はじめに 明治一八年、フランスの海軍士官ピエール・ロチは、乗艦の修理のため長崎に寄港した。長崎に 滞在したロチは、足かけ三ヵ月間、お菊さんと束の間の結婚生活を送った。そのときの経験をもとに 書いた小説である。 この小説は、よくある異人間の愛情物語ではないが、当時の長崎の風俗習慣と日本情緒を色濃 く描いたので、日本を紹介した好著としてヨーロッパで評判になった。 私たちが当時の日本人の社会や生活を知る上でも貴重な書である。 原典は、講談社発行、日本現代文学全集15「外国人文学集」(昭和44年3月19日発行〕 によっ た。岩波文庫にも収録されている。 簡文 「お菊さん」 ピエール・ロチ作 発 野上豊一郎訳 端 明けがたの二時頃、穏やかな夜の、星空の下の、海の上。 イヴは艦橋の上に私と並んで立った。そうして私たちは、私たち二人にとって全く新らしい国、私 たちの気まぐれな運命が、今や私たちを導いているその国のことを話し合っていた。私たちは次の 日は錨を入れることになっていたので、その期待が私たちを楽しませ、私たちにさまざまな計画を 立てさせた。 ――僕はね、私は云った、着いたら直ぐと結婚するんだよ。…… ――ヘえ! イヴは何物にも驚かされることのない人のような無頓着な風で答えた。 ――そうだ。……皮膚の黄色い、髪の毛の黒い、猫のような目をした小さい女をさがそう。―― 可愛らしいのでなくちゃいかん。――人形よりあまり大きくないやつでね。――君に部屋を貸して 上げよう。青い花園の中の、植込みのこんもりした――花の中で暮すんだ。そこいら一面に花が咲 いて、毎朝花束でいっぱいになるんだ、君なんざ見たことのないような花束で…… イヴはこの家庭の計画にだんだん興味を持って来た。まったく、彼は私がこの国の僧侶たちの前 でその場の誓言を立て、島の女王と契りをこめて、夢のような湖水のまん中で硬玉の家にふたり閉 じこもって暮すつもりだと話しても、恐らく同じ位本気に聞いたであろう。 実際私は彼に打ちあけた計画を実行しようと考えていた。そうだ、本当に倦怠と孤独にさそわれて、 次第にそんな変った結婚を想像したり望んだりするようになっていた。――それには何よりも暫らく 陸で暮してみたい、木立や花の中の、人目に立たない所で暮してみたい心が先に立った。それは 私たちが膨湖島(新鮮さも森も小川もなく、ただ支那の匂いと死の匂いとで満ちた暑い乾燥した島) で長い幾月かを無駄に過した後では、聞くからに心が躍るようだった。 私たちの船は支那のその溶鉱炉を出てから、もうよほど緯度を進んでいた。そうして天の星座も急 速の変化を遂げていた。南十字星はその他の南洋の星と共にもう見えなくなっていた。大熊座は空 高く昇って、今ではフランスの空で見るとほとんど同じ高さに留まっていた。新鮮な夜風は私たちを 慰め蘇生させて、――一夏私たちがブルターニュの海岸で当直にあたった夜のことなどを思い出さ せた。 それにしてもあの懐かしい海岸を離れて、私たちはいかに遠く来ていることだろう! いかに恐ろ しく遠くの果てまで来ていることだろう!…… 一 夜が明けると、私たちは日本を見た。 ちょうど予定の時刻に、日本は、なお遥か彼方に、広い海の果に、これまで幾日も空虚のひろがり に過ぎなかった海の果に、はっきりした一つの点のように現われた。 はじめのうちは赤く染まった小さい峰の一と続き(朝日に照された深井群島の前面)よりほかなん にも見えなかった。けれども間もなく水平線一ぱいに沿って、空気から重たいものの垂れたように、 水の上に厚ぼったい衣が懸ったように見えて来た。それが日本そのものであった。そうしてその深 い濃い雲の中から、次第に少しづつ、すこぶる不透明な山の輪廓が浮き出して来た。それがナガ サキの山々であった。 私たちは絶え間なく吹きつのる風をまともに受けて立っていた。たとえばこの国は風を勢一ぱいに 吹きつけて、私たちを寄せ付けまいとしているのではないかと思われるほどであった。――海も、帆 綱も、船体も、動揺して音を立てた。 二 午後三時頃になると今まで遠くに見えていた物が皆近くなっていた。その岩根やら木立やらが私 たちの上に影を落すほどに近くなっていた。 そうして私たちは南方から高い山々が不思議に似通った形をして押し並んでいる薄暗い掘割み たいな間へ入って行った。――非常に奥深い劇場の飾框(かざりかまち)みたいで、美しいには美 しいが、少しも自然でなかった。――それは、たとえば日本が私たちの前に胸を押し広げて、その 霊妙な裂目に心の奥底まで覗かせてくれるのではないかとさえ思われた。 その長い不思議な入江の行きづまりに、まだ見えてはいなかったが、ナガサキが在るのに相違な かった。どこもかしこも驚くように青々していた。海洋の強い風が急になくなり、穏やかな場所になっ ていた。大変暑くなった空気は花の香に満ちていた。そうして山あいには蝉の音楽が恐ろしく鳴り 響いていた。その音は浜から浜へと呼応していた。山々も限りない彼らの騒音を反響していた。国 中がガラスのように絶え間なく震動するかと思われた。私たちは大きな和船の群がっている間を通り 抜けた。それらの船は有るか無いかの風に吹かれて静かにすべっていた。穏やかな水の上にはそ れらの船の進む音さえ聞こえなかった。横に出た帆桁に張られた白い帆は、店先の日覆のように無 数の皺を畳んで、力なく垂れていた。奇妙に反りを打って城のように高まっているその艫(へさき)は、 中世期の船の艫のようであった。山々の立ち並んだあたりの深緑の中に、船のみが白雪のように際 だって見えた。 何という緑と蔭の園だろう、日本は! 何という思いも寄らぬ楽園だろう!…… ここを出て沖の方へ行ったら今頃はまだ明るい真昼の日が一ぱいに照っているに相違ない。それ にここいらの山あいでは、もう夕暮の感じがしていた。峰はまともに日光を浴びていながら、その麓と 水際の木立の深いあたりには、黄昏(たそがれ)の半陰影が立ち込めていた。薄暗い茂みの背景 にくっきりと白く浮き出して過ぎて行く和船は、みんな長い髪を女のように結んで、丸裸になった小 さい黄色い人間に静かに巧みに操られていた。――次第に私たちが青々した掘割を先へ先へと進 み行くにしたがい、香気はますます高くなり、蝉の単調な鳴声はオーケストラのクレッシェンドのよう に張り切って来た。頭の上の、山と山の間に区切られた照り輝いている空では、大鷹の種類の鳥が、 ハン! ハン! ハン! と人間のような奥行のある声で叫びながら飛びまわっていた。憂愁の調 子を帯びたその声は反響を伝えてあたりに広がっていた。 すべてこれらの豊富で新鮮な自然は、日本特有の変った調子を持っていた。それは奇妙な山々 の頂にまで行き渡っているかと見えた。たとえばそれは余りに綺麗すぎる不自然さで出来ているか と思われた。樹木は漆塗の盆に描いてあると同じ美しさをもって叢(くさむら)だち茂っていた。しと やかな形をした円い芝山と並んで大きな岩がいかめしく聳(そび)え立っているという風に、風景の あらゆる不調和な分子が、たとえば箱庭などにあるように寄り集まっていた。 ……なおよく見ると、そこここに、よく崖の端などに建てられた古い小さな神秘な塔が木の間がく れに見出された。それは私たちのような新来の客に対して、何よりも遠隔の思いをさせ、またこの国 には精霊すなわち樹木森林の神、言い換えれば国土を守護する古代の象徴なるものが、知られて もなく了解されてもないかの感じを与えた。…… ナガサキが見えた時、それは私たちの目に一つの裏切であった。それは青々した覆いかぶさるよ うな山の麓にあって、どこにでもある平凡な町であった。その前面には世界各国の旗を翻した沢山 な船の紛糾錯雑があって、どこの港へ行っても見かけるような汽船や黒い煙がたかっていた。波止 場には工場が並んでいた。実際どこにでも見られる有りふれた物には一つとして不足する物はなか った。 今に人間が世界の隅から隅まですべての物を一様にしてしまうような時節が来たら、この地球上 は退屈な住み場になるであろう。そうしたらもう変化を求めて航海して歩くようなことさえいらなくなる だろう。…… 私たちは、六時ごろ、そこに集まっている沢山な船の間に大きな音を立てて錨を入れた。するとた ちまち襲われた。 小舟に商品を一ぱい積み立てて、上げ汐のように押し寄せて来る商売上手な熱心な、滑稽な日 本に襲われたのである。男や女がぞろぞろと引切なしに、声も立てなければ言い争いもせず、おと なしくやって来て、みんなにこにこしてお辞儀をするから怒ることも出来ず、果てはこちらまでがにこ にこしてお辞儀を返すのであった。彼らはみな背中にそれぞれ小さな籠や小さな箱やいろんな形 をした入物を背負っていた。それはどれも器用に組み合せが出来て、一つが一つの中へと幾つも はいるようになっているので、やがてその数が限りなく増え、隙間もないほどになるように考案してあ った。中からは思いも寄らぬあらゆる奇妙な物が現れた。屏風、靴、石鹸、提灯、袖口のぼたん、小 さな籠の中で鳴いてる生きた蝉、宝石細工、小さな厚紙の車を廻す白い小鼠、いかがわしい写真、 水兵あて込みの熱い瓶入のスープとラグー(一種のシチュー)――花瓶、急須、茶碗、小壷、小皿 などの陶器。……これらは見る間に荷を解かれて、驚くべき早さと陳列の巧みさをもってそこへ広げ られた。売子は皆品物の後に猿みたいにうずくまり、両手を両足に触れて――絶えずにこにこと愛 嬌を振りまきながらお辞儀をしていた。そうして船の甲板はこれらの色様々の品物に蔽われて、たち まち宏大な市場のようになった。すると水兵たちは面白がって陽気に品物の間をぶらつきながら、 物売女の顎をつまんで、何でも買ってやっては喜んで白い銀貨を撒き散らした。…… それにしても、まあ、この人間たちはいかに醜く、卑しく、怪異なことだろう! 私は折角結婚の計 画まで立てたけれども、だんだんと考え込んで興醒めて来た。…… イヴと私は、翌朝まで職務についていた。そうして入港するといつも船中に起る最初の騒ぎ―― (短艇を下したり、梯子段や下部帆桁を張ったりすること)――その騒ぎがすむと、もう私たちはあた りを眺めでもするよりほかに仕事はなかった。で私たちは二人して話し合った。一体私たちはどこへ 来てるのだろう? ――合衆国か? ――オーストラリアの英領植民地のうちか? それともニュー ジーランドか…… 領事館、税関、工場。ロシアのフリゲート型の軍艦が一隻入っている船渠(ドック)。高台の上のヨ ーロッパ人の居留地とそこに見える大きな別荘。また波止場には水兵向けのアメリカの酒店。しかし 下の方、ずっと下の方の、そんな平凡な物から離れた後の方の遥か彼方には、青々した広い谷合 に、幾千の小さな黒ずんだ人家が奇妙な外観を呈して寄り集まっていて、その間にはそこここにど す赤く塗られた一段と高い屋根が幾つも覗いていた。多分今も昔のままに残っている古いほんとう の日本人のナガサキがあれだろう。……そうしてそこヘ行くと、多分どこかの紙の仕切の蔭に笑顔 を作って居る猫のような目をした小さい女がいて……その女と、多分……二、三日を出ずに(時を 失わずに)私は結婚するだろう!!……だがしかし、私はもうその女を、その小さな女を、描き出し て見ることが出来なくなった。ここに居る白い小鼠の女どもが、その女のまぼろしをこわしてしまった。 私はもしや小鼠の女どもにその女が似ていはしないかと今ではそれが気がかりだ。…… 日が暮れると、私たちの船の甲板は魔法でもかけられたように空っぽになった。一時の間にその 箱を片ずけ、その引戸を重ね、その扇子をたたみ、そうしていちいち私たちに丁寧なお辞儀をして、 小さい女どもと小さい男どもは去ってしまった。 夜が満ちて来るにしたがって、あたりの事物は青ずんだ夕闇に閉じこめられ、私たちの回りの日 本は、またもや次第次第に夢のような魔法の国となって来た。今では黒く見える大きな山々が私た ちの船の浮んでいる麓の静かな水に投影をひろげて、その逆さまになった輪廓と映り合い、恐ろし い崖の幻影を描き出している。その幻影の崖の上に私たちの船はかかっているのである。――星も その順序を逆にして小さな燐光を撒き散らしたように想像の谷底に並んでいた。 それからナガサキ全体は無数の提灯の灯に蔽われて、際限もなく輝いていた。最も小さな郊外の 最も小さな村々までが明るくなっていた。高台の木立に隠れて、昼間は目に入らなかったささやか な小家さえ、螢のような小さい光を投げていた。やがて灯だらけになった。どこもかしこも灯だらけに なった。湾内のどの方面にも、山々の上から下へかけて、私たちの回りに目を眩ます円形劇場とな って展開した大都会のような印象を与えながら、数万の灯が闇の中に燃え輝いて来た。それからそ の下の方には、物静かに湛えた水の上に、今一つの都会が、同じように輝やかしく、今にも底深く 落ち込みそうに思われた。夜は生温く、純に、甘くあつた。空気は山々が私たちのところへ送って 来る花の香で一ぱいになっていた。茶屋やよくない夜の家々から聞こえて来る三味線の音は遠く、 美しい音楽のように思われた。それからあの蝉の鳴声――それは日本では生涯絶え間ない騒音の 一つで、今に私たちも二、三日すると気にならなくなるだろう、それほど世間のあらゆる騒音の基礎 になっている――その蝉の声が冴えて間断ない、軟かな、単調な音に聞こえていた。たとえば硝子 の滝の落ちる音を聞くように。…… 三 翌日は雨が滝となって降っていた。遠慮なく、小止みなく、あらゆるものを暗くし、びしょ濡れにし て降り注ぐ大雨であった。船のこちらの端から向うの端まで、見通しのつかないほどの濃い雨であっ た。 たとえば世界中の雲がナガサキの入江に集まって、思いのままに流れ落ちるため、この緑の大き な漏斗を選んだのではあるまいかと思われた。雨は降りに降った。夜のように暗くなるまで濃く降っ た。砕け、たばしる水の被衣を通して山々の麓はまだ見えていたが、しかし峰々はどうかというと、私 たちの上に押しかぶさっている黒ずんだ大きなかたまりの中に隠れていた。暗い大空の円天井から 裂け離れたかと思われるような雲のちぎれが、灰色の大きなぼろきれのように森の上を高く揺れて いるのが見えていた。――そうして引切なしに水の中へ、降りしきる水の中へ、消え失せていた。ま た風もあった。風は底深い声を立てて谷間谷間を吼え叫んでいた。――入江の表面全体は雨に打 たれ、四方から吹き来る風に揉まれて、波立ち、呻(うめ)き、狂い、もがいていた。 初めての上陸に何といういやな天気だろう……こんな土砂ぶりの中を、どうして相手なんか捜して いられよう、しかも見も知らぬ他国の果で!……… なあに! 私は服を着替えてイヴにこう云う。――彼はどうしても私が出かけるというのを笑ってい るので。 ――艀舟(はしけぶね)を呼んでくれないか、ねえ、おい、後生だ。 イヴはその時、片手を雨と風の中で動かして、私たちの近くの海の上を雨にぬれて真っ裸になっ た二人の黄色い子供が操っていた小さい木製の石棺みたいなものを呼び止める。――それが近 づいて来る。私は飛び来る。それから、私は漕手の一人が開けてくれた鼠落しみたいな形をした小 さな引窓からすべり込んで、茣蓙の上に一ぱいに私の身体を伸ばす。――艀船の「船室」と呼ばれ ている所で。 この浮棺には私の身体を横たえるだけの余地が十分にある。――その上、小ぎれいにきちんとし て、真新しい板目の白さがある。私はざあざあと覆いに降りそそぐ雨にも濡れないで、こんな風にこ の箱の中に平ったく腹這いになって、町の方へ出かけて行く。一つの波に揺られ、次の波に揉み 立てられ、そのたびに危うく転がりそうになりながら。――そうして半分開いた鼠落しの戸口からは、 私の運命を託した二人の小さい人間が逆さに見上げられる。年はせいぜい八つか十ばかりの、猿 のようなあどけない顔をした子供ではあるが、もう筋肉は微細画の大人のように発育して、年中海で 暮している老練者のように馴れている。 彼らが大声に叫び出す。それは云うまでもなく私たちが上陸場に近づいたのである! ――実際 今私が広く押し開けたばかりの鼠落しから、波止場の灰色の敷石が直ぐ手近に見える。そこで私は 私の石棺から出て、生れて初めて日本の土を踏もうとしているのだ。 何もかもますますひどく降り流されている。そうして雨は目の中へ打ち込む、いらだたしく、我慢し きれなく。 私が上陸すると直ぐさま、十人ばかりの不思議なものが、それは降りしきる土砂ぶりの中で定かに 見分けの付きかねるような――人間の針鼠とでも云うように、皆んな大きな黒い物を引きずっている ――その異形なものが、私の所へ駈け寄って来て、がやがや云いながら、私を取り囲み、私の行手 を遮ぎってしまう。その中の一人が、骨の沢山ある大きな傘の、透明なその表面に鶴の絵を装飾し たのを、私の頭の上からさしかける。――そうして皆んなにこにこしながら私の方へ近よって来る。 何かを期待しているような、愛想よい有様で。 かねて聞いていた。これはただ私の選択の名誉を得ようとする人力車夫に過ぎないのである。し かし私はこの不意打に、初めての上陸に対するこの日本流の歓迎に、面喰った。(ジン或いはジン リキサン、これは小さな車を引いて賃銭を取って人間を運んで走る人のことで、ちょうど私たちの国 の辻馬車のように、時間または距離で雇われる。) 彼らの足は上の方までむきだしである。――今日は、びしょ濡れになっている。――それから彼ら の頭は、ランプの笠の形をした大きな帽子の下に隠されている。彼らは藁の一本一本が外を向いて やまあらしの逆毛のようになった藁蓆(ござ)で出来た防水外套を纏(まと)っている。まるで藁屋根 を着たように見える。――彼らは私の選択を待ちながら微笑をつづけている。 誰一人と取り分けて近づきになる光栄を持っていないから、私はいい加減に、傘をさしかけている ジンを選んで、彼の小さい車に乗る。すると彼は母衣(ほろ)を下す。ばかにばかに低く。彼は私の 足の上に蝋を引いた膝掛をかけ、それを目の高さまで引上げる。それから傍に寄って来て、私に日 本語でこんな意味のことを聞く。「どちらへ、わたしの旦那様?」それに対して私も同じ国語で答える、 「百花園へ、わたしの友だちよ!」 私は、それをいささか鸚鵡(おうむ)じみた方法で暗誦している三つの言葉で答えたのである。そ んな言葉が意味を持つことも不思議であれば、そんな言葉が了解されることも不思議である。―― さて私たちは出かける、彼はひたばしりに走り出しながら。私は彼に引かれて、箱詰にされたように、 蝋引のきれに包まれて、彼の軽い車の中で揺られながら。――二人とも、のべつに濡れ通しで、あ たりには水とぬかるみをはね散らしながら。 「百花園へ」と私はいつも行きつけの者ででもあるかのように云って、われと我が言葉の通じたの に驚いた。でも私は日本のことに関しては人が想像するほど知らなくはなかった。この国から帰って 来た多くの友だちが私に説明してくれたので私はいろんな事を知っている。この百花園というのは 一つの茶屋である。一つのしゃれた会合所である。そこへ行って私は勘五郎さんとかいう人を尋ね るつもりである。この人は通弁でもあり、同時に洗濯屋でもあり、また人種結合の秘密周旋人でもあ る。そうして今夜にも、もしかして、事件がうまく運べば、私は不思議な運命がわたしに結び付けてく れる所の若い娘に引き合わされるだろう。……この考えは私たちが、私のジンと私が、没義道(もぎ どう)な土砂ぶりの中を、一人が一人を曳きながら、喘(あえ)ぎ喘ぎ急いでいる間じゅう、私の心を 目ざましていた。…… おう! 実に変った日本をその日見たことではある! 桐油布の隙間から、雨水をはね返している 小さい車の母衣の下から。しかめ面の、泥まみれの、溺れ損ないの日本を。家、家畜、人間、これら を想像以外ではまだ私は見たことがなかった。屏風と花瓶の青い地や赤い地の上に描かれたのを 見たことはあったけれども。今やこれらすべての物が、薄暗い空の下に、現実となって現われて来 たのである。傘をさして足駄をはいて、いたいたしげに、裾をまくって。 時々思い出したように雨がひどくなると、私は隙間を塞ぐ。私は喧騒と動揺の中に気が遠くなって、 どこの国に今居るのかもすっかり忘れてしまう。――車の母衣には幾つかの穴があいて居り、そこか ら小さな流れが背中に伝わって来る。――それから、私は、今ナガサキの真ん中を通ってるのだ、 しかも生涯に初めて、そう思って物珍らしげな視線を外に投げる。洗浄を受ける度胸をきめて。私た ちは黒ずんだ見すぼらしい裏通を駈けぬけている。(そこにはこんな裏通が何千となく迷宮のように なっている。)滝は屋根から、閃(きら)めく敷石の上へ迸(ほと)ばしっている。雨はあらゆるものを縺 (もつ)れさせて空気の中に灰色の網目を造っている。――時々、婦人が着物に悩みながら、高い 木の履物をはき、足もと危なげに、絵をかいた紙の傘の下に、裾を端折り、屏風の中のような姿をし て来るのに出逢う。それから寺の塔の前を通り過ぎる。するとそこには、古い花崗岩の怪物が水に 背中を打たせて踞(うずく)まりながら、いやに気味わるく私の方へ顔を顰(しか)めている。 それにしても何という大きさだろう、このナガサキは! 私たちは全速力を出してもう小一時間も駈 けている。それにまだ達しそうにも見えない。町は平原の上にある。こんな広い平原が入江の先の 谷底にあろうとは、誰だって来て見るまでは想像もつかなかったであろう。 たとえば、今私はどこに居るか、私たちはどっちの方を駈けて来たかを云うことも私にはむつかし い。私は私のジンと運とに任かせている。 まるで人間の機関車だ、私のジンは! 私は支那の苦力(クーリー)には馴れていた。しかしそれ は私のジンに比較しては何物でもなかった。私が何かを見ようと思って桐油布を押しのけると、いつ も一番に目に入るのは云うまでもなくそのジンである。彼の、むき出しになった、鹿色をした、筋肉の 逞(たく)ましい、かわるがわる踏み出して、あたりにはねを上げる二本の足と、それから雨の下に曲 げられた針鼠みたいな背中とである。――誰がこのびしょ濡れの小さな車の通るのを見て、この中 に相手を捜しに行く人間がはいっていようと思う者があるだろうか?…… ついに私の車は止まる。私のジンはにこにこしながら、私の首筋に新しい川の流れ落ちないように と用心して、車の母衣を下す。ちょうど暴雨の絶え間で、もう降っていない。――私は今まで彼の容 貌を見なかった。彼は人並はずれていい顔をしている。年の頃三十ばかりの若者で、生気と強壮に 満ちた風で、明るい顔つきをしている。……そうして、誰が思い設けようか、数日の後にこの同じジ ンが……いや、いや、私はまだそんなことは云いたくない。そんなことを云うのは、クリザンテエム (お菊)に、前ぶれの不当の汚名を被せることになるだろうから。…… さて、私たちは止まった。それは蔽いかぶさるように聳えた或る大きな山の麓である。私たちは多 分町を通りはずれて来たに相違ない。ここはもう郊外になっている。これから歩いて行かねばならぬ らしい。そうして今度は殆んど垂直になった狭い小径を登らねばならぬらしい。私たちの回りには、 小さな百姓家や、庭園や、竹垣や、そんなものが高く限界を遮っている。青い山はその高さ全体で もって私たちの上に押しかかっている。そうして重たげな薄黒い低い雲が、私たちの今居る、この人 知れぬ片ほとりに押し込めてしまった蓋(ふた)かなんかのように、私たちの頭の上に垂れている。 実際このように遠景が無くなって見通しの利かぬために、私たちの目の前にある、びしょ濡れになっ た泥だらけの、他所(よそ)行でない日本のこの小さな片隅の零細な物までが、自然目につくように なったらしい。――この国の土は真っ赤である。――道ばたに生えた草や草花までが私には珍らし い。――けれども竹垣の内には私たちの国のと同じような昼顔が咲いている。それから庭園には、 えぞ菊、百日草その他のフランスの花が見える。空気には複雑な匂いがある。植物と土の香の外に 疑いもなく人家から来る匂いが交っている。干肴と香のまざった匂いだと云えそうだ。誰も通りかか る者はない。人も見えなければ、家の内部も見えなければ、生活も見えない。そうして私には、ここ は世界のどこででもあるように考えられる。 私のジンは彼の小さな車をある木の下にしまい込んだ。そうして私たちは一しょに険しい坂道を上 って行く。赤土に足をすべらせながら。 ――私たちは百花園へ行ってるんだろうな? 私は、私の云ったことが通じているかどうかを心配 して聞く。 ――へい、へい、ジンは答える、ついこの上で、もう直ぐです。 道が曲ると、両方から囲まれて薄暗くなって来る。一方は山の側で、一面に雨に濡れた羊歯で飾 られている。一方は大きな木造の家で、入口が開いてなく、外見のわるい家である。私のジンが止 まったのはそこである。 はてこんな陰気な家、これが百花園だろうか? ――彼はそうだというふりをして、のみこんだ顔 付をしている。私たちは大きな戸を叩く。その戸は直きに溝をすべって開く。――すると、二人の小 さな、おどけたような、かなり年の行った女が現れる。しかし若く見せかけている。それがすぐわかる。 子供のような手と足をして、花瓶に描いてあるような恰好(かっこう)である。 私を見ると彼らは、鼻を床にすりつけて四つん這いになる。――おや、おや! どうしたと云うのだ ろう? ――なに、何でもない。こんな風にするのはただ儀式の挨拶である。私はそれにまだ馴れ てなかったのだ。彼らはやがて立ち上り、大急ぎで私の靴を脱がし(ニッポンの家では決して靴を穿 (は)いて入らない)、それから私のズボンの裾を拭き、それから濡れていはしないかと私の肩にさわ って見る。 日本の室内に入って一番に気がつくのは、細かい清潔さと白いうす寒い空虚さである。 私は、皺目一つなく、模様一つなく、汚れ目一つ付いてない、申分のない畳の上を、二階へ上っ て行き、大きながらんどうの部屋に案内される。それこそ全くのがらんどうの部屋の中に。紙で出来 た仕切は、敷居で溝を辷るようになっていて、見えなくする場合には仕切が重なり合うように出来て いる。――そうして部屋の一方は全部縁側になって、青い田野の上に、灰色の空の下に打ち開け ている。座席としては黒いびろうどの一枚の座蒲団があてがわれてある。そうして私は殆んど凍えそ うな、だだっ広いこの部屋のまん中に、非常に低く坐っているのである。――例のニ人の小さい女 (これはこの家の召使であって、同時にまた私の非常に従順な召使である)が、大そうかしこまった 態度で私の云いつけを待っている。 私には、私たちが澎湖島に島流しになっていた間に、私が辞書や文典の力を借りて、何らの確信 もなしにそこで学んだ奇妙な言葉や字句が、何物かを意味し得ようとはどうしても信じられない。― ―けれどもまたかなりに行けそうにも思われる。私の云うことは直ぐに了解される。 私はまずムッシュ・カングルウとか云って、通弁で、洗濯屋で、大結婚の秘密周旋人である男と話 したいとたのむ。――ありがたい。皆んなが彼を知っている。即座に彼を探しに行ってくれる。年上 の方の女中はそのために彼女の木の履物と紙の傘を用意する。 その次に私は立派な日本のもので出来たおいしい食事を食べさせて貰いたいとたのむ。結構、 結構。それを云いつけに台所の方へ駈けて行く。 最後に私は下に待っている私のジンに茶漬を出してやつてくださいとたのむ。――私には、欲し いものが沢山ある、私の人形さんたち、今に私が必要な言葉を拾い集めることが出来るようになっ たら、落ちついてそれをだんだんとお前さんたちにたのみます。……しかし、私はお前さんたちを 見れば見るほど、私の明日のフィアンセのことが、どうだろうと、気がかりで仕方がない。――お前さ んたちは、可愛らしいには可愛らしい、と、私も認めてはいます。――おどけていて、きゃしゃな手 をしていて、小さい可愛らしい足をしています。でも要するにみっともない。おまけに滑稽なほど小 さい。陳列棚の骨董品みたいな顔をしている。ウイスチチ(南米産の子猿)みたいな、何とも云われ ぬ顔をしている。 ……私はこの家へわるい時に来合せたことがわかって来た。何か私に係わりのないことが始まっ ているらしい。そうして私は邪魔になっているらしい。 最初から私は、歓迎が非常に鄭重なのにもかかわらず、そんなことを推定し得た筈であった。― ―なぜと云うに、今になって思いあたると、下で靴を脱がしていた時、私は私の頭の上で、誰かのさ さやきの声を聞いた。それから襖があわただしく敷居をすべる音を聞いた。云うまでもなく、それは 何か私が見てはいけない物を私に見せまいとして隠すためであった。彼女たちは私のために、私 の今居る部屋を急拵えに拵えてくれた。――たとえば、動物の見せ物で、いよいよ見せる際になっ て、ある野獣だけには別に隔離した一室をこさえてやると同じように。 今は誂(あつら)えもののこさえられている間じゅう、独りきりで取り残されている。私は畳と襖の白 さの中に、私の黒いびろうどの座布団の上に仏陀のように膝を組んで、耳を澄ましている。 紙の仕切の向う側では、使い嗄(か)らした大勢らしい声がごく低い調子で話し合っている。それ から三味線の音と女の唄い声が、雨の日の物わびしさの中で、こんながらんとした家の鳴り響きの 透る中で、遣(や)る瀬なくとてもしめやかに起る。 いっぱいに明け放した縁側から見渡した眺めは美しい。私はそれを認める。夢の国の景色のよう である。見事に木の繁った山々は、いつまでも薄黒い雲の中に高く聳えて、その頂を隠している。 ――そうしてその雲の間から一つの寺院がのぞいている。空気はどこまでも澄み透っている。遠景 にはかの豪雨の後に来る晴れやかさがある。けれどもまだ水を含んで重たげな円天井がすべての 物の上に垂れかかっている。うなだれた木々の茂みの上には、灰色の綿毛の大きな塊りのようなも のが懸って、動かずにじっとしている。一番近景には、それらすべての殆んど夢幻的な物の前と下 とに、一つの細密画に描いたような庭がある。――そこには二匹のきれいな白猫が遊びに出て、小 人国の迷宮のような小径を、砂がまだ濡れているので、前足を振りながら、鬼ごっこをして戯れてい る。庭は非常に凝ったものである。花はなんにもなく、その代り小さな岩と、小さな泉水と、奇怪な趣 味で刈り込まれた矮小な植込みと、それらのものが少しも自然なところはないが、新鮮な苔を付け て、いかにも青々とできている! 遠く私の見渡す濡れた田野には大きな沈黙がある。遠景の果ての行詰りまで、絶対の静寂がある。 しかし、紙の仕切りの向う側の女の声は哀愁を帯びた極度の可愛らしさで絶えず唄っている。唄に つれて弾かれている陰気な音色の三味線は、少しわびしくさえある。…… おや! 今度は三味線が急調になってきた。――そうして誰かが踊っている様子である! 困ったことになった。私は軽い襖の縁と縁の間から覗いて見よう。――そこにある一つの隙間か ら。 おお、奇体な光景。明らかにそれはナガサキの若い粋な人たちが、こっそりと大宴会を催している のだ! 私の部屋と同じようにがらんとした部屋の中に一ダースばかりの人の数が丸く座を作って 畳の上に坐っている。青い木綿織りの長い着物に袂(たもと)のついたのを着て、ヨーロッパ風のメ ロン型の帽子(山高)を乗っけたあほらしく長い直髪をして、間の抜けた黄色い、疲れ切った、気力 のなさそうな顔を並べている。畳の上には小さい火鉢、小さい煙管、小さい漆塗の盆、小さい急須、 小さい茶碗などが並んでいる。――すべて赤ん坊のままごとに似つかわしい日本の宴会の付属物 が、皆んな並んでいる。そうしてこの遊び人たちの円陣の真中には大変に着飾った三人の女が、三 人の不思議なお化けとでも云いそうな姿をしている。着物は青白い名前の付けられないような色合 いで、それに金色の噴火獣(シメル)みたいな模様が付いている。頭の髷(まげ)は思いも及ばない 方法で結い上げられ、かんざしや花が挿さっている。二人が坐って私の方へ背中を向けている。そ の内の一人は三味線を抱えている。今一人、その女が可愛らしい声で唄っている。――ニ人ともそ の姿と云い、その服装と云い、その髪と云い、その頚筋と云い、すべて後からそっと覗いた所は優 にやさしく出来ている。私は一つ動いてもそれが私の夢を醒ますような顔を私の方へ向けることに なりはしまいかと思って身震いする。三番目の女が立って踊っている、このうすのろどもの最高会議 の前で、山高帽と長い直髪の前で。……おう! その女がこっちを向いた時の恐ろしさ! その女 は恐ろしい、引き吊った青ざめた面を顔に被っている。幽霊か、それとも吸血鬼みたいな……その 面がゆるんで落ちる。……それは小さな可愛らしいような子供で、年は十二か、まだ五の上は出ま いと思われる。細っそりして、もうコケットで、もう女になっている。着ているのは、青い夜の薄暗い色 の縮緬の長い着物で、蝙蝠(こうもり)の縫取がしてある。鼠色の蝙蝠や、黒い蝙蝠や、金色の蝙蝠 を。…… 梯子段の足音、白い畳を踏む軽い素足の女の足。……疑いもなく私の御馳走の一番目が運ば れて来るのだ。――急いで私は席に戻り、私の黒いびろうどの座蒲団の上にじっとしている。 彼らは今度は三人になった。三人の女中が微笑と敬意をもって一列に並んでやって来た。一人 が私に火鉢とお茶を出す。その次の女が、きゃしゃな小さい皿に載せた果物を、またその次の女が、 宝玉のような小さな盆に全く形容の出来ない物を盛って。そうして三人とも私の前にひれ伏して、私 の足もとにそんなままごと見たいな物を置く。 その時私は日本について実にたのしい印象を受ける。私は今まで漆器の絵や磁器の絵で見馴 れていた、この人工的な小さな想像の国の真ん中に来ているのを感ずる。実に素的である! この 坐っている三人の、きゃしゃな、しとやかな、小さな女たちの、切れの長い目と、大きな髷にあげた、 滑らかな、漆のような見ごとな髪。――そうして畳の上のこの小さなままごと。――そうして縁側から 見渡されるこの美しい景色。雲の間からのぞいているあの塔。――そうして到るところにある事物の 中にまでもある様子ぶった所。これがまた実に素的である。あの紙の仕切の内側でなお聞こえてい る女の憂鬱な声。それはいかにも彼女らが唄いそうな調子である。以前私が唐紙に奇妙な色の絵 の具で描かれたのを見た、あの途方もなく大きい花の間に薄ぼんやりした小さな目を半眼に見開い た女の演奏者たちが唄いそうな調子である。私はここ来る前随分長い間、そんな風にこの日本を描 いていた所が、実際は、それよりもずっと小さく、ずっと風変りに、そうしてずっと物憂げにさえ見える。 ――疑いもなくこれは、一つにはあの黒雲の経(きょう)かたびらのため、そうして一つにはあの雨の ためだ。…… ムッシュ・カングルウ(彼は直ぐに来るだろう、多分、着物でも着てるのだろう)を待ってる間に、まま ごとでも始めよう。 飛んでる鶴を描いた非常に可愛らしい椀の中には、有りようもないような藻草の汁がはいっている。 その外、砂糖煮の小さな干肴、砂糖煮の蟹、砂糖煮の隠元豆、酢と胡椒で味をつけた果実。どれも 皆大変なものである。何より、しかし意想外で、想像も及ばないものばかりである。彼らが私に食べ させる、この小さな女たちが。たあいもなく笑いながら、絶え間なく腹立たしくなるように笑いながら、 日本特有の笑を湛えながら。――彼らの作法で私に食べさせる。即ちきゃしゃな箸としなやかな指 先とで。私は次第に彼らの顔付に馴れて来た。全体の効果から云うと上品である。――その上品と いうのは例えば私たちの国の上品とは全く別ものであって、ちょいと一目見ただけでは、私には殆 んど了解が出来ないけれども、しかし長くたつ内には多分気持よいものになりそうである。 ……俄かに入って来る、真昼の光に醒まされた夜の蝶蝶のように、世にも稀な物おじした蛾のよ うに、隣室の踊り子が、気味のわるい面をかぶっていたあの女の子が。その子は無論私を見に来た のである。彼女は臆病な猫のように目をくるくるさせる。それから、急に馴れ馴れしくなり、私にすり 寄って来る。赤ん坊の甘ったれるような、あどけないわざとらしさで。彼女は愛らしく、しなやかに、あ でやかに、よい匂いをさせている。石膏のように真っ白に、おかしなほど塗り立てて、両方の頬のち ょうどまん中にはかなりくっきりした小さな赤い丸を染めている。赤い口もとと僅かばかりの化粧が下 唇を一字に引いている。首筋は襟足のうぶ毛が沢山生えているために白く塗られないので、日本 人の几帳面好きから小刀で削り取ったようにおしろいを一直線に塗り止めてある。その結果首の後 には自然のままの皮膚の方形がいやに黄色く露出している。…… 襖の向うで三味線の横柄な音、明かに呼立だ! パチン、彼女は逃げ出す、その小さな妖精は。 隣りの薄のろどもと一緒になりに。 もう探すことをやめて、あの子と私が結婚したらどうだろう? 私は彼女を預り子のように大事にし てやろう。私は彼女を今のままにして置こう、すなわち風変りな可愛らしいおもちゃとして。どんなに おもしろい小さな家庭が出来ることだろう! 実際、飾物と結婚するからには、それ以上のものを発 見するのは困難だろう。 ムッシュ・カングルウがはいって来る。ラ・ベル・ジャルジニエルもしくはボン・ヌフ(どちらもパリのか なり有名なデパートメント・ストアで出来合いの着物を買うには都合のよい店)あたりから来たような 鼠色の洋服を一着して、山高帽をかぶって、白の粗末な絹手袋をはめている。顔付は狡そうで同 時に間が抜けている。殆んど鼻もなく、殆んど目もない。日本流のお辞儀をする。即ち、いきなり腰 を折る。両膝の上に平たく両手を置く。身体が二つに折れそうなまでに足と直角に胴を曲げる。そこ から爬虫類のような小さいささやきを出す。(それは歯と歯の間で唾を呑んで出す音で、この国では 一番へり下った礼儀の極度の表現である。) ――フランス語を話しますか、ムッシュ・カングルウ? ――はい! 旦那! またお辞儀。 彼はまるでばね仕掛の人形のように、私が一言云うたびにお辞儀をする。もっとも私の前の畳に 坐っている時は、頭を下げるだけに限られているけれども。――そのたびに口唾の鳴る音がいつも 伴う。 ――お茶を一つ、ムッシュ・カングルウ? またお辞儀。そうして両手で非常に丁寧な手まねをする。あたかもこう云うように、「どういたしまし て。それでは恐れ入ります。