【盛 岡 市 遺 跡 の学 び館 学 芸 レポート No.001 2012.12.12】 大正・昭和初期のビール瓶と美人画ポスター -史跡志波城跡 第 107 次調査区表土 出土のビール瓶 と関連広告ポスターについて- 盛岡市遺跡の学び館 津嶋知弘 1. はじめに 遺 跡 の発 掘 調 査 を行 うと,重 機 で除 去 を行 う表 土 及 び所 謂 「攪 乱」と呼 ばれる近 現 代 のゴミ穴 から各 種 ガラ ス瓶 が出 土 することがよくある。多 くの場 合 それらガラス瓶 は,発 掘 調 査 対 象 とする遺 跡 の時 代 とは関 連 性 が ないことがほとんどであり,採 集 対 象 外 としてその場 で廃 棄 されるか,採 集 されたとしても刊 行 される遺 跡 発 掘 調 査 報 告 書 に記 載 ・掲 載 されることはほとんどない。しかし,明 治 維 新 後 ほどなくしてワインやビールなどの容 器 として国 産 ガラス瓶 は製 造 されており,日 本 最 古 の国 産 ガラス瓶 は明 治 22 年 (1889)製 と大 変 古 く(山 下 1990),「製 作されてから 50 年 以 上 経 過 したもの」という文 化 財の定 義 からして価 値 のあるものと言える。また, 映 画 「ALWAYS 三 丁 目 の夕 日 」が公 開 されて以 降 ,「昭 和 ブーム」ともいうべき流 行 が起 こり,昭 和 30~40 年 代 の資 料 にさえ「なつかしい」文 化 財 としての脚 光 が集 まるようになっている。 盛 岡 市 遺 跡 の学 び館 では, 平 成 23 年 度 テーマ展 として「もりおかの近 代 遺 産」を開 催して近 代のガラス瓶 を展 示 解 説し,学 芸 講 座「盛 岡 の地 中 から発 見 さ れたガラ ス瓶 -明 治 から昭 和 にかけてのガラス瓶 -」 を行 った。当 該 講 座 資 料 ( 神 原 2011)については,盛 岡 市 遺 跡 の学 び館 のホームページからダウンロードすることができるので,詳 細 はそち らを参 考にされたい。 本 稿 では,国 指 定 史 跡 の発 掘 調 査 時 に出 土 した第 二 次 世 界 大 戦 前 製 造 のビール瓶 を取 り上 げ,あわせ て偶 然 著 者が同 時 期 に入 手した当 時 のビール広 告ポスター(所 謂「美 人 画 ポスター」)について紹 介 する。 2.サクラビールのビール瓶 志 波 城 は,延 暦 22 年 (803)に坂 上 田 村 麻 呂 が律 令 国 家 の命により造 営 した,古 代 陸 奥 国 最 北 端 ・最 大 級 (一 辺 約 1km 四 方 )の城 柵 であり, 国 指 定 史 跡 となっている。昭 和 51 年 (1976)より継 続 的 に発 掘 調 査がおこ なわれており,その成 果 に基 づき, 五 間 一 戸 の巨 大 な外 郭 南 門 や築 地 塀 ,櫓 ,政 庁,官 衙 建 物 などが復 元 整 備 されている(津 嶋 2004)。 本 稿 で取 り上 げる第 107 次 調 査 は,志 波 城 跡 の外 郭 西 辺 北 部 の市 有 地 を対 象に実 施 し,SD170 外 郭 西 辺 築 地 外 溝 跡 ,SD070 外 郭 西 辺 外 大 溝 跡 などを確 認 しており,今 後 計 画 されている外 郭 西 辺 部 の史 跡 整 備 に 向 けて貴 重 な成 果 を上 げることができた 。ビール瓶 (右 写 真 ,第 1図 版 ) は,その表 土 除 去 の際 に出 土 したものであり,周 囲 からは牛 乳 瓶 ( 岩 手 牛 乳 ),清 涼 飲 料 水 瓶 (三 ツ矢 サイダー),清 酒 瓶 (岩 手 川 ), 瀬 戸 美 濃 染 付 なます皿 (印 判 摺 り)などが出 土している。 