不完全雇用下における賃金変化のマクロ効果

The Society for Economics Studies
The University of Kitakyushu
Working Paper Series No.2010-5
(accepted in 14/2/2011)
不完全雇用下における賃金変化のマクロ効果
―― 吉川(1992)モデルの再検討 ――
田中淳平
北九州市立大学
概要
本稿では、2 種類の異質労働サービスを含んだ非ワルラス的な一般均衡モデル――第 1 種労
働サービスは固定賃金市場で取引され、第 2 種労働サービスは伸縮賃金市場で取引される
モデル――を用いて、賃金変化が雇用や生産量に与える影響を検討する。この問題を家計
の最適消費・貯蓄選択を捨象した枠組みの下で検討した吉川(1992)の結論とは逆に、家
計の最適消費・貯蓄行動を明示化した本稿のモデルでは、固定賃金の上昇はその部門の雇
用を悪化させマクロ生産量を減退させるという結果が、名目財価格が固定的な場合と企業
によって最適に設定される場合の両方のケースにおいて成立することを明らかにする。
JEL Classification:E12, E24, J01
Key Word:非ワルラスモデル(固定価格モデル)、二重労働市場、実質賃金、雇用
1.はじめに
実質賃金の低下は雇用を刺激するのかという問いは、経済学の歴史の中でも古くて新し
い問題の一つと言える。非自発的失業の主要因を高すぎる実質賃金に見る標準的な新古典
派の立場からは、実質賃金の低下は雇用を刺激するという結論が支持される。一方、よく
知られているようにケインズはこの主張に異を唱え、実質賃金の低下は雇用を刺激するど
ころかむしろ減少させる可能性するあることを指摘した上で、雇用拡大のために必要なの
は有効需要の拡大であることを主張した。
吉川(1992)の第 3 章では、実質賃金と雇用に関するこうした見解の相違を考慮に入れ
つつ、2 種類の異質な労働サービスが存在するシンプルなマクロモデル(=静学的一般均衡
モデル)を提示し、それに基づいて実質賃金と雇用の関係に関する一つの結論を提示した。
このモデルにおいて第 2 種労働サービスの市場は通常の新古典派的な伸縮賃金型の市場で

〒802-8577 北九州市小倉南区北方 4-2-1 (E-mail: j-tanaka@kitakyu-u.ac.jp)
あるのに対し、第 1 種労働サービスの市場は固定賃金的で、企業はその固定賃金の下で労
働需要を導き、家計はその労働需要を制約として受け入れた上で消費および第 2 種労働サ
ービスの供給に関する意思決定を行う。そして、吉川はこうした部分的に非ワルラス的(=
固定価格的)な理論的枠組みの下で第 1 種労働市場における固定賃金の上昇がその部門の
雇用量およびマクロの生産量を刺激することを明らかにした。この意味で、吉川(1992)
のモデルは上述のケインズの主張に理論的正当化を与えた一つの試みと評価しうる。
ただ、吉川モデルには一般均衡モデルの定式化としていささか不満足な点がある。吉川
モデルでは家計の貯蓄と(外生変数として与えれらた)独立投資とが一致するようにマク
ロの均衡生産量が決定されるが、その家計の貯蓄が最適化行動から導かれていないのであ
る(正確には、家計は賃金所得を消費に充て、利潤所得を貯蓄するというアドホックな仮
定が暗黙におかれている)。吉川モデルはその後、大住(1999)や Koba(2002)によって
様々な方向に拡張されたが1、こうした点を修正した上で吉川モデルの結果を再検討する試
みは行われていない。もちろん、この点に修正を施しても吉川モデルの主要結論に影響が
ないのであれば、この点を掘り下げる価値はない。しかし、本稿で明らかにするように、
家計の最適消費・貯蓄選択を明示化した非ワルラスモデルの下では吉川モデルとは異なる
結果、すなわち固定賃金の上昇はその部門の雇用を抑えマクロ生産量を低迷させる――不
完全雇用下の経済においても――という結果が成立することを示すことができる。
以下では、まず第 2 節で吉川(1992)の議論を再掲し、その結論を確認する。次に第 3
節では家計の最適消費・貯蓄行動を明示化した標準的な非ワルラスモデルの下で第 2 節と
同種の検討を行い、賃金変化の経済的影響に関して吉川モデルとは異なる結論が得られる
ことを示す。さらに第 4 節では、第 3 節において固定的と仮定されていた名目財価格を内
生化すべく企業の独占的競争をモデルに導入し、名目財価格が企業の価格設定行動によっ
て内生的に変化するように第 3 節のモデルを拡張しても、第 3 節と同様の結論が依然とし
て成立することを見る。そして最後に第 5 節で本論文を締めくくる。
2.吉川モデル
最初に吉川(1992)の第 3 章で提示されたモデルを再掲し、そのモデルから導かれる結
論を確認しておく。ここで検討するモデルは 2 種類の異質労働サービスが存在するシンプ
ルな静学的マクロモデルであり、第 1 種労働サービスの市場は固定価格的、すなわち賃金
が固定的で、その固定賃金の下で決定される企業の労働需要が市場で実現される労働サー
ビスの取引量となるのに対し、第 2 種労働サービスの市場は伸縮価格的、すなわち労働需
大住(1999)の第 2 部(とりわけ第 5 章および第 7 章~第 9 章)では、吉川モデルに労
資間の profit sharing や多様な形態の労使交渉を導入する方向での拡張が展開されている
のに対し、Koba(2002)では代表的家計の効用関数を一般化する方向での拡張が試みられ
ている。
1
2
給が均衡するように賃金が調整されるものとする2。以下では、各経済主体(=家計と企業)
の最適化行動を検討し、次にその結果として成立する市場均衡の性質を論じる。
家計部門
家計部門には 1 つの代表的家計が存在し、この家計は 2 種類の労働サービスを企業に供
給することで賃金所得を獲得し、それを消費財の購入に充てるとする。具体的には、家計
の効用最大化問題は以下のように定式化される。
(1)
(  +  +  =1)
U = C  (1  L1d )  (1  L2 ) 
max
C , L2
s.t.
C = W1 L1d + W2 L2
d
( L1 :所与)
ここで C は消費、 L1 は第 1 種労働サービスの供給、 L2 は第 2 種労働サービスの供給、 W1
d
は第 1 種労働サービスに対する賃金、W2 は第 2 種労働サービスに対する賃金を意味してい
る。家計の効用関数は単純化のためコブ=ダグラスを想定している3。この効用関数から見
て取れるように、家計には両方の労働サービスに関してあらかじめ 1 単位の時間が賦与さ
d
れており、そこから労働時間(= L1 や L2 )を差し引いた「余暇」も効用の増大に貢献する
と想定されている。また、ケインズ的な不完全雇用の経済が分析対象とされているので、
家計の労働供給行動については(部分的にではあるが)非ワルラスモデル(=固定価格モ
デル)的な定式化が行われている。すなわち、冒頭でも説明したように第 1 種労働サービ
スの市場は固定価格的(=賃金 W1 が固定的)で、家計は企業がその固定価格の下で決定し
た労働需要 L1 を制約として受け入れた上で、消費および第 2 種労働サービス供給に関する
d
意思決定を行うものとする。
上の効用最大化問題の 1 階の条件は以下のようになる。
(2)
W2 (1  Ls2 ) =

