報 告 唱歌遊戯 の系 譜 -明 治 期- 名須川知子 1. 唱歌 遊 戯 の導 入 ノ鯉, 兄 弟 妹, 汽車 」 等, 教 材 数 は40作 品 に増 え て い る。 明治20年 に 「幼 稚 園唱 歌 集 」 が文 部 省 取 唱歌 遊 戯 の源 をた どる と, 幼 児 の た め の 保 育 内 容 と して, は じめ て我 が 国 に紹 介 され た と推 測 さ れ る文 部 省 雑 誌 第27号 「 幼 稚 園演 習 方 法 ノ注 解 」 調 掛 か ら刊 行 され, そ れ らの 曲 に 合 わせ て動 作 を 行 う方 法 が 紹 介 さ れ て い る。 遊 戯 の 内容 は, 例 え ば 「風 車 」 で は, 円陣 の 中 に8人 の子 ど もが 十 字 に手 を組 み, 風 車 を模 して雅 楽 調 の 唱 歌 に合 わせ て 歩 く方 法 や 「こ こ な る門 」 とい う唱 歌 に伴 って, 二 人 の 子 ど もで つ くっ た門 を通 り抜 け る とい う遊 (明 治7年)を 見 出 す こ とが で きる。 本 雑 誌 に は ア メ リ カ視 察 の 報 告 と して"幼 稚 園 の 説, そ の 他"が 掲 載 さ れ てお り, 遊 戯 題 材 と して 「 風 車, 水 車, 遊 魚, 農 夫 」 等 が紹 介 され て い る。 一 方, 当 時 我 が 国 で は, 伊 沢 修 二 が, 愛 知 師範 戯 方 法 が 示 され て い る。 そ の 殆 どが, 唱 歌 の 歌 詞 の 内容 が 変 化 して も, 動 作 は 変 わ らず, 同 じ動 作 の繰 り返 しが み られ, 隊 形 も同 一 で あ る。 そ の 他, 題材 の特 徴 と して 明 治29年 版 で は 「軍 隊遊 び」 の よ うな 戦争 題 材 が加 え られ 始 め る。 ま た, 勧 学 や友 好 な ど徳 目的, 教 訓 的 な歌 詞 の 内容 も多 くみ られ る。 学 校 長 時 代(明 治7年-同8年)に 下等小学校 で 唱 歌 遊 戯 を実 施 す る こ と を 「唱 歌 遊 戯 ヲ興 ス ノ 件 」 で 述 べ, 実 践 例 と して 「 椿, 胡 蝶, 鼠 」 を示 してい る。 さ ら に, 当時 は外 国書 の翻 訳 もな され た。 中で も ドイ ツの フ レーベ ル の幼 稚 園思 想 にお け る保 育 内 容 と して の 唱 歌 遊 戯 が, 我 が 国草 創 期 の 幼 稚 園 に大 い に参 考 とな っ た。 明 治 初 年 に欧 米 か ら持 ち寄 られ た保 育 文 献 の 中 で 唱 歌 遊 戯 に関 す る もの は, Johann & Barta Ronge 3. 唱 歌 遊 戯 の増 加(明 治30∼40年 代) 明治30年 代 に入 る と唱 歌 遊 戯 に 関す る著 書 が46 冊 に増 加 し, 遊 戯 教 材 も206作 品 に増 え る。 特 に 明 治34∼5年 を 中 心 に, 新 作 品 が 次 々 と増 え, 「お 月 さ ま, 桃 太 郎, カ ラス 」 の よ う な 作 品 は, 以 後 長 年 にわ た り多 くの 著 書 で み られ る。 この 頃 の題 材 は, 幼 児 の 経験:や, 身 近 な 自然 物 を採 り上 著, 桑 田親 五 訳 「幼 稚 園(お さ な ご の そ の)1 ∼3巻 」(明 治10∼ 同12年 訳)及 びAdolfDouai著, 関 信 三 訳 「幼 稚 園 記, 1∼4巻 」(明 治10年)が あ る。さ らに, 4巻 に 「幼 稚 園記 附 録 」と してMrs. HoraceMann&P. Peabody著 「幼稚 園 案 内」 も抄 訳 され た。 そ こ に は, フ レー ベ ル 主義 の 継承 で あ る幼 稚 園教 育 理 論 及 び方 法 が示 され 唱歌 遊 戯 も紹 げ た も のが 多 い 反 面, 「必 勝 曲, い で や 兵 士, 軍 艦 」 等 の 戦 争 題 材 も増 え始 め る。 