第 92号 - FPU兵庫

FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取)
F P U 第 16 連合会
(兵庫・岡山・鳥取)
機 関 紙
第 92号
月刊 平和統一 NEWS
F P U 第 16 連合会
〒650-0022 兵庫県神戸市中央区元町通 7-1-2
ネオアージュ神戸元町 1001 号
TEL.078-360-0757 FAX.078-367-4323
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H
HU
第 92号
発行 FPU 第 16 連合会
UH
発行人 文 聖 純
2016 年4月 1 日
第 31 回平和統一セミナー第 2 弾「北朝鮮の核・ミサイル開発と外交」が開催されました。
春の気配が紅梅や白梅の香りと共に、そこはかとなく町中の民家の庭
から感じられる 2016 年 3 月 5 日、多くの「在日」の参集のもと、第 31
回平和統一セミナーが「北朝鮮の核・ミサイル開発と外交」を主題とし
て新長田勤労市民センター(JR 新長田駅前)にて開催されました。前回
に続き新井先生を迎えてのセミナーでした。
韓国の北朝鮮に対する政策としてまず、周辺の各国に対しての環境を
整える必要があったと冒頭に述べられて今日の主題について講義を進め
られました。韓国が外交戦略として、1990 年に「韓ソ国交正常化」
、続
いてその 2 年後に中国との「韓中国交正常化」を実施しました。この一
連の行動が北朝鮮への外交的包囲として大きく現在の南北の平和的維持
に貢献しました。その結果として、北朝鮮は周りのこの韓国の一連の行
動を無視しえず、経済戦略の一環として「南北の交流経済の開始(1989
年)
」を行ったことは、これも25年前のできごとではありましたが世界
の耳目の新しいところであることを学びました。
そして現在もその北朝鮮の行為は、在日にとって、祖国が平和的統
一への第一歩を踏み出したものとして歓迎されたのでした。それにも
関わらず、1/4 半世紀を経た今日、依然として祖国は分断したままで
念願の統一は達成し得ませんでした。統一する為の手段としてなのか、
その後北朝鮮は日本と米国への接近の模索を講じましたが、平和的統
一手段をなおざりにして、自国の経済状態が困難なのになぜ、核とミ
サイルなのかを示されました。統一は武力ではなく対話によって成さ
れることはいうまでもありません。六ヶ国協議という話し合いの手段
は素晴らしい統一の為の最高の手立てです。日本政府の小泉総理は
「北東アジア地域の信頼壌成のため、日本・アメリカ・韓国・ロシア・
中国・北朝鮮からなる六ヶ国協議という対話の場が整備されることが重要、あなたの協力が得たい」と述べたの
に対して、金正日総書記は「信頼壌成の対話については我が国もそのような対話の場に参加する用意がある」と
の答えでした。統一は時間の問題かと思われましたが、南北に分断されている半島に統一は訪れませんでした。
金正日総書記が小泉総理に述べた返事に「北朝鮮は敵であり、南朝鮮は同盟国であるとの対応の仕方をやめるべ
きである」の文章が示されました。今、六ヶ国協議は中断したままの状態です。最終的にはどのような決着がつ
くのでしょうか。ベトナム戦争の時のことを連想した参席者の意見も聞かれました。一日も早く南と北の政府が
合意し・成立して「平和国家」への道を歩んでほしいものです。5月14日(土)に次回開催することをお知ら
せして閉会しました。
2016年3月27日(日)第7期韓国婦人会中間総会が東京新宿平和統一聯合の会館で開
催されました。
姜京姫全国韓国婦人会会
長を中心に、2015年1年
間の中間活動報告を全国に
インターネットを通じて中
継されました。本部で金源植
事務総長と方相逸局長が参
加した中で、首都圏の韓国婦
人たちが参加し、和気あいあ
いに開催されました。
初めに3,5,6連合会の合
唱団の素敵な合唱と共にエンタテーメントと 1 連合から
16 連合までの活動が一目でわかる映像が上映されました。金総長と方局長から暖かい激励の言葉を受けて、
韓国婦人たちが 1 年間、韓日間の架け橋的役割をした姿で 2016 年はさらに充実して在日同胞と一つになっ
て韓日関係の友好を促進するために頑張りたいと決議しました。最後にハッピーワールドからの盛りだくさ
んの景品を提供して頂き、楽しい抽選会が行われて、万歳三唱で終了しました。
平和統一聯合
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««««««««««『平和統一メッセージ』»»»»»»»»»»
国を愛せない者は
神の国も愛することが出来ない
それで最初。一九七二年。先生は天命によって、アメリカに行って三年間行動するよう命じら
れたんだ。でも、そこに行く時も、口をぴしゃっと締めて、誰も分らない。アメリカに行っても。直
ちにカーネギーホールという世界的有名なところで大講演をやるんだ」と警告した。でもそれを感
じられない。なぜ出来ない。アメリカに初めて来た先生が。そこの情勢、或いは状況を知らないで大
講演をするというのは、彼らの頭には夢にも思わない事だね。人間的立場からそう考えるんだね。
1 回、2 回その内容を話してうなずくようにして。先生はひとりで行って、リソカーンの責任者、
社長に会って、新しい車を現金で契約して買ってきたんだ。先生がやるんだよ。君達の手を借りて
やるそういう先生じゃありません。
通訳を立たせても君達より何倍以上やる。なんにもならないそういうメンバーあてにならないや。
先生のやり方は、西洋式でも韓国式でもないね、天的式である。それで、アメリカに来て直ちに作
戦を組んで誰もやらない事をやる。そうするには、上院議員の有名な者を皆組み合って、調べてお
かなければならない。アメリカを判定しなけりゃならない。上部の社会はどうか。国会議員の世界
はどうか。それから、それ以外の社会の有名人はどうか。有名人みな会った。
ウンこうだ。アメリカはこうだという鑑定をちゃんと下ろしてから、自分なりの方法でもって、
それは上の影響を与える、固い棒だったら、それ以上打てば、打ち壊す事が出来る。それ以上打つ、
それ以上ブレーキをかける。
そして、立体作戦でもってなす。
それで金が無い。しかし、君達の全部が動員されても出来ないような金を、何回かでササッとそ
ろえる。今度の集会にしても、一か所に二十五万ドルから三十五万ドル必要である。それは、如何
なる歴史上の宣教運動も、そういう事は出来なかったよ。これは、台風みたいに吹きかけながら、
全市が文先生を中心としたブームに一気になる、そういう環境に押しかけた。有名になったんだね。
あ一文さんは、金を何処から持ってきた? 外の世界から見た場合、七ヶ月続けて各五十州で一
挙に大々的に大公演をやってしまうようにするには、膨大な金力が無ければ出来ない。
