知の知の知の知 - 社会福祉法人大阪手をつなぐ育成会

い~な
あまみ
中 央
しらさぎ
さくら
大阪+知的障害+地域+おもろい=創造
知の知の知の知
社会福祉法人大阪手をつなぐ育成会 社会政策研究所情報誌通算 1621 号 2013.11.6 発行
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子どもの「6 歳就学」を延期する親たち、ドイツ
AFPBB ニュース 2013 年 11 月 5 日
ドイツ南部ミュンヘン(Munich)近郊アイヒ
ェナウ(Eichenau)の幼稚園で、塗り絵をする
子ども(2013 年 10 月 9 日撮影)。(c)AFP=時事
/AFPBB News 【AFP=時事】ドイツで子どもの
就学を遅らせる親が増えている。ドイツ連邦統計
局(Destatis)によると、2011-12 年度に小学
校に入学した児童の 6%は就学時期を延期した子どもで、うち 3 分の 2 は男児だった。一部
地域ではこの割合がさらに高いという。
ある母親は、息子の就学を 1 年遅らせた。6 歳になる直前に入学する予定だったものの、
「自分で自分のことが全くできず、何かできないとすぐ不機嫌になる」(母親)ため、息子
を幼稚園に 1 年長く通わせた。母親は AFP に対してこの判断は正しかったと語り、「今は
学校に適応している」と強調した。
15 年前にドイツ当局は、子どもが 6 歳の誕生日を迎える暦年に就学年齢を前倒しする方
針を打ち出した。他の欧州諸国に歩調を合わせるとともに、差し迫る労働力不足に対応す
るのが狙いだった。多くの場所では高校の通学期間も1年間短縮された。
■親が学校生活のストレスやプレッシャーを懸念
しかし、こうした全国的な学校制度の改革は、秩序だった学校生活のストレスや緊張に
直面するのは自分の子どもにとってまだ早いと考える親の反対意見を織り込んでいなかっ
た。
南部ミュンヘン(Munich)にある学校問題相談所のヘルガ・ウルブリヒト(Helga
Ulbricht)所長は「学校のストレスやプレッシャーについていろいろ聞くと親は急に、自分
の子どもにそうしたものを背負わせることにならないか自問自答する」と指摘する。
この相談所があるバイエルン(Bavaria)州では、就学を延期した児童の割合が 12%に
上っている。同州はこうした親の一種の抵抗を受け、6歳を迎える年に就学させる方針を
断念せざるを得なくなった地域の一つだ。6 歳就学が当たり前となっているのは、今や首都
ベルリン(Berlin)など一握りの地域に限られている。
この件について専門家の意見は分かれている。ハンブルク大学(Hamburg University)
のペーター・シュトルク(Peter Struck)名誉教授(教育学)は、就学年齢が早ければ早い
ほど学習能力が高まると主張する。ただし、言葉をまだ十分に使いこなしていない子ども
や発達が遅れている子どもは、就学延期が効果的な場合もある点は認めている。
一方、言語障害を専門とするバイエルン州の教育学者ベアーテ・ケーグラー(Beate
Koegler)氏は、親の不安は「大げさではない」という。子どもが集中的な支援を必要とし
ている分野に親が注意を払い、翌年からの入学準備が十分できるなら、就学延期を支持す
るとの考えを示した。
ただし、一部の親にとってはイメージの問題なのかもしれない。バンベルク大学
(Bamberg University)の教育学研究者カタリナ・クルチニク(Katharina Kluczniok)
氏は、学校とは「子ども時代の終わり」だという批判的な認識を持っている親が多いと述
べる。子どもが宿題や過密な時間割りに縛られるようになる前に「親の方が、もう 1 年猶
予期間を求めていることも考え得る」という。
