欧州放射線リスク委員会 2010 年勧告 低線量電離放射線被ばくの健康影響 規制当局者のために ブリュッセル 2010 年 翻訳 ECRR2010 翻訳委員会 発行 美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会 欧州放射線リスク委員会 2010 年勧告 低線量電離放射線被曝の健康影響 規制当局者のために 編集:クリス・バスビー ロザリー・バーテル、 インゲ・シュミット-フォイエルハーケ、 モリー・スコット・カトー、 アレクセイ・ヤーブロコフ 欧州放射線リスク委員会を代表して発行 (翻訳: ECRR2010 翻訳委員会) (発行:美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会) 1 European Committee on Radiation Risk Comité Européen sur le Risque de l’Irradiation Secretary: Grattan Healy Scientific Secretary: C.C.Busby Website: www.euradcom.org 2010 Recommendations of the ECRR The Health Effects of Exposure to Low Doses of Ionising Radiation Edited by: Chris Busby, with Rosalie Bertell, Inge Schmitz Feuerhake Molly Scott Cato and Alexey Yablokov Published for the ECRR by: Green Audit Press, Castle Cottage, Aberystwyth, SY23 1DZ, United Kingdom Copyright 2010: The European Committee on Radiation Risk 欧州放射線リスク委員会は本報告の翻訳を奨励する。そのような翻訳や出版の許可に対し ては通常費用は生じない。本報告書のいかなる部分であっても、著作権の書面による許可 なく、複製やコンピュータ上検索システムへの保存、電子的記録、電気的記録、磁気テー プによる記録、機械的記録、複写そしてあらゆる形態における再出版を禁じる。 欧州放射線リスク委員会は下記のファンドからの援助に感謝します: The International Foundation for Research on Radiation Risk, Stockholm, Sweden ( www.ifrrr.org) ISBN: 978-1-897761-16-8 A catalogue for this book is available from the British Library Printed in Wales by Cambrian Printers (表紙の挿絵:直径20ナノメートルのウラン微粒子に100 keVのエネルギーを持った自然バ ックグランドの1,000個の光子が作用した際に生じる、光電子のXY平面上の飛跡;同じサ イズの水の微粒子であれば同一のXY平面内に0.04個の飛跡しか生じない。FLUKAモンテカ ルロコードによる計算結果。Elsaessar et al. 2009) 2 欧州放射線リスク委員会は、2010年勧告の発行について議論がなされたギリシャのレスボ ス国際会議への参加者も含め、次の諸兄からの貢献に対して謝意を表する。 Prof. Elena Burlakova, Russian Federation Dr Sebastian Pflugbeil, Germany Prof. Shoji Sawada, Japan Dr Cecilia Busby, UK Prof. Mikhail Malko, Belarus Prof. Angelina Nyagu, Ukraine Prof. Alexey Nesterenko, Belarus Dr Alfred Koerblein, Germany Prof. Roza Goncharova, Belarus Dr VT Padmanabhan, India Dr Joe Mangano, USA Prof. Carmel Mothershill, Ireland/Canada Prof. Daniil Gluzman, Ukraine Prof. Hagen Scherb, Germany Prof. Yuri Bandashevsky, Belarus Dr Alecsandra Fucic, Croatia Prof. Michel Fernex, France/Switzerland Prof. Inge Schmitz Feuerhake, Germany Prof. Alexey V Yablokov, Russian Federation Prof. Vyvyan Howard, UK Mr Andreas Elsaesser, UK Prof. Chris Busby, UK Mm Mireille de Messieres, UK/France Mr Grattan Healy, Ireland ECRRの協議委員会は次のとおり: Prof. Inge Schmizt Feuerhake(議長), Prof. Alexey V Yablokov, Dr Sebastian Pfugbeil, Prof. Chris Busby(科学幹事)Mr. Grattan Healy(幹事) Contact: scisec@euradcom.org 3 目 次 緒言 1. 欧州放射線リスク委員会ECRR 7 2. 本報告の基礎と扱う範囲 12 3. 科学的原理について 15 4. 放射線リスクと倫理原理 24 5. リスク評価のブラックボックス:国際放射線防護委員会ICRP 40 6. 単位と定義:ICRP線量体系の拡充 47 7. 低線量における健康影響の確立:リスク 63 8. 低線量における健康影響の確立:疫学 74 9. 低線量における健康影響の確立:メカニズム 82 10. 被ばくにともなうガンのリスク、第1部:初期の証拠 101 11. 被ばくにともなうガンのリスク、第2部:最近の証拠 12. ウラン 13. ガン以外のリスク 14. 応用の例 15. リスク評価のまとめ、原理と勧告 16. ECRRメンバーリストと本報告書への貢献者リスト 参考文献(原文を参照のこと) 勧告の概要 付録A:線量係数 補遺:レスボス宣言 4 ECRR2003年勧告は、電離放射線に対する人体の敏感な感受性を実証した最初の科学者であ るアリス・エム・スチュワート教授(Prof. Alice M Stewart)に捧げられた。本委員会はこ の版をエドワード・ピィ・ラドフォード教授(Prof. Edward P Radford)の思い出に捧げる。 Prof. Edward P Radford, 物理学者/疫学者 “There is no safe dose of radiation(放射線に安全な線量はない).” ラドフォードは全米科学アカデミーのBEIR III(電離放射線の生物学影響 III)委員会の議 長に就いていた。彼による1979年のBEIRレポートは、当時から現在に続くリスクモデルの 不備な点に注意を喚起した。それは取り下げられ押さえつけらたが、彼は辞職し異議を唱 える報告書を公表した。彼の経歴は破壊された。 2009年にECRRは、合衆国に住む彼の未亡人であるジェニファーとラドフォードの家族によ って寄贈された、彼のエドワード・ラドフォード記念賞(Ed Radford Memorial Prize)をユ ーリ・アイ・バンダシェフスキイ教授(Prof. Yuri I Bandashevsky )に贈った。 Prof. Yuri I Bandashevsky 物理学者/疫学者 バンダシェフスキイは、彼の研究と自身の英語による発表を通じて、ベラルーシーの子供 たちの健康にチェルノブイリからの放射能の内部被ばくが与えている影響に注意を喚起し、 逮捕と収監という報いを受けた。 5 緒 言 欧州放射線リスク委員会が2003年に発表した新しい被ばくモデルは、生命体の放射線影響 に関する従来の科学的理論の妥当性について科学者や政治家の注目を集めたということで、 ある意味での革命をもたらした。もちろん、これは遅すぎたことであった。というのは、 系列崩壊する新しい放射性核種による慢性的な内部被ばくがもたらすリスクの評価に、急 性の外部放射線による研究を使用するのは危険であるという証拠は、40年以上も前から 知られていたことだったからである。そのような科学的パラダイムシフトは簡単には進ま ない:原子力や軍事、経済、そして政治の中枢機構が原子力エネルギーの利用と開発に躍 起になって取り組んでいるからであり、また核の軍事利用は一枚岩であり巨大な慣性を有 しているからである。したがってECRR2003年勧告がそのような注目を集め、吸収線量とい う物理学ベースの概念に基づいている、その当時から現在まで続いている放射線リスクの 哲学が抱えている欠陥について、新しく力強い関心を効果的に集めることができたのは驚 きであり希望を与えるものであった。新しいモデルに対する支持と支援、そして(例外な くICRPモデルと対決することになる)多くの法廷におけるその成功には、ECRR2003の公 表当時に現れていたチェルノブイリ原発事故の放射性降下物による被ばくや劣化ウラン弾 の影響調査から明らかになってきた、日々増加している証拠が役立ったのかも知れない。 ECRRモデルの成功とは、それが核分裂生成物によるある内部被ばくによってもたらされる 発ガンやその他の疾患の数に関する問いかけに対して正しく回答するということに他なら ない。これは公衆の普通の構成員とともに陪審員にも裁判官にも、あらゆる人々に対して 直ちに明らかになる。それはチェルノブイリ原発事故後のベラルーシにおけるガンの増加 を伝える報告によって、そしてまた2004年に公表されたスウェーデン北部における発ガン に関するマーチン・トンデル(Martin Tondel)による疫学研究によって強力な支持を得た: トンデルによる研究はチェルノブイリ原発事故によるCs-137による100 kBq/m2の汚染によ ってガンが統計的に有意に11%増加することを明らかにしており、これはECRR2003モデル の予測とほぼ完全に一致している。 新しいECRRモデルにおいては説明可能であるが、古いICRPモデルによってそれらを 説明することは全く不可能であるような、実験室において行われた幾つかの進歩もある。 そのようなもののひとつは、ウランのような(そして白金や金のような非放射性の元素で も同じであるが)高い原子番号を持つ元素に、それが取り込まれてしまった臓器・組織の 放射線の吸収特性を変えてしまう能力があるということであった。ウランは原子燃料サイ クルの循環において中心的役割を担う元素であり、前世紀の初期から膨大な量のそれを含 む物質によって生物圏は汚染され続けてきている。したがってECRRリスクモデルを改訂し そのような「ファントム照射効果*」を考慮に入れる必要がある。兵器利用を通じてウラン は広く散布されてしまったため、ウラン兵器に関する章を追加する必要があった。ブリュ ッセルにおける1988年の設立以来、ECRRには多くの国々からの数多くの傑出した放射線科 学者が結集してきている。この新しい改訂版によって、政治家や科学者が彼らの電離放射 線の健康影響についての理解を変えようとする圧力は今では無視することが不可能なほど 大きくなってきているのは明らかである。 (*訳注:ファントムとは「お化け」のことである。原子番号Zの高い元素は光電効果を起 こしやすいために、自然バックグラウンドの放射線の影響で、ウラン等の微粉末から2次 光電子が放出され周辺に高い線量の被ばくをもたらすことになる。) 6 第1章 欧州放射線リスク委員会 第1.1節 設立の背景 欧州放射線リスク委員会ECRRは自発的に創造された市民組織(Civil Society)のひと つである。それは放射能汚染の影響から市民を防護するはずの民主的機能が崩壊している という、はっきりとした警戒すべき証拠に直面していた。予測されることであるが、この ような展開をつくり出した原動力は、原子力関連施設の大規模な開発と汚染を背景にした、 緑のグループによる環境運動であり、その他のあるいはそれ以前の市民組織の目的とイデ オロギーの見直しの結果であった。ECRRは、欧州議会(European Parliament)内の緑グル ープ(the Green Group)によって開催されたブリュッセルの会議での議決にのっとって、 1997年に設立された。その会議は、現在では基本的安全基準指針(Basic Safety Standards Directive)として知られている、欧州原子力共同体指針96/29(Directive Euratom 96/29)の 詳細に関して討議するために特別に招集されたものであった。その指針は2000年5月から欧 州共同体EUのほとんどの国において、放射線被ばくと環境への放射能放出を規制するEU 法であり続けている。欧州原子力共同体条約はローマ条約の前に結ばれており、閣僚理事 会(Council of Ministers)を一旦通過したその指針は欧州議会に諮る法的な必要はない。そ して驚いたことに、その指針が細目に示された放射性核種濃度がある一定のレベルより低 ければ、消費財中で放射性廃棄物をリサイクル利用するための法的な枠組みを含んでいる にもかかわらず、目立った修正もないままに通過したのであった。 緑グループは、その指針案を修正しそれが限定的な効力しか持たないようにするため に努力をしてきていたところであったが、かようにも重要な課題に民主的統制が働いてい ないことを懸念し、人造放射能(man-made radioactivity)のリサイクル利用がもたらし得る 健康影響に関する科学的なアドバイスを求めた。その会議における全般的な印象は、低レ ベル放射線がもたらす健康影響については著しい意見対立があり、この課題については公 式なレベルで調査されるべきである、ということであった。この会議は、彼らが欧州放射 線リスク委員会(ECRR)と名付けた新しい主体を設置することを票決し、その決着点とし た。この委員会の検討課題は、利用できる科学的証拠の全てを考慮に入れてその問題を精 査し、そして最終的には報告することである。特に、その委員会の検討課題は、従来の科 学に関するいかなる事柄についても仮定をもうけてはならず、国際放射線防護委員会 (ICRP)や国連原子放射線の影響に関する科学委員会(UNSCEAR)、欧州委員会(European Commission)、そして、どこのEU加盟国のリスク評価機関であったとしても、それらとの 独立性を保たなければならないとした。 ECRRの検討課題は: 1. 放射線被ばくがもたらすリスクの全体について、独立に評価することである。その際に は、最も適切な科学的枠組みにおいて、必要に応じて非常に詳細なものになる全ての科 学的情報源に対する主体的な評価に基づき、先駆的なアプローチを採用しつつそれを遂 行する。 2. 放射線被ばくがもたらす損害(detriment)についての、最良の科学的予測モデルを開発 することである。そのモデルを支持する、またはその正当性を問うことになる観察結果 を示しつつ、その様相をより完全にするために必要となる研究領域も強調しつつそれを 遂行する。 7 3. 政策的勧告の基礎を形成する倫理学的分析と哲学的枠組みを生み出すことである。科学 的知識の現状や生きた経験、予防原理に基づいてそれを遂行する。 4. リスクと損害のモデルを示すことである。それは公衆とさらに広く環境に対する放射線 防護に関する透明性のある政策決定を可能とし、さらに助けるような手法において遂行 される。 ECRRが設立されて間もなく、欧州議会内の科学的選択肢評価(STOA: Scientific Option Assessment)機構が、公衆と労働者に対する電離放射線被ばくの「基本的安全基準」への 批判について議論するための会合をブリュッセルにおいて開催した(1998年2月5日日)。こ の会合において、カナダの著名な科学者であるバーテル博士(Dr. Bertell)は、冷戦期を通 じて核兵器と原子力発電を開発してきたという歴史的な理由から、ICRPは原子力産業に組 みするように偏向しており、低レベル放射線と健康の領域における彼らの結論や勧告はあ てにはならないと主張した。 残念なことにSTOAの報告者であるアシマコプロス教授(Prof. Assimakopoulos)は、 ICRPとそのアドバイスについての、広い視野に立った、そして厳しい批判であったバーテ ル博士の発表を適切に報告しなかった。ICRPからの応答として、その科学事務局長である バレンタイン博士(Dr. Valentin)は、ICRPは放射線安全についてのアドバイスをする独立 した団体であるが、このアドバイスが安全でない、あるいは、疑問であると考える人が他 のどのような団体や機関に相談することも全く自由である、とその会合に告げた。この会 合に参加した欧州議会のメンバーはこの提案に着目し、そして、放射線被曝の健康影響の 問題について述べるとともに、現行の法律に基礎を与えているものに取って代わることの できる分析を与え得るECRRによる新しい報告書を準備することを支持することで合意し た。 人造放射性物質への低レベル被曝が、健康に悪影響をもたらしていることを示す証拠 は十分にある。そして、ICRPによる従来からの放射線リスクモデルやそれと同様のモデル を使っている他の機関は、低線量被曝がもたらす影響を予測することに完全に失敗してい る。これは、ECRRの最初の会合やSTOAの会合においても、広く支持されている見解であ った。したがってこの問題については、新鮮なアプローチが必要とされていたのであり、 2001年には欧州議会の様々なメンバーが、2つの慈善団体とともに、2003年の報告書の起 草を支持した。 第1.2節 2003年以降の展開 2003年にベルリンで行われたECRR勧告(ECRR2003:欧州放射線リスク委員会2003 年勧告、放射線防護のための低線量電離放射線の健康影響)の公表は、電離放射線の被ば くによる損害の理解におけるひとつの分岐点であった。ECRRは電離放射線の被ばく影響を 算出するための新しい実用的なリスクモデルを発表した。疫学データ及び歴史的な吸収線 量データと既知の各元素の物理化学的な挙動を用いた科学的論法に基づいて、このモデル を応用することで、いくつかの被ばく集団を説明し、また予測する結果を与えた。それは 大きな反響を呼んだ。その報告書は3回にわたって増刷され、日本語やロシア語、フラン ス語、そしてスペイン語に翻訳された。チェコ語の出版準備も進んでいる。組織としては 解散しているが、それは英国放射線防護局(NRPB)によって言及された。それと同じ時期 に、英国のミハエル・ミーチャー(Michael Meacher)環境大臣は、そのような議論と支持 している証拠の結果について検討するために、公式な政府委員会CERRIE*を設立した 8 (CERRIE 2004, 2004a)。そのような議論はECRR2003の出版に続く2年間にわたってフラ ンスの放射線防護原子力安全研究所(IRSN)でも行われ、そこではこのモデルについて検 討するためのある科学チームが設置された。結果をまとめたIRSNの報告書(IRSN2005)は、 現行のICRPモデル(及び同様のモデル)の科学的基礎についてのECRRの懸念は十分な根 拠を持ったものである、そうではあるがIRSNはそのECRRモデル自体の科学的基礎には反 対である。ECRRの議論が広く受け入れられているということではない:これはひとつの政 治的な課題でありつづけており、この問題については本報告書で簡潔に述べることにする。 2003年以来のCERRIE委員会の時期に、放射線リスクの状況は完全に変化した。ECRR が設置された時、内部被ばくとそれが細胞内の標的、例えばDNA、に与える効果の物理学 的な意味での異質性についてはまったく新しい疑問であったし、少なくともICRPモデルに おいては度外視されてきていた。そのリスクモデルの疫学的基礎は高線量の外部被ばくで あった:日本の原爆生存者の調査であり、ICRP1990年勧告におけるそれの解釈である。 その後、チェルノブイリ原発事故後の健康影響が非常にはっきりとしてきたのである が、そのようなデータはICRPやUNSCEARによって無視されつづけた。彼らはそのような 警告を発している報告類を執拗なまでに「放射線恐怖症」の範疇に置き続けたのだった。 それにもかかわらず、ECRR2006やECRR2009に寄稿した傑出した研究者たちが記述したよ うな遺伝的な影響は、放射線恐怖症によってはハタネズミや小麦その他の生命体に影響を 与えることが不可能なのである。 (旧ソビエト連邦とヨーロッパ諸国の双方における)チェルノブイリ原発事故の影響 を受けた地域の現実のデータは、ECRR2003モデルの予測に通じるものである。その後、い わゆる劣化ウラン弾とよばれるウラン兵器の使用がもたらす降下物中に存在する、分子あ るいは粒子状のウラン元素への被ばくがもたらす異常な効果が報告されるようになってき た。これによってウランの内部被ばくの効果についての研究に対して多大な努力が向けら れた。この研究によって明らかになった疑問は1997年にECRRによって主張されていたもの でもあり、ECRR2003モデルの基礎でもあって、それはある特定の同位体による内部被ばく について、その同位体のDNAへの親和性とそれの核崩壊形式に基づいて、適切な荷重係数 を導き出すということである。 2004年にベラルーシのガン登録局のオキアノフ博士(Dr Okeanov)が訪問先のスイス において、ガンの発症率はECRR2003が予測しているラインに沿って増加していることを報 告した。2004年にはまた、スウェーデン北部におけるガン研究によってチェルノブイリ事 故後の放射能降下から5年後の時点でセシウム137の汚染が100 kBq/m2であった地域で、 11%増の統計的に有意なガンの増加が見いだされた(Tondel et al 2004)。これはICRPモデ ルには600倍の誤りがあることを実証したと見ることができる。またECRR2003に記した核 実験降下物の効果に同様な大きさの誤りがあるとした証拠を支持する結果である。したが ってベラルーシのデータとスウェーデンにおける2004年の発見は、新しいモデルを実証し たと見てよいだろう。 2007年にはずっと継続しているいちばん最近の小児白血病の研究が公表された:これ はドイルの小児ガン登録からのものであり、原子力発電所から5 km以内に居住域において 小児ガンに統計的に有意な影響のあることを示している(KiKK 2007)。この研究の大き さと著者の所属からすれば、これは小児ガンと原子力発電所から放出された放射能への被 ばくとの間に因果関係があるということの証拠以外のものではあり得ない。こうして、 ECRR2003で述べたようにICRPモデルには500倍から1000倍の誤りがあるという証拠をさ らに補強することになった。 9 2009年になって、ECRR2003で報告された研究のうちチェルノブイリ事故後の小児白 血病の疫学調査についてのメタ分析を更新した結果、チェルノブイリ原発事故の降下物が あった時期に胎内にいた子供たちに43%の有意な増加のあったことが明らかになった:外 部被ばくと内部被ばくとの比較によれば600倍の誤りがあることが示された(Busby 2009)。 このような問題はICRPの2007年勧告には一切引用されておらず、全てのこのような証拠を 無視し、自身のモデルを支持するような研究論文だけを選択して引用している。ICRPはそ の証拠をUNSCERの2006年報告書から採用しているが、その報告書はどのような証拠も引 用していない。これはICRPのリスクモデルがデータによって歪められたことを示している。 さらにさかのぼれば、大気圏内核実験による核分裂生成物やウランへの内部被ばくが 現在蔓延しているガンの一次的な原因になっていることは増々明らかになってきていると ころであり、これはECRR2003で指摘した問題でもあった。法廷や核実験に参加した退役軍 人の裁判においてECRR2003とその議論に基づいて決まって勝利している(例えば、Dyson 2009)。政府機関は新しい訴訟手続きの結果を見通すモデルとして、ひとつの極端として 時代遅れのICRPモデルからもう一方の極端としてECRRモデルを採用するというように 増々なっている。 ウランによる光電子増強の問題、これは本報告で新しく展開するところのものである が、これについてのICRPの困惑ぶりは頭が膿んでしまったと言える状態である。この考え とは、組織等価な一様な物体を想定するのではなく、放射線を吸収する媒質についてその 原子番号による変動を考慮に入れるものであり、原子番号が高いことによってウランが現 在のICRPによってモデル化されているよりも数100倍危険であることを示している。この 発現に対してICRPやその衛星機関は未だに何も信用に足りる応答ができないままである が、未だに何も変更されておらず、ウランへの被ばくは公認され続けている。この間、バ イスタンダー効果やゲノム不安定性のような後生説的効果(epigenetic effects)についての 多く研究が続けられているが、ガンのクローン増大理論(the clonal expansion theory of cancer)という、ICRPモデルの科学的な基礎は誤りであることが証明され続けている。そ のモデルは今や座礁したのだ。 2009年の初頭、ICRPの科学幹事であり1990年と2007年の報告書の編集者であったジャ ック・バランタイン博士(Dr Jack Valentin)が辞職した。2009年4月21日にストックホルム で開催された彼とECRRのクリス・バスビー教授との公開討論において、ICRPのリスクモ デルは人類の被ばくによる健康影響を予測するためにも説明するためにも採用することは できないと彼は述べた。それは内部被ばくについての不確かさが余りにも大きすぎるから であって、いくつかの事例では2桁にもなる大きさであるからだ、と彼は続けた。これは ECRRの設立以来の論点であって、ECRR2003において書かれた事柄である。バランタイン は(ビデオ・インタビューの中で)、彼はもはやICRPには雇用されていないので報告書や ECRRによって指摘されているチェルノブイリやその他の影響をICRPやUNSCEARが無視し ているのは間違いであると彼が考えていることと言うことができた、と述べてもいる。 2009年5月にECRRはギリシャのレソボス島で国際会議を開催し、8カ国から物理学者 や放射線の専門家が参加した。この会議ではECRR2003のリスクモデルとその発展について、 ウランへの被ばく効果で議論になる高い原子番号を持った元素による光電子増強の現象を 取り入れることとともに2003年以来に明らかになってきた新しい証拠を含めて、熱心な議 論が行われた。結論としての声明であるレソボス宣言が公表された(補遺参照)。声明は 各国政府が早急にICRPモデルを破棄することを求め、中期的な対応策として、ECRR2003 モデルを採用することを主張した。このモデルはこの2010年版において更新されており、 10 2003年以降に明らかになった新しい証拠を追加し、高原子番号の元素による光電子増強の 現象を取り入れ、ウランへの被ばくの効果についても議論している。 本委員会としては、巨大な政治的、経済的、軍事的そして法制的な影響がおそらく重 大になるであろう(そうであり続けている)新しい規則の採用に対する、政治的反発や議 案通過運動での反発があるのは明らかなので、科学と政治との境界面の分野での議論が必 要である。科学的なアドバイスから安全な政策を得る目的のために新しいアプローチを開 発しなければならない。そのような議論を第3章に加えた。これはECRRが設立された経緯 からして適切なものである。グリーングループは基本的安全基準指針96/29に著しい影響を 与えることはできないが、彼らは第6.2条を次のように修正することができるだろう: 加盟諸国は新しい重大な証拠が現れた場合には、全てのクラスにおける被ばくを 含む実行の正当化を見直さなければならない。 疫学的な基礎においても理論的な基礎においても、これこそが今や真実なのである。 (訳注*:CERRIE Committee Examining Radiation Risk from Internal Emitter:内部放射体の放 射線リスク検討委員会) 11 第2章 本報告の基礎と扱う範囲について 第2.1節 客観的であること 前章においてその概要を示した原理的な理由のために、本委員会は利用可能な全ての 情報を基礎にして分析が行われるべきであるとの立場に立っている。本委員会は、科学的 な客観性が必要とされる研究においては、机上の数学的モデル化への依存をただ膨らませ るような傾向に乗るよりも、むしろ「窓の外を見る」のがふさわしいと考えている。した がって本委員会は、ピア・レビュー審査付き学術誌に発表された研究の結果だけでなく、 審査には廻されていない報告書類、書籍、そして論文が与えている結果についても併せて 考慮に入れる。本委員会は、いくつかの科学的リスク委員会が採っている、審査付きの学 術諸雑誌に発表されているような、用意周到とも言える線量応答データを持った、扱いや すい証拠だけを採用するようなやり方は、安全を担保するものではないとますます見られ るようになっている、ある放射線リスクモデルの宣伝にしかならないと考えている(Carson 1962, Bertell 1986, Nussbaum and Koehnlein 1994, Busby 1995, 2006, 2009, Sawada 2007)。さら に本委員会は、放射線リスクの分野に関する議論には、社会を構成する全てのグループが 参加しなければならないと考えている。したがって、主として科学者から構成されてはい るが、本委員会とその顧問には、医師や医療被ばくした人達の問題を扱わなければならな くなった専門家もいる。例えば、リスク評価には、公衆衛生や労働衛生、腫瘍学、小児医 療を専門とする医師、遺伝学や疫学、生化学を専門とする科学者が参加すべきである。こ れらの学問分野からの人はICRPの本委員会には参加していない。ICRPによって構成員とし てその席が配分されているのは、物理学者、医療規制当局者、放射線学者、生物物理学者 らである。ECRRの顧問には、生態学者、動物学者、植物学者、リスク社会学者、法律家、 政治家、非政府組織や圧力団体のメンバーがいる。 第2.2節 本報告の基礎 電離放射線に関係する行為の結果として、労働者や公衆の構成員が被ばくする可能性 がある。本報告書は、2003年の報告と同じく、放射線が彼らの健康に与えるリスクを評価 する必要に迫られている政策決定者に対して、利用しやすいような形で必要な情報を伝え ることを意図している。本報告書の基礎は、電離放射線に低線量そして低線量率で被ばく した数多くの集団に見られる悪い健康状態の実際の増加を、現行の放射線リスクモデル(本 報告書ではICRPモデルと呼ぶ)が、それを説明し予測することに失敗しているという認識 である。そうしたよく知られるようになった失敗の事例のほとんどついては、本報告書の 本文中に引用するが、本委員会のこのような立場は、紙面の都合で書き含めることのでき なかった多くの事例からもまた影響を受けている。 本報告書には、ピア・レビュー審査付きの学術雑誌に掲載された報告を取り上げるが、 審査付きでない論文も取り上げる。さらに、テレビのドキュメンタリー番組に始まり法廷 闘争に発展したケースも取り上げる。それは彼らの足で投票を実現させた人たちや、かつ て原子力施設があったが放棄された土地についても考察する。すなわち、最も貧しい人た ちしか住まないような荒れ地に徐々になっていった土地、砂浜が行楽客に見捨てられ、さ らに魚を捕まえるにしても、またそれを売るにしても著しく困難になった地域についての 12 考察を行う。インドにおいて、ナミビア、カザフスタン、ネバダ、オーストラリア、ベラ ルーシ、そして太平洋の島々において、人造放射能の影響をこうむった市井の人たちの物 語を取り上げる。原爆実験に参加した退役軍人からイラクやバルカンの住民そしてウラン 戦争に参加した退役軍人まで、ウラン兵器への被ばくによる影響を取り囲んでいる、ピア・ レビューの審査付き論文もいわゆるグレーな文献も合わせて、大量の文献を本報告書は含 んでいる。 第2.3節 本報告の扱う範囲 本報告書では、放射線のリスク評価に現在使用されている方法論を批判的に再検討す る。現行のモデルでは、人体の組織内に付与された放射線のエネルギーを、その内部にお いて空間的にも時間的にも平均して扱っており、また、外部被ばくにもとづいた疫学調査 に依存しているために、それらから内部被ばくによるリスクを定量化しようとすると大き な誤りをまねいてしまうことについて論じる。100 mSvよりも高い外部被ばくの場合におい ては、被ばくが一様に行われている限りにおいて、現行の放射線安全モデルはおおむね十 分な証拠に基づいていると言える。しかし、微視的な人体の組織の中で非均一な被ばくが 起こる内部被ばくにおける線量を評価するに際して、そのような平均化の手法を使うと破 綻を招く。人体の組織内における電離事象は微視的なスケールのものであって、それは外 部の放射線場や媒質におけるエネルギー吸収の観点からしてもそうであり、放射線生物学 的な損傷における決定的な因子である。このことは分子レベルの相互作用を無視し、平均 的なエネルギー移行の取り扱いに終始する物理学ベースのICRPモデルにおいてはモデル 化されてきていない。 本報告書はICRPモデルの歴史的由来を検討し、それが疫学的な証拠に合致しているか 否かについて再検討する。本報告書は、放射線リスク科学の哲学的及び方法論的側面につ いて考察し、客観的なリスク評価を確立するために、帰納的アプローチと演繹的アプロー チとにある違いを明確にして両者を区別する。現在の科学と政策との境界について、さら に、科学的(実験的)知識が政策の変更に活かされる場合における偏向(とその証拠)に ついて議論する。さらに、様々な著者による諸研究によって強調されている、ICRPモデル が有する誤りの定量的な程度についての証拠を示す。そして、現行の放射線防護に関わる 単位と諸量とを用いて、実用的に放射線リスク評価の問題に取り組むための基礎となる、 暫定的な一組の損害強調荷重係数を構成することにする。それはガン以外の疾患、水晶体 破損(lens destruction)、神経疾患(neurological illnesses)、糖尿病、免疫そしてその他の放 射壊変による疾患(immunologies and several other radiogenic illnesses)に広がっており、特 に、心臓病に対するリスク係数を含んでいる。 最後に、本報告書はこのようにして組み立てた放射線リスク評価の体系を応用した幾 つかの例について簡潔に示す。戦後の大気圏内核実験の時代においてそれが生み出した死 者の数を、ICRPリスク係数と本報告書において示す修正したICRPリスク係数とに基づいて 行った計算結果を与える。そのアプローチは必然的に実用的なものにならざるを得ない。 放射線被ばくと放射能についてのデータは、ICRPの体系に沿った吸収線量という線量単位 を用いて、一覧表として歴史的に記録されている:したがって、この体系において使用で きる係数を与える必要があったのであるが、その修正係数こそが本委員会が努力をはらっ てきたところのものである。これらの係数は、あるタイプの被ばくに対して中央値となる 損害強調の評価を与えるもので、ICRPによって現在使われているリスク係数に対するリス 13 クの倍率として使用できる。しかしながら、本委員会はグレイ(Gy)やシーベルト(Sv) のような平均化されたエネルギー線量の使用は、内部被ばくについてのリスク評価の科学 に非常に大きな制約を課するものであり、そのような被ばくを評価するには、それとは異 なるもっと合理的な体系が要求されると考えている。そのような体系を実現するために幾 つかの提案については、2009年にギリシャのレスボスで開催されたECRRの国際会議で行っ たところであるが、そのような線量体系の開発は大きな困難を伴うものであり、そのよう な線量体系の基礎は現在の吸収線量の体系に準経験的な荷重係数を与えるというやり方に よってもっともよく利用できるだろうというのが合意事項であった。 第2.4節 参考文献 ECRR2003年勧告において本委員会は、編集者がその「規制当局者のための版」にお いて、すべての記述に関して参考文献をつけるべきか否かという問題について慎重に議論 した。ECRR2003はICRPによる1990年の勧告を補充しようと意図しているのであるが、そ の勧告には参考文献が付いていない。他方では、国連(UNSCEAR)や全米科学アカデミ ー(BEIR)のより分量のある調査報告書は、それらの記述を支持する参考文献については 選択して掲載しているものの、それらの記述に反証するあるいは支持しない方向に作用す る参考文献は引用していない。2007年に出されたICRPの新しい出版物(Publication-103)に は286の引用文献がある。しかしながら第5章で分析するように、それらのうちの90はICRP 自身が出したピア・レビュー審査でない報告書であり、120だけがピア・レビュー審査付き 論文であり、それらのほとんどはリスク機関自体が書いたものである。そこにはチェルノ ブイリ原発事故によるどのような影響についても、原子力施設周辺の小児白血病の集団発 生についても、ウラン弾の影響についても、文献もまったく引用されていない。 ECRR2003年勧告において本委員会は、もし全ての文章に参考文献をつけるとなると、 分量が多くなりこの版のサイズにうまく合わせることが難しくなること、そして、本文が 著しく長くなり、議論の流れが失われることについても考えた。最終的な判断としては、 本委員会は、本報告の信頼性を左右する主要な研究については参考文献の一覧をもうける ことにしたが、本文中に一々示すことはしていない。2003年の報告書に関しては参考文献 に関してある批判があったので、2010年度の本報告においては読者のために有益であろう と思われる箇所については参考文献を本文中に示すことにした。 14 第3章 科学的原理について たとえ賢明な人であっても過ちを犯すことがあるのだから、百人の人々であっても、幾つ かの国家においてもしかりであり、そして我々が知っているように、たとえ人間の本質と いえどもこの問題については数世紀にわたって間違っているのであって、したがって、そ のことについて、場合によっては過ちが止むと確信したり、この世紀にかぎっては人間の 本質は間違いを犯さないなどと信じたりできるものなのだろうか? モンテーニュ 1533-92、随想録 第 3.1 節 放射線リスクと科学的方法 放射線リスクモデルを作り上げるためには、歴史的に形づくられてきている科学的な 方法論の基礎を検討することが、教育的にも有効であると本委員会は考える。 科学あるいは演繹的方法の古典的解釈は(元はオッカムのウイリアム(William of Occam)による:訳注1)、現在ではミルの規範(Mill’s Canons)と呼ばれている。それら のもののうちで最も重要とされる2つは次のものである: ・一致の規範(Canon of Agreement)。これは、あるひとつの現象に先行する諸条件の中に 常に共通するものがあるとすれば、それはその現象の原因、あるいは原因に関係するも のであると考えてよい、としている。 ・相違の規範(Canon of Difference)。これは、あるひとつの効果が生じる諸条件とそれが 生じない諸条件の中に何かの違いがあるとすれば、そのような違いはその効果の原因、 あるいは原因に関係しているものであるはずである、としている。 ・これらに加えて、その方法論は、科学的知識は独立した法則の発見によって加算的に増 大するという、蓄積の原理(Principle of Accumulation)、および、その法則が真実である ことの信頼性の程度は、その法則に合致する実例の数に比例するという、実例確認の原 理(Principle of Instance Confirmation)に信頼をおくものである。 最後に、その演繹的理由づけの方法に、我々は メカニズムの妥当性( plausibility of mechanism)という議論をつけ加えるべきであろう。 これらは科学の基礎的な方法論である(Mill, 1879; Harre, 1985; Papineau, 1996)。 ここで興味のある疑問は、次のようなものである: ・一年間に自然バックグラウンドから受ける放射線被ばく線量にほぼ等しい、2 mSv 以下 のレベルにおける外部放射線被ばくが与える健康上の影響とはいかなるものか? ・全臓器および個々の線量のレベルが 2 mSv 以下であるような、新しい種類の放射性同位 体による内部被ばくがもたらす健康上の影響はいかなるものか? ・内部放射線被ばくに線量の概念を適用することは可能であるか? 高いレベルの電離放射線被ばくがもたらすリスクについては広く受け入れられている。 それはそれらがかなり直接的であり、また目にも見えるからである。そして、低レベルの 被ばくに関する状況については関心が集まっているところである。現在、そのような被ば くが健康に与える影響を記述する、2つの相互に排他的なモデルが存在している。ICRP モ デルがそのひとつである。それは還元主義者の、物理学に基礎を置く論拠に基づいており、 現在のところ放射線被ばく限度を法的に取り扱うために使用さており、低レベルの放射線 は安全であると主張している。そしてもうひとつは、憂慮する独立系の誰もが参加できる 15 パブリックドメインにある組織やそれらと結びついている科学者によって支持されている モデルである。これら2つのモデルを模式的に図3.1に示す。 それらは2つの異なる科学的方法論に基づいて導かれている。伝統的な ICRP モデル は、物理学にその基礎を置いている。それは DNA が発見されるよりも以前に、物理学者 によって生み出された。物理学者による全てのモデルと同様に、それは数学的であり、還 元論的であり、極端に単純化されている。そしてその結果として、記述上の優れた有用性 を持っている。それの扱う量、線量は、単位質量当たりの平均エネルギー、すなわち dE/dM である。そして、それの応用においてもそのままである。使用されるその質量とは、1 kg 以上である。したがってそれは、石炭ストーブの前で暖をとっている人に伝わる平均エネ ルギーと、その赤く焼けた石炭を食べる人に伝わるそれとを分別しない。内部被ばくであ るか、低レベルであるか、一様かそれとも特殊な被ばくかという。直ちに問題になるのは その応用においてであり、それは完全に演繹的に使われてきている。その応用の基礎にな っているのは、ヒロシマとナガサキの街における多くの日本人住民のガンマ線による急性 の高線量外部被ばくの結果であり、そこからガンや白血病の発生率が決定されている。こ れと同時に、 (低い線量域においては)線量とガン発生率との間に単純な線形関係が維持さ れるように、平均に基礎をおくという別の考え方も取り入れられている。この線形閾値無 し(LNT: Linear No Threshold)の仮定は、あらゆる外部被ばくについてのガン発生率を計 算することを可能にしている。 これに比べて、図3.1の下に示されている機構論的/疫学的モデルは、帰納法のプ ロセスを通じて生み出されてきた。核施設の近くに居住する住民の間には、異常に高いレ ベルのガンや白血病が確認されてきている。とりわけ再処理工場のように、人造放射性同 位体による汚染が測定によって確認されているような場合にそうなっている。これにくわ えて、地球規模での大気圏内核実験によって発生した人造放射能に被ばくした集団があり、 また、核実験場の近くに住む風下住民らがいる。さらに、 (チェルノブイリの小児白血病発 生群のような)事故による放射能で被ばくした人たち、そして、原子力産業や核兵器産業 における労働によって被ばくした人たちがいる。より最近の研究によれば、ウラン兵器の 使用による放射性降下物にさらされた集団が加えられる。これらの集団は広い範囲にわた る遺伝学的・神経学的影響を示している。これらの結果については本報告書において後ほ ど述べる。伝統的 ICRP モデルにおける平均化のアプローチとは対照的に、ECRR によって 提案されている生物学的モデルにおいては、その細胞における空間と時間の上における放 射線飛跡構造にしたがって、それぞれのタイプの被ばくを考えようとする。ECRR2003 以 来、体内に吸収された元素の影響もまた重要になってきている。 「集団」に対する不確かな 「放射線線量」からリスクを予測するためにそのようなモデルを利用するのは容易にでき ることではない。そのようなモデルはその核壊変が細胞と相互作用すると思われる特定の 同位体あるいは粒子由来の微視的に記述された線量とかなり関係している。それらの細胞 は、その損傷に対し生物学的・生化学的に応答し、生物学的発展の様々な段階にあるだろ う。このような種類の解析が導く線量応答関係は極めて複雑なものになると予想される。 放射線リスクを検討するに際して、本委員会は、哲学の違いにも通じるこれらのモデ ルは、互いに相容れないものであることを見いだしている。したがって、どちらが正確で あるかを決定しなければならない。そのような決定を下すにあたって、本委員会は科学的 方法の基本的なルールを利用することにした。 本委員会は線形閾値無しモデルは、それを急性の高線量外部被ばく に応用すること については、(いくつかの留保つきで)基本的に容認されると考えている。しかしながら、 16 ICRP や UNSCEAR、BEIR の委員会が、それは線形仮定を破っているのであるが、低線量 率での被ばくにおいて、そのモデル化したリスクを2倍のファクターで小さくしているこ とには注意を喚起しておく。本委員会は線形閾値無しモデルを急性の低レベル外部被ばく に拡張するのは理論的には正当であろうと考えている。というのは、そのモデルの妥当性 が、微視的な組織体積中における放射線飛跡がもたらす事象の一様性という考えの上にあ るからである。しかしながら、慢性的な外部被ばく については、低線量において線形応 答の仮定をおくことについて、疫学的あるいは理論的な正当性があることを示すために科 学的方法が適切に使われてきているとは本委員会は考えていない。これは細胞及び生体レ ベルにおいて低線量被ばくに対して生体が応答する複雑な様相が見落とされているからで ある。しかしながら、本委員会はそのような仮定がもたらすことになる誤差の大きさは一 桁以上には達しないだろうと考えている。 本委員会は、疫学研究において、観察される傾向を性格づけるために線量応答の直線 性が仮定されていることにも懸念を抱いている。数多くの疫学研究が最も高い線量におい て健康影響が低下することを示しているが、そのような結果になる妥当性のある理由が幾 つかあるにも関わらず(例えば、高線量での細胞致死)、観察された影響は放射線被ばくが 原因ではあり得ないと主張するために使われている。外部被ばくの効果と含まれるメカニ ズムについての誤差の範囲に関しては第9章で述べる。 内部被ばくに対して外部被ばくモデルを拡張あるいは応用するという ICRP のやり方 には、科学的方法論の重大な悪用があると本委員会は認識している。そのやり方は演繹的 な理由づけからなっている。急性の高線量外部被ばくという、あるひとつの条件の下で得 られたデータが、慢性の低線量内部被ばくのモデルにも誤って使用されている。そのよう なやり方は科学的には破綻しており、政治的配慮がなかったならば、とうの昔に否認され ていたであろう。その一方で、図3.1に示している高いリスクを提案する急進的モデル が、本章の冒頭で述べた科学的方法論からの要求に合致しているのは明らかである。しば しば「ホット・パーティクル」の形態をもつ人造放射性核種は、核施設の近くの地域に居 住するガンや白血病の発生群、核施設や核実験場の風下住民、放射性降下物に被ばくした 集団に常に共通する汚染物質である。これは一致の規範を満足する。そのような研究につ いての参照集団との偶然性分析表(contingency analysis tables)は、相違の規範もまた満足 されていることを示す:風下住民よりもさらに遠く離れた参照集団は、低いレベルで疾患 を発生している。低線量での被ばくによってガンや白血病が増大していることを多くの研 究が示しているので、実例確認の原理が満たされている。蓄積の原理についてはここでは 言及しないが、それは後ほど本報告の中で述べる。 ICRP モデルが示す致死的ガン発生率についての科学的適用可能性に関する本委員会 の立場を、被ばくのタイプ別に表3.1に示す。 科学と科学的結論は、証拠調べの法律的体系に基づいた結論と同じ類いのものではな いとの指摘は重要である。科学は法廷や日々の政策決定の中で行われている、理論やモデ ルの賛否のそれぞれに寄与する証拠を天秤で量るような単なる疑問ではない。法則とは厳 格である。たった1つの実験的証拠であっても、ある理論で説明したり、それに組み込むこ とができなければ、その理論は破棄されるしかない。(Kuhn, 1962, Popper, 1962)したがっ て、小児白血病が多発している核施設の存在だけで、ICRPリスクモデルが間違っているこ とを立証するのに十分である。これらのデータは1980年代から明らかになっているにもか かわらず、いまだに何もなされていない。ICRPモデルにこのような危険が存在しているこ とについては、数知れない病、そしておなじく数知れない人の死が注意を喚起してきたに 17 も関わらず、そのような状態がどのようにして、無知なるままにいったん設定され、結晶 化し、そして正当性を疑うのが難しくなるにまで至ったのかについて問うことは、間違い なく啓示的であるだろう、という考えを本委員会は抱いている。科学とその体系が持つ保 守的な性格については、傑出した化学者にして経済学者、英国学士院メンバーでありノー ベル賞受賞者である、マイカル・ポラニィ(Michael Polanyi)によって、1950年代の終わり に考察されている(訳注2)。 ポラニィは、科学的な手法と科学者に興味を持っていた:例えば、クーン(Kuhn)や ラトゥール(Latour)のような哲学者達よりも以前に起こっていたサイエンス・ウォー (Science War)についての彼の記述がある。いかなる時代にあっても、科学的な世界観は 完全に間違い得ることに彼は気づいていた。どのようにして我々があることを完全に知り、 どのようにして我々が「現実世界」の描写を組み立てるのかを問いつつ、ポラニィは、科 学者とアゼンデ(Azande)のような原始的まじない師との間に多くの類似点があることを 見ていた(訳注3)。アゼンデは 1930 年代に人類学者エバンズ・プリッチャード(Evans Pritchard)によって研究されているが、彼は次のように書いている: 彼らは彼らの信仰のイディオムの中では素晴らしく理路整然と論じるが、その外部のこと や彼らの信仰に反することを論じることが出来ない。なぜなら、彼らは彼らの思想を表現 する他のイディオムを持たないからである。経験と神秘主義的考えとの間の矛盾は、他の 神秘主義的考えを引き合いに出して説明される以外にはないのである。 イー・エバンズ・プリッチャード、アゼンデのまじないと神話と魔法、1937 (E. Evans Pritchard, Witchcraft, Oracles and Magic among the Azande, 1937) 一般に信じられているところでは科学的な世界観といわれるものに関心を向けて、ポラニ ィは次のように結論している: そうではなくて、我々が現在受け入れている博物学的体系の安定性は、アゼンデのまじな い師の信仰と同じ論理構造に寄りかかっているのである。ある一つの科学的考えと経験的 な事実との間の矛盾は、他の科学的な考えによって説明されることになる。考えられ得る どのような事象であっても説明することが可能な潜在的な科学的仮説が首尾良く準備され ているのである。その繰り返しによって確定され、その循環によって防御されることによ って、その準備されていた科学は、非科学的な理性にとっては重大かつ鮮明であるのが明 白であるような経験をことごとく否定したり、あるいは少なくとも、科学的には興味のな いものとして見捨ててしまう可能性がある。 エム・ポラニィ エフ・アール・エス、個人の知識、1958 (M. Polanyi FRS, Personal Knowledge, 1958) 本委員会は、ICRP の科学者達とそのリスクモデルは、そのような閉鎖的科学共同体と 循環的論理とのよい実例であるとの結論に至った。ポラニィによるアゼンデとの比較は、 セラフィールド(シースケール)の小児白血病発生群や ICRP リスクモデルの破綻を示す 他の多くの例の発見の後に続いた否定と、信じがたい説明の続発を記憶されている人たち にとっては、馴染み深い行動様式である。続く章においては、我々は ICRP リスクモデル の起源について検討し、正常な人でありさえすれば、深刻であり人の生死にかかわること だと見なすような経験を、機械的に循環的にことごとく拒絶してしまう演繹ベースの推論 マシンに、どのようにしてそれが陥ってしまったのかを検討する。 18 表3.1 急性高線量外部被ばく研究を他のタイプの被ばくへ拡張する ICRP のやり方に 関連する誤り 被ば くの タ イプ ICRP モ デル は応 用 可能 か? 外部急性 > 100 mSv 外部 < 100 mSv 可能 内部 < 100 mSv 内部 高い原子番号の元素 ECRR によ っ て確 認さ れ た致 死 ガン の誤 差 因子 の不 確実 さ 0.5 25 極近似的には可能だが、細胞及び生体 の応答反応に難あり。 不可能 不可能 1 1 50 2000 1 ∼ 2000 第3.2節 科学と政策のインターフェースとバイアス:CERRIE アゼンデの問題は、心理学者たちが集団思考(group-think)と呼んでいるものに他な らない(Janis & Mann, 1977)。それは ICRP やその ICRP アプローチを支持している UNSCEAR や NCRP、BEIR といった集団に限った話ではない。1990 年の英国での狂牛病事 件以来、政策に関わる科学的助言には、このように重大な偏向(バイアス)があるという ことがますます明らかになっている。その狂牛病事件においては、政府に助言したある科 学委員会は(外部の科学的アドバイスと実験的証拠に逆らって)、病原体は種の壁を越える ことはできないと助言した。彼らは間違っていた。そして、公衆の多くが彼らの間違いの せいで死ぬかもしれない。興味深いことに、あの誤った報告を出した委員会の議長は、同 時 に 英 国放 射 線防 護局 の議 長で もあった リチャード・ サ ウスウ ッド 卿(Sir Richard Southwood)その人であった。 子供の健康と環境に関する政策情報ネットワーク(PINCHE)は、欧州各国からの著名 な30名かそれ以上の医者と科学者がつくるの、EU が資金提供するネットワークであるが、 EU から委託された報告書を完成させるために、この科学と政策のインターフェースの問題 を4年かけて議論した。PINCHE は、選任された委員会による科学的助言は結論を支持す る参考文献を選ぶ過程によって規則的に偏ると結論した。それらの結論は、委員会メンバ ーと事務局の所属によって歪められおり、それらの決定が、人の健康ではなくて経済的な 健康と言う意味で、彼らが密接な関係を持っている機関や産業がこうむるダメージが最も 小さくなるように支持する傾向がある(Van den Hazel et al. 2006)。これに対する PINCHE が同意した解決策は、環境リスクについて情報を与えようとするいかなる議論についても それぞれのサイドを支持するように科学者が資金提供されている敵対する委員会を設立す ることである、というものであり、この考えはスコット・カトらによって提案された(Scott Cato et al. 2000)。集団思考の概念は今や、広く受け入れられている:米国国防省ではスケ プティック・コープス(skeptics corps:再検討部隊)に集団思考を通じて形成された決定 や計画の誤りと戦うよう訓練させており、その過程はレッド・チーミング(Red teaming) と呼ばれている。 まさにこの方向性に沿って、内部放射体の放射線リスク委員会(CERRIE)が、2001 年に英国環境大臣ミハエル・ミーチャー(Michael Meacher)マイケル・ミーチャーによっ て設立された。付託された審議事項は、体内放射体に対する ICRP モデルの誤りの証拠に 19 ついて議論すること、及び、そのような信念が支持あるは否定される双方の証拠を明らか にすることであった。結果として、最終報告が出される前の 2003 年に大臣が辞任させられ、 新しい環境大臣のエリオット・モーリー(Elliot Morley)がトニー・ブレアによって任命さ れた時、この過程は失敗した。モーリーは、その問題を解決しようと合意していた鍵とな る研究を実行する前に委員会を解散し、反対意見の報告書が含まれることを阻止するため に法的な脅し行使された(Morley,2010 の巻末注参照)。少数派による反対意見の報告書(法 的取扱によって排除された)は、2004 年に別に出版された(CERRIE, 2004b)。 第3.3節 ICRP2007年報告の科学的基礎 当然、主要なCERRIE報告書は引用するが反対意見の報告書は引用しないICRP2007に は偏向(bias)が広がっている。偏向した参考文献の選択というPINCHEの結果を念頭にお けば、ICRP2007に引用されている参考文献の母体を調べることは有益である。そこには286 の参考文献がある:それらについての一般的な記載事項を表3.2に示す。 表 3.2 ICRP2007 の中の参考文献の分類 参考 文献 の 数 引用されている機関 ピア ・レ ビ ュー 審査 91 21 ICRP/ICRU/IAEA UNSCEAR/NCRP 無 無 52 103 20 書籍および報告 査読のある専門誌 ICRP 会員の論文 無 有 有 ピア・レビュー審査論文である 123 の文献の多くは、何らかの形でリスク機関と関係 している個人のものであるか、もしくは”Journal of Radiological Protection”のような「ハウ ス・ジャーナル(house journals)」(訳注:社内報のような内部向けの雑誌)からの出版物 であった。この雑誌の編集者は最近まで英国核燃料公社(British Nuclear Fuels)の技監(Chief Scientist)であったリチャード・ウェイクフォード(Richard Wakeford)である。そこに は”Central European Journal of Occupational and Environmental Medicine” のような風変わり な雑誌からの引用がある。この後の参考文献は ICRP 委員であるアー・アクレイエフ(A. Akleyev)の研究からの引用である。ある引用は 1961 年の British Medical Bulletin の中で発 表されたカーター(Carter C.O.)の「幽門狭窄症の遺伝(The inheritance of pyloric stenosis)」 である。どうして、ICRP にとって利用可能なチェルノブイリの影響に関する多くの参考文 献や ECRR の科学者によって ICRP2007 インターネット協議に提供された参考文献よりも、 この文献により高い価値があり、放射線防護に適切なのだろうか。 ICRP2007 の序文には、ICRP が勧告の草稿においてコメントを募ったインターネット 上のダイアログを引用して、 「あなたがたの助けなしでは我々はやり遂げることができなか った」と述べている。多くの ECRR の科学者はこの ICRP「諮問」のプロセスで意見を伝え 合った。そして、彼らのやり取りや引用した事柄は ICRP のウェブサイトでまだ読むこと ができる。しかしながら、これらの提案や引用は最終版に入れられなかった。2005 年 ICRP 草稿の中にあった重要で適切な一段落が本当にインターネット上に公表されていた。 それは次のように述べている: 20 (50) 臓器器官や組織内に存在する放射性核種から放出された放射線、いわゆる体内放出体 について、その器官における吸収線量の分布は放射線の透過力と飛程や臓器・組織内での 放射能分布の均質性に依拠する。アルファ粒子や低エネルギーベータ粒子、低エネルギー 光子、オージェ電子を放出する放射性核種について、吸収線量の分布は極めて不均一とな る。この不均一性は、飛程の短い放射線を放出する放射性核種が臓器・組織の特定の部位 に位置した場合、例えば、プルトニウムが骨の表面に沈着したり、ラドン娘核種が気管支 の粘膜や皮膜組織についた場合に、特に重要である。そのような場合、臓器で平均化され た吸収線量は確率的な損傷を計算するためのよい線量とはならない。それゆえ、平均臓器 線量と実効線量の概念を適用することは、そのような場合には批判的に検討される必要が あり、時には、実証的で実用的な方法が採用されなければならない。 しかし、ICRP はそのような被ばくを引き起こす同位体の線量係数をまったく変えなか ったし、そのような実証的で実用的な方法もまったく採用しなかった。そして上記のやっ かいな段落は最終的な ICRP2007 報告からこっそりと削除された。 この ICRP2007 報告への短い概観が示すのは、1990 年に出版されたものから本質的に モデルの変化がなく、科学的な誤りを立証するような新たな証拠や議論は全体的に無視さ れているということである。ICRP は、電離放射能にさらされることに対する同様のリスク 係数を支持し続けており、そのモデルはいまだ環境への放出を制限するときの基礎である。 ICRP2007 のモデルはその証拠を議論していない。このモデルは限定的で部分的である。明 らかに、この章で概略を示した科学の哲学的要請に応えていない。補遺でレスボス宣言が 要求するように、それは今や放棄されねばならない。 第3.4節 ピア・レビュー査読と研究資金及び科学的合意 ICRP モデルが観察結果を予測し説明することに明らかに失敗しているという懸念に 応えて、政治家と規制当局は共通して「科学的合意(scientific consensus)」という概念に言 及する。本章とその他の箇所において、本委員会は、科学の政治的が、何ごとにおいても ある科学的合意を代表する「科学共同体(scientific community)」による研究論文のピア・ レビュー審査と書き直しの受入れという、研究の機構を通じて進められるある種の過程で あるとすることは危険きわまりない間違いである。それについてのこれまで議論されてこ なかった理由のひとつは、研究論文のピア・レビュー審査による公表に対する制御である。 この科学モデルにおいては、何らかの研究が「科学的」であると信用される前に、それは ある科学雑誌に投稿されピア・レビュー審査を受けなければならない。査読者は匿名であ りその投稿を拒絶するかも知れない:そのような場合には通常は編集者がその投稿を断る。 こうなるとその証拠は科学からは見えないものになり科学的合意の部分になることは不可 能である。もちろん、その問題は査読者が彼ら自身の信じているところと矛盾するあらゆ る研究を破棄するということである;もしも彼らがそう振る舞わなくても、しばしば編集 者がそうすることになる。この過程は数多くの重要な結果をその公表を遠ざけ、それが何 らかの科学的合意に組み入れられることを妨害してきている。このような偏向のひとつの よい例は、1970 年代に創刊された” Journal of Radiological Protection”によって提供されてお り、この雑誌では ICRP 線量体系を信じている人たちが論文を公表している。彼らの論文 はお互いに審査されることになり、そうして規則的に公表される:したがって彼らの信じ るところや彼らのモデルはあるうわべだけの信用性を与えられることになり;自然な流れ 21 として、どんな投稿論文でもそのモデルに同意しないものは審査員に送られても却下され る。この雑誌の現在の編集者であるセラフィールドの英国原子燃料公社のリチャード・ウ ェイクフォードは、現行のアプローチの妥当性のチャンピオンのひとりである。その編集 委員会は、原子力規制機関に従事している人たちの一覧の様相を呈しており、ICRP や UNSCEAR、IAEA などの世界的機関とそこに送り込まれている何人かの原子力エネルギー 従事者である。われわれはこの編集委員会に ICRP のジャック・バレンタインを見出す。 こうした経過は、ICRP モデルは間違っているという証拠を「科学」から締め出すひとつの やり方を象徴している。ごく最近の例では、 (以下において説明する)2次光電子増強効果 に関する ECRR も含むステークスホルダーの話し合いから英国健康保護局 HPA(放射線防 護部門 RP)が引き上げてしまった。その理由は HPA の冒頭の数学的取扱が明らかに不見 識で多くの初歩的間違いを含んでいたからである。それらの問題が指摘されたとき、その 応答はこの問題に関してこれ以上の議論はないというものだった:そのピア・レビュー審 査雑誌にひとつの論文が発表されることになっていた。その HPA(RP)の副部長であるジ ョン・ハリソン(John Harrison)による論文は” Journal of Radiological Protection”に現れるの は明らかであるが、それを好んで受理したいという偏向を持って審査されてゆくのであろ う。 そして、科学的合意をゆがめるもう一つのやり方がある。意見を異にする結果を学術 誌に載せようとする研究者は彼らの研究資金を失い、そしてしばしば彼らの職を失う(Viel, 1998 参照)。したがって政治家や意志決定者は(グレー論文と呼ばれる)ピア・レビュー 審査システム内で公表されていない却下された研究にこそ注意を払うべきである。これこ そが、EU が出資した PINCHE 報告書の結論に記されている、その科学政策集団の結論(厳 密に言えばそれらの理由)である(Van den Hazel et al. 2005)。 22 高線量、外部被ばく、急性 原爆生存者 ∨ +,-./'0 ()* 123456 !"#$%&'"()* 7$8-9:;< ()* 1=3456 ∧ 内部被ばく、慢性、放射性同位元素 核施設白血病(セラフィールド) アイリッシュ海効果 チェルノブイリの子供たち ミニサテライト突然変異 核実験放射性降下物によるガン 劣化ウランに被ばくした湾岸戦争帰還兵 イラクの子供たち 図3.1 演繹法と帰納法とから導かれた互いに相容れないモデル。 「高線量急性原爆被爆生存者」集団とは、外部被ばくによる 200 mSv を意味していたが、 厳密には「高線量率」集団である。 (訳注1:オッカムのウイリアムについては、次のサイトに紹介がある。 http://www.utm.edu/research/iep/o/ockham.htm) (訳注2:マイカル・ポラニィについては、次のサイトに紹介がある。 http://www.deepsight.org/articles/polanyi.htm) (訳注3:アゼンデについては、次のサイトに紹介がある。 http://www.ikuska.com/Africa/Etnologia/Pueblos/Azande/) 23 第4章 放射線リスクと倫理原理 第 4.1 節 提出されている問題 放射性物質の環境への放出が生態系の汚染をもたらしている。環境中にあるその放射 性物質がもたらす内部放射線被ばくと外部放射線とが、細胞に損傷を引き起こしている。 ゲノム不安定性(genomic instability)とバイスタンダー信号伝達(bystander signaling)に関 する最近の研究は、このような被ばくによって、放射線飛跡が1本通過した全ての体幹細 胞が、または、そのような生殖幹細胞のおよそ3分の1が、死んでしまうか、あるいは突 然変異を起こすことを明らかにしている。これがもたらす大きな衝撃的結果は、これらの 照射された細胞の子孫のわずかな部分がガン細胞となり、その個体を死に至らしめる可能 性があるということである。別の結果としては、その組織における全般的な細胞の喪失に よって、特異的健康障害と一般的な健康障害の両方をもたらすであろうということがある だろう。第三番目としては、細菌に見られるこれらの効果は、被ばくした個体に限定され てはおらず、次世代に受け継がれることが可能であることが確認されている。 ここに解答を与える必要に迫られている疑問とは、こうした状況を不可避的な所産と しているあるひとつの産業の操業を裁可するのは倫理的に受け入れられるのか、というこ とである。さらにこれ以外にも2つの疑問が発せられるだろう: ・第一に、そのような裁可は、選挙民によって承認が与えられた後につづく政策的意志決 定の問題であるのか。仮にそうだとしても、その承認は、十分な討論と正確な情報を利 用する完全な機会が与えられてのものであったのか。 ・第二に、その倫理的問題への解答は、その所産がより大きな利益という点で正当化でき るならば少しの害は裁可されてもよいというような、受容閾値(de minimis threshold)の 主題であるのか。 後者の疑問は、暗黙裏に問われ、そして答えられてきているかのように見られるが、 本委員会が論じるように(第 4.4.7 節)、その解答の基礎は哲学的に疑わしいものであり、 考え直す必要のあるものである。 第 4.2 節 人間偏重主義(ヒューマン・ショービニズム; Human chauvinism) 種々の倫理学の理論が与える展望にしたがって、放射能を放出するための、あるいは それに反対するために持ち出される論拠の探求に取り組む前に、ここで提示される主要な 倫理学の理論は、特に正義論と功利主義は、万物を人間の尺度で判断しているということ を本委員会は確認しておきたい。換言すれば、それらは道徳的意志決定に関わる範囲につ いては同じであり、それには唯一の生物種、すなわち我々自身だけが含まれるべきである としている。ルートレイとルートレイ(Routely and Routely)は、彼らが「人間偏重主義の 不可避性(the inevitability of human chauvinism)」と呼んでいるものに、次のような言い方 で分析を試みている。 ほとんどのショービニズム(chauvinism)の形態が破棄された我々のこの啓発された時代に おいて、少なくとも理論上は、自分自身を進歩的だと考える人たちによって、西洋倫理学 はいまだショービニズムの基本的な形式のひとつ、すなわち人間偏重主義を心の奥底では 24 保持しているようである。よく知られた西洋思想とほとんどの西洋倫理理論との両者は、 価値と道徳性との両方がともに、人類の利益と関心の問題に究極においては還元されうる と仮定している。 (Routley and Routley, 1979) 民生原子力計画の結果としての電離放射線への被ばくに対する規制指針の作成は、そ のような人間偏重主義のひとつの典型的な実例である。ヒトよりも、全ての野生動物と大 部分の家畜動物の方がより多くの時間を野外で過ごしている。したがって放射線により多 く被ばくしているにもかかわらず、そのモデルは全てにおいてヒトの被ばく線量を定める ように設計されている。 この章で示す放射性核種による人々の日常的な汚染に関する倫理的問題は、それ自体 まったく避けて通れないものであるが、動物の権利について真剣に考慮するならば、引き 起こされる害(harm)のレベルは巨大な急膨張を示すことになるであろう。本委員会は、 ヒトの防護とは別に、様々な機関(例えば、IAEA 2002、ICRP 2002)が環境を保護するた めの多様な倫理的アプローチを探求してきている努力を歓迎している。本委員会は、それ らを詳しくは述べないが、環境がそれ自体の道徳的地位(moral standing)を有しているこ とを承認している。すなわち、それの人間の功利(human utility)のためというよりも、む しろそれ自体のために環境を保護する妥当性を認めるような、一般的な傾向があることに 注目している。 このような立場は、最初に西洋の精神にあると思われていたものよりも遥かに合理的 であるかもしれない。環境保護に関する非人間中心主義的な見解(non-anthropocentric views)の原典として(例えば、IAEA 2002 によって)頻繁に引用される主要な東洋の哲学 的、宗教的体系は、因果応報の法則(the law of action, motive and result)である。すなわち、 故意になされた害悪は、ほとんどいつも将来において不可避的に加害者に跳ね返るという 考えである。これが啓発を達成するという卓越した目標に対するあるひとつの障害になる と見なされている事実は、環境に対する東洋的態度のその前提になっている非人間中心主 義に新鮮な光を照らすものでもある。また、この因果応報の法則からすると、適切な証拠 を故意に無視しながら放射線防護に従事しているあらゆる者の長期的な利益というものに ついて疑問を呼び起こすことになるだろう。皮肉にも、これらの責任ある立場の者たちが、 彼らの行為が引き起こしたその害悪の結果として苦しむようになるなどと期待することは、 そのこと自体がその啓発にとってのさらなる障害となるだろう。 