C

これを問題(1)の制約条件式に代入して整理することで、以下を得る。
(3)
C=

 
[ W1 L1 + W2 ],
d
Ls2 =

 
-

W1 d
L1
   W2
企業部門
企業部門には 1 つの代表的企業が存在する。この企業の以下の生産関数を持つ。
(4)
Y = L1a L12 a
ここで、Y は消費財の生産量、 L1 は第 1 種労働サービスの投入量、 L2 は第 2 種労働サービ
吉川(1992)では、第 1 種労働サービスが大企業の正規雇用型の労働サービスに該当し、
第 2 種労働サービスがパートタイム等の非正規的・縁辺的な労働サービスに該当すると解
釈している。
3 Koba(2002)は、より一般的な CES 型の効用関数を想定して、吉川(1992)の議論を
再検討している。
2
3
スの投入量を意味する。議論の単純化のため、ここでもコブ=ダグラス型の生産関数を想
定して議論を進めることにする4。
不完全雇用下の経済が分析対象となっているため、家計と同様、企業も有効財需要を制
d
d
約として受け入れ、その制約の下で利潤を最大にするような労働需要 ( L1 , L2 ) を決定する
ような状況を想定する。したがって、その利潤最大化問題は以下のように定式化できる。
(5)
max
L1 , L2
Y = L1a L12a ( Y :所与)
 = Y -( W1 L1 + W2 L2 ) s.t.
ここで、有効財需要(= Y )が所与となっている点が、通常の新古典派的な設定と異なる
d
d
点である。この問題を解くことで、企業の労働需要 ( L1 , L2 ) はそれぞれ以下のようになる。
(6)
 a W2
L = 
 1  a W1
d
1



1 a
Y,
 a W2
L = 
 1  a W1
d
2



a
Y
市場均衡
以上で各経済主体の行動を論じ終えたので、市場均衡の状態を検討できる。まず、労働
市場に関しては第 1 種と第 2 種の 2 つ存在するが、このうち第 1 種労働市場では外生的・
固定的な賃金 W1 の下、家計は(6)の第 1 式で導出された企業の労働需要 L1 を制約として
d
受け入れて行動するので、この市場に関しては需給均衡式と呼びうるものは存在しない。
他方、第 2 種労働市場における需給均衡式は以下のように示される。
(7)
Ld2 = Ls2
ここで、(3)および(6)を(7)に代入することで、この需給均衡式を以下のように書き
直すことができる。
(8)
W
Y = 1  2
 W1



a
 
( 1 

      

 a 


1 a 
1 a
 a 


1 a 
a
1

 )

なお、この(8)を(6)に代入することで、各種の労働雇用量を以下のように計算できる。
(9)
*
1=
L
 a 


1 a 
1 a
W
 2,
W1
 a 
L =

1 a 
*
2
a

したがって、均衡において第 2 種労働サービスの雇用量は相対賃金 W2 /W1 からは独立な固
定値となることが分かる。これは、第 2 種労働サービスの雇用量は(生産量を所与とする
と)相対賃金 W2 /W1 の減少関数であるが、均衡における生産量が W2 /W1 の増加関数でそ
の生産量に比例して雇用が上昇するので、両者が相殺し合うことで W2 /W1 に依存しなくな
るのである。
4
吉川(1992)では規模に関する収穫逓減の性質を持つコブ=ダグラス型生産関数が想定
されているが、結論に本質的な差は生じない。
4
一方、この経済の財市場において企業は有効需要に等しいだけの財を生産するわけであ
るが、吉川モデルでは財需要として家計の消費需要 C に加えて投資需要 I (これは外生変
数としてモデルの外から与えられる)を考えるので、その均衡において以下が成立しなく
てはならない。
(10)
Y =C + I
ここで、
(3)の第 1 式と(6)の第 1 式を(10)に代入して整理することで、以下を導出で
きる。
(11)
Y =  2W1Y 1 / a + I
( 2 
 a 1 a (1 a ) / a

