意思決定システムにおける適正化の重要性

意思決定システムにおける適正化の重要性
近年、談合、偽装表示および不適切な会計処理など日々様々な不祥事が発生している。その中には、
しかるべき職務権限を有する関係者による適切な審議が行われていたならば、そのような判断に至ら
なかったであろう事件も多い。
しかしながら、このような不祥事が発生した企業の多くでは、取締役会をはじめとする各種会議体
や稟議制度など、不適切な判断を行わないための多層化・分業化された意思決定システムが構築され
ており、特に大企業となるほどその傾向は強い。だが、それだけの意思決定システムがあるにもかか
わらず、なお不適切な意思決定が発生しているのが現実である。
それらは何故起こるのか、その背景としては意思決定においていくつかの「抜け穴」が存在し、そ
の「抜け穴」を通じて不十分な審議等が起こっていることに一因があるものと考えられる。
そこで本稿では、企業における意思決定プロセスの特徴を観察しながら、どのような「抜け穴」が
存在し、意思決定システムの適正性を確保するためにどのような対策を講じることが望ましいのか、
考察してみたい。
なお、本稿で説明する「意思決定システム」とは、不正等を防止することに主として焦点を当てた
意思決定に関する業務プロセスを意味するものとする。
1.企業における意思決定プロセス
最初に、企業における意思決定システムの特徴を観察してみる。
企業における意思決定の手続は、通常、案件の性質または金額に応じて区分される。各々の案
件にどのような手続を設けるかは、基本的に各社の自由である。
一般的には、組織規程・職務分掌規程・職務権限規程・経営会議規程および稟議規程等の内規
に基づき、所管業務・付議基準・意思決定者(会議体の場合は意思決定基準)および承認ルート
等を定める例が多い。
重要な案件であればある程、上位の機関に付議・報告されるのが一般的である。ただし、内容
によっては、会社法等の定めにより、手続(意思決定者等)が定められている場合もある。
(例)経営会議の付議基準(一部抜粋)
(1)中期経営計画および年度予算管理に関する重要事項
①中期経営計画の策定
②年度予算案の編成
③月次損益の報告
④四半期・半期・年度決算の承認
⑤関係会社の管理方針の決定
(2)資金・投資等に関する重要事項
①資金の借入れ
②有価証券の所得および処分
③土地・建物その他不動産の所得および処分
(3)事業に関する重要事項
①新規プロジェクトの開始
−1−
②○億円を超える案件の契約締結
③経営に重要な技術および販売提携
(4)組織に関する重要事項
①重要な組織の設置・変更および廃止
②重要な人員計画の策定および重要な使用人の選任および解任
(5)コンプライアンスおよび法令遵守に関する重要事項
①重要な会社諸規程の承認
②重要な訴訟に関する方針の決定
そこで、一つの例として企業における意思決定は、どのように進むのか、意思決定のプロセス
を追って検討することとする。
以下、製品開発を事例に、開発担当者の発案から取締役会までの審議が必要であるものと仮定
して、意思決定プロセスの典型例を紹介する。
①開発担当者(部課長・役員等を含む。))における発案
(個人レベルのアイデアを検討する段階であり、まだ組織的な段階ではない。)
↓
②開発部門内における審議
(開発業務を所管する部門として、アイデアを組織的に具体化する。)
↓
③関連部門との協議および調整
(販売・購買・経理・品質管理・法務等の関連する各部門と調整を行い、アイデアを現
実なものに仕上げていく。)
↓
④製品開発会議および部門長会議等で審議
(全社の横断的な審議機関で調整のうえ、意見聴取等を行い、アイデアを組織的に固め
ていく。)
↓
⑤社長との調整および決定
(業務執行の最高責任者との間で調整のうえ、意思決定する。)
↓
⑥経営会議等による審議および決定
(執行役員等(注1)(注2)で構成する業務執行に係る、最上位の審議機関にて審議
のうえ、意思決定する。)
↓
⑦取締役会による審議
(会社の業務執行を監督する機関として承認のうえ、意思決定する。)
(注1)「執行役員会」および「常務会」など、企業各々の組織体制および歴史的経緯
により、多様な名称・構成および権限が見られる。
−2−
以前は、「常務会」といった役付取締役による会議体を事実上の最高意思決定
機関に持つ企業が多かったが、近年では執行役員制度を導入する企業が増えた
ことに伴い、執行役員で構成する「執行役員会」等の名称の会議体が増えてい
ると思われる。
(注2)経営会議を社長より上位の意思決定機関と仮定しているが、例えば経営会議を
社長の諮問機関として位置付けるならば、社長が経営会議よりも上位の意思決
定機関となる。
