センター研究紀要 全体(pdf) - 山梨大学教育学部 附属教育実践総合

ISSN 1881-6169
教育実践学研究
山梨大学教育人間科学部
附属教育実践総合センター
研 究 紀 要
No. 17 2012
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
嶋田 一彦………………………………………………………………………………………………………1
日本におけるディベート教育 第一部
ポール・クラウジア,長瀬 慶來……………………………………………………………………………19
理科教育の読解力育成における研究
―概念の形成過程を中心として―
中島 雅子,堀 哲夫…………………………………………………………………………………………25
OPPA を活用した高校英語の授業改善に関する研究
―高校1年「関係詞」の単元を事例にして―
谷戸 聡子,中島 雅子,堀 哲夫…………………………………………………………………………34
音楽の理解への一助として視覚を活用した音楽鑑賞指導
小島 千か………………………………………………………………………………………………………45
中学校技術科における生物育成についての調査
佐藤 博,篠原 悠希,山主 公彦…………………………………………………………………………59
米国で誕生した邦人障害事例に対する邦人サポートグループの役割
鳥海 順子………………………………………………………………………………………………………66
知的障害児の造形表現における見立ての援助方法に関する研究
渡邉 雅俊………………………………………………………………………………………………………75
想像の産物に対する幼児の認識に文化的文脈が影響を与える可能性
架空の存在や魔法のような力に対する大人の信念に注目して
塚越 奈美………………………………………………………………………………………………………83
フランスにおける映画教育(1)
森田 秀二………………………………………………………………………………………………………90
2項分布分析チャートを活用した統計教材の開発
成田 雅博…………………………………………………………………………………………………… 103
フランスにおける三島由紀夫研究
サバティエ・オレリアン…………………………………………………………………………………… 110
山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター
山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター研究紀要刊行規程
(平成 22 年7月 20 日制定)
第1条 山梨大学教育人問科学部附属教育実践総合センター(以下「センター」という。)は、紀要編集
委員会を構成し、毎年、年度末にその年度の研究の成果を研究紀要にまとめ、これを『教育実
践学研究』(以下『センター紀要』という。)として刊行する。
第2条 『センター紀要』は、本学部・本学教職大学院及び附属学校園の教員等の教育実践研究の推進に
資する研究論文等を掲載し、教育実践研究の推進に貢献することを目的とする。
第3条 本誌に執筆に投稿できる者は、次に掲げるとおりとする。
(1)本学教育実践創成専攻(教職大学院)教員・本学部教員(附属学校園教員・非常勤講師を含む)
及び退職者(ただし、本学等に在職時の研究に関する発表のみ可)。
(2)本学大学院教育実践創成専攻(教職大学院)・本センター客員教授・本センター研究員及び本セ
ンター研究協力者。
(3)本学教育実践創成専攻(教職大学院)または教育学研究科所属の大学院生。
(4)その他、センター研究紀要編集委員会が認めた者。
第4条 『センター紀要』の内容は、教育実践研究を直接の対象とする「教育実践研究編」と、これを支
える諸科学の研究を対象とする「基礎研究編」、及びセンターの諸活動報告を中心とする研究情
報等の提示を柱として構成する。
第5条 論文・報告は未発表のものに限る。ただし、口頭発表等の場合はこの限りではない。
第6条 原稿の採択・体裁の決定、発行は、紀要編集委員会が行う。
第7条 執筆要項は、別に定める。
第8条 原稿提出締切日は毎年9月最終木曜日を原則とし、センターで受け付ける。
第9条 投稿原稿の中で引用する文章や図表の著作権に関する間題は、著者の責任において処理する。
第10条 掲載された論文等の著作権は、原則としてセンターに帰属する。センターは、印刷媒体以外に
CD-ROM、Web 等を通じて論文等を公表することができる。特別な事情により著作権をセンター
に帰属させることが困難な場合には、申し出により著者とセンターとの間で協議の上措置する。
第11条 掲載された論文等の著者は、出典を明記することにより、掲載論文等をセンターの許諾無しに、
印刷媒体・Web 等を通じて、複製・転載・公開することができる。
附 則
1.この規程は、平成22年7月20日から施行する。
2.山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター研究紀要刊行規程(平成17年7月27日制定)
は、廃止する。
山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター研究紀要執筆要項
(平成 22 年7月 27 日制定)
1.原稿(論文題名、著者名、要約、キーワード、本文、参考文献、注記、図表・写真等掲載する内容の
すべてを含む。)は電子媒体及びそのプリントアウト1部を提出する。
(1) 原稿作成にあたり、別途定める原稿作成要領に従う。
(2) 和文原稿は、常用漢字、現代仮名遣いにより、横書きとし、44 字× 42 行を1頁の目安とする。
(3) 欧文原稿は、横書きとし、半角 88 字× 42 行を1頁の目安とする。
(4) 図表・写真は、1枚毎に別々のファイルにして提出し、本文中での割付位置を提出物において示す。
(5) 提出するすべてのファイルの名前は、半角英数記号文字のみを用いる。
2.原稿の頁数は原則として制限しないが、電子媒体による公開・配信上の観点から頁数等の縮小を要請
する場合がある。
3.図表・写真で使用する色は問わないが、コンピュータ処理の関係で元の色が正確に再現できない場合
があることに留意する。図表・写真以外では白黒を原則とする。
4.和文、欧文原稿ともに冒頭に表題(副題を含む。)、著者名、所属名、要約(日本語 400 字、または欧
文 200 語以内)及び、キーワード(3~5語)を記載する。表題と著者名は日・英両語で記載する。
5.参考文献は執筆者所属学会誌の記述形式に準じて、本文末尾に一括して記載する。
6.本文の見出しの番号の打ち方は {I,II,III} → { 1, 2, 3} → {(1),(2),(3)} とし、参照する際には、
章、節、項と称することを原則とする。
7.校正は再校まで著者が朱書きで行い、期日までに提出する。校正は誤植の訂正のみにとどめる。
附 則
1.この要項は、平成22年7月20日から施行する。
2.山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター研究紀要執筆要項(平成17年7月27日)は、
廃止する。
教育実践研究 17,2012
1
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
Educational Value of Participating Educational Volunteer Activities
by Students who want Become Teachers
嶋 田 一 彦 *
SHIMADA Kazuhiko
要約:本研究の目的は,教員を志望する学生が教育ボランティア活動に取り組むこと
の教育的価値を,「学生にとっての教育的価値」「受入先にとっての教育的価値」の2
つの視点から明らかにすることである。教育ボランティア活動を行う学生,受入先の
両者に実施した質問紙調査の回答をデータとし,データ分析には,KJ 法を用いた。そ
の結果,前者の視点については,19 のカテゴリーが得られ,それらは7つの教育的価
値にまとめられた。後者の視点については,10 のカテゴリーが得られ,それらは4つ
の教育的価値にまとめられた。さらに,それぞれの教育的価値の構造モデルを生成し,
教育的価値間の相互関係を明らかにした。また,受入先には,《後輩教員を養成する役
割を受けもつ》という面から教育的価値を見いだしている部分があること,教育ボラ
ンティアの活動内容の違いは,「学生にとっての教育的価値」に対する考えに大きな影
響を与えないということが示唆された。
キーワード:教育ボランティア活動,教育的価値,教員志望学生
Ⅰ 問題と目的
1 スクールボランティア活動の意義と必要性
現在,多くの教員養成学部では,教員志望学生の実践的指導力の向上を図るため,学生が,教育
実習以外に,教育現場におけるボランティア(スクールボランティア)活動に主体的に参加できる
機会を設けている。最初に,この活動の意義と必要性に触れる。
まず,意義について,1996 年の第 15 期中央教育審議会第一次答申は,「閉鎖的となりがちな学校
に,外部の新しい発想や教育力を取り入れることにより,教員の意識改革や学校運営の改善を促す
ことも期待される」と,1997 年の文部省「教育改革プログラムについて」は,「学生のボランティア
活動は,大学教育に地域社会の教育力を活用できるとともに,大学が地域社会に貢献できるという
教育的意義を有する」とそれぞれ述べている。この活動は,学生,スクールボランティア活動の受
入先(以下「受入先」)の両者にとって意義があるものと捉えられている。
また,必要性について,前述の答申は,「実践的な指導力を培うため,教員の養成,採用,研修の
各段階を通じての施策の一層の充実を図る必要がある」と,1999 年の教育職員養成審議会第三次答
申は,「教員を希望する学生が日常的に学校現場を体験できるような学校の受入れ体制を整備する必
要がある」と提言している。これらの提言が政策として具体的な形となったものが,1998 年の文部
省「教員養成系大学学部フレンドシップ事業」であり,2003 年の文部科学省「放課後学習チューター
の配置等に係る調査研究事業」である。これらの政策と,教育現場における学力向上や人員拡充の
願いが合致したことにより,スクールボランティア活動は急速に拡大していった。
*
大学院教育学研究科教育実践創成専攻
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
さらに,最近では,2011 年の文部科学省中央教育審議会教員の資質能力向上特別部会が審議経過
報告で,「教員養成の改革の方向性」の一つとして,「教員養成の初期の段階における,学校支援地
域本部等でのボランティア活動の充実」と「その際,活動の成果を積極的に単位として認定するこ
と」の検討を提言するなど,スクールボランティア活動に対する必要性は益々高まりを見せている。
2 本学における教育ボランティア活動の経緯と課題
本学では,いわゆるスクールボランティア活動を「教育ボランティア活動」と名付けている。本
学における教育ボランティア活動のここまでの経緯を振り返ってみる。
本学教育人間科学部は,2003 年3月に教職に就くことを希望する学生の実践的力量形成のために,
教育現場でのボランティア活動を支援する教育ボランティア委員会を立ち上げた。同時期に,文部
科学省の委嘱を受けた山梨県教育委員会から,「放課後学生チューター」の派遣依頼が本学にあり,
教育ボランティア委員会は,これを学生によるボランティア活動の一環として位置づけ,A市内の
4小中学校に学生を派遣した。「放課後学生チューター」の派遣は 2004 年度まで続いた。受入先の
この制度や学生への評価は高く,また学生からも「学校現場を知るよい機会になった」「教えること
についての楽しさや厳しさを学んだ」などの感想が得られ,さらには,教職への意志を固める機会
になった旨の声も寄せられた(進藤・勢田・澤登・角田,2009)。この当時の活動は,実際の教育現
場における指導者不足を解消し,きめ細かな指導を実現することによって小中学生の学力向上を推
進するという国および県の方針に沿うものであり,そこでは,教育人間科学部による直接的な地域
貢献という一面が強調されていた。
2005 年度からは,「放課後学生チューター事業」を引き継ぐ形で,教育ボランティア委員会が中心
となり,「教育ボランティア活動」として新たにスタートした。この活動のねらいは,学生による小
中学校での学習指導等を通じて,児童生徒の学力を向上させるとともに,教職を目指す学生の学び
を深めるというものである。
現在では,A市以外の広範な地域において,学校を始めとした多くの教育機関からのボランティ
ア派遣の要請に応じており,活動内容も,学習指導補助だけでなく,学校行事・部活動の指導補助,
障害のある児童生徒の支援,不登校児童生徒の支援など幅広いものとなっている。また,この教育
ボランティア活動は社会参加実習として単位化されている。こうした活動の範囲と幅の広がりや単
位化を背景にして,実質活動学生数,受入先数,単位取得者数は毎年着実に増加している(表1)。
さらに,2010 年度には学生運営委員会を組織し,学生主体の企画運営に計画的に取り組んできた。
表1 教育ボランティアの実績の推移
2005年度
2006年度
2007年度
2008年度
2009年度
2010年度
実質活動学生数
79
128
99
160
231
281
受
数
14
12
19
30
35
62
単位取得者数
60
93
74
121
176
223
入
先
こうして,現在までの活動を振り返ると,2010 年度の受入先数,実質活動者数が過去最高を記録
したように,確かに量的な面では成果を上げてきたと言える。しかし,これから本当に目を向けな
ければならないのは,質的な面での向上である。質的な面での課題は二つある。
一つは,教育ボランティア活動は,受入先に利益を与えるだけでなく,学生も与えられていると
いう両面の理解が不十分なことである。実際に,学生運営委員会主催の「教育ボランティア学生交
流会」への参加者が極めて少ない,無責任にも活動を無断で欠席する学生が複数存在する,といっ
-2-
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
た状況が見られた。こうした状況の背景には,「ボランティア」のもつ「自発的」「無償」という特
徴から,この活動は「やってあげている」ものだという意識が働いているということが容易に想像
できる。この意識は,教育ボランティア活動の受益者は受入先であり,学生にはそれほどの利益は
ないという考えに通じていると考える。ある受入先の小学校長が「学生を育てるという意識で受け
入れている」と話していたことからも分かるように,学生は,教育ボランティア活動を通して,教
育実習とは異なる学びを得て,新たな自己を形成して成長するのであり,けっして相手に何かを与
えるだけの存在ではないのである。このことの理解を深めることが非常に大切である。
もう一つは,教育ボランティアの意義と内容及び教育効果についての受入先の内部での共通理解
が不十分であり,受入先と学生両者のニーズや考えが必ずしも一致していないという課題である。
このことについては,「学校にいったけれど,担当以外の先生は誰が何をしに来たのかという対応
だった」「教室の後ろにただ立っているだけで,何をしたらよいのか分からなかったし,先生からの
指示もなかった」「活動の打ち合わせに行ったが,その教科は必要ないと言われたため,活動をして
いない」という学生の声に象徴されている。
以上の課題の解決に向けては,学生・受入先の両者が考える「教育ボランティア活動の教育的価
値」を明らかにすることを通して,教育ボランティア活動の本来的な意義を互いに理解し合うこと
が必要不可欠な条件となってくる。
3 先行研究の概観と本研究の目的
姫野(2006)は,学校ボランティアに関する研究を,1)カリキュラム開発に関する研究,2)
学生への学習効果の検討,3)大学側の支援モデルの開発,に分類したが,ここでは,2)にかか
わる先行研究を概観してみる。
松浦(2003)は,中学校におけるスクールボランティア活動のケーススタディーによって,学生
に形成される教育的実践力を考察した。姫野(2006)は,授業補助(ティーム・ティーチング)が
ある活動の場合と放課後の学習相談のみの場合の学習効果の違いを明らかにした。また,原・芦原
(2006)は,教職志望者に対して,教育実習後のスクールボランティア活動の有無による,教師志望
度・教職に対する意識・教員採用試験の合否に与える影響について調査した。これらは,学校以外
の教育の場におけるボランティア活動を対象としておらず,スクールボランティアの受入先が考え
る教育的価値の内容には言及していない。
阪根(2006)は,香川県下の全小中学校に対して,学生ボランティアの活用の有無・学生ボラン
ティアを活用する理由・学校としての活動状況の満足度などを調査し,学校が考える学生ボランティ
アの成果に言及しているが,質的な視座によってまとめられてはいない。また,進藤・勢田・澤登・
角田(2009)は,教育ボランティアの受入先に対して,教育ボランティアの効果の有無について4
件法で調査を行ったが,教育的価値の内容面にまでは踏み込んでいない。
また,武田・村瀬(2009)は,スクールボランティアについてのそれまでの実践研究を包括的に
レビューし,質的・量的視座に基づいた検証の不十分さを課題としてあげている。
そこで,本研究では,教育ボランティアに参加した学生と,その受入先に対して,自由記述の質
問紙調査を実施し,結果を分析することで,「教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むこと
の教育的価値」を,「学生にとっての教育的価値」「受入先にとっての教育的価値」の二つの視点か
ら明らかにすることを目的とする。
-3-
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
Ⅱ 方 法
1 調査時期
2010 年 12 月
2 調査対象者
〔学 生〕2010 年度に本学の教育ボランティア活動を行った学生・大学院生 281 名の内,アンケー
トに回答のあった 88 名。学年と活動形態の内訳を表2に示す。
〔受入先〕2010 年度,本学の教育ボランティア活動の受入先 62 機関の内,年間を通して教育ボラ
ンティアを活用した 19 機関の担当者。内訳は,学校関係 17(教育委員会3,幼稚園1,
小学校8,中学校4,特別支援学校1),学校関係以外2(児童養護施設・発達障害者
支援センター各1)である。
表2 学生対象者の学年と活動形態の内訳
人数
学校における授業中の活動
あり
なし
学校における授業以外の活動
あり
なし
学校以外の場での活動
あり
なし
1
年
次
10
2
8
5
5
5
5
2
年
次
18
9
9
10
8
5
13
3
年
次
39
27
12
19
20
20
19
4
年
次
19
18
1
10
9
1
18
大学院1年
2
2
0
1
1
0
2
合 計
88
58
30
45
43
31
57
3 データ収集手続き
学生,受入先の両者に対して,質問紙調査を実施した。学生に対しては,教育ボランティア学生
運営委員を通じて配付・回収し,受入先に対しては,メールによって調査用紙を配付・回収した。
学生に対する質問項目は,「教育実習経験の有無」「活動参加の動機」「活動内容」「活動を通して
の学びや気づき」「活動を通して教職に就くにあたっての課題と感じたこと」「今後の活動への参加
希望」の6項目である。一方,受入先に対する質問項目は,「募集動機」「教育ボランティア活動の
教育的価値」「活動をする学生に期待すること」の3項目である。これらのうち,本研究では,「教
育ボランティア活動の教育的価値」に視点をあてるため,この視点にかかわる自由記述質問だけを
取り上げ,それに対する回答を分析することとした。取り上げた質問は表3のとおりである。
表3 教育的価値にかかわる質問項目(自由記述)
学 生
教育ボランティア活動をして,学んだこと,気づいたことは何ですか。
受入先
教育ボランティア活動の「教育的価値」はどのような点にあるとお考えか,
受入先にとってと,学生にとっての両面でお書きください。
4 分析方法
分析にあたっては,次の方法をとった。
1)回答内容からキーワードを抽出し,キーワードを含む文を1つの単位とし,1枚のカードに
記述し直した。1文の中に2つ以上の内容が含まれている場合は,別のものと考え,2枚以上
のカードに分けて記述した。
-4-
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
さらに,学生の回答と,受入先が考える学生にとっての教育的価値に関する回答のカードで1
グループ,受入先にとっての教育的価値に関する回答のカードで1グループを構成した。
2)1)のグループごとに,カードを内容の類似性に基づいて KJ 法(川喜多 1967)によって整理・
分類し,カテゴリーを生成した。その後,カテゴリー同士を比較し,対象や段階といった関係
性を視点として教育的価値を整理した。
なお,この過程は,学生自身の考えを反映させるため,教員に加えて,教育ボランティア活
動の当事者でもある学生運営委員会正副委員長の参加を得て行った。
3)各カテゴリー内容へ言及した人数を度数として,学生と受入先の違い及び活動内容の違いに
よって分類したクロス集計表を作成した。
続けて,それぞれの違いによって,各カテゴリー内容へ言及した度数に差があるかどうかを
Fisher の直接確率計算法で検定した。
4)教育ボランティア活動による教育的価値の間の相互関係を示す構造モデルを生成した。
Ⅲ 結果と考察
1 学生にとっての教育的価値
(1) 抽出したカテゴリーの説明
教育ボランティア活動の学生にとっての教育的価値を明らかにするため,学生の回答と,受入先
が考える学生にとっての教育的価値に関する回答を KJ 法によって分類した結果,19 のカテゴリーが
得られ,それらを7つの教育的価値に整理した。表4に,その結果を示した。
以下,7つの教育的価値と各カテゴリーについて説明する。
なお,今後,【 】内は教育的価値名を,〔 〕内はカテゴリー名を表すものとする。また,
各カテゴリーの説明の最後には代表的な回答例を「 」内に示した。1(1) 及び後述する1(3) に
おける回答例の後ろの( )内は,学生または受入先のいずれの回答であるかを表している。
【教育ボランティアの独自性】
〔教育実習との違い〕〔教育実習とのかかわり〕といった,教育ボランティア活動がもつ独自の性
格にかかわる価値をまとめて,【教育ボランティアの独自性】とした。
〔教育実習との違い〕:教育ボランティア活動は,教育実習とは異なり,評価を伴わないので,精
神的なゆとりをもって活動に取り組むことができる。また,半年間あるいは1年間という比較的長
期にわたり,教育現場とかかわれる。これらのことが,子どもや教職員の生の姿を客観的に捉えたり,
教育現場の雰囲気を味わえたりできることにつながっていくのである。このカテゴリーには,特に
受入先からの言及が多いのも特徴である。
「実習時のような,指導案づくりや日々の実習記録に追われることなく,よい意味でゆとりを持っ
て児童生徒と接することができる(受)」
〔教育実習とのかかわり〕:このまま現場に出てもよいのだろうかという教育実習の前に抱える不
安の解消,教育実習の前に現場の様子を知っておきたいという願い,これらに教育ボランティア活
動は応えてくれる。教育実習に意欲的に取り組む姿勢をつくることに対して効果が得られるのであ
る。また,教育実習後も長期的に学校にかかわることで,教育実習では気づかなかった部分や子ど
もの成長を見続けることができるという効果もある。
「教えることが思っているよりも難しかった。でも,実際に子どもと関わることができて,実習
に向けていい勉強になった(学)」
-5-
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
【子どもの理解】
〔つまずきポイントの理解〕〔子どもの実態把握〕〔子どもの個人差への気づき〕〔家庭環境という
視点への気づき〕といった,子どもを対象とした理解や気づきをまとめて,
【子どもの理解】とした。
〔つまずきポイントの理解〕:適切な学習指導をするためには,子どもがどこで,どのようにつま
ずくのかを把握することが大切であるのは言うまでもない。ティーム・ティーチングや自主学習の
補助といった活動で,一人ひとりの子どもに対応することを通して,つまずきのポイントを把握し
やすいのである。
「子どもが今何につまずいているのか,何を考えているのかを感じ取ることは,子どもと接する
中でしか得られないもので,貴重な体験であると思っている(学)」
〔子どもの実態把握〕:教員志望学生の多くは,自分なりの子ども像をもっているであろう。とこ
ろが,実際の教育現場に出てみると,それまで考えていた子ども像と違う姿を発見する。それは驚
きでもあり,喜びでもあり,自己の教育観や指導観といったものの転換を迫られることかもしれない。
しかし,将来的に教師を目指す者にとっては大変貴重な経験となるのは間違いないのである。
「授業中,歩き回る児童を初めて見た。そして,そういう児童が(低学年では)多くいることを
知った(学)」「子どもたちの実態について,見たり対応したりする中で学べたことは本当に良かっ
たと思う(学)」
〔子どもの個人差への気づき〕:教育ボランティア活動では,特定の学年・学級ではなく,複数の
学年・学級の指導にかかわることが多い。また,特別支援学校や児童養護施設など,通常では触れ
ることができない教育現場へも行くことができる。そうした経験を通して,一口に子どもと言っても,
その性格や個性,社会性などは様々であることを実感し,教師としては,そうした個人差に応じた
指導が必要であるが,実際は非常に難しいということに気づくのである。この気づきが学習指導・
生活指導において,重要な要素となるのである。
「子どもは一人一人異なっていて,目の前の子どもと向き合う時はその子自身をよく見て,感じ
て,接していかなければいけないのだと学んだ(学)」
〔家庭環境という視点への気づき〕:子どもを指導するときに,その子どもの背景にある家庭環境
まで意識して,指導面で配慮する学生は,ほとんどいないのではないだろうか。意識する以前に,
そうした要素があること自体に気づかないのかもしれない。そのことを考えると,家庭環境という
新たな視点を得るということには意味がある。
「母子家庭の児童・難聴の児童がいました。…〈略〉…,そんな立場にある知人・友人がいたな,
と思い出しました。そしてその立場から端を発したいじめのことも。様々な児童がいるという当
たり前のことを再確認し,身の引き締まる思いがしました(学)」「児童養護施設は一生のうちで
関わることがほぼなく,一般の家庭で生活している子ども達ばかりでなく,様々な家庭環境が背
景にある子ども達への理解が少しは深まる(受)」
【教育現場の理解】
〔教育現場の理解〕:教育実習では,教科指導,学級経営が主であり,学校の組織や運営に目を向
けることは少ないであろう。教育ボランティア活動では,今まで目を向けることができなかったも
のを見ることができ,広い視野で教育現場やそこで行われる教育の全体像について理解できるので
ある。これは理解する対象が組織体ということで,単独の価値とした。
「算数,数学に関しては特に,児童・生徒 40 人に対して教師一人では,全体を把握することが厳
しく,できる限り補助する教員が入っていかないと難しい状況である(学)」「学校教育を正しく
理解する具体的場面に出会うことができる(受)」
-6-
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
【教師の仕事の理解】
〔多忙さ・大変さ〕〔多様性〕〔教育観・専門性〕といった,教師という仕事を対象とした理解を
まとめて,【教師の仕事の理解】とした。
〔多忙さ・大変さ〕:学生は,運動会などの行事を実施することの大変さや業務の多さと忙しさに
気づくのである。中には,大変さを乗り越えて行事をやりきった感動や,多忙な状況でも心に余裕
が必要であることをあげた前向きな回答もある。
「教師は授業外に雑務や生徒の管理などがありとても多忙である(学)」「小学生は元気。とにか
く低学年は体を動かすことが大好きなので,休み時間は体力勝負である(学)」
〔多様性〕
:教師には教えるという仕事以外にも様々な仕事があることを理解できるということは,
職業としての教員を深く理解する上で大切である。
「学校では見られなかった先生方の,行事に際しての仕事の様子が見られ,多様な教師の仕事の
一面を学んでくることができた(学)」
〔教育観・専門性〕:教師のもつ教育観に触れるだけでなく,教師に自分の悩みを相談することも
でき,それらを通して,自己の教育観が少しずつ形成されていく。また,実際の指導場面に直面す
ることで,教科における専門性だけでなく,生徒指導における専門的知識の大切さも実感できるの
である。
「先生方の教育観,生徒との接し方などについていろいろ話し合えたため,非常に参考になった
(学)」「教科指導には専門性が,生徒指導には児童理解が不可欠であることを実感できる(受)」
【学習指導】
〔授業の仕方・指導法〕〔情意面の伸長〕といった,学習指導にかかわるものをまとめて,【学習
指導】とした。
〔授業の仕方・指導法〕:複数の学年・学級の指導にかかわることで,成長段階に応じた指導法を
理解したり,教師の違いによる指導法の違いに気づいたり,学習環境を整備することの重要性に気
づいたりと,学習指導面に関して学べることは非常に多い。回答からは,分かりやすく,効果的な
指導法を少しでも身につけ,将来に活かしたいという,学生の思いが強く感じられる。
「どう教えたらわかりやすいのか考えるようになったことは,活動を始める前にはなかったこと
だと思います(学)」「自分の知らない指導法を知ることができた(学)」「将来,教員を目指して
いる学生にとっては,指導方法,支援のしかた等勉強になると思う(受)」
〔情意面の伸長〕:子どもの興味や関心・意欲が学習のベースにあり,それらの高まりが効果的な
学びに結びつくことや,やる気にさせることの難しさに気づくことができるのである。
「子どもたちの興味,関心,意欲を伸ばす手助けをするのが教師の役目である。ただ知識を子ど
もたちに身につけさせることが主な仕事であると思っていたが,その考えは大きく間違っている
ということに気づいた(学)」
【生徒指導】
〔具体的な生徒指導場面における対応〕
〔子どもとの接し方〕
〔言語的なかかわり〕
〔信頼関係づくり〕
といった,生徒指導にかかわるものをまとめて,【生徒指導】とした。
〔具体的な生徒指導場面における対応〕:教育現場における様々な指導場面で,教師が具体的にど
のような指導や対処をするかを間近で見られることは,学生にとって貴重な経験である。特に,生
徒指導の場面では,臨機応変な対応が求められることが多く,より大きな学びとなる。
「児童間のトラブルが起きたときの対応の仕方が分かった(学)」
-7-
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
〔子どもとの接し方〕:学生は,小学生と中学生の差による接し方の違いに難しさを感じたり,子
どもとのコミュニケーションの大切さを意識したりしている。教師の子どもへの対応の仕方を見て,
子どもとの接し方や距離の取り方を知ること,コミュニケーションをとることの重要性を理解でき
ることには意味がある。
「子どもは身体的にも精神的にも私たち大人とは全然違うため,そこに気を遣って接していく必
要があると感じた(学)」「日頃からたくさんコミュニケーションをとることが現場では欠かせな
いと感じた(学)」
〔言語的なかかわり〕:子どもの考えを引き出したり,意欲を向上させたりするために,どのよう
な言葉かけや褒め方をするのがよいかは,学生にとって難しい問題である。また,子どもを叱るこ
との難しさも感じている。そうした,子どもに対する言語的なかかわりの重要性や具体的な方法を
理解できることに価値がある。
「ほめることの大切さも実感した。字が普段よりうまく書けたり,計算がはやくできたりしたと
きに,少しでもほめてあげると子どもたちのやる気が倍増するような気がした(学)」
〔信頼関係づくり〕:教師の指導を子どもが素直に受け入れ,子どもも自分の考えを言えるように
なるためには,両者の間に信頼関係が築かれていることが必須の条件であると言ってよい。教育ボ
ランティア活動は,そのことに気づかせてくれるのである。
「先生から積極的に話しかけて,子どもの緊張をほぐして,子どもからも話しかけられるような,
良好な関係作りをすること(学)」
【学生の教師としての育ち】
〔自己の振り返り〕〔資質能力の向上〕〔将来展望〕といった,学生が自分自身に目を向け,成長
していく段階に焦点をあてたものをまとめて,【学生の教師としての育ち】とした。
〔自己の振り返り〕:今の状態のままで教師になることがよいのか,自分は教師への適性があるの
か,学生は多かれ少なかれ,そうした不安を感じている。この活動を通して,自己を振り返ることで,
教職に就くにあたり,自分に足りない部分を発見し,さらには,それを克服しようする姿勢を身に
つけられるのである。
「自らの教えることに対する課題等を感じることもできたし,また,現職の先生方の姿から学ぶ
ことは多かった(学)」
「人間的にもしっかりとした態度を教師は身につけなければいけないと思っ
た(学)」
〔資質能力の向上〕:大学の講義を通して理論を学んだ学生が,その理論を実際の教育現場での実
践と結びつけることで,教師としての資質能力の向上を図ることができる。教育ボランティア活動
は,それができる貴重な機会となっている。
「大学の講義だけでは得られないような,現実的な対応を経験することで,教師としての資質を
向上させることができる(受)」
〔将来展望〕:教育現場での実践経験を積むことで,教師として教壇に立ったときの自分をイメー
ジできたり,現場の教師の中に,理想の教師像を発見できたりと,将来の展望を開くことにつなげ
られることも重要である。また,教育ボランティア活動を通して教師になるという意志をより強く
固めることができるということも見逃せない要素である。
「本当に先生ができるか不安になったが,逆に生徒・児童と触れあう中で絶対に先生になりたい
という思いが強くなった(学)」「教員など専門家を目指す学生にとって,教育ボランティア活動
の実際体験は将来のイメージを持つことが可能となり,人材育成につながる(受)」
-8-
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
表4 教育ボランティア活動の学生にとっての教育的価値
カテゴリーの内容説明
学生にとっての教育的価値
評価を伴わないので,ゆとりと適度な距離感をもつことが
でき,しかも定期的に子どもと触れ合うことができるとい
う点で,教育実習とは異なり,そのことによって,教育現
場や子どもの実態をよりよく把握できる。
教育実習との違い
教育実習の前に活動を行うことで,教育実習に向かう心構
えができたり,実習後も長期的にかかわることで教育実習
では気づかなかった点に気づいたりできる。
教育実習とのかかわり
教育ボランティアの独自性
学習面で子どもがつまずきやすいところや陥りやすい間違
つまずきポイントの理解
いが理解できる。
子どもの生活行動面の実態,それまで考えていた子ども像
とのギャップ,子どものもつ純粋さ・エネルギーの大きさ
など,生の姿を理解できる。
子どもの実態把握
様々な個性をもった子どもの存在と,それへ対応すること
の必要性と難しさに気づくことができる。
子どもの個人差への
気づき
子どもの理解
子どもの指導にあたっては,背景にある家庭環境にまで目 家庭環境という視点への
を向ける必要があることに気づくことができる。
気づき
教育現場の組織や運営,学校教育全体について理解できる。
教育現場の理解
教師の日常の姿を見ることで,多忙さと大変さを理解でき
る。
多忙さ・大変さ
授業をすること以外にも,教師には様々な仕事があること
を理解できる。
多様性
教師との交流をとおして,その教師のもつ教育観に触れる
ことができる。実際の指導場面に直面して,指導における
専門性の重要さを実感できる。
教育観・専門性
具体的に授業の展開の仕方や子どもへの対応の仕方を学ん
だり,自分なりに考えたりできる。指導の工夫や知らない
指導法を知ることができる。
授業の仕方・指導法
子どもの興味や関心・意欲を高めることの重要性に気づく
ことができる。
情意面の伸長
子ども同士のトラブル,清掃や給食といった具体的な状況
や場面について,対処の仕方,指導の仕方を学ぶことがで
きる。
具体的な生徒指導場面
における対応
教師の子どもへの対応の仕方を見て,子どもとの接し方を
学んだり,コミュニケーションをとることの重要性を理解
できたりする。
子どもとの接し方
子どもへの言葉のかけ方,褒め方・叱り方の難しさや大切
さなど,子どもに対する言語的なかかわりの重要性が理解
できる。
言語的なかかわり
子どもとの良好な信頼関係を築くことの大切さに気づくこ
とができる。
信頼関係づくり
教師になるにあたって自己の課題や未熟さに気づき,それ
を意欲的に解決していこうという意識をもつことができる。
自己の振り返り
大学における理論と教育現場での活動を結びつけることで,
教師としての資質能力の向上を図れる。
資質能力の向上
教師としての自分の将来像を描くことができたり,教師に
なるという意志をより強く固めることができたりする。
将来展望
教育現場の理解
教師の仕事の理解
学習指導
生徒指導
学生の教師としての育ち
(2) 学生と受入先の比較及び活動内容の比較による差異
ここでは,学生と受入先の違い及び教育ボランティアの活動内容の違いが,学生にとっての教育
的価値に対する考えにどのように影響するかについて検討する。
-9-
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
①学生と受入先の比較による差異
まず,学生と受入先とでは,教育的価値についての考えにどのような違いがあるのか検討する。
各カテゴリー内容へ言及した人数を度数として,学生と受入先の違いによって分類し,クロス集計
した結果を表5に示す。
表5 学生と受入先の違いによるクロス集計表(人)
学生にとっての教育的価値
教育ボランティアの独自性
子どもの理解
教育現場の理解
教師の仕事の理解
学習指導
生徒指導
学生の教師としての育ち
学 生
受入先
教育実習との違い
1
6
教育実習とのかかわり
3
1
つまずきポイントの理解
6
0
子どもの実態把握
23
6
子どもの個人差への気づき
14
1
家庭環境という視点への気づき
2
1
教育現場の理解
5
3
多忙さ・大変さ
5
0
多様性
3
0
教育観・専門性
1
3
授業の仕方・指導法
28
3
情意面の伸長
6
0
具体的な生徒指導場面における対応
3
0
子どもとの接し方
20
2
言語的なかかわり
8
0
信頼関係づくり
3
0
資質能力の向上
0
3
自己の振り返り
9
2
将来展望
3
5
※サンプルサイズは,学生 88,受入先 19 である。
検討は,各カテゴリー内容に言及した人数の割合に,「学生」と「受入先」の両群で差があるかど
うかを Fisher の直接確率計算法(両側検定)によって検定し,その結果に基づいて行った。
検定結果で,有意な差が見られたカテゴリーは,〔教育実習との違い〕〔教育観・専門性〕〔資質能
力の向上〕〔将来展望〕の4カテゴリーであり,Fisher の直接確率計算法による p 値は,それぞれ,
p=9.35E-5,p=0.017,p=0.005,p=0.004(SPSS による出力結果)であった。他のものについては,
有意な差は見られなかった。
〔教育実習との違い〕については,受入先が最多の6名が挙げたカテゴリーの一つであったのに
対し,学生で挙げた者は1名のみであった。学生にとっては,教育実習にしろ,教育ボランティア
活動にしろ,子どもや教職員と直接触れ合うということで,大変緊張することに違いはない。それ
に対して受入先は,教育ボランティア活動について,評価がされない,実習記録を書かなくてよい
ことなどから,肩に力を入れずリラックスして活動できる点が教育実習とは異なると考えている。
そうした状況の中では,生の学校や子どもの様子を把握しやすく,そこに価値があると捉えている。
〔教育観・専門性〕について言及したのは,学生は1名のみ,受入先は3名であった。教育ボラ
- 10 -
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
ンティア活動終了後に,学生が現場の教職員と話す機会というのは極めて少ないのが現状である。
したがって,教師のもつ教育観に触れることは難しいであろう。しかし,受入先からは「実際に子
どもとかかわる中で悩んだことを,現場の教師に相談できる」という回答もあることから,学生と
教職員が交流し,ボランティア活動を振り返る機会を意図的に設けることができれば,活動の効果
はより高まるものと期待できる。
〔資質能力の向上〕について言及した者は,受入先の3名のみで,学生にはいなかった。学生は,
「実践的な指導力」という目の前にあるものは意識しても,それを包含する「教師としての資質能力」
という,より大きなものにまでは意識が向かないのではないだろうか。一方,受入先は,「教師とし
ての資質能力」の向上は,教員養成の段階から必要なものであると考え,教育ボランティア活動が
大切な機会であると捉えているものと推察できる。
〔将来展望〕については,学生3名,受入先5名と,割合からすると,受入先がより多く言及し
ている。受入先の中には,将来教師を志望している学生ということで,研修や校内研究に参加する
機会を与えているところもある。そうした経験を通して,学生が職業としての教師について具体的
なイメージを描き,教師への適性を見極めたり,教職へ就くという思いを強めたりすることに,受
入先は価値を見いだしていると考えられる。受入先の「将来のイメージを持つことが可能となり,
人材育成につながる」や「将来の職業の選択肢の一つとして教師という職業の見本を見ることがで
きる」という回答に,そのことが表出されている。
以上,学生と受入先との教育的価値についての考えに有意な差があったカテゴリーでは,いずれ
も受入先の回答割合が高かった。それらのカテゴリーを総括的に捉えてみると,受入先には「教員
養成の役割を受けもつ」という視点が存在しているものと解釈できる。教育ボランティア活動は,
人員増加で教育的効果をあげるという側面が確かに大きい。だが,教師としての後輩を育てるとい
う意識をもっている受入先が多いのも事実である。学生には,教育ボランティア活動は教師として
の自己を形成していく一過程になるのだということの理解を深めさせる必要があるだろう。
②活動内容の比較による差異
次に,教育ボランティアの活動内容の違いによって,学生自身の考えにどのような違いがあるの
か検討する。各カテゴリー内容へ言及した学生の人数を度数として,活動内容の違いによって分類
し,クロス集計した結果を表6に示す。
検討は,各カテゴリー内容に言及した人数の割合に,活動内容の違いによって差があるかどうか
を Fisher の直接確率計算法(両側検定)によって検定し,その結果に基づいて行った。
「学校における活動あり」「学校における活動なし」の2群に分けたときに,有意な差が見られた
カテゴリーは,〔授業の仕方・指導法〕のみであった。このカテゴリーについては,「学校における
活動あり」が 26 人,「学校における活動なし」が2人であり,p=0.046 であった。「学校における活
動なし」群では,授業に直接かかわることがないので,この差が出るのは当然の結果であると言える。
この2群について,他のカテゴリーにおいては,有意な差は見られなかった。
また,「学校における活動あり」群を,さらに授業中の活動の有無によって分けたとき,すべての
カテゴリーにおいて,有意な差は見られなかった。
これらのことは,活動内容の違いは,「学生にとっての教育的価値」に対する考えに大きな影響を
与えないということを示唆している。
- 11 -
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
表6 活動内容の違いによるクロス集計表(人)
学校における活動あり
学生にとっての教育的価値
学校における
活動なし
授業中の
活動あり
授業中の
活動なし
1
0
0
3
0
0
つまずきポイントの理解
4
1
1
子どもの実態把握
14
3
6
子どもの個人差への気づき
8
3
3
家庭環境という視点への気づき
2
0
0
教育現場の理解 教育現場の理解
4
1
0
多忙さ・大変さ
5
0
0
1
2
0
教育観・専門性
0
0
1
授業の仕方・指導法
21
5
2
情意面の伸長
4
0
2
具体的な生徒指導場面における対応
2
1
0
子どもとの接し方
14
0
6
言語的なかかわり
7
0
1
信頼関係づくり
1
0
2
資質能力の向上
学生の
自己の振り返り
教師としての育ち
将来展望
0
0
0
7
1
1
3
0
0
教育ボランティア 教育実習との違い
の独自性
教育実習とのかかわり
子どもの理解
教師の仕事の理解 多様性
学習指導
生徒指導
※サンプルサイズは,学生 88 である。
(3) 構造モデルの生成
ここでは,抽出した7つの教育的価値の間の相互関係を検討し,それを示す構造モデルを生成した。
具体的には,複数のカテゴリー間のかかわりに触れた回答を抽出し,それを一つの根拠としながら,
筆者の経験に基づいて構造化した(図1)。
まず,【教育ボランティアの独自性】が,教育現場の全体像を客観視できることのベースにある。
「教員を目指す学生にとっては,教育実習とも違う評価を伴わない活動であるので,…〈略〉…,生
徒の生の声を聞く良い機会であると思う(受)」「教育実習と異なり,長期にわたり定期的に入るこ
とで,学校現場の動きや児童生徒の生の姿に触れることができる(受)」というように,ゆとりと適
度な距離感をもてること,長期的・定期的に教育現場にかかわれることによって,子どもや教師の
仕事を理解したり,様々な指導について考たりできるのである。
次に,理解に関する【子どもの理解】【教育現場の理解】【教師の仕事の理解】の3つの価値と指
導に関する【学習指導】【生徒指導】の2つの価値の関連については,どちらかが先で,どちらかが
後というような順序性はなく,相互に影響しあっており,双方向性があると考えられる。様々な実
態を理解して,それらを踏まえて指導するだけとは限らず,指導することを通して子どもの実態な
どを理解するという面があるのも当然である。「中学の生の授業が見られるので,先生がどういうこ
とをすると生徒がどんな反応するのかがよくわかる(学)」「その子がどこまでの知識を持っていて
- 12 -
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
どこまで理解できているのかなど,考える必要があるということを学びました(学)」などは,この
点を言い表している回答例であろう。また,表5の度数からも推測できるように,中でも指導に直
接結びつく【子どもの理解】と指導に関する2つの価値との関連は特に強いと言えるだろう。
さらに,「現場の課題を知り,それを解決するための手立てを考えることが大きな学びになりまし
た(学)」という回答に見られるように,これらの理解と指導に関する5つの価値は,トータルとし
て【学生の教師としての育ち】に影響を与えているものと考えられる。
図1 学生にとっての教育的価値の構造モデル
2 受入先にとっての教育的価値
(1) 抽出したカテゴリーの説明
教育ボランティア活動の受入先にとっての教育的価値を明らかにするため,受入先にとっての教
育的価値に関する回答を KJ 法によって分類した結果,10 のカテゴリーが得られ,それらを4つの
教育的価値に整理した。表7には,その結果を示した。なお,カテゴリー名の後の( )内数字は,
当該カテゴリーに含まれる回答数を表すものとする。
以下,4つの教育的価値と各カテゴリーについて説明する。各カテゴリー説明の最後には代表的
な回答例を「 」内に示した。
- 13 -
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
表7 教育ボランティア活動の受入先にとっての教育的価値
カテゴリーの内容説明
受入先にとっての教育的価値
教育現場における人員不足が解消できる。
人員増加 (8)
教職員よりも年齢が近いことによって上下関係でない
かかわりがもてたり,若さによる情熱ある指導ができ
たりする。
若さ (3)
教職員以外の大人と触れ合う機会がもてる。担任とは
違った存在としてかかわることの効果が期待できる。
教員以外の存在 (3)
定期的に子どもにかかわることで,子どもは自分のた
めに来てくれるという感覚をもつことができる。
定期的 (1)
教育ボランティアの独自性
個別指導など個に応じたきめ細かい指導が可能となる。
習熟度別指導や小グループ指導など指導形態の多様化 きめ細かな学習指導 (12)
が図れる。
生活面のアドバイスをもらうことで,子どものソーシャ
ル・スキルが向上する。学生と交流することで,学校
生活を楽しく過ごすことができる。
生活面の向上・
情緒面の安定 (6)
教職を目指す学生の姿に教職員が刺激を受けたり,授
業改善や開かれた授業が行われたりする。
教職員の内省 (3)
学生の多角的な視点や新鮮な感覚を指導に取り入れる
ことができる。
多角的な視点の導入 (2)
様々な活動を推進したり,活動の範囲を広げたり,活
動内容の充実を図ったりできる。
活動の幅の広がり (3)
学生の熱意や頑張りで活動が活性化する。
子どもにとっての効果
教職員にとっての効果
学校(組織)にとっての効果
活動の活性化 (3)
【教育ボランティアの独自性】
〔人員増加〕〔若さ〕〔教員以外の存在〕〔定期的〕といった,教育ボランティア活動がもつ独自の
性格にかかわる価値をまとめて,【教育ボランティアの独自性】とした。
〔人員増加〕:子どもに対する個別指導を行いたくても,人員がいなくて実現できないという教育
現場の悩みを,教育ボランティアを活用することで解消できるのである。
「職員が個別に勉強を教える時間が取ることが難しいので,学生さんが来ていただけると学習を
みてもらえ,子ども達にとって有意義な時間が過ごせる」
〔若さ〕:子どもは,年齢が近い学生に気軽に話しかけることができ,教師と子どもとは異なる人
間関係をつくることができる。また,若さがもつ情熱や卒業生の頑張る姿を見せることの効果にも
期待している。
「学生は,教職員よりも児童生徒と年齢が近いことによる教育効果…上下関係でなく,斜めの関
係での児童生徒への関わりが期待できる」
〔教員以外の存在〕:教職員だけでなく,地域や保護者など違った立場から子どもを指導すること
の大切さが言われている。学生に対しても,教職員以外の存在として子どもにかかわることによっ
て生じる教育的効果が期待されている。また,学生のもっている専門的知識や技能への期待に言及
する回答もある。
「子どもたちにとって,学校の児童と職員等以外の大人とのふれあいが図れる」
〔定期的〕:教育ボランティア活動は,比較的長期にわたる定期的な活動となるので,子どもが,
学生の訪問を心待ちにすることも多い。特に,児童養護施設での活動では,学生と子どもの1対1
の対応が多いことから,自分が大切にされているという気持ちが芽生えていくのであろう。
「子どもは,自分のために来てもらえているという実感がもて,自分がいろいろな人から大事に
されているという感覚がもてる」
- 14 -
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
【子どもにとっての効果】
〔きめ細かな学習指導〕〔生活面の向上・情緒面の安定〕といった,受益の対象を子どもとしたも
のをまとめて,【子どもにとっての効果】とした。
〔きめ細かな学習指導〕:指導する人数が増えることで支援がいきわたり,きめ細かな指導が可能
になるというだけではなく,子どもにとっては,学生であるという気軽さから,自分の考えや質問
を言いやすくなるという面もある。また,様々な指導形態を活用することも可能となる。
「児童・生徒へのきめ細かな指導を可能とし,学力の向上や指導の充実が図れる」「教科内容の必
要性や担任の意向によって,個別指導や習熟度別指導及びグループ指導等を仕組み,その指導者
として入っていただける」
〔生活面の向上・情緒面の安定〕:ソーシャル・スキルが不足している子どもに対しては,細かく
丁寧な指導を繰り返し行うことが必要になる。ボランティア学生からの子どもに対するアドバイス
がそうした指導の一助となる場合もある。また,休み時間などでの交流を通して,心を通わせ合い,
楽しく学校生活を送ったり,学生に褒められることで,自分に自信をもてたりといった情意面の効
果もある。
「余暇支援,学習支援,行動支援,相談支援などの教育ボランティアによる援助を通して,…〈略〉
…,対人スキルや社会生活スキルの向上につながる」「学生が休み時間に全校児童との交流を深め
てくれることにより,児童が学校生活を楽しく過ごすことができるきっかけとなった」
【教職員にとっての効果】
〔教職員の内省〕:最初,教師はボランティア学生に授業を観察されることに抵抗を感じる。しか
し,ティーム・ティーチングなどで協力して授業を行ったり,学生にアドバイスを与えたりするこ
とを通して,抵抗感は少なくなり,開かれた授業を行うようになる。また,教職を目指す学生に,
いい加減な授業は見せられないという意識が働き,授業をよりよいものに改善していこうとするの
である。受益の対象が教職員ということで,単独の価値とした。
「教師を目指そうとする学生に対し,現職教員が刺激を受けたり,アドバイスをおくったりする
ことにより,授業改善に役立つ」
【学校(組織)にとっての効果】
〔多角的な視点の導入〕〔活動の幅の広がり〕〔活動の活性化〕といった,受益の対象を組織体と
しての受入先としたものをまとめて,【学校(組織)にとっての効果】とした。
〔多角的な視点の導入〕:担任以外の指導者が加わることで,より広い視野に立って指導にあたる
ことができるとともに,既成概念にとらわれない新鮮な感覚を取り入れることができる。さらに発
展して,よりよい学校風土づくりに寄与するという回答もある。
「学生の多角的な視点・新鮮な感覚を保育の中に取り入れることができる」
〔活動の幅の広がり〕:学習活動や学校行事において,ボランティア学生を活用することで,新た
な取組を構築できたり,それまであった取組の内容の充実を図れたり,活動範囲を広げられたりで
きるようになるのである。
「学習活動や学校行事において,内容の充実を図ることができる」
〔活動の活性化〕
:若く熱意のある学生が教育現場に入ると,その熱意は子どもや教職員に伝わり,
活動が活性化していくのである。
「学生ボランティアにきていただくことで,生徒は一層意欲的に学習に取り組んだり,部活動を
頑張ったりと,活動を活性化することにつながる」
- 15 -
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
(2) 構造モデルの生成
ここでは,Ⅲ - 1-(3) と同様にして,抽出した4つの教育的価値の間の相互関係を,カテゴリー
レベルで検討し,それを示す構造モデルを生成した(図2)。
【教育ボランティアの独自性】が,【子どもにとっての効果】
【教職員にとっての効果】
【学校(組織)
にとっての効果】の全てに影響を与えていると推察できる。
例えば,「学習指導を行う際に個別の指導を必要とする児童が多く,できるだけ多くの教師が当た
れればいいのですが,なかなか難しい現状があります。学生さんに少しでも補助をしていただくこ
とで困っている子の助けになります」は〔人員増加〕が,「学習でつまずいているところやわからな
いままになってしまっているところを,生徒たちは,より年齢の近い大学生のチューターに気軽に
質問し個別指導で教えてもらうことができ,学力の向上に役立っている」は〔若さ〕が,それぞれ
【子どもにとっての効果】に影響を与えていることを表している。
また,
「教育ボランティアの受け入れを通し,担任学年教師も生徒の新たな一面が発見できた」は,
〔教員以外の存在〕が【教職員にとっての効果】に,「学生の若い力が,学校現場の活性化にもつな
がる」は,〔若さ〕が【学校(組織)にとっての効果】にそれぞれ影響を与えていることを表している。
中でも,学びの主体である子どもに大きな影響を与えているのは,〔人員増加〕と〔若さ〕である。
そして,
【子どもにとっての効果】【教職員にとっての効果】【学校(組織)にとっての効果】が一
体となって『教育効果の増大』に結びついていくものと考えられる。
図2 受入先にとっての教育的価値の構造モデル
- 16 -
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
Ⅳ まとめと今後の課題
本研究においては,教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値を,「学生
にとっての教育的価値」「受入先にとっての教育的価値」の二つの視点から明らかにすることを目的
とした。
「学生にとっての教育的価値」は,【教育ボランティアの独自性】【子どもの理解】【教育現場の理
解】【教師の仕事の理解】【学習指導】【生徒指導】【学生の教師としての育ち】の7つにまとめられ
ることが分かった。特徴的なことは,受入先には,後輩教員を養成するという視点に立って,教育
的価値を見いだしている部分があるが,学生には,その視点がほとんど存在しないということであ
る。教育ボランティア活動に参加する学生への事前指導にあたっては,この視点に気づかせ,教育
ボランティア活動が教師としての自己形成に大きな力を果たすものであるということをより一層理
解させることが大切であろう。さらに,教育ボランティアの活動内容の違いは,「学生にとっての教
育的価値」に対する考えに大きな影響を与えないということが明らかになった。このことから,ど
のような形態や内容であっても,学生にとって,教育の現場で活動する機会をもつことが,大学で
の理論と実践とを統合させる上で重要であると考えられる。
また,7つの教育的価値の間の相互関係を示す構造モデルの生成を通して,
【教育ボランティアの
独自性】 が全体のベースにあること,
【学習指導】【生徒指導】 といった指導面と【子どもの理解】
との相互の結びつきが特に強いこと,理解と指導に関する5つの価値が全体として【学生の教師と
しての育ち】に影響を与えていること,などが推察された。
一方,「受入先にとっての教育的価値」は,
【教育ボランティアの独自性】【子どもにとっての効
果】【教職員にとっての効果】【学校(組織)にとっての効果】の4つにまとめられることが分かっ
た。カテゴリーレベルでの,4つの教育的価値の間の相互関係を示す構造モデルの生成から,
【教育
ボランティアの独自性】が【子どもにとっての効果】
【教職員にとっての効果】
【学校(組織)にとっ
ての効果】の3つの教育的価値に影響を与えていることが示唆された。そして,これら3つの教育
的価値は,一体となって『教育効果の増大』に結びついていると考えてよいであろう。
以上のような,本研究で明らかになった「教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むこと
の教育的価値」とその相互関係を,学生と受入先それぞれが,お互いの考えを意識しながら理解で
きたならば,より高いレベルで,この活動に参加する意識の高まりと活動の充実が期待できるであ
ろう。
さて,本研究においては,「教育ボランティア活動の教育的価値」にかかわる自由記述質問は,受
入先には「教育的価値」という直接的な表現を用いているのに対して,学生には「学んだこと・気
づいたこと」という異なる表現を用いている。その違いが回答に影響を及ぼしたであろうことは否
定できない。また,「学生にとっての教育的価値」「受入先にとっての教育的価値」で,【教育ボラン
ティアの独自性】 のカテゴリーが異なるという課題もあった。さらに,質問紙調査であったため,
調査対象者の本音の部分を引き出すことには限界があったということも言い添えておきたい。これ
らに対しては,質問文のワーディングや回答形式に留意するとともに,インタビューを併用するな
どして,より信頼性を高めていく必要があるだろう。
そして,今後,本研究を発展させる一つの方向性としては,本学の教育ボランティア活動の企画
と運営にかかわる「教育ボランティア学生運営委員会」の委員が活動を通して,何を感じ,何を学
んだのかを分析の対象として,「学生にとっての教育的価値」を別の側面から捉えて研究を進めてい
くことが考えられるであろう。
- 17 -
教員志望学生が教育ボランティア活動に取り組むことの教育的価値
【引用文献】
文部省 1996 第 15 期中央教育審議会第一次答申「21 世紀を展望した我が国の教育の在り方につい
て」
文部省 1997 「教育改革プログラムについて」
文部省 1999
教育職員養成審議会第三次答申「養成と採用・研修との連携の円滑化について」
文部科学省 2011 中央教育審議会教員の資質能力向上特別部会「教職生活の全体を通じた教員の
資質能力の総合的な向上方策について(審議経過報告)」
進藤聡彦・勢田二郎・澤登義洋・角田修 2009 大学生の教育ボランティアが教育実践力の育成に
及ぼす効果.山梨大学教育実践総合センター研究紀要,14,139-151
松浦義満 2003 教員養成学部学生によるスクールボランティア活動のもつ意義と役割-教育実践
教室における事例研究から-.和歌山大学教育学部紀要,53,177-186
姫野完治 2006 学校ボランティアの活動形態による教職志望学生の学習効果.日本教育方法学会
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武田明典・村瀬公胤 2009 日本における大学生スクールボランティアの動向と課題.神田外語大
学紀要,21,309 - 330
川喜多二郎 1967 発想法 中公新書
- 18 -
教育実践研究 17,2012
19
Teaching Debate In Japan
Part One
日本におけるディベート教育
第一部
Paul KLOUSIA* NAGASE Yoshiki**
ポール・クラウジア 長 瀬 慶 來
Summary : An Instructor of debate in Japan needs to be aware of some fundamental similarities
and differences between Japan and the western countries. It is necessary to understand and
account for these, before designing a course to successfully teach students the skills needed to be
successful in Debate. The first step is to understand the basic philosophical differences between
Japan and the west. The second step is to look at specific philosophers that had a significant
impact on the development of political and educational systems in Japan and the west.