学校問題相談所のウルブリヒト氏も、子どもの就学が親にとっても大きな変化になり得
るといい「
『用意ができた』と認識することは、親にとって思い切りの要る一歩だ」と述べ
ている。
【翻訳編集】AFPBB News
生きる物語:笑顔で満たしたい/1
/佐賀
毎日新聞 2013 年 10 月 23 日
9月下旬のある日の夕方。佐賀市の「佐賀県難病相談・支援センター」の一室に、人気
グループSMAPのヒット曲「SHAKE(シェイク)」の軽快な音楽が流れる。リズムに
合わせ、女性6人が手をたたき、足を上げ、腰を振る。
「きつか〜」
「ああ、もうダメ!」
6人は難病患者でつくる「きらめきダンサーズ」のメンバー。
「弱音」を吐きながらも力
強く踊り、汗を流した。
輪の中心にいたのは、膠原(こうげん)病の一種、全身性エリテマトーデス(SLE)
患者でセンター所長を務める三原睦子さん(53)
。SLEは、細菌などから体を守る「免
疫」に異常が起き、体を攻撃するようになる病気。発熱や全身の倦怠(けんたい)感、内
臓、血管の病気などの症状が次々に起こる。三原さんは発症から約25年たつが、数種の
薬を手放せず疲れがたまると体が動かなくなる。
三原さんは2004年のセンター設立直後に同病患者の成清恭子さん(62)と「ダン
サーズ」を結成。他の患者の参加も増え、患者会などで披露すると「元気をもらった」と
反響が広がった。
軽くはない症状を抱えながらも取り組むのは「患者が笑って楽しく、ホッと過ごせる場
所にしたい」という思いからだ。
センターへの年間相談件数は約5000件。来所する患者の目的は、相談の申し込みだ
けではない。仕事の休憩時間や散歩の途中にふらりと訪れ、語り合うことも多い。
多くの難病はある日突然、発症する。疲れや痛みなど外見では分からない症状を抱え、
好不調は日ごと変わる。学校、職場だけでなく、家族すら理解してくれないケースもある。
行き場をなくし、誰にも相談できず、孤立する。
「患者が安心して過ごせる時間を届けたかった」
。強い思いは、三原さん自身が病気の不
安と孤独に苦しんだからだ。小学3年からクラシックバレエを習い、佐賀県内で過ごした
社会人時代は毎日のようにディスコに通った。病気と無縁の生活が一変したのは、20代
後半だった。
原因不明で完治が見込めない「難病」を患いながら生きている人たちがいる。国が医療
費助成の対象にしている「特定疾患」
(56疾患)の患者だけでも県内で約5600人に上
る。自らも患者でありながら、仲間たちの生活や就職の支援に奔走する一人の女性の「生
きる物語」を10回にわたって紹介する。【蒔田備憲】
◇全身性エリテマトーデス
医療費助成の対象になる「特定疾患」の一つ。2011年度に助成を受けた患者数は全
国で約5万9000人。
生きる物語:笑顔で満たしたい/2
ダンスで元気の輪
20代「SLE」の前兆
毎日新聞 2013 年 10 月 23 日
膠原(こうげん)病の一種、全身性エリテマトーデス(SLE)患者で、佐賀県難病相
談・支援センター所長を務める三原睦子さん(53)は子供の頃、「好き嫌いが激しい」性
格で、オルガン、書道、そろばん−−と習い事に挑戦しても、3日と続かなかった。唯一、
夢中になったのがクラシックバレエだ。
バレリーナを描いたテレビドラマを見て、小学3年からバレエ教室に。レッスンがない
日も、近所の体育館で自主練習を積んだ。しかし、高校進学時に福岡県久留米市から佐賀
市に移転し、教室に通えなくなった。高校では友達もなかなかできず、
「入学当初は毎日泣
いていた」
。寂しさを紛らわそうと、教師を目指して勉強を重ねたが、これも家庭の経済事
情で大学進学を諦め、佐賀県内の自動車会社に就職した。
職場の同僚だった夫修さん(56)は、当時の三原さんは「ディスコ通い」で名をはせ