なお、ここでは、会議体を中心とする意思決定プロセスを紹介したが、これらと並行して別途、
稟議書または伺書等の書面制度を用いる企業も多い。
稟議制度とは、申請者(上記でいえば開発担当者)が書面や電子システムにより稟議書を作成
し、稟議規程等により定められた回議者に回覧し、最終的に意思決定者による承認を得るための
制度である。
回覧を受けた回議者は、必要であれば意見を付すことができ、意思決定者はそれらの意見等を
参照し、判断するのが一般的である。回議者が多く、承認を得るまでに一定の時間を要するなど
課題もあるが、書面(電子データ)として保存されるため、記録の保管および管理が容易である
など利点も多く、多くの日本企業で用いられている。
2.意思決定システムの盲点
意思決定システムは、通常、あらかじめ定められた管理手続に基づいて決定されたならば、不
適切な結論に至らないよう考えて設計されているはずである。
しかしながら、実際の運用では、各段階で不十分な審議や手続の失念等が起こり、結果として
不適切な結論に至る例が多い。
それでは、そのような観点から見て意思決定システムには、どのような「抜け穴」があるのだ
ろうか。その内容は多様であり、事案に応じてケース・バイ・ケースであるが、一つの考え方と
して意思決定を求める「担当者・所管部門」と、意思決定権限を有する「意思決定者」に分けて
考えてみることができる。以下、この分け方にしたがい考察してみる。
(1)担当者および所管部門の問題
意思決定手続の失念や不十分な審議等が起こる背景の一つに、担当者や所管部門に問題
がある場合があり、故意に適切な審議・決定をすり抜けようとするときである。
例えば、よくある例として、次のようなものがあげられる。
①意図的に意思決定システムに乗せずに実行
②重要情報を虚偽・隠蔽して承認
①は、そもそも意思決定の手続自体を回避するという点で、第一義的には本人の倫理
意識の問題であるが、意思決定を諮らずとも実行できてしまうという点でシステム設計
上の問題でもある。
典型例としては、横領等の従業員の個人的犯罪が想定しやすい。過去に実際に発生し
た金融機関における無断取引事件では、投資業務担当者が証券取引の損失を補填するた
め、与えられた取引枠を超えて無断かつ簿外の取引を行い、かつ、残高保管証明書等を
作り換える等の方法により隠蔽し、最終的には極めて多額の損失を会社に与えている。
−3−
本来であれば、与えられた取引枠を超える取引は、会社から承認を得なければならな
いところ、故意に承認を得ずに実行したものである。
本事件は、その後、本人のみの問題ではなく、企業としてのリスク管理体制に不備が
あったものとして裁判上も判断されるに至っている。
一方、②は、意思決定システムの手続自体は満たすものの、必要な情報が意思決定者
に提供されていないため、意思決定に欠陥があるものである。
虚偽情報を提供して欺こうとする場合(能動的行為)もあれば、あえて重要情報に触
れない場合(消極的行為)もあるだろうが、いずれにせよ判断を錯誤する行為であり、
意思決定者から見れば「知らされていれば承認しなかった」ということになる。
このような事態が起こる背景は、第一義的には本人の倫理意識の問題であるが、意思
決定者および事務局側でも、必要な情報の確保や提供された情報の裏付けができていな
い点で、システム運用上の問題でもある。
最近では、国等の許認可を得るため、性能偽装等をしていたことが発覚する事例が多
く見られる。騙す相手が社外であるものの、虚偽の情報を与えて「承認」を得る点では
典型例といえる。ただし、意思決定者にとっては、情報が虚偽であるなどを見抜くこと
は容易ではない。
一般的に、情報は申請者および所属部門側が握っていることが多いからである。また、
意思決定者は、効率性との兼ね合いも考慮しなければならず、多忙な業務の中ですべて
の情報を提出させることは現実的ではない。
さらに、すべての情報が提出されたとしても、それが矛盾しないよう一貫して改竄等
されていれば、内部告発でもない限り発見は容易ではない。そのため、意思決定者は、
判断するための合理的な情報が揃っており、かつ、その情報に矛盾等がなければ、それ
を信用して判断せざるを得ないのが現実である。
このような点を考慮して、信頼し信用して合理的に判断できる情報量を如何に考える
かが、意思決定システムを考えるうえで一つの留意点になる。
また、上記の故意的なものとは別に、次のような場合もある。
③付議基準の誤認識等による手続の失念
③は、錯誤により、結果として意思決定なく実行したということである。
例えば、新規プロジェクトを行うには、経営会議の承認が必要とされているのにもか
かわらず、所管部署の判断で勝手に実施してしまったなどである。ミスが原因であるこ
