来年も楽しみです 白瀧 康次 (会長、高校 10 期) 会員の皆さまお元気でしょうか。 今年の関東銀嶺会の総会・懇親会は大変 に盛り上がりました。「年次幹事」の 18 期の皆さんが頑張って「関東銀嶺会クイズ 検定」などの新しい企画を打ち出してくれ たからです。 今回お送りするこのニュースレターも 素晴らしいものになりました。 「年次幹事」に企画をお願 いして本当によかったと思っています。 この「年次幹事」は、同窓会の継続を願って昨年から始 めたものです。65 歳になる年次の皆さんにその年の「年次 幹事」をお願いし、総会・懇親会の企画・運営を頼むこと にしました。 65 歳と言えば多くの方は第一の職場に区切り をつけ、第二の人生の入り口に差しかかった頃と思いま す。自分の経験に照らし、この機会に同窓会活動に参加す ることは、その後の人生にいい結果をもたらしてくれる ものと信じてお願いしています。 期待に応えて昨年も今年も、年次幹事の皆さんが新しい 風を吹き込んで総会・懇親会を大いに盛り上げてくれまし た。来年はどんな企画か大変楽しみです。 昨今、政治や社会、そして自然環境までもが不安定な中 にあって、私たちはこの会の「絆」を大切に、継続・発展 させたいものと考えています。常任幹事や年次幹事の皆さ んには手弁当で頑張ってもらっていますが、それに応えて 会員の皆さまには総会・懇親会に是非多数参加していただ きたいと思います。 できるだけ多くの会員に参加していただけるように、今 年から総会・懇親会の会費も大幅に値下げいたしました。 ただ、会員の皆さまへの連絡等の会の運営経費に窮してい るのが実態です。別紙で依頼していますが、 「運営費」の 振り込みにご協力いただきますよう、よろしくお願い申し 上げます。 平成 24 年 6 月 23 日(土)13:30~17:00 東京・東銀座/JJK 会館 第1部/「第 15 回総会・親睦の集い」の報告 総会第1部/ミニ講演 「我らが青春時代― 〈団塊世代〉のはしりとして」 秋山 恒夫 (年次幹事、高校 18 期) 「年次幹事がミニ講演をやることになっている!」との 脅し?のもと、皆に逃げられ、拙い話を行いました。 我々は「芋を洗う」ように育って来た世代なので、個人 の話よりも、「時代」や「世代」を皆で考えあうような話 ができないかと考えて、右のような構成で話しました。 日本列島全体が少子高齢化にむかっていますが、我らが 故郷も、過疎化、少子高齢化が急速に進んでいます。 この講演や検定クイズをきっかけに、故郷のことも改め て勉強させていただきました。 後継の世代に何を伝え、今我々が何を行うべきか、真剣 に考える年齢に来ているのではないでしょうか? 1 7 1 9 11 20 24 31 32 34 36 2 総会第2部/関東銀嶺会 総会 ミニ講演のあと、総会に移り、来賓からご挨拶をいただ きました。遠き地から見えた方々からは、故郷の現状をお 聞きし、胸に迫るものがありました。 第1部・2部の司会は、小林史男氏(高 18)に行ってい ただきました。以下の一部写真は、東京達徳会・須藤豊様 よりご提供頂きました。 会計報告/佐野吉徳氏 (事務局長、24 期) 開会挨拶/白瀧康次氏 (関東銀嶺会長、10 期) 来賓挨拶/藤井義正氏 (銀嶺会長、13 期) 斉唱指揮/太田公士氏 (幹事、24 期) 年次幹事の挨拶(18 期生) (左より、関みや子、 大川日吉、松下良興、秋山恒夫、小林史男の各氏) 来賓挨拶/水田佳正氏 乾杯挨拶/多次勝昭氏 (生野高校校長、生野町出身) (朝来市長、20 期) 同窓会歌の斉唱 総会第3部/親睦の集い アトラクション 「第1回 関東銀嶺会クイズ検定」 この余興は、今年の年次幹事の 18 期生が考案、実施さ れたもので、新趣向に会場がどっと沸きかえりました。 独自の「クイズ検定」を行い、正解7割を越えた高得点 者には「認定証」と「景品」が授与されるという趣向です。 「問題」は周到に準備。「生野高校」「関東銀嶺会」「朝 来市」「故郷の各町」に関する分野から出題され、○か× かで解答。「練習編」の後、「本番編」と「復活編」。正 解が少ないと「本当に卒業生か?」が疑われます。 作問/秋山、司会進行/大川・松下、PC操作・配布/ 小林・関の各氏の担当で面白おかしく進行しました。 ●「第1回関東銀嶺会クイズ検定」認定証 ●合格者への景品 岩津ネギ・ラーメン クイズ衣装を付けた司会進行役(左から松下、大川氏) 岩津ネギ・ラー油 (山東町/道の駅「まほろばの里」から取り寄せ) 3 白瀧会長から合格者に認定証と景品を授与 最高点は、ナント、来賓の豊岡高校 OG の小松朝子氏! 「問題」はスクリーンに提示し、読み上げ 2 位の事務局長・佐野吉徳氏(問題は当日まで知らず!) 参加者は、手元の解答用紙に○か×か、順次記入 3 位の朝来市長・多次勝昭氏(何とか面目保てた?) 問題が終わった後、正解を読み上げ、隣席と相互に採点 5 位の面出輝幸、和田重次、太田公士、猪野一郎の各氏 ●「第1回関東銀嶺会クイズ検定」合格者 (70 点以上、30 問中 21 問以上正解者、計 17 名、敬 称略) ) ・1 位 27 点(最高点)/小松朝子(豊岡高校 OG) ・2 位 25 点/佐野吉徳(高 24) ・3 位 24 問/多次勝昭(朝来市長、高 20) 、須藤豊(豊岡 高校 OB) 、若林俊秀(高 24) ・4 位 23 問/石田昭一(高3期) 、小松京子(高 24) 、加 藤郁子(高 24) ・5 位 22 問/面出輝幸(神戸新聞) 、和田重次(東京八高 会) 、猪野一郎(併中 1) 、太田公士(高 24) ・6 位 21 問/吉田勤(併中 2) 、白瀧康次(高 10) 、鈴木 英之(高 10)、石川哲也(高 17)、森田信吾(高 15) 採点を集計し、認定証と景品を準備するのに大わらわ こんな一コマも(左:松下良興氏、右:小林史男氏) 4 ●第1回関東銀嶺会クイズ検定/「問題と解答」の例(終了後に配布し、持ち帰ってもらった3枚のうちの1枚) 問題は、単純に○×式。卒業生が関連する「生野高校」「関東銀嶺会」「朝来市」「出身の各町(生野町、神河町、朝 来町、和田山町竹田、和田山町、山東町)」の4分野から問題を作った。「難度」は適当。予行演習として「練習編」を 行ったあと、「本番編」を 20 問、「復活編」を 10 問行い、計 30 問の7割以上の正解者を合格とした。 