高校生から届いた想い - 公益財団法人国際文化フォーラム

ISSN 0919-7265
2007年
4月発行
74
no.
特集
高校生から届いた想い
フォトメッセージコンテストの10 年を
メッセージで振り返る
1997 年に開始した「高校生のフォトメッセージ
コンテスト」が、今年 10 周年を迎えました。この
プロジェクトは、高校生が撮影者と主人公(被写体)
になって、日本の高校生の生き方や暮らしぶりを
5 枚の写真と文章で表現し、同世代の若者に伝
えるというものです。これまでに、2,648 作品(写
真13,240枚)が 寄 せられ、5,296 人(撮影者と主人公の
延べ人数)
が参加しました。
参加者にとってこのコンテストは、単に写真の
芸術性を競うためのものではなく、写真を撮ると
いう行為を通じて、身近な人との関係を見つめ
なおし、自分の生き方についてより深く考えるた
めの場として発展してきました。作品づくりを通じ
て、身近に存在しているものにこそ驚きや感動が
満ちているものだということを発見した高校生は、
自分の心の底から湧き上がってくる力強いことば
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A
で、自分の想いを語ります。
今回は、この 10 年に寄せられた数多くのメッ
セージの中から、特に印象的だったものを選ん
で紹介し、コンテストの歩みを振り返ります。
特集
p.1
高校生から届いた想い
フォトメッセージコンテストの 10 年をメッセージで振り返る
とにかく、友だちがイチバン!
将来の夢に向かって
社会とのかかわり。家族とのつながり
高校時代の写真が、今の「土台」になっている
まず一度、すべて受け入れることからはじまる
シリーズ
p.10
見る聞く考えるやってみる授業 #4
平和へのメッセージが伝わる戦争学習を
TJFニュース
p.12
第 10 回高校生のフォトメッセージコンテスト入賞作品決定! ほか
お知らせ p.16
国際文化フォーラム通信 no. 74 2007 年 4 月
とにかく、
友だちがイチバン!
高校生にとって、何よりも大切で、かけがえのない存在、
それは友だち。友だちについての話題は、
この10 年間、
最も頻繁に登場するテーマでした。撮影者が主人公
の素顔を撮るためには、まず自らの心を開いて、相手
に歩み寄る必要があります。撮影者の気持ちが主人
公に届いた時、二人は向かい合い、互いの存在を敬
い、大切に思う気持ちが生まれます。
:メッセージ :撮影 [ ]内の年は、コンテスト開催年。
撮影を通して、
「親友」になれた
津田幸奈[2000 年]
小学校 3 年生になった春、私は突然、学校に行くのが嫌になり、
行かなくなった。それから 2 年間、一度も学校へ行くこともなく、外へ
出るのも、人と会うのもどんどん嫌になっていった。そんなとき、カウ
ンセリングの先生に、フリールームというのがあると紹介されて行くこ
とにした。それがきっかけでマキっ子(主人公)と出会うことになる。な
ぜか彼女とは気が合い、なんでも話せた。
高校で写真部に入った私は、このコンテストのことを教えてもらい、
マキっ子に主人公を頼んだ。5 枚全部ができたときは、撮影を始め
てから何ヵ月もたっていた。大変だったけど、この撮影を通して、新
しい彼女を見ることができた。彼女の今の生活や、今まで以上に彼
心と心が通い合う
二人の強い絆[2000 年]
二人の毎日が笑顔で
あふれているようだ[2001 年]
写真を撮った日、私がふと軽い気持ちで夢について話すと、裕芙
ちゃん(主人公)も声優という夢について真剣に考えていて、前に進ん
でいるんだと思ってうれしくなったよ。裕芙ちゃんは人よりやさしいか
ら、よく自分に腹をたてたり自信を失ったりして悩んでいるけど、その
分あなたは強くやさしい人間になってると思うよ。私もそんなあなたに
会うと元気がでてきて、悩みごとがあっても、自分だけの悩みじゃな
いことが分かったりする。こういうとき友だちっていいと改めて思う。
皆が皆、かっこよくなんて生きられない。むしろ一見かっこよく見え
る人の方が、苦労や努力をしていたりする。私は高校時代とは、悩
みぬいて自分を見つめる時期
なんじゃないかと思う。だから
「どうして自分ってこうなんだ
ろう?」と悩むのは、決してマ
イナスではないと思う。いろ
んなことを考えて体験して、そ
して自分自身で答えを出す。
それが、とても青春だと思う。
2
津田さんは、2000 年から 2002 年までの 3 年間、毎年マキっ子さんを主人
公にした作品を送ってくれました。二人が出会えたことの喜びと二人のつな
がりを作品の核にしながら、主人公の友人関係や姉妹関係を撮った写真が
加わっていき、年々二人の世界が広がっていくのが感じられました。
マキっ子さんの学校祭に
遊びにいったときの一枚[2002 年]
悩みぬいて自分を見つめる時期
西岡明日香[2002 年]
女のやさしさが、カメラを通して見えた。そのことで彼女により近づく
ことができ、
「友だち」から「親友」になれた感じがした。
彼女に出会えたことで私は、不登校でよかったと思えた。学校に
行っていたら一生、出会うことができない人たちに出会えたから……。
2000 年、二人は大きく変わった。
さりげない日常の一コマから、
姉としてのやさしさが伝わってくる[2002 年]
相手に思われたとき、相手を思うことができる
初めて彼女に会ったとき
から私は彼女に憧れていた
のかもしれない。気づけば
5 年も友だちで、だけど私
は彼女のこと何も分かって
ないな……。私ばっかりが
ベラベラしゃべって、彼女
は聞き役。いつもいろいろ
聞いてもらってる。私はそれが幸せで、彼女の家に行くといつまでも
居座ってしまう。それでも彼女は笑ってくれて、申しわけないと思いな
がら甘えてしまう。そんな彼女が、楽しいと笑うとき、バイバイと手を
振ってくれるとき、私は「ありがとう」と思う。
彼女は覚えていないかもしれないけど、中学の卒業アルバムに「ま
おちゃんは特別な友だち」と書いてくれたとき、私にとっても彼女は「特
別な友だち」になった。人は特別だと思われたとき、特別だと思うこ
とができるのかなとそのとき思った。たぶんそれは世界共通。相手に
思われたとき、相手を思うことができる。
竹田麻央子[2002 年]
国際文化フォーラム通信 no. 74 2007 年 4 月
友だちの中に私の居場所を見つけた
私とあんちゃん(主人公)の出会いは、
図書室。二人とも、毎日放課後になる
と、図書室に通う。それまで、ぜんぜ
ん話したことなくて、お互い一人ひとり
別々の机で勉強していたけれど、今で
は肩を並べて仲良く座っている。二人
の共通の趣味は読書。大学で文芸を
勉強するあんちゃんは、たくさんの本を
すぐ読み終えてしまう。私はあんちゃん
の読んだ本が気になって、追いつくよう
に頑張って読むけれど、やっぱりかな
わない。
みんなのリーダー的存在のあんちゃんは、誠実で頑張り屋さん、な
んでも一人で背負ってしまう。その背中は、なんだか重そう。私に半
分わけて? だって、あんちゃんは、いつも私を助けてくれた。そして、
夢に向かって頑張るあんちゃんがいるから、応援してくれるあんちゃん
がいるから、私も自分の夢に向かって頑張ろうと思う。
実はね、いつも図書室で見かけるあんちゃんにひかれるモノがあっ
たんだ。あの時、思い切って話しかけてよかった。あんちゃんと友だ
ちになれてよかった。心からそう思う。もう卒業で、いつも一緒の図
書室にも残りわずかしか通えない。だけど、友だちの中に私の居場
所を見つけたんだ。だから、もう寂しくなんかない。
木村美和[2003 年]
日本紹介から
国際理解教育の
試みへ
飾らない自分がきっと一番きれい
私は化粧をしている。クラスの女子のほとんどが化粧をしている。
髪の毛を染めて目立っている人もいる。その中で、化粧っけがないあ
っちゃん(主人公)はきれいだった。一人だけ違う光を放っているよう
に見えた。化粧がいけないとは思わない。そういう私も、化粧がある
からこそ自分を表現できる一
人だから……。
私は中学生のときいじめら
れていて、そんな自分を変え
たくて化粧を始めた。そのお
かげで自分に自信がつき、性
格も明るくなった。でも、今
でも友だちに素顔を見せるの
が恐い。そんな私の空想の主人公があっちゃんだった。本当は自分
があっちゃんのようになりたかったんだよ。
あっちゃんに「かわいいね」と言うと、
「何言ってるの? 私なんて
おばちゃんだよ!」と、素直な笑顔と一緒に意外な答えが返ってきた。
あっちゃんは性格も飾らない。普通の女の子はカメラを向けると、少
し恥ずかしがるけど、あっちゃんは堂々として自然にしている。それは
自分があるからこそできること、飾らない自分がきれいなことを知って
いるからできることかもしれない。飾らないあっちゃんの笑顔、真剣
な顔、心が好き。私はもっとあっちゃんを知りたいと思った。写真を
