La Gazette d’Esprit Xviii JP Novembre – Décembre 2015 Newsletter #15 ラ・ガゼット・デスプリ 18 第 15 号、2015 年 11-12 月 「ヴェルサイユ! 大空を照らす流星。ヴェルサイユ! 金、ブロンズ、斑岩で綴られた高貴なる詩の躍動。この巨大な創造物に おいては、あらゆるものが桁外れになり、ほとんど運命的ともなるのだ」ウジェーヌ・シュー 「ヴェルサイユ宮殿オペラ劇場。 ヨーロッパにおいてこれほど美 しい劇場はかつて存在したこと がない」クロイ公爵 (1718-1784 年)の日記より オペラ・ロワイヤル シャトー・ド・ヴェルサイユ・スペクタクル社 オペラ・ロワイヤル ~主な出来事~ #15:シャトー・ド・ヴェルサイユ・スペクタクル社 ローラン・ブリュネール&ジャン=ポール・グセ シャトー・ド・ヴェルサイユ・スペクタクル社はヴェルサイユ宮殿美術館国有地公 団の子会社として 2003 年に設立されました。宮殿におけるショーやイベントの企 画・振興を目的としており、代表的なものとして大噴水ショー、ヴェルサイユ・フ ェスティバルと呼ばれる舞踏会を中心とした一連のイベント、そして宮殿内の礼拝 堂や鏡の回廊、オペラ・ロワイヤルでおこなわれるグラン・コンセールと呼ばれる 演奏会が挙げられます。社長でありオペラ・ロワイヤル企画編成者であるローラ ン・ブリュネール氏とオペラ・ロワイヤル研究員ジャン=ポール・グセ氏にお話を 伺いました。 オペラ・ロワイヤルの天井。 《芸術の偉人のために冠を 用意するアポロン》が描か れている。 デュラモー作、1769 年 © Clyne.fr ヴェルサイユ宮殿 オペラ・ロワイヤル Place d’Armes 78000 Versailles INFOS@CHATEAUVERSA ILLES-SPECTACLES.FR 電話:+33(0)1.30.83.78.89 La Gazette d’Esprit Xvii 『ラ・ガゼット・デスプリ 18』 は 18 世紀を愛するアマチュア・ 専門家による月間発行物です。 発行者:Clotilde 協力 :Laurent Brunner, Château de Versailles Spectacles, Clyne.fr (Céline), Fanny Collard, Jean-Paul Gousset, Amélie Le Gonidec, Diane Pradal & Nicolas. ・ラ・ガゼット:オペラ・ロワイヤルは当時の王太子とマリー=アントワネットの 婚礼舞踏会と饗宴のために 1770 年に建てられました。ではそれ以前のルイ 14 世・ 15 世時代の催し物は、どこでおこなわれていたのでしょうか。 ・グセ:ルイ 14 世がまだ若かったころのヴェルサイユ宮殿は一介の城館でしたが、 その庭園では豪華な宴が開かれていました。したがって催し物も、屋外に一時的に 設置された舞台で上演されていました。 1682 年以降、宮廷はパリからヴェルサイ ユへと移り、このときにマンサールが仮の小劇場を設計しました。これは宮殿の南 翼と中央棟をつなぐアーケードの下にありました。しかし手狭だったため、のちに ルイ 15 世がヴェルサイユに戻ってきたとき〔ルイ 15 世は 1715 年に即位した直後 はパリに住み、1722 年にヴェルサイユに再び移り住んだ〕に手が入れられ、次い で 1762 年に拡張されました。この小劇場が解体されたのは、結局 1810 年になって からのことです。1745 年、当時の王太子〔ルイ・フェルディナン。ルイ 16 世らの 父。即位前に死去〕の成婚時には、宮殿正面の大厩舎の中にスロッズ兄弟〔彫刻家。 ポール=アンブロワーズとセバスチャン=アントワーヌ〕による劇場が整備されま したが、実際ははなはだ使い勝手が悪いものでした。というのも宮殿中庭と宮殿前 のアルム広場を渡るためだけに4輪馬車と近衛兵たちを動員せねばならなったから です。国王が徒歩で移動するなどもってのほかですからね。1748 年から 51 年にか プティット・ギャラリー けては、ポンパドゥール夫人が国王の娯楽用に 小 回 廊 の中に劇場をしつらえ キ ャ ビ ネ ・ デ ・ メ ダ イ ユ ます。メダルコレクション室のそばにあるこの劇場は、プティ・キャビネ劇場と呼 ばれていました。ただ非常に狭かったため、 1749 年には大使の階段〔現存せず〕 に移されますが、過剰支出を糾弾する世論に押されてルイ 15 世は 1751 年にヴェル サイユにおける一切の演劇活動を中止させました。そのため催し物は近郊のベルヴ ュー城〔現存せず〕の小劇場でおこなわれるようになります。ここもポンパドゥー ル夫人が大金をかけて設置したものですが、 1753 年以降使われることはなく、そ の翌年にはヴェルサイユに正式な劇場を建てる案が浮上します。大劇場オペラ・ロ ワイヤルが完成するのはようやく 1770 年になってからのことですが、結果的には 特別に大がかりな催し物のみにしか使われませんでした。さらに 15 年後の 1786 年 グラン・ドゥグレ には、500 名収容のもう少し小さな劇場が建てられました。これは 大 階 段 の建造 が予定されていた新翼棟〔宮殿向かって右側にある現在のガブリエル棟〕に作られ たもので、ユベール・ロベールが装飾を担当し、ルイ =フィリップの時代に解体さ れました。 翻訳:Hanako 無料にて配布。ご希望の方は下記 メールアドレスにて登録ください esprit.xviii@gmx.fr Facebook 18 世紀を生き、知り、 理解し、広める フランス国・1957 年 3 月 11 日の法律 により、全部および一部の複製は禁じ られています。また、本紙でご紹介す る資料は、邦訳書が確認できたものは 日本語のタイトルを記載し、確認でき ないものについては原語とタイトルの 簡的訳を付して記載してあります。 客席から見た舞台。イオニア式円柱に囲まれ、上部には2人の女神ぺーメーが フランスの大紋章を支えている。© Courtoisie Clyne.fr 1770 年完成のヴェルサイユ劇場見 取り図。アンジュ=ジャック・ガ ブリエルの「デッサン」より。 © RMN, Gérard Blot ・1682 年:ルイ 14 世はすでに オペラ・ロワイヤル建築を構想 し、建築家マンサールとヴィガ ラニにバレエ・ホールの設計図 ク ー ル ・デ・ プランス 作成を命じた。王子 の 中庭に劇 場が建てられる〔左インタビュ ー で 述 べ ら れ てい る 仮 の 小劇 場〕。 ・1685 年:大工事が始まるが戦 争と財政難のため中断。 ・1742 年:建築家ガブリエルが 王の首席建築家に任命される。 ・1745-46 年:最高の劇場の設 計図入手のため、建築家ニコラ =マリー・ポタンがイタリアに 派遣される。 ・1769 年7月9日:ヴェルサイ ユのムニュ・プレジール館で高 さ3メートルの模型がルイ 15 世に紹介される。 ・1770 年5月 16 日: 王太子 (のちのルイ 16 世)とマリー =アントワネットの婚姻を機に オペラ・ロワイヤルが披露され る ( 祭 典 は 同 年7 月 ま で 続い た)。 ・5月 17 日:ムニュ・プレジ ール長官パピヨン・ド・ラ・フ ェルテにより、オペラ『ペルセ ウス』(音楽リュリ、台本キノ ー ) が 、 5 月 23 日 : オ ペ ラ 『アタリ』(ラシーヌ作)が上 演される。 ・1771 年:プロヴァンス伯爵が オペラ・ロワイヤルにて結婚式 を挙げる。1773 年にはアルトワ 伯が挙式。 ・1789 年 10 月1日: 王室に忠 誠を誓った連隊が祝宴を開き、 革命の3色帽が踏みにじられる。 こののち王一家はパリに移送さ れ、オペラ・ロワイヤルは打ち 捨てられたままになる。 1 「国王のオペラ座は壮麗さにお いても豪華さにおいても、今ま で見てきた劇場とは段違いだ。 24 時間で円柱やギャラリーを組 み立てて、劇場全体を横長の見 事な舞踏会ホールに変えること ができる。そしてその舞踏会ホ ールと来たら、ヨーロッパ随一 の美しさなのだ」 サー・ジョン・カーの旅行手記 より(1898 年) 2階ボックス席。浮彫装飾には オリュンポス山の神々が描かれ ている。© Courtoisie Clyne.fr 参考文献: ・ P. Beaussant, P. Chancel (写真), L’Opéra royal de Versailles(ヴェルサイユの オペラ・ロワイヤル), Ed. Xavier Barral, 2009 ・J.-J. Aillagon, J.-P. Gousset, R. Masson, P. Tourneboeuf (写真) Versailles, l'Opéra royal (ヴェルサイユ、オペラ・ ロワイヤル), Ed. Artlys, 2010 ・L'Opéra royal de Versailles(ヴェルサイユの オペラ・ロワイヤル), Connaissance des arts, 2010 ・A. Pecqueur, G. de Laubier (写真), Les plus beaux opéras du monde(世 界の美しいオペラ座巡り), Ed. de la Martinière, 2013 ・P. Beaussant, Patricia Bouchenot-Déchin, Les Plaisirs de Versailles(ヴェ ルサイユの愉しみ), Ed. Fayard, 1996 ・André Japy, L'Opéra royal de Versailles(ヴェル ・ラ・ガゼット:ルイ 14 世が建設を決定したのが 1682 年、完成が 1770 年。 半世紀以上もの時間がかかった理由は何でしょう。 ・グセ:北翼が建設された 1685-1689 年当時、マンサールは「バレエ劇場」 の基礎工事をしたのですが、これは結局日の目を見ませんでした。ルイ 15 世 はその治世中ごろに大劇場の建設に漠然とした興味を示しました。そこで建 築家アンジュ=ジャック・ガブリエルは正式な注文がないままに設計を始め ます。これは当時の建築家にはよくあったことです。 1765 年以降になると、 当時の王太子のちのルイ 16 世とオーストリア皇女マリー=アントワネットの 縁談が具体化します。成婚となると宮殿で3日間にわたって公式祝賀が挙行 されるのですが、そのための3つの会場がないことが問題になりました。そ の会場というのは国王主催の饗宴会場、劇場、それから夜会服着用の舞踏会 会場です。緊急の策として、ホール全体の内部が組替え可能な木造の会場を 建てることに決まりました。1768 年にはレゼルヴォワール通りに面した石造 りの外壁がほぼ完成し、ルイ 15 世は挙式の日取りを 1770 年5月 16 日と定め ます。構想期間は 20 年前以上からあったのですが、実際にはあと残り 23 か 月しかありません。ムニュ・プレジール〔王室の催事を手がける機関〕に所 属する国王付き大道具主任担当ブレーズ=アンリ・アルヌーなどは、劇場の 骨組み建設、劇場としてのインフラ整備、機械設備の手配、舞台装置の設置 監督、舞台転換の指揮、催し物やホール内の配置の組替えなどを実施しなけ ればなりませんでした。技術上の制約や財政難、矛盾する決定などにより計 画自体がとん挫しかねませんでした。 ・ラ・ガゼット:ホールが楕円形なので、観客にとっては観やすくなってい ます。ところでオペラ・ロワイヤルといえばなんといってもその創意工夫に 富んだ機械装置です。そのおかげでホール内部の組替え変更が可能となり、 3千名もの人を収容できるようになりました。 ・グセ:この世代のフランスの建築家たちは、イタリアの劇場の持つ素晴ら しい音響効果に触発されました。この建築原理を初めて実践したのが建築家 スフロで、サン=クレール劇場(現在はリヨンのオペラ座が建っている)を 設計した時のことです。トリノ・レージョ劇場、ナポリのサン・カルロ劇場、 それからある意味ではイタリアのカゼルタ宮の劇場もガブリエルにインスピ レーションを与えたと思われます。ホールは下辺が直線の楕円形で、円形劇 場にも似て後方へと高くなっていく構造です。イタリアとの違いはボックス 席が低い仕切り壁によって分けられていることです。オーティオトリアムと 呼ばれていたホール部分は 1336 名が収容可能で、テアトルと呼ばれていた舞 台は面積 670 平方メートル、構造技術と舞台仕掛けの粋でもあります。舞台 の下には5階にわたる地下構造があり、梁構えから舞台までの距離は 18 メー トル、天井部分にも見事な仕掛けが組まれ、下から上まですべてを合わせる と高さ 35 メートルになります。こうした構造のおかげではじめて、舞台演出 の一環として、10 メートルの高さの支持枠を垂直に完全に隠すことができた のです。オーディオトリアムを宴会場に変えるには平土間席の床を1階席の 床の高さにまで持ち上げていたのですが、このときに使われていたラックジ ャッキは当時のまま残っています。エプロン部分にはホールの装飾と調和し た実物の装置を設置して舞台部分を閉鎖し、600 名を収容することができまし た。夜会服着用の舞踏会ではこのオーディオトリアムと舞台全体を使いまし た。ホールの装飾に合わせて、舞台全体を覆う巨大な実物の装置が制作され、 3000 名もの人々を収容しましたが、実際に踊ることが許されたのは王族と一 部の名門貴族だけでした。 ・1837 年:ルイ=フィリップ 国王のもと、ヴェルサイユ宮 殿は「フランスのあらゆる栄 光」のための歴史博物館とな る。オペラ・ロワイヤルはフ レデリック・ヌヴーにより全 面改修される。 大道具の一部 © Courtoisie Clyne.fr ・1855 年:ナポレオン3世主 催の英国ヴィクトリア女王歓 迎晩餐会がオペラ・ロワイヤ ルで開かれる。 ・1871 年:暫定的に国民議会 が、1875 年には元老院がオペ ラ・ロワイヤルにおかれる。 天井はガラスに取り換えられ る。 ・1879 年:両院がパリに戻る が、元老院はオペラ・ロワイ ヤルの使用権を留保する。 ・1953-57 年:建築家アンド レ・ジャピにより修復工事が 始まる。 ・1957 年:英国エリザベス2 世の訪問を機にオペラ・ロワ イヤルがお披露目される。 ・1987 年:ヴェルサイユバロ ック音楽院(CMBV)発足。 ・2003 年:シャトー・ド・ヴ ェルサイユ・スペクタクル社 設立。 ・2007-09 年:歴史的建造物 専門建築家フレデリック・デ ィディエによる修復工事のた めオペラ・ロワイヤル閉鎖。 ・2009 年9月 21 日: オペ ラ・ロワイヤル新装オープン。 新装ガラでは主にブリン・タ ーフェル出演、マルク・ミン コフスキ指揮によるハイドン、 グルック、モーツァルトのコ ンサートが催される。 サイユのオペラ・ロワイヤ ル), Comité national pour la sauvegarde du château de Versailles, 1958 ・R.