12月(第648号) - 公益財団法人 新聞通信調査会

月号)
大 使 が 私 に 「自 発 的 に 休 暇 を 取 れ。 こ れ は 命 令
自民党から極秘の調査団が来たりすると、当時の
今だから話せることだが、モスクワにいた時、
思う。あの頃、外務省にはいろいろヤバイ仕事が
味方になり、その書類は雲散霧消してしまったと
後、自社さ政権ができて、きのうの敵はきょうの
秘密資金供与の文書が山ほどあるはずだが、その
公明党、安保政策でも死活的な役割増大 佐藤
・・・ 優︙
︻海外情報︿米国﹀
︼
タイムラインは必要なサービス ・・・
津山 恵子︙
︻放送時評︼
BPOが政治・行政に異例の注文 ・・・
音 好宏︙
第₈回「メディアに関する全国世論調査」
(上) 本誌編集部︙
・・・
木谷 隆治︙
「戦後 年に想う」(₉) ・・・・・・・
自衛隊海外派遣「止めるのは新聞の役目」 小池
・・・ 新︙
︻メディア談話室︼
井芹 浩文︙
調査報道の明と暗 ・・・・・・・・・・・・・・
︻海外情報︿中国﹀
︼
記者証発行で管理強化されるニュースサイト
高井 潔司︙
・・・
︻プレスウオッチング︼
「₉条」は「現実」にさらされ揺れ動く 小池
・・・ 新︙
︻海外情報︿欧州﹀
︼
読者とのつながりがより重要に ・・・
小林 恭子︙
国分 俊英︙
日記で読む昭和史( )
・・・・・・・
芹田晋一郎︙
特派員リレー報告㊽香港 ・・・・・・
明石 和康︙
書評『核と反核の 年』 ・・・・・・・
調査会だより・編集後記 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
目 次 (
だ」と言う。社会党、共産党にソ連共産党から秘
あった。ヤバイ仕事の場所でかち合うのが新聞記
まさる
佐 藤 優
(作家・元外務省主任分析官)
自民党の幹事長室には社会党や共産党に関する
1
例えばロシアのメドベージェフ首相が北方領土
に行くと言って、最終的には択捉島に行ったが、
連共産党の秘密文書あさりをしたら、出てくる出
い子になり過ぎている。本当は分かっているのだ
さて、最近の新聞記者について話すと、少し良
は 分 か る ん で す が、 止 め る 手 だ て は あ る ん で す
じているだけだ。一昔前なら、「行くなというの
くなと言って抗議した。それをどこもそのまま報
その時、菅義偉官房長官や岸田文雄外務大臣が行
てくる。あれは私が捕まる前のもう一つの大きな
ろうが、その場で変な雰囲気になるのを恐れて政
最近の記者は良い子になり過ぎ
70
危機 だ っ た 。
この話は曖昧になったまま、事実として私はソ
とい う 、 ひ ど い 命 令 だ 。
佐藤優です。よろしくお願いします。
対ロ交渉、希望的観測に傾き過ぎ
メディアは応用能力付ける努力を︵上︶
公明党、安保政策でも死活的な役割増大
密資金が流れていた、その資料をあさりに行け。
電話 03(3593)1081
http://www.chosakai.gr.jp/
治家や官僚を締め上げない。
新聞通信調査会
者たちで、特に旧同盟通信系の共同通信、時事通
発 行 所
公益財団法人
ただ、これが国会で問題になると外務省が傷つく
12 - 2015
信の記者が多かった。
毎月 1 回 1 日発行
1963年 1 月 1 日
新聞通信調査会報
として発刊
から、いざという時は自発的にやったことにしろ
最近の日本外交
12
27 24 16 14
30
32
34
44 43 40 38 36
( 1 )
₁₂
5₄
70
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と、「これで行かれたら、日本外交の無力さは可
か」と聞く。官房長官も外務大臣もぐっと詰まる
はないか、北方領土交渉が進むのではないか」と
い。ところが、「これで平和条約交渉が進むので
り言っている。
そういう状況で安倍首相としてはプーチンに対
して、「平和条約交渉に関しては、領土問題は含
まれていますね。あなたが森喜朗(元首相)さん
いうのが全紙共通した見解だ。
もし、私が現場にいたら必ず聞いた。「安倍総
と 2001 年 ₃ 月、 イ ル ク ー ツ ク で サ イ ン し た
視化されて、国益にマイナスじゃないですか」と
質問するに違いない。事実その通りで、日本の外
理は確かに平和条約交渉が北方領土交渉であると
国後島、択捉島の名前を明示して、領土問題につ
交が無力であることを可視化されるようなことは
していない。彼は平和条約交渉としか言っていな
いて、帰属の問題を解決して平和条約を締結する
言いました。しかしプーチンはそれについて同意 『イ ル ク ー ツ ク 声 明』に は、歯 舞 群 島、色 丹 島、
いですね」と。
やる べ き で は な い 。
私がもし現役でいたら、多分こう言う。「本件
に関してはノーコメントだ」というメモを官房長
憲法規定では北方領土交渉を含む外交交渉は大統
メントの理由はこう説明すればよい。「ロシアの
だと記者が必ず聞いてくるから、そのときノーコ
握手を求めようとしたら、岸田さんは座ったまま
田外相との共同会見で、ラブロフは立ち上がって
問題については話し合わない」と言っている。岸
問題の片は付いた。平和条約交渉はするが、領土
と思ってしまう。
こないからロシアはこれでうまく切り抜けられる
ないといけないはずだ。安倍首相がそこを聞いて
すね。その点については変化ないですね」と聞か
と『東京宣言』の内容が明示的に確認されていま
領の専管事項です。首相は外交に権限を持ってい
で全く反応していない。あの共同会見は異常で、
ラブロフ外相が「 年前にロシアと日本の領土
ません。外交で権限を持っていないメドベージェ
うまくいっている雰囲気の会見ではない。あそこ
年内に何としてもプーチンの訪日を実現したい
官なり外務大臣に上げて、何でノーコメントなん
フ首相が北方領土を訪問しても、日ロ間で行って
でラブロフは「領土問題に関する交渉はしていな
官邸だが、ロシアは領土で譲らない。シリア情勢
官邸主導の外交は疑問
いる北方領土交渉には何の影響も与えません。従
い。ロシア側から一言も言っていない」とはっき
をめぐって米ロ関係がぎくしゃくして
いる。コウモリ外交、うそつき外交は
どこかでツケを払わなければならなく
なる。深刻な事態だ。
ところが、いま行っているのは官邸
う かい
主導外交という不思議な名前の下で、
外務省を迂回して外交を行う体制にな
っている。人事を見ても、外務省の中
でロシア通として一番力があると誰も
が認めているのは上月豊久官房長だ
が、この人が異例に早く駐ロ大使で行
( 2 )
70
って、このようなことについてはコメントするに
値しないと考えております」。このようにコメン
ト す れ ば 体 を か わ せ る し、 二 重 の 意 味 を 持 つ。
「も し プ ー チ ン 大 統 領 が 北 方 領 土 に 行 く よ う な こ
とになれば、これは終わりだよ」というメッセー
ジで も あ る わ け だ 。
ロ外相、﹁ 年前に領土問題は片付いた﹂
チン大統領と 分会見した。 分といっても通訳
が入るから、実質話すのは 分。双方の持ってい
分 で、 本 質 的 な 話 は ほ と ん ど で き な
₁0
₂0
₄0
₉月 日、ニューヨークで安倍晋三首相がプー
70
₄0
₂₈
る時間は
日ロ首脳会談(左は安倍晋三首相、右
はプーチン大統領)(スプートニク/
時事通信フォト)
=2015年 9 月28日、
ニューヨークの国連本部で
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く。欧州局長になっておかしくない、キャリアで
はロシア語専門家として能力の高い武藤顕氏は官
人ほど乗せ、₈月 日に出発して稚内経由で小罇
に行く。₈月 日、稚内に着いて、約₄00人が
プーチンの対日観、﹁信用ならず﹂に変化
残りスカスカの外務省本体で何をやるかといえ
でそれ以南に行くことは切符の入手が非常に困難
当時、稚内から札幌、函館、さらに青函連絡船
なかったが、今年初めて参加した。中国が₉月₃
行われるいろいろな行事にプーチンは参加してい
世界大戦終結の日」という記念日にした。極東で
この₉月2日をロシアは2010年に「第2次
ば、官邸主導のところで外交をやっている。かつ
だったので、南に行く人はこの船で小罇まで行こ
降りた。
て鈴木宗男氏がやったことを役者を代え同じこと
日、「軍国主義日本に対する勝利の日」の式典を
国連憲章とか、前の戦争の話をするのなら、小笠
強く出てくると引っ込んでしまう。これでは交渉
ると居丈高になって少しハードルを上げ、相手が
は日本人の交渉術のスタイルだが、相手が譲歩す
ところが日本外交は不思議なところがある。これ
も譲歩して折り合いを付けるのが外交の定石だ。
ことを言う。相手が譲歩してくるならば、こっち
強く出る、相手が嫌なことを言えばこっちも嫌な
る。外交というのは、相手が強く出ればこっちも
ち な み に、 ロ シ ア は い ま 強 硬 な 姿 勢 に 出 て い
府から照会する。小笠原丸を攻撃した国籍不明潜
今もし私が外務省の現役でいたら、「あんたら、 認識問題があるなら、これについて正式に日本政
にな ら な い 。
水艦を調べてくれ」と。
この問題をいつも引き出しに入れていた。「歴史
き揚げ船を₃隻攻撃している。私が外交官の時、
ことになっているが、ソ連の潜水艦で、日本の引
の国籍不明潜水艦はどこのものか分かっていない
んでいく。国際法違反の大変な蛮行だ。いまだこ
銃掃射を始め、そこにいる人たちを殺してまた沈
いるところに、国籍不明潜水艦が浮上してきて機
がいかだや木の断片にしがみついて救助を求めて
によって撃沈される。女性、子ども、高齢者たち
が、その未明、北海道の増毛沖で国籍不明潜水艦
の中ではプーチンの対日観が変わっている。去年
んだという形での組み立てをしておくのだが、腹
えば本当に駄目になるから、そこに可能性がある
外交交渉としては、プーチンが「駄目だ」と言
がある。
られていることだと、ここは冷徹に見ておく必要
論するが、根っこにおいてはプーチンの了承が得
われはメドベージェフとプーチンを切り離して議
だ。最近の一連のメドベージェフの動きも、われ
考え方がスターリン主義に変わったということ
降りて式典に参加している。つまり、プーチンの
本軍の司令部があったチタというシベリアの町に
行った。そこに行く途中、シベリア出兵の時、日
受諾したことを国民に明らかにする。日本にとっ
ー リ 号 の 上 で 日 本 が 降 伏 文 書 に 署 名 し た 日 に、
₉月2日のスターリンの演説にカギがある。ミズ
が、官邸は明らかにそれが分からないで、希望的
は冷徹に踏まえて外交しなければいけないのだ
ートナーじゃない」と向こうは思っている。ここ
して見切りを付けた。「日本は信用ならない。パ
のウクライナ危機以降の日本のコウモリ外交に対
まっていて、ソ連軍がいつ上陸してくるか、本格 「われわれ年を取った世代にとっては待ちに待っ
てはその日が終戦だが、樺太では既に日ソ戦が始
た日が来た」と演説している。平たく言えば、日
観測にしがみ付いている。近い将来、痛い目に遭
なぜロシアがこんなことをしたか、それは 年
的な戦闘になるか分からないという状況で、樺太
ロ戦争のあだを取ったという復讐、当時有効だっ
うことは間違いない。それがなぜ見えないのかが
ふくしゅう
総督府は高齢者、女性、子どもたちをいち早く日
た日ソ友好中立条約を侵犯したなどは歯牙にも掛
問題だ。
本に戻そうと、逓信省管轄下の「小笠原丸」とい
日、日本は玉音放送を行い、ポツダム宣言を
原丸の話でも始めようか」と言う。1₉₄5年₈
をやるだけだが、これでうまく回るとは思えない。 う と し た。 翌
日、 小 罇 に 着 く は ず だ っ た の だ
邸に行く、国家安全保障会議(NSC)に行く。
₂0
けないという姿勢だ。
月
₄5
( 3 )
₂₁
₂₂
う海底ケーブル敷設船を連絡船にして、1200
₁5
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だが、本の嫌いな編集者が多い。活字を読む習慣
の大手出版社の編集者と付き合っていて感じるの
部分は新書か文庫の新刊で補っている感じだ。
際関係に関するものでまともな本はない。そこの
自己啓発本、その₃種類だ。文芸書、思想書、国
本、それと裏表の関係にある日本礼賛本、そして
そ こ に 単 行 本 で 出 て い る の は ほ と ん ど、 ヘ イ ト
て、地方小規模書店の新刊本コーナーに行くと、
を置いている今の出版業も同じだ。東京は別とし
この見えなくなっているという問題は、私が身
の市場で成り立つ。こうなると誰も単行本を読ま
短期的には悪貨が良貨を駆逐するというのは全て
損益分岐点を超えるし、会社の評価は高くなる。
者が直して製品にするわけだから、簡単にできて
い。めちゃくちゃな内容を書き殴ったものを編集
な状況だが、ヘイト本の著者には納期の問題はな
は現在₄割で、ビジネスとしては構造的に危機的
のと同じで、後で処理しないといけない。返本率
くても取りあえず作っていればカネを刷っている
で今、本は有価証券みたいなものだから、売れな
本でも、納期を守らない人は駄目だ。再販制の下
その次に納期を守る著者を見つける。いくら良い
れはヘイト本、日本礼賛本、自己啓発本になる。
岐点を超えるか、まずマーケティングをやる。そ
して、代助は勘当される。
にしておくのではなく、代助のおやじに投げ紙を