普通に見られる低レベルの被ばく線量における環境への損害(detriment)を同定し、 さらに定量化することの難しさと、そのような被ばく線量がはたして重要であるのかとい う当然でてくる問題とを考慮に入れるならば、環境倫理学者らの間における論争から得ら れるあるひとつの重要な見識(insight)を心に留めておくことは有益だろう。メアリー・ ミッジリー(Mary Midgley)は、普通の道義的な反感によって迎えられるかも知れないが、 しばしばそれらに対する異議を立証することは困難であるような、環境と社会とに対して 破壊的である、ある一定のプロセスに共通して関係するあるひとつの問題を確認した (1983)(訳注1)。彼女の視点を明らかにするために、彼女はロビンソン・クルーソの日 記から次の記述を引用している。 1685 年 9 月 19 日。この日、私は自分の島を荒れるままにするのを顧みなかった。私の小 型帆船は今や海岸で準備されており、私が出発するための全ての用意は整っていた。フラ 25 イデーの家族もまた私を期待しており、私の小さな港からはさわやかな風が吹いている。 私は全てがどのように燃えるのかを見てみたいと思ったのだった。そうして、火の粉と火 薬とを私が選んだある乾燥した薮の間に巧みにセッティングし、まもなく私はそれに火を つけたのだった。次の夜明けまでには、その廃墟の間には緑の小枝すらも残ってはいなか った…。 (Midgley, 1983: 89) ミッジリーは、そのような情緒不安定な行為に対する我々の反発は、 (西洋的)啓蒙主義の 道徳的伝統であるとしている。彼女の言葉によれば: 今日、この知識人的偏向( intellectualist bias )は、常識的道徳の見識を単に「純粋直感 (intuitions)」と呼ぶことによってしばしば表現されている。これは全く誤解を招くもので ある。というのは、それは、それらが思考を抜きにして到達されてきているという印象や、 また対照的に、もしも私たちが物理学あるいは天文学に基づいた物質界に関する常識的「純 粋直感」と対比するとすればあり得るかも知れないような、それらが従うべき科学的解答 がどこかにあるという印象を与えるからである。 (Midgley, 1983: 90) 我々の主題の観点からすると興味深いことであるが、彼女は原子物理学によって導かれる ようなモデルを検討している。 (訳注1:メアリー・ミッジリーについては、次のサイトに紹介がある: http://www.geog.ucsb.edu/~matzke/midgley/midgley.htm) (訳注2:この部分についての訳者の解釈は以下のとおりである: 「ロビンソン・クルーソ がせっかくこしらえたものを燃やしてしまったという行為」は「そのような情緒不安定な 行為」であり、それに対する反発は西洋的啓蒙主義の伝統的道徳である。ミッジリはこの ような啓蒙主義的道徳を「知識人的偏向」とよんでいる。 「ロビンソンの行為」は「純粋直 感」だとしてかたづけることはできない。それには「ロビンソン」の思考が働いていただ ろう。とはいえ、物質世界についての科学的に正しい解答からその直感が導けるというよ うなものでもない。 ) 第 4.3 節 民生原子力計画の倫理的基礎 第 4.3.1 節 はじめに ICRP 1990 年勧告の第 101 節は、国際的な原子力界(international nuclear community) が、それの活動についてあるひとつの倫理的基礎を与えていることを最も詳しく示してい る。その節にはこう記されている: 人間の活動に関係するほとんどの決定は、費用や損失に対する便益のバランスというある 暗黙の形式に基づいており、ある一連の行為や活動が有益であるか、そうでないかという 結論が導かれている。これほど一般的でないが、ある行為の実施は個人あるいは社会に対 する正味の便益を最大にするように調整されるべきだということもまた認識されている。 … 便益と損害とがその集団の中で同じ分布になっていない場合には、何らかの不公平に必 26 ずつながることになる。甚だしい不公平は個々人の防護に注意を払うことによって回避す ることが可能である。多く現在の行為が、将来において、時には遠い将来において受ける ことになる被ばく線量の上昇を生み出しているということもまた認識されなければならな い。これら将来の被ばく線量は集団と個人の両方の防護において考慮されるべきである。 ICRP の本委員会、彼らの専門委員会、そして彼らの後にしたがっている政策決定者らは、 彼らの勧告の哲学的および倫理的基礎、あるいはまさに、民生原子力計画の放射能放出に よる避けられない結果である健康上の結果についての道徳的な正当性を明確には表明して きていないように見える。しかしながら、上に引用した第 101 節は、その ICRP の倫理的 な考え方の由来を暗黙裏に確認している。それは功利主義的伝統に固く根ざしているよう である。そのような哲学的基礎からもたらされる意志決定の方法は、必然的に費用−便益分 析の方法である。ICRP のメンバーは、そのような道徳的立場が一般的に受け入れられてお り、おそらく倫理的指針の唯一の源泉であると明確に仮定している。ECRR の立場を概説 するこの章では、功利主義の立場への、特にそれが原子力に適用されることに対する批判 を与えるとともに、様々な倫理理論が与える展望にしたがって原子力と他の放射性汚染源 がもたらす健康影響の問題を提起することにより、より広い視野に立って考えることにす る。民生原子力がある強固な倫理的基礎を持つためには解決されなければならない意志決 定の特異的様相にまで話を進める。 民生原子力は政策形成の興味深いひとつの事例であると言える。なぜなら、それは 倫理的な、または、民主的な監査にこれまで一度も直面することがなかったからである。 このことは正式に述べられていないが、民生と軍事的な核産業との間の密接なつながりや 冷戦時代における双方の起源のゆえに、そのような正当化は不必要だと感じられてしまっ たのであろうということがただ推測できるだけである。アカであるより死んだ方がましだ と信じられていた時代には、核プロセスの結果としての多少の余分な死などは、国際外交 の大きなテーブルにおける我々の位置との引き替えに払うべきわずかな代償と見なされて きたのであろう。政治的状況については変化がもたらされてきたが、原子力の倫理的基礎 についての評価は長らく延び延びになったままである。 第 4.3.2 節 異なる倫理的見地から見た原子力の健康への影響 <功利主義(Utilitarianism)>。 功利主義は、あるひとつの行為や政策の倫理的正しさ(ethical rightness)を、社会の全 構成員の幸福の総和を最も大きくできるその能力に基づいて評価する道徳哲学としてよく 知られている。ある環境倫理学者がそれについて述べているように、「功利主義者たちは、 長期間にわたっての社会福祉あるいは功利に関連して想像されるところの、よい結果が最 大になるように導かれる度合いに応じて、ある行為や決定が正しい道徳的資質を持つと見 なしている。」 (Sagoff, 1988, p.171)。言い換えると、功利主義の中心的な信条(central tenets) は、結果が行為の道徳的評価の鍵であると言うことであり、それらの道徳的正しさを評価 するためには、それらが幸福をもたらしたのかそれとも不幸をもたらしたのかという観点 で、それらの結果を比較すべきであると言うことである(Shaw, 1999)。 この倫理的立場が持つ目標は、功利、すなわち幸福の総計を最大にすることである。 それがそこに言う幸福の配分については、何も述べていないことをしっかりと把握してお くことが重要である(Shaw, 1999)。事実、功利主義に対して最初になされた批判は、それ が奴隷社会と全く矛盾しないものだということである。それの関心は、平均において幸福 27 を最大にすることである。これは核汚染に関する倫理学上の議論という文脈において興味 深い。そこでは、公衆に与える被ばく線量もまた平均において考えられており、それは本 報告の別の箇所で明らかにしている健康−リスクモデルに多くの不確さをもたらしている ものである。したがって、それらの平均的な幸福の計算が政策に転換される政策メカニズ ムには、すなわち費用−便益分析には、この章の後半で探求される実際問題と同様な根本的 な哲学的問題がある。 功利主義はいつでも直感的な魅力を、とりわけ政策立案者に感じさせてきている。シ ョー(Shaw)は、「功利主義的な目標が20世紀の公的な意志決定を形づくってきた」と 考えている(1999, p.2)。功利主義が魅力的であるひとつの重要な理由は、その単純さであ る。それは難解な道徳的問題を単純な数式に還元してしまう。そうすることで、それは政 策立案者に、彼らが手がつけられないほど複雑な状況を掌握しており、また、弁護するの がたやすい解答を彼らが提案することができると信じ込むことを許している。 功利主義的計算の欠点は、それが多くの市民にとって道徳的に不快な結果をもたらす ということである(Shaw, 1999 参照)。例えば、ほとんどの市民は、早産児が死んでしまう のを容認することは、我慢ならないほど冷淡なことであると考えであろう。しなしながら、 その集団の中のそのようなわずかな数の構成員に費やされるコストは莫大なものである。 どのような合理的功利主義の計算によっても、これらのコストは、もしそれらがガンの苦 痛緩和や治療を改善するための方法を見つけるために費やされるなら、人間の幸福の総計 をより増大させることになるだろう。しかしながら、人間の幸福の総計とは対照的に、人々 が個々人の道徳的価値に置いている重要性は、ブリストル(Bristol)において無資格の医 師たちによる手術中に子供らが死んでしまったときに示された大衆的反感に示されている。 毎年行われている心臓手術の総数と比較して、その死亡者の絶対数は小さかった。それに もかかわらず、道徳上の憤りは巨大であった。このように市民は、 「純粋な功利主義は、道 徳的思考の本質的な要素を消し去っている」と、生命倫理の分野での討論において主張し た、アン・マクリーン(Anne Maclean)の結論に明らかに賛同することだろう(1993)。 政府の文書を熟読すると、平均的な幸福への配慮は、確かに個々人の権利より優先さ れがちであることは明らかである。例えば、ゴミ埋め立て場の近くに住むことの健康に対 する有害な影響について記している最近のある報告は、ゴミ埋め立て場に隣接しているこ とと関連することが示されてきている実際に障害を持って産まれた子供達の人数が少なか ったということに基づいて、その報告者自身によって軽視された。これは功利主義の計算 の論理に沿っているけれども、我々の道徳的感情にはそれは受け入れがたい。その結果と して、南ウェールズのナント・イ・グヴィデン(Nant-y-Gwyddon)丘近郊の先天性奇形の 発生群には全国的抗議がわき起こった(訳注1)。 功利主義は、エネルギー源から得られる社会的利益や国防兵器のためのプルトニウム と引き替えに、核施設付近にすむ子供たちの白血病による死を許容する。何百万の家庭で 電気の炎で得られた温もりは、原子力施設の風下に住む女性たちの乳がんと相殺できるの である。功利主義は、政策立案者には魅力的に見えるかもしれないが、それは市民の道徳 的感情には従っていない。このことが、代表して選出された市民と行政官の間で信頼に関 する溝が深まりつつあることを部分的に説明するものかもしれない。 (訳注1:ナント・イ・グヴィデンの問題についえは次のサイトに紹介がある: http://www.foe.co.uk/cymru/english/campaigns/waste/landfill.html, http://www.foe.co.uk/resource/evidence/nantygwyddon_landfill.pdf) 28 <権利に基づく理論(Rights-based theories)> 功利主義は、暗黙裏にあるいは明示的に、倫理学のねぐらを支配し、英国及び他の場 所で一世紀もの間にわたって、政策立案の哲学的基礎になってきている。合衆国における その人気は、権利の概念に基づく新しい倫理体系の人気の増大によって、堀りくずされて いる。もしも功利主義が、権利を福利(the good)に従属させることと特徴づけてよいとす ると、権利に基づく理論は、それとは対照的に、福利が常に権利に従属するように保持す ることと考えられるだろう。この理論は、政策立案一般に対して、特に民生原子力計画に 対して、広範な影響を及ぼすことになる。 そのような理論の出発点は、共同体全体のより大きな福利のためならば、どのような 所与の個々人の幸福であっても犠牲にする、功利主義の平均化原理を拒否することである。 権利に基づく理論は、それぞれの人間は個人としての侵すことのできない権利を持ってお り、国家はその個人の明白な許可を得たときのみこれらを無視することが許される、と主 張する。 権利についての強力な法的防御を提案している、ロナルド・ドゥオーキン(Ronald Dworkin)は、 『権利論(Taking Rights Seriously)』 (1977)の中で、それの基本的重要性を論 じている(訳注1):「相対的に重要な権利の侵害は、極めて重大な事柄として扱わなけれ ばならない。それは人を人間未満として扱うことを意味しているのである」。功利主義と権 利に基づく道徳理論との間の衝突に関して、彼は、国家は「一般的な福利という想定され た理由のために切り縮められるようなものとして市民の権利を定義してはならない」と主 張している。 さて、それでは、原子力産業の活動に対しては、権利に基づく倫理理論はどのように 適用されるだろうか。その放出の有害さのレベルに関する論争が続いている一方で、原子 力エネルギー源によるエネルギー生産によって、環境中に放出されることになり、その環 境に住んでいる者の身体を不可避的に汚染することになる、あるはっきりとしている量の 放射性汚染物質が生み出されているということに関しては、双方から事実であると受け入 れられている。一般市民に十分な知識がないままで、そして情報に基づく承諾も明らかに 欠いたままで、実施されてきたそのような活動は、もっとも基本的な自然権: 身体の不可 侵性の権利(the right to the inviolability of the body)への侵害である。この権利は権利理論 においては基礎的なものであると見なされている。そして、例えば、もしもある個人の身 体が攻撃を受けたなら自己防衛として暴力に訴えることを正当化するために行使される。 我々は、国連人権宣言の中に、放射能で汚染されないための個人の権利についてのよ り一層明確な声明を見つけることができるであろう。その第3条は次のように述べてい る: 「すべての者は、生命、自由及び、身体の安全についての権利を有する(Everyone has the right to life, liberty and the security of the person.)」。それはまだ、法廷で試されなければなら ないが、そこには、核廃棄物による市民の身体の汚染がその個人の安全にとって受け入れ がたい脅威になっており、したがって国際法の下では違法である、というある強力な一応 の主張(a strong prima facie case)があるように思われる(訳注: 「一応」とした訳には、法 廷で反証されなければ十分であるという意味が込められている)。権利から展望する観点か らすれば、原子力産業が合法的に営業を続けるためには、潜在的に汚染されているかもし れない全ての人々に、そのような原子力プロセスによる彼らの健康に対する本当のリスク が正確に知らされなければならず、そのプロセスを継続することに同意を得なければなら なくなるであろう。 29 (訳注1:ロナルド・ドゥオーキンの『権利論』は、木鐸社からその増補版の翻訳が出さ れている:木下・小林・野坂訳(2002)ISBN4-8332-0220-4 C3032) <ロールズの正義論(Rawls’s Theory of Justice)> 道徳哲学及び政治哲学に多大な影響を与えることになったひとつの貢献が、1971 年の 『正義論(A Theory of Justice)』の出版によって、ジョン・ロールズ(John Rawls)によっ てなし遂げられた。これはそれのみでは権利理論でないが、彼の目的は倫理学的に公正な 分配(distribution)を保証する正義の原理を決定することにあったので、ロールズはしばし ばそのような理論との関係において論じられている。彼の関心は主として富の分配であっ たが、我々は彼の理論を原子力プロセスと結びついている「病気(illth)」の分配を考察す ることに拡張できるであろう。ロールズの中心的な知的ツール(intellectual tool)は「無知 のヴェール(veil of ignorance)」である:彼はあるひとつの分配は、もしひとりの市民が、 彼女あるいは彼が、その分配の中における彼女自身あるいは彼自身を見出すことになるで あろう位置を知ることなしに、代替物の範囲の中からそれを選択するとすれば、公平であ ると提案している。したがって、その理論は、幸福の総和を最大にするだけであり、そし て快適な状況によってバランスがとれている限り、少数の非常に不快な状況を容易に許し てしまう功利主義とは反対の立場に立つ。ロールズの体系においては、対照的に、ある個 人は可能性のある最も悪い結果から、彼女らあるいは彼ら自身を守ることになるだろう。 このような道徳の世界においては市民が直面している問題は、原子力産業が少数の死を引 き起こすことになる放射性廃棄物の放出を続けていることを許容すべきか否か、というこ とになるだろう。その市民は「無知のヴェール」によって隠されていて、したがって白血 病を発症するかも知れないそのひとりが、彼女のあるいは彼の子供や孫であるのかどうか は知らないのである。その可能性は小さいが、それでも彼らが潜在的にもそれを受け入れ るような状況にあり得るだろうか。 いずれにせよロールズにとっては、そのような問題は二次的なものである。彼の道徳 理論の最優先の約束(commitment)は、前節で論じられたものと同じく、個人の絶対的権 利である。彼はこの点についてこう表明している: 各個人は、たとえ全体としての社会福祉でさえも優先させることができない、正義に基づ く不可侵性を所有している。(Rawls,1971: 3) この「不可侵性」は身体的不可侵性を含むと考えられるだろう。したがって、知識も同意 もないままに放射性排出物にさらされた市民の汚染が、たとえその排出物を生み出すプロ セスが全体としてどれほど社会に利益をもたらそうとも、正義の状態(just state)であるの は不可能である。現代国家の市民は、核廃棄物の日常的な放出によって彼らの身体が汚染 されることに決して同意してきていない(また、そのようなプロセスが日常ベースで生じ ていることに気づきすらしていないだろう)。そのような放射能放出は、権利に基づく理論 によれば、不道徳以外のなにものでもない。 (訳注:ロールズについての紹介は、例えば、次のサイトにある: http://sun3.lib.uci.edu/~scctr/philosophy/rawls.html; 『正義論』の訳本は紀伊国屋書店から出版されている。矢島訳(1979)ISBN: 4314002638) 30 <徳倫理学(Virtue ethics)> 徳倫理学として認知されている道徳哲学の要素(strand)は、我々がどのようにして行 為を倫理的であると判断できるかということに関する、もう一つの異なる見方を与えてい る。計量と計算とを含む技巧や、権利の基本的不可侵性の主張に基づくのではなくて、そ れは倫理学的に健全な(sound)な行為とは、徳が高い(virtuous)とみなされる行為であ ると提案している。どのような種類の行為の徳が高いのか、ということについての客観的 合意はあり得ないので、この学派の理論家達は、最初は、彼らは有効な指針を実際には与 えていないという指摘に対して弱みを持っているように見えるかも知れない。しかし、少 し考えてみると、このような主観性の問題には、実際には、他の理論もさいなまされてい ることが明らかとなる。例えば、功利主義は、 「幸福」とか「功利」とは何であるのかとい うことについて、同様に主観的な判断に基づいている。そして同じ様に、二つの権利が衝 突するときに、どちらの権利が根本的で、不可侵的であるのかということに関する完全な 合意もまたあり得ない。徳倫理学は対照的に、客観性については何も主張しない。ロザリ ンド・ハーストハウス(Rosalind Hursthouse)によれば(1999)、倫理学は中立的な観点か らある基礎を与えられることは不可能である;そうではなくて、むしろ、我々は全て、後 天的に獲得した、主観的な倫理上の見解を持っているのである。 これは政策立案者に対してはほとんど魅力のない哲学的立場である。なぜなら、それ は言い逃れの出来ない事態に対するすきのない解答を彼らに与えないからである。しかし ながら、我々は、それが道徳的な決定の現実的複雑さについてのより正確な反映であると 考えてよいだろう。徳倫理学は、個々人の行為とともに始まるひとつの体系であるけれど も、それは政策立案者に対して重要な教訓を持っている。まず第一に、我々は、個々人の 美徳を抑圧するいかなる体系も道徳的にその個々人に損害を与えているのだ、という結論 を下してよいだろう。したがって、例えば嘘をつくといった、悪徳な行為(vicious behaviour) の慣行を一般的に受け入れることは、徳の水準における全面的な劣化をもたらしつつ、よ り不誠実な方向への全般的な文化的反応を引き起こすであろう。対照的に、誰もが美徳と 認める行為は、他の者に対するある種の道徳教育として機能することになる。 原子力産業に関して、徳倫理学のアプローチから幾つかの重要な教訓を引き出すこと が可能である。民生原子力計画の遂行は、いくつかの大いに怪しげな道徳的決定に基づい ている。おそらく最も重要なのは、機密の問題であるだろう。初めは核兵器との関係のた めに、そして今ではテロリズムの脅威のために、原子力産業が機密と不誠実さの雰囲気の 中で運営される傾向にあることは明らかである。ひとつの例は、1957 年のウインズケール 原子炉火災事故による放射能放出の全体的広がりと発生し得る影響を覆っている機密であ る。他にももっと多くの例がある。徳倫理学に立った展望からすれば、このことは有徳な 社会をむしばむものと考えられるだろう。汚染と健康被害の正当化、そしてそこに含まれ ているリスクを出来る限り小さなものにしてしまうことは、道徳的に健全な社会に対して は貢献することのない、ある硬直した無感覚(callousness)を証明しているように思われる。 (訳注:ロザリンド・ハーストハウスについては、次のサイトに紹介がある: http://www.arts.auckland.ac.nz/phi/staff/rosalind_hursthouse.htm) 第 4.4 節 政策立案者のための倫理学的考察 31 第 4.4.1 節 費用−便益分析の諸問題 費用−便益分析(cost-benefit analysis)は、ある所与のプロセスの開始を認可するかど うかの決定を企て試みる際に、現在、政策立案者らによって重宝されているひとつの方法 論である。例えば、それは新しい原子力発電所を建設する許可を与えるかどうかを決定す るのに使われている方法である。しかし、政策立案への手助けとしてのこの方法には非常 に重大な問題点がある。 第一の問題としては、それは費用と利益を正確に計量する能力をあてにしている。環 境の費用を計量するのは悪名高くも困難である(例えば、Pearce, 1993; Funtowicz & Ravetz, 1994 を見よ)。この報告の他のところで証明を与えているように、原子力の場合には、健 康への否定的影響の計量は同じように扱いにくい。同様に、どのようなプロセスの便益も、 既存のパラダイムの枠内からそのプロセスをながめるやり方で、しばしば評価され、そし て貨幣価値として与えられる。例えば、エネルギーの価値は、エネルギー削減と需要操作 の可能性を無視するような、我々のエネルギー必要量が恒常的に増大すると想定している ような政策の枠内で評価されている。我々はいつでも不可避的により多くのエネルギーを 必要とするものだという仮定の背後には、経済成長は持続するものだというさらなる仮定、 すなわち、長らく激しい討論の対象であり続けているひとつの仮定が横たわっている(例 えば、Daly, 1973 を見よ)。そのような一連の仮定の中では、過剰エネルギーの便益は誇張 されている。 費用−便益分析は、功利主義哲学にその起源を持っていると認められており、このこと はそれの持つ第二の主要な欠陥:費用と便益との分布の公平さへの疑問を説明するもので ある。我々は、功利主義は平均化のプロセスに基づいており、全ての個々人の効用関数 (individuals’ utility function)の単純な足し算によって表される、「社会的効用関数(social utility function)」とそれが呼んでいるものを検討しつつ、費用−便益分析も同様に社会の構 成員の全てにわたっての費用と利益を平均することを見てきた。しかし、現実の産業プロ セスにおいては、社会のいくつかの部分にその費用の不釣り合いな割り当が背負わされて いる。これは、上記の ICRP1990 勧告第 101 節においてもはっきりと認められているが、 ICRP はそれを倫理的な基礎に基づいて正当化する必要性を無視している。 チィテンベルグ(Tietenberg)は合衆国からのひとつの例をあげている(2000)。1979 年にテキサスのある社会学者が、ヒューストン(Houston)のアフリカ系アメリカ人による、 彼らの居住区内の有害廃棄物処理施設の設置に反対するキャンペーンについての報告書を 書いた。彼らはそのキャンペーンに失敗した。彼は人種と不公平な収入が、その土地使用 決定におけるひとつの要因であるとしている。1983 年におけるあるより完全な研究による と、商業的危険施設の4つのうち3つがアフリカ系アメリカ人の居住区にあった:そして、 そ の 4 番 目 の も の は あ る 貧 困 地 区 に あ っ た 。 代 替 政 策 セ ン タ ー ( Center for Policy Alternatives)による 1994 年の研究は、その状況はさらに悪化していることを明らかにして いる。 誰であってもこれを全ての原子力発電所が失業率の高い地域に立地されている英国に おける状況と容易に対比することができる。引き合いにだされたその立地の理由は、技術 革新の恩恵を広める試みということであった。しかし、セラフィールドの白血病発生群に よって証明されるように、その費用(costs)はこれらの人々に不当にも負わせられてきて いることは容易に見て取れる。この政策はそれ以来、起業家を惹きつけるために、高失業 率地域を区画規制し、そこでの環境保護基準をより低くすることを許容する計画指令にお いて、神聖化すらされてきている。 32 いくつかの理由によって、あらゆる潜在的に危険な産業のプロセスの費用も、その施 設を貧困地区に設置することによって、常に最小限にすることができる: ・これらの地域では土地代がより低い。 ・将来の法的責任を最小限にできる。貧困者は法的活動で争うことがほとんど不可能であ ると見込めるからである。 ・貧困地域ではより低い補償金でこと足りる。早死にしたとしても、それによって失われ る彼らの潜在的な将来の所得はより低いからである。 このようして、費用−便益分析の中で使用された平均化の方法論は、考えられているそのプ ロセスの費用が貧困者に不当に降りかかるのを確実なものにしている。しかし、その便益 についてはどうだろうか?富裕な世帯はより高い水準の消費をおこなっており、したがっ て環境汚染物質を生成するそのようなプロセスの大きな需要を生み出している。例えば、 自動食器洗い機やセントラルヒーティングを完備した家は、より多くの電力を必要とする。 したがってエネルギーの生産からの結果としてでてくる汚染物質のより大きな部分に責任 を負うべきであろう。そのような家は、エネルギー生産の便益はより多く受け取ってきて いるが、その費用についてはより僅かしか支払っていない。 第 4.4.2 節 割引問題 環境上の意志決定に関して鍵となるひとつの問題は、早くから認識されていたところ であるが、現在の諸活動が将来の長期間にわたって影響を及ぼすということである;この ことは原子力の場合には特に重要である。それによる廃棄物は我々の政策に合理的に取り 入れることができるよりももっと長期間にわたる未来に対して危険なものとなるのである。 時間的に異なる時点で便益と費用とが生じ得る場合の選択を行うためには、政策立案者は 現在の価値を計算するよく知られたある方法を使う。すなわち、彼らは、利子率(monetary interest rate)に基づく割引係数(discount factor)を使って将来の価値を割り引くことによ ってそれを実現している。 別の言い方をすれば、今日投資された 1 ポンド(£1)は、利率が 10%だとすると、1 年後に 1.10 ポンド(£1.10)になる。したがって、今から1年後に受け取る 1.10 ポンドの 現在の価値は 1 ポンドである。我々は今から1年後に受け取るある量の貨幣 x の現在の価 値(value)を、次式によって計算することが出来る: x/(1+r) ここに r は現行の利子率であり、ここでは「割引率(discount rate)」と呼ぶことにする。 利子率が r だとして、2年の後におけるあなたの 1 ポンドの価値はどうなるだろうか。複 利であるために、その価値は次のようになるだろう: £1(1+r)(1+r)=£1(1+r)2. したがって、今から2年後に受け取る x の現在の価値は次のようになる: x/(l+ r)2 . もしも我々が同じパターンにしたがうとするならば、今から n 年後に受け取る1回の純利 益(one-time net benefit)の現在の価値は次のようになる: PV[Bn] = Bn(1+r)n. 何年かにわたって受け取られる、一連の純利益 [B0, . . , Bn] の現在の価値は次のように計算 される: 33 n PV[B0, . . , Bn] = Bi ! (1 + r) i . i=0 ここに r は利子率であり、B0 は即座に受け取る純利益の額である。 この方法は、現在のものと同様に、未来の費用と便益をもたらすであろう何らかの事柄の 現在の価値についてのあるより明確な見方を得るために使われている。未来の世代に対す る費用と便益の価値はその割引の過程によって大きく影響される。それは費用と便益の現 在の価値が有限のかつ極めて短い時間内でその下限値のゼロに収束する傾向があるので、 ある公正に制限されるべき時間的限界(time horizon)を持っている。割引の過程それ自体 が、遠く離れた将来に生じる費用と便益をある有限時間内で実質上ゼロに減じてしまうの である。フッセン(Hussen)は便益について次のように述べている(2000: 329): 数多くの環境関連の計画の場合にそうであるように、考えられている事業計画の時間的限 界が相当に長いときには、3%から5%の範囲にある個人と社会の割引率の間の違いは問 題にはなり得ない。これはその割引率が正の値である限り、割引がはるかに遠く離れた将 来に得られる便益をある有限の時間内に実質上ゼロに引き下げるからである。問題である のは、正の割引率が使われているというまさにその事実である。 同 じ こ と は 費 用 に も 適 用 さ れ 、そ の 結 果、 そ の 割 引 の 過 程 は 長 期 間 持 続す る 費 用 (long-lasting cost)の重要性を劇的に減少させ、こうして将来において何千年も支払うこ とになる原子力産業の費用のほとんが、費用−便益分析から数学的に除去されてしまうだろ う。 割引の過程の全体は、社会にとっての儲けと損失は、将来におけるその距離が遠くな ると、より低い価値になってしまうことを意味している。割引率がどんなに小さかろうと も、プラスである限り(今日の楽しみは明日の楽しみよりいつもよいということを意味し ている;jam today is always preferable to jam tomorrow)、割引は費用と便益への時間にわた っての同等でない荷重を意味する。我々が未来の世代に費用を強要しているとき、我々は このことを倫理的に正当化できるだろうか?世代間の公平を真剣に要求するならば、我々 は割引率ゼロを使うことを要請されるであろう。 第 4.4.3 節 予防原則(The precautionary principle) 予防原則が提案するところは、ある産業の工程やその汚染物質のリスクについて我々 に確証がない時に、我々がそれが安全であることを確信できるまで、我々はその操業を許 すべきでない、というものである。そのような原則は、民生原子力産業に適用されたこと はこれまで一度もなかった。予防措置がとられなかった主要な理由は、彼らが従事してい る個々の行為の新奇さにもかかわらず、核物理学者らがそれらに公衆の健康に対するリス クはないと信じ込み、彼らがこのことを政策立案者にも納得させたということである。し かしながら、放射性核種の健康影響については相当に疑わしいということは、この報告書 の他のところで示されている科学上の発見から明白である。ある分野、特に細胞生物学と 免疫システムの研究における科学的発見は、原子力計画の開始以降に、目を見張るべき進 歩を遂げてきている。このことは、その原子力計画において現在使われているリスクモデ ルが、DNA の発見以前に作成されたという事実によって特によく示されている。このよう なレベルの科学的頼りなさ(scientific insecurity)がはっきりとしているので、公衆の健康 34 のためには、その予防原則を原子力発電所の操業に適用し、最も最近の生理学上の発見に 従って、それらが安全であることを最終的に証明できるまで、さらなる放射性排出物の放 出を止めることが望ましい。 第 4.4.4 節 誰がその費用を負担するのか? 民生原子力の倫理的基礎、そして、認可された放出によって引き起こされたガンに対 する説明の要請に答えて、原子力産業を弁護する者達は、石炭火力発電所におけるエネル ギー生産の全サイクルの一部として死んでしまった鉱夫の人数と、核放出の結果として生 じたガンによって殺された市民の人数との比較を提案している。しかしながら、これは倫 理学的には誤った立場である。鉱夫たちは彼らの仕事の危険な性質について十分に知らさ れており、直接的な金銭的利益と引きかえにそれを受け入れて働いた。彼らの状況は、セ ラフィールドから放出された放射性粒子を、空気中にそれらがあることを知らないままに、 そこにおける生産から直接的に利益を得ることもなく、吸い込んでいる大人や子供のそれ とは同じではない。そのような人々は基本的には傍観者であり、したがって、汚染物質の 生産に従事している人たちとは、道義的に異なる立場(morally distinct status)にある。そ の状況は、石炭火力発電所と工業プラントによるスモッグによって死んだロンドンの人々 の状況にもっとよく類似している。市街地におけるそのような無規制な石炭の燃焼に対し ての健康リスクに関する事実がひとたび知られると、これらの死亡は道徳的に受け入れら れないと考えられるようになり、無煙地帯の導入につながった。原子力産業に関しても同 様に厳格な道徳的立場が適用される必要があり、もし放出の本当のレベルや健康に対する 本当の影響がもっと広く知られるようになれば、そうなるだろう。 第 4.4.5 節 放射線感受性におけるレベルの違いを考慮にいれること 全ての人間(human system)が放射線に対して同じ反応をするわけではないことは、 科学的事実として認められている:放射線感受性のレベルには変動がある。人口の約 6% は、DNA 損傷を識別し修復を可能にする機構が無効になった遺伝子 ATM の異型接合体 (heterozygous)である:これらの人々は放射線に対して著しくより敏感である。多くの他 の遺伝的欠陥が、 (訳注:異型接合体集団の)下位グループを放射線による発ガンに極めて 敏感にしていることが確認されている。このことは、電離放射線に対するある固定された レベルの被ばくは、ある人々にとっては他の人々に比べて非常に大きなリスクになること、 言いかえると、あるひとりの市民に対して安全であると考えることができたかも知れない 認可された排出レベルは、放射線感受性のより高い他の市民にガンの発生を引き起こす相 当に高い確率を持っているということを意味する。 これは非常に特殊な倫理的問題を提起している。例えばナッツアレルギーや色素性乾 皮症(xeroderma pigmentosum)のような、多くの遺伝的感受性の場合においては、そのよ うな状態に苦しむ人々が、ナッツを避けたり太陽光から逃れたりすることを、我々は合理 的に予期できる。しかし、現代社会において放射線高感受性の市民(radiosensitive citizen) は、そのような自己防衛の点では、2つの克服しがたい問題に直面する。第1に、そこに は医学的検査がないので、彼らはその症状を自覚していない。第2に彼らが症状を自覚し たとしても、警告なく放出され、空気と水を通して広がるその排出物を避けるために彼ら にできることは何もない。放射線高感受性の人たちへの唯一のメッセージは、ジョン・ゴ フマン(John Gofman)の「もしあなたが放射線に耐えることができないなら、その環境か ら離れた方がよい」ということしかない。こうして再び我々は、平均化に頼るリスクモデ 35 ル体系がもたらす結果に直面するのである。この場合には、人間(human system)の平均 的放射線感受性がそのモデルの基礎として使われているのである。このことは、その集団 の中の何人かの特に放射線感受性の高い人がガンやほかの放射能疾患を発症する非常に大 きなリスクに直面することに不可避的につながる。いくつかの報告によると、放射線感受 性の高い人の割合はおよそ20%である。さらに、人種が異なれば放射線感受性も異なる と思われる。日本の原爆被爆者寿命調査(LSS)に基づいた放射線防護の基準は、異なっ た人種グループに適用できない。その集団において変化している放射線感受性をひとたび 考慮に入れるならば、最も影響を受けやすい市民の健康リスクに基づいてリスクモデルを 開発する以外に、道徳的に受け入れることのできる代替案について考えることは困難であ る。その問題は、第9章で再び検討されるだろう。 第 4.4.6 節 越境問題 費用−便益の手順とそれを支える功利主義的な哲学は、どちらもある与えられた共 同体の内部の人間の満足度の計算に基づいている。したがって、例えば、原子力のその生 産から英国国民にもたらされる被ばく線量の全ての計算は、英国の集団に基づいている。 しかし、環境汚染が国境を認識しないことは明らかである。セラフィールドからの汚染は、 北海の至る所で発見されてきており、スカンジナビアの諸政府からの訴えをもたらしてい る。サンクト・ペテルブルグ(St. Petersburg)のある研究所は、バレンツ海の汚染の主要な 原因が、そこで沈んだ原子力潜水艦クルクスによると言うよりも、むしろセラフィールド によるという証拠を見つけた。汚染はカナダ北部のようなはるか遠く離れたところでも見 つかってきている。英国の民生原子力計画による汚染で最もひどく汚された国はアイルラ ンド共和国である。このことは自分たち自体は原子力を持たない同国において、猛烈な政 治的活動を引き起こしてきている。アイルランド政府は、セラフィールドの操業に関する 費用−便益分析は、英国の集団には便益を与えるかも知れないが、何の便益も受け取ってい ないアイルランド共和国の市民に費用が負担させられていると、正当にも主張している。 このように英国の原子力を正当化する方法論は、英国の国境の外でのその影響には 何ら配慮をしておらず、それが健全な倫理的基礎を持つためには、他国の市民に対する有 害な結果もまた考慮される必要がある。深刻な越境問題の別の例は、1964 年 4 月 21 日の 出来事のような人工衛星による破局的惨事である。この時、米国の人工衛星「トランジッ ト 5 BN3」は、全世界の大気中に含まれる量の 3 倍にあたる 950gのプルトニウム 238(約 170,00 キュリー)を撒き散らしたのである。 第 4.4.7 節 受容と自然バックグラウンドとの対比による正当化 本委員会は、被ばくを許容する2つの正当化について考察した。すなわち、受容論(de minimis argument)と「自然バックグラウンド」論である。受容論は、「法は些細な事柄に 関与しない」という法律上の原理に基づいている。したがって、被ばくした10万人の内 の1人が死亡するリスクを有すると想定されている被ばくは、しばしば取るに足りないリ スクであると唱えられ、そして、自動車事故で死亡したり、または、煙草を吸う生活によ ってガンで死ぬもっと大きなリスクと対比されたりするのである。これらの議論は、取る に足りない害のために損害補償の法律を活用するのを出来る限り少なくするために利用さ れている可能性があるが、本委員会は、それらが倫理学における何らかの基礎を持ってい るとか、大いに実用的であるとは考えていない。ロンドンのあるホテルにチェックインし た 1 人の狂った男がショットガンを持っており、彼が60人を射殺するつもりだと警察に 36 告げたとしよう(10万人に1人)、あるいは、例えそれが1人であっても(600万人に 1人)、社会は当然のこととして彼が逮捕され、監禁されることを期待するだろう(訳注: ロンドンの人口がおよそ600万人である)。しかしながら、核施設からの放射性物質の放 出にそのような刑罰は課せられていない。そしてまた、いかなる費用−便益理論も、その仮 想の狂った男に対する社会の態度にいかなる影響も与えないのである。例えば、彼が、年 老いた女性を襲ったり、銀行強盗を働いたような人だけを射殺したとしても、強盗でさえ 権利を持っている以上、彼が許されることはないのである。 ICRP はこうした議論に伴う問題を明らかに注視している。そして、 (はじめのうちは) 決定目標グループ(critical target group)という防護概念を、さらに最近では「代表的個人 (representative individual)」目標という防護概念を支持して(2007)、集団線量の考えから こっそりと忍び足で遠ざかっている。このことは、被ばくした住民の数と現実の死者数を 得るための連結したリスク係数によって、個人線量を計算することをどの人に対しても避 けることをあらわしている。もちろん、何も変わっておらず、これらの死者はまだ存在し ている。つまり、死者の数を正確に計算するために ICRP のデータを利用することはもは や不可能であるということに他ならない。放射能はまだ放出されており、それは食物連鎖 や空気中に入り、その結果、すべての人々がわずかだが何らかの放射能を吸引・摂取し、 いつまでたっても無限に小さくならない健康被害を受け取っている。ICRP は、被ばく線量 が名目上の代表的人物( representative person)の被ばく線量より少ないという理由で、こ れらの人々をもはや気にかけてはいない。 核施設からの被ばくは自然のバックグラウンドよりずっと低く、それゆえに、ともか く受け入れ可能だという議論は、権利に基づいて同じようにかたづけられる。もしも、あ る木から一本の枝が落下して、その真下を歩いていたある人を殺してしまったとするなら ば、これは神の仕業(an Act of God)と見なされるだろう。一方で、誰かがその全く同じ 枝を拾い上げ、別の誰かの頭を殴りつけて彼らを殺すのにそれを使ったとすれば、これは 殺人になるだろう。害あるいは死さえも引き起こす能力のある放射性物質の放出は、自然 界の類似物との比較に基づいて正当化することはできない。 さらに重要なことは、本委員会は、ある推定上の点線源からの人工的な放射線誘導ガ ンについての疫学的検証が、被ばくした集団 と被ばくしていない集団 とにわたるガン発 生率の統計的比較に依拠していることにも関心を払っているということである。本委員会 は、核施設からの人工的な放射性核種の環境への蓄積に関連する放射線被ばくの全般的増 加が、そのような比較を不可能にしていることを指摘する。なぜなら、もはや汚染されて いない参照集団などない からである。本委員会は、1900 年以前には存在した水準にある 天然同位体とだけ関係しているバックグラウンド放射線に関する仮定に基づいた方法の使 用を勧告する。 第 4.5 節 ICRP:集団線量,制御可能な線量と正当化 上記で注目したように、ICRP は低線量領域における集団線量(Collective Dose)の概 念を事実上放棄 し、名 目上の 代表的人物への被ばく線量と見なす「制御可能な線 量 (Controllable Dose)」過程にそれを置き換えてしまった(ICRP2007)。代表的個人は、今や 注視され続けている現実を正当化する概念の範囲内で想定されなければならない。放射線 被ばくにおいて生じているすべての変化は「代表的人物」の被ばく量にしたがって正当化 されるにちがいない。代表的人物は、決定グループと通常呼ばれているグループ内の平均 37 的な一人の構成員であり、このグループの人たちは業務の結果と見なされている放射線被 ばくを被っているのである。こうして代表的人物のリスクがその人自身や社会にとって役 立っているという言い方で正当化されるのと同様に、公衆の防護は十分だと見なされるで あろう。もし、 「社会」という言葉での正当化がなければ、このことは重要視することがら の権利にもとづく転換として歓迎されるかもしれない。なぜなら社会への利益が個人への 利益よりも重要であるような場所(実際、医療被ばくにはすべて仕切りがある)はたくさ んあるからだ。このように ICRP の哲学的基礎は、まだ直接に功利主義者の陣営に立って いる。さらに、最も決定的に被ばくしたグループ内の一個人への関心の集中のため、この 量より低い線量の被ばくを受けまだ限定された障害を受けるだけの何千、おそらく何百万 の人々がすっかり忘れ去られているのである。彼らの障害は現実であり、彼らの被ばくは より低いけれど、同じリスク係数が当てはまり、彼らの実数ははるかに大きいのである。 本委員会は、潜在的な致死的突然変異に対しての被ばく線量の閾値は存在しないと ICRP が認めていることは、論理的にも倫理的にも、集団被害についての何らかの計量を要求す るものであると考えている。また、被ばく労働を規制するという文脈においては、その制 御可能な線量の概念を採用することが合理的であるもしれないが、一方では、集団線量は、 あらゆる経路から環境中に放出された放射性核種による損害を評価するひとつの方法とし て存続されなければならない、と考えている。集団線量を放棄することは、あきらかに政 治的な言葉上のごまかしであり、正当化の原理(Justification Principle)にそぐわない。そ れは「. . . 遠い将来において. . . 被ばく線量は集団と個人の両方の防護において考慮される べきである。」 (ICRP 1990、第 101 節)とする ICRP の初期の立場とは一致させることがで きない。 さらに、制御可能な線量を含んでいる方法論において、「代表的人物(representative person)」(通常 ICRP では、標準人,Reference Man)の使用は、放射線感受性の多様性を考 慮して、「最もリスクを受けた人(most at-risk person)」に変更するべきである。例えば、 胎児や子供は、高電圧架線工事夫や農民になると思われる「最も被ばくを受けた人」より もより低い被ばく線量しか受けないかも知れない。しかしながら、胎児は放射線に対しは るかに敏感であり、より低いレベルの被ばくで健康に悪影響を受けることがあり得る。同 じような考え方は、放射線感受性の高い諸個人にも当てはまる。 第 4.6 節 結論 この短い章で、本委員会は、民生用原子力と軍事用核兵器実験、ウラン兵器の使用の 不可避的な副産物の結果である環境汚染の倫理学的基礎を議論してきた。避けられない人 の健康障害は、これらの活動の倫理上の正当化を、もっとも極端な場合(医療上の治療処 置、放射線研究および科学技術開発の使用)を除いて、実質的にすべて不可能にしている。 もし原子力産業と軍が健全な倫理的枠組みの中で存続するのであれば、深刻な疑問が提出 される必要があり、健康への悪影響にさいなまされることになる人たちは告知される必要 があり、彼らが既にこれまで受けたものよりはるかに広い範囲において相談を受けること が必要になるだろう。民主主義では、有権者または彼らの代表者は最良の情報への接近方 法を確保していると想定されているので、このことは政治的事項である。放射線リスクの 場合は、選挙民も彼らの代表者も、これらのプロセスの影響や彼らの体の汚染について、 あるいはその帰結に関する正確な情報に接近する手段を持っていない。議会制民主主義は これらの状況下では役に立たない。 38 多くの場合において、市民を青ざめさせるのは環境破壊であるが、それにもかかわら ず、彼らは元に戻すのは困難だと見なしている。これは資本主義の倫理による全世界の知 的支配の結果であり、あらっぽく言えば、全ての物の価格は心得ているが価値については 何も知らないようなひとつの経済体系の結果である。ミッジリーが指摘しているように、 合理性はもはや人間活動を正当化するのに十分な論考(discourse)ではない。その限界は、 子供達が放射能放出の結果として白血病で必然的に死んでいくのに、因果関係は否定され るだろうし、いかなる場合も彼らの人数は「絶対少数」である、したがって考慮する価値 はない、という政策において暗黙理に示されている結論によって明らかになっている。そ のような正当化が道徳的に破産していることは直感的にも明らかである。もしも我々が、 我々の価値観を、経済成長駆動世界体制(economic growth-driven world system)中に存在す るそれを乗りこえて広げるならば、民生原子力は、あまりに安すぎて計測できないどころ か、実際のところ、あまりに費用がかかりすぎて容認できないということが明らかになる だろう。 軍事関連の活動(核兵器実験、ウラン兵器)に由来する中間的および非常に長寿命の 放射性核種が環境中に組織的に増大している問題は、決して正当化されておらず、したが って功利主義を含むあらゆる倫理体系の枠組みの外部でしか扱われることができないだろ う。国境線を超えた、無差別的な汚染の性質ゆえに、放射能汚染は、第二次世界大戦後の ニュルンベルク裁判で議論されたタイプの人道に対する普遍的な犯罪と見なすべきである。 39 第5章 リスク評価のブラックボックス 国際放射線防護委員会 第 5.1 節 科学のブラックボックス 現在、放射線リスクの分野においては、そのモデルによる予測と観察結果との間の不 一致が極めて深刻になっている。したがって、本委員会としては、受け入れられているそ の科学的モデルによる予測に関係する全ての仮定からも一旦離れるべきだと考えている。 そして、その体系のあらゆる側面について新鮮な見方で見直すことが必要になっていると 考えている。この章では科学の方法論について考察しつつ、科学的信念の由来について検 討を進めることにする。 科学とは、第 3.1 節で概略を述べた公式な哲学に通じる枠組を通じて進むものだ、と 科学者は信じているかも知れない。しかし、実際のところはそれほど合理的に進むもので はない。ここ12年ほどの間に、社会科学者達は彼らの批判的な注意を、科学者と彼らの 本当の世界に向けるようになってきた。社会科学や社会人類学の分野では、第二次世界大 戦後、客観的であるということに関する基本的な疑問が、信念の起源や内省的方法(reflexive methods)の応用についての検討を促してきた。我々は我々の文化から抜け出すことはでき ない、と哲学者や人類学者達は主張する。我々が別の社会や文化を見たときに、我々が発 見することになる事柄というものは、大抵は我々自身の主観的な見方の反映である。そし てこのような解釈は、もし我々が研究をしてる当の本人であったとすると、我々自身がそ の世界について考えまた理解を試みる方法論の中に、我々が行動しまた考えてきた事柄に ついての我々自身による解釈だけを我々が発見するように埋め込まれているのである。し たがって、我々が発見するところのその事柄とは、基本的に我々の解釈上の仮定を通じて、 我々がそこにおくところのものなのである。 十九世紀終盤における客観性についての初期の研究は、相対論(relativity)を形づくる ことになる分野での諸発見によって導かれた疑問を追跡している(訳注1)。出されてきた その疑問は、もしもその定式化が数学的であれば科学は物質世界(physical world)の最も 客観的な記述であるという、論理実証主義的な見地(logical positivist view)を導いていた。 これは、努力によって自然から得られる「科学的真理」なるものが、とにかく存在し、そ れは、ニュートンの運動法則と同様な「物理法則」の水準にまで高められるのだと信じら れていたからであった。しかしながら、研究し、学問をしているところの科学者達に関す る、そして、彼らの理論や発見が彼ら自身にそしてより広い社会の間に最終的にどのよう にして受け入れられるようになるのかに関する、最近のより綿密な検討によると、科学は かつて表現されてきたようには客観的でないことが示されている。このような社会科学が 知られるようになるにつれて、 「科学の研究」は、科学は他の全ての分野に浸透している知 識の偏りや不正確さから自由ではないことを示している。そしてまったく同じ理由によっ て、科学者達は、科学者で無い人たちと同様な人間である。そして科学的真理とは、自然 に対してその真理を明らかにするように強いた後に獲得した論争の余地のない結果ではな くて、これらの全てが不完全で、偏っていて、不正確で、不確実かもしれないような、多 くの異なった演目や役者、舞台からくり、進行、からなる相互演出によって組み合わせら れたものである。 これに関して利用することのできる証拠を再検討していた際に、本委員会は、ラトゥ 40 ール(Latour)による、理論の「ブラックボックス」への封じ込めを通じての科学的発展 というモデルが、我々の検討に非常に適しているものであることに気がついた。ラトゥー ル(1987)は、科学的真理が、論争の余地のないものではなく、最終的なものでもなく、 自然自体よりももっと泥だらけの水源から導かれた要素から常に離れているわけでもない ことを見いだしている。彼のモデルは、歴史のいかなる時期においても、受け入れられて いるものは、「ブラックボックス」の体系からなる科学的世界観(scientific world-view)で あることを示している。これらは新しい発見を理解したり解釈する際に、そのための個別 の部品として使われるより以前の理論をカプセルに封じ込めたものである。最も重要なこ とは、時間が経つにつれて、したがって、それらのブラックボックスにより多くの知識が 詰め込まれるようになるにつれて、科学者にとってそれらの構造物の諸要素を解きほどい たり、あるいは彼らの立場を維持している、その複雑に絡み合った体系を批判したりする のは、ますます困難になることである。このことを彼は見いだしたのである。 放射線リスクの科学は完全にそのようなブラックボックスであると言える。それは冷 戦の秘密主義と統制体制の時期に、DNA が発見されるよりも以前に、生きた細胞の放射線 に対する生物的応答のほとんどが知られていなかった時期に、主として(軍当局に支援さ れていた)物理学者達によってつくられたものである。その放射線リスクのブラックボッ クスを決定しているモデルの設計と開発、そして現在における維持にあまねく責任を負っ ている主体は ICRP である。本委員会は、ICRP の歴史と組織、構成についての簡潔な再検 討が、放射線リスクモデルを現在、法的に支えているそのモデルの本質と由来とを理解す るために必要であると考えている。 (訳注1:光がマクスェルの電磁方程式によって記述できること、どのような慣性系にお いても光の速度が一定であることが明らかになっていた時点においても、ほとんど全ての 物理学者は、ニュートンの運動法則を絶対的な真理とし、それの枠内で電磁気学を理解し ようと努めた。運動方向に対して物体が実際に縮むという結論までが真面目に議論されて いたのであるが、このような困難は、光の速度が一定であり、どの慣性系においても運動 法則は同等になるはずであるという、ニュートン力学とは別の原理をうち立てたアインシ ュタインの相対論によってようやく解決された。アインシュタイン以外の物理学者は時間 や空間に関して、一般の人々が素朴に信じていたような殻をうち破ることが出来なかった のである。) (訳注2:ラトゥール(Latour)についてについては、例えば、次のサイトに紹介がある。 http://www.users.globalnet.co.uk/~rxv/books/latour.htm#latour87) 第 5.2 節 外部および内部被ばくの ICRP 放射線被ばくモデルの歴史的由来 ICRP は、その始まりが 1928 年の国際 X 線ラジウム防護委員会(International X-Ray and Radium Protection Committee)にあると主張している。本当のところは、合衆国における核 爆弾の開発と実験がもたらす新しい放射線被ばくに関心を払い、それらについて勧告し再 保証することのできる放射線リスク評価のための主体を設立する必要性によって、その種 は 1945 年にまかれたと見ることができる。すなわち、ICRP に直接先行する団体は、合衆 国国家放射線防護審議会(NCRP: National Council on Radiation Protection)である。原子爆 弾の実験を行い、それを日本に投下していた合衆国政府は、核科学が持っているどうして も軍事機密が絡んでくるその特質を 1946 年には明確に認識していた。それは核物質の私的 41 保 有 を 非合 法化 し、その 分野を管 理するた めに原子力委 員会(AEC: Atomic Energy Commission)を設立した。それと時を同じくして、NCRP は合衆国 X 線ラジウム防護諮問 委員会(US Advisory Committee on X-Ray and Radium Protection)を改組してつくられた。こ れは被ばくを起こしていた大部分の分野が、医療用 X 線というよりも、核爆弾開発であっ たような時期のことである。こうして軍と政府、そして研究契約を結んだ私的企業を巻き 込んだ新しい放射線リスク源が誕生したのである。そして、放射線リスクについての最高 権威であると主張できるような十分な信頼を担う主体を早急に設立することがはっきりと 必要になっていた。当時の最新の発見によって電離放射線がショウジョウバエに遺伝的突 然変異を起こすことが示されていたので(ヒトに対しても同様のリスクを示唆する)、既存 の X 線被ばくに対する限度を見直し、兵器開発研究や核爆弾実験の被ばくの結果としての 外部ガンマー線による新しいリスクにその被ばく限度を拡大させる必要に駆られていた。 さらにそこには新しく発見され、生産され、労働者の手によって扱われ、そして環境中に 放出されるようになっていた、新しい(novel)放射性同位体の宿主による内部放射線につ いての被ばく限度を設ける必要性も現れていた。今日では、核兵器の研究や開発を妨害し ないような被ばく限度になるように、NCRP が AEC から圧力を受けていたことを示す十分 な証拠が存在している。 NCRP には核リスクの様々な側面を調査する8つの分科委員会がおかれていた。その なかでも最も重要なものは、ジー・フェイラ(G. Failla)が議長で外部放射線被ばく限度に 関与していた第一委員会と、ズィー・モーガン(Z. Morgan)、オークリッジ主席保健物理 学者、が議長で内部放射線被ばくリスクに関与していた第二委員会の2つであった。AEC との間には交渉があり、今日ではそれにとって受け入れ可能なものとして決められたこと も明らかになっているが、NCRP はそれ自身の外部被ばく限度を 1947 年に決定している。 それは週間 0.3 レム(3 mSv)であったが、既存の週間 0.7 レム(7 mSv)を引き下げたも のであった。後世になって我々は、この値が今日労働者に対して許容されているものの 20 倍であり、公衆の構成員に許容されているものの 1000 倍以上であることに気づくのである (すなわち、欧州原子力共同体基本的安全基準指針と比べて)。 フェイラの第一委員会(外部放射線)が到達した結論であるこの値については 1947 年 に同意されたのであるが、NCRP から最終報告書が出されたのは 1953 年になってからであ った。この遅延の原因は、モーガンの第二委員会が、体内の臓器や細胞への内部被ばく源 となる、実に多種にわたる様々な放射性同位体がもたらす被ばく線量やリスクとを決める ために容易に適用できる方法を見出し、そして、導かれた値が正しいと簡単に同意するの は極めて難しいことを見いだしていたからである。このような難しさの一部には、様々な 組織や臓器、そしてそれらの構成要素である細胞における放射性同位体の濃度やそれらの 親和性に関しての知識が不足していた当時の状況下でものごとを進めなければならなかっ たことがある。またその難しさの一部には、線量の単位自体に含まれている平均化する考 え方を、非均一な構造中におけるエネルギー密度分布に対して適用する問題が当然にして あった。結局、1951 年に NCRP はこれらの問題が解決されるのを待つことにしびれを切ら し、その執行委員会は第二委員会の審議を即刻うち切ってしまった。そして、おそらくは リスクに関してある誘導操作が必要であったがために未解決のままで内部放射体について 報告書を準備するよう主張した。それにもかかわらず、最終報告書は 1953 年になるまで公 表されなかった。 これこそが放射線リスクのブラックボックスが封印されたまさにその瞬間であった。 その内側での作業は、被ばく線量を決定するためのなにか都合の良い方法を急いで開発せ 42 よという圧力の下でなされてきていた。ガイガーカウンターやガスフィル電離箱のような 電離現象を測定する装置の使用によって、最初に測定されていたのはエネルギーではなく て電離であった(レントゲン)。そうであれば、単位体積当たりのエネルギーとして線量が 定量化されるのがおそらく自然であっただろうが、そうはならなかった。そのエネルギー 単位はラドやレムであって、今ではグレイやシーベルトに変更された。これらの単位、そ して、単位体積当たりのエネルギーというアプローチが、その当時にあっても、その体系 が本当に一様に被ばくしているのでないならば適用できないのは明らかになっていた。そ のモデルは小さな体積の線量や非均一な線量を扱うことが不可能である。そして、この理 由のために、内部被ばくに応用するのは危険である。この点については他の場所で詳しく 述べる。しかしながら、今日の問題は、これが ICRP によって採用されているモデルを表 す放射線リスクのブラックボックスになっているということである。NCRP の議長である ローリストン・テイラー(Lauriston Taylor)は、NCRP の国際版を設立するのを援助したが、 おそらくそれは NCRP が合衆国における核関連技術開発に関わっているという明白な証拠 から注意をそらすためであったのだろう。そして、放射線のリスク係数に関してのある独 立した国際的な合意があることを誇示するためでもあっただろう。その新しい主体は、国 際放射線防護委員会(ICRP)と名付けられた。 テイラーは ICRP の委員会メンバーであり、同時に NCRP の議長でもあった。NCRP の第一および第二委員会は ICRP と同じ議長を重複していた、フェイラとモーガンである。 これらの2つの機関の間における個人の相互浸透は、今日におけるリスク評価機関の間に おける同様な個人の異動の先例になっている。 その構成員に研究者が在籍し基礎的な研究を実施したり委任したりしている ECRR と は異なり、ICRP は常に机の上で仕事をする機関(desk organization)でありつづけてきてい る。これまでいつも机だけの組織であった。ICRP にはひとりの常勤職員が雇用されており、 1980 年代終わりから最近までジャック・バランタイン(Jack Valentin)という科学幹事がい た。それは机上の機関(desktop organization)であって研究はしない。ICRP が利用する情 報は UNSCEAR から提供される科学的報告書に頼ってきていると述べている。ところが UNSCEAR も研究をやっていない:UNSCEAR の出す報告書は、その編集者が注意深く選 択する他の研究を引用するように選択している。これらの編集者は最近の ICRP2007 年報 告に見られるやり方で彼らの参考文献を選択する傾向がある。 これらの放射線リスク機関には共通している個人がいる。例えば、ICRP と UNSCEAR との間、また合衆国の BEIR VII と国際原子力機関 IAEA の間に重複がある。ECRR2003 に は、当時 ICRP の議長だったロジャー・クラーク(Roger Clarke)が、英国国立放射線防護 局(NRPB)の局長であったことが報告されていた。クラークはまたリスク係数の決定に責 任を負う 2007 年 ICRP タスクグループの一員でもあった(そして、リスク係数が間違って いることを示しているデータを無視した)。このタスクグループの議長だったロジャー・コ ックス博士(Dr Roger Cox)は、NRPB(現在の HPA)の議長であり、ICRP 第 1 委員会の 議長(2001-2005)であったが、現在は ICRP の副議長であり、UNSCEAR2000 報告書を書 いた著者でもあった。コックスは、ICRP モデルが間違っている証拠を多数派の最終報告書 から排除した CERRIE 委員会にも参加していたし、2005 年の報告書を出した合衆国の BEIR VII 委員会にも参加していた。これらのグループが独立した支援のために、お互いに引用 する際には、何ら労力は要しない。IAEA のアベル・ゴンザレス博士(Dr Abel Gonzalez) は、ICRP 委員会の正会員であり、ICRP2007 年報告の草案にも名前を連ねている。スウェ ーデンのラルク・エリック・ホルム博士は(Dr Lars Eric Holm)ごく最近まで ICRP の現役 43 議長を務め、またスウェーデン放射線防護当局 SSI の議長であったし、また 2001 年には UNSCEAR の議長であり、UNSCEAR2006 報告書の代表であった。ホルムはチェルノブイ リ事故での全死者は重篤な被ばくをうけた除去作業に従事した 30 人の労働者に限られて いると述べたのが記録されて有名になったが、同様の発言は IAEA のアベル・ゴンザレス によっても公衆の前でまた会議席においても繰り返されている。ここで重要なポイントは、 各国政府が科学的合意の議論について依存している全ての機関が完全に内部でつながって おり、ひとつのリスクモデル:ICRP のリスクモデルに頼り切っていることである。ICRP はそこからの証拠に依存しているそれらの機関から独立しておらず、それらの機関は ICRP から独立していない。その体系は内部無撞着であり危険な科学の回勅文書に支えられる要 塞都市である。放射線被ばくと健康について関わると合理的には期待される他の国連機関、 世界保健機関(WHO)はどうか?WHO は 1959 年に IAEA との間で放射線の健康影響に関 する研究を IAEA に任せるという IAEA との合意を強要された。この合意は今でも有効で あり、WHO だけでなく FAO(国連食糧農業機関)にも及んでいる。2001 年にキエフで開 催されたチェルノブイリ事故の健康影響に関する会議で、WHO 議長のエイチ・ナカジマ 教授(Prof H Nakajima)は公のインタビューのなかで次のように述べた; 「放射線影響の研 究では WHO は IAEA に追随する、健康は原子力に従属する」。IAEA の権限は原子力の平和 利用の展開である、しかし現在では、むしろアメリカ合衆国と他の核保有国以外に核兵器 が広がることを制限することを目的とした国際的な警察官である。チェルノブイリ原発事 故の健康影響についての研究の欠如は、IAEA の関与と WHO の去勢に原因があるとされて きている(Fernex 2001)。その関係する同意は次のように述べている: ...WHO によって認識されているところによれば、世界における原子エネルギーの平和 利用の奨励とその研究の助成及びコーディネート、また、開発そして実際的な応用につい ては、IAEAが第一義的責任を持っている。他の機関が実際に関係する、または、しえるよ うな課題に関するプログラムや活動を、いずれかの機関が開始するのを提案する時にはい つでも、甲は相互協定にしたがって問題を調整することを目指して乙に相談する。(第一 条、§§ 2-3, ResWHA 12 - 40, 1959年5月28)。 NRPB が英国の規制当局である環境省に対して、その環境省が受理する公式文書に、 UNSCEAR と ICRP とは「完全に分離して設立されている」と述べることは誰からも妨げ られてきていない。したがってリスクに関する声明の信頼性は、それら機関が他の機関を 引用することによって、見せかけのうえに獲得されていることになる。しかしながらそれ は、彼らの全てが NCRP/ICRP 戦後プロセスという、同一の発展と同一のモデルに彼らの起 源があるという事実がもたらしたものだとして理解することもできる。このブラックボッ クスは、これまで適切に公表され検討されることは一度もなかった。放射線リスク基準の 展開の全体的な歴史は、コーフィールド(Caufield)に見ることができる。テイラー自身も それらの展開をいくらか詳しく書いている(Tayor, 1971)。そして、戦後期の放射線リスク の展開に関するインタビューのなかで、NCRP と ICRP の双方を離れたカール・モーガン (Karl Morgan)は、これらの機関とそれらの取り巻きについて次のように語っている。 「私 は自分の子供を恥じ入る父親であるように思える」(Caufield, 1989)と。 本報告において ECRR は、ICRP の批判に主要な関心を向けているのではない。歴史的 な脈絡の中で、現代的な低レベル放射線に対するリスクモデルを提出するだけである。本 委員会はここで行った歴史の再検討は、理論と観察結果との間に、どうしてそのような大 44 きな食い違いが存在することになってしまったのかを理解することを助けると考えている。 第 5.3 節 1998 年 2 月の欧州議会 STOA 機構に示した ICRP とその方法論に対する批判 この会議においてなした批判には4つの主要部分があった。しかしながら、その議事 録はその組織者によって不十分にしか報告されなかった(Assimakopoulos, 1998)。それら を表5.1に示す。ヒロシマに基礎においたリスクモデルへのバスビーによる批判を表5. 2に示す。 表5.1 1998 年 2 月の欧州議会内の会議でなされた ICRP 低線量モデルへの批判。 批判 リスクモデルのヒロシマベース(Hiroshima basis)には不備があ る、研究及び参照グループが正常な集団を代表していないからで ある。 リスク評価の ICRP の基礎(ICRP basis)は非民主的であり、その 委員会の構成員と歴史的由来によって偏っている。 リスクモデルのヒロシマ及び他のベース(basis)は、被ばく線量 単位に本質的に含まれている平均化と他の誤差とによって、内部 被ばくからのリスクについて情報を与えることが不可能である。 リスクモデルのヒロシマベース(Hiroshima basis)は降下物や残 留汚染からの内部被ばくによる寄与を含んでいない。 被ばく線量の単位自体(シーベルト)には、不適切な値の評価が 含まれており物理学的な単位ではない。 著 者/発 言者 アリス・スチュアート教授 ロザリー・バーテル博士 クリス・バスビー博士 複数の人々 デビット・サムナー博士 第 5.3 節 原子爆弾による被害研究における最近の議論 2003 年以来、原爆被爆者寿命調査(A-Bomb Life Span Studies)の解釈においていくら かの更なる進展があったのでここに簡潔に報告する。これらの調査自体が、外部被ばくに 対してさえ、放射線リスクモデルを作り上げる基盤としては問題があることを示している。 関連があるのは以下の諸問題である: 1.合衆国が設立した原爆傷害調査委員会(ABCC)がその研究集団を選択し、比較を開 始したのは原爆の投下から既に7年が経過してからだった。ガンはその早い時期に進展し ABCC によって数え落とされたので、したがって、ガンと白血病の全発症数は ABCC によ って一覧表にまとめられたものよりも高いということが指摘され続けてきている。この時 期の症例総数を公表した報告書が発見されたので、今ではこれが真実であることが知られ ている(Kusano 1953)。 2.被ばくとガンや白血病の臨床的発現との間の時間的ずれ、すなわち遅延期間(lag period) は、現行のリスクモデルにおいては一貫して 5 年よりも長いとされてきている。このこと がほとんど被ばく直後に白血病やリンパ腫が進展している数多くの状況において、政府や リスク評価機関が被ばくとの因果関係を否定することを可能にしていた(原爆実験参加退 役軍人、湾岸戦争やバルカン紛争においてウラン兵器に被ばくした退役軍人)。初期の日本 人の報告書は、原爆投下後の最初の年に白血病の症例が増加しはじめ(最初の症例は被ば 45 く 3 ヶ月後)、そして、原爆投下時には居合わせなかったが後になって被爆地に入市した人 たちの間でも発症があったことを示している(Kusano 1953)。 