問題の作り方は、最初に各分野・項目について詳しく調べておき、その後「問題」を作った。問題候補は、当日出題の 数倍作った。初めての試みだったが、「面白く、いい問題」を作るのが難しい! 来年以降に期待!(秋山) 5 総会第3部/親睦の集い クイズの前に親睦の集い(飲食)を始めて、リラックスし た頃にクイズを行いました。クイズがうまく行った人も行か なかった人も、あとは和気あいあい。 初参加の人には事務局長が突撃インタビュー。一同、親交 を温め合いました。ここに来年はぜひ、若い人の顔を! 多次勝昭朝来市長の音頭で「乾杯!」 最後に、参加者全員で「校歌」斉唱 次年度年次幹事の挨拶(19 期生。左より、野木秀子、 森野行雄、西垣秀雄、藤原 敬介の各氏) 年次幹事の閉会挨拶(18 期生。左より、関みや子、 大川日吉、小林史男、松下 良興、秋山恒夫の各氏) ●出席者名簿(計 62 名、敬称略) 【来賓】(16 名) 藤井義正(銀嶺会会長)、岩崎順三(東海銀嶺会)、水田佳正 (生野高校校長)、多次勝昭(朝来市市長)、天野修二(朝来 市参事)、森下恒夫(朝来市連合区長会長)、竹岡嘉彦・岡田 和夫(県東京事務所)、面出輝幸・白倉麻子(神戸新聞)、須 藤 豊・小松朝子(東京達徳会、豊岡高校)、菊地正和(生野ひ いきの会)、和田重次・田村 爾(東京八高会、八鹿高校)、磯 篤志(谷 公一衆議院議員秘書) 【同窓生】(45 名) 旧中/猪野一郎・松浦久子(旧・野老山)・吉田 勤、併中 2/山下 修、高 1/古谷利男、高 2/新田皐生・笹森淳子(旧・阿保)、高 3/小林喜久江・松本隆夫・石田昭一、高 4/小林 正・大福 守・ 太田宣彦、高 7/嵯峨山傳三郎、高10/白瀧康次・鈴木英之・ 岸本篤郎・北出 實、高 12/中山琢雄・長浜正城、高 15/森田 信吾・衣川 彊、高 17/石川哲也、高 18/秋山恒夫・関 みや子 (旧・大川)・大川日吉・小林史男・松下良興、高 19/森野行雄・野木 秀子(旧・井上)・西垣秀雄・藤原敬介、高 24/太田公士・小松京子 (旧・橋本)・中治茂喜・加藤郁子(旧・伊藤)・若林俊英・森山直美(旧・河 戸)・内田美智代(旧・佐藤)・佐野吉徳・西村信俊・小谷幸博 【準会員】(1 名) 福田四六一 6 年次幹事役を終えて/高校 18 期生より 私と同窓会 佐野吉徳(事務局長、高校 24 期) 山東町出身の佐野吉徳と申します。 現在、千葉県佐倉市に在住しており人生で一番長い地 となりました。佐倉市と言えば殆どの人が「長島茂雄」 の出身地ということでご存知かと思いますが、他にも素 晴らしいところが多くあります。オランダから移設した 風車、国立歴史民族博物館、川村美術館等など。また、 小出義雄氏率いる「佐倉アスリートクラブ」があり、多 くのメダリストを輩出していますが今も有森有子ロー ド、高橋尚子ロードを多くのランナーが走っています。 とてもいいところですので皆さま是非お越しください。 さて同窓会ですが、関東銀嶺会の発足時から何度も案 内をいただいていましたが、ずっと断り続けておりまし た。当時 40 代で確かに仕事も忙しく、たまの休みぐらい 家でゆっくりしたいとも思っておりました。 そんな折、熱心に誘ってくれる同期生がいて断り切れ ずに出席したのが私の銀嶺会デビューです。それが第 7 回でした。最初は、一回出席しておけば当分は欠席で大 丈夫だろうと考えておりましたが、その考えが総会当日 の「受付」で一変いたしました。 それは、受付の女性の「佐野ク~ン」の一声でした。 私 には、こんな美人の知りあいはいないし、キョトンとし ていると「佐野君でしょ!同じクラスだった○○です」 とのこと。それには大変驚きました。着物だったか、洋 服だったか記憶にありませんがセーラー服姿ではなかっ たことは覚えています。 高校時代の私は、部活(野球部)ばかりで話をしたこ とは殆どなかったと思います。それが 30 数年たった時に 覚えていてくれたことの嬉しさと感動、それが今後も同 窓会に出席してもいいなと思った理由です。総会・懇親 会があり、その後 23・24・25 期の合同二次会、三次会も 行ったように思います。 本当に楽しかった。こんな楽しい会ならもっと早くか ら時間を作って出席すれば良かったと思ったものです。 それ以来、同窓会・24 期の集まりには許す限り参加する ようにしています。 14 年ぶりに関東銀嶺会に参加して 秋山 恒夫 面目ない次第ですが、今回の参加は、第 1 回の創立総会 以来でした。今から 15 年前、高女や旧制中学、高校初期 の貫禄ある大先輩たちが集結されてムンムンする雰囲気 に圧倒され、我々50 歳前後の同期仲間数人は、まるで子供 のようなものでした。 以来、欠席続きでしたが、今後 65 歳になる人が行う「年 次幹事制」が敷かれたとかで、ふだんのお詫びに何かお手 伝いしないと申し訳ないな、と呼ばれて行ったのが昨年秋 でした。それでも何回かの準備幹事会に出たのは、他に森 田順二君、関みや子さんの 3 人だけで、先行き全く不透明。 ミニ講演も、最初はもっと面白いことをやって来た同期 仲間数人に頼みましたが、全員にフラれ、自分がやらされ る羽目に。検定クイズも考案・準備しましたが、当日は仲 間に助けられ大感謝!この轍を踏まぬように! (和田山町竹田出身) 関東銀嶺会の参加年齢 大川 日吉 今回、年次幹事として会に参加しました。幹事と言って も、常任幹事の皆様と年次幹事の秋山氏に、おんぶに抱っ この状況でした。お手伝いできたのは、久しぶりにパワー ポイントで投射画面に映された「関東銀嶺会クイズ検定」 の音読の実施による必要時間の把握のみでした。 さて、総会の当日は、会に出席した自分が会の雰囲気に 違和感のないことに驚きました。大分前に市ヶ谷での総会 に出席したときは、先輩たちとの年齢のギャップ差に自分 が浮いているような感じがして、今まで総会の出席を見送 りました。これは、60 歳を過ぎると先輩との年齢差が気に ならない、または受け入れることが出来る心の準備ができ たのではと考えています。若い在京の卒業生を会に積極的 に参加して頂く工夫は、この辺りにあるのではないかと感 じた今回の総会出席でした。 (朝来町出身) 関東銀嶺会について 森田 順二 盛会のうち関東銀嶺会の集いが終り、参加 された皆様と準備にあたられた幹事の方々へ 心から御礼申し上げます。