びと臨床実践で求められる実践方法とのギャップ」「予想される臨床指導と現実の指
導とのギャップ」「覚悟している仕事とそれ以上にきびしい仕事とのギャップ」「自己イメージと
現実の自分とのギャップ」の 7 つが類型化して示されている。こうした看護師のリアリティ・
ショックは若い看護師(6 年目以内)の離職を招いた要因の一つにもなっていると言われてい
(注 4)
る。
保育士では「子ども理解の不十分さ」と「保護者との葛藤」の 2 つが引き金になることが多い。
「子ども理解の不十分さ」は「保育行為の主体が自分から子どもへ」
「保育者の援助理解(の進歩)」
「保育者の役割理解
(の深まり)」
などによってポジティブな認識の変容が行われるのに対して,
「保
(注 5)
護者との葛藤」は「回避としての割り切り」などネガティブな反応になることが多い。
学校教師の場合も,看護師・保育士と同じように,リアリティ・ショックという危機への対応
を巡って教職生活を大きく揺さぶられる最初のイニシエーション(通過儀礼)となる。現在,少
なくない数の新人教師が,教員となった後,仕事を辞めていく。このリアリティ・ショックとい
うことに,どう取り組むかが,教師としてのその後の職業生活を大きく左右すると考えられる。
新人教師の大量離職などを受けて,文部科学省は「体験型の科目」を大学カリキュラムに位置
づけるなどの改革を行ってはいるが,体験は省察(リフレクション)とセットになったときにそ
(注 6)
の威力を発揮することが指摘されているにもかかわらず,省察に関わる改革は不十分である。
また現場では新任教員研修他の法定研修の整備が進んでいるが,その内容は行動や技術に比重
をおいた能力本位のもののように見える。これはアメリカの教師教育の一つの特徴である
「CBTE」の考え方に近い。教員に期待される技能や行動を明確にし,技能訓練と知識習得を徹
底させるやり方である。この方向性は果たして成功していると言えるか。いまだ結果は出ていな
(注 7)
い。
本研究では,新人教師の授業体験を考察する際,このリアリティ・ショックを背景に捉える。 ちなみに,新人教師はリアリティ・ショックに対して 2 通りの道をたどると言われる。
1 つは新任教師特有の親しみやすさを武器にして,たとえ拙い授業でも,目の前の子どもたち
と格闘を行うことで,これまでの子どもについての見方や教師役割の見直しをして自らを育てて
いく,という道。もう 1 つは子どもたちにナメられまいとして,主観的に教師らしく振る舞って,
自分の子どもについての見方,教師の役割の捉え方に固執をしていくという道である。
この新人教師の分かれ道には自らの先入観を省察する素養の有無が大きく関わってくる,とい
う。ただし,教員養成期間中に強い省察的傾向を身につけた教師であっても,教師人生の初めの
頃にはそれを活かせていないことが研究によって示されている。コルトハーヘンその他の研究に
よると,省察的授業を行う能力が教職 1 年目の間に消えがちであるということが示唆されてい
新人教師は自らの授業をどのように体験しているか?(その 1)
149
(注 8)
る。
しかしこの能力は就職後半年ほど経つと元に戻るとも言われる。たとえばコルトーヘンが省察
の指導を行ったユトレヒト大学の卒業生においては,2 年目以降,行動中に思慮ある選択をする
ために,最初に直面した困難な経験を含む彼/彼女自身の経験を活かすことができるようになる
という。このことに関して,多くの回答者が「失った理想の回復」が起こることを報告している。
回答者の報告から「学校での実践パターンを確立するための一時的調整」と自分たちの「潜伏
中,理想を実現する機会を待つ」という 2 つの方略を使っていることが推測されている。教員養
成の期間に身につけた省察の能力は,約半年の「潜伏期」を経て復活することが主張されている。
新人教師の授業体験を見聞する際,「リアリティ・ショック」の引き金になるとも言える彼ら
の「理想」
(授業に関するこだわり,子どもに関するこだわり)にも大いに着目する必要がある。 4. 研 究 方 法
新人教師の授業体験(授業では何を理想とし,何を工夫しているか)を研究対象とする。それ
に迫る研究枠組としてライフヒストリー ・ アプローチを採用する。教師のライフヒストリー ・ ア
プローチとは「教室・学校における実践歴や,地域・社会における生活歴を含むその個体史の全
体」のことを指し,主に教室における参与観察・インタビューの 2 つを中心として研究を実施す
る。
教師のライフヒストリーに関わる研究は 1980 年代前半にイギリスで誕生し,現在「教職生活
の縦断的研究の一つの流れを形成しつつある」として注目されている。日本でも,国語科,社会
科,英語科などの教科教育研究,日本語教育研究などの領域において,ライフヒストリー ・ アプ
(注 9, 10)
ローチが用いられることが多くなってきている。
タイプとしては大きく 2 つある。「教師のライフヒストリーを,その全体性において可能な限
り包括的に記述 ・ 解釈しようとする研究」と「包括的な把握を前提としながらも,教職をめぐる
特定のライフステージに焦点を合わせていく研究」である。2 つのうち本研究は後者である。
本研究で採用するライフヒストリー ・ アプローチでは,授業観察を土台に据えつつ,新人教師
の被教育歴,教員養成教育,実践歴など,授業参観で目撃された授業断片をもとに教師自身の経
験の語りをインタビューすることに重点をおく。特に「教師の経験の〈語り〉
」にインタビュー
することに重点をおく。「教職をめぐる特定のライフステージに焦点を合わせていく研究」では,
教師による実践記録などのドキュメント収集・授業の観察,教師のインタビューといった手法を
用いて,データ収集が行われるのが普通である。しかし新人教師を対象とした本研究では,対象
が新人教師ということもあって,ドキュメント収集は難しく,授業観察とインタビューの 2 つと
した。
具体的なインタビューについては「ライフヒストリー ・ アプローチ」による実践的知識の研究
150
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
を行っている福島大学の吉永紀子氏の「こだわり(大事にしていること)」
「こだわりはその授業
(注 11)
にどう使われていたか」「授業の中で疑問に思ったことを率直に聞く」という手法に従った。
新人教師の語る〈語り〉を聴くことを通して彼らの体験に接近することを目指す。
① リサーチクエスチョン : 新人教師は自らの授業をどのように体験しているか ?
② リサーチの日時 ・ 場所・人
●リサーチ 1
2013 年 6 月 20 日 08 時 30 分∼16 時
宮城県 X 小学校(対象者 2 名)
1∼3 時間目の 1 年生[初任 3 年目の A 教諭]の参与観察。
4∼6 時間目の 5 年生[初任 2 年目の B 教諭]の参与観察。
インタビューは 1 人ずつ 30 分∼40 分。
●リサーチ 2
2013 年 7 月 05 日 13 時∼16 時,17 時∼18 時。
宮城県 Y 小学校(対象者 2 名)
5 時間目の 2 年生[初任 1 年目の C 教諭]の参与観察。
6 時間目の 4 年生[初任 1 年目の D 教諭]の参与観察。
インタビューは 1 人ずつ 30 分∼40 分。
5. 研 究 結 果
参与観察をした 8 つの授業と 4 つのインタビューについて教師ごとに分けて記述する。
授業は教師の主な指導言(指示・発問・説明)と教材を中心に授業記録のアウトラインを記す。
授業の中で「新人教師の授業体験」の観点から気になる点には下線を引く。インタビューは出来
るだけ教師の「語り」を残す形で記録をする。インタビューの中で「新人教師の授業体験」の観
点から「こだわり」がはっきり出たと思われる言葉を太字にする。
① 【参与観察 1】(初任 3 年目・1 年生・男性・A 教諭)
● 0 時間目 : 朝の会
*ほめ言葉のシャワー(注 : 1 日 1 人,通常は帰りの会の時に前に出て,その子のいいところ
を全員が短く発表する取り組み。クラスみんなの目が 1 人の子に注がれて主役になれる。福
岡の小学校教諭・菊池省三氏によって開発された教育手法)。1 年生なのに「だいすけくん
のしたよいところ…」などと全員が声を出して言えていた。
● 1 時間目 : 国語
新人教師は自らの授業をどのように体験しているか?(その 1)
151
*空書き(注 : 空中に指で大きくその文字を書くこと。子どもたちの方を向いて大きく書く。
ただし子どもたちから見て正しい字になるように書かねばならない)をする。「何画ですか」
「二画」と一斉問答をする。教師は子どもたちの空書きをする様子は見ていない。 *指導的評価活動を細かく入れる。「落ち着いて書けているね」など。「F くん,昨日から落ち
着けていないね」。授業時間中を通じて,細かな評価活動が行われている。
*訓練後,ご褒美としての色塗り。
*
【主教材】「声の郵便屋さん」(プリント)を行う。活動型の授業。グループから 1 名が外に
呼び出される。「×× に□□色を塗りましょう」
。グループメンバーに声の郵便を届けて塗り
絵を完成させる。子どもたちは活動に乗っている。指示がだんだん細かくなる。
*声の郵便屋さんになれなかった子が「やりたかったな∼」。
*最後に学習の意義をまとめて話をする。
● 2 時間目 : 体育
*体育館へ移動。教室前の廊下に並んで全員で移動する。
*「椅子,出てる子いるよ」「机の上に服のある子は片付けて」などなど。
*集団行動(「前にならえ」)がうまい。
*準備運動,体育座りなどの訓練がよく行き届いている
*【主教材 1】鬼ごっこ。線鬼。横縦歩き鬼ごっこ。後ろ歩き鬼ごっこ。
*【主教材 2】長縄跳び。(全校一斉にする行間運動を覚える)
。8 の字に跳ぶ飛び方を訓練。 ① 師範する。② 男子の 2 列がする。女子の 2 列がする。③ 男 1 の列,女子 1 の列,男子
2 の列,
女子 2 の列がやる。
● 3 時間目 : 算数
*黒板に導入のための絵を描いて子どもたちを惹きつける。
*教師の表情がニコニコとやわらぐ。(これまでの 2 時間は表情がかたかった)
*
【主教材 1】虫かごの中には 5 匹の虫がいます。2 匹が逃げ出しました。残り何匹ですか ?
*教師の発問に対して 9 名の子が挙手する。不規則発言の子には対応をしない。
*
「ノートを出して下さい」「開いて下敷きを入れます」
*ノートの使い方を示す。どこに何を書くか。
*「2 の字,汚い人,多いかな !」
*【主教材 2】駐車状に車が 4 台停まっています。4 台が出て行きました。残り何台ですか ?
*「式を書きましょう」 4­3=
*
「学び合いましょう。立ち歩いて学び合いましょう」(学習スタイルの推奨)
*できた人は ? (目で確認)評価はせず。
① 【インタビュー 1】
* 1 年生がどのくらいできるか。不安である。
152
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
*一番大事にしていることは教師が子どもの中心にならないようにすること。学びの中心に子
どもがいるようにすること。
*そのために子どもと少し距離をおいてやらせる。
*子どもに言葉で伝えて考えさせる。
*話す。褒め合うを重視する。話す力を付けたい。
*批判的な見方を肯定的な見方に変えたい。マイナスでなくプラスでやりたい !
*子どもたちは教師の期待に応えようとしている。たとえば,算数授業の「学び合い」など。
でも生活習慣や話の聞き方を訓練するやり方は好きじゃない。
きっちりやろうとすると荒れるクラスになるから。
1 年生でノートを決まった通りにしか書けないのは管理である。
考える力を育てたい。(ノート指導はしているが)ノート作りが目的じゃない。
*褒めるのが苦手。嘘になりそうで。
*ほめ言葉のシャワーは自分が褒める代替案である。
② 【参与観察 2】(初任 2 年目・5 年生・女性・B 教諭)
● 4 時間目 : 算数
*【主教材】算数のテストをする。少数の割り算をする。
*教師は手を後ろに組んで机間指導をする。子どものテストを覗き込んで時々指導する。
*子どもたちはテストに筆算計算の線も定規を使って線を引く訓練を受けている。
*残り 15 分で「単位を確認します」「テスト用紙の空いている場所があれば,もう一度計算を
しなさい」「100 点の自信のある人はテストをしまって本読みして下さい」
*次々と男の子たちが本読みを開始する。(男子 4 名)(女子 1 名)
● 5 時間目 : 理科
*自主勉強の○付けをするところから授業がスタートする。
*教師は「マジックを見せます」と言って,
「魔法の液(水+α)」の中にご飯 ・ パンを入れる。 ご飯もパンも紫色になる。
*
【主教材】教材セットに入っている種に各自魔法の液をかけて,もし紫色になるとしたら何
が言えるでしょう ?
*上手にできた人は小先生になります。(小先生を次々と認定していく)
*色の変わらない魔法の液を戻して。「魔法を増やすから」(理科教科書を見ながら)
*
「トウモロコシ。 白いところを下にして切って下さい」
*
「ちょん切った種の片割れは片付けて下さい」
*基本,無言の実験作業が続く。
● 6 時間目 : 理科
新人教師は自らの授業をどのように体験しているか?(その 1)
153
*
「無言で一分以内に色鉛筆を用意して下さい」
*
「40 秒でできました。次は 30 秒で !」
*
「静かにしている班から×× しましょうか。というと静かになるんだけどな」
*
「作業途中で,すぐに切り換えられる。さすが 5 年生です」
*
【主教材 1】「この実験から言えることは何か。 ノートに書きなさい。たとえば『種の中には
ほにゃららがあるんじゃないか』など。いつもの 4 人グループで意見交換をします」
*「発表して下さい」子どもたちは「∼だ。なぜなら∼」と発表をする。
*種の中にはデンプンがあって,だから紫になるという話になる。
*【主教材 2】発芽後の種はどうなりますか ? ① 変わらない。② むらさき。③ その他の色。
*子どもたちの反応は ① 18 人,② 4 人,③ 8 人。
*子どもたちからの意見が続出する。
*教師の聞き取り能力が高い。
*魔法の液はイソジン(ヨウ素液)であると話す。
② 【インタビュー 2】
*両親小学校教師の長女。現在,29 歳。
*大事にしていることは 2 つ。1 つは「子どもたちに自分の考えを持ちながら授業させたい」。 もう 1 つは「すべての子がクラスに居場所を持てるようにしたい。教師はいくら厳しくても
いい。子どもにはクラスの他の子どもたちから嫌われていると思わせたくない」。2 つ目に「ウ
エートがあります」。
*大学院で臨床心理を学ぶ。その後,カウンセラーとして不登校の子どもと関わる。
*特別支援学校(福島県)で「動作訓練」(身体運動上の不自由改善をねらい)を実施する。
*学会の「理論(流派)」ごとの派閥争いのようなことに嫌気がさした。
*教師になれば,一人の子を見るより少しは役に立つと思った。
*中学校の臨時教員として 1 年,後補充教員として 1 年働く。
*沿岸部のクラス児童 1 人の学校で 1 年働く。
*小学校の算数の少人数クラスを 3 年間。
*本校勤務 2 年目になる。
* 29 名の 5 年生。幼い。でも個性あり。
*家の方針で宿題をやってこない子がいることが気になっている。
*
「叱る役(先生)・ドンマイ役(友だち)」という仕組みで教室を経営している。教師は「憎
まれ役」
。駄目なものは駄目と示すモデル。いま家庭や地域が駄目になっている。しかし人
として曲げちゃ駄目なことがある。それを示すのが教師である。
*特に今年は厳しい。「学校の見本として。どうするの ! 5 年生 !」と問いかけている。
* 5 月に曲がり角があった。「ああしろ,こうしろ」から「どんな 5 年生になりたいの ?!」と
154
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
問いかけるようになった。
③ 【参与観察 3】(初任 1 年目 ・2 年生・女性・C 教諭)
● 5 時間目(生活科)
*【学級目標】「元気ときりかえ,大切に !」
*「先生に注目 !」黒板に大きく「町たんけん」と書く。
*「ザリガニのいる場所は ?」
(子どもたちの声がとても元気である)
*「床屋は ?」(子どもはワイワイガヤガヤ喋っている)
*「校区のこと,先生は知らないことばかり。みんな教えて下さい」
*「町探検ではどこに行こうか ? 何を聞こうか ?」
*写真を見せながら単元の見通しを立てる授業をする。町探検では計画を立てて,行って,見
て,聞く。そして,発表する。「町探検はこう流れます」と言う。
*「先 !」と質問の手を挙げる子に「細かい質問は後で」と。
*プリントを配る。プリントを配ったら名前を書きます。
*「細かな発言は後でね」「口を閉じて前を向いて」「切り換え,上手だね∼」
*子どもたちは鉛筆遊びや椅子遊びをする子が出てくる。
*【主教材 1】「先生,知らないことばっかりだから教えてね !」
(20 分時点)
*
「×× にプール」「ガソリンスタンド」「時計屋。いつもおはようございますと言ってくれる」
「×× サイクル(自転車屋)。パンク直してくれる」
*
「みんないいね,聞き上手だね」と教師!
*
「○○まんじゅう」「いい発表には拍手をしてね」と教師。
*
「うお△△」「お魚やさん」
*
「このへんに住んでいて知らないこといっぱいあるね」
*
「駄菓子屋さん」(ここで 2 人の子がトイレに行く)25 分時点。
*
「全部知っていた人 ? 全部は知らなかった人 ?」と先生。
*
「口を閉じて,先生に注目 !」
*
【主教材 2】他に人にも(もっと色々な場所を書いて)教えてほしいです。(27 分)
*
「立派なところ(机列)どこかなあ ?」(静かにしてね)
*
「最後に何人か発表してもらいます」と教師。これに対して子ども 6 人が「先生,質問∼」
と挙手をする。しかし教師にはそれが見えずにそのまま机間巡視に入る。
*
「一枚のプリントに一枚の施設を書きます」と教師。3 人目の子がトイレに。
*子ども 2 名を指名して,発表させる。二人ともよく書けている。
*
(5 分間の時間の読み違え)「先生,5 分間違っちゃた」
*
「先生の方に注目 !」「このプリント,宿題にしてもいい ?」「だめ !」「3 つも用事ある !」
新人教師は自らの授業をどのように体験しているか?(その 1)
155
*
「先生決めた ! 漢字(の宿題)なし。こっちやってきてね!」
③ 【インタビュー 3】
* 22 歳。
*大事にしていることは授業をこなすのではなく,子どもに目当てを示すこと。仮に組み立て
があいまいであっても,ここができているとよい。大学の教育実習で学んだことである。
*授業は学年行事がらみ。今日時点で地図をわたして,
「こんなところに行くよ∼」と言っても,
このタイミングでは流れてしまう。(とても苦しい授業だった)
*それで「書かせる」「発表する」と授業を組み立てた。
*大学の先生からの学び。「目当てを示さなかった時。集中力が欠如していた。黒板にはっき
りめあてを示すべき」と教わった。(4 年の実習。国語 6 年)
*しかし今日は「みんなでこの町のことを話そうねえ」と口頭で言っただけだった。
*それでも子どもたちは意欲旺盛に見えた。仮に子どもがズレてきてもうるさいと言える。
*しかし今日は黒板に「めあて」を書いてなかったので子どもたちの対応に困った。
*統制が取れすぎているのはよくないというふうに考えている。
*女の子たちが「これやっていいですか」と聞きにくるけれど,ほっとくのがよい。
*やってみて「これってどうや∼?」とやってほしいと思っている。
*
「まずやってみる」「
(その上で)どうやるの」となってほしい。
*いまはまだ「怪我した」その他細かいことを言って来る。
*質問も悪くない。でも考えないのはよくない。
④ 【参与観察 4】(初任 1 年目・4 年生 ・ 男性・D 教諭)
● 6 時間目
*
【学級目標】「ありがとうとメリハリ」。
*黒板に「積」。「スリムなのぎへんにしよう !」。空書きする。
*黒板に「得」。「この漢字は日が大きすぎる !」。空書きする。
*上の指導を受けて「あかねこ漢字スキル」(ドリル帳)に子どもたちが取り組む。
*時間をタイマーで区切る。教師の表情が終始穏やか。「ほーっ」などと反応をしている。
*
【主教材】「出来事の文を書きます。教科書のように出来事とその感想を書きます。いまから 20 分かけてその下書きを作ります」と指示する。教師は机間指導する。
*この作業中に一人の男の子が椅子から転げ落ちる。教師はすかさず「T くん,大丈夫 ? な
んで,そうなったかはさんざん注意したよね」と優しく声をかける。
* T くんは T シャツから下着が出ている。
*子どもたちの動きがよくない。先生は「ちょっとごめんな。出来事は一大イベントじゃなく
ていいんだよ。一億円当たったとかじゃなくても」と助言する。
156
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
*作業終了のタイマーが鳴る。
*発表。N くんの発表にクラス全員がすっと「聞くモード」に切り換える。
*そんな雰囲気の中,またしても T くんが動き出す。
*
「T くん,そろそろレッドカードだよ」
*
【主教材 2】「ではカードを手掛かりに文章を組み立てて下さい」
*
「きょうは書くことがいっぱいあります。大変だけどがんばりましょう !」と作業量の多さ
に対してフォローの言葉を添える。教師は机間指導をする。
*机間指導中,「最近,○○のノートを書くスピードが格段にアップしています。ノートに枠
を囲ってくれたらもっといいんだけど…」と個別評価し,他の子の意欲も促す。
*若い先生だけど,子どもへの配慮が行き届いている。
*しかし後半落ちていた子どもたちの動きが 40 分時点でピタッと止まる。
*大半の子どもたちがぼーっとし始める。(11 人のみ書き続ける)
*「さぁ,そろそろ,終わりの時間です」
*「何となくだけど,できた人 ?」
*「最後に今日の振り返りジャーナルを書きます」
*「ではこれでお仕舞いです」
④ 【インタビュー 4】
* 3 年間の非常勤講師後,やっと正規採用になった。
*元々は中学校技術が専門だった。3 年間の小学校講師時代に言うことを聞かない子どもたち
に出会った。ガッと言っても動かない子どもたちだった。
「褒めて褒めて褒め殺す(励ます)」を学んだ。
当時の小学校の研究主任の先生が模擬授業をやって見せてくれた。必死に学んだ。
いまの子どもたちには「間違いを恐れずに言おう」と声かけしている。
「授業になったら切り換えよう」は 4 月の最初から言っている。
T くんについて。
「スイッチが切れることがある」。今朝は並ばせ係のもう一人がいなかった。
それで「いないから頑張ってね」と言ったら前に出て頑張れた。もちろん褒めた。
山本五十六の「任せて褒めて」という名言をいつも心にとめている。
T くんについて。「根はいい子。でもだらけちゃう時がある」。
*
「先生は応援しているよ。見捨てていないよ」と言い続けている。
*どんな子か理解するまで,一人ひとりが見えるまでやる。
*熱血指導員や教育格言に助けられつつやっている。
*いろんな人に助けられつつやっている。
新人教師は自らの授業をどのように体験しているか?(その 1)
157
6. 考 察
4 人の新人教師の参与観察とインタビューを通して「新人教師は自らの授業をどのように体験
しているか」という問いに答えてみたい。その前に「定義」に関わることを整理する。
「新人教師(初任 3 年目まで)」についてである。4 人の教師は必ずしも 4 年制大学を卒業した
後すぐに正規採用になって教員生活を始めたのではない。A 教諭(3 年目)と C 教諭(1 年目)は,
採用後すぐ担任になっているが,B 教諭と D 教諭は,正規採用前に非正規採用での「教職経験」
を有している。しかし,学級担任の教師としては,4 人とも「新人教師」だと定義できる。
この 4 人の教師の参与観察とインタビューから見えたきたことは 3 つある。
(1)
「こだわり」の指導に喜びを感じている。
4 人のリサーチを通して最も強く印象に残ったことは授業時とインタビュー時の大きな表情の
変化である。とくに A, B, C の教諭の表情にそれは顕著に現れていた。
まず 4 人はそれぞれ一番大事にしていることを次のように語った。
A・子どもが学びの中心にいること。
B・すべての子どもに居場所があること。
C・子どもたちに目当てを明示すること。
D・個々の子どもを褒め続けること。
新人教師は全員それぞれに授業を苦しそうにしていた。やや象徴的な言い方をすると「眉間に
皺を寄せて」授業をしていた。最も表情の穏やかな D 教諭でも授業の最後は辛そうだった。
いま 40 人近い子どもたちを 45 分間学びへと向かわせ続けるのは至難なのだと見えた。教師と
して子どもたちとの関係を構築しつつ,45 分間子どもたちを学びへ向かわせようとするが,そ
の実現は難しいのだろう。個々の子どもとの複雑な対応に新人教師たちは苦しんでいた。
故に,授業中の表情は,予想以上に厳しく,インタビュールームに入ってくる先生方の表情も,
固かった。しかしインタビューにおいてその先生の「一番大事にしていること」と「その大事な
ことは授業にどのように現れていたか」を質問すると,一転して表情が明るくなった。その授業
の中で,
新人教師たちが「頑張っていたこと」が彼/彼女の口からゆっくりゆっく語り出された。
その話を受け止めて「確かにそうでした」と共感を示すと,その語りは更に滑らかになっていっ
た。
それは普段の指導教員などの指導がどうしても指導教員の観点から見た時の「授業の不十分さ」
の指摘になっているのだろうということを想起させた。新人教師は「一番大事にしていること」
という観点から授業を語るように求められると,非常によく授業の様子を記憶していた。しかも,
その記憶は,前時までの授業と比べて,わずかだがうまくいったことを具体的に語り出した。
たとえば「子どもが学びの中心にいること」をこだわりとして発言した A 教諭に 3 時間目の
158
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
算数授業におけるノート指導についてインタビュアーが「ていねいにやっていますね」と話を向
けると,自分自身の信念(太文字部分)を述べ始めた。確かに 1 年生の子どもたちは教師の期待
に応えようと頑張っている。しかし自分はそれに乗った指導をすることは本意ではない。この発
言にインタビュアーが頷くと「だから学校ではノートづくりをていねいにすることになっている
が,自分のノート指導は最低限,むしろ考える力の教育に力を入れて(徐々に成果を得て)いる」
と語った。
また「個々の子どもを褒め続ける」を信条とした D 教諭に,作文授業の個別作業中に,子ど
もが椅子遊び(注 : 椅子を後ろに倒してシーソー遊びのようにすること)をして,椅子からずり
落ちたシーンを取り上げ,「T くん,大丈夫 ?」と優しく声をかけていたことを指摘すると,そ
の日の全校朝会での T くんの並ばせ係としての大活躍エピソード(太文字部分)を紹介してく
れた。彼に目をかけ,声をかけ,並ばせ係としての役目がうまく果たせるとすかさず褒める。そ
ういう指導場面である。D 教諭は「スイッチの切れるところのある」T くんの活躍を本当に嬉し
そうに語った。
確かに彼らの授業はベテラン教師から見ると,子どもたちの把握の仕方も授業づくりの仕方も
十分でないところが目につくのは間違いない。そこを中心に話をすることも確かにできる。しか
し彼らの授業体験は「ベテラン教師から見た」世界の中にはない。彼らの授業体験(=喜び)は
「彼らの一番大事にしていること」を巡る彼らの記憶中に存在していた。
彼らの授業における「こだわり」の指導の中に彼らは「喜び」を感じていた。
(2)
自前の「学びのしかけ」の安定性に不安を感じている。
40 人近い多様な子どもを相手に 45 分間の学びを成立させることは複雑な行為である。それを
行うための伝統的な学びのしかけが子どもに「座っていること」
「黙っていること」を前提にし
た一斉型授業であった。このしかけが動けば授業は比較的楽である。しかし 1997 年から広く知
られるようになる離席・私語を特徴とする「学級崩壊」がその伝統のしかけを難しくさせた。
そこで教師たちは一人ひとり伝統のしかけを補完する自前の新しい学びのしかけを工夫するこ
とになる。しかし自前のしかけを上手に使いこなす教師もいれば,なかなか使いこなせない教師
もいる。新しい学びのしかけはしかけがまだ十分には常識になっていないことが多い。大学の実
務派教員による教員養成も,現場の新任教師に向けたスキル教育も,一斉型授業が出来ているか
どうかを駄目出し方式で彼らに教え込む方法が主流である。それ以外の方法は滅多に教えられな
い。
そこで新人教師は一斉型授業を補填する学びのしかけを自分で考えることになる。
4 人の新人教師の観察・インタビューでは次の学びのしかけを発見できた。 A・ほめ言葉のシャワー/学び合いシステム
B・叱り役は教師でドンマイは友だちシステム
新人教師は自らの授業をどのように体験しているか?(その 1)
159
C・自分の知っていることを先生に教えてよシステム
D・時間を区切って活動してみようシステム
それぞれの「自前のしかけ」はそれぞれの教師がそれぞれの学び(含む被教育歴)の中から掴
み出した教師生き残り戦略としての学びのしかけである。しかしそれらは必ずしも主流のしかけ
ではないために十分なシステムにするだけの情報がない。正に「自前」でそれを「しかけ=シス
テム」
として練り上げていかなくてはならない。必ずしも安定をしているとは言えないのである。
たとえば B 教諭の「叱り役(教師)・どんまい役(友だち)システム」は 4 月当初から安定し
てあったものではない。5 月途中に修正があったと B 教諭は語っていた。つまりそれ以前の「学
びのしかけ」では子どもとの対応がうまくいかなかったために,その「古いしかけ」を,現在の
方法に修正したと語った。そしてその現在のしかけがうまく機能していることを嬉しそうに語っ
た。
一方,4 人の中で最も経験年数の少ない C 教諭の「自分の知っていることを先生に教えてよシ
ステム」は授業を観察する限り十分に成功しているとは言えなかった。確かに最初の 15 分ぐら
いはそのしかけは子どもたちの学習動機を作り出していた。しかし途中からは機能しなくなった。
理由は自分が知っていることを先生に教えることによる喜びを全ての子どもが得ようとする
と,子どもたちは自分の知っていることを口々に発言することになるが,多人数の教室でそれを
行おうとすると,子どもたちは順番を待つ必要があった。あるいは,他の子どもを押しのけてで
も発言をするだけのパワーが必要だった。しかし大半の子はそれらができなかった。そこで,子
どもたちの多くは,途中から教師のコントロールから離れて授業から関心をそらしていくことに
なった。
つまり C 教諭のしかけはまだ不安定で,C 教諭もその不安定さに苦慮をしていた。
このしかけの不安定さは A 教諭の「学び合いシステム」も同様であった。
新人教師たちの「こだわり(理想)」は「自前の」学びのしかけとして形を表す。教師たちは
その学びのしかけを通して子どもたちとの授業を作っていこうとする。それがうまく機能するこ
ともあるが,破綻をすることもある。しかけを通した彼らの「こだわり(理想)」が現実(リアル)
に遭遇して,強いショックを受けることもままあるだろう。決してそれは非日常のことではない。
筆者は 1997 年からよく知られるようになる「学級崩壊」について,2 年半,月刊教育雑誌の
連載記事を執筆した。その 2 年半の取材の中で出てきた小さなエピソードの一つに「小学一年生
の子どもが先生の配ったプリントが届くのが遅くて大泣きをした」というものがある。小さな子
どもの我慢強さがなくなったごくありふれたエピソードの一つに見えるが決してそうではない。
40 人近い子どもたちを相手に 45 分間の学びを成立させるという行為の複雑さを示す例として
正にこの「プリント到着が遅れて泣き出す子」のエピソードは典型的である。教室は単に教育コ
ンテンツをわかりやすく伝えればそれで済むという単純な場ではない。その複雑さを示す最も端
的な例として「待つ」という行為は頻繁に発生する。「待つ」ことの得手な子もいれば不得手な
160
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
子もいる。
教師が配ったプリントが前から回ってくるのを待てない子もいる場が教室なのである。
この「待つ ─ 待ちたくない」は一斉授業を基本にした場合,必ず発生する難問である。ベテラ
ン教師であれば,教授法の組み合わせで一定程度緩和できる。しかし新人教師たちにとって,こ
れを上手に回避することは容易ではない。教室におけるリアリティ・ショックとして考えなけれ
ばならない大きな問題がここにある。つまり「個の欲求」
(それは保護者の欲求と言い換えても
よい)にどれだけ「全体の場」の主宰者として答えていくかの問題である。簡単なようで非常に
難しい。
「個の欲求」の錯綜する教室。その「リアル」に対して,従来の教室では「学級づくり」とい
う情緒的な一体感づくりの作業によって対応をしてきた。授業の前段階で,教師と子どもたちの
間に「情緒的一体感」を創り上げて「個の欲望を抑える」ように指導してきた。しかし学級崩壊
現象は,この「情緒的一体感」づくりの方策が使えなくなったことを現している。「個の欲望」
という剥き出しの「リアル」が新人教師たちを大きな「ショック」に突き落とすことになる。新
人教師たちが,考える「学びのしかけ」は日々その「個の欲望」という「リアル」に晒されてい
るのである。
(3)
同僚の「助け」が授業省察を促すと感じている。
4 人の新人教師のうちで,もっとも安定した自前の学びのしかけを創り出していたのは D 教諭
であった。D 教諭の学びのしかけである「時間を区切って活動をしてみよう」は D 教諭の「個々
の子どもを褒め続けること」というこだわりと非常にうまく結びついて機能していた。
子どもたちは教師が指定した短い時間の枠内において「自由度の高い活動」をすることができ
る。のびのびと活動できる。もちろん個々の子どもによってはボンヤリしたり,椅子から転げ落
ちるというようになる場合もある。しかしそうした場合でも教師は一貫して,その行動を見守り,
褒めを基本とする動機づけによって,子どもたちの行動が学びへと向かうよう働きかけ続けてい
た。
学びのしかけが非常にうまく機能して教室を安定させていた。教師は自らの授業を「区切られ
た時間」に小分けしつつ,子どもたちと共に安定した授業を作っていた。「時間を区切り」「時間
の中で個々の子どもが行うべき活動内容を明示する」ことによって,D 教諭自身の教室の中で子
どもたち個々に何が起こっているか,起こっていないかということのふり返りに成功していた。
ただし授業の最後の 5 分間ぐらいは,子どもたちの集中が完全に途切れて,「学びのしかけ」
が機能しなくなった。教師が「褒めて子どもを動かそう」としても子どもたちは,それに乗って
こなかった。理由は,教師の指示した「×× のように意見文を書きます」という活動内容が,子
どもの中で十分モニターすることができず,ただ作業をしているだけの状態になったからである。
そのために子どもたちは,穏やかではあったが,学習への集中を途切らせてしまった。確かに,
こうした不十分さはあったが,授業全体としてみると,D 教諭の授業における「学びのしかけ」
新人教師は自らの授業をどのように体験しているか?(その 1)
161
は見事に機能をし,子どもたちの授業における満足度をある一定の高さに保持し続けていた。
その「成功」の理由を,D 教諭は,この「しかけ」の大本が前に勤務していた学校の指導教諭
の「師範授業」と熱心な「振り返り」指導にあることを繰り返し語った。D 教諭の同僚教師であっ
た「指導教諭」による助け(サポート)という語りは他の 3 教諭には見られないものであった。
もちろん他の 3 教諭が,まったく先輩教師,同僚教師のサポートを受けていないということで
はないだろう。しかし「語り」のレベルでいうと,この D 教諭が繰り返し語る「先輩教師」に
よる助け(サポート)という語りは,他の 3 人の教諭からはほとんど聞くことができなかった。
たとえば,A 教諭は学外での教師としての学びを積極的に口にした。しかし同時に目の前の子
どもを相手にしかけを実施することに不安を口にした。B 教諭は自らのしかけをカウンセラー時
代に学んだ心理学的知識に依拠しているようであった。そして,そのしかけには一定の説得力あっ
た。しかも自分の自前のしかけがうまく行かない場合は,学期途中であっても変更するという振
り返りの力をもっていた。しかしその実践を同僚教師とシェアしているという語りはなかった。
C 教諭はどうか。C 教諭が自身の「学びのしかけ」の根拠としてあげたのは学生時代の教育実習
の知見であった。その知見によるしかけは決して十分なものではなかったが,その知見を土台に
した自前のしかけについて同僚教師の「助け」によって省察し,磨き上げたという語りはなかっ
た。
じつは,インタビューにおいて,それぞれの教師の「こだわり」と「学びのしかけ」に基づい
た僅かな成果について,出来るかぎり受容的な態度で聞いて,それをメモに取らせてもらった。
アドバイスらしいことは最小限にし,ひたすら聞くことに徹した。聞かれるだけのインタビュー
を新人教師がどう思うか心配するぐらい聞くことに徹した。ところが,後で,このリサーチのコー
ディネイトしてくれたベテラン教師に聞くと,4 人とも「とても満足していた」という報告を受
けた。
これは何を意味しているのか。それはそれぞれがそれぞれの「こだわり」とそれに基づく指導
をしていることを聞いてもらう,という経験を同僚教師とあまりしていないことと通じそうであ
る。唯一それを体験しているのは D 教諭で,D 教諭の授業に関する振り返りは安定していた。
果たして,この推測は確かかどうか。じつは 4 事例とは別のケースにおいて,わたしは校内研
究会における新人教師のフィードバックを行ったことがあるが,4 人の新人教師と同じように,
できるかぎり「こだわり」と「学びのしかけ」に基づいた成果を聞くことに徹した。すると,そ
の新人教師は,同僚教師たちから同僚教師ごとの「こだわり」に基づく「やさしいアドバイス」
を表情を固くして聞いていたのとは全く表情を変えて,とても満足そうにほほえみを浮かべたの
である。
以上の事実は新人教師が,自前の「学びのしかけ」を作るための「振り返り」を行っていくに
は,同僚(先輩)教師の「(その新人教師の)こだわり」の側からの事実の検討と成果の確認を
するという「助け(サポート)」が必要であることを示唆している。この「助け」が省察を促す。
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
162
7. 結 論
リサーチクエスチョン「新人教師は自らの授業をどのように体験しているか」について 4 人の
新人教師の参与観察とインタビューを行った。出来る限り新人教師の「こだわり」(理想)に寄
り添いつつおこなったリサーチ(インタビュー)から見えて来たことは以下 3 つである。
1・新人教師は自らの「こだわり」の指導に喜びを感じている。
2・新人教師は自前の「学びのしかけ」の安定性に不安を感じている。
3・新人教師は同僚の「助け」によって授業の省察が促される。
以上 3 つは極めて些細な「仮説」である。その根拠も 4 人の新人教師の合計「45 分×8 コマ」
の参与観察と「30 分×4 人」のインタビューでの語りという非常に限定したエビデンスに基づく
「仮説」である。しかし,この仮説を別の校内研究会でのコーチングに適応した際,これまでは
なかなか得ることの出来なかった手応えを得ることができた。それは研修を受けた新人教師に明
瞭なフロー経験の兆候(ほほえみ反応)を目撃することができたということである。
では,これまで得られることの出来なかった手応えをなぜ今回感じることができたのか。
それは従来の教師教育が有能教師を育てるには理論・技術を「外から教える(指摘する)」こ
とで事足りると考えてきたのに対し,理論・技術を活用できる教師を育てるには新人教師の「こ
だわり(教育観)」にアクセスし,「内から教える(指摘する)」ことが必要だと考えた点にある。
本研究では「新人教師は自らの授業をどのように体験しているか」という個々の教師の困り感・
達成感に着目した。そうした新人教師の感情的な側面に着目して授業のインタビューを行うこと
によって新人教師の側から見た授業風景をインタビュアーも共有しつつ理解することを試みた。
新人教師の授業を見て感じた「拙さ」「不十分さ」の感覚を一旦カッコに入れ,実感としては,
4
4
4
4
4
無心になって彼/彼女たちの話を聴いた。まず個々の新人教師の「こだわり」を彼/彼女に聴く。
次にその「こだわり」に基づいた省察を彼/彼女の中から引き出そうとした。つまり拙く不十分
さを持つ新人教師の授業を彼/彼女らの「こだわり」側から見た風景として共有しようとした。
その「こだわり」側から見た授業風景の共有が新人教師にフロー経験を引き起こした。
では,その手応え(フローの発生)は教師教育にとってどのような意味を持つだろうか。
最近の教師教育では「教師というプロフェッショナルには省察(リフレクション)が大事」だ
という知見から授業日誌を書かせたり,授業直後の自評を言わせている。そしてその授業日誌や
自評に対して,研究者や指導教諭は彼らサイドから見た新人教師の拙さ・不十分さの指摘をして
いる。
しかし,こうした一般的指導はじつは必ずしも役に立たないことが繰り返し指摘されてきた。
上記の「手応え」(手応えがもたらした発見)はこうした従来の一般的な指導では不足してい
た省察指導の弱点を炙り出した可能性がある。つまり新人教師の省察指導は,彼/彼女に省察を
させたり,研究者や指導教師の「正しい」省察を提案するのでは不十分だということである。
新人教師は自らの授業をどのように体験しているか?(その 1)
163
もちろん新人教師の「こだわり」から授業検討することは決してやさしくない。授業を見てい
た教師が授業のよさを単に褒め合う「外からの指導(指摘)」の新しい形を生むことになりやすい。
実際,筆者のインタビューを目撃した小学校で,それを真似ようとしたが,上記のような勘違い
が発生していた。しかしこの方向で授業検討法を工夫していくならば大幅な改善が期待できる。
上記の仮説に,更に吟味を加えていくことによって「新人教師の授業体験」研究に基づく養成
・ 研修への示唆の可能性が高くなるだろう。今後この仮説がどのくらいの確からしさを持てるの
か。新人教師のリサーチと共にコーチングなどのデータの蓄積を含めて行っていく必要がある。
引 用 文 献
(注 1) 坂本篤史「現職教師は授業経験から如何に学ぶか」(『教育心理学研究』・2007)
(注 2) ドナルド・ショーン著『省察的実践とは何か ─ プロフェッショナルの行為と思考 ─』(鳳
書房・2007)
(注 3) 秋田喜代美・佐藤学編著『新しい時代の教職入門』(有斐閣・2006)p. 108 110
-
(注 4) 勝原裕美・ウィリアムソン彰子・尾形真実哉「新人看護師のリアリティ・ショックの実態
と類型化の試み ─ 看護学生から看護師への移行プロセスにおける二時点調査から ─」
(『日
看管会誌』
・2005)
(注 5) 谷川夏実「幼稚園実習におけるリアリティ・ショックと保育に関する認識の変容」(『保育
学研究』2010)
(注 6) 角田正士「体験と省察を基軸にした教員養成カリキュラムの充実のために(1)─ 授業構成
能力の育成による「大学」性の確立 ─」(「広島大学大学院教育学研究科紀要・2006)
(注 7) 川合治男「実力重視の教師教育のあり方」(「教育方法学研究」1978)
(注 8) F・コルトハーヘンほか『教師教育学 ─ 理論と実践をつなぐリアリスティック ・ アプローチ』
(学芸社・2010)p. 36, 72
(注 9) 渋谷真樹・越野和之・横山真紀子・豊田弘司「教員養成導入期における教師のライフストー
リーの有用性 ─『教職の意義等に関する科目』への活用に向けて ─」
(「奈良教育大学紀要」
2012)
(注 10) 遠藤顕・遠藤瑛子・松崎正治『国語科教師の実践的知識へのライフヒストリー ・ アプロー
チ ─ 遠藤瑛子実践の事例研究』(渓水社・2006)
(注 11) 吉永紀子氏のライフヒストリー ・ アプローチの手法…2012 年 10 月 31 日,13 時∼15 時,
福島大学において吉永紀子氏に取材をした。
The New Direction of Musical Activities in Primary School in England
165
The New Direction of Musical Activities
in Primary School in England:
A Key to Developing Discourse and Exuberance
in the KS1 Classroom
Atsuko Suzuki
As infants grow into children, so their innate musicality develops new forms through their accepting
ideas of the culture surrounds them…the process of transformation to an awareness of meaning
takes hold in earnest when the child begins formal education
(Malloch and Trevarthen, Musicality in Childhood Learning, p. 447)
Abstract: The role of music of primary schools in England has changed dramatically in recent
years. The Secretary of State for Education published the new national curriculum framework
on 11 September 2013. The Department for Education (DfE) states that most of the content
of the new national curriculum will come into force from September 2014. One of the prominent points among these changes is that the previous National Curriculum, which schools have
been following since 2002, will no longer be valid after 1 September 2013 and it will no longer
be statutory. Key Stage1 (KS1: age 5 7) is a significant stage for children as it involves transi-
tion from nursery school to compulsory education. Teachers bear a great responsibility during
these years. Music is an invaluable tool for class teachers, not only in terms of teaching but
also as a means of helping pupils communicate in other ways. This non threatening subject
-
helps children who may hesitate to communicate with other pupils by enabling them to express
themselves through musical activities. In this essay, the new direction of national curriculum
2014 and the theory of music for KS1 are examined, and practical educational applications of
music in the classroom will be considered.