ビール瓶 の特 徴を観 察 すると,高さ 28.5cm,口 径 2.5cm,肩 幅 8.3cm, 底 面 径 7.0cm であり,底 部 の一 部が削られ,全 体 的 に引っ掻 き傷がある ほかは完 形 であり,いかり肩 の所 謂「大 瓶 サイズ」のビール瓶 である。瓶 色 出 土したサクラビールの瓶 と は,よく見られる茶 色 ではなく緑 色 であり,肩 部 に右 読 みで「登 録 商 標 」の 大 正 時 代 のラベル(参 考 ) 1 浮 き出 し文 字 とともに桜 花 のマークが陽 刻 され,胴 部 下 端 には「 SAKURA BEER」と右 読 みで「サクラビール」 の浮き出し文 字 ,底 面 には「TGC」の浮 き出し文 字 がある。ラベルは残 存していない(写 真 は参 考 資 料 )。 ではこの「サクラビール」とは,いつどこで製 造されたビールなのであろうか。今 からちょうど 100 年 前 の明 治 45 年 (1912),福 岡 県 門 司 市 (現 北 九 州 市 門 司 区 )の山 田 弥 八 郎 らが,当 時 隆 盛 を誇っていた神 戸の鈴 木 商 店 の援 助を受 け,「帝 国 麦 酒 株 式 会 社」を設 立 ,翌 大 正 2 年 (1913)には工 場が完 成してビール醸 造 を開 始 した。この九 州 に初 めて誕 生 したビールのブランド名 が「サクラビール」であった。日 本 におけるビール 醸 造 の 歴 史 は,大 きく分 けて横 浜 と札 幌 で始 まり,横 浜 で設 立 されたのが 後 の「麒 麟 麦 酒 株 式 会 社 」であり,ブラン ド名 を「キリンビール」として現 在 に至る。一 方 ,札 幌 で設 立 されたのは「札 幌 麦 酒 会 社」であるが,明 治 39 年 (1906)に「日 本 麦 酒 株 式 会 社」「大 阪 麦 酒 株 式 会 社 」と 3 社 合 併 して「大 日 本 麦 酒 株 式 会 社」となり,ブランド 名 を「サッポロビール」「ヱビスビール」「アサヒビール」とした。大 正 3 年 (1914)に始 まった第 一 次 世 界 大 戦 は 日 本 に好 景 気 をもたらし,日 本 製 のビールは海 外 輸 出 が本 格 化 すると同 時 に国 内 消 費 の拡 大 が加 わり,業 界 は活 況 を呈した。そのような中 で登 場 した「サクラビール」は人 気 を博し,最 盛 期 には国 内シェア 9%,国 内 第 3 位 となるほどであった。昭 和 4 年 (1929)に社 名 を「桜 麦 酒 株 式 会 社 」に改 称 したが,昭 和 18 年 (1943)に 大 日 本 麦 酒 株 式 会 社 と合 併 ,30 年 続 いた「サクラビール」のブランドは消 滅 することとなった。 次 に,底 面 の「TGC」の文 字 は何 を示 すのだろうか。一 般 に,瓶 の底 面 には製 瓶 メーカーの略 号 や記 号 が つけられることが多 い。日 本 で初 めて本 格 的 な国 産 ビール瓶 の 製 造 に成 功 したのは「有 限 責 任 品 川 硝 子 会 社」であり,明 治 22 年 (1889)のことであった。当 時 はまだ職 人がガラスを吹 く方 法 で瓶が製 造 され,日 本 人 のほかドイツ人 の職 工が月 産 8~9 万 本の瓶 を製 造 ,その多 くが「キリンビール」に採 用された。しかし,その当 時 でもビール瓶 は輸 入 ビールの空 き瓶 (古 瓶 )と輸 入 した瓶 (新 瓶 )に頼 っていたのが実 情 であり,特 に輸 入 の 新 瓶 は高 価 であった。そのような中 ,明 治 23 年(1890)に設 立された「田 中 硝 子 会 社」は良 質 な国 産ビール瓶 の製 造に成 功し,輸 入 の新 瓶 より安 く納 入 することで明 治 36 年 (1903)には月 25 万 本 のビール瓶 を供 給した。 やがて田 中 硝 子 のつくる日 本 製 のビール瓶 は, 海 外 へ輸 出 されるまでに成 功 する。