The Greek philosophers Plato, Socrates and Aristotle form the basis of western ideas. The French
philosopher Rosseau refined this thinking. The Transcendentalists Emerson and Thoreau further
developed the ideas. Ghandi and Martin Luther King also had important impacts on the thinking
of the west. Japanese philosophy has its roots in Confucianism and Shinto. Buddhism and
Legalism later refined the philosophical basis of Japan's educational and political systems.
Key words:Debate, Teaching, Social Contract, Civil Disobedience, Meritocracy
1. Philosophical Differences
Beginning with Confucius and Buddha in the East and Plato in the West, two philosophical traditions have
evolved over time. Despite specific differences, both Plato and Confucius began from a set of somewhat similar
premises. The traditions of the East and the West developed very differently. Both political and educational
philosophy of the west as represented by Rousseau, Emerson, Thoreau, Ghandi and King moved in the direction
of individual rights and freedom while Eastern traditions like Shinto and Legalism moved in the direction of
submission of the individual to authority.
2. Plato and Socrates
Our knowledge of the Greek teacher and philosopher Socrates comes to us through the writings of his student,
Plato. Plato’s “Allegory of the Cave” presents the idea that all knowledge is innate, but hidden from the clear
view of the learner. It is through Socratic questioning that the real truth is revealed to a student. This implies
that students already have innate knowledge but need a teacher to help reveal it (Linder, 2002 ; Dillion, 2004).
Because education is so important, particularly education of those who will be the “philosopher-kings” it
should be carefully administered with a goal of revealing truths and revealing who the true leaders are. These
“philosopher-kings” should be educated differently than others, with a goal of revealing ‘ultimate good.’ While
*
Research and Development Center for Higher Education ** Graduate School of Teacher Education
Teaching Debate In Japan
Socrates, through Plato, proposed a rigid system to promote the leader’s learning, within this system it is based
on an internal desire to work hard, thus exposing the student’s true nature. In the end the purpose is to have just,
intelligent rulers who are self-motivated (Dillon, 2004).
In this way, compared to later Eastern philosophies like Shinto and Legalism, Plato and Socrates were focused
on the individualism and the ability to see truth as central to the ability to lead. While Plato saw an “aristocratic”
state, it was one based on rationale thinking and strict intellectual discipline. He also saw the need for trained
professionals to run the government – but under the control of the philosopher-king (Lines, 2009, 41-43).
Aristotle
Like Plato and Socrates, the Greek philosopher Aristotle believed that the aristocracy should be educated
differently than the poor and the slaves, who could be trained to perform whatever tasks were necessary. These
enlightened leaders should rule by reason and logic. According to Aristotle the goal was a well-educated
constitutional monarch who would balance the demands of the powerful and wealthy with the needs and
interests of the masses. Education was a necessary function of government as it taught men how to reason
logically, something they did not do if left untaught (CALS.NCU, 2011 ; Mays 2011).
3. Rousseau
Eighteenth Century Enlightenment philosopher Jean-Jacques Rousseau shared some ideas on government
and education with the ancient Greeks [and with Confucius], though in other ways his views were quite the
opposite. Like Plato, he looked for education to expand on the ‘natural proclivities’ of a student, though in
contrast he opposed a leadership elite and he opposed a focus on art and science, which had been central to
the curriculum of Aristotle. He is most famous for the concept of the ‘noble savage’ – meaning that society’s
injustices were primarily because of corrupting failure of society to properly lead and educate citizens. Rather
than leadership by a trained and aristocratic elite, Rousseau saw society as a “social contract” in which the
citizens, properly educated, voluntarily consented to be ruled (Kemerling, 2006).
Unlike Plato who saw the education of an elite leadership class based on rationality, discipline and reason,
Rousseau saw a broad education based on releasing inner emotion and wonder. Both, however, saw education
by the state as a necessity for the benefit of the state (Lines, 2009, 41).
4. Emerson and Thoreau – Transcendentalists
Ralph Waldo Emerson and Henry David Thoreau were mid-nineteenth Century American Transcendentalists.
This meant that like Plato, Rousseau and other earlier Western Philosophers they shared several views on the
education of the individual and the individual’s role in society.
In many ways Emerson’s views on government, individuals and society were a reaction to the strict
and disciplined type of education popular in his time period, an educational method that relied heavily
on memorization and rote instruction. While New England and the United States in the 19th Century
espoused democracy as a form of government, Emerson reacted to the undemocratic features that remained.
Transcendentalists were early abolitionists and women’s rights advocates. Educationally Emerson saw the need
to allow individual talents to unfold and saw nature as the most valuable classroom to allow this to occur (Beck,
1996a).
- 20 -
Teaching Debate In Japan
The basic premise of Emerson’s thinking includes the innate creativity and individuality of all learners and the
need for an education unfettered by group discipline. There is also a belief in the equality of all people, not just
a small aristocratic elite. This would be a logical extension on the American democratic tradition (Beck, 1996).
Thoreau attempted to live Emerson’s ideas. He is most famous for his views on “civil disobedience.” Opposing
any imposition by government on the freedom of individual thought, he opposed war, slavery and any limitation
on individual actions. Like Emerson, Rousseau and the Greek philosophers, Thoreau saw the inner nature of the
individual as more important than the will of society. As a Transcendentalist he denied the right of a ruling elite
or any government to control the individual. Such views are in stark contradiction to those being expressed in
the East by Shinto and Legalism (Beck, 1996b).
5. Ghandi and King
Mahatmas Ghandi and Martin Luther King, Jr. were 20th Century pacifists, one Hindu the other Christian,
one an Indian independence leader the other an American Civil Rights leader. Both shared a basic premise
upon which they preached non-violent resistance to individual oppression. Unlike the Greek or Eastern views
on an educated elite or individual responsibility to society both extended the views of the Transcendentalists
on the importance of the individual and of equality. Ghandi emerged from an Indian society with a strict
class structure, upon which the British imposed their own governing elite, while King lived in a supposedly
democratic United States where racial segregation and economic conditions created a two-tiered society.
Ghandi believed in “Satyagraha” or “grasping forth and holding on to God” who he saw as truth. The inner
faith in an individual was more important and could require extreme will as it meant passively resisting the
sometimes brutal reactions of the government. Operating from the premise that ‘just ends could not be reached
through unjust means’ there is a Platonic idea in his methods. Just as Plato taught that one must learn the basic
truth that is hidden from a person, Ghandi’s method of teaching the rulers was to endure their oppression in a
way that reveals the brutality to the rulers themselves, for whom this reality may be hidden (Hindusism Beliefs,
2011).
Martin Luther King, Jr. extended Ghandi’s basic educational premise further and incorporated modern
technology to make it into a learning tool for society in general. His adoption of non-violent protest methods
to the American Civil Rights movement meant that for the first time millions of Americans saw the brutality of
Southern racists on their television screen.
In this way, King represented another step in Western philosophy on government and education. He used
television images of racial brutality to educate citizens of a nation that previously were unaware of more than
the most rudimentary reality of racism – like the prisoners in Plato’s cave – enlightenment came from within.
He also shared Rousseau’s view of society as operating under a social contract where all are equal, thus
extending the ideas of the Transcendentalists. The basic premise re-emerges that education helps individuals see
objective truths and leaders to make fair decisions for all in society, without needing any special or elite form of
education (Time Frames, 1964).
6. Shinto
Japanese Shintoism represents a radically different view of the world and of government than the Western,
Buddhist or Confucian models. In its origin, Shinto pre-dates Confucianism and Buddhism. As its premise is
- 21 -
Teaching Debate In Japan
the belief in shrines and spirits that represent the natural world in which the Japanese are related. While Shinto
came to be influenced by both Buddhism and Confucianism, during the latter 19th Century under the Meiji, it
was re-established in a way that focused on Japanese nationalism and emperor (Hoffert, 2011).
Japanese education under Shinto became militaristic and nationalistic. The Emperor was identified as a direct
descendent of the Gods. While this would seem to mean that as, in the Greek tradition, there is a belief in innate
knowledge resided within the individual, unlike the Greek idea of revealing this innate knowledge, learning
involved “indoctrination” and the teaching of both cooperation with and subservience to authority (Hoffert,
2011).
Japanese Shinto might be seen as a polar opposite to the 19th Century Transcendentalists like Emerson and
Thoreau whose premise involved the individual, although both did also focus on learning through nature. The
militarism and regimentation could also be seen as opposite to the non-violent and democratic views of Ghandi
or King.
7. Confucius
Confucius, born in 551 B.C.E., was a Chinese philosopher whose basic educational and political premises
contained elements remarkably similar, but distinctly different from those of the Ancient Greeks philosophers
who emerged several hundred years later.
A striking similarity is his belief in the necessity to educate or personally tutor those who will be leaders.
Rather than an aristocratic elite, however, he saw the elite as being based on merit or ability. He also saw
the need for a ‘liberal arts’ education and a lifelong educational process similar to the views of the Greeks.
Like Rousseau he saw a need for social order based on enlightenment, not wealth or force. Like the
Transcendentalists he saw the importance of learning about nature and accepting any student [though he did not
advocate for women]. Like Ghandi and King,he rejected violence and favored the use of reason and logic that
resided in all, though, like the Greeks, he saw the need of a private tutor to help the individual reveal it (Sun,
2009, pp. 560-562).
Like Socrates focused on a specific tutorial method of questioning to draw the knowledge from within,
Confucius also focused on a way of learning that would reveal truth human nature. His goal was a “Sage” or
wise ruler, who in some ways was similar to the Greek’s ‘Philosopher King.’
Confucius did not see a government running schools as this may lead to a monopoly by the aristocrats. He
favored a meritocracy rather than an aristocracy to make just decisions. Like the Greeks he saw that music,
physical education, art, history and math among the subjects to be learned as each helped to hone a specific
form of self-discipline (Sun, 2009, 562-563).
Most important, the ruler had to understand and lead morally so that the people would have a good example.
Rather than rule through laws and edicts, government should lead by example and moral authority, again ideas
not unlike those of Aristotle, Socrates or later Rousseau (Sun, 2009, 562-563).
8. Buddhism
Buddhism based on the teaching of Siddhartha Gautama started in India at roughly the same time as
Confucianism was gaining popularity in China and several centuries before the three Greek philosophers.
With a few major differences, many basic premises of Buddhism can be seen as similar to those of Western
- 22 -
Teaching Debate In Japan
philosophy. Among these are the value of education for one to learn to think for one’s self and the secular nature
of the philosophy. Neither a God nor another human should have control but rather each person should seek
knowledge, truth and happiness. It is up to each individual to improve him or herself. As in the other traditions a
great teacher is considered important. Unlike Western traditions, however, meditation is important as is a belief
in reincarnation (Buddhism Beliefs, 2008).
Unlike the Greeks, Buddhism does not focus on a particular curriculum, a need to constantly guide the
individual or the need to prepare leaders for society. Like Transcendentalism [which it influenced through
Emerson’s readings] individual fulfillment is a key (Buddhism Beliefs, 2008)
9. Legalism
Japanese Legalism also represents a radical shift away from the Confucian model and thus is also a polar
opposite to Rousseau, Ghandi and King.
Legalism rose in a period of turmoil several centuries after Confucius. It grew as more of a system of political
rationalization for total control than a formal philosophy. Confucius, like the Western philosophers, had begun
from a basic promise that people were good. Legalists, however, looked at the chaos and feudal fighting of their
time and concluded that people were basically selfish. As a result there was a need for strict societal controls
and loyalty to authority. This meant a comprehensive system of laws and a structured government. In time
Legalists included any activity that was not socially productive to the group as ‘evil’ including even reading and
scholarship. Unlike most of the Western philosophies that stressed individual learning or intellectual topics, the
Legalists focused learning on only practical subjects like farming or weaving. Scholars who pursued individual
inclinations or refused to heed authority were put to death (Hoffert, 2011).
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- 24 -
教育実践研究 17,2012
25
理科教育の読解力育成における研究
-概念の形成過程を中心として-
A study on the Improvement of Reading Literacy in Science Education:
Focusing on the Concept Formation Process
中 島 雅 子 * 堀 哲 夫 **
NAKAJIMA Masako HORI Tetsuo
要約:本稿の目的は、理科教育における読解力の育成について概念の形成過程という
視点から検討することである。まず、これまでの理科教育の読解力に関する研究を検
討した。その結果、次の3つの問題点が明らかになった。1つめは素朴概念を軽視し
てきたこと。2つめは概念の形成過程に注目してこなかったこと。3つめは、それら
を可視化する方法について議論されてこなかったことである。
これらをふまえ、理科教育の読解力育成において重視すべき要素として次の2点を
指摘した。第1に、概念の形成過程に注目することである。その結果メタ認知が育成
され、それらは外化と内化およびそのスパイラル化によりなされることである。第2に、
そのためには概念の形成過程を自己評価する必要があることである。しかし、ここで
は評価者の適切な教育観についての検討が必要となろう。さらに、これらを事例検討
において検証する必要がある。これらは今後の課題としたい。
キーワード:読解力、概念形成、メタ認知、自己評価、理科教育
Ⅰ はじめに
本稿では理科教育における読解力の育成について、概念の形成過程という視点から検討すること
を目的とする。その理由は以下の通りである。
PISA2003 で明らかにされた日本の子どもの読解力(Reading Literacy)低下問題は、多くの議論を
生み、様々な取り組みがなされてきた。しかし、PISA2006 の結果によれば、その克服は未だ困難な
状況にある。では、読解力を育成するためには、何が必要なのだろうか。それは、概念の形成過程
という視点だと考える。なぜならば、学習者が自分自身の学習過程を確認することが、適切な資質・
能力の育成に欠かせないと考えられるからである。さらに、その確認は、可視的に観察可能な形で
示されることが重要となろう。なぜならば、実際の授業において教師が学習の過程を把握すること
は容易ではないからである。
たとえば、有元秀文は、PISA 型読解力が低い原因について、これまで日本の国語教育において「批
判的思考力」を育成するための「批判的読解」が充分に指導されてこなかったことに本質的な問題
があると指摘する1。ここでいう「批判的思考力」とは、PISA 型読解力にみられるような欧米型の読
解力、つまり、文章構造全体を把握して批判的にテキストを分析する力を指す2。有元によれば「批
判的読解」では、「テキストを読み解いたことに自分なりの意見を表現すること」3 が求められる。
そのためには、学習者がテキストと自分の考えの共通点や相違点を明らかにする過程を、学習者
*
山梨県立甲府城西高等学校 ** 大学院教育学研究科教育実践創成専攻
理科教育の読解力育成における研究
自身が確認することが必要だと考える。その確認が可視的に観察可能な形でなされることで、「批判
的読解」は可能になるのではなかろうか。
さらに、これらは国語教育だけの問題であろうか。読解力向上について文部科学省(以下、文科
省と記す)は、2005 年 12 月に『読解力向上に関する指導資料』を作成し「読解力向上プログラム」
を公表した。そこでは教科国語を中心としつつ、すべての教科を通した改善の取り組みを行う必要
性が示された4。さらに、2008 年には「中央教育審議会答申」の中で、「教育内容に関する主な改善
事項」の第1番目に「言語活動の充実」があげられ、すべての教科において重視すべき改善の視点
とされた5。したがって、理科教育においても読解力の育成を検討することは意義があると考える。
そこで、まず、これまでの理科教育における読解力に関わる研究を概念の形成過程という視点か
ら検討する。その結果をふまえ、読解力育成の問題点を整理する。その上で理科教育における読解
力育成に必要な要素を明らかにしたい。
Ⅱ これまでの理科教育における読解力に関わる研究
これまで、理科教育にける読解力の研究は、大別して以下の3つの分野から行われてきたと考え
られる。1つは科学的思考である。2つめは、メタ認知である。3つめは概念の形成過程である。
以下、主な研究を中心にして具体的に検討してみたい。
1 科学的な思考と読解力
まず、第1に、これまで理科教育の読解力に関連して議論されることが多かった科学的な思考に
ついてである。
たとえば、清原洋一は、理科における「読解力」の向上について、次の 2 つの視点を提案する6。
1つめの視点は「科学的に解釈し表現する力の育成を目指した指導の充実」である。具体的には次
の5点を強調する。第1に「考察する時間の確保」、第2に「『観察実験の結果を整理』し、『考察し
て結論を導く』」、第3に「子どもが自分自身で探究し報告書をまとめ発表するという体験の重要性」、
第4に「メリハリをつけた指導」、第5に「考察を深めさせるための視点」である。2つめの視点は、
「自然体験等を重視し、実生活、実社会との関連を図った『読解力』指導の充実」である。清原によ
れば、これは「理科にシフトした意味での『読解力』、つまり、科学的な視点を明確にして自然の事
7
象を読み取る力」
を育成する指導を指す。
また、猿田祐嗣は、PISA 調査における理科の「読解力」とは、
「①科学的知識が使用できること」、
「②科学的な考察によって解答可能な問題が何であるかを明らかにすること」、「③情報やデータなど
の根拠にもとづいて結論を導き出すこと」の3点からなり、実際の場面で問題を解決するために応
用できることが何より重要であると述べる8。その上で、理科の読解力を高める方法として次の2つ
を提案する。
1つは「与えられた課題の中から問題を見つけさせる」である。ここでは、PISA 調査のような
「長い課題文を注意深く読み、問題を解くのに必要な情報が何であるかを同定できるように、理科
だけでなく、国語科の授業における指導が重要になってくる」と述べている。
もう1つは「観察・実験の結果やデータを根拠とした説明をさせる」である。ここでは、「普段の
理科授業の中で、児童・生徒一人ひとりが、結果やデータを根拠として科学的な考察を加えたり、
発表したりする時間を確保し、他人に説得力ある説明ができるように指導することが重要」だと主
張する9。これらは、理科教育で重要視されてきた「科学的な思考の育成」に有効な提案であろう。
両者の提案は、実践に関連づけやすい具体的な指導を伴ったものである。しかし、そこには、学習
- 26 -
理科教育の読解力育成における研究
者の既有の概念や考え方、および、学習の過程を確認するという視点は見られない。これでは、「科
学的に表現する」にしても、そこで用いられている言葉が正しく理解しているかについてや、それ
らと「科学的な知識や思考」との関係は明確にならないのではなかろうか。
2 メタ認知と読解力
第2に、読解力をメタ認知に関連させた主張である。まず、遠西昭寿の研究である。 遠西は「こ
とば」は、「思考の道具」であり、「コミュニケーションの道具」であるから、「ことば」の習得とそ
の使い方が、理科授業における学習の本質であると主張している10。
したがって、理科の授業の目的は、
「科学の『ことば』を学び、科学の文脈における使い方を学ぶ」
こと、および、科学的思考を「科学の文脈で科学の文を創ること」、すなわち「科学の領域に固有な
命題の習得と調和的認知構造の構築にある」と述べている11。
そして、具体的な方法の1つとして「概念地図」を提案する。「概念地図作りは言語活動であり、
学習によって生じた命題群が矛盾のない調和的体系を全体として保っているかどうかを学習者自身
に確認させることができるので、メタ認知の道具として有用」というのである12。これは、メタ認
知に注目している点や「概念地図」法といった具体的な提案を伴っているという点で意義が大きい。
しかし、「ことば」の習得と使い方に注目しつつも、学習者の「ことば」に関する学習前の既有の概
念や考え方や、それらが学習により変容するといった具体的かつ可視的な視点は見られない。
また、文科省による先ほどの「学習向上プログラム」においても、メタ認知とほぼ同様と思われ
る考え方がみられる。このプログラムは、PISA 調査の結果分析により明らかにされた日本の子ども
たちの読解力における課題をふまえ提案された。
「学習向上プログラム」では、次の3つの重要目標が示された13。
第1に、「テキストを理解・評価しながら読む力を高める取り組みの充実」。
第2に、「テキストに基づいて自分の考えを書く力を高める取り組みの充実」。
第3に、
「様々な文章や資料を読む機会や、自分の意見を述べたり書いたりする機会の充実」である。
これらは、言うまでもなく PISA 調査における読解力、つまり「自らの目標を達成し、自らの知識
と可能性を発達させ、効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考
する能力」14 を強く意識したもので
ある。
このプログラムには、これらを
達成するための具体的な指導例が
すべての教科において示されてい
る15。その中で理科における具体
的な方法として、たとえば、第1
の重点目標に関連して、図1に示
すような授業が提案されている16。
しかし、この授業においても学習
の過程という視点は見あたらな
い。これでは、学習者がどのよう
な考え方を持ち、それがどのよう
に変容したかについて具体的な方
図1 学習向上プラグラムによる読解力を高める指導例
(中 3 理科)
法が提案されていないので、把握
するのはきわめて難しい。
- 27 -
理科教育の読解力育成における研究
3 概念の形成過程と読解力
第3に、概念の形成過程に注目した研究を検討する。ここでは、メタ認知の育成における学習の
過程に注目した鶴岡義彦の主張を検討する。
鶴岡は、これまでの理科教育では、言葉・文・読解を軽視する傾向がみられたと指摘した上で、
「言
葉は物事を対象化し、区別し」、「紛らわしい言葉への注目は理解を促す」と述べ17、「科学的な説明
文の取り扱いを国語科だけに任せることの賛否を検討すべき」であり18、理科教育にも読解が重要な
活動であると主張する。その上で、読解力育成における具体的方法の1つとしてアメリカの小学校
理科教科書19 にみられる手法を紹介する。
鶴岡によれば、その「教科書では、全学年とも、序章のような位置づけで『科学者のように考え
よう』というページ」があり、その中に、「読む前」、「読み進めているとき」、「読了後」のそれぞれ
における「学習に役立つ読み方(Reading to Learn)」が示されている20。ここで注目すべきは、次の
ようなメタ認知的活動を重視した記述である。たとえば、「読む前」における「3.その話題につい
て何を知っているかを自問する」や、「読み進めているとき」における「2.推論し、結論を導き出
す」である。このように、ここで取り上げられているアメリカの小学校理科教科書においては、メ
タ認知的活動という視点が重視されていることがわかる。
ここで注視すべきは、「読む前」、「読み進めているとき」、「読了後」といった学習過程や学習者の
既有の概念や考え方を意識していることである。具体的には、次に示す 4 点の言語活動が示されて
いる21。
第1に「単語や語句に注目した言語活動」である。たとえば、アメリカの教科書の場合、索引の
みならず用語集がつくなど、理科における重要用語の理解と定着を目指した教材が多数認められる。
つまり、「科学用語を重視し、その正確な意味の理解を目指すとともに、用語(単語・語句)の語源
やつくり、あるいは日常の意味との際に留意するよう促している」のである。これは、学習者の既
有の概念や考え方といった素朴概念に注目した活動と言えよう。言い換えると、学習者が元々持っ
ている用語や概念の意味や理解内容を確認した上で、科学的な概念の正確な理解を促しているもの
と考えられる。
第2に「文や命題に注目した言語活動」である。鶴岡は「文は、思考(や感情)を言葉で表現す
る際の、完結した内容を表す最小表現であるから、文の作りと意味には十分に注意する価値がある」
と述べる。アメリカの教科書では「命題は重要な学習内容の1単位を成していて、別の命題と関連
づけることによって新たな価値ある内容(命題)を作り出したり、他の知識や情報との関連において、
種々の疑問を生み出したりすることが出来る」