-Marie Langlois. Pierre Horay, Louis XIV, l'Opéra de Versailles(ルイ 14 世と オペラ・ロワイヤル), 1958 ・Benoît Dratwicki, Antoine Dauvergne (1713-1797). Une carrière tourmentée dans la France musicale des Lumières(歴史に翻弄され たある音楽家アントワー ヌ・ドーヴェルニュ), éd. Mardaga, CMBV, 2011 オペラ・ロワイヤルの天井。 《芸術の偉人のために冠を用意するアポロン》が描かれている。 ルイ=ジャック・デュラモー作、© Courtoisie Clyne.fr ブラッド・クーパー&クレー ル・デボノ © Photo Pierre Grosbois 2 「我々は単にモニュメ ントを修復したのでは ない。そこに命を吹き 込んだのだ」 ジャン=ジャック・エラゴン フォワイエ内部。オーギュ スタンと彼の工房が制作し た木製彫刻。© Clyne.fr ・ラ・ガゼット:舞台枠やイオニア式円柱の大理石が大変素晴らしいのです が、これはだまし絵なのですね。実は舞台はすべて木製です。誰が装飾を担 当したのでしょうか。 ・グセ:石材は使用することができなかったため、木材が使われていますが、 白くあるいは大理石風に塗られ、ところどころに配された金箔がアクセント になって客席部やフォワイエ部を飾っています。フォワイエというのは国王 の一行のための回廊のようなスペースで、1階席に通じています。海のよう な緑色やトルコブルーあるいは古代風の黄色に塗られた鏡板が、イタリア・ カララ産白大理石風に白く塗られた彫刻家パジュによる彫刻作品群を一層引 き立てています。北側の暖炉上部にはアボンダンス(豊穣)とペ(平和)の 女神が、南側のケステル階段に続く扉の上部にはジュネス(若さ)とサンテ (健康)が向かい合っていて、東側には芸術に冠を授けるアポロンと西側に はアモールの武器を取り上げるヴィーナスが向かい合っています。彫刻作品 がぎっしりと壁を飾り、視線を空が描かれた天井へと向かわせます。ホール は大理石風に塗られていて、すべての彫刻作品には金箔が施されています。 2階ボックス席を囲むパネルにはギリシャのオリュンポス山の神々を描いた パジュの彫刻が施されています。3階ボックス席(バルコン・ロワイヤルと 呼ばれています)のパネルにはオペラの主要テーマに出てくる神話の場面が 描かれています。主なものとしてルノーとアルミード、カストルとポリュデ ウケス、ピグマリオンなどが挙げられます。ホールはオーケストラ席、平土 間席、1階席、2階ボックス席(通称コルベイユ)、3階ボックス席(通称 バルコン・ロワイヤル)、4階ボックス席(通称コロナード)からなってい ます。ボックス席のひとつひとつが独立していないため、“フランス風”ボ ックス席と呼ばれています。 ・この大天井に《芸術の偉人のために冠を用意するアポロン》を描いたのは ルイ=ジャック・デュラモーですが、このホールは何を象徴しているのでし ょうか。 ・グセ:デュラモーは絵画装飾担当で、画家ブリアールがこれを補佐しまし た。天井画は芸術が栄冠を戴くというアレゴリー(寓意)です。アポロンは 冠を掲げてあらゆる芸術に栄誉を与えようとしている一方、イニョランス (無知)とアンヴィ(妬み)はミューズたちの住まうところから突き落とさ れてしまいます。デュラモーはメカニークという擬人を描くことも忘れませ んでした。これはこの劇場の完璧なまでの仕掛け技術を暗示するものです。 コロナード部の 12 枚の天井にはギリシャ・ローマ時代の神々を象徴する伝統 的アトリビュートが描かれています。 フォワイエの窓 © Clyne.fr 2016 年オペラ・ロワイヤル ~レクイエム~ ・ルイ 16 世とマリー=アン トワネットのためのレクイエ ム:2016 年1月 21・22 日 演奏:Palazzetto Bru Zane et le Centre de musique romantique française( パ ラツェッ ト・ ブ ル・ザーネとフランス・ロマ ン派音楽の会) マリー=アントワネット没後 30 年を機にテュイルリー宮殿 礼拝堂で演奏されたプランタ ード作レ短調レクイエムおよ びケルビーニ作ルイ 16 世のた めのハ短調レクイエムを演奏 します。 ・ ル イ 16 世 追 悼 レ ク イ エ ム:2016 年1月 23 日 ノイコム作ルイ 16 世のための レクイエムは、ウィーン会議 への出席のため集まった各国 の諸侯列席のもと、1815 年1 月 21 日にウィーンのシュテフ ァン大聖堂で演奏されました。 今回はジャン=クロード・マ ルゴワール指揮、ナミュール 室内合唱団 、王室大厩舎・王 宮付楽団の合唱でお届けしま す。 ・ラ・ガゼット:このホールの音響は現在でもプロから絶賛されていますが、 これは鏡板による効果なのでしょうか? ・グセ:大前提として、音響(アコースティック)と音質(ソノリテ)は別 物だという点に注意が必要です。音響に作用するのはホールの構造と形状の みです。そこで採用されている素材の性質は音響には影響しませんが、音質 の決め手となる重要な鍵です。例えば古代ギリシャ時代に建てられたエピダ ウロス劇場は石造りで抜群の音響を誇っています(紙がしわくちゃになると きの音でさえ、最後部席の人は最前部席の人同様に聞こえます)。コロナー ド部の壁面の鏡板は連続しておらず、円柱には溝が彫られているため、共鳴 胴の役割を果たし、逆説的ではありますが音の反響を受け止めてくれるので す。ホールにおける音響というのは恐ろしいもので、ほんのわずかの欠点で も観客にすぐに気づかれてしまいます。しかしオーケストラと歌手の美声が うまくハーモニーを奏でると、その場にいる者だけが味わえる天上の音楽を 聴くことができるのです。 愉悦の読書 ~オペラ・ロワイヤル~ Philippe Beaussant, Philippe Chancel L’Opéra royal de Versailles(ヴェルサイユ Ed. Xavier Barral, 2009. のオペラ・ロワイヤル) この本は新装後初のオペラ・ ロワイヤル一般公開を記念し て出版されたものです。著者 17 世紀音楽学専門家フィリッ プ・ボーサンは、ルイ 14 世が 夢見、ルイ 15 世が完成させた このオペラ座の歴史を振り返 ります。当時から最も美しい 宮廷劇場のひとつと謳われた オペラ・ロワイヤル。席数 712、全木造で最高の音響を誇 り、音楽とダンスを愛した太 陽王ルイ 14 世の理想を実現し た劇場です。著者は逸話を交 えながら、オペラ座完成に至 るまでの様々な計画、時代の 嗜好の移り変わりを紹介しま す。フィリップ・シャンセル はアーティストの視点から、 この大改装の成果を写真に収 めています。 鵞ペンで綴る一文 「ヴェルサイユ。10 万もの人 が暮らすヴェルサイユ。この 街は驚くほど拡大し、その姿 は威厳に満ちている。だがこ こも 120 年前には貧しい寒村 だったのだ。ヴェルサイユは 重大事や政治の中心地ではあ るが、首都パリの渦にのみこ まれ、そのうねりに翻弄され る。(中略)この第二の都市 の神髄とは宮殿の神髄に他な らない。(中略)過ぎし日に 起きたことは将来にも同じよ うにして起こるのである」 Louis-Sébastien Mercier La galerie de Versailles(タブ 客席側写真。3層のボックス席がシャンデリアに照らされている。 収容人数:680 から 738 名。座席配置により変動。オーケストラ席:55 名 舞台:幅 13.69m、奥行き 23m、高さ 36m © Courtoisie Clyne.fr ロー・ド・パリ、第4巻第 115 章、ギャラリー・ド・ヴ ェルサイユ) 1781. 