Keywords: primary education in England, music for KS1, teaching practice and method
Introduction
The role of music in primary schools has changed dramatically in recent years. The Secretary of
State for Education published the new national curriculum framework on 11 September 2013. The
decision to design a new curriculum was taken in the light of certain reservations about the efficacy of
the existing guidelines, which were in effect until 2012. According to feedback from the advisory
committee appointed by the government, the direction of the old curriculum had deviated from its
original purpose:i
166
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
The National Curriculum was originally envisaged as a guide to study in key subjects which would
give parents and teachers confidence that students were acquiring the knowledge necessary at
every level of study to make appropriate progress. As it has developed, the National Curriculum
has come to cover more subjects, prescribe more outcomes and take up more school time than
originally intended.
Therefore, the Department for Education (DfE) noted that the national curriculum had to be “[…]
slimmed down so that it properly reflects the body of essential knowledge which all children should
learn and does not absorb the overwhelming majority of teaching time in schools.” ii The government
intends that schools “should have greater freedom to construct their own programmes of study outside
the National Curriculum.” iii
In light of the committee’s findings, the DfE stipulates that most of the content of the new and improved National Curriculumiv will come into force from September 2014. One of the prominent points
among these changes is that the previous National Curriculum which schools have been following
since 2002 will no longer be valid after 1 September 2013 and it will no longer be statutory. Concerning the one year interim of the national curriculum between 2013 and 2014, the DfE stated on 2 August
2013 that:v
[…] schools are free to develop their own curriculums for music that best meet the needs of their
pupils, in preparation for the introduction of the new national curriculum from 2014.
Although DfE states that schools will be free with regard to teaching music for the previously mentioned one year, it seems more difficult for class teachers who are in charge of teaching of their classes
to plan lessons. Furthermore, the DfE also stipulates the framework of each subject “[…] so schools
have a year to prepare to teach it.”vi This means that schools need to check the contents of the new
national curriculum of 2014 and prepare for most subjects in 2013-2014. Will this situation lead to
classroom music confusion? How will classroom music changes emerge in this academic year? As
the framework of the new national curriculum was published just a couple of months ago and just before the beginning of the new school year, a publication which meets the requirements of the new curriculum is not yet in circulation. Music classes this year, therefore, may use the current publication
and revise or make minor changes to activities.
KS1 class is a significant stage for children as it involves transition from nursery school to compulsory education. The teachers’ input is vital at this stage because it will shape pupils’ attitudes towards their educational path.
In this essay, the new direction of national curriculum 2014 and the theory of music for KS1 are examined. To conclude, possible practical applications of the new curriculum will be suggested.
The New Direction of Musical Activities in Primary School in England
167
KS1 Music: New Direction of the Curriculum
In the new national curriculum for 2014, music remains a compulsory subject from KS1 to 3. There
are three key ideas behind the new curriculum: creativity, more professional music knowledge and
cross-curricular content. The DfE states that the purpose of study is as follows:vii
Music is a universal language that embodies one of the highest forms of creativity. A high-quality music education should engage and inspire pupils to develop a love of music and their talent as
musicians, and so increase their self-confidence, creativity and sense of achievement. As pupils
progress, they should develop a critical engagement with music, allowing tem to compose, and to
listed with discrimination to the best in the musical canon.
Compared to the old curriculum, the aims seem to cover wider subject contents. The old curriculum
divided music into four areas according to musical content: performing skills, composing skills, appraising skills and listening and application of knowledge and understanding. In addition to this, the
promotion of key skills related to the inner and cross-curricular development of pupils were listed,
such as communication, application of numbers and IT.
The aims of new curriculum
The aims of the new curriculum also seem to have moved more towards musical learning and the
use of new materials. The new curriculum aims to ensure that:viii
• All pupils perform, listen to, review and evaluate music across a range of historical periods, genres,
styles and traditions, including the work of the great composers and musicians.
• All pupils learn to sing and to use their voices, to create and compose music on their own and with
others, have the opportunity to learn a musical instrument, use technology appropriately and have
the opportunity to progress to the next level of musical excellence.
• All pupils understand and explore how music is created, produced and communicated, including
through the interrelated dimensions : pitch, duration, dynamics, tempo, timbre, texture, structure
and appropriate musical notions.
The characteristics of new music
The first characteristic of the new music curriculum is a smaller emphasis on IT education. When
the author conducted research in local primary schools from 2002-2003, computer programs were used
frequently in primary school classrooms, not only in prime subjects such as mathematics but also music. However, due to social and cultural changes, it might not be necessary to focus on IT, as the computer is not as prominent in the world of children as previously.
168
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
The second characteristic of the new curriculum is emphasizing on more historical learning of music. This also indicates that pupils learn a wider range of historical music genres. Until 2012, pupils
experienced only a few very famous composers’ music mainly by listening, for example in KS1, music
such as The Nutcracker Suite by Tchaikovsky. However, from 2014, teachers need to introduce more
varied music and varied composers as well as a little more world music.
Contents of music: characteristics of KS1 music education
For KS1 music, the contents have also been changed. Although the publicly available framework is
for reference only, the number of targets seems to be smaller. There is no introduction to the KS1
music section, in contrast to other Key Stages which have full introductions, and only four targets are
listed as follows:ix
• Pupils should be taught to use their voices expressively and creatively by singing songs and working
with chants and rhymes.
• Pupils should be taught to play tuned and untuned instruments musically.
• Pupils should be taught to listen with concentration and understanding to a range of high-quality live
and recorded music.
• Pupils should be taught to experiment with, create, select and combine sounds using the inter-related dimensions of music.
There are three characteristics of KS1 music education. Firstly, as mentioned above, pupils use
chants, rhymes and songs creatively as well as expressively. This allows pupils to engage their own
imagination and understanding while singing and chanting. This is a very positive change, as the old
curriculum only recommended singing and chanting expressively. With this change, pupils will get
deeper enjoyment, and also other pupils could be involved in appraising and reviewing their classmates’ ideas with support of class teachers. Secondly, listening to live or recorded music was not a
main requirement of the old curriculum. In the breadth of study section at the end of KS1 music curriculum, a range of live and recorded music is listed. However, this time the phrase ‘high-quality’ is
added, and also in one of the main aims. This also gives teachers the responsibility of choosing better
listening materials, not just playing typical classical music. Also, this also gives pupils more chances
to listen to good quality live music. This is surely more rewarding and will strengthen enjoyment of
music. Thirdly, pupils will also learn the inter-related dimensions of music. Although a combination
of musical elements for playing music was outlined in the curriculum, in the new curriculum, emphasis
on inter-related dimensions of music is important. This suggests that pupils explore the world of
sound by themselves by applying the musical knowledge learnt in music lessons. This will be attractive to pupils and also develop their general creativity by enabling them to devise sounds and use sim-
The New Direction of Musical Activities in Primary School in England
169
ple instruments.
These characteristics of the national curriculum 2014 are radical but effective. Now, the question is
if these changes can really fit into KS1 musical education. In the next section, theories of specialists
in music education will be reviewed in an attempt to answer this question.
KS1 Music: Theory for Teaching
As mentioned in the previous section, KS1 is the turning point for children in terms of beginning
their formal education. Music therefore is a vital tool to help children adjust to classroom life. In
other words, KS1 music has a stronger influence at this stage compared to subsequent stages. Teachers need to plan lessons to ease children’s transition from non-compulsory nursery school to primary
education.
Classroom practice ideas
Patterson and Wheway suggest seven rules which teachers of KS1 music should endeavour to
follow:x
• Take opportunities to stimulate, sustain and enhance children’s interest and awareness of sound
• Provide progressive, continuous and relevant musical experience
• Continually assess and keep a record of each pupil’s progress
• Recognise individual need and facilitate additional support as and when required
• Identify what music shares with other areas of the curriculum
• Develop social skills and awareness through making music together
• Develop and awareness of, and respect for, musical traditions in a variety of cultures and societies
These suggestions may be difficult for non-music specialist class teachers to apply. Patterson and
Wheway also provide some simple guidelines in a more casual style to how teachers could get the best
out of the music activities in their classes: these points may be more useful for non-music specialist
class teachers:xi
• Children copy teachers
• Keep activities simple
• Children develop at different rates
• Music is organized sound
• Not all activities necessarily lead to a ‘performed’ product
• Encourage children to care for instruments
• Children bring with them a wealth of musical example
170
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
• Develop clear ways of controlling noise
• Music helps those with special needs
• Whole curriculum planning
These ideas will help teachers to plan organized and non-threatening lessons which are also fun.
For music lessons to take place in a good atmosphere, classroom discourse and exuberance are also
essential. These can be encouraged from the beginning of a new class. For teachers and pupils,
meeting each other at the beginning of a school year brings:xii
[…] a mixed brew of feelings – of optimism, trepidation, a sense of fresh opportunities and new
starts – and the challenge of needing to get to know each other quickly.
To make class lessons effective, the lesson planning is important. However, it is no simple task to
create a good lesson, and music lessons run the risk of becoming “uninspiring, monotonous and complicated to understand”.xiii Young and Glover suggests the first half term of lessons should include the
following:xiv
• It can be new work, aiming to stretch the children and move them on
• It can have carefully thought out ‘diagnostic’ opportunities built in
They state that “the first few weeks are therefore a crucial time for introducing the range of musical
opportunities and expectations”.xv
The factor of KS1 music
Makinnon describes the good music lesson as involving “pupils in music, movement and games that
they cannot fail to appropriate pitch, rhythm and pulse”.xvi She adds “the piano is the last thing Key
Stage 1 children need to appreciate music”xvii. Her words are somehow radical but their underlying
assumption is worthy of consideration. Instead, teacher’s unaccompanied singing and well-recorded
CDs containing various accompanying styles are essential for KS1 class teachers. By using good
CDs, class teachers can pay more attention to each child. This will also facilitate discourse as teachers are free to move whilst the music is playing or give instruction. Young and Glover also suggest
the following to strengthen music lessons:xviii
• The teacher can devise activities which allow her to hear and see something of the musical experience and capabilities children bring with them
• Music is a good vehicle for getting to know children in a multifaceted way
• Musical activities are a useful way to bring a new group of children together as a group and to reinforce a sense of community in the classroom
A teacher’s instruction is always important when using instruments in class, as children really respond
to handling and playing instruments which they have not touched at nursery schools. Minto suggests
The New Direction of Musical Activities in Primary School in England
171
‘ground rules’ for these kinds of musical activities to obtain maximum benefit and enjoyment:xix
• Only touch the musical instruments when asked
• Leave the beaters on top of the instrument when not in use
• Do not play when you (pupils) are meant to be listening
• Treat the instruments with respect
• Look when you are listening
These rules are also important for KS1 pupils to learn manners in music lesson for the first time and
also learn to respect other pupils.
Conclusion: How Classroom Music will Develop
Young and Glover describe the cross-curricular benefit of music lessons for younger children as follows:
[…] a very broadly based subject and is best taught in a climate where it is part of a whole learning environment…rather than confined to a single lesson slot once a week.xx
Considering this comment in the light of music’s position as a cross-curricular subject, it is clear
that music is an invaluable tool for class teachers to encourage pupils to communicate. This nonthreatening subject could help children who may hesitate to communicate other pupils by enabling
them to express themselves through musical activities. Therefore, in the 2014 curriculum, music is
part of a more holistic approach rather than a separate discipline. By using music as a cross-curricular tool, KS1 subjects can be made more enjoyable and straightforward for young learners. Also, introducing music into other subjects could help pupils communicate easily and improve classroom discourse.
In music, the position of creativity seems to have been emphasised. Pupils are encouraged to create their own music but they are freer to use technology as well as their own devices. If teachers
plan composing or music-making in KS1, it should be a group activity. With guidance from class
teachers, pupils can plan and create their own music through communication which will have positive
repercussions for the class as a whole.
Introducing world music and good live or recorded music is also a new approach in KS1 music. Pupils can experience various kinds of world music they may previously only have seen in a limited way
on television. After listening to world music, teachers can suggest that the students try to replicate
the music. This can be achieved in a fun and creative way rather than as a more formal attempt but it
will certainly help children to learn how to play instruments as well as experimenting with their voices. Providing pupils with good live or recorded music is also beneficial, in that it helps students deep-
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
172
en their musical appreciation. Teachers are also awaiting further clarification with regard to teaching
the historical background of music and studying composers.
At the moment classroom teachers are preparing for the new curriculum in this transitional year. As the 2014 curriculum has yet to be formally implemented, there is currently little scholarly comment
on the changes. However, the following conclusions can be drawn. Firstly, the 2014 curriculum includes changes that are radical but positive. Class teachers may thus feel a certain degree of disorientation for the first term of the 2014 academic year. However, music is still a part of daily classes
class and if teachers remember Young and Glover’s ideas, the new music classes will be successful:xxi
Music works best when it is a part of daily life in the classroom. For many activities, ‘little and
often’ is the key to success. Children’s natural enthusiasm for music makes it invaluable at coming –together times and as a way of helping the class to work as a social group…Music in school
can contribute to the quality of life just as it does outside it.
Notes
i
Department of Education, Remit for Review of the National Curriculum updated on June 2012.
ii
Op. cit.,
iii
Op. cit.,
iv
Apart from English, mathematics and science for years 2 and 6, English, mathematics and science
v
Department for Education, Primary National Curriculum ‘Music’ updated on 02 August 2013.
vi
Department for Education, 2014 National Curriculum updated in 2013.
vii
Department for Education, Music Program of Study: Key Stages 1 and 2 published on September
viii
Op. cit.,
ix
Op. cit.,
x
Anice Paterson and David Wheway, Kickstart Music 1 (London: A&C Black, 2010), ‘introducing
xi
Op. cit., ‘music with your class’
xii
Suzan Young and Joanna Glover, Music in the Early Years (London: RoutledgeFalmer, 1998), p. 7.
xiii
Ann Bryant, Key Stage 1 Music (London: International Music, 2002), p. 4.
xiv
Young and Glover, p. 8.
xv
Op. cit.,
xvi
Bryant, Foreword.
xvii
Op. cit.,
xviii
Young and Glover, pp. 7 8.
xix
xx
Young and Glover, p. 8.
xxi
Op. cit., p. 9.
for KS4. These subjects will be phased in from September 2015.
2013.
kickstart’
-
Donna Minto, Games, Ideas and Activities for Primary Music (Harlow: Pearson, 2009), Introduction p.
ix.
173
The New Direction of Musical Activities in Primary School in England
Bibliography
Bryant, Ann. Teaching Key Stage 1 Music (London: International Music, 2002)
Campbell, Patricia Shehan. and Scott Kassner, Carol. Music in the Childhood (3rd ed.) (Boston: Schirmer,
-
2010)
Department of Education and Employment, Music (London: The Stationery Office, 1999)
Glover, Joanna. and Ward, Stephen. eds. Teaching Music in the Primary School (2 nd ed.) (London:
Continuum, 1998)
Malloch, Stephen. and Trevarthen, Colwyn. eds. “ Musicality in Childhood Learning” in Malloch, Stephen. and Trevarthen, Colwyn. eds. Communicative Musicality (London: Oxford University Press,
2009)
Mills, Janet. Music in the Primary School (3rd ed.) (Oxford: Oxford University Press, 2009)
Minto, Donna. Games, Ideas and Activities for Primary Music (Harlow: Pearson, 2009)
Paterson, Anice. and Wheway, David., Kickstart Music 1 (London: A&C Black, 2010)
Pascal, Christine. “The Effective Early Learning project and the National Curriculum” in Cox, Theo,
ed. The National Curriculum and the Early Years (London: The Farmer Press, 1996)
Young, Suzan. and Glover, Joanna. Music in the Early Years (London: RoutledgeFalmer, 1998)
Internet Sources
Department for Education. ‘Primary National Curriculum Music’
<https://www.gov.uk/government/publications/national curriculum in england music program
-
-
-
-
-
mes of study> [accessed 12 November 2013]
-
-
_____________________. ‘Remit for Review of the National Curriculum in England – Schools’ <http://
www.education.gov.uk/schools/teachingandlearning/curriculum/nationalcurriculum2014/nationalcurriculum/b0073043> [accessed 9 December 2013]
_____________________. ‘2014 National Curriculum’
<http://www.gov.uk/government/publications/national curriculum in england primary curricu
-
lum> [accessed 12 November 2013]
-
-
-
-
本学学生の英語学習および本学外国語カリキュラムに関する意識
175
本学学生の英語学習および
本学外国語カリキュラムに関する意識
─
学生アンケート調査からの報告 ─
太 田 聡 一
Abstract : A student survey on the foreign language curriculum at Tohoku Fukushi University
and their English study was conducted in two of compulsory English classes for freshmen and
three for sophomores in order to learn about the students’ general attitude toward English education and their needs of English skills. The result shows that 1) many students are highly
aware of the needs of English skills in their future and hence the needs of English study during
their university education, 2) however, it appears to be difficult for many of the students to
maintain their motivation to study English, 3) although many students are aware of the necessity of English skills, the levels of English proficiency which they are aiming to acquire during
their university education is not necessarily high.
キーワード : 英語,カリキュラム,意識調査
1. 背 景 と 目 的
小学校 5,6 年次における「外国語活動」の導入に続き,文部科学省は,2020 年度をめどに,
小学校高学年における英語の教科化(現状は「活動」のため,成績評価の対象になっていない)
と授業回数の増加,さらに教科とはしないものの,3,4 年生から英語の授業を開始する方針を
決定した。
この決定に対しては賛否両論様々な声が上がっているものの,この決定により,英語力の必要
性が,将来的にこれまで以上に強調されるであろうことは疑いの余地がない。
楽天市場,ユニクロといった大手企業の英語社内公用語化の動きや,経団連による,英語が使
える人材排出に向けた英語教育改革の要請,それに伴う,大学入試への TOEFL 導入議論など,
昨今,日々メディアに登場する英語教育,また日本人の英語力に対する議論を象徴する出来事に
は枚挙に暇がない。
しかしながら,他大学に比べ,一般企業への就職を希望する学生数が少ない傾向にある本学に
おいては,学生の英語,および他の外国語に対する学習意欲が総じて高くないように見受けられ
る。外国語教育連絡会,および国際交流センターを中心に,TOEIC IP テストの実施や,海外語
学研修事業,外国語自習室の設置など,学生の英語,外国語学習を促進するための試みが行われ
ているものの,現状ではその効果は限られた範囲にとどまっている。
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
176
佐藤(2008)が主張するように,実のある英語教育を実現するためには,学習者の実態を正確
に把握することが重要である。本研究は,今後数年をかけて実施する予定の本学学生の英語,外
国語学習に対する意識調査(およびその意識の変化を知るための追跡調査)のために行った予備
調査の結果をもとに,現時点における本学学生の,英語を含む外国語カリキュラム,および英語
学習に対する意識と,進級に伴うその変化を考察するとともに,将来の本格的な意識調査に向け
た課題を明らかにすることを目的とする。
2. 調 査
2.1 被験者
本研究の被験者は,本年度(2013 年)筆者が本学において担当した基礎教養課程の授業,
「英
語 I(1 年次生前期)」2 クラス 60 名,「英語 III(2 年次生通年)」3 クラス 73 名の,合計 133 名
である。全学部,全学科共通の必修科目であるというカリキュラムの特性上,上記のクラスはほ
ぼ全て,複数の学部学科の学生が混在した状態で実施されている。しかしながら,英語 I のうち
一方のクラスは,時間割による履修上の制約により,履修学生が全て子ども教育学科所属となっ
ている。また,英語 III のクラスは 2 年次生必修の課目ではあるが,3 クラスともに若干名の 3,
4 年生が再履修生として在籍している。英語 I,英語 III における,学部学科,学年の分布につい
ては,表 1, 2, 3 を参照されたい。
表 1 英語 I 学科別人数
学科
表 2 英語 III 学科別人数
人数
学科
人数
社会福祉学科
3
社会福祉学科
社会教育学科
1
社会教育学科
4
福祉心理学科
6
福祉心理学科
15
産業福祉マネジメント学科
5
産業福祉マネジメント学科
11
情報福祉マネジメント学科
3
情報福祉マネジメント学科
子ども教育学科
31
子ども教育学科
保険看護学科
11
医療経営管理学科
合計
合計
60
表 3 英語 III 学年別人数
学年
人数
2
63
3
5
4
4
不明(未回答)
1
20
3
12
8
73
本学学生の英語学習および本学外国語カリキュラムに関する意識
177
2.2 アンケート調査用紙
本学学生の英語,および外国語学習に対する意識を調査するために,本研究では,2013 年度
最初の授業の際に,アンケート調査を行った。実施においては,筆者自身がアンケート用紙の配
布,監督,回収を行った。所要時間は,上記 5 クラスともにおよそ 10 分程であった。
アンケート用紙は,以下の 7 つの質問から成り立っている。
1) 東北福祉大学では,英語を含む外国語 I/II/III が全学部共通で必修となっています。これ
についてあなたはどう思いますか ? 理由も書いてください。
2) 英語の履修を決めた理由は何ですか ? 自分の理由にいちばん近いと思うものを選んでく
ださい。
3) 中学・高校を通じて,英語は得意教科でしたか ? 苦手な教科でしたか ?
4) 現時点で,将来の自分に英語力の必要性を感じていますか ?
5) 英語力の必要性が盛んにメディア等で取り上げられていますが,それについてあなたはど
う思いますか ?
6) 英語学習の到達目標について伺います。在学中にどのような英語力を身に着けたいです
か?
7) 東北福祉大学で提供されている,交換留学や海外交流プログラムについてどのように思い
ますか ?
質問に対する回答形式は,1),3),4)および 5)は,4 段階のリッカート尺度による回答,2)は
自由記述を含む 5 項目からの選択,6)は 11 項目からの複数選択,7)は 4 項目からの選択となっ
ている。
3. 結 果 と 考 察
全クラスのアンケート調査が終了した後,その結果は筆者により集計された。集計は,1 年次と,
2 年次以上とで,どのような意識の変化が現れるかを考察するために,英語 I,英語 III,それぞ
れを別個に行った。本稿においては,本学外国語教育カリキュラム,および学生の英語・英語学
習に関する質問項目に対する回答を考察することが目的のため,質問 7 については割愛した。ま
た,本研究は参加者が 133 名と比較的少なく,同一集団におけるその意識の経年変化を検証する
ものでもないため,統計的検定による有意差の抽出は行わず,記述統計の結果からのみ考察を行っ
た。
3.1 質問 1 本学の外国語カリキュラムについて
1 年次に比べ,2 年次になると,外国語カリキュラムに対する姿勢にやや消極性が目立つよう
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
178
表4
質問 1 東北福祉大学では,英語を含む外国語 I/II/III が全学部共通で必修となっています。
これについてあなたはどう思いますか ?
1 年次生
2 年次生
度数
パーセント
度数
パーセント
1) 全面的に賛成する
42
70%
22
30%
2) どちらかといえば賛成する
16
27%
43
59%
3) あまり賛成できない
2
3%
8
11%
4) まったく賛成できない
0
0%
0
0%
合計
60
73
図 1 東北福祉大学外国語カリキュラムについて
になる。2 年次においても,依然としてカリキュラムの存在に前向きな答えが多数を占めるもの
の,全面的賛成が大多数(70%)を占めていた 1 年次に比べると,消極的賛成(59%)が目立つ
うえ,消極的反対意見が 3% から 11% へと大幅に増えている。消して少なくない数の学生にとっ
て,主専攻とは関係のない外国語学習が,学年が進むにつれて負担に感じられてくる様子が伺え
る。
3.2 質問 2 英語の履修を決めた理由
将来英語が必要だからと回答した学生は,1 年次,2 年次ともに 40% を超えている。この数字
は,後述する質問 4 および,質問 5 に対する回答と照らし合わせるとやや少ないように感じられ
る。これは,特に 1 年次においては学科の偏りが原因と考えられる。前述のように,1 年生の過
半数が他の外国語の履修を認められていない(英語が必修)子ども科学部所属であるため,これ
らの学生の多くが,回答 5「その他」を選択した上で,自由記述欄に,
「必修だから」という旨
を記していた。また 2 年次においても,同様の理由を記したケースが見受けられた。さらに 2 年
次では 29% の学生が,「他に履修したい外国語がなかったから」と回答しているが,1 年次に比
べて大幅に増えている理由を説明するには,更なる調査が必要である。
本学学生の英語学習および本学外国語カリキュラムに関する意識
表5
179
質問 2 英語の履修を決めた理由は何ですか ? 自分の理由にいちばん近いと思うものを
選んでください。
1 年次生
1) 将来英語が必要だから
2 年次生
度数
パーセント
度数
パーセント
40%
26
43%
29
2) 英語が好きだから
8
13%
5
7%
3) 他に履修したい外国語がなかったから
7
12%
21
29%
4)
友人が履修するから
0
0%
1
1%
5)
その他(自由記述)
19
32%
17
23%
合計
60
73
図 2 英語の履修を決めた理由
3.3 質問 3 中学・高校において英語は得意であったか
1 年次,2 年次の回答傾向に大きな差は見られなかった。「どちらかといえば苦手」,
「非常に苦
手」を合わせた割合が,1 年次で 66%,2 年次で 72% と,英語を不得手とする学生が過半数を占
める本学学生の傾向が現れている。
表 6 質問 3 中学・高校を通じて,英語は得意教科でしたか ? 苦手な教科でしたか ?