そういう事をやっておるんだね、それでいて、金は一銭も無くしてしまう、普通は、二十五万ド
ルから三十五万ドルは要る。我々は、十分の一の二万五千ドルから四万ドルぐらいでやれるように
作戦する。そしてその金は、短期間、十四日間で稼がなきゃならない、それをやれる訓練をした。
その為には、一人あたり午前中に五十ドルから七十ドルがなきゃならない。そういうように教育す
る。やれ!超訓練をなした。
アメリカを如何に動かすや。荒野みたいなところでも。草が生え動物がおる。そこには集めるも
のがある。
普通だったら、月給を払ってやるんだね、一人だったら。少なくても七百ドルから干ドル、一年
間だったら、五万ドルから七万ドル使わなきゃならん。それから、ホテル代も要る。ヌ、酒も飲ま
せながらやるんだけど、我々は一銭も要りません、各国のその青年達が、アメリカの為に血を流し
汗流し、起きては働き、眠るのも三時聞も寝ない。こういうように青い目でね、ホテルの主人なん
かそれを見て動かされるんだよね。それは、自分達の金をもうける為にやるか。みな。背後の家庭
の内容を聞いてみれぱ、立派なその国の有名人達の息子、娘がここに来ている。心を持っているア
メリカ人は、我々に感動せざるを得ない。
1975年5月12日 杉並にて
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リレートーク“在日2世はどう生きてきたか”に参加しました。
FPU 兵庫西宮支部長 廣瀬純子
3 月 13 日午後 1 時より新長田のホテルサーブ神戸エス
タ2階会議室にてリレートーク“在日2世はどう生きてき
たか”というタイトルのミニイベントがあり、文聖純会長
代行とともに参加しました。1 週間前に FPU 兵庫が開催し
た平和統一セミナー会場のそばで開かれていた在日の歴
史と世代をつなぐ目的とした「家族・生活写真展」と合わ
せてこのイベントがあり、開催に先立ち「民族の絶叫」と
いう上映会もありました。メインのリレートークで3人の
方々が話された内容について感想を述べたいと思います。
まず、最初に話された方は1953年生まれの62歳の
男性で、とてもゆったりと話され、現在に至る迄の経過を
語ってくださいました。複雑な家庭の中で幼少期はハルモ
ニのもとで育てられ、腹違いの弟5人がおられました。こ
の方は自分が在日であることを周囲に知られたくなくて、
チマを着たハルモニが外で自分に声をかけても知らんぷ
りをして過ごしました。そして、次第にハルモニの方も、外で会っても知らないふりをするようになりまし
た。青年期になった時、ハルモニに対してそのようにさせている自分に対し考えさせられ、自分が在日であ
ると周囲に名乗るようになりました。その一人の青年の心の葛藤と、それを乗り越え自分の大切な身内であ
り祖母であるハルモニに対する愛情や、申し訳ないという良心の思いにより行動を起こしたエピソードに感
動を覚えました。その後は、大学に通学され、卒業したのち、靴メーカーに就職してご自身も会社を設立し
ました。その後は、会社が倒産したり、震災や脳梗塞の病気にもかかられました。現在は、回復され非営利
団体の一員となっておられます。2人目の方は、現在高校非常勤講師や、京都府で外国籍府民のための懇談
会などや人権教育、啓発対策推進懇話会委員をされておられ、3女の母でもありました。この方は「私には
浅田先生がいた」という本で第1回在日女性文芸協会の「賞・地に船をこげ」を受賞されています。本名を
名乗ることができず、わだかまりを抱えて内向的に過ごされた方が、担任の浅田先生との出会いを通じて変
わられ、本名を名乗るまでになられました。1人の先生の愛情によって人生が変わった1人の女性として、
その後は執筆活動や講演活動に携わられています。しかしながら、今、思われることは人間として目覚めて
スタートした時が、やはり遅かった、指紋押捺など心の闇はいまだ晴れないでいるということを話されまし
た。また、その事ゆえに娘さんたちとも溝ができている現状も語っておられました。
3人目の方は、現在尼崎市役所に勤めておられ、この3月に退職されるという1955年生まれの男性の
方でしたが、ご自分は宝くじに当たったようにラッキーなのだといわれました。それは、当時就職された年
だけ、阪神間の6市1町職員国籍条項が撤廃され、在日である方も市役所に就職ができたのですが、翌年に
はまた、この条項が撤廃されたそうです。この方の生まれた家庭は当時はやっていたハンセン病にかかった
ため、子供時は、岡山の長嶋愛生園に両親が送られ、まだ幼かったご自分は育児施設で育てられました。
9歳の時、親戚が来てこの施設を出る時は逆に寂しく感じるほど、この施設は居心地よく感じられていた
そうです。このハンセン病という病気は感染源がわからない恐ろしい伝染病気として扱われてきましたが、
今は、ライ菌が発見され伝染病ではなく、栄養状態の悪い在日の方に患者さんが多くいたそうです。
この方は結婚後、様々な民族差別事件に取り組み県下の地方自治体に様々な要望書を出されています。昨
年秋には、兵庫人権協会結成40周年記念集会開催記念誌を発刊するという事業もされ、
「何事もあきらめ
ないで行動を起こすことが大切です」と言われました。
それぞれ立場の違う方たちのリレートークでしたが、いろいろな歴史の事実に触れることができ、忘れて
はいけない在日の方々の様々な人生について学ばせていただけたと思っています。
2016 年 3 月 1 日韓国民団兵庫県本部にて第 97 周年三・一節記念式典が開催されました。
最初に国民儀礼があり、鄭基澤神戸韓国教育院院長の己未独
立宣言書の朗読がありました。そして、主催者の李圭燮民団兵
庫県本部団長の「己未独立宣言第 97 周年を迎えた今日、日帝
の植民地支配に抵抗し祖国の独立のために高貴な生命をささ
げた愛国先烈の崇高な民族自主・自尊精神を継承するために私
たちはここに集いました」と挨拶をしました。その後、来賓、
顧問紹介、朱哲完神戸総領事による朴槿恵大統領の記念辞の代
読、第 97 周年 3.1 節決議文朗読・採択、スローガン斉唱と続
き、白永熙常任顧問の万歳三唱で閉式になりました。
休憩後、2部で韓国映画史に残る感動叙事詩「国際市場で逢
いましょう」の映画が記念上映されました。
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パク・クネ大統領が 2016 年 3 月 1 日世宗文化会館にて、第 97 周年 3.1 節記念演説を
行う。
尊敬する国民の皆さん、700 万海外同胞と北朝鮮同胞の皆さん、そして独立有功者と内外貴賓の皆様、今日、
私たちは意義ある第 97 周年 3.1 節を迎えました。祖国の独立のために犠牲となり献身した殉国烈士と愛国者の
霊前に頭を下げて敬意を表し、独立有功者と遺族の皆様にも心からの感謝と悼みの言葉を申し上げます。
97 年前の今日、独立万歳の歓声は身分と階層、宗教と思想の違いを超えてただ、独立に向けた熱望と愛国心