3 聴いているだけでオペラ座 気分になれる一枚 Dardanus de Rameau, Ensemble Pygmalion, Raphaël Pichon. Opéra Royal du Château de Versailles. (ラモー作『ダルダニュス』、 演奏:アンサンブル・ピグマリ オン、指揮:ラファエル・ピシ ョン、ヴェルサイユ・オペラ・ ロワイヤル) アンサンブル・ピグマリオン 演奏による『ダルダニュス』 は 1744 年版をベースにしつ つ、豊かな情感を追求したラ モーが 1744 年から 1760 年に かけて組み込んだ多数のバリ アントも含んでいます。 L'Allegro, Il Penseroso ed Il Moderato de Haendel, Paul McCreesh. Signum Classics. (ヘンデル作、L'Allegro, Il Penseroso ed Il Moderato、指揮: ポール・マクリーシュ) 1740 年のヘンデル作オラトリ オ。ポール・マクリーシュの 秀逸な解釈・指揮が光りま す。 ・ラ・ガゼット:待ちに待ったオペラ座が完成するわけですが、結局は 1789 年に使用されなくなるまで 19 回しか使われませんでした。このオペラ座と競 合するような劇場はあるのでしょうか。 ・グセ:オペラ・ロワイヤルは宮廷劇場であり、特別なイベント(王族の結 婚や公式レセプションなど)用に建てられました。日常的な利用を想定した ものではなかったのです。新翼棟に 1786 年に劇場が設置されたのもこのため です。この劇場の収容人数はせいぜい 500 名ほどで、設計はピエール=アド リアン・パリ、装飾はユベール・ロベールが担当しました〔前出のガブリエ ル棟。現在は大階段になっている〕。1780 年に建てられた王妃の劇場〔プテ ィ・トリアノンの庭園にある〕は社交界の劇場ともいうべきもので、王妃と その友人が舞台に立ち、観客はごくわずかな親しい人たちに限られていまし た。こうした宮殿内の劇場とパリの劇場の間には競合関係は一切存在してい ませんでした。役者、踊り子、歌手たちはどちらにも出演していたからです。 コメディ・フランセーズ、王立音楽アカデミー、オペラ・コミック、イタリ ア劇場などの団員たちはヴェルサイユへ移動し、終演後パリへと戻っていま した。こうすれば宿泊代がかかりませんからね。 ・ラ・ガゼット:革命が起こるとヴェルサイユ宮殿の家具はほとんど売却さ れてしまい、オペラ・ロワイヤルも例外ではありませんでした。1952 年から 57 年にかけて第1次修復作業が実施された際には、建築家アンドレ・ジャピ によりオペラ・ロワイヤルの当時の色調が復元されました。これはオリジナ ルの色調を忠実に再現したものなのでしょうか。 ・グセ:オペラ・ロワイヤルは 1871 年から 75 年にかけて国民議会が、1879 年までは元老院が使用していました。そののちも議会はオペラ・ロワイヤル の使用権を所有していましたが、1948 年になって芸術担当庁次官にこの権利 を返還しました。このような背景のもと、オペラ・ロワイヤルを科学的に修 復するという計画が起こります。しかしルネ・コティ大統領が 1957 年に英国 のエリザベス女王をオペラ・ロワイヤルに迎えることを決定し、オペラ・ロ ワイヤルは「一般の人々が入場できる施設」と位置付けられ、当時の安全基 準に沿うことを余儀なくされました。その結果、舞台全体が台無しになって しまいました。コンクリートの防火壁が地下5階から天井部2階まで 35 メー トルの高さにわたって設置され、舞台の第2背景までがつぶされてしまいま した。天井部の機械類は完全に解体されました。建築家シャルル・ガルニエ 〔パリ・オペラ座設計で知られる〕が舞台機械類の模範と評した地下の機械 類も、大きな損傷を受けました。ただ地下には木製基礎部分のほかにも、 18 世紀のドラムやウィンチ、大型シャフトなどは残っていて、これらをもとの 位置に再設置する計画もあります。 ・ラ・ガゼット:2007 年から 09 年にかけては、歴史的建造物専門建築家フレ デリック・ディディエ監督のもと第2次修復作業が実施されました。ヴェル サイユ宮殿美術館国有地公団は、版画家ジャン=ミシェル・モローが 1770 年 にオペラ・ロワイヤル舞台を描いたデッサンを購入しましたが、2009 年以降 どのような変化があったのでしょう。 ・グセ:1957 年にレトロシ〔「折り返し」の意〕と呼ばれるシルク製の緞帳 のドレープが修復されました。このときは画家クロード=ルイ・シャトレの デッサンを参考にしたのですが、今日ではこのデッサンの細部は必ずしも事 実に忠実なわけではないことが分かっています。しかし当時、図像資料とし てはこのデッサンしか知られていませんでした。 1996 年にモローのデッサン を入手しましたが、このデッサンでは 1770 年の時点での舞台枠の様子が完璧 に描かれており、ドレープの波の様子も明らかになりました。 1770 年当時に 忠実に再現されたトゥール産ブルーシルクのドレープが設置されたのは、 2012 年のことです。2009 年には防火扉が撤去され、舞台と客席はひとつの空 間として扱うことが可能になりました。将来的には、50 メートルx20 メート ル高さ約 17 メートルの舞踏会ホールを再現できる可能性もあります。 Hasse par Valer BarnaSabadus, contre-ténor. Hofkapelle München. Oehms Classics. (カウンテーテナー・ヴァラ ー・バルナ=サバドゥスによる ハッス。ミュンヘン・ホーフカ ペレ) ドイツの作曲家ハッスは 18 世紀当時大変な成功をおさめ ていました。ルーマニア出身 のバルナ=サバドゥスのつや のある声が、この優れた作品 をさらに引き立てています。 ロイヤルボックス。柵とアントワーヌ=フランソワ・ヴェルネによる 壁画が特徴。© Courtoisie Clyne.fr 2016 年の オペラ・ロワイヤル © Château de Versailles Spectacles フィガロの結婚 ・モーツァルト『フィガロの 結婚』 2016 年1月 15,16,17 日 ボーマルシェ作『フィガロの 結婚』は前代未聞の成功をお さめ、マリー=アントワネット は自らロジーナの役を演じた ほどです。これを同時代のロ レンツォ・ダ・ポンテはモー ツァルトのために脚本化しま した。こうして完成したオペ ラはウィーンで初演されるや 大変な評判となります。今回 は指揮者マルク・ミンコフス キ、演出イヴァン・アレクサ ンドルで、この名作を上演し ます。 ・ヘンデル『アルチーナ』 2016 年2月6日 ヘンデルが3幕オペラ『アル チーナ』をロンドンのコヴェ ント・ガーデンで初演したの は 1735 年のこと。魔女アルチ ーナ(ソーニャ・ヨンチェヴ ァ)は男たちを魔法の島へと おびき寄せ、彼らを岩や小川 や獣に変えてしまいます。彼 女は愛するルッジェーロ(フ ィリップ・ジャルスキー)さ えをも魔法にかけようとしま す。 ・モーツァルト『ドン・ジョ ヴァンニ』 2016 年3月 17,18,19 日 1787 年プラハで初演のロレン ツォ・ダ・ポンテの台本をも とにしたオペラ・ブッファ。 放蕩者ドン・ジョヴァンニは 騎士長の亡霊によって地獄へ と突き落とされてしまいます。 今回はバリトン歌手ヨハネ ス・ヴァイサー主演、ウィー ンや英国グラインドボーンで も活躍するルーアン・オート =ノルマンディ歌劇団首席指 揮者レオ・フセイン監督によ る上演です。 