Center for African Area Studies, Kyoto University アフリカ研究と社会が手をつなぐ 京大アフリカセンターの新たな地平 Ⅵ アフリカの観光産業は 地域住民に利益をもたらすのか? 旅行会社、開発コンサルタント、研究者の視点から はじめに 京都大学アフリカ地域研究センターは、1986 年、アフリカ地域を 対象とする日本初の国立大学研究機関として設立されました。京都 大学には 1950 年代に始まる厚いアフリカ研究の歴史があったのです が、ようやくその中核となる機関が作られたのです。1996 年に、ア フリカ地域研究の専門家を養成する大学院が設立されたのを契機 に、センターはアフリカ地域研究資料センター(以下「アフリカセン ター」)と改称され、今日に至っています。その基本理念である、長 期のフィールドワークに基づく生態・社会・文化の理解という手法は、 世界的にも高く評価されています。 その一方で、京都のアフリカ研究は、日本国内の一般社会、とり わけ東京を中心とする関東一円ではあまりよく知られていないという現 実がありました。アフリカセンターでは設立以来長年にわたって、一 般公開された「アフリカ地域研究会」をおこなうなど、アウトリーチ 活動に努めてきましたが、その範囲は京都を中心とした関西地域に 限定されていたのです。 そこで、アフリカに対する政策や援助プロジェクトの中心である東京 への発信をということで、2010 年より品川の京都大学東京オフィスに て「東京公開講座」を開催し、また京都大学全学経費の援助を得て 「京都大学アフリカ研究フォーラム in 東京」 (以下「東京フォーラム」 ) を開始しました。 東京フォーラムではこれまで、 「アフリカ研究と NPO 活動の連携は いかに可能か」 (2010 年 11 月 26 日)、 「SATOYAMA イニシアティ ブを舞台として−ひびきあう “ 里山 ”と“ アフリカの農村 ”」 (2010 年 12 月 24 日)、 「アフリカ研究と民間企業との連携はいかに可能か」 (2011 年 2 月 22 日)の 3 回が開催されています。これらのフォーラ ムでは、学界に限らず、政・産・官・民とのあらたな連携をはかるべく、 その関係者を東京オフィスに招いて、アフリカセンターを中心とする研 究者と密度の濃い議論をおこなっています。 今回、再び京都大学全学経費の補助を受け、第 2 期の東京フォ ーラム(全 4 回)を開催できることになりました。この活動を通じて、 京都大学のアフリカ研究を広く周知し、さらなる研究・実践活動の契 機になることを期待しています。 京都大学アフリカ地域研究資料センター センター長 木村大治 アフリカ研究と社会が手をつなぐ 京大アフリカセンターの新たな地平 Ⅵ アフリカの観光産業は 地域住民に利益をもたらすのか? 旅行会社、開発コンサルタント、研究者の視点から 目 次 【第1部】講 演 アフリカにおける観光産業の現状 アフリカ観光の現在―旅行業者の視点から 6 池田裕子 株式会社道祖神 特選ツアー企画手配担当アドバイザー アフリカ東部地域における 観光開発の推移と今後の可能性 8 伊藤金雄 株式会社パセット 顧問 【第2部】パネルディスカッション 観光産業は地域住民に 利益をもたらすのか? 11 旅行会社、開発コンサルタント、研究者の視点から パネリスト: 池田裕子 株式会社道祖神 特選ツアー企画手配担当アドバイザー 伊藤金雄 株式会社パセット 顧問 岩井雪乃 早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター 助教 中村香子 京都大学アフリカ地域研究資料センター 機関研究員 西 伸子 福島大学行政政策学類 准教授 松浦直毅 静岡県立大学国際関係学部 助教 丸山淳子 津田塾大学学芸学部国際関係学科 専任講師 目黒紀夫 日本学術振興会 特別研究員 PD 京都大学アフリカ地域研究資料センターについて 19 【第 1 部】 講 演 アフリカにおける 観光産業の現状 アフリカ観光の現在 旅行業者の視点から 池田裕子 株式会社道祖神 特選ツアー企画手配担当アドバイザー 観光客層で際立つ、女性とシニア 私は 1970 年代後半からアフリカ専門の旅行業に携わっ ていますが、昔はアフリカへ旅行する方というと、すでに世 界中のあちこちを旅した経験があり、未知の旅先を求める 化に触れてみたいという志向の方が多いようです。スタディツ アーやボランティアツアーに参加されるのは関西の方が多い ように思えます。 「ヌーの大移動」をめぐる葛藤 富裕層の方々か、ヒッチハイクなどしながら、いかに少ない 昔から東部アフリカといえばケニアが圧倒的に有名で、い 金額で長く旅するかを楽しむような学生さんたちという、両 までもアフリカといえばケニア、ケニアといったらマサイ族、と 極のタイプが多かったように思います。 いうような感覚は根強いと思います。 いま旅行を希望されるのは女性が圧倒的に多く、また団 東部アフリカに行く旅行者が多く、その他の地域が少な 塊の世代のひとつ上の世代である 65 歳∼ 70 歳代の方々が いことの大きな理由は情報不足です。旅行先として、ケニア 旅行の全盛期を迎えていらっしゃいます。 ぐらいしか十分な情報がないんですね。ケニアはかなり古く 私の個人的な印象ですが、関東の方は動物を見たり、写 から「アフリカ」 「動物」 「サファリ」 というイメージで一般の人々 真を撮ったりすることが好きという、自然愛好家的な方が多 に幅広く宣伝をしていて、なおかつ航空会社も観光客誘致 く、一方で関西の方は、もっと現地の人々と交流したり、文 に力を入れています。