で私たちを一つにしました。
「国に捧げる命がただ一つしかないというのが少女の悲しみ」と叫んだ柳寛順烈士
の愛国心がまさに 3.1 運動の精神であり、民族大団結がまことの 3.1 運動の精神でした。
3.1 運動は、私たちの民
族が失われた国を見つけ
るために力を一つに集め
た歴史的なすべての国民
に愛国心とどのようなこ
ともこなすことができる
という希望と勇気を与え
ました。これは東方の明る
い光で世界各国の民族自
決運動にも大きな影響を
与えました。これらの 3.1
運動の精神は、大韓民国臨
時政府につながり、最終的
に我々は、そのように望ん
でいた独立を勝ち取りま
した。そして、戦争の廃墟
を乗り越えて産業化と民
主化が同時に行われ、世界
に誇る大韓民国を建設し
ました。97 年前、あれほ
ど熱心に願った祖国の光復が行われ、自由と繁栄がなされた大韓民国に住んでいる今、先烈たちが血を流して建
て、祖国の真の平和統一を成し、子孫に譲ることこそ私たちはその方に返さなければならない使命だと思います。
尊敬する国民の皆さん、私は韓半島の平和統一を成し遂げ子孫が平和で富強な韓半島に住むことこそ 3. 1 の
精神をこの時代に生かせる価値があると思います。これまで政府は、北朝鮮の挑発には断固対応しつつ、当局間
の対話と民間交流協力を強化して南北間の信頼構築と平和統一の基盤構築のために北朝鮮に多くの支援と譲歩
をしてきました。それにもかかわらず、北朝鮮は我々の政府が発足する直前に 3 回目の核実験をしたのに続き、
4 回目の核実験と長距離ミサイル発射という極端な挑発で、私たちの安全を真剣に脅かしています。
今、北朝鮮は引き続き核とミサイル挑発をすると公言しています。このように無謀な挑発を日常的に行う北朝
鮮をそのまま差し置いた場合、5 次、6 次の核実験を継続することで、北朝鮮の核は、最終的に我々の民族の生
存はもちろん北東アジアの安定と世界平和を実質的に脅威にさらすでしょう。これは私たち大韓民国の平和の意
志への挑戦であり、全世界が望んでいる平和の定着にも大きな脅威となります。今、従来の対応方法としては、
北朝鮮の核開発の意志をさまたげないという事実が明らかになりました。核に政権の生存を維持するために北朝
鮮住民を搾取し、核開発にすべてを集中することが北朝鮮の政権を維持させることができず、無意味であること
を明らかに悟るようにする必要があります。今、国際社会は、北朝鮮の核を容認しないという団結した意志をこ
れまでよりも強力に示しています。全世界 100 以上の国が北朝鮮の核実験を強く糾弾したのに続き、最も強力
で実効的な安保理の対北朝鮮制裁決議がすぐに採用される予定です。今回の対北朝鮮決議は安保理決議と国際社
会を無視して核実験、長距離ミサイル発射の挑発を行ったことに対して厳重な代価を払うようにしなければなら
ないという国際社会の断固たる意志が凝集したものです。これに加えて、米国の対北朝鮮制裁法を採用し日本、
EU、その他の友好国が強力な対北朝鮮制裁措置に参加しています。今後、韓国政府は、会話のドアを閉めるこ
とはないだろうが、北朝鮮が非核化の意志を見せず変化を拒否している限り、私たちと国際社会の圧力は継続さ
れます。政府は、今後さらに確固たる安保態勢と国際協力に基づいて北朝鮮が必ず核を放棄するように作ってい
くことです。今の選択は、北朝鮮への警告です。韓半島を取り囲んでいる周辺国も韓半島と世界の平和のための
道に積極的に参加するものと信じています。私は、北朝鮮が核開発を止めず、韓半島の緊張を持続的に高めてい
る現状を終了させるためにも韓半島の平和統一の必要性をより一層切実に感じています。私たちは、統一を念願
する理由は、核兵器のない世界のビジョンが韓半島で開始され、私たちが享受している自由と人権、繁栄を北朝
鮮の同胞たちへも一緒に分けることができるようにするためです。政府は、平和と繁栄、自由の波があふれる新
しい韓半島を作っていくものであり、それが 3.1 運動の精神の昇華と固く信じています。その道を行く国民の皆
さんが一緒に参加してくれるものと信じています。政界でも今の戦いから抜け出し虎視耽々と挑発を試みている
北朝鮮とテロにさらされている国民を守り、大韓民国を守りつづけることを呼びかけます。尊敬する国民の皆さ
ん、3.1 運動は自由と独立に向けた熱望であり、世界の平和と人類の幸せの実現という時代精神の発見でした。
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昨年末、24 年ぶりに日本軍慰安婦被害者問題の日韓合意がありました。今回の合意は、被害者のおばあちゃ
んが一人でも多く生きている間に、この問題を解決しなければならないという切迫した心情で集中的多角的な努
力を傾けた結果でした。今後、政府は、慰安婦被害者一人一人の名誉を回復し、心の傷を癒しながら実質的な支
援を拡大することに最善を尽くします。日本政府も歴史の間違いを忘れずに、今回の合意の趣旨と精神を完全に
実践に移し将来の世代に教訓として記憶されることができるよう努力して下さい。そして、歴史を直視する中で、
お互いの手を握って、韓日関係の新しい章を開いていくことを願っています。
尊敬する国民の皆さん、北朝鮮が引き続いて挑発と 1 次打撃対象と青瓦台を脅して不安と危機感を造成してい
る状況で、私たちを取り巻く内外の経済環境にも非常に困難になっています。慢性化されている世界経済の低迷
に対応して私たちの経済の成長潜在力を拡充するためには、大変でも私たちの経済の体質を変える改革の必要が
あります。私はいくつかの政治的苦難があっても経済革新 3 カ年計画と 4 大構造改革を必ず正常に完成し、我々
の経済の強固な基盤を固めていきます。これまで国民の皆さんが力を合わせてくださったおかげで創造経済と文
化隆盛、そして 4 大構造改革で少なくない成果を収めました。しかし、労働改革とサービス産業の育成をはじめ、
私たちの経済の体質を改革し、数十万人の雇用を作ることができる革新的な課題がまだ独占的な政界の壁を越え
られずにいます。
特に、労働改革は青年のための仕事の改革です。青年たちこそ大韓民国の未来です。今これらが挫折していま
す。一日も早く労働改革が現場に根を下ろし、より多くの雇用、より良い仕事をすることができまように、労使
ともお互いに少しずつ譲歩していただいて政界も、国民の熱望に呼応してください。政府は、私たちの未来のた
めに必ず行かなければならない改革の道を国民の皆さんと一緒に動揺することなく進むことです。我々の経済の
活力を向上させ、再び跳躍するためには、今、民間と政府の関係について考えて根本的に変更してください。企
業が革新的な技術、独創的なアイデアをもとに常に新たな市場を開拓していく速度を政府が従うことができない
時代になりました。慣行的に行ってきた政府万能の辞書規制方式で民間中心の事後的陰性規制方式に切り替えて
新産業が新たな成長エンジンとして稼働できるようにする必要があります。今後、全国の市・道に導入される「規
