インストラクショナルデザイン

インストラクショナルデザイン
……教えることの科学と技術……
Instructional Design : The Art and Science of Instruction
【2009年版】
向後千春・伊豆原久美子
(C) 2009 KogoLab
はじめに
インストラクショナルデザインとは、「教えることの科学と技術」です。
この本を手にしている大部分の人は、「教える」ということを職業にしている人では
ないかも知れません。そういう人にとっても「教えることの科学と技術」を学ぶ必要
があるのでしょうか。答えはYesです。
教えることを職業にしている代表は学校の教員ですが、逆に教員でなければ教えられ
ないということはありません。それどころか、仕事や日常生活の中では、私たちみん
ながいやおうなく教える仕事をしなくてはならないのです。たとえば、子どもに勉強
を教える、後輩に仕事を教える、おじいちゃんにケータイの使い方を教える……など
など。
インストラクショナルデザインは、私たちが誰かに何かを教えなければいけないと
き、「効率の良い上手な教え方」を提供してくれます。単なる経験則や人生訓ではな
く、科学的に良い教え方を追求するのがインストラクショナルデザインという学問で
す。
この本では、古典的かつ正統的なインストラクショナルデザインの哲学、理論、そし
て実践について説明しています。この本を読めば、あなたは自分の教え方に自信を持
つことができるでしょう。そして、実際に教えていく中で、自分の教え方を改善する
ことができるようになるでしょう。
□
なお、この本の後半(8章以降)を書くにあたっては、2007年度のeスクール受講生で
ある次の人たちの協力を得ました。武者る美さん、菊地真実さん、山下久美さん、山
田雅敏さん、匿名希望さん。以上の方々は、授業ビデオを視聴してその内容を文字に
してくれました。記して感謝したいと思います。どうもありがとうございました。
2009年3月1日 向後千春・伊豆原久美子
内容についての連絡先
この本に書かれている内容について疑問や間違いがありましたら、メールでお知らせ
ください。アドレスは:kogo@waseda.jp です。
もくじ
1. インストラクショナルデザインとは何か ...............................................1
2. 行動分析学の考え方.............................................................................8
3. 行動分析学をIDに活かす ...................................................................18
4. 認知心理学の考え方 ..........................................................................26
5. 認知心理学をIDに活かす ...................................................................36
6. 状況的学習論の考え方 .......................................................................44
7. 状況的学習論をIDに活かす ................................................................52
8. IDプロセス .......................................................................................60
9. ニーズとゴール ..................................................................................66
10. リソースのデザイン .........................................................................76
11. 活動とフィードバックのデザイン .....................................................88
12. 評価のデザイン .............................................................................100
13. まとめと振り返り .........................................................................110
索引 ......................................................................................................112
1. インストラクショナルデザインとは何か
----先生、ちょっと聞いてくださいよ∼
ん、なぁに?
----何で自動車学校の教官ってのは、教えるのが下手なんでしょうね。
ああ、あなたは教習中だったね。
----そうなんです。教官がムスッとしていて、「そこ、ちがう」とか「だめだな
あ」しか言わないんです。具体的にどう操作すればいいのかわからないのに。
確かに、それじゃわからないな。運転を教えるのはけっこう難しいんだけどね。
----そういえば、今、家庭教師をしているんですけど、その子の勉強がなかなか
進まないんですよ。簡単な問題なら解けるんだけど、応用問題になると全然ダ
メなんです。
ふ∼ん、あなたは「教え方」を習ったことがあるかい?
----いいえ、教職科目は取っていません。
いや、教職科目でも家庭教師の「教え方」は教えていないよね。家庭教師だろう
が、自動車学校だろうが、「教え方」を研究する学問があるんだよ。
----「教え方」を研究する学問があるんですか? 何ですかそれは?
インストラクショナルデザインというのさ。略してID。
----インストラクショナルデザインですか。初めて聞きました。
1.1 インストラクショナルデザインとあなた
教えること・学ぶことは日常行為
私たち人間は、生まれてから死ぬ直前まで、常に何かを学んでいます。誰かに教えられ
なくても、何かを学んでいます。しかし、教えられて学ぶこともまた日常的な行為で
す。
教えるというとすぐに学校を思い浮かべますが、実は、学校以外でも教えるという行
為は日常的に行われています。たとえば、友だちから料理のレシピを教えられる。そ
れを実際に試してみて、他の人に教える。職場で先輩から新しい仕事を教えられる。
後輩に仕事のコツを教える。テニススクールでサーブの打ち方を教えられる。このよ
うに、教えるという行為は学校に限定されていません。ましてや、教員や教師の独占
業務でもありません。私たちは、より良く生きていくために、常に誰かから何かを学
び、誰かに何かを教えているのです。
1
うまく教えるための技術がある
このように、教える機会や必要性はたくさんあるにもかかわらず、私たちは「教え
方」を学んできませんでした。学校では常に生徒・学生としてさまざまな科目を教え
られてきましたが、「教え方」だけは教えられてきませんでした。どこを探しても
「上手な教え方」という科目はなかったのです。これは何という不都合なことでしょ
う。生きていく上で、また働いていく上で、必要とされている「上手な教え方」とい
う内容が教えられていないのです。
インストラクショナルデザインという学問はまさにこの領域を扱います。何かをうま
く教えるための技術と科学を扱う学問がインストラクショナルデザインです。
仕事をしていれば、教えるということを必ずしなければなりません。どんな専門であ
ろうが、どんな職種であろうが、必ず後輩を育て、弟子を育てなければそこで途絶え
てしまうわけです。もし存続させようと思うなら、教えるという仕事は必ずついて回
ります。すべての人がインストラクショナルデザインの素養を持って、上手な教え方を
習得したならば、社会はもっともっと良くなることでしょう。
1.2 インストラクショナルデザインとは何か
インストラクショナルデザインは、英語では、Instructional Design と書きます。この
言葉は、「インストラクション」と「デザイン」ということからなっています。
インストラクションということ
インストラクションというのは「教える」ということです。教えるということは、何
かを知っている/できる人が、それについて知りたい/できるようになりたいと思っ
ている人に情報を伝え、結果としてその人がそれを知る/できるようになることで
す。
ですから、インストラクションはコミュニケーションの一部です。ある人が別の人に
何かを伝えるというコミュニケーションのうち、ある人が意図的に、そのことを知り
たいと思っている別の人にそれを伝える場合をインストラクションと呼びます。ある
人が意図せずに、結果として別の人に伝えてしまったという場合はインストラクショ
ンではありません。その人は結果として何かを学んだかもしれませんが、それは意図
されていなかったことですのでインストラクションではありません。
デザインということ
デザインというのは、原理と見かけをつなぐことです。原理というのは、理論といっ
てもいいですが、見かけの裏で動いている抽象的なものです。見かけというのは、実
働といってもいいですが、現にそこで見えて、動いているものです。原理を見かけに変
換することを設計と呼びます。
2
インストラクショナルデザインとは、教えること・学ぶことの原理(理論)を、特定
の見かけ(実働するもの)に変換することです。
面白いことに、ひとつの原理から複数の見かけが設計できます。また、複数の原理を
組み合わせることで、ひとつの見かけを設計することもできます。インストラクショ
ンをデザインするためには、原理を知ることと、実働の現場でどのような見かけが必
要とされているのか、という両者を知っておくことが必要です。
ゴールベースのデザイン
インストラクショナルデザインの特徴は、ゴールベースであることです。ゴールとは目
標です。ある人がインストラクションを受けて、特定のことができるようになること
をゴールと呼びます。インストラクションはこのゴールをベースとしてデザインされま
す。そのデザインが適切だったかどうかは、すべてゴールが達成されたかどうかという
ことによって判定されます。
それは当然のことではないかという人もいるかと思います。しかし、ゴールが達成さ
れたかどうかにあまりこだわらない教育も厳然としてあります。つまり、教える人の
意気込みや働きかけが重要だという考え方です。
沼野1は、結果として学習が起こったかどうかにかかわらず「働きかける」ことを「意
図的教育」と呼びました。これに対して、学習者に学習が生じたことをもって「教え
た」といえるとして、これを「成功的教育」と呼んで区別しました。意図的教育の見
方を取るならば、教える人が努力して働きかければ「教えた」ことになります。つま
り、教えるという意図を持って教えていれば、結果はどうであれ「教えた」ことにな
るという考え方です。しかし、成功的教育の見方を取るならば、教えるという意図を
持って教えているだけでは不十分だと考えます。教えるという意図があっても、実際に
学習者がゴールを達成していないのならば「教えたつもり」でしかありません。学習
者に学びが起こってはじめて「教えた」ということができると考えます。
意図的教育と成功的教育のどちらの見方を取るかで「教える」という言葉の捉え方が
変わるだけでなく、「教える」という行為への取り組み方も変わってきます。意図的
教育の見方を取るならば、自分は精一杯努力して「教えた」という思いが強ければ、
結果はともかく教える側の責任は果たしたと満足することができます。あるいは、結
果が悪かった場合には学習者の努力が足りなかったと責任を転嫁することもできま
す。しかし、成功的教育の見方を取るならば、自分が精一杯努力して「教えた」だけ
で満足することは許されません。常にゴールが達成されたかどうかに関心を持ち、そ
れに対して責任を持とうとする態度が要求されます。
インストラクショナルデザインは成功的教育の見方を取ります。ゴールベースによって
デザインされたインストラクションであっても、それを実行した結果、学習者がゴー
ルを達成する場合もあればそうでない場合もあります。しかし、その結果をもとにイ
1 沼野一男編著『教育の方法と技術』玉川大学出版部, 1986
3
ンストラクションのデザインが適切だったかどうかを判定し、改善していくというサ
イクルを取ることによって、成功的教育を実現しようとしています。
教育との関係
教育とインストラクションは似ています。教育の一部分がインストラクションです。
教育では「人はどうあるべきか」という理念がそのデザインを決めますが、インスト
ラクションはそのような理念や理想を扱いませんし、またその価値判断を留保しま
す。あくまでも、何ができるようになるかというゴールが設定されたあとの範囲を扱
います。
ですから、インストラクショナルデザインは、いいことにも、また悪いことにも使う
ことができます。たとえば、受験に有利なテクニックを教えることに活用することが
できます。しかし、そのことがいいか悪いかという判断はインストラクショナルデザ
インの枠組みの中ではすることができません。
1.3 インストラクショナルデザインの学問的基礎
インストラクショナルデザインは教育工学の一部
教育工学は、Instructional Technologyの日本語訳です。Educational Technologyと言う場合もあります。
アメリカでの教育工学の学会であるAECT(Association for Educational Communications and Technology)の1994年の定義によると、教育工学とは「学習の過程と資
源についての設計、開発、運用、管理、並びに評価に関する理論と実践」とされてい
ます1。つまり、教えることと学ぶことにまつわる設計から開発・運用・管理そして評
価にいたるすべての理論と実践を扱う学問だということです。
インストラクショナルデザインは、教えることのデザインを扱っているわけですか
ら、教育工学の重要な中心部分であるということができます。
学際領域「教育工学」の基盤
教育工学という学問領域は、成立してからまだ100年もたっていない、応用的・実践的
な領域です。その基盤は次のような学問にあります。
1番目は、心理学です。心理学は非常に幅の広い学問ですが、その中でも、とりわけ
学習の心理学とコミュニケーションの心理学が教育工学の基盤になっています。具体
的には、学習心理学、認知心理学、社会心理学、臨床心理学と呼ばれる心理学の下位
領域です。
1 ロス&モリソン『教育工学を始めよう』北大路書房, 2002
4
この中でも、「教授・学習に関する心理学」はインストラクショナルデザインの基盤
になっています。具体的には、行動分析学、認知心理学、状況的学習論の3つがそれ
にあたり、この本でも、この3つの心理学を順番に学んでいきます。
2番目は、情報コミュニケーション技術です。教育工学は、それ以前のワザや職人芸
による教育から、科学的な理論とコンピュータをはじめとする情報技術を導入して、
教育を改善しようという意図を当初から持っていました。したがって情報コミュニ
ケーション技術が教育工学の1つの基盤になっています。これは、ただ技術を教育に
取り入れるということではなく、そのことによって教育の現場で起こっていることを
オープンにし、科学的に取り扱うことができるという作用があります。
3番目は、教育学です。学問としての教育は、哲学と同じく古くて新しい問題です。技
術のように直線的な進歩はありません。ある考え方が優勢になると同時にそれに対立
する考え方が台頭し、逆転します。そしてまたその考え方も別の考え方に取って代わ
られるというように振り子の運動のように行きつ戻りつしてきました。教育工学は古
い教育学を、ある意味で反面教師として発展してきました。しかし、それがこのまま
行くとは限りません。振り子のように元に戻るかもしれません。
研究アプローチ
教育工学は、当初から応用的・実践的な学問でした。ですから純粋な理学でもありま
せんし、完全な臨床とも異なります。その研究目的によってさまざまな研究手法を
採っていく必要があります。
しかし、譲れない条件は実証ベースであるということです。データについては、量的
なデータであっても、質的なデータであっても扱います。
教育工学の特徴的な研究方法は、デザイン実験(Design Experiment)です。これ
は、具体的なものを開発し、改善しながら現場に役に立つものを作っていくというア
プローチです。現場では、実験計画法でいうところの統制群を設定することも不可能
なことが多いのです。それに替わって、現場でのデザインと実践を行いつつ、並行して
さまざまなデータを蓄積していくという方法です。
1.4 文献紹介
大村はま『教えることの復権』筑摩新書, 2003
大村はまは、日本の元祖インストラクショナルデザイナーといってもい
いと思います。それは、たとえばこの本のこんな部分からもわかりま
す。
「子どもに考えさせるのがいいことは決まっています。そんなことはあ
たりまえです。でも、ヒントも出さないでいきなり、それはこの頭が考
えるのよって言ってもねぇ。いい頭といわれたのがうんとうれしいか
5
ら、子どもはにこにことするし、優しい先生ということになる。形の上では子どもに
も考えさせたということにもなるかもしれない。でもほんとうは何も教えていない。
よさそうな新しい先生のようでいて、しかしなにも教えていないでしょ。」
「自由研究と称してあなたの好きなことをやっていいと気軽に言って、教師はその子
が何をやるべきか、何が好きか、何をやれそうか、そういうことについて考えない。
そこのところが戦後の大失敗だったと思う。自由のはき違いというのが。」
成功的教育が具体的にどんなものなのか、そして、それを教室で実現するにはどうす
ればいいのかのヒントをこの本からつかむことができます。
中原淳編著『企業内人材育成入門』ダイヤモンド社, 2006
前半は、教授学習の心理学からインストラクショナルデザインの基本的
なトピックを幅広くカバーしています。小項目主義で書かれていて、身
近で具体的なイントロから始まっているので取っつきやすく、これを導
入として自分で研究を進めていくという使い方をするといいと思いま
す。タイトルは「企業内」となっているけれども、それに限らずインス
トラクショナルデザインに興味を持っている人には参考になる本です。
1.5 確認テスト
問題1
インストラクショナルデザインに関する以下のア∼オの説明について、正しいものには○を、
間違っているものには をつけてください。
(4点 5=20点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
インストラクショナルデザインは成功的教育の見方を取るので、学習者は必ずゴール
に到達することができる。
インストラクショナルデザインは、いいことだけでなく悪いことにも使うことができ
る。
インストラクションが成功するかどうかは、教える人の意気込みや働きかけ次第であ
る。
教えたこととは違うことができるようになった場合でも、結果的に学びが起こったの
だからそのインストラクションは成功したといえる。
インストラクショナルデザインでは「人がどうあるべきか」という理念がそのデザイ
ンを決める。
6
問題2
教育工学に関する以下のア∼オの説明にはそれぞれ1カ所だけ間違いがあります。間違ってい
る箇所を正しい内容に書き直してください。
(6点 5=30点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
教育工学という学問領域は、インストラクショナルデザインの下位領域に位置づけら
れる。
教育工学の学問的基盤として心理学・情報コミュニケーション技術・哲学がある。
教育工学はInstructor Technologyの日本語訳である。
教育工学は成立してから10年あまりしか経っていない学問領域である。
教育工学は古い教育学を模範として発展してきた。
問題3
次のような考え方は、意図的教育または成功的教育のどちらの見方に近いかを答えてくださ
い。
(5点 6=30点)
意図的教育の見方( ) 成功的教育の見方( )
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
熱血指導はいつか報われる。
授業の内容を理解しているかどうかは生徒の目を見ればわかる。
テストの結果を分析すれば教え方を改善する指標となる。
まじめに授業を受けていた生徒には単位を与えよう。
授業で教えたことを理解していないのは生徒の努力が足りないからだ。
テストは学習到達度を測るために欠かせないものだ。
問題4
以下の用語について簡単に説明してください。
(10点 2=20点)
1.教育工学(アメリカの教育工学の学会であるAECTの定義を答えてください)
2.デザイン実験アプローチ
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2. 行動分析学の考え方
----先生、最近の小学生では、学級崩壊が問題になっていますね。
そう。調査によると、平均的な規模の小学校では、必ず1つのクラスで学級崩壊
が起こっているという計算になる。
----嘆かわしいことですし、困ったことですね。何より授業が成立しなければ、
勉強もできませんし、どんどん学力が落ちていってしまう。
小学校時代にきちんと勉強するという行動パターンが身につけられないとすれ
ば、そのあとの人生に大きな影響が出てくるだろうね。
----なぜなんでしょうか。家庭のしつけでしょうか。それとも、先生の授業が面
白くなくなっているんでしょうか。指導力の低下でしょうか。
社会や時代の変化を含めて、さまざまな要因が考えられると思う。でも、インス
トラクショナルデザインの立場から見れば、何十人もの人を教室という場所に集
めて、同じ内容を同じペースで教えるということそのものが、すでに不合理だと
思うけれどね。
----学校という制度がもはや時代遅れだということですか。
ストレートにそういってもいい。だけど学校という枠組みの中で、もっと改善で
きることはある。
----まずは学級崩壊をなんとかしてほしいのですが。
それは人の行動をどうコントロールするかということにかかっている。
---それはまた、ストレートですね。人の行動をコントロールするなんて簡単に
できるのですか。
私たちは毎日人をコントロールしたり、人にコントロールされたりして生きてい
るんだよ。
---まあ、それはそうですけれども。
それをもうちょっと科学的に見てみようよ。
2.1 行動分析学とは何か
心理学はもともと「こころ」を科学的に扱おうとする学問でしたが、心を観察し報告
できるのはその本人にしかできません。これを内観報告と呼びますが、研究者はそれ
を客観的に扱うことができません。そのため心理学は、心ではなく、第三者が客観的
に測定できる「行動」を扱うべきだという勢力が1920年代から出てきました。これを
行動主義心理学と呼びます。
行動主義心理学の1人であった、B. F. Skinnerが体系化した理論を基礎にしたものを
行動分析学と呼びます。行動分析学は、どうすれば行動を変えることができるかにつ
8
いての科学です。この背景には、「目の前にある行動こそが問題であり、心理的な原
因ではない」という哲学があります。新しい行動を獲得させたり、現に起こっている
問題行動を修正したりする必要性が常にありますが、それがなぜできないのかという
原因をあれこれ考えるよりは、そのための直接的な方法を使おうというものです。
学級崩壊や校内暴力は「心の教育」で解決できるでしょうか。おそらく無理でしょ
う。問題行動が「その人の心が原因で引き起こされている」という仮定を取る限り、
その修正は容易ではありません。なぜならば、その人の行動を変えるよりも、その人
の心を変える方が困難だからです。洗脳という手段以外では、他人の心は変えられま
せん。しかし、他人の行動は変えられます。問題行動は過去に学習されたものであ
り、学習し直すことで修正可能だというのが行動分析学の前提です。
2.2 行動随伴性
私たちは日々いろいろな行動をします。そして、ある行動は、持続したり、ますます
頻度が高くなります。その一方で、ある行動は、だんだん頻度が落ち、最終的には
まったくしなくなります。たとえば、タバコをやめようと決心しても、いつの間にか
タバコを吸ってしまい、その後ますますタバコの量が増えるということがあります。ま
た、ジョギングを始めて、最初の一週間は毎日続けられましたが、その後だんだんさ
ぼりがちになり、最終的にはまったくジョギングをやめてしまったということもあり
ます。このような行動の頻度の変化は何によって決まるのでしょうか。おそらく何か
行動(タバコを吸う、ジョギングをするなど)をしたことで、何らかの変化(気持ち
が落ち着く、疲れるなど)が起こり、それによって次に同じ行動を取るかどうかが影
響されるのでしょう。これを理論化したものを「行動随伴性」と呼びます。行動随伴
性とは、行動とともに起こる環境の変化がその後の行動の出現頻度を決めるというこ
とです。
まず、「強化と弱化」を定義します。強化とは、行動の出現頻度が高まることです。逆
に、弱化とは行動の出現頻度が低くなることです。
次に、「好子と嫌子」を定義します。おおざっぱに言えば、好子とはもらってうれし
いものであり、嫌子とはもらって嫌なものです。たとえば、チョコレートは大抵の人
にとっては好子になりますが、チョコレートの嫌いな人には嫌子になります。そうす
るとあるものが好子になるか嫌子になるかは、その個人によって違ってきます。これで
は定義しにくいので、好子とは、行動が強化されたときにその行動の直後に生じたこ
とと定義します。たとえば、好子なしの状態で、宿題をしたら、おやつが出たとしま
す。もしこれ以降宿題をする頻度が高まったとすれば、そのおやつは好子ということ
になります。好子によって宿題をするという行動が強化されたということです。
このようにある行動の直後に、好子あるいは嫌子が、出現したり、あるいは消失した
りすることがあると、その行動の頻度に変化が生じます。これを行動随伴性と呼びま
9
す。好子・嫌子が出現・消失ということで、4種類のパターンになります。これを表
2.1に示しました。
表2.1 行動随伴性のマトリクス
出現
消失
好子
強化
弱化
嫌子
弱化
強化
つまり、行動随伴性には次の4つのパターンがあります。
• 好子出現による強化
• 嫌子消失による強化
• 嫌子出現による弱化
• 好子消失による弱化
好子や嫌子という用語は聞いたことがないけれども、正の強化子や負の強化子ならば
聞いたことがあるという人もいるかもしれません。実は、従来の行動分析学の用語で
は、好子は正の強化子(強化子、強化刺激)、嫌子は負の強化子(罰子、嫌悪刺激)
などと呼ばれています。また、弱化は「罰」と呼ばれています。たとえば、好子消失に
よる弱化を正確に表記しようとすると「正の強化子を除去して、負の罰」のように煩
雑な表現になります。また、罰というイメージが負と結びつきやすいのも従来の用語
のわかりにくいところです。ですから、このワークブックでは従来の用語ではなく好
子や嫌子という用語を採用してます。このワークブックの用語と従来の用語の対応を
表2.2に示しました。従来の用語で行動分析学を学んだことのある人は参考にしてくだ
さい。
表2.2 ワークブックの用語と従来の用語の対応
行動随伴性
従来の用語
好子出現による強化
正の強化
嫌子消失による強化
負の強化
嫌子出現による弱化
正の罰
行動の頻度
増加↑
減少↓
好子消失による弱化
負の罰
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2.3 強化と弱化の例
強化と弱化の例を見ていきましょう。ここで、「直前の状況」→「取った行動」→
「直後の状況」という形式で記述するとわかりやすいので、この形式を使います。こ
れを「ABC分析」と呼びます。ABCは、Antecedent(先行条件), Behavior(行動),
Consequence(結果)の頭文字です。
好子出現による強化
• 直前:まわりがよく【見えない】
• 行動:メガネをかける
• 直後:まわりがよく【見える】
「まわりがよく見える」ということはその人にとって好子となりますので、これ以
降、まわりがよく見えないという状況ではメガネをかけるという行動が強化されるこ
とになります。
嫌子消失による強化
• 直前:雨に【濡れる】
• 行動:傘をさす
• 直後:雨に【濡れない】
「雨に濡れる」ということはたいていの人にとっては、嫌子です。傘をさすことに
よってこの嫌子が回避されますので、これ以降、その人は雨が降ると傘をさすように
なるでしょう。つまり傘をさすという行動が強化されたということです。
好子消失による弱化
• 直前:友人が【いる】
• 行動:友人を非難する
• 直後:友人が【いなくなる】
「友人がいなくなる」ということはその人にとっての好子がなくなることですので、
これ以降、その人は友人を非難するという行動をそう簡単には取らなくなるでしょ
う。つまり友人を非難するという行動が弱化されたということです。
嫌子出現による弱化
• 直前:【熱くない】
• 行動:ストーブに触る
• 直後:【熱い】
「ストーブにさわって熱い」ということはやけどしたりするので、その人にとって嫌
子となります。これ以降、その人はストーブには触らないようになるでしょう。つま
りストーブに触るという行動が弱化されたということです。
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死人テスト
ABC分析の「行動」の項には、まさに行動を書きます。たとえば「勉強しない」とい
うことは行動でしょうか。行動分析学では、行動かそうでないかを判別するために死
人テストという方法を使います。つまり、死人でもできることは、行動ではないと判
定します。先の「勉強しない」という例は死人でもできるので、行動ではありませ
ん。
行動とはいえないものを分類すると、次のようになります。
• 「……される」で表される【受け身】 例:怒られる
• 「……しない」で表される【否定形】 例:勉強しない
• 【変化を観察できない行動や状態】 例:黙る、じっとしている
消去と復帰
ある行動が持続して起こるのは、その行動が、好子出現か嫌子消失によって強化され
ているからです。この強化随伴性がなくなれば、その行動も徐々になくなります。こ
れを消去と呼びます。たとえばある人にメールを送ると返事をもらえていたのに、あ
るときから相手の返事が来なくなれば、その人にメールを送るという行動は徐々に頻
度が少なくなり、消去されます。突然、やけになったように大量のメールを送ったり
することもあるでしょうが(これをバーストと呼びます)、何の返事もなければ長期
的にはメールを送るという行動は消去されます。
また、逆にある行動が弱化されてるために起こっていなかったのに、その弱化随伴性
がなくなったために、その行動がふたたび起こることがあります。これを復帰と呼び
ます。たとえば、ある生徒が教室で騒ぐたびに先生にしかられて、そのために騒ぐ頻
度が押さえられていたとします(嫌子出現による弱化です)。しかし、ある時期に先
生が代わり、その先生が叱ることをしなければ、その生徒が騒ぐ行動は叱られる前の
頻度に戻ります。これが復帰です。
2.4 学習とは
ある状況下で、ある行動を取ると、その状況が変化します。その変化がその人にとっ
て良ければその行動は強化されますし、悪ければ弱化されます。このように行動が変
化していくことを行動分析学では「学習」と呼びます。
このように考えると、私たちは日々学習をしていることになります。新しくできたレス
トランに行って、値段の割においしかったら、次もそこに行く確率は高まるでしょ
う。また、今までおいしかったのに、ある日料理人が替わって、おいしくなくなった
としたら、行く確率は低くなるでしょう。こうしたことは環境からの学習といってい
いでしょう。
一方で、子どものしつけのように親が子どもに対して学習させるということもありま
す。行動分析学的に見れば、しつけというのは、親が好子や嫌子をコントロールして、
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子どもの良い行動の頻度を高め、悪い行動の頻度を低めるということに他なりませ
ん。たとえば、子どもが悪い行動をしたときに親が叱るのは、叱るという嫌子を出現
させて、悪い行動を弱化しようとしているわけです。しかし、叱られるという嫌子は
何度も出されていれば慣れてしまうものです。また、親の注目を引きたいがために、
わざと悪い行動をするとすれば、叱られるということは嫌子どころかその子にとって
は好子にもなるわけです(叱られるという注目を得られるから)。
このように、好子・嫌子、強化・弱化という考え方はシンプルですが、いったい何が
好子・嫌子として機能しているかを見極めることに注意をしなければなりません。
2.5 文献紹介
杉山尚子『行動分析学入門̶ヒトの行動の思いがけない理由』集英社新書, 2005
行動分析学の十分な入門書としては、杉山尚子・島宗理・佐藤方
哉・リチャード=マロット・マリア=マロットによる『行動分析学
入門』(産業図書, 1998)があります。しかし、ちょっと大きな
本ですので、その入門編としてこの新書本をお勧めします。
全体として、行動随伴性、シェイピング、単一被験体法とバランス
良く、しかもわかりやすく解説されています。インストラクショナ
ルデザインの源流は、行動分析学にあるので、まずこの本からス
タートするのはいいでしょう。
カレン・プライア『うまくやるための強化の原理』二瓶社, 1998
すべての親、教育関係者、教師に読んでもらいたい本です。
この本は、
• どのようにしたら望ましい行動をさせることができるか(強化
と強化スケジュール)
• どのようにしたら望ましい行動を形成することができるか
(シェイピング)
• どのようにしたら最小限の命令で行動をさせることができるか
(刺激制御)
• どのようにしたらやめて欲しい行動をやめさせることができる
か(消去)
という原理と具体的な方法を伝授しています。
とりわけ、次のようなことは読者の目を開かせてくれます。
自称「生徒のことを考えている」先生が使う「体罰」や、体罰が禁じられていると
いって代わりに使われる「叱り」、「小言」、「脅し」といった方法は最も効果がな
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いこと。何が相手の好子になるかをいろいろ考えることはトレーナーや教師の創造的
な仕事であること。教師と生徒の「コミュニケーション不足」とは本質的には、生徒
に理解されない命令を乱発していることであり、教師によるいい加減な刺激制御に
よって生徒が弁別刺激と行動との関係を形成できていないということ。生徒の心を理
解しようとする前に、自分が適切にコミュニケーションしているかどうかを自問しな
ければなりません。
2.6 確認テスト
問題1
( )に入る心理学者の名前をカタカナで書いてください。
(2点 1=2点)
行動分析学の基礎概念は、( )が提案した。
問題2
学習に関する以下のア∼オの説明について、行動分析学的な見方として正しいものには○を、
正しくないものには をつけてください。
(1点 5=5点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
問題行動を修正するには、まず心の問題を解決すべきである。
気持ちが変わらなければ学習とはいえない。 行動の変化をもって学習と呼ぶ。 問題行動は過去に学習されたものである。
「叱られる」ということは常に子どもにとって嫌子となる。
問題3
「行動随伴性」について、下記の用語を使って説明してください。(50∼150文字程度)
(5点)
使用する用語:好子、嫌子
14
問題4
以下のア∼コのABC分析について、「1.好子出現による強化」「2.好子消失による弱化」
「3.嫌子出現による弱化」「4.嫌子消失による強化」「5.消去」のいずれかに分類して
ください。
(3点 10=30点)
ア.(テレビの画面が乱れたときに)
画像の乱れあり→テレビを叩く→画像の乱れなし
イ.(東京のお店で)
ディスカウントなし→「まけてよ」と言う→ディスカウントなし
ウ.(バスケットボールの試合で)
ボールを持っている→ファウルをする→ボールを持っていない
エ.(暗い部屋に入るときに)
暗い→電気をつける→明るくなる
オ.(東南アジアを旅行中に)
腹痛なし→生水を飲む→腹痛あり
カ.(手がぬれているときに)
感電なし→コンセントを触る→感電あり
キ.(テレビのクイズ番組で)
回答権あり→間違った答えを言う→次の問題で回答権なし
ク.(子どもがおもちゃ売り場でおもちゃが欲しいときに)
おもちゃを買ってもらえない→床に寝転がって泣く→おもちゃを買ってもらえる
ケ.(実は壊れている自動販売機の前で)
ジュースなし→お金を入れてボタンを押す→ジュースなし
コ.(花粉が舞うシーズンに)
くしゃみあり→マスクをする→くしゃみなし
問題5
以下のア∼クの行動随伴性の例についてABC分析をしてください。
(3点 8=24点)
その結果から、「1.好子出現による強化」「2.好子消失による弱化」「3.嫌子出現によ
る弱化」「4.嫌子消失による強化」のいずれにあたるかを判定してください。
(3点 8=24点)
例)
お正月に親戚の家に行ったらお年玉をもらえた。それ以来、お正月には必ずその親戚の
家に行くようになった。
<ABC分析>お年玉なし→お正月に親戚の家に行く→お年玉あり
<行動随伴性>1.好子出現による強化
15
ア.