3.財団法人放射線影響研究所(RERF)によって公表されたガン以外のデータ(例えば、 脱毛や火傷)が、最近サワダによって分析され、これらの症状を引き起こすことのできる 線量を即発放射線から受けるには爆心地から余りにも離れたところの住民に著しい健康障 害があったことが示された。サワダの分析は 2009 年の ECRR 国際会議で発表され、また出 版されているが(*訳注)、放射性降下物への内部被ばくへの異常なまでに大きな効果が示 されている(Sawada 2007, ECRR2009)。同様の指摘は、1999 年にスチュワートとニールに よる分析の中でも行われた(Stewart & Kneale, 1999)。 4.インドの遺伝学者パドゥマナバーン(Padmanabhan)は、もし正しい対照集団を選択す るならば、日本の原爆被ばく生存者の子孫への遺伝的影響があることを示した(CERRIE 2004b, Busby 2006)。著しい奇形と観察可能な遺伝的影響がクサノの報告(Kusano 1953) とバスビーによる逸話的な報告の中で考察された(Busby 2006)。ABCC の遺伝学者ニール とスチュール(Neel & Schull)は、原爆による観察可能な遺伝的影響はないと報告していた が、彼らはそれが真実でないことを知っていたに違いない。 表5.2 ヒロシマ研究から被ばくの結果を説明あるいは予測することの間違い 間 違い 発 生の 機構 不適切な参照集団 高線量から低線量への外挿 備考 研究集団と参照集団とがともに降下物からの内部被ばく をうけている。 細胞は高線量では死滅し、低線量で突然変異を起こす。 急性被ばくから慢性被ばくへの外挿 先行する被ばくによって細胞の感受性は変化する。 外部被ばくから内部被ばくへの外挿 外部被ばくは一様な線量を与えるが(単一の飛跡)、内部 被ばくでは放射線源に近い細胞に高線量を与えうる(多 重のあるいは連続的な飛跡)。 線形閾値無しの仮定 明らかに真実ではない。 日本国民から世界の人たちへの外挿 異なった集団が異なった感受性を持つことは非常によく 明確にされている。 戦争生存者からの外挿 戦争生存者は抵抗力の強さによって選択されている。 あまりにも遅く開始され、初期の死 最終的な死亡者数が正確でない。 亡者数が失われている ガン以外の疾患が除外されている 入市被ばく(後の被ばく; later exposures)に対する全ての 健康損害が無視されている。 重篤な異常だけに基づいてモデル化 軽度の影響を看過し、出生率における性別比率を無視し された遺伝的傷害 ている。 (*訳注:沢田昭二ほか著『広島・長崎原爆被害の実相』新日本出版社) 46 第6章 電離放射線:ICRP 線量体系における単位と定義、 および ECRR によるその拡張 第 6.1 節 モデルの不適切さについての ICRP の告白 ICRP はその放射線リスクモデルにおいて使用する被ばく線量の定量的体系の整備に 先立って、その使用の際に誤りが発生する可能性があることを告白している。この ECRR 報告はそれと同じ注意を喚起しているのであるが、ICRP の 1990 年勧告には次のように述 べられている: (17)歴史的に、電離放射線線量の「量」を測るのに用いられている量は、通常は定義さ れたある質量中における、ある定義された状態での電離事象の総数あるいは付与されたエ ネルギーの総和である。これらのアプローチは、電離過程の非連続的特質についての配慮 を欠いているものの、(放射線の種類の違いについての調整を含めて)その総量が結果とし ての生物学的効果と相当によい相関を持つという観察結果によって、経験的に正当化され ている。 (18)将来における進歩は、細胞の核やその DNA 分子のような生物学的実体の大きさに相 応しい小さな体積の物質中における事象の統計的分布に基づくような、他の量を利用する のがより優れていることを明らかにするかもしれない。しかしながら、それまでの間、当 委員会としてはこのような巨視的な量の使用の勧告を続ける。 ついでながら、本委員会は(17)においてうたわれている ICRP の「正当化」とは、 外部被ばくの実験に基づくものであることに注意を促しておく。しかし、2009 年からヴァ レンティン博士自身が、ICRP のモデルは内部被ばくに関連した不確実性が(2 桁以上)大き すぎるために、被ばくした集団のリスクを評価することはあまりできなかったと公の場で 述べている。1990 年と 2007 年の ICRP 勧告の編集者によるこの主張は、本質的に ICRP モ デルを完全に捨て去ることを意味し、その価値を失わせるものである。 第 6.2 節 基本的な線量体系の導入 放射線は生きている組織に対して、それを構成する細胞を形づくっている原子や分子 を電離することを通じて、損傷をもたらす。図6.1には、3種類の主要な電離放射線と 物質との相互作用を模式的に示している。 電離過程とは組織内の分子を構成している原子を互いに結びつけている化学結合を切 断するものである。これらの引き裂かれた電離した断片は、再結合することもあるが、他 の分子と結合して細胞に対して害を及ぼし得る新しい反応性物質をつくることもあり得る。 もし細胞に損傷が生じ、それが十分には修復されないとすれば、その細胞が生き続けて再 生することは妨げられるかもしれない。あるいは、生きてはいけるが変質してしまうかも しれない。 生物学的に重要な化学結合を切断するのに必要なエネルギーは、もちろんその結合に もよるが、DNA や RNA のような大きな生物学的分子に対しては 6 10 eV(電子ボルト) の間である。したがって、セシウム Cs-137 同位体の一回の崩壊でもたらされる約 650 keV の放射線エネルギーは、原理的には、そのような分子内において約 65,000 箇所の化学結合 47 を切断するのに十分なのである。 ある臓器を構成する細胞のかなりの部分が死んでしまったとすると、その臓器の機能 及びその臓器の健全性には全般的な目に見える影響が現れるだろう。ICRP モデルにおいて は、そのような重大な「非確率的」あるいは確定的損傷(deterministic damage)と、有害で あるが生存可能な変異を獲得した結果として起こる蓋然的あるいは確率的な効果の結果が もたらす損傷とは区別されている。本報告において本委員会は、高線量急性被ばくの著し い直接的結果を主なものとしては扱わず、低線量被ばくによる慢性的効果を扱う。放射線 被ばくがもたらす発ガンの確率は、細胞がそれによる損傷に耐えられずに死んでしまうよ うなあるレベルまでは、個々の標的細胞における線量増加とともに大きくなると期待され るだろう。 01 !" #$%&'()*+,-./ 9:;+<=8 234,5678 @3>+?78 23>+?78 AB<C(DE/ FGHIJKC FLMHINO 図6.1. @34, 5678 電離した分子を生み出す電離放射線と物質との相互作用。 このような理由から、関心を払うべきパラメータは個々の細胞に対しての線量であり、 実際、オージェ置換の実験から、染色体 DNA とそれに関連した複製器官(例えば細胞膜) がイオン化で引き起こされる化学反応によって致命的な損傷を与えてしまう標的にもっと もなりうるということを強調しておきたい。内部被ばく、すなわち非均一な分布をもつ放 射線被ばくに関しては、組織全体に対して巨視的に評価された被ばく線量が、個々の細胞 に対する線量を正しく反映するようなことはありそうにない。他の言葉で言えば、ある与 えられた組織に付与されたエネルギーをその質量当たりで平均してしまうことは、実際に はそのエネルギーの全てが、その組織の非常に狭い部分に付与されている可能性のある場 合には、低い線量を与えてしまう可能性がある。いくつかの細胞が非常に高い線量を受け、 一方ではほとんどのものが何の影響も受けないということである。このように、線量の烈 しさに依存して、確定的影響と確率的影響(stochastic effect)との境界は、エネルギーが吸 収される組織の質量に依存することになる。 このことは、体内に取り込まれた微粒子による胎児への被ばくについてとりわけ大き な意味を持つ。被ばくした細胞が死ぬのではなくて変異する場合には、その結果は大きく 異なってくる。細胞の修復機能の存在にもかかわらず、また、生体全体については、その ような細胞を消去するような別の監視システムがあるにもかかわらず、放射線によって誘 起された一時的変異を伝える細胞の複製は、通常の細胞と比較して、制御不能な複製をも 48 たらすのに必要な一連の遺伝的変化を獲得するより高い確率を持っているだろう。これは 悪性の症状、すなわちガンをもたらす可能性がある。また、それはその臓器の機能やその 細胞が一部分をなす組織に、そして最終的には個体に対して悪い健康状態をもたらすよう な、有害な影響をもたらすかもしれない。ガンの深刻さは線量の大きさによっては影響さ れない。この種の損傷は「確率的」と呼ばれ、「ランダムあるいは偶然的因子の結果である こと」が意味されている。 過去 15 年間、実験結果からますます明らかになった事は、染色体 DNA に対する直接 的な損傷と固定した突然変異を持つクローンの生成は、被ばくした組織において放射線が 引き起こす変化の主な原因ではないということである。DNA と関連した器官に対する放射 線(および他の種類の突然変異源)の損傷はゲノム不安定(genomic instability)と呼ばれ る注目すべき現象を引き起こす。この事はランダムな遺伝的突然変異を対象となった細胞 やその子孫にもたらす結果となる。この影響は何らかの方法によって近傍の他の細胞に対 しても及ぶ。いわゆるバイスタンダー効果(bystander effect)である。この重要な発見、お よびそれが意味するところは第9章で手短に議論しよう。 しかしながら、ICRP にとっては、電離放射線への被ばくに続いて集団に生じると期待 される晩発性の健康影響は、それらの被ばくした集団に引き起こされるガンと彼らの子孫 における遺伝的疾病(hereditary disease)の増加だけなのである。 しかしながら、ある組織内の多くの細胞中にある遺伝物質に対するランダムな損傷こ そがその組織の機能喪失をもたらすのだろう。そのような影響は、その最初の被ばくから 何年も経てからそれ自体が臨床的に明らかになるかもしれない。また、最初に被ばくした 細胞の末裔の機能変化による結果なのかも知れない。例えば、非ガンの甲状腺機能障害は 放射性ヨウ素への被ばくによって発生し得る。そのような結果が確定的であるのか確率的 であるのかの分類は容易ではなく、ICRP が使うリスク体系においては問題の外に置かれて いる。そして、放射線被ばくに関連した心臓の機能における重要な効果もまた然りである。 しかしながら、本委員会は、そのような影響の存在は認められるべきであり、可能ならば それらのリスクは定量化されるべきであると考えている。なぜならば、現在は存在が認知 されていない被ばく集団において、それらは特筆すべき苦しみとして顕在化しているから である。そのような一般的な影響は「非特異的老化(non specific ageing)」と呼ばれるが、 この概念は多くのリスク評価機関によってガン早死(premature cancer death)の道徳的意味 合い(moral implications)を検討するために使われている「寿命短縮(life shortening)」と いう考え方とは一致していないことに注意が必要だろう。細胞内遺伝子の損傷が遺伝情報 を後の世代に伝達する機能を持つ細胞に生じたならば、それらの変異は被ばくした個人の 子孫の中に現れることになるだろう。そのような影響は「遺伝的」と呼ばれる。 最後に、人類の遺伝子プールに入った遺伝的損傷は、その保持者が生殖再生する以前 に死亡して喪失するまでそこに留まるということが強調されるべきである。したがって、 遺伝的損傷は、子供のないままの死亡を通じて失われるまで、被ばくした個人かあるいは 子孫の中に常に現れることになる。 第 6.3 節 リスク定量化のための本委員会のアプローチ: 線量に荷重するかリスクに荷重するか? ICRP が前書きで認めているように(第 6.1 節参照)、放射線リスク評価において興 味のある量は照射された細胞における電離エネルギー密度である。ICRP は、これをあるひ とつの平均量、吸収線量(以下において定義する)、によって近似している。この吸収エネ 49 ルギー密度(線量)は、(1)生物学的な効果や(2)臓器の感受性における変動を斟酌するため に ICRP によって2重に荷重される。ICRP によって放射線防護において採用されている最 終的な線量単位は、この基本的な吸収線量のある込み入った拡張である。その単位である シーベルトは、被ばく状況に関係する個々のタイプ毎に一覧表にされるのであるが、それ は平均エネルギー密度という物理的な単位と、動物実験や疫学、放射線の種類毎の物理的 性質、組織・臓器の感受性等に基づいて、健康影響についてなされる価値判断の混合物で ある。ICRP は元々、放射線の線質や臓器の感受性の他に、基本的な物理量への荷重を考慮 に入れてこの体系を拡張する可能性を含めていた。ICRP は 1990 年勧告で次のように述べ ている: 先行している定式化においては、放射線荷重と臓器荷重係数以外の可能性のある荷重係数 についての用意がなされていた。そのような別立ての特定されていない荷重係数の積は N と呼ばれた。 (ICRP1990 年勧告、第 30 節) 本委員会は、N の主な構成要素の一つは内部の放射性同位体の DNA に対する親和性で あったということを認識してきている。この考えに基づくと、Sr-90、Ba-140 やウランが DNA 上に置かれてしまうために、実効線量当量を増加させるようにそれらの線量係数を決 めなくてはならない。しかし、この考えはすぐに放棄された(Jensen 2009)。結局のところ、 ICRP は、異なった被ばくのタイプや被ばくの時間的分割に関連して害(hazard)に現れる 変動を、線量計算から切り離し、彼らが公表した致死ガンについてのリスクに押し込むこ とを選択したのである。別の言葉でいうならば、線量の単位を修正するという考えが、線 量当たりのリスク係数の修正を有効に進めるために放棄されたのである。これによって等 価線量の単位がある基礎的なあるいは物理的な意味合いを有することを(誤って)示すこ とになった。こうして ECRR は、体内の放射線核種の点線源が関係する細胞レベルにおけ る定性的に異なった被ばくを解釈するために、ICRP の教義体系を修正するのか、あるいは 完全に作り直すのか、という問題に直面した。本委員会は、一方では第一の原理からはじ めて細胞レベルでの電離事象によるエネルギー付与を正確に記述するモデルを開発するこ とは好ましいことであると考える。しかし、最初の例としては、ICRP モデルに基づいた歴 史的な被ばく線量計算が健康欠損(health deficit)についてのより正確な情報を与えるよう に修正した単純な体系であることが必要であろう、と決定した。 放射線の種類によって異なる生物学的効果を取り入れる目的で、ICRP によって認めら れている荷重係数や臓器の感受性を考慮するための荷重係数は、被ばく線量の異なった時 間分割や様々な同位体、粒子、突然変異を引き起こす汚染(加えて 1970 年代に ICRP が考 慮していたとわかった事柄も)の種類の違いによる異なった可能性を受け入れるための荷 重係数と、定性的には違ったものではないと ECRR は考えている。結果として ECRR は、 ICRP の元のモデルにあった荷重係数 N を復活させ、採用することを提案する。このアプ ローチは、内部あるいは特異な形態での被ばくによる低レベル線量における新しいリスク は ICRP によって想定されたものよりも多少大きなものになるかも知れないが、最大許容 線量に関係する現行の法的な枠組みを変更する大きな必要性はないという、大きな利点を 持っている。別途、計算されるのも線量そのものである。こうして ECRR は、損害強調荷 重係数(Hazard Enhancement Weighting factor)N に組み入れられる、様々な被ばくに対す る損害荷重係数のとるべき範囲を開発したのである。それについては以下においてより詳 しく述べる。 50 第 6.4 節 吸収線量と等価線量 ICRP の放射線モデルにおいて基本とされる線量計測学的量は、吸収線量(Absorbed dose)、D である。これは単位質量当たりに吸収されたエネルギーであり、その単位は今日 ではジュール毎キログラム(J/kg)、すなわちグレイ(Gy)である。かつて使われていた単 位はラド(rad)であった。100 ラドは 1 グレイに等しい。 D = ΔE/ΔM ここに D はグレイ単位での吸収線量であり、M はその線量が吸収された組織・臓器のキロ グラム単位での質量であり、E はジュール単位でのエネルギーである。自然界には異なる 種類の電離放射線が存在しており、それらが組織を電離する能力は異なっているので、放 射線によって変わる電離能力を考慮するある係数を用いて吸収線量を荷重することによっ てその違いを調整する必要のあることが知られている。ICRP は、線量当量(Dose Equivalent) という用語を放射線防護のための彼らの基本的単位として用いている。これは「(ある点に ついてではなく)組織あるいは臓器にわたって平均された吸収線量であり、対象となる放 射線の線質によって荷重される」と定義されている。このような目的のための荷重係数は、 放射線荷重係数(radiation weighting factor)WR として定義されており、外部から人体に入 射する、あるいは、内部被ばくの場合には内部線源から放射される放射線の種類やエネル ギーに応じて選ばれる。最終的に荷重された吸収線量は、ある組織あるいは臓器について の等価線量(Equivalent Dose)と呼ばれ、その単位はシーベルト(Sv)である。1 シーベル トは、以前の単位では、100 レム(rem)に等しい。臓器 T における等価線量 H は次のよう に表される: HT = ΣR WR DT,R ここに DT,R は、組織あるいは臓器 T において平均された放射線 R による吸収線量である。 ICRP によると等価線量の単位はジュール毎キログラムであるとされているが、荷重係数の 値については ICRP という委員会によって選択されているので、その方程式は物理学的な ものではなく、異なる放射線の間にある相対的な効果に関する人為的価値判断(human value judgements)が含まれていることになる。例えば、物理的には 1 ジュール毎キログラムで ある平均吸収は、アルファ線被ばくの場合には、その表にしたがって 20 ジュール毎キログ ラムであると算出されるように荷重される。このような価値判断があるひとつの委員会に よってなされているのである。 放射線荷重係数 WR は、他のものと比較したあるひとつの放射線種(α,β,γ)の 生物学的効果比(RBE, relative biological effectiveness)の平均値を代表するように、ICRP によって選択されている。RBE はある定められた生物学的エンド・ポイントを同じ度合い で生じさせる吸収線量の比の逆数として与えられる。WR 値は、電離性粒子の飛跡や、光子 の吸収に続いて生成する電子の飛跡に沿った電離密度の尺度である線エネルギー付与 (LET, Linear Energy Transfer)の大きさにほぼ一致する。ICRP は全ての放射線に対して、 彼らが荷重係数の単位(1.0)とした、あらゆるエネルギーのX線やガンマー線を参照とす るように選択している。 考えている放射線がひとつ以上の種類のものから成っているときには、吸収線量は それぞれが独自の WR の値を持つブロックに小分けされなければならない。そして、全等 価線量を与えるために足し合わされる。ICRP による放射線荷重係数を表6.1に示す。一 般的に、これらの荷重は生体外での(in vitro)細胞死を生じさせる効率に追随するように 決定されてきている。そして、生体内での(in vivo)変異効率もそれと同様な関係を持つ 51 であろうとの仮定が置かれている。 吸収線量が計算されているこれらの方程式は ICRP によって用いられており、また、 まるで質量ΔM を本質的に水である生体組織の質量として扱うように変更したものが ECRR2003 で用いられたという事は注意すべきであろう。放射線を吸収する物質の性質は 通常考慮されないが、最近の研究ではウラン、金、白金のように原子番号が大きい元素で 汚染されていれば、その限りでないと言われている。ガンマー線と約 500 keV 未満のエネ ルギーの光子による吸収量は、放射線を吸収している原子の原子番号の 4 乗か 5 乗に比例 している。従って、原子か分子か粒子かに関わらず、そのような元素は膨大な量のエネル ギーを入射光子から吸収し、ベータ線と区別できない光電子としてそのエネルギーを放出 する。これは元々あった放射能とは別物であり、2次的光電子効果(Secondary Photoelectron Effect)または SPE と呼ばれる。この件は重要であって、主にウラン(Z=92)とヨウ素(Z=53) に対して、以下と第9章で議論する。 表6.1 ICRP による放射線荷重係数。 放射線の種類 X 線とガンマー線、全エネルギー 電子(ベータ線) アルファ線 中性子と陽子 放射線荷重係数 WR 1 1 20 エネルギーに応じて 5 から 20 に変化 本委員会は、トリチウムについては 2、そしてオージェ電子放出体については 5 の荷 重係数を採用すべきではないかという、1980 年代にあった、ICRP 内部における何回かの 提案が、原子力産業に対してあったと思われる配慮のために採り入れられなかったという 事実を確認している。事実、ICRP はこれらの種類の被ばくについて単位量の荷重を採用し ている。 全てのX線やガンマー線に単位量の放射線荷重係数を割り当てることには別の困難 もある。一方において医療用 X 線は通常、空気中において皮膚への入射位置でレントゲン 単位で測られるが(局部、局所依存; partial body, site specific)、ガンマー線被ばくは全身に ついて骨髄線量として測定される。医療用X線からの骨髄線量は皮膚線量よりもかなり低 いであろう。例えば、ある医療用胸部X線の皮膚線量は 0.5 mSv であり、軟組織線量は 0.3 mSv であり、そして骨髄線量は 0.03 mSv である。光線に対するこのような異なった吸収は、 それが与える画像の鮮明さに関係する。高エネルギーのガンマー線は通常、皮膚、軟組織、 骨髄に対して同じであるとされている。したがって、体内の臓器の画像を得るためにそれ を用いることはできない。したがって、例えば、考慮すべき生物学的エンド・ポイントと して白血病を用いるならば、0.5 mSv の高エネルギーガンマー線は 0.5 mSv の医療用胸部X 線線量(後者は局部線量: partial body dose)よりも高いリスクを持つことになる。 第 6.5 節 ECRR の新体系:生物学的等価線量− 細胞における生物学的応答および他の因子を考慮にいれる 先に ICRP の元の定式化においては、放射線が生体内における細胞死や変異、あるい は疾病をもたらす効率を強めたり弱めたりする可能性のある、放射線被ばくのタイプおけ る多様な様相を考慮するために荷重係数を拡張するための用意がなされていたことについ てふれた。ECRR は ICRP モデルがつくられた以降に進められた疫学的な、そして理論的な 52 発見を通じて明らかになってきている、多くの因子を受け入れるためにこのアプローチを 利用することを提案する。そのような被ばくのタイプに応じて害(hazard)が拡大されて いることの証拠は、第10章 第12章にまとめる。このようにして ECRR は生物学的等 価線量(biological equivalent dose)の量を、等価線量と、部分的なものにとどまるが、新し い生物学的損害荷重係数 N(biological hazard weighting factor N)との積として定義する。 臓器 T における生物学的等価線量 B は、線質 R の特定の被ばく E の結果として、 次のように記述される: BT,E = ΣR NE HT,R ここに HT,R は、放射線 R による、組織あるいは臓器 T にわたって平均した吸収線量であり、 そして NE は特定の被ばく E についての損害強調荷重係数である。 NE は、遺伝子の変異や他の関係する生物学的損傷を導く異なった過程に関連する 数多くの損害強調係数からなっている。個々の内部線源 S からの各々のタイプの被ばくに ついては、その被ばくと関連する損害について荷重があると仮定されることになる。この 荷重は積として現れる生物学的なあるいは生化学的な諸因子からなっている。というのは 確率的には、それらは同じ機構(DNA 変異)に作用する、非独立の二項因子(non-independent binomial factor)であると考えられるからである。したがって、それは次のようになる: NE =Σ W J Wk J について言えば特定の被ばくにおける異なった生物物理学的諸側面であり、K はその内部 被ばくでの異なった諸側面を表すものである。それらは、本委員会が危害のリスク(risk of injury)を高めると確信しているところのものである。 表6.2 低線量領域の被ばくに対する生物学的損害係数 WJ。 被ばくのタイプ 係数 WJ 備考 1.外部急性 1.0 2.外部延長(3.参照) 1.0 線量率低減は仮定せず 3.外部:24 時間で 2 ヒット 10 50 1.0 修復の妨害を考慮 4.内部原子単一壊変 5.内部 2 段階原子壊変 20 50 6.内部オージェあるいは 1 100 コスタ・クローニッヒ(Coster-Kronig) ** 7.内部不溶性粒子 20 1000 例えば、カリウム-40 崩壊系列と線量に依存 部位とエネルギーに依存 放射能と粒子サイズ、線量に依存 * 4 8.内部重元素による Z 因子 2 2000 外部ガンマー線量率因子を乗じ る(第 6 章と第 9 章を参照) *タンプリンとコークラン(1970)は、プルトニウム酸化物ホット・パーティクルの線量に ついての強調は 115,000 に及ぶとした。 **(訳注:光電効果や荷電粒子による原子のイオン化などによって原子の内殻軌道に電子 の空孔が生じる。そのような原子は不安定であり、その空孔を埋める電子遷移のドミノが 生じる。例えば最も内側の K 殻にひとつの空孔が生じると 10-17 10-14 秒の間に外側の殻か らその空孔に電子が落ちて空孔は上の殻に 移行する。例えばひとつ外側の L2 の副殻と K 殻との間でこのような電子遷移が生じるとする。そうなると、2つの殻の束縛電子の結合 エネルギーの差が KX 線として放射されるか、または他の場合には L3 束縛電子にそのエネ 53 ルギーが移ってその軌道電子が放出される。このような電子はオージェ電子と呼ばれる。 前者の過程は K-L2 遷移,後者を K-L2L3 オージェ遷移と表現され、両者は競合的な過程であ る。L 殻は L1、L2、L3 という3つの副殻からなっている。例えば L1 副殻にひとつの空孔が 生じたときには,コスタ・クローニッヒ遷移と呼ばれる同一殻にある副殻間での空孔移動 が上に述べたふたつの過程に加わる。) 総合的な損害強調係数 N の構成成分は、生物物理学的損害係数(biophysical hazard factors)WJ 及び同位体生化学的損害係数(isotope biochemical hazard factors)Wk と呼ばれ、 それらは表6.2と6.3とに示すように、幾つかの被ばくタイプと同位体について与え られている。被ばく源 S が2つ以上の損害の側面を通じて強調されるので、線源と変異を もたらす被ばく(2項確率級数: binomial probabilistic sequence)とが同じである限り、これ らは掛け合わせるものとして扱われる。例えば、ストロンチウム Sr-90 は染色体に結びつ く、しかしそれは2段階壊変事象原子(a second event decay atom)でもある。したがって、 WJ によって 30 の強調を伝え、Wk によっては 10 の強調が伝える(DNA 親和性)。そして、 結果的には全体で 300 の強調となる。Sr-90 については、表6.3には、界面吸着(interfacial adsorption)を通じた強調も示されている。しかしながら、これは異なるタイプの被ばくで あると考えられるので、NE の計算には含まれない。しかし、生物学的等価線量 B を計算す る段階では追加される。もし Sr-90 の損害が Y-90 への元素境界転換(barrier transformation) によるとすれば(例えば、Sr-90 は2価のイオンとして系内に入るが、3価の Y-90 に転換 する。そして反応する輸送(reflexive transport)がないために蓄積する)、例えば脳組織へ の線量を確立する際に、この被ばくに相応しい強調係数だけが使われる。 表6.3 特定の内部同位体生化学的強調係数 Wk。 同位体あるいは部類 係数 Wk 強調効果の機構 トリチウム 3-H 10 イオン性平衡カチオン(Ionic equilibria cations) 例えば K, Cs, Ba, Sr, Zn DNA 結合物(DNA bindings) 例えば Sr, Ba, Pu, Ra, U 2 14-C 5 20 10 35-S, 132-Te 30 10 10 50 核壊変と局所線量;水素結合:酵素増 幅(Enzyme amplification) 界面イオン吸着による局所濃縮(Local concentration by interfacial ionic adsorption):考慮する効果に依存 DNA の1次、2次、3次構造の崩壊。 局所転換電離(Local transmutation ionization) 核壊変と酵素増幅 元素転換と酵素増幅;水素結合 酵 素 と 共 酵 素 探 求 物 ( Enzyme and 10 酵素増幅 co-enzyme seekers) 例えば Zn, Mn, Co, Fe 脂肪に溶ける希ガス。例えば Ar-41, 2 10 考慮する効果に依存 Kr-85 元素境界転換系列(Barrier transmutation 2 1000 考慮する効果に依存 series)例えば Sr-90/Y-90 54 第 6.6 節 臓器の感受性についての考慮:実効線量 電離放射線の決定的な標的は個々の細胞である。確定的および確率的な影響は、臓器 内の分化した細胞において現れ、そして両方のタイプの影響の大きさは細胞種の個性と細 胞循環における位置(別途、主題として取り上げる)の双方に依存する。二〇世紀の初頭 から、速く複製される細胞種は(例えば、血液細胞、消化管の上皮細胞)、ほとんど分裂し ない細胞よりも、電離放射線に対してより高い感受性をもつことが知られている。分裂が 活発である細胞もまた非常に敏感である。これに加えて、ある臓器の細胞は(例えば、眼、 甲状腺)、被ばくに対して高い感受性をもっている。ICRP の体系は、臓器に見られる感受 性の違いについてのみ考慮し、細胞循環における感受性の違いは無視している。それは前 者について組織荷重係数(Tissue Weighting Factor)WT と呼ばれる追加的な荷重係数を導 入することによってなされている。それは、その影響が全身に対しての一様な被ばくから の結果であると考えることで、全体的な損失に対する組織あるいは臓器の相対的な寄与を 表現する。荷重された等価線量(すなわち、2重に荷重した吸収線量)は実効線量(Effective Dose)E とよばれる。その単位はジュール毎キログラムであるとされ、シーベルト Sv とい う特殊名をもつ。しかしながら、等価線量と同じく、その単位は客観的なものではなくて ICRP という委員会による選択に依存する。 実効線量は、身体の全ての組織と臓器における荷重された等価線量の合計であり: ET = ΣT WT HT ここに、HT は組織または臓器 T の等価線量であり、WT は臓器 T についての荷重係数であ る。実効線量は身体の全ての組織と臓器において2重に荷重された吸収線量の総和として 表すこともできる。 実効線量に関する ICRP の体系は、ICRP の等価線量をこの第6章で定義した新し い生物学的等価線量に置き換えることを通じて、本委員会も採用している。したがって、 ET = ΣT WT BT となる。ここに ET は厳密には生物学的実効 線量(biological effective dose)と呼ばれるべ きであるが、本委員会は実効線量の呼び名を残しても混乱はないと考えている。すなわち、 放射線防護安全とその諸単位へのこれの編入は、これまでの使用と継ぎ目なくつながる。 第 6.7 節 臓器から足し合わせる線量か全身から分割する線量か 異なる組織の個々の実効線量を足しあわせることで組み立てられるある個人の総合的 な全実効線量と(シーベルト単位で、2重の荷重で導かれる)、全身への外部放射線場から 来る一様な等価線量に基づいて計算された実効線量とは、一般的には一致しないのは明ら かであろう。この問題を克服するために、「全身についての一様な等価線量が、一様な等価 線量と数値的に等しい実効線量を与えるべきである」という根拠にたって、ICRP は臓器荷 重係数の和が1になるように規格化した。すなわち、次式が成り立つ: ΣT WT = 1 ICRP によって用いられる臓器荷重係数を表6.4に示す。一般的に本委員会は、個々の臓 器についての線量を、あるいは細胞小器官についての線量であっても、それを評価するア プローチは好ましいと考えている。多くの歴史的データがこの名前のもとに表現されてい るので ICRP-26 以降の荷重係数の体系を取り入れる。 55 表6.4 ICRP の臓器荷重係数 組織または臓器 荷重係数 WT 0.2 生殖腺 0.12 骨髄(赤色) 0.12 結腸 0.12 肺 0.12 胃 0.05 膀胱 0.05 乳房 0.05 肝臓 0.05 食道 0.05 甲状腺 0.01 皮膚 0.01 骨表面 0.05 残りの組織・臓器 (訳注:残りの組織・臓器には、副腎、脳、大腸上部、小腸、腎臓、筋肉、膵臓、脾臓、 胸腺、子宮が含まれる。) さらに、ICRP によって用いられるその荷重係数は、放射崩壊による組織や臓器のガン と放射崩壊による全身のガンとの間に仮定されるある比率に基礎をおいている。これはそ のような体系に重大な数学的問題をもたらす。というのはある一つの臓器を基本にしたリ スク係数における大幅な変動は、全てのガンについてのリスク係数の中に包括させるのは 不可能だからである。加えて、ICRP によって彼らの分割モデル(partition modelling)にお いて使われている荷重係数の幾つかは、人造放射能を大量に組織内保持することのできる 臓器における効果を無くするように選定されてきているようである。ICRP66 の肺臓モデル では、放射線物質が蓄積する気管支リンパ節には 1/1000 という臓器荷重が与えられている。 第 6.8 節 線量率、被ばくにおける線量の分割と伸長 ICRP は、ある吸収線量の被ばくがまねく結果は、その線量の大きさに依存するだけで なく、また、その放射線の種類やエネルギーに依存するだけでもなく(放射線荷重係数に よって扱う)、そして、体内における線量の分布に依存するだけでもなく(臓器荷重係数に よって扱う)、時間におけるその線量の分布にも依存するとしている。彼らはそれを線量率 や被ばくの伸長と述べている。初期の定式化では、ICRP はこの問題を彼らが N と名づけ た別の荷重係数に含ませることで解こうとした。この体系はリスク係数に荷重係数を組み 込むために放棄された。このアプローチは本委員会によって再び導入されてきている(先 の第 6.5 節参照)。ICRP はリスク係数の体系内に、線量率効果を認めており、線量および 線量率実効係数(Dose and Dose-rate effectiveness factor, DDRF)という用語を使い、その信 念に従ってそれらの荷重を行っている。すなわち、時間の長い期間にわたって与えられる ある線量は、同じ線量の急性的な付与と比べて、より低い効果を持つと信じられている(「低 減(sparing)」と呼ばれる)。そのような効果の大きさについては幾つかの議論がある。ICRP によっては、誘導される細胞の修復複写の期間内の時間スケールにおける線量分割の結果 を検討する試みは何もされていない。 ECRR は線量率による低減(sparing)を受け入れず、分割による増強効果を、生物学 56 的等価線量を求めるために用いる生物学的および同位体荷重係数の概念に含めている。両 者についての係数は表6.2と6.3とに与えている。 ひとつの特殊な分割の状況には細胞周期の期間にわたる線量の分割が含まれる: 「セカ ンド・イベント」による増強を伴うこの過程は、他の所で述べられた。この過程は Sr-90/Y-90 のように連続的に崩壊している内部放射線源からのリスクを決定する場合に重要なもので あるだけでなく、8 ないし 12 時間内に 1 回以上の高線量 CAT スキャンが行われるような 医療画像診断時においてもおこることなのである。 第 6.9 節 時間積算および預託線量計測量 体内に放射線物質を取り込んだ後には、その物質がその体内の組織の中での等価線量 をある変動する割合で増加させる期間が続くことになる。これの結果として付与される等 価線量の総計は、その物質の排出の速度とそれの物理的崩壊特性(物理的半減期)とによ って影響される。等価線量率の時間積分は、預託等価線量(committed equivalent dose)H(τ) と呼ばれ、ここにτはその摂取からの積分時間である。特に指定されない場合には、成人 に対してτは摂取から50年とされ、子供に対しては70年であるとされる。これを拡張 することで、預託実効線量(committed effective dose)もまた同様に定義される。 集団として被ばくをうけている大人数の人々(例えば、チェルノブイリ近郊の住民) に対する、(ICRP がガン死と遺伝的損害であると定義した)健康損害を評価するために、 ICRP はそのような集団に対して、吸収線量の概念の中に含まれている細胞についての平均 化のアプローチを拡張する。そのような集団について、個々人についての平均が被ばくし た個人の数に掛け合わされる。意味をもつ値は集団等価線量(collective equivalent dose) ST であり、集団実効線量(collective effective dose)S である。いくつかのグループが含ま れている場合には、各々のグループの集団量の和が全体の集団量になる。これらの集団量 の単位は、人・シーベルトである(man-Sievert あるいは person-Sievert)。 集団量はある一つの被ばくグループの全ての結果を示していると見ることができる。 ICRP はそれらの使用は、その結果が本当に線量計測量と被ばくした人の数に比例し、そし て適切なリスク係数が使用可能であるような場合に限定されるべきであるとの警告を与え ている。環境中に放射性物質が存在することに起因する集団実効線量は、長い期間にわた って、連続する世代にわたって累積されるだろう。ある与えられた状況から期待される集 団実効線量の全ては、(すなわち、預託された)ある単一の放出からもたらされる集団実効 線量率の全ての時間にわたっての積分である。もしその積分が無限ではないとすれば、あ る時間で切り取られていると記される。 核実験の降下物や再処理工場の放出、そして事故からの比較的低い線量の広範な(全 地球規模の)集団に被ばくが広がっていることの結果として、これらの集団線量の概念の 発展は将来に面倒なことをもたらすものであることが ICRP にとってははっきりとしてき ている。なぜならば被ばくについての ICRP のリスク係数は、そのような広範な集団に用 いられ、ある定まった数のガン死が計算されるからである。それは多くの人が受け入れら れないと気がつくような状況を生むものであり、原子力産業と核兵器の軍事的開発との双 方に対抗する政治的な意味を持つものである。その結果は、最も被ばくをした個人に関心 を集中するために集団線量の概念を捨て去ろうとしている ICRP の最近の動きにあらわれ てきている。したがって ICRP は立法者に次のような助言をするだろう、「いかなる被ばく モデルについてでも最も被ばくをした人がある許容できるリスクレベルで十分に保護され ているとすれば、他の被ばくをした人は全てより十分に保護されていることになります、 57 そして、敷衍すれば、被ばくした集団における全てのガン発生率についても受け入れられ るということになります。」と。 これは取るべきでない非道徳的な立場であり、したがって受け入れられないアプロー チであるとの見解を ECRR は持っている。なぜならそれは被ばくした集団全体についての あらゆる被ばくに続く全ての結果の全体を評価すべきだからである。個人への高い衝撃リ スクの低い確率に焦点をあてて、一つのプロセスがある定まった数の死亡という結果をも たらすことを認識するのを避けようとするいかなる試みも人道的に疑問である。加えて、 本委員会は誰が「最も被ばくしたか」と誰が「最もリスクを持つか」との問いの間には著 しい隔たりのあることを指摘する。すなわち、放射線感受性が高いのは、女性であり、子 供であり、胎児である。 線量預託(dose commitment)(HC,T あるいは EC)は計算上の道具である。広範な集団 に対しても、決定グループに対しても、それは評価することができる。それは、一年間の ある行為といった、ある特別な事象についての一人当たりの線量率(dHT /dT あるいは dE/dT )の無限時間の積分として定義される。 ! HC, T = " H˙ T (t )dt 0 あるいは、 ! EC = " E˙ (t )dt 0 一定の率で行われる期間の決まっていない行為である場合には、特定の集団に対する将来 における最大の一人当たりの線量率(dH /dT あるいは dE/dT)が、一年間に対するその線 量預託に等しくなる。もしその行為が時間τにわたるものであれば、将来の最大の年間一 人当たりの線量は、次のように定義される、対応する打ち切り線量預託(truncated dose commitment)に等しくなる: ! HC, T (! ) = " H˙ T (t )dt 0 あるいは、 ! EC (! ) = " E˙ (t )dt 0 第 6.10 節 放射線学的評価に用いられるその他の量 放射性核種(あるいは放射性同位体)あるいは放射性物質の放射能 A とは、一秒間に 生じる自発的崩壊(あるいは元素転換)の平均的な数である。その単位は秒の逆数であり (秒-1)、ベクレル Bq という名前が与えられている。どのような物質であっても、1.44 と いう係数を用いて、その放射能と秒単位の半減期 T1/2 とを掛け合わせることで、純粋な放 射性物質中の原子の数を計算することが可能である。すなわち: N = 1.44 T1/2 グラム単位における放射性同位体の量は、それに続いて、アボガドロ数(6.02 1023)で割 り、その同位体の質量数を掛けることで容易に求めることができる。 58 放射能は同位体 Ra-226 に関連して「キュリー」とも歴史的に呼ばれてきた。その変換 は、1 nCi = 37 Bq (1 Ci = 37 GBq)である。幾つかの他の操作量も定義されており、放射 線防護において使われているが、この報告書ではふれない。 (訳注:ある放射性物質の原子数を N とし、放射能を A とする。その半減期が T1/2 である とすると、半減期の定義にしたがって次式が成り立つ。 t ! 1 T1/ 2 A = A0 " #$ 2 ここに、t は時間であり A0 は放射能の初期値である。この式から明らかなように t= T1/2 の 時には A は A0 の半分になる。記述上の理由から放射能の減衰は次の指数関数によって表 現されることが多い。 A = A0 e !"t = A0 exp(!"t ) ここに e は指数関数の底すなわちネイピア数であり(e=2.71828…)、λは崩壊定数と呼ば れる、半減期との間には次の関係が成り立っている; ! = ln 2 / T1/ 2 " 0.693/ T1 / 2 。ここに ln は先の e を底にした自然対数である。放射能 A とその原子数 N との間には崩壊定数λを介 して次の関係が成り立っている。崩壊定数λはその原子が単位時間内に崩壊する確率を意 味している; A = !N 。これより、次の関係が導かれる。 1 1 ) N = A/! = A T1/ 2 = A T = A "1.44T1 / 2 ln 2 0.693 1/ 2 第 6.11 節 2次的光電子効果(Secondary Photoelectron Effect) 放射線防護において用いられる量である吸収線量は第 6.4 節において D = ΔE/ΔM と 定義された。これまで、エネルギーが中で拡散される対象は生体組織の物であるとした。 ICRU は異なる生体組織(脂肪、骨、筋肉等)に対する吸収係数の表を与え、それは線量に 関する計算に用いられてきた。しかし、一般にすべてのこれら基準となる量は水 H2O の吸 収特性を持っている(ICRU35 1984)。電磁(光子)放射線の吸収は、対生成、コンプトン 散乱、光電子生成の3つを主とするいくつかの過程に基づいている。およそ 30 を超える原 子番号を持つ元素と、およそ 500 keV より小さいエネルギーの光子に対して光電子効果は 支配的となる。生体系を形作っている小さい原子番号の元素に対してでさえ、200 keV 未 満のエネルギーの光子(および 2 次、3 次過程で誘発された輻射光子)のかなりの量が光 電子に変換される。これらの高速電子は、ベータ線と区別できず、入射光子のエネルギー から結合エネルギーを引いた差の分のエネルギーを持つ。(一般に結合エネルギーは入射 光子のエネルギーよりも遥かに小さく、無視することができる。)元素による光子放射線の 吸収量はその原子番号 Z の 4 乗もしくは 5 乗に比例している。よって、水において主な吸 収源は Z=8 の酸素原子であり、水の原子番号相当数を 7.5 と見積もることができる。もち ろん、生体組織においては、水よりもより大きい原子番号の元素も存在するが、興味深い ことに Z>26(鉄 Fe)である様な原子番号を持つ元素はヨウ素(Z=53)以外にほとんど存在し ない。生体系内部に大きな Z を持った元素をとりいれる事は、それらの元素が放射線量を 増加させることがあるために一般に危険な事となりうる。従って、自然淘汰にもかかわら ず、大きな原子番号の元素を生体で利用する様な進化はおこらなかった。ヨウ素は例外で 59 あるけれども、感受性の意味で放射線の影響を受ける主な部位は、ヨウ素が集まりやすい 所、つまり甲状腺と血液だけであるという事に注意したい。甲状腺によって働かされてい る代謝と細胞修復状況の制御が、ヨウ素が生体系の中に取り込まれて放射線修復制御機構 の一種として用いられている理由であるという説も提唱されている。(Busby & Schnug 2008) 大きな Z を持つ元素で構成された物質による光子放射線の膨大な吸収は、その物質近 傍の生体組織に対して線量の増強を引き起こす。そのため、放射線防御における問題は、 大きな Z を持つ元素が生体組織に取り込まれるときに発生する。この問題は 1947 年に骨の X 線に対する関係として初めて述べられ(Speirs 1949)、人工器官に対する関係としてかつ て研究されてきた。さらに最近では、大きな Z をもつ物質を、光子を用いた腫瘍の放射線 治療に効果的に利用することに興味が移ってきている。金のナノ粒子は放射線治療の効果 を上げるのにうまく用いられ(また特許がとられ)ている。(Hainfeld et al 2004) このような知見にもかかわらず、大きな Z を持つ汚染物質による光子放射線の増強効 果は放射線防御では語られてこなかった。おそらく、この状況は、人工器官の素材はもと もと放射能を持っておらず、鉛(Z=82)のような大きな Z を持つ元素による汚染は化学的 な毒性の話として考えられてきたためにおこったのであろう。 2次的光電子効果が重大な放射線医学上の影響を持ちうる要因として2つが考えられ る。それは、DNA に結合した元素に対するものと、内部の微粒子に対してのものである。 後者の場合、粒子の大きさが小さくなるにつれて効果はどんどん大きくなる。なぜなら、 人工器官のように大きな Z を持つ物質が大量にあるとすれば、光電子のほとんどはその素 材自身の中で失われてしまうからである。組織内への光電子の現れ方は物質中の電子の平 均行程の関数であり、組織局所への吸収線量は電子飛程、つまりそのエネルギーの関数と なる。 この考えが放射線医学上意味している事は、劣化ウラン弾の特異的な健康に対する影 響の考察において取り上げられ、何もなされていないにもかかわらず、2003 年の CERRIE 委員会と 2004 年の英国国防省において発表された。さらに最近になって、粒子に対する効 果をモンテカルロ計算によって定量化しようとする試みがあったが(Pattison et al 2009)、 それらは一般的にとても信頼できる取り扱いとは言えなかった。またさらに、複合的な材 質が入り組んだ少量の物には対処できず、発表されていたいくつかの実験データからその 答えはかけ離れていた。(Regulla et al 1998, Hainfeld et al 2004) 1991 年からウラン元素は兵器として用いられてきたため、特別の関心はこのウランに 対して向けられた。1991 年の湾岸戦争から進んで使用された劣化ウラン貫通弾は、ミクロ ン以下の酸化ウラン微粒子を含む降下物を発生させた。その微粒子は環境中を移動し、呼 吸によって取り込まれる。劣化ウランの場合は第12章で考えよう。 ウランは2次的光電子効果において興味深い別の特性も持っている。ウラニルイオン ++ UO2 は DNA のリン酸塩に対して 1010 M-1 程度のとても高い親和性を持つ。(Nielson et al 1992)この親和性は、電子顕微鏡で染色体を撮像する時の染色材として使われていた 1960 年代からすでに知られていることである。(Huxley & Zuby 1961) 従って、2次的光電子効果は、自然環境放射線(もしくは医療 X 線)の増大した吸収 のために、DNA において光電子による電離の増大を引き起こしやすい。同様の過程は、DNA と強く結合する白金を用いたシスプラチン化学療法製剤でもおこり、また環境放射線や放 射線治療用ビームに対するアンテナのようにも振る舞う。 この発展を ECRR の放射線防御システムに組み入れるために、荷重係数を発展させて いく事は容易である。この効果は、もちろん生体組織内の物質の濃度に比例している。放 60 射線防御においてもっとも重要な要素であるウラン 238 の場合には、放射能濃度 Bq/kg を 用いることができる。効果は自然環境放射線の乗数となるため、通常の生物物理的な重み とはわずかな違いがある。従って、光子の線量率は効果の評価に含めなければならない。 これは、自然環境における光子の線量率 D0 を 100 nGy/h(0.876 mGy/y)と仮定し、Z4 の因 子による増強効果を乗じる事で行うことができる。こうして、表に掲げたように、U-238 からの線量係数は(アルファ線の重みに対して)20 で割り、ウランと生体組織に対する Z4 の比を乗じる事で最終的な値が得られる。最終的な荷重係数は 100 nGy/h の線量率で 1000 にとる。それは増加する環境光子の被ばくと他の光子被ばくに比例して増加する。 直径1ミクロン未満のウラン微粒子に対しては、表6.2に掲げた係数を用いる。ウ ラン 238 に対する線量換算係数は付録の表A1に与える。 大きな原子番号を持つ他の元素において、2次的光電子効果によるファントム放射能 に対して、組織線量は、考えてきた原子もしくは粒子の点での入射光子の線量増強効果で あった。複雑な相互作用のために、これらの局所的な線量は実験によって決定すべきであ り、本委員会は、大きな Z の元素に対する生体組織における増強係数を確立するために、 予備的な実験に現在着手している。これらの実験は直接的で、大きな Z の元素を含む組織 に対して、異なる線量の X 線照射を行う。生物学的に長期間にわたって、大きな Z を持つ 任意の粒子を内包する事は、発ガンの危険性を意味する局所的な組織の細胞集団に対する 継続的な放射線照射であるという事をこの発展は原理的に暗示している。これは、人工器 官の素材選びや、大きな Z を持った粒子(タングステン、白金、ビスマス、鉛)の拡散の 問題に対して影響を及ぼす。そして、腫瘍の中心に大きな Z を持った粒子が存在するかど うか調べる事もまた興味深い問題であろう。表6.5には潜在的に危険な2次的光電子効 果を持つ元素をいくつかあげておく。 最後に、モンテカルロ法を用いた物理モデルは有益なデータを確立する事はできそ うになく、明らかに、提案された機構の重要性を破棄したいという試みのために使うべき ECRR 2010 2007 年にエルザエッシヤー(Elsaesssear) ではないと言う事を指摘しておく。とは言っても、 らが成し遂げた金とウランのナノ粒子による吸収の FLUKA のモンテカルロモデルは絵的 に効果を見ることができた。100keV の光子の吸収に伴う光電子の飛跡の生成の結果を次の Fig 6.2 Phot oelectron track s emerging fr om (left to right) 10 nm particles of 図6.2に示す。 water (Z=7.5), Gold (Au; Z =79) and Ur anium (U;Z =92) after irradiation with 100keV Monte Carlo (FLUKA (左から右に向かって) code) analy sis. Track 水 numbers are in 図6. 2 photons. 100 keV の光子を照射した後に、 (Z=7.5)、 金(Au;Z=79) 、 th proporti on t o a 4の 10nm powerの大きさの粒子から発する光電子の飛跡。 Z law (tracks are shown as projectionsモンテカルロ on a flat (FLUKA ウラン (U;Z=92) plane). Note that the m 飛跡の数は odel uses 1000 phot ons for Au and U but のコード) による解析。 Z のi4 ncident 乗則の割合となっている。 (飛跡は平面への投影 10,000 for water (Elsaessear 2007)1000 個の光子を入射したが、水に対しては 10,000 として表されている。 ) Au と U に対しては 個の光子であった事に注意されたい。(Elsaesssear et al 2007) Table 6.5 Biologically significant e nvironmental contaminants and materials 61 exhibiting phantom radioactivit y through the Secondary Photoelectron Enhancem ent (SPE) of nat ural background and m edical X-ray s 4 表6.5 自然環境と医療用の X 線の2次的光電子増強効果を通じてファントム放射能を 示す生物学的に重要な環境汚染物質と元素 元素 Z Z4/生体組織 発生源 備考 U 92 22642 Th Bi Pb Hg Au 90 83 82 80 79 20736 14999 14289 12945 12310 Pt W 78 74 11698 9477 Ta I 73 53 8975 2493 武器からの粒子、核燃料サイ DNA と結合する; 動物実験で クル、原子爆弾と熱核爆弾の ガンを引き起こす、かなりの 実験 低濃度でゲノムに障害を与え る事が知られている。 白熱マントル、造影剤 とても溶解しにくい 一般的な汚染物質 溶解しにくい 一般的な汚染物質 化学的毒性; SH 基と結合 一般的な汚染物質 化学的毒性; 酵素と結合 人工器官、リウマチに用いる 摩擦粒 子は体 の中を移動 す コロイド る; 不活性かつ溶解しにくい 車の触媒、一般的な汚染物質 不活性かつ溶解しにくい 兵器、一般的な粒子状汚染物 ネバダ州ファロンにおける小 質 児白血病の集団と関係してい る; ゲノムへの障害を与え、 動物実験でガンを引き起こす コンデンサー 甲状腺、血漿 放射線感受性 62 第7章 低線量における健康 影響の確立: リスク 第 7.1 節 低線量域の被ばく源 諸集団は自然及び人間の活動がもたらす被ばく源からの電離放射線に被ばくしている が、健康被害の評価は、しばしば人間活動による被ばくと自然の被ばく源によるそれとの 比較に基づいてなされている。第4章で明確にされた点は別にして、「神の振る舞い」と人 間活動との比較については、本委員会は、それぞれの被ばくは細胞もしくは DNA レベル で評価されるべきであり、したがって異なるタイプの被ばくの比較は危険であるという原 則を確立したいと強く考えている。特に、下の表7.1に示しているような相互比較は、 リスク認識における主要な誤りの原因になっている。 表7.1 放射線防護における考察で用いられる危険な議論。 比較されるもの 自然 外部被ばく 自然な形態にある同位体 比較するもの 問題 新しい同位体(novel) 内部被ばくに対する異常もしくは 異質な放射性同位体 内部被ばく 細胞の被ばく線量は定量的に異な る 技術的に増強された自然同位体 異なる物理的化学的形態、濃度 自然のバックグラウンド放射線被ばくについての議論は別にすることにして、ここで は放射線被ばくの線源について簡潔な概観を与える。本委員会は、自然放射線による被ば く線量範囲は一般的に低線量であると認める。これは ICRP の測定体系によって定義され るところによれば、0 から 5 mSv の範囲である。しかしながら、言うまでもなく、細胞線 量や組織の体積線量(tissue volume doses)はより高くなるだろう。 第 7.2 節 放射線被ばくの自然線源 自然放射線の線源は4つの範疇に分けられる: ・ 宇宙放射線 ・ 岩石及び土壌中の天然同位体元素からの外部ガンマー線 ・ 体内の天然同位体元素からの内部放射線 ・ 岩石及び土壌中からのラドンとトロンガス、及びそれらの崩壊生成物。 本委員会は、これらの被ばくと同じ線源であっても人的活動によって増強されたそれらの 被ばくとを区別する。特に、次のようなウランとトリウムならびにそれらの崩壊娘核種へ の被ばくが増加してきている: ・ 石炭の燃焼 ・ リン酸肥料の製造と使用 ・ 自然放射能の商業利用、例えば、トリウムの白熱マントル、バラストやシール ドの材料として使われるウラン ・ 石油を産出するパイプの沈着物と工程用水(ラジウム、ラドンの娘核種) ・ 天然ガス生産(ラドン、娘核種) ・ 核燃料サイクル(ウランと娘核種) ・ 劣化ウラン(DU)兵器を含む、ウランの軍事利用 63 ・ 高高度飛行による宇宙線被ばく これらのほとんどの被ばく線源による被ばく線量を定量化するために、ICRP は自身に特有 の方法を使用してきている。その例を下の表7.2に示す。 ラドンとその崩壊生成物による被ばく線量が支配的になっており、それは注目され るべきではあるが、これはその被ばく源について評価された吸収線量である 60 µSv に荷重 係数 20 が掛けられた結果である。これは ICRP の価値判断の広がりの程度を示しており、 線量単位におけるこのような選択が、あらわれる損害を異常に膨らませるかもしれないの で、この問題について検討する。ラドンガスのもたらす問題については下の第 7.3 節にお いて簡単に再検討する。 表7.2 英国に居住する集団の自然被ばく線源からの年間実効被ばく線量、NRPB によ る。これらの数値は、ヨーロッパ人の集団に対して ICRP モデルを使用して合理的に評価 された被ばく線量になっている。 被ばく源 平 均 (µSv) 範 囲 (µSv) 280 二次宇宙線 200 300 100 宇宙中性子線 50 510 480 地上外部被ばく 100 1000 12 炭素-14 内部被ばく 無し 165 カリウム-40 内部被ばく 無し 120* ウランとトリウム内部被ばく 可変(variable) 1105* ラドンと娘核種 300 100,000* 90* トロンと娘核種 50 500* 2352* 総 計 1000 100000* *これらの数字は荷重係数 20 を与えられたアルファ崩壊からの寄与を含む。ICRP の価値判定によ る値であるこの荷重によって、ラドンが線量全体に中心的に寄与することになっている。 (訳注:トロン Tn はラドン Rn の同位体で質量数は 220 、トリウム系列のラジウム Rn-224 の壊変 によって生成し、半減期 55.6 秒でポロニウム Po-216 にアルファ壊変する。Tn=Rn-200 ) 本委員会は、ICRP や他の放射線防護機関によって採用された自然バックグラウンド放 射線の定義が、環境への放射能放出の歴史的な結果である人造放射線による被ばくをその 中に包含させてしまうという不謹慎な扱いを原子力開発者に思い止めさせるほどには、そ の概念が十分に厳密化されていないことを憂慮している。このため本委員会は、被ばくの 自然バックグラウンドレベルを、考えている地域に核時代が出現する以前において存在し たであろうレベルに運用的に定めることとし、その時期を 1910 年とした。その局地的な環 境に加えられた被ばくのどのような源泉も考量されるべきである。なぜならば、そのデー タに示されているものは人類がしでかしたことである(anthropogenic)と考えられるべき だからである。そして、負債についてのどのような疑問にも関係なく、基礎的なレベルに 加えてそれらの起源が記述されるべきだからである。 第 7.3 節 ラドン 本委員会は、ラドンガスの効果を評価することについての全体的な状況を明確にして おきたいと考えている。内部被ばくと外部被ばくとの対立を含むものに加えて、それは ICRP モデルに別の問題があることを認めさせる:そこには全身被ばくと局所被ばくとの対 64 立を含む、広い範囲にかかわる議論が存在している。後者の範疇にはラドンガスと医療 X 線の両者が含まれる。被ばく線量の議論において、これら両者は核汚染よりもより大きな 危害であるとして誤って伝えられていたようである。それにも関わらず、ラドン被ばくの リスクモデルに関していくつか未解決の問題が存在する。例えば、気管支上皮組織への吸 収線量は、(アルファ線の RBE と表面の細胞の中へエネルギーを弱めている ICRP66 のモ デルから導かれた)5.5 mSv 平均から約 1 mSv の実効線量まで、0.2 の係数で ICRP によっ て荷重されている。ICRP は体の他の部分に対する寄与は無視できると考えていて、このお かげで、ICRP は骨髄と他の重要な器官に対するラドンの線量を過小評価していると言われ てきた。 自然土壌からのラドン放出の評価値は、平方メートル当たり 0.2 mBq/s から同 52 mBq/s までの、広い範囲で変動する。それは土壌の多孔性、湿分保持量、温度といった、その土 壌の状態に影響される。そのエマネーション(emanation: 発散)は雪や氷、強い雨、大気 圧の増加によって低減される。それには日変動もあり、夜の終わりに向かってエマネーシ ョンは最大となり、午後には(半分の率になる)最低値を持つ。ウラン鉱山の近くでは、 技術的に増強された放出(TENORM)の結果として、その率は数桁の大きさで増大する。 地球の地殻の岩石中に深く埋められたラジウムよりも、地表レベルで破砕された岩石の方 がより多くのラドンを放出する。今日におけるラドンガス問題の多くは、1950 年以降の核 兵器と原子力発電とを支えるためのウランに関わる活動によってつくり出されてきた:こ れには海洋に放出されたウラン廃棄物から放出されたラドンも含まれる(Hamilton 1989)。 まとめると、本委員会は、ラドンとその娘核種からの線量は誇張されてきていると考えて いる。この誤った記述は、人工放射性核種(artificial radionuclides)によるヒトへの被ばく を小さく見せかける役割を持たされてきている。とは言っても、ラドンの健康への影響は、 肺ガン以外のガンをおこす放射線被ばくを無視した ICRP のモデルでは現在考えられてい ない条件の広がりを含んでいるのかもしれない。ラドンに被ばくした鉱山労働者やその他 の者に対するいくつかの研究は、そのような考え方を強く支持する。ラドンへの被ばくと その健康効果については、別の報告書の主題にしたいと考えている。 第 7.4 節 人工放射線源 人間の活動に由来する放射線源には、主要には7つの範疇がある: ・ 核兵器爆発からの降下物 ・ 原子力施設の事故からの放出 ・ 認可無しに、または許可をうけて核施設から放出された放射性廃棄物。これに は汚染物質の再懸濁、海から陸への移行、再循環が含まれる。 ・ 自然放射線の人工的な増強。例えば、化学肥料生産、石油生産、ガス生産、ウ ラン鉱業、劣化ウランの軍事利用、高高度飛行。 ・ 医療用画像処理や治療 ・ 研究を含む職業被ばく ・ 電子測定機器、例えば、計測器、煙探知機、厚さ計 UNSCEAR2000 は、これらの被ばく線源のほとんどについて扱っており、北半球と南半球 とにおいて最も影響を受けた集団に対するそれぞれの被ばく源からの ICRP モデルにした がった線量の近似的な見積もりを与えている。表7.3は英国の住民に与えている人工被 ばく源からの ICRP による年平均被ばく線量の範囲についてのおおよそを示している。そ こには線量の非常に大きな広がりがあり、局所と遠距離の集団に対する被ばくを正確に計 65 算するのは一般的に不可能である。この文脈において、これらの被ばく源の多くからもた らされるリスクの評価が、一次的な被ばく源から被ばくする個々人までの放射性核種移動 の分配モデルと、それに続く第6章で述べた ICRP モデルの応用とに基づいてなされてき ていることを本委員会は懸念している。結果として得られる線量は、還元主義のたまもの (reductionist)であり、両方の手順に実際に含まれている誤差の複雑な複合体である。そ れにもかかわらず、その結果が与えるあるひとつの数値がいつも平均的な自然バックグラ ウンド被ばく線量と、そして外部放射線に被ばくした集団からの結果と比較されるのであ る。このような比較が、被ばくした個人の健康上のリスクを評価する目的のためになされ ている。そのような健康に対するリスクは、通常はガンであるが、ある疾病に計量可能な 増加をもたらすことのできる線量の大きさに制限を設ける死亡率の範囲を、自然バックグ ラウンド放射線レベルの変動の程度が決定するという考え方に、言外に当然のこととして (そしてしばしば明示的に)基づいている。しかしながら、そのような比較は根拠のある ものではない。というのは個々の細胞線量、線量率や時間的分割は大きく異なっているか らである。本委員会によって採用されている生物学的等価線量のアプローチは、あらゆる 種類の被ばくからの線量を厳密に比較できるようにすることによって、この問題を解決し ようとするものである。 表7.3 人工放射線の被ばく線源と ICRP にしたがって計算された線量。本委員会はこ れらの線量を別のやり方で計算していることに注意(第6章)。 被ばく源 線 量 範 囲 (ICRP モ デ ル ) 備考 地球規模の核実験から 1960 年 代 に ピ ー ク を 持 ち 積 算 線 量 は 降雨量の多い地域では、3:1 の の降下物 1000 2000 µSv。現在では年間 10 µSv。 割合で線量が最も高くなる。 欧州に影響を及ぼした ウインズケール 1957(10 4000 µSv)と チェルノブイリによる線量が 原子力事故 チェルノブイリ 1986(1000 µSv) 最も高かったのはブルガリ ア、オーストリア、ギリシャ 核施設からの放出 最も放出の多かった 1970 年代において、「決定集団」は魚と貝類を食 決 定 集 団 へ の 線 量 は 、 変 動 が あ る が べているが、吸入がより重要 5000µSv は超えない。 な経路である。それにもかか 公衆への平均線量は年間 10µSv 未満とさ わらずモデルでは十分に評価 れている。 されていない。 ウラン兵器ナノ粒子降 ICRP のモデルでは評価されず; 被ばく イラク、アフガニスタン、バ 下物 集団に対し 100 µSv 未満は無視できると ルカン半島で数千トンが使用 仮定 された 増強された自然放射線 変動 十分には評価されず TENORM 医療画像処理と治療 変動 一般的には選択的 (Generally elective) 研究を含む職業被ばく 5 年間で 100 mSv の実効線量制限(平均 内部被ばくは区別されず 20 mSv/y) 第 7.5 節 被ばく線量の評価 核開発の影響の評価は、その産業による大気や水への放出とそこにおける放射性廃棄 物の保持挙動、空間と時間とにおけるその漂積物の生物圏へ分配挙動を測定することから 始まる;すなわち、それの生態系や食物網への取り込みや生物圏内での残存、環境への移 66 行係数、ヒトによる摂取と体内での生理学的分配および生化学的性質、エネルギー付与、 公衆と作業従事者の線量評価、この被ばくのヒトと環境の健康への密接な関わり、である。 生命体系に対する影響を定量化するための何らかの方法が、濃縮レベルを健康影響と関係 させるために必要となる。歴史的に、そして単純化のために、この影響は吸収線量と呼ば れる単に質量当たりに吸収されたエネルギーを表す量を用いて測られてきている。ICRP の 一般的な方法論的枠組は、吸収線量の生化学的、生理学的、そして健康上の応答、及び、 その利益を得るための努力に対する罰としてどのくらいまでなら損害を許容することがで きるかについての決定(第4章参照)に基づいている。その物理量である「吸収線量」の 一般的な有用性に関する疑問については、以下においてさらに考えよう。 第 7.6 節 健康に対するリスク評価 電離性放射線被ばくがもたらす健康上の結果は、体細胞や生殖細胞の損傷に伴うもの である。したがって、ほとんど全ての疾病が含まれる。ICRP は確定的影響と確率的影響と の区別を論じているが、その確定的影響は低線量には存在せず、ガンや遺伝的影響以外の 確率的影響はないことを仮定してのことである。 したがって ICRP は、確率的影響の範囲においては、被ばくの主要な結果としてはガ ンにその関心を集中させている。そして、もっぱら高線量被ばくの疫学研究に基づいて、 ガンに対する確率係数、すなわちリスク係数を確定してきている。低線量あるいは中線量 領域においては、ICRP や他のリスク評価機関は、線量とガン発生率との間に直線的な応答 を仮定している。 本委員会は、放射線被ばくの唯一の確率的影響がガンであると想定しているところに ついては ICRP に従わない。成人の心臓病、幼児死亡や胎児死亡を含む、非ガンの結果に 及ぼす放射線の一般的な効果に、本委員会は関心を向ける。低線量被ばくに続く効果に関 しての ICRP による仮定と本委員会のそれとの比較を表7.4に示す。 被ばくした個人における放射線被ばくの結果は、細胞に対する身体的損傷に続くもの である。そのひとつの結果であるガンの場合には、即発的効果と遅延効果との両方がある と考えられている。時間変化に対するガンのリスクのこのようなパターンは、ガンの多段 階的病因(multi-stage aetiology of cancer)がもたらす結果である(Busby 1995)。ガンは今 日においては、被ばくした細胞及びその末裔の細胞における遺伝的損傷の蓄積がもたらす 結果であると考えられている。年齢の増加に対するガン発生率の特有なパターンは、損傷 を受けた細胞の複製回数に対する幾何級数的増加(a geometric increase)が、その細胞の末 裔のひとつが、その細胞(あるいは細胞のグループ)にガンを発現させるために必要な2 つ目のあるいはさらに続く遺伝的変異を獲得するために十分に高い確率をもたらすもので ある、ということを仮定することによって最も容易に説明される。ある被ばくの挿入は、 損傷のなかった細胞の中に最初の遺伝的損傷をもたらすか、あるいは既に存在していた遺 伝的損傷に新たな損傷を付け加えるということになる。最初の一連の遺伝的損傷を既に獲 得したそれらの細胞にとって、その被ばくはガンになるための最後の要請ということにな るだろう。損傷を受けていない細胞にとっては、その挿入は初期損傷を提供することとな り、ガン化の過程が開始される。 67 表7.4 ECRR と ICRP 並びに他のリスク評価機関によって考慮されている低レベル放 射線健康影響。 起こり得る健康影響 ICRP と リ ス ク 評 価 機 関* ECRR 委 員 会 致死ガン する する 非致死ガン しない する 良性腫瘍 しない する 遺伝性傷害 する する 幼児死亡 しない する 出生率低下 しない する 低体重出産 しない する IQ 低下 する する 心臓病 しない する 一般的健康障害と非特定の寿命短縮 しない する *UNSCEAR、BEIR、NCRP、NRPB 及び EU 加盟国の機関 加えて、被ばくはガンの過程を2つの方法で促進させることもできる。