ていたと話す。社会人になって「ダンス熱」が再燃していた三原さんはバレエ教室だけで
なく、原付きバイクで、毎晩のようにディスコ通いをした。飲酒はせず、午後10時の閉
館ギリギリまで数時間、踊り続けた。
7年後に「寿退社」して結婚。約1年後、長男を出産し、翌年には次男が生まれた。体
に異変を覚えるようになったのはその頃だった。夜中、次男が泣いてミルクを求めても、
起き上がれない。微熱と倦怠(けんたい)感が一日中続く。日光に当たると体に発疹が出
て、額にも広がっていた。
振り返ると、前兆はあった。20代前半から、指先が赤くただれる症状があった。1人
目を妊娠した頃、掃除や洗濯など家事をしただけで体が重くなった。しかし、「妊娠中や出
産後は体がきつくて当たり前」と思っていたし、昔からめったに風邪をひかず、病気と思
っていなかった。
総合病院で検査をした結果は「SLE」。どんな説明を受けたか覚えていない。印象に残
っているのは、医師の一言。
「治らない病気です。すぐに入院してください」
◇全身性エリテマトーデスの症状
発熱や全身の倦怠感、内臓の病気などさまざまな症状が次々に起こる。発症する男女比
は1対9程度で女性に多い。
生きる物語:笑顔で満たしたい/3
友の死で開き直り
毎日新聞 2013 年 10 月 24 日
佐賀県難病相談・支援センター所長の三原睦子さん(53)は28歳の冬、医師から体
調異変の原因は難病「全身性エリテマトーデス(SLE)」と告げられた。すぐに入院を勧
められたが「ちょっと無理です」
。1歳の長男と、3カ月の次男の子育ての真っ最中。家を
離れられなかった。
通院で投薬治療を受け、体中の発疹は治まったが、疲れやすい体質は変わらない。子供
を公園に連れて行ったり、買い物に行ったりすると、翌日は一日中寝込んだ。
「なんで、自分だけこんな目に遭うとやろ?」
相談できる相手もいない。精神的に追い込まれ、
「息子を連れて死んだ方がましだ」と何
度も思い詰めた。子育てもままならず「難病で家事もできない妻が、夫に迷惑をかけてい
る」と引け目を感じ、離婚を切り出されるのも覚悟した。
しかし、転機が訪れた。通院先の病院で、自分と同じ病気の同年齢の女性と出会ったこ
とだ。女性はSLEに加え、関節リウマチも併発し、手の変形や痛みを抱え、自分よりも
重症だった。
初めて、病気のことを気兼ねなく話せる相手だった。自分が難病だと説明しなくても、
お互いの気持ちが分かる。仕事や家庭の悩み……。女性が入院した時、毎日のように見舞
い、おしゃべりした。
出会いから約2年たち、女性は亡くなった。
同じ難病の女性の死を直視できなかった。毎晩のように泣いた。生前にもらった手縫い
の化粧ポーチを手放さなかった。
悲しみの日々が1年ほど続いたある日。特別なきっかけはなかったが、ふっと開き直る
瞬間を迎えた。
「ぐちぐちしたって仕方なか。彼女の分まで、好きなことやって死のう」
体調管理をしながら子育てを続け、通信制大学に入学。4年で卒業し、家庭の事情から
高校時代に断念した大学進学の夢を果たした。三原さんの夢は広がった。
「人のために生き
たい」
。いつか、患者を支援する活動を志すようになっていた。
◇三原さんメモ
佐賀県生まれ。佐賀市で夫(56)、母(78)、長男(27)、猫2匹と暮らす。次男(2
5)は福島県で1人暮らし中。
生きる物語:笑顔で満たしたい/4
やすらぎの場、設立へ
毎日新聞 2013 年 10 月 25 日
全身性エリテマトーデス(SLE)患者の三原睦子さん(53)は2000年ごろ、患
者会「全国膠原(こうげん)病友の会佐賀県支部」に加わった。その後、県内の患者団体
でつくる県難病団体連絡協議会の事務局員を務め、週1回の電話相談を受け持つようにな
った。
「将来が見えない」
「お金がなくて治療が受けられない」「死にたい」……。