。したがって「命題に着目して、それを学習に生かす
工夫をすれば、論理的な思考の機会を与えるとともに、新たな疑問を生み出す」というのである。
第3に「段落や文章の全体構成に注目した言語活動」である。先ほども述べたように、アメリカ
の教科書には「学習に役立つ読み方(Reading to Learn)」22 というページがある。これは「まず、単
元の全体像を把握して、話題の焦点をつかみ、その話題に関する既有の知識を想起・整理した上で、
23
本単元での学習事項を予測する」
ものである。ここでも既有の知識といった学習者の素朴概念に注
目しているのがわかる。
第4に「読解技能や批判的思考を鍛える」活動である。たとえば「批判的思考」は「当該の節を
越えて他の節や章や単元での学習事項も、更に日々の経験とそこから得た知識も使って考え、書く
こと」をさす。
このように、鶴岡の提案は、アメリカの小学校理科教科書に依拠しつつ、学習の過程における言
語活動の重視という視点であった。それは、読解力向上における素朴概念や概念の形成過程に注目
したメタ認知の育成であることがわかる。これらは理科教育の読解力育成における新たな視点と言
- 28 -
理科教育の読解力育成における研究
えよう。しかし、概念の形成過程を可視的に確認する具体的な方法については触れられていない。
Ⅲ 理科教育における読解力育成に関する問題点
ここでは、これまでの先行研究の検討をふまえ、理科教育における読解力育成の問題点を以下の
3つに整理し、議論したい。1つは、素朴概念研究との関わりから、2つめは概念の形成過程との
関わりから、3つめは読解力育成における評価との関わりからである。
1 素朴概念研究の軽視
まず第1に、「第Ⅰ章第1節」の科学的思考および第2節メタ認知と深く関わっていると考えられ
24
ことである。「第Ⅱ章1節」で指摘したよ
る「用語や概念に関わる素朴概念研究が軽視されてきた」
うに、理科教育の読解力と関連づけて検討されてきた「科学的思考」において、学習者が「科学的
に表現する」際に用いている言葉の意味を正しく理解しているのかについては、これまで議論され
てこなかった。また、「第Ⅱ章2節」で明らかになったように、「ことば」やその使い方に注目しつ
つも、学習者の既有の概念や考え方、すなわち素朴概念の検討は適切になされてこなかった。ここ
にこれまでの問題があると考えられる。
それは、「理科の学習活動を適切な文や文章をして表現する場合に問題となるのは、そこに含まれ
る用語や概念の意味内容を確認すること」である。なぜならば「学習者の既有の知識や考え方であ
る素朴概念の内容と教師の科学的概念が異なっている可能性がある」25 からである。たとえば、「『水
蒸気』と『湯気』の混同」や、「『溶解』とは『溶けて見えなくなる』ので『溶媒』の重さだけになる」
といった学習者の素朴概念により、たとえ学習者が科学的用語を用いた文章を記したとしても、学
習者が正確に理解しているとは限らないことになる。
したがって、学習者の素朴概念、すなわち、学習者が用いた言葉や文章がどのような意味で学習
者が用いているのかについて明確にしなければ、読解力の育成は困難となろう。これまでにも、
「プ
レテスト」などにより学習者の学習前における知識や考え方は評価されてきた。しかしこれでは学
習前の知識や概念が科学的な概念とどのように異なっているのか、それとも適切なのかについて教
師が把握したり学習者が自覚したりするのは難しい。
先ほどの鶴岡の研究で指摘されるように、アメリカの教科書ではすでに素朴概念を重視した言語
活動が示されている。これにより、理科教育において読解力の育成を促す活動がなされている。
このように、読解力の育成において素朴概念への着目は、科学的概念の形成において不可欠な視
点と言えよう。
2 概念の形成過程の軽視
第2に、学習の過程を重視してこなかったことがあげられる。「はじめに」でも述べたように、学
習者が自身の学習過程を確認することは、読解力といった資質・能力の育成に欠かせない。たとえ
ば、
「第Ⅱ章2節」における検討により読解力の向上にはメタ認知の育成が有効であることがわかる。
しかし、日本の理科教育ではメタ認知の育成において、概念の形成過程に注目することがこれまで
あまりなされてこなかったために、学習者がどのような概念の形成過程を経て獲得したのかについ
て明らかにするのは難しかった。これでは、何がメタ認知の育成に有効であったのかはわからない。
ここにこれまでのメタ認知育成における問題点があると考える。
これらは、「第2章第3節」で明らかにしたように「学習前」、「学習中」、「学習後」といった学習
の過程に注目することでなされると考えられる。そこでは、学習を通して学習者が元々もつ素朴概
- 29 -
理科教育の読解力育成における研究
念やその変容を自覚するとともに、それらを教師が把握することが重要となる。したがって、概念
の形成過程では、先ほどの素朴概念という視点が大きな意味をもつことになる。
このように、概念の形成過程という視点は、読解力の育成において多くの示唆を与える要素と考
えられる。
3 読解力育成における評価の不適切性
第3に、読解力に対して適切な評価が行われてこなかったことである27。読解力の評価が適切に行
われてこなかったということは、これまでにも述べてきたように、素朴概念や概念の形成過程を適
切に把握してこなかったことを意味している。つまり概念の形成過程を可視的に観察可能な形で把
握する方法についての議論があまりされてこなかったし、実際にほとんど実施されてこなかったの
である。これに関して、先にあげたアメリカの教科書では学習の過程に注目した言語活動が示され
ているのだが、「第2章第3節」で指摘したように、概念の形成過程を可視的に確認する方法につい
ては触れられていない。
さらに、これまではメタ認知の育成について、「それがいかなる要素からなるかについての研究は
あっても、それが授業や学習とどのように関わっているか、さらにどのようにすれば育成されるの
かついての研究」はほとんどみられなかった。重要なのは「日々行われる授業の中で」メタ認知を
「いかに育てるのか」であろう28。
これについては、具体的な提案として一枚ポートフォリオ法(OPPA: One page Portfolio Assessment、
以下 OPPA と記す)29 や「真正の評価」30 論があげられる。これらは、概念の形成過程に注目した評価
であり、多くの実践例も提案されている31。
このように、概念の形成過程を評価するという視点は、読解力育成における注目すべき点と言え
よう。そこには、授業や学習との関わりを意識した議論が必要と考えられる。要するに、概念の形
成過程に注目することは、言い換えると読解力や言語活動がどのように行われているのかを把握す
ることに深く関わっているのである。
Ⅳ 読解力育成において重視すべき視点
ここでは、これまでの検討で明らかになった点を整理し、読解力の育成において重視すべき要素
について検討する。
1 概念の形成過程という視点
第1は、読解力育成において概念の形成過程に着目し、適切な学習活動と教師の働きかけ、およ
び学習活動の評価が多くの示唆を生むことである。ここでは、概念の形成過程において重要な役割
を果たしているメタ認知とその育成を促す外化と内化およびそのスパイラル化について検討し、読
解力の育成において、概念の形成過程という視点の重要性を検討してみたい。
(1)メタ認知の育成
まず、適切な読解力は、学習者のメタ認知により育成され深められることである。ここでいうメ
タ認知とは、学習者が自分で自分の人となりや学習の状態を評価し、それによって得た情報によっ
て自分を確認し今後の学習や行動を調整する力をさす。その際、概念の形成過程を重視する必要が
あろう。なぜならば、学習や行動の調整は、自己の概念や考え方が変容する過程を学習者が自覚す
ることによりなされるからである。つまり、学習者が自己の概念や考え方の変容する過程を自覚す
- 30 -
理科教育の読解力育成における研究
ることでメタ認知の能力が育成されると考える。
冒頭の有元の指摘に見られるように、これまで日本においては、文章やあるいは単元の全体を把
握して批判的に思考するといった「批判的思考力」の育成が行われてこなかった。「批判的思考力」
はメタ認知能力と言い換えることができよう32。それらは、鶴岡が指摘するように学習の過程に注目
し、学習者の概念の形成過程を重視することでもたらされる。これらは、国語教育だけでなく、理
科教育においても重視すべき要素である。
(2)外化と内化およびそのスパイラル化という機能
では、実際の授業や学習において概念の形成過程を重視するとは、具体的にはどのようにすれば
よいのだろうか。
メタ認知とは、自分の思考に対する思考であるので、それを可能にするためには「自分の現在の
状態をまず確認するための外化、それをふまえた内省、さらに内化という過程をたどることが必須
33
と考えられる。したがって、そこでは次の3つに注視する必要があろう。
である」
1つめは、「学習者が外化した内容が可視的になっていること」である。
2つめは、「学習者と教師が外化された同じ内容で確認ができること」である。
3つめは、「学習者が外化した内容よりも少し上の資質・能力のレベルに対して教師の働きかけが
可能になること」である34。つまり、外化とそれに対する教師のフィードバックによる働きかけによ
り学習者の内化が可能になり、その過程がスパイラルになされていくのである。
このように、実際の授業や学習においては認知作用の外化と内化およびそのスパイラル化に注目
する必要があろう。学習や授業において、これらを機能させることが適切な概念形成や言語活動を
につながり、最終的にはメタ認知の育成を促すことにつながっていくと考えられる。
2 自己評価
第2は、メタ認知の前提となっている自己評価という視点である。ここでいう自己評価とは学習
者が自分自身の概念や考え方やその形成過程を自覚することをさす。「第Ⅲ章第2節」で指摘したよ
うに、読解力の育成には、学習を通して学習者が元々もつ素朴概念やその変容を自覚するとともに、
それらを教師が把握することが重要となる。つまり、適切な読解力は、自己評価により育成される
と考える。それは、教師がいくら口を酸っぱくして説いても、学習者自らが自己の既有の知識や考
えに対する不適切性を自覚しない限り、修正や改善などの必然性は生まれてこないからである。
たとえば、これまでも形成的評価により学習中における評価は行われてきた。しかし、それは教
師側からの一方的な問いかけによるものが多かったのではなかろうか。問題なのは、形成的評価に
おいて概念の形成過程という視点が欠如していたことにあると考えられる。これについて、田中耕
35
治は「形成的評価の本来の機能を発揮するためには構成主義的な学習観」
に基づく必要があると主
張する。構成主義的な学習観とは、「学習とは『既知』と『未知』との調整をしつつ、新たな「知」
36
を構成していくプロセス」
であるといった考え方をさす。これに基づけば、形成的評価における概
念の形成過程という視点は重要となろう。
このように考えると、学習の過程のあらゆる場面において学習者自身が適切な自己評価を行うこ
とことにより、学習者は授業の中で学習内容の修正や改善を繰り返し、かつ確認を行うことになる
ので、先に述べた内化・内省・外化と相俟って、それがメタ認知の育成につながっていくことにな
ると考えられる。これにより、従来の教育評価では不可能に近かった学習者の資質・能力を高める
ことが可能になっていくと考えられる37。つまり、概念の形成過程を自己評価することで、メタ認知
は育成されるのである。
- 31 -
理科教育の読解力育成における研究
以上より、自己評価は読解力の育成に欠かせない要素といえよう。
Ⅴ おわりに
本稿では、理科教育における読解力育成について、重視すべき要素について検討した。その結果、
読解力向上には概念の形成過程に注目したメタ認知の育成が有効であること、および、そのために
は自己評価により概念の形成過程を適切に評価する必要があることがわかった。
しかし、評価には評価者の教育観による影響という問題がある。つまり、評価者の教育観によっ
て評価が異なる問題である。したがって、適切な教師の教育観についての検討が必要となろう。今
回は構成主義的な学習観を前提とし検討してきた。学習者や教師がもつべき適切な学習観や授業観
とは何かについての検討は不十分である。それは、構成主義の特質やその構造を明らかにした上で
検討する必要がある。さらに、読解力育成の具体的事例も検討すべきであろう。これらは今後の課
題としたい。
(附記)本研究は下記の分担により行われた。論文の執筆全般を中島が行い、堀が加筆修正した。
1
有元秀文「『生きる力』につながる PISA 型読解力」『BRED』No.6、2006 年、pp.2-4。
2
田中耕治『教育評価』岩波書店、2008 年、p.10。
3
有元、上掲論文、p.4。
4
文部科学省『読解力向上に関する指導資料 - PISA 調査(読解力)の結果分析と改善の方向-』
東洋館出版社、2006 年、p.99。
5
中央教育審議会「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領の改善につ
いて(答申)」2008 年、p.53。
6
清原洋一「PISA『読解力』調査からの理科教育改善の視点」『理科の教育』Vol.55、No.647、東洋
館出版社、2006 年、pp.6-7。
7
同上論文、p.7。
8
猿田祐嗣「理科における『読解力』とは? - PISA 調査・TIMSS 調査を中心に-」『理科の教育』
Vol.55、No.647、東洋館出版社、2006 年、p.10。
9
10
同上論文、p.11。
遠西昭寿「科学の『ことば』とその使い方の学びとしての理科授業」『理科の教育』Vol.58、
No.683、東洋館出版社、2009 年、p.5。
11
同上論文、p.7。
12
同上論文、p.8。
13
文部科学省、上掲書、p.101。
14
同上。
15
同上書、pp.19-42。
16
同上書、p.24。
17
鶴岡義彦「理科における読解の重要性と読解力を育成する若干の視点(以下、理科における読解力
の重要性と記す)」『理科の教育』Vol.55、No.647、東洋館出版社、2006 年、pp.12-13。
18
同上論文、p.15。
19
鶴 岡 が 対 象 と し た 教 科 書 は 主 に『Houghton Mifflin Science: Discovery Science (Houghton Mifflin,
- 32 -
理科教育の読解力育成における研究
2003)』であり、時に『Holt Science (Holt, R&W, 1989)』や『Merrill Science (Merrill, 1989)』にも触
れている。いずれも小学校向けの教科書である(鶴岡義彦「理科における言語活動の多様な可能性
を探る-アメリカ教科書の事例を中心として-(以下、理科における言語活動の多様な可能性を探
ると記す)」『理科の教育』Vol.58、No.683、東洋館出版社、2009 年、p.45)。
20
鶴岡、前掲「理科における読解力の重要性」、p.15。
21
鶴岡、前掲「理科における言語活動の多様な可能性」、p.45。
22
同上論文、p.46。
23
同上論文、p.47。
24
堀 哲夫「理科教育における言語活動と授業改善」『日本教育方法学会課題研究Ⅱ発表資料』2011
年 10 月2日(秋田大学)、p.2。
25
同上。
26
同上。
27
同上。
28
堀 哲夫「認知過程の外化と内化を生かしたメタ認知の育成に関する研究-その1 - OPPA に
よる外化と内化のスパイラル化の理論を中心にして -」『山梨大学教育人間科学部紀要』Vol.11、
2010 年、p.20(以下、堀 哲夫「認知過程の外化と内化を生かしたメタ認知の育成に関する研究
-その1」と記す)。
29
OPPA について詳しくは以下の文献を参照されたい。堀 哲夫、同上論文、pp.12-22。
30
真正の評価論については次を参照されたい。田中耕治、上掲書、pp.71-80。
31
OPPA については、たとえば、山下晴美・堀 哲夫「認知過程の外化と内化を生かしたメタ認知の
育成に関する研究-その2 - OPPA による外化と内化のスパイラル化の実践例を中心にして-」
『山梨大学教育人間科学部紀要』vol.11、2010 年、pp.32-33、があげられる。真正の評価論については、
たとえば西岡加名恵『教科と総合に活かすポートフォリオ評価法-新たな評価基準の創出に向けて
-』図書文化社、2003 年、があげられる。
32
有元は「批判的思考力」を育成するための対策として次に示す具体的な方法を提案している。第1
に「教科書教材精読」から「多様な文字資料の活用」へ転換する。第2に、「教師主導の一斉授業」
から「子ども主導の協同学習」へ転換する。第3に「教師と子どもの一問一答」から「子ども同士
の討論」へ転換する。第4に「憶測による心情や内容の理解」から「推論による表現意図の解釈」
へ転換する。第5に「教材の無批判な受容」から「教材の評価と批判」へ転換する。第6に、
「体
験と感想を基にした表現」から「読解を根拠にした表現」へ転換する、の6点である。特に、第
4、第5、第6は「批判的な思考力」に関わるものである(有元秀文、上掲論文、p.8)。ここから、
有元の提案もメタ認知を育成するための方略と考えられる。
33
堀 哲夫、前掲「認知過程の外化と内化を生かしたメタ認知の育成に関する研究-その1」、p.20。
34
同上。
35
田中耕治、上掲書、p.124。
36
同上。
37
堀 哲夫、前掲「認知過程の外化と内化を生かしたメタ認知の育成に関する研究-その1」、p.20。
- 33 -
教育実践研究 17,2012
34
OPPA を活用した高校英語の授業改善に関する研究
-高校1年「関係詞」の単元を事例にして-
A Study on the Improvement of High School English Teaching Using OPPA:
Based on the Analysis of OPP Sheets from First Grade Students
during the Relative Clause Unit
谷 戸 聡 子 * 中 島 雅 子 ** 堀 哲 夫 ***
YATO Satoko NAKAJIMA Masako HORI Tetsuo
要約:一般に高校では、教師が生徒に教えるという講義形式の授業が中心となってい
る。英語も例外ではない。しかし、一方的な講義形式の授業の中では、生徒が学ぶ意
味や必然性、自己効力感を感得することがむずかしい。その現状を改善するために、
「教
えない授業」に「OPPA(One Page Portfolio Assessment)1」を取り入れ、それを活用した
実践を行った。そこで検証しようとした内容は以下の三点になる。第一は、生徒が間
違いを肯定的に捉えることが可能になるかどうか。第二は、OPPA の活用が教師にとっ
て「教えない授業」という未知の教授法を積極的に試みる推進力となり得るかどうか。
第三は、教師が生徒の間違いに寛容になることにより、生徒の気づきを促進させる授
業力の向上に波及効果があるかどうか。その結果、いずれに関してもそれが可能にな
ることが明らかになった。
キーワード:高校英語、OPP シート、OPPA、教えない授業、生徒同士のエラー修正
Ⅰ はじめに
高校の英語教師は、熱意があるにもかかわらず、自分の教授法に自信が持てず、生徒の英語力向
上に無力感を感じていることが多いように思う。今日、英語学習の要請は日に日に高まり、英語を
習得したい学習者もさらに増加している。ちまたには高額な英語教材が氾濫し、民間英語学校も林
立する。にもかかわらず決定的な学習方法は見いだせず、生徒には授業内容がなかなか定着しない
ため、熱心な教師ほど行き詰まり感を感じることがある。2008 年改訂学習指導要領では、英語で授
業を行う2、ペアワークやグループワークを積極的に取り入れる3、等教師自身の経験にない新しい教
授法が提示されている。従来の講義訳読式の一斉授業に疑問を抱きつつも、なかなか新しい教授法
に踏み出せないのは、一つは自分がそれまでに経験したことがないこと、もう一つはそれまでに受
けてきた教育の中でその効果を実感したことがないことが原因ではないだろうか。
そこで、本研究では、OPP シート (One Page Portfolio Sheet) を授業に導入してみた。その理由は、
生徒に書かせた学習履歴を利用することで、自分の試した指導法の率直な評価を生徒から授業直後
に得ることができ、これで良い、という確認ができることが、新たな指導法を取り入れる動機付け
になるのではないかと考えたからである。教師も肯定してもらうことで、新しいチャレンジへの推
進力を得ることができると考えられる。OPP シートの利用により、行き詰まった指導法への打開策
が開かれることをこの研究を通して確認したい。
*1
山梨県立甲府南高等学校 ** 山梨県立甲府城西高等学校 *** 大学院教育学研究科教育実践創成専攻
OPPA を活用した高校英語の授業改善に関する研究
また、生徒の立場から考えてみると、外国語学習に必要なことは、間違いを恐れず対象言語を使
うことである。日本人が外国語(英語)を学習する際には「間違い」は必然であり、間違いを修正
していくことによって自ら学ぶ学習者となる。しかしながら、多くの生徒は授業中、人前で間違え
ることを嫌い、沈黙を守り、反応しない。教師は、わかっているのかわかっていないのか判断に苦
しむ。他方、生徒の中には、本当はわかっていないのにわかっているつもりのものもいる。間違い
を否定し、自分の理解度を客観的に受け止めることができないと真の学力獲得は望めない。そのよ
うな生徒の実態を踏まえた授業を考えることが重要である。言い換えると、「結果に基づいて教育活
動に反省を加えて、より優れた成果を生み出そうとすること」という評価観4 に基づいた授業を実施
することにより、学習内容の適切な習得が進むと考えられる。
本研究では、あえて最初から「教えない授業」を実践してみた。具体的には、生徒同士のエラー
修正(peer correction)を行う方法を導入し、その実態を OPP シートにより確認し、教師が学習内容
にフィードバックを行ってみた。それは、生徒が間違いを好意的に受け止め、前向きに修正してい
けるかどうかの過程を分析したいからである。
高校英語授業における OPP シートを活用した実践報告はほとんどない。しかし、高校英語におい
ても OPP シートの利用が有効であることを以下の点から実証したい。一つめは、生徒が OPP シー
トに学習履歴等を記入し、教師がそれに適切にフィードバックを行うことで生徒が自分の初期の理
解度の不適切さを認識し、最終的に達成感を得ることができることである。二つめは、生徒の記述
が授業後すぐに教師にもフィードバックされるため、授業改善に向けた授業デザインが容易になり、
従って新たな教授法の試行に積極的になれるという波及効果があることである。
Ⅱ 研究の目的
本研究の目的は以下の3点にある。
1.高校英語授業において OPP シートを活用することで、生徒が自らの間違いや理解が不適切な点
を肯定的に自覚でき、寛容になれるかどうか検討する。また、その状態が学習を通して解消さ
れていく過程で、自己効力感を味わい、達成感を得られたかどうか検討する。
2.OPP シートを活用することにより、教師が試みた指導法が効果を上げているか、生徒からの授
業評価が教師の指導方法の行き詰まりを打開し、新たな指導法を試みる推進力となるかどうか、
また、シートの記述から生徒の疑問点や要望を読み取ることにより、授業改善につなげていけ
るかどうか、検討する。
3.OPP シートの活用により引き起こされた自己変容は、生徒のみならず教師にもあてはまるかど
うか検討する。教師が間違いに寛容になり誤答に関心を深めることが授業改善及び授業力向上
にどのように影響するかあわせて検討する。
Ⅲ 研究の方法
1.調査対象 山梨県立K高等学校普通科1年生 40 人×3クラス 計 120 名
2.調査期間 平成 22 年8月 17 日~8月 24 日
3.調査方法
(1)「教えない授業」と「話し合いの中で問題解決する過程」の組み込み
本研究は、学習初期に生徒の理解度が低いことを明確にする必要があるので、授業方法を工
夫し、最初に情報を与えないで自力で問題解決に取り組ませ(「教えない授業」)、その後、仲間
- 35 -
OPPA を活用した高校英語の授業改善に関する研究
との話し合いの中で問題解決する過程(peer correction)を組み込むという方法を導入する。
(2)「教えない授業」の具体的方法
K高等学校1年生の夏季授業において「関係詞」について、最初に説明はせず、生徒の自力
による予習を中心とした授業にペアワークやグループワークでの仲間同士のエラー修正を組み
合わせ、生徒の疑問点や不明点が明確に浮かび上がるように構成した。つまり、先に説明して
問題演習をする従来の講義形式ではなく、生徒本人や仲間同士での学習の後で、疑問点や重要
事項について説明を行う方式をとった。また、できるだけ間違えないように演習問題に取り組
むのではなく、間違いを恐れず、自分で参考書や辞書を手がかりに予習してくるように促した。
(3) OPP シートの活用
OPP シート(後述)は、(1)学習前の「関係詞」についての事前知識、(2)毎回の授業に
おける本時の最重要事項、疑問点、及び感想、(3)単元終了時の学習後の「関係詞」について
の再記述、
(4)学習前・中・後を振り返っての自己変容について、を記述させるように作成した。
毎回の 50 分授業の中で OPP シートを記述する時間を 5 分程度確保し、「関係代名詞」「前置詞+
関係代名詞」「関係副詞」「非制限用法」「先行詞を含む関係代名詞」について合計6時間の授業
を行った。
(4)「話し合いの中で問題解決する過程」の概要
授業中はペアワークまたはグループワークを観察・巡回する中で疑問や誤答を抽出し、解説
することで、全体で共有できるように努めた。また、OPP シートは、毎時間回収し、記述内容
に下線やコメントをつけるなどして次の授業で返却した。OPP シートの記述を確認することで、
生徒の自分の間違いに対する捉え方や、疑問が解消されていく達成感、理解度、を検討した。
また、同じく OPP シートの記述から教師の授業に対する評価と見られる記述を抽出し、今回の
授業方法についての生徒からの評価を授業改善に生かせるか検討した。
Ⅳ 授業で使用した OPP シート
1 OPP シートのねらい
本授業で用いた OPP シートは、その構成要素を「学習前・後における学習単元の把握に関する問
い」
「学習履歴(学習の記録)」
「自己評価」
(「授業評価」
「(教員からの)他者評価」を含む)とした。
それぞれの構成要素に対し、生徒が思考しながら学習履歴を記述していくことで、自分の現在の理
解度の客観的評価ができるようになることをねらいとしている。毎時間学習履歴にまとめられてい
る自己を振り返ることができるため、自己変容の過程を可視化できる。生徒は自己の学習履歴を記
述しながら自己評価しているのと同時に無意識のうちに授業評価をしていることになる。
このため、教師は自分の授業の軌道修正を行う手立てに用いることができる。また、毎時間コメ
ント等をつけて返却することで、大規模集団授業の中で個別対応ができる。それにより生徒との心
理的距離を縮め、間接的コミュニケーションをとることができるため、授業中には埋没してしまう
内気な生徒からも真情を吐露する記述を引き出すことができる。従って教員に対する授業評価も腹
蔵ない意見として受け止めてよいと判断できる。
- 36 -
OPPA を活用した高校英語の授業改善に関する研究
2 OPP シートの内容
実際に用いた OPP シートはB4一枚の用紙の表面に印刷したものである。図1は生徒が実際に記
入した OPP シートである。
3 OPP シートの構成要素
今回使用した OPP シートの構成要素は以下の3点からなる。
(1)学習前・後における学習単元の把握に関する問い
図1中の「(学習前)関係詞はどういうことだと思いますか。」「(学習後)関係詞はどういうこと
だと思いますか。」の欄。学習前の既有知識および認識と学習後の理解度および到達度を比較する問
いである。
(2)学習履歴(学習の記録)
図1中の「この単元で一番重要だったことを書きましょう。」「疑問点や感想など何でもよいので
自由に書いてください。」の欄。授業で何が分かったのか、何がわからなかったのかを毎時間記述す
る。自分の学習過程を自己評価する欄。ここで上がってきた質問や疑問を次の授業に反映させるこ
とで、授業の軌道修正ができ、さらに生徒の記述を「授業評価」として把握することができる。また、
毎時間回収して目を通し、下線やコメントをつけて返却することにより教師からの「他者評価」も
受け取ることができ、生徒の内省を促すことができる。
(3)自己評価
図1中の「君は何か変わったかな? 学習前・中・後を振り返ってみて、何が分かりましたか?
また、今回の勉強を通してあなたは何がどのように変わりましたか? そのことについてあなたは
どう思いますか? 感想でもかまいませんので自由に書いてください。」の欄。学習前に「わからない」
という自覚が強いほど、最終的に理解に達したときの自己効力感が強く表現される欄である。
Ⅴ OPP シートを活用した英語授業について
1 OPP シートを活用した授業の具体的な学習内容
表1に OPP シートを活用した授業に用いた教材等を示した。
表1 授業に用いた教材、学習項目、授業時数
教 材 総合英語 be English Grammar 23(いいずな書店)L17 ~ L19
学習項目 関係代名詞、前置詞+関係代名詞、関係副詞、関係代名詞の非制限用法
授業時数 50 分×6回
次に実際に行った学習手順を表2に示す。
1
2
3
4
表2 基本的な学習手順
あらかじめ予習により与えられた問題を自力で解いてくる。参考書や辞書の使用可。
ペアまたはグループを組み、相互に相手の解答を採点し話し合う。(正答を見ながら)
教師は机間巡視し、生徒がどこで間違えているかを調べ、説明が必要な項目を拾い上げる。
個別に質問がある生徒に対応する。共有すべき質問には全体に向けても説明を行う。
毎時間授業の終わりに、授業で一番重要だったこと、疑問点や感想を OPP シートに記入する。
また、表3は全6時間の授業がどのように行われたか、を具体的に示したものである。
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OPPA を活用した高校英語の授業改善に関する研究
図1 授業で使用した OPP シートと記入例(女子:S.K.)
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OPPA を活用した高校英語の授業改善に関する研究
時限
表3 授業の概要と OPP シートの記述(全6時間の授業)
1時限目
2時限目
3時限目
4時限目
5時限目
6時限目
学習
授業概要
OPP シートの記述時期と方法
項目
学習
L17 関係詞(1)who と which の使い方について。
項目
あらかじめ自力で解いた L17~19 関係詞(1)~(3)を
OPP シートの冒頭の質問「関係詞とは何だと
ペアで採点したあと、自信のない問題番号に印をつけ、ペア
思いますか」という問いに答える。
内またはグループ内で説明できるか試みた。
ただ空所に関係代名詞を入れることはできるが、2つの文を
関係代名詞を用いて1つにする、という形式の問題でつまず OPP シートに「本時の授業について一番重要
いている生徒、また特に whose がわからない生徒が多かっ だと思ったこと、と感想、疑問点」を記述する。
たため、次の授業で説明することを予告。
who,which の格変化と he,she など人称代名詞の格変化演習。
関係代名詞は名前通り代名詞であることを自覚させるため、
人称代名詞、指示代名詞の格変化と関係代名詞の格変化を一
覧表にして練習する。
英文を2つに分割し、関係代名詞の部分を人称代名詞に置き OPP シートに「本時の授業について一番重要
換え倒置する練習をする。(whose bag → his bag)
だと思ったこと、と感想、疑問点」を記述する。
学習
L18 前置詞+関係代名詞
項目
後半の英文中の関係代名詞を通常の代名詞に置き換え、前置 OPP シートに「本時の授業について一番重要
詞とともに通常の英文の語順に並べかえる演習を行う。
だと思ったこと、と感想、疑問点」を記述する。
学習
L18 関係副詞と前置詞+関係代名詞
項目
関係代名詞を通常の代名詞で置き換え、後半の文を完成させ
る演習をすることにより、前置詞+代名詞は副詞の働きをし OPP シートに「本時の授業について一番重要
ていることを理解させ、その部分を関係副詞でおきかえられ だと思ったこと、と感想、疑問点」を記述する。
ることを理解させる。
学習
L19 関係詞の非制限用法
項目
「,」がついている関係代名詞の非制限用法を説明し、前半と
OPP シートに「本時の授業について一番重要
後半の文を分割し、関係代名詞を使わずに接続詞で構成する
だと思ったこと、と感想、疑問点」を記述する。
演習を行う。
学習
L19 what 先行詞を含む関係代名詞の用法
項目
OPP シートに「本時の授業について一番重要
だと思ったこと、と感想、疑問点」を記述する。
先行詞をふくむ what の説明ならびにこれまでの復習演習問 OPP シートの学習履歴欄下部にある「関係詞
とは何だと思いますか」という質問に答える。
題
OPP の最後の「君は何か変わったかな」とい
う問いに答えて記述する。
Ⅵ 本研究の結果と考察
1 生徒が間違いを肯定的に捉え、自己効力感を実感する過程について
OPP シートの学習履歴の記述(この単元で一番重要だったこと、疑問点や感想)を1時限目から
検討することで、以下の三点から分析、検討する。研究目的の第一にあげた、学習の初期に関係代
名詞がどの程度わからなかったかという理解度の不十分さ、自分の間違いなどを自覚でき修正しよ
うと肯定的に捉えているか、最終的に疑問が解消され達成感につながったかという点である。
(1)学習前半における理解度の不適切性の自己認識に関する記述について
表4の(1)1時限目~3時限目の学習履歴の記述、および図2に示したように、授業の前半では、
多くの生徒が関係詞について「(中学の既習事項だったので、または既習事項であるにもかかわらず)
わかっていたつもりだったがわかっていなかった」という主旨の記述を正直にしている。
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OPPA を活用した高校英語の授業改善に関する研究
表4 OPP シート学習履歴欄の授業前半と後半の生徒記述の比較(記述内容は原文のまま)
生徒
No.
(1) 授業1~3時限目(前半)における
学習履歴の記述 (2) 授業4~6時限目(後半)における
学習履歴の記述 1
S.K.
・関係詞の which、that の使い分けがわからない。 ・自分がだんだんわかっていくのがわかったので、
何の代わりに関係詞をおくのか。関係詞は分かっ
もっとがんばっていきたい。
ているようで分からないものだと思うのでしっ ・今回の授業では自分は分かっていたつもりだけ
ど機械的にやるだけじゃだめで、文をしっかり
かり身につくようにしたい。カンマのついてい
る関係詞はどのようなものなのか。
理解してないとだめだと分かった。
・今まで what は何となく置いていたけどどうやっ
て置くのか、どういうものなのかを理解できた。
2
D.H.
・自分の関係詞の弱さがよく分かった。家での予 ・ちょっと自信がついてきた。この調子でがんば
復習をしっかりしたい。
ります!
・問題を家でやってみて、自分の苦手さが確認で ・最初の時よりもかくだんにできるようになって
きた。正直悲惨な感じなので、理解できるよう
いる。
に努力をしていきたいと思った。
3
A.F.
・関係代名詞を使って文を書き換えることが全く ・what の前に名詞がこないことを初めて知った。
できなかった。授業の終わりには全部できるよ
前置詞の後ろには that を置いてはいけないなど
うになりたい。that と which の違いが分からない。 ルールがいっぱいあるけど、今日はすっごく納
得度が高かった。
・目的語を省略する文はできた。最後は what への
置き換えもできた。たくさん間違えた分、理解
度が高かった。
4
K.F.
・who と whose と whom の使い分けがわからない。 ・ほぼ確実に理解できたかもしれない。たくさん
問題をといて定着させたい。
・関係代名詞は理解できた。ここまで完ペキにわ
かった文法ははじめてだった。
5
K.I.
・自分にわかるのは「自分がなにもわからない」 ・だんだんできてきた気がする。「気がする」を取
れるようにがんばるってことよ。
ということだけだ。(これを無知の知という)
・ええ、とても難しくて何もわからない。わから ・今日出てきた文は全てしっかりわかった。なん
か、できると楽しいんですわぁ・・・
ないところがわからないと対策のしようがない
んですわぁ。(^_^)
6
J.K.
・どのとき、どのところで、どの関係代名詞を使 ・関係副詞のことをもっと知りたい。
・関係代名詞がだいたい分かってきて嬉しい
えばいいのか分からなかった。
・高校の英語はそんなに甘くないと改めて感じた。 ・だんだん分かるようになってきて調子が良い。
「関係詞」は英語の文構成を把握し正確に読解
する上でコミュニケーションに不可欠な重要文法
項目だが、上級学年に上がっても定着率は非常に
低い。それは、関係詞を含む後半の文の文構造を
意識せず関係詞の直前しか見ずに、機械的に関係
図2 目的意識を明確にできた事例(生徒 A.N.)
詞をあてはめているからである(図2)。本質的
な理解なしには、関係詞を使いこなせないことが
自覚できていることが伺える。また、図3より、間違いを否定的に捉えるのではなく、反対に学習
に役立てられると肯定的に受け止めていることがわかる。
図3 間違いと理解度を関連づけることができた事例(生徒 A.F.)
(2)学習後半に自己の理解度があがったことに対する自己効力感に関する記述について
表4の(2)4時限目~6時限目の学習履歴の記述、および図4、5の「自己評価」(君は何か変
わったかな? 学習前・中・後を振り返ってみて何がわかりましたか?)欄における記述を見ると、
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OPPA を活用した高校英語の授業改善に関する研究
曖昧な理解から本質的な理解につながり、自己効力感を実感していることが明らかである。
図4 学習成果から間違いを意味づけることができた事例(生徒 A.F.)
図5 不適切な実態を認識することから理解が深まっていった事例(生徒 J.A.)
2 OPP シートを活用することにより、生徒からの授業評価が教師の新たな指導法の試
みへの推進力となるかどうか、について
教師が OPP シートに記入された授業に対する評価を毎時間読み取ることにより、新しい指導法を
積極的に試みることができ、行き詰まり感のある従来の指導方法に打開策を与えてくれる可能性が
見いだせるかどうか、次に検討する。
今回の授業では、OPP シートの学習履歴欄に生徒自身の理解度の浅いことが明確に自覚できるよ
うにするため、授業方法に工夫を施した。つまり、生徒のつまずきが明らかになるように授業をデ
ザインしたのである。具体的には、最初から「関係代名詞」について「講義」するのではなく、生
徒に予習段階で自分なりに参考書や辞書等を使いながら、問題にあらかじめ取り組ませておき、授
業ではペアやグループで採点し合い、話し合って回答を検討する。教師による解説は後で行う、と
いう方法をとった。
2008 年改訂学習指導要領においてもペアワークやグループワークを推奨しているが、このような
「講義形式でない、教えない」授業、ペアワークやグループワークは、授業を実施した教師(谷戸)
自身、生徒および学生時代には経験していない、最近の新しい教授法である。従って、従来の講義
形式訳読型授業に疑問を抱き打開策に頭を悩ませつつ、実際には自分の経験の枠内にない、効果を
自分自身が実感した経験のないような授業法には二の足を踏む英語教師が多い。しかしながら、OPP
シートの活用により、生徒からの率直な授業評価を得られるため、容易に授業に対する肯定感、安
心感が得られ、また不具合が生じた場合には修正が施せることが明らかになった。
図6の生徒の学習履歴欄記述を見ると、グループ活動に対する前向きな評価が見られる。間違い
を恥ずかしいこと、やってはいけないこと、ととらえるのではなく、仲間も同じ間違いをすること
知ることで、間違いを肯定的に受け止めることができ、適切な学習が促進できると考えられる。生
徒はほめられると強い動機付けを感じることができる。教師もまた、肯定的な評価をもらえれば自
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OPPA を活用した高校英語の授業改善に関する研究
信を持って授業をすることができる。図6は OPP シートにより、教師が新しい教授法にチャレンジ
ングになれることを示唆している。
図6 グループ学習の意味を実感した事例(生徒 Y.T.)
3 OPP シートの活用により教師にも自己変容がもたらされることおよびその影響につ
いて
最後に、OPP シートを授業で使っていくうちに、生徒のみならず教師も変容していくことについ
て、また、そのことが授業改善及び授業力向上に及ぼす波及効果について考察したい。
生徒が OPP シートの活用により自己の成果が実感できるような過程を経て成長していく様子は本
考察の1で述べたとおりである。生徒が変わっていくのと同時に、教師も変わっていくことを実感
する。例えば、今までは間違いは犯してはならないものであり、人前で発言して間違えることは恥
ずかしくていやなことだったが、実は仲間と間違いを共有し、間違いを素直にさらけ出すことで逆
に学習が促進されることを生徒は体感し実践するようになる。正直なところ、教師にも、以前は間
違いを犯すことは悪いことである、という認識が意識の根底にあったのではないか、と思われる。
しかし、教師が生徒の間違いを肯定的に捉えられるようになると様々な波及効果が現れることが
予想される。授業者(谷戸)自身の例で見ると、生徒の間違いに寛容になるにつれ、誤答に興味関
心が強く向けられるようになった。OPP シート以外の場面でも、誤答に敏感になり、特徴的な誤答
を抽出して誤答分析を行うことにより誤答の原因究明に長けてきたと考えられる。
一例をあげると、日本人の英語学習における大きな障害は母国語である日本語の影響を強く受け
るため、日本語に引きずられ英語の構造を無視することにある(表5参照)。
表5 日本語に干渉され英文の構造を無視する事例15
問 題 “I don’t know ( ) she is living now.” 空所に適語を入れる間接疑問文の問題
生徒誤答例 why( 彼女がなぜ今リビングにいるのかわからない )
正 答 where(彼女が今どこで暮らしているのかわからない)
ある生徒の答に“why”という誤答があった。しかもその和訳は、「彼女が今なぜ生きているの
か分からない」ではなく、「彼女がなぜ今リビング(ルーム)にいるのか、わからない。」だった。
“living”を「リビング(日本語)」と思った瞬間、英語の構造を無視して日本語のリビング(ルーム)
に当てはめて、無理矢理和訳をしてしまうような問題は日本語が干渉するつまずきとして初級学習
者に頻繁に見られる(事例2参照 6)。
表6 日本語に干渉され英文の構造を無視する事例2
問 題 “You may not smoke on the sidewalk in Suginami-ku.”の和訳
生徒誤答例 杉並区の歩道はくもっていない。
正 答 杉並区の歩道では喫煙してはいけない。
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OPPA を活用した高校英語の授業改善に関する研究
表6は、英文の構造を無視して、“smoke”を煙という日本語の名詞でとらえてしまうことにより、
無理矢理和訳をする例である。
しかしながら、誤答の原因を捉えられるようになると、誤答に導く授業デザインが可能になるため、
OPP シートにより生徒の達成感をさらに高められ、教師の授業力向上につながると考えられる。こ
のように生徒と教師の相互作用により、授業改善が行われるサイクルが自動的にでき上がっていく
のである。
図7 OPP シートを利用した英語授業改善のサイクル
図7は、教えない授業を行い、生徒のグループ学習を活かすとともに自分の間違いに気づかせ、
その学習活動の中で OPP シートの学習履歴を有効に活用することによって授業改善をはかっていく
サイクルを示したものである。
Ⅶ おわりに
本研究を通じて、高校英語授業でいくつかの新しい取り組み(「教えない授業」「生徒同士による
エラー修正」)を行い、OPP シートの生徒記述によりその効果をモニターした結果、生徒が学習当初
に自分の理解度の不適切性を自覚でき、さらにそれを肯定的に受け止められることを検証した。また、
自分の理解度を授業の度に把握した結果、学習終了時に本質的な理解に至った喜びを実感できる記
述も得られた。これらの記述は何よりも教師にさらなる授業力向上への意欲を沸かせてくれる強い
動機付けとなる。
“Don’t be afraid of making mistakes.”と生徒には言いつつ、失敗を恐れ、新しい指導法に取り組め
なかったのは他ならぬ自分自身であったことに思い至ったことも OPP シートを用いた効果である。
以後、心穏やかに授業を楽しめるのも生徒の誤答という鉱脈を掘り当てたからである。OPP シート
の活用法には使用者の思いがけない側面を炙り出してくれる新たな可能性が期待できる。現場教師
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OPPA を活用した高校英語の授業改善に関する研究