は精神に変調を来す。しかもその話を2人の秘密
死体で渡すことを考えているんだと気付いた代助
気を治してからだ」と言う。三千代が死んでから
一緒になりたいと言ったら、「譲ってやるが、病
最終的には妻三千代との関係で代助が三千代と
な」と、まるで羽織ごろだ。
じのスキャンダルは書かないでおいてやるから
同級生の代助のところに行って、「おまえのおや
やく就職できたのがどうも朝日新聞のようだが、
てきて、就職しようと思うが就職先がない。よう
せられたか分からないが、不祥事を起こして戻っ
て、銀行のカネに手を付けたか上司に責任をかぶ
出てくる。大学の成績が悪くて、大阪の方に行っ
編集者に活字読む習慣なく、本嫌いが多い
が付いていない。これは新聞社、通信社の記者に
なくなる。
最近の編集者には特徴があって、まず偏差値秀
だけ読む。サマリーは役所が都合のよいところだ
いる公文書のオリジナルを読まないで、サマリー
が苦手な記者が多い。白書類とか役所から出して
認 め ら れ て い る こ と に な る。 単 行 本 は 玉 石 混 交
出さない。新書を書けるのは著者としてある程度
るから、ある水準を超えていないと大手出版社は
なくて、新書というのは一定のクリアランスがあ
いから新書はみんな流れたのだが、今はそうでは
一昔前まで新書本はコストパフォーマンスが良
ではなく、今、日本の新聞の水準は非常に高い。
新聞関係の人がいるからおべんちゃらを言うの
いく。あの感覚なんだと私は言いたい。
なく、「事実なら仕方がねえな」と記事を書いて
た基準の人間であるから、情け容赦なく遠慮会釈
代の新聞記者だ。しかし、そういう社会から外れ
人間として最低の人間、それが漱石が入った時
なぜそういうことになるのか。 代から 代頭
も共通して言えることで、若手で文書を読むこと
才だから一流大学を出ている。出版社やマスコミ
だ。ヘイト本、日本礼賛本、自己啓発本の嵐の中
け書 い た も の だ 。
関係だけでなく、金融、総合商社、コンサルタン
新聞記者の世界でもおとなしい人が増えてき
ンは包めないからな」とか言って、主に包装紙と
あった。ところが、ロシア人は「ラジオではニシ
して新聞を使っていた。そして新聞を端から端ま
た。私が最近の記者に言いたいのは、夏目漱石の
イズベスチヤは1₈00万部、読売新聞の倍以上
₆㌻、地方紙は₄㌻だった。ただ部数は多くて、
ソビエト時代、新聞はページ数も少なくて、大体
かった中で将来性があるからということで出版社
を選んでいる。「出版以外に行きたくない。出版
か編集か記者になりたい」、その範囲で選んでい
る人 で は な い 。
最近の新聞記者、おとなし過ぎる
で、こういう状況になっているわけだ。
₃0
ト会社等、いわゆる一流会社を軒並み受けて、受
₂0
そういう人は就職すると、どういう本が損益分 『それから』を読め。あそこに平岡という人物が
( 4 )
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で読んで、「書かれてないな、このことは」とな
ると、書かれていないところの重要性と、口コミ
世論にそれなりの影響を与える。
いる人が「佐藤君、これはホテルニューオータニ
だよ」とぼそっと言った。ホテルニューオータニ
のことを書いた回想録が非常に印象に残ってい
で、私は毎日新聞の記者が初めてソ連に行った時
日本の記者がいろいろ回想録を書いている中
えない自己検閲があって、新聞を毎日丁寧に読ん
論評の水準も高い。しかし、日本の中では目に見
だ。その中に書かれている情報は精度も高いし、
数を持っており、しかも国際基準では全て高級紙
それと比べて日本は、どの新聞も数百万部の部
渡り廊下でつながっているから、いま渡り廊下の
かいう切り口になると分からない。異なるものが
安保条約とか個別的自衛権とか集団的自衛権と
は変わらないのに、なぜか₆階だ。
行くと、切れ目はないし、平たく続いていて高さ
通って右手にガーデンラウンジを見てタワー館に
は本館の2階がロビー階で、そこから渡り廊下を
る。 日 本 で は ソ 連 は 暗 く 貧 し い 国 と い う 印 象 だ
でいても、今の国際情勢も国内情勢もいまひとつ
何階か、すなわち個別的自衛権か、集団的自衛権
日本の新聞には目にみえない自己検閲
が、彼が船でナホトカまで渡り、シベリア鉄道で
よく分からない。最近の安全保障法制化をめぐる
か、安保条約に適合しているか、そういったこと
で聞いた話、西側のラジオで聞いた話、そういう
ハバロフスクまで行く時、食堂車に行った。ぴち
議論を読んで内容が分かった人がいるだろうか。
について議論すること自体、意味がないんだよと
とこ ろ に み ん な 注 目 し た 。
っとしたナフキンが掛かっていて、フォーク、ナ
いたとしたら、うそつきか、相当特殊な思考回路
するに公明党と自民党の間の絶対矛盾の自己同一
イ フ で フ ル コ ー ス の 食 事 が 出 て く る。 そ れ を 見
あれは良いものか悪いものか、各紙は最初に決
という形で現れたのが、この得体の知れないもの
耳打ちされて、私はからくりがよく分かった。要
ス ク ワ 大 学 の 生 活 も 書 い て い る。 私 は 1₉₇5
めている。朝日、毎日、東京は「状況はよく分か
になっているわけだ。
を持っているか、どっちかだ。
年、高校1年の時に初めてソ連に行ったが、そう
らないが、絶対悪いものだ」と決め、産経、読売
だ」と決めている。日経は寄らば大樹の陰で、報
は 「状 況 は よ く 分 か ら な い が、 絶 対 に 良 い も の
する閣議決定だ。集団的自衛権と個別的自衛権は
容は明白で、あれは集団的自衛権を行使できなく
去年₇月の集団的自衛権に関する閣議決定の内
が読売、産経陣営で、共同は朝日陣営だが、あま
共同、時事に関しては、どちらかと言えば時事
そこをはみ出す部分が少しでもあれば、その時
諸国全部で₇万部で計 万部。イスラエルにはロ
導で、「安倍首相にとって重要なのは名前だけだ
( 5 )
て、すごいな、豊かなのだなと思った。そしてモ
した感覚を持った。むしろ 年、ソ連に赴任した
ソ連というのは、あの体制の中においてはそれ
道 が 半 日 遅 れ て も、 そ ん な に 激 し く な い 形 で 読
重なる部分があって、この重なる部分について、
かれたら、こういうふうに読めばよい」と分かっ
り旗幟鮮明ではない。これは逆に、時事、共同の
は憲法改正が必要だ。従って集団的自衛権の文言
以降 の 方 が ソ 連 は 疲 れ て い た 。
なりにマスメディアが機能していた。マスメディ
売、産経陣営に入っていこうという感じだ。
ていた。ソ連時代は1₈00万部あったのが、今
記者たちが日常的にデータを追い掛けて細かく読
は入るが、集団的自衛権ができなくなる、こうい
なぜこんなことになるのか。外務省の先輩で、
から、内容はこっちの方で組み立てますよ」とい
らは集団的自衛権と言ってもよい。
イズベスチヤはロシア国内で 万部、他の旧ソ連
んでいるから、訳が分からないということが分か
う意味合いの閣議決定だ。これは完全に公明党主
るわけだが、世論形成において新聞は重要な役割
首相官邸に頻繁に出入りしている、私が尊敬して
し
シア語を常用するユダヤ人が多いから、1万弱出
っているからだと思う。
を果たしているし、イズベスチヤに載った記事は
き
ている。1₈00万部がわずか 万部に減ってい
今までは個別的自衛権で説明したものを、これか
アのリテラシーがあるから、「こういうふうに書
₈7
₁5
₂₂
₂₂
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う こ と で、 公 明 党 と 内 閣 法 制 局 で つ く っ た も の
スクールで英語をアメリカかイギリスで研修し、
条約局か国際法局で勤務した人間が外務省の主流
外務官僚は時々意図的な誤訳をする。ポツダム
外務官僚、時には意図的な誤訳も
ところが、これでは何のために集団的自衛権を
宣言のサブジェクト2を「天皇の権限は制限の下
そう考えれば、なぜ宮内庁に外務省出身者が多
だ。
つくったか分からないと考えているのが外務官僚
に置かれる」と訳したが、どう訳しても「隷属す
いのか分かる。いま宮内庁にいっている、昔、外
派になる。「われこそが国体に最も近い」という
で、外務官僚はとにかく日米同盟を維持するため
る」だ。
「制限の下に置かれる」
、だから国体は毀
務省の事務次官をやった河相周夫さんが総合政策
や東郷さんは本当に北方領土問題を解決するつも
のでなるわけだ。
には地球の裏まで自衛隊を送らないといけないと
損されていないという形で陸軍をねじ切るため
局 総 務 課 長 の 時、 呼 び 出 さ れ て こ う 言 わ れ た。
ら、ロシアとの提携がおのずから進む。となると
き
いう強迫観念に取り付かれている。なぜそのよう
に、あえて行った誤訳であり、ぎりぎりでできる
「君 は 情 勢 が 分 か っ て い る と 思 う け ど、 丹 波 さ ん
日米同盟に悪影響を与える。北方領土なんて解決
ちか お
な強迫観念があるかについての説明はなされない
意図的な意訳だ。
日 常、 目 に す る と こ ろ で も そ の 種 の 意 訳 が あ
しない方がいいんだ。そこのところは君、分かっ
そん
が、私も外務省にいたから彼らの内在的な論理は
り、国際連合、 United Nations
は 直 訳 す れ ば 「連
合国」だ。ポツダム宣言の主体となっている「わ
ているだろうね」とくぎを刺された。そこで私は
分か る 。 実 は こ れ は 国 体 論 な の だ 。
れら連合国」は「国連」と同じだから、中国語で
早速、「河相さんがこんなことを言っています」
多い か ら だ 。
天皇陛下との距離によって官僚の地位を決める
日本の国体は危機に瀕したが、その危機の国体
ら」と言われた。確かに勝負は付いたが、こっち
言ってることは放っておけ。いずれ勝負は付くか
り な の か。 も し こ れ で 北 方 領 土 問 題 が 解 決 し た
み に 中 国 は 「連 合 国」 の こ と は 戦 時 中 の 「同 盟
と東郷局長に告げ口に言ったら、「そんなバカの
彼らの中においては大日本帝国と現在の日本国
は連続している。外務官僚が強いプライドを持っ
国」 と 言 う。 こ う い う 意 図 的 な 意 訳 を や る わ け
陛下から直接辞令をもらう、戦前で言う親任官が 「国 連」を 見 る と「連 合 国」と な っ て い る。ち な
ているのは、給料が若干良いだけではなく、天皇
だ。
の二つの官庁は「国家体制を護持している」とい
を守ったのが外務官僚であって、戦後における国
という発想で、親任官の数が多い外務省と検察庁
う意識が強い。むしろ集合的無意識と考えた方が
いる。もしアメリカとの同盟が担保されないなら
が負けた(笑)
。
外務官僚の理屈からすれば、日本の軍隊、特に
ば、日本で共産主義革命が起きるかもしれない。
最近、同志社のお手伝いをすることが多いので
体は日米安保同盟、日米同盟によって担保されて
陸軍の暴走によってあの無謀な戦争に突入し、国
そうなれば共和制になって国体が破壊されるかも
同志社関連の資料を見つけて気付いたのだが、戦
良い か も し れ な い 。
体が危機に瀕した。あの時の阿南惟幾陸将をはじ
しれない。国体を擁護するためには日米同盟は絶
後の国体論を担保することにおいてキリスト教は
国体論担保でキリスト教が意味を持つ
めとする人たちの徹底抗戦論にもし日本政府が傾
対に必要だという、この国体観だ。
皇室はなくなって共和制になっていた。国体が崩
局ではない。ましてや裁判所ではない。それは外
そうなると日米同盟を解釈する主体は内閣法制
のに、今はない。それは、戦時中、戦時体制下で
戦前、明治学院や青山学院にも神学科があった
あ なみこれちか
いていたならば、日本国家は滅亡し、分断され、
壊していた。それをぎりぎりで守ったのがわれわ
務省条約局、今の国際法局だから、外務省の英米
大きな意味を持っている。
れだ と い う 意 識 が 外 務 官 僚 に は 強 い 。
( 6 )
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私はICUに表れているあそこの考え方が日本
これにはお父さんが商人で、イスラム教徒だった
オリゲネスという古代の異端教義の研究をした。
じてキリスト教の勉強をしたいと同志社に来て、
くような秀才だった。ところが、イスラム教を通
有賀先生は東京一中出身で、本来なら東大に行
社の 先 生 が い た か ら だ 。
残すことができた。それは有賀鉄太郎という同志
ろが関西では同志社も関西学院も独自の神学科を
学)をつくり、それに全部合同したからだ。とこ
ような戦争はしないだろう」と、東大と京大に神
日本をモラルで変えれば、きっと世界を敵に回す
スト教学をきちんとやらせて、キリスト教精神で
部がないから、こういうことになったんだ。キリ
ないから、「そうか。東京大学や京都大学に神学
訴える。アメリカの占領軍は難しいことは分から
えて、「われわれは大変な弾圧を受けていた」と
オーティス・ケーリを同志社の英文学部教授に迎
アメリカのインテリジェンス機関の責任者だった
戦後、第2次世界大戦中、ハワイの収容所長、
る と、外 務 省 の 連 中 も 多 分、「う っ ?」と な る。
それで本当に国体が守れるのかという国体論にな