  21 / a  )
 2

    1  a 


以上で、このモデルの 2 つの内生変数 (Y , W2 ) に対して 2 つの方程式(8)と(11)が揃
ったので、モデルが完結したことになる。したがって、以下では(このモデルの外生変数
である)固定賃金 W1 と独立投資 I の変化が均衡における内生変数にどのような影響を与え
るかを考察しよう。
独立投資 I の変化
(10)の左辺と右辺をそ
最初に、独立投資 I の変化が経済に与える影響から検討しよう。
れぞれ Y の関数と見立てて図示すると以下の図 1 のようになる。
<図 1 をここらへん>
この図より、一般にこのモデルには 2 つの均衡( E1 と E 2 )が存在することを容易に確認で
きる。 I の上昇は(10)の右辺の関数を上方にシフトさせるので、均衡 E1 では生産量が増
大し、均衡 E 2 では生産量が低下することになるが、投資需要の増加によって生産量が低下
するという結果は不自然であるので、以下では均衡 E1 のみに焦点を当てて議論を進めるこ
とにする。
I の上昇により生産量 Y が増加すると、(8)より W2 /W1 (すなわち W2 )も増加する。
これは、有効需要の増加によって企業の労働需要が増大し、それが第 2 種労働市場におけ
る需給を逼迫させるからである。また、
(9)より W2 /W1 の上昇は第 1 種労働サービスへの
需要も刺激する。これは、W2 /W1 の上昇によって第 1 種の労働サービスが相対的に安価に
なることに加え、W2 /W1 の上昇が均衡生産量を刺激することで、第 1 種労働サービスに対
する需要を引き上げるからである。こうして、 I の上昇は第 1 種労働サービスの雇用量を
引き上げると共に、第 2 種労働サービスに対する賃金を上昇させる(ただし、第 2 種労働
サービスの雇用量は変化なし)ことが分かる。
固定賃金 W1 の変化
次に、本稿の主要テーマである固定賃金 W1 の変化が経済に与える影響について検討しよ
う。 W1 の上昇も、 I の上昇と同様に(10)の右辺を上方にシフトさせる効果を持つので、
5
この変化が均衡生産量に与える影響は図 1 で示されている変化と同様になる。これより、
検討の対象となる均衡 E1 において、W1 の上昇は生産量 Y を刺激することが分かる。さらに、
W1 の上昇によって生産量 Y が増加すると、(8)より均衡における W2 /W1 も上昇する(す
。そして、この変化は(9)より第 1 種労働サー
なわち、 W1 の上昇以上に W2 が上昇する)
*
*
ビスの雇用量 L1 を刺激する(一方、第 2 種労働サービスの雇用量 L2 は変化しない)。
以上が吉川モデルにおける固定賃金 W1 の変化のマクロ効果であるが、以上の結果が通常
の新古典派モデルにおける結論とはかなり性質を異にするものであることは明らかであろ
う。すなわち吉川モデルにおいて固定的な第 1 種労働サービスの賃金 W1 の上昇は、その部
門の雇用量を刺激し、さらにはマクロレベルの生産量も引き上げるのである。なぜ賃金 W1 の
上昇がその部門の雇用量およびマクロの生産量を刺激するのか。それは、このモデルにお
*
*
いて W1 の上昇が最終的に家計の労働所得 W1 L1 + W2 L2 を刺激することで財に対する有効
需要を引き上げるからである。均衡賃金の水準がマクロ生産量の最も本質的な規定要因と
なるシンプルな新古典派モデルとは異なり、吉川モデルのようなケインズ的なモデルでは
マクロ生産量および対応する労働雇用量は財に対する有効需要の大きさに依存するので、
固定的に与えられた W1 の上昇によって財需要が刺激されるとマクロの生産量が引き上げら
れるのである。さらに、生産量の増加は相対賃金 W2 /W1 を引き上げるが、このことが第 1
種労働サービスを相対的に安価なものにすることで、その雇用量をいっそう刺激する形に
なる。
吉川モデルの問題点
以上が吉川モデルの概要であるが、
(吉川自身も気付いているように)このモデルには定
式上の「不備」が存在している5。このモデルでは外生的な独立投資 I が想定され、それと
家計の「貯蓄」が均等化するように均衡生産量が決定されるが、吉川モデルでは家計の貯
蓄行動が効用最大化問題の中に組み込まれていない。本来は、家計の解くべき効用最大化
問題は以下のように定式化されなければならない。
(12)
max
C , S , L2
s.t.
U = C  S  (1  L1d )  (1  L2 ) 
C + S = W1 L1d + W2 L2 + 
(  +  +  +  =1)
d
( L1 :所与)
そして、本来はこの問題を解くことで導かれる貯蓄 S が独立投資 I と等しくなるように均
衡生産量が決まることになる。一方、吉川モデルでは(1)の定式化から明らかなように家
計は(利潤の受け取りを含めた)総所得 W1 L1 + W2 L2 +  の内、企業から受け取る利潤 
d
を自動的に貯蓄に充て、残りを消費にまわすというアドホックな想定をおいてモデルを構
吉川(1992)の第 3 章の脚注 14 を見よ。ここで吉川は「…投資が存在するためには、本
稿で捨象した家計による貯蓄を明示的にモデルの中に取り入れなければならない。このよ
うな拡張によっても本稿の基本的な主張は影響を受けない。」と述べているが、この最後の
主張は正しくない。次節以降で示すように、そのような拡張によって結論は大きく変化す
るのである。
5
6
築しており、この意味で吉川モデルは完全な(非ワルラス的)一般均衡モデルとは言い難
いものになっている。もっとも、こうした点を改善しても主要結論に変化がなければ上述
の定式化の不備は大した問題とは言えないが、次節以降で明らかにするように、この点を
定式化し直すことで結論が根本的に変化する。すなわち、吉川モデルの結論は非ワルラス
モデル固有の結論というより、その定式化の不備に起因して生じたものであることを示す
ことができるのである。
3.
標準的な非ワルラスモデルを用いた考察
この節では前述した吉川モデルの不備を解消した標準的な非ワルラスモデルを提示し、
その枠組みの下で賃金変化のマクロ的影響を再検討する。本節のモデルと前節のモデルの
主要な違いは、後者において捨象されていた家計の最適消費・貯蓄行動がここでは明示化
しているという点にある。さらに、前節の吉川モデルでは(財市場均衡において家計貯蓄
に対応する変数として)外生的な独立投資が想定されていたのに対し、本節ではそれと本
質的に同様の理論的役割を果たす貨幣をモデルに導入することにする。こうすることで前
節と(理論上)同等な設定の下で賃金変化のマクロ効果を比較検討できるだけでなく、次
節(=第 4 節)で論じるように企業が財の価格を最適に設定できる状況へと分析を拡張す
ることで前節および本節で無視されていた賃金変化の一般物価への影響も考慮に入れた考
察を行えるようになる6。
家計部門
前節と同様、家計部門には 1 つの代表的家計が存在し、彼は以下の効用最大化問題に直
面する。