最初のものは プロモーション、すなわち、細胞における複製の速度を一般的に増加させることによる(こ のために突然変異が起きる公算と損傷細胞の数もまた増加する)。2つ目のものは一般的な 免疫システムにストレスをもたらすことによる。すなわち、免疫システムに基づく正常ガ ン細胞監視機構(normal cancer surveillance mechanisms)の抑制による。 第 7.7 節 損害 リスク評価のための被ばく線量のモデル化における線形的な体系を拡張するために、 ICRP は「損害(detriment)」という題目の下に数多くの荷重係数を導入してきている。損 害とはそれらの被ばくに起因して被ばくした人々の集団が経験するところとなる害の全体 (total harm)を表す量である。実際のところ、この荷重係数の体系は色々な目的のために 採り入れられている。そのひとつは、連続的なあるいは累積的な被ばくの結果を評価する ためである。他のものは、体内における等価線量の異なった分布を評価し、組織荷重係数 を選択するためである。その方法は、あらゆる種類の集団における全ての種類の放射線に 対するどのような種類の被ばくも一組の線形方程式になるように工夫する実用主義的試み であるが、途方もなく複雑で扱いにくいものになっている。これに加えて、実効線量(こ れはおびただしい数の荷重係数の選択を含む)と発ガン率との間の最終的な関係を与える ために用いられている諸過程によって、数多くの誤差と誤った仮定とが表だっては見えな いようにされている。結局のところ、損害という概念は、使いやすい量であるとしても、 合理的と言えるような方法において採用されることは間違いなく不可能である。 この問題に対する本委員会の答えは、ガンを除く一般的な健康の一般的な低下に関 係する、1 mSv ECRR 被ばく当たり 0.1%の生活の質の損失についてのリスク係数を確定す ることである。生活の質を失う事に対して、ICRP の計算によって 0.8 mSv と慣例的に評価 されている体内の核分裂生成物に対する被ばくは、200 mSv ECRR におよそ相当し、生活 の質を 20%低下させるであろう。これは、被ばく集団の生涯にわたって遺伝的または体細 胞遺伝的な構成要素を持つすべての疾患から 20%増加したリスクを伴うであろう。この 2010 年の報告において、本委員会は 1 Sv あたり 0.05 の心臓病に対する固有のリスク因子 68 も含めた。これは、放射線療法、核実験の放射性降下物、チェルノブイリで被ばくした人々 の心臓病の増加したリスクに基づいている。この問題に関しては、第13章においてさら に論じる。 生活の質の損失はガン以外の死因をも含むので、放射線によるガンだけに焦点を当て てしまうと、死因を見誤り疫学的に間違った結果を与えるかもしれない。もしあなたが心 臓発作ですでに死んでしまっているとしたら、もはやガンで死ぬことはできないのだから。 第 7.8 節 ガンのリスクについての ICRP モデル 詳しくは説明されていない理由によって、被ばくと臨床的発現との間には常に潜伏期 間があり、さらに、ガンの発生率と被ばく線量との間には線形関係があると、ICRP は仮定 している。被ばくによるガンの発生については有効な2つのモデルが存在する。最初のも のは、被ばくによる過剰死が同一のガンについての自然死と時間に対して同じパターンを 持つとの仮定に立っている。これは相乗的リスク予測モデル(multiplicative risk projection model)とよばれる。もしもこのパターンが寿命を通して続くのであれば、ガンの自然死と 放射線被ばくによる過剰死との間には単純な比例関係があることになる。別のものは、相 加的リスク予測モデル(additive risk projection model)とよばれるもので、過剰死は自然死 とは独立して広がっていると想定している。その率は被ばくの後に増加し一定の値をとる。 すなわち段差となって現れるとされる。主としてヒロシマの研究による疫学的証拠に基づ いて、白血病を除く全てのガンに対して ICRP は相乗的リスク予測モデルを採用すること を選択している。 影響が現れるリスクは線形的であるとした仮定にしたがって、単位被ばく線量当たり のガン発生率の最終的評価は、ICRP によって名目確率係数(nominal probability coefficient) として与えられている。これはリスク係数とも呼ばれる。この値は明確に決定された被ば くパターンを持つ代表的集団についてのリスク係数である。それはあらゆる線量率におけ る低線量域での被ばくに適用される。その名目確率係数の値を導くに際して、ICRP は競合 する死因からの確率を割り引くことを許している。これは(先に述べた)相乗的モデルを 採用したために必要となったものである。 これに加えて、外部被ばくについて観察された線量応答曲線の非線形性に関係する議 論にしたがって、ICRP は線量・線量率効果係数(Dose and Dose Rate Effectiveness Factor DDREF)を採用している。それによって、低線量での効果は高線量でのものよりも厳しく はならないと信じて、低いレベルの被ばく線量に対するリスク係数は低減してもよいこと になっている。ECRR はこの DDREF を採用するやり方は選ばず、それを生物学的実効線量 に包含させることにしている。 ICRP によって表されるリスク係数は確率として与えられているので、いろいろな方法 で表現することが出来る、例えば: ・ 高線量及び高線量率領域におけるガン確率についての ICRP 2007 の絶対リス ク値は 5.5 10-2 /Sv である(すなわち、この数値を線量とその線量で被ばくし た人の数に掛け合わせると、ガンの人数になる)。 ・ これは 1Sv で 10,000 人あたり 550 人の致死ガンが発生する、とも表現できる (すなわち、1万人の人々がそれぞれ1シーベルト被ばくすると、その結果と してその集団内に 550 人のガン患者が発生することになる) ・ このリスクを表す別の方法はパーセンテージである;1Sv あたり 5.5%(すな わち、もし 100 人が 1 シーベルトの線量をそれぞれ受けるならば、5.5 人がガ 69 ンに冒される) 第 7.9 節 子孫における確率的影響:遺伝的傷害 体細胞の損傷の結果としてモデル化されるガンとは別に、ICRP は生殖細胞の損傷(突 然変異と染色体異常)が子孫に伝わるかもしれないことを認めている。これは被ばくした 個人の子孫において遺伝的疾患として現れる可能性がある。現在の放射線リスクモデルに 根拠を与えている ICRP1990 年勧告は、ヒトにおいては、放射線がそのような遺伝的影響 をもたらす原因になることは確認されていないが、植物や動物における実験ではそのよう な影響が起こることが示されており、そして、そのような効果は、検出されない些細なも のから、重度の奇形や機能喪失、そして早死にまでわたるであろうと述べている。ICRP が このように記した後になって、ミニサテライト DNA 試験処理の応用は、チェルノブイリ の「清算人(liquidators: リクビダートル)」の子孫の間にそのような突然変異の明白な証拠 を示した。この問題については第13章で述べる。 全ての世代にわたる、そして、被ばく集団全体にわたる生殖腺線量の分布に関係す る(多因子遺伝影響を除く)重篤な遺伝的影響についての名目遺伝影響確率係数(nominal hereditary effect probability)は、現在 0.2 10-2 /Sv であるとされている。実はこれは ICRP1990 の値より小さい。その影響の約 80%は、突然変異に関連する優性および X 染色体の変異 (dominant and X-chromosome linked mutation)のせいである。 ICRP は、もしも害が起こるとすれば失われることになる寿命の年数への荷重も含めて いる:これは第 7.5 節で述べた、「損害」の体系の一部分となるひとつの係数である。 第 7.10 節 胎児における被ばく影響とその他の影響 アリス・スチュワートのオックスフォード調査データは 10 mSv の X 線線量を胎内で 受けた子供たちのガンが 40%増加した事を示した。このデータは今では 1 Sv あたり 40 の 外部光子放射線に対する胎内リスクを定義しているものとして受け入れられた(Wakeford & Little 2003, CERRIE 2004, 2004a)。チェルノブイリ放射性降下物に対する内部被ばくに対 して、またヨーロッパの4カ国のメタ分析(meta-analysis)を用いることと小児白血病への 取り組みから、この分析に子供の年齢に応じた効果が含まれておらず、線量応答が二相性 (biphasic)であるにもかかわらず、上の値は 160 倍も低すぎる。データが解析された何ヶ 国かの胎児の線量による別の解析は 100 から 600 倍の誤差要因を与える(Busby 2009)。本 委員会は胎児の外部 X 線に対して 50 Sv-1 の値を用いる。内部影響は内部の放射性同位体に 対する線量の調整方法に含められるので、上の値は保たれるであろう。 第 7.11 節 全身体的影響についての ICRP のリスク係数 低線量領域における放射線への被ばくの種々の結果についての ICRP のリスク係数を、 表7.5に示す。これらの係数は全て、損害の概念に含まれている様々な荷重を含んでい るが、ECRR のリスク評価体系の基礎として使用することになる値である。数多くの研究 が、これらのリスク係数には2倍から20倍までの間の誤差を持っていること、すなわち、 ガンのリスクは示されているよりもやや大きいことを示唆してきているが、内部被ばくと 外部被ばくとの区別の問題についてはこの文脈においては未だ述べられてはいない。本委 員会のリスク係数もまた同じく表7.5に示している。この問題は第10章と13章にお 70 いて考察する。 表7.5 全身影響についての全集団に対する ICRP2007 並びに ECRR の修正リスク係数 結 果 致死ガン 非致死ガン 良性新生物 遺伝性疾患 胎児期被ばく後の奇形 心臓病 胎児期被ばく後のガン 胎児期被ばく後の IQ 低下 胎児期被ばく後の重篤な精神発達遅滞 Sv-1 で表した名目確率係数 ICRP リ ス ク 係 数 (毎シーベルト) 0.05 0.1 ECRR リ ス ク 係 数 ( 毎 シ ー ベ ル ト ECRR) 0.1 0.2 考慮されていない 0.02 評価中 b 0.04 100mSv 閾値 仮定されていない 0.2a 閾値無し 0.05 50 30 IQ 指数; 100mSv 閾値 0.4; 100mSv 閾値 30 IQ 指数; 閾値無し 0.8; 閾値無し これは ICRP1990 の値である。ICRP2007 では値を取り消しているが、リスクは幼年初期での被ば くと同じであると主張し、値を与えないでいる。 b 放射崩壊による良性頭蓋腫瘍については Schmitz Feuerhake et al 2009 を見よ 注:労働者についての値は、適用できるところでは、労働者に対しては年齢分布が異なることによ って、これらよりも僅かに小さくなる。詳細については ICRP 刊行物を参照のこと。 a 第 7.12 節 個々の組織と臓器についての ICRP のリスク係数 「実効線量」の量を決定するために(第 5.5 節で述べた)ICRP によって用いられてい る臓器荷重係数は、荷重された臓器等価線量が含まれる組織や臓器にかかわりなく、広く 同じ損害を生み出すことを確かなものにするように ICRP によって選定された。適用され た荷重が含むのは次のもの: ・ 被ばくに帰因させることのできる致死ガンの確率。 ・ 非致死ガンの荷重確率。 ・ 重篤な遺伝的障害(hereditary defects)の荷重確率。 ・ 寿命喪失の相対的長さ。 そのモデルは、個々の臓器の被ばくによる致死ガンリスクを評価するような方法において ICRP に組織の感受性や他の係数にしたがって致死リスクを分割することを可能ならしめ ている。この分割のために選ばれた係数を表7.6に示す。 ICRP はまた、合計した損害についての数値(figures)や労働者に対する別の組の数値 を与えている。それは後者に対する異なった年齢区分(different age breakdown)を許容す る。ここでのアプローチはそれらの利用を必要としていないので、これらについては表7. 6には示していない。 71 表7.6 低線量被ばくにおける個々の組織・臓器の ICRP ガン発生リスク係数 a 組織または臓器 リス ク 係 数 43 膀胱 42 骨髄 7 骨表面 112 乳房 65 結腸 30 肝臓 114 肺 15 食道 11 卵巣 1000 皮膚 79 胃 33 甲状腺 20 遺伝性 144 残りの臓器 1715 総計 a 被ばく1Sv に対する 10,000 人あたりの名目確率係数 第 7.13 節 ある被ばく集団における致死ガン発生率の計算 数 mSv までの低線量の範囲を超えると、ECRR は線形で閾値無しの線量応答はひとつ の近似であると仮定している。このように、同じ近似である限り、ガンの過剰発生は放射 線被ばく線量に比例する(線形閾値無しモデル)。よって、この低線量領域を超えると、放 射線に被ばくした集団において発生するガンの事例数は、次のようになる: 事例 =(被ばくした人数 等価線量 [Sv]) (リスク係数 [/Sv]) もしも[人・Sv]単位での集団線量が分かっているならば、方程式の右辺は、次のように簡 単になる: 集団等価線量 [人・Sv] リスク係数 [/Sv] ECRR は分子レベルでの変異をもたらす放射線の有効性に対する荷重係数を含めることで 等価線量の計算を修正しているので、その計算は生物学的等価線量に置き換える以外は同 じである。したがって、ガンの過剰事例の ECRR による計算は次のようになる: 事例 =(被ばくした人数) (生物学的等価線量 [Sv]) リスク係数[/Sv] もしも[人・Sv]単位での集団線量が分かっているならば、方程式の右辺は、次のように簡 単化される: 集団生物学的等価線量 [人・Sv] リスク係数 [/Sv] 第14章においてこの方法を全地球規模での核実験降下物や他の被ばくに適用する。過剰 ガン死は、ガンの部位における発生対死亡比、その地域におけるガン登録によって一覧表 にされた人口と期間とを利用することで計算されるだろう。 72 上のガン発生数の計算のために本委員会が、ICRP の線形閾値無し(LNT)のアプロー チを用いたことは明らかであろう。真の線量-応答関係は、別途議論してきたように複雑で あって、一般的には2相的(biphasic)、すなわち、ある一定の線量を超えるとそれは低下 してその後再び上昇する。しかしながら、(放射性降下物や原子力発電所からうける線量の ような)ここで考察している線量の範囲や被ばくの種類にあっては、それらは 1 mSv 未満 であるので、その線量は2相的応答曲線のゼロから立ち上がっている部分にあると考えら れる。そのような限られた領域の中では応答曲線は近似的に線形であると仮定できる。こ の点は 2005 年に出版されたフランス IRSN によるコメントにあった批判に答える形ではっ きりさせておく。 このアプローチに必要とされる証拠については続く各章において与えられる。 73 第8章 低線量における健康影響の確立:疫学 第 8.1 節 証拠と推論: ブラッドフォード・ヒルの規範 第3章においては科学的な方法論について再検討したが、その方法とは基本的には帰 納法のひとつであることが明らかになった。もし我々が「電離放射線への被ばくはヒトに 対してどのような影響を持つのか?」という疑問に対する解答を知りたいならば、実験室 において既知の線量を被ばくしたヒトのある集団と、被ばくしていないが厳密に同様な集 団とを比較する研究から最も正確な解答が得られることだろう。このような実験を実施す ることはもちろん不可能である。しかしながら、前世紀の初頭より、世界中の異なった場 所において、様々な集団からなる人々への非常に数多くの放射線被ばくが発生してきてお り、それらの多くの被ばくの結果が、様々な被ばく線量における健康影響を理解し、最終 的にはリスクを定量化することを可能にするような証拠を提供するために、疫学者達によ って研究されてきている。 ICRP のリスク係数や ECRR のそれが基礎にしている証拠について論評する話題に移 る前に、疫学の手順や複雑な問題についてのいくつかを解説する。 疫学とは、ヒトの集団における疾病の分布と要因とに関する学問である。疫学の重要 な側面は、実験的であるよりも観察的であるので、データから導かれる推論にバイアス (bias)や混乱が起こる可能性のある領域で仕事をしなければならないということである。 化学では、ある青い液体がある緑の液体と混ぜられて赤い沈殿物をつくるということがあ るだろう:その実験が正しく繰り返される限り、これは常に起こり、そしてその結果は、 その反応過程が持つ性質についての推論を導くのに使うことができる。しかしながらある 疫学研究が、明白な結論を導くのを可能とする、デザインの特異性(specificity of design) を有し、研究集団と参照集団との間の制御されない変数が十分に除外されているなどとい うことは稀なことである。したがってこれは、研究に選択的なバイアスがかけられ、また は、ある結論を見出すかあるいは見出さないかを方向づけられさえするかも知れない分野 である。加えて、全ての研究は、文化や雇用、あるいは政治的な圧力を含む理由によって 反対の意見を持つグループからの、少なからぬ批判の対象になることもあるだろう。本委 員会は、公表論文や論説記事の中に、これら3つすべてバイアスの機構についての証拠を 見出してきている。放射線と健康とについての全ての疫学研究から結論を導くに際して、 本委員会はその研究の出所と、特に、その研究に資金を提供している団体や研究者にある と見込まれる方向性のバイアスを、非常に注意深く考慮している。 あらゆる疫学研究は、研究集団あるいは複数の研究集団(この場合にはある既知量の 放射線に被ばくした集団)と参照集団(被ばくしていないという点を除くと研究集団と同 等な集団)とを比較する。この理想的な研究を解釈しそのリスクの定量化を試みることに なる実際の研究を検討する前に、我々はまず最初に、分析手順のいくつかの側面を述べよ う。疫学研究において証拠から安全な推論を導くために従うべき手順の最も価値あるリス トは 1950 年代にオースティン・ブラッドフォード・ヒル卿(Sir Austin Bradford Hill)によ って考案され、ブラッドフォード・ヒルの規範と呼ばれている。それらは、放射線と健康 の場合に、提示されている放射線研究に応用することが出来るような短い説明を与えるた めの調査においても十分に価値があるものである。 74 第 8.2 節 ブラッドフォード・ヒルの規範 第 8.2.1 節 統計的有意(Statistical significance) 被ばくした研究集団と被ばくしていない参照集団との何らかの比較における議論の確 実なよりどころは、例えばガン死といった健康上の欠損における相違が統計的に有意であ り、偶然に起こったものではないことである。有意差検定(significance testing)は統計学 の分野であり、ひとつの結果が統計的に有意であるかどうかを見るために数多くの基本的 検定が適用される。 「有意な(significant)」という言葉は、科学の世界では特別の技術的な意味を持つが、 科学的なバックグラウンドがない世界でも一般的には解釈される。ある研究結果が「有意」 であると言われる時、偶然の結果ではないという意味合いにおいて、それは意味のあるも のだと見なされることを示している。統計は確率に基づいた方法論なので、それはあるレ ベルの過誤を、避けられないものとして受け入れている。したがって、「有意差検定」に合 格した科学的発見であっても、依然として間違っている可能性を含んでいる。 その「有意」水準は、もちろん、過誤のレベルに直接関係するものであるが、研究者 によって選択される。もしもその研究結果が潜在的により危険な意味をもつのであれば、 より高く設定されるべきである。科学研究において一般的に採用される有意水準は5%で ある。これは研究者が5%のレベルでの過誤を容認していることを意味している。すなわ ち、彼らは20回に1度は誤りを犯すことになる。 結論が「有意である」か否かを検定する手続きは、「仮説検定(hypothesis testing)」と して知られる。科学者は帰無仮説(null hypothesis)を検定するが、それは例外的なものは 何も生じていない、あるいは、見出された結果の分布は偶然から期待されるものと同じで ある、とする命題である。 統計学は研究を進めるにあって生じる可能性がある2種類の過誤を定義している。最 初のものは、第1種の過誤(Type I error)として知られている、科学者が最も関心を払う もののひとつである。それは、実際には偶然によってその結果が生じているときに、ある 研究結果が出ていると主張することによって生じる過誤である。ひとつの例としては、あ る薬が AIDS の進行を遅らせるのに効果的であることを示す医薬品試験でいいだろう;引 き続いての試験が同様の結果を見出すのに失敗したならば、その元の結果は5パーセント の過誤の領域に落ちたものであったことが明らかになる。プロとして、また対外的な信用 の理由から、これは研究者が最も恐れる種類の過誤である:実際にはその結果が偶然によ るものである時に、それが有意な結果であると主張する過誤。 しかし、放射線被ばくの潜在的に危険な結果という意味で特に重要となる、同じく重 要な別の種類の過誤が存在する。これは第2種の過誤(Type II error)であり、その仮説が 実際に正しい場合に、有意な結果を見出すのに失敗することとして定義される。それは研 究を行うことのリスクを表しており、試料の大きさのような技術的問題に関連するような 理由によって、統計的に有意な結果を見つけることに失敗することである。それは必ずし もその仮説が間違っていることを意味するのではなく、今回は有意さが見いだせなかった だけである。しかしながら、それは、実際にそれが有害な影響を引き起こしているときに、 その技術を使うことの正当性や、または極端な警告のためにそのプロセスが有害な影響を 引き起こしていない、という結論を許すかもしれない。 低レベルの放射線線量域における放射線リスクの研究は、非常にしばしば被ばくした 研究集団として、例えば原子力発電所のような点線源の近くで暮らしているような、少な い人数の人々を必要とする。問題としている病気の自然発生率が非常に低いために、大き 75 な数の人口に対して少数のガンの症例を扱う研究がある:例えば小児白血病。これらのタ イプの状況のそれぞれについて、その数学的問題を取り扱うための統計的方法が開発され てきているが、偶然を除外することが出来ていない(つまり、結果が5%のレベルでは有 意でない)ために、放射線被ばくによる測定された過剰リスクから結論を導くのに十分な 証拠は、個々の研究において最終的にはまだ無いままである。これはたいてい対象の数の 問題である。2つの集団の間にある試料の違いは明白であるが、しかし、含まれている数 では有意差検定を通過するのに十分ではないような場合、ブラッドフォード・ヒルは「統 計的に有意でない」ということを、イングランド法に言う「無罪(not guilty)」とするより、 むしろスコットランド法に言う「証拠不十分(non-proven)」と受け取るのがよいと論じて いる。それにもかかわらず、放射線と健康の分野の政治的判断は、「低レベルの放射線被ば くが危険である証拠がない」ということを「低レベルの放射線被ばくが危険でない」を意 味すると想定する、落とし穴に落ち込んでいるというのが実情である。 そのような証拠に重みを与えるために、本委員会は2つの決定をした。第一のものは、 予防措置のアプローチをとり、低い確率で高い衝撃的なリスクがあるそのような領域にお いて第2の過誤を起こすことを避けるためのものである。というのは、被ばくからの過剰 リスクを示している証拠が実際には偶然の結果であったとしても、放射線が誘導する効果 の証拠としてそれを誤って算入することは人類を脅かすことにはならないからである。逆 に、もし本委員会がこれとは反対の見方をして、実際上、それが実際に存在する効果を真 に測定したものであり、そして、単に形式的に有意でなかっただけであった時に、それを 証拠から排除したとすれば、多くの害悪が、その却下の後につづくことになるだろう。し たがって第二の決定は、その分野のリスク評価における信頼性(belief)の精緻化にベイズ 理論(Bayesian approach)を使用するということであり、(公表されていない結果を含む) 有意でない観察結果の各々に重みを与えることを認め、それらの有意さの度合いにしたが って放射線リスクの分野における信頼性の全体的確率を修正することを可能にした。上に 述べたように、1980 年代の英国カンブリア州にあるセラフィールドの核再処理工場近隣に おける小児白血病発生群の発見は、それが偶然であることが排除できないという理由から 批判を受けている。なぜなら、英国内には同じような地区が 500 以上あるので、その地区 の調査結果の統計的有意さ(p=0.002)は、セラフィールドの白血病群が偶然であること を捨て切れないと言うものである(訳注1)。しかしながら、小児白血病が過剰に発生して いるというこの発見は、ヨーロッパ内の他の2つの再処理工場や数多くの核施設の近くで も発見されてきている。最も最近の例では、ドイツにおける核施設の非常に大規模な研究 が、施設の5km 以内に住む0歳∼4歳の子供の小児白血病のリスクが通常の倍であること を発見した(文献:Spix et al 2008, Kaatsch et al, 2008)。それぞれの新しい事例により因果 関係の確率を修正するベイズ統計理論は、本委員会においてその因果関係の信頼性に確固 たる基礎(a firm basis of belief in the association)を与え、それらの周辺環境の下での被ばく からのリスクレベルに関してのしっかりとした結論を導くことを可能にしている。 (訳注1:確率が p=0.002 であるような事象は、500 回に一回の割合で「偶然」に現れる という理屈による批判である。0.002500 = 1 ということ。) 第 8.2.2 節 関連性の強さ(Strength of association) リスク因子と疾病との間には強い関連性(因果関係)を示す証拠があるべきである。 別の言葉で言えば、対照をなす集団の調査研究の下で、(疾病)条件の相対的な発生率を検 討する必要がある。 76 第 8.2.3 節 一貫性(Consistency) 関連性(因果関係)は、異なる個人、異なる場所、異なる周辺環境と時間において、繰 り返し観察されているべきである。進行中の多くの調査研究を用いて、数多くの環境との 関連性が放棄されるだろう。統計的有意についての慣例的検定においては、それらの幾つ かは偶然によるものではないように見えるかも知れない。それにもかかわらず、偶然偶然 によるものと説明されるか、それとも実際の危険が現れてきているのか否かについては、 時としてその周辺環境と観察の繰り返しによってのみ、解答が得られるかもしれない。広 く様々な技術を使い、そして異なった状況における研究によって、ほぼ同様の解答が得ら れなければならない。 第 8.2.4 節 特異性と可逆性(Specificity and reversibility) 関連性は特異的(specific)であるべきである。その疾病の関連性は、理想的には、推 定上の原因による被ばくに限定され、これら被ばくした者は他の種類の病気や死亡の様態 (modes of dying)からの余分なリスクによっては損傷を受けているべきではない。放射線 リスクの分野では、妥当な生物学的モデルが遺伝的損傷と身体的損傷とを含んでいるので、 疾病の特異性(disease specificity)を決定するのは難しいかもしれない。放射線被ばくに特 有な結果として考えられるようになってきたのは、特に小児における白血病である。しか しながら、特異性は原因と影響との両方の角度から正確に決定されるべきである。低レベ ルの放射線被ばくの場合には、外部被ばくと内部被ばくとの区別の欠如が、導かれる結論 を不正確なものにしている。特異性と結びついているのが可逆性である。それゆえ、原因 を取り除くことによって、理想的にはその疾病の発生率は下がるはずである。しかしなが ら、これはガンの場合に適用するのは困難な考え方である。なぜならば、遺伝子的損傷は その損傷の原因を取り除くことによっては除去されないからである。 第 8.2.5 節 時間における関連性(Relationship in time) そのリスク因子が、疾病の開始より先行しているという証拠が明確に存在しなければ ならない。 第 8.2.6 節 生物学的勾配(Biological gradient) 線量応答効果(dose-response effect)の証拠が存在しなければならない。これは通常、 被ばく線量が増加するにつれて、ある割合でその病気の発生率もまた増加するはずである、 という意味にとられている。しかしながら、いくつかの考察は、ある特定の最終結果につ いては、これは必ずしも真実ではないことを明らかにするだろう。一例として、被ばくに よる出生時奇形(birth malformation)を取り上げよう。(放射線)ストレスがゼロから増加 するに従って胚(受胎後8週以内の胎児)への損傷が増加し、ついには奇形のリスクの増 大として発現するだろう。ある時点では、その損傷の重みが非常に大きくなりその胚は死 ぬことになる:この線量においては、先天性の奇形はそれ以上には存在しなくなり、単に 出生率(birth rate)が低下するだけである。放射性同位元素の内部被ばくをした女性は流産 の率があがることが示されている(文献: Fucic et al. 2007)。社会的なものも含めて、出生 率の低下には可能性のある理由が数多くあるので、突然変位誘発要因となる大きな線量の 被ばくが先天性異常(birth defect)の増加をもたらさなかったという事実があっても、低線 量の場合の考慮と被ばく応答関係が適切に考慮されていない限り、それを影響がないこと の証拠としてはならない。この全くの誤解が、チェルノブイリによる放射線被ばくはヨー 77 ロッパの集団の中で、先天性異常、死産、乳児死亡率に有害な影響をなにも与えていない という信仰(belief)を導いたようである。数多くの論文が、その被ばくから9ヶ月から1 2ヶ月の後に生じた出生率の急激な低下に注意を払わないデータに基づいてこれを主張し た。同じようなタイプの誤りは、ある個体の集団が放射線に対してより大きな感受性を持 つかもしれない生態学研究についてもあてはまる。通常の細胞分裂の結果としての放射線 に対する二元的感度(dual sensitivity)の存在もまた、2相的な(biphasic)な線量応答関係 をもたらす。すなわち、線量の増加により影響が増加する領域と、反対に線量の増加が効 果の現象をもたらす2つの領域をもつ。誘導細胞損傷修復(inducible cell-damage repair)の 存在も、同様に原因と影響との間の2相的な関係をもたらす。 第 8.2.7 節 生物学的妥当性:メカニズム(Biological plausibility: mechanism) ブラッドフォード・ヒルは次のように言っている。「例え我々にとっては求めるすべの ない特性であったとしても、我々が原因ではないかと疑っている因果関係が生物学的にも っともらしい(妥当な)ものであるとすれば、それは役に立つだろう。しかし、何が生物 学的に妥当であるかは、その時代の生物学の知識に依存する。だから、あるすばらしい随 筆家が、統計学の価値と誤謬について書く際に、「他にも数々のばかばかしい連想がある中 で、ある移民船の三等船室で夜をすごした外来者が、そこで感染してしまったチフスを、 病気を感染させる害虫のせいだとしていることは、ばかげたことではない」と結論付けて しまったのは、十九世紀における生物学的知識の欠如のせいである。このような理由から、 もっともらしい生物学的モデルが欠如しているという理屈のために、低レベル放射線被ば くがもたらす健康損害の証拠が捨て去られることがないように本委員会は切望している。 特に、低レベル放射線被ばくの細胞線量についての ICRP の仮定は、線量と応答との間の 線形関係を論じるために、どんなふうに機械論的な議論が使われてきたかについてのよい 例を提供している。その線形関係の主張は、大きな臓器に対する外部からのランダムな被 ばくに対してしか有効ではない子、いずれにせよ、そのような仮定は、以下において概観 する、ゲノム不安定性(genetic instability)やバイスタンダー効果(bystander effect)につい ての最近の研究によって凌駕されている。 第 8.2.8 節 代替の説明(Alternative explanation) 観察された関連性について、納得できる代替の説明や、混乱があってはならない。 第 8.3 節 放射線疫学への応用 この章の目的とは、疾病の環境的原因についての疑問を理解するための因果関係を評 価する一般的に受け入れられている方法を概観することであった。続く各章においては、 低レベルの放射線被ばくがヒトの健康に有害な影響を持っているという証拠を分析し、こ れらの影響についての定量的な評価に取り組むために、暗黙のうちにあるいは明示的にこ れらの方法が利用されることになる。ICRP の立場は、(その体系に定義されている)5 mSv 以下の線量では、とにかく何も測定可能な影響が存在しないというものである。実際に、 彼らのリスク係数は(ICRP の定義による)1 mSv について、この「最大許容法定線量 (maximum permissible legal dose)」で 5 10-5 の致死ガンリスクを予想している。これは被 ばくした2万人が70年の寿命期間のうちに、ガンにより1人余分に死亡するというもの である。ガンの発生率が増加してしまった人、核施設の近くに住んでいる人、そして、放 射性汚染物質に低レベルで被ばくさせられた人、これらの人たちにとって(被害との)因 果関係は、ICRP の計算どおり、疑いもなく退けられることになる。しかし、そのリスク係 78 数が強度の外部放射線照射の研究から選び取られたものであるという明白で主だった批判 を別にしても、奇妙なことに ICRP の側においては、彼らの問題にブラッドフォード・ヒ ルの原理を適用しようとする努力が一切なされてきていないのである。本委員会は、以下 の表8.1に示す結果に、そのような分析を試みてきている。 第 8.4 節 動物実験 本委員会は、種々の動物における低レベル被ばくの効果を調べている研究を再調査し てきた。それらの研究の大多数が様々な種類の電離放射線による大量で強度の高い外部被 ばくの効果を調べており、それらが有益な情報を提供するであろうと認めている。それら はまた、数多くの研究が様々な放射性同位体による内部被ばくのもたらす健康上の影響を 調べてきていることを記している。被ばくによる晩発性の影響に関して、本委員会は、そ のような結果をヒトに外挿することについて主要な3つの留保をおく。まず第1に、短寿 命の動物を使った研究について、最初の遺伝子損傷に続いてガンが成長するための時間の 長さは、非常に限られている。そしてそれは個体の寿命よりもおそらく著しく長い。第2 に、(限られた数の動物を使わなければならないという経費の理由から)観察可能な影響の 結果を得るための必要性が、その研究に使われる線量を非常に高いものにしており、そし て線形線量応答(あるいは連続的に増加する線量応答)の仮定によって、参照集団や低線 量集団は非常にしばしば異常に高いレベルのガンを示している。最後に、細胞の修復やガ ン監視機構(cancer surveillance mechanism)における生物種間の相違のために動物の使用は 正当化されないかもしれない。 本委員会は、内部被ばくについての広範囲の動物実験が、ICRP やその他の(放射 線)リスク評価機関によって取り組まれていない、深刻な発育上の影響や、小児死亡率の 影響を明らかにしていることに、関心を持って注目している。 第 8.5 節 理想的な疫学研究 本委員会は、疫学研究と動物実験は、被ばく集団に関係したある特定の最終結果(end point)と正確なデータとを、同じ被ばく源からの被ばくしていない厳密に対照をなす参照 集団からの同様なデータと理想的な状態で比較するべきであると考えている。被ばくの経 路や被ばくの種類をよく特定し、混合していてはならない。実験室の外ではこのような種 類の研究をするのが可能な状況はあまりないだろうが、しかし、そのような研究が可能で あるにもかかわらず、それが取り組まれなかったり、そのデータが機密にされたりしてい るような研究を本委員会は非常にしばしば見てきている。本委員会は、その理想にもっと 近い研究が出来るようにするために、小さな地域の集団に対する発病率と死亡率のデータ を独立した調査が自由に利用できるようにすることを強く勧告する。さらに本委員会は、 電離放射線に被ばくしたよく定義された集団についての時系列データが、その効果を調査 するのに最も良い機会を提供することになるだろうと確信している。なぜなら、それは研 究集団がそれ自身と比較されうるからである。 第 8.6 節 明白な証拠 本委員会は、チェルノブイリ原発事故によってまき散らされた放射性物質に胎内被ば く(in utero exposure)し、それによって6カ国において小児白血病が増加したことで実証 されている低レベル放射線被ばくの影響についての明白な証拠に注意を向けている。これ らの結果は低レベル放射線被ばくについての ICRP モデルには信頼できないことをはっき 79 りと示している。疫学的に、その観察結果が間違いであることはありえない。なぜなら、 各国におけるその参照集団は、被ばくしていない同一の集団であり、被ばくと影響との間 の時間差は、その白血病の増加を説明する他の混乱原因が無いほどにまで十分短いからで ある。その観察結果は、第10章において概観する。 表8.1 公表された放射線リスクの疫学研究にある過誤 過誤 備考 間違った線量 研 究 は 一 貫 し て 測 定 あ る い は モ デ ル 化 さ れ た 外 部 線 量 を 共 変 原 因 ( cause covariate)として用いており内部線量をそれに包含させている。もしも後者がよ り危険なものであればその結果から安全な結論は導けない。 間 違 っ た 参 照 1.もし参照集団もまた汚染されているとすれば、相対的なリスク(研究集団 集団 内の死者数/参照集団内の死者数)は低くなり、おそらくは有意でなくなる。 この誤りは、例えば、ヒロシマ寿命調査(LSS)やマーシャル諸島、チェルノ ブイリ降下物で、一貫してなされている。 2.核施設の近くの集団についての生態学(ecological)の研究では、研究集団 と参照集団がその放射能源の周りに描かれる円の半径によって定義されてい る。このやり方は、風や水、地形(ground topology)に由来する、放射性物質の 実際の動きを全然見込んでいない。これでは、参照集団はより大量に被曝した 可能性があるし、場合によっては同等の被曝があったかも知れない。その方法 は英国においてリスクを否定するために一貫して使用されてきている。 3.もし(被曝した)研究集団が代表的でないとすれば、参照集団として一般 的な集団を使うことは不適切であり得る、例えば、健康労働者効果(healthy worker effect)(原子力労働者)や戦争生存者効果(war survivor effect)(ヒロシ マ寿命調査集団)。 間違った試料 1.もしもその試料がある影響(an effect)を示しているならば、結果の統計的 有意が下がるように、より少ない被曝の人達を含めて影響が希釈されているか もしれない。これは「境界曖昧化(boundary loosening) 」である。例えば、NRPB による英国原爆実験退役軍人の研究。 2.放射線に対する異なった遺伝的感受性を持つ多くの異なる集団や、異なっ た被ばく線量の集団が一緒にまとめられている可能性があり、ある放射線に被 曝するという出来事の期間を越えた時間を通じて研究されている可能性があ る。いかなる階段状の変化もないということが、影響が無いと論じるために使 われている、例えば、北欧の白血病研究、欧州におけるチェルノブイリ後の ECLIS(European Childhood Leukaemia and Lymphoma Incidence Study:欧州小児 白血病・リンパ腫発生率調査) の白血病研究。 間違った仮定 1.線形閾値無しモデルは、多くの明らかな影響の観察結果を過小評価する結 果をもたらしてきている。というのは高線量被ばく集団では中間的線量被ばく 集団よりもガンの発生率が低くなる可能性があるからでる。例えば、原子力労 働者、ヨーロッパにおけるチェルノブイリの影響。 2.動物実験において誘導放射線抵抗性(inducible radiation resistance)が実証 されてきているが、自然バックグラウンド放射線の研究における集団比較では 許容されていない。 3.被曝の主要な帰結としてのガンが、単一事象の結果としてモデル化されて いる。ひとつのモデルとして使われているガンの因果性についての遺伝的理論 は、例えば、免疫系ストレス(immune system stress)などを通じて、(ガンが) の進展する効果についての分析を除外している。 80 間 違 っ た 方 法 多重共変量(multiple covariates)を用いる統計的回帰法(statistical regression 論 method)は、顕著な影響を無くするような方法でデザインするのが容易なので、 疑わしい。 間 違 っ た 方 法 ベイズ平滑化(Bayesian smoothing)によって有意なデータを「失った」生態学 論 的研究は、影響は無いと誤って結論する可能性がある。 間 違 っ た エ ン ICRP はエンド・ポイントとしてガンに強く焦点を当ててきている。小児死亡や ド・ポイント 分娩前後の死亡を含む、多くの他の疾病や症状については排除され続けている。 間違った結論 (研究論文の)結論や概要においては影響はないと主張しながら、(その論文 の)表の結論や本文を綿密に検討すると、そこでは影響がるという明確な証拠 を示しているような研究論文が、そこではありふれて存在している。 間 違 っ た デ ー しばしはデータそのものが疑わしい。チェルノブイリに続いて、その「清算人 タ (liquidators: リクビダートル/事故後の後始末や除染に参加した) 」は一般的集 団よりも低い白血病発症率示しているように見えるが、ソビエトの医師はその 病気を記録することを禁止されていたという報告書が明らかになった(本文を 見よ)。ウェールズでは、ガンの症例はデータベースから消去され、沿岸地方の 集団についてのセラフィールド核再処理工場からの影響は、過小評価され、あ るいはかき消されてきている。ウインズケール火災事故の後、アイルランドや マン島での影響を最小限にするために、降下物の雲の方向が変えられ、そして、 気象記録は不正に改ざんされた。ドイツでは、チェルノブイリの影響を「消す」 ように、小児死亡の記録が変えられた。 81 第9章 低線量被ばく時の健康影響の検証:メカニズムとモデル 第 9.1 節 メカニズムを考察する必要性 「核施設 X から放出された放射性物質は、その近隣に住む人々の間にガンを増加させ てきているか?」この問題に対しては、あるいはこれに類する問題に対しては、第8章に その概要を示したオースチン・ブラッドフォード・ヒル(Austin Bradford Hill)卿の疫学規 範の枠組みの中で解答が示されなければならない。またそれは、第3章で述べた科学的な 方法論の原理の一つである。因果関係の立証の要件のひとつは、生物学的に妥当な説明が 存在していなければならない、ということである。しかしながら、ブラッドフォード・ヒ ル彼自身はその効果が十分に理解されていないメカニズムを議論するなど、メカニズムに 固執してはいなかった。本委員会はこの分野を注意深く検討し、このような環境に放出さ れた放射性物質に関わるいくつかの事例において、ICRP 等のリスク評価機関によってなさ れた因果関係を退ける判断は、欠陥を含む機械的理由づけと知識の欠如とに基づいてなさ れていると結論する。ICRP の議論は、低レベルの内部被ばくは無害であるという、彼らの 信念となっている機械論的哲学に基づいている。おそらくこのために、この分野では研究 が不十分であり、その結果、低線量被ばく、特に内部被ばくに関する知見が乏しい状態に ある。 本委員会は、入手可能な証拠を再検討し、ある一定のタイプの内部被ばくに関連する 健康損害(health detriment)を予測・説明するいくつかのメカニズムを概観する。 第 9.2 節 電離放射線の被ばくにともなう生物学的損傷 電離放射線への被ばくによって生成される損傷は、次に示す5種類の効果の結果であ る: ・DNA などの重要な分子(critical molecules)の直接的電離。これは転位(rearrangement) や破壊(destruction)、あるいは変質(alteration)をもたらす。 ・フリーラジカルや、移動性溶媒(mobile-solvent)によるイオン形成を通じた、DNA など の重要な分子の間接的な破壊や変質。 ・光電子の生成を通じた電離作用の促進をもたらす高い原子番号を持つ汚染物質による、 自然(あるいは医療用の)ガンマ線や X 線等の光子放射線の吸収増強。 ・化学結合や水素結合を担っていた放射性同位元素の核壊変による元素転換を通じての、 重要な分子の直接的な破壊あるいは変質。 ・ゲノム不安定性(genomic instability)やバイスタンダー効果(bystander effect)、誘導修復 効率(induced repair efficiency)のような、細胞間の信号処理過程の変化をもたらす遺伝子 機能変化を通じての、細胞遺伝子の間接的な変質。 重要な分子とは細胞の生育能力(viability)や健全性(integrity)に関連する分子であり、 最も重要なものは染色体 DNA である。フリーラジカルによるや、直接のヒット、および 元素転換などの直接的な DNA 構成塩基に対する攻撃に加えて、細胞膜の損傷や、修復・ 複製酵素、または細胞間コミュニケーションシステムへの損傷に関係して、DNA の複製に 損傷を与える二次的原因も存在するようである。これらの全てのシステムは、非常に高い 分子量をもつ物質を含んでおり、それを構成する原子の位置と同一性(identity)とが、一 82 次、二次、そして三次の(形態上の)構造を通じて、それらの機能を決定づけている。 遺伝的な健全性や生育能力に必要な細胞の構成要素が損傷を受けると、その細胞はその 損傷を修復するか、その損傷を間違って修復するか、または死んでしまうことになる。細 胞がゲノム不安定性という現象も見せることが最近になって明らかになっている。それは、 放射線照射された細胞の子孫が予想外に突然変異を起こす率が高くなるというのである。 この現象は、それ自身には放射線が直接当たっていないにもかかわらず、放射線の飛跡が 通過した細胞の近くにある細胞の子孫においても生じる(Mothershill & Seymour 2001)。 第 9.3 節 吸収線量と細胞線量との関係 直接的な、及び間接的な電離は共に、入射した電離放射線のビーム、または飛跡からの エネルギー吸収の結果である。これは、フリーラジカルや反応性の化学種の生成によって、 化学結合の切断をもたらす。細胞の主な構成物質は水であるから、発生した主なフリーラ ジカルや他の「ホット」な化学種は、水の OH 結合の裂開によって作られることになる。 100 eV(電子ボルト)のエネルギーを吸収する毎に、およそ 4 個の水分子が OH’と H’のフ リーラジカルになる。ここに示した「’」は不対電子を表しており、それゆえ、これらの化 学種は非常に反応性に富んでいる。それらはそれぞれが互いに反応して元の水へと再結合 することもあるが、DNA のような他の分子と反応して、それらの化学的特性や生物学的能 力に変質や破壊をもたらすこともある(REIR V, 1990)。 放射線よる化学結合の切断は、更なる化学結合の切断を引き起こす能力を持つ電子を生 み出すことでその余剰エネルギーを放出し、全てのエネルギーを消費しつくすまでそのよ うな過程が続くことになる。そのために、放射線が組織中に及ぼす効果は、荷電粒子の飛 跡構造の形成を通して出現することになり、次にその飛跡に沿って、高いエネルギーを持 つフリーラジカルの集団や電荷を帯びた反応性に富む化学種などが形成される。生物学的 損傷の観点から見ると、その効果はそのような化学種の濃度に比例し、したがって、それ は組織の単位体積あたり、単位時間あたりの飛跡の数、及びその飛跡内における電離密度 に依存することになりそうである。しかしながら、フリーラジカルの濃度が高くなると、 そのような比例性は、逆方向の反応数の増加による影響を受けることになる。 その飛跡の密度は、照射の強さと放射線の種類の両方に依存する。例えば、電子と比較 すると、大きく高い電荷を持つアルファ粒子は相対的にゆっくりと運動しているので、そ れらが組織を通過する際に生じる分極効果は、高い電離密度をもたらすことになる。ICRP が、ベータ粒子やガンマ線の吸収によって生じる2次電子と比べて、アルファ線に生物学 的効果比(RBE)の重みとして 20 を与えている主たる理由はここにある。飛跡に沿って電 離を引き起こす能力を表す放射線の線質は、線エネルギー付与(LET: Linear Energy Transfer)と呼ばれる。低 LET 放射線には、ガンマ線、X 線、そしてベータ粒子が含まれ る。高 LET にはアルファ粒子が含まれ、それは低速であり、高い電離作用をもたらす。し かしながら、これはひとつの近似である。なぜなら、電子がもたらす電離密度は均一では なく、それらの飛跡の終端では速度低下のためにそれによる電離密度が増加するからであ る。 低い放射線線量域においては、飛跡の密度は希薄であると考えられる。放射線エネルギ ーの全ての吸収に対する、単位時間あたりにおける平均的な飛跡密度は、容易に計算する ことができる。表9.1には、そのような計算結果を示している。この計算では、ある人 体に外部から入射した低い放射線エネルギーから高い放射線エネルギーまでそれぞれ異な る被ばく線量で一年当たりに細胞核を通過した飛跡の本数を示すために、臓器全体で平均 83 されている。 表9.1 典型的年間被ばく線量と、汚染されていない(内部被曝のない)ヒトの組織中 の平均飛跡数。細胞の直径を 8 ミクロンとし、ある内部同位体の多段崩壊は無視して いる。 条件 線 エ ネ ル ギ ー 付 与 吸収 線量 LET mGy 線量 当量 mSv 年当 たり 、細 胞 核当 た りの 平均 飛 跡数 低 高(アルファ) 高(アルファ) ∼0.9 0.4 0.005 1 20 0.1 1 0.001 0.00001 労働者、全身: 低 < 50 < 50 <50 労働者、全身: 労働者、全身: 中(中性子) 高(アルファ) <5 < 2.5 < 50 < 50 <0.5 0.007 平均的公衆、全身: 肺: 骨髄: 第 9.4 節 ファントム放射能:二次光電効果 SPE 上記の説明においては、臓器のいたるところで放射線の吸収や電子の飛跡の生成は一定 であると仮定されている。つまり、それは、その環境に加えられたある放射能の結果とし て臓器に導入される放射線の量と質における差異であり、外部被ばくであれ内部被ばくで あれ、それが唯一の電離密度の決定要因であるとしている。事実はそうではなく、電離飛 跡の密度は、吸収臓器の分子的・原子的な構成要素の関数でもある。これは、医療放射線 技師からいくらか注目されていながらも、放射線防護の目的において完全に見落とされて いる重要な問題である。この問題は、6.5 節で概説されているが、放射線被害に関係したメ カニズムとしてここでも簡単に議論する。いかなる点においても放射線防護において電離 密度が重要な量であることは広く合意されていることであり、また染色体 DNA が放射線 によって引き起こされる害の決定的な標的であることが議論され(そして無数の実験によ り示され)ているので、DNA が吸収するガンマ線や X 線などの光子放射線の吸収率は明ら かに重要な変数である。染色体そのものの電離、またはそのすぐそばの電離、またはほか の重要な DNA の電離は、細胞の中の大部分を占める液体や隙間にある物質の電離よりも より多くの障害を引き起こすであろうことについては議論の余地がないようである。オー ジ ェ 置 換実 験 はこの こ とをき わめて明瞭に示し ている(Baverstock & Charlton 1988, CERRIE)。光子放射線の吸収、たとえば自然放射線、は元素の原子番号 Z の4乗に比例す ることが指摘されている。このエネルギーは、光電子として再放出される。原子の中の電 子の再配置によってもまた、飛程の短いオージェ電子のシャワーを再放出する。それゆえ、 ウランのような、DNA に束縛された原子番号の高い元素(高 Z 元素)は、バックグラウン ド放射線のアンテナとして働き、光電子やオージェ電子を DNA に対して連続的に再放射 する特に危険な因子となる。 この効果は、その元素がミクロン、またはナノサイズの粒子である場合に重要であり、 兵器として利用されたウランの粒子や、自動車の触媒からの白金粒子、または義歯が磨り 減って生じた金の粒子等の場合がありうる。この効果は小さいものではなく、この効果は 光子放射線を吸収して光電子を放出する重元素が、放射能を持っているかどうかというこ ととは全く無関係である。その存在については、以下のような理由から疑う余地がない: 医療放射線技師はその効果の存在を50年以上受け入れており、もっとも最近においても 彼らはガンの放射線療法の促進のためこの効果を使っている。このメカニズムはブラッド 84 フォード・ヒルの観点から興味深い。なぜばら、ウラン被ばくの害について大量の疫学的 証拠が、低線量被ばくの場合にそのような(被害をもたらす)効果を説明するメカニズム がないという理由で政府や軍、更には英国王立協会によってすらないがしろにされている からである。健康に関するウランの効果の証拠は第12章で概観する。 第9.5節 放射線被ばくによる細胞損傷の諸結果 すべての生物は、進化の時間スケールにわたって、自然の放射線源からの電離放射線に さらされつづけてきている。放射線によって引き起こされる損傷結果には、2つの主要な ものがある。第1のものは、すべての生きている生物に有限の寿命をもたらすものであり、 それぞれの個体の生涯にわたる遺伝物質に対する熱誤差的(ボルツマン的)侵食(thermal error erosion)と、細胞の酸化性物質代謝(cellular oxidative metabolism)によって形成され るフリーラジカル効果への寄与である。哺乳類の種の寿命が放射線への抵抗力に比例して いることが 1960 年代から良く知られている(Sacher 1955, Busby 1995)。二つ目は、生物種 として の遺伝的突然変異を起こす確率 を増加さ せるも のであ る。前者は通常の老 化 (non-specific aging)の原因であり、後者はガンやその他の疾病の主な要因の一つであると ともに遺伝的起源の条件であると考えられているもので、これらは両方とも健康上の決定 因子である。 人類の諸活動の結果として、更に新しい被ばく線源が追加されると被ばく線量が増加す るというだけでなく、体内に放射性同位体が取り込まれた場合には、(外部被ばくとは)質 的に異なる内部被ばくをもたらす。放射線による作用を考えると、被ばく線量が増加する ほどには、組織内の細胞は損傷の増加を受けないことは明らかである。あるひとつの細胞 はヒットされるかヒットされないかのどちらかであり、たとえ低 LET 放射線であっても、 細胞核を一次電子の飛跡が通過すると、約 70 個の電離と 1 mSv の被爆をうけることになる。 このヒットがもたらす結果は、その電離によって影響をうける細胞部分の性質(critical nature)や、その放射線を受けた時期が、細胞の全寿命期間のうちどの程度放射線に敏感な 時期にあったかに依存する。 そのような細胞寿命の中での放射線感受性の差異は ICRP モデルにおいては考慮されて いないが、その感受性の差異が非常に大きなものであることは40年も前から知られてい る。ある組織と別の組織とで通常の細胞の複製速度の差異が、それら組織ごとの放射線感 受性の違いを引き起こしている。また、放射線ヒットの最終的な結果は、DNA 修復と複製 のシステム、及びそれらの効率に影響を与える因子にも依存するが、これについては後述 する。したがって、細胞にひとつの放射線がヒットすることの結果は、「損傷の正しい修復」 を通じての「測定可能な効果なし」から、「突然変異の固定」を通じて「細胞の死」に至る まで、広い範囲に及ぶことになる。これらを表9.2に示す。 放射線被ばく線量が増加するにしたがって、数多くの細胞で構成されている個体への影 響は、測定可能な影響がない状態から、突然変異の効果を通じて、生育能力の喪失(loss of viability)、最後的には死亡に至るまでの広い範囲に及ぶ。同様な効果の範囲は子孫におい ても現れるであろう。ゲノム不安定性の研究領域でなされたいくつかの発見によると、全 ヒットのうちの3分の1が細胞に細胞損傷をもたらすようである。これに加えて、ヒット を受けた細胞の近傍にある細胞も、それらにゲノム不安定性を引き起こすある種の局所的 信号伝達プロセス(local signaling process)によって影響を受けるようである。これは「バ イスタンダー効果」として知られている。これら二つの効果は、ガンのメカニズムの理解 にとって非常に重要である、なぜならば、それらは遺伝的損傷の一般的な増幅に関係して 85 おり、そして、これは染色体異常(chromosome aberration)頻度の増加として検出可能であ るからである。 表9.2 細胞および個体への被ばく線量の増加の効果 被ば く線 量 別 グル ープ 1 2 3 4 5 6 7 細胞 への 影 響 個体 への 影 響 測定可能な影響なし 測定可能な影響なし。 ゲノム不安定性/見えない損傷の誘 発:細胞の子孫は突然変異を起こし やすい。 未知であるが、多くの健康状態を含む一 定の影響がありそうである。影響は 2 ヒ ットから 3 ヒットまで垂直に増加し、そ の後急速に飽和する。 測定可能な影響なし。 正確な修復を伴う DNA 損傷:細胞 は正しく複製される。 病気 に関 連の ない 突 然変 異を 伴 う DNA 損傷:固定化された突然変異を もって細胞は複製される。 健康 に影 響の ある 突 然変 異を 伴 う DNA 損傷:固定化された突然変異を もって細胞は複製される。 致死的突然変異を伴う DNA 損傷: 細胞は複製過程で死ぬ。 組織 群の 多く の細 胞 への 局部 的 な DNA 損傷 測定可能な影響なし。 ガンあるいは白血病。遺伝的奇形、ある いは胚細胞の場合には遺伝的疾患。 影響を受けた細胞の数と種類に依存し て、臓器又は個体における生育能力の喪 失から個体の死まで広い範囲の影響。 細胞通信の抑制の喪失を通して、広範囲 のガン化 年齢の増加(加齢)とガン発生率の変化を調べた結果によると、ガンは最大6つまでの 別の遺伝子変化の結果である、と今日では考えられている。これらには、特別な発ガン遺 伝子(oncogenes)の蓄積や腫瘍抑制遺伝子の欠損などが含まれる。複製における遺伝子突 然変異の通常の発生率は、1遺伝子当たりおよそ 10-5 程度であるため、ある個々人の寿命 内でどのようにして発ガンに十分な突然変異の蓄積が起こるのかは、これまで説明するの が困難であった。技術の進歩は、最近になって、単一の細胞だけに放射線を照射するよう なコンピュータ制御のマイクロビーム放射線源を現実のものとし、さらに新しい遺伝子染 色の技術は、その細胞の子孫を同定して損傷を調べることを可能にしてきている。これは 重大な効果を示している。非常に低い線量(例えば、10 mSv まで)の放射線によって引き 起こされるゲノム不安定性は、放射線がヒットした細胞の子孫における一般的な遺伝子突 然変異のレベルの上昇をもたらす。これに加えて、バイスタンダー信号伝達(signalling) を通じて、放射線がヒットした細胞の近傍にある細胞の子孫の相当な割合が、遺伝子変異 の一般的レベルを上昇させている。これらの効果は、ガンの発達を説明するのに十分な数 の突然変異を作り出すあるレベルまで、細胞体積要素中の突然変異の一般的発生率を増加 させるものである(Little 2002, Hall 2002, CERRIE 2004, CERRIE 2004b, Mothershill, 2009 ECRR 2009)。表9.2は、個々の細胞に対する被ばく線量の増加に応じて、個体に発現す る症状の範囲を示している。 第 9.6 節 線量‐応答関係 放射線線量とその応答との関係は広く研究されてきている。ICRP のリスクモデルでは、 低線量領域において、その効果の初期の線量応答関係は閾値のない線形を仮定しており 86 LNT として知られている。これの意味するところはまず第一に、安全な被ばく線量という ものはなく、最も低い線量でも健康上の損害を起こすある有限な確率を持っているという ことである。第二に、被ばく線量が2倍になるとその効果も2倍になる。この仮定には基 本的に二つの理由がある。 その一つ目は、先の第 9.2 節で概説した放射線の作用に関して知られている考察による ものである。明らかにその健康上の損害が細胞 DNA の損傷に関係しているのであれば、 それは放射線のヒットの結果であるということになり、さらにそれらのヒットがその時間 的及び空間的な隔たりのために独立して作用するとすれば、その効果は線量に線形比例す るはずである。あるひとつの細胞はヒットされるか、されないかのいずれかであるので、 シングルヒット以下の条件はない。したがって、そこには安全な被ばく線量は存在しない ということになる。 線形な線量応答を信じる二つ目の理由は、外部放射線に被ばくした培養細胞や動物、ヒ トの実験のデータが、線量に比例している効果を示しているとされていることである。し かしながら、これらについては、低い線量では効果はもっと小さい(むしろ有益でさえあ る)と論ずる人々や、低い線量ではより高い効果があるとそのデータは示していると主張 する人々から異論が出されてきている。外部照射の研究の場合には、研究された集団が小 さいことが広い信頼区間の間隔をもたらし、そのデータに対して異なる何本もの曲線を描 くことが可能になっている。 線量応答関係についての仮定は、放射線被ばくの疫学研究の解釈に対して決定的に重要 になるので、本委員会はこの分野を極めて注意深く研究してきた。本委員会は、その線量 応答関係が外部被ばくに対する近似的な場合を除いて、低線量領域では線形ではないらし いと信じるに十分な証拠があると結論する。そして、低線量でより高い効果を示す線量応 答関係を支持し、LNT 近似(線形閾値無し近似)を退けてきた。この理由について以下に 論評する。 第 9.6.1 節 ICRP 線形及び線形 2 次応答:2 ヒット・キネティクス 中線量から高線量(しかしその関係が崩れることになる個体死以前の)すべての範囲に わたって、培養細胞や動物、ヒトの集団(主にヒロシマ)に関する外部被ばくの研究の実 験結果では、多くの系(例えば、寿命調査集団における白血病の発症)において、その応 答が線形2次関係によって最もよく表されることが観測されている。これは次のように書 かれる: 効果 = α(線量) + β(線量)2 この曲線の形状を図9.1に示す。これを解釈するための理論的な理由として、線形領域 の独立した飛跡の作用が、2つの飛跡が同時にひとつの細胞に入射するような高い線量で より大きな効果をひきおこしている、というものがある。これら二本の飛跡(または相関 ! した飛跡)は、突然変異の固定化を誘発する高い確率を持っていると、ほとんどの人が考 えている。なぜなら、DNA の2本鎖の両方に、「2本鎖断裂(double strand break)」という 細胞修復が困難な事象を引き起こすような形で損傷を与えることができるからである。こ れは突然変異効率を増加させる真の理由ではないかもしれないが、2ヒットが突然変異を 引き起こす非常に大きな確率を有しているという考えは、現在十分に受け入れられている。 アルファ粒子と培養細胞を用いた最近の研究は、このことを実験的に確認している。 87 !" #$%& 図9.1 線形2次線量応答関係 600 eV の外部放射線を 1 mSv 被ばくした場合には、細胞の修復と複製に関係する10 時間の期間の内に2ヒットが起こる確率は、最密充填した直径 8 ミクロンの細胞について の数学モデルを仮定した場合の年間 1 10-4 と、ある実験的に求められた充填率を用いた場 合の年間 1 10-6(Busby 2000, Cox and Edwards 2000)の間であると計算されている。別の 言い方をすると、2ヒットの過程というのは通常のバックグラウンドレベル、すなわち低 い線量では非常に稀である。しかし、内部被ばくに関係するいくつかの状況の下では稀で はない。低線量の範囲にあっても、2ヒットの高い確率をもたらす内部被ばくには、基本 的には3つのタイプがある。それらは: ・ストロンチウム Sr-90/イットリウム Y-90 やテルル Te-132/ヨウ素 I-132 のような、不 動の系列放射体。 ・不動の、非溶解性「ホット・パーティクル」、すなわち、プルトニウムやウランの酸化物。 および、SPE(二次光電子効果)をもつ DNA と結びついた重元素 ・極めて低いエネルギーのベータ線放射体、トリチウムは単位線量あたり多くの放射線飛 跡を生じる。 もし、上で定義されたこのリスクモデルの線量の2次の領域が、放射線の2ヒットによ るものであるならば、その被ばく応答は線量の2乗に比例するはずであり、明らかにこの 様な内部被ばくはこの効果に対する重み付けなしには外部被ばくのモデルに含めることは できない。実際のところ、真の線量応答は多項式かもしれないし、その場合には、相関し た3ヒットの場合には3乗の重みを持つなど、高次の項もありうる。ICRF2007 の基準では なんの調査研究の裏づけもなく、2次イベントの効果を軽視している。しかし、このよう なタイプの被ばくを分けて考慮しなければならない別の理由が存在し、これについて以下 で考察する。 第 9.6.2 節 ペトカウ応答 数多くの独立した研究者が、ペトカウ(Petkau)の実験的研究に関心を払っている。彼 は、水中で脂質膜を外部 X 線や溶解させた放射性ナトリウム(Na-23)イオンからのベー タ線で照射した。ペトカウは細胞膜の電離放射線に対する影響に興味を持っていて、それ は彼や他の研究者たちが放射線作用の鍵となる重要な標的として考えるようになったもの である。ペトカウは、脂質膜が溶液中のイオンからの放射線に対して極めて敏感で、低い 線量範囲で崩壊することを示した。彼は、酵素、特に抗酸化ストレス酵素である超酸化物 不均化酵素(anti-oxidant stress enzyme superoxide dismutase)を使って、その脂質膜破壊の原 88 !" 因が水分子の放射線裂開によって形成される過酸化水素種であることを突き止めた。彼は またこれらの体系の線量応答曲線が、現在では超線形(supra-linear)と呼ばれている形で あることを実証した。これは線量ゼロから急峻に立ち上がるが、より高い線量では平坦に なるような応答である。その曲線を図9.2に示す。 #$%& 図9.2 ペトカウの超線形線量応答曲線(ゲノム不安定性のバイスタンダー効果に よる染色体の損傷率はこのタイプの応答に従う) その曲線についての説明は、キネティクス理論(kinetics theory: 動力学理論)によって 直接的に与えられ、高濃度のラジカル種が再結合する結果である。そのような系に対する レート方程式を積分すると、次のような形の線量応答が得られる: (応答)2 = 線量 しかしながら、ペトカウが部分的に又は完全に、脂質膜上への放射性ナトリウムイオン の吸着についてのラングミュア型吸着等温線(Langmuir type isotherm)を見ていた可能性 がある(訳注)。それにもかかわらず、ゴフマンはヒロシマ寿命調査データを、それがペト カウタイプのスーパーリニアカーブ(superlinear curve)に一致することを示すために再解 析してきている。また、多くの他の研究者はヒロシマのデータを高線量から低線量領域に 外挿することに反対する議論を行うためにこれを利用してきている。 生体外のマイクロビーム照射によって実験的に得られている線量応答は、損傷をひとつ の細胞を通過した飛跡の数に対してプロットした場合に、ここに示したような関係を示し ており、ゲノム不安定性の効果は3本の飛跡で飽和することが示されている。しかし、こ れが線量効果なのか、あるいは飛跡の系列の効果なのかについては分かっていない。 (訳注:ラングミュア型吸着等温線; Langmuir type isotherm:ラングミュアらによって 導かれた、一定の温度の下での固体表面への分子の平衡吸着挙動について、その吸着割合 を、固体をとりまく環境中におけるその分子の平衡濃度との関係において示す古典的な理 論曲線、あるいはその式を指す。分子の種類と固体表面の吸着サイトとは一種類であると 仮定されており、吸着した分子間の相関も無視されている。しかし、濃度が薄い間は吸着 量はそれにほぼ比例して増加するが、濃度が高くなるとほぼ一定値に近づく傾向を理解す ることは、このモデルでも十分可能である。本文では、放射性のナトリウムイオンが脂質 膜に吸着していた可能性について言及されている。) 89 !" 第 9.6.3 節 ブルラコバ応答:誘導修復と鋭敏要素 ブルラコバ(Burlakova)は、数多くの異なる培養細胞試験の実験系が、低レベルの放 射線照射に対して、2相的(biphasic)応答を示すことを多くの研究において示している (Burlakova et al 2000)。その効果は線量ゼロの点からある最大値まで増加するが、さらに 線量が増加すると今度はある最小値まで低下する。この点から更に線量を増加させると、 2度目の効果の上昇が引き起こされる。この興味深い不思議な結果を説明するために、ブ ルラコバはその曲線が二つの別なプロセスの結果であると指摘した。まず、彼女は増加す る放射線線量に対するペトカウ型の超線形応答を仮定した。次に彼女は、誘導修復効率の システムによって線量の増加が修復を増大させると論じた。そのようなシステムが動物に 存在していることは実際に示されてきている。しかしながら、通常、それらは発現するま でにしばらく時間を要する。したがって、2相的線量応答は、これら二つの効果の対抗す る作用の結果である。図9.3にその形が示されている。ブルラコバはまた、白血病と放 射線の研究のメタ分析(meta-analysis)で、それらの研究がこの2相的パターンと一致する ことを示すことができた。さらに最近になって、彼女は、その効果が、対象となる放射線 損傷への応答のエンド・ポイントに間接的に影響するような、幾つかの異なるクラスのシ ステムからの応答関数の重ね合わせによるものであろうと示唆してきている。したがって、 1 mSv 以下の非常に低い線量において増加する効果は、正確な DNA の修復を維持すること のできる範囲においては、細胞膜への損傷の反映なのかもしれない:より高い線量におい てはこのメカニズムは、おそらく直接的 DNA 損傷、または、他の細胞小器官に対する損 傷といった、別のメカニズムによって圧倒され埋没する。 #$%& 図9.3 ブルラコバとバスビーの2相的線量応答(両者の理由は異なる) 第 9.6.4 節 細胞集団感受性の差異 その2相的線量応答についての別の説明がバスビー(Busby)によって指摘されてきて いる。しかし、それは分割した X 線線量が同一の線量を一度に与えたよりも大きな効果を 生み出すことを示すある実験結果を説明するためにエルカインド(Elkind)が前進させた アイデアの中にも含まれている。 それは、放射線時代のほとんど当初から知られていることでああるが、急速に複製して いる細胞は放射線損傷に対してより敏感であるということである(Bergonie and Tribondeau, 1906)。実際のところ、これは放射線ガン治療の基礎であり、そこで優先的に破壊されるの がその急速に増殖しているガン細胞なのである。ある生きた組織のほとんどの細胞は非複 製モード(non-replication mode)にあり、これはしばしば G0 とラベル付けされる。しかし 90 ながら、死んだり老化する細胞を補充する必要性から、常にある一定の割合の細胞が活発 に複製、すなわち有糸分裂をしているのは明らかである。これは DNA の修復と複製を含 む複雑なシーケンスを含んでおり、これらのフェーズ(相)中では、細胞がより簡単に死 んでしまうことがはっきりと確認されている。いくつかの培養細胞の研究においては、約 10時間継続するこの修復− 複製期の期間は、放射線による殺傷に関する細胞の感受性に 600 倍の違いがある。