……しかし、仰せに従いまして。……」 彼は私の頼んだ最初の言葉を聞いただけで直ぐに呑込んでしまう。 ――きっと御相談に預りましょう。彼は答える。八日ほどもたちますればシモノサキ(下関)のある 家族で、二人のきれいな娘を持った者が、確かに着くことになって居りますので。…… ――何だって、八日だって、ムッシュ・カングルウ! あなたは私の云うことがわからないのだ! 否(ノン)、否、すぐでなくちゃいかん。明日でなくちゃ駄目だ。 またもささやきながらのお辞儀。そうしてカングルウ・サンは、私のいらいらしているのを見て取ると、 ナガサキで彼の自由のきくすべての若い女たちの品さだめを熱心に始めだす。 ――こうっと、――マドモアゼル・ウイエ(石竹)という子がいたんですがね。おお! 二日前に話 すとよかったんですが、惜しいことをしました。それは可愛い娘で、三味線がうまいんですがね。― ―取返しのつかぬことをしました。つい一昨日ロシアの士官に取られてしまいました。…… ――ああ! マドモアゼル・アプリコ(杏)――あの子はいかがでしょう。あのマドモアゼル・アプリコ は? デシマ(出島)の市場のある金持の陶器商の娘で、大そう評判な、物のよく出来る人ですが、 その代り値段が非常にかかります。親たちが大事にしていますので月百円以下では手ばなします まい。非常に教育があって、商売向の手紙も読めれば、二千字以上のむずかしい書体も、その指 先で書けます。ある歌の競詠会では、朝の露を含んだ籬(まがき)の白い小さい花を讃美した一首 を詠んで一ら賞を得たことがあります。ただ惜しいことには、顔がそれほどきれいでありません。それ に、片一方の目が少し小さいです。――そして子供の頃のある病気のせいで、頬に穴が一つ残っ ています。…… ――おお! 否、じゃ、どうぞ、その娘はよして下さい。そんなにえらくない若い人たちの間で探し ましょう。傷なんかないところをね。時にあれはどうでしょう、隣りの部屋にいる、あの金色の縫取した 綺麗な着物を着た娘たちは? たとえば、ムッシュ・カングルウ、あのおばけの面をかぶった踊り子 は? でなけりゃ、あの優しい声で唄っていた首筋のきれいな娘の子は?‥‥ 彼にはしばらく問の意味がわからない。それから、やっとその意味がわかると、殆んど嘲るように首 を振って云う。 ――否(ノン)、旦那、否! あれはゲエシャです、旦那、――ゲエシャですよ! ――なるほど、でも、ゲエシャなら何故いけないのです? ゲエシャであるとしても、私に取っては 構わないじゃありませんか? ――後になって私は日本の事情がもっとわかって来たら、自分の要 求の法外であったことがわかるだろう。私は悪魔と結婚をしようとしていたと思われたかも知れない。 …… すると幸いにもムッシュ・力ングルウはマドモアゼル・ジャスマン(ジャスミン)とかいう女の子のこと を急に思いついた。――それにしても、なぜ初めからそれを思いつかなかったのだろう。しかし、彼 女はまったく私の望み通りである。明日か、今夜にも、彼はここからずっと離れた向うの岡のジュウ・ ジェン・ジ(十善寺)の郊外に住んでいるその若い娘の親たちの所へ交渉に行って呉れる筈だ。彼 女は非常に可愛らしい子で、年は十五位である。彼女は多分一ケ月十八ピアストルか二十ピアスト ル(一ピアストルは約二円)で約束が出来るだろう。何枚かのよい流行の着物をこさえてやることと、 住み心地のよい、場所のよい家に置いてやるという条件で。――それは私のような気のつく人間が、 してやらぬ気づかいはないことである。 じゃマドモアゼル・ジャスマンにしよう。――じゃこれで別れよう。時間がない。ムッシュ・カングルウ は明日彼の最初の手順の結果を知らせに、そうして見合の事で私と話をきめに、私を船に訪ねて 来る筈である。報酬については彼は今はなんにも受けない。しかし私は彼に私の洗濯物をやろうと 思う。そうしてラ・トリオンファントの私の仲間の人たちの得意をも彼に取ってやるつもりである。 話はついた。 大変なお辞儀。――女中たちが門口でまた私に靴を穿かせてくれる。 私のジンは、うまくもこの通弁を通じて、これからも自分を傭って呉れと云い出す。彼の溜りはちょ うど波止場の上である。彼の番号は四一五で、彼の車の提灯にフランス文字で書いてある。(私た ちは船でも砲手に四一五号のル・ゴエレクと云うのがいて、私の大砲のある一門の左側を受持って いる。ちょうどよい、私はそいつを覚えていよう)。彼の賃金は、常客に対しては、片道十二スウ(一 スウは約二銭)一時間十スウである。――よろしい。彼を雇いつけにしよう。そのことを約束する。― ―さあ出かけよう。女中たちは私を見送って来て、最後の挨拶として四つん這いになって、敷居の 上に打つ伏したままじっとしている。――垂れ下った羊歯(しだ)の葉から雫が頭の上へ滴る薄暗い 小径にまだ私の姿の見えている間は。…… 四 三日たった。前の日から私のものになっている部屋の中に夜が迫って来る時刻である。――私た ちは歩きまわっている、イヴと私は。二階の、まっ白な畳の上を。この大きな空っぽの部屋の中を行 ったり来たりしながら。するとその乾燥した薄っぺらな床が私たちの足の下で軋(きし)む。――どち らも待ちあぐんでいらいらしている。イヴは私よりも性急になって、折々外を眺める。私は急に私の 選んだ町はずれの、高台の、殆んど森の中と云ってもよさそうなこのあやしげな家に住むことを思っ てぞっとするような心持になる。 こんな知らぬ他境の、物淋しい、うら悲しい思いのする土地に住まってみようなどとは、一体何とい う考えを私は起したものだろう?……待つことが気をくさらす。それで私は家の中の微細な部分を 調べて見たりして暇をつぶす。天井の羽目板は、複雑で且つ器用に出来ている。壁の代りになっ ている白い紙の襖の上には、一面に顕微鏡で見たような、小さい青い亀が、種子を撒き散らしたよ うに面白い恰好に描かれている。…… ――いやに遅いな、イヴはまだ往来の方を眺めながらそう云う。遅いことは、実際彼らは遅いので ある。もう一時間たっぷりたっている。そうして日が暮れて来た。そうして私たちを軍艦へ食事につ れ帰る筈の短艇は出てしまうだろう。今夜はどこかで日本流の晩飯を食べねばなるまい。この国の 人間は時間の観念とか時間の価値の観念とかいうものを少しももっていない。 そこで私はまた私の家のこまごましたおかしな零細な部分を調べつづける。――はて! 私たち ならこんな開け立ての出来る仕切戸には把手を付けるところに、彼らはちょうど指先の恰好をした小 さな卵形の穴をこさえている。この中へ拇指を突っ込むようになっているに相違ない。――そうして これらの小さな穴には、青銅の装飾が付いている。――そうしてなお仔細に見ると、この青銅には 奇妙に彫物がしてある。たとえばここに扇を使っている女があったり、その次の穴の中には、満開の 桜の枝が現わされたりしているというふうに。この国民の趣味には何という異常な点があることだろ う! 微細画の仕事に一生懸命になって、その仕事をば、大きな白い仕切の真ん中の唯一点とし か見えぬ拇指のはいる位な穴の底に隠し込んで、つまりそれほど沢山な辛抱づよい労力を、人目 に付かぬ付属物の中に埋め込んで、――そうしてすべてその結果としては絶対に虚無の効果、全 然赤裸の効果を生ぜしめるに止まるのである。…… イブはまだ妹アンヌ(六人の妻を殺したバルブ・ブリュウ(青髯王)の七人目の妻ファチマの妹で、 彼女は窓からのぞいて姉の助けられて帰るのを待っていた)のように外を眺めている。彼のもたれ かかっている側からは、私の縁側は一つの市街に面している。と云うよりはむしろ両側に家の並ん だ一つの道路に面している。その家並は高く高く上って行き、ぽつりと山の茂みの中へ、茶畠と潅 木と墓地の中へ消えている。こんなに待たされるので私も全くいらいらして来た。それで私は反対の 側から眺める。私の家の今一つの正面、これもやっぱり縁側になっていて、先ず一つの庭に面して いる。その次に樹木と山々の広大なパノラマに面している。それと一緒に、脚下二百メートルの所に 黒い蟻塚のように密集した日本人の住んでいる昔からのナガサキ全体が見渡される。今宵は物憂 いたそがれ時に、しかも七月のたそがれ時に、――物皆が憂愁に満ちている。大きな雲は雨を含 んで捲き上っている。空には夕立が過ぎている。否、私はこの住み馴れぬ家にいて、少しも落ちつ いた心は起らない。私はただ極端な孤独と寂寥の印象を味わうのみである。こうして一夜を過すか と思うばかりで、身の毛もよだつほどである。 ――ああ! 今度は大丈夫、イヴが云う、きっと、――きっと間違いない。……ほら、あそこにやっ て来た!! 私は彼の肩越に眺める。すると私の目に入った、――後姿が、――おつくりをした一人の小さい 人形の後姿が。今しもちょうど淋しい往来で、その人形の着物に最後の手入れがされたところであ る。帯の結び目の上に、腰の襞(ひだ)の上に、母らしい最後の視線が投げられている。彼女の着 物は真珠がかった鼠色の絹である。彼女のオビはぼたん色の繻子である。銀の花の小枝が彼女の 黒い髪の中でゆらめいている。日没の憂愁な最後の金線が彼女を照らしている。五、六人の人が 彼女に付き添っている。……そうだ、云うまでもなくあれが彼女だ。マドモアゼル・ジャスマンだ。… …私のフィアンセを皆んなが私のところへ連れて来るのだ!! 私は階下の間へ駈けて行く。そこには私の大家で年とったマダム・プリュヌ(お梅)と彼女の年とっ た亭主が住まっている。――彼らは先祖の祭壇の前で拝んでいる。 ――皆んなが来ましたよ、マダム・プリュヌ。私は日本語で云う。皆んなが来ましたよ! 早くお茶 を、火鉢を、火を、女持ちの小さい煙管を、啖吐の小さい竹の壷を! 私のもてなしの道具を何もか も大急ぎで皆んな持って来て下さい! 表の戸の開く音が聞こえる。私はまた二階へ上って行く。木の履物が土間に脱がれる。梯子段が 素足の下に鳴る。……私たちは、顔を見合せる、イヴと私は。笑いたくってたまらない心持になっ て。・・・ 一人の年とった女がはいって来る。――二人の年とった女が。――三人の年とった女が。一人ず つ順々に、ばね仕掛のようにお辞儀をしながら現れて来る。それを私たちは、こっちの方がそんな ことにかけては下手なことはわかっていながらも、どうにかこうにか仕返す。その次には中年の女の 人たちが。――その次には本当に若い女の子たちが。少くとも十二人位。友だちもあれば、隣人も あるというわけで、全く三界総出である。そうしてこの大勢は私の部屋にはいって来ると、お互い同 士のお辞儀で混雑を極める。たとえば私があなたにお辞儀をする。――するとあなたが私にお辞 儀をする。――するとまた私があなたにお辞儀をする。するとあなたがまた私にそれを返す。すると 私があなたに今一度お辞儀を返す。そうして私は、どうしたってあなたの名誉にふさわしいだけそ れをお返しすることは出来ない。――そこで私は私の額を畳にすりつける。するとあなたはあなたの 鼻を床板にすりつける。彼らは順々に並んで皆んな四つん這いになる。それはお互いに人より先に は出まい、お互いに人より先には席へ着くまい、という風である。そうして果しのない挨拶が低い声 でささやかれる。顔を床にすりつけたままで。 彼らは、しかし、とうとう坐る。礼儀張った円形をつくって、皆んな一様ににこにこしながら。私たち 二人はまだ立っている。目をば梯子段の方へ向けたままで。すると終に順番が来て、銀の花の小さ いかんざしが、黒檀のような真っ黒な髷が、真珠がかった鼠の着物が、ぼたん色の帯が、現われる、 ……私のフィアンセなるマドモアゼル・ジャスマンの!!…… おや! はてな、もう私は疾っくに彼女を知っていた! 日本に来るずっと以前に私は彼女を見 知っていた。すべての扇子の上で、すべての茶碗の底で。――あの間の抜けた様子と、あのぼち ゃぼちゃした顔をした彼女を。――あの譬(たと)えようもないほど赤くて白いニつの淋しい空地、そ れが彼女の頬なのであるが、その二つの淋しい空地の上に錐で穴をあけたような、あの小さい二つ の目を持った彼女を。 彼女は年若い。それが私が彼女のために云い得るすべてである。彼女は、私が彼女を受取ること は不安を感じずにはいられぬほど、実際年が若い。私は笑おうと思う気が一時に無くなってしまっ て、心は更に深い寒けを感ずる。こんな小さな者を対手に一生の内の一時間だって割くなんて、ど うして出来るものか!…… 彼女は勝利を押し包んだ様子をして、にこにこしながら進んで来る。そうして彼女の後からムッシ ュ・カングルウが鼠ずくめの服装で現れる。またしてもお辞儀。彼女も四つん這になる、私の大屋の かみさんの前に、私の隣人たちの前に。イヴは、大男のイヴは、自分で結婚するのでないから、私 の後に、やっと笑を噛み殺しながら、鹿爪らしい滑稽な様子をして立っている。――その間に私の 方では、考えをまとめる時間を私自身に与えるために、私は茶をすすめたり、小さい茶碗をすすめ たり、小さい灰吹をすすめたり、火をすすめたりする。…… けれども私のあてはずれした様子は、女客たちの目につかないですむわけに行かなかった。ムッ シュ・カングルウが心配そうに私に聞く。 ――いかがです? で私は低いけれども、決心のついた声でこたえる。 ――否! ……あの子ならだめです。……どうしても! 私は私の周囲の一同に了解が行き渡ったと信ずる。あきれた色が皆んなの顔にあらわれ、髷が伸 び、煙管の火が消える。そうして私はムッシュ・カングルウに非難をする。「なぜまた彼は、私が頼ん でおいたように、それとなく、偶然のように見せてはくれないで、こんな大袈裟な行列をつくって、友 だちやら、隣人やらと一所に、つれて来たりしたのか? それは今更こんなおとなしい人たちに対し て何という侮辱になることだろう!」 年とった女たち(疑いもなく母と叔母たち)は耳をそばだてている。そうしてムッシュ・カングルウは 私の云い出す気の毒なことを薄めながら彼らに訳してやっている。彼らは、私に殆んど心苦しい思 いをさせる。それはこういうわけである。彼女らは何と云ったところで、要するに子供を売りに来たの であるが、そういう女としては、彼女らは私の予期しなかった様子をしているから。私はそれを honnetete(廉恥)の様子と云うことは出来ない。(それは私たちの国の言葉であって、日本では意味 をなさない。)そうではなくて無意識の様子、大いなるお人よしの様子なのである。彼女らは云うまで もなく、彼女らの社会で許されているある行為を完成しつつあるのだ。そうして実際それは皆私の思 っても見なかったほど本当の結婚に似寄っている。 ――しかしあの子供のどこがお気に召しませんか? ムッシュ・カシグルウはあきれた顔をして尋 ねる。 私はその事を機嫌を取るような云い方で表わそうと努める。 ――あの人はあまり若いです。私は云う。―そうして白過ぎます。あの人は私たちのフランスの女 のようです。私は変化の上から黄色い女が欲しいのです。――しかしあれはあんた、おしろいが塗 ってあるんですよ! その下が黄色だということは私が保証いたします。…… イヴが私の耳もとに口をよせる。 ――あそこを見なさい、あの隅っこを。彼は云う。一番向うの障子の傍の、あの坐ってる子に気が ついていますか? 実際気がついていなかった。私は当惑にまぎれて彼女には少しも氣がついていなかった。夕日 に背中を向けて、黒っぽい物を着て、他人の後にかくれている人に似合はしく、構わない姿勢をし て居る。事実この子の方がいくらよく見えるか知れない。長い睫毛を持った目、少し細めではあるが しかし世界中のどこの国へ行っても褒められそうな目。殆んど表情であり、殆んど思想である目。丸 い頬の上の銅色。真っ直ぐな鼻。こころもち膨らんだ唇、しかしいい形をして、非常に愛らしいロもと をした唇。マドモアゼル・ジャスマンより年下ではない、多分十八ぐらいだろう。でもずっと女になっ て彼女は退屈なようなまた少し蔑すむような目つきをしている。こんなに長引いて、おもしろくもない 物を見に来たのを、後悔してるような風で。 ――ムッシュ・カングルウ、あの小さい女の子は何といいますか、あそこに、藍がかったものを着 た? ――あそこに?――あれはマドモアゼル・クリザンテエム(お菊)という娘です。ここに居る人たち について来たんです。見物に来ているんです。……お気に召しましたか? 彼は彼のしくじりに対 する今一つの解決の方法を嗅ぎつけて、あわただしくこう云う。 その時彼はあらゆる品格を忘れ、あらゆる礼儀を忘れ、あらゆる日本人気質を打ち忘れて、彼女 の手を取り、彼女を無理に立ち上らせる。彼女が夕日に向って、その姿のよく見えるように。すると 彼女は私たちの視線の後を追った。彼女はこれからどんなことになるのかを大体さとったらしく首を 垂れる。彼女は一層はっきりと、しかしまた一層あどけなくもなって来た口つきをして、まごつきなが ら、半ば拗(す)ね、半ば笑って、後退りしようとする。 ――何でもありません。ムッシュ・カングルウがつづけて云う。そっちだって、こっちと同じようにまと まります。あの娘はまだ結婚したことがないのですよ、あなた!!‥…… あの娘はまだ結婚したことがない! ――それならそうとなぜ初めから私に直ぐに云い出さなかっ たのだ、この間抜者。なぜ今一人の娘の代りに云い出さなかったのだ。……あの今一人の娘こそ本 当に気の毒でならない、あの可哀そうな小さな者こそ。柔かい鼠の着物を着て、花かんざしを挿し て、悲しそうな顔付をして、ある大変な悲しい事でもあるかのように、今にも泣き出しそうな目つきを しているあの小さな者こそ。 ――そっちだってまとまりますよ、あんた! まだカングルウは繰返している。彼は今では全く下ら ない媒介人か、全く下司な悪党のような様子に見える。 ただ私たちは、つまりイヴと私とは、相談の間は邪魔になると彼がいう。そうしてマドモアゼル・クリ ザンテエムがこの場合に似合わしく目を伏せてじっとしている間に、それからいろんな家族の人た ちがその顔にあらゆる程度の驚きの色を現わし、あらゆる種類の期待の色を示して、私の白い畳の 上に円形をつくって坐つている間に、彼は私たち二人を縁側へ送り出す。――そうして私たちは私 たちの下の深みを見おろす。靄(もや)の込めたナガサキを、薄暗くなって来た青みがかったナガ サキを。…… 日本語で大変な論議と、果しの無い応答。フランス語を使う時は洗濯屋でかつ下司根性に過ぎな いムッシュ・カングルウが、論議になると彼の国の長たらしい法式に返った。次第に私は我慢しきれ なくなる。私はだんだん真面目に取れなくなったこの好人物に尋ねる。 ――さ、早く云って下さい、カングルウ、話はまとまりそうですか、かたは付きそうですか? ――今直ぐ、旦那、今直ぐ。 そう云って彼は社会問題を取扱っている財政学者のような様子に返る。こうなっては、この国の人 間のぐずぐずに降参しなければならない。そうして私は、夕闇が日本人町の上に被衣(かつぎ)のよ うに落ちている間に、私のうしろでまとまりかけている取引のことを、思う存分に憂鬱に、しよう事なし に、考えて見る。 夜が来た。夜が閉ざして来た。ランプに火をつけねばならなかった。 何もかもきまって、片づいたのは、十時である。その時ムッシュ・カングルウが私にこう云いに来る。 ――話がつきました、旦那! あの娘の親が月二十ピアストルであの娘をあなたに上げます。― ―マドモアゼル・ジャスマンと同じ値段です。……… その時、私は本気で厭になった。こんなに早くきまってしまったので。またこの小さな人間とたとえ 暫くの間でも私自らを結びつけてしまい、そうして彼女と二人してこんな淋しい家の中に住まうこと になったので。…… 私たちは部屋に戻る。彼女は坐って一座の中心になっている。彼女の髪には花かんざしが挿さ れてあった。実際彼女の目には表情がある。彼女には殆んど物を考える風があると云える。…… イヴは彼女のしとやかな態度と、結婚間際の若い娘の小さなおどおどした顔付に驚いている。彼 はこんな結婚に対してこのようなことは想像していなかった。私だって実はそうである。 ――おお! いや実におとなしい! 彼がいう。実におとなしい! ねえ、そうじゃありませんか! これらの人たち、これらの習慣、この場の光景が、彼の心を奪っている。彼はそれから免れること が出来ないでいる。「おお! おどろいたなあ!……」――そうしてこの事について長い手紙をトゥ ルヴァンに居る彼の妻に書いてやろうという思付が、彼の気を非常に転ぜしめる。 私たちは、クリザンテエムと私は、握手する。イヴも彼女のきゃしゃな前足に触れるために進み出 る。――それに、私が彼女を娶(めと)ることになった元の起りは彼なのである。――彼女がきれい だということを私に注意してくれた彼がなかったら、私は彼女に気がつかずにすんだかも知れない。 この家庭がどんな風になって行くか、それが誰にわかるものか? それは女であるか、それとも、人 形であるか? ――数日たったら多分わかるだろう。……, いろんな家族の人たちは、軽い棒の端についた色とりどりの提灯に火をつけて、仰山な挨拶と、 礼儀と、お辞儀と、尊敬を以って、帰る用意をしている。梯子段を下りる時になると立って彼女らは お互いに先には下りまいとしている。そうして、暫くすると皆んな再び四つん這になって、身動もせ ず、口の中で丁寧な事を云い合っている。…… ――乗越え進め! ですかね? いヴが笑いながら云う。(海軍で邪魔になる物のあった時用い られる言葉。) 遂に彼らはすべり出て、下りて行く。次第に消え行く声で、一足ずつ終りに近づいて行く礼儀と、 やさしい言葉の最後のささやきを話し合いながら。そうして私たちは、彼と私は、この住み馴れぬ空 虚の部屋の中に二人きりで居残る。畳の上にはまだ小さな茶碗やら、おかしな小さな煙管やら、細 かい絵を彫った盆などが散らかっている。 ――皆んなの行くところを見てやろう! イヴは外の方へ乗出して云う。 庭の木戸口で、また同じようなお辞儀と同じような挨拶。それから女連は二組に分れる。絵を描い た彼らの紙の提灯は撓(たわ)みそうな棒の先にゆらゆらとぶら下りながら、遠ざかって行く。――そ れを彼らは指先で持っている。人が夜の鳥を釣るために暗やみの中に釣竿を持ってでもいるような 恰好で。マドモアゼル・ジャスマンの不幸な一行は山の方へ上って帰って行く。すると、マドモアゼ ル・クリザンテエムの一行は、町の方へつづく半ば梯子段みたいな半ば山羊の小路みたいな古い 小さな坂を下りて行く。 それから私たちもまた出かける。夜は新鮮で物静かで濃やかである。蝉の小止みない音楽が空 気を満たしている。遠く下の方へ消えて行く私の新しい家族の赤い提灯がまだ見える。彼らはどこ までもどこまでも下りて行き、あの口を開いた奈落の中へ見えなくなって行く。その奈落の底にナガ サキはあるのだ。 私たちも下りて行く。しかし海の方へつづく急な坂から、反対の方角の斜面を下りて行く。 そうして私が船に帰りついた時、あの山の上の光景が再び私の心に現れて来た時、なんだか私 の婚約は冗談ごとみたいで、内の者たちは操人形のような気持がする。…… 五 七月十日。一八八五年。 三日このかた結婚は完成された事実となっている。 山の下の、世界雑居の観を呈したあの新しい一区域の真ん中の、登記役場の一種の、或る醜い 四角ばった建物の中で、この事件は署名され、それから副署された。ある帳簿の上に、不思議な書 体で、昔は絹の着物を着たサムライであった滑稽な小さな人間どもの集まりの面前で。――それが 今彼らは窮屈な短上衣を着て、ロシア風の帽子をかぶった警官である。 それは白昼の大暑の中で行われた。クリザンテエムと彼女の母は、彼女たちの家から到着して居 った。私は私の家から出かけた。私たちは何か不名誉な契約でも取り交わすためにそこへ来ている ような様子をしていた。そうして二人の女は、彼女らの目には法律の代表者とも思われるこれらの醜 い小さな人間どもの前で震えていた。 官文書の書き散らしの間に、私は私の姓と名前と身分をフランス語で書かされた。それからまた私 は非常に妙な一枚の日本紙を渡された。それはキウシウの島の官憲に依って、市外ジュウジェンジ (十善寺)にある家の中で、クリザンテエム(きく)と呼ばれる婦人と同居することを私に認可する旨の 許可状であった。警察の保護の下において私の日本滞留中有効な許可状であった。 それにしても、高台の私たちの町の夜。またなつかしいものになって来た私たちの小さな結婚。提 灯の行列。振舞の茶。ささやかな音楽。……実際それは必要なものであった。 そうして今では私たちは殆んど古い夫婦のようである。私たちの間にはほんとうに順当に習慣が 生じつつある。 クリザンテエムは花を私たちの青銅の花瓶に活けたり、凝った着物の着方をしたり、拇指の別れた 足袋をはいたり、そうして憂欝な音色を出す柄の長いギターの一種(三味線)を終日掻鳴らしたりし ている。 六 私たちの家に居ると、ちょうど日本の絵のようである。小さい屏風、花を活けた花瓶をのせた風変り な足台、――それから、部屋の奥の、祭壇になった引込んだ所に、蓮の中に安坐している鍍金の 大きな仏陀、これより外には何もない。 家はまだ日本に着かないうちの当直の夜々、私のもくろんでいた計画の中で私が出逢った所のも のと寸分違わない。すなわち平和な郊外の、高い所にあって、青々した庭に囲まれている。――そ れはすっかり紙の羽目で出来ていて、もし壊そうと思えば子供のおもちゃのようにでも壊れてしまう。 ――蝉の家族どもは昼も夜も私たちの古い響き易い屋根の上で鳴いている。私たちの縁側からは、 ナガサキの上に、目も眩みそうな遠くに、眺望が広がっている。その街路も、その和船も、その大き な寺々も見える。一定の時刻になるとそれはまるで仙境の書割のように私たちの足下で輝き出す。 七 あの小さいクリザンテエムは。……横顔だけでは、どこへ行っても見られる。今日私たちフランスの 市場の場塞ぎになっている陶器や絹物の上に描かれてある絵の一つを見た人なら、誰でも記憶し ている。あの結い立てのきれいな髪を。あの何か新らしい人柄なお辞儀をしようとしていつも前こご みになっている腰つきを。あの大きな脹(ふく)らみになって後で結ばれている帯を。あの垂れ下っ た大きな袂を。あの蜥蜴(とかげ)の尾の恰好をした、ゆったりした、小さい裾の足の踵に幾らか掛か る位までに着こなした着物を。 しかし彼女の顔をば、否、誰も見てはいなかった。その顔には全く異なったところがある。 その上また、日本人がよく彼らの花瓶の上に描く女の型は、彼らの国では殆んど例外のものなの である。この軟かい紅で塗られた大きな青白い顔と、間の抜けた長い首と、鶴のような様子をした人 たちは、殆んど上流の階級に於いてでなくては見出し得ない。この上流の型(マドモアゼル・ジャス マンはそれを持っていた、それは私も承認する)は稀である。殊にナガサキでは。 市民社会と下流社会の人たちは、寧ろ愉快な醜さを持っていて、たまには可愛らしくさえなり、目 だけはいつも非常に小さく、殆んど開かない位であるが、顔はずっと丸く、褐色も強く、また一段と 生き生きしている。女にあっては、どことなくぼんやりしたところがその顔付にあって、子供らしいある ものが一生の終りまで残っている。 そうして非常に笑いっぽくて、非常に楽しそうである、日本のこの小さな人形たちは、皆んな! ――その楽しさは、少しあつらえ向きの楽しさである。実際、少しわざとらしい、時としてはうそにさえ 響く楽しさである。しかしとにかくそれには心を惹かれる。 クリザンテエムは例外である。何となれば彼女は憂欝であるから。どんなものがあの小さな頭の中 に浮んだりするのだろう? 私が彼女の言葉について知り得るところのものは、まだそれを発見する に不十分である。それに、彼女の頭の中に全然なんにも起らないことは一に対する百ほど確かであ る。――よしんばまた、何があるとしたところで、それは私にとって同じことだろう!…… 私は私を楽しますために彼女を選んだのである。そうして私は他の女たちの持っているような屈託 の無さそうな小さな無意義な顔を彼女に見る方が望ましい。 八 夜になると私たちは宗教的な形をした二つの吊り燈明に火をともす。それは私たちの金色の偶像 の前で朝までともっている。 私たちは毎晩私たちの白い畳の上に広げ展(の)べられる薄い木綿の蒲団の上に寝る。クリザン テエムの枕はちょうど盆のくぼに適したようにくり抜かれた阿賈如(アカジュウ)で出来た小さな木枕 であり、それは決して解くわけに行かないあの大きな結髪を乱さないようになっている。私はきれい な黒髪がほぐれているのを見ることは勿論決してあるまい。私の枕は支那型であって、蛇の皮で上 を張った四角な小さな太鼓みたいである。 私たちは橙黄色の笹縁の上に張られた、夜の色の、非常に陰気な青い紗の蚊帳の下に寝る。(こ れはきまった型になった色合で、ナガサキでは裕かな家には皆んな同じような蚊帳がある。)それが 天幕のように私たちを包む。蚊と蛾はその回りを踊りまわる。 * 話されると、初めは皆んな美しくきこえる。書かれると、初めは皆んなよく見える。――しかし、実際 はそうでもない。私にはそのわけはわからないが、何か知らそこには欠けたものがある。そうしてそ れは誠に厭わしいものである。 地上の他の国々では、オーストラリアのあの楽しい島においてでも、イスタンブールのあの死んだ ような古い町においてでも、言葉が私の云い表わしたいだけを云い表わすことが出来なかったよう に思われる。私は事物に浸み渡っている魅力を人間の言葉に引き直すことの出来ない私の無能に 対してもがいていた。 この国では、それに反して、言葉が、正しくさえあったら、いつも言葉の方が大き過ぎて、響き過ぎ るほどである。言葉の方が美し過ぎるのである。 私は今まで自分ひとりで、かなり下らない、かなり平凡な、ある喜劇を演じていたように思われる。そ うして、私が私の家庭のことを真面目に考えようとすると、いつも私の目の前には、私の幸福の恩人 である結婚媒介人のムッシュ・カングルウの姿が滑稽に現われて来るのが見える。 九 七月十二日 イヴは自由になると、いつも私たちの家へやって来る。――夕方の五時、船の中の仕事がすんで から。 彼は私たちの唯一のヨーロッパ人の来訪者である。近所の人たちや近所の女たちと挨拶を交わし たり、お茶の茶碗を交わしたりすることを外にしては、私たちは非常に世間から離れて生活している。 ただ夜になると、私たちは、小さい棒の先に提灯を下げて、垂直の小さな通を、ナガサキの方へ下 りて行く。芝居や、茶屋や、あるいは市場へ行って楽しむために。 イヴは私の妻をおもちゃのように面白がっている。そうして彼女が可愛らしいということを絶えず私 に話す。 私に取っては、彼女は私の屋根の蝉のようにうるさいものである。そうして私は、塔や山々のこの 大きなパノラマと向い合って、この住居の中に、柄の長い彼女の三味線の糸を指先でいじっている この小さな女の傍にただひとりで居る時は、――涙がにじみ出るほど物悲しく感じられる。…… 十 七月十三日 昨夜、私たちがジュウジェンジの日本家の屋根の下に寝ていた時、――あの、百年の日光に焦 がされて、少しばかりの音がしても、タムタム(印度人の太鼓)のぴんと張った革のように鳴り響く、薄 い木の古い屋根の下に寝ていた時、――私たちの頭の上で、本当のシャス・ギャルリ(猟犬の名) が、朝の二時の寂寞の中を、駈足で過ぎ去った。 ――ニズミ!(鼠!)、クリザンテエムがいう。 すると突然、その言葉が私に、今一つの全く別な国語で、ここから遠く離れた所で話された「セッ チャン!……」という言葉を思い起させた。以前、他の場所で聞いた言葉を。同じような状態の下で、 夜の恐怖の瞬間に、ある年若い女の声で、私の耳もとにささやかれた言葉を。――「セッチャン! ……」イスタンブールで過した私たちの最初のある夜、エイウブの不思議な屋根の下で、私たちの まわりに危険の迫っていた時、黒い階段の段々の上できこえた一つの音が、私たちを身震いさせた。 そうして彼女も、親愛な小さいトルコの女も、彼女の愛する国語で、私に云った。「セッチャン!」 (鼠!)……と。 おう! その時、その思い出と同時に、ある大きな戦慄が私の全身を震わせた。私は十年の夢か ら一足飛びに目ざめたようでーー私は一種の憎しみを以って、私の傍に寝そべっているあの人形 を見た。私はなぜこの寝床の上に寝ているのだろう、と怪みながら。そうして私は厭悪と悔恨の心に 駆られて立ち上った、青い紗の帳を脱け出すために。…… 私は縁側まで歩いて行った。……そうして星空の底を見渡して、立ち止まった。ナガサキは私の 下の方に眠っていた。夢の国のバラ色の光に包まれて、月の光の中に数限りない虫の声を響かせ つつ、軽い軟かそうな夢を結びながら。それから、私は首を振り向けて私の後の金色の偶像を見た。 その前には燈明がともつていた。偶像はいかにも無感覚な微笑を湛えていた。そうしてその偶像の 存在がその部屋の空気の中に、私には何ともわからないが、不思議な不可解なある物を投げてい るように思われた。私は私のこれまでの生涯のどの時期にも、未だかつてあのような神に見守られ て眠ったことはなかった。…… 真夜中のその静けさとその沈默の中で、私は今一度イスタンブールの鋭い印象を捉えて見ようと 努めた。――ああ! 否、その印象はもはや帰って来なかった、余りに遠く余りに不思議なこの環 境にいては。……青い紗を通して日本の女が透いて見えていた。くすんだ色の寝巻姿の、風変り な美しさをして、後ろ首を木枕の上に休めながら、そうして髪は大きな輝いた髷に結って。彼女の琥 珀(こはく)色の、しなやかな、可愛らしい両腕は、彼女の大きな袂から肩のところまでまくれていた。 「一体、あの天井の鼠はどうしたんでしょう?」とクリザンテエムはひとりごとを云っていた。無論彼女 は理解していなかった。小猫のような媚をもって、彼女はなぜ寝に婦らないのかと催促するように、 その細い目を私の方へ投げた。――で私は彼女の傍へ帰った。 十一 七月十四日 フランスの祭日。ナガサキの港には私たちのための満艦飾と祝砲。 ああ! 私はなつかしい私の古い家の奥深く、非常な物静かさの中で、うるさい人たちに対して門 を鎖して過した去年の七月十四日のことを、終日深く思い耽ける。その時、外では陽気な群集が騒 いでいた。私は葡萄蔓(ぶどうづる)と忍冬の蔭の腰掛の上に夕方まで坐っていた。その腰掛には 昔私の子供の頃の夏の日、私が日課を勉強するような振りをして筆記帳をかかえてはよく坐り込ん だものである。――おお! 私が私の日課を勉強していたあの頃……私は他の事ばかり考えてい た。――旅行のこと、遠い国々のこと、夢で想像していた熱帯の森のことなど。……その頃、庭のあ の腰掛の傍の、壁石の裂目の中に、黒い蜘蛛(くも)の醜い奴が住まっていて、いつも見張をしなが ら、彼らの窓から鼻先を出して、向う見ずな蚋(ぶよ)や這い廻る百足(むかで)に飛びかかる身構え をしていた。そうして私の楽しみの一つは、草の葉っぱや桜ん坊の莖などを取って来て、穴の中の その蜘蛛たちをそうっと、そうっと擽(くす)ぐってやることであった。するとうまく騙(だま)されて、彼ら はいきなり飛び出して来るのであった。てっきり何かの餌にありついたと思って。――すると私は気 味わるさに手を引込めてしまった。……それはそうと、去年の七月十四日。私は過し日のあの作文 や翻訳から決して逃げ去る事の出来なかったあの時代、それから昔のあのいたずらのことを思出し ながら、私は同じ蜘蛛たちが皆んな(あるいは少くとも昔の蜘蛛の娘たち)がまだ同じ穴に居るのを 再び見出したのであった。そうして彼らを眺めていると、草の葉っぱや青苔を眺めていると、私の生 涯の最初の夏の日の様々な思出が再び私に返って来るのであった。あの常春藤(きずた)の小枝 に蔽われてその古い壁のほとりに幾年月を眠っていた思出が。……私たちのことは、すべて変化し、 過ぎ去って行くのに、かの自然の恒久が、最小極限の零細な事物までも常に同じ状態に再生させ ているのは、非常な神秘である。同じ種類の特殊な苔は幾世紀の間もちょうど同じ場所に生え代り、 そうして同じ小さな畠は夏ごとに同じ所で同じ事を繰返している。…… 私は幼時と蜘蛛のこの挿話が、クリザンテエムの話のまん中でおかしなものになっているのを認め る。しかしとんでもない途切れがこの国の趣味の中には必ずある。すべての物の中に皆途切れが 用いられている。談話にも、音楽にも、また絵画にさえも。たとえば、ある風景画家が山と岩の画面 を仕上げてしまったら、空のちょうどまん中へもって行って、一つの図形とかあるいは菱形とか、何 でも縁の付いた形を描くことに決して躊躇しないだろう。そうしてその中へもって行って、何でもかま わず縁もゆかりもないものを表わすだろう。たとえば扇を使っている坊主とか、茶を飲んでいる女と か。実際何らの前置なしに、こんな勝手な脇道へ逸れること以上に、日本的なことはあり得ない。 その上、もし私がこんな事をすっかり記憶のまま思い起したとしたなら、それは、私の生れ落ちて 以来知っているなつかしい事物の間で、あのように物静かに過された去年の七月十四日と、―― 物珍らしい事物の間で、更に多く動揺して過される今年の同じ日との間の相違を、私自らに更によ く注意させるためだったのである。 そこで今日は、二時の暑い日光の下を三人の足早なジンが私たちを全速力で運んで行く。イヴと クリザンテエムとそうして私を。銘銘小さな揺れる車に乗ったのを、一列になって引張りながら、―― ナガサキの他の端まで私たちを運んで行く。そうしてそこで、私たちを、山の中へ真っ直ぐに登って 行けるようになっている巨大な石段の麓へ下す。 これはお諏訪さまの大きな殿堂の石段である。花崗岩で出来ていて、軍の一隊全部が上れる位 大きい。バビロン(昔のバビロニアの首都)のものやニネヴェ(昔のアッシリアの首都)のもののようで、 堂々としてしかも素朴で、四辺の矯飾と全く対照をなしている。 私たちは登って行く、私たちは登って行く。――ぼやぼやしたクリザンテエムは、黒地に赤い蝶々 を描いた彼女の紙の日傘の下に疲れなやみながら。私たちが登ってしまうと、その度(たび)に私た ちは花崗岩で一様に出来た粗末な原始的な形をした大きな楼門の下をくぐる。