が OPPA の実践事例を今後も多く蓄積し、ベテラン教師だけが感覚的に保持していた経験則を若い
教師とも容易に共有できる環境を整えることが求められている。
最後に、多くの現場教師が OPPA の導入をためらう理由の一つに生徒のシートを毎時間回収して
コメントをつけるのに時間がかかる、という懸念がある。日々忙殺される中、そのような時間が捻
出できないのではないか、という危惧は大きい。しかし、始めてみると、生徒の OPP シートを回収
し記述を読むことはいつの間にか最優先事項となる。記述を早く読みたい、という強い気持ちに駆
られるのである。従って、どんなに忙しくても OPP シートを見ることは苦にならない。繰り返すが、
教師にこそ、失敗を恐れず挑戦してみることが必要である。
新しい教授法をまずは試みることが肝要であると考えられる。
附記
本研究は、下記の分担により行われた。研究の企画は谷戸、中島が、OPP シートの骨子は堀が作成、
中島が加筆修正した。実際に使用した OPP シートの作成と授業実施は谷戸が行った。谷戸が執筆し
た論文に中島と堀が加筆修正した。
(註)
OPPA については、以下の文献を参照されたい。
1
堀 哲夫『学びの意味を育てる理科の教育評価』東洋館出版社、2003
堀 哲夫「学習履歴を中心にした大学の授業改善に関する研究- OPPA を中心にして-」『教育実
践学研究』No.14、2009
堀 哲夫編著『子どもの学びを育む一枚ポートフォリオ評価:理科』日本標準、2004
2
2008 年改訂学習指導要領
3
2008 年改訂学習指導要領
4
田中耕治『新しい「評価のあり方」を拓く-「目標に準拠した評価」のこれまでとこれから-』日
本標準、p.10、2010
5
授業中の机間巡視により発見された生徒の誤答例による。
6
授業中の机間巡視により発見された生徒の誤答例による。
- 44 -
教育実践研究 17,2012
45
音楽の理解への一助として視覚を活用した音楽鑑賞指導
Teaching Music Appreciation by Using Visual Elements
小 島 千 か *
KOJIMA Chika
要約:音楽鑑賞指導において、音楽を理解させる一助として視覚を活用した2つの実
践を行った。1つは、音楽の諸要素を聴き取るための教材音源を作成し、その有効性
を明らかにするために、大学生を対象に検証授業を行った。それは、学生にその音源
を聴きながら視覚的イメージを描かせることにより、音楽の諸要素の特徴を把握させ、
実際の音楽作品の鑑賞時にも、音楽の諸要素を意識しながら聴くことを促すことを目
的としたものである。学生が描いた視覚的イメージを検討した結果、教材音源の有効
性が明らかになった。もう1つは、ポリフォニーの構造を視覚化したパウル・クレー
の作品をポリフォニーの鑑賞に関わらせることにより、ポリフォニーの理解の一助と
するものである。ほとんどの学生が時間的なポリフォニーの構造を視覚的イメージや
概念として捉えられていることが明らかとなった。
キーワード:音楽鑑賞授業、音楽の諸要素、教材音源、絵画的ポリフォニー
I はじめに
学校教育における音楽鑑賞指導では、動きや描画など、聴くこと以外の活動を関わらせることが
ある。それは多くの場合、学習者が音楽をより感じ取り、理解できるようにと願ってなされるわけ
である。筆者はこれまで、音楽鑑賞に伴って学習者に視覚的イメージを描かせる指導法について大
学での授業を通した実践的研究を行ってきた(小島, 2008, 2010, 2011.b)。それは、音楽の構造が
捉えやすいカノン等の鑑賞時に、そのイメージを線、色、形といった造形要素を用いて学習者に描
かせると、音楽の諸要素や構造と関連ある表現がなされ、それらを指導と評価に活用していくもの
である。これまでの実践では、J.S. バッハの《音楽の捧げもの》の中の〈4声のカノン〉が効果的で
あり、度々用いてきた。それに対する視覚的表現は、カノンの順番に現れる旋律の動きを線で表し
たり、曲調に合わせた色彩が用いられたり、カノンの構造を図形的に表すものなどであるが、中に
は具体物を描く学生もいた。紫色の棘のある花を描いた学生に絵について質問したところ「音色が
暗い感じだったので紫色をイメージし,紫の花になった」という。これは、楽器の音色に対して感
じたものであるかもしれないし、短調という調性に対して感じたものであるかもしれない。いずれ
にしても、意識・無意識を問わず音楽の諸要素や構造の聴き取りにより、視覚的イメージと結びつ
いたものが描かれているといえるだろう。授業では、描かれた作品を学生同士見せ合ったり、絵を
見ながら再度鑑賞したり、カノンの様子が上手く視覚化されているものを筆者が選択し、それを提
示して、音楽の理解の一助になるように役立ててきた。このように音楽の諸要素や構造は、視覚的
イメージと結びついて描くことができ、それらが視覚化された作品を見ることは、音楽の理解の一
助になるものであると考える。
そこで本稿では、これまでの実践を踏まえて、学習者に音楽の要素や構造を感じ取らせ、音楽を
*
音楽教育講座
音楽の理解への一助として視覚を活用した音楽鑑賞指導
理解させる一助として視覚を活用した新たな2つの実践(2011 年度前期の授業内で行ったもの)を
提示し、その有効性や意義を考察するものである。1つは、音楽の諸要素を聴き取るための教材音
源を作成し、それを学生が聴いて描く視覚的イメージの検討から教材音源の有効性を明らかにする。
さらに、その教材音源を聴く活動の前後に前述の〈4声のカノン〉の鑑賞を行い、視覚的イメージ
を描かせ、作成した教材音源を聴く前と後での視覚的イメージの変化から、学生の音楽の聴き方の
変化について考察する。もう1つは、ポリフォニーの構造を視覚化したパウル・クレーの絵画を関
わらせることにより、ポリフォニーの理解の一助にすることについての考察である。
Ⅱ 教材音源を用いた実践
1 音楽の諸要素を聴き取る教材音源の必要性
新学習指導要領では、小学校から高等学校まで全ての段階で「音楽を形づくっている要素」を把
握させることが示されている。小・中学校の共通事項では、音楽を形づくっている要素を聴き取り(知
覚)、それらの働きが生み出す特徴などを感じ取る(感受)ことが示されている(括弧内は中学校)。
これまでの実践事例から、学習者は、音楽を意識的に聴けば、音楽の諸要素の何かしらを聴き取り、
そこから何かしらを感じ取っていると考えられる。そのことは、視覚的イメージの表現が、音楽か
ら聴き取ったことと感じ取ったことを同時に表していることから分かる。しかし、それが楽器の音
色に対するイメージであるのか、和声的な響きに対するイメージであるのかなどは、聴き手に意識
化されているとは限らない。このことに関連するやり取りが、音楽鑑賞教育雑誌上の座談会にある。
工藤(2010,p.12)が、「音楽がそう出来ているときに、どう感じられるのかということを教育の中
で取り上げる必要がある」と述べると、池辺(2010,p.12)は、以下のように述べている。
それはそんなに必要でしょうか? 私たちの立場から言うとこちらの領域に踏み込まれているよ
うな気がします。『ローエングリン』がどうして雄々しい感じになるかというと、音が跳躍して上
に上がっていくからだとか、f(フォルテ)だからであるとか、金管楽器が演奏しているからだとか、
いろいろな要素があるわけですね。それらを明らかにするということは、作る側の領域に踏み込
まれるということでもありますよね。
音楽の諸要素は、楽曲の中では複合的で、それらが関わり合って一つの音楽的特徴が音として表れ
るのである。作曲家はある音のイメージを目指して音楽を形づくっていくわけであるから、それら
は分解されるものではないし、本来は取り出して考えるものではないだろう。しかし音楽鑑賞授業
として考えたとき、音楽の諸要素の特徴は、何らかの形で指導する必要がある。浜野(1967,p.169)
は「音楽を構成する音の秩序を音を通じてなっとくし、理解する」ことである「音楽的理解」の指
導が鑑賞におけるもっとも大切な段階であるとしている。そこで、音楽の諸要素を取り出して、そ
れらの特徴を捉えさせるために用いる教材音源が必要ではないかと考えた。
2 教材音源
まど・みちお作詞、團伊玖磨作曲の《ぞうさん》の旋律を、西洋音楽の様々な楽器が普通に演奏
するものと少しアレンジを加えたものを演奏する教材音源を作成した。アレンジの方法は楽器によっ
て異なり、各楽器の特徴を出したものと、音楽の諸要素を変化させたものとある。各楽器の特徴と
しても、奏法として楽器固有のものや、その楽器が用いられる楽曲風なものなど様々である。この
ようなアレンジ方法をとったのは、この教材音源の目的は、学習者に楽器の音色や特徴を捉えさせ
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音楽の理解への一助として視覚を活用した音楽鑑賞指導
ることと、1つの旋律の変化を聴き分けさせることにあるからである。音楽の諸要素の中でも、楽
器の音色の違いや特徴を聴き分けることができることは、様々なアンサンブルや合奏曲を音楽的に
理解する時に役立つことである。旋律を聴き取ることは、音楽鑑賞教育において、しばしば目標と
され、その多くの場合、主旋律を捉えさせることがなされる。人が歌を覚えるときに耳を傾けるのは、
サビと呼ばれる旋律が最初であるだろう。また、口ずさみによる音楽鑑賞指導法(松下・須貝,1978)
も旋律の特徴を捉えて口ずさませるものである。ドワイヤー(Dwyer,1967, 訳書 p.43)は、「一主題
がある間隔をおいて再現する場合に、それを認める能力は聞き手にとって基本的に必要なこと」で
あると述べており、これも旋律を聴き取ることの重要性を示しているといえるだろう。このように、
音楽の諸要素の中でも旋律の特徴を捉えることは最も重要なことであると考えた。
各楽器のアレンジについては以下の通りである。
・ヴァイオリン:重音や細かい動きの音を多用している。アルペジオや弦楽器の特殊奏法であるハー
モニックスも用いられている(譜例1)。
・オーボエ:オクターヴ違いで音高を変化させた(譜例2)。
・ユーフォニアム:低音から高音までを使用し、リズムに変化をつけた(譜例3)。
・トランペット:4拍子でファンファーレ風にした(譜例4)。
・アルトサックス:装飾音と自然なゆれのある演奏である(譜例5)。
・ヴィオラ:重音を用いた(譜例6)。
・クラリネット:短調にした(譜例7)。
・トロンボーン:スライドを利用してグリッサンドを数カ所かけた(譜例8)。
・フルート:2種のアレンジで、1つはトリルを多用したもので(譜例9)、もう1つは2拍子で付
点やタイを多用した音形で、フラッターも用いた。(譜例 10)
・チェロ:重音を用い、4音の和音は分散和音的に演奏した(譜例 11)。
譜例1
譜例2
譜例4
譜例3
譜例5
譜例6
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音楽の理解への一助として視覚を活用した音楽鑑賞指導
譜例7
譜例8
譜例9
譜例 10
譜例 11
3 検証授業
作成した教材音源の有効性を明らかにするための検証授業を、小学校教員免許取得を目指す学生
が受講する授業「初等音楽科教育学」の一部(全 15 回のうちの1回で 90 分)を使って行った。こ
の授業は内容を同一にするものを複数開講しており、以下に示す2つの授業で行った結果を考察対
象にする。日時、人数、手順は以下の通りである。
日時/人数:2011 年6月2日 1校時/15名
2011 年6月2日 3校時/4名1)
手順:
1、 J.S. バッハ作曲《音楽の捧げもの》の中の〈4声のカノン〉を2回流し、学生は1回目は聴く
ことのみで、2回目は聴きながら、その視覚的イメージを色鉛筆で描いた。筆者は「これから
かける音楽を聴いて、感じたことやイメージを線、色、形で表してください。具体的な何かが
思い浮かんだらその絵でもいいです」と提示した。
2、作成した教材音源を前記の楽器の順番で、普通の演奏、アレンジした演奏の順に流した。学生は、
A3の用紙を 20 等分に区切ったものに、音源を聴く毎に色鉛筆で視覚的イメージを描いた。
3、〈4声のカノン〉を再び流し、学生に視覚的イメージを描かせた。最初に聴いた時と、音楽の聴
き方に変化があったかどうかを問い、用紙の余白に文章で書かせた。
4 教材音源に対する視覚的イメージ
上記の3つの手順の第2番目で描かれた各教材音源に対する視覚的イメージ表現を、楽器毎に学
生間で比較した。そしてイメージの表現方法は違っても各楽器の音色や旋律の特徴を捉えた表現と
なっているかを検討した。
ヴァイオリン
一番最初に聴いたためか、《ぞうさん》の旋律を認識して、象を描いているものが多い。普通の演
奏に対しての色や形による表現に傾向を見いだすことはできない。アレンジ音源は、重音や細かい
動きが多用されたきらびやかな《ぞうさん》である(譜例1)。途中までは《ぞうさん》の旋律であ
ることが分からない学生もいた。この旋律に対する象の表現には次のようなものがある。「僕はもう
子供じゃないんだぞ!」のコメント付きで、赤い象の顔で鼻が途中でねじれているもの、怒ってい
2)
る象の顔、ドスドス走っている象、黒サングラスに金髪の象(図1)
などである。色や形で示され
- 48 -
音楽の理解への一助として視覚を活用した音楽鑑賞指導
たものでは、沢山の星、星や菱形や円で花火のようなものを描いているもの(図2)など、きらび
やかな感じを表現しているもの、激しいタッチの線などが複数あった。
図1
図2
オーボエ
「のんびり」「牧歌的」「チャルメラ」が象徴されている表現が多い。象を描いたものでは、布団の
中で眠っている象(図3)、黄緑色の上にオレンジ色の線で描いた象の顔と、渦巻きマークがあり「パ
ストラーレぞうさん、またはチャルメラ」のコメントがあるもの、「中華なゾウ」のタイトルに中国
的な帽子を被っている象の顔が描かれているもの、「アジアンゾウさん」のタイトルと共に背中にア
ジア風の布が掛けられている象などがある。オーボエの音色がチャルメラに似ていることから、そ
のようなイメージ表現がなされたのではないかと考えられる。その他「のんびり」のコメントと茶
色と緑の線が描かれているものもあった。
1オクターヴ高く演奏したものに対しては、その前に聴いた1オクターヴ低いものとの比較から
描かれていると思われるものがいくつかある。眠っている象(図3)を描いた学生は、太陽と雲が
ある青空の下、親子象が歩いているものを描いた(図4)。色や形の表現では、寒色で描いていたも
のを黄色や桃色などの暖色にしたものが複数ある。これらは音高が高くなって、明るいイメージを
持ったといえるかもしれない。
図3
図4
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音楽の理解への一助として視覚を活用した音楽鑑賞指導
ユーフォニアム
譜例3の通り、変奏曲的なアレンジ音源である。おじいさん象(図5)を描いた学生が多数いた。
色や形や線の表現では、茶色や黒が用いられているもの(図6)が多く、全体的に寒色で描かれて
いる。
図5
図6
トランペット
カンディンスキーは、トランペットの音色を黄色に譬えているが(Kandinsky,1912, 訳書 p.99)、
抽象的表現では、黄色やオレンジを用いているものが多数ある(図7)。ファンファーレ風にアレン
ジした演奏(譜例4)に対しては、王冠を冠った象を描いたもの(図8)が複数あり、「王様が来る
ぞー」のコメント付きで、旗を持った人やラッパを吹いている人を描いているものもある。また、
単に馬が描かれているものや、競馬をイメージしたものもあった。
図7
図8
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音楽の理解への一助として視覚を活用した音楽鑑賞指導
アルトサックス
普通の演奏に対しては、昼寝をしている象の様子を複数の学生が描いている。アレンジ演奏(譜
例5)に対しては、ワイングラスと紫色の表現が多数あった。象の表現では、象が鼻でワイングラ
スを持っていて「乾杯!」と描かれているもの(図9)、「オシャレゾウ」とタイトルが付けられ、
イヤリングをつけた象、紫の帽子を被って口紅とリボンを付けた象(図10)、「眠たくてウトウトし
てるゾウ」と書かれ、目を瞑っている象などがある。音色が眠たさを感じさせるのかもしれない。
図9
図 10
ヴィオラ
普通の演奏では、ヴィオラの最低音域を使った演奏であったため、チェロの音色と感じた学生も
いた。抽象的表現では、緑、茶色、紫が多く使われている。具体物の表現も多く、森、亀、時計と
椅子がある暗い部屋、茶色の器などがある。象の表現では、普通の演奏を静的に、重音を用いたア
レンジ演奏(譜例6)を動的に捉えた表現が複数あった。例えば、普通の演奏に対して「何もして
いないゾウ」(図11)、アレンジ演奏に対しては、2頭の象が鼻をつけて「じゃれあう子ゾウ」(図
12)を表現したものなどである。
図 11
図 12
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音楽の理解への一助として視覚を活用した音楽鑑賞指導
クラリネット
短調に変化させた演奏(譜例7)に対しては、「ちょっとゆううつ」のコメント付きの象(図
13)、「一人で留守番して怖がっているゾウ」のタイトルと共に家の中で小さな象が1頭で震えてい
る表現、痩せた象の表現などがある。色では、黒、紫が多く使われている。
図 13
図 14
トロンボーン
「お父さんゾウ」「太ったゾウ」のタイトルと共に象が描かれているものがある。赤やオレンジを
用いているものが複数ある。アレンジ演奏(譜例8)に対しては、ねじれた表現や、渦巻き、曲線
によるもの(図14)が複数ある。
フルート
フルートの音色に対してカンディンスキーは、水色をあてている(Kandinsky,1912, 訳書 p.101)。
フルートの3つの音源の全てに対して水色を用いているものは2つである。3つの音源のうちのど
れか1つに対して水色を用いているものもあるが、川や雲を描くためで、音色のイメージと色彩が
結びついているとは言い難い。普通の演奏では、川の流れや、「小川の近くのゾウ」「パストラーレ
ぞうさん再び お日さまの光は明るい色」などのコメント付きで、その様子の象が描かれているも
のや、花畑で遊んでいるような象が描かれている
ものもある。
2拍子で付点やタイを多用した音形にアレンジ
した演奏(譜例10)では、音符が描かれているも
の(図15)が複数あり、「ルンルンなぞう」のタ
イトルと共に音符と象が描かれているもの(図
16)、象の顔と音符、踊りをイメージしたもの、
「何
かを成しとげて喜ぶゾウ」(図17)などの関連的
なイメージ表現があった。
図 15
- 52 -
音楽の理解への一助として視覚を活用した音楽鑑賞指導
図 16
図 17
チェロ
ほとんどの学生が寒色を用いている。カンディンスキーはチェロの音色に紺色をあてている
(Kandinsky,1912, 訳書 p.101)が、チェロの2つの音源のどちらかに対して深い青や紺を用いた抽
象的表現をしたものは、8名いる。また、象が月
夜の下で歩いているものが2つあり、そのうちの
1つには「夜散歩」のタイトルが付いている。重
音にアレンジした演奏(譜例11)に対して特徴的
なのは、複数のものを表現したものが多数あるこ
とである。2つの抽象的な形が重なったもの、
「き
ついよ おすなよ」の文字に3頭の象が重なって
いるもの(図18)、7つの建物のような重なり(図
19)、「家族でいるゾウ」のタイトルで4頭の象の
後ろ姿(図20)
、「ゾウの群れ」のタイトルと3頭
の象などである。
図 18
図 19
図 20
- 53 -
音楽の理解への一助として視覚を活用した音楽鑑賞指導
5 教材音源使用前後での視覚的イメージの比較
作成した教材音源を用いる前後には、J.S. バッハ作曲《音楽の捧げもの》の中の〈4声のカノン〉
を聴かせて視覚的イメージを描かせた。教材音源を聴いた後に再び〈4声のカノン〉を聴いた時に、
その聴き方に変化があったと答えた学生は 19 名中 11 名であった。聴き方の変化としては、楽器の
音色を意識して聴くことができた、どこでどんな楽器が入ってくるかを意識して聴けた、など、音
色や旋律に意識が向いたことが明らかになった。またそれらの学生の視覚的表現にも変化があった
ものがある。例えば、教材音源を聴く前には風景的なイメージを描き(図 21)、聴いた後ではカノン
の構造を視覚的に表したもの(図 22)、聴く前には3つの帯状のものの重なりを描き、聴いた後では
4声を意識したためか、4つの帯状の重なりで、しかもカノンのずれて旋律がでてくる様子を表現
したものなどがあった。
図 21
図 22
6 教材音源の有効性
作成した教材音源に対する視覚的イメージ表現は、楽器やそのアレンジにより差はあるが、楽器
の音色や旋律の特徴からのイメージ表現であると考えられるものが多くあった。このことは、同一
の旋律をアレンジしたものを複数聴き比べることにより、その変化した部分、今回は楽器の音色と
旋律の特徴に、着目して音楽を聴かせることができたことを示していると考えられる。ただ、上記
に示した表現例は一部であり、各音源に対して、全ての学生の視覚的イメージ表現に何らかの統一
的な傾向があるわけではないことも事実である。しかし、個々人の中で各音源に対する視覚的イメー
ジ表現を比較してみると、使用している色は異なっても、それぞれの楽器毎に色を使い分けていた
り、すべてを何らかの象の様子に関連させて描こうとしていたり、音楽の特徴を聴き取り、描き分
けようとしていることがわかった。そして、このことが実際の音楽作品の鑑賞においても活かされ
て、前節で示したように、多くの学生が音色や旋律の特徴を意識して聴くようになったと回答する
ような聴き方の変化をもたらしたと考えられる。つまり、この教材音源を聴きながら視覚的イメー
ジ表現をさせることは、音楽の諸要素を聴き取ることを促すことに有効であることが明らかになっ
た。しかし、音楽経験が豊富な学生は、「教材音源を聴いて、楽器の特性を意識することで、音楽の
感じ方が狭いものになってしまった」と述べており、この音源の使用方法に関しては、今後、考察
の余地がある。
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音楽の理解への一助として視覚を活用した音楽鑑賞指導
Ⅲ 絵画作品を関わらせた実践
1 絵画的ポリフォニーへの着目
視覚的イメージは、学生が音楽を聴いて描くことに終わるのではなく、作品となり音楽の諸要素
や構造を見る対象となる。これまでの実践では、学生が音楽を聴いて描いた作品の中から、音楽の
諸要素や構造が分かりやすく視覚化されているものを選び、他の受講生たちに見せながら音楽の諸
要素や構造を説明することも行ってきた。そこで、音楽が視覚化された絵画を数多く残したパウル・
クレーの作品を音楽鑑賞指導に用いて、音楽の理解の一助にすることを考えた。
パウル・クレーが音楽的な概念や理論を、絵画制作に援用したことは、多く示されている3)。クレー
は様々な自身の著作の中で、絵画と音楽の関係を示している。日記においては、音楽と造形芸術の
相似を「時間性」とし、絵画における時間性を無彩色や色彩の「重なり」として研究したことが示
されている。そして、その重なりが線と色彩に応用され、線と色彩という異なるテーマの統一につ
いて言及している(Klee,1988)。さらにクレーの代表業績とされる「絵画的ポリフォニー」について
は、「創造についての信条告白」という彼の最初の理論的な論文で、「基本的諸要素をグループに分
けて組み合された細目別にすること、同時に幾つかの面で造形することにより全体へ排列すること、
造形的多声音楽(Polyphonie)」(Klee,1960, 訳書 p.156)の記述が見られる。つまり独立的な様々な
テーマを同時に面の上で重ねること、
「いくつかの独立的なテーマの同時性」が、絵画的ポリフォニー
であるということである。そしてこれは、彼にとって芸術目標であり芸術理想であった(Marianne,
2007,p.69)。
そこで、クレーの作品を「重なり」として捉え、5つの視点(色彩、面、色彩と素描、点描法・
線的)による絵画的ポリフォニーの分類を試みた(2011.a, 小島)。そしてこの分類に基づいて、パ
ウル・クレーの絵画を関わらせた実践を行った。
2. 視覚を通して音楽を捉える
2011 年度前期「初等音楽科教育学」の授業では、前述の教材音源の使用に伴ったカノンの鑑賞の
他に、J.S. バッハ作曲《フーガの技法》第1番を様々な演奏形態によるもので複数回聴く時間を設
け、ポリフォニーに親しませた。そして期末課題として、パウル・クレーの絵画的ポリフォニー作
品を 10 点提示し4)、ポリフォニーを感じる絵画を選ばせ、その理由を書かせた。この 10 点の作品は、
小島(2011.a)で示した5つの視点から満遍なく選択したものであるので、5つの視点の説明と共
に分類して以下に示す。
色彩のポリフォニー
無彩色や有彩色の重なりから成るもので、無彩色の重なりの作品として、《明暗研究(画架のラン
プ)》(1924,23)5)、有彩色の重なりの作品として《動いている大気群》(1929,276)を提示した。
面のポリフォニー
何らかの形が平面的に重なって見えるものを面のポリフォニーとした。人の顔と仮面が重なって
いる《喜劇役者》(1904,14)と、クレー自身が「フーガ的」と名づけた相似形態面の模倣的連続に
よる作品である《赤のフーガ》(1921,69)を提示した。
色彩と素描のポリフォニー
色彩と素描がそれぞれ独立した意味を持って構成されているものをさしている。この分類から
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音楽の理解への一助として視覚を活用した音楽鑑賞指導
は、オッフェンバックのオペラ《ホフマン物語》から着想を得て描かれた素描に色彩矩形を色彩テー
マに用いた《ホフマン風の情景》(1921,123)、リトグラフによる素描に手彩色した《破壊と希望》
(1916,55)、文字と色彩を重ねた《いつか夜の仄かな闇から現れでて》(1918,17)の3作品を提示し
た。《破壊と希望》は、対角線状に交差する格子と細かな線によるキュビスム的コンポジションに星・
月・三日月という色のある天体の記号が重ねられている。これらは、戦争による廃墟と化した世界
と宇宙的なヴィジョンであり、色彩と素描という視覚的に捉えられるものだけでなく、相反するテー
マの重なりもある。
点描法によるポリフォニー
色彩矩形のテーマと点描のスクリーンで構成された色彩テーマの重なりから成るものである。ケー
ガン(Kagan,1983, 訳書 p.84-91)が、最も複雑な絵画作品でクレーの絵画的対位法とポリフォニー
の集大成として詳細に分析している《アド・パルナッスム》(1932,274)と、色彩と点描の重なりや
フォルムの重なりが明確な《光と尖鋭》(1935,102)を提示した。
線的ポリフォニー
始まりも終わりもない一本の線で描かれた中に重なりのあるものである。色彩テーマに線的ポリ
フォニーが重ねられている《嘆き》(1934,8)を提示した。
上記 10 作品の中から、ポリフォニーを感じるものを複数選択可で選ばせ、その理由を書かせた。
各作品に対する選んだ人数は以下の通りである6)。
1、《明暗研究(画架のランプ)》……2
2、《動いている大気群》……4
3、《喜劇役者》……1
4、《赤のフーガ》……7
5、《ホフマン風の情景》……5
6、《破壊と希望》……1
7、《いつか夜の仄かな闇から現れでて》……1
8、《アド・パルナッスム》……4
9、《光と尖鋭》……8
10、《嘆き》……2
全ての作品に対して選択があり、選んだ理由として絵画におけるポリフォニーを重なりや調和とし
て捉えたと書いた学生は、17 名中 16 名であった。このことは、ほとんどの学生が時間的なポリフォ
ニーの構造を視覚的イメージとして捉えられていること、そして提示した絵画がポリフォニーを視
覚的イメージ、又は概念として捉えさせるのに有効であることを示しているといえるだろう。山本
(2010,p.57)は、音楽的理解を成立させる条件の一つとして、「形成原理」のしくみを理解し味わう
ことを挙げている。それは具体的には、反復・模倣・段落・変化・発展・対比・高揚・均整・統一
などの諸芸術に共通して認められる構成原理としての「美的原理」と音律・音組成・表現方法(語
法や技法)・音楽形式などの「音楽固有の原理」を理解し味わうことであると述べている。例えば、
選択した人数が比較的多かった《赤のフーガ》と《光と尖鋭》は、反復・模倣・変化・発展・対比・
高揚・均整・統一などの美的原理が捉えやすく、さらにポリフォニーの形式の一つである重なりが
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音楽の理解への一助として視覚を活用した音楽鑑賞指導
表現されているものである。パウル・クレーの絵画的ポリフォニー作品は、美的原理と音楽固有の
原理の両方が視覚化されているといえる。
音楽鑑賞指導では、音楽を聴くことを通して音楽を理解させることが重視されるが、このように
視覚を通して音楽を捉え理解させることも一指導法として重要であると考える。
Ⅳ おわりに
音楽の諸要素や構造を捉え音楽を理解させる一助として、教材音源を用いて視覚的イメージを描
かせる活動や、絵画を用いた実践を行ってみて、描き方や選択した絵画から考察する中で、学生の
今まで思ってもみなかった一面を感じることがあった。音楽鑑賞に視覚を関わらせることは、一指
導法であると同時に、学生理解という評価につながる視点が大きく存在することを改めて認識した。
今後は、この教材音源や絵画を小・中学校の授業でも用いることを検討しながら、さらに音楽と視
覚の関係を考察していきたい。
教材音源の制作にご協力下さった方々に厚く御礼申し上げます。
本稿は、2008-10 年度科学研究費補助金を受けた「視覚的イメージを活用した音楽鑑賞の指導法開
発」の一部である(課題番号 20730550)。
註
1)16 名受講していたが、当日は教育実習による欠席者が多かった。1校時の受講生は 17 名である。
2)図中左上の数字は、A3の用紙を 20 等分に区切り記したもので、音源をかけた順番である。ま
た、間違った楽器名が書き込まれているものもあるが、楽器名が分かれば記入するように指示し
たためである。
3)参考文献に示した Kagan, Andrew.(1983)、Marianne Keller Tschirren.(2007) 以外では、以下のもの
が邦訳図書である。
・Boulez, Pierre.(1989)Le pays fertile Paul Klee(Texte prepare et presente par Paule Thevenin). Paris:
Gallimard.(=1994 笠羽映子訳『クレーの絵と音楽』筑摩書房)
・Düchting, Hajo. (1997) Paul Klee : Malerei und Musik. München und New York : Prestel.(=2009 後
藤文子訳『パウル・クレー絵画と音楽』岩波書店)
・Geelhaar, Christian. (1979) “Moderne Malerei und Musik der Klassik-eine Parallele,” Paul Klee. Das
Werk der Jahre 1918-1933. Köln : Kunsthalle Köln.(=1980 千足伸行訳「現代絵画と古典派の音
楽-ひとつの平行関係」生誕 100 年記念 パウル・クレー展(展覧会カタログ)pp.38-51)
4)作品タイトルや、「色彩のポリフォニー」などの分類項目は示せず、絵画だけを提示した。
5)括弧内は、制作年と作品番号。
6)この実践結果は、教材音源の検証授業で示した2つのクラスのうちの1校時のクラス(受講生
17 名)のものだけである。
引用・参考文献
1)池辺晋一郎・工藤豊太他 (2010)「座談会 今、改めて学校での鑑賞教育に求めるもの」『音楽鑑
賞教育』季刊 Vol.1 No.505, pp.8-15.
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音楽の理解への一助として視覚を活用した音楽鑑賞指導
2)小島千か(2008)「音楽鑑賞の指導と評価に関する実践的研究-西洋音楽における音楽の諸要素
と視覚的イメージの関連に着目して」『音楽教育実践ジャーナル』vol.5 no.2,pp.142-149.
3)小島千か(2010)
「Visual Representation of Polyphony : Its Use in the Teaching and Assessment of Music
『教育実践学研究』
Appreciation 多声音楽の視覚的表現-音楽鑑賞の指導と評価におけるその使用」
(山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター研究紀要)No.15,pp.134-143.
4)小島千か(2011.a)
「音楽鑑賞授業における音楽構造の理解-パウル・クレーの絵画的ポリフォニー
作品との関連を通して-」
『教育実践学研究』
(山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター
研究紀要)No.16,pp.22-37.
5)小島千か(2011.b)
「大学の教養教育におけ「『音楽』と『美術』の連携-音楽の視覚化を中心に」
『音楽教育実践ジャーナル』vol.8 no.2,pp.62-69.
6)浜野政雄(1967)『音楽教育学概説』音楽之友社 .
7)松下允彦・須貝静直(1978)「口ずさみによる音楽鑑賞指導法」『音楽教育学』第8巻,pp.20-33.
8)山本文茂(2010)『戦後音楽鑑賞教育の流れ-財団誌「音楽鑑賞教育」は何をしたか』音楽鑑賞
教育振興会 .
9)Dwyer, Terence(1967) Teaching musical appreciation. London, New York : Oxford U.P.
(=1973 村田武雄訳『音楽鑑賞教育法』音楽鑑賞教育振興会)
10)Kagan, Andrew. (1983) Paul Klee / Art & Music. Ithaca und London : Cornell University Press.
(=1990 西田秀穂, 有川幾夫訳『パウル・クレー絵画と音楽』音楽之友社)
11)Kandinsky, Wassily.(1912) Über das Geistige in der Kunst
(=1958 西田秀穂訳『抽象芸術論-芸術における精神的なもの』美術出版社)
12)Klee, Felix. (1960) Paul Klee : Leben und Werk in Dokumenten, ausgewählt aus den nachgelassenen
Aufzeichnungen und den unveröffentlichten Briefen. Zürich: Diogenes Verlag.
(=1997 矢内原伊作, 土肥美夫訳『パウル・クレー : 遺稿、未発表書簡、写真の資料による画家
の生涯と作品』みすず書房)
13)Klee, Paul.(1988)Paul Klee Tagebücher 1898-1918.Textkritische Neuedition, Hg. von der Paul-KleeStiftung Kunstmuseum Bern, bearbeitet von Wolfgang Kersten. Stuttgart : Verlag Gerd Hatje.
(=2009 W. ケルステン編 高橋文子訳『新版 クレーの日記』みすず書房)
14)Marianne Keller Tschirren. (2007) Rhythmus und Polyphonie: Musikalische Strukturen im Unterricht und
im Werk von Paul Klee 1920-1932.Bern : Universität Bern Institut für Kunstgeschichte, Lizentiatsarbeit.
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中学校技術科における生物育成についての調査
An Investigation of Animal Rearing and plant Cultivation in Industrial Technology at Junior High School
佐 藤 博 * 篠 原 悠 希 ** 山 主 公 彦 ***
SATOU Hiroshi SHINOHARA Yuuki YAMANUSHI Kimihiko
要約:中学生が生物育成についてどのようなイメージを持っているか、今までにどの
ような生物を育成したか等、その実態をアンケート調査し、その調査をもとに検討した。
その結果、「生物育成」のイメージは「生き物を育てる」と考えているものが男女とも
多く、作物を育てることが好きなのは男子より女子の方が多く、今まで育てたものは
動物より植物、特に食物が多かった。また「生物育成」はほとんど食物の栽培が中心
であることがわかった。
キーワード:生物育成、動物、植物、栽培、技術科
Ⅰ はじめに
平成 10 年の中学校学習指導要領(1) の改正で選択領域の内容として、作物の栽培について、作物
の種類とその生育過程及び栽培に適する境界条件を知ること、栽培する作物に即した計画を立てて、
作物の栽培ができることとしてきた(2)-(3)。平成 20 年の中学校学習指導要領(4) の改正では、生物育成
に関する技術として必修になり、内容として、生物の育成環境と育成技術について、生物の育成に
適する条件と生物の育成環境を管理する方法を知り、その学んだ内容を活用した生物の栽培又は餌
育ができること、生物育成に関する技術の適切な評価・活用について考えることとなっている。こ
こで重要なことは、作物の栽培から動物を含む生物の育成になったことである。これは、生物生育
に関する基礎的、基本的な知識及び技術を習得させるとともに、生物育成に関する技術が社会や環
境に果たす役割と影響について理解を深め、それらを適切に評価し活用する能力と態度を育成する
ことをねらいとしている。
本研究では、中学生が生物育成についてどのようなイメージを持っているか、どのような生物を
育成したか、生物育成のために必要なことなど、その実態をアンケート調査し、その調査をもとに
検討した。
Ⅱ 調査方法
2-1調査問題の形式
本研究においては、比較的短時間で多数の対象者から事項について多くの調査できること、また、
それらの結果を数量化しやすいという理由から、質問紙法により調査を行った。具体的には、質問
紙を用いて多肢選択と自由記述を併用するという方法で実施した。
*
技術教育講座 ** 学校教育課程教科教育コース技術教育専修(学生) *** 附属中学校
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中学校技術科における生物育成についての調査
図1 生物育成についてのアンケート調査問題
- 60 -
中学校技術科における生物育成についての調査
2-2調査対象
対象者は、山梨県内のF中学校の生徒(以下中学生と略す)である。アンケート調査人数の内訳は、
男子 75 人、女子 76 人の合計 151 人であった。
2-3調査時期
調査は、2011 年 6 月中旬に実施した。
2-4調査問題
調査問題を図1に示す。調査問題は、計5題から構成されている。問題1は「生物育成のイメージ」
について、問題2は「生物育成」について、問題3は「今までの生物育成」について、問題4は「何
のための生物育成」について、問題5は「生物育成のために必要なこと」について中学生がどのよ
うに認識しているかを調べる問題である。
問題1は、生物育成のイメージを問う問題であり、回答方法としては自由記述方法をとった。回
答を重複可とした。
問題2は、生物育成は好きかとその理由を問う問題であり、回答方法としては多選択方法と自由
記述方法をとった。
問題3は、今までの生物育成の経験について問う問題であり、回答方法としては自由記述方法を
とった。回答を重複可とした。
問題4は、問題3と関連して何のための生物育成について問う問題であり、自由記述方法をとっ
た。回答を重複可とした。
問題5は、生物育成のために必要なこと・もの・手だてについて問う問題であり、回答方法とし
ては自由記述方法をとった。回答を重複可とした。
Ⅲ 調査結果
1問題1の回答結果
問題1の男子の回答結果を図2に示す。生物育成のイメージとして一番多かったのは「生き物を
育てる」で、81%あった。ついで「育てることは大変(9%)」、「育てるこのは難しい・手間がかか
る(9%)」、「生命の命を預かる(8%)」などが多かった。「研究・観察・記録する」は5%あり、
理科の実験と結び付けているものもいた。少数ではあるが、「育てて食べる」、「責任が重そう」、「自
分の思いどおりさせるのが嫌」が1%あった。
問題1の女子の回答結果を図3に示す。生物育成のイメージとして一番多かったのは、「生き物
を育てる」で、男子より若干少ない 73%であった。ついで「育てるこのは難しい・手間がかかる
(8%)」、「研究・観察・記録する(8%)」、「育てて食べる(5%)」などが多かった。少数ではあ
るが、「責任が重そう」、「何か発見がある」が1%あった。
2問題2の回答結果
問題2の男子の回答結果を図4に示す。育成は好きかという問いに対して一番多かったのは「ど
ちらかと言えば好き」で、35%あった。ついで「好き」が 31%あった。「あまり好きでない」が
21%、「嫌い」が 13%あった。
問題2の女子の回答結果を図5に示す。育成は好きかという問いに対して一番多かったのは「好
き」で、男子より 14%多い 45%あった。次いで「どちらかと言えば好き」が男子より4%多い 39%
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中学校技術科における生物育成についての調査
あった。両方合わせると 84%になり、女子のほうが8割以上好きであることがわかった。逆に「あ
まり好きでない」が男子より 6%少ない 21%、「嫌い」が男子より 12%少ない 1%しかなかった。
図3 問題1の回答結果 女子
図2 問題1の回答結果 男子
図4 問題2の回答結果 男子
図5 問題2の回答結果 女子
- 62 -
中学校技術科における生物育成についての調査
3問題3の結果
問題3の結果を図6に示す。今までにどんなものを育てたことがありますかと言う問いに、「トマ
ト」と記述したものがほぼ三分の二の 60%あった。次いで「金魚」、「キュウリ」が三分の一の 34%
あった。「茄子」、「カブト虫」が五分の一の 21%、20%あった。「カブト虫」と「クワガタ(17%)」
を合わせると三分の一以上の 37%になる。食べ物の「トマト(60%)」、「キュウリ(34%)」、
「茄
子(21%)」、「米(17%)」、「ジャガイモ(17%)」、「ゴーヤ(13%)」、「イチゴ(12%)」、「ピーマン
(10%)」と記述した物は多く、動物の「犬(5%)」、
「ハムスター(3%)」、
「ザリガニ(3%)」、
「亀
(3%)」と記述したものは少なかった。
図6 問題3の回答結果
- 63 -
中学校技術科における生物育成についての調査
4問題4の結果
問題4の結果を図7に示す。なんのために育てましたかと言う問いに、「食べるため」、「その物に
ついて調べるため」と記述したものがほぼ三分の一の 37%、31%あった。次いで「自分で育てたり、
食べたり、生活で利用する(11%)」、「趣味(9%)」、「緑のカーテンのため(7%)」、「成長を観察
するため(7%)」、「楽しむため(5%)
」
、「観賞用(5%)」の順になっている。「緑を育て、家を
明るくし、気持ちを和ませるため(2%)」、「種子を作って命につなげることの大切さを学ぶため
(2%)」、「花壇を美しくしたかったか(2%)」などの記述も少ないがあった。これらはほぼ食物の
栽培に関係する記述で、動物に関係する記述が少なかった。
図7 問題4の回答結果
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中学校技術科における生物育成についての調査
5問題5の結果
問題5の結果を図8に示す。生物育成のために必要なこと・もの・手だては何ですかと言う問い
に、
「水」と記述したものがほぼ三分の二の 69%あった。次いで「肥料(42%)」、「日光(38%)」、「土
(25%)」、「温度(25%)」、「餌 18%」、「空気(17%)」の順になっていた。これらはほぼ食物の栽培
に関係する記述で、動物に関係する記述が少なかった。少ないが「道具(4%)」、
「金(3%)」、
「手
入れ(2%)」などがあった。
図8 問題5の回答結果
Ⅳ おわりに
中学生が生物育成についてどのようなイメージを持っているか、どのような生物を育成したか、
生物育成のために必要なことなど、その実態をアンケート調査し、その調査をもとに検討した。そ
の結果、「生物育成」のイメージは「生き物を育てる」と考えているものが男女とも多く、作物を育
てることが好きなのは男子 73%より女子 84%の方が多く、今まで育てたものは動物より植物、特に
食物が多く、それを食べるために育てていたことがわかった。また、今までの生活科、技術科、理
科などの授業が、飼育を扱っていないため、育てることは栽培することのイメージを抱いているの
だと思われ、生物育成はほとんど食物の栽培が中心であることがわかった。
文献
1) 中学校学習指導要領解説-技術・家庭科編-, 東京書籍,2001
2) 技術・家庭, 技術分野, 開隆堂,2004.
3) 新しい技術・家庭, 技術分野, 東京書籍,2004.
4) 中学校学習指導要領解説-技術・家庭科編-, 教育図書,2008.