4 2016 年ヴェルサイユの フェット・ギャラント © Château de Versailles Spectacles 2016 年5月 30 日 国王の大居室および鏡の回廊 にて シャトー・ド・ヴェルサイ ユ・スペクタクル社主催によ るこのイベントは今年2回目 を迎えます。ルイ 14 世時代の 洗練され、華やかなソワレの 雰囲気よみがえります。夜7 時半から 12 時にかけて、参 加者は国王や王女、ポンパド ゥール夫人の私的居室を見学 することができます。見学は お芝居のような演出つきで、 さらに寸劇や舞踏会も楽しむ ことができます。最後は当時 の宮廷人のように舞踏会で締 めくくります。 料金 :内容 により 150 から 410€(割引料金は 135€から) お問い合わせ: www.chateauversaillesspectacles.fr/spectacles/2015/f etes-galantes-2016-soireecostumee-la-galerie-desglaces 内容: ・バロックダンスのデモンス トレーションとレッスン。終 幕の舞踏会: Compagnie l’Eventail, Marie-Geneviève Massé(振付) ・衛兵の間におけるアリアコ ンサート:Ensemble Faenza, Marco Horvat(指揮) ・礼拝堂における宗教音楽コ ンサート:Frédéric Desenclos, la Chapelle Royale(オルガンと 指揮) ・デモンストレーションと寸 劇:Midnight Première, JeanPaul Bouron ・居室見学(演出付き):La Compagnie Baroque, Fabrice Conan. ・ラ・ガゼット:オペラ・ロワイヤルの修復当時、ヴェルサイユ宮殿美術館 の館長だったジャン=ジャック・エラゴンは、「我々は単にモニュメントを 修復したのではない。そこに命を吹き込んだのだ」といいましたが、この言 葉をどう受け止めますか。 ・ブリュネール:当時オペラ・ロワイヤルは美術館の一部であり、定期的な 公演もおこなわれていませんでした。このオペラ座の持つオーラは多分に象 徴的なものだったのです。公演は年に数回、芝居はほとんどなく、ダンスに いたっては皆無でした。現在は 60 ほどの公演がおこなわれ、世界中から歌手、 音楽家、舞踊家たちがこの素晴らしい会場へとやってきます。そうした公演 は初演のこともあれば再演もあります。観客も非常に熱心ですし、中継で放 送されることもあります。結果的には観客もアーティストもこのホールの魅 力にとりつかれ、喜んで何度も足を運んでくるまでになりました。フランス を代表する新たなオペラホールが誕生したのです。 ・ラ・ガゼット:あまり知られていないことですが、オペラ・ロワイヤルの 資金は自己調達ですね。これはなぜでしょう。 ・ブリュネール:従来ヴェルサイユ宮殿の予算には興行企画の費用は組み込 まれておらず、そのための公的補助金も拠出されません。ですから宮殿の民 間子会社であるシャトー・ド・ヴェルサイユ・スペクタクル社は、赤字が予 想されるプロジェクトと利益が見込めるものとの釣り合いをとらねばならな いのです。ランニングコストを最小限に抑えて、集客力のある世界的にも一 流の興行を企画し、座席販売とメセナによる収入を伸ばすことで、既存のし かもコスト高の興行モデルを真似していたらできないでような演劇シーズン を実現することができるのです。 ・ラ・ガゼット:チェチーリア・バルトリ、ナタリー・デセイ、ブリン・タ ーフェル、フィリップ・ジャルスキー、ウィリアム・クリスティ、アンジュ ラン・プレルジョカージュなど、豪華な顔ぶれが出演してきましたが、選択 される際の基準は? ・ブリュネール:第一にヴェルサイユということで、この壮麗で歴史的な場 にふさわしい作品、そして3世紀にもわたって名声をほしいがままにしてき たこのホールにふさわしい作品でなくてはなりません。招かれるアーティス トたちは一流ですし、現在のヴェルサイユはウィーン、ロンドン、パリのオ ペラ座と肩を並べるまでになり、ヨナス・カウフマンからロベルト・アラー ニャまで大物たちがやってきます。またバロック音楽の巨匠たちにとっても ヴェルサイユは特別な場所です。ジョルディ・サヴァールやジョン・エリオ ットは毎年やってきますし、他所ではほとんど演奏されることのないリュリ やラモー、シャルパンティエもここでは演奏されています。ダンスについて はベジャール・バレエ団とプレジョカージュ・バレエ団は常連といえるでし ょう。マランダン・バレエ・ビアリッツはここで2回公演したのち、100 日を超えるツアーをおこないました。新進アーティストたちもここで初の大 コンサートを開き、その後成功して常連出演者となることもしばしばです。 ラファエル・ピション、サビーヌ・ドゥヴィエル、フランコ・ファジョーリ、 ヴァラー・サバドゥスなどはオペラ・ロワイヤルと切っても切れないほど強 い関係にあります。ルイ 14 世は当時の最高のアーティストを集めて、素晴ら しい作品を上演させました。我々の目指していることはまさにそれなのです。 ・ラ・ガゼット:オペラ・ロワイヤルで上演される音楽作品や戯曲を選択す る際、この劇場が持つ「歴史的性格」を尊重する必要があるかと思いますが、 どういった制限を設けているのでしょうか。 ・ブリュネール:この劇場はマリー=アントワネットとルイ 16 世の婚姻のた めに建設されたもので、当然この建築様式や装飾を尊重しなければなりませ ん。そして多くの人にとって、ここはまるで魔法にかかったような場所でも あります。公演を観ようと足を運ぶ人にとっても、この場所自体が堪能の対 象であるのです。ですから我々も可能な限り、この特殊な場とあまりにもか け離れているような演目は避けています。行き過ぎた演出や暴力的なもの、 どぎついものはこの会場に似つかわしくありませんし(あるいはそれを上回 るような才能があれば別ですが)、「古風な」演目がやはりしっくりときま す。したがって前衛的演目は限られてはいるのですが、才能はこうした制約 を軽々と飛び越えていきます。音楽面についていうと、ヴェルサイユでは当 時の音楽への敬意というものが生きているため、バロック音楽にとっては (こんにちではバロック音楽愛好者もたいへん増えていますが)理想の会場 といえるでしょう。古楽器によるロマン派時代のレパートリーも演奏されて おり、太陽王により建設されたヴェルサイユ宮殿の名声は今なお高まるばか りといっても過言ではないでしょう。特にルイ・フィリップ王が宮殿を「フ ランスのあらゆる栄光のために」美術館にしたことが大きいです。ルイ十四 世時代にはラランドが宮廷音楽家として活躍しましたが、数世紀のちにはベ ルリオーズが同じ舞台に立っています。この劇場は程よい大きさで、観客は アーティストの間近で素晴らしい音響で演奏を楽しむことができます。そし てこうした劇場で《アルミード》から《カルメン》まで感動に浸ることがで ロワイヤル きるのは、まさに世界で無二のオペラ座ならではの 最 上 の特権といえるでし ょう。 インタビュー:クロティルド このインタビュー実現にご協力くださった FANNY COLLARD, AMELIE LE GONIDEC (C.V.S) & ALIZEE NIVERT、および素晴らしい写真を提供いただいた CELINE (CLYNE.FR)に 深くお礼申し上げます。 ヴェルサイユもし語りなば Roger Nimier Le Palais de l’Ogre(人食い鬼の 序文:Sébastien Lapaque Ed. La Table Ronde Coll. Le petit vermillon 住む宮殿) この世でもっとも華麗なる 宮殿の名を耳にするだけで、 小説家の目の前には王妃や 妖精、王子様や迷宮、魔女 や魔法の杖、長靴をはいた 猫や華やかなドレスが浮か んでくるのでしょうか。