かつては社会主義国で経済破綻を繰 り返してきたタンザニアにも、最近になってようやく航空会 社の手が伸びてきました。 近年注目が高まり、東部アフリカの観光客増の一因にな っていると思われるのが、タンザニアのセレンゲティ国立公 園とケニアのマサイ・マラ国立保護区の間で一年を通じて繰 り返される、壮大なヌーの大移動です。 この 2 地域は、1980 年代中頃までは自由に行き来がで きたのですが、観光立国で経済的にも豊かなケニアに対し、 タンザニアは鎖国時代が続いていたため、観光ファシリティ やサービスも総じて質が低く、結果的に利益を全部ケニア に持っていかれてしまうことになりました。そのような事情か ら、1980 年代後半にこの地域の国境が閉じられてしまい、 物流や人の移動に支障が生じることになりました(もちろん、 野生動物の行き来まではたとえ国境であってもコントロール することはできませんが)。 インフラ整備と観光客のマナーが課題 ケニアではマサイ・マラ国立保護区がもっとも有名ですが、 国立保護区と称しているにもかかわらず、ケニアの国立公園 を管理しているケニアワイルドライフサービス(KWS)に属 していません。そのためインフラが悪く、道路は絶えず穴だ らけという状況です。 一方、タンザニアのセレンゲティは、ドイツのフランクフル ト動物園協会が整備をサポートしており、ここ数年で著しく 管理が行き届くようになりました。わかりやすく地名を表記 した看板が設置され、きれいなお手洗いが増設され、道路 もぬかるんだらすぐ補修されます。それはマサイ・マラの比 て、目を見張るほど豪華なものが次々にできています。もち ではありません。とはいえ、フランクフルト動物園協会にず ろん食事もおいしくなりました。サファリで使用する車も、2 っと頼っていてよいのだろうかという懸念はあります。 席や 4 席などゆったりした席数で、座席は革張り、冷蔵庫 現地の観光客は数年前までは圧倒的に韓国人が多く、こ つきといった豪華なものを最近はよく目にします。個人的に こ最近は中国人がどっと押し寄せてきています。 は、草原の真ん中のロッジに豪華な調度品やスポーツジム ただ、彼らを含めた観光客のマナーの悪さも問題になっ などは不要だと思うのですが、今後は多くの観光客のニーズ ています。ヌーの川渡りを見る際にも、よく見える場所を取 に合わせ、従来のアフリカのイメージを脱却した豪華版のサ ろうとして無理な駐車をしたり、ヌーがいままさに川を渡ら ービスが増えていくのではないかと思われます。 んとしているときに、車の屋根の上に立って大声を出したり、 タバコを吸ったり、カメラを向けたりするので、ヌーが神経 東アフリカ諸国の相互協力体制が復活 質になって川を渡らなくなるということも起きています。マサ 最後に政治的な流れについてお話しますと、タンザニアは イ・マラの一部の公園の入り口で、日本語を含めた各国語 社会主義路線の破綻をへて資本主義路線に進みつつありま で書かれた公園規則を配るなど、マナーの遵守を呼びかけ すが、経済力が弱かったためいろいろな国から援助を受け ていますが、まだまだ追いついていない状況です。 ており、それによりタンザニアの自主性が失われている面も サバンナの真ん中のゴージャスなサービス あるようにも思います。 かつてケニアとタンザニア、ウガンダの 3 カ国の間に存在 1970 年代から 80 年代までは、東部アフリカといえば、 していた地域協力機構「東アフリカ共同体(EAC)」は、 お湯がいつでも出るとは限らず、夜間はランプ生活というの 一度は瓦解したものの近年になって復活し、そこにルワンダ は当たり前で、旅行者もそのつもりで出かけていました。そ とブルンジも加わりました。ユーロ圏と同様、各国の経済力 れが 2000 年代に入って急速に、高圧電線の鉄塔が並ぶよ にばらつきがありますので、うまくいくかどうかは不透明です うになり、アスファルトの道路が拡張され、側溝や排水溝 が、2015 年には通貨の統一が実現する見込みです。 ができて、ミネラルウォーターが普及しました。携帯電話や 以上が現状報告と私の簡単な所見です。多くの一般の 車の無線も普及したため、ツアーのドライバーも動物の居場 方々に長期のお休みを利用して海外に出ていただき、野生 所を自力で探すことは少なくなり、携帯電話で情報をやり取 動物の保護や医療のボランティアなどを経験して、ご自身の りして直行するようになりました。 目でさまざまな世界やその実情を認識していただけ 宿泊施設もフォーシーズンズなど外資系のホテルが参入し ればと望んでやみません。 アフリカ東部地域における 観光開発の推移と今後の可能性 伊藤金雄 株式会社パセット 顧問 右肩上がりで成長しているアフリカの観光 肩上がりで成長してきています。アフリカ地域においては、 1950 年には 50 万人だった観光入込客数(アフリカの観光 私はかれこれ 40 年ほどインターナショナルコンサルタント 地を訪れた客の数)が 2011 年には 5 千万人強に増えており、 として、さまざまな地域の開発計画などを手掛けてきました。 世界観光機構によると、全世界に占めるアフリカ地域のシェ ここでは、1993 年にジンバブエとケニアで行なった国際協 アは 2030 年には 7.4%まで増加するだろうと、非常に前向 力機構( JICA)の調査、1994 年のケニアの全国観光開発 きな予測が立てられています。 計画調査、そして 2012 年から携わっているモザンビークで こうした観光の発生にともなって、国際観光客の観光支 の観光分野の技術協力プロジェクトをもとに、アフリカ東部 出の総計も 60 年間で平均 10.7%増加し、2011 年には 1 における観光開発についてお話をさせていただければと思い 兆ドル弱に達しています。