我々18 期(昭和 41 年卒)が年度幹事に任命されたあと、準備 会には参加できたのですが、残念ながら会社 行事と重なり、当日は欠席となりました。 自らの経験を振り返りますと、2 度の海外勤務を含め 様々な状況下で仕事をするなかで、自然豊かで伸び伸びと した環境で学び得たものや多感な青春の一時代を過ごし た思い出は、常に社会人としての自分の立ち位置を決める 基盤となり、力となってきました。 今、郷里から遠く離れた地で生活されている皆様がお一 人でも多く関東銀嶺会の活動に参加され、友人との旧交を 温め、同郷人と語り、緑豊かな故郷を想い、明日への活力 を育まれることを期待いたします。 (和田山町出身) 遠く「京都」から参加の同期生に、突撃インタビュー! 最近では、先輩方と話ができる機会もあり勉強させて いただくことが多々あります。そして、それを翌日会社 での朝礼ネタにすることもシバシバあります。 現在気になっているのは、後輩の出席が少ないことで す。同窓って本当にいいものです。また、同期生が多く いると一層楽しいものになります。ぜひ誘い合わせて出 席してみて下さい。 次回大勢の皆さまとお会いできることを楽しみにして おります。 お身体に気を付けられ、公私にご活躍されることをご 祈念申し上げます。 (山東町出身) 7 「神戸新聞」の報道記事 「東京兵庫県人会」の会報記事 「生野高校卒業生 旧交温め」 「関東銀嶺会(生野高校)総会・親睦の集い」 (神戸新聞但馬版の地域ニュース、平成 24 年 6 月 24 日) (東京兵庫県人会会誌『ふるさとひょうご』114 号、平成 24 年 7 月発行) 「東京達徳会」(県立豊岡高校同窓会)の報告記事 「関東銀嶺会(生野高校)総会・親睦の集い報告記」 ( 「東京達徳会ブログ/達徳会有志 東京キー局」 (毎朝発信、2012-06-25 付け)より許可を得て掲載) (小松朝子 記) 生野高校関東支部の同窓会(関東銀嶺会)が東銀座のJJK (厚生年金基金関係)会館で6月 23 日開催され、約 60 名が参 集した。 第一部の講演では、同校 18 期生(豊高と同じ期)の秋山恒 夫氏(昭和 22 年生、竹田出身)が「我らの青春時代」という 題目で、激動の時代を生き抜いた個人史を世相を踏まえながら 熱演された。 同氏は横浜国大、東大大学院を経て一級建築士・職業能力開 発総合大学校教授として活躍され、近年は信州など各地に「職 人学校」を立ち上げ、深刻化する建築関連職人の育成と「伝統 木造」の継承と普及に尽力されている。 このように秋山氏が輝かしい学歴から敢えて背を向けるよ うに、建築関連の屋台骨を支える職人育成に注力されているの は、大学時代に身を投じた学生運動と寂れ行く故郷竹田への強 い郷愁の想いと決して無縁ではないであろう。同氏の講演は同 じ世代としての共通の問題点、危機感が重なり合い、思わず話 に引き込まれた。 二部は総会で、白瀧関東銀嶺会会長、藤井銀嶺会会長、水 田生野高校長の挨拶があったが、一様に力説されたのが、同 校には少子化の荒波が押し寄せ、本年度入学は僅か 80 人ば かりの2学級で、 「このままだと生野高校が消滅するのでは …」という強い危機感であった。特に生野地区の人口激減に は、この目を疑った。かつては日本一の銀の生産を誇り、日 本経済の屋台骨を支えた生野の衰退は他人事ではなく、ジオ パーク認定が起爆剤となり観光地としての復興を願うばか りである。 懇親会は朝来市長多次氏の乾杯の音頭で始まった。様々な 企画が飛び出し大いに盛り上がったが、特に今回初めての企 画「関東銀嶺会クイズ」 (添付資料参照)は、南但地域と生 野高校関連の一種の地域検定クイズ 30 問の出題で、参加者 は難問に頭を抱えたが、頭脳の活性化を促し地域への理解を 深める楽しい企画であった。このように 1 時 30 分から 5 時 までの同窓会は校歌を高らかに斉唱し、 来年 100 周年を迎え る同校の発展を祈念し盛会のうちに幕を閉じた。 他校の同窓会に初めて参加したが、生野地域(南但)には 一度も足を踏み入れたことが無く、南但と北但の地域色と気 風の違いはやはり興味深いものがあった。抱える地域の問題 は共通する所が多く、中でも少子化問題は日本全体の深刻な 問題(先進国中最低の出生率)だが、南・北但馬では特に地 域の経済基盤を揺るがす大問題と思った。統計によると、経 済発展(活性化)は出生率に比例するようで、先史以来日本 は人口増加とともに発展を続けたが、近年の歯止めのない少 子化は有史以来の国難と国民全員が危機感を持ち、真剣に対 策を考えるべきではなかろうか。 なお添付資料として提出された同氏作成の「生野高校の新旧 学制移行期の経緯の想定表」は優れ物で、特に複雑で不明な点 が多い戦中・戦後の混乱期の現行制度への移行経緯が、同表で 極めて簡潔に図形化され、明治以来の日本の学校制度が一目瞭 然と理解出来、 「目からウロコ」的衝撃であった。この「豊高 版」の作成を是非とも促したい。 (同表は別添参照のこと) 8 総会配布資料 「生野高校の戦後新旧移行期の経緯の想定表(一部)」 (作成:秋山恒夫) 生野高校は、大正2年(1913 年)、前身の「生野町立生野実科女学校」が創立されて以来、来年「創立 100 年」になり ますが、戦前は「女学校」を母体とし、旧制から新制に切り替わる戦争直後の移行期には、「高等女学校」「旧制中学校」 「併設中学校」など、様々な名称が見られます。 この複雑な移行期の事情は、現役世代にはなかなか理解が難しいため、様々な資料から独力で解いてみました。この頃 の卒業生の皆様(既に 80 歳超)に細部確認をお願いできれば幸いです。(4ページ中、重要な3ページ目のみ掲載) 9 欠席者のお便りから (一部抜粋、敬称略) さい。 永田正英(田上、高 12)/所用があり欠席いたします。来年は 出席したいと思っています。 生田貴志江(高 12)/6/23 に書道の会の大切な勉強会がある 為出席できません。9/11~16 銀座鳩居堂画廊で社中展を開 催します。その為の会なのです。皆様お出かけ下さい。9/15 が当番で会場にいます。 大高禎子(足立、高 16)/案内ありがとうございました。元気 で過ごしています。皆様の活躍うれしく拝見しております。 船本久子(花田、高 16)/御連絡いつもありがとうございま す。卒業して 48 年にもなり月日が早くなって行くのを感じ ます。以来ずっと 48 年間も学生時代も計算すると建築の設 計を今だに元気に頑張ってやっています。