DNA 塩基のひとつであるウリジン(uridine)にヨウ素 I-125 を結び つけた、オージェ電子放出体を用いた実験は、修復− 複製を行っている細胞が、突然変異 に対してもはるかに敏感であり、その効果の標的は DNA か、あるいはこの複製フェーズ の間にその DNA に非常に接近することになる何らかの構造であることを明らかにしてき ている。 もし突然変異や死滅に高い感受性を持つ、何らかの特異的な細胞のタイプのサブグルー プがあるとすると、その線量− 応答は2相的になる。これらの敏感な細胞は低線量で突然 変異することになり、その最終的な(損傷)結果の効果を増大させることになる。更に被 ばく線量が増加するにつれて、それらの敏感な細胞は死滅するようになり、したがって効 果は減少する。より一層高い線量では、それほど敏感でない細胞が突然変異を起こすよう になり、その最終的な(損傷)結果の効果の大きさは再び増加することになる。その結果 は図9.3に示されている。 エルカインドは 1990 年代半ばに、すべての組織には感受性の高い細胞のサブグループ が存在しているに違いないとの指摘を最初に行ったが、これは追跡調査されてこなかった。 これは特筆すべきである、というのは、細胞死は高い線量で起こり得るという考えは、高 線量での線量− 応答関係を説明するために、特にアルファ粒子の効果と「ホットパーティ クル」効果のために用いられてきているからである。後者においては、 (吸収線量の概念に 暗黙理に含まれる平均化の過程にしたがって、そのような線量は考慮からはずされると論 じている者達によって強調されている)ホットパーティクルの領域における高線量は、細 胞が死滅するために結果としてガンにはならないだろうと論じられている。 ビーグル犬とマウスについての動物実験の結果は、最近の英国における放射線労働者の 死亡率の研究結果と同様に、低線量領域においてこれらの2相的効果を示していることが 明らかになっている(Busby, 1995)。 ECRR2003 は 2 相線量応答を支持しているにもかかわらず、放射線防護モデルの目的で は線形で閾値のないモデルを使っていることが注目されている。これは ECRR を応用して 議論される領域が曲線の立ち上がりの部分であり、線量ゼロからはじまるこの領域を線形 関係で近似できるためである。 第 9.6.5 節 集団内部と個体の感受性 集団の部分集団の間や、個人の差異など、放射線感受性には集団間の違いがある。放射 線感受性に関して、 人種 集団(厳密な意味での) 性別 年齢 生理学的差異 についてのデータが存在する。3 つの主な人種集団(コーカシアン、ネグロイド、モン ゴリアン)で放射線感受性が異なる(人種による発ガン率の議論に付いては文献:Doll and Peto 1981 を見よ)。動物とヒトの研究により、放射線に関して高い感度を持つ遺伝学的な 91 部分集団が同定されている。たとえば、日本の寿命調査集団の研究や女性の初期乳がんの 研究など。実験室のマウスの遺伝的性質の違いによって、放射線による肝臓ガンが 1 桁異 なることを示すデータが存在する(Ito, 1999 cited by Yablokov 2002)。 表9.3にヒトの放射線感受性の性別による差異の例を、また表9.4はいくつかの動 物についての差異を示している。 表9.3 性別による放射線感受性の差の例(op.cit.Yablokov 2002) 特徴 胚、及び胎児 放射線に敏感 トータルガン死亡率 白血病死亡率 全てのガン罹患率 骨及び軟骨のガン リンパ肉腫 単球性白血病 皮膚がん 差異 男性 Sherb et al. 2001 チェルノブイリ汚染地域では女性の方が高い 女性が2倍高い チェルノブイリ汚染地域で5歳以上の少女に (同年齢の少年に比べて)多い チェルノブイリ汚染地域で 0-4 歳の少年に(同 年齢の少女に比べて)多い チェルノブイリ汚染地域で5歳以上の少女に (同年齢の少年に比べて)多い 少女(全平均)に比べて少年に6倍多い チェルノブイリ汚染地域で 10 万人当たり男性 21、女性7 チェルノブイリ汚染地域で 10 万人当たり男性 3.47 0.74、女性 1.77 0.42 USSR の 19 の地方において、10 万人当たり男 性 21.6(3.2∼36.0) 、女性 16.7(1.1∼29.0) Antipkin, 2001 Wing et al., 1991 セシウム 90(Cs-90)の 生理半減期 平均 新生児男女比 強度の X 線を受けた場合 2 世代目に女子の新 生児が多い 表9.4 参考文献 男性 110 日、女性 80 日 Suslin 2001 Suslin 2001 Health consequences…,1995 Suslin 2001 Mel’nov 2001 Golovachev 1983 哺乳類のいくつかの種におけるオスとメスの放射線感受性の違い 種 ドブネズミ ハツカネズミ ツンドラハタネズミ ヤギ、キヌゲネズミ、 他いくつかの種 ハタネズミ、 キヌゲネズミ ハタネズミ、 キハタネズミ ノウサギ、 ヤブノウサギ 差異 セシウム 137(Cs-137)の取り込みがメスがオスに比べ て3倍高い カリフォルニウム 252(Ca-252)の放射線照射の後、放 射線による肝臓ガンがメスの方が10倍高い 骨髄と上皮細胞の放射線感度はオスの方が高い 参考 文献 Bandashevsky 2001 オスとメスで異なっている Majeikite 1978 放射能汚染地域での繁殖期メスはセシウム137 (Cs-137)を2倍取り込む メスの骨にストロンチウム90(Sr-90)を多く取り込 む Il’enko and Krapivko 1989 Ito 1999 Zainullin 1998 メスの骨にヨウ素131(I-131)を多く取り込む ヒト、脊椎動物(魚類、両生類、鳥類、哺乳類)、無脊椎動物の放射線感受性に関する 年齢に依存した違いについては多くの研究がある(Majeikite 1978 cited by Yablokov 2002)。 まず受胎の初期の個体の発達のそれぞれのステージで放射線感受性は異なっている。子供、 92 青年、大人、壮年、老人の放射線感受性もそれぞれ異なっている。大人は45歳以上で放 射線感受性が高くなることさえある。 スチュワートら(Stewart et al. 1958)の仕事で示されたように胎児は特に敏感で、放射 線によるガンの危険度のファクターを1シーベルトあたり(大人が 0.05 であるのに対して) 50と解釈されている(Wakeford and Little 2003)。子供(及びおそらく生存者として選ら ばれた大人)への影響としては、放射線量が増加するに従って自発的な発育不全(流産) のため、最終的には生育能力のある個体の最終的影響が減少するようになる。Fucic ら (Focic et al. 2008)は女性が職場で内部被ばくを受けた場合に、X 線を外部被ばくした場合 に比べて4倍の流産の増加があることを示した。外部被ばくもまた流産の率を約2倍にす る(Steele and Wilkins 1996, Lindholm and Taskinen 2000)。それゆえ内部被ばくは約8倍の流 産率の効果を持つことになる。臓器への放射性核種の取り込みのレベルは大人と子供で異 なっている(Bandashevsky and Nesterenko 2001)。年齢に依存した放射線感受性の変動幅(数 倍)は通常性別による差異よりも大きい。時間に依存した放射線感受性の変動(日、月、 季節)が昆虫(例えばヒメハマキガ科)、げっ歯類、犬、及び他の哺乳類(Majeikite 1978, Il’enko and Krapivko 1989 を見よ)にあることが知られている。 (ヒトを含む)あらゆる哺乳類の集団の部分集合内でも個体による放射線感受性の差異 が存在する。極端な場合には 血管拡張性失調症(ataxia telangiectasia)の原因遺伝子(ATM gene)を持つ個体の場合、きわめて高い放射線感受性を持ち白血病(leukemia)、リンパ腫 (lymphoma)、や固形腫瘍(solid tumours)の傾向を持つ。欠陥のある遺伝子は DNA 損傷 センサーたんぱく質と関係している。その条件は稀で劣性遺伝子ではあるが、人口の約6% を占める、ATM 遺伝子に関してヘテロな遺伝子組み合わせを持つ大きな部分集合に、放射 線によるガンの増加リスクが存在することを指摘する証拠がある。 放射線感受性のある集団の差異の存在は、実際に放射線治療の患者に見られている。先 述のことから、倫理的な考察は、放射線被ばく許容値を標準的な人の概念を基礎にするの ではなく、放射線感受性のある人が守られるようなレベルに設定することを要求する。こ れは、放射性核種を無差別な被ばくが起こる環境中に放出することが倫理的再考を必要と するもうひとつの領域である。 第 9.6.6 節 ホルミシス応答 数多くの動物と生体外(in vitro)の研究が、少量の放射線が「ホルミシス」(ギリシャ 語の「刺激する」を意味する hormein より)と呼ばれる、放射線の保護的効果の証拠とし て引用されてきている。この線量応答においては、その曲線は放射線線量が増加するにつ れて最初わずかに低下する。最小の被ばく線量の場合には、まだ低い線量ではあるものの 少し多めに被ばくした場合よりもより大きな健康損失を示し、被ばく線量が増加するに従 って曲線は再び上昇し効果を増大させる。その曲線を図9.4に示す。 この効果に対して与えられる説明は、最も低い被ばく線量における放射線照射によって 誘導される細胞の修復効率が上昇するというものである。したがって、被ばく線量が増加 するにつれて、放射線は最初にガン発生の減少を伴うある防護的効果(protective effect)を もつ。本委員会は、ホルミシスとそれを支持している証拠を注意深く検討してきており、 そのようなプロセスはあり得るものであると結論する。このホルミシス効果は中間的な線 量範囲(すなわち、20 mSv 以上)で現れており、数多くの説明があるであろう。 1. 感受性の高い細胞のサブグループは、突然変異するよりむしろ死んでしまう。 2. 免疫システム監視(immune system surveillance)の短期的効果が高められる(長期的 には有害である可能性があるものの)。 93 !" 3. 高いバックグラウンドによる効果のある場合には、感受性の高い個体の胎児死亡と 小児死亡とが、放射線抵抗性に対する淘汰をもたらす。これは、上記1で述べた細 胞における効果の個体版である。 '()*+, #$%& 図9.4 ホルミシス線量応答曲線 高地でのヘモグロビン・酸素の解離(hemoglobin-oxygen dissociation)や熱帯気候におけ る日焼け(suntanning)のような、他の誘導システムと比較できるような、誘導修復効率が 存在するのかもしれない。これは、異なる自然バックグラウンド放射線地域の間に発ガン 率の差異が無いことに対する(多くの中の)一つの説明になるのかもしれない。しかしな がら、放射線誘導修復が存在するということは、その修復システム自体もまた放射線によ る攻撃にさらされていることを意味する(以下に述べる)。それに加えて、そのようなプロ セスが存在するということは、他の容易には理解しがたい問題を含んでいる。もしも修復 複製がこの方法によって誘導され得るのだとする、どのような生物種も、修復効率が最大 である状態にまで自動的に進化をとげ、そしてその状態に永久にとどまっていないのは何 故か、という疑問が生じる。その答えは、おそらく次のようなものである。もしも細胞が 修復複製についての感度が高い状態に誘導されたとすると、その細胞系はストレスを経験 した期間にわたってより大きな複製速度を持つことになる。通常の老化は、細胞複製の全 回数の関数であることは今や十分に確立されているので、ホルミシスによって授けられる 短期的な利点(short term advantage)の結果は、おそらく、多数回の複製過程による DNA 損傷の蓄積がもたらす、生命力の長期的な損失(long-term loss of viability)ということにな ってしまう。 しかしながら、ホルミシスの証拠のいくつかは、人為的結果なものかもしれない。もし も、その低線量範囲での線量応答が2相的曲線(biphasic curve)に従うとすると、ゼロ線 量/ゼロ効果の点から外れさえすれば、見かけ上のホルミシス効果を示すことができる。 高線量の実験から推論される結論が、この低い線量域でのそのような変動の可能性と調和 的に説明され得ないので、その点がばらつきであると解釈されたのかも知れない。あるい は、最も低い線量応答が外れた点として考慮から除外されたことによって、それらがホル ミシスのへこみ(hormesis dip)にされてしまった、ということかもしれない。 本委員会は、暫定的にホルミシスは存在するかもしれないと結論する。しかし、もしそ れが存在するとしても、上に述べたように、それの長期的な効果は有害なものである可能 性がある。本委員会は、放射線防護の観点からは、ホルミシスについては考慮すべきでは ないと勧告する。 94 第9.6.7節 線量応答関係についての本委員会の結論 本委員会は、ICRP の線形閾値無しの仮定は、狭い範囲の近似を除いて、不適当である ということで一致し、そして実際に委員会は実際的な問題として低線量領域においてその (線形応答)関係を使用する。全てのタイプの放射線被ばくと全ての最終的(影響)結果 についての統一的な(universal)線量応答関係が存在することを示す十分な証拠が存在し ない以上、そのような関数を仮定することは、致命的な還元主義(fatal reductionism)のひ とつの例でしかない。しかしながら、被ばくゼロから約 10 mSv(ICRP)までの範囲の低線 量範囲における効果は、ある種の超線形(supralinear)または、分数指数関数(fractional exponent function)に従うようであると仮定する十分な理由がある。2相的線量応答関係の 存在については、十分な理論的、そして経験的な証拠があるので、本委員会はいかなる疫 学的発見も、それが連続(単調)増加の線量応答関係に従っていないと言う論拠によって は却下されるべきではないと強く勧告する。 第9.7節 放射線作用の生物学的効率に影響する因子 放射線への被ばくによって引き起こされる損傷は、電離エネルギー密度の関数として表 現されてきている。しかしながら、このプロセスにおいて細胞は、決して受動的なターゲ ットではなく、有機的な生命体である。1960 年代に細胞が放射線損傷を修復することが発 見されてより、研究の強調点は、どのような因子が、どのようにしてその様な修復を増大 あるいは抑制するのか調べることにであった。表9.1に概観されている、放射線損傷の 全体的な枠組み(scheme)に対して、細胞と生体の応答に基づいた損傷抑制システムが存 在している。したがって、ガンのような確率的エンド・ポイントについては、表9.4に 示されるように、それに関与する多くの過程が存在する。表9.4にあげられている全て の因子について個別に議論することは、本書の範囲を超えている。ICRP の体系においては 初期放射線損傷プロセスのみが強調されているが、それは外部からの高線量被ばくについ てのみ妥当である。この表の因子リストはこのことを示すため挙げたものである。低線量 域においては、どのような被ばくの結果を決定づけるにも、他の因子が主要な重要性を持 っている。低レベル、非致死(non-lethal)の放射線被ばくに対する細胞の応答が、この進 行(progression)に決定的に重要なシステム(critical system)となっている。準致死的被ば く(sub-lethal exposure)に対する細胞応答システムの発見は、バスビーによって 1995 年に 明らかにされた重要な結果を有している。もしも、修復・複製のサイクルにある細胞が、 複製中でない細胞と比較して、放射線照射に対してはるかに高い感受性を持っているとす るならば、細胞の寿命のうちのこの期間が、突然変異を起こす機会の窓(window)になっ ているということになる。すなわち、もしもこの窓の中で放射線を浴びるような環境が整 えば、以下の節で議論するように、害の増幅が起こることになる。 第 9.8 節 セカンド・イベント理論 生きている有機体中のほとんどの細胞は、非複製モードにあり、しばしば G0 とラベル づけされることが指摘されている。これらの細胞は、通常の生命活動のためにそれを担う 一部分としてその組織に貢献しており、おそらくは、臓器の成長や損傷、老化などのため に、それが必要となる何らかの信号がない限りは複製を行う必要がない。個体有機体の成 長や寿命全体を通じて、ある一定の細胞複製が行われる必要性があり、したがって、常に ある小さな割合の細胞は複製過程にある:そのような割合の大きさは細胞のタイプに当然 95 依存する。細胞が G0 という静止状態から動き出すための信号を受け取ると、DNA 修復と 複製とのある定められた手続(sequence)きを実行する。これは G0-G1-S-G2-M とラベルづ けされているが、手続全体にわたってさまざまな同定可能なチェックポイントがあり、複 製 M すなわち有糸分裂(Mitosis)で終了する。そのような修復・複製手続に要する期間は、 約 10 時間から 15 時間であり、この手続の間のいくつかの点においては、固定的突然変異 (fixed mutation)を含む、損傷に対する複製中の細胞の感受性はきわめて高い。 チャイニーズ・ハムスター卵巣細胞の場合には、外部からの低 LET(線エネルギー付与) 放射線に対し、そのサイクル全体にわたって細胞死の感度には 600 倍におよぶ感受性の変 動があるが、突然変異に対する感受性は研究されていない。 もしも細胞の寿命にわたって、突然変異の感受性に大きな変動が存在するとするならば、 それは何をもたらすだろうか?自然に分裂している細胞は偶然的にある放射線の「ヒット」 を受けるかもしれないが、このプロセスは、たとえ線量応答曲線が線形でないとしても、 臓器の大きな質量全体にわたって平均されることによってモデル化されることは可能であ る。しかしながら、DNA 修復の後に続く非計画的な細胞分裂は、準致死的損傷を起こす放 射線飛跡によって誘導される:これは細胞を G0 状態から修復複製の手続きに押し出す信 号の一つである。およそ 10 時間の間隔を置いての2つのヒットがあるとすると、1つ目の ヒットは高感度の細胞を作り出すことが可能であり、そして、この同じ細胞は感受性の高 いフェーズで2つ目のヒットを受けるということになる。この「セカンド・イベント理論」 の考えは、1995 年にバスビーによって記述され、それを支持する証拠が改善され、そして、 その数学的記述は 2000 年のバスビーの論文の中で少し違った形でアプローチされている。 それは英国放射線防護局よる論争の対象となり、ICRP の議長代理の Roger Cox により内部 放射体の放射線リスク検討委員会(CERRIR)に提出された、いくつかの不可解な理由付け の論拠によって ICRP2007 に過小評価されている。 非常に最近になって、マイクロ技術の発達は、そのセカンド・ヒットという考え方を支 持する幾つかの新しい証拠の出現をもたらしている。ミラーらはラドンの被ばくリスクに ついての考察において、細胞あたり厳密に 1 個のアルファ粒子をヒットさせた場合に測定 された発ガン率は、細胞あたりポアソン分布平均で 1 個のアルファ粒子をヒットさせた場 合のそれよりも著しく小さいことを示すことができた(Miller, 1999)。その著者らは、これ は 2 個かあるいはそれ以上の個数のアルファ粒子によって通過された細胞が、突然変異の リスクに寄与していることを示している、すなわち、シングルヒットはガンの原因ではな い、と論じている。しかしながら、まだ今のところ、その空間内における数分間の間隔で の 2 ヒットと、約12時間の細胞修復サイクルにおける 2 ヒットとの間の効果の差につい ては比較されていない。 なんらかのセカンド・イベント源(Second Event source)によるリスクの増大をもたら すと見込まれる3種類の内部被ばくが存在する。そのひとつは、ストロンチウム Sr-90 の ような系列的な崩壊をする放射性同位体によるものである。染色体に結びついたストロン チウム Sr-90 原子の最初の崩壊に続いて、64 時間の半減期をもつ娘核種であるイットリウ ム Y-90 の二回目の崩壊は、簡単に計算できるある確率で、誘導修復過程にあるその同じ細 胞をヒットすることが可能である。外部放射線からの同じ被ばく線量がそれと同じプロセ スを起こすには消えてしまうほど小さい確率しか持たないのに対し、この内部被ばくの場 合には、そのターゲットとなる DNA はその放射線源から数十ナノメートル以内にあるか らである。セカンド・イベント被ばくの二つ目のタイプは、ミクロン、あるいはサブミク ロンサイズの「ホット・パーティクル」によるものである。もしも臓器内にそれがとどま るとすると、これらはその10時間の修復複製期間の間に、その同じ細胞の内側で多数ヒ 96 ットの確率を増加させながら、何度も何度も崩壊することになる。 本委員会は、これら提案されているメカニズムの推論的性質(speculative nature)を承 知している、しかしながら、それらの妥当性(plausibility)の観点から、この種の効果を除 外することは出来ないと考えており、この領域における更なる研究を勧告する。 表9.5 最終的なガンへの寄与 電離密度の増加 空間における飛跡密度増加 時間における飛跡密度増加 細胞の複製速度の増大 細胞サイクルの中での位置 修復効率の低下 免疫監視機能の低下 複製抑制場の低下 放射線損傷からガンへの発展に影響する因子 因子 1.放射線の線質;α、β、γ 2.オージェ電子放出体、トリチウムのような弱い崩壊 3.電磁場相互作用 1.被ばく線量の増加 2.点線源による内部被ばく 3.ホット・パーティクルによる内部被ばく 4.不動の系列崩壊による内部被ばく 5.吸着による境界層におけるイオン性放射性核種の濃縮 6.生化学的親和力による細胞内小器官での放射性核種の濃縮 1.点線源による内部被ばく 2.ホット・パーティクルによる内部被ばく 3.不動の系列崩壊による内部被ばく 4.吸着による境界層におけるイオン性放射性核種の濃縮 5.生化学的親和力による細胞内小器官での放射性核種の濃縮 1.細胞のタイプ 2.事前の被ばく/事前の損傷 3.電磁場 4.個体の成長速度(例えば、子供) 5.放射線を含む複製促進因子の濃縮 1.被ばく以前/損傷以前 2.電磁場 1.遺伝的同一性 2.事前の被ばく/事前の損傷 3.抗酸化物質の状態/修復酵素の状態 4.修復システム触媒(repair system poisons)の濃縮 事前被ばくを含む、様々な要因 1.高い局所線量 2.ホット・パーティクル 第 9.9 節 がん発現に影響するその他の因子 第 9.9.1 節 免疫監視機構 ガンの起源があるひとつの突然変異事象にあるということは、今では一般に受け入れら れていることではあるが、この事象から臨床的発現に進展するまでには、数多くの要因が 関与している。これらのうちもっとも明らかなものは、腫瘍の進展を抑制する免疫監視シ ステム(system of immune surveillance)である。臓器移植剤(organ transplant drug)や細胞 増殖抑制剤(抗ガン剤; cytostatic drug)による免疫応答の抑制は、ガンのリスク増加と関係 している。生体の放射線照射が免疫システムの抑制の原因であることは高エネルギーの電 離放射線によるだけでなく、紫外線についても、十分に立証されていることである。 97 放射線照射のこの側面については、ICRP によっては議論されていないが、スターング ラスらによって、低レベル放射線効果のひとつのメカニズムを与えるものと考えられてい る。したがって、免疫システムが低下する応答は、ある一回の被ばくによってガンが進展 する確率を増加させるということになり、もしも既に被ばくをしていたある個人が、最初 の被ばくに続く期間にわたっても慢性的に被ばくしたとすると、損害の増加がもたらされ るというメカニズムを示唆している。 第 9.9.2 節 細胞分裂増殖場(Cell proliferation fields) ガン発現についての最近の理論は(Sonnenschein と Soto, 1999)、ガン化した組織(tissue) に移植された通常の細胞がガン化するのに対し、移植されたガン細胞がガンでない組織の 中では成長しないことに注目している。これらの研究者たちは、ガンが成長できるように なるには、ある一定の閾値以上の数の遺伝子的に損傷を受けた細胞が生じていることを必 要とする、ある細胞通信場の効果(cell communication field effect)の存在を提案している。 この議論は、後生生物(metazoa)の細胞についての初期状態は、後生植物(metaphyta)と 同じように、増殖であるという理論に基づいている:すなわち、そこには恒常的な抑制信 号が存在しなければならないということになる。ゾーネンシャイン(Sonnenschein)とソト (Soto)は、さまざまな要素の細胞間通信(正確には「通信場」 )が、これに関与している と仮定している。もし、これが一般的なことであると確認されるならば、ホット・パーテ ィクルの近傍で起こるような局所的な高線量被ばくはガンを引き起こす上で極めて効果的 であるかもしれない。なぜなら損傷を受けた細胞はすべて互いに接近しているからである。 そのような場が存在していることは、最近になって「バイスタンダー効果」の発見によっ て示されてきている。それは、放射線の飛跡が通過した細胞の近くにはあるが、それ自身 は直接的な飛跡の通過をひとつも受けていない細胞において、ゲノム不安定性が起こるこ とが見出されている、というものである。更に、「広域発ガン(field cancerization)」という、 ある種のガン(たとえば咽頭ガン)が同じ部位の独立な場所から始まる現象は、細胞のコ ミュニティ内での細胞通信がガンの発症の一つの決定要素であるという考えを支持してい る(Boudewijn et al 2003)。 第 9.10 節 生化学的および生物物理学的効果 生化学的親和性(biochemical affinity)を通じてのある放射性同位体の組織(organ)内 における濃縮は、ICRP のスキーム(scheme: 体系)の中では、その組織荷重を通じてのみ 取り入れられている。したがって、ヨウ素が甲状腺に集中し、これが甲状腺ガンやその他 の甲状腺症といった被害(hazard)を示すということは受け入れている。しかしながら、 化学的考察に基づく議論はすべての同位体元素に適用されるべきであり、組織レベルだけ でなく、分子レベルにおける濃縮の効果にまで拡張されるべきである。例えば、ストロン チウム Sr は DNA リン酸塩基の骨格構造(DNA phosphate backbone)に特別な親和性を持っ ている:実際、リン酸ストロンチウム共沈殿物(Strontium Phosphate co-precipitation)は、 遺伝子研究において溶液から DNA を除くためのひとつの選択方法である。したがって、 同位体ストロンチウム Sr-90 とストロンチウム Sr-89 へ曝すことは、DNA 自体の中での放 射性崩壊をもたらすことになる。この効果は、核物質処理からの共通した環境汚染物質で ある、バリウム Ba の同位体にも及ぶに違いない。 系列的崩壊をする同位元素に対する「トロイの木馬(Trojan Horse)」的被ばくもまた存 在する。これは、その同位体がある化学的同一性によってある系の中に入り込み、崩壊に 98 よってそれ自身もまた放射性である別の異なる化学種に変化してしまうというものである。 ここでの一つの例は、ストロンチウム Sr-90/イットリウム Y-90 の系列である。二価の Sr-90 イオンの放射性崩壊生成物は、三価の Y-90 イオンである。本委員会は、そのような過程が イオン化度あるいは原子価に基づいた生物学的フィルターのある組織(例えば、脳)のあ る部分に、イットリウム Y-90 の蓄積をもたらすかもしれず、そしてこれが局所被ばく線量 の増加につながるかもしれないことを懸念している。 同様の局所被ばく線量の増加は放射性イオン(例えば、Cs-137)の界面(interface) への吸着の結果としても生じるであろう。神経信号系に含まれた正イオンはシナプス接合 部(synaptic junction)に集まるが、それと同じ化学グループの親和性を持つ放射性化学種 の同様な濃縮は局所被ばく線量を増加させるだろう。 第 9.11 節 元素転換( Transmutation) ICRP の審議から完全に抜け落ちているメカニズムの一つは、ひとつの原子を他の原子 に変化させてしまう、放射性崩壊過程の効果によるものである。この効果が深刻な結果を もたらしそうな三種類のよく知られた放射性同位体汚染物質が存在している:炭素 C-14 と トリチウム T-3、そして硫黄 S-35 である。これらの三つは全て酵素系の主要な構成要素で あり、生命体の基本的な活動にとって決定的に重要である。生命体の担い手である巨大分 子(macromolecule)―蛋白質、酵素、DNA、そして RNA―は、それらの機能(activity) や生物学的健全性(biological integrity)をそれらの3次構造、すなわち形状に依存している。 この形状の変更は、その巨大分子の機能喪失をもたらす。この機能喪失は原理的にその巨 大分子中のあるひとつの原子の元素転換、すなわち元素の置き換えによってもたらされう る。これらの巨大分子の分子量は通常 100,000 よりも大きいので、ひとつの原子を混ぜ込 むことは(例えば、窒素に崩壊する炭素 C-14)、数千倍もの効果をもたらすかもしれない。 同位体トリチウムは水素のひとつの形態であり、生命体における生化学的プロセスは水素 結合(Hydrogen Bond)と呼ばれる弱い結合に依存しており、それは、すべての酵素系を橋 渡しして支えており、DNA のらせん構造を一つにまとめあげている。そのようなトリチウ ム原子のヘリウム原子(それは不活性で、化学結合を担えない)への突然の崩壊は、その ような巨大分子の機能や通常のプロセスに対して壊滅的な影響を与える可能性がある。こ れらの系における水素結合は、このような同位体と容易に交換可能であり、平衡条件の下 で酸化トリチウム、あるいはトリチウム水と交換されることになる(酸化トリチウムやト リチウム水が環境中におけるこの同位体の通常の存在形態である)。いくつかの系ではトリ チウムが優先的に取り込まれ得るとする証拠も存在している。このことは更なる研究によ って確認される必要がある。硫黄もまた巨大分子である蛋白質の重要な構成要素であり、 巨大分子の3次構造を支えるジスルフィド結合(S-S 結合: disulphide bridge)を形成する。 本委員会は、この領域には十分な関心が払われてきておらず、生物システムに対する元 素転換効果によるリスクの評価を確立するために、まだまだ多くの研究が必要とされてい ると考えている。この意見は 1980 年に出版された Gracheva と Korolev の内部被ばく効果の 論評の中で示されているが、何もフォローされていない。 第 9.11 節 胎盤中の微粒子とゲノム信号輸送による胎児への被ばく線量の増加 胎盤を通過することのできる粒子の大きさは決められていない。最近の未発表の研究は、 100 nm(100 ナノメートル = 0.1 マイクロメートル)くらいの大きさの粒子は、胎盤を通 99 過して胎児に到達することを示唆している。発育初期の胎児らにとって、酸化プルトニウ ムやほかのアクチニド族のアルファ放出体の粒子からの局所的な被ばく線量は甚大であり、 その影響は胎児死亡や初期の流産から幼年時代での影響までの範囲に及ぶかもしれない。 これは生物学的エンド・ポイントが、非常に低い確率であるが高い危険性を持つ事象によ ってもたらされる場合のひとつである。プルトニウム粒子はアイリッシュ海の周辺や他の 原子力プラント周辺の大気中の共通した汚染物質である。 もし粒子が胎盤を通して胎児に輸送されなかったとしても、たんぱく質としてはきわめ て小さく、バイスタンダー効果の原因であるゲノム不安定性信号分子が存在することが知 られている。バイスタンダー効果は放射線の損傷を受けた細胞からはなれたところの細胞 の突然変異の割合が増加するというものである。そのため、ゲノム及びバイスタンダー効 果は原理的・機械論的には胎盤から胎児へ輸送されそうであり、実際に世代横断的なゲノ ム不安定性の効果が現在、チェルノブイリの影響を受けた集団と実験動物においてみられ ている(ECRR2009)。 100 第10章 被ばくに伴うガンのリスク、第1部:初 期の証拠 第 10.1 節 ECRR リスクモデルの基礎 ECRR2003 の出版の後、フランスの IRSN(フランス放射線防護原子力安全研究所) や他の機関は ECRR のモデルをその科学的な的な基礎を説明することに失敗していると して批判した。本委員会の新しいリスクモデルの基礎として使用している証拠は、第一 にヒトの疫学調査であり、次にヒト、動物、細胞についての数多くの研究であり、最後 に、細胞レベルの放射線と分子との間の相互作用の性質に関する、物理化学及び生物学 の知識である。それは、第一義的に物理学的基礎に基づくものではなく(そしてこの点 が本質的に ICRP と異なる点である)、その代わり帰納法的に疫学的証拠から始まり、そ れからこれらを放射線と生体組織の間の、稀釈した溶液中の生物現象としての分子レベ ルの相互作用として説明している。 第一に、我々のリスクモデルは、大気圏内核実験の降下物の中の核分裂生成された 放射性核種とウランについての内部被ばくの経験的データに基づいている。1959-63 年に ピークを迎えたこれらの核実験は、体内放射性核種による人類への放射線被ばくの効果 についての最初の実験であった。なぜならその放射能は世界中に拡散したからである。 それは、だれも検討したことのない結果をもたらす実験であった。世界保健機関(WHO) は初期の健康への影響が現れ始めた 1959 年に急いで取り組むことを強いられ、おそらく そのため、その時点では系統的な研究は一切存在しなかった。前述したように、WHO は その(放射線の影響)調査業務を国際原子力機関(IAEA)に任せるように IAEA と合意 させられ、その合意は現在も施行されている。しかし、裏舞台の公にされないところで、 放射性降下物が人々を殺し始めていたことは当局には明らかとなっていた。この(影響 があるという)ことを述べた初期の指摘は、日本の原子爆弾の(被害の)研究の引用に よりすぐさま否定された;高いレベルでの隠ぺい工作があった(Medical Research Council 1957)。それでもやはり、部分的核実験禁止条約が 1963 年に調印された。 核兵器の放射性降下物は世界中に拡散したけれど、それは一様に拡散したわけでは なく、南半球より北半球に多かった。少ない雨の地域よりも沢山雨が降る地域に多く、 しばしばかなりの量の違いが生じた。総被ばく量は ICRP のリスクモデルで評価され、 INSCEAR(国連原子放射線の影響に関する科学委員会)により表にまとめられた。汚染 状況は多くの国々で測定され、その結果が公表された。1950 年代から今日に至るまでの 非常に優れた汚染データが利用可能な一つの国は英国である。これは、イングランド地 方とウェールズ地方別に、個別の放射性核種による汚染に関するデータを含んでいる。 英国には、1974 年からのガンの発生を集めた機能的なガンの記録簿をもつ地域も2 つあるが、英国における区分けされた死亡登録簿は、その死因について 1930 年代にまで 遡って残されている。ウェールズ地方は英国の大西洋岸に位置し、 (多い雨のために)ウ ェールズにおける放射性降下物と測定された汚染、及び(放射性同位体ストロンチウム Sr-90 に支配された)被ばく量はイングランド地方のそれにくらべて2倍から3倍多かっ た。 年齢で規格化されたガンの発生率の傾向を、遺伝的に似た集団で似たライフスタイ ルを持つウェールズ地方とイングランド地方で比較することは、核兵器の放射性降下物 による高レベルの被ばくがどんな効果を生じるのか見るために、直接的な方法であった。 101 その効果は驚くべきものであった(Busby 1994, 1995, 2006)。年齢で規格化されたガンの 発生率の傾向は二つの地方で似通っていた。その傾向は 1979 年からウェールズでの発生 率がイングランドの率に比べてあがり始めるまでは、傾向は平行していた。1984 年まで にイングランドの率が上がり始めたが、ウェールズのガン発生はそれまでに30%増加 していた。ウェールズにおける傾向のその奇妙な形は、厳密に放射性降下物による初期 の被ばくをなぞる形のものであった。1959 年からの部分的核実験禁止条約によって放射 能の降下量は急激に減少したが、その不連続性までも一致していた。ガンの傾向と放射 性降下物による被ばくの初期の傾向との時間的な相関は(ストロンチウム 90(Sr-90)で モデル化されたものであるが)統計的に高い精度で有意であった。被ばく線量とその線 量における過剰なガンの発生を ICRP モデルで予測した場合の誤差は、300 倍であった (Busby 1994, 1995, 2002, 2006)。このレベル(100 倍から 1000 倍の範囲)の ICRP モデ ルの誤差は核分裂生成物による内部被ばくの研究では何度も何度も現れていたものであ る。最近になって、トンデルら(Tontel et al, 2004)の北部スウェーデンにおけるチェル ノブイリ原発事故後のガンの研究から強力な確証が得られている。その研究によると誤 差は(発生率が)高い方向へ 600 倍となることが示された。このことに付いては後の章 で議論することにする。オケアノフ(Okeanov)が 2004 年に報告したベラルーシにおけ るガンの増加率もこのことを支持している。 内部被ばくに関して ICRP のモデルを使った場合に誤差があるということを立証す ることは一つのことである;放射性降下物を構成する様々な放射性同位元素の中で、そ の誤差を区分けすることはまったく別のことである。彼ら(ICRP)はすべて(の放射性 同位元素)を機械的に同じように誤評価したのか?(放射性同位元素のうち)いくつか は他のものより危険であるのか?放射性降下物からの被ばく量は表として ICRP モデル で与えられているが、その中でストロンチウム-90(Sr-90)がもっとも大きな被ばく量を 与えている。なぜならそれは比較的長い半減期(29 年)をもち、カルシウムの代わりに 骨の中に蓄積される可能性を持っているためである。従ってそれは「単位質量あたりの エネルギー」をより長い間与えることになる。しかし、本委員会の手法に基づくと、ウ ランもまた重要な危険因子となるかもしれない。まだウラン汚染レベルは測定されてお らず、ウランからの被ばく量も評価されていない。この段階では、他の放出源からの個 別の放射性核種の危険度に付いての証拠を導入することが必要であり、これが本委員会 の手法であった。もし、主な放射性降下物の被ばくがセシウム-137(Cs-137)、ストロン チウム-90(Sr-90)とウランであったなら、Cs-137 からの被ばく線量が2つの理由で軽く 扱われることは妥当なことと思われる:この元素は生物学的半減期が短く、その科学的 特性から身体に一様に拡散する。従って、それは6章に与えられている理由から外部被 ばくの危険因子としてモデル化することが出来る。動物実験において、Cs-137 は Sr-90 に比べて遺伝子損傷についてははるかに小さな効果しかない(Luning and Frolen 1963)。 同じ議論が(身体中で一様に拡散する)炭素-14(Ca-14)、(生物学的半減期の短い)ト リチウムと短い半減期を持つ多くの放射性核種についてもあてはまる。 主な証拠を再検討する続く2つの章の中で、本委員会が採用した立場を示す研究と 結果の数々を簡潔に示す。この章では、1963 年の大気圏内核実験禁止条約によって終了 した時点までの、核兵器による地球規模の放射性降下物の状況から効果までを取り扱う。 第11章では今日までの原子力発電所による白血病とガンの発生群の証拠から始まって いる。紙面の都合によりこれらの章は全ての証拠の包括的な概観とはなっていない。 102 第 10.2 節 特異性(Specificity) 本委員会は、ここまでに議論した理由によって、内部被ばくと外部被ばくがもたら すリスクを区別して取り扱うことを決定した。しかしながら、それらのリスク係数が根 拠としている証拠は現実世界の状況から来ているものであり、その被ばくが完全に外部 被ばくだけであったり、あるいは完全に内部被ばくだけであったりするのは稀で、たい ていは両者が混在していることは明らかである。もしも内部被ばくが外部被ばくよりも 著しく高いリスクを持っているとき、内部被ばく線量と比べて高い外部被ばく線量を受 けた集団に関する研究から得られた外部被ばくのリスク係数を使うと、純粋に外部被ば くの有無だけの場合を比較した研究から得られるリスク係数より高い値となり、この差 は、より大きな内部被ばくを含む集団では更に大きくなる、ということは容易に理解で きる。例えば、ヒロシマ寿命調査(LSS)の研究では(他の諸要因もその経験的な結果 に寄与しているとは思われるが)、最も低い線量域における放射線の効果は超線形的線量 応答(super-linear dose response)または他の形の、低線量にいて高い応答を持つものとし て現れている。合衆国が主導したヒロシマ生存者に対する諸々の研究が、原子爆弾が空 中で爆発したことを理由にして、その研究集団が受けた被ばくにはどのような内部被ば くの要素も存在しないと一貫して否認してきたことは興味深いと言えよう。しかしなが ら、それ以降に行われた測定では、ヒロシマ近辺の土壌にプルトニウムやセシウムの存 在が示されており、そして最近になって、ヒロシマ原爆による同位体元素の降下物が、 北極からのアイス・コア内に同定されている。これらの発見は、初期の研究において、 その参照集団の中での白血病が日本全体の記録と比較して増加しているという謎を説明 することになるだろう。ABCC(原爆障害調査委員会)が、爆撃された町の LSS(寿命調 査)の中に初期の白血病を含めることを怠り、その町における放射性降下物の存在と一 般的疾病率についても報告することを怠り、最終的な結論をねじ曲げることになってし まったという証拠が明らかになっている:このことは、とりわけガン以外の疾病や遺伝 性疾患について事実である(Kusano 1953, Sawada 2007)。ガン以外の疾患がガンの統計や 放射線ガンの疫学に影響を与えることを思い出すべきである。なぜならガン以外の病気 で死亡するおよそ50歳以下の個人は、ガンの率が指数関数的に増加し始めるその年齢 のガン死亡ほどにはないからである。 それでもやはり、本委員会は、従来通りのモデルによる外部線量が内部被ばくの 100 倍以上になる場合については、主に外部放射線量を外部被ばくのリスク研究として扱う ことを決定した。そして、いくつかの不一致や例外の現れを内部被ばくに基づくものと して受け入れることとした。このようなやり方は、外部被ばくのリスク係数に対する数 値を押し上げる結果をもたらしたが、助言が必要となるような、外部被ばくのみの状況 における放射線防護の目的に使われることに対して問題はないだろう。 第 10.3 節 放射線リスクの基礎的研究 表10.1に示した諸研究は、ICRP モデルが採用しているリスク係数の正当性を支 えている主要な研究であり、現行の放射線防護管理体制を決定づけている。これらがほ とんど外部被ばくに限ったリスクに関する研究であり、そして、ヒロシマの研究を除い て、全ての研究が純粋に外部被ばくのみを受けた被験者と被ばくしていない参照集団と の比較であることは明白である。これらの諸研究から得られたガンについてのリスク係 103 数は、大方において広く同意を得てきており、したがって本委員会としても、急性の外 部放射線量とエンド・ポイントとしてのガンに対しては、これらのリスク係数がひどく 不正確であるようなことはなさそうであると考えている。 表10.1 ICRP と他の機関によって電離 放射線によるリスク係数を決定するのに 利用されている研究のまとめ。しかし ECRR はこれらをガンと白血病についての外部被 ばくのリスク係数を決定するために使っている。 研究 人数 1. ヒロシマ 寿命調査研究 91,000 (life span study)(LSS) 線量 形態 参照 集団 (Gy) 0-5 一回 市内「非被ばく」 高線量 急性 2. 英国関節強直脊椎炎 14,000 3-4 急性 平均的集団 高線量 (ankylosing spondylitis) 3. 頸部(cervical)ガン患者 150,000 高線量 慢性 平均的集団 4. カナダ蛍光透視診断 31,700 5. 出産後の乳腺炎 601 (post partum mastitis) 6. マサチュセッツ蛍光透視 1,700 診断 0.5-1.2 数回 急性 0.6-1.4 数回 急性 高線量 数回 急性 備考 標準的でない集団;参 照集団におけるバイア ス;晩発性影響が現在 進行中 X線 ラジウムカプセル 気分の悪くなった 気 分 の 悪 く な っ た (unwell)参照集団 (unwell)集団、X 線 治療しなかった乳腺 小規模研究、X 線 炎 平均的集団 高度に区分けされた、 X 線、小規模研究 ヒロシマ寿命調査における晩発性ガンの影響についての最新のデータは、ガンの発 生率が以前のリスク係数による予測を超えて継続していることを示している。ゴフマン (Gofman)によるヒロシマ寿命調査データについての独自の分析、寿命調査の研究集団 の一様性に関係するスチュアート(Stewart)の発見、及び、参照集団の選択についての パドマナバン(Padmanabhan)の研究が、寿命調査の研究集団によって与えられるガンの リスク係数には、約 20 倍の誤差があるであろうことを示唆している。しかしながら、本 委員会は、ヒロシマ寿命調査は、外部被ばくと内部被ばくの両方を被った異例の集団を 基礎にしていて、純粋な外部被ばくリスク係数を得るための理想的な基礎ではないと認 識している。本委員会が選択した、致命的ガンの生涯の絶対的リスクである 0.2/シーベ ルトは、すべての外部被ばくに関する研究を再検討したっ結果に基づく決定を代表して いる。 第 10.4 節 自然バックグラウンド放射線 本委員会は、様々な自然バックグラウンド放射線被ばくにおける変動とガンや先天 的疾患を含むヒトの健康指標に関係する証拠について検討してきた。高レベルのバック グラウンド放射線地域で生活することの健康への影響を理解することに寄与している主 要な研究を、表10.2に示す。数多くの理由のために、どのようにすればこれらの研 究の結果が放射線被ばくのもたらすリスクに関する議論に情報を与えることができるか は定かではない。第一に、これらの研究の多くにおいて、対象となっている集団は第三 世界で生活していることに関連するストレスに苦しんでおり、そこでは若い時期からの 104 競合する複数の原因のためにガンが主要な死因ではなく、概して寿命がより短い。これ に加えて、長い期間にわたる放射線抵抗性へのその集団の自然選択(natural selection)は、 適切な参照集団を見つける試みを難しくすると考えられる:したがって、ガンを誘発す る遺伝子中の傷の修復効率は、参照集団よりも被ばく集団において高くなると期待され るだろう。さらに、異なる集団が、異なる部位のガンに対して異なる遺伝的感受性を持 っていることを示すかなりの量の証拠によって、バックグラウンド放射線研究から一般 的に広く適用できるいかなる結論をも導くことが不可能になっている。バックグラウン ドの高い地域において、人造放射能汚染レベルが関係する地理学上の混乱要因もある。 表10.3には、自然放射線の高い地域における健康指標を混乱させる可能性のある要 因のリストを示している。 表10.2 る変動 自然バックグラウンド放射線の高い地域におけるガンと他の諸影響におけ 調査 地域 1. オーストリア 調査 人数 被ば く 122 1-4 mGy(γ) 0.1-16 mGy(α) フィンランド 27 水中ラドン アイオワ,米国 111 の町 Ra-226 4 pCi/l;調整 ブラジル 12,000 モナザイト 6.4 mSv/年 ケララ、インド 70,000 4 mGy/年 中国、イェンジャ 70,000 3-4 mGy/年 ガン の増 加 ? 予測されている 染色 体欠 損 ? あり 2. 3. 4. 研究されず 骨ガン+24%増加 なし あり あり あり 論争中 見かけ上なし あり あり 5. 6. ン 7. ブルターニュ、仏 16,000 国 8. アイオワ、米国 28 の町 9. 日本 全域 10. スコットランド、全域 英国 表10.3 +43% ( 胃 ガ ン 未検査 +132%)増加 Ra-226 +68%以 上 の 肺 ガ ン あり 増加 γ線バックグラウンド 胃ガンと肝臓ガン 研究されず γ 線 バ ッ ク グ ラ ウ ン ド +60%以 上 の 白 血 病 +0.15 mGy 増加 γ線バックグラウンド 自然バックグラウンド放射線研究の解釈上の難しさ バッ クグ ラ ウン ドの 高い 地 域と 低い 地 域と に わた って 健 康指 標を 比較 す るこ との 問 題 1. 2. 3. 4. 5. 6. 7. 恵まれない状態に置かれている集団における競合する死因 健康データの欠如によって発症率を決定することの困難さ 遺伝学的に比較可能な参照集団を見つけることの困難さ 研究集団の彼らの寿命中における誘導応答(induced responses)の進展 世代を越えた集団における放射線抵抗性についての自然選択 降雨効果による放射性降下物汚染の変動 外部線量の範囲に対する疫学的説得力(epidemiological strength)の欠如 これらの諸困難にもかかわらず、染色体の変異や切断が、高いレベルの自然バック グラウンド放射線にさらされている人々に見られることは、すべての研究から明らかで ある。ダウン症の頻発のように、しばしば、これは遺伝的損傷の他の徴候に関連してい 105 る。ガンは遺伝的損傷のひとつの結果なので、染色体損傷の増加の証拠は、このような 損傷の原因が、もし寿命が長ければガンの増加の原因でもあったろうことを示唆する。 ガンリスクの増加は一般的な観察結果であるようには見えないが、いくつか種類のガン についての一定数の研究は、高レベルのバックグラウンド地域におけるガンの発生率の 増加を実証している。しかしながら、そのような損傷が生じる条件の下で発育してきた 集団は、感受性の高い個体が出産前に死亡することによる結果としてのガンに対する抵 抗性の進化論的な増加、あるいは、全生涯の長さのいくらかを犠牲にして代謝レベルに おけるガンへの抵抗性の増加すら享受しているのかもしれない。 それらの研究自体に見られる線量の範囲についての疫学的説得力の問題もある。自 然放射線(主に外部ガンマー線)から1年間に受ける線量範囲が 1∼5 mGy の間であれ ば、致死ガンについての ICRP リスクモデルによると(ECRR は外部被ばくについてはほ とんどそれを認めている)、50年間の累積線量によるガンのうち放射線による部分は、 0.6%から 3%に増加することになるが、これを明らかにするのは難しいであろう。 本委員会は、この分野の研究からの証拠は放射線防護目的には有用ではないと結論 する。とりわけ、高いバックグラウンド地域にわたってのガン発生率の比較に基づいた 議論や、低いバックグラウンド地域に住む集団に外挿している議論については、核分裂 生成物や TENORM(Technologically-Enhanced Naturally Occurring Radioactive Material)か らの低レベル放射線被ばくに対する低いリスクの証拠として認められない。 第 10.5 節 ガンと地球規模の核実験降下物 全体として、人間活動による放射性物質汚染の支配的根源は、1945 年から 1980 年 の間に世界の様々な地域で行われた、大気圏内核実験の残骸による地球規模での降下物 である。総計 520 回の核爆発が行われ、1952∼54 年、1957∼58 年および 1961∼62 年に 最も集中的に実験が行われた。これらの実験によって放出された放射性物質の 78%は地 球全体に広がり、生命を傷つける核分裂生成物や超ウラン物質の被ばくの主要な要因と なっている。これらの物質は今や世界的な環境汚染物であり、また、生命体内の細胞に もあまねく行きとどいたものになっているが、それらの潜在的健康影響の調査を目的と した研究はほとんどなされてきていない。その同位体の多くは、生命体によって活用さ れている元素の周期表グループ上の同種元素である:それゆえ、それらは細胞や組織に 取り込まれることになる。 ケネディ・フルシチョフ(Kennedy-Kruschev)の実験禁止で 1963 年に終結する、主 な大気圏内核実験と降下物による被ばくの時代は、そのような内部被ばくの健康影響を 評価し得る最初の機会だった。しかしながら、ほとんど調査は行われなかったし、注意 を喚起するものであっても、あるいは結果を過小評価するものであっても、研究はほと んど公表されなかった。その降下物が幼児死亡率を増加させたというスターングラス (Sternglass)らによる提唱は、物笑いにされ、攻撃された。このような否定的な風潮は、 多分に冷戦政策に関連する秘密主義や統制によるものである。これは世界保健機関 (WHO)と国際原子力機関(IAEA)との合意の下で 1959 年に制度化され、WHO が放 射線影響を調査することを拒否する権限を IAEA に与える効力を持っていた。 このように核兵器実験がつづいた時期には、ガン研究と放射線生物学の双方の分野 において、膨大な研究活動が存在したが、核実験降下物による被ばくの結果についての 有効な光を当てた報告や研究はわずかだけである。存在するそれらの研究を表10.4 106 にまとめる。 表10.4 ECRR によって検討された降下物によるガンの研究 研究 グル ー プ 被ば く線 量 結果 備考 1. マーシャル諸島住民 甲状腺ガン、白血病、死産、200 名のみ、参照集 流産。 団も汚染 +甲状腺 線量不明/アリゾナ +白血病 州が参照集団 白血病(4 倍)、甲状腺(7 線量不明 倍) 、乳ガン(1.7 倍)、骨ガ ン(11 倍)など 4. 合衆国 内部<NBR 白 血 病 と ス ト ロ ン チ ウ ム ICRP リスク係数の 白血病と地球規模の降下物 -90 との相関 誤りをはっきりとさ 合衆国の水準 (V.E. Archer) せる 5. スカンジナビア:白血病 内部<NBR スカンジナビアにおける小 納 得 で き な い 解 析 ; と地球規模の降下物 児白血病との低い相関を確 疑問のある手続き (Darby ら) 認 6. 英 国 白 血 病 と 降 雨 内部<NBR 英国における小児白血病と 研究 5.との不一致 (Bentham 1995) 降雨とに顕著な相関を確認 7. 合衆国 内部<NBR 合衆国における降下物に被 現在のガンの異常発 降下物 被ばく集団 ストロンチウム ばくした赤ん坊の様々なガ 生は降下物が原因で ( RPHP: Gould, Sternglass -90 ンの過剰リスク あると予測 引用 1995-) 8. 合衆国 NAS ガン研究 ネバダの実験か +甲状腺 らのヨウ素 9. 英国とウェールズにおけ ストロンチウム 乳ガンについての集団の影 乳ガンの異常発生を る 婦 人 乳 ガ ン ( Busby -90 響 予測し説明 1 mSv 累積線量 1995, 1997) 10. 英国とウェールズにお 内部 時間経過を追跡した研究で 回帰解析はリスク係 け る 全 ガ ン 発 生 率 ストロンチウム 顕著な相関;全悪性腫瘍 数に 300 倍の誤差を (Busby 1995-2002,2006)-90 与える 1 mSv 累積線量 外部+ 内部:1-10 Gy 2. 合衆国ユタ州の核実験汚 外部内部 1 Gy 染 3. ユタ州の核実験:モルモ 同上 ン(C. Johnson) UNSCEAR(国連原子放射線の影響に関する科学委員会)によると、ICRP モデルを 使っての、1955∼65 年の期間における北半球での核実験降下物による累積内部被ばく線 量は、約 0.5 mSv から、高いレベルの降雨が沈着量の増加をもたらしたヨーロッパのあ る地域における 1∼3 mSv までさまざまである。被ばく線量の傾向は、1958 年と 1963 年 の間に、メガトン級の水素爆弾実験による急激な増加を示した。内部同位体については、 その蓄積の傾向は同様な急激な増加を示し 1965 年には頭打ちとなった。その後その傾向 は(生物学的減衰と物理的崩壊を通じて)約 20%程度ゆっくりと低下し、1999 年の数値 まで下がっている。内部被ばく線量に対しては、他のより放射能の強い同位体も同時に 高い被ばく線量をもたらしたが、2つの同位体が支配的であった:半減期が 30 年のセシ ウム Cs-137 及び半減期が 28 年のストロンチウム Sr-90 である。ウランによる汚染は報告 されていないようである。ICRP を基礎に計算されたその同位体と線量についての詳細は、 UNSCEAR1993 と UNSCEAR2000 にまとめられている。被ばくの主要な要素については 107 表10.5に示す。 表10.5 UNSCEAR1993 による世界中の集団に対する降下物による平均預託実効線 量(人・シーベルト単位)。被ばく線量は ICRP モデルを使って計算されており、内部被 ばくに様々な荷重を加える ECRR モデルではもっと高くなるであろう。 期間 外部 摂取 吸引 総計 1945 年から無限 2,160,000 27,200,000 440,000 29,800,000 本委員会は、検討してきたそれらの研究からの証拠が、地球規模の核実験降下物へ の被ばくがヒトの健康に著しい影響を及ぼしてきたものであることを示唆していると解 釈する。この影響はその時の小児死亡の原因となる即時的なものでもあり(次章で再検 討される問題である)、また被ばくと疾病の臨床的発現の間に遅れがあるガンや、白血病、 その他の遺伝的原因をもつ疾病(冠状動脈疾患を含む)の増加をもたらす遅延性のもの でもある。この結論に到達するに際して、本委員会は、1975∼85 年の期間に始まった地 球規模でのガンの異常発生の原因に関する証拠の不足を痛感させられた。今日医学界に おいては、ガンは細胞レベルで発現した遺伝的疾病であると広くみなされている。そし て初期のそして最近の研究はともに、その疾病の原因が本質的に突然変異誘導物質への 環境被ばくであるという考えを支持している。ガンの発生率が 1975∼1985 年の間に急激 に増加し始めたとして、そしてその疾病は被ばくから 15∼20 年遅れて発症することを研 究が示しているので、明らかにその異常発生の原因は、何らかのガンを生じせしめる突 然変異誘導物質が 1955∼1965 年の期間に環境中へ極めて突然導入されたと考えなけれ ばならない。その突然変異誘導物質を核実験降下物がもたらす放射性核物質汚染と同一 視することには説得力がある。その上、降雨量や沈着量に高低のある領域にわたっての ガンの発生率における差異は、そのガン異常発生の主要な原因として放射線を指し示し ている。 たった2つのグループだけが、このような可能性を研究してきたことが知られてい る:米国のグールド(Gould)、マンガーノ(Mangano)およびスターングラスの「放射 線および公衆衛生プロジェクト(RPHP)」、そして英国のバスビーらの「グリーン・オゥ ディット(Green Audit)」グループである。後者は、イングランドとウェールズにおける ガン発生率を使用して、ストロンチウム Sr-90 同位体への 0.2 mSv から 1 mSv の間の累積 的な被ばくを受けた類似した集団についての差異を調査し、その核実験降下物への被ば くの変動が晩発性ガンの発生率と高い相関関係を持っている(R=0.96)ことを示すこと ができた。グリーン・オゥディットの研究者達は、これが ICRP リスクモデルに 300 倍 の誤差があることを実証していると指摘している。両グループは、河口や河谷のような 降下物同位体を濃縮する地球物理学的要因の調査に取りかかっており、これらの地域で ガンや白血病の過剰疾病のリスクが一貫して示されていることを明らかにしてきた。 RPHP の研究者達は、降下物中や核施設の風下でのストロンチウム Sr-90 によって乳ガン が引き起こされるという証拠を提供してきており、現在、彼らが乳歯内に存在すること を測定したストロンチウム Sr-90 と発ガン率との関連を調査している。この研究の公表 前の予備的な結果は、晩発性のガンと歯の中の Sr-90 のレベルの間に有意な相関関係を 示している(Mangano 2009)。 核実験降下物がピークに達して以来発生している全てのガンの増加に加えて、顕著 な増加を示したいくつかの特異な発ガン部位もあった。顕著なそして説明のつかない増 108 加は、女性の乳ガンおよび男性の前立腺ガンに現れている。これらの疾病は両方とも放 射線によって引き起こされる。本委員会は、スターングラスらによって公表された乳ガ ンとストロンチウム Sr-90 とを関連づける証拠、および、バスビーによって報告された 乳ガン死亡率のコホート研究(cohort study)に注目しており、それら双方ともその疾病 の最近における増加の原因に関する説得力ある証拠を与えている。前立腺ガンもまた、 核実験降下物の傾向にしたがって、ウェールズでおよそ15年の後にもっとも高い発生 率で現れたことが示されてきている。ローマン(Roman)らによって明らかにされた、 内部被ばくが測定されている核施設の労働者における過剰な前立腺ガンのリスクは、 ICRP によって使用されているリスクモデルに最大で 1000 倍の誤差があることを示して いる(Atokinson et al.1994)。 表10.6 異なる経路を通じてヒトへの被ばくに寄与する核実験降下物の主要な同位 体、並びに、ICRP モデルを使用して UNSCEAR によって計算された、それぞれの同位体 からの北半球の温帯地方(北緯 40 50 度)の集団への平均被ばく実効線量。 * 印は、 ECRR が危険性を考慮して荷重した同位体と被ばく経路を示す。最後の 2 つの行は、ICRP と ECRR のモデルに基づいた線量を比較している(上記第 6.9 節参照)。ウランは被ばく 量が未知であるためこの計算に含まれていない。 外部 被ば く 線量 (µSv)吸引 線量 (µSv) Cs-137 線 量 摂取 (µSv) 510 Cs-137 280 81(24300) Sb-125 47 *C-14 2600(26000)*Sr-90 15(4500) Ru, Rh-106 70 *H-3 48(1440) 110(5500) Mn-54 93 *Sr-90 170(51000) *Ce-144 Zr, Nb-95 207 I-131 79 Ru-103 20 Ba, La-140 25 Ce-144 23 ICRP 総計 995 3177 292 ECRR 総計 995 78440 38600 *Pu, Am *Ru-106 86(4300) (UNSCEAR1993 の表9に基づく) 国連への 1993 年の報告書の表11(表10.5として先に示した)は、核実験の結 果としての世界の集団に対する預託実効線量はちょうど 30,000,000 人・シーベルトを少 し下回ることを示している。この線量から ICRP の致死ガンリスク係数である 0.05/シー ベルトは、世界の集団中にトータルで 1,500,000 人の致死ガンの発生を予測する。より最 近の UNSCEAR2000 は、核実験降下物からの預託実効線量についての同様の計算を与え るが、その結果は 1993 年版で与えられたものとは著しく異なる(より小さい)。 表10.6(UNSCEAR1993 より)は、関連する主要な同位体の各々による、北半 球の温帯地方(北緯 40 50 度)での預託実効線量を示している。比較のために、この表 は内部放射体による過剰疾病のリスクを認識している ECRR によって提案されたモデル を使用して計算された総線量も示している。表10.6に与えている外部被ばくに対す る内部同位体の比率を利用した内部被ばくリスクについての ECRR 補正の使用は、上に 与えた ICRP 評価値から致死ガンの発生を 60,000,000 人以上にまで増加させることにな 109 る。この発症の大部分は、被ばくから 50 年以内に生じるだろう。また、それらの予測さ れたガンの増加は、もちろん、十分に目に見える形で現れる。この計算については第1 3章において立ち返る。 第 10.6 節 小児ガン、小児白血病と地球規模の核実験降下物 核兵器の使用および実験に続く期間において最も憂慮すべき展開の一つは、子供達 の間での白血病と脳腫瘍の急激な増加であった。それらはともに小児ガンの主要なタイ プを構成している。1950 年代において小児ガンの初期の増加が非常に著しかったので、 政府はそれらが降下物によって引き起こされたのかと問い始めた。そして、ミルクの重 大な汚染物質になっていた同位体ストロンチウム Sr-90 に関心が集中した。英国では、 医学研究審議会(Medical Research Council)が、その仮説を検討するように依頼された。 審議会はリチャード・ドール卿(Sir Richard Doll)による助言を受けて、ヒロシマの結果 からするとその線量があまりにも低いので、それはあり得ないと報告した。これにもか かわらず、低線量の分娩時の X 線が子供達の間に白血病の増加をもたらすというスチュ アートによる同時代の発見が、そのような助言の不確かさを焚きつけ、1963 年の大気圏 核実験禁止に至ったのだった。 ダービー(Darby)とドール(Doll)らによる北欧諸国における小児白血病と降下物 についての 1993 年の研究は、低線量の内部放射線は安全であるという主張を支持するも のとしてしばしば引用されている。この研究は、デンマーク、ノルウェー、スウェーデ ン、フィンランド、およびアイスランド(非常に異なる大きさの人口および核実験降下 物への異なる被ばく歴を有する国々)からの小児白血病に関するガン登録データを互い に(時系列の中で)継ぎ合わせた。その研究期間である 1948 88 年における 0 4 歳児 の白血病発生率の傾向は、1948 58 年と 1965 1985 年という期間の間では、100,000 人 あたり 6 人から 6.5 人へのあまり大きくない増加を見かけ上示していたが、それは子供 への被ばく線量が約 0.5mSv であった 1958 63 年の核実験のピークの期間を一括して扱 っており、つきなみなやりかたでモデル化されている。しかしながら、その研究を綿密 に調べると、その初期の期間はデンマークのガン登録だけからのデータによって代表さ れていることが明らかになった。1958 年以後は、その5カ国から全ての登録データが共 に出されていた。したがって、その研究には欠陥があった(CERRIE2004b, Busby 2006)。 1958 年から集められたデータの綿密な調査は、0 4 歳の白血病の増加が 100,000 人あた り約 5 人から 6.5 人へと、約 30%の増加したことを示唆している。これはベンサム (Bentham)によって公表されたイングランドおよびウェールズでの、小児白血病死の研 究とよく一致する。 被ばくした子供における白血病の発生率は、子宮内で受けた骨髄線量 0.15 mSv と 0 歳 4 歳の間に受けた 0.8 mSv までの間にある累積線量の結果として、その5年の期間に わたって 30%増加した。これは ICRP のリスク係数(子供に対して、0.0065/シーベルト) にある誤差が、この集団においてこれ以上の過剰死が生じない場合には 3∼15 倍であり、 もしこの超剰なリスクが彼ら彼女らの生涯を通じて継続するとした場合には、40∼200 倍であることを示唆するものである。合衆国においては、アーチャー(Archer)は核実 験降下物による白血病の増加をストロンチウム Sr-90 を通じて調べており、成人で 1.3 mSv、子供で 4 mSv という彼が推定した線量に従うと、全ての年齢集団にわたってかな り首尾一貫しておよそ 11%増加することを指し示した。もしこれらの線量が正確である 110 ならば、これはヨーロッパにおける研究よりも、より低い線量でより高い発生率を示唆 するものである。ベンサム(Benthom)やハイネス(Haynes)と同じように、アーチャー は降水量が高、中、低のそれぞれの地域と、それに関連した白血病発生率の明瞭な差異 を実証することができた。 本委員会は、定期的 X 線診断の開発、1930∼40 年の期間における腕時計文字盤への ラジウムの広範な利用、および 1945 年に急激に増加する、核分裂性同位体の地球環境へ の最初の放出につづいて、英国における小児白血病発生率が、確実に増加していること に注目している。イングランドとウェールズでの 1916∼1950 年の期間における小児白血 病死の傾向は、世界のラジウム生産量、従ってウランの生産量についてのデータと相関 をもっている。ラジウム文字盤の放射線源からの被ばく線量は確定されてきていない。 白血病増加の原因について別の可能性を調査するために、そして、結核症を撮影するた めに 1950∼1960 年の間に広く使用された可搬式 X 線システムのデータを得ようとした 本委員会の試みは実りあるものではなかった。 第 10.7 節 続く世代における核実験降下物影響の反響 ダービーらによって公表された北欧人における白血病の傾向は、最大の核実験降下 物のあった期間である 1958 63 年を通じて発生率が上昇を示している。しかしながら、 それらはさらに 1983 年のはじめに 100,000 人あたり 6.5 人から 7.5 人の発生率まで、際 だった増加を示している。この階段状の増加は、チェルノブイリ事故に先立って始まっ ており顕著である。それはほとんどのデータの組の中にはっきりと見ることが可能であ り、ウェールズおよびスコットランドからのデータの中では 1984 年と 1988 年に中心を 持つ2つの接近したピークとしてその姿を見せている。これらは、25 年くらい前の、1959 年から 1963 年あるいはその近辺に生まれた両親に原因を持つ遺伝的損傷の世代を超え た反響である可能性がある。 本委員会は、あるひとつの白血病救済団体から得られた小さなデータの組を分析す ることによって、この仮説をさらに詳しく検討した。これは白血病と診断されたイング ランドの子供達の親の生まれた年を記録している。分析は 1960 年頃に生まれた両親の子 供達に最も高いリスクがあることを示しており、核実験降下物への彼らの被ばくが小児 白血病の増加に対するひとつの深刻な要因であろうことを示唆している。英国政府の医 学統計局は、1981 年以降に生まれた子供達の親の生まれた年に関する追加的なデータを 公開することを拒んできている。小児白血病を両親の生まれた年のコホートにより調査 する研究が CERRIE(内部放射体の放射線リスク検討委員会)のプロセスの一部として 委託されたが、CERRIE を設立した大臣が罷免されたときにそれはキャンセルされた。 またこの仮説は動物実験からのいくつかの証拠によって支えられている。1963 年に ルニング(Luning)とフローレン(Frolen)は、ストロンチウム Sr-90 に被ばくしたオス のハツカネズミの子孫が、発育不良による胎児死亡として現れた重度の遺伝的損傷を受 けたことを示した。遺伝的損傷は、被ばくから2世代目になる次の世代に引き継がれた。 白血病に関しての類似した影響は、白ネズミにストロンチウム Sr-90 を投与し、その子 孫の白血病を検査することによって、1962 年に、セツダ(Setsuda)らによって発見され た。そのような影響は、ヒトのその疾病においても期待されるかも知れない。これにつ いては、第12章でさらに議論する。 111 第 10.8 節 その他の降下物研究:全体的影響 地球規模の集団や風下住民の間における核実験降下物への被ばくのリスクを評価す るために使われてきた諸研究が、表10.4に列挙されている。これらは、その表の中 で言及されている様々な問題、しかし主としてヒロシマの研究で経験されたのと同じ問 題(被ばくしていない対照群を見つけることの困難)を持っている。線量応答関係が線 形ではない場合には、これは重要な問題である。それは、低い被ばくの参照集団がより 高い被ばくをした集団よりガンのより高い発生率を示すかも知れないし、そこでは高線 量では細胞は(あるいは胎児は)、変異するより殺されてしまうだろう。それにもかかわ らず、これら総ての研究についての考察から浮かび上がる全体像は、その降下物として 放出された物質のその量の大きさの故に安心を与えるものではない。たとえ計算された 線量とリスク計数が UNSCEAR/ICRP に基づくものであったとしても、予想される致死ガ ン発生数は全世界で 160 万人と 300 万人との間の過剰なガンである。これは些細な数字 ではない。ECRR の修正被ばく線量は、6000 万人と1億 3000 万人の間の過剰な致死ガン を予測する。あるいは、ヨーロッパにおける 1958 63 年の期間において被ばくしたそれ らの集団の中でおよそ 20 30%のガン発生率の上昇を予測する。この上昇はデータの中 に現れている。