オブジェクト指向言語による物語世界の固有名プログラミング

オブジェクト指向言語による物語世界の固有名プログラミング
Victor Hugo の隠喩とアナグラムを例に
赤間啓之
東京工業大学大学院社会理工学研究科人間行動システム専攻
Email: akama@dp.hum.titech.ac.jp
本論の要旨
学研究会第三回)において、美的認知という観点から、
「文学、音楽、絵画など異なったメディアに実装されて
筆者は前稿、『文学の実装—物語世界の登場
いる芸術作品を扱う共通の枠組み」を提案しようとした。
人物、およびその固有名の、オブジェクト指向言語によ
その際、往住氏に対して緒方典裕氏より、
「黄金比のよう
る設定について』(日本認知科学会・文学と認知・コンピ
な例を念頭に置いているのか」という質問があったが、
、、、、、、、、、、、、、、、、、
筆者は、以前より文学における隠喩と芸術における黄金
、、、、、、、、、、、、、、
比は本質的に同一なものであると考えているので、緒方
ュータ分科会論文誌3号・東京会議、以下、本文では「前
稿」と称す。本稿の議論は前稿を前提としている)にお
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
いて、オブジェクト指向プログラミングによって可能世
、、、、、、、、、
界論を把握することを提案した。そのコンセプトに基づ
氏の指摘には深く頷けるものがあった。本発表では、筆
者が以前、東京会議において明らかにした、「物語世界の
き、今回は、詩的文彩としての「隠喩」(特に黄金比との
登場人物、およびその固有名の、オブジェクト指向言語
関係で論ぜられるタイプの本質的な隠喩)と「アナグラ
による設定」というテーマを踏まえ、その枠内で、この
ム」を、オブジェクト指向的な可能世界の二つの形式と
隠喩と黄金比の本質的同一性を論証してみたいと思う。
して、同一の俎上で論じることにする。特にここで詳細
さて、その目的のためには、まず言語、記号
に分析する、ユーゴーの「眠れるボアズ」という詩にお
に関して統一的な視点をひとつ提示してみる必要がある。
いては、
「隠喩」はラッセル=フレーゲ型の可能世界、
そのためには、先の発表でもそうしたように、記号学の
「アナグラム」はクリプキ=ソシュール型の可能世界に
事実上の祖、同時に現代言語学の祖と言われるスイスの
対応している(だからこそ、ソシュールの有名なアナグ
言語学者、フェルディナン・ド・ソシュールを参照せね
ラム研究は存在しているのだ)
、と言うことができる。そ
ばなるまい。この位置づけは、なるほど陳腐だと言われ
れは「隠喩」と「アナグラム」が、固有名の無化という
て容易には否定できないほどに人口に膾炙しているもの
条件において共通しながら、その無化の方法において、
である。しかし、筆者独自の規定理由は、一般に考えら
クリプキが明らかにしたように、固定指示か否か(ある
れているもの—ポストモダンの思想、あるいは広い意味
いは変数の scope はローカルかグローバルか)をめぐり、
での現代思想においてソシュールが盛んに引き合いに出
本質的な差異が見て取れるからである。
されたやり方—とはだいぶ異なる。筆者はソシュールの
一連の業績中で、通時言語学(共時言語学ではない)、神
1.隠喩をめぐる同一性--「眠れるボアズ」を例に
話研究、アナグラムの三者を、有名なスタロビンスキー
による読みとりの可能性を超え、厳密な意味でパラレル
往住彰文氏(往住、1999)は、「価値機械と
しての文学」という発表(日本人工知能学会・ことば工
に置こうと考えているからである。
ことは記号における本質的事項に関わると
1
さえ言える。本稿であらためて強調しておきたいのは、
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
隠喩とは、言語、文化、芸術のさまざまな分野において、
、、、、、、、、、、、、、、、、、
予想外な同一性の観念を形作る存在だ、ということであ
いつもの場所に臥所をしつらえ、
る。しかも、そうしたさまざまな同一性相互の間には、
この老人は、大麦や小麦の畑をいくつももっていた。
目に見えないテーマ系のネットワークができあがってい
物持だったが、心がけは正しかった。
る。結論を先取りすれば、「隠喩と黄金比の同一性」のか
ボアズの水車場の水は泥でよごれず、
たわらには、それと切っても切り離せないもう一つの同
ボアズの鍛冶場の火は地獄の影を宿さなかった。
ボアズは眠っていた、小麦のあふれる大桝のそばで。
一性、すなわち「隠喩とアナグラムの同一性」が認めら
れるのである。後者について言うと、ソシュールの場合、
この老人のひげは銀色に輝いていた、まるで四月の小川
神話研究、つまり象徴論における「隠喩」は、もうひと
のように。
つの文彩(フィギュール)である「アナグラム」と、あ
麦束をたくさん蓄えていたが、惜しみもせず、分けへだ
る観点に立てばひとつであり、しかもこの同一性は、じ
てもせずに人に与えた。
つは通時的同一性にほかならないということである。
(直訳:彼 の 麦 束 は け ち で も う ら み が ま し く も な か っ た
そもそも、「隠喩」と「アナグラム」は、言
葉の持つ力、権力を語るうえで、特権的な技法である。
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
が、それは「隠喩」と「アナグラム」が詩的言語におい
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
て存在の死を固有名の消失という形で具体化しているか
(S a g e r b e n ’e t a i t n i a v a r e n i h a i n e u s e . )--> 隠喩)
哀れな落ち穂拾いの女が通りかかると、
ボアズは言いつけた、「わざと穂を落としてやってくれ
よ」と。
らにほかならない。名の消失、そのふたつの記号論的形
態が、
「隠喩」、「アナグラム」なのである。そのことを具
(中略)
体的に見てゆくため、かつてJ・ラカンが精神分析学の
立場から取り上げた、ユーゴーの「眠れるボアズ」とい
さて、その夜、ボアズは眠っていた、身内の者たちにか
う詩を、筆者はラカンとは多少異なる角度から論じ直し
こまれて。
てみたいと思う。特にラカンが詳細に分析する詩中の隠
崩れおちた家にも似た麦塚のそばには、
喩については、その位置づけを大幅に変更して、
「アナグ
収穫の農夫たちが、黒い群をなして横たわる。
ラムに対する隠喩」という捉え方を採用する。そしてま
、、、、、、、、、、、、、、
さしくその捉え方の中で、
「隠喩」が固有名の消失のプロ
、、、、、、、、、、、、、、、、、、
セスにおいて黄金比を導入していることが明確に示せる
これははるか昔の物語。
と思う。
人々はテントに住んで大地をさまよい、
さて、ここでは「眠れるボアズ」の訳詞をな
るだけ長く引用することにし、隠喩、アナグラムが現れ
イスラエルの民はひとりの士師を長にいただいていた。
巨人の足跡を目にしておののいたが、
その大地はまだ、大洪水の名残で軟らかく湿っていた。
ているところは原詩も添えておくことにする。
ヤコブが眠ったように、ユデトが眠ったように、
眠れるボアズ
ボアズも眼を閉じて、葉陰に横たわっていた。
そのとき、天の扉が細目に開き、
ボアズは疲れはてて、横たわっていた。
ボアズの頭上にひとつの夢が降りてきた。
日がな一日、麦打場で働いてから、
2
ボアズが見たのはこんな夢。一本の柏が
目が覚めて、ふいに明るくなったとき、
自分の腹から生えて、青空まで届いている。
わが身に、なにか新しい光が降りそそぐのを待ちわびな
その木を、ひとつの種族が長い鎖さながらに登っていく。
がら。
下ではダビデ王が歌い、上ではキリストが死んでいく。
ボアズは知らなかった、ひとりの女がそこにいることを。
ボアズは心の中でつぶやいた。
ルツは知らなかった、神の御心を。
「どうして、このようなものが生まれたのだろう?