制フリーゾーン」では各地域の戦略産業に関連する主要な規制を果敢に撤廃することです。創造経済と文化隆盛
を介して創造的思考と革新的なチャレンジ精神が私たちの経済全般に拡散されるようにすることも非常に重要
な課題です。創業企業のより大きな成長と絶え間ない再挑戦が行われて大企業と中小企業の両方が共存協力する
持続可能な創造経済の生態系を完成することです。これと共に、産業の文化の服を着せ文化と IT を融合・複合
させて韓流が世界の心を捕らえたように私たちの経済と文化の領域を広げ、新しい付加価値を創出する必要があ
ります。今年は、これらの改革課題を必ず成功させて国民の皆さんがその成果を体感することができるように最
善を尽くします。より大きな危機が襲ってくる前に大韓民国の変化と革新を現出させます。そのために、私たち
に与えられた時間は決して多く残っていません。なぜ私たち国民が「民生を求める署名運動」に直接乗り出した
のかについて国民の声を聞かなければなりません。現在、対内外的な難しさとテロの危険に国民の生命と安全を
露出している状況で、国会がほぼ麻痺しています。これは、職務遺棄であり、国民の生命と安全を危険に露出さ
せることとの相違がありません。尊敬する国民の皆さん、こんな時ほど、国民の皆さんの真実の声が必要です。
国が困難に陥っているとき危機を克服する力は、常に国民から出ました。我々は、過去の歴史の中で数多くの困
難を乗り越えてきて、我々は、すべての生活の基盤である大韓民国は先烈たちが流した血によって守られてきた
大切な国です。私は今の危機も、国民の皆さんの団結した力で十分に克服することができると信じています。漢
江の奇跡を成し、通貨危機を克服した力で地域、世代、階層を残さず、一丸となって新しい大韓民国を作ってい
きましょう。
急変する国際情勢に対処できず、
古いものに包まれた時、いくつかの
歴史的な痛みを経なければならな
いかどうか、私たちはよく知ってい
ます。私たちは再び国を失った悲し
みと弱小国の苦難を子孫に受け継
がさないようにするために、退化で
はなく、発展のために、分裂ではな
く、統合のために今、国民の皆様が、
直接力を出してください。私を寒い
氷点下の天候への道を民を生かす
担い手として選び、署名してくださ
った国民の力が大韓民国を変える
と思います。今私たちは物事が 50
年、100 年後、私たちの子孫に自
慢で美しい歴史として記憶願って、
愛国愛民と民族大団結の 3.1 運動の精神を振り返り私たちみんなが一つになって、大韓民国の繁栄と平和統一と
いう偉大な道を歩いていきましょう。
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韓国民話
兄妹岩
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(2)
阪神支部 支部長 尾道 宗継
ヨインに食べさせようとアワビを採りに海辺に向かっていたピョルは一群の人たちが島に上陸するのを
見た。彼らはヨインを探しにきた馬進士の下人たちだった。ピョルは急いで岩の陰に身を隠して様子を探り、
ヨインに知らせたかったが方法がなかった。馬進士の一行は直ぐにピョルの小屋を見つけ、下人三、四人を
小屋の外に見張りに立たせてオクスといっしょに小屋の中に入った馬進士は部屋の中で寝ているヨインを
見つけて悲しみに胸が塞がれた。
「こやつ、さっさと起きろ!」馬進士の怒鳴り声にヨインは絶望した。彼は起き上がって逃げようとした
が、気力がなくその場に座り込んでしまった。
「ピョル……!」絶叫しながら父親に連れて行かれるヨインを見ながら、ピョルは岩の陰に身を隠し声を
殺して泣いた。一行が船に乗って島を離れるのをピョルは岩の絶壁に駆け上がりヨインの乗った船が夕日の
沈んだ海のはるか向こうに去っていくのを見届けた。
ヨインと尹大監の(ユンテガム)の娘との結婚準備が速やかに進められていた。その日以後ヨインは諦め
たかのように父親の言うとおりに従っていた。馬進士は息子のそんな様子に安堵しながらも、いつまたぶり
返すかもしれないと警戒を緩めずにいた。完全に安心するために、禍の根を絶ってしまわなければならない
と考えた馬進士はオクスを呼び入れた。「今晩、メモル島に行ってその娘っ子を亡き者にしてこい、絶対誰
にも悟られないようにしろ」密命を受けたオクスは夜になるのを待って舟に乗ってメモル島に向かった。満
月が明るく輝いていて舟を漕ぐのに苦労はなかった。島に到着したオクスは匕首(あいくち)を懐にピョルの
小屋に近づいた。オクスはメモル島事件の後、その乙女が自分が棄てた双子の一人かもしれないとの思いを
拭い去ることができなかった。
その頃、ヨインもメモル島に向かっていた。彼が父親の言うことを聞いていたのは偽装に過ぎなかった。
夜昼となくべったりとくっついて監視していたオクスがいなくなったので、ヨインはこっそりと家を抜け出
し、盗んだ舟に乗ってメモル島に向かって艫を漕いでいたのだ。オクスが彼女を殺すためにメモル島に向か
っているとは夢にも知らないまま、ヨインはピョルに会えるという思いで胸をときめかせていた。
小屋の中は空っぽだった。オクスは匕首を握って小屋の中を隅から隅までくまなく探したがピョルの姿は
なかった。台所を探していたオクスの目が隅に置かれていた竹篭にとまった。十九年前彼が赤ん坊を乗せて
海に浮かべたその竹篭に違いなかった。
「やはり……」オクスは自分の推理が当たっていたことを知って会心の笑みを浮かべた。
ピョルは丘の上の絶壁に立って、月の光りにゆれている海をじっと眺めていた。オクスは体をかがめてご
そごそ這いながら岩の絶壁に近づいていた。近くで見る彼女の姿は死んだ馬夫人とそっくりなのを知って、
オクスは胸がドキッとした。馬進士の家に嫁に来た馬夫人を初めて見た瞬間からオクスは彼女を恋してしま
い片想いに苦しんだ。おくるみに包んだ赤ん坊をどうしても殺すことができなかったのは夫人を愛していた
からだ。その愛する人が娘を失った衝撃から抜け出せずにとうとうこの世を去った時、オクスは胸が張り裂
けるように痛かった。彼女が死んだ後、オクスは誰も愛したことがなかった。
月が雲間に隠れて、周りが闇に包まれ始めると、ピョルは目をつぶった。ふた筋の涙が頬を伝って流れた。
もうこれ以上寂しさに耐える自信がなかった。死ぬことを決心したピョルが絶壁の下に身を投げようとした
瞬間、オクスがさっと走りより彼女を抱きしめた。「いけません、お嬢様!」オクスは気が立った闘牛のよ
うに荒い息を吐きながらピョルを地面に投げ倒し、ビリビリと彼女の服を破り始めた。彼女の裸身が現れる
と気が狂ったようになったオクスは全身を震わせながらズボンを下ろし、ピョルを突き倒して自分の体を押
し付け始めた。絶体絶命の瞬間、鈍い音と共にオクスは悲鳴を上げて倒れこんだ。ピョルの悲鳴を聞きつけ
て走ってきたヨインが棒切れでオクスを殴りつけたのだ。「天罰を受ける奴!」ヨインは倒れているオクス
