Pilotが作る隔月誌 2011 No.4 JUL JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION ISSN 0389-5254 『日本航空機操縦士協会のめざすもの』 1.私達の活動の目的は、定款に定められた通り「航空技術の向上を図り、航空の安全確保 につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究を行い、もって我が国航空の健全な発展を促 進する」ことです。 2.私達は、定款の目的を踏まえ、将来のあるべき姿として「安全で誰からも信頼され、愛 される航空を実現する」というビジョンを描いています。 3.私達は、目的・ビジョンを達成するために下記を基本的指針に掲げて活動して行きます。 ⑴ 航空の安全文化を構築する。 (組織と個人が安全を最優先する気風や習慣を育て、社 会全体で安全意識を高めて行くこと) ⑵ 地球環境と航空の発展との調和を図る。 ⑶ 航空に携わるものどうしが心を通わせ共存共栄を図る。 第47期重点施策 日本航空機操縦士協会は、継続して航空の安全に資する役割を果たすと共に、今年度 は次の二点を重点目標として取り組みます。 1.公益社団法人の認定を取得し、円滑に新体制に移行すること 2.健全な財務体質を確立すること まず、公益法人化については、公益申請に関する課題について問題を一つずつクリア し、着々と申請の準備を重ねて来ています。今後、明確なスケジュールに従い、詰めの 作業を行なって本年度中の申請、認定を目指すこととし、円滑に公益法人への移行を実 施いたします。 次に、健全な財務体質の確立についてです。公益法人化のために、過去数年に亘って 取り組んで来た内部留保の適正化を達成した今、取り組むべきことは、今後協会が永続 的に発展していくための裏付けとなる、健全な財務体質を確立する事です。そのため、 引き続き抜本的な収支の改善に取り組んで行きます。 操縦士協会は会員を募集しています。 JAPA は公益法人として国土交通大臣の認可を受けた日本唯一の操縦士団体です。 目的 本協会は、航空技術の向上を図り、航空の安全確保につとめ航空知識の普及と諸般の調査研究 を行い、もってわが国航空の健全な発展を促進することを目的としています。 協会の会員は、下記のように分かれます。 正 会 員;協会の目的に賛同して入会された方で、原則として操縦士技能証明をお持ちの方です。 賛助会員;協会の事業を賛助するため入会した個人または法人です。個人賛助会員は、満16歳以上 の操縦士技能証明を持たない方で、法人賛助会員の資格は、特に定めはありません。 正会員の会費;月 額 1,500円:協会運営費 個人賛助会員;月 額 1,500円:協会運営費 法人賛助会員:一口年額 50,000円:協会運営費 入会すると? ①協会機関誌(AIM・PILOT 誌など)の無償入手 ②航空関連商品(書籍等)の割引購入 ③会員向け、空港施設見学や講習会への参加 ④協会契約割引施設の利用 お申し込みは別途「入会申込書」をお送り致しますので、事務局までご連絡下さい。 皆様のご入会をお待ち致しております! 社団法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOSIATION TEL03-3501-0433 FAX03-3501-0435 E-Mail japa@japa.or.jp Home page URL http://www.japa.or.jp/ ●航空会館 りそな銀行 ●JTB ● 日石三菱● 歩道橋 至銀座 NTTドコモ ■汽車 ● みずほ銀行 JR 新橋 駅 ●八洲電気 ●森ビル カフェ・ ベローチェ ● 烏森通り ニュー新橋ビル 赤レンガ通り 三菱東京UFJ銀行● 日本酸素● 小里会館 西高楼飯店 20 外堀通り ● ●三井住友 そばや● ● 日本航空機操縦士協会事務所 入口はこちら側にあります 西新橋1・2丁目交差点 内幸町駅 至虎ノ門 至東京 烏森口 至品川 CONTENTS No.327 2011 No.4 JUL 4 6 11 19 24 第47期活動体制のスタートにあたって 会長 大内 学 特集:Boeing787 初来日 WELCOME TO JAPAN 峯 匡太朗 特別寄稿 タイム・イズ・マネー 金井 大悟 寄稿 あるパイロットのつぶやき 神谷 國夫 緊急報告 津波の怖さ、空からつぶさに 3月11日の事 高橋 潤 須田 忍 ある米系航空会社パイロットの地震体験 山 康博 34 45 51 役立つ! 運航・技術講座 1回完結のフリーサイト 投稿ブログ Basic Control は意識的な Trend Control である 蔵岡 賢治 航空機の騒音低減テクノロジー 柴田 眞 痛し痒しのタンデム・ローター・ヘリコプタ その1 お助けマン SAS 湧井カレン Aviation Café あっち向いてホイッ!のアクロバット 駆出しパイロット 空の記録への挑戦 ロートルパイロット 3本目が最高 !! 湧井カレン 安全の分水領 59 62 68 70 72 73 74 河口湖自動車博物館 飛行館 零戦の栄エンジンの調整が出来る人を探しています 奥貫 博 GA:ジェネアビ情報 自家用操縦士の技量維持 奥貫 博 新地球環境問題関連用語の解説(原子力関連) 放射線の種類およびベクレルとシーベルト 運航技術委員会 第2回 全日本曲技飛行競技会 「誌上ジャッジスクール⑷」 FAI ニュース 髙木 雄一 奥貫 博 オススメ情報ボックス 書籍& Goods 紹介 開催予告 コウノトリ但馬空港フェスティバル ʼ11 第2回 全日本曲技飛行競技会 開催案内(予定) 76 JAPA 通信 80 平成23年度 航空安全セミナー 81 コミュニケーションスキルセミナー 82 JAPA で飛行訓練を! 83 PILOT 誌に貴方の記事を! 84 JAPA 出張講座開設! 86 JAPA Aerial Photo Exhibition 88 編集後記 アクシデント・インシデント概要 社団 法人 日本航空機操縦士協会 JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION 第47期活動体制のスタートにあたって 社団法人 日本航空機操縦士協会会長 大 内 学 去る5月30日、第46回の通常総会を東京、新 橋の航空会館で開催致しました。今年は、大震 私達の活動の目的は、言うまでもありません が、定款にあるように“航空技術の向上を図り、 災や財務状況等々、諸般の状況を勘案して総会 の場所を羽田から新橋に変更すると共に、その 後の懇親会も中止させて頂きました。会員の皆 様方には、色々ご不便等をお掛けする事となり ましたが、皆様方のご理解ご協力によりお陰様 で無事終了する事が出来ました。改めまして、 この場をお借りして感謝申し上げます。有難う ございました。 総会の冒頭、今回の大震災で犠牲になられた 方々、そして被災された皆様にお悔やみとお見 舞いを申し上げました。震災当初から救急や復 旧等の色々な活動に当たってこられた会員の 方々を始め、災害救難活動に当たられた皆様に 敬意と感謝を申し上げさせて頂くと共に、協会 としての支援策等について報告させて頂きまし た。 そして議事においては、①平成22年度事業報 告及び決算報告、②平成23年度事業計画及び予 航空の安全確保につとめ航空知識の普及と諸般 の調査研究を行い、もって我が国航空の健全な 発展を促進する”ことであり、この目的は新公 益法人になっても何ら変るものではありません。 そして、この目的を達成するためには、引き続 き航空の安全文化の普及と啓発等の五つの事業 はもとより、夫々の委員会や支部活動、各種シ ンポジウム等、日頃の活動をより活性化し、確 実に実施していく事が重要となります。又 当 協会は日本で唯一のパイロットを代表する団体 として、会員の皆様方の声を結集して航空安全 に対する提言を続けていく使命を負っています。 協会はそれらを実現するために、会員の皆様の 積極的で自発的な活動を大いに期待すると共に、 出来る限りサポートしていきたいと考えていま す。そして、それらの活動を実施していくに当 たっては、協会の財務的基盤を安定的に維持し ていく事が求めらますので、そのため今年度は、 次の二点を重点目標として取り組むこととして 算案、③会員資格の変更及び新設、④役員の一 部交代、⑤公益社団法人認定取得に向けた定款 おります。 ① 公益社団法人の認定を取得し、円滑に新体 変更案の五つの議案について活発な議論の後、 承認され、47期の活動がスタートしました。役 員体制に付きましては、今回は非改選期のため 一名の理事のみの交代となりました。他の理事、 制に移行すること ② 健全な財務体質を確立すること 先ず、公益社団法人の認定取得についてです が、平成18年度に協会制度検討会を立ち上げて 監事の皆さんの担当には大きな変更も無く、前 期に引き続き活動する事となりましたので、皆 準備を開始して以来、多くの時間をかけ又議論 を重ねて、財務面ならびに公益事業比率の検討、 様方のご支援、ご協力をよろしくお願い申し上 げます。 新定款案の作成等と、着々と準備を重ねて来て いるのは、皆様ご存知の通りです。 4 2011 JUL 平成23年に入り、主務官庁から“公益法人化 問題への対応を急ぐように”との新しい方針が 今後、当局や諸団体との調整を行い、適切に対 応していきたいと考えています。又、スカイレ 出されました。これを受け、航空関連の各法人 も準備を加速しつつあるようです。当協会も、 詰めの作業を急ぎ、本年度中の申請、認可取得 ジャージャパンの開催に関する問題等、他の諸々 の課題に対しても活発な協会活動を展開し、愛 される航空を実現するというビジョンを目指し を目指す事とし、新年度となる来年の4月には、 新公益社団法人へ円滑に移行し、皆様から更に 信頼される協会として、装いも新たに再出発し て努力していきたいと考えていますので、共に 手を携えて頑張っていきましょう。 たいと考えています。 私は昨年就任時の挨拶で、 「顔合わせ、心合わ せ、力合わせ」という言葉を申し上げ、困難な 状況を乗り越えるために一番大事な事は皆が心 次に、健全な財務体質の確立についてですが、 平成23年度は、公益社団法人の取得に備えて、 更に協会の収支を見直し、抜本的な改善に取り 組む事と致しております。具体的には、都度申 し上げておりここでは省略させて頂きますが、 費用の削減や出版物の値上げ等の施策について は、委員会、支部の皆様そして一般会員の皆様 を始め、航空に関係している多くの方々の痛み を伴うものが殆どです。心苦しい限りですが 何 卒、上記の状況をご理解いただき、ご協力をお 願いする次第です。 他の重要なテーマの一つに航空法の一部改正 があります。ここ数年来の懸案であった航空法 の改正案が5月中旬に国会を通り、3年以内に 施行される運びとなりました。この法改正には、 「操縦者に対する特定操縦技能の審査制度」の創 設が含まれており、当協会もその運用において 大きく関わって行くことになると思われます。 を一つにして頑張る事だと申し上げさせて頂き、 常にその事を考えながら、努力して参りました。 しかし、皆で心を一つにする事は、大変難しい 事であり当然ながら一朝一夕で出来る事ではあ りません。我々の場合も、まだまだ道半ばであ ると、感じていますし、今後もお互いのコミュ ニケーションを深めながら、努力を重ねて行か ねばならないと思っています。 今、日本は、大震災に加えて原発等の問題も あり、大変困難な状況にあります。航空界もリー マンショックからの回復に微かな兆しが見えて きた時期に大震災という二重の大きな衝撃を受 けて先行き不透明となって来ていますし、今後 も厳しい状況が続くものと思われます。会員の 皆様には、痛みを伴う厳しい問題も多々あろう かと思いますが、状況をご理解頂き、今後とも 協会の運営にご協力頂ければ幸いです。 2011 JUL 5 特集:Boeing787 初来日 WELCOME TO JAPAN 航空大学校54回生Ⅳ期卒 峯 匡太朗 協力:編集委員 有野 達也 奥貫 博 朝陽と共に 2011年7月3日早朝、ボーイング787が日本に やってくる。待ちわびた分だけ期待が高まる。 大鳥居駅から羽田空港まで徒歩約1時間。多摩 川沿いを歩き、明るくなっていく空を見て、コ ンディションに問題はない、後は到着を待つだ けだ。 ANA メンテナンスセンターに着いた頃には 多くの人達が革新的な次世代機 B787の到着を待 ちわびていた。空港の周りでは更に多くの人達 が心待ちにしていたと思う。 格納庫で機体が到着するのを待つ間、鼓動が 高鳴り、手に汗を握った。格納庫には B747-400 と A320がいた。ちょうど B747の正面に B787が 到着する。次世代へのバトンタッチの瞬間のよ 生まれたてのこの機体は、これからの空を支 えていく。(負けていられない) 駐機後 ANA の石井正之機長、塚本真己機長 及びボーイングパイロットのマイク・キャリ カー、ヘザー・ロス、テッド・グレイディそし てボーイングスタッフの方々が姿を現した。我々 や ANA のスタッフに手を振り、悠々と、そし て誇らしげだった。 「WELCOME TO JAPAN」と書かれた横断幕 を見て、少しほっとした気分になると同時に、 航空業界に大きな改革をもたらす歴史的瞬間に 立ち会うことが出来た事に感謝した。 うだ。 6時20分過ぎ、羽田空港の34R に着陸したと の情報が入ったときは、歓声が上がった。本当 にやってきたのだと実感した。 それから約15分後、エンジン音と共に機体が 現れた時は、一目惚れの感覚だった。ボディは 白く輝き、操縦席の風防は他の機体より大きい。 主翼は綺麗な曲線を描いて伸び、エンジンカウ ルは個性的。 放水のアーチをくぐり、虹を飾りながらやっ てきた、水も滴るいい機体。日本の技術が至る 所に組込まれ、他の機体とは違う独特な個性を 持ち、皆の期待を一身に背負うその姿は、朝陽 を受けて、まばゆく輝いていた。 6 2011 JUL WELCOME TO JAPAN B787初来日当日の早朝、峯は ANA メンテナ ンスセンターで到着を待ち、編集委員の有野は 着陸の瞬間を捉えるべく、34R 滑走路スレッシュ ホールドが真ん前に見えるハンガーの上で、カ メラを構えて待機していた。 羽田空港の RWY34R に進入する B787 ANA メンテナンスセンターへのタクシー スレッシュホールドを通過 放水のアーチをくぐる 日本の技術力 歴史的なタッチダウンの瞬間 非常に個性的な B787は、ANA がその開発段階 から携わった機体である。また、日本の最先端の 航空機設計製造技術が至る所に使われている。 主翼は三菱重工業、前部胴体、主脚格納室、 主翼固定後縁は川崎重工業、中央翼は富士重工 業、機体構造の基本素材は東レの CFRP(Carbon Fiber Reinforced Plastic)等、機体構造の重要 部品は日本企業が担当。その他タイヤはブリジ ストン、操縦室内装、ラバトリー及びギャレー 等はジャムコ、機内サービスシステムの電子部 品をパナソニック等、日本企業の担当比率は全 体35%と過去最大である。 ボーイング社によれば、 「日本の技術協力が無 ければ B787の誕生も無かった」とのこと。日本 ブレーキング の空を知り尽くした ANA の発想と、それを形 にした日本の技術力が、この最新鋭機に結集さ れているのである。 2011 JUL 7 今回の来日 今回の来日は、ANA とボーイングが B787型 機就航準備として進めている国内検証プログラ ム(SROV: Service Ready Operational Validation)実施のためのものであり、これは、この 秋の国内での就航に向けて、開発が最終段階に B787の開発に参加した日本企業各社の要人 日本の航空機設計製造技術を世界に知らしめ たこの機体の狙いは、大型化ではなくコンパク ト化及び卓越した経済性と性能の実現である。 その特徴としては、200人~300人乗りの中型 機ながら航続距離が長く、カーボン新素材によ る、軽量化・高耐久性の実現、静音仕様エンジ ン、航空機システムの電子化の追求など多々挙 げられるが、最大の魅力は高効率・低燃費を実 現し従来機と比較して燃料効率を約20%向上さ せたことである。 シアトルから羽田まで飛行時間は9時間10分、 出発前の燃料計算の段階で ANA の塚本機長は 必要な燃料の少なさに驚いたと語っていた。米 国東海岸のニューヨークやボストンまで給油な しで飛行できるという実力が改めて認識された。 経済性と効率性を要求する時代に応える理想 の機体は今後どのような活躍を見せるのか、非 常に楽しみである。 また、乗客の快適性の面においては、以下の 特徴が実現している。 ・キャビン幅は B767より75㎝もワイド 至ったことを示すものである。 この間に乗り越えてきた試練は数知れず、2008 年5月に完成予定といわれたものの7回の延期 を経て、2011年7月3日にようやく日本に辿り 着いた。 B787のニュースが耳に入るたびに、いつ完成 するのかと心配になっていた。しかし無事に完 成させることができ、我々の目前にやってきた。 やはり革新的なものを作り出すには時間がかか るものである。諦めずに苦難を乗り越えて頑張っ て作り上げた多くの方々に本当に敬意を表した いと思う。 7月4日のお披露目の際、ANA の伊東信一郎 社長が「待てば海路の日和あり、本当にいい機 体が出来上がりました」と語った事が印象的だっ た。ボーイング社のジム オルボー民間航空機部 門社長兼 CEO もこの発言に同意し、また「この B787は日本製と言っても過言ではない」と、日 本の関連企業各社の努力に感謝の意を表した。 きっと、良い波がやってきたのだろう、この波 に乗ってその名の通り世界中に夢を運ぶ機体と して世界の航空業界発展に貢献してもらいたい。 ・客室窓の上下幅は B767の約1.2倍 ・客室の気圧高度を抑えた快適な乗り心地 ・クリーンで快適な客室の空気環境 ・揺れを抑える自動制御システム ・環境に優しくて快適な LED 照明 ・ゆとりある収納スペース ・ウォッシュレット装備のラバトリー ・静音仕様エンジンで機内外の騒音を低減 握手する伊東社長とオルボー CEO 8 2011 JUL B787は全世界で835機のオーダーがあるとの ことで、ANA の伊東社長は、この秋に1号機 流線型化が施されていて、空力抵抗の減少が図 られていることが伺えた。 を受領して羽田―岡山又は広島便に就航させ、 以降、今年度14機、来年度は10機を受領して、 今年度内にアメリカ東海岸かヨーロッパ路線に 胴体部分では、機首と滑らかな形状で一体化 も飛行させる構想を述べた。 またオルボー CEO は、2013年迄に月産10機、 年間120機を生産する方針を述べた。 された大きな風防が目を引いた。この操縦席の 風防は、B767, 777等では計6枚の構成なのだが B787では、計4枚のもので、良好な視界の確保 と共に、滑らかな形状による空力抵抗、及び操 縦室内の騒音低減に寄与している。 機体の細部 間近で見る B787の主翼には独特の美しさが あった。特に主翼翼端は、レイクドウィングチッ プと称する独特の形状のもので、最先端の空力 設計技術の適用により、巡航の空力性能向上に 大きく寄与するものであった。 計4枚の滑らかな形状の操縦席の風防 性能向上に寄与する独特の形状の主翼翼端 新開発のエンジンは、従来の中型機エンジン との対比で燃料効率を約20%改善すると共に、 CO2の排出量を約20%、NOx の排出量を約15% 削減させた、地球に優しいエンジンとの事。ま た、シェブロンと呼ばれる波型のエンジンカウ ルの後縁によって、エンジンから発生するノイ ズの機内外への影響を軽減させたとのこと。 また、主翼の細部を見ると、フラップヒンジ 等の突起物の複合材製のカバーは、明らかに従 来の機体とは異なる小型化及び徹底した形状の 燃費効率が良くて環境に優しいエンジン 流線型化が徹底されたフェアリング類 このような革新技術と、ANA の運用経験に 基づく様々な要望が、この機体の開発の過程で 隅々に、反映されているのである。 2011 JUL 9 操縦室の見学 まさかそこまで見せてくれるとは思わなかっ たが、メディアイベントに参加の際には、操縦 室部分の見学及び撮影許可が下りた。 機体の外観を間近で拝めるだけでもありがた いというのに、機内に搭乗できるとは思いもよ らなかった。タラップを上がり順番待ちをして いる際は、見たこともない角度かつ間近で航空 機を見る事が出来た。B787の主翼には独特の美 しさと感動があった。 機内に入ると客席は一部のみで、床には計測 装置が設置されていて、この機体が Experimental 機であることを再認識したが、窓は従来より も明らかに大きい事が伺えた。 操縦室部分の見学時間は20秒だけだったが、 内装は本当に美しく、まさに新時代のフライト の電子化を実現したかのようにディスプレイが 左右に並んでいた。 早く乗ってみたい、乗客として、そして出来 る事ならパイロットとして飛んでみたい、それ が私の正直な感想である。 B787の操縦席ディスプレイ 今回の経験を通して B787の初来日という歴史的瞬間に立ち会えた 事、また、私にその機会を与えて下さった方々 に本当に感謝をしている。 今回の体験を通じて感じた事は2つ。 1つ目は諦めなければ何事も実現できるという 事。B787の開発には私の想像の及ばないような 苦労があったと思うが、それでも苦難を乗り越 え、次世代機の代表として私たちの前に現れたこ とは、私に挑戦の素晴らしさを教えてくれた。 2つ目は常に変化をしなければならないとい う事。大型機が減少し、小型、中型機が活躍の 幅を広げている。これは時代背景を映している ともに、進化の過程を見ているようにも感じる。 環境に合わせて変化していくのは、人間も同 じである。機体が進化するのならば人間も進化 しなければならない。だから私も一人のパイロッ トとして立ち止まることなく進化しなければな らないと強く感じた。 B787に勇気付けられると共に、この機体に負 けない位、私自身も夢を運べるパイロットにな れるよう頑張り続けたいと思う。 本文:航空大学校54回生Ⅳ期卒 峯 匡太朗 写真:有野 達也 峯 匡太朗 上河 聡 奥貫 博 編集:奥貫 博 B787の操縦室 10 2011 JUL 参考情報:ANA B787メディアイベント資料 ◦特別寄稿 タイム・イズ・マネー ㈱エアロパートナーズ代表取締役 (NPO)日本ビジネス航空協会副会長 金井 大悟 国際ビジネス航空界で活躍され、しかもご自身もパイロットと言う多才なトップ・ビジネス マンから、面白い話を寄せて頂きました。飛行機の速度が地球の自転速度を上回ることでビジ ネスと楽しみを両立できるというお話です。本稿は日本ビジネス航空協会会報に掲載されたも のですが、PILOT 誌向けに一部を書き直して頂きました。 ビジネス航空が求められる最大の要因の一つ は言うまでも無く時間を有効活用できる究極の ツールであるからですが、今回 JAPA 編集委員 のご紹介で恐縮ながらこのタイム・イズ・マネー に関してお話をさせていただきます。 空へのあこがれ 私が社会に出たのはちょうど C-1輸送機や T-2 超音速練習機が初飛行した時期であり、また MU-300や BK-117の開発構想もスタートして航 空産業界は官民ともに非常に活気がありました。 早くこれらの開発に関連する仕事がしたいと思 うと同時に、大学の卒業研究でモーターグライ ダー N-70を一から設計製作するという機会に恵 まれ、自分で空を飛んでみたいとの思いから卒 業後大利根飛行場に通い練習を始めました。一 人で飛べるようになると成田空港がオープンす る 前 の 自 由 な 空 域 で RF-4 の エ ン ベ ロ ー プ +6/-3G を生かしてその素晴らしい運動性を楽 しむことができました。 その後 B-767の開発が始まると仕事でしばら くシアトルに駐在することになったので、767や 747のホームであるペインフィールド飛行場で FAA のレーティングに挑戦しました。 JAPA のプロの皆様には恥ずかしい限りです 編集委員会 が、22度 East のバリエーションに戸惑ったり、 VOR 一つだけで全行程6時間の森林地帯の3角 コースを半分ナイトで飛んで来いと言われたり、 実際のフライトを通して本場アメリカのジェネ ラル・アビエーションの世界を垣間見ることが でき非常に勉強になりました。 定期便のスケジュール さて本稿では最初に、まず私が定期便の意外 な不便さに気がつくきっかけとなったこと、そ して結局移動時間の短縮ができなかった経験か ら始めようと思います。 1992年に縁あって航空機や部品の輸入販売に 仕事が変わりましたが、米国からフェリーして くる機体の本邦の着陸許可取得が想像以上に難 題であることを知りました。 そしてこのような問題解決のため1996年に JBAA(日本ビジネス航空協会)を結成し、以 来ビジネス機の着陸スロットや運航に関する規 制緩和の活動を行ってきました。 2001年に開催された神戸空港セミナーにも JBAA としてパネルディスカッションに参加す ることになり、小職が欧米のビジネス航空の状 況や利便性、ビジネス機専用ターミナルの必要 性などを述べましたが、当日は市内三宮の神戸 2011 JUL 11 商工会議所ホールに、兵庫県、神戸市、神戸商 工会議所などの呼びかけで政財界約300人が参加 た観光客で一杯のハワイ行 B747と、休暇が終 する盛況となりました。 び交うハワイ発の B767に揺られ、延々20時間以 上かかった我が身の不運を呪うことになった次 第です。機内ではプロペラ機時代の太平洋線は ウエーキ島とハワイ経由で正にこれと同じよう な時間をかけて飛んでいたはずだ、昔の渡米は さて私には、翌日どうしても米国アリゾナで 会議に出席する必要がありました。当然関空の 時刻表からなるべく遅い米国行きの便を探しま したが、便数は限られており18時30分で米国本 土行きは終わりだということが分かりました。 関空行きのバスも高速船もそれほど頻繁ではな く接続を考えると17時まで市内で行われるセミ ナーからはどうしても間に合いません。 今では羽田の国際化により深夜早朝の出発便 があり、これらをフルに活用した弾丸ツアーも ありますが、当時は空港の選定の如何にかかわ らず全く不可能な日程でした。当時改めて調べ てみると、夜7時以降の米国西海岸行き直行便 やニューヨークで朝からの会議に丁度いいフラ イトは皆無で、ましてや便数の少ないヨーロッ パやアジア方面では日程の自由度が非常に制約 されることを思い知ったわけです。 20時間以上の Trip しかしアリゾナの次にもう一ケ所回らなけれ ばならず今さら変更はできないので、いろいろ と考えた挙句以前米国への直行便がどうしても 取れずハワイ経由で出張したことを思い出しま した。ハワイは日本人には人気のリゾートでそ れこそ時間の有効活用から夜出発したいという ニーズが多く夜遅くまでフライトがあります。 調べると案の定関空からは21時過ぎまで便があ りました。 私は自分が操縦したフライトのログブックと は別に、旅客として飛んだフライトのログブッ クもつけていますが、その当日の記録を見ると 私の239回目のフライトとして21時発の UA 便 でホノルルへ行き、ホノルルで昼のサンフラン シスコ行きに乗り、さらにサンフランシスコで フェニックス行きに乗り換えて夜中近くに到着 したとあります。 見るからにハネムーンと分かる何組かを乗せ 12 2011 JUL わったアメリカ人のハイテンションな会話が飛 本当に大変だったのだなどと当時の人の苦労に 思いをはせましたが、飛行機が好きで少なくと も今よりは若かった私もさすがにヘトヘトで到 着という状態でした。 さっきまでビジネス機の利便性を神戸空港セ ミナーで力説していたのに反対に何と辛い出張 になってしまったのか、何故もっと遅くまで米 国本土行きが無いのだろう、せめて市内から関 空までヘリコプター便があればなどと強く思っ た次第です。 それ以来海外出張はフライトをよく調べてか ら最終日程を決めるようにしていますが、定期 便は仕事に使うには実際の飛行時間に対してか なりロスタイムを覚悟せざるを得ないというこ とについて改めて気付き、ビジネス機の利便性 を一層認識することになりました。 そしてこのような事を考えながら思い出した のは全く逆の経験をしたことでした。 つまりこの時には時間短縮の方法が無かった のですが、実はかなり以前に正にタイムイズマ ネーという経験をしてビジネス航空に興味を持 つようになったきっかけがあったのです。 次にそのことをお話しします。 パリ航空ショウ 技術屋時代の1985年、第36回パリ航空ショー に展示要員として出張を命ぜられ初めてヨーロッ パの土を踏むことになりました。そして当時は B767が続々とデリバリーされており自分が開発 にかかわった数点の製品にいくつかトラブルが 発生していて、パリショーの後にシアトルのボー イング社で対策会議が予定されていました。 