66 歳です。 並川和夫(高 17)/春~秋は郷里に在住し、竹田城跡のボラ ンティアガイドをしております。お蔭様で観光客もずい分増 えてきました。 森田順二(高 18)/いろいろお世話になりありがとうござい ます。申し上げてましたように当日 株主総会後の会社行事 が予定されており、そちらに出席せざるを得ません。よろし くお願い致します。 北垣官四郎(高 18)/当日は、はずせぬ所用があり残念です が欠席します。益々の会の繁栄を祈ります。 「盛会を祈ります」との温かいコメントを、大勢の方から いただきました。紙面の都合上、一部の方のみ紹介させてい ただきますが、その他、「高齢になり体調不良で外出が難し い」 、 「介護で家を空けられない」 、などのコメントも高齢会員 の方から多くいただきました。また、幹事へのねぎらいのお 言葉も多くいただきました。 今後とも、微力ながら、末永く発展するよう努めたい、と 決意をあらたにいたしました。 ■高女、旧中、併中 野田佳子(田村、高女)/私は 90 歳を過ぎました。残念なが ら出かけることも出来ませんので名簿から削って下さい。 細谷ときえ(谷口、高女)/お手数ですが 83 歳にもなりまして 欠席にして下さいますようお願いします。皆様に宜しく。 佐藤坤子(大久保、高女)/老々介護の日々を過ごしており出 席できませず残念に思っています。皆様のご健康をお祈りし ています。 若宮和夫(旧中)/生憎と前日から旅行に出掛け不在ですので 失礼します。銀嶺会の益々の繁栄を祈念致します。 ■高校 1~10 期 西口アサ(足立、高 2)/地域の総会と重なり、お世話をしてお りますので残念ですが出席できません。今後共宜しく皆様に お伝え下さい。 足立大進(勝山、高 3)/前週、岐阜医療科大学で講演を頼まれ て出かけます。当日は定例の説教会にあたりますので欠席い たします。 川口昭子(太田、高 4)/日頃はお世話になっています。御盛会 をお祈りいたします。 藤原 隆(高 4)/都合により欠席いたします。ご盛会をお祈り 致します。4 期の皆様に特に宜しくお伝え下さい。 倉橋卓子(藤谷、高 4)/年を重ね参加出来ませんが、ご盛会で あります様に祈っております。 玉川三郎(高 5)/体調不調の為欠席致します。ご盛会を祈念 申し上げます。 花房テル子(佐藤、高 5)/老いて尚故郷恋し友恋し、前回太田 公士さんにミニコミ誌「おくまが」を送っていただいてあり がとう。第三回も読みたいです。生野に飛んで行きたい思い です。中寺行雄さんに TEL しましたよ。皆様によろしく。 藤原 定(高 6)/妻 病気のため、外出はできるだけ避けたい ので・・・盛会を祈ります。 村上洋子(藤原、高 7)/毎年の御連絡感謝申し上げます。会の 益々のご発展を祈っております。有難うございました。 重村淳子(世良、高 9)/色々とご尽力を賜り厚く御礼申し上 げます。出張と重なっておりますので失礼いたします。 太田登志子(居相、高 9)/いつもお知らせありがとうござい ます。集いのご盛会をお祈り致します。 橋本太朗(高 10)/いつもお世話様です。ご盛会をお祈り致し ます。会長によろしくお伝え下さい。 ■高校 21~30 期 篠原洋子(山道、高 21)/いつもありがとうございます。母の 体調が落ち着かず残念ですが欠席いたします。幹事の皆様、 参加者の皆様方の御健康をお祈り致します。 木下義寛(高 22)/幹事ご苦労様です。会費が安くなったの は良いですね。 黒田 均(高 22)/今秋には退職し、故郷にUターンします。 長い間お世話になりました。また、戻って第二の人生頑張り ます。 黒田真知子(工藤、高 22)/今秋には朝来に帰ります。今はそ の準備で行ったり来たりしております。 伊藤綾子(藤原、高 23)/ご多忙の中、総会開催に向けて大変 お世話様です。感謝申し上げます。当日は予定があり、残念 ながら欠席させて頂きます。当日の盛会をお祈り致します。 藤本徹郎(高 24)/未だ人の混み合った処へ出られない状況 なので残念ですが出席できません。幹事の皆さんに宜しくお 伝え下さい。 大久保 孝(高 26)/私にとっての高校時代は寮生活につき るでしょうか。規律には大変厳しかったですが思い出される のは猪野々の学生寮の物語です。 黒川明彦(高 28)/事務局お疲れ様です。昨年 4 月より単身 赴任で仙台に転居しております。 守本恭子(米田、高 29)/昨年 高校を卒業してはじめての同 窓会がありました。とてもなつかしく楽しい一日でした。 近々関西に引越すことになるかも知れません。 ■高校 31~準会員 松下智彦(高 48)/5~7 月は休日出勤が多く、欠席させてい ただきます。落ち着きましたら、また参加させて頂きたいと 思います。 ■高校 11~20 期 唐木尚美(村井、高 11)/いつもお世話になっております。今 後ともどうぞよろしくお願い致します。お元気でお過ごし下 10 第2部/会 報 会員だより 「被災地の流木でヴァイオリンを製作!」 ●中澤宗幸さん、きみ子さんご夫妻が、9 月 12 日(水) にテレビ出演! 生野高校 11 期生で朝来市出身の、世界的なヴァイオリ ンドクター・中澤宗幸さんが、奥様の中澤きみ子さん(ヴ ァイオリニスト)とともに、去る 9 月 12 日(水)、NHK 「おはようニッポン」に出演されました。放送されたのは 午前 7 時半前後でした。 中澤さんは、陸前高田の流木(瓦礫)の松と楓でヴァイ オリンを製作され、そのヴァイオリンを世界中のヴァイオ リニスト 1,000 人にリレーで演奏してもらうプロジェクト を推進中で、今回のご出演も、それに関する内容でした。 以下は、Facebook に紹介された『ヴァイオリン・プロ ジェクト「千の音色でつなぐ絆」』からのご紹介です。 (高校 24 期・太田公士記) ------------------------------------------------------------●ヴァイオリン・プロジェクト「千の音色でつなぐ絆」 中澤宗幸さん(高校 11 期) ヴァイオリニストへと託されていく、人と人との絆のシン ボルとなります。 演奏者は被災者の方々への祈りを込めていただける方 がプロ・アマを問わず、またクラシックだけでなく、ジャ ンルを超えて、それぞれの場所でそれぞれの音色を奏で、 絆の輪を広げていきます。 