- 65 -
教育実践研究 17,2012
66
米国で誕生した邦人障害事例に対する邦人サポートグループの役割
The Role of Japanese self-help groups in New York for
Japanese Parents and Their Children with Developmental Disabilities born in the USA
鳥 海 順 子 *
TORIUMI Junko
要約:本報告では、海外子女に対して支援を行っている邦人サポートグループに着目
し、ニューヨーク州にある3団体の実態と役割について検討した。さらに、米国で誕
生した永住者、非永住者それぞれ2事例の準備期間の過ごし方を比較するとともに、
サポートグループとの関わりについても検討を行った。永住者の場合には、非永住者
に比べて情報を自ら入手でき、現地の早期療育にスムースにつながっており、サポー
トグループにも積極的に参加していた。サポートグループの役割は、子どもにとって
日本語環境での指導や集団での育ち合い、日本の教育の疑似体験、保護者に対しての
子育てに関する助言、障害に対する意識改革、精神的安定、現地や帰国後の情報の入
手など、その役割は多岐にわたっていることが明らかになった。
キーワード:米国で誕生した邦人障害事例、早期療育、邦人サポートグループ
Ⅰ.はじめに
障害児の成長、発達にとって早期発見、早期療育は欠かせない。特に、発達的変化の著しい乳幼
児期の療育はその後の成長にも大きく影響を及ぼす。しかし、支援を開始するためには保護者の理
解が必要である。長年統合保育を行ってきたある幼稚園が、卒園生の保護者を対象に行った調査で
は、保護者の障害に関する気づきは2歳頃までが多く、気づきの内容は言葉や体の成長の遅れであ
り、半数くらいの保護者が「非常に心配した」「かなり心配した」と回答していた。また、3割から
5割の保護者が保健所の健診で指摘を受け、児童相談所や療育機関を紹介されていた。専門機関か
らの助言に対しては「やっと理解してもらえて安心した」「保健所で子どものことを覚えていてくれ
て心強かった」「早く専門家のアドバイスを受けたかった」「病気と闘おうと思った」と肯定的に受
けとめた保護者がいた一方で、「信じたくなかった」「すごく衝撃を受けた」と答えている保護者も
みられた(峡南幼稚園・増穂町教育委員会 ,2005)。このように、保護者にとって相談機関を訪れる
ことは、気づきが現実になるかもしれないことを意味し、精神的負担が極めて大きいことを考えると、
保護者が健診や診察を拒否したり、先延ばししたりしてしまうこともまた、やむを得ないことと思う。
実際、保護者が我が子の発達上の問題について何らかの気づきを持ちながら、早期療育機関に至る
までに平均1年を要している(千葉市, 1999;磯貝, 2007;鳥海, 2006)。しかしまた、この時期の
支援のあり方が、療育や教育への信頼に大きく影響を及ぼすこと考えると、早期療育につなぐために、
このような時期にある保護者こそより丁寧に支援することが必要と思われる。高倉他 (2007) の調査
によれば、友人には精神的安定を、専門家には専門的な情報を求めるなど保護者の相談意図は相談
先によって異なっていた。具体的な支援の方法についても、子どもの障害の種類や程度、保護者の
個人的要因や家族の置かれた環境的要因の違いなどへの細やかな配慮が欠かせない(鳥海,2011)。
*
障害児教育講座
米国で誕生した邦人障害事例に対する邦人サポートグループの役割
本研究ではこれまで、早期介入の進んでいる米国の実態に学ぶために、米国で障害幼児を育てて
いる邦人保護者に視点を当てながら検討を行ってきた(磯貝, 2003 ~ 2011;鳥海, 2005 ~ 2011)。
前報(鳥海, 2011)では、保護者の気づきから相談機関までの準備期間における第一相談者の対応と
して下記の点が重要であると指摘した。
① 相談機関や今後の支援等の情報を伝えること
米国では特殊教育に関する保護者向けの冊子があり、地域の支援体制や支援に至るプロセスが
きめ細かく記載されている。早期から詳細な情報を伝えることは、保護者に安心感を与える。
② 保護者の不安を受け入れ、継続的に関わること
保護者が訴えてきた障害に関する気づきの内容とともに、保護者のもつ不安な気持ちを受け入
れながら、保護者とこまめに継続的に連絡をとることが大切である。
③ 保護者のその時々の気持ちを大切にすること
気づきを否定してほしい、理解してほしいと揺れ動き、変化する保護者のその時々の気持ちを
真摯に受けとめ、誠実に応えてくれる支援者(機関)の存在が重要である。
海外ではことばの問題もあり、保護者自身も慣れるまでに時間を要すること、地域から孤立しや
すいこと、現地の障害児教育に関する情報が入りにくく、障害児を育てることは非常に困難な状況
にある。米国では既に 1986 年の PL99-457 法(早期介入法)によって「乳幼児からの包括的なサー
ビス」が整い、家族支援を含む障害児支援に必要な項目が就学前から成人期まで整備され、早期介
入の中心は家族支援である(磯貝, 2006;鳥海, 2005, 2007)。しかし、早期介入が整備された米国
においても、適切な情報提供をする機関に至らなければ支援は遅れる(鳥海, 2007)。実際、ニュー
ヨーク州在住邦人の場合には、教育や心理、医学領域などの日本人専門職や邦人系保育機関が早期
介入への橋渡しに重要な役割を担っていた。さらに、このような専門家や専門機関の他に、自助グ
ループとして活動している邦人サポートグループ(以下、サポートグループとする。)が、同じ悩み
を抱える邦人家族と出会える場、日本語で気軽に相談できる場、日本語環境の中で子育てを支援し
てもらえる場、現地や帰国後の日本の教育情報が得られる場を提供している。本報告では、これら
のサポートグループの実態とその役割について明らかにすること、さらに米国で誕生した事例のう
ち、永住者と非永住者を対象に準備期間の過ごし方の違いを比較し、サポートグループとの関わり
も含めて検討を行った。
Ⅱ.研究方法
1.ニューヨーク州のサポートグループの実態と役割に関する調査
(1)研究対象
ニューヨーク州郊外で活動しているサポートグループ3団体(A、B、C)。
(2)研究方法
サポートグループの活動を見学した後、主催者に目的や活動内容などについて非構造化面接
を行った。
2.「査定」に至るまでの準備期間の過ごし方に関する調査
(1)研究対象
米国で誕生し、幼児期に邦人幼児のための親子教室に参加している事例D、事例E、事例F、
事例Gの4事例の保護者。事例D、Eは永住者である。
(2)研究方法
「査定」に至るまでの保護者の報告資料の分析を行った。
- 67 -
米国で誕生した邦人障害事例に対する邦人サポートグループの役割
分析は、①保護者の気づきの時期、②保護者の気づきの内容、③第一相談者、④準備期間の過
ごし方とサポートグループとの関わりの4項目とした。
Ⅲ.結果及び考察
1.ニューヨーク州のサポートグループの実態と役割
(1)サポートグループA
(運営主体)保護者
(目 的)何らかの問題を抱えた子どもたちに日本語で指導を受けさせる機会を与えるだけでは
なく、子どもたちにとってより良い教育環境をお互いに協力して実現するセラピーグ
ループである。遊び体験を通して保護者と子どもとの関わりを変え、他の親子と触れ
合う中で、子どもを理解するきっかけの場となることを目指している。
(参 加 者)何らかの問題を抱えた就学前の子どもたちとその家族(週末なので両親での参加が原
則)。会費制。
(活 動 日)週末の午前中(10 時~ 12 時)2時間、終了後 20 分間担当者との話し合い
(活動場所)現地の小学校校舎を借用
(活動内容)保育、生活訓練、個別指導。指導内容は保護者とボランティア療育者との間で調整、
確認し、実際の指導は療育者が行う。保護者と療育者間では「取り組みの記録」が情
報交換のツールとして活用されている。問題を抱えた子どもの教育についての理解、
相互啓発を目指して、研修会や講演会を行う。療育者が1:1または2:1でつく。
活動中は保護者と子どもは別になり、保護者はその間、勉強会や運営会議をする。
「保育」では、子どもの発達段階に応じた活動、子どもの興味や関心を広げていけるよ
うな活動、他の子どもや療育者と経験を共にし、コミュニケーションを促す活動をす
る。自ら遊びを見つけたり、発展させたりすることが苦手な子どももいるため、子ど
もが取り組もうとするような環境や条件を設定する。
「生活」では、帰国後に備えて、日本の幼稚園の生活と類似した日課が組まれている。
例えば、上履きに履き替える、出席カードにシールを貼る、お集まりをする、幼児体
操、課題活動(リズム遊び、造形活動など)、乾布摩擦、トイレタイム、手洗い、お弁
当、帰りの会などがある。
「個別指導」では、子どもの目標(長期と短期)に即して保育の中で個別対応する。
(指 導 者)適宜邦人向け広報紙などで療育者の募集をしており、実際には教員免許状取得者や
自助グループに関心をもっている日本人(主婦、学生、社会人など)が担当していた。
療育者のリーダーがアメリカで特殊教育の学位を取得して現地校の教員をしており、
他の療育者に対して適宜指導、助言する。
(ま と め)サポートグループAは 80 年代末に、我が子の養育で困っていた邦人家族のために、当
時駐在していた日本の福祉分野の専門家が中心になって設立したサポートグループで
ある。現地で活躍している障害児教育の邦人専門家の協力を得て、保護者自身も勉強
しながら子どもの発達を促すために積極的に関わっている。米国での査定の受け方や
療育先の相談に、先輩の保護者たちが最新の情報と共に、自身の体験を踏まえて助言
を行っている。また、帰国者とも連携をとり、日本の教育についても貴重な情報入手
の場となっている。
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米国で誕生した邦人障害事例に対する邦人サポートグループの役割
(2)サポートグループB
(運営主体)現地で特殊教育に関わっており、日本で障害児教育の教員だった日本人(永住者)
(目 的)特別なニーズをもつ親子のためのサポートグループ。子どもが日本語による活動を楽
しめる集団活動(プレイグループ)の場を提供し、社会性やコミュニケーションの発
達を支援すること、保護者に子育てや教育に関する情報を提供し、子ども、保護者、
スタッフが共に学び、共に成長していくことを目指す。
(参 加 者)発達に遅れや偏りのみられる幼児~小学生と保護者(平日のため、主に母親)、兄弟。
会費制。
(活 動 日)週1回の放課後(16:00 ~ 17:30)
(活動場所)邦人私立高等学校の教室
(活動内容)子どもの可能性を最大限発揮できる環境作りを第一の主眼としている。子どもが気持
ちを伝えたい、言葉や動作で表現したいという心の動きが、生き生きした活動につな
がると考え、大切にしている。毎回、挨拶、日時、天候の確認、シール貼り、絵本や
紙芝居、人形劇などを行い、日本でよく知られた子どもの歌を今月の歌として取り上
げ、月毎に活動のテーマを決めている。例えば、
「買い物ごっこ」などの活動を通して、
物の名前と実物との一致や分類、ハサミや糊付けなどの基礎的技能などの習熟を図る。
毎回、活動の目標と個人の目標を明確化し、次回の目標へとつなげる。課題、内容に
よって、全体活動、小集団活動など柔軟に形態を変え、その中に個別のニーズに合わ
せた教材、方法を取り入れる。また、毎回親の活動時間を設け、現地や日本の教育、
子育て等に関する情報交換、資料や本の紹介などを自由でリラックスした雰囲気の中
で行う。定期的に、お菓子作りやプール遊びなど違う場所での楽しい活動を企画し、
子ども、保護者、スタッフが共によりよい活力を育てる機会とする。
(指 導 者)現地で特殊教育に関わっている元教師をリーダーに、関心のある日本人主婦がボラン
ティアで手伝い、毎回4名のスタッフで対応するようにしている。運営について補習
校教員など教育関係者が指導・助言をしている。
(ま と め)サポートグループBは、90 年代始めに米国で査定を受けた障害児の保護者が、放課後に
日本語で活動をさせたいと考え、米国で言語療法士をしている日本人専門職や、補習
校教員などの助言を受けて設立したものである。なお、設立した保護者は、以前から
日本人専門職の主催している学習会に参加していたメンバーであった。現在は、査定
を受けていない子どもも自由に参加できるようになった。活動について子ども、保護
者、スタッフが知恵を出し合って楽しい会にしようとしていること、参加した保護者
が本音を出せ、元気になることを目的とした場であること、活動を通して保護者が子
どものできないことではなく、できることに目を向けられるように留意していること
に特徴がある。そのため、全体ミーティングや指導者同士のスタッフミーティングを
大切にしている。障害のある子どもの子育てや教育について保護者が気軽に相談でき
る態勢をとっている。
(3)サポートグループC
(運営主体)日本人ボランティア運営委員会
(目 的)米国に慣れず、妊娠して不安な日々を過ごしていたり、育児でパニックになっていた
りする若い母親と、育児情報をたくさん持ち、だれかに伝えたいと思っている先輩の
母親とをつなぎ、米国での出産・育児がより楽しいものになることを目的に、情報提供・
- 69 -
米国で誕生した邦人障害事例に対する邦人サポートグループの役割
情報交換の集いやイベントを企画して支援する。
(参 加 者)0~2歳の子どもとその保護者(平日のため、主として母親)
。その他出産・育児に関心
のある人ならいつでも誰でも参加できる。会費制ではなく、その都度参加費を支払う。
(活 動 日)月1回平日の午後(13:30 ~ 15:30)
(活動場所)常設の会場はなく、内容によって教会や公園などを借用している。
(活動内容)ニューヨークでの出産、育児についての座談会、講演会、プレイなどの集いを行って
いる。「出産・育児便利帳」を作成して、参加者に配布している。この便利帳には、グ
ループの紹介と参加の仕方、米国の幼児教育の概要、現地の幼稚園・保育園、邦人系
の幼稚園のリスト、親子教室や図書館の親子向けプログラム、サマーキャンプの紹介、
海外の子育てに関する新聞、雑誌の記事、先輩ママからのアドバイスの内容が盛り込
まれている。
(指 導 者)日本人ボランティア運営委員会幹事は約 15 名程度おり、交代制である。主に駐在員妻で
あるが、日本の元障害児教育教員もいる。運営委員は会の企画や「出産・育児便利帳」
の改訂作業を定期的に行っている。
(ま と め)サポートグループCは、90 年代半ばに駐在員妻たちが、若い母親たちの出産、育児を
支援するために立ち上げたグループである。障害児やその家族に特化されたグループ
ではないが、慣れない海外生活での出産や育児に不安を抱いている若い母親同士を結
び、先輩母親ともつなぐ意義は大きい。まだ、幼稚園などどこにも所属していない親
子にとっても地域で孤立せず、子どもを安全な場所で伸び伸びと遊ばせ、親子で交流
を楽しみ、情報交換をし、日本語でくつろげる憩いの場となっている。米国では車で
の移動が主のため、交通手段がない親子には送迎してくれる人も紹介するなどきめ細
かな配慮もしている。
2.「査定」に至るまでの準備期間の過ごし方とサポートグループとの関わり
永住者、非永住者の事例について①保護者の気づきの時期、②保護者の気づきの内容、③第一相
談者、④「査定」に至るまでの準備期間の過ごし方とサポートグループとの関わりの4項目につい
て述べる。
(1)事例D(永住者、男児)
① 保護者の気づきの時期:2ヶ月
② 保護者の気づきの内容
生後2ヶ月から保育所に預けて職場復帰した。2ヶ月頃両目が寄っていることに気づき、眼科
へ行ったが、月齢が低いため経過をみることになった。3ヶ月頃乳児専門の眼科で診察を受け
たが、やはり経過をみるように言われた。6ヶ月頃行った3カ所目の病院でアイパッチの訓練
を受け、1歳半頃手術をした。9ヶ月過ぎても這わないなど、保育所で他児より運動発達の遅
いことが気になった。保育所が狭いためかと思い、転園した。保育所では自分で椅子を揺らし
てご機嫌であり、手が掛からない子どもだったため、保育所に子どもをお気に入りの椅子に座
らせないように頼んだ。
③ 第一相談者
保育所でたまたま見た保護者向けの雑誌で、ある病院に早期介入を行うデイケアセンターが開
設されることを知り、1歳頃にその病院の無料相談を受けた。運動の遅れの指摘はあったが、
聞こえ、脳波などの検査では特に何も指摘されなかった。その後目の手術も受け、査定は2歳
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米国で誕生した邦人障害事例に対する邦人サポートグループの役割
近くになった。
④ 準備期間の過ごし方とサポートグループとの関わり
目の異常の不安から始まった気づきに対して、永住者であるDの保護者は自分自身で情報を集
め、複数の病院の診察を受けていた。早期介入の機関も現地の情報誌から知り、すぐに活用し
た。査定は、途中、目の検査もあって2歳近くに行われた。査定の結果、勧められた障害児の
教育機関に2歳過ぎに行ったが、重い子どもたちが多かったため、査定のやり直しを要求し、
4歳9ヶ月で行動療法の学校に転校した。その学校の教員が、サポートグループのセラピーを
担当しており、参加するようになった。事例Dの保護者は自分自身で積極的に情報を集め、行
動できるが、サポートグループでのセラピーで子どもがさらに支援を受けられること、日本人
コミュニティの中でリラックスできること、さらに他の保護者に現地の詳細な情報提供なども
行い、役に立てることに喜びを感じていた。
(2)事例E(永住、男児)
① 保護者の気づきの時期:0カ月(ダウン症候群)
② 保護者の気づきの内容
保護者は気づかず、出産後、医師から心臓病があり、筋力が弱く弛緩しているので検査をする
と聞かされた
③ 第一相談者
産院の医師から生後3日目にダウン症と言われ、大変ショックを受けた。
④ 準備期間の過ごし方とサポートグループとの関わり
出産後3日で診断を受け、ショックで母親はすぐに退院した。生後3カ月から月1回障害児の
教育機関に行くことになった。乳児期は肺炎や斜視などのために病院通いが多かった。ようや
く歩き始めた1歳 11 ヶ月頃にサポートグループに入会した。サポートグループで出された個別
課題を自宅で行い、定着を図っている。事例Eは、出産後すぐにダウン症とわかり、乳児期か
ら現地の療育が開始された。しかし、事例Eの保護者は基本的生活習慣をしっかり身につけさ
せることを目的にサポートグループのセラピーを活用していた。2歳2ヶ月から、本児が午前
中は障害児の教育機関、午後は現地の保育所に通うようになった際、保育所の担当者にほぼ年
齢相応の身辺自立ができていたので驚かれたという。事例Eの保護者は、本児の発達を促進す
るために、サポートグループの他、月曜日は音楽療法、火曜日はプレイグループ、金曜日はジ
ムの筋力トレーニングに通うなど現地で可能なプログラムを複数利用しており、多様な支援の
ひとつとして積極的にサポートグループを活用していた。
(3)事例F(非永住、男児)
① 保護者の気づきの時期:2歳
出産後からミルクの飲みが悪く、便秘気味だったが、生後半年頃に熱と腹部の膨張、湿疹で入
院した。巨大結腸症と診断され、人工肛門をつける手術をし、半年後人工肛門を元に戻す手術
をした。
② 保護者の気づきの内容
ことばの発達が遅く、一時帰国した際に増えることを期待したが、20 語程度だった。しかし、
これまで何度か入院した影響でことばの未発達は仕方がないのではないかと思っていた。周囲
からも大丈夫と言われ、あまり心配していなかった。
③ 第一相談者
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米国で誕生した邦人障害事例に対する邦人サポートグループの役割
2歳児健診の際の米国の日本人小児科医師からことばの遅れを指摘された。
④ 「査定」に至るまでの準備期間の過ごし方とサポートグループとの関わり
小児科で聴覚検査と MRI の検査を受けて大丈夫だと言われた。しかし、小児科医師の勧めで、
個人的に Speech Therapy(ST:言語療法)を週1回受けるようになった。その後、知人から邦
人のサポートグループを紹介してもらい、その知人のお子さんの成長ぶりを見ていたので入会
することにした。ST は個別だが、サポートグループは子どもが集団の中で刺激しあえると思っ
た。サポートグループでは、1週間後に家庭での指導の成果を報告し合うので、親の責任を自
覚する良い機会になっているとのことであった。事例Fの保護者は、サポートグループに参加
することで米国の情報を得ることができ、小児科医からはまだ勧められていないが、現地の支
援を利用するために査定を受けることにした。また、サポートグループでの学習会を通して帰
国後の日本の情報についても得ていた。事例Fでは、当初子どもの発達の遅れに関する保護者
の認識は低かったが、サポートグループの保護者からの助言もあって、現地の支援を積極的に
活用するように意識の変化がみられるなど、サポートグループが保護者の障害受容についても
大きな役割を果たしたように考えられる。
(4)事例G(非永住、男児)
① 保護者の気づきの時期:2歳
② 保護者の気づきの内容
2歳になってもことばが全く出ていない。
③ 第一相談者
2歳児健診の米国の日本人小児科医師
④ 準備期間の過ごし方とサポートグループとの関わり
小児科で脳波、CT スキャンなどを受け、小児科医師から米国の言語療法士を紹介された。2歳
半から ST を受けたが、事例 G は気に入らないと床に寝転んで泣き叫んだ。ST の方法が調教の
ように思われて、途中で止めてしまった。3歳頃にサポートグループの存在を知り、相談に行っ
たところ通うことを勧められた。入会当初は集団に馴染めず、3ヶ月間泣き続け、保護者も大
変だった。そこで、サポートグループの指導者から個別指導を受けることになった。個別指導
を始めて6ヶ月過ぎ頃から保護者自身も基本的生活習慣を身につけることや子どもの言いなり
にならず、けじめをつけることの大切さを実感できた。指導内容は子育ての基本的な事柄では
あるが、育て難さのある子どもの場合には、保護者は目先の対応に追われてしまうことが多く、
結果、根本的な解決に至らず、悪循環に陥りやすい。例えば、事例Gの場合も早く寝ないため、
サポートグループに出かける時間ぎりぎりに起こされ、慌しく車の中で朝食をとり、落ち着か
ない状態で参加することが多かったという。育てることに難しさがあるからこそ、継続的に保
護者が子育ての助言を受け、他の保護者に励まされて、地域で孤立せずに子育てに積極的に取
り組めるようになることは非常に大切である。以上のように、サポートグループが、海外で育
児に悩む保護者にとって身近で重要な支援機関のひとつとなっていた。
Ⅳ.まとめ
本報告では、海外子女に対して早期から支援を行っている自助グループに視点を当て、ニューヨー
ク州での実態と役割について検討した。さらに、米国で誕生した永住者、非永住者それぞれ2事例
の準備期間の過ごし方とサポートグループとの関わりについても分析を行った。ニューヨーク州の
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米国で誕生した邦人障害事例に対する邦人サポートグループの役割
サポートグループには、障害児とその家族を対象としたグループ、妊婦や乳幼児期の子育てをして
いる若い母親を支援しているグループなどがあり、現地で子育てに悩んでいた保護者が現地にいる
日本人専門家の協力を得て立ち上げたり、保護者自身が同じ思いをもつ保護者を集めて始めたりし
たものであった。現地の情報を入手しやすい永住者の場合には、そうでない非永住者比べて、保護
者の不安に関係する情報を自らが探し、早い段階で早期療育につながることが可能であった。しか
し、永住者もサポートグループで取り組んでいる基本的生活習慣を身につけるためのきめ細やかな
支援方法を高く評価して、積極的に参加していた。非永住者の保護者にとっても、永住者は現地の
障害児教育や障害児の教育機関に関する最新の情報を得ることができる貴重な存在となっていた。
また、永住者にとっても日本人同士で悩みを話せる貴重な場であり、自分のアイデンティティを確
認し、精神的安定感を得る場として機能していたと思われる。実際、過去にサポートグループに参
加していた永住者も随時、OB としてグループに出席しており、グループに対する継続的な支援者
としての役割を果たす姿が見られた。非永住者の場合には外国語の壁もあり、永住者事例に比べて、
現地で必要な情報を自由に得るのが困難であると思われたが、今回の事例では、第一相談者が日本
人医師であり、査定に至る準備期間中に ST の紹介を受けることができた。これは、日本人専門職が
多く在住するニューヨーク州の特徴と言えるであろう。
以上、非永住者にとっても永住者にとってもサポートグループの果たす役割は大きい。子どもに
とっては、日本語環境が確保できること、個別指導では得られない集団での育ちが期待できること、
日本の教育機関の内容を疑似体験できること、保護者にとっては、子育てに対して前向きにかつ積
極的に取り組む上での専門的、実際的な助言が得られること、自分の子育てを見直す良い機会になっ
ていること、障害に対する意識改革の機会となっていること、日本人コミュニティの中で精神的安
定感が得られること、現地の最新情報や帰国後の日本の情報が入手できることなど、その役割は多
岐にわたっていた。
(本研究は磯貝 (2011)を修正加筆したものである。なお、磯貝順子は鳥海順子の学会ネームである。)
参考文献
1) 千葉市:千葉市障害児施設のあり方検討調査報告書,1,1999.
2) 磯貝順子:発達障害幼児における家庭学習~ニューヨーク州駐在員家族への支援事例~,日本特
殊教育学会第 41回大会発表論文集 PP.4-11,2003.
3) 磯貝順子:コネティカット州における早期介入―駐在員家族への支援事例―,日本特殊教育学
会第 42回大会発表論文集, P1-44,2004.
4) 磯貝順子:米国の邦人発達障害幼児への早期介入の状況―障害の気づきから査定までのタイム
ラグ―,日本特殊教育学会第 43 回大会発表論文集, P2-67,2005.
5) 磯貝順子:ニューヨーク州における早期介入と個別指導, 日本特殊教育学会第 44回大会発表
論文集,486,2006
6) 磯貝順子:障害の気づきから早期介入までのタイムラグ―ニューヨーク州の邦人発達障害児の
状況―, 日本特殊教育学会第 45回大会発表論文集,315,2007.
7) 磯貝順子:ニューヨーク州における障害幼児の教育(早期介入), 日本特殊教育学会第 46回大会
発表論文集,315,2008
8) 磯貝順子:障害の気づきから相談機関へのプロセス―ニューヨーク州の邦人障害幼児事例を通
して―,日本特殊教育学会第 47 回大会発表論文集,418,2009.
9) 磯貝順子:障害の気づきから相談機関に至る準備期間―ニューヨーク州の邦人障害幼児事例を
- 73 -
米国で誕生した邦人障害事例に対する邦人サポートグループの役割
通して―, 日本特殊教育学会第 48 回大会発表論文集,751,2010.
10) 磯貝順子:第一相談者から「査定」に至る準備期間―米国で誕生した邦人障害幼児事例を通し
て―, 日本特殊教育学会第 49 回大会発表論文集,364,2011.
11) 峡南幼稚園・山梨県増穂町教育委員会:幼稚園における障害のある幼児の受け入れや指導に関
する調査研究研究報告書, 文部科学省指定園調査研究報告 ,63-85,2005.
12) 高倉誠一・山田純子:障害幼児をもつ保護者の相談先に関する調査研究―A市内の保育所・通
園施設利用世帯を対象に―, 発達障害研究,29,1,40-51,2007.
13) 鳥海順子:米国ニューヨーク州における邦人発達障害幼児への早期介入サービス, 山梨大学教育
人間科学部教育実践学研究,10,87-94,2005.
14) 鳥海順子:米国ニューヨーク州周辺における邦人発達障害幼児の査定までのタイムラグ, 山梨大
学教育人間科学部教育実践学研究,11,90-97,2006.
15) 鳥海順子:ニューヨーク州における障害幼児への早期介入と個別指導, 山梨大学教育人間科学部
教育実践学研究,12,99-105,2007.
16) 鳥海順子:障害の気づきから早期介入までのタイムラグーニューヨーク州における事例を通し
て―, 山梨大学教育人間科学部教育実践学研究,13,140-145,2008a.
17) 鳥 海 順 子: 障 害 児 保 育 に お け る 乳 幼 児 期 の 発 達 支 援, 山 梨 障 害 児 教 育 学 研 究 紀 要,2,5669,2008b.
18) 鳥海順子:ニューヨーク州における障害幼児のためのレディネスプログラム, 山梨大学教育人間
科学部教育実践学研究,14,118-127,2009.
19) 鳥海順子:発達障害事例における関係機関との連携, 山梨大学教育人間科学部教育実践学研究,15,18,2010.
20) 鳥海順子:障害の気づきから相談機関に至る準備機関―ニューヨーク周辺の邦人障害幼児事例
を通して―, 山梨大学教育人間科学部実践学研究, 第 16 号,38-43,2011.
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教育実践研究 17,2012
75
知的障害児の造形表現における見立ての援助方法に関する研究
The Effects of Support in Formative Activity Containing Symbolic Use of
Children with Mild to Moderate Intellectual Disabilities
渡 邉 雅 俊 *
WATANABE Masatoshi
要約:本研究の目的は,知的障害児の造形表現における見立ての援助方法について検
討することであった。対象は Watanabe(2011)の見立て描画において,制作対象を一
般的に見られるような色や形で表現する典型表現の作品を制作した特別支援学校高等
部の生徒5名であった。主要な援助手続きは,素材である型紙シールの合成方法をカー
ドで例示することと,プランニングにおいて,テーマの解釈と構図を練ることを促す
ことであった。その結果,4名はデザイン性や物語性が加味された新奇表現の作品を
制作することができた。他の1名は,典型表現を継続した。これらの援助経過から,
本研究の援助方法の有効性と限界について考察した。
キーワード:知的障害,造形表現,見立ての援助,プランニング
Ⅰ.はじめに
知的障害児にとって,描くことや作ることによる造形表現は馴染みがあるうえ,内容理解が容易
で動機を高めやすい。また,卒業後も仕事や余暇を通して関わる可能性が高いと考えられる。その
ため,従来から特別支援学校では,図画工作・美術や作業学習,あるいは行事等の教育実践に造形
表現が活用されてきた(奈良・星野,2007)。
造形表現を主題とした授業において,よく用いられる活動に「見立て」がある。見立ては,外
在する素材や事象を内的過程で操作し,他のイメージを形成することである(上野,1995;若山,
2008a)。例えば,子どもが石や木切れを拾い集め,それらを人の顔のように配置して,お父さんの
顔と名付けるような行為を指す。このような見立てにおける素材への働きかけは,素材自体に形質
的変形と意味づけをもたらす。そして,そのことが子どもの思考に働きかけるという相互作用が成
立する。先の例で言えば,石や木切れでお父さんの顔を制作した子どもが,作品を見てお父さんの
ことを想起したり,作品の応用を考えたり(e.g., お母さんや友だちの顔の制作)することである。
こうした相互作用こそが造形表現における体験の根幹であり,見立てを促す授業や遊びは,子供の
感性や表現,創造性の育成に重要な役割を果たすことが指摘されている(上野,1995; 上野,1998; 若
山,2008a)。
従来,知的障害児の認知発達に関する研究は,内的過程で情報の保持や操作を可能とする表象
機能や作動記憶容量における発達の遅れが主要な特性であることを指摘してきた(e.g., Spitz, 1987;
Bray, Fletcher, & Turner, 1997)。これらの認知特性は,内的過程における複雑な操作を要する見立てに
も強く作用すると考えられる。Watanabe(2011)は,精神年齢7歳から 10 歳水準の知的障害児を対
象として,型紙シールを何かに見立てて面白い絵を制作する見立て描画を実施した。その結果,知
的発達水準に対応する生活年齢の非知的障害児1)よりも,作品の産出数が少なかった。また,作品
*
障害児教育講座
知的障害児の造形表現における見立ての援助方法に関する研究
の質的側面では,作品対象を一般的に見られるような色や形で表現する典型表現が多く,対象にデ
ザイン性や物語性が加味された新奇表現を示した人数が少なかった(Figure 1)。上野(1998)は,子
典型表現の自動車
(知的障害児の作品)
新規表現の自動車
(非知的障害9歳児の作品)
Figure 1 見立て描画における典型表現と新規表現
どもが見立てることを通し,現実世界の枠組みや制約から離れることによって,自己経験を再構成
することが大切であると述べている。このような観点に立てば,典型表現の作品を制作した知的障
害児は,十分な見立てを経験したとは言えず,新奇表現に向けた援助が必要であると考えられる。
見立てを活用した実践は数多く行われているが,見立ての援助に焦点を置いた知見は少ない。若
山(2008b)は,非知的障害5歳児に無意味線画を何かに見立てて描画させる課題を与え,発想の手
がかりとなる言葉かけ(e.g., この形は花の葉みたい)を行った。その結果,見立てが促され,線画
を典型的なものに見立てた絵とは異なる想像的・情緒的意味が加えられた絵を描くようになる傾向
が示された。また,見立てが困難と考えられる精神年齢2歳水準の重度知的障害児を対象とした研
究(室橋・広川,1994; 室橋・守谷,1993)では,援助者と交互に描画する手続きと,自発的な描画パ
ターンを利用した援助を行った。そして,バスに見立てた描画が可能になったばかりでなく,多様
な対象を描くことができるようになった。
以上から,援助者が子どもの実態に応じた声かけや手続きを工夫することで,見立ての向上が期
待できる。そこで,本研究は Watanabe(2011)の見立て描画において,典型表現の作品を制作した
知的障害児を対象とし,新規表現への移行を目的とした教示や教材の工夫を試みる。そして,その
効果について検証し,造形表現の見立てを促す援助方法について検討を行うことを目的とする。
Ⅱ . 方 法
1.対象児
特別支援学校高等部に在籍する知的障害のある生徒 5 名,A君(男子, 生活年齢 :17 歳 8 ヶ月, 精
神年齢2): 5歳4ヶ月),B君(男子 , 生活年齢 :18 歳6ヶ月, 精神年齢 : 6歳2ヶ月),C君(男子 ,
生活年齢 :17 歳 10 ヶ月, 精神年齢 : 7歳 10 ヶ月),D君(男子, 生活年齢 :18 歳4ヶ月, 精神年齢 :
5歳9ヶ月),Eさん(女子, 生活年齢 :17 歳9ヶ月, 精神年齢 : 3歳9ヶ月)であった。これらの
対象児は,担当教師によって課題を遂行するうえで不利となるような視覚,聴覚,および運動の顕
著な疾患がないことが確かめられた。また,造形表現を伴う活動に苦手意識を持っていないことも
確認された。
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知的障害児の造形表現における見立ての援助方法に関する研究
2.課題と材料
課題は「面白い絵」をシールの貼付と描画によって,自由に制作することであった。材料は鉛筆
(2B)と画用紙(A4),シールであった。シールは色と形が異なる 12 種(形:丸,四角,三角×色:
赤,青,黄,緑)があり,各種1枚ずつ 12 枚が用意された。大きさは,一辺が5センチであった。
対象児は,これらのシールを制作に利用することが求められるので,自発的に何かに見立てると予
測した。
3.援助手続き
最初に特別な援助を行わない通常段階を実施した後,休憩を挟んで援助段階を行った。調査は対
象児の在籍する学校内の一室で個別に実施し,経過については調査協力者が筆記によって記録した。
教示を含めた全体の調査時間は約 15 ~ 25 分であった。
(1) 通常段階 まず援助者は,対象児と絵に関する簡単な会話(e.g.,「絵をかくのが好きです
か ?」,「いつもはどんな絵をかいているの?」など)を数分行い,動機付けに努めた。次に画用紙と
鉛筆,シールを渡して「これらのシールを使って何か面白い絵を作ってください, 絵は何でもよい
です, 終わったら私(援助者)に教えてください」と教示した。対象児から制作終了の報告があっ
た後,援助者が質問しながら,制作した全ての内容を確認した。なお,シールの貼付だけで制作を
終えた場合は「これ(シール部分)が何だか分かるようにかき足してもらえますか」と描画を促した。
(2) 援助段階 援助の基本的な手順は次の通りであった。①素材の利用方法への援助:対象児は
シールを組み合わせたりせず,単独で使用する傾向があった。そこで「シールを合わせて使うとい
ろいろな形ができるよ」と言いながら,シールの合成方法をカード(Figure 2)で例示した。②プラ
Figure 2 シールの合成方法の例示カード
ンニングへの援助:教示が終了すると,対象児は即時的に制作を始める傾向があった。具体的には,
教示が終わると,すぐにシールの貼付や描画を始め,途中で考え込むという制作パターンを示す者
が多い。これは,彼らが試行錯誤的に作品を制作しており,制作する前にテーマの解釈や構図を十
分に練っていないことを示唆する。そこで,テーマの解釈を促す教示「おもしろい絵を作るにはど
うすればよいかな」を与え,通常段階で制作した作品(e.g., 自動車)に合わせてテーマを具体的に
解釈(e.g., 宇宙を走る自動車,未来の自動車)できるように導いた。次に「今度は絵をどうやって
作るか頭によく思い浮かべて,それが決まったら作り始めましょう」と構図を練るように促した。
これらの援助を行った後,新しい画用紙とシールを対象児に渡して制作を開始してもらった。そし
て,制作を終えた時点で,作品内容の説明や制作の感想を聴取した。
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知的障害児の造形表現における見立ての援助方法に関する研究
Ⅲ . 援助の経過と結果
対象児毎に通常段階と援助段階における作品とその制作過程及び感想等について整理した。
1.A君(Figure 3)
通常段階
援助段階
Figure 3 A君の作品の変化
A君は通常段階において,典型表現の「自動車」1台のみを制作した。制作過程は,教示終了後,
即時的に丸いシールをタイヤに見立てて貼付し,自動車の形を描画して,最後に四角シールを前後
のドアガラスとして貼った。援助段階では①素材の利用方法への援助を行った後に,②プランニン
グの援助において,援助者が「自動車を面白くするにはどうすればよいかな?」と問いかけた。し
ばらく考えた後,
「空を飛んだり,海に潜ったりする」と答えたので,
「それはどんな自動車だろう?」
と援助者が再度質問すると,「不思議な,変な自動車かな」と述べた。そのアイディアを「それは面
白い自動車だろうね」と肯定した後,「今度は絵をどうやって作るか頭によく思い浮かべて,それが
決まったら作り始めましょう」と構図を練るように促した(以下,構図促進教示)。このような援助
の後に制作されたのが,「三角屋根のついた自動車と煙突のある家」であった。制作過程は,「家に
ある変な自動車にしたい」と言うと,初めに自動車を三角屋根の部分を慎重に考えながら作り,そ
の下に通常段階と同様の自動車を加えた。その後,「家は煙突があるほうがいい」と述べ,四角シー
ルを貼ってから煙を描いた。制作後の感想では「自分の家の三角屋根を気に入っているので自動車
にもつけてみた」と述べた。このように,ユニークな発想に基づいた新奇表現による作品となった。
2.B 君 (Figure 4)
援助段階
通常段階
Figure 4 B君の作品の変化
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知的障害児の造形表現における見立ての援助方法に関する研究
B君は通常段階で典型表現による「顔」を制作した。その過程は,教示を聞き終えると即時的に
目として丸シールを貼った。その後,少し考えてから,顔の輪郭を描き,鼻として三角シール,四
角シールを顔に見立てて貼付した。援助段階における①素材の利用方法への援助では,「まるで別な
形に見える,何かと似ているな」等の発言が見られ,シールを組み合わせることに興味を持った様
子が伺えた。その後の②プランニングの援助では,「面白い顔にするにはどうすればよいかな?」と
質問した。しかし,先ほどのシールの組み合わせに注意が向いていたのか,「さっきのカードが僕の
好きなおでんのようでした」と答えた。そこで,「おでんにしてみたら」と応じると,構図促進教示
を行った後の制作過程では,
「実は昨日の夕食が好物のおでんだったので嬉しかった」というエピソー
ドを述べながら,楽しそうに取り組んでいた。今度はシールを貼る前に,おでんの鍋を描き,それ
からおでんを三角と四角,丸シールを貼って制作した。B君の制作後の感想によれば,右端はおで
んではなくて,自分であり,「おでんとそれを食べようとしている僕」というテーマであることを説
明してくれた。夕食で好物を食べる楽しい状況を思い浮かべて制作したと語っており,物語性のあ
る新奇表現と言ってよい作品となった。
3.C君 (Figure 5)
通常段階
援助段階
Figure 5 C君の作品の変化
C君は通常段階で「夕日と私」を典型表現で制作した。まず即時的に丸シールと四角シールを貼
り,顔と手足を描いて自分を制作した。その後,少し考えてから丸シールを貼り,夕日とボールを
加えた。援助段階では,①素材の利用方法への援助を行った後の②プランニングの援助において,
「この絵を面白くしたいね,どうすればよいかな」と問いかけた。そうすると,「何でもいいの」と
確認したうえで,「最近ハマっている漫画で」と答えた。そして,最終的に「僕が侍になって戦いに
向かうところ」というテーマにしたいと述べた。援助者が構図促進教示を行った後,今度は,制作
前にシールを見ながら考えている様子が伺えた。その後,初めに自動車,自分(侍),夕日の順で制
作していった。テーマは「夕日を前にした侍とその自動車」ということであった。想像世界のヒー
ローに自分を投影すると伴に,ユニークな自動車をデザインした新奇表現の作品となった。
4.D君 (Figure 6)
D君は通常段階では,典型表現による「サカナ」を制作した。制作過程は,教示が終わるとすぐ
にシールを手にするが,貼る前に少し考える様子を見せた。そして三角シールと丸シールで4匹の
魚を制作し,その後,魚のひれや水中の様子を表す泡や海草を描き入れた。D君によれば,家で飼っ
ている金魚を思い出したとのことであった。D君の場合,通常段階の作品において,金魚のおなか
の丸みやひれをシールで上手に見立てているが,さらに「面白い」表現を引き出すために援助段階
を実施した。①素材の利用方法の援助で,シールの組み合わせ方を説明すると,「この組み合わせい
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知的障害児の造形表現における見立ての援助方法に関する研究
通常段階
援助段階
Figure 6 D君の作品の変化
いね」等の発言が見られ,興味を示した様子であった。②プランニングの援助においては,「この金
魚さんたちを面白くしてみたら」と援助者が言うと,「大きくて,さっきのシールの組み合わせを
使ってきれいにしてみたい」と答えた。構図促進教示を行うと,制作前にシールの組み合わせ方を
熟考している様子が伺われ,しばらくシールに見入っていた。そして,四角シールを胴体として最
初に貼付し,三角シールで顔,ひれを制作した。最後に丸シールを海の泡に見立てて貼った。制作
後の感想によれば,テーマは「この世にないようなサカナ」であり,「きれいで大きい魚ができたの
で楽しかった」と述べた。シールの組み合わせ方に工夫が見られ,デザイン性に富む新奇表現の作
品を制作することができた。
5.Eさん (Figure 7)
通常段階
援助段階
Figure 7 Eさんの作品の変化
Eさんは通常段階で「アンパンマン」を典型表現によって制作した。制作にあたっては,すぐに
取りかからず,画用紙を凝視していた。このことから,教示が十分に理解できず,戸惑っていると
思われたので,「今一番好きなものや人は何かな?」と声をかけると,三角シールを用いてアンパン
マンを制作した。援助段階の①素材の利用方法について説明すると,感心した様子で「きれい」と
述べた。次に②プランニングの援助に入ると,まず,援助者が「アンパンマンを面白くしてみようか」
と問いかけたが,「面白くする」という言葉の意味理解が難しい様子だった。そこで「アンパンマン
はどんなお話なの」と聞くと,他の登場人物のことを話し始めたので,「その人たちが出てくる絵に
すると面白いのでは」と援助者が提案した。構図促進教示の後に制作に取りかかってもらうと,通
常段階と同じアンパンマンを制作した。その後,しばらく考え込むと,四角シールと丸シールを貼っ
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知的障害児の造形表現における見立ての援助方法に関する研究
て,ジャムおじさんを制作した。制作後の感想では面白かったと述べ,アンパンマンについてのエ
ピソードを話してくれた。Eさんの場合は,援助段階においても教示を十分に理解できない様子を
示し,テーマの解釈を促すことが困難であった。また,素材の利用方法も一見しただけでは,組み
合わせ方を理解することが難しく,具体的にシールをどのように貼り合わせていくのかを明示する
必要があったと思われる。結果として,通常段階より人物が1名増えたものの,丸シールを顔に見
立てた典型表現を継続してしまった。
Ⅳ . 考 察
本研究の目的は,知的障害児の造形表現における見立ての援助方法について検討することであっ
た。そのため,見立て描画において典型表現の作品を制作した知的障害児を対象として,教示や教
材を工夫することによる新奇表現への移行を試みた。具体的には,素材であるシールの合成方法を
カードで例示することと,プランニングにおいて,テーマの解釈と構図を練ることを援助した。そ
の結果,A君,B君,C君,D君の4名は,制作対象を一般的に見られるような色や形で表現する
典型表現の作品から,デザイン性や物語性が加味された新奇表現の作品を制作できた。その一方,
Eさんは,援助段階においても典型表現の作品を制作した。
以上の結果から,本研究で用いた援助方法は,知的障害児の造形表現における見立てに一定度の
有効性があったと考えられる。まず,シールの合成方法をカードで例示する援助については,素材
の操作可能性(色や形の合成や変形)を気づきかせることができたと推測される。B君は,例示さ
れたシールの組み合わせ方に興味を示し,援助段階では,通常段階と全く異なるテーマの作品を制
作している。これは,シールを組み合わすことで多様な形に変化することを理解したことで,自分
が表現したい対象(好物のおでん)のイメージに,それを関連付けられたからだと推察する。
次に,プランニングへの援助は,造形表現の教示に頻出する「面白い絵を描きましょう」,「楽し
そうな場面を描きましょう」のような抽象的な言葉の理解を助け,併せてイメージの形成を促した
のではないかと考える。知的障害児は,一般に,言語理解に発達的遅れがあり,特に抽象的な言葉
の意味を捉えることが苦手である。そのために「自動車を描きましょう,お父さんを描きましょう」
といった具体的な教示でないと分からない場合がある。しかし,造形表現では,子どもの感性や創
造性が重視されるため,具体的教示はあまり行われない。A君,C君,D君は通常段階と援助段階
において,テーマは大きく変わっていないが,表現の質的側面が明らかに異なっている。それは,
面白さを具体的に解釈することを通し,自分にとって何が面白いことなのかを考え,それを具現
化(e.g.,C君の場合では自分が侍になって戦う)できたからだと推察する。こうしたことは,上野
(1998)の指摘する「現実世界の枠組みや制約から離れる」経験に該当するものと考えられる。加えて,
制作前に構図を練ることを教示したことが,形成したイメージをどのように表現するかという点に
注意を向けることに有効であったのだろう。シール合成の仕方や配置,描画の使用方法等を制作前
に考えることで,作品のデザイン性を高めることが可能になったと推測する。しかしながら,この
ような効果の妥当性については,詳細な内的過程の分析が必要であり,本研究の手続きからは十分
な検討が行えなかった。
他方,Eさんは,本研究の援助方法では見立てを促すことが困難であった。その理由としては,
教示理解の問題が考えられる。シールを貼ること,鉛筆で描くことはそれぞれ可能であるが,それ
らを使って何を制作するのかという点が十分把握してもらうことができなかった。援助者との会話
に出てきたアンパンマンやジャムおじさんという想起が容易なイメージに依拠し,普段の描画にシー
ルを加えるのみの制作となってしまった。特にプランニングの援助において,言葉でのやりとりだ
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知的障害児の造形表現における見立ての援助方法に関する研究
けであったことが,理解に負担をかけた主たる要因であったと思われる。
知的障害児の認知特性をふまえると,一般に独力で十分な見立てを行うことは難しい。しかし,
本研究で示唆されたように,援助を行えば,一定の改善は可能であると考える。特にプランニング
への援助は有効である。造形表現の教育実践場面を想定すると,まず見立てる時間を制作開始前に
十分に取ることが大切である。本研究でも見られたように,知的障害児は素材に注意が向き,すぐ
にそれらを使って制作を始めようとする傾向がある。制作の動機に配慮すれば,素材への働きかけ
を妨げるべきではないが,実際に制作し始める前に,立ち止まって熟考できるような支援が必要で
ある。具体的な内容は,素材から何が想起できるのか(e.g., 自動車),そして,それをどのように表
現するのか(e.g., きれいに,楽しく,面白く),さらに子どもの実態に応じて表現の解釈を深めるこ
と(e.g., D君が面白いをこの世にないようなと捉えたように)について援助者と一緒に考えること
である。
1)知的障害を持たないことを非知的障害と表記する。
2)田中ビネー V(2003)を用いた。なお,精神年齢は知的発達水準の程度を示す1つの指標とし
て利用した。IQ 値については,マニュアルに従い,対象児の生活年齢が高いために算出してい
ない。
引用文献
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教育実践研究 17,2012
83
想像の産物に対する幼児の認識に文化的文脈が影響を与える可能性
架空の存在や魔法のような力に対する大人の信念に注目して
Influences of cultural contexts on young children’s perception of imaginary substances
focusing adults’ belief on fictional characters and magical power
塚 越 奈 美 *
TSUKAKOSHI Nami
要約:本研究は,幼稚園児の保護者を対象に,①サンタクロース,②おばけや幽霊,
③魔法のような力,④絵本やアニメの登場人物,⑤ぬいぐるみが生きているかのよう
に接する,⑥空想の友達の存在,の6項目について,子どもの信念と保護者自身の信