85年のパリショーは5月31日から6月9日ま で行われ日本企業は十数社が出展していました。 デモフライトではミラージュ2000と F-16C のそ 最短時間での移動手段 れぞれエンベロープ一杯のマニューバーが話題 となりましたが、何といっても展示機の目玉は 4年ぶりに実機を持ち込んだソ連(当時)の超 今と違ってインターネットもEメールも無い ので米国にいる駐在に電話していろいろと調べ 大型機アントノフ An-124でした。世界最大の 150トンのペイロードを誇り、総重量405トン(当 時の B747は378トン)を支えるために左右のバ ルジに前後5列のダブルタイヤで合計20個の主 車輪、前輪も何と4輪というとんでもない怪物 で、西側に遅れること17年でソ連が高バイパス 比大型ターボファンエンジンを実用化した革新 的な機体です。また A320が初の受注を発表し てその後のベストセラーのスタートを切った年 でもありました。 フレンチ スピリット ショーは仕事の上でも多くの経験と収穫があり ましたが、欧州の航空関係者と話すうち感じたこ と特にフランス人から強く受けたことがありまし た。それは航空は我々が開発し発展させたのだと いうプライドでした。アメリカは大量生産してい るだけであってハードもソフトも全て後追いであ る。常に新しい発想は我々が考えた。最初の航空 ショー、最初の軍事航空、最初の渡洋航空路、最 初のジェット旅客機、最初のビジネスジェット、 最初の超音速旅客機、どれもフランスと欧州のも のだという強烈な主張です。 当時エアバスはまだまだボーイングの後塵を 拝していて私自身暫くボーイングで働きました からこの主張にはびっくりしましたが、一方で 彼らの言うことは歴史上の事実だし技術屋とし ては認めざるを得ないと思いました。 そしてショーの仕事の合間に会場となってい るル・ブールジェ空港の一角にある航空宇宙博 物館を訪ね、ブレリオのグライダーからコンコ ルドまで350機近い展示機をじっくりと見るう ち、これから行くアメリカでも飛行機の歴史に 触れてみたいと考えてしまいました。 そうなると行くべきところはワシントンのス ミソニアン航空宇宙博物館しかありません。 てもらいましたが、すでに予定が組まれている シアトルでの会議は動かせないので、ワシント ンへ寄る時間をひねり出すには予定を1日早め て大西洋を渡るしかないのですが、それはショー に展示した出品物をきちっと梱包し輸送業者に 渡すという重大任務があって不可能です。 駄目だと言われると余計諦められなくなるの が人間です。最後の頼みの綱とばかりパリ市内 の JAL 営業所に飛び込んで相談をしました。 フランス人のスタッフは暫く時刻表をにらん でいましたが、やおら「あなたお金持ってるか」 と聞いてきました。勿論航空チケットを切り替 えて寄り道するのですから多少費用がかかるの は覚悟の上ですがちょっと様子が変です。いく らかかるかと恐る恐る聞くと非常に沢山という 答えです。 そこで彼女が言った言葉は忘れられません。 「コンコルド」。 彼女曰くこれ以外にあなたのスケジュールを 実現するのは不可能とのこと。勿論コンコルド はマッハ2で飛ぶから半分以下の時間で大西洋 を渡れることは理解していましたが、本当にワ シントンに寄る時間が生まれるのか良く聞いて みました。するとコンコルドに乗ると時間が逆 転するというのです。 パリ・ワシントンの直行便は都合のいい時間 にはなく、通常の便は西行き飛行時間が8時間 ですからパリを早朝に出てニューヨークで乗り 換えるとワシントンに着くのは夕方になってし まいスミソニアン行きは無理です。ところがコ ンコルドは飛行時間わずか3時間半で時差がマ イナス5時間ですから、午前11時パリ発で JFK (ケネディ空港)着午前9:30。従ってこれなら 昼にワシントンに着けることになります。 これでタイムの方は分かりましたが問題はマ ネーです。勿論このような費用を出張費として 会社に請求できるわけはありません。彼女曰く 2011 JUL 13 おおよそファーストの2割増しときました。こっ ちは元々大西洋線のファーストがいくらかなど ロンドンなどへのフライトに良く使われていま す。 知るよしもないのですから計算もできませんが、 しかしここまで根掘り葉掘り聞いた以上ここで やめては日本男児の名が廃るというもの。クレ さて当日朝ヘリフランス社の事務所で荷物の 重量をチェックされ、三色旗に塗られた綺麗な ジットカードを出しながら平然と(装って)言 いました「That’s good!」。 ドーファンの座席に収まりました。固定翼は自 分で飛んでいましたがヘリはこれが初めてのフ ライトです。離陸するやエッフェル塔をかすめ かくして1985年6月11日シャルルドゴール発 JFK 行き、エールフランス AF001便シート07D をゲットと相成りました。 て135kt で飛びあっという間にシャルルドゴー ルに着いてしまい、ショー期間中朝晩の渋滞で バスがもっと市内に近いショー会場まで1時間 ホテルと会場間は毎日出展企業でまとまって バスで往復していましたが、この日は JAL の営 業所から一人で地下鉄でホテルへ帰りました。 そしてこのためにまた一つ大発見をしてしまっ たのです。 駅からホテルへ歩くうちヘリコプターの音が 聞こえてきました。こんな町中にヘリが降りる のかしらと思いながら音の方へ行ってみると立 派なヘリポートが見えてきました。 半ほどかかったことがウソのようです。ヘリか ら直接専用待合室に案内されましたが、一度ター ミナルビルの外に出てみると入口も受け付けカ ウンターも全てコンコルド専用であることが分 かりました。 入ってみるとイッシー・ヘリポートとあり数 機のヘリコプターが遊覧などをしているようで、 シャルルドゴールへも定期便がありわずか14分 で着くというのです。たった今給料以上のお金 を使ったばかりで口座に幾ら残っているか自信 はありませんでしたが、気だけは大きくなって いたので迷わず11日朝の便を予約しました。 このヘリポートはエッフェル塔の南西4km ほ どにあり今でも空港への足だけでなく観光地や ヘリフランスのドーファン コンコルドの乗客 搭乗が始まると座席が108席しかないのとほと んどが旅慣れたビジネス客なのですぐにドアが 閉まりランプアウトです。キャビンは横4列な ので丁度 YS-11のような感じでイスの横幅もけ して大きくなく、窓は恩師の木村教授が言われ ていたようにちょうど葉書位の大きさでかなり 小さく、薄暗いトンネルのようなキャビンはや はり普通の旅客機とは違う機体なのだというこ とを実感させてくれました。 ヘリでシャルルドゴール空港へ エッフェル塔をかすめて 14 2011 JUL タキシングも離陸順序も最優先のようで滑走 そういえば私はきょろきょろと周り の観察に忙しいのですが、食事もそこ そこに隣と議論する人、資料を広げて 電卓片手に何やら計算している人など、 後に NBAA の資料で知ったビジネス 機の機内での過ごし方そのものという 雰囲気でした。 ならば私もこの機会を最大限生かそ うと、CA さんに私は航空機の仕事で これからボーイングに行くところです が、コックピットをのぞかせてくれた コンコルド全景 路エンドまで一切止まらずすぐに離陸に移りま した。想像はしていましたがアフターバーナー ON のオリンパス593エンジン4基の推力は素晴 らしく、滑走路末端を通過するときにはキャビ ンのマッハ計は0.4を示していました。クルーズ はマッハ2.02、高度は56,000Ft で、上を見ると 青というより黒に近い空で窓ガラスはかなり温 度が高いのです。マッハ2では機首は120度、胴 体でも90度になっているのだから無理もありま せん。 さて食事の最中 CA さんに機体の事やお客さ んのことを少し聞いてみました。さすがに日本 人は少ないようですが毎週のように大西洋を横 断するお得意さんが結構大勢いるというのです。 こちらは一生に一回のつもりで乗ったのに世の 中にはそういう人種もいることを初めて知りま した。 ら大変ありがたいのですがと聞いてみ ました。一言で冷たくあしらわれると 思いきや手渡した名刺を持ってキャプテンに聞 いてきますという。暫くするとキャプテンの OK が出ましたとのうれしい返事で、当時はまだハ イジャックも少なく9.11など想像もつかない良 い時代でした。 CA さんの案内 で前方のカーテン を抜けると狭い通 路があって両側は 電子ラックで埋 まっています。そ の中を進むとコッ クピットドアがあ りました。中に入 ると機首が非常に 絞られているので すごく狭く機関士 を含めた3名で一 杯です。風防の可 動式バイザーが閉 コントロールホイール まっているので外は何も見えないし薄暗い感じ で、また高速のため騒音がすごくて話が聞き取 れないくらいでした。写真で見た羊の角のよう な特徴のある操縦桿があり、B767の電子式の統 合計器を知っている私にはアナログ式の計器で 埋まったちょっと時代を感じさせるコックピッ コンコルドのキャビン トで、マッハ2で飛行中の最先端の機体にして は違和感がありました。 2011 JUL 15 キャプテンにお礼を述べてから私の旅客用フ ライトログの34回目にサインをいただいてコッ 乗るのかを聞かれましたが、驚いたのは4人の 乗客の乗るエアラインのターミナルにそれぞれ クピットを後にしました。 送ってくれたことです。 私はイースタンエアラインが当時飛ばしてい た予約がいらないシャトル便でワシントンに行 乗り継ぎもヘリで さて席に戻ってからお礼かたがた CA さんに もう一つ質問をしました。気になっていたのは JFK からワシントン行きの便が出るラ・ガー ディア空港までどうしたら最短時間で行けるか ということでした。彼女は一言「No Problem」、 機体を降りたらこの番号のカウンターへ行きな さいと言います。ちょっと意味を測りかねてい ると「ラ・ガーディアまでヘリがあるからそれ が一番早い」と言う。予想もしない答えについ いくらですかと聞いたらコンコルドの乗客はフ リーとのこと。 毎週のようにコンコルドで大西洋を横断して いる人がいるかと思えば、そういう忙しい人の ためのサービスもちゃんと用意されているのは 二重の驚きでした。 着陸後言われた通りのカウンターに行くと外 にはニューヨーク・ヘリコプター社のドーファ ンがおり非常時の説明が済んだらすぐに搭乗で す。あまりにスピーディーなので荷物が気にな り聞きましたら既に積んであるから心配ないと のこと。 30分から1時間ごとに1日17便も飛んでおり ラ・ガーディアまで10分で着いてしまいました。 アプローチ中にパイロットからどの航空会社に く予定でしたが、空港内に入るとパイロットは ホバータクシーで滑走路を横切り、どんどんエ プロンに入ってまさにイースタンのターミナル ビルの横で降ろしてくれました。 タイム・イズ・マネー コンコルドがパリを離陸したのが午前11時、 今ワシントン行きを待っているラ・ガーディア 空港はまだ10時過ぎです。地上の移動を含め通 常の場合に比べて6時間近くは得をしている勘 定ですから、これで十分スミソニアン博物館を 見学できる時間が手に入りました。 まさにタイムイズマネーを実感させてくれた のはコンコルドとヘリのお陰ですが、この時痛 切に感じたのは、欧米には時間短縮を最大限に 実現ししかも快適に移動できるシステムがあり、 そして我々日本よりそのニーズがずっと強く一 定の市場があるということでした。 このような便利なヘリ送迎の体験があったの で、冒頭述べた神戸のセミナー後関空へせめて ヘリのサービスがあればと思った次第です。現 在成田空港へは都心からヘリコプターの便があ りますが、もし空港外のヘリポートではなく空 港ターミナルビルに近い場所に降ろすことがで きればもっともっと時間は短縮され利用者が増 えることでしょう。 ビジネスジェットに軍配 ビジネスジェットについては後に JBAA のお 手伝いをするようになってその有効性を知り、 また関連する仕事もしていたのでそのすばらし い効果を実感しました。例えばこのパリ・ワシ ントン間の場合も、もしビジネスジェットが利 ニューヨークヘリのドーファン 16 2011 JUL 用できれば何もマッハ2で飛ばなくとも朝9時 にパリを発ちワシントンへ直行すればほぼ同じ 時刻に到着が可能になるのです。そして時間や 目的地のフレキシビリティー、機内の時間の使 い方などを考えれば当然ビジネスジェットの利 便性に軍配が上がるでしょう。 今日のエアバスの成功はこの長い共同開発の 実績とアメリカには負けたくないというプライ ドが強く作用して実現したものであり、85年の パリショーで知った欧州の連帯意識の賜物です。 コンコルドが遺したもの さらなる時間短縮 1962年英仏共同事業として開発が始まったコ ンコルドは、その綴り Concorde が示すように 既に10年ほど前から超音速ビジネス機の開発 が始まっており、乗客8人で大西洋横断に使え 機体はフランス主導、エンジンはイギリス主導 で進められ、2つの文化、2つの国家、2つの 単位のギャップを一つ一つ粘り強く克服して、 る性能を目指しています。また次世代の超音速 旅客機は日米欧が共同して研究しており、こち らはマッハ3で太平洋横断にも使えるスペック B747と同じ1969年に初飛行し76年から就航しま した。 試作機を含めてわずか20機しか生産されず、 2000年7月の事故で運休した後2001年に改良型 で運航再開されましたが、折からの燃料費高騰 と9. 11の影響による乗客減で赤字となり、多く のビジネス客の要望がありながら2003年10月に 運航中止となりました。 すぐ後を追って開発が進められていたボーイ ング2707超音速機は結局中止となり、今日まで 史上唯一の超音速旅客機というタイトルを誇っ ていますが、コンコルドは単に速度が速かった だけでなく、FBW(フライバイワイアー)の操 縦システムや燃料移送による重心位置のコント ロールを始め、今日使われている多くの新技術 を初めて実用化したそれこそヨーロッパ航空技 術の結晶でした。 を目指しています。 航空機の歴史はある意味速度向上の歴史でも ありましたが、ジェット旅客機の運航が始まっ てから何ともうすぐ60年、コンコルドの就航か らも35年が経ちますので、残念ながら現在空の 旅の時間短縮が史上最も長期間停滞しているの が実情です。 いくら IT が発達してもビジネスにおける フェースツーフェースの重要性は変わらず、経 済性や環境への負荷とバランスが取れるのであ ればマッハ2あるいは3での移動は非常に魅力 的でしょう。 そしてそのような次世代の夢はともかく、少 なくともビジネス機やヘリコプターによるタイ ムイズマネーをもう少し国内でも手軽に利用で きるようこれからも活動を続けていきたいと思 います。 2011 JUL 17 飛行速度の変遷 48km/h からマッハ2.02まで スミソニアンのライト兄弟1号機 音速を突破したベル X-1 アプローチ中のコンコルド 金井大悟氏のプロファイル 1948年東京都生まれ。1971年日本大学理工学部卒、カヤバ工業に入社し多くの固定翼機、ヘリ コプター、飛翔体などの油空圧機器を開発、1979年以降ボーイング社にて B757、767、777 の装備品開発に従事。1992年トーメンエアロスペース(現エアロパートナーズ)入社、リアジェッ ト・ビジネス機、MD ヘリコプターなどの航空機および航空部品輸入販売に従事、2005年同社代 表取締役。1996年以来ビジネス航空協会に所属、ビジネス機の普及と規制緩和の活動を展開。 18 2011 JUL ◦ 寄 稿 あるパイロットのつぶやき ― 戦後編 ― 元 JAL 機長 神谷 國夫 2011年3月11日東日本を襲ったマグニチュード9.0の特大地震、大津波、福島の原子力発 電所の放射能漏れと3重苦の様は、言葉も出ない。テレビに映し出された悲惨な光景、亡くな られた被災者の中には私達のお客様も、知人も航空関係者も多々居られたでしょう。ただただ ご冥福を祈るのみ。また、罹災者の方々も同様毎日の苦悩よくわかります、が、そこから、元 気と希望を取り戻し、1日も早い復興を願うばかりです。奇しくもその日は私の85歳の誕生 日でした。かって私達の年代は同じような苦悩を65年前に体験しているのです。今度の天災 と人災と違って、人災の太平洋戦争。そう広島、長崎の原爆によって終戦となった1945年8 月15日を中にして前後5年程の日本の姿でした。すべての物を失って熊本から故郷の名古屋 に帰った私を待っていたのは空襲で焼け野原になっていた街だった。幸いにも家は残っていた。 が兄の戦死を知らされた。飛行機しか知らない19歳、周りをみれば敗戦の虚脱から逃げられ ない食料に飢えた者ばかりだった。2ヶ月ほど呆然としていたろうか、追い討ちをかけるよう に私にとって1番応える事がおこった。アメリカは日本人による航空への活動を全面的に禁止 する命令を出した事であった。夢を断たれた私。月日は容赦なく過ぎてゆく1946年1947年 1948年と、占領下での生活は誰もが苦しみ住宅難。食糧難、就職難は戦災地では過酷であっ た。私も例外ではなかったが、就職し生活が出来るようになったら、又空への復帰、空への夢 が膨らんでくるのを止めることが出来なかった。夢は大きな支えであり、力だったと思う。 ●航空への復帰 *滑走路に手形 戦後のつぶやきはここから始まります。 苦しかった事は1950年朝鮮戦争が始まって、ア メリカ空軍の第1戦基地となった板付飛行場の 滑走路の延長工事に携わった時だ。現場監督の 役目、勿論オーダーはアメリカ軍、施工業者は 1948年の或る日連絡を取り合っていた同期の O君より大日本航空の教官だったN先輩が航空 保安部の藤枝飛行場長をしておられるから訪ね て行こうと誘いがかかった。どんな仕事かは無 H組、朝から夜まで P-51、P-80戦闘機やら C-46 輸送機が引きも切らずに離着陸しているから、 夜間徹夜の仕事になる。22:00~06:00和気藷々 の仕事ではない、滑走路を作るのは容易ではな 頓着で、只航空の名に一も二も無く飛びついた。 先輩のお陰で航空保安部職員として辞令を手に い。深さ2mほど掘って、最初に40~50㎝ほど のグリ石を入れ逐次砂と砕石を積み、転圧をし した時の感激をO君と手を取り合って飛び跳ね た事はいまでも忘れない。再び操縦桿がもてる 夢が広がったが、現実はそう簡単ではなかった。 相手は占領軍の兵士の中での保安業務だ。1番 て検査をする。戦勝国であり現実に朝鮮で戦い をしているアメリカ兵士の監視は厳しい、設計 どうりの強度が得られないとやり直しだ。粘土 層があると目も当てられない。5mも掘り下げ 2011 JUL 19 た事もある。H組と揉める、間に入って苦慮す る。結局最後はマニュアルを誠実にお互い履行 ● STRIP から始まる する事で決着が付き、最後のコンクリート舗装 に進む。想像していたより厚いのに驚く、何と 14インチ(36㎝)だ。あまり意識しなかった滑 1951年の春に宮崎から東京に転勤、航空交通 管制官だと言う。一人僻地にいたので、何がな 走路がパイロットの生命の母体であり、空への 関門の重要基点だと再認識した。涙と汗で造っ た延長滑走路の最後のスパンのコンクリートに 思わず自分の手を埋めた。近い将来必ずこの滑 走路に降りてやるぞと。。。早く操縦桿を握りた い。その時24歳(今でも手形が在るかな?) ●飛行場長一人だけの飛行場 1950年11月板付飛行場の工事を終えた私に次 の辞令が降りた。宮崎の赤江飛行場〔現宮崎空 港)の飛行場長であった。25歳、名前こそ厳め しいが、何てことは無い職員は私ただ一人だ。 旧日本海軍の飛行場でアメリカ軍の不時着用と されたものだった。2本の滑走路と私の住む官 舎?60平米の平屋建てがぽっつんとあるだけ だった。役目は飛行場の監視だ。敷地内に不法 侵入者はいないか、滑走路に新しく亀裂や陥没 が生じていないか、雨で無ければ、午前と午後 に飛行機の代役?の自転車で白い滑走路上を走 り回る。K教官が言っていた自転車は二輪なの に何故倒れないで走るか? 自転車も飛行機も 同じだ。人がバランスをとって乗るからだ。そ の人こそお前たちだ。バランスを大きく崩した ときに死は待っている。ハンドルから手を放し てお尻でバランスをとる。何時の日か又飛行機 のバランスをとってみると、私の夢が膨らむ。 この滑走路を存続させてることは、必ず日の丸 を付けた飛行機が飛ぶことになる。模型飛行機 を作って飛ばす。禁止されてる筈だが、誰も訪 れてくるものはいない。孤独な日々だが希望が あるから結構楽しんだ。今思えば再び空へ復帰 するのだと言う目標があったから、いろいろな 苦しみに耐えられたとおもう。生きていく目標 が無くなったら死んだと同じだね。 んだか分からないうちに、航空管制官1期生18 人の中に入れられ教育を受けた。4ヵ月後に伊 丹空港の航空管制塔に上がった。戦時中よく飛 んだ懐かしの飛行場だ。感傷に浸る時間も無く、 英語もろくに喋れないのに勤務に就く、24時間 を3組でシフト勤務、編成は3人で勿論2人は アメリカ軍の兵隊、下士官がチーフで兵隊がサ ブ、その下に私。仕事始めは、ストリップから (裸になると早合点してもらっては困る)。飛行 機の出発到着便および伊丹区域の通過便を小さ い紙片(Strip)に記録してマイクを持っている チーフの前に整理して渡すのと飛行場空域の監 視だ。兵隊のスラングを交えたアメリカ英語は 中々理解の外だ。発音が難しい5セント(ニッ ケル貨)の事がネコと聞こえる、が、習うより 慣れろ。1年がたった、どうやらコントローラー としてマイクをもつようになった。相手を呼び 出す時は、はっきりゆっくりコールサインを言 うこと、繋がったら簡潔に明瞭に航空用語で意 思を伝え Over で締めくくる。アメリカ兵士コ ントローラーの教えだ。そんな或る日、直接私 が関与した飛行機事故が起こった。1本しかな い滑走路のセンターラインの左側が修理中であっ た。マイクを持っていた私は着陸機にランデン グ・ ク リ ア ラ ン ス を 出 し た。“Navy ○ ○ ○ Cleared to land R/W 32 on right side, wind340 5kts, over” 4発の海軍機は“Roger”と返事を して2分後に着陸したが、悲劇はあっという間 に起こった。接地と同時に左脚がすっ飛んで R/W をはみ出し草地に左翼を着け土煙を上げて 30メートル程暴走してとまった。彼は工事中の 左側 R/W の穴ぼこに左脚を接地させてしまっ たのだ。管制塔のスピーカーが大声をあげる “Left side と言ったコントローラーは誰だ?” 機長の怒鳴り声、事の詳細は残念だが割愛して、 結果に進む。それこそ交信の状況の Strip(裸 に)だ。管制塔のテープレコーダーの解析から、 私の Right の発音は認められ、機長はノータム 20 2011 JUL 1万円だった、私の月給が6千8 百円の頃だ。有難い事に後輩のN 君が応援してくれた、過去にライ センスを所持していた者に与える 戦後の新しい事業用ライセンス付 与の資格習得飛行時間が5時間と 規定されていたので、最低でも5 万円は必要だ。仇や疎かには出来 ないと思った。8年のブランク果 たして予定予算内で成果が挙げら れるか、使用機はパイパー・カブ 昭和26年(1951年)航空管制官1期生 もチェックしなかった事も分かり、機長の敗北 となった。やれやれだ、旧日本軍だったら直ち に首だったろう。私はアメリカ(軍)の本質に 出会ったことに気がついた。一般的に見るなら 占領下での日本人とアメリカ軍将校とでは喧嘩 にならない。当然私は罰を受けただろう。だが 今回の処理は違った。業務上で起きたトラブル を極めて論理的且つ公平に原因追求を最優先に し、科学的に分析して結論を出すやり方。アメ リカの組織をなんとなくうらやましいと思った。 そして一方、言葉での通信が航空機の安全運航 の重要な要素になっている事も気がついた。航 軽飛行機、案ずるより生むが易し、 最初の1時間で80%操縦の感が 戻った。シャンデル、レイジーエ イト等々5時間10分でテストを受 けた。合格。1953年6月3日事業 用操縦士と2等航空士の技能証明書を手にした 時の喜びは今でも夢に出る。身体で覚えこんだ 技は年月を超える、バランスとタイミングそし て決断。その年の10月、日本航空がパイロット の公募を発表した。当然親友O君も受験した。 受験者は旧民間航空のパイロットだけでなく、 空に魅せられた旧陸海軍の飛行機野郎も満を持 して待ってた如く応募、その数数百人と聞く。 結果は JAL P-4期生として24名が合格した。 勿論O君も合格。内訳は旧陸軍9名、旧海軍5 名、民間養成所10名、年齢は上は35歳下は28歳、 私は28歳であった。どうして若い年齢のものを 空管制官とパイロットの交信は直接人命に係わ る事柄だ。トラフィックが増加した現空域内で 交信が途絶える事が起きたらどうなるだろう? バックアップは万全だろうか、OB パイロット 採らないか? 否採っている。飛行禁止6年の ブランクで飛行機を知らない戦後の大学出の若 者を採用した。JAL P-5期生10名が彼らだ。 の眩きだ。 ● AIR LINE PILOT として ●再び操縦桿を握った 1954年4月、P-4期の座学が始まった。戦争 中のベテランパイロットも7年間の空白の為、 アメリカナイズされた空の飛び方には四苦八苦 であった。まず航空法から始まって ICAO 条 1952年日の丸を付けた飛行機が伊丹空港に着 陸して来るようになった。日本航空をはじめ新 聞社や事業用の単発機である。管制官をしなが らも気持ちは既に空中にありで、1953年春、意 を決して事業用のライセンスをとる為、八尾空 港に通った。飛行機の訓練費は高い当時1時間 約、IATA の諸規則、運航規程、航空管制等々 英語と日本語で詰め込まれる。大いなる違いは 自由な空でなく、規則規則と、地上施設から絶 えず見守られている空になったことだ。私が体 2011 JUL 21 験して来た航空管制もそれだと納得した。レー ダーの発達、通信の進歩は著しく、飛行機の大 用、10日後に乗る、軽快な飛行機だ、空中操作 で緩横転と宙返りをしてみた。楽らくだ、この 型化とともに夜も昼も雲中も飛べるように発展 していた。P-4期の同僚たちは事業用パイロッ トの免許取得の訓練に藤沢の飛行場に移動した。 飛行機は本科生用だった。1ヵ月後ビーチに移 使用機はセスナ170だった。既にライセンスを 持っていた私は別行動でO先輩のコーパイロッ トとして、ビーチクラフト D-18S で地図作成の 写真撮影に駆り出された。管制官が身を助けた かなんの違和感もなく空を飛んだ。夏になって 戦後始めて設立された航空局航空大学校の専修 科に受験の指示があって、4期全員が公募に応 じた。百人以上の受験者のなか8名が合格した。 幸い私も合格、航空局航空大学校専修科1期生 となった。3度目の1期生だ。即ち戦中の逓信 省航空機乗員養成所本科1期生、航空庁航空管 制官1期生そして航空局航空大学校専修科1期 生だ。この事が終生私の誇りであり反面身を縛 る事にもなった。合格者は全員日航の P-4期生 であった、旧陸軍出が3人旧海軍出が2人乗員 養成所出が3人、奇しくも3人とも旧乗員養成 所本科1期生だった(現在生存者はK君と私の みです) 。因みに乗員養成所出のこの3人のみが 何の因果か後に新聞種になった航空事件を経験 した。後日列記の予定。 ●航空大学校 る、専ら計器飛行だ、この機は私には JAL でお 馴みの機種だから難なくこなした。戦時中に会 得した操維術の数々が生かされて楽しかった。 度々芦屋の米軍基地へ航法を兼ねて ADF アプ ローチと GCA アプローチの訓練飛行。9年前 の戦時中の飛行と大きく変わった事は方向探知 機が飛行計器の中に組み込まれている事いわゆ る ADF だ。それと通信 HF、LF しかなかった 通信が VHF になって電話と同じになった。フ ライトで1番心掛けた事は、時間と旋回の正確 性であった1分間に180度2分間で360度3秒と 狂わないように努めた。座学では何と言っても 空力学と英語が主体、戦中あれほどM中尉やN 所長にいわれた空力学だったがよく解らなかっ た。だがここで基本的なことから学んで操縦の 中に空力を取り入れる事を気にするようになっ た。“もっとれもっとれ”、N所長の声が聞こえ るようだ。無駄舵は効力を増やす。英語につい てはあまりいい印象をもっていない。実は英語 の教師の発音と管制官を経験したアメリカ兵隊 英語でしゃべる私の発音の違いが教師の感情を 刺激したのか、それとも人間的に相容れないも のがあったか苦い思い出があった。それに反し 2 空力の方は85歳の今でも“L=1/2ρV SCL”を 1954年10月私たち専修科1期生8名は本科1 期生10名とともに航空大学校に入校。航空大学 校は何と私が一人飛行場長をしていた宮崎空港 に設立されたのだ。3年前とはがらりと様子が 変わっていた。立派な格納庫、コントロールタ ワー、二階建ての校舎、滑走路にはマーキング とライト。懐かしの古ぼけた官舎?