実際これらの殿堂 の石段とこれらの楼門とはこの国民の想像した唯一のやや偉大なる事物である。これらの事物は人 を驚かせる。殆んど日本的だと云われないから。 私たちはなおも登って行く。この暑い日盛りを、この広大な灰色の石段の上から下まで私たち三 人のほかは誰もいない。この全体の花崗岩の上にやや派手でやや輝かしい色を投げるものと云っ ては、クリザンテエムの日傘の赤い蝶々があるきりである。 私たちは殿堂の第一の中庭を通り抜ける。その中庭には二つの白磁の塔と、幾つもの青銅の燈 籠と、一つの大きな硬玉の馬がある。それから私たちは殿堂に行かないで、木蔭の涼しい庭にはい るために左手へ曲る。その庭は山の中腹の台地になって、そのはずれにはドンコオ・チャヤ(どんこ う茶屋)が立っている。――フランス語でいうと、ラ・メゾン・ド・テエ・デ・クラポオ(蟇蛙(がまがえる) の茶屋)というのである。(どんこう茶屋は香港(ほんこん)茶屋と書いたものだそうである。だが長崎 では蟇蛙のことをドンクというので、車夫やお菊さんなどがその意味に取って教えたのではあるまい か。) クリザンテエムが私たちをつれて来たのはここなのである。私たちは大きな白字で飾られた黒い木 綿の天幕(葬式のような外観)の下に、一つのテーブルに向って腰かける。――するとよく笑う二人 のムスメが、私たちを一生懸命にもてなす。 ムスメというのは若い少女もしくは非常に若い女を意味する言葉である。それはニッポンの言葉の 中でも一番きれいな言葉の一つである。その言葉の中にはムウ(彼女らがするような、おどけた可愛 い、小さいムウ(口もとを歪める事))と、それから、殊にフリムウス(彼女らの顔のような愛嬌のあるフ リムウス(顔つき))とがあるように思われる。私はこれからこの言葉をしばしば使うであろう。これに当 てはまる言葉をフランス語では一つも知っていないから。 日本のワットー(アントワーヌ・ワットー、一六八四~一七二一、フランスの風景画家)は、このド ンコオ茶屋の絵を描くべきであった。少し作り過ぎてはあるが、面白い田舎の風俗を現わしたこの 絵を描くべきであった。この茶屋は非常に深く繁った大樹の円天井の起点の下に日蔭になってい る。その直ぐそばの、小さな泉水の中には、この茶屋がその気持のよい名前を借りた幾疋かの蟇蛙 たちが住んでいる。――満開の梔子(くちなし)で飾られた最も小さな人工的の島の中の、最もきれ いな苔の上で這いまわったり歌ったりしている幸福な蟇蛙たちが。彼らの中の一匹がいつも間断な く、フフンスのクラボウの声よりもずっとうつろな低調の声でクアックと云いながら、自分のある一つの 思想を私たちに告げている。 この茶屋の天幕の下にいると、非常に高く、灰色の町と新緑に埋もれたその郊外の上にのしかか って、ちょうど、山から張り出したようなあるバルコニーの上に居るようである。あたりには、私たちの 上の方にも下の方にも、どこへでもすがりつき、どこへでもぶら下って、木立の繁み、非常に新鮮な 森が、温帯のやさしく様々に群がった葉を茂らしている。それから、私たちの足もとには、狭まって 傾斜しながら、深い入江が青い大きな山の集まりの間ヘーつの恐ろしい薄暗い裂け目となって消 えているのが見える。そうして底の方の、遥か下には、黒く澱(よど)んだように見える水の上に、軍 艦や汽船や和船が今日は一様に帆綱に旗を翻しているのが、小さく小さく押し潰されたように見え る。すべての物を支配している濃緑色の色調の上に、各国民の記号の旗ぎれの幾千が輝かしくた なびいている。――遠いフランスの光栄のために、すべてが飾立てられ、すべてが並べられて。 この雑色の集合で一番数多いのは赤い丸を染め出した白い旗である。これは私たちの今いるこ の「昇る日の帝国」を表わすものである。 今日はこの庭園の中には、そこの先に三、四人の弓を引いているムスメたちを除いては私たちだ けしかいない。回りの山は物静かである。 クリザンテエムは彼女のシガレットとお茶を飲んでしまうと、今でもなお若い女たちの間に誇りとな っているこの弓術で、自分も腕だめしをして見たいといい出す。――そこで射的番をしてる一人の 老人が彼女に白と赤の羽根の付いた最上の矢を選んでやる。――彼女は大まじめで狙いを定める。 的は恐ろしい怪獣が雲の中に飛躍している所を灰色で描いた絵の真ん中の一つの円である。 彼女は名人である、クリザンテエムは。それは実際である。そうして私たちは彼女の予期していた 通り彼女に感心する。 小手先の勝負事にかけては何でも器用なイヴは自分も試みて見ようとして、そうしてしくじる。その 時彼女がやさしさと笑を湛えながら、彼女の小さな指先で水兵の大きな手を整え、彼に立派な射方 を教えてやるように、その大きな手を、弓と弦とに適当するように構えさせるのを見るのはおもしろ い。・・・しかし、彼らが、イヴと私の人形が、この時ほど似合わしく見えたことはなかった。もし私が私 の善良な弟を信ずることが更に少く、またその上この事が私に取って全くどうでもよいような事でな かったら、私は不安になったかも知れなかったほど彼らは全く似合わしく見えた。 この庭園の静けさの中で、この山々の生温い沈默の中で、下の方からきこえて来るある大きな音 がいきなり私たちを驚かす。類のない、力づよい、恐ろしい音で、ある限りなく長い金属の震動音と なってどこまでも伸びて行く。……そうしてまた始まる。更に恐ろしい音を出して、ブウム! と、吹き 来る風の途絶え途絶えに運ばれて。 ――ニッポン、カネ! 私たちにクリザンテエムが説明する。 そうして彼女は美しい色の羽根を付けた彼女の矢をまた取り上げる。ニッポン、カネ(日本の鐘)、 日本の鐘が響いている! ――それは私たちの下の方の郊外にある寺の、恐ろしく大きな鐘である。 ――なるほど! 力づよい「日本の鐘」だ! 撞(つ)き止めた後で、それがもう聞こえなくなってまで も、震動はあたりの木立の中に残り、無限の響きが空気の中に残っているように思われる。 私はクリザンテエムが彼女の弓をよくきめるために後の方へ腰を引いて、両袖を肩のところまでま くし上げ、琥珀のように磨き立てて、色もややそれに似た華奢な腕をあらわにむき出して、矢をつが えている姿を、可愛らしいと認めざるを得ない。どの矢も、どの矢も、鳥の羽音のように鳴って行く、 ――その次に小さい乾いた音。すると的はあたっている、いつでも。…… 日が暮れて、クリザンテエムはジュウジェンジヘ上って行く。私たちは、イヴと私は、居留地を通り 抜ける。これから船へ帰って明日まで当直をするために。この世界雑居の一区域ではアブサンの 匂いが立っている。どこも旗だらけで、フランスの光栄のために花火を打ちあげている。ジンの列が 幾つも通り過ぎる。彼らの素足の力かぎり、トリオンファント号の私たちの水兵を乗せながら。その水 兵たちは皆んな扇子を使ったり、大きな声を立てたりしている。到る所で私たちのあわれなマルセイ エズが聞こえている。イギリスの水兵たちまでが喉を嗄らした声で、彼らのゴッド・セイヴのような、間 の緩んだ、葬式のような調子で、それを歌っている。アメリカ人のどのバーを見ても私たちの国民を 引き付ける為に、器械的なピアノが、奇妙な変調や厭(いと)わしい前曲を入れて、それを弾いてい る。…… ああ! 近来のおかしな一つの思出がその夜のことを思い起させる。帰り道に、私たちは二人とも つい道を迷って、上等でない女たちの大勢住まっている通りにはいってしまった。私は今でもあの 大きなイヴが、年の頃十二から十五位な全く小さなムスメたち、背はやっと彼の腰の所までしかない 娼婦たちの一群に取り巻かれて、彼の袖を引っ張って彼を悪い事に連れて行こうとしているのに反 抗して、争っていた様がいまだに目についている。彼は彼女らの手から逃れると、「おお! ひど い!」と云っていた。彼女らがそんなに若く、そんなに小さく、そんなに赤ん坊みたいなくせに、もう そんなに恥知らずになっているのを、この上もなくあきれ返って。 十二 七月十八日 今では私と同じように結婚して、同じ郊外の少し低い所に住んでいるものが四人ある。私の船の 士官で四人ある。それは同じように極めて有りふれた一つのアヴァンチュールである。例のカングル ウの周旋によって、危険もなければ困難もなければ不思議もなしに出来ることである。 そうして自然の順序で私たちはこれらの女を受取るのである。 先ず、小さいシャルル N と結婚しているマダム・カンパニュル(釣鐘草)と云って、いつも笑ってば かりいる私たちの隣人がある。その次にマダム・ジョンキュ(水仙)、これはまたカンパニュルよりもよく 笑う。そうして若い鳥に似ている。この娘は仲間の中で一等可愛らしく、彼女を崇拝している北国生 れのブロンドのXと結婚している。この二人は恋仲で離れられぬ夫婦である。今に出発の時が来て 泣くのはこの夫婦だけだろう。それからなおシク・サン、これは博士Yと。そうして最後に少尉候補生 Zは、小娘の、ちび娘のトゥキ・サンと。この娘は身長は半靴の高さほどしかない。年はせいぜい十 三であるが、それでいてもう一ぱし女になって、気取り屋で、機嫌買いで、金棒引きである。私は子 供の頃よく動物芸の芝居に連れて行かれた。そこにマダム・ド・ポンパドールとか云って一番の大役 をつとめる役者があった。それは羽根飾を付けた一匹の猿で、私は今もありありと覚えている。トゥ キ・サンは私にその猿を思出させる。 夜になるとこの連中が皆んな私たちのところへ、提灯を連ねて、その提灯を道づれとして、大きな 散歩をするために、誘い出しに来る。私の妻は、私から見ると、誰よりも真面目で、誰よりも内気で、 誰よりも上品で、人柄にさえ見える。思うに、これは他の娘たちより少し上の階級に属しているから だろう。これらの友だちが来た時は一家の主婦らしく立働こうと試みる。これらの不似合な、一日の 結び合な幾組の夫婦が入って来るところを見るのは滑稽である。女たちは、この家の女王なるクリ ザンテエムの前に、三度も四つん這いになって、ぎごちないお辞儀をする。 仲間が皆んな揃うと私たちは出かける。私たちは腕を組み合せて、順々に並んで、いずれも竹竿 の先に白や赤の提灯を下げて行く。――それがいかにも美しく見える。…… 私たちは一種の道路、と云うよりは、むしろ山羊の逆落しとでもいいそうな道、それは昔からの日 本人のナガサキヘつづく、その道を下りて行かねばならぬ。――ああ! 今夜またこれを登らねば ならぬのだ、と先のことを思い思い。この段段を皆んな、よくすべるこの坂道を皆んな、躓(つまず)く この石を皆んな登らねばならぬのだ。家に帰り着いて、寝床に入って、そうして眠る前に、と思い思 い。――私たちは暗闇の中を下りて行く。枝の下を、葉の繁みの下を、黒い庭園と庭園の間を、道 の上に微かな光を投げている古めかしい家と家の間を。もし月が出なかったり、隠れたりしている時 には、提灯も余計なものではない。 とうとう私たちは下りつく。すると突然、何らの移り変りもなしに、私たちはいきなりナガサキヘ入り 込んでしまう。人の出盛っている長い灯のついたある町筋の中へ入ってしまう。そこには全速力で 走っているジンたちが掛声を出して通っている。そこには風に吹かれて沢山な紙の提灯が閃(ひら め)いたり動いたりしている。それはにわかの喧騒と活動である、私たちの静かな郊外の平和の後 では。 ここで、体面上私たちは私たちの妻と離れなければならぬ。彼女らは五人とも皆んな手をつなぎ 合せる。ちょうど散歩に出た小さい娘たちのように。そうして私たちは知らぬ振りをして後からついて 行く。こうして後から見ると、彼女らは、この人形たちは、髪をきれいに揚げて、鼈甲(べっこう)のか んざしを意気にさした様子が実に可愛らしい。彼女らは高い下駄でいやな音を立てながら、流行で 品のよいことになっている内股な歩き方をしながら練って行く。絶えず彼女らは笑い声を出してい る。 実際、後から見ると、彼女らは可愛らしい。彼女らはすべての日本の女のように、華奢(きゃしゃ) な小さな首筋をしている。その上、こんな風に大勢して並んでいると、彼女らはおどけている。彼女 らのことを話す時に、私たちは「芸のできる子犬」という。そうして彼女らの動作に、そういう点の沢山 あることは事実である。 この大きなナガサキは端から端まで同じようである。そこには石油ランプが沢山ともっている。そこ には色のついた提灯が沢山動いている。そこには威勢のいいジンたちがたくさん駈けている。どこ まで行っても同じような狭い町で、南側には紙と木で出来た同じような低い小さな家、どこまで行っ ても同じような店ばかりで、窓硝子というものがちっとも無くて、明けっ放しになっている。一様に単 純で、一様に幼稚である。どんな物が製造され、どんな物が取引されるにしても。精巧な金の漆器 を陳列するにも、見事な陶器を陳列するにも、あるいは古い瓶を並べるにも、干物を並べるにも、屑 物を並べるにも。そうして店番は皆んな貴重な物や、あるいはがらくた物の真ん中の畳の上に坐っ て、足は腰まで丸出しになって、私たちの隠しているものを少しばかり露出している。しかし胴だけ はつつましやかに包まれてある。そうしてあらゆる種類の小さなたまらない稼業が衆人の目の前で、 幼稚なやり方で、人の善さそうな風をした職人たちの手によって行われる。 おう! これらの町々の奇妙な売物と、これらの店々の不思議な思い付き! 市中には、馬も通らねば馬車も通らない。歩いている人と、ジンの滑稽な小さな車の中に乗って 運ばれて行く人と、この外にはなんにも通らない。幾たりかのヨーロッパ人が、港の船を脱け出して そこにもここにも歩いている。――幾たりかの日本人が(幸いにまだ数は少ないが)ジャケットを着て いる。その他の者は、彼ら固有の着物を着た上から得意になって山高帽をかぶっている。その下か ら彼らの直髪の長い房がはみ出している。どこを見ても忙しさと、儲け事と、値切る事と、骨董品と、 ――笑いと。…… 市場で私たちのムスメたちは毎晩沢山な買物をする。だだっ子のように、何を見ても皆んな彼女ら は気に入る。おもちゃでも、かんざしでも、帯締でも、花でも。――それから、お互い同士、彼女らは やさしく、娘らしい笑いを湛えながら贈物のやり取りをする。たとえば、カンパニュルがクリザンテエ ムのために巧妙に工夫された一つの提灯を選ぶ。その提灯の中では支那人の影絵が、見えない からくりによって動かされて、灯のぐるりを絶え間なく踊り回るように出来ている。クリザンテエムは、 その礼に、カンパニュルヘー本の魔法扇を与える。その扇には思い通りに変化する絵が描いてあ って、蝶々が桜の花の上を飛んでいるところになったり、他界の怪物が黒雲の中を追っ駈けっこを しているところになったりする。トゥキがシクに、富の神ダイコクの脹(ふく)れた顔を表わした厚紙の 仮面を贈る。シクは一つの長い琉璃製のものでそれを吹くと七面鳥の鳴声のような、全く途方もな い音を出すラッパで返礼をする。何時もどこへ行っても非常に奇妙な、たとえようのないほど奇怪な ものばかり。どこを見ても到る所に、私たちの頭とは反対な、理解の出来ない概念かと思われる驚く 物ばかりである。…… 私たちが私たちの夜を過ごす有名な茶屋では、小さい女中たちが、私たちが入って行くと、ナガ サキで立派な生活をしている連中の者が来たように、尊敬して、見覚えているような風で私たちに お辞儀をする。そこで私たちは通じなかったり勘違いしたりする世間話を、馴れない言葉でいつま でもとぎれとぎれに話す。――提灯のともっている小庭の中の、小さな橋があったり小さな島があっ たり小さな崩れかかった塔があったりする金魚の池のほとりで。私たちには茶が出る。今まで知って いるものの中では思い出せないような味を持った生姜入の白と赤の砂糖菓子が出る。香料や花の 味のする雪と氷のまざった奇体な飲物が出る。 これらの夜のことを忠実に述べるためには、私たちの国語よりはもっと気取った国語を要するであ ろう。また筆写的なある記号が特に発明されねばならないだろう。その記号を文字の間にぽつりと 入れて、読者に笑声を出すべき時を示すようにしなければならないだろう。――その笑声というの は少し無理な笑声ではあるが、しかし生き生きして晴れやかな笑声である。…… さて、宵が過ぎると、また高い所へ引き返すことになるのである。…… おう! 私たちが、毎晩、星空の下を、あるいは嵐で重くなった空の下を、山の中腹にある鳥の巣 のような高い家へ帰るために、畳の床へ帰るために、居睡りしている私たちのムスメの手を引いて登 って行かねばならぬあの町筋、あの道。…… 十三 私たちすべての中で一等すらりとしているのは、ルイ・ド・Sであった。以前日本にいたことがあっ て、結婚したこともあるから、彼は今日でも喜んで私たちの妻の友だちになってくれている。彼は私 たちの妻たちに対して、コモダチ、タクサン、タカイ、即ち「非常に背の高い友達」なのである。(これ は彼女らが彼の非常に高くて肩幅に欠けている姿について付けた名前である。)彼は日本語を私 たちよりもよく語すので、彼女らの信頼している親友である。彼は私たちの家庭を思いのままに掻き 乱したり仲直りさせたりする。そうして私たちに厄介をかけて喜んでいる。 私たちの妻たちのこの「非常に高い友だち」は、少しも家庭生活の面倒なしに、この小さな女たち の与え得るほどの愉快は、みんな楽しんでいる。私の弟のイヴと、小さいオユキ(私の家主のマダ ム・プリュヌ(お梅さん)の娘)と共に、彼は私たちの集めている離れられぬ仲間となっている。 十四 ムッシュ・スウクル(砂糖=佐藤さん)とマダム・プリュヌ(お梅さん)、私の家主と彼の妻、どちらも屏 風から脱け出したような、類のない人間であるが、この夫婦は私たちの下の、一階の部屋に住んで いる。クリザンテエムの離れられぬ友だちである十五になるオユキというこの娘を持つには、どちらも かなり年が行っている。 二人とも神信心で、いつも彼らの家族の祭壇の前に膝まずいて、いつも彼らの長い祈祷を神霊に 話しかけている。大気の中を漂っているかの無心の本質を、彼らの回りに呼び戻すためにしょっち ゅう拍手を打ちながら。――彼らのひまな時には、絵を描いた小さな陶器の鉢の中に、小さな盆栽 を植えたり、夜非常によい匂いを放つ珍らしい花ものを植えたりする。 ムッシュ・スウクルは默り屋で、交際ぎらいで、青い木綿の着物を着て木乃伊(みいら)のように干 乾びている。彼は指先に挿(はさ)んだ一本の筆で、少し灰色がかった長い帯状の紙の上に頻りに 書きものをしている。(多分彼の感想であろう。) マダム・プリュヌはあくせくした、おべっか屋の、慾ばりである。眉毛は無惨に剃り落され、歯は漆 のように黒く念入りに染められてある、一ぱしの婦人に見えるように。いつでも私たちのために何か 用事を足しに来る時には、私たちの部屋の入口に現われて四つん這いになる。 オユキは一日十度位私たちの部屋に時ならぬ侵入をする。(私たちが寝ている時でも、私たちが 着替をしている時でも。)風のように可愛らしげに若々しく、快活におどけて入って来る。笑の様に 生き生きした晴れやかさで入って来る。なり姿も全く丸く、顔形も全く丸く、半ば赤ん坊で、半ば若い 娘である。そうしてとんでもない時に、あなた方を唇一ぱいに接吻するような、大変によい友情を持 っている。彼女のあの大きなだらしない唇で。少し湿ってはいるが非常に生き生きした非常に赤い その唇で。…… 十五 夜中明け放しになっている私たちの家では、金色の仏陀の前で燃えている燈明が、あたりの庭の 虫けら仲間を皆んな部屋の中に呼び集める。蛾、蚊、蝉、それから私には名前のわからぬその他 の奇妙な昆虫、――これらが皆んな私たちの家にたかって来る。 思いも寄らぬ蟋蟀(こおろぎ)や我がまま勝手な甲虫が現われて私たちの白い畳の上を這い廻る 時、クリザンテエムがそれを指で教えて私の怒りに訴える様は滑稽である。――ただ指先でそれを 私に指し示して、「う!」と云つたきり、首を下向けて、独特の目つきをして、怒ったような顔付をして いるその様は。家にはそれらを戸外へ追い出すために、ある特別の団扇(うちわ)がある。 十六 ここで私は私の物語を読む人に対して、この物語は可なり長引くに相違ないことを告白しておか ねばならない。…… 情事と悲劇的事件に欠けているから、せめて、私は、私の回りの庭園のよい薫りの少しなりとも、 太陽の軟かい暖かさの少しなりとも、やさしい木蔭の少しなりともまぜておきたいと思っている。愛に 欠けているから、この遠い郊外の平和な静けさの事物でも少しばかりまぜておきたいと思っている。 またクリザンテエムの三味線の音色もまぜておきたいと思っている。彼女の三味線については、こ の美しい夏の夜の沈黙の中に、それよりよい音楽に欠けているので、私は幾らかの魅力を見出し始 めた。…… 過ぎ行こうとする七月の月を一ぱいに浴びたこの頃は、明るくて穏やかで、実に美しかった。お お! 冴え渡った美しい夜、あの不思議な月の下の美しい赤い光、木深い繁みの中の美しい青い 蔭。……そうして高い私たちの縁側から、眠っているところの見えるあの町はどんなに美しいもので あったろう! …… ……ああ、あの小さいクリザンテエム、私は要するに彼女を憎むことは決してしない。のみならず、 どちらからも、物的な嫌も憎もない時には、習慣がとにかく一種のきずなを作ってしまうものである。 …… 十七 いつも、鋭い、無数の、絶え間ない、昼も夜も日本の村々から聞こえて来る、あの蝉の声。昼のど んな暑い時刻にも、夜のどんな冷たい時刻にも、構いなく到る所で、間断なく鳴いている。港の真 ん中でも、私たちは到着以来、両岸からも、青い山々の両方の障壁からも、同時に聞こえて来るそ の鳴声を聞いていたのであった。その声はつきまとって、疲れることを知らない。それは意味ある表 現のように思われる。世界のこの領土に特殊な生活の騒音かとも思われる。それはこの島国の夏の 声である。それは生の幸福の最大歓喜の中で絶えず膨大しようとし、向上しようとする様子を持った、 常に自分自身には無関心な、無意識な悦びの歌である。 それは私にとっては、この国の特質的な声である、――あの大鷹の叫び声と共に。その大鷹もま た私たちが日本に来たのを歓迎してくれる声であった。谷あいの上を、また深い湾の上を、この鳥 は、驚きの限りを尽し、愁いの窮(きわみ)を尽したようなうら悲しい調子で、時時彼らの「ハン! ハ ン! ハン!」という三声を出しながら飛び回っている。――そうして山々が彼らの鳴声をこだまして いる。 十八 イヴとクリザンテエムと小さいオユキ、彼らは私を喜ばすような仲よし同士になった。彼らが仲よくし ているのは私の家庭においてこの上もない愉快を私に与える。それは思いも寄らない場面や笑い を生ずる一つの対象を彼らが作っているからである。イヴは可愛らしい身振をするこの二人のムスメ たちと並んで、今にも壊れそうなこの紙の家の中に、水兵ののんきさとブルターニュ訛(なま)りを持 込む。短い重苦しい声を出すこの大きな坊ちゃんが、鳥のような声を持っているこの二人の全く小さ な娘たちの間に挾まっていて、彼を思い通りにあやつり、箸で食べさしたり、日本の pigeon‐vole* (ピジョンヴォール)を彼に教えたり、――ごまかしたり、――そうして喧嘩になったり、――また笑い こけたりする。 クリザンテエムとイヴが互いに大変気に入り合っていることは確かである。しかし私はいつも信頼し ている。そうして偶然にも夫婦となったこの小さい妻が、「弟」と私との間に、少しでも真面目な面倒 を引き起すようなことがあり得ようとは決して思えない。 * pigeon vole とは、一人が「鳩」と云って、手ではわざと獣の立ってるような真似をする。他の 人々はそれに釣り込まれないで鳩の飛ぶ真似をすればよいのである。また「牛」と云って今 度はわざと鳥の飛ぶような真似をする。その時他の人々は牛の立ってる姿をすればよいので ある。もし発言者の手まねに釣り込まれて「鳩」と云った時に牛の真似をするとその人は負に なるのである。 十九 非常に大人数で、ずいぶんと人目につく私の日本人の家族――これは私を山の上に訪ねて来る 船の士官たちに取って慰めの大きな種となっている。殊にコモダチ、タクサン、タカイにとっては。 すっかり世間を知っている愛嬌ある義母、小さい義姉妹たち、小さい従姉妹たち、そうしてまだ年 のわかい叔母たち。 私はなおその上、ジンをしている一人の貧乏な二等親の従弟を持っている。――皆んなこの後者 の事を私に打ちあけるのを躊躇していた。しかし、私たちは初目見えの時ちかづきの微笑を取り交 わしたのである。それは四一五号であった! この憐れむべき四一五号について、船の中で私の友人たちは、大っぴらにひやかしている。―― その中で取りわけそんなことを云う権利のない一人は、小男のシャルルNである。彼の義母は或る 寺の門で門番か、あるいはそれより少し劣ったようなことをしていた。 私は軽快と力とに大いな敬意を持っているから、人と反対にこの身寄の者を尊敬している。彼の 足はその上ナガサキー番である。そうして私は何か急ぎの用事の時は、いつでもマダム・プリュヌに 下まで使に行ってもらい、ジンの立場で、私の従弟を傭ってもらうのである。 二十 私は今日不意に出来心で、燃えるような真昼の中を、ジュウジェンジヘ行って見た。私たちの梯 子段の下には、クリザンテエムの木の履物と彼女の塗革の雪駄があった。 二階の部屋の中は開け放しになって、竹の簾垂(すだれ)が日射しの方に下っていた。その明る い編み目を通して生ま温い空気と金色の光線が流れ込んでいた。クリザンテエムが私たちの青銅 の花瓶の中に挿しておいたのは今日は蓮であった。そうして私の目は、その部屋にはいるとすぐ、 その花の赤い大きな花弁の上に落ちた。 彼女は寝ていた。いつもの昼寝のくせで、畳の上に伸び伸びと寝ていた。 ……クリザンテエムに活けられたこれらの花は、いつも何と特色のある型を持っていることだろう。 それは定義を下しにくいようなものであるが、ある日本的なすっきりした細長さといおうか、ある技巧 を凝らした美しさといおうか、私たちがそれをその花に与えてみようとしても出来そうもないものであ る。 ……彼女は畳の上に俯向けに平たく寝ていた。彼女の高い髷と鼈甲のかんざしが、寝た身体の 水平の上に一つの突起を作りながら。彼女の下着の小さな裾はその華奢な身体を鳥の尾のように 長く引いて見せていた。彼女の両手は十文字に長く伸ばして打ち違え、彼女の両袖は翼のごとく 広げられていた。――そうして彼女の長い三味線は彼女の傍に置かれてあった。 彼女は死んだ妖精のような姿をしていた。或いは彼女は大きな青蜻蛉(とんぼ)がそこへ下りて来 てとまったのを誰かが留針で留めたようだと云った方が適切かも知れない。 いつもあくせくして、おせっかいなマダム・プリュヌは、私の後から上って来て、クリザンテエムが彼 女の旦那であり主人である者に対するこの不注意な歓待を見て、憤慨の感情を手まねでして見せ た。――そうして彼女を起そうと進んで来た。 ――どうぞ手を出さないで下さい、よきマダム・プリュヌ! このままの方がどんなに私の気に入る かということが、あなたにはわからないのです! 私は、きまり通り靴は下へ脱いで置いたのであった。小さな履物と小さな雪駄の片脇に揃えて。そ れで私は爪立てて非常に静かにはいって行った。縁側に出てそこに坐っていようと思って。 この小さなクリザンテエムがいつも眠っていられないのは実に惜しいことである。この状態に置い て置くと、彼女は非常に装飾的(デコラティヴ)である。――その上、少くとも彼女は私を退屈させな い。――私が彼女の頭の中と彼女の心の中に起るものを、もっとよくわかるような方法があるかどう か、それは誰だって知っていまい。……私は不思議にも彼女と一緒になってから、この日本の言葉 の研究を更に進めることをやめて、彼女を理解することに興味を持つのは永久に不可能なことだと 感じたほど、彼女を理解することを閑却してあった。…… 縁側に坐って私は足下の景色を眺めた。寺と墓地と、それから森と、それから青い山々と、白日を 浴びているナガサキの全体を。蝉は最も張り詰めた声を立てていた。その声は空気の熱のごとく震 えていた。どこを見ても静かで、光って、そうして暑かった。…… だが、しかし、私の満足から云うとまだ不十分だ! では、地球上に何か変化でもあったというの か? 私が私の遠い思出の中でめぐり逢うことの出来る夏の燃えるような真昼には、まだまだずっと 輝かしさがあった。まだまだずっと眩しさがあった。太陽神はその頃はもっと力強く、もっと恐ろしく 私には思われた。ここで見えるものはすべて私が昔知っていた物の青褪(ざ)めた写しであって、そ の中には何か欠けて無くなった物のあるその一つの写しに過ぎないようだ。そうして私は物悲しげ に私自身に問うて見る。夏の栄光、それは実際こんなものに過ぎないのだろうか? ――こんなも のに過ぎなかっただろうか? それとも、それは私の目の間違いであって、そうして時と共にこれら の事物がだんだんと青褪めて来るように私には見えるのであろうか? ―― ……私の後の方で、或る小さな物悲しい、人を震え上らせるような物悲しい音色が、――そうして 鋭い、蝉の歌のように鋭い音色が、――かすかに聞こえ出した。そこから次第に泣くような高い調子 となって、真昼の物淋しい空気の中で悩み悶えている日本人のある霊のささやかな怨み言を聞くよ うに響いて来た。クリザンテエムと彼女の三味線が一緒に目ざめたのである。…… 彼女は私を見ると、急いであわただしくボン・ジュール(今日は)を云ったりしないで、音楽で私を 迎えようと思い付いたことが私の気に入った。(如何なる時でも私は彼女から、少しでも恋い焦(こが) れたような様子をしなければならない束縛を強いられる事はない。のみならず、私たちの関係は次 第に冷たくなって来る、殊に二人きりの時は。)――でも今日は私は彼女に笑顔を見せて振り向い た。そうして手まねで続けろと合図した。「――さあ、もっとお弾き。お前の小さな不思議な即興曲を 聞いてるのは面白いから。」――この笑い好きな国民の音楽がかくまで哀愁を帯びていられるとは 奇体である。しかし実際クリザンテエムの今弾いているものは耳傾ける価値がある。……どこから彼 女はそれを得たのだろう? 彼女がこうして弾いたり唄ったりしている時、私にとっては決して夢で はない、いかなる不思議な幻想が、彼女の黄色い頭の中を通り過ぎるのだろう?…… ……突然、パン、パン、パン! 誰かが干からびた指先で、私たちの梯子段の段段を三つ叩く。 すると、私たちの戸口の入口に、鼠色づくめの服を着た一人のうすのろが現われて、私たちにお辞 儀をする。 ――おはいんなさい、おはいんなさい、ムッシュ・カングルウ! ――おう! 君はちょうどよい時に来た。私はこれからやっと日本の事についていろいろ考えて 見ようとしていたところです! …… ムッシュ・カングルウが、身体を二つに曲げて、両手を膝の上に正しく置いて、蛇のようなささやき 声を長たらしくしながら、私たちに恭しく差し出そうとしていたものは、洗濯ものの小さな書付であっ た。 二十一 私たちの家の前を通って上り坂になっている道を続けて辿(たど)って行くと、なお十二、三軒の 小さな古い家と、幾つかの庭園の垣がある。――それから先はもう淋しい山と、それから茶畠と椿の 藪と潅木と、岩を縫って頂上の方へくねっている小径とだけである。そうしてナガサキを取り囲んで いるこれらの山々はすべて墓地で蔽われている。これまで何世紀も何世紀も前から人々は死人をこ こへ運び上げている。 しかしこれらの日本の墓には悲しさもなければ恐ろしさもない。子供らしくて陽気なこの国民にあ っては、死その物さえ厳粛には取られないのではあるまいかと思われる。墓石は蓮華の中に坐った 花崗岩の仏像であるか、または金字を彫り付けた四角な葬いの石である。これらは森の間の小さな 園の中か、もしくは天然そのままの気持のよい位置になった台地の上に寄り集まっている。ここへ達 するには、大むね苔の生えた長い石段を通って来るのである。幾度も幾度も神聖な楼門をくぐって。 その楼門は皆んな同じ形で、しかも粗末で簡単である。かの殿堂の楼門の模造である。 私たちの住居の上の方に行くと、山の墓石はいずれも皆、年を経て夜でも怖くないほどに古くな っている。それは世間から捨てられた墳墓の一つの領土である。その下に隠されてある死人たちは、 土の中に溶けてしまっている。灰色の小さな墓石の数千、苔に蝕まれた古い小さな仏像の群、これ らはただ私たちより以前に、そうしてまったく時の神秘な遠ざかりの中に失われている、長い生存の 連続があったという証拠に過ぎないように思われる。 二十二 クリザンテエムの食事はたとえようもないものである。 朝、起きぬけに始めるのは、垣根に生(な)った青い小さな二つの梅の、酢漬にして砂糖の粉の 中で転がしたものである。一杯の茶が、日本のこの殆んど伝習的になっている朝飯を完結する。こ れと同じものが下のマダム・プリュヌの所でも食べられる。これと同じものが宿屋で旅客にも出され る。 一日のうちには、まだ、非常に奇妙に誂(あつ)らえられた二度のままごとがつづく。品物はマダ ム・プリュヌの所で料理されて、そこから、蓋(ふた)のついた小さい碗に入れられ、赤い漆の盆に載 せられて、運ばれて来る。雀の肉のはやし料理、刻み肉を詰めた車海老、醤油をかけた昆布、塩を 振った砂糖菓子、砂糖を付けた唐辛子。……どれをも皆クリザンテエムは、しなやかな手つきでそ の指先を上げて彼女の小さい箸を使いながら、唇の端でそれを味わう。皿の一つ一つに彼女は顔 をしかめる。――四分の三は食べ残したままで、そうしてその後で、さも厭そうな風で、指先を拭(ぬ ぐ)う。 この献立はマダム・プリュヌのその時々の思いつきによって色々に変る。しかし、決して変らぬもの、 私たちの家でも、他の家でも、この帝国の南においても北においても、変ることのないものはデザー トとその食べ方である。冗談ごとのような沢山な小さな皿の後で、銅の輪の嵌(は)まった一つの木 の桶が運ばれる。ガルガンチュア(大飲大食の巨人)のために拵えられたような、大きな桶である。 そうして清水で炊かれた米が縁まで入れてある。クリザンテエムはその桶から移し取って、非常に大 きな一つの碗を一杯に満たす。(時としては二度、時としては三度。)その上から綺麗な青い小瓶に はいった肴の匂いのついた黒っぽい醤油をかけて、雪のような白さを汚す。――それを一しょに掻 きまぜる。――その碗を唇まで運んで行く。そうして飯粒を皆んなはさみ上げ、彼女の二本の箸で それを喉の奥まで押し入れる。 その次に小さい碗ものをはさみ上げ、小さい蓋物をはさみ上げ、非難の打ちどころのない清潔さ で、何物にも汚されてはならぬ白い畳の上に落ちた最後のこぼれまでもはさみ上げる。これでまま ごとはお仕舞になる。 二十三 八月二日 下の町のある四辻に、一人の女の唄うたいが佇(たたず)んでいた。人々がその女の唄を聞くため に集まっていた。そうして私たちも、私たち三人も、通りすがりに、他の人たちのように立ち留まった。 イヴとクリザンテエムと私とで。 まだすっかり若く、やや肥り肉(じし)の、愛らしい女であったが、彼女の三味線を掻き鳴らして、唄 っている。ある名人が難曲を演ずる時のような物すさまじい様子で、目をくるくるさせながら。彼女は 頭を垂れて、身体の底からもっとさびのある調子を引き出すため頤(おとがい)を頸のところに埋め ていた。彼女は大きな嗄(しわ)がれ声をうまく出していた、年とった蟇蛙みたいな声が。どこから出 て来るのか私にはわからないパントマイム(口を動かさないで物を言う芸人)みたいな声が。(これは 演劇上の立派な方法であって悲劇的人物の演出に対する芸術的な言葉である。) イヴは嫌悪の目つきを彼女に投げた。 ――おう! 驚いた! 彼は云う。――あの声はまるで……(あきれたはずみに、彼は声が出なか った。)――あの声はまるで……おばけみたいだ!…… そう云って彼は私を見た。この小さい女に対して殆んど怖気立ちながら。そうして私がこの女に対 してどんな考えをもってるかを知りたいとあせりながら。 その上、私の憐むべき彼イヴは、今日は機嫌がわるかった。なぜと云って、私は鍔(つば)の大変 に跳ね上った麦藁帽を彼にかぶせて無理に外出させたのであったから。その帽子が彼の気に入ら なかったのである。 ――ばかによく似合うぜ、イヴ、全く。 ――何ですって? あなたは似合うと云うんですか、あなたは。……まるでこれは鵲(かささぎ)の 巣みたいじゃありませんか! その唄うたいの女とその帽子のことから気を逸らすように、ちょうどその時、ある行列が見えた。市 街のずっと向うの方から、私たちの方へ、何だか葬式らしいものがやって来た。坊主たちが、黒い 紗の衣を着て先に立って進んで来る。――カトリック派の僧侶のような様子をして。行列の中で一 等重要な人つまり死人は、極めて華奢に出来た小さな密閉された一種の輿(こし)の中に入って、 その後から来る。それにムスメたちの一隊がつづく。彼女らの笑い好きな顔をかつぎみたいなもの の下に隠して、そうして神聖な形をした花瓶の中に、葬式に無くてならぬ銀の花筒の造花の蓮を入 れて持ちながら。その次に夫人たちが後から歩いて来る。蝶々や鶴を派手な色で描いた日傘の下 に、笑いたい思いを包み隠して、嬌態(しな)をつくりながら。 彼らは私たちの直ぐ前に来た。私たちは彼らに道を譲るため後退(あとずさ)りせねばならぬ。― ―するとクリザンテエムは急にまじめくさった顔付になる。イヴは頭から彼の鵲の巣を取る。…… しかし今通っているものが死であることは事実である! 私はそれを忘れていた。……それは殆 んど少しもそんな風に見えなかった。…… 行列はずっと高く、ずっと高く、ナガサキの上の方へと、登って行く。墓で一ぱいになっているあの 青い山の中へ。そこで人々はその不幸な人間を土の中へ入れるのだろう。彼の輿を彼の上に置い て。それから彼の花瓶をも、それから銀紙で出来た彼の花をも。最後に! ……少くとも彼は愉快 な場所に横たわっていることだろう、あの可哀そうな死人は。そうして美しい景色を眺めていることだ ろう。…… 人々はやがて帰って来ることだろう。半ば笑いながら、半ば作り泣きをしながら。 明日になると、もう人々はその事も考えないだろう。 