(13)
max
C , M 1 , L2
s.t.
M 
U = C  1  (1  L1d )  (1  L2 ) 
 P 

(  +  +  +  =1)
P C + M 1 = W1 L1d + W2 L2 +  + M 0 ( L1d :所与)
ここで、 M 0 は期首に家計に賦与されている名目貨幣残高、 M 1 は期末に家計が保有してお
きたいと考える名目貨幣残高(すなわち名目貨幣需要)、 P は財の名目価格、 は名目利潤
を意味し、それ以外の記号は前節と同じである。すなわち、この家計は 2 種類の労働サー
ビスを企業に供給することで賃金所得および利潤を受け取ると同時に、あらかじめ M 0 の名
目貨幣残高を賦与されており、それらを効用を最大にするように消費財購入分 P C と名目
6
なお、こうした修正(=モデルに貨幣を導入すること)を施さず、吉川モデルの設定を堅
持しながら家計の効用最大化問題のみを(12)のように修正した上で同様の検討を行って
も、本節(および次節)と同じ結果が得られる。
7
貨幣需要 M 1 とに分割する。なお、本節においても分析対象となるのは非ワルラスモデルな
ので、財価格 P および第 1 種労働サービスの賃金 W1 は固定的で、家計は第 1 種労働サービ
d
スの供給については企業がその固定価格下で決定した労働需要 L1 を制約として受け入れ、
その上で消費および第 2 種労働サービス供給に関する意思決定を行うものとする。
このとき、効用最大化問題の 1 階の条件は以下のようになる。
M1 =
(14)


P C , M 1 = W2 (1  Ls2 )


ここで、 L2 は家計の最適な第 2 種労働サービスの供給量を意味している。
s
企業部門
前節の吉川モデルと同様、企業部門には一つの代表的企業が存在し、有効財需要 Y を制
d
d
約として受け入れた上で利潤を最大にするよう労働需要 ( L1 , L2 ) を決定する。したがって、
その利潤最大化問題は以下のように定式化できる。
(15)
max
L1 , L2
Y = L1a L12a ( Y :所与)
 = P Y -( W1 L1 + W2 L2 ) s.t.
d
d
この問題を解くことで、企業の労働需要 ( L1 , L2 ) はそれぞれ
 a W2
L = 
 1  a W1
d
1
(16)



1 a
Y,
 a W2
L = 
 1  a W1
d
2
a

 Y

となり、企業の(最小化された)総費用は以下のように表すことができる。
W1 L1d + W2 Ld2 = a~W1 aW21 a Y
(17)
~  [(1  a)
(a
1 a
a a ] 1 )
市場均衡
以上で各経済主体の行動を論じ終えたので、市場均衡の状態を検討できる。このモデル
において名目財価格 P および第 1 種労働サービスの名目賃金 W1 は固定的である。各市場に
おける均衡条件はそれぞれ以下のようになる
(18)
財市場: C = Y
貨幣市場: M 1 = M 0
第 2 種労働市場: L2 = L2
d
s
ここで、第 1 種労働市場の均衡条件が捨象されているのは、この市場において家計は固定
賃金 W1 の下で企業の労働需要 L1 (=(16)の第 1 式)を制約として受け入れて行動する
d
形になるため、この市場に関しては需給均衡式と呼びうるものは存在しないからである。
また、貨幣市場とは貨幣供給(=期首に家計に賦与されていた名目貨幣残高 M 0 )と貨幣需
要(=家計が期末に保有しておきたいと考える名目貨幣残高 M 1 )とを均衡させる場を意味
している。
(18)の貨幣の需給均衡式を(14)の第 1 式に代入することで、この経済におけるマク
8
ロ生産量 Y (=家計の消費財の需要量 C )は以下のように定まる。
(19)
M0=