モが何を言っても、へとも思っていない。ただ、
えているから、これによって戦争準備法だとかデ
日本の外務省も自分たちは国体の護持者だと考
ージになると思う。
は、「戦後国体から外れませんよ」というメッセ
かるはずだ。ICUで皇族関係者が勉強すること
に戦後の国体論と裏表の関係にあることがよく分
になるが、ICUができた経緯を考えれば、まさ
学習院ではなくICUに行くのかと週刊誌で話題
ら同志社を残しておいても問題ないですよ」と言
こ と も 関 係 し て い る と 思 わ れ る が、 実 は 明 治 時
学部をつくろうとした。京大はキリスト教学科を
この国体論に立っている外務官僚からすれば、去
プロテスタントの教会は全部、日本基督教団に合
代、ビジネスでプラスになるというので日本にも
つくり、そこに同志社から有賀先生が初代の講座
年₇月1日の閣議決定は公明党、もっと言えば公
の戦後の国体観だと見ている。皇室関係者がなぜ
イス ラ ム 教 徒 が 多 か っ た の だ 。
長で行く。東大はよその国の宗教をやるような学
明党の支持母体である創価学会にしてやられたと
って生き残った。
この人はなかなかにはしっこい人で、鮎川財閥
科はつくりたくないと必死に抵抗する。すったも
いう認識だ。従って絶対に諦めない。
同した。併せて東京神学専門学校(現東京神学大
と話を付けて、日産の自動車を同志社に寄付させ
んだの挙げ句、
「西洋古典学科」になる。
国際法の教科書を開けると、国際法と国内法の
て自動車部をつくる。暴走族まではいかないが、
比叡の山中を夜、猛スピードで飛ばすのが趣味の
ソリーニと会って握手までしている。それをうま
トだ」と言ってイタリアにすり寄り、ローマでム
「わ れ わ れ は 日 本 の ク リ ス チ ャ ン の 中 の フ ァ シ ス
社 の 第 一 書 房 か ら 本 が 出 て い る が、 有 賀 先 生 は
のイタリア一周」をやる。1₉₄2年、国策出版
んもいる。戦前、その自動車部で「学生自動車隊
基督教大学(ICU)だ。ただし、ICUのホー
マッカーサーと皇室によってつくられたのが国際
金を集める委員長がダグラス・マッカーサーで、
り、その準備委員長が高松宮殿下、アメリカの募
国体論をきちんとできる大学の準備委員会をつく
諦める占領軍でもない。そこでキリスト教精神の
それでは占領軍は目的達成できないし、簡単に
ば国連の集団安全保障で自衛隊を送れと言った場
り、日本国憲法の規定は国際約束より上だ。例え
二つ目は国内法優位の一元論。日本国憲法があ
らせてもらうというわけだ。
難い。それは、国際法は国際法、国内は勝手にや
しかし、国内の状況は人権を守っているとは言い
は人権関係の条約に全部署名し、批准している。
国際法は国際法、国内法は国内法。例えば北朝鮮
関係に関して三つ学説がある。一つは二元論で、
く使って文部省に「われわれは東京のキリスト教
ムページに高松宮殿下は出ているが、なぜかマッ
合、憲法違反だから、仮に国連憲章上の義務とし
ICUの考え方が戦後日本の国体観表す
徒とは違う。ファシストのクリスチャンだから、
カーサーは抹消されている。
ような人の集まりで、戦後になると中村うさぎさ
国体に反するようなことは何もしませんよ。だか
( 7 )
No.648
メ デ ィ ア 展 望
2015.12.1
てもやるべきではないし、やってはいけないんだ
ったから、この問題はまだ解決されていない。
いたのだが、何となく曖昧になってそのまま終わ
とイランは友好国だ。現在の国際法では、ある国
たので、あっちこっちに飛び地がある。オマーン
どうとでもなるので、国際法の専門家は国内法優
ものかで、民主的にもなれば、反動的にもなり、
国内法優位の一元論は、その国内法がどういう
も国 内 法 優 位 の 一 元 論 だ 。
ことを超えることができるという、ナチスの論理
ら、国際法であるハーグ陸戦法規で決まっている
の待遇は与えない。国内法でそう決まっているか
ルク法(血の純潔法)に反するから、捕虜として
は劣等人種で、わが国の国内法であるニュルンベ
の待遇はきちんとするということだが、ユダヤ人
可能になる。ハーグ陸戦法規に加盟していて捕虜
感じになるかもしれないが、逆にこういうことも
明党。それで取りあえず平たい橋は渡っている形
した形で本館の方から建てると言っているのが公
それに対して去年の閣議決定で、それをベースに
いる。これがニューオータニタワー館で₆階だ。
の一元論の立場から安保法制に盛り込めと言って
いう約束を決めてきたわけだ。それを国際法優位
どこまででもアメリカと一緒に何でもやれますと
都以外の道府県といえば日本全部だ。地球の裏の
行うことができる」となった。東京都および東京
力はアジア太平洋地域およびこれを越える地域で
ライン)を改定する。その結果、「日米の防衛協
官との「2+2」で日米防衛協力の指針(ガイド
は防衛大臣、外務大臣、米国は国務長官、国防長
ので、イラン大使がカンカンに怒って外国特派員
だ。しかも「イラン」という名前を総理が出した
こんなリスキーな話を国会でやっているわけ
日本人は出国できなくなる。
反撃する人が出てくる。イランにいる₆00人の
たらイスラムの館に対する侵略だ」と日本国内で
考えを持った人がいるから、「そんなことをやっ
シーア派原理主義国家で、その中には相当過激な
るだけで日本にイラン人は₄₆00人。イランは
外務省のホームページを読んでも、登録してい
って参戦することになる。
がオマーン─イラン戦争に対してオマーン側に立
本が掃海艇を派遣することは、国際法的には日本
とみなされる。そこにオマーンの了承を取って日
の領海内に機雷を敷設することは瞬時に宣戦布告
とい う こ と だ 。
国際法優位の一元論に立って、₄月 日、日本
位の一元法は採らない。日本の左派リベラル派や
になっているのだが、いざ有事になった時はもう
一見、これは民主的で良いのではないかという
憲法学者で護憲を強く訴えて今回の安保法制を批
てるんだ」と抗議している。
協会で「わが国はそんなことはしない。何を言っ
一回議論のし直しだ。
立てを変えればナチスの法律論に近くなってしま
いといけないと分かって加盟した以上、義務を負
いといけない、集団安全保障の時は軍事貢献しな
が国連に入るということは、国連軍に兵を出さな
際法優位の一元論を言う。国連憲章があって日本
その辺を外務官僚はよく分かっているから、国
うに思うが、へさきの半島だけはオマーンの飛び
はアラブ首長国連邦(UAE)が向かいにあるよ
国際航路帯はアラビア半島側を通っている。普通
かった。ホルムズ海峡は狭くて公海がないから、
ズ海峡に自衛隊の掃海艇を送りたくてしょうがな
今回面白いのは、安倍首相はどうしてもホルム
たわけだ。
代未聞のことが起きた。小が大をのむことが起き
たいことを与党が党首質問で撤回させるという前
寄り、「現実的にはできません」と、総理がやり
はともかく、現実的にこれはできるのか」と詰め
的には可能だ」と総理が言った時に、「理論的に
山口那津男公明党代表だ。委員会質問で、「理論
その状況の中で、この話にとどめを刺したのは
うという発想だ。実は国連に加盟する時、そこは
地だ。オマーンは船乗りシンドバッドの国で、海
う。 こ れ は 国 際 的 に は 説 得 力 を 持 た な い 。
議論になって、「国連に加盟することは憲法₉条
そこから見ても分かるように、いざ何かあって
洋帝国としてインドからアフリカまで進出してい
首相、ホルムズ海峡への掃海艇派遣に固執
判する人の国内法優位の一元論の考え方は、組み
₂₁
に反するのではないか」と社会党は盛んに言って
( 8 )
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メ デ ィ ア 展 望
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も何も変わらない。強いて言えば、日本の警察官
はピストルをホルダーに入れている、このふたを
外した。だから拳銃は少し抜きやすくなった。そ
の程度の話で、安全装置は掛かっているし、まし
てや引き金に手を掛けているわけではない。その
時はもう一回話をしないといけないわけだから、
え、与党自民党が了承を与えている財務
と 言 い、 明 ら か に 首 相 官 邸 も 了 承 を 与
ナンバーをつくって、日本版軽減税率だ
国連総会に行ったロウハニ大統領が
判した。イラン問題に関する核合意以降、初めて
指導者が「サウジの怠慢だ」と激烈にサウジを批
ン人だ。これはよくあることだが、ハメネイ最高
日に国連で
省案に対して、公明党と読売新聞が思い
太 平 洋 連 携 協 定 (T P P ) が で き た の だ が 、 他
ヒト・モノ・カネの移動が自由になる環
みにくくなっていることとも関係して、
ここで重要なのは、国際情勢が今、読
それをのみ込む力があるということだ。
ポイントである税制においても公明党が
代表は良かったと言っているが、国家の
っきり反対し、全面撤回に至った。山口
だ。
のと、ポストモダンなものが合わさっているわけ
ダンな様相だ。プレモダンなものと、モダンなも
きな宗教戦争の一つのきっかけで、これはプレモ
われわれシーア派が奪還すべきだ」と言った。大
スンニ派の連中はそれをやる意思も能力もない。
ナの管理人としてサウード家はふさわしくない。
上げて急きょテヘランに戻り、「メッカ、メディ
演説した後、調整していたオバマとの会見を切り
創価学会、ご本尊を替え、教義を変更
日本の安保法制についても本当に研究しないと
いけないのは公明党、さらに創価学会のドクトリ
ンだ。新聞ではあまり報道されていないが、去年
月、創価学会は大きな教義の変更をしている。
簡単に取れない、おカネの両替が簡単にできなけ
の移動やスマートフォンがなければ、横の移動が
なことだ。しかも、今年₄月、創価学会の教学部
ご本尊さまを替えるという、宗教にとっては大変
策をやっている。その動員で動いているところで
面的に見直し、世界宗教になる」と言っている。
魔の柱」に石を投げる儀式があり、将棋倒しが起
ろ で、 プ レ モ ダ ン な 日 蓮 が 言 っ た 「仏 法 西 還」
は一緒だが、ポストモダンな状況を踏まえたとこ
主)の立てた日寛教学は日蓮正宗と基本的に流れ
日 寛 (編 集 部 注 : 江 戸 時 代 享 保 年 間 の 大 石 寺 法
例えば₉月 日、メッカのそばのメナーで「悪
は宗教の要素がある。
シアは軍隊を派遣して、近代的な帝国主義的な政 「今まで自分たちが規範としていた日寛教学を全
が 聖 教 新 聞 に 今 回 の 教 義 の 解 釈 変 更 に つ い て、
さん出ている難民についても、ヒト・モノ・カネ
中東はもっとはっきりしている。これだけたく
ルなものが強くなっている。
ず、近代的モダンなシステムのところのナショナ
ノ・カネの移動が自由になっているにもかかわら
は 難 し く な っ て い る。 ポ ス ト モ ダ ン な ヒ ト ・ モ
方、日本と韓国の間、日本と中国の間の国家関係
₂₈
きて₇00人死んだ。そのうちの100人がイラ
( 9 )
参院平和安全法制特別委員会で質問する
公明党の山口那津男代表(時事)=2015
年 9 月14日、東京・国会内
れば、人は出られないわけだ。しかし同時に、ロ
₁₁
明日戦争になるというのもウソだし、これによっ
て切れ目のない安保体制が確保されたので日本の
安全 保 障 が 強 化 さ れ た と い う の も ウ ソ だ 。
外交分野で公明党の影響力が拡大
こ こ で 見 え た の が、「げ た の 雪」と 言 わ れ、福
祉においてのみ影響力が強かった公明党が、外交
の根幹である安全保障政策においても死活的に重
要になってきたという、公明党の影響力拡大だと
私はみている。それだけでなく、日本の役所の中
心中の中心である財務省が軽減税率に関してマイ
₂₄
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して い る 。
学会は世界宗教になると宣言し、いま教義を変更
いけないという、これに本格的に従事して、創価
──東の端まで仏法が来たから、西に行かないと
ば、SGIのメンバーだから。
と つ か み 合 い の ケ ン カ は し な い。 な ぜ か と い え
領土だと確信している。しかし、それ故に日本人
の人たちは釣魚島(尖閣諸島)は中華民国台湾の
きている創価学会と、それを支持母体とする公明
題をめぐっては全く違う認識のはずだ。それがで
に自民党と価値観は本来違うはずだ。特に神社問
制に抵触しない形で宗教活動をしているから。現
が初めてだ。マスコミは全く報道しないが、それ
氏のことが言及されたのは、私が知る限り、これ
行ったということで、公明党の出版物に池田大作
以降、創価学会と公明党の間で政教分離を明確に
の『創価学会を斬る』をめぐる言論問題が生じて
いてある。 年代初め、政治評論家・藤原弘達氏
は池田大作創価学会会長(当時)」とはっきり書
は池田大作氏の写真が出ていて、「公明党創始者
結党 周年党史が出た。このグラビアの2㌻目に
それと同時に、『大衆とともに』という公明党
くさんある地下教会は非公認の状態だ。
の国家体制を支持する教会は許されているが、た
タント教会に関しては、三自愛国運動という中国
それを受け入れない。外交関係もない。プロテス
定するという方式に立っているから、バチカンは
体に自発的に人事を決めさせ、それを共産党が認
い。天主教愛国会という共産党系のカトリック団