夕食で生ガキを食べたところ、食中毒になってしまった。それ以後、生ガキは食べな
くなった。
イ.
飲み会の席で、普段もの静かな課長がたまたまギャグをいったところ、場がぱっと盛
り上がった。その後、その課長は飲み会の席でよくギャグをいうようになった。
ウ.
ウ.高速道路を150kmで走行していたら、覆面パトカーに追跡されて罰金をとられ
た。それ以後、スピードの出し過ぎは控えるようになった。
エ.
夏の暑い日に帰宅したら、室内が蒸し風呂のように暑かった。あわててクーラーをつ
けたら、涼しくなった。
オ.
あるボクサーが試合で目に余る反則を繰り返したため、ボクサーライセンスの1年間
停止処分を受けた。復帰後の試合では、以前のような反則は見られなくなった。
16
カ.
記念写真を撮ろうとしたところ、みんなの表情が硬かった。そこで、カメラマンが
「はい、チーズ」といったところ、みんながにこっと笑った。カメラマンはシャッ
ターを押すたびに「はい、チーズ」と言うようになった。
キ.
1日使い捨てタイプのコンタクトレンズをつけたまま、うっかり眠ってしまった。翌
朝、目が充血し痛みもあった。以後、コンタクトレンズの外し忘れがないように気を
つけるようになった。
ク.
頭が痛いので痛み止めの薬を飲んだところ、痛みが治まった。
問題6
以下のア∼コの行動が死人テストをパスする場合には○を、パスしない場合には をつけてく
ださい。
(1点 10=10点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
キ.
ク.
ケ.
コ.
電話をかける
じっとしている
黙っている
食べない
車にひかれる
返事をしない
思い出す
静かにしている
テレビを見る
怒られる
17
3. 行動分析学をIDに活かす
----先生、最近の小学生の学力低下が問題になっていますね。この前、小学校の
算数の教科書を見て、驚いたのですが、すごく易しくなっているんですよ。マ
ンガなんかも描いてあって。
昔に比べると確かに易しくなっているようだ。それなのに学力低下が問題になっ
ている。なぜだろうね。
----基礎的な反復練習や計算のドリルをやっていないからじゃないですか。私た
ちの頃は、そんな練習をたくさんやらされた記憶があります。
漢字の書き取りもたくさんやったなあ……(遠い目) まあ、あれはいたずらを
した罰だったけど。ともあれ、なぜ計算ドリルが必要だと思う?
----基礎的なスキルだからです。罰のためにそれを使うのは論外ですけど、必要
なスキルだと思います。
そう、確かに必要なスキルというのはあると思う。計算することや、字を書くこ
と、なめらかに読むこと、話すことなどだね。
----でも、こうしたことがきちんと教えられていないんですね。システムとし
て。
学校は時間や人手が足りないというが、やろうと思えば、1人でもできることだ
ね。
----それこそIDのターゲットじゃないですか。
そう。ドリルやパソコンの自習ソフトはIDをもとにして作られているものがあ
る。その基礎となっているのが行動分析学なんだ。
---行動分析学なら任せておいてください。好子・嫌子と強化・弱化ですね。
そうだ。ここでは、それに加えて、強化スケジュールやシェイピングといったワ
ザを身につけよう。
3.1 強化の方法
強化のタイミング
ある行動を強化したい、あるいは持続したいと思うなら好子を提示すればいいという
ことはすぐに納得できると思います。しかし、重要なのは、どのようなタイミングで
好子を出すかということです。強化したい行動が起こったら、すぐに好子を出すこと
です。これを即時フィードバックと呼びます。「すぐに」というのはどれくらいかとい
えば、「1分以内」と考えておきましょう。1分以内でできるだけすぐにということ
が即時フィードバックということです。
18
ですから、強化したい行動が起こったらすぐにフィードバックしましょう。たとえ
ば、ピアノがうまく弾けたら、すぐに「できたね」と認める。別にほめなくてもいい
のです。もちろんほめることは好子になりますが、ただ認めるだけでも好子になりま
す。相手から関心をもってもらえているということがたいていの場合好子になるから
です。それに毎回ほめていると、だんだんありがたみがなくなってきますので、好子
にならなくなってきます。
ルール支配行動
そう考えると、大学の授業、とりわけ大人数の授業では、即時フィードバックがほと
んどない学習形態だということができます。教員の話をただひたすら聞くだけという
学習形態ではフィードバックはほとんどありませんので、その行動も強化されること
なく、居眠りをしてしまうということになるわけです。
それでもなお、強化のない授業をまじめに受けて勉強している人もいます。それは、
即時フィードバックを受けなくても、ルールに支配された行動をしているのだと考え
られます。「このように続けてまじめに勉強すれば、最後の試験で良い成績が取れる
ことになる」という自分に内在化したルールに従っていると考えられます。これを
ルール支配行動と呼びます。
逆にいえば、ルールが内在化していない小さな子どもであればあるほど、即時フィー
ドバックによる強化が大切だということになります。
強化のスケジュール
続けて欲しい行動は、常に強化し続けなければならないかというと、そうではありま
せん。強化は学習段階でだけ必要であり、一度学習が成立してしまえば、自分でうま
くやるようになるので、強化し続ける必要はないのです。逆に、毎回強化してはいけ
ないといえます。なぜかというと、毎回強化すると、いいかげんになってしまうこと
が知られています。
強化のスケジュールには、固定強化と変動強化の2種類があります。
固定強化
月給制のように、一定時間ごとに強化があるものを固定強化と呼びます。また、出来
高給のように一定の行動ごとに強化があるものも固定強化です。時間ごとにしても、
行動ごとにしても、私たちの身近でよく見られる強化の方法は固定強化です。
変動強化
一方、変動強化では、不規則な時間ごと、あるいは行動の不規則な回数ごとに強化が
行われます。パチンコや競馬、競輪、あるいは宝くじのようなすべてのギャンブルは変
動強化による強化です。いつ当たって好子がもらえるのかが予測できません。あるい
は麻雀のようなゲームも変動強化です。
19
変動強化は一般的に強力な強化であることがわかっています。このため多くのギャン
ブルではいくら損をしても、いつかは勝って強化が行われるので、なかなか断ち切る
ことができないのです。
強化のテクニック
好子の量は、少なければ少ないほど良いのです。たとえば、いくらチョコレートが大
好きでも、出し続けるといつかはおなかがいっぱいになり、それ以上ほしがらなくな
ります。また、言葉で言うのはタダだからといって、ほめてばかりいたら、ありがた
みがなくなります。あまりほめられていると、しまいには、バカにされているのかと
思うかもしれません。お金はいくらあってもうれしいものですが、出し続けるには限
界があります。このように一般的に通用する好子は、出し続けるとすぐに飽和してし
まうか、あるいは出すのに限界があります。ですから、好子としての効果をできるだ
け長く持続させるためには好子を控えめに出すことです。
それと逆に、大当たりというテクニックがあります。予想していないときに、大きな
プレゼントをもらうと非常にうれしいものです。
プレマックの法則
プレマックの法則は、その人の高頻度の行動そのものが好子として使えるというもの
です。たとえば、電話でおしゃべりをするのが好きで、それを頻繁に行う人は、その
行動そのものが別の行動をするための好子として使えるのです。その人が掃除が嫌い
で、なんとか掃除をするように強化したいとすれば、掃除をしたときに限って、電話
をかけておしゃべりしても良いという約束をします。初めは、いやいや掃除をして、
やっと電話をかけられるという体験ですが、これを繰り返すうちに、自発的に掃除を
して、そのあと電話をかけるという行動パターンが確立するようになるでしょう。
なお、プレマックの法則においては、好子となる行動が自分にとって好ましいかでは
なく、あくまでも「高頻度」であることが前提になります。高頻度かどうかを判定す
るには、一定期間観察して、好子となる行動の自発頻度が、習慣づけたい行動の自発
頻度よりも多くなっていることを確認します。
3.2 シェイピング(行動形成)
シェイピングとは
シェイピングとは、今までにやったことのない行動をさせる方法です。たとえば、犬
がお手をするようになるのはシェイピングのおかげです。イルカのジャンプも、猿回
しもシェイピングの原理を用いています。
20
シェイピングの原理
シェイピングの原理は次のようなものです。
• 1. 基準を少しずつあげる
• 2. 一時にひとつのことだけを訓練する
• 3. 相手をたえず観察する
• 4. 訓練をむやみに中断しない
• 5. 一回の訓練は調子が出ているときにやめる
子どもが跳び箱を跳べるようにしたいときも、スノーボードを教えるときもシェイピ
ングの原理にしたがって行うと無理なく訓練することができます。もちろんスノーボー
ド初心者にゲレンデの急なところに連れて行ってむりやり滑らせるという方法も採れ
るわけですが、それは非常にリスクの高い訓練方法ですし、また恐怖心を植え付ける
可能性があるという意味でも問題があります。
あらゆることはこのシェイピングの原理にしたがって無理なく訓練することができま
す。とりわけ1番目の「基準を少しずつあげる」という原理は重要です。これを「ス
モールステップの原則」と呼ぶこともあります。
3番目の「相手をたえず観察する」というのは、今行っている課題がその人にとって
易しいのか難しいのかを見極めるということです。もし易しすぎるのであれば、少し
ハードルを上げ、逆に難しすぎるのであれば、少しハードルを下げます。このようにし
て、その人にとってのチャレンジレベルが、多くは成功するがたまに失敗するように
レベルに保ちます。このようにすることで訓練を受ける人が面白さを感じるようにす
ることができます。
強化は双方向的である
強化スケジュールやシェイピングの原理をうまく利用すれば、他人の行動を強化した
り、制御したりすることができます。これを延長すると、他人を思いのままに操るこ
ともできそうな気がします。しかし、そのように一方的なものではありません。つま
り、他人のある行動を強化してうまくいったという結果そのものが、あなた自身のそ
の行動を強化しているのだといえるからです。つまり、あなたは他人を一方的に強化
したつもりでも、その結果があなたのその行動を強化しているのです。
つまり、誰かが誰かを一方的に制御するということはなく、常に双方的であるという
ことです。言い直すと、あなたが誰かを強化した結果があなたを強化するとしたと
き、その2人の間には信頼感や愛情というべきものが生まれているのです。愛や信頼
とは、行動分析学的に定義するとすれば、2人がお互いに相手を強化し続けている状
態ということができるでしょう。
21
3.3 行動分析学のIDへの応用
個別化教授システム(PSI:Personalized System of Instruction)
個別化教授システムは、1960年代にアメリカのF. S. Kellerによって提案され、主とし
て大学で実践されました。当時のアメリカでは、大学生の学力低下が社会的問題とな
り、大学の授業をいかに確実なものにするかということが課題でした。
個別化教授システムは次のような原理で設計されています。
• 1. 独習用教材を使って、個別に進める
• 2. 自己ペースによりコースを進める
• 3. 単元を完全習得することによって次に進む
• 4. プロクター(教育助手)が助言とテストを行う
• 5. レクチャーは学生の動機づけのためだけに行う
• 6. 最終的な評価として最終テストを行う
ここでは、スモールステップの原則や、確認テストによる即時フィードバックといった
行動分析学の原理を応用して、自己ペースによる完全習得を保証しています。
コンピュータ支援教育(CAI:Computer Assisted Instruction)
今でこそ、ニンテンドーDSのようなポータブルなゲーム機で、漢字や英語の学習訓練
をすることは珍しくありませんが、コンピュータが出始めた頃は、これを教育に活か
そうということで、学習用のコンピュータソフトがたくさん作られました。これをコ
ンピュータ支援教育(CAI)と呼びます。
CAIの最も強力な点は、即時フィードバックができることです。コンピュータであれ
ば、プログラムによってすぐに、合っているか間違っているかを提示できますし、必
要であれば、解説を提示することもできます。この即時フィードバックが可能である
ためにCAIは今もなおゲーム機上の学習プログラムとして生き続けているわけです。
そして、あなた自身のために活かす
行動分析学から引き出される重要な考え方は、「何が自分の行動を制御しているのか
がわかれば、その環境を制御することで、自分自身の行動を制御できる」ということ
です。たとえば、ギャンブルをやめることもできますし、なかなか続かない運動を続
けることもできます。このようにして、環境を制御することで自分の行動を制御する
ことができれば、もはや受け身の人生ではなく、自分自身が自分の人生の支配者とな
れるわけです。
いきいきと生きている人には秘密があります。それは、お金や名声といった好子のた
めに生きているのではなく、これから自分の人生に起こることを制御できるのだとい
う確信を持っているからいきいきと生きられるのです。
22
3.4 文献紹介
島宗理『インストラクショナルデザイン---教師のためのルールブック』米田出版, 2004
なぜ「教育」ではなくて「インストラクション」というコトバを
使っているのか。ある種つかみどころのない「教育」と、きっちり
と定義づけられた「インストラクション」とはどこがどう違うの
か。適切なインストラクションを行うには具体的にはどうすればよ
いのか。以上のことが、まさに適切なインストラクションによって
学ぶことができるのがこの本の特徴です。
島宗理『パフォーマンス・マネジメント---問題解決のための行動分析学』米田出版, 2000
現実の社会や組織や個人のさまざまな問題を解決するために行動分
析学をどう使っていけばよいのかを、具体的な事例を取り上げて、
背景となる研究論文を駆使しながら説明しています。
姉妹書の『行動分析学入門』(産業図書、1998)は行動分析学の
内容を正確に詳細に説明している教科書です。それに対して、『パ
フォーマンス・マネジメント』はそれをもっと噛み砕いて、実践的
にしたものです。理論的なものよりも、実際にどう考え、どう使っ
ていくのかということを知りたいという人は、こちらを先に読むと
いいでしょう。
パフォーマンス・マネジメントは行動分析学を使って問題解決のための確実な方法を
提供しています。この本はとりわけ、教師や塾の先生、パソコンのインストラク
ター、スポーツのコーチなどあらゆる意味で何かを教えることを仕事にしている人
や、会社などでプロジェクトを指揮する人、リーダー、管理職の人に必読の本と言え
るでしょう。
3.5 確認テスト
問題1
以下の用語について、簡単に説明してください。
(5点 2=10点)
1.ルール支配行動
23
2.プレマックの法則
問題2
以下の用語について、簡単に説明してください。
(5点 2=10点)
また、それぞれの強化の例を2つあげてください。
(2点 4=8点)
1.変動強化
変動強化の例:( )( )
2.固定強化
固定強化の例:( )( )
問題3
「(来月の英語の試験に備えて)平日は1日に10個以上、英単語を覚える」という行動をプレ
マックの法則をつかって習慣づけるとします。このときの好子として使えそうなものには○
を、使えそうにないものには をつけてください。
(3点 6=18点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
英語の試験が終わったら、友達と旅行に行く。
1日に1箱の割合でタバコを吸う。
株取引が趣味で1日何度もインターネットで株価をチェックする。
単語帳を常に持ち歩く。
家族に励ましてもらう。
英単語を勉強した日には、風呂あがりにビールを飲む。
24
問題4
強化に関する以下の説明を読んで、正しいものには○を、間違っているものには をつけてくだ
さい。
(3点 7=21点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
キ.
提示する好子の量はできるだけ多い方が効果的である。
学習が成立したあとでは、毎回強化し続ける必要はない。
お金やご褒美の品物、ほめ言葉などもらって嬉しいものだけが好子となりえる。
予想をしていないときに大きなプレゼントをしても強化にはつながらない。
即時フィードバックをしない限り行動を強化することはできない。
誰かが誰かを一方的に強化するということはなく、常に双方向的である。
即時フィードバックとはだいたい60秒以内のフィードバックを指す。
問題5
シェイピングに関する以下の説明を読んで、正しいものには○を、間違っているものには をつ
けてください。
(3点 7=21点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
キ.
最初に高いレベルの課題を与え、やる気を起こさせる。
課題が難しすぎるようなら、飛ばして次のステップに進む。
相手をたえず観察する。
一時にひとつのことだけを訓練する。
訓練は調子の出ているときにやめる。
基準を少しずつ上げる。
課題が易しいようでも、あらかじめ設定された時間は繰り返し練習させる。
問題6
個別化教授システム(PSI)に関する以下の説明を読んで、正しいものには○を、間違っている
ものには をつけてください。
(2点 6=12点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
レクチャーを受けたあとに教材で学習するというサイクルを繰り返す。
最終的な成績は確認テストと最終テストの合計点によって決められる。
小さな単元ごとにコースが区切られている。
教材の内容は個人の理解度に合わせてカスタマイズされる。
プロクター(教育助手)が受講のペースを調整する。
大学の授業用に開発されたコンピュータシステムである。
25
4. 認知心理学の考え方
----先生、行動分析学のスモールステップの原則は確かに正しいと思います。で
も、それだけじゃうまくいかないこともありますよね。
たとえば、どんなことかな?
----たとえば、三角形の面積は、「底辺 高さ 2」で求まりますが、なぜこの
公式で求まるかということは、こうすれば納得できるという、なんというか、
ひらめきみたいなものが必要です。これは、スモールステップではなくて、
ビッグジャンプなんじゃないですか。
なるほど。
----それから、たとえば、計算問題をやらせていて、何回やっても同じ間違いを
するような場合、子どもがやり方を間違えて覚えていることがあります。これ
はスモールステップじゃ解決できないですよ。
なるほど、なるほど。いいところを突いている。まさにそこから認知心理学が出
発しているのだよ。
----認知心理学ですか? 2番目の心理学ですね。どんな心理学なんですか?
