「スッドに今でも感謝しています」 あなたの人生を MASATAKA MATSUTOUYA 松任谷 正隆 人生を変えてくれた車……って難しいですね。本 車に何を求めていたんだろう。力、でしょうか。あらゆ 心をいえば、これまでも、そしてこれからも買う車すべ る意味でね。スッドに興味が行ったのはその正反対 てにそれを期待してしまっています。車ってそれくらい の世界があるとき見えたからです。そして勇気を出し の力があるような気がするじゃないですか。実際人生 てその扉をたたいた。武装していた武器をすべて捨 を(というとオーバーですが)変えてくれた車が何台か てて素っ裸になった気分でしたね。なんだ、世の中っ あります。今回は UCGということでアルファスッド Ti てこんなに明るかったんだ、 って思いました。明るく軽く、 を紹介します。アレンジャーで売れてきたころ、僕は そして陽気に感じた。それから僕は大きな車を捨てた。 芸能人趣味まっしぐら、つまりベンツ一色に染まって 今後も大きな車を持つ予定はありません。そういう意 いました。 しかもSクラスで排気量の一番大きなやつ。 味ではスッドに今でも感謝をしています。 「変えた」 クルマにどっぷり浸かっている、15 名の方々に訊いてみました。 「長い付き合いのきっかけ」 やはり皆さん、良かれ悪かれ? クルマのおかげで人生が開花したようです。 「人生を変えたクルマ」というとオーバーだが、 時は三和)自動車から借り出して撮影現場の神 TAKUMI YOSHIDA 「変えてくれそうな」 吉田 匠 今に続くポルシェとの付き合いのきっかけになった 宮球場まで、渋滞の都内を往復しただけだったが、 一台を紹介しよう。それは、ごく短時間ではあった その黄色い 911S は僕に深い感銘を与えた。エ けれど僕が初めて運転したポルシェといえる 73 年 ンジンの回転感、ギアシフトのタッチ、ステアリン カレラ RS でも、初めてリポートを担当したポルシェ グの手応え、硬めだけれどスムーズな乗り心地な たる 74 年カレラ RS3 ・ 0 でもなく、911 の歴史 どによって、本当に上質なスポーツカーは街中を のなかでは最も目立たぬモデルのひとつといえる 流すだけでもドライバーに快感を与えてくれるという 2.7R エンジンの 77 年 911S だった。CG 誌 ことを、明確に実感させてくれたからだ。それ以来、 77 年 1月号の表紙撮影のために目黒のミツワ (当 ポルシェは僕の心に棲みついている。 「変わったクルマが変えてくれる」 クルマって? JIRO SASAME 笹目二朗 ボクはクルマによって、人生を変えられた経験 ゼルは経済的です。その前に問題はデザインで はないし、変えてもらいたいとも思いません。でも す。たとえ不細工でも愛嬌があればいいし、それ 課題を真面目に考えれば、好みと対極にあるクル は経年変化によって見慣れてくる部分もあります。 マとか、不必要なクルマに接すれば変わるかもし 次は耐久性? 新技術に感心しても、すぐに壊れて れません。 仕事で乗るクルマのなかには、こんな しまうのでは困りもの。でも直せばいいか。あとは の絶対買わないなと思うクルマがあります。でも接 「ヘン」なクルマ、変わったクルマ、一般人が しているうちに、何とか共生できるかもしれない、 興味を示さないようなクルマ……、むかしはシトロ という妥協点を見いだす。だとしたら、その境界 エンがそれに近かったけど、今ならなんだろう? カ 線は走行経費でしょうか。大きなクルマでもディ− ング−なんかイイかな。 「日曜日の目黒通りにて」 YASUSHI KABATA 下野康史 「さわやかにユルい心地よさ」 人生を変えてくれたクルマといえば、ぼくの場合、 歳を乗せて、911 は日曜日の目黒通りを、いきな 会社員時代、NAVI 編集部のアオダン先輩 発用の押しがけ用スロープを作った。漏電を見た これしかない。1970 年代中ごろのポルシェ 911 り全開で加速した。のぞき見た電光石火の足さば からフィアット 124 スパイダーを里子として預かっ り、アースを取ってみたり、やたらもしゃもしゃした (930)である。