PC

→
C =Y =
 M0
 P
このモデルにおいて貨幣の需給均衡条件から直接的にマクロの生産量が決定される理由は、
名目財価格(=貨幣価値の逆数)が固定的なため、生産量の調整を通じて貨幣の需給均衡
が達成される形になるからである。例えば、家計がより多くの貨幣を期末に持ち越そうと
する(=貨幣需要を強める)と必然的に財需要が低下することになるが、固定的な名目価
格の下ではそうした変化は企業の生産量(ひいては家計の所得水準)を直接的に引き下げ、
貨幣の超過需要が解消されるまでそうした調整が続くことになる。したがって、このモデ
ルにおいてマクロ生産量は名目貨幣量 M 0 にのみ依存し、固定賃金 W1 の変化が生産量に影
響する余地はなくなる。もっとも、こうした結論は名目価格を固定化したシンプルな非ワ
ルラスモデルの下でのみ成立する(必ずしも一般性が高いとは言えない)結論であり、次
節で検討するような独占的競争型の非ワルラスモデルの下では固定賃金 W1 の変化は財価格
への影響を通じてマクロ生産量に影響を及ぼすことになる。
次に、
(18)の貨幣の需給均衡式を(14)の第 2 式に代入することで、第 2 種労働市場に
s
おける労働供給 L2 が満たすべき以下の関係を得る。
(20)
M0=

W2 (1  Ls2 )

他方、(16)の第 2 式および(19)より、第 2 種労働市場における労働需要 L2 は
d
(21)
 a W2
L = 
 1  a W1
d
2



a
 M0
 P
となるので、この(21)を(20)に代入して整理することで、第 2 種労働サービスの均衡
名目賃金が満たすべき以下の式を得る。
a
(22)
(1  W1 W
a
1 a
2
 a 

1
) M 0 = W2 (   
 P )

 1 a 
この(22)の左辺と右辺をそれぞれ W2 の関数と見立てて図示すると図 2 のようになる。
<図 2 をここらへん>
この図より、第 2 種労働サービス市場における均衡名目賃金 W2 は一意に決定され、
(16)
*
*
および(19)より、対応する各種労働市場における均衡雇用量 ( L1 , L2 ) も確定することが分
かる。以上で本節のモデルにおける市場均衡が確定したので、次に外生変数 ( M 0 , W1 ) の変
化が経済に及ぼす影響を考察しよう。
9
名目貨幣残高 M 0 の変化
(19)および図 2 より、
最初に名目貨幣残高 M 0 の変化が経済に与える影響を検討しよう。
M 0 の変化がマクロ生産量 Y および第 2 種の労働サービスの名目賃金 W2 に与える影響はそ
れぞれ以下のようになる。
(23)
Y
>0,
M 0
dW2
>0
dM 0
したがって、この結果および(16)の第 1 式より、第 1 種労働サービスの雇用量 L1 は M 0 の
*
上昇によって増加することが分かる。他方、M 0 の変化が第 2 種労働サービスの雇用量 L2 に
*
与える影響を見るには、
(22)および(14)の第 2 式に注目すればよい。(22)を少し変形
することで
(24)
1+ W1 W2
a
1 a
=
 W2
 M0
となるが、これは M 0 の上昇に伴って W2 は M 0 以上に増加しなければならない(= W2 / M 0
が上昇しなければならない)ことを示している(さもないと、左辺が上昇し、右辺は低下
するので、等号が保たれない)。一方、(14)の第 2 式より均衡においては
(25)
W2

* 1
= (1  L2 )
M0

が成立しなくてはならないので、 M 0 の上昇によって W2 / M 0 が増加すると、第 2 種労働サ
*
ービスの雇用量 L2 もまた上昇することが分かる。
以上を要約すると、名目貨幣量 M 0 の増加はマクロ生産量 Y および第 2 種の労働サービス
の名目賃金 W2 を刺激する。そしてこのことが第 1 種労働サービスの雇用量 L1 を引き上げる
*
ことになる。他方、第 2 種労働サービス市場の雇用量 L2 は(16)の第 2 式から見て取れる
*
ように Y の上昇が及ぼす正の影響と W2 の上昇が及ぼす負の影響を同時に受けることにな
*
るが、本節のモデルでは前者の効果が後者の効果を上回ることで L2 もまた増加することに
なる。本節のモデルにおける以上の結論は、前節の吉川モデルにおける独立投資の上昇(=
本節のモデルにおける名目貨幣量 M 0 の上昇に対応した変化)の効果と基本的に類似してお
り、この点で吉川モデルと本節のモデルとの間に目立った相違はないと言える。
固定賃金 W1 の変化
次に第 1 種労働サービスの固定賃金 W1 の変化が経済に与える影響を検討しよう。(19)
および図 2 より、 W1 の変化がマクロ生産量 Y および第 2 種労働サービスの名目賃金 W2 に
与える影響はそれぞれ以下のようになる。
(26)
Y
=0,
W1
dW2
>0
dW1
10
さらに、W1 の上昇によって Y が不変に保たれると同時に W2 が刺激されると、
(25)より第
2 種労働サービスの雇用量 L2 も増加する。一方、W1 の上昇が第 1 種労働サービスの雇用量
*
L*1 に及ぼす影響は、(16)の 2 つの式に注目することで明らかにすることができる。(16)
の第 2 式より均衡において
(27)
 a W2
L = 
 1  a W1
*
2