1 年次生
度数
1)
非常に得意だった
2) どちらかといえば得意だった
2 年次生
パーセント
度数
パーセント
1
2%
4
5%
19
32%
17
23%
3) どちらかといえば苦手だった
29
48%
34
47%
4)
非常に苦手だった
11
18%
18
25%
合計
60
73
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
180
図 3 英語は得意だったか
3.4 質問 4 将来,英語力の必要性を感じているか
「非常に感じている」と回答した学生の割合が,1 年次の 35% に対して,2 年次は 19% とおよ
そ半分である。しかしながら,「どちらかといえば感じている」と回答した学生は,1 年次 47%
に対して,2 年次 62% となっている。これもまた,英語 I を履修している学生に,小学校教員を
目指す学生が多く集まっていたことを反映していると考えられる。全体の傾向としては,1 年次,
2 年次ともに,英語の必要性についての認識は高い傾向にあった(1 年次 82%,2 年次 81%)。反
面,1 年次には全くいなかった,将来,英語力の必要性を全く感じないという回答が,2 年次で
は 3% と僅かながら現れている。学年が進み,将来の方向性が固まるにつれ,実際に英語力が必
要とされない業種に対する志向が強まった結果とも考えられるし,あるいは,英語学習に対する
倦怠感の現れであるのかもしれない。
表 5 質問 4 現時点で,将来の自分に英語力の必要性を感じていますか ?
1 年次生
2 年次生
度数
パーセント
度数
パーセント
1) 非常に感じている
21
35%
14
19%
2) どちらかといえば感じている
28
47%
45
62%
3) あまり感じない
11
18%
12
16%
4) まったく感じない
0
0%
2
3%
合計
60
73
本学学生の英語学習および本学外国語カリキュラムに関する意識
181
図 5 将来英語力の必要性を感じるか
3.5 質問 5 メディアが取り上げる,英語力の必要性に同意するか
1 年次の全てが,積極的(48%),消極的(52%)に関わらず同意する回答を寄せたのに対して,
2 年次では,消極的不同意(10%),積極的不同意(1%)が現れる。しかしながら,全体的傾向
としては 2 年次も,積極的同意(25%),消極的同意(63%)と,大多数が英語力の必要性に対
するメディアの情報に同意を示している。質問 4 への回答傾向と合わせて考えても,学生の多く
は将来的な英語力の必要性を認識している傾向が強いことが伺える。
表6
質問 5 英語力の必要性が盛んにメディア等で取り上げられていますが,それについてあ
なたはどう思いますか ?
1 年次生
2 年次生
度数
パーセント
度数
パーセント
1) 全面的に同意する
29
48%
18
25%
2) どちらかといえば同意する
31
52%
46
63%
3) あまり同意できない
0
0%
7
10%
4) まったく同意できない
0
0%
1
1%
1
1%
無回答
合計
60
73
図 6 メディアが取り上げる,英語力の必要性に同意するか
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
182
3.6 質問 6 英語学習の到達目標
選択項目 3(買い物程度の日常的な会話ができる),4(簡単な案内書などが読める)
,7(平易
な文章を書くことができる)という,到達難易度の低い目標が,1 年次,2 年次ともに高い回答
率を示したのに対して,選択項目 2(英語の映画・テレビを字幕なしで理解できる : 1 年次
30%,2 年次 16.4%),5(英字新聞が読める : 1 年次 21.7%,2 年次 5.5%)
,9(英検・TOEIC な
どで準 1 級・700 点以上を取得する : 1 年次 11.7%,2 年次 1.4%)という,到達が難しいと思わ
れる目標については,1 年次と比べて,2 年次では回答率が大きく下がるという結果となった。
大学入学から時間が経った 2 年次生の多くにとって,主専攻ではない英語学習に対して意欲を維
持することが難しいことを示していると考えられる。
また,選択項目 6(辞書を用いて,自分の専門に関する英文が読める : 1 年次 23.3%,2 年次
20.5%)
,8(辞書を用いて,自分の専門に関する英文レポートが書ける : 1 年次 8.3%,2 年次 6.8%)
の,本来学年が進み,専門教育が深まるにつれて現れて然るべきニーズを反映していない回答結
果が得られた。これについては,本学学生がそれぞれの専攻において,どの程度英語を介した学
習を行っているのか(あるいは行っていないのか),更なる調査が必要である。
図7
質問 6 英語学習の到達目標について伺います。在学中にどのような英語力を身に着けた
いですか ?(複数選択可)
1 年次
2 年次
度数
パーセント
度数
パーセント
① 外国人と自由に会話ができる
16
27%
15
21%
② 英語の映画・テレビなどを字幕なしで理解でき
る
18
30%
12
16%
③ 買い物程度の日常的な会話ができる
37
62%
45
62%
④ 簡単な案内書などが読める
26
43%
32
44%
⑤ 英字新聞が読める
13
22%
4
5%
⑥ (辞書を使って)自分の専門に関する文章が読
める
14
23%
15
21%
⑦ 平易な文章を書くことができる
25
42%
34
47%
⑧ (辞書を使って)自分の専門に関するレポート
が書ける
5
8%
5
7%
⑨ 英検・TOEIC などで上級(準 1 級以上・700 点
以上)を取得する
7
12%
1
1%
⑩ 英検・TOEIC などで中級(2 級以上・500 点以上)
を取得する
8
13%
9
12%
⑪ 特に目標はない
0
0%
5
7%
本学学生の英語学習および本学外国語カリキュラムに関する意識
183
図 7 英語学習の到達目標
4. ま と め
今回の結果から明らかになった本学学生の英語力,および英語学習に対する意識傾向は以下の
点である。
1)
英語力の必要性,英語学習の必要性についての認識は,全体としては高い傾向にある。
2)
しかしながら,学年が進むにつれて,学習意欲の維持が難しくなる傾向にある。
3)
多くの学生が英語力の必要性を認識しつつも,
求めている到達レベルについては高くない。
以上の点から示唆できることは,ひとつには,学年が進んでも英語学習に対する意欲を維持で
きるようなカリキュラム,および学習環境の整備である。また,学生に,どのような英語力が将
来的に必要になるのか,必ずしも就職を念頭に置いた話や,社会に出てからの話だけではなく,
学年が上がり,専門分野についての学習が深まるにつれて,授業やゼミで求められる英語力とい
う視点から具体的に示すことも,学生にはっきりとした学習目標を持たせる上で必要であろう。
今回のアンケート調査は,筆者が担当するクラスのみという,ごく限られた集団を対象とした
ものであり,これが本学学生の全体的傾向を示唆するものであるとは結論できない。また,1 年
次と 2 年次が異なるグループであり,その回答傾向に見られる差が,同一集団の経年変化を示す
ものではないため,学生の進級に伴う意識変化を,必ずしも正確に反映しているものではない可
能性がある。さらに,筆者が英語のみを担当する都合上,本学で開講されている他の外国語(ド
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
184
イツ語,韓国語,中国語)については,履修学生の傾向が不明のままである。
今後は,学生全体の,外国語学習に対する意識傾向を把握するために,質問内容を精査した上
で,全外国語クラスを対象としたアンケート調査を行い,それをもとに学科別の傾向分析や,同
一学生の進級に伴う意識変化を探る縦断的調査などが必要となる。また,その結果を基にした,
外国語カリキュラム,および外国語学習環境の改善が望まれる。
参 考 文 献
佐藤博晴・佐藤夏子(2008) 「本学学生の英語学習に対する動機付けと学習行動に関する調査」『山
形県立米沢女子短期大学紀要』44, pp. 25 33
-
鈴木渉・Adrian Leis・安藤明伸・板垣信哉(2011) 「大学生の英語学習に対する動機づけ調査 ─
Dörnyei の L2 motivational self system に基づいて ─」
『宮城教育大学国際理解教育研究センター
年報』6, pp. 34 43
-
スミス山下朋子(2012) 「薬学系大学生の英語学習に対する意識 : 学部生を対象とするアンケート
調査から」『大阪薬科大学紀要』6(2012)
, pp. 41 47
-
非侵襲的出生前遺伝子学的検査(新型出生前診断)における課題と問題点における考察 185
非侵襲的出生前遺伝子学的検査(新型出生前診断)
における課題と問題点における考察
舩 渡 忠 男
Abstract : The invasive procedures amniocentesis and chorionic villus sampling are routinely
applied in pregnancies at risk for fetal genetic disorders and the results obtained are the gold
standard for prenatal diagnosis.
In recently, the field of prenatal genetic testing has exploded
with new non invasive genetic technologies.
-
These recent technological advances in prenatal
diagnosis : interrogation of the fetal genome in increasingly high resolution and the development of non invasive methods of fetal testing using cell free DNA in maternal plasma.
-
-
In this
paper, it has examined the sequencing technologies that provide the framework for non inva-
sive prenatal testing(NIPT)and review the major studies published.
This review summariz-
es recent developments in the field of non invasive prenatal diagnosis through the use of cell
-
-
free fetal nucleic acids in maternal circulation during pregnancy and provides an overview of the
possibilities for future clinical applications.
This review summarizes recent work in this field
and discusses the integration of these new technologies into the clinic and society.
Key words : non invasive prenatal genetic testing(非侵襲的出生前遺伝学的検査),prenatal -
screening(出生前診断),trisomy 21(21 トリソミー),trisomy 18(18 トリソ
ミー),trisomy 13(13 トリソミー),genetic counseling(遺伝カウンセリング)
は じ め に
遺伝性疾患としてダウン症候群(21 トリソミー)をはじめとする先天性の染色体異常症候群は,
妊婦羊水における胎児の細胞内の染色体を調べることで,臨床的に診断されてきた。妊娠して胎
児が生まれる前に胎児の細胞検査を実施し,妊娠中分娩前に胎児の先天異常や遺伝性疾患などを
診断することから「出生前診断」といわれる。昨今の分子生物学における遺伝子研究の急激な進
歩により,遺伝子検査として臨床の多くの場に導入され,恩恵をもたらすものとして大いに期待
されている1)。その中でとくに 2000 年後半から,胎児の単一遺伝子病の診断に妊婦血液からの
無侵襲的出生前遺伝学的検査(non-invasive prenatal genetic testing ; NIPT,エヌ・アイ・ピィ・
ティ)
,あるいは母体血細胞フリー胎児遺伝子検査(maternal blood cell-free fetal nucleic acid
test ; cffNA test)と呼ばれる方法が開発され,臨床的に実用されてきた2)。2011 年,米国シーケ
ノ ム 社 が DNA の 塩 基 配 列 を 決 定 す る 方 法(Massively parallel sequencing ; MPS, マ タ ー ニ
T21 ; MaterniT21 plus)を開発し,21 トリソミー(ダウン症候群),18 トリソミー,13 トリソミー
を対象とした検査受託を始めた3)。従来の染色体検査と比較して妊婦血液から簡便に行える革新
的な技術であり,以後新聞・テレビ報道でも「新型出生前診断」として注目された。本邦におい
186
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
ては,2013 年 4 月より数施設で実施されるようになった。従来法と比較して優れた点は,NIPT
が妊婦血液から採取するという胎児に非侵襲性である点と,99.98% の陰性的中率であり,0.01%
という偽陰性率の低さにある。今回,現在導入された無侵襲的出生前遺伝学的検査(NIPT)に
よる妊婦血液からの出生前診断の現状における課題と種々の問題点を文献的に整理し,考察した
ので報告する。
I. 新型出生前診断とは
出生前診断とは,子供が生まれる前に母子の検体から胎児の疾患の有無を判定して,妊娠を継
続するかどうかの判断の材料とするものである。これまでの 21 トリソミー(ダウン症候群)を
はじめとする先天性の染色体異常症の出生前診断は,主に羊水(一部絨毛膜)を採取(羊水穿刺)
し,胎児由来細胞の染色体を検査することにより行われてきた4)。羊水は,妊婦子宮を満たす液
体であり,胎児の細胞が存在する。しかしながら,妊婦の腹部に針を刺して羊水を採取すること
は,侵襲的な穿刺により羊水漏出や流産などの合併症につながるリスクが大きい。そこで,胎児
異常が発生する確率が特に高い高齢妊婦を対象として,非侵襲的な方法として母体血清マーカー
検査が開発されたが5),臨床的に十分検討されず,確定診断として実用化し評価されるには至っ
てはいない。この課題を解決する方法として登場してきたのが,今回の「母体血を用いた新しい
出生前遺伝学的検査」(新型出生前診断と一般に呼ばれているが,正確には非侵襲性出生前遺伝
学的検査,NIPT)である。本法は,次世代シークエンスの DNA 配列解読の超高速化,大量解読
化によるゲノムサイエンスの革新的技術によって生まれてきたものである6)。本法による NIPT
は,妊婦の採血だけで胎児の特定の染色体(13 番,18 番,21 番)の数的異常を検査するもので
あり,非侵襲的であることから手軽に検査を受けられることが期待される。一部医療機関では本
検査を 2013 年 4 月より積極的に実施することになり,現在に至っている。出生前診断は,最先
端の遺伝子解析技術を駆使して,臨床の医師と妊婦のニーズにあった遺伝子検査を提供すること
が基本であり,そのため臨床検査においては精度や安全性,カウンセリングを含めた倫理面を保
証していくことが重要である。
II. 無侵襲的出生前遺伝学的検査の実際
シーケノム社が開発した革新的な診断検査技術と遺伝子解析ソリューション
(MaterniT21™ PLUS)は,21 番染色体の異数性(ダウン症候群に関連),
18 番染色体の異数性(エ
ドワーズ症候群に関連),さらに 13 番染色体の異数性(パトー症候群に関連)を識別し,異数体
の存在を同定するものである。このシーケノム社の NIPT の原理となっているのは massively
8,9)
parallel genomic sequence(MPS)法である7)
(図 1)
。
非侵襲的出生前遺伝子学的検査(新型出生前診断)における課題と問題点における考察 187
Aを付加し、アダプターを
ライゲートする(ligated DNA)
Flow cellにDNAを結合し、
Sequencing primerをアニールする
Sequencing
図 1. Massively
parallelsequence
genomic(MPS)法の原理
sequence(MPS)法の原理
図1. Massively
parallel genomic
次世代シークエンスを用いた
Illimina
Genome Analyzer Workflow
次世代シークエンスを用いたIllimina
Genome Analyzer
Workflow
文献 文献9より改変。
9 より改変。
妊婦血液の中には,胎児のさまざまな長さの DNA 断片(maternal blood cell-free fetal nucleic
acid ; cffDNA)が存在することが明らかになっている。循環中の血液の中から核酸を抽出するこ
とは難しかったが,低メチル化した DNA 断片を制限酵素処理して stem-loop プライマー(SERPINB5)を用いて PCR 増幅(digital PCR and multiple PCR)することにより微量の胎児 DNA を
10,11)
検出することを可能とした(図 2)
。妊婦血液の中で,胎児由来の DNA 断片は約 10% 以下と
考えられており,母体由来の DNA 断片との鑑別が重要である。
染色体における数的異常を妊婦血液の核酸分析から診断するのが NIPT である。染色体におけ
る各遺伝子のゲノム上の GC 含量は正常の場合一定であり,DNA のコピー数が通常は 2 となる。
異数体となると,21 トリソミーの場合は GC 含量が 3/2 倍となり,DNA は 3 コピーとなる。し
12)
たがって,NIPT は MPS 法を用いて GC 含量の違いから判定することになる(図 2)
。MPS 法
は同時に 18 トリソミーおよび 13 トリソミーについても解析可能である。2013 年 4 月から始まっ
た NIPT における MPS 法は,母体血中の核酸 DNA を高い効率で回収し,次世代シークエンスに
よりその塩基配列を大量に解読するものである。断片化している DNA からの全塩基配列情報を
コンピュータ処理し,例えば 21 番染色体断片の DNA 量の量的変化を解析する(図 3)。21 トリ
ソミー胎児の DNA 量は,対照となる正常核型の DNA 量より相対的に増加する。このわずかな
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
188
胎児DNA
母体DNA
HpaII処理
M
CCGG
GGCC
CCGG
GGCC
HpaII処理
HpaII処理されず
M
Stem‐loop primerは
St
l
i
は
DNAにアニーリング
Stem‐loop伸展
Stem‐loop primerは
DNAにアニーリングしない
DNAにStem‐loop伸展が起こらない
リアルタイムPCR増幅
ジ ノタイプ分析
ジェノタイプ分析
図図
2.2. Stem
Stem‐Loop Primerによる胎児DNAの検出
Loop Primer による胎児 DNA の検出
CpGメチレーションによるメチル化した胎児DNAはHpaII制限処理で処理されないため、
CpG メチレーションによるメチル化した胎児 DNA は HpaII 制限処理で処理されな
いため,伸展が起こらず増幅されない。文献 12 より改変。
伸展が起こらず増幅されない。文献12より改変
-
正常核型
21トリソミー
図 3. MPS 法における染色体断片の DNA 量
21 トリソミーの場合,正常核型と比較して染色体断片の DNA 量が多くなる。
量的変化に基づき,正常かトリソミーを判別する。
図3 MPS法における染色体断片のDNA量
図3.
III. 新型出生前診断の現状
21トリソミーの場合、正常核型と比較して染色体断片のDNA量が多くなる。
21 トリソミー,すなわちダウン症候群は出生前診断において最も重要な疾患である。最近の
晩婚化による高齢出産の増加は,ダウン症候群のリスクを高くしていると考えられている。また,
新生児の約 3-5% に遺伝性疾患が認められると報告されている13)。これまでの出生前診断は,羊
水検査によって実施されてきた。国内では年間約 10,000 件の羊水による染色体検査が実施され
ている14)。しかしながら,1/200∼1/300 の確率で流産を引き起こすとされてきた。また,簡便で
非侵襲性な母体血清マーカー検査は,偽陽性確率が高くなることが報告されている15)。したがっ
非侵襲的出生前遺伝子学的検査(新型出生前診断)における課題と問題点における考察 189
表 1. 臨床研究の具体的な内容
1. 検査の前と,検査を希望した場合は検査の後に遺伝カウンセリングを行う。
2. 検査前後の遺伝カウンセリングの後にアンケート調査を行う。
3. 遺伝カウンセリングを評価するとともに問題点を検討して,適切に遺伝カウンセリングを行うた
めに必要な情報提供の内容,カウンセリング内容や施設基準などの基礎資料を作成する。
4. 受検数,陽性数,罹患数,妊娠帰結,絨毛検査・羊水検査数などを集計し,検査の実態を明らか
にする。
NIPT コンソーシアムより(http://www.nipt.jp/index.html)
て,羊水による従来からの染色体検査,超音波や母体血清マーカーと比較して,MPS 法による
NIPT は妊婦からの血液採取だけの非侵襲的な検査として,妊婦にとって画期的なリスク回避が
期待される。
妊婦の血液で胎児の染色体異常を調べる新しい出生前診断は,2013 年 4 月より国内の特定の
医療機関では,本検査を不特定多数の妊婦を対象に胎児の疾患の発見を目的としたマススクリー
ニング検査ではなく,「無侵襲的出生前遺伝学的検査である母体血中 cell-free DNA 胎児染色体検
査の遺伝カウンセリングに関する研究」という臨床研究への参加として実施している(表 1)。
臨床研究グループの集計によると,検査が始まった 4 月から 6 月末の 3 ヶ月間に全国 22 施設で
1,534 人が受診し,うち染色体異常の可能性があることを示す「陽性」と診断されたのは約 2%
に当たる 29 人だったことが分かった16)。このうち少なくとも 6 人が羊水検査などで異常が確定し,
2 人が人工妊娠中絶を行った。陽性のうち,21 番染色体の数の異常がある「ダウン症(21 トリ
ソミー)
」が 16 人,心臓疾患などを伴う「18 トリソミー」が 9 人,
「13 トリソミー」は 4 人とさ
れた。受診した妊婦は 27∼47 歳で,平均 38.3 歳,妊娠週数は平均 13.5 週となっている。
IV. 課 題 と 問 題 点
1. 対象
NIPT を実施するに当たっては,NIPT コンソーシアムによる施設条件を満たす必要がある(表
2)
。ただし,NIPT コンソーシアムの定める施設条件は,日本産科婦人科学会が公表した指針と
異なっている17)。日本産婦人科学会では 2013 年 3 月に示した指針18)において検査の問題点に言
及している(表 3)。母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査を受けることを希望する妊婦の
うち,表 4 に該当する者としている(表 4)18)。すなわち,NIPT 検査の意義を理解し,同意の得
られた妊婦が対象となる。検査時期は妊娠 10 週以降で 18 週までであり,NIPT 検査陽性の場合
確定診断としての羊水検査が必要となる。
190
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
表 2.臨床研究に参加可能な施設条件
1. 出生前診断に精通した臨床遺伝専門医・認定遺伝カウンセラーが複数名所属し,専門外来を設置
して診療している。
2. 専門外来で,一人 30 分以上の診療枠を設定してカウンセリングを行い,その中で検査や対象疾
患の説明を行う。
3. 検査後の妊娠経過についてのフォローアップが可能である。
4. 絨毛検査や羊水検査などの侵襲的胎児染色体検査に精通し,安全に行える。
5. 産婦人科医は,臨床遺伝専門医であり,かつ,小児科医は,臨床遺伝専門医であるか,周産期(新
生児)専門医であることを要し,その小児科医とも遺伝カウンセリング等の連携をとれる体制で
ある(21 トリソミー,18 トリソミー,13 トリソミー(注 1)の妊娠・分娩ならびに生後の管理
ができる)
6. 臨床遺伝専門医・認定遺伝カウンセラーは,
・検査についての研修などを通し,NIPT についての知識を充分に有している。
・院内で検査についての結果説明やカウンセリングに十分対応できる。
NIPT コンソーシアムの基準 : http://www.nipt.jp/rinsyo_02_2.html
表 3.新型出生前診断の問題点
1. 妊婦が十分な認識を持たずに検査が行われる可能性がある
・検査結果によって妊婦が動揺・混乱し,検査結果について冷静に判断できなくなる可能性があ
る
2. 検査結果の意義について妊婦が誤解する可能性がある
・診断を確定させるためには,さらに羊水検査等による染色体分析を行うことが必要
・感度が高いために,被検者である妊婦が得られた結果を確定的なものと誤解し,その誤解に基
づいた判断を下す可能性がある。
3. 胎児の疾患の発見を目的としたマススクリーニング検査として行われる可能性がある
・簡便さのため,医療者は容易に検査を実施でき,妊婦も検査を受けることを希望しやすい
・不特定多数の妊婦を対象に胎児の疾患の発見を目的としたマススクリーニング検査として行
われる可能性がある
表 4.臨床研究の対象となる妊婦
1. 胎児の染色体疾患(13 トリソミー,18 トリソミー,21 トリソミー)についての検査希望があり,
以下のいずれか の条件を満たす妊娠女性
2. 染色体疾患(13 トリソミー,18 トリソミー,21 トリソミーのいずれか)に罹患した児を妊娠,
分娩した既往を有する場合
3. 高年妊娠の場合(分娩時 35 歳以上)
4. 胎児が染色体疾患(13 トリソミー,18 トリソミー,21 トリソミーのいずれか)に罹患している
可能性の上昇を指摘された場合*
*
超音波検査,母体血清マーカー検査で可能性の上昇を指摘されている場合や両親にロバートソ
ン転座(21/13 染色体など)がある場合
2. 倫理面の考慮
医学の進歩に伴い,出生前に子宮内の胎児の状態を診断する出生前診断技術が向上してきてい
る。一部の疾患については,出生前診断をもとに出生前に子宮内の胎児に対して,または出生後
非侵襲的出生前遺伝子学的検査(新型出生前診断)における課題と問題点における考察 191
早期の新生児に対しての治療も可能となっている。しかしながら,治療の対象とならない先天的
な異常については,出生前診断を行うことにより,障害が予測される胎児の出生を排除し,ひい
ては障害を有する者の生きる権利と命の尊重を否定することにつながるとの懸念がある18)。
本診断の重要な問題点は,生命を選別することにつながることである。NIPT 特有の課題では
なく,
従来からの出生前診断における選択的中絶の是非である。検査が対象となる夫婦において,
「検査をおこなうべきか」および結果陽性の場合「生むべきかどうか」の選択が託されることに
ある。したがって,医療の実施にあたっては,受療者に対して適切な情報を提供し十分な説明を
行ったうえで,受療者がその診療行為を受けるか否かを決定することが原則である。本検査には,
とくに倫理的に考慮しなければならない問題が多い。妊婦が正しい認識を持たないまま検査を実
施し,障害を有する生命を排除することを決断してしまうことにもなりかねない。
今回マスコミで大きく取り上げられることによる問題は,簡便で簡単に受けられる検査である
と認識されることである。確定診断はあくまで羊水採取による胎児の染色体検査である。先天性
染色体異常症を早期に迅速に診断できる技術が導入されたことで,これまでの出生前診断が抱え
ていた問題が解決したわけではない。
3.検査精度の検証
現在実施されている NIPT 法は,ランダムに決定された配列リードを染色体にマッピングして,
対象染色体にマップされる配列数がコントロール(正常群)と比べて有意に増加しているかどう
かを判定する Z スコアを計算し,染色体の異数性異常を判別している19)。本法(MaterniT21 プ
19)
ラス)のトリソミー診断の精度は優れている(表 5)
。感度とは,実際に染色体異常があった児
のうち,事前の検査で陽性と出る確率のことである。特異度とは,実際に染色体異常はなかった
児のうち,事前の検査で陰性と出る確率のことである。なお,感度は 99.1% なので,陽性の漏
れが 0.9% 存在し,この検査で 21 番トリソミーの陽性を見逃す可能性もある。逆に,陰性と出
た場合には,100% に近い精度となる。NIPT 検査の精度に関して,PubMed 検索において多くの
報告20,21,22,23)があり,同様に高い感度と特異度を示している。正確度を判断する基準として QUADAS ガイドライン20)がある。QUADAS 基準は 14 のチェックリストからなるエビデンスを評価
するものである。この基準に基づいて,7 編の報告がレビューされ,感度と特異度が比較されて
いる21)。別の研究でも 4 編の報告がレビューされ,感度と特異度が比較されている22)。ここでは
表 5.NIPT における検査精度
感度(陽性確率)
特異度(陰性確率)
21 トリソミー
99.1%
99.9%
18 トリソミー
99.9%
99.6%
13 トリソミー
91.7%
99.7%
文献 19 より
192
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
3 種の異なる方法(Sequenom CMM, Verinata Health, Ariosa)における NIPT についても比較検討
している。メタアナリシスとして cffDNA の精度に関する論文を網羅的にメタアナリシスして,
比較検討から高い陽性率と陰性率が認められている23)。したがって,NIPT のデータにおいて,デー
タの信頼度は高いと評価しうる。
しかしながら,精度として海外のデータを参照としたに過ぎず,あくまで本邦における臨床研
究として,臨床検査診断学の立場からより精査し精度を追求する必要がある。少なくとも検査の
実施施設の要件として臨床遺伝専門医が常勤することと支援体制の整備を求めている。
4.遺伝カウンセリング体制の整備
本検査を希望する妊婦が存在することも事実であり,平成 25 年 4 月から全国 15 の実施施設に
おいて 1 ヶ月で 400 人以上の妊婦がすでに検査を受けている。対象となる妊婦は高齢妊娠など限
定すべきである(表 4)。さらに,妊婦に対して臨床遺伝学の知識を備えた専門医が遺伝カウン
セリングを適切に行う体制が整うまでは,母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査をわが国に
おいて広く一般産婦人科臨床に導入すべきではないと考える。また,遺伝カウンセリングを適切
に行う体制が整った場合においても,本検査を行う対象は客観的な理由を有する妊婦に限るべき
である。決して安易にスクリーニングとして取り扱うべきではないし,十分臨床研究の成果が議
論されてからでも導入は遅くはないはずである。
なお,日本医学会では母体血を用いた出生前遺伝学的検査の実施にあたっては,施設の認定お
よび登録を行っており,日本医学会臨床部会運営委員会「遺伝子・健康・社会」検討委員会の下
に設置された「母体血を用いた出生前遺伝学的検査」施設認定・登録部会24)で行われる。
遺伝カウンセリングとは患者・家族のニーズに対応する遺伝学的情報およびすべての関連情報
を提供し,患者・家族がそのニーズ・価値・予想などを理解した上で意志決定ができるように援
助する医療行為である。その過程で,心配している状態・病気は遺伝的に本当に心配しなければ
ならないことなのか,本当に心配しなければならないことならば,その可能性はどの位あるのか,
その可能性を避ける方法はないのか,避ける方法があるならば,それはどのような方法で,どこ
で受けられるのかなどの疑問に答えるために多くの情報提供を行なう必要があると考える。
V. 考 察
1. 対象
本検査は、 現在あくまで臨床研究として行われているため,参加するかしないかの判断は妊婦
に委ねられることになる。表 4 に示すように,対象は胎児の染色体疾患についての検査希望があ
る場合である。最終診断は羊水検査に委ねるため,既に胎児に超音波検査で形態異常が認められ
ている場合,高齢出産ではない(35 歳未満)場合,両親いずれかが転座などの染色体異常の保
非侵襲的出生前遺伝子学的検査(新型出生前診断)における課題と問題点における考察 193
因者である場合は,対象外となる。マスコミにより「99% の確率の新型出生前診断」とセンセー
ションに報道されたため,出産を控えた妊婦が過大な関心を抱いたことは否めない。本来,
NIPT 検査は対象を絞り,しかも臨床研究としての参加が前提であるため,一般の妊婦を対象と
していないことを周知する必要がある。
また,対象となるのは,ダウン症候群(21 トリソミー)など染色体の数の変化を原因とする 3
つの疾患だけであり,他の疾患は対象外である。検査でわかることが周知されず,新しい出生前
の診断であることが一人歩きしているように思われる。検査の限界を良く知った上で,参加する
かしないかの判断と考える。従来の羊水検査を避けるための NIPT 検査ではないことを良く理解
すべきである。
良い点は,医療側からすれば最先端の医療技術が現場に導入されたことにある。最近の分子生
物学的研究の進歩は著しく,1 本の染色体の差を正確かつ迅速に判定同定することは画期的であ
る。対象者にとってのメリットは,羊水診断までにおおよその判定がつくため,今後のことを時
間をかけて考えられる点にあると考える。
したがって,本 NIPT 検査の評価は臨床研究として,対象へのアンケート調査やその後の追跡
調査を分析,十分検討してなされるべきであろう。その上で,NIPT 診断として日常診療に導入
されることが望まれる。
2. 倫理面の考慮
出生前診断の是非については以前から倫理面での議論がなされてきた。とくに本邦では 2003
25)
年,遺伝医学関連の 10 学会が「遺伝学的検査に関するガイドライン」
を提示し,これが今日
での診療における倫理的な指針となって支持されている。生命倫理面での問題は,個人の遺伝学
的情報は血縁者で一部共有されており,その影響が個人に留まらないという際立った特徴を有し
ていることである。したがって,遺伝医学的な知識や遺伝子技術の基盤が不十分な施設での遺伝
子検査は結果が不明瞭であるにもかかわらず,責任体制も明確ではない。時々,テレビで放映さ
れる遺伝子型によるダイエット法など,何のエビデンスに基づくのか甚だ疑問である。
倫理面の最大の問題は,ガイドラインにある自由意志による自己決定である。すなわち,
NIPT による出生前診断が命の選択につながるという極めて重要なことが,十分議論されないま
ま,技術と情報が先行していることに懸念を持つ。確かに高齢出産の場合,ダウン症の確率が高
くなることは覚悟の上で検査を実施することになるが,結果をどう判断するのか,より十分な議
論を尽くす必要があろう。今回の NIPT のように技術的に出生前に高い確率で胎児の異常の有無
を発見することが可能になってきたのは確かである。結果の判断として,障害児を産み育てると
いう立場をとる場合と,女性の中絶を選択するという権利を行使する場合と,難しい選択が課せ
られている。倫理的には矛盾する考え方であるが,いずれもそれぞれ正当な選択であると考えら
れる。
194
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
また,個人やその家族の染色体やゲノムが正常とは異なっているということで,差別され排除
されてはならない。障害者として,医療保険,生命保険,雇用などで差別排除されることが懸念
される。法律上はこのような差別を禁止しているが,時にトラブルとなっていることが報道され
る。
26)
さらに,2004 年の「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」
では,遺伝情報は本人
の承諾がない限り,第三者には開示してはならないし,第三者からのアクセスも許されないと明
記している。研究の実施の適否に関しては,提供者等の人権の保障の倫理的観点から,各医療機
関は倫理審査委員会を設置して,審議すべきである。遺伝情報は,医療情報の中でも機密性が高
いと考え,日常診療では高度の基準によって扱われなければならない。したがって,本 NIPT 検
査の結果は,保管方法等,十分留意した扱いにされるべきである。
3. 検査精度の検証
新型出生前診断が多くの関心を引きつけたのは,母親の血液を採取するだけで,ダウン症を初
めとする染色体異常が診断されるという点である。精度に関しては,既知の報告では 99% 以上
の高い感度と特異度を示している20,21,22,23)。これらの成績は,いずれも従来の羊水検査が確定診
断とした場合である。以前からの超音波を用いた断層法は,胎児の発育状況と形態を確認する妊
婦にとって必須の検査である。ダウン症の特徴的な形態学的変化は超音波検査で捉えることがで
きる。しかしながら,超音波検査のシステマチックレビュー27)では,感度はダウン症で 50-70%
と精度は高くはない(18 トリソミーは 70-100%,13 トリソミーは 90-100%)。母体血清マーカー
も同様に感度 80-85% で28)精度は低く,安全な方法ではあるが胎児の異常を確定できるものでは
ない。また,羊水検査は現在でも確定診断であるが,ある程度の羊水量が貯まってくる 15 週数
以降でないと検査は出来ない。したがって,迅速かつ簡便で精度の高い新技術が導入されること
が望まれる背景があったと考えられる。
NIPT の精度であるが,前述した Sequenom 社のデータ22)は,21 トリソミーで感度 99.1%,特
異度 99.9% と高精度が示されており,マスコミの報道でもこれだけが強調されている。しかし,
陽性的中率(検査後確率=事後確率)に着目すると,21 トリソミーでは 99.5% と高いものの,
18 トリソミーでは 92.2%,13 トリソミーでは 40.7% となってしまう。すなわち,13 トリソミー
で検査陽性となっても,50% 以上は 13 トリソミーではないということになる。したがって,
NIPT はスクリーニングとして検査するには有効性が高いが,確定診断として解釈してはならな
いと考える。
また,現在の臨床研究はすべて海外への受託によって実施されているため,検体の取り扱いに
は監視が出来ず,精度に関しては保証できないと考える。したがって,臨床研究で症例を蓄積し
て改善策を講じた後は,国内での受託体制を早急に確立する必要があろう。
非侵襲的出生前遺伝子学的検査(新型出生前診断)における課題と問題点における考察 195
4. 遺伝カウンセリング体制の整備
遺伝カウンセリングの目的は,遺伝医学に関する知識及びカウンセリングの技法を用いて,対
話と情報提供を繰り返しながら,遺伝性疾患をめぐり生じ得る医学的又は心理的諸問題の解消又
は緩和を目指し,支援し,または援助することである。臨床研究の対象となり NIPT を希望する
妊婦および配偶者には,遺伝カウンセリングによる相談が必要と考える。
遺伝カウンセリングは,情報を整理しながら迷ったり悩んだりしながらの相談であるべきであ
り,時間があれば十分納得のいくまで相談すべきである。夫婦の不安や心配は様々な事情や背景
をともなっている場合もあるため,NIPT 検査の前後,羊水検査の前後,検査陽性の場合育てる
か中絶するかの判断まで長期に渡る過程が必要となる。そのためには信頼を出来る遺伝カウンセ
リング体制の確立が重要であり,人材育成が急務と考える。カウンセリングは医師に限らず,医
学の知識とカウンセリング技能を有する医療従事者でも可能であると考える。
簡便,安全,高い精度,妊娠後早期に実施できるという点で,NIPT を希望する妊婦は今後増
加していくことが予想される。現在,本邦では臨床研究の段階であるが,いずれは日常診療に組
み入れられてくる。NIPT は,指針17)をもとに実施されているが,最も重要なことは妊婦へのカ
ウンセリングである。妊婦へは胎児の異常を持つ可能性を正しく伝え,検査するかどうか,実施
した場合の結果の解釈に至る相談的カウンセリングが望まれ,妊婦の精神面でのケアを重点にカ
ウンセリング体制が構築されることを期待する。
お わ り に
非侵襲的出生前遺伝学的検査 NIPT は,母体血を用いた新型出生前診断として,無侵襲性およ
び簡便性により,注目された。しかしながら,NIPT による結果が確定診断となりうるかについ
ては,統計学的には 100% ではない。本 NIPT はあくまでスクリーニング法であると考えること
が大事であり,診断的検査法による確認検査が不可欠である。この点をきちんと伝える必要があ
る。したがって,従来の検査法を併用し,遺伝カウンセリングの十分なバックアップ体制を整備
することが必須であると考える。現在実施されているように臨床研究として症例を重ねていくこ
とは必要であり,エビデンスの集積の結果を分析して,一般診療に導入されることを期待する。
しかしながら,解決すべき問題も多く,同時に検討を重ねていく必要がある。
参 考 文 献
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2923.