将来的には被災地から、この楽器を演奏するヴァイオリ ニストを輩出することもプロジェクトの視野に入れてお ります。そのために、東北の地でヴァイオリン教室を立ち 上げ、未来の演奏家を育てる計画も練っているところで す。 被災地で成長した子供たちが、この楽器を演奏するよう になった時点で、このプロジェクトを一区切りとする予定 です。それまでには、楽器に千人の演奏家の音色が弾き込 まれ、楽器自体が歴史を刻んで成長していくような長い時 間を要します。その間に、被災地域の環境整備も進むと思 いますが、健やかな心の環境をも整えていくことにお役に 立てることが、プロジェクト参加者の思いです。 中澤宗幸さんからのメッセージ 私は長年、弦楽器の仕事に携わっております。震災後、 自分がヴァイオリンドクターとして何か被災地の方たち のお役に立てることはないかと模索しておりましたが、 あるとき、いつまでも片付かない瓦礫の山をニュースで目 にし、このプロジェクトのアイデアが閃いたのです。 楽器は生き物で常に成長をしております。被災地の木を 使って出来上がった新作ヴァイオリンは、多くの演奏家の 音楽を吸収しながら大きく成長してくれることでしょう。 この楽器たちは、演奏家と共にヨーロッパやアメリカなど 世界中を旅することになると思います。演奏家の手から手 へ、この楽器が弾きつがれていくにつれ、被災地の復興が 進んでいくことを願ってやみません。 想いを重ねてくださる方がいらっしゃいましたら、ぜひ 仲間になってください。 よろしくお願いいたします。 ヴァイオリンドクター 中澤宗幸 ------------------------------------------------------------- このプロジェクトは、東日本大震災の被災者支援のため に、ヴァイオリンドクターの中澤宗幸氏が発案者となり、 被災地で生まれ育った木材でヴァイオリンを製作し、賛同 する仲間たちがこのプロジェクトを実施するための組織 「命をつなぐ木魂(こだま)の会」を作り、その楽器の演 奏を通して被災された方を励まし、亡くなられた方に鎮魂 の祈りを捧げ、この震災でおきたことを風化させずに復興 が終わるまで全国の人々が支援続けることを目的として います。 ヴァイオリン製作に使う木材は、津波で無残に流され、 瓦礫と化してしまった流木です。震災前、家の床柱や梁に 使われ、被災地で暮らす人々の過去が刻まれた木を弦楽器 として蘇らせ、千人のヴァイオリニストがリレーのように その楽器を受け継ぎながら、千の音色を奏でその思いを繋 げていくプロジェクトです。 日本の伝統には、心の底から願いを叶えたいときに行わ れてきた千羽鶴の慣習があります。また、千手観音の千本 の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、 観音の慈悲と力の広大さを表すといいます。千年に一度の 大震災ともいわれましたが、千という数字を、被災地で亡 くなられた方々へ向けた無数の祈り、被災された方々の無 数の希望として託しました。 そして、流木で作られたこの楽器は、この震災の体験が 風化しないように永きにわたり、ヴァイオリニストから ▲ジェラール・プーレ先生が、震災ヴァイオリンを手にされ、 バッハの無伴奏を試奏されました。 (3 月 31 日) (写真はいずれも、Facebook ヴァイオリン・プロジェクト 「千の音色でつなぐ絆」から) 11 会員だより 「病を克服して、展覧会を開催!」 藤本徹郎さん(高校 24 期) ●藤本徹郎君の水彩画展 関東銀嶺会幹事・藤本徹郎さんが、入院中に描きだめた 水彩画の展覧会を 6 月に開かれました。作品を見たお二人 のブログから、当日の様子をご紹介しましょう。 ------------------------------------------------------------●『広軽展』という名の退院報告 白瀧康次(高校 10 期) ちょうど1年ほど前、昨年の関東銀嶺会の総会が終わっ た直後、幹事の一人である藤本徹郎君(24 期)が、突然白 血病に冒された。彼は奥様と共に、ずっと総会の司会を担 当してくれていたので、昨年もその大任を果たした後だっ た。まだ 50 代後半で、銀嶺会のゴルフコンペにも積極的 に参加するなど、幹事仲間の中でも一番元気だっただけ に、皆一様に驚いたが、その日以来彼は無菌室に隔離され る身となった。 治療法は骨髄移植しかなく、しかも適合するドナーは1 0数万人に一人の確率だということで、病状を抑える投薬 治療を行いながら、無菌室でひたすらドナーの出現を待つ という生活が始まった。 外界から隔離された生活がどんなに苦しかったことか と想像されるが、気丈な彼は苦しい中で絵を描き始めたと いう。幸運なことに、1年を経ずに適合するドナーが見つ かり、骨髄移植手術を受けて無菌室から解放された。治療 はまだまだ期間を要するようであるが無事に退院を果た すことができた。 6 月 1 日には、退院を果たした彼が、演劇の女優をして いる奥様とともに、退院報告を兼ねて病室で描きだめた作 品の展示会を開催するというので同窓会仲間をさそって 川崎市のギャラリーを訪ねた。 会の名前を『広軽展』という。名前の由来は、言わずと 知れた浮世絵師「歌川広重」をもじって「広軽」としたも の。展示の中心は広重の東海道五十三次の浮世絵の模写で ある。その数 150 数枚。およそ1日1枚のペースで描いた という。 太田公士(24 期) 昨年の 6 月に突如として白血病を発症し、一年に及ぶ闘 病生活を続けている同期の藤本徹郎君が、6 月 1~3 日の 日程で、入院中・退院後に描きだめた水彩画・150 点を一 挙に展示する個展を川崎のギャラリーで開いたので見に 行ってきました。 「20 万分の1」という、気が遠くなるような確率の骨髄移 植ドナーとも奇跡的に巡り会えて、今年の 1 月には移植手 術にも成功。うまくいっても 3 ヶ月かかるという移植後の 退院も、わずか 1 ヶ月余りで退院許可が出るなど、奇跡的 な回復ぶり。 それで、加療中に“目覚めた”という水彩画展を開いたと いうわけです。オープニング・パーティには関東銀嶺会の 同窓生・同級生をはじめ、会社の関係者や奥さんの知人友 人を含めた、多くの人々が参会しました。 彼の終始変わらぬ明るい気持ちと前向きな姿勢が、病魔 をはね除けたのではないかと感動しました。