1 状況の変化を言い表す日本語の表現 −タイ語との違い

研究発表会(第1日その1)発表資料 2000 年 5 月 2 日チュラーロンコーン大学文学部日本語講座 1
状況の変化を言い表す日本語の表現 −タイ語との違い−
吉田一彦(東京外国語大学大学院)
(email: kunetti@geocities.com
URL: http://www.geocities.com/kunetti/)
1.問題の所在
タイ人日本語学習者に、次のような目的で電話連絡をする場合に話す日本語を文章として書くという
課題を与えたことがある。*1
(1)
お客さんとの商談のためのアポイントが、今月20日午後3時ということになっていましたが、
自分の仕事の上で重要な出張のためキャンセルせざるを得なくなってしまいました。1)お客
さんに、おわびしてください。(後略)
その際、学生が書いた日本語は例外なく、出題者が期待していたものとは異なるものだった。期待して
いたものと解答として出てきたものとを、ここに並べて比較してみる。
(2)
期待していた解答:今月 20 日午後3時の打ち合わせですが、私用のため行けなくなって
しまいました。
学習者の解答*2:今月 20 日に出張に行かなければなりません。それで、午後3時の打ち
合わせに行けません。
日本人が仮にこの学習者の解答のような発言を聞いたとすると、突然事情が変わったことに驚いてしま
うだろうし、腹を立ててしまう人もいるだろう。
こうした誤用が生じないように教えるにはどのようにすべきか、これまで方法を模索してきたが、そ
の過程でひとつの興味深いことに気がついた。すなわち、このような誤用が生まれるのは、学習者の母
語であるタイ語と日本語との間に構文や意味のレベルで違いがあるためではなく、タイ語・日本語それ
ぞれによるコミュニケーションにおいて、状況の変化を知るきっかけとなる情報自体が違っているため
だ、ということである。今回の発表では、この状況の変化を知らせる情報の相違点を論じるとともに、
これに起因してタイ語と日本語との間で異なりが生じていると思われるいくつかの言語形式を比較・対
照してみることにする。
2.状況の変化を知らせる情報 − タイ語と日本語それぞれの場合
事実関係:
IS (initial situation): 今月20日午後3時に、自分の自由になる時間があり、打ち合わせに参加できる。
CE (changing event): 上司から突然出張を命じられる。出張しなければならないという義務が、IS から NS
への転換を起こす。
NS (new situation): 今月20日午後3時に、個人的な用事がある。打ち合わせに行けない。
1
タイ国チュラーロンコーン大学文学部日本語講座で 1995 年度に担当した「上級作文Ⅰ」クラスにおいて。
もちろん、実際の文章は学生により異なっている。これは、学生の文章の特徴を組み入れ、代表となるものとして創作
したものである。
2
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状況の変化を相手に伝える表現:
日本語:
打ち合わせに行けなくなった。
タイ人日本語学習者の誤用:
打ち合わせに行けない。
タイ語の構文:
pay
khuirµ^aNNaan
[行く]
[打ち合わせ]
ma^y
da^y
(lEÛEw)
[(否定)] [できる]
日本語の表現の理解:
日本人
話し手
stage1:
聞き手
IS
CE
stage2:
NS
タイ人誤用表現の理解
日本人
タイ人
話し手
stage1:
聞き手
話し手
IS
聞き手
IS
IS
stage2:
NS
NS
NS
NS
conflict
タイ語の表現の理解
タイ人
話し手
stage1:
stage2:
聞き手
IS
NS
NS
状況が変わったことを話し手から聞き手へ伝える情報は、日本語によるコミュニケーションの場合、
状況を変えた出来事、すなわち、CE である。一方、タイ語によるコミュニケーションの場合には、変
化後の新しい状況、すなわち、NS である。
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日本語によるコミュニケーションにおいて、聞き手は CE を受容し、その CE によって生じた状況を
NS として理解する。一方、タイ語によるコミュニケーションにおいては、聞き手は話し手から伝えら
れた NS を受容し、IS との相違に気づくことによって、状況が変化したということを理解する。
タイ人学習者の誤用は、言うまでもなく、このタイ語におけるコミュニケーションの様式を日本語に
持ち込もうとしたものである。この場合、話し手が状況の変化を起こす出来事 CE を言い表さないため、
IS がそのまま聞き手側の理解として存在し続ける。そこへ話し手が NS を伝えると、聞き手は、自分が
理解していることと矛盾していることを言われたという認識を持ってしまう。
先行研究である江田(1981)には、日本語の場合「なる」のような「時の経過を含んだ表現」を使う
のに対し、タイ語の場合には「時の経過とは関係がなく」「状態として静的に表現」する方法が採られ
るというように、使用する表現のアスペクト性の違いに着目した考察がある。しかし、本研究が論じる
ように、聞き手がどの種の情報によって状態の変化を知るかという点に着目すれば、さらなる一般化が
得られるものと思われる。ここに江田(1981)にある他の例を引用し考察してみる。
(3)
a.