とから、上記①②と比べ悪質性も低く、隠蔽等もされていなければ内部監査等により発
見されることも多い。
しかしながら、逆にミスであるが故に発生する可能性も高い。また、こうしたミスが
重大な問題に発展する場合もある。一例であるが、業法に定める許認可・届出等を怠っ
たことにより、業務停止等の行政処分を招いた例もある。適切な審議を行っていれば、
と後悔することのないよう十分に配慮しなければならない。
このようなことが発生する理由は、第一義的には申請者や所属部門の注意不足である
が、意思決定システムおよび付議基準等が不明瞭であったり、従業員に周知徹底されて
いないことが背景にある場合も多く、制度設計や運用を担う事務局側としても十分に配
慮することが望まれる。
−4−
(2)意思決定者の問題
前記(1)では、担当者および所管部門等の意思決定を求める立場からの問題であるが、
意思決定者側にも「抜け穴」が生じる余地はある。
例えば、次のような場合があげられる。
④不適切であることを認識して承認
⑤不適切であることに気づかずに承認
④は、そもそも意思決定者自身が不適切であることを知りつつ、承認しているもので
ある。例えば、社長自身が粉飾決算であること知りつつ(または指示しつつ)、虚偽の
有価証券報告書または有価証券届出書を提出した場合などである。
この場合では、不適切を前提に意思決定しているのであるから、意思決定システムは
当然に機能しない。もっとも、形式的には手続にしたがった意思決定が行われる例も多
い。(その場合は、議事録等には実際の審議とは異なる「適切な内容」が記録されるこ
とになる。)
このような事案では、意思決定システム以前において、暴走する意思決定者を牽制で
きないガバナンスに問題の本質があると言える。
本来では、第一義的に各種会議体および内部監査等の業務遂行レベルで牽制し、それ
ができない場合は取締役会、監査役または会計監査人等の経営レベルにおいて、暴走を
止めることが期待される。もっとも、社長等の経営トップが暴走した場合、内部の人間
がそれを止めることは現実には極めて難しい。
そのため、最近では、これらに加え、行政やマスコミ等に対する内部通報等も、企業
におけるガバナンス上の重要な役割を果たしている。
なお、このような事態がマスコミに発覚した場合、いわゆる「組織的」等と表現され
て報道されることになる。例えば、組織的な裏金作りが問題となったある建設会社で、
逮捕された前社長に代わり就任した新社長は、「前社長らの暴走を知らなかった」「多
少の疑問があっても、社長のやることなら間違いないという先入観や社風があった」等
として、意思決定に対するガバナンスが十分機能していなかったことを原因として発言
している。
一方で、⑤の場合は、錯誤や知識不足により、不適切であることを気づかずに承認し
てしまうことである。例えば、以前、ある金融機関が合併した際に大規模なシステム障
害が発生したことがあるが、その背景の一つにシステム部門の作業遅延が正確に経営陣
に伝達していなかったことがあげられている。
このような事態における問題点は、不適切であることに「気づく」ことのできるシス
テムが構築されていなかったことである。無論、錯誤や知識不足等を完全に防ぐことは
できないものの、その割合を減らしていくことは工夫次第でできるであろう。
最近は、取締役会に社外取締役を導入する企業も増えているが、社内外を問わず見識
を有する者から情報や意見を吸い上げるシステムを如何に構築するかは、意思決定シス
テムを考えるうえで非常に重要となる。
なお、いずれの場合も、不適切な意思決定がなされた後に、その事実が社外等に発覚
することを恐れて、いわゆる「揉み消し」といった行為がなされる場合がある。
このような行為は、後に一層問題を巨大化させるリスクを含むものであり、このよう
なことのないよう不適切な意思決定を発見した場合の対応についても、十分に想定して
おくことが望ましい。
−5−
3.意思決定の対策
それでは、これまで説明してきたような「抜け穴」を塞ぐため、どのような意思決定の対策が
あるだろうか。実際には、企業の規模・組織・文化等に応じ、個別具体的に検討しなければなら
ないが、第一には意思決定システムの適正性を担保するための「統制活動」および「モニタリン
グ」を強化することが有効であると考える。ここで言う「統制活動」とは、恣意的な行動および
錯誤等に対する、ガバナンスや内部統制システムの強化を意図している。
このように、相互牽制や確認作業が徹底されていれば、「抜け穴」完全に無くすことは難しい
ものの、少なくとも不適切な行為を行うハードルを上げることができると考えられるからである。
一方で、「モニタリング」は、主に「統制活動」をフォローアップすることを意図している。