とくに 1970 年代の後半から 80 ます。 年代の前半にかけては年率 20%前後という急激な伸びを示 まず、 全 世 界 の国 際 観 光 客の数は、1950 年代から したことにより、世界的に観光が主要な産業のひとつとして 2011 年の約 60 年間にわたって年平均 6%の増加と、右 位置づけられ、国際観光開発が一躍脚光を浴びることにな りました。 アフリカ地域においても、国際観光支出は 1950 年の 1 億ドルから 2011 年には 304 億ドルに達し、年平均 10%増 加しました。70 年代の 20%を超える成長期を契機に、地 域の基幹産業の一つとして観光開発に大きな期待が寄せら れるようになっています。 東部と南部が新たな主役に おおむね 1990 年代はチュニジア、モロッコを中心とした 北部がアフリカの観光を引っ張っていましたが、その後は 南部と東部アフリカの伸びが非常に大きくなっています。か つては北部が 50%のシェアを占めていましたが、現在では 南部と東部アフリカで 50%以上を占めるという状況です。 アフリカ内の観光支出は、2000 年からの 5 年で年平均 15.44%増加し、2010 年には 300 億ドルに達しています。 入込客あたりの観光支出、すなわち客単価は、南部地域 が他を圧倒して高く、それに対して中央アフリカは約 3 分の 1 にとどまっており、なかなか客単価が上がらない状態です。 東部アフリカの国際観光は、ケニア、タンザニア、ジンバ ブエ、モーリシャスがリードしてきたわけですが、2000 年 代に入って、政治情勢や治安が安定してきたモザンビーク、 ウガンダ、ルワンダ、ザンビア、マラウィ、エチオピアなどが 参入してきています。観光支出はモーリシャスとタンザニア が非常に高く、次いでケニア、ウガンダとなっており、ジンバ ブエは政治や社会の不安定化にともなって停滞しています。 EU依存型からの脱却が課題 ケニアは、私たちが観光開発調査を行った 1993 年以降 の約 10 年間、ほとんど国際観光が伸びず停滞していまし たが、2003 年以降は再び成長軌道に戻っています。しかし、 2008 年∼ 2009 年には世界的な経済変動の影響を受け を提言しています。具体的に、ナイロビを中心とするセントラ て乱高下したこともありました。 ルリージョンでは、混雑が激しいマサイ・マラの代替となる ケニアの国際観光はヨーロッパ(EU)の市場に非常に大 サファリ観光地の形成などを提案しています。 きく依存しています。観光活動としては、ハイマーケット層 また、マサイランド観光リージョンでは野生動物とエコツ を対象としたサファリや民族文化の観光と、日本ではあま ーリズムの観光地をコンセプトにした開発、ケニアの沿岸部 り知られていない、ローマーケット層を対象としたビーチリ の観光リージョンでは、コーラルビーチとスワヒリ文化をコン ゾート系の二つで構成されています。EU からの観光客のう セプトにした開発を、それぞれ提案しています。 ち、約 6 割強がビーチへ行き、サファリへは行っていません。 ケニアの観光開発においては、きちんとした観光行政が サファリは入場料などが高いので、行けるのはハイクラスの できていないところが大きな問題です。まず観光基本法が 人たちです。 ないので、観光政策や観光開発計画を策定してもなかなか EU に対する依存度が高いということは、EU で経済的変 具体的に認められません。そこで私たちは観光基本法の制 動があると激しく影響を受けるということです。EU 依存型 定を提案しました。また、観光道路の整備や上水の供給、 の観光から脱却するためには別の観光市場を開発する必要 トイレの整備、地場産品の開発などは、すべて所管する省 がありますが、開発は進んでおらず、そこが大きな課題とな が異なり、観光開発計画をつくっても観光省が所管できる っています。 のはごく一部なので、もっと広く観光分野全体をカバーする 一方でケニアの有利な点としては、民族的な伝統文化も 現地組織を設立しないとうまくいかないと思われます。 色濃く残されていて、観光資源が多様であること、主要観 ケニアの地元社会や住民の参加を促進することも非常に 光市場である EU において環境や野生動物に対する意識が 重要です。観光地として、地元住民のウェルカム精神を育 向上していること、また公用語が英語で言語の障壁がない てる必要があります。また、地元住民が観光開発に対して ことなどが挙げられます。 前向きな意識を持って参画しないと地元社会・経済を巻き ケニアの未熟な観光行政 私たちはケニア全国を 8 つの観光リージョンに分け、その 中をさらに 33 の観光エリアに分けて、観光開発の方向性 込んだ観光開発の成功は難しくなります。 南アの「観光植民地」モザンビーク モザンビークは、1964 年から約 10 年続いたポルトガル そうした中、南アフリカによる海岸部の土地の買い占め や、環境保全への配慮に欠けた開発が行われ、しかも地 元の産業経済への恩恵が少ないことなどにより、地元社会 の不満が大きくなっています。いまのモザンビークは、端的 にいえば南アフリカの観光植民地になっているというのが現 状で、そこからいかに脱却するかが私たちの今回のプロジェ クトの主要テーマでもあります。 まずは「コバンザメ作戦」から モザンビークには珊瑚の砂でできた白く広大な砂浜があ り、クジラ、ジンベエザメ、マンタなどの大型生物が豊富に 生息しています。海浜・海洋性の自然観光資源はアフリカ の中でも卓越している印象です。