展覧会場で も、来客に丁寧に挨拶する藤本君の姿勢に、以前と変わら ぬ彼の姿を見ることができました。 作品は歌川広重の東海道五十三次の全宿場版画を模写 した、彼独自の創作作品がメインで、展覧会名も「広重」 ならぬ「広軽展」と、洒落た名前にしていました。こんな ところにも彼一流の遊び心とサービス精神が躍動してい るようでした。 模写とはいえ、彼独特の柔らかく温かいタッチがとても 素敵でした。彼の作品に触れて、明日への夢と希望が「広 がる=広軽る」展覧会になったのではないかと思います。 病気になった友を励ますのが友人のつとめ…とばかり に、この一年間は、同級生同士のメール交換が続きました が、むしろ励まされたのはこちらの方でした。どんな時に も希望を失わず、明るい心で前向きに立ち向かう姿勢を彼 から教えられました。 彼と以前のようにまたお酒が飲める日を楽しみに、私も 頑張りたいと思いました。 (「本郷ではたらく社長の日々」2012 年 6 月 5 日のブログ) ------------------------------------------------------------- 会場にはこの活動的な夫妻の幅広い交流を反映して実 に多彩な人達が集まった。展示のみならず、二人で演ずる 紙芝居(絵はもちろん藤本君の作)まで取り混ぜてサービ ス満点、笑いの絶えない展示会であった。 紙芝居はトルコに伝わる民話の主人公 「ナスレッディ ン・ホジャ」の小話をネタにした楽しいもの。イスラムの 衣装まで付けた熱演だった。 会場では、彼は学校時代こんなに絵が上手だったかとい うことが話題になった。結論は「輸血の中にどこかの画家 の血が混ざっていたに違いない」ということになった。 (「子犬のファンタジー♪」2012 年 6 月 2 日のブログ) 『広軽展』に参加された関東銀嶺会の皆さん (中央のマスク姿が藤本徹郎さん) 12 会員だより 「同窓会によせて」 松下 智彦 (常任幹事、高校 48 期) 生野高校を卒業して早 17 年、大阪での大 学生活、初任地福岡での社会人生活、そして 東京への転勤とあわただしく時間が過ぎ去 りました。 私は現在新聞社で新聞広告の営業に関わ っています。仕事柄、全国各地でお仕事をさせて頂きます が、よく話題に上るのは出身地の話です。 関西では「銀山の生野です」と言えば大体通じたように 感じますが、関西以外では中々通じませんし、石見銀山と 勘違いされることもしばしばです。生野を誇りに思ってい る一人として、歴史的財産を更に大事にしなければと思っ ております。 またお陰さまでたくさんの方とお会いさせて頂きます が、生野や朝来市出身の方にお会いすることも残念ながら ほとんどありません。 そんな中お会いしたのが、大先輩である藤本徹郎さんで した。生野高校の出身ということで仲良くさせて頂き、関 東銀嶺会をご紹介頂きました。実は銀嶺会に参加させて頂 き初めて知ったのですが、社会で立派に活躍されている大 先輩が多いこと。 現役の高校生の頃は知らず、恥ずかしながら父に生野高 校の歴史を聞き、銀山で活気があった町の様子や、私の祖 母も女学校出身であることなどを改めて知りました。現在 の生野高校は地域の人口も減り、私が現役でいたころより さらに厳しい状況と聞き、時代の趨勢とは言え先輩方の活 躍を思うと大変残念に思っています。 平日は仕事が忙しく、週末は三人の子育てに追われてい ますので銀嶺会の活動になかなかご協力できておりませ んが、以前、鎌倉円覚寺の足立大進老師を伺った際、鈴木 英之さんから、「但馬の人間は目立たんかもしれんが、粘 り強く最後までしっかりやり遂げるんだ」というようなお 話を伺いました。 社会人に出て 10 数年経ちますが、同郷の先輩の言葉は すっと体に馴染むものでした。これも銀嶺会の出会いから 頂いた貴重な機会です。 生野には秋祭りや年末年始くらいしか帰省出来ていま せんが、地元の友人の繋がり大切にしつつ、微力ながら関 東でも繋がりを広げていければと思っています。 (1996 年卒業、生野町円山出身) 「関東銀嶺会ゴルフコンペ」開催さる 岸本 篤郎 (副会長、高校 10 期) 第7回関東銀嶺会ゴルフコンペが、10 月7日(日)、千 葉県木更津市の「The Country Club Japan」で開催され ました。 兵庫生野からも大友賢一君(高校10期)の参加を得、 3組 11 名でプレーを致しました。朝の小雨も午後からは 小春日和となり、楽しい一日となりました。 優勝者は初出場の藤原敬介君(高校 19 期)で、参加者 と成績は下記のとおりです。 紅一点の足立巻子さん(高校 16 期)は、男性と同じ条 件でプレーされ、ベスグロ賞を獲得されました。このゴル フ場は数日後に男子プロのトーナメントが予定されてお り、タフで難しいコース設定のなかで、このスコアーはお 見事でした。 第8回のゴルフコンペは藤原敬介君の幹事のもとに来 年 10 月 10 日(木)を予定しています。 お互いに沢山叩いて健康創りを致しましょう。 (ゴルフ部/会長兼幹事、生野町出身) 朝からの小雨にも負けじと「いざ出陣!」 グロス ハンディ ネット 優勝 藤原敬介(19 期) 93 20.4 72.6 準優勝 橋本慧介(10 期) 99 25.2 73.8 第3位 *足立巻子(16 期) 90 15.6 74.4 *ベスグロ 第4位 岩崎順三(23 期)、第5位 足立潤三郎(9 期) 第6位 山崎孝允(10 期)、第7位 白瀧康次(10 期) 第8位 岸本篤郎(10 期)、第9位 森田信吾(15 期) 第 10 位 北出 實(10 期)、第 11 位 大友賢一(10 期) 13 優勝 藤原敬介氏 準優勝 橋本慧介氏 ベスグロ 足立巻子嬢 終了後のパーティー 創立 100 周年にむけて 「生野高校 100 年の絆」 古谷 利男 (前会長、高校1期) ●新制高校発足 中学校の校舎が真弓に完成したのは終戦の年(1945 年) の 10 月ですが、校舎の窓に入れるガラスが無く雨が降る と休校でした。 そんな殺風景な世の中でしたが、京大の哲学科を出た田 島繁先生は、黒板に「天には輝ける星 地には道徳律」と 日本語とドイツ語で書き人の道について熱く語ってくれ ました。「実践的英語教育論」というベストセラーを書き、 但馬の中学校の英語教師に英語を教えていた磯尾哲夫校 長は、その実力を県に買われて当時の神戸商大(現兵庫県 立大学)の教授に抜擢された人物でした。 