どれほど統制活動を強化しても、人間の作業には必ず抜け漏れが生じる。そのような抜け漏れを
内部監査等を通じてフォローアップすることで、さらに発生割合を減らしていくとともに、意思
決定システム自体の欠点を把握し、改善につなげていくことができると考える。
なお、故意的なものに対する対策等を講ずるに当たって、一つの考え方として「不正のトライ
アングル」というものも参考となる。
「不正のトライアングル」とは、業務上の横領に関する理論であり、会計監査等でも広く知ら
れる概念だが、この考え方は横領以外にも広く故意的な行為に対し応用できるものと考える。
この理論は、トライアングルを構成する3つの条件を満たすことで起こるというものである。
①不正を行うプレッシャーがあることであり、果たすべきノルマの未達成、失敗に対す
るリカバリーまたは業績の悪化等が背景にある。
②不正を行う正当化事由があることであり、不適切な行為の日常化ならびに上司・同僚
の不正行為による倫理意識の低下等
③不正を行う機会があることであり、内部・外部監査等の内部統制の不存在・機能不全
およびIT統制の不備等が背景にある。
上記の3つについて、各々どのような対策ができるかを考えてみると、「プレッシャー」およ
び「正当化」は、本人の個人的事情や伝統的な組織風土の問題もあり、統制することはなかなか
難しく、時間をかけた改革が必要となる。
しかしながら、「機会」は、意思決定システムと実行に係る制度設計を変更することで直ちに
実行できる。例えば、正式な意思決定なくして実行ができないようにITシステムを設計するこ
とのほか、意思決定の審議には利害関係のない第三者を参加させるだけでも、恣意的な意思決定
や実行行為の「機会」を潰す活動として有効となる。
そのため、意思決定システムを考えるに当たっては、その手続は形式的に定めるだけでは不十
分であり、その適正性を担保する仕組みを併せて構築することが極めて重要となる。
企業を正しい方向へ導くための重要事項として、意思決定システムの設計および運用において
十分に配慮いただくことが望まれる。
(稟議制度研究会から資料要約)
■□■〶451-0043■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
愛知県名古屋市西区新道一丁目11番11号 エスポアビル702号
株式会社 脇 坂 公 開 企 画
TEL(052)446-7610(代表)
代表取締役社長 脇 坂 博 明
FAX(052)446-7620
E-mail : wkk-h.wakisaka@globe.ocn.ne.jp
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−6−
意思決定における稟議制度の環境変化
わが国の企業など組織体の経営は、「日本的経営」というコトバによって代表される様々な特色を
有している。
その特徴としては、終身雇用・定年制度・年功序列とともに、同居家族までも考慮した賃金制度の
ほか、企業別福利厚生制度ならびに企業別労働組合等が指摘されるが、この日本的経営の中に独特の
意思決定システムとしての「稟議制度」がある。
ところで、IT社会の到来の中で、企業など組織体では電子メールの有効活用および電子メールを
積極導入することにより、意思決定における従来型の稟議制度は変わり得るのか、また、そのことは
文書作成・文書管理・文書保存の考え方にも影響を及ぼすことになるのか、さらにはオフィスの電子
革命に進展するのかなど研究されるところでもある。
1.稟議制度の定義
組織は、組織体が拡大して発展すると水平分化し、かつ、部門化が起こり、さらに垂直分化する
ことによって階層化が進むことになる。その結果、組織を有機的かつ合理的に機能させるためには、
各々の職位に応じた権限と責任が明確にされることが必要となり、職位が上がれば上がるほど、権
限と責任は大きく重くなり、意思決定方式の整合性を有することとなる。
しかしながら、わが国の多くの組織体においては、通常、各種の問題提起および問題解決に必要
な案件の作成は、大きな権限を持たない第一線の担当者(中間管理者)が起案し、これを関係各部
門に回議し、合議し、関係者の押印した事業活動の実施計画を、書面によって上位の権限者に上申
し、その決裁を仰ぐこととしている。
上位職者は、この手続によって下位職者の総意を書面にて確認することとなり、上位職者の権限
と責任のもとに実施計画を認め、自ら押印して決裁し、下達されることによって実行に移されると
いう方式を採用しており、この決裁書類が稟議書であり、この方法制度が稟議制度である。
起案とは、各種の問題提起および問題解決に必要な意思決定を求めることから、その意思を具体