さわやかな香りが、つるぼらんの茂みから流れ、
私はもう、八十を過ぎ、
夜の息吹はギルガルの丘の上にただよう。
息子もなく、妻もこの世にはいないというのに。
闇は、厳かな婚礼の気配に満ちていた。
褥を共にした妻が、おお、主よ! 私の床から
天使たちも、人知れず舞っていたのだろう、
あなたの御許へと去ったのは、もう久しい昔のこと。
夜をぬって、ときおり、翼のような青いものが
しかし、ふたりは今なおかたく結ばれています、
飛び交うのが見えたから。
妻は私の胸に半ば生き、私は半ば死んだも同じなのです
から。
夢路をたどるボアズの寝息は、
苔を洗う小川のせせらぎに混じらう。
ひとつの種族が、私から生まれる!どうして、そんなこ
それは野山の美しい季節。
とが信じられましょう。
立ち並ぶ丘の頂は、ゆりの花をかざして。
私に子供が出来ることなど、どうしてありえましょう?
若いときには、意気揚々と夜明けを迎え、
ルツは夢見る、ボアズは眠る。草影は、か黒く、
朝は凱歌をあげて、夜のもとから出て立ちます。
羊の群は、かすかに鈴の音をひびかせる。
限りない神の慈しみが、大空から降りそそぐ。
だが年老いたこの身はふるえています、まるで冬の日の
ライオンが水を飲みにいく静かな時刻だった。
白樺のように。
私は寄るべないやもめの身。私に落ちかかるのは夕べの
ウルやエラメルでは、すべてが安らい、
影。
(直訳:す べ て が ウ ル と ジ ュ リ マ デ— 私 は デ で 韻 を 踏 む—
おお、主よ!
私は魂を墓に向かって傾けているのです。
のどの渇いた雄牛が、顔を水辺に傾けるように」
に や す ら い だ ( Tout reposait dans Ur et dans
J é r i m a d e t h . )- - > アナグラム)
深く暗い空は星屑をちりばめ、
ボアズは語った、夢の中で、恍惚として、
細く明るい三日月が、この闇に咲く花々にかこまれて、
まだ眠りに浸された目を、神のほうへ向けながら。
西の空に輝く。ルツはふと思う、
西洋杉が根もとの薔薇に気づかぬように、
ボアズもまた、足もとの女に気づかなかった。
身動きもせず、ベールに覆われた眼を半ば開いて。
どのような神が、永遠の夏に刈りいれるどのような農夫
ボアズが眠っているあいだ、モアブの女ルツは、
が、
胸もあらわに、その足もとに伏していた。
去りぎわに、なにげなく放りだしていったのだろうか、
3
星の畑に光る、あの金の利鎌を、と。
おり、ここに父性的存在である「ボアズ」の、物による
非固有化が開始する。なぜか?固有名とは、それが割り
2.「麦束」の隠喩の意味と黄金比
当てられた対象の固有性を支えるものであり、固有性と
は、「(他ならぬ)このもの性」、すなわち「他とは取り
そもそも、ユーゴーの詩集「諸世紀の伝説」
替えがきかないこと」を含意しているからだ。ところが、
の中で、問題の詩、
「眠れるボアズ」は、「イヴからキリ
この隠喩では、固有名は「麦束」と取り替えられる—つ
ストへ」という章中に収められている。ここではユダヤ
まり、固有名をもつ主体の attribute(所有物-属性)によ
の神話的な系譜、つまり祖先からの血統図が問題になる
って、逆に占拠されてしまうのである。
が、しばしばこの直観的なスキーマは樹木の形をしてい
さて、このように植物にされたボアズが、
るので樹木図とも呼ばれる。「ボアズ」もまたそのような
神々しい眠りの中でルツと交わると(「厳かな婚礼の気
階層的連鎖の輪の一つであり、一つの世代を代表する男
配」とユーゴーは歌う)、彼の腹から「一本の柏が生え」
、
性族長に相当する。しかし、ボアズの事績を包み込むの
「青空にまで届く」ようになり、彼の視点も大木の高み
は、彼の配偶者であるルツの名が記された作品であり、
に登って、そこに存在の大いなる連鎖(ラヴジョイ)、ユ
ユーゴーの詩集でも章の名は「アダム(男性)からキリ
ダヤの未来史(「下ではダビデ王が歌い、上ではキリスト
ストへ」ではなく、「イヴ(女性)からキリストへ」とな
が死んでいく」)が展開し出すようになる。ボアズ自身は、
っているのである。
「ルツ記」によれば、ボアズは八十の
植物-人間状態のまま、麦束から柏、西洋杉へと垂直な形
高齢になって初めてルツと出会い、神々しい夜の帳に包
態に変容するに従い、その神的、象徴的な性行為の中で
まれて、子をもうけ、ユダヤの血統は断絶を免れる。
存在の輪郭が曖昧になり、神秘のベールに包まれ、だん
このように血統はしばしば、樹木という植物
だんとこの世ならぬエーテル的なものへと化してゆく。
の成長に擬されるが、ユーゴーの詩においては、むしろ
「彼の麦束」という隠喩は、そのような神格
ユダヤの神話的な系譜は、植物の交替、あるいはそう言
化を先取りする形で、他の隠喩とは異質な、ある種の極
ってよければ進化によって表象される。つまりここでは、
限論的機能を果たしていた、と言える。極限的と言うの
「植物」に成ること、「植物」として成長、進化してゆく
は、比較の項目(たとえるもの、たとえられるもの)と
ことが、隠喩の力により、固有名の担い手の存在そのも
なる二極間に、漸近的な類似、等質化の過程を導入する
のを伝説という霧の中に解消させていく。つまりこの通
、、、、、、、、
時的過程は、固有名の存在を存在意義に変えてしまうの
うち、ある収束点において両者が突如すり変わってしま
である。眠れるボアズとは植物状態にある横たえられた
からである。そしてわれわれは、その「極限」が、まさ
肉体のことを言うのだが、そこではまだいかなる存在も
しく黄金分割によって与えられるということを示してい
大洪水の後の緩い地盤の上に屹立することはなく、人は
こうと思う。
地べたに張りついて落ち穂を拾い、老人のひげも「四月
の小川のように」水平に流れる。
そしてラカンが注目した有名な隠喩、「彼の
うという、「数学的な」意味での極限がそこに想定される
周知のように、古典古代よりこのかた、調和
の理想美 を数学的に保証するとされてきた黄金比
1/1.618 は、二次方程式 a
2
+a-1=0 の正の解である。わ
麦束はけちでもうらみがましくもなかった(Sa gerbe
れわれは、そこで、この式中の 1 に対し a、a に対してa
n ’e tait ni avare ni haineuse.)」だが、この隠喩において、
というように、累乗の指数をインクリメントする形で、
「麦束」という、水平に置かれた「植物」が、その所有
順繰りに役割交換を行っていく。すると、そこでは、二
主であるボアズの固有名を、文の主語の位置で消去して
極間の漸近的等質化のために、いわゆる区間縮小法(厳
2
4
密に数学的な意味で)が反復適用されることになる。し
、、、、、
隠喩は、いわば中途の隠喩として、この完成された隠喩、
かし、そのような操作を通じても、この方程式自体は不
あるいは尺度としての隠喩からの距離で計られる。
変である、つまり黄金数という解は無限に維持される、
たとえば、「ボアズの水車場の水は泥でよご
ということがわかっている。この動的反復の極限は、言
れず、ボアズの鍛冶場の火は地獄の影を宿さなかった」
語における美、すなわち詩的言語における隠喩の中に潜
では、主語の位置にある「ボアズの所有物」の、直接的
在している。次節ではその反復的過程をくわしく論証し
な属性が、そのまま述辞の位置に来て、この主述の関係
ていこうと思う。
が、間接的にボアズという主体の属性を示唆、暗示して
いる。だが、次の句では、「ボアズの所有物」は、「白髪
3.隠喩、あるいは入れ替わりのプログラム
三千丈(李白)」的な誇張の力によって、ボアズという主
体への侵略を開始する。「この老人のひげは銀色に輝い
マチラ・C・ギカは、『黄金数』という著作
ていた、まるで四月の小川のように」という隠喩である。
のなかで、隠喩というものの中には項目どうしの比較が
「髭」は「麦束」同様、豊かに蓄えられたものであって
潜在し、その「比較」は「割合」という形で、数学的な
も、「麦束」の場合と違って、所有者の身体を外的な世界
アナロジーでもって語られる、と見なしている。とくに
へ押し広げる働きをもつ。だが、主体の領域が外部を取
彼はヴィクトル・ユーゴーの詩句をいくつか取り上げ、
り込んで拡大すると、逆に主体と属性 attribute の距離が
その構造の数式化を計る。たとえばギカのあげる例とし
区間縮小法的に埋められてゆき、最後に「麦束」という
て、
所有物 attribute が、その所有主体に完全に取ってかわる。
「ドン・ハイメとドン・アスカーニュは、さ
ながらタイタンと髭の天使長のようなもの」
という句は「A と B の関係は、C と D の関
係に等しい」
所有物があたかも所有主体の身体や精神を構成するかの
ような、内面化、共約化を経て、ついには所有主体の世
界を独占するに至るのである。
そしてここに示した隠喩の技法、すなわち、
A:B=C:D
「人(ヒト)とその所有物(モノ)の置換」は、黄金分
という形を取っている。ギカは、このような
割の原理でもって説明することができる。しかも黄金数
比の連鎖を通じて、隠喩を黄金率と結びつけようとする
の性質を提示する動的かつ極限論的なプロセスで説明す
のだが、じつは四つの関係項の明示的な配置が認められ
ることができるのである。この説明はラカンのいわゆる
なくても、隠喩は一見単純な置換だけで見事に成立する。
小対象 a 理論をヒントにしているが、ラカン自身は、母
先に挙げた、同じくユーゴーから、「ボアズ-->彼の麦束」