ぽっつんと 空港入り口に残っていた。家族とはなれて寮生 活に入る。学校が我々に用意した飛行機はアメ リカ製ビーチクラフト D-18S 双発機と日本製川 崎 KAT-1型単発機だ。航空機メーカーも、航 空制限が解かれるとすぐに国産機を生産した。 日 本 人 っ て 大 し た も の だ と 今 に し て 思 う。 KAT-1型は日本製で初めての前輪式、初心者 22 2011 JUL 航空大学校専修科1期生 神谷 國夫(28才) 覚えているほど楽しかった。きっと戦時中のM 中尉やN所長の操縦に空力を考えろと言われた 事が記憶にあったためだろう。 ●10人10色 1-大無言大実行型 2-中無言大実行型 3-小無言大実行型 4-中無言中実行型 5-中無言小実行型 6-小無言小実行型だ。 私は2番を心掛けて生きようと決心した。言 葉では負けるが技術では絶対誰にも負けたくな 6ヶ月の寮でおくった学生生活は航空大学校 で学んだ以上にいろいろと学んだ。まず人間関 い。あなたは? 。。。失礼しました。寮生活は 絶好の勉強の場であった。Aタイプの言葉を聴 く、教科書の本筋を捕らえている事が多い、耳 係があった。同期と言っても、社会を経験し、 ましてや軍人として指揮を執ってきた将校35歳 の者が2人もいる、最年少の私との年齢差は7 学問、ただ厄介なことに、人には好き嫌いがあ る。気の会う人と会わない人がいる、ここは一 つ誰だったか文学者の言葉を借りて“人は人な 歳、寝起きを共にすると、性格が判ってくる。 大雑把に次のように分類してみた。 A-有言実行型 B-無言実行型 C-有言無実行型 D-無言無実行型 私は多分Bタイプだろう。ならばこれを更に 細分すると り吾は吾なりされど仲良く”を心掛けた。1955 年3月卒業。上級事業用技能証明書(現在は定 期、事業用、自家用の3種になった)を手にし た。 続く。 昭和29年10月(1954年)航空大学校専修科1期生(8名) 2011 JUL 23 緊急報告 津波の怖さ、空からつぶさに 第二管区海上保安本部仙台航空基地 飛行士 3月11日東北大震災発生時、私は回転翼航空 機(JA6176, ベル206B)にて副操縦員、機上整 備員とともに業務訓練のため、仙台空港の南西 10海里付近にある角田市上空を飛行中でした。 当日は降雪の予報もでており、日本海側で発生 した雪雲が、空港の西にある蔵王山を越えて太 平洋側へ流れ込み所々雪が降る天候であり、3 月とはいえ機外温度は真冬と変わりませんでし た。訓練を終えそろそろ仙台空港に戻ろうと考 えていたとき、基地オペレーションから無線が 入りました。 「いま、もの凄い地震に襲われてい る! 貴機はあと何分飛行可能か !?」私は副操 縦員と顔を見合わせました。 「まだ1時間飛行す ることができます」と基地に通報したところ「ま だ大きな揺れが収まらない! 貴機にあっては 可能な限り沿岸部の被害状況調査を実施せよ!」 という無線が返ってきました。 「え? まだ揺れ ているの?」。基地からの叫ぶ様な通信に加え、 高 橋 潤 ADF にセットしていたラジオ放送でも大津波 警報が発せられたことを繰り返し放送していま す。潮位に大きな変化がないかを確認しながら 南下し、空港の南にある阿武隈川河口まで到達 した頃です。川の水が渦を巻きながら洋上に引 き出されて行くのが見えました。仙台湾の海岸 線もこれまで見えていなかった砂浜が露出して いる様な気がします。 「仙台基地。阿武隈川の水 が急激に引いています!」と基地に連絡。空港 の北側にいた僚機から名取川でも同様の現象が 起きているとの通報が入ってきました。津波と 言うと“壁”の様な波を想像していました。し かし沖の方は何の変化も見られず、 「津波、来な いけど……」などと考えていました。しかし、 すでに津波は足元まで近づいてきていたのです。 突然、海岸線の水位が増えたかと思うと、数メー トルの高さのある護岸を一気に乗り越え防風林 をなぎ倒しながら陸地に流れ込み始めたのです。 揺れが続いている時間が非常に長く、いつもと 違う地震が起きていると感じました。 「仙台基地。津波が到達! 陸上部に流れ込み始 めました!」。防風林の近くには道路が走ってお 塩釜まで調査を行うため海岸線を北上しまし た。仙台港のコンテナは崩れ、コンビナートか らは火災による煙が壁の様に立ち上がっていま す。フェリーや貨物船等が一斉に沖を目指して り、護岸の様子を見に来たと思われる国交省の 車が逃げる間もなく飲み込まれ、なぎ倒された 防風林とともにぐちゃぐちゃになりながら流さ れていきます。いつも上空から見ている海岸近 出港し、また自衛隊・警察・消防のヘリコプター が多数離陸し上空からの調査を開始し始めまし くの老人ホームの中も濁流が突き抜けていきま した。 た。仙台港を過ぎると降雪のため視界が悪くな り、塩釜までの進出を諦め南下し始めた頃です。 「大津波警報が発出された!」と、地震後に離陸 した僚機(JA906A, ベル412)と本機に対して 基地から連絡があったのです。 24 2011 JUL 「津波はどこまで来ている? 基地まで到達し そうか!」という叫び声にも似た通信が飛び込 んできました。 「現在、津波は貞山掘まで到達! 間もなく空港内に流れ込みます! 基地まで到 達しそうです!」と回答しました。 仙台空港のAランウェイとサウスエプロンに押し寄せてきた大津波(JA906A 撮影) 仙台空港も海岸に近いターミナルまで津波が 到達し始めると、津波はただの海水ではなくなっ ていました。破壊した防風林、住宅に加え、空 港駐車場のたくさんの車、軽飛行機、ヘリコプ ターを次々と巻き込み真っ黒い瓦礫の流れと なって、仙台基地のある空港西側に近づいてき ました。 「もう止まってくれ」という思いが出な いほど津波は圧倒的なエネルギーを持ち、流れ が遅くなる気配はまったくありません。ついに を探し各機の判断で着陸せよ! 間もなく基地 2階にも津波が到達するため閉局する!」基地 通信室からの最後の通信を受け取った頃になる と残燃料が少なくなってきており、着陸するた め仙台空港を離れ岩沼市郊外の丘の上にある公 園に向かいました。仙台空港の北には自衛隊の 霞目飛行場がありますが、霞目も津波の被害を 受けている恐れがあるため岩沼の公園に着陸す ることを選択しました。 仙台基地の格納庫にも瓦礫が流れこみ始めます。 エプロンに駐機していた仙台基地所属の固定翼 「あの水位で止まれば職員は大丈夫だな……」 機内でそんな会話をしながら着陸の準備をして 機(ビーチ350)は、無数の車、航空機の流れに 巻き込まれ、その一つとなってあっという間に 視界から消えていきました。仙台基地周辺の水 位は一階の窓が見えなくなる位まで到達してお いた時です。ふと海の方向を振り返ると、沖に はこれまでに見たこともない高さの波の壁が、 仙台湾を一列になって向かってきていました。 津波の第2波です。まさに映画で見たような“津 り、職員は屋上に避難し始めました。他の建物 の屋上にも多数の人が避難しています。仙台基 波”です。 「あーこりゃだめだ……基地の屋上に 逃げても助からないかもしれない。」とこの時初 地をのみ込んだ後も、津波の速度は全く衰えま せん。空港に到達してから10分足らずの間に3000 mの滑走路を瓦礫で埋め尽くし、さらに山側へ 流れていきました。 「各機にあっては安全な場所 めて基地職員が津波に巻き込まれることも考え ました。 私達は第2波に襲われる基地を確認できない まま岩沼の公園に着陸。情報を得るため公園近 2011 JUL 25 大津波におそわれAランウェイは完全に水没、Bランウェイは3分の2が水没、ターミナル前のエプロンは水 没、空港ターミナルは1階水没、JR 仙台空港駅と線路の一部は健在(JA906A 撮影) くの消防署まで歩きました。しかし、消防署さ えも電力が失われほとんど情報が入ってこない 状況です。仙台空港を含む海岸付近は海水が引 かず消防隊員ですら近づけない状況であること が確認できたため、基地へ向かうことを諦め消 防署にて夜を明かすことにしました。夜が明け たらどうするのか? 基地に向かうのか、それ とも連絡がとれない家族の安否を確認するため 途中、仙台市内の自宅から持ち出した家庭用の 灯油ポリタンク2缶にジェット燃料を分けてい ただきました。私達の機体で30分弱の燃料量に あたります。機体を霞目に受け入れてもらう調 整を済ませた後、ポリタンクを持って再び岩沼 まで戻り、これまた家庭用の電動灯油ポンプで 燃料を補給。その後霞目飛行場まで機体を運ぶ ことができました。霞目に到着すると前日に着 自宅に戻るのか、余震で揺れる消防署の真っ暗 な会議室の中で話合いました。停電により真っ 暗になった仙台の市街地の向こうに仙台港の火 災が一晩中空を赤く染めていました。私達は、 陸していた僚機のクルーと再会することができ、 津波は仙台基地2階までは到達しなかったこと 職員が全員無事であったことをこの時初めて知 りました。 翌朝から本格的に始まるであろう震災対応の飛 行に加わるため航空燃料を何とか手に入れよう 今、私達は仙台基地の復旧が進むまで霞目飛 行場と岩手県の花巻空港をベースに、激しい余 と考え、津波の被害が無かったという霞目飛行 場まで燃料を分けてもらいにいくことを決めま した。 日の出とともに、国道4号線を走る車をヒッ 震が襲う中、仙台基地整備科職員が必死に準備 してくれた機体に搭乗し、船舶で漂流している 人員の吊り上げ救助、行方不明者の捜索、病人 の移送等の業務にあたっています。 チハイクし仙台市内にある霞目飛行場まで移動。 26 2011 JUL (4月11日入稿) BELL206B (写真提供:海上保安庁) 3月11日の事 航空大学校仙台分校 実科教官 須 田 忍 3月11日は当初 A/W と TGL の訓練を予定し ていたが、TAF によると午後は夕方前から Snow shower による天候悪化の予報が出されていたた め、TGL のみの内容に変更して訓練を行ってい た。地震発生の14時46分、我々の機体はちょう ど Downwind 上を飛んでおり、Base に差しか 示を出しておられたとのこと)続いて北西側の Visual reporting point である熊野ポイントで Hold するよう指示があった。同じく TGL を行っ ていた JA8882は南西側にある槻木ポイントで Hold していた。 足元では実際何が起こっているのかその時点 かるころだったと思う。 「JA8850 on base」とレポートしたがそれに対 する管制指示はすぐに出されず、もう一度レポー トを入れようとしたその瞬間、「Unable Touch では判然とせず、被害の程度が今一つはっきり と分からなかったが、遠くに見える海岸線沿い の仙台港付近(だったと思う)の工場地域に一 か所火の手が上がっているのが確認できた。岩 and go, Make Go around」との指示、続いて 「Due to hard(もしくは severe か詳細不明) 沼市内の官舎に残している家族のことが一瞬気 になったが、今そのことを考えてはいけない、 earthquake」と付け加えられた。ただし音声が こもったように聞こえ、かなり聞き取りづらかっ たため当初はジャミングでも入ったのかと思っ た。 (後に知ったことだが激しい揺れによってタ 冷静にと言い聞かせて、学生とともに地上を観 察し、話し合いながら飛行機を飛ばしていた。 まだこの時点で津波の到達はなく、あれほどま でに悲惨な状況をこのとき想像することはなかっ ワー内の機器類はひっくり返り停電が起きたた め、管制官は屋上に出て携帯無線から我々に指 た。 まもなく管制官から、仙台空港は離着陸でき 2011 JUL 27 る見込みがないこと、また今後無線は閉局する ため他の管制機関等にコンタクトし必要なアド く出発したほうがよいとの話をいただいたが、 もう日没を迎えておりこちらもいろいろあって バイスを受けるよう連絡があった。終始淡々と 必要な事柄を伝えられたように思えたが、プロ フェッショナリズムあふれる対応であったのだ 疲労もある、何よりも運用時間内に宮崎には到 達しない。結局翌朝の移動にしようということ になり、給油会社にその旨ひとこと伝えて宿を と後になって思う。また校内(カンパニー)無 線においても、こちらの動向をウォッチし出来 る限りの対応はしてくれたが、まもなく閉局お 手配することになった。電話が繋がらないので 予約はできない。郡山駅周辺に行けばどこかあ るだろうと、止まっていたタクシーに無線で必 よび Evacuate するとの連絡があった。その時 点では JA8882が福島へ行くことを決めており、 それを聞いて我々の JA8850においても福島への 要台数を手配していただいた。町に向かって走 るとやがてひどい渋滞になった。車でも感じる 余震の揺れ。信号機も止まっている。車内のテ ダイバートを決め VFR にて福島空港に向けて 飛行した。もう1機、職員訓練でナビゲーショ ンに出ていた JA5801は新潟へのダイバートを決 めていた。途中あまり天候は良くなかったが、 福島空港の北東20NM ぐらいから晴れ間が広が り無事着陸した。到着後の処理を終えターミナ ルビルのテレビを見て、地震の被害が甚大であ ることを知り愕然とした。 少し時間が経ってようやく携帯電話の存在を 思い出し、スイッチを入れると宮崎本校から連 絡が入り、仙台分校には全く繋がらないとのこ と、そこ(福島)にいても今後身動きがとれな くなるから宮崎に来るようにとのことであった。 無事降りた安心感とは裏腹に家族の事が心配に なってきた。私の場合は幸い妻からの無事を知 らせるメールを早々に受信できたので助かった という思いだったが、時間が経つにつれ電話も メールも通じなくなり、未だ家族と連絡の取れ ていない教官や学生は不安な時間を過ごすこと レビでニュースを見るにつけ、大変なのはこれ からだ、まずは町にたどり着いても寝る場所が ないのではないかと思い始めた。 郡山駅前に到着すると駅舎は立ち入り禁止と なっており、帰宅を急ぐ人々が携帯電話を片手 にタクシーなどを待つ姿が多数あった。騒然と した異様な雰囲気の中、学生が近くのビジネス ホテルに様子を見に行ってくれたが、宿泊不可 とのことであった。避難所が駅前ビル内に開設 されていることをもう一機(JA8882)の教官が 調べてくれたので、そこへ向かうことにした。 吉野家もコンビニエンスストアもメシの付くも のは全て売り切れ、手に入れたのはおつまみや スナック等の菓子類ばかりであった。避難所で は帰宅できないサラリーマンと思われる方々が 中心だったが、スペースは比較的確保されてお り横になれそうだ。また暖かい環境であったの で非常に助かった。学生、教官皆でお菓子の晩 飯を食べた。しばらくして毛布や非常食の配給 になった。果たして仙台分校はどうなったのか 皆無事なのかが分からず、大変気をもんだ。テ があった。それにしてもこの有事に黙々と対応 されている職員の方々には心から頭が下がる思 レビが仙台空港周辺の詳細映像を流すと、釘づ けになって画面の中の校舎を探した。 福島も被災していた。飛行場対空援助局舎の 窓ガラスは割れ、またターミナルの2階部分は いだった。皆それぞれご家族のこともあるだろ うに。 やはり夜はあまり眠れず、避難所のビルの窓 から夜明けの空を仰いだ。着の身着のままだが 立ち入り制限を敷かれ、警備員の方々が乗客の 誘導に当っていた。この間にもしばしば大きな 余震に見舞われ、テレビの緊急地震速報のたび 今日は宮崎へ飛ばなければならない。トイレで 顔を洗い身支度をした。やがて空港行きのバス が動くということを聞き、皆でバス停に向かっ に避難誘導があった。 運航情報官から、翌日になると報道や救難の 航空機が多数入るであろうから、出来るだけ早 た。時刻表どおりにバスが来てくれたので少し 安心した。 この日、天候について何も心配することが無 28 2011 JUL いのはありがたかった。空港では昨日の話のと おりすでに報道や救難の航空機が多数飛来して、 校の学生、教職員が全員無事というのが皆を安 堵させた。緊急会議が開かれたが、終わるとす 頻繁に発着を繰り返していた。早速給油の依頼 をしたが、案の定待たされた。出られるのはお 昼頃になりそうだ。飛び上がってしまえば C90A ぐ我々の行動希望を聞いてもらえたので、私は まず大阪の実家に行き自家用車を借り、岩沼市 の家族のもとに戻ることを考えていたので、そ の速力で3時間半程度あれば宮崎に着く。焦る 必要はなかったのだが、テレビでは福島原発の トラブルが報じられており、今度は放射能に関 の旨申し出た。幸い伊丹行き最終便を取れたの で、そのまま大阪に向かった。一緒に宮崎に来 た他の教官や学生とは、この日以降しばらくの する不安が徐々に広がりつつあった。 フライトプランは IFR 出発にするとリリース が相当遅れるとのことで、VFR 出発し途中で お別れとなった。 IFR クリアランスをもらうZプランでファイル した。学生訓練ではなく教官がフェリーフライ トとして宮崎に飛ぶ。ENROUTE と ALTERNATE、APPROCH 等々のプロファイル及び ウェザーを確認し、結局正午を過ぎてのランプ アウトとなったが、もう後はいつも通り飛ぶだ けであり、コクピットに着席すると言いようの ない安堵感を覚えた。 15時半過ぎ、久しぶりの宮崎に降りた。西に 飛ぶにつれ雲は増えて、ILS に乗る前は雲の中 で少し揺れたが大きな問題はなく無事に着くこ とができた。後席の学生は多発課程の学生なの で IFR の経験はなく初めは熱心に覗き込んでい たが、時間が経つにつれウトウト居眠りに落ち ていた。昨日からの疲労が相当溜まっていたと 思う。 飛行機から降り立つと、本来休日であったが 幹部職員をはじめ教官も多く詰めており、宿の 手配から何からサポートしてもらった。仙台分 た。地震のあった次の日から、宮崎本校におい ては、残った機体を使用しての訓練再開を検討 し、仙台分校においては、米軍をはじめとした がれき撤去作業の調整と、校舎内の復旧作業、 関連した各業者や機関との調整などが行われた。 電気の復旧は遅く、津波被害から逃れた官舎の 一室を借りて暫定事務所とし、電話をひき連絡 がとられた。一家族用の部屋に20人以上詰める ことも度々。おかげで5月16日に我々教官のう ち数名が宮崎に移動し教官訓練を開始、2週間 後の5月30日から学生訓練を再開した。まだ一 部の学生とではあるが、久しぶりの再会という 感じだった。 今も仙台にとどまっている分校長はじめ教職 員は、失った書類やデータの再生に努めながら、 学校としての機能回復のための復旧作業に取り 組んでいる。気の遠くなる話ではあるが、少し でも早期に、再び当校の学生が巣立ってくれる ことを願い日々の業務をすすめている。 訓練再開への準備は、直後から進められてい 2011 JUL 29 ある米系航空会社パイロットの 地震体験 翻訳・運航技術委員会委員 山 康 博 以下の文は東日本大震災の発生時、東京に滞在していた某米系航空会社のパイロットが書いた日 記の一部で、友人たちにメールで配布されました。個人を特定できるような言葉は削除した上で、 今回の地震を体験した外国人パイロットがどう感じたかをお伝えしたいと思います。なお原文は英 語なので日本語に翻訳していますが、翻訳の責任はすべて翻訳者にあります。 ◆突然襲った強い地震 皆さん、こんにちは。まず最初に私は大丈夫 だったことをお伝えします。私はあの「巨大な もの」がやってきた時、東京にいました。ここ に書いたのは、その後2日の間に私が感じたそ の時々の思いです。この2日間は本当に長かっ たです。この文は地震後、数時間経過して書き 始めた日記ですが、現在もまだ書き続けていま す。 2011年3月11日、私は東京での24時間の滞在 を終えたところだった。前日のロス・アンジェ ルスからのフライトはまったく平穏だった。私 はシャワーを浴びて身支度を整え、次のシンガ ポールまでのフライトに備えて荷物をパッキン グしていた。靴下と靴を履いて成田空港まで約 回地震を経験していたので、私の最初の反応は ホテルをチェックアウトできるよう準備してお こうというものだった。大したことはないだろ うと思っていた。 しかし、この地震は今までと違っていた。私 は専門家ではないが、この地震は私を不安にさ せた。私は37階建てビルの17階にいたが、非常 に興味深いことが二つ起きた。その一つは地震 が段々大きくなったことで、二つ目はなかなか 終わらなかったことである。私が今までに経験 したどの地震より長く揺れた。私は地震がいつ までも続き、そして段々強くなることに心配に なった。それは秒のオーダーから分のオーダー になった。 1時間のタクシー乗車の準備ができたところだっ た。この後の徹夜フライトはくたびれるフライ 私はこのことを深刻に捉えて、ここから脱出 する計画を立てた方が良いかどうか勘案した。 トだが、楽しみでもあった。 タクシーのピックアップ時間は午後3時10分 で、ロス時間では夜の10時10分である。3時少 実際にはすべてを計画する前に逃げ出すことを 決断し、靴下と靴を履いた。立ち上がってちゃ んと立てることを確認した。ところがビルはひ どく揺れ動いており、私はベッドに倒れこんで し前にそれはやってきた。最初はそれほど強く なかったが、私が正確に知る限り十分強い地震 しまった。立ち上がってドアのところまで走っ て行ったが、何か持って行った方が良いのでは だった。日本では1週間前くらいに震度7.2とい う強い地震が発生したので、その余震かと思っ た。私は今までにロス・アンジェルスで4-5 と考えた。そこで既に水と食べ物を詰めてあっ た袋を取りに戻った。もし道路で身動き出来な くなるような事態に陥った場合、持って行ける 30 2011 JUL だけの食料を持っていたいと思った。たぶん馬 鹿げた考えかもしれないが、そうでないかもし れない。 ◆窓から見た信じられない光景 自分の持ち物を集めようとするにつれて、こ の地震がいかに深刻なものかに気づいた。部屋 強く回した。最終的にはロックは回って解除で きた。ドアを開けようとしたが、開かなかった。 ドアノブは回るのにドアは閉まったままだった。 少し後ろに下がって、肩を入れて押したところ ドンという音を上げてドアが開いた。私はバル コニーに出て、階段室のドアを目指したが、こ れも開くのは難しかった。何とかドアを開けて は軋んでうめき声を上げていた。食器戸棚はガ タガタと音を立て、引き出しは滑り落ち、あお りで私は倒れてしまった。この地震は本当に最 鞄を持ち、下に向かった。 悪だった。窓の外を見ると自分の目が信じられ なかった。通りを挟んで150ft 離れた他のビル と、更に100-150ft 離れたもう一つのビルが動い ていたのだ。本当に、本当に揺れ動いているの だ。私にはそれらのビルが前後に5-10ft も動い ているのが見えた。このような光景はハリウッ ドのみが作り出すことが可能なものだと思って いた。大きな建造物が前後にゆらゆらと動いて いるのだ。 に向かって戻るよう叫んでいた。彼は自分と一 緒に来るよう言った。それで元に戻り、廊下を 通って私の部屋を過ぎて従業員控え室に入り、 階段の吹き抜けに出た。私は下に降り始めたが、 鞄を運ぶことは大変だった。下り階段は急で、 特に17階全部を降りるのは厳しかった。ホテル の従業員は私と同行してくれて、鞄を運ぶこと を申し出てくれた。私はロビーに着くまで降り 続けた。汗をかいて息切れしていたが、まだ少 し地震を恐れていた。 このビルが動いているのを実際に見るまで、 私は本当は怖くなかった。この光景は現在の状 況に新しい現実を持ち込んだ。今やこれが私の 地球上で最後の瞬間になるかもしれないと実際 に思うようになった。私は前後・左右に揺れ動 く高層ビルの中に居て、いつ倒壊してもおかし くない状況なのだ。私の心も揺れ動いていた。 私は2番目の推察を始めた。留まるべきか、行 くべきか。すべてを置いて行くべきか、すべて を持っていくべきか。何をすべきか、どこへ行 くべきか。 私の心は揺れ動いて、アドレナリンがどくど くと出ていた。脚がどんどん弱くなっているよ うだった。この地震は約4分間続いた。この4 階段を、降り始めた時にホテルの従業員が私 ◆次々に襲う余震 やっと安全だと感じた。完全に外ではないが、 少なくともロビーに居たからだ。私はコ・パイ ロットや他のクルーに出会った。今や大勢の人 でロビーは混雑していた。私達は空港に行くべ きだと考えたが、誰も確信はなかった。我々の タクシーはここに居て、準備ができていた。私 は電話を取って会社に連絡し、何かプランを持っ ているかどうか問い合わせた。もちろんプラン は何もなかった。この時点で地震が発生してか ら10-15分しか経過していなかった。当直のマ ネージャーと話している時に大きな余震が襲っ た。私はクリアな空間を目指してホテルの玄関 を飛び出した。 分間は永久に続くようだった。 私は決心して出て行くことにした。2個の鞄 を掴んで外に向かった。私の部屋は非常階段の 横だったので、非常階段に向かった。ドアのプ ラスティック製ドアロックカバーを壊して開け ようとした。ロックは動かなかったので、更に しかし大都市のダウンタウンの真ん中でクリ アな空間は無かった。私は確かに空を見ること ができたが、一方、空よりも多くのビルを見る ことができた。もしこれらのビルの一つでも崩 れれば、逃げる場所は無くなってしまう。 高速道路が閉鎖され、空港も閉鎖されたこと 2011 JUL 31 を知るまで長くはかからなかった。我々には行 くところが無くなってしまったので、滞在する ているように見えた。その上多くの火災が発生 していた。これは自然災害の一つで勇壮な叙事 しかなかった。我々には水と電気があったので、 東北の被災者の人々よりまだ恵まれていたのだ。 詩のようだった。そして私はその真ん中で舌打 ちをしているのだ。 私は残りの時間をホテルに滞在してコン ピューターで情報を探し出すことに専念したが、 余震に翻弄された。私は偶然にも14階の部屋を ◆希望と異なるスケジュール変更 指定されたが、ここは好ましい部屋ではなく一 晩中余震に悩まされた。本当に多くの余震があっ たせいで、よく眠れなかった。私の脚はまだ弱 した。彼らはプランを持っていたが、私の希望 とは異なっていた。彼らは我々を1日遅れでオ リジナルのスケジュールに従うよう再計画して く、手は震えていた。 いた。何故、彼らは我々を直ぐ家に帰そうとし ないのか。私には信じられなかった。多分、我々 はいつか家に帰ることができるだろう。 空港は閉鎖され、電車や地下鉄は止まってい た。製油所が火事になっていた。11基の原子力 発電所がシャットダウンしていた。高速道路も 閉鎖されていた。 私は遠くないところにある原子力発電所が冷 却水を失いつつあり、放射能漏れが予測されて いると知った。発電所の近くの人々は避難して いた。 私はテレビのスイッチを切り、照明も切って 少し眠ろうとしたが、無駄に終わってしまった。 余震は実質的には連続的に続いていた。これら は強くはないが、何度も何度も発生した。私は 時間を計ってみた。一つの余震は12分続き、も う一つは9分だった。発生しないこともあった が、ほとんどの時間は揺れ続けていた。 私は米国本社の乗務スケジュール係が何かプ ランを持っているとの希望を持って米国に電話 しかし私の見解では我々を引き続いて勤務さ せることは問題だった。私は過去48時間で10時 間の睡眠しか取っておらず、これ以上睡眠を取 ることは不可能だった。建物は騒音がひどく、 私は少しでも睡眠を取るために動き回った。私 は同僚と話したが、彼も同じような状況だった。 結局我々は3日間で1日分の睡眠しか取れない ことになった。まったく本社の人間は何を考え ているのだろう。 我々は最終的には1日遅れでシンガポールま で行った。シンガポールではベッドに倒れこん だが、5時間しか眠れなかった。これにより過 去85時間で20時間の睡眠となった。同僚も私も 疲労困憊だった。少なくともホテルの部屋が揺 れなかったことは救いだったが、私にはいつも 揺れているように感じられた。 眠れなかった理由の一つは、床、壁そして天 井のギシギシという音だった。ほんの少しの動 きさえギシギシという音が段々大きくなるのは 驚きだった。眠ることもリラックスする間さえ なかった。私のアドレナリンはもう14時間出っ 地震が発生して48時間が経過し、自分のスケ ジュールを出してみた。それによれば、明朝成 田に戻ることになっていた。私は会社の誰とも まだ話していなかったが、ニュースなどから考 放しだ。私はすっかり弱気になって震えが止ま らなかった。私の脚は階段を下りたことで疲労 困憊し、痛みを覚えるようになった。 えると成田に戻るのは良い考えとは思えなかっ た。東京の食料不足や電力不足は言うまでもな テレビのニュースは衝撃的だった。地震は本 当に最悪だったが、実際の被害は津波に起因し 32 2011 JUL く、原子力発電所は損傷してメルトダウンして いるようだった。私は過去 CT スキャンで多く の放射能被爆を受けており、これ以上放射能の 雲を抜けてフライトして帰宅するのはご免だっ た。