ECRR もまた 1958 年と 1966 年の間に生まれた人々においてガンが増加 するコホート効果(cohort effect: 訳注、その特異な集団に有意な効果が見られることを 指す)を予測しており、そして、彼らの子供達の間においてもリスクが増加すると示唆 する証拠(例えば、上で考察した白血病データ)について憂慮している。 112 第11章 被ばくに伴うガンのリスク、第2部:最 近の証拠 第 11.1 節 核施設とその周辺 1983年のこと、あるテレビ局が、西カンブリアにある核燃料再処理工場・セラフィ ールド(以前の「ウィンズケール」)近くのシースケールにおいて、核施設近傍の小児ガ ンと白血病の発生群を初めて見出した。疫学者によるこれの確認と政府による調査の後 に、英国政府は、 (a)小さな地域を対象にした疫学的監視の手法を開発し 、 (b)核施設 周辺の白血病の過剰発生の原因を調査するために、二つの新しい委員会を立ち上げた。 セラフィールド白血病発生群に続く15年の間に、それと類似した集団が、ヨーロッパの 他の2つの再処理施設、スコットランドのドーンレイ(Dounreay)と北部フランスのラ・ アーグ(La Hague)で確認された。これらに加えて、小児白血病発生群は、英国のアル ダーマストン(Aldermaston)、バーフフィールド(Burghfield)、ハーウェル(Harwell)、 ヒンクリーポイント(Hinkley Point)そしてチェプストウ(Chepstow)、ドイツのクリュ ンメル(Kruemmel)、そしてスウェーデンのバーセベック(Barsebeck)という、環境中 に放射性同位体を放出した他の核施設でも報告された。最近になって、ドイツの全ての 核施設からの距離に応じた、1984年から2004年までの、小児ガンと小児白血病に関する 研究は、その影響を疑いの余地のないものとして示している;0歳から4歳の子供のリス クは2倍以上であった。その研究の著者らは、ICRPリスクモデルはこの発見を説明する ために、少なくとも1000倍の誤差を持っているはずであると主張している(Kaatsch et al. 2007, Spix et al. 2008)。これまでに研究されてきている施設を表11.1に示す。 表11.1 核施設近隣に居住する子供らにおける過剰な白血病とガンのリスクを立証 している研究。 核施 設 年 a セラフィールド/ウィンズケー 1983 ル、英国 a ドーンレイ、英国 1986 100 300 100 1000 1993 100 1000 アルダーマストン/バーフフィ 1987 ールド、英国 b ヒンクリーポイント、英国 1988 d ハーウェル 1997 b クリュンメル、ドイツ 1992 d ユーリッヒ、ドイツ 1996 b バーセベック、スウェーデン 1998 b チェプストウ、英国 2001 全ドイツ; KiKK 2007 200 1000 a c a ICRP リスクの何倍か 備考 ラ・アーグ、フランス 200 1000 200 1000 200 1000 200 1000 200 1000 200 1000 1000 COMARE によ って よく 調べら れ た:大気と海への高いレベルの放出 COMARE によ って よく 調べら れ た:大気と海への粒子状の放出 大気と海への粒子状の放出:生態学 的、症例参照研究 COMARE によ って よく 調べら れ た:大気と河川への粒子状の放出 沖合の泥土堆への放出 大気と河川への放出 大気と河川への放出 大気と河川への放出 大気と海への放出 沖合の泥土堆への放出 様々なタイプをあわせたもの 海に放出している再処理工場;b 海あるいは河川に放出している原子力発電所;c 核兵器 あるいは核物質製造工場;d 地域の河川に放出している原子力研究所 本委員会は、英国とドイツにある核施設周辺の集団(aggregations)からの証拠を含 1 む、核施設の近くにおける小児ガンの発生群の存在に関係するかなりの量の証拠を調査 してきており、そのような疾病の原因となっているものは、その施設からの放射性の放 出物がもたらす内部放射線被ばくであると結論した。この見解に対する議論は、英国放 射線防護局(NRPB: UK National Radiological Protection Broad)からの報告書、COMARE (訳注1)によるさまざまな報告書、そしてフランス政府による3回の北コタンタンの ミッション(missions)においてよく要約されている。KiKK 研究に対する反応はもっと 控えめなものであったが、このはっきりした発見の実例は、リスクモデルの再検討を強 いるべきものであるにもかかわらず、何もなされていない。 セラフィールド(シースケール)に関してのこれらの議論は、1993 年の訴訟で繰り 返された。その中で提示された科学的な証拠に対して裁判官は、白血病の症例は放射線 によって引き起こされたものではありえないとの判決を下した。しかしながら、この訴 訟事件において法廷には、そのような症例が父親の受精前の被ばくによって引き起こさ れたという仮説が提出されたのであるが、第一の証言者、マーチン・ガードナー(Martin Gardner)教授の不運な突然の死のために、この仮説を支持する個別の証拠はほとんど提 出されなかった。対立仮説の法廷における調査は全くなされなかったが、それは提出さ れたリスク係数の計算が外部急性被ばくに基づいており、従って仮説がくつがえされる 可能性のあるものであった。 これこそが本委員会が一般的に憂慮していることである。全ての核施設発生群の症 例における因果関係の分析は、子供たちやその両親について計算される被ばく線量はそ のような疾病の原因とされるには十分ではないということを示すために、例外なく ICRP モデルを頼りにしている。なぜなら ICRP の線形モデルはガンや白血病を予測しないか らである。さまざまな研究における、被ばく量と、観察されている白血病の症例との間 のおおよその食い違いを、表11.1に示す。 このアプローチについての科学的基礎は、第3章において先に議論した通りである。 本委員会は、これらの核施設のガン発生群は一致して、内部被ばくのリスクについて情 報を得るために外部被ばくの研究を用いていることに起因する、ICRPリスクモデルの誤 差の証拠を与えるものと結論する。放出に関連する高い水準のリスクに対する説明は、 その白血病やガンを引き起こしている被ばくが、ストロンチウムSr-90のような新奇な放 射性同位体と、吸引された直径がミクロン以下のウランを含む粒子によるというもので ある。これらは肺からリンパ系に、そしてそこから体のあらゆる部位に移動し、局所的 な組織に高い被ばく線量をもたらすことになる。プルトニウムとセラフィールドにおけ る事例では関係する地球物理学的なプロセスは十分に記述されており、海の潮間(高潮 位と低潮位の間)にある沈殿物、海岸近くの空気、羊の糞便、子供の乳歯、そして英国 各地から取り寄せられた検死標本体中において、プルトニウムおよびその他の放射性粒 子の存在を示す測定が行われている。海からの距離に対するプルトニウムの濃度は、海 から1 kmの範囲内ではレベルが鋭く増加しているがその外部では急速に低下し、ある有 限の値にまで平坦化し、海から300 kmまたはそれ以上にわたってレベルが下がりつづけ るという傾向を持っている。その証拠は後述するアイリッシュ海近辺におけるガンの議 論において再検討する。しかしながら、セラフィールドの白血病発生群の分析において COMAREやNRPBによって用いられたICRPモデルは、吸引されたプルトニウムの被ばく 線量を非常に大きな体積の組織の全体で平均化しており、その結果、それらの報告書は、 これらの被ばくが観察されている疾病の原因であろうとすることに完全に失敗している。 研究された他の核施設の発生群は全て、本委員会のモデルにおいて危険要素の重み 2 付けをしている新奇な人造放射性同位体か、あるいは風媒粒子かのどちらかによる放射 線被ばくを含んでいる。表11.1に示した全ての核施設は共通して、地域の海岸や氾 濫する河川を汚染しており、そのために、潮間(高潮位と低潮位との間)、河口、河川岸 の堆積物の中に著しい量の放射性物質の沈着がある地域の近くに存在している。核施設 周辺の白血病やガンについての蓄積された研究は、 (上で議論された)幾つかの特定の核 施設以外では、白血病またはガン発生群の存在は有意な特徴ではないということを示し てきている。これらの核施設近隣の発症集団(aggregates)の研究にはさまざまな欠点が ある。本委員会は、核施設の疫学調査は、その放射能源周辺の環境中における放射線物 質の分散の測定に基づいて、どの集団が最もリスクがありそうかを立証しなければなら ないと考える。研究はたいていにおいて、河川や、海から陸への移送、土地の傾斜、そ して卓越した気候や風向を通じてのその施設からの放射性物質の流れを考慮しないまま に、その工場からある半径以内にいる集団が、あるより大きな動径方向距離にある集団 と比較されることによって実施されている。良い例を、英国にある二つの核施設周辺の 小さな地域の集団についての最近のいくつかの研究にみることができる。エセックス州 ブラッドウェル(Bradwell)周辺において、英国小地域保健統計機構(SAHSU、この章 の最初の段落で言及した二つの委員会のうちの一つ)は、そのプラントへの近さの度合 いが放射線被ばく線量の代用品になると考えられるということを根拠にして、4、10、17 km の半径を描いた。カーディフ(Cardiff)にあるナイコムド・アマーシャム(Nycomed Amersham)プラント近くの集団についての同様の研究においては、SAHSU は 2.5 km と 7.5 km の半径を持つ円環を選んだ。グリーン・オゥディット(Green Audit)による区(Ward) レベルの研究は、特定の半径の選択によって、偏向した結論を引き出すことが可能であ ることを立証した。 表11.1にあげられた核施設は、共通する要素を持つ;第1に、放射性物質が(人々 に)摂取・吸引されるような方法で新奇の放射性物質を放出している。そして第2に、 局地的なガンや白血病の発生群が確認されてきている。これは第8章で議論した、環境 的な因果関係についてのブラッドフォード・ヒルの規範の応用を求めるのに用いられる かもしれない。各施設の近くでの小児ガンの発生頻度の統計的確率の評価を改善するた めのベイズ統計の計算は、全ての施設に一緒に適用することはまだ一度も行われていな いが、英国の NRPB と SAHSU の疫学者たちは、個別の確率(p-value)だけを根拠に、 それぞれの症例集団を過小評価した。 表11.1にあるほとんどの事例において、その被ばく線量は未知のままであるが、 放出された放射能の量についての知見に基づいて、小さいと想定されているようである。 しかしながら、セラフィールドのこれらの症例のほとんどの研究で、モデル化された被 ばく線量と ICRP リスク係数に基づいて予測される白血病の発症数の食い違いが、すな わちそれら二つの間のずれが 300 倍であることが明らかされている。そして、この値と、 その差異が内部被ばくについての研究が発見した差異と類似しているということ、これ こそが本委員会がそのモデルにおいて損害を調整する係数を開発してきた理由である。 核施設周辺に住む子供たちにおけるガンや白血病発生群の確認は、ICRP の科学的モ デルにかなりの圧力を与えてきている。過剰な小児ガンが核施設の付近で慢性的に観察 されていることは、科学的基礎となっている ICRP の理論的枠組みの中では対応できな い不整合があることを証明している。これに取り組む唯一のまじめな試みは、キンレン (Kinlen)らの研究であって、彼らの提案は人口混合(population mixing)の研究に基づ いている。彼らの考えは、核施設近隣の白血病発生群は、新しい人々が感染に対する免 3 疫抗体力が弱い地方の集団と混合しているという状況の下で最も起こりやすい、あるウ イルス感染に対する珍しい応答によって引き起こされているというものである。本委員 会はこの理論を注意深く考察し、セラフィールドの発生群を説明するのは不可能である と感じている。それは実際に起こったどの人口混合の後も長く持続しており、その施設 の建設よりもそれの核操業の開始により密接した関連をもっており、そして白血病と同 様にガンにも著しい過剰なリスクを含むからである。これらに加えて、セラフィールド 以外の場所においては、キンレンらによって見出された効果は比較的地味なもので、彼 らが提案したものほどには風変わりでない数多くの機構によって容易に説明された。い ずれにしても、小児白血病に関与するウイルスが未だ発見されていないため、その病因 学的な根拠はない;白血病におけるさほど大きくはない増加は、あるもっと当たり前の 平凡な説明が可能であり、人口混合の効果は 2 次オーダーの効果に格下げすることがで きるというのが妥当な線であろう。したがって、本委員会は、核施設近隣の白血病やガ ンの発生群の存在は、放出された放射性物質への被ばくへの応答を代表しており、した がってそれは ICRP モデルのあるひとつの「ポッペリアンの偽造(Popperian Falsification)」 である、と認める。 (訳注1:COMARE: Committee on Medical Aspects of Radiation in the Environment の略称、 ホームページは http://www.comare.org.uk/) 第 11.2 節 アイリッシュ海と、他の汚染された沿岸サイトについての最近の研究 本委員会は、アイリッシュ海沿岸におけるガンと放射線に関する3年間にわたる未 公表の研究結果を利用してきた。バスビー(Busby)らは、ウェールズにおける 1974-90 年とアイルランドにおける 1994-96 年のガンの発生数を調べた。彼らは、その海の近く に住むことの効果を見るために、社会経済的なハンディ、性別、年齢について調整され た小さな地域のデータを用い、いくつかの発見をした: ウェールズに対しては、彼らは以下のことを見出した。 ・ ほとんどのガンについてそれが発症するリスクが、海岸近くで急速に高くなっている。 ・ その増加は、海岸に最も近い 800 m の細長い範囲で最大となる。 ・ セラフィールドからの放射性物質が最も高いレベルで測定されてきている、潮汐エネ ルギーの低い地域の近くで、その増加は最大である。 ・ その効果はその期間全体にわたって増大しており、1970 年代半ばのセラフィールド からの放射能放出のピークに、約5年遅れで追随している。 その期間の終了時までに、放射能で汚染された沖合の泥の堆積物に近い北ウェールズ のいくつかの小さな町における小児の脳腫瘍や白血病のリスクは、国内平均の5倍以上 であった。 アイルランドについては、全ての(種類の)ガンについてのデータのみを用いて、 彼らが発見したことは: ・ その影響は、東海岸には存在するが、南あるいは西海岸には存在しない。 ・ その影響は、女性に対しては存在したが、男性に対しては弱いか、もしくは存在が認 められなかった。 ・ 1957 年のウィンズケール原子炉火災事故時の前後に生まれた男女双方ともに、強い コホート効果(cohort effect: 訳注、その特異な集団に有意な効果が見られることを指 4 す)が存在した。 これらに加えてその研究グループは、東海岸のアイルランドのある一地方、カーリ ングフォード(Carlingford)を詳細に調べた。地域の一般開業医(GP)からのデータを 用いて、彼らは 1960-86 年の期間の、白血病と脳腫瘍の過剰発生を確認することができ た。また、彼らはアンケート調査をその地域において実施し、海からの 100 m くらいの 距離に海岸効果(sea coast effect)が存在することを明らかにした。海岸から 100 m 以内 に住む人々は、1000 m 以上離れて住む人々よりも、ガンを発症する確率がおよそ4倍高 くなっていた。 その研究者たちは、潮間(高潮位と低潮位との間の海岸)の堆積物に捕獲された放 射性物質の海から陸への移送がその効果の原因であると考えている。この過程は 1980 年 代半ばまでに発見され、十分に記述されている。海からの距離に伴うプルトニウムの傾 向は、塩化ナトリウムの浸透に見られる傾向と似ており、最初の 1 km にある空気中で濃 度が急速に高くなっているのが示されている。英国においては、プルトニウムが国土全 体にわたって羊の糞便の中から測定されてきており、1980 年代に測定されたところでは、 牧草地におけるその濃度は、セラフィールドからの距離との間に顕著な傾向を示してい る。プルトニウムは全く同じ傾向で、子供の乳歯においても測定されてきており、英国 全域からの検死標本体においても見つかってきている。レベルは肺から排液する気管支 リンパ節(TBN)において最も高くなる。肺に入った直径約 1 ミクロンの粒子は、その リンパ節やリンパ系に移動し、原理的には、身体のあらゆる部位に届くことができる。 ごく最近の研究では、まれなケースにおいて、直径がおよそ 0.1 ミクロン程度の微粒子 は、胎盤に進入することが可能であり、そしておそらくは胎児に進入することも可能で あることを示している。そのようなアルファ線放出粒子は、それらの核崩壊による飛跡 の 40 ミクロンの範囲内にある局所的な細胞に、非常に高い被ばく線量をもたらす。それ に加えて、細胞はその微粒子が放射線を放出し続けるために、繰り返し何度も打たれる ことになる。このように、第9章で考察したセカンドイベント過程(Second Event process) (訳注:第 9.8 節参照)が可能となり、そして、低確率/高リスクの問題を代表する。ベ ータ線を放出するホット・パーティクルは、胎盤の内部から胎児を被ばくさせることが できる。これは十分な証拠がない研究分野であり、さらなる研究が必要とされる分野で ある。 そのアイリッシュ海の研究に続いて、バスビーらは、1995∼1999 年のガン死亡率の データを用いて、海に放出している他の核施設を調査した。彼らは同様なガンに関する 海岸効果を、サマーセット(Somerset)にあるヒンクリーポイント原子力発電所と、泥 質の 河口 に(放射性 物質を )放 出し ている 東海岸のエセックス州ブラッドウェ ル (Bradwell)の原子力発電所の近くで発見した。その堆積物の近くに住む人々には、内陸 に居住する人々と比較して、高い率のガンが認められた。ブラッドウェルの場合は、原 発を持たない類似の泥質河口を持つよい比較対照となる町が存在したが、そこでは国内 平均を上回るガンの増加は見られなかった。 これらの研究結果は、合衆国の「放射線と公衆衛生プロジェクト(Radiation and Public Health Project)」による別の研究によって支持されており、ミクロンサイズの放射性粒子 による内部被ばくに関係する高いリスクを確認するものであると見なしてよいであろう。 本委員会は、これらの研究が生態学的疫学に基づいており、そのような研究に関連 するあらゆる論駁の問題(problems of confounding)を被るかも知れないが、しかしヒト の健康への結果に関連しているという視点からすれば、緊急を要する切迫した課題とし 5 てこの領域におけるさらなる研究を奨励するべきであると認識している。 第 11.3 節 核事故 地球規模の環境への重大な放射能放出をもたらした核事故を表11.2に示す。 表11.2 主要な核事故とそれらの総放出量 事故 総量( PBq) ク イ シ ト ゥ イ ム 74 (Kyshtym) ソ連、1957 年 ウィンズケール 0.83 英国、1957 年 スリーマイル島 566 合衆国、1979 年 チェルノブイリ 2088 ソ連、1986 年 粒子 高い 備考 Ce-144 による高濃度の微粒子生成:公表され た健康影響についての適切な追跡調査なし 中 影響をうけた地域を隠蔽する画策 なし ほとんど全てが気体;適切な追跡調査なし 高い 初期データの隠蔽。高いかつ異常な甲状腺ガン が認められる。ほかの影響は論争されている、 また重要な議論の領域(本文をみよ) (訳注:PBq は 1015 Bq、ペタベクレル) 本委員会は、1986 年のチェルノブイリ原子炉の爆発に先駆けて起こっていた3つの 核事故による健康上への結果が、疫学的に調査されてこなかったことを憂慮している。 ウィンズケール事故が東部アイルランドでのダウン症の出生数を増加させてきたであろ うとする証拠が確認されてきている。そして、アイリッシュ海の研究により、1957 年前 後に生まれた集団に顕著なガンのコホート効果が存在する最近の証拠がある。それらに 加えて、ウィンズケールから西に 70 km ほど離れたアイリッシュ海上の小さな島である マン島においては、その事故からまもなく後に始まったあらゆる原因による死亡率の急 速な増加を示す幾つかの証拠が得られている。これはマン島の行政府によって提供され たデータの中に見ることができる。本委員会は、この事故からの公式の気象学的な風向 記録が、なんらかの影響のありそうな地域を隠そうとする明白な動機のもとに、不正に 改ざんされてきたという証拠もまた見つけてきている。 もっとも最近の核事故である、1986 年のチェルノブイリ原子炉爆発事故は、事故に よる環境への放射性物質の最も大きな放出であり、北半球にあるほとんどの国々に汚染 をもたらした。影響を受けた国々における健康に関する数多くの研究が公表され、ある いは会議において発表されている。ECRR2003 の報告書が出たころの西側諸国に現れて いた全体的な様相は、ひとつの混乱であり、一方においてはガンや白血病そして遺伝的 疾病における増加の報告と、他方ではその被ばくに関連するいかなる有害な(adverse) 健康影響をも否定する、互いに相容れない報告があった。 現在では、これがソビエト当局による基本的データの偽造や隠蔽によるものであっ たことが明らかになっている。数多くの取締りの命令が発見され、それらはヤーブロコ フの 2009 年の著者のなかで再現されている(Yablokov et al. 2009.)。例えば、ソビエト連 邦公衆保健省第一副大臣シュチェピン(O. Shchepin)は、1986 年 5 月 21 日に次のように 書いた: ・・・電離放射線に被ばくした後入院した特定の個人に対しては、退院時に急性放射線 6 障害の兆候や症状がなければ、診断は栄養血管性ジストニア(vegetovascular dystonia)と せよ。 もう 一 つの例 はソビエ ト連邦 国防省の軍中央医 療委員会 (Central Military Medical Commission of the USSR Ministry of Defence)の説明文に現れている: (1) 電離放射線によって引き起こされる時間的に離れた結果、及び因果関係について:50 ラド(訳注:= 0.5 Gy)を超えた被ばくの後の白血病や白血症、・・・急性の放射性症が 診られなかった個人(リクビダートル)における急性の身体的疾患や慢性的疾患の発症、 については電離放射線との因果関係があるものとしてはならない。 事故の本当の健康影響についての評価は、UNSCEAR(国連原子放射線の影響に関す る科学委員会)や IAEA(国際原子力機関)による、高圧的な隠ぺい工作やデータの隠蔽 に支配されていた。WHO(世界保健機関)は、エイチ・ナカジマ WHO 事務局長が 2001 年のキエフにおける会議でカメラの前で語ったように、問題への実質的な関与からはず されてきた。この会議において、 UNSCEAR 代表のエヌ・ジェントナー博士(Dr N. Gentner) が会議の結論として彼自身が以下のように書いている:放射線による計測可能な影響の 存在を否定する声明を作ろうとしたが、会議がその案を拒否し、調査研究を呼びかける という大きく修正した声明が強固に選択されてしまい、最終的な声明は元の案にさし戻 された(Busby 2006) 本委員会は、放射線遺伝学的な疾病の増加に関係する結論のかなりの部分が、線量 と影響との間にあらかじめ仮定されている線形的応答に過って基づいていると考えてい る。そのような仮定は、外部被ばく線量と内部被ばく線量とを混同しており、また第9 章で議論した細胞線量や細胞の感受性に関係した議論に基づく理由から、根拠のないも のである。これに加えて、疫学的研究は、その放射能放出によって被ばくした集団に対 するICRPリスクモデルの予測によって、影響を受けている、あるいは攻撃されてきてい る。ICRPのモデルは、研究集団が経験している高いバックグランドのガン発生率に対し て、一般的に立証するのが困難であるような非常にかすかな影響しか予測しておらず、 そのためにガンの増加がこのような集団の中に見られるときにはそれらは無視されるか、 あるいは少なくともチェルノブイリによる被ばくが原因であるとは見なされないように なっている。本委員会が調査した主な報告書を表11.3に示す。ガンに関しては、晩 発的影響の最初の証拠は、甲状腺ガン、白血病そして固形腫瘍の増加に対する証拠に分 類されるであろう。 2003 年の報告書以後、チェルノブイリの健康影響に関する状況は著しく変わった。 これは主に、健康障害に関する研究、及び動物実験と遺伝子研究に関するロシア語のピ ア・レビュー審査付きの報告書(これらは、UNSCEAR と ICRP に無視されたものであっ たが)が今や英訳され、レビューされたことによるものである(Yablokov & Busby 2006, Yablokov et al. 2009)。ヤーブロコフ教授(Prof Yablokov)とブルラコバ教授(Prof Burlakova)は 2003 年にオックスフォードで開催された CERRIE(内部放射体の放射線リ スク検討委員会)の会議に出席し、ロシア語で公表されている論文の証拠は IAEA や UNSCEAR の報告書にあるものと極めて異なったものであると CERRIE の事務局に告げ た。これらの論文の多くはヤーブロコフとバスビーによって英語に翻訳され、また要約 された。しかしながら、CERRIE の報告書はそれらとその参考文献を除外した:それら は CERRIE の少数者報告書(Minority Report)に含まれている(CERRIEa, CERRIEb)。 ECRR はヤーブロコフ教授が議長を務めるチェルノブイリに関する小委員会を、2003 年 に立ち上げた:これは”ECRR2006 – Chernobyl 20 Years on(ECRR2006 チェルノブイリか 7 ら 20 年とその後)”の公表につながり、これは euradcom のウェブサイトから自由に無料 でダウンロードすることができる。この研究論文には、ロシア共和国とウクライナ、ベ ラルーシからの著名な幾人かの科学者たちの貢献が含まれており、詳細については読者 にその本を読んでいただきたい。簡潔に言えば、それは事故の深刻な健康への影響を報 告しており、ヒトや動物、植物の集団への遺伝子的及びゲノム的な効果を含んでいる。 従って、チェルノブイリの疫学調査とチェルノブイリ効果(Chernobyl effects)が、 UNSCEAR2000 報告や UNSCEAR2006 報告、及び ICRP2007 勧告から除外されているの は信じがたいことである。UNSCEAR2006 報告の中では、ある量の紙面が放射線疫学に 割り当てられているが、チェルノブイリに付いてはほとんど言及されておらず、上記の たった1つの論文の引用もなされておらず、議論もされていない。 これらの国々やヨーロッパにおける状況の証拠は、もっと最近になってヤーブロコ フらによって概観され、有名な” New York Academy of Sciences”から出版されている (Yablokov et al. 2009)。 チェルノブイリ効果は 2009 年にギリシャのレスボス(Lesvos)で開催された 2009 年 ECRR 国際会議での主要な議題であり、これに関するいくつかの論文が提出された; この会議のプロシーディングスは現在準備中である。この会議の結びの声明は、チェル ノブイリ事故を放射線被ばくが健康へ与える影響について適切に評価するための機会と してとらえるように、各国の政府及び研究者に呼びかけている。この声明、レスボス宣 言は、補遺 C に掲載している。ECRR もまた、バンダシェフスキイ(Bandashevsky)の ベラルーシの汚染された領域における発見に関する、彼の論文を現在集めている。 まとめると、チェルノブイリ原発事故の影響は、ICRP や UNSCEAR、IAEA によっ て過小評価され、否定されている。これは、ICRP のリスクモデルを支持し続けるために 必要であったことが極めて明白である;ロシア語の論文で報告されているチェルノブイ リ効果は、その ICRP モデルが誤りであることを証明している。西側の情報源からのデ ータを使って公表されている2つのガン研究がある:小児白血病の解析と、スウェーデ ン北部におけるガンの発生率の解析である。両者ともに ICRP モデルが誤りであること を証明しており、リスクモデルの誤差は、前述した考慮に基づく ECRR によって予測さ れたのと同程度で、2つの場合でほぼ同じである。これらについては以下で議論する。 表11.3 の概要。 本委員会が事故の影響調査の基礎として用いたチェルノブイリ研究及びそ 報告 書/ 評価 IAEA, 1994 IPPNW(訳注 1), 1994 サバチェンコ (Savchenko), 1995 ブルラコバ (Burlakova), 備考 重度の健康損害があること、あるいは、甲状腺ガン以外には重大な影 響がほとんどないこと、のどちらかを示した諸報告によって特徴づけ られる、ウィーンで開かれた公的な原子力機関の会議。報告集は未だ 発行されていない。 IAEA の会議と同時にウィーンで開催された独立した会議、科学者らは 著しく悪い健康影響を報告した。 ベラルーシの科学アカデミー会員サバチェンコ(Savchenko)による UNESCO の書籍、甲状腺ガン、固形腫瘍、先天性疾患の増加を報告し ている。 ロシアの科学アカデミー会員ブルラコバ(Burlakova)による編集、さ まざまなガン、白血病、健康障害に関係した生化学的そして免疫系示 8 1996 ネステレンコ (Nesterenko), 1998 UNSCEAR, 2000 標の変化、そして放射線への新奇な線量応答についても報告している。 ミンスクの BELRAD 機関(訳注 2)によって出版された書籍、甲状腺 ガン、白血病、そして固形腫瘍がベラルーシ出身の子供らの間で増加 していることを報告している。 放射線による健康障害の深刻な増加が甲状腺ガンだけであることを示 唆する内容の公表された研究のうち選択されたものが総合的に示され ている。甲状腺ガンについてでさえも、結果が ICRP モデルに従って いることを示そうとしたぶざまな試み。 WHO, 重度の健康損害があること、あるいは、甲状腺ガン以外には重大な影 2001 響がほとんどないことのどちらかを示した諸報告によって特徴づけら れる、キエフでの会議。リスクモデルの再評価を求める会議決議。 京都(訳注 3), 国際共同研究の報告書、 「放射線影響の公的な報告書」と、影響を受け 1998 た地域における実際の結果の間にある不一致の説明を含めて報告して いる。 バンダシェフスキィ ベラルーシ出身の子供たちにおいて、測定された内部汚染に関連する (Bandashevsky), 心臓疾患の増加を示している書籍。 2000 ポーランド、 ポーランドとブルガリアからのさまざまな報告書は、チェルノブイリ ブルガリアなど 直後にはじまる、小児におけるガンや健康障害、そして出産異常が急 速に増加したことを報告している。 バスビー(Busby), ベラルーシにおけるガンの発生率からの新しいリスクモデルについて 2001 のデータと予測についての概説を伴うベラルーシ大使への報告。 乳児白血病 胎内被ばくした集団において、6 カ国で報告された乳児白血病は、ICRP リスク係数が 100 倍かそれ以上の誤りを有していることを確定する (本文を見よ)。 ミニサテライト突然 さまざまな研究論文が、高被ばく線量地域出身の子供たちや、リクビ 変異 ダートル(liquidators: 清算人)の子孫においてミニサテライト突然変 異の発生率の増加を報告している:ICRP モデルに最大 2000 倍間違い があることを示唆している。 IARC(訳注 4)、様々 蓄積されたデータベースを用いたヨーロッパにおける白血病の「公的 な」調査は、チェルノブイリに起因する増加をまったく示していない: 欠陥のある手法。 ロシア語によるベラ ベラルーシ、ウクライナ、そしてロシア連邦からの多くの報告書被ば ルーシならびにウク くに続き、かつそれに起因する、白血病、固形腫瘍、甲状腺ガン、先 ライナの報告 天性奇形(congenital malformation)そして全般的な重度の健康損害の 増加の証拠を含んでいる。報告書は翻訳されていないか、または公的 な概説には含まれていない。 CERRIE 2004b チェルノブイリ事故の健康障害に関してのロシア語の 40 の主だった ピアレビュー論文の要旨の章を含む オ ケ ア ノ フ ほ か ベラルーシ共和国ガン登録システムにより記録された、ガンの増加レ (Okeanov et al.) 2004 ベルについてのジュネーブでの報告(第 14 章本文をみよ) ト ン デ ル ほ か チェルノブイリの降下物に関連した北部スウェーデンにおけるガンの (Tondel et al) 2004 研究(第 14 章本文を見よ) ECRR2006 ECRR2006 チ ェ ル ノ ブ イ リ か ら 20 年 と そ の 後 A.V.Yablokov, ECRR2009 C.C.Busby 編集 ロシアで発表されたチェルノブイリ事故の健康への影響に関する研究 9 のピアレビュー論文の比較と論評;2009 年 第 2 版 バ ン ダ セ フ ス キ イ リトアニアで出版された Bandashevsky の研究の更新 (Bandashevsky) 2008 ECRR2009 第 3 回 ECRR 国際会議 ギリシャ Lesvos にて 2009 年 5 月 5-7 日 ヤ ー ブ ロ コ フ ら チェルノブイリ 人々と環境に対する大災害の結果 (Yablokov et al) 2009 (訳注 1: IPPNW; International Physicians for the Prevention of Nuclear War, URL: http://www.ippnw.org/) (訳注 2: BELRAD についての情報が次のサイトにある。 URL: http://www.k-mariko.com/old/sukuokai/belrad.htm) (訳注 3: 京大原子炉、今中哲二氏ら原子力安全研究グループのメンバーが中心になった 研究、 URL: http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/) (訳注 4: IARC; International Agency for Research on Cancer, URL: http://www.iarc.fr/) 第 11.4 節 チェルノブイリの降下物の分散と被ばく線量 卓越していた気象条件にしたがって、チェルノブイリ原発の爆発と火災によって放 出された放射性物質の分散は極めて変化に富んでいたが、世界の多くの国々で行われた 測定によって十分に特徴づけられた。それは、放射性核種が遠く米国、東南アジア、日 本で検出されるという地球規模のものであった。それゆえ、多くの国々で健康への影響 が検出されるであろうことが ECRR のリスクモデルからは予測されるが、しかしそのよ うな証拠を探す試みはほんのわずかしか行われなかった。おそらくそれは、被ばく線量 が非常に低く、そのような低線量では ICRP モデルは何も測定可能な影響を予測しない ためであった。しかし研究者が調べようとすれば、彼らは結果を見つけた。胎内の胎児 コホート研究の中で、ヨーロッパにおける乳児白血病の増加が言及されている。この増 加は米国においてもマンガーノ(Mangano 1997)によって報告された。スウェーデンで のガンの増加はトンデルら(Tondel et al. 2004)によって報告された。ウェールズとスコ ットランドでは英国ガン登録の中ではガンの発生率の急激な増加があった(Busby 2006)。 サバチェンコ(Savchenko 1995)によって報告された国ごとの様々な汚染についての、平 均の初年預託実効線量(ICRP)は、ベラルーシの 2 mSv から、ウクライナの 1 mSv、ブ ルガリアやオーストリア、ギリシャ、ローマ、フィンランド、ロシア連邦では 0.5 mSv と 0.7 mSv の間、イギリスや中国での 0.08 mSv までの範囲に及んだ。もちろん、ECRR の重みづけはこれらの線量を大きく増加させただろうが、しかし含まれる放射性同位体 ごとの分析は無いので、単純な近似のみが可能である。この分散した雲に含まれる放射 性核種は、初期に非常に高いレベルを示すテルル Te-132/ヨウ素 I-132、これは気体のセ カンドイベント(訳注:第 9,8 節参照)のペアであり、また、セシウム Cs-137、プルト ニウム Pu-239、ストロンチウム Sr-90 とウラン燃料粒子、様々な核分裂生成物ベータ線 放射体を含んでいる。降下物の中のウランの量は計測されていないが、これらの粒子は 空気と農産物を汚染した(Hohenemser et al. 1986)。そのような被ばくに対する ECRR(リ スクの)荷重は大変高く、およそ3桁である。その間の期間におけるガンの増加を基礎 に、ECRR の重み付けを、主に(サバチェンコの推定の基礎を代表している)セシウム Cs-137 のガンマ線線量に適用し計算された線量は、その(ガンや白血病の)増加をかな 10 り良く説明するようである。 第 11.5 節 報告されている被ばくの影響 ベラルーシにおいて確実に 600 mSv を超える ECRR の実効線量を基礎に、その国に は明らかな健康への影響が存在するだろうと予想され、実際にベラルーシの文献の中に そのようなことが報告された:先天性異常、病気の集団、寿命の喪失(Yablokov et al. 2009, Okeanov 2004, Bandashevsky 2000, 2000a -2000c, Bandashevskaya 2003, Busby & Yablokov 2006, Busby & Yablokov 2009, Yablokov et al 2009)。データの中でもっとも明らかなこと は、健康影響と汚染による放射性核種への被ばくが相関する条件が、非常に大きな範囲 に及ぶこととである。この広い範囲の差異は健康への結果をガンの発生率という単純な 指標の観点から評価することを難しくしている。上で指摘されているように、 (ガン以外 の)病気や健康状態による小児と青少年の死亡率の増加はガンによる死亡の増加率に比 べて低い。なぜならそれが高齢者の病気だからである。この出版物の中で、本委員会は チェルノブイリ降下物に対する被ばくに続いて起こった病気の全ての範囲(Spectrum) を再検討する紙面がなく、この問題を追求したいと望む人たちには、それ自体の出版物 を参照していただきたい(Busby & Yablokov 2006(第 2 版 2009)、Yablokov 2009)。チ ェルノブイリ原発事故の被ばくの影響は、ヨーロッパの他の多くの国々でも現れたが、 そこでは、研究者たちが進んで調査をおこなった:例えば、ドイツ、スウェーデン、英 国での 21 番染色体過剰ダウン症の(Trisomy 21 Downs)出産、ミニサテライト DNA の 変異、甲状腺障害などである 第 11.6 節 チェルノブイリ後の甲状腺ガン その惨事によって最も影響を受けた地域における甲状腺ガンの著しい、そして攻撃 的であるとも言える増加は、当初、放射線リスクの権威筋によって否定された。が、後 になって、その疾患が通常は非常にまれであるという事実のために真実であると認めら れた。公式の計算はまったく公表されなかったけれども、その影響が ICRP のリスク係 数による予測より何桁も大きかったばかりでなく、その増加は ICRP のリスクモデルに 2つの重大な誤りが存在することを明らかに示した。その第一の誤りは、放射性ヨウ素 による甲状腺の内部被ばくは、ガンを発生させる上で外部被ばくはあまり効率的ではな いとする信念に関係していた。第二は、臨床的症状の開始には十年以上の時間的ずれが 存在するという信念にあった。実際の事故においては、甲状腺ガンの増加は、その被ば く線量がもたらされてよりわずか 2∼3 年で始まったのであった。 リスク評価機関のコミュニティは、その(甲状腺ガンが)増加しているという事実 をよく飲み込まなければならなかったのであったが、直ちに試み得る限り高いレベルに その被ばく線量を補正するような格好で反応し、そのデータをそのようなモデルで解釈 してしまった。その考えとは、影響を受けた子供らはヨウ素欠乏の状態にあったのであ り、したがって彼ら彼女らの甲状腺はより多くのヨウ素を摂取したのであろうと仮定す ることであった。 (この仮定に基づいて)線量をガンのデータに合わせると子供らが放射 線症によって死んでしまうほど高くなったので、これはうまくいかなかった。初期のデ ータは ECRR2003 に示されているが、表11.4がベラルーシにおける 2004 年までの 状況を示している(Malko 2009)。最も汚染されている地域ゴメリ(Gomel)で、予想さ 11 れた数と実際に観察された数の差は 126 人であった。マリコ(Malko)によって 2009 年 に示された 1986 年から 2007 年までのほかのデータは、ベラルーシでその影響は 1995 年 に最大となり 2001 年に 1986 年以前のレベル付近にまで低下したことを示している。甲 状腺はヨウ素を含むために放射線に対して非常に敏感であるということに注意しなけれ ばならない。というのは、ヨウ素は Z = 53 という高い原子番号を持っているため、ガン マ線の高いところに住んでいることや、ヨウ素(I-131)に加えて他のガンマ線放射体の 内部被ばくがある場合に、二次的光電効果(訳注:第 9.4 節参照)を通して著しく被ば く量が増加するためである。北部フィンランドの一部では住民がウランの内部被ばく(地 域の地質のために)も受けていたが、チェルノブイリから放出されたヨウ素の被ばくは、 ウランがない地域に比べてもっと多くの甲状腺ガンを発症する効果を持っていた(Slama 2009)。ICRP と UNSCEAR は甲状腺がんの増加と、彼らの放射線のモデルとの不一致に 対して信頼性のある応答を行うことができずにいる。 表11.4 ベラルーシ地域の子供たちの 1986 年から 2004 年までの甲状腺ガンの発生 数と(ICRP モデルに基づく)相対的リスク。 地域 観察 され た 数 予測 数 観察 数‐ 予 測数 相対 リス ク ブレスト(Brest) ビテブスク(Vitebsk) ゴメリ(Gomel) グロドノ(Grodno) ミンスク市(City Minsk) ミンスク地域(Region Minsk) モギレフ(Mogilev) 合計 165 11 378 43 62 42 43 744 3 2 3 2 3 3 2 18 162 9 375 41 59 39 41 726 55 5.5 126 21.5 20.7 14 21.5 41.3 その影響の絶対数の大きさと急速な症例の出現の両者に見られた(ICRP モデルの)誤り は、きわめて放射能の高いテルル Te-132/ヨウ素 I-132 のセカンドイベント(訳注:第 9.8 節参照)のペアが、初期の被ばくにおける主要な危険因子になっていた結果であろう。 加えて、放射性ヨウ素のリスクモデルの根拠にされているのは、病院における甲状腺患 者に対するホルム(Holm)による一連の研究であるが、そこではヒロシマ LSS 研究では 甲状腺ガンについて被ばくから発症までに顕著な時間的ずれを示していたことを根拠に して、被ばくから最初の 5 年間に発症したあらゆるガンが先に存在した病変に因るもの として研究からは捨てられていたのである。ホルム(Lars Erik Holm)は前の章において ICRP とのつながりで名前が挙げられていた。 第 11.7 節 チェルノブイリ後の白血病 原子爆弾の後に高い発生率の白血病が観察されたあのヒロシマ以来、あらゆる被ば く者集団において、白血病、特に小児白血病が、一番最初に調査されるべき症状になっ ている。この理由のために、白血病の発生数が、ある原子力事故による損害についての 理解をコントロールしようする権力機構によって、まず最初に述べられるデータになる ようである。その事故が旧ソ連による情報の国家管理が厳しかった期間に発生したとい うことを思い起こすと、チェルノブイリの影響を受けた地域における白血病発生率の増 12 加に関する混乱は、部分的にはこの要因によると本委員会は解釈している。表11.5 にチェルノブイリ後の白血病データの解釈と白血病研究における問題点を示している。 旧ソビエト連邦内のチェルノブイリの影響を受けた主要な地域における白血病の増 加については、報告書が出されてきている(表11.3に示されている) ;それらの概説 は、いかなる増加も予測されず、確認されたいずれの増加についても以前より詳しくな った調査のせいであり、正の線量応答係数がないので放射線によるものではあり得ない、 と断言している(これも表に示している)。チェルノブイリの影響を受けた地域からの白 血病データは、内部被ばく線量と外部被ばく線量についての正確なデータが欠落してい ることや、データベースの不確かさや表11.5に示している諸問題のために、このデ ータを使って有効なモデルを開発するような方法で解析するのは困難であると、本委員 会は見ている。 ヨーロッパにおける白血病のリスクについて情報を与える主要な二組の研究がなさ れてきている:リヨンの IARC(国際ガン研究機構)によって取り組まれている一連の研 究と小児白血病の報告書である。その IARC の諸研究では、ヨーロッパと旧ソ連地域に おけるほとんどのガン記録から小児白血病の発生データが集められ、時系列として分析 されており、被ばくの時期につづいて小児白血病の顕著なステップ状の発生があるとい う仮説を検証するために回帰法が用いられている。ある増加は認められたものの、それ はステップ状の変化を示さず、それに加えて、最大の被ばく線量は最大の発生率とは相 関していなかった。この結果、著者らはその事故は顕著な影響を与えなかったと結んで いる。本委員会は、この研究は集められたデータ全体について被ばく線量と遺伝的感受 性における差異のために本質的な欠陥を持っていると見ており、スコットランドとウェ ールズからのデータに見られたように、各々の国からの個別の時系列の調査は影響を明 らかにするであろうと考えている。 二つ目の研究においては、セシウム Cs-137 やその他の同位体からの内部被ばくが最 大の被ばく線量であった期間に胎内にいた、0 1 歳の集団における小児白血病の増加の 調査が行われている。この現象の調査は、別々の6つの国から報告されているが、内部 被ばくに関する ICRP のリスク係数における 100 倍かそれ以上の誤りに対しての明白な 証拠として本委員会が認めている分析の一部分をなしている。これについては別に考察 する。 表11.5 チェルノブイリ後の白血病に関するデータを解釈する上での問題 チェ ルノ ブ イリ 後の 白血 病 に関 する デ ータ を 解釈 する 上 での 問題 1. ソビエトが診療段階で隠蔽したため、医療記録に白血病が現れない。 2. ソビエトが登録/報告段階で隠蔽したため、数字が参照集団に調整された。 3. 後の研究者は、全数が不正確なデータベースを用いている。 4. 線形応答の仮説では、被ばく集団よりも対照集団の発生率が高くなってしまう。 5. 回帰理論は直線応答を仮定している:係数には第2の過誤が含まれるであろう。 6. 症例の数が少ないので、わずかな症例の除去や除外に結果が決定的に依存してしまう。 7. プールされたデータは、線量応答の多様性によって混乱した結果を与えるであろう。 13 第 11.8 節 チェルノブイリ後のスウェーデン北部におけるガン ウェールズとイングランドの核兵器の降下物の研究は、2つの地域の異なる被ばく 量の集団を扱っていた。トンデルら(Tondel et al. 2004)は、スウェーデン北部の小さな 地域でのチェルノブイリの降下物の差分効果(differential Chernobyl fallout effect)につい ての洗練された疫学的解析結果を発表した。彼らは被ばくの影響を調べるために、小さ な地域(コミュニティ)におけるセシウム Cs-137 の降下物と 1984 年から 1996 年までの ガンの増加との相関を調べた。セシウム Cs-137 のデータはスウェーデン放射線防護機関 SSI から、ガンの発生数はスウェーデンのガン登録簿(Swedish Cancer Registry)から入 手した。その研究は、汚染量 100 kBq/m2 あたり 11%の統計的に有意なリスクの増加を見 出した。外部被ばくだけを使うと、これは ICRP モデルが 650 倍の誤差を持っていると 解釈されるが、もし内部被ばくも加えると、セシウム Cs-137 だけを使った場合でも誤差 はおそらく 400 倍まで減少する。本当の被ばく量は未知(放射線の共変量は Cs-137 の面 積汚染量)であることに注意すべきである。チェルノブイリの降下物は、含まれる放射 性核種の組成からも、核兵器の降下物と同じではない。他の放射性同位体を含んでいた ろうし、物質にはウラン燃料の粒子も含まれていたであろう。しかしながら、ICRP の解 析では、放射線防護のために使用された量としてはセシウム Cs-137 の外部被ばく量だけ であった。それにもかかわらず、(ICRP モデルが)300 倍の誤差をもつことを示したウ ェールズやイングランドの初期の研究とよい一致を見ることができる。 第 11.9 節 原子力労働者と彼らの子どもたち 原子力労働者と彼らの子どもらは、放射線誘導疾病の分析に対するひとつの明確な 範疇であり、本委員会は、この集団におけるガンと白血病の発生率に注目している主な 研究について調査してきた。 (幾つかの例外はあるが)ほとんどの研究は、その集団が一 般的集団からの参照集団よりもこれらの疾病の発生率が低いことを示してきている。研 究の著者らはこれを、原子力労働者が彼らのより高い社会経済的地位によって一般集団 よりも一般的によりよい健康状態にあるという事実に起因するもの、「健康労働者効果 (healthy worker effect)」、であると認めている。この効果の大きさを公表されているデー タから評価することは以前から難しかった。しかしながら、ある非常に大きな最近の研 究が、本委員会がそのデータを再度分析し、原子力産業に雇用されていた期間に対する ガンリスクの傾向を示すことを可能とする情報を与えている。その結果を表11.6に 示す。 「健康労働者効果」についての値を求めるために用いた方法は、その労働者が原子 力産業に入った瞬時における標準化死亡率(SMR, standardized mortality ratio)が有する傾 向の外挿に基づいている。結果的なゼロ線量、ゼロ時間における SMR を参照値として用 いるならば(Using the resultant zero dose, zero time SMR as a control)、原子力労働者は一般 的集団よりもより低い年齢別死亡率を持っているにもかかわらず、彼らは、もし彼らが 原子力産業ではなくて同じような経済的社会的便益を享受できる何か他の仕事に就いて いたとした場合よりもより高い率で死亡していることは明らかである。表11.6の結 論は、この効果は雇用の最初の5年以内に生じており、その産業において 5∼9 年働くこ とによって彼らのガンに由来する死亡のリスクは、彼らがこの職業に就いていなかった とした場合よりも 50%以上高いことが示されている。 14 表11.6 を認める。 「英国放射線労働者の国家記録の第二次分析」のデータに健康労働者効果 従事 年数 全死 者数 0-1 2-4 5-9 10-14 15-19 20-25 30+ 281 623 1466 1863 2162 4194 2176 全原 因の SMR 64 72 79 81 87 85 83 全ガ ン死 者 数 全ガ ン の SMR 67 159 443 508 589 1186 646 64 73 89 80 85 82 80 修正 全ガ ン SMRa 112 128 156 140 149 143 140 a: SMR0 = 57 を与える、ガンの SMR にある傾向のゼロ時間への外挿に基づく。 (訳注;SMR:標準化死亡率) 表11.7 英国放射線労働者の国家記録の第二次分析から導かれ、健康労働者効果へ の調整をした、全ガン及び白血病による死亡リスクの外部被ばく増加に伴う傾向。 フィ ルム バ ッ ジ線 量( mSv) 0(ゼロ時間) < 10 10 20 50 > 100b 全ガ ン の SMR 0.57 0.97 1.01 0.97 1.10 1.01 全ガンの修正 SMRa 1.00 1.7 1.8 1.7 1.9 1.8 白血 病 の SMR 0.57 1.06 0.7 0.77 1.24 1.19 白血病の修正 SMRa 1.00 1.86 1.22 1.4 2.2 2.1 a 健康な労働者の一般的集団に対するガン死リスク 0.57 に基づいて修正。 集団の人数が小さかったので、100-200、200-300、300+の被ばく線量グループの全ての 平均をとった。 b 原子力産業労働者の研究における問題は、その被ばく線量がフィルムバッジによっ て測定されており、そのため外部被ばくだということである。内部被ばく線量について の実際のデータは存在しないが、原子力労働者や彼らの子どもらの間に見つかっている、 ガンと白血病とのやや高い発生率を招いている原因は、内部低線量被ばくであるという 注目すべき暗示的な証拠がある。これらの増加は、その線量応答関係が線形でないこと、 そして、最も高いガンのリスクを持つ集団が、高い被ばく線量の集団にはなっておらず、 たいていは中間的な線量の集団であることに基づいて、通常は軽視されている。この効 果、ブルラコバ(Burlakova)型応答は、表11.7に示すように、最近の英国労働者に ついての研究に見られる 原子力労働者と彼らの家族に関する様々な研究の著者らは、健康労働者効果の大き さを明らかにしようとする現実的な試みを何もしてきておらず、本委員会はこれを取り 組まれるべきひとつの重要課題であると考えている。異なる外部放射線線量にある集団 を用いた内部比較を利用することは、線量応答の線形性の仮定が、その結果の解釈に組 み込まれることになるので有用なものにはならない。それに加えて、プールされた研究 においては、そのような階層化が疫学的に一様であるかは明らかではなく、異なった施 15 設からの、または内部同位体による異なった内部被ばく線量をもつ個人が比較されてい るかもしれない。本委員会によって検討された主たる原子力産業の研究を表11.8に 示す。 表11.8 本委員によって検討された主な原子力労働者の研究 研究 1.ハンフォード、合衆 国 2. 英 国 原 子 力 公 社 (UKAEAE) 3. 英 国 原 子 力 公 社 (UKAEA)の前立腺 ガン 4. セラフィールド、 英国 5. 原 子 力 兵 器 施 設 (AWE) 6. 全労働者、英国 備考 外部被ばく:外部被ばくのリスク係数に 10 倍の誤りを見出している。 全てのガンの倍加線量 340mSv;過剰な白血病は線量に非依存的。 外部被ばく:さまざまな種類のガンによる死亡率が増加。前立腺ガンの 過剰発生は明らか。 症例対照研究(case control study) :内部被ばく線量の測定と結びつけら れた前立腺ガンの相対的リスクは 20 倍。放射性同位体の体内被ばくの リスクが ICRP モデルより 1000 倍大きいことを明らかにしている。 外部被ばく:過剰ガンリスクを広い信頼区間を持つて見出した。10 mSv 範囲における中央推定値は 1 mSv あたり 0.1 である。 外部被ばくの平均は 8mSv。雇用期間の長さとともにリスクが増大して いる証拠が示されている。 プールされたデータの分析:ブルラコバ(Burlakova) 型の応答;健康 労働者効果に基づいて全てのガンによる過剰リスクを与えている。 7. オークリッジ、合 より高齢の労働者のリスク増加が報告されている。 衆国 8.原 子 力 産 業 労 働 者 英国の原子力産業労働者の 25 歳以下の子どもにおける白血病では、 100 の家族の研究、英国 mSv 以上被ばくした父親の子どもの場合、5.8 という過剰な白血病のリ スクが見られる。2相的応答(biphasic response) :内部被ばくの測定か ら 2 倍のリスクを示している。 9.子 ど も に 関 す る 記 セラフィールドの父親達を除外した後に、放射線労働者の子孫には、 録 で の 関 連 す る 研 白血病と非ホジキンリンパ種の過剰リスクが見受けられ(父親 RR = 究、英国 1.77、母親 RR = 5)、それは体内の放射性同位体が測定された場合には ブルラコバ(Burlakova)型応答と最も高いリスクを持つという証拠を 伴っている(未測定の RR = 1.61 に対して RR = 2.91)。著者らは放射線 が原因でない証拠として非直線応答を用いている。 (訳注:RR; 相対リ スク) 第 11.10 節 議論の余地のない証拠 低レベルの内部被ばくとガンや白血病とを結びつける証拠の全てが、放射線以外の 原因が(それらがどんなにあり得そうにないものであったとしても)その影響を引き起 こしたのかもしれないという問題に悩まされている。キンレン(Kinlen)らの(上で議 論した)人口混合説は、これの好例である。低レベル放射線に関しては、最初におこる 遺伝的損傷と、組織病理学的な確認が可能なガンという最終的な臨床的表現との遅れ時 間によって、原因と結果とが分断されており、そのような時間的隔たりの間に他の可能 性のある要因が見つかるかも知れないという問題もある。しかしながらここ数年の間に、 技術の発達や、チェルノブイリ事故後に被ばくした十分に定義された集団の存在が、ガ ン発生率や死亡率についての小規模なデータの利用に関する状況が多少緩和されたこと とあいまって、ICRP モデルの誤りとそれが内部被ばくに関係していることについて明白 16 な証拠を示す2つの研究を可能にした。リスク係数の誤りについての議論の余地のなく 明白な証拠を与えるその2つの研究を表11.9に示している。 表11.9 ICRP モデルの誤りについての明白な証拠を示すために本委員会が取り上 げる最近の研究。 研究 研究 内容 が 示す こと 1. チェルノブイリ後のミニサ チェルノブイリ事故後に生まれた子どもの客観的科学的尺 テライト DNA 突然変異 度は事故前に生まれた兄弟姉妹と比べ、突然変異に関して 7 倍増加していることを示している。ICRP モデルの誤りはこ のエンド・ポイントで 700 倍∼2000 倍。 2. 5カ国での小児白血病 胎児の時に体内の放射能によって被ばくした子どもらにお ける小児白血病の増加は、ICRP モデルのリスク係数の誤り がこのエンド・ポイントで 100 倍 2000 倍であることを明ら かにしている。 第 11.11 節 ICRP モデルにある誤りについての議論の余地のない証拠を示す諸研究 第 11.11.1 節 ミニサテライト DNA 放射線照射後の遺伝子変異についての ICRP モデルは、ICRP のガンリスクモデルと 同様に、遺伝的影響全体についてのヒロシマ寿命調査(LSS)研究における発生数と、 マウスにおける放射線影響の研究とに基づいている。 出生性比(sex ratio)に関するわずかな遺伝的影響は、そのヒロシマ LSS 対象者の子 孫において明らかになっていたが、財団法人放射線影響研究所(RERF)の研究者らは、 それが、そのような効果から期待される方向が彼らの見解とは一致していなかったので、 それらを研究から除外した(Padmanabhan, 1997, Busby 2006)。ニールス(Neels)による 性別比効果の除外は、第一世代における 10 m Sv の遺伝的影響は測定不能であろうとい う信念を生み出すことになった。そのようにして BEIR-V(訳注1)は、染色体への影響 (不均衡型転座と三染色体性; unbalanced translocation and trisomies)を含む、遺伝的影響 の全発生率を、子孫の世代 100 万人当たり、4200 人という自然発生率と比較して、6 人 であるとしている。それが予測するのは、10 mSv の被ばくがもたらす過剰リスクが、子 孫 の 世 代 100 万 人 当 た り 自 然 発 生 率 が 25000 人 で あ る 先 天 的 奇 形 ( congenital malformation)が 10 症例発生するというものであり、それはまた、かき消されるほどの わずかな増加を、常染色体優性(autosomal dominant)と、X 連鎖(X-linked)および劣性 遺伝疾患(recessive disorders)に与えている。マウスを使った研究と LSS の疫学的結果 を組み合わせることで、自発的な遺伝的負荷の倍加線量は 1 Sv であると評価された(例 えば、BEIR V, 1990 p.70)。 しかしながら、分子を扱う技術の発展が、ヒトの集団において詳細に研究されるべ き放射線照射の結果についての客観的測定を可能にしてきている。旧ソ連内の地域に居 住し、チェルノブイルによる放射線に被ばくした子どもらにおける、ミニサテライト DNA 変異(minisatellite DNA mutation)に関する研究がいくつも行われてきている。ミニ サテライト DNA をその遺伝的同一性の特徴を示すバンドに分離する「DNA 試験」の技 術的発展を利用することによって、ベラルーシに暮らし、その環境を汚染した核分裂生 成物からの放射線に被ばくした子ども達が、遺伝子変異が倍増する被害に苦しめられて いることを示すことが可能になってきている(Dubrova, 1996, 1997)。被ばくしたツバメ 17 を用いたベラルーシにおける同様の研究は、これら遺伝子の変化が存在しており、また、 生存数の減少のみならず、鳥たちの羽毛パターンに見られる個体の表現型の変化にも関 係していることを明らかにしており、そのような変異の潜在的重要性を強調している (Ellegren ら 1997)。 より最近になって、そのミニサテライト DNA 試験が、事故後に生まれたチェルノブ イリのリクビダートル(liquidator: 清掃人)の子どもに対して、事故の前に生まれた兄弟 姉妹と比較して実施された(Weinberg et al. 2001)。被ばく後の子どもらには、遺伝子損 傷が 7 倍に増加していたことがわかった。測定された遺伝子座に対する変異発生率を比 較することによって、子孫に遺伝する遺伝子損傷についての ICRP モデルには、700 倍か ら 2000 倍の間の誤りがあることを、この研究結果は明らかにした。さらに、その研究結 果は、被ばく線量の範囲によって階層化することができ、それは2相的あるいはブルラ コバ(Burlakova)型の応答に帰結した。ヒロシマで外部放射線に被ばくした子ども達に 関する研究では、そのような効果がほとんど、あるいはまったくみられなかったという ことは注目すべきことであり、それらの被ばくの間にあるメカニズムの根本的な相違を 示唆している(Satoh & Kodaira, 1996)。その最も確からしい相違は、その効果をチェル ノブイリ事故のリクビダートルにもたらしたのは内部被ばくだったということである。 ICRP モデルにおけるかなりの誤りを示すこの証拠は、環境放射線の医学的側面に関 する委員会(COMARE)の議長であるビー・エー・ブリッジ(B. A. Bridge)教授に受け 入れられてきたようで、彼はパラダイム・シフト(訳注2)の時が来たのかも知れない と認めている。彼の問題意識を述べた概要の中で、ブリッジはバイスタンダー効果に焦 点を当てている。バイスタンダー効果とは、一つの電離性放射線の飛跡が横切った細胞 達の間での細胞間コミュニケーションが、周辺の細胞にゲノム不安定性を引き起こし、 最初の電離損傷を受けていない多くの数の細胞に遺伝子突然変異をもたらすものである (Azzam et al. 1998; Hei, 2001)。 原理的には、ゲノム不安定性とバイスタンダー効果は、 外部被ばくにも内部被ばくにも、そして天然の放射能源にも人工の放射能源にも等しく 作用することになるので、そのようなエンド・ポイントにおいて著しい相違を生み出す ことになるのは、外部被ばくと内部被ばくのモデルだということになる。 (訳注1:BEIR-V: 全米科学アカデミーの「電離放射線の影響に関する委員会:Committee on the Biological Effects of Ionizing Radiation (BEIR)」の 1990 年報告) (訳注2:paradigm shift、その科学の全体的な枠組みにおける変化) 第 11.11.2 節 チェルノブイリの乳幼児達 1986 年のチェルノブイリ事故の後、放出された放射性同位体への被ばくを彼ら彼女 らの母親の胎内で受けた子どもの集団は、人生の最初の年に白血病を発症する過剰なリ スクに曝された。この「小児白血病」の集団的影響は、6つの異なる国々で観察された。 スコットランドにおいて報告されたのが最初であり(Gibsonet et al., 1988)、その後に、 ギリシャ(Petridou et al., 1996)、合衆国(Manganoet al., 1997)、ドイツ(Michaeliset al., 1997) でみつかっている。 バスビー(Busby)とスコット・カトー(Scott Cato)は、観察された症例数と、ICRP モデルによって予測されたそれらとの相関関係を検討した。その集団の特異性が、初め て彼らに、その影響はチェルノブイリの放射性降下物への被ばくによってのみ引き起こ 18 されえるものであると主張することを可能にした。それ以外に代わるような説明はあり えなかった。 英国放射線防護局(NRPB)はウェールズとスコットランドの集団に対するその線量 を測定し、評価してきており、さらに ICRP モデルに基づいて放射線による白血病に関 するリスク係数を公表してもいたので、彼らの予測とこの観察とを比べて、現代のリス クモデルを検証するのは簡単なことであった。その方法は、1980 年∼1985 年と 1990 年 ∼1992 年の期間に生まれた小児は被ばくしていないと単純に仮定し、チェルノブイリ事 故による放射性物質の降下から 18 ヶ月の期間に胎内にいた子どもらに発生した小児白 血病の発症数のポアソン期待値(Poisson expectation)を確定した。この 18 ヶ月という期 間は、胎内での被ばく線量が母親が摂取あるいは吸入した放射性同位体によるものであ るということが示されていたことから選ばれたものである。ホールボディ・モニタリン グは、1987 年の春まで母親の体内にこの放射性物質が残留していたことを示したが、こ れは、1986 年の夏に刈りとられサイロに貯蔵された牧草が次の冬に牛に与えられていた ためである。その調査の結果は、ウェールズとスコットランドとを合わせた集団におけ る、統計的に有意な 3.8 倍の過剰な小児白血病を明らかにした(p=0.0002)。胎内で被ば くした集団における白血病 の発生数は、ICRP モデルが予測する発生数の約 100 倍であ った。表11.10は、3つの主要な研究におけるその影響を比較している。この表中 の集団 B は、その事故後の 18 ヶ月の期間中に、胎内においてチェルノブイリがもたらし た内部被ばくによって被ばくし、1987 年 6 月から 1988 年 1 月までの間に生まれた子ど も達である。これらの被ばく期間は、ホールボディ・モニタリングの結果によって決め られた。参照期間である A と C は、事故前の 10 年間(1975 年∼1985 年)と、データが 利用可能であった 1988 年以降の4年間である。 世界保健機構(WHO)が、ギリシャ、ドイツそして合衆国において近似的な被ばく レベルを示しているので、いくつかの他の研究によって報告されている小児の「被ばく 集団」における白血病の発生数を調べて線量応答関係を確定することも可能であった。 別々の国々からのデータにおいて、2相的、あるいはブルラコバ(Burlakova)型の線量 応答関係が存在していたことが判明した。 ICRP の誤りを示す証拠としてのこの研究の重要性によって、これが CERRIE(内部 放射体の放射線リスク検討委員会)の会議の議題に上げられた。ICRP モデルの擁護派、 批判派それぞれの側の主張を持つ委員会のメンバーたちが、オックスフォードを基本と する小児ガン研究グループ(Childhood Cancer Research Group)によって提供された新し いデータ群を解析した。これはギリシャとドイツにおいて研究に使われた同じ被ばく線 量の集団の中の小児白血病の数を与えるものでであった。これは、ペトリドウら(Petridou et al. 1996)によって定義されたチェルノブイリの降下物の期間に胎内にいた子ども達の コホート集団であった。NRPB のミュアヘッド(Muirhead)や、英国核燃料公社のウェ イクフォード(Wakeford)による解析は、様々な国における小児白血病の過剰が(ICRP のモデルで)およそ 100 から 1000 の誤差の範囲であることを示した。それでも、CERRIE の最終報告書はこれらの結果を本文から除外した。付録の表の中には実際の数字と信頼 区間が示されているにもかかわらず。後に、英国のデータは、ドイツとギリシャのデー タとあわせて、英国・ドイツ・ギリシャの合わせたコホート集団のなかでの小児白血病 のリスクが 43%過剰であることを、高い統計的有意性を持って示した(Busby 2009)。 その小児白血病の結果は ICRP のリスクモデルが被ばくのタイプと線量について、 100 倍から 1000 倍のファクターで間違っている明白な証拠を表していると本委員会は認 19 める。後者の数値は、研究されている集団において過剰リスクが継続していることを考 慮に入れたものである。本委員会は、その集団の加齢にしたがって、集団を追跡調査す る必要があることに注意を喚起する。 表11.10 ICRP のリスク係数の誤りを示す明白な証拠:チェルノブイリ後の小児 白血病の発生率について、ウェールズおよびスコットランドのデータと、ギリシャと旧 ドイツ連邦共和国からの同様のデータを比較したもの。 集団 a ウェー ルズ と スコ ット ラン ド b ギリ シャ c ドイ ツ 被ば く集 団 B 集団の大きさ 発症数 発生率 156,000 12 7.67 163,337 12 7.34 928,649 35 3.77 835,200 18 2.15 3.6 0.0002 1,112,566 31 2.79 2.6 0.0025 5,630,789 143 2.54 1.5 0.02 非被 ばく 集 団 A+C 集団の大きさ 発症数 発生率 リスクの比 累積ポワソン確率 a A と B、C の期間については a 本文を参照のこと。 b Petridou et al., 1996 c Michaelis et al., 1997。 20 第12章 ウラン 劣化ウラン兵器 と云うのは、知られるためでないのに隠されているものはなく: 表明されるためでないのに、秘密にされるものはないからである マルコ 4.22 第12.1節 はじめに ウランという元素は環境中に放出されているほとんど全ての放射能の基礎であり生 みの親であるが、いっそう興味深いのは、それがひとつの兵器として使用されるようにな るまで、健康に対して有害なものであるということは全く無視され続けてきたということ である。それは原子力発電所や再処理工場の周辺地域で定期的に測定されていない。それ は当然のことのようにして自然物であるとして扱われているが、そのような地域における ウランの濃度や放出されているその化学的形態は自然物のそれらとは異なる。 ウラン兵器が使用された第一次ペルシャ湾岸戦争に参加した軍人、あるいは後のバル カン半島に派兵された軍人の健康については強く日々増大している関心が持たれているが、 そのような地域で暮らしている住民の間にもたらされたウランの遺伝子毒性(genotoxicity) は、もちろんそれを使用した軍隊よりも、それの使用を正式に承認した列国よりも、はる かに重大であると信じられている。疫学によって、実験室において、また理論的にも、害 をもたらすその異常な性質の証拠が次々に示されているにもかかわらず、放射線防護では どこにでも顔を出すICRPモデルが、その証拠を否定するために、戦争において兵器として その使用を続けることを許可するために使われている。大気圏核実験やチェルノブイリ原 発事故、そして核施設周辺の小児白血病でそうであったのと同じく、その吸収線量はいか なる検出可能な影響をもたらすにしても低すぎる、という演繹的な論法によってウランへ の被ばくがもたらしている明らかな損害が否定されている。2006年までには、いわゆる劣 化ウラン(DU)への被ばくについて大きな集団を対象とした、DUが被害をもたらしてい るという証拠や実験室での研究、理論的な研究が現れるようになっていた。UNSCEAR(原 子放射線による影響に関する国連科学委員会)の2006年の報告書では、その400ページのう ちのある1ページの中の11行のみがDU効果について考察にあてられている。