電話機から、数多くの悲痛な声が漏れてきた。聞いたことのない病名の患者からの相談
もあった。当時、県内にあった難病の患者会は4団体だけ。しかし、難病の種類は数百と
も数千ともいわれる。
「誰にも話せず、家で一人、泣いているんじゃないか……」。患者会のない県内の難病患
者たちの孤独を思った。自分と同じSLEを患って亡くなった友人や、くも膜下出血のた
め57歳で亡くなった父との別れも思い出した。
「私は食事もできるし体も動く。これ以上、望むものはない。どうせ死ぬなら一瞬であ
っても、深く生きたい。10倍も20倍も。人のために生きたい。私を貫いているのは、
それだけ」
居ても立ってもいられず、自分の携帯電話番号を公開して病気の悩み相談を受け付け始
めた。それも「難病」だけでなく、感染症やがん、精神疾患の患者ら、あらゆる病気の悩
みを受け付けた。
独自の支援活動が広がるにつれ、三原さんの体調を心配する友人から「そこまでせんで
も良かろうもん」
「負担が大きすぎる」と心配された。だが「病名で苦しみが変わるわけじ
ゃないでしょ。困っているのはみんな同じ。私で力になれるなら、と思って」と、自分の
信念を通した。
ちょうどその頃、国は難病患者支援の一つとして、患者らから相談を受ける「難病相談・
支援センター」を全国に設立しようと計画していた。
佐賀県内でも「患者のよりどころになるセンターを設立しよう」と機運が高まりつつあ
った。三原さんは仲間と力を合わせ「患者が安心できる場所」づくりへと動き出した。
◇全国膠原病友の会
膠原病の患者会として、1971年に結成した。ホームページは
(http://www.kougen.org/index.html)
生きる物語:笑顔で満たしたい/5
背中押され理事長に
毎日新聞 2013 年 10 月 26 日
相談場所がない難病患者の支援を拡充しようと、国は2003年度から全国の都道府県
に難病相談・支援センターを設置する事業に取り組み始めた。佐賀県でも、全身性エリテ
マトーデス(SLE)患者の三原睦子さん(53)が支援者とともに準備を進めた。
県内の患者たちはまず、NPO法人設立の計画を練った。患者会でつくる「佐賀県難病
団体連絡協議会」を中心に法人を設立し、センター運営を法人が委託されることも視野に
入れていった。そして「NPO法人理事長に誰がふさわしいか」に議論が集中した。
協議会で電話相談を担当し、患者支援に実績のある三原さんを推す声がある一方、「理事
長には向いていない」
「社会経験が少ない」「そんな器じゃない」と批判も少なくなかった。
「患者当事者ではなく医師や保健師に任せるべきだ」という意見もあった。三原さん自身
も「人前に立ちたくない。私はただ、患者さんの力になりたいだけ」と当時は消極的だっ
た。
背中を押したのは、難病「1型糖尿病」の患者会で活動していた佐賀県職員の岩永幸三
さん(51)=佐賀市=だ。
岩永さんは長女が1型糖尿病を患い、三原さんとともに、県内で患者支援の活動をして
いた。三原さんが年中、朝も夜も問わず患者の声に耳を傾ける姿を見て「ここまで人に寄
り添えるのか」と敬意を抱いていた。
岩永さんは三原さんを説得した。同時に「反三原派」にも呼びかけた。
「三原さんは家庭
も自分の生活もなげうって相談を受けている。あなたたちの中に、三原さん以上に面倒を
見きれる人がいますか」。最後は岩永さんの熱意に三原さんも「諦めちゃった」と根負け。
周囲も「三原さんを」と、まとまった。
NPO法人佐賀県難病支援ネットワークは03年に発足し、三原さんは理事長に就任。
その翌年9月、九州初の県難病相談・支援センターが開所し実施主体の県から正式に委託
を受けたNPO法人による運営が始まった。三原さんは新たな一歩を歩み始めた。
◇佐賀県難病相談・支援センター
2004年9月、佐賀市で設立された。ホームページはhttp://www015.