人間の問題解決過程はすべてプログラムで表現できると考えている心理学だ。た
とえば、さっきの計算間違いの例は、間違ったプログラムが子どもの頭の中に定
着していると考えられる。
----それなら、そのプログラムを修正すればいいわけですね。
そう。なにかがうまくできないのは、もともとそのためのプログラムがないか、
あるいは間違ったプログラムが定着してしまったと考えるわけだ。
4.1 認知心理学とは何か
認知を科学的に扱う
行動分析学で見たように、確かに、行動随伴性に基づく理論はシンプルで強力なもの
です。しかし、たとえば、パズルを解いているときの人を観察してみると、ほとんど
動きは見られません。ときどき何かをメモしたり、1人でつぶやいているとしても、
それ以外の時間は行動としてとらえることができないのです。しかし、頭の中では活
発に何かを考えたり、記憶したり、思い出したりしていることは疑いようのないこと
です。行動分析学の枠組みでは、こうした頭の中で起こっていることをとらえること
が困難です。
26
人(あるいは動物)が、見たり聞いたりして知覚したり、記憶したり、思い出した
り、いろいろなことを考えたりすることを「認知(cognition)」と呼びます。認知心
理学は、こうした認知の働きを科学的にとらえようとするものです。
私たちが、認知的活動をしていることは、自分自身としては明白です。今、自分が何
を考えているかを、他人に報告することができます。これを「内観報告」と呼びます
が、行動分析学をはじめ、科学的な心理学を標榜する勢力は、この内観報告を科学的
データとしては扱えないとして批判してきました。つまり、内観報告の通りのことをそ
の人が考えているかどうかは第三者が検証できないということなのです。これが認知
心理学が越えるべきハードルとなりました。
モデルとしてのコンピュータ
私たちが常に頭の中で何かを考えていることは明白です。これを何とか科学として扱
えないかと認知心理学者が努力しているときに、コンピュータが発明され、普及し始
めました。コンピュータは、コンピュータが理解できる言語、つまりプログラム言語
によって制御され、動いています。プログラムは端的には「IF …… THEN ……」
(もし……のとき……をする)という形の命令が連なって記述されています。
一方、私たちの思考や判断も、「もし雨が降っているなら、傘を差そう」というよう
に、プログラム的なもので記述することができます。複雑な思考や判断も、プログラ
ムを複雑にすることによって記述できます。
そこで、人間の思考過程をコンピュータとプログラムによってモデル化することで、
扱っていこうと認知心理学者たちは考えました。図4.1のように、人間は、外から刺激
を入力し、心のプログラムによって処理し、そして、外に行動として出力するという
のが、認知心理学のモデルです。
図4.1 認知心理学のモデル
27
認知心理学の方法論
心のプログラムのモデルでは、思考過程をプログラムにたとえているだけですので、
思考過程とプログラムが同一だということを主張しているわけではありません。そう
ではなく、同じ刺激(たとえばパズル)を、人間とモデル・プログラムに与えて、同
じような出力(パズルの解法)が得られれば、人間はモデル・プログラムのように思
考している可能性があるということを弱く主張するだけです。しかし、それでも人間
の思考過程を解明する第一歩ではあるわけです。
そうしたモデル・プログラムを作るために、認知心理学者は人間のデータを取る必要
がありました。それは昔ながらの内観報告でも良かったのですが、さらに厳密に「発
語思考(think aloud)」という方法を考えました。これは、何かを考えると同時に、
すぐにその内容を言葉にしてしゃべってもらうという方法です。訓練すると、人間は
短期記憶の内容を即座にしゃべることができます。このような言語データはプログラ
ムを作るための信頼性の高い材料となります。
4.2 学習に関する認知心理学の知見
学習に関する認知心理学の知見はたくさんありますが、その中でも特に重要な記憶と
思考に関する知見を、次にまとめておきます。
記憶
短期記憶と長期記憶
人間の記憶は、短期記憶(short-term memory)と長期記憶(long-term memory)からなっています。短期記憶は作業記憶(working memory)と呼ぶこともあります。
長期記憶は、ものの名前や文法、自分の誕生日や住所など、必要に応じて思い出すこ
とのできる記憶です。それに対して短期記憶は、今一時的に覚えておくことのできる
記憶です。たとえば、初めて聞いた電話番号を、メモするまで覚えておくためには、
頭の中で繰り返すことが必要です。これをリハーサルと呼びますが、リハーサルを
行っているときは他のことを考えることができません。つまり、短期記憶には容量の
限界があるということです。G. A. Millerは短期記憶の容量は「7 2」つまり、5∼
9のユニットであることを実験的に確認しました。
チャンク
短期記憶の容量には限界がありますが、覚えておく内容をまとめたりすることによっ
て覚えやすくなります。たとえば、数字の語呂合わせをすることで覚えておくことの
できる数字の桁数は飛躍的に増えます。このようなまとまりをチャンクと呼びます。
将棋の名人は、ある局面の盤面を完璧に覚えておくことができますが、これも盤面を
意味のあるまとまりにチャンク化しているのだと思われます。もし、将棋のコマをで
たらめに配置したとしたら、名人であっても覚えることはできません。なぜなら意味
のあるチャンク化ができないからです。
28
維持リハーサルと精緻化リハーサル
リハーサルは、覚えようとする内容を口に出して言ったり、心の中で繰り返したりす
る行為です。これは短期記憶の中で行われますが、その一部が長期記憶に貯蔵されま
す。
内容を単に繰り返すようなリハーサルを維持リハーサルと呼びます。このタイプのリ
ハーサルは長期記憶になる確率は非常に低いものになります。たとえば人から聞いた
電話番号を心の中で維持リハーサルしてもなかなか覚えられません。維持リハーサル
はそれをメモするまでに必要となる行為です。
それでは、短期記憶の内容を長期記憶に固定するにはどうしたらいいでしょうか。電
話番号の例で言えば、341-9696を「みよいくろぐろ」というように語呂合わせするこ
とで覚えることができます。このようなリハーサルはただ繰り返す維持リハーサルと
は違い、精緻化リハーサルと呼びます。精緻化というのは、覚えようとする内容を別
の意味に結びつけることです。つまり、精緻化リハーサルによって341-9696という数
字の列を「みよいくろぐろ」という意味のある文字列に結びつけたわけです。
ネットワーク構造と精緻化と体制化
記憶には、覚えている内容が雑然と格納されているわけではありません。そうではな
く、関連のあるものはまとめられて格納されていると考えられます。内容をノードと呼
び、そのノードと他のノードとの結びつきをリンクと呼びます。記憶の構造は、たく
さんのノードが他のノードとリンクされているネットワーク構造になっています。
あることを記憶するためには、その内容そのものを覚えるだけではなく、他のことが
らと関連づけること、つまりリンクを張ること、をすると効果的です。なぜならば他
のリンクからその内容に行き着く確率が高まるからです。このことを「精緻化
(elaboration)」と呼びます。前述した精緻化リハーサルは、精緻化を短期記憶の中で
行うことです。
たとえば人の名前を覚えるのには、その名前だけを復唱するのではなく(維持リハー
サル)、その人から連想されること、趣味、出身地、好きなタレントなどさまざまな
ことをその人の名前に関連づけて精緻化すると効果的です。そうすれば、名前を忘れ
たとしても、他のリンクをたどってその名前を思い出す可能性があるからです。
精緻化された記憶のネットワーク構造は意味や発音、イメージなどさまざまなものが
互いにリンクされたものと考えられます。その一方で記憶内容をなんらかの規準で分
類・整理することも長期記憶の維持に役立ちます。内容を分類・整理することを体制
化(organization)と呼びます。すでに体制化された記憶があれば、新しく入ってきた
情報でも、その位置づけをすることにより、容易に覚えることができます。
29
思考
宣言的知識と手続き的知識
長期記憶には、宣言的知識(declarative knowledge)と手続き的知識(procedural
knowledge)が格納されていると考えられています。
宣言的知識とは、事実についての知識です。たとえば「所沢市は埼玉県にある」のよ
うな知識です。また、「先週私は所沢キャンパスに行った」というような知識も宣言
的知識ですが、このように時間や場所や人物などの特定の文脈とともに記憶されてい
る内容をエピソード記憶と呼ぶことがあります。
それに対して、手続き的知識とは、活動をどのように実行するかについての知識です。
たとえば「新宿から所沢キャンパスまで行くための手順」のような知識です。手続き
的知識は、自転車の乗り方のように自動化されていることもあります。自動化されて
いる場合は、言語化するのが逆に難しい知識になっています。
プロダクション
手続き的知識は、記憶の中では「もし……ならば……する」というような形で貯蔵さ
れていると考えられています。このようなIF-THENの形のルールをプロダクションと呼
びます。
私たちの思考過程は、記憶に貯蔵されたプロダクションルール「もし……ならば……
する」を選び出し、順次それにしたがって判断をし、何かを実行しているのだとモデ
ル化することができます。私たちは「もし熱があるならば、病気である」や「もし熱
があって、喉が痛いのであるならば、風邪である」、「もし風邪であれば、病院に行
き薬をもらう」というようなルールを記憶の中の知識として持っていて、必要に応じ
て判断し、実行しているということです。
バグ
知識の中にあるルールは、必ずしも正しいものばかりではありません。その中には
誤ったルールもあるでしょう。誤ったルールのことをバグと呼ぶこともあります。
ルールを獲得するときに間違ってしまったか、あるいはもともと誤ったルールが修正
されないできたか、いずれにしても、ルールがバグである限り、正しい判断は保証さ
れません。したがって、教育の重要な役割はこのようなバグルールを修正していくと
いうことにあります。
スキーマ
互いに関連したルールが集まって、大きな枠組みを作っているものをスキーマと呼び
ます。私たちは状況に応じて、記憶からスキーマを呼び出し、それにしたがって行動
しています。たとえば、レストランにはいって、メニューを見て、注文をして、食事を
して、支払いを済ませるというような一連の行動は、「レストランスキーマ」と呼ば
れるものを参照して半自動的に実行されると考えられます(スキーマの代わりにスク
30
リプトと呼ぶこともあります)。スキーマを使うことによって、私たちはいちいち考
えなくても適切な行動ができるのです。
このようにスキーマは大変便利なものですが、逆にいったん成立したスキーマは、修
正したり、壊すことが難しくなります。この意味で、スキーマは「偏見」になった
り、「固定観念」になったり、「思いこみ」になったりする可能性もあるわけです。
4.3 認知心理学のモデル
天秤問題
認知心理学では、問題解決をどのようにモデル化するのかを考えるため、R. S.
Sieglerが使った天秤問題を取り上げます。図4.2のような天秤の状況で、どちらに傾く
のかあるいはつり合うのかを子どもに考えさせるという問題です。
図4.2 天秤問題
プロダクション
もし両側のおもりの位置が同じであれば、次のようなプロダクションだけで正解を得
ることができます。
P1:もしおもりの数が同じなら、そのとき「つり合う」と言え
P2:もしX側のおもりの数が多いなら、そのとき「X側が下がる」と言え
しかし、両側のおもりの位置が違う場合は、次のプロダクションが必要になります。
P3:もしおもりの数が同じで、X側の距離が長いなら、そのとき「X側が下がる」と言え
このように問題解決の学習とは、新しいプロダクションを自分の記憶に作り出してい
くことだと考えられます。もちろん教えられなくてもすでにプロダクションがある場合
もあります。
さて、図4.2のように、両側のおもりの位置が違い、さらにおもりの数も違い、両者が
互いに競合状態になっているときはどうでしょうか。
31
この場合は、「トルク(力と距離の積で表される量)」という新しい概念を出してき
ます。そして次のようなプロダクションを導入します。
P4:もしX側のおもりの数が多くて、X側の距離が短いなら、そのときトルクを計算しろ
そして、トルクに関する次のプロダクションを導入します。
P5:もし「トルクを計算しろ」なら、そのとき「重さ 距離」を計算してトルクとせよ
そして、最終的に次のプロダクションを導入します。
P6:もしX側のトルクが大きいなら、そのとき「X側が下がる」と言え
P4∼P6の3つのプロダクションを導入することによって、トルクという新しい概念と
その計算方法を導入し、天秤の傾きについて正しい予測ができるようになりました。
認知心理学から見た学習
天秤問題で見たように、この問題を正しく解決するためには、いくつかのプロダク
ションが記憶の中にあることが必要です。このように適切に働くプロダクションを自
分の記憶の中に生成していくことがすなわち認知心理学から見た学習ということにな
ります。
4.4 文献紹介
森敏昭・中條和光編『認知心理学キーワード』有斐閣, 2005
この本は、広範な認知心理学の領域の中から、重要なキーワード
を厳選し、その解説を見開き2ページにまとめることにより、認
知心理学全体を見通すことができるようにしてくれています。
この本では、表面的な大項目主義ではなく、ちょっとひねったと
ころの、でも重要な(つまり認知心理学として面白い)キーワー
ドが選ばれています。だから最初から通読しても、面白く読むこと
ができます。この本を通読することで、認知心理学の課題をつか
むことができるでしょう。
32
4.5 確認テスト
問題1
( )にあてはまる言葉を書いてください。
(3点 2=6点)
1.認知心理学では、人間の思考過程をコンピュータで使われる情報処理の形式、つまり
「IF……THEN……」などの( )で表現できると考えている。
2.認知心理学では思考過程のモデルを作る際、ある人に自分の考えていることを同時に話し
てもらう( )という方法を使ってデータを取る。
問題2
記憶や思考に関するア∼オの認知心理学の知見について、正しいものには○を、正しくないも
のには をつけてください。
(4点 5=20点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
短期記憶は一時的に覚えておくことのできる記憶で、作業記憶とも呼ばれる。
G.A.ミラーは、短期記憶の持続時間が7 2秒程度であることを実験的に確認した。 精緻化リハーサルよりも維持リハーサルを行った場合の方が、より長期記憶として定
着しやすい。 長期記憶において、内容が何らかの基準で分類・整理されることを体制化という。
先週のことを思い出して書いた日記は、エピソード記憶である。
問題3
以下のア∼コを、宣言的知識と手続き的知識に分類してください。
(2点 10=20点)
・宣言的知識 ( )
・手続き的知識 ( )
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
キ.
ク.
ケ.
コ.
IDの担当教員の名前
授業の欠席連絡の方法
Waseda-net portalのログイン方法
先週の講義名は「行動分析学をIDに活かす」
BBSへの投稿の仕方
今回答しているのは「問題3」である
ワープロソフトでひらがなを漢字に変換させる方法
友達のメールを別の友達に転送する方法
レポート提出期限
BBSで読んだクラスメイトの自己紹介内容
33
問題4
次の用語に関するものをア∼カの中から選んでください。
(4点 6=24点)
・チャンク ( )
・維持リハーサル
( )
・プロダクション
( )
・バグ
( )
・体制化
( )
・スキーマ
( )
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
友達の誕生日を聞いて手帳に書き込むまで、心の中で何度も日付を繰り返す。
英単語は、動詞、名詞、形容詞などに分けながら覚えた。
妹は算数の公式を間違えて覚えているようだ。
朝、天気予報を見たら降水確率が高かったので、傘を持って出かけることにした。
2242362482510は、224(2x2=4)、236、248、2510と区切ればすぐに覚えられ
る。
レストランに入ったら、まずメニューから注文して、食べたら最後に支払いをする、
といった一連の行動はあたりまえのようにやっている。
問題5
「宣言的知識」「手続き的知識」「精緻化リハーサル」「バグ」について、学習場面で考えら
れる具体的な例をあげてください。
(5点 4=20点)
「短期記憶」の例:先生が口頭で補足した内容をちゃんと聞いていたつもりだったが、ノート
に書き留めなかったため、すぐに忘れてしまった。
宣言的知識
手続き的知識
精緻化リハーサル
バグ
34
問題6
認知心理学から見た学習の定義について、下記の用語を用いて簡単に説明してください。
(10点)
使用する用語:プロダクション、記憶
35
5. 認知心理学をIDに活かす
---先生、認知心理学はすごいですね。その人がどのようなバグを持っているか
を診断できれば、正しい考え方が教えられますね。
そうだね。でも、バグを個別に診断するだけでもけっこう大変だけどね。
---でも、あとは正しい考え方を教えるだけじゃないですか。
とはいっても、人間は自分がすでに持っている認知をなかなか捨てられないもの
なんだよ。あなただって、人から言われたことのすべてを、すぐに受け入れられ
るわけじゃないでしょ?
---まあ、そういえばそうですね。
私たちが持っている認知は、日々使われていて、それがうまくいっている限り
は、固定化されていて、なかなか変わらない。
---うまくいっているかどうかを判断するのも認知ですよね。
そうだ。本当はうまくいってなくても、うまくいっているようにねじ曲げてとら
えるのも認知の働きなんだね。
---誰でもうまくいっていないと認めるのはいやですもんね。
そこが認知を変えることの難しさだね。同時に、教えることの難しさでもある。
教えることというのは、基本的にはその人の認知を変えることなんだよ。
5.1 認知心理学から教えることへ
熟達化
私たちが、ピアノを弾けるようになったり、テニスがうまくできるようになったり、
一輪車に乗れるようになったりするためには、どれくらいの時間がかかるでしょう
か。D. A. Normanは、こうしたことがらを学習するためには最低限で5000時間が必
要であることを観察しています1。5000時間は、毎日8時間、週5日を訓練に費やした
として、2年半で達成できる時間です。「石の上にも三年」ということわざがありま
すが、3年間という期間はあながち根拠のないものでもなさそうです。
さまざまな分野での熟達課程を研究しているK. A. Ericssonは「10年修行の法則」を
提唱しています。彼によれば国際的に活躍できるレベルの熟達を得るにはどんな分野
においても最低10年間は集中した日々の練習が欠かせないということです。
このようにあることがらに高いパフォーマンスを示すためには一定時間の訓練が必要
です。認知心理学者は、学習とはあることがらについて熟達する過程であると考えて
1 D.A.ノーマン『認知心理学入門』誠信書房, 1984
36
います。熟達化とは、多くの注意を払わなくてもあることが自動的にできたり、複数
のことがらを同時に処理できるような認知構造を作ることだと考えることもできま
す。
間違える理由がある
人が何かをうまくできないのは、それを処理するためのプログラムや認知的スキーマ
が獲得されていないということです。あるいは、間違ったプログラム(バグ)、ある
いは間違った概念(誤概念)がすでに形成されてしまっている場合もあります。
ある人が何かをできないからといって「どうしてわからないの?」と問いかけること
は、ほとんどの場合役に立ちません。プログラムがもともとなかったり、バグであっ
たりすれば、できないのは当然だからです。ですから、教える人は、そうではなく、
どのように間違えているのかを細かく観察したり、あるいはテストを行ったりして、
バグや必要なプログラムを推測する必要があります。それこそが教える人の仕事だと
いうことができます。
応用できない理由がある
適切なプログラムを持っているからといっていつでもそれを活用できるわけではあり
ません。練習問題は解けても、応用問題が解けないことがあります。練習の時には
サーブが入っても、試合になるとサーブが入らないことがあります。
次の問題を考えてみてください。
カードの一方にはアルファベットが、その裏には数字が書かれています。いま「母音
の裏には偶数が書かれている」という命題が正しいかどうかを確認したいと思いま
す。次のカードのうち、少なくともどれを裏返してみることが必要でしょうか。
図5.1 Wason課題
この問題を考えた人の名前をとってWason課題と呼びます。この課題は大学生でも数
割の人しか正解を言うことができません。
それでは、次の問題を考えてみてください。A, B, C, Dの4人は何かを聞かれると、そ
れぞれ図5.2のように答えます。この中から「20歳未満の人はアルコールを飲んではい
けない」という法律に違反している人を探すには、少なくともどの人に聞いてみるこ
とが必要でしょうか。
37
図5.2 Wason課題と同型の課題
今度はいかがだったでしょうか。簡単に正解が見つけられたと思います。
実はこの「アルコール課題」は前のWason課題と論理的構造がまったく同じものなの
です。しかし、アルコール問題では解くのが易しく、Wason課題では難しくなってい
ました1。これは同じプログラムが働いているとしても、その文脈によってプログラム
が正しく使えたり、使えなかったりするということです。
特に、最初にあるプログラムを獲得した領域では、そのプログラムが正しく使えます
が、別の領域や文脈が変わってしまうと、プログラムを利用することができないこと
がしばしばあります。これを「領域固有性(domain-specificity)」と呼びます。逆に領
域を飛び越えて、別の場面でもプログラムを利用できることを「転移(transfer)」と呼
びます。アルコール課題が正解できたのに、Wason課題が解けなかったのは、アル
コール課題で使うことのできた知識、つまりプログラムがWason課題には転移しな
かったということになります。
領域固有性と転移
一般に領域固有の知識は強く長く保持されます。それはリアルな状況の中で少しずつ
累積されて獲得されたプログラムだからです。その一方で、領域固有ではなく、一般
的に使われることを目指した知識は、弱く短い期間しか保持されません。学校で教え
られる知識の大部分は、一般的に使われることを目指したものですが、それは逆に弱
い知識にしかならないのです。さらにいえば、学校で教えられる知識は、学校の教室
内で通用する知識としての領域固有性を持っているといえます。そのために学校のテス
トでは良い点数をとっても、毎日の生活における活動に応用できるかというと、必ず
しもそうではなく転移しにくいものになっているケースがあります。
うまくできない理由がある
数学が好きな人の意見を聞いてみると、「筋道をきちんと立てればうまく解けるし、
正解が1つにばしっと決まるので気持ちよい」という意見があります。その一方で、
作文などは、正解が1つ決まるというものではありません。
作文の課題のように、問題全体の構造が複雑に絡み合っており、下位の問題を相互に
調整しながらでないと解決できないような問題を「不良構造化問題」と呼びます。
1 Wason課題の正解:Eと7のカード。アルコール課題の正解:16歳とビールを飲んだ人に聞く。
38
「数学は好きだけど、作文は苦手」という人は、こうした不良構造化問題が苦手なの
です。不良構造化問題には、作文以外にも、旅行やイベントの計画と手配など、現実
場面では数多く現れます。
たとえば作文では次のような課題を同時並行的に考えなくてはなりません。
• 読者はどんな人か
• どれくらいの分量で書くか
• 全体の結論
• 今書いている段落の内容
• 今書いている文の内容
• 今書いている単語でいいかどうか
• 漢字にするかひらがなにするか
人間の短期記憶(作業記憶)の容量には限界がありますので、こうした不良構造化問
題を解決していくのが難しいというわけです。
メタ認知
私たちは、自分が今何を考えているのかについてモニターすることができます。たと
えば、テレビドラマを見てそのストーリーを理解しているときに、明日プレゼンテー
ションをしなくてはならないことを思い出し、テレビを消してその準備に取りかかる
ことができます。このように、自分の心的過程をモニターし、それをコントロールす
る能力があります。これを「メタ認知」と呼びます。メタ認知とは「認知についての
認知」という意味です。
学習する上で重要なメタ認知の機能には次のようなものがあります。
• 自分の行動の結果を予測する能力
• 自分の行動の結果を評価する能力
• 自分の活動の進み具合をモニターする能力
• 自分の活動は現実に対して合理的かを確かめる能力
成績の悪い生徒は、自分が教材を理解していないことや、何がわかって何がわかって
いないことなのかがわかっていないケースがあります。自分の理解に問題があるとい
うことに気づいていなければ、それを克服することも不可能です。このようにメタ認
知的な能力は学習を進める上で非常に重要な能力といえます。
5.2 認知心理学のIDへの応用
アンカード・インストラクション
獲得された知識に領域固有性があり、それを別の場面に転移させることが難しいとい
うことがわかっています。それを克服するためには、提示された知識を「自分にとっ
て意味のある文脈」の中でその知識を獲得していくことが有効です。この点で工夫し
た教え方を「アンカード・インストラクション(anchored instruction)」と呼びます。
39
これは、一般的な知識を、意味のある文脈に碇(いかり)を降ろすように獲得させる
という意味です。
アンカード・インストラクションの一例がジャスパー・プロジェクトです。これは、
小学校高学年から中学生を対象にしたビデオ教材です。ビデオの中では、主人公の
ジャスパーが冒険の中で出会う問題が描かれています。たとえば、最初のエピソード
「シーダークリークへの旅」は、ジャスパーがクルーザーの中古物件を広告で見つ
け、持ち主に会いに行き、購入したそのクルーザーで川を下って家に帰ってくるとい
うストーリーです。クルーザーのヘッドライトが壊れているので、日が沈む前に家に
着かなくてはなりません。
この課題を解決するために、学習者は次のような情報が必要なことを話し合います。
日没の時間、売り主からジャスパーの家までの距離、クルーザーの進む速度、川の流
れの速度などです。こうした情報を得て、計算して、最終的には何時にジャスパーの家
を出発しなければならないかというプランを立てていきます。
アンカード・インストラクションでは、このように、ある程度複雑で現実感のある状
況設定の中で、必要な情報と不要な情報を見分け、また、抽象的な計算や考え方を現
実に当てはめていく学習が行われます。こうしたことによって、抽象的な知識を現実
にアンカーしていくことになります。
メタ認知を育てるグループ学習
メタ認知的能力を育てるにはどうすればよいでしょうか。1つの方法として、グルー
プ学習があります。グループ学習では、他のメンバーに説明する必要性がよく生じま
す。自分の知識を明示的に言葉にすることで、今自分が何を考えているか、問題解決
過程のどこに位置するのか、何がわかって、何がわかっていないのかということを明
らかにすることができます。こうしたことを言葉にするためにはメタ認知を使わなけ
ればできません。したがって、グループ学習をすることによってメタ認知を使う機会
が増え、その結果としてメタ認知的能力を育てることができます。
また、自分の意見を言うことによって、他者からその発言に対してのさまざまな吟味
や批判がされます。それを受け取ることにより、他者の視点を自分のものとすること
ができます。その結果、他者が実際にいないケースであっても、自ら、他者的な立場
で自分の認知過程について批判的な吟味を行うことができるようになります。
40
5.3 文献紹介
ジョン・T. ブルーアー『授業が変わる̶認知心理学と教育実践が手を結ぶとき』北大路書房,
1997
認知心理学の知見を、現実の授業にどのように活かしていくのかを中
心に詳しく検討しています。算数・数学教育、理科教育、読みの指
導、作文教育、というような具体的な領域において、認知心理学のア
イデアによる教授法がどのような効果をあげることができるかについ
て書かれています。
今井むつみ・野島久雄『人が学ぶということ』, 北樹出版. 2003
IDの土台として、行動分析学、認知心理学、状況的学習論を考えるこ
とができます。この本はその中の認知心理学(=認知的学習論)をカ
バーするものとして最適な一冊です。認知的学習論の具体的な成果と
しての教材である、ジャスパープロジェクトもこの観点から詳細に検
討されています。
5.4 確認テスト
問題1
以下の用語について、それぞれ具体的な例をあげながら簡単に説明してください。
(6点 2=12点)
1.熟達化
41
2.領域固有性
問題2
人が何かをうまくできない場合には理由が考えられます。以下の状況についてカッコ内の用語
を使って、例をあげながら説明してください。
(10点 3=30点)
1.何度やっても間違える(バグ)
2.いろいろな条件が絡んでくると問題をうまく解決できない(不良構造化問題)
3.応用が利かない(転移)
42
問題3
「メタ認知」について簡単に説明してください。
(8点)
また、学習する上で重要なメタ認知機能を4つあげてください。
(3点 4=12点)
問題4
アンカード・インストラクションに関する以下の説明を読んで、正しいものには○を、間違っ
ているものには をつけてください。
(4点 7=28点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
キ.