子の性的な融合関係に対して、黄金分割を保持する区間
という例がそれにあたる。精神分析家ジャック・ラカン
縮小法的アプローチを取っており、かならずしも詩的隠
は、この例を隠喩の成功例として特筆しているが、それ
喩の秘密に対してはこの数理的方法を適用していない。
を彼の黄金率理論とリンクさせて論じることには、大き
そこで筆者は、出発点としてはラカンの拡大解釈から計
な意味があると考えられる。
算文彩論(これは新たな造語として提案したい)を考案
先述のごとく、この詩句では鷹揚な「ボアズ」
し、後で見るように、そこにオブジェクト指向プログラ
自身の代わりに、彼が他者に惜しみなく分け与える「彼
ミングを導入することによって、精神分析の引力圏を離
の麦束」が、「物」でありながら「人」の性格を語る文の
れようともくろんでいる。
主語の位置に来ている。この詩的技法は隠喩としては完
成されたものであり、ボアズの所有物を対象にした他の
それはさておき、まず、黄金比を求めるため
には、たとえばひとつの線分を長さ
a : 1 に分割し、
5
1
a
=
a +1 1
さらに a と 1 の間に次のような関係が成り立つとすればよい。
a=
5 −1
2
つまりここでは、全体の長さを a+1、大線分(全体を黄金分割した時にできる長い方の線分)を 1 、小線分
(短い方の線分)を a と置いているわけで、これらの線分の長さの間には次のような関係が成り立つ。
大線分/全体 = 小線分/大線分
この関係を仮に線分式と呼び、線分式を表象する図を線分図と呼ぶと、線分図上で線分式は、以下のような共約操作を
反復しておこなっても永久に保存されることがわかる。つまり新たに小線分を大線分の中に折り込み、今度はもとの大
線分を線分全体と見なし、もとの小線分を大線分に変え、折り込んだ先にできる残りの線分を小線分として扱い、すな
わち全体、大線分、小線分の役割を順繰りにスライドさせて行っても、上の式はつねに成立し、a の値は不変なのであ
る。一言で言えば、黄金分割の式は、それを構成する各項の役割を一定の規則に従って変化させても、関係自体の同型
性は永久に変わらない。たとえば、第一回の折り込み操作で、全体の長さは 1,大線分は a,小線分は 1-a になるが、
この値をそれぞれ線分式に代入しても、解は a の初期値と同一である。
a 1− a
=
、a =
1
a
5 −1
2
るならば、反復操作によって、初期条件 a(小線分)の
つまり、各回の操作対象の場における最短
側 か ら は ( 図 で は 左 か ら 右 に )、それぞれ
線分を、小線分として反対側に 180 度折り込み、その小
a , a 3 , a 5 , a 7 ...... の長さを持つ小区間が並び、一方、
線分(だった方)を操作後は相対的に長い線分、すなわ
初期条件 1(大線分)の側からは(図では右から左に)
、
ち大線分と見なしつつ、差し引き残った最短線分を新た
a 2 , a 4 , a 6 ...... の長さを持つ小区間が並んで、初期条
な小線分として設定し直し、さらに次回の操作に付する
件の線分全体を両側から埋め尽くす(ここで、a の累乗
よう待機させるわけである。すると n 回目の操作で、
のべき数が、奇数列か偶数列かに注意 )。
線分全体の長さ:
a の
n-2 乗
大線分の長さ:
a の
n-1 乗
小線分の長さ:
a の
lim (a
2
+ a 4 + a 6 + ... + a 2 n ) = a
n→ ∞
n乗
になることが知られている。問題は n→∞の
lim (a + a
3
+ a 5 + ... + a 2 n −1 ) = 1
n→ ∞
場合であるが、この共約化ネットワーク全体が、解析で
言うところの「区間縮小法」の定理に従うことから、最
終的な操作対象 の場 として、「区間縮小法」を満足する
なので、操作対象は極限において、初期条件
実数が、ただ 1 個存在することになる。直観的に解説す
a の側(元の小線分の側、左側)で左から右に 1,言い
6
2
換えれば、初期条件 a の側(もとの大線分の側、右側)
のとして同化していた。つまりボアズを、ボアズという
で右から左に a 行った点に収束する。つまり、無限回の
同一性を持つものとして 1、「麦束」をそれより小さい値
後に、最初の小線分と大線分は、左右交換することにな
の a で表象すれば、
「 1+a を a と数える」ことで、「麦
る。最初の大線分と小線分が立場を逆転させるわけであ
束」は「髭」同様、ボアズの同一性を構成するパーツと
る。
化す。が、それとともに、問題の詩句においては、主語 主
さて以上のようなプロセスを、「眠れる
体の場を「麦束」 がボアズ にとって代わって占拠し、
ボアズ」の詩における隠喩形成にあてはめて考えてみる
さらにこの「 1 を a と数える」ことが、語対語の置換と
と、ここでも、共約化ネットワークの果てに、主客逆転
しての隠喩の成功を決定していた。そして、「 1+a を
の現象が見て取れる。先述のごとく、「彼の麦束はけちで
1 と数える」ことがすなわち「 1 を a と数える」ことと
も恨みがましくもなかった」という詩句において、「麦
束」は「髭」と同じような、ボアズの身体に帰属するも
等価である、という発想が、黄金分割の式
1+ a 1
= に
1
a
7
結晶する。
に導入するもの—それは、父の隠喩が父の固有名を消去
このことは、見方を変えれば、現在注目
を集めているニューロ・コンピュータの問題に繋がって
したと同時に、そのかたわらに密かに配される、
(ラカン
の気づかなかった)母のアナグラムである。
行くかもしれない。つまり、この「 *** はけちでも恨
アナグラムとは、周知のように、狭義ではキ
みがましくもなかった」の主語に「彼の麦束」という言
ーワードがいくつかの単音に分けられ散在するもの—単
葉を入力した時、その言葉のかわりに「ボアズ」という
語の音、文字の配置を変え、全く別の意味を持った他の
言葉が出力され、「「彼の麦束」は「ボアズ」の隠喩です」
単語を構成できる現象のことである。ソシュールによれ
という結論が答えられるようなプログラムである。その
ば、詩人は自らの詩句のうちにキーワード—しばしば固
ようなプログラムは、「彼の麦束」から「ボアズ」へと収
有名詞であるテーマ語—の変綴を潜ませ、それによって
斂する形で、いわゆる連想記憶を実現させていなくては
明白に詩っている内容以上の効果を生みだしているとい
ならない。黄金分割を維持する共約ネットワークは、一
う。そしてユーゴーのこの詩にも、アナグラムとおぼし
種のニューロモデルに読み換えることができるので、連
きものがひとつ見いだせる。
想記憶のメカニズムに何らかの考えるヒントを与えてく
れるだろうが、ここでは詳しくは論じない。
たとえば、この詩の後半部には、今もって意
味が定かでない詩句が存在している。「ウルやエラメル
では、すべてが安らい」Tout reposait dans Ur et dans
4.”Ruth”のアナグラム
Jérimadeth.である。ユーゴー研究者に従い、Jérimadeth
が Je rime à “dait”(私はデで韻を踏む)を縮めた掛詞だ
先に見てきたように、「彼の麦束」という隠
とするならば、末尾の th はまず発音しないはずであろう。
喩は、ボアズをめぐる他の隠喩群に対して、その「尺度」
しかしこの th は Ur(ウル)とともに、母性的存在であ
を与えるという特権的な役割を果たしていた。特にこれ
る Ruth(ルツ)という固有名の、明確なアナグラムにな
ら隠喩群の中では、
「彼の麦束」も含め、ボアズに対する
っているのではないか。Ruth という語は分解され、詩句
「植物」の隠喩群が大きく注目される。「麦束」はすでに
の中に散種される。何のためか?Ur(ウル)は、バビロ
して人であり、人であるボアズが、「眠れるボアズ」とし
ニアの古代都市であり、同時に「初源」を意味する言葉
て横臥しているにもかかわらず、
「植物」の方は反対に直
である。Jérimadeth がエラメルであろうとなかろうと、
立してゆく(
「一本の柏が自分の腹から生えて、青空まで
これが Je rime à “dait”(私はデで韻を踏む)と読めるな
届いている。
」
)
「植物」の隠喩は、水平から鉛直へと屹立
らば、そこで含意されているのは、「ここで終わる」とい
することにより、完成を見ることになるのである。
うこと、つまり「初源」に対する「終端」である。
そのことは、ラカン風に、「父の審級」の確
つまり Ruth (ルツ)のアナグラムを内包し
立とでも言い換えてもよいだろうが、ここではそうした
ているふたつの地名は、アルファでありオメガである、
観念は、とりたてて論じるほどの意味はない。本稿では、
言い換えれば「すべて」を伴示していたのだ。すると「ウ
先に指摘した通り、隠喩に代わってもうひとつの文彩(フ
ルやエラメルでは、すべてが安らい」というユーゴーの
ィギュール)、というよりもうひとつの固有名の消失形態
詩句は、「すべてが、すべてのうちに含まれ」を究極的に
が、隠喩の限界をホログラフィックに浮かび上がらすこ
は意味し、その不可能なはずの普遍論理をイメージで体
とに、われわれは注目せねばならない。「西洋杉が根もと
現させれば、「すべては、ルツのうちに安らい」と言う、
の薔薇に気づかぬように、ボアズもまた足もとの女に気
始源的女性における民族全体の懐胎(イヴ仮説的な?)