反面、独立戦争や内戦時 代に野生動物はほとんど補食され、木々が燃料として利用 されて森林が劣化したため、陸域の自然観光資源は乏しい のが現状です。また、植民政策と社会主義政策で現代化 が促進されたことにより、伝統的な民族文化は排除され、 住民の伝統文化に対する意識も希薄です。 モザンビークでは地元社会に利益をもたらす観光開発が 非常に期待されているわけですが、国際観光は現代社会の 中でもっとも厳しい競争原理にさらされている、高度に洗練 された複合産業であり、一朝一夕に導入するのは難しいの からの独立戦争を経て、ソ連の支援を受けて社会主義体 が現実です。独立戦争や内戦で、1964 年からほぼ 30 年 制に移行しました。しかし、それに対抗する勢力を西側が 間戦争状態だったため、教育機会を失った世代が多く、人 支援したことにより、独立直後の 1977 年から内戦に突入。 的資源の開発の遅れも非常に大きな問題です。観光省が 1990 年のコメコン体制(ソ連を中心とした社会主義諸国の 創設されて 12 年が経過していますがいまだに整備途上で、 経済協力機構)の崩壊を受けて、1992 年にようやく複数 観光開発のためには、海外からの観光投資誘致にフォーカ 政党制、自由主義市場体制に移行しました。 スした現在の体制を拡充する必要があります。 現体制に移行した後は海外からの大規模な投資を受け 私たちのモザンビークでのプロジェクトはわずか 3 カ年で、 て順調に経済成長をとげてきていますが、それが貧困の削 この短期間では各地域のコミュニティにおける観光商品開 減や雇用創出になかなか結びつかずにいたところ、サハラ砂 発や、観光目的地の開発・形成は非常に難しく、ほぼ不可 漠以南の諸地域で注目されるようになった観光開発への期 能といっていいでしょう。ですから私たちとしては、既存の 待が高まり、2000 年に観光省が設置されました。 観光集積と連携した商品開発や地場産業開発を支援するこ 観光入込客数は 2006 年からの 4 年間で年平均 14%と とで、既存の集積と地元の活動が相乗的な効果を得られる 急激に増加し、近年では東アフリカの観光国の一翼を担う ような観光開発行政の促進を目指しています。まずはそうし ところまできています。急激な観光開発は、その大部分が た「コバンザメ作戦」から始め、将来的に観光植民地から 隣国の南アフリカおよびジンバブエの白人の投資によって進 の脱却を目指していこうと考えています。 められており、観光入込客数の 50%以上が南アフリカから 来ているという状況です。 10 【第 2 部】 パネルディスカッション 観光産業は地域住民に 利益をもたらすのか? 旅行会社、開発コンサルタント、研究者の視点から プロフィール 池田裕子 IKEDA, Yuko 株式会社道祖神 特選ツアー企画手配担当アドバイザー 岩井雪乃 約 40 年にわたり、開発計画コンサルタントとし 東部アフリカの地を踏む。それがきっかけとなり、 て活動。世界銀行・相手国政 府や、日本の国 実験動物学の研究職を辞して、どっぷりアフリ 際協力機構(JICA)、国連世界観光機関などが カに浸れる旅行業に就く。現在は、アフリカを 発 注する海外の地域・都市・観 光開発分野の 始め、地域固有の珍しい野生動物に関するツア 案件にたずさわってきた。1990 年に開発コン ーの企画手配実施をおこなっている。 サルティング会社(株)パセットを創業。 IWAI, Yukino 中村香子 NAKAMURA, Kyoko 京都大学アフリカ地域研究資料センター 機関研究員 タンザニアのセレンゲティ国立公園の周辺で、 ケニアのマサイ系牧畜民サンブルを対象に人類 自然保護政策が村人の生活を圧迫する現状を研 学的な研究をおこなっている。 「マサイ」として 究している。アフリカゾウによる農作物被害を 民族文化観光に従事し、 「伝統」を売り物にす 知り、村人とともに対策を試みている。近年は観 る若者たちの経験を追い、その経験を民族や個 光に従事する村人が増えてきたため、分配の不 人のアイデンティティ、社会の変容などと関連 平等や格差拡大といった問題を懸念している。 づけながら分析を試みている。 NISHIZAKI, Nobuko 福島大学行政政策学類 准教授 丸山淳子 ITO, Kanao 株式会社パセット 顧問 安岡章太郎著 『サルが木から下りるとき』 を読み、 早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンター 助教 西﨑伸子 伊藤金雄 松浦直毅 MATSUURA, Naoki 静岡県立大学国際関係学部 助教 エチオピアの自然保護区を対象に、人と野生動 中部アフリカ熱 帯 林の 狩 猟採 集民を対象に、 物の共生について研究している。調査地の周辺 社会変容や民族関係をテーマに研究をおこなっ に暮らす少数民族を対象とした民族文化観光が ている。現在は、生物多様性保全と地域開発 近年盛んになっているため、アフリカの人々の の両立を目指したプロジェクトにも参加してお 持続的な生活のために、野生動物保全や観光 り、それら二つをつなぐものとしてのエコツーリ をどのように活用できるのかを考えている。 ズムの課題と可能性を探っている。 MARUYAMA, Junko 津田塾大学学芸学部国際関係学科 専任講師 目黒紀夫 MEGURO, Toshio 日本学術振興会 特別研究員 PD 南部アフリカの狩猟採集民サンが、国家や国際 ケニア南部アンボセリ国立公園の周辺に暮らす 社会との関わりの中で、社会や文化を再編する 牧畜民マサイを対象に、農耕の拡大や観光業の 過程を研究している。