upp.so−net.ne.jp/sagapref−nanbyo/
生きる物語:笑顔で満たしたい/6
患者の目を見て話す
毎日新聞
2013 年 10 月 29 日
佐賀県難病相談・支援センターの同僚、山本千恵子さん(左)の車椅子を
押す三原睦子さん=佐賀市で、2013年10月3日午前10時10分ご
ろ、蒔田備憲撮影
佐賀市の佐賀県難病相談・支援センターは開所から今年で1
0年目を迎えた。現在の職員は6人。全身性エリテマトーデス
(SLE)患者で所長の三原睦子さん(53)に次ぐ「古参」
のスタッフは、全身の筋肉が徐々に萎縮する筋萎縮性側索硬化
症(ALS)の山本千恵子さん(49)。センターでは、2人
は「車の両輪」のような関係だ。
看護師をしていた山本さんは約20年前、ALSの診断を受
けた。仕事を辞め、経済的な悩みや就職への不安を抱えてセン
ターを訪れた。相談員を探していた三原さんは「それなら、う
ちに来たらいいよ」。その一言が山本さんの人生を変えた。
山本さんは看護師勤務の経験から、医療の現状に精通してい
る。福祉制度にも詳しく、行政や関係機関との対応もこなす。
しかし、三原さんが山本さんに信頼を寄せるのは、山本さんが患者の声に耳を傾ける姿勢
だ。
山本さんの席は、センター入り口に最も近い場所にある。来訪者が来ると、車椅子をく
るっと動かし、
「こんにちはー。今日はどがんしんさった?」と笑顔で出迎える。患者の目
を見て、悩みや不安を熱心に聞く。
三原さんは、患者が患者の悩みを聞く「ピアサポート」を大切にしている。「患者同士だ
からこそ、共有できる喜びや苦しみがある」と考えるからだ。山本さんは、その核を担っ
ている。
2人の性格は正反対だ。おおらかで猪突猛進型の三原さんと、石橋をたたいて渡る、慎
重な山本さん。山本さんが「壁にぶつかっても、ぶつかりながら進む」と三原さんを評す
れば、三原さんは「私が飛びだそうとすると、ブレーキをかけてくれる」と応じる。「三原
さん、違うっちゃない」とクギを刺すのも山本さんの役割だ。三原さんは患者会の全国組
織で理事を務めており、月に何度も出張するが、その間のセンターを支えるのは山本さん
だ。
「あなたがいるから、ここまでやってこれたんだよ」。山本さんの車椅子を押しながら、
三原さんは笑顔で呼びかけた。
◇三原さんメモ
佐賀県難病相談・支援センター所長。センターの同僚5人のうち、4人が難病を抱える。
センターでは患者が患者の悩みを聞く「ピアサポート」を重視している。
生きる物語:笑顔で満たしたい/7
働く意欲を支える
毎日新聞 2013 年 10 月 30 日
全身性エリテマトーデス(SLE)患者で、佐賀県難病相談・支援センターの所長、三
原睦子さん(53)は9月下旬、佐賀県小城市のスーパーマーケットを訪問した。同店舗
で働く男性(36)の様子を見るためだ。
「元気やった? 仕事どがんね。風邪ひいてない? あ、髪の毛切って男前ねえ」。三原
さんは笑顔で、冷凍食品売り場で陳列作業をする男性に声をかけた。
男性は、銅を排出する肝臓の機能が障害される「ウィルソン病」を抱えている。言語や
足に障害があり、薬の管理や休憩時間の確保にも配慮が必要だ。安定した収入を得るため
「働きたい」と願う男性を、三原さんは10年近くにわたり、支え続けている。
就労に悩む患者は多い。定期的な通院や適度な休憩などが欠かせないため、職場の理解
がないと体調悪化につながりかねず、継続して働くことが難しくなるからだ。国の調査で
は、無職の難病患者のうち約3割が「在職中に発症し離職した」と回答。男性も過去、会
社側から離職を促された経験がある。
三原さんは就職時の相談だけでなく、その後も定期的に職場を訪ね、電話をかけて「最
近どがんね」と話しかける。悩みを抱え込んでいないか、同僚と意思疎通を図れているか
……とアフターフォローを続ける。
患者の職場の上司との意見交換も欠かさない。男性の上司は「三原さんから連絡をもら