そ うそう、人食い鬼もお忘れ なく。歴史家ジュール・ミ シュレが描いた、ルイ14世 を思わせる人食い鬼の話は 長く語り継がれています。 「ひとつ勝負をしてみるか い?」と作者ロジェ・ニミ エは宮殿の登場人物たちに 語りかけているかのようで す。「お遊びの始まりだ」。 1958年初版の本書には、伝 説ともいえるジャック・ペ レによる写真と歴史家ピエ ール・ガソットによる序文 が付されており、宮殿の石 や大理石、ブロンズに残さ れた人食い鬼の足跡を追い ます。(S. LAPAQUE) オペラ・ロワイヤル友の会 2014 年以降、オペラ・ロワイ ヤルに関するプロジェクトの 一部はオペラ・ロワイヤル友 の会(ADOR)の支援を受け ています。これはオペラ・ロ ワイヤルを愛する音楽愛好家 や慈善家からなる非営利団体 で、会員になるとシャトー・ ド・ヴェルサイユ・スペクタ クル社主催の全イベントにつ いて割引料金が適用され、そ のほかのイベントについても 特典や特別招待を受けること ができます。 amisoperaroyal@gmail.com 電話:+33(0)1.30.83.70.92 5 注目アーティスト ~ヘア・メーク編~ 『La vie à Versailles au Xviiième siècle 愉悦の読書 (18 世紀ヴェルサイユ、ある一家の物語)』より DIANE PRADAL, Ed. L’Harmattan, 2014. ジャック・ロワゾンと妻のマリー・トゥペはヴェルサイユのドゥ・ポルト通 り〔現在もヴェルサイユのノートル=ダム地区にある〕にある小さな建物の 2階に住んでいます。ここは友人であり公証人でもあるピエール・ラミから 5,500 リーヴルで購入した住まいです。この通り(1)は貴族の邸宅と質素な 旅籠がならぶポンプ通りと、活気にあふれた市場に挟まれていますが、1711 年まではみすぼらしい掘っ立て小屋がばらばらと建つだけの空き地で、浮浪 者や春を売る女たちや好色な男たちが何やら怪しげにうろついたり、あばら 家の影にうずくまったりしているような、長居無用の場所だったのです。し かし便利な立地であることから、あっというまに店が立ち並び、あらゆる種 類の人が行きかうようになりました。市場ではトラヴェルス通りとパン通り に挟まれて、売り子や商人たちが耳をつんざくような大声を張り上げて人を 呼び寄せています。 Christopher Margani © Le Républicain lorrain ヴィーナス風ヘアスタイル 王妃の髪結師レオナールにラ イバル登場です。クリストフ ァー・マルガーニはまるで 18 世紀からタイムトリップして きたかのように、当時の髪形 を再現し、数々のトロフィー を手にしてきました。2015 年 10 月にリヨンで開催されたコ ンクールの「ルイ 16 世時代の ヘアスタイル」部門では、 「ヴィーナス風ヘアスタイ ル」を発表し、8人の国家最 優秀職人(MOF)の審判から 認められ、見事首位を獲得し ました。 「ウーブリ〔円錐型のお菓子〕だよ、ウーブリ! 安くて大人も子ど もも大好きなウーブリだよ!」 「薪だよ、上等な薪だよ! しっかり燃えるよ!」 「 ほら、焼いた洋ナシはどうかね!」 「藁とオーツ麦だよ!」 「こんなお得なのはめったにないよ。上物だよ! どれでも好きなの をもってきな!」 「アツアツのお菓子だよ! あったかいシューだよ!」 「ミルクだ、ミルクだ!」 頬を赤くしたミルク売り女、服に粉のついたパン屋、銅製給水器に “水増ししたカフェオレ”をいれて労働者たちに売り歩く女、ノート ル=ダム教会の朝の祈りから帰ってきた敬虔な信者、制服に身を包み 職場である宮殿へと急ぐ国王の陪食官〔宮廷における廷臣の称号のひ とつ〕たち。そうした人たちが、ブルジョワの家の門の前にたむろす る子豚たちと無蓋貨車の間を縫うようにして歩いている。店先の看板 は重そうに揺れていて、始終単調な悲鳴を上げているかのようだ。 王 の 狩 り 書 斎 「ラ・シャッス・ロワイヤル」、その横には「レクリトワール」、も Essential Coiff Christopher Margani う少し先には「ラ・ ピュセル ・ドルレアン 」、「ル・ペリカン」、 「ル・グラン・ルイ」、元祖「ル・シャトー・ド・ヴェルサイユ」と いった店が並んで、豪華さを競い合っている。奥様然としたマトロが ル・ジャルダン・デ・コステュメ 切り盛りしている居酒屋「ラ・ローズルージュ」の看板もロワゾン一 家の住む家の窓の下で揺れている。 margani.christopher@orange.fr オ ル レ ア 赤 ~ディアーヌ・プラダル~ ン の い 処 バ 女 ラ Diane Pradal La vie à Versailles au XVIIIème siècle Journal d'une famille bourgeoise (18 世紀ヴェルサイユ、あ Ed. L'Harmattan 著者プラダルは古文書を詳細 に研究し、ロワゾン一家の生 活を細部にわたるまで見事に 書き上げました。ときにフィ クションも交えて語られるこ の作品は、歴史的視点から見 ても史実に非常に近い物語で す。ハム類店を営むロワゾン 一家を中心に、読者は摂政時 代から恐怖政治時代へと、今 ではもう忘れ去られてしまっ たヴェルサイユの小さな通り を巡り歩くことができます。 ページをめくるほどに、つま しやでいながら喧騒にあふれ、 歯に衣着せず、嫉妬渦巻く庶 民の生活が見え、感動を覚え ずにはいられません。 る一家の物語) ~ロレーヌ地方~ ハム類店を営む正直者ジャック・ロワゾンはサン=ジェルマン=アン =レ生まれ、1690 年代の初めごろ商売を広げようとヴェルサイユに 移り住んだ。当時ルイ 14 世の宮廷がまだ工事中の巨大な宮殿に移っ てきたため、ヴェルサイユの街には急速に人が集まってきた。多くの 労働者たちが ロワゾン同様、一儲けしようと町や田舎をあとにして ヴェルサイユにおしよせた。ロワゾン一家が住んでいたのは「宮殿の お仕着せ風(2)」で「レンガ造り(3)」の、スレート屋根のこぎれ いな石造りの建物だった。トゥールーズ伯爵(4)の邸宅裏と背中合 わせになっていたが、邸宅のほうの入り口はポンプ通りに面していた。 1階にはどっしりとした太い横木に支えられた小さな店があり、塩漬 け肉やパテが並び、熟成した匂いが常に漂っていた。 Diane Pradal © Le Jardin des Costumés Le Jardin des Costumés (ル・ジャルダン・デ・コス テュメ)は、17・18世紀服飾 愛好家の集まりです。お城や 歴史的モニュメントで文化・ 芸術イベントが開催される際 には、ボランティアとしてコ スチュームを着て雰囲気を盛 り上げています。 jungmann.linda@gmail.com 1 この土地は 1683 年に国王からギヨーム・ド・ラ・ロッシュに売却され、こ れを後者がヴェルサイユの公証人マテュラン・ラミと分配した。 2 すなわちレンガでできたファサードとスレート屋根の、ルイ 14 世の目指し た建築スタイルを意味する。 3 ヴェルサイユ宮殿のようにレンガでできたファサードを意味する。財力ある 者は本物のレンガを使い、貧しい者はオレンジ色のペンキを用いて壁をレン ガ風に塗った。これはルイ 14 世が望んだ様式で、彼は統一性が街に美をもた らすと考えていた。 