の顔につばを吐きかけた。「何だと?天罰を受けるのはお前たちだ、ウフフフ……」
オクスは狂ったように笑いながら匕首を握って突進してきた。彼の目が狂気にぎらついていた。やみくも
に振り回す匕首を避けてヨインは次第に絶壁の端に追い詰められた。最後の一撃を加えようと心臓を狙って
突き出した匕首をどうにか避けた瞬間、オクスは勢い余って絶壁の下に消えていった。
ピョルはまだ衝撃から抜け出せないかのように倒れたまま泣いていた。月の光の中に露わになった彼女の
裸身はまぶしかった。ヨインは静かに近づいて彼女を抱いてやった。ピョルはヨインの胸の中に熱く燃えな
がら抱かれていた。柔らかい乳房の感触が母親の懐にいるような安らぎを与えた。ピョルの涙を拭いていた
ヨインの手が止まり、二人はしっかりと熱い思いで見つめあった。そしていつの間にか唇を重ねていた。そ
の時だった。天地をゆり動かす雷の音と共に稲妻が走った。二人の男女は明滅する稲妻の中で次第に岩にな
っていった。
あくる日、ヨインを探しにメモル島に来た馬進士は、海に浮かんでいるオクスの死体といっしょに、しっ
かりと抱き合ったまま岩になっている男女の姿を発見して慟哭した。後日、人たちはこの岩を兄妹岩と呼ん
だが、統営市(トンヨン)の向こうに見える島、メモル島は禁じられた愛に燃えた双子の思いを残したまま、
海の上に寂しく浮かんでいる。
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FPU第 16 連合会(兵庫・岡山・鳥取)
月刊 平和統一 NEWS
第 92号
申 日東(シン イルトン)の履歴(歴史とイデオロギーの狭間で生きた)(3)
申 日 東(元章)民族学校教職歴22年 神戸市在住
この自分史は日東自らがアルツハイマーと宣告された後、殆ど盲目(0.02)で薄れ行く記憶を
辿りつつ、パソコンの音声を頼りに書き下ろした文です。書き漏らしたことも多く、また重複した
部分も沢山ありますが、短編集を読む感じで読んで下さい。
校長先生は、その話を聞いて「9歳の君が1人で勉強する為に帰国したとは感心な事だ。明日から学校
へ来て一生懸命勉強し立派な人になりなさい」と言いながら頭を撫でてくれました。そして、三年生の担
任の先生に「この子に3年生の本を出してあげなさい」と言いました。
先生も話を聞いて、驚きながら3年生の国語、算数、音楽などの教科書を風呂敷にいっぱい包んでくれ
ました。日東はその風呂敷包みを担いで外家(母方の実家)の斗大里に帰り外祖母、外叔父に「私が勝手に
今日、上南小学校に行って入学してきました。鳳林に帰ると叱られると思って外家に来ました。明日から
此処から学校へ通わせて下さい」と頼むと、外祖母と故郷近在で秀才で名高い外叔父はきつく抱いて、
「お
前は偉い子供や、外家から学校へ通え」と言って褒めてくれました。しかし、貧しいからノートも鉛筆も
買ってもらえませんでした。一週間ほど、外家から学校へ通いましたが、いつまでも鳳林に帰らない訳に
もいかないので、鳳林里に日曜日に帰りました。そして、外家の叔父に頼んで通学させて貰いました。
「明
日から此処から通学します」と言うと従祖父(申宗玄)の子、申達(地下革命家・南労働党員)、申遂(末っ子
の遊び人、その後、昌原小学の教師)の2人の叔父も「入学できたのは良かった」と言ってくれました。
しかし、朝晩は農作業を手伝うんだよと釘を刺しました。大人の遂は末っ子で甘やかされ農作業は一切
せずに遊んでいました。
日東は明るく日から朝早く起きて、牛の餌になる草をひと背負い刈ってきて、牛粥(朝鮮では牛に草粥
を与える)を炊いて牛に与え、残りの草は牛小屋に敷いて寝床にして、後で堆肥にするのです。そんな農
作業をした後に、朝食をかきこんで風呂敷に包んだ本を担いで学校へ走って行きました。
しかし、とっくに授業は始まって一時間目が終わりかけの頃で、学校に遅刻の毎日でした。農作業の中
でも最も辛いのは、畑の肥料にするための真冬の犬糞拾いでした。しばれる冷気が鼻を突き抜けそうな中
で、5~6㎝も盛り上がった霜柱を、ゴム靴でザックザックと踏みながら頭が割れそうな寒さの中を歩き
回り犬糞を見つけてホミと言う道具でかき取り、時に糞の欠片が口に飛び込むこともありました。
日東のあだ名は遅刻大将になりました。遅刻してきた日東は、遅刻の罰だと言って運動場を10周も走
らされたりしました。2時間目からふつうに教室で勉強しましたが、相変わらずノートも鉛筆も持ってい
ないので、先生のお話や黒板に書いて下さることを頭で暗記するしか方法がありませんでした。
学校からの帰りの道々、金君と今日、先生に習った歌を歌い、また難しい言葉の意味を暗唱したりし
ながら、「慰安とは心を慰める事」と帰りました。今、思い返せば金君は秀才だったのです。家に帰り着
くとチゲ(背負子)を担いで牛を追い、裏山に登り牛に草を食べさせながら薪を拾ってチゲを担ぎ、暗く
なって家に戻り、牛を牛舎に戻し薪を軒下に積んで夕食にありつきました。夕食後はまた、縄を綯(な)
いました。そして10時頃、部屋に入りオンドル(温突・床暖房)の上に敷布のような布を被って疲れき
った体で眠りこけました。また明くる朝は、早朝から牛の餌を刈り農作業をして学校へ行く毎日が3年間
も繰り返されました。6年の時、修学旅行にも行けませんでした。その頃は、学校はまだ義務教育では無
かったので、月謝が要りました。しかし、月謝を出し
てくれる人は誰もいません。日東以外にも貧しくて月
謝を期問内に払えなかった生徒は校庭に呼び出され、
「今から家に帰って親に月謝を貰ってきなさい」と追
い返されました。日東は彼等と一緒に追い返されまし
たが、お金を貰いに行く家がありません。一緒に帰国
した叔父は豊かな農家の農奴になって働いているの
を知っていたので、その働いている田んぼに行って、
「叔父さん、お疲れ様、今日学校から月謝を貰って来
いと追い返されましたが、行くところが無いかから叔
父さんの顔が見たくて此処に来ました」と呼ぶと、田
んぼから出て来て力一杯抱きしめてくれました。「可
哀想やな、わしにも金が無いからどうしようもない」。
暫く畦道に座って色んな話をして学校へ帰りました。
職員室に入り担任の先生に事情を話しました。「私
には誰も月謝を払ってくれる人が居ません」と涙ながらに訴えました。すると先生はぎゅっと抱きしめて、
「分かった。これからは君の月謝は先生が出してあげるから心配せずに学校へ来て、一生懸命勉強しなさ
い」と言って励ましてくれました。先生は小学校を卒業するまで自分の月給の中から、月謝を払い続けて
くれました。
<つづく>
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雲水(くもみず)の行方や何処(いずく)なるらん
第 92号
(23)
~韓(から)くに雲水の旅・慶尚南道、故郷の地を歩く~
FPU 兵庫 副会長
元臨済宗東福寺派 京都総本山東福寺 塔頭 即宗院
曺 小 煥