人 事 に 対 し て、 バ チ カ ン の 決 め る 人 事 は 認 め な
会とは大変なトラブルがある。カトリック教会の
はいない。一切認めていないから、カトリック教
いま中国は外国の宗教の宣教活動を自由にして
絶対に闘いを起こさないことが、宗教的な要因と
創価学会の死活的な利益に抵触する。日中の間で
尖閣において日中の軍事衝突が起きるとなれば、
いということだ。安保法制化によってもしこれで
必要条件は日中間の軍事紛争を起こしてはいけな
学会は名実ともに世界宗教になる。その絶対的な
5000万人獲得できると思う。そうすると創価
得している実績から考えれば、私の計算で簡単に
流布、宣教が可能になれば、韓国で150万人獲
創価学会の方から考えると、もし中国への広宣
党には非常に魅力がある。
はそういうことを継続的にウオッチしていない
ケンカをするかといえば、しない。なぜならば創
だと確信している。それで日本人とつかみ合いの
GIのメンバーの人たちは独島(竹島)は韓国領
Iがどう動くかが決定的な影響を与える。このS
に150万人いる。韓国の大統領選挙でも、SG
会インタナショナル(SGI)のメンバーは韓国
還で一番重要なのは中国への宣教だ。いま創価学
では創価学会の利益から考えてみると、仏法西
ないで、社会問題の解決に貢献する宗教を必要と
なる。体制に絶対に悪影響を与えず、国体に触れ
教、ダライ・ラマであり、中国の国内は不安定に
たちはイスラムであり、チベット人はチベット仏
に流れる。法輪功だとか地下教会、ウイグルの人
ん生じている。この矛盾を放置すれば人々は宗教
い。資本主義体制で、社会の矛盾、混乱はたくさ
ているが、そのイデオロギーを誰も信用していな
の毛沢東思想を維持して現在の体制があると言っ
中国は一応マルクス─レーニン主義の延長線上
による創価学会の発展、この辺の総体のことと国
ぜ獄中死したか、戦後の戸田城聖氏、池田大作氏
宗と創価学会の関係、戦時中に牧口常三郎氏がな
日蓮のドクトリン、日寛のドクトリン、日蓮正
ス分析だと私は思う。
見てあり得ない。こういう分析がインテリジェン
いのではなく、彼らの志向しているベクトルから
に向かうことはあり得ない。建前としてあり得な
ている公明党が安保法制において戦争できる方向
して必要とされている。そこと価値観を共通とし
し、 宗 教 の 持 つ 力 が 分 か ら な い か ら だ 。
価学会員だから。池田大作氏は日本人だし、日本
国 際 法 の 枠 組 み、 そ れ と 同 時 に 国 境 を 越 え て ヒ
際法の枠組み、プレモダンな宗教理論とモダンな
その意味で創価学会は中国から見て非常に魅力
ト・モノ・情報が自由に動くポストモダンな状
している。
は、公表されていないが、十何万人いる。ついこ
がある。中国の共産党体制は認めた上で、その体
生まれの宗教であるから。台湾のSGIメンバー
70
50
の前までは非合法団体で、地下に潜っていた。こ
( 10 )
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況、その三つのことを合わせないと、安保法制化
ないから、観察と思い付きで書いている。
していることだから、常にSTAP細胞的なもの
現場あるのみというのが中世で、そこから出てき
能な現象でも、一応理屈で解明することができる
こういうことに対する幅を持つと、一見理解不
が出てくる危険はある。
たのが錬金術だ。錬金術は金を作るだけでなく、
ようになる。そのための教養の幅を広げないと、
それはナンセンスだ、観察ではなくて実験だ、
神仙の術というのもあって、賢者の石を持って錬
今の大きな三つのパラダイムが同時進行している
がなぜこんなに分かりにくくなっているかという
金術の方法を身に付ければ永遠の命になれる。日
ようなことはなかなか分からない。
こと が 分 析 で き な い 。
私が今の若い世代の新聞記者に期待したいと思
本の神仙の術に近い。ただし、必ず実験しないと
などには弱い。例えば小保方現象が起きるのは、
とか、中世的なものの考え方、占星術とか錬金術
強する。しかし、プレモダンなこと、宗教である
員、それが実現できたと確信している。この錬金
ら手品だ。ところが、その研究室にいる人間は全
し、実際問題、非金属が金属になることはないか
錬金術は何百回も何千回も成功している。しか
関心を向けると、ぐっと力が強くなるのではない
際部、外信部などの人たちは論理とか数学に少し
を付ける。特に文科系が多い政治部、社会部、国
論理と非言語的な論理があるから、その両方の力
きちんと詰めていく。論理には数学的な言語的な
若い記者は教養の幅を増やせ
うことは、教養の幅を増やしてほしい。近代的な
いけない。ぬれた道と乾いた道という二つの方法
錬金 術 が 分 か ら な い と 分 か ら な い 。
術の思考様式に関心を持ったのが心理学者のカー
か。
破綻しているようなことを政治家が言った時に、
その観点からすると論理能力が問題で、論理が
ことはよく分かっているし、思想とか社会に関心
で研究所を主宰していないといけない。
近代の科学は二つの要素があって、観察と実験
ル・ユングで、『心理学と錬金術』という本を書
ので入れられないものに、「小 便 とふんの臭いの
体だけでなく、無意識も支配しないといけない。
錬金術師に学ぶべきは、人々の意識・実験の実
とされる。ロシア語もそうだ。そういう人材は会
シャ語、ヘブライ語に関しては高度な知識が必要
が減ってくるのか明らかにしようとしたわけだ。
そ し て 理 研 に い る 人 た ち は 「S T A P 細 胞 が あ
STAP細胞もそうだ。あの研究室にいる人、
を付ける形で幅を広げると、より面白い記事が出
ので、その基礎体力に対してこのような応用能力
日本のマスメディアはもともと基礎体力がある
講演内容を要約した。質疑応答は次号に掲載しま
( 11 )
のある記者たちはポストモダン的なこともよく勉
だ。観察はギリシャの発想で、例えばアリストテ
いている。
変化についての考察」というのがある。アリスト
社がきちんと育成しないと育たないので、その辺
もう一つは外国語だ。中東のアラビア語、ペル
レス全集に入れたいのだが、あまりにも変な話な
テレスは小便とふんを見ながらずーっと観察して、 ある研究室の無意識を支配できるようになった時
また、「男性で髪の毛の薄い人に助べえな人が
る」と確信した。小保方晴子さんは錬金術師とし
てきて、われわれを刺激するのではないかなと思
をきちんとやっていただきたい。
多い」というのもある。アリストテレスは髪の薄
て類いまれな才能があるわけだが、難しい研究と
っている。
に、錬金術は完成する。
い人をずっと観察して、人間の頭蓋骨の中には助
いうのはまずできてしまう。数学でも、きれいな
なぜ時間がたつと小便は臭くなるのにふんは臭い
べえな液体が入っている。加齢とともに隙間が空
日に時事通信ホールで行った特別
証明通りに実際できるわけではなくて、まずひら (本稿は
めく、あとは理屈を付けていくだけだ。近代で起
す)
月
いてきて、その液体が頭に行く。それが髪の毛に
悪いために髪の毛が薄くなる。髪の毛の薄い人は
きていることは古代と中世のものの考え方を総合
₁₄
助べえな人間だというわけだ。実験という思想が
₁0
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11
米国
13
( 12 )
津山 恵子
「タイムライン」に生の情報がリアルタイムで
のを控える」(政府公報官ステファン・ラフォル
ス専門局CNNを比べて読んだり見たりした。
ガーディアン、ニューヨーク・タイムズは共に 氏、サンドニ市のツイートを貼り付けた速報)
「フ ラ ン ス 警 察、 全 国 の チ ェ ッ ク ポ イ ン ト の 場
「ライブ」というコーナーを設け、現場記者から
の情報や、フランスメディアの速報、当局のツイ 所をソーシャルメディアなどで公表しないように
ッターによる情報、自社の記事をリアルタイムで 国民に呼び掛け」(緊急事態としてフランス警察
がツイートしたものを貼り付け)
流した。
「犠牲者」のライブでは、家族から聞いた犠牲
ニューヨーク・タイムズは、「ライブ」をさら
に 「 オ ー ル ( 関 連 ニ ュ ー ス)」 と 「 ビ ク テ ィ ム 者の半生やテロ現場になぜいたのかが記事で載せ
られている。一人一人が掛け替えのない、そして
(犠牲者)
」の二つのコーナーに分けた。
オールは、米東部時間 月 日未明現在、次の 普通の市民だったことが浮き彫りになる記事だ。
ような情報が出ている。この時間帯は、ちょうど
ガーディアンは 分ごとに情報アップ
現地の同日夜、仏警察が、パリ郊外のサンドニ市
一方、ガーディアンは約 分ごとに情報がアッ
で、首謀者とされるアブデルアミド・アバウドの
アパートとされる住宅を急襲。そこにいた女性が プ さ れ、 ス ピ ー ド 感 が あ る。 ラ イ ブ の 見 出 し は
自爆したほか、1人が手りゅう弾で死亡した直後 「パリ同時テロ:首謀者アブデルアミド・アバウ
だ。情報が出る間隔は、東部で読者が起床し始め ドは強制捜査の標的(最新ニュース)」とされ、
すぐ下に1分間のビデオがアップされている。ビ
る朝だったために、 分に1本程度だ。
「オランド仏大統領、オバマ米大統領、プーチ デオでは、銃声が激しく響き渡るのが聞こえる夜
ン・ロシア大統領との『大同盟』の計画を検討」 のサンドニの住宅地の様子で、恐らく住民か、近
くまで行っていた記者が携帯電話で撮影したもの
(パリ発短信)
「バタクラン劇場の襲撃プランがテキストされ を編集していた。東部時間 月 日未明の情報は
た携帯電話が、パリのゴミ箱から発見」(ロンド 以下の通りだ。
「フ ラ ン ス 警 察 提 供、 強 制 捜 査 と 銃 撃 戦 が あ っ
ン発、仏ルモンドの転電)
(写真)
「(ソーシャルメディアの)フェイスブックがI たサンドニの容疑者アパートの写真」
「仏 大 臣 発 表 テ ロ 当 日 の 負 傷 者 は 352 人、
SIS(アイシス)というファーストネームのア
カウントを凍結。ユーザーの苦情で復旧」(ロン 195人が入院中、 人が集中治療中、3人が重
体」(速報)
ドン発短信)
「オランド大統領の議会演説ビデオ」
(ビデオ)
「メ ル ケ ル 独 首 相、 サ ッ カ ー 試 合 の 中 止 は 『な
「バ タ ク ラ ン 劇 場 の 襲 撃 で、 開 い た 窓 か ら 流 れ
されるべきだ』
」
(ベルリン発短信)
「サンドニの強制捜査は終了、住民は外出する 弾に当たった隣の住民が死亡」(パリ発短信)
18
ニューヨーク在住
ジャーナリスト その際に、役に立つのが、新聞社やオンライン
オンリーのサイトが新設する「ライブ」というコ
ーナーだ。「タイムライン」とも呼ばれ、断片的
ではあるが、生の情報がリアルタイムで知らされ
るコーナーのおかげで、素早く、現状が把握でき
る。
パリ同時テロ発生の直後から、米紙ニューヨー
ク・タイムズ、英紙ガーディアン、そしてニュー
10
11
パリ同時テロで
月 日、金曜日の夜を楽しむ市民が集まった
劇場やレストランを狙った「パリ同時テロ」が発
生した。わずか 分の間に6カ所が襲撃され、約
130人が命を落とすという劇的で早い展開の事
件に 、 現 場 か ら の 報 道 は 振 り 回 さ れ た 。
タイムラインは必要なサービス
30
10
41
No.648
メ デ ィ ア 展 望
2015.12.1
30
11
18
「英王室海軍が、ISIS 攻撃に向かう仏航空 かにツイッターが役に立ったかという指摘が多く
見られた。当時駐日アメリカ大使だったルース氏
母艦を護衛するのに最新戦艦を投入」(写真)
「サンドニの現場からのリポート。容疑者女性 のツイートなどが、いい情報が得られると、ツイ
が自爆した瞬間を目撃した市民の証言」(仏紙パ ートや口コミで広がった。このことを考えると、
タイムラインは、「読む」ためだけでなく、新聞
リジ ャ ン か ら 転 電 )
「内務大臣、サンドニの強制捜査の詳細を発表」 社のサイトが正確な情報の発信源であることを知
ってもらうことができるサービスだ。
(声明 テ キ ス ト 抜 粋 )
また、タイムラインが通信社のサービスのよう
こ れ で 見 る よ う に、 ニ ュ ー ヨ ー ク ・ タ イ ム ズ
が、パリ同時テロの続報と、世界で起きている影 に画一化してしまう懸念がないことは、ニューヨ
響にも焦点を当てているのに対し、ガーディアン ーク・タイムズとガーディアンがそれぞれに異な
は 現 場 か ら の 速 報 ・ 情 報 を 伝 え る の に 徹 し て い る形式で展開しているのを見れば分かる。
ただ、 月 日のテロ発生直後は、やはりガー
る。同じライブといっても、切り口や編集の仕方
ディアンが欧州の新聞であるだけに強みを見せて
で、 全 く 異 な る も の を 読 む こ と に な る 。
タイムライン、あるいはライブは、最初ハフィ いた。仏メディアや仏警察からのツイートを英語
ントン・ポストなどオンラインオンリーのメディ に即座に翻訳した速報が、タイムラインを埋めて
アで始まった。これが、新聞社のサイトにも登場 い た。これに対し、ニューヨーク・タイムズやワ
するようになり、ニューヨーク・タイムズは、五 シントン・ポストの「ライブ」は、通信 社の転電
輪の人気種目フィギュアスケートや、サッカーの が並んだ。
最後に、メールでお薦め記事のニューズレター