二十四 八月八日 私の家のある高台のちょうど麓に当る湾内にいたラ・トリオンファントは、長い台湾封鎖の間に閉ぢ 目のゆるんだ船腹を修理するため、今日ドックにはいる。 で、私は今は私の家から随分遠いところにいる。このドックはジュウジェンジと向い合った海岸に あるから、クリザンテエムに逢いにいくには短艇に乗って湾をすっかり横切らねばならぬ。ドックは狭 く奥深い小さな谷の中へ切れ込んでいる。竹や椿や名も知らない樹木の種々雑多な緑葉がすっか り上の方から覆いかぶさっている。甲板から見た私たちの檣や帆架は木の枝の中に鉤(かぎ)なり になってかかっているように見える。 もう遊動しなくなった船のこの位置は、乗組員に、夜の何時であろうとも構わず、こっそり脱け出す 事が容易に出来るようになっている。それで私たちの水兵たちは私たちの上の方にある山の中の 村々のすべての小さい娘たちとなじみになってしまった。 この滞在、この余り大き過ぎる自由は、私の可哀そうなイヴに対して私を不安にする。――彼の方 へ、愉快なこの国は少しばかり頭を振り向けている。 それにまた、段々と私は彼がクリザンテエムを恋していることを信ずるようになって来ている。 そのような感情が私に、今まで起らなかったのは、実際大いなる遺憾である。なぜと云って私は既 に、すでに彼女と結婚しているのだから。…… 二十五 私は、道が遠くなったにもかかわらず、毎日欠かさずジュウジェンジヘ行く。日が暮れて、四組の 夫婦の友だちが訪ねて来て、その上、イヴも来れば、あの恐ろしく背の高い友だちも来て、皆んな が一しょに落ち合うと、私たちは一とかたまりになって町の方へ下りて行く。物古りた郊外の石段や 坂道を、提灯の明りで躓(つまず)きながら。 いつでもこうなのである。珍らしいものの並んだ店先にいつも同じように佇んだり、いつも同じ庭園 で出される同じ砂糖入の飲物を飲んだりして、この夜の散歩は、常に変らぬ楽しみをもって繰返さ れる。 けれども私たちの仲間は時々大変な人数になることがある。第一、私たちは両親から託されたオ ユキを連れて行く。それから私の妻の可愛らしい二人の従妹を。そうして最後には友だちまでも。た まには十から十二位までの町の娘の子のお客さんたちも交じって。それは私たちのムスメたちが親 切に付き合いの義理を立てたがるからである。 おお! 日が暮れると、私たちが私たちのお伴を茶屋へ連れて行く不思議な小さな一群! 奇体 な顔付、子供らしい、おかしな頭へ無残に差し込んだ花かんざし! ――まるで寄宿舎のムスメた ちが打ち揃って私たちの監督の下に夜の遊びの時間になったようである。 またもや坂道を登って私たちのところへ帰る時が来ると、イヴは再び私たちと連れ立つ。――クリ ザンテエムは疲れきった子供のように太息(ためいき)を吐きながら一足ごとに立ち止まっては、私 たちの腕にもたれかかる。 私たちが登りつめると、イヴはさよならを云い、クリザンテエムの手を握って、それから今一つ波止 場と船の方へつづく坂道を下り、それからサンパンで入江を横切って、ラ・トリオンファントに帰り着く のである。 私たちは、秘密の指輪のような物で私たちの庭の木戸を開く。庭には暗がりの中に並んだマダ ム・プリュヌの草花の鉢が夜の甘いよい薫りを広げている。私たちは星明りや月の光を浴びて、その 庭を横切り、私たちの部屋へ上って行く。 もし非常に遅い時だと、――そう云う事も時々あるが――私たちが帰って来ると、ムッシュ・スウク ルの心遣いで木の雨戸がすっかり締められ(泥棒の用心に)、私たちの居間は本当のヨーロッパ式 の部屋ででもあるように閉されてあるのを発見することがある。 こうして密閉されたこの家の内には、麝香や蓮の匂いの湿った不思議な香が漂っている。日本に 固有な、黄色人種に固有なある香気が、大地からも立ち上り、古代風の木造からも漏れて来る。― ―殆んど野獣の強烈な匂いに近いまでに、私たちが臥床(ふしど)に入るために用意された暗青色 の紗の蔽い物は、神秘の戸帳のように天井から垂れている。金色の仏陀は燃えている燈明の前に、 いつも微笑している。よく家の中へ入って来る何かの蛾類――昼の間は膠着したようにへばりつい て天井に眠っていたのに――今は仏の鼻の下や細く立ち上る二つの小さい灯の周りを飛び回って いる。そうして壁の上には、一疋の恐ろしい大きな花園の蜘蛛が、星形に肢(あし)を張って眠って いる。――それを殺しちゃいけない。夜だから。 ――「う!」クリザンテエムは指の先でそれを私に示しながら、にくにくしげに云う。――早く、団扇 (うちわ)はどこにあって、これを追い出す団扇は。…… 私たちの周りには、ある沈默が胸をしめ付けるばかりに迫って来る。町中のおもしろいすべての騒 がしさと、今は止んでしまったムスメたちのあのすべての笑声の後で。――田舎の沈默が眠ってい る、村の沈默が。 二十六 毎晩宵の口に日本のすべての家々で、あの数知れぬ雨戸を引いては締める騒がしい音は、いつ までも私の記憶に留まるこの国の事物の一つである。近所の家々から、青々した小庭の上を這って、 これらの騒がしい音は順々につながって、あるいは遠くあるいは近く聞こえて来る。 ちょうど私たちの階下のマダム・プリュヌの所の雨戸は、ばかに滑りが悪く、朽ちた溝の中をきしん でがたがた音を立てる。 私たちの雨戸も矢張り騒々しい。古い建物がよく響きを伝えるので。そうして私たちの住んでいる 明け放しのホールのような部屋をすっかり締めきるには、少くとも長い溝の上を二十度も滑らせねば ならない。家庭のこの仕事をするのは大概クリザンテエムの受持である。彼女は大骨折で、よく雨戸 の間に指を詰めたり、生れてから働いた事のない非常に小さな手で、下手に持ち扱ったりしながら 締める。 その次は、彼女の夜の身仕舞になる。ちょっとしなをつくって、彼女は昼間の着物を脱ぎ捨て、ず っとあっさりした青い単衣に着換える。それは矢張りたもとのついた同じ恰好の、心もち裾の短いも のである。そうして彼女は腰の回りに似合(につか)わしい色のめりんすの帯をしめる。 高く揚げた髪は云うまでもなく、そのままにして置く。ただ、かんざしだけは抜いて、私たちの傍の 漆の小箱の中にしまい込む。 それから、銀の小さい煙管がある。やすむ前に必ずそれで一服することにきまっている。これは私 を腹立たしくするものの一つである。けれども我慢しなければならぬ。 クリザンテエムは、ジプシーの女のような恰好で、赤い木の四角い箱の前にうずくまる。その箱の 中には小さい煙草の壷、火の入った焼物の小さい火鉢、――それから灰を落したり唾を吐いたりす るための小さい竹の筒まではいっている。(下には、マダム・プリュヌの煙草盆がある。そうして他所 にもまた、すべての日本の男の煙草盆とすべての日本の女の煙草盆がちょうど同じ様に、同じ道具 がこうしてはいっている。――そうしてどこへ行っても、貧乏人の部屋の中でも、金持の部屋の中で も、いつもそれが畳の上のどこかに置かれてある。) Pipe(ピープ)と云う言葉は、かなり平凡で、その上またかなりぎごちない字である。この銀の細っそ りした管、全く真直ぐで、そうして先へ行って極く小さな皿の中へ絹糸よりも細かく刻まれたブロンド 色の煙草のほんの一つまみが詰められるこの管のことを云い表わすためには。 二た吸い、多くても三吸い。それが数秒続く。そうして煙管はお仕舞になる。――その次に、パン、 パン、パン、パン。管が煙草盆の縁に小ひどく打ちつけられる。どうしても出そうにない吸殻を落す ために。――そうしてこの叩く音はどこへ行っても、どこの家でも、昼間のどんな時刻でも、夜のどん な時刻でも、ちょうど猿の引掻きのような急速なおどけた音に聞こえるのである。そうしてこれは日本 における人間生活の特殊な騒音の一つである。……… ――アナタ、ノミマセ! とクリザンテエムが云う。 その小さい腹立たしい煙管へ新規につめて、彼女はお辞儀をして、その銀の管を私の唇のところ へさし出す。――そうして私は礼儀上斥けることは決してしない。けれどもそれはつらい厭なことで ある。…… その時、私は暗青色の蚊帳の中に横になる前に、夜の空気が私たちの上に通うように、雨戸を二 枚あけに行く。一枚は人気のない小径の方の戸を、今一枚は台地になった庭の上の戸を。気まぐ れのこがね虫やそそっかしい蛾類のはいって来るのも構わないで。 全部古い薄っぺらな木で出来ている私たちの家は、夜になると乾燥した大きなヴィオロンのように 震動する。この中では極めて些細な物音でも大きくなって異様に響き、不安になる。縁側には、二 つの小さなエオリアの竪琴(風鈴)がかかっていて、ちよっとした微風にも小川の楽しいさざめきのよ うな玻璃板の優しい音を立てる。戸外では、どこの果までも蝉が彼らの永久の音楽を続けている。 そうして私たちの上の方、真暗な屋根の上では、魔女の駈けっこでもするやうな音を立てて猫や鼠 や梟が死者狂いに争いながら過ぎ行くのが聞こえる。…… 程経て、夜明け方になると、クリザンテエムは私の明けて置いた雨戸をきっと締めに行くようだ。 ――次第に冷や冷やして来た風が、黎明と共に、海からも、奥深く入り込んだ入江からも、私たち の所へ吹き上って来る頃に。 それ以前にも彼女は少くも三度位は、煙草を吸うために起きるようだ。彼女は雌猫のようにあくび をして、伸びをして、琥珀のような小さい腕と華奢な小さい手先を有らゆる方向にひねくり、思い切 って起き直り、ほんとにあどけない、可愛らしい寝ざめのつぶやきを漏して、それから紗の戸帳をぬ け出て、彼女の小さい煙管をつめて、そうして厭な不愉快なものを二、三服吸う。 それから、パン、パン、パン、パン。吸殻を落すために煙草盆へ打ち付ける。夜の響き易い中を、 これがまたひどい音を立てる。――そうしてマダム・プリュヌを醒ましてしまう。それは避け難いことで ある。すると今度はマダム・プリュヌが一服したくなる。彼女もまた、どうしたって釣り込まれないわけ には行かない。――で、二階のこの音に加えて、下からも今一つの全く同じような音がパン、パン、 パン、パンと腹立たしく、避け難く、こだまのように聞こえ出す。 二十七 もっと快いものは朝の音楽である。鶏が歌う。隣り近所の雨戸が繰られる。あるいは果物の小商人 の異様な叫び声が、私たちの高台の郊外町を暗がりの内から駈け回っている。そうして朝の光を迎 え祝するように、蝉がじんじんと更に強く鳴き出す。 わけてもマダム・プリュヌの長い祈祷の声が、下から二階の床越しに聞こえて来る。夢遊病者の歌 のように、単調に、泉の音のように規則正しく、かつゆったりと。それが少くも一時間の四分の三は 続く。それは高い、急速な、鼻にかかった調子で、幾らでも読み上げられる。それから時々退屈した 神々がもう聴いていなくなる頃になると、吟誦をつづけながら、非常に干枯らびた手で拍手を打ち 鳴らしたり、――あるいは曼荼羅華(まんだらげ)の根で出来た二つの平盤から成る拍子木みたい なもので激しく音を立てたりする。それは絶え間なく矢の射られているように続く祈祷である。決して 尽きることがない。そうして震え声で小止みなく唄われている。たとえば、年とった牝山羊の昏迷し た鳴声のように。 「手と足とを洗い浄めた後で、(聖典にはこう記してある)日本帝国の力の王なる大いなる神、ア マ・テラス・オオミ・カミに祈願します。その神の正統を受けたすべての亡くなられた皇帝たちの霊に 祈願します。その次にはその神の最も遠い初代までのすべての先祖たちの霊に祈願します。空気 と海の神々にも。秘密と穢(けが)れの場所の神々にも。根の国の黄泉の神々にも。ら、ら……」 「わたしはあなたを拝んでお願い申します、(マダム・プリュヌは唄う)おお、力の王なるアマ・テラ ス・オオミ・カミ、国のために一身を犠牲にしようとしているあなたの忠実な国民を、いつまでもお守り 下さい。私もあなたのように神聖になれるように、そうして、私の心からあらゆる暗い考えを追い出せ るように、私をお恵み下さい。私は臆病者で、そうして罪深い女でございます。私の臆病と罪深さを、 北風が塵埃を海に吹き払うように、払い浄めて下さい。私のあらゆる穢れをば、人がカモ(加茂)の 川水で穢れを洗い流すように真白く洗い浄めて下さい。――世界中で一番の金持の女になれます ように私にお恵みを垂れて下さい。――私はあなたの光栄を信じております。あなたの光栄が、絶 えず全世界に広がり、そうして私の幸福のために、世界中を照すようになることを信じております。 私の家族の健康が保たれますようにお恵み下さい。――わけても私の健康が保たれますように。お お、アマ・テラス・オオミ・カミ、私はあなたより外に拝むお方とては一人もありません。ら、ら。」 その次に、すべての皇帝とすべての神々と、先祖の限りない名前が挙げられる。 年寄の震えた金切声でマダム・プリュヌはこれをおしまいまで唄う。息も切れそうに早く、一句もぬ かさないで。 そうしてそれを聞いていると随分不可思議である。終には人間の唄う声とは受けとれなくなる。そ れはたとえば魔法の呪文の巻物が、尽きることのない軸から解けほぐれて、空中へ飛び立ち逃げ 行くようである。その珍しさとまたその呪文の執拗さによって、まだ眠気の去らぬ私の頭の中に、一 種の宗教的印象が生じさせられるようになる。 そうして私は毎日この声で目を覚ます。夏の朝の細やかな晴明の中を下から起って来るシントオ (神道)のこの祈祷の声で。――その時、私たちの有明は微笑をたたえているブッダの前で消えそう になってともっている。その時、やっと昇りかけた永遠の太陽は、すでに、私たちの薄暗い部屋と、 私たちの暗青色の紗の戸張を長い金の矢のように貫いている。その輝かしい光線を雨戸の隙間か ら投げ入れている。 さあ起きねばならぬ時だ。露で濡れた草の小径を辿って、飛ぶようにして海まで下りて行かねば ならぬ。――そうして私の船に戻らねばならぬ。 ああ! 過ぎし昔、薄暗い冬の毎朝、遥か彼方のイスタンブールの古都で、私の目を醒ましてい たものは、かのミュエザン(回教の寺院の尖塔に立って祈祷の時刻を呼び知らせる人)の歌であっ た。…… * 二十八 クリザンテエムは私たちの結婚生活の長く続かない事を知っていたから、荷物は僅かしか持って 来ていなかった。 彼女は彼女の着物や彼女の美しい帯を小さい押入の中にしまっている。その押入は私たちの部 屋の一方の壁の中へかくれている。(北側の壁、つまりこれだけが、四つの仕切の中で取り外しの 出来ない唯一の仕切なのである。)これらの押入の戸は白い紙の羽目である。綺麗に削られた木で 出来た棚や内部の仕切は、二重底になって居るのではないか、何か仕掛けでもあるのではないか と疑いを起させる位、余りにこまかく精巧に造られてある。そこへ戸棚がひとりでに物を無くしてしま いはしないかと云うような、ばつとした感じで、信頼することが出来ないで、品物を置くのである。 クリザンテエムの品物の中で、私が見て面白いのは手紙や形見などをしまって置く箱である。その 箱はブリキで出来た英国製のもので、その蓋にはロンドン近郊のある工場の彩色画がある。――無 論それは、彼女の持っている漆器や寄木細工の、他のか愛らしい箱よりも優秀な、外国美術品であ り骨董品であるとして、彼女が選んだものである。――その中にはムスメの文通に必要な品物がす っかりはいっている。――墨、筆、非常に薄く、狭くて長い、帯のような形に截(き)られた灰色の紙、 (三十回も巻き返した後で)この紙を入れる奇妙な封筒。そうしてそれには景色、魚、蟹あるいは鳥 のようなものが描かれてある。 そこにある彼女に宛てた古い手紙の上に、私は二つの文字を認める事が出来る。それは彼女の 名「キク・サン」(クリザンテエム・マダム)を表わしてある。そうして私が彼女に質問すると、彼女はま じめくさつた細君のような様子で、私にこう日本語で答える。 ――あなた、これはわたしのお友だちの女の人から来た手紙よ。 おお! クリザンテエムのこれらの女友だち、彼女らはどんな顔をしているのだろう? この同じ箱 の中に彼女らの肖像がはいっている。ナガサキのよく流行(はや)る写真屋のウエノの姓が裏につ いている手札形の彼女の写真。それは扇の絵の中に可愛らしい、写されるによい恰好で、支頭柱 の中にぼんのくぼを抑え付けられて「もう動いちゃいけませんよ」と云われた時の姿勢を崩すまいと、 あせつている小さい女たちの写真である。 これらの女友だちからの手紙を読んだら随分面白い事であろう。 ――わけても私のムスメが彼女らに送った返事を読んで見たら。 二十九 八月十日 今夜は大雨。深くて黒い夜。十時頃私たちのいつも行きつけのよくはやる茶屋の一軒から帰って、 私たちは、イヴとクリザンテエムと私は、ジュウジェンジの私たちの家へ登って行く。真暗い段々やご つごつした小径へかかろうとして、町の明りや賑かさを見捨てねばならないあの曲り角、大通りのい つもの角まで来る。 そこで、登り始める前にマダム・トレ・プロプル(お晴さん)という年とった女商人の所で、まず提灯 を買う段取になる。私たちは彼女の常得意である。――私たちの浪費する夜の蝶々や蝙蝠のおき まりの絵を描いた紙の提灯の数は、驚くほど多い。――店の天井には夥(おびただ)しい提灯が束 になってさがっている。そうして年とった彼女は私たちの来るのを見て、それを取りはずすために台 の上に乗る。――ねずみか赤が私たちの常用の色である。マダム・トレ・プロプルはそれを知ってい るから、緑や青へは手をつけない。けれども、その中から一つ引き抜くのがいつも太変な騒ぎであ る。――提灯をつるした棒や結わい付けてある麻糸がごちゃごちゃになっているので。大袈裟な手 つきで、彼女はこうして私たちの大事な時間を無駄にする事がどんなにかお気の毒だと云いわけ する。おお! それも彼女ひとりのせいだということならまだしも! ……だが、人間の威儀なんか 構いつけもしない、こういったもつれ合ったがらくた物にかかってはかなわない。彼女はさまざまな おどけた身ぶりで提灯を嚇(す)かしたり、私たちを遅らす原因になっている縺(もつ)れた糸の方へ 握り拳を出して見せたりするのを自分の義務だと心得ている。――よろしい。私たちはその取扱方 をそらんじている。この年とった女も我慢がしきれなくなれば、私たちだって同じだ。眠そうなクリザ ンテエムは続けさまに出て来る猫のような小さな欠伸に当てられている。それを彼女はわざわざ手 で隠そうともしない。欠伸は引切りなしに出る。彼女は私たちが今夜この夜更に大雨の中をこれから 登って行かねばならぬ嶮(けわ)しい坂道の事を考えて、いやに気の進まぬ顔付をしている。 私とても同じである。随分厭き厭きもしている。そうして何の目的があって、ああ、毎晩私はあの郊 外まで登って行かねばならないのだろう? あの高台の家に私を牽きつけるものはなんにもないの に。…… 雨は次第にひどくなって来る。私はどうしたらよかろう? ……外には威勢のいいジンが掛声を出 しながら、通行人に泥水をはねかけ、大雨の中に影を引く様々な色をした彼らの提灯を差し出しな がら駈けて行く。ムスメたちや年とった女たちは着物の裾を端折り、泥にまみれて、それにもかかわ らず、彼女らの傘の下で一様に笑いさざめき、挨拶を云いかわしながら、そうして敷石の上に履物 を鳴らしながら、過ぎ行く。市街は履物の音と雨の音で一ぱいになっている。 幸いにも、私たちの憐むべき従弟の四一五号が通りかかって、私たちの困っている様子を見て立 ちどまり、私たちを困難から救い出す事を約束する。彼は乗せているイギリス人を波止場まで送り届 けたら直ぐ、私たちの窮状に必要なものを皆んな持って来て私たちを助けてくれるだろう。 とうとう、私たちの提灯は天井から取りはずされ、火がともされ、金が払われる。向側にも私たちが 毎晩寄って行く今一つの店がある。それは菓子屋のマダム・ルウル(お時さん)の家である。私たち は道々食べながら行けるように、いつもそこで仕入をする。 ――この菓子屋のかみさんは非常に生き生きした快活な女で、いつも私たちに愛嬌を振りまく。彼 女は小さい花で飾られた菓子のうず高く重なった後に、屏風の絵のような恰好をして坐っている。 私たちは待つ間を彼女の屋根の下で雨宿りする事にしよう。――そうして激しく落ちている雨水を 避けるために、私たちは細い生き生きした糸杉の枝の上に非常に美術的に飾られた、白や赤の餅 菓子の陳列棚に出来るだけ身体を寄せていることにしよう。 憐むべき四一五号は私たちにとって何という天恵であろう!――彼はもう来ている。常に微笑を 湛え、常に駈け回っているこのえらい従弟は。その時雨水は彼の丸出しになった見事な両脚の上 を、小川のように流れている。そうして彼は矢張り私たちの遠い親類になる瀬戸物屋で借りて来た 二本の雨傘を、私たちに持って来ている。イヴは、私と同様、今の今までこんなものを使おうとは思 っていなかった。けれどもおどけているものだから、彼はそれを受け取る。もちろん紙で出来ている。 回り一円の輪となって、鶴のきまった飛び方を幾つも散らして、蝋やゴムを引いた、襞の沢山ついた ものである。 クリザンテエムは猫みたいな様子でますます欠伸をしながら、手を引いて行って貰いたさに甘った れて、私の腕を取らうとする。 ――ムスメ、今夜はこの役目はどうかイヴ・サンにやって貰ってくれ。その方が全く私たち三人のた めによいのだから。 さあそこで、全く小さな彼女が、この大男に寄りかかる事になる。そうして彼らは登って行く。私は 提灯をさげて先に立って道を照す。そうして私は私の奇怪な雨傘の下で後生大事に提灯の火をか ばっている。 道の両側には滝の流れるような音が聞こえる。山から落ちて来るのはみなこのあらしの水である。 今宵は歩行が困難ですべり易く、道が遠いように思われる。幾ら歩いても果しがない。だんだんに 積み重ねられたような庭や家屋、広々した地、暗がりの中で私たちの頭の上で揺れている樹木。 まあナガサキが私たちと一緒に登って行くとでも云おうか。――しかし彼方の、遥か遠くに、暗い 大空の下に光って見えるもやのようなものの中にナガサキはある。そうしてその町からは人声や太 鼓の音や銅羅の音や笑声などの入り乱れた雑音が立ち上って来る。 この夏の雨はまだまったく大気を爽快にし尽しはしなかった。あらしのいきれで、この郊外の小さ い家々は馬小屋のように開け放たれたままになっている。そうしてそこで何をしてるかも、ありありと 見える。燈明はいつも仏壇や神棚の前にともされてある。――けれども善良な日本人はもうみな寝 ている。緑青色の紗のおきまりの蚊帳の中に、彼らが枕を並べて家族同志で横たわっているのを透 し見る事が出来る。彼らは寝ている。蚊を追ったり、団扇を使ったりしている。日本の男、日本の女、 その両親の傍に居る子供たち、皆んな若い者も年寄も、濃い印度藍の寝衣を着てぼんのくぼを小 さい木の枕に休めている。 たまにはまだ遊んでいる家もある。薄暗い庭の上の方からほのかに三味線の音が私たちに聞こえ て来る。了解の出来にくい音律で何かの踊を踊っているその陽気さが物悲しい。 竹叢(たけむら)で囲まれた井戸のところまで来る。その傍で私たちはクリザンテエムに息をつか せるために、くらやみの中で一と休みするきまりになっている。イヴはその場所をよく見るため、提灯 の赤い灯を前へさし出してくれと私に頼む。これが私たちの半分道を来たしるしになっている。 そうしてとうとう、とうとう、私たちの宿までたどり着いた!――門がしまっている。深い暗闇と沈默。 私たちの雨戸はムッシュ・スウクルとマダム・プリュヌの心遣いですっかり締め切られてある。雨は私 たちの黒ずんだ古壁の板張の上を小川のように流れている。 こう云う時に、坂道伝いにイヴを帰してこの上海岸をうろついて貸艀舟を探させるなんて不可能な 事である。否、彼は今夜は船へ帰るに及ばない。私たちは彼を私たちの所でやすませてやろう。そ れに私たちの借入条件の範囲内に、彼の小さい部屋ははいっているのだ。私たちは早速彼の部屋 をこさえてやろう。――遠慮から辞退することなどには構わないで、私たちははいる事にしよう。靴を 脱いで、夕立に浸った数疋の猫のように、身体を振って、そうして私たちの部屋へ上ろう。 仏陀の前には小さい燈明がともっている。部屋の真ん中には暗青色の蚊帳が吊られてある。着い た時の、最初の印象はいい。今宵はこの住居がなつかしい。この沈默と夜更とが、真に神秘な光景 をもたらしている。それにまた、こうした時にはいつだって家に帰るのはよいものだ。…… さあ、急いでイヴの部屋をこさえてやろう。クリザンテエムは彼女の大仲よしの友だちを彼女の傍 に寝かせようと云うので趣向を凝らし、全力を尽している。それに全力を尽すと云っても三、四の襖 を立て切りさえすればよいので、直ぐ別に一つの部屋、即ち大きな箱の中の区切のようなものが出 来上る。そこに私たちは泊る事になる。――私はこれらの襖はすっかり白だと思っていた。ところが そうではない! どの襖の上にも二羽の鶴が居る。――日本美術の提供するきまり切った姿態で灰 色に描かれてある。一羽は頭をもたげて物々しく片足を上げて居り、今一羽の方は身体を掻いてい る。おお! これらの鶴。……一月も日本にいたら飽き飽きしてしまう鶴! …… 今、イヴは寝床にはいって私たちの屋根の下で眠っている。 睡気が今夜は彼の方に私自身よりも早く来た。と云うのは、私は、クリザンテエムから彼へ、彼から クリザンテエムヘと、目と目の長い見替はしが交はされたのを信じている。 私はこの小さな女をおもちゃのように彼の手に任かせてある。そうして今になって、ある動乱を彼 の頭の中へ投げ入れたことになりはしないかと恐れている。この日本の女に就いては、私はなんに も別に気にかけてはいない。けれどもイヴは、……彼としては、よい事とは云えないだろう。そうして 彼に対する私の信任に大障害を来たすだろう。…… 私たちの古い屋根に落ちる雨の音が聞こえて来る。蝉は沈默している。湿った大地の香気は庭 からも山々からも薫って来る。私は今夜はこの住家の中にあって、ひどくくさくさして居る。小さい煙 管の音も習慣になっている以上に私を腹立たせる。そうして、クリザンテエムが煙草盆の前にうずく まる時には、私は最も悪い意味での下民の風を彼女に見る。 私は彼女を憎まねばなるまい、私のムスメを。もしも彼女が私のイヴをそそのかして、私がもう多分 彼女に許して置かれないようなある悪い行いをさせるようにしていたのなら。…… 三十 Yとシク・サンの夫婦は昨日離婚した。――シャルル・Nとカンパニュルの家庭は非常にわるくなっ て来ている。彼らは、あの鼠色の服を着た、物を探し歩くような、搾り取って行くような、我慢のでき ない小さな人間どもと面倒なことを惹き起した。その小さな人間どもと云うのは警官どもである。警官 どもは彼らの家主を脅かし、彼らを彼らの家から追い出させたのである。(この国民の阿諛的な友情 の下には、ヨーロッパから来ている私たちに対して、憎しみの古い根ざしがこだわっているのであ る。)だから彼らの義母の礼遇を受けねばならぬ彼らには、かなり困難な地位がそこにある訳である。 ――それからまたシャルル・Nは間違った信念を抱いている。しかしもはや今更幻影を作る余地は ないのである。つまりムッシュ・カングルウが私たちに周旋したこれらの配偶者は、もしこう云い得る ならば半処女であって、彼女らの生涯においてこれまですでに一つの、あるいはまた二つのちょっ としたロマンを持ったことのある小さい女たちである。だから少し位は不信用に扱われるのも随分無 理からぬ事である。…… Zとトゥキ・サン(時さん)との家庭は云い争いばかりしていて余りうまく行っていない。 私のところはどちらかと云うと体面を保っている、少からず厭気はさしているけれども。離婚しようと 云う考えも私にしばしば起った。しかし、私はこの恥辱をクリザンテエムに加えるだけの相当な理由 を殆んど知っていない。それに殊に私を思い止まらせた事が一つある。私にもまた官憲との面倒が 持ち上っていた。 一昨日、びっくりしたムッシュ・スウクルと、気絶しそうなマダム・プリュヌと、涙にぬれたオユキ・サン が息せき切って私のところへ上って来た。日本の警官が彼らのところへ来て、ヨーロッパ人の居留 地以外で、こうした日本の女と不法結婚をしているフランス人に家を貸している事をひどく脅して行 ったのである。――そうして彼女らは告発されるのを怖れているのであった。様々に言い訳をしなが ら、辞を低くして私に出てくれるようにと懇願した。 で、その翌日、私よりもずっとよく話のできるあの法外もなく背の高い友だちと連れ立ち、私は戸籍 役場へ行った。非常な激論を斗わす意気込みで。 礼譲に篤いこの国民の言葉には、罵詈の言語が全く欠けている。非常に怒った時でも、目下の者 に向って云ったり、卑しい生れの人間どもが親しい間柄で使うお前という言葉ぐらいで、満足しなけ ればならない。私は結婚届の時のテーブルに向って腰をかけ、狼狽しているすべての小役人ども の中に立って、次のような言葉で討論した。 ――お前たちはおれの今住まっている郊外にこのままおれを気楽にさせて置くためには、どの位 酒手を出したらよいというのか? 町の門番どもよりもけちなちび共の分をひっくるめて、幾ら出せ ばよいと云うのか? 大きな無言の謗(そし)り、沈默の驚き、腹立たしげな畏敬。 ――彼らは遂に云う、「無論それは、私の尊敬するお方をば気楽におさせしなければなりません。 皆んなこれ以上の望みは別に持ってないのです。」 ただしかしこうなると私がこの国の法律に従う ために私は公言しなければならぬことになるだろう、私の名前とあの若い女の名前を。その若い女 と…… ――おう! ひとを馬鹿にしてる、実際! おれは特別用務を帯びてここへ来てからまだ三週間と たちはしないんだぞ、このやくざ者ども! そこで私は自分で登記簿を取って、それをめくりながら、その頁と、私の署名と、それから傍にクリ ザンテエムの書いた小さなあいまいな文字を見出す。 ――さあどうだ、間抜けども、見ろ! ー人の上官が不意に現われて――それは黒い上衣を着た小さな怪異な老人であるが……その 座席からこの光景を見物していた。 ――どうしたんだ? 何が始まったんだ? フランスの士官にどんな侮辱を加えたんだ? 私は前よりは丁寧にこの人に私の事件を語る。彼は云いわけと誓言をごっちゃにして話す。すべ ての小っぽけな書記たちは四つん這いになって床の上に平伏する。そうして私たちは出て行く。威 厳を保ちながら冷然と、お辞儀も返さないで。 ムッシュ・スウクルとマダム・プリュヌは安心していられる。もう彼らを心配させるものはあるまい。 三十一 八月二十三日 ラ・トリオンファントがドックにはいっているのと、私たちの居るところが町から遠いと云う事が、二、 三日来もうクリザンテエムに逢いにジュウジェンジヘ行かない口実になっている。 しかしこのドックの中にあっては、皆んな飽き飽きしている。明け方から小さな日本の労働者の一 隊が私たちのフランスの造兵廠の職工共のように、籠や水筒に入れた昼食を持って私たちの所へ 侵入して来る。しかしどことなく困窮した痛ましい風をして、鼠を想い起させるような、こせこせした様 子をしている。彼らは最初は音もなく入り込み、巧みにもぐり込む。そうして暫くすると、龍骨の上に も、船槽の底にも、穴倉の中にも、到るところに、鋸をもって挽き割ったり、釘を打ちつけたり、修復 したりしている彼らを見出す。 岩石やもつれた繁みの傾斜を受けたこの場所ではひどい暑さを感じる。 二時という日ざかりに私たちの所へやって来る珍らしい愉快な襲撃。それは甲虫と蝶々である。 扇に描いてあるような不思議な蝶々。その中には真黒いのまでいて、それがそそっかしく私たち にぶっ突かる。その軽快と云ったら、胴体がなくて、大きな翼だけが一緒にくっ付き合って震えてい るようだ。 イヴは驚いて、それを眺める。 ――おお! 彼は子供らしい様子をして云う。今素敵に大きな奴を一疋見ましたよ。……びっくり しちゃった。てっきり此奴(こいつ)は……蝙蝠がぶっ突かって来たのかと思いました。 非常に珍らしいのを一疋捕えた舵手は、押花でもする時のように彼の信号簿の中へ入れて乾す ために大事そうにそれを持って行く。 通りがかりの一人の水夫が、飯盒の中へまずそうなあぶり肉を入れて持って来て、おどけた目つ きで彼を眺める。 ――僕にそいつはくれてしまった方がよかろうぜ、ねえ君。……僕が料理してやろう! 三十二 八月二十四日 私が私の小さな家とクリザンテエムを捨てて来てから、やがて五日になる。昨日から大風と豪雨。 (過ぎ行かんとする或いは過ぎ行きつつある台風。)中檣を取りはずしたり下檣の帆架を引き下げた り、険悪な天候に際してのすべての処置をつけるため、私たちは夜中に大騒ぎをした。もう蝶々が 飛んで来るどころではない。私たちの頭の上では、すべてのものがはためき呻く。蔽いかぶさって いるような山の障壁の上では、木が怒って打ち合ったり、草が例れたりして、苦悶の有様である。恐 ろしい烈風が鳴りひびく音を立てて、それを吹きまくる。雨のように、私たちの上に、木の枝や、竹の 葉や、土くれが降りそそぐ。 そうして、可愛らしい小さな物から出来て居るこの国にあっては、この暴風雨は調子はずれである。 その勢いはあまりに強大で、その音楽は余りに大き過ぎるようだ。 夕方になると、驟雨(しゅうう)は短かくなり、急に点滴となり、急に小止みとなり、大きな黒雲は見 る間に捲きあがって行く。――この時、私は私たちの上の方の山の中へ散歩に出かける。雨にぬれ た草を分けて。――山へつづく小径が椿と竹の藪の間につづいている。 ……一しきりの夕立をやり過すため、私は山の中腹にある、大きな枝を張った幾百年の老木の森 の中に荒れさらされている、非常に古い寺の中庭で雨宿りをする。そこへは、古代ケルト族の大石 門のように腐蝕した不思議な山門を潜って花崗岩の階段を登って行くようになっている。この中庭 にも矢張り樹木が繁茂している。日光は覆い物をされたように緑がかつている。雨はここでは木の 葉や、根こそぎになった苔とまじって、滝のように降って来る。不思議な恰好をした花崗岩の古い怪 像が隅々に据え付けられてある。そうしてそれが微笑を湛えた獰悪な顰め顔をしている。呻き訴え るような風のこの音楽の中で、雲や木の枝の密閉したこの暗さの下で、身の毛をよだたせるような怪 像の形相(ぎょうそう)は、名状し難い神秘を語っている。 これらすべての昔の寺院を設計し、到るところに寺院を建て、人里離れた最も寂しい片田舎に至 るまでも、寺院をもって満たしたかの日本人と、今日の日本人とは似てもつかぬものである。 一時間の後、この台風の日の黄昏の中を同じ山つづきで樫に似た木立の下へと偶然が私を導く。 これらの木は常にこの風によって歪められるのである。そうしてその根もとに生えた草むらはしどろも どろに地びたにひれ伏し、裏返しになってのた打っている。……そこで、不意に私は森林における 大風の、私の最初の印象をはっきりと思い出す。――サントンジュの、リモアーズの森の中で、もう かれこれ二十八年前の、私の幼年時代のある三月の月であった。 山野において初めて私の出遭ったその風は、地球の他の半面の上を吹いたのであった。 ――そうして足早やな歳月は、この思出の上を過ぎ去ってしまった。――そうしてそれ以来、私の 生涯の最も美しい時は滅びてしまった。…… 私は余りにしばしば私の幼時の回想に耽(ふけ)る。実際、私はその繰りごとばかし云っている。け れども私はその時代においてのみ、印象や感覚を持っていたような気がする。その頃私の見たり聞 いたりしていたものは、極く些細な事までが、測り知ることのできない極限のない奥深さの底にあっ た。たとえば、それは目覚まされた心像か、前世の生存の回想ででもあるかのようであった。もしくは 来世の生存の予覚か、夢の国における未来の降誕ででもあるかのようであった。それからまた、あら ゆる種類の驚異の期待――それは地球と人生とが疑いもなく後々のために、私の大きくなった時の ために、とって置いてくれた期待――のようでもあった。さて私は成長した。そうして私の道程には、 ぼんやり予見していたすべてのこれらの物が、何んにもありはしなかった。反対に、私の回りにある ものは少しずつ狭まって来た。不明になって来た。追憶は塗抹されてしまった。前方にあった天涯 は徐々に再び閉ざされ、灰色のくら闇に満たされてしまった。やがては永遠の塵埃に帰る時が来る であろう。そうして私は私の幼時のこれらすべての蜃気楼の神秘な理由を了解する事なしに、この 世を去るであろう。私は永遠に見出す事の出来ない郷土が、いかなるものであるかを知り得ない心 残り、熱心に希求してもかつて抱擁した事のない人間が、いかなるものであるかを知り得ない心残り を抱いてこの世を終るであろう。…… 三十三 ムッシュ・スウクルはさまざまにもったいぶって、支那墨を含ませた華奢(きゃしゃ)な筆先で、美し い日本紙の上に綺麗な鶴を二羽描いて、彼自身の形見として、ごく心安立てな風でそれを私にく れた。それは今私の船室にある。そうしてそれを見るたびに、私はすらすらと手を上げていかにも 易々と描いているムッシュ・スウクルを再び見るような気がする。 ムッシュ・スウクルの墨を溶かす皿は、それ自身が本当の宝石である。硬玉の石塊に細工されたこ の皿は、ロカイユ(岩窟の形に彫られた什器、ルイ十五世時代に流行した)のように彫られた縁と硯 海とから出来ている。そうしてこの縁の上には、同じ硬玉で出来た小さな親蟇が、ムッシュ・スウクル の大事にしているまつ黒な墨汁の数滴の湛えられた小さな湖に飛び込んで、浴みでもしようという 恰好でとまつている。そうしてこの親蟇はやはり硬玉で出来た四疋の子蟇を連れている。一つはそ の親蟇の頭の上にとまり、他の三つは親蟇の腹の下で遊んでいる。 ムッシュ・スウクルは彼の生涯の間に沢山の鶴を描いた。したがって彼は実にこの種の鳥の群や、 二重奏――もしそういうことが云えるならば――を描き現わすことにすぐれている。この画題をこん なに早く、こんなに優美に釈(と)き明かす才能を持った日本人は稀である。それは初めに二本の 嘴(くちばし)が描かれる。それから四本の脚、その次に背中、翼、ぽつ、ぽつ、ぽつ。――すこぶる 愉快に構えた手に握られた、彼の巧妙な絵筆の一筆づつの十数筆。――そうして描き上げられる。 