づかなかった。」「足もとの女」(ルツ)が新たにこの「地」
へと読み解かれていくだろう。こうしてルツという無名
8
な女性は、ボアズ同様、固有名性の喪失(この場合はア
そこから発して織りなされたかのように見えてくる。
ナグラム化によるのだが)によって一挙に英雄(ヒロイ
そのことをソシュールは、「単語の羅列はど
ン)となり、神話化、象徴化のサイクルに取り込まれる。
うして意味を持つに至るのか?」という、根源的な、一
そして、「隠喩」と「アナグラム」の具体的
見すると身も蓋もない問いに置き換えた。そしてその問
な分析が、対象としては全く別のものを取り扱っていて
いに対する答えが、ラングという「原素材(materia
も、双方とも同じく、一般的な意味での神話における「象
prima)」を「活用化-作品化(mise en oeuvre)」させた結
徴」の同一性と変容についての問いを立て直すことにほ
、、、、、、、
かならない、と気づいたのは、まさしく通時言語学者と
、、、
してのソシュールであった。ソシュールは、次に述べる
果としてのパロルないしディスクールというものである。
「 原 素 材 (materia prima) の 活 用 化 - 作 品 化 (mise en
にあって、それらを緊密にむすびつけ、意味の伝達を可
oeuvre)」という時間的なプロセスを、一般言語学から神
能にするような、見えない連関の操作のことである。
「活用化-作品化(mise en oeuvre)」とは、言葉の意味を
作り出す関係化というか、単語と単語の配置の「あいだ」
話学-伝承研究、そしてアナグラム研究—これらは、ソシ
言い換えれば、奇妙に思われるかもしれない
ュールが長年にわたり熱中していながら、草稿しか残せ
が、ソシュールにとって、言葉の意味の存在が浮上する
なかった三つのフィールドである—のすべてに通底する
のは、言葉を構成するひとつひとつの単語が、同じ単語
テーマとして摘出した。ボアズの隠喩化もルツのアナグ
でありながら、ラングの中の単語(孤立概念)とパロル
ラム化も、ともにソシュールの言う「原素材(materia
ないしディスクールの中の単語(連鎖要素)という形で、
prima)の活用化-作品化(mise en oeuvre)」の一種として、
ダブって見えてくる時だけなのだ。これらふたつの単語
、
像は、相互に半透明であると言うべきか、ラングがパロ
神話の世界と詩の世界を媒介しているのである。
まず言語学のフィールドにおいてだが、ソシ
ルないしディスクールに影のように、背後霊のように付
ュールは、良く知られているのとは微妙に異なるやり方
くことで、初めて言葉の連鎖は単なる単語の羅列でなく
で、ラング(言語体、言語の収蔵庫)とパロルないしデ
なり、何かを「言わんとする」ものになる。このような
ィスクール(個別な言説、言葉)の区別立てを行ってい
ラングを、ソシュールは「原素材(materia prima)」と呼
る。そして—この点がしばしば誤解されるのだが—明ら
び、そこから「活用化-作品化(mise en oeuvre)」に向け
かにコミュニケーションのラグという視点から、つまり、
て、パロルないしディスクールの連鎖と構成が生ずると
必ずしも共時言語学の枠にはおさまりきれない射程にお
とらえた。
いて、次のような、「卵が先か鶏が先か」の本質的な逆説
そして同じことが、より具体的に伝説、民間
にアプローチする。つまり、言語学の対象としては、一
伝承についても言える、というのがスタロビンスキーの
方で、単語というひとつひとつの要素—「孤立概念」と
強調するソシュールの発想である。つまり、
「象徴」とい
ソシュールは言う—を目録化したものとしてのラングが
う「原素材(materia prima)」が「活用化-作品化(mise en
あり、他方でそれらの「孤立概念」を連鎖上に配列した
oeuvre)」によって神話になるという、時間的なプロセス
ものとして、実際のコミュニケーションに使われるパロ
である。伝説における一連の「象徴」とは、現実の人物
ルないしディスクールがある。むろん、ラングというの
が、当人とは似てもにつかぬほどにアイデンティティを
はひとつの抽象であって、具体的に話された生の言葉を
改変され、社会の中でイデオロギー的に流通するように
抜きにしてそれだけを理念化することはできない。とこ
なった記号的存在のことを言う。ソシュールはこのよう
ろがいったんラングの実在が措定されると、つまり言語
な「象徴」が、一種の「原素材(materia prima)」として、
がひとつの統一体として見えてくると、すべての言葉が
ラングの単語である象徴と同じ通時的変化、同じ記号論
9
的法則に従うと考えた。
を要求する言語観-記号観に立脚しているのである。
「変更の総体は計算不可能なので、それを追
うのはあきらめなくてはならないだろう。」「象徴の同一
5.可能世界プログラミングから見た隠喩
性は神話の通時性のうちに失われる。」ユーゴーが無意識
裡に計算した、ボアズの固有名から隠喩への変容—生身
さて、われわれはここまで、固有名の無化と
のボアズは隠喩の決定的覇権とともに喪失する—は、ま
いう観点から、隠喩とアナグラムの本質的な関係を述べ
さしくその典型と言えるだろう。固有名の固有性は、ソ
てきた。先に見たように、両者は固有名の無化を生じさ
シュールの言う「原素材(materia prima)」の有するもの
せる、ふたつの形態であった。まず隠喩とは、ある意味
であって、これは神話化=隠喩化のうちに後退するが、象
で、同系列要素群(パラディグム)—つまり言語の諸要
徴としての英雄の物語的展開に対し、影(背後霊)のよ
素が観念連合(連想)によって結びつく群-における、要
うにつきまとい、社会的に認知可能な通念的コミュニケ
素間の「交替」のことである。一方が顕在化すれば他方
ーションの条件を保持する。
が潜在化する、そのような同系列要素群(パラディグム)
ところで、興味深い深いことにソシュールは、
の特徴を、ローマン・ヤーコブソンはとくに隠喩
同じ「原素材(materia prima)」としてアナグラムを位置
(metaphore)と関連づけた。主体と属性の役割交換、つま
付け、アナグラムのテーマ語とそれが鏤められた詩的テ
りボアズとそのアトリビュートの交替は、黄金分割操作
キストとの関係が、歴史的事実とその伝説における変容
に お け る 極 限 の 形 態である。つまり、隠喩の喚起する審
との間で予測される関係と、まったくパラレルであるこ
美感情は、厳密に計算化可能な効果なのだと言ってよい。
とを主張した。ここでは解体される固有名がその解体の
このように、隠喩にあって固有名の無化は、
秘法伝授という神話の中で亡霊のように浮き上がり、隠
黄金分割の反復プロセスが無限回生じた後に実現すると、
された意味を鑑賞者に伝えるかのような幻想を与えてい
理想的に定式化できる。さてヤーコブソンの二軸理論か
る。ラングという「原素材(materia prima)」は、じつは
ら言うならば同系列要素群(パラディグム)-隠喩に対立
アナグラムそのものであって、それを「活用化-作品化
するのは、結合要素群(サンタグム)-換喩のはずであっ
(mise en oeuvre)」させた結果としての詩的作品は、パロ
た。結合要素群(サンタグム)とは、言語の諸要素の結
ルないしディスクールとして、じつは、コミュニケーシ
合、脈絡、隣接による連辞的、共存的な関係を意味する。
ョンを支えているのだ。
換喩は、主体(となる対象)を無化させることなく、そ
だからこそ、ラテン詩人ジョヴァンニ・パス
の属性を主体(となる対象)とともに現前させるだろう。
コーリが、「あなたはアナグラムを意識して使っている
だが、詩的技法として隠喩とほんとうに関連(対立)す
か」というソシュールの真剣な質問に返事を返さなかっ
るのは、換喩ではなくアナグラムの方である。アナグラ
た時、そうしたコミュニケーション拒否の姿勢こそが
ムにおいては、隠喩と同様に、固有名は無化される。な
—no という返事ならまだしも、ソシュールは研究を続行
るほど、その無化は、隠喩とは別に固有名自体の破砕と
しただろう—アナグラムの存在自体までも雲散霧消させ
いう形を取った。だが、黄 金 比 も ア ナ グ ラ ム も 、 対 象 関
てしまったのである。逆説的ではあるが、それは失語症
係 の 厳 密 に 規 則 立 て ら れ た 割 - 合 proportion 、 分 割