UNSCEARは ウラン被ばくのあらゆる問題を3つの引用文献に基づいて棄却しているが、机上の文献調 査ということになり、ランド研究所(RAND corporation)の1999年報告(Harley et al 1999) と米国医学研究所(US Institute of Medicine)の2001年報告、及び王立協会(the Royal Society) の2001年のそれである。これらの報告書はいずれもピア・レビュー審査は行われていない し、ランド研究所は米国防省と密接に関係している。それらの参考文献は全て選択された ものである。そして全てデータを欠いている。誰ひとりとして研究していないため、兵器 から発生して吸引されたウランの特異なナノ粒子は取り扱われていない。3つの報告書で は(WHOのような機関からの数えきれないほどの報告書でも)線量が低すぎることを示す ためにICRPモデルが採用された。 以下で論評する数多くのUNSCEARの影響をうけやすいにもかかわらず、その2006年 の報告は(出版は2008年)次のように述べている(53ページ): (健康機関によって)ウランがどうして人の発がん原因でない. . .と見なされているの かについては幾つかのはっきりとした理由がある:ウランは決して強い放射能ではなく(半 1 減期が48億年に及ぶウラン238は極めてゆっくりと崩壊する)、そして、その化学的な性質 は吸引しても摂取してもかなり速く身体から排出される。 2004年までに、公的機関の報告類がウランはその放射能が示唆するよりも非常に遺伝 子毒性が大きいこと明示するピア・レビュー審査付きの証拠を無視するようなやり方は既 にきまりの悪いものになっていたので、WHOの上級放射線健康アドバイザーであるキー ス・ババーストック(Keith Baverstock)がカーメル・マザーシル(Carmel Mothershill)と 共著でこの課題についての事務総長に対する論文を書いた。彼はクビにされたがその論文 は後に公表された(Baverstock 2005)。 そのDUについての科学的調査は、以前の原子力施設の小児白血病の調査に興味深い 凝縮した反響をもたらした。従来どおりの評価方法で低い線量であるとされたDUに、その ダストに曝された集団にそのようなありありとしたまた驚くような遺伝子作用をもたらす 能力があることとを認めなければならないとする政治的な決定を与えるとすれば、それは 驚くことではない。もしもウランについてもこれが起こるのであれば、そのリスクモデル の基礎方程式と仮定の全てが間違っていることを意味する。この問題はひとりのアメリカ 人学者であるポール・チンマーマン(Paul Zimmerman)によって丹念に研究され評論され ているが、その学識によって独立に、ECRR2003で開発されこのECRR2010報告でも公表さ れているものと非常に近い結論に到達している(Zimmerman 2008)。 軍隊も原子力産業も内部においてウランの被ばくをその物質の取り扱いについて配慮す る限りでは非常に深刻に捉えているという事実は興味深い。例えわずかな量であっても、 こぼれたものは放射性物質によって汚染されたものとして厳密に取り扱われる。軍隊にお いても同様であって、その内部文書では健康への影響について警告している。しかしなが ら、ウランが大砲から撃ち出され戦場を汚染すると間もなく、それについてのあらゆる報 告書の中で、軍隊とそのリスク評価機関において、政府に属するリスク評価機関で、それ は突然にして無害なものになった。 ウランへの被ばくの効果は、もちろん、DUやパッシブ兵器(passive weapons)の降下 物に限られたことではない。核施設の周辺で、同位体分離工場の周辺で、燃料製造工場の 周辺で、ウラン鉱山の周辺で、原子爆弾や熱核兵器の核分裂降下物の下で、核実験場の周 辺と離れた場所で、ウランは増々環境を汚染し続けている。ウランはそれが農業用化学肥 料のかなり大きな成分であるため、食物や飲み水の中で増えていることが知られている。 したがって、化学肥料工場やリン鉱山の近くで、リン鉱石や農産物の輸送においてウラン は見つかっている(Eisenbud & Gesell 2000, Busby & Schnug 2008)。ウランの鉱業は前世紀 に始まった。そして時を同じくして小児白血病という新しい疾病が生じたが、その病気は 胎内における突然変異の結果であると信じられている。この疾病の発生とウランの生生産 (ラジウムでモデル化)との間の時間的相関は、下の図12.1に示すように、驚くべき ものである。これにもかかわらず核施設周辺の汚染においても、核実験降下物と疾患との 関連においても、チェルノブイリの影響においてもウランは調査において忘れられてきた。 それは隠れた見えない物質である。新しい核施設の敷地での計測では変わった同位体の濃 縮が示され、魚類のプルトニウム濃度は消えようとしている、しかし、核施設から出てく るウランについては計測が行われていない。セラフィールドの小児白血病のCOMAREによ る分析では、プルトニウムが子供の気道内リンパ節に与える被ばく線量は高いが、天然放 射性核種からの線量の方がさらに高いので、例えこれらがその疾患の原因だとしても核施 設に責任はないと結論されている。チェルノブイリ原発事故後には大量のウランが燃料粒 2 子として放出されたが、チェルノブイリ降下物に関するどの報告書にもウランの測定は見 当たらない。 ECRRは2001年にウラン兵器の問題を審議する委員会を立ち上げた。この章ではその 結論を簡単に説明し、DUとウラン効果についての証拠を概観し、そして勧告を行う。 図12.1 小児白血病の死亡率の傾向(破線/左)と世界のラジウム生産(三角/右) (出典:Busby 2002 acknowledging Bramhall R) 第12.2節 劣化ウラン:ウラン兵器 劣化ウランは、天然のウラン鉱石中の核分裂性同位体U-235を濃縮して原子炉燃料に 含まれる「豊化ウラン」を製造する、核産業における副産物である。この工程で除かれる 同位体はU-238であり、その長い半減期(45億年)とその弱いガンマ線(48 keV)のために リスク評価機関からは、一般的に、低い放射線有害物質であるとクラスされている。しか しながら、それはアルファ放射体であり、したがってアルファ飛跡の高い電離密度とそれ らの高い突然変異誘導効率によって摂取時のリスクを有している。これに加えて、そこに はベータ放射体である娘核種のトリウム-237(β線最大エネルギー:0.26 MeV、半減期24 日)やプロトアクチニウム-234m(β線最大エネルギー:0.23 MeV、半減期6.75時間)から のリスクがある。これらの壊変を通じて、半減期24万7千年(2.47 x 105 y)のアルファ放射 体であるウラン-234が生じる。したがってウラン-238の全体としての放射能強度はベータ 線を発する娘核種が増長するにつれて高くなり、30週間までに永続平衡に到達する。キロ グラム当たりの放射能を表12.1に示す。その長い半減期のために、ウラン-238の比放 射能は12 MBq/kgと低く、環境中において放射線被ばくをもたらす濃度としてはリスク評価 においてはほとんど放射性核種であると考えられていないが、その化学的濃度はかなりの ものである。83 mgのウラン-238が1 Bqであり、組織中における1 Bq/gは3.5 x 10-4 Mという 濃度に相当し、生理学的濃度としては著しい。 数世紀にわたってU-234の比放射能は親核種であるU-238のそれと同じであるはずで あり、したがってこれらの同位体の環境中濃度もその起源が天然であれば一般的には同じ である。よって全比放射能はおよそ37 MBq/kgである。最近になって欧州の戦場において見 つかったDU物質が、プルトニウムやネプツニウム、核分裂生成物の同位体を少量含んでい 3 ることを指摘しておくべきである。しかしながら、その量は非常にわずかなものであって 本委員会としては深刻な放射線影響を与えるものとは認めない。より関心を引くのは兵器 が富化ウランである兆候を示している報告であって、最初にレバノンにおいて、ガザでそ して最近では1996年のボスニア戦場にいた軍人から採取された生物試料物質中に見いださ れている(Busby & Williams 2006, 2008, Ballardie et al 2008)。実際に国連環境計画(UNEP) によって公表された紛争後の環境試料中の同位体比のテーブルは、ボスニアで富化ウラン が使用された証拠をはっきりと示している(UNEP Bosnia report 2002)。(UNEPは富化ウ ランを発見したことを一貫して否定し続けており、この誤りについては指摘された後に直 ぐさま隠された:そのテーブルはUNEPのウエッブサイトから削除されたままである)こう した理由に基づいて、ECRRはこの問題を明らかにするために兵器由来ウランチーム (WDU)を提起する。 表12.1 劣化ウラン中においてU-238からU-234までの壊変によって生じる娘核種の比 放射能(MBq/kg) 週 0 5 10 20 30 U-238 (α, γ) Th-234 (β) Pa-234 (β) U-234 (α, γ) 12.43 12.43 12.43 12.43 12.43 0 7.89 10.77 12.21 12.4 0 7.84 10.75 12.21 12.4 0 0.001 0.004 0.01 0.017 その高い密度(金属で19 g/cm3、酸化物で10.96 g/cm3)とその金属が自然発火性(大 気中で燃える)であるために、その物質は装甲貫通弾やミサイル先端部、徹甲弾として用 いられる。それは航空機のバラスト材としても用いられている(例えば、ヘリコプターの 回転翼、商用旅客機のカウンタウエイト/平衡錘)。兵器としては、着弾時にDUは燃焼し て、異なった実験結果や標的からの距離に依存するが、平均直径がおよそ1,000 nm(1マ イクロメートル)から100 nm未満の酸化ウランのセラミック粒子の微細なエアロゾルにな る。これらの粒子は環境中で(そして組織中で)長くとどまり、着弾位置から数千マイル も移動する(Busby & Morgan 2005)。それらは大気中に再び浮遊し、攻撃地点からかなり 離れた地点のカーエアコンのフィルターからも見つかっており、呼吸される。1000 nm以下 と、それらの直径は非常に小さいので、それらは肺からリンパ系に侵入することができる、 そして原理的には、身体のいたるところに寄宿する。こうしてそれらは同じ箇所に数年間 にわたって留まる。そのようなウラン粒子の生物学的半減期は知られていないが非常に長 い。動物実験によるとそれは13年以上である(Royal Society 2001)。 一発のアブラム120ミリ戦車弾は、およそ3 kgのDUを含み(111 MBqの放射能に相当)、 30ミリGAU3A-Aサンダーボルト・ガトリング銃弾には275 gが含まれている。これらの軍 用品は第1次湾岸戦争で使用された。より最近になって巡航ミサイルや地中貫通爆弾の弾 頭に使われているという証拠が明らかになっているが、それぞれが1トンまでのウランを 内包している。2003年の第2次湾岸戦争で使用されたウランの量は1,700トンに達する(Al Ani & Baker 2009)。 軍事用貫通弾は硬い標的との衝突において約80%の変換効率で「セラミック」の性 質を持った直径数ミクロンのウラン酸化物粒子になる。ウラン酸化物であるUO2やU3O8は 非常に不溶解性であるので、これらの粒子は移動性に富んでおり環境中で極めて長く活動 4 する。それらは吸引されそのサブミクロン直径の粒子は肺からリンパ系に移動し、気管や 気管支のリンパ節に滞留し、それらに対してマクロファージは機能しないので体のあらゆ る部分を循環する可能性がある(Kalinich et al. 2002)。それらは皮膚やほとんどのガスマ スクのフィルターを透過することができる。これらの粒子からのアルファやベータ壊変に よって、極めて高くて繰り返される線量がその壊変からの飛程ないの細胞にもたらされる、 すなわちアルファ線の飛程は約30ミクロンであり、ベータ線のそれはおよそ450ミクロンで ある。DUの着弾による初期の(t = 0における)粒子サイズの分散は、合衆国のアベルディ ーン基地においてグリスメイヤーらによって特別なカルケード・インパクター捕集器を用 いて得られた(Glissmeyer et al. 1979)。標的の背後において捕集された平均の0幾何学的直 径は0.8マイクロ(0.8 µm = 800 nm)であった。最近になって欧州連合SHER2010年報告書 は、粒子の31%は0.18マイクロ(0.18 µm = 180 nm)以下の直径であると述べている。この サイズの粒子は実際的には気体状であり皮膚を通過し身体のあらゆる箇所に浸透する。そ のような凝縮した形態はこれまで存在しておらず研究もなされてきていないので、ウラン 被ばくに関する歴史的な研究と比較することが不可能である:これらは新規に評価しなけ ればならない全く新しい被ばくである。 DUが採用されたのは、その兵器がキモをつぶすほど上手く機能し、戦車とその装甲 を無力化し、軍事作戦に革命をもたらしたことが理由である。加えて、その使用は原子力 産業が、他の方法では廃棄に費用を要する、廃棄物から逃れる道筋を表している。しかし そのマイナス面はその物質が見境のない放射線障害を明らか引き起こしていることであ る:戦場はどんどん汚染されており市民が被ばくにさらされている。 ウランがモデル化されているよりもはるかに遺伝子毒性であるという証拠を別にす れば、それを以下に概観するが、すぐさま放射能の量が議論になる。土壌中に含まれる天 然ウランの平均濃度は10 20 Bq/kgであり、ここでは全てのウラン同位体を含めている。 食物や飲料水中の天然ウランの吸収の結果として、尿中における平均的なウランの排出は 10 nBq/l以下である(英国の事例)。コソボでは、純DUはキログラム当たり12.4 MBqのU-238 を含んでおり、国連環境計画(UNEP)の分析ではいくつかの土壌サンプルは250,000 Bq/kg であった(UNEP 2001, Annex)。第1次湾岸戦争で用いられた350トンのDUは、4.3 TBq(4.3 x 1012 Bq)のウランのアルファ放射能を意味する(娘核種のベータ線を含めると13.0 x 1012 Bqである)。2003年の戦争で用いられた1,700トンは、63 TBqの放射能が人々が暮らす100 km2の地域にまき散らされたことを意味する。したがって放射能の平均密度は、630,000 Bq/m2である。これらの総和は啓示的でありまとめて表12.2に示す。 全体的な放射能汚染状況を描くためのある比較を見いだすことは可能である。アルフ ァ放射体であり環境中で長く生き続けるウラン粒子は、セラフィールドから放出された放 射性核種でアイリッシュ海の主な汚染物質であるプルトニウム-239と比較することができ る。環境中のプルトニウムもまたサブミクロンサイズの酸化物の形態で存在する。表12. 3にそれらの比較を行っている。 DUと同様に、これらのプルトニウム酸化物は長寿命であり移動性である。セラフィ ールドから放出されたプルトニウムは、英国各地の検死の試料で計測されており、セラフ ィールドから同緯度の100 km離れたイングランド東海岸までは羊においてその濃度が距離 とともに低下しており、10代の子供の抜歯においてもその敷地から南東のイングランド において200 kmについて濃度の低下が確認されている。U-238は45億年という非常に長い半 減期を持っているので、その2万4千年というより短い寿命のために、Pu-239の比放射能は 非常に高く、2.3 TBq/kgに達している。しかしこのことは350トンのDU(すなわち4.30 TBq 5 のU-238)は(放射線の量という)放射能においては、2 kgのプルトニウム-239と等価であ ることを意味する。居住区に対して2 kgのプルトニウムを意図的にまき散らすということ の倫理的な重大さについては容易に想像できる。 表12.2 第1次及び第2次湾岸戦争とコソボ紛争において使用された劣化ウランDU による、U-238とベータ壊変する娘核種のPa-234mとTh-234からの寄与を含む、平均付着放 射能密度とその他の放射能汚染との比較 事象 放出 放射 能 ある いは 沈着 評価 量 平均 放射 能 密度 Bq/m2 (面積) 0.37 TBq 3,700 13 TBq 130,000 ( 100 km2内に) 63 TBq 73.9 PBq 630,000 ( 100 km2内に) 460 コソボでのDU 10トン イラク(1次)での350トン イラク(2次)での1700トン 北半球における北緯50度から60度における ストロンチウム-90 (Sr-90) (UNSCEAR 2000) チェルノブイリの強制避難区域30 km圏での 測定値 Sr-90 (IAEA) 37,000 から 111,000 以 上 英国ウエールズ北部の羊の放射能汚染制限 値 セシウム-137 (Cs-137) 15,000 から 30,000 > 37,000 UNSCEAR による汚染地域の定義(Cs-137) 1,350 TBq セラフィールドから放出され アイリッシュ海に蓄積したプルトニウム 1952 - 1996 (Busby, 1995) 20,000 表12.3 環境中のPu-239とU-238の比較 環境における化学形態 3 物質の密度 g/cm 溶解性 ウラ ン U-238 プル トニ ウ ム Pu-239 0.2-2 µm 酸化物粒子 0.2-2 µ m 酸化物粒子 (UO2 ) 10.9 ; (U3O8) 8.3 (PuO2) 11.46 不溶解性 不溶解性 長寿命 長寿命 アルファ + ベータ + ベータ アルファ アルファ線エネルギー 4.19 MeV 5.15 MeV 半減期 45.1 億年 2万4400年 37.2 MBq/kg (α +β) 2.3 TBq/kg (α) DU セラフィールドのような再処理工場 175 tons 1 kg 環境での寿命 主たる放出放射線 比放射能 主な汚染源 放射能が同じになる質量 第12.3節 ウランへの被ばくがもたらす損害の証拠 兵器が生み出すウラン酸化物のナノ粒子への被ばくは、ウランのバックグラン放射線 が高い地域に住んでる人々や、ウラン鉱山の鉱夫や技師として働く人のウランへの被ばく の損害と同じ種類のものではない。それらの被ばくは性質やあり方が全く異なっている。 6 ウラン鉱山におけるダストへの鉱夫の被ばくで吸入する粒子を比較すると、それらはウラ ン濃度がずっと低く、また、サイズはかなり大きい。湾岸戦争における退役軍人や住民の 場合には、ウランはほとんど純粋なものであった。ウラン兵器における被ばくにおいては 組織内の局所線量と濃度は何千倍も高く、そして、その極めて小さい粒子サイズのために、 ウランは肺を通じて、あるいは鼻からは直接的に中脳に、皮膚を通じても、すなわち全く 進化的とも言える新しい経路を通じて体内に素早く取り込まれてしまう。そのナノ粒子は 個々の細胞内にも侵入する。したがってDNAの存在する細胞の中で最も高い濃度の状態が 生まれ、そしてその濃度は血液の供給蓄積部に向かって低下するという、食物からウラン に汚染した溶液を摂取した場合に起こることとは反対のことが生じる。ウランの尿中排泄 物あるいは血液中の濃度を比較して同様な被ばくのレベルの見当をつけようとして、平均 的な線量換算係数にしたがって計算するというやり方は、この理由のために根拠薄弱とな る。外部からの放射線と内部からの放射線とを比較して関係づけようとするこれ以外のあ らゆる諸々の場合と同様に、これもひとつの問題のある平均化である。しかしながら、そ こには重複するところもあるので、兵器由来ウラン(WDU : Weapons Derived Uranium)の 被ばくは、他のタイプのウラン被ばくとも並行して考察する。我々は多くの影響が発見さ れることを予期できるが、WDUについて言えば、はっきりとしているものではない。上に 述べた警告(caveat)に留意しなければならない。 第12.3.1節 健康への効果:疫学 ウランは第一義的に遺伝子毒性(genotoxic)である。ウランへの被ばくは遺伝子の変 異やゲノムの変異をもたらし、ほ乳類のほとんどの組織に強い影響を与える。特に標的と して問題になるのが腎臓であり、脳であり、そして生殖器系である。ウランへの被ばくに 関係する症状の一覧は、アブ・クゥアレとアダブ-ドニア(Abu Quare & Abou-Donia 2002) そしてクラフトら(Craft et al 2004)によって与えられている。ロザリー・バーテルは、2005 年の報告においてその分野を概観し、知られているところと最近になって数多くの著者が 国連レポート(UNIDIR 2008)にある問題に関して議論しているところとのギャップに注 意を喚起した(Bertell 2005)。 ウラン兵器のエアロゾルへの被ばくによる催奇形性(teratogenicity)は、ヒンディン らによってレビューされている(Hindin et al. 2005)。第1次及び第2次湾岸戦争に続くイ ラクにおける子供らの先天性欠損(congenital defect)についての数多くの報告は(例えば、 Hamburg 2003)、WHOやその他の責任当局によるいかなる研究によっても追跡されていな い。報告されているウランへの被ばくに関係する主な疾患と症状について表12.4にま とめる。 どのような集団に対してもウランへの被ばくが甚大な影響を与えているのは明らか であり、その影響は全ての疾患の範囲に広がっている。 これにも関わらず、ウラン兵器による被ばく汚染について疫学研究は本当に行われて きていない。ひとつの例外は、イタリア軍当局の要請によって実施されたバルカンの平和 維持軍内での発がんの研究である。その最初の報告ではボスニアとコソボに駐在した平和 維持軍の間に白血病の有意な過剰(8倍に相当)が示された(Italian report 2001)。より最 近の調査では主としてボスニアに駐屯した人たちから見つかっており、その相対リスクは 約14倍超であった。その最新の状況については秘密にされたままである;報告によるとこ のコホートにおけるガンの水準は驚くほど高く検査が続けられている。議会質問によって 第一次湾岸戦争に参戦した英国の退役軍人の間で白血病が増えているというデータが出て 7 きたにも関わらず、英国と合衆国の退役軍人の間でガンや先天的障害についての責任ある 研究は公表されていない。最近、英国で行われた検死陪審によって湾岸戦争の英国人退役 軍人であるスチュアート・ダイソン(Stuart Dyson)がイラクでの劣化ウラン被ばくを原因 とする大腸がんによって死亡したことが明らかになったことを、担当大臣が英国検死法 (UK Coroners Act)第43条にしたがって公表した(Dyson 2009)。証拠についてはECRR そして英国国防省の科学者から採用されたが、当陪審がその被ばくによって生じたガンで あると確信したのは明らかであった。 表12.4 ウランへの被ばくに関係すると報告されている疾患と症状 突然変異誘発物質: 生殖器:催奇形性と遺伝子毒性; 受胎率の低下、流産、子供における遺伝 的欠陥、死産、小児がんと小児白血病、を引き起こす。ヒトと動物が反応する疑似エストロゲン。 突然変異誘発物質: 被ばくしたヒトと動物及びそれらの子孫にガンや白血病が増加。 腎臓病一般、100 ng/g以下の濃度で健康問題、腎糸球体及び尿細管障害、 腫瘍化変異、クレアチ ニンレベルの線量による変化、腎糸球体構造の変化、IgE腎症とIgG腎症、持続性の構造及び機能 障害 血液:細胞毒性及び白血病誘発性;赤血球の減少。 脳: 脳を標的とし脳深部と脳幹機能の損傷に関係する広汎な影響を引き起こす。心理検査に現 れる影響。湾岸戦争症候群の基礎。兵器由来ウラン粒子は鼻から直接中脳に侵入する。 集中:カルシウムと同じ親和性を持つウラニルイオンとして循環するので、DNAや神経組織、 骨、精子に結合し標的とする。このためにほとんどの組織が影響される(細胞内のエネルギー転 換に影響するミトコンドリアDNA)。 ウランに被ばくした人たちに染色体異常を確認;その効果はICRPの外部被ばくに対して計算さ れた線量との釣り合いはなかった。 突然変異誘発物質:ウランの上に居住するナバホ族で網膜芽腫の発症率が最大。追跡調査:セラ フィールドの労働者の子孫やウランで汚染されたロサンゼルス近くのロケットダイン工場周辺 でも発症率が高い。 突然変異誘発物質:男性ウラン鉱夫の子孫に見られる性比の効果。炎症:ウラン工場における酸 化ストレスに関係する。 発がん物質:BNFLの燃料製造労働者におけるガンの増加 ボスニアのサラエボからのガンデータが報告されており、多くの地域においてガンの 発症率が顕著に(最大で20倍)増加していることが示されている(Hamburg 2003)。ギリ シャにおける子宮頸管がん(cervical cancer)のコホート研究は、子宮頸管塗抹標本(cervical smear)の医学検査結果で示されたこととしてウランのエアロゾルへの被ばくが統計的に有 意な発症率上昇の原因であると結論した(Papathanasiuo et al. 2005)。1991年と2003年終わ りの爆撃後のイラクにおける高いレベルの発がんについて数多くの報告があるが、系統的 な研究は出されていない。マクダミードら(McDiarmid et al. 2002)による初期の研究では 第一次湾岸戦争の合衆国退役軍人のガンのリスクが高くなったという証拠は見つかってい ないが、(一般に湾岸戦争症候群と呼ばれる)多くの病気の症状が報告された。 湾岸戦争症候群そのものは、ロス・ペロー(Ross Perot)出資された、合衆国のハー レィらよる精巧な因子分析(Factor Analysis)において分析された(Haley et al. 2000)。症 候群は多くの症状を網羅しており、英国では軍とその顧問らは問題をストレスのせいにし ているが、ハーレィはそれらが共通して脳幹と脳下部のハウスキーピング機能(訳注:恒 常的に細胞で発現ないし機能している機能)の損傷がもたらしている結果であることを明 8 らかにした。ハーレィは合衆国退役軍人の磁気共鳴像のケースコントロール研究によって これが事実であることを示そうとした。P-31とH-1を対象にした研究によって脳のハウスキ ーピング機能に関連する脳内細胞の生存率の著しい低下、すなわち湾岸戦争症候群そのも のであることが示された。ハーレィはウランによる脳と脳下部の攻撃について気づいてい ないが、彼が発見したのは有機リン酸塩の被ばく影響だと主張した。しかしながら、ハー レィの研究から数年後に実施された研究によって脳のこの領域がウランによって激しい攻 撃を受けることを示した、そして、吸引されたウランは脳のこの領域に嗅脳(olfactory lobe) を通じて直接達したのが事実であることを示した(以下を参照)。 イラクの状況は深刻になっている:被ばくしたウランの遺伝子毒性によってガンや先 天性疾患(congenital disease)が増加した。これは1998年のIAEAの総会において報告され、 アル・アニ(Al Ani)とベイカー(Baker)によって包括的に概観されている(Al Ani & Baker, 2009)。同じ報告の中に、これらの著者はウランによって汚染されたイラクのそのような 地方において遺伝性疾患やゲノムベースの疾患が増加しているという他の証拠を概観し、 また、汚染のレベルや健康指標を報告する数多くの研究を引用している。しかしながら、 これらの報告は全くリスク評価機関によって検討されなかったし、それに加えて、その問 題を精査するためにイラクの居住民に対する西側主導の研究もない。本委員会はイラクに おけるガンと先天性出生欠損(congenital birth defects)についての調査に現在従事している。 英国のスプリングフィールド燃料工場におけるえ統計的に有意なウランの影響が報 告されている(McGeoghegan & Binks 2000)。ウランの被ばくと結びつく強い結合関係が ホジキンスリンパ腫と非ホジキンスリンパ腫にあると報告されたが、著者は吸収線量が低 すぎるので因果関係のある関係とは考えていない。 第12.3.2節 遺伝的損害:染色体異常 染色体異常分析は電離放射線への初期被ばくの目印として使用できる。実際、低LET なのか高LETなのかといった放射性の種類についての仮定をして(二動原体や環といった、 染色体異常の種類に基づけば)、線量を再構成することも可能である(Hoffman & Schmitz Feuerhake 1999)。 ザイール(Zaire)らよってナミビアのウラン鉱夫における予期しない高いレベルの染 色体異常が報告された(Zaire et al. 1997)。湾岸戦争症候群に苦しんでいる一連の湾岸戦争 退役軍人の染色体異常についても研究もシュレーダーらによって行われた(Schroeder et al. 1999)。結果を見ると、その損害はおよそ150 mSvの初期被ばくに相当するレベルを示した が、検査を受けたこれらの退役軍人らは預託線量で100 mSvを上回る被ばくを劣化ウランか ら受けてはいなかった(訳注:預託線量は50年間の累積線量を示す。)。これらの研究か らウランの被ばくについての線量計算にはおよそ1000倍の誤りがあることが示された。染 色体異常はおよそ2年間の半減期で身体から消えてゆくが、湾岸戦争退役軍人らは被ばく から10年間を経てこの損害を示した事実に注意を払うべきである、これはウランの生理 蓄積物が長寿命であることを示唆している。2001年に王立協会は、ある種のウランの身体 内における半減期は10年以上でありおそらく無期限であると見なせるとする見方を支持す る文献を引用した。染色体異常は、被ばくからおよそ40年後の(実験場ではウランにも被 ばくした)ニュージーランドの核実験退役軍人のケースコントロール研究においても発見 された。 ボスニアにおける染色体異常分析では、ある生態学研究において有意なウランへの被 ばく影響を見いだしている(Ibrulj et al. 2007)。その研究は、NATOがウラン弾を含めて砲 9 撃した(そして2002年にUNEPの測定でウランの存在が示された)ハジチ(Hadzici)の住 民とほとんど被ばくしていない参照地域とに別れた双方から、84人の個人について末梢リ ンパ球(peripheral lymphocyte)を調査している。結果によると、砲撃から数年が経過した 2007年に、被ばくした集団に統計的に有意な染色体異常の増加が示された。ウランに被ば くした同じ集団には末梢リンパ球の小核(micronuclei)もまた増加していた(Ibrulj et al. 2004)。 ボスニアのハジチはウラン兵器に被ばくした人たちの遺伝的損害を評価するために クルニックらによって研究されている(Krunic et al 2005)。著者らは過剰な末梢リンパ球 中の小核をヘルツェゴヴィナ西部の参照群との比較によって示している。 細胞培養実験では、ミラーらが50 mM(200 ng/l)の劣化ウランに24時間さらしたヒト の細胞中に2動原体染色体異常と腫瘍性形質転換(neoplastic transformation)を誘導させた (Miller et al. 2002)。これは極めて低い濃度であり、細胞内でのアルファ線放射は確率的 にあり得ない。異なったウラン同位体を使用することで比放射能に関係した効果のあるこ とが示され、腫瘍性形質転換の頻度に放射能が役割を果たしていると結論された。しかし ながら、被ばく線量は低くこの結果は第6章において概要を与えた2次光電子増強の議論 を支持するものであり以下において議論する。 これらの研究から次のように結論することができる:ウランへの被ばくはヒトの集団 に染色体異常と小核形成をもたらすが、その際の放射線被ばくのレベルは(従来の評価で は)その効果を説明するのに必要な線量の1000分の1である。同様の結果は実験室での細 胞培養についての研究からも報告されている(Darolles et al. 2010)。著者らは極めて低い 濃度レベルにおいて、細胞培養中での富化ウランと劣化ウランとの間の違いを見いだして いる。基本に戻ると、富化ウランが染色体異常をもたらす一方で、劣化ウランは染色体異 数性(aneuploidy)と小核形成とを引き起こした。もちろんこれは先のメカニズムの議論に おいて暗示された2種類の作用から期待されるものである。U-235がより高い放射能を持っ ているので、富化ウランと劣化ウランの両方において溶液中の主要な核種はU-238のウラニ ル(訳注:[UO2]2+)である。したがって、そこにはかなりのU-238のウラニルと染色体と の結合があることになり、リン酸塩の背骨に沿ってU-238原子が結合している位置では、光 電子が放出されることで染色体が全体として破壊されるに至るのであろう。U-235の効果は したがって、通常のアルファ線飛跡の高い電離作用であって、そこでは染色体は切断され (二重鎖切断)、後に発見されるような変則的な再結合をする。著者は(フランスのIRSN に勤務しているが)U-238によって生じる染色体異数性は他のガンの誘導についての報告と 関連していることを指摘しており、彼らはウランの発がん性の再評価を呼びかけている。 第12.3.3節 生殖効果と多世代間遺伝効果 ウランへの被ばくがもたらす催奇形性はヒンディンらによって概観されてきており、 証拠に基づいてウランに催奇形性の危険があると結論されている(Hindin et al. 2005)。数 多くの報告が、ウラン兵器が使用された地域から現れているが、死産や特に警告すべき通 常の種類ではない先天性形質異常(congenital malformations)の規模の大きな増加が確かに 続いている。それにも関わらず、責任ある西側の研究は委任も調査も何ら行われていない。 英国核実験参加退役軍人の子供や孫におけるあるケースコントロール研究は、全国的参照 集団と比較して、子供について9倍以上、孫について8倍の先天性症状(congenital conditions) の過剰を明らかにした(Busby & de Messieres 2007)。これらの退役軍人が主としてウラン 10 に被ばくした、というのは彼らのガンマ線用フィルムバッジの線量は広く知られており、 分析によって相当量のウランが実験上に存在していることが示されたからである。 天然及び劣化ウランの生殖毒性(reproductive toxicity)についてのドミンゴによるレ ビューは、それらをマウスに経口及び皮下に与えた場合に発育毒性(development toxicant) を示すと結論している(Domingo, 2001)。繁殖性の低下(decreased fertility)や胎児毒性 (embryo toxicity)、催奇形性、発育障害が生じることが示された。パラーナインらは既に 影響なしの線量と比べて5 mg/kg 程度の線量でマウスに発育と出生数に影響があることを しめしている(Paternain et al. 1989)。ゼブラフィッシュ(danio rerio)のふ化成功や発育、 初期段階の生存に対するウランの影響に関する研究がボウラッチョらによって報告されて いる(Bourrachot et al. 2008)。著者らは、溶液中で200 – 500 mg/l(およそ3 Bq/l)の劣化ウ ランの範囲で研究しており、放射線ストレスよりもむしろ化学的ストレスの効果であろう と彼らが考えているところを確かめるために、比放射能の高い同位体U-233もまた使用して いる。両方の実験体系において最も低い被ばく量においても有意な発育効果が観察された。 濃度250 mg/lにおいて、ふ化時間の中央値が、参照群に対して43%低下した。この濃度の劣 化ウランで15日間被ばくすると幼魚の段階で(at the pro-larval stage)100%が死んだ。放射 能がより強いU-233はより大きな影響を与えたが、両方の同位体はこのような非常に低い濃 度で効果を示した。これが生じた放射線量は消えてしまうほど低いものであり、現在のリ スクモデルに基づけば害をなすものではない。 レイモンド-フィシュらは米国環境保護庁(EPA)の基準以下の飲料水が、メスのマウ スにエストロゲン受容体(estrogen receptor)依存反応をもたらすことを見いだした (Raymond-Whish et al. 2007)。著者らは妊娠したメスのマウスに0.5 mg/lから28 mg/lの飲 料水で被ばくさせ、一次卵胞(primary follicles)の選択的減少、子宮重量(uterine weight) 増加、子宮内腔上皮細胞高さ(uterine luminal epithelial cell height)の増大及びその他の症状 を含む、エストロゲン受容体効果を見いだした。ウランを含む水を与えたメスのマウスは 形態学的には正常は子供を産んだが、それらは正常な水を与えたメスから生まれた子供に 比べると、一次卵胞が少なかった。 第12.3.4節 腎臓 腎臓はウランの持つ毒性の標的であると以前から多くの研究によって認められてい る;初期の研究は王立協会の報告書にレビューされている(RS, 2001, 2002)。より最近で はウラン兵器による被ばく関する憂慮に関心が移っており、研究の焦点は腎毒性 (nephrotoxic)効果を生み出すのに要するレベルにおかれている。数多くの適切な研究を 表12.5に示す。 もっとも適切で興味深いバラーディらの研究では、ある範囲の腎臓の症状を示してお り多くの湾岸戦争症候群の症状も有するバルカンの退役軍人に対する包括的な医学的及び 理学的分析結果を与えている(Ballardie et al. 2008)。この男性に見られる症状の広がりを ストレスの結果であると仮定するというよりも、マンチェスター王立病院(Manchester Royal Infirmary)とセラフィールド大学(University of Sheffield)の医者と科学者のチーム は、その原因を努力して発見するためにあらゆる分析に着手した。生体組織検査分析 (biopsy analysis)によって彼らは彼の腎臓が富化ウランによって汚染されていることを発 見し、ウランはそのミトコンドリア組織に一様に散在していた。重金属キレート剤処理は 治療の作用があった。これは湾岸戦争とバルカンの退役軍人らの病の原因に関する議論に 11 おける主要な証拠部分であり、先に述べた湾岸戦争症候群に苦しみ大腸がんによる早すぎ る死を迎えたスチュアート・ダイソンの検死官による検死の因果関係に関する陪審員を説 得させるにおいて重大であった。 表12.5 腎臓の構造と機能に及ぼすウランの効果についての最近の関連する研究 研究 Prat et al 2005 Berradi et al 2008 Goldman et al 2006 McClain et al 2002 Fukuda et al 2006 Zhu et al 2008 Zimmerman et al 2007 結果 ウランへ被ばく後に18組の腎臓が調節解除したのを確認;カルシウムの通 路が高度に関係していた; 腎芽腫細胞腫(nephroblastoma)遺伝子が関係。 ラットを40 mg/lのDU溶液中で9ヶ月被ばく。腎臓悪化と赤血球数の減少 (腎性貧血)。 ラットの腎臓でDUが周辺の小胞を払いのける効果を確認。タンパク質中 140 mg/mg のウラニルがグルコースの輸送を阻害。 ゲッ歯動物にDU(榴散弾)の小片を埋め込んだ効果。埋め込んだ位置か ら離れた骨や腎臓、筋肉、肝臓にその小片起源のウランを発見。 ラットの海馬中の神経生理学的パラメータを変化、胎盤のバリアを透過、 胎児の組織に侵入、の変化。 埋め込みから6ヶ月後で生まれるゲッ歯動物のサイズが小さくなった。適 応を示唆する腎臓効果は見られず。 体重あたり0.2、1、2 mg/gでウランを被ばくさせたラットの毒性及び生化 学指標。低い線量で骨や腎臓における多くの指標に測定可能な変化。 外科的にウラン片を埋め込んだラットにおける長期にわたる慢性被ばく で腎機能障害(Renal dysfunction)。 体重あたり0.1、0.3、1.02 mg/gで一回注入したラットにおける臨床化学的 及び微視的な腎作用。全ての線量で腎毒性。 第12.3.5節 脳 脳に対するウランの効果は最近になってのみ現れてきた。既に概観してきたように、 ハーレィらの研究は脳下部の機能と湾岸戦争症候群の症状の広がりとの結合関係を実証し た。ウラン兵器起源のエアロゾルによるウランのナノ粒子の吸入には、鼻腔(nasal passages) と嗅球(olfactory bulb)との生理的接続を通じて直接的に脳下部に通じるルートが用意さ れている。フランスにおける研究(IESNほか)はおそらくウランの神経組織への集積を見 いだした最初の研究であり、おそらくはカルシウムイオンCa++にウラニルがよく似ている ために、親和性があると見られる。フランスのIRSNのモンローらは吸入被ばくさせたラッ トの脳内部でのウラン濃度は次の溶であったことを示した:嗅球>海馬>前頭部皮質>小 脳。ウランは通常であれば低腸伝達因子(low gut transfer factor)のために身体の全システ ムから排除される(Monleau et al. 2005)。進化論的に純粋なウランが環境中に存在したよ うな時期はかつてなかったし、ウラン鉱山においてはダスト中のウラン濃度は非常に低い ためにウラン鉱夫であっても同様な程度では被ばくしてきていない。最近の研究の一覧を 表12.6に示す。 レスタエバルらの研究によれば腎毒性が無いレベルにおいても、注入によって体重あ たり144 mg/kgで被ばくさせたラットの挙動における観察可能な変化が存在する。まとめる と、これらの研究は湾岸戦争症候群はマイクログラムのウランを吸入した効果であり、そ の物質の異常なまでの神経毒性(neurotoxicity)への注意を喚起している。 12 表12.6 研究 ウランの神経学的効果についての最近の研究 結果 Monleau et al 2005 IRSN, France Barillet et al 2007 IRSN, France Pellmar et al 1999 McDiarmid et al 1999 Briner and Murray 2005 Lestaeval et al 2005 IRSN France Barber et al 2005 ラットによるウランの吸入。脳内部のウラン濃度:嗅球>海馬>前頭部皮質 >小脳。 行動上の変化を示す。 水中でU-238とU-235に被ばくした成魚の雄のゼブラフィッシュに酸化スト レスと神経毒性。両方の同位体への被ばくにおいて酸化ストレスと神経生理 学的変化(アセチルコリンAChの増加)。 ラットに埋め込んだ劣化ウラン片が海馬切片(hippocampal slice)に電気生理 学的(electrophysiological)変化をもたらす。 湾岸戦争退役軍人の研究で、生殖システムの機能と中枢神経システムの機能 にわずかな効果を発見。 劣化ウランを含んだ水をラットに75ないし150 mg/lで与えた。2週間後に行 動上の変化;脂質酸化の増加 劣化ウラン被ばくに脳が攻撃を受ける。ラットに144 µg/kg注入すると腎臓で のレベルは2.6 µg/g。このレベルは通常は腎毒性以下の線量であるだろう。し かしなgら、これによって食物摂取減少と睡眠サイクル障害がもたらされた。 体重あたり1 mg/gを腹腔内に注入したラットの脳内の短期間のキネティク ス。ウランは脳内に素早く侵入し最初海馬と線条体(striatum)に濃縮。排出 はおそい;7日後海馬や小脳 、大脳皮質の濃度は依然として高かった。 第12.4節 動物実験と培養細胞、メカニズム 吸収線量と日本の原爆被ばく集団から選ばれたガンのリスク係数を採用する、ICRP モデルに基づく机上の解析(Royal Society, WHO, SHER, RAND, ATSDR等)は、観察結果 を予測しないので放棄しなければならない。ウランへの被ばくは明らかに大きくより危険 なものである。細胞培養や動物実験はそこに含まれているメカニズムを開発し理解するた めの有益な情報をもたらしてきている。それら全ての研究に示されているのは、ウランの 内部被ばくは、それが微粒子の形態であってもまたイオンの形態であっても、それ本来が 有する固有の放射能に基づくよりも、あたかもかなりの程度より高い放射能を有している かのように作用しているように見える。したがってU-238に被ばくすると、酸化ストレスや ゲノム不安定性、染色体損傷、小核形成、そして電離放射線被ばくのあらゆる結果が引き 起こされるが、いくつかの実験においては核壊変が少なすぎるために確率的に放射線被ば くがない低い濃度であっても、そのような作用が生じている。この発見は様々に解釈さて きた、化学的突然変異誘発効果や重金属効果,放射線と化学作用とのシナジーなど。もち ろんひとつの再発見はウラニルイオン(UO2++)のカルシウムイオン(Ca++)サイトへの親 和性であり、これは1960年代には知られており、この物質が電子顕微鏡用の染色剤として 使われはじめていた。その親和定数は1992年にネールソンらのエレガントな流体実験によ って測定されており、1010M-1のオーダーであった(Nielsen et al. 1992)。これは質量作用 平衡項について、極めて低い濃度において(100 ng/l)、相当量のウランがDNAの背骨であ るリン酸塩に結合していることを示唆しているだろう。これはここで概観している生物学 的効果の実験による観察とよく一致しているように思われる。ECRRモデルはDNAに結合 する放射性核種(ストロンチウムSr-90, バリウムBa-140)に特別の注意を払っており、そ れはそれらのベータ線放射体がDNAの中で崩壊し、それらの電荷を変化させ、イオンと場 13 合によってはオージェ電子を生み出しながら、放射性の娘核種に転換するからである。電 荷の変化だけでもDNA上にひとつの電離を引き起こす。したがってウランはこの範疇に入 るものであり、荷重する結果となる(第6章参照)。 しかしウランは高い原子番号を持っているという事実もまたあるので、したがって自 然バックグランドのガンマ線を増幅する(そして混合物の中では、他のウラン同位体から の光子放射線に加えて、自体が光子放射線を生み出す)。委員会の結論は、そのようなメ カニズムによって本章とこの節で概観した数多くの異常な発見を自然に説明することがで きるということである。この増強の程度については実験的な分析を待たなければならない が、このような実験は回りくどいものではなく、ウランと様々なエネルギーを持ったX線 による同時の照射が含まれる。希薄なウラニル塩をX線の増強剤に使用することは、ガン の放射線治療を目的とする2007年の英国特許申請に示唆された(Busby 2008)。その研究 によると200 mMあるいは84 ng/lにおいて著しい結合が試験管内で生じることは明らかで ある。この濃度は現在においては毒性であるとは見なされていないが、同じ程度のものが 多くの飲み水や湾岸戦争退役軍人の尿中に見られる。 イオンと粒子の双方の形態におけるウランの異常な増強についてのメカニズムの問 題に関連しているいくつかの研究を表12.7に示す。 表12.7 異常な危険性の可能なメカニズムに関する情報を与える細胞培養と動物実験 におけるウラン効果の研究 研究 Gueguen et al 2007 Miller et al 2005 Miller et al 1998 Miller et al 2002 Yang et al 2002 Kalinich et al 2002 Gueguen et al 2006 Pariyakaruppan et al 2006 Grignard et al 2008 Tissandie et al 2006 Yazzie et al 2003 Busby 2005a Busby 2005b Stearns et al 2005 結果 ラットの薬物代謝がDU被ばくの後に変化; CYPチトクロームP450酵素の 発現誘起。 DUペレットに内部被ばくしたマウスの造血細胞の白血病変異。 DU への被ばく後にヒトの造骨細胞が腫瘍性に変化;0.0014%の細胞がア ルファ線にヒット。放射線効果の無いことを示唆する。 ウランとタングステンがともにヒトの造骨細胞系中の小核と腫瘍発生形 質転換を誘導し得ることを示した。 ウランへの被ばくでヒトの気管支上皮細胞が悪性転換;DUは試験管内で 発がんを示す。 マウスのマクロファージにDUがアポトーシスを誘導。 肝臓の新陳代謝酵素にウランの肝臓作用効果。 肺の上皮細胞にウランが酸化ストレスを誘導。 ラットのステロイド代謝に劣化ウランと富化ウランの汚染が異なる効果。 短期間のDU被ばくがラットのビタミンD代謝に効果。 アスコルビン酸塩が存在する下で試験管内で、酢酸ウラニルがDNAの単鎖 切断を誘導。DNAへの親和性はスコルビン酸塩よりも強いことを示唆。 DNAリン酸塩に結合したウランの2次光電子効果を提案し定量化を試み る。DNAに対するウラニルの親和性に注意を促す。 ウラン粒子に対して上記を提案。 200 µM (80 ng/l)においてチャイニーズ・ハムスターの卵巣細胞にhprt変異 とDNA結合体を誘導。 14 Busby and Schung 2008 Elsaesser et al 2007 観察された効果の説明としてイオンの形態にあるウランのSPEについて考 察 異なるサイズのウランと金、水のナノ粒子のモンテカルロ計算によって SPEによる増強を確認。 Wan et al 2006 劣化ウランの試験化内の免疫毒性:マウスのマクロファージへの効果。50 と100 µM。 マクロファージの活動度が200 µMの2時間で変化。 組織中のウラン粒子のモンテカルロ計算でSPE効果が「顕著である」が Busbyによって提案されたものよりも低いことを確認。 Pattison et al 2008 Hahn et al 2002 埋め込んだDU片がラットの筋肉中の軟部組織肉腫を誘導。 Darolles et al 2010 劣化ウランと富化腐乱の異なった毒物学的プロファイル:U-235は染色体 異常をもたらし(アルファ線)、U-238は染色体異数性をもたらす(光電 子毒性がこの広がりを説明する)。 第12.5節 結論 ウランは放射線リスクに対する物理学ベースのアプローチがもたらすECRR2003が注 意を喚起してきた問題についてのひとつの完璧な例であると結論する必要がある。ICRPに したがって吸収線量の見地から線量が計算される時、環境中に通常見つかるウランの量は、 自然のバックグランド放射線と比較すると非常に低い線量を与える、そして原爆の被ばく 集団のガンに関連するレベルと比較してもかなり低い。しかしこのアプローチでは誤りが 膨大なものになるのは明らかであり、というのはそれは次の学問を避けている、より正確 には、化学についても、生物学についても、生理学についても、薬理学についても何も知 らないからである。このような科学は、ある深く哲学的で情緒的であると感じられる流儀 において(何れにしても物理学者によって)、歴史的に物理学や数学よりも重要性が低い と見なされてきた。これは合理的なっ分析における欠陥である:それはそのデータと同じ くらい優れているだけであり、そうだとしても、問題を解くためには、解が主張すること のできるレベルを下げなければならず、その答えはしばしば間違っている。 本委員会はひとつの現実的な答えを提示することでこの極めて現実的な問題を扱わ なければならなった;この場合にはその解とはウランの被ばくを通常のバックグラウンド レベル(100 nGy/h)を1000倍に荷重することである。これは2次光電子効果の実験結果が 使える段階になれば改訂されるだろう。ウランの効果が広い範囲にあることは明らかであ り、ウランの被ばくの遺伝的効果のみを考察するのは全くの間違いであろう。異なったタ イプの被ばくには異なった範囲の症状が現れるだろう。 体内のウランがもたらす伝統的なリスク評価においては、基本的に外部被ばくとの比 較であって、その誤りは他のどのような物質よりも議論してきたようにより大きなもので ある。ウランのエアロゾルはあたかもそれが無限に大きな生物学的影響を持っているとし て扱うべき十分な証拠が今では存在している。したがって本委員会は、例えリスク係数が 観察結果を近似するために荷重によって改訂されているとしても、ウランに被ばくした集 団や個人における因果関係を評価するためのリスク係数の使用は、極めて厳しい注意を持 ってなされるべきだと確信している。もしもウランへの被ばくの後にある病気や症状、あ るいは、何らかの遺伝的影響が増加しているように見えるとすれば、その被ばく前後の集 15 団の線量の違いの大きさや、被ばくした集団と被ばくしていない集団との線量の違いの大 きさに関わらず、因果関係を認めるべきである。 16 第13章 被ばくのリスク:ガン以外のリス ク 第 13.1 節 全般的な健康損害 本委員会は、放射線被ばくの主要な影響としてガンだけに ICRP が終始しているの は、公衆の防護と言う目的に対しては不適切であると考える。このことは、あらゆるデ ータからも明らかであるし、ウランによる被ばくについては特に当てはまる。放射線作 用の基礎的な生物学的メカニズムは、現在よく確立されており、それらは全ての線量に おいて、その組織に対する一般的な損害を明確に予言している。最も低い被ばく線量に おいて発生し、ICRP によっては述べられていない数多くのメカニズムを通じて増強され る可能性がある細胞の DNA 損傷は、たとえ疫学的には検出不可能であるにしても、その 組織に対して全般的な、そして特異的な健康損害を引き起こすと考えられる。したがっ て本委員会は、ヒトの集団におけるガン以外の影響を、肯定であっても否定であっても、 双方から論じている報告類に関心を払っているが、電離放射線への被ばくによる全般的 健康損害が広く評価検討されることを細胞レベルからの議論が要請していると考えてい る。 自然界のバックグラウンド被ばくに関する議論が、ガンに関しては定量的に誤りで あることが示されたが、他のより全般的な健康に関する示標についても誤りである証拠 が存在している。しかし、生涯を通じて悩まされることになる全般的健康損害は、他の 要因がその解析を混乱させる体系内では、定量的に評価することが困難である。例えば、 核実験降下物への被ばくは、出生時もしくはその前後に被ばくした集団の中に、全般的 な不健康状態や非特異的寿命短縮を引き起こす原因もしくは主原因である可能性が非常 に高いと思われるが、この問題についてはほとんど研究がなされてきておらず、しかも、 死亡率に関する限りで言えば、その初期において増加している年齢別死亡率がそのまま 継続するのか否かを今の段階では言うことはまだできない。この問題はガンに関しては 既に取り組まれており、実際に 1994 年のスターングラスと 1997 年のバスビーによって、 同時期における乳ガンの多発とこの被ばくとの相関が示されてきている。しかし、非特 異的老化やさらに全般的な健康損害を示すデータは、医療の進歩や社会的条件の改善に よって区別が付きにくいことから、この問題を分析することは難しくなってしまい、し たがって、放射線のその効果を確定することは非常に困難である。これは影響が無いと いうことを意味しない。したがって、本委員会によってとられるアプローチは、計量で きるカテゴリーの害についてリスク係数を決定すること、そして、しっかりしたデータ が全くない場合である、平均生活品質低下因子(mean life quality reduction factor)を乳児 死亡率と他の指標のデータから外挿することとする、この平均生活品質低下因子は、広 範囲の罹病率に対して作用すると考えられ、そして、他の要因が一定となる体系では早 死につながると考えられる。ECRR2003 報告書の時点からの一つの変化は、心臓病の固 有のリスク係数を 0.05 Sv-1 であると勧告する点である。 第 13.2 節 胎児の発育と乳児の死亡率 地球規模の核実験降下物は乳児の大量死をもたらしたが、この大部分は胎内での心 臓および循環器系の発達障害が原因であった。初期胎児の死亡の増加も考えられるが、 1 その影響についての数値を手に入れることは不可能である。 ルーニング(Luning)らによる、ストロンチウム Sr-90 により傷つけられた雄マウス の子孫における、胎児期発育についての 1963 年の先駆的研究は、決して適切にも、確実 にも追跡調査されていない。本委員会は、ヒトの集団にもあてはまり得ることであるに も関わらず、これらの決定的に重要な発見が無視されていることは受け入れられないこ とであると考える。ルーニングらによる非常に大規模な研究において、放射性降下物の 主要な成分である、ストロンチウム Sr-90 を少量、雄のマウスに注射し、1時間以内に 雌と交尾させている。その受胎した雌マウスは、胎内の子が完全に死産となる直前に殺 された。参照集団には、塩化ナトリウムまたは、もう一方の降下物同位体であるセシウ ム Cs-137 が注射された。ストロンチウム Sr-90 の集団には胎児死亡に有意な増加が見ら れるが、どちらの参照集団にも何ら効果が見られない結果となった。さらなる一連の実 験において、ルーニングは、第二世代にも有意な胎児死亡率のあることを示すために、 生き残った雄を未処理の雌と交配させることを進めた。哺乳類におけるストロンチウム Sr-90 の遺伝的影響を調べている発表された研究は、これ以外には2つしかない。ひとつ 目は、スミルノワ(Smirnova)らによるロシアの研究で、ラットを用いて同じ実験体系 でその影響を確認しており;その死んだ胎児に対する病理学的所見は、その死が心臓の 発達障害によることを明らかにした。もう一つの研究は、サツダ(Satsuda)によるもの で、生き残った者の間に白血病が増加することを示している。この章には関係が薄いか もしれないが、世代を越えた影響が示されている。 地球規模の核実験降下物が最盛期であった期間に(1959∼1963 年)、乳児死亡率が 増加していることを最初に報告したのはスターングラスで、時系列解析を使って合衆国 について、それからイングランドとウェールズについて報告を行っている。それ以降、 ホワイト(Whyte)とバスビーとによってその効果が確認されてきており、最近ではコー エルブライン(Koerblein)によってドイツにおけるその効果が調べられてきている。あ る別の研究では、バスビーはストロンチウム Sr-90 による汚染と心臓と循環器系の障害 による乳児死亡率との間に、非常に高い相関関係のあることを示すことに成功している。 その効果は主に初期新生児死亡と死産による死亡率として現れ、英国においては政府が 1966 年に医学研究審議会(Medical Research Council)に秘密調査を命ずるほどその反響 は大きかった。この調査は最終的に 1980 年代中ごろに公表され、この影響の原因を見つ けることが出来なかったのであるが、それを放射線被ばくと結びつける試みは行われな かった。 両親に対するその被ばく線量が知られていることと合わせて、イングランドとウェ ールズとにおけるその効果のレベルは、本委員会がストロンチウム Sr-90 への被ばくに よる乳児死亡率のリスク係数を確定することを可能とする。1959∼1963 年は第二次世界 大戦後のベビーブームによる大きな人口ピークの効果によって出生率が急速に変動した 時期であったので、胎児死亡率に対するリスク係数を確定することは困難である。しか し、チェルノブイリ原発事故による被ばくによって多くの国で出生率が急激に低下し、 被ばく線量が明確に分かっている英国の一部であるウェールズとカンブリア州について は(しかし、ストロンチウム Sr-90 の被ばく線量は極めて低い)、ベンサム(Bentham) がこれをなし遂げた。これをうけて、本委員会では、他にもっと良いデータが存在しな いため、ひとつの近似として、初期胎児死亡のリスク係数を決定するのにこのデータを 使用した。 乳児死亡と胎児死亡の効果について、本委員会が選んだリスク係数を表13.1に 2 示す。本委員会は乳児死亡や胎児死亡といった影響は、線形的な線量応答にしたがうよ うなものではないと認識している、というのも、胎児死亡はその発育における数多くの 段階で起こり、その被ばくの生化学的あるいは生物物理学的な(粒子性の)様々な側面 に対しての反応が起こり得る(フシク(Fucic)らの文献(2007)を参照)。したがって、 リスク係数は両親に対する年間 1 mSv(ECRR 方式)の被ばく当りの超過発生率のパーセ ント表示(percentage excess rate)に基づき、なおかつその被ばくは 0∼5 mSv の線量範囲 に対するものとする。この試みは、胎児と両親の放射線被ばくによる損失(cost)を明ら かにし、被ばく集団の全般的な健康損失(health cost)の中にこれを加えることを目的と している。 本委員会が採択したリスク係数を支持するものとして、ヤブロコフ(Yablokov)か らの書簡が、核分裂同位体への被ばくの後に起こる乳児死亡率の評価値に関するデータ を示している。これらのデータは 1 mSv(ICRP 方式)当り 20∼40%の評価を支持するも のである。ソビエト連邦の二つの核都市、スネジンスク(Snezhinsk)とオジョルスク (Ozersk)は、南ウラルのマヤーク(Mayak)核施設にある。これらは人口構成、天候パ ターン、自然バックグラウンド放射線はほとんど同じであるが、おおよそ同じ核分裂同 位体による異なる線量の被ばくに苦しめられている。 乳児死亡率は 1974 年∼1995 年の期間についてペトルシンカ(Petrushinka)らによっ て報告された(1999)。表13.2は胎児に対する 1 mSv(ICRP 方式)の被ばく線量当 り、乳児死亡率が約 45%増加することを示唆している。 表13.1 乳児、新生児、死産および出生率低下のリスク係数 出生に関する影響 受 胎 し た 年 に お け る 両 親 の 被 両 親 の 被 ば く 線 量 1 mSv ば く 線 量 1 mSv(ECRR) c 当 た (ICRP) d 当 た り 、 1963 年 りのベースライン率における に出生した千人当たりの観 パーセンテージ増加 察された過剰人数 乳児(0 1 歳)死亡率 0.05% 21 から 24 へ=3 増 新生児(0 28 日)死亡 0.07% 13 から 16 へ=3 増 率a 死産 a 0.04% 13 から 17 へ=4 増 b 出生率低下 0.05% a イングランドとウェールズでの 1963 年の両親のストロンチウム Sr-90 への被ばくに基づく;b チェルノブイリ後のフィンランドと英国の一部における出生率の低下に基づく;c ECRR モデルに したがって計算された線量で新しい荷重係数である Wj と Wk とを含んでいる;d ICRP モデルを用い て計算されたその時の線量 表13.2 ソビエト・マヤークの二つの都市、オジョルスクとスネジンスクにおける 1974 年から 1999 年の乳児死亡率と死産 平均実効線当量(mSv) 乳児死亡率(1000 当り) 死産(1000 当り) オ ジ ョ ル ス ク (n=20983) 1.6(0.05∼3.36) 14.9 7.0 ス ネ ジ ン ス ク (n=11994) 0.98(0.04∼2.04) 11.7 5.8 3 第 13.3 節 遺伝性の遺伝子影響(heritable genetic effect) 第 13.2 節で再検討した乳児死亡の影響は、おそらく遺伝性の遺伝子影響を表してい るが、ICRP は、例えば、先天的障害やもしかすると臨床的に診断される遺伝性の遺伝子 疾患(heritable genetic diseases)の増加等、出生後に個体の表現型において検出可能な遺 伝的効果しか考慮していない。したがって胎児死亡や乳児死亡は、ICRP によっては放射 線被ばくの影響としては取り扱われていない。ICRP の遺伝性の遺伝子影響に対するリス ク係数はヒロシマの寿命調査(LSS)に基づいているので、本委員会ではそのリスク係 数は内部被ばくがもたらす結果を欠いているとの結論に達している。また、1945 年から 1953 年の間の時期に日本人によって報告された効果(Kusano, 1953)が含まれていない ことからも不完全である。本委員会の決定はヒロシマにおいて被爆した方々の子孫に対 して遺伝子損傷(genetic damage)のミニサテライト DNA 検査を適用してきている最近 の研究によって支持されており、そこでは DNA 突然変異の有意な超過が見つかっていな い。これはチェルノブイリの子供たちにミニサテライト DNA 損傷が見つかったことに対 する反論として提示されたのであったが、本委員会は、ヒロシマの結果が外部被ばくに よるのに対して、チェルノブイリの結果は内部被ばくがもたらしたものであるという、 逆の見方をとっている。パドマナバーン(Padmanabhan)は、ヒロシマ原爆による有意な 遺伝的影響があることを示したが、これらは研究集団における性別比の変化として表れ ており、原因が説明できないため合衆国主導のチームにより棄却された(Busby, 2006)。 メンデル型、染色体型および多因子型の遺伝子損傷の合計に対する ICRP のリスク 係数は、子供を作ることができる集団に対し、1 Gy 当たり、現在、2.4%である。第一世 代では、この値が 1 Gy 当たり 0.38%に低下する。本委員会は、子供を作ることができる 世代が被ばくしたことに対しては、同じ値を選定するが、継代的なゲノムの不安定性か ら、第一世代に対する値として 0.38%は低すぎると考える。本委員会は、内部被ばくに ついての被ばく線量の計算は、チェルノブイリのミニサテライト DNA の研究で見出され た遺伝子損傷のリスク増大を正確に反映することになる値に線量を全体的に修正する結 果になっていることを指摘しておく。したがって、ICRP モデルによって計算されたスト ロンチウム Sr-90 からの 1 mSv という線量は、本委員会の損害荷重係数によって 300 mSv に増大することになる、これには表6.2と6.3とにある Wk と Wj の値を適用してい る。これによってストロンチウム 1 mSv の被ばくによって悪影響を受ける人数は、1000 人の出生当たり 0.01 人から 5 人に事実上増加する、この数字は乳児に対する影響の予測 値と実測値をほぼ反映しており、チェルノブイリのリクビダートル(清算人; liquidator) の子孫におけるミニサテライト突然変異が 7 倍に増加していることも反映している。 第 13.4 節 低レベル放射線被ばくによる幅広い健康損害 本委員会は、チェルノブイリから、またヒロシマ原爆の結果として放出された核分 裂生成物による、そしてイラクとバルカン諸国の戦闘地域の劣化ウランの微粒子の被ば くによる低レベル内部放射線に被ばくした集団に関するデータを調査した。そのような 集団の中に細胞損傷モデル(cell-damage model)によって予測される全般的な健康損害が 見出されていることは明白である。本委員会はそのような全般的な健康上の欠損を平均 的な生活の品質におけるパーセテージの低下としてモデル化することを選択した、しか し、現実にはその影響は、寿命の短縮と被ばくした個人の一生涯を通しての影響の両方 4 において見られるものである。それらは確率論的に、診断される個々人において臨床的 または心理学的に計量可能なはっきりした影響として表れるかもしれないし、生活の品 質の低下をもたらすはっきりしない状態として表れるかもしれない。チェルノブイリの 後に被ばくした集団と、原爆投下後のヒロシマの住民の間に見出されている症状のリス トが、マルコ(Malko)によって示されている(1997)。この状態は 2000 年にイラクで劣 化ウランの微粒子に被ばくした集団についてアマシュ(Ammash)によって示されたもの とスペクトルにおいて非常によく似ている(2000)。マルコによる成人と 10 代の若者に ついての知見を表13.3に、子供についての知見を表13.4に示す。 表13.3 ベラルーシのブレスト地域(1990 年)の3つの汚染地域と5つの参照地域 における、成人と10代の若者10万人当たりの身体的疾患の指数(Malko 1997 より) ガン以外の病気 総計 伝染性、寄生性の病気 内分泌の、代謝、免疫の病気 精神的障害 慢性耳炎 循環器系、高血圧、虚血性心疾患 上のうち狭心症 脳血管の病気 呼吸器の病気 消化器の病気、 例えば、潰瘍、胆石、胆嚢炎 泌尿生殖器の病気、 腎炎、ネフローゼ、腎感染症 女性不妊症 皮膚病、皮膚炎、湿疹 筋骨格系の病気、骨関節炎 3つの汚染地区 62023 3251 2340 2936 250 12060 1327 1981 2670 7074 5つの参照地区 48479 2119 1506 2604 166 9300 594 1363 1789 5108 P値 <.0001 <.0001 <.001 <.01 <.01 <.001 <.01 <.001 <.001 <.001 3415 1995 <.001 84 3377 5399 56 2060 4191 <.01 <.001 <.001 最近、バンダシェフスキー(Bandashevsky)はゴメリに近いベラルーシ共和国の汚 染地域において、ホールボディーモニターによって測定された子供のセシウム-137 汚染 量と、心不整脈との間の有意な相関を報告している。ここで、ヒロシマとナガサキの地 域で生活している集団について報告されている放射線の非特異的影響が興味深い;例え ば ICRP からは引用も考慮もされていない、原爆被害者の罹病率についてのある研究に おいて、振津(Furitsu)はチェルノブイリの影響を受けた地域で見られた影響と非常に よく似た、ガン以外の身体的影響を報告している。結果を表13.5に示す。大阪の阪 南中央病院によって 1985∼1990 年に、1232 人の原爆被害者の罹患率が調査された。結 果を表13.5に示す。 地球規模の核実験降下物が IQ と到達度テストの点数に与える影響についてオフテ ダール(Oftedal)がスカンジナビア諸国について、スターングラスが合衆国について研 究している。双方ともに核実験降下物の最盛期に生まれた子供に能力テストの点数に関 して有意な減少があることを示している。 本委員会は、被ばくによる全般的な健康の減退を表現するために、ECRR モデルに したがって計算した 1 mSv 当り 0.1%という値を選んだ。これは、ある人物が 1 mSv の被 5 ばくの結果として、その生涯の間に、一つかそれ以上の身体的病気(somatic illness)が 進むことで生活の品質の低下に苦しむか、もしくは生活の品質に悪影響を受ける病状 (condition)を持つ確率が 0.1%であることを表している。本委員会は 0∼500 mSv の範 囲ではその影響は被ばく線量に比例するとする近似を選択し、これの基礎をアイリング (Eyring)とストーバー(Stover)による害の平衡(equilibrium harm)の考え方に置いた が、これは保守的な見積もりであるだろうと考えており、さらに正確な数値を確立する ための研究を勧告する。 表13.4 ベラルーシのブレスト地域(1990 年)の3つの汚染地域と5つの参照地域 における、子供10万人当たりの身体的疾患の指数(Malko 1997 より) ガン以外の病気 総計 伝染性、寄生性の病気 内分泌の、代謝の病気 精神の病気 神経系の、感覚器官の病気 慢性関節リウマチ 慢性咽頭炎、副鼻腔炎 消化器の病気 慢性胃炎、 及び胆石症、胆嚢炎を含む アトピー性皮膚炎 筋骨格系の、結合組織の病気 先天的奇形 心臓と循環器の障害を含む 3つの汚染 地区 68725 7096 1752 2219 4783 126 117 3350 129 208 5つの参照地 区 59974 4010 1389 1109 3173 87 83 2355 40 61 1011 737 679 306 672 492 482 242 P値 <.01 <.01 <.01 <.01 <.01 <.01 <.01 <.01 <.01 <.01 <.01 <.01 <.01 <.01 第 13. 5 節 老化の加速(Accelerated ageing) 前節で考察した非特異的影響は全般的な老化の加速であると見なすことができるか も知れない、実際に、被ばくの不可避的影響である身体的な遺伝子損傷(somatic genetic damage)の蓄積は、自然の老化による身体的な遺伝子損傷の同様の蓄積と区別がつかな いであろう。両者とも、例えば染色体異常のような、身体的な遺伝子損傷の証拠と関連 している。電離放射線の影響についての研究の焦点は、歴史的にガンの発生率と死亡率 であった。しかし、ほとんどのガンの発生率と死亡を含む老化に関係するプロセスの発 生率は、共に生存関数(logarithmic survival function)でよくモデル化できることが長年に わたって知られるようになってきている。老化についてはこの関数は、ゴンペルツ (Gompertz)にちなんだ名前がつけられている。プルトニウムに被ばくさせたビーグル 犬についてのアイリングとストーバーによる放射線損傷の数学的記述は、修復システム が時間をかけすぎて蓄積した損傷によって圧倒されてしまうまでは、損傷と修復とがバ ランスしているとする反対方向の速度論的プロセスを含んでいる。その関数は、係数を 変えると、自然の老化過程にも同じように適用することが可能であり、本委員会は放射 線被ばくのこの影響は、政策に関するいかなる議論にも含めなければならないと考えて いる。 