a
Y
*
が成立しなければならないが、これは W1 の上昇によって Y が不変に保たれると同時に L2 が
上昇したとき、相対賃金 W2 / W1 は低下しなければならないことを意味している。そして W1
の上昇によって生じる W2 / W1 の低下は、
(16)の第 1 式より L1 を低下させる。要するに、W1
*
の上昇によって引き起こされる相対賃金 W2 / W1 の低下により、第 2 種労働市場における雇
用量は増加するが、第 1 種のそれは低下することになる。
以上の結論が、
「 W1 の上昇によって第 2 種労働市場における雇用量を低下させることなく
第 1 種労働市場における雇用量が増加する」という前節の吉川モデルにおける結論と根本
的に異なっているのは指摘するまでもないだろう。こうした違いが生じる主な理由は、本
節のモデルでは W1 の上昇がマクロ生産量を刺激する効果を持たないため、相対賃金の変化
によって片方の労働市場(=第 2 種労働市場)における雇用が増加すると、必然的にもう
片方(第 1 種労働市場)のそれが低下するというゼロサム的状況が成立するためである。
4.独占的競争型の非ワルラスモデルを用いた考察
前節(=第 3 節)ではシンプルな非ワルラスモデルを用いて賃金変化のマクロ効果を再
検討し、第 1 種労働市場における固定賃金の上昇はその部門の雇用量を低下させるという
(第 2 節の吉川モデルとは異なる)結果が成立することを明らかにした。しかし、前節の
議論は「名目財価格の固定性により固定賃金の変化がマクロ生産量に一切影響しない」と
いういささか単純化されすぎた想定の下での議論であり、そうした想定を取り除いてもな
お同様の結論が成立する保証はない。したがってこの節では企業が利潤最大化の観点から
名目財価格を決定するような状況を想定して(=すなわち前節の標準的な非ワルラスモデ
ルに財市場における独占的競争を導入することで)、固定賃金変化のマクロ効果を再検討す
ることにする。
以下では、i  [0, 1] 種類の差別化された消費財が存在し、第 i 消費財は第 i 企業によって
独占的に生産・販売されるような経済を想定する。議論の単純化のため、既存産業への企
業の新規参入や、新しい種類の財の開発といった問題は捨象する。
家計部門
今までと同様、家計部門には 1 つの代表的家計が存在し、彼は以下の効用最大化問題に
11
直面する。

(28)
M 
U = C  1  (1  L1d )  (1  L2 ) 
 P 
(  +  +  +  =1)

max
ci , M 1 , L2
1

s.t.
0
pi ci di + M 1 = W1 L1d + W2 L2 +  + M 0 ( L1d :所与)
1
( 1) / 
( C   (c i )
di 
 0
 /  1
1
P    ( pi )1 di 
 0

,

ここで、 ci は第 i 消費財の消費量、 pi は第 i 消費財の名目価格、  
1 / 1
)
1
  di は各企業から
0
i
受け取る名目利潤の総額で、それ以外の記号の意味は以前と同様である。Dixit and Stigliz
1
( 1) / 
(1977)に従い、家計は C   (ci )
di 
 0
 /  1
と定式化された指標に基づいて、消費か

らの効用を得るものとする。
よく知られているように、この効用最大化問題は次の 2 段階のステップに従って解くこ
とができる。まず第 1 段階では、家計は各消費財への名目総支出額 E が与えられた下で、
効用指標 C を最大にするように、各消費財の購入量を決定する。すなわち、
(29)
1
C =   (ci ) ( 1) /  di 
 0

max
ci
 /  1
s.t.
1

0
pi ci di = E
この問題を解くことで以下を得る7。
(30)
p 
ci =  i 
P

1
1
( P   ( pi ) di 
E
P
 0
1 / 1

)
1
PC = E (=  pi ci di )
0
この第 1 段階の結果をもとに、第 2 段階の問題を次のように定式化する。

(31)
M 
U = C  1  (1  L1d )  (1  L2 ) 
 P 

max
C , M 1 , L2
s.t.
PC + M 1 = W1 L1d + W2 L2 +  + M 0
これは前節(第 3 節)の家計の効用最大化問題(13)と全く同じであり、ゆえにその 1 階
の条件は以下のようになる。
(32)
7
M1 =


PC , M 1 = W2 (1  Ls2 )


数学的導出の詳細については、例えば田中(2010)の第 1 章の付録を参照せよ。
12
ここで、 L2 は家計の第 2 種労働サービスの最適供給量を意味している。
s
企業部門
この経済において第 i 消費財( i  [0, 1])は第 i 企業によって独占的に生産・販売される。
第 i 企業の利潤最大化問題は以下のとおり。
(33)
 i = pi y i -( W1li1 + W2 l i 2 )
max
li 1 , li 2
p 
y i (= ci )=  i 
P
a 1 a
i1 i 2 ,
s.t.
yi = l l

E
P
ここで、 y i は第 i 企業の生産量、 l i1 および l i 2 は第 i 企業が投入する第 1 種労働サービスお
よび第 2 種労働サービスの量を意味する。この定式化から明らかなように、第 i 企業は自ら
の生産関数および家計の第 i 消費財に対する需要を所与として、自らの利潤を最大にするよ
うに価格 pi (同じことであるが生産量 y i )を決定する。
家計の効用最大化問題と同様、企業の利潤最大化問題も次の 2 つのステップに分けて解
くことができる。まず第 1 段階では、企業は生産量 y i を所与として費用: W1l i1 + W2 l i 2 を
d
d
最小にするような労働投入量 (l i1 , l i 2 ) を決定する。すなわち、
(34)
min
l i 1 , li 2
W1li1 + W2 l i 2
s.t.
y i = l ia1li12 a
y i :所与
これを解くことで以下を得る。
 a W2
(35) 各種労働投入: l = 
 1  a W1
d
i1



1 a
yi , l
d
i2 =
~W W
最小化された費用: W1l i1 + W2 l i 2 = a
1
2
d
a
d
1 a
 a W2

 1  a W1
yi



a
yi
~  [(1  a)
(a
1 a
a a ] 1 )
この最小化された費用を元の問題(33)に代入することで、利潤最大化の第 2 段階の問題
を以下のように設定できる。
(36)
max
pi
 i =[ pi - a~W1 aW21 a ] y i
s.t.
p 
yi =  i 
P