撮りたいと思った。
久我尚美[2005 年]
「日本の若者は、毎日何をして、ど
その後、作品づくりを通じて、「撮影者」と「主人公」として向かい合っ
んなことを考えているのか」という海外
た日本の高校生に、自己肯定感や互いを大切に思う人間関係が生まれ
の高校生や日本語教師から寄せられ
つつあることが分かりました。そこで、第 4 回(2000 年)
からは
「日本」
や
「日
る疑問に応えるために、TJF はこのコ
ンテストを 1997 年に開始しました。日
本語教育に役立つ写真の提供を主た
常生活」といったキーワードを強調せず、テーマを「友だちの素顔」として、
このコンテストを、身近な人々と向きあって自分自身を見つめなおす学び
の場にするようにしました。そして、作品づくりを通して得られる経験が、
る目的にして、募集作品のテーマを「日本の高校生の日常生活」としまし
異なる文化的背景を持つ他者との共生においても有効であるとの考えか
た。集まった写真は学校や家庭における主人公のさまざまな生活ぶりを
ら、コンテストを国際理解教育の一環として位置づけました。その後は、
紹介したものが多く、海外の同世代を意識した「日本の若者の自然な姿
撮影者と主人公の内面を描いたもの、家族、アルバイトなどを通じて経験
を見てほしい」といったメッセージが目立ちました。
した社会との関わりなど、テーマが多様になっていきました。
西 美有紀[1997 年]
阿部紳二郎[1997 年]
山本有美[1997 年]
熊谷法子[1997 年]
3
国際文化フォーラム通信 no. 74 2007 年 4 月
将来の夢に
向かって
作品づくりの過程で、参加者は身近な他者である友だ
ちの存在を見つめなおすことになります。友だちの生き
方に触れて、今度は自分自身の生き方について考えは
じめます。日々、楽しく笑いながら、
もがき苦しみながら、
自分の心で感じたことをことばにしはじめます。そして、
自分というものが分かりかけた時、将来の大きな夢に
向かって歩きはじめます。
自分という人間が分からない
最近なぁーんもしてない。マジやばい。すべてがなぜかつまらんよ
うで、どうでもいいようで。だいいち自分って人間、ほんとわけ分か
んない。あれこれぶつかってたら、意志をなくしたというか、夢はす
ごく遠く感じるばかりで……。なまけてるのか弱くなっているのか分か
んない。なにかがすごく必要。何度つまずいても力いっぱい立ちあが
れる私だったのに。今じゃ、つまずいて倒れてんのか、立ちあがって
遊んでいるのかすら、分かんないや。
真実を見なきゃ。きっと、大丈夫。
今はとにかくつき進んでいくから。こ
の先に答えがあるかどうか分からな
くても、いや答えがないのが本当
の答えなのかもしれない。受け入
れるべき真実を素直に受け入れな
がら、私を強くする。もっともっと強
くなったら、受け入れられないもの
を変えてしまえる自分になれるかも。
それに、もっともっともっと強くなっ
たら、大きな夢が少しずつ近寄って
くるはず。
金 雅英
石 政美[2000 年]
アホなことをして、バランスをとる
「学校が楽しくない」と彼女は言う。彼女は何か打ちこめるものも、
真剣になれるものも、持ってないのだろう。でも私は、何か大切なも
のや頑張れるものを持っている子よりも、何もない子たちの方が多い
と思う。私は前者がいいとも後者がいいとも思わない。なぜなら、こ
の年齢で何か先に進めるものを確実につかんでいる人の方がめずら
しいと思うから。
自分には何もないことに気づいて、これじゃああかんともがいて、
それでたどりついたのが、アホなことやってバカ騒ぎしたり、アホなこ
とやって楽しく生きる
こと。何もないように
感じるかもしれないけ
ど、アホなことほど楽
しいことはないのだ!
思い悩むことも必
要だし大切だけれど、
ちょっとアホなことを
してバランスをとって
いる、そんな高校生
が彼女だと思う。
上田静香[2001 年]
4
何をしてもいいから生きていて!
友だちが自殺した。イジメと
か勉強が原因ではない。何か
自分のなかに腑に落ちないも
のがあって、そこから自分の
弱さが見えてきたことが原因だ
ったらしい。それは僕にとって
2 度目の友だちの死であった。
一度目は小学生のときの友だ
ちの交通事故。でもそのショッ
クは変わらない。とくに自殺は、
あまりに悲しすぎる。
16、17 歳の少年に人生の
すべてが 見えるはずもない。
死んでしまったら、そこで終わ
ってしまう。不幸のなかで人生
を終えることほど悲しいことは
ない。何をしてもいいから、生きていないとダメだ。好きな友だちとし
ゃべって、肌で何かを感じて、いろいろな景色を見る。それだけで
幸せなんだから。
柴田直哉
柏木将宏[2000 年]
もう一度、夢と向き合ってみよう
私は努 力というも
のが苦手だった。勉
強も部 活もいろんな
ことを頑張ったふりし
て、 周りの人や自分
をごまかしてきたと思
う。自分でも精 一 杯
やっているつもりなの
に、いつもどこかで手
を抜いていた。 甘え
ていた。ずるかった。
振り返ると、「やったこと」はたくさんあるのに、「頑張ったこと」が
ないのに気がついた。「若いのに、頑張ることをおこたって嫌だね」
と第三者のように笑ってしまう。そんな自分に最近あきてきた。
私には小さいころからの夢がある。「ムリだ」と半分あきらめていた
夢。でも、あきらめきれない自分がいて、周りが進んでいくことにどこ
かで焦っている自分がいた。もう一度、夢と向き合ってみよう。まだ
一歩も進んでいないけれど、大切な夢だ。これに対してだけは言い
訳しないで、やれるところまでやろうと思う。
小野寺 愛
小山 舞[2001 年]
国際文化フォーラム通信 no. 74 2007 年 4 月
写真を通して自分自身を探ろうとした
ありのままで生きている彼女
田中君(主人公)を撮影していて、人にはい
ろんな「顔」があるなと強く感じました。彼は
高校生であり、実家が恋しい息子であり、働
く男であり、ピーターパンの心を持った少年
であり……。私が見たのは田中君のほんの
一部。彼は他にもたくさんの顔を持っている
ことでしょう。人とのつながりの深さは、その
人と共に過ごした時間とその人のホントの顔
をどれだけ知っているか、また仮面を外した
自分をどこまで素直に出せるかに比例するの
ではないかと思いました。
私がこれまで人物をたくさん撮影して知っ
たことは、人物を撮影するというのは「自分
自身を撮影していることにつながる」というこ
とです。誰に対しても「壁」を作っていたころ
の私にとって、ファインダー越しに見る世界は異空間で自分だけの世界でした。壁
の必要がない世界は本当の自分が抑えていた感情であふれていました。それから
少しずつ素直になろう、写真を通して自分自身を探ろうと思いました。
でもやっぱり、抑えてきた自分を知るのは怖いです。田中君を撮ることでまた新
たな自分を見つけるのが怖くて、壁を作ったのだと思います。壁があってほんの一
部の田中君しか見られなかったけど、彼を撮ってよかったと思います。ピーターパン
の顔を持つ彼に「いろんな『顔』があっていい。そのすべての存在を認めてあげら
れるなら」と、教えてもらったような気がします。
私はいつも外見ばかりを気にしてしまう。でも中身が
ないなんて言われたくない。本当は自分のありのままの
素直な気持ちで生きたい。私だけじゃないと思う。誰
だってときには自分
のありのままの姿を
受け止めてほしいと
思うはず。 居 心 地
が 良いと言えない
教室では、話し声、
視線……、必ず何
かが 気になって仕
方がない。
はっち(主人公)を
見ていて、どんなに
楽しいんだろうと思
った。それで、 気
づいたことがある。
自分の好きなことを楽しめばいい。周りを気にする必
要はない。うれしいとき、怒るとき、泣きたいとき、楽
しいとき、そのありのままの姿を体全体で表現できたと
きこそ、心が生きている。はっちは、ありのままで生き
ている。私も素直に生きたい。ねぇ、今からでも、も
っともっと笑えるよ。
中才知弥[2003 年]
作品に見る
高校生の変化
梅澤 葵[2004 年]
友だちの大切さ、部活や勉強で頑
張る姿、将来への不安や悩みなど、
作品のテーマは 10 年前も今も大きく
携帯電話で話す高校生が登場しています。その当時、高校生の間でさ
変わることはありません。戦争、テロ、
かんに使われていたポケベルは、今や完全に姿を消し、携帯電話を持
少年犯罪、不況など、さまざまな出来
つことは高校生にとって特別なことではなくなりました。友だちと頻繁にメ
事に敏感に反応したコメントも毎年送
ールをやりとりしたり、携帯サイトで音楽やゲームをダウンロードしたりと、
られてきました。また、学校と家庭を中心にした高校生のライフスタイルや、
服装や髪型など若者のファションに大きな変化が見られないためか、10
年前の写真を今見てもさほど古くささは感じません。
一方、高校生を取り巻く環境で最も大きく変化したのは、何といっても