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
196
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17) 日本産婦人科学会 「母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査」についての共同声明 http://
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非侵襲的出生前遺伝子学的検査(新型出生前診断)における課題と問題点における考察 197
22) Swanson A, Sehnert AJ, Bhatt S. : Non invasive prenatal testing : technologies, clinical assays and
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113 121.
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sex using cell free DNA a review and meta analysis. BMC Res Notes 2012 ; 5 : 476.
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24) 日本医学会 : 母体血を用いた出生前遺伝学的検査の実施に関する規則 http://jams.med.or.jp/
rinshobukai_ghs/rule.pdf
25)「遺伝学的検査に関するガイドライン(10 学会ガイドライン)」(2003 年) 日本人類遺伝学会
ホームページから,http://jshg.jp/e/resources/data/10academies.pdf
26)「ヒトゲノム・遺伝子解析研究に関する倫理指針」(文部科学省・厚生労働省・経済産業省)(2008
年) http://www.mhlw.go.jp/general/seido/kousei/i kenkyu/genome/0504sisin.html
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27) Raniga S, Desai PD, Parikh H. : Ultrasonographic soft markers of aneuploidy in second trimester :
are we lost? MedGenMed 2006 ; 8 : 9.
28) Alldred SK, Deeks JJ, Guo B, Neilson JP, Alfirevic Z.Second trimester serum tests for Down’s Syndrome screening.Cochrane Database Syst Rev. 2012 ; 6 : CD009925.
東日本大震災ボランティア活動による看護学生の学びに関する検討
199
東日本大震災ボランティア活動による
看護学生の学びに関する検討
富 澤 弥 生・小野木 弘 志・菅 原 尚 美
杉 山 敏 子・菅 原 千恵子・河 村 真 人
鈴 木 千 明・一ノ瀬 まきの・工 藤 洋 子
二 瓶 洋 子・中 村 令 子・門 屋 久美子
要旨 : 本研究の目的は,東日本大震災ボランティア活動による看護学生の学びを明らか
にし,看護学教育における効果について検討することである。対象は学生 62 名,データ
収集は,質問紙およびグループインタビュー調査,項目は,看護技術・参加理由・感想な
どであった。分析は,看護技術は単純集計,参加理由や感想は,質的記述的方法とした。
その結果,看護技術について,血圧測定 3.1±2.2 回/日など経験できていた。参加理由
は,〈役に立ちたいから〉,〈震災後の実態や影響を知りたいから〉,〈ボランティアが盛ん
な大学だから〉,
〈震災と向き合えると思ったから〉の 4 つのカテゴリが抽出され,大学の
特徴やメディアの影響,被災地学生の特徴がみられた。
また,感想は,〈被災の実情の理解〉,〈ボランティア活動を通した出会い〉,〈触れ合い
で得られた喜び〉,〈ボランティアの意義を実感〉,〈看護の視点からの気づき〉,〈看護学生
ならではの活動で得た充実感〉,
〈看護学生としての成長を実感〉の 7 つのカテゴリが抽出
され,学生は,継続した活動の効果をとらえ,意義を実感し,看護学生としての気づきが
できていた。看護の知識を生かした活動による対象者の変化により,充実感や自己の成長
が実感できることが明らかになった。
さらに,学生の立場でも震災の悲惨さを直接お聞きしており,仮設住宅では,移転に関
する被災者の本音を聞き,被災地の問題を広く認識する機会になったと考えられた。
キーワード : ボランティア,看護学生,学び
I. は じ め に
2011 年 3 月 11 日の東日本大震災後,東北福祉大学健康科学部では,学部長を筆頭に,保健看
護学科・リハビリテーション学科・医療経営管理学科合同の医療ボランティアチームを組み,翌
週からフィールドおよびニーズ調査を始めた。活動の場所は,牡鹿半島女川・鮎川地区および名
取市であり,これまでの参加人数は,教員と学生あわせて,のべ 922 名となった。うち,保健看
護学科の教員と学生をあわせた活動のべ人数は,608 名であり,現在も学科の専門性を生かした
健康支援活動を仮設住宅で週 1 回のペースで継続している。
看護基礎教育においては,2009 年度新カリキュラムにおいて災害看護が新規の授業科目とし
て構築されたことが影響し,学生の災害ボランティア活動は重要視されてきている。2009 年度
のカリキュラム改正の教育上の留意点のなかに,
「災害直後から支援できる看護の基礎的知識に
200
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
ついて理解する内容とする」ということが示され,災害看護教育が看護の基礎能力向上にもつな
がるものとして,その充実化の必要性が打ち出されている。また,看護師国家試験の出題基準
に災害看護が出題されることが明記された1)。さらに,これまで災害看護教育についての文献2 5)
-
をみると,内容の充実に向けた取り組みや,実際の災害ボランティア活動における問題などがあ
げられている。そのため,看護学生が行う災害ボランティア活動の教育的効果を検討することは,
看護基礎教育において意義のあることといえる。また,被災地の大学における災害ボランティア
活動という点でも貴重な報告となりうる。
そこで,本研究では,本学のボランティア活動のなかでも,保健看護学科の活動についてふり
かえり,東日本大震災ボランティア活動による看護学生の学びを明らかにし,ボランティア活動
の看護学教育における効果について検討した。その結果,ボランティア活動を全国に先駆けて単
位認定したなどボランティアが盛んな大学であること,被災地大学の看護学生という特徴などが
みられ,ボランティア活動の看護学教育における効果についての示唆が得られたので,報告する。
さらに,本研究の背景として,このボランティア活動の実際について,場所と内容の異なる 4
つの時期に分け,活動内容およびその効果,被災地の大学における継続した活動を行う際の工夫
なども述べる。
II. 研 究 目 的
本研究の目的は,東日本大震災ボランティア活動による看護学生の学びを明らかにし,ボラン
ティア活動の教育効果について検討することである。
III. 研 究 方 法
1. 対象 : 東日本大震災ボランティア活動に 1 回以上参加し,研究協力の得られた学生 62 名
2. 調査期間 : 2012 年 10 月─ 2013 年 9 月
3. 研究方法 : データ収集は,震災ボランティア活動に参加した学生に対し,質問紙調査およ
びグループインタビュー(1 グループ 6 名程度)調査を 2012 年 10 月と 2013 年 9 月の 2 回行った。
質問紙調査の質問項目は,経験した看護技術および見学の回数(血圧測定,話し相手,健康相
談,環境整備,運動指導および散歩,マッサージ,健康セミナーなど),参加理由であった。グルー
プインタビュー調査のテーマは,震災に関する話を聞いて記憶に残っている内容,ボランティア
活動の感想であった。
分析方法は,看護技術経験および見学の回数については単純集計を行った。さらに,参加理由
やボランティア活動の感想については,類似性でカテゴリ化する質的記述的方法により分析した。
震災に関する話を聞いて記憶に残っている内容については,活動時期により分類した。分析は,
質的研究を経験した複数の研究者で行った。
東日本大震災ボランティア活動による看護学生の学びに関する検討
201
4. 倫理的配慮
所属施設の倫理委員会の承認を得た。調査の募集は,学内メールシステムまたは掲示板などで
行い,対象である看護学生に対しては,文書を基に,研究の概要と目的,方法,個人が特定され
ないこと,結果公表などについて,口頭で説明した。その際,非同意であっても授業等の評価に
は一切影響しないこと,研究への協力は自由意志であることを説明した。さらに,この研究に同
意した後でも,撤回ができることを説明し,説明書と一緒に同意撤回書も渡した。インタビュー
に関しての同意は,説明書の内容が明記された同意書に署名を得た。質問紙は,回収ボックスに
投函することで本研究に同意したとみなすこととした。
IV. 研 究 の 背 景
1.ボランティア活動の実際
1)
準備期
今回の震災の翌週から,本学健康科学部学部長を筆頭とした医療ボランティアチームを組み,
活動のフィールド探しおよびニーズ調査を始めた。同時に,大学の施設が損壊し,研究室も教室
も入室禁止状態の中,教員の自宅から学生のボランティア参加募集のメールを配信した。すぐに
看護学生だけで 100 名以上の登録があり,反応のよさに驚かされた。学生からのメールには,
「私
の自宅も被災しましたが,ぜひ地元でボランティアをしたいので申し込みました」,
「いまは実家
です。東北本線と仙山線が復旧してからになりますが,ぜひ参加させてください」などがあり,
連絡・調整等は大変だったが,学生の真面目さや熱心さに感動しながら教員も頑張ることができ
た。
活動のフィールド探しは,石巻地区を中心に行ったが,この時期は,ボランティアを受け付け
る窓口自体が混乱状態で,交渉は困難であった。活動場所となった牡鹿半島女川・鮎川地区は,
電話が通じないため,直接訪問し,教員が実際にボランティア活動を行った後,今後の活動の打
ち合わせを行った。道路は,破損したため通行止めが多く,さらに,行くときは通れた道が,満
潮になると帰りは通れない時もあった〈資料 1〉
。ときには,自衛隊が作ったばかりの道をいく
など,毎回通る道を変えながら,片道 4 時間以上かけて通った。学生とともに活動することを前
提として,ライフラインが未復旧の地区での食事の準備やトイレの使用方法など学生に説明が必
要な情報をチェックした。また,この活動の中で学生ができることは何か,壊滅的な被災状況を
みた学生の精神面のフォローはどうするかなど,教員間で検討を重ねた〈資料 2〉
。
2) 牡鹿半島女川・鮎川地区の避難所における活動
(1)
期間 : 2011 年 4 月 5 日∼22 日
(2)
回数および参加人数 : 計 8 回(11 回予定していたが,余震の影響で 3 回中止となった),
学生 23 名・教員 36 名の計 59 名(うち保健看護学科の学生 14 名・教員 22 名の計 36 名)※の
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
202
資料 1 道路状況
資料 2 被災状況
表 1 ボランティア活動の回数および参加人数一覧(2013 年 10 月末現在,のべ人数)
健康科学部学生
健康科学部教員
(保健看護学科学生) (保健看護学科教員)
計
(保健看護学科)
活動場所
回数
牡鹿半島女川・
鮎川地区の避難所
8 回
23 名
(14 名)
36 名
(22 名)
59 名
(36 名)
12 回
45 名
(40 名)
44 名
(32 名)
89 名
(72 名)
名取市仮設住宅
157 回
390 名
(247 名)
384 名
(253 名)
774 名
(500 名)
計
(保健看護学科)
177 回
458 名
(301 名)
464 名
(307 名)
922 名
(608 名)
名取市避難所
べ人数〈表 1〉
(3)
活動内容およびその効果
活動内容は,医師による薬剤処方・創傷処置・
口腔ケア・健康相談・血圧測定・マッサージ・こ
どもの遊び相手・こどもに勉強を教えるなどで
あった。
〈資料 3〉
約 10 カ所の避難所をまわり,この地区は物資
が不足していたため,大学および関係施設・自宅
資料 3 創傷処置
から物品をかき集めて持参し,やっと医療的支援
を行うことができた。
被災した方々は,川で洗濯したり,水くみをしたり,がれきの片づけをしたりしており その
作業後には,寒い避難所でストーブを囲んで座り,非常に疲れている様子であった。その肩を本
学の教員と学生がマッサージするボランティアは非常に喜ばれた。マッサージを受けながら,被
災した時の話をされる方も多かった。その話の中で,「私たちのために,わざわざ遠くから見ず
知らずの若者が来てくれて,一生懸命頑張ってくれている姿をみると,私たちも頑張らなきゃ,っ
東日本大震災ボランティア活動による看護学生の学びに関する検討
203
て思うよ」という言葉をいただいたことが非常に印象に残っている。学生がボランティアに参加
するにあたり,資格と経験のあるプロでなければ無理なのではないか,被災した方々に失礼やご
迷惑がかかるのではないか,と心配や不安があったが,この言葉で救われた気がした。そして,
この方と同じように,若者である学生は私たちの希望なのだと思えた。
さらに,医療的支援のほかにも,避難所では女性が着替える場所がなく困っていることを解決
するために着替え用のテントを届けたり,不足していたこども用下着,小中学生には教材・受験
用の参考書・文房具・パソコンを届けたりなど,一人ひとりの小さなニーズをみのがさず支援物
資を届け,被災した方々の笑顔を見ることができた。この時期,
「何か必要なものはありませんか」
とニーズを聞いても,「別に」と答える方が多かった。足りなさ過ぎて,疲れ過ぎて,思い浮か
ばないのだと気がついた。こちらから具体的に,
「着替えはどうしているのですか」などと聞いて,
沈黙が続いた後,初めて,「そういえば…」とニーズが引き出される状態であった。そして,次
に来る時に必ず届けるという繰り返しが信頼関係につながり,単発ではない継続した支援の効果
であると考えている。
避難所となっていた暗い体育館で,震災後初めて電気がつく瞬間に立ち会うことができ,遊ん
でいたこどもたちと一緒に喜びの声をあげたことは,今でもその感情を思い出せるほど強く印象
に残っている。
この時期の活動は,8 人でチームを組み,教員が運転するワゴン車 1 台で移動していた。移動
時間が長いことを生かし,行きの車の中では,避難所のまわり方や担当などの打ち合わせを行い,
帰りの車の中では,学生が感じたことや学びを発表し,教員がコメントする機会とした。また,
車の中から初めてみる悲惨な景色に学生が黙り込む場面や,活動のなかで被災者が震災のつらい
内容をお話ししてくださることもあったため,教員が帰りの車の中で,各学生の活動後の精神状
態を確認し,フォローする重要な時間とした。
3) 名取市避難所における活動
(1)
期間 : 2011 年 4 月 15 日∼5 月 27 日
(2)
回数および参加人数 : 毎週金曜日と土曜日で計 12 回,学生 45 名・教員 44 名の計 89 名(う
ち保健看護学科の学生 40 名・教員 32 名の計 72 名)※のべ人数〈表 1〉
(3)
活動内容およびその効果
本学専門医らによる高血圧相談を中心とした活動を行った。震災によるストレス・不眠・環境
などの影響で,血圧がいつもより 20∼30 くらい高め,無気力や受け身になりがちなどの傾向が
みられた。この活動は,震災や避難所の生活が被災者の健康に与える影響についての内容として,
河北新報の一面に大きく掲載された。最初の 4 日間で,血圧に関する支援は計 75 名に行うこと
ができ,内服治療中でも 1 週間以上測定していない方や,血圧が 211/120 mmHg の方もおり,そ
の方々を医師につなげ,自己管理できるよう自動血圧計や記録用紙を配布したことは有意義な活
動であったと考えている。また,血圧測定とあわせて健康面のアセスメントや,環境整備として,
204
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
掃除なども一緒に行った。血圧測定後,震災当時のつらい体験を話し出す方も多かった。学生に
対しては,事前にこころのケアに関するガイダンスを行い,震災に対する想いを無理に聞き出す
のではなく,自ら話し出すまで待つ姿勢の重要性と,一生懸命聴くこと,想いを受けとめきれな
い可能性があるため学生一人だけで聴くのではなく必ず教員と一緒に聴くことなどを指導してか
ら活動を開始していた。学生たちも震災を経験し,身近な人を亡くしたものもいたが,看護学生
として役割を果たそうと一生懸命被災した方の話を聴いていた。活動中に声をかけられ,孫が津
波ごっこをしていたので,やめさせた方がいいのか,どのように対応したらよいかと相談された
こともあった。それに対し,こどもが遊びで表現するのはとても大切なことであり,ストレスを
軽減するためにはとてもよい方法であること,祖母がそばにいるから安心してできていると思う
ので,このまま自由に遊ばせてあげて見守ってあげてください,と教員が専門性を生かしたアド
バイスを行い,祖母が安心して対応できるようになったケースもあった。
さらに,個別のニーズを調査し,物資を届ける支援も行った。糖尿病のための視力低下・リウ
マチのため小さい字が書けない方が,血圧手帳の欄が小さくて書けないと困っていたことに対し
て,欄を大きく書きやすくした用紙を作成して渡し,血圧測定が習慣化したケースがあった。ま
た,日付や時間がわからないという方に,時計とカレンダーを翌日届けて喜んでいただいたなど
があった。
この時期の活動では,開始前と終了後に全員でミーティングをする場所が確保でき,打ち合わ
せや学生の学びのふりかえりをじっくり行うことができた。学生には,血圧に関する知識・現在
の問題点・利用できる資源・支援活動目標・指導のポイントなど資料をもとにガイダンスを行っ
た。また,事前学習として,血圧測定を促したら,「昨日測ったから今日はいい」や「俺は今ま
で病院にかかったことがないんだ。大丈夫」と言われたらどう話すか,などよくある具体的なケー
スを設定し,学生が事前に考える機会を意図的にもち,教員の指導をうけてから活動するなど教
育的なかかわりをもった。
4)
名取市仮設住宅における活動
(1) 期間 : 2011 年 6 月∼2013 年 10 月末現在(仮設住宅閉鎖まで約 3 年半継続の予定)
(2) 回数および参加人数 : 最初は週 2 回であったが,現在は週 1 回,2013 年 10 月末現在で,
計 157 回,学生 390 名・ 教員 384 名の計 774 名(うち保健看護学科の学生 247 名・ 教員 253 名
の計 500 名)〈表 1〉
(3) 活動内容およびその効果
仮設住宅 3 カ所を担当し,保健センターを中心に支援関係者と定期的に会議をするなど連携し,
「閉じこもりを防ぐ」など活動目標を設定し,現在も活動を継続している。集会所での健康相談
および個別訪問の活動のほか,健康教室(熱中症予防セミナー,おくすりセミナーなど)の開催
や,イベント(いも煮会など)の開催,健康だより(食中毒予防,冬の過ごし方,インフルエン
ザ予防,肩こり解消,など)の発行も行っている〈資料 4〉
,〈資料 5〉,
〈資料 6〉
。
東日本大震災ボランティア活動による看護学生の学びに関する検討
資料 4 仮設住宅集会所での血圧測定
資料 5 学生との散歩
資料 6 おくすりセミナー
資料 7 熱中症予防セミナー
205
最近では,学生中心の活動も始まって
おり,教員の指導を受けながらではある
が,熱中症予防セミナー・お散歩マップ
作成・レシピ本作成などがあげられる。
熱中症予防セミナーには多くの方に参加
していただき,学生が企画した最後の確
認クイズにはりきって手をあげて正解し
て喜んでいる高齢者の方々の姿が微笑ま
しく思えた〈資料 7〉。セミナーを行っ
た学生は,住民の方々がこんなに熱心に
資料 8 お散歩マップ
参加してくださるとは思わなかったと感
激していた。また,お散歩マップは,運動を習慣化するために学生が企画し,団地の周辺の歩数
カウントと,危険箇所のチェックを住民・学生・教員で一緒に行い,散歩の効果の目安や散歩時
の注意なども入れて手書きで作成した。配布時は,「こういうのいいねぇ」
,「あら,かわいい」
など好評で,自分に合ったお散歩について活発に話し合う機会となっていた〈資料 8〉
。
個別訪問の活動についてふりかえると,ちょうど震災から 1 年経った 2012 年 3 月頃は,報道
などの影響もあるのか,自ら震災当日や避難所での話をされる方が多かった。激しい感情をぶつ
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
206
けるというより,落ち着いて詳細な話をしており,教員や学生に話すことで,事実関係や感情を
整理している印象を受けた。つらい内容も多かったが,学生は教員とともに,じっくり話を受け
とめていた。これは,震災から 2 年経った 2013 年 3 月頃も同じようなことがみられた。また,
仮設住宅の暮らしが長くなり,長年の嫁姑問題や親子の問題などが周囲にわかるほど顕在化し,
自治会長などが調整に苦労している場合には,私たちが第三者の立場で関与するケースもあった。
さらに,移転に伴う家族内や団地内での考えのズレ,自治会や行政への不満などの話をされる方
が多くなった。今後も悩みや不満などを傾聴し,ストレスが少しでも軽減されるよう支援してい
きたいと考える。
個別訪問の問題として,担当者により訪問時間が異なり,待たされたという印象をもたれるケー
スや,待ち切れず外に出て待っているケース,訪問を待ちきれず買い物などに出かけてしまい会
えなかったため “もううちには来てくれなくなった” と思われてしまうケースがあった。時々,
住民の方から「先週は会えなかったけど,来てくれていたの ?」,
「福祉大さんはいつまで来てく
れるの ?」など聞かれることもある。震災から 2 年が過ぎ,単発のイベント等はあるものの,初
期の頃から支援していたボランティア団体がだんだん減ったり,引っ越していく方々を見送った
りなど,仮設住宅の方々はさみしく感じ,忘れられてしまう不安や,取り残された,あるいは,
見捨てられるような不安を抱いているのではないかと考えられる。直接聞かれた場合はその場で
すぐに,
「福祉大の訪問はここの仮設住宅が閉鎖するまで続けます。急にやめたりしませんから
大丈夫ですよ。皆さんがここから新しい家にうつるのを笑顔で見送りたいと思っていますから」
と答えるようにしている。また,訪問時間の問題を解決するため,訪問予定時間と順番を決めて
一覧表にして各団地のファイルに掲示し,担当者による時間の違いをできるだけなくすように工
夫した。さらに,教員のアイディアで,不在の場合は,訪問したことがわかるように季節に合っ
た「訪問(お元気ですか)カード」を作成し,郵便受けに入れることにした〈資料 9〉。これら
の工夫により,待たされたという印象は減り,不在の場合でも翌週の訪問時に,
「先週は病院だっ
たから,留守にしていたの。せっかく来てくれたのに,ごめんなさいね」など声をかけていただ
けるようになった。
継続した健康支援活動の効果として,閉じこもりの高齢者が学生との散歩を楽しみに運動が習
慣化した,高血圧なのに自宅では血圧測定をしていな
かった方が指導や記録用紙の工夫により血圧を毎日自
己測定し記録するようになった,内服薬の管理ができ
ず飲み残しのある一人暮らしの高齢者に対し管理の工
夫や継続した声がけを行うことできちんと内服できる
ようになった,集会所に来たことのなかった方が健康
教室をきっかけに初めて集会所を訪れ住民同士の交流
資料 9 訪問カード(春)
ができた,最初は訪問に拒否的だった閉じこもりの高
東日本大震災ボランティア活動による看護学生の学びに関する検討
207
齢者が徐々にうちとけ訪問時間になると玄関から出て笑顔で迎えてくれる,得意な手料理をふる
まうのを楽しみに高齢者が学生と教員を待っていてくれる,などのケースがみられている。活動
当初はニーズが把握しきれず手探り状態であったが,丁寧にかかわることで効果のあったケース
があると,仮設住宅において口コミ方式で話が広がり,個別訪問はうちにも来てほしいと要望が
ふえるなど,仮設住宅の方々に受け入れられ,安定した活動内容になっている。継続して参加す
る学生が増え,訪問先も固定してきたため,住民の方に学生の顔を覚えていただき,細かい内容
を話してくれるなど,学生との信頼関係も築けてきている。
2. 継続した活動をするための工夫
1)
学生への教育体制
この医療ボランティア活動の特徴は,服装や接し方・被災後の心理など具体的に示した資料を
作成し,事前にこまやかな学生ガイダンスを行っていることである。ガイダンスの資料作成時に
は,研究室や図書館に入室できず本などを見ることができなかったため,教員の所属学会からメー
ルで配信された資料(阪神・淡路大震災時のマニュアルなど)が非常に参考になった。
さらに,この医療ボランティア活動の教育体制として,学生単独の活動はさせず,看護師・保
健師・薬剤師などの資格を持った教員が,病院実習のように学生に対し常に教育的なかかわりを
もち,感染症予防対策や精神面のフォローも行いながら活動していることが特徴だと考えている
〈資料 10〉
。
2)
スケジュール調整
まず,参加する教員のボランティア可能日を 3 カ月分まとめて調整担当者に報告してもらい,
活動回数に偏りがないようスケジュール調整を工夫している。現在,毎週土曜日に教員 2 名体制
で 3 ヶ所の仮設住宅をまわる活動をしており,保健看護学科の教員 20 名程度が交替で 1∼2 カ月
に 1 回程度担当している。全員のスケジュール一覧を明らかにすることで,急な予定変更にも他
の教員と参加日を交換し合うなど対応できるようになっている。学生が土曜日の補講などで活動
できない場合も,教員だけで活動し,仮設住宅の方々に来たり来なかったりという印象をもたれ
ないよう継続した活動を徹底し,信頼関係が保てるよう努力している。ただし,期間が長くなる
場合,参加可能な教員が減るなどして,一部の教員に負担がかかる可能性もあることが今後の課
題である。
また,学生も 3 カ月分まとめて参加者を募集しているが,学生の急な参加希望にも,その場で
オリエンテーションを個別に行い,希望日の担当教員や学生メンバーを知らせ,スケジュール一
覧をすぐに修正するなど柔軟に対応することで学生がボランティアに入りやすい雰囲気づくりに
努めている。
3)
連絡体制
ボランティア専用の携帯電話を毎回担当の教員が所持し,他の教員や学生への連絡手段として
208
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
資料資料
10 10 ガイダンス資料(一部抜粋)
ガイダンス資料(一部抜粋)
15
東日本大震災ボランティア活動による看護学生の学びに関する検討
209
資料 10 ガイダンス資料(一部抜粋)
資料 10 つづき
(被災者と被災者を支える人のためのこころの健康サポートブック,現代けんこう出版,2011
より抜粋)
(被災者と被災者を支える人のためのこころの健康サポートブック,現代けんこう出版,2011 より抜粋)
16
210
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
いる。当日,学生が遅刻や欠席する場合,以前は連絡もれなどの問題があったが,事前に連絡体
制の指導を徹底することにより解決できている。
ボランティア活動内容については,各団地のファイルと専用のバッグを準備し,ボランティア
日誌として毎回詳細な報告書を作成し,次の担当者への引き継ぎを徹底しており,別の教員が活
動しても統一した支援を行うことができている。
4)
支援関係者との連携
活動開始前は,自治会長など被災者の代表者および支援関係者(行政担当者・保健センターな
ど)と調整会議を必ず行ってきた。日本赤十字社本社の服部が,ボランティア活動の展開につい
ての報告6)のなかで,「現地ニーズが最重要視されますが,その現地ニーズを見極めるのがこと
ごとく難しいのが災害現場での常ともいえます。現場に行くには行ったがニーズが整理されてお
らず,長時間ボランティアセンターで待たされた,という不満がいつの災害でも聞こえてきます
が,これは特に初期段階で現地に入る人たちはある程度覚悟しなくてはならないことでしょう」
と述べており,震災ボランティア活動は,開始前の調整が常に重要であり,大変だといえる。と
くに,本活動は内容が健康支援であるため,地域の医療機関および医師会にもご挨拶にうかがい,
活動内容と範囲を確認し,許可を得た。初期の活動から現在までの調整会議は 31 回であり,そ
のうち,それぞれの場所での活動開始前の会議は計 14 回にのぼる。ボランティア活動をしてい
る団体のなかには,自治会長や支援担当者に連絡をとらずに勝手に活動をしている団体も見受け
られたが,本活動は,東北福祉大学のボランティア活動の一環で,健康支援という責任ある内容
であり,学生も参加する許可を得る必要があったため,大学に苦情がくることのないよう,ボラ
ンティアが盛んである歴史ある大学の評判を落とすことがないように,説明などの書類を毎回作
成し,できるだけ正式な手続きをとるよう努力した。
また,大学教員のボランティア活動は,研究のデータが欲しいからではないかと疑われること
があるため,本活動は研究目的ではないため一切調査等をしないという方針を自治会長および支
援関係者に説明した。被災者は行政をはじめ多くの調査用紙を配布され,回答することに疲弊し
ていたため,本活動の方針をご説明した際は,安心していただけた。これも信頼関係を築くこと
につながったと考えている。活動中も支援関係者(行政の担当者・保健センター・支援センター・
地域の医療機関・ボランティア団体など)の定期的な会議が開催され,それぞれの団体から,活
動内容・効果・問題など報告書を作成し,報告し合い,活動内容および対象が重複しないように
役割分担を明確にし,連携をはかっている。連絡体制もできており,会議以外でも緊急性の高い
ケースに関しては,その都度連絡を取り合い,活動している。
さらに,学内においては,ボランティア活動を支援・推進することを目的に 1998 年に設置さ
れたボランティア支援室があり,本活動においても,一般ガイダンスや学生保険加入手続きなど
臨機応変に対応していただき,連携を図っている。
東日本大震災ボランティア活動による看護学生の学びに関する検討