E
P
したがって、企業の設定する最適価格は以下のようになる。
(37)
pi =

 1
a~W1 aW21 a
これより、企業の設定する最適価格 pi は各種労働サービスに対する名目賃金 (W1 , W2 ) に依
13
存し、ゆえに賃金変化が財価格への影響を通じてマクロ経済に影響を及ぼすような状況を
描写できるようになることが分かる。なお、(37)より pi は添え字 i には依存しないので、
pi と(30)で定義されている一般物価 P は等しくなる。
pi = P
(38)
p 
また、
(33)の中の y i =  i 
P

E
、
(30)の中の PC = E 、
(38)および(35)より、第 i
P
企業の生産量および労働投入量はそれぞれ以下のように求められる。
 a W2
y i (= ci )= C , l = 
 1  a W1
d
i1
(39)



1 a
C,
l
d
i2 =
 a W2

 1  a W1



a
C
市場均衡
以上で各経済主体の行動を論じ終えたので、市場均衡の状態を検討できる。このモデル
において第 1 種労働市場における名目賃金 W1 は固定的である。各市場における均衡条件は
それぞれ以下のようになる
(40)
貨幣市場: M 1 = M 0
第 2 種労働市場:
1
l
0
d
i2
di (= Ld2 )= Ls2
ここで、財市場および第 1 種労働市場における均衡条件が捨象されている点に注意せよ。
財市場の均衡条件が捨象されている理由は、利潤最大化問題(33)で示されているように
各企業は y i = ci を制約として最適価格・生産の決定を行っているからであり、第 1 種労働
市場における均衡条件が捨象されている理由は、この市場において家計は固定賃金 W1 の下
での企業の労働需要
1
l
0
d
i1
di を制約として受け入れて行動するからである。
(40)の貨幣の需給均衡式を(32)の第 1 式に代入し、
(39)の第 1 式で示された関係に
注意することで、この経済における各企業の生産量 y (これは添え字 i に依存しないので、
i を省いて表記してある)は以下のように表せる。
M0
 M0
   1 ~ 1
y (= C )=
(41)
=
( 
a )
a
1 a
 P
 
W1 W2
ここで、 W2 は M 0 や W1 と違って内生変数なので、均衡における W2 の決定を見るためには
第 2 種労働市場の均衡条件を検討する必要がある。
(40)の貨幣の需給均衡式を(32)の第 2 式に代入することで以下を得る。
(42)
M0=

W2 (1  Ls2 )

14
これは、均衡において家計の第 2 種労働サービスの最適供給量が満たすべき関係を示して
いる。他方、
(39)の第 3 式、(41)および(40)の第 2 種労働市場の均衡式より、以下を
導出できる。
(43)
l
d
i2 =
 a W2

 1  a W1
→
a

M0
 a 
 
=

a
1 a
W1 W2
1 a 

 a 
L =

1 a 
a
s
2

a

M0
W2
M0
W2
したがって、
(42)と(43)より、第 2 種労働市場における均衡名目賃金 W2 は以下のよう
に求められる。
a
(44)
  a 
(k  +
 )
 1 a 
W2 = kM 0
すなわち、このモデルにおいて W2 は M 0 に正比例する形になることが分かる。一般に、名
目貨幣残高 M 0 の上昇は家計の財需要を刺激することで企業の第 2 種労働サービスへの需
要を引き上げる一方、余暇の上級財としての特性よりその供給を減退させるので、均衡に
おいて W2 は上昇することになるが、このモデルの関数形の特定化の下では両者は正比例関
係になるのである。
さらに、(44)を(41)、(39)の第 2 式、(43)に代入することで、この経済の均衡にお
ける各企業の生産量および各種労働サービスの雇用量はそれぞれ以下のように求められる。
(45)
y =k
 (1 a )
M
  0
 W1
a