田 中 硝 子 会 社 は,明 治 31 年 (1989)に改 組 して「東 洋 硝 子 株 式 会 社 」と改 称 し,大 日 本 麦 酒 株 式 会 社 が東 京 で製 造 する「ヱビスビ ール」と「アサヒビール」が東 洋 硝 子 のビール瓶 に詰 められた。このような経 過 からすると,「 TGC」は東 洋 硝 子 株 式 会 社 の英 語 表 記 の頭 文 字 を使 った略 号 と考 えられ,そのビール瓶 の供 給 先 が九 州 の「サクラビール」へ も延 びていたことが推 察 される。なお,瓶 色 の違 いについては参 考 とできる文 献 に当 たることが出 来 なかった が,後 述 するビール広 告ポスターに描 かれる瓶 色 はすべて茶 色 であり,緑 色 は少 数 派 だったと思 われる。 3.サクラビールの美人画ポスター このように,大 正 から昭 和 初 期 の約 30 年 間 に北 九 州 の門 司 で製 造 されていた「サクラビール」のビール瓶 について調 べていくうちに,インターネットでサクラビールの広 告 ポスターがオークションに出 品 されていること を偶 然 知 り,著 者 が落 札した。それが第 2 図 版 1 のポスターである。 ポスターの大きさは,縦 78cm・横 50cm とA1サイズよりひと回り小 さく,洋 紙にオフセット印 刷され,上 下 端 は 薄 い鉄 板 に挟 まれ,上 部 金 具 の中 央 を裏 側 から起 こすと穴 のあいた鉄 板 が現 れ,現 在 のカレンダーのように 壁 にピンで掛けることができるようになっている。一 部に破 れや折 れ,クラフトテープによる 補 修 ,画 鋲 痕 などが あるものの,当 時 の実 物 資 料 としては状 態 が良 いものである。図 柄 は,山 岳 を背 景 に洋 装 ・パーマ・赤 いリボ ンの若 い女 性 がテーブルに両 肘 をついてイスに座 り,グラスに入 ったビールを前 に微 笑 んでいる,という構 図 の美 人 画 であり,女 性 の視 線 の先 である右 上 に「サクラビール」の赤 い縦 文 字 があり,グラスにはサクラビール のシンボルマークである桜 花 が付 いている。オークション出 品 者 は福 岡 県 在 住 の方 で,ポスターの取 得 経 緯 2 をEメールにて問 い合 わせたところ,北 九 州 市 の小 倉 で居 酒 屋 を経 営 していた方 がコレクションとして集 め , 店 内 に飾 っていたものを,閉 店 の際 に出 品 者 が譲 り受 けたもので,その前 の経 緯 は不 明 とのことであった。こ のポスターの図 柄 は,関 係 図 録 等 の書 籍にも紹 介されておらず,その詳 細 を知 ることが出 来 なかった。 では,このポスターはいつ頃 のものだろうか。ビールは,明 治 維 新 後 に新 しく日 本 に入 ってきたアルコール 飲 料 であり,ビールに対 する人 々の認 知 度 を高 め,その消 費 を拡 大 するために,各 ビール会 社 はさまざまな 広 告 宣 伝 手 段 を利 用した。ビールが家 庭 で飲 まれるようになるのは,昭和 40 年 代 の高 度 経 済 成 長 期 以 降 で あり,現 在 では「家 飲 み」が当 たり前 な 手 軽 な酒 (発 砲 酒 や第 三 のビールを含 めて)であるが,第 二 次 世 界 大 戦 前 までは,サラリーマン層 がビアホールやカフェーで「おしゃれ」に楽 しむものであった。そのようなビアホー ルやカフェーといった飲 食 店 は,ビール会 社 にとって来 店 者 に直 接 自 社 製 品 を 、また地 方 においてはビール そのものをアピールできる貴 重 な場 であり,社 名 やブランド名 の入 ったグラスやジョッキ,ピッチャー,看 板 ,盆 , 皿 ,鏡 ,掛 け時 計 ,店 員 用 の印 半 纏 など様 々なノベルティグッズが提 供 され,活 躍 した。