的に稟議書に記載するための案文を作成することをいい、作成を担当する者を起案者という。
回議とは、直属の上司の承認を求めるため、稟議書を回覧することをいい、合議とは起案者とは
直属の関係にはないものの、実施計画に関連を有する他の部門等に対して承認を求めるため、回覧
することをいう。
一般に、広義の回議には、合議も含まれるものと解釈されており、回議および合議は当該組織体
に成立している一定の順序によって行われる。
決裁とは、回議および合議を終えた稟議書について、決裁権を持つ者が押印することにより、最
終的な意思決定を行うことをいう。
なお、ビジネス社会では「稟」という字が常用漢字にないためもあってか、申請書・起案書・伺
い書等の名称も使われている。
2.稟議制度の背景
稟議制度が日本的経営の特徴であるとされるのは、1959年に米国生産性本部の視察団として来日
した、米国の経営学者グループによって構成されたチームが、当時の日本的経営の特徴として多様
な調査項目を掲げ、全国各地で論議し説明してきたものの中に、重大な項目として稟議(ringi)が
あったとされている
−1−
稟議制度は、歴史的にはいわゆるハンコ行政によって代表される官庁や行政の運営方式が、企業
経営の中に導入されたものであったがため、古めかしい官僚的な非能率の代表物と見られ、むしろ
悪い伝統の代表として捉えられがちである。
しかしながら、その伝統があるということは、それなりの特徴があるということでもあり、深層
にある「日本のこころ」が多様な面ににじみ出ているとも理解される。
なぜ、稟議制度が日本的伝統を色濃く帯びているのか。それは、わが国の「イエ」制度や家父長
制的な考えが企業等の組織体の中に導入されたことによるものであろう。すなわち、「タテ社会の
人間関係を基盤にした日本社会では、いわゆる「お家」第一の家族主義が濃厚で、父を中心とした
家の組織が社会構造にも持ち込まれ、社長を頂点とした強靱な人間関係で結びつくこととなった。
すなわち、わが国では、明治初頭に近代産業の輸入によって会社経営が導入されたが、封建的な
農耕社会においては長い伝統をもつ家族制度が、西欧から輸入された近代企業にそのまま移植され
たことにより、「経営家族主義」とも言える家族制度的な企業観が広く企業全般を占めていくこと
となったのである。
また、日本的な経営体質は、欧米社会が個人主義的な思考により、組織内における個人の職位に
応じた職務分掌および職務権限が明確に決められているのとは異なり、形式的には個人の職務分掌
および職務権限が明確なようであっても、実質的には極めて曖昧な、いわば流動的な集団職務執行
体制を基盤とした意思決定方式を求めることにもある。
3.稟議制度の特徴
経営家族主義の理念のもとで、わが国の企業等では稟議制度が上意下達的コミュニケーションに
対して、下意上達的コミュニケーションのルールとして確立している。
稟議制度は、経営組織的な権限と責任の関係を背景としないで、業務の担当者が上位の管理者の
経営管理的な業務に実質的に参画することができるという意味では、集団的かつボトムアップ的な
意思決定方法とも言われる。
稟議制度には、次の3つの要素があると考えられている。
①下位職者から経営管理上の重要問題について、上位職者に上申して決裁を受けること。
②上申したものについて、職能的に関係のある他の職位に回議すること。
③上申したものが文書の形式をとり、一定の手続によって回議され、確認および記録の
管理に役立つこと。
稟議制度の第一義的な性格は、本来、下位職者が上位職者に対して業務の執行に関する決裁を受
けることにあったが、企業など組織体の発展・拡大に伴って職能分化し、部門化し、さらに階層化
が進展することにより、回議という要素が稟議の第二義的な性格を強くしてきていることには注目
すべきであろう。
稟議制度における回議方式は、一旦決定がなされれば、実行の速度は極めて早く、かつ、事前に
関係者の了解があることから、決定の下達については常に第一線の状況に合った決定がなされると
いう利点を持っている。
しかしながら、意思決定までの時間が長くかかるという批判もある。この批判の根底には、例え
ば米国では、日本的方式とは異なるトップダウン方式が取られることとの対比において、その相違
点が論じられることが多い。
稟議制度のないアメリカでは、経営トップが自ら意思決定を行い、意思決定から実行管理に至る
過程は、経営トップによってなされたトップダウン決定が、組織図で示される各階層の職位を通じ
て下部へ次々と伝達される。
−2−
下部は、命令されたことについて委譲された権限を行使し、実行していき、どのような結果をも
たらしたかを報告するという上意下達的なシステムであり、意思決定は稟議制度に比較して短いと