そうして常に成功をもたらすのである! ムッシュ・カングルウは、その事には別に非難すべき点を見出さずに、この才能は昔ムッシュ・スウ クルに大いに役に立ったものだった事を物語る。私にはこうも思われる、それはマダム・プリュヌが ……まあ、何と云ったらよかろう、……それに、誰が彼女の事をそうと推量し得よう、あのように信心 深く、あのように落ちついた、几帳面に眉毛を落している老婦人を見て。……――けれども実は、 マダム・プリュヌは昔沢山客を取っていたらしい。――いつも独りで来る客を。――そうしてそこに考 えるべき余地が充分ある。……だから、マダム・プリュヌが一人の来客をもてなして居る時にもし新ら しい客が来合せたら、彼女の如才ない亭主はその新しい客を待たせて、庶接間に囚虜(とりこ)にし て引きとめて置くために、早速いろいろの変った姿勢の鶴を描いて見せていたのであった。…… これ故にナガサキでは、ある年頃の紳士たちは皆んな彼らの収集の中にムッシュ・スウクルの繊 細な独得な技能に負うところのある二、三枚の絵を持っている。 三十四 日曜日。八月二十五日 夕方六時頃、私の当番の間、ラ・トリオンファントは山の間に切り込んだ囲壁を離れ、ドックから出 る。運転の大騒ぎがあって、それから私たちはジュウジェンジの岡の下の、元の位置に来て錨を下 す。一点の雲もとどめない静かな天気に再びもどる。台風の拭い去ってくれた空には、この特別な 晴明がある。未だかつて見た事もない遠方のごく微細なものまでが見分けられるような、極端な透 明さがある。ちょうど恐ろしい大きな一吹きが、宇宙にさまよっている最も軽小な雲霧に至るまでも運 び去ってしまったかのように、到るところ深い明るい空虚しか置かずに。そうして、この雨の後、樹木 や山々の緑の色は、優れた春のような景色を呈し、再び生き生きして来た。――新らしく洗い出さ れた絵画の色調を、露を含んだ光彩で研ぎ出しでもしたように。三日以来避難していた艀舟や和 船は沖の方へ出て行く。湾はそれらの白帆で覆われる。まるで住み替える海鳥の移民が飛び行く ようである。 夜、八時に、運転を終り、私はイヴといっしょに艀舟に乗る。私を引っ張り出したのは、今度は彼で ある。彼は私を私の宿へ連れて行こうとするのである。 陸には、湿った牧草の香気がただよっている。山の道は、明月の光を浴びている。私たちはクリザ ンテエムに逢うために、真直ぐにジュウジェンジヘと登って行く。素振りにこそ出さないが、私は彼女 については、今まで長い間打っちゃって置いた後悔(こうかい)の思いをさえ抱いているのである。 仰いで、私はあの高いところにある私の小さい家を、遠くから認める。その小さい家はすっかり開 け放たれて、照り輝いている。そうして三味線の音が聞こえる。天井から下った二つの燈明の小さく 輝く明りの間に、あの仏陀の黄金の頭を瞥見(べっけん)することが出来る。それからクリザンテエム が縁側に現われる。実に日本人らしい横顔をして、髪を美しく結い、袂を長く垂れて、私たちを待っ てでもいるように肱をもたせかけている。 私がはいって行くと、彼女は出て来て私を抱擁する。少しく躊躇した風で。でも、やさしく。オユキ も両腕で私に絡(から)み付く。これはもっと無遠慮に。 そうして私は不快を感じずに、殆んどその存在すら忘れていたこの日本の住家を再び見る。この 家がまだ私のものであるのを見て、私は怪訝な感じにさえ打たれる。クリザンテエムは私たちの花瓶 に新しい美しい花を活けてあった。彼女はお祭にでも行くように、髪を大きく結い、彼女の一番よい 着物を着て、ランプを明るくしてあった。ラ・トリオンファントがドックから出るのを縁側から見て、彼女 は私が遂に帰って来るのを一心に念じていた。そうして、支度を整えて待つ間の所在なさを、彼女 はオユキを相手に三味線の連弾をしていたのである。疑う事も叱る事もありはしなかった。まるで反 対である。 ――私たちにだってわかっててよ、彼女は云う、あんなひどいお天気に艀舟で長いこと入江を横 ぎっていらっしゃれようなんて、どうして。…… 彼女は嬉しがっている小娘のようにほほえむ。そうしてほんとうに今宵彼女が可愛くあることを承認 しない事がどうして出来よう。 さあ、私たちはこれから直ぐにナガサキヘ下りて行って、大散歩をしようと私が云い出す。私たち はオユキ・サンと、そこに居合せたクリザンテエムの二人の従妹と、それから喜んで行こうというなら 近所の娘たちもつれて行こう。私たちは一番道化たおもちゃを買おう。あらゆる種類の菓子を食べ て見よう。そうして大いに楽しもう。 ――まあいい時に来合わせた! 彼女らは小躍りしながらいう。なんていいところへ来たんでしょ う! ちょうど踊り亀の大寺(大音寺のことか。この寺の山門の傍に乾隆四十一年の日付を有する開 山伝誉上人功徳の碑があり、その礎石が亀の形に彫られてある。もし碑文の全文を読み得る人が あったら亀が踊り出すと昔から伝えられている。)に夜のお詣りがあります! 町中のおとこ女がそこ へ行くでしょう。 結婚している人たちも皆んな出かけて行ったばかりです。X、Y、Z、トゥキ・サン(時さん)、カンパ ニュル(釣鐘草)、ジョンキユ(水仙)の一隊に、あの法図もなく背の高い友達も一緒になって。それ に彼女たち二人は、可哀そうなクリザンテエムとオユキ・サンは、大そう心配して家に居残っていた のであった。私たちが居なかったし、それにマダム・プリュヌがお昼から眩暈(めまい)と発作を起し て苦しんでいたので。…… ムスメたちのお化粧は急いでせねばならぬ。クリザンテエムはもう用意が出来た。オユキは大急ぎ で鼠色の着物に着替え、私に美しい帯――橙黄色の裏をつけた黒繻子の帯――のふくらんだ結 び目を直してくれと頼む。そうして髪にはかなり高く銀の簪(かんざし)をさす。私たちは小さい棒の 先に提灯をともす。ムッシュ・スウクルは彼の娘のために礼を述べる、限りなく礼を述べる。私たちを 見送って、戸口で四つん這いになる。――さて私たちは随分はしゃいで出て行く、透明な甘ったる い夜の中へ。 実に町は、下の方に、大祭の動揺の中にある。往来は人で一ぱいになっている。人群が通り過ぎ る。――嬉しがった、気まぐれな、のろのろした、たとえようもない満潮の如くに。――皆んな全く同 じ方向へ、唯だ一つの目的地へと流れて行く。人群からは大変なしかし、軽快な喧騒が湧き起る。 そこには笑声と小声で取り交わされる挨拶の言葉が漲(みなぎ)っている。提灯、また提灯。……私 の生涯に私はこうまで沢山の、雑多な色をした、こんがらがった、仰山な提灯を見た事がない。 私たちも続く。この人波の中に漂流しているように、この人波によって引かれて行くように。その中 には盛装したすべての年頃の女の群がいる。取りわけ数えきれないほど大勢のムスメたちが、花簪 (はなかんざし)をさしたり、でなければ、オユキのように銀の簪をさしている。小じんまりした顔付、 小猫のような小さいくるくるした目、半開きの唇の辺まで少しばかり侵入している丸ぼちゃな生白い 頬。これらの小さい日本の女たちは、子供らしい仕ぐさと、にこにこするのとでいつも変らず可愛らし い。男の方は、この国特有の長い着物を着て、いつもよりめかして、小賢しい猿のきざな醜態を遺 憾なく整えるために、山高帽を皆んな冠っている。彼らは手に木の枝や時折は根こそぎの潅木を持 っている。その先へ、木の葉とまぜこぜに、小鬼や鳥の恰好をした最も奇怪な提灯を皆んなさげて いる。 私たちがこの殿堂の方向へ進むにつれて、往来は段々と混雑になり騒々しくなる。今や家々に沿 って露台の上に限りなく商品が陳列してあるところまで来る。あらゆる色合のぼんぼん、おもちゃ、 花の付いた枝、切り花、仮面。仮面が何より多い。仮面を入れた箱や車がそこにもここにも並んでい る。一番ありふれたのは稲の神に奉納する、死人のような、口を尖らして長い耳を押っ立てて鋭い 歯をむき出した、青白くて狡猾そうな白狐の仮面である。神々や怪物を象徴した他の仮面もある。 本物の髪の毛や鬚を付けて、全部鉛色で、顔を顰めて、筋肉を引き吊っている。皆んなが、子供ま でが、この恐ろしい仮面を買ってその顔の上へくっ付ける。色々な楽器も売られている。その中に は実に奇妙な大きな音を立てる沢山なガラス製のラッパがある。今夜はそれが実に夥(おびただ)し い。短いのでも長さ二メートルからある。そのラッパの立てる音色は今まで聞いたものには似も付か ぬ音色である。まるで群集の中で人を怖気立たせるために鳴き叫んでいる大きな七面鳥の声を聞 くようである。 この国民の宗教的娯楽の中に、事物の持っている神秘の溢れた内面を見出すことは、私たちに は到底不可能な事である。どこまでで冗談が尽き、どこから神秘的な恐怖が始まっているのか、私 たちには見さかいがつかない。これらの習慣、これらの象徴、これらの仮面、伝説と遺伝とが日本人 の頭脳の中に積み重ねたこれらすべてのものは、私たちにとっては当もつかない深い隠密な起源 から来ている。最も古い書籍を漁(あさ)って見ても、決して浅薄な薄弱な説明よりほか私たちに与 えてはくれまい。――それが私たちがこの国民と共通したところを持っていないという理由である。 私たちはなぜというわけも知らずに、私たちの陽気と笑声とはまるで異なった、彼らの陽気と彼らの 笑声の中を通って行くのである。…… クリザンテエムはイヴと、オユキは私と、私たちの従妹のフレエズ(苺)とジニア(浦島草)とは、これ は私たちの監視の下に先に立って歩きながら、こういう順序で私たちはなおも群集のあとから迷子 にならないように二人づつ手をつなぎ合せてついて行く。 この殿堂へ行く往来には一体に、金持は彼らの家の内に植木鉢や活花を陳列して置く。この国 のあらゆる住家の持っている納屋(四方開けっ放しになった農事小屋)の形、この国特有の店先や 縁台の種類は、華奢なもののこうした展覧会には、極めてふさわしくある。家はすっかり開け放しに して、家の内部には幕を張って奥の方を隠してある。往来の群集から少し引込んだところにある、一 般に白色を用いてあるこれらの幕の前方に、天井からさがったランプの輝かしい光の中に、陳列品 は規則正しく並べられてある。――これらの活花の中には花を付けたのは殆んどなく、葉ばかりで ある。――あるものはなよなよしい、珍らしい、ちょっとそこいらでは見当らないようなものである。― ―でなければごく有り触れたものの中からことさらに選び出したものであるが、何らかの新らしさと優 れたところを見せる技術をもって整理されたものである。ありふれたサラダの葉やよく育ったキャベツ で、微妙な技巧的な恰好をつけ、奇異な花瓶の中へ挿したものである。花瓶はすべて青銅で出来 ている。しかしその図案は、最も変化に富む想像力を働かせて、限りなく変ったものである。あるも のには複雑と苦心の跡がうかがわれる。またあるものは、大部分はそうであるが、軽い簡単なもので ある。――だがしかし実に研究された単純さを持ったものであって、私たちの目には、未知の技術 の天啓のように、また形の上に求められたすべての想念の転覆であるようにも見える。…… 往来のある曲り角で、私たちは非常に運のよい出逢をする。それはラ・トリオンファントの結婚して いる私たちの仲間と、ジョンキユ(水仙)とトゥキ・サン(時さん)とカンパニュル(つりがね草)である! ――ムスメたち同士のお辞儀と挨拶。お互い同士のめぐり逢った喜びのことば。それから、密集した 一かたまりになって、私たちはいつまでも増しつのる群集に引きずられながら、殿堂の方へ歩きつ づける。 往来は上り坂となる。(殿堂はいつでも高い所にあるので。)そうして、次第に私たちが上るにつれ て、提灯や着物の夢のような美観に、更に今一つの、遠い、青味がかった、煙のような美観が加わ る。全ナガサキが、その塔と、山々と、月の光を一ぱいに浴びているその静かな海と一しょになって、 今や私たちと同時に空の中へせり上りつつある。徐(おもむ)ろに、もしこうも云い得るなら、一歩づ つその美観はあたり一面に浮き上って来るのである。赤い灯やあらゆる色の流れのはためくこれら すべての前景を、一つの大きな透明な装飾画に引き伸ばしながら。 私たちはもちろ n 近づきつつある。この辺にはもう大きな殿堂の花崗岩がある。石段や、楼門や、 怪像などが。私たちはこれから幾つながりとなくある階段を上らねばならない。私たちと一しょに上っ て行く信者たちの波に、殆んど運ばれるようになって。 殿堂の中庭に、――私たちはやっと着く。 これが今宵の夢のような美観の最後のそうして最も驚く画面である。――輝いてそうして奥深い 画面。それは月に照された夢のような遠景を持っていて、そうして上の方には巨人のような樹木や 神々しい杉の木が、その黒い枝葉を円塔のように広げている。 私たちはそこへ、私たちのムスメたちと一緒に、皆んなして坐り込む。この中庭に急拵えした沢山 な小さな茶屋の中のある一軒の、花で飾り立てられた日覆いの下に。私たちの居るのは大きな石段 を上ったある台地の上であって、その石段からは群集が引っ切なしに溢れ込んでいる。私たちの居 るのはある楼門の下であって、その楼門は巨像の重々しい堅苦しさをもって夜の空の中に突っ立っ ている。また私たちの居るのはある怪像の下であって、その怪像は彼の大きな石の目と、彼の意地 わるそうな顰め面と彼の笑をもって私たちを見下している。 この楼門とこの怪像は、この祭の不思議な装飾画の中で、前景の二つの大きな威圧的なものであ る。この二つは少しく眩惑を感ぜしめる豪壮をもって、遠方の、空中の、空虚の、彼方茫漠として灰 色がかった青色のすべての物に面して聳(そび)えている。この楼門と怪像の後方に、ナガサキは、 さまざまな色の小さな火影の数千万と共に、透明な暗がりの中に非常にかすかに描き出されて、一 筋に広がっている。それから山々はそのいかめしい歯形に並んだ輪廓を星で一ぱいになった空の 上に描き出している。――青い上にも青く、透明な上にも透明に。そうして湾の片隅も見えている。 非常に高く、非常にぼんやりと、非常に青白く、たとえば雲の中に浮んだ湖のように。その水は、そ れを銀の布のように照らしている月の光の反射に、僅かにそれと知られる位に。 私たちの回りには絶えずガラスの長いラッパが鳴っている。映し絵の幽霊のように、礼儀に厚いそ うして軽佻な人間の群が往来している。小さい目をしたムスメたちの無邪気な群は、訳もなく軽快に 笑いつれて、銀の簪を挿した美しい髪毛を光らしている。それから非常に醜い男共は、枝の先に鳥 や、神々や、虫けらの形をした提灯をぶら下げてぞろぞろ歩いている。 私たちの後に、殿堂は、すっかり飾火され、すっかり開け放たれ、坊主たちは、神様、怪獣及び象 徴の住まっている金光燦爛とした奥殿の中に、不動の列を作って坐っている。群集は、笑声と祈祷 の単調な低い騒がしさの中に、手一杯に賽銭(さいせん)を投げながら回りに寄りたかって来る。絶 え間ない騒音と共に、坊主たちのために囲われた円の中の床の上に転がる。そこへは銅貨や銀貨 の洪水の後のように、色々な大きさの賽銭が降り積もり、白い蓆(むしろ)の地がすっかりかくれてい る。 私たちはこの祭の中にあって、祖国を離れた感慨に打たれてそこに立っている。眺め渡したり、笑 ったりしながら。なぜと云って、笑わなければならないから。そうしてまだ十分会得しない国語でわけ のわからぬ幼稚な事を云いながら。なぜだか私にはわからないが、私たちが一様にこの国の言葉 を解しない事に今宵は思い悩んで。夜の微風は動いているけれども私たちの日覆いの下は大変暑 い。私たちは香気に充ちた霜、でなければ雪の中に花の味を付けたようなものに似ている、おかし な小さい氷菓子を幾杯も飲む。私たちのムスメたちは、霰にまじった砂糖入りの腕豆を幾杯もあつ らえる。――三月の降雪の後に拾い集めでもしたような、本物の雹(ひょう)にまじったものである。 グルウ!……グルウ!……グルウ!……とガラスのラッパはゆるく音を立てる。力強いよく響く音 でもって。でもまた、いかにも辛そうに、そうして水の中で窒息でもするように。到るところでがらがら を鳴らして居る。拍子木を無性に叩いている。わけのわからないこの陽気さの無限の興奮の中へ、 私たちもまた持って行かれるような気持がする。その陽気さというのは私たちに測定は出来かねる が、何だか妙に神秘な、子供っぽい、また恐ろしげなものがまじって出来ている。私たちの後の殿 堂の中にあるのを私たちが気取っているあの偶像のために、混乱して聞こえてくるあの祈祷の声の ために、一種の宗教的恐怖心が伝播される。――ことに、時々通りかかりの人々の顔をかくしている 漆塗の木で出来た白狐の首のために。――蒼白なあのすべての恐ろしい仮面のために。…… この殿堂の庭園と付属地の中にちょっと想像も付かない野師どもが店を並べている。その白く文 字を染め出した黒色の旗は、大きな柄の先に、柩(ひつぎ)の装飾物のように風に吹かれてはため いている。私たちのムスメたちが彼女らの礼拝を終って賽銭を投げてしまうと、私たちは一かたまり になってそこまで歩いて行く。 この市のある一つの板小屋の中に、一人の男がただひとり登場して、テーブルの上に背中をべっ たり付けて横たわっている。彼の腹部から、殆んど人間大の人形が薮睨(にら)みの恐ろしい仮面を つけて湧き出す。それが喋(しゃべ)ったり、身振りをしたりする。――それから空っぽの襤褸(ぼろ) みたいになって崩れる。と、たちまちにぜんまい仕掛の伏せ籠のように、新たにぬうっと出る。それら が着物を変え、顔を変え、引続きの狂乱の中に狂奔する。ちょっと間を置いてそれが三つまで出る。 と、四つ同時に出る。これは寝ている男の手足なのである。その両足を空中に浮かせ、そうして二 本の腕にはそれぞれ着物を着せ、鬘をつけて仮面をかぶせる。これらの化物の間で、色々の場面 や刀を持った立ちまわりなどが演ぜられる。 中にもぞっとさせる老女の人形がある。死骸のような哄笑を漏らしながら彼女が髪を振り乱して現 われるたびに、ランプは暗くされ、骨々のきしむような音をさせる拍子木のトレモロで、囃方の音楽 は非常に陰気な呻くような笛の音になる。――明らかにこの人物は一幕の中の醜怪な役を演ずる。 彼女はきっと呪うべき貪慾な鬼女なのだろう。更に彼女を恐ろしくするものは白い衝立の上にいつ も適宜な明るさに映し出される彼女の影である。何ともわけのわからない所作によって本当の姿かと 思われるまで、鬼女のすべての動作につきまとうこの影は、狼の影なのである。――暫くすると鬼女 は振り返って、彼女に捧げる飯椀を受取るため獅子鼻を斜に見せる。その時、衝立の上にはその 尖った二つの耳、獣面、唇、歯、突き出た舌と共に、狼の横顔の引き伸ばされるのが見える。囃方 は微かにきしり出し、呻き、大どろどろになる。――それから梟(ふくろう)の合奏のように陰欝な叫び 声をどっとあげる。そこで鬼女が食いだす。そうして狼の影もまた食いだす。顎骨を動かして、今一 つの……非常にはっきりした影を噛(かじ)る。それは赤ん坊の腕である。 私たちはその次に日本の大きなサラマンダ(火蛇)を見に行く。――それはこの群島国の内海に 忘れられて残った、ノアの大洪水以前の標本ででもあるように、この国では珍らしい、そうして冷た い大きな塊で、遅鈍な、眠ったような、大陸へ行ってもなお知られてない動物である。 その次には、利口者の象を見る。私たちのムスメたちはそれを怖がる。それから軽業師。動物の 見世物。…… 私たちがジュウジェンジの私たちの家へ帰り着いたのは午前の一時である。 先ず第一に、私たちは一晩すでに泊ったことのある襖を立て廻したあの小さい部屋にイヴを寝か せる。それから小さい煙管を丹念に用意した後で、私たち自身も寝る。そうして煙草盆の縁ヘパ ン! パン! パン! パン! けれども今度はイヴが眠りながら激しく動き出してはね回り、仕切を足で蹴ったり、ひどい騒ぎをす る。 ー体どうしたというのだ! ……私は彼が狼の影をした鬼女を夢見ているところを想像する。―― クリザンテエムは顔に驚きの色を現わして、耳をすますために肱を立てて起き上る。…… たちまち輝いた顔になる。彼女には彼を苦しめていたものが呑み込めたのである。――力! (蚊!)彼女は云う。 そうして彼女は自分の云おうとしている動物がどんなものであるかをもっとはっきり私にわからせる ために、尖った彼女の小さい爪の先でその通りの真似をして見せて、ひどく私の腕をつねる。誰で も刺された時に感ずるような、くすぐったいような顰め顔をして。・・・ ――おお! まあ、この仰山なつまらない默劇はもうわかったよ、クリザンテエム! ――私は蚊 と云う言葉を知っている。私にはよくわかっている。…… それが実に道化てすばしこく、小器用に唇を尖らしてされる。私は、心の底では少しも腹を立てよ うなんて考えの起らない位に。――けれども明日になって見たらそこのところに紫の痣(あざ)が付 いているだろう。それは確かである。 さあ、イヴを救う用意をするために私たちは起きなければなるまい。イヴだって、このままいつまで も、どたりばたりしているわけには行かない。提灯をつけて、どうしているのか、何をしでかしたのか、 行って見てやろう。 まちがいもなく蚊である。家の中の蚊も庭に居るのも、ぶんぶん群れ集まって来て、彼の回りを雲 のように飛んでいる。腹を立てているクリザンテエムはその中の数疋を提灯の火で燃して、外の蚊を 私に見せる。「う!」襖の白い紙の上には、到るところにそれがとまっている。 昼間の疲れで彼は眠りこけている。でも欝陶しい眠りである。それが顔でわかる。クリザンテエムは 私たちの傍へ、私たちの青蚊帳の中へ連れ込むために、彼を揺り起す。 彼はされるままになっている。何かぶつくさ云った後、彼は、まだよく目の醒めきらない大きな子供 のように起き上って、私たちについて来る。――そうして私は、要するに私は、この三人で寝ること については別に非難すべき点を見出さない。私たちの分かとうとするその床は余りに寝床らしくな い。そうして私たちは日本の習慣に従って、常にするようにすっかり着物を着たままそこで眠るので ある。旅中、汽車の中で、最も尊敬すべき婦人たちでも躊躇せずにこんな風にして知らない紳士た ちの傍に横たわらないであろうか? ただ私は監視したり、覗き見したりするためにクリザンテエムの小さい箱枕を蚊帳の真中へ、私た ちの二つの枕の間へ置いた。 その時彼女はしこぶる殊勝に、何も云わないで、不注意に私の犯したやり方の誤りを訂正でもす るように、その枕を取り上げて、蛇の皮で出来た私の太鼓枕と置き代える。これで私が彼らの間を割 って真中に這入る事になった。この方が実際正しいのだ。おお! これですっかりよし。――クリザ ンテエムはたしなみのある婦人である。…… ……その翌朝船へ帰る途中、七時の明るい太陽を受けて、露の一ぱい置いた小径を、学校通い の六つから八つ位の全くおどけた小娘たちと一緒に歩く。 蝉は、云うまでもなく、私たちのまわりによく響く快活な声を立てている。山は香気を発している。 空気は爽かに、光線は輝かしい。長い着物を着て、美しい髪飾をしたこれらの小娘たちは、無邪気 で快活である。私たちの踏む草花や牧草の心地よさ。そうしてそれは露の雫を置いている。……田 野の朝と生活の朝とは、日本でも同じように、何と云う不滅の喜びであろう。…… その上また私は、これらの日本の小さい子供の魅力を認める。彼らの中には崇拝したいような子 がいる。――けれども、彼らの持っているこの魅力が老いぼれの顰め顔になり、笑顔を作った醜さ になり、猿のような恰好になるため、どうしてこうも早く時は過ぎ行くのであろう?…… 三十五 私の義母マダム・ルノンキュル(きんぽうげ)の小庭は、まさに、私の世界巡遊の間に出逢った最も 陰欝な眺めの一つである。 おお! なよなよしい光線を受けているこの小庭の縁側で小皿にはいった胡椒(こしょう)入りの果 物を食べながら、たあいもない雑談に過すまだるっこい時間、いらだたしい、鈍色の時間! 町の 真ん中に、壁に囲まれた四メートル四方のこの公園は、小さい湖や、小山、さては小さい岩石まで もしつらえてある。そうして朽ちるにまかせた緑色や鬚を出した苔が、かつて日光を見た事のないそ の全部を覆っている。 けれども争うことのできない天然の感情は、この野趣ある景色の些細(ささい)な縮図に現われて いる。岩石はほどよく置かれてある。キャベツほどの高さもない短い小さな杉は、その節くれ立った 枝を、幾世紀も経て疲れた巨人のような態度で、谷の上に広げている。――そうしてその大樹の立 たずまいが、人の目を欺き遠近を誤らせる。部屋の薄暗い奥から見頃の距離に居て、比較的光線 を受けたこの景色を眺めると、果して人工で出来て居るのか、あるいはむしろ、もしこれが狂った目 で見た――それとも双眼鏡の反対の端から眺めた実際の山野の一部分でないとしたら、病的な何 かの幻影に惑わされているのではないかと怪しまれる位である。 日本趣味に関して幾らかの知識を持った人の目には、私の義母の室内は凝ったものである事が わかる。全く無装飾である。僅かに二、三の小さい屏風がそこここに置かれてある。――水さし、蓮 を活けた花瓶、ほかにはなんにもない。木造の部分には絵もなければ、漆塗にもなっていないが、 気まぐれな思いつきですこぶる繊細に細工された透彫になっている。そうして石鹸水でしばしば洗 ってその新らしい樅材の白さを保っておく。屋体を支えている木の柱は非常に心をこめた想像カで、 様々な趣向を凝らしてある。あるものは全く精確な幾何学的の形をしており、またあるものは葛の絡 (から)んだ木の古幹のように人工的に歪めてある。小さい押入、小さい袋戸棚、小さい棚が白紙の 羽目板の無垢な揃いで、最も巧妙な、最も思い設けない風に隠されて、到るところにある。 私は美しいパリの婦人たちのところで見る、骨董品をごたごたに並べて置いて、輸出品の繻子の 上に金の不恰好な刺繍をしたのを張った、日本間と称する客間を思い出すと、ひとりでにほほえま れる。私はこれらの婦人たちに、この国では趣味を解した人たちの家がどんなものであるかを見に 来るようにと勧める。――江戸の宮殿の物寂びた白さを見物に来るようにと。――フランスでは、美 術品をば慰むために持ち、この国では骨董と呼んで、鉄で固めた、地下の、一種の神秘な部屋の 中にそれぞれ符票をつけて蔵(しま)って置くために持っている。ただ稀な場合に、高貴の訪問者 をもてなすために、この測知し難い場所を開くのである。――綿密な、過度の清潔、白い畳、白い 木造、総体が極度に簡潔である事、それから限りなく小さいこまごましたものの中に、信じ難い程の 風雅の潜んでいる事、こうした事が室内の贅沢を解する日本風なのである。 私の義母は実際私には非常に善良な女のように見える。もし彼女の小庭が私に与える感情が堪 え難いほど陰欝なものでなかったら、私は時々彼女を訪問しただろう。ジョンキユやカンパニュルや、 トゥキ(時)の母たちと共通な点は少しもない。こんな婦人たちのすべてよりは問題にならないほど優 れている。それからまだ人を魅する力も残っており、美しい嬌態も十分にある。――彼女の前半生 は私には迷宮である。でも、私は婿である資格からして、礼儀上余り立ち入って尋ねるわけには行 かない。 昔エドで名うてのゲエシャだったが、それから子持になるような軽はずみな事をしでかしたために、 お客の贔屓(ひいき)を失ったのだと云うものがある。それは彼女の娘の三味線にかけての才能が よく証拠立てている。彼女は多分自分で娘にそのコンセルヴァトアル(音楽舞芸の教習所)の弾き 方と作法を仕込んだのであろう。 クリザンテエム(彼女の長女であって、名誉失墜の最初の原因)が出来てから私の義母は、腕は 冴えていたが浮気な性質から、同じ失錯になお七度までも陥った。即ち、私の小さい二人の義妹の オユキ・サンとツキ・サンと、私の小さい五人の義弟の桜、鳩、昼顔、金及び竹を産んだ。 この小さい竹は四つになる。輝かしい美しい眼をした、まるまるした、黄色い子で、愛くるしい快活 な子で、笑わない時はいつも眠っている。私のニッポンの全家族の中で、私の一番好きなのはこの 竹である。…… 三十六 火曜日。八月二十七日 私たちは、イヴ、クリザンテエム、オユキと私で、足まめな四人のジンに引かれて、ほこりだらけな 薄暗い町の中をうろつきまわって、骨董店で古物を探しながら一日を過ごした。 日暮れ方になると、今朝ほどから私を厭(あ)き厭きさせてばかしいたクリザンテエムが、自分でも それに気がついていたと見えて、悲しそうな顔をして、病気にかこつけて、母のマダム・ルノンキュル の所へ行って今夜は臥せりたいと云い出す。 私はそれに同意する。行ってしまった方がよい、こんなムスメは! オユキが彼女の両親の所へ 知らせに行くだろうから、その両親が私たちの部屋をば締めて呉れるだろう。私たちは、イヴと私は、 私たちの後にどのムスメも連れずに、夕方を思いのまま歩きまわろう。そうして後、私たちはラ・トリオ ンファントの私たちの所へ帰って寝よう。あの高い所まで攀(よ)じ登る面倒をしないで。 私たちは最初私たち二人きりでどこか小綺麗な茶屋へ食事に行こうとして見た。――到底駄目で ある。どこへ行っても場所がない。障子のあるすべての部屋、襖の立ててある小じんまりしたすべて の部屋、小庭のどんな片隅にも、小さな食器を並べて食べている日本の男や女で、実にいっぱい になっている。沢山な若い道楽者が意気な集まりをしている。離れの小座敷では三味線の音がして、 踊り子が踊っている。 今日はちょうど、私たちが一昨日その初日を見た大音寺のお詣りの三日目の、最後の日である。 ――全ナガサキは今や遊楽に耽っている。 胡蝶という茶屋で、ここも満員ではあるが、しかし私たちは以前からなじみになっているので、小 さい泉水の上へ、金魚の池の上へ、間に合せの板敷を張るように工夫してくれた。そうしてそこで、 私たちの足の下でぶすぶす云い続けている噴水の心地よい涼しさの中で、私たちの食事が出る。 食事の後、私たちは信者たちについて行く。そうして殿堂へ上って行く。 そこへ登って、この前と同じ妖精や同じ仮面を見たり、同じ音楽を聞いたりする。一昨日のように 私たちはある日覆いの下に坐り、花の香を入れた道化た小さい氷菓子を飲む。でも今夜は私たち はひとりぼっちである。しかし祭を見に来ているこの国民と私たちとの結び目ともいうべき、あのなつ かしい顔をしたムスメたちの一隊の居ない事が、この不思議な逸楽の中で、これらすべてのものか ら私たちを離れ離れにし、私たちを前よりも一層寂しく感じさせる。いつ見ても下の方には青々した 広い装飾画がある。それは月に照らされたナガサキが、宙に浮いている霧のかかった幻影のような 銀色の水面と共に見える景色である。また私たちの後には大きな開けっぱなしの殿堂があって、そ こでは、坊主たちが、神聖な鈴を振ったり拍子木を叩いたりしてお勤めをしている。――私たちの居 る所から見ると、小さな人形のようである。――ある者は静かな木乃伊(みいら)のように並んでうず くまっており、またある者は神々の鎮座している金色の奥の院の前を調子づいて歩いている。私た ちは今宵は少しも笑わない。そうして殆んど話もしない。私たちは最初の晩よりも、感に打たれてた だ見つめている、その意味を探し求めながら。…… 突然、イヴが振り返って云う。 ――兄上! ……あなたのムスメが!! …… ほんとうに、彼女が、クリザンテエムが、イヴの後にいた。殆んど地べたに這うようにして、花崗岩で 出来た半分虎、半分猫ともいえる、私たちの撓(たわ)み易い日覆いの倚りかかっているある大きな 獣の前足の間にかくれながら。 ――小猫みたいに爪で私のズボンの裾の所を引っ張った。非常に驚いてイヴが云う。――おう! いや全く小猫みたいに! 彼女は一生懸命にひれ伏して身体を曲げたままで居る。彼女は悪くとられはしまいかと心配しな がら、内気にほほえむ。そうして私の小さい義弟の竹の顔も、同じようにほほえみながら、彼女の頭 の上の方にもたげられている。彼女は、頭をくるくる坊主にして、長い着物を着て、絹の帯を大きく 結んだ、大事な小ムスコの竹を、彼女の腰の上に跨(またが)らせて、連れて来ているのである。そう して彼らはその気まぐれな仕打を私たちがどう取るか、それを知ろうとして、二人ながら私たちの顔 を見ている。 なに、私は彼らを悪く取ろうなんて、そんなことはこれっぱかしも思ってはいない。それどころか、 反対に彼らの現われたことは私を喜ばす。私はクリザンテエムが、こんな風にして帰って来たり、こ んな風に竹サンを祭に連れて来たりするのを大変可愛く思う。たとえかなり下司ばったまねはしてい ても。彼女は、実を云うと、日本の貧しい女たちが彼らの子供を結びつけるように、その子供を背中 に結び付けているのである。…… さあ、彼女をイヴと私との間に坐らせてやろう。彼女の大好きな霰づけの豌豆を食べさせてやろう。 それから、その可愛らしい小さいムスコを私たちの膝の上に乗せて、彼の好きなだけ砂糖づけや糖 菓を食べさせてやろう。 夜も更けて、私たちがこれから下りて帰ろうという時になると、クリザンテエムは小さい竹を背中へ 馬乗りに乗せて、その重さで前こごみに身体を曲げながら、鬼女のように下駄をつらそうに引きずっ て、花崗岩の階段と敷石の上を歩き出す。……ほんとうに、全く下司ばった歩き方だ。しかし下司 ばったと言う言葉の最上の意味においてである。その中には私を不快にするものは少しもない。私 はクリザンテエムが竹サンに対する愛情の純朴でかつ気持よいことをもまた見出すのである。 その上何人も、日本人にこの特長のある事を拒むわけには行かない。つまり小さな子供を可愛が ること。子供をあやしたり、笑わせたりする技量。滑稽なおもちゃを発明すること。生涯の発端にお いて彼らを快活にすること。髪を結ってやったり身仕舞をしてやったりして、子供の顔つきを出来る だけ愛らしくしてやる真正の特質があること。これがこの国において私の好きな唯一のものである。 つまり子供と、そうして、子供を理解する彼らの方法とが。…… 途中で、私たちはラ・トリオンファントの結婚している友だちに出逢うと、彼らはこのムスコを連れて いる私を見て大変驚いて、私の厄介な荷物をからかいながら聞く。 ――もう君の息子が出来たのですか? 町へ下りて、私たちはクリザンテエムの母の所へ行く曲り角で、クリザンテエムにさよならを云おうと する。彼女は微笑しながら、もじもじして、もう治ったから岡の上の私たちの家へ帰りたいと云い出す。 ――それじゃ、全くの話が、私の計画に嵌(はま)らない事になる。……さればと云って拒んだら気 まずい事になるだろう。仕方がない! ムスコをば彼の母の所へ送りとどけて、それから私たちはマ ダム・トレ・プロプルの家で新らしい提灯を買って火をつけ、骨の折れる坂道を登ることにしよう。 ところが今一つの事態が生じて来た。この小さい竹までが行きたいと云い出した! どうしても、私 たちと一緒に連れて行って呉れという。実に、常識のない話である。とうてい聞いてやるわけに行か ないことである!…… けれども……今宵は祭の晩だというのに、このムスコを泣かせるわけにも行かない。……さあ、私 たちはマダム・ルノンキュルに使を出して知らせてやろう。この子の事を彼女が心配するといけない から。そうして私たちを見て嘲笑するジュウジェンジの小径を行く人間が一刻も早くなくなるように、 暗い坂道の続く間、私たちの背中にこの子を背負う役目をかわるがわる引き受けよう。イヴと私と で。 そうしてこの道をムスメー人の手を引いて登ることさえ欲していない私が、今現に、まだその上に、 私の背中には一人のムスコを背負っている。……何という皮肉な運命だろう! 私たちの家では、私が予想していた通りすっかり戸締まりがして錠が下りていた。誰も私たちの帰 って来るのを待ち受けていた者はいない。それで私たちは戸口ばたで大騒ぎをしなければならな い。クリザンテエムは声を限りに呼びはじめる。 ――おお! オウメーサ・・・ア・・・ア・・・アン! 私は彼女の小さな声にこのような音勢があろうとは知らなかった。真夜中の暗い響き易い中を、彼 女の長くあと引く声は、私に遠い地の果ての追放の印象を与えるほど実に不思議な、実に意外な、 実に奇妙な抑揚を持っている。…… とうとうマダム・プリュヌが、寝ぼけたままで、非常に驚いて、私たちのために戸を開けに出て来る。 紺色の端に白い鶴の幾つも飛びまわっている大袈裟な木綿のチュルバン(頭に巻きつけるきれ)み たいなもので夜のかぶりものをして現われる。彼女は、花を描いた提灯の長い柄を指の先で持って、 怖るおそる、私たちが人違いでないかを調べるために一人一人の顔をのぞき込む。――そうして彼 女は、憐むべき婦人は、私の背負って来たこのムスコに合点が行かないでいる…… 三十七 最初のうち私の好んで聞いたのは、クリザンテエムの三味線であった。今では、彼女の唄もまた好 きになりかけている。 劇場風なところは少しもなく、名人の鍛(きた)えあげた太い声で唄うのではない。反対に、彼女の、 いつも非常に高い調子は、優しい、なよなよしい、愁を帯びた声である。 彼女はよくオユキに、彼女の作ったものか、それとも彼女の頭へ浮かんだものか、あるゆったりし た夢のようなロマンスを教えてやる。その時は二人とも私を驚かせる。彼らの音じめを合せた三味線 の上に、お互いに調子を探り合いながら、少しでも彼女らの耳に音色が狂って来ると、そのたびに 弾き直して、それでいて、決して調子の乱れにまごついたりすることなく、いつも間のわるい、奇妙 な、きまって哀れっぽい諧調で弾きつづける。 私はたいがい、彼女の音楽のつづいている間は、縁側に出て、荘麗なパノラマの前で書きものを している。私はある一枚の茣蓙(ござ)の上に坐って、蟋蟀(こおろぎ)を浮彫にした日本の小さな写 字台にもたれかかりながら書きものをする。私の墨汁は支那製である。私の墨汁入れは、家主のと 同じように、縁に可愛らしい小蟇と大蟇を彫った硬玉である。そうして私は自分の感想をかいつまん で書いて置く。――ちょうど、下でムッシュ・スウクルがしているように! ……時々私は自分が彼に 似ているように想像することがある。そうしてそれは私をかなり不快にする。…… 私の感想……それはとんでもない零細なことばかりから出来ていて、色と形と匂と音のこまごまし い記録である。 