私はコ・パイロットと相談して明朝のフラ イトの前に決断を下すことにした。これはかな 以上が最前線からの報告だ。私は皆さんにし ばらく返事を送らないよう依頼したい。もう1 り厄介な問題だ。 私の目下の希望はおいしい食事をして、十分 週間も帰宅しておらず、電子メールを出した時 の状況から変化している。私はすぐに帰宅した い。皆さんの祈り、思いやりとサポートには大 睡眠を取ることだ。 いに感謝したい。 の mail から E 外国 い 見舞 お 東日本大震災から1週間後の3月18日、 米国の古い友人のテスト・パイロット(元 試験飛行室勤務、1983年 JAL 退職、元米空 軍大佐)から届いた、見舞いの E-mail を紹 介します。あの時期にこのようなメールが 来るとは、予想外でした。 多くの方々が私同様、個人的なチャンネ ルで外国からの E-mail によるお見舞いメッ セージを受け取られていることでしょう。 この短い E-mail から、もたもたする日本の 政治家達よりはるかに人としての温かさを 感じました。 今回の地震発生時の色々な体験報告に対 しても、それぞれの受け止め方があるよう ですが、多くの教訓が得られると思います。 全国民が一致協力してこの国難に当たる べき時期に、震災復興支援や放射能対策を Dear Ken, 後回しにして、政局に明け暮れる政治家達 We have been worried about your living の行動、縦割り行政の弊害、官民の無責任 conditions. Can you get enough to eat and 体質等々、加えて、原発事故関連の各種情 drink with all that has been going on? 報の信憑性を疑わざるを得ない現況に、日 That must have been a terrible earthquake 本という国の危機管理能力の無さにあきれ and flood. Please give our best to everyone 憤りを感じています。 there and let us know if there is anything we can do for you. (岩瀬 健祐) All the best to you and your family. Ralph and Dorothy Matsen 2011 JUL 33 再発見! そんな技 ࢫᇌếὲẅᢃᑋ Ὁ ২ᘐᜒࡈ 我々パイロットは飛行機の Manual に従って運航しています。しかし、それ以外に先輩・同輩 に加え後輩からの「技術の伝承」で培われた部分が大きいのも否定できません。一人前の刀鍛冶 になるのは、少なくとも5年はかかります。炎に照らされた鉄の色合いなどを見て判断する名工 の一挙手一投足から、技術を盗む「技術の伝承」で一人前になります。 この新企画は、刀鍛冶とまではいきませんが、「技術の伝承」「技術の研究」を目指す読者のサ ロンのコーナーです。運航の現場などからお寄せ頂くお役立ち情報や知識を集約したコラムです。 皆様からの「技術に関する情報」等々、その他有益な投稿をお待ちします。 1回完結のフリーサイト 投稿ブログ Basic Control は意識的な Trend Control である 運航技術委員会 蔵岡 賢治 最近の飛行機は、Autopilot/FD(Flight Director)が進歩し、その Monitor に Basic Control の重 要性が叫ばれています。しかし、実際の運航になかなか結びつかないのが実情です。 LEVEL OFF PROFILE Manual Trend Control(Non-FD) AUPI/FD G-Control Level Off Level Off ALT Manual Control B767 300PW WT 260T Vref30=130kts ALT 3000ft Confuguration Flap 5 170kts Flap Up 240kts FLT Phase Level FLT Partial PWR Idle Descent Level FLT Partial PWR Idle Descent Path(deg) 0.0 -1.5 -3.5 0.0 -1.5 -2.6 Rate(fpm) 0 470 1100 0 660 1130 Pitch(deg) 5.0 3.5 1.4 2.9 1.4 0.4 Fuel Flow(lbs) 5050 3750 1850 4700 3150 1950 34 2011 JUL Basic Control を、Idle Descent から Level Off の具体的な例で考えてみます。この稿では B767を 例にしますが他機種でも考え方は同じと言えます。 上表例の B767 300PW Flap5 の Idle Descent は、約-3.5度 Path で降下し、Descent Rate は約 1100fpm、Pitch は約1.4度、Fuel Flow 約18501b、です。その時、Autopilot/FD の Speed Mode の FLCH での ALT Capture は、Level Off する高度の約150ft 前でおこり、『G』を掛けない様に、最 初は小さい Pitch Up から始まり、徐々に Pitch Up Rate を大きくして、Level Off 終了で Pitch 5.0 度、Fuel Flow 50501b となり、Autopilot にまかせると、上図、太実線の様に1回で Level Off しま す。 しかし、FD に Follow した Manual Control ではどうでしょうか? 最初の小さい Pitch Up Command を見逃すと、上図、同じ『G』Control では、細実線の様に一 旦 Level Off する高度より潜り、数度の振幅を経た後 Level Off を終了します。無理に1回で Level Off するためには、大きい『G』で Control をしなければなりません。つまり、FD に従う Control は Smooth Control と Rough Control の境目なのです。従って、FD に Follow した Manual Control は FD Pitch Command Bar から目を離せないのです。 それでは Autopilot/FD の Vertical Speed を使って、例えば、100ft 単位でない1650ft に Level Off する場合はどうでしょうか。 ALT SEL を Level Off する高度より低い100ft 単位の1600(B777を除く)に Set して、1650ft の 300ft 手前で500fpm、100ft 前で300fpm にする等、Descent Rate を浅め Level Off する1650ft で ALT HOLD とするはずです。しかしこの時 Pitch を見ているでしょうか? もし FD Off の Manual Control で1650ft に Level Off する場合は、Vertical Speed と同様に、上図、 太点線1650ft の300ft 前で Pitch を約2度上げ500fpm、100ft 前で更に1度上げ300fpm その高度に達 した時5.0度にする等々、Descent Rate を浅め Level Off するはずです。つまり、諸元に徐々に近づ ける Trend Control で、しかも FD の ALT Capture 以前で Level Off 操作を開始しなければなりま せん。しかし Level FLT の Data を知らないと振幅を繰り返す事になります。 Basic Control の基本は、全ての機種で、その時の Configuration における Level Flight の Data です。 B767 Flap5 の Level FLT の Pitch は5度、Fuel Flow は約50001bs を知っていれば、Idle Descent から徐々に Level Flight の Data に近づければ良く、Vertical Speed を使って Level Off するのと同 様に振幅も少なくなります。 例え Level Off で100ft 潜っても、Deviation に応じ、図の細点線の様に、例えば、Pitch を1度高 い6度、Fuel Flow は10001bs 多い60001bs とすれば Level Off する高度に徐々に戻れる Trend を得 る事ができるはずです。また、Level FLT から、500fpm の-1.5度 Path で降下する時は、前表の Partial PWR の様に、Pitch を5.0度から1.5度下げた3.5度にして、Fuel Flow は1.5度 Pitch Down に 見合った15001bs(1度≒10001bs)少ない35001b、が Control の目安となります。この様な目安を 使えば、Level Off 操作や Non Precision Approach の500fpm、-1.5度で降下する Fuel Flow で降下 する時などへの応用範囲は広くなります。 2011 JUL 35 ※B767の Thrust の目安には Fuel Flow が多く使われています。これは、Weight が計算の関数となり、高度や温度 変化で大きく値が変わらない事や N1に比して細かく Thrust が設定できる、或いは、その時の Configuration に 応じて、Path や Pitch の変化±1度≒±10001b 等、簡単に覚えられる等が理由です。 以上の様な Pitch や Thrust(N1または Fuel Flow 等)の Control は、B767だけでなく他機種に も言え、機種毎にその目安を持つ事が必要です。Descent や Level Off あるいは Approach での Basic Control の Data は、その Configuration での『Level Flight と Idle Descent の諸元の間』にあり ます。 Level Flight と Idle Descent の Speed が同じ場合、Level Flight の Pitch から Down した Pitch の 変化量の Path で降下し、実際の降下 Path を推測する事ができます。これは FL350の様な High ALT からの Constant Mach の Descent(IAS・TAS の加速降下)や Constant IAS の降下(TAS の減速 降下)もほぼ同様に考える事ができます。 なお、Pitch または Path の1度変化の Descent Rate は、約1分間の TAS ≒ Mach の100倍 (TAS180kts/hour は3 nm/min つまり300fpm)変化し、低高度ではほぼ IAS ≒ TAS なので IAS ÷60×100fpm、3.0度ならばその3倍と考える事もできます。 Pitch に限らず、この様な種々の目安を持って Control する事が Basic Control なのです。 さて Level Off 操作で Thrust Control はどうでしょうか? 前に述べた Pitch Control と同様に Level Flight の Data が重要です。もしそれを知らなくて、 Speed を追いかける、またはその Data を探ると、例えば、Pitch Up した時に減った Speed に対し 大きく Thrust を加えると、Pitch Up と Thrust が相まって更に振幅が大きくなりがちです。逆に Pitch Down した時に Thrust を絞るのも同様です。何時までも Level Flight に落ち着かない事にな りかねません。 Speed Control も、表示される Speed を追いかけ Thrust を変化させる『Chase Control』で本来 の Target Thrust の諸元を忘れない様にしなければなりません。さらに、その諸元を元にし、時間 を考慮した Airspeed 修正の目安、例えば B767で Path を変化させなければ、±10001bs の Fuel Flow 変化で10秒につき概略±3 kts の Speed 変化率を得られる等々の Trend Control を利用する事もで きます。 このように時間を関連付けた Pitch や Thrust 等の『Trend Control』を実際の Flight の場面にお いて応用すれば、無駄が少なく根拠のある Control が可能になり、そしてそれは、他の情報を得る ための時間的余裕を作り出す事ができます。その時間的余裕が無くば、Trim を確実にとる事もでき ず不安定な状態が継続し、Flight Instrument から目を離せず、Management にも気がまわりません。 以上述べたように、Basic Control は諸元に向けた『Trend Control』なのです。Basic Control は、 諸元を追いかける TV Game の Shooting Game の様な『Chase Control』ではありません。ややもす れば FD Follow の Control は『Chase Control』になり勝ちです。 36 2011 JUL 『Follow FD! Follow FD!』と言う人もいますが、あまりに FD を追いかけると、その向こうに ある Pitch を見逃したり、大きい Pitch 変化となったり安定せず、Basic Control の修練の機会を奪う 事にもなります。 『Follow FD!』は Basic Control で諸元が落ち着いてからにしたら如何でしょうか? CONTROL CONIC CURVE 左図の円錐曲線で、AUPI/FD が行う G Control の先 Rough Control Area は Rough Control Area です。G Control の円錐曲 線はその境界です。Trend Control は G Control の 手前にあり、より小さい G Control です。 Manual Control では FD の動きを待つのではなく、 FD が動く前に Trend を作る Control を心がけます。 以上、Level Flight を例に Basic Control を述べましたが、Final から Landing の間はどうでしょ うか? この場合、3.0度などの Path 上を降下していますが、Gear Down & Landing Flap の Configuration で3.0度の Path 上を Level Flight している、と考えれば同じ事で、その Configuration で の Data を知る必要があります。 Basic Control は、単に高いから Control Column を押さえる、低いから引っ張る、或いは Speed が増えたから Thrust を絞る、減ったから足す様な Control ではなく Pitch ○○度、Thrust ○○ lbs (N1)にする等々、適切な Trend を与える『意識的な Control』なのです。 これは意識的に『Bank ○○度で次の Course に乗る』等の Bank Control にも言えます。 これらの Control が顕著に表れるのが Visual Traffic Pattern の Manual Flight です。Visual Traffic Pattern には、Level Off 操作、Level Flight、Path 降下等々、Pitch・Thrust、Speed Control 等 の Basic Control のあらゆる基本が凝縮しています。Basic Control の能力を自覚する、或いは、高 めるためには Visual Traffic Pattern を FD Off で飛んでみるのも一つの方法と言えるでしょう。 また Autopilot や Auto Throttle の Control を Monitor するのも、任せっ放しでなく、Manual Control で行う『意識的な Control』に基づいて Monitor する事が必要です。 Autopilot や Auto Throttle の Control は、各諸元の『Deviation 0(zero)”』を目指す Deviation Control です。従って、時に自分の『Trend Control』や『意識的な Control』と比較して『そんな に Pitch 上げるなよ!』 『そんなに Thrust 絞るなよ!』等々の Over Control が起こる場合もありま す。従って、Auto Flight でも Control Column や Thrust Lever に手を添えるのは意味があるので す。同時に Pitch・Thrust・Speed などの Cross Check の練習ともなります。 Auto Flight の Cruise や各 Configuration での Level Flight で安定している時でも、漫然と Instrument を見るのではなく、Level Flight の Pitch や Thrust にも注意を払って Monitor して下さい。 Basic Control の重要性が叫ばれていますが、具体的に考えれば大げさなものではありません。 その基本は『Level Flight の Data』なのです。Level Flight の Data を把握し、それを基に『意識 的な Control』で『Trend Control』をする事が必要です。この『Trend Control』は操縦の良し悪し に結びつきます。 Basic Control は意識的な Trend Control である !!! 2011 JUL 37 1回完結のフリーサイト 投稿ブログ 航空機の騒音低減テクノロジー 解説 JAXA 客員 柴 田 眞 女性のフリルスカートを思わせる Boeing787型機のエンジン・カウル(写真1)、(写真2拡大部 分)ですが、外板にある波型の切れ込みはファッションではありません。 この波型のカウルはシェブロン(Chevron)と呼ばれ、語源は軍服の袖についている山形章のこ とですが、シェブロンを高速な空気の流れの中に少し張り出すと、エンジン回りの空気流が流れの 方向に縦渦を作り、低周波のノイズを軽減できるのです。空力・音響統合設計の画期的技術なので す。 なおビジネス・ジェット機のような小型機のエンジンでは、コルゲート・ミキサー(Corrugate Mixer、写真3)と呼ばれるノイズ低減装置が採用されることがあります。 これは昔からあるデバイスですが、今でも工夫・改良が重ねられています。この写真は Cessna Citation X(テン)に搭載したエンジン RR AE3007C1ですが、18-lobe もあります。 写真1 (奥貫 博編集委員提供) 写真2 (奥貫 博編集委員提供) 写真3 (会員 岩澤和彦氏提供) 38 2011 JUL 痛し痒しのタンデム・ローター・ヘリコプタ その1 お助けマン SAS 文と絵 湧井 カレン 揚力ローターを2基、串状(タンデム)に配置したタンデム・ローター・ヘリコプタは、単ロー ター(テールローター式)ヘリコプタに比べてかなり異なった特性を示します。操縦システムにつ いてもタンデム・ローター式に特有な装置が用意されています。以下にタンデム式で商業的に成功 を収めた代表的な機種、V107型ヘリコプタ(絵1)について紹介します。わが国では民間機として のタンデム・ローター・ヘリはもう運航されていません。今となっては旧聞ですが、操縦性と安定 性に関する当時のテクノロジーとアイディアが随所に採用されています。今ではもうタンデム・ロー ター・ヘリを操縦する機会のない我が国の民間ヘリ・パイロット諸賢に、これらを紹介したいと考 えました。 旅客機のように長い胴体とするには、タンデム・ローターが有利です。しかし物理特性で、旋回 能力や方向安定は単ローター式に敵いません。設計屋さんの努力の結果、多くの痛みと痒みを電子 式の SAS(Stability Augmentation System)という「安定増大装置」を採用することで克服し、マ シンとして通用するヘリコプタになりました。旅客運送も外部貨物の吊り上げや輸送もできる、器 用なヘリとなりました。 筆者の記憶は既におぼろで正確な解説は 叶いませんが、随所に見られる設計上の工 夫や特徴をパイロットの感覚的表現でお許 しいただくことと、数式をいっさい使わな い記述とご理解の上お読みください。また 本編ではヘリコプタの基本的な解説はしま せん。 V107ヘリコプタの沿革と性能・諸元 絵1 KV107Ⅱ タンデム・ローター式の原型は米ピアセッ キ社の H21(V44、絵2)に始まります。 V107のプロトタイプ(原型)は米バートル社の設計・製作によるものでした。バートル社は1960年 米ボーイング社に併合されましたが、その後民生型の製造・販売権が川崎重工業㈱に移り KV107II 型シリーズとして160機が生産されました。KV107II は耐空類別、輸送機T類のスペックを満たして おり6機が商用機として使われました。また陸、海、空自衛隊、東京警視庁向けに122機、輸出仕様 の32機がスウェーデン王国、サウジアラビア王国、タイ王国、アメリカ PANAM 社で使われてお り、同型機には多くのバージョンがあります。ボーイング社では軍仕様の H46型として524機が製造 され、米海軍・海兵隊で2014年まで使われる予定です。今日では日米ともに製造は終了しており、 タンデム・ローター・ヘリはより大型の CH47(チヌック、絵3)に活動の場を譲っています。こ のたびの東日本大震災での活動はご存知の通りです。 2011 JUL 39 絵2 ピアセッキ V44 Flying Banana 絵3 CH47 Chinook 一例として KV107IIA-5型機の主な性能と諸元は以下の通りです(図1) 搭載エンジン:CT58-IHI-140-1 連続最大出力 1250SHP/ 基 ×2 最大全備重量:9707kg 基本全備重量:8618kg 最大速度:274km/h 最良巡航速度:237km/h 航続距離(最大全備重量10%残存):1000km 空虚重量:5624kg 乗客 / 乗員数:25/2(民生型) 燃料容量:1000 U.S.Gal. 左図は航空自衛隊救難機仕様 旅客型機のカッタウェイ 図1 KV107Ⅱ-5 3面図 基本構造と操縦システム V107ヘリコプタの基本構造のいくつかを予備的な知識として述べます。 1 トルクを打ち消すために前後のローターは互いに反対方向に回る 2 個々のエンジン出力はクラッチを介し、後部減速ギアボックスの Mix Box で合わされローター 回転数(264rpm)に落とされた後、後部ローターとシンクロシャフトを介して前部ギアボック スに送られ、前部ローターに伝えられる。前後のブレードは全関節型で60度の位相差で同期し ている。またシンクロシャフトは数本のユニットに区切られ、フレキシブルなカプラーでつな いで胴体のたわみに対処している 3 輸送機T類のスペックを満たすため、操縦リンク、油圧、電力は2系統の冗長性を、客室は規定 の緊急脱出能力を満たしている。TA 級(ヘリポートでの運航) 、TB 級運航が認可されている 4 知り得た凍結気象状態で長時間飛行することは保証されない 40 2011 JUL 図2 パイロットによる操縦の操作 図2のようにパイロットによる操縦操作は、機体の上下動については普遍的なコレクティブ・ピッ チです。前後の運動、縦のスティックで制御するのはスワッシュ・プレートではなく、前後のコレ クティブ・ピッチに差をつけるディファレンシャル・コレクティブ・ピッチ(DCP)。そしてロー ル、ヨウ運動を制御する横スティックと方向ペダルです。サイクイック・ピッチはスワッシュ・プ レート(ローター面)の左右傾斜のみを制御し、前後傾斜にパイロットの操舵は関わりません。 さて、タンデム・ローター・ヘリでは DCP によってピッチング・モーメントを得ています。こ れは単ローター式に比べ、重心移動範囲が2~3倍大きく設定でき、しかも低速域での操舵応答が 優れています。しかしローリング、ヨーイングに関してはテイル・ローターによる推力制御がない ので、特にヨーイング・モーメントの減衰は期待できない、そこで垂直尾翼の役割としての大きな 後部パイロンがあるのですが、なお電子的な安定増大装置(SAS)が必要です。 前後のローターの径は空力的に適当な寸法で決まり、胴体の長さは構造力学的な考慮で限られた 寸法に決まります。だから前後ローターの一部がオーバーラップするのは避けられません。 (図1の 3面図)その結果前部ローターの吹下ろしが後部ローターに影響し、特に低速域の頭上げモーメン トが強くなります。それは操縦桿を前に押し出すことになり、静的に安定なのですが、後部ローター の推力を大きくするので、中・高速域ではスティックの勾配は逆転してしまいます(この部分の解説 は長くなるので省略します) 。速度が増えるにつれて操縦桿が手前に移動することは設計上(或いは マン・マシン系として)許されないので人工的な補助装置により改善しています。 2011 JUL 41 速度センサーにより30ノット以上で自動的に前後 ローターのコレクティブ・ピッチ角を変化させるディ ファレンシャル・サイクリック・ピッチ・トリム (DCPT)と70~110ノットの間で、速度信号に応じ て(または手動によりパイロットのスイッチ操作で) 後部スワッシュ・プレートを前傾させる後部縦サイ クリック・トリム(ALCT)の2つの機能でスティッ クが正の勾配になるように補正しています。 また110ノット以上の巡航姿勢では床面が極端に前 に傾斜することも補正し、乗客の乗り心地も改善さ れます。 図3 縦トリムによるスティック勾配の改善 図4 操縦席の縦トリム操作 42 2011 JUL 図3、図4でその結果がお分かりでしょう。前部ローターには手動入力でスワッシュ・プレート を後傾させホバリング時のピッチ姿勢を約10°up から6°up に戻し、視野を改善させる機能(Hover Trim)があります。 さて、ローリング、ヨーイング系統はどうでしょう。ヘリコプタではホバリング・ターンとコー ディネイト・ターンの弁別をどこかで付けねばなりません。V107では40ノットで区別しています。 しかしこの切り替えが乗客やパイロットに分かるようでは品がない。それとなく自然に、上品に切 り替わるのがエンジニアの腕の見せドコロでした。設計の美学ですね。 V107の SAS は三軸周りの角速度をレート・ジャイロで検出し、この信号をパイロットの修正舵 に加えてピッチ、ロール、ヨー角速度に対する減衰を増大しています。機首部分に設けた静圧孔の 圧力差から機体の横滑りを検出し、方向修正を加え方向安定を増すと共に40ノット以上での操縦桿 のみによる釣り合い旋回を可能にしています。 40ノット以下では横滑り信号は働かず、ペダル操作によりホバリング・ターンが可能です。 SAS の全系統は独立した2系統により通常はそれぞれが1/2ゲインで作動(SAS スイッチが Both)、 油圧または電源の故障で1系統が落ちた時は自動的にフル・ゲインで作動します。機体の動揺は SAS により初期段階でしずめられるので大きな操舵ストロークは必要とせず、且つハード・オーバーに 対する配慮からもピッチとロール軸は15%、ヨー軸は35%に制限されています(これを SAS のオー ソリティと呼んでいます)。よくある誤解に「SAS が全操縦範囲(ストローク)の XX%を受け持 つ」と言うのがありますが、SAS は「操縦の巧みさ」を支援する機能、100%を支配するオート・ パイロットと異なるところです。理想的なパイロット操舵に対して SAS は働きません。つまり下手 くそパイロットの家庭教師のような働きをするのですね。またガスティな時にもパイロットの知ら ないところでよく働いてくれるのです。 ことほど左様にロール、ヨーに関してタンデム・ローター・ヘリは暴れ者です。設計屋は受けた 外乱による振幅が2倍に発散する時間を振幅倍増時間(図5)と言って安定を論じる尺度とします が、V107のヨーの不安定さはこの振幅倍増時間が僅か2秒弱なのです。パイロットによる操縦が出 来る最低限のレベルで、SAS の介護がないと航空機としての品質を満たしません。 SAS OFF での飛行は訓練時に一応演練します。技 量評価検定では巡航状態で SAS OFF とし、通常に着 陸できる技量を示さなければなりません。しかしこの 課目はむやみにやらない方が良い、難しいしとても危 険です。 SAS OFF での飛行と相まって難しいのが地上滑走 のテクニックです。特に目方が軽い時の3点接地によ るタクシーは難しい。