211
5)
活動に関する費用負担の軽減
活動に必要となるボランティア保険・交通費・ユニフォーム・必要物品などの費用は,初期の
頃から 2013 年 3 月まで,大学の負担とならないよう支援団体の助成金の申請を行い,複数の団
体から支援を受けることができた。また,活動場所までの移動手段は,初期の段階では,教員が
運転するワゴン車で学生も一緒に移動していたが,電車が復旧してからは各自電車を利用し,仮
設住宅近くの駅集合としている。継続した活動を行うためにこれらの交通費の個人負担がないよ
うにしている。
V. 結果および考察
1. 経験した看護技術および見学の回数
学生 1 人 1 日あたりの活動内容の平均は,血圧測定 3.1±2.2 回,話し相手 4.6±2.8 人,健康相
談の見学 2.7±3.0 回,環境整備 0.5±1.2 回,運動指導および散歩の実施 1.0±1.7 回,マッサージ
の実施 1.4±3.1 回であった。セミナーを実施した学生は計 9 名,セミナーを見学した学生は 12
名であった。
1 日の活動で,血圧測定は 1 人平均 3 回以上経験できていた。血圧測定などの看護技術が向上
するためには経験を重ねることが重要であり,実習以外にいろいろな方の血圧測定ができるボラ
ンティア活動は看護技術の教育において重要な役割をもつと考えられ,看護学生のさらなる参加
を期待したい。
また,1 日の活動で,話し相手が 5 名程度,教員が行う健康相談の見学は 3 名程度経験できて
いた。本活動の特徴は教育体制にあり,事前にこまやかな学生ガイダンスを行い,さらに,学生
単独の活動はさせず,教員が,病院実習のように学生に対し,常に教育的なかかわりをもちなが
ら活動していることである。そのため,教員が行う健康相談や話し相手となる場合に用いる傾聴
の実際の場面を見学し,教員の指導のもとに看護技術を経験および見学できることは,実習同様
に実践的な看護の学びの場になっていると考えられた。
さらに,環境整備・運動指導および散歩の実施・マッサージの実施は,対象者の状態により,
経験できる回数にバラつきがみられるが,学生が直接行うことができ,対象者から感謝される機
会となり,ボランティア活動のやりがいにつながると考えられた。
セミナーは 3・4 年生が実施しており,準備は大変ではあるが,看護学生としての充実感が得
られる内容と考えられた。また,見学した学生のほとんどが 1・2 年生であり,教員が行うセミナー
見学は実践的な学びになると考えられるが,先輩の学生が行うセミナー見学はさらに身近に感じ,
自分の近い将来のイメージとなり学ぶことが多いと推察できる。学生が行った熱中症予防セミ
ナーは年に 1 回のみの開催で,昨年と今年で計 2 回であったため,実施した学生 9 名と少ない。
見学した学生は,教員が行うセミナーも含むため 12 名であるが,もっと学生が参加できるよう
212
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
にセミナーの機会を増やしていきたいと考える。
2. 参加理由
参加理由は,
〈役に立ちたいから〉
,〈震災後の実態や影響を知りたいから〉
,〈ボランティアが
盛んな大学だから〉,〈震災と向き合えると思ったから〉の 4 つのカテゴリが抽出された。
〈役に立ちたいから〉の具体例は,
「何か役に立てることがしたかった」,
「少しでも被災地の方々
の力になりたいと思った」,
「自分も被災し,多くの被災者の力になりたいと考えたため」,「何か
できることをしたかった」,「震災を経験した大学生として少しでも震災のことに関わりたいと
思った」
,「テレビを見て使命感が芽生えたため」,「ラジオなどから大変な思いをしている方々が
いると知り,何かできないかと思った」などであった。
〈震災後の実態や影響を知りたいから〉の具体例は「被災された方々の生活を知りたかった」,
「被
災された方々の生の声をききたかった」,「震災が与える心身への影響や看護問題について知りた
かった」などであった。
〈ボランティアが盛んな大学だから〉の具体例は,「ボランティアが盛んな大学なので経験した
かった」
,「ずっとこの大学でボランティアをしたいと思っていたから」などであった。
〈震災と向き合えると思ったから〉の具体例は「自分自身もショックを受けていて,ボランティ
アをすることによって,きちんと震災と向き合えると思ったから」であった。
参加理由をみると,学生の立場以外に同じ被災者として役に立ちたいと思ったこと,看護学生
として被災地の実態や影響を実際に知りたいという思いが強いこと,ボランティア活動が盛んで
あるという本学の特徴が影響していることが明らかになった。また,役に立ちたいと思った理由
にはテレビやラジオなどメディアの影響がうかがえた。さらに,震災ボランティアをきっかけに,
対象者と同じく被災者である自分と向き合いたいという思いがあり,被災地大学の看護学生なら
ではの特徴ある参加理由が存在することが明らかになった。
3. ボランティア活動の感想〈表 2〉
ボランティア活動の感想として,
〈被災の実情の理解〉,
〈ボランティア活動を通した出会い〉,
〈触
れ合いで得られた喜び〉,〈ボランティアの意義を実感〉,〈看護の視点からの気づき〉,〈看護学生
ならではの活動で得た充実感〉,
〈看護学生としての成長を実感〉の 7 つのカテゴリが抽出された。
〈被災の実情の理解〉の具体例は,「被災地の実情を知ることができた」,
「実際に行ってみるこ
とでテレビとは違う本当の姿をみることができた」
,「テレビや新聞で見てはいたが,実際に津波
がきた場所で 360 度見渡すと全然違って,大変さや悲惨さがよく理解できた。その後に,お話を
聞く時はさらに真剣になれた」,「授業の中では学べない,現場に行かなくてはわからないことが
たくさんあり,自分なりに考えることができた」,「仮設住宅でどのような生活をしているのか見
たり,実際にお話を聞けたりできた」,「孤独感や寂しさを抱えながら避難所で生活を送られてい
東日本大震災ボランティア活動による看護学生の学びに関する検討
213
表 2 ボランティア活動の感想
カテゴリ
具体例
被災の実情の理解
・被災地の実情を知ることができた
・実際に行ってみることでテレビとは違う本当の姿をみることができた
・テレビや新聞で見てはいたが,実際に津波がきた場所で 360 度見渡すと全然違って,大変さや悲惨さ
がよく理解できた。その後に,お話を聞く時はさらに真剣になれた
・授業の中では学べない,現場に行かなくてはわからないことがたくさんあり,自分なりに考えること
ができた
・仮設住宅でどのような生活をしているのか見たり,実際にお話を聞けたりできた
・孤独感や寂しさを抱えながら避難所で生活を送られている方々の実態を知ることができた
・今抱えている問題,足りない物もたくさんあることがわかった
・実際に被災した方の話しを聞いて,被災の現実を知った
・前に住んでいた近くに移転の計画があるが,そこはよくない思い出があるから移動したくない,とい
う意見を聞くことができた
ボランティア活動
を通した出会い
・ボランティアを通して,たくさんの人に出会えた
・仮設住宅の方,ボランティアの仲間,先生など多くの人々と関わることができて良かった
・被災者の方々,先生,後輩など多くの方々と関わらせていただけたので良かった
触れ合いで
得られた喜び
・被災した方々の思いや気持ちを聞かせていただくことで思いに触れられた感じがして嬉しかった
・学生さんたちも被災者なのに,私たちのために来てくれて嬉しいです,と言ってもらえた
・顔を覚えてもらって,また来てくれたのね,など声をかけてもらえると信頼関係ができたように感じ,
とても嬉しく感じた
・触れ合って,笑顔で,ありがとう,と言ってもらえたことがうれしかった
・限られた時間の中で学生の私にち出来ることも限られていたが,笑顔が出たり,お礼を言われたり,
嬉しそうな表情を見ることができたのでとても良かった
・手料理を準備して温かく迎えてもらって,おじいちゃんとおばあちゃんの家に遊びに行っているよう
な気持ちになった
・訪問すると,若い人が来てくれると嬉しくて,などと言ってくださる方もいて,嬉しかった
ボランティアの
意義を実感
・閉じこもりだった方が少しずつ外出し,コミュニケーションがとれるようになったと知り,ボランティ
アの意義があると思った
・ボランティアは継続して活動していくことが信頼関係を築くことにつながることを学んだ
・ボランティアの学生が来るのを楽しみにしている人がいることを知った
看護の視点からの
気づき
・仮設住宅の中で ADL の低下を最小限にするにはどうしたらよいか,危険な場所など看護学生の立場か
ら見つけることができた
・災害サイクルの慢性期にあたる現在も疾患のコントロールや生活の改善等が必要であり,長期的な介
入が継続して必要であると学ぶことができた
・熱中症のことについて,正しい知識をどうやって伝えるか話し合い,考える良い機会になった
・1 年以上経過し,震災当時の様子を自然に語る方が増えてきたと感じた
・話を聞いてくれてありがとうございます,と言ってくださり,話をきき,悲しみや不安を共有するこ
とが,ケアになるのだと感じた
・家族の方がその方の健康を支えており,その家族も含めて私たちが支援していく必要性を感じた
・健康問題だけではなく,震災によって起こった生活の変化によっても様々なストレスを抱えながら,
生活していることがわかった
・親子関係などにも目を向けることが必要だとわかった
・継続して訪問することで,その方の健康状態の変化を感じることができた
・家に行ってみることで,生活の様子がみられ,血圧はどうか,地震のときは安全かなど考えられた
・先生によって指摘やアプローチの仕方が違うので,勉強になった
看護学生ならでは
の活動で得た
充実感
・熱中症予防セミナーで,「そうなんだ」や「やってみよう」と言ってくださった方が多くて嬉しかった
・自分の勉強したことを生かしたボランティアだったのでとても充実していた
・訪問することで変化がみられ,必要とされていると感じ,役に立ったと思えた。自己肯定感が高まる
気がした
・薬を飲まない方がいて,関係づくりをしながら,その方に必要性を理解してもらえるように働きかけ
ることができた
・おくすりセミナーを行って,被災した方々の役に立てた。お薬の飲み方で困っていることを聞けて,
解決できた
・お散歩マップ作りをして,仮設の方々のニーズに合ったことができたと思う
・看護が被災した方々のために出来ることがたくさんあると実感できた
・私たちが作成した去年のセミナーの資料を壁にはっていてくれていたのを見つけ,大切にしてくださっ
ていたことが嬉しかった
・病院実習では感じることのできなかった経験や目に見えた達成感があった
・自分たちのセミナーなどの活動に意味があったと感じた
・教員と学生のそれぞれに役割があるので,一緒に行くことに意味があると思う
看護学生としての
成長を実感
・それまで何をしていいかわからなかったが,対象の方に合ったケアができるようになってきた
・うでが細い高齢者にマンシェットを巻く機会が多く,だんだん測定できるようになった
・ニーズを聞き出すのが難しかったが,最後にはコミュニケーションがとれるようになり,成長できた
と思う
・自分の今までのメモをみて,前とくらべると視点が変わるなど成長したと思った
214
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
る方々の実態を知ることができた」,
「今抱えている問題,足りない物もたくさんあることがわかっ
た」などがあった。
柏葉ら7)は,災害ボランティアでの学生の学びの研究のなかで,
「カテゴリ【メディアから伝わっ
てこない被災地の現状】があり,現地に行ったことで,メディアからは伝わってこない悲惨な現
状や,被災者のつらさを感じ取っていた」と報告している。本研究においても,同じように,学
生はメディアから伝わってこない被災の悲惨さや大変さを現場で感じとり,自分なりに考え行動
につなげていたことが明らかになった。また,これは,参加理由のカテゴリ〈震災後の実態や影
響を知りたいから〉と類似した内容であり,活動により目的が達成されたととらえることができ,
参加して良かったという充実感につながるものと考えられた。
〈ボランティア活動を通した出会い〉の具体例は,「ボランティアを通して,たくさんの人に出
会えた」
,
「仮設住宅の方,ボランティアの仲間,先生など多くの人々と関わることができて良かっ
た」
,「被災者の方々,先生,後輩など多くの方々と関わらせていただけたので良かった」などが
あった。
稲垣ら8)は,ボランティア活動によって「看護に関連する活動をとおして視野の広がる体験や
自他の理解を深め,人間的成長や看護観の発達を経験しており,看護学生としての人間的成長に
ボランティア活動が大きく貢献している」と述べている。本研究においても,ボランティア活動
を通した新しい出会いや,出会っていた教員との新たな関わりを,学生は良かったととらえてい
ることが明らかになり,影響を受けながら人間としての成長にもつながっていることが推察され
た。
〈触れ合いで得られた喜び〉の具体例は,「被災した方々の思いや気持ちを聞かせていただくこ
とで思いに触れられた感じがして嬉しかった」,「学生さんたちも被災者なのに,私たちのために
来てくれて嬉しいです,と言ってもらえた」,「顔を覚えてもらって,また来てくれたのね,など
声をかけてもらえると信頼関係ができたように感じ,とても嬉しく感じた」,「触れ合って,笑顔
で,ありがとう,と言ってもらえたことがうれしかった」,「限られた時間の中で学生の私に出来
ることも限られていたが,笑顔が出たり,お礼を言われたり,嬉しそうな表情を見ることができ
たのでとても良かった」などがあった。
学生は,被災した方々と触れ合ったり,話をしたりするだけでも,笑顔がみられたり,感謝の
言葉をいただくことで,嬉しさや良かったなどのプラスの感情をもつことが明らかになった。こ
のプラスの感情が次のボランティア活動参加につながり,看護学生としての気づきや充実感につ
ながっていくと推測された。
〈ボランティアの意義を実感〉の具体例は,「閉じこもりだった方が少しずつ外出し,コミュニ
ケーションがとれるようになったと知り,ボランティアの意義があると思った」,
「ボランティア
は継続して活動していくことが信頼関係を築くことにつながることを学んだ」などがあった。
学生は,単発ではなく継続した本活動の特徴とその効果をきちんととらえ,ボランティアの意
東日本大震災ボランティア活動による看護学生の学びに関する検討
215
義を実感したと考えられた。
〈看護の視点からの気づき〉の具体例は,「仮設住宅の中で ADL の低下を最小限にするにはど
うしたらよいか,危険な場所など看護学生の立場から見つけることができた」,
「災害サイクルの
慢性期にあたる現在も疾患のコントロールや生活の改善等が必要であり,長期的な介入が継続し
て必要であると学ぶことができた」,「熱中症のことについて,正しい知識をどうやって伝えるか
話し合い,考える良い機会になった」,「1 年以上経過し,震災当時の様子を自然に語る方が増え
てきたと感じた」,「話を聞いてくれてありがとうございます,と言ってくださり,話をきき,悲
しみや不安を共有することが,ケアになるのだと感じた」,「家族の方がその方の健康を支えてお
り,その家族も含めて私たちが支援していく必要性を感じた」などがあった。
林ら9)は,
「被災者と話をするといった些細なことでも,被災者のストレスやショックを和ら
げることができたことで,「こんな自分でも役に立つんだ」という自己効力感につながった,被
災地の状況を目の当たりにして使命感を持てた,などの良い面での気づきもあった」と述べてい
る。本研究においても,同じように学生は話をきくことがケアにつながることなどに気づいてい
た。また,そのほかにも看護で学んだ知識を生かし,現場でさまざまな問題点に気づくことがで
きているという結果が得られ,看護教育におけるボランティア活動の効果と考えられた。
〈看護学生ならではの活動で得た充実感〉の具体例は,「熱中症予防セミナーで,『そうなんだ』
や『やってみよう』と言ってくださった方が多くて嬉しかった」,「自分の勉強したことを生かし
たボランティアだったのでとても充実していた」,
「訪問することで変化がみられ,必要とされて
いると感じ,役に立ったと思えた。自己肯定感が高まる気がした」,
「薬を飲まない方がいて,関
係づくりをしながら,その方に必要性を理解してもらえるように働きかけることができた」,「お
くすりセミナーを行って,被災した方々の役に立てた。お薬の飲み方で困っていることを聞けて,
解決できた」
,
「お散歩マップ作りをして,仮設の方々のニーズに合ったことができたと思う」な
どがあった。
中島ら10)は,「仮設住宅におけるボランティア活動には,良き聴き手としての役割,看護過程
と同じ問題解決思考を必要とするため,専門的な知識・援助技術・対人スキルを学んでいる看護
学生が有用な人材になるのではないかと考えられた」と述べている。本研究においても,とくに
仮設住宅における活動では,看護で学んだ知識を生かした活動ができており,看護の人材育成と
しての意義があると考えられた。また,仮設住宅での継続した活動は,学生が希望すれば複数回
参加でき,対象者の変化を実際の効果として感じることで,充実感も得られていることが明らか
になった。
〈看護学生としての成長を実感〉の具体例は,「それまで何をしていいかわからなかったが,対
象の方に合ったケアができるようになってきた」,
「うでが細い高齢者にマンシェットを巻く機会
が多く,だんだん測定できるようになった」,「ニーズを聞き出すのが難しかったが,最後にはコ
ミュニケーションがとれるようになり,成長できたと思う」,「自分の今までのメモをみて,前と
216
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
くらべると視点が変わるなど成長したと思った」などがあった。
学生はボランティア活動のなかで,血圧測定やコミュニケーションなどの看護技術が向上して
いることや,看護の視野の広がりなど看護学生としての成長を実感していることが明らかになっ
た。
ボランティア活動の感想から,看護学生の学びについて検討してみると,学生はボランティア
活動のなかで,メディアから伝わってこない被災の悲惨さや大変さを現場で感じとり,自分なり
に考え行動につなげていた。参加理由にあった震災後の実態や影響を知りたい,という目的が達
成され,参加して良かったという充実感につながるものと考えられた。
また,ボランティア活動を通した新しい出会いや,出会っていた教員との新たな関わりを学生
は良かったととらえ,被災した方々と触れ合ったり,話をしたりするだけでも,笑顔がみられた
り,感謝の言葉をいただくことで,喜びを感じていたことが明らかになった。さらに,継続した
本活動の特徴とその効果をきちんととらえ,ボランティアの意義を実感し,看護学生としての気
づきができており,学んだ知識を生かした活動ができた場合は,対象者の変化を実際の効果とし
て感じることで,充実感や自己の成長が実感できることが明らかになった。
4. 震災に関する話を聞いて記憶に残っている内容〈表 3〉
震災に関する話を聞いて記憶に残っている内容は,避難所での活動時期と仮設住宅での活動時
期に分類した。
避難所での活動時期の具体例は,「避難所で,80 歳前後の女性の方が,温かいご飯とみそ汁が
食べたい,と言っていたこと」,「避難所での生活でお風呂やトイレがとても大変だったこと」が
あり,これは避難所での実情を直接お聞きして,大変さを現場で実感したため,印象に残ったと
考えられた。
「隣に住んでいる高校生が助けに来て付き添ってくれた話」,「食べ物がない人に分けてあげた
話」については,大変な生活のなかで起こったいい話であったため,学生の印象に残ったと考え
られた。
「家が津波で流されてしまった話」,「高齢者のご夫婦から『家も何もない。命は助かったけど,
これからが不安』という話をお聞きした。これからが心配になった」
,「500 円玉貯金や知人の結
婚式前日でおろしておいたお金が流されてしまった話」
,「思い出がほとんど流されてしまった,
という表現をしていたこと」,
「お母さんが母子手帳をなくして,大事なものなのにと言っていた」
については,家や大切なものを津波で流されてしまったという東日本大震災の悲惨さを直接お聞
きした内容であった。
また,「震災当日,体育館にまで波がきて,一晩過ごしたこと。翌日,避難所までの道のりで
たくさんの遺体をよけながら歩いたこと」,「隣人が流されるのをみた。死体をみた。自分たちは
生きなきゃいけないからつらい,という話」,「隣に住んでいる人も津波で流されたと聞いて,私
東日本大震災ボランティア活動による看護学生の学びに関する検討
217
表 3 震災に関する話を聞いて記憶に残っている内容
活動時期
具体例
避難所での
活動時期
・避難所で,80 歳前後の女性の方が,温かいご飯とみそ汁が食べたい,と言ってい
たこと
・避難所での生活でお風呂やトイレがとても大変だったこと
・隣に住んでいる高校生が助けに来て付き添ってくれた話
・食べ物がない人に分けてあげた話
・家が津波で流されてしまった話
・高齢者のご夫婦から,「家も何もない。命は助かったけど,これからが不安」とい
う話をお聞きした。これからが心配になった
・500 円玉貯金や結婚式前日でおろしておいたお金が流されてしまった話
・思い出がほとんど流されてしまった,という表現をしていたこと
・お母さんが母子手帳をなくして,大事なものなのにと言っていた
・震災当日,体育館にまで波がきて,一晩過ごしたこと。翌日,避難所までの道のり
でたくさんの遺体をよけながら歩いたこと
・隣人が流されるのをみた。死体をみた。自分たちは生きなきゃいけないからつらい,
という話
・隣に住んでいる人も津波で流されたと聞いて,私は直接津波を見ていないけれど,
被災地の方は生で見ているので傷の深さはとても深いのだなと思った
・津波が来たとき夫といたが,夫は体が不自由だったので,一緒に逃げることができ
ず,後悔していると言ったおばあさんの話
・ノートに亡くなった身内のリストを書いて,その話をしてくださった方がいて,見
せていただいたが,あまりにも多くて,それを見て悲しく辛くなった
仮設住宅での
活動時期
・数回訪問して初めて震災前の家の写真をみながら,以前の状況や震災時の話をして
くださった方がいた。震災から 1 年が経過したときだったので,やっと震災のこと
を話せるようになったのかと感じた
・津波がくるから,ペットを置いてきてしまった。戻ってみると,犬が鎖につながれ
て死んでいた。毎回聞いて,切なくなった
・震災時の様子について写真をみながら,ここに家があって,近くの公民館の屋根に
避難した人は助かった,などの話を聞いて,当時のことを 2 年以上経っていても詳
しく覚えていたことに驚いた
・船が陸に乗り上げてしまった話を聞いて,私が聞いた以上に凄まじいものだったの
だろうと感じた
・亡くなった旦那さんのお話が印象に残っている。何年たっても気持ちがなかなか前
へ進まないのだなと思った
・流されてしまった若い頃の写真を,娘が見つけてきてくれたエピソードを聞いた。
写真をみながら,見つけてくれた人,洗浄してくれた人に嬉しがっていることを伝
えたい気持ちになった
・いつまで仮設暮らしが続くのか,仮設住宅ではなく家を持ちたいと,話していたこ
と
・移転したくても,元住んでいた場所に戻ると手をふって助けを求める人の映像が
蘇ってきて,助けてあげられなかった思いがあるので,移転はしたくないという話
・朝市が復活したときに「朝市始まったみたいだね。行ってないけど」と淡々と話さ
れていた。もっと復興を喜んでいると思っていたが,実際は朝市に足を運ぶことも
難しいため,高齢の被災者の方からすると,どこか非現実的であるのだと思った。
被災地は復興に向かっているが,被災者の方の思いは比例していないのだと感じた
218
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
は直接津波を見ていないけれど,被災地の方は生で見ているので傷の深さはとても深いのだなと
思った」
,
「津波が来たとき夫といたが,夫は体が不自由だったので,一緒に逃げることができず,
後悔していると言ったおばあさんの話」,「ノートに亡くなった身内のリストを書いて,その話を
してくださった方がいて,見せていただいたが,あまりにも多くて,それを見て悲しく辛くなっ
た」などがあった。
野口11)は,
「被災するということは,自分がいままで生きてきた歴史,証を一瞬にして,また
根こそぎ失ってしまうことだ。(中略)被災者が抱える苦悩や救援者が内に秘める疲労は,何度
も現場に入り,当事者の声に耳を傾けることでしか明らかになってこない。学生自身が現場に足
を運び,そこで見たり,聞いたり,感じたりすることで,学習への積極的姿勢を自ら生み出し,
想像力や感性が磨かれていくのだと思う。そして,このように現場に入るチャンスを与えてくれ
る災害看護が学部教育に取り入れられることは,学生の新たな看護観を生み出すチャンスともな
る」と述べている。被災の状況を直接お聞きするのは,学生にとって辛いことではあるが,現場
に足を運び,学生の新たな看護観を生み出す機会にしてほしいと考えている。また,学生の立場
でも,ボランティア活動のなかで,以上のような悲惨さを直接お聞きすることがあるため,精神
面のフォローが重要であることも明らかになった。
仮設住宅での活動時期の具体例は,「数回訪問して初めて震災前の家の写真をみながら,以前
の状況や震災時の話をしてくださった方がいた。震災から 1 年が経過したときだったので,やっ
と震災のことを話せるようになったのかと感じた」,
「津波がくるから,ペットを置いてきてしまっ
た。戻ってみると,犬が鎖につながれて死んでいた。毎回聞いて,切なくなった」,「震災時の様
子について写真をみながら,ここに家があって,近くの公民館の屋根に避難した人は助かった,
などの話を聞いて,当時のことを 2 年以上経っていても詳しく覚えていたことに驚いた」,
「船が
陸に乗り上げてしまった話を聞いて,私が聞いた以上に凄まじいものだったのだろうと感じた」,
「亡くなった旦那さんのお話が印象に残っている。何年たっても気持ちがなかなか前へ進まない
のだなと思った」があり,震災から時間が経過しても,詳細な記憶があることに驚き,被災者は
忘れることができないことや,前向きになる難しさを学んでいると考えられた。
また,「流されてしまった若い頃の写真を,娘が見つけてきてくれたエピソードを聞いた。写
真をみながら,見つけてくれた人,洗浄してくれた人に嬉しがっていることを伝えたい気持ちに
なった」という具体例もあり,写真洗浄のボランティア活動があることは知っていたが,初めて
身近に感じ,自分たちの活動だけではないボランティアの重要性に気づいたエピソードであると
いえる。
さらに,
「いつまで仮設暮らしが続くのか,仮設住宅ではなく家を持ちたいと,話していたこと」,
「移転したくても,元住んでいた場所に戻ると手をふって助けを求める人の映像が蘇ってきて,
助けてあげられなかった思いがあるので,移転はしたくないという話」などの具体例があった。
板垣ら12)は,
「教員は学生のボランティア活動を推奨して,学生が被災地の問題を広く認識する
東日本大震災ボランティア活動による看護学生の学びに関する検討
219
機会を作ることも必要である」と述べている。本研究において,学生は,移転に関する被災者の
本音を聞くことができ,復興までの道のりは長いことを実感し,被災地の問題を広く認識する機
会になったと考えられた。
VI. ま と め
本研究において,東日本大震災ボランティア活動による看護学生の学びを明らかにし,ボラン
ティア活動の看護学教育における効果について検討した。
その結果,教員の指導のもとに看護技術を経験および見学できることは,実習同様に実践的な
看護の学びの場になっていると考えられた。
参加理由をみると,学生の立場以外に同じ被災者として役に立ちたいと思ったこと,看護学生
として被災地の実態や影響を実際に知りたいという思いが強いこと,ボランティア活動が盛んで
あるという本学の特徴が影響しており,被災者である自分と向き合いたいという被災地大学の看
護学生ならではの特徴ある参加理由が存在することが明らかになった。
また,ボランティア活動の感想として,〈被災の実情の理解〉,
〈ボランティア活動を通した出
会い〉
,〈触れ合いで得られた喜び〉,
〈ボランティアの意義を実感〉,
〈看護の視点からの気づき〉,
〈看護学生ならではの活動で得た充実感〉,〈看護学生としての成長を実感〉の 7 つのカテゴリが
抽出され,学生は,継続した本活動の特徴とその効果をきちんととらえ,ボランティアの意義を
実感し,看護学生としての気づきができており,学んだ知識を生かした活動ができた場合は,対
象者の変化を実際の効果として感じることで,充実感や自己の成長が実感できることが明らかに
なった。
さらに,震災に関する話を聞いて記憶に残っている内容についてみると,学生の立場でも,震
災の悲惨さを直接お聞きしていることが明らかになった。また,仮設住宅において,学生は,移
転に関する被災者の本音を聞くことができ,復興までの道のりは長いことを実感し,被災地の問
題を広く認識する機会になったと考えられた。
VII. お わ り に
この医療ボランティアチームの活動は,2 年半経過した今でも継続しており,学生と教員あわ
せて,のべ 922 名(うち保健看護学科 608 名)の参加があった。こうしてふりかえると,初めは
手探り状態で始まった活動であるが,いまでは安定した活動となり,被災した方々に良い変化を
もたらし,確実にボランティア活動の効果がみられている。
この活動の原動力は,のべ 458 名(うち保健看護学科 301 名)という数字が示しているように,
被災した方々の役に立ちたいという学生の熱意であると感じている。今後も被災地大学の学生と
して,継続したボランティア活動を通して多くのことを学び,成長することを心から願っている。
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
220
そして,それを支えるのは,学生と同じくらいの熱意をもって参加したのべ 464 名(うち保健看
護学科 307 名)の教員であり,今後も被災した方々のために,そして学生の教育の一環としてボ
ランティア活動をとらえ,応援していきたい。
本研究の報告が,今後,災害ボランティア活動を行う看護学生と教員にとって,少しでも参考
になれば幸いである。
謝 辞
本活動は,名取市健康福祉部保健センターの職員の皆様,医師会の皆様,仮設住宅の自治会長
様ほか多くの方々にご協力いただきました。深く感謝申し上げます。
なお,本活動は,社会福祉法人中央共同募金会赤い羽根災害ボランティアサポート募金助成事
業,公益財団法人日本財団 ROAD プロジェクト,三菱商事東日本大震災復興支援助成金,財団
法人前川報恩会学術研究助成からご支援いただきました。御礼申し上げます。
引用・参考文献
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査.弘前医療福祉大学紀要,4(1), 49 53, 2013.