前号(91号)では趣を変えて、もうひとつの祖国である北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)について55
年前に抱いた理想と、なぜその祖国への帰還船である新潟港から出港する万景号に乗船することが出来な
かったかを述べた。当時の1960年は南北の朝鮮・韓国の学生たち
と「在日朝鮮人学生」の結集した力で38度線の分断が解かれてもう
一歩で統一が達成できるのではという瀬戸際まで来ていたのであった。
慶尚南道昌寧郡の東部に位置する新羅時代の古刹、国宝観龍寺の大
雄殿(金堂・本堂)に四人の老僧が円座を作って語り合っていた。四人
の老僧の平均年令は80才に達していた。共通していることは、共に
植民地時代における暗黒的天皇制時代の日本帝国の軍国少年として多
感なる青春と少年時代を送ったということであろう。故に日本からや
ってきた母国語をほとんど話せない在日臨済僧を前にしても言葉の障
壁は全くなく、会話は全て流暢な日本語であった。
彼が27歳の時に、北朝鮮への帰還船に乗船することが出来なかっ
たとの話を聞いて観龍寺の住持は彼のその努力をねぎらいつつ、次の
如く彼に語った「あの時は最高に学生たちの統一への運動も盛り上が
っていました。38度線以北の学生たちの盛り上がっている様子がニ
ュースで連日伝えられていました。朴正煕らの軍事クーデターがあっ
て、南北学生会談の統一運動に弾圧が強まらねば朝鮮半島は統一してい
たでしょう」
大雄殿内の四人の老僧に静寂な時が流れた。最高齢者の元学長僧が語
った。「当時は、互いにまず相手を敵ではなく同胞として見つめ、そこ
から一歩進んで、同じ人間として、民族として、同じ血筋の兄弟として
見る事の出来る愛情を持とうという風潮が学生はもとより一般市民に
も沸き起こりましたよ、統一は時間の問題だったと誰もが思ったのにと
ても残念でなりません」
彼はメモ帳を取り出して、その言葉を書き留めた。日本に戻ったら、
いつか機会があれば文章にすべきだと思った。元法隆寺僧が「私もその
ことについて一言語ってみたいと思います」おもむろに三人の僧の顔を
ひとわたり眺めて話を続けた。四人の老僧による半島の統一論であった。
「南北朝鮮の統一は南と北の政府間の交渉だけで、ある日、突然のよう
に上から実現するものではなく、それぞれの市民が統一を望み、統一を
可能にするようなものを共有することの上に成り立つものであると考えます」
彼はペンを手にして質問した。
「何を共有することが必要なのでしょうか?」
「そ
れは経済体制が相当に類似していることが必要だということです」ここでしば
らく会話が途切れた。住持が口を切った。
「1989年にベルリンの壁を解放し
てドイツ統一の基礎を下から作ったのは市民でした。その中心に青年学生の存
在があったのです。市民と学生が分断国境を越えて統一の基礎を作るという点
ではまさしく共通です」古刹の夜に静寂さが深まった。
一夜が明けた。観龍寺住持が述べた。
「昌寧の地は曺氏の本貫の地です。今日
は私たちがこの地の隅々までご案内しましょう。貴僧にとっての大切な風景が
至る所にあります。先ず曺家の山城がある火旺山に行きましょう」
三人の老僧に案内されて先史時代より伽耶時代にかけて築城されたという標
高 800m の火旺山を中心にした、うっそうとした森に分け入った。元学長僧が
曺家の歴史をかいつまんで話してくれた。それは彼の家に伝わっているチョッポ(族譜)と同じ内容であっ
た。その地には、ここのつ(9ヶ所)の泉川があり、みっつ(3ヶ所)の池があると記されていた。
新羅真興王の時代に伽耶国昌寧郡を王より伽耶滅亡の後、曺家に下賜されたそうだ。四人の老僧が向か
っている古跡(史蹟64号)火旺山古城である。清らかに水の流れる渓谷が絶景であった。昌寧郡立公園と
してツツジが満開であった。やがて昔のままの城郭と優雅な池などが様々な姿で所々に広がっていた。
元学長僧の後を引き継いで観龍寺住持が語った。「昌寧伽耶が新羅に併合された時、それを良しとしな
かった曺家の長女姫が1軍団を率いて海へ逃れ、九州を経て瀬戸内海を東へと向かい、現在の伊勢湾に到
達したと、この地方の古文書に記され、伝説として残っています。その女性が伊勢神宮の祭神だとされ、
当地方の伝説として、古くから定着しています。たとえ神話の世界でしょうが、天照大神は曺家の先祖ハ
ルモニ(祖母・おばあちゃん)ということになりますが、曺スンニムは、如何思われますか」
<つづく>
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月刊 平和統一 NEWS
第 92号
私の期待するドナルド・トランプ像
京都大学名誉教授・FPU京都会長 渡辺 久義
私がここに書かせてもらっている毎月のエッセーが、字数制限があるために、いつも欲求不満に終わって
いる。一度、私の考えをまとめて書きたい、そのためには最低、この5,6倍のスペースが必要だと考えて、
私の関係する世界平和教授アカデミーの雑誌「世界平和研究」に載せてもらうことにしたが、私の書くもの
に対してかなり“抵抗”があることがわかった。ある意味で私は“危険思想”の持主のようである。私は私
に対するそういう見方を予想していたので、むしろ歓迎している。この時代、危険視されないで、どんな意
味のあることが言えるだろうか?
おこがましいが、私は自分をトランプ米大統領候補に重ねてみたくなる。彼の人気は高いが、同時に彼は
憎まれっ子である。そこで彼についての断片的知識から、私の期待するトランプ像を描いてみたい。まず彼
はロシアのプーチン大統領を尊敬している。ロシアは敵国として「悪魔化」されているから、それだけでも
怪しからんことである。にもかかわらず彼は、ある記者会見で「プーチンは人を殺したようだが…」と水を
向けられると、彼は怒って言った、
「それなら証拠を出してみろ、彼はそんな人ではない」と。なぜそう判
断するのだろうか? まず彼は沈着冷静で、どんなに挑発され「悪魔化」されても全く動じない。またプー
チン語録のどこを見てもわかるように、彼には表裏がない。しかしいったん決意をすると鬼のように怖い。
いきなりテロリストを撃滅してさっと引き上げる。
おそらくプーチンが狙いを定めて時期をうかがっている、もっと大きな標的がある。そしてその標的はト
ランプの標的と一致する。それがアメリカを背後から動かす NWO(New World Order、グローバル・エリ
ート、陰謀団、イルミナティ)である。トランプは、この売国奴たちによってアメリカが滅ぼされると言っ
ているのである。ネオコンたちから見れば、こんなとんでもない野郎は生かしておけないので、いろいろ画
策するのだが、こんなとんでもない野郎が出てこなければ、アメリカは先が真っ暗だと多くの目覚めた愛国
者は見ている。
(アメリカが9・11 直後に作った「米愛国者法」は、このような愛国者を罪に陥れる法律で
ある。
)
トランプが、ルシファー(サタン)教徒としての NWO に狙いを定めているのは、次の発言からわかる―