ノーズ車輪に荷重を懸けて進行 方向を決めます(キャスタリング)。 図5 振幅倍増時間 2011 JUL 43 軽荷重のようにコレクティブ・ピッチが少ない時は、ローターブレードのピッチ角を制限するメ カニカル・ストッパー(droop stop)のためにサイクリック・ピッチが自由に使えない。無理をす るとブレードがストッパーを叩くので大きな振動が起きます。(droop stop pounding)ノーズ車輪 のキャスタリングに頼りたい3点接地の地上滑走ですが、コレクティブ・ピッチを大きく使うとキャ スタリングの効果が薄れる。コレクティブ・ピッチを小さくするとサイクリック・ピッチが使えな い、まさしく痛くて痒い地上滑走ですが、両者を巧みにコーディネートさせるのがテクニックです。 3点接地による後退滑走は物理特性上できません。後退滑走は機首車輪を浮かせたままになりま す。 V107では SAS のおかげで横風や背風下でも安定したホバリングができます。スティックのみの 操作でコーディネート・ターンができます。ヘリコプタでは珍しいことですが、巡航形態で長い秒 時の手放し飛行も可能です。これはタンデム・ローター・ヘリの強みと言えるでしょう。V107のパ イロットは常に SAS の恩恵に浴しているのですね。 SAS というお助けマンが居ないと満足に飛 べない V107ですが、これを乗りこなすには SAS OFF の飛行と地上滑走のテクニックを マスターすることが早道です。SAS OFF に 挑戦するのは荒馬乗りの心理と同じ。これら の痛みと痒みを克服してこそ V107の醍醐味が 味わえるというものです。 筆者はかつてサウジアラビアで就職した多 くのアメリカ人パイロット(米海兵隊 OB) ブレードを折りたたんだ米海兵隊の CH46D(米ボーング社製) の訓練プログラムを担当しました。技量の習 得度を見るのに東京ドームほどの広さの中で lazy eights をやってもらいます。前進、横進、上昇・降下、ホバリング・ターンとコーディネート・ ターンを組み合わせたマヌーバ、速度は20ノットほどです。この時ペダルはフル・ストローク使う ことがあります。仕上げに地上滑走と SAS OFF での飛行をやらせて、汗する彼らを眺めてサディ スティックな喜びを覚えたものです。「Mind! You’re gonna have NO SAS carpet flying」(オラオ ラ! アラビアの魔法の絨毯には SAS など付いとらんぞ)と、意地悪ですね。 V107の装置や操縦性には他にも紹介したい機能がたくさんあり、また限られた紙面では解説を省 いた部分もあります、次回は KV107の自動飛行装置(Programmed Flight Autopilot)について紹 介します。 参照した文献 * KV107II ヘリコプタの安定性と自動操縦システム 川崎重工業㈱航空機事業本部 増江 達也 * Kawasaki KV107 Service News No: KSN-V107-039 44 2011 JUL 航空に携わる方々の、チョットした一コマなどを紹介する、皆さまからの投稿で成り立つ、 Café で気楽に読める様な投稿コーナーです。日常的な事ごとや思い出など、色々なジャンルの 読物をお寄せ下さい。 あっち向いてホイッ!のアクロバット かけだしパイロットの追憶-② 遠くに綿あめ、いや現代風に言えばアイスク リームを積み重ねた様な真白き入道雲が見える 真夏の空である。眼下には瀬戸内海の島々と海 の青さがより一層強調されコントラストの強い 景色が広がっていた。 パイロット訓練も後半になると、高度な訓練 科目のアクロバットが入ってくる。それも目白 押しに。 スピン、ループ、エルロンロール、バレルロー ル等々、 (言葉では表し難い。詳細は省く)中で もインメルマンターンは戦闘機乗りの有名な飛 行技術であった。 ※これからは、飛行機をイメージしながら読ん 駆出しパイロット れ、きりもみに入る。回復方法は、数回のきり きり舞いの後、回転方向とは逆の Rudder を踏 んで回転を止める。 この旋転数を数える方法は、水平飛行で正面 の目標、例えば瀬戸内海の島や入道雲を目印に して、旋転中にその目標の通過を数える、ので ある。 旋転中は、瀬戸内海の美しい景色が走馬灯の 様に目の前を通過する。 スピンは、相当な“G”を機体にかけ、落下 する高度も大きく、強度上最大3旋転であった。 スピンはエンジンのパワーが無い状態できり きり舞いをする落下なので、プロペラ機特有の トルクの影響は少ない。 で下さい。 しかし、その他のアクロバット科目は、減速 スピンは、きりもみ、いやきりきり舞い!と も言え、科目は、その状態に飛行機を強制的に 入れ、降下させながらその異常事態からの回復 を図るのである。 を伴うので、エンジンのパワーを増加させる必 要がある。ここで問題なのが、常に機首を偏向 させるプロペラ機特有のトルクである。微妙な Rudder 操作が必要なのだ。 機首を上げながらエンジンのパワーを絞り、 インメルマンターンは水平飛行から上昇させ、 Rudder(方向舵)を踏み込むと飛行機は横に倒 高度を上げたら、クルリと飛行機を横転させ、 2011 JUL 45 反対方向に水平飛行する、つまり、高度を変え る途中で方向を逆にする科目である。 初めに真後ろを見て目標を定め、科目終了の 時、その目標に機首を向けるのだ。 そして再びアクロバットの訓練飛行の日が 巡って来た。 インメルマンターン! 気持ちは高揚する。 夢にまで見た結果が出るのかどうかだ? この科目はトルクが殆ど無い Jet 機では容易 だが、トルクが大きいプロペラ機では機首が偏 向するのでかなり難しい。 先ず、後ろを向き入道雲を目標にとる。そし て前回の反省から、更にもう一つ、上空の薄い 雲を加え、二つの目標をとった。 高度を上げ水平飛行になった時、目標と違う とんでも無い方向に、時には90度方向、言うな 機首を上げ、上空の薄い雲と反対方向の目標 の入道雲を注視しながら追い上昇する。 らば『あっち向いてホイッ!』となってしまう のだ。 薄い雲を見ながら Rudder を少しだけトルク を打ち消す方向に踏み込む。そして水平飛行に 移る前にまた少し方向修正の Rudder を踏み込 む。 何度やっても、初めに決めた目標に向かわず、 『あっち向いてホイッ!』となってしまう。 真夏でも上空の温度は、涼しいはずだが、さ すがに汗をかく。 『ヘタクソ! 俺にやらせてみろ! 手本を見 せてやる! 手を離せ!』と教官が言う。 科目終了の水平飛行に移った目の前には、青 き瀬戸内海の島々の上空に浮かぶ、目標の入道 雲がキラキラと白く輝いていた。 『よーし! 次の科目だ!』教官の声が後部席 から聞こえてきた。 さて水平飛行から上昇、飛行機を横転させ水 平飛行となった。『あれ?』横を向いている? 離せと言われた、Rudder にかけていた足に 力が加わり機首がなんとなく目標に合った。 「あれ? Rudder でチョットごまかした?」 操縦技術は盗んでもマネではない。根拠の無 いマネ、猿まねとしない為にも、反芻して考え、 裏付けが重要なのだ。40年経た今、それを思い 起こさせる。 『どうだ!』との教官の声に返す言葉が無い。 それほど難しい科目なのだ。 この教官は、その後の卒業飛行で、先行機の 後流で揉まれ、機体が常に上下左右に動く、十 操縦技術は盗む物だ、とも言われている。目 標に合わせる裏技?を知ったのだ。 六機ダイアモンド編隊飛行の操縦を任せてくれ た同乗教官でもあった。 出来るかも知れない!と思ったのもつかの間、 思いとは逆に『さー! 帰ろうか!』と帰途に ついた。 消化不良のままでは気分は晴れぬ! 持ち前 の反骨精神が頭をもたげてきた。宿舎で何回も 何回もインメルマンターンを Image Training し、ついには夢の中にそのイメージが浮かぶ。 46 2011 JUL 空の記録への挑戦 ロートルパイロット 空の記録への挑戦には、常に二つの側面が存 在する。ひとつは科学技術的な面、もうひとつ (ウェーブ)を利用すれば何日でも滞空できるの で、これはもう人間の体力勝負だけの問題となっ は挑戦する人間の意志である。そのどちらが欠 けても、記録の達成は有り得ない。 て、記録の意味が無いとの判断から、世界記録 としての公認は行われていない。 新技術の分野では、昨年、太陽電池を動力と する飛行機「ソーラー・インパルス」の記録が 国際航空連盟(FAI)に公認されている。 主翼の太陽電池からの電気でプロペラを回し、 また夜間飛行用のバッテリーを充電する飛行に は、新しい技術としての夢があるのだが、記録 への挑戦ならば、場所と時間を選び、グライダー のはるか上を行って欲しい気がするのも事実で ある。 この記録は7月の1昼夜に及ぶ飛行で達成さ れたもので、太陽エネルギーを利用した飛行機 の滞空時間、絶対高度及び獲得高度の世界記録 として認められたものである。(注) 記録は、絶対高度が9,235m、獲得高度が8,744 m、滞空時間が26時間10分19秒という立派なも のである。人類の新たな科学技術の挑戦として 大いに注目されたものであるが、グライダー乗 りの筆者としては、 「待った」と言いたくなるこ とがある。 確かに、太陽電池飛行機の挑戦としては理解 できるとしても、所詮、対流圏を飛ぶ飛行機の 高度記録などは、自然の力を利用しなければ達 成できないのだから、太陽光線のエネルギーに 加え、自然の空気の動きを利用すれば、また別 な記録が生まれたのではないか。 わかりやすい例では、動力装置を利用しない グライダーの世界記録がある。 こちらは、絶対高度15,460m、獲得高度が 12,894mという立派なもので、動力を持たない のに、太陽電池飛行機のはるかに上を行く記録 である。 グライダーの連続滞空時間の方は、季節風が 大きな山脈にあたって発生する空気の脈動 ソーラー・インパルス この太陽電池を動力とする「ソーラー・イン パルス」のプロジェクトでは、これから数年の 間に、大西洋横断、世界一周等の記録への挑戦 が考えられているとの事。こちらも、自然の力 を大いに利用することになるのだろうが、その 記録に期待したい。 (注)絶対高度・獲得高度 絶対高度:海面からの最大高度 獲得高度:動力機の場合は離陸滑走路の標高 から絶対高度迄の上昇で獲得した高度。滑空 機の場合は飛行機曳航で離脱した高度から絶 2011 JUL 47 対高度迄の上昇で獲得した高度。 尚、離陸又は離脱した高度から、一度高度を 何と言っても、軽4輪の自動車よりも狭い単 発セスナ機に大人2人が乗り込み、操縦、食事、 下げて再上昇した場合は、その最低高度から 絶対高度までの上昇で獲得した高度。 睡眠、着替えからトイレまでを含む生活を2ヶ 月以上も続けようと言うのである。 さて、 「挑戦する意志」による記録には、なか なか面白いものがある。現在、その挑戦が公表 それにしても、Boeing757,767等を飛ばす職 業エアラインパイロットがこのような記録への 挑戦を発案する情熱は、やはりヒコーキ好きの されているものの中に「Commit65」プロジェ クトがある。要は、単発のセスナ172等の機体を 使用して、連続65日の無着陸連続飛行に挑戦し 米国ならではのことであろう、この日本で、こ のようなことを言い出したら、一体、どのよう なことになるのやら。 ようというのである。 現在の無着陸連続飛行記録は1958年12月4日 から1959年2月7日まで、セスナ172で達成した 64日22時間19分と言うものである。この記録を 超える事が目標である。 50年以上も前に達成された、2ヵ月を越える、 1,558時間の連続無着陸飛行は、ラス・ヴェガス 空港周辺で行われたもので、2人で交代して操 縦し、補給が必要な時は、砂漠の高速道路を走 行するフォード・トラックの上を飛んで燃料の 補給を受け、また、食料、水、オイル等はロー プで吊上げたとのこと。 太陽電池を動力とする「ソーラー・インパル ス」には、科学技術の挑戦としての興味があり、 また、65日間の無着陸連続飛行を目指す「Commit65」プロジェクトには、挑戦する人間の意志 と汗への興味がある。 どちらも目が離せないプロジェクトになりそ うである。 今回の挑戦では、セスナ172を候補とする適当 な飛行機を選定し、機体を入手後、燃料タンク を増設した上で空中給油装置を取り付けて、12 時間ごとに1日2回空中給油を受ける計画との 事。また、オイルも機上で補給できるように改 修し、一定時間ごとに新しいオイルに交換出来 るようにするとのこと。 記録飛行はアイダホを出発点として、米国全 体にわたっての飛行を目指すとのこと。記録の 達成には天気がキーポイントとなるのだが、何 よりも大切なものは、 「やり遂げる意志」である ことは間違いない。 48 2011 JUL 地上からの燃料補給(出所:EAA HP) 3本目が最高 !! 湧井 カレン テーマですが着艦の美学として面白い話題です。 母への離着艦はしませんが、基本装備として空 母での運用も可能な機能を備えています。その 一部に、着艦デッキに装備されたアレスティン 空母を持たないわが国の自衛隊で使われる艦 グ・ワイヤー(拘束ケーブル)に捉まえて貰う アレスティング・フック(拘束鈎爪)を持って 空母に着艦する艦載機が何本目の拘束ワイヤ にフックを引っ掛けるのがベストか? 妙な 載機のひとつに E2C ホークアイという飛行機が あります。 (写真1)E2C は早期警戒機(AEW) として上空からレーダーにより航空機や船舶の 動向を監視してその情報を地上の管制機関に通 報する任務を行う航空機です。監視と管制を空 中で同時に行う機能を持たせた空中警戒管制機 (AWACS)とは任務が異なるのですが、共に 「空飛ぶレーダーサイト」として知られていま す。AEW が戦術的機能、AWACS が戦略的機 能と考えてもいいでしょう。 います。(写真2) 写真2 ケーブルとフック 筆者は旧職で E2C の定期修理を行う会社で整 備飛行試験を担当していました。空母に離着艦 した経験はありませんが、教官やマニュアルか ら得た井戸端会議的な知識ならあるのです。 アレスティング・フック(拘束フック): テイル・フックとも。飛行機の下腹部後部に 写真1 着艦する E2C ホークアイ あり、デッキに張られたアレスティング・ワイ ヤ-を引っ掛ける長さ2mほどの丈夫な鈎爪で す。着艦前に「Down」とします。 E2C は米国ノースロップ・グラマン社で開発 されました。米海軍では空母航空部隊の進出方 向110マイルの空域に先行して、上空で捉まえた 情報を母艦や部隊に通報します。ミサイルなど の攻撃兵装はなく、アクティブな兵装は電子妨 害、対妨害機能(ECM,ECCM)のみです。 アレスティング・ワイアー(拘束ケーブル): 航空機のフックを捕捉した瞬間、油圧により ブレーキをかけ停止させる。麻と鋼鉄を縒り合 せたケーブルをデッキに5-10cm ほど浮かせて 配置する。120ノットで着艦する25トンの E2C を 350フィート以内に停止させる能力があります。 我が国では航空自衛隊の警戒航空隊により運 用されています。陸上飛行場での運用なので空 このケーブルは着陸帯のアプローチ側(艦尾) 2011 JUL 49 から30フィートほど進んだ位置から35フィート ごとの間隔で4本が張り渡されており45秒ごと 艦尾の構造物に引っ掛ける可能性が一番高いか ら「ペケ」ですね。 に再セットされます。 2本目は「まあまあ」か。しかし3本目と比 ミート・ボール(絵1はイメージ): 着陸帯の左側に設置される VASI、カタチは絵 のようで緑色の水平バーを基準にライトの位置と 色、フラッシュで着艦の高低、良否を判断します。 ヘッド・アップ・ディスプレイ(HUD): 操縦席にあるコリメート・イメージ・レンズ。 着艦に必要な情報を着艦デッキを見通して表示 する。 (筆者の経験した E2C には未装備でした) 絵1 コックピットから見た着艦デッキと Meatball さて、アレスティング・ワイヤーの哲学です。 べたらそのリスクは大きい。 4本目はおそらく High です。これに引っ掛 け損ねたら wave off(go around)しないと「水 ポチャ」で一巻の終わり。大変リスキーな着艦 でやはり「ペケ」です。 2本目の構造物に当るリスクと、3本目の「あ と1本」のリスクを比べたら3本目がまだ安全 サイドだろう。 そこで3本目のワイヤーに捉まえられたパイ ロットが一番優秀と評価される。因みにパイロッ トはデッキに接触したら直ちにパワーを「Max」 位置にします。万一ケ-ブルを捕捉できなかっ た時には wave off しか手段がないからです。 アプローチ中の パイロットは LSO (Landing Signal Officer)のコント ロールにも従う義 務があります。ラ ジオとパドルで Bolter(離 艦!) の指示が出たら w a v e o f f( g o around)しなけれ 差し渡された4本のケーブルの何本目に引っ 掛けるのが良いのか? ばなりません。 3 本 目 に 引 っ 掛 け た パ イ ロ ッ ト が「Well done」です。Meat ball に正しく合わせて、そ のまま「ドシン!」と落とすのがコツらしい。 多くのアプローチ中の艦載機はバック・サイド トム・クルーズの映画にもあった離艦の信号 を出す ACO(Airplane Catapult Officer)は若 者が憧れるカッコいい下士官のお兄ちゃんです が、LSO はパイロット上りの怖い将校。 領域を飛行します。 (Vx より低速側で抗力が極 端に大きくなる性質)大きく機首上げ姿勢になっ 離着艦は「他力本願」の艦載機ですがこんな 写真3 LSO ており、その時のパワーは70-85%ほど入って います。 だから接地前のフレアはしません。そのまま の降下率で着けてしまいます。 ところにも哲学があるのは面白いですね。 1本目のケーブルならおそらく low でしょう。 ろしい」と。これは哲学ではなくて生理学か! 50 2011 JUL JAPA 事務所の近くにあるお弁当屋の箸袋に は面白いことが書いてあります。 「腹八分目がよ “安全の分水領 ” アクシデント ・ インシデント概要 フライト・ セイフティ・ファウンデーション(FSF)2011年2月号より 訳 佐藤 裕 ここに示す文書は、読者の皆さんが飛行中の遭遇するかも知れない困難な状態を切り抜けるうえ で、何らかの手助けになれば、と思い掲載し続けています。 なお、この文書は各国の運輸安全委員会が発行した、正式な報告書をもとにまとめてあります。 :FSF 編集部 このファルコン機は2009年11月の初め、整備 ログに記入されていた、ホイール・ブレーキを 作動させると機体が左に引っ張られてしまう、 と言う不具合に関する修理をイングランド、ケ ント州ビギン・ヒル空港で終えた。 これを担当した整備士はリギングを点検し、 ホイール2本を交換、そして左メイン・ランディ ング・ギアのブレーキ・システム・コントロー 航空機のクルーが待機している。 “この時点において、このクルーはどの様な整 備が行われたのか、あまり気にかけていなかっ た”と報告書。 11月10日、この女性キャプテンは社より“翌 日、整備会社から要請のあったハイスピード・ タクシーを含め、必要な作業を終えるように” との文書によるメッセージを受けていた、とも 報告書は書いている。 明らかにこの指示には地上でのチェックを行 うだけで、同社の運航規定に定められている“オ ペレーショナル・チェック・フライトとは、整 備終了後、各コンポーネント、システムが正常 に作動するか、あるいは航空機の性能が正常で あることを確認する飛行を言う”という項目に ル・ユニットも交換した。 低速度でのタクシー・テストは整備士が行い、 報告されたブレーキの不具合はこの整備で直っ たと話す。 は該当しない。 そしてキャプテン、コーパイロット共にオペ レーショナル・チェック・フライトに必要な訓 練を受けていなかった。 イギリスの AAIB (Air Accident Investigation Branch)報告書は、しかし整備を担当する部門 11月11日朝、整備会社に到着したクルーは、 同社の整備担当責任者より、ブレーキを作動さ は航空機を運航する会社に、運航会社のパイロッ トによるハイスピード・タクシー・テストを行っ てほしいと依頼した、と書いている。 すでに、修理を終えた後機体を受け取るため、 せると左に引っ張られる、ファルコン機の不具 合に関するブリーフィングを受ける。 “クルーに対し、ハイスピード・タクシーを行 い、この不具合が直っていることを確認しても ビギン・ヒル空港にはキャプテン、コーパイロッ トそしてキャビンアテンダントからなる、この らいたい”との要請も伝えた、と報告書。 “この国際空港で、先ず50ノットまで加速して ジェット ハイドロ・オイルに火が ダッソー・ファルコン2000:中破、負傷者なし 2011 JUL 51 テストし、次に80ノットまで加速してテストし よう、と決める。 “クルーと整備部門の責任者はこの現象につい て協議し、もう1度テストをすることに決めた” 性 能 を 計 算 し た ク ル ー は、5,910 フ ィ ー ト (1,801m)のランウェイでこのテストを行って も加速停止距離は十分であることを確認する。 と報告書は書く。 ランウェイ・エンドまでファルコン機をタク シーさせた後、機体の向きを変える。 しかし両パイロットとも、フライト・マニュ アルに規定されている緊急時のブレーキ限界及 び様々な速度で離陸を中断した場合、定められ 8回目のテストはターゲット・スピードを80 ノットに設定して開始したが、30ノット付近で 左メイン・ランディング・ギアのタイヤがパン ている最小ブレーキ冷却時間については調べて いない。 3名のクルー、整備部門の責任者2名、及び クしたような感覚を持ったクルーは、テストを 中断した。 報告書は“クルーは管制塔にタグの派遣を求 作業を行った整備士2名が航空機に乗り込んだ。 “整備部門の責任者1名は、キャプテンとコー パイロットの間にあるジャンプ・シートに、整 備士2名はキャビン後方のシートに座った。 キャビンアテンダントは彼らに機体の出入り 口、及びシートベルト着用(義務付けられてい る)についてブリーフィングを行う”と報告書。 報告書は“クルーは出力をテイクオフ・スラ ストにし、ランウェイ上でターゲット IAS まで 加速、その後スロットルを絞って機体を停止さ せるため減速し、一連のテストを行った”と報 告書。 2回テストを行うハイスピード・タクシーの 1回目は、50ノットまで加速する。 パイロット達はランウェイ上でさらに2回テ ストを行ったが、特に異常は見られない。 再度向きを変えたクルーは、ブレーキを作動 させるまで、機体を速度80ノットに加速する。 加速した時点でキャプテンは方向を維持しよ める送信をするがこの直後、タクシーウェイ上 で待機していたほかの航空機のパイロットが、 ファルコン機の左メイン・ランディング・ギア から炎が噴出している、との送信があった。 この火災を視認した管制官はファルコン機に、 火災が発生している、機外へ脱出するように、 と送信した。 クルーは緊急脱出の手順どおり、通常の出入 り口から全員を機外へと逃した”と報告書は書 いている。 空港の救難消防チームが出動し、隊員はすぐ に火災を消した。 タグでタクシーウェイまで牽引された機体の 初期調査が始まる。 “左主翼及び左メイン・ギア、そしてフラップ が激しく燃えていた”と報告書。 フライト・データの記録を見ると、15分ほど の間にハイスピード・タクシーは8回行われ、 このため両メイン・ランディング・ギア・アッ うと左ブレーキを一杯に踏み込む。 後日事故調査官は、このハイスピード・タク センブリーは激しく過熱されたものと思われる。 “カーボン製ディスクの保護用コーティングが シーを行った時点で、左ブレーキ及び左メイン ホイール・アッセンブリーに溜まった熱はヒュー ズ・プラグを熔かし、タイヤ内の空気圧が徐々 に低下してしまったことを突き止める。 無くなっていたため、ディスクの温度は1,200℃ (2,192°F)以上に達していたものと推定され る”と報告書は書く。 この高温により左メイン・ランディング・ギ ランウェイ上で機体の向きを変える前に、さ らに50ノットまで加速するテストが行われた。 7回目のテストで80ノットに加速し、ブレー アのハイドロ・オイル用シールを損傷してしま う。 高圧が加わっているハイドロ・オイルは流れ キを作動させると機体は左に引っ張られてし まったが、何とかランウェイ上で停止できてい る。 出し、熱くなっているブレーキ・コンポーネン トにかかり、火が点いてしまった。 この事故の後、この航空機を運航している会 52 2011 JUL 社は“オペレーショナル・フライト・チェック” 項目に“リスクの大きいハイスピード・タクシー 及び地上でのエンジン・ラン”を追加した、と 報告書はまとめている。 タクシーウェイから離陸を エアバス A320-214:損傷なし、負傷者なし 2010年2月25日の午後、この A320航空機は スケジュールより20分ほど遅れ、ノルウェーの オスロ空港へ着陸した。 短時間、地上での業務を終えたフライト・ク ルーは、時間を取り戻すためランウェイ01L の エンドまでタクシーせずに A3インターセクショ ンから離陸しよう、と決める。 “機体の離陸重量は61,700kg(136,024ポンド)、 ランウェイの状態はウエットで、この状態でも A3から安全に離陸できることを確認した”とノ ルウェーの事故調査委員会(Accident Investigation Board of Norway)の報告書。 機体を操縦していたキャプテンはゲートを出 発した後機首を西に向けタクシーし、次に左(南 方向)に向きを変え、ランウェイ1L とターミナ ル地区の間にある2本の平行したタクシーウェ イの1つ、タクシーウェイNに進む。 ファースト・オフィサーはチェッリスト及び 出発方式の、そして離陸に備え計器類をセット するため、かなりの時間頭を下げていた。 このファースト・オフィサーは訓練中だった ため、彼の行動を見守っているセイフティ・パ イロットも同乗していた。 この他もう1つのタクシーウェイMがあり、 これはタクシーウェイNとランウェイの間にあ る。 管制官は、この航空機がまだタクシーウェイ N上を南に移動中であるにもかかわらず、A3か らランウェイ1L で離陸する許可を与えている。 後日このキャプテンは、タクシーウェイMを 通過した時点で離陸許可がもらえると想定して いた、と調査官に告げている。 機体がタクシーウェイ A3インターセルショ ンに近づいた時、キャプテンは機体の向きを右 に変え、タクシーウェイNを離れ、この後さら に右に変え、そして離陸してしまった。 この管制官は同僚に申し継ぎを行っていて、 タクシーウェイM上で離陸操作を開始した A320 を視認していない。 報告書は“幸い、タクシーウェイMの長さは、 離陸するために必要な十分な長さを備えていた。 そしてタクシーウェイM上に他の航空機は存 在していなかった。 仮に他の航空機が存在していたなら、重大な 事故に至った可能性がある”と書いている。 管制官から連絡を受けるまで、この航空機の クルーはタクシーウェイから離陸してしまった ことに気付かなかった。 乗客60名、4名のキャビンクルーを乗せたこ の航空機は、この後何事も無くモスクワへ向かっ た。 このタクシーウェイからの離陸について“コ クピット内におけるクルーに必要なプロシー ジャーに欠陥があること、そしてクルーの不注 意、マニューバリング・エリア内の標識設置不 足、管制塔からの移動航空機に対する注意不足、 これらが重なり合ってこのインシデントを招い てしまった”とまとめている。 何も見えず、パワーも使えずに着陸 セスナ・サイテーション550:中破、負傷者なし 2009年1月4日夜、ドミニカ共和国から合衆 国ノースカロライナ州ウィルミントンに向かっ ていたが、上層風は予報されていなかった向か い風で、しかも強かったため燃料をより多く使っ てしまった、とサイテーションⅡのキャプテン は NTSB 調査官に話した。 ウィルミントン国際空港の予報は、視程6マ イル(10km)以上、シーリングは700フィート、 雲量ブロークンと報じられていた。 しかしサイテーションが着陸しようとしてい た時の気象状態は視程0,5マイル(800m)で霧、 シーリング100フィート、雲量ブロークン、そし てオーバーキャスト500フィートに悪化してしま う。 2011 JUL 53 フライト・クルーはランウェイ24ILS アプロー チを要求、そして許可される イ24のアプローチ・ライトと衝突、さらに2,424 フィート(683m)ほど地面の上を滑り、停止し 現地時間0150、この機のファースト・オフィサー はアプローチ管制官に、復航する、そしてもう 一度アプローチしたい、と許可を求める送信を。 た”と報告書。 パイロット2名、乗客5名は無事に機外へ逃 れている。 