(人をからかって相手が赤くなった時)
あ、赤くなった。
na^a
dEEN
b.
(いろいろ考えたがいい考えがうかばず、いい加減いやになり、頭痛まで感じるようになったとき)
考えすぎて頭が痛くなりました。
khiÛt ma^ak k««n pay k^ l««y puÝat hu&a
c.
うちの子はこのごろ近所の子と遊ぶようになってきました。
lu^uk cha&n tEÝEkÝn[sic] ma^y le^n kaÝp deÝk kha^aN kha^aN ba^an tEÝE diÛa&wniÛi[sic] le^n
3.仮説を支持する事例とそこで使われる言語形式ついての考察
上に述べたことは、タイ語・日本語それぞれの話者の内省にもとづく観察であって、心理学実験等に
より実証を行ったたものではない。しかし、これを仮説として立てることによって、タイ語と日本語と
の間で機能的な対応がある言語形式同士の特徴の違いを説明することが可能になる。
1)
「∼ように、∼する」
江田(1981)には、この形式の複文に関する考察がある。誤用例として、次の3つの文が挙げられて
いる。
(4)
① ねむくないようにコーヒーをのみます。
② 頭がいたくないように早く寝ます。
③ 体が弱くないように毎日運動します。
この各文の前件部分は、それぞれ「眠気がさめるように」「頭痛が治るように」
「体が(弱いので)強く
なるように」を意図したものだという。そして、
「タイ人学生はタイ語の gríyaa の性質からの類推で、
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日本語の〔+状態的[sic]な形容詞・形容動詞も動詞と同じように使っているのであろう」*3と理由づけて
いる。しかしながら、タイ語において文の述語成分となる語に形態論的な区別がないからといって、タ
イ人学生にとって状態を表す語と動作を表す語との区別が困難だとは一概に言えないであろう。*4
以下、江田(1981)の①を例として、本研究の分析を示す。
事実関係:
IS (initial situation): 眠い
CE (changing event) : 眠気が覚める (眠気を覚ますコーヒーを飲むことによって)
NS (new situation): 目が覚めている、眠くない
状況の変化を相手に伝える表現:
日本語:眠気がさめるようにコーヒーを飲みます。
文の形式:[CE を言い表す表現]+「ように」+[主文]
タイ人日本語学習者の誤用:ねむくないようにコーヒーを飲みます。
文の形式:[NS を言い表す表現]+「ように」+[主文]
タイ語:kin kaafEE ca$ da^ay ma^y Nu^aN nn
文の形式:[主文]+ ca$ da^ay / (phµ^a) ha^y+[NSを言い表す表現]
タイ人・日本人それぞれに状況の変化を知らせる情報に前述のような違いがあるということがここでも
分かる。タイ人学習者の誤用は、前件の述語成分とするべき語を選ぶ際に、語が動作を表すのか状態を
表すのか区別できなかった、ということが原因で生じているのではない。日本語の「ように」とともに
CEを言い表す表現を言うべきなのだということを知らなかったということが、誤用の原因なのだ。
2)いわゆる完了や結果の存続を表す「∼た」
「∼ている」
、そしてタイ語のlEÛEwについて
次に、タイ語・日本語で完了アスペクトの標識と呼ばれるものが用いられる場合について考えてみる。
たとえば、友人とコンサートに行こうと思ってチケットを買うためにいっしょに方々のプレイガイドに
電話したが、売りきれのため買えなかったとする。その後、あるとき一人で別のプレイガイドに電話を
したところ、たまたまそこにはチケットが残っていたので購入したとする。これを、友人に伝える表現
がどうなるか、ここで考えてみる。
事実関係:
IS (initial situation): コンサートのチケットを取ろうとしてあちこち電話したが、取れなかった
CE (changing event):チケットが残っているところを発見し、チケットを購入する
NS (new situation): チケットを手元に持っている
状況の変化を相手に伝える表現:
日本語:チケット、取った。/チケット、取れた。
タイ語:sµÛµ tu&a lEÛEw / sµÛµ tu&a da^y lEÛEw
上記の例を観察してみる。まず、使われる動詞が日本語とタイ語で意味のうえで完全に対応したもの
3