しかし小説のある一つの葛藤が、私の単調な水平線に現われ出ようとしていることは事実である。 ムスメたちと蝉の、この小さい世界の真ん中で、もつれ合おうとしているある一つの情事が。イヴの 情人であるクリザンテエムが、クリザンテエムの情人であるイヴが、私のオユキが、誰の情人でもな い私が。……もし私たちがこの国でない他の国に居るのであったら、兄弟同士殺し合うようなある大 きな戯曲になる事件が起ったかも知れない。しかし私たちは日本に居るのである。そうして気の抜け た、せせこましい、おどけたこの環境の影響で、全くそのようなことはなんにも起らずに済むであろ う。 三十八 このナガサキには、一日中の最も滑稽なある時刻がある。それは夕方の五時か六時頃である。こ の時刻には人々が丸裸かでいる。 子供たちも、若い人たちも、年寄たちも、年寄の婦人たちも、皆それぞれ盥(たらい)の中に坐っ て湯あみをしている。それは少しの蔽い物もなく、所かまわず行われる。庭の中でも、中庭の中でも、 店の中でも、または門口でさえも構わずに。往来のこちら側から向う側へ隣同士でなるべく易々と 話の出来るように。この状態で人にも逢うのである。躊躇することなく桶の中から出て来て、きまり切 った浅葱色の小さな手拭を手に持ったまま、来訪者を坐らせて、おもしろい相槌を打ちながら相手 になるのである。 しかし彼らは、ムスメたちは(年とった婦人たちだって)、こんななりで出て来ては、ちっとも見っとも よくはない。日本の女は、長い着物と仰々しく結び立てた大きな帯を取ってしまうと、胴体のような足 をした、細くて梨形の喉(のど)をした、小さな黄色い人間に過ぎなくなる。彼女の小さな人工的の 魅力は、着物と一緒にすっかり無くなってしまい、なんにも残らなくなる。 愉快でもあれば同時にまた憂欝でもある一時間がある。それは夕映より少し後、空が黄色い大天 蓋のようになって、その中に山々や高い塔が劈(つんざ)き聳えている時である。下の方の灰色がか った小さい町筋の迷宮の中では、いつも開けっ放しの家々の奥の、先祖の祭壇や仏像の前で神聖 な燈明の輝き初める時である。――その時、戸外では何もかも暗くなって行き、そうして古屋根の幾 千の瓦は、明るい金色の空に黒い波紋状となって浮き出す。その時、この笑い興じている日本の上 に、薄暗い、不思議な、古めかしい、野蛮じみた、何と云ってよいか私にはわからないような、うら悲 しいある印象が過ぎ行く。そうしてその時、残っている陽気と云ったら、たった一つの陽気と云ったら、 それは真暗くなった町筋に工場や学校から出て来て潮のように広がって行く子供たちの群である。 小さいムスコたちや小さいムスメたちの群である。すべてこれらの木造の建物の深い陰影の中にお どけた縞目の、おどけてたくし上げられた、青や赤の派手な小さい着物が現われて来る。それから 帯のきれいな結び目が現われて来る。それから子供の髪に挿した花かんざし、銀や金の髪飾が現 われて来る。 小さなムスメたちは、皆んな彼らの大きな袖を風にそよがせながら、鬼ごっこをしたり遊んだりして いる。十から五つ、あるいはもっと小さいのも交って。もう一ぱし大きな髪に結い立てたり、大人のよ うな尊大ぶった髪に揚げたりして。おう! この黄昏時を、非常に長い着物を着て、ガラス製のラッ パを吹いたり、奇妙な紙鳶を飛ばせたりして、一生懸命に駆けたり、跳ねまわったりしている、たとえ ようのない人形たちの愛らしさ。……生れながらにして奇怪で、また年をとるにしたがい、ますます 奇怪になる運命を持ったこれらすべてのニッポンの子供の世界は、特殊な遊戯と奇妙な叫声でそ の生活が始まるのである。彼らのおもちゃは少し鬼臭を帯びたところがあって、他国の子供らを怖が らせそうである。彼らの紙鳶は大きな藪睨みの目をしていたり、吸血鬼のような形をしていたりする。 …… そうして毎日夕方になると、薄暗い小さい町筋には、清新な、無邪気な、しかし極端に風変りな、 この陽気さが一ぱいに溢れる。……風に吹かれて折々空中に舞い上っている思いも及ばないもの をば、誰だって想像して見ることは出来まい。…… 三十九 この小さいクリザンテエムはいつも黒っぽいものばかり着ている。この国ではそれがほんとうの高 貴のしるしなのである。彼女の友だちのオユキ・サン、マダム・トゥキ及びその他の女たちが様々の 変った色をした柄を好んで着たり、髪には派手な簪を挿しているにもかかわらず、彼女は藍か鼠が かったものを着て、慎ましやかな色合の刺繍をした黒の幅広の帯を腰に締め、そうして髪にはブロ ンド色の鼈甲のかんざしの外は決して何も挿さない。もし彼女が貴族であったならば、着物の真ん 中のところに、その中に何か意匠のしてある、商標のように付けられた刺繍の小さい白い輪をつけ るであろう。――一般に大抵木の葉の形である。そうしてそれが紋章になる。高貴な婦人の体面を 保たせるには、実にこの小さい背中の紋章だけがクリザンテエムに欠けている。 (日本では、あの雲のような色合をした、金や銀の火龍を刺繍した花やかな美しい着物は、貴婦 人たちが常に室内にしまい込んであって、何か特別の場合に着る。――でなければ、芝居のため か、踊り子のためか、娘らのために。) クリザンテエムは、日本のすべての女と同じように、いろんな沢山なものを彼女の長い袂(たもと) の内側にしまって置く。その中はかくしのようになっている。 彼女はそこへ手紙や、薄い日本紙に書かれた色々な書付や、坊主のこさえた護符や、また時に は最も思いがけない用事に使用する絹のような紙の折り畳みを沢山入れて置く。それは急須を拭 いたり、草花の濡れた莖を持ったり、あるいは必要の生じた場合に、彼女のおかしな小さい鼻をか むために使ったりするのである。(手当が済むと、彼女はその使い済みの紙片を手早く皺くちやにし て丸め、そうして厭やそうに窓の外へ投げ出す。……) 最も上流の婦人たちも日本ではこうして鼻をかむのである。 四十 九月二日 偶然が私たちに不思議な珍らしい近づきを得させた。それは先月あのように驚くべき参詣が行わ れた大音寺の殿堂の重立った坊主(ぼんず)たちとの近づきである。 この辺近くへ来ると、あの祭の晩に人だかりのしていた場所が今は同じ程度で寂びしい。そうして 夜はあのように生き生きしていたのが、真昼間、宗教的のすべての物が、皆死んだように朽廃して いるのに驚かされる。時代のために磨り減らされた花崗岩の階段には人影一つも見えない。彩色も 金光も塵埃に汚されている。壮麗な大きな楼門の下には誰もいない。行き着くまでには、山の中腹 にある階段の付いた淋しい中庭を幾つも越え、厳めしい門を幾つもくぐり、そうして市街と人間の騒 音の上の方へと高く高く、無数の墓石の一ぱいに並んだ神聖な区域に、一歩一歩登って行かなけ ればならない。すべての敷石の上、すべての塀の上には、青苔や日蔭かずらが生えている。時代 のついた物の灰色が、灰の降ったように到る所に広がっている。 道端にある最初の殿堂には、巨人のような一つの仏陀が蓮の台の中に坐っている。――青銅の 大きな台に乗った高さ十五メートルないし二十メートル位の鍍金の偶像である。 遂に最後の楼門の聳えている所に達する。そこには正門の守護神ともいうべき伝説めいた二つの 巨像がある。その一つは右に、一つは左に、鉄の燻(くすぶ)った檻の中にいずれも野獣のように幽 閉されている。彼らは打とうとして拳を上げ、気味の悪い微笑を湛えた獰猛な顔付で、恐ろしい身 構えをしている。彼らの身体は人々が格子の間から投げた、噛みつぶした紙の礫(つぶて)で一杯 になっている。そうしてそれが白い癩病やみかなんぞのように、恐ろしい手足の上に糊着している。 信者たちが彼らを和(なご)めるために、信仰篤い坊主たちに柔かい紙の上に書いて貰った祈祷を 投げ付けるのである。この案山子の間を通りぬけて最後の中庭へはいって行く。私たちの友だちの 住居は右手にあって、寺院の大きな本堂は正面にある。 敷石の並んでいるこの中庭の中には物見櫓のように高い青銅の燈籠がある。青い羽根のような新 禄の群葉をした幾百年の蘇鉄の沢山の幹は、大きなカンデラブル(一つのランプ台の柱から沢山 な枝が出て、その上にランプがついたもの)の枝のように重々しい対称の形に植わっている。正面 全部がすっかり開け放しになっている殿堂は、暗がりの中へ消えている覚束ない金光の遠景をもっ て、奥深く薄暗くなっている。その一番奥まった所には偶像が坐っている。外からは、その冥想して いる姿勢と合掌している手が、ぼんやり窺われるようになって、その前方が金属の不思議な瓶の載 せられた祭壇である。その瓶の中には銀や金の蓮の細っそりした束が投げ入れてある。坊主たちが 絶えず祭壇で焚いている線香の快い薫が入口からもう匂って来る。 私たちの友だちであるボンズたちの家、――入って右手の、――ここまで来るのはいつも生やさし い事ではない。 ある魚類の怪物が、もっとも鈎爪(かぎづめ)や角を持ってはいるけれども、鉄の鎖で入口の上の 方に吊されている。ほんの僅かの微風にもそれが軋(きし)みながら揺れている。その下を通って、 高い大きな僅かに燭光で照されている最初の広間へ入って行く。そこには隅の方に金色の偶像、 鉦、わけの分らぬ宗教的の道具などが輝いている。 唱歌隊の子供のような、小さい侍僧のようなものが出て来て、少しももてなし顔はせずに進み出て 用向を尋ねる。 ――マツ・サン!! ドナタ・サン!! 彼らはすこぶる驚いて繰返して云う、誰々のところへ案内 してもらいたいのだと云う事を彼らに説明した時に。――おお! いけません、とてもお逢いにはな れません。坐っておられますから。はい、お勤行(ごんぎょう)中で御座いますから。オリマス! オリ マス! 彼らはもっとよくわからせるために合掌して跪(ひざまず)く真似をしながらそう云う。(彼らは 祈祷しているのである! 深遠な祈祷の最中なのである!) 私たちは云い張ったり、更に強い語気で話したりする。委細構わず上って行こう。決心した人々の ように私たちは靴を脱ぐ。 とうとうマツ・サンとドナタ・サンが僧院の物静かな、奥深い、向うの方から出て来る。彼らは黒い紗 の衣を着ている。そうして頭を剃っている。愛想よく笑ったり言訳したりしながら彼らは手をさし伸べ て案内する。私たちは彼らと同じ様に跣足(はだし)で、類なく白い畳の敷かれた、がらんとした部 屋を幾つも通り、彼らの神秘な住居の奥までついて行く。続いている部屋部屋は、赤い絹絲の結び 紐や房で捲き上げられた見ごとな美しい竹の簾垂(すだれ)だけで互いに仕切られてある。 すべて室内の構造は非常に精巧に細工され、少しも装飾のない、少しも彫刻のない新らしいバタ ーの色をした同じ材木から出来ている。すべてが新らしく汚れ目なく、決して人間の手にちょっとも 触れなかったようである。この気持のよいがらんどうの中に、間を置いて飛々に、巧みに象眼された 小さな高価な床几みたいなものが置かれ、その上に青銅の古い瓶や花瓶などが載せられてある。 壁には非常に几帳面に截(き)られた額縁のない細長い灰色の紙の上に薄く描いた大家の素画な どが懸けられてある。その外には何もない。椅子もなければ、座布団もなければ、家具もない。これ が他に類のない汚れ目のない清潔と無一物でもって出来上った高雅、求められた簡素の極致であ る。 そうしてこのボンズたちの後について人気のない広間を次々に歩いていると、フランスにおける私 たちの家では、余りに多くがらくた物が並んでいるように思われる。余計なものや邪魔なものが急に 厭でたまらなくなる。 跣足の人たちのこの沈默の歩行の行き止まる所は、私たちが坐る薄暗い涼しい室内の、ある一つ の縁側であって、人工的な景色の上に打ち開けている。井戸の底とでも云おうか、それは地牢の穴 の様な一つの大きな箱庭であって、押し潰されそうな山で回りを囲まれ、僅かに夢の中のような薄 明りを高い所から受けているのみである。そうしてそれが天然の大きな谷合のような趣を呈している。 そこには洞穴も、嶮(けわ)しい岩も、谷川も、滝も、島も見る事が出来る。私たちの知らない日本人 の方法で矮小(わいしょう)にした樹木は、その節くれ立った古い枝にすっかり小さい葉を付けてい る。全体の青い物寂びた色彩が、確かに百年を閲(けみ)しているこの全体によく調和している。 きれいな水の中には金魚が泳ぎまわっている。そうして小さな亀たち(多分踊る亀であろうが)彼ら の灰色の甲と同じ色の花崗岩の小島の上に眠っている。 どこからとも知らず危険を冒して下りて来た青蜻蛉がいる。そうして小さい睡蓮の上に軽く翅(はね) を振って止まっている。 私たちの友だちである坊主たちは、どことなく宗門臭い所はあるけれども、無邪気な子供が笑うよ うに大そうな笑い方をする。肥った、頬のふくらんだ、くりくりした頭で、少しも狐疑せずに、彼らは私 たちのフランスの酒をよく嗜(たしな)む。 私たちはそれからそれへと話を進める。私は小さい滝の静かな音を聞きながら、よく物を知ってる 日本人の使いそうな言葉を話してみたり、または動詞の時を試みてみたりする。希望、許容、「ば」 で終る仮定を試みてみたりする。彼らは皆んな話しながら、寺の用事をしたり、界隈に群がっている 末寺のために複雑な判行で封印した通達書をこさえたりする。あるいは遠方の病人に丸めて飲ま せるために筆で書いた小さい加持祈祷の護符をこさえたりする。彼らはその肥った白い手で婦人の するように扇子を弄(もてあそ)んでいる。そうして私たちが、花の香のはいった国産の様々な飲料 を味わっている間に、彼らはベネディクティヌの壜、シャルトルーズの壜を持って来させて開けたり する。彼らは西洋の同業者によって調合されたこれらの飲料をも賞美する。 彼らが船へ私たちの訪問を返しに来ると、彼らは例えばラ・ヴィ・パリジエンヌみたいな私たちの 絵入り雑誌の俗な絵に見入るために、臆面もなくその小さい平たい鼻の上に彼らの大きな丸い眼 鏡をかける。もし婦人を描いた絵でもあると、彼らは一様に鄭重にその肖像画の上に指をもじもじさ せる。 彼らの大きな殿堂の中で彼らは非常に美しい宗教上の儀式を行う。そうして私たちは今それに招 待されたのである。鐘の音がすると、二、三十人の盛装した役僧たちが入場の儀式で偶像の前へ はいって行き、跪拝して、手を打ち合せながら、巧妙な往き戻りをする。その様が、ある神秘的なカ ドリール(四組の舞踏)に似ている。 実に! 本堂はいたずらに暗く宏大で、偶像も立派なものである。……この日本においては、外 観の立派でないものは一つもない。度し難い野鄙と笑の癖が、あらゆるものの底に潜んではいる が。 それから冥想の邪魔になる会衆も来ている。そうしてその中には知った顔の見えることもある。私 の義母の居ることがあったり、従妹の居ることがあったり、――また前の日に私たちが花瓶を買った 陶器商の居ることがあったりする。非常に愛らしい小さなムスメたちや、猿のような顔をした老婆たち が、煙草入を下げたり、絵の描いた日傘を持ったり、小さい声を立てたり、お辞儀をしたりしながら はいって来る。おしゃべりするやら、挨拶するやら、身動きするやら、彼らの体面を保とうとしてありと あらゆる努力を払いながら。 四十一 九月三日 クリザンテエムは今日マダム・ブリュヌに付添われて、私の一番年下の義妹の雪サンを連れて、私 に逢いに初めて船へ来た。この婦人たちは非常に気取り込んで、非常にひとがらな風をしていた。 私の船室には一つの大きな仏陀が玉座の上に坐っている。その前に一つの漆の盆がある。その 中へ、私の忠実な水夫が私の服の中に迷い込んでいた細かい銀貨を見つけては入れて置く。神 秘主義に心を傾けているマダム・プリュヌは本当の祭壇の前にでも居るような気になった。彼女はこ の上もなく真面目になって短い祈りを捧げた。それから彼女の紙入を引き出して、(それは習慣にし たがって、彼女の背中の後に、煙草入や小さい煙管と一緒に、膨らんだ帯に挾まれてあった、)彼 女は礼拝しながら信心深い賽銭を盆の中へ入れた。 訪問の時間中、彼女たちはすこぶる体面を維持していた。しかし帰る時になって、イヴに逢わな いで去る事を欲していないクリザンテエムは、隠そうとして隠し切れない依固地をもって彼に逢いた がった。 そうして私はイヴを呼んでやったが、イヴは彼女にとって大変なつかしいものらしく見えた。今度 こそは私がそれについて少し真剣な厭悪を感ずる位に。今まではただ漠然と怖れていたこの悲し むべき結末が、近く現われようとしているのであるまいかと私は自分に問うてみた。…… 四十二 九月四日 私は今日、古い荒れ果てたある町中で、きれいに着飾った一人のやさしいムスメに行き逢った。 そのムスメの着物は朽廃の薄黒い背景の上に鮮やかに浮き出して見えた。 それはナガサキの全くの町はずれ、この町の非常に古い区域においてであった。この辺には数 百年を経た老木があったり、仏陀、阿弥陀、弁天、観音などを祀(まつ)った、荘麗な高い屋根をし た古い寺院があったりする。沈默に満ちた寺の中庭には、花崗岩の怪像が坐っていて、敷石の間 からは雑草が伸びている。この淋しい町中を横切って幅の狭い急流が、深い川床の上を流れてい る。その小川には弓なりの小さい橋が幾つもかけられて、苔に蝕(むしば)まれた花崗岩の欄干が 付いている。この辺に在るものは皆んな日本の最も古い絵にあるように、すべて奇体に整頓して、 いやに顔を顰めたような所がある。 私は真昼の焼くような暑い時刻に歩いていた。そうして誰にも出逢わなかった。――ただ寺院の 中に二、三の余り見慣れない堂守か墓守らしい僧侶が、暗青色の蚊帳の下で昼寝をしているのが、 開け放された窓から見えた。 突然、その小さいムスメが私の目にはいったのであった。私より少し高いところに、灰色の苔に蔽 われたこれらの橋の、一つの弓なりの頂きのところに、光線を一ぱいに浴びて、太陽を真正面に受 けて、黒い古い寺と木蔭を背景にして、眩しい妖精のような姿で現われて来たのである。彼女は着 物の棲を片手に取り、実際よりもすらりとした風を見せるように、裾を足首に捲きつけていた。彼女の 小さい奇妙な頭の回りには、骨の沢山ある透き通って輝いている彼女の丸い日傘が、黒く縁取られ た赤と青の大きな後光を作っていた。そうしてその橋の石の間から生えた淡紅色の花をつけた夾竹 桃は、彼女と同じように日光を浴びて、彼女の傍に咲き乱れていた。この若い娘とこの花の咲いた 夾竹桃の後には、すべてのものが薄暗い対照をなしていた。 赤と青の美しい日傘の上には、白い文字でこう云う文句が書いてあった。それはムスメたちがよく 使う句で、また私も習って見覚えていた。それは「雲よ、止まれ、彼女の通るのを見るために」(天つ 風、雲の通い路吹きとじよ、乙女の姿しばしとどめん)という文句である。そうして実に理想的な日本 品というべきこの貴重な小さい人間のために、わざわざ止まるだけの価値は十分にあったのであ る。 けれども余り長く立ち止まって見とれているわけには行かなかった。それでもなお一箇の誘惑物 である事は失わなかった。他のものと同様、明らかに一箇の人形である。陳列棚の人形である。そう してそれ以上なんでもない。彼女を眺めながら、私は、クリザンテエムがこの同じ場所に現われて、 この着物を着て、この光と太陽のこの円光を浴びていたなら、矢張り同じ魅力の効果を生じたであ ろうと思った。 なぜというに、彼女はしとやかである、クリザンテエムは。これは争うことができない。……昨夜、私 は彼女を褒めた事を思い出す。もう夜が更けていた。私たちみたいな小さい夫婦づれの同行者と 一緒に、私たちはいつもの茶屋と市場めぐりからの帰りであった。他のムスメたちはねだって買って 貰った、新しい銀の髪飾で飾り立て、おもちゃをいじりながら、手をつなぎ合わせて歩いていたのに、 彼女は疲れたと云って、車の中に半ば身体を横たえてついて来るのであった。私たちの花瓶に挿 す大きな花束が、彼女の脇に置いてあった。――季節の最後の、もう秋の匂いのしている茎の長い 蓮や、遅咲きの菖蒲を。――そうして小さい車の中のこの小さい日本の女が、これらの水花の間に ぐったりと身体を崩していると、行き交いの提灯の変る変るの色にさまざまに照らされて行く。その有 様を見るのは愛らしいものであった。もし私が日本に着いたあの晩に、誰かが私に彼女を指し示し て、「そこを行くのがあなたのムスメになるでしょう、」と云ったら、私は少しの疑いもなく彼女に魅せら れてしまったに相違ない。――ところが、実際は、いや、私は今決して魅せられてはいない。それは クリザンテエムに過ぎないのである。どうしたって彼女なのである。彼女でなくて何者でもないのであ る。周旋人のカングルウが私に供給してくれた、姿も思想も小まちゃくれた、あの笑うべき小さな女 に過ぎないのである。…… 四十三 私たちの家では、飲む水も、茶をたてる水も、それからちょっとした洗いものをする水も、白い陶器 の甕(かめ)に入っている。――これらの甕には急流に翻弄されている藻草の中を泳いでる青い魚 の絵が描いてある。そうしてこれらの甕はなるべく冷たくして置くために、マダム・プリュヌの屋根の 上の、私たちの突き出した縁側から腕を伸ばせばたやすくとどく位なところに据えてある。界隈の喉 の渇いた猫たちのためには、ほんとにオオベエヌ(所有主がなくなった時、これを政府が没収する 物)とでもいうものである。夏の美しい夜の続く頃になると、不調和な色彩でぬたくった、私たちの甕 のあるこの屋根の隅っこは、猫たちに取っては、彼らが塀の上でいがみ合ったり長い間独りぼっち で夢想していた後で、月の光を浴びた楽しい逢引の場所となる。 私はイヴが初めてこの水を飲もうとした時、その事を彼に告げてやるのが義務だと考えた。 ――おお! 彼は驚いて答えた、猫ですって! それが汚ないと云うのですか? この点に関しては、クリザンテエムも私も彼と同意見である。私たちには猫が汚ない唇をした動物 でない事を知っている。それで私たちは猫の後で飲む事は平気である。 イヴにとっては、クリザンテエムだって同様である。「あの女は汚なかない」こう云って彼は、彼女の 後から彼女の小さい茶碗で喜んで飲む。彼女の唇にふれたのも猫の飲んだのと同じことにして。 それから! これらの陶器の水甕は私たちの家庭の毎日の大変な心遣いの一つである。夜、私 たちがあの坂道を登るのに喉を渇かしてしまい、それからまた道々気晴らしにマダム・ルウルの菓子 を食べながら散歩から帰って来ると、その甕の中に何時だって水のはいっていたことがありはしない。 マダム・プリュヌでも、マドモアゼル・オユキでも、また彼らの若い女中のマドモアゼル・デデ(原註― ―デデ・サンはフランス語でいうと、若い娘さんの意味で、非常に広く用いられる言葉である)でも昼 間にそれを一ぱいにして置くように見通しをつけさせることが不可能である。――そうして私たちが 遅く帰って来ると、この三人の婦人は眠っている。私たちは自分でこの面倒を見なければならなくな る。 それで、私たちは締め切った戸をすっかり開けて、また靴を穿いて、庭へ水汲みに下りて行かね ばならぬ。 そうしてクリザンテエムは暗がりの、虫の鳴いている、植込の中へ独りで行く事を死ぬほど怖がっ ているので、私が井戸まで彼女と一緒に行ってやらねばならない事になる。 それをするには私たちは明りが必要になる。ではマダム・トレ・プロプルの所で買った沢山な提灯 の中から捜そう。それは毎晩私たちの紙の小さい戸棚の一つの奥に積み重ねて置いてある。だが 一つだって蝋燭の燃え尽していないのはない。――私はそうだろうと思っていた! さあ、今度は 思切りどれでも手あたり次第の提灯を取って、その底の鉄の棒に新らしい蝋燭を立てるのだ。―― クリザンテエムが一生懸命でそれをする。――蝋燭が割れて、折れる。ムスメは指を突いて、渋面を つくって、しくしく泣き出す。……これが毎晩の避くべからざる光景である。そうしてこれがために、 私たちが暗青色の蚊帳の下にやすむ時間を十五分間はたっぷり遅らされる。その間に垣根の蝉は 高い所から私たちに、彼らの最も人を馬鹿にするような音楽を聞かせている。…… そうして、これがもし他の女とならば慰めにもなろう。――私の愛している他の女といっしょならば。 ――だがクリザンテエムといっしょだから、私には実に堪えられない。 四十四 九月十一日 八日間はかなり平和に過した。その間私は何も書かなかった。私は段々に、私の日本の部屋に 慣れて来たように思う。国語や衣服や顔面の異なっているのにも。三週間来ヨオロパからの手紙は、 どこでだか知らないがまごついていて、一つも届かない。そうしてそれは、こうした場合常にそうであ るように、過去の事物に忘却の軽い被衣(かつぎ)を投げかける事になる。 それで私は毎晩忠実に宿まで登って行く。ある時は星明りに満ちた美しい夜を。ある時は暴雨の 降りしきる中を。そうして毎朝、よく響く空気の中にマダム・プリュヌの祈祷の声が伝わって来ると、私 は目を醒まして海の方へまた下りて行く。新鮮な朝露で草が一面に濡れている小径を通って。 骨董品をあさる事が、この日本の国での一番の欝晴しだと私は思う。古物を並べた小さい店で、 畳の上に坐り込んで店の者と一緒に茶を飲む。それから自分で立って行って、非常に奇妙な古め かしいものの重なり合っている戸棚の中や箱の中を掻き回わす。取引は非常に云い争って、たまに 数日にわたって笑いながら取り極められる。おとなしい小さい狂言をお互いに打ってるような有様で。 …… 私はほんとに「小さい」という形容詞を使い過ぎる。私はその事を随分気にしている。しかし他にど うする事が出来よう? ――この国の事を書いていると、一行に十度もこの字を使いたくなる。 小さい〔petit〕、めかし込んだ〔mievre〕すまし込んだ〔mignard〕――日本は物質的にも精神的にもこ の三つの言葉に尽きている。 そうして私の買った品物はあの高台の上の、本と紙で出来た私の小家の中に積立てられてある。 ――けれどもあの小家はムッシュ・スウクルとマダム・プリュヌがそう思っていたように、初め部屋の中 になんにも無かった時の方が、幾ら日本的だったか知れない。今では数箇の宗教的の形をした燈 籠が天井から下っている。それから沢山な台の上の沢山な花瓶。寺の塔の中にあるほど沢山な男 神女神の偶像。 また神道の小さい祭壇もある。その前でマダム・プリュヌは殆んど這いつくばるようにして、祈ったり 唄ったりする。年とった牝山羊のような震え声で。 「もろもろの罪をば、いとも清く洗い流して下さい。おお、アマ・テラス・オオミ・カミ。カモ(加茂)の 川水で穢を洗い流すように……」 気の毒にもアマ・テラス・オオミ・カミがマダム・プリュヌの穢を洗い流すとは! まあ何と云う長たら しい冒涜(ぼうとく)の業であろう! クリザンテエムは、仏教徒であるから、睡気にうち克たれながらも、時たま寝る前に祈ることがある。 彼女は私たちの一番大きい金色の偶像の前で両手を合せている。けれども祈りがすむと直ぐその 下から子供らしい嘲弄の微笑を洩らす。彼女の母のマダム・ルノンキュルの家へ行くと、かなり立派 な仏壇がこさえられてある。彼女のオトケ(仏、彼女の先祖の霊)たちに対しても彼女は拝むのを私 はよく知っている。彼女は祝福と幸運と智慧を仏に祈るのである。…… 彼女の神々と死者に対する観念がどんなものであるかを、誰がわかるだろう? 彼女には魂があ るか? 彼女には魂があると自分でも思っているだろうか? ……彼女の宗教はこの世界のように 古い神の系図の、ある一つの曖昧な混沌であつて、それは非常に古い事物に対する尊敬心によっ て保存され、また私たちの中世期の時代に支那の伝道者によって印度からもたらされた、最後の幸 福な虚無に関する更に近代的な思想によって、保存された宗教である。坊主たち自身でさえ迷っ ている。――ましてこの寝ぼけたムスメの頭の中で、幼稚と軽浮の接ぎ合せで、何物になり得よう? …… 二つのつまらない事件が幾らか私を彼女の方へ牽きつけた。(こうした関係でいつまでも離れ離 れになっているということは有り得ない。)――その第一の事件はこうである。 マダム・プリュヌがある日私たちの所へ、彼女の華やかな娘盛りの頃の形見の、稀に見る透明なブ ロンド色の鼈甲の櫛を持って来た。それは髪の真ん中に軽く挿して、その歯が透いて見えるように 浮かして置くと恰好のよい櫛であった。彼女はそれを可愛らしい漆の箱から取り出して、指先で目 の高さほどにかざして、瞬きしながら空を透して見た、――美しい夏の空を、――人が宝石の透明 を確かめる時のように。 ――ねえ、彼女は云った、あなたの奥さんに上げるのにちょうどようござんすわね。 すると私のムスメは、ひどく夢中になって、この櫛の質がどんなに透明だとか、どんなによい恰好を してるなどと云って感心していた。 私に取っては、一番気に入ったのはその漆の箱であった。蓋には金の上から金を塗った見ごとな 絵があって、ある風の日の稲の田を極く近間で見た景色が描いてあった。恐ろしい風に吹き倒され た穂や葉の乱れた絵であった。そこにもここにも、縺れ合った稲の茎の間から、泥深い地べたが見 えていた。――それから小さい水溜まりが幾つもあった。――それは透明な漆の片を置いたもので、 その上に金の小さい屑が濃い液体の中の澱(おり)のように浮いていた。よく見るには顕微鏡のいり そうな二三匹の昆虫が怖れおののいているような風で、稲の葉にすがりついていた。――そうして 画面全般が女の手の大きさほどしかなかった。 マダム・プリュヌの櫛については、白状すると、私はなんにも云う事はなかった。そうして随分くだら ないものでもあれば高価なものでもあると思いながら、私は耳を貸さずにいた。その時、クリザンテ エムが悲しそうに答えた。 ――いえ、たくさん。あたし欲しかありませんわ。しまってて頂戴な、おかみさん。…… そう云うと同時に彼女は意味の深い太息(ためいき)を漏らした。それはこう云う事を意味してい た。 ――あの人はもう、そうそうまであたしを愛しちゃいないんだもの。……駄々をこねたって無駄な事 だわ。 すぐに私は望み通りの売買を済ませた。 やがて、今にクリザンテエムが、歯を黒く染めた神信心なマダム・プリュヌのように、年とった一匹 の牝猿になる時が来ると、今度は彼女がその品物を売りつける番が来るであろう。――次の時代の 誰か美しい娘に。…… ……今一つの事件は、暑気あたりで私が頭痛のしている時であった。私は蛇の皮の枕に頭を休 ませながら畳の上に横たわっていた。目がかすんでいたから、何もかも回転しているように私には 見えた。見晴らしのよい縁側も、夕方の輝いている大きな空も。空には奇妙な紙鳶が幾つも揚がっ ていた。そうして私の身体は空気を満たして鳴いている蝉の声につれて、苦しく震動してるような気 持であった。 彼女は私の傍にかがんで、彼女の小さい拇指で力のありたけ私の顳顬(こめかみ)を押えながら、 また錐でそこを揉み込むように、その拇指をまわしながら、日本人の方法で私を治そうとするのであ った。彼女はこの力仕事で真赤になっていた。そのおかげで私は、阿片の微酔に似たような感じで、 実際に安らかになることが出来た。 それからもしや私が発熱せねばよいがと心配して、彼女は紙の上に書かれた利き目のある護符を 彼女の指で丸薬のように丸めて、それを私に食べさせようとした。それは彼女が大事に片一方の袂 の内にしまって置いたものであった。…… さて、私は笑いもせずにその護符を呑み下した。彼女の心を傷けないように、彼女の小さな滑稽 な信仰を動揺させないように。…… 四十五 私たちは今日、イヴと私のムスメと私で、三人一緒にうつるために評判の写真屋へ行った。 私たちはそれをフランスヘ送ってやろう。イヴは、私たち二人の間に挾まっているクリザンテエムの この顔を見た時の、彼の細君の驚きを想像しながら、もう微笑している。そうしてどんな風に説明し たら旨く細君にわからせる事が出来ようかと考えている。 ――ああ、そうだ。あなたの知ってる女だと云ってやりましょう。それで沢山! 日本には私たちの国と同じような体裁の写真屋が沢山ある。ただ彼らが日本人であり、日本の家 に住まっているだけが違うのである。今日私たちの行く写真屋は、この間私が美しい一人のムスメ に出逢ったことのある、大きな木と薄暗い寺の並んでいるこの古びた町はずれの奥で営業している。 その看板は数箇国語で書かれて、小さい流れの川岸に臨んだ塀から突き出ている。その流れは上 の方の青い山から落ちて来て、その上には花崗岩の太鼓橋が幾つも架かっていて、両岸は輕い竹 や満開の夾竹桃で縁どられている。 昔ながらの日本のこんな真ん中に写真屋が巣をつくっているのを見ては驚きあきれてしまう。 ちょうど今日は彼の門の前には人がたかっている。私たちは悪い時に来合せたものだ。ジンの車 は彼らの乗せて来た客を待ちながら、一列に並んで供侍をしている。そうしてその客たちは皆んな 私たちより先に順番が来ることになるだろう。裸の、入墨をした、鉢巻をした、髷に結ったジンたちは、 互いに喋べり合ったり、小さい煙管で煙草をふかしたり、川の水の中で彼らの筋肉の逞(たく)まし い足を冷やしたりしている。 入口の前庭には提灯がさがっていたり、小さな木が植わっていたりして、申し分のない日本式に なっている。しかし撮影室にはいると、パリかポントオアーズ(パリの北西の小都市)にでも来たようで ある。同じような「古樫」の椅子に、同じような色の褪(あ)せた大形の円椅子に、石膏と円柱と板紙 の岩。 ちょうどその時撮していたのは身分ある二人の婦人(母と娘らしい)で、二人一緒に坐って、ルイ十 五世時代の小道具と共にカビネ形に取らせている。私がこんなに近間で見た中では、この国で一 等立派な婦人たちである。かなり珍らしい一群で、上流社会の長い顔の、米のせいで、青白い、貧 血症の、無気力な色をした上に、純粋の紅で心臓形に塗られた唇をしている。さすがにしかし争え ない育ちというものが、人種と既成概念の深い溝があるにもかかわらず、私たちを圧迫している。 彼女らは明らさまな侮蔑の目で、クリザンテエムをじろじろ眺める。クリザンテエムの服装だって着 付だって彼女らと同様上品であるにもかかわらず。そうして私はどうかと云うに、私はその二人を眺 め飽きることが出来ないでいる。彼女らはこれまで見たことのない不可解なものか何かのように、私 の心を奪っている。彼女らのなよなよした身体と異境的な美しさをした姿が、こわばった着物と脹 (ふく)らんだ帯の中に埋まっている。そうしてその帯の両端は、疲れた翼のようにだらりと垂れてい る。私にはなぜだかわからないが、彼女らを見ていると、大きな珍らしい昆虫を思い出す。彼女らの 着物の風変りな摸様には、夜の蝶々みたいな暗い雑色の何物かがある。とりわけ、彼女らの小さな、 疲れたような、細い、切れ上った、やっと開いているような目の神秘がある。私たちに取っては絶対 に閉された思想の世界とでも云うような、ある一つの空漠枯淡な不合理の内的思想を示しているよ うな、彼女らの表情の神秘がある。――そうして私は彼女らを見つめながら考える。私たちはこの日 本の国民とどんなに遠ざかっているかを、私たちはどんなに懸け離れた人種であるかを! …… その次に、私たちより先に来ている数名のイギリス水兵を、先にうつさせなければならない。彼らは 白い麻の服を着飾り、砂糖で出来た人間のように赤くって、丸々して、生き生きしている。彼らは円 柱の回りに間の抜けた様子をして姿勢を作る。 私たちの順番がとうとう回って来る。クリザンテエムは意気な流行に従って、彼女の足の爪先を出 来るだけ内側に曲げて、非常にしなをつくった様子で、静かに姿勢を整える。 そうして、私たちは、へぼな写真屋の前に一列に並んで、私たちを映す種板の上で、可なり滑稽 な小さい家族の風をしているのである。 四十六 九月十三日 イヴは今夜私より三時間早く非番になった。――私たちの当直割の勤務のきめられている方法に よって、絶えず順々にこういう風になって行くのである。この節は、イヴが先に上陸して、ジュウジェ ンジヘ登って行って私を待っている。 望遠鏡で、私は山の青青した小径を登って行く彼を甲板から見ている。彼は非常に軽そうな歩調 で歩いて行く。殆んど駈け出しそうなばかりにして。彼は、あの小さいクリザンテエムに逢いに行くた めに、どんなに気がせいているかと思われる! 九時頃になって私が行って見ると、イヴは私の部屋の真中に大肌脱ぎになって坐り込んでいる。 (肌を脱ぐのはこの国では室内における当然の一つの有りふれた状態である。それは私も認めてい る。)そうして彼の回りには、クリザンテエムとオユキと女中のマドモアゼル・デデが、彼の背中を一 生懸命に拭いている。――鶴やその他の滑稽なものを染め出した浅葱の小さい手拭で。…… ――ああ! そんな暑い目をみたり、そんなざまをしてるというのは、一体何をしていたのだろう? 彼が私に話すところによると、私の家の近くの、――山の少し上の方で、――彼は擊剣の道場を 見つけ出した。そうしてそこで彼は日の暮れるまで試合をしていた――日本人を向うにまわして。日 本人は彼らの国の流儀にしたがって、猫のように飛び上りながら、両手で剣を使った。彼は、フラン ス流の彼の剣法によって、彼らを打ち据えた。それで皆んなが彼に大層礼を云ったり、敬意を表し たりして――そうして非常に冷たい小さい旨いものを持って来てくれたりした。そんなことで彼は汗 みずくになったというのであった。…… ――ああ! なるほど。でも私にとってそれはなんにも弁解になっていはしない。…… 彼は彼の夕方を楽しんでいる。彼は毎日行って彼らを負かしてやるのを楽しんでいる。彼は弟子 取をすることさえ考えている。 一度彼の背中を乾かすことがすむと、今度は皆んな一緒になって、即ち三人のこのムスメたちと 彼とが一緒になって、ニッポンの pigeon vole をはじめる。――実際、どの点から云っても、私はこれ 以上無邪気で、これ以上正しいことを望むことは出来なかったのである。 シャルル・Nと彼の妻のマダム・ジョンキユ(水仙)が、意外にも十時頃私たちの所へやって来た。 彼らは私たちの近所の薄暗い繁みの中を散歩していたのであった。そうして私たちの家の明りを見 て登って来たのである。 彼らの計画は、これから驀蛙の茶屋(どんこう茶屋)へ行って、夜を更かそうというのである。