吉田篤史[1997 年]
携帯電話の普及です。第1回コンテストを開催した 1997 年は、携帯電話
を持つ人が急激に増えはじめた時期だったのですが、すでに作品にも
黒田明子[1998 年]
彼らにとって携帯電話は必要不可欠なツールになっています。また、ここ
数年は、ホームページやブログの話題がたくさん登場するようになりまし
た。第 10 回コンテストには、俳優のファンサイトで知り合ったという二人
が参加して入賞しました。
中島成美[2006 年]
甫足佳那子[2006 年]
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国際文化フォーラム通信 no. 74 2007 年 4 月
社会とのかかわり。
家族とのつながり
国際問題、景気の動向、少年犯罪など、参加者はそ
のときどきのニュースにも敏感に反応しています。一般
論として借り物のことばで語りがちな問題を、身近な
物事を拠りどころにして、自分自身のことばで語ってい
るのには目を見張ります。家族や友だちとのやりとり、
アルバイト先での経験など、毎日のなにげない出来事
の積み重ねが彼らの力になっています。
もっと障害者に理解を
本当は誰かに話を聞いてほしい
学校で親友と呼べる人もなく、
いつも寂しそうにしていた彼。そん
な彼の学校外での様子を撮ってみ
たいと思った私は、仕事中の彼を
撮ることにした。彼は障害者の介
護をしているのだが、優しい眼差
しで少年を見つめていた。学校の
中では見れない本当の彼を見てし
まった私は、鳥肌がたった。彼の
仕事ぶりを見て私自身も撮影を中
断し、少年と接することに夢中に
なった。
知的障害者・身体障害者の人たちは歩くことが困難なので車いすで移動する。彼ら
と街を散歩していろんなことに気づいた。日本でも障害者に配慮した街が増えてきてい
るようだが、実際には十分ではないところもたくさんあるのではないだろうか。そしても
うひとつ気づいたこと。行き交う人たちが彼らを見る。特別な目で……。とてもいやら
しい目つきをしているのに気がつき、悲しくなった。どうしてそんな目で見るのだろうか。
障害者だから? 彼らはことばに不自由でも人間特有の「喜怒哀楽」の感情を持ってい
ます。いやなときには顔をしかめ、嬉しかった時には周りの人間もつられて微笑んでし
まいそうになるくらいのまぶしい笑顔を見せてくれる。そんな彼らを知らずにいる人たち
がいることを、残念だと思う。日本だけでなく世界中の人たちがいろんな人と出会い、
触れ合い、障害者を理解してあげてほしい。
辻 幸代[1999 年]
今ある私は、すべて家族のおかげ
最近、私は「菅原千
明 」でよかったと思う。
父ゆずりで地理が得意
な私は、修学旅行の自
主研修で予定コースを
迷うことなく全制覇した。
ハードスケジュールにも
かかわらず、体調は絶
好調。これは母ゆずり。
おみやげはみんなに喜んでもらえた。これは祖父ゆずり。家族に 4
泊 5 日分の思い出を臨場感たっぷりに語る私。これは、祖母ゆずり。
反抗期のころ、「自分は一人で大きくなった」みたいなことを、よく
言ってたと思う。けど気がつけば、私の性格、クセ、好みはすべて
家族のおかげで形成されてきた。今までの思い出もすべて家族のお
かげだった。私に影響を与えてくれたたくさんの人との出会いも、す
べて家族のおかげだと気づいた。それで、
私は
「私」
でよかったと思う。
菅原千明
6
小野寺美知[2000 年]
最近、気になる話題は、17 歳の少年犯罪。自
分も17 歳なので、一時はこういう人の気持ちも分
かるときがありました。自分も壊れそうだったから。
17 歳の少年たちは、誰かに助けを求めているんじ
ゃないかな。本当は誰かに話を聞いてほしいのだ
と思います。
私は今、仲間や家族に迷惑をかけながら、みん
なに支えられていると感じます。そう、今の私はへな
ちょこだった私から脱したんです。だから苦しくても
今を精一杯生きようと思います。
「今を大切に」ってこういうことなんだと、やっと
最近分かってきました。
田中理喜[2000 年]
夢はないけど、人間的に尊敬できる彼
しんちゃん(主人公)は休みになると、毎晩友だちと一緒にコンビニ
の前にたまり、夜を明かします。とても迷惑な人たちです。でも私は、
そんなしんちゃんに憧れます。自分とは正反対の自由な性格で、一見
何も考えていないようだけど、
実は誰よりも考えてたりするからです。
夜、
外に出るのは、実は家に帰ることができないからです。本人はめっち
ゃ帰りたがっているし、親のことをすごく心配したり、私のこともとて
も気にかけてくれます。最近、自分のことばっかりで、偉そうに自分の
夢を語る人もいるけど、私はそんな人をすごいとは思いません。夢を
持つのも大切だけど、その前
に人間的に出来ていないと
だめだと思うのです。しんち
ゃんは毎日ふらふらしてるし、
夢はないけど、優しい性格と、
しっかりした考えを持ってま
す。私はそんなしんちゃんを
尊敬していたりするのです。
伊藤菜々子[2001 年]
国際文化フォーラム通信 no. 74 2007 年 4 月
兄を見つめて、平和な世の中について考えた
兄は勉強が嫌いで、部屋はめちゃ
くちゃです。だらしない生活をしてい
ます。夏はパンツ一枚で、家の中を
うろうろしています。それは、二つ年
下の私にとっては、いいものではあ
りません。
「お兄ちゃん、ズボンはい
て!」
。それが、私の切実な願いです。
私は写真部に所属しています。カ
メラを通して見ると、兄はいつもと違う気がします。いつも一緒すぎて、気が
つかなかったことに気づくことがあります。眉毛を抜いていること、おでこに
段がついていること、それから、もしかして大学に合格したら離ればなれにな
ること。ケンカもしますし、特別仲の良い兄妹というわけではありません。でも、
兄がいなくなったら、絶対に寂しくなると思います。
兄は私を守ってくれているのだと思います。小さいときからずっと、学校が
終わって親が帰ってくるまで二人でした。ああしろ、こうしろとガミガミ、母
以上に言うのはそのせいかもしれません。今でも、私が部活で遅くなると、
意味不明の電話がかかってきます。みんなは、
「おかしなお兄さん」と言いま
すが、あれは無事の確認なのかなと思います。
このごろ、ニュースを見ていて良かったなと思えることがありません。もし
かしたら、私の周りのささやかな幸せを守ることは、すごく大変なことなのか
もしれません。今の私は、将来についてのはっきりした目標はありませんが、
平和な世の中に暮らしたいという希望はあります。そのために、私にもできる
ことがあるはずだと思います。みんなが身近な人を思って暮らしたら、平和
にもうちょっと近づくような気がします。
一人の思いが何かを動かす力になる
あたしらは幸せだ。朝ごはん
食べて、学校行って、友だちと
たくさん話して、帰ったら迎えて
くれる家族と家があって、晩ご
はん食べて、テレビ見て、寝る。
こんな当たり前のことを、何気な
く毎日繰り返している日々。だけ
ど、同じ地球上でも、あたしら
みたいに何不自由なく暮らしてい
る人もいれば、幼いころから労
働を課せられている子や飢餓で
苦しんでいる人も多くいることを
忘れちゃいけない。季節が変われば、あたしらは進学や就職
など夢に向かって一歩を踏み出せるけど、苦しんでいる人た
ちはその一歩さえも踏み出せない。
あたしらは、ちっぽけだ。苦しんでいる人を助けたいと思う
のに、思うばかりで何も行動できない。昔どこかで、
「思うこと
より、実行することが大事」ということばを聞いたことがあるけ
ど、実際に行動することはとても勇気のいることで、ちっぽけ
なあたしらは、一人じゃ何もできない。だけど、一人ひとりが
助けたいと強く願うようになれば、それは初めはとてもちっぽけ
なものかもしれないけど、その思う気持ちを大事にしていけば、
それはとても大きなものに育っていくんだと思う。「一人の思い
が何かを動かす力になる」。
乗田摩美[2003 年]
国内外で
広く紹介された
コンテストの作品
野田恵莉
神原留美[2004 年]
2001 年に英国で開催された日本文化紹介行事「Japan 2001」で、コンテストの写
真が写真パネル展「The Way We Are Japan」として公開されました。同展は英国
国内の学校や公立の図書館を巡回し、延べ 10 万人が観賞しました。コンテストの英
国版「The Way We Are UK」も開催され、「一人の主人公を 5 枚の写真と文章で
表現する」作品に、英国の高校生も挑戦しました。
また、コンテストの作品は、現代の高校生の姿を伝える貴重な写真として、日本の
英語科の教科書や海外の日本語教科書などに多数掲載されるようになりました。さらに、コンテストの参加常連校、大
日本の
阪府立大手前高等学校定時制課程の写真部顧問・野村訓先生編著の本『レンズの向こうに自分が見える』が岩波ジュ 英語教科書