免許をとってまもなくの学生時代、 きが“ヒール&トー”であることを知ったのは、のち た。 美品じゃないが機関良好との売り文句に違 配線をきれいにしてやろうと努力したり。おかげで わず、意外に暴れん坊なサウンドでもって力強く 当時 5 歳の娘はギボシといえばちゃんとそれを手 バイト先の社長に連れられて、三和自動車の試 のことだ。目からウロコ、なんてもんじゃなかった。 乗会へ行った。メカニックの運転する 911 の助 あの体験をなんとか反芻したいと考えているとき、 手席で、性能を体感する試乗会をやっていたので たまたま『CG』誌の存在を知って、読者になっ ある。 走り回った。が、 ひと月ほどで異変は起こった。いっ 渡してくれるまでになった。とまあ愚痴は止まらぬ たんエンジンを切ると次がかからない。 結局はオ がとても楽しかった。当時まだキャリア志向もあっ た。数年後、念願の編集部員になり、以来ずっ ルタネーターが壊れていたのだけど、そこにたどり た私だが、このさわやかにユルい 4 シーターオー 911 なんて、まともに見たことすらなかった。家 と自動車マスコミ世界にいる。 人生を変えたクル 着くまでが無知とビンボーのせいで遠かった。まず プンに出会って、ユルさの心地よさを知ってしまっ の中古スカイラインしか知らない、イタイケな 19 マと言わず、なんと言おう。 は駐車場にシャベル 1 本で盛り土をし、次回出 た気がする。おかげで今ややる気ゼロ、である。 AKIRA TAKEI 竹井 あきら 「ステアリングに意志を込めるだけで……」 YASUYUKI MORINO 森野恭行 「人生哲学を形成してくれた」 「ガツン!」とくらったクルマはけっこうあるが、 「人 わかりやすいだろう。純レーシングカーのように低い クルマで人生が変わることなんて、そうそうある て、人生哲学を変えたっつーか、作ってくれたん 生を変えた」となると……もっと持つ意味合いが重 車体を持つヨーロッパは、存在するだけで特別な もんじゃない。というか、一生に 1 回もないのが だな。ルートヴィヒ二世におけるワーグナーみたい い気がする。 「変えた」の決定版は、今も 964 型 オーラを放つが、いざステアリングを握れば……襲っ 普通じゃないか。だけど俺は、1 回だけ人生が変 なもんか。だはははは。これは別に、348じゃな を所有しているポルシェ911 だが、もう1台を挙げ てきたのは言葉では表現できないほどの感動の連 わった。 最初に買ったフェラーリ、348tb だ。こ く別のフェラーリでもよかったのかもしれないけど、 るとすればロータス・ヨーロッパだ。1983 年の取 射砲。なによりも驚いたのは、ステアリングに意志 のパワーは本当に凄かった。本当に人生が変わっ でも 348 という、非常に欠陥の多いクルマだった 材だから、出会いは 24 年も前のことになる。 を込めるだけでスパッと向きを変える鋭く、一体感に 中古輸入車の企画で、 ショップから借り出したヨー あふれたハンドリング! ミ ドシップの凄さ、ライ トウエ 生活を満たすものでしょ。でもフェラーリは、買っ ロッパは 75 年式スペシャル。一世を風靡した 「サー イトスポーツの神髄をボクに教えてくれた不世出の た人間の頭の中身を変えてしまったんだよ。ああ、 生が変わることはない。あの時 348 が、人生の キッ トの狼」の主人公が乗っていたモデルと言えば 名車だ。 こんな尊いものがこの世にはあるんだって思わせ SOUICHI SHIMIZU 清水草一 「今の私の第一歩」 YUMI YOSHIDA 吉田由美 たからね。普通クルマって、人間が選んで乗って、 からこそ、哲学の形成が促進された面はある。今 俺は、5 台目のフェラーリに乗ってるけど、もう人 路線を決定してくれたから。 「馬鹿にしていた小さな大衆車」 私の人生を変えた1台は初代「メルセデス・ベ はじめて、それが「カーライフ・エッセイスト吉田 私のキャリアは謀高級ブランドのメカニックから いた小さな大衆車……。ところが、運転している ンツ SLK」。 購入した理由は簡単にいってしまえ 由美」のベースですから。