ワールドカップ(W杯)の実況的な解説や結果を
を出している注目のオンラインニュース「メディ
速報 す る の に も 使 い 始 め て い る 。
また、タイムラインのようなサービスについて アム」で見つけた記事を紹介したい。メディアム
は、「新聞社が通信社のようなことをすると、競 は、ツイッターの共同創業者エバン・ウィリアム
合するのではないか」という意見も聞かれる。し ズが始めたソーシャル・ジャーナリズムのプラッ
かし、読者は、ソーシャルメディアのツイッター トホームだ。ジャーナリストやブロガーが書いた
のように発信者が報道機関ではない場合でも、常 記事に同意したジャーナリストや読者が記事を推
薦したり、シェアしたりすることを簡単にした。
に情 報 を 欲 し が っ て い る と い う の が 現 状 だ 。
興味深く読んだのは、ブライアン・モリアール
東日本大震災でもツイッターが大活躍
ティ氏による投稿「パリ襲撃の夜」だ。同氏は、
シリコンバレーのベンチャー「エアーB&B」に
勤め、会議のためにパリに滞在していた。現地の
2011年の東日本大震災と福島第1原発事故
の際、情報を得る、あるいはシェアするのに、い
同僚と夕食を共にしたレストランは、襲撃された
レストラン「コーサ・ノストラ」から半ブロック
しか離れていなかったため、銃声が至近距離で聞
こえた。店内が静まり返り、レストランのオーナ
ーや客が、外に出ないように決める様子や、妻や
子どもと電話で連絡を取り合い、同僚や友人には
フェイスブックを使って「無事」を知らせた様子
が書かれている。
臨場感があり、オーナーやお客の善意や懸命さ
が伝わってくる。
( 13 )
事実をしっかり書けば多く読まれる
以前であれば、海外で事件の近くにいた自国の
旅行客を探すのは、報道機関の初動の一つでもあ
った。今は、現場にいる旅行客がツイッターやフ
ェイスブック、そしてメディアムのような場所を
使って、自らその体験を発信し、ビデオや写真ま
でリアルタイムでシェアする時代だ。
しかし、メディアムのモリアールティ氏の記事
は、内容が正確で、淡々とした伝え方の中でも、
学ぶところがたくさんあった。やはり、事実がしっ
かりと書かれたものは、よく読まれていて、 月
日現在で1300近い推薦マークが付いている。
同時に、報道機関も数多いソーシャルメディア
の投稿やブログから、質のいい情報を発掘し、読
者に提供していくことが要求されている。日常的
に で は な い が、 タ イ ム ラ イ ン、 あ る い は ラ イ ブ
は、それを実験し、どのような情報が求められて
いるのか知るプラットホームに成長していくのは
間違いない。
18
11
No.648
メ デ ィ ア 展 望
2015.12.1
11
13
BPO が政治・行政に
異例の注文
放送を維持発展させる仕組み考える時期
上智大学教授
24
音 好宏
先日、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放
送 倫 理 検 証 委 員 会 が N H K 「ク ロ ー ズ ア ッ プ 現
代」のやらせ疑惑に関して発表した意見書で、政
府与党への批判が掲載され、それに対し自民党の
一部から強い反発があったことが話題となった。
政権与党内の一部には、BPOを改革すべきだと
の声 が く す ぶ り 続 け て い る と い う 。
今の放送に対する政権与党からの注文というこ
とで言えば、この9月下旬に、自民党の情報通信
戦略調査会・放送法の改正に関する小委員会が、
NHK受信料の支払い義務化や、 時間インター
ネット同時配信の検討を求める「第1次提言」を
発表している。ただ、これはNHKの問題に限っ
た言及であり、同小委員会は、今後も検討を続け
方 に つ い て 注 文 を 付 け る の は、 極 め て 異 例 で あ
るとしている。
ちなみに同小委員会が出した第1次提言の本文 る。政治の圧力に対するけん制を行ったものと言
最後には、
「放送の地域性の確保などの観点から、 えるが、背景には、政権与党からBPO改革を求
ローカル局の在り方について議論を行っていく」 める声が上がることに象徴されるように、放送の
と書かれてある通り、放送の現状における重要課 自主自律を尊重すると言いながら、今の国会内で
題の一つが地域放送との認識を持っていることが の絶対多数という数の力を背景に、規制マインド
をちらつかせるからであろう。
うかがえる。
ちなみに、この4月に自民党は、NHK「クロ
政権与党から出されたこの提言などを受ける形
で総務省は 月に「放送をめぐる諸課題に関する ーズアップ現代」でやらせ疑惑が浮上した件、な
検討会」を設置。ここでは、①今後の放送の市場 らびに、テレビ朝日「報道ステーション」でコメ
およびサービスの可能性②視聴者利益の確保・拡 ンテーターが暴走した件で、両局の幹部を呼び付
大に向けた取り組み③放送における地域メディア け、事情聴取を行った。この際に自民党の川崎二
および地域情報確保の在り方④公共放送を取り巻 郎情報通信戦略調査会長は、BPOの在り方につ
く課題への対応──などを検討し、来年6月をめ いて、「テレビ局がお金を出し合う機関できちん
とチェックできないなら、独立した機関の方がい
どに取りまとめを行うという。
このように自民党から出された提言には、BP い。BPOがお手盛りと言われるなら、少し変え
O改革を意図すると思われる文言は記載されてい なければならないのかなという思いはある」と述
ないし、総務省が設置した検討会での課題にも、 べたことが報じられている。その際、川崎会長は、
法律で担保された第三者機関が放送内容をチェッ
BPO改革は挙げられていない。
クする欧州の仕組みにも触れ、第三者機関の在り
BPOと政治との距離
方についての検討の可能性も示唆している。また、
自民党の中には、BPOに政府側の人間や官僚O
Bを入れるといった案など、政府がBPOに関与
できる仕組みを求める声があることも確かだ。
前述した「クローズアップ現代」のやらせ疑惑
に対する放送倫理検証委の意見書において、4月
に自民党がNHK幹部を呼んで、この問題の経緯
を説明させたことを、「政権党による圧力そのも
のであるから、厳しく非難されるべきだ」と、政
11
11
こ の 月 6 日、B P O ・ 放 送 倫 理 検 証 委 員 会
は、NHKの報道番組「クローズアップ現代」の
やらせ疑惑について、
「重大な放送倫理違反があっ
た」とする意見書を公表したが、そこでは問題と
された番組の制作手法やNHKの姿勢をただすこ
とにとどまらず、政権与党である自民党と、総務
省の介入姿勢を厳しく批判する内容となっている。
BPOがその意見書などで、政治や行政の在り
( 14 )
No.648
メ デ ィ ア 展 望
2015.12.1
き そん
員会でない中で、ある種のバランスのたまものと
して存在していると見ることもできよう。もし、
政権与党内部の声にあるように、BPOがNHK
と民放連の出資によって設置された機関であるか
ら、放送事業者に有利なお手盛りの判断を示して
いたり、BPOが機能していなかったりするので
あれば、BPO改革は急務であろう。しかし、先
日の「クローズアップ現代」のやらせ疑惑に対す
る放送倫理検証委の意見書では、当該番組、なら
びに、その独自の調査報告書を作成、発表したN
H K に 対 し て、 厳 し い 批 判 が 示 さ れ て い た。 ま
た、昨年3月、佐村河内守氏が、別人の作曲を自
らの作品として発表し続けてきたことを謝罪した
会見を扱ったTBSのバラエティー番組「アッコ
におまかせ!」において、自らの名誉が著しく侵
害されたとしてBPO放送人権委員会に審理を申
し立てていた事案に対し、この 月 日に同委員
会は、佐村河内氏の名誉を毀損する人権侵害があ
ったとして、再発防止を求める勧告を出した。最
近のBPOが示した二つの判断を見る限り、放送
局に有利なお手盛りの判断をしたとは言いにくい
のではないか。
BPO改革を唱えるのであれば、電波監理委員
会の廃止後、視聴者のプライバシー意識やメディ
アに対する倫理意識が高まる中でBPOが設立さ
れたように、戦後日本の放送が、ある種のバラン
ス 感 覚 の 中 で 生 み 出 し て き た 仕 組 み を、 ど う 維
持・発展させていくのが最もリーズナブルか、改
めて考えるべきだろう。
( 15 )
治介入に対する強い懸念を表明したのは、政権与
党の内部から聞こえる声を意識してのものと見る
のが 妥 当 だ ろ う 。
とされた。同審議会に準司法権の機能が残された
ものの郵政大臣の権限が強まった。
そのようなこともあって、郵政省は、放送法4
条が示す放送番組準則に違反したとされた場合で
も、従来は表現の自由を考慮して、直接的な制裁
措置がないものと解釈運用されてきた歴史があ
る。放送法4条の規定が倫理規定とする学会の通
説も、その流れにあるのは明らかだ。それが、
年に全国朝日放送の椿貞良報道局長の発言が問題
になった椿発言事件あたりから、郵政省はその解
釈を変えてきており、その度合いは強まりつつあ
る。しかし、独任制の総務大臣が監督する日本の
放送行政が、放送番組準則の違反を取り上げて直
接的な制裁措置を行うことは、憲法 条が定める
表現の自由の侵害に当たる危険性が強い。
それは米国のFCCの対応などと比較してみる
と、より鮮明と言える。例えば、2004年のス
ーパーボウルのテレビ中継で、ジャネット・ジャ
クソンの裸が映り込んだことに対して、独立行政
委員会のFCCだからこそ、その判断として放送
したCBSに多額の罰金を科したのである。
他 方、 日 本 で は 放 送 の 自 主 自 律 を 尊 重 す る 形
で、BPOが独立した第三者機関として、個別の
事案に関して審議し、見解を示し、放送事業者は
その判断を尊重する体制が取られている。このB
POという放送倫理を具現化する装置は、世界的
に見てもユニークなシステムということができよ
うが、先に見たように、日本において、放送行政
を所管するのが他の先進諸国のような独立行政委
17
BPO は機能しているか
米国の連邦通信委員会(FCC)や英国の情報
通信庁(OFCOM)など、海外の主要先進国で
は、放送の監督官庁が独立行政委員会であるとこ
ろが多い。それは、放送が民主主義の根幹に関わ
る表現の自由と深く結び付いた事業であることか
ら、放送行政は内閣から独立した形で独自の判断
を下すことができる行政委員会組織で行われる方
がよいとの認識からである。特に具体的な番組内
容に関して規制が行われるのであれば、複数の委
員による合議制によって判断が下される独立行政
委員 会 で の 対 応 が 、 よ り 民 主 的 と 言 え よ う 。
戦後日本の放送法制は、連合国軍総司令部(G
HQ )の指導の下で設計され、1950年に電波
法、放送法、電波監理委員会設置法のいわゆる電
波三法が制定された。電波監理委員会は、米国の
FCCを手本とした放送行政を所管する独立行政
委員会であったが、 年に日本の主権が回復する
と、吉田茂首相の「日本に独立行政委員会制度は
なじまない」という意向もあり、電波監理委員会
設置法は廃止され、放送局の許認可権は郵政大臣
に移管、省内に電波監理審議会が設置された。同
審議会は、郵政大臣の諮問に対する答申と勧告、
ならびに電波法および放送法に基づく処分に対す
る不服申し立てについて審査し、議決を行 うもの
11
No.648
メ デ ィ ア 展 望
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52
21
93
﹁報道の自由は常に保障されるべきだ﹂が8割以上
︵新聞通信調査会世論調査班︶
﹁新聞を読まない﹂ %、5年で1割増
第8回﹁メディアに関する全国世論調査﹂︵上︶
公益財団法人新聞通信調査会︵長谷川和明理事
のメディアに対して批判的な意見が4割以上だっ
た。しかし、﹁現在の報道を見ていると、圧力を
かけられても仕方がないと思うか﹂については、
﹁思わない﹂と答えた人が ・4%に対し﹁思う﹂
と答えた人が
・2%、﹁政府が国益を損なうと
いう理由でメディアに圧力をかけるのは当然だと
・ 8% に 対 し ﹁思 う﹂ と 答 え た 人 が
思うか﹂という質問については﹁思わない﹂と答
えた人が
・6%となり、政府が報道機関に対して圧力を
ザーに偏らない国民全体を代表するサンプル設計
から回答を得た。本調査は特定のメディアのユー
調査は、訪問留置法で行い、約 %の3183人
ディアに関する全国世論調査﹂を実施した。この
わりについてのみならず、報道機関と政治の関係
力発言問題で顕在化したように、国民と政治の関
月の自民党内の勉強会での与党議員による報道圧
国民的議論を広く喚起した。その流れの中で、6
採決は、わが国の民主主義・憲法・国防について
世論を二分した安保関連法案の国会審議・強行
う︵図表1︶
。
る厳しい意見には真摯に向き合う必要があるだろ
ると言えるが、だからこそ現状のメディアに対す
ジャーナリズムの役割は今でも広く理解されてい
割以上だった。政治から独立した報道を提供する
かけることについて抵抗感を覚える人の割合は6
か﹂と質問したところ、﹁報道の自由は常に保障
調査結果を報告し、来年1月号の︵下︶では政治
下││などが明らかになった。今回︵上︶は主な
の情報信頼度は昨年並みだが、新聞の閲読率は低
もに民放テレビ、NHKテレビ、新聞の順③新聞