また, 「忠 孝 」 の よ うに, そ の題 材 は雀 で あ っ て も, 歌 詞 の 内容 は忠 君 愛 国 の精 神 が含 ま れ て い る もの もあ る。 介 され て い る。 我 が 国 の 唱歌 遊 戯 題 材 は, 殆 どが 翻 訳 か ら採 用 され て い る。 例 え ば, 「 風 車, 遊 魚, 家鳩 」等 は, "TheWindmill, TheFishes, ThePigeon House"か らで あ る。 当 時, 曲 は雅 楽 調 で あ りな が ら, 題 材 だ け を翻 訳 遊 戯 か ら採 っ てい る こ とが 遊 戯 の 内容 は, 例 え ば 「お 月様 」 で は, 前 半 は 集 団 で手 をつ な ぎ三 日月や 満 月 の形 を描 写 的 な隊 形 変 化 で表 し, 後 半 は, 個 人 で 行 う 身振 り動 作 で 「日本 中 を照 らす 」 の歌 詞 を表 す。 唱 歌 は拍 節 的 で 洋 楽 調 と な って い る。 また, 例 え ば 「桃 太 郎」 で み られ る よ う に 「 我 れ に も一 つ くれ た まへ 」 で は, 両 手 を差 し出 しお じ ぎ をす る, とい う動 作 に み られ る よ う に 「動 きの表 情 性 」 が 強調 され, 一 拍 一動 作 や 一拍 二動 作 に よる歌 詞 の あ て振 り的 な 模 倣 動 作 が み られ る。 さ らに, 明治35年 に つ く ら れ た 「カ ラス」 の遊 戯 は, 前 半 は, カ ラ ス の模 倣 動 作 を行 い, 後 半 は, 円形 に行 進 す る,-と い うよ う な模 倣 動 作 と行 進 の 組 み 合 わ せ と な っ て い る。 以 上 の よ うに, 翻 訳 遊 戯 か ら始 ま っ た唱 歌 遊 戯 は, 時代 を経 る につ れ, 我 が 国独 自の遊 戯教 材 の 推 測 され る。 2. 唱 歌遊 戯 の 受 容(明 治20年 代) 明 治20年 代 に 入 り, よ うや く我 が 国 の 保育 内容 に受 容, 摂 取 した 形 で 遊 戯 が 取 り扱 われ る。明 治20 年代 の 唱歌 遊 戯 に 関 す る著 書5冊 にみ られ る もの は, 「風 車, 水 車, 蝶 々, 蛙, 雀, 門」 等 で あ り, これ らは, 明 治 期 全 般 を通 して 長 く教 材 と して残 るの で あ る。 当 時 の代 表 的著 作 と して, 大 村 芳 樹 「音 楽 之 枝折(下)」 を挙 げ る こ とが で きる。 初 版 は, 明治20年 であ るが, 同27年, 29年 に改 訂 再 版 され て い る。 唱 歌 遊 戯 教 材 は 「車, 蝶, 盲 鬼, 対 舞 」(初 版)に 加 え, 「門, 鼠, 雀, 民 草, 桜, 池 開 発 が 行 わ れ, -41- そ れ に伴 い 幼 児 の 興 味, 関 心 に そ っ た題 材 に よる 作 品 が 教 師 に よ っ てつ く り出 さ れ て い くの で あ る。 しか し, 唱 歌 の 歌 詞 は, 時 代 の影 響 を受 け, 徳 目的 で, 忠 君 愛 国 の 精 神 が 多 く か ら存 在 して い る 「わ らべ 歌」 は, 殆 ど教材 と し て採 り上 げ られ る こ とは な く, 遊 戯 の 中 で歌 と動 きの 結 び つ い た 価 値 は 見 出 され な か っ た の で あ る。 み られ る よ うに な る。 そ の 遊 戯 の 動 きは, 拍 子 に 合 わせ た拍 節 的 な もの で あ る。 