念についてたずねた調査結果を報告するものである。保護者は,自分の子どもがサン
タクロース,おばけや幽霊の存在を信じており,ぬいぐるみを人間のように扱ってい
ると認識していたが,空想の友達はいないと認識していた。また,保護者自身,6項
目すべてにおいて「今でもときどき信じたくなる」と答えた者が一定数おり,特にお
ばけや幽霊,魔法のような力については,その人数が有意に多い傾向にあった。「かつ
て信じていた」年齢は,おばけや幽霊では小学校高学年という比較的高い年齢までで
あったのに対し,ぬいぐるみや絵本の登場人物については,就学前という幼い年齢以
降は信じなくなっている傾向が示された。
キーワード:幼児,大人,架空,想像,信念
Ⅰ.問題と目的
幼児がサンタクロースなどの架空の存在や魔法のような力の効力を信じる姿は,私たち大人にとっ
てほほえましくかわいらしく感じられる。しかし,このような姿はいつごろまで継続するのか,あ
るいは,周囲の大人が示す言動によって,このような信念がどのように変化するのかなどについて
は,十分に明らかにされていない。
幼稚園児の保護者 166 名を対象に,自分の子どもが,架空の存在や魔法のような力の効力を信じ
ていると思うかどうかをたずねた質問紙調査(塚越,2007)では,次のような結果が示されている。
「わが子は願いごととサンタクロースの存在を結び付けている」と 128 名の保護者が認識しており,
「わが子は願いごとをすれば,それが実現すると信じている」と認識している割合も7割を超える
高い傾向が得られた。これは幼児が大人とは異なり,魔術の世界の住人であるという私たちの直観
を支持する結果である。
私たちは,幼い子どもほどこのような傾向を強く持ち合わせ,年齢を重ねるごとにその傾向は弱
まっていくと考えがちである。確かに,大人は日常生活で,誰かに架空の存在や魔法のような力の
効力に対する信念を問われた場合,それらに否定的な態度を示すことだろう。しかし,それは本当
に「信じていない」ということを意味しているのだろうか。
小学校4・5・6年生を対象に,ベネッセコーポレーションが実施した「おばけとジンクス(1994)」
というアンケート調査では,次のような結果が示されている。「トイレの花子さん」といういわゆる
*
幼児教育講座
想像の産物に対する幼児の認識に文化的文脈が影響を与える可能性
おばけの存在を「本当に見た人がいる」と 34.3% が肯定し,「神仏はいるか」という問いに対しては
「絶対いる」と「もしかしたら,いるかもしれない」をあわせると 44.6% もが肯定的に答えている。
大人になっていく過程で,私たちは架空の存在や力に対して懐疑的になり,やがては信じなくなる
と想定しがちであるが,実際には年齢の比較的高い小学校高学年児でもおばけや神仏の存在を肯定
している。このことから,大人もまた,そのような信念を表面上示さないだけで,実はそれを持ち
合わせている可能性があると考えられる。
筆者はこれまで,心と外界との関係に関する子どもの認知的な発達に注目して研究をおこなって
きたが,これらの研究の多くが文化的文脈と切り離された状況で実施されてきたという指摘がある
(Woolley,2000)。そこで,本研究では,塚越(2007)による質問紙調査において別途調べられた,
願いごと以外の魔術的な力や架空の対象を子どもがどのように認識していると思うかを保護者にた
ずねた部分と,保護者自身の認識についてたずねた部分に焦点化して分析・考察することによって,
心と外界の関係に関する幼児の認知的な発達に,大人の認識という文化的文脈が影響を与える可能
性について検討することを目的とする。
Ⅱ.方法
調査対象者 幼稚園児の保護者 166 名(内訳は,年少児の保護者 29 名,年中児の保護者 70 名,年
長児の保護者 67 名)であった。
質問紙の構成 Woolley, Phelps, Davis, & Mandell(1999) の質問項目を邦訳し,ほぼそのままの形で
採用した。これらに加え,冨田(2002,2003)を参考にして,保護者自身に関する質問を追加した。
作成された質問紙は,(1)「子どもは願いごとをどのようなものだと理解していると思うか,またそ
の効力を信じていると思うか」に関する6項目(下位項目も含む),(2)「子どものもつ願いごとの
効力に対する信念にどのように対応しているか」に関する 5 項目,(3)「願いごとに関する家庭環境
はどのようになっているか」に関する 10 項目(下位項目含む),計 21 項目で構成されていた(詳細
は,塚越(2007)を参照)。
本研究では,同じ質問紙内で上記とは別に,願いごと以外の魔術的な力や架空の対象に対する子
どもの信念についてたずねた項目群と,同じ内容を保護者自身についてたずねた項目群について分
析をおこなった結果を報告する。具体的な質問内容は,次の6点である。①サンタクロース,②お
ばけや幽霊,③魔法のような力,④絵本やアニメの登場人物,⑤ぬいぐるみが生きているかのよう
に接する,⑥空想の友達の存在,であった。①から④の項目は,子どもの信念については「信じて
いると思う」「信じていないと思う」「わからない」の3件法で回答を求め,保護者自身については
「信じていない」「かつては信じていた」「今もときどき信じたくなる」「今も信じている」の4件法
で回答を求めた。⑤と⑥の項目は,子どもの信念については「している(いる)」「していない(い
ない)」「わからない」の3件法で回答を求め,保護者自身については「しない・したことがない(い
ない・いなかった)」
「かつてはしていた(かつてはいた)」
「今もときどきする(ときどきあらわれる)」
「今もしている(いる)」の4件法で回答を求めた。また,①から⑥までの項目で,保護者自身に関
する質問への回答で「かつて信じていた」
「かつてはしていた(いた)」を選択した場合には,それ
が何歳くらいまでであったかについて自由記述形式で年齢の回答を求めた。
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想像の産物に対する幼児の認識に文化的文脈が影響を与える可能性
Ⅲ.結果
1.架空の存在や魔法のような力に対する子どもの信念についての保護者の認識
①サンタクロース,②おばけや幽霊,③魔法のような力,④絵本やアニメの登場人物,⑤ぬいぐ
るみが生きているかのように接する,⑥空想の友達,の6項目について,「信じていると思う(して
いる・いる)」「信じていないと思う(していない・いない)」「わからない」の4つに回答を分類し,
2
χ2 検定をおこなった(Table 1)
。その結果,人数の偏りに有意差がみられた(χ(10)
=329.818,p<.01)
。
そこで,残差分析をおこなったところ,①サンタクロースについては,「信じていると思う」が有
意に多く(164 名中 157 名),「信じていない」と「わからない」は有意に少なかった(それぞれ1名
と6名)。②おばけや幽霊については,「信じていると思う」が有意に多く(164 名中 120 名),「信じ
ていない」が有意に少なかった(15 名)。③魔法のような力については,「わからない」が有意に多
く(163 名中 56 名),「信じていると思う」と「信じていないと思う」は有意に少なかった(それぞ
れ 87 名と 20 名)。④絵本やアニメの登場人物については,「わからない」が有意に多く(163 名中
55 名),「信じていると思う」が有意に少なかった(64 名)。⑤ぬいぐるみについては,「している」
が有意に多く(164 名中 120 名),「わからない」が有意に少なかった(8名)。⑥空想の友達につい
ては,「いない」が有意に多く(164 名中 97 名),「はい」と「わからない」が有意に少なかった(そ
れぞれ 52 名と 15 名)。
以上から,保護者は自分の子どもについて,サンタクロース,おばけや幽霊の存在を信じており,
ぬいぐるみをあたかも人間のように扱っていると認識していることがわかる。反対に,空想の友達
はいないと認識しているといえる。魔法のような力や絵本やアニメの登場人物については,他の項
目に比べて,子どもがどう認識しているのかについての把握が難しいことがわかる。しかし,実数
をみると,⑥空想の友達以外の5項目は「信じていると思う(している)」が「信じていないと思う
(していない)」を上回っており,全体的には子どもが架空の存在や力を信じる傾向にあると保護者
が認識していることが明らかになった。
Table 1 架空の存在や魔法のような力に対する子どもの信念についての保護者の認識
サンタ
おばけ
魔法
絵本
ぬいぐるみ
空想の友達
N=164
N=164
N=163
N=163
N=164
N=164
は い
157(97)
120(73)
87(53)
64(39)
120(73)
52(32)
いいえ
1(0)
15(9)
20(12)
44(27)
36(22)
97(59)
わからない
6(3)
29(18)
56(34)
55(34)
8(5)
15(9)
( )はNに対する割合
2.架空の存在や力に対する保護者の信念についての分析
保護者自身の認識をたずねた項目を分析した。まず,①サンタクロース,②おばけや幽霊,③魔
法のような力,④絵本やアニメの登場人物,⑤ぬいぐるみが生きているかのように接する,⑥空想
の友達,の6項目について,「信じていない(しない・したことがない,いない・いなかった)」「か
つては信じていた(かつてはしていた,かつてはいた)」「今もときどき信じたくなる(ときどきす
る,ときどきあらわれる)」「今も信じている(している,いる)」の4つに回答を分類した(Table 2,
Table 3)。「今も信じている(している,いる)」については0を含むカテゴリーがあるため,「今も
ときどき信じたくなる(ときどきする,ときどきあらわれる)」と回答した人数と合算し,都合3つ
- 85 -
想像の産物に対する幼児の認識に文化的文脈が影響を与える可能性
に分類して χ2 検定をおこなった。
その結果,人数の分布に偏りがみられた(χ2(10)=444.574,p < .01)。残差分析の結果,①サン
タクロースと⑤ぬいぐるみについては「かつては信じていた(かつてはしていた)」と回答した人数
が多く,「信じていない(しない・したことがない)」と「今もときどき信じたくなる(今もときど
きする)」と回答した人数が少ない傾向が示された。人数の詳細を見ると,①サンタクロースについ
ては,163 名中 119 名と7割を超える人数がかつては信じていたと回答していた。⑤ぬいぐるみにつ
いては,163 名中 92 名がかつてはしていたと回答していた。
反対に,②おばけや幽霊と③魔法のような力については「今もときどき信じたくなる」と回答し
た人数が多く,「信じていない」「かつては信じていた」と回答した人数が少ない傾向が示された。
人数の詳細を見ると,②おばけや幽霊については,163 名中 103 名と6割を超える人数が,今もとき
どき信じたくなると回答し,③魔法のような力については,163 名中 79 名と約5割が,今もときど
き信じたくなると回答していた。
また,④絵本やアニメの登場人物と⑥空想の友達に関しては,「信じていない(いない・いなかっ
た)」と回答した人数が多く,「かつては信じていた(かつてはいた)」「今もときどき信じたくなる
(今もときどきあらわれる)」と回答した人数は少ない傾向が示された。
Table 2 架空の存在や魔法のような力に対する保護者の信念(1)
サンタ
おばけ
魔法
絵本
N=163
N=163
N=163
N=162
信じていない
24(15)
25(15)
54(33)
86(53)
かつては信じていた
119(73)
35(21)
30(18)
45(28)
時々信じている
19(11)
60(37)
64(39)
27(17)
1(1)
43(27)
15(10)
4(2)
信じている
( )はNに対する割合
Table 3 架空の存在や魔法のような力に対する保護者の信念(2)
ぬいぐるみ
空想の友達
N=163
N=163
しなかった・いなかった
51(31)
134(82)
かつてはした・いた
92(56)
22(13)
ときどきする・あらわれる
18(11)
6(4)
2(2)
1(1)
する・いる
( )はNに対する割合
3.保護者が架空の存在や力を信じていた年齢についての分析
2.と同じ6つの項目について,「かつては信じていた(かつてはしていた,かつてはいた)
」を
選択した保護者に対し,「何歳ころまで信じていたのか」を自由記述形式で回答を求めた部分につい
て分析した。回答を「就学前まで」「小学校低学年まで」「小学校高学年まで」「中学生以降まで」の
4つに分けた(Table 4)。「中学生以降」と回答した人数は,6項目すべてにおいて非常に少なく,
0を含んでいるため,「中学生以降」を除いた「就学前まで」
「小学校低学年まで」
「小学校高学年まで」
の3つの時期に限定して χ2 検定をおこなった。
2
その結果,人数の分布に偏りがみられた(χ(10)
=25.778,p <.05)。残差分析の結果,②おばけ
- 86 -
想像の産物に対する幼児の認識に文化的文脈が影響を与える可能性
や幽霊は,就学前に信じなくなった人数が少なく(29 名中2名),小学校高学年になって信じなくなっ
た人数が多かった(29 名中 16 名)。反対に,⑤ぬいぐるみは,就学前に信じなくなった人数が多く(87
名中 35 名),小学校高学年まで信じていた人数は少なかった(87 名中 21 名)。また,④絵本の登場
人物も,小学校高学年まで信じていた人数は少なかった(43 名中7名)。
ぬいぐるみや絵本の登場人物は,就学前という比較的幼い年齢から信じていない傾向にあるのに
対し,小学校高学年という比較的高い年齢まで信じている傾向が多いという結果は,問題と目的で
記した「おばけとジンクス(1994)」というアンケート調査の結果を支持するものである。
Table 4 架空の存在や力を保護者が信じていた年齢
サンタ
おばけ
魔法
絵本
N=115
N=29
N=29
N=43
N=87
N=21
就学前まで
32(28)
2(7)
9(31)
18(42)
35(40)
6(29)
小学校低学年まで
38(33)
9(31)
9(31)
17(40)
30(43)
5(24)
小学校高学年まで
45(39)
16(55)
11(38)
7(16)
21(24)
8(38)
0(0)
2(7)
0(0)
1(2)
1(1)
2(10)
中学生以降
ぬいぐるみ 空想の友達
( )はNに対する割合
Ⅳ . 考察と今後の課題
本研究の目的は,塚越(2007)による質問紙調査において別途調べられた,願いごと以外の魔術
的な力や架空の対象について子どもがどのように認識していると思うかを保護者にたずねた結果と,
それと併せて,保護者自身の魔術的な力や架空の対象に対する認識についてたずねた結果とに焦点
を当てて分析・考察し,心と外界の関係に関する幼児の認知的な発達に,大人の認識という文化的
文脈が影響を与えている可能性について検討することであった。
まず,架空の存在や力を子どもがどのように認識しているのかを保護者にたずねた結果から,保
護者は子どもがサンタクロース,おばけや幽霊の存在を信じており,ぬいぐるみをあたかも人間の
ように扱っていると認識していたが,空想の友達はいないと認識していた。また,魔法のような力
や絵本やアニメの登場人物については,子どもがどう認識しているのかについての把握が難しいよ
うであった。親にとって,子どもがサンタクロース,おばけや幽霊の存在を信じているかどうかは,
クリスマスにプレゼントを届けてくれるようにサンタクロース宛てに手紙を書いたり,おばけや幽
霊の話を怖がったりする子どもの様子から判断しやすい。また,ぬいぐるみの扱いについても,目
に見える行動であるため,魔法のような力やアニメの登場人物についてよりも,子どもの認識が把
握しやすく,回答に迷いが少なかったのだと思われる。
保護者自身の回答については,いずれの項目についても「今でもときどき信じたくなる(ときど
きする・ときどきあらわれる)」と答えた者が一定数おり,特におばけや幽霊,魔法のような力につ
いてはその人数が有意に多い点が興味深い結果である。子どもが想像の産物をある瞬間には疑い,
また別の瞬間には信じているとしか思えない行動を,加用(2010)は「多視点態度性」と呼んでい
る。「今もときどき信じたくなる」と答えた人数がどの項目でも一定の割合で見られることは,大人
の認識に関しても,加用の多視点態度性という観点から解釈可能であると思われる。すなわち,通
常,架空の存在や力などは人間が生み出した想像の産物であると理解している大人にも,自分が置
かれた状況によっては,そういった客観的な態度から離れ,想像世界だからこそ可能になる出来事
を信じようとする場合もあるという解釈である。しかし,これは,大人が超常現象を不思議である
という感覚を超えて信じ込んでしまうケースとは,根本的に異なるものであろう。なぜなら,超
- 87 -
想像の産物に対する幼児の認識に文化的文脈が影響を与える可能性
常現象を信じ込む人々は,個人的な経験など信じてしまうそれなりの理由はあるものの (Gilovich,
1991/1993),ある現象が視点を変えれば異なった結論を導けるという事実を受け入れられない人々
であり,本研究の保護者のように,客観的な態度を持とうとすることができていないからである。
本研究が質問紙に回答するという方法を取っており,それを提出しているという点から,対象者で
ある保護者は客観的な視点を持って日常生活を送っていると判断できるが,それでもなお,何らか
の特別な状況にあるとき,彼らは想像の産物が現実にあると信じたい気持ちになることを意識でき
ていると解釈できる。
また,おばけや幽霊の存在は子どもも信じているが,保護者自身も信じる傾向が強かった。これ
は「おばけとジンクス(1994)」の小学校高学年の児童とも共通している。これは,私たちが少なく
とも物心ついた段階から,おばけや幽霊を信じていることを示しているが,大人がその存在を信じ
る傾向を持ち続けていることが,子どもたちの信念に影響を及ぼしているという可能性も考えられ
る。また,ぬいぐるみや絵本の登場人物を,親は自分の経験では就学前という比較的幼い年齢から
信じなくなったと報告していた。そして,保護者の多くが,わが子はぬいぐるみを人間のように扱
うと答えている。これは,ぬいぐるみが移行対象という愛着の一形態であることを考えると,自然
な結果であると思われる。移行対象とは,自分の居場所を確認したり,新奇な状況で高まる不安を
抑えるために,幼児期の子どもがよく利用する「肌触りが良く,握りしめたり・匂いをかいだりで
きるぬいぐるみや毛布などの対象物」を指す。この移行対象を持つという状況は,子どもが表象能
力を獲得することによって,母親という実際の愛着対象に触れたりにおいをかいだりすることから
一歩進み,その代わりにぬいぐるみなどがあれば不安を抑えることができるという発達的現象であ
り,移行対象は幼児期の子どもの心の支えとしての役割を果たすと言われる(井原,2009)。そのた
め,幼児期にはぬいぐるみを人間のように扱うといった姿がよく見られ,保護者自身もそういった
経験をしてきたのだと思われる。
問題と目的で述べたように,私たち大人は,他者とのかかわりの中では,架空の存在や力を信じ
ていることを認めない。しかし,本研究で明らかになったように,それらをまったく信じなくなっ
ているわけではない。ヴィゴツキー(1974)や Karmiloff-Smith(1990)によれば,生活経験が豊か
である年長者の方が,その生活経験をもとに,想像世界を豊かに思い描くことができるという。こ
こから考えれば,日常生活においては,大人は想像世界に没頭し,架空の存在や力の存在を全面的
に肯定するようなことはしないが,現実にはあり得ないことであると思いながらも,時に想像の世
界が現実になる可能性に思いを馳せることで,現実世界では得られない楽しみや喜びを得ているの
かもしれない。私たち大人が,ファンタジー小説に魅力を感じ続ける理由の1つをここに見出すこ
とができるだろう。
私たちは「わからない状態からわかる状態へ」「非合理から合理へ」というように,常に右肩上が
りの発達を当たり前のものとして想定しがちである。しかし,あり得ること・あり得ないことの区
別が可能になった後であっても,あり得ない想像を無駄なものとして一切おこなわなくなるわけで
はない。たとえば,
「ある人の夢を見て,その人に不幸が起こるなんて,偶然で起こるとは思えない。
きっと不思議な力によるものに違いない」というように,何か不幸なことが起こったときなど,私
たちは客観的な視点からの解釈をおこなうことが難しい場合がある。このような事例は,因果論的
にはあり得なくとも,確率的にあり得る話であり,単なる偶然ではないと私たちが直感的に推論し
ているから見られるものだと指摘されている(菊池,1995)。これまでに,子どもは4歳くらいまで
には,心と外界の関係に関する理解が獲得されるという知見が示されてきたが(Perner,1991),それ
らの研究の多くは文化的文脈との関連性を検討してはいない。私たち大人が心と外界の関係に関し
て持っている認識は,文化の違いに応じて異なるであろうが,それが子どもの心と外界の関係に関
- 88 -
想像の産物に対する幼児の認識に文化的文脈が影響を与える可能性
する認識に影響を与えている可能性は十分に考えられる。今後は,大人の認識をさらに詳しく調査
し,それと子どもの認知発達との対応関係について詳細に検討することを課題としたい。
引用文献
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ベネッセコーポレーション.
Gilovich,T. (1993). 人間この信じやすきもの : 迷信・誤信はどうして生まれるのか (守一雄・守秀子,
訳). 東京 : 新曜社 .(Gilovich, T. (1991).How we know what isn’t so : The fallibility of human reason in
everyday life. New York: The Free Press.)
井原成男.(2009). ウィニコットと移行対象の心理学. 東京 : 福村出版.
Karmiloff-Smith.(1990).Constraints on representational change : Evidence from children’s drawing.
Cognition. 34.57-83.
加用文男.(2010). 幼児の想像遊びにおける多視点態度性. 心 理 科 学 ,30(2),43-56.
菊池聡 .(1995). 予知体験の不思議. 菊池聡・谷口高士・宮元博章 (編), 不 思 議 現 象 : な ぜ 信 じ る の
か こ こ ろ の 科 学 入 門 (pp.19-49). 京都 : 北大路書房.
Perner, J. (1991).Understanding the representational mind. Cambridge, MA : MIT Press.
富田昌平.(2002). 幼児期における空想の友達とその周辺現象に関する調査研究 (2), 幼 年 教 育 研 究 年
報 ,25,79-86.
富田昌平・山崎晃.(2002). 幼児期における空想の友達とその周辺現象に関する調査研究 (1). 幼 年 教
育 研 究 年 報 ,24,31-39.
塚越奈美 (2007). 子どもの願いごとに関する理解やその効力への信念に対する親の認識. 神 戸 大 学 大
学 院 人 間 発 達 環 境 学 研 究 科 研 究 紀 要 ,1,35-44.
ヴィゴツキー.(1974). 新訳版 子どもの想像力と創造.(広瀬信雄,訳,福井研介,注). 東京 : 新読
書社.
Woolley, J. D.(2000).The development of beliefs about direct mental-physical causality in imagination, magic,
and religion. Chapter in K. Rosengren, C.N. Johnson, & P.L. Harris (Eds.) : Imagining the impossible :
Magical, scientific, and religious thinking in children. Cambridge : Cambridge University Press.
Woolley, J. D., Phelps, K. E., Davis, D. L., & Mandell, D. J.(1999).Where theories of mind meet magic: The
development of children’s beliefs about wishing. Child Development,70,571-587.
- 89 -
教育実践研究 17,2012
90
フランスにおける映画教育(1)
L’enseignement du cinéma en France (1)
森 田 秀 二 *
MORITA Shuji
Résumé : Notre travail comportera en partie préliminaire l'histoire de l'éducation du
cinéma au Japon et en France jusqu'à la Seconde Guerre mondiale, ainsi que la
seconde partie qui présentera la situation actuelle de cette éducation en France (à
paraître dans la prochaine publication de la revue). Dans le Japon d'avant-guerre où les
films destinés à l'enseignement scolaire étaient projetés le plus souvent dans les salles
de réunion des écoles primaires ("kodo"), le cinéma était considéré essentiellement
comme moyen servant les autres matières scolaires. Or, certains éducateurs cinéphiles
(partisans de "l'enseignement du cinéma pour le cinéma") inspirés des théories
européennes insistaient sur les valeurs représentatives et cognitives du septième art.
En France, c'est en dehors du cadre scolaire que les enfants regardaient les films,
se sentant clandestins dans les salles obscures. D'où naît cette passion cinéphilique
de nature non scolaire qui se transmettra de génération en génération pour former
des cinéastes de la Nouvelle vague, des chercheurs universitaires de la sémiologie
du cinéma et enfin des éducateurs qui mettront en place une politique d'éducation du
cinéma d'aujourd'hui.
mots-clé : France, Japon, éducation, cinéma, historique, cinéphilie
キーワード:フランス、日本、映画教育、前史、シネフィル
はじめに
各世代、各個人に映像との出会いの記憶があるはずだ。私の場合を振り返るとまず思い浮かぶの
は直ぐ上の姉と田舎道をぽとぽと歩いてたどり着いた映画館、そこでは総天然色の「赤胴鈴之助」
をやっていた。主演は中村錦之助だった、と長い間思い込んでいたが調べてみると梅若正二である。
恐らく「一心太助」の中村錦之助とどこかで混同が起こっていたのだろう。梅若正二の「赤胴鈴之
助」はカラーでは3本作られているが、北海道の雪のない道を歩いていた私の記憶からすると見た
のは 1957 年9月 21 日公開の「赤胴鈴之助 新月塔の妖鬼」であろうか。一方、テレビ映像の記憶の
方は拡散している。ある午後にNHKでやっていた「四谷怪談」、それからタイトルはずっと後でわ
かったのだが、フランス映画『雪の夜の旅人(L'Auberge rouge)』( クロード・オータン・ララ監督、
1951) が記憶に残っている。明らかにコワイ物系に惹かれていたのだ。コワイ物系の極めつきは私
が小学校低学年のときにテレビでやっていたシリーズ『世にも不思議な物語』である。これも今調
べてみるとアメリカのABCが 1959 年に制作したTVシリーズで原題は One Step Beyond。俳優には
錚々たる顔ぶれが名を連ね、怖がらせるために力の入ったシリーズだったことが今更ながらわかる。
英米のMGM撮影所で制作され、プロデューサーのコリア・ヤング(筆名ロバート・ブロック)はヒッ
*
国際文化講座
フランスにおける映画教育(1)
チコックの『サイコ』の原作者であるというから、小学2年の私がトイレに行けなくなったのも無
理からぬ話なのである。
映像との出会いの記憶のなかには学校と関わるものもある。学校推薦(文部省推薦映画)という
ことで連れて行かれたのだと思うが『綴方教室』(山本嘉次郎監督)の記憶は鮮明だ。小学生の私の
涙腺を思い切りゆるませたので忘れがたいこの映画について、私はてっきり 50 年代の催涙映画の1
本だと思い込んでいたのだが、実は戦前の 1938 年の作品であることをずっと後に知った。もう一つ
の記憶は何本かの映画が不分明にまとまった記憶で、それらをつなぐ一本の糸は要するにいずれも
小学校の講堂で上映されたということなのである。床にはゴザがひかれており、その匂いに腰をお
ろした級友たちの汗の匂いが混じる。劇映画は小学生には長すぎる時間だからじっとはしていない。
それを暗闇で注意する教師の仕草。暗幕にはモノクロの兵隊物が映されていた。エンタツ・アチャ
コ主演だから『二等兵物語』シリーズの一本だったのだろう。映写を担当していたのは教員の一人
だが、リールの入れ替えで上映が中断されるのはもちろんのこととして、それ以外にもアクシデン
トがあったように思う。スクリーン(つまりフィルム)が燃えたことも一度ならずあった。
少年時代の映像体験はいたって貧しいものだが、私の世代の体験の典型なのかもしれない。数は
少なくとも映像を通じた強烈な物語体験があり、それを通して怖い、悲しい、笑いとペーソスといっ
た物語的感受性をいつの間にか養われたのであろう。しかし、意図的な映像教育という視点はどこ
にもなかった。学校側は文部省推薦だから特定の映画を子どもたちに薦め、また、教育委員会から回っ
てきた 16 ミリフィルムを教育的なはずだからということで講堂で上映しただけであったろう。私の
世代では映像については受動的受容の機会しか与えられなかったわけで、同じ芸術教育でも実技の
比重が多い音楽や美術といった教育とは明らかに異なる。尤も、あの頃は映画鑑賞が芸術教育の一
環であるという意識がそもそも教育サイドにはなかったであろう。反戦、社会的不正義といったテー
マをもとに民主化教育を進めようとしたのであり、映画はそのための手段だったのだと思われる。
小学生に講堂で反戦映画を見せるという当時(50 年代後半)の映画教育状況とはどのようなもの
だったのだろうか。一つの手がかりは CIE 映画である。
敗戦後の占領下、映画教育の中核を担ったのは GHQ の教育政策を担当した民間情報教育局(Civil
Information and Education Section = CIE)である。CIE は映画教育に力を入れ、1947 年4月から 16 ミ
リのアメリカ製短編教育映画(いわゆる CIE 映画)の無料貸付を行った。また、そのために 1948 年
3月にはアメリカ製の 16 ミリナトコ(Natco)発声映写機 1300~1500 台を文部省に貸与するととも
に、全国 14 ヵ所で視覚教育指導講習会を開き、映写技術の普及を図る。全国に貸与された機材のう
ち 80 台は北海道であった。CIE 映画は本来は社会教育の一環であったが、実際には学校でも利用さ
れていた1。私の小学校の講堂での上映会にもその1台が使われていたのだろうか。また、映写機を
操作していた教員は視覚教育指導講習会を受けた1万数千人の一人だったのだろうか。ナトコ(映
写機)は全国の映写機の三分の一を占めていたうえ、技術訓練を受けたなかに教員が多かったので、
その可能性は残る。
なお、数百本に及ぶ CIE 映画の目的は日本の民主化だけではなく、これからの教育、英米を中心
とした海外事情の紹介、科学的啓蒙、娯楽なども含まれていたようだ。なかにはロバート・フラハー
ティの『ルイジアナ物語』Louisiana Story(1948 年、CIE 番号 137 番)や『極北のナヌック』Nanook
of the North(1922 年、同 141 番)など映画史に残る名作ドキュメンタリーも含まれていた。CIE 映
画が、その後日本の社会教育の一環として映画教育を担う視聴覚教育ライブラリーや市民映画鑑賞
会に与えた影響は極めて大きい。ナトコ映写機、映写幕、CIE 映画の貸与の際に出された文部次官
通達(昭和 23 年 10 月 23 日)が都道府県レベルでの視聴覚ライブラリー発足のきっかけになり、そ
の後、昭和 28 年には市町村レベルでも設けられるにようになる2。
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フランスにおける映画教育(1)
ところで、ハード(映写機)はともかく、私が小学校の講堂で見せられたソフト(映画)の方は
洋物ではなかった。民主主義・反軍国主義の教育の一助に映画を利用しようという環境を CIE 映画
が築いてはいたが、わかりにくい翻訳のせいもありアメリカ映画の評判はあまり芳しくなかったよ
うだ。そうこうするうちに占領も終わり、日本製の映画も次々と生まれ、民主化教育に使えそうな
ものも現れる。そして何よりも小学校の講堂を使っての映画鑑賞会は、後でも触れるが、映画教育
の重要な手段として戦前から日本では盛んであった。つまり、講堂という戦前からの映画教育の特
権的な場において、アメリカが置いていったナトコ映写機で、戦後の日本製民主映画を見せる、と
いう極めて複合的な要因が結果的に生み出していた映画教育環境に、小学生の私は置かれていたの
ではないだろうか。
一挙に数十年をフラッシュフォワードして、今日の日本における映画教育の現状はどうであろう
か。実際に映画(の)教育は行われているのだろうか3。「学習指導要領」によれば、映画を教えるこ
とは否定されていない。総合学習、美術教育で取りいれることは原理的には可能である。総合学習
では国際理解や環境問題といった教科横断的なテーマが好んで選ばれているようだが、演劇は取り
いれられている。現場の教師の評価のなかには、表現が苦手とされている子どもたちも「言葉を使っ
て自分の感情をさらけ出す体験をすると、国語のコミュニケーション能力だけでなく、普段の人間
関係形成力も生まれてくるという効果もある」という肯定的な高い評価が生まれている4。ただ、演
劇導入には芸術団体の側からのアプローチが決定的なようだ。その点、映画を現場教師が中心とな
る総合学習に取りいれるのは容易くはない。映画教育の意味、効果を教師に納得させることが必要
で、そのための実践が必要になる。また、芸術鑑賞を総合科目の枠内で行うことも可能で、実際に
美術館に行くことは指導要領でも奨励されている。したがって、映画館に行くことも可能なのだが、
ここでもやはり教育効果についての説得的な説明が必要になる。
中学校美術の学習指導要領では写真・ビデオ・コンピュータ等の「映像メディア」での表現に言
及している5。動画による学校紹介、コマーシャル制作、短編アニメーション制作にも触れられてい
るから、映像制作は一応位置づけられていることがわかる。実際、自分の考えや気持ちを相手に伝
える造形教育の手段としてポスター制作、ビデオ・コマーシャル制作などが行われているようだ。
それに対して、学習指導要領は「鑑賞」の枠内では美術館・博物館の活用には言及しても映画館
あるいは映画鑑賞については一切言及がない。ただ、鑑賞教育として CM などの映像メディアを使
うことはあるようだ。つまり、映像メディアは造形教育、鑑賞教育のどちらでも利用されてはいる
が、映画自体は使われていないことになる6。映画教育の導入は原理的には可能であるが、現実には
それを実現するための条件(カリキュラム、教材、指導者養成)が全く整っていないというのが実
状のようだ。この点が後で見るフランスとは大きく異なる点だが、さらにフランスの場合は映画が
バカロレアの選択科目になっているのに対し、日本では入試科目に入っていないうえに他の受験科
目で手一杯なので芸術科目がそもそも選択制である高校での導入は極めて難しいようである。
総合学習、美術学習とも映画教育を導入することは原理的には可能なので、演劇が総合学習で盛
んになっている現状を踏まえるならば、プロフェッショナルのアプローチがカギになるのかもしれ
ない。実際、後でみるように、フランスの映画教育ではプロフェッショナルの協力を得ているので
ある。
以上、私の個人的回想をきっかけに戦後日本の映画教育に簡単に触れたが、本稿の目的はフラン
スにおける映画教育を概説することである。フランスの映画教育の姿をつぶさに見れば、これから
の日本の映像・映画教育が進むべき方向について示唆が読み取れるのではないか、そうした期待も
ある。日本と(フランスを含む)外国における「映画教育」の実状を調査総括した優れた研究に『諸
外国及び我が国における「映画教育」に関する調査(中間報告書)』 がある。本稿は同報告書に多く
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フランスにおける映画教育(1)
を負っているが、教育の現状は歴史的な歩みの結果でもあるので歴史的なアプローチを中心とした。
また、フランスの映画教育史を記述する前に日本の戦前の映画教育前史をまずまとめてみた。「映画
教育」の意味についてすでに戦前に興味深い議論がなされていたからである。
ここで「映画教育」という言い方は実は大変曖昧なので予め意味を説明しておきたい。西嶋憲生
は次の三つの意味を抽出している。1)映画を使って教えること。2)映画を教えること。3)映
画作りを教えること8。3)については先に言及したように、我が国では美術教育のなかで一応位置
づけられているようだ。このうち本稿では主に1)と2)を扱うことになる。
まず、1)は映画を教育教材の一種であり、他の学習ターゲットに至るための手段として位置づ
けるとらえ方である。例えば、映画に備わる力(リアリティのある画面とエモーションの喚起力を
もつ話運びにより学習者の注意力を維持する力)を借りて、理科、社会、外国語教育などの教材と
して利用しようとする映画教育である。視聴覚教育といった方が正確かもしれない。これに対して、
映画自体をターゲットとして教育するという2)のとらえ方も当然可能である。リッチョット・カ
ニュードが定義したように映画は時間芸術(音楽、詩、舞踊)と空間芸術(建築、彫刻、絵)を総
合する芸術(第7芸術)であり、独自のテクニック、話法、そしてすでに1世紀以上にわたる歴史
がある。しかも映画はテレビやインターネットなどの動画メディアの原型であり、多様な形をとり
ながら他の芸術以上に日常生活に入り込んでいる以上、メディア ・ リテラシーの観点からも教育の
対象とすべきであるとする立ち位置である。結論を先取りすると、日本の場合は教育教材として利
用してきた長い歴史がある一方で、映画 ・ 映像教育はヨーロッパなどに比べるとかなり遅れをとっ
ている感は否めない。まず、日本とフランスにおけるそれぞれの映画教育前史を概観することにする。
1.日本の映画教育前史
新しいメディアが文化に導入されるとき、伝統文化の側から反撥が起こるのはどこでもいつでも
見られる初期現象だが、日本における映画の導入もその例外ではなかった。それを物語る有名な出
来事がフランス映画「ジゴマ」に対する反応である。これはヴィクトラン・ジャセ(Victorin Jasset)
監督の怪盗ジゴマを主人公とするシリーズ物で日本ではその1本目が 1911(明治 44)年 11 月に『探
偵奇譚ジゴマ』として公開された9。パリを舞台に変装の怪盗ジゴマが警官と繰り広げるチェイス活
劇は映画史において連続活劇の原型をつくった作品であると同時に、日本においては最初の洋画ヒッ
ト作となり、大人だけでなく青少年にも愛好され、子供たちが変装してジゴマごっこに熱中するな
どの社会現象も起こした。新聞のキャンペーン(『東京朝日新聞』、1912 年)10 などもあり、父兄や教
師のなかには映画の児童への害毒に神経を尖らせる声があがる。その後 1917(大正6)年に、警視
庁は 15 歳未満の児童の観覧を禁止する映画を「甲種」として規制するようになる。この「活動写真
取締規則」では 15 歳未満児童が入場できる映画館を乙種としたが、乙種で禁じられた映画の検閲基
準は次の通りである。
1.男女恋愛に関する事柄を仕組んだもの、2.児童をして学業を怠り又はその心性を粗野浮薄
ならしめる傾向あるもの、3.学校又は教師に関する事柄を仕組み、児童教育上の障害となり又
は教師の威信を傷くる虞あるもの、4.善良なる家庭の風習に著しく反する事柄を仕組んだもの、
5.悪戯を誘発せしむる虞あるもの、6.其他児童の知徳の発達を阻害する虞あるもの11。
この甲乙二種制は乙種で上映できるような作品が未発達であったこともあり2年半後に廃止される
が、その理由も興味深いので挙げておこう。
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フランスにおける映画教育(1)
1.我が国の家族制度と相容れない、2.かへって児童の性行に悪影響を生じしめる、3.他の
種類の観覧物への入場は無制限だから取締規則が不統一である、4.取締上多大の困難があるば
かりでなく、児童教育上に悪影響を及ぼす虞がある、5.単独入場者を増加させる結果となる、6.
検閲は程度の差であって実質上の差異ではない12。
ここで1は甲乙で映画館が異なるため家族でそろってみる機会が失われたことを意味する。2、4
は年齢を偽って甲種映画館に入ろうとする者がいたのであろう。
このようにジゴマ騒動に始まる映画教育運動の草創期は「児童生徒からの映画隔離運動」(関野嘉
雄)というネガティブな方向をとることになる。その後も映画館を「害悪の温床」「悪魔の城塞」と
見る教育者一般の姿勢は続き、1939(昭和 14)年の映画法では 14 歳未満児童の一般映画興行の観覧
が禁じられてしまうのである。
他方で、映画はまた早くから教育用のメディアとしても注目されていた。日本でのリュミエール
作品上映は 1897 年2月 15 日、パリの世界初演に遅れること1年半足らずで大阪で行われ、これが
日本における最初の映画興行となる。1901(明治 34)年には早くも映画興行に「教育」という名が
冠された「教育活動写真会」が神田(錦輝館)で催されている13。ただし、これは義和団事件やパリ
万博の実写映像であり、むしろニュース映画であり、「活動写真」という言葉がすでに帯びていた下
卑たイメージを払拭するために「教育」を冠しただけのようである。文部省は世相に反応して映画
の否定的な見解に組みする一方で欧米諸国での映画の教育的利用にも注目していた。1911(明治 44)
年には「通俗教育調査委員会」を設置し、「幻灯映画及活動写真フィルム審査規程」による認定制度
を発足させている。「通俗教育」とは今日の生涯教育に相当するものだが、これが 1921(大正 10)
年に「社会教育」と改名され、文部省は今度は「映画推薦制度」を立ち上げ、推薦映画 20 本を公表
する14。さらに 1927(昭和 2)年になると社会教育局内で教育映画の自主製作を始める。この段階で
も「教育」と称してはいても、実写映画に児童劇映画、漫画映画が加わった程度のものだったよう
である15。労作『日本教育映画発達史』を著した田中純一郎は日本の映画教育草創期を次のようにま
とめている。
日本の映画教育運動は、映画人が開発した教育的、啓蒙的映画が先行し、学校教育、又は社会教
育団体が、それに触発されて、映画の教育的活用に注目したのである16。
ここまでの映画教育は主として社会教育として行われてきた。一方、児童向けの動きは、先の甲
乙二種制でも明らかなように、対映画館対策という消極的側面が強かった。しかし、甲乙二種制の
失敗の後、映画教育は対映画館対策にも適う新たな上映場の確保が課題となる。これは興行映画の
内容と質が次第に向上し観客層が増大するとともに一層大きな問題となり、やがて映画鑑賞の場を
確保すべく 1928(昭和3)年に本格的な映画教育運動がスタートするのである。
一つの場は映画館を場とした「児童映画日」(東京市、宇都宮市)の制定であり、もう一つは主に
小学校を利用した巡回映写活動(「活映」、「講堂映画会」と呼ばれた)である。前者については、映
画興行側が自らの悪いイメージをカモフラージュするための「教育を害する偽善的行為であり」
「学
校中心主義に徹底させねばならぬ」(権田保之助)という手厳しい意見もあり衰退する17。
後者の推進母体は大毎東日学校巡回映画連盟(大阪毎日新聞社後援)と全日本活映教育研究会(後
の全日本映画教育研究会)で、映像文化を初めて採り入れた児童教育運動である。ただ、連盟が配
給し、1935(昭和 10)年からは自主制作も始めた劇映画については、教訓的すぎてせっかくの映画
の可能性を活かしていないという批判があったようだ18。
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フランスにおける映画教育(1)
巡回映写活動では、無声の 16 ミリ教育映画フィルムを会員校(最大時 5552 校)に廉価で配給し
上映会が催された。映画の教育的体験を映画館以外の場で大々的に展開したという点で、後で見る
フランスなどに比べると日本における映画教育の特長を示していると言える。劇場版の 35 ミリに対
し、教材映画の発達は 16 ミリ映画および機材の普及と軌を一にしているが、映画体験の特権的な場
を映画館に限る論調に異を唱えて活映の意義を強調する関野嘉雄も 16 ミリ機材普及の重要性を次の
ように強調している。
いはば学校に於ける標準型映写機とも称すべきこの一六ミリの実用化は、学校映画教育の自主的
経営を実現し、その日常的施行を促進して行くための、最大の原動力となったものである。講堂
映画会はこれによってようやく、文字通受動的な娯楽映画鑑賞の機会のみではありえなくなり、
教科学習に於ける映画の利用も、これによって真実に普及すべき条件をととのへたのである19。
一方、こちらの方でもソフト面での遅れは否めず、殆どは映画の単なる写真的側面を利用した教
材映画(「動く掛図」)でしかなかった。これでは活映教育論でいう1期の「活動写真」、2期の芸術
的な「映画」の後に来る3期の文化的使命に目覚めた「活映」というのは理念倒れだと関野は批判
する。せっかく講堂映画会が孕んでいた「映画による・映画のための訓練」が教科別映画学習論で
は結局「映画以前的な考え方」に戻るだけだというのである20。
やがて、ソフト面での改善も進むようになる。全日本映画教育研究会と横浜シネマ商会の共同制
作による「教科フィルム」が 1931(昭和6)年より送り出され、さらに 1933(昭和8)年~1934(昭
和9)年には『小学校地理映畫体系』(全 13 編・15 巻、全日本映画教育研究会)、1934(昭和9)年
~1939(昭和 14)年には『小学校理科映畫体系』(十字屋映画部)が製作される。
理科映画については推進論と懐疑論があったようだ。1935(昭和 10)年の雑誌『映畫教育』理科
映画特集の議論をまとめると次のようになるだろう。懐疑論者にとって「理科はどこまでも実事実
物に就いて正しき認識を得させることである」(桑原理助)以上、映画を利用するしないは理科教育
にとっては末節にすぎない。それに対して推進論者は、理科教育が事実実物から学ばせるというこ
とは確かにその通りなのだが、映画は教室内での実物観察を超えたリアルな疑似体験を可能にする
と主張する。写真、絵画、標本などと異なり「運動性」が加わることにより、実写を時間軸で展開
できるうえ、時間の伸縮が可能なので成長過程も系統的に見せられる。要するに新たなリアリティ
を教室内に持ち込むことが可能になるというのである21。
こうした教材映画とは異なる教育映画へのアプローチもあった。学生時代に今日で言うシネフィ
ルとなった様々な傾向の人たちが集まった STS(Square Table Society)の活動がそれである。アバン
ギャルドの実験精神をもった彼等は、西洋の映画理論なども吸収した映画への本質論的アプローチ
をとり、1929 年~1936 年頃の間に『映画是非』や『映画第一線』といった理論誌も出版している。
そのなかで特に「映画教育」をめぐる論争の指導的論客は東京市教育局視学の関野嘉雄である。
ベラ・バラージュやアルンハイムの映画理論の影響下、映画の本質(「内的必然性」)を知らない
映画教育「論者」に対し、本質的な映画教育とはどうあるべきかを説いたのである。関野によれば、
映画は「もの自体」の提示(「記録性」)を基本としながらも、close-up と cut-back などの技法22 によ
る世界の断片化・再構成を通して世界を知覚可能にする(バラージュ「映画は、宇宙を体験するた
めの、人間の新しいオルガン」)という意味で、「見える人間」(視覚的人間)を育む教育の場であ
る23。関野は映画教育を新しい知覚の教育ととらえたのであり、映画にはそうした「教育性」が本質
的に埋め込まれていると考えたのである。したがって、「映画でなければ与えられない、対象および
対象的世界の把握と洞察」 こそが映画教育の目的ということになる。具体的にはそうした教育の機
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フランスにおける映画教育(1)
会として講堂映画会を重要視した関野であったが、教科映画を否定したわけではない。「正規のカリ
キュラム内に於ける映画の利用」(つまり教科映画)と「エクストラ・カリキュラム的な映画の利用」
(講堂映画会など)とは並行的に進められるべきであるとしながら、しかし、どちらも「本質的には
同じ要請の現れ」と付け加えることを忘れない。共通の要請とは要するに、「見える人間」を育むと
する本来の映画教育の目的であろう。
映画教育のための映画を関野は「文化映画」と呼ぶ。文化映画という語は教育映画に代わるドイ
ツ流の用語(Kultur-Film の訳)で、映画制作、興行への国家的介入を規定した 1939(昭和 14)年制
定の「映画法」の施行細則にある。そこでは「国民精神の涵養又は国民智能の啓培に資するものに
して劇映画にあらざるもの」と定義されているが25、関野はこれに独自の解釈を加え、商業主義に
堕した大衆向け映画でもなく、少数エリートのための(映像の独自性を活かせない)言語中心的な
映画でもない。「映画的感覚と映画的構成とによる対象把握」を目指しながらも、カットを文字記号
になぞらえるモンタージュ理論には組みせず、あくまでもカットの記録性に拘る「記録による教育」
の映画、とするのである。とはいえ「外部的な傍観者の目をもって対象に接するのではなく、[...]