それ で彼らはそこまで氷菓子を食べに行くため、私たちを誘い出そうというのである。――それには少く ともここから歩いて一時間はかかる。町の向側の、山の中腹の、 お諏訪様の大きな塔の境内にあるその茶屋まで行くには。しかし彼らは彼らの思いつきを固持して いる。この晴れやかな夜とこの月の光で、台地から見たら、きっと非常に美しい眺めに違いないだろ うと云い張って。 ――非常に美しい、それは云うまでもないことである。だが、私たちは寝ようとしていたのだ、私た ちは……とうとう、まあいいわ、出かけよう、一緒に出かけよう、ということになる。 私たちは町へ下りて、マダム・トレ・プロプルの家の前の往来で五人のジンと俥を傭う。彼女はこの 遅い遠出のために、大きな円い提灯の、海月(くらげ)や藻や青鮫の絵をかいた風船形を選ってく れる。 私たちがいよいよ出かけたのは十一時近くである。中央の町々では、善良なニッポン人はもう彼ら の小さい店を締め、ランプを消し、木の雨戸を繰り、明り障子を立てている。 そうしてなお先の、場末の古い町々では、どこも皆もう疾っくから締め切られてある。私たちの車は 非常に暗い夜の中をころがって行く。私たちはジンに叫ぶ。アヤク! アヤク! (早く! 早く!) すると彼らは陽気に充ちた愉快な動物のように、小さい掛声を発しながら、出来るだけ勢を出して 走る。私たちは、五人一列に並んで、でこぼこの古い敷石の上を激しく動揺しながら、暗がりの中を 旋風のように、まっしぐらに駈けて行く。そのでこぼこの道は、竹の先にぶらぶらしている私たちの赤 い提灯の火で、ぼんやり照らされている。時々、浅葱の手拭を夜の冠りものにしたニッポン人が、幾 人も窓を開ける。今頃こんな大騒ぎをして急いで行く向見ずは、一体何者であるかを見るために。 そうかと思うと、私たちが駈けながら投げている微光が、塔の門に坐つている大きな石の獣の一つ の獰悪(どうあく)な笑いを私たちに見せる。…… 遂に私たちはこのオズヴァ(お諏訪様)の殿堂の下に着く。そうして、私たちのジンをば、私たちの 小さい俥と一緒に残して置いて、私たちは今夜は全く人影も見えない大きな階段を登って行く。 いつも疲れた小娘のように、いつも甘ったれて悲しそうな子供のようにしているクリザンテエムは、 イヴと私の間に挟まって、私たちの腕にもたれかかって、のろのろと登って行く。 ジョンキュは、反対に、小鳥のように小跳りしながら登って行く。そうしておもしろそうに、限りない 階段を数えて行く。 ――ヒトオツ! フタアツ! ミイツ! ヨオツ! 彼女は軽快な小さい飛躍を続けて登りながら云 う。 ――イツウツ! ムウツ! ナナアツ! ヤアツ! ココノオツ …… そうして彼女はこれらの数を更に滑稽にするためででもあるように、抑揚にかなり強く力を入れる。 彼女の黒い美しい髷の上には小さい銀のかんざしが輝いている。彼女の横顔は華奢で繊細で、 そうして極端に異なったところがある。私たちのいる夜の中では、彼女の顔は、殆んど醜とでもいうよ うな眼のないものには見えない。 実際、クリザンテエムとジョンキュは今夜は小さい妖精のようだ。最もつまらない日本の女でも、あ る場合には、しなやかな風変りと巧みな整いのために、このような様子にも見えることがある。 夜の空の下に一様に灰色な、宏大な、人気のない、花崗岩の階段は、私たちの前に高く消えて いるように見える。――そうして振り返って見ると、後は深い淵となって消えているように見える。― ―深い淵となって、目のまわるような逆落しとなって。この傾斜している階段の上には、私たちがこ れから潜って行く幾つかの楼門の黒い影が伸びている。果しもなく伸びている。そうしてその黒い影 は、階段の一枚一枚に切目が出来て、全体のその広がりの上に扇子のような規則正しい折目を持 っている。楼門は飛び飛びに、重なり合って立っている。――その不思議な恰好は非常に簡単なも のでもあれば、また珍らしく精巧なものでもある。それは堅苦しいはっきりした輪廓に描かれている。 けれども、月の光に照らされて非常に大きな物に有りがちな、ぼんやりした姿に見えている。曲った 軒縁は二つの恐ろしい角(つの)のように両端に聳えて、星を振り撒いた遠い青い蒼穹(そうきゅう) の方へ突き出している。その様はちょうど、墳墓や亡者で満ちている四周の地中から、その深い礎 の知り得た物を、その突起によって神々に知らせようとしているかに見える。 私たちは小さな一とかたまりになって、今この宏大な登り道の途中に消えている。半分は高い所 にある蒼白い月に照らされ、半分は私たちの手に持たれて、いつも長い柄の先に揺れている赤い 提灯に照らされながら。 大きな沈默が境内を領している。虫の音も私たちがだんだん登って行くに従って默ってしまう。次 第に冷たさが空気の中に広がって行き、私たちを襲って来ると同時に、一種落ちついた心持、半ば 宗教的恐怖のような感じが次第に私たちを捉えて来る。 登りついた所の広場には、硬玉の馬と磁製の小さい塔があったが、そこへはいって行くと、私たち は何だか気おくれしたような心持ちになる。そこは塀のせいで余計に暗くなっている。そうして私た ちがそこへ着いたために、何だか知らないが空気の精霊たちとそこに並んでいる様々な目に見える 象徴、すなわち月の青い光に照らされている噴火獣や怪物などとの間に開かれている、神秘な野 外集合の邪魔をしたように思われる。 私たちは左手に廻って、今夜の目的の蟇蛙の茶屋へ行くために、台地になった庭の中を進んで 行く。茶屋はもう締まっている。――私はそれを予期していた。――もう締まって真っ暗になってい る。なにしろこの時刻だもの! ……戸口に立って、私たちは皆んなして、一緒に戸を叩く。私たち は媚びるような調子で、知っている限りの女中のムスメたちの名前を呼ぶ。マドモアゼル・トランスバ ラント(透明)、エトワアル(星)、ロゼ・マチナアル(朝露)、それからマルグリト・レエヌ(えぞ菊)、など の名前を。――だれも、返事がない。――匂い入りの氷菓子も、霰の腕豆も、さよならだ! 楊弓場の小家の前で、私たちのムスメたちは怖そうに、急に一方へ飛び退いて、死骸が寝ている と云い出す。――ほんとに、誰かがそこに寝ている。私たちは用心深く私たちの赤い提灯の薄明り でその場所をあらためて見る。――その死人が怖いから手一ぱいに提灯の柄をさし出して。それは あの年寄の番人に過ぎなかった。七月十四日の日に、クリザンテエムのためによい矢を選ってくれ たあの番人に過ぎなかった。そうしてこの好人物は、髷を少し乱して寝入っている。邪魔をするのが 残酷な位にぐっすりと寝入っている。 台地の端まで行って、脚下の港を見下して、それから私たちの家へ帰ることにしよう。 今夜は港が暗い気味のわるい大きな裂目のように見える。そこには月の光が下りていない。地球 の臓腑までも届きそうなほどに口を開いた亀裂のようである。そうしてその底の方には船の灯が小さ く小さく、掘割の中の螢の集まりのように輝いている。 四十七 ……真夜中、晩方の二時ごろ。私たちの燈明は、いつも平和な偶像の前に、消え消えにともって いる。……クリザンテエムが急に私を起こす。そうして私は彼女を見つめる。彼女は片肘を立てて起 き直り、非常な恐ろしさをその顔に表わしている。默って、ものも云わないで、彼女は私に合図する。 誰かが……それとも何者かがやって来る、……這いながら、ということを。……なんという薄気味の 悪い訪問だろう? ――私まで怖くなって来た。私は急に、何だか大変な危険が私の身に迫って 来ているように思われて来た。この人里離れた場所で、私がまだその住民と神秘を究め尽してない この国で。彼女が怖さで半ば死んだように釘づけになり、そこにじっとしたまま身動きの出来ないの は、すべてを知ってる彼女としては、随分恐ろしいことに相違ない。…… それは戸外らしい。庭から来ているのである。彼女は震える手で、今にもマダム・プリュヌの屋根づ たいに、縁側から来そうだと指し示す。……――ほんとに、軽い足音が聞こえる。……だんだんと近 づいて来る。 私は彼女に聞いてみる。 ――ネコ・サン? ――いいえ! 彼女は云う、まだ震えながら、心配そうに。 ――バケモノ・サマ? ――私はもうこんな丁寧な言葉で云う日本の習慣を用いていた。 ――いいえ!! ……ドロボオ!! ――泥棒だって! ああ! まあよかった。泥棒なら、私がさっき急に目の醒めた時に心配した幽 霊やおばけの訪問より、その方が幾らいいか知れない。泥棒、云い換えれば、生きている立派な人 間で、疑うまでもなく日本人だけに滑稽千万な顔をしているに相違ない。もうすっかりわかってしま ったから、私はちっとも怖くなくなった。では直ぐに私たちは真偽を確かめに行こう。――なぜと云っ て、何者かがマダム・プリュヌの屋根の上を動いていることは確かだから。――誰かがそこをうろつ いているのは確かだから。…… 私は木の雨戸を一枚開けて外を眺める。 私には月の光をまともに浴びた、静かな、澄み渡った、きれいな大きな広がりが見えるだけである。 蝉のよく響く歌に寝かしつけられて眠っているこの日本中が、今夜は実にうっとりさせるようである。 そうして外のこの大気を呼吸するのが実によい気持である。 クリザンテエムは私の肩の後に半分身をかくし、震えながら耳をすまして、怖気づいた猫のように 目を丸くして、庭や屋根を調べるために首をさし伸ばす。……いや、何もいはしない。なんにも動い てるものはない。……そこここに何だか濃い蔭がさしている。一目見ただけではよくわからないが、 それは垣の端やら、木の枝やらの蔭だということがわかって来る。そうして非常にしっかりした静けさ を持っている。何もかも絶対の静けさに見える。そうして月が、あらゆる物の上に降りそそいでいるこ の空漠の中に、沈默を続けている。 なんにもいない。――どこにもなんにもいない。これは要するに猫さんたちだったのである。でな けりゃ梟のかみさんたちだったのである。物音は、夜分、私たちの家では、おそろしく大きくなって 行くから。…… さあ、注意して、念を入れて大事にこの雨戸を締めよう。それから提灯をつけて、もしや何者かが 隅っこにかくれてでもいはしないか、戸締まりは厳重になっているか、どうか、見に下りよう。つまり、 クリザンテエムを安心させるために家を一回りまわって見よう。 私たちは、そこで爪立になって、この家のすべての奥まった引っ込んだところを一緒に探し回る。 この家は、その土台から判断して、新らしい紙で張った脆弱な仕切などがあるにもかかわらず、かな り古いものに相違ない。真っ黒な洞穴みたいな所があったり、梁に虫の食った小さな天井の穴倉み たいなものがあったり、腐れと黴(かび)の匂のする米入れの戸棚があったり、幾世紀の塵の積もっ ている非常に奇妙な凹(くぼ)みがあったりする。真夜中にしかも泥棒を探し歩いてるうちに、私の 今でも知らなかった、すべてこれらの物が不様な光景を呈している。 私たちは抜足で私たちの家主夫婦の部屋を横切る。――私の手を引いてるのはクリザンテエムで ある。そうして私は導かれるままにまかせている。――彼らは、彼らの先祖の祭壇の前にともってい る燈明に照らされて、青々した紗の天幕の下に並んで眠っている。――おや! 彼らはおかしな噂 の種にでもなりそうな順序に並んでいる! ――まず一番がマドモアゼル・オユキ。非常におとなし い寝方をしている。次がマダム・プリュヌ、これは彼女の黒く染めた歯並を見せながら、ロを開いて 眠っている。彼女の喉からは、牝豚の鳴声みたいな間歇的な音を出している。……おお! 何とい う見っともないざまだろう、マダム・プリュヌは!! ――それから、ちょっと木乃伊になってるようなム ッシュ・スウクル。――そうして最後に彼の傍に、列の一番端に、彼らの善良なマドモアゼル・デデ が寝ている!! …… 彼らの上に垂れている紗は海水のような反射を投げている。彼らは水族館の中に溺れている人か なんぞのようである。そうしてこれらの燈明や、不思議な神道の象徴をもって装われているこの祭壇 が、この家族の画面にがらにない宗教的な空気を与えている。 「邪(よこし)まなる者には禍(わざわい)あれ。」それにしても彼女は、この若い女中は、なぜむしろ 彼女の女主人たちの傍には寝ないのだろう? 二階の私たちの所では、私たちがイヴに宿を貸す 時は、私たちは私たちの蚊帳の下で、もっとずっと正しい位置をとるように注意している。…… 私たちが最後に探しあさることになった一つの隅が、私にある思いあたりを感じさせる。それは低 い不思議な押入である。その戸には、廃物かなんぞのように、非常に古めかしい有りがたい一枚の 画像が貼りつけられてある。それは雲と火焔の中に坐っている千手観音と馬頭観音で、どちらも彼 らの奇怪な笑で恐ろしい形相をしている。 私たちはその戸を開けて見る。すると、クリザンテエムは恐怖の叫びを発して後に飛び退く。―― もし私がその時、足早な、音を立てない、一匹の小さい灰色の物が、彼女の上をすり抜けて消えて しまうのを見なかったら、私は泥棒がそこにいたのだと信じたかも知れなかった。それは戸棚の上で 米を食っていた一匹の若い鼠であった。その鼠がびっくりしたはずみに、クリザンテエムの顔を飛び 越して行ったのである。…… 四十八 九月十四日 イヴが海の中へ彼の銀の呼子笛を落してしまった。部下の操縦に欠かせない彼の呼子笛を。そこ で私たちはクリザンテエムと、彼女の妹の雪サンと月サンを連れて、今一つほかの笛を探しに一日 じゅう町をあさり歩いた。 こんなものをナガサキで探し出そうというのは、非常に困難なことである。とりわけ日本語で説明す るのは困難なことである。海軍の笛としては決った形で、少し曲って、先に小さな球が付いていて、 振動音を出して、様々な命令の音が出るように出来てる呼子笛である。私たちは、三時間も店から 店を歩かせられる。――どこの店へ行っても皆呑み込んだような顔をして、紙の上に筆で、私たち がそこへ行ったら、私たちの必要な物が手に入るに相違ないという店の番地を書いてくれる。―― そうして私たちは希望に満ちて駈けさせて行くと、また新らたに欺(だま)されてしまう。息を切らして いる私たちのジンはそれで昏迷している。 私たちが、何か音を出すものを、つまり何か音曲を出すものを欲しがっているという事だけは、皆 んなによくわかっている。だから彼らはあらゆる形をした、思いも寄らぬ、とんでもない楽器を、私た ちに出して来る。道化役者の声を出すプラティク(道化役者のこわいろを出す笛)やら、犬笛やら、 ラッパやら。それが次第に段々と、とんでもない物を私たちに持ち出すようになって来て、終いには 吹き出さずにはいられなくなってしまう。最後の店では、一人の年とった日本の眼鏡師が、いかにも 心得顔に何もかも呑み込んでいるような顔付をして、店裏へ捜しに行き、――そうしてどこかの難破 船のものだった濃霧警報器を持ち出して来る。 食後、夕方の重な出来事と云うのは、私たちの洒落た散歩の帰り道で、茶屋を出ると出し抜けに 大豪雨に出逢ったことである。ちょうど私たちのかたまりは四、五人の誘い出したムスメたちを一緒 に連れていたので、多人数だった。そうして出し抜けに如露のひっくり返ったように雨が降り出すと、 私たちのかたまりは早速大混雑を始めてしまった。ムスメたちは鳥みたいな声を立てて逃げ出し、 戸ロヘ逃げ込んだり、ジンの母衣(ほろ)の下に入ったり、店屋の軒下に避難したりする。 それから間もなく、店が急いで締められると、人影の絶えた往来には雨水が一ぱいに溢れ、世界 が殆んど真暗になる。紙の提灯はあわれに濡れて消えている。――私はどうしたはずみか、私の従 妹のマドモアゼル・フレーズ(苺)と二人で、さし出た軒の下に、壁にぴったり身体を寄せて取り残さ れている。彼女は美しい着物をぬらしたと云って泣いている。そうしてこの町が、私には急に物悲し い場所のように思われて来る。すべての物に泥水を跳ねながらまだ降りしきっている雨の音を立て て。暗闇の中で小川の咽(むせ)ぶような小さいつぶやきの樋の音を立てて。 驟雨は直ぐにやんでしまう。するとムスメたちは、鼠のように彼らの穴から出て来て、探し合ったり 呼び合ったりする。そうして、ムスメたちの小さい声には、いつも遠くから呼ぶ時はそうであるが、後 を長く引く、物悲しい、独得な音調がある。 ――おおい、おつきさあーあーあーあーあん!! ――おおい、おせんさあーあーあーあーあん!! ムスメたちはお互い同士その妙な名前を呼び合う。静かになった夜の中に、夕立の後の湿った空 気の反響の中に、その聲を際限なく長く引張って。 終にこの狭い目をした、頭のない小さいムスメたちは、すっかり見つかって、また一緒になる。― ―そうして私たちはびしよ濡れになってジュウジェンジヘ登って行く。 これで三度目、イヴは私たちの青い天幕の下に私たちと並んで寝る。 真夜中を過ぎて私たちの階下に大騒ぎが起る。それは私たちの家主たちが美の女神(辨財天?) の遠い殿堂のお詣から帰って来たのである。(マダム・プリュヌは神道信者ではあるけれども、この 女神を尊崇している。この女神が彼女の若さを守護していたというのである。)間もなくマドモアゼ ル・オユキが可愛らしい小さな盆に祝福された糖菓を載せて、火を付けた矢のように駈け上って来 る。殿堂の門の所で私たちのためにわざわざ土産を買って来てくれたのである。そうして御利益の 消えないうちに、それを早く食べなければならないのである。私たちはまだ全く目も醒まさないで、 ――砂糖と胡淑のはいったこの小さいものを、何度も礼を云い云い平らげてしまう。 イヴは今夜はおとなしく眠っている。手足を襖にぶっつけたりすることなしに。彼は私たちの金ぴ かの仏像の片手に彼の時計をかけている。燈明の光で夜の何時でも時間が正確に見えるように。 彼は朝早く起きるのである。よかったか知ら? ――と云い云いそうして点呼と勤務のことに心を取 られながら、急いで服をつけるのである。 外は、いうまでもなくもう明るくなっている。長い月日で孔のあいた私たちの木の雨戸の小穴から は、朝の光が私たちの部屋にさし込んでいる。そうして夜のまだ封じ込められている部屋の空気の 中で、その光は白いぼうっとした線を引いている。――今にも、太陽が登ると、この光の線は、長い 美しい金色になって行くであろう。――蝉や鶏の鳴く聲が聞こえて来る。そうして間もなくマダム・プ リュヌは彼女の神秘な歌を始めるであろう。 けれどもクリザンテエムはイヴ・サンのために提灯に火をつけて、寝巻のままで暗い梯子段の下ま で彼を見送って行く。――別れ際に彼らは接吻し合っているのが聞こえるようにも私には想像され る。――日本ではこの位の事は何でもないのは、私にもよくわかつている。こうした事は幾らでもあ る。そうして許すべき事なのである。どこの家でも初めて行った家で、知らぬムスメにそっと接吻して も、それがために咎め立てされることはないのである。――しかし気にかける事はない。イヴはある 特別な地位にあって、クリザンテエムと相対している。そうして彼はそれを私よりもよく理解している 筈である。私には彼らがこれまで二人きりでよく家にいて過ごした時のことが心配になって来る。私 は、今日となって彼らを探偵するようなことはしまい。だがこの事について公明な心を得るために、 胸襟を開いてイヴに話そうと思う。…… ……下で、突然、ぱち! ぱち! 干枯らびた二つの手を打ち合せる音がする。それはマダム・ プリュヌが大精霊の注意を引くための拍手である。そうして殆んど同時に鼻に抜ける鋭い作り声で、 彼女の祈祷の声が突発し、突き進んで行く。まるで時間の来た時の目醒時計が、怒ったこらえ性の ない音を発するような鋭い声で。緩(ゆる)んで解けて行くぜんまい仕掛の機械的な音のような鋭い 声で。…… ……世界一の金持の女に……、私の穢をいとも白く、おお、アマ・テラス・オオミ・カミ、カモの川の …… そうしてこの殆んど人間らしくない震え声が、やっと目の醒めたこの瞬間に、はっきりして来たばか りの私の考えを迷わせ、変更させる。 四十九 九月十五日 出発の噂が立つ。昨日から、私たちは支那へ行く、北京湾へ派遣されると云う事が漠然と問題に なっている。どうしてだかわからないが、こんな風説の一つが、官命より二三日前に船から船へひろ まると、大概それははずれっこはなかった。私の小さい日本の喜劇の最後の幕、結末、離別の場面 はいかになり行くことだろう? 私のムスメの心の中に、あるいは私の心の中に、少しでも悲しい思 いが起るだろうか? 再び帰ることのないこの最後の瞬間に、少しでも心の緊張が起るだろうか? 私にはそれは、前からは何ともわからない。そうしてクリザンテエムに対するイヴのさよならはどんな だろう? この点が何より私には気にかかる。…… まだはっきりした事はわからないけれども、とにかく私たちの日本滞在が終りに近づいている事は 確かである。――私をして、今宵私の周囲のすべての物の上に、今までよりも懐かしい場面を投げ させるものは、恐らくそれ故であろう。――六時近くに、私は一日の勤務を済まして、ジュウジェンジ ヘ着いた。非常に低く、殆んど消えそうになっている太陽は、私の部屋一ぱいにさし込んで、仏像 や、古い花瓶の中に奇妙な花束となって挿されてある花を照らしながら、その赤い金色の大きな光 線で部屋を横ぎっている。――私の隣人である五、六人の小さな人形たちがそこにいて、クリザン テエムの三味線の音につれて踊っている。……そうして私はこの家も、踊を指揮しているこの女も、 皆んな私のものだと思うと今宵は実に愉快である。私は、どうも、この国に対して不公平であった。 何だか私にはこんな気がする。私の目はこの国をよく見るために、この瞬間において開かれ、そうし て私の感覚はある急激な不思議な変化でも受けているように。私は何もかも急に今までよりよく予知 し、今までよりよく了解する。私の生活の周囲にあるやさしい小さい事物のこの無際限をも、形の軟 かい美しさと非常な巧妙さをも、図案の奇妙さをも、色彩の品のよい選択をも。 私は私の真っ白い畳の上に身体を伸ばす。クリザンテエムは甲斐甲斐しく私に蛇の皮の枕を持 って来る。そうしてにこにこした他のムスメたちは、たった今途切らされた彼女らの調子をまだ頭の 中でとりながら、調子づいた歩調で私のまわりに円形に集まって来る。 拇指のところで分れた彼女らの非難するところのない足袋は、音を立てない。彼女らの通る時に は、衣ずれの音しか聞こえない。私は、彼女らを眺めているとすっかり気に入ってしまう。彼女らの 人形じみた様子が今は私を喜ばせるのである。そうして私は、この様子を彼女らに与えるところのも のを発見するような気がする。それは単にあのまるまるした、表情のない、目と眉毛の非常に離れた 顔ばかりからではない。それよりも、ことに彼女らの着物の極端に寛潤なことからである。彼女たち は非常に大きな袂をしているので、背中もなければ、肩もないと云いたいほどである。彼女らの華奢 な身体は、この大きな着物の中に無くなっている。その着物は胴のない小さい人形に着せてあるよ うに翻っている。そうしてその着物はもし人なみの女の半分位な高さのところで、これらの絹の広い 帯で留められてなかったら地面に裾を引きずったかも知れない位である。――これは、本当の形で あれ、うその形であれ、出来るだけ形を姿に表わそうとする、私たちの行き方とは非常に違った服装 の理解法である。…… その次には、私はクリザンテエムが彼女の日本流の技術で私たちの花瓶に活けたこれらの花を、 どんなに称賛するだろう。神聖な大きな、柔らかい、襞(ひだ)のある淡紅色の、磁器のような乳色を 帯びた淡紅色の蓮の花、それは開いた時は大きな睡蓮に似ている、それからまだ蕾(つぼみ)の時 は青白い長いチューリップに似ている、その花の、少し疲れたような甘い香気が、今一つの、何とも 評しようのない匂い、いつも到るところに空気の中に漂っている、ムスメの匂い、黄色人種の匂い、 日本の匂いと一緒になつている。この季節には珍らしい九月の遅咲きは、夏場よりもせいが伸びて、 値段も高い。クりザンテエムはそれを水草の悲しい緑色の大きな葉を付けたままにして、なよなよし た燈心草の葉に交ぜて活けてある。――私はこの花を眺めていると、甘藍(はぼたん)の恰好をし たこの丸い花は、フランスでは私たちの花売娘たちがレースや白い紙に包んで売っている事を思 い出して、ある皮肉を感じる。…… ……いつまでたってもヨーロッパからは、誰からも一通の手紙も来ない。まあ何もかもどんなに消 え行き、変り行き、忘られ行く事だろう。……私は今この可愛らしい日本でうまく調子を合せて暮らし ている。私は縮こまって、様子ぶっている。私の思想は狭隘になって行き、そうして私の趣味は可愛 らしい、ほんの笑わせるだけの事物の方へ、傾いて行くような気持がする。私は小さい器用な家具 や、人形の使いそうな机や、ままごと用の朱塗の椀などにも慣れて来た。畳の単調な美しさにも慣 れて来た。白い木細工の繊巧な飾り気なしにも慣れて来た。私は私の西洋的の偏見をさえ失った。 すべての私の思想は今宵蒸発しては消えている。庭を通る時、私はムッシュ・スウクルに丁寧にお 辞儀をした。彼は小さい潅木や変り咲きの花に水をやっていた。私には、マダム・プリュヌまでが立 派な過去を持った十分尊敬すべき老刀自のように思われる。…… 私たちは今夜は散歩をよそう。私はただこのまま寝そべっていて、私のムスメのシャメセンを聞い ていたい。 今まで私はいつも彼女のギタル(ギター)と書いていた。私が濫用するといってよく非難されるあん な異郷趣味の言葉を避けるために。しかしギタルという言葉も、マンドリイヌという言葉も、このように 長い 細っそりした柄を持った、蟋蟀(こうろぎ)の声よりも潤いのある高い音色を出すこの楽器を、 十分に表わしてはいない。――これから私はシャメセンと書こう。 そうして私は、私のムスメのことをキクとかキクサンとか呼ぼう。この名前の方がクリザンテエムという 名前よりは一層彼女には似つかわしい。――クリザンテエムというのは意味を正確にとって彼女の 名前を訳したのである。けれどもその中には音調の奇異なところが保存されてない。 で、私は、私の妻のキクに云う。 ――弾きなさい、私のために弾きなさい。私は今夜中こうして、お前の弾くのを聞いていよう。 彼女は私がこのように機嫌のよいのを見ると驚いて、少しためらいながら、勝利と誇りの苦い小皺 を口もとによせて、絵のような恰好で坐り、くすんだ色合の長い袖を捲くし上げて、――そうして弾き 出す。最初のたゆたうているような音色は抑え抑え微かに音を立てて、外の、暑い金色の黄昏の平 和な空気の中で鳴いている虫の音楽にまざり合ってきこえている。はじめの内は静かに、いろんな ものをまぜこぜに弾いていたが、どれもよく覚えていないと見えて、その後を待っていても、次が出 て来ない。――そうして他の小さいムスメたちは、あざ笑いながら、どうでもよいような風で踊の途絶 えたのを悔んでいる。彼女はひとりで、ぼんやりして、沈み込んでいる、自分ではただ義務を果して いたかなんぞのように。 それから少しづつ、少しづつ、調子づいて来ると、ムスメたちも聞きとれて来る。それが熱病のよう に震え出して急速になる。そうして彼女の目つきには、もう人形のようなつまらなさは、まったく無く なっている。それが風の音になったり、醜女の恐ろしい笑い声になったり、張り裂けそうな泣きごとに なったり、涙になったりする。――彼女の見開いた瞳は、彼女の心の内側にある、言葉では表わせ ない日本的なものを、一心に眺めているように見える。 私は横になって、目を半ば閉じて、それを聞いている。心ならずも自ずと垂れて来る目蓋と目蓋の 間から眺めながら。この高台から、ナガサキの上に没して行く赤い大きな太陽を眺めながら。私は、 私の過去の全生涯も、地球上のすべての他の場所も、皆私の前から遠のいて消えて行くような憂 欝な気持になる。黄昏のこの時刻に、私は日本のこの一隅の、この郊外の庭の真ん中にいて、なん だか家にいるような感じがする。――そうしてこんな気分になったことは今まで一度もなかったので ある。…… 五十 九月十六日 ……夕方の七時。――私たちは今日はもう町へは下りて行くまい。善良な日本の市民のように、 私たちはこの高い郊外にじっとしていよう。 私たちは、イヴと私は、略服のままで、近所の撃剣道場まで見に行こう。――これは私たちの新鮮 な庭と殆んど隣り合って、私たちの家からつい二、三歩上の方にある。 道場は締まっていた。入口に坐っている一人の小さいムスコが、何度も低く頭を下げながら、私た ちの来るのが遅かったために、もう素人達は皆んな帰ってしまったから、また明日来てくれと云いわ けする。 夕方は美しく軟かであるから、私たちは家へ帰らないで、そのまま当てもなく、山の中を、峰の方 へつづいている人気の無い小径を辿って行く。 私たちの歩きまわった一時間。――思いがけない散歩。――そうして遂に私たちは非常に高い所 へ出た。そこからは昼の最後の光に照らされた際涯(さいはて)のない遠景が見渡される。田舎で は河底へ行っても仏教徒の小さな墓が散らかっているが、私たちは今その墓場の真ん中の、淋し い物悲しいある場所へ来た。 私たちは茶の束を背負って畑から帰って来る四、五人の遅帰りの労働者とすれ違う。これらの百 姓たちは顔は少し野蛮で、半分裸体になっていたり、でなければ紺の木綿の長い着物を着ている だけである。彼らは通りすがりに丁寧に私たちに辞儀する。 この辺の高地には樹木は少しもない。茶畑があるかと思うと墓があり、墓の次にはまた茶畑がある。 花崗岩で仏陀が蓮の台に坐っているところを現わした古い像、あるいはその表に金字の彫刻だけ の光っている古い葬(とむらい)の石、わけても私たちの回りには岩や荊棘(いばら)の生えひろがっ た手入のしてない土地が目につく。 もう誰も通らない。そうして暗くなって行く。私たちは暫く休んで下りることにしよう。 しかし私たちの居るすぐ近くに、輿(こし)のような柄の付いた白木の箱が、新たに掘り起された土 の上に置かれ、その傍に銀紙の蓮やまだ燃え残っている線香が立ててある。明かに誰かが、今宵、 この下に埋葬されたに違いない。 私にはその人間を描き出して見る事はできない。日本人は生きてる間は実にグロテスクである。だ から死後の平静な荘厳の中に彼らを想像して見ることは殆んど不可能である。……まあ、どうでもよ い。私たちはこの死人から遠ざかろう。私たちが彼を呼び醒ますかも知れない。余りにまだなまなま しいから、気味がわるいほどである。どこか他所(よそ)に行って、塵よりほかにもうなんにも入ってい ないような極く古い墓の上に、腰をかけることにしよう。そうしてそこで、もう下の谷や麓の野原は薄 暗い影の中に見えなくなっているのに、私たち二人だけがまだ消え残っている夕日の中に坐りなが ら、話し暮そう。 私はクリザンテエムの事をイヴに話そうと思っている。私が彼を坐らせたのは幾らかこの目的のた めである。でも私は彼の心を傷つけないためには、また私が嘲笑されないためには、どう切り出して よいかわからない。それに、ここいらの純な空気と、脚下の壮大な景色とが、もう十分に私を爽快な 気持にして、私の懸念とその原因に対して、一種軽蔑的な憐愍(れんびん)の情を起こさせていた。 …… 私たちはまず初めに、支那かフランスヘ向けて、いつ出帆命令の下るかわからないことを話し合う。 私たちはすぐに、こののんきな、まずは楽しいと云い得る生活を、見棄てねばならないだろう。偶然 にも私たちの逗留することになっている日本のこの郊外を、見棄てなければならないだろう。そうし て花の中の私たちの小家を見棄てなければならないだらう。イヴはこれを私以上に残り惜しく思うだ ろう、ということは私にはよくわかっている。なぜというに、彼にとっては、このような幕間が彼の荒っ ぽい生涯の単調を破ったのは初めてであるから。以前、彼が下の階級にあった頃は、沖の鴎のよう に、彼は異郷の土地へは殆んど決して上陸した事がなかった。然るに私は、初めからあらゆる種類 の国の、この小家とはまた異なった風に愉快な小家で、堕落させられている。その思出に私は今な お心惑うている。 さて私は分明にするために危険を侵(おか)して彼に聞く。 ――君は僕よりもつらいだろうな、あの女と別れるのが、あの小さいクリザンテエムと別れるのが? 沈默が私たち二人の間を支配する。 それから私は私の脈管の血を燃やしながら、更に付け加えて云う。 ――君にはわかるだろうが、もしあの女がほんとうに君の気に入ってるとしたら……、僕はあの女と 結婚してるのじゃない。あの女を僕の妻と思うことはできない。…… 非常にびっくりして彼は私を眺める。 ――あなたの奥さんでない、とおっしゃるんですか?――いや! そんなことがあるもんですか。 ……わかりきったことじゃありませんか。あの人はあなたの奥さんですもの。…… 私たち二人の間では、いつだって、長いことを云う必要は決してない。私は今、彼の言葉の調子 からも、彼の気さくな善良な微笑からも、すっかり得心が行った。「わかりきったことじゃありませんか。 あの人はあなたの奥さんですもの。……」と云った、このちょっとした言葉の中にあるものが、私には みんなわかってしまった。もし彼女が私の妻でなかったら、おお! その時は、どんな事になろうとも、 彼は決して答えなかったであろう。――彼自身の心の底にどんな後悔が起ろうとも。だって彼はも はや未婚男子でもなければ、また昔のように自由な身の上でもないから。――しかし彼は彼女を私 の妻として考えている。だから神聖である。私は彼の云ったことをこの上もなく十分に信じている。そ うして、私は過ぎ去った日の私の善良なイヴを見出して、真の慰安、真の喜悦を感じる。それに私 はどうして、彼を疑ったり、またこのような卑劣な懸念を起したりするほどに、つまらない周囲の影響 を受けたのであろう? もう二度と再び話すまい、あの人形についてだけは。…… 私たちは遅くまでそこにいて、その間脚下の谷や山や、大きな奥深さが、暗くなり消えて行くのを 眺めながら、始終他の話ばかりしている。私たちは澄み渡った大気の中の、大変に高い所にいるの で、この可愛らしい日本からは、もう出発してしまったような気持がする。また私たちの心に生じてい た小さい印象からも、私たちを引きとめようとしていた小さい束縛からも、解かれてしまったような気 持がする。 このような高い所から見ると、地球上のすべての国はみんな似寄った所がある。どこの国にも、そ の上に、人間というもの、国民というものによって、即ち地上にうようよしている原子によって印せら れた特徴を失っている。 昔、ブルターニュの土地にいた時のように、トゥルヴァンの森にいた時のように、あるいは海上で夜 の勤務をしていた時のように、私たちの話は、暗闇の中で自然考えられるような事柄に移って行く。 すなわち幽霊とか、霊魂とか、未来とか、あの世とか、虚無とか。…… あの小さいクリザンテエム、私たちはすつかりあの女のことを忘れていた! 星明りの夜を私たちがジュウジェンジに着いた時、彼女のことを私たちに思い起させたものは、遠 くからきこえる彼女のシャメセンの音楽であった。彼女は弟子のマドモアゼル・オユキと声を合せて 何かの夜曲を稽古していた。 私は今夜大変いい気持である。私の可哀そうなイヴに就いての不条理な懸念はもうなくなるし、日 本における私の最後の月日を思うままに楽しんで、出来るだけ面白く暮そうと考えているので。 私たちは新しい畳の上に横になって二人のムスメの奇態な連奏を聞こう。悲しいゆったりした一種 の組歌がニ撥三撥の高い調子で始まる。――それから一句一句、殆んど聞きとれない位に、その 調子が沈んで行き、非常な厳粛な調子になってしまう。唄は始終その長引く静けさを失わないでい る。しかし伴奏は次第に調子を高めて、遠くの疾風の音を聞くようである。果ては、いつもの優しい 娘の声が、どす太い嗄れ声となり、クリザンテエムの手は震動する絃の上を、痙攣しているように、 狂乱したように動き出す。娘たちはこの驚くほど深い調子をしぼり出すために、二人ながら頭を低く たれ、下唇を歪めている。そうしてこの時になると、彼女らの細い目は開かれて、この人形の衣裳の 下に包まれたほとんど魂とでも云うようなある物を外に現わそうとしているように見える。 しかし、それは、今までよりも余計に私の魂とは懸け離れた、別の種類のもののように私には思わ れる。私は私の思想が、例えば鳥の変幻極りない想念や猿の夢想などから隔たっているほどに、こ の娘たちの思想から隔たっているような感じがする。私はこの娘たちと私との間には、神秘的な恐ろ しい深淵があるような感じがする。…… 外の遠いところから来る今一つの音楽が、このムスメたちが私たちのために弾いている音楽を暫ら く中止させる。 それは私たちの下の方の、ナガサキの町の、深い底の下から急に起って来る鉦や三味線の音で ある。――私たちはそれをもっとよく聞きとるために縁側の欄干まで駈けて行ってもたれかかる。 マツリ、即ち一つの祭礼である。即ち行列が通るのである。――「いろ町」を通るのだと私たちの ムスメたちは、ロもとに軽蔑の小皺を寄せてそう云う。――しかしその町は私たちの住んでいる高台 から、おぼつかない星影で、一と目見下ろすと、非常に清浄な眺めである。そこに始まっている合 奏はその深い谷底から私たちの所まで上って来るうちに浄められて、少し息づまるような、こんがら かった、魔術のような、魅するような音になって聞こえて来る。…… ……それが遠くなって、静まって行く。…… すると二人の小さい友だちは座に帰り、再び彼女らの悲しい連奏を始める。――こおろぎと蝉の オーケストラが、声をひそめてはいるが数限りなく鳴き立て、そのトレモロで娘たちに伴奏する。― ―日本中の土地で止むことのない、甘い、永久の、果ても知らぬ大きなトレモロで。 五十一 九月十七日 午睡時間に、にわかの命令が下り、明日支那へ向って、芝罘(チェフウ、北京湾の中にあるひど い場所)へ向って出帆することになった。私に知らせに、私の船室に来て私を呼び醒ましたのはイ ヴである。 ――私は今夜はどうあっても失敬して上陸しなきゃなりません。彼は云う、私が一生懸命私の眠り を振い落している間に。――先ず何よりも、あなたのためにそこへ行って引越の手伝いをしなけりゃ なりません。