私の母は生野実科女学校の一期生でしたが、二期生で近 所に住んでおられた内藤八重さん(昭和 23 年から 30 年ま で銀嶺会会長)が我が家に見え、『磯尾校長の後任が決ま り、下宿を探してくれと頼まれているのよ。』と母に話さ れたところ、母が『貴女の家に下宿させてあげなさい。』 と言いますと内藤さんも素直に受け入れました。 そんな経緯で私が新校長を駅まで迎えに行く破目にな りました。まだ 11 月中旬というのに、小雪がちらつく寒 い夜でした。駅の改札口を出てきた亀井先生を先ず驚かせ たのはその寒さだったようで、薄暗い夜道を先生の背中を さすり乍ら下宿先の内藤さんの家まで送っていきました。 しかし、県立の新制高校初代校長に任ぜられた先生の意 気やすこぶる軒昂で、全校生徒を前に語られた翌日の着任 挨拶は我々生徒が希望溢れる未来を夢見るにふさわしい 迫力十分な内容でした。 皿洗いをしながら8年掛かって米国のコロンビア大学 を出た、と云う先生が最初に我々に見せた実力は、姫路の 米軍将校たちがフォークダンスを教えるために来校した 時のことでした。先生の本場仕込みの英語に接した我々は その素晴らしさに驚嘆したものです。 ●校章のこと 年が明けて昭和 24 年(1949 年) の2月、卒業を前にせめて校章だけで も自分達で造りたいとデザインを公 募したところ、笹の葉の上に「高」と いう字を載せて図案化したのが生野 町奥銀谷の碓井(現在は三木)謙治君 でした。 そしてその年の7月には「校章」が正式に制定 され、爾来 63 年厳然と生き続けています。 最近まで碓井君の図案がそのまゝ現行の校章に採用さ れたものと思い込んでいた私は、たまたま昭和 24 年 7 月 23 日発行の「生野高校新聞第六号」を読む機会があり、 「校 章のデザインが公募され、生徒と教官の総意のもとに選定 された・・」との主旨の記事に接し、真相を知りたいと思 い2~3の関係者に当たってみましたが「校章公募」の記 憶は無い、とのことでした。 それでは碓井オリジナルを取り寄せ現行の物と比べた いと思いましたが、碓井(三木)君の体調よろしくなくそ れもかなわぬことになり、真相は遂に闇の中です。しかし、 先生のご性格から想像しますと「末永く生野高校を表象す 14 る校章は、特定の個人の作品とするよりも、学校関係者の 総意として皆で造ったものにしたい」というのが当時の亀 井校長の意図ではなかったのかと思い当たり、その深謀遠 慮をつぶさに考えると先生は一枚も二枚も役者が上だっ たことに気付きました。 ●校舎焼失から校歌制定へ 然し、「好事魔多し」の例え通り校舎焼失という一大事 件が残したものは廃墟と生徒達の心のすさびでした。其の 先の学級崩壊、校内暴力に通ずると予見した亀井先生が、 乾坤一擲の策として打ち出したのが「校歌」でした。 今井宏史先生に作詞を依頼した先生が、最後の救いを求 めたのが学校音楽の大家で旧知の岡本敏明玉川大学教授 でした。亀井先生の心情を即座に汲み取った岡本先生が白 羽の矢を立てたのが若い作曲家・柳沢昭先生でした。 直ちに生野を訪れ、その自然と人情に触れた柳沢先生 は、全身全霊を打ち込んで校歌の作曲に当たりました。 それから約半世紀を経て関東銀嶺会が誕生し、ほぼ同じ 頃、校歌の作曲者・柳沢昭先生の消息も判明しました。そ して柳沢先生にはご無理を言って校舎と共に焼失したと 思われる「楽譜」のオリジナルの再作成をお願いしたとこ ろ快諾を得ました。出来上がった楽譜を戴きに四期の大福 守さんと私が先生のご自宅に伺い、先生自ら弾かれたピア ノに合わせて奥様と共に4人で合唱しました。 しかし、その岡本先生も柳沢先生も、既に此の世には居 られません。 ●エピローグ 今年の5月、柳沢夫人から代筆のお手紙を戴き病に臥し ておられるとのことだったので、四期の大福守さんと十期 の白瀧康次さんとでお見舞いに自宅に伺いましたら、そこ になんと岡本敏明先生のお嬢様が同席されていました。 お嬢様は音大のピアノ科を出られた才媛でした。大福さ んご持参のシャンパンで乾杯し、お嬢様の弾かれるピアノ で校歌を合唱しました。 そのピアノは、 12 年前に柳沢先生が再製楽譜で校歌を弾 かれたそのピアノでした。ピアノを弾かれるお嬢様の横顔 を拝見しながら、人の世の絆の不思議さを痛感しました。 そして此の日を記念して白瀧さん御愛用のカメラで写真 を撮りました。 こうして迎える創立百周年は、多くの先達の庇護のもと にのみ享受することができるのだとつくづく感じており ます。 (生野町出身) 創立 100 周年にむけて 「生野高校創立100周年記念事業の概略」 渕本 稔 (生野高校 PTA 役員、朝来市会議員、高校 24 期) ■創立100周年記念事業の概略 PTA役員として 100 周年記念事業実行 委員会の委員として委嘱を受け、9 月 10 日 の第2回実行委員会に参加したので、概略を 報告します。 記念事業は大きく分けて、事業、式典、記念誌の三部門 であり、すでに第1回実行委員会で内容が決定され、取り 組みが進められています。第2回実行委員会では、それぞ れの進捗状況が報告されました。 ●事業部会 1.全天候型テニスコートの整備(約 2,380 万円の予算) 2面整備・遮光ネット設置・グランドテント設置 2.百周年記念ルーム新設(約 2,490 万円の予算) 物理教室を改修する 3.看板・懸垂幕の掲出(約 224 万円の予算) 告知看板・懸垂幕・式典の案内看板の設置 事業費総額 約 5,090 万円 ●式典・祝賀会部会 1.記念式典 2013 年 11 月 2 日・生野高校体育館 来賓(県知事・市長等)、記念講演(著名人) 記念式典予算 約 181 万円 2.祝賀会(但陽信用金庫会館) 学校から但陽会館ま でバスで送迎、会費制 ●記念誌作成部会 1.記念誌 A4版・200 ページ・上製本 クラフト箔押しケース・布クロス箔押し表紙・写真多 用 2.記念誌予算 約 404 万円(1,500 部) 有料販売 以上、第1回実行委員会の決定にもとづき、各部会での 進捗状況が報告されました。 ■PTAの取り組み 前年度事業として、下記の取り組みを行いました。 1.老朽化した吹奏楽部の楽器購入補助 60 万円 2.