ニア新書として出版され、コンテストに寄せられた作品も多数紹介されました。
英国の高校生の作品
英国での写真パネル展
英国の新聞 Daily Expressが
発行する雑誌 Saturdayより
タイの
日本語教科書
米国の
日本語教科書
7
国際文化フォーラム通信 no. 74 2007 年 4 月
高校時代の写真が、
今の「土台」になっている
中西祐介……第1回コンテスト最優秀賞受賞者
写真通信社のフォトグラファーになって約1年、毎日いろいろなスポーツの写真を撮っていま
す。
この仕事には、写真の技術や体力が必要なことはもちろんですが、現場で最も必要なのは、
コミュニケーション能力や判断力です。取材相手や他のフォトグラファーとの会話や交渉など、
自ら積極的に働きかけて情報を入手し、常に的確な判断を下していくことが求められます。
仕事で撮る写真というのは、雑誌や Web に使われる報道用の写真、つまりスポーツをスポ
ーツとして撮った写真です。でも、自分の写真として撮るときは、すべてドキュメンタリーとして
人間を撮りたいと考えています。大学時代から今までずっと通っているボクシングジムでは、試
合の写真だけでなく、日々の練習や選手のポートレート、そして通常、立入禁止になっている
試合前後の控え室の中まで撮影します。試合前の興奮や不安、試合後の歓喜や屈辱、ジム
の一員として信頼されていなければ決して撮らせてもらえない場面です。撮影する相手と個人
的な関係をつくり、信頼を深め合いながら、人をじっくりと撮る。この撮影スタイルの元は、フォ
トメッセージコンテスト用に撮った作品です。
中学から高校にかけて、人間嫌
いになった時期がありました。でも、
単位制・無学年制という特色を持っ
た新宿山吹高校に入学して、「誰が
いてもいい」というみんなを受け入
れてくれる校風と、さまざまな芸術
を志す仲間にめぐりあいました。そ
して、自分は写真に打ち込むように
なり、いつの間にか人を撮るのが好
きになりました。そんな高校時代の
この写真が、今の自分の土台にな
っていて、この上に全部積み重なっ
ている気がします。これからも、人
最優秀賞を受賞した作品「日野俊 s ドキュメント」
[1997 年]
今後、
ますます価値が
高まる写真
間のドラマを撮っていきたいです。
なかにし・ゆうすけ
新宿山吹高等学校卒業。東京工芸大学芸術学部
写真学科を卒業後、出版社の撮影助手を経て、
2006 年よりアフロスポーツ(http://www.aflosport.
com/)所属のフォトグラファーとして活躍中。
この 10 年間に集まった写真は、実に 13,240 枚に及んでいます。TJF は毎
年、その年に寄せられた写真を写真集『The Way We Are 伝えたい私たちの
素顔』にまとめ、国内外の教育関係者に寄贈してきました。また、海外への発
信のため、近年ホームページに力を注ぎ、英語版ホームページ「The Way We
Are 日本の高校生のフォトエッセイ」では、日本の高校生約 80 人を紹介してい
ます。日本語教育に役立つ日本語の音声や日本文化の解説なども用意しました。
また、外国語教育や国際理解教育のための写真データベース「TJF Photo Data Bank」も好評で、応募作品を
含めた日本や日本文化に関する写真を現在約 3,400 枚掲載しています。利用登録者数は約 5,900 人になりました。
田沼武能審査員長は、「(作品には)それぞれの時代が記録されています。何よりも高校生が高校生を撮ったこ
TJF Photo Data Bank
とにより、よりリアルに高校生の考え、生活感が表現されているので、今後の貴重な資料となると信じます。毎年の
作品が写真集という形に残されていることも有意義なことです」と語っています。
『The Way We Are 伝えたい私たちの素顔』1997-2005
The Way We Are
8
国際文化フォーラム通信 no. 74 2007 年 4 月
まず一度、
すべて受け入れることからはじまる
荒井聡子……第 2 回コンテスト最優秀賞受賞者
高校時代は、写真を撮るのも、見るのも、プリントするのも、とにかく写真のすべてを楽し
んだ時期でした。写真部のみんなと合宿や撮影で、いろいろなところへ出かけるのも本当に
楽しかった。そのころ、写真家の植田正治さんの写真と出会いました。植田さんが故郷の
鳥取の人々や風景を、ごく普通の生活の中で魅力的に撮っていらしたことにとても感動しまし
た。自分の身の周りにこんな魅力があるんだと気づき、自分でも撮ってみたくなったとき、偶
然に出合ったのが、このフォトメッセージコンテストでした。ですから、自然な感じで、友だち
をじっくりと撮ることができました。最優秀賞を受賞したことで、自分の想いがたくさんの人に
伝わったと分かってうれしかったし、とても大きな自信になりました。 この春卒業した専門学校の卒業制作として、高校卒業後に東京へ来てからずっと一緒に
住んでいるお婆ちゃんを撮りました。81 歳になった今でも、お友だちとボーリングを楽しんだ
りするような、元気で都会的なお婆ちゃんです。お婆ちゃんが私にくれるのは、もう無償の愛
といってもいいほど大きなものです。これまでの感謝を込めて、お婆ちゃんを魅力的に撮りた
いと思って撮りました。
今は、ギャラリーの仕事に興味を持っています。私は写真を見ることが、撮ることと同じくら
い好きで、今まで見たこともない、自分の知らない視点で撮られた写真に出会った時に深く
感動します。写真を見るときには、ま
ず一度すべて受け入れることを大事に
しています。表面だけを見てあれこれ
批判するのではなく、作者の感性や
価値観といったものを受け入れること
から、写真を見ることをはじめるので
す。家族や親しい人の写真を家に飾
っておくように、もっと自分の好きな作
家の写真や写真集を身の周りに置い
て楽しむことができたら素敵だなって
思います。いつか、まだ誰も知らない
写真家を自分が発掘して、たくさんの
人に紹介するような仕事ができたらい
最優秀賞を受賞した作品「大地の子」
[1998 年]
いなって思っています。
コンテスト終了と ト」は、今回をもって終了することにな
今後について
りました。これまでに参加してくださっ
「高校生のフォトメッセージコンテス
を選び、世界の高校生と
一緒に訪ねて、人々の姿
と暮らしを撮影します。今
た高校生の皆さん、ご指導いただい
後も日本 の 高 校 生 の 姿
た先生方、そして本コンテストに対し、
や 生 活 文 化を世 界に発
多大なるご支援とご協力を賜りましたす
信していくために、「TJF
べての皆さまに、心より御礼申し上げます。
あらい・さとこ
北海道標茶高等学校卒業。東京の短大を卒業し、
保育士として働く。その後、写真の道を志し、専門
学校に入学して写真を学んだ。
Photo Data Bank」をさ
TJF は、本コンテストの趣旨を生かした事業を新規に始めたいと考え
らに充実させたり、「つな
ております。「身近な他者をよりよく理解し、共に生きていくことを学ぶ」
がーる」内に写真や文章
という国際理解教育の試みは、世界の高校生が出会う場「つながー
等の発表の場を用意しま
( 新ウェブサイト)や、さまざまな直接交流事業へとつながっていきます。
る」
す。これらの新たな試みは、コンテストにご協力いただいた写真部顧問
2007 年 8 月には、世界の高校生との交流プログラム「Focus on Japan
2007」を開催します。宮城・東京・大阪・広島からグループごとに 1ヵ所
の先生方や生徒、国際理解教育の先生方のご支援なしにはなしとげら
http://www.tjf.or.jp/focusonjapan/
れません。今後とも、一層のご理解とご協力をお願いいたします。
9
国際文化フォーラム通信 no. 74 2007 年 4 月
見る聞く考えるやってみる授業 ── #4
平和へのメッセージが伝わる戦争学習を
新潟県上越市立高志小学校教諭
平成 14 年の学習指導要領の改訂に伴って、歴史の教科
中川和代
(2)子どもを主人公とした映画の視聴
書がずいぶん様変わりした。縄文時代がなくなっていたり、聖
(
「火垂るの墓」スタジオジブリ制作、1988 年)
徳太子がコラム程度になっていたり。全体の時間数が減った
14 歳の少年が、戦争中苦しい生活を送りながらけなげに妹
ため、時代と時代の間をつなぐ部分が抜け落ち、通史的では
を守り、最後には死んでいくという悲しい話である。教科書に
なくトピック的になっている。
もとづく授業に入る前に、この映画をどうしても見せたかった。
その少ない時間数の中で、6 年生の戦争について授業を進
実際の生活の様子を分かりやすく描いたアニメーションの映像
めた。現在の社会科の教科書は資料が多く、文章による記
を通して伝えておくことにより、子どもたちがその後の教科書に
述が少ない。起こった出来事を機械的に羅列した文章を読