―「より大きな問題は、オバマがキリスト教徒に戦争を仕掛けていることだ。…キリスト教徒はこの国では
支えが必要だ。彼らの宗教的自由が危ないのだ。
」彼は、イスラム教徒をアメリカから締め出すと言ったが、
これは、キリスト教がイスラムに征服される危険があるという意味でも、人種差別の意味でもないだろう。
彼がそう言うとき頭にあるのは、おそらく、サウジアラビアという NWO の同盟者で、NWO 寡頭支配者の
ようにテロリストを使って世界制覇を狙う、サウド王族スンニ・イスラム少数権力のことである。サウジア
ラビアは、アメリカ製兵器の最大の顧客で、テロリストの給料も払ってくれる超金持ち集団であり、アメリ
カの権力エリートと同じように、個人が国を動かしている。トランプが、イスラム教徒を入れないと言うと
き、考えているのは、この同盟に雇われるイスラム過激派のことだと思われる。実際、そのような者による
大規模テロが、いつアメリカ本土で起こってもおかしくない。ディック・チェイニーがだいぶ前に、今度起
こるテロは9・11 どころの規模ではないと予言したことがある。
(トランプは大衆に向かってこんなややこ
しいことは言わない。
)
また彼は、報道機関が自由の名において守られていることに、あえて異を唱えてこう言った――「新聞が
故意に、ネガティブで恐ろしい虚偽の記事を書くときには、我々は彼らを訴え、多額のカネを請求できる。
…ニューヨーク・タイムズが、完全に名誉棄損であるような攻撃記事(hit piece)を書いたり、別の理由で
存在するワシントン・ポストが、攻撃記事を書いたりするときは、訴えてカネを取ればよい。彼らが完全に
保護されているという理由で、それができないのはおかしい。
」これは明らかに、完全に政府の御用新聞と
なり、共犯者になっている主流メディアを改革する(というより本来の姿に戻す)ということで、NWO の
武器であるプロパガンダの手段を取り上げると言っているのである。
トランプは過激発言で人を引き付けるが、新聞報道によれば、
「CIA の拷問はやめる必要がない、水責め
などは生ぬるい、俺ならもっと恐ろしいのをやる」と言ったらしい。新聞はこれを真に受けて国際法云々な
どと言っているが、こんな冗談なら誰でも言うだろう。これは今の CIA がやっている、吐くものがないの
に吐かせる拷問でなくて、吐くものを腹いっぱい溜め込んでいる者たちの拷問のことであろう。NWO はウ
ソと隠し事で成り立っていた政権である。
この期待ははずれるかもしれないが、私はトランプとプーチンが協力して、この世界を浄化してくれるこ
とを夢見ている。
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金首露王の子孫
月刊 平和統一 NEWS
日本家系研究学会
第 92号
与那嶺正勝
日本列島に最も多い渡来系氏族は首露王の子孫である。
現在の山口県を中心に繁栄するこの一族は多多良(タタラ)という大和姓を与えられ多くの偉人を
輩出している。多多良は多羅という国の名が元となっている。
朝鮮半島に於いては首露王の 13 代目に金ユシンが新羅の将軍となりその子孫が金海金氏となっ
ていき、最も多い族譜を持つ一族として繁栄した。
地図を見れば明らかであるが、玄界灘の北岸(釜山)と南岸(山口県)に昔は国境は無く、自由に
往来して強く結ばれていたのである。
特に、鉄の精錬に優れた技術を持って大和に来たことにより、大和国では鉄の精錬所のことをタタ
ラといい、この一族の姓としたのである。
ジブリ映画の「もののけ姫」に出てくる製鉄所のイメージを想像されるとよい。五世紀ごろ鉄砲は
無かったが、山口県では山内(サンナイ)という高い木の杭で囲い技術者達が住んでいたのである。
特に山口という意味は製鉄所の山内に至る入口からきた地名から県名となったのは間違いないで
あろう。ここにも首露王一族の影響がはっきり残っているのである。
今日、世界遺産にもなっている奈良県の東大寺大仏は山口県美祢市にある長登銅山で大量の銅が精
錬された結果、造営に至ったことは有名な話である。
日本はジパングとも言われるように、金や銀、銅の鉱山がその後各地に発見され開発された。
銀山では多多良一族が開いた石見銀山があるし、佐渡銀山をはじめ、陸奥の銅山も昔から開発され
東大寺大仏の建立にも利用されたのである。
和歌山県の熊野神社は鉄の産地に立つ神社であり、神武天皇が九州から出て、奈良の生駒山で戦い
敗れた時、グルっと紀伊半島をめぐり反対側の熊野から奈良を攻めて勝った。
その理由が鉄剣を手に入れたからであることは神話にもなっている。
その鉄の精錬一族が鈴木・榎本・宇井一族であり熊野神社の神主となった。
特に、鈴木一族は各地の砂鉄の豊富な個所に移住したが、現在の静岡県や伊豆、千葉県の安房地方
の砂浜沿いに北上した。砂鉄の取れる浜を移動していったのである。
一般に稲作の神を祭る神官として各地に神社を創建しているが、もともとは太陽神である熊野大神
を祭る一族である。神の名は八咫烏という。
即ち、製鉄の火(太陽)の神である。この一族も多羅の国から来たと思われる。
話を戻すと、タタラ一族はやがて大きな山内を営み、苗字を大内氏と称した。
首露王の 10 代目琳聖王を中心に倭国山口県に渡来して、多くの氏族に分かれたのである。
揚井一族として高守、豊田、中村、小川氏が出て子孫は江戸時代長門国の藩主となった。
大内一族として宮野、宇野、黒川、仁戸田、光井(三井)、杉、得地、仁保、末武、吉木(吉敷)、
石田、鷲頭、問田、野田、江木、吉川、平野、陶(末江)、石田、矢田、野上、浅田、玉井、右田、
小幡、高名、氷上、山口、冷泉氏などなど実に多彩な人脈となって今日の日本を支えている。
特に大内氏は 400 年前キリシタン大名として戦国時代に覇を競った。
ゆえに、はっきり言えることは、韓国ドラマの「鉄の王・金首露」は実は日本人の先祖の物語であ
る。朝鮮半島より日本列島の方に子孫が多いので、日本人の先祖の一人であるといってもよいので
ある。
韓国も日本国も元は同じ根から分かれている人が多いのは当然ではないだろうか?
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第 92号
錦山 文潤國先生の詩
東風細雨 동풍세우
朝遊碧江暮登高
絶壁雲林鳥獣家
昨夜東風芳草上
一犁細雨水增波
조유벽강모등고
절벽운림조수가
작야동풍방초상
일리세우수증파
동풍과 이슬비
아침에 푸른 강에 놀다가 저녁에 높이 올랐노라
절벽 마루 구름에 잠긴 숲은 새와 짐승의 집이니라
간밤의 동풍에 향기로운 풀이 더욱 자랐으며
잔잔한 가는 비에 계곡 물이 더욱 불어났네
東風と霧雨
朝 青江に遊び 夕べ高きに登る
絶壁の雲林を 鳥獣 家と為す
昨夜来の東風は 香ばしく草萌え
一筋の霧雨に 渓水 増したり
FPU兵庫 渉外部長 金 豊 鎬
なぜ船酔いする? どうしたら防げる?