い、話を聞くことでどういう配慮が必要かを知ることができる」と話す。
就職以来、男性は誠実な仕事ぶりで、客からの評判も高い。上司も「前向きに頑張って
くれている」と評価する。男性もやりがいを感じ、
「お客さんから感謝してもらえるのはう
れしい」
。笑みが浮かんだ。
真剣な表情で陳列作業を進める男性の背中を見つめ、三原さんも笑顔になる。センター
を通じて就職した患者は、男性を含めて100人を超える。「仕事をしているとね、凜(り
ん)とした表情になるの。その顔を見ているのが一番好き!」
◇三原さんメモ
約25年前に発熱や全身の倦怠(けんたい)感、紅斑などさまざまな症状が生じる難病
「全身性エリテマトーデス(SLE)」を発症した。猫好きで愛猫は「さやこ」と「ラム」
。
生きる物語:笑顔で満たしたい/8
「関心を持ってほしい」
毎日新聞
2013 年 10 月 31 日
9月下旬、佐賀市の佐賀県難病相談・支援センターで、全身性エリテマトーデス(SL
E)の三原睦子さん(53)は、患者の就労支援について熱っぽく訴えた。「適切な配慮が
あれば、働けるんです」
。相手は、患者の就労支援に取り組む市民グループ「難病サポータ
ーズクラブJAPAN」のメンバーだ。
クラブ発足の中心は一般社会人や地方議員ら。 ボランティア活動「プロボノ」の一環
で、患者の就労支援に使うチラシ作りに携わったことがきっかけだった。三原さんから患
者の実情を聞き、患者へのインタビューを重ねるうち、メンバーは「働きたい患者を応援
する仕組みをつくろう」と考えるようになった。
その一人が、パソコンインストラクター、日浦初美さん(51)。三原さんと出会うまで、
難病の知識も関心もなかった。その日浦さんが今、患者向けの集会に積極的に参加し、ツ
イッターやフェイスブックで情報発信し続けている。三原さんは、日浦さんのように、当
事者でも家族でもない人に関心を持ってもらうことを大切にしている。
「当事者でも家族でもない人が、難病を知ろうとして、支えようとしてくれている。こ
んなにうれしいことはないよね」
。難病はいつ何時、誰がなるか分からない。今日健康な人
が明日、発症するかもしれない。「だから、自分に関係ないと思っていた人が関心を持って
くれることが大切。難病を身近に考えてもらうことが社会を変える」と信じている。
日浦さんは難病について学ぶうち、知人から「私の家族も難病です」と打ち明けられる
ことが続いた。
「知らなかっただけで身近にいたんだ」と気付いたという。「三原さんは人
を巻き込むのが上手ですよね。近くにいると、何かできることはないかな、したいなって
思ってしまう」
「クラブ」の会員は9月末時点で、個人約70人、企業約50社。今の目標は、難病患
者のための就職説明会を開くことだ。三原さんと「難病の素人」が広げた支援の輪は、少
しずつ広がっている。
◇プロボノ
社会人が経験や知識を生かして行う社会貢献活動。「公共善のために」を意味するラテン
語が語源。
生きる物語:笑顔で満たしたい/9
仕事をしながら交流
毎日新聞 2013 年 11 月 01 日
全身性エリテマトーデス(SLE)患者の三原睦子さん(53)が所長を務める県難病
相談・支援センター(佐賀市)に、9月からスタッフが1人増えた。三原さんと同じSL
E患者の前間美紀さん(33)だ。
「三原さんがいなかったら、今の私はありません」。前
間さんはそう言い切る。
前間さんは高校3年で発症した。就職もできず、20代は「ほとんど引きこもり状態だ
った」
。微熱や倦怠(けんたい)感が続き、日光を浴びると皮膚が炎症を起こす。外出もま
まならず、家族以外との会話はほとんどなかった。症状が落ち着いた20代後半、知人を
通じてセンターを知った。母親と2人暮らしで、収入は母親のパートに頼っていた。仕事
や将来への不安が募り、思い切って電話した。
就職、借金、住居、母親の体調−−。病気のことだけでなく、三原さんは、前間さんの抱