-
乳児の泣き声と表情に対するヒトの脳反応
221
乳児の泣き声と表情に対するヒトの脳反応
─
fMRI による研究の文献検討 ─
庭 野 賀 津 子
要旨 : 1999 年に発表された Lorberbaum の研究以降,ヒトの母親の子に対する反応の神経
基盤を,fMRI を用いて脳を非侵襲的に計測することによって調べる研究が進められてい
る。本研究では,乳児の泣き声,あるいは乳児の表情などの,乳児刺激に対してヒトが示
す脳反応を,fMRI によって検討している研究の動向を調査するとともに,今後の課題に
ついて検討した。対象とした資料は,1999 年から 2013 年までの間に海外で発表された,
乳児の泣き声に対する反応を検討した論文 12 件と乳児の表情への反応を検討した論文 10
件であった。各資料より,乳児刺激に対する脳の賦活部位として,扁桃体,帯状回,視床
下部,視床,前頭葉眼窩皮質,島,側頭極,腹側前頭前野等が示された。これらの部位は,
感情,感情統制,共感,ワーキングメモリー,報酬系等にかかわることが知られており,
動物実験で養育行動を引き起こす部位として示された領域と共通していた。親の養育行動
の解明には,脳機能計測の他に,内分泌や心理特性,親自身の生育環境など,他の要因も
併せて検討していく必要があるが,脳内の神経基盤を明らかにするためには,fMRI によ
る脳機能イメージングは有効な手段の一つであるといえる。
キーワード : 乳児刺激,神経基盤,fMRI
1. 緒 言
言語を獲得する前の乳児は,泣き声,あるいは顔面の表情や身体の動きなどの,聴覚情報と視
覚情報によって,養育者(多くの場合母親)に対して様々な情報を発信する。養育者による養育
がなければ生存できない乳児にとって,限られた表出手段を用いて情報を伝達することの意義は
大きい。
また,乳児特有の容貌は,養育者の養育行動の動機をより高めるものとなる。動物行動学者の
Lorenz(1971)は,ヒトを含む哺乳類の子ども全般に見られる,丸みを帯びた顔や体,短く太い
四肢,身体に比して大きな頭部等,乳児の顔や身体的特徴は養育者に「かわいい」という感情を
抱かせる baby schema であり,養育者の養護反応が誘発されるものであるとしている。
養育者による養育行動は,乳児の生命の維持と身体発達に必要であるとともに,乳児の社会性
や言語,認知の発達において重要な役割を果たす。また,baby schema だけではなく,乳児の表
出する泣き声を始めとする音声や顔面の表情等による欲求や情動の表出からも,養育者の養護反
応は引き出される。
主たる養育者である母親について,その育児行動や乳児へ向けた発話の特徴,あるいは育児中
の生理学的変化等に着目して行われた研究は多い。母親は乳児の表出する情報を感受性豊かに受
222
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
け止め,その意味を解釈して,子のニーズに応じた養育行動を取る。特に泣き声は,隣室などの
離れた場所でも知覚することができ,母親にとって重要なサインとなる。これまで,母親の乳児
の泣き声の知覚あるいは泣き声によって生じる情動反応について,質問紙,インタビュー等によ
る主観的・自覚的評価による多くの研究が行われてきた。また,泣き声を聞いた時の母親の心拍,
血圧,皮膚コンダクタンス,あるいはオキシトシンやコルチゾールなどのホルモン分泌など,生
理的・他覚的指標を用いた研究もなされてきた。乳児の泣き声は母親にとって必要かつ有用な情
報である一方,母親の育児ストレスを引き起こす原因にもなり得る。また,親以外の人が乳児の
泣き声を聞くと不快に感じ,生理的なストレス反応が生じることを示す研究も報告されている。
そのため,乳児の泣き声という刺激はヒトの脳に何らかの情動反応を引き起こすものと考えられ
ており,近年の脳の画像診断の発達により,脳機能を計測して養育行動の神経基盤を探ろうとす
る研究がおこなわれてきている。
ヒトの精神活動と脳機能との関連を解明する方法の一つとして,機能的核磁気共鳴画像(functional magnetic resonance imaging : fMRI)による測定がある。fMRI は,脳活動に伴って局所賦
活部における還元ヘモグロビンの増加によって生じる信号強度の変化をとらえ,画像化すること
によって,時間経過とともに変化するヒトの精神活動と,その活動が行われる脳局在との関連を
検討することを可能とする。MRI は脳の画像診断をするための臨床用として開発された。その後,
Ogawa et al.(1990)によって,fMRI で測定される BOLD 信号によって脳内の動的な過程を見る
ことができることが報告された。MRI は人体への侵襲が少ないことから,今日では医療目的だ
けではなく,
心理学等の社会科学の研究において fMRI が用いられることとなった。静的な状態で,
聴覚刺激や視覚刺激などによる課題を提示し,課題遂行中の脳を撮像することにより,ヒトの認
知反応における神経基盤を解明することができる。
母親の脳が,乳児の泣き声を聞いた時,どの領域がどのような反応を示すのかを fMRI によっ
て明らかにすることができれば,母親の養育行動の傾向を予測し,虐待や育児放棄の防止につな
げることも可能かもしれない。母親が乳児の泣き声という聴覚刺激を聞いてどのような脳反応を
示すか,fMRI を用いて検討した最初の研究は,Lorberbaum(1999)によるものである。この研
究は 4 名という少数の母親を対象としたパイロットスタディであり,母親の乳児の泣き声に対す
る脳反応を fMRI によって研究することの有効性を確認することが目的であった。ヒトの場合,
育児行動の大半は学習によって獲得される一方,他の哺乳類と同様に,母子の絆に関連するホル
モンの分泌などの生物学的基盤は生得的備わっているものと考えられる。しかし,ヒトの母親の
子に対する愛着の神経基盤はそれまで明らかにされていなかった。
ヒトを対象とした研究が行われる前に,げっ歯類や霊長類などの哺乳類を対象とした子の泣き
声に対する母親の脳反応の研究が行われていた。それらの動物実験において,子の泣き声に対す
る親の反応,あるいは母親の養育行動は大脳辺縁系の働きと関連が強いことが明らかとなってい
た。その中でも,特に,前帯状回,脳中隔,扁桃体などが関与していることが示されていた。さ
乳児の泣き声と表情に対するヒトの脳反応
223
らに,前頭眼窩皮質,視床下部,側頭極も母親の養育行動と関連があることが示されていた。そ
こで,ヒトにおいても同様に,それらの領域の働きが母親の養育行動に関与していることが仮説
として立てられた。Lorberbaum et al.(1999)の示した,乳児の泣き声に対する脳反応の研究結
果はその仮説を支持するものであり,ヒトの母親も他の哺乳類の母親と同様に,乳児の泣き声に
対して前帯状回,前頭眼窩皮質における有意な賦活が確認された。
一方,乳児の顔という視覚的な乳児刺激に対する母親の反応について fMRI を用いて検討した
研究では,Nitschke et al.(2004)が先駆けと言える。ヒトの顔に対する脳反応の研究はそれ以前
にも行われていたが(e.g., Canli et al., 2002 ; Gobbini et al., 2004)
,母親が乳児の顔を見たときの
脳反応について検討した研究はそれまでなされていなかった。母親が自分の子である乳児の顔を
見たときに,情動や記憶と関連する脳の部位,たとえば扁桃体,島,側頭回,前帯状回,海馬,
背側前頭前野が賦活するという仮説が立てられ,実験によってそれらの部位の賦活が実証された。
そしてその後も,自分の子,あるいは他人の子の,顔の写真や動画等の視覚刺激に対する,親,
あるいは親以外の成人の脳反応について研究した論文が発表された。Leibenluft et al.(2004)は
Nitschke et al.(2004)と同時期に,母親がもっと年齢の高い自分の子ども(5-12 歳程度)の写真
を見たときの脳反応を調べた。その結果,Nitschke et al.(2004)における乳児への反応では見ら
れなかった社会的に認知に関わる部位,すなわち,後帯状回や上側頭溝での賦活が見られた。子
どもの年齢が変わると子どもとの関係性も変化し,脳反応も変化すると考えられる。また,母親
のみではなく,母親以外の女性が乳児の写真を見たときの脳反応を fMRI で検討した研究もある
(Caria et al., 2012 ; Glocker, 2009 ; Baeken, 2009)。出産や育児の経験のない女性も,乳児の写真
に対して母親と共通する部分,たとえば視床,線条体,前帯状回,前頭葉眼窩皮質等の賦活が見
られ,それは男性には見られなかったことから(Caria et al., 2012),女性には乳児に対する特異
的な反応性が見られることが示された。また,Proverbio et al.(2008)は,子どものいない若年
の男女を対象として,人の顔が写っている写真と風景の写真を視覚刺激として呈示して fMRI で
撮像したところ,人の写真に対して,女性の方が男性よりも上側頭回や前帯状回で有意に賦活し
ており,
社会性に関する神経基盤において女性の方が優位であることが示唆された。このように,
先行研究によって女性は,乳児,あるいは人の顔に対する反応の神経基盤が男性とは異なってい
ることが示唆されている。
Lorberbaum et al.(1999)により,乳児刺激に対するヒトの脳反応を fMRI によって撮像し,神
経基盤について検討した研究が始められてから 10 年余が経過し,ある程度の研究の蓄積がなさ
れてきた。そこで本研究では,これまで発表されてきた fMRI 研究の論文を資料として,聴覚あ
るいは視覚による乳児刺激に対するヒトの脳の賦活部位に関する知見を整理するとともに,
fMRI による乳児刺激に対する脳反応の研究の課題について考察をする。
224
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
2. 方 法
(1)
研究対象の選定
医学雑誌データベースである MEDLINE,PubMed および心理学雑誌データベースである PsycINFO を利用して,本研究の目的に適合する論文を選定した。検索キーワードを「fMRI」
「human」
>
「neural response」または「brain response」>
「infant cry」または「infant face」とした。さらに
検索条件を「英語」「査読付学術論文」とした。その結果,21 件の論文が該当(2013 年 10 月最
終検索)し,それらを分析対象の資料とした。
(2)
分析の視点
対象とする各論文について,乳児刺激の種類(聴覚刺激と視覚刺激)によって分類した。また,
研究対象者(実験参加者)の属性(親 vs 非親,男性 vs 女性など)について調査した。さらに,
各論文において示された乳児刺激に対する賦活部位について検討した。
3. 結 果
論文データベースによって検索をした結果,Lorberbaum による 1999 年の論文が乳児刺激に対
する脳反応を fMRI で検討した最初の論文であった。それ以降,2013 年までに発行された論文で
用いられている乳児刺激は,いずれも聴覚刺激または視覚刺激であった。聴覚刺激では乳児の泣
き声が用いられており,視覚刺激では乳児の写真または動画が用いられていた。刺激の種類によ
る論文の内訳は,聴覚刺激(乳児の泣き声)をもとにした論文が 11 件,視覚刺激(乳児の写真
または動画)をもとにした研究が 9 件,聴覚刺激と視覚刺激の両方を用いたものが 1 件であった。
それらの文献一覧を,刺激種別に分類して表 1 と表 2 に示す。掲載雑誌の専門分野の内訳は,神
経科学分野が 9 件,精神医学分野が 7 件,小児科学分野が 1 件,発達科学分野が 1 件,科学全般
を扱う雑誌が 3 件であった。また,実験の対象は,母親が 17 件,非親の女性 6 件,父親 1 件,
非親の男性 2 件(1 件の論文で複数の対象群を設定してあるものは重複してカウント)であり,
女性を対象としたものがほとんどで,男性を対象としたものは少ない。
4. 考 察
(1)
乳児の泣き声に対する反応
本稿で分析対象とした聴覚刺激による研究 12 件の各研究結果が示している,乳児の泣き声に
対して賦活する領域として,中隔野,内側視索領域(mediall preoptic area : MPOA)
,分界条床
核(bed uncles of the stria terminalis : VBNST)があげられる。これらは前頭部内側に位置する,
2011
2011
Lorberbaum
Seifritz
Swain
Kim
Bos
Kim
Landi3)
Laurent
Montoya
Laurent
Mussera
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
Developmental Cognitive
Neuroscience
Social Cognitive And Affective
Neuroscience
PLoS ONE
Proceedings of the National
Academy of Sciences
Frontiers in Psychiatry
Journal of Child Psychology
and Psychiatry
Psychoneuroendocrinology
Developmental Science
Journal of Child Psychology
and Psychiatry
Biological Psychiatry
Biological Psychiatry
Depression and Anxiety
掲載誌
3T
3T
ブロックデザイン
他人の子の泣き声
事象関連デザイン
他人の子の泣き声
ブロックデザイン
自分の子の泣き声 vs
他人の子の泣き声
40(各群 10)
12(各群 6)
26
16
17(母乳育児群 7,
人工乳群 8)
17
22(各群 11)
21
母親(乳児を持つ)
非親女性
母親(母乳育児中),母親(人工乳育児
中)
母 親( 産 後 1 3 カ 月 で 物 質 使 用 中4)), 54(物質使用群 26,
非使用群 28)
母親(産後 1 3 カ月で物質非使用)
21
母親(初産経膣分娩),母親(初産帝王
切開)
母親(初産)
非親女性
母親(大うつ病性障害),母親(健常)
母親(初産)
-
-
ブロックデザイン
自分の子の泣き声 vs
他人の子の泣き声
ブロックデザイン
他人の子の泣き声
ブロックデザイン
他人の子の泣き声
ブロックデザイン
他人の子の泣き声
ブロックデザイン
他人の子の泣き声
ブロックデザイン
自分の子の泣き声 vs
他人の子の泣き声
事象関連デザイン
他人の子の泣き声 vs
他人の子の笑い声
3T
3T
3T
3T
3T
3T
3T
1.5T
1.5T
母親(3 歳以下の子を持つ),父親(3
歳以下の子を持つ),非親女性2),非親
男性
ブロックデザイン
他人の子の泣き声
10
-
1.5T
MRI
磁場強度
母親(生後 4 8 週の子を持ち,母乳育
児中)
ブロックデザイン
他人の子の泣き声
実験デザイン
呈示刺激
4
対象者数 1)
母親(4 歳以下の子を持つ)
対象者
Note
1) 実際に実験を遂行でき,分析対象とした参加者の人数のみを掲載。
2) ここでの「非親」は,生物学的・社会的ともに親の経験のない成人を示す。
3) Landi(2011)では,聴覚刺激と視覚刺激の両方を実験で用いているため,この文献は表 2 と重複して掲載。
4) Landi(2011)における「物質使用(substance use)」は,タバコ,麻薬,アルコールのいずれか,または複数の常用を示す。
2012
2012
2012
2011
2010
2010
2008
2003
2002
1999
Lorberbaum
1
発行年
第一著者
No.
表 1. 乳児の泣き声(聴覚刺激)に対する成人の脳反応に関する fMRI 研究の文献一覧
乳児の泣き声と表情に対するヒトの脳反応
225
2009
2011
Ranote
Noriuchi
Strathearn
Glocker
Lenzi
Strathearn
Baeken
Landi3)
Caria
2
3
4
5
6
7
8
9
10
静止画
28
16
16
30
母親(初産で 10 か月齢の乳
児を持つ)
非親女性 2)
母 親( 初 産 で 6 12 か 月 齢 の
乳児を持つ)
母親(母親)
非親女性2)
Pediatrics
Proceedings of the National
Academy of Sciences
NeuroImage
Frontiers in Psychiatry
Brain Research
Neuropsychopharmacology
Cerebral Cortex
静止画
16(男 7,女 9)
非親男性,非親女性
ブロックデザイン
知らない子 vs 知らない大人 vs
動物
ブロックデザイン
知らない子
静止画
54(物質使用
群 26, 非 使
用群 28)
母親(産後 1 3 か月で物質使
用者4)),母親(産後 1 3 か月
で物質非使用者)
-
ブロックデザイン
知らない子(happy vs sad)
静止画
40
ブロックデザイン
自分の子
事象関連デザイン
自分の子 vs 知らない子
静止画
事象関連デザイン
知らない子
ブロックデザイン
自分の子 vs 知らない子
ブロックデザイン
自分の子 vs 知らない子
ブロックデザイン
自分の子 vs 知らない子
ブロックデザイン
自分の子 vs 知り合いの子 vs
知らない子 vs 知らない大人
実験デザイン
呈示刺激
静止画
-
-
動画
母親(16 か月齢の乳児を持つ) 13
Biological Psychiatry
静止画
動画
-
-
10
NeuroReport
NeuroImage
静止画
視覚刺激
母親(4 8 か月齢の乳児を持
つ)
対象者数 1)
6
対象者
母親(初産で 2 4 か月齢の乳
児を持つ)
掲載誌
注:
1) 実際に実験を遂行でき,分析対象とした参加者の人数のみを掲載。
2) ここでの「非親」は,生物学的・社会的ともに親の経験のない成人を示す。
3) Landi(2011)では,聴覚刺激と視覚刺激の両方を実験で用いているため,この文献は表 1 と重複して掲載。
4) Landi(2011)における「物質使用(substance use)」は,タバコ,麻薬,アルコールのいずれか,または複数の常用を示す。
2012
2009
2009
2009
2008
2008
2004
2004
Nitschke
1
発行年
第一著者
No.
表 2.乳児の顔(視覚刺激)に対する成人の脳反応に関する fMRI 研究の文献一覧
4T
3T
1.5T
3T
3T
3T
3T
1.5T
1.5T
1.5T
MRI
磁場強度
226
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
乳児の泣き声と表情に対するヒトの脳反応
227
比較的小さい領域であるが,動物実験において,母親の育児行動に重要な役割を果たすことが示
されている(e.g., Numan, 1994)。その後,ヒトを対象とした研究が行われたことにより,他の
哺乳類とヒトの母親の育児行動の神経基盤には共通点があることが示された。Lorberbaum(2002)
は,MPOA/VBNST がヒトにおいても母親の育児行動に強く関連しているとしており,乳児の泣
き声に反応して,育児行動を引き起こすと考えられる。その他,本稿で取り上げた,乳児の聴覚
刺激に対する反応の各研究において,扁桃体,帯状回,視床下部,視床,前頭葉眼窩皮質,島,
側頭極,腹側前頭前野,聴覚野等での賦活が報告された。これらの部位は,感情,感情統制,共
感性,ワーキングメモリー,ミラーニューロン,報酬系などと関わっており,乳児の泣き声から,
さまざまな部位の賦活が引き起こされ,複合的に育児行動を引き起こす役割を果たしていると考
えられる。自分の子の声と他人の子の声とで比較した研究では,これらの部位において自分の子
に対してより賦活している。
左右半球の差においては,本研究で取り上げた 11 件の論文において,全体的に左半球と比較
して右半球の反応が強く出ている傾向にあるが,すべての研究において一致しているわけではな
かった。左右差については,聴覚情報,特に音調に関する処理が左右の半球で違うことは以前か
ら指摘されている(e.g., Kimura, 1963)
。また,Zatorre et al.(2001)は,陽電子断層撮影法(PET)
による計測で,右半球では周波数の分解能が高く,左半球では時間分解能が高いことを検証した。
非言語情報である乳児の音声を周波数分解に優位性のある右半球で情報処理をし,認知すること
により,右半球での活性が高まったと考えられる。
(2) 乳児の顔に対する反応
乳児の顔写真や動画を用いて,乳児の視覚刺激から受ける脳反応について検討した研究におい
ても,脳内の様々な部位の賦活が報告されているが,聴覚刺激をもとにした研究では泣き声を主
として用いているのに対し,視覚刺激では笑い顔を用いているものが多いため,泣き声による聴
覚刺激とは情動への影響が異なると考えられる。また,本稿で取り上げた視覚刺激の研究 10 件は,
それぞれ実験デザインが違うため賦活部位を単純に比較することはできないが,共通した部分と
しては,視床,大脳基底核(尾状核,被殻,淡蒼球),前頭葉眼窩皮質,紡錘状回があげられる。
前頭葉眼窩皮質は,社会脳(social brain)とも呼ばれ,情動処理,意思決定,報酬系を司って
いるとされており,ヒトの気質や行動特性に関与していると考えられている。特に,Nitschke et
al.(2004)は,親が子どもの写真を見たときに前頭眼窩皮質が賦活することに着目している。前
頭眼窩皮質は,親子間の愛着との関連も指摘されており,親が子どもの写真,特に自分の子の写
真を見たときに前頭眼窩皮質が賦活することは,子どもの視覚刺激が親の育児行動の動機となる
ためと考えられる。紡錘状回については,自閉症の研究(e.g., Grelotti et al., 2002)などから,
顔の認知に深く関与していることが明らかにされている。育児経験のある親は,乳児の顔により
興味を持ち,表情認知をするため,紡錘状回の賦活が見られるものと推測される。
228
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
(3)
親と非親の比較
Seifritz et al.(2003)は,母親,父親,親ではない男性,親ではない女性の 4 群で比較をして
おり,育児経験の有無と,男女差の 2 要因から,乳児の声(泣き声と笑い声)に対する反応を調
べた。親と非親,そして男女間の比較を同時に実施した研究はほとんど行われていないため,こ
の研究は貴重な知見を提供している。父親・母親ともに,親は乳児の泣き声に対して,笑い声と
比較してより扁桃体が賦活するが,親でない男性・女性はともに笑い声に対して扁桃体が賦活す
る。扁桃体は情動をつかさどっており,感情の記憶に関与していることから,育児経験のある親
は,乳児の泣き声から育児経験を通して記憶された感情が喚起され,扁桃体で情動反応処理が行
われる可能性がある。Seifritz et al.(2003)により,育児に関する脳機能の変化は,女性だけで
はなく,男性においても育児経験を通して生じており,性差だけではなく育児経験の有無も脳反
応の変化において重要な要因となることが示唆された。
(4) 自分の子と他人の子との反応の比較
聴覚刺激,視覚刺激のいずれの研究においても,母親を対象として,自分の子と他人の子の刺
激を提示し,比較している研究があった。親は,自分の子の声,あるいは自分の子の顔が呈示さ
れると,他人の子よりも,前頭眼窩皮質,島,前帯状回,扁桃体,被殻などで強く反応していた。
これらの部位は報酬系として知られており,この領域が関与しているためと考えられる。この,
母親による自分の子への特別な脳反応について,Bartels et al.(2004)は,恋愛時と神経基盤が
共通していると指摘している。母親は子どもに対して,親密に関わり,無償の愛情を捧げて育児
行動に専念する強い動機を持つことにより,子どもを無事に育てあげることができる。その心理
状態が恋愛時と共通していると考え,Bartels et al. は先に彼らが研究をした恋愛時の脳活動の結
果と比較するため,母親を対象として,6 歳以下の自分の子と他人の子の写真を提示して,その
ときの脳活動を fMRI によって測定した。その結果,前頭前野と島での賦活がみられ,恋愛時の
脳と共通していることを示した。Gallese et al.(2004)は,他人の感情や行動の意味を読み取る
のに島が関連しており,他人と関わる経験を重ねることによって,より強く反応するようになる
と指摘している。また,Carr et al.(2003)は,島の重要な役割として,感情情報の統合をあげて
いる。母親は,毎日育児を通して自分の子と接することにより,自分の子に接することの喜びや
楽しさを感じるとともに,子どもの感情情報を読み取ることを繰り返す中で感情情報を統合し,
わが子に対する報酬系の賦活が強くなっているものと考えられる。
そのため,母親を対象に実験をするにあたっては,刺激素材が対象者の子であるか否かも結果
を左右する大きな要因となるため,慎重に刺激素材を選定する必要がある。本稿で取り上げた論
文では,視覚刺激の方が,対象者の子を刺激素材とする割合が多かった。視覚刺激の方が,自分
の子か否かで母親の養育行動に関する部位の賦活がより影響を受けると考えられるために,視覚
乳児の泣き声と表情に対するヒトの脳反応
229
刺激を用いた実験計画では対象者の子を刺激素材として使う傾向にあると推測される。
(5)
fMRI による乳児刺激に関する研究の今後の課題
動物実験において,解剖や脳の損壊によって実証してきた母親の育児行動の神経基盤を,
fMRI を用いることによって,ヒトの脳で非侵襲的に確認することが可能となった。ヒトの育児
行動の研究において,fMRI は大変有用であると考えられる。しかし,現在のところ,実験で用
いられている刺激は乳児の泣き声等の聴覚刺激または乳児の写真や動画による視覚刺激のみであ
る。今後,別の種類の感覚刺激,たとえば嗅覚や触覚等を用いた刺激の開発が期待される。また,
対象者の選定においては,対象者自身の被養育体験,性格,生活環境等,さまざまな要因も育児
行動に関連していると考えられることから,実験計画を立てる際には,厳密な対象者の統制が必
要となってくるだろう。これまでの研究において,種々の性格検査を含む心理検査を同時に測定
して,その結果を,fMRI より得られた結果の解釈や,対象者の群分けに用いているものもあるが,
どの性格特性が特に育児行動に影響を及ぼすのか,共通の知見は見出されていない。心理学的要
素との関連について,さらに検討をしていく必要があるだろう。また,これまでのところ,研究
対象のほとんどが母親であるが,育児経験の有無,あるいは男女間で違いがあることから,さら
に,母親以外も対象とした比較研究が望まれる。
fMRI での撮像は,体動を抑制しなければならないため,刺激課題が被験者にとって受動的な
ものになりがちである。育児行動の場面では,親は主体的かつ能動的に子どもと関わっており,
また,子どもからの情報発信も様々なモダリティを活用して積極的に行われている。そのような
親子の活発な相互作用が行われている自然な場面での脳活動の記録,たとえば近赤外線分光法
(NIRS)の応用なども合わせて検討していくことが必要なのではないかと考えられる。さらに,
脳の賦活だけではなく,分泌系の検討も必要である。たとえば,母性行動と直接関連のあるエス
トロゲンやオキシトシン,報酬系に関与するドーパミン,ストレスホルモンであるコルチゾール
等の分泌と,育児行動における脳機能との関係も検討の余地がある。
このように,fMRI による乳児刺激に対する脳反応の検討には,まだ課題が残されている。し
かし,fMRI によって,課題遂行中の脳活動の変化を時間経過とともに計測し,画像化できると
いうメリットを活かしたこれまでの研究による成果は大きく,今後も fMRI の活用によって新た
な知見が出されることを期待したい。
謝 辞
本研究は日本学術振興会科研費 24530831(研究代表者 庭野賀津子)の助成を受けたものです。
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
230
引 用 文 献
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乳児の泣き声と表情に対するヒトの脳反応
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-
乳児の表情が若年成人の脳活動へ及ぼす影響
233
乳児の表情が若年成人の脳活動へ及ぼす影響
─
近赤外線分光法による検討 ─
田 邊 素 子
要旨 : 虐待の誘因といわれている乳児の表情に対するストレス反応は,親での報告はある
が育児経験のない若年期成人ではみられない。乳児の表情によるストレス反応を育児経験
のない若年期成人の脳活動を近赤外線分光法(NIRS)にて計測し,唾液アミラーゼ,心
理指標との関連性についての検討を目的とした。対象は健康な大学生 10 名(男女各 5 名,
平均年齢 21.1 歳,右利き),乳児の表情は刺激を統制するためビデオ画像を用いた。安静
と刺激を 20 秒間 3 回繰り返すブロックデザインとし,刺激は乳児が泣いている場面(cry
条件),
機嫌の良い状態(non cry 条件)の 2 つを提示した。脳活動計側は NIRS(日立メディ
-
コ社製,
ETG 4000)を使用した。指標は OxyHb(mM・mm)とし,左右の前頭前皮質(PFC),
-
上側頭溝近傍部(STS)の 4 箇所に関心領域(ROI)を設定した。唾液アミラーゼ活性値
は唾液アミラーゼモニター(ニプロ社),心理指標は新版 STAI の状態不安(実務教育出版)
を使用し実験前後で評価した。結果は個人解析で,OxyHb は 10 名とも ROI において刺激
条件により有意な差がみられた。グループ解析では差はなかった。実験前後で唾液アミラー
ゼに差はなかったが,STAI は有意に上昇した。若年期成人において,乳児の 2 条件の表
情により PFC,STS の脳活動に違いがあることが示唆された。
キーワード : 脳活動,ストレス反応,乳児
1.背 景
昨今,乳幼児への親からの虐待が深刻な社会問題となっている。児童虐待について児童虐待防
止法や児童相談所の拡充など制度も含め対策が施されているが,今なお虐待件数の増加や虐待に
よる乳幼児の死亡など痛ましい報道が後を絶えない。
厚生労働省による平成 23 年度の児童虐待の統計1)によると,虐待対応件数は,統計を取り始
めてから過去最高の 59,919 件となっている。また,子どもに対し虐待を行う虐待者の種別は,
実母が 59.2% と一番多く,次いで実父が 27.2% となっており,わが子に対し実の親が虐待を行っ
ているのが現状である。このような虐待に対し,厚生労働省では課題の 1 つとして「発生予防」
をあげ,虐待に至る前に育児の孤立化の防止や育児不安の防止など気になるレベルでの対策に取
り組んでいるところである。育児不安とは,親が自分の子供を育てるにあたって感じる,過度の
不安や困惑ないし自信のなさからくる漠然とした精神的状態の総称であり,ほぼ同義として扱わ
れる用語に育児ストレスがある。
育児ストレスの要因は複雑であり,核家族化社会での子育て,情報化社会による育児情報の氾
濫2)など,母親をとりまく育児環境の変化から,育児に負担感を持ちながらも子育から逃れられ
234
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
ないという状況が影響している。特に,このような子育て環境の中,なかなか泣きやまない乳児
の泣き声に不安や苛立ちを覚える母親は少なくない。乳児の泣き声と育児ストレスについては数
多く報告されており,Murray3)は子供の「泣き声」は親にストレスを与え虐待の誘因になると報
告している。オランダの調査4)では生後 6 ヶ月の乳児をもつ母親のうち 5.6% が,子どもの泣き
声が原因で虐待の経験をもつと報告している。民間企業の調査ではあるが,菓子製造業のロッテ
株式会社5)は,2012 年に全国の 1 歳から 3 歳の子どもを持つ母親 450 名に対し,
「子どもの泣き
と育児ストレスに関する意識調査」を実施し,その結果「子どもの泣き声」をストレスに感じる
母親は約 9 割にのぼることを報告している。インターネット調査であるため対象の集団が限定的
であるが,日本においても乳児の泣き声が育児ストレスにおける大きな要因であることが考えら
れる。
一般に,ストレス反応について,心理学的な側面と生理学的な側面で検討されることが多い。
乳児の泣き声について心理学的な側面では,泣き声に関する母親の心理的ストレス6),泣き声に
対する親の解釈や7),父母の認知過程の違いなどが検討されている。生理学的な側面では,血圧・
心拍・皮膚コンダクタンスなど,ストレス負荷時の身体上の変化を生体信号で計側するものが多
い。高橋ら8)は,心理生理的反応を検討するため,乳児の泣き声を聴取した時の心理面の評価と
心拍変動や皮膚コンダクタンスなどの生理的評価を行い,泣き声を聞いて抑鬱・不安感情が高く
なった母親は拡張期血圧が上昇するなどのストレス反応が確認されたと報告している。このよう
に乳児の泣き声に対するストレス反応は子供をもつ親では多数検討されている。一方,乳児の表
情に対するストレス反応について,育児経験のない若年期成人での検討は少ない。虐待への対策
9)
の一つとして「学生によるオレンジリボン運動」
など,将来の育児に備えた啓蒙活動も行われ
ている中,若年期成人において乳児の泣き声に関するストレス反応を検討することは重要である
と考える。
また,ストレス反応の生理学的な背景を考えると血圧・心拍に代表される自律神経系への影響
の他に,乳児の「泣き」という情動的な情報から脳活動への影響も考える必要がある。乳児の表
情について成人の脳活動を検討したものは,育児中の母親で機能的核磁気共鳴装置(functional
magnetic resonance imaging : fMRI)を使用したもの10,11)があるものの,若年期成人で検討したも
のは少ない。fMRI は空間解像度に優れるという利点をもつが,時間解像度や,撮像時の被験者
の拘束など不利な点も多い。他方,近赤外線分光法(Near-infrared spectroscopy : NIRS)は,時
間解像度に優れ,また,通常の生活様式と同じ自然な状態での計側が可能12)で,計側中の身体
への拘束も少ないことが利点として挙げられる。最近では先進医療として精神科領域でうつ病と
統合失調症の鑑別のためのバイオマーカーとして使用13) されている。以上より,ストレス反応
を複数の指標で検討する時に,臥位で身体拘束がある fMRI よりも,自然な座位姿勢で計側でき
る NIRS がより適していると考え,今回の実験を計画した。
本研究の目的は,乳児の 2 種類の表情によるストレス反応を,育児経験のない若年期成人の脳
乳児の表情が若年成人の脳活動へ及ぼす影響
235
活動を近赤外線分光法(NIRS)にて計測し,同時にストレス評価として広く使用されている唾
液アミラーゼ活性および心理検査との関連性を検討した。
2. 方 法
対象者は健康な大学生 10 名(男性 5 名,女性 5 名,平均年齢 21.1 歳,利き手 : 10 名全員が
右利き)の者とした。全員がこれまでに育児経験はなく,また実習やボランティア活動などで長
時間乳幼児と接した経験がないものとした。10 名中,弟または妹のいるものは 9 名で,年齢差
は 1 歳から 8 歳であった。弟または妹との関わりについて家庭内での育児の担当の有無について
確認し,育児の経験がないことを確認した。対象者には研究目的と内容について十分な説明を行
い,書面にて研究参加の同意を得た。なお,本研究は東北福祉大学研究倫理審査委員会により審
査され承認を受けている(受付番号 RS1205282)
。
実験は,防音室にて実施した。対象者の姿勢は背もたれのある椅子によりかかった安楽な姿勢
とした。刺激提示用のモニターは 26 インチの液晶モニター(Panasonic 社製 TH-L26C5)を使用
し,対象者の頭部から約 170 cm 前方で,床からの高さが 90 cm に画面の下端が配置するよう設
置した(Figure 1)。モニターの背景は灰色の壁面とした。モニターの音声は,対象者の位置にて
騒音計で計側し,50∼60 dB になるように一定量(level 70)に設定した。
脳活動の計測は,光トポグラフィ装置(日立メディコ社製,ETG-4000)を使用した。本装置
は波長の違う 2 つの近赤外光(695 nm, 830 nm)を用いて,脳血流内の酸素化および還元ヘモグ
ロビン,総ヘモグロビンの濃度変化を 10 msec 単位で計測した。送光プローブと受光プローブの
Figure 1. 実験設定
被験者は背もたれのある椅子に座り,前方に設置したモニター画面で課題とし
て 2 種類の乳児の表情を視聴する.1 つは cry 条件(泣きの表情)で他方は
non cry 条件(比較的機嫌のよい表情).各刺激条件下での脳活動の変化を近赤
外線分光法(NIRS)で計測した
-
236
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
距離は 3 cm に配置されており,計側に使用するプローブホルダーは 3×11 ホルダーを使用し,
計測チャンネル数は 52 チャンネル(以下,ch)とした。計測プローブの装着は,前頭部から側
頭部にかけて,国際 10-20 法14)に基づき Fp1-Fp2 ラインに最下端のプローブを配置した。実験
に際し,計測中の頭部の前屈位による血流変化15)等の NIRS 信号への影響を避けるため,音声や
画面の刺激に対し頷くなどの頭部の前屈運動や,身体の姿勢を変化させることがないように対象
者に注意事項として伝えた。また,実験時の姿勢をビデオカメラで撮影し,実験中および実験後
も姿勢変化がないことを確認した。
NIRS では,脳活動の指標として,酸化ヘモグロビン濃度変化量(OxyHb/mM・mm)
,還元ヘ
モグロビン濃度変化量(DeoxyHb/mM・mm)
,総ヘモグロビン濃度変化量(TotalHb/mM・mm)
の 3 指標が計測できる。先行研究16)からこれら 3 つの指標の中でも脳血流の変化と相関がある
と言われている酸化ヘモグロビン濃度変化量を OxyHb 値(OxyHb/mM・mm)とし本実験での脳
活動の評価指標とした。
今回使用した機器では前頭部∼側頭部にかけ 52 ch の Oxy-Hb 値が計測できる。この 52ch か
ら先行研究17)を参考に左右両側の前頭前皮質(pre frontal cortex : PFC),左右両側の上側頭溝近
傍(superior temporal sulcus : STS)の 4 領域について,関心領域(region of interest : ROI)を
設定し解析した。4 領域に対応する計測チャンネル(以下,Ch)は,以下の通り,右前頭前皮質
(Rt PFC): 25Ch, 26Ch, 35Ch, 36Ch, 47Ch, 左 前 頭 前 皮 質(Lt PFC): 27Ch, 28Ch, 38Ch, 39Ch,
48Ch, 右 上 側 頭 溝 近 傍(Rt STS): 22Ch, 32Ch, 33Ch, 43Ch, 44Ch, 左 上 側 頭 溝 近 傍(Lt
STS): 31Ch, 41Ch, 42Ch, 51Ch, 52Ch である(Figure 2)
。
乳児の表情については,刺激内容を統制するため,あらかじめ撮影したビデオ動画を用いた。
画像は乳児が泣いている場面,および比較的機嫌の良い 2 場面を撮影し,20 秒間同じ表情が続
いた場面の画像を刺激画像として使用した。NIRS による実験デザインは,基本的には fMRI と
同様であるといわれている18)。その中でも安静と刺激提示を交互に繰り返し計測するブロックデ
ザインが NIRS 計測に適しているとされている。本研究も実験デザインはブロックデザインとし
た。計側は,安静と刺激を 20 秒間 3 回繰り返し乳児が泣いている場面(cry 条件)
,比較的機嫌
の良い状態(non-cry 条件)とした。刺激シークエンスは開始時の安静時課題を 30 秒とし,そ
の後,刺激課題 20 秒と安静時課題 20 秒を交互に 6 回行い安静時課題 20 秒で終わるように設定
した。刺激課題では対象者には画面の乳児が何を伝えようとしているかを考えるように教示した。
安静時課題はモニター画面上にてブルーバックに点滅するクロスの固視点を示し,対象者には何
も考えずに注視するよう教示した。
実験で計測された OxyHb 値は,移動平均を 5 秒に設定し波形をスムージング化した。また
cry 条件,non-cry 条件別に integral 解析を行い実験開始時の安静時課題をベースラインとし,ベー
スラインからの OxyHb 値の変化量について 2 つの刺激条件ごとに 3 回分のデータを加算平均処
理した。解析区間は,OxyHb 値の反応が刺激提示時より数秒遅延する19)ことから,刺激課題の
乳児の表情が若年成人の脳活動へ及ぼす影響
237
Figure 2. Figure
脳の解析部位
2. 脳の解析部位
先行研究に基づき左右の前頭前皮質,左右の上側頭溝近傍に 4 つの関心領域を
設定した.各領域と対応する計測チャンネル(以下,Ch)は以下の通りである。
先行研究に基づき左右の前頭前皮質、左右の上側頭溝近傍に4つの関心領域を設定した.各領域と対応する計測チ
図中の番号にてチャンネル番号を示し,網掛け黒枠にて 4 つの関心領域を示す.
ャンネル(以下、Ch)は以下の通りである。図中の番号にてチャンネル番号を示し、網掛け黒枠にて4つの関心
Rt PFC : 右前頭前皮質(right pre frontal cortex): 25Ch, 26Ch, 35Ch, 36Ch, 47Ch
Lt PFC : 左前頭前皮質(left pre frontal cortex): 27Ch, 28Ch, 38Ch, 39Ch, 48Ch
領域を示す.