アプローチを担当する管制官は再度 ILS アプ ローチを行う許可を出すと共に、36ノーティカ ル・マイル(67km)北にあるアルバートJエリ 機体の底部は破損し、機体の与圧される部分 も数箇所に裂け目が出来てしまった。 飛行中両クルーとも残燃料にあまり注意しな ス空港の気象状態は、ここより良好である旨を アドバイスした。 この送信に対しファースト・オフィサーは、 かったため燃料を使い果たしてしまった、これ が両エンジンともフレーム・アウトした原因で ある、と報告書は書いている。 ウィルミントンで通関しなければならない、と 応答している。 さらに2度アプローチしたものの、霧が濃く 着陸できなかった。 3回目にアプローチしている最中、左エンジ ンはフレーム・アウトしてしまう。 ファースト・オフィサーは“緊急状態だ、エ ンジンが片方停止した”と送信し、これに対し 管制官は“アルバートJエリス空港まで飛行で きるか?”と問い質している。 これに対しファースト・オフィサーは、燃料 はほとんど残っていない、もう一度ウィルミン トンに ILS アプローチしたいのでレーダー誘導 を頼む、と応答している。 “4回目のアプローチをするため、レーダー誘 導されている最中、右エンジンも停止してしまっ た。 GPS を使ったキャプテンは、この空港に2本 あるランウェイの交点を特定した”と報告書。 対地50フィートほどまで降下したとき、キャ プテンは列になっているライトを見つけ、この ライトの列と平行に着陸しようとした。 ギアを降ろそうとしたが両エンジンとも停止 してしまったため、ハイドロ圧力は残っていな い。 運転席で居眠りを ボンバルディア CRJ700:中破1名軽傷 2009年12月18日の午後、合衆国テキサス州に あるダラス-フォートワース国際空港で CRJ 機 の到着を待っていた燃料補給用トラックの運転 手は急に眠気に襲われ、ブレーキ・ペダルから 足を離してしまった。 パーキング・ブレーキを使用していなかった このトラックは、徐々に前へ進み始めてしまう。 NTSB の報告書はこの運転手の話を“ゲート に到着し、駐機したばかりの CRJ にトラックが ぶつかってしまうまで、何が起きたのか全く解 らなかった”と書いている。 CRJ 航空機の胴体後部は中程度の破損を受け、 機内にいたフライト・アテンダントも軽傷を負っ ている。 報告書は、この衝突で運転手が負傷したかど うかについて、触れていない。 ターボプロップ 緊急脚下げシステムを操作する時間も残され ていない。 現地時間0209、このサイテーションは“ギア 見過ごされた与圧調整装置 ビーチ・キングエアー C90:大破、1名死亡 を上げたまま、機首を南西方向へ向け、ランウェ イ6-24との交点近くにあるタクシーウェイG 付近に着陸、この後オーバーランし、ランウェ 2008年12月14日午後、テキサス州ホンドから アリゾナ州グッドイヤー空港へ向かい離陸した このキング・エアー機が17,000フィートでレベ 54 2011 JUL ル・オフした直後“ATC レーダーは、この航空 機が蛇行し、この後大きくコースを外れて行く 様子が写った”と NTSB の事故報告書。 管制官は機首方位を変更するよう指示を出し たうえ、現在の飛行状態を知らせるように、と 送信するが、機体はさらにコースを外れて行く。 6分ほど17,000フィートで飛行したこの航空 機のパイロットは、高度24,000フィートまで上 昇する許可を受ける。 上昇し、高度18,000フィートを通過した時、 この航空機のパイロットからコースの戻るため のヘディングを応答したが、これが最後の交信 となってしまった。 この後管制官はこのパイロットとの交信を数 回試みたものの、応答は全く得られない。 ATC レーダーに残されていた映像記録を見る と、この航空機は24,000フィートまで上昇した ものの、この後徐々に21,000フィートまで降下 し、そして次に急降下している。 NTSB の報告書は“目撃者が2人いて、この 航空機はスピンしたまま、テキサス州ロックス プロングス付近に墜落した、と話した。 この航空機を見守っていた目撃者の1人は、 墜落後アルミニウムの破片がかなりの時間、雨 のように降り注いでいた、と話した”と書いて いる。 事故後、閉位置になったままのこの航空機両 エンジン・ブリード・エアー・スイッチが発見 され、DUMP 位置になったままのキャビン・プ レッシャリゼーション・スイッチも発見された。 報告書はこの事故の原因について、パイロッ トは不慣れな与圧装置の調整を誤ってしまい、 ハイポキシャに陥り、操縦不能になってしまっ たのではないか、と推定している。 リバース・スラスト、操縦困難な状態を招く フォッカー F50:損傷なし、負傷者なし 2009年1月15日の朝、このフォッカーは乗客 20名を乗せ、ロンドンからマン島にあるロナル ズウェイ空港へと向かっている。 ランウェイ26ILS アプローチを開始したクルー は、着陸許可を受けるとともに、風向風速180度 24ノット、ランウェイの状態はウエットである、 とのアドバイスも受けた。 AAIB の報告書は、当時の風速はガスト33ノッ トを上回っていたうえ、このフォッカー機に認 められている横風着陸時の風向風速成分は、ラ ンウェイが濡れていない、つまりドライの状態 での制限である。 キャプテンは機体を左に20度クラブさせて ファイナル・アプローチを行う。 “50フィート AGL 程の高度でキャプテンは右 ラダーとエルロンを操作し、クラブを戻し始め た”と報告書。 速度91ノットほどで接地した機体は一度ラン ウェイ上でバウンドし、再度接した後、ランウェ イの左側に向き始める。 右ラダーを一杯に踏み込み、風上側にエルロ ンを下げ、何とか方向を維持しようとし、リバー ス・パワーを最大にしたものの、機体はランウェ イの左端に近づいてしまう。 そしてフォッカー航空機は、さらに急角度で ランウェイの左端に近づき、ランウェイから飛 び出してしまう。 “機体はノーズと左メイン・ギアが舗装面から 飛びだした状態で停止した”と報告書。 航空機製造会社はラダーの効果について、ラ ンウェイ上でラダーを使い,機体の方向を維持 するには高速での使用が望ましく、このように リバース・パワーを最大に使用してしまうとラ ダー及びエルロン周辺の空気流が乱れ、効果を 減少させてしまう、と話している。 ランウェイから飛びだしてしまった原因は疲労に 三菱 MU-2B-60:中破、負傷者なし 2010年2月4日早朝、このパイロットは所属 するチャーター会社の担当者から、ダラスで乗 客3名を乗せ、テキサス州アマリロ国際空港へ 向かうように、そして同空港の気象状態はラン ウェイ上には雪、及び氷がある、視程は0.5マイ ル(800m)でフローズン・フォグ、垂直視程は 110フィートである、と告げられた。 2011 JUL 55 “ILS アプローチを行ったパイロットは右メイ ン・ランディング・ギアを接地させ、次に左メ イン・ランディング・ギア、そしてノーズ・ギ アを接地させた。 この後この航空機は急に左へ向きを変え、ラ ンウェイの左側から飛び出してしまった”と NTSB の報告書は書いている。 この MU-2航空機は右メイン・ランディング・ ギア、主翼のスパーそして胴体部分を破損した が横転はしなかった。 NTSB はこの原因について、パイロットの疲 労が原因ではないか、と書いている。 このパイロットは勤務を開始してわずか4時 間ほどであるにもかかわらず、事故の発生した 現地時間0215まで、睡眠をとらないまま19時間 を過ごしていたと言う。 FMS の入力ミス ビーチ・キングエアー B200:中破、3名重傷 2009年12月9日朝、このパイロットは年次点 検の前に、不具合事項を指摘されていたアビオ ニクス関係の修理後の確認をするため、整備士 1名、アビオニクス整備士1名を乗せサウス・ カロライナ州のゲインズビル・スパルタンバー グ国際空港を離陸し、ローカル・フライトを行 う準備に取り掛かる。 飛行前点検中、このキング・エアー機には740 ポンド(336kg)燃料が搭載されていることを 確認したパイロットは、1時間10分ほどのフラ イトには十分だと判断した。 飛行前点検を終えたパイロットは整備部門の 部屋へ行き、アビオニクス担当の整備士を待つ。 アビオニクス担当整備士の現れるまでの間、 パイロットは年次点検項目に含まれる、45分間 の地上でのエンジン試運転を行った、と NTSB の事故報告書。 地上試運転を行っている最中、機体担当の整 備士は両メイン・タンクにそれぞれ200ポンド (91kg)ずつの燃料が残っていることを確認し ている。 B200航空機のパイロット・オペレーティン 56 2011 JUL グ・ハンドブック(POH)には“各メイン・タ ンク・システム内の燃料容量計が黄色弧線を指 示しているか、265ポンド(120kg)以下を指示 している場合、この航空機で離陸してはならな い”と書いてある。 アビオニクス担当の整備士がやってきたが、 パイロットは燃料容量計を確認しなかったもの の、フライト・マネイジメント・システム(FMS) の燃料トータライザーは、このアビオニクス機 能テスト飛行に十分な燃料が搭載されているこ とを示す指示をしていたことを覚えていた。 整備士は FMS を作動させていなかった、つ まり FMS は地上でのエンジン試運転中に消費 された燃料の量を指示してはいなかった。 23分のフライトを終えた後、ファイナル・ア プローチしていたこのキング・エアー機の両エ ンジンは、燃料を使い果たしてしまったため、 ともにフレーム・アウトしてしまう。 “パイロットはギア及びフラップを上げ、ラン ウェイまで滑空しようとしたが、機体はランウェ イの手前に墜落してしまった”と報告書は書い ている。 ピストン航空機 スペシャル VFR、ホワイトアウトを パイパー・チーフテン:中破、1名重傷5名軽傷 2009年2月19日の午後、合衆国アラスカ州 ノーム空港へ向かっていたコミューター航空機 であるこのチーフテンに、空港のフライト・サー ビス担当者は、空港の気象状態について、VFR ミニマム以下である、と告げる。 最新の気象観測データは視程1.5マイル(2,400 m)で小雪、雲量ブロークンでシーリング900 フィート、風向風速250度20ノット、ガスト25 ノットだった。 パイロットはノームのクラスE空域を担当す る管制官にスペシャル VFR クリアランスを要 求する。 NTSB の事故報告書は“パイロットは、これ と言った特徴も無く、真っ白な雪で覆われた下 ロットは左エンジンを停止させる。 この後10フィートほどまで降下した女性パイ り斜面に沿って降下したが、何もかも白く見え、 ホワイトアウトに巻き込まれてしまった、と話 している。 ロットは機体を80ノットに減速させ、次に操縦 桿を手前一杯に引き、機体を尾部から接水させ 時々襲ってくる激しい降雪により、視程はか なり妨げられてしまい、どの様な地形の上空を 飛行しているのか解らない状態になってしまっ た、とも話している”と書いている。 このチーフテンは空港の5ノーティカル・マ イル(9km)ほど離れた平原に墜落してしま い、乗客1名は重傷、このほか5名も軽傷を負っ てしまった。 “パイロットは、IFR フライト・プランを提出 し、計器飛行方式に従って飛行していればこん なことにはならなかったかもしれない、とも話 している”と報告書。 エンジン・トラブル、不時着水を招く パイパー・ツインコマンチ:大破、負傷者なし 2009年12月16日朝、チャネル・アイランドを 離陸し、南東へ38ノーティカル・マイル(70km) ほど離れているマン島のロナルズウェイ空港へ 高度8,000フィートを飛行していたツインコマン チの右側プロペラは過回転を起こしてしまう。 プロペラ・レバー、スロットルを操作しても プロペラ回転数は変化しないため、パイロット は右エンジンを停止させ、イングランド西海岸 にあるブラックプール空港へ向かおうとする。 4,000フィートまで降下した数分後、左エンジ ンのマニュホールド圧力は17インチに低下して しまう。 高度を保てなくなった上、滑空しても空港へ 届かないと判断したパイロットは、付近を航行 しているオイルリグ支援船の近くに不時着水し ようと決めた。 AAIB の報告書は“この女性パイロットはド アのラッチを外し、ライフ・ラフトそしてサバ イバル・ギアの入っているバッグを隣のシート 上に置いた。 100フィートほどまで降下したこの女性パイ る。 このように操作すると、機体は腹を打つよう な姿勢で接水する”と書いている。 イギリス海軍で洋上でのサバイバル訓練を受 けていたこの女性パイロットは、冬の洋上飛行 に備え耐寒耐水服を着ていたうえ、ライフ・ベ ストも装着して飛行していた。 “この後、女性パイロットは海面に放り出して おいたライフ・ラフトまで泳ぎ、ライフ・ラフ トを膨らませ、ラフトに乗り込もうとするが、 ラフトには手すり、ステップも無く、ラフトに 乗り込めない。 数分間、この女性はラフトから伸びているス トラップを頼りに這い上がろうとしたが出来ず、 そうこうしている内にオイルリグ支援船が発進 させた小型ボートに救助される。 この水没したツインコマンチ機は5ヵ月後、 海底から引き上げられた。 引き上げた機体を調査した事故調査官は、右 プロペラ作動用空気圧が低下していたか、プロ ペラ・ガバナー内のパイロットバルブが固着し ていたためではないか、と原因を推定した。 そして左エンジンの出力低下については、ス ロットル・サーボ・バルブ・インパクト・チュー ブに氷が付着し、エンジンへの燃料供給が不十 分になってしまったのではないか、と推定して いる。 ヘリコプター ブラウンアウトと眩しさ、着陸を妨げる ユーロコプター AS350-B2:中破、負傷者なし 2009年2月22日夜、アリゾナ州フェニックス を離陸し、ナイト・ビジョン・ゴーグル(NVG) を装着したパイロットはアリゾナ州ケイブ・ク 2011 JUL 57 リーク付近で自動車事故に巻き込まれ、重傷を 負った男性を収容しようと飛行していた。 舗装されていない駐車場の着陸地点上空まで 飛行したパイロットは、地上に待機している係 員に、土埃が舞い上がらないよう、水を撒いた かどうかを確かめる。 “これに対し係員は、水は撒かれていないが 湿っている、と答えている”と NTSB の事故報 告書。 しかし着陸地点に接近し、対地高度20フィー トほどまで降下すると土埃が舞い上がってしま い、土埃によりブラウンアウトの状態となって しまったため、なるべく早く着陸してしまおう と考えたパイロットは、すばやくエンジン出力 を低下させた。 “降下し、対地高度10フィート付近を通過する と、NVG で地上の目標を見ていたパイロットの 視界は、すぐ近くに駐車している救急車両のラ イトに邪魔されてしまう”と報告書。 ヘリコプターはハード・ランディングしてし まい、テイル・ブームと胴体部分を破損してし まった。 ヘリコプターに乗り込んでいたパイロット及 び救命隊員2名は負傷することなく機外に逃れ、 地上にいた係員等も全員無事だったという。 ローター、駐車場の照明塔にぶつかってしまう シコルスキー S-76B:大破、3名軽傷 のオーナーから駐車場へ着陸する許可を得てい る。 昨年12月に発行されたアイルランド航空事故 調査委員会(Irish Air Accident Investigation Unit)の報告書によると、その駐車場は狭い上、 周囲に建物も多く、着陸場所には不向きだった という。 着陸しようとホテルに接近すると、1台の車 が駐車場に入ってきたため、そこから100m(328 フィート)ほど離れた海岸に着陸した。 乗客2名を降ろしたパイロットは両エンジン を停止させようとしたが、近くにいる見物人が ヘリコプターに近づいてくる姿が眼に入る。 これに気付いたパイロットは S-76ヘリコプ ターをホテルの駐車場に移動させよう、と決め る。 ホテルの駐車場にアプローチし、ホバーした 後垂直に降下して着陸しようとする。 降下中、メイン・ローター・ブレードは金属 製の照明塔にぶつかってしまう。 “ヘリコプターは激しく回転し始め、駐車場の 周囲を取り囲んでいる低い壁に落下してしまっ た。 壁は機体の底部を貫き、燃料タンクを破壊し てしまう。 漏れ出した燃料に火がついてしまった”と報 告書。 パイロットは軽傷を負ったが、機体が炎に包 まれる前に機外へ逃れている。 2008年9月18日の午後、このヘリコプターは 乗客2名を乗せ、アイルランド、ベティスタウ ンを離陸した。 機体は商談の行われるホテルの駐車場に着陸 墜落時に吹き飛んだ破片で、近くにいた2人 と自動車数台、及び建物に損傷を負わせてしまっ た。 駆けつけた消防隊員により火災は収まったが、 する予定で、ヘリコプターのオーナーはホテル ヘリコプターは焼失してしまった。 58 2011 JUL 河口湖自動車博物館飛行館 零戦の栄エンジンの調整が出来る人を探しています 奥貫 博 日本にも各地に様々な目的の航空博物館があ りますが、河口湖自動車博物館の飛行館(Zero Fighter Museum)はその中でも独特な価値観 に基づく貴重な存在と言えるでしょう。 所蔵する航空機に対する取組姿勢と作業は、 実際の航空機の整備及び修理作業そのものです。 一般公開は毎年8月の1ヶ月間のみですが、訪 問してみますとその姿勢が良くわかります。 昨年に訪問の際、館長の原田信雄さんと話を していましたら「零戦の栄エンジンの調整が出 来る人を探しています」との話になりました。 河口湖飛行館は富士山麓の3600Ft(1100m)の 場所にありますから、標高に見合ったエンジン の調整が出来る人の心当たり、あるいは、資料 は無いだろうか、と言うのです。 こちらが整備士と知ってのことでしょうが、 残念ながら、当方には即答できる知識はありま せん。排気温度計を仮付けして、手探りで最適 なミクスチャー位置を見極める等の方法で調整 するとしても、困難な作業になるでしょう。 また格納庫内では1式陸上攻撃機の胴体の復 元作業が進行中でしたが、航空機用の材料及び 部品を使用し、作業は航空機の構造修理作業そ のものでした。こちらは、操縦席、前部爆撃手 風防、後部射撃手窓、上部回転機銃風防の厚さ 5mm のアクリル窓を製作出来る人を探してい るとの事です。よろしくお願いいたします。 規模的には及ばないとしても、その姿勢と実 力は、米国のスミソニアン航空博物館の修理復 元施設、英国のダックスフォード航空博物館等 にも通ずる印象がありました。 主な展示品 屋内展示品は、零式艦上戦闘機「21型」・「52 型」をはじめ、日本海軍の「93式中間練習機」、 山本五十六元帥が最期に搭乗したのと同じ型式 の「一式陸上攻撃機(胴体)」、ライト兄弟の「ラ イトフライヤー(レプリカ)」、その他、各種の 軽飛行機、グライダーなどです。 また第2次大戦の「栄」「誉」他のエンジン や、ジェットエンジンの展示もあります。 零式艦上戦闘機21型91518号機と屋内展示機 これらの零戦は東南アジアの島より回収した 機体を限りなくオリジナルパーツを使用し、ま た、新たに修復した部分も、航空機用の材料、 部品、および製造方法を適用して、20年以上か けて可動状態に復元したものです。 この日本では、回収した機体を可動状態まで 修復させるのは容易なことではなく、ともすれ ば、 「展示機」としての、割り切った作業になり がちなのですが、この博物館の姿勢は違います。 あくまでも航空機としての生命を維持すべく、 2011 JUL 59 零式艦上戦闘機52型 1493号機 93式中間練習機 努力が継続されているのです。 計3機の零戦復元機体の内2機は河口湖飛行 機体は、適正な空気圧のタイヤで床に置かれ、 エンジンの下には、オイル漏れを受けるオイル パンが必要なほどです。その姿は、展示機とい うよりも、格納庫で整備中の飛行機の扱いで、 思わず搭乗して飛んで見たい気になります。 館で展示され、1機は靖国神社「遊就館」に展 示されているとのこと。河口湖飛行館の零戦2 機及び93式中練は、いずれも燃料とオイルを入 れれば、そのまま飛べるのでは、と思えるほど のコンディションを保っています。 零戦の中島「栄」12型エンジンの展示 零式艦上戦闘機52型のエンジン部 この栄エンジンは可動状態なのですが、完璧 な調整にするためには、資料又は情報が不足し ているため、心当たりのある方からの情報をお 待ちしていますとのことです。 完璧に修復された零戦の翼端の可動部 60 2011 JUL エンジンの他、館内には様々な展示がありま すが、館内は広くはありませんので、軽飛行機 等は、吊り下げた状態で展示されています。 また屋外には「ロッキード T33A」、 「F86F ブ ルーインパルス使用機」等の展示があります。 F86F ブルーインパルス使用機 1式陸上攻撃機の胴体の復元作業 進行中の修復作業としては、1式陸上攻撃機 の胴体構造作業を見ることが出来ます。後部胴 体は、昨年までにほぼ完成状態にあり、現在は 前部胴体の構造修復作業が進行中の状況です。 4240号機 作業始めの状況等を収録。 Vol.2 零戦21型 91518号機の解体から復元まで の記録。初め明らかにされた機体の内部構造 等を収録。 Vol.3 零戦52型 1493号機 解体前と解体等の記 録及び1986年~2008年までの復元作業の記録。 機体内部の処理等を収録。 Vol.4 零戦21型 92717号機 機体の解体から、完 成までの記録、主翼機体、操縦席、後部胴体、 水平尾翼などの最終組み立てを主に収録。 Vol.5 靖国神社に展示してある52型の復元作業 を収録。2011年8月に発売予定。 1式陸上攻撃機の復元作業についても、いず 復元作業中の1式陸上攻撃機の前部胴体構造 前部、後部を合せ、基本構造の姿がほぼ完成 した状態とはいえ、主翼取り付け構造、機体内 部の様々な構造部材、風防、旋回銃座等、まだ まだ多くの困難な作業が残っています。 1式陸上攻撃機の復元構想 れ、その作業内容の記録が公表されるものと期 待されます。 河口湖飛行館の概要を紹介しましたが、この 施設は自動車館と共に、20世紀の科学技術の発 達、自動車、飛行機等の発展を記録し、保存す ることを目指しています。 今回は自動車館の紹介は省略しましたが、非 常に充実した楽しめる内容ですので、合せてご 覧になることをお勧めします。 河口湖自動車博物館 飛行館 開館期間:8月1日(月)~8月31日(水) (9月1日から翌年7月31日まで休館) 入館料:自動車館、飛行舘それぞれにつき 大人:¥1,000/子供:¥500(15歳以下) 開館時間:AM10:00~ PM4:00 〒401-0320 山梨県南都留郡鳴沢村富士桜高原 TEL/FAX:0555-86-3511 URL:http://www.car-airmuseum.com 復元作業の記録 零戦の復元作業に係る情報は、 「DVD 零戦よ 甦れ」として詳細に記録されています、その内 容は以下のものです。 これらの記録 DVD は、8月の1ヶ月間に、 河口湖飛行舘で購入することが出来ます。 Vol.1 零戦復元作業開始の記録。航空関係者の 話、オリジナル図面、坂井三郎氏の話、52型 2011 JUL 61 GA:ジェネアビ情報(第54回) 自家用操縦士の技量維持 奥貫 博 今年は、航空法の改正による「操縦者に対す る特定操縦技能の審査制度の創設」が国会を通 過し、操縦技能証明取得後の技量維持の審査の あり方について、その実行内容の設定が必要な 段階になります。 事の発端は ICAO(国際民間航空機関)によ る、操縦技能証明取得後の技量維持審査制度の 不備に対する指摘とのことですが、それを受け て検討を重ねた後、平成15年3月には、国土交 通省航空局の「自家用操縦士の技量維持方策に 係る指針」が制定されました。 この指針では「自家用操縦士は本指針を参考 に、自ら積極的に技量維持に努めることが望ま しい」とされていて、その内容は、以下の2点 とされています(骨子)。 1.2年以内又は外国ライセンス切替えの場 合は、速やかに航空安全講習会を受講 2.180日以内に3回以上の離着陸経験 この指針に沿って航空安全講習会が定期的に 実施されるようになり、知識と意識の方は大き な前進が得られるようになりました。 飛行の技量の維持の方は、着陸回数の指針は 示されたものの、その実行は個人又は団体に委 ねられていたのですが、法の制定に伴いこれか らは操縦技能証明取得後の操縦技量の審査が義 務付けられることになります。 尚、法は制定されても、その施行規則及び実 行に係る詳細内容等の省令の設定はこれからの 課題です。航空安全講習会を担当してきた JAPA 以下の諸団体が航空局に協力してその実行内容 を考えていかなければなりません。 62 2011 JUL 特定操縦技能の審査制度 特定操縦技能の審査制度の創設については、 「操縦者の適切な技量維持を図り、操縦者に起因 する航空事故等を防止するため、操縦士資格取 得後も、操縦に関する知識及び能力のうち、離 着陸時の操縦や非常時の操作等の特定操縦技能 が維持されていることの審査を、飛行前の一定 期間内に受けることを義務付ける」。とされてい ます。 また、それを受けた航空法の一部を改正する 法律の要旨は以下の通りです。 操縦技能証明(定期、准定期、事業用、自 家用)を有する者は、国土交通省令で定める 期間内に、特定操縦技能(航空機の操縦に従 事するのに必要な知識及び能力であってその 維持について確認することが特に必要である もの)を有するかどうかについて、国土交通 大臣の認定を受けた操縦技能審査員の審査を 受け、これに合格していなければ、当該操縦 技能証明につき限定された範囲の航空機につ いて、当該航空機に乗り組んで行うその操 縦、操縦練習の監督又は計器飛行等の練習の 監督を行ってはならないこととする。 この特定技能審査の内容、実施方法、審査員 等はこれから細部が決まりますが、施行後3年 の猶予期間の後は、特定技能審査を受けなけれ ば機長として飛ぶことができなくなります。 操縦士に必要な最新知識の維持 りますから、㈳日本航空機操縦士協会、㈳日本 飛行連盟、NPO 法人 AOPA JAPAN、全国自家 特定操縦技能の審査制度制定に関わりなく、 自家用操縦士にとって、必要な知識と技量の維 用ヘリコプター協議会等の団体又はしっかりし た飛行クラブ等に加入して、日本の空を安全に 飛ぶための知識や技能を維持することをお勧め 持は避けて通れない課題です。 組織的な最新情報の提供、教育、技量確認等 が受けられない自家用操縦士は、技能証明を取 得した時の知識に加え、自分自身で以降の安全 な飛行の継続に必要となる各種情報を収集し、 活用できなければなりません。 また昨今のように飛行機やヘリコプターの自家 用ライセンス取得者の殆どが海外で訓練を受け、 ライセンスを取得した後、日本のライセンスへの 書き換えを行うような現状では、日本の空を安全 に飛ぶために学ぶべき知識が多くあります。 これらの安全に運航するための知識について は、航空安全講習会が実施されるようになって 充実が図られるようになりましたが、必要な情 報は常に更新されていますから、自分で意識し て最新状態に維持することが必要です。 自動車の免許では5年毎等の運転免許更新の 際に、安全に関する話やビデオ等の講習の他、 最新の交通法規、安全運転のための資料、運転 の自己診断資料等の配布があり、安全運転に必 要な情報の更新が出来るのですが、航空機の場 合そのようなものはありません。 その代わり、航空機の場合は、国土交通省が 必要な情報を収集し公開していますから、小型 機の自家用操縦士の場合は、自分で国土交通省 します。 操縦技能の維持 知識と共に、操縦技量の維持も重要な課題で す。技能証明を取得した時の航空機を同じ環境 で乗り続ける場合はまだ良いとして、何機かの 機体を経験し、上級機へ移行するパイロットも 多いと思います。 実際、海外で100馬力2人乗りの機体を使用し て陸上単発飛行機の操縦技能証明を取得し、書 換えの後、国内では350馬力6人乗りの高級単発 機を飛ばしているような例も珍しくはありませ ん。技能証明の上では同じ陸上単発であっても、 上級機体への移行には、一定の教育と技能の訓 練が必要です。 また、最近の飛行経験が無い人の技量も問題 です。私の知人に20代前半に65馬力尾輪式のエ アロンカで自家用操縦士技能証明を取得し、以 降全く飛ばないまま60歳を過ぎ、会社が定年に なってから再び飛びたくなった方がいます。航 空身体検査をパスすれば、免許の上では陸上単 発機で機長として飛ぶことが出来るのですが、 そうはいかないでしょう。 航空局のホームページ「小型航空機の安全確保」 を見て、最新の情報や航空局の通達等を見るこ とが必要になります。 インターネットの検索で「小型航空機の安全 確保」を調べればすぐに出てきますが、その中 には、以下の内容等がまとめられています。 1.事故の傾向と安全対策 2.自家用操縦士に係わる技量維持方策 従って、AIP,AIM 等と共に、先ずはここか ら必要な情報を得ることが技量維持の基本にな ります。 