に近い、言語そのものの危機を意味していたからにほか
d i v i s i o n であることでは深く共通していよう。
なるまい。そして詩において「いくつかの文彩(フィギ
本節では、これら二つの文彩を、オブジェク
ュール)が本質的にひとつである」という考え方もまた、
ト指向プログラミングの観念でもう一度捉え返す。すな
そうした通時的視点に立ったコミュニケーションの哲学
わち、前稿で明らかにした筆者の理論をもとに、両者が
10
可能世界のそれぞれ別個の解釈であるという見解を明ら
、、、、、、、、、、、、、、、、
かにしようと思う。可能世界論という場において統一的
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
に論じられるという点で、隠喩とアナグラムは本質的に
、、、
ひとつなのである。先述のごとく、ソシュールの通時言
1)ユーゴーの隠喩:「彼の麦束は、うらみが
ましくも、けちくさくもなかった。」
2)ラッセル-フレーゲ的可能世界解釈:
「古代
最後の哲学者は犬が好きだった。」
語学でも、単語の交替(一方の消失が他方の存立の条件)
が論じられ、それがアナグラム論(単語の消尽)の伏線
どちらの命題にあっても、
として張られていた。隠喩とアナグラムがそれぞれどの
1) 主語はその典型を形成するアトリビュ
ような可能世界に対応するのか、これをふたたびユーゴ
ートに取って代わられている。固有名
ーの詩を例に見てゆくことにしたい。
はその記述に還元可能である。ボアズ
まず、なにゆえ固有名をめぐる詩的技法に対
は「彼の麦束」に、アリストテレスは
し可能世界論を持ち出さなくてはならないのか、明らか
「古代最後の哲学者」に置換されてい
にしたい。筆者らが前稿で示したことだが、クリプキの
る。
言う「固有名(proper name)」は「固定指示子(rigid
2) しかもこの命題はそれが帰属する世界
designator)
」と同義であり、常に同一のものを指示する
において偽かもしれないのである(実
同一の操作子である。クリプキは、固有名があらゆる反
際、神に対して不満を述べるボアズは、
事実的状況(可能世界)においても、固定的に同一の人
うらみがましく、けちくさい。「褥を共
物を指示する、と規定した。固有名というものは、その
にした妻が、おお、主よ!
人物の存在意義を示すと一般に考えられている確定記述
らあなたの御許へと去ったのは、もう
とは、いかなる場合もけっして置き換えられない。これ
久しい昔のこと」)。
私の床か
がクリプキの考え方である。それに対しラッセル-フレー
ゲらは、アリストテレス(という固有名)イコール「古
「彼の麦束は、うらみがましくも、けちくさ
代最後の偉大な哲学者」(という確定記述)と考える。ア
くもなかった(Sa gerbe n ’etait ni avare ni haineuse.)」
リストテレスが「古代最後の偉大な哲学者」ではなく一
この詩句は、「ボアズはラッセル-フレーゲが示すような
介の商人にすぎなかった可能世界においては、誰か別人
可能世界にいた」ということを意味している。そしてど
が「アリストテレス」という固有名の果たした役割を担
の可能世界においても、ボアズは彼の麦束に取って代わ
うことだろう。だから、クリプキの挙げる「アリストテ
られる(ガブリエル・タルド風に言うと、所有者が逆に
レスは犬が好きだった」という命題は、ラッセル-フレー
被所有物に「所有される」)。この隠喩の論理は、だから、
ゲにおいては、「古代最後の偉大な哲学者は一人であっ
ラッセル-フレーゲの可能世界論と同じ形式で、オブジェ
て、彼は犬が好きだった」と解釈される。
クト指向言語によりプログラミング可能なはずである。
そしてまさしくその意味で隠喩は、クリプキ
前稿でも明らかにしたように、クリプキとラ
の言うラ ッ セ ル- フ レ ー ゲ 的 な 可 能 世 界の命題の形をと
ッセル-フレーゲでは、「アリストテレス」という固有名
るのである。ユーゴーのばあい、隠喩はラッセル-フレー
の scope(作用域)が異なっている。そして筆者らはク
ゲのばあいのように、固有名の固定指示性を固守せず、
リプキの言う意味での scope(作用域)を、プログラミ
固有名をその属性(の確定記述)と前面的に置換するこ
ング言語における変数の scope(使用範囲)と独自に読
とによって成立していた。
み替えた。クリプキは「アリストテレスは犬が好きだっ
た」という命題を、「アリストテレスが「古代最後の偉大
11
な哲学者」でなかった可能世界においても、アリストテ
は犬が好きだった」ということになる。ここでは明らか
レスは「アリストテレス」と呼ばれ、その人は犬が好き
に「アリストテレス」という固有名の scope(使用範囲・
だった」というように解釈する。ところがラッセル-フレ
作用域)が異なる。そのことを表すソースコードは、前
ーゲでは、「古代最後の偉大な哲学者は一人であって、彼
稿でも提示した以下のごときものであった。
/*Russell-Fregeにとっての固有名*/
public class NameForRussell1{
String
Aristotle = "the last great philosopher of antiquity.";
/*インスタンス変数,Kripke の場合に比べ Aristotle は scope が広い*/
public static void main(String args[]){
NameForRussell1 name1= new NameForRussell1();//インスタンス name1
NameForRussell1 name2 = new NameForRussell1();//可能世界用インスタンス name2
String person1 = new String("Aristotle was ");
String person2 = new String("Aristotle could not be ");//可能世界
String person3 = new String("Someone else was ");//可能世界
System.out.println(person1 + name1.Aristotle);
System.out.println(person2 + name2.Aristotle);
System.out.println(person3 + name2.Aristotle);
}
}
次に提示するソースコードはユーゴーの隠喩が生成されるメカニズムを分析し、最後にそれを使った詩句が
出力されるように組まれたものであって、NameForRussel1 と同じタイプのソースコードであることがすぐ理解されるで
あろう。
public class Metaphore{
String Booz = "Sa gerbe";
/*インスタンス変数,Booz は scope が広い;人間を represent する事物*/
public static void main(String args[]){
Metaphore name = new Metaphore();//可能世界用インスタンス name1
Metaphore name1 = new Metaphore();//可能世界用インスタンス name2
S t r i n g B o o z = n e w S t r i n g ( " B o o z " ) ; //こちらは name オブジェクトによって呼び出されない
String in_the_possibleWorld1 = new String(" n’etait ni avare ni hainesue.");
String in_the_possibleWorld2 = new String(" pouvait etre avare et hainesue.");
/*可能世界は反事実的*/
System.out.println(name.Booz + in_the_possibleWorld1);
12
System.out.println(name.Booz + in_the_possibleWorld2);
System.out.println(name1.Booz + in_the_possibleWorld2);
}
}
出力結果:
Sa gerbe n'etait ni avare ni hainesue.