特 に,明 治 後 期 から 登 場 したポスターは,印 刷 技 術 の発 達 とともに重 要 な広 告 媒 体 になって いく。ビールのポスターは,引 札 (チ ラシ)の発 展 形 として明 治 35 年(1902)頃 から制 作されるようになり,当 時 の一 般 大 衆 に人 気のあった美 人 画 が多 く題 材 とされた。やがて大 正 期 になると多 色 写 真 製 版 技 術 が確 立 し,大 量 に印 刷 された美 人 画 ポスター は飲 食 店 の室 内 を飾 り,また小 売 店 の店 頭 に掲 げられるなどして,ビールとい う洋 風 な商 品 を人 々にアピー ルした。現 在 まで残る「サクラビール」のブランドが入 った美 人 画ポスターを年 代 順 に並べてみると(第 2 図 版 2 ~10),大 正 期 (1920 年 代 )までは和 装 ・日 本 髪 の女 性 を描 く古 典 的 な題 材 であり,女 性 のみ,またはその女 性 がブランドラベルの見 えるビール瓶 を持 っている,といった構 図 が多 く,「給 仕 をしてくれる美 人 女 中 さん」と いった雰 囲 気 が感じられる(第 2 図 版 2~5)。その流 行 の中 から,洋 装の女 性 という現 代 的 な題 材 も現れてく るようになる(第 2 図 版 6・7)。日 本 画 家 として当 時 著 名 であった北 野 恒 富 は,印 刷 業 にも力 を注 ぎ,洋 画 技 法 を積 極 的 に取 り入 れ,美 人 画 を得 意 とし た。特 に日 本 精 版 印 刷 合 資 会 社 が賞 金 をかけて募 集 したポスター の一 等 となった図 案(第 2 図 版 2)には,7 万 枚 という破 格 の大 量 発 注がされたという(当 時の発 注 は 2000 枚 程 度 が普 通)。昭 和 初 期 (1930 年 代 )になると,洋 装 でパーマをかけた所 謂「モダンガール」がビールの注がれ たグラスを手 にするといった,女 性 自 らがビールを楽 しむという題 材 へと変 化 しており,当 時 の社 会 の変 化 を 知 ることができる。 このように見てくると,筆 者 が落 札したポスターは,第 2 図 版 8~10 に作 風が共 通 するものと思 われ,昭 和 初 期の 1930 年 代 に桜 麦 酒 株 式 会 社 (旧 帝 国 麦 酒 株 式 会 社 )が発 注 した広 告ポスターのひとつであったと考 え られる。なお,ポスターの上 下 に付 けられていた薄 い鉄 板 状 の金 具 が当 時 のポスターの共 通 仕 様 であったか は,参 考 とできる文 献に当 たることが出 来 ず不 明 である。 4.まとめ 以 上 ,史 跡 志 波 城 跡 の発 掘 調 査 区 表 土 から出 土 したビール瓶 は,大 正 時 代 に九 州 初 のビールとして誕 生 した福 岡 県 北 九 州 市 門 司 に工 場があった帝 国 麦 酒 株 式 会 社 (のちに桜 麦 酒 株 式 会 社 に社 名 変 更 )の「サク ラビール」の緑 色 のビール瓶 であることがわかった。また,ビール瓶 が出 土 した時 期 に偶 然 筆 者 が入 手 するこ ととなった広 告 ポスターについて,昭 和 初 期 1930 年 代 の「サクラビール」の美 人 画 ポスターと推 定 した。ビー ル瓶 の発 見 やポスターの入 手 は偶 然 に偶 然 が重 なったものであるが,それではなぜ, 九 州 から遠 く離 れた岩 手 県 盛 岡 市 の農 村 地 帯 の一 画 に,このビール瓶 が埋 没 することになったのであろうか。考 えられる可 能 性 は いくつかある。