は﹁思わない﹂と答えた人が ・7%と、
﹁思う﹂
道の自由を振りかざしていると思うか﹂について
ことが明らかとなった。一方で、﹁メディアは報
に対する認識は、広く国民一般に共有されている
0% という結果となり、﹁報道の自由﹂の重要性
51
しん し
︵住民基本台帳を用いた層化二段無作為抽出︶を
について改めて問われた一年となった。最初に、
政府の圧力に 割以上が抵抗感
60
特徴とし、各種メディアの問題点や評価、信頼度
長︶は2015年8月 日から9月8日にかけて
35
メディアによる報道の自由に関して国民一般の意
調査結果からは①﹁報道の自由は常に保障され
されるべきだ﹂という意見に、﹁思う﹂と答えた
﹁あ な た は、 報 道 の 自 由 に つ い て ど う 思 い ま す
るべきだ﹂という意見が8割以上②憲法改正報道
・
人が
学者の菅原琢・東京大学先端科学技術研究センタ
と答えた人︵ ・4%︶を上回ったものの、現状
14
ー客 員 研 究 員 に 分 析 を お 願 い し て い る 。
・ 2% 、﹁ 思 わ な い﹂ と 答 え た 人 が
で、情報入手メディア、分かりやすいメディアと
てい る 。
全国の 歳以上の5000人を対象に﹁第8回メ
67
などを調べ、クロスメディア時代における新聞の
27
見を尋ねた今年度調査の結果を紹介する。
21
在り方を考えるデータを提供することを目的とし
6
43
図表 1 報道の自由について
64
18
26
83
( 16 )
No.648
メ デ ィ ア 展 望
2015.12.1
国民の憲法改正への関心は高まる
本調査では、 年度調査から3年間にわたって
憲法改正問題と新聞報道について調査を行ってき
・
年度が
問題は全年代で高い関心を集めていると言える
︵図表2︶。
61
58
・ 3% と い う 結 果 に な っ た
ットが6・5㌽、それぞれ増加した。一方、新聞
少した︵図表3︶
。
憲法改正問題に関する情報をどのメディアから
・5% と最も多く、以下、﹁NH
は1・8㌽、雑誌・書籍は1・9㌽、それぞれ減
7・6㌽、NHKテレビが1・4㌽、インターネ
︵複数回答︶
。前回調査と比べると、民放テレビが
ン タ ー ネ ッ ト﹂ が
Kテレビ﹂が ・2%、
﹁新聞﹂が ・5%、
﹁イ
図表 2 憲法改正問題への関心(時系列・性・年代別)
入手しているか質問したところ、﹁民放テレビ﹂
を挙げた人が
また、憲法改正問題に関する情報で分かりやす
・ 6% で 最 多 と な
いと思うメディアについても、﹁民放テレビ﹂が
前回調査から5・2㌽増の
・ 0% と い
・5%、﹁新聞﹂
・ 5%、﹁イ ン タ ー ネ ッ ト﹂が
り、続いて﹁NHKテレビ﹂が
が
年 度 調 査 で は、
し、民放テレビが躍進した︵図表4︶。
テレビと新聞の割合がわずかに減少したのに対
るメディア、分かりやすいメディアともにNHK
心がより高まった今回調査では、情報入手してい
の差がわずかとなっていた。憲法改正問題への関
年度調査では、新聞・NHKテレビ・民放テレビ
ディア﹂ではともに新聞が1位だったが、前回
﹁情報を入手しているメディア﹂
﹁分かりやすいメ
う結果になった︵複数回答︶。
20
45
53
13
た。まず、﹁あなたは、憲法改正問題に関心があ
・9% ︵﹁非常に関心がある﹂
り ま す か﹂と 質 問 し た と こ ろ、﹁関 心 が あ る﹂と
答えた人が
・3% ︵﹁あまり関心が
3%と﹁やや関心がある﹂ ・6%の計︶、﹁関心
が な い﹂ と 答 え た 人 が
・7%と﹁全く関心がない﹂4・6%の
﹁ 関 心 が あ る﹂ と 答 え た 人 の 割 合 は 、
年度が ・9%となっており、去年
合は、女性が ・8%に対し男性が ・5%と、
・ 9% と な っ た
・8%、続いて
男性の方が8・7㌽高かった。年代別に見ると、
代以上で
最も 関 心 が 高 か っ た の が 代 で
・ 2% 、
20 77 80
代・ 代でも7割以上、 代と 代でも6
代で
50
14
27
性別に見ると、﹁関心がある﹂と答えた人の割
から 今 年 に か け て 5 ・ 0 ㌽ 増 加 し て い る 。
・7%、
13
計︶ と な っ た 。 過 去 2 回 の 調 査 と 比 較 す る と 、
ない ﹂
24
69
70
43
13
割以上が﹁関心がある﹂と答えており、憲法改正
が、
79
30
( 17 )
19
47
74
14
70
40
65
図表 3 憲法改正問題報道:
情報入手メディア(時系列)
69
60
憲法改正報道、民放テレビが躍進
32
79
10
No.648
メ デ ィ ア 展 望
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新聞の憲法報道、コア読者には高評価
憲法改正に関する新聞報道への評価は、普段か
らどれくらい新聞を読んでいるかによって大きく
異な る こ と も 分 か っ た 。
憲法改正問題に関する情報を入手しているメデ
ィア・分かりやすいと思ったメディアを年代別に
見てみると、年代が上がるほど新聞を挙げる割合
が大幅に上がっていることが分かる。一方、イン
ターネットは新聞とは逆に若い世代で挙げる者が
多く、民放は他のメディアより偏りが少なかった。
さらに、朝刊を読む頻度別に見てみると、新聞
︵朝刊︶を﹁毎日﹂﹁週に4∼5日﹂読んでいる者
ィアともに新聞が1位であった。新聞を日常的に
読んでいる人々の間では、今年も新聞の憲法報道
が各メディアの中で最も評価が高かった︵図表5︶
。
( 18 )
図表 4 憲法改正問題報道:
分かりやすいメディア(時系列)
の間では、情報入手メディア・分かりやすいメデ
図表 5 憲法改正問題に関する情報
─入手メディアと分かりやすいメディア(性・年代・朝刊を読む頻度別)
No.648
メ デ ィ ア 展 望
2015.12.1
︵図表6︶。
現行憲法の解説などを期待
・
・
前回・前々回調査と比較すると、﹁海外におけ
る改憲の実情や、日本の現況に対する反応を詳し
く報道してほしい﹂が ・2%︵ 年度調査
26
・
1%、﹁政党の意見の違いがよく分かるような報
9%、 年度調査 ・5%︶と増加したが、 年
行 の 憲 法 に つ い て 詳 し く 解 説 し て ほ し い﹂
に期待する報道を尋ねたところ、前回同様、﹁現
国会で憲法改正問題が議論されていく中で新聞 ︵複数回答︶
。
図表 6 集団的自衛権に関する新聞報道の評価(時系列・性・年代別)
道をしてほしい﹂ ・4%を挙げる人が多かった
14
29
13
13 24
度から
年度にかけて増加した﹁国民世論を形成
・ 0%、
30
27
年度調査
年度調査
13
・ 8%︶。安 保 法 案 の 成
い﹂は今年度は ・1%と減少した︵
する中心的な役割を果たすような報道をしてほし
14
念ながら、新聞は昨年と比較して評価を大きく上
以上、憲法報道に関する調査結果を見ると、残
が新聞報道に求めることも変化している︵図表7︶
。
立など国民を取り巻く状況が変化する中で、人々
14
集団的自衛権の新聞報道評価、変わらず
・ 5% に 対 し 男 性 が
見ると、憲法改正問題への関心が他より高かった
代以上で﹁分かりやすかった﹂と答えた人の割
70
52
21
関連して、集団的自衛権に関する新聞報道に対
・ 5% ︵﹁ 分 か り や す か っ た﹂
する評価も質問したところ、﹁分かりやすかった﹂
と答えた人が
1 ・ 9% と ﹁ど ち ら か と 言 え ば 分 か り や す か っ
・ 4% と ﹁分 か り に く か っ た﹂ 5 ・
・1% ︵﹁どちらかと言えば分かりにく
た﹂ ・6%の計︶、﹁分かりにくかった﹂と答え
た人が
か っ た﹂
・9%と半数以上を占める結果となっ
人 の 割 合 は、 女 性 が
21
7%と、男性の方が6・2㌽高かった。年代別に
15
性別に見ると、﹁分かりやすかった﹂と答えた
化し て い な い 。
た。全体的な国民の評価は昨年度からほとんど変
えた 人 が
7% の 計︶と な り、﹁ど ち ら と も 言 え な い﹂と 答
16
56
上では﹁分かりにくかった﹂が占める割合も多い
60
( 19 )
18
50
図表 7 新聞に期待する憲法改正問題に関する報道(時系列)
16
22
合が2割以上と多かったが、一方で 代と 代以
50
No.648
メ デ ィ ア 展 望
2015.12.1
年に関する報道について、各メデ
し た と こ ろ、﹁平 和﹂と い う 回 答 が 583 人 と 最
も多く、以下、﹁風化・忘れてはいけない﹂が2
また、戦後
ィアの印象を聞いたところ、NHKテレビが﹁事
58 人、﹁戦 争 ・ 終 戦 ・ 敗 戦﹂ が 221 人、﹁原
げたとは言い難い結果となったが、今後も国民の
高い関心に応える詳細かつ分かりやすい情報を提
・ 7% 、﹁ 公
・0%、 が 208 人、﹁復 興 ・ 経 済 発 展﹂が 168 人 と い
爆﹂が 215 人、﹁不 戦 ・ 反 戦 ・ 戦 争 へ の 不 安﹂
のメディアの情報より信頼していた﹂
で
・5%、﹁他
50 53
47
年﹄ に 関 す る 事 柄 に つ い て ど の
年﹂をテーマとした報道が数多く見られた。﹁あ
なたは、﹃戦後
で
・8%とおのおの1位となった。
・1%、﹁難しい内容が分か
民放テレビは﹁いろいろな立場の専門家の意見
を比較できる﹂で
・5%、﹁自分の
意見を持ったり、判断したりする時に、参考にな
りやすく解説されている﹂で
・
った﹂で ・5%と各1位になった。
新聞は﹁事実が正確に報道されていた﹂︵
・
・ 0%︶ で 各 2 位 を 占 め た
・3%︶、﹁この問題に対する報道姿勢が良い
2%︶
、
﹁他のメディアの情報より信頼していた﹂
5%︶、﹁公 正 ・ 中 立 な 報 道 が さ れ て い た﹂︵
・
・
メディアから情報や知識を得ていますか﹂と質問
し た と こ ろ、﹁民 放 テ レ ビ﹂ を 挙 げ た 人 が
9% と 最 も 多 く、以 下、﹁N H K テ レ ビ﹂が
5%、﹁新聞﹂が ・4%、﹁インターネット﹂が
・4% という結果になった︵複数回答︶。調査
時期の夏場は、テレビ各局で太平洋戦争をテーマ
とした報道特集やドラマが放映されていたことが ︵
と 評 価 で き る﹂︵
︵図表9︶
。
戦後 年、思い浮かぶ人物は﹁昭和天皇﹂
﹁あなたは、
﹃戦後 年﹄と聞いてだれを思い浮
かべますか﹂と自由記入で質問したところ、﹁昭
和 天 皇﹂ を 挙 げ た 人 が 779 人 と 最 も 多 く、 以
下、﹁親、 兄 弟 な ど 身 内﹂ が 274 人、﹁安 倍 晋
三﹂が174人、
﹁吉田茂﹂が126人、
﹁田中角
栄﹂が102人という結果になった︵図表 ︶
。
また、
﹁あなたが、
﹃戦後 年﹄と聞いて思い浮
10
新 聞 ・ テ レ ビ を 中 心 に 各 メ デ ィ ア で は ﹁戦 後
。
今年は第2次世界大戦終結から 年目であり、 ﹁この問題に対する報道姿勢が良いと評価できる﹂ う結果になった︵図表 ︶
70
正・中立な報道がされていた﹂で
実 が 正 確 に 報 道 さ れ て い た﹂ で
戦後 年報道は民放テレビが健闘
供し て い く こ と が 求 め ら れ て い る 。
70
かべることは何ですか﹂と同じく自由記入で質問
70
図表 9 「戦後70年」に関する報道の各メディアの印象
47
70
59 64
49
40
70
( 20 )
70
影響したと思われる︵図表8︶。
41 48
43
70
70
57
45
41
25
図表 8 「戦後70年」に関する事柄に
ついての情報や知識を得てい
るメディア
No.648
メ デ ィ ア 展 望
2015.12.1
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戦後 年は経済の時代、今は薄曇り
年﹂はどのような時代だったのか印象
・3% と半
なお、
﹁あなたは、
﹃戦後
︶
。
年﹄に関する報道で
年の節目というだけで取り上
・6%、﹁どのメデ
年から次の時代を考えるよう
・7%となった︵複数回
の結果を報告する。まず、情報信頼度として、各
報信頼度や新聞の閲読状況等について今年度調査
以下では、経年で質問している各メディアの情
各メディアの情報信頼度は横ばい
答︶
︵図表
な報道がなかった﹂が
・3%、﹁戦後
ィ ア も 同 じ よ う な 報 道 で 差 を 感 じ な か っ た﹂ が
げている感じがあった﹂が
との質問では、﹁
どのような点が好ましくなかったと思いますか﹂
70
41
﹁戦 後
を尋ねたところ、﹁経済の時代﹂を
数近くの人が挙げた。以下、﹁国際関係の時代﹂
・ 0% 、﹁ 戦 争 の 時 代﹂ 9 ・
・2%、﹁家族や親族など身近な人との生活に
根 ざ し た 時 代﹂
8%、﹁科 学 技 術 の 時 代﹂9 ・ 6% と な っ た︵図
表 ︶
。
また、
﹁あなたは、
﹃戦後 年﹄を経た今を一つ
の 天 気 で 表 す と し た ら、 下 記 の ど れ を 選 び ま す
か﹂と質問したところ、
﹁晴れ﹂が ・6%、
﹁薄
32
45
17
曇り﹂が ・0%、
﹁曇り﹂が ・7%、
﹁雨﹂が
図表12 「戦後70年」はどのような時代か
3・5%、
﹁大雨﹂が2・1%という結果になった。 メディアの情報をどの程度信頼しているかを、全
31
70
面的に信頼している場合は100点、全く信頼を