近年、急速に活発化して 開発、政府・国際機関が進めるコミュニティ主 いるサンの民族文化観光が、彼らの生計維持活 体の野生動物保全のもとで地域住民と野生動 動、文化の表象や商品化、国内外での社会的 物とのかかわりがどのように変化してきているの 位置づけ等に与える影響に関心をもっている。 かを研究している。 ※順序は氏名の五十音順 ※所属・経歴は 2013 年 3 月現在 12 「住民参加型観光開発」の 理想と現実 ころまではなかなかいかなくて、持続できずに消滅する危 険性が非常に高いです。 岩井 本日、ゲストとしてご参加いただいている池田さん 目黒 僕はケニアのいわゆるマサイの暮らしている場所で と伊藤さんには、それぞれ旅行業と観光開発に携わる立 研究しています。1996 年に地元のマサイが主体となって 場から貴重なお話をしていただき、ありがとうございました。 管理運営する「住民参加型」の野生動物サンクチュアリを このパネルディスカッションでは、お二人が経験されて 始めたと聞いて、それは素晴らしいと思っていたんですが、 きていることと、私たちアフリカをフィールドとする研究者 2005 年に調査に行った時にはすでにポシャっていました。 がそれぞれの現場で、地域社会、つまりコミュニティレベ ただ、よくよく話を聞いてみると、彼ら彼女らとしては特 ルで見てきたことを突き合わせながら、アフリカ観光の将 に参加したいとは思っていない。むしろ、どこかの白人が 来はどうなっていくのかということについて、話し合ってい 来てやってくれて黙ってお金が入ってくるなら楽でいいんだ ければと思います。 けど、という感じなんですね。もちろんそれは、土地を奪 まず、観光や開発の経済効果ということについては、皆 われない限りで、とか、いろいろ条件はあるんですけど。 さん関心が高いと思いますが、いかがでしょうか。 先ほど、 「地元住民のウェルカム精神がないと成功は難 しい」というお話がありましたが、僕が見る限りでは、観 丸山 観光が生む利益を地元の人たちがどう得ていくかを 光客側も地元住民にそれほどウェルカム精神を求めていな 考えたときに、一番わかりやすいのは、そこに住んでいる い気もするんです。というのは、 動物観光に来る人って、 「点」 人たちが直接雇用されたり、ものを売ったりして、給料な でしか止まらないですよね。ナイロビに入って、車に乗って り売上なりを得る、といういわゆるコミュニティベースの形 3 時間移動して、国立公園の中のロッジ(観光用宿泊施 だと思います。一方で、たとえば国外の大手資本を呼び込 設)に泊まって、観光集落などで数人のマサイに会って「伝 み、それによって税収や観光客が増えることで国全体の経 統的な」ダンスを見て帰る、という旅行だと、地元住民が 済が潤い、それを制度によって再分配していく、という形 みんなで歓待しなくても各スポットさえそれらしくしてしまえ もあるだろうと思うんです。 ば、よくも悪くもそれで済んでしまうというところもある。 アフリカで「観光には経済効果がある」といったときに、 となると、住民参加型観光産業は果たして必要なのか? 具体的にはどのような経済効果が想定されているんでしょ と思うんですが。 うか。 伊藤 日本の ODA は従来、国レベルでの社会経済的な 開発効果を目指して支援してきましたが、緒方貞子さんが 国際協力機構(JICA)の理事長に就任した 10 年ほど前か ら大きく方向転換し、コミュニティに利益をもたらすことを 目指した観光開発支援にシフトしてきています。 しかし、一からコミュニティベースで開発するのは非常 に難しい。これまでのケースではほぼ失敗していると思い ます。我々が手掛けているモザンビークの観光開発プロジ ェクトでも、先ほど「コバンザメ作戦」でいくと言いまし たけれども、従来の観光産業の蓄積を利用できる環境で、 さらにコミュニティを引っ張っていく人間がいないと目的の 達成が難しい。コミュニティ単体の力で観光を実施すると 13 ですが最近は、各ロッジでも趣向をこらして、現地の人 たちの生活ぶりを垣間見られるようなプログラムを用意して いるので、そういうものもひとつの入り口かなとは思います。 とはいえ、住民の生活が見たい、コミュニティに入って みたいという方は、急速に増えてきてはいるものの、東ア フリカを訪れる日本人観光客全体から見ればごく一部なん ですが。 大手資本が主導する 観光商品開発 中村 マサイのヴィレッジ・ツアーはかなりパターン化され ていると聞いています。村に入ったらダンスで歓迎してくれ て、一緒にジャンプして、飛びながら村を回ったりして(笑) 、 伊藤 たしかに従来のサファリ観光は、エコツーリズムで 火起こしを見せてくれて、家の中を案内されて、マサイのカ はなく、装置型に近い観光形態です。だから今おっしゃっ ルチャーについてちょっとしたレクチャーがあって。それか たように、スポットごとになんとかなっていればよくて、そ ら近隣の学校で子どもたちが勉強しているところを見て寄 れ以外は見せなければいい、接点がないようにすればいい。 付を要求されて、最後にアクセサリーの販売というコース 実際、ケニアの観光はおおむねそういう形でやってきたと になっているらしくて。これはいったい、誰が考えたのかな 思います。その代わり、コミュニティに経済的利益をもた と思うんですが。 らすこともない。 伊藤 そうしたヴィレッジ・ツーリズム商品を地元の人に 西﨑 おそらく、いまは観光客のニーズがすごく多様化し 開発させようとなると、みんなが真似できるようにマニュア ていて、野生動物だけではなくて、その土地の文化や人々 ル化しないと実施が難しいわけですよね。一人ひとりが機 の生活をもっと見たい・知りたいという人が増えているの 転をきかせてアレンジしていくようなレベルに達するのは時 ではないかと思いますが、池田さん、旅行会社としては、 間がかかります。