SLK はすでにバックオー スタートしているのですが、20 代前半のあの頃 と自然に口元が緩んでくるんですよ。軽快に回る ば、1度は真っ赤なオープンカーに乗ってみたかっ ダーを抱えてから注文したので、納車されたタイミ は、クルマの価値って価格やスペックに比例する 990cc のエンジンが実に気持ちいい。自分のク たから。でもそのときすでに自動車雑誌のモデル ングは単なる偶然。でも何かが変わるときってそん と信じていたものです。つまり、高級車・イコー ルマに対する見方が間違っていたことを反省しまし 仕事は始めていたので、周囲からは“生意気に見 なものかもしれません。SLK は当時ヨーロッパで、 ル・いいクルマ、ということですね。その後、中 た。フィアット・パンダは、大きさや価格、スペッ 古車の専業店に営業として移籍。 初めて売った クだけがクルマの価値を決める基準ではないこと られるんじゃないか?”と心配する声もありました。 お金持ちのオジサマが愛人に買うクルマ、というイ でもそれでも買ってよかった〜(笑) 。たぶんこれ メージで、私も散々“誰に買ってもらったの?”と KENGO NARUSE 成瀬健吾 コレツィオーネ 代表取締役 クルマが、忘れもしないフィアット・パンダでした。 を教えてくれた先生のような存在です。私がイタ・ が今の私の第一歩です。 思えばちょうどこの頃、 いうセクハラを受けました。そのお陰でこんな強く 不慣れなセールストークをスムーズに行なうために、 フラ車の専門店を開く原点になっているのかもしれ セーフティドライビングのインストラクターの仕事を とりあえず通勤に使ってみたんです。 馬鹿にして なっちゃったのかも〜! ?(笑) ません。まさに「人生を変えたクルマ」ですね。 「硬品質(笑)でした」 幸か不幸か、僕は自動車メーカーの開発担当 KOUKI ISHIBASHI 石橋幸樹 「お陰様で今やジャーナリストです」 それから、所有はしていませんが、F40 も「ロー いま現 在の私の人 生があるのは、ポルシェ 新のポルシェを買う !」という目標まで立てさせられま 主管でもないし、クルマ屋のオヤジでもないので、 テクでもここまでできるんだ」というメッセージに溢 944のおかげかも!小さい頃から遊園地のゴーカー した。「老後の心配もなく、ポンッ !とポルシェ買え クルマで人生変わっちゃったって経験はないんです れていて、僕の躓いた人生に光明をさしてくれた トに乗るのが大好きだった私ですが、クルマを見 るような生活できてるのかなぁ?」と、自分が自分 よ。 ものです。 て素直に「カッコイイ〜ッ !」と思ったのは、実は で心配ですが、言っちゃったものは仕方ない。有 まぁ、強いてあげれば、僕にとって最後のポル これから変えてくれそうなのは、モーガンの 3 ホ この 944 が最初だったんです。当時はまだ免許 言実行できるよう頑張るしかないですよねぇ〜(ト も持っていない女子高生に「私って結構クルマ ホホ) 。この 60 歳のポルシェを手にしたとき、もう それまでのドライブデートは出来なくなりましたね。 たり、陶芸やったりするじゃない。あの感覚で、ネ 好きなのかも?」と 944 が認識させてくれたおか 一度自分の人生が変わるのかもしれませんからね。 また、クルマに対するさまざまな尺度もいまだにこ イティブなもの、ヒューマンタッチなものに回帰して げで、いまや肩書きはモータージャーナリストですよ そしてその先は……。通りすがりの人を振り向か の RS が基本かも。もう古いけど、ね。 いくのも悪くないかな、と。 シェになった 964RS は、 あまりの硬品質 (笑) から、 イーラーあたりかな。ほら、人は歳とるとそば打っ KEI TAKEOKA 竹岡 圭 (笑) 。オマケに「60 歳になった時、その時最 「初めてのミニバン」 YOSHIHIKO NODA 編集部 野田義彦 「たったの 20 メートルで……」 僕は前向きな姿勢で人生設計を考えるのが苦 いました。告白すると、トヨタ・ハイエース・グラン 初代と違ってとりたてて珍重されるわけでもなく、 なアイドリング振動と骨太な音に感動し、ガッチリ 手なタイプですから、 「変えてくれそう」ではなく、 「変 ドキャビンの隠れファンだったりして。