「タイ語では述語となるものはその性質が〔+状態的〕であると〔−状態的〕であるとを問わず、gríyaa とするので
ある。
(江田 1981)
」
4
このことは、日本語を大学で専攻科目として学ぶタイ人学習者のほとんどが英語の既習者であり、動作を表す語と状態
を表す語の違いを知らないわけではない、ということからも言えると思われる。
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ではないということは指摘しておかなければならない。*5しかし、形式のうえでは、日本語とタイ語と
でうまく対応しているようにも見える。なぜなら、日本語の動詞「∼た」形もタイ語のlEÛEwもともに過
去または完了を表すとされているし、また、日本語の可能動詞もタイ語のda^yと動詞の組み合わせもと
もに可能を表すとされており、使用すればそれ以前にはチケットがとれなかったことをより明確に示す
ことになるからである。
しかしながら、それぞれの言語の表現が意味することをよく見てみると、この場合においても前節に
論じた仮説が成り立っていることが分かる。
日本語で「取った」と言う場合には、「チケットを代価との交換で確保した」という一回の動作で完
結する過去に起きた出来事を意味している。(動詞「∼た」形が直接過去の時制を表示するものかどう
かは、再考する必要のあることではあるが。)
「取れた」の場合、可能の形式だとされるものであるから
特定の状況(状態)を表しているように一見思えるが、そうではない。これは料理の仕上げを終えたと
きに「できた。
」と言うのと同様、状況が変化した場合の変化自体を言い表す表現である。*6したがって、
日本語の場合2つの形式とも CE を言い表しているのだとして一般化できる。日本語の場合、NS を言
い表す表現を使うことはできない。「チケット、ある。
」
「チケット、取っている。」
「チケット、取って
ある。
」などとこのような場面で言うことはできない。
一方、タイ語の場合であるが、過去時制を直接標示する形式はタイ語には存在せず(坂本(1989)他)、
したがって、この場合にもそのような形式は使用されていない。動詞の後に置かれるlEÛEwについてであ
るが、先行して生起した出来事により発生した状況を言い表す形式ということで一般化できるのではな
いかと思われる。(この点、上記の日本語の「チケット、取っている。」
「チケット、取ってある。
」とい
った形式とも共通するものがあるのではないだろうか。aacaan thaan khaßaw lEÛEw rµ&µのような
用例については、再考が必要かと思われる。)したがって、この場合にもタイ語では NS を言い表す表
現が状況の変化を知らせるものとして用いられていると言えよう。
タイ語の入門書などにこのlEÛEwが過去時制を標示するものとして紹介されることがあるが、これはこ
の形式の機能の記述としては正しくない。それが過去時制を標示するのであれば、
「昨日朝 10 時にスコ
ータイへ行った。」というときに、mµ^awaan niÛi pay sukho&othay tn siÝp mooN chaÛaw lEÛEw
となるはずであるが、そうはならない。この場合lEÛEwを付けずに言わなければならない。
(lEÛEwを付け
て言えば、
「長いこと行きたい行きたいと思っていたスコータイにやっとの思いで行けた」ということ
になり、一回の動作で完結する出来事を表すことにはならない。
)
4.日本語教育の場における有用性
前にも述べたように、第 1 節に論じた一般化は実証されたものではない。しかし、タイ人日本語学習
者の誤用をなくすために活用していくことはできる。
NSを言い表すことによって状況の変化を知らせようとする誤用(第1節)
日本人が新しい状況が生じたということを理解するのはそれを生じさせた出来事(すなわちCE)を
5
日本語では「代価を払ってその物に関する権利を確保する」という意味を持つ「取る」が使われる。
(通常「取る」に
あたるタイ語は?auだと考えられている。
)一方、タイ語では「代価を払ってその物を自分の所有とする」という意味を
持つsµÛµが使われる。
(通常sµÛµにあたる日本語は「買う」だと考えられている。
)
6
この場合、
「取ることができた」は過去において一定の期間継続した状況を言うことになり、使うことができない。
研究発表会(第1日その1)発表資料 2000 年 5 月 2 日チュラーロンコーン大学文学部日本語講座 6