抽象的な知識をより現実的な場面にあてはめて学習させる。
理数系の科目でのみ利用可能な授業デザインである。
知識は意味のある文脈の中で使われていく。
設定された場面はヴァーチャルな世界なので、小中学生に対してのみ有効である。
アンカードとはストーリー性を持っていることを意味する。
情報や方略の取捨選択により、問題解決能力が向上する。
学習した知識を活用できるような課題がデザインされている。
問題5
メタ認知能力を育てる方法の1つにグループ学習があります。その理由を、グループ学習でメタ
認知が使われる具体的な状況をあげて説明してください。
(10点)
43
6. 状況的学習論の考え方
---先生、ラーメン職人はどうですか?
どうですかって、いきなり何?
---ある人がラーメンの店を開きたいと思って、ラーメン職人に弟子入りすると
します。そうすると、その学習過程は、必ずしも行動分析学や認知心理学で
は、説明がつかないと思うんですよ。
ふむ。なぜ?
---だって、実際にはラーメンの作り方をスモールステップで教えられるわけ
じゃないでしょ。皿洗いをしながら、職人のワザみたいなものを盗んでいくプ
ロセスだと思うんですよ。
その根底では、シェイピングの原理や認知的なプログラムの獲得があると思うけ
どね。
---確かにそれはあるかもしれないけど、それはあまり重要ではなくて、なんか
「こんなことをしながら、オレはラーメン職人になりつつあるんだ!」ってい
う感覚が重要だと思うんですよ。
ほほう、ラーメン職人のアイデンティティ獲得だな。
---なんですか、アイデンティティというのは?
「自分はこれなんだ!」という感覚のことさ。
---そうです。親方から叱られたりしながら、その感覚を徐々につかんでいくっ
てことが、学習を促進させると思うんです。
なるほど。学習者を取り巻く環境の働きに注目したのが、状況的学習論だ。
---3番目の心理学ですね。
6.1 状況的学習論とは何か
認知心理学の限界
認知心理学者が考えるように、確かに人は頭の中に表象を持ち、記憶の中のスキーマ
やプログラムを用いて、計画を立てたり、問題解決をしたり、判断をしたりしていま
す。しかし、実際にはそうした活動は頭の中だけで閉じているわけではありません。
外界からさまざまな情報を引き出したり、他の人の話を聞いたり、相談したりして、
問題解決に役立てています。また、頭の中では多様な解決策が考えられても、実際に
は、現実的な条件や制約があるので、すべての可能性を試すことなく、解決策は少数
の中から選べば良い場合がほとんどです。たとえば、今日の昼食に何を食べるかを考
えたときに、私たちはありとあらゆるメニューを思い浮かべているわけではなく、現
44
在いる場所、手持ちのお金、一人か複数人かというような環境の制約によって、割と
簡単に決めることができるのです。
まとめると、人が外界から情報を取り込み、認知的プロセスを経て、行動するという
ことについては疑いがないけれども、すべてを認知的プロセスが決定しているわけで
はなく、むしろ人を取り巻く環境が認知的プロセスを制約し、そのために人の認知活
動はそれほどの負荷がかかることなくうまく働いているということです。
アフォーダンス
J. J. Gibsonは、人間の認知の情報処理的な考え方に対して、独自の理論を展開しまし
た。そのひとつが、アフォーダンス(affordance)です。アフォーダンスとは、環境
が生物に提供するものということです。
たとえば、座る面が水平で横長のベンチは、人に「座ること」をアフォードしている
と考えます。このベンチは座ることもできますが、横になり寝そべることもできます。
つまり「寝そべること」もアフォードしています。しかし、座る面を水平ではなく、
傾いたものにしたベンチはどうでしょうか。相変わらず、座ることはできますが、寝
そべろうとするとずり落ちてしまうので具合が悪くなります。つまり、傾いたベンチ
は「寝そべること」をアフォードしません。
こうした判断は、人がいちいち計算しているわけではなく、環境にそもそも備わって
いるものであって、人はそれを直接受け取るのだとギブソンは考えました。
アフォーダンスの考え方は、知覚・認知の領域だけではなく、他領域に影響を及ぼし
ました。特に、ヒューマンインタフェースや道具のデザインの領域では、ユーザを目的
の行為にアフォードするようなデザインをするべきだという主張があります1。
教育におけるアフォーダンス的な見方は、マインド重視・環境軽視の振り子を戻しま
した。アフォーダンス的見方では、環境は処理を制約・決定する要因として扱われま
す。知識や能力のようなものは内的な情報と考えられ、環境の中にあって処理を制約
するアフォーダンスは外的な情報としてとらえられます。この2つのインタラクショ
ンが人の反応や行動を決めていると考えることができます。
状況的学習論
行動分析学が、行動とそれによる環境の変化の随伴性がその次の行動を制御するとい
うモデルを取ったのに対して、認知心理学は、頭の中の認知プロセスに焦点を合わせ
ました。そして、再度振り子は揺り戻されて、内的な認知プロセスと外的な環境から
の情報の双方が学習に関与しているという立場が主流になりました。
そう考えると人はいつでも環境から何かを学んでいるわけです。その環境というの
は、学校や教室や教科書や教員というような教えることを目的とした環境だけではな
く、日常的な生活、地域の人付き合い、趣味のサークル、職場での仕事というような
1 D. A. ノーマン『誰のためのデザイン?̶認知科学者のデザイン原論』新曜社, 1990
45
あらゆる環境の中から何かを学んでいるわけです。そこから学んでいるものは、正し
い知識やスキルというような学校的なものではなく、暗黙的な知識やコツ、あるい
は、ある場所でどうすれば適応的にふるまえるかというような、広い意味での学習で
す。このような学習を状況的学習(situated learning)と呼びます。
このように「学習」という言葉を、さまざまな場での状況から何かを学んでいくこと
のように拡張することで、社会的な営みとして捉え直したのが状況的学習論です。
6.2 正統的周辺参加
コミュニティへの参加の過程
J. LaveとE. Wengerは『状況に埋め込まれた学習』という本の中で、文化人類学的な
研究を取り上げ、「学習とは実践コミュニティ(community of practice)への参加の
過程である」という考え方を示しました。具体的には、仕立屋や海軍の操舵手、肉加
工職人などの徒弟制度を分析しました。
徒弟制度では、図6.1に示すように、徒弟コミュニティの外の人が、コミュニティに新
人(新入り)として入門し、修行を経て、中堅、ベテラン、そして最終的にはコミュ
ニティのマスターになるという道のりがあります。こうした実践コミュニティへの参加
の仕方を正統的周辺参加(Legitimate Peripheral Participation:LPP)と呼びました。
正統的周辺参加では、初めから重要な作業をさせてもらえるわけではなく、掃除など
の下働きをしながら徐々に仕事を覚えていきます。また、明示的にベテランが新人を
教育するということはなく、現場での日常の活動の中で新人が自発的にさまざまな知
識やスキルを盗み取っていくという過程になります。レイヴとウェンガーはこのような
参加の過程こそが学習なのだと主張したのです。そして、参加の結果として、コミュニ
ティの中での自分のポジション、いいかえればアイデンティティが獲得されるとしまし
た。
図6.1 参加の過程
46
行動分析学や認知心理学が、学習の過程を知識やスキルを何らかの方法で「獲得す
る」ととらえたのに対して、正統的周辺参加の考え方では、学習をあるコミュニティ
に「参加する」ことだととらえたわけです。コミュニティに参加することによって、
自分の技能と知識が変化し、まわりと自分との関係が変化し、自分自身の自己理解が
変化していきます。それらすべてを含めて学習ととらえました。
実践コミュニティ
『状況に埋め込まれた学習』では、主に徒弟制を実践コミュニティの例として取り上
げていますが、社会の中には他にもたくさんの実践コミュニティがあります。たとえ
ば、断酒グループ、サークル、大学の研究室、宗教的なカルトなどです。
コミュニティの原型は住む土地で結びつけられた地域社会ですが、現代では、伝統的
な近所づきあいが薄れてきています。その代わりに、さまざまなテーマで結びつけら
れた実践コミュニティがあります。
実践コミュニティが成立する条件は次の3つです。
第一に「領域」です。これはコミュニティメンバーの共通基盤となるテーマです。第二
に、「メンバーの交流」です。コミュニティでは、お互いの尊重と信頼による相互交
流の活動が行われています。第三に、「実践」です。実践は、そのコミュニティが生み
だし、共有し、維持する特定の知識が蓄積されたものです。伝統もこれに含まれま
す。
表6.1に、実践コミュニティとその他の機構との比較を示しました1。
表6.1 実践コミュニティとその他の機構との比較
コミュニ
ティ
実践コミュ
ニティ
目的
知識の創
造、拡大、
交換、およ
び個人の能
力開発
メンバー
専門知識や
テーマへの
情熱により
自発的に参
加する人々
境界
曖昧
結びつき
継続期間
情熱、コ
ミットメン
ト、集団や専
門知識への
帰属意識
有機的に進
化して終わる
(テーマに
有用性があ
り、メンバー
が共同学習
に価値と関
心を覚える
限り存続す
る)
1 ウェンガー、マクダーモット、スナイダー『コミュニティ・オブ・プラクティス』翔泳社, 2002
47
コミュニ
ティ
目的
結びつき
継続期間
マネー
ジャーの部
下全員
明確
職務要件お
よび共通の
目標
恒久的なも
のとして考え
られている
(が、次の
再編までし
か続かな
い)
断続的な業
務やプロセ
スを担当
マネー
ジャーに
よって配属さ
れた人
明確
業務に対す
る共同責任
断続的なも
のとして考え
られている
(業務が必
要である限
り存続す
る)
特定の職務
の遂行
職務を遂行
する上で直
接的な役割
を果たす
人々
明確
プロジェクト
の目標と里
程標(マイル
ストン)
あらかじめ
終了時点が
決められてい
る(プロジェ
クト完了
時)
情報を得る
ため
関心を持つ
人ならだれで
も
曖昧
情報へのアク
セスおよび
同じ目的意
識
有機的に進
化して終わる
情報を受け
取り伝達す
る、だれが
だれなのか
を知る
友人、仕事
上の知り合
い、友人の
友人
定義できな
い
共通のニー
ズ、人間関
係
正確にいつ
始まりいつ
終わるとい
うものでも
ない(人々
が連絡を取
り合い、お
互いを忘れ
ない限り続
く)
作業チーム
プロジェク
トチーム
非公式な
ネットワー
ク
境界
製品やサー
ビスの提供
公式のビジ
ネスユニッ
ト
関心でつな
がるコミュ
ニティ(コ
ミュニ
ティ・オ
ブ・インタ
レスト)
メンバー
48
6.3 文献紹介
レイヴ、ウェンガー『状況に埋め込まれた学習̶正統的周辺参加』, 産業図書, 1993
本文で解説したように、いくつかの徒弟制度を文化人類学的
な視点で記述し、実践コミュニティに参加していく過程こそ
が学習であるという主張をした本です。
著者は、この考え方を学校教育や教育場面に直接応用するこ
とを慎重に避けていますが、逆にそのことが示唆を与えてい
ます。
ウェンガー、マクダーモット、スナイダー『コミュニティ・オブ・プラクティス』翔泳社,
2002
『状況に埋め込まれた学習』では、文化人類学的な徒弟制度
の分析を取り上げていますが、この本では、企業の中の実践
コミュニティを取り上げています。
共通の専門テーマと相互交流によって非公式に結びついた実
践コミュニティがどのようなものかを記述しています。
49
6.4 確認テスト
問題1
1.ギブソンによる造語「アフォーダンス」の意味を簡潔に説明してください。
(10点)
2.自分の身近で見つけたアフォーダンスの事例をあげてください。
(10点)
問題2
「正統的周辺参加」の意味するところを、徒弟制度を例にあげて簡潔に説明してください。
(10点)
50
問題3
以下の説明について、状況的学習論の立場から見て正しいものには○を、間違っているものに
は をつけてください。
(5点 5=25点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
学習における認知プロセスの関与を否定し、外的な環境からの情報を重視する。
学習とは、知識やスキルを何らかの方法で獲得することである。
暗黙的な知識やコツ、特定の場所での適応的な振る舞いが学習される。
コミュニティへの参加の結果としてアイデンティティも獲得される。
状況的に学習することによって、正しい知識やスキルを短時間で獲得できる。
問題4
( )に入る適切な語句を漢字2文字で記入してください。
(5点 3=15点)
実践コミュニティが成立する条件は、メンバーの共通基盤となる( )、
メンバー同士の尊重と信頼による( )、コミュニティが生み出し、共有
し、維持する特定の知識が蓄積された( )の3つです。
問題5
実践コミュニティの説明として正しいものには○を、間違っているものには をつけてくださ
い。
(5点 6=30点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
実践コミュニティの蓄積する実践には伝統も含まれる。
実践コミュニティとは専門知識やテーマへのコミットメントによって公式に結びつい
た人々の集まりである。
実践コミュニティの目的は特定の職務の遂行である。
実践コミュニティの内と外との境界はあいまいである。
実践コミュニティの継続期間はあらかじめ決められている。
実践コミュニティの存在は社会にとって常に有益である。
51
7. 状況的学習論をIDに活かす
---先生、状況的学習論の考え方はわかるんですが、使うとなると難しいです
ね。
というと?
---現代社会では実践コミュニティが少ないからです。
そうかな?
---学校はコミュニティではないですよね。
まあ、微妙なところだね。地域コミュニティの中に組み込まれているとも考えら
れる。
---でも、地域という考え方がどんどん薄まっているわけですよね。
でも、ゼミやサークルなんかでは正統的周辺参加らしきものがあるような気がす
るね。あとは、会社でもコミュニティ的な要素を持っているところがある。
---逆に、インターネットの世界の方が、同じ価値観で結びつく人が多いかもし
れないですね。
でも状況的学習論が教育に示唆するものは大きいと思うよ。
---たとえば?
何のために勉強するのかということだ。
---それこそが今の学校教育が見失っているものじゃないですか。
おっ、厳しいね。
---何のために勉強するのかが見えてこないから、教育がダメになっているん
じゃないですか。
7.1 状況的学習論から教えることへ
真正の文化
状況的学習論の学習観は、知識や技能の習得を、現実のコミュニティの中での仕事や
役割を遂行するための手段と位置づけたことに特徴があります。つまり、知識や技能
は空中に浮いているものではなく、現実の複雑な文脈の中に埋め込まれ、実際に役に
立つものとして位置づけられています。そうした知識と技能の実践によって、人はある
コミュニティの中での位置を確定し、それが自己のアイデンティティになっていきま
す。そこでは、何のために知識と技能を習得するのかは自明なことです。そのコミュ
ニティでの自分の役割を果たすためです。
52
コミュニティでは、伝統という名前で、実践活動が蓄積されています。伝統の中でそ
のコミュニティ特有の文化が成立するようになります。それを「真正の(authentic)」
文化と呼びます。
学校のカリキュラムの中で教えられる内容は、科学者たちや研究者たちが築き上げた
理論や世界観、あるいは広く文化を反映しています。教科内容を決めたり、教科書を
執筆するにあたっては、そうした専門家たちの意見が色濃く反映されています。つま
り、科学者・研究者たちは自分たちの真正の文化を学校教育のなかに反映させようと
しています。たとえば、問題を発見して、仮説を立てたり、データを集めて検討したり
して、それを論文にまとめるというような活動は科学者コミュニティの中の真正な文
化です。
しかしながら、そうした意図を持って設計されたカリキュラムであっても、実際の学
校の文化は科学者コミュニティの文化とは異なるものです。実際の学校の文化という
のは、たとえば、与えられた知識をそのまま覚えたり、試験のためにテクニックに熟
達したり、教室の中で先生に気に入られたり、友だちから仲間はずれにされないよう
にうまく振る舞うことであったりするのです。それは科学者の真正の文化とはまった
く異なる文化です。科学者の文化を伝えようとした内容が、科学者の文脈のない教室
に導入されたときには、正しく伝えられないということです。何のために、どうなり
たいためにこれをやっているのかということが抜け落ちてしまっているからです。
認知的徒弟制
正統的周辺参加モデルの元となった伝統的な徒弟制では、知識や技能は仕事に使われ
るものであり、現実の複雑な状況下(文脈)の中で習得されるものでした。それには
いくつかの段階があります。まず、徒弟は親方の仕事ぶりを手本として繰り返し観察し
ます(モデリング)。次に、親方の助けと指導を借りて仕事を実行してみます(コー
チング)。この段階では、親方は仕事が完成するまで責任を持って援助をします。そ
して最後の段階では、親方の支援は徐々に少なくなっていき、最終的に徒弟一人が自
力で仕事をこなすようになります(フェーディング)。
この伝統的徒弟制を教育に活かそうとしたのが、Brown, Collins & Duguid(1989)の認知的徒弟制(cognitive apprenticeship)です。現実的な文脈の中で仕
事に必要な知識を学んでいくという伝統的徒弟制の特長を生かし、さらに、見える技
能よりもむしろ一般化できる認知プロセスに焦点をあわせています。逆にいえば、伝
統的徒弟制の弱点は、それがあまりにも文脈に埋め込まれているために、応用が利か
ないという点にあります。認知心理学の章で言及した「領域固有性」が強く効いてい
るわけです。
認知的徒弟制の教え方は次のようにまとめられます。
・モデリング:手本となる熟達者が実際にどのように問題解決をしているのかを観察させま
す。それにより、どのようにしたら課題を達成できるかを学習者が概念化できるようにしま
す。
53
・コーチング:実際に問題解決に取り組んでいる学習者に熟達者が1対1でついて、ヒント
を出したり、フィードバックを出したりして、指導します。
・スキャフォルディング:一通りのことができるようになったら、学習者が独り立ちできる
ように手助けの範囲を限定し、サポートします。
・フェーディング:学習者が独り立ちできるようになったら手を引いていく。
状況的学習と非状況的学習の比較
徒弟制に見られる状況的学習は、熟達者を育成するのには強力な方法ですが、人的資
源を含めてコストが高くつくことが欠点です。それ以外の一般的な課題として、
Collins(1994)1 は、状況的学習と非状況的学習の問題を次のようにまとめています。
状況的学習の問題(伝統的徒弟制に見られる弱点)
• 柔軟性の問題:ひとつのことをひとつの方法でしかできない
• 学習の問題:全体の知識を体系化できない
• 転移の問題:獲得したスキルを文脈の違う状況に適用できない
非状況的学習の問題(学校カリキュラムに見られる弱点)
• 動機づけの問題:一体自分が何をやっているのかを見失ってしまう
• 不活性の問題:習った知識を現実生活の問題にどう適用していいのかわからな
い
• 保持の問題:抽象的な知識はそれを使わなければすぐに忘れていってしまう
熟達した学習者は、抽象的な知識とスキルを中心に持ち、それを現実のさまざまな状
況に適応できることができます。何かを教える立場の人たちの課題は、こうした熟達
した学習者を育てるための学習環境を設計することにあります。
7.2 状況的学習論をIDに活かす
状況的学習論によるデザインの工夫
学校教育に見られるような非状況的学習の弱点をカバーするために、インストラク
ションの中にいくつかの工夫を加えることができます。
学習者が取り組む課題シナリオには、意味のある(現実味のある)文脈を与えるよう
にします。このことによって、今取り組んでいることがどのようなゴールに向かってい
るものかを学習者が確認でき、そのことによって動機づけが高まります。
さまざまな方略、知識、ツールを必要とするような複雑性の高い学習環境を設計する
ようにします。意味のある課題シナリオに対応して、複雑な環境を用意します。ただ頭
1 Collins, A. 1994 Goal-based scenarios and the problem of stuated learning: A commentary on
Andersen Consulting's design of goal-based scenarios. Educational Technology 34(9), 30-32
54
の中で考えるだけではなく、他のメンバーを含めたさまざまな外部資源を利用してい
くことによって状況的な学習が促進されます。
モデリング、コーチング、スキャフォルディングなどによって、軌道修正の可能性を常
に持たせます。学習者が上達するにしたがって助言や支援を徐々に減らしていくこと
により、独り立ちできるようにします。
学習によってある程度の課題解決ができるようになったら、まったく新しい課題に取
り組ませるようにします。また自分が何を獲得したかについて意識させることによっ
て、学習の仕方を学習するスキルを伸ばします。このことによって特定の課題に限定
されることのないスキルに拡張します。
ゴールベース・シナリオ(GBS:Goal-Based Scenario)
R. Schankは、状況的学習の特徴を学習コースに実現する枠組みとして、ゴールベー
ス・シナリオ(Goal-based scenario)を提案しました。
GBSに基づく教材はまず、文脈となるシナリオを提供します。あなた(学習者)の役
割はどんなものか、あなたを取り巻く現在の状況はどうなっているのかを「カバース
トーリー」によって記述します。その上であなたのミッション(使命)を明確にしま
す。
そのシナリオの中であなたが役割を果たすことによって学習が進んでいきますが、そ
こで得られる知識やスキルは明示化されません。あなたはシナリオの提供する状況の
中で練習をしたり、決断をしたり、表現したりすることを求められますが、それは
「これを学びましょう」という形で提供されるわけではなく、ミッションを果たすた
めにしなければならないことなのです。
ミッションを果たすためにあなたは一人ではありません。必要に応じて、コーチや専
門家の話を聞き、フィードバックを受けることができます。また、意思決定などをす
るのに役立つ情報(リソース)にはいつでもアクセスできる状態にあります。
以上のようなシナリオと学習環境の中で、与えられた役割をもってミッションをこな
していきます。たとえば、環境保護局員という役割で、市民集会の運営を訓練するシ
ステムがあります。住民の中の対立するグループの利害を調整していくことが仕事にな
ります。その過程でスピーチをしたり、集会での質問に答えたりしながらミッション
を果たしていくことになります。
GBSの背景にある学習理論は「事例ベース推論(case-based reasoning)」というも
のです。私たちは過去の経験からさまざま事例を蓄積しています。新しい課題解決場
面に対したとき、過去の事例集からうまく行くと思われることを期待して対処をする
のですが、ときどきは予期せぬ失敗が起こります。その失敗を体験することによって
新しい事例が蓄積され、それが学習であるということになります。GBSは学習者にあ
えて失敗を体験させ、そのことから学習をさせようとしています。
55
学習される知識やスキルは明示化されないのがGBSの特徴です。GBSによって獲得さ
れることは、文脈の中に埋め込まれた形での知識、スキル、そして態度なのです。
GBSの原則は次のようにまとめられます。
1. 真正性(authenticity)原則:知識、スキル、態度が、現実のなかでそれらを使うこと
を反映しているような課題と設定に埋め込まれていること。
2. 織り込み(interweaving)原則:課題をやり遂げることと、特定のコンピテンシーを獲
得するという2つの焦点を行ったり来たりすること(スポーツでいえば、試合とトレーニン
グ)。
3. 関節化(articulation)原則:学んだことを考えに接合すること。特定の文脈での学習
を抽象化すること。
4. 内省(reflection)原則:定期的に自分のやってきたことを内省し、パフォーマンスを
他人と比較することにより、効果的な方法を見いだす。
5. 学習サイクル(learningcycle)原則:「プラン­実行­内省」のサイクルを繰り返すことで学習していく。
PSIとGBSの比較
行動分析学の章で紹介した個別化教授システム=PSIとGBSとの違いは、「目標指向か
スキル指向か」という方向性の違いにあります。PSIでは、学習すべき知識とスキルは
単元化され、コースのなかで明示されます。そして、それをひとつひとつ完全習得学習
していくことでコースを進めていきます。一方、GBSでは、単元や獲得すべきスキルは
明示されません。具体的な事例と到達すべき目標が明示されるなかで、個々の知識や
スキルは、その目標を達成するために必要なものとして位置づけられるのです。
GBSは、実際の人間の行動が、目標指向であるという事実からデザインされていま
す。人間は「何か(目標)をやりたい」ということがあるときに最もよく学ぶという
原理にしたがっています。
アンカード・インストラクションとGBSの比較
認知心理学の章で紹介したアンカード・インストラクションとGBSとは、文脈(シナ
リオ)の役割を重視しているという共通点があります。一方、大きな違いは、次の点
です。
アンカード・インストラクションでは、領域固有性によって学習内容の転移が困難で
あることを克服するために一般的な知識を意味のある文脈に結びつけようとしていま
す。つまり、転移を促進するために、文脈を利用しているといえます。一方、GBSで
は、リアリティのある状況の中で発揮されるパフォーマンスそのものを目指してお
り、それを獲得するためにさまざまな困難、意思決定、リソースの調査などの課題が
設定されています。
56
実践コミュニティを作る機能
状況的学習論が強調したことは、実践コミュニティの役割です。一定の文化を伝承
し、メンバーが徐々に流動しつつ、実践活動を行っていくような場こそが個々の学習
を成立させていると主張したのです。このような実践コミュニティをオンラインで人
工的に作るためには次のような機能をもたせることが有効です。
• コミュニティの存在、領域、活動を説明するホームページ
• オンライン・ディスカッションのための話し合いの場
• 研究報告書、ベストプラクティス、企画などの文書を集めたレポジトリ
• 調べ物をするための検索エンジン
• メンバーが領域内で何を専門としているかの情報を載せた会員名簿
• リアルタイムのための共有空間、遠隔会議
• コミュニティ管理ツール:誰が積極的に参加しているか、どの文書がダウン
ロードされているかなどを調べるツール
このような機能をもったサイトを設定することにより、実践コミュニティを成立させ
るような環境をオンライン上に展開することができます。
7.3 文献紹介
ガブリエル・ソロモン編『分散認知』, 協同出版, 2004
「われわれは、学校とは生徒が学ぶことを学ぶコミュニティである
べきだと考えている。そこでは教師は、個人的にも他者と協力する
場合にも、意図的学習や自発的な学問研究のモデルであるべきであ
る。もし、うまくいけば、そのようなコミュニティの卒業者は、多
くの領域でいかに学ぶかを学んだ生涯学習者として準備ができてい
るはずである」
この本は、個人内の認知的スキルを重視する認知主義と、外界の人
工的/自然環境に規定されるとする状況主義を対比させながら、そ
れらの双方が相互的に影響し合って学習が進んでいくというビジョンを各章の筆者が
描き出しています。
57
7.4 確認テスト
問題1
以下のア∼コの中から認知的徒弟制の4つの段階に相当する項目を選んでください。
(4点 4=16点)
また、それぞれの段階において、どのようなことが行われるのかを簡単に説明してください。
(5点 4=20点)
ア.エンディング
カ.コーチング
イ.ティーチング
キ.カウンセリング
ウ.メンタリング
ク.フェーディング
エ.トレーニング
ケ.シェイピング
オ.スキャフォルディング
コ.モデリング
ア∼コから
選択
説明
第1段階
第2段階
第3段階
第4段階
58
問題2
以下のア∼カを、状況的学習の弱点と非状況的学習の弱点とに分類してください。
(4点 6=24点)
・状況的学習の弱点
( )
・非状況的学習の弱点
( )
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
習った知識を現実生活の問題にどう適用していいのかわからない。
記憶に残りにくい。
ひとつのことをひとつの方法でしかできない。
コストが高くつく。
動機づけが弱い。
全体の知識を体系化できない。
問題3
ゴールベース・シナリオをデザインするときの考え方として正しいものには○を、間違っている
ものには をつけてください。
(4点 7=28点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
キ.