よる学習でイメージがぐっととらえやすいと考えたからである。
むだけでは、内容について実感をもって考えることは難しいと
たとえば「蘆溝橋事件では、多くの女性や子ども、兵などがな
感じた。特に戦争についての単元は、どことどこの国が戦い、
くなりました」。こんな一文についてもその場面をきちんと想像
どんな事件が起こったかという客観的な内容のみを教えること
し、ひどいことだと感じられるようにしたかった。
になり、戦争というものが子どもたちの心に残ることは少ない
主人公が同じ年頃の男の子ということもあり、子どもたちは
だろうと思った。
感情移入して 2 時間の映画を食い入るように見、涙を流す子
世界中で紛争が絶えず、日本も自衛隊を派遣するなど、今
どももいた。
や戦争は遠い過去のことではない。そんな現在、子どもたち
にどんな理由があれ戦争は絶対にいけないことであること、
(3)地元で起こった戦争被害を聞く
いつも戦争で犠牲になるのは何の罪もない人であることを強く
戦争は、どこか遠いところで起こったことで、自分たちには
感じてほしかった。これからの社会をつくる子どもたちだからこ
関係のないことだと考える子どもが多い。身近な自分たちの
そ、そのメッセージをしっかりと伝えたかった。授業は以下の
地域の被害を伝えることは大切なことだと考え、上越日豪協
通りに社会科と総合の時間、計 13 時間をあてて行った。
会会長の山賀昭治さんに来てもらい、
「上越地方に残る戦争の
傷跡」と題して,黒井の空襲
(1)聞き取り調査(発表に1時間)
(2)映画の視聴(2時間)
(2時間)
(3)地元で起こった戦争被害を聞く
(4)現地学習(3時間)
と合わせて5時間)
(5)他国の教科書を学ぶ(社会科「世界に広がる戦争」
津捕虜収容所
★注 3
、名立の機雷爆発
★注 1
、直江
★注 2
について話をしてもらった。山賀さんは元小
学校長で、すばらしい語り部である。手製の地図、爆弾や慰
霊碑などの OHP 資料、年表、キーワードの紙、実物の爆弾
のかけらなど資料も豊富で、視覚的に訴えるものが多かった。
また、子どもの視点で実際にどのような被害にあったかを具
(1)聞き取り調査
体的に話してくださり、子どもたちはうなずいたり、資料に見入
最初に行ったのは、家族や親戚、近所の人たちからの聞
ったりしながら、飽きることなく真剣に話を聞いていた。
き取り調査である。身近な人から直接戦争の話を聞くことによ
山賀さんの話はまず、昨今の世界が不安定な状況にあるこ
って、より自分の問題としてとらえられると考えたからである。
とや、イラクやア
当時どんなに食べ物がなかったか、学校ではどんな生活をし
フガニスタンで
ていたか(竹やり訓練、野菜作り、勉強は教えてもらえないなど)、空襲にそ
は今も戦火にお
なえて防空壕を掘り、どんなに眠れない日々を過ごしたかなど、
びえる人たちが
身近な生活がどんなに変わったかということを感じさせるもの
いることから始ま
が多かった。おじいさんやおばあさんと一緒に住んでいない
った。そして地
子どもたちは、わざわざ電話をかけて話を聞いたり、両親から
元の事件を話し
話を聞いたりして発表した。
終えると、最後
10
国際文化フォーラム通信 no. 74 2007 年 4 月
に世界中で今もたくさん埋まっている地雷の話をされた。「21
ため広島と長崎に原子爆弾を落とし、それでようやく戦争が終
世紀が始まるときに、私たち大人は 21 世紀は平和の世紀にし
結した」と、アメリカが原子爆弾を落としたことを正当化するよ
ようねと誓い合いました。でも21 世紀が始まってみると、あち
うな書き方がなされている。
らでもこちらでも戦争の話ばっかり。本当に悲しいことです。こ
同じ出来事でありながら、それぞれの国の事情によって書
れからの世の中はみなさんがつくるのです。おまんたが、が
き方が変わっていることから、教科書といっても鵜呑みにする
(上越弁)」
んばらんといけんのだよ。たのむでね!
。山賀さんは
のではなく、決して一面的な見方をしてはいけないこと、いろ
このようなメッセージでお話をしめくくられた。平和への強いメ
いろなものの見方があり、それを自分なりに判断することが大
ッセージの伝わるすばらしいお話であった。 切であることを子どもたちは学ぶことができた。
子どもたちの感想より[その 1]
今日、山賀先生が戦争のときの上越の傷についてお話ししてくださいまし
た。山賀先生はお話の前に、
「平和について考えてほしい」とおっしゃいまし
た。私は、戦争のときに上越には何もなかったと思っていました。東京とか
遠くで起こったことだと思っていました。でも、うちの近くでもたくさんの命が
失われたことを知り、びっくりしました。
(中略)
三つ目は、直江津であった捕虜収容所の悲劇でした。この事件では、日
本人ではなくオーストラリア兵が 300 人中 60 人も雪国の寒さと粗末な食事と
厳しい労働で死んでしまったそうです。日本人は「敵の兵の死体なんて……」
と何もしませんでした。でも、オーストラリアの人は、自分の国で死んだ日本
人を立派な墓に入れてくれたそうです。優しいなあと思いました。きっとオース
トラリアの人は「戦争で敵でも同じ地球に生きる仲間だ」と思ってくれたので
はないかなあと思いました。上越の直江津には「平和記念公園」ができたそ
うです。今、世界中のたくさんの場所で戦争が行われています。地雷などで
も命が失われているけど、みんなが仲良く
「平和な世界」をつくっていけるとい
いなあと思いました。
実践を終えて
戦争の学習を行ったあとに、「自分たちの国はなんとひどい
ことをしたのだろう」
「私たちの国は最低だ」と落ち込み、愛国
心を失いかける子どもたちがよくいる。そこで戦争の単元のあ
と、日本がどのようにして立ち直っていったか、平和を保つた
めにどのような努力をしているか(非核三原則など)、現在は日本
がどのように世界平和に貢献しているか、などの内容を丁寧
に扱うことで自国への誇りを再びもたせるよう工夫することが
大切だと感じた。また、地元の平和記念公園建設の活動を
知ることにより、地域を見直し地元に対する自信を高めるよい
きっかけになったことも大きい。
(4)現地学習
山賀さんのお話にあった、直江津捕虜収容所跡地にでき
た平和記念公園に出かける機会を設けた。話を聞いただけ
では伝わらないものも、現地学習をすることによってより詳しい
資料を見ることができたり、当時の様子を思い浮かべたりする
ことができる。地元であるからこそ、より自分の問題としてとら
えることができる。そして、本物には本物だけが持つ力がある。
子どもたちがこちらの予想もつかないことを実際に学ぶことが
★注1:1945年5月、上越市黒井地区でB29が20トンもの爆弾を落とした空襲。
★注 2:1949 年、海岸に流れついた機雷の爆発で 63 人が死亡した惨事。
★注 3:直江津捕虜収容所には、戦争中、多くのオーストラリア人捕虜が生活
していたが、厳しい肉体労働や寒さのため 60 人が亡くなった。戦後、元捕虜
の一人が当時を偲び、上越市の高校へ手紙を出したことをきっかけに、元捕
虜の方々との交流が始まった。オーストラリアのカウラ市では、捕虜収容所か
ら脱走を試みて亡くなった日本兵を地元市民が悼み、日本人墓地や日本庭園
や博物館をつくり、悲劇を忘れないように努力している。このことを知った上越
の関係者と有志が資金を集め、収容所跡地の平和記念公園に平和祈念像を
建立して、平和への祈りの場所としている。
できる可能性を秘めている。
子どもたちの感想より[その 2]
バスから降りて、すぐに平和記念公園に着きました。他の収容所は取
り壊しただけなのに、過去の誤った行動を反省し、公園をつくった日豪
協会の人や、寄付をした上越の人はすごいなあと思いました。展示館
に行って、捕虜の人たちの写真を見ました。優しそうな人ばかりで、戦
争に出たばっかりにつらく苦しい生活を送ることになってしまって、戦争と
いうものは、失うものが多すぎるなあと思いました。
(5)他国の教科書を学ぶ
当学級には、アメリカとフィリピンからの転校生がいる。彼ら
にも戦争に関する聞き取り調査や調べ学習をさせたところ、そ
れぞれの国の社会科の教科書を持ってきた。どちらの教科書
にも日本との戦争のことが出ている。
フィリピンの教科書には、「それまでアメリカの領地であった
が、日本軍が来たことにより独立のきっかけとなった」と、日
本に対して好意的に書かれている。反対にアメリカの教科書に
は、「日本は壊滅的な状態でもまだ降参はしなかった。その
直江津捕虜収容所の復元図(上)と平和記念公園
図版提供:上越日豪協会
11
国際文化フォーラム通信 no. 74 2007 年 4 月
「TJF ニュース」では、TJF の活動
報告や、TJF の事業に関連する
さまざまな動きをニュースとしてま
とめ、お伝えしていきます。
■高校生のフォトメッセージコンテスト
第 10 回高校生のフォトメッセージコンテスト入賞作品決定!