船に乗って沖釣りに手かけたものの、船酔いでずっと寝ていたという苦しい経験がある人もいるだろう。また、
船で島へ遊びに行こうとして、船酔いでタウンしたという人もいるはずだ。船酔いも含めた乗り物酔いは、個人
差が大きく、クルマではまったく酔わないのに船はダメという人もいれば、車や列車は大丈夫でも、飛行機や船
だと酔うという人もいる。一般に、船はほかの乗り物に比べて酔う人が多く、初めはめまいや生あくびが出て、
やがて動悸や頭痛、吐き気などを催す。さらに悪化すると、嘔吐を繰り返し、楽しみにしていた旅行やレジャー
が台無しになることもある。その船酔いを防ぐ対策としては、以下のような方法がある。睡眠をしっかりとり、
直前の食べすぎ、飲みすぎを避ける。市販の酔い止め薬を服用する。読書やゲーム機、携帯電話の操作を控える。
前方の遠方の景色をみる。おしゃべりをしたり、音楽を聴いたり、眠るといった方法だ。
船酔いの原因は、いまだはっきりとはわかっていないが、耳の内部にある内耳器官と関係するという説が有力
ではある。それによると、耳石器と三半規管に大きな加速度がかかるが、それらの器官にかかる加速度と他の知
覚器官による加速度情報が食い違うことが、原因になるとみられている。
船酔いを防ぐには船のどこに乗ればいい?
同じ船の中でも、酔いにくい場所はあるのだろうか?
たとえば、5000 総トンのクルーズ客船で、2 メートルの縦波のなかを 18 ノット(時速約 33 キロ)の速度で
航海したとき、場所ごとの乗客の嘔吐率を調べたというデータがある。それによると、もっとも船酔いする人が
少なかったのは、船体中央からわずかに船尾側に寄った場所だった。そして、そこから船首と船尾へ近づくほど、
船酔いをした人が多かった。実際、クルーズ客船で、船首や船尾にレストランを設置している船はないはすで、
また貴賓室などの高級キャビンは、もっとも船酔いしにくい部分に設けられているものだ。ただし、よく横揺れ
する船は、船体が安定していて、横揺れしにくい船に比べて、船酔い率が一気に高くなる。しかも、船内のどこ
にいても嘔吐率が高く、乗客にとっては逃げ場がなくなる。そこで、船の世界では、昔から横揺れしにくい船が
開発されてきた。その代表が、半没水型双胴船と全没翼型水中翼船である。双胴船は、2 つの船をつないだ形を
した船で、安定性が高く、横揺れが少ない。しかし、上部船体により多くの構造部材を必要とするため、船体が
重くなり、大型化が難しい。しかも、水との接触面積が広くなるため、抵抗が増し、スピードが出にくいという
欠点があった。20 世紀後半から、アルミ合金をつかうことで軽量化に成功し、日本では芦ノ湖遊覧船や熊本港
と島原港を結ぶオーシャンアローなど、観光船やカーフェリーとして建造されてきた。水中翼船は、船腹よりし
たに「水中翼」をもち、高速航行すると、揚力によって船体が海上に浮いて、水中翼だけが水中に浸かっている
形になる。そのため、波の影響を受けにくく、横揺れしにくい。日本では、1960 年代に商業用の水中翼船が登
場し、現在は、高速軍用艇向けに開発された技術が民間に移転され、各地で利用されている。
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『千字文』と韓国語〔24-1〕
曺 小 煥
有 虞 陶 唐
있을 유
ゆう
ある
나라 우
ぐ
おそれ
질그릇 도
나라 당
とう
すえ
とう
から
ゆうぐとうとう=みかど(虞帝)と、みかど(唐帝)あ
り、と読む。有虞は有虞氏と号し、舜(古代の伝説上
の聖王)のことであり、陶唐は陶唐氏と号し、尭(古代
の伝説上の聖王)のことである。聖王とは皇帝のこと
である。
∴618 年、李淵の建てた唐の国ではない。
『千字文』は4字熟語が一句であり、2句が一対に
して掲げる。したがって前句(23)と当句(24)
を合致させると、
「推位譲国・有虞陶唐」で、読み下
しは「位を推(ゆず)り、国を譲ったのは、舜や尭(ぎ
ょう)であった」である。
∴『千字文』よもやま話(64)
本文(24)と前文(23)は形式(文章)が難解である。
故に一文字たりとも軽んじることなく目を通して欲
しい。
本紙「平和統一 NEWS」では『千字文』に登場し
てくる人物にていては、さほどに書くということは
なかった。紙面が限られているからである。本稿の
「舜」について簡略化して記しておきたい。
舜は、幼い時に、母を喪った。父は後妻を娶り、
弟を生んだ。後妻は常によこしまな気持を持ち、父
をだまし、舜を殺そうとした。が失敗をして年月が
過ぎて父は両目が見えなくなり、義母は耳が聞こえ
なくなり、弟は話せなくなった。舜の孝行が始まり、
尭帝はそれを聞いて舜に位を譲り渡した、とある。
有=ゆう、う、ある、あること、もつ、たもつ
虞=ぐ、おそれ、うれい、おもんばかる、いましめ、
やすらか
陶=とう、すえ、せともの、やきもの
唐=とう、から、大言、はら、広い、
むなしい、にわか
第 92号
3 月 04 日
3 月 05 日
3 月 18日
3 月 25日
活動内容
定例役員会
開催
平和統一セミナー
開催
韓国語教室(中級)
開催
韓国語教室(中級)
開催
4 月 06 日
4 月 08日
4 月 16 日
4 月 22 日
4 月 22 日
行事案内
定例役員会
韓国語教室(中級)
平和統一原理セミナー
韓国語教室(中級)
韓国料理教室
編集後記
■今、FPU兵庫の主催で開催されている連続
講座の「平和統一セミナー」が、時節がらに
あって大変興味深く勉強になる。第1回は1
月23日に「韓国の南北政策と北朝鮮」のテ
ーマで終え、第2回は3月5日に「北朝鮮の
核・ミサイル開発と外交」であった。
「在日」
にとって聞き逃す事の出来ない問題が語ら
れている。次回は5月14日(土)である。テ
ーマは「韓国の太陽政策と中・朝関係」につ
いてである。日本に住む韓国(朝鮮)人にとっ
て懸念される憂慮すべき事柄が一点あるこ
とに気付かされた。「民族としての尊厳」と
「人間としての人格」であった。
2月21日に大阪韓国総領事館前で、偏狭な
ナショナリズムで在日韓国(朝鮮)人を日本か
ら排除しようとする集団がいた。人が人を排
除することは「虐殺につながりかねない。1
922年に7,000人の朝鮮人が虐殺された
関東大震災をほうふつとさせる。
」そして3
月6日の東京・銀座での彼らの朝鮮人らを標
的としたヘイトスピーチ(民族差別扇動行為)
のデモが行われたことである。彼らの持つプ
ラカードには「朝鮮学校を解体せよ」とあっ
た。これらの現実を踏まえて、私たちが近畿
圏在住の「在日」を中心に平和統一セミナー
講座での韓(朝鮮)半島での現在の歴史を学
び、耐え難い言葉を浴びせられても沈黙し、
萎縮することなく、この日本で知識を持たね
ばならないと思う。
「日本人でも外国人でも、いい人もいれば
悪い人もいる。国籍で差別するのはおかし
い」と言いたい。(曺)
■愛する心があれば
誰でも心を開く
『自叙伝より』(樹)
投稿記事募集
機関紙
月刊『平和統一 NEWS』
<編集委員会>
委 員 長
文 聖 純
副委員長
曺 小 煥
編集局長
福田秀樹
編集委員
朴 文 恵
編集委員
金 豊 鎬
編集委員
廣瀬純子
交流の広場への投稿記事を募集し
ています。
FAX.078-367-4323
E-mail:fpuhg@tn.main.jp
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