単元の中でどのような知識やスキルが身につくかを明示しておく。
予期せぬ失敗はなるべくさせないように難易度を調整する。
学習者にとってリアリティのある状況を設定する。
課題遂行に役立つ情報はなるべく小出しにし、ゲーム性を高める。
学習者が単純な文脈の中でスキルを確実に試せるようにする。
定期的に学習者が内省する機会を埋め込んでおく。
学習者が役割を果たすことによって学習が進んでいくようにする。
問題4
次の人名と関連の深い用語を線で結んでください。
(2点 6=12点)
ア.ギブソン(J.J. Gibson)
イ.シャンク(R. Schank)
ウ.スキナー(B.F. Skinner)
エ.レイヴ&ウェンガー(J. Lave & E. Wenger)
オ.エリクソン(K.A. Ericsson)
カ.ケラー(F.S. Keller)
59
・状況に埋め込まれた学習
・GBS
・PSI
・10年修行の法則
・行動随伴性
・アフォーダンス
8. IDプロセス
さて、長い道のりだったけど、「学ぶ」ということに関する心理学理論をひとと
おり見てきたよ。
---はい。長いような短いような。
それじゃ、またどこかで会おう。
---ちょっと先生。まだ終わってませんよ。
え? そう?
---インストラクショナルデザインというからには、教え方を教えてもらわない
と帰れませんよ。授業料も払っているし。
あ、教え方ね。うーん、まあ適当にやっておけばいいよ。
---先生、そんなわけないじゃないですか。
教えようとして熱意むき出しにすると、かえってひいてしまうでしょ。
---そりゃ、そういうこともありますけど。
教えるという行為そのものは、インストラクションのごく一部にすぎないのだ
よ。重要なのはインストラクション全体のデザインなのであってね。
---そうそう、そういう話を聞きたいんです。
しまった。今日は早く帰るつもりだったのに。
8.0 第2部(後半)の概要
ここまでで、3つの「学ぶことに関する心理学」を見てきました。私たちが「学ぶ」
ということからすぐに思い浮かべることは、「教室での学び」や「eラーニングによる
学び」のようなイメージですが、実はそれは「学び」の形態の限られたごく一部だと
いうことです。実際には、現場で学んだり、親方から指導を受けたり、地域のサーク
ルで教え合い、学び合うということをしています。学びの形が多様だということは、
同時に教えるということの形もまた多様だということです。イルカのトレーニングの
ように行動分析学的に教えるということもありますし、親方に弟子入りしたとすれば
状況的学習論的に教えられます。
インストラクショナルデザインという学問分野が、教育学と違うという点を探すとす
れば、教室や学校のような場所に限らないということです。企業内教育もそうです
し、生涯教育と呼ばれるような学校を卒業してしまってからの教育などを大きなター
ゲットにしています。むしろ学校を卒業してから、本当の学びが始まるのだという視
点を持っています。
60
この回から始まる後半では、実際に何かを教えることを設計していくことにします。
そのことによって、インストラクショナルデザインを実際にはどのように進めていくの
かを学んでいきたいと思います。
8.1 IDプロセス
インストラクショナルデザインを行うためのプロセスとして、古典的なモデル
「ADDIEモデル」と「ラピッド・プロトタイピング」の2つの考え方が主流です。
ADDIEモデル
ADDIE(アディー)モデルの「ADDIE」とは次の5つのステップの頭文字を取ったも
のです。 それぞれのステップでは、次のような作業を行います。
• Analyze(分析):
• Design(デザイン):
ニーズ分析とゴール分析をして全体像を決める
• Develop(開発):
• Implement(実施):
教材を作成したり、ビデオを撮るなどの開発を行う
どこをどのような形にするかをデザインする
実際にインストラクションを実施してみる
実施したものを評価する
• Evaluate(評価):
これはワンサイクルで終わるわけではなく、最後の評価で何らかの問題があれば、ど
の問題かを把握し、前のステップに戻って、うまくいくまで繰り返します。この
ADDIEモデルは、IDに限らず、商品開発やシステム開発などにも用いられています。
ADDIEモデルはシステマティックで着実なアプローチですが、欠点をあえて探すなら
ば、開発に時間がかかることです。そこで、次の手法が使われてきています。
ラピッド・プロトタイピング
ニーズを発見したら、できるだけ速くそれに対処することが必要です。そこではあま
り時間をかけることが許されません。まず動くものを作り、それを使いながら改善し
ていこうという考え方で出てきたのが「ラピッド・プロトタイピング」です。コンセ
プトが決まったらとにかく動くもの開発し(プロトタイプ)、利用しながらフィード
バックを受け、即座に修正し、次のバージョンに改善していきながら完成度を高める
やり方です。
8.2 システムズアプローチ
インストラクショナルデザインは、システムズアプローチという考え方を採用してい
ます。この考え方は、現代の様々な学問領域で採用されているものです。システムズア
プローチの考えは「物事の動きをひとつのシステムとしてみましょう」ということで
す。ここでいうシステムとは「部分が全体を規定し、全体が部分を規定している」よ
うな全体ということです。
61
たとえば、教室での授業には、先生と生徒という構成要素があります。この2つの組
み合わせを単純に足せば全体ができるわけではありません。この組み合わせから何ら
かの新しい性質(たとえばクラスの雰囲気)が出て、全体が出来上がります。さら
に、全体が出来上がると、今度は全体から一人一人の生徒に何らかの作用を及ぼして
いきます。単純に良い先生がいれば、教える・学ぶ関係が良くなるかといえば、そん
なことはありませんし、悪い生徒がいても必ずしも学級崩壊につながるわけではあり
ません。先生と生徒の関係、生徒と生徒の関係、取り巻く環境、どういう文脈で、お
互いのニーズを規定しているかなどによって、全体が上手くいくか・いかないかが、決
まってくることになります。インストラクショナルデザインでも、このようなシステム
ズアプローチの考え方を採用すると有効です。
東(1993)1は「大切なことは、その人がどんな流派でどんなハサミを使っているかで
はなく、結局のところ髪の毛を切っているのだという事実に着目することです」と
言っています。つまり、大切なのは、流派やハサミの種類ではなく、美容師や理髪師
は、お客様の髪をきちんと切ることである(お客様のニーズに応える)ということで
す。
この授業の前半では、行動分析学、認知心理学、状況的学習論といった学びに関する
心理学を紹介してきました。それらはそれぞれに独自性を持った流派だといえます。
インストラクショナルデザインでは、そうした流派による考え方のどれを使うかとい
うよりも、最終的に、学習者をきちんと学ばせて、満足して帰ってもらうことを目指
しています。
8.3 ニーズ分析
教えるということを仕事にしている人は「何か(私の教えられるものを)教えたい」
と本能的に思います。しかし、インストラクショナルデザインでは誰かが教えたいと
いうことから出発しません。「学ぶニーズ」があるかどうかが問題になります。
ニーズ=あるべき姿­現状
人は、自分が学びたいというニーズがあるときに、それを学べる方法(eラーニング、
教材、学校等)を探します。自分がなりたいあるべき姿と現状の自分を比べ、その差
であるパフォーマンス・ギャップを知ります。このパフォーマンス・ギャップを埋め
るために学ばなければならないニーズが、インストラクションデザインの出発点にな
ります。そのパフォーマンス・ギャップを埋めるために、どういうコースをデザイン
し、どういうことを実施し、どういうフィードバックを受けるのかが動き出していき
ます。
1 東豊『セラピスト入門』日本評論社、1993
62
8.4 文献紹介
ディック、ケアリー&ケアリー『はじめてのインストラクショナルデザイン』ピアソンエデュ
ケーション, 2004
「すべてのeラーニング関係者はこの本から始めることをお勧めす
る」という推薦文を裏表紙に書かせてもらいました。この本は、ア
メリカの多くの大学でインストラクショナルデザインの教科書とし
て広く使われています。包括的な本です。
玉木欽也監修『eラーニング専門家のためのインストラクショナルデザイン』東京電機大学出版
局, 2006
前半はIDプロセスの解説です。コンパクトにまとまっており、し
かも網羅的なので、分厚い翻訳書よりも使いやすいと思います。
後半は、青山学院大学でのIDに基づく授業のケーススタディで
す。
全体としてインストラクショナルデザインのプロセス面を知るた
めの入門書として、独習用にも使えます。
63
8.5 確認テスト
問題1
ADDIEモデルの5つのステップを英語と日本語を併記して記述してください。
(3点 10=30点)
英語
日本語
A
D
D
I
E
問題2
以下のア∼オを読んで、インストラクショナルデザインにおけるシステムズアプローチの考え
方を正しく反映しているものには○を、そうでないものには をつけてください。
(6点 5=30点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
行動分析学、認知心理学、状況的学習論のうち、どの考え方が正しいかを追求する。
学級崩壊は先生側あるいは生徒側のいずれかに問題がある。
物事の動きは、それを構成する要素を足し算していけば説明できる。
コンピュータやネットワークを利用したインストラクションを指向する。
複数の学問領域を横断するような学習活動をデザインする。
64
問題3
以下の用語について、簡単に説明してください。
(10点 2=20点)
1.ラピッド・プロトタイピング
2.パフォーマンス・ギャップ
問題4
インストラクショナルデザインにおける「システマテックなアプローチ(systematic approach)」と「システムズアプローチ(systems approach)」の意味を対比した上で、
その違いを説明してください。
(20点)
65
9. ニーズとゴール
---先生、ニーズは分かりましたので、さっそく教え方を教えてください。
この前にも言ったでしょ。教えるということはインストラクショナルデザインの
ごく一部にすぎないのだよ。
---教え方を学ぶ前にすることがあるんですか?
そうだ。まずゴールを決めることだ。
---ゴールって、サッカーの?
そう。サッカーではボールをゴールに入れることが最終到達点だ。その途中の過
程として、パスやセンタリングがあるわけだ。
---なるほど。教える前に、ゴールを決めなくてはいけないのですね。
そうじゃないと、パスばっかりしているようなものになっちゃうよ。ゴールが
はっきりしているからパスの意味があるんだ。
---そう言われれば、「なんでこんなことやらされているんだろう」って思って
しまう授業ってありますね。
そう。それはゴールが学習者に見えていないんだ。
9.1 ニーズ分析
ニーズとは、自分が実際にこうなりたいと思うあるべき姿から、現状を引いたもので
す。これは、実際にこうやりたい(あるべきパフォーマンス)のに、こうしかできな
い(実際のパフォーマンス)、その両者にギャップがあるので、パフォーマンス・
ギャップとも呼ばれています。ここで問題となるのが、このあるべき姿を誰が決める
のか、ということです。
前回では、「自分がこうなりたい」というあるべき姿を考えました。これを学習者の
ニーズと呼びます。ニーズには、この学習者のニーズ以外に、社会のニーズと領域専門
家からのニーズがあります。
まず、社会のニーズです。たとえば、小学校を卒業した時に、どのくらい漢字を覚えて
おいて欲しいかというあるべき姿は個人で決められるものではありません。小学校卒
業時には、この程度の漢字を覚えておいた方が良いということが社会全体として決
まってきます。すなわち社会全体の利益、社会全体のコミュニケーションを上手く活
かすために、必要なあるべき姿が規定されます。このことを社会のニーズと言います。
次に、領域専門家からのニーズがあります。このニーズは少し曲者です。たとえば、歴
史学者達が、領域専門家のコミュニティを形成し、それは組織としてもオーソライズ
66
されています。その人達が声をそろえて、この程度の日本の歴史を覚えておいたほうが
良いと要望を出すケースがあります。これが領域専門家のニーズになります。
しかし、領域専門家のニーズが必ずしも社会のニーズに合致しているわけではありませ
ん。なぜならば、社会全体から見ると、領域専門家コミュニティとしては特殊な人達
が集まっているからです(だからこそ領域専門家なのです)。この領域専門家のニー
ズが時々、社会としては的外れであることもあります。これは専門家が自分たちの専
門家のアイデンティティを守るために起こることです。よって、領域専門家のニーズの
場合も、学習者のニーズ、社会のニーズによってチェックしていかなければなりませ
ん。
このように、単にニーズと言っても、学習者のニーズ、社会のニーズ、そして領域専門
家のニーズがあるので、これらのバランスを常に考えることが重要です。そして、イン
ストラクションデザインの視点では、まず学習者のニーズを重視することが求められ
ます。
9.2 教育ゴール
ニーズが決まるとゴールが決まります。このゴールを教育ゴールと呼びます。ゴールは
ニーズ分析から発生し、学習者がインストラクションを受けた結果、何ができるよう
になるのかを決めたものがゴールです。
ここで教育ゴールを考えるポイントは、「その行動を明確に、そして観測可能な形で
書く」ということです。具体的に、単純明快にゴールとなる行動を書きます。
観測可能でない形というのは、「知る、理解する、親しむ」といった動詞です。たと
えば、「情報社会における生活の危険性について知る」とか「情報社会でいかに良く
生きるべきかを理解する」、また「パソコンやインターネットに親しむ」と書かれて
いても、その人が「知る、理解する、親しむ」という状態になるっているかどうか
は、観測不可能です。
これを観測可能にするためには、具体的に「○○についてこのようなことを知ってい
ます」と言ってもらったり、「1∼10までを足し算するようなプログラム」をC言語で
作ってもらったりすれば、それは観測可能となり、目標が達成されたかどうかを判定
することが可能になります。すなわち、パソコンに親しむといっても観測不可能なの
で、パソコンに親しんでいる様子を具体的な行動でデモンストレーションすることで
初めて観測可能になります。
教育ゴールでは、「どんなときに(条件)」、「どんなことが(行動)」、「どの程
度できればよいか(基準)」を考えます。たとえば、テニスのサーブを例にあげる
と、ダブルフォルトをせずに、ボールを正しくサーブできることが教育ゴールです。し
かし、このままでは、まだ具体的になっていないので、条件・行動・基準を考えま
す。たとえば、正式なコートを使って(条件)、サーブを打って(行動)、20本中16
67
本以上入れば良い(基準)とします。これは誰が見ても観測可能なので、教育ゴール
として採用できます。
9.3 ゴール分析
教育ゴールは、次の5種類に分類されます。
まず最初に、運動技能です。たとえば「テニスのサーブを打つ」というようなゴール
です。
2番目は知的技能です。たとえば、「テニスのゲームのカウントが正しくできる」と
いうのは知的技能になります。テニスのカウントはフィフティーンから始まって、サー
ティそしてフォーティで1ゲーム取れます。これがちゃんとカウントできるというのが
知的技能です。
3番目は言語情報です。たとえばテニスでネットにかすってコートに入ったサーブのこ
とを「レット」と呼びます。このレットとはやり直しという意味ですが、それを知っ
ているということが言語情報のゴールです。
次の4番目の認知的方略は、「学び方を学ぶ」ということですが、ここでは省略しま
す。
最後は態度です。たとえば、「テニスの試合中に紳士的な態度をとることができる」
というのがゴールにできますので、これは態度のゴールといえます。
態度のゴールになると、複雑な状況でどの様に判断するかというゴールになります。そ
の状況でどう判断するか、どう行動するかは、一言で表現できないので複雑になりま
す。よって、それを総合して態度と呼んでいます。しかし、複雑な態度も、細かく分類
すると、運動技能、知的技能、言語情報に分解することができます。
ゴール分析
ゴールを決定すると、そのゴールを達成するためにどのようなステップをすればよい
のかということを分析する必要があります。たとえば、「テニスのサーブを打つ」と
いう運動技能のゴールを設定すると、「正しい位置に足を置く」、「ボールを適切に
トスする」、「それに対してラケットを振りぬく」「打った後、次の球に備えて構え
る」という四段階のステップが設定できます。このように最終的な教育ゴールを下位
のゴールに分解することをゴール分析といいます。
運動技能と知的技能では、上位のゴールは複数の下位のゴールに分解できます。サーブ
をするというのは一番上位のゴールですが、「足のポジション」、「トス」、「ラ
ケットの振りぬき」、「構える」は4種類の下位ゴールです。そして「トスを上げる」
ということも、「ボールをキチンと握る」、「ボールを下から上にまっすぐ投げ
る」、「適度な高さまで上げる」、と3つに分解できます。このようなパターンを階層
型といいます。
68
一方、言語情報はクラスター型です。クラスターというのは、複数のものが集まった
形のことです。言語は分類して覚えていきます。たとえば、サーブ関係ですと、コート
からはみ出たことをフォルトという言語情報を覚えなければなりませんし、ネットに
かすった場合はレットという言語情報を覚えなければなりません。このように、サー
ブ関係の言語情報はクラスターとして集まった形で覚えられています。
態度は、運動技能、知的技能、言語情報の複合型ですので、階層型とクラスター型の
混合になります。
9.4 学習者分析
学習者を分析することはとても重要です。それは、インストラクショナルデザインで
は、学習者のニーズがあって、そして学習者のゴールがあり、そのゴールを学習者が達
成するということが中心です。学習者がゴールに到達できるようにするために、学習
者がどういう人なのかということを把握しておく必要があります。
たとえば、学習者が学ぶ内容について最初、どれほどの知識があるのかどうか、また
学習者が学ぶものに対してどのような態度を持っているのか、ということを知ってお
かなければなりません。また、学習者の動機づけ、すなわち、どれほどやる気がある
のか、も知っている必要があります。そして、学習者の学び方の好みのスタイルを知っ
ておくことも重要です。
最初に、学習者が学習内容についてどれくらいの知識(既有知識)を持っているかど
うかを確認します。通常の研修やコースでは教えられる時間が決められています。たと
えば、1時間とか、半日で学ぶ、とか、2泊3日の研修、あるいは15週間で学ぶなど
というように、始めと終わりがあります。その期間内で教育ゴールを達成して欲しい
のです。そのためには、はじめの段階でコースの内容に無理なくついて行けるような
知識を持っている人を学習者としなければなりません。そのために前提知識を確認し
ます。もし前提知識のない人であれば、そのコースに入る前にその知識を得ておく必
要があります。あるいは逆に、教えようとする内容がすでに学習者に獲得されている
ようなケースもあります。この場合は、このコースをスキップしてもらう方が時間の無
駄になりません。
次に、学習者の内容に対する態度も知っておく必要があります。無関心なのか、積極
的なのか、あるいはどうでも良いなどと消極的なのかを知ることは重要です。どうで
も良い時は学習者にニーズがあっていないのか、その人が自分のニーズに対して気付い
ていない場合があります。たとえば、現在、大学では、1年生の授業で、討論やレ
ポート、パソコンの使い方、インターネットの方法、検索、データベースなどを学び
ますが、このことに対して「どうでも良い」と思っている学生がいると消極的な態度
を取ります。そうするとなんとなく授業に出席しても、スキルが獲得できず、その後、
本格的に授業が始まると、課題などで、インターネットで調べ、データベース検索や
レポート記述などパソコンを使うため、「やっておけば良かった」と後悔することに
69
なります。積極的であれば問題はないのですが、消極的・無関心であれば、「あなた
にはこういうニーズがありますよ」そして「それに気づいていないだけですよ」と伝え
る必要があります。
動機づけも重要です。インストラクションを提供される学習者が、動機づけをされて
いる場合は、インストラクションはよく働くのですが、そもそもやる気がない場合
は、うまく行きません。そういう場合は、まず学習者の動機づけから入る必要があり
ます。
動機づけに関するひとつのモデルとして「期待・価値モデル」があります。
動機づけ = 期待 価値モデル
というものです。ここでいう期待とは、自分がどれだけうまくできるかという期待で
す。価値とは、このインストラクションが自分にとってどれほど価値があるかという
ことです。期待も価値も高いインストラクションの場合は学習者は強く動機づけられ
ます。しかし、そのようなケースばかりではありません。そのインストラクションの
価値は自分にとってとても高い価値なのですが、その中でうまくやっていくことがで
きない場合は、掛け算なので動機づけは0になってしまいます。逆に、うまくやる期
待が高くても、価値が低い場合、すなわちインストラクションの内容が易しすぎて、
完全にパーフェクトにできるのであれば、それは時間つぶしになってしまいます。こ
の場合ももちろん動機づけは下がります。
最後に学習スタイルの好みもとても重要です。これまでの教育心理学の研究より、学
習者と一口で言っても、その学習者一人一人はいろいろなスタイルで勉強することが
わかっています。たとえば、本を読むにしても、音読をしないと頭に入らない人もい
ますし、音読をするとかえって遅くなり、速読のほうが理解できる人、また図解が
入っていないとわからない人、図解では分からないけど文章、箇条書きなら分かりや
すいという人がいます。このように本ひとつをとってみてもいろいろな学び方があり
ます。
重要なことは、自分の好みのスタイルではない形で学習した場合、非常に効率が落ち
るということです。一人の場合は、その学習者にスタイルを聞いて変更することが可
能ですが、30人、50人、多い場合には300人でインストラクションをする場合は、多
様な学習者がいるので、一人一人に合わせることはできません。どんなスタイルの人
がいても大丈夫なように、取っ掛かりを作っておく必要があります。私のこのインス
トラクショナルデザインの授業も、スライドを見せながら話すと言うスタイルをとっ
ていますが、スライドがないほうが良い、喋っているだけが良いという学習者もいる
ので、スライドを出したり、その他、ワークブックや参考文献を紹介したりして、ど
んな学習者に対しても取っ掛かりを提供していく必要があります。
70
9.5 コンテキスト分析
インストラクションを行う上で、一定の施設・設備(教室・会議室)、一定の資源
(プリント配布、スライド、レクチャー)、一定の制約(時間的な長さ、場所をどれ
ぐらい使用できるか、体を動かせるか)は学習コンテキストと呼ばれます。この中で
インストラクションが行われるのですが、それとは別にパフォーマンスコンテキスト
を考える必要があります。なぜならば、学習コンテキストで得られた実際の知識やス
キルが、現場ではどのように活かされるのかを常に見ておく必要があるからです。さ
もなければ、教室では上手くできたが、現場に出ると全く役に立たないケースがあり
ます(認知心理学の領域固有性)。そのようにならないように、学習コンテキスト
を、パフォーマンスする上で、よく似たように関連付けてデザインをする必要があり
ます。
そういった意味では、伝統的に行われている教科書を使い、レクチャーをして理解さ
せるのは、もっとも効率の悪い方法であることが分かります。なぜなら教科書のコン
テキストと実際のパフォーマンスは違うものだからです。教室の外に出ると、教科書
はない。レクチャーする人もいない。その中で、自分で試行錯誤し、経験を積み、よ
り良い方法を探索して学習していくのです。このように学習コンテキストとパフォーマ
ンスコンテキストが全く違うので、転移しにくいものになります。インストラクショ
ンをデザインする側は、常に現場でスキルと知識がどう活かされるのかを考えてデザ
インする必要があります。
9.6 テスト
インストラクショナルデザインはテストするのが好きです。しかし、このテストは通
常、学校で行われているようなテストではありません。インストラクショナルデザイ
ンのテストは一味違います。
まず、始めに前提テストを行います。ここでは学習者がインストラクションを受ける準
備ができているかを確認します。たとえば、授業で表計算ソフトを使う場合、前提テ
ストで表計算をどれほど使えるかテストします。もしそのテストがクリアできなけれ
ば、実習をしてフォローします。逆に、テストをクリアできれば、そのままインスト
ラクションに入ります。
次に、プリテスト(事前テスト)を行います。インストラクションを受ける直前に、
その学習者がどのスキルが習得済みかを確認します。もしかすると教えようとするス
キルが習得済みということもあります。これは時間の無駄です。知っていることを教え
られることほど無駄なことありません。ですので、インストラクショナルデザインで
は、プリテストで0点を取ってもらうことが理想です。もしプリテストで100点をとれ
ば、その学習者はこのインストラクションを学ぶ必要がないからです。
インストラクションを実施した側は、ゴールがきちんと達成できたかを確認する義務
があります。そのためにポストテスト(事後テスト)を行います。もし、学習者が最終
71
目標を達成していなければ、それは学習者の責任ではなく、インストラクショナルを
実施した側が下手だったからです。すなわち不合格なのは学習者ではなく、インスト
ラクションそのものです。インストラクショナルデザインでは最終的に学習者を責め
ません。そうではなく、インストラクションをデザインした側に責任があり、実施方
法が悪かったという証明に他ならないからです。
以上のテスト以外に、模擬テスト(中間テスト)を行うことがあります。これはインス
トラクションが長期にわたる場合で、学習者の習得状況を確認し、インストラクショ
ンに対して誤解がないかどうか、またペースが速すぎたり遅すぎたりしていないかを
確認するために実施します。
9.7 確認テスト
問題1
以下のア∼エを読んで、ニーズ分析の考え方を正しく反映しているものには○を、そうでない
ものには をつけてください。
(2点 4=8点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
領域専門家が考えるニーズがもっとも信頼性が高いので、最優先で分析する。
ニーズとは、自分が実際にこうなりたいと思うあるべき姿から、パフォーマンス・
ギャップを引いたものである。
社会のニーズは、社会全体の利益、社会全体のコミュニケーションをうまく活かすと
いう観点から規定される。
教育ゴールを決めてからニーズ分析を行う。
問題2
以下のア∼ケの動詞について、教育ゴールを記述するときの「行動」として観測可能な形に
なっているかどうかを判定してください。観測可能なものには○を、観測不可能なものには を
つけてください。
(1点 9=9点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
キ.