TJF が毎年開催している「高校生のフォトメッセージコンテス
入賞作品は TJF のホームページ (http://www.tjf.or.jp/photocon/)
ト」は、今回 10 回目を迎えました。このコンテストは、日本
の「過去の入賞作品」のコーナーでも閲覧できます。また、
の高校生の生き方や暮らしぶりを、高校生自身が撮った 5 枚
入賞作品を中心に応募作品をまとめた写真集『The Way We
の写真と文章で、日本国内や海外の同世代の若者に伝えて
Are 2006 伝えたい私たちの素顔』を 7 月初めに発行し、国
もらおうとの趣旨で行ってきました。
内関係者のほかアメリカ、オーストラリア、中国など海外の中高
今回は全国 55 の高校から、166 作品(写真830枚)が寄せられ
校で日本語や日本について学ぶ同世代に見てもらうため、関
ました。その内訳は、写真部や美術部などの部活動の一環
係機関に寄贈する予定です。さらに、英語圏の高校生向けに
として制作した作品が 110 作品(66%)、美術、日本語などの
は英文ホームページに、これまでの入賞作品から厳選した写
授業の一環として制作した作品が 45 作品(27%)、個人制作が
真とエッセイを掲載し、個性豊かな日本の高校生の姿を親し
11 作品(7%)でした。
みやすく紹介しています(http://www.tjf.or.jp/thewayweare/)。
1 月 24 日に開いた審査会において、最優秀賞(広島工業大学
このコンテストは 10 回目の今回をもって終了することになりま
附属広島高等学校の平松絹子さんの
「世界を引き寄せる君」)をはじめ、 入
した。第 1 回から審査員長を務めてこられた田沼武能氏は、
賞作品 30 点を決定しました。審査員長の田沼武能氏は、
「平
「10 年間に見えてきたものは高校生の生き生きとした姿であり、
松さんの作品は、将来海外で医療活動に従事したいという主
それらにはそれぞれの時代が記録されています。何よりも高校
人公の真田君が希望に満ちた生活を送っている様子を、真田
生が高校生を撮ったことにより、よりリアルに高校生の考え、生
君の表情を通して 1 枚目の写真で物語っています。また、マレ
活感が表現されているので、今後の貴重な資料となると信じま
ーシアでの経験を後輩に報告するために準備している 4 枚目
す」と述べています。TJF では高校生の相互理解を育んできた
の写真は、真田君の真剣さを写しとり、作品を引き締めてい
このコンテストの趣旨をさらに発展させ、本年 8 月には特別交
ます。ことに 5 枚の写真のまとめ方とカメラワークの良さが作品
流事業として、世界各国から招聘した高校生と日本の高校生
の構成のうまさにつながった作品です」と講評されました。
が、日本各地に分かれて人々の姿や暮らしを撮影し交流する
2 月 24 日には、上位入賞者 6 名を東京に招待し、授賞式
プロジェクト「Focus on Japan 2007」を実施します。ホームペ
と懇親会を行いました。賞状や盾の授与の後、撮影者に自
ージには参加高校生の作品を掲載するほか、世界の高校生と
分の作品について語ってもらう時間を設け、作品のねらいや
意見交換をする場も設け、日本の高校生による世界に向けて
制作中のエピソードなどを披露してもらいました。また授賞式
の発信や、世界の若者との相互理解を支援したいと考えてい
会場では入賞作品 30 点とコンテストの 10 年間をまとめたパネ
ます。詳細はホームページ(http://www.tjf.or.jp/focusonjapan/index_j.
ルの展示も行いました。
html)
をご覧ください。
入賞者とコンテスト関係者の記念撮影(写真:北郷仁)
来場者を前に作品について語る平松さんと主人公の真田さん(写真:北郷仁)
12
(辻本京子・藤掛敏也)
国際文化フォーラム通信 no. 74 2007 年 4 月
最優秀賞■
「世界を引き寄せる君」
……平松絹子(広島工業大学附属広島高等学校)
④
②
①
③
⑤
研修旅行で行ったマレーシア・サラワク州で、私た
ちはいろいろな体験をした。生きた鶏を自分たちの手
で調理し、茶色く濁った川で水浴びをした。マングロ
ーブの苗床を作り、ロングボートに乗って植林しに行っ
た。何もかもが初めての体験ばかり。私はびっくりした
り、感動したりしながらも、カメラ越しに真田くんを追
った。ありのままの自然や、温かい現地の人々との触
れ合いは、真田くんの表情をくるくると変える。
日本に帰ってマレーシアでの体験をもとに授業する
ことになっていた。マレーシアで吸収し学んだことを、
今度は後輩に向けて発信する。伝えたいことは、環
境のこと、命のこと、人とのコミュニケーションのこと。
真田くんの授業はまっすぐに届いてくる授業だった。
普段はおしゃべりな生徒たちも、いつのまにか話に引
き込まれている。生徒の素直な反応も、真田くんは素
直に受け止めて一緒に考えていた。
私たちはいつも世界に引き寄せられただけで終わ
ってしまう。それだけで満足してしまうのは、誰にでも
できること。そこから一歩踏み出して自分の力で世界
を引き寄せるにはどうしたらいいか、真田くんは気づ
かせてくれた。これからは、ただ引き寄せられっぱな
しじゃなくて、自分の手で摑んでいこう。(抜粋) ①マングローブの植林の帰り。服は水浸し、手足は泥だらけになったけど、「楽しかったね」と言ってみんなで笑っていた。ボートの上は太陽も風もとても気持ちがいい。②川
での水浴びは一日の楽しみ。深くて底に足が届かない! 水が茶色く濁っているのは、森林伐採の影響で川に土壌が流出しているから。③ロングハウスの簡易水道設置作業
を手伝っているところ。水が通るパイプを土に埋めるんだけど、これがなかなか大変だった。④授業準備の最中。授業案には文字やメモがぎっしりだ。一生懸命に授業を組
み立てていく。⑤真田くんが小学校のときから通っている英語教室は、英語で歌を歌ったり劇をしたりする楽しい教室。一番年長の真田くんは子どもたちをまとめるお兄さんの
ような存在でも、遊び相手でもある。
主人公■真田悠希(17 歳) 趣味:ギター/好きなことば:
「好き」/大切なもの:自分のことを受け入れてく
れる仲間/熱中していること:ギターを弾くこと/将来の夢:発展途上国への医
師派遣団体に入って、国際的な医師として活躍したい
メッセージ:
僕はこの夏に学校の研修旅行でマレーシアに行ってきたんよ。ロングハウス
っていう高床式の長屋で、先住民族イバンが暮らしているところに1週間くらい
ホームステイしてきたんよ。ロングハウス内の各世帯同士のつながりはとても強
くて、みんな家族みたいだったよ。すごく解放感があって、本当にリラックスで
きる最高の場所だったよ。普段学校ではあんまりしゃべらない他の日本人メン
バーも、ロングハウスでは一皮むけてたよ。
マレーシアは環境問題がすごく深刻なんだ。僕ら日本人が木材をたくさん輸
入するから、森林伐採をたくさんしているんだよ。森林の木がなくなるから、土
壌が川に流れ出して川の色が茶色くなってしまってるんだ。マレーシアに行く前
は他人事にしか思えなかったけど、そこに住む人とつながりができたから、他
人事には思えなくなったよ。だからマレーシアのために何か自分にできることが
したいと思うようになったよ。
やっぱり、援助をするためには、援助する相手を素敵な国だと思って、援
助したいって気持ちになることがまず必要だと思うんだ。僕は今年マレーシアと
いう素敵な国を見つけた。この国を出発点として、他にもたくさんの素敵な国
を見つけて、そこの人々とつながりを持って、その国の問題点を解決していき
たいな。医者を目指す僕は、医療という形でかな。(抜粋)
◆最優秀賞(1 作品):
「世界を引き寄せる君」平松絹子(広島工業大学附属広島高等学校)
◆優秀賞(2 作品):
「やさしき人」中元早太(大阪府立大手前高等学校定時制課程)/「ガチャの青春」山根衣理(千葉県立津田沼高等学校)
◆審査員特別賞(3 作品):
「なんくるないさあ∼精神の持ち主 !! しょうこ先輩 !!」北上奈生子(沖縄県立真和志高等学校)/「ほどほどに田舎もの」本田 涼(宮城県塩釜高等学校)/「い
つも いつでも お兄ちゃん」長谷川 明(大阪市立工芸高等学校)
◆奨励賞(12 作品)
:
「こずしかいない !!」吉田花菜子(順天高等学校〔東京都〕)/「土曜日のぞじょ」澁谷陽菜(中越高等学校〔新潟県〕)/「up down, up!!」中島ゆう子(和光
高等学校〔東京都〕)/「我らのあづあづ」鏑木朋実(千葉県立柏高等学校)/「女優・変顔役者・サキ」千葉桃子(秋田県立大館高等学校)/「のんちゃん」
寺岡沙織(広島県立庄原格致高等学校)/「ちっこい体ででっかい夢を」徳山実華(大阪インターナショナルスクール)/「囚繋」入口峰広(奈良県立高取国
際高等学校)/「未来のスーパースター」鄭 陽治(大阪府立大手前高等学校定時制課程)/「多彩に活動」川井和真(市川高等学校〔兵庫県〕)/「まいだ
あありん」森 洋子(香川県立坂出高等学校)/「私の友達」大田沙織(筑紫台高等学校〔福岡県〕)
◆努力賞(12 作品)
:
「いやし系少女 さおりん」岩宮千尋(桜美林高等学校〔東京都〕)/「笑顔につよさ」大竹良枝(埼玉栄高等学校)/「加奈と由利亜∼誰にも見えない絆∼」
北浦加奈(大阪府立大手前高等学校定時制課程)/「3 年間ありがとう! これからもよろしく!」坂本悠紀(大阪市立工芸高等学校)/「自分に正直に、まっ
すぐまっすぐ!!」佐竹 薫(大阪市立工芸高等学校)/「村瀬と溶け込んだ日々」柴田薪二(岐阜県立岐阜工業高等学校)/「仲間×仲間」園田泰子(東京農
業大学第一高等学校)/「いっちゃんのキラキラな日々」高橋有早(秋田県立横手高等学校)/「我らがキムりん!」橋本光平(正則高等学校〔東京都〕
)/「ね
んごろねごろ」林 咲樹(香川県立丸亀高等学校)/「無邪気な彼」村瀬真奈美(岐阜県立岐阜工業高等学校)/「Peach ☆ Girl」山田 咲(秋田県立大館
高等学校)
◆学校賞(4校):
正則高等学校(東京都)/大阪インターナショナルスクール/筑紫台高等学校(福岡県)/東京都立工芸高等学校
13
国際文化フォーラム通信 no. 74 2007 年 4 月
■韓国朝鮮語・中国語教育関連プログラム
フォーラム2006:私たちはなぜ韓国語・中国語を学ぶのか
■ TJF ホームページ
「日本の小学生生活」
、さらに使いやすくリニューアル!