( 21 )
70
70
70
70
41
13
12
12
12
34
図表13 「戦後70年」に関する報道で好ましく
なかった点
図表10 「戦後70年」と聞いて思い浮かぶ人物
図表11 「戦後70年」と聞いて思い浮かぶこと
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メ デ ィ ア 展 望
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・4
していない場合は0点、普通の場合は 点として
点数を付けてもらったところ、﹁新聞﹂は
点となり、昨年秋の前回調査より0・2点上昇し
た。なお、前回調査では一昨年同時期の前々回調
・1
った格好だ︵図表 ︶
。
20
22
40 10
図表15 新聞(朝刊)とインターネットニュースの閲読頻度(時系列)
査より1・5点低下していたが、今年はごくわず
・ 2 点 で 0 ・ 9 点 の 低 下 ︵前 回 調 査
かながら回復したことになる。﹁NHK テレビ﹂
は
・2点︶、﹁ラジオ﹂が
・7点で変
点︶、﹁民放テレビ﹂が ・0点で0・8点の上昇
︵前 回 調 査
・0
化なし︵前回調査 ・7点︶、﹁インターネット﹂
・ 7 点 で 0 ・ 3 点 の 低 下 ︵前 回 調 査
んでいる人が ・8%といまだ過半数を超えてい
新聞を読む 代、5年間で ㌽減
さらに、新聞の閲読状況︵頻度を問わず新聞を
の 1 年 で ﹁ 毎 日﹂ 見 る と 答 え た 人 が
に閲読率が低下したことが分かる。5年前の 年
4・8㌽増えている。 年度との比較だと ・7
化を追ってみると、この5年間に 代以下で顕著
一方、インターネットニュースについては、こ
0㌽ 減 と な っ て い る 。
23
㌽の増加である。調査開始以来続いている新聞離
10
36
度に比べ、 代は ・5㌽減となり閲読率は ・
10
れの傾向は、この1年間でも歯止めが掛からなか
40
が
点︶であった。いずれのメディアも前回調査から
大きな変化は見られなかった︵図表 ︶。
新聞閲読頻度は低下傾向止まらず
3・3㌽増加し、5年前の 年度と比較すると
10
で新聞を﹁読まない﹂と回答した人が ・1%と
スの閲読頻度の経年変化を見てみると、この1年
続いて、新聞︵朝刊︶とインターネットニュー
14
26
読むと回答した人の割合︶を年代別に時系列の変
10
15
50
59
61
㌽近く増えたことが明らかとなった。﹁毎日﹂読
10
図表14 各メディアの情報信頼度(時系列)
69
71
54
59
るが、昨年度比で2・3㌽減、 年度からは9・
52
( 22 )
70
53
・ 2% と
20
60
No.648
メ デ ィ ア 展 望
2015.12.1
5% に、
代は
・6㌽減で
・ 7% 、
代は
調査で、この質問を始めた 年以来、初めて役割
減少派が役割持続派を上回った項目である。今回
調査でも、﹁インターネットなどの普及により新
・0% で、﹁今までどおり、新聞が報道に
聞の役割が少なくなってくる﹂と考える役割減少
派が
果たす役割は大きい﹂と考える役割持続派は ・
8%と、役割減少派の方が多いという結果になっ
た。昨年度と比べると役割減少派の割合は増えて
はいないものの、新聞にとって厳しい結果である
。
トなどの普及により新聞の役割が少なくなってく ︵図表 ︶
最後に、将来の新聞について、﹁インターネッ
新聞の役割減少派、持続派を上回る
る︵図表 ︶。
6・0㌽減、 代の5・9㌽減がそれに続いてい
・0㌽減、次に下げ幅が大きかったのが 代で
ると、最も閲読率が減少したのが 代で昨年度比
・4㌽減で ・4%になった。この1年間で見
40
20
は大きい﹂という二つの意見のどちらに賛成する
る﹂と﹁今までどおり、新聞が報道に果たす役割
来 の 新 聞 に つ い て の 意 識 は、 ほ ぼ 昨 年 度 ︵
て、今年度調査の結果を概観すると、信頼度や将
以 上、 新 聞 に 対 す る 国 民 の 意 識 と 実 態 に つ い
年
か質問した結果を報告したい。これは、昨年度の
度︶から変化していなかった。 年度から 年度
今回調査では 年度以前の水準まで回復すること
はなかったものの、ひとまずは小康状態と言えそ
う だ。 し か し、 新 聞 の 閲 読 状 況 と い う 実 態 面 で
は、より一層﹁新聞離れ﹂の傾向が顕著になって
きている。新聞を取り巻く状況はなお厳しいが、
﹁報道の自由﹂についての調査結果からは、政治
から独立したジャーナリズムの役割を認める意見
が国民の大半であることも明らかとなった。﹁新
聞離れ﹂の潮流を一朝一夕で覆すことはできない
歳以上男
ページ参照。
︵ http://www.chosakai.gr.jp/
︶
調査の概要
①調査地域=全国、②調査対象=
女 個 人︵5 千 人︶、③ サ ン プ リ ン グ 法= 住 民
基本台帳からの層化二段無作為抽出法、④回
・ 7%、女 性
収サンプルの構成=回収数3183︵性別 ・ 3%︶、⑤ 調 査 方 法
男性
=専門調査員による訪問留置法、⑥実査時期
=2015年8月 日∼9月8日、⑦質問数
=
項目+属性、⑧調査委託機関=一般社団
法人 中央調査社
( 23 )
14
14
にかけて新聞に対して厳しい意見が増加したが、
13
が、ジャーナリズムとして果たすべき役割を着実
18
40
09
に積み重ねていくことが新聞の未来の礎となるこ
とを示唆している。
52
21
17
※その他の調査結果は新聞通信調査会のホーム
47
13
図表17 将来の新聞についての意見(時系列)
40
39
30
16
43
18
67
50
30
14
11
図表16 新聞閲読状況(年代別・時系列)
No.648
メ デ ィ ア 展 望
2015.12.1
我が終戦日は8月6日
広島、共同、神戸等々
木 谷 隆 治
︵元共同通信社専務理事︶
2年だった僕は学徒勤労動員で、郊外の宮島近く
の工場に隔日通っていた。
8月6日朝、家を出たのは7時すぎだった。郊
せんこう
らんだ死体があった。ずるむけになった手の皮が
指先から垂れ、よろよろと歩く人の姿は丸木画伯
が描いた通りである。ただ絵では、あの日の耐え
難い暑さと、すさまじい異臭は表現できない。
何軒かの親戚を回り、夕方最後の心当たりの家
にたどりついた。そこにもいなかった。そして初
めて涙が出た。
母の死体はしばらくして焼け跡で見つけた。台
所と思われる所だから、母のだろうと思う。焦げ
た肉片がまだ付いていた。祖父の骨はついに見つ
考えてみると、いろんな偶然が重なった。1年
からなかった。
り、電車が止まった。窓ガラスが割れる距離では
下のクラスは学校に集まっていて、ほぼ全員死ん
分閃光が走
行される社内向けの小冊子だ。一体何を書いたら
な か っ た が、 巨 大 な 黒 雲 が 東 の 方 か ら 湧 き 上 が
外電車で工場近くまで来た時、8時
いいのか。時代やジャーナリズムを論じる大所高
共同に入って、社会部では8月の取材に原水禁
生観に影響しているのかもしれない。
間遅れたら││。そんな思いが、その後の僕の人
だ。動員の日が1日違ったら、家を出るのが1時
り、頭上にのしかかってきた。
工場まで歩いた。夜は全員工場内に泊まった。
その夜、母の夢を見た。広島の方から、血まみれ
のけが人の列が続き、何か異変があったとは分か
識的に身を引いたわけではない。かといって自分
のカバーがある。ついに一度もやらなかった。意
翌日、帰宅の許可が出た。暑い日だった。焼け
の体験を運動なり行動に昇華させようという気も
っていた。
るような日だった。正午ごろ歩いてやっとたどり
またなかった。
社名への不満
着いた市の中心部には何も残っていなかった。黒
焦げの市電だけが目に付いた。
僕の家は大通りからやや入ったところで、一望
年、新しい社屋が完
で何の変哲もない町名に変わっている。爆心地の
僕の家は広島市鷹匠町にあった。今は町名変更
中心部を抜け、郊外の何軒かの親戚の家を回っ
に避難したと思った。死は思いもよらなかった。
た。母と祖父︵父は早く病死していた︶はどこか
氷柱を立て、昼間ステテコ姿の人もいた。床はほ
坂の新ビルに移った。日比谷時代はひどかった。
成した。私たちはそれまでの日比谷公会堂から赤
共同に入社して8年目の
原爆ドームと川一つ隔てた、直線距離で2百㍍の
こりが立たないよう黒い油が敷いてあった。時事
たのは、 余年の歳月の風化のせいかもしれない。 の焼け跡の中のどこにあるのか見当も付かなかっ
たことは一度もない。今、書き残そうと思い立っ
をこれまであまり語ったことはない。まして書い
僕の事実上の終戦は8月6日である。そのこと
編集週報から
あっ た 。 そ の ま ま こ こ に 載 せ る 。
机の中を捜していたら、その時に書いた週報が
素直 に 書 い て み よ う と い う こ と だ っ た 。
窮余の一策として思い付いたのは、自分のことを
所の文章もあまり向いているとは思えなかった。
集週報の執筆である。編集週報というのは毎週発
88年、編集局長になって真っ先に悩んだのは編
投下された日が、私の戦後の始まりである。19
終戦の8月 日、その直前の8月6日、原爆が
15
た。道端の防火水槽の中にはゴムまりのように膨
64
( 24 )
15
戦後70年に想う(9)
川岸に並ぶ材木問屋の一つだった。あの年、中学
40
No.648
メ デ ィ ア 展 望
2015.12.1
年、ダグラス・グラマ
その時から何年かたって、ロッキード事件の余
悪名でもよい。無名に勝ると思ったものである。
側のミスを名前入りで報道されることもあったが、
多としたい。ただ不満は一つ残っている。今の汐
も随分知名度が増したと思う。現役の諸兄の労を
で取り壊しになる。あの頃に比べると共同の名前
ビルの壁に名前を付けた赤坂ビルもあと何年か
留のビルの裏門の入り口付近に﹁共同﹂の名前が
波がやっと収まった頃の
ン事件というのが起きた。ここでは事件自体のこ
見当たらないことだ。やや寂しいことである。
ロッキード事件のことに触れておこう。事件の
通信社の責務
とには触れない。社名のPRをしたことに触れて
おく。
ら、ニュースの節目節目を日記に付けておこうと
粗筋はいまさら言うまでもないだろう。私にとっ
事件の時、私は社会部長だった。事件の途中か
思い始めた。そのことを事件の池田キャップに頼
終盤近くになって朝日がロッキード社コーチャン
て、抜かれることの多い悔しい日々であった。
記を文春本誌に掲載したらどうかと話を持ち込ん
副社長の証言録をものにし、見開き2㌻で大々的
んだ。そして一方では文藝春秋と話して、この日
だ。文春側に異存はなく、本誌約 ㌻分の掲載に
新ビルは赤坂に9階建てのモダンなビルだっ
うことへのおわびを奥方に伝えたつもりだった。
日の夜回りで家庭を顧みることがなかったであろ
り詰めを神田のすし店に頼み、部員に配った。連
なった。もらった原稿料で100人分のすしの折
含め、核心を突いた内容である。どうしようか。
っ掛けようがない。証言は児玉誉士夫との関与を
われた村上特派員とコーチャンのインタビューは追
に報 道した。完 敗だった。しかし、アメリカで行
書か れ て い た こ と だ っ た 。
った。原稿料なんて要らない、とすら思ったもの
同通信社会部﹂という名前が出たことがうれしか
によると、という形で追っ掛けろ。他に追っ掛け
と思 う 。
た。私が最もうれしかったのは、ビルの外観もさ
﹁ 共 同﹂ と い う 名 前 に は 、 入 っ た 時 か ら 不 満 だ
だ。
ろ考えたが、他に方法もない。結局﹁朝日による
た。硬派の部はまだ良いが、一般庶民を相手にす
る社会部にとって、この名前は致命的である。固
有名詞と受け取る人は少ない。﹁時事通信﹂の方
これでやっと﹁共同﹂のPRができると思った
けられた。
間に﹁
﹂または﹁
KYODO
NEWS
SERVICE
KYO結 果 は 予 想 通 り で、 圧 倒 的 多 数 は 不 使 用 だ っ
﹂と名称を変更した。
DO NEWS
る手段がなければやむを得ない﹂
そ れ か ら 何 年 か し て、
KYODO
NEWS
AGENこ れ に は ﹁あ っ﹂ と 言 っ た。 そ ん な 前 例 は な
という当時の英文名が話題になったことがあ
CY
い。共同の加盟社の方も使いにくい。などいろい
しばらくして、原さんは答えた。﹁朝日の報道
った。一般名詞と紛らわしい﹁共同通信﹂は、何
る。 こ れ も 難 し い 表 現 だ。 KYODO NEWS
だけ
でもいいのではないかと問題提起した。当時の金
と﹂という前代未聞の追っ掛け記事が加盟社に届
で こ ん な 命 名 を し た の か、 先 輩 を 恨 ん だ り も し
がはるかに優れた名前だと、思ったりしたものだ。 子国際局長がすぐに問題を引き取り、あっという
した。
﹁どうしましょう﹂
思い余って、当時編集局長だった原さんに相談
しかし、そのことよりも何よりも、文春に﹁共
は2、3階にいて、状況はあまり変わらなかった
79
ることながら、ビルの壁に大きく﹁共同通信﹂と
東京都港区虎ノ門にある共同通信会館(共同)
(98年 7 月撮影)
ものだ。とにかく人目に付けばよい。時には共同
( 25 )
10
No.648
メ デ ィ ア 展 望
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し、ニュースを一刻も早く、あらゆる手段を使っ