とは言っても自分で出来ることには限りがあ 昔の訓練機 65馬力のエアロンカ7AC 2011 JUL 63 最近の飛行経験は、○日以内に○回着陸等の 基準が定められることが多いようですが、総飛 行時間、他の種類・等級の航空機での経験、年 齢等への考慮もあります。 長期間のブランクがある人の場合は、知識、 技量の両方の操縦教官による再確認と、必要な 教育が実施され、合格した時点からの飛行が可 能になります。 定期的な操縦技量の確認には、知識と技量が 様々なタイプの陸上単発小型機 こういった面からも、合理的で有効な特定操 縦技能の審査制度の確立が待たれることになり ますが、一方、飛行クラブ等に加入し、航空安 全講習会にも定期的に参加して継続して飛んで いる人の場合、技量維持は問題なく出来ている と考えられますので、改めて審査といわれても、 とまどうのが事実です。 特定操縦技能の審査制度の細部は、これから の様々な議論を経て定められることになると思 いますが、この日本では、飛行場、訓練機、訓 練環境等の困難な問題もあります。 その辺の所を熟知し、これまでも航空安全講 習会を推進してきた JAPA 以下の諸団体にもう ひと頑張りいただいて、特定操縦技能の審査に つきましては、十分な検討と議論を尽くし、現 実の環境を踏まえた上での現実的で柔軟な対応 をお願いしたいと思います。 含まれます。知識の方は、最新の航空法、空域、 航空交通管制を含め、安全に飛ぶための最低限 の内容が含まれます。内容的には航空安全講習 会のようなものです。 操縦技量の確認の方は、最近の飛行経験基準 を充足している人の場合、同乗で飛んで、気が ついた点へのアドバイスが中心になります。基 本に忠実に、自己流にならないよう、と言った 視点での確認になります。 新しい型式、システムへの移行基準と訓練は、 原則として飛行する型式ごとの基準が定められ ますが、同レベルの難易度の機体をまとめて飛 行可とする判断も行われています。 また、その逆に、同型式であっても、電子式 計器表示システムのように、移行のための訓練 基準による再訓練が求められる場合があります。 ハンディ GPS 等も、不完全な状態での利用にな らないよう、本当は基準を定めて訓練をした方 が良いのかもしれません。 民間飛行クラブの取組み 安全のための技量維持の重要性については、 民間の飛行クラブ等でも理解していますから、 以下のような取組みが実施されています。 ・最近の飛行経験が無い人の訓練基準 ・定期的な操縦技量の確認基準と訓練 ・新しい型式、システムへの移行基準と訓練 ・新しい運航形態への移行基準と訓練 ・離着陸場ごとの飛行基準と訓練 ・外国ライセンス取得者の技量確認の基準 64 2011 JUL 上級単発機への移行には十分な教育が必要 新しい運航形態への移行基準と訓練には、様々 なものがあります。使用事業に所属する事業用 技量維持の目的 操縦士では、斜め写真撮影、垂直写真等、仕事 の認定があるようですが、自家用操縦士の場合 は、そのような認定はありません。 技量維持の目的は、航空安全の確保と航空交 通の秩序の維持であることは言うまでもありま その代わり、山岳飛行や、長距離クロスカン トリー飛行等の技量基準を定めている例があり ます。曲技飛行、滑空機の曳航、編隊飛行等も、 せん。自分のために飛ぶ自家用操縦士であって も、事故を起こせば自分だけでは済みませんし、 離着陸の事故は、例え軽微なものであっても飛 詳細な基準と訓練内容を定めて技量を確認しな ければ安全は確保されません。 行場の一時閉鎖につながり、多くの利用者に迷 惑をかけることになります。 その意味から、小型機の事故の発生状況につ 離着陸場ごとの飛行基準と訓練は、滑走路の 長さの他、空域に応じた飛行のルールの理解が 中心になります。その中には、安全に係るもの の他、騒音等に配慮した飛行方法等守る必要の ある内容が含まれます。 外国ライセンス取得者の技能確認の基準には、 知識と技量の両方が含まれます。知識の方は日 本の空を安全に飛ぶための航空法や各種情報を 中心とし、空域、航空交通管制、飛行場の利用 等、様々なものが含まれます。 操縦技量の方は、日本の空域や航法援助施設 に応じた航法等を中心に、日本独特の地形、気 象への対処等が必要になります。地図を参照し た地文航法も必要になります。 また、外国で飛んでいた機体から日本で飛ぶ 機体への移行と、離着陸等の練習も必要になり ます。特に長い滑走路で訓練を受けてきた人の 場合、関東地方の600m滑走路等での離着陸に は、十分な練習が必要です。 いて、PILOT 誌2010年11月号のジェネアビ情報 「小型機の事故」を見てみますと、離着陸関係、 脚下げ忘れ等による事故が、全体の事故の53% にも及び、離着陸に関する技量の維持の重要性 が改めて認識されます。 最近10年の事故の内容 離着陸関係操作の不良 脚下げ忘れ、地上で脚上げ 視程不良での山へ衝突、接水 燃料管理不良 その他操作不良 曲技飛行、スピン 写真撮影旋回失速 機材故障、整備不良等 計 件数 27 11 8 5 5 4 2 9 71 % 38 15 11 7 7 6 3 13 小型飛行機の事故の内容別割合(2000年以降) 離着陸関係を含む事故の内容を更に良く見ま すと、操縦技量以前に、適切な装置の操作がで きずに事故に至った例が多く見られます。脚下 げ忘れ、地上での脚上げなどは、その最たるも のですし、燃料管理不良も適切な管理と操作が 出来なかったことによるものです。 また「その他の操作不良」の中には、エンジ ン異常に対する対処不良が3件あります。 「機材 故障・整備不良」は困ったことですが、そのよ うな場合にも、沈着冷静な対処により被害を最 小限に出来る可能性があります。 最もシンプルな C150の計器盤 2011 JUL 65 ともすれば、いつもの機体に慣れて、ただ飛 んでいるだけとなりがちな自家用操縦士のフラ イトですが、いざと言う時のための心構えも技 量維持の大きなテーマであると考えられます。 定期的技量訓練の効果の例 定期的な技量訓練の例として、小型機の操縦 技術競技会を紹介してみたいと思います。この 全ての機器の確認と正しい判断が重要 このように見てきますと、技量維持の内容と しては、先ずは離着陸関係の知識と能力の維持 が最優先の課題と認識されます。小型機の離着 陸の事故は、死傷事故になることは少ないので すが、事故の発生は、空港の利用者に迷惑をか けることになりますので、事故がないようにし なければなりません。 離着陸の次に重要なものとしては、離着陸又 は飛行中の認識、判断による適切な行動があげ られます。実際、空の上で何かが起きた時に、 正しい認識と適切な対処が出来たら、事故は防 げたと指摘される事例が多くありますし、燃料 管理不良のように、事前の確認及び飛行中の再 確認が行われていれば、事故には至らなかった ものが多くあります。 機材故障等、思わぬ事態の場合でも、冷静な 認識と判断による行動があれば、被害を最小限 に出来た可能性があります。最近の飛行機は良 く出来ていますから、何事も無ければ、安全で 快適な飛行が可能なのですが、何かが発生した ときは別です。日頃の心構えによる備えが無け ればどうにもなりません。 このように見てきますと、自家用操縦士の小 型機の場合も、CRM 的な発想による対処能力 の向上が課題となるようです。搭乗する機体や 飛行の状況等は様々でしょうから、どのような 状況であっても冷静に状況を認識し、最適な操 作が出来るような訓練、心構えが必要と判断さ れます。 66 2011 JUL 競技会は熊本の NPO Super Wings が各地のパ イロットに呼びかけ「小型機操縦技術競技会」 として毎年実施しているものです。 その競技の主なものとして着陸競技が実施さ れます。内容は、通常着陸とエンジンアイドル による滑空着陸ですが、基本に従った正しい離 着陸操作及び通常着陸及び滑空着陸の接地位置 の精度が採点の対象になります。 この競技で良い得点を得ることは、正しい離 着陸操作が出来ると共に、どのような場面でも、 狙った場所に滑空で接地させることが出来るこ とを意味するものです。単発機は、上空でエン ジンが故障した場合、滑空で安全な場所に着陸 させるしかないのですから、常に狙った場所に 着陸させる技量を身に付けていることは、極め て重要なことです。 前置きが長くなりましたが、この競技の接地 位置の目標が、平成20年の大会から FAI 方式の 採点に変更され、満点エリアはそれまでよりも 一桁小さい前後2mになりました。 着陸区域は、前後幅52mと小さく、その中の 手前から10mの位置にある、前後幅2mの目標 を狙うのです。 最初は、皆さん「とても無理」と言った印象 でしたが、以降、3回目の昨年の大会では、優 勝者は2回の着陸の満点エリアからの逸脱が計 1m以内、3位の選手でも、逸脱が計7m以内 というものでした。選手の皆さんの技量が向上 して僅か3年で10m単位の誤差が、1m単位の 勝負になってしまったのです。 30 25 20 15 10 5 0 1974 1979 1984 1989 1994 1999 2004 2009 FA200の接地目標への正確な着陸 小型飛行機の航空事故件数 これは競技会でのことですが、意識を持って 練習をすることの重要性と、技量向上の効果が 改めて認識されたことも確かです。 昨年の競技会では、広島西空港から PA28で 初参加のOさんは、最初の滑空着陸でいきなり 満点ゾーンに接地させて皆をお驚かせました、 聞いてみますと「常に意識して着陸時の技能維 持を心がけていた」とのことです。 鹿児島空港から毎年 C172で参加のMさんも、 常に上位を狙う存在になりました。 意識と技量の維持向上について、スポーツの 世界では競技の場面を考えて練習し、技量を向 上させるのが当然なのですが、飛行機の離着陸 も同様で、目的意識を持って練習すれば、技量 の維持向上が得られるのです。 これからは「自家用操縦士の技量維持」が法 律に定められ、実行される段階になりますが、 小型飛行機の事故件数の推移は、上の表のよ うな状況です。事故件数は減少の傾向ではあり ますが、その傾向がここ数年で横ばいに近づい ています。ここまで事故件数を減少させてきた のは諸先輩方の努力の成果ですので、私達は今 後、更なる事故件数の減少を考え取組んで行か なければなりません。 また、離着陸関係の事故、滑走路上での引込 脚による事故等、同様な事故が繰り返し発生し ている現状についても、対策が必要です。 これらについて、事故の当事者を責めるだけ では根本の解決にはなりません。その事故発生 の要因をよく分析して、様々な視点での対策を 検討し、その対策を全ての操縦士が共有できる ようにすることが必要です。人間は常にミスを するとの前提で「明日は我が身」として考える それ以前の問題として、常に適度な緊張感のも とに、フライトが実施され、技量の維持向上が 得られるようになればと思います。 おわりに 意識が必要です。 しっかりとした飛行クラブ等に加入し、また 航空安全講習会にも参加して、常に安全意識と 情報のリフレッシュを図っている場合は良いと して、そのような機会を持たない操縦士のこと も考えなければなりません。 その面から、自家用操縦士の技量維持の制度 自家用操縦士の技能維持の制度化については 「何も今更」と感じられるかもしれません。とは 化は、社会的に考えても、必要なことと思いま すが、その実行の内容を定める際は、日本の飛 行環境や、自家用操縦士のフライトの現状をよ 言え、自家用操縦士等による小型機の事故は、 毎年同様な内容も含めて5~6件発生し、離着 陸事故では空港利用者に迷惑をかけているのも く理解し、航空安全講習会を事務局として推進 してきた JAPA の諸団体が、十分な検討と議論 を尽くしていただければと思います。 事実です。 2011 JUL 67 新地球環境問題関連用語の解説(原子力関連) 放射線の種類およびベクレルとシーベルト 運航技術委員会 東電福島第1原発の事故関連報道で、頻繁に使 われている用語の中から、今回は放射線の種類お よび放射線とかベクレルやシーベルトという単位 の意味するところをやや詳しく調べてみました。 はじめに放射能・放射線・放射性物質につい て簡単に説明しておきます。 放射能とは、物質の原子核が放射線を出して、 より安定した原子核に変わる性質のことで、放 射線を出している物質を放射性物質といいます。 日本ではこれらの言葉が混同されて使われて いるのが実態です。参考までに、英語では、放 射能は Radioactivity、放射線は Radiation、放射 性物質は Radioactive materials です。 β- 崩壊(陰電子電子崩壊)とβ+ 崩壊(陽電子 崩壊)が主なものです。ベータ崩壊では原子は 違う種類の原子になりますが、質量は変化しま せん。この時に高速で放出される電子がベータ 線です。ベータ線は、空気中は透過しますが薄 い金属板で遮断できます。透過力がアルファ線 より強い分、電離作用はアルファ線より弱くなっ ています。原子炉の中でウラン238からプルトニ ウムが生成される時などに発生します。 *γ(ガンマ)線 放射線の主なものは、α線、β線、γ線、X 線、中性子線ですが、その他陽子線、電子線、 重粒子線があります。以下は放射線医学総合研 究所の資料等を参考にまとめたものです。 原子核が崩壊した時に、必要でなくなったエネ ルギーがガンマ線で、アルファ線やベータ線とと もに放出されますが電荷を持たない放射線です。 ガンマ線は、電波と同じ電磁波で物質を透過 する力が大きく、被曝すると外部からでも体の 奥深くまで到達します。コンクリートの壁や鉛 の板で遮断することができ、ベータ線よりも弱 い電離作用を持っています。 *α(アルファ)線 *X線 1.放射線の種類 α粒子ともいわれ、ヘリウム(He-4)の原子 核がその正体です。+2価の電荷を持っていま す。α粒子を放出する壊変(α崩壊)後、親原子 核は、質量数は4小さくなり、原子番号(陽子の 数)は2小さくなります。ウランやラジウムな ど、原子核の核子数が多い放射性同位元素で起こ ります。α線は物質中を透過する能力は弱く、空 気中では線源から数 cm で止まってしまう程で紙 等でも十分遮ることができます。しかし、電離作 用は強く、α線を放出する核種は内部被曝を起こ し易いので注意する必要があります。 *β(ベータ)線 ベータ線は原子核がベータ崩壊を起こした時 に放出される放射線です。ベータ崩壊とは、弱 い相互作用によって起きる放射性壊変の総称で、 68 2011 JUL 1895年にウィルヘルム・C.レントゲンによっ て発見された放射線で、電磁波の一種です。病 院でレントゲン写真に使われるように透過力は 大きく人体を貫通します。ただ、電離作用は弱 く照射しても組織を破壊することは少ないので、 医療には広く使われています。 *中性子線 原子核を構成する素粒子のひとつである中性子 からできている放射線で、透過力が大きく原子に 吸収されると違う種類の原子を作る性質がありま す。主に核分裂のときに発生します。中性子線は 核分裂を引き起こしたり、プルトニウム239から プルトニウムの同位体を生成したりします。 1999年の東海村の核燃料施設での臨界事故で は、この中性子線が最も被害をもたらしました。 2.ベクレル ベクレル(記号:Bq)とは、放射能の強さを 表す単位で、放射性物質の量を表すために用い られます。 1秒間に1つの原子核が崩壊して放射線を放 つ場合を1Bq と定義しています。SI *(国際単 [T-1]の 位系)基本単位では[s-1]と表され、 次元をも持ちますが、放射線の種類やエネルギー の大きさには関係がありません。 ベクレルという名称は、ウランの放射能を発 見しノーベル物理学賞を受賞した、フランスの 物理学者アントワン・アンリ・ベクレル(Antoine Henri Becquerel)に因みます。 かっては、1g のラジウムの放射能を表す キューリー(Ci)という単位が用いられていま した。 ・1Ci=3.7×1010Bq=37GBq ・1Bq=2.7×10-11Ci 上記のように、ベクレルは数値の桁が大きく、 、MBq(M; Mega, 106 )、GBq kBq(k; kilo, 103 ) (G; Giga, 109) 、TBq(T; Tera1012)と表される ことが多いようです。 3.シーベルト 同じベクレル数の放射能が存在しても、その 放射能源から受ける放射線の強さは、条件によっ て変わります。 例えば、放射性物質の種類や測定点までの距 離、間にある遮蔽物の効果などです。 そのために、吸収放射線量の単位としてグレ イ(Gy)が定められています。放射線が当たる 1kg の物質が1J(ジュール)のエネルギーを 吸収したとき1グレイと呼びます。1Gy=1J/kg 1ジュールは、標準大気圧(1気圧)で20℃ の水1グラムを約0.24℃上昇させるエネルギー に相当します。 吸収線量が同じでも、人体に与える影響は放 射線の種類によって変わるので、吸収線量 Gy に放射線荷重係数(線質係数)を掛けた量を単 位として使っています。これがシーベルト(Sv) で放射線を受けた影響を表す単位になります。 Sv= 放射線荷重係数× Gy つまり、シーベルト(Sv)の単位はグレイと 同じ J/kg ですが、係数を掛けるため、Gy とは 別のものです。 ちなみに、放射線荷重係数(線質係数)は、 α線:20、中性子線:10、X線、β線、γ線:1 と決められており無次元量です。 放射線の人体に与える影響は被曝した人体の部 位(臓器)によって異なるので、組織荷重係数を 掛けて実効値(許容値)を表す場合があります。 ちなみに、組織荷重係数は、 ・肺、胃、骨髄など:0.12 ・食道、甲状腺、肝臓、乳房など:0.05 ・皮膚、骨の表面;0.01 と決められており、これも無次元量です。 シーベルトという呼称は、放射線防護の研究で 功績のあったスウェーデンのロルフ・マキシミリ アン・シーベルト(R. M. Sievert)に因みます。 Sv は、通常マイクロ(10-6)シーベルト:μSv、 または、ミリ(10-3)シーベルト:mSv と表さ れ、色々な規制・基準値が定められています。 SI *単位系に切り換る以前は、人体に放射線 が当たった場合の吸収被ばく量を、rem で表し ていました。1Sv は100rem に当たります。 身近なX検査である胸部レントゲンで0.1~ 0.3mSv の被爆といわれています。 *毎時シーベルト よく使われている Sv/h(毎時シーベルト) は、文字通り1時間当たりの生体への被曝の大 きさの単位です。年間被曝量1mSv とは0.114μ Sv/h の被曝を24時間、365日受け続けた状態で す。(0.114μSv/h ×24×365=998.64μSv≒1 mSv) *SI:国際単位系でフランス語に由来します。 1954年の第10回国際度量衡総会で採択されました。 2011 JUL 69 第2回 全日本曲技飛行競技会 「誌上ジャッジスクール⑷」 米国 IAC 曲技飛行 公認審判員 髙木 雄一 2011年のスポーツマン・ノウン・プログラム は10の基本的なフィギュアで構成されています。 ロールの指示の横の2や4などの数字は、2 ポイントロール(180度毎に一時停止)、4ポイ 今回はこれを題材にフィギュアを説明します。 ントロール(90度毎に一時停止)を示します。 1/2未満のループ(ピッチ変化が180度未満) は、直線の組合せで表示されます。これは角の ある飛行をするという意味ではありません。 WIND 2011 IAC Sportsman では、それぞれのフィギュアについて説明し ましょう。細かな判定方法や減点方法について は前回の記事をご参照ください。 Known 1.45アップライン このように、プログラム中のフィギュアは、 線と記号、数字のみでフィギュアを表現します。 2011年現在、基本は次のようになっています。 フィギュアには順番を示す数字が書かれ、開 判定は45アップラインの手前、最初の水平ラ インからすでに始まっています。ここは水平直 線飛行ですから CG の軌跡で判定し、次の45アッ プでは主翼が ZLA から45度、そして再び水平 直線飛行に戻ります。水平と45度アップライン の間の1/8ループも半径は一定ですが、仮にそれ ぞれの半径が異なっても減点はありません。同 時に、バンクとヘディングも判定することは、 以降のどのフィギュアでも同様です。 2.1 1/4ターンスピン 始は円または点、終了は線で表されます。アッ プライト(+G)の飛行は実線、インヴァーテッ 水平直線飛行を行いながら減速し、AOA(迎 角)を増加、失速と同時にスピンに移行します。 ド(-G)の飛行は破線で表されます。 1ターンや1 1/2ターンに比べて、1 1/4ター ンスピンの難しいところは、停止時にヨーが残 線を交差する矢印はロールを、直角三角形は スピンの指示を示します。1本は1回点、2本 は2回転。短い矢印及び直角三角形は1回転未 満で、数字がなければ1/2回転。1/4と3/4回転の り傾いた状態で止まることです。停止後はラダー を積極的に用い、機軸を垂直に(主翼を水平に) 修正します。停止と同時に修正する必要はあり ませんので、慌てず確実に行ってください。 場合は記載があります。 2と次の3のフィギュアの間は、このシーク 70 2011 JUL スピンからの停止後、Aのように傾いた姿勢を、ラダー を用いてBのように修正する。 A B キューバンエイト(8の字)の半分を描きます が、キューバンエイトのように、開始と終了の 高度が同一である必要はありません。45ダウン ラインでは1/2ロールがあるので、ここでも同じ 長さになるよう注意します。 7.ハンプティバンプ エンス内で唯一のクロスボックス(横風時にボッ クス内の位置を調整できる箇所)です。飛行を ループ部分が全て+Gとなる、通称「プルハ ンプティ」です。通常のループに垂直ラインが 有利に進めるために、左と右、どちらのスピン も確実に行えるように練習しましょう。 加わったものがハンプティバンプであると言え ますが、開始と終了の高度が異なっても許され ます。頂上のハーフループの半径を除き、最初 3.ハンマーヘッド、1/4ロールダウン Y軸からのハンマーヘッドとなるため、ジャッ ジからはピヴォット時の旋回半径の逸脱がよく 見えます。それぞれの競技機の特性に合った、 旋回開始の時期を見極めてください。 また、ダウンラインでは1/4ロールがありま す。ダウンウィンド側にフィギュアを終えられ るように、ロールの方向の注意が必要です。ま た、ロールの前後のラインが同じ長さになるよ う時間配分を調整し、常に一貫した結果となる ことを心がけましょう。 4.リバースシャークストゥース 注意点は、ジャッジが垂直ダウンラインを認 識できるよう、十分な長さの明確なラインを飛 行してください。そのために、45アップライン を比較的長めに飛行して、高度を獲て減速する 工夫も必要です。開始と終了の高度は同一であ る必要はありません。 5.ループ アップウィンドから開始するループでは、ルー プ頂上が追い風となるため、少ないフロートで も半径が十分に得られる傾向があります。これ は低出力機には有利です。もちろん、ループで すから開始と終了の高度は同一が目標です。 6.ハーフキューバンエイト 5/8ループと45ダウンラインを組み合わせ、 と最後の1/4ループの半径は同じでなければいけ ません。頂上のハーフループの終了が、開始よ りも下になってしまう、通称「クローズロー」 はよく見られる失敗例です。 8.リバースハーフキューバンエイト 6のハーフキューバンを逆向きに行います。 9.2ポイントロール 通常のスローロール(コンペティションロー ル)を180度(背面)で一時停止させます。ロー ルレートが速いものが高得点になることはあり ません。一定のロールレートを保ち、明確で、 精確な停止を心がけましょう。 10.270ターン 「ジャッジ側に向かってのターンが高得点とな る」とも言われますが、実際には左と右、どち らでも一長一短があります。同じ判定基準で行 われるため、ジャッジ席やボックスの位置関係 で判断することが望ましいと思います。 全体として見た、シークエンスの問題点 6番から8番にかけて、45ラインが全てダウ ンウィンド側にあるため、ボックス内に3つの フィギュアを収めることは困難です。6番を境 界近くで開始するなどの工夫が必要ですが、風 が強い状況では無理もあります。フィギュアの 形を崩さず、8番でのバウンダリー侵害を受け 入れての飛行も必要と思います。 2011 JUL 71 奥貫 博 今年の FAI 各部門の世界レベルの競技会は参 加手続きの段階となり、日本からはエアロバ ティックスの部門で2件のエントリーが行われ ました。それぞれ充実したトレーニングを実施 して参戦とのことです。 日本においても、着実な前進が見られるのは うれしい限りです。この輪を広げ、しっかりと 育てて生きたいと思います。 FAI ニュースも、その一助になればと思いま す。では今月の情報です。 ◉ ロータークラフト(ヘリコプター) 第14回世界ヘリコプター選手権の開催が、以 下の内容で公表されています。 日時:2012年8月8日~12日 場所:ロシア(Drakino Airfield) Web:http://www.helisport.org 主催:Federation of Helicopter Sport of Russia 連絡窓口:Irina Grushina Email:igrushina1@rambler.ru 又は helisport@rambler.ru 今からほぼ1年後の開催ですが、今年の8月に は同じ会場でプレ大会が予定されています。この 見学により、競技会の概要の把握と共に、人脈作 りも出来ると思います。また日本は過去の課目優 勝の実績から、参加が歓迎されています。 小型の R22,R44等のヘリコプターで十分に 戦えますので、興味があります方は、今から連 絡を取り、情報を収集されますことをお勧めし ます。詳しくは JAPA にお問合せ下さい。 ◉ GAC:ジェネラル・アビエーション(飛行機) 先号でお知らせしましたが、今年は第20回 世 界精密飛行競技会が10月に南アフリカ共和国で 開催されます。この競技で常に問題となるのが 着陸の接地位置です。1m刻みの判定を要する 72 2011 JUL 範囲は計40mもありますから、ビデオの映像で は正確な接地位置の判定が難しいのです。 しかし頭の良い人はいるもので、1m刻みのラ イン上に細いケーブルをピンと張り、その末端に 小型のマイクを付けて、それをコンピューターに 接続して記録するシステムが考案されました。 早い話が大きなエレキギターのようなもので す。機体がそのワイヤーを踏み越えると、ビー ンと音がして、コンピューターの画面上に記録 され、接地位置の確認ができるというのです。 日本からも、競技を通じて、このような楽し い提案が出来たらと思います。 ◉ エアロバティックス(FAA-CIVA) 今年7/26~8/7にポーランドで開催される曲技 飛行世界選手権(アンリミッテッド・グライ ダー)には梶智就さんが、8/31~9/11にイタリ アで開催される曲技飛行世界選手権(アンリミッ テッド・パワー)には室屋義秀さんがそれぞれ 参加の意思を表明し、JAPA 内での審査を経て 無事エントリー手続きが完了しました。 世界選手権では、開催日程のだいたい3~4ヶ 月前にプレ・エントリーの締切りがありますが、 参加希望者はそれまでに参加の意思の表明をし、 書類を揃えて JAPA の担当部署に申し込まなけ ればなりません。 JAPA と㈶日本航空協会での手続には2週間 以上かかりますので、予め余裕をもって申込を していただきたいと思います。 これからは、梶さんや室屋さんのようにすで に世界選手権出場の経験を持つ人ばかりではな く、全く新規の参加希望者も増えることが予想 されますが、そのような場合は審査にさらに時 間がかかることもありますので、世界選手権へ の参加を考えている方々は、まず JAPA の担当 部署へご相談下さい。 オススメ! 情報ボックス 書籍&Goods紹介 編集委員会 このコーナーでは、書籍紹介を始めとして航空に関するお勧めグッズ等を紹介しています。読者の皆 さんも、是非、フライトで使用している便利グッズや、パイロット仲間に紹介したいグッズ、書籍など の情報を、編集委員会までお知らせください。もちろん、ステイ先などでの飲食店情報なども大歓迎です。 本ヘリコプター輸送(全日本空輸の前身)に入 社、以降、旅客輸送一筋に、ピストンエンジン 旅客機、ターボプロップ機を経て、昭和50年に 現役パイロットを退いた。その間に乗りこなし た航空機は、計20機種にのぼる。 内容には、現代の CRM の時代にも通じるコ クピット内での様々な場面や、人間関係、判断 の模様等が描かれている。