昨年 12 月 9 日、東京・有楽町の朝日ホールにおいて、「私
「日本の小学生生活」
たちはなぜ韓国語・中国語を学ぶのか」というテーマで公開フ
は、2005 年 春 に 公 開
ォーラムを開催しました。2002 年から毎年、駐日韓国文化院
したホームページです。
とTJF ほかの共催で、韓国語教育の意義、現状と課題などを
東京都のある小学校の
問うフォーラムを開催してきましたが、フォーラム 2006 では、駐
6 年 1 組 の 一 日と、 石
日中国大使館の教育部門が加わって、三者共同で開催しま
川県に住む小学 3 年生
した。韓国語教育への関心を喚起することを目的として始め
のけんたろうくん の 一
たフォーラムですが、同じく隣国のことばである中国語も視野
日を、写真と文章(日本語、英語、中国語の3言語)で紹介しています。
にいれて開催できたことは意義深い試みでした。韓国語や中
日本人と会う機会があまりない海外の小学生が、写真や、手
国語を学ぶ高校生と大学生 9 名をパネリストに迎え、英語中
紙、メッセージという生きた素材を通して日本の子どもたちに
心の日本の外国語教育をうけてきたかれらが、韓国語や中国
出会い、身近に感じながら、楽しく日本語を勉強してもらうこと
語をなぜ履修し、それをどのように捉えているかを語ってもら
を目的としています(http://www.tjf.or.jp/shogakusei/index_j.htm)。
いました。二人の高校生が学習している教室風景や、教師や
保護者の意見などもビデオにまとめ上映しました。発言者の教
日本の小学生からのメッセージ
師や家族・友人などを含む約 100 名が参加しました。
「6 年 1 組の自己紹介」
「けんたろうくんの自己紹介」コーナ
学んだき
っかけ(以下、発言者の声より抜粋)
■高校の在校生に中国人や韓国人の生徒が多い。韓国人が流暢に
日本語を話すので、私も韓国語ができたらいいと思った。[高 3]
高 3 のとき、韓国映画を見て、韓国語が母の方言と響きが似ているの
に懐かしさを感じた。[大 2]
■高 2 のとき、中国語・フランス語・ドイツ語・韓国語から一つ選択で
きる。兄の勧めで中国語を勉強したかったが、選択できず、韓国語を
履修した。ハングルのもつ幾何学的な美しさにも引かれた。[高 2]
■小学生のころから、母についてよく中国に旅行した。万里の長城な
ど壮大な景色に魅せられた。中国人のおおらかさが好き。高 1 から母
と同じ専門学校で 2 年間学んだ。[高 3]
■韓国語も学びたかったが、『三国志演義』に興味があり、中国語を
選択できる高校に進んだ。[高 2]
■テレビで桂林の映像を見て、中国語の音に魅力を感じた。小 4 から
中 3まで近所の学院で学んだ。高校でも3 年間学んだ。大学では第 2
外国語として中国語と韓国語を履修。[大 3]
気づいたこと
■文化とことばを一緒に学べるのが楽しい。日本語だけでなく、外国
語で情報を得ることができる。あいまいさを残さない韓国的なコミュニ
ケーションが興味深い。歴史問題について考えるようになった。
[大 2]
■ことばの共通性や食文化など、韓国の文化を身近に感じた。[大 4]
■中国語で通じるようになったのが嬉しい。上海語・広東語・福建語
なども学びたい。[高 3]
■中国語を学んだあと中国に行き、距離感の違いにカルチャーショック
を受けた。中国は雄大だ。万里の長城で土産店への行き方を、中国
語で理解できた。[高 2]
(小栗章)
14
ーでは、けんたろうくんや、6 年 1 組の児童たちの声のメッセ
ージを聞くことができます。
6 年 1 組の
しーちゃんの自己紹介
どんな一日?
6 年 1 組の時間割表をクリックすると、一日の学校生活や授
業の様子を写真と文章で知ることができます。写真のキャプシ
ョンは 6 年 1 組の子どもたちが実際に書いてくれたものです。
給食の時間と(左)総合学習
の授業の様子(上)
国際文化フォーラム通信 no. 74 2007 年 4 月
2007 年 1 月、「けんたろうくんの一日」のデザインを一新し、
中研の藤井達也代表理
これまでは英語だけでしたが、日本語、中国語を加えて 3 言
事とともに韓国を訪問し、
語にするとともに、さまざまな新しい工夫を追加しました。
洪会長とこれからの交流
工夫 1
の進め方について話し合
解説をつけました
写真や文章の内容について、もう少し深く知りたい人のために、
日本の小学校の生活について解説をつけました。たとえば、学校
生活の流れや、科目の説明などを読むことができます。
工夫 2
いました。
今後も具体的なプログ
ラムを企画することを通し
どんな授業ができるかわかります
日本語教師のために、このホームページを使って、どんな日本
語の授業ができるか、アメリカ、カナダ、イギリス、ニュージーランド、
オーストラリアの小学校の先生に書いていただいたアイデアを掲載し
ました。TJF が中国の小学校日本語教師研修会で紹介した授業
のアイデアも掲載しています。それぞれの国の事情を踏まえたものも
あれば、どこでも使える汎用性の高いものもあります。
懇親会で日本の中国語教師と話す
洪会長(左から二人目)と朴副会長(左)
て、日韓の高校中国語教員間のネットワークが強固なものに
なっていくことを期待しています。
(水口景子)
■理事会・評議員会
2006 年度第 2 回通常理事会・評議員会の報告
去る 3 月 23 日、理事会・評議員会が開催され、① 2006
(原島陽子)
年度事業概況中間報告および収支予算の一部変更の件、②
2007 年度事業計画および収支予算書の件、以上二つの議
■高校中国語教育関連事業
日本と韓国の高校中国語教育がつながる
案はいずれも承認されました。任期満了にともなう役員の選
出については、鈴木正一郎理事、黒田瑞夫顧問、中西釦
2 年前の冬、日本の高校中国語教員 2 名とともに、韓国京
治評議員が退任し、篠田和久氏(王子製紙代表取締役社長)が理
畿道中等中国語教育研究会の年次大会に参加する機会があ
事に、佐藤國雄氏(ユネスコ・アジア文化センター理事長)が評議員に、
り、韓国の高校中国語教員のネットワークである、韓国中等
新たに選出されました。
中国語教育研究会(以下、韓中研)の洪亘杓会長に会うことがで
2006 年度の事業はおおむね順調に進捗しました。設立 20
きました。2004 年から TJF が文科省、中国教育部と共催で開
周年にあたる 2007 年度は、通常の事業に加え、記念事業
催している日本の高校中国語教員を対象とした研修が、中国
として、国内外の高校生によるフォトメッセージ制作交流事業
長春市にある吉林大学で行われていますが、韓中研が企画し
「Focus on Japan 2007」や、高校生のネット上の交流の場と
ている、韓国高校中国語教員のための修士課程の集中講義
して、4言語(日・英・中・韓)によるホームページ「つながーる」の
が、同じ長春市にある東北師範大学で夏休みと冬休みに行わ
開設、「20 年史」の刊行などを予定しています。今年度も皆
れていることが、その際分かりました。洪会長と翌夏に長春で
様のご支援、ご協力をよろしくお願い申し上げます。(田所宏之)
再会し、今後の双方のプログラムの連携について話し合った結
果、まずは教材やガイドラインなどの交換から日韓の高校中国
語教員間の交流を進めることを確認しました。
2006 年度は、教師個人ではなく、日韓の高校中国語教員
のネットワークという組織同士のネットワーク化を、かめのり財団
の助成を受けて進めてきました。昨年 6 月に関西大学で行わ
れた、高等学校中国語教育研究会(以下、高中研)主催の「2006
実施事業一覧(2007 年 1 月・2 月・3 月)
■第 10 回高校生のフォトメッセージコンテスト審査会開催(1 月/東京)