ですから、そういったパターン化につい それにどう対応しているんでしょうか。 ても外から誰かが来て、入れ知恵していると思います。 池田 たしかに、通りいっぺんの観光地を巡る以外に、 池田 ロッジにも、ヨーロッパから外資系がたくさん入って 実際に織物業が盛んだったらそこで織物体験の時間を設け きていますから、そのマネージャーの発案で、たとえばウ ると、お客様には楽しんでいただけます。 ォーキングサファリの一環として、地元の人が昔から使っ ホームステイについては、いくつかの国でやったんです ている薬草の種類を説明してくれるといったこともしていま が、受け入れ側の感覚とちょっとずれていて、こちらが望ん す。ただ、現状ではその収益はごく上の一部の人の懐に入 でいる素朴な地元の生活の体験というわけにはいかず、金 っていて、地元の人たちにはお客さんからのチップや土産 銭関係の問題に発展してしまうんですね。 「次に来る時は 物の売上しか入らないと思います。 ラジカセ持って来てね」と要求されたりして(笑) 、お客様 14 のその国に対する印象が悪くなってしまう。またコレラや 岩井 マサイヴィレッジについては、コミュニティベースの 肝炎といった病気の問題もあるので、そう簡単にはお客様 観光と大手資本とがうまく連携しながらやっている形だと を預けることができません。 考えていいんでしょうか。 伊藤 連携というよりは、ロッジ側が「こういうものがほ ただ実際には、最下層の人たちは情報からも教育からも遠 しい」とアイデアを出して、手を貸して作るという形。コミ いというハンデがあり、観光開発の恩恵を得るには一番ハ ュニティベースといっても、コミュニティから内発的に観光 ードルの高い人たちなんですが。 商品が生まれてくるということは、経験がないだけにまず 難しいですね。 観光で貧富の格差は 解消できるか? 中村 となると、具体的に、その最下層へのアプローチと いうのはどういうプロジェクトになるんですか。 伊藤 たとえば農業をやっている人に対してであれば農産 物の品揃えをして、グループで観光事業者に売ってもらう。 丸山 観光開発の目的としては、外貨の獲得が一番大き もともとは農産物が出来過ぎたら、自家消費できない分は いんですか。 腐って捨てるしかないという社会だったところに、農産物 を売れる市場を作るわけです。 伊藤 いまはそうでもないですね。アフリカ諸国は鉱物資 源をかなり売って稼いでいますので、以前に比べて外貨の 西﨑 たしかに「地元の人と観光業をつなぐと、どちらも 獲得はさして問題とされなくなっています。それよりも国内 もうちょっとよくなるんじゃないか」というのは、私の実感 の格差是正というのを、どの国も非常に声高に政策として としてはあります。たとえばいまエチオピアにも外国人観 掲げています。貧富の格差、地方と大都市の格差などで 光客用のロッジが数多く生まれているんですが、そこで出さ 社会的な軋轢が高まると、社会不安につながります。それ れる料理を見ると、地元のマーケットで売っているさまざま こそ「アラブの春」ならぬ「アフリカの春」がいつなんどき な農作物が使われておらず残念です。たとえば地元産果物 来るかという状態になるのを非常に恐れている状況かと思 を朝食に使えばもっとすばらしいものになるのに、と思う われます。 ことがあるんです。 丸山 観光業で格差をなくすということですか……? 最 文化を売って稼ぐということ 貧困層にお金を落とすことを目的に観光業が注目されてい る、というのは意外でした。むしろ余計に格差をつくるよ 丸山 私は京都に住んでいたことがあるんですが、その経 うな気がするんですが。 伊藤 観光業が産業として過去 60 年に渡ってすごく高い 成長を着実にとげてきて、しかも依然として伸びているわ けですよね。ほかの産業でそういうものがあるかと言えば おそらくない。貧困対策としてだけでなく、産業振興策とし て観光開発を実施しているということではないでしょうか。 丸山 一方で困っている人がいて、他方で観光業が成長し ている。じゃあこの二つをくっつければうまくいくんじゃな いか、というアバウトな話なんでしょうかね。 伊藤 そうですね。JICA など援助者側には、まず最下層 の人たちへの支援に力を注ぎたいという意向があります。 15 験からすると、そもそも自分の生活しているところにしょっ 化した時代にもモダンな生活文化が導入され、昔の文化は ちゅう観光客が来る暮らしなんて、ほとんどの人はしたくな 捨て去るべきだという教育が徹底し、伝統的な文化はほぼ いんじゃないかという気もします。はたしてそんな生活が幸 完全に喪失しています。 せなんだろうか。 「一番貧しくて周辺化された人たちは、自 こうした地域で民族文化観光商品を開発するには、宗 分たちの文化ぐらいしか売るものがないんだから、それを 主国であるポルトガルの民族学研究資料などを収集して再 売って稼げ」という乱暴な話に見えなくもない。そういう 生するしかありませんし、人々の価値観も変わらなくてはな 角度から見たとき、観光開発が何を産むのだろうと懐疑的 りませんから、きわめてハードルが高いといわざるを得ない な目を向けたくもなるんですが。 ですね。T シャツを着て伝統的な踊りをしても、残念なが ら観光商品にはならないです。 伊藤 生活の場を覗かれたくないと思う人もいるし、覗か れてもそれを商売にしたいと思う人もいます。後者の人が 中村 現実とは違うものを観光客に求められるわけで、そ 観光客に対して何か売れば、材料や食材などを買うために れを演じるような形で売っていくことになりますね。マサイ そのお金を地元で使うわけですよね。