6 バーテル(Bertell)はその老化の加速の問題を疫学的に取り扱った。彼女は自然の バックグラウンドにある老化要因との比較において低線量、高線量率の医療用 X 線の影 響を研究し、とりわけ、低線量率においては受け入れられるような線量率低減因子がな いことを見出した。彼女はその効果がバックグラウンド放射線の場合には時間をかけて 蓄積された小さな突然変異により、または医療用 X 線によっては急速に、細胞間伝達が 破壊されるためであることを示唆した。その突然変異は蓄積されるまでは個々には確認 できない。バーテルは判断の基準として、ある大きな集団(合衆国の隣接3州において 3年にわたって行われた 300 万人に対する白血病追跡調査)における非リンパ性白血病 の自然増加率を使ったが、それは、15 歳年齢から年約 3%の複利タイプの増加をたどる ものだった。彼女の設定した問題はこうだった:1 年分の自然老化によるのと同じ量の 非リンパ性白血病の発生率の増加を引き起こす医療用の X 線の線量は? 線量率はバッ クグラウンドからの方がはるかに低いにもかかわらず、二つの量が等しいことが結局分 かった。 老化の加速という概念は、最近になって発見された遺伝子不安定性に関連する非遺 伝的な現象により支持されている。 表13.5 原爆被害者と日本の一般的集団における罹患率(%)の比較(Furitsu, 1994) ガン以外の病気 腰痛 高血圧 眼疾患 神経痛、筋肉痛 貧血、白血球減少症 歯疾患 胃・十二指腸潰瘍 虚血性心疾患 肝疾患 糖尿病 腎炎、尿道感染症 皮膚疾患 気管支炎、肺炎 心不整脈 胆石症、膵炎 原 爆 被 害 者 の サ ン プ ル の 罹 病 率% 29 24 18 12 12 10 9 9 8 7 5 5 5 5 4 日 本 人 全 体 の 罹 病 率% 8 15 3 2.5 1 <1 2 2 1 3 1 2 0.8 <0.1 1 第 13. 6 節 一般的な環境において受ける放射線の影響 本委員会は(倫理学についての章で論じられたような)最も人間中心的な視点から 見る時でさえも、人間を支えている環境から人間が独立していると考えることはできな いことを強調する。単に人間の自分本位のためだけであるとしても、動物や植物、生態 系への有害な被ばくの影響は防がなければならない。核のプロセスからの環境への放射 能放出は、それに接触する生物に非常に高い被ばく線量をもたらす結果になる:したが って、海への放射能放出は海洋生物に極めて高い被ばく線量をもたらし、その多くは放 射性核種を濃縮するのでさらに高い被ばくをもたらす結果になる。そのような被ばく線 量がヒトや動物、そして細胞の研究において健康損害を起こすことが分かっているとす 7 れば、海洋生物も同じような影響で苦しめられるに違いない、なぜならそれらも非常に よく似たやり方でそれらの生命活動を担う同様な細胞で構成されているからである(ジ ャー(Jha), 2006)。 その量が著しく大量の場合には、セラフィールドの再処理工場からの放出放射能に 被ばくさせられたアイリッシュ海で捕れた魚に皮膚ガンやその他のガンが増加している という報告がある。これらの報告が広く知れわたったために、アイリッシュ海の水産業 は莫大な経済的損害に悩まされてきている、アイルランドではこの影響は「セラフィー ルドによる荒廃(Sellafield Blight)」という名で知られている。セラフィールド再処理工 場に最も近いアイルランドの地方であるラウス州(County Louth)では、「セラフィール ドによる荒廃」が農家の農作物を販売する能力とレクレーションを目的とした海岸の使 用に悪影響をおよぼしている。カンブリアの海岸は今ではもはや人々にレクレーション 目的で使用されてはおらず、実際のところ原子力産業によって「危険信号旗(red flag)」 (まさに赤い旗)が時折立てられている。 そのような明白な、そして社会的に顕著な影響に加えて、本委員会は、広く無視さ れてきている被ばくの主要な効果を示している研究に気づいている。いくつかの例を示 すことにする。例えば、1960 年代末の北半球における水産資源の急激な減少は、通常、 魚の乱獲の結果であるとされてきている。スターングラスは、その全てではないにして も、その一部は核実験降下物からの放射線被ばくがもたらした結果かもしれないと示唆 している。もしこの示唆が、たとえ一部であっても正しいならば、その核実験のもたら した結果は、そして言外においては、海への放射性物質の放出のもたらす結果は、核プ ロジェクトを支持する費用− 便益解析においては考慮されていない。それらは膨大なも のである可能性がある。また、戦後の時期には鳥の集団における大幅な減少が見られた、 この影響はチェルノブイリ事故の後にも確認されている。この最も驚くべき例の一つは セラフィールドの近くのラーベングラス(Ravenglass)の河口から黒頭カモメの群が全く いなくなったことである。研究によってセラフィールドからの放射能放出によって卵の 殻が悪影響を受けていることが示唆されているが、実験的研究によってその影響は外部 被ばくによるものではなく、内部核種の一つがもたらした結果であると考えられること が明らかになっており、おそらく殻の中のストロンチウム Sr-90 かバリウム Ba-140 によ る被ばくである。最近、アイリッシュ海のロブスターの甲羅にはテクネチウム Tc-99 同 位体が高い程度まで濃縮されていることが示されている。ロブスターの中にはこの同位 体が 100,000 Bq/kg 以上検出されたものもあった。ストロンチウム Sr-90 同位体が、多く の動物と植物の組織に遺伝的影響を与えることが示されている。例えば、エーレンベル グ(Ehrenberg)は極めて低い線量のストロンチウム Sr-90 で小麦に遺伝的突然変異が起 こることを示した。 1990 年代末期に実施されたアイリッシュ海の汚染についての研究結果は、あの浅瀬 と拘束された水を汚染した放射性核種の沿岸地域社会に対する有意な悪影響を示した。 それでも、セシウムによる線量が北側と南側の海峡へ流出し、現在は沿岸のレベルは低 下しており、最も高い地点の堆積物について 20Bq/kg より低い。実際上は出口が無く、 核兵器およびチェルノブイリによる降下物が、スウェーデン、フィンランドおよびロシ アの様々な原子力発電所からの放射性核種と合わさり、堆積物と生物相に集まるバルト 海では状況はさらに悪い。ヘルシンキ委員会(HELCOM)は、堆積物中のセシウム-137 のレベルが 1000Bq/kg であり、それはセラフィールド再処理工場の放射能放出のピーク 時にアイリッシュ海で見られたレベルの 10 倍以上であると報告している。ECRR は、こ 8 の汚染レベルの影響の研究を始めるために、スウェーデンに事務所を開設した。 放射能放出の気象学上の関わり合いもまた存在する。ひとつの興味深い意見は、核 分裂に伴って放出される大量のクリプトン Kr-85 放射性ガスが、オゾン層を薄くする因 子の一つかもしれないというもので、その電離が太陽放射線中の遠紫外線を吸収してい る成層圏の分子を一層急速に破壊するからである。また、クリプトン Kr-85 は通常の大 気の伝導率を変化させ、それにより、気象パターンに影響するプロセスを変える因子と しても言及されている。 社会的、心理的、身体的損傷を含むこれらの例は、どのような放射能放出であって も、それがもたらす結果についてのいかなる評価にも含まれていなければならない影響 を放出が有している可能性があることを示唆している。しかしながら、こういったヒト 以外の生物種の健康に関わる結果を立証しようとする研究は、ペントリースが指摘した ように(Pentreath, 2002)、科学的な確実性の不足と最も基本的なレベルにおける共通の 専門用語の欠如に苦しめられている。 環境への放射能放出の影響についてのある理解に到達することは、この勧告のめざ す範囲を超える巨大なプロジェクトになると本委員会は考えている。しかし、次にあげ る普遍的な二点は行われる必要がある: 1)人間は環境の一部分であり、低被ばく線量におけるヒトの死亡率と罹患率は、他の どの生物種よりも、より厳密にそしてより一貫して研究されてきている。これらの勧告 の中で記されている現存する証拠は、現在のところ些細なことであると考えられている 放射能の放出が、実際には、許容できないリスクを実は与えていることを示している。 規制に関する限りでは、人類以外への影響を確定する必要は無いということになるのか もしれない。このことについての例外は、廃棄物と土地の汚染についての取り扱いのよ うな、避けて通れない実務である。こういった実務に関わる被ばくのタイプが、研究の 主眼点や方向性を決定するべきである。 2)現在の指標では(ICRP2002)、ヒト以外への影響を対象とした研究は、線形的線量 応答と数学モデルを仮定してなされることになる。別の選択肢は、生態学の研究を利用 して現実の世界を調査し、汚染された土地の集団とそれより汚染の少ない土地の集団と を比較することである。過去にあったあやまちを回避するには、これらの研究はその結 果を科学的に信用できるものとする手続き(protocol)を使うことが保証されなければな らない。ヒトに対する影響とヒト以外の生物種への影響の類似性については議論の余地 は無いから、その責任ある諸機関は、ICRP の現在の報告(ICRP1999 参照)に比べて、 より筋の通った(coherent)、低線量について情報を提供する能力を持つ疫学的研究に立 脚した立場をとり、生態学的研究または相関の研究(ecological/correlation study)により、 彼らの問題を解決するべきである。その問題というのは、英国国家放射線防護局(NRPB) のコリン・ミュアヘッド(Colin Muirhead)の文を引用すると「同じ地域に居る白血病を 患っている子供が、健康な子供よりもより高い放射線被ばく線量を受けたのかどうかに ついて、利用可能なデータから示すことは不可能である。(NRPB 2001)」というもので ある。 9 第14章 応用の例 第14.1節 はじめに ECRRモデルは内部被ばくと外部被ばくとを峻別する。内部被ばく線量については、あ る特定の同位体の間においてもそれは区別され、さらにその同位体が原子(分子)の形態 から放射線を発しているのか、それとも、ミクロンサイズあるいはサブミクロンサイズの 微粒子の形態からそれを発しているのかに依存するそれら形態間における線量の配分の間 においても区別される。 表10.6においてアスタリスク(*)をつけた同位体は、ICRP によっては考慮され ていない機構を通じて突然変異をもたらし得るそれらの能力にしたがって、その被ばくの 経路や被ばくのタイプについて、Wj や Wk を通じて表現される、過剰な荷重を保持してい る。これらの同位体とそれらの荷重を表14.1に示す。 表14.1 核実験降下物の内部被ばく同位体に対する ECRR の荷重 同 位体 H-3(トリチウム) 荷重 10 C-14(炭素-14) 5 Sr-90(ストロンチウム-90)300 Pu, Am(プルトニウム、ア 300 メリシウム) Ce-144(セリウム-144) 50 Ru-106(ルテニウム-106) 50 U-238(ウラン-238) 1000 備考 元素転換/水素結合による増幅 (Transmutation/hydrogen bonding amplification) 元素転換と酵素による増幅 (Transmutation and enzyme amplification) DNA 結合性(10)と2段階原子壊変事象(30) (DNA binding (10) and Atomic Second Event (30)) 不溶性粒子 不溶性粒子 不溶性粒子 2次光電子効果/DNA この章の目的は、ある与えられた被ばくによるヒトの健康影響を評価するために使用 する ECRR の新しいリスクモデルによって取られるプロセスの考え方を示すことである。 異なる3つの被ばくエピソード(episode)による疾病の症例数を、ICRP と ECRR との両 方のモデルを用いて近似計算する。これらの被ばくエピソードとは: ・地球規模の核実験放射性降下物による死者数、2000 年までの原子力開発の全体によっ てもたらされた死者数と発症者数(morbidity)及び生活の質の損失(loss of life quality) ・チェルノブイリとベラルーシーにおけるガンの増加 ・トンデルらによるスウェーデン北部でのチェルノブイリの影響(Tondel et al. 2004) ここで議論する様々な被ばく集団に対する、ある特定の同位体がもたらす内部被ばく線量 は不明である。したがっていくつかの近似が必要になる 第14.2節 大気圏核実験による地球規模での死者数 ECRR と ICRP との間にある、全世界の集団に対する死者数の予測の違いを表14.2 に示す。UNSCEAR によって与えられている地球規模での核実験降下物による被ばく線量 1 の数値は、この惑星全体にわたって平均化されたものである。降下物の実際の分布は一様 ではなかった:北半球は一般的により多くの降下物をこうむり、ヨーロッパのレベルは降 雨の影響によってさらにいっそう高かった。ヨーロッパにおけるその実際の影響について の正しい理解のために、ひとつの例としてイングランドとウェールズとを取り上げる。英 国の政府当局によってなされた測定は、降下物同位体による被ばく線量の極めて正確な見 積もりを与えている。イングランドとウェールズ(人口4千6百万人)の 1950 年から 1963 年までの期間にわたるストロンチウム-90 の累積線量は、ICRP モデルを用いて農業研究諮 問委員会(Agricultural Research Council)によって評価されたところによると、およそ 0.6 mSv であった。 表14.2 UNSCEAR1993 からの数値を用いた核実験降下物の死者数と発病者数、及 び ICRP モデルと ECRR モデルとの比較。 ICRP 線 量 mSv 4.464 ICRP 死者 数 a 1,116,000 ECRR 線量 mSv 104 ECRR 死者 数 b 52,000,000 1 0 24 857,000 生活の質の喪失 4.464 0 104 d 初期胎児死亡+死産 1 0 24 1,660,000 影響 ガン死 c 小児死亡 a DDRF の2を含めてリスク係数 0.05/Sv を使用 b DDRF を排除してリスク係数 0.1/Sv を使用 c 1959 年から 1963 年の5年間に被ばくした集団の5年間の線量当に 1mSv を仮定 10% d その寿命中にピークであった5年間の被ばくをした集団である50億人の世界の集団にわたっ て平均した ECRRの荷重係数を用いると、この地球規模の放射性降下物の数値は180 mSvの内部被 ばくに等価なものになる。4千6百万人の集団に対しては、この被ばくは70年という被 ばくした個々人の寿命中における、82万8千人の過剰なガン死に換算される(46,000,000 人× 0.1 /Sv × 0.18 Sv = 828,000人)。これはおおよそ年間11,800人の過剰なガン死である。 1958年という、そのような放射性降下物による被ばくがガンによる死者数に関係すること がなかった時点では、イングランドとウェールズとを合わせた全てのガンによる死者は 96,342人でしかなかった。1990年にはこの数字は144,577人になったが、概数では変化して いない総人口に対して50%の増加である。すなわち、ガン治療における進歩にも関わらず、 48,235人の過剰なガン死が生じたことになる(訳注:144,577人 – 96,342人 = 48,235人)。こ れらの多くはその集団の平均年齢が高くなった結果であったかも知れない。しかしながら、 これについて標準化すると、イングランドとウェールズあわせて、ガン発生に少なくとも 20%の増加があったことが示されている。この増加はイングランドにおいては1980年代に、 ウェールズにおいては1970年代の中頃に始まった(ここではそれが約35%多かった、第1 0章参照)。したがって英国においては、毎年およそ18,000のガン死の増加が1958年の総数 を超えて存在してきている;それは放射性降下物の傾向とよく合う時間的スペクトルを持 っており、また、降下物がより多かったウェールズにおいてより大きくなっており、そし て、その集団の加齢とは別のある原因に帰する。この原因が環境にあることは1960年代の WHOの声明ではガンの原因に関連して暗示されており、最近のコス島(Kos Island)ASPIS 会議2001年声明によっては確認されている。ECRRリスクモデルによる毎年12,000人を少し 2 下回るという予測は(訳注:この節の冒頭にある「年間11,800人の過剰なガン死」を指す)、 その降下物がこのガンの流行の原因であることを示唆している。ウェールズの集団に対す るより高い累積線量は、同様にその地域における比例したより大きな影響を説明するもの である。先に指摘したように、この研究は内部被ばくの荷重係数を得るためのECRRの手法 に対する基礎になっている。その結果は劇的にも以下において議論するEU域内でのトンデ ルらのチェルノブイル被ばくの研究によって確かめられた。 第14.3節 ICRPとECRRによる、2000年までの原子力開発がもたらした、全死者数と全発 症者数、及び全ての生活の質の損失 UNSCEAR1993が与える数値データは、1989年までの全世界の集団に対して評価された ICRPの集団等価線量の総計を与える。それはICRPモデルに基づいているのであるが、それ らの線量が正しいと仮定すると、この一覧は全致死ガン発生数を計算するための基準を与 える。その被ばく源を表14.3に示し、ICRPとECRRモデルに基づく計算を表14.4 に示す 表13.3 1993 年までの核開発による ICRP に基づく地球規模の実効線量預託と近似的 な ECRR モデルの実効線量預託。(出典 UNSCEAR1993 表 58) 被 ばく 源 地球規模の核実験 核兵器製造 原子力発電 放射性同位体製造 事故 局地的、地域的線量 総計 a ICRP に 基づ く 集団 実効 線 量預 託 (人 ・シ ー ベル ト) 22,300,000 10,000 100,000 80,000 602,120 380,000 23,472,129 (b4.7 mSv) a ECRR に 基 づく 集団 実効 線 量預 託 (人 ・シ ー ベル ト) 579, 800,000 260,000 2,600,000 8,000,000 15,655,120 9,880,000 616,195,120 (b123 mSv) ECCR の数値は、放射性同位体製造についてより高い内部被ばく線量を見込んでいることを別にし て、同位体と内部放射線との比率は UNSCEAR によって計算されたものと同じ比率であると仮定し ている(訳注:この仮定の結果として ECRR の線量預託は、放射性同位体製造以外は、ICRP のそ れの26倍になっている)。 b UNSCEAR によって仮定されている世界の人口50億人に基づいている(訳注:例えば ICRP の総 計について、 23,472,129/5,000,000,000 = 0.00469 という意味)。 表13.4 UNSCEAR の 1989 年までの数値に基づいた核開発による被ばくの地球規模 における結果。 影響 ガン死 全ガン 小児死亡 胎児死亡 生活の質の喪失 ICRP 発生 数 1,173,606 2,350,000 0 0 0 ECRR 発 生 数 61,619,512 123,239,024 1,600,000 1,880,000 10% 3 第14.4節 チェルノブイリ原発事故の死亡者数予測:線形モデルへの警告 UNSCEAR1993報告は、その表58において、チェルノブイリ原発事故による全世界 の集団に対する全預託実効線量が600,000人・シーベルトであるとしている。ICRPのリスク 係数である0.05 /Svは、この数値から世界中で3万人の致死ガンを予測することになる; UNSCEAR2000報告が示すように、そのような増加は統計的には検出不可能であろう(訳 注:600,000 × 0.05 = 30,000)。 ゴフマンは、著しい被ばくのあった世界の主要な国々における外部預託線量を計算す るために、セシウム-137の地域別沈着量を用いており、さらに(ヒロシマ寿命調査研究LSS データから彼のアプローチで導いた)シーベルト当たり0.37という彼独自のリスク係数を 適用し、致死ガン者数が970,500人になると算出している。この計算において内部被ばく線 量は利用されていない。いずれの場合にも、ゴフマンは外部被ばくと内部被ばくとを区別 しない(Gofman 2000)。 ベラルーシ大使から英国に委任された報告書において、バスビーはウェールズにおけ る放射性降下物によるガンの発生数を利用し、その事故に続く最初の5年間の被ばくによ って、ベラルーシにおける致死ガン発生率が50%増加する、すなわち、人口9,800,000人の 集団において一年当たり25,000人の過剰なガンが発生するという評価を与えている(Busby, 2002)。ECRR2003ではベラルーシについて、本委員会はUNSCEAR1993報告が個々の放射 性同位体の被ばくについて与えている線量を区別し、第6章で与えた内部被ばくの過剰な リスクについての荷重係数を適用した。本委員会は次のような近似計算を行った。その最 初の年におけるベラルーシの平均預託実効線量は、サバチェンコ(Savchenko)によって2 mSvであると与えられている。もしもこれが5年間に外挿され、その線量の3分の1がス トロンチウム-90、あるいは危険な微粒子、によって担われているとすれば、ECRRモデル における累積線量はおよそ900 mSvであるとの計算になる。そして、本委員会が当然のこと と考えている882,000人の致死ガン発生が50年間にわたって現れるであろう。それは年当た りにして17,640人の過剰致死ガンであるが、バスビーによる計算とおよそ一致している(訳 注:前段落の25,000人)。70年間における発生数は、ベラルーシだけで120万人である。 UNSCEARによって評価されている地球規模の数値についての同様のアプローチによると、 チェルノブイリによる70年間にわたっての地球規模でのガン死者数は600万人の過剰死 となることが示される。 ECRRリスクモデルを用いて2002年にバスビーによってなされた予測とそれに続く ECRR2003は2004年にジュネーブで行われたオキアノフらの発表によって裏づけられた (Okeanov et al. 2004)。 2004年11月に” Swiss Medical Weekly”はベラルーシのミンスクにある 放射線内科内分泌学臨床研究所(Clinical Institute of Radiation Medicine and Endocrinology Research)の研究者ら発見を公表した。1986年の大災害以前のガン発症と比較すると、1990 年から2000年までの間のがん発症率は全体に40%高くなっていることを示した。ベラルー シには英国のものと同じような歴史を持つガン登録制度があり、悪性腫瘍の全ての新しい 症例がコンピュータのデータベースに管理されている。オキアノフの論文はベラルーシに おけるガン罹患率の全体的な変動の比較を明らかにした。様々なオブラスツ(地域)にお ける増加率は: ・ブレスト(Brest) 33% ・ビテプスク(Vitebsk) 38% 4 ・ゴメリ(Gomel) ・グロードゥノ(Grodno) ・ミンスク(Minsk) ・モギリョフ(Mogilev) ・ミンスク市(Minsk city) ・全ベラルーシ 52% 44% 49% 32% 18% 40% しかしながら伝統的な放射線防護学界は何一つ新しいことをするでもなかった。ICRPモデ ルに基づくと、吸収線量にしたがって、放射性降下物がいくからのガンをもたらした、あ るいは、もたらすとしても極めて少数である。これは例えばUNSCEAR2000に記述されて いる: ベラルーシにおいて観察された被ばくした子供らの甲状腺ガンの実質的な増加を除いて、 ロシア共和国やウクライナではチェルノブイリ原発事故から14年を経て電離放射線に関 係する大きな公衆の健康被害についての証拠は存在しない。放射線被ばくと結びついた全 般的なガンの発生率と死亡率についていかなる増加も観察されてきていない。放射線被ば くの最も敏感な指標のひとつである白血病のリスクは、事故復旧作業員や子供たちにおい てさえ上昇が見つかっていない。電離放射線に関係して悪性でない疾患が上昇する科学的 証拠は存在しない。...ほとんどのの地域で(公衆は)自然のバックグランドと同程度 があるいは数倍高い放射線レベルで被ばくした。生活はチェルノブイリ原発事故によって 乱されたが、しかし放射線学の見地からすれば、この附属書におけるアセスメントに基づ くと、ほとんどの個人の将来における健康は一般的に明るい見通しである。 旧ソビエト連邦のチェルノブイリ原発事故の影響を受けた地域から報告される疾患 の増加は、IAEAやWHOによって徹底的に「放射線恐怖症」のせいであるとされた。しか しながら、動物や植物における遺伝的な損害についての測定可能な客観的指標を示す論文 が現れるようになってきた。ECRRのチェルノブイリ・サブ委員会はロシア語のピア・レビ ュー審査論文の翻訳(および考察)が欠落している問題に本気でとりかかり、2006年に「チ ェルノブイリの20年後(Chernobyl-20 Years After)」と題した報告書を作成し、そこには このような証拠を記述した(Busby & Yablokov 2006)。これは2009年に改訂・再販された。 また2009年の終わりにはヤブロコフらが合衆国の”New York Academy of Sciences”からこの 問題に関する書籍を編集した(Yablokov et al. 2009)。これにはチェルノブイリ原発事故に よる被ばくがもたらしたガンの増加や先天的疾患、一般的健康障害についての極めて大量 のデータが示されている。チェルノブイリの放射性降下物が計測可能な影響を与えていな いとするリスク評価機関の断言には何ら信頼に足りる支持は存在しない。関心を持つ研究 者はECRR2003の予測のライン上にはっきりと沿っているこれらのデータを含む出版物を 参照している。 本委員会のモデルによる予測値とICRPのアプローチに基づいたそれらとの間にある 大きな隔たりは、個々の細胞に高い線量を与える能力のある内部放射線の強調によって、 予測される健康損害を変え得るその大きさの程度を指し示している。地球規模での放射性 降下物の場合のように、その2つのアプローチは、被ばくしたグループにおけるガンの観 察された増加を調査することによって、容易に試されることになった。しかしながら、ICRP をベースにした方法に核種毎の荷重を行うというこのモデルの仮定においてにおいて暗黙 5 のうちに含められていることは、それが線形応答であるということを心に留めておかなく てはならない。本委員会は、これはおそらく真実でないと言うことを明らかにしてきてい る。それゆえに、その健康損害を計算するのに適用したモデルはひとつの近似であって、 それが適用できる狭い範囲にわたってはおおよそ線形であるとしている、ということを強 調する。ICRPの集団線量モデルが既に適用されてきている集団における、あるいは、その ような線量が利用できるところでは、そのリスクのより合理的で正確な評価を得るために 使用されるようにそれは意図されている。歴史的なICRPの集団線量モデルに対して現時点 で利用できる最も合理的な修正になるようにそれは意図されている。これらの集団におい ては、本委員会が概観した2相的(biphasic)あるいは超線形の線量応答関係の結果として、 高線量のグループが比例してより低いレベルのガンを持つようになるかもしれない。した がってチェルノブイリの影響についての研究は、参照集団を使用したり、線形リスクの仮 定の上で論ずるというよりも、その事故以前の健康データとその事故以後のデータとを比 べるべきなのである。 このベラルーシにおけるECRRアプローチの成功はその同じ年の詰めの支持する証拠 の登場によって続いた。スエーデン北部のガンに関する2004年の研究もまたECRRモデルに よってはっきりと予測される結果を与えたのだった。 第14.5節 チェルノブイリ後のスウェーデン北部におけるガン 2004年にマーチン・トンデル(Martin Tondel)によって彼のPhD論文の一部分として 取り組まれた研究が公表された。その論文は1988年から1996年までの期間にスウェーデン 北部にある小さな地域社会におけるガンの発症率を、チェルノブイリからの放射性降下物 によるセシウム-137による汚染の測定レベルとの関係において調べたものであった (Tondel et al 2004)。この研究はスウェーデンのガン登録による地域のガン発症率を使用 して、交絡変数を許した様々な回帰分析を実施している。結論は放射線んはガンの発症率 に影響をしており事故後の10年間にわたる期間に単調にそしてほぼ直線的であった。そ の増加は100 kBq/m2のCs-137の汚染当り11%であった。1972年版のHRPの表によれば、100 kBq/m2のCs-137(光子エネルギー;660 keV)は1メートルの位置で0.39 mGy/hの線量を与 える。したがってこのレベルの汚染から最初の一年間のガンマ線照射による線量は3.4 mSv 程度である。したがって100 kBq/m2当り11%のガンの増加は1 Gy当りでは32.5倍のガンの図 化と同等であり、ICRPによって生涯にわたるガンのリスクとして公表されている0.05 /Sv よりも約640倍大きい。この研究には被ばく集団が彼らの寿命の中でうける被ばくによるガ ンは含まれていないことに注意が必要である、それは照射後の10年間に限ったものである。 まず第一に、これは明らかにECRRのアプローチに対する強力な支持である: ECRR2003はこのような結果を予測した。しかしここには興味深い2つの側面がある。核兵 器の放射性降下物での比較は、300という荷重をかけた、Sr-90同位体が支配的であった線 量を与えているUNSCEARのデータにあるそれ自身の線量の再構成に基づいた。チェルノ ブイリ原発事故からの放射性降下物は異なる核分裂生成物を持っていた。両者は測定しや すいCs-137をおもだった成分としているが、チェルノブイリの場合には原子炉の立地点か ら離れるとSr-90は主要な成分ではなかった。しかしながら、スウェーデンでの沈着につい ては報告されていないようであるが、チェルノブイリからの降下物には、(1)テルルTe-132 /ヨウ素I-132と(2)高い比率のウラン燃料粒子が含まれていた。スウェーデンでの被ばくは ウェールズでの核兵器降下物よりも有害であったと見られる。このことはトンデルによっ 6 て報告されたガンの増加は既に核兵器降下物の被ばくよりも線量当りで大きいことを示唆 している。主要な増加は被ばく後に続く5年間であった。したがって、(この報告書の中で 既に議論したように)それらは被ばくに続くガン増加の時間変動における最初のスパイク だったのだろう、そして今後スウェーデンでは2006年からそれ以前にはじまる大きなガン の増加が予測されることになる。 これは追跡しやすいECRRモデルの予測である。もっぱら雨によって汚染物質は海に 洗い流されてしまうので、この増加は最初の汚染とは地域関係が同じではないかも知れな い。上で述べたように、バルト海は放射能によって極度に汚染されている。ヘルシンキ委 員会(HELCOM/訳注:バルト海環境保全委員会)の報告による測定値では海底堆積物中 のCs-137のレベルは1000 Bq/kgに達している。これはアイリッシュ海の潮間帯堆積物の100 Bq/kgというCs-137と比較できる。ここでは1974年から1990年までの間に内陸の集団と比較 して30%高いリスクが研究によって見いだされている(Busby 2002, 2004b, 2006)。スウェ ーデンのストックホルムとラトビアのリガにある、ECRRのバルチック海地方事務所ではこ の問題を調査するため共同研究について議論を進めている。 7 第15章 リスク評価方法のまとめ、原理と勧告 第15.1節 リスク評価方法 電離放射線へのある被ばくによる健康影響を明らかにするためのECRRのモデルは、 ECRRが内部被ばくのある特定の種類に対して強調される損害荷重の体系を導入すること についての理論的ならびに疫学的根拠を認識してきていることを除いては、おおむねICRP のそれにしたがっている。したがってICRPによって被ばくに対して開発され使用されてい る被ばく線量の基本的な単位は、ECRRの強調荷重係数をともなうようなそれら同位体や被 ばくについては修正されることになる。これらの修正に続いて、もしも外部からの平均で およそ 0 20 mSvの範囲にある、制限された線量域について線形的線量応答関係を仮定す るならば、致死ガンについての健康損害について近似的な値を得ることが可能である。 本委員会は、このモデルは完全にひとつの便宜的な概算を与えるために開発さ れてきたということを強調する。そして、線量応答関係はほとんどの場合におい て は線形ではないということをはっきりさせておきたい。 その基本的な方法は次に示す手順にしたがう: 1.被ばく線量の外部線量と内部線量への峻別。 2.種々の臓器や全身に対する預託線量を確定するために ICRP のバイオキネマティッ クモデル(biokinematic model)を用いる。 3.その線量を線質係数荷重(相対的生物学的実効)を用いて荷重し、預託実効線量を 求める。 4.それらの内部線量の、種々の同位体ならびに被ばくの種類(ホット・パーティーク ルか原子か)の間での区別。 5.その線量を ECRR 荷重係数を用いて荷重する。 6.外部、内部、荷重内部の全ての線量を足し合わせて一緒にする。 7.適当なリスク係数(例えば、致死ガンについてはシーベルト当たり 0.1)をその結果 に掛ける。 8.これはその被ばくした個々人の生涯にわたって考慮されたそのリスクについての近 似的な絶対値を与える。 多くの場合において、この手順の最初の部分はリスク評価機関のひとつによってなさ れてきているようなものであり、その結果である様々な同位体や被曝からの線量は次いで 上の4から8項目によって修正され得る。総合的な線量しか公表されてきていない事象に ついては、外部線量と内部線量との割合についてのある近似をしなくてはならない。重要 になる主な同位体被曝に関しては、本委員会は、成人、小児(1 14歳)、乳幼児(0 1歳)に対する線量係数を付録Aの表1に列記している。 第15.2節 原理と勧告 1.本委員会は、政策と規制において使用することを目的とした、放射線被曝の影響評価 を与えるモデルを開発してきた。 1 2.その方法は、異なったタイプの被曝や種々の被曝源が被曝集団にもたらす集団線量の 計算、そして、簡単な規則と係数を用いた、集団の平均的な健康損害の計算を含んでいる。 3.本委員会はそのモデルが自然バックグラウンド放射線の影響をそして技術的に増幅さ れた天然起源の放射性物質(TENORM)概算するのにも利用できると考えている。 4.本委員会は、人類がつくり出した同位体の放出と天然の同位体のうち新しい形態での 放出による公衆の構成員に対する年間の最大許容線量は ECRR モデルを使った計算で 0.1 mSv よりも低く維持されるべきであると勧告する。 5.本委員会はこのように被曝レベルについて、ICRP によって勧告されているそのレベル よりもかなり低くするように主張しており、環境中への放射能の放出と関係しているほと んどの事業は、そのような勧告を採用することによってきびしく切り縮められることにな ると認識している。しかしながら本委員会は、これは政策決定がそのような決定の帰結に 関する正確な知識に基づいてなされなければならない、まさにそのような分野であると痛 感している。 6.本委員会は原子力労働者に対する被曝限度は、年間2 mSvにすべきであると勧告する。 原子力産業労働者は彼らと彼らの子孫に対する損害について完全に知っていなければなら ない。 7.本委員会は放射線安全の法律制定に正当化の原理が含まれることを是認するが、ここ にいう正当化が、その費用がある者に負わされる一方でその便益が他の者に生じるような、 功利主義を基礎にして成しとげることが可能であるとは考えていない:むしろ全ての個々 人の権利が等しく尊重されるべきである 8.本委員会は、最も優れた技術を利用して、放射線被曝線量が可能な限り低く抑えるよ う勧告する。 9.本委員会は、放射線被曝に関係する政策のいかなる評価においても、被曝に結びつく あらゆる健康損害を考慮に入れるよう勧告する。この点については、これから生まれる胎 児にも、生きている人々と同等の権利があると考えられるべきであると考える。 10.本委員会は、放射線被曝を含むすべての行為のあらゆる損害を査定する時には、全 ての生命体への影響を含む、放射能放出の環境における帰結が考慮されなければならない と考える。 11.本委員会は、放射線被曝と健康損害についての研究を検討し続け。そして、放射線 生物学と観察されている疫学の両者を反映するように開発されてきているそのモデルを改 良してゆくつもりである。 12.本委員会は世界中の全ての政府に対して現行のICRPに基づくリスクモデルを緊急の 課題として破棄し、ECRR2010リスクモデルに置き換えることを呼びかける。 2 第16章 欧州放射線リスク委員会のメンバーと その研究や助言が本報告書に貢献した諸個人 次の諸個人が、2010 年 1 月 1 日の時点における、ECRR の構成員、助言者、あるいは 顧問である(であった)。このリストに加わっていることは、彼ら彼女らがこの報告書の内 容の全てについて承認していることを意味するものではないが、人類学的な被ばく源から の低レベル電離放射線被ばくがもたらすリスクを、ICRP の体系においては著しく過小評価 するようにモデル化されていることについては、一同一様に確信している。ECRR とその 分析モデルへの新しいメンバーや支持者は旧ソビエト連邦出身の科学者である。これらの 諸個人が内部放射性核種の低線量被ばくの影響について最初に取り組み研究したという位 置にあり続けたからであり、驚くべきことではない。 Dr. Kaisha Atakhanova, Russia biologist (Karaganda State University, Kazakhstan) Prof. Yuri Bandashevsky, Belarus and Ukraine M.D., PhD, physician, radiation reseacher Dr. Rosalie Bertell, Canada PhD, GNSH, epidemiologist and radiation researcher (International Institute for Concern on Public Health) Dr Peter Bein, Canada PhD, P.Eng, engineer and media analyst Ms Edel Havin Beukes, Norway BSc, MSc, radiobiologist, teacher (WILPF Norway). Mr Richard Bramhall, UK NGO, Low Level Radiation Campaign Prof., Dr. Elena Bourlakova, Russsia Chemist, radiobiologist (Director, Institute for Biochemical Physics, Russian Academy of Science, Moscow) Dr Araceli Busby, UK BSc, MSc (Ecol), PhD, public health epidemiologist (National Health Service, London School of Hygiene and Tropical Medicine,) Prof Chris Busby, UK (Green Audit, University of Ulster) PhD, Chemical Physics, radiation researcher 3 Dr Cecilia Busby UK MA.(Cantab) PhD, social anthropologist, radiation researcher Mr Otto Carlsen Denmark BSc, (Physics), NGO Dr Molly Scott Cato, UK MA (Oxon), MSc., PhD, statistician and economist Mr Hugo Charlton, UK BA, LLB, barrister Mrs Mary Curtis, UK MA (Oxon), MSc, physicist Dr Paul Dorfman, UK PhD, sociologist, risk studies, University of Warwick Dr Michel Fernex, Switzerland MD, PhD, physician Mrs Solange Fernex, Switzerland NGO, radiation researcher (Dec) Mrs Eva Fidjestol, Norway Assistant professor of physics Prof Daniil Gluzman, Ukraine Medical doctor, radiation researcher, childhood leukemia epidemiology Prof Roza Goncharova, Belarus Dr Sci. radiation genetics and cytology (National Academy of Sciences, Belarus). Prof. Dr. Dmitry Grodzinsky, Ukraine radiobiologist, botanist (National Academy of Sciences of Ukraine, Kiev) Dr Jay Gould , US PhD epidemiologist and mathematician (*Dec) Mr Grattan Healy, Ireland BSc (Physics), energy researcher 4 Mr Per Hegelund, Denmark NGO Prof Malcolm Hooper, UK PhD medicinal chemist, Depleted Uranium effects researcher Prof Vyvyan Howard , UK MD, PhD, MRCPath, foetal toxicologist Prof Wolfgang Hoffman Ger Dr. Med, MD, MPH, epidemiologist Ms Charly Hulten, Swe NGO Prof Wolfgang Koehnlein, Ger Prof. Dr. rer, nat, radiation biologist Dr Alfred Koerblein, Ger Dr. rer.nat, physicist, epidemiologist Dr. Ludmila Komogortseva, Russia ecologist (Member of Kaluga’ province parliament, Russia) Prof. Sergey Korenblit Russia theoretical physicist (Irkutsk State University, Irkutsk, Russia) Prof Horst Kuni Ger Prof. Dr. Med, physicist and radiation scientist Mr J-Y Landrac, Fra BSc , NGO Prof Mikhail Malko (Belarus) Physicist, Deputy Director Ministry of Power, epidemiologist Mr Joseph Mangano, US MPH, MBA, epidemiologist Dr. Nataly Mironova, Russia sociologist (Movement for Nuclear Safety, Chelyabinsk, Russia) 5 Prof Carmel Mothershill, Canada PhD radiation biologist, authority on epigenetic effects, Mc Master University Mrs W McLeod-Gilford UK (*dec) NGO and radiation researcher Mr Mick Gilford, UK MA, PhD (Cantab), mathematician Dr. Valery Naidich, Russsia radiobiologist (Institute for Biochemical Physics, Russian Academy of Science, Moscow) Prof W Nesterenko, Belarus Physicist, radiation scientist, contamination measurements (*Dec) Prof Alexey Nesterenko, Belarus Physicist, radiation researcher, contamination measurements Captain Alexander Nikitin, Russia radiologist (“Bellona”, St Petersburg, Russia) Mr VT Padmanabhan, India BSc, MSc, geneticist, radiation epidemiologist Dr Sebastian Pflugbeil , Ger PhD, physicist, radiation scientist (Society for Radiation Protection, Berlin). Mr Alasdair Phillips, UK BSc, Non ionising radiation scientist, cancer epidemiologist Dr Marvin Resnikoff, USA Health physicist, radiation researcher Ms Ditta Rietuma, Sweden MSc, BA, gender economist Prof Shoji Sawada, Japan DSc, particle physicist, radiation researcher, Nagoya University Prof Hagen Scherb, Germany Physicist, radiation researcher, epidemiologist Prof Inge Schmitz-Feuerhake, Germany 6 Prof Dr rer nat, physicist, radiation scientist, University of Bremen Prof Albrecht Schott, Germany Prof, Dr., chemist, radiation researcher Dr Klaus Seelig, Germany Dr MD, physician, radiation researcher, Dr. Galina Sergeeva, Russia cytogenetics (Russian Scientific Centre for Radiology, Moscow) Prof. Janette Sherman-Navinger, USA Physician, toxicologist (Environmental Research Center at Western Michigan University,) Ms G Soderstrom G, Fin BA, NGO Prof Ernest Sternglass, USA Emeritus Prof., PhD, radiation researcher Prof Alice Stewart, UK Prof., MD, PhD , epidemiologist (*Dec) Dr. Andrey Talevlin, Russia environmental lawyer (Chelyabinsk State University) Dr. Alexey Toropov, Russia ecologist (Siberian Ecological Agency, Tomsk) Mr E Weigelt, Ger. Dip. Sci, radiation and health researcher Dr Ian Welsh UK PhD, risk sociologist Mr Dai Williams UK MA psychologist and Uranium weapons researcher Prof Alexey K Yablokov, Russia PhD, zoologist ecologist and radiation researcher (Russian Academy of Sciences) 7 ECRR 欧州放射線リスク委員会 2010 年勧告 放射線防護のための 低線量におけ る電離 放射線被ばくの健康 影響 規制当局者のための版 勧告の概要 この報告書は本委員会によって2003年に公表されたモデルを最新のものにしている。それ は、電離放射線被曝がヒトの健康に及ぼす効果に関して本委員会が見いだしているところ について概略を与え、さらに、これらのリスク評価についての新しいモデルを公表する。 それは政策決定者やこの分野に関心を持つ人々に向けたものであり、本委員会によって開 発されたモデルやそれが依拠した根拠について簡潔な説明を与えることを目的としている。 このモデルの開発は、現在法的に制定されている放射線リスクの全ての基礎とされ、かつ 支配している国際放射線防護委員会(ICRP)の現在のリスクモデルを分析することからは じまる。本委員会は、このICRPモデルについて、それを体内に取り入れた放射性同位元素 による被曝に適用するについては、基本的に欠陥を持つものであると見なしているが、歴 史的に存在している被曝データを処理するという実際的な理由のために、内部被曝に対し て同位体と放射線毎に特別な荷重係数を定義することによって、そのICRPモデルにある誤 差を修正することに合意した。したがって、実効線量の計算は存続する。新しい体系にお いて、ICRPやその他のリスク評価機関による致死ガンに対するリスク係数の全体は、大き な変更はされておらず、それらに基づく法律体系も変更しないままに使える。本委員会の モデルを使って変更されるのは被ばく線量の計算である。 1. 欧州放射線リスク委員会は、ICRP のリスクモデルを批判するために設立されが、それ は 1998 年 2 月に開催された欧州議会内の STOA ワークショップと明確に同一のものであ る;その後、それは低レベル放射線の健康影響に関して別の見方を探すべきだとの認識で 一致した。本委員会は、欧州内の科学者とリスク評価専門家によって構成されているが、 その他の国々の科学者や専門家からの事実の提供やアドバイスも受けている。 2. 人類の活動に関わる放射線源に起因して、体内に取り込まれた放射性同位元素によって 被曝した集団において、特にガンや白血病といった、疾病のリスクが増加しているという 疫学的証拠と、ICRP のリスクモデルとの間には不一致が存在していることをまず確認する ところから本書は始まる。本委員会は、そのようなリスクに適用された ICRP のリスクモ デルの科学的な考え方にある基礎に取り組み、ICRP のモデルは、受け入れられる科学的道 筋を通じて生まれたものではないと結論する。とりわけ、ICRP は急性の外部放射線被曝の 結果を、複数の点線源からの慢性的な内部被曝に適用し、これを支持するためには、もっ ぱら放射線作用の物理的モデルに頼ってきている。しかしながら、これらは結局において 平均化してしまうモデルであり、細胞レベルで生じる蓋然的な被曝には適用できない。あ る細胞は放射線にヒットされるかされないかである;最小の衝撃は一回のヒットであり、 衝撃は、時間軸に沿って広がっているこの最小のヒットの回数が増えることによって増加 する。したがって本委員会は、体内の線源からの放射線リスクを評価するに際しては、内 部被曝の疫学的証拠を、機械的理論に基づくモデルよりも優先させなくてはならないと結 論した。 1 3. 本委員会は、ICRP モデルにある暗黙の原則の倫理的な基礎、したがってそれらの法的 な基礎を検討する。本委員会は、ICRP の正当化は、時代遅れの哲学的推論、とりわけ功利 主義的な平均的費用-便益計算に基づいていると結論する。功利主義は、行為の倫理的な正 当化のための根拠としては、それが公平な社会と不公平な社会あるいは条件とを区別する 能力を欠いており、すでに長い間退けられている。功利主義は、例えば、計算されるのは 全体の便益だけで個々人の便益ではないという理由から、奴隷社会を正当化するためにも 使われ得る。本委員会は、ロールズの正義論、あるいは国連の人権宣言にもとづく考え方 等の人権に基づく哲学を、行為の結果として公衆の構成員の回避可能な放射線被曝の問題 に適用するべきであると提案する。本委員会は、同意のない放射能放出は、それがもたら す最も低い線量であっても、たとえ小さくても有限の致死的な危害の確率を持つので、倫 理的に正当化できないと結論する。そのような被曝が許容される事態においては、本委員 会は、住民全体に及ぶ危害の総和を評価するために、関係する全ての行為と時間において 「集団線量」の計算が採用されるべきであると強調する。 4. 本委員会は、「住民の放射線被曝線量」を正確に決定することは不可能であると考えて いる。それは放射線の種類、細胞、そして個々人にわたる平均化の問題や、それぞれの被 曝は、細胞あるいは分子のレベルにおけるその効果の観点から記述されるべきであるとい う問題があるからである。しかし、実際上これは不可能なので、本委員会はICRPのリスク モデルを、その実効線量の計算に2つの新しい荷重係数を取り入れることでその適用範囲 を拡大したモデルを開発した。それらは生物学的及び生物物理学的な荷重係数であり、そ れらは体内の複数の点線源に起因する細胞レベルでの電離密度、すなわち時間と空間にお ける区別の問題を記述する。実際のところ、それらはICRPが使っている、異なった線質の 放射線(例えば、アルファ線、ベータ線及びガンマ線)がもたらす異なった電離密度を調 節するために採用されている放射線荷重係数の拡張である。 5. 本委員会は、放射線被曝源を概観し、自然放射線への被曝との比較によって、新しいタ イプの被曝の効果を評価する試みに注意を払うことを勧告する。この新しいタイプの被曝 の中には、ストロンチウム Sr-90 やプルトニウム Pu-239 といった人工同位体による内部被 曝だけではなく、ミクロンメートルの範囲の大きさに集まった、完全に人工的な同位体(例 えば、プルトニウム)や天然同位体の形態からは変更され(例えば、劣化ウラン)の同位 体の集合体(ホット・パーティクル)による被曝も含まれる。そのような比較は、現在の ところ ICRP の概念である「吸収線量」に基づいてなされるが、それは細胞レベルでの危 害の結果を正確には評価しない。外部被曝と内部被曝との比較もまた、細胞レベルでは定 量的にきわめて異なることがあるので、リスクを過小に評価してしまうという結果をもた らすだろう。 6. 本委員会は、生物学や遺伝学、またガンの研究における最近の発見は、ICRP の細胞内 DNA の標的モデルが、リスク分析のよい基礎ではありえないことを示しており、放射線作 用についてのそのような物理的モデルを、被曝した人々についての疫学研究よりも優先し て取り扱うことはできないと主張する。最近の研究結果は、細胞に与えられる放射線のヒ ットから臨床的な発病へとつながるメカニズムについては、ほとんどまったく未解明のま まであることを示している。本委員会は、被曝に関する疫学的研究の基礎を概観し、被曝 2 に続く損害についての多くの明瞭な証拠の数々が、不適切な放射線作用の物理的モデルに 基づいている ICRP によっては、考慮の外に置かれてきていることを指摘する。本委員会 は、そのような研究を放射線リスクを評価するための基礎として復活させる。したがって、 セラフィールドの小児白血病の発生群に見られる、ICRP モデルによる予測値と観察結果と の間の 300 倍ものひらきは、そのような被曝がもたらす小児白血病のリスクの評価となっ て表現される。したがって、その係数は、本委員会によって、特殊なタイプの内部被曝に よる損害を計算するにあたっては、シーベルト単位で子供の「実効線量」を計算するのに 使用する荷重係数に取り入れて評価することを通じて組み込まれることになる。 7. 本委員会は、細胞レベルでの放射線作用のモデルについて調査し、ICRP の「線形閾値 無し」モデルは、外部照射に対する中程度に高い線量領域のあるエンド・ポイントについ てを除いては、被曝線量の増加に対する生体の応答を表現しないと結論する。ヒロシマ原 爆被爆者の寿命調査研究からの外挿には、同様な被曝、すなわち急性の高線量被曝につい てのリスクのみが反映される。低線量被曝に関して本委員会は、これまでに発表された研 究を概観し、放射線線量に対する健康影響は、低い線量ではそれに比例して大きくなるが、 これらの被曝の多くが、誘発される細胞修復や(細胞分裂時の)感受性の高い細胞相が存 在するために、2相的な線量応答になる可能性があると結論する。そのような線量応答関 係は、疫学データの評価を混乱させる可能性がある。本委員会は、疫学研究の結果におい ては、直線関係が失われていることをもって因果関係を否定する議論は進めるべきではな いことを指摘する。 8. 損害の機構についての考察を重ね、本委員会は、ICRP の放射線リスクモデルとその平 均化の手法は、空間的にも時間的にも非均一性がもたらす効果を排除してしまうと結論す る。すなわち ICRP のモデルは、体内のホット・パーティクルによる組織局所への高線量 の被曝と、細胞分裂の誘発と中断(2次的事象)をもたらす連続的な細胞への照射とを無 視し、これら全ての高いリスクの状態を大きな組織の質量全体にわたって単純に平均して しまうのである。このような理由から、本委員会は、ICRP がリスク計算の基礎として使用 している未修正の「吸収線量」には欠陥があり、それを、特殊な被曝の生物学的かつ生物 物理学的な様相に基づいて荷重を強調する、修正「吸収線量」に置き換えるべきであると 結論する。以上に加えて、本委員会は、ある元素からの、特に炭素 C-14 やトリチウム T の、壊変がもたらすリスクに注意を払い、そのような被曝を適切に荷重した。荷重はまた DNA に対して特に生化学的な親和性を有する元素、ストロンチウム Sr やバリウム Ba、そ して、オージェ電子放出体である放射能についても加えた。 9. 本委員会は、同様の被曝はそのような被曝のリスクを決定するとの基礎に立って、放射 線被曝を疾病に結びつける証拠を調査した。したがって、本委員会は被曝と疾病との関連 についての全ての報告、すなわち、原子爆弾の研究から核実験降下物による被曝、核施設 の風下住民、原子力労働者、再処理工場、自然バックグラウンド放射能、そして原子力事 故について検討した。本委員会は、低線量での内部被曝による損害を紛れもなく示してい る2つの被曝研究にとりわけ注目した。チェルノブイリ後の小児白血病と、チェルノブイリ 後のミニサテライトDNA突然変異についてである。これらのいずれも、ICRPのリスク評価 モデルが100倍から1000倍の規模で誤っていることを示している。本委員会は、内部被曝や 外部被曝によるリスクを示す事実からなる証拠を、健康への影響が予測されるあらゆるタ 3 イプの被曝に適用できる、新しいモデルでの被曝換算で荷重する根拠としている。ICRPと は違い、本委員会は、死を招くガンによる子どもの死亡率、特殊ではなく通常の健康被害 に至るまで分析を行った。 10. 本委員会は、現在のガンに関する疫学調査は、1959 年から 1963 年にかけて世界中で行 われた大気圏内核実験による被曝と、核燃料サイクル施設の稼働がもたらした、さらに大 量の放射能放出が、ガンや他の健康被害の明確な増加という結果を与えているとの結論に 達した。 11. 本委員会 ECRR の新モデルと、ICRP のモデル双方を用いて、1945 年以降の原子力事業 が引き起こした全ての死者を計算した。国連が発表した 1989 年までの人口に対する被曝線 量を元に ICRP モデルで計算すると、原子力のためにガンで死亡した人間は 117 万 6300 人 となる。一方、本委員会のモデルで計算すると、6160 万の人々がガンで死亡しており、ま た子ども 160 万人、胎児 190 万人が死亡していると予測される。さらに、本委員会のモデ ルでは、世界的に大気圏内で核実験が行われその降下物で被曝した人々が罹患した全ての 疾病を全て併せると 10%が健康状態を失っていると予測されるのである。 12. 本委員会は、天然のバックグランドとして存在する電磁波型の放射線とそれの光電子 への変換を通じて、身体内に取り込まれた高い原子番号を持つ元素による増強された放射 線損害を実証する新しい研究に言及する。本委員会はこの効果がウラン元素への被ばくに よる健康影響の主要な原因であると確認し、そのような被ばくに対する荷重係数を作り出 した。本委員会はウランの降下物に被ばくした公衆へのウラン平気の効果を考察し、ウランの被ば く後に観察されている特異な健康影響はそのような過程によって説明されると主張する。 13. 本委員会はその2003年モデルの公表からそのモデルによる予測を支持する疫学的研究 があったことを指摘する、すなわちオキアノフによるベラルーシにおけるチェルノブイリ 原発事故の効果であり(Okeanov 2004)、トンデルらによって報告されたスウェーデンに おけるチェルノブイリ原発事故の影響である(Tondel et al 2004)。 14. 本委員会は以下を勧告する。公衆の構成員の被曝限度を 0.1 mSv 以下に引き下げること。 原子力産業の労働者の被曝限度を 2 mSv に引き下げること。これは原子力発電所や再処理 工場の運転の規模を著しく縮小させるものであるが、現在では、あらゆる評価において人 類の健康が蝕まれていることが判明しており、原子力エネルギーは犠牲が大きすぎるエネ ルギー生産の手段であるという本委員会の見解を反映したものである。全ての人間の権利 が考慮されるような新しい取り組みが正当であると認められねばならない。放射線被曝線 量は、最も優れた利用可能な技術を用いて合理的に達成できるレベルに低く保たれなけれ ばならない。最後に、放射能放出が与える環境への影響は、全ての生命システムへの直接・ 間接的影響も含め、全ての環境との関連性を考慮にいれて評価されるべきである。 4 付録 A 放射 線学 上 重要 な主 要な 同 位体 につ い ての 線 量係 数 実効線量の計算に関する規則は第6章に記した通りである。放射線学上重要となる主 な同位体に対して、本委員会は、その規則や仮定を用いて線量係数を計算してきている。 表 A1に、摂取及び吸入による、低線量被曝に対する線量係数を示す。これらの同位体に ついては、一般的に、ある年齢グループ内の個人に対する実効線量 E は、次の方程式にし たがって計算される: E 全体 = E 外部 + ΣI k(a)I,摂取 I I,摂取 +ΣI k(a)I,吸入 I I,吸入 . . . . . . . (1) 表 A1 摂取及び吸入による低線量被曝に対する種々の同位体の線量係数 同 位体 ( 形態 ) a 半減 期 k(0-1) Sv/Bq k(1-14) Sv/Bq k(大 人) Sv/Bq H-3 (HTO) 12.3 y 1.0E-9 4.0E-10 2.0E-10 H-3 (CHT) 12.3 y 5.0E-9 2.0E-9 1.0E-9 C-14 5.7E+3 y 1.5 E-8 5.8 E-9 2.9 E-9 S-35 (無機) 87.4 d 5.0 E-10 2.0 E-10 1.0 E-10 S-35 (NS, CS 等) 87.4 d 5.0 E-9 2.0 E-9 1.0 E-9 Co-60 5.27 y 1.75 E-7 7.0 E-8 3.5 E-8 Sr-89 50.5 d 1.3 E-7 5.2 E-8 2.6 E-8 Sr-90/Y-90 29.1 y/2.76 d 4.5 E-5 1.8 E-5 9.0 E-6 Zr-95/Nb-95 64.0 d/35.0 d 2.4 E-7 9.5 E-8 4.7 E-8 Mo-99 2.75 d 1.5 E-8 6.0 E-9 3.0 E-9 Tc-99m 6.02 h 5.5 E-10 2.2 E-10 1.1 E-10 Tc-99 2.13 E+5 y 1.6 E-8 6.4 E-9 3.2 E-9 Ru-106 1.01 y 3.5 E-9 1.4 E-8 7.0 E-9 1.01 y 1.7 E-6 7.0 E-7 3.5 E-7 Te-132/I-132 3.26 d/2.3 h 5.5 E-6 2.2 E-6 1.1 E-6 I-131 8.04 d 5.5 E-7 2.2 E-7 1.1 E-7 Cs-134 2.06 y 1.0 E-7 4.0 E-8 2.0 E-8 Cs-137 30.0 y 3.2 E-7 1.3 E-7 6.5 E-8 Ba-140/La-140 12.7 d/40 h 3.9 E-6 1.6 E-6 7.8 E-7 Pb-210 22.3 y 3.5 E-6 1.4 E-6 7.0 E-7 Bi-210 5.01 d 6.5 E-9 2.6 E-9 1.3 E-9 Po-210 138 d 6.0 E-6 2.4 E-6 1.2 E-6 Ra-226 1.6 E+3 y 1.4 E-5 5.6 E-6 2.8 E-6 Ru-106 μ粒子 U-238 吸引 4.5 E+9 y 2.5 E-3 1.2 E-3 8.4 E-4 U-238 μ粒子 4.5 E+9 y 2.5 E-2 1.2 E-2 8.4 E-3 U-238 摂取 4.5 E+9 y 2.5 E-4 1.2 E-4 8.4 E-5 2.41 E+4 y 1.0 E-5 5.0 E-6 2.5 E-6 2.41 E+4 y 3.0 E-4 1.5 E-4 7.5 E-5 4.32 E+2 y 1.0 E-6 4.0 E-7 2.0 E-7 Pu-239 Pu-239 Am-241 μ粒子 a 胎児に対する係数には、更に 10 倍したものを用いる 5 ここに示した全線量 E について、E 外部は外部被曝線量であり、第6章の規則にしたがって 計算される。内部被曝線量は、摂取及び吸入した同位体からの寄与の和によって与えられ るが、表 A1 の異なる年齢グループ(a) 毎に示した線量係数 k(a)I,摂取と k(a)I,吸入とを利用す ることになる。 本委員会は、放射線学上重要な全て同位体に対する線量係数を、完全な一覧として公 表する予定である。 (訳注:式(1)においてIは放射能を意味する。) 6 補遺 ECRR - CERI 欧州放射線リスク委員会 European Committee on Radiation Risk Comité Européenne sur le Risque de l'Irradiation レスボス宣言(The Lesvos Declaration) 2009年5月6日 A. 国際放射線防護委員会(ICRP)は、電離放射線被ばくに対してひとつのリスク係数を 公表しているところであり、 B. そのICRP放射線リスク係数は世界各国において、連邦政府当局や州政府当局によって 放射線防護法を制定するために使用されており、労働者や一般の公衆を放射性廃棄物や核 兵器、汚染した土地や物質の管理、天然起源のあるいは人為的に増強された放射性物質 (NORMとTENORM)、原子力発電所と核燃料サイクルにおける全ての段階、賠償や回復 計画等々から受ける被ばくの基準を設定するために使用されているところであり、 C. チェルノブイリ原発事故は核分裂生成物への被ばくがもたらし深刻な健康障害の発症 率を見いだす最も重要で欠くことのできない機会を与えており、とりわけ胎児や小さな子 供たちの放射線被ばくにそれを適用するには、現行の ICRP リスクモデルには不備のある ことが実証されているところであり、 D. 満場一致の考えとして、ICRP リスクモデルは、原子力事故後の放射線被ばく、すなわ ち、内部被ばくをもたらす取り込まれた放射性物質に対する適用に有効性がなく、 E. ICRP リスクモデルは、DNA の構造が発見される以前に、また、ある種の放射性核種が DNA に対する化学的親和性を有していることが発見される以前につくられたので、ICRP によって用いられている吸収線量なる概念はこのような放射性核種への被ばくに対しては それを説明することが不可能なところであり、 F. ICRP は、ゲノム不安定性やバイスタンダー効果のような新しく発見された非標的効果、 あるいは、放射線リスクの理解に関する2次的効果、特に、結果として生じる疾患の広が りを考慮に入れていないところであり、 G. 放射線被ばくによるガン以外の影響は、死因が交絡しているために、結果として生じる ガンのレベルを正確に決定する可能性があるにもかかわらず、 H. ICRPはその報告書の位置づけは純粋な助言であると考えているところであり、 7 I. 人類と生物圏を防衛するために、放射能を内包する現在の状況を適切に規制するための 即刻の、緊急の、継続的な要求が存在するところであるがために、 以下に署名した我々は、我々の個々人の能力において活動し、 1. ICRP のリスク係数は時代遅れであり、そのような係数の使用は放射線リスクの著しい過 小評価を招くと主張する。 2. あるタイプの被ばくに関係する研究を行う際に、その放射線の健康影響を予測するのに ICRP モデルを採用すると最低でも 10 倍の間違いが導かれるので、その間違いは更に大き いと主張する。 3. 特に心血管や免疫、中枢神経、生殖系といった、放射線被ばくによるガン以外の疾患の 発生率は有意に増加しているが未だ定量化されていないと主張する。 4. 放射線被ばくを引き起こしている全ての責任者とともに、責任ある政府当局が、放射線 防護の基準を定めリスクを管理するに際して現在の ICRP モデルにこれ以上頼らないこと を求める。 5. 責任ある政府当局と放射線被ばくを引き起こした責任者の全てに対して、一般論として 予防原則に則ったアプローチを採用し、そして役に立つ予防原則を適切に守ったリスクモ デルがない場合には、遅れ過ぎないように、これは現在の観察結果を反映させたより正確 なリスクを与える、暫定的なECRR2003モデルを採用するように求める。 6. 身体内に取り入れられた放射性核種の健康影響についての研究の即刻の開始を要求す る。特に、日本の原爆被ばく生存者やチェルノブイリやその他の被害を受けている地域を 含む、数多くの歴史的な被ばくした集団に対する疫学研究を再訪問することを要求する。 被ばくした公衆における体内に取り込まれた放射性物質の独立したモニタリングの実施を 要求する。 7. 被ばくした放射線のレベルを知るということ、またその被ばくがもたらす潜在的重要性 についても正確に知らされるということは、個々の人々の人権であると考える。 8. 医学診断及びその他の一般的応用における放射線利用の拡大を懸念する。 9. 患者に放射線被ばく与えない医療技術研究に十分な公的資金を投入するよう主張する。 ここに表明した声明は下記署名者の意見を反映したものであり、所属する機関の立場を反 映したものではない。 8 Professor Yuri Bandazhevski (Belarus) Professor Carmel Mothersill (Canada) Dr Christos Matsoukas (Greece) Professor Chris Busby (UK) Professor Roza Goncharova (Belarus) Professor Alexey Yablokov (Russian Federation) Professor Mikhail Malko (Belarus) Professor Shoji Sawada (Japan) Professor Daniil Gluzman (Ukraine) Professor Angelina Nyagu (Ukraine) Professor Hagen Scherb (Germany) Professor Alexey Nesterenko (Belarus) Dr Sebastian Pflugbeil (Germany) Professor Michel Fernex (France) Dr Alfred Koerblein (Germany) Professor Inge Schmitz Feuerhake (Germany) Molyvos, Lesvos, Greece において 9
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