この 唱 歌 遊 戯 の 反 省 か ら, 大 正 期 に な る と, よ り叙 情 的 な旋 律 と動 きを もっ た 「童 謡 」 が 生 み 出 され るが, 明 治 以 前 *1990年 度春 期 第29回 舞踊 学 会 『 舞 踊 學 』13-2号 よ り転 載 報告 明治期 の運動会 -女 学 校 の ダ ン ス を 中 心 に- 輿 水はる海 は じめ に わが 国 の 女 学 校 の運 動 会 が 始 め られ た の は1980 とを 目 的 に外 国の ダ ン ス を翻 訳 した もの が 多 い。 服 装 と用 具 の 工 夫 は高 く評 価 され て い る。 年(明 治23年) 頃 で あ る が, 盛 大 に行 わ れ る よ う に な った の は明 治30年 代 の 中 頃 か らで あ る。 そ の 主 な理 由 と して (1)女 子 中 等 教 育 の 重 視 (2)女 子体 育 の 強 調 と, そ れ に伴 う服 装 改 革(着 袴, 束 髪 等) (3)女性 の 体 育 指 導 者 の養 成 機 関 の充 実(東 京 女 子 体操 音 楽 学 校, 日本 体 育 会 体 操 学 校 女 子 部, 女子 高等 師 範 学 校 国語 体 操 専 修 科) (4)遊 戯 研 究 熱 の 高 ま り 以 上 の4点 が 考 え ら れ る。 女学 校 の 運 動 会 はマ ス コ ミの関 心 を集 め, 明 治 30年 代 か ら40年 代 に か け, 多 くの新 聞, 雑 誌 が 女 学 校 の 運 動 会 につ い て華 々 し く報 じて い る。 これ らの 記事 の ほ か, 各 校 の運 動 会 誌, 校 友 会 誌, 同 窓 会 誌 及 び, 当 時 の 写 真 等 を参 考 に して, 明 治 期 の 女 学 校 の 運 動 会 の実 態 を探 り, 特 に運 動 会 の ダ ンス が 女 子 体 育 や 社 会 へ どの よ う な影 響 を もた ら した か に つ い て 考 案 す る。 指 導 者 は 白井 規 矩 郎, 平 野 浜 子 らで あ る。 (2)お茶 の水 高 等 女 学 校(女 子 高 等 師 範 学 校 附 属 (方 舞 の こ と) と舞(ド イ ツ風 の 体 操 の一 部 分 に 日本 固 有 の 舞 に類 似 の もの を用 い た)で, 小 野 泉 太 郎 の 指 導 に よ る。 動 作 は, 蝶 の舞 い か う よ う に活発 で, 美 しか った と記 され て い る。 (4)丸 亀 高 等 女 学校……運 動 会 の 最 後 を飾 る メ イ ポ ー ル ダ ンス は, 明 治41年 か ら数 十 年 間踊 り つ が れ た。 黒 紋 付 に袴 姿 で 踊 って い る。 1. (5)長 野 高 等 女 学校……「 信 濃 の 春 秋」 は, 郷 土 の 四 季 の美 し さ を詠 い あ げ た踊 りで, 明治35 高 等 女 学 校)……鹿 鳴 館 時 代 に踊 り始 め られ た方 舞(カ ドリー ル, コチ ロ ン な ど)と, バ レー に基 礎 をお い たギ ルバ ー トダ ン スの フ ァ ウ ス ト, ポル カセ リー ズ(ジ ムナ ス テ ッ ク ダ ンス と呼 ばれ, 以 後 の 学 校 の ダ ンス の 形 式 に 大 き な影 響 を与 えた)な どが 踊 られ た。 坪 井 玄 道, 井 口阿 く りが 指 導 者 で, 全 国 の 女 学校 の 運 動 会 を リー ド して い た。 (3)華 族 女 学 院 (学 習 院 女 子 部)……方 形 運 動 運動 会 の位 置 運動 会 は, 日頃 の 体 育 の 成 果 を外 部 へ 向 け て 発 年, 坪 井 の教 え子 鳥 羽 まつ ゑ が作 舞 した。 紅 白二 本 の 扇 を持 っ た 全校 生 徒 に よっ て踊 られ た。 以 後70年 余 に わ た って踊 り続 け られ た。 (6)北 海 道 庁立 函 館 高 等 女 学 校……ダ ンス が プ ロ 表 す る場 で あ る と同 時 に, 学 校 教 育 の す べ て を世 に問 う一 大 儀 式 で あ っ た。 