Sa gerbe pouvait etre avare et hainesue.
Sa gerbe pouvait etre avare et hainesue.
ここで Metaphoreクラスのインスタンス変数
クラスのインスタンス変数 Aristotle と全く同様の機能
ェクト指向プログラミングが可能になるのだろうか。結
、、、、、、、、、、、、、、、、、
論を先取りすれば、アナグラムはクリプキ- ソシュール的
、、、、、、、、、、、、、
な可能世界の命題の形を取るのである。われわれはまず、
を果たしている。 Metaphore 型の name オブジェクトは、
アナグラム化の対象になるのがしばしば固有名であると
それがいかなるものであれ、この Booz という変数を参照
いう事実に着目したい。これが、ソシュールのアナグラ
するとき、問題となる(主体と属性の)交替は、けっし
ム研究をクリプキの固有名論=可能世界論と接合させる
て回避できない。これは、NameForRussell1 型の name オ
端緒である。筆者らは前稿においてすでに、クリプキ=
ブジェクトと同一の振る舞いである。すなわち、Booz は
ソシュール的な可能世界を、分身=偶発的同一性(クリプ
消えるために呼び出される。人間を代行表象(represent)
キ)から、「形相的同一性 言葉上での同一性」と「実質
することによって、人間の主体を消してしまうのは、こ
的同一性
の Metaphore 型の name オブジェクトがもつ働きである。
という議論の流れの中で、同一性自体の不可能化という
こうなると、いかに String 型のローカル変
観点から定義した。詳しくはそちらを参照してもらうと
数 Booz を main メソッドの内部で宣言し、”Booz”を引数
して、ここではユーゴーの詩句に見られた”Ruth”のアナ
に new で生成したString 型のオブジェクトへの参照を代
グラムも、クリプキ=ソシュール的なプログラミング、つ
入しても、この”Booz”をそのまま実行時に出力させるこ
まりクラスによるインターフェイスの実装という形で形
とはできない。インスタンス変数 Booz の値である「彼の
式化可能であることを示したいと思う。
Booz は、main メソッドの外側にあって、NameForRussell1
現実個体の同一性」の区別(ソシュール)へ
麦束(Sa gerbe)」の優位が決定し、この文字列が主語の
そもそも、ソシュールの言う言語記号の「恣
位置を占有し、それに対する述辞が肯定か否定かに応じ
意性」は、設定の自由さという点でクリプキの言う「可
て、ラッセル-フレーゲ的な可能世界が想定されるだけで
能世界」に直結しうる。またソシュールは、実質的同一
ある。隠喩がクリプキの言うラ ッ セ ル- フ レ ー ゲ 的 な 可 能
性
世 界の命題の形をとるというのは、まさしくそのことな
ラディカルなものにするかのごとく、同一性の観念その
のである。
ものを瓦解させてしまった、ということは前稿ですでに
現実個体の同一性を考える中で、クリプキをさらに
述べた。つまり現実個体の比較操作そのものが、互いに
6.可能世界プログラミングから見たアナグラム
あまりにも酷似した分身を持ち出すと不可能になる。そ
こから、「存在が自己同一性を持つこと自体の不可能性」
それではアナグラムの方はいかなるオブジ
に至るのは、ただの一歩であると言えるだろう。そのよ
13
うな同一性の根拠に対する試練、パラドクスをさらにつ
そこで以下、三つのプログラム(クリプキ、
きつめようとすれば、ソシュールはおのずとアナグラム
ソシュール、最後にユーゴーに対するもの)を、順を追っ
研究の泥沼にはまらずにはいられなかった。
「象徴」とい
て提示するが、それぞれのプログラムは、一つのインタ
う「原素材(materia prima)」が「活用化-作品化(mise en
ーフェースと一つのクラスからなり、前者が後者に実装
oeuvre)」によって神話になる、という通時言語学的な展
されている。最初の二つのプログラムは、すでに前稿で
開は、じつは「固有名の解体」という究極のテーマ、す
紹介し、くわしく解説したものである。それらとの参照
なわちアナグラムをもともと宿命的に胚胎させていたの
において、今回導入する最後のプログラムは、”Ruth”の
である。
アナグラムを解析し、その生成プロセスをシミュレーシ
さてユーゴーの詩では、先に見たように、
ョンする。しかし、そればかりではない。この”Ruth”プ
Ruth という固有名は、Ur と th に解体し、アナグラムと
ログラムは、一言で、ジュネーブパリ間急行を例に同一
化していた。それは、Ur(初源)と th(終韻)の間に、
性に関する思考を深めたソシュールが何故アナグラム研
すべて(tout)の(無限の)属性を包括するためであった
究に没頭したか、その根源的理由を示すものだ、と言っ
(「ウルやエラメル(ジュリマデ)では、すべてが安らい」
てよいだろう。すなわち、以下、プログラム 3 における
Tout reposait dans Ur et dans Jérimadeth)。一方、ク
RigidDesignator インターフェースと Anagramme クラス
リプキにとって、固有名は固定指示子であり、それに内
(Hugo)の関係は、プログラム 1 における RigidDesignator
属するアトリビュート(固有名を規定する確定記述)は
インターフェースと NameForKripke クラス(Kripke)の関
ゼロ(0)と置かれている。と、同時に、固有名の主体をめ
係、あるいはプログラム 2 における GeneveParisExpress
ぐる「すべて(tout)」のあり方を、可能世界の形で、矛
インターフェースと ThisTrain クラス(Saussure)の関係
盾なく受け入れるのである。
と全く同型のものなのである。
1.プログラム 1
/*1.Kripke(Saussure)にとっての固有名*/
public interface RigidDesignator{
public static final String thatOnlyOnePerson="Aristotle";
/* String 型のファイナルな変数(定数)がもつ固定的な値、固定指示子*/
public abstract void possibleWorld1(String str);
public abstract void possibleWorld2(String str);
/*可能世界メソッドはここではシグニチャだけ宣言、実装はしない*/
}
public class NameForKripke implements RigidDesignator{
public static void main(String args[]){
RigidDesignator name = new NameForKripke();//インターフェース型インスタンス name
name.possibleWorld1("fond of dogs");//可能世界1
name.possibleWorld2("the last great philosopher of antiquity");
14
/*可能世界 2*/
}
public void possibleWorld1(String str){
String Aristotle;//Aristotle はローカル変数に限定
Aristotle = str;//scope はこのメソッドの内部
System.out.println(thatOnlyOnePerson + " was " + Aristotle + ".");
}
public void possibleWorld2(String str){
String Aristotle;//ローカル変数--->同名性は OK、ぶつからない
Aristotle = str;//scope はこのメソッドの内部に限定
System.out.println(thatOnlyOnePerson + " was not " + Aristotle + ".");
}
}
実行結果:
Aristotle was fond of dogs.
Aristotle was not the last great philosopher of antiquity.