ク.
ケ.
知る
実演する
言う
作る
理解する
親しむ
選ぶ
覚える
育む
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問題3
以下の教育ゴールを読んで、「どんなときに(条件)」「どんなことが(行動)」「どの程度
できればよいか(基準)」という3つの要素が含まれているかを判断してください。不足する
要素があれば、不足要素をア∼オの中から選んでください。
(2点 5=10点)
1.ギターのチューニングのコツをつかむ。この教育ゴールに不足するのは、
ア. 条件
イ. 観察可能な行動
ウ. 基準
エ. 条件と基準
オ. 条件と観察可能な行動と基準
2.日本の白地図(県境のみ記載)が与えられたとき、白地図上に都道府県名を漢字で記入す
る。この教育ゴールに不足するのは、
ア. 条件
イ. 観察可能な行動
ウ. 基準
エ. 条件と基準
オ. 条件と観察可能な行動と基準
3.インストラクショナルデザインの確認テスト「9. ニーズとゴール」を解き、少なくとも
80点以上を獲得する。この教育ゴールに不足するのは、
ア. 条件
イ. 観察可能な行動
ウ. 基準
エ. 条件と基準
オ. 条件と観察可能な行動と基準
4.向こう3ヶ月、スーパー(コンビニ以外)に買い物に出かけるときには、エコバックを持
参する。この教育ゴールに不足するのは、
ア. 条件
イ. 観察可能な行動
ウ. 基準
エ. 条件と基準
オ. 条件と観察可能な行動と基準
5.スキーで小回りのパラレルターンができる。この教育ゴールに不足するのは、
ア. 条件
イ. 観察可能な行動
ウ. 基準
エ. 条件と基準
オ. 条件と観察可能な行動と基準
73
問題4
以下のア∼スの教育ゴールを、「言語情報」「知的技能」「運動技能」「態度」のいずれかに
分類してください。
(3点 13=39点)
・言語情報
( )
・知的技能
( )
・運動技能
( )
・態度
( )
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
キ.
ク.
ケ.
コ.
サ.
シ.
ス.
英単語の意味を書く。
マニュアル車を運転する。
10進数を2進数に変換する。
キーボードを見ないで文字を打つ。
(電車やバスの)優先席付近では携帯電話の電源を切る。
英単語の意味を英和辞書で調べる。
地球温暖化の原因を説明する。
市町村のゴミ出しのルールに従う。
昨年度の同月のデータから今月の売上高を予測する。
早稲田大学の創設者の名前を言う。
5の段の九九を暗唱する。
教育ゴールを「言語情報」「知的技能」「運動技能」「態度」に分類する。
筆ペンで美しい文字を書く。
問題5
「期待・価値モデル」について簡単に説明してください。
(10点)
74
問題6
「前提テスト」「プレテスト(事前テスト)」「ポストテスト(事後テスト)」についてその
実施タイミングや目的の観点から説明してください。
(8点 3=24点)
・前提テスト
・プレテスト(事前テスト)
・ポストテスト(事後テスト)
75
10. リソースのデザイン
---先生、ゴール分析をすることで、何を教えるべきかが明確になったような気
がします。
一口で「これを教えます」と言っても、その内容には運動技能から認知的技能、
そして態度まであることが分かったでしょ。
---まず教える内容を分析することが必要なんですね。
そういうことだ。
---これでやっと、教え方に進むことができますね。
うむ。教え方というと、私たちはすぐにレクチャーを考えてしまうけれども、ID
ではレクチャーはあくまでもリソース(学習資源)のひとつとしてとらえられ
る。
---レクチャーを聞いても、居眠りをしていたら学習は起こりませんものね。
そうだ。とはいえ、レクチャーは決まった内容を効率よく伝えるには、効率の良
い方法だということはできる。
---じゃあ、なぜ居眠りをしてしまうような退屈なレクチャーが多いんでしょう
か。
それはレクチャーのデザインに工夫が足りないんだ。
10.1 向後の宇宙船モデル
ここまで、最初にニーズを分析し、ニーズにあったゴール分析をするという話をしてき
ました。ここで、インストラクションの全体像をモデル化したものを提示しておきま
しょう。図10.1に示すものがそれです。名前は何でもいいのですが、とりあえず「向
後の宇宙船モデル」という名前をつけておきましょう。
この宇宙船のエンジンにあたる部分がニーズ分析になります。ニーズ分析から出発して
それがインストラクション全体の推進源になるということです。宇宙船の先頭に来る
のが、ゴールです。ゴールを目指してインストラクションが進むということです。そし
て、左側の翼がリソース(学習のための資源)、右側の翼がフィードバックになりま
す。そして胴体部分が学習者が行う活動です。活動の前後に、事前・事後と書いてある
のは、それぞれ事前テスト、事後テストです。
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R:リソース
N:ニーズ
事
前
A:活動
A:活動
A:活動
事
後
G:ゴール
FB:フィードバック
図10.1 向後の宇宙船モデル:インストラクションの全体像
向後の宇宙船モデルのパーツは、ひとつひとつ独立していますが、全部が組み合わ
さって、一つのインストラクションやコースを構成しています。したがってどこか一箇
所欠けただけでも、この宇宙船は上手く飛びません。ニーズをあいまいにしたまま、
インストラクションをおこなえば失敗します。また、ニーズがはっきりしているの
に、ゴールが不明瞭であると迷走します。したがって、全てのパーツを組み合わせ、デ
ザインすることが非常に重要です。
今回はそのパーツの中でもリソースについて学びます。
リソースとは
リソースとは、学習資源のことです。たとえば、教科書やワークブック、スライド、イ
ンターネット上の情報、本、参考書、研究論文、そして、レクチャーも学習資源で
す。
ここでは、R. M. Gagné(アメリカの教育工学の研究者)の9教授事象を援用して、イ
ンストラクションを作っていきます。
10.2 ガニエの9教授事象
ガニエは、教えるという行動がうまく行くためには、9つのイベント(出来事)を授業
やコースの中に入れることが必要として、それをモデル化しました。その全体は、大
きく4つの部分からなっています。
• 導入 :新しい学習への準備を整える
• 情報提示:新しいことに触れる
• 学習活動:自分のものにする
• まとめ :出来具合を確かめ、忘れないようにする
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まず、導入として、新しい学習の準備を学習者にしてもらいます。準備ができたところ
で、学習者が習ったことのない新しい情報を提示します。学習者が受け取っただけで
は自分のものになりません。一通り新しいことにふれたあとに、学習活動を行い、自
分のものにするようにします。最後に、まとめとして、自分ができたかどうかをテス
トし、さらに忘れないように、将来、活用できる工夫をします。以上が全体の流れで
す。
さらに細かく、ガニエの9つの教授事象を見てみます。
• 《導入》
• 1. 注意を引く
• 2. 目標を知らせる
• 3. すでに知っていることを思い出させる
• 《情報提示》
• 4. 材料を提示する
• 5. 学習をガイドする
• 《学習活動》
• 6. 練習の機会を作る
• 7. フィードバックする
• 《まとめ》
• 8. 評価する
• 9. 保持と転移を促す
導入:新しい学習への準備を整える
導入には「注意を引く」「目標を知らせる」「すでに知っていることを思い出させ
る」という3つがあります。ガニエは、新しいことを学ぶ前の準備状況が非常に大切
だと考えていたと思います。教える側はあまりに当たり前なので、省略しがちです
が、これをきちんと入れることで、インストラクション全体がしまってきます。ま
た、学習者も新しいことを学ぶ準備ができるので、スムーズに授業に入って行けます。
(1) 注意を引く
• 1a 変わったもの、突然の変化で授業を始める。
• 1b 知的好奇心を刺激するような問題を使う。
• 1c エピソードや問題の核心など面白いところから始める。
インストラクションの一番初めは、学習者がこれからやろうとしていることに注意を
引き、集中させることが大切です。また、「これから始める」ことを知らせる必要が
あります。この注意を引く方略として「変わったもの、突然の変化で授業を始める」
「知的好奇心を刺激するような問題を使う」「エピソードや問題の核心など面白いと
ころから始める」の3つがあります。
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毎回同じようなパターンで始まって終わるのではマンネリ化してしまいます。最初にい
つもレクチャーから始まるところをビデオから始めるなど、ちょっとした変わったも
の、突然の変化をつけて授業を始める方法や、最初にクイズをだし、皆で答えてもら
うことから始めるなど、知的好奇心を刺激して注意を引く方法があります。
変わったことやクイズなどがない場合には、エピソードや問題の核心など面白いとこ
ろから始めます。自分が一番話したいところから話すと、学習者の注意を引くことが
できます。
このどれかの方略をつかって、学習者に「なんだろう?」という意識を持たせること
ができれば、学ぶ姿勢ができたことになり、次の段階に進むことができます。この注
意を引くということは、さりげないことですが、非常に重要なことなのです。
(2) 目標を知らせる
• 2a 「今日はこれを学ぶ」を最初に明らかにする。
• 2b どんな点に注意して聞けばよいか、チェックポイントを示す。
• 2c 学ぶことが今後どう役立つのかを確認し、意味を見つける。
• 2d ゴールにたどりついたときに喜べるようゴールを確認する。
注意を引いた後は、学習者に目標を知らせます。「今日はこれを学びます」と最初に
明らかにすると、学習者はそれなりにロードマップを計算することが出来ます。ま
た、どんな点に注意して聞けばよいかのチェックポイントを「こういうことを学ぶの
で、ここに注意してください」とセットにして、明示してあげることも大切です。
学ぶことが今後どう役立つのかを確認し、学習者にとっての意味を見つけることは、
関連性の意味からも必要です。今、学んでいることと、今の自分や今後に関連性を見
つけやすくしてあげることにより、学習者の動機づけが高まります。学習者にとっ
て、学ぶことは新しいことなので、新しいことが自分にとってどう関連するかは分か
らないことがほとんどです。学ぶ内容がこんなふうに役立つと説明することは重要で
す。
ゴールにたどりついたときに喜べるようゴールを確認することは、今日はこれを学ぶ
ということとセットにして明示します。「こうなったら、今日の学びをマスターした
ことになる」というゴールを設定し、「今日はこれをやります」と導入の段階で知ら
せます。
(3) すでに知っていることを思い出させる
• 3a 新しい学習に必要な基礎事項を復習する。
• 3b 学ぶことが以前学んだこととどう関係しているかを示す。
• 3c 復習のための確認テスト、簡単な説明、質問をする。
導入の最後は、すでに知っていることを思い出してもらいます。これから新しい学習
をしていきますが、前に習った学習の上に積み重なって学習されるものです。した
79
がって、その学習内容がちゃんと獲得されていないと、新しい学習は積み重ならない
ことになります。ですから、新しい学習に必要な基礎事項を復習することから始めま
す。もし、基礎事項が解っていなければ、新しい学習は成立しないので、そこから始
める必要があります。
新しい学習とはいえ、学ぶことが以前学んだこととどう関係しているかを示す必要が
あります。たとえば、前の学習の積み重ねなのか、反対のことなのか、それとも応用
なのかという関連性を示します。
必要な基礎事項を理解しているかをチェックするために、復習のための確認テスト、
簡単な説明、質問をして確認します。確認テストを行うと、自分でもどこまでできて
いるのかの確認できますが、時間があまりない場合は、簡単な説明や質疑応答で復習
するという方法もあります。
情報提示:新しいことに触れる
導入が終わると、情報提示に進みます。情報提示には「材料を提示する」「学習をガ
イドする」という2つがあります。
(4) 材料を提示する
• 4a 手本を示し、学ぶことを整理して伝える。
• 4b 具体的な例を豊富に使う。
• 4c まず代表的で簡単な例を示し、特殊な、例外的なものへ進む。
• 4d 図表やイラストなどの表示方法を工夫する。
材料を提示するには、まず、これからやることのお手本を示しながら、これから学ぶ
ことをできるだけ整理して伝えます。ここで細かく、詳しく説明すると学習者が混乱
してしまうので、まずは要点を示し、うまく整理して伝えます。具体的な例は、学習の
助けになります。例を示す場合は、はじめは代表的で簡単な例を示してから、特殊な
例や例外的なものへと進むというようにデザインします。これは、行動分析学で学ん
だスモールステップの考え方に合致しています。
どんな提示方法を取ればよいかについては学習スタイルと関連があります。学習者に
よって「話を聞くとよく理解できる」というタイプの人がいる一方で、「絵やイラス
ト、図のような視覚的なものがあるとよく理解できる」というタイプの人もいます。
どちらのタイプにも適合するように「スライドを提示しながら、お話をする」ように
するとよいでしょう。学習者によってさまざまな学習スタイルがあるので、なるべく
多様なタイプをカバーするような方法でやっていくのが、インストラクショナル・デ
ザインの考え方です。
(5) 学習をガイドする
• 5a これまでの学習との関連を強調し、つなげる。
• 5b よく知っていることとの比較などを使う。
80
• 5c 思い出すためのヒントを考える。
新しい情報が提示された後に、学習者の学習を支援します。これは認知心理学を応用
して行います。
今まで学んできたものとの関連を強調して、こんなふうにつながっているということ
を話すことだけで、かなり学習は促進されます。学習したものだけでなく、常識的に
知っていることも、新しく学ぶ内容と比較しながら、認知心理学でいう既有知識との
関連や比較をすることで精緻化を行って記憶への定着を良くします。関連づけやイ
メージ化をすると良く覚えることができます。
学習活動:自分のものにする
提示された新しい情報を学習者が自分のものにするためには、学習活動を行います。
学習活動には「練習の機会を作る」こと、「フィードバックをする」ことの2つがあ
ります。
(6) 練習の機会を作る
• 6a 弱点を見つけるために、失敗が許される予行練習を行う。
• 6b 自分がどれくらいできるのかを、手本を見ないでやってみる。
• 6c 練習を段階的に難しくする。
• 6d 今までと違う例でやってみて応用力を試す。
先生の話を聞いたり、教科書を読んだり、ビデオを見るだけでは、内容は身につきま
せん。自分のものにするには練習する活動が必要です。練習の機会がないコースは、
講演会であれば問題ありませんが、インストラクションとしては失格です。お話を聞
いただけでは、自分に身についたスキルが何もありませんし、知識的にもすぐ忘れて
しまうでしょう。「いい話だった」という印象しか残らないことあります。インスト
ラクショナルデザインとしてコース設計をするのであれば、練習機会を作るのは必須
です。
練習は最初からうまくいく必要はありません。練習をするのは、うまくできない「弱
点を見つけるため」に行います。この弱点を見つけることが練習の意味になります。
そして、見つけた弱点を克服していきます。練習ですから、失敗は許されます。コース
では、皆で失敗を許し合って、そこで良くしていこうという雰囲気を盛り上げること
が必要になります。また、自分がどのくらいできるのかを手本を見ないで練習します。
状況的学習論で学んだ「足場かけ」にあたります。ガイドなし、援助者なしで、やって
みることによって、自分がどのぐらいできるのかを確認します。
練習は簡単なものから難しくしていきます。これは行動分析学で学んだスモールステッ
プの原則です。最初から難しいものにチャレンジすると挫折してしまう可能性が高い
ので、易しく簡単なものからはじめて、段階的に難しく複雑なものに練習を進めてい
きます。
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手本に類似した例ではうまくいくが、もう少し違う例でうまくいかないということが
あります。あえて、今までと違う例でやってみて応用力を試すことも必要です。これ
は、認知心理学で出てきた転移を促進するということです。
(7) フィードバックする
• 7a 失敗から学ぶために、失敗の原因と、どう直せば良いかを追求する。
• 7b 失敗しても不利益がないことを保証し、失敗を責めるようなコメントを避
ける。
• 7c 成功にはほめ言葉を、失敗には助言を与える。
学習活動のフィードバックはかならず行います。教えるほうがめんどうくさがって、
フィードバックをしないこともありますが、活動させたからにはフィードバックしな
ければ完結しません。学習者が一所懸命活動したのに何のフィードバックもなけれ
ば、やる気がなくなります。これは教えるほうと教わる方の信頼関係を損なうので、
もし初めからフィードバックする気がないのであれば、学習活動もやらせないほうが
良いでしょう。インストラクショナルデザインでは学習活動は必須なので、フィード
バックもかならず行うことになります。
失敗が許される形での練習をたくさんしましょう。しかし、失敗したときにどうした
らよいかという情報がないと失敗から学ぶことは難しくなります。もちろん、失敗し
てすぐに修正できるものもあります。たとえば、自転車の練習です。自転車に実際に
乗るとバランスを崩して倒れますが、この倒れることそのものがフィードバックにな
ります。このバランスのとり方は問題があると即時フィードバックされて、失敗から学
ぶことができます。
しかし、かならずしも本人がその失敗の原因やどう直せばよいのかをわかっているわ
けではありません。ここで、助言をもらうことが必要になってきます。こういった
フィードバックこそ大切です。失敗の原因がわからない、直し方がわからないといっ
た場合に、アドバイスのフィードバックが重要です。
このように、フィードバックには、本人が即座に気がつくフィードバックと失敗後に
少し時間を経て第3者からかかるフィードバックがあります。
フィードバックを行うときには責めてはいけません。かならず、学習者を上達させるこ
とを目標としてコメントしているというスタンスをとります。学習活動の段階では練習
はテストではないので、不利益がないことを保証しなければなりません。レポートを
書くコースならば、目標は、点数の高いレポートを書くことではなく、失敗しながら
学んでいき、良いレポートの書き方を最終的に獲得することです。したがって、失敗
しても不利益がないことを保証することは大切になります。そして、かならず「あなた
の失敗を責めているわけではない」という雰囲気をもって、暖かい感じのコメントを
付けていきます。
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うまくいった場合はほめ言葉を、失敗には責めないで、助言を与えます。失敗しても
「ひどいね」というのではなく「こうしたら良いのでは」ということです。ほめ言葉
もいろいろありますが、I(アイ)メッセージ(「あなたができて私もうれしいです」
といったメッセージ)は雰囲気が良くなります。You(ユー)メッセージ(「あなたは
よくやりました」といったメッセージ)は人によって上からの権力的なものを感じる
場合もあります。なるべく、Iメッセージを使うとよいでしょう。
まとめ:出来具合を確かめ、忘れないようにする
(8) 評価する
• 8a 十分な練習をするチャンスを与えたあとで、本番としてのテストを実施す
る。
• 8b 目標が達成されたかどうかを確実に知ることができるよう、十分な量と幅
の問題を用意する。
• 8c 目標に忠実な評価を心がける(教えていないことをテストしない)。
最初にニーズ分析とゴール分析を行いましたが、そのゴール分析をする段階で、どうい
う評価をするかはほとんど決まっているはずです。ゴールに忠実なテストを作成すれば
よいのです。
先程までの練習としての学習活動とは別で、最後に、本番としてのテストを実施しま
す。これは、学習者ができたかどうかを確認するものでもあり、同時に、インストラ
クションが成功したかどうかのチェックをする意味もあります。テストの結果、学習
者10人中8人が不合格だったなら、学習者が悪いのではなく、インストラクションが
失敗したということです。この成績次第で、自分のインストラクションが合格なのか
不合格なのかを確認できます。
テストは一発勝負的なものやいい加減な作り方をすると、目標を達成したかどうかを
計れません。テストを作成することは難しい工程ですが、まず、できることは十分な
量と幅の問題を用意することです。かといって、1時間も2時間もかかる問題にするの
は、受けるほうも大変です。できれば、短時間で、目標がちゃんと達成できたかを測
定できるテストを工夫しましょう。
評価の際には、教えた内容の中からと、教えた内容の応用編(転移課題)からテスト
を作成します。教えていないことをテストすることは禁じ手です。テストの問題は目標
に忠実な問題にし、それを評価してください。
(9) 保持と転移を促す
• 9a 忘れた頃に再確認テストを計画しておく。
• 9b 一度できたことを転移させ、次の学習につなげる。
• 9c 発展学習を用意し、さらに学習を深める。
83
保持と転移を促すところまで、コースを作ることはなかなか難しいですが、チャレン
ジしがいのある課題です。
コースが終了後、半年たったところで「昔習ったIDのテストをしてみましょう」と学
習者にメールが届くなどのように、再確認テストを計画しておくと、習った事項を長
い間にわたって活かすことができます。何もしないでおくと、コースが終わったら即座
に忘却の彼方にいってしまうものです。それを防ぐことができます。
コースが終わった段階で、ほとんどの学習者が目標を達成し、できるようになってい
ます。これを自分の生活や仕事に役立てたり、別の状況でそのスキルを使うことがで
きれば、転移したことになります。これは、非常に良い学習をした事になります。学
習内容の裏側に潜む考え方や哲学、ポリシーをつかんだときに深い学習がおこり、そ
の内容を転移させ、次の学習につなげることができるからです。
もし、コースに余裕があり、学習者に意欲の高い人がいれば、発展問題を利用して理
解を深めることもできます。たとえば、こんなことに利用してみたらどうかと促した
り、こんな問題もありますよと、発展学習を用意してみるなどです。
■
ここまで、ガニエの9教授事象の概略を説明してきました。簡単な流れとして「導入を
行い、新しい学習を提示してから、学習活動を行う。最後にまとめとして転移を促
す」という4つのステップからなっています。このモデルは、非常に強力でほとんど
の教える仕事にかならず役立ちます。この9教授事象をマスターし、自分が実際にどの
ように教えるかをデザインするときに利用してください。そうすれば、1つのインス
トラクションとして、非常にしまったコースとなり、実りの多いものになるでしょ
う。
84
10.3 確認テスト
問題1
空欄に適切な説明を記入し、ガニエの9教授事象を完成させてください。
(3点 9=27点)
段階
事象
1
導入
2
3
4
情報提示
5
6
学習活動
7
8
まとめ
9
問題2
「英語の形容詞を比較級に書き換える(規則変化)」というインストラクションを考えたと
き、以下の働きかけは、ガニエの9教授事象のどの段階にあてはまるかを1∼9までの数字で
答えてください。
(3点 7=21点)
原級に語尾-erをつけると比較級になることを説明し、
いくつかの形容詞に適用してみせる。以下の3点を補足する。
・語尾が-eで終わる語には、-rだけをつける。
・<短母音+1子音字>で終わる語は、その 子音字を重ねて-erをつける。
・<子音字+-y>で終わる語には、yをiに変えて-erをつける。
テストを行い、学習の達成度をチェックする。
東京タワーが333m、エッフェル塔が324mであることを確認して、2つのうち一方が
他方よりも程度が高いことを表すときの表現「比較級」を学ぶことが今日の課題であ
ることを知らせる。
正しい答えを提示し、自分の解答と見比べさせる。
東京タワーとエッフェル塔の写真を見せてどちらが高いかと問いかける。
これまでの例で使わなかった形容詞を用いて、実際に自分で比較級に書き換えさせ
る。
形容詞の原級を思い出させる。
85
問題3
ガニエの9教授事象の「導入」の考え方を正しく反映しているものには○を、そうでないもの
には をつけてください。
(2点 6=12点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
レクチャーが複数回にわたるコースの場合は、コースの導入は毎回同じようなものに
して学習者を安心させる。
コースの導入は非常に重要なのでたっぷりと時間をかける。
レクチャーが複数回にわたるコースの場合は、前回のレクチャーの内容を簡単に振り
返ってから新しい内容に入る。
学習者は何を学ぶのかを理解して受講しているはずなので、学習目標を説明する必要
はない。
新しく学ぶ内容がいかに学習者にとって役に立つことかを強調する。
既習の事項を思い出させるために、時間を十分かけて復習テスト(ペーパーテスト)
を実施する。
問題4
ガニエの9教授事象の「情報提示」の考え方を正しく反映しているものには○を、そうでない
ものには をつけてください。
(2点 6=12点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
これまでの学習との関連や比較をすることで、精緻化を促進し、記憶への定着を図
る。
どのようなバックグラウンドの学習者にもあてはまるように抽象的な例を豊富に使
う。
お手本を示して、これから新しく学ぶことを整理して伝える。
指導者としての力量を問われる部分なので、説明は視覚的な表現方法に頼らずなるべ
く口頭で行う。
難しい例を示して、学習者の反応を見てから、徐々に簡単な例を示して理解を深めさ
せる。
説明はなるべく詳細で専門的な内容にまで踏み込むようにし、学習者がその内容の奥
深さを実感できるようにする。
86
問題5
ガニエの9教授事象の「学習活動」の考え方を正しく反映しているものには○を、そうでない
ものには をつけてください。
(2点 7=14点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
キ.