対象を内側から捉え[...]対象と見るものとを合体させる」ような「劇的構成」をもつ映画でなけ
ればならない26。関野が理論的タームで語る理想とする文化映画が具体的にどのようなものなのかは
必ずしも明確ではないにしても、役人として国民学校制や映画法を擁護しながら、映画教育は「映
画による、映画のための教育」であり、「映画『を利用する』学習ではなく、映画『による』学習」
であるべきと主張続ける関野の姿にはシネフィル精神健在なりの思いを禁じ得ない。
教育での映画利用では映画の特性、可能性を活かさねばならないし、教育者はそれを意識すべき
だと唱える関野の立ち位置は、当時の西洋での第一線の映画理論を援用しつつ、教育者の自覚を促
した点で今日のメディアリテラシーを幾分先取りしているとも言える。1942(昭和 17)年には『映
画教育の理論』を上梓した関野嘉雄の指摘が先駆的で今日でも意味あるものだと考えられるのは、
それが結局、少なくとも仕組みとしては今日まで実現されなかったからでもある。
2.フランスの映画教育前史
映画の誕生は通常 1895 年 12 月 28 日という日付に結びつけられる。この日、パリのグランカフェ
(Grand-Café)でリュミエール兄弟の短編映画が初めて公開されたからである。当初は発明者のリュ
ミエール兄弟自身、このシネマトグラフ(cinématographe)と彼らが名付けた新しいメディアに輝か
しい未来が待っているなどとは想像もしなかった。その後、反教育的なメディアだという批判を一
方では浴びながらも、新しい芸術として、しかもお高くとまった芸術ではなく民衆と結びついた希
有な芸術として確実に地歩を固めてゆく。フランスでは早くから映画批評も生まれ、映画を娯楽あ
るいは教育の手段としてのみとらえるのではなく、映画そのものを考察対象とする動きが見られた。
さらにはシネ・クラブ運動も起こり、若者を中心に映画について真面目に語ろうという場が生まれ、
映画についての本格的論考も早くから書かれる。映画研究と映画教育が真に発展するのは戦後だと
しても、その萌芽は戦前にはっきりとみてとることができるのである。
日本でも映画通のことをシネフィルと呼ぶが、狭義ではシネフィル(cinéphile)は独特の社会的・
文化的行動パターンをもつ戦後フランスに生まれた現象であるとされる。典型的なシネフィルは映
画専門誌を定期購読し、シネクラブやシネマテークに足繁く通う。映画館のなかでは(暗幕の枠を
見ずに映画の世界に浸り込むために)前列3列以内に座り、お気に入りの映画について熱っぽく語
る、とされる 27。なかには映画技術の方にのみ注意を向ける衒学者もいたようで、シネフィルの精神
的父ともいうべきアンドレ・バザン(André Bazin)ですら眉をひそめている28。バザンがおこなった
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フランスにおける映画教育(1)
シネ・クラブでの上映前後の講演と雑誌論文執筆は映画批評家の一つのスタイルを築いたと言って
もよい。1951 年に自ら映画批評誌 Les Cahiers du cinéma を立ち上げたアンドレ・バザンの薫陶は次
世代(Alain Resnais、François Truffaut, Jean-Luc Godard, Eric Rohmer など)に受け継がれ、彼らヌーヴェ
ル・ヴァーグの世代が映画評論から映画制作に向かうのは周知のとおりである。
しかし、シネフィルが社会現象となるのは戦後だとしても、戦前にも一部のインテリ層は熱烈な
映画ファンであった。映画がいまだ一般には「子供や女中たちの娯楽」と蔑まれていた時代にあっ
て、
(恐らくは青年期らしい社会への反抗心も孕みながら)映画を芸術としてみなしていた層である。
第7芸術の圧倒的な影響下にあったこの世代層にあっては、映画教育という考え方が生まれるずっ
と以前から、映画はすでに彼らを教育していたのである。
4
4
4
4
映画を見て映画について語る、戦前の前衛、戦後のシネフィルが映画とともに学んだこと、それ
は映画について批評的に語ることである。単なる消費のための娯楽としてではなく、美学や存在論
といった文系の先端的ツールを使ってすらアプローチ可能な新しい芸術形式として。戦後のヌーヴェ
ル・ヴァーグの運動も映画についての批評的言説なくしてはありえなかった。
フランスのマスコミにあっては、1908 年にはすでに映画批評が誕生していた。Le Temps 紙の劇評
欄でアドルフ・ブリソン(Adolphe Brisson)は上映中の映画『ギーズ侯の暗殺』(L'Assassinat du Duc
de Guise、1908)に言及し、映画は具体(le concret)を身上とする「視覚的物語 récit visuel」であ
り、目による教育に勝るものはないと断定したのである。1914 年になると Rémy de Gourmont が La
France 誌に次のように書いている。
私は映画が独自の芸術であるという思いを益々強くしている。独自の芸術として創られなければ
ならないし、文学には一切何も借りようとしてはならない 。
背景にはフランスで映画制作が増えたことがあるだろう。1914 年はまだフランスが世界の映画制作
数の 90%を占めていた時代である。しかし、皮肉にもこの市場独占をフランスが失いアメリカに譲
るときに映画批評が生まれることになる。第1次大戦後の 1919 年にはフランスの映画制作が世界の
15%まで落ち込むことになるが、大戦中の数少ない娯楽が映画であり、それを支えたのがアメリカ
からの輸入映画であった。
こうした状況変化のなかに登場したのがルイ・デリュック(Louis Delluc)である。映画批評の先
駆的立役者としてアドルフ・ブリソンについては触れたが、映画批評の創始者はルイ・デリュック
である。演劇時評家としてデビューした映画嫌いのデリュックが 180°方向転換して映画ファンに
なったのもアメリカ映画のせいであった。ここには伝統(演劇時評家)から出発したルイ・デリュッ
クが前衛(映画批評家)へ回心する時間的軌跡をみることができるだろう。彼の映画批評家および
映画作家30 としての活動は 1917-1924 年の短い期間で終わるが、映画批評の確立に加え、シネ・クラ
ブ運動を創始した点でも後にシネフィルが登場する土壌を用意していたと言える。
シネフィル以前のシネフィルの一人としてジャン・ポール・サルトルについて触れておきたい。
サルトルの自伝『言葉』(Les Mots、1964)は文学者誕生前史とも呼ぶべきものだが、そこには実は
シネフィル・サルトルの誕生も印象的に描かれている。当時りっぱな大人たちの眉をひそめさせた
新しいメディアである映画に幼きサルトルが夢中になるのである。サルトルが示す大人(=強者・
保守)の側の「演劇」に対して子供・女(=弱者・前衛)とともにある「映画」という対立構造は、
ルイ・デリュックが体験した二つの極に対応する。しかし、デリュックが回心を通して「演劇」か
ら「映画」に時間的に移行したのと異なり、幼きサルトルは「演劇」「映画」の対立を社会的・ジェ
ンダー的な構造対立として生きる。いうならば遅れてきたルイ・デリュックということになる31。『言
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フランスにおける映画教育(1)
葉』では幼きサルトルが見た映画名も挙げられているので見ておこう。
1.Nick Carter(1908-1912):série de Victorin Jasset
2.Zigomar(1910-1912):série de Victor Jasset(邦題『探偵奇譚ジゴマ』)
3.Fantômas(1913):Louis Feuillade
4.Cabiria(1914):Giovanni Pastrone
5.Les Mystères de New-York(1914);Louis J. Gasnier(アメリカ原題:The Exploits of Elaine)
Nick Carter と Zigomar はアメリカの連続活劇にも影響を与えたフランス最初期の連続活劇である。
Zigomar は先に述べたように日本にも早々に輸入され物議を醸した作品である。1895 年生まれの映
画と 1905 年生まれのサルトルの誕生の間には 10 年の隔たりがあるが、彼が「精神年齢が同じ」と
紹介することに必ずしも誇張はない。その後もサルトルは前衛として映画を見続け、20 歳頃には哲
学知見と映画美学を自由に展開した映画論を書く32。さらに高校教師となったばかりの 25 歳のサル
トルは卒業式の講演で映画芸術論を展開している33。エリート教育現場の真っ直中にいるサルトルが
学校儀礼の機会に当時はまだレベルの低い娯楽と見なされていた映画を擁護する、という極めて挑
発的なジェスチャーがみてとれる。ただ、このテーマを選んだのは単なる挑発のためではなく、彼
が映画を芸術として信奉していたからに他ならない。ハイ・カルチャーを代表する演劇に対し、正
にその反対の極に位置し、それゆえ映画が一見学校教育とはまるで無縁な娯楽に見える点をおさえ
つつ、サルトルは映画が我々の日常性に深く根をおろしつつ、現代社会を巧みにとらえる「芸術」
しかも「民衆芸術(art populaire)」であることを熱心に説く。映画が教養を高める優れた学校だとい
うサルトルの以下の主張はずっと後のフランスにおける映画教育を予見しているとも言える。
「映画はギリシャ語や哲学と同様に皆さんの教養に役立ちます。」「映画はタチの悪い学校ではあ
りません。一見容易い芸術のように見えますが、実は極めて手強く、でもうまく立ち向かえば大
いに役立つ芸術なのです。というのも映画は本質的に今日の文明を映し出しているからです。皆
さんが生きている世界の美しさ、速度や機械の詩、人の営みの非人間的で華麗な運命的歩み、そ
34
ういったものを皆さんに教えてくれるのは映画を除いて他にありません。」
「映画教育という考え方が生まれるずっと以前から、映画はすでに彼らを教育していた」と先に
書いたが、それではサルトルが具体的に映画から学んだことは何だろうか。これについてはすでに
論じたことがあるので35、ここではそれを「リアリズム」をキーワードに簡単にまとめるだけに留め
ておく。まず、サルトル哲学ではモノが実在すること(これを彼は「即自存在(être en soi)」、その
存在法則を「偶発性(contingence)」と呼ぶ)を一つの核とする点でリアリズムの哲学と言えるのだ
が、その「偶発性(contingence)」の発見をサルトルは映画体験に結びつけるのである。映画の風景
には統一性(unité)がある。これは映画制作側の不可視のマジックハンドが働き、風景に意味を与
えるように切り取り(フレーミング)、場合によってはストーリーラインに沿う形で並び替える(モ
ンタージュ)からなのだが、サルトルはそれとの比較で実際の風景に正にその統一性(unité)が欠
けていることに驚くと同時に、それゆえにその実在性を信じたというのだ。映画という新しい想像
界(l’imaginaire)の表現がその反定立として現実界(le réel)のリアリティを直感させたという意味
で、映画による哲学的感性の極めてパラドクシカルかつ根源的な教育と言えるだろう。もう一つの
リアリティは、映画館の暗闇という母胎的空間において見いだした民衆(la foule)という存在である。
映画館の、特に劇場空間と比べた場合の、カウンターカルチャー性についてはサルトルをはじめ当
時の作家たちの証言が残っているが、サルトルはそこにいる民衆との共生的共存に深い安逸を覚え
るのである。民衆の発見はサルトルにおいてはブルジョワ性からの決別の一歩であり、それが映画
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フランスにおける映画教育(1)
館を舞台に行われた点に 20 世紀という時代が感じられるとともに、若きサルトルの時代感性の鋭さ
に驚くのである。
サルトルは後の 40 年代には一時パテ映画社のシナリオ・ライターとしてシナリオを量産すること
になるのだが、若い頃に映画を知り尽くしていたサルトルにとってそれはたやすいことであったと
思われる36。
このように戦前のたたき上げのシネフィルたちは哲学的な素養を総動員して映画を擁護し、映画
について語る言説を磨いたのである。その貢献が地下水脈のように戦後のフランス文化・教育を支
える源泉となる。(つづく)
参考文献
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2」2003 年)
・髙村久夫「視聴覚ライブラリー」『生涯学習研究 e 事典』[http://ejiten.javea.or.jp/]
・田中純一郎『日本教育映画発達史』蝸牛社
・中村秀之「占領下米国教育映画についての覚書-『映画教室』誌にみるナトコ(映写機)と CIE
映画の受容について」[www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN6/nakamura.htm]
・吉原順平「ショートフィルム再考-映画館の外の映像メディア史から 」社団法人映像文化制作者
連盟[www.eibunren.or.jp/SF/SFII1(3-7).pdf]
・
『学習指導要領 改訂のポイント(中学校 美術)』(平成 20 年7月、義務教育課)
・財団法人国際文化交流推進協会(エース・ジャパン)編『諸外国及び我が国における「映画教育」
に関する調査(中間報告書)』、コミュニティシネマ支援センター、2005 年3月(平成 16 年度文化
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・J. Aumont, A.Bergala, M.Marie, M.Vernet, Esthétique du film, Nathan,1983
・Annie Cohen-Solal, Sartre 1905-1980,Gallimard,1999,
・J. Aumont, M.Marie, L'analyse des films, Nathan,1995
・Antoine de Baecque, La cinéphilie, invention d'un regard, histoire d'une culture 1944-1968,Fayard,2003
・Gerow, "Swarming Ants and Elusive Villains:Zigomar and the Problem of Cinema in 1910s Japan",
CineMagaziNet! no.1(Autumn 1996):[www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/NO1/SUBJECT1/ZIGOMAR.HTM]
・René Jeanne et Charles Ford, Le cinéma et la presse : 1895-1960,Armand Colin,1961,
・M. Lagny, M.Marie, J.Gili, V.Pinel (dir), Les vingt permières années du cinéma français, Presses de la
Sorbonne Nouvelle,1995(Actes du colloque international de la Sorbonne nouvelle,4,5et 6 novembre
1993)
・Jean-Paul Sartre,"Apologie pour le cinéma : Défense et illustration d'un Art international"(daté de 1924 ou
1925), publié dans Les Ecrits de jeunesse de Jean-Paul Sartre, édition établie par M. Contat et M. Rybalka,
Gallimard,1990
・Jean-Paul Sartre, "L'art cinématographique"(discours de distribution des prix prononcé au Lycée du Havre le
12 juillet 1931),Gazette du cinéma, n°2,juin 1950.Repris dans Les Ecrits de Sartre,1970, Gallimard,pp.546-552.
1
中村秀之「占領下米国教育映画についての覚書-『映画教室』誌にみるナトコ(映写機)と CIE
映画の受容について」:http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/CMN6/nakamura.htm
2
髙村久夫「視聴覚ライブラリー」『生涯学習研究 e 事典』http://ejiten.javea.or.jp/
- 99 -
フランスにおける映画教育(1)
3
日本では映画教育を行う行政側の担当部署として、文科省で学習指導要領の作成を担当する「初等
中等教育局教育課程課」、メディア教育全般(視聴覚教育ライブラリーの活動促進、文科省選定教
育映画の審査を含む)を統括する「生涯学習政策局学習情報政策課」、さらに教育課程の研究、調
査を行う「国立教育政策研究所教育課程研究センター」がある。
4
財団法人国際文化交流推進協会(エース・ジャパン)、コミュニティシネマ支援センター編『諸外
国及び我が国における「映画教育」に関する調査(中間報告書)』(以下、『中間報告書』とする)、
2005 年3月、102 頁
5
『学習指導要領 改訂のポイント(中学校 美術)』(平成 20 年7月、文科省義務教育課)では「映像
メディアをどう活用するのか」について以下のコメントが付けられている。
「映像メディアによる表現については、今後も大きな発展性を秘めている。これらを活用すること
は表現の幅を広げ、様々な表現の可能性を引き出すために重要である。また映像メディアは、アイ
デアを練ったり編集したりするなど、発想や構想の場面でも力を発揮する。次のような特性を生か
し、積極的な活用を図るようにすることが大切である。
【写真】写真の表現においては、被写体に対して、どのように興味をもち感動したのか、何を訴え
たいのかなどを考え、効果的に表現するために構図の取り方、広がりや遠近の表し方、ぼかしの生
かし方などを工夫することが大切である。また、何枚かの写真を組み合わせた組み写真として物語
性をもたせることもできる。
【ビデオ】ビデオは一枚の絵や写真では表せない時間の経過や動きを生かした表現であり、その特
質を理解させる必要がある。グループで分担を決め学校紹介やコマーシャルをつくったり、動きを
連続させて描いた漫画をコマ撮りして、短編アニメーションをつくったりすることもできる。
【コンピュータ】コンピュータの特長は、何度でもやり直しができたり、取り込みや貼り付け、形
の自由な変形、配置換え、色彩換えなど、構想の場面での様々な試しができることにある。そのよ
さに気付かせるようにするとともに、それを生かした楽しく独創的な表現をさせることが大切であ
る。
6
「現在の芸術教育のなかでは、映画自体を作品として鑑賞するとか、映画に対して美学的なアプロー
チをするということは考えられておらず、伝達メディアとしての映像を学ぶという側面が強い。映
画そのものの鑑賞ではなく、造形的な画面の組み合わせにどういう工夫があるかという視点での鑑
賞になる。」『中間報告書』、103 頁。
7
前掲『中間報告書』。
8
同上、9頁
9
Victorin Jasset は 1908 年以降 Eclair 社でフランス製の犯罪映画シリーズを成功させた。彼のフィル
モグラフィーには異同があり確定は難しい。一般的に初期無声映画のフィルモグラフィー 作成
は難しいようである(Les vingt permières années du cinéma français, Presses de la Sorbonne Nouvelle,
1995)。ここでは以下のサイトにあるフィルモグラフィーを総合的に判断し、第1作を Zigomar
(1911)とした。
・英語版、仏語版、日本語版ウィキペディアの「Victorin-Hippolyte Jasset」「ジゴマ」の項目。
・英語版 Internet Movie Database、及び Film Database Search の「Victorin-Hippolyte Jasset」の項目。
なお、日本では次の3本が公開されている(カッコ内は原作タイトル)。
『探偵奇譚ジゴマ』
(Zigomar、
1911)、『ジゴマ続編』(Zigomar contre Nick Carter,1912)、『探偵の勝利』(Zigomar peau d'anguille、
1913)。2作目と考えられる Zigomar roi des voleurs(1911)が輸入上映されたかどうかは不明。
10
A. Gerow, "Swarming Ants and Elusive Villains:Zigomar and the Problem of Cinema in 1910s Japan",
CineMagaziNet! no. 1(Autumn 1996):http://www.cmn.hs.h.kyoto-u.ac.jp/NO1/SUBJECT1/ZIGOMAR.
- 100 -
フランスにおける映画教育(1)
HTM
11
関野嘉雄『映画教育の理論』小学館、1942 年(復刻版、ゆまに書房「日本映画論言説体系 第1
期2」)、p.273(ページ数は復刻版による)
12
同上、p.274。
13
田中純一郎『日本教育映画発達史』蝸牛社、p.28
14
20 本には「聾盲唖者ヘレンケラー」「コロンブス一代記」「お化けトランク」「アルプス登山鉄道」
などがあった。同上、p.42
15
吉原順平「ショートフィルム再考-映画館の外の映像メディア史から」社団法人映像文化制作者
連盟:www.eibunren.or.jp/SF/SFII1(3-7).pdf
16
田中純一郎、前掲書、p.42
17
田中純一郎、前掲書、p.59
18
「講堂映画について、劇の形式をとった在来のいわゆる教育映画は、あまりにセンチメンタルで、
教訓が露骨すぎる。かつ学校では、とかく映画を修身教材にのみ使おうとする傾向があって、児
童の娯楽的方面が閑却されている。」(田中政太)同上、p.60。「安価な道徳的な教訓のようなもの
を子供に強制するよりも、芸術的な気品の高いものを見せる方が、反って道徳的な方面に役に立つ。
仮に泥棒の映画を見せても、それが芸術的香気の高いものであったら、子供は道徳的悪影響を受
けるものではない。」(波多野完治)同上、p.85。
19
関野、前掲書、p.255。なお、関野は次の数字を挙げている。1935(昭和 10)年の文部省調査によ
れば、全国の小学校 21000 のうち映写機を所有するのは 1876 校。これが 1940(昭和 15)年には
4370 校に増えている。同上、p.59
20
同上、pp.245-252
21
吉原順平、前掲書。
「(グリフィスが用いた)close-up と cut-back とは、映画における受動的精神を打破すべき、最初の
22
革命的技法であった。」、関野、前掲書、pp.29-30
23
同上、pp.23-26
24
同上、p.43
25
田中純一郎、前掲書、p.105
26
同上、p.90
27
"Il s'organise en chapelles, ne s'asseoit jamais au fond d'une salle de cinéma, développe en toutes
circonstances un discours passionné sur ses films de prédilection...", Esthétique du film, Nathan,1983,p.3。
狭義のシネフィルの詳細な歴史については、Antoine de Baecque, La cinéphilie, invention d'un regard,
histoire d'une culture 1944-1968,Fayard,2003。
28
A. Bazin, "naïfs pédants de ciné-clubs qui veulent toujours qu'on discute de la technique", cité par J. Aumont,
M.Marie dans L'analyse des films, Nathan,1995,p.23
29
映 画 批 評 の 誕 生 に つ い て は 以 下 を 参 照。René Jeanne et Charles Ford, Le cinéma et la presse :
1895-1960,Armand Colin,1961,p.49
30
フランス語の cinéaste は彼の造語である。商業的映画ではなく芸術的映画を撮る監督の意味。
31
ただ、その後のサルトルはまさにルイ・デリュックと逆の軌跡を描くことになる。つまり、映画
のシナリオを書き残すのではあるが、戦中・戦後を通して話題を呼ぶのは圧倒的に劇作家として
のサルトルである。
32
"Apologie pour le cinéma : Défense et illustration d'un Art international"(daté de 1924 ou 1925),publié
dans Les Ecrits de jeunesse de Jean-Paul Sartre, édition établie par M. Contat et M. Rybalka, Gallimard,
- 101 -
フランスにおける映画教育(1)
1990.
33
-"L'art cinématographique" (discours de distribution des prix prononcé au Lycée du Havre le 12 juillet
1931),Gazette du cinéma, n°2,juin 1950. Repris dans Les Ecrits de Sartre,1970,Gallimard,pp.546-552.
34
Ibid. p.552(拙訳)
35
「サルトルと映画の詩学:ロマン /vs/ レシ」『サルトル:21 世紀の思想家』(国際シンポジウム記
録論集:石崎晴巳・澤田直編)所収、平成 19 年4月、思潮社、206 頁 -224 頁
36
パテ映画社でサルトルに協力した Nino Frank は次のように回想している。「私は場面単位ではなく
カット単位で思い描く台本作家に初めて出会った。彼は密度が濃くて正確、しかも驚くほど感覚的、
つまり映画的なダイアローグを凄まじい勢いで書いていた。」cité par Annie Cohen-Solal dans Sartre
1905-1980,Gallimard,1999,p.282
- 102 -
教育実践研究 17,2012
103
2 項分布分析チャートを活用した高等学校統計教材の開発
Development of Teaching Materials on Statistics
at Upper Secondary School Level Using Binomial Distribution Analysis Chart
成 田 雅 博 *
NARITA Masahiro
要約:本研究では,統計教材でとりあげる統計モデルとして2項分布モデルを採用す
る際,実体的イメージの形成をうながす導入教材としての「末広がりスゴロク」を解
説した。次に,多様な現象の説明から2項分布のパラメーターの抽出を支援する枠組
みとして開発された2項分布分析チャートを解説し,2項分布にしたがう現象の分類
を試みた。
キーワード:数学,統計,データの分析,2項分布,2項分布分析チャート
1.はじめに
新学習指導要領においては,教科数学に統計に関する教育内容が多く盛り込まれている。また統
計情報に係るリテラシー教育の観点からは,高等学校教科情報や,各教科の中で扱うべき内容とし
ての情報教育にも統計に関する教育内容が含まれていると考えられる。具体的な学習活動としては,
探索的データ解析(EDA Exploratory Data Analysis)の諸手法や品質管理に利用されるツールを使っ
て,PDCA サイクル(Plan(計画)-Do(実施・実行)-Check(点検・評価)-Act(処置・改善))
による統計的問題解決過程を通して,このような手法の意義の理解,技能の修得に重点がおかれる
ことになるが,マスコミや各種調査研究の報告書でふれられることの多い推測統計(信頼区間や統
計的検定)の結果を批判的に受容・評価する活動も行うことになると考える。このような推測統計
の教材としては,正規分布をはじめとする連続分布にしたがう事象を題材とした教材が多く取り上
げられているが,連続分布は離散分布にくらべ,標本統計量の確率に関する認識が困難であり,高
等学校や大学教養課程において推測統計を教える際の障害になっていると思われる。そこで,本研
究では,より認識が容易と考えられる2項分布にしたがう現象に焦点をあて,教材研究を支援する
資料を整理することとする。
2項分布にしたがう現象の教材としての価値としては,以下をあげることができる。
(1)離散分布であるため,正規分布等の連続分布と異なり,確率変数の値がちょうどぴったりの
値の確率が存在すること。
(2)確率値を加法法則・乗法法則・組み合わせ論的知識だけから計算できること。
(3)ある理想的な条件のもとで多くの現象が2項分布として扱えること。
具体的にはまず,単一試行の結果である事象が2つしかないベルヌーイ試行を独立に繰り返した
と解釈される2項分布現象の導入に適切と思われる教材「末広がりスゴロク」と,現象から2項分
布モデルのパラメーターを抽出することを容易にする2項分布分析チャートを説明する。次に,さ
まざまな2項分布モデルの使える問題状況を分類化して提示する。
*
附属教育実践総合センター
2項分布分析チャートを活用した高等学校統計教材の開発
2.2項分布導入教材としての「末広がりスゴロク」
2項分布は,単一のベルヌーイ試行が独立に繰り返し行われた際の「繰り返し試行」における「成
功」回数の確率分布として定義される。この2項分布の実体的イメージ(高村 1987)の形成をうな
がす典型的な活動を行う教材として,以下の「末広がりスゴロク」が開発されている(成田 2007)。
2項分布モデルを記述するパラメーターは,p : 単一試行における「成功」の確率,n : 繰り返し
回数の2つであり,そのモデルは B (n, p) と表記されることが多い。また,「繰り返し試行」におけ
る「成功」回数が2項分布における確率変数 X である。この教材「末広がりスゴロク」における2
項分布モデルは B (6, 1/6) に従い,確率変数 X は,6回の試行のうち1の目が出る回数である。また,
特定の確率変数値χの確率値は
であり,Excel の関数では,=BINOMDIST ( x ,6,1/6,FALSE) により値を計算することができる。
【末広がりスゴロク】
ここまでを1セットとして,結果を表に記録します。
- 104 -
2項分布分析チャートを活用した高等学校統計教材の開発
☆ 質問 ☆
【末広がりスゴロク】で,一番到達しやすいところはどこだと思いますか。
また,そこには,10 セットやってみると平均して何回くらい到達すると思いますか。
図1 末広がりスゴロク・ボード
この教材は,パチンコ台のような玉が左右に 1/2 の確率で落ちていき,玉の落ちる分布が左右対
称になるクインカンクス,またはゴルトンボード(Pierce : 2011)とは異なり,左右非対称であり,
より典型的な現象であると考えられる。また,学習者の活動が,単一試行であるサイコロ1回投げと,
その単一試行を6回繰り返した1セットを試行とみなし最終的にどこに到達するかに注目する繰り
返し試行との「二重性」を自然と意識することができる教材として構成されている。
右下に1つ進む1の目がでる確率が 1/6 であり,その試行を独立に6回繰り返すので,平均的には
1回右下にすすみ,残りの5回が左下にすすむ「ぬ」にもっとも多く到達することが予想される。こ
の末広がりスゴロクの到達確率を計算してみると,表1のように予想どおり「ぬ」の確率が大きいが,
「に」のように,6回のうち6回とも1以外の目が出る確率も多く,いつもプレイヤーが「ぬ」と予
想した場合約 60% の確率で予想が外れることになり,ゲームとしてはある程度の意外性が感じられる
ものと考えられる。
表1 末広がりスゴロクの1セットで到達する確率
ボードの
到達場所
1の目の出る回数 X
1セットでそこに
チップが到達する確率
10 セットのうち4回以上
そこにチップが到達する確率
に
X=0
0.3349
0.4450
ぬ
X=1
0.4019
0.6224
ね
X=2
0.2009
0.1225
の
X=3
0.0536
0.0013
は
X=4
0.0080
0.0000
ひ
X=5
0.0006
0.0000
ふ
X=6
0.0000
0.0000
- 105 -
2項分布分析チャートを活用した高等学校統計教材の開発
3.2項分布モデルに関するパラメーター抽出を支援する2項分布分析チャート
2項分布分析チャートは,「単一試行」における事象・確率と,「繰り返し試行」における事象・
確率とを重ねて整理したものである。たとえば,導入教材「末広がりスゴロク」をこのチャートで
整理すると以下のようになり,パラメーター p = 1/6 , n = 6 を抽出・整理することができる。
<1>【末広がりスゴロク】(サイコロを6回ふる)B( 6 , 1/6 )
次の現象に対して,2 項分布分析チャートを適用してみよう。ただし,各打席における打率は不変
であり,各打席は独立であるという「理想化」された仮定のもと,はじめて 2 項分布モデルが適用でき,
確率が計算できる。
<2>【野球の試合のヒット数】
・ある選手の打率(ヒットを打つ割合)が 0.3 であると仮定します。
この選手がある試合で5回打席にたったとき,ちょうど2本ヒットを打つ確率はいくらですか。
<2>【野球の試合のヒット数】B ( 5 , 0.3 )
<3>【飛行機予約でのオーバーブッキング】
定員 261 人の飛行機に,キャンセルを見込んで 265 人の予約を受けた。
キャンセル率2%のとき,乗れない人の出る確率を求めてください。
この場合も,乗客全員が個人旅行でありそれぞれ独立にキャンセルを決め,キャンセルの確率も
全員同じである,という非現実的な仮定のもと,はじめて2項分布モデルを適用することができ,
確率を計算することができる。
- 106 -
2項分布分析チャートを活用した高等学校統計教材の開発
<3>【オーバーブッキング】 ( 265 , 0.02 )
4.2項分布現象の分類
上記のような多様な2項分布モデルで解釈可能な現象に対して,現在暫定的に,以下のようにA
1~A5およびB1~B3の仮説的な分類を設けている。一般に,A1からA5にすすむにしたが
い,また,B1からB3にしたがい,理解が困難になることが予想される。
(A) 単一試行問題の文脈
A1 ギャンブル的・同様に確からしい
・・・コイン・サイコロ・トランプ
A2 一般的・同様に確からしい
・・・実力の同じチームの対戦・誕生月
A3 事象の確率値,または事象の相対度数の明示的提示
・・・命中率・不良品の比率・成功率
A4 一定の時間帯における事象の確率値,または事象の相対度数の明示的提示
・・・ある期間における故障率・生存率 / 死亡率・事故発生率・火災発生率
A5 空間分布・時間分布への再構成
・・・特定の粒子が特定の長方形に入る
(B) くりかえし試行における試行間の関係
B1 継時的
・・・1個のサイコロを2回ふる
B2 同時的
・・・2個のサイコロを1回ふる
B3 空間的・時間的分解操作
・・・空間ブロックまたは時間ブロックへの分解を含む
この2つの観点で 2 項分布現象を分類した表を以下にあげる。
- 107 -
2項分布分析チャートを活用した高等学校統計教材の開発
表2 試行的な 2 項分布現象の分類
現象の概要
分類A
分類B
B (n,p)
末広がりスゴロク:サイコロを6回ふる。1の目
の1回だけ出る確率は?
A1
B1
B (6,1/6)
「2 項分布説明器」・クインカンクスまたはゴルト
ンボード。左右に分ける杭が7段階ある場合
A1
B1
B (7,1/2)
10 個のサイコロを一度にふる。1の目が3個だけ
出る確率は?
A1
B2
B (10,1/6)
あるクラスにいる 30 人のうち3月生まれの人が3
人いる確率は?
A2
B2
B (30,31/365.25)
お年玉付き年賀葉書の 4 等(お年玉切手シート
100 枚に2枚当たり)が 10 枚届いた。1枚当たる
確率は?
A2
B2
B (10,0.02)
実力の同じチームが7連戦する。Aチームが4勝
3敗で勝つ確率は?
A2
B1
B (7,1/2)
Aチームが試合に1試合に勝つ確率は 0.6。年間
130 試合中 70 勝以上となる確率は?
A3
B1
B (130,1/2)
ある選手の打率が 0.3 のとき,ある試合で 5 打席
で 2 本ヒットを打つ確率は?
A3
B1
B (5,0.3)
アンケートの回収率が 60% のとき,400 通送って
260 通以上回収できる確率は?
A3
B2
B (400,0.6)
献血した人が 200 人いたとき,B型が 30 人以上で
ある確率は?
A3
B2
B (200,0.2)
不良率2%の製品の山から 10 個とったとき,不良
品が含まれる確率は?
A3
B2
B (10,0.02)
男子の出生率が 0.5 であるとき,4人の子どもが
4人とも男子である確率は?
A3
B1
B (4,1/2)
4択問題から1つだけ正解を選ぶ問題が 10 問あっ
たときでたらめに答えて5問正解する確率は?
A2
B1
B (10,1/4)
超能力がないと仮定したとき,100 回コインを投
げて 60 回以上表裏を当てる確率は?
A3
B1
B (100,1/2)
オーバーブッキングの問題:定員 47 人の飛行機
でキャンセルを見込んで 50 人の予約を受けた際,
キャンセル率が5%のとき,乗れない人が出る確
率は?
A4
B3
B (100,1/2)
18 歳の男性の 50 年後生存確率が 0.78 のとき,25
人の男性のうち 50 年後 20 人以上の生存確率は?
A4
B3
B (25,0.78)
レーズンパンのスライスの中のレーズンの個数:
100 個のレーズンを入れて作ったパンを 10 枚にス
ライスしたときのスライスあたりのレーズン数が
3個以下になってしまう確率は?
A5
B3
B (100,1/10)
- 108 -
2項分布分析チャートを活用した高等学校統計教材の開発
5.今後の課題
本稿では,2項分布でモデル化できる現象について,チャートでの整理をしながら,仮説的に分
類を試みた。今後は,2項分布に関する学習経験・能力の多様な高校生や大学生に対する上記分類
カテゴリーに属する問題の正誤データをもとに,IRT(項目反応理論)等を使い,上記分類による難
易度の差について検討することで,カリキュラム開発の際の知見を得たい。
付記 本研究は,平成 22-24 年度文部科学省科学研究費補助金・基盤研究 (C)『2項分布にしたが
う現象のモデル化を題材とする「情報の科学」カリキュラムの開発』(課題番号:22500806,代表:
成田雅博)の支援を受けた。
参考文献
成田雅博 (2007). 高等学校及び大学教養課程における2項分布にしたがう現象を題材とした統計
的仮説検定に関する教材開発. 第3回統計教育の方法論ワークショップ. 全 17 頁.(於同志社大学)
NARITA, Masahiro(2007). Teaching Materials Using Board Game and Classifying Table for Helping
Understand Binomial Distribution. ISI 2007 Book of Abstracts-International Statistical Institute 56th Biennial
Session(at the Lisbon Convention Centre, Lisbon, Portugal). P.424
成田雅博 (2011)
. 2項分布分析チャートと2項分布に関する問題の分類. 数学教育学会誌 2011 年
度臨時増刊号.pp.117-119
Pierce, Rod (2011).Quincunx Explained-Math Is Fun. http://www. mathsisfun.com/data/quincunx-explained.
html.(2011年10月1日閲覧)
高村泰雄(1987). 物理教授法の研究. 北海道大学図書刊行会.pp.44-47.
- 109 -
教育実践研究 17,2012
110
フランスにおける三島由紀夫研究
La recherche sur Mishima Yukio en France.
サバティエ・オレリアン
Sabatier Aurélien
Mishima Yukio est, avec Kawabata Yasunari et Tanizaki Junichirô, l’un des trois écrivains
japonais les plus connus en France. Pourtant, force est de constater que la recherche concernant
cet auteur est loin d’être avancée. Pour expliquer cette carence critique, il faut d’abord dire
que la recherche sur Mishima commence relativement tard et assez fébrilement. En effet, il
semble que Mishima n’ait guère fait l’objet d’étude de son vivant. Citons quand même l’étude
de René Micha1 parue dans La Nouvelle Revue Française en décembre 1967 soit trois ans
avant la mort de Mishima qui marque la journée du 25 novembre 1970. René Micha apparaît
comme le pionnier des études littéraires sur Mishima. Cette étude nous semble d’autant plus
remarquable qu’elle précède même les premières traductions2 des romans de Mishima et traite
d’une question structurelle de l’œuvre. Cependant, il semble qu’aucune étude postérieure
n’ait mentionné cet article, ce cri dans le désert critique... Nous voudrions rendre compte dans
ces pages de l’état de la critique sur Mishima en France et tenter de cerner les orientations
de la critique française jusqu’à nos jours .Dans un premier temps, nous montrerons que c’est
le traumatisme du seppuku de l’auteur qui a modelé la critique. Dans un second temps, nous
évoquerons les obstacles qui se dressent devant tout chercheur qui souhaiterait interroger
l’œuvre de Mishima, lesquels ont en partie été posés dans le champ d’analyse par un regard
critique traumatisé.
I. Le soleil ni la mort de Mishima ne peuvent se regarder fixement…3
Incontestablement, c’est Marguerite Yourcenar qui a fait connaître Mishima au grand public français. Certes,
quelques études précèdent l’ouvrage de Marguerite Yourcenar mais aucune d’entre elles ne semble avoir su
outrepasser les murs des institutions où elles ont vu le jour. Aucune, en effet, n’a été réactivée par la mention
ou la citation. En 1980, soit dix ans après la mort de Mishima, l’auteur français publie un ouvrage que la
critique ultérieure citera dévotement : Mishima Yukio ou la vision du vide.4 Marguerite Yourcenar évoque
l’enfance de Mishima, aborde un certain nombre de romans et de pièces de théâtres qui s’intercalent entre
Confession d’un masque et la tétralogie de La Mer de la fertilité. Les deux dernières pages de l’ouvrage sont
essentielles :
«Et maintenant, gardée en réserve pour la fin, la dernière image et la plus traumatisante ; si bouleversante
qu’elle a rarement été reproduite. Deux têtes sur le tapis sans doute acrylique du bureau du général, placées
1
Voir la bibliographie à la fin de cet article.
Nous devons à Georges Renondeau la première traduction d’une œuvre de Mishima. Celle-ci succède d’un an à l’étude de René
Micha. Voir bibliographie.
3
Nous faisons allusion à la maxime de Larochefoucauld.
4
Voir bibliographie.
2
フランスにおける三島由紀夫研究
l’une à côté de l’autre comme des quilles, se touchant presque. Deux têtes, boules inertes, deux cerveaux que
n’irrigue plus le sang (…). Deux têtes coupées (…) qui produisent quand on les contemple plus de stupeur que
d’horreur.»5
Marguerite Yourcenar met un terme à ces dix années de silence presque total de la critique pour représenter
une scène qui laisse sans voix, celle d’une tête sans vie, pour ériger l’imago de l’auteur Mishima. Marguerite
Yourcenar rend la parole à la critique en désignant ce qui est à l’origine de la stupeur et de l’aphasie. En même
temps, elle pose le préambule à toute étude de Mishima. Il s’agira pour la critique d’interpréter à partir de
cette image terrible, de se forcer à voir ces «deux boules inertes» et d’en parler. C’est ainsi que Jean d’Ormesson
entend le propos de Marguerite Yourcenar. Dans une interview accordée à Bernard Pivot, en présence de
Marguerite Yourcenar, il dit :
«Il y a d’abord quelque chose de fantastique dans la vie de Mishima, c’est sa mort. Alors évidemment, surtout
pour quelqu’un qui, comme Marguerite Yourcenar et comme moi, je crois, pensons que ce qui compte dans
un écrivain, c’est d’abord son œuvre et non pas sa vie, il y a là un exemple de quelqu’un où la mort prend une
telle importance qu’on ne peut pas parler de son œuvre sans parler de sa mort, c’est-à-dire de sa vie (…). On
ne pourra évidemment plus jamais évoquer un livre de Mishima sans parler de cette fin terrible.»6
L’œuvre de Mishima ne semble pouvoir faire l’objet d’une analyse structurelle. C’est une exception. Il faut
d’abord évoquer sa biographie, sa mort, cette «fin terrible» avant d’interroger son œuvre. Marguerite
Yourcenar complètera le propos de son interlocuteur pour dire «que la mort de Mishima est une de ses
œuvres, et la plus soigneusement préparée de ses œuvres.»7 Au fond le suicide est appréhendé comme
le chef d’œuvre de Mishima. Toute étude critique devra aborder l’œuvre de l’auteur japonais comme des
travaux préparatoires, des brouillons annonçant le grand-œuvre de l’écrivain japonais, de manière rétroactive,
de façon à distinguer les grandes lignes de traverse qui conduiraient directement à l’œuvre ultime. Jusqu’à
1999, la critique semble avoir répondu à l’appel de Marguerite Yourcenar. Nous avons recensé dix-huit
publications d’importance entre 1980 et 1999. Sept études relèvent de la psychologie, de la psychiatrie ou
de la psychanalyse, trois sont des biographies (Il s’agit de traductions.) dont celle, notoire, du journaliste
anglais Scott Stocks Henry Mort et vie de Mishima8 dont le titre suggère la préséance de la mort sur la vie,
une étude qui aborde la mort comme un thème littéraire9 , deux études scolaires sur le thème de la beauté
dans le Pavillon d’or , l’étude de Jean Pérol10, une étude comparatiste11, deux études théâtrales dont l’une est
dirigée par Annie Cecchi, celle de Nishikawa Takao12 qui a fourni à la critique française une analyse à partir du
point de vue d’un japonais sur l’œuvre de Mishima et La mort volontaire au Japon de Maurice Pinguet13 qui
consacre son dernier chapitre au «cas Mishima». A l’évidence, la grande majeure partie de la critique française
accorde toute son attention à la biographie de l’auteur Mishima et plus particulièrement à sa mort. Tout se
5
Marguerite Yourcenar, Mishima ou la vision du vide, pp.120-121. Cf. bibliographie.
Emission «Apostrophe» du 16/01/1981. Emission en ligne à l’adresse internet suivante:
http://www.ina.fr/art-et-culture/litterature/video/I00004221/marguerite-yourcenar-parle-de-son-livre-mishima-ou-la-visiondu-vide.fr.html.
7
Idem.
8
Voir Bibliographie.
9
Gasquet Dominique. Voir bibliographie.
10
Voir Bibliographie.
11
Fierobe. Voir bibliographie.
12
Voir bibliographie.
13
Voir Bibliographie.
6
- 111 -
フランスにおける三島由紀夫研究
passe comme s’il fallait expurger le «traumatisme Mishima», le vider de sa substance, dissoudre l’imago de
cire en le décrivant sous tous ses angles, par les mots. Au fond la critique des années 80-90 se veut subversive
et iconoclaste. Le lecteur découvre les aspects sordides du suicide de Mishima, la puanteur des entrailles14, la
maladie mentale15. Nous mettons à part l’analyse magistrale de Maurice Pinguet qui inscrit le «cas Mishima»
dans une tradition de la mort volontaire au Japon et qui, pour nous, nimbe pour l’éternité la mort de Mishima
dans le voile du sacré.
Il faudra attendre l’ouvrage posthume d’Annie Cecchi16 pour que la critique puisse s’autoriser à une étude
davantage bibliographique que biographique, à parler de l’œuvre de Mishima sans parler de sa mort. Comme
le rappelle Jacqueline Pigeot dans sa préface, «le travail d’Anne Cecchi ne put être mené à terme, du fait de
sa disparition prématurée le 25 novembre 1995 (vingt-cinq ans jour pour jour après celle de Mishima…)»17
Pour la critique française, c’est une perte inestimable. Japonisante, elle était en effet à même de présenter
des textes inédits de Mishima aux lecteurs français et d’en donner un éclairage neuf. Quoiqu’il en soit, son
recueil d’études peut être considéré comme l’étude inaugurale de la nouvelle critique de Mishima, comme
le fondement critique de toute étude ultérieure. Dans un paragraphe préliminaire, Annie Cecchi prend soin
d’évacuer les obsessions de la critique antérieure, de faire table rase en relativisant l’importance de la mort de
Mishima dans l’économie de son œuvre :
«Donc, sans occulter la mort de Mishima ni le rôle qu’elle a joué dans sa renommée internationale,
considérons-là simplement comme la mort d’un grand écrivain, analogue au suicide de Hemingway ou de
Montherlant.»18
Si Marguerite Yourcenar a entretenu le manque de distance vis-à-vis de l’œuvre en réactivant l’effroi du
lecteur, Annie Cecchi, de façon paradoxale, a rendu possible un regard distancié sur l’œuvre en revenant au
texte, en l’abordant intimement. La critique textuelle peut commencer.
II. Les obstacles à la nouvelle critique de Mishima.
Si Annie Cecchi inaugure une critique délivrée de son effroi, des points aveugles n’en demeurent pas moins
dans le champ de perception de tout critique qui se proposerait d’étudier l’œuvre de Mishima.
C’est d’abord des préventions à l’égard de Mishima que les travaux d’Annie Cecchi n’ont su balayer. Nousmême avons été sommé de nous positionner vis-à-vis du prétendu fascisme de Mishima lors d’un séminaire
organisé en 2010 à l’université Lyon 3.
C’est ensuite le manque relatif de textes traduits en français. Il faut convenir que les traductions se sont
multipliées ces vingt dernières années et que les textes de Mishima accessibles au lecteur français nonjaponisant sont relativement conséquents. Cependant des zones d’ombre demeurent. Nous ne savons presque
rien de l’œuvre théâtrale de Mishima. Dix pièces seulement ont été traduites sur la quarantaine de pièces que
14
Cf. le récit de Scott-Stocks. Voir bibliographie.
Cf. l’ouvrage d’Hélène Piralian qui suppose la paranoïa de Mishima. Voir bibliographie.
16
Cf. Bibliographie.
17
Annie Cecchi, Mishima : Esthétique classique, univers tragique. Avant-propos de Jacqueline Pigeot p.9.Voir bibliographie.
18
Idem. « Préliminaires », p.12.