…… そう云って彼は私の船室の窓越に、青々した頂上の方へ頭をあげながら、山の腰に隠れて見え ないジュウジェンジと、よく鳴り響く私たちの古い小家の方角を眺める。 そこへ行って彼が私の引越を手伝おうと云ってくれる、その心は実にやさしい。けれども私は彼が 日本人の小さい友だちに別れを告げようと考えていることも信じている。そうして私は実際それに対 して彼をわるくは思えない。 彼は仕事を片づけて、そうして、操練と演習がすんだら、夕方の五時から上陸してよいという許可 を、私の助力を借りることなしに得る。 私の方は、貸サンパンですぐ出かける。 真昼の大きな日光の中を、蝉の震え声を聞きながら、私はジュウジェンジヘ登って行く。 小径には人通りがない。草木は暑さでうなだれている。 けれどもマダム・ジョンキユ(水仙)が散歩している。いなごの光るこの日中に。骨の多い、きれいな 色の、大きな日傘の輪の下に、彼女の華奢な身体と美しい顔を隠しながら。 彼女は遠くから私を認めて、いつものようににこにこしながら私の前へ駈けて来る。 私は彼女に私たちの出帆の事を知らせる。――すると彼女は大きく口もとをゆがめて、子供のよう な顔をする。……では彼女はこの事を真実悲しんでいるのか? ……彼女は泣こうとしてるのだろう か?…… ――否! 否! それは少し仰山な笑いに変って行く。もちろん少し神経質らしい、け れども思いがけない、無頓着な笑いに変って行く。――からっとして澄み透った、暑いこの山径の 沈黙の中を、贋物の小さい真珠のころがり落ちるかなんぞのように。 ああ! だが、まあいい、これで大した心配なしに閉ざれてしまう結婚もあるというものだ! ―― 彼女は、その笑いで私を我慢出来なくする、この紅雀は。そうして私は彼女に背中を向けてまた歩 きつづける。 二階に、クリザンテエムは、床の上に横になって眠っていた。家はすっかり開け放たれて、山のな ま温い風が部屋を吹きぬけている。 ちょうど私たちは今夜お茶を立てることになっていた。そうして私の指図に従って、花はそこにもこ こにも飾られてある。そうして私たちの花瓶には蓮の花が活けてある、淡紅色の美しい蓮の花が。 今度こそこれが季節の最後の蓮の花だと私は思う。――彼女たちはあの下の方の、あの大きな殿 堂のある町に住んでいる専門の花屋に、それを注文して置いたに違いない。大変な費用が私にか かって来る事だろう。 団扇で輕くばたばたと叩いて、私は驚くこの小ムスメを目ざます。そうして私は私がどんな印象を 与えるかについて好奇心を持ちながら、出帆のことを彼女に告げる。――彼女は起き上って、重た い目蓋をその小さい手の裏で擦る。それから私をじっと見て頭を垂れる。悲哀の情のような何ものか が彼女の眼の中を通り過ぎる。 これはイヴのためである、疑いもなく、この小さい心の悩みは。 知らせが家中に広まる。 マドモアゼル・オユキは両方の目にあかんぼのような涙を半分ためて、あたふたと上って来る。彼 女は彼女の赤い大きな唇で私に接吻する。その唇はいつも私の頬の上に湿った輪を描く。――そ れから急いで彼女の長い袂から四つ折にした紙を引き出して、――そっと、流した涙を拭き、彼女 の小さい鼻をかみ、紙きれを丸くまるめ、――そうしてそれを往来の通行人の日傘の上へ投げ出 す。 次にマダム・プリュヌが現われる。興奮して取り乱して、全く途方に暮れた様子を続けている。この 老婦人は一体どうしたというのだろう。何だってこのように、彼女は私に接近して来るのだろう、私が 振り返えると私の邪魔になるほどに近く寄って来るのだろう??…… この最後の日に、私はまだしなければならぬ事が目まぐるしいほどある。骨董屋の所へ、用達人 のところへ、荷造屋の所へ、とジンを走らせる。 けれども、私の部屋を取片づけさせる前に、私はそれを写生して置きたく思う……昔、イスタンブ ールでしたように。……実際ここで私のするすべての事は、かつて私があそこでやった事の苦い嘲 (あざけり)のように思われる。…… けれども今度は、なにもこの住家に未練があるからではない。ただこの住家が可愛らしくて、変っ ているからである。この写生を保存して置くと興味があるだろう。 で、私はアルバムから一枚を引き放して、畳の上に坐って、いなごを浮彫にした机によりかかって、 直きに描き始める。――すると、私のうしろには三人の女が、すぐ近くに、すぐ近くに、くっ付いて、 驚きの注意をもって私の鉛筆の動いて行く跡を追うている。日本の美術は全くしきたりである所から、 彼女らはこれまで実物を写生するのを見た事がなかったのだ。そうして私の様式は彼女らを喜ばす。 私には、可憐な鶴の群を描く時のムッシュ・スウクルの運筆の確かさも軽妙さも多分ないだろう。しか し私には彼に欠けている遠近法の概念が幾らかある。そうして私は物を描く時うまく趣向をこさえた り、ひねくったりした風にしないで、見た通りにそれを描き出す法を知っている。だからこの三人の 日本の女は私の略図の写実風なのに驚いている。 嘆賞の小さい叫声を発しながら、彼女らは物の形や影が黒く私の紙の上に描かれて行くにつれ て、それを指先で示し合う。クリザンテエムは新らしく興味のきざした顔付をして私を見つめる。 ――アナタ、イチバン! 彼女は云う。(文字通りに云うと「あなたが一番です!」 つまりこう云う事 を意味している。「あなたはほんとうにおえらい方です!」) マドモアゼル・オユキはこの評価をさらにせり上げて、熱心の興奮で叫ぶ。 ――アナタ、バカリ!(あなただけ!) これは「あなたみたいな方は世の中に一人もありません。 他の人たちは皆んなあなたの傍では、ねうちのないやくざ者に過ぎません。」という意味だ。 マダム・プリュヌはなんにも云わない。しかし彼女がそれ以下に考えてない事は私にはよくわかっ ている。彼女の気だるそうな様子と、ちょいと私の手にそつと触ったその手が、さつき彼女の途方に 暮れた顔付を見た時、私のいだいたあの観念を首肯させる。すなわち明かに私の肉慾のすべてが、 年頃は過ぎても小説じみている彼女の想像に話しかけるのである! ――私は彼女を知ることが遅 過ぎた後悔をいだいて去らねばなるまい!! …… この女たちは私の写生に満足していても、私の方では満足してはいられない。私はすべてのもの をその位置に可なり正確に置いた。けれども全体としてなんだか平凡で、しっくりしないで、フランス 風になって、どうもうまく行かない。気分が出ていない。私は日本風の遠近法をつけて、その上、珍 らしい事物の輪廓をば、極度まで誇張したのに、なぜもっとよい効果をもたらし得なかったのであろ うかと怪まれる。それから、絵になった住居には、その壊れやすそうな風と、かさかさしたヴィオロン のような響き易さが欠けている。木造を現わした鉛筆の線には、組立の小さな細かさも出てなけれ ば、極度の古めかしさも、完全な清潔さも、乾き切った幾百年の夏をその木造がその繊維の中に蓄 積して置いたような、蝉の顫動(せんどう)音も現われていない。ここにいて人が感ずるような印象も 現われていない。町の雑沓を下に見下して、樹木の間の、高台の、遠い郊外にいるような印象は少 しも絵の中に現われていない。否、すべてこれらのものは描かれることは不可能であり、表わされる ことは不可能であって、写し得ないもの、捉え得ないものとして存在しているのである。 ……もう招待を出してあるのだから、私たちは何を措(お)いても今夜はお茶の会をしよう。 だから、別れのお茶の会は出来るだけ派手に並べ立てよう。その上、振舞をして異郷的生活の結 末を付けるのは私の慣例の一つである。他の国々においても私はそうしたのであった。 私たちは常連を呼ぼう。その外に、私の義母、私の親戚、最後に町のすべてのムスメたちをも呼 ぼう。しかし日本的であることの品のよさを保つため、今度はヨーロッパの友だちは誰も仲間入を許 すまい。あの途方もなく背の高い友だちだって許すまい。――イヴだけは寄せてやろう。それも、花 や美術品の後の隅っこに隠れるように坐らせて置く事にして。 最後の夕日と共に、最初の星のきらめきと共に、婦人たちが、丁寧なお辞儀をしながらはいって 来る。すると間もなく私の小さい家は坐ってる小さい女たちで一ぱいになってしまう。彼女らの細長 い目は当てどもなく微笑している。念入りに結った彼女らの美しい髪毛は、研(みが)き立てた黒檀 のように光っている。彼女らのしなやかな身体は大き過ぎる着物の襞の中にかくれている。今にも落 っこちそうに、痩せぎすな小さい背中の上に欠伸(あくび)をして、美しい足頸をあらわに見せている その着物の中にかくれている。 少し憂鬱なクリザンテエムと愛嬌たっぷりの私の義母のルノンキュルは、小さい煙管で煙草を吸っ ているこの人たちの間を忙しそうに立ちまわっている。やがて、なんにも別に意味のない、はっきりし たひそめき笑いが、大変にやさしい異郷的な調子を帯びて聞こえ出す。そうしてそれから綺麗な漆 塗の煙草盆の縁へ鋭く早く打ちつける、パン! パン! パン! が始まる。酢漬にして匂いを入 れた果物が奇妙な形をした盆に載せられて、皆んなに順々に配られる。その次に卵を二つに割っ た位の大きさの、透明な磁器の碗が現われる。そうして人形の使いそうな急須にはいった砂糖ぬき の茶の数滴が婦人たちに出される。――またサキ(米から製した酒精で、温めて用いられ、鷺のよう な頸の長いしゃれた徳利にはいっている)の少量も出される。 ムスメたちが代る代るシャメセンの即興演奏をする。他のムスメたちが熱狂した蝉のように、引切り なしに跳ね上りながら鋭い高い調子で歌う。マダム・プリュヌは、長い間抑えつけて心を騒がしてい た情緒を、もはや包んで置くことが出来ないで、やさしい心遣いで私にかしずいている。そうして私 に沢山の優美な形見を受けて貰いたいと云う。肖像、小さい花瓶、サツマ焼の小さい月の女御、非 常に立派な象牙の人形などを。――私は震えながら彼女の後について薄暗い隅の部屋へ行く。彼 女はこの贈物を二人きりになって渡そうと思い私の手を引いてそこへ行く。…… 九時頃、衣ずれの音をさせて、ナガサキではやっている三人のゲエシャ、マドモアゼル・ピュルテ (清)、オランジュ(蜜柑)、及びプランタン(春)が来る。私が一人前四ピアストル(一ピアストルは約 二円)で雇ったゲエシャたちである。――これはこの国では法外の値段である。 この三人のゲエシャたちは、私の着いた雨の日に百花園の薄い襖を隔てて歌い声を聞いたあの 小さい娘たちである。しかしあの時分から見ると私も大分日本化しているから、彼女らは今日は余程 つまらなく、珍らしさもずっと減り、ちっとも神秘的などに見えはしない。私は彼女らをむしろ私の注 文に応じて傭われた踊り子として待遇する。そうして私がこの中の一人と結婚しようと考えていたこと を思うと、今となってはぞっとするようだ。――以前ムッシュ・カングルウが私のその考えにぞっとした ように。 ムスメたちの息づかいや燃えているランプのせいで起ったひどい熱気が、蓮の花の香を広がらせ て、重苦しくなった空気を一ぱいに満たす。そうして彼女らの髪毛を光らせるために、どっさり付けら れた椿の油の匂いもする。 小さくて可愛らしい子供ゲエシャのマドモアゼル・オランジュは、その唇の縁を金色に塗り、奇妙な 鬘をつけ、木や厚紙で出来た仮面をかぶって面白い足拍子を踏む。彼女は貴重な美術品で、有 名な美術家の署名のある上品な老女の仮面をかぶって、昔風に仕立てられた見ごとな長い衣裳を 着ける。その裾には厚いものが填(は)めてあって、衣裳の動きにつれて、何だか様子ぶった、しか し似合わしい動作を与えるようになっている。 生温い微風が縁側から縁側へ部屋の中を吹き抜けて、ランプの灯をはためかせる。人為的の熱 気で凋(しぼ)んで来た蓮の花がこの風に散って、どの花瓶からもばらばらに落ちて、その大きな淡 紅色の花片が、蛋白石の盞(さかずき)の砕片のように客人たちの上に飛び散る。…… お仕舞までとってあった聞きものは、長たらしい単調なシャメセンの三部合奏であって、これはゲ エシャたちが一番高い絲で、急速な爪弾きで鋭くそれを弾くのである。――その音色は、常住不断 に鳴いているあの虫の声、木からも、古い屋根からも、古い壁からも、あらゆる物から起って来て、 日本のすべての騒音の基調になっている、あの永久の虫の歌の精髄であるかと思われる。――も し云い得るならば、またその分解でもあり、またその拡大でもあるかと思われる。…… 十時半。番組が済んで、振舞も終りとなる。 最後にみんな一様にパン! パン! パン! それから小さい煙管は帯の間へ仕舞い込まれてあ る彫物をした筒に収められる。ムスメたちは立ち上って出かける。 赤、鼠、青の沢山な提灯の短い棒の先に灯がともされる。そうして限りのない挨拶がすむと、客人 たちは皆小径と植込の暗がりの中に消えてゆく。 私たちも、すなわちイヴとクリザンテエムとオユキと私と、この四人で私の義母、義妹たち及び若い 叔母のマダム・ネニュファル(睡蓮)を見送りに町まで降りて行く。 それから私たちは皆んなして、いつも行きつけの場所へ最後の散歩をして、茶屋のパピヨン・アン デスクリプティブルで氷菓子を今一度食べて、マダム・トレ・プロプルの店で提灯を今一度買って、 そうしてお時さんの店で別れのお菓子を食べようと思っている。 私はこの別れて行くことに成るたけ印象を深くし、成るだけ感懐を強くしようと努めて見たが、それ は駄目である。この日本には、この国に住んでいる小さな男女もそうであるが、確かにある本質的な ものが欠けている。通りすがりに楽しむことは出来る。けれどもここに愛着の心は起らない。 帰りはまたイヴや二人のムスメと一緒に、恐らくは再び見る事のあるまいと思われるジュウジェンジ の坂を今一度登っていると、取りとめのない憂鬱が、私の最後の散歩に沁みわたる。 けれども、それは、帰ることなしに終るすべての物に避けられない憂欝である。 その上、この静かなきらびやかな夏も、私たちに対して終りを告げようとしている。――明日から私 たちは北支那へ向って、秋の先駈をすることになるのである。そうして私はまだ私が望みをかけ得る 若い夏の数を数えて見る。私は夏が一つづつ消えて行き、あらゆる過去の物の埋まっている、暗い 底知れぬ淵の中へ姿をかくしている他の夏の間に飛び込んで行くのを見ると、そのたびに次第に 陰鬱になるような心持がする。…… 夜中に私たちは家へ帰って来る。そうして私の引越が始まる。その時、船中では、お話のように背 の高い友だちが親切にも私の代理に勤務を取ってくれる。 夜中の、大急ぎな、こっそりした引越し。――「ドロボウのようだ」とイヴは云う。ムスメたちとのつき あいで幾らか日本語の通人になったイヴは。 荷造屋諸君は私の頼みに応じて、夕方、仕切のした底のはずせる可愛らしい数個の小箱と、それ から数個の紙袋を送り届ける。この紙袋は(裂けない日本紙で出来て)ひとりでに締まって、同じ紙 で出来た旨い工合に取り付けた紐で結ばれるようになっている。この種類のものでは一等巧みに、 一等手頃に出来ている。実用的な小さな物にかけては、この国民に及ぶものはない。 内で荷造してるところは面白いものである。そうしてイヴ、クリザンテエム、マダム・プリュヌ、彼女の 娘、それからムッシュ・スウクルと、みんな総がかりで手を貸す。まだそのままにともっている振舞のラ ンプの光で、皆んなが包んだり、転がしたり、括(くく)ったりする。――遅いので大急ぎである。 オユキは重い心は持っているけれども、時々堪らなくなって無邪気な高笑いを交えて仕事をして いる。 涙に浸っているマダム・プリュヌは、もう感情を抑えることが出来なくなっている。気の毒な女、私は 実に残念なことに、…… クリザンテエムはぼんやりして、黙っている。…… それにしても大変な荷物ではある! 仏像や怪像や花瓶の数が箱や包で十八個――その外に なお淡紅色の束にして私の持って行く最後の蓮の花がある。 これが皆夕方傭っておいたジンたちの車に積まれる。車は門口に待っているといって、ジンたち は芝生の上に眠っていた。 星の輝く濃(こま)やかな夜。――私たちは、提灯をともして、三人の悲しそうな見送りの女を連れ て出かける。そうして暗がりでは危ない急な坂を、海の方へ下りて行く。…… ジンたちは彼らの筋張った脚を突っ張り、カー杯に支えている。もしほうって置いたら、この荷物を 載せた小さな車はひどい速力でひとりでに落ちて行くであろう。そうして私の最も貴重な骨董品もろ とも、宙に投げ出されてしまうだろう。クリザンテエムは私の傍に寄り添って歩きながら、あのうそのよ うに背の高い友だちが、朝まで夜通し私の代理をしてやろうと云い出さなかつたから、私がこの最 後の一夜を私たちの屋根の下で過されないのが残念であるということを、彼女の甘いやさしい素振 で私に話してきかせる。 ――ねえ、彼女は云う、明日の昼間、まだ船の出ない内に、今一度帰って来て頂戴。あたしにさ よならを云いにね。あたしは日が暮れてからお母さんの所へ帰るわ。行らして下さるなら、あたしま だあそこにいますわ。 で、私は彼女にそれを約束する。 入江がすっかり一目に見える曲り角まで来ると彼女らは立ち止まる。遠い無数の灯影を映してい る黒い眠った海、そうして船――私たちのところから見ると魚のような形をした、動かない小さいもの に見えて、それも矢張り眠っているような船、――この小さい物はどこへでも私たちを運んで行く。ど んな遠いところへでも、そうして忘れてしまうように。 三人の女たちは引き返えそうとしている。夜はもうよほど更けているし、それに下の波止場に近い 居留地の町々は、こんな時刻には安全でないから。 そこでイヴには――もう再び上陸する事のないイヴには、――彼の友だちのムスメたちに最後の 別れを告げるべき時が来たのである。 私はイヴとクリザンテエムとの間の別れに大変な好奇心をいだいている。私は耳をすまして聴き、 眼を見張って見つめている。――それは、最も簡単な最も静かな有様で済んでしまった。マダム・ プリュヌと私との間の避け難い胸苦しい思いなどは少しもない。私のムスメの心の中には、冷淡な、 無頓着な所があって、それが私を惑わせる。実際私はそれが何であるか、わからなくなった。 そうして私は海の方へと下りて行きながら独りで考えつづける。「彼女の悲しそうなあの様子は、で はイヴのためでもなかったのだ。……じゃ誰のためなのだろう? ……」それからあの小さい言葉が 私の頭の中をまた過ぎ去る。 「明日船の出ない内、あたしにさよならを云いに帰って頂戴。あたしは日が暮れてからお母さんの 所へは帰るわ。行らして下さるなら、あたしまだあそこにいますわ。……」 今夜は日本が実に愉快である。実に新鮮で気持がよい。そうしてあのクリザンテエムまでが実に 可愛らしかった。さっき私と並んであの坂道を黙って歩いていた時は。…… 私たちが貸サンパンに沈みそうなまで箱を積み込んで、ラ・トリオンファントヘ帰り着いたのは二時 頃である。非常に背の高い友だちは勤務を私に譲る。私は、それを四時までつづけねばならぬ。そ うして当番の水兵たちは、半分眠りながら、暗闇の中で一列に順送りに手渡して、私の壊れ易い荷 物を全部甲板に上げてしまう。…… 五十二 九月十八日 私は昨夜の寝不足の埋め合せに今朝は遅くまで眠るつもりであった。 ところが八時頃になると、奇妙な顔付をした三人の男どもがムッシュ・カングルウの案内で私の船 室の戸口に現われて、のべつに辞儀ばかりしている。彼らは黒い模様のついた長い着物を着て、 大きな髪と高い額と、美術に熟し過ぎた人の貧血症の顔をしている。そうして彼らの髷(まげ)の上 には、いやに気取った恰好で、横ちょに冠ったイギリス形の鍔広帽(つばひろぼう)がのっかってい る。彼らは下絵の一ぱい入った紙挾を小脇にかかえて、手には絵の具箱に絵筆、それから細い針 の、先の鋭く光ったのを束ねて持っている。 私はまだ目を覚ましたばかりで、目がちかちかしていたが、それでも一目でこの人たちの様子を 見てとり、どう云う用向で来た人たちであるか、直ぐにわかった。 おはいんなさい、文身屋(ほりものや)さん! 私は云う。 これはナガサキで最も有名な専門の人たちである。私は出発することになろうとは知らないで、二 日前から頼んで置いたのであった。そうして、彼らが来た上は、逢ってやろうと私は思う。 大洋州やその他の場所で、原始的な人間と交際した結果、私は文身に対する嘆かわしい趣味を 持つようになった。私はまた比類のない針先の巧みを持った日本の文身師の仕事の見本として、 珍物として、骨董品として、私の身につけて持ち帰ろうと思っていた。 私の机の上に並べられた彼らのアルバムの中から、私は自分の好きな分を選り出す。その中には 人間の身体のいろんな部分部分に応じて、面白い図案が幾つもある。腕や足に彫る寓意画、眉に 彫る薔薇の枝、背中に彫る大きなしかめ面、それからまた、――外国軍艦の水兵のお客の趣味を 満足させるために、――武器の戦利品、アメリカの国旗とフランスの国旗を組み合せたもの。星の 輪の中に囲まれたイギリス国歌、――それからル・ジュルナル・アミュザン(フランスの通俗雑誌)の 中で評判のグレヴァン(近代フランスの図案家)のスケッチから取った女の絵! 私は青い噴火獣(獅子)と長さ二寸ばかりの非常に珍らしい淡紅色の薔薇(牡丹?)を選ぶ。この 薔薇を私の胸の上に心臓と向い合せに剌(い)れさせたら見ごとであろう。 痛みと苦しさの一時間半。私は寝台の上に寝ころんで、この人たちの手に打ち任せ、彼らの極微 な針痕の幾千のために身体がこわばっている。もしかして少しでも血が滲み、一筋の赤色でその絵 がよごれると、その中の一人が急いで唇でその血をとめる。――そうしてこれが日本流であって、医 者が人間や動物の傷口を塞ぐ時に用いる方法だと知ったから、私は云うなりになった。 彫刻家が石に細工をした製作品のように、精巧な緻密な細工が私の身体の上に徐々に施される。 彼らの痩せた手が、気どった自働的な手振で私を彫り悩まして行く。 とうとうすんだ。――そうして文身師たちは、満足げな様子でもっとよく見るために後退りして、これ は美しくなるでしょうという。 大急ぎで私は上陸するために服をつける。――日本における私の最後の時間をよく利用するた めに。 今日は恐ろしい暑さである。九月の真昼の太陽が黄色くなりかけた木の葉の上に物憂げに照らし ていて、もう朝間は涼しくなって来た。その後のあかあかと焼きつけるような真昼である。 昨日のように、正午の凌(しの)ぎ難い時刻に、私は光線と沈默のみに満たされた人気のない淋し い小径を、私の高い郊外へと登って行く。 私は音のしないように私の住家の戸をあける。私はマダム・プリュヌが怖いので、この上もなく用心 深く爪立ててはいって行く。 梯子段の下の白い畳の上に、いつもこの玄関に脱ぎ捨ててある小さい下駄と小さい草履の傍に、 出かけるように用意した荷物のすっかりまとまっているのが、一目でそれとわかる。いつも見馴れた 黒っぽいきれいな着物が丁寧に畳まれて、四隅を結ばれた浅葱の風呂敷に包まれてある。――私 はこれらの包みの一つから覗き出している手紙や形見を入れた箱の片隅を見つけた時、取りとめも ない悲しさの印象を感ずるような思いがした。――その中には上野で撮った私の写真が、今はムス メたちの様々な顔と一緒に入っている。――これも出かけるように用意した、長い棹の付いたマンド リーヌの一種(三味線)が紋絹の袋にはいって荷造りの山の上に置かれてある。――それがなんだ かあるジプシーの引越しのようだ――と云うよりもむしろ、それは私が子供の頃持っていた、あるお 伽噺の本の中の一つの絵を私に思い出させる。それは夏じゅう鳴き暮らしていた「蝉」がお隣りの 「蟻」を訪ねて行く時に、その背中に背負っていたのと全く同じような荷物と長いギターである。 可哀そうな小さな荷物! …… 私は爪立てて梯子段を上って行く。――そうして私は上の部屋でうたっている声を聞いて立ち止 まる。 それはまさしくクリザンテエムの声である。しかも快活な唄である! 私は面喰って、ぞっとして、わ ざわざ骨折って来た事を後悔するような気になる。 その唄と一緒になって、ジンン! ジンン! と、私にはわけのわからない物音が聞こえて来る。ち ょうど床に銀貨をひどく投げつけているような、非常に澄み渡った銀の響である。私はこの震動性の 家が、昼間の沈默の間も、夜の沈默の間と同じようにいつも音響を誇大にする事をよく知っている。 しかしそれはどうでもよい。私は私のムスメが何をしているのだか、それを知りたいと思って考え込む。 ジンン! ジンン! 彼女は輪投げをしているのだろうか、それとも蛙遊びをしているのだろうか、― ―それともピル・ウ・ファス(投げたコインの表の出た分を取る遊び)でもしているのだろうか? そんなものじゃない! 私には当がついたような気がする。――それで私は一層静かに、四つん 這いになって、赤人(アメリカインディアン)のような用心をもって上って行く。彼女を驚かす最後の 楽しみを得たいと思って。 彼女は私のはいって来たのを聞きつけなかった。全くのがらんどうになって、きれいに片づいてい た私たちの大きな部屋の中には、あかるい日光がさし込んで、生温い風と、それから黄色くなった 庭の木の葉が吹き込んでいる。彼女は背中を人目の方へ向けてひとりで坐っている。彼女は母の 家へ帰るように、外出の着物を着て、桃色の日傘を傍に置いてある。 あたりには、白い美しい銀貨が一ぱい散らかっている。私が約束通り昨日の夕方、彼女に与えた ものである。彼女は老練な両替屋のような技量と器用をもってそれを指先でつまんでみたり、裏返し てみたり、床になげてみたり、特別に小さい鉄槌を用意して、耳もとで強く鳴らしてみたりする。―― そうしながらも何かしら鳥のロマンスみたいな物淋しい唄を一心にうたっている。疑いもなくそれは 彼女が即興にこさえてうたっているのであろう。…… 実に、私の結婚生活の最後のこの光景は、想像以上に日本的である! 私は笑いたいような心 持になる。……昨夜彼女が私と並んで歩きながら二言三言の小ざかしいことを云ったその言葉に、 うまうまと囚虜(とりこ)になっていようとは、私も何という初心だったろう。――午前二時の沈默と夜の あらゆる幻惑に飾り立てられた、あのやさしいちょっとした言葉に迷わされたのである。ああ私のた めよりイヴのためというでもなく、イヴのためより私のためというでもない。何物も決してこの小さい頭 の中をこの小さい心の中を通過するものはないのである。 私は彼女の様子を十分に眺めていた上で、彼女に呼びかける。 ――おい! クリザンテエム! 彼女はまごつき、振り返る。この仕事を見つけられたので耳の根もとまで赤くなって。 けれども、彼女がそんなに面喰うというのは間違っている。――なぜというに、私は反対に大変喜 んでいるのである。彼女を悲しませねばならぬかも知れぬという心配は、私を少し苦しめなければ ならぬものであった。私は、この結婚が始まった時のように、愉快に終りを告げる方が幾ら望ましい か知れない。 ――お前さんのやってた事はいい思いつきだ。私は云う。お前さんの国では贋造貨幣をよくこさ えるような、狡い人間が沢山あるのだから、いつも用心していなければならない。早く私の居るうち にやってしまうがいい。もしその中から贋が出たら、私は喜んで取りかえてあげよう。 けれども、彼女は私の前でそんな事をつづけてするのはいやだと云う。私もそう云うだろうと思って いた。そんなことを続けてするには、彼女は余りに多くの遺伝的な修得した上品な点を持っており、 程よさを持っており、また日本的なものを持っている。彼女は横柄な小さい足で――拇指のために 特別の鞘(さや)のついた真白い足袋をいつも穿いている小さい足で――銀貨の堆積を畳のずつ とあちらまで押しやる。 ――あたしたちは、屋形付の大きな艀舟を傭って置きましたのよ。話を転ずるため、彼女は云う。 そしてあたしたちはみんなして、カンパニュル(つりがね草)も、ジョンキユ(水仙)も、トウキさんも、あ んた方の奥さんがみんなして、船の出るのを見送りにまいりますのよ。……あなた、お坐んなさいな。 そして後生だからちょっとの間休んでいらっしゃいな。 ――休んで行く、私は実際そうしちゃいられない。私はこれから町で色々用を達して行かなけりゃ ならないのだ。そうして私たちは出帆の全員点呼を受けるために三時までには船へ帰るように命令 が出ているのだ。その上、お前さんにもわかるだろうが、私はマダム・プリュヌの昼寝の間に、脱け出 したいのだからね。私は別れ際になって隅っこへ引っ張って行かれたり、何か心苦しい場面を引き 起したりすることを怖れているのだ。…… クリザンテエムは首をうなだれて、それっきり默ってしまった。そうして私がどうしても行きそうなのを 見ると、彼女は私を見送るために立ち上る。 話もしなければ音も立てずに、彼女は私の後について梯子段を降り、日ざしを一ぱいに浴びてい る小庭を横ぎる。そこには背の低い潅木や曲りくねった植木が家の他の部分と同様に、暑い睡気 の中に浸っている。 出口の門のところで、私は最後のさよならを云おうと思って立ち止まる。クリザンテエムの顔には、 これまでなかったほどの高調した悲痛の小さい渋面が現われている。それは当り前なことである。そ れは正しいことである。そうしてもしそんなことが無かったら、私は腹立たしく感じたであろう。 さあ、小さいムスメ、私たちは仲よく別れよう。お前が望みとあらば、私たちは接吻もしよう。私は私 を楽しませるためにお前を手に入れたのだ。お前はそれに対しては大変よく成功したとは云えない。 しかしお前はお前の呉れられるだけのものは呉れた。お前の小さい身体も、お前のお辞儀も、お前 の小さい音楽も。要するに、お前は日本のお前の種類の中では、たしかに可愛いいものであった。 そうして、私が、いつかもしも、この美しい夏、このきれいな庭、この蝉の合奏、こんなものを思い出 す時に、時折はそれから関連してお前の事をも思い出すことがあるだろうか。それが誰にわかるも のか。…… 彼女は門の敷居にひれ伏して、額を地べたにつける。そうして私の影が、永久に去ってしまう坂 道の上に見えている間、彼女はこの丁寧なお辞儀をした姿勢のままでじっとしている。 遠く行ってから、私は一、二度振り返って彼女を眺める。――しかしそれは単に礼儀からである。 彼女の最後の美しい魂に適(かな)うように答えたのである。…… 五十三 私が町にはいって、大通の曲り角まで来ると、運よくも私の貧乏な親類の四一五号に出逢う。ちょ うどその時私には足の早いジンの必要があった。で私はすぐ彼の車に乗る。私が去ろうとしている 間際に、この最後の駈けりを私の身内の者と一緒にこうしてするのも、私の心にはせめてもの慰めと なるであろう。 昼寝のこの時刻に外を駈けまわる習慣がなかったので、私はこの町の市街がこんなに日光に威 圧され、また熱帯地方を思わせるようなこの沈默と寂しい輝かしさの中に取り残されているのを、今 まで見たことがなかった。どこの店の前にも黒い模様をそこここに付けた白い日覆が下っている。こ の模様の奇妙な中には、何物とも知らず神秘的なものが潜んでいる。龍の絵があったり、寓意画が あったり、象徴的な形があったりして。空は余りに輝いている。日光は荒くかつ酷烈である。そうして このナガサキは、その外面が新しい紙で出来ていたり、ペンキ塗になっているにかかわらず、このよ うに古く、このように蝕(むし)ばみ、このように朽ち果てて見えようとは、私には思えなかった。これら の小さい木造の家は、内側は実に白い清潔さを持っているが、外側はくすぶって、朽廃して、ばら ばらになって、しかめつらである。――よく気をつけて見るとこのしかめ面は到るところにある。沢山 な骨董屋の店先に笑っている怖ろしい仮面にも、怪像にも、玩具にも、偶像にもある。この残忍な、 やぶにらみな、狂暴なしかめ面は。――このしかめ面は建物の中にもある。寺の楼門の腰帯にも。 幾千の塔の屋根にもある。屋根の角々や破風までも、古い兇暴な獣がそのままの物凄さで生き残 っているかなんぞのように、顔をしかめている。 そうして何物にも付きまとっている面相のこの物凄い緊張は、本当の人間の顔の殆んど絶対に無 表情なのと、よい対照をなしている。通りがかりに見える彼らの開け放した小さい家の薄明りの中で、 辛抱強く細々(こまごま)しい仕事をしているこの小さい人たちの、にこにこしたお人好しと、よい対 照をしている。――日本をまだ見た事のないヨーロッパの好事家たちに非常に評判される、あのお どけたあるいは気持のわるくなるほど猥(みだ)らな象牙細工や、あの驚くほど不思議な陳列物など を、小さな道具で、うずくまって彫っている職工たちと。――幾世紀間の遺伝で彼らの頭の中に暗 記、あるいは語りつぎによって覚えている図案を、漆器の地や陶器の地へ達者に描いている無意 識な画工たちと。ムッシュ・スウクルの描くような鶴を描いたり、いつもおきまりの岩を描いたり、幾つ 描いても変りのない小さい蝶々をかいたりする自動機械のような画工たちと。……ただ極めて少数 の彩色工の、目のないつまらない顔をした人たちだけが、軽い気の利いた不釣合な装飾術の奥義 を、その指の先で心得ている。それは私たちのこの頽廃的模倣時代のフランスに侵入する傾向を 持っており、またすでに私たちの安価な美術品の製作者の大きな根源となっている。 それは、私が今やこの国を去ろうとしているためであろうか、私がもうこの国との縁が切れて、もう 住み場所もなく、そうして私の心は、すでに遠く他所へ行っているためであろうか、――私にはわか らない。けれども私は今日ほどはっきりとこの国を見た事は決してなかったように思われる。そうして、 私には、この国がいつもよりも小さく、老いぼれて、血の気のない、気力の抜けたものに見える。私 はこの国の太古時代についても、幾世紀の木乃伊化していた事についても、十分に認めている。 ――それもやがて西洋の新しさと接触してグロテスクとなり、憐れな諧謔となって終りを告げようとし ているのである。 時間はたって行く。到るところでだんだんと遊宴の時間がお仕舞になりかけている。怪しげな小さ い通りは日光に照らされて色様々の日傘で賑かに彩られ、一ぱいになっている。云いようもないほ ど醜いものの行列が始まり出す。山高帽や中折帽をかぶって、長い着物を着た怪像たちの行列が 始まり出す。商売の取引がまた始まる。それから生存競争がまた始まる。それがこの国では私たち の国の労働者の町々におけると同じように激しく、――しかも、もっと下等である。 出発の間際になって、私は、このよく働く、勤勉な、金儲けに目のない、立憲的の気取と遺伝的の 愚劣と鼻持ちのならない猿らしさとに汚されている、この礼に厚い小さい国民の蠢(うごめ)きの群を 見て、私は心竊(ひそ)かに軽い侮蔑の微笑を見出し得るのみである。…… 可哀そうな従弟の四一五号、私が彼を尊重するのは当然なことであった。彼は私の日本の家族 の中で最良の人間であり、また最もさっぱりしたものであった。私たちの疾走が終った時、彼は彼の 小さい車を木の下に置き、私の出発に大そう心を動かされて、私を運んで行くサンパンの中で私の 最後の買物の面倒を見て、それからラ・トリオンファントまで私を見送って、それを皆んな自分で私 の船室へ運びたいと云い出す。 私が日本を去るに臨んで、無理な微笑を造るでもなく、真心から私と握手する唯だ一つの手、そ れは実に彼の手である。 もちろん、この国においても、他の多くの国においてと同じように、労働に従事している単純な人 間のうちには、これよりも忠実で、もっと醜くないものもある。 夕方五時、出帆。 二、三艘のサンパンが海岸に沿って浮かんでいる。挾い胴の間に、ムスメたちが一ぱいに詰まっ ている。そうして彼女らの顔は水兵らを避けて扉の後に少し隠されながら、皆んな小さい窓からのぞ いて私たちを眺めている。これが礼儀上から、今一度私たちを見に来た妻たちである。 他にもサンパンは幾艘か来ている。その中でも見知らぬ日本の女たちが私たちの出発を見物して いる。この女たちは真っ直に立っている。――黒い大きな字で飾られた、あざやかな雲の彩りをした 日傘をさして。 五十四 私たちは徐々に青い大きな湾を出て行く。女たちの群は見えなくなる。折目のたくさん付いた円 い傘の国は、次第次第に私たちの後の方へ消えて行く。 すると海が開けて来る。広々した、色のない、空虚の海が。余りに小器用な、余りに小さい事物を 置き去りにして。 樹の茂った山々や美しい岬などが遠退いて行く。――そうしてこの日本は絵のような岩と奇妙な 島で終る。その島の上には木が群がり並んでいる。――少しこさえものじみているが、しかし全くき れいではある。…… 五十五 ある夕方、広い海の上で、黄海の真ん中で、私は私の船室で、ふとジュウジェンジから持って来た 蓮の花に気がついた。その蓮の花は二、三日はもっていたのであるが、今ではもう凋(しぼ)んで、 傷ましくも、その淡紅色の花弁を絨毯の上に撒き散らしている。 私はこれまで世界のいろんな場所で、別れ際にそこここで拾い集めた、凋んで落ちた滅茶滅茶に なった花をたくさん保存している。私はその蒐集がおかしなでたらめなものではあるが、殆んど植物 標本集になっている位たくさん保存している。――私はどうかしてこの蓮の花に対しても心を動かし て見ようと努めたが、それは駄目である。しかもこれはナガサキにおける私の夏の最後の生きた記 念物であるにもかかわららず。 さすがに幾らか心を傷ましめて、私はその花を手にとる。そうして私の舷門を開く。 鉛色の光が霧の深い空から水の上へ落ちている。鈍い沈んだ一種のタ映が下りて、この黄海の 上を黄色く染めている。――私たちは北の方へ走っているような感じがする。そうして秋が近づきつ つあるような感じがする。…… 私はこの可哀そうな蓮の花を、果てもない水の広がりの中へ投げ込む。――日本に生れたこれら の花に、このような悲しいこのような大きな墓を与えてやることを何よりの私の言いわけにして。…… 五十六 おお、アマ・テラス・オオミ・カミ、私をこの小さい結婚からきれいに洗い清めて下さい、カモの川水 で。…… (明治二十年)(野上豊一郎訳) このページの top に戻る 表紙に戻る
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