するのである。
しかしながら、稟議制度では、意思決定までの時間が長いか否かを判断することは困難である。
決定そのものの遅速を論ずるには、何をもって早いとし、何をもって遅いとするかについての基準
が検討されなければならないが、そのような検討は十分になされていないし、仮に検討したからと
いって直ちに明確化されるものでもないとするのである。
わが国のピラミッド型の経営組織では、経営の意思決定には一定の時間がかかることを認めてお
り、トップマネジメント層における意思決定については、階層化され重層化した組織構造上の問題
が存在することにより、意思決定までの時間がかかりすぎるという実態が現れている。
また、稟議制度の特徴としては、計画や企画の評価が失敗の場合には責任の所在が不明確のまま
に終わってしまうということにもなりかねないほか、日本的な経営システムの中では稟議制度は執
行に関する権限が社長に集中している。
経営の決定権限は、トップに集中しているのであるから、結果に対する責任も当然のことながら
トップに集中しているのであって、その限りにおいては下位の従事者には accountability の概念は成
立する地盤がなかったのである。
また、稟議決裁事項を少なくして決定権限を下位職者に委譲しても、方針または基準を明瞭に示
すことが少なかったことから、被委譲者(下位職者)の結果に対する責任という accountability が醸
成し得なかったし、担当者は決裁を受けることによって責任から開放されるという実態が存在する
ことは見逃せない。
これは、公式的かつ表面的には誰も傷をつけることなく、関わった組織内の関係者が勝ち負けの
関係になることはなく、たとえ最悪の状態となったとしても関係者各々の立場での痛み分けとでも
いうべきものであって、責任回避の手段として悪用されるシステムとなりかねない。
ところが、稟議制度は、その制度を通してあたかも経営管理業務に実質的に参画しているという
効果を与える要素も内包しており、稟議を通った結果の事柄について職務を担当し、遂行したから
といって、そのことが直ちに経営に参画することを意味するものではない。
しかしながら、起案者は、自ら起案の実施計画に対して決定者から決裁を得ることにより、承認
されて正当化されることによって、稟議システムを通じて組織全体の意思決定に対し、何らかの関
与をすることができたことで個人のモチベーションを高めるとともに、関係部門のコンセンサスを
得ていることで実行プロセスにおいて力量を発揮するという、経営管理上の教育訓練ならびに内部
統制の効果が期待できる側面もある。
4.記録管理と稟議書
現代のビジネス社会では、文書主義の原則に基づいて文書管理が行われている。その理由は、ビ
ジネス活動における情報の伝達またはコミュニケーションの手段は、口頭によるものと文書による
ものに大別できるが、軽易なものを除いて誤りを避け、記録し、保管・保存することを目的として
口頭報告または電話連絡で済ましたものでさえも、改めて文書にして提出させる文書主義をとって
いるからに他ならない。
文書管理の対象となる文書であるためには、次の要件が必要である。
①文字または符号を用いていること。
②耐久保存のできるものに記載していること。
③意思伝達性を有していること。
−3−
なお、文書は、次のように定義される。
①最狭義の文書とは、文字または符号を用いて、紙やフィルムの上に記載したもの。
②狭義の文書とは、文字または符号もしくは形象等を用いて、紙やフィルムの上に記載
されたもの。(地図・写真・図形等)
③広義の文書とは、①および②の文書に加え、音声や映像を録音・録画したもののほか、
電子技術により記録されたもの。(レコード・録音テープ・磁気ディスクなど)
従来、文書は、紙に書かれたものと理解されていたが、紙によってハードコピーされたものだけ
ではなく、近年の電子工学の発達に伴って記録媒体としてのテープ・フロッピーディスクおよび光
ディスクなどが普及し、紙以外のコンピュータやワープロなどディスプレイ上で画像処理されたソ
フトコピーも文書として扱うことから、文書管理を紙の文書管理と明確に区別するため、記録管理
という表現が用いられ始めている。
ビジネス社会におけるビジネス文書は、一般的には対外(部外)文書と対内(部内)文書とに大
別して運用され、稟議書は対内の最重要文書および重要文書の代表的なものといえる。
①文書作成者の公私別による分類(公文書・私文書)
②文書作成者の内外別による分類(社内文書・社外文書)
③作成文書の特性機能のよる分類(一般文書・取説文書・帳票・証憑・図面・図書等)
④文書保管と保存期間による分類(機密文書・重要文書・通常保存文書・一時保管文書)