4 ルイ=アレクサンドル・トゥールーズ伯爵、フランス提督、ギュイエンヌお よびブルターニュ地方総督、パンティエーヴル公爵にして金羊毛騎士団シュ ヴァリエであり、ランブイエ公爵。1678-1737 年。ルイ 14 世と寵姫モンテス パン夫人の末子で、マリー=ヴィクトワール=ソフィー・ド・ノアイユと結 婚、一人息子ジャン=ルイ=マリー・ド・ブルボン・パンティエーヴルをも うけた。 Nous les Deprez, bâtards de Louis XIV. (我がデプレ一族はルイ 14 世の私生児なり) Ed. Cerf 本書は史実をもとに、ルイ 14 世の庶子一族を描いています。 主人公はデプレ騎士とその8 人の子ども。舞台はきらびや かな鏡の回廊ではなく、フラ ンスの一地方です。革命、帝 政、共和制と歴代のフランス から背を向けられ、そして現 在でも顧みられることのない 人々を描いたこの作品は、驚 きと感動に満ちています。 6 シャトーの暮らし ~ロレーヌ地方~ © Château de Pange シャトー・ド・パンジュ Château de Pange 57350 Pange 電話:+33(0)3.87.64.04.41 chateaudepange.fr 1720 年、パンジュ侯爵ジャン =バティスト・トマにより建 設されたパンジュ城には、今 なお彼の末裔たちが住んでい ます。このお城には3兄弟の 話が伝わっています。ルイは ラファイエットとともにアメ リカ独立戦争に従軍したこと もありますが、ヴァンデの反 乱で国王側について命を落と します。フランソワは詩人ア ンドレ・シェニエやスタール 夫人とも交流があり、革命を 支持しますが、のちに先鋭化 する革命家たちに嫌気がさし ます。3兄弟の中で革命を生 き抜いたのは唯一ジャックだ けでした。彼はナポレオンの 侍従となり、1812 年にはパン ジュ城に皇后マリー=ルイー ズを迎えます。 Edith de Pange. Le chevalier de Pange, ou la tragédie des frères(パ Ed. Serpenoise ンジュ騎士と3兄弟の悲劇) 本書では詩人アンドレ・シェ ニエの友人でありスタール夫 人の恋人でも会ったフランソ ワ・ド・パンジュ(1764-1796 年)の生涯を中心に、革命を 前に最後の輝きを見せ、そし て悲劇へと突き進んだ貴族社 会を映し出します。 ロワゾン夫人は几帳面に帳簿をつけていて、厳しく値段を管理し ていた。牛の胃は4ソル、豚脂はひとかけ2ソル、小さなパテは 6個で6ソル、セルブラソーセージは4ソル。よくパテの仲買人 が12個分を値切ろうとやってくる。彼らは貧乏人相手に半値で売 ろうというのだ。 店の地下室には、暑さに弱い食品や豚肉を塩漬けにするための容 器、ソーセージ作りに必要な樽が置かれていた。そこにネズミた ちがやってきては穀物の入った袋をこっそりとかじってゆく。店 の裏にはハム類作りのための縦 18 ピエ、横 14 ピエの中庭があっ て、ブタを殺したり焼いたり、商いで出る大きなゴミの置き場と して使われていた。この中庭ではロワゾン家の一人息子トマが、 近所に住む女の子ジャネット・ヴィトリとよく遊んでいた。中庭 の奥には穀物束や家畜用の干し草を保管しておく古い物置があっ て、2人はこの石灰と砂でできた建物の後ろでかくれんぼをして 遊んだ。ニワトリやウサギ、犬、そして老馬が1頭、この中庭に 住んでいた。 ロワゾン一家は2階の2部屋と1階の店の隣にある2部屋に住ん でいた。2階の部屋のうちひとつは台所でもあり、キャスター付 きベッドがひとつとチェック模様の布で覆われたマットレスがふ たつあるが、日中は横によけられている。快適ではあるが高価な マットレスの代わりに、わら布団もいくつかある。ぐらつく古び たテーブルは食事を準備するときに使われていて、丸パンひとつ、 キャベツひとつ、ニシン3尾、卵数個がおかれていた。その横の バスケットでは猫が寝そべっている。エプロンをつけたマリー・ トゥペはここで野菜の皮をむいたり、ニワトリの羽をもいだり、 生地をこねたりする。サン・マルタンの日〔11 月の祝日〕や公現 祭、マルディ・グラの日、彼女は誇らしげに老ニワトリやガチョ ウを手に市場から戻ってくる。そうした鶏は羽をむしられたあと、 おいしそうに焼かれて食卓に供されるのだ。普段は鍋の中でとろ りとしたスープが煮えていて、黄色くてすえた匂いのする豚脂が 浮かんでいる。たくさんある陶壺はひびの入っているものもあり、 中には香りの強いスパイスや軟せっけん、小麦粉、蝋燭用獣脂の 残りが入っている。食事は中庭に面している隣の部屋で、樫の木 でできた大きなテーブルを囲んでとる。父は3段カール付き褐色 のかつらをつけて、ヘリンボーン柄の古い布張り椅子に座って食 前の祈りを唱える。祈りが終わるとマリー・トゥペが指示して、 召使のシャルロット・ガニエが給仕する。子どもたちはおしゃべ もせずに、大人たちが商売の話をしているのに耳を傾けている。 食べ物で遊んだり、肉の盛ってある皿に手を突っ込んだり、皿を なめたり、ミミズのようにもぞもぞしたりすることは厳禁で、従 わない子はこっぴどく殴られて、3日の間ニワトリだって口にし ないだろうというほど硬くなったパン一切れにしかありつけない。 鍵のかかる食器棚には約 216 リーヴル相当の純銀製食器と、ペラ ンの店で買ってきた洋銀製塩入れが隠されていた。壁には家族を 描いた絵が数枚とヘリンボーン柄の大きなタペストリーがかかっ ていて、冬は部屋を暖かく保ち、外からの騒音を防いでくれてい た。この大きな部屋は3枚の白いカーテンで仕切られていて、片 方が食堂、もう片方が小さな空間になっている。ときには飼育を 禁じられているハトやウサギをこの小さな部屋にこっそりと隠し ておくこともあるし、あまりにも風が強い日や寒い日に3軒奥の 中庭のマトロさんちの壁沿いにある厠までいくのが億劫なときは、 この部屋をトイレ代わりにして、窓から排泄物をひそかに投げ捨 てることもある。風呂には入らず、銅製のたらいの中で朝ちょっ と体を洗うくらいだ。 ムニュ・プレジール ~ささやかな楽しみ~ トゥルヴェ © Trouvais シルクのカラコ(婦人用上着) 18 世紀のコスチュームをコレ クションしてみませんか? きっとトゥルヴェ・ショップ なら掘り出し物があるはず… …。ここには 18 世紀の絹織物 からブロケード、刺繍、衣装 まで長く受け継がれてきたシ ックな品々がそろっています。 (英語も可) トゥルヴェ Trouvais trouvais-shop.com Trish Lyon Allen lyonallen@hotmail.com 気になるアドレス ~磁器~ © Le Cabinet de Porcelaine Le Cabinet de Porcelaine 37, rue de Verneuil 75007 Paris lecabinetdeporcelaine.com ル・キャビネ・ド・ポルスレーヌ ル・キャビネ・ド・ポルスレ ーヌは、ヴァンセンヌ磁器工 場で採用されていた手法を用 いて、永遠に咲き誇る磁器の 花を作っています。ヴァンセ ンヌ磁器工場は1740年にヴァ ンセンヌ城に設立され、1756 年にセーヴルへ移転、セーヴ ル磁器工場となり今日に至っ ています 7 展覧会 ルーヴル美術館ランス分館 子どもたちの頭からシラミをとってやることもあるし、灰売り人 が灰を届けてくれた日には隣のお婆さんと一緒に中庭で衣類をた たいて洗う。その横では近所の子どもたちがハシバミの実3つを 手に、犬と遊んでいる。晩のお祈りを唱えたあとは子どもたちだ って楽しみたいのだ。 イベント ~フランス北部で過ごす 18 世紀の2か月~ 息子トマ・ロワゾンが成長するにつれ、父ジャックは仕事の手ほ どきをしてやらねばと考えた。