知ることによってである、ということを教えなければならない。そして、
「今月 20 日に出張に行かなけ
ればならなくなりました。
」
「午後3時の打ち合わせに行けなくなりました。
」のように「なる」を用い
ればCEを言い表せるとのだということを教えるべきであると思われる。
「∼ように、∼する」の誤用(第2節の1)
日本語の『ように』はタイ語の(phµ^a) ha^y だと教えただけでタイ人学習者に「ように」が使えるよ
うになると期待することはできない。
「ように」の前にはべき一回の動作や変化として完結する出来事
(すなわちCE)を言い表す表現が来る、そして、これに着目して日本人は新しい状況が生じたという
ことを理解するのだ、ということを教えなければならない。*7日本語をタイ語に翻訳する学習活動の場
合には、タイ語の(phµ^a) ha^y の後には新しい状況(すなわち NS)が来るのだということも学習者に
再確認させる必要があるだろう。
タイ語のlEÛEwに関係する誤用(第2節の2)
タイ語のlEÛEwと日本語の表現との違いが理解されていないために生じていると思われる誤用は、次の
ようなものである。
(5)
a.バンコクではもう雨季に入りました。毎日雨が降っています。
b.このワンタンはもう揚げました。食べても大丈夫です。
aは手紙の冒頭に表れたもので、手紙が書かれたのは本格的な雨が毎日のように降る 8 月頃である。ま
た、bはある学習者が調理済みのワンタンを指して言ったものである。
まず、
「もう」がlEÛEwに対応するものではない、ということを教える必要があるだろう。
「もう」を使
用して日本語話者が伝えようとするのは「述べようとしている出来事が発話の時点よりも以前に起きた
ものだ」ということ、つまり時間軸上の相対的な位置関係である。(したがって、前節の2の場面で、
「チ
ケット、もう取れた。」
「チケット、もう取った。」と言うことはできない。)また、lEÛEwのように出来事
の結果生じた状態を言い表すことはない。
それから、日本語の動詞「∼た」形が(従属節ではない)主節において表すのは、過去に生起した出
来事であって、lEÛEwのように生起した出来事により発生した状況を言い表すことはないのだ、というこ
とも教えなければならない。そして、aのように生起した出来事により発生した状況を言い表すときに
は、「∼ている」の形が使え、「バンコクでは雨季に入っています。
」のように言えるのだということを
教えるべきであろう。またbの場合には、
「このワンタンは揚げてあります。」のように「∼てある」を
用いて言うことができるのだ、ということを教えるべきであろう。
5.今後の課題
ここまで論じてきたことは、あくまで母語話者の内省にもとづくものである。これを事実として立証
するには、やはり実際のコミュニケーションに用いられる諸形式を数多く分析し統計的有意性を確認す
るという作業が不可欠になるであろう。
7
「日本語教師がタイ人学習者に教えない」ということが、タイ人学習者の誤用の原因となっていることとしては、他に、
いわゆる文脈指示の「そ」と「あ」の使い分けなどがある。今後追求していかなければならない重要な課題であると思わ
れる。
研究発表会(第1日その1)発表資料 2000 年 5 月 2 日チュラーロンコーン大学文学部日本語講座 7
また一方、タイ語話者だけでなく中国語話者の場合にも同様の誤用があることが確認されている。*8
中国語話者と日本語話者との間にもここで論じた仮説が成り立つのか、成り立つとしたらその根拠をタ
イ語と中国語の共通点*9に求めてよいのか、等の問題点を今後追求してみたいと考えている。
参考文献
江田すみれ 1981 変化を表す表現のタイ・日両語の比較.日本語教育第 45 号.
坂本恭章 1989 タイ語入門.大学書林.
謝辞
発表の機会を設けてくださったチュラーロンコーン大学文学部日本語講座の諸先生方、タイ語に関し
て情報提供をしてくださったウィスッティカンヤー・トーシーチャルーン先生(国際交流基金バンコッ
ク日本語センター)
、タッサニーヤー・サェリー氏(東京学芸大学大学院)に感謝を申し上げたい。
8
「私たちの学校では、95 年から優秀な 3 年生の学生が龍谷大学にも留学することができます。
」のような例である。
「.
.
.留学するこ
とができるようになりました。
」と言うべき文脈でこのような形式が使われた。
9
たとえば、
「動詞の形態的な変化によって、出来事が過去に生起したものか、そうでないものかを区別しない」というような特徴であ
る。