ビール瓶 に限 らず,空 き瓶 そのものは転 用 されることが多 く,昔 の地 方 の清 涼 飲 料 水 (地 サイダ ーなど)会 社 では数 多 く流 通していた「三 ツ矢 サイダー」瓶 に自 社ラベルを貼 って使 用しており,「サクラビール」 3 瓶 に形 状 が同 じ大 日 本 麦 酒 株 式 会 社 の「サッポロビール」や「アサヒビール」のラベルが貼 られて岩 手 ,盛 岡 に来 た可 能 性 がある。また同 様 の理 由 で,最 終 的 に各 家 庭 に行 き渡 るような内 容 物 が入 れられて埋 没 地 周 辺 の住 宅 等 に運 ばれ,最 終 的 に不 要 物 として 廃 棄 されたのかもしれない。あるいは, 九 州 の「サクラビール」 瓶 そのもの(もちろん当 時 はラベル付 きであったと思 われるが) を珍 しいものとして盛 岡 の自 宅 に持 ってきたが, 家 人 がよくある瓶 (ゴミ)と思 って廃 棄 してしまった,とも考 えられる。この瓶 の 製 造 から廃 棄 までの間 に,どのよ うなストーリーがあったのだろうか。 ちなみに,「サクラビール」が製 造されていたレンガ造 りの工 場 施 設 は,平 成 12 年 (2000)までサッポロビール 門 司 工 場 (九 州 工 場 )とし て稼 働 していたが,現 在 は「門 司 赤 煉 瓦 プレイス」という集 客 施 設 として整 備 され (国 登 録 有 形 文 化 財 「旧 帝 国 麦 酒 門 司 工 場 」) ,資 料 館 (北 九 州 市 門 司 麦 酒 煉 瓦 館 )やレストラン,地 域 交 流 施 設 となっている(第 2 図 版 6)。また,平 成 24 年 (2012)3 月 までの期 間 限 定 で「門 司 港 地ビール工 房 」と いう地 元 会 社 が,サッポロビール株 式 会 社 所 有 の成 分 表 をもとに「サクラビール」を復 刻 販 売 し,大 正 時 代 の ラベルも復 刻 したことが,ホームページで見ることができる。筆 者もビール愛 飲 家 であり,あと 1 年 早 ければ入 手 できたと非 常 に残 念 な思 いであるが,ホームページによると,その復 刻 ラガービールの特 徴 は,「糖 度 高 く, 芳 醇 なる香 味 ,淡 い琥 珀 色 にて色 沢 鮮 麗」だそうである。 ※1 本 文 中 写 真 ・第 1図 版 のラベル画 像 は,「門 司 港 地 ビール工 房 」ホームページより転 載 ※2 第 2図 版 2~10 のポスター画 像 は,神 奈 川 県 立 歴 史 博 物 館 2006,サッポロビール博 物 館 編 著 2000 より引 用 【引 用 参 考 文 献】 麒 麟 麦 酒 株 式 会 社 社 史 編 纂 委 員 会 1983 『ビールと日 本 人 明 治 ・大 正 ・昭 和 ビール普 及 史 』麒 麟 麦 酒 株式会社 神 奈 川 県 立 歴 史 博 物 館 2006 『日 本のビール-横 浜 発 国 民 飲 料 へ-』 神 原 雄 一 郎 2011 「盛 岡 の地 中 から発 見されたガラス瓶 -明 治 から昭 和 にかけてのガラス瓶 -」 平 成 23 年 度 遺 跡 の学び館 学 芸 講 座 「発 見された盛 岡のまち」1 資 料 サッポロビール博 物 館 編 著 2000 『ビールのポスター』 クレオ社 津 嶋 知 弘 2004 「志 波 城 跡 と蝦 夷 社 会」『古 代 蝦 夷 と律 令 国 家』蝦 夷 研 究 会 編 高 志 書 院 戸 松 恭 子 2010 「ADMT COLLECTION VOL.33 業 種 別 広 告 シリーズ第 6 回 飲 料(2)ビール」 AD STUDIES Vol.34 公 益 財 団 法 人 吉 岡 秀 雄 記 念 事 業 団 山 本 孝 造 1990 『びんの話』 日 本 能 率 協 会 4
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