Rt STS : 右上側頭溝近傍(right superior temporal sulcus): 22Ch, 32Ch,33Ch,
Rt PFC:右前頭前皮質(right pre frontal cortex)
:25Ch,26Ch,35Ch,36Ch,47Ch
43Ch, 44Ch LtLtPFC:左前頭前皮質(left
frontal
cortex)
:27Ch, 28Ch,
38Ch,
39Ch,
48Ch
STS : 左 上 側 頭 溝 近pre
傍(left
superior
temporal
sulcus)
: 31Ch,
41Ch,
42Ch,
Rt51Ch,
STS:右上側頭溝近傍(right
superior temporal sulcus): 22Ch,32Ch,33Ch,43Ch,44Ch
52Ch
Lt STS:左上側頭溝近傍(left superior temporal sulcus): 31Ch,41Ch,42Ch,51Ch,52Ch
開始直後の 5 秒を除いた 15 秒間とし,その区間の OxyHb 値を解析対象とした。
唾液アミラーゼ活性(Salivary α-amylase activity : SAA)は,酵素分析装置 唾液アミラーゼ
モニター(ニプロ社)を用い,実験前,実験後の合計 2 回計側した。計側は付属のマニュアルに
従い,計側チップを口腔内の舌下に 30 秒間留置して唾液の採取を行い本装置にセットして計側
した。
SAA は血漿ノルエピネフリン濃度と相関が高いことが良く知られており,ストレス評価にお
ける交感神経の指標として利用されている20)。本実験においても乳児の表情の視聴時の対象者の
ストレスについて評価するため計側した。
心理検査の指標として新版 STAI(State-Trait Anxiety Inventory -Form JYZ,実務教育出版)を
使用した。STAI は企業のメンタルヘルス,各種施設での臨床や相談,カウンセリングで使用さ
れており,日本語版でも標準化されている。この尺度の特徴は,不安を状態不安と特性不安にわ
けて考えられており21),前者は自律神経の興奮を伴う一次的,状況的な不安状態を示す。後者は
状況に対して同じように反応する傾向をあらわし比較的安定した個人差を示す。今回は,乳児の
2 つの表情という状況の刺激に対しどのような不安状態が喚起されたかを検討するため,状態不
安について実験前と実験後に計側した。
238
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
統計解析は,脳活動の個人解析,次にグループ解析を実施した。個人解析は同一関心領域にお
ける cry 条件,non-cry 条件の 2 条件の OxyHb 値について,対応のある t 検定を行った。次に脳
活動のグループ解析として,左右の半球間の同一領域において,乳児の表情の 2 条件の刺激によ
る OxyHb 値の差を検討することとした。左右の前頭前皮質部(PFC)の OxyHb 値と cry 条件,
non-cry 条件の刺激 2 条件について 2 元配置の分散分析,左右の上側頭溝近傍部(STS)の
OxyHb 値と刺激の 2 条件について 2 元配置の分散分析を実施した。唾液アミラーゼ活性値と
STAI についても,それぞれ実験前後の比較のため対応のある t 検定を実施した。何れの統計処
理も,有意水準は 5% 未満とし,統計ソフトは SPSS Statistics17.0(SPSS. Japan. Inc.)を使用した。
3. 結 果
脳活動について,個人解析では,OxyHb 値について対応のある t 検定を行った結果,対象者
10 名 9 名において,4 つの関心領域(ROI)の全てにおいて,2 つの刺激条件(cry 条件,noncry 条件)による有意な差がみられた(p=0.00)
。残る 1 名も Lt STS 領域(p=0.099)を除いた 3
領域で有意な差がみられた(p=0.00)
(Figure 3)。
脳活動のグループ解析では,2 つの刺激条件と左右半球間の関心領域の OxyHb 値にて 2 元配
置分散分析を行った結果,左右半球間の PFC において,交互作用はなく(F=3.834, p=0.082)
,
刺激条件による OxyHb 値に有意な差はなかった(F=0.413, p=0.536)
。同様に左右半球間の STS
の OxyHb 値においても交互作用はなく(F=0.006, p=0.941)
,有意な差は認められなかった
(F=0.121, p=0.736)
(Figure 4)。
唾液アミラーゼ活性値(SAA)は,実験前が平均 45.3(SD 28.1)ku/L,実験後は,平均 44.2(SD
25.4)ku/L で有意な差はみられなかった(p=0.852)
(Figure 5)
。STAI 得点は実験前が平均 33.1(SD
5.5) 点, 実 験 後 が 平 均 36.1(SD 8.1) 点 で, 実 験 後 に 有 意 に 得 点 が 上 昇 し た(+8.1 点 ,
p=0.019)
(Figure 6)。
4. 考 察
今回,乳児の表情の表出について,ストレス反応を検討するため NIRS にて脳活動を計測し,
実験の前後で心理指標として STAI 状態不安と,生理学的指標として唾液アミラーゼ活性を比較
した。
脳活動の個人解析では,cry 条件,non-cry 条件の 2 条件で,1 名 1 領域を除き,全ての被験者
で 4 つの関心領域ほぼ全てにおいて OxyHb 値に有意な差がみられた。このことは今回の 2 種類の,
乳児の泣き表情と機嫌のよい表情の刺激課題に対し,前頭前皮質および上側頭溝近傍部で脳活動
に違いがあることが示唆される。
乳児の表情が若年成人の脳活動へ及ぼす影響
subject 1
non-cry
0.1
-0.1
-0.3
-0.5
subject 2
cry
ΔOxyHb(mM/mm)
ΔOxyHb( mM/mm)
0.3
Rt PFC
Lt PFC
Rt STS
Lt STS
0.3
0.1
-0.1
-0.3
-0.5
subject 3
ΔOxyHb(mM/mm)
ΔOxyHb(mM/mm)
-0.1
-0.3
Rt PFC
Lt PFC
Rt STS
-0.3
ΔOxyHb(mM/mm)
ΔOxyHb(mM/mm)
Lt PFC
Rt STS
Lt STS
subject 6
0.1
-0.1
-0.3
Rt PFC
Lt PFC
Rt STS
0.1
-0.1
-0.3
-0.5
Lt STS
subject 7
Rt PFC
Lt PFC
Rt STS
Lt STS
subject 8
0.3
ΔOxyHb(mM/mm)
ΔOxyHb(mM/mm)
Rt PFC
0.3
0.3
0.1
-0.1
-0.3
Rt PFC
Lt PFC
Rt STS
0.1
-0.1
-0.3
-0.5
Lt STS
subject 9
Rt PFC
Lt PFC
Rt STS
Lt STS
subject 10
0.3
ΔOxyHb(mM/mm)
0.3
ΔOxyHb(mM/mm)
Lt STS
-0.1
subject 5
0.1
-0.1
-0.3
-0.5
Rt STS
0.1
-0.5
Lt STS
0.3
-0.5
Lt PFC
0.3
0.1
-0.5
Rt PFC
subject 4
0.3
-0.5
239
Rt PFC
Lt PFC
Rt STS
Lt STS
0.1
-0.1
-0.3
-0.5
Rt PFC
Lt PFC
Rt STS
Lt STS
Figure 3. 個人解析の結果
10 名全員の結果を示す 縦軸に ΔOxyHb 値,横軸に関心領域(ROI)を示す.
10 名全員の結果を示す 縦軸にΔOxyHb 値、横軸に関心領域(ROI)を示す.
* : p<0.05, n.s. : p>0.05
Figure 3. 個人解析の結果
*:p<0.05, n.s.:p>0.05
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
240
Group analysis : NIRS
0.04
ΔOxyHbmM/mm
0.03
0.02
0.01
0
-0.01
-0.02
Rt PFC
Lt PFC
Rt STS
cry
Lt STS
non-cry
Figure 4. 脳活動のグループ解析
Figure 4.10脳活動のグループ解析
被験者
名全員の cry 条件,no cry 条件の 2 刺激課題による OxyHb 値の平均
値について安静時からの変化量を 4 つの関心領域ごとに示す.縦軸に ΔOxyHb
被験者 10 名全員の
cry軸
条件、no-cry
2 刺激課題による
OxyHb
値(mM/mm)
,横
に 4 つ の 条件の
関心領
域 を 示 す(Rt
PFC値の平均値について安静時からの変化量を
; 右 前 頭 前 皮 質,Lt
PFC
; 左前頭前皮質,Rt STS ; 右上側頭溝近傍,Lt
STS ; 左上側頭溝近傍). PFC;右前頭前皮
4 つの関心領域ごとに示す.縦軸にΔOxyHb
値(mM/mm)、横軸に4つの関心領域を示す(Rt
-
質、 Lt PFC;左前頭前皮質、Rt STS;右上側頭溝近傍、Lt STS;左上側頭溝近傍)
.
SAA
60
50
kU/L
40
30
20
10
0
pre
post
SAA
Figure 5. 唾液アミラーゼ活性(SAA)の実験前後比較
Figure 5. 唾液アミラーゼ活性(SAA)の実験前後比較
縦軸に SAA(ku/L),横軸に計側時点を示す(pre : 実験前,post : 実験後).
縦軸に SAA(ku/L)、横軸に計側時点を示す(pre:実験前、post:実験後)
.
前頭前皮質は古くから運動や意思発動の実行機能が知られている。近年,ストレスやうつ病と
の関連が報告されており22)この領域における脳活動の変化を検討することは,乳児に対する成
人のストレス反応について,予防的対策を検討する上で重要な要素となると思われる。しかし,
現状では,ストレス時の前頭葉の脳活動については,課題遂行時に背外側前頭前野(DLPFC)
乳児の表情が若年成人の脳活動へ及ぼす影響
241
STAI:状態不安
50
45
40
score
35
30
25
20
15
10
5
0
pre
post
STAI Y-1
Figure 6. STAI(状態不安)の実験前後比較
Figure
6. STAI
STAI(状態不安)の実験前後比較
縦軸に
Y 1(状態不安)得点,横軸に計側時点を示す(pre : 実験前,
post : 実験後).
-
縦軸に STAI Y-1(状態不安)得点、横軸に計側時点を示す(pre:実験前、post:実験後)
.
の脳血流反応の賦活23)など特定の部位の脳活動の賦活や,前頭葉の脳活動の左右差24)の報告な
どがあり,ストレスの脳活動への影響は,定型的ではなく様々な報告が多い状況である。他方,
上側頭溝付近の領域は言語的な活動の中枢に近接しており,乳児の泣きや表情から,対象者が何
らかの言語的な活動が影響した可能性も考えられる。加えて上側頭溝近傍の脳回には顔ニューロ
ンと呼ばれる顔にのみ特異的に反応する神経細胞が存在し25),乳児の表情を観察する,つまり乳
児の顔を見ることに自体が脳活動に影響した可能性も考えられる。
今回グループ解析では刺激条件による脳活動の差はみられなかった。個人解析で検討すると,
乳児の泣き声をストレス負荷時と捉えた場合,機嫌の良い状態と比べ,脳活動が賦活したものも
いるが,逆に脳活動が低下したものもおり,対象者により脳活動のパターンが多様な結果となっ
ている。グループ解析で,有意な差がなかったこともこの点が影響している可能性があると考え
る。今後,対象者数を増やして計測するとともに,刺激課題による脳活動パターンの詳細を検討
する必要があると考える。
唾液アミラーゼ活性(SAA)は実験前後では差はなかった。今回は実験前後比較なので,泣き
および機嫌の良い表情の双方の刺激がありその影響も考えられるが,SAA の計側値は個人によ
るばらつきが大きく,その影響も考えられる。
STAI の状態不安は実験後に有意な上昇がみられた。実験後に得点が上昇したことから,育児
経験のない若年期成人にとってこのような乳児の表情変化は心理的ストレスを与えた可能性が考
えられる。しかし,上昇した値がわずかであることからこの点については更に検討が必要かもし
れない。
唾液アミラーゼ活性と STAI は実験前後の比較であるため,泣き条件および機嫌のよい条件の
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
242
双方の影響が考えられる。育児ストレスが,泣き声により喚起されることから,今後,刺激課題
として,泣き条件のみでの脳活動を検討する必要が考えられる。
脳活動計側に今回使用した NIRS は光路長の個人差およびチャンネル部位での光路長の差が指
摘されている。今回は左右半球間の同一部位での解析を行ったため部位間の光路長の問題はキャ
ンセルされたが,今後,脳の各部位間の脳活動の比較をグループ解析にて行う場合には解析時に
effect size26)を採用するなど適切な解析手法の検討が必要と考える。
5. 結 語
今回,乳児の表情の 2 条件,cry,non-cry の刺激動画による育児経験のない若年期成人の脳活
動の違いがあることを明らかにし,心理的不安傾向が上昇することを明らかにした。本実験によ
る乳児の表情変化へのストレス反応を検討することは,育児ストレスを軽減するための対象者へ
の支援や,青年期からの子育てに対する教育的介入の資料として重要であると考える。
謝 辞
本研究は,東北福祉大学総合福祉学部 庭野賀津子准教授との共同研究によるものです。実施
にあたり,日本学術振興会科研費 24530831(研究代表者 庭野賀津子)の助成を受けました。
引 用 文 献
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go.jp/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/dv/dl/about 01.pdf. 閲覧日 : 2013 年 11 月 15
-
日
2) 宮本政子 : 乳幼児を養育する母親および父親の育児支援に関する研究 育児ストレス構造の特
徴と対処行動との関連.小児保健研究 67 : 729 737, 2008
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-
4) Sijmen A Reijneveld, Marcel F van der Wal, Emily Brugman, Remy A Hira Sing, S Pauline Verloove
-
Vanhorick. “Infant crying and abuse”. Lancet 364 : 1340 1342, 2004
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houdou/0000022976.html. 閲覧日 : 2013 年 11 月 15 日
乳児の表情が若年成人の脳活動へ及ぼす影響
243
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要旨
東北福祉大学所蔵 難波孫次郎作﹁一仏両祖像﹂および﹁聖僧文殊坐像﹂
門 脇 佳 代 子
東北福祉大学の構内には宗教教育実践の場として法堂と坐禅堂が建ち、
法堂にはもと福聚殿︵講堂兼体育館︶安置の﹁一仏両祖像﹂
︵昭和四十九年︶
、坐禅堂には﹁聖僧文殊坐像﹂︵昭和五十三年︶を本尊として祀る。これらは日展を中心に活動した彫刻家・難波孫次郎
︵一九一四∼二〇一〇︶によって制作されたもので、日本の古典的な仏像表現を基盤としながら、近代彫刻の人体表現を取り入れた、力
強い量感をもつ造形である。難波は昭和三十九年の駒澤大学講堂兼体育館本尊﹁一仏両祖像﹂を皮切りに数件の仏像を制作しており、中
でも駒澤大学と東北福祉大学の一仏両祖像は大変よく似た像容を示す。昭和四十三年、東北福祉大学学長に就任した大久保道舟は﹁大学
に魂を入れること﹂を自らの公案とし、﹁魂の拠りどころ﹂として福聚殿と一仏両祖像を、また魂を磨く道場として坐禅堂と聖僧文殊像
を設置しようと発願した。一仏両祖像の造立に当たっては、同じく曹洞宗門の駒澤大学像から着想を得たものと考えられ、相応しい人物
として作者の難波が任命されたのであろう。﹁すぐれた仏像は姿、形と同時にその心が表現されねばならない﹂とする難波の言葉は、大
一
久保の造立発願の意図と重なって見える。東北福祉大学における造仏事業の背景には、﹁各種の施設などを通じて漸次学生の宗教意識を
一仏両祖像、難波孫次郎、大久保道舟
高め、真箇の社会福祉に徹した従事者を養成﹂するという強い意志があったのである。
キーワー ド
東北福祉大学所蔵 難波孫次郎作﹁一仏両祖像﹂および﹁聖僧文殊坐像﹂
東北福祉大学研究紀要 第三十八巻
は じ め に
二
東北福祉大学︵仙台市青葉区︶の国見キャンパス構内に建つ法堂と坐禅堂には、それぞれ本尊としての仏像が安置されている。法堂の本尊として祀
られる﹁一仏両 祖 像 ﹂ は 、
昭和四十九年に講堂兼体育館である福聚殿の本尊として迎えられ、
平成十二年十二月に法堂が完成したのに伴い、現在の場所に移ったものである。一方の坐禅
堂は昭和五十三年に落成、その際に﹁聖僧文殊坐像﹂を本尊とした。これらの尊像は、いず
︶
図 1 一仏両祖像開眼法要(『十五年のあゆみ』より転載)
れも日展会員として多くの作品を残している彫刻家・難波孫次郎︵一九一四∼二〇一〇︶に
よって新たに制作されたものであり、当時の学長であった大久保道舟が造立を発願し、旧知
であった難波に 依 頼 を し た と い う 。
昭和五十二年に東北福祉大学より刊行された﹃十五年のあゆみ﹄には、昭和四十九年十月
三日、福聚殿落慶式と同時に執り行われた﹁一仏両祖像﹂奉安開眼式の様子を次のように伝
えている。
﹁当日はこの式典にふさわしい爽やかな秋晴れとなり、午前九時すぎより、参列の来賓
学生ら踵を 接 し て 入 場 し 、
収容力二千七百名の大フロアも埋まるばかりであった。︵中略︶
やがて正面ステージの扉が開かれるや、朱色の須弥壇上、黒色の布帛を背景に一仏両祖
像が燦然とあらわれ、これを仰ぐ一同アッという讃歎の声のほか、ただただ息をのんで、
︵
眼前の敬虔崇高の世界に引き入れられるばかりであった。︵中略︶かくて一仏両祖像こ
こに開眼し 、
これより法の恵みを発現し、
永く本学を護り給うことになったのであった。﹂
︵図 ︶
1
東北福祉大学は昭和三十三年にはじまった東北福祉短期大学を経て、昭和三十七年、四年
1
制大学として開学したが、その前身は明治八年︵一八七五︶仙台に設置された曹洞宗専門支校に遡る。明治初年︵一八六八︶の神仏分離令発布を背景
に吹き荒れた廃仏毀釈は、全国のいたる所で寺院を破却し、仏像仏具を破壊し、僧侶の中にも還俗する者が相次いだ。その立て直しの一環として曹洞
︵
︶
宗は明治八年︵一八七五︶に東京で曹洞宗専門学本校を開校、
同時に地方に設置された専門学支校の一つが宮城県専門学支校︵仙台市荒町昌伝院境内︶
であった。その後は明治三十五年︵一九〇二︶曹洞宗第二中学林︵仙台東二番町・南鍛冶町︶、大正十五年︵一九二六︶栴檀中学校︵荒巻字西 ︶と変
一、東北福祉大学所蔵の難波孫次郎作品 概要
福祉大学における宗教教育の理念を振り返りたいと思う。
本稿では彫刻家・難波孫次郎の作品としての﹁一仏両祖像﹂および﹁聖僧文殊坐像﹂について紹介し、同時にこれらの尊像造立に込められた、東北
大学における宗教教育実践の場所として重要な役割を果たしているのが、ここに取り上げる法堂と坐禅堂である。
があり、一年次には坐禅体験を取り入れた﹁禅のこころ﹂が必修科目とされるなど、人間教育の一環としても宗教教育が行われている。この東北福祉
れた。この間、明治三十八年︵一九〇五︶には宗内生のみならず一般にも入学が開放されたが、現在もなお宗門の教師資格を取得できる﹁仏教専修科﹂
遷し、戦後になると昭和二十二年に新制中学校として始動、翌二十三年に新制高等学校の設立認可を受け、昭和二十六年に学校法人栴檀学園が創立さ
2
︶
︶
4
東北福祉大学所蔵 難波孫次郎作﹁一仏両祖像﹂および﹁聖僧文殊坐像﹂
三
現在、東北福祉大学で所蔵する難波孫次郎の作品は、法堂本尊の﹁一仏両祖像﹂
、坐禅堂本尊の﹁聖僧文殊坐像﹂、そして屋外に設置された﹁大久保
道舟像﹂の三件である。以下、各像の概略を述べる。
① ﹁一仏両祖像﹂
東北福祉大学︵法堂︶
木造
素地仕上げ
釈迦如来坐像
像高一三八・五㎝︵図
︶
道元禅師坐像 総高一三四・六㎝︵図
瑩山禅師坐像
総高一三六・〇㎝︵図
3
昭和四十九年 難波孫次郎作
5
東北福祉大学研究紀要 第三十八巻
特別教室として仏教関係科目の授業を行
う他、両祖忌などの法要や毎朝の朝課など
︵
︶
も営まれる法堂では、正面奥に須弥壇を設
け、 中 央 に 釈 迦 如 来、 左 側 に は 道 元 禅 師、
︶
。 一 般 に 釈 迦 三 尊 は 左 に 文 殊 菩 薩、 右
右 側 に は 瑩 山 禅 師 の 尊 像 を 安 置 す る︵ 図
3
︶
説 く。
︵
め、 こ の 三 尊 一 具 を 称 し て 一 仏 両 祖 と
的発展の基礎を築いた瑩山禅師を太祖と崇
元禅師を高祖、總持寺を開き曹洞宗の教団
し、曹洞宗を日本に伝え永平寺を開いた道
曹洞宗では仏教の開祖である釈迦を一仏と
葉と阿難を脇侍とする場合もあるが、日本
に普賢菩薩を置き、律・禅系の寺院では迦
2
各像とも内刳のない一木造で、表面は漆
箔や彩色といった加工を施さない素地仕上げとする。用いられた材は、難波が当時保有してい
た樹齢五、六百年の木曾ヒノキといい、神奈川県相模原市の老人福祉センター・渓松園に設置
されている難波作品﹁みのりの像﹂︵像高七六㎝ 昭和四十八年寄贈︶の解説文には﹁この像
の共木︵ともぎ︶で、
東北福祉大学と駒澤大学のお釈迦様の像の二体が造られました。
﹂とある。
ここにいう﹁駒澤大学のお釈迦様の像﹂とは、後述する昭和三十九年に駒澤大学の講堂兼体育
館の本尊として制作された一仏両祖像中の釈迦如来坐像を指すと考えられる。
中尊の﹁釈迦如来坐像﹂は、禅宗寺院で見られる、結跏趺座し両手で定印を結ぶ姿︵禅定相︶
四
図 4 難波孫次郎作
図 3 難波孫次郎作「釈迦如来坐像」
「道元禅師坐像」
(一仏両祖像の内)
(一仏両祖像の内)
昭和 49 年 東北福祉大学
昭和 49 年 東北福祉大学
図 5 難波孫次郎作
「瑩山禅師坐像」
(一仏両祖像の内)
昭和 49 年 東北福祉大学
4
図 2 「一仏両祖像」東北福祉大学 法堂
で表わされる。袈裟を偏袒右肩につけ、如来の通例として装身具は身につけない。首元には三道を刻み、胸の盛り上がった力強い肉付きをみせ、膝前
も含めて一材から彫り出しているために膝張がやや小さく膝前の奥行きも浅いが、
膝高が高いため正面から見るとずんぐりとした量感が際立っている。
さらに胸厚や腹部の奥行きはたっぷりと取られ、側面の量感も申し分ない。肉髻の盛り上がりはなだらかで、平たい螺髪は一々の渦を彫り出している。
︵
︶
眉間には白毫を表わし、やや面長な頭部に薄く見開いた切れ長の大きな目、太くしっかりとした鼻を配し、口元はわずかに口角をあげる。本像につい
ては、これまで﹁釈尊像は印度ガンダーラ風の、日本では稀な特色ある仏像﹂と解説されたこともあるが、日本の古典的な仏像表現を基盤としながら、
近代彫刻の人体表現を取り入れたことが要因ではないかと思う。
︶
は木彫による祖師像。モデルがいたであろう写実的な作となった。﹂と講評されているように、難波の両祖像にみる面貌表現は極めて写実的といえる。
︵
ところで﹁道元禅師坐像﹂は、福聚殿落成の前年、昭和四十八年第五回日展に﹁禅祖﹂と題して出品されたもので、当時日展の審査員評で﹁孫次郎
山禅師坐像﹂の膝前の剥ぎ目がゆるみ、隙間が生じている。
干の干割れが生じていたものと見られる。さらに現状では、
﹁釈迦如来坐像﹂の右膝前に幅三㎜ほどの干割れが縦に走っている他、
﹁道元禅師坐像﹂﹁瑩
ぎ目を接合させるための補強として千切り︵鼓形の板片︶が埋め込まれている。また、各像複数個所で埋め木による補填が認められ、制作当時より若
左手で受ける。共木から荒く彫り出された丸椅子状の台の上に結跏趺座しており、衣の裾は膝前に長く垂らす。膝前部分は別材を寄せており、材の剥
中尊の左右に並ぶ両脇侍像は一回り小さく、等身大に造られている。﹁道元禅師坐像﹂﹁瑩山禅師坐像﹂ともにポーズは同じく、右手で握った払子を
5
のである。
東北福祉大学所蔵 難波孫次郎作﹁一仏両祖像﹂および﹁聖僧文殊坐像﹂
五
須弥壇としてい る 。 現 在 、
﹁釈迦如来坐像﹂を乗せる台座︵三〇・五㎝︶と頭上に懸けられた天蓋とは、法堂に遷座された際に新しく付け加えられたも
なお、三尊が乗る須弥壇はもともと福聚殿にあった際に各像が据えられていた台座を組み合わせたものである。三つの台座の高さを合わせ、一つの
まって普遍的な人物像へと昇華されており、難波の人物像における力量が知られる。
のではなく、尊像としての精神性をも感じさせる。両祖の面貌は個性的でありながら、個々の表情を排し、また衣に覆われ単純化された肉身表現と相
表われ方などを忠実に再現することへの意識が強く感じられ、むしろ近代以降の肖像彫刻に近い。しかしモデルを用いたにせよ、単なる写実に止まる
く知られているが、難波の﹁道元禅師坐像﹂にはそのような特徴は見られず、像主の個性を表出しようというよりは、頭部の骨格や肉のたるみ、皺の
道元禅師の頂相には古本といわれるものがほとんどない中で、福井県・宝慶寺本に見られる、眦の下がった目や下唇を突き出す個性の強い顔立ちがよ
6
︶
東北福祉大学︵坐禅堂︶
東北福祉大学研究紀要 第三十八巻
﹁聖僧文 殊 坐 像 ﹂
︵図
② 木造 素地仕上げ
像高一三三・五㎝ 台座高一二二・五㎝
昭和五十三年 難波孫次郎作
坐禅堂は横山秀哉氏の設計により昭和五十三年に完成した木造建築で、古式に準
じながらも学生が授業で使用することを前提に、禅僧にとっての日常生活に関わる
用式は省き、只管打坐本位の構造にするという工夫がなされている。この坐禅堂の
建立に合わせ、難波孫次郎によって新たに本尊の﹁聖僧文殊坐像﹂が制作された。
文殊菩薩は大乗経典において諸仏の智慧である般若を象徴すると説かれ、諸菩薩
中の上主とされる。右手に剣または如意を握り、左手に蓮華または経巻︵梵篋︶を
︶
六
像。智慧第一と称されるところから安置される﹂と説く。﹁聖僧﹂の典拠には無著道忠の﹃禅林象器箋﹄が引かれ、
﹁忠曰、僧堂中央所設像、総称聖僧、
︵
なのが聖僧文殊と呼ばれる僧形の文殊菩薩像である。天台系寺院を中心に食堂に祀られることが多いが、禅宗では﹁僧堂に安置する僧形の文殊菩薩の
執って獅子に乗る姿が一般的だが、五髻や八髻に表わす密教像や、五台山文殊と称される五尊形式など、多くのヴァリエーションを有す。中でも特殊
図 6 難波孫次郎作「聖僧文殊坐像」
昭和 53 年 東北福祉大学 坐禅堂
6
また本像は、坐禅堂内の中央に高さ約一m二〇㎝の台座が据えられ、その上に安置されている。台座も難波氏により一具として作られたもので、台
じた箇所を埋木してある。表面は素地仕上げであるが、面部を中心に木材の樹脂によるとみられる若干の変色が生じている。
構造はヒノキ材を用いた一木造りで、膝前に別材を剥ぎつける。内刳は施していない。前出の﹁一仏両祖像﹂と同様に、背面を中心に縦に干割の生
を除き、法堂の﹁釈迦如来坐像﹂に通じる。
耳朶を長くつくり、首元に三道を刻むという仏身の特徴を備えている。胸の盛りあがった力強い体躯、若々しい面貌に表わされ、頭部を円頂とする点
像容として顕著な点は頭部を円頂に表わすことで、両手で禅定印を結び結跏趺座する。衣は偏袒右肩にまとい、両足裏は衣で覆う。僧形ではあるが
憍陳如・賓頭盧・大迦葉・空生などの総称として、僧堂の中央に安置する像を呼び、現在では通常、僧堂に文殊菩薩、衆寮に観音菩薩を祀る。
然其像不定、若大乗寺則安文殊、小乗寺則安憍陳如、或賓頭盧、有処用大迦葉、復用空生、如禅刹則通用不拘﹂とあるように、文殊菩薩・観音菩薩・
7
︶
東北福祉大学
座正面には文殊菩薩の乗り物である獅子の顔が刻彫されている。
﹁大久保 道 舟 像 ﹂
︵図
③ ブロンズ製
置されている。御影石で造られた台座の正面には﹁大久保道舟先生之像﹂とあり、裏面には以下の﹁建立由来﹂が刻まれている。
﹁建立由来
文学博士大久保道舟先生は昭和四十三年三月朽木学長の後を継いで本学々長に
就任され五十三年九月東京駒澤大学総長に轉任せらるるまで永きに亘って本学
園の興隆と教育研究の向上に盡瘁せられ不滅の基礎を確立された偉大なる業績
を讃え後世に傳えんがため記念としてこの胸像を建立した
昭和五十四年十月 東北福祉大学
胸像及台座制作設計 日展会員審査員
日本書道美術館展審査員難波孫次郎﹂
像主の大久保道舟は、先に紹介した﹁一仏両祖像﹂﹁聖僧文殊坐像﹂の造立発願
者でもあり、学長退任に当たりその業績を讃える胸像の作者として、両像の制作者
である難波に白羽の矢が立ったのであろう。胸像の背面部分には﹁東北福祉大学長
東北福祉大学所蔵 難波孫次郎作﹁一仏両祖像﹂および﹁聖僧文殊坐像﹂
七
図 7 難波孫次郎作「大久保道舟像」
昭和 54 年 東北福祉大学
東北福祉大学国見キャンパスの屋外に設置されたブロンズ製の胸像。設置場所は坐禅堂と法堂を繋ぐ渡り廊下の手前で、坐禅堂と同じく東向きに設
昭和五十四年 難波孫次郎作
像高八七・〇㎝ 台座高一三三・〇㎝
7
東北福祉大学研究紀要 第三十八巻
︵
︶
八
道舟先生寿像 八十二才﹂
﹁昭和五十二年早春 難波孫次郎﹂と刻まれており、在任中の昭和五十二年には像の完成を見ていたことがわかる。
僧籍にあった大久保は袈裟をまとい、口元を引き締め遠くを見つめる表情に表わされる。平成六年九月五日、享年九十八で亡くなった大久保の訃報
を伝える学内報の記事には﹁優しさの半面で物事にはけじめをつける人柄が広く慕われました﹂とあるが、作者の視線は学長として大学の発展と教育
にかけた熱意をも形とすべく、その内面表現に向けられている。
であった。
二、難波孫次郎と仏像制作
︶
﹁大久保道舟像﹂の試作あるいは原型とみられる石膏像が確認された。大きさも一致、表面に施された金彩も良好であり、当初の姿が彷彿されるもの
︵
なお、本像は表面に金箔による仕上げを行っているが、現在では経年のためだいぶ剥がれてしまっている。平成二十五年夏に故難波のアトリエにて
8
︵
︶
難波孫次郎は大正三年︵一九一四︶八月十八日生まれ。幼少の頃より手先が器用で、木彫の工作を得意としたという。昭和七年、当時帝展審査員で
9
︵
︶
︵ ︶
校彫刻科木彫部予科に入学、三年次には学級幹事を務め、昭和十七年九月同校を卒業する際に高村奨学賞︵優等︶を受賞している。在学当時に彫刻科
東京美術学校︵現在の東京藝術大学︶教授であった関野聖雲の門に入り、初めて本格的な木彫の手ほどきを受ける。その後、昭和十三年、東京美術学
10
12
投﹂︵図
︵ ︶
︶と、翌三十二年第十三回日展出品の﹁円盤投﹂
︵図
︶は特選を受賞。﹁鉄鎚投﹂、﹁円盤投﹂のように、躍動する男性をモチーフとした力
作家としての活動では、昭和二十一年の第一回日展で﹁葡萄﹂が初入選し、以来連続入選を果たす。中でも昭和三十一年第十二回日展出品の﹁鉄槌
宅兼アトリエを平櫛が訪ねた様子を記念撮影する写真が残っており、正確な時期は分からないものの近しく教えを受けたものとみられる。
の教授であった北村西望から指導を受けたとも語っており、また平櫛田中に学んだこともあるという。特に平櫛との関係は、後に厚木にある難波の自
11
9
される。管見の限りを挙げると次の通りである。
ところで、日展作家としての活動に比べあまり知られてはいないが、難波の制作した作品の中には現在本尊として祀られている仏像がいくつか確認
り日展を中心に活動し、他に都市美術展、スポーツ芸術展、日彫展に出品が認められる。平成二十二年十一月七日、九十六歳で亡くなった。
市民文化賞を受賞しており、昭和五十二年に本厚木駅北口前に設置された屋外ブロンズ像﹁若い力﹂もよく知られる代表作である。半世紀以上にわた
強い作品を得意とした。昭和三十六年には日展会員となり、審査員を務める。また昭和五十年には自宅兼アトリエを構えていた厚木市より第一回厚木
13
8
﹁一仏両祖像﹂
昭和三十九年 駒澤大学 講堂兼体育館︵図
︵ ︶
昭和四十二年 第十回日展に﹁坐禅﹂出品 ︵図 ︶
︵ ︶
昭和四十三年 改組第五回日展に﹁禅祖﹂出品 ︵図 ︶
14
15