えるあらゆる不安を聞き、受け止めた。同じ病気だから、特別扱いしたわけではない。「困
っている人がいたら、何の病気でも、どんな悩みも聞くよ。
『それは私の担当じゃない』と、
むやみに退けたりはしたくないの」
前間さんが電話した後、午後8、9時ごろに自宅にふいに三原さんから電話がかかるよ
うになった。受話器から、伸びやかな声が聞こえた。「気になってたんだけど、電話できな
くてごめんねえ」。一言一言が、前間さんにとって救いになった。「私を社会とつなげてい
てくれる人がいる。気に掛けてくれる人が、私にもいる。一人じゃないんだって思えたん
です」
体調が安定すると、前間さんは三原さんの紹介で佐賀県鳥栖市の保健所に初めて就職し
た。1年の契約終了後、職業訓練を受けながら就職活動をしていた時、三原さんからセン
ター職員の誘いを受けた。
「私でよければ!」とすぐに承諾した。
事務の仕事をしながら患者と交流する前間さんを、三原さんは見守る。「うれしいですよ
ね。そばにいて、働いてくれている姿を見られるんだから。笑顔を見ていると、私も元気
をもらえるの」
◇全身性エリテマトーデスの症状
膠原(こうげん)病の一種で、発熱や全身の倦怠感、皮膚、臓器など全身にさまざまな
症状が次々と起こる。
生きる物語:笑顔で満たしたい/10止
「医療」「福祉」補完に力
毎日新聞 2013 年 11 月 02 日
佐賀市の県難病相談・支援センターには県内各地から患者や家族の相談が絶えない。毎
日、患者ら約30人が来訪し、約20件の電話が寄せられる。センター所長で、全身性エ
リテマトーデス(SLE)患者の三原睦子さん(53)が今、最も気をもんでいるのは、
社会制度の網の目から漏れる患者や、
「医療」と「福祉」のはざまで十分な支援を受けられ
ない患者たちのことだ。
国が現在、成人患者に対して医療費を助成しているのは、56疾患だけ。今年4月施行
の「障害者総合支援法」では初めて、難病が福祉サービスの対象として規定されたが、そ
れでも130疾患に限定している。数百とも数千ともいわれる他の難病は制度の枠組みか
ら外れ、支援を受けられないのが現状だ。
佐賀県唐津市で暮らす再発性多発軟骨炎の女性(48)もその一人。数年前に発症し、
全身の激しい痛みに苦しんだ。助成対象外のため、通院・治療に月数万円かかるうえ、仕
事もできなくなった。女性は「治らない病気を抱えているのは同じ。どうして私だけ差を
付けられてしまうのか」とやり切れない気持ちを抱え、センターに相談した。
「困っている人にとって、病名は関係ない」
。三原さんはそう強調した。社会保険労務士
やハローワーク、民間の障害者支援団体などと連携することで「使える支援策は全て駆使
する」
。
この女性の場合、障害年金の受給につなげることができたが「どうしようもない患者さ
んがほとんど」という。無力感を覚えることも多い。しかし、諦めない。
「話を聞くこと、そばにいることはできる。せめて気軽に相談できる場所を届けたい。
独りにしたくない。そのくらいしかできることはないのかもしれないよね」
「難病患者がほっとできる温かい場所にしたい」−−。センター設立以来、三原さんはそ
う目標を掲げてきた。目指すのは困っている人たちの笑顔が満ちた居場所。今日も受話器
を取り、訪ねてきた患者を笑顔で受け入れる。
【蒔田備憲】
◇三原さんメモ
佐賀市で夫(56)
、母(78)
、長男(27)、猫のさやこ、ラムと暮らす。
意見や感想を募集します。〒100−8051毎日新聞科学環境部(住所不要)「生きる
物語」係。メールアドレス tky.science@mainichi.co.jp。次回シリーズは「硬骨のドン・キ
ホーテ」
。6日からです。
月刊情報誌「太陽の子」、隔月本人新聞「青空新聞」、社内誌「つなぐちゃんベクトル」、ネット情報「たまにブログ」も
大阪市天王寺区生玉前町 5-33 社会福祉法人大阪手をつなぐ育成会 社会政策研究所発行