1 の売り上げで、そ の場合は失われた価値観を掘り起こすという苦労をさほど の 2 倍の経済的利益を地元にもたらすというのが観光産 しなくても、衣装としてカラフルなビーズを身に着けていて、 業なんです。だから、覗かれたくない人はそれ以外の部分 派手に「マサイらしさ」をアピールできる。伝統衣装のイメ を担えばいい。すべての人があけっぴろげに生活を見せな ージが確立しているというアドバンテージがありますね。そ くてもいいんです。 れで、彼らは着飾ってホテルで「伝統的」なダンスをすると ただやっぱり、農作物を人に売ることなど考えず、昔と いう仕事をしているわけですが、実際にホテルから受け取 同じように自分で食べる分だけつくって暮らしたい人は、観 っている儲けは泣きたくなるぐらいの少額です。直接収入 光業による利益循環のサイクルからは外れてしまいますね。 丸山 そうなると、格差はむしろ拡大しますね。 伊藤 昔と同じ暮らしをしていたいと言っても、まったく 同じようには暮らせないんですよね。教育にせよ何にせよ、 どうしてもお金がかかる社会になってしまっている。つまり、 観光業いかんに関わらず、格差が生まれる素地は存在する。 その解消に観光業がどれだけ役割を果たせるかですよね。 中村 経済的には、民族文化観光はあまり期待できない ものなんでしょうか。 伊藤 民族文化・生活文化に興味を持つ観光客は増えて きていますので、文化さえ残っていれば可能性はあるでしょ う。しかしアングロサクソン系植民地と違ってラテン系植 民地では、植民政府が宗主国の生活文化への移行を強要 し、伝統的な民族文化や生活文化を原始的なものとして禁 じたところも多いのです。 例えばモザンビークでは、植民地時代に引き続いて共産 16 につながっているのは、どちらかと言えばダンスではなく、 観光客に直接販売する土産物です。 西﨑 手工芸品などをフェアトレードで先進国に売るとな ると、要求されるクオリティのハードルがものすごく高いで すが、観光客に売るお土産品はそこまでの質は求められま せんよね。観光客は、そこの文化というか、ストーリーを 含めて品物にお金を出すので。そういう意味では、アピー ルの仕方によってはいろいろ可能性があるんじゃないかな と思いますが。 中村 ただ、マサイの人々が売っているものはどうも垢ぬ けなくて、外国資本のホテルのショップにあるものは、同 じ素材で同じものなのに、何か違うんですよね。だから値 段は 10 倍でも自分のはホテルで買って、お土産としてたく 目黒 僕が研究しているケニアのアンボセリ国立公園で さん買うのはマサイから、みたいなことに(笑) 。結局、こ は、たしか 2000 年代の初めは外国人の入場料が 20 ドル ちらの儲けも実はかなり少ないというのが現状です。 くらいだったと思うんですが、いまは 80 ドル。僕なんかか らすると、80 ドルではとてもじゃないけど行けないと思っ 松浦 「ストーリー」という言葉が出ましたけど、商品とし てしまいます。池田さんの会社のお客さんでは、こうした て洗練されたものに価値があるというだけでなく、この村 値上げによって国立公園に行く人が減ったりしませんか? で敬われてきた誰々さんがつくったものとか、こういう儀礼 で使われているものだとか、そういう付加価値の付け方も 池田 ものすごく大きな影響があると思います。タンザニ ありますよね。地元の人たちの生活に入り込んで彼らの文 アのセレンゲティ国立公園は、いま 50 ドルの入園料を最 化に対する理解を深めてきた我々が、そこで何かをつなぐ 高 150 ドルまで引き上げる意向です。昔なら一週間、ケニ 役割というのを果たせるかもしれない。 アの現地旅行ができるほどの額です。そこまで高くなった 客を少なく抑える 観光戦略 ら、行ける人はきわめて少なくなってしまいますね。 丸山 ボツワナはまさにその戦略、つまり、一人当たりの 料金を高くして観光客を少なく抑えることで野生動植物へ 松浦 ところで、ガーナに行ったとき驚いたのは、地元の のインパクトを小さくするという戦略でずっとやってきまし 小中学生が、週末観光という感じで、バスで 2、3 時間の た。そして、その高い観光料金を直接的に地元の人に渡 国立公園に行く。入場料は、地元の人間であり、子どもへ すのではなくて、それを開発計画や福祉などの形で配分す の教育目的だから、すごく安くて数ドル程度です。そうい ることで進めてきたんですね。だから自然保護区など観光 う形で内側から作り上げていく観光のあり方も考えられる 客の来るところに住んでいた地元の人たちは、観光には関 のかなと思う一方で、あまりに客が増えると、とくに生物 わることなく、むしろそこから立ち退かされてきました。最 多様性の保全を考えたときに負の影響が大きすぎる。客数 近になって、観光の多角化や参加型といった方向へのシフ を絞るためにも、高いお金を払える国外からの客に限って トが少し見られて、コミュニティ・ツーリズムが注目される 来てもらうものにせざるを得ない面もあって、難しいなと思 ようになって来ましたが。 いました。 17 丸山 アフリカのどの国にも、観光が何か打破してくれる んじゃないかという期待感があるんでしょうね。そういう意 味では、いい効果を生むか悪い効果を生むかはともかく、 アフリカでは、観光はこれからの産業の中心を担うもの、 あるいは、経済発展の核として位置づけられているという ことですね。 中村 マサイなどは、かなり観光業に深く関わっているわ りには、観光に完全に依存するところまでは行っていない。 うまくいったときに利益の配分には預かるけれども、従来 の生業である牧畜を手放して、観光に全面依存しようとし ている人はほとんどいないように思います。