ウオータークーラー2台の設置 40 万円 ■募金のお願い 上記のように、多額の費用を要する 100 周年記念事業な ので、銀嶺会の基金だけではまかないきれないので、O B・OGの皆さん、関係者の皆さん、賛同していただける 皆さんに寄付をお願いすることになります。募金要綱が決 定しだい、ご案内することになりますので、よろしくお願 い致します。 (文責:渕本、生野町出身) 会計報告 運営会費納入 ●平成 23 年度 運営会費納入者ご芳名 下記の皆様方から平成23 年度の運営費をご納入いただ きました。ありがとうございました。心より感謝申し上 げます。本年度も引き続きよろしくお願い申し上げます。 ――――――――――――――――――― 【高女・中学・併中】 高女 32 期/井上和子・佐藤坤子、高女 35 期/小柳静子、 併中1期/猪野一郎 【高校】 高校1期/古谷利男、2期/新田皐生・松田貞三・芦田朗子・ 笹森淳子・西口アサ、3期/足立大進・石田昭一、4期/太 田宣彦・草壁泰之・小林正・川口昭子、5期:玉川三郎、6 期/平位三郎・荒木つるゑ、8期/山中幸由、9期/小畑朝 宣・中塚淳・畠山義生、10 期/太田靖夫・北出實・岸本篤 郎・白瀧康次・鈴木英之・山崎孝允・森田さゑ子・田中優、 11 期/田島嶺子、12 期/竹村省吾・中澤宗幸・永田正英・ 生田貴志恵、13 期/小松直行、14 期/太田照子・本間正栄、 15 期/森田信吾・平塚隆子・藤田千津、17 期/石川哲也・ 長島眸、18 期/秋山恒夫・松下良興・森田順二・関みや子・ 柳生春枝・山本喜代子、19 期/森野行雄・山内正夫・野木 秀子、20 期/北村俊郎・山村さわ子、21 期/上野正博、23 期/文屋圭子、24 期/太田公士・小梅虎師朗・小谷幸博・ 佐野吉徳・内田美智代・加藤郁子・小松京子・塩見明実、38 期/森下博子、44 期/清水美香 【客員】 山田一成 (以上 68 口・68 名) ●平成 23 年度 関東銀嶺会会計報告 (平成 23 年 4 月 1 日~平成 24 年 3 月 31 日) ●第 14 回総会 会計報告(平成 23 年年 6 月 18 日・JJK 会館) 15 幹事会+事務局からのお知らせ ●次回総会・懇親会のご案内 【第16回 総会・懇親会】 (予定) ・日時:平成25年6月15日(土)午後 ・場所:JJK会館(中央区築地 4-1-14) ・会費:6,000 円 4月中頃には皆様のお手元に案内状を お届けできるよう準備をすすめています。 次回は、新しい試みとして母校の生徒会長、関東在住の 現役大学生にも案内することになっています。 今まで以上に楽しく有意義な総会になることと思いま す。今から予定に入れていただき、お誘い合わせのうえご 出席下さいますようお願い致します。 【運営費ご納入のお願い】 振り込み用紙を同封させていただいています。 関東銀嶺会の運営は、皆様からいただきました運営費で 賄っています。 何卒ご理解のうえご協力下さいますよう お願い申し上げます。 運営費は 2,000 円/年です。 ●「関東銀嶺会ホームページ」のご案内 関東銀嶺会の最新情報だけでなく、設立以来の会報や写 真も保存されています。キーワードに「関東銀嶺会」と入 れて検索して下さい。 会員同士の情報交流ができる「掲示板」もありますので、 どうぞお気軽にご利用下さい。 http://kanto-ginrei.sakura.ne.jp/index.html ●次回 年次幹事(19 期生)からのお願い 来年の第16回は、19期生が幹事を務めます。 当総会・懇親会は、卒業生はもとより、生野高校の校 長先生、朝来市長、当地区の国会議員の皆様等、多くの 来賓を招待しておりますが、残念ながら来賓の方々の割 合が多くを占めています。 会の主旨は、関東に在住の生野高校同窓生の懇親であ ります。多くの同窓生の皆様の参加を期待しております。 会場も東京のど真ん中である銀座という一等地を選択 しています。総会後に銀ブラや、歌舞伎座の新しく生ま れ変わる様子を見るのも、また楽しいのではと思います。 是非参加いただき、昔の友と懐かしい思い出話や、先 輩、後輩と親交を深めるなど、普段の生活からリセット して、明日への活力を産まれては如何でしょうか。 幹事一同、皆様に楽しいひと時を過ごせますよう、準 備作業を務めて行きますので、より多くの皆様の参加を 期待しています。 (19 期:野木秀子、西垣秀雄、森野行雄、藤原敬介) ●「同窓会 FACEBOOK」のご案内 このたび、 「Facebook」上に生野高校同窓会(全体)の ページを開設しました。母校に関わる様々な情報を随時 アップしますので、皆様もどうぞご参加下さい。 http://www.facebook.com/ginreikai ●関東銀嶺会/役員(平成 24 年 4 月 1 日現在) 会長 /白瀧 康次 (10 期) 副会長 /岸本 篤郎 (10 期) 、鈴木 英之 (10 期) 野木 秀子 (19 期) 事務局長 /佐野 吉徳 (24 期) 事務局次長/森田 信吾(15 期) 会計幹事 /小松 京子(24 期) 、秋山 恒夫(18 期) 常任幹事 /石川 哲也(17 期) 西垣 秀雄(19 期) 、太田 公士 (24 期) 藤本 徹郎(24 期) 、藤原 龍三(27 期) 伊藤 隆也(28 期) 、松下 智彦(48 期) 年次幹事 /森田 順二、大川 日吉、小林 史男、 松下 良興、関 みや子(18 期) ●関東銀嶺会/事務局 〒285-0014 千葉県佐倉市栄町 14-5-3 佐野吉徳方 TEL 090-2218-4661 FAX 043-255-0843 E-mail: yo-sano1206@ae.em-net.ne.jp ●関連サイトのご案内 IT 技術や各種 SNS(ソーシャル・ネットワーク・サー ビス)の普及により、我々も身近に仲間と情報交流したり 情報発信することができるようになりました。 生野高校の同窓会関連でも、以下のような様々なサイト が開設されています。以下のキーワードを入れて、検索し てみて下さい。 アクセスして、同窓のいろんな方々と交流の輪を広げて みませんか? ・関東銀嶺会/ホームページ ・銀嶺会/FACEBOOK(全体) ・銀嶺会/ホームページ(全体) ・生野高校/ホームページ ・生野高/陸友会(陸上競技部 OB・OG の交流場) ・兵庫県人会/東京あさご会 ・生野ひいきの会、その他 16
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