 a 
 , li*1 =  

1 a 

1 a
M0
 a 
*
, li 2 =  

W1
1 a 
1 a
k 1
以上で本節のモデルにおける市場均衡が確定したので、以下で外生変数 ( M 0 , W1 ) の変化
が経済に及ぼす影響を考察しよう。
名目貨幣残高 M 0 の変化
(44)および(45)か
最初に名目貨幣残高 M 0 の変化が経済に与える影響を検討しよう。
ら以下が成立する。
l i*1
l i*2
W2
y
>0,
>0,
>0,
=0
M 0
M 0
M 0
M 0
名目貨幣量 M 0 の増加は、家計の購買力を引き上げることで消費需要を刺激し、それが各企
(46)
業の増産を促すことになる。さらに、このことが各種労働需要を刺激し、第 2 種労働サー
ビスの賃金を引き上げる(一方、第 1 種労働サービスの賃金は仮定により固定的)ことに
15
なる。ただ、こうした名目賃金の上昇は企業の価格設定行動を通じて名目財価格の上昇と
なって現れるので、これが負の実質残高効果を引き起こすことで各企業の増産分の一部を
相殺する形になるが、それでも結果的には各企業の生産量および第 1 種労働サービスの雇
用量は増加するのである(他方、第 2 種労働サービスの雇用量は、財需要上昇に伴う正の
効果と賃金 W2 の上昇に伴う負の効果がちょうど相殺されるため不変に保たれる)。
以上が本節のモデルにおける名目貨幣量 M 0 の増加の影響であるが、こうした結果は前節
(=第 3 節)の結果と基本的に同じと言える。前節と本節の違いは、本節では名目賃金の
変化が企業の価格設定行動を通じて名目財価格に反映される点、それにより前節では生じ
なかった実質残高効果(= M 0 / P の変化)が経済に追加的影響を及ぼす点であり、こうし
た違いを反映して M 0 の変化の第 2 種労働サービス雇用量 l i 2 への効果が若干異なるものと
*
なっているが、その点を除くと両者に本質的な差異はない。
固定賃金 W1 の変化
(44)
次に第 1 種労働市場における固定賃金 W1 の変化が経済に与える影響を検討しよう。
および(45)から以下が成立する。
(47)
y
<0,
W1
li*1
<0,
W1
W2
=0,
W1
li*2
=0
W1
このモデルにおいて固定賃金 W1 の上昇は基本的に企業の生産費用の増加として作用するの
で、この変化は企業の価格設定行動を通じて名目財価格を押し上げ、負の実質残高効果を
生み出す。そして、これが家計の財需要を冷え込ませることで各企業の生産量が低下し、
この影響および W1 の上昇それ自体の直接的影響を通じて第 1 種労働サービスの雇用量を引
き下げることになる。他方、 W1 の上昇の第 2 種労働市場における雇用および賃金への影響
は、生産量の低下による負の効果と、名目賃金の相対的低下による正の効果という、相反
する 2 つの効果が相殺し合うことで不変に保たれる形になる。
このように、名目財価格 P の可変性を考慮に入れても固定賃金 W1 の上昇はその部門の雇
用量およびマクロの生産量を減退させるという点で、本節の結論は前節(=第 3 節)の結
論と基本的に一致するものであることを確認できる。言い換えると、第 3 節および第 4 節
の分析結果は、
「第 2 節の吉川モデルの結論、すなわち固定賃金 W1 の上昇が同部門における
雇用およびマクロ生産量を刺激するという結論は頑強なものではなく、むしろその結果は
家計の標準的な最適消費・貯蓄選択を捨象するという特異な想定を反映したものにすぎな
い」ということを示唆している。
最後に、以上の結論に関して 2 点注意しておく。第一に、本節で導かれた結論は、企業
が独占力を保有しているという想定に依存したものではない。なぜなら、 (=代替の弾力
性)を無限大に近づけることで、本節の独占的競争モデルは完全競争モデルへと変化する
が、そのようにしても(46)および(47)の結論は保たれるからである。第二に、第 2 節
16
および第 3 節では物価 P が固定されていた8ので固定賃金 W1 の変化を実質賃金の変化と解
釈できたのに対し、本節では物価 P が可変的なので W1 の変化をそのように解釈することは
できない。しかし、
(37)と(44)より、第 1 種労働サービスに対する(均衡)実質賃金 w1
(  W / P )は W1 の単調増加関数となることを容易に確認できるので、実質賃金 w1 とその
*
部門の雇用量 l i1 およびマクロ生産量 y との間にもやはり負の関係が成立することになり、
「実質賃金がその部門の雇用とマクロ生産量を刺激する」という吉川モデルの結論が本節
の枠組みの下では支持できないことを確認できる。
5.結論
本稿では、2 種類の異質労働サービスを含んだ非ワルラス的な一般均衡モデル――第 1 種
労働サービスは固定賃金市場で取引され、第 2 種労働サービスは伸縮賃金市場で取引され
るモデル――を用いて、賃金変化が雇用や生産量に与える影響を理論的に検討した。この
点を最初に論じた吉川(1992)では、家計の最適消費・貯蓄選択が捨象された設定の下で、
固定賃金の上昇はその部門の雇用やマクロ生産量を刺激するという結論が導かれていたが、
家計の最適消費・貯蓄行動を明示化した本稿のモデルではそれとは逆の結論、すなわち固
定賃金の上昇はその部門の雇用を悪化させマクロ生産量を減退させるという結果が、名目
財価格が固定的な場合と企業によって最適に設定される場合の両方のケースにおいて成立
することを明らかにされた。これは、ケインズの有効需要論を最も説得的に定式化した非
ワルラスモデルの枠組みにおいてさえ、賃金の低下は雇用・生産を悪化させうるというケ
インズの主張を正当化できないことを意味している。もちろん、以上の結果は上述のケイ
ンズの主張を正当化できるモデルが存在しないことを意味しているわけではない。例えば
Tanaka(2008)では、企業の最適投資決定を考慮した動学的な非ワルラスモデルにおいて、
実質賃金低下が雇用に縮小させ、雇用の悪化に伴う賃金の低下がさらなる雇用縮小をもた
たすという悪循環が生じうることを明らかにしている。しかし、本稿のような比較的シン
プルなモデル設定の下で、本稿で示された結論が成立するということは、賃金および雇用
に関するケインズ的な見方に対する一般的妥当性に疑問を投げかけるものであり、賃金低
下・雇用悪化スパイラルという現象は少なくとも理論的には例外的現象と考えるのが自然
かつ適切であることを示唆している。
参考文献
吉川洋(1992)『日本経済とマクロ経済学』東洋経済新報社
大住康之(1999)『労働市場のマクロ分析』剄草書房
8
第 2 節では P =1 と暗黙に想定した上で議論を展開していた。
17
田中淳平(2010)『ケインズ経済学の基礎』九州大学出版会
Keynes, J. M. (1936) The General Theory of Employment, Interest, and Money,
Macmillan(邦訳:塩野谷祐一『雇用・利子および貨幣の一般理論』東洋経済)
Koba, T. (2002) “Added and Discouraged Worker Effect in Dual Labor Market Model”,
神戸大学大学院経済学研究科 Discussion Paper
Dixit, A. and J. Stiglitz (1977) “Monopolistic Competition and Optimal Product
Diversity”, American Economic Review, Vol.67, pp297-308
Tanaka, J. (2008) “Keynes’ Business Cycle Theory: A New Formulation”, The
University of Kitakyusyu Working Paper Series
18
左辺
右辺
E2
E1
Y
図1
右辺、左辺
右辺
左辺
W2
図2
19