転移を促進するために、暗記するまで何度も同じ問題を解かせる。
練習問題は学んだ内容よりも簡単なものにして、全員が満点をとれるようにする。
なるべく難しい問題をたくさん用意して、さらに学習が必要であることを意識させ
る。
失敗した学習者には、失敗を責めるようなあえて厳しいフィードバックを返して奮い立
たせるようにする。
学習者に何らかの活動をさせたら必ずフィードバックを返す。
ほめ言葉を用いる場合は、なるべくYouメッセージを使う。
成功にはほめ言葉を、失敗にはアドバイスを与える。
問題6
ガニエの9教授事象の「まとめ」の考え方を正しく反映しているものには○を、そうでないも
のには をつけてください。
(2点 7=14点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
キ.
テストの結果が悪ければ学習者の努力が足りなかったことを意味する。
目標が達成されたかどうかを確実に知ることができるように、十分な量と幅の問題を
用意する。
テストの中にひっかけ問題を用意して、学習者の注意力を試す。
本番としてのテストの結果は、インストラクションがうまくいったかどうかを評価す
るためにも使われる。
テストは、教えた内容とその応用問題、学習意欲の高い人向けの発展問題から作成す
る。
学習者に自信と満足感を与えるために、教えた内容よりも難易度の低いテストを用意
する。
余裕があれば、コースが終わったあとに再確認テストを実施し、学習者が学んだ内容
を忘れないようにする。
87
11. 活動とフィードバックのデザイン
---先生、レクチャーや教科書といった学習資源にも十分なデザインが必要だと
いうことがよくわかりました。
そう。まずは教えたい内容を十分整理して、順序よく組み立てることが必要だ。
---でも、それだけでは十分ではないですよね。
そうだね。ガニエの9教授事象で出てきたように、注意をひき、目標を意識さ
せ、今までに知っていることを思い出させることが重要だ。
---ただ教えたいことを羅列しても、学習者は困ってしまいますよね。
そうなんだ。ただ教えたいという情熱だけではダメなんだ。それをどのように組
み立てれば学習者にとって意味のある情報として受け取ってもらえるのかという
ことを工夫することにこそ、インストラクショナルデザインの神髄がある。
---リソースの準備が終わったら、次は何ですか?
次は、活動とフィードバックだよ。学習者が実際に行う活動と、それに対してど
のような情報を返すかというフィードバックのデザインをしよう。
---実際に学習者が行う活動ですから、一番重要なところですね。
もちろん学習者の活動は重要だ。それに加えて、フィードバックをするというこ
とがさらに重要なことなのだよ。
---せっかく課題をやっても、それに対して何のコメントももらえないと、やる
気を失ってしまいますものね。
11.1 宇宙船モデル、再び
これまでの講義で、インストラクションというのは、全体としてまとまったひとつの
システム(図11.1)であるとして話を進めてきています。まず、エンジンとなるニーズ
を確定し、そのニーズを分析し、最終目的であるゴールを設定します。そして、ゴール
に到達するためには、どのような細かな課題が必要かというゴール分析を行います。
ニーズとゴール、すなわちエンジンと行き先が決まると、次に、胴体と翼が必要です。
それがインストラクションの実際の内容となる、リソース、活動、そしてフィード
バックです。
リソースとは資源という意味で、主にテキストやレクチャーとなりますが、その他に
も文献や論文、またインターネットから得られる情報なども利用方法によってはリ
ソースとなります。また、周囲の人々、学習を行う環境なども広い意味でのリソース
となります。しかし、直接的に関係があるリソースとしては、テキストやレクチャーの
ような学習内容を記述したものが大きなリソースとなります。これらのデザインにつ
いては前回の授業で行いました。
88
そして今回は、実際に学習者が活動を行うには、どのような学習活動をするかという
活動のデザインと、活動をしたらそれでおしまいというのではなく、その活動に対し
てどのようなフィードバックをするか、というフィードバックのデザインを行います。
R:リソース
N:ニーズ
事
前
A:活動
A:活動
A:活動
事
後
G:ゴール
FB:フィードバック
図11.1 向後の宇宙船モデル:インストラクションの全体像
11.2 活動のデザイン
教師制御から学習者制御へ
まず、活動のデザインについてですが、なぜ、わざわざ活動というのでしょうか。それ
は、学習の捉え方が、教師制御の学習から学習者制御の学習へと移り変わっているか
らです。これは、別の言い方をすれば、Teacher-centeredからLearner-centeredに移
り変わったということです。Teacher-centeredとは、教師中心主義、Learnercenteredとは、学習者中心主義のことを言います。
これまでの伝統的な学校システムを見てみるとわかるように、教師中心の学習とは、
先生が学習者をコントロールし、授業を運営します。そして先生がどのように学習を
コントロールするかという点が重要でした。しかし、教師が一生懸命に学習者をコン
トロールしたからといって、学習者がそれに従い学習をするという保証はありませ
ん。
そう考えると、見るべきは、実は先生側ではなく、学習者が何をしているかという点
だということになります。すなわち、Learner-centeredにおいては、学習者が自分自
身の学習を制御することが大切だという見方をします。これは学習者に責任と積極性
を持たせるということです。Teacher-centeredの時代では、先生が学習に責任を持
ち、その責任を果たすために細かな指導を学習者に対して行っていましたが、一方で
学習者は自分の学習に対して無責任であったともいえます。これでは、学習者に実質
的な学習が生まれるという保証はありません。
89
しかし、Learner-centeredの場合は、学習者に責任を持たせることで、学習者は学ぶ
ためにはただじっとしているわけにはいかず、自分が積極的にならなければなりませ
ん。そうすることによって実質的な学習を生み出そうとするのです。
教師の役割
では、Learner-centeredにおける教師の役割とは何なのでしょうか。ここでは、教師
は全体を見るモニターの役割(スーパーバイザー)、または授業全体の方法の開発者
という役割を果たします。教師は、教室全体、コース全体のデザインに責任をもち、
最終的にそれがうまく動いているかをモニターし、評価し、改善していきます。すな
わち、教師は実際の授業やコースをどのように運営するか、というのではなく、どの
ように学習者の活動をデザインするかという点に力点が置かれることとなります。
コーチ、メンター、ファシリテーターの役割
そして、このような学習方法に変わったことによる副産物として、コーチ、メンターと
いう存在があります。学習者は自分が学習することに責任を持ち、教師は、授業全体
の設計に責任を持ちます。教師は教壇から立ち去り、代わってそこに立つのは学習者
自身となります。しかしそうすると、教師と学習者との間に隙間ができてしまいま
す。
教師と学習者との隙間を生めるために、両者を仲介する人の存在が必要となります。
それがコーチ、メンターという存在です。コーチ、メンターの役割は、直接学習者に対
して教えるというのではなく、より学習者に近い立場で学習者を支援する役割を担い
ます。また、コーチ、メンターに似た言葉でファシリテーターという存在があります。
グループワークやワークショップなど実習系の活動を教師がデザインしたときには、
その場において学習者を支援する役割をファシリテーターが果たします。
実際の活動のデザイン
以上のような流れがインストラクショナルデザインにおける最近の動向といえます。
Learner-centeredという考え方が出てきたのは1990年前後のことであり、その後は、
このような流れがインストラクショナルデザインにおいても中心となっています。
では、実際にどのように活動をデザインしていけばいいのでしょうか。活動は、能動
的な活動と、受動的な活動の二つにわけられます。
(1) 効率のいいレクチャーとテキスト
レクチャー、テキストというリソースにより行われる活動は、一見して単なる受動的
な活動と捉えられてしまいますが、単にそれが受動的だから悪い活動であるというの
ではなく、とても効率のいい方法であることがわかっています。学習の初期の段階
で、ある一定の知識を得るためにはレクチャーやテキストを利用して学習するのは、
とても効率のよい方法といえます。
90
しかし、やはり聞いたり読んだりするだけでは受動的な学習活動となってしまい、そ
の学習内容が残らないこともあります。ならば、その学習を自分のものにするには、
受動的な学習を能動化する必要があり、そのための方策が必要となります。たとえ
ば、レクチャーを聞いたあとに、質問する、または反論する、といったような能動的
な活動が引き出される課題を置くことで、レクチャーによる活動を能動的に変えるこ
とができます。また、テキストの内容を自分の言葉で言い換えてください、または自
分でまとめてくださいという課題を置くことで、単にテキストを読むという受動的な
活動で終わらせるだけではなく、能動的な活動へと拡張することができます。このよ
うに、さらなる課題を置くだけで、受動的な活動で終わってしまうところを、能動的
な活動へと拡張することができるのです。
リソース
受動
能動
レクチャー
聞く
質問する
反論する
テキスト
読む
言い換える
報告する
(2) 能動を引き出す形態
活動のデザインとして、テキスト、レクチャーというような古典的な方法を使う以外
に、もう少し拡張して、グループ討論や実習、ロールプレイといった形態をとる能動的
な活動というものもあります。
しかし、能動的な活動形態をとりながらも、受動的な活動としてだけに終わってしま
う落とし穴もあります。たとえば、グループ討論の場においても、他人の意見に同調
するだけの人、またはまったく発言しない人にとっては、これらの活動は能動的な学
習活動とはなっていません。これでは、レクチャーと同じことになってしまいます。
実習についても、言われたとおりの手順に従って行うのであれば、「やりました」と
いう体験だけで終わってしまい、自分でどのように役立つのかというところまで到達
することができません。たとえば実験調査研究法で行った学習が卒論作成の際に生か
すことができないのであれば、結局は、実験調査研究法で行った学習活動は、受動的
な学習で終わっていたのだということになり、学習者、指導者ともに反省の必要があ
ります。
ロールプレイも実習の一形態であり、一種のシミュレーションにより、新しい考え方
や行動を身に付けることができます。しかし、このとき慣れた役をすればあまり意味
がないことになります。我々はこのような実施形態を利用するのであれば、それが受
動的な形態になってしまっては、学習活動の価値がなくなります。それらが能動的な
活動となるためには、グループ討論においては同意するだけ、うなずくだけではな
く、反論するという課題を置くなど、グループ討論の中身をデザインするといったよ
91
うに、活動をミクロにデザインしなければなりません。すなわち、自分で工夫する能
動的な活動に結びつくような活動をデザインする必要があります。また、ロールプレ
イにおいては、男性であれば女性を演じるというように、慣れた役をするのではな
く、違う役を演じるようにデザインすることで、その活動は能動的な活動となりま
す。
このように、グループ討論、実習、ロールプレイといったようなアクティブな学習で
あっても、その中身をミクロにデザインしなければ、必ずしも学習活動の形態が保証
されるものではないということが重要です。
形態
受動
能動
グループ討論
同意する
反駁する
まとめる
実習
言われたままやる
自分で工夫する
ロールプレイ
慣れた役
違う役
(3) 能動的だが時間のかかる形態
そして、もうひとつの学習の形態としての、表現する、という学習形態は、必ず能動
的となる活動です。たとえば「受動的に書く」ということはできないことからも、書
く、話す、プレゼンする、といった活動は、必ず能動的になります。そのため、表現
する、という形態は、学習においては、必ず要所要所に入れる必要がある活動の一形
態です。そして、そのための、発想する、調べる、整理する、ストーリーを作る、と
いう活動も受動的には決してできません。
ただし、これには時間がかかります。1000∼2000字程度のショートレポートを書くこ
とでさえ、1∼2週間ほどかかります。大学教育の中においては、講義時間内にレク
チャー、討論などを行い、最終的にショートレポートを書くという「当日ブリーフレ
ポート形式」というものがあります。講義の最初から最後まで受講生は能動的な活動
を行う必要があり大変ですが、受講生にとって実りある授業として期待できます。
しかし、ここでも最低90分という時間を必要とします。一方、卒論を書くにいたって
は、2年間という年月を必要とします。このように表現するという学習形態は能動的で
あり、学習活動において必要な活動でありますが、時間がかかるというところが欠点
といえます。
92
形態
能動
書く
話す
発想する、調べる、整理する、ストーリーを
作る
プレゼンする
これまでに3つの活動形態について述べてきました。まずは、テキスト、レクチャーと
いった受動的と捉えられがちではあるけれども、能動的にすることもできる活動、次
に、討論、実習といった能動を引き出す活動、最後に、表現するという必ず能動的に
なる活動という3つです。
活動のデザインとは、これら3つの異なる形態の活動を組み合わせ、それぞれの長所短
所を利用しながらデザインするということです。
短い時間に大量の知識を得ることができるレクチャーやテキストは導入には必要で
す。グループ討論や実習は、得た知識を自分の中で消化して、新しいものを生み出すと
言う意味で、コースの中間地点で入れるべき活動です。そしてまとめとして、レポート
を書く、話す、プレゼンするという能動的な活動形態は、最後に入れる課題になるで
しょう。
インストラクションデザインをする人の課題は、このように多種多様な活動のレパー
トリーを持ち、それらをどのように配置するか、すなわちどのように活動をデザイン
をするかいうことに心を砕き、時間を割き、試行錯誤を繰り返しながらデザインして
いく、ということになります。
11.3 フィードバックのデザイン
フィードバックの背景にある心理学的見方
続いて、フィードバックのデザインを行います。学習活動において、学習者が何らかの
アクションをしたとき、教える側が、そのアクションに対して何らかのリアクション
を返すこと、これをフィードバックといいます。試験をしたら採点して返す、というの
もフィードバックの1つで、フィードバックには私たちが日常的に受けているものもあ
ります。
インストラクションデザインにおいて、なぜフィードバックが重要かというと、フィー
ドバックをデザインしないと、学習者が新しいことを学ぶということが非常に弱く
なってしまうからです。何か学習をするときに、コメントや評価をもらわなければ、
次にどのように展開するかという機会を失ってしまいます。だから、フィードバックは
重要となるのです。そのため、学習活動をデザインするときには、常に活動のデザイ
93
ンの対として、どのようなフィードバックのデザインをするか考えなければなりませ
ん。
しかし、一口にフィードバックと言っても、いくつかの見方があります。では、なぜ同
じフィードバックなのに、異なる見方があるのでしょうか。それは、その背景に学習
に関する心理学的な見方があり、この背景が異なることによって、同じフィードバッ
クでも見方が変わってくるからです。ここでいう心理学的な見方とは、これまでに学
んだ、行動分析学の考え方、認知心理学の考え方、状況的学習論の考え方を指しま
す。
フィードバック
背景
1
強化としての
行動分析学的
2
情報としての
認知心理学的
3
コミュニケーションとしての
システムズアプローチ的
(1) 強化としてのフィードバック
まず、強化としてのフィードバックとは、行動分析学的な考えによるものです。その人
が何らかのアクションをしたときに、環境に変化が起こり、その後の行動が強化、ま
たは弱化されます。これを行動随伴性と呼びました。そして、この環境の変化こそ
が、環境からのフィードバックとして考えられます。
(2) 情報としてのフィードバック
では、認知心理学的な考えではどうでしょうか。この場合のフィードバックとは、環
境、または相手から情報として受け取るものです。何らかのアクションをしたとき
に、それがよかったのか悪かったのか、または別の方法をとるべきかという情報を知
るということです。情報として受け取るというのが認知心理学的な考え方となりま
す。
(3) コミュニケーションとしてのフィードバック
最後は、コミュニケーションそのものがフィードバックである、という考え方です。
2人、または複数人で、何らかの共有知識をやりとりしながら思いを交換している行
動そのものがフィードバックとなります。これはシステムズアプローチ的考えによるも
のです。たとえば、AさんとBさんが共通の話題について話しているときには、そこ
にひとつのシステムが構成され、そこではコミュニケーションが行われています。そ
して、そこで互いにフィードバックを受けている、すなわちフィードバックを交換して
いるということになります。
このように、同じ現象をみても、心理学的な見方から3つに分類できます。
94
実際のフィードバックのデザイン
では、それぞれの見方でフィードバックのデザインを考えてみましょう。
(1) 強化としてのフィードバックのデザイン
この場合は、できるだけ早く、即時フィードバックが重要です。その行動が適切であ
るか不適切かを即時にフィードバックするようにします。すると、行動が強化または
弱化されます。何もフィードバックされないときには、強化も弱化もされません。そ
して、長期的に見ると、その行動は徐々に消えていきます(消去されます)。
学習場面においては、望ましい行動を増やすか、問題行動を減らすかの2つのために
フィードバックします。そのため、行動に対して必ずフィードバックを行うべきです。
即時はなかなか難しいかもしれませんが、必ずフィードバックする必要があります。
(2) 情報としてのフィードバックのデザイン
情報としてのフィードバックは、KR(Knowledge of Result)という考え方に基づき
ます。KR情報とは、情報結果についての知識、すなわち「あなたの出した結果につい
ての知識を与えます」、というものです。
そこでは、結果だけを知らせるのではなく、説明としてのフィードバックを続いて入れ
ます。たとえば、テストの結果を伝えるだけではなく、後に、解説を付け加えます。正
解だった場合でも、付加的な情報を加えれば、より一層学習者が興味をもちます。ま
た、自信がなく正解であった場合は、説明を見ることで、正解の意味をより理解する
こととなります。
このように、単なる結果の情報を伝えるだけではなく、説明フィードバックを付加す
ることで、情報としてのフィードバックの質が高くなります。これは、学習によって得
られた知識の精緻化、体制化が説明フィードバックにより促進されて、知識がより確
かなものとなり、学習者が自信をもって先に進むことができるからです。すなわち、
情報としてのフィードバックにおいては、正誤だけではなく、助言やコメントを与える
ことが重要となります。
(3) コミュニケーションとしてのフィードバックのデザイン
コミュニケーションとしてのフィードバックとは、個々の学習者のアクションに対して
即時にフィードバックするのではなく、学習全体に対するフィードバックのことをい
います。たとえば、長期間に渡る学習のコースがデザインされているときには、学習者
自身が、自分の学び方はこれでよいのかという疑問や、学習に対する不安が出てくる
ことがあります。そのようなときに、疑問、不安をアクションとして捉え、それに対
するフィードバックがデザインされているべきです。しかし、学習者から何らかのアク
ションがないとこのフィードバックは成立しません。そのため、学習者に、「学習は
うまくいっていますか」、「不安はないですか」というように、途中途中に質問する
ことを、デザインとして加えることが必要となるでしょう。
95
フィードバック
デザイン
強化としての
・できるだけ即時に
・その行動が適切かそうでないかを
・フィードバックされない行動は消去される
2
情報としての
・KR=Knowledge of Results
・説明フィードバック
・精緻化・体制化を助ける
・正誤だけでなく、助言やコメントを
3
コミュニケーションとしての
・学習全体に対しての助言やコメント
・この学び方でよいのかどうか
1
96
11.4 確認テスト
今回の出題範囲には、「10. リソースのデザイン」のガニエの9教授事象の学習活動も含まれ
ています。
問題1
以下のア∼キの文は、教師中心主義と学習者中心主義について説明したものです。( )の中
に「教師」「学習者」のどちらかを記入し、説明を完成させてください。
(3点 11=33点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
キ.
1990年以前は、( )中心主義という考え方が主流であった。
コーチやメンターの仕事は、( )中心主義の流れの中で重要視されるよう
になってきた。
( )中心主義においては、( )が自分自身の学習を制御するこ
とが大切であるという見方をする。
現在のインストラクショナルデザインにおいては、( )中心主義という考
え方が主流になっている。
( )中心主義の時代においては、( )は自分の学習において責
任を持たなくてもすむという弊害があった。
( )中心主義の時代における( )の役割は、授業をどのように
運営するかというよりは( )の活動をデザインすることが中心になる。
コーチやメンターは、( )に近い立場で仕事をすることが求められる。
問題2
学習の形態に関する以下の説明を読んで、正しいものには○を、間違っているものには をつけ
てください。
(3点 7=21点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
キ.
短い時間にある一定の知識を得ることができるという意味で、テキストはとても効率
のいい方法である。
教師がどのようにレクチャーを工夫しようとも、受動的な活動にしかならない。
ロールプレイにおいては、慣れた役をやることで能動的な活動となりえる。
グループ討論を能動的にするためには、「他の人の意見を聞く」「同意する」といっ
た活動が不可欠である。
「表現する」という活動は能動的だが、時間がかかるという欠点がある。
どのようなリソースや形態を採用するかで、学習活動が受動的なものになるか能動的
なものになるかがあらかじめ決まってしまう。
「話す」「プレゼンする」といった活動は、必ず能動的になる。
97
問題3
次の学習活動をデザインするときの考え方の背景には、どのような心理学的な見方の存在が考
えられますか。「1.行動分析学」「2.認知心理学」「3.状況的学習論」の3つの中から
選んでください。
(4点 3=12点)
ア.
ガイドや援助の範囲を限定し、学習者自身の力でどのくらいの
パフォーマンスができるのかを確認させる。
( )
イ.
練習は簡単なものからはじめて、段階的に難しく複雑なものに
していく。
( )
ウ.
あえて今までと違う例でやってみて応用力を試す。
( )
問題4
次のフィードバックに対する考え方の背景には、どのような心理学的な見方の存在が考えられ
ますか。「1.行動分析学」「2.認知心理学」「3.システムズアプローチ」の3つの中か
ら選んでください。
(4点 6=24点)
ア.
正誤だけでなく解説もフィードバックする。
( )
イ.
その行動が適切かそうでないかをフィードバックする。
( )
ウ.
できるだけ即時にフィードバックする。
( )
エ.
この学び方でよいのかどうかをフィードバックする。
( )
オ.
精緻化・体制化を助けるようなフィードバックをする。
( )
カ.
学習全体に対しての助言やコメントをフィードバックする。
( )
98
問題5
IメッセージとYouメッセージについて具体例をあげて説明してください。
(5点 2=10点)
Iメッセージ
Youメッセージ
99
12. 評価のデザイン
---先生、次は何ですか。
次でいよいよ最後だよ。評価のデザインだ。
---うわっ、評価ですか∼。イヤだな∼。
まあ確かに、誰かに自分が評価されるのが好きな人はいないよね。でも、かと
いって、まったく評価なしにインストラクションが終わってしまったらどうだろ
うね。
---自分ができるようになったのかどうかが確認できないから、張り合いがない
かもしれないですね。
そうでしょ。それから、IDでいう評価とは、学習者を評価するということだけ
じゃないんだ。
---と言いますと?
学習コース自体の評価ということがある。
---学習コース自体の評価ですか。誰がそれをするんですか?