■文部科学省委嘱事業「高校中国語・韓国朝鮮語の学習のめやす」づくり(1
~ 3 月)
■『国際文化フォーラム通信』第 73 号発行(1 月)
■『小渓』No.31 発行(1 月)
■第 10 回高校生のフォトメッセージコンテスト授賞式開催(2 月/東京)
■初級学習者のための「話してみよう韓国語」後援(2 月/東京、大阪、鹿児島)
■特別交流事業「Focus on Japan 2007」審査会開催(3 月/東京)
年高等学校中国語教育全国大会」にあわせて韓中研の洪会
■高校生意見発表会運営委員会主催第 7 回高校生意見発表会後援(3 月/
長と朴容鎬副会長を日本に招き、高中研の教師との話し合い
■第 7 回北陸地区高校生中国語発表会後援(3 月/金沢)
の場を設け、また分科会に参加してもらって、日本の高校中
国語教育の現状にふれてもらいました。今年の 1 月には、高
東京)
■ Takarabako No. 11 発行(3 月)
■『ひだまり』第 30 号発行(3 月)
15
お知らせ
2007 年度実施事業一覧
I. 国内外の小中高校における外国語教育を促進する事業
A . 海外の小中高校日本語教育関連プログラム
・中国大連市小中高校日本語教育支援プロジェクト
・中国遼寧省教育代表団招聘
・中国東北部地域日本語教育研究活動協力・助成
・
「TJFフォトデータバンク(日本編)」ホームページ制作運営
・海外小中高校日本語教師向け情報誌発行とホームページ制作運営
・日本語教育 TJF ネット
B . 日本の高校中国語教育関連プログラム
・高校中国語教師研修会共催
・高校中国語教育研究活動協力・助成
・中国語を学ぶ高校生の中国短期研修
・
「TJFフォトデータバンク(中国編)」ホームページ制作運営
・高校中国語教師向け情報誌発行とホームページ制作運営
・中国語教育 TJF ネット
C . 日本の高校韓国朝鮮語教育関連プログラム
・韓国語教師研修会共催
・高校韓国朝鮮語教育研究活動協力・助成
・韓国朝鮮語教育 TJF ネット
D . 日本語・中国語・韓国朝鮮語教育連携プログラム
・
「高校中国語・韓国朝鮮語の学習のめやす」づくり
・フォーラム 2007 共催
II. 海外の日本語学習者と日本の同世代間をつなぐ交流事業
・第 10 回高校生のフォトメッセージコンテスト作品集発行
・
「The Way We Are」ホームページ制作運営
・中高校生の交流ウェブサイト「つながーる」制作運営 *
・高校生交流プロジェクト「Focus on Japan 2007」開催 *
・日中学校交流活動協力
編集後記
・日米学校交流活動協力
・小中高校国際理解教育研究活動協力・助成
・国際理解教育 TJF ネット
III. 広報
・機関誌発行とホームページ制作運営
・
『TJF 事業報告 2006-2007』
(和英)発行
・
『TJF20 年史』
(仮題)編集出版 *
・一般図書教材管理寄贈
・TJF ホームページ制作運営・サーバー/情報機器管理
・広報 TJF ネット
・設立 20 周年記念式典開催 *
(* 設立 20 周年記念事業)
中高校生のコミュニケーションの場「つながーる」ウェブサイトを開設します
2007 年 5 月、世界中の中高校生が交流できる場として、SNS(ソーシャル・ネ
ットワーキング・サービス)を利用したコミュニケーションのためのウェブサイト「つ
ながーる」を開設します。主な参加者は、国内外の国際理解に関心のある中高
校生、海外の日本語学習者、日本の外国語学習者(英語、中国語、韓国朝鮮語)
を想定しています。
参加者は自分のページで日々考えていることや発見したことなどをエッセイや写
真などで発信し、それに対してほかの参加者からコメントを受け取ることができます
(
「マイエッセイ」
)
。そのほか、参加者同士が関心のあるテーマについて議論を深
める場(
「コミュニティ」
)や、参加者自身が撮影した写真を発表できる場もあります。
一人ひとりさまざまな社会・文化・言語の背景をもつ参加者が、お互いの考え
ていることや生活を知ることで視野を広げ、自分自身への理解を深め、他者への
共感を育んでいけるような場づくりをめざします。また、外国語学習者は、
「つな
がーる」上で、学習したことばを使ってリアルなコミュニケーションを体験すること
ができ、学習意欲が高まることが期待されます。
http://www.tsunagaaru.com
http://www.tjf.or.jp/newsletter/kouki/kouki_j.htm
昨年度をもって、10 年続いた「高校生のフォト
被写体を撮るというプロセスをとおして、撮影者
メッセージコンテスト」の幕を下ろした。その間、
は自己を表現し、主人公との関わりを深め、自
延べ 2,648 組の高校生(撮影者と主人公)がコ
分の生き方を見つめることができた。③財団と
ンテストに参加し、200 点以上の入賞作品を TJF
いう第三者的機関による発表の場で入賞したこ
の日本語版のウェブサイトに掲載した。英語版
とが、自信の回復につながった高校生たちがい
のサイト「The Way We Are」には、さらに厳選
たこと。④文化交流の優れた表現媒体として写
した 80 組の高校生の作品を、日本語学習者向
真を見直すことができたこと。写真のもつリアリテ
けに日本語の音声や日本文化の解説をつけて
ィは、メッセージに説得力を与えてくれた。フォト
掲載している。当分の間、これらのサイトは保存
メッセージは、一人ひとりのメッセージでもあり、
版として公開していく。第 10 回のコンテスト応募
固定観念を破る日本文化のメッセージにもなり
作品は 10 冊目の写真集となって 7 月に発行する
えた。それは日本の若者を題材とした TJF のそ
予定である。夏には、10 年の記念特別事業と
の後の写真教材開発の原点ともなった。また作
して、国内外の高校生の撮影交流事業 「Focus
品の写真は、毎年、海外の日本語教育や日本
on Japan 2007」も日本の 4 地域で開催する予
理解教育の現場に素材を提供する「TJF Photo
定である。アメリカ、イギリス、オーストラリア、韓
Data Bank」の新たな源泉となった。そして TJF
国、中国、日本の高校生、計 16 名が各地の
としては、⑤全国の高校写真部とのネットワーク
生活や風土にフォーカスする。
を築くことができたこと。TJF の貴重な財産であ
10 年を振り返ると、事業は試行錯誤の連続だ
る。⑥教師を対象とする事業が多かったなかで、
ったが、さまざまな成果を上げることができたと
直接高校生たちに出会うことができたこと、など
国際文化フォーラム通信 74 号
2007 年 4 月発行
発行人・編集人 中野佳代子
デザイン・DTP オペレーション 飯野典子
思う。①まず何よりも1997 年から 2006 年にわた
を挙げることができる。
フォーマット設定 鈴木一誌
って、日本の高校生自らがその素顔を国内外の
今号に登場している第 1 回と2 回の最優秀受
出力・印刷・製本 近代美術(株)
若者に向けて伝えることができたこと。入賞作品
賞者の、立派な社会人として成長した姿に深い
校閲(有)天山舎
のみならず多くの参加者の写真やメッセージを編
感慨を覚えた。「高校時代、コンテスト用に撮っ
集して写真集として発行し、多くの海外の同世
た写真が今の自分の土台になっている」というこ
代にメディアではなかなか伝わらない日本の若
とばに、高校生の成長の過程に関わる仕事をし
者の実態や文化を発信できた。②写真を撮るこ
ていることの責任をひしひしと感じさせられた。
とが他者理解につながる貴重な取り組みである
ことを認識することができたこと。主人公となる
中野佳代子
財団法人 国際文化フォーラム
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