稟議書は、このような文書の考え方からすれば、ビジネス社会における様々な要件や条件を兼ね
備えた、意思伝達および意思決定の有効な手段であり、わが国の文書主義の中核をなしている。
しかしながら、稟議書は、意思決定が迅速に行われるための絶対かつ重要な前提となるものでは
なく、形式的に必要なものだというにとどまり、経営管理では基本的に重要なものとして取扱われ
るということもあるが、経営上の極めて重要な事項でも会議を開催せずに、経営トップが独断で決
めることはあるし、仮に会議で決定したことについても後追いで稟議書が作成され、稟議が行われ
ることも現実にはあるからである。
また、稟議書の記載内容にしても、従業員の起案したプロジェクトが部課長会・経営会議および
取締役会へと次々に上がっていくとした場合、文書の内容が優れていることはそれほど重要でない
のであり、いかに形式にしたがって作成されているかに重点が置かれるためでもある。
そのような状況の中でも、稟議書が作成されるのは、企業など組織体における公式な手続として
の重要性を持つためであり、重要な事項に関する稟議書は10年間保存され、後の参考に資するほど
のものであり、わが国の稟議制度は大小・軽重を問わず、あらゆる決定事項についての公式手続で
あり、稟議書はその公式記録であるためである。
この点から考えると、稟議書が文書管理システムの面では、文書主義の原則に準拠して機能して
いることが明らかとなるが、稟議制度に関して日本的経営からの研究は多く見られるものの、記録
管理の面からの研究はこれからの課題である。
稟議制度は、一定の様式にしたがって書類が作成され、それが関係者間で回覧という方法で審議
され、社長に上申されるという流れの事務手続であるが、その手続の本質は究極的には意思決定の
ための情報として存在するものであることから、稟議書は経営管理において必要不可欠な媒体とし
ての役割を果たしている文書である。
稟議制度における意思決定を行う際の手続は、決裁文書フローが重要な役割を担っていることか
ら、事務管理における職務分掌および職務権限の運用技法を研究することにより、IT機器の積極
活用を前提とした稟議書の様式とともに、決裁文書フローの処理手続を改善するほか、組織的に文
書を整理・保管のうえ、適正な保存期間を設けて廃棄に至るという、電子ファイリングシステムを
構築することが急務である。
−4−
さらに、効率的かつ効果的な運用のためには、組織内の各業務において職務分掌および職務権限
の明確化を図ることが求められ、IT機器のオフィスへの積極導入と効果活用とともに、記録管理
の必要性および重要性が高まっていることから、記録管理の観点からも意思決定を支援する一要素
である稟議制度に対し、一定の検討を加えることは重要な経営課題である。
5.電子メールと稟議制度
昨今のコンピュータによって代表される電子工学の飛躍的な発達は、IT社会の到来をもたらし、
オフィス環境は大きな変化を余儀なくされている。
このような状況のもとで、オフィスにおけるコミュニケーションのツールにも、新しいツールが
導入され、また、そのような環境に電子メールが登場し、組織内のコミュニケーションの在り方を
変えることにより、組織に及ぼす影響は計り知れない。
それは、電子メールで情報が迅速に流通するようになると、情報を解釈して処理する作業が格段
に早くなり、かつ、一旦デジタル化されたデータは情報伝達の途中で劣化することはないことから、
確実性のあるデータを基にした意思決定をすることができるようになったからである。
また、前記「4.記録管理と稟議書」において既に指摘したとおり、コンピュータやワープロな
どのディスプレイ上で画像処理されたソフトコピーも文書として扱われている状況下にある。電子
メールの導入により、組織内の意思決定に重大な影響を与えることは当然のことであるが、今後の
稟議制度に対して電子メールはどのような影響や効果を与えることになるのだろうか。
わが国の先進的な企業においては、既に稟議制度への電子メールの導入が検討され、実験・改良
が加えられ、実用化される段階に至っており、それに伴う稟議書と押印による文書管理の在り方も
次第に変化し始め、意思決定のための電子メールの導入は加速度的に進展するであろう。
しかしながら、稟議制度を電子メール化することは、現在の稟議制度がそのままの状態である限
り不可能であり、電子メール化のための前提条件として、企業など組織体の意思決定手続の大胆な
見直しがなされることが不可欠の条件となる。
わが国の多くの企業では、稟議の起案者と決裁者の間には、案件に直接関係のない部長や取締役
が介在し、当該案件に対する条件付加権および承認拒否権を与えており、また、稟議決裁の参加者