で、07 年の 今や普通にポンコツ感を身につけつつあるゴルフ とした手応えの AT セレクターを D に入れたら振 えたクルマ」をお話しましょう。と言っても、ほんの 春に僕のもとへやってきた VW ヴァナゴン。やはり Ⅱ。こいつのせいでぼくはガイシャにハマり、こん 動がいっそう硬くなり、ぶっといハンドルは驚くほど ちょっとだけライフスタイルが変わった程度なんです ミニバンは偉大でした。夏だけサーファーに没落し な仕事をしている。ハマったといっても自分で持っ 重くって、でもアクセルの重さにはもっとビックリし けれどね。そのクルマとは、 いま乗っている VW ヴァ ていたていたらくオーナーを、12 月も週 1 回のペー ていたわけではない。似たような話をいつだかポル て、まあなんと言いますか、驚きの連続だったわ シェ 911 の記事でも書いたが、要はガソリンスタ けです。これらすべてが得も言われぬ上質感となっ ナゴンです。初めて手にしたミニバンなんですよ。 スで海へ行くまでに変えてくれたのですから。残り KOUSUKE KANOU 編集部 加納亨介 10 代の後半からサーフィンやスキーをやっているこ 少ない人生……、 いや少なくはないですけれど、 「人 ともあって、実は、荷物と人をより少ないストレスで 生はお金と仕事だけじゃないよ」 、そんな少しは前 給油ポンプから洗車機まで 20m ほど動かしたとい をなんでカーグラが褒めるのか、このとき初めて理 目的地まで連れていってくれるミニバンには憧れて 向きな姿勢を教えてくれたクルマですかな。 う、誠にスケールの小さなガイシャ初体験。硬質 解しました。 「思わず働く母性本能」 父の運転する国産セダンしか知らなかった、20 AKIKO MARUMO まるも 亜希子 せる度 No.1 のランボルギーニしかないかなっ ! ンドでバイトしていたときに客から洗車を頼まれて、 て私に押し寄せ、価格は高く馬力は小さい輸入車 「没落貴族を介護した」 ルマに対しても母性本能が働くものだと教えられま マセラーティ430 です。これまで、蝶よ花よと は、命のキケンも感じ、ビビりまくっておりましたが、 歳までの私。そこにどういうわけか現れたのが、 した。 続いてはフィアット 124 スパイダー(推定 育てられてきた、町田のお嬢様のワタクシにとっ 慣れって怖いわ〜ん。こ〜んなに逞しくなりました 70 年代のネオヒストリック輸入車たちでした。 最 78 年式) 。これに出会わなければ、今の私はあ て、イタリア没落貴族出身のご老公の面倒を看 (笑) 。それに、まだ両親も元気なうちから、すで 初の VW ビートル(推定 74 年式)では、どこも りません。ピニンファリーナの美しいボディに収ま るのは、そりゃあ、大変でした。見た目はエエカッ に老人介護を経験し、何が起こってもイライラしな かしこもオモチャみたいな「おトボけキャラ」にヤ るからには、いつも涼しい顔してドライブしたい。し コしぃなわりに、突然ギアが入らなくなる、しょっちゅ い余裕も生まれたような気がいたします(ホントか う咳き込み(ノッキング)する、真夏の高速道路 いな……) 。でも、最後は、怖すぎ&お金かかり ラれました。ペダルは床からニョキッとはえていて、 かし、重ステ、重クラッチ、貧弱な足回り&ブレー FUMIKO SUSAN スーザン史子 ステアリングは私の顔ほどの大きさしかない。ワイ キで運転中は常に筋力トレーニング状態。「美人 を走行中に、いきなり助手席側から焦げ臭がした すぎで手放しちゃいました。金の切れ目が縁の切 パーの動きはコントみたいにぎこちなく、スイッチ類 に無精なし」「栄光の陰に人知れぬ努力あり」は と思ったら、エアコンとパワーウィンドーが使えなく れ目。おかげで命だけは守れました。あのクルマ なんて 3 回に 1 回はポロッと取れる。女とは、ク 今でも私の心の格言です。 なり……危うく、蒸し饅頭になるとこでした。最初 に比べたらどんなクルマも安心ってなもんです。
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