ま た, 生 徒 達 に と って は, 年 に一 度 の 楽 しい 一 日で もあ った。 2. グ ラ ム の 過 半 数 を 占 め て い る。 方 舞(カ ド リー ル, ラ ンサ ー ス, カ レ ドニ ア ン, コ チ ロ ン)と フ ォー ク ダ ンス 及 び フ ァウ ス ト, ポ ル カ セ リー ズ を適 所 に配 し, 全 校 生 の プ ロ ネ ー ドで結 ん で い る。 指 導 者 森 山 て る は井 口 の教 え子 で あ る。 各 女 学 校 の 運 動会 の ダ ンス の 特 色 (1)日本 女 子 大 学 校……デ ルサ ー ト式, 白井式 な ど きわ め て斬 新 で, プ ロ グ ラム の 大 半 を ダ ン スが 占 め て い る。 詩 的, 高 雅, 優 美, 悲 劇 的, 勇 壮 な ど と評 され て い るが, 美 術 にか な う こ -42- (7)浦和 高 等 女 学 校 と女 子 師 範 学校……カ ドリ ー ル に は, 全校 生徒 に 来 賓 ・卒業 生 ・職 員 が 加 わ っ て 踊 って い る。 この 形 式 は, 他 校 に も多 くの例 が見 られ, 特 に東 京 府 立 第 三 高 等 女 学 校 の コチ ロ ンは有 名 で あ っ た。 (8)広 島女 学 院……明 治42年 の写 真 に は, 生徒 の ダ ンス に外 国人 教 師が 二 台 の ピア ノ に よ って 伴 奏 して い る姿 が 写 っ て い る。 拡 声 器 は お ろ か蓄 音 機 もなか っ た この 時 代 に は, 各校 と も 伴 奏 に は苦 労 して い た。 主 要 都 市 で は, 軍 楽 隊 に頼 っ て い た学 校 が 多 く, オ ル ガ ン, 太 鼓, バ イ オ リ ン等 に よ る音 楽 隊 や, 合 唱 隊 も活 躍 した。 3. ま とめ 今 日行 わ れ て い る運 動 会 は, 会 場, プ ロ グ ラ ム, 運 営 等, そ の 基 礎 は 明 治 期 に築 か れ た もの で あ る と云 って よい。 また, 運 動 会 は 社 会 の 関心 を集 め, 従 来 の 女 性 美 の 概 念 で あ った細 腰 繊 手 を健 康 美 を求 め る方 向 へ と変 え て, 女 子 体 育 全 体 を 変 え て い く拠 点 と な った と考 え られ る。 特 に, 運 動 場 を野 外 ス テ ー ジ に見 な して, そ こ に 展 開 さ れ た女 学 校 の ダ ンス は, 「運 動 会 の華 」 と して プ ロ グ ラ ム の重 要 な位 置 を 占 め て い た。 同 時 に 当 日に至 る まで の過 程 に お い て, 教 師 と生徒 達 の努 力 に よる教 育 的効 果 は計 り知 れ な い もの が あ り, こ れ らが, 学 校 体 育 の 中 の ダ ンス の位 置 を 確 固 た る もの に して今 日 に及 んで い る と考 え る。 運 動 会 の ダ ンス の内 容 は, 方 舞 及 び フ ォー ク ダ ンス とジ ム ナ ス テ ック ダ ンス に大 き く分 類 さ れ る が, 各 々 の女 学 校 は, 入 退 場, 演技, 伴 奏, 用 具, 服装 等 に工 夫 を こ ら し, 独 自の 特 色 を打 ち 出 しな が ら, 伝 統 を積 み 重 ね て い っ た。 ま た, 女 学 校 の 運 動 会 を取 りあ げ た マ ス コ ミの 影 響 も見 逃 す こ とはで き ない。 *1990年 度 春 季 第29回 舞 踊 学 会 『舞踊 學 』13-2号 よ り転 載 -43-
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