11
︶
昭和四十九年 ﹁釈迦如来坐像﹂
飯山白山森林公園 厚木市戦没者慰霊堂︵図
︶
・
︶
・
・
4
︶
5
︶は難波の最も早い時期の仏像作品と考えられる。後述するように、
3
︶、昭和四十八年の﹁禅祖﹂
︵図
︶が登場
12
︶を制作した。この慰霊堂は、厚
13
︵
︶
16
︵ ︶
和を願って建立されたもので、釈迦如来坐像の制作依頼を受けた難波は﹁一刀三拝の礼意と精根の限りを尽くし﹂造顕したという。ブロンズ製の金銅
木市の戦没者一四〇〇余柱の英霊のとこしえに安らかならんことを祈念し、併せて悲惨な戦争のない平
られた厚木市戦没者慰霊堂に安置するための﹁釈迦如来坐像﹂︵図
祖像﹂を納めたのと同じ昭和四十九年には、飯山白山森林公園︵神奈川県厚木市飯山︶の敷地内に建て
禅師坐像﹂として祀られ、現在は東北福祉大学法堂に安置されている。また、東北福祉大学へ﹁一仏両
﹁禅祖﹂に関しては、翌四十九年に竣工した東北福祉大学福聚殿において﹁一仏両祖像﹂の内の﹁道元
する。第十回日展に出された﹁坐禅﹂の所在は残念ながら不明であるが、改組第五回日展に出品された
ずは日展への出品作の中に、昭和四十二年の﹁坐禅﹂
︵図
体育館に設置したものである。難波の仏像制作は、これ以後十五年あまりの間に集中して見られる。ま
昭和三十九年に開催されたオリンピック東京大会への協賛事業の一環として、駒澤大学が新造の講堂兼
駒澤大学の﹁ 一 仏 両 祖 像 ﹂
︵図
昭和五十三年 ﹁聖僧文殊坐像﹂
東北福祉大学 坐禅堂︵図
昭和四十九年 ﹁一仏両祖像﹂
東北福祉大学 講堂兼体育館︵福聚殿︶︵図
10
6
2
13
12
11
図 8 難波孫次郎作「鉄槌投」
昭和 31 年
(『日展史』19 より転載)
図 9 難波孫次郎作「円盤投」
昭和 32 年
(『日展史』20 より転載)
10
東北福祉大学所蔵 難波孫次郎作﹁一仏両祖像﹂および﹁聖僧文殊坐像﹂
九
またこれに加え、平成二十二年に没した難波孫次郎の自宅兼アトリエからは、石膏で造られた二件の釈迦如来坐像と四件の聖僧文殊像関連資料が見
て最後は、昭和五十三年、東北福祉大学坐禅堂の﹁聖僧文殊坐像﹂が奉安された。
像で、像高は二〇八㎝に及び、難波制作の仏像中最大を誇る。なお慰霊堂の近くには二基の石碑が建てられ、難波の寄せた言葉も記されている。そし
17
に似通うことか ら 、 ひ な 型 と し て
制作された可能性も考えられる
が、駒澤大学の ﹁ 一 仏 両 祖 像 ﹂ を
はじめ難波の釈 迦 如 来 像 は い ず れ
も 禅 定 相 を 通 形 と す る こ と か ら、
はっきりとしたことは分からな
い。
聖僧文殊関連 の 四 件 は 、 寝 そ べ
る獅子とその上に坐す僧形の文
殊、 す な わ ち﹁ 聖 僧 文 殊 騎 獅 像 ﹂
を表わし、いず れ も 三 〇 ㎝ 程 度 と
小型のものであ る が 、 ブ ロ ン ズ 製
︶、 他 に
︶
、石膏製が大小
-
-
3
が一体︵図
、
-
16
︵
︶
︶
。文殊像
-
16
ブロンズ像を制 作 し た 際 の 雌 型 が
二 体 あ り︵
16 16
2 1
18
一件発見された︵
一〇
図 13 難波孫次郎作「釈迦如来坐像」 図 12 難波孫次郎作「禅祖」
図 11 難波孫次郎作「坐禅」
昭和 49 年
昭和 48 年
昭和 42 年
飯山白山森林公園
(『日展史』36 より転載) (『日展史』30 より転載)
厚木市戦没者慰霊堂
東北福祉大学研究紀要 第三十八巻
つ か っ た。
﹁釈迦如来坐像﹂の一
体︵図 ︶は小 像 な が ら 台 座 と 光
︵図 ︶は東北福祉大学法堂の﹁釈
の印を押してい る 。 ま た も う 一 体
背を完備してお り 、 背 面 に 孫 の 字
14
迦 如 来 坐 像︵ 一 仏 両 祖 の 中 尊 ︶﹂
15
4
図 10 難波孫次郎作「一仏両祖像」昭和 39 年 駒澤大学 講堂兼体育館
の坐す獅子は鼻をつぶしたようなユーモラスな表情に特徴があり、東北福祉大学坐禅堂の﹁聖
僧文殊坐像﹂台座に刻まれた獅子の面とも共通する。
以上に挙げた難波による仏像制作の内、東北福祉大学の﹁一仏両祖像﹂および﹁聖僧文殊坐
像﹂に最も近い関係にあるのは、同じく曹洞宗門の駒澤大学で祀る﹁一仏両祖像﹂であろう。
以下、駒澤大学の﹁一仏両祖像﹂造立について見ていきたい。
三、駒澤大学の﹁一仏両祖像﹂について
駒澤大学の講堂兼体育館の正面ステージ奥には須弥壇が設置され、
壇上に﹁一仏両祖像﹂︵図
︶が安置されている。釈迦如来坐像を中心に、左に道元禅師、右に瑩山禅師を配した三尊像
である。それぞれの像高は、釈迦如来坐像一五三㎝、道元禅師椅像一三六㎝、瑩山禅師椅像
一三五㎝。いずれも一木造の素地仕上げとする。三尊の像容は東北福祉大学の﹁一仏両祖像﹂
「聖僧文殊騎獅像」
図 16-2 石膏
東北福祉大学所蔵 難波孫次郎作﹁一仏両祖像﹂および﹁聖僧文殊坐像﹂
図 16-1 「聖僧文殊騎獅像」
ブロンズ 像高 30.0 cm
一一
図 14 「釈迦如来坐像」
附台座・光背 石膏 総高 44.5 cm(含台座・光背)
像高 33.0 cm
図 15 「釈迦如来坐像」
石膏 像高 51.5 cm
図 16-4 「聖僧文殊騎獅像 型」
石膏
10
「聖僧文殊騎獅像」
図 16-3 石膏
東北福祉大学研究紀要 第三十八巻
一二
と極めて近く、釈迦如来は禅定相を示し、両祖は右手に払子を握る。中尊の釈迦如来像に関しては、東北福祉大学像に比べやや大きく、螺髪の刻み方
や面貌表現に違いが認められるが、両祖像は襟の合わせ部分を二重にするか否かといったごくわずかな違いを除き、像高から個性的な面貌に至るまで
ほぼ同形といっ て よ い 。
駒澤大学では今も入学式や卒業式といった重要な式典にのみ開帳される特別な尊像として祀られており、難波の造仏に関しても比較的知ることがで
︵ ︶
きる。制作の経緯等ついては、平成二十年五月七日∼七月二十五日に駒澤大学禅文化歴史博物館で開催された﹁大学史展示室特集展 駒沢にオリン
10
︵ ︶
の難波宅において保坂総長導師のもと、藤田学監、宮崎道世講師、渡辺泰三庶務主任が参列し、講堂に奉安される一仏両祖像の鑿入式が厳かに執り行
大学刊行の﹃駒澤新報﹄六十四号には﹁鑿入式修設される﹂と題する記事が掲載されており、それによると昭和三十八年十二月十九日、厚木市妻田
のである。
ト連邦、アメリカ合衆国のバレーボールの選手の練習場として使われた。この講堂兼体育館の正面に須弥壇が構えられ、
﹁一仏両祖像﹂が安置された
場として使用できないかとのオリンピック東京大会組織委員会からの要請があった。昭和三十九年五月三十日に落成式が行われ、大会期間中はソビエ
と隣接している。駒澤大学の体育館は昭和三十八年七月に着工したが、オリンピック大会の前年に当たっていたため、各国代表のバレーボールの練習
東京都世田谷区駒沢に校舎を構える駒澤大学は、昭和三十九年の第十八回オリンピック東京大会の第二会場として使用された駒沢オリンピック公園
ピックがやってきた │ 一九六〇年代の駒澤大学 │﹂で詳しく紹介されており、以下、それらの成果を元に確認して行くことにする。
19
︶
21
︵ ︶
ところで、難波が仏像を制作中であった昭和三十九年三月二十四日、﹃神奈川新聞﹄に﹁東京五輪に釈迦像 難波氏が精根こめ制作﹂という記事が
紹介されている。そこには﹁難波氏の話﹂として、﹁オリンピック協賛事業であるので、精根をこめて制作しています。如来像は奈良朝時代の様式で
行され、引きつづき、新造なった講堂兼新体育館において保坂総長導師の入仏開眼が行われたという。
二十九日、一仏両祖像の出迎え回向が、難波の自宅にあるアトリエ内において小川副学監、峰岸南寮々監、松本副寮監、宮崎道世講師参列のもとに修
て い る。 そ の 後、 三 尊 像 の 制 作 は 急 ピ ッ チ で 進 め ら れ、 半 年 足 ら ず で 完 成 を み る こ と に な る。﹃ 駒 澤 新 報 ﹄ 六 十 九 号 に よ る と、 昭 和 三 十 九 年 五 月
︵
われ た。
当時の写 真 に は 、
難波が用意したという樹齢五、
六百年の木曽ヒノキの丸太材の前で鑿入式が行われ、導師らに向かって合掌する難波の姿が写っ
20
うという意図をもって、新作の仏像制作に当たったのである。またこの時の新聞取材で﹁記者が難波先生の宅で感激を以て聞いたことは奥さんの﹁拝
須弥壇を体育館に設けた理由の一つを、オリンピック協賛事業として挙げている。つまり難波は、日本古来の仏教美術を世界各国の人たちに披露しよ
すが近代的なボリュームをもたせた仏像にしています。わが国の古典美術を紹介するにはまたとない機会で す。﹂とあり、駒澤大学が仏像を安置する
22
めといわれて拝むような仏像を刻みなさるな。言われずとも自然に頭を下げ手を合わせて拝む気持になる仏様を制作して﹂ということばであった。難
波先生も寒空アトリエで、ピシッという音を聞くと仏様のお姿にヒビが入ってはとガバッとはね起きて見届けられるということであった。この先生に
してこの奥さんありと目頭があつくなった。﹂とあるのも、難波の意気込みを伝えるエピソードとして興味深い。当時の難波を知る人によれば、昭和
三十八年に新居に移り、その最初の大仕事として駒澤大学の﹁一仏両祖像﹂に取り組んでいたという。難波は仕事場に他人が入ることを嫌い、入室を
許した人物はごくわずかであった。近しい隣人であっても制作時に仕事場に立ち入ることはなかったが、当時仏像の螺髪を刻むのに苦心していたこと
が印象的だった と い う 。
最後に、駒澤大学が難波に仏像制作を依頼した理由について推論を述べる。この時期の難波は昭和三十一年と翌三十二年に連続して日展の特選を受
賞し、作家としても充実していた頃と考えられるが、それまでに仏像制作の実績があったわけではない。大学にとって重要な行事の舞台となる講堂兼
︵
︶
体育館に安置する尊像であり、またオリンピック協賛の一大事業としての造仏を、新進の彫刻家である難波に依頼したのは何故だったのであろうか。
︵ ︶
一つの仮説として、難波家の菩提寺である清源院の存在を指摘したい。清源院は神奈川県厚木市にある曹洞宗寺院で、明治二十三年︵一八九〇︶に第
23
かと考える。
四、発願者 大久保道舟
︶
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東北福祉大学所蔵 難波孫次郎作﹁一仏両祖像﹂および﹁聖僧文殊坐像﹂
一三
と坐禅堂の建立経緯について詳しい。そこで﹃坐禅堂建立始末記﹄より、大久保の視点で﹁一仏両祖像﹂と﹁聖僧文殊坐像﹂の造立発願に関わる部分
ここに昭和五十三年の坐禅堂落成を記念し関係者に配布された、﹃坐禅堂建立始末記﹄と題する小冊子がある。大久保の執筆になるもので、福聚殿
られる碩学であるが、宗門大学としてのあるべき姿を最も強く意識した学長であったといえよう。
や図書館などの教育環境の整備に努めた他、旧禅堂の改修や仏教福祉研究所の新設など、宗教教育にも力を注いだ。自らも僧籍にあり、道元研究で知
昭和四十三年三月二十一日から昭和五十三年九月までのおよそ十年間、東北福祉大学第二代学長として在任し、その間には学科増設をはじめ、体育館
既に述べてきたように、東北福祉大学の﹁一仏両祖像﹂および﹁聖僧文殊坐像﹂の造立を発願したのは、当時の学長・大久保道舟である。大久保は
︵
あり、駒澤大学との所縁も深い。現在となっては推測の域を出ないが、菩提寺の関係者が駒澤大学と難波とをつないだと見るのは穏当な解釈ではない
三十四世住職に就いた辻顕高は、曹洞宗大学林︵現在の駒澤大学︶にて明治十八∼二十二年︵一八八五∼一八八九︶にかけて初代総監を務めた人物で
24
東北福祉大学研究紀要 第三十八巻
を抜粋しつつ述べたいと思う。以下、括弧内は﹃坐禅堂建立始末記﹄よりの引用とする。
一四
東北福祉大学学長に着任した大久保は、その歓迎の席上で就任の抱負を問われ、﹁私はこの大学に魂を入れたいと思う﹂と答えた。魂を入れる
とは何か、すなわち宗門大学の本来の面目を正すためになすべきこと、それがその後の自身の公案となった。幸いにも順調に各施設の改善増加が
進む中、昭和四十七年より福聚殿︵講堂兼体育館︶の建設が計画され、﹁その設計について、私としてはこの堂宇は、講堂と体育館を兼ねたもの
であるから、その形体は世間並みのものでなく、何か異色のあるものにしたいとの考えから、設計者目黒弘先生︵目黒設計事務所長︶に相談をも
ちかけたところ、六角か或いは八角にしたら如何でしょうかとの意見が出た。私は間髪容れず即座に﹁八角にしたい﹂といって、急に設計の基本
が決ったが、その瞬間の感覚は全く啐啄同時の趣きがあり、そこに何等か大いなるものの導きがあったように感じられた。これを歴史的に言えば
勿論聖徳太子の夢殿を模したといえるであろうが、私には法華八葉の蓮弁︵法華の精神︶などが脳裡に往来し、また社会事業の元祖たる太子の設
図 17 福聚殿外観(『十五年のあゆみ』より転載)
けられた四箇院︵施薬院・悲田院・療病院・敬田院︶の中の敬田院が頭にうかんだ﹂
︵四頁︶。すな
わち、奈良・法隆寺の東院に位置する夢殿は、聖徳太子がそこで経典の解釈などに思索を巡らすと
夢に金人が現われて妙義を告げたという伝説に彩られ、
八角形の独特の姿で知られるが、福聚殿︵図
︶はそれ に 倣 っ た 形 で あ り 、
さらには太子が慈悲行の実践として行った敬田院を象徴するという。
しかし福聚殿と一仏両祖像の完成によって魂の拠りどころだけは一応出来たが、真箇の魂を入れ
拠とした﹂
︵四頁︶のである。
これに一仏︵釈迦牟尼仏︶両祖︵高祖道元禅師・太祖瑩山禅師︶の御尊像を奉安し、全学帰崇の依
まさに敬田院の精神こそが福祉の要であると考えた。よって﹁正面ステージの奥に須弥壇を設け、
ものを与え る だ け で は な く 、
その与えられたものに対する理解を与えることも重要と説く大久保は、
どころを明らかにする場所といえる。社会福祉活動は相互幸福の観点から推進されるべきであり、
たが、施薬・悲田・療病の三院は人々の命を守り身を養う場所であるのに対し、敬田院は心の依り
える悲田院、無縁の病人を寄宿療病する療病院、そして仏教戒律の道場としての敬田院が設けられ
太子創建の四天王寺内には四箇院として、薬草を栽培し調合施与する施薬院、孤児や貧者に食を与
17
ることは、おのおのが自己本来の面目を徹見し、行学一如の建学の精神に生きることであり、それには魂を磨くための道場が必要であると次に考
えた。そうこうする内に新図書館の建設工事に伴いかなりの広い空地が生じ、﹁これは予想外の事柄で、私にとっては天籟的現象のように感じら
れた﹂
︵五頁 ︶
。なぜなら、この年、昭和五十二年度より正課の中に坐禅の実習が組み入れられるも、正式の坐禅堂がなかったため第一体育館︵福
聚殿︶及び第三体育館︵武道実習場︶を仮坐禅堂に見立てて坐禅が行われていた。故に﹁この地に坐禅堂を建てることがふさわしく、魂を磨く無
上の道場にすべきであると、ここにその建設を発願したわけである﹂
︵五頁︶。
こうして大久保は、福聚殿を眺め坐禅堂を仰ぐものが皆、無形の精神的教養を高めることを期待して、﹁この大学に魂を入れる﹂という自らの公案
への答えをこの二つの殿堂によって明示したのである。また﹃坐禅堂建立始末 記﹄によれば、坐禅堂建立および﹁聖僧文殊坐像﹂造立のための費用は
一切を公費に頼らず、勧募の浄財を以って充てたものであるという。大久保はその理由に、道元禅師が嘉禎元年︵一二三五︶山城興聖寺に初めて坐禅
堂を建立された際、勧進疏を作成し、篤信者一人の力に頼らず、広く浄信を募り、良縁を結びたいといわれたことを挙げており、こうして多くの有縁
の人々を得たことを感謝と感激を込めて熱く語っている。
︵ ︶
ところで福聚殿の建設は、本学創立百年に当たり、かつ短期大学開学十五年の節目でもあることから、その記念事業としても画期的な殿堂を打ち立
ではないかと推 測 さ れ る 。
東北福祉大学所蔵 難波孫次郎作﹁一仏両祖像﹂および﹁聖僧文殊坐像﹂
一五
像であり、故に駒澤大学像の作者である難波に仏像の制作が依頼され、兄弟像ともいうべき﹁一仏両祖像﹂が東北福祉大学に齎されることになったの
ることも合わせれば、駒澤大学の﹁一仏両祖像﹂を目にしていた可能性は極めて高い。それは大久保のイメージする﹁魂の拠りどころ﹂に相応しい尊
られる。昭和三十九年五月、駒澤大学で開催された講堂兼体育館の落成式に際し、当時の資料によれば大久保は﹁宗議会議員 福井 龍門寺﹂として
出席の返信を提出している。出席者の名簿ではないため実際の出欠は不明であるが、昭和四十二年から一年間、駒澤大学大学院の兼任講師を務めてい
宗立の特色を持たせるという点において一仏両祖像の安置が企図されたのであるが、これは駒澤大学の﹁一仏両祖像﹂の前例に着想を得たものと考え
特色を持たせる こ と ﹂
、二つ目は﹁体育館としてはその機能を十分発揮できるよう、設備を完全にし、他大学のそれに劣らないようにすること﹂である。
てたいとの希望が出され、二つの基本方針が立てられた。一つ目は﹁本学将来の発展を見込み、諸行事集会に必要な諸条件をみたし、且つ宗立大学の
26
東北福祉大学研究紀要 第三十八巻
お わ り に
一六
難波孫次郎は、東北福祉大学の﹁一仏両祖像﹂を制作するに際して次の言葉を残している。﹁すぐれた仏像は姿、形と同時にその心が表現されねば
︵ ︶
ならない。その表面の姿、形のみでは真の価値ということは出来ない。如何にして仏像の中に、無差別広大無辺の慈悲の心を表現できるか、この目に
︵ ︶
施設だけが福祉ではないのである。政治も経済も文化も外交もすべてが福祉でなければならない。このように非常に巾の広い観点をもった福祉、
主体とした仏の精神、仏の身というものが至るところに存在しているというのが大乗仏教の精神である。こういう観点に立ってみればある特定の
福祉という面から申しますと個人福祉もあり、社会福祉もあるでしょう。要するに我々の生きることについての問題である。難しい言葉で申せ
ば〝仏身は法界に充満し遍く一切群生の前に現す〟という。その精神は慈悲である。〝仏心は大慈悲心これなり〟と昔からいわれているが慈悲を
大学を設け た わ け で あ る 。
して、仏の教え仏の利益というものを一切衆生に施すということが目的であるからである。その一つとしてここに社会福祉学部を中心とした福祉
﹁本学園は曹洞宗立の大学である。曹洞宗が何故こういう大学を作り福祉専門の大学にしたかというと、曹洞宗はいうまでもなく仏教の精神を体
されており、やや長文ではあるが引用する。
最後に、大久保が昭和五十二年の入学式で新入生に向けた学長告辞を取り上げたい。特に仏教と福祉の関わりを述べた箇所には大久保の理想が包括
がこの二つの殿堂に対して仏教福祉の精神を具現し、魂の拠りどころとなることを求めたことと、難波の造像姿勢とが重なって見える。
見えないものを如何にして内在せしめるか、そこに技法を超えたほんとうの意義も価値もあると思います。
﹂福聚殿と坐禅堂の建立に当たり、大久保
27
︵ ︶
このように大久保は、学生らに対してしばしば仏教精神を基調とした福祉こそ真の福祉であると説き、大乗仏教の根本精神に基づく幅の広い福祉の
これがすなわち仏教精神に基づく福祉事業であり福祉活動である 。﹂
28
るという強い意志があったことを忘れてはならないだろう。
自覚を促した。学内における造仏事業の背景には、﹁各種の施設などを通じて漸次学生の宗教意識を高め、真箇の社会福祉に徹した従事者を養成﹂す
29
謝 辞
本稿作成に当たり、井上克已氏、近藤明氏、塚田博氏︵駒澤大学禅文化歴史博物館︶
、藤野寿光氏︵厚木市市民協働推進部文化生涯学習課︶、石田信
2
1
︵
︵
︵
︵
︶﹃新版 禅学大辞典﹄禅学大辞典編纂所編 大修館書店発行 昭和五十三年 三五頁
︶﹃栴檀学園壹百年史﹄山本林編集 栴檀学園長大久保道舟発行 昭和四十九年 五一一頁
︶﹃日展史﹄三十六︵改組日展編五︶日展史編纂委員会企画・編集 社団法人日展発行 平成十一年 三二八頁
︶ 前掲註
五六五頁
︶﹃東北福祉大学通信﹄四十八号 平成六年十二月一日 七頁﹁大久保道舟第二代学長ご逝去﹂
︶ 平成二十五年八月一日に故難波孫次郎の自宅兼アトリエにおいて、仏像関連資料を中心に難波孫次郎作品の調査を行った。その結果、仏像六件︵型を含む︶
6
5
︵
︵
︵
︵
7
︵
註
孝氏︵東北福祉大学仏教専修科講師︶より格別のご助力をいただきました。心より御礼申し上げます。
︵
︶﹃十五年のあゆみ﹄山本林編集 東北福祉大学発行 昭和五十二年 七七 七
-八頁
︶ 東北福祉大学国見キャンパス現在地︵宮城県仙台市青葉区国見一 八
一
。
- ︶
︵
3
︶ 尊像における左右の表記は、通例により像を主体とする。
︵
︵
4
8
9
と僧侶肖像彫刻三件を確認できた。以後、本稿で述べるアトリエ調査の報告はこの時のものである。
4
昭和十九年より東京美術学校彫刻科木彫部教授となって後進の指導に当った。
︶ 当時、受賞作品の講評においてそれぞれ次のように述べられている。
東北福祉大学所蔵 難波孫次郎作﹁一仏両祖像﹂および﹁聖僧文殊坐像﹂
一七
した﹁転生﹂︵大正九年︶は代表作の一つ。また空襲により焼失した大阪・四天王寺の伽藍を再建する際、金堂本尊﹁救世観音像﹂の制作指導を行っている。
岡倉天心と西山禾山から思想形成、制作のモチーフなどに大きな影響を受けた。仏教に取材した作品も多く、天平時代や鎌倉時代の仏像彫刻研究を土台と
︶ 平櫛田中︵一八七二∼一九七九︶。初め大阪の人形師中谷省古に学び、ついで高村光雲の指導を受け、明治・大正・昭和にわたり旺盛な制作を続けた木彫家。
学校彫刻家塑造部の教授に就任。大正十四年帝国美術院会員。代表作﹁平和祈念像﹂︵昭和三十年︶のように力強い男性裸体像に優れる。
︶ 北村西望︵一八八四∼一九八七︶。京都市立美術工芸学校、東京美術学校彫刻科を卒業後、大正五年文展にて﹁晩鐘﹂が特選となる。大正十年に東京美術
した木彫を多く制作。
るなど、当時を代表する木彫家となる。大正十年︵一九二一︶に東京美術学校木彫科助教授に就任、約二十四年間教鞭をとった。仏教・神話・歴史に取材
木彫選科に入学。大正二年︵一九一三︶、第三回東京勧業展覧会にて技芸褒賞を受賞。帝展には第一回から出品し、第二回から第四回まで連続特選受賞す
︶ 関野聖雲︵一八八九∼一九四七︶。神奈川県愛甲郡子鮎村︵現厚木市︶に生まれる。高村光雲に師事し、その後明治三十九年︵一九〇六︶に東京美術学校
10
11
12
13
︵
東北福祉大学研究紀要 第三十八巻
一八
和田新﹁︵﹁鉄槌投﹂は︶等身以上の巨像。筋肉のたくましさと、運動の瞬間のはりきった力の表現を意図したもので、みる者にそれが感じられることは作
者の成功である。それには傾いた体躯、重心の移動、力の微妙なバランスなどに容易ならぬ苦心がある。﹂﹃第十二回日展特選集﹄昭和三十一年十一月︵﹃日
展史﹄十九︵日展編四︶日展史編纂委員会企画・編集 社団法人日展史発行 昭和六十二年 四八四頁所収︶
中村傳三郎﹁︵﹁円盤投﹂は︶前年の﹁鉄槌投﹂につづいて再度特選。投擲種目のアスリート特有の筋肉のたくましさ、その力動の美しさ、作者はこの表現
を得意とするのであろうが、この像においても頭部を比較的小さくし、筋肉を誇張し、更にこの投擲動作の最も美しい瞬間を造形的に見事にとらえている
といえよう。﹂﹃第十三回日展特選集﹄昭和三十二年十一月︵﹃日展史﹄二十︵日展編五︶日展史編纂委員会企画・編集 社団法人日展史発行 昭和 六十三
︶ 難波のアトリエで発見された﹁聖僧文殊騎獅像﹂に関しては、昭和五十年に完成した駒澤大学坐禅堂︵禅研究館内︶に安置される﹁木造聖僧文殊騎獅像﹂が、
日本が体験した幾多の戦役において 祖国の栄光を念じつつ あたら春秋に富む 尊い身命を捧げられた 英霊のとこしえに 安らかならんことを祈り 人類永遠の平和と繁栄を願うものであります/昭和四十九年深秋/厚木市遺族会﹂
﹁英霊よ とこしえに 安らかなれ
顕 以って慰霊の悲願に捧ぐ/昭和四十九年深秋/本尊□仏教哲理の九段方形の須弥座及健碑/制作設計撰文日展審査員難波孫次郎謹書
石碑その二
ることなき心の清流である/変□せる世情歳星霜 故国を祈りつゝ身を挺し 平和の礎となって散華した若き命に 誰か痛哭の涙を押えられよう/こ
こに再び戦禍なき平和を希い 遺族と大方の切なる発願により 数多の霊の永えに安らかならん事を祈念 一刀三拝の禮意を尽して釈尊禅定の姿を造
善と美との極致は人類が向上への理想の世界 真の具体化を佛陀の姿にも見る/深々と間にたゝえられたる限りなき静けさ 清澄なこの美しさにひか
れる心 これを健やか育むことはやがて幸せにつらなる道を見つけるであろう/慰霊は慈悲の心 愛惜追慕の情 美 わしき人の本性による永劫に尽き
は無我/広大無辺の慈悲に差別なし 是すべてを超えた教えの根源なり 釈尊聖者はあまねく法界の源泉にして此訓え真に平和へのあゆみとならん/
美しさに憧れ 愛ずる心 それは生まれ乍らにひとしく持っている喜びである/ものゝ美しさ 心の豊かさ 真を究めて善を行じ 美を愛でる 真と
栄が成就されますよう 御霊のご照覧を仰ぐ次第であります/昭和四十九年十一月二十九日 撰文並びに書 厚木市長 石井忠重﹂
裏 ﹁慰霊像作者の言葉
今を去る二千五百年前 インドヒマラヤ山麓カビラ城の王子シッタルダ 難行苦行の後 古代インドン宗教よりいでゝ悟道に入り 道を啓く 其の心
念し 併せて悲惨な戦争なき平和をこい願って ここ飯山の霊地に戦没者慰霊堂像を建立いたしました/堂宇内安置の釈尊像は 市内妻田に在住の日
展会員難波孫次郎氏に依頼し 氏が一刀三拝の礼意をつくして造顕されたものであります/願わくは この功徳をもって 人類永遠 の平和と郷土の繁
表 ﹁祖国の栄光と平和を願いつつ 明治以来幾多の戦役に 若く尊い生命を捧げられた 厚木市一四〇〇余柱の御霊のとこしえに安らかならんことを祈
石碑その一﹁慰霊堂像建立記念碑﹂
年 四一三頁所収︶
︵ ︶﹃日展史﹄三十︵新日展編十︶日展史編纂委員会企画・編集 社団法人日展発行 平成八年 二四三頁
︵ ︶﹃日展史﹄三十六︵改組日展編五︶日展史編纂委員会企画・編集 社団法人日展発行 平成十一年 二〇六頁
︵ ︶﹃厚木市戦没者名鑑 英霊を偲んで﹄厚木市遺族会編集・発行 平成十八年 二七七 二
-七八頁
︶ 飯山白山森林公園 厚木市戦没者慰霊堂
︵
17 16 15 14
18
︵
︵
︵
︵
︵
︵
︵
︵
︵
大きさは異なるものの形姿の上で共通する点を指摘できる。ただし駒澤大学像を実見できなかったため本稿では取り上げないこととする。
ンピックがやってきた │一九六〇年代の駒澤大学 │﹂の展示解説等、各種資料を、駒澤大学禅文化歴史博物館よりご提供いただいた。
︶﹃駒澤大学百二十年 │ 過去からいま そして未来へ﹄駒澤大学 平成十四年 六八 六
-九頁。また平成二十年開催の﹁大学史展示室特集展
︶﹃駒澤新報﹄六十九号︵昭和三十九年六月十五日発行︶
︶﹃駒澤新報﹄六十四号︵昭和三十九年一月十五日発行︶﹁鑿入式修設される﹂
︶ 前掲註
駒沢にオリ
洞宗現勢要覧﹄曹洞宗現勢要覧編纂部 昭和四十九年 五二頁、﹃栴檀学園壹百年史﹄山本林編集 栴檀学園長大久保道舟発行 昭和四十九年 四〇三頁︶
平成六年九月五日に急性肺炎のため九十八歳で亡くなった。著書に﹃道元禅師全集﹄﹃曹洞宗大年表﹄﹃曹洞宗大系譜﹄﹃曹洞宗古文書﹄などがある。︵﹃曹
部省史料館地方調査委員・福井県社会教育委員等を委嘱され、第五期より日本学術会議会員に当選すると ともに、福井県文化財専門委員長を委嘱される。
めた。昭和四十三年から五十三年まで東北福祉大学学長、昭和五十三年九月から昭和五十七年九月まで駒澤大学総長。また福生市公民館長・図書館長・文
により福井大学を退官後は福井女子短期大学副学長、福井工業大学教授を務め、さらに昭和四十二年から一年間、駒澤大学大学院仏教学専攻兼任講師を務
されるが終戦を機に帰郷。その後福井大学教授となり、長年の歴史学研究の業績により東京教育大学から文学博士の称号を授与される。昭和三十七年停年
常勤︶、教授︵非常勤︶を務め、昭和十九年三月まで在任した。またその間、東京帝大史料編纂官補に任ぜられた。昭和二十年大東亜練成院練成官に任命
を卒業後、曹洞宗大学︵現在の駒澤大学︶に進み、大正十二年︵一九二三︶卒業、その後は禅学・仏教学の研究のため同大学の曹洞宗研究生、助教授︵非
林総監退任す。同二十三年五月神奈川愛甲郡三田村清源院住職となる。︵﹃駒沢大学八十年史﹄駒沢大学八十年史編纂委員会 昭和三十七年 五三五頁︶
︶ 大久保道舟︵一八九六∼一九九四︶。福井県福生市出身。福井県福生市竜門寺住職。島根県興海寺住職島田弘舟の嗣法。山口県防府市の 曹洞宗第四中学林
取締、同十一年一月永平寺監院、同十七年八月中教正、同十八年八月曹洞宗大学林総監、同十九年二月安房国本織村延命寺住職、同二十二年二月一日大学
洞宗文化財調査目録解題集 六 関東管区編﹄曹洞宗文化財調査委員会編集 曹洞宗宗務庁 平成十五年 六一頁︶
︶ 辻顕高︵一八二四∼一八九〇︶。岐阜県安八郡大野村出身。弘化三年︵一八四六︶二月二十八日常楽寺住職足庵の嗣法、明治八年︵一八七五︶山梨県教導
天巽慶順︵一四一二∼九八︶によって曹洞宗に改宗された。中世・近世を通じて、最乗寺の輪番寺院として同寺を支えてきた曹洞宗の有力寺院である。︵﹃曹
︶﹃神奈川新聞﹄︵昭和三十九年三月二十四日刊︶﹁東京五輪に釈迦像 難波氏が精根こめ制作﹂
︶ 清源院︵厚木市三田︶。永承五年︵一〇五〇︶、天台宗の桓瞬によって開創されたという。嘉吉三年︵一四四三︶、一説に明応年間︵一四九二∼一五〇一︶に、
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大久保道舟﹁序﹂
図版典拠
︶ 前掲註
図
﹃十五年のあゆみ﹄口絵
図
﹃日展史﹄十九︵日展編四︶日展史編纂委員会企画・編集 社団法人日展史発行 昭和六十二年 三〇二頁
東北福祉大学所蔵 難波孫次郎作﹁一仏両祖像﹂および﹁聖僧文殊坐像﹂
一九
七六頁
︶﹃東北福祉大学通信﹄第一巻第一号︵通巻第十三号︶昭和五十二年五月三十日発行﹁真の福祉を求めて︱入学式盛大に挙行さる﹂︵学長告辞要旨︶
七〇頁
︶ 前掲註
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図
図
図
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東北福祉大学研究紀要 第三十八巻
﹃日展史﹄三十六︵改組日展編五︶日展史編纂委員会企画・編集 社団法人日展発行 平成十一年 二〇六頁
﹃十五年のあゆみ﹄山本林編集 東北福祉大学発行 昭和五十二年 七三頁
﹃日展史﹄二十︵日展編五︶日展史編纂委員会企画・編集 社団法人日展史発行 昭和六十三年 二四九頁
﹃日展史﹄三十︵新日展編十︶日展史編纂委員会企画・編集 社団法人日展発行 平成八年 二四三頁
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二〇
執 筆 者 紹 介 (掲載順)
菅
原
好 秀
准
教 授
後 藤 美恵子
講
師
社会福祉学
高 野 亜紀子
助
教
社会福祉学
千
葉
伸 彦
助
教
社会福祉学
小
野
芳 秀
助
教
教育学,精神保健福祉
袖
井
智 子
助
教
社会福祉学
柿
沼
倫 弘
助
教
社会福祉学
吉
田
綾 乃
准
教 授
社会心理学
高 橋 加寿子
教
授
英語学
Kenneth Schmidt
准 教
授
外国語教育
上
條
晴 夫
准 教
授
教育方法学、教師教育学
鈴
木
敦 子
准 教
授
音楽教育、音楽学
太
田
聡 一
講
師
英語教授法
舩
渡
忠 男
教
授
医療経営管理学
富
澤
弥 生
准 教
授
小児看護学
庭 野 賀津子
准 教
授
言語聴覚障害学
田
素 子
講
師
理学療法学
門 脇 佳代子
講
師
日本美術史
邊
福祉法学
研究紀要編集委員
委員長 花井 滋春 教 授
委 員 田中 治和 教 授
吉井 宏 教 授
塩村 公子 教 授
阿部 一彦 教 授
清宮 敏 教 授
杉山 敏子 教 授
齋藤 幹雄 教 授
三木 弘和 教 授
窪田美穂子 准教授
三浦 和美 准教授
白井 秀明 准教授
高村 元章 准教授
菅原 好秀 准教授
2014 年 3 月 17 日 印刷
2014 年 3 月 20 日 発行
東北福祉大学研究紀要 第 38 巻
編集兼
発行者
東
北
福
祉
大
学
〒 981 8522
仙 台 市 青 葉 区 国 見 1 8 1
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印 刷
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仙台市若林区六丁の目西町8番45号
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