コースを作った人自身、コースを受講した学習者、それから、そのコースを採用
するかどうかを決める立場にある人だ。
---それはいいですね。いつも学習者だけが評価されるのは不公平ですものね。
もし学習者がうまくできなかったとすれば、それは何が原因かということだ。
---それは、学習者のせいじゃないんですか? サボったとか、やる気がなかっ
たとか。
そういう場合もあるだろう。と、同時に、学習コースが学習者のやる気をうまく
引き出せなかった、という可能性も同様にあるわけだ。
---なるほど。それで学習コースの評価なんですね。
今回のテーマは評価のデザインです。宇宙船モデルでは、学習活動のあとの事後テス
トにあたります。この学習者の評価によって、学習者が設定されたゴールを達成したか
どうかを測るわけです。
100
R:リソース
N:ニーズ
事
前
A:活動
A:活動
A:活動
事
後
G:ゴール
FB:フィードバック
図11.1 向後の宇宙船モデル:インストラクションの全体像
12.1 評価の二面性
評価には二つの面があります。1つ目は、学習者が最終的にできるようになったとい
うパフォーマンスを評価することです。テストをしたり、実際にデモンストレーショ
ンしたりしてもらいます。これは学習者の評価でごく普通に行われています。
2つ目は、その学習コースが学習者のパフォーマンスを伸ばすコースであったかどう
かを評価することです。つまり、学習者の評価ではなくコースの評価です。この点がイ
ンストラクショナルデザインの特徴です。学習者の評価は学習者のために行うもので
す。良いコースにもかかわらず、学習者の態度、やる気に問題がある場合は学習者の責
任ですが、学習者に問題がないにもかかわらず、ゴールを達成できない場合はコースの
責任になります。
学習者を評価するということは同時にコースの評価をするという二面性があります。
この意味からも、インストラクショナルデザインでは評価が非常に重要なのです。
このコースの評価は、コースを続けて提供するべきか、改善点の有無、また目標や
ゴールが同じで、複数の選択肢が提供されていればコースを決定する際の重要な材料
になります。
12.3 学習者検証の原則
次に強調したいのは、学習者検証の原則です。これもインストラクショナルデザイン
の重要な原則です。コースは、学習者の反応そのものによって評価されるということ
です。
専門家はよく「これはすばらしいコースですね」と言ったりします。あるいは、同僚
が「授業中の学生の目が輝いていましたね」と言うこともあるでしょう。しかし、実
101
際学生が面白そうな振りをしていただけであったとすれば、このコースは素晴らしい
コースなのでしょうか? 学習者の反応こそがコースの評価になりますので、専門家
が賞賛したとしても、学習者がただ疲れただけだと言ったとしたら駄目なコースなの
です。コースの良さは第三者としての専門家が決めるのではなく,コースを受けた学習
者自身が決めるのです。
また、「百ます計算は子どもを機械にするものだ。断固反対」という専門家がいたと
します。ところが実際に百ます計算をやっている子どもが「百ます計算で少し自信が
ついたよ。うれしいな」と言ったとすれば、専門家が「子どもを機械にする」と主張
しても駄目なのです。子どもが「自信がついたよ。うれしいな」と言うのならやるべ
きです。専門家が機械にすると主張するのは第三者の意見であり、専門家は子どもに
聞くべきなのです。学習者がどのようになったかということだけで全てを決定するの
が学習者検証の原則です。
ニーズ分析で既に学習しましたが、どのようなコースを作るかということに関しては学
習者のニーズから出発するのが基本ですが、それ以外にも社会のニーズ、専門家コ
ミュニティからのニーズもあります。社会のニーズや専門家コミュニティからのニーズ
でコースを作った場合でも、学習者検証の原則は貫き通すべきです。学習者がどのよう
になったかということだけでそのコースの評価をすることです。そうすれば良いコー
スが生き残り、そうでないコースは淘汰されていくでしょう。
12.3 学習成果の測定
学習成果の測定では、まず、コースの中で練習したことをテストします。次に、コース
の内容が習得されていればできるだろうと期待される応用課題でテストします。これ
は以前、認知心理学のところで出てきた「転移」をテストすることにほかなりませ
ん。転移というのはある領域で獲得された知識・技能・スキルが別の状況において活
用できることです。
実際、私たちがいろいろな事を学ぶのは転移を期待しています。コースの中で100%上
手くできても、コースの外、つまり現実社会においてその内容が活用されないのであ
れば何を学んだことになるのかといわれるでしょう。あらゆるコースはそのコースの
中で上手くやるということを期待していると同時に、コースの外に出たときも上手く
できるようになって欲しいという願いのもとに作られているはずです。だから、転移
がないということはそのコースがまずいということです。転移がうまくいっている
コースを作るためにも応用課題でテストをして、実際に転移が起きているかを確認す
ることが必要です。
しかし、コースの内容ではないことをテストするのはタブー、つまり、やってはいけな
いことです。転移ではない、まったく別の内容をテストすることはやってはいけませ
ん。なぜかというと、それは学習者を裏切っていることになるからです。学習者がき
ちんと勉強をしていればきちんとした評価を得られるようなテストをすることを目指
102
すべきです。コースと関係ないことを突然テストされても学習者にとっては面食らいま
すし、さらには教員への信頼を損ないます。ですからコースの内容でないことをテス
トしてはいけないのです。
12.4 測定の文脈
どのような文脈でテストするかですが、一番理想的な形ではパフォーマンスコンテキ
ストに近い形でのテストをすることです。たとえば、2分間スピーチの最終的なテス
トは、2分間スピーチを聴衆の目の前で実際にデモンストレーションしてもらうとい
う形のテストが良いのです。これを、ビデオを前にして1人で2分間スピーチをしても
らうとなると少しズレます。これではアイコンタクトも測れませんし、実際に大勢いる
前でドキドキしながらスピーチするというパフォーマンスコンテキスト、つまりリア
ルな文脈で行うスピーチとは違います。ですから実際に行われる文脈に近い形でのテ
ストをするのが良いということになります。
このような評価をオーセンティックな評価と言います。オーセンティック(authentic)
というのは、実際の正統的な行動とマッチするような形で評価をするということで
す。それではオーセンティックではない評価はどのようなものかというと、○ 問題や
穴埋め問題といったようないわゆるペーパーテストです。これがオーセンティックでは
ない理由は、○ 問題や穴埋め問題は現実の社会や生活の中には出てこないからです。
仕事の中で紙を配られ、穴埋め問題を解くということはありません。
それでもなぜそのような人工的なテストをするかというと、採点が楽であり、ある意
味公平だからです。2分間スピーチのトレーニングを行った後には○ 問題を作ろうと
は思いません。2分間スピーチのトレーニングを行った後は、2分間スピーチのテス
トを行うのがオーセンティックな評価です。
リアルな文脈でのパフォーマンスを評価するのが良いのですが、短時間でパフォーマ
ンスを見ることができない場合には,ポートフォリオ(portfolio、書類の束という意
味)として、その人がそれまでにやった課題・レポート・作品などを集めて一つの書
類の束にして、それを全体として評価します。
パフォーマンス評価もポートフォリオ評価も最終的にはオーセンティックな評価を目
指しています。ポートフォリオ評価が一般的になると、試験一発で通るというのが馬
鹿げたシステムだと考えるようになります。60分程度の○ 式や穴埋め式の人工的な形
での試験で評価することが、信頼がおけるものかどうかということです。これまで自
分が学んできた半年間、15週間に渡って学んだ成果を提出するのであれば、一朝一夕
でできるものではありません。明らかに60分間の1回のテストとは比較できない信頼
性があります。
今まで小学校中学校と延々受けてきたテストや免許や資格試験の際の人工的なテスト
はテストの中の一部の特殊な形でしかないことを理解してほしいと思います。インス
103
トラクショナルデザインを学んだからにはそのような形のテストではないテストを工
夫し、オーセンティックな評価を目指しましょう。
テストのウォッシュバック効果
テストがどのようなものであるかが明示されると、テストのやり方によって逆流が起
こります。つまり、最後に受けるテストが、その前の学習活動へ逆波及していくわけ
です。
典型的な例では、センター試験などの国家的規模で試験が行われる場合、試験がどの
ような問題が出題されるか、形式はどのようなものであるかということが全ての高校
生の学習活動に逆波及します。そして、最終的にはセンター試験で良い点をとれるよ
うな学習法を高校生が選ぶようになります。
したがって学校の中でどのような勉強法が良いのかという伝統的な文化とは別に、セ
ンター試験に有利な勉強法が波及して行き、しばしば学校の中での勉強法と食い違う
ことがでてきます。高校の教員はこのウォッシュバック効果を無視するわけには行き
ません。教員独自の流儀で教えていることが、センター試験にあまり役に立たないと
なれば、学生からは不評を買うでしょう。まさにこれがテストのウォッシュバック効
果です。
テストはテストに過ぎないのに、逆に波及し勉強の仕方を変えてしまうという効果が
あります。最後にテストをどのような形と内容で行うかということは、この意味でも
非常に重要になります。そのため、インストラクショナルデザインではオーセン
ティックな評価をしようと考えているわけです。
12.5 学習体験の測定
学習体験の測定は、学習者の評価ではなく学習体験の測定をすることによりコースの
良さを測定します。その時役立つのが、J. M. Kellerが提唱している「ARCS動機づけ
モデル」です。これを利用することで、コースをさらに魅力的なものにすることがで
きます。
ARCS動機づけモデル
ARCSの、AはAttention、RはRelevance、CはConfidence、SはSatisfactionです。
1番目はAttention、学習者の注意をひき、興味を引き出すようなコースになっている
か、つまり「おもしろそうだな」と思わせるコースになっているかということです。
ガニエの9教授事象でも出てきましたが、まず話をきいてもらうために注意をひくこと
に重点をおきます。手品をするとか色々な方法がありますが、簡単なのは一番面白そ
うなことを話すこと、前置きを言わない、おもしろいことをズバッと話すことです。
2番目はRelevance、関連性です。何の関連性というかというと自分自身とそのコース
の内容の関連性です。自分自身とコースの内容の関連性を明示する、これはなんとな
104
く自分に役に立ちそうだなと思わせる、そのコースがどのようにあなた自身の人生、
仕事、ポジションとどう関係があるか、折に触れて説明していくことが重要です。こ
のコースでも折に触れ、誰かを教える時、子供達の前で話す時、プレゼンテーション
をする時にこれ使えますよね、ということをそれとなく言うわけです。そうすると学
習者に関連性がわかり、「あ、これ使えそうだな」「役に立ちそうだな」と思わせる
ことで今学んでいることについての動機づけを高めるわけです。
3番目はConfidence、自信です。学習者に自信がつき、うまくできそうだという感じ
を持たせているかということです。コースを終了した後で「やればできそうだ」とい
う感じを持たせたいのです。厳しいコースをなんとかこなした末に「やっぱりできな
い」となるコースもあります。しかし、できれば明るい希望が持てるようになって、
そのコースを終えてほしいのです。やればできるのだな、今回はあまりパフォーマン
スは発揮できなかったけれど、この調子でやっていけばできそうだという感覚で終わ
りたいのです。
4番目はSatisfaction、満足です。学習体験を通じて満足感を持ったか、最後に「やっ
てよかったな」というふうに思うことです。「やればできそうだ」とか「やってよ
かったな」という感想というのは学習成果としては外れているわけで、どのくらい自
信がついたかとか、満足したかとはテストをしても出てきません。しかし、「やって
よかった」「やればできそう」「役に立つ」「おもしろそうだ」というのはコースの
設計者としては常に気にしたいことです。このあたりがある程度高い評価を受けてい
ればこのコースは良いコースであると評価することができます。一方、「全然おもし
ろくない」「役に立たない」「自信も生まれない」「やってよかったと思わない」の
であればまずいコースなので改善しなければなりません。
どこをどのように改善すべきなのかは、ARCSの4つの観点で調べていくとどこが悪
かったかがわかってきますので、それをもとにコースの設計者は改善していくことに
なります。たとえば「おもしろそうだな」というのが低ければ、面白い話題を入れて
いくとか、「役に立ちそうだ」というのが低ければ教えている内容と現実社会との関
連性が理解できていないということなのでそういうところを強調する、自信が低けれ
ば課題が難しすぎたのかどうかをチェックすべきです。
私も自分で行った授業では4つの観点で学習者に評価をつけてもらっていますが、自
信が低いパターンが多いです。「面白い」「役に立つ」「やって良かった」でも「自
信がない」というのが一般的なパターンです。ちょっと難しすぎたかなというのは常
に感じているようです。私の方としては難しい内容にしても、できるだけ砕いて解り
やすくしているつもりですが、それはあくまでも私の感覚であり、専門家の感覚で見
てはいけません。学習者の感覚に立たなければならないということで、この辺りを
チェックします。
Satisfactionは高いことが多いです。ここが低い場合は学習体験があまりなかったケー
スが多く、レクチャーばかりで聴いているだけであまり活動がなく、最後に1本レ
ポート出して終わりだとSatisfactionは低くなります。そのような場合は練習を多くす
105
る、小さな課題を出しそれに対して適切なフィードバックをすることにより満足度は
上がります。ARCSの4つの観点で見ていくと改善の方向性が見いだせるでしょう。
12.6 学習者の態度と学び方の変化の測定
副産物として、学習者の態度と学び方の変化の測定も見ておきましょう。
これはそのコースで獲得した知識や技能以外のものです。その意味で、副産物なので
す。あるコースをやって、できるようになったが嫌いになったパターン、逆にできるよ
うにはならなかったが好きになった、というパターンがあったりします。
学校の教科の国際評価の調査結果を見ると、日本では外国に比較して、算数・数学は
「できるが嫌い」と答える割合が非常に多い。普通はできるならば、それが好きです
よね? できると好きは比例するはずなのに、できるのに嫌いなのはなんか変です。
しかし、算数・数学ではそういう傾向が日本では顕著なのです。
おそらく嫌々トレーニングされたため、できるようにはなっているが、トレーニング
の過程で押し付けられて嫌になったということでしょう。インストラクショナルデザ
イン的にいえば、できるようになれば嫌いになっても良いのかというとそれはまずい
です。もし、できるようになったとしても、態度として嫌いになったとすれば将来的
に渡ってその教科の内容を避けるという方向になるでしょう。それが嫌いなのですか
ら。
コース終了時点でできるようになりました。計算が速くなりました。でもそれで計ら
れていないもの、つまり副産物として態度が嫌いとなったとすれば非常に悪い副産物
です。コースが終わったあと、その教科を避けるようになってしまう。それは、長期
に渡ってその人の選択肢が狭まったという意味で不利になったでしょうし、その内容
を避けるようになったことでキャリアに対して不利になることもあるでしょう。教え
た結果としてそれができるようになれば良いのかというと、そんなことはないという
ことをここで指摘しておきたいのです。
学習2(学習の学習:Bateson)
G. Batesonという科学者は文化人類学や臨床心理学のコミュニケーション学に非常に
影響力を与えた人です。
学習にはいろいろな段階があります。たとえば歩いていて前から何かがヒュッと出て
きたら驚きます。それは一回限りの学習で学習ゼロと呼ぶとすると、曲がり角を曲が
るとヒュッと出てくるのが何回も繰り返されるとそれを学習します。これを学習1と
名付けると、私たちはだいたい学習1で日常生活を送っています。これはつまりIF
THENルールです。もし何とかだったら何とかせよということを学習したわけです。
次の段階の学習は、学習することの学習です。これをベイトソンは学習2と名付けま
した。これは何かというと学習の方法を学ぶ、学び方を学ぶということです。たとえ
ば、このコースを通じて、自分の学習のやり方が変わった、という成果が出たとすれ
106
ば学習2が起こったということです。あるいはこのコースで、新しい勉強の仕方を身
につけたとすれば学習2が起こったということになります。
これは先程来言っている学習成果の測定とか学習体験の測定では出てこない、ある意
味、副産物です。これは古典的なインストラクショナルデザインでは全く気にしてい
ないことです。古典的なインストラクショナルデザインではニーズがあってゴールを決
めたら、そのゴールが達成されたかどうかに関心があります。達成されていればOKで
あるし、達成されていなければコースを改善せよということでインストラクショナル
デザインのプロセスが進んでいくことになります。
ですから、あくまでも学習成果の測定で十分なのですが、もしこのコースを通じて自
分の学習のやり方が変わったとすれば、ベイトソンのいう学習2が起こったというこ
とです。成果としては測れないものではあるけれども、学習2が実際に起こったとす
れば、そのコースはなんらかの素敵なものがあるのではないかと思っているわけで
す。
12.7 確認テスト
今回の出題範囲には、「10. リソースのデザイン」のガニエの9教授事象のまとめ」も含まれ
ています。
問題1
インストラクショナルデザインにおける評価の2つの面(評価の二面性)について簡単に説明
してください。
(10点)
問題2
以下の用語について簡単に説明してください。
(8点 5=40点)
パフォーマンスコンテキスト
107
オーセンティックな評価
ポートフォリオ評価
テストのウォッシュバック効果
Batesonの学習2
問題3
以下の感想はARCS動機づけモデルの4つの観点(Attention、Relevance、Confidence、
Satisfaction)のどれに相当するかを答えてください。
(3点 6=18点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
やってよかったな ( )
やればできそうだな ( )
おもしろそうだな ( )
役に立ちそうだな ( )
うまくいきそうだな ( )
やりがいがありそうだな ( )
問題4
コースを評価するときに、ARCS動機づけモデルの4つの観点で調べていくと、どこを改善す
ればいいのかが分かります。たとえば、このインストラクショナルデザインの科目をARCS動
機づけモデルの4つの観点に沿って受講者のみなさんに評価してもらったところ、次のような
結果になったとします。どこをどのように改善すれば良いのか、考えられる可能性をなるべく
具体的に記述してください。
(3点 6=18点)
108
例:Attentionが低かった場合
例1:学習者の注意や関心を引くことができていない可能性が高い。学習者にとって面白い話
題を入れる。たとえば、最近のニュースや事件、話題になっている出来事などを例に挙
げて学習内容とつなげる。
例2:マンネリになっている可能性がある。新奇性(目新しさ)のあるデザインにする。たと
えば、レクチャーから始めるのではなく、ビデオを見せたり、実演から始めたり、クイ
ズを出したり、ゲストを登場させたり、アイスブレイクを挿入したりしてみる
Relevanceが低かった場合
Confidenceが低かった場合
Satisfactionが低かった場合
問題5
事後テストに関する以下の説明を読んで、正しいものには○を、間違っているものには をつけ
てください。
(2点 7=14点)
ア.
イ.
ウ.
エ.
オ.
カ.
キ.
練習問題の結果を見て学習者の理解度が低いようならば、最初に設定した目標よりも
難易度の低い問題に差し替える。
十分な量と幅の問題を用意するべきだが、できるだけ短時間でできるように工夫する
ことも必要である。
練習の機会を十分与えたあとで、本番としてのテストを実施する。
全員が満点をとれるように難易度の低い問題を出すことで、コース終了時の満足度が
高まる。
なるべく難しい問題を出して、コース終了後もさらに学習が必要であることを意識さ
せる。
学習意欲の高い人が多いようならば、教えた範囲よりも難易度の高い発展問題を出題
する。
テストの問題は目標に忠実なものとし、それを評価することが大切である。
109
13. まとめと振り返り
さて、これですべて終わりだ。
---とうとう終わりですか。もっと聞いていたかったな∼。
前半では、基礎理論となる学習についての3つの心理学理論をやったね。そし
て、後半では、実際に学習コースをどうやって作るかということを学んだ。
---でも、実際にうまく教えられるかどうか、不安です。
そりゃ、そうだ。実践を積み重ねていくことが必要だ。テニスのレクチャーを受
けたからといって、すぐにラリーがうまくなるわけじゃないからね。
---実際に教えるという体験を積むということですね。
そうだ。その中でどうしたらいいのかいろいろと迷うこともあるだろう。そんな
ときにもう一度、IDの考え方を思い出してもらえばいい。
---そうすれば大丈夫と?
そう。100%とは言わないが、70%は大丈夫だろう。
---え? 100%じゃないんですか? 残りの30%が気になるな。
まあ、今は気にしなくていい。とにかく君はIDの正攻法を学んだわけだから。
---はい。どうもありがとうございました。
また、どこかで会おう。
13.1 IDの全体像
この講義では、前半では、行動分析学、認知心理学、状況的学習論の理論によって、
学ぶことのしくみを取り上げ、後半では「向後の宇宙船モデル」の形で学習コースの
設計を学んできました。
最初に、行動分析学、認知心理学、状況的学習論の理論によって、学ぶことのしくみ
をみてきました。しかし、これらの心理学的な理論は、そのままでは実践として使い
にくいところがあるので、IDの先駆者たちが中間理論としてまとめあげたのが、ガニ
エの9教授事象や、ケラーのARCS動機づけ理論などです。それをこの講義では、学習
活動・教育活動の中に活用していこうとしています。ここでいう、中間理論とは、生
のままでは使えない理論をまとめあげてレシピにして、実際の学習活動・教育実践に
使いやすくした理論のことを指しています。
110
後半では、実際の教授・学習活動を、宇宙船モデルの形で進めていきました。これは
下記のようなステップで行っていきます。
• ニーズを確定する
• 確定したニーズを満たすためのゴールをたてる
• 設定したゴールを小さなタスクに分解し、ゴール分析を行う。
• ゴールを実現するため、リソースと活動とフィードバックの3つをデザインす
る
これらのステップを行うことで、学習コースをデザインし、実施することができます。
また、学習活動を行う前と後でテストを行って、自分がこのように進歩したという部
分がこの学習活動の成果になります。進歩しなければ、この活動はダメだったという
ことになります。ダメだったということは、学習者の問題ではなく、学習コースがダメ
であるということです。
13.2 教えるということ
教えることは、教員、塾の講師やコーチの仕事というだけではなく、自分の子供を教
えることや、会社での新人教育など、日常生活の一部になっています。どんな人にも、
誰かに何かを教える機会があります。人類の進歩も、人が人に教えるという活動がな
ければこれほどにはならなかったでしょう。この意味で、教えるというのは人間の基
本的な行動であるといえるでしょう。これを科学にしたものがIDであり、広くいうと
教育工学になります。
教えるときに、今まで学んだ理論とモデルを思い出し、IDプロセスにしたがって教え
る活動をデザインすればうまくいきます。また、もし失敗しても、小さい失敗であ
り、その失敗も次の改善に活かせばよいのです。失敗を、より良くするための材料と
して、うまくいかない原因を理論を使って調べ、改善すれば、次にはきっとうまく行
くでしょう。
ここで学んだインストラクショナルデザインの考え方を、皆さんの仕事や生活に活か
してくれることを期待しています。
111
索引
■数字、アルファベット
10年修行の法則
36
学習者分析
69
ABC分析
11
学習2(学習の学習)
106
ADDIEモデル
61
ガニエ
ARCS動機づけモデル
104
ガニエの9教授事象
77
CAI
22
ガニエ(R. M. Gagné)
77
GBS
55
ギブソン(J. J. Gibson)
45
IDプロセス
61
記憶
28
Iメッセージ
83
記憶のネットワーク構造
29
KR情報
95
期待・価値モデル
70
LPP
46
教育
PSI
22,56
教育ゴール
67
Wason課題
37
教育工学
4
Youメッセージ
83
強化
9
強化子
10
強化刺激
10
■あ行
アイメッセージ
83
教師制御
89
アフォーダンス
45
言語情報
68
アンカード・インストラクション 39,56
ケラー
維持リハーサル
29
ケラー(F. S. Keller)
22
意図的教育
3
ケラー(J. M. Keller)
104
インストラクショナルデザイン
2
嫌悪刺激
10
ウェンガー(E. Wenger)
46
嫌子
9
運動技能
68
嫌子出現による弱化
10
エピソード記憶
30
嫌子消失による強化
10
エリクソン(K. A. Ericsson)
36
ゴール
ゴール分析
68
■か行
ゴールベース
3
学習
ゴールベース・シナリオ
55
向後の宇宙船モデル
77
学習コンテキスト
71
学習者検証の原則
101
112
好子
9
スモールステップの原則
21
好子消失による弱化
10
前提テスト
71
好子出現による強化
10
成功的教育
4
精緻化
29
行動
行動主義心理学
8
精緻化リハーサル
29
行動随伴性
9
正統的周辺参加
46
行動分析学
8
正の̶
固定強化
19
正の強化
10
個別化教授システム
22,56
正の強化子
10
コンテキスト分析
70
正の罰
10
コンピュータ支援教育
22
宣言的知識
30
コーチ
90
即時フィードバック
18
コーチング
54
■た行
■さ行
体制化
29
作業記憶
28
態度
68
事後テスト
71
短期記憶
28
事前テスト
71
知的技能
68
実践コミュニティ
47
チャンク
28
ジャスパー・プロジェクト
40
中間テスト
72
弱化
9
長期記憶
28
熟達化
36
テストのウオッシュバック効果
104
手続き的知識
30
状況
状況的学習論
45
転移
38
状況に埋め込まれた学習
46
天秤問題
31
事例ベース推論
55
シェイピング
20
■な行
システムズアプローチ
61
内観報告
27
死人テスト
12
認知
27
シャンク(R. Schank)
55
認知心理学
27
消去
12
認知的徒弟制
53
真正の文化
52
認知的方略
68
シーグラー(R. S. Siegler)
31
ニーズ分析
62
スキナー(B. F. Skinner)
8
沼野一男
3
スキャフォルディング
54
ノード
29
スキーマ
30
ノーマン(D. A. Norman)
36
113
■は行
■ら行
バグ
30
ラピッド・プロトタイピング
61
罰子
10
リハーサル
28
バースト
12
領域固有性
38
リンク
29
パフォーマンス
パフォーマンスコンテキスト
71
ルール支配行動
19
パフォーマンス・ギャップ
62
レイヴ(J. Lave)
46
発語思考
28
レストランスキーマ
30
評価の二面性
101
プリテスト
71
プレマックの法則
20
プロクター
22
プロダクション
30
ファシリテーター
90
フェーディング
54
復帰
12
負の̶
負の強化
10
負の強化子
10
負の罰
10
不良構造化問題
38
ベイトソン(G. Bateson)
106
変動強化
19
ポストテスト
71
ポートフォリオ
103
■ま行
ミラー(G. A. Miller)
28
メタ認知
39
メンター
90
模擬テスト
72
モデリング
53
■や行
ユーメッセージ
83
114