そうした付き合 観光抜きの発展は あり得ない い方が大事なのかなという気もします。 私はマサイの民族文化観光を長期にわたって見てきまし たが、いつまでたっても彼らがちっとも経済的に豊かにな らないことに、若干いらだちのようなものを持っていました。 松浦 こうして見ていくと、私たちが研究しているどの地域 しかし、このフォーラムで、皆さんとのディスカッションを でも、おおむね観光は重視されていて、これからもある程 通してそれが吹き飛び、もっと軽やかに、 「観光業を楽しむ」 度伸び続けていくだろうが、特効薬ではない、というとこ というスタンスでもいいのかもしれない、と新しい視点が ろで共通していますよね。伊藤さんは観光業の将来につい 開けたような気がします。 て、どのような見通しをお持ちですか? 伊藤 植民地化と社会主義体制下でアイデンティティを喪 伊藤 観光産業で世界のほかの地域を相手に厳しい競争 失した民族に比べ、頑固なマサイの方が、中・長期的な目 に打ち勝っていくには、やはり時間がかかると思います。 で見れば観光開発のポテンシャルは高いと思います。ケニ 重要なのは独自性で、自分たちの観光を買ってくれる市場 ア・タンザニアの観光を最後に担うのは、彼らかもしれま はどこなのかを探し、そこに向けてプロモーションを打って せんね。 いかないといけない。漠然と、 「この人たちは○○しかでき ないからそれを援助する」という援助のしかたをしていると、 岩井 池田さんと伊藤さんには、日本のアフリカへの観光 早晩行き詰まってしまいます。 客の動向や、援助機関の観光開発の認識など、研究者だ けではわからない領域を教えていただき、たいへん勉強に 丸山 逆に、アフリカで、 「観光はもういいや」っていう国 なりました。アフリカのどの国でも観光が成長産業である はないんですか? ことを改めて確認した一方、末端の地域に経済的に貢献 するには、かなりハードルが高いことも再確認しました。 伊藤 そこまで言える国があるとしたら、鉱物資源がバン 研究者が自分のフィールドで観光をどうとらえるか、私も バン出ているところでしょうが、実際には、観光業はもう 含めてそれぞれの方が模索の最中ですが、人びとの生活が 欠かせないものになっているところが多いんじゃないでしょ 観光にどっぷり依存しすぎないことが鍵となるのかもしれ うか。ポシャったらかなり産業構造や外貨準備高がダメー ません。適度なかかわり方とはどのようなものなのか、こ ジを受けるような、枢要部まで食い込んでいるんじゃないか れからも考えていきたいと思います。 と思います。 18 京都大学アフリカ地域研究資料センターについて Center for African Area Studies, Kyoto University 京都大学アフリカ地域研究資料センター(通称「アフリカセンター」 )は、 アフリカ地域を対象とした研究を軸に、内外の研究機関や社会との連携、情報発信、 そして実践的活動をおこなうことを目的として設立された拠点です。 アフリカセンターは、1986 年に日本ではじめて国立大学に設置されたアフリカ研究機関 「京都大学アフリカ地域研究センター」を前身としています。 京都大学のフィールドワークの伝統を生かした研究機関として、アフリカの自然・社会・文化についての 深い理解のもと、アフリカ諸地域の独自性を明らかにするとともに、 アフリカの発展に寄与することができる実践的な地域研究を目指しています。 所在地:〒 606 -8501 京都市左京区吉田下阿逹町 46 ホームページ:http://www.africa.kyoto-u.ac.jp/ ●教育● 京都大学大学院 アジア・アフリカ地域 研究研究科 (ASAFAS) ●実践 ● ●研究 ● 実践的地域研究 国際協力活動 社会貢献活動 文理融合的アフリカ研究 フィールドステーションの活用 研究会、シンポジウムの開催 アフリカセンター 4つの活動 ●発信● 研究成果の出版 国際学術誌 African Study Monographs の発行 公開講座・公開研究会の開催 ●連携 ● 共同研究・研究交流の推進 アフリカ人研究者の組織化と連携 NGO、市民社会との連携 19 アフリカ研究と社会が手をつなぐ 京大アフリカセンターの新たな地平 Ⅵ アフリカの観光産業は 地域住民に利益をもたらすのか? 旅行会社、開発コンサルタント、研究者の視点から 主催:京都大学アフリカ地域研究資料センター 本冊子は、2013 年 1 月 22 日に京都大学東京オフィスで行われた、第 6 回 「京都大学アフリカ研究フォーラム in 東京」をまとめたものです。 フォーラムは平成 24 年度 京都大学全学共通経費 I - 4.社会貢献・連携 支援「京大アフリカ研究フォーラム in 東京」事業実施経費によって実施され ました。 【写真提供】秋山裕之、岩井雪乃、田中利和、中村香子、西﨑伸子、丸山 淳子 2013 年 3 月 31 日 発行 発行者 木村大治 発行所 京都大学アフリカ地域研究資料センター 〒 606 - 8501 京都府京都市左京区吉田下阿逹町 46 電話: 075-753 -7803 / FAX:075-753 -7810 E-Mail: caas@jambo.africa.kyoto-u.ac.jp 印刷・製本 株式会社廣済堂 無断転載・複製を禁じます。 © 2013 Center for African Area Studies, Kyoto University Printed in Japan ISBN978 - 4 -905518 - 02- 0
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