2.プログラム 2
/*2.Saussure(Kripke)にとっての固有名*/
public interface GeneveParisExpress {
public static final double timeOfDeparture = 8.45;//発車時刻:根本的に恣意的、無契約
public abstract void identityOfTrain(double date);//シグニチャだけ(実装するクラスが自前で定義し、
契約履行)
public abstract String realityOfTrain(double date); //シグニチャだけ(実装するクラスが自前で定義
し、契約履行)
}
public class ThisTrain implements GeneveParisExpress{
public static void main(String args[]){
GeneveParisExpress t1, t2;//インターフェース型の変数宣言
String st1, st2;
t1 = new ThisTrain(); // インスタンス生成
t2 = new ThisTrain();
t1.identityOfTrain(4.11); //インターフェースのメソッド実現契約
t2.identityOfTrain(4.12);
15
st1 = t1.realityOfTrain(4.11); //インターフェースメソッド実現
st2 = t2.realityOfTrain(4.11);
if(st1==st2)// 同一オブジェクトを参照しているならば-->偽
System.out.println(“relational and material identity”);
if(st1.equals(st2)) //オブジェクトの内容が同一ならば-->真
System.out.println (“relational but not material identity”); //同一日4月11日の列
車ですら、物質的には同一と見なさない。自己同一性そのものの不可能性
}
public void identityOfTrain(double date){
System.out.println(“The same train at ”+ timeOfDeparture + “h on ”+ date);
}//インターフェースからのファイナル変数timeOfDepartureにより形相的に同一
public String realityOfTrain(double date){
String st; // ローカル変数宣言
st = String.valueOf(date);//dateの値を文字列として読む
return st; // 文字列を返す
}
}
実行結果:
The same train at 8.45h on 4.11
The same train at 8.45h on 4.12
relational but not material identity
3.プログラム 3
/*3.Hugo にとっての固有名**/
public interface RigidDesignator{
public static final String Ruth="tout";
/* String 型のファイナルな変数(定数)がもつ固定的な値*/
public abstract void possibleWorld(String str);
/*メソッドはシグニチャだけ宣言、実装はしない*/
}
public class Anagramme implements RigidDesignator{//アナグラムは固定指示子を実装する
public static void main(String args[]){
16
RigidDesignator name = new Anagramme();//インスタンス name
name.possibleWorld("Ur");
name.possibleWorld("Th");
/*アナグラムは可能世界の引数(パラメーター)である*/
}
public void possibleWorld(String str){
String Ruth;//Ruth はローカル変数に限定
Ruth = str;//scope はこのメソッドの内部
System.out.println(this.Ruth + " reposait dans "
+ Ruth + ".")/
/*this.Ruth の Ruth はインターフェースのファイナル変数だが、ただの Ruth はローカル変数で
あることに注意*/
}
}
実行結果:
tout reposait dans Ur.
tout reposait dans Th.
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
プログラム 3 の要点を一言で言うと、アナグラムは固定指示子(固有名)を実装する、ということになるだ
、、、、、、、、、、、、、、、、、、
ろう。すなわち、アナグラムは一種の可能世界を構成する。アナグラムは可能世界の引数なのである。
つまり、テキストの下に置かれたテキストという「間テキスト性 intertextuality」
(トドロフ&デュクロ)
の形でアナグラムを捉えるとき、アナグラム化する固有名(固定指示子)は、自らのうちに潜み、自らの中に依拠して
、、
いる。
「(まさしく)この Ruth は Ruth の中に安らっている」T h i s Ruth reposait dans Ruth—ルツが「すべて」ならば、
それは「すべてを包括するすべて」、なのである。これ this は possibleWorld()というメソッドが実装するプリント文
(System.out.println())中に登場する。そこに併存する this.Ruth と Ruth の違いは、じつはローカル変数による名前
の隠蔽によるものである。ローカル変数 Ruth はその scope を通じて外側のフィールドを隠蔽するが、this キーワード
を使用することによって、同名の隠蔽されたフィールドにもアクセスが可能となる。
(cf. Gosling, Joy, Steele, The
Java 言語仕様、p.232)
そして可能世界のローカル性について言うと、ウル Ur もエラメル Jerimadeth(Th)も、possibleWorld()と
い う メ ソ ッ ド の String 型 の 引 数 に な る と き 、 地 名 と し て 各 々 の 可 能 世 界 を 表 象 す る こ と に な る
(name.possibleWorld("Ur");name.possibleWorld("Th");)。可能世界の列挙、顕在化—possibleWorld()メソッドの実行
—とともに、アナグラムの元となる固有名は分解し、そのままの形では姿を隠す。つまり、まずインターフェース型の
変数 name が、新たに生成したアナグラムオブジェクトへの参照を代入される( RigidDesignator name = new
、、、、、、
Anagramme();)。さらにこの name が possibleWorld()メソッドを個別的に呼び出す時、すなわち一言で、可能世界が実
、、、、、
現 す る と き 、 ま さ し く ユ ー ゴ ー の 詩 句 (Tout reposait dans Ur et dans Jerimadeth.) が 創 造 さ れ る
(name.possibleWorld("Ur");name.possibleWorld("Th");)。すなわちこのプログラムの実行結果は、
tout reposait dans Ur.
17
tout reposait dans Th.
となるのである。
ここで同じ name オブジェクトと関連づけられていても、隠喩(
「ボアズ」)とアナグラム(
「ルツ」
)では、
固有名の規定の仕方が異なることが理解されよう。固有名は String 型の static な変数として宣言され、そこに値が設
定されるが、隠喩とアナグラムでは、設定値の性格付けが異なるのである。隠喩の場合、設定値は内属値として代入さ
れるという含意を負う(その目的にとって適当な語、ここでは”Sa gerbe”「彼の麦束」が選択される)のに対し、アナ
グラムは逆に、そのような局限化を拒み、むしろ拡大延長へと指向するような語(”tout”「すべて」)に値が設定され
ている。一方は内向化し他方は外向化するのである。これは収 束 と 発 散 の 違 いと呼んでもいいだろう。(先に隠喩の対義
語は換喩ではなく、アナグラムではないだろうか、
と考えたのもそのためである。)隠喩の場合:String Booz = "Sa gerbe";
アナグラムの場合:public static final String Ruth="tout
さて、アナグラムを分析する先のプログラム 3 では、固有名は如何に解体されるか、というアナグラム生成の具体的手
順については実装していなかった。そこで、以下のプログラムでは、アナグラムを実際に作成するアルゴリズムを、ユ
ーゴーによる”Ruth”向けに考えてみる。ここでは、実行時にクラスとオブジェクトの構造、機能を調べることができる
、、
という、JDK1.2 のリフレクション機能を利用し、アナグラムの隠在という文学的な存在条件を考え、”Ruth”というテー
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
マ語の文字列が明示されることなく、密かに調べられ、暗黙のうちに分解される仕組みを導入する。
この表面化しない”Ruth”のアナグラムは、全部で 4!=24 通りあり、それらを自動的に導出するアルゴリズム
は良く知られているが(Java における実装例は、Lafore,p230-235)、ここでは、テーマ語 4 文字のうち 2 文字を部分的
に選択して組み替えるために、別の簡便なアルゴリズムを使用する(それは findAnagramme()メソッドの try 構文の内
部に記述されたものである)。
以下のプログラムでは固有名は、Anagramme クラスの(new で生成された)インスタンスへの参照を代入す
るための、RigidDesignator 型の変数という形でとらえられる。この固有名は、自己言及的に、固定指示インターフェ
ース名を引数として findAnagramme()というメソッドを呼び出す。このメソッドは文字通りアナグラムへと固有名を解
体、散種させる機能をもつ。それによってアナグラムを含む文字列が複数戻ってくるが、それらは配列オブジェクト中
に格納されることになる。そしてそれらの文字列が個別に可能世界と対応することで、ユーゴーの問題の詩句が十全な
意味をもって生成されるのである。
以下のソースコードに表現される通り、隠喩とアナグラムをそれぞれ可能世界と関係づける論理は、「人間
の認知モデルに近い概念を使ってモデリングからプログラミングが行える(浅海,1999)」オブジェクト指向言語の表現を
通じて理解可能になっている。アナグラム生成アルゴリズム以外は、先のプログラム 3 とほぼ同一である。
public interface RigidDesignator{
public static final String R u t h ="tout";
/* String 型のファイナルな変数(定数)がもつ固定的な値*/
public abstract String[] findAnagramme(String InterfaceName);
/*固有名を取り上げアナグラム化するメソッド*/
public abstract void possibleWorlds(String str);
18
/*アナグラムを詩句に埋め込む、つまり可能世界を構築するためのメソッド*/
/*メソッドはシグニチャだけ宣言、実装はしない*/
}
import java.lang.reflect.*;
public class Anagramme implements RigidDesignator{
public static void main(String args[]){
RigidDesignator name = new Anagramme();//インスタンス name
String[] st = name.findAnagramme("RigidDesignator");
for(int i=0;i<st.length;i++){
name.possibleWorlds(st[i]);
}
}
public String[] findAnagramme(String InterfaceName){
String[] anastring=new String[12];
try {
String in=InterfaceName;
Class c = Class.forName(in);
Field[] f = c.getFields();
String s = (String)f[0].getName();
char[] ch=new char[4];
for(int i=0;i<s.length();i++){
ch[i]=s.charAt(i);
}//インターフェースのフィールドの情報解析
char[] anachar=new char[2];//文字2個を自由に選ぶ
int j=0; int count=0;
while(j<s.length()){
anachar[0]=ch[j];
for(int k=j+1;k<s.length();k++){
anachar[1]=ch[k];
anastring[count]=String.valueOf(anachar);
count++;
}
j++;
}//文字を正向きに2個選ぶ
19
j=j-1;
while(j>-1){
anachar[0]=ch[j];
for(int k=j-1;k>-1;k--){
anachar[1]=ch[k];
anastring[count]=String.valueOf(anachar);
count++;
}
j--;
}//文字を逆向きにして2個選ぶ
}
catch (ClassNotFoundException e) {
System.err.println("Couldn't find RigidDesignator.");
System.exit(0);
}
return anastring;//name のアナグラムが複数、文字列の配列の形で戻る
}
public void possibleWorlds(String str){
String R u t h ;//Ruth はローカル変数に限定
Ruth = str;//scope はこのメソッドの内部
System.out.println(t h i s .R u t h + " reposait dans " + R u t h + ".");
}
}
実行結果
tout reposait dans Ru.