15
- 112 -
フランスにおける三島由紀夫研究
Mishima a livrées au public japonais19. Nous ignorons presque complètement l’œuvre poétique de Mishima,
laquelle est rassemblée dans le volume 37 de l’œuvre complète de Mishima, lequel ne contient pas moins
de 837 pages et 657 poèmes20. Nous ne savons rien du contenu de ses débats21, lesquels font l’objet de deux
volumes dans l’œuvre complète de Mishima, de son œuvre critique compilée dans pas moins de dix volumes
de l’œuvre complète22, de sa correspondance23, enfin de ses œuvres de jeunesse, de tout ce qui précède la
publication de Confession d’un masque.24
C’est enfin les traductions elles-mêmes. Nous connaissons l’adage : « Traduire, c’est trahir. » En ce qui
concerne Mishima, celui-ci est d’autant plus vrai qu’un certain nombre de textes sont des traductions de
traductions. Confession d’un masque25 est, par exemple une traduction de la traduction anglaise du texte
de Mishima. Ayant lu le texte original en regard avec la traduction française, nous pouvons dire que le texte
français est tout à fait conforme au texte original mais il nous semble qu’un texte comme « Le soleil et l’acier »
mériterait un nouvel examen voire une nouvelle traduction. Certains textes traduits directement du japonais
posent aussi problème. Nous pensons d’abord au recueil Cinq nô modernes26 dont nous devons la traduction à
Marguerite Yourcenar. Celui-ci rassemble les pièces suivantes :
• Sotoba komachi ( 卒塔婆小町 )
• Yoroboshi ( 弱法師 )
• Le tambourin de soie ( 綾の鼓 )
• Aoi no ue ( 葵上 )
• Hanjo ( 班女 )
L'ouvrage est préfacé par Marguerite Yourcenar. D'après l'auteur de la préface, les nô de Mishima peuvent être
appréciés sans les références intertextuelles que suggèrent le titre :
«On pourrait aussi assurer que les Cinq Nô modernes de Mishima, comme toute œuvre de poète authentique,
peuvent et doivent être appréciés pour eux-mêmes, sans référence aux Nô d'un lointain passé. Ce serait
pourtant se priver des harmoniques que le poète a su garder ou faire naître.»27
Si l'on peut admettre que chaque pièce puisse être appréhendée sans la référence à son modèle, il nous
semble fallacieux de considérer les pièces d'un recueil de nô exclusivement, sans prendre en compte son
rang. En effet, la pièce de nô n'acquiert sa pleine signification que dans sa relation avec les autres pièces de
nô qui composent la « journée de nô ».Une « journée de nô » contient traditionnellement cinq pièces qui
s'organisent au sein d'une structure fixée par Zeami (世阿弥).Chaque pièce assume une « fonction » que son
rang détermine. Or, il semble que Mishima ait conçu ses nô modernes comme les pièces d'un ensemble qui
recèlerait une unité, comme « une journée de nô » telle que Zeami la conçoit dans ses traités. Dans la postface
19
«Cinq nô modernes», «Dôjôji», «Madame de Sade», «L’arbre des tropiques», «Le palais des fêtes», «Le lézard noir». Voir
bibliographie.
20
三島由紀夫全集第 37 巻、新潮社、2004.
21
Un seul texte est accessible au lecteur français : un débat avec Oe Kenzaburô. Voir bibliographie.
22
Idem. Volumes 26 à 36.
23
Exception faite de sa correspondance avec Kawabata Yasunari. Voir bibliographie.
24
Exception faite des quatre nouvelles rassemblées dans le recueil Une matinée d’amour pur. Voir bibliographie.
25
Voir bibliographie.
26
Voir bibliographie.
27
Mishima Yukio, op. cit. Avant-propos.p.3.
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フランスにおける三島由紀夫研究
de l'édition japonaise des nô modernes, Mishima Yukio écrit:
そのためには、謡曲のうちから「綾の鼓」
「邯鄲」などの主題の明確なもの、世阿弥作のポレミック
な面白味を持った「卒塔婆小町」のようなものの情念の純粋度「葵上」「斑女」のようなものが、え
らばれぬばならなかった。
«A cette fin, il m'a fallu choisir parmi les pièces de nô «le «tambourin de soie» et «Kantan» dont le sujet
principal est évident, la pièce a charge polémique de Zeami que constitue « Sotoba Komachi »et les pièces
témoignant d'une grande pureté de sentiment que sont «Hanjo» et «Aoi».»28
Plus loin, Donald Keen commente:
«En 31 de l'ère Shôwa (1956), Mishima a dit clairement : «Ces cinq pièces peuvent s'adapter subtilement à la
légèreté et il faut penser qu'au moyen de ces cinq pièces, la nécessité peut se déployer». Cependant, à cellesci, Mishima a rajouté «Dôjoji», «Yuya» et «Yoroboshi»ainsi que «la célébration du Genji»qu'il n'appréciait
guère.»
Ainsi, Mishima considère les cinq pièces citées ci-dessus comme solidaires et participant d'une même
entreprise esthétique. Il nous semble que ces cinq pièces ne peuvent être étudiées séparément et qu'elles
doivent être saisies comme unités d'un système. Les conditions de publication de chacune des pièces rendent
compte, de même, de l'interdépendance des cinq premières pièces que l'on peut penser comme les cinq
volets d'une « journée de nô »au moyen desquels « la nécessité peut se déployer ». Kazuyuki Takahashi écrit:
「邯鄲」は能 (謡曲) の翻案化第一作として、昭和二十五年十月に雑誌「人間」に発表された。爾後、
「綾の鼓」(昭和二十六年)、「卒塔婆小町」 (昭和二十七年)、「葵上」(昭和二十九年)、「斑女」(昭
和三十年) と書き継がれ、ここまでの五作品を収めた「近代能楽集」が昭和三十一年四月に新潮社か
ら刊行されている。
その後、さらに「道成寺」(昭和三十二年)、「熊野」(昭和三十四年)、「弱法師」(昭和三十五年)、
「源氏供養」(昭和三十七年)、の四作が発表され、以上の九作品から、作者自身によって「源氏供養」
が廃曲にされ、残りの八作品が昭和四十三年三月に新潮文庫 近代能楽集」として、編集、刊行さ
れたのである。
«La première pièce Kantan, adaptation d'un nô, a paru dans la revue «Ningen»29 au mois d' octobre de la vingtcinquième année de l'ère Shôwa (1950). Ensuite, Le tambourin de soie (1951), Sotoba Komachi (1952), Aoi no
Ue (1954) et Hanjo (1955) sont écrits et au mois d'Avril de la trente-et-unième année de l'ère Shôwa (1956), le
recueil de nô modernes qui rassemble les cinq pièces ci-dessus est publié par les éditions Shinchôsha.
Ensuite, les quatre pièces Dôjôji (1957), Yuya (1959), Yorôboshi (1960) et La célébration du Genji (1963) sont
publiées. L'auteur écartera de son propre chef La célébration du Genji des neuf pièces et fera rassembler et
28
29
MISHIMA (Yukio), Kindainôgakushû, Tokyo, Shinchoubunko, 1968.atogaki p.253.
La revue Ningen est créée par Kawabata Yasunari et un groupe d'écrivains résidant à Kamakura.
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フランスにおける三島由紀夫研究
publier par la maison d'édition Shinchôsha les huit pièces restantes sous l'appellation «éditions Shinchôsha nô
modernes» au mois de mars de la quarante-troisième année de l'ère Shôwa (1968).»30
Nous constatons que les cinq premières pièces font l'objet d'une publication particulière. Les quatre autres
pièces semblent relativement indépendantes les unes par rapport aux autres et ne semblent pas obéir au
principe d'unité qui présidait à l'écriture des cinq premières pièces que nous considérons comme les cinq
volets d'une «journée de nô».La suppression de la pièce La célébration du Genji semble corroborer notre
propos. En effet, la solidarité des pièces au sein de «la journée »rend impensable la suppression d'une pièce.
Comme l'écrit René Sieffert:
«Réduire la durée du spectacle est assez grave, car 1'on détruit ainsi la belle harmonie établie par les
fondateur du nô, et dont Zeami analyse dans ses Traités la portée esthétique et psychologique.»31
La critique devra analyser le recueil de 1956 afin d'en révéler la cohérence. Les trois pièces qui se sont
ajoutées aux premières dans l'édition de 1968 et la célébration du Genji devront elles-aussi faire l'objet
d'un développement mais il nous semble, dans l'état de nos connaissances, que ces dernières peuvent être
étudiées exclusivement. Nous constatons que la traduction française des nô modernes de Mishima Yukio ne
respecte pas l'ordre des pièces initialement fixé par l'auteur et que Kantan cède la place à Yorôboshi, laquelle
ne faisait pas partie du recueil initial. Eu égard à l'importance de l'ordre des pièces dans le théâtre nô, il nous
semble impératif de proposer une étude des nô modernes de Mishima qui prendrait en compte l'ordre des
pièces déterminé par l'auteur et la première pièce «Kantan» écartée par Marguerite Yourcenar sans quoi les
nô de Mishima resteront mal interprétés car extraits artificiellement de la structure qui leur donne sens. Nous
avons traduit dans le cadre de notre mémoire de Master la grande absente du recueil proposé par Marguerite
Yourcenar, Kantan.32 Nous espérons que cette traduction permettra une meilleure compréhension de l’œuvre
de Mishima et de son économie.
Ainsi, le critique français qui souhaiterait rendre compte de l’esthétique de Mishima se verrait confronté à
des problèmes de taille. Non seulement il devrait passer outre les préventions qui demeurent à l’égard de
l’auteur « sulfureux » Mishima et pallier l’absence cruelle de documents en langue française mais encore
il devrait vérifier la bonne tenue des textes qui sont en sa possession. Annie Cecchi a ouvert la voie à des
recherches littéraires mais il n’est pas exagéré de dire que les études sur Mishima en France n’en sont
qu’à leurs balbutiements. Dans un premier temps, il appartiendra aux japonisants de combler les lacunes
bibliographiques et de vérifier les textes déjà disponibles.
Conclusion
Ainsi, la mort de Mishima a pétrifié la critique jusqu’à 1999. La prise de recul que devait autoriser le passage
du temps semble avoir été retardée par les travaux de Marguerite Yourcenar, laquelle a remis au présent, par
l’écriture, la scène du seppuku qui avait plongé toute une génération dans la stupeur. Les travaux inachevés
30
Takahashi Kazuyuki, Mishima Yukio no shi to geki, Wasenshoin, 2007, p.39.
SIEFFERT (René) : La tradition secrète du Nô, suivie de «une journée de Nô» [traduction et commentaires par], Paris, Gallimard,
«connaissance de l'Orient», 1967, p.65.
32
Sabatier Aurélien, Le renouvellement et l'extase dans la première pièce du recueil de nô modernes Kindainôgakushû de
Mishima Yukio : Kantan (邯鄲) précédé d'une traduction de la pièce, Mémoire de Master 2 sous la direction du professeur
Claire Dodane, Université Lyon 3, 2011.
31
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フランスにおける三島由紀夫研究
d’Anne Cecchi ont été salutaires dans la mesure où ils ont su passer outre l’effroi de la scène originelle, en
vaincre la nausée. Il s’agira pour la critique de poursuivre les travaux d’Anne Cecchi, lesquels feront autorité
jusqu’à ce qu’un chercheur puisse les dépasser. En guise d’ouverture, nous voudrions attirer l’attention sur
trois aspects de l’esthétique de Mishima qui pourraient aiguiller la critique future.
Premièrement, l’œuvre dramatique et l’œuvre romanesque se répondent au moins à partir de Confession d’un
masque. Kazuyuki Takahashi écrit à cet égard :
“ このころから小説と戯曲が表裏一体のジャンルとして相補的関係を結ぶことができた ”33
«A partir de cette époque, le roman et le théâtre, comme les deux faces d'une même médaille, se sont
complétés l'un l'autre. »
Deuxièmement, Mishima invite son lecteur à une lecture herméneutique de ses nô modernes. Il dit à leur
sujet, de manière métaphorique :
« 現代における観念劇と詩劇とのアマルガムを試みるのにたまたま能楽に典拠を借りたのである。台
詞には、無韻の詩が流れてほしいし台詞には詩的情緒の醸成のもう一つ奥に硬い単純な形而上的な
問題が夜露を透かして見える公園の彫像のように確固として存在しなければならない。34
«Pour essayer de faire l'amalgame entre le théâtre d'idée et le théâtre poétique, je me suis inspiré du nô.
J'aimerais qu'un poème en prose coule à travers le dialogue au fond duquel, plus profondément encore que
l'émotion poétique, il ne peut exister qu'une question métaphysique, inébranlable comme une statue dans un
parc que l'on pourrait apercevoir à travers la rosée du soi35 r.»
Enfin, l’œuvre de Mishima semble s’inscrire dans, un dialogue, une chaîne communicationnelle où chaque
maillon commente celui qui le précède à la manière du renka et où le Mishima biographique s’inscrit, si bien
que ne pas prendre en compte son autocritique et la glose de ses contemporains, c’est peut-être dénaturer
l’œuvre de Mishima. Kazuyuki Takahashi écrit à cet égard :
三島の評論は彼の「詩」( 小説も含めて ) を補完的に説明する詩論の役割を果たしているが36
«Les commentaires de Mishima ont fait office de poétique expliquant et complétant sa littérature (romans
compris).»
Nous voudrions insister sur le participe présent «complétant». Il s’agira de traduire et de mettre en relation les
commentaires de Mishima avec l’ensemble de ses textes pour rendre à son œuvre son unité.
33
TAKAHASHI Kazuyuki, p.25. Voir bibliographie.
Mishima Yukio, Sotoba komachi enshutsu oboegaki cité par Kazuyuki Takahashi, op. cit, p.27.
35
Nous insistons sur les passages en italique.
36
Kazuyuki Takahashi, op.cit.p.31.
34
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フランスにおける三島由紀夫研究
Bibliographie : les ouvrages de Mishima ou sur Mishima disponibles en langue française.
Œuvres de Mishima traduites en français
lLe marin rejeté par la mer, (午後の曳航) traduit par Georges Renondeau, Paris, Gallimard, 1968.
lConfession d'un masque, (仮面の告白) traduit de l'anglais par Renée Villoteau, Gallimard, 1971.
lJisei(Les deux derniers poèmes de Mishima), traduits par Jean Pérol, Mitsuo Yuge dans La Nouvelle
Revue Française, Mars 1971, p.52.
lLe Pavillon d’or, (金閣寺) traduit du japonais par Marc Mécréant, Paris, Gallimard, 1975.
lLe soleil et l'acier, (太陽と鉄) traduit de l’anglais par Tanguy Kenec’hdu, Paris, Gallimard, 1973
lMadame de Sade, (サド侯爵夫人) Paris, traduit du japonais par Nobutaka Miura et André Pieyre de
Mandiargues Gallimard, 1976.
lLe tumulte des flots, (潮騒) traduit du japonais par Georges Renondeau, Paris, Gallimard, 1978.
lAprès le banquet, (宴のあと) traduit du japonais par Gaston Renondeau, Paris, Gallimard, 1979.
lNeige de printemps, (春の雪) (La mer de la fertilité, tome 1), traduit de l’anglais par Tanguy Kenec'hdu,
Paris, Gallimard, 1980.
lChevaux échappés, (奔馬) (La mer de la fertilité, tome 2), traduit de l’anglais par Tanguy Kenec’hdu,
Paris, Gallimard, 1980.
lLe temple de l’aube, (暁の寺), (La mer de la fertilité, tome 3), traduit de l’anglais par Tanguy Kenec'hdu,
Paris, Gallimard, 1980.
lL’ange en décomposition, (天人五衰) (La mer de la fertilité, tome 4), traduit de l’anglais par Tanguy
Kenec’hdu, Paris, Gallimard, 1980.
lUne soif d’amour, (愛の乾き) traduit de l’anglais par Leo Lack, Paris, Gallimard, 1982.
lLa mort en été, (真夏の死) (Recueil de nouvelles) traduit de l’anglais par Dominique Audry, Paris,
Gallimard, 1983. Le recueil rassemble les nouvelles suivantes :
• La Mort en été (真夏の死)
• Trois millions de yen (百万円煎餅)
• Bouteilles thermos (魔法瓶)
• Le Prêtre du temple de Shiga et son amour (志賀寺上人の恋)
• Les Sept ponts (橋づくし)
• Patriotisme (憂國)
• Dōjōji (道成寺)
• Onnagata (女方)
• La Perle (真珠)
• Les Langes. (新聞紙)
lLes cinq nô modernes, (近代能楽集) traduit du japonais par Marguerite Yourcenar et Jun Shiragi, Paris,
Gallimard, 1984.
lLe palais des fêtes, (鹿鳴館) traduit du japonais par Georges Neyrand, Paris, Gallimard, 1984.
lL'arbre des tropiques, (熱帯樹) Paris, Gallimard, 1984.
lLe Japon moderne et l’éthique samouraï, (葉隠入門) traduit du japonais par Emile Jean, Paris,
Gallimard, coll. Arcades, 1985.
lDu Fond des solitudes, (荒野より) dans Anthologie de nouvelles japonaises contemporaines tome I,
Paris, Gallimard, 1986.
lEntretien sur le Roman (小説についての三島由紀夫・大江健三郎対論) dans la revue Europe
n°693/694, 1990
lL’école de la chair, (肉体の学校) traduit du japonais par Brigitte Allioux et Yves-Marie Allioux, Paris,
Gallimard, 1993.
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フランスにおける三島由紀夫研究
lLes amours interdites, (禁色) traduit du japonais par René de Ceccatty et Ryōji Nakamura, Paris,
Gallimard, 1994.
lPèlerinage aux trois montagnes, (Recueil de nouvelles) traduit du japonais par Brigitte Allioux et YvesMarie Allioux, Paris, Gallimard, 1997. Le recueil rassemble les nouvelles suivantes :
• Jets d'eau sous la pluie (雨の中の噴水)
• Pain aux raisins (葡萄パン)
• Ken (剣)
• La Mer et le couchant (海と夕焼)
• La Cigarette (煙草)
• Martyre (殉教)
• Pèlerinage aux Trois Montagnes (三熊野詣)
lLes Paons, (孔雀) dans Anthologie de nouvelles japonaises tome III, Paris, Gallimard, 1999.
lLa musique, (音楽) traduit du japonais par Dominique Palmé, Paris, Gallimard, 2000.
lLe lézard Noir, (黒蜥蜴) traduit du japonais par Brigitte Allioux, Gallimard, Paris, 2000
lKawabata-Mishima, Correspondances, (川端康成・三島由紀夫往復書簡) Préface de Diane de Margerie,
traduction collective, Paris, Editions Albin Michel, 2000
lUne matinée d’amour pur, (recueil de nouvelles) traduit du japonais par René de Ceccatty et Ryōji
Nakamura, Paris, Gallimard, 2003.Le recueil contient les nouvelles suivantes :
Le recueil rassemble les nouvelles suivantes :
• Une Promenade sur un promontoire (岬にての物語)
• Haruko (春子)
• Le Cirque (サーカス)
• Papillon (蝶々)
• La Lionne (獅子)
• Un Voyage ennuyeux (退屈な旅)
• Une Matinée d'amour pur (朝の純愛)
lPréface de La Beauté tôt vouée à se défaire, suivi de "Le Bras", Kawabata Yasunari, (川端康成の「散り
ぬるを」についての三島由紀夫解説) Paris, Editions Albin Michel, 2003.
lKantan (邯鄲) dans SABATIER Aurélien, Le renouvellement et l'extase dans la première pièce du
recueil de nô modernes Kindainôgakushû de Mishima Yukio : Kantan (邯 鄲 ) précédé d'une traduction de
la pièce, Mémoire de Master 2 sous la direction du professeur Claire Dodane, Université Lyon 3, 2011.
Extraits
lDéfense de la culture, (文化防衛論・選集) traduit par Philippe Pons, dans Esprit, Février 1973.
lEssai sur Georges Bataille, extraits de Shôsetsu to ha nani ka, (小説とは何か・選集) dans La Nouvelle
Revue Française Traduction : Michel Cazenav, Tadao Takémoto
N° 256 - Avril 1974 - pages 77-82.
Revue consacrée à Mishima
lLa Revue Littéraire n°169, février 1981 (publication de trois essais inédits : Sur Genêt, La mort de Jean
Cocteau et Le sang d’un poète.)
Ouvrages et articles sur Mishima
lMISHA René, Les allégories de Yukio Mishima, La Nouvelle Revue Française n°180, Décembre 1967,
pp.1066-1080.
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フランスにおける三島由紀夫研究
lPEROL Jean, La mort de Mishima : Eros et massacre, La nouvelle revue Française, n°217, mars 1971,
pp.46-61.
lTADAO Takemoto, Mishima, pour ou contre Bataille, La Nouvelle Revue Française n°256, avril 1973,
pp.66-76. lBERJAUD Jacques, Thème et symboles de l'héroïsme chez Montherlant et Mishima, thèse dirigée par
Jean Boissel, Université Montpellier 3, 1977.
lYOURCENAR Marguerite, Mishima ou la vision du vide, Paris, Gallimard, 1980.
lNATHAN John, La vie de Mishima, Paris, Gallimard, 1980
lFINO Giuseppe, Mishima, Ecrivain et guerrier, Paris, Editions de la Maisnie, 1983.
lSCOTT STOKES Henry, Mort et vie de Mishima, Paris, Balland, 1985.
lOuvrage collectif, Analyse et réflexions sur Mishima, Le pavillon d'or (la beauté), Paris, Edition
Marketing, 1986.
lTOMADAKI, Mishima / [St. John Perse] par A. Tomadakis, [Mishima par] H. Duchêne, Concours
d'entrée des grandes écoles scientifiques, Montreuil, 1986.
lASSOUN, Analyse et réflexions sur Mishima, le Pavillon d'or : la beauté / Paul-Laurent Assoun, ...
Georges Bafaro, ... Michèle Bénabès, ... [et al.], Paris : Ellipses, 1986.
lROUVIERE Olivier, Fonctions du classicisme dans les œuvres traduites en français du théâtre de Yukio
Mishima, Corpus étudié :"Madame de Sade", "L'arbre des tropiques", "Les Cinq Nôs modernes", sous la
direction d’Annie Cecchi, Université de la Sorbonne nouvelle, 1988.
lNISHIKAWA Nagao, «Yukio Mishima» in Le roman japonais depuis 1945, Paris, Puf, 1988, pp.247-270.
lSTUBBE Stéphane, Tradition et modernité dans le théâtre de Mishima, sous la direction de Philippe
Ivernel, Belgique, 1989
lGASQUET Dominique, Amour et mort [Microforme] : Duras et Mishima le ravissement ou l'extase?
Lille : ANRT, 1991.
lPINGUET Maurice, La mort volontaire au Japon, éd. Tel Gallimard, 1991.
lPEROL Jean, Regards d'encre : Ecrivains japonais 1966-1986, (un chapitre est consacré à Mishima), éd.
La différence, 1995.
lFIEROBE Nathalie, Mishima et Nietzsche : Entre tragique et modernité. Le compromis avec l'impossible.
Essai de transtextualité, Université Paris 3,1996.
lCECCHI Anne, Mishima Yukio : esthétique classique, univers tragique : d'Apollon et Dionysos à Sade et
Bataille, Paris, Champion, 1999.
lFANTIN Christine : Mishima et le mythe de Saint-Sébastien, mémoire de maîtrise de littérature comparée,
Université de Lyon 3, 1999.
lMEZZA J., De Zeami à Mishima : la notion de Nô moderne ; sous la direction de Monique Banu-Borie,
Université de la Sorbonne nouvelle, 2000.
lCHALANOULI Christina, Droit et littérature : Le droit japonais dans le roman de Yukio Mishima : "
Chevaux échappés" ; Mémoire de D.E.A sous la dir. de Raymond Verdier, Université Paris 2, 2002.
lMARRILIER Bernard, Mishima, «qui suis-je?», éd.Pardès, 2005.
lSAINT-PIERRE Amala, "Madame de Sade" de Mishima : entre Orient et Occident : Le texte et ses
représentations : Alfredo Arias, Andres Perez, Rodrigo Perez ; sous la direction de Georges Banu,
Université de la Sorbonne Nouvelle, 2005.
lSAINT-PIERRE Amala, Le corps travesti : dans "Madame de Sade" de Mishima : l'auteur, le texte et
ses représentations (Alfredo Arias, Andrés Pérez, Sophie Loucachevsky, Krzysztof Warlikowski) / Amala
Saint-Pierre ; sous la direction de Georges Banu, Université de la Sorbonne Nouvelle, 2006
lBOUVERON Myriam, Genet, Mishima, Dazai: la marginalité faite œuvre / sous la direction de JeanPierre Martin, Université Lyon 2,2006.
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フランスにおける三島由紀夫研究
lBAATSCH Henri-Alexis, Mishima : modernité, rite et mort, éd. du Rocher, 2006.
lBERNABE Laurent, «L’Île idyllique. Palingénésie d’un motif littéraire de Longus à Mishima» in
Intertextualité. Quand les textes voyagent, dir. J.Y. Laurichesse, PUP, 2007.
lBOUVEIRON Myriam, Genet, Mishima, Dazaï : la marginalité faite œuvre ;Mémoire de Master 2 sous
la direction de Jean-Pierre Martin, Université Lyon 2, 2007.
lSIARY Gérard, Le pavillon d’or (commente), Paris, Gallimard, 2010.
lLESIEUR Jennifer, Mishima, Paris, Gallimard, 2011.
lSABATIER Aurélien, Le renouvellement et l'extase dans la première pièce du recueil de nô modernes
Kindainôgakushû de Mishima Yukio : Kantan (邯 鄲 ) précédé d'une traduction de la pièce, Mémoire de
Master 2 sous la direction du professeur Claire Dodane, Université Lyon 3, 2011.
Travaux en langue française d’inspiration psychanalytique
lMONTPION Roseline, Introduction à la lecture des œuvres de Mishima : approche psychologique
religieuse et sociologique des textes à partir de la nouvelle : mort au milieu de l'été, Mémoire de Maîtrise,
Université de Limoges, 1973.
lVELUT M. C. et CHINO D. : «Sur le seppuku de Yukio Mishima», Evolution psychiatrique, 1984, pages
179–195.
lRABATE Jean-Michel, La Beauté amère : fragments d'esthétiques : Barthes, Broch, Mishima, Rousseau,
éd. Champ Vallon, 1986.
lMARTINOIR Francine (de)et CECCHI Anne, Le pavillon d'or de Mishima : la beauté / Annie Cecchi,...
Francine Ninane de Martinoir, Belin, 1986.
lBELLIARD Christophe, Etude sur le suicide de l’écrivain japonais Mishima Yukio, Thèse soutenue à
l’université» d’Angers, 1987.
lPIRALIAN-SIMONYAN, Hélène, Un enfant malade de la mort : lecture de Mishima : relecture de la
paranoïa, Paris, éditions universitaires, 1989.
lBOURQUE Jacques, Le corps guerrier chez Yukio Mishima : la quête d'une identité virile Thèse non
corrigée soutenue à l’université Paris 7, 1992.
lMILLOT Catherine, Gide, Genet, Mishima: intelligence et perversion, Paris, Gallimard, 1996.
lBERNABE Laurent, La mort chez Mishima : imaginaire et psychanalyse, Mémoire de Lettres Modernes,
Université de Perpignan, 1998.
lCHRAIBI Sofia, Perversion, création et judéo-christianisme: les cas de Pasolini et de Mishima. Thèse
soutenue à l’université de Nice, 2004.
Autres sources citées dans l’article :
lEmission «Apostrophe» du 16/01/1981. Emission en ligne à l’adresse internet suivante:
http://www.ina.fr/art-et-culture/litterature/video/I00004221/marguerite-yourcenar-parle-de-son-livremishima-ou-la-vision-du-vide.fr.html
lMISHIMA Yukio, Mishimayukiozenshû, vol.37, éd.Shinchôsha.2004.
lMISHIMA Yukio, Kindainôgakushû, Tokyo, Shinchoubunko, 1968.atogaki p.253.
lTAKAHASHI Kazuyuki, Mishima Yukio no shi to geki, Wasenshoin, 2007, p.39.
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教育実践学研究 17, 2012
平成 23 年度教育実践総合センター運営委員会委員
加藤 繁美(委員長,幼児教育)
澤田知香子(第1ブロック,国際文化)
服部 一秀(第2ブロック,社会科教育)
平田 徹(第3ブロック,ソフトサイエンス)
グローマー ジェラルド(第4ブロック,生涯学習)
古屋 義博(第5ブロック,障害児教育)
廣瀬 信雄(附属4校園代表,附属特別支援学校長,障害児教育)
成田 雅博(教育実践総合センター)
谷口 明子(教育実践創成専攻(教職大学院))
嶋田 一彦(教育実践創成専攻(教職大学院))
早川 健(教育実践創成専攻(教職大学院))
風間 俊宏(附属小学校)
大脇 博(附属中学校)
金丸実奈江(附属特別支援学校)
古屋あゆみ(附属幼稚園)
雨宮 亘(教育実践総合センター客員教授)
瀧田二三雄(教育実践総合センター客員教授)
教育実践総合センター諸規程等
1. センター規程
2. センター運営委員会規程
3. センター利用規則
4. センター利用細則
5. センター施設・設備利用委員会内規
6. センター教育相談室要項
7. センター研究紀要刊行規程
8. センター研究紀要執筆要項
上記諸規程等は平成 24 年3月1日現在のものを掲載しています。
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教育実践学研究 17, 2012
山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター規程
(平成 16 年 10 月1日制定)
(趣旨)
第1条 国立大学法人山梨大学基本規則第 36 条第2項の規定に基づき、山梨大学教育人間科学部附
属教育実践総合センター(以下「センター」という。)の組織及び運営については、この規程
の定めるところによる。
(目的)
第2条 センターは、教育実践の総合的・中核的な研究・教育施設として教育関連諸機関と連携し、
本学における教員養成・現職教育研修等の教師教育の質的向上に寄与することを目的とする。
(部門)
第3条 センターは、次の各号に掲げる部門を置く。
(1)教育実践研究部門
(2)情報教育研究部門
(3)教育臨床研究部門
(事業内容)
第4条 センターは、次の各号に揚げる事業を行う。
(1)教育内容及び教育方法に関する研究と指導
(2)教育工学及び情報教育に関する研究と指導
(3)教育相談に関わる諸問題の研究と指導
(4)教育実習・現職教員研修等の教師教育に関わる諸事業
(5)その他センターの目的を達するために必要な諸事業
(職員)
第5条 センターに次の各号に掲げる職員を置く。
(1)センター長
(2)専任の教授及び准教授
(3)客員教授又は客員准教授
(4)研究員
(5)その他必要な職員
(センター長)
第6条 センター長は、センターの業務を掌理する。
2 センター長候補者の選考は、教育人間科学部の教授のうちから教育人間科学部教授会の議
を経て行う。
3 センター長の任期は、2年とし、再任を妨げない。
(客員教授等)
第7条 センターに客員教授及び客員准教授(以下「客員教授等」という。)を置くことができる。
2 客員教授等の任期は、1年以内とし、再任を妨げない。
3 客員教授等は、県内教育関連諸機関と連携し、センターの事業の質的向上を図るものとする。
4 客員教授等の選考は、山梨大学客員教授等選考基準(平成 16 年4月1日制定)の定めると
ころによる。
(研究員)
第8条 研究員は、教育人間科学部、附属学校及び他学部の専任教官のうちから、教育人間科学部
教授会の議に基づき教育人間科学部長が委嘱する。
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教育実践学研究 17, 2012
(研究協力者)
第9条 教育人間科学部長は、センターの業務遂行上必要があるときは、教育人間科学部教授会の
議に基づき本学職員以外の者を研究協力者として委嘱することができる。
(教育相談室)
第10条 センターに、第4条第3号の事業を円滑に実施するため、山梨大学教育人間科学部附属教
育実践総合センター教育相談室(以下「教育相談室」という。)を置く。
(運営委員会)
第11条 センターの円滑な運営を図るため、山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター運
営委員会(以下「運営委員会」という。)を置く。
2 委員会に関し、必要な事項は、別に定める。
(センターの事務)
第12条 センターの事務は、教育人間科学部支援課において処理する。
(規程の改正)
第13条 この規程を改正しようとするときは、教育人間科学部教授会の議を経なければならない。
(補則)
第14条 この規程に定めるもののほか、センターの運営に関し必要な事項は、教育人間科学部教授
会の議に基づき教育人間科学部長が定める。
附 則
この規程は、平成 16 年4月1日から施行する。
附 則(平成 18 年3月 22 日)
この規程は、平成 18 年4月1日から施行する。
附 則(平成 19 年3月 22 日)
この規程は、平成 19 年4月1日から施行する。
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教育実践学研究 17, 2012
山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター運営委員会規程
制定 平成 16 年4月1日
(趣旨)
第1条 この規程は、山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター規程第11条第2項の規
定に基づき、山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター運営委員会(以下「委員会」
という。)の組織及び運営について定めるものとする。
(審議事項)
第2条 委員会は、教育実践総合センター(以下「センター」という。)の次の各号に掲げる事項を
審議する。
(1) センター運営の基本方針に関すること。
(2) センター予算に関すること。
(3) センター諸規程に関すること。
(4) その他、センター運営に関すること。
(組織)
第3条 委員会は、次の各号に掲げる委員をもって組織する。
(1) センター長
(2) センター専任の教授及び准教授
(3) 教育人間科学部の教員、若干人
(4) 各附属学校の教員、若干人
(5) その他委員会が必要と認めた者
2 前項第3号の委員は、学部長が任命する。
3 第1項第4号の委員は、各附属学校の長の推薦に基づき、学部長が任命する。
(任期)
第4条 前条第1項第3号及び第4号の委員の任期は、2年とする。ただし、補欠の委員の任期は、
前任者の残任期間とする。
(委員長)
第5条 委員会には委員長を置き、センター長をもって充てる。
2 委員長は、委員会を招集し、その議長となる。
3 委員長に事故あるときは、あらかじめ委員長の指名した委員が、その職務を代行する。
(会議)
第6条 委員会は、委員の過半数の出席がなければ、議事を開くことができない。
2 委員会の議事は、出席した委員の過半数で決し、可否同数のときは、議長の決するところ
による。
(委員以外の者の出席)
第7条 委員会が必要と認めるときは、委員以外の者を委員会に出席させることができる。
(事務)
第8条 委員会の事務は、教育人間科学部支援課において処理する。
(規程の改正)
第9条 この規程を改正しようとするときは、教授会の議を経なければならない。
(補則)
第10条 この規程に定めるもののほか、委員会の運営に関する必要な事項は、委員会が別に定める。
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教育実践学研究 17, 2012
附 則
この規程は、平成 16 年4月1日から施行する。
附 則(平成 19 年3月 22 日)
この規程は、平成 19 年4月1日から施行する。
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教育実践学研究 17, 2012
山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター利用規則
制定 平成 16 年4月1日
(目的)
第1条 この規則は、山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター(以下「センター」という。)
の利用に関して必要な事項を定める。
(利用の範囲)
第2条 センターを利用できる範囲は、山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター規程第
4条に掲げる事業を行う場合とする。
2 前項のほか、センター長が必要と認めた教育及び研究に利用できるものとする。
3 センターで利用できる施設・設備は次のとおりとする。
(1)多目的スペース
(2)授業研究演習室
(3)マルチメディア教材作成室
(4)センターに関わるネットワーク及びこれに附属する機器
(5)その他の施設・設備
(利用資格)
第3条 センターを利用できるのは、次の各号の一つに該当する者とする。
(1)センター研究員
(2)センター研究協力者
(3)本学教育人間科学部の職員及び職員の許可を得た学生
(4)本学教育人間科学部が催す講習会、研究会等への参加者
(5)その他センター長が適当と認めた者
(利用の申請等)
第4条 センターを利用しようとする者は、所定の利用申請書をセンター長に提出し、その承認を
受けなければならない。
(報告等)
第5条 センター長は、利用に係る事項について、利用者に報告を求めることができる。
(利用の取消等)
第6条 センター長は、利用者がこの規則に違反し、又はセンターの運営に支障を生じさせるおそ
れがあるときは、その利用の承認を取消し、又はその利用を停止させることができる。
(損害の補償)
第7条 センターの建物・備品等を利用者が故意又は過失により破損又は紛失したときは、利用者
はセンター長の指示に従って速やかに現状に復さなければならない。ただし、センター長が
やむを得ない事由と認めた場合は、この限りではない。
(経費の負担)
第8条 センター長は、当該利用に係る経費の負担を利用申請手続者に求めることができる。
(雑則)
第9条 この規則を改正しようとするときは、センター運営委員会の議を経なければならない。
2 この規則に定めるもののほか、センターの利用に関する必要な事項は、センター運営委員
会の議に基づきセンター長が別に定める。
附 則
この規則は、平成 16 年4月1日から施行する。
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教育実践学研究 17, 2012
山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター利用細則
制定 平成 16 年4月1日
(趣旨)
第1条 山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター(以下「センター」という。)の利用を
円滑にするため、この細則を定める。
(利用委員会の区分)
第2条 センターは、施設・設備の利用に関する委員会をおく。
2 委員会はセンター利用規則第3条の区分に従い、多目的教室・授業研究演習室利用委員会
及びマルチメディア教材作成室・ネットワーク利用委員会とし、委員会の組織及び運営は別
に定める。
(利用の優先順位)
第3条 利用の優先順位は原則として、次のとおりとする。なお、同一順位内において申請が重複
した場合は、原則として申し込み順とする。
(1)センター規程第4条に関わる利用
(2)センター専任教員・客員教授又は客員准教授の担当授業に関わる利用
(3)センター専任教員以外の教員の担当授業に関わる利用
(4)その他の利用
(利用形態)
第4条 前条第3号及び第4号における利用の形態は、原則として、次のとおりとする。なお、定
期利用とは、半期(前期・後期)又は1年間について一定の曜日・時限の継続的な利用を、
不定期利用とは定期利用以外の利用をいう。
(1)マルチメディア教材作成室は定期、不定期の利用とする。
(2)授業研究演習室は不定期のみの利用とする。
(3)多目的教室は不定期のみの利用とする。
(4)機器等は不定期のみの利用とする。
(申請受付)
第5条 申請の受付は、特段の事情がない限り、原則として利用予定日から起算して30日前から
10日前とする。なお、定期利用の場合、半期単位で申請するものとする。
(利用申請書、許可書)
第6条 利用申請書、利用許可書の様式は別紙のとおりとする。ただし、学生のマルチメディア教
材作成室利用については、入退室カードの申請、許可をもってこれに替えることとする。
(学外者の利用)
第7条 本学以外の者の利用に関しては、山梨大学不動産使用規定に従うものとする。
(その他)
第8条 この細則の改正は、センター運営委員会の議を経なければならない。
附 則
この規則は、平成 16 年4月1日から施行する。
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教育実践学研究 17, 2012
山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター施設・設備利用委員会内規
制定 平成 16 年4月1日
(趣旨)
第1条 山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター利用規則第 10 条第2項の規定に基づく
各施設・設備利用委員会(以下「委員会」という。)の組織及び運営に関しては、この内規の
定めるところによる。
第2条 委員会は、各施設・設備の管理・運営を行い、利用に関する事項を教育実践総合センター
運営委員会に報告する。
第3条 委員会は、教育実践総合センター教官及び教育人間科学部教官の若干名の委員をもって組
織し、教育実践総合センター長が委員を委嘱する。
2 前項の委員の任期は2年とする。ただし再任を妨げない。
第4条 委員会に委員長及び副委員長を置き、委員の互選による。
2 委員長は、必要に応じて委員会を招集し、議長となる。
3 副委員長は、委員長に事故あるときは、その職務を代行する。
第5条 運営の細目は、委員会が定める。
第6条 委員会の庶務は、教育実践総合センターで処理する。
第7条 この内規を改正しようとするときは、センター運営委員会の議を経なければならない。
附 則
この規則は、平成 16 年4月1日から施行する。
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教育実践学研究 17, 2012
山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター教育相談室要項
制定 平成 19 年3月 22 日
(趣旨)
第1条 山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター規程(以下「センター規程」という。)
第 10 条第2項に基づき、山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター教育相談室(以
下「教育相談室」という。)の運営に関し、必要な事項を定める。
(任務)
第2条 教育相談室は、あらかじめ「教育相談スタッフ」を登録し、主として教師及び児童生徒並
びに保護者の教育上の相談を受け付け、これに対し指導・助言する。
(連絡協議会)
第3条 教育相談室に、山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター教育相談室連絡協議会
(以下「連絡協議会」という。)を置き、次の各号に掲げる事項について審議する。
(1)教育相談室の運営に関すること。
(2)附属学校の教育相談に関すること。
(3)教育相談室の予算に関すること。
(4)教育相談室諸規程に関すること。
(連絡協議会の組織)
第4条 連絡協議会は、次の各号に掲げる委員をもって組織する。
(1)山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター長(以下「センター長」という。)
が指名する教員
(2)教育人間科学部附属学校の教員 若干人
2 委員の任期は1年とし、再任を妨げない。
(連絡協議会の委員長)
第5条 連絡協議会に委員長を置き、センター長が指名する。
2 委員長は連絡協議会を招集し、議長となる。
(連絡協議会の議事)
第6条 連絡協議会は、委員の過半数の出席がなければ議事を開くことができない。
2 連絡協議会の議決は、過半数で決し、可否同数のときは委員長の決するところによる。
3 連絡協議会が必要と認めるときは、委員以外の者を出席させることができる。
(雑則)
第7条 この要項に定めるもののほか、教育相談室の運営に関し必要な事項は、連絡協議会の議に
基づき、センター長が別に定める。
附 記
この要項は、平成 19 年4月1日から実施する。
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教育実践学研究 17, 2012
編 集 後 記
今年も『教育実践総合センター研究紀要』に多くの研究を寄稿していただきました。
教育人間科学部に設置された当センターが、教育実践を研究する総合センターとして有
効に機能していくためにも、学内の研究を実践現場とつなげる『紀要』の役割には大き
な意味があります。寄せられた研究成果が、教育実践研究の発展に有効に活用されるこ
とを期待してやみません。
教育実践総合センター長 加藤 繁美
編 集 委 員
加藤 繁美(委員長,センター長,幼児教育講座)
平田 徹(教育実践総合センター運営委員,ソフトサイエンス講座)
グローマー ジェラルド(教育実践総合センター運営委員,生涯学習講座)
嶋田 一彦(教育実践総合センター運営委員,大学院教育実践創成専攻)
谷口 明子(教育実践総合センター運営委員,大学院教育実践創成専攻)
早川 健(教育実践総合センター運営委員,大学院教育実践創成専攻)
成田 雅博(教育実践総合センター運営委員,教育実践総合センター)
教育実践学研究第 17 号
2012 年3月 31 日発行
編集・発行者: 山梨大学教育人間科学部附属教育実践総合センター
〒 400-8510 甲府市武田四丁目 4-37
Phone : 055-220-8325
Fax : URL : http://www.cer.yamanashi.ac.jp/
E-mail : jissen-ml@yamanashi.ac.jp
055-220-8790
- 130 -
ISSN 1881-6169
JOURNAL
OF
APPLIED EDUCATIONAL RESEARCH
No. 17 2012
Educational Value of Participating Educational Volunteer Activities by Students who want
Become Teachers
SHIMADA Kazuhiko…………………………………………………………………………………… 1
Teaching Debate In Japan Part One
Paul KLOUSIA, NAGASE Yoshiki…………………………………………………………………… 19
A study on the Improvement of Reading Literacy in Science Education:
Focusing on the Concept Formation Process
NAKAJIMA Masako, HORI Tetsuo…………………………………………………………………… 25
A Study on the Improvement of High School English Teaching Using OPPA:
Based on the Analysis of OPP Sheets from First Grade Students during the Relative Clause Unit
YATO Satoko, NAKAJIMA Masako, HORI Tetsuo………………………………………………… 34
Teaching Music Appreciation by Using Visual Elements
KOJIMA Chika… ……………………………………………………………………………………… 45
An Investigation of Animal Rearing and plant Cultivation in Industrial Technology at Junior High School
SATOU Hiroshi, SHINOHARA Yuuki, YAMANUSHI Kimihiko…………………………………… 59
The Role of Japanese self-help groups in New York for Japanese Parents and Their Children with
Developmental Disabilities born in the USA
TORIUMI Junko ……………………………………………………………………………………… 66
The Effects of Support in Formative Activity Containing Symbolic Use of Children with Mild to
Moderate Intellectual Disabilities
WATANABE Masatoshi………………………………………………………………………………… 75
Influences of cultural contexts on young children’s perception of imaginary substances focusing
adults’ belief on fictional characters and magical power
TSUKAKOSHI Nami…………………………………………………………………………………… 83
L’enseignement du cinéma en France (1)
MORITA Shuji………………………………………………………………………………………… 90
Development of Teaching Materials on Statistics at Upper Secondary School Level Using Binomial
Distribution Analysis Chart
NARITA Masahiro……………………………………………………………………………………… 103
La recherche sur Mishima Yukio en France.
Sabatier Aurélien ……………………………………………………………………………………… 110
The Center for Educational Research
Faculty of Education and Human Sciences
University of Yamanashi
4-4-37 Takeda, Kofu 400-8510, Japan
Phone : 055-220-8325 Fax : 055-220-8790