が多すぎると言われていることは、稟議制度上の問題点の一つであることは明らかである。
このため、某大手企業では、管理職が多いと社内での根回し先が増え、意思決定に時間がかかる
ことから、意思決定や情報伝達の迅速化を図るため、経営組織を簡素にすることによって次長・課
長および係長を廃止し、多数の管理職の肩書を外すという組織改革を実施した。その理由は、以前
に稟議の迅速化を目指すため、事務職全員にパソコンを持たせて社内の電子メール網を完備したが、
それでも管理職が多く、回議先が多いままでは効率が上がらなかったという背景があった。
しかしながら、1990年に電子メールが導入された鉄道総合技術研究所では、研究員が必要とする
材料や物品等の購入手続に際しては、物品購入依頼書に15人の承認印が必要であり、判を押す人の
誰かが出張で不在であれば、書類はその人の机の未決箱に埋もれて動かない。購入の申請書を作成
してから、最終的に購買係が購入手続を取るまでに1カ月もかかったが、電子メールの導入により
3人の承認印で済むように改善されたという。これは、電子メールの導入が決裁の迅速化を促進し
て意思疎通を図り、決裁者の人数の削減を生み出した一例である。
従来型の意思決定方法では、稟議書を実際に関係者に回付するほか、会議を開かなければ意思決
定をすることができないが、電子メールを利用すれば決定したい事項を関係する部門や部署に送付
し、その内容について電子メールを使って議論することができ、異議がなければ決定として作業を
進める、という考え方がある。
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しかしながら、いわゆる稟議制度の考えからすれば、電子メールによって稟議を行うということ
は、そのように簡単なものではない。すなわち、稟議は、特段の異議がなければ決定として業務を
処理できるものではないからである。
また、稟議案件に異議が有るか無いかが、稟議における意思決定の重要な要素でもあり、異議が
なければ承認するという意思決定を明確にしなければ、効力を発しない性質のものである。稟議書
では、意思決定は押印によって示されることから、多くの企業が稟議をメール化する場合に直面す
る問題は、押印が可能であるか、印影を表示することができるかということであったのである。
このような状況の中で、企業など組織体の経営は、日本的経営の旧体質が改善され、意思決定の
手続も大胆な見直しがなされなければ、稟議システムを中心とする日本的企業の意思決定過程では、
電子メールはごく補助的な役割しか果たし得ないことになる限界性を帯びている。
稟議を電子メール化することを可能にするためには、様々な組織環境の変革・整備ならびに関係
者の教育訓練が必要なのであり、意思決定システムとしての稟議制度の改革のためには、組織構造
の変革を推進し、決裁者の権限と責任を明確にしたうえで、新たに決裁基準を設定するなどの根本
的な対策を講じなければ、全社にITネットワーク網を構築し、パソコン機器を従業員1人に1台
持たせたとしても、有効に機能することは期待できないことを雄弁に物語っている。
情報技術の進展に伴うIT化の波は、怒濤のごとくに押し寄せているが、それはオフィス環境の
変化だけでなく、日本的経営における意思決定システムとしての稟議制度に対していかなる変容を
せまるのか、今後の重要な経営課題となる。
6.稟議制度の運用課題
日本的経営における今後の稟議制度の運用課題は次のとおりである。
①IT化の進展に伴い、稟議制度は記録管理の観点から、決裁者の意思決定を支援する
重要な手法としてとらえ、内部統制にも対応できる推進研究を行うこと。
②IT対応型の稟議制度は、日本的経営における従来方式の意思決定システムに変容を
求めることから、稟議決裁に必要な権限と責任の明確化とともに、決裁参加者の人数
の削減など経営組織の視点から導入検討を行うこと。
③上記①および②の課題を解決する糸口として、現在の稟議制度の在り方の改善を図る
ためには、法令遵守の観点で、かつ、マネジメントの視点から運用管理を行うこと。
わが国における稟議制度の意思決定プロセスは、起案と回議によって下から上へ、または全体の
合議の過程を前提とし、その手続の決着を決裁者が決裁するか決裁しないかであり、選択や判断の
余地は極めて少なく、決裁可能な稟議しか稟議しないという仕組みと手続になっている。
稟議制度の運用から見た場合、起案者は決裁者の決裁可能な案件に限り申請するのであり、決裁
されない案件は審査の対象ではなく、稟議書も保留または差し戻しとなるのである。
(稟議制度研究会から資料要約)
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