季節が変わるごとに数回、ジャッ クは息子を連れてポワシーの家畜市に出向いた。けれどもトマは これが死ぬほど嫌だった。彼の繊細な鼻は、街中を通ってクラニ ー池まで流れる水に肉屋が投げ捨てる汚物の匂いが我慢ならなか ったのだ。窓の下の中庭で死を待つ哀れな家畜たちの鳴き声は、 彼が頭をうずめている大きな枕を通しても聞こえきて、神経を苛 んだ。とはいえそこは腹をすかしている 16 歳の若者のこと、食 卓ではパテもソーセージもむさぼるように食べた。 フランソワ・ブーシェ作 《田園生活の魅力》 1735-1740 年 © ルーヴル美術館 Dansez, embrassez qui vous voudrez : Fêtes et plaisirs d'amour au siècle de Madame de Pompadour.(思う存分踊 り、抱擁なさい~ポンパドゥ ール夫人時代の宴と悦楽) ルーヴル美術館ランス分館にて 会期:2016 年2月 29 日まで louvrelens.fr この展覧会はフェット・ギャ ラントすなわち雅宴画にささ げられたオマージュです。雅 宴画とは画家アントワーヌ・ ヴァトー(1687-1721 年)の 作品により世に広まり、18 世 紀をとおしてフランスをはじ めヨーロッパ中の社交界でも てはやされたテーマを指しま す。雅宴画は当時の人びとの 自由への渇望、摂政時代の厳 格な雰囲気への反動でもあり、 生きる喜び、愛がもたらす歓 喜、感情の移り変わり、そし て自己顕示欲を映し出したも のでもあります。ヴァトーの あとには彼の弟子ジャン=バテ ィスト・パテル、ニコラ・ラ ンクレ、ボナヴァンチュー ル・ド・バール、ピエール= アントワーヌ・キヤールがこ のジャンルを受け継ぎます。 またフランソワ・ブーシェは 田園画で、リールのヴァトー と呼ばれたルイ=ジョゼフ・ ヴァトーは感傷的作風で雅宴 の幅を広げました。MLL 3年後の 1721 年8月 26 日、トマはヴェルサイユのノートル=ダ ム教会でマリー=アンヌ・デュムティエと結婚した。彼女は大柄 《フィガロの結婚》© Fred Toulet な器量よしの娘で、頬はまるまるとし、長い髪は金色に輝いてい ランス分館で開催中の展覧会と並 る。かのヴェルサイユ警視ピエール・ナルボンヌ(5)や、家族 行して、同館では 18 世紀に関連 ぐるみの付き合いのピエール・ヴィトリ――ジャネットの父親で、 した様々なイベントが催されます。 ・ 1 月 7 日 18 時 ( 於 La クロワ・ブランシュのすぐ左に住んでいる――も列席している。 Scène):フランス国立図書館 トマから「愛し合いたい(6)」とこわれ、控えめに承諾した当 首席学芸員アントワーヌ・オク 時のマリー=アンヌ・デュムティエは 21 歳。内気で少し不器用 レール氏による講演会『L’opéra そうなトマを魅力的だと思っていた。だから結婚相手として紹介 au XVIIIe siècle (18 世紀のオペ ラ)』 され、死が2人を分かつまで仕えるべきこの男性に、少なからず 愛情を寄せたのである。 ・ 1 月 9 日 15 :30-17 :00 ( 於 マリー=アンヌ・デュムティエはヴェルサイユの貧しい家の出身 大 だった。彼女の母マリー・ プリ ウールは、パリ通りの店オ ・ 提 督 亭 グラン・タミラルで給仕をしてわずかばかりの給金を稼ぎ、父ジ ャック・デュムティエは近隣の町ヴィル・ダヴレー出身の荷車引 きだった。 時 代 が 18 世 紀 に な ろ う と す る こ ろ 、 父 ジ ャ ッ ク は 金 の 山 ア・ラ・トンヌ・ドールという名の香辛料店に投資した。パリ通 りにある店で、ここに彼は住まいを構え、複数の建物を所有した。 金 の 獅 子 しかし結局はそのいくつか――とてつもなく大きなル・リオン・ 亭 マ ス ト リ ッ ク の 町 亭 ドールとかラ・ヴィル・ド・マストリック――をパン屋のピエー ル・ドゥルアールに売り渡さざるを得なくなった。父が蒸発した 1702 年、マリー=アンヌは2歳だった。母マリー・プリウールは 3人の子どもを抱えてクロード・アンリと再婚する。善良な彼は 国王の建築物のタイル職人だった。一家とは古くからの知り合い で、マリー=アンヌの兄弟のひとりが洗礼を受けたときは名づけ 親にもなっている。ジャックの所有していた建物のひとつを 1701 年から借りていた酢商人ブノワ・コロンバンが2人の結婚式の立 会人となった。正直者のブノワは誠実で思いやりに満ちた友人だ ったからだ。 さて、トマとマリー=アンヌの夫婦はロワゾン家のハム類店の隣 の部屋に落ち着いた。まもなくマリー=アンヌは身ごもった。一 方でトマは、父から受け継いだ商売をなんとか好きになろうと懸 命に働いた。すでに 1730 年には2人の間には6人もの健康な子 どもがいた。それだけ食い扶持を稼がねばならないということだ。 マリー=フランソワーズ・ロワゾンが生まれたのは 1724 年4月 28 日。まさに春の子どもだった。 著者:DIANE PRADAL 書籍名:LA VIE A VERSAILLES AU XVIIIE SIECLE JOURNAL D’UNE FAMILLE BOURGEOISE 出版社:L’HARMATTAN, 出版年:2014 ラ・ガゼット・デスプリ 18 より 皆さまへ、新年のお祝いを申し上げま す。2016 年が皆さまにとって美しくエ レガントな年となりますように…… 5 ピエール・ナルボンヌはヴェルサイユ警視。ルイ 14 世・15 世治下のヴェル サイユの街の様子を報告した文書で有名。 6 町人の言葉では「求婚する」の意。 Auditorium du Centre de ressources):レンヌ大学近代芸 術史教授ギヨーム・グロリウ氏 に よ る 講 演 会 『 Watteau et l'histoire du goût au 18e siècle(ヴ ァ ト ー と 18 世 紀 の 嗜 好 の 歴 史)』 ・1月 15 日 18 :30-20 :00(於 La Scène):コメディア・デラ ルテ〔即興劇のひとつ〕をテー マにしたディナー付き文学の集 まり。シェフ ジャン=クロー ド・ジャンソンによる 18 世紀 風食事とともに道化役アルルカ ンについて舞台監督・俳優のデ ィディエ・ガラが講演します。 ・ 1 月 21 日 18 時 ( 於 La Scène):ルーヴル美術館学芸 員グザヴィエ・サルモンによる 講 演 会 『 Fêtes galantes et pastorales, de Bohème en Vénétie (雅宴と田園風景画、ボヘミア からヴェネトへ)』とエットー レ・スコーラ監督映画『ヴァレ ンヌの夜』(1982 年)上映。 ・ 1 月 24 日 15 時 ( 於 La Scène):オペラ映画『フィガ ロの結婚』(パリオペラ座、ス トレーレル演出)上映。 ・ 2 月 24 日 18 時 ( 於 La Scène):コメディ・フランセ ーズ文書館員アガット・サンジ ュアンによる講演会『Le théâtre et la Comédie française au XVIIIe siècle(18 世紀における演劇とコ メディ・フランセーズ)』 ・ 2 月 25 日 19 時 ( 於 La Scène):クレモン・エルヴィ ウ=レジェをはじめとするコメ ディ・フランセーズ団員による 上 演。 マリ ヴォー 作『Le Petit maître corrigé』 8
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