また、ジェット時代 への移行の場面では、時間と高度、速度と距離 をファクターとした空間的思考の重要性が語ら れ、先を読んだ降下率の管理こそが、ジェット 神田機長の飛行日誌 著者:神田 好武 発行:イカロス出版株式会社 〒162-8616 新宿区市谷本村町2-3 TEL :03-3267-2766 FAX :03-3267-2772 http://www.ikaros.jp/ ISBN 978-4-86320-288-7 定価:1,619円+税 時代への適合の鍵との記述がある。この辺は時 代を超えた基本としての認識を新たにする。 その一方、東京-大阪27分、東京-札幌46 分といった、古き良き時代のチャレンジも紹介 されている。これらは、追い風の利用と共に、 航空路を利用しない有視界飛行方式によって達 成されたもので、現代の定期旅客輸送の空では 許されない「苦笑を禁じえない大記録」との事 であるが、読み物としてはなかなか痛快である。 本書は昭和11年のサルムソン機での初飛行か ら、昭和50年の全日空ボーイング727でのラス 本書は昭和52年に航空新聞社から刊行された ベストセラーの新書「コックピット」を、その 33年後に、日本の航空100年の記念出版として 増補改訂し、復活させたものである。 トフライトまで、あしかけ40年、総飛行時間 24,763時間に及ぶ神田機長の記録である。 その内容は戦前から戦後への昭和の空の旅客 輸送の歴史をたどる記録として、貴重な存在で 筆者は、昭和11年に所沢陸軍飛行学校を逓信 省委託操縦学生16期生として卒業後、日本航空 輸送(のちの大日本航空)を経て中華航空に入 社し、輸送業務に従事。戦後は、昭和27年に日 あるとともに、旅客機パイロットの世界を、ユー モアにあふれた筆致でつづる、おおぞらの一代 記でもある。 興味のある方に、本書をお勧めしたい。 2011 JUL 73 開催予告 コウノトリ但馬空港フェスティバル ʼ11 (がんばろう、日本…兵庫県・空の日記念イベント) 平成23年7月30(土)~31(日) 入場無料 1995年以来コウノトリ但馬空港で毎年開催されている小型機の空のイベントが、今年も、 「がんば ろう、日本」のサブタイトルのもとに開催されます。このイベントは国土交通省の後援のもとに、 航空スポーツの安全性や楽しさの理解を深め、さらには参加・体験型のイベントを実施し、「空」を 身近なものとして親しみを深めていただくことを目的としています。 スカイレジャージャパンが休止となった今、貴重な存在のこのイベントは、但馬空港の利活用を 通じて地域の振興・活性化を目指すもので、地域と空港が一体となり活気にあふれています。 特に、FAI エアロバティックス世界選手権参加選手によるエアロバティックス演技や、各種小型 航空機によるデモフライト等々、スポーツ航空分野の飛行展示の充実は、大きな特徴です。夏休み の週末に、お子様連れでいかがでしょうか。では、その内容を以下に紹介させていただきます。 ■ スカイイベント ・ディープブルースエクストラ300S エアロバティックス(世界選手権挑戦者による演技) ・ウイスキーパパ競技曲技飛行チームエクストラ300L /岡山航空 WACO 複葉機・疑似空中戦 ・スーパーウィングス FA200編隊飛行、風船割り飛行 ・エアロスバル FA200・エアロバティックス ・但馬飛行クラブ ボナンザ デモフライト ・岡山航空 WACO 複葉機デモフライト ・UP JAPAN モーターパラグライダーデモフライト ・陸上自衛隊ヘリコプターデモフライト ・大野グライダークラブ&福井グライダークラブグライダーデモフライト ・岡山航空サイテーションデモフライト ■ 体験イベント ・航空機地上展示……演技に使用した機体や展示用の各種航空機材の一般公開 ・紙飛行機工作教室等……日本紙飛行機但馬支部の指導による、子どもを対象とした工作教室 ・プレイランド……子どもに人気の大遊具などを設置 ・テントブースコーナー……但馬観光、空港関係、スカイイベント出演団体 PR ブースなど ・YS-11機内公開展示……普段開放していないコックピットなどの一般公開 ■ ステージイベント……テレビで人気のキャラクターショー 郷土芸能 音楽演奏 その他 ■ 但馬グルメまつり……但馬地域の特産品の展示・即売や美味いものコーナーの設置 お問合せ先: コウノトリ但馬空港フェスティバル実行委員会 http://www.tajima.or.jp/taf/ 〒668-8666 兵庫県豊岡市中央町2-4(豊岡市役所内) TEL:0796-23-1401 FAX:0796-22-3872 E-MAIL:taf@d2.dion.ne.jp 後援:国土交通省 ㈶日本航空協会 74 2011 JUL 開催予告 第2回 全日本曲技飛行競技会 開催案内(予定) 全日本曲技飛行競技会は、開催地福島県の原発問題が、8月末までに一定の安定を公的機関から 発表された場合を前提とし、福島地域の復興支援と航空スポーツの振興を目指し、エアマンシップ で行うこととして準備を進めています。開催が決まりましたら HP にその旨掲載し、Mail で案内を 致します。 ふくしまスカイパークの皆様は、困難な状況下にあっても、地域と航空の発展を目指し、希望を 失いうことなく進んでいます。皆様の御支援を、よろしくお願いいたします。 1.日 時:平成23年10月8日(土)、9(日)、10(月)(予定)(競技は10分/1スロットで実施) 第1日 AM フライイン/ブリーフィング/公式練習/ PM 競技会 第2日 競技会 第3日 AM 競技会/ PM 競技会(予備)ディブリーフィング&表彰式/フライアウト 2.場 所:福島県 ふくしまスカイパーク 3.競技の内容:Primary(Known)Known は、予め主催者から公表された規定課目。 Sportsman(Known, Free)Free 課目は各自で設定。Sportsman では Known の実施でも良い。 Intermediate(Known, Unknown, Free )Unknown 課目は競技会の現地にて公表。 4.参加機体:曲技飛行競技への参加は、曲技飛行の実施が承認された飛行機とする。 5.安全対策:飛行開始前にパイロットブリーフィングを実施し、安全対策確認の署名を得る。 6.主 催 等:主催:ジャパン エアロバティック クラブ(全日本曲技飛行競技会実行委員会) 大会名誉会長:瀬戸孝則(申請中) 共催:福島市(予定) 後援:(調整中) 協賛:(調整中) 7.連絡先等:株式会社パスファインダー 福島市北沢又日行壇7-48 TEL 024-558-8318 担当:青島信介 URL:http://teamdeepblues.jp/championship/ 曲技飛行競技規定科目(Known) Primary Class Sportsman Class Intermediate Class K = 63(60+3) 競技は IAC(International Aerobatic Club)の2011年の Known (規定)競技科目及び、IAC のルール に準拠して実施する。 K = 133(127+6) K = 201(193+8) 2011 JUL 75 開催報告 第46回通常総会開催報告 平成23年5月30日(月)15:00から航空会館(東京・新橋)で、第46回通常総会を開催致しました。 中村専務理事が開会を宣言し、事務局から総会成 立について、定足数を満たしている旨報告がありま した。 冒頭、大内会長より、東日本大震災に関するお悔 やみとお見舞い、ならびに会員及び関係者に対して の災害対応活動への感謝の表明がありました。又、 公益法人認定関連、H22年度事業運営総括、及び H23年度事業概略説明等がありました。議長選出に あたり、小西正人会員が議長に推薦され、満場一致 の賛成を得ました。議事録署名人には大島 梓会 員、齋藤賢二会員の2名が指名され、了承を得たの ち、議案の審議に入りました。 第1号議案 平成22年度事業報告及び決算報告について 原案通り承認されました。 第2号議案 平成23年度事業計画及び予算案について 原案通り承認されました。 第3号議案 会員資格の変更および新設について 原案通り承認されました。 第4号議案 役員の一部交代について 原案通り承認されました。 新任役員 理事 広井 秀次 第5号議案 公益社団法人認定取得に向けた定款変更案について 担当理事より一部取り下げる必要な案件(2件)について説明しました(第5号議案 定款第43条及び 附則3) 。この案件について了承を得て、承認されました。 以上をもって議案全部の審議を終了したため、小西議長は議事が終了したことを宣言し、最後に中村専 務理事より閉会の挨拶がありました。 76 2011 JUL 第47期役員一覧 会 長 大内 学 理 事 酒井 文彦 副 会 長 小林 宏之 理 事 佐藤 香 副 会 長 薬師寺 進 理 事 白石 豊樹 副 会 長 大畑 隆 理 事 菅原 弘行 専務理事 中村 俊治 理 事 管 聖 常務理事 池田 晃二 理 事 鈴木 英明 常務理事 楠本 晋一 理 事 中野 計人 常務理事 蔵岡 賢治 理 事 根本 裕一 常務理事 吉田 徹 理 事 野口 義博 理 事 有野 達也 理 事 蓮 康夫 理 事 石井 清 理 事 広井 秀次 理 事 大澤 一朗 理 事 馬場 良直 理 事 大関 春樹 理 事 平山 開偉 理 事 大塚 敬久 監 事 志鳥 學修 理 事 大村 大 監 事 増田 奉和 理 事 木村 貴文 監 事 菅生 徹 理 事 早乙女一成 (新任) 新役員紹介 理事 広井 秀次(日本トランスオーシャン航空・沖縄支部) 突然ですが、皆さんは「野球派」ですか? それとも「サッカー派」ですか? Wカップやオリンピック等では「JAPAN」を必死に応援しているものの、年代の せいでしょうか、私はやっぱり野球を贔屓してしまいます。 サッカーを選ぶ子供たちの割合が増えている、あるいは足の速い子が野球よりサッ カーのクラブに入る等の噂を耳にすると、野球界の将来を案じ気が気でなりません (笑) 。 申し遅れましたが、沖縄の JTA で B737機長として乗務しております広井です。 この度、池内理事の後任として理事に就任することになりました。 昨今の航空業界は燃油費の高騰や長引く不況等により、厳しい状況が続いています が、こんな時でも、一人でも多くの子供たちの将来の夢が「パイロット」であること を切に望んでおります。 JAPA の活動を通し、微力ながらもその一助となるよう努めていきたいと思ってい ますので、よろしくお願いいたします。 2011 JUL 77 協会活動スケジュール [活動報告] -平成23年5月- 5月10日 航空身体検査証明審査会 FAI 分科会 5月11日 編集委員会 航空保安施設信頼性センター評議員会 5月12日 FTD 教官会議 5月26日 経理委員会 5月14日 ATS 委員会 5月27日 航空保安協会理事会 5月16日 第209回常務理事会 ヘリコプター教本 WG 航空保安施設信頼性センター理事会 航空保安業務運用連絡会議 5月28日 航空安全講習会 5月18日 視聴覚教材打ち合わせ 5月19日 JAPA ホームページ会議 5月20日 FT 委員会(シンポジウム) 5月21日 航空安全講習会 航空輸送技術研究センター評議員会 5月23日 乗員養成検討委員会 視聴覚教材打ち合わせ 5月25日 航空振興財団理事会 航空気象委員会 5月30日 第46回通常総会・第261回理事会 -平成23年6月- ビジネス航空委員会 6月17日 危機管理・コミュニケーションスキルセミナー 東海大学準会員説明会 6月18日 危機管理・コミュニケーションスキルセミナー 6月4日 視聴覚教材打ち合わせ 6月21日 航空安全情報分析委員会 6月7日 航空身体検査証明審査会 6月22日 5月仮決算経理打ち合わせ(出塚会計) 6月10日 第262回理事会 6月23日 学科試験問題検討会 新理事オリエンテーション 6月24日 経理委員会 6月1日 6月11日 航空安全講習会 ATS 委員会 編集委員会 6月25日 航空安全講習会 6月14日 公益認定等委員会窓口相談 6月15日 編集委員会 6月26日 Yes I Can 大阪 航空医学研究センター理事会 6月28日 日本航空協会評議員会 航空機安全運航支援センター理事会 6月29日 航空管制定期連絡会議 6月16日 航空気象委員会 GA 委員会 視聴覚教材打ち合わせ JAPA ホームページ会議 [活動計画] -平成23年7月- 7月1日 編集委員会 7月10日 Yes I Can 北海道 7月5日 航空身体検査証明審査会 7月11日 航空保安無線システム協会評議員会 編集委員会 7月16日 危機管理・コミュニケーションスキルセミナー 7月7日 航空保安研究センター理事会 空港見学(熊本空港事務所) 技量維持連絡会 7月23日 航空気象委員会 7月8日 第210回常務理事会・顧問会 7月24日 GA セミナー 7月9日 ATS 委員会 7月25日 乗員養成検討委員会 78 2011 JUL 7月26日 ASI-NET 航空保安大学校講義(システム統制官課 7月27日 協会創立記念日 程特別研修) ヘリコプター教本 WG -平成23年8月- 8月2日 航空身体検査証明審査会 8月18日 GA 委員会 8月6日 航空安全講習会 8月25日 編集委員会 ATS 委員会 8月26日 危機管理・コミュニケーションスキルセミナー 編集委員会 8月27日 航空気象委員会 8月15日 ❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖ 事務局だより PILOT・AIM-J 等確実にお届けするために、自宅・勤務地・mail box 等を変更された場合は速やかに 協会事務局までご連絡下さい。また郵便振替にて会費を納入いただいております会員の皆様には、便利な 口座自動引落による納入についてご案内致しますので、協会事務局までご連絡下さい。申込書をお送りさ せていただきます。 ~ 結婚祝金を給付しております ~ 正会員の方(60歳未満の方)が対象となりますが、結婚祝金を給付しております。 (給付額は20,000円) 給付申請には戸籍抄本1通(原本)、 振込口座の書類提出が必要となります。なお、 婚姻届の届出より 6ヶ月以内に申請いただくこととなっておりますので、 予めご了承願います。JAPA ホームページ (http://www.japa.or.jp)会員限定ページより申請書をダウンロードできますので、是非ご利用下さい。 2011 JUL 79 計器飛行証明を目指されている方、知識レビューされたい方必見! 平成 23 年度 航空安全セミナー 今年度は、6連続開催で計器飛行に関する勉強会を開催します。 ライセンスをお持ちの方、目指されている方 是非ご参加ください。 第48回 7月24日(日) 第49回 9月17日(土) 第50回 10月15日(土) 第51回 11月19日(土) 第52回 12月17日(土) 第53回 1月21日(土) 計器飛行等関係法規と基礎知識 飛行方式設定基準 チャート判読 管制方式基準 IFR FTL の気象判読 仮題 FTD を使った IFR 解説 過去に参加された方のメッセージ! ✈ 気軽に参加できるセミナーであって内容がしっかりしている講義だったと感じた。オーラルで聞かれそ うな内容であり、ポイントがコンパクトにまとめられていて良かったと思う ✈ 管制方式の考え方を改めた。改めて計器飛行、航法、方式の相違を確認したい ✈ 計器飛行には何がコンセプトか確認できた。内容としてとてもまとまっていたと思います。説明も分か りやすかったです 参加費:4,000円(会員1,000円)教材費込み お申し込みお問い合わせ 日本航空機操縦士協会 齋藤 幸雄 TEL 03-3501-0433 FAX 03-3501-0435 saito@japa.or.jp 80 2011 JUL 元機長・元客室乗務員から学ぶ コミュニケーションスキルセミナー 学生の皆様 就職にすぐ活かせる「コミュニケーションスキル、接遇、リスクマネジメント、能力、集中力の 発揮の仕方など」を学ぶことが出来ます。楽しく深く本質を学ぶセミナーです。物事の捉え方、考 え方、行動が変わりますので、是非ご参加ください。 講 師 小林 宏之 「元日本航空機長」 2010年3月退社時のラストフライトはマスコミの話題となり、新聞・テレビなどで特集が組 まれる。 日航退社後は、危機管理・リスクマネジメントの講師として活躍する傍ら、航空評論家として も活躍 医療機関、原子力関係の各機関、様々な企業・団体で講演中。 井上 妙子 「元日本航空客室乗務員」 在職中は乗務以外の仕事にも携わり営業・広報で様々な企画を提案し実施。 「ふれあいメール」「ハンドベル」等はマスコミでも話題になり様々な表彰を受ける。 退職後、キャリアサーポート等を学び資格取得。コミュニケーション・ビジネスマナー講師と なり、ハローワーク・企業で新入社員研修など実施中。 コミュニケーションスキルセミナー(学生) 8 月 26 日(金)10時~16時 場所:日本航空機操縦士協会会議室 (港区西新橋1-18-14 小里会館7F) 申込:氏名、年齢、 所属(企業・学校名)連絡先を明記 受講費用 受講費 5,000円(JAPA会員 1,000円) ※今年度に限り受講費を体験価格3,000円と させて頂きます。 ご入会すると 賛助会員B(サポーター)にご入会頂くと、以 後のセミナーは会員特典が受けられます。 施設見学会、航空従事者との交流会など 〈お申し込みお問い合わせ〉 社団法人日本航空機操縦士協会 齋藤 幸雄 TEL 03-3501-0433 E-Mail:saito@japa.or.jp www.japa.or.jp 2011 JUL 81 当協会の FTD は国土交通省の「模擬飛行装置等認定要領」の規定による <飛行訓練装置レベル3>に認定されています。 当機による訓練で FlightLogBook への飛行時間の記入が可能です。 FTD訓練を体験して エアーセントラル株式会社 乗員部 神保 航一 JAPA FTD では大変お世 話になりました。 訓練では知識や技術だけ でなくエアラインの考え方など幅広く教えて いただきとても勉強になりました。 お蔭様で志望していた航空会社に入社する ことができました。 学んだ事を活かして今後の訓練を頑張って いきたいと思っております。 ありがとうございました。 平成23年4月1日より新料金により訓練を行っております。 より充実した訓練を提供するよう関係者一同お待ち致しております。 ≪訓練A≫ Flight Log Book へ飛行時間の記入が可能です(技能証明が必要)。 メニュー 技量維持訓練 計器飛行(180日) 計器飛行訓練 会員 18,000円 15,000円 18,000円 一般 25,000円 20,000円 25,000円 訓練時間 FTD 80分 FTD 60分 FTD 80分 ・技量維持訓練 航空局乗員課通達国空乗第2077号(自家用操縦士の飛行の安全確保について)にて推奨されている技量維持を行う訓練 ・計器飛行(180日) 航空法施行規則第161条(計器飛行を行うために必要な最近180日の飛行経験)を満たすための訓練 ・計器飛行訓練 全15回の訓練 ≪訓練B≫ Flight Log Book へ飛行時間の記入は致しません。 メニュー ポイントレッスン 試験前訓練 体験搭乗 82 2011 JUL 会員 12,000円 12,000円 6,000円 一般 16,000円 16,000円 8,000円 訓練時間 FTD 60分 FTD 60分 FTD 30分 PILOT 誌に貴方の記事を! 『貴方の記事を PILOT 誌に!貴方の経験や知識を記事に!』 PILOT 誌は、多くの日本航空機操縦士協会の会員から、或いは一般の方々からの投稿と多くの愛読 者によって支えられ、編集委員会も皆様からの多くの御投稿に感謝しつつ、発行してきました。 編集委員会は、PILOT 誌に日本航空機操縦士協会の委員会活動等々を掲載してきましたが、航空に 関心のある方々の輪をより広げるため、読者である貴方からのご投稿の記事をお待ちしています。 投稿する記事は、技術的なもの(運航技術講座)、チョットした軽い読み物(Aviation Café)等々、 航空に関係する記事であればジャンルを問いません。 『貴方の記事は、経験と知識を伝え、そして、一服の清涼剤!』 募集開始:2011年7月1日より 投稿方法:① 投稿は、JAPA 事務局 E-Mail(japa@japa.or.jp)にお願いします。 ② 投稿は、A4版、または E-Mail で取寄せた原稿台紙(下図)の電子ファイルで送付 して下さい。 送付先、取寄せ先:JAPA 事務局 E-Mail(japa@japa.or.jp) ③ 掲載予定の場合は、掲載紙面の形で PDF File が返送されます。 ④ PILOT 誌に掲載された場合は、薄謝を進呈します。 原稿台紙(A4版 B5幅対応) 2011 JUL 83 会員の皆様に JAPA出張講座開設! 『講師になりませんか? 貴方の経験や知識を生かしませんか?』 日本航空機操縦士協会には、会員として多くの優秀なパイロットや航空関係者が所属しています。 その貴方の経験や知識を、航空界の発展やパイロットの地位向上のため、航空に関心のある方々の輪 を広げるため、航空に興味ある一般の方々や後輩のパイロットに公開する『JAPA 出張講座』を開設 いたします。 『JAPA 出張講座の講師募集』 講演は、プレゼンテーション(Power Point)形式で行い、質疑応答や休憩を含む90分(1時間半) 程度で構成します。 募集開始:2011年8月1日より 応募方法:① 講演内容を Power Point で作成し CD ROM に保存します。 ② 講演内容の Power Point を A4版にプリントアウトします。 ③ 出張講座申請書を E-Mail(japa@japa.or.jp)で取寄せ、CD ROM と A4版の資料を 添え、JAPA 事務局に送付します。 ・送付された CD ROM と A4版資料の講演内容は、担当部署が確認します。 ・CD ROM には JAPA 様式のラベルを貼り厳重管理します。A4版の資料は協会で閲覧資料として公 開し、その概要をパイロット誌に適宜紹介します。 ・貴方を『JAPA 出張講座』の講師に登録し、航空業界や一般からの講演依頼を受け派遣します。講 演料・交通費・宿泊費は規程に従って支払われます。 『来たれ! そして、貴方の経験と知識が生きる!』 参考 登録に必要な書類 JAPA 出張講座 Title CD-R/RW の ラベルは JAPA 様式 84 2011 JUL (75min) AUG/01/2011 Copyright 製作 A 4 版申請書 及び解説書 JAPA出張講座紹介! 成田空港からハワイのホノルル空港までのフライトを一緒に飛んでみましょう。 飛行計画の段階から、離陸、上昇、巡航、降下、そしてホノルル空港のターミナル到着までを、映 像とともに、パイロットと一緒に飛んだ気分を味わって下さい。 また、何度見ても身震いするほど幻想的な北極や南極圏の高緯度でしか見られないオーロラなど、 高度一万メートルからみた地球の姿を映像で紹介します。 これらの映像から、次のようなことを感じ取って頂けるのではないでしょうか。 ⑴ 「かけがいのない」地球の美しさ ⑵ 地球は丸い、それほど大きくはない ⑶ 地球はまだ若い活動的である ⑷ 近年の急速な温暖化による地球の姿の変貌 ⑸ 温暖化による気候変動 ⑹ 地球はバランスをとろうとする ⑺ 地球には回復力がある それでは、映像でご一緒に飛びながらフライトを味わって頂き、同時に、パイロットも感じている 地球環境の変化などに関心を持って頂ければ幸いです。 -記- 小林 宏之(日本航空機操縦士協会所属) 2011 JUL 85 まだまだ国内で頑張る全日空の B747 ありがとうジャンボ グアム2日間の JAL B747(撮影:秋山智一様) 日本の B747 ジャンボジェット 日本の大量航空輸送のシンボルであった B747も、徐々に新しい777等の双発機への置換えが 進んでいます。既に JAL は国内、海外とも全機退役しました。ANA は国内の幹線で、まだ乗 ることが出来ます。あの独特の2階席に、また乗ってみたいと思います。 86 2011 JUL 編集委員会では、PILOT 誌の表紙を飾る皆様からの航空機の写真を募 集しています。 尚、応募写真は編集委員会で検討の上、掲載いたします。 以下の応募要領をご了承の上、ふるってご応募ください。 ・写真はカラー・白黒・Digital Data を問いませんが、投稿者が撮 影されたものに限ります。撮影日時・場所・説明等の添書きも添 付してください。 ・表紙には縦方向で採用します。 尚、Digital 写真の場合は、できる だけ大きな画素数で撮影したものとして下さい。 ・PILOT 誌の表紙に採用させて頂いた場合、または、表紙に掲載と ならなかった場合でも優秀な写真は Aerial Photo Exhibition に 掲載し、薄謝を進呈いたします。 ・応募写真は、日本航空機操縦士協会で利用させて頂く事と返却で きない事をご了承ください。 ・住所、氏名、年齢、職業、電話番号、E-Mail Address 等を明記 してください。 ※個人情報に関しては当協会で厳重な秘守扱いと致します。 送付・お問合せ先 社団法人 日本航空機操縦士協会 編集委員会 〒105-0003 東京都港区西新橋1-18-14 TEL 03(3501)0433 FAX 03(3501)0435 E-mail:japa@japa.or.jp 2011 JUL 87 編集後記 ●決してムリをしないで ガンバロウ。 ガンバレル人だけガンバロウ。 (RYU) ISSN 0389-5254 2011 No.4 JUL JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION ●本号タイム・イズ・マネーの著者、金井大悟 さんはビジネスマンであると共にエアマンで もあります。コンコルドのチケットをゲット にするのに、残高など気にしないでクレジッ トを切るのがビジネスマン、でも「平然を装 いながら」と言うあたりがエアマンらしい、 身銭の潔さか。「That’s Good!」 (カレン) No.327 2011 No.4 JUL ●その飛行は安全かと問われて「安全」と答え るか、 「墜落の可能性はゼロとは言えない」と 答えるか。100%絶対安全はあり得ないのだ が、万全の備えの結果は「安全」として認め られるのだと思う。航空関係者の責任は重い。 (奥貫) Pilotが作る隔月誌 PILOT ●6月8日0512(日本時間)、JAXA の古川 聡 宇宙飛行士が、ソユーズ宇宙船(27S/TMA02M)でカザフスタン共和国にあるバイコヌー ル宇宙基地から飛び立ち、6月10日0618に国 際宇宙ステーション(ISS)にドッキングし、 約6カ月に及ぶ宇宙滞在任務がスタートしま した。宇宙飛行士候補生として JAXA に入社 して12年、長期間の順番待ちに耐え抜いた精 神力には感服します。任務を終了し地球に帰 還するのは今年末になるとのこと、安全に帰 還されることを心よりお祈りいたします。 (KEN) JAPAN AIRCRAFT PILOT ASSOCIATION 今回の表紙は全日空の B747です。ダブルデッ キの前胴、4発エンジンの迫力、ムカデのよう な脚、そして圧倒的な重量感は、ジャンボなら ではのものです。国内線の就航も残り数年のよ うですので、また乗っておきたいと思います。 (奥貫) ●本誌は7月号から季刊誌になる。内容を充実 させるように頑張ろう。 (T.A) 10mの大津波であった。3回目以降は津波と 引き波が重なり、大きな三角波が発生してい た。地震・雷・火事・おやじより大津波はこ わいぞ。 (K.A) ●岩手県田野畑村も、3. 11の大津波で海岸付近 は大被害を受けた。連続18分のビデオでは、 最初の引き波のすごさ、 第1回目の津波が余 り大したことがないが、2回目、3回目は数 ●PILOT 誌は今号から季刊誌になりました。皆 様からの航空に関連ある記事のご投稿は、ジャ ンルを問わず、何時でも受けています。 (編集長 蔵岡) No.327 2011年 7 月号/平成23年7月発行 発行 社団法人 日本航空機操縦士協会 (Japan Aircraft Pilot Association) 〒105-0003 東京都港区西新橋1-18-14 TEL 03-3501-0433(代) ホームページ URL http://www.japa.or.jp/ FAX 03-3501-0435 E-Mail:japa@japa.or.jp JAPAWEB:5g3t1p0yz2q 振替口座/00180-9-88490 88 2011 JUL 禁無断転載 落丁・乱丁本がありましたら お取替えいたします 編集人 蔵 岡 賢 治 発行人 中 村 俊 治 定価 1050円(税込) 印 刷 株式会社イーフォー www. japa.or.jp www.japa.or.jp
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