tout reposait dans Rt.
tout reposait dans Rh.
tout reposait dans ut.
tout reposait dans uh.
tout reposait dans th.
tout reposait dans ht.
tout reposait dans hu.
tout reposait dans hR.
tout reposait dans tu.
20
tout reposait dans tR.
tout reposait dans uR.
実行結果は以上である。これらの行のうち、ユーゴーの詩句に登場するものが二つ含まれる。これらはイタ
リック体で強調したものである。
7.まとめ
性を固守せず、固有名をその属性と全面的に置換するこ
とによって成立していた。これはラッセル=フレーゲ型
ここで本稿を簡単にまとめる。これまで筆者
の可能世界において特徴的なことである。そこでは、固
は、言語、記号に関し、統一的で本質的な視点をひとつ
有名は、属性を介してようやくグローバルなものとなる。
提示してきた。それは「隠喩」と「アナグラム」という、
反対にアナグラムはクリプキ=ソシュール的な可能世界
ふたつの根本的な文彩の間には、ある意味で包括的な同
の命題と同じ形を取っていた。アナグラムにおける「テ
一性の観念が形作られる、という視点である。そもそも
キストの下のテキスト」(間テキスト性)という発想には、
「隠喩」と「アナグラム」は、双方とも、言葉の持つ潜
さまざまに恣意的な可能世界を通じても、同一性、固定
在的な力、権力性を密かに込めることのできる技法であ
指示性が堅持されるという設定が隠れ潜んでいる。
る。それは両者が詩的言語において存在の死を固有名の
しかしそのために、極端にラディカルな同一
消失という形で具体化しているからにほかならない。そ
性、固定指示性は、ソシュールが垣間見たような形で、
のことをユーゴーの「眠れるボアズ」という詩の中の具
究極的には自らを解体させる結果に陥るのである。それ
体例を用いて明らかにした。
こそがアナグラムの存在様態であって、われわれはこの
つまり、この詩の分析を通じ、「アナグラム
ことを「アナグラムは可能世界を実装する」と呼んだり
に対する隠喩」という二項対立を初めて導入した。これ
した。アナグラムにおいて断片化した文字や音の背後に
は美的認知を定式化する上でも重要な視点だと考えられ
は、固有名という統一的な指示体が隠れ潜んでいる。あ
る。たとえば、「隠喩」が固有名の消失のプロセスにおい
たかもソシュール自身が考えた、あのラングそのものの
て「黄金比」を導入していることに注意すれば、異なっ
ように。
たメディアに実装されている芸術作品を扱うための共通
の枠組は容易に提起されるだろう。
註
しかもここでいう固有名とは、フィクション
黄金分割と区間縮小法の関係については、赤
論としての可能世界論哲学にとっても大きな要をなすコ
間、馬場(1998)参照のこと。本稿はこれと内容、記述
ンセプトである。「隠喩」と「アナグラム」は、それぞれ
的に大きく重なる。
別のやり方で固有名を無化させるが、そのために別のタ
ところで区間縮小法を適用した線分図上に、
イプの可能世界を構築することになる。すなわち、
「隠喩」
ユニットとなる点を複数個記し、ユニットのネットワー
はラッセル=フレーゲ型の可能世界、「アナグラム」はク
クモデルとして、この線分図を捉えてみるとする。これ
リプキ=ソシュール型の可能世界に対応している。そし
らユニットを 0 か 1 、あるいは - か + の値だけを取る
てこの視点は、オブジェクト指向プログラミングによる
ものとして規定しよう。たとえば0(あるいは-) のときは、
可能世界の構造化を通じて初めて明らかになるのである。
「興奮していない(植物である)」、1(あるいは+)のとき
ユーゴーのばあい、隠喩は固有名の固定指示
は「興奮している(動物である)」と記述してもよい。そ
21
の場合、初期値は、動物であるボアズ(右側の 1)が +、
(1995)、『ソシュール言語学入門』(立川健二訳)、新曜社)
植物である麦束(左側の a) が - になる。そして小線分を
Matila C. Ghyka, Le nombre d ’or, Gallimard,
内側に折り返すとき、線分の変化があった場所で値を変
Paris, 1959
える(符号を交換する)ものとすると、共約化の操作を反復
James Gosling, Bill Joy, Guy Steele, The
するにつれ、線分図では両端から段々とユニットの値(反
Java 言語仕様(村上雅章訳)、アジソンウェスレイ、1997
応値)が変化しなくなり、そういう恒久的な定常状態が
Saul A.Kripke (1980), Naming and necessity,
徐々に内部へと浸食していくのがわかる。そしてこの系
Basil Blackwell and Harvard University Press.(ソー
は死へと向かいつつ、原理上は無限回の後に、初期状態
ル
の + と - がそっくり場所を入れ替え、それによって隠
心身問題』(矢木沢 敬、野家啓一訳)、産業図書、1985)
喩の成功(「ボアズ」-->「彼の麦束」)を表示することに
Ferdinand de Saussure (1916), Cours de
なる。
A・クリプキ、『名指しと必然性
linguistique g
このメカニズムを実装したアプレットは以
下の URL において見ることができる。
rale,Payot.
(F・D・ソシュール(1983)、
『一般言語学講義』(小林英
夫訳)、岩波書店)
http://www.dp.hum.titech.ac.jp/~akama/METAPHOR.
HTML
n
様相の形而上学と
Ferdinand de Saussure (1967 74), Cours de
linguistique g n rale
: Edition critiqu e par Rudolf
Engler.
参考文献
赤間啓之、馬場雄二、文化象徴のテクノ画像
化による直観的把握、「黄金分割」を例に、アプレットを
利用したアプリケーション開発、「ヒューマンネットワ
ーク宣言」、人文学と情報処理、No.16、1998、p22 31
赤間啓之、三宅真紀、文学の実装—物語世界
の登場人物、およびその固有名の、オブジェクト指向言
語による設定について;日本認知科学会・文学と認知・
コンピュータ分科会論文誌(テクニカルペーパー)3 号
(東京会議)、2000(予定)
浅海智晴、オブジェクト指向の本質を確認す
る、JavaWorld, 2000JAN, p.76 79
往住彰文、価値機械としての文学、(社)人
工知能学会ことば工学研究会(第三回)資料、
SLG-LSE-9903-S7
Robert Lafore, Java で学ぶアルゴリズムと
データ構造(岩谷
宏訳)、SoftBank、1999
Françoise Gadet(1987), Saussure, Une
science de la langue, PUF.( フランソワーズ・ガデ
22