ない話だったろう。現実的には当然である。しか
すれば敵の宣伝につながるような記事はとんでも
た。日々現場で朝日の販売と戦っている販売局に
会ってその人生のことを聞きたいとは思ったが果
の先生をやっているのか、と感無量だった。一度
時代は俊寛とうたわれた学徒だったのが、予備校
とか﹁量子力学の誕生﹂とかが並んでいる。東大
神 戸 の 荒 川 社 長 が ﹁お、 木 谷 君 よ く 来 て く れ
が途中でつぶれたりして、着いたのは夕方だった。
車を降り、歩きだした。せっかく買った新品の靴
時間かかっても目的地に着く気配もない。途中で
前に進まない。昼ごろから走りだしたのに2、3
ろ う。 恐 ら く 見 舞 い の 客 の 先 陣 を 切 っ た の だ ろ
た﹂と抱かんばかりのあいさつをされた。そうだ
たせていない。極めて優れた先生であると、その
私自身は数学とか天体物理学などに若干の興味
後、うわさで聞いた。
て届けるという通信社の責務もまた当然である。
その後、この形の報道は増えているという。こ
れが 初 め て だ っ た か も し れ な い 。
なく、せいぜい﹁数独﹂といったパズルものに興
した。社長とはそれからも長い付き合いだった。
帰りは裏にあった空き地までヘリコプターを回
う。努力のかいがあったと喜んだ。
味を抱き、今でも暇なときはいじっている。そし
最後にもう一人の忘れ難い社長のことを記して
を持ち、乱読した覚えがある。身に付いたものは
ここで、少し余談をしておきたい。2003年
て﹁ダークマター﹂︵暗黒物質︶の正体が明らか
山本義隆氏のこと
だったと思う。本の広告を見ていたら﹁山本義隆
になることを切望している。
学の卒業名簿を見ていたら木谷の前に木下とあ
おこう。福島民友の木下さんである。ある時、大
著 磁力と重力の発見﹂とある。あれっ、山本っ
て、あの全共闘の山本ではないかと思い付いた。
ばにできた記者クラブにいた。一晩近く続いた攻
ある。あの時、私は講堂近くの三四郎池のすぐそ
たが、地震が起きたその日、愛媛新聞にいた。そ
社との付き合いが多く、いろいろの新聞社を訪れ
最後に神戸大地震のことに触れておこう。加盟
れた。
て打ち解けたころ、突然こんなことを明かしてく
った。民友は読売と資本関係にある。何回か会っ
くして木下氏が福島民友の社長になったことを知
る。読売新聞の政治部長とある。それからしばら
防戦を取材しながら全共闘の学生はどんな気持ち
の時犬養社長︵当時︶から連絡があり、﹁神戸が
﹁僕 は ナ ベ ツ ネ に 追 い 出 さ れ て ね。 福 島 に 行 か
摩
なのか、彼らの主張はなかなかに難しく同調する
ひどい災害らしい。君、帰りに神戸に寄って見舞
んかと言われたんで、言ったんだよ。ボクは長州
ボク長州女房
気にはなれなかった。その年の秋、全国全共闘結
金を届けてくれないか﹂と言われた。
1969年、有名な安田講堂をめぐる攻防戦で
成大会というのが開かれ、その時山本義隆氏は逮
ギリシャのアリストテレスから始まり中世のルネ
著作である。早速買った。上中下に分かれ、古代
捕された。そのことが頭の片隅にあった時、この
でもう誰もいなかった。聞くと、神戸の西の郊外
の駅前にあったが、着いた時にはビルは倒壊寸前
調達し車で神戸までまず走った。神戸新聞は三宮
帰路まず大阪に寄り、ここで金庫から見舞金を
ドラマなどがよく会津の話を取り上げる。そのた
この社長は、昨年鬼籍に入った。NHKの大河
みて別に問題はないね﹂
んですか、とね。結局行く羽目になったが、来て
摩。それが会津に行っていい
サンスを経てニュートンの磁力、重力論に至る大
にいざという時の用意に西部分室をつくっている
の生まれ、女房は
著で あ る 。
びに思い出している。
運転手に道を指示して走りだしたが、両側のビ
で最も身近にいた人だった。
共同の犬養社長も今年遠い旅に出掛けた。共同
という。
大物理学科卒後、駿台予備校勤務とあるではない
ルの中にも半分倒れかかったものもあり、一向に
末尾の著者略歴を読んで﹁あっ﹂と言った。東
か。著作物に﹁アインシュタインの相対性理論﹂
( 26 )
No.648
メ デ ィ ア 展 望
2015.12.1
︵ジャーナリスト︶
小 池 新
構成 14
44
74
10
82
93
48
69
49
共同通信社主催のきさらぎ会
で講演する在りし日の後藤田
正晴氏(共同、1996年 9 月18
日、都内のホテルで)
地区で行われた集会に行ったが、本人は車の事情
でなかなか到着せず、つなぎに応援の弁士が次々
出てきた。やることもないので演説の内容をメモ
か ご
した。やっと本人が現れたが、話が下手。﹁駕籠
わらじ
に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人﹂という
ことわざを挙げ、﹁駕籠に乗せて箱根山を越えさ
せてくれれば、自分が草鞋を作るから﹂などと言
うが、役人のクセで〝上から目線〟だから、聴衆
に受けない。直後に会うと﹁前の弁士たちは何を
言っていたか﹂と問いただされた。メモをしてい
たから答えられ〝試験に合格〟した。結局、選挙
違反で大量の逮捕者を出した上、大差で落選。違
反のことは後日も怖くて聞けなかった。
その後も、東京での県人会の役員新年会で﹁年
頭の所感﹂を聞くほか、異動時にはあいさつに行
った。 ︵昭和 ︶年、念願のポストだった官房
長官になったが、 ︵昭和 ︶年まで官房副長官
を務めていたので﹁︵首相官邸内での官房副長官
席から官房長官席まで︶7、8歩の距離を歩くの
に 年かかったよ﹂と感慨深そうに話していた。
社会部長をしていた ︵平成5︶年、ゼネコン
( 27 )
自衛隊海外派遣﹁止めるのは新聞の役目﹂
39
14
いま後藤田正晴氏に思いをはせる
19
安全保障関連法が成立した9月 日は、ある官 度ならまだしも、必要な用件を伝えるためには、
僚出身政治家の没後 年の命日だった。元警察庁 無言でバーッと押してくる圧力に耐え、それを乗
長官で官房長官や法相、副総理などを務めた後藤 り越えなければ、相手として認めてもらえない。
田正晴氏。今回の問題について﹁彼が生きていた ちょっとでも目をそらしてはダメ。父について報
ら何と言っただろう?﹂と想像するのは私だけで 告した時の答えは﹁分かった﹂の一言だった。
はないはずだ。氏をひそかに﹁オッサン﹂と呼ん
いのうち
︻メ モ ①︼後 藤 田 正 晴 氏 は ︵大 正 3︶年、徳
で慕った井内康文・共同通信元社会部長に語って
もらった。〝カミソリ後藤田〟に思いをはせ、そ 島県東山村︵現吉野川市︶生まれ。東京帝大卒。
の言 葉 の 現 在 に お け る 意 味 を 考 え て み る 。
︵昭和 ︶年、旧内務省入省。台湾での兵役を
経て警視庁、警察予備隊本部、警察庁、自治省な
〝最 初 の 3 ∼ 4 分 が 我 慢 の 勝 負 〟
どの要職を歴任。 ︵昭和 ︶年から約3年間、
オッサンとは同じ徳島県出身。私の父は昔、県 警察庁長官。鋭敏さから﹁カミソリ﹂と呼ばれ、
会議員を務め、陳情や情報収集のため、上京して 退任後、田中角栄内閣の官房副長官を務めた。
県人の有力者を訪問するのが〝趣味〟で、オッサ
ンともそうした関係だった。私が初めて会ったの
オッサンが初めて出馬した ︵昭和 ︶年の参
は1971︵昭和 ︶年。父に言われ、その年に 院選は、現職参院議員と自民党同士の〝骨肉の争
行われた県議選の選挙結果を報告に警察庁長官室 い〟。オッサンを支援する田中首相と、対立候補
に行った。私は警視庁捜査一課担当の駆け出し警 を 推 す 三 木 武 夫 ・ 次 期 首 相 の 〝三 角 代 理 戦 争〟
察記者。本来は会える人ではなかった。オッサン 〝阿波戦争〟といわれ、現金が飛び交うすさまじ
と会った時は最初の3∼4分が〝我慢の勝負〟。 い選挙だった。当時は社会部の警察庁詰めだった
眼光が鋭く、一言も発しなくても威圧感がものす が、関係を知っていたデスクに﹁行ってこい﹂と
ごい。自分が試されていると感じる。あいさつ程 言われ、同僚記者と2人で徳島へ。吉野川上流の
57
73
10
46
No.648
メ デ ィ ア 展 望
2015.12.1
庁︵当時︶をコントロールする﹂意識がずっとあ
った。クーデターが怖いから、起こさせないため
の人事をするという問題意識。警備・公安のホー
プだった佐々淳行氏︵元内閣安全保障室長︶を出
向させた時も、当時の国島文彦警務局長が﹁重用
する﹂という念書を防衛事務次官から取った。そ
れも防衛庁を抑えるのが目的。﹁二・二六事件﹂
でボロクソにやられたことが大きかった。クーデ
ターを防げなければ戦争までいってしまう。そう
した意識は現場にも残っており、警視庁捜査一課
の刑事さえ、そんなことを言っていた。
︻メモ③︼ ︵昭和 ︶年の二・二六事件では、
警視庁が反乱軍に占拠され、警護の警視庁・神奈
川県警の警官計5人が銃撃などで殉職した。
︵昭和 ︶年に完成した現在の警視庁庁舎も
﹁二・二六﹂の反省の上に立っているといわれる。
よう さい
外敵にも耐えられる〝要塞造り〟。完成時、視察
に来た昭和天皇が﹁二・二六のようなことが起き
ても、今度は大丈夫だろうね?﹂と聞いた。今泉
正隆警視総監は﹁大丈夫です﹂と返答した。天皇
は帰りがけに引き返して念を押したという。いか
に軍のクーデターを恐れていたかということだ。
ところが、近年の警察のトップたちに聞くと、研
修で﹁二・二六﹂や文民統制のことなど耳にした
ことがないという。いつの間にか、それが当たり
前になった。きちんと伝えていくべきだ。
安保法が成立しても、自衛隊を海外に派遣すれ
ば、軍紀を保つために﹁憲兵﹂が要る。どうする
11
汚職事件が起き、自民党の大物政治家が逮捕され
るのではという情報があった。担当デスクに確認
を頼まれ、法務大臣室にオッサンを訪問。﹁どう
なりますか?﹂と聞くと、直接は答えず﹁あいつ
もかわいそうなやっちゃなあ。いつもそんなこと
を言われるんだ﹂と漏らした。﹁特捜検事の配置
表を毎日見ている﹂とも。﹁捜査の全体像は把握
しているから、逮捕はない﹂という示唆だった。
︻ メ モ ②︼ 後 藤 田 氏 は ︵ 昭 和 ︶ 年 の 衆 院 選
で初当選。以後、衆院議員を7期務めた。長く田
中派に所属し、当選2回での自治相をはじめ、中
曽根康弘内閣での2度の官房長官のほか、総務庁
長官、法相、副総理などを歴任。 ︵平成8︶年
の衆 院 選 に 出 馬 せ ず 、 政 界 を 引 退 し た 。
訪ねて行っても大体は雑談程度。どんなささい
なことでも情報を求める姿勢は強烈だった。オッ
サンに情報を上げる役目だった鎌倉節氏︵元内閣
調査室長・元宮内庁長官︶からも、会う度に﹁話
が あ っ た ら 、 何 で も い い か ら 教 え て﹂ と 頼 ま れ
た。一度﹁勝手連が徳島にもできる﹂という話を
伝え た ら ﹁ 大 変 喜 ん で い た ﹂ と い う 。
﹁昭 和 天 皇 は 責 任 取 ら ず ﹂ の 無 責 任
軍隊も天皇の軍隊。どちらも同じ天皇の下にいる
のに、内務省は軍を抑えられず、戦争になってし
まった。それが一番の反省だ。それで︵自衛隊の
前身である︶警察予備隊の警備課長兼調査課長と
して立ち上げに関わった際、法的にも人的にも文
民統制を確保しようとした。人事面で警察庁から
幹部を送り込んだのもそのためだ﹂
そうした意識が﹁いつの間にか弱くなってしま
っている﹂と言う。﹁どうしてですか?﹂と聞く
と﹁そもそも昭和天皇に問題がある﹂と答えた。
﹁退 位 す る と い う う わ さ も あ っ た が、 結 局 戦 争 の
責任を取らなかった。それで﹃ああいうことをや
っても責任を取らなくていいんだ﹄ということが
日本中にまん延してしまった。〝無責任日本〟の
始まりだ。もし天皇が退位でもしていたら、日本
は全く別な国になっていた。軍の暴走を抑え切れ
なかったのは新聞も悪い。日本人はカーッとなっ
たら、同じ方向に一斉に走りだす。壁に頭をブチ
当てて目から火花が出るまで止まらない。本来は
そうなる前に止めなければいけないが、新聞はか
えって火に油を注ぐようにしてあおった﹂
﹁自衛隊の海外派遣も、止めることが大切だし、
それは新聞の役目だ﹂と強調した。今年、防衛省
設 置 法 が ﹁改 正﹂ さ れ て 制 服 組 と 背 広 組 が 〝対
等〟 に な り ﹁文 民 統 制 が 崩 れ た﹂ と 指 摘 さ れ た
が、 オ ッ サ ン が 生 き て い た ら ﹁何 を や っ て る ん
だ﹂と言ったはずだし、猛烈に抵抗して実現しな
かったと思う。それがいつの間にか、そういうこ
とを許す社会にしてしまった。それは新聞も悪い。
私が警察庁詰めの頃は、庁内に共通して﹁防衛
( 28 )
36
55
76
引退してから、事務所を訪ねることが以前より
多くなった。自衛隊のイラク派遣をめぐって論議
ががたがたしていた頃﹁どうするんですかね?﹂
と問 う と 、 時 間 を さ か の ぼ っ て 話 し 始 め た 。
﹁︵自分の出身である︶内務省は天皇の内務省。
80
51
96
No.648
メ デ ィ ア 展 望
2015.12.1
戦争や軍に対するオッサンの基本姿勢を見る
のか。必要な予算についても国会では議論になら
なかった。今の装備でできるのか? 最低限の対 と、戦争中に台湾で主計将校として勉強したこと
応といっても、相手の国が軍備のレベルを上げれ の意味が大きい。兵たんが担当だから、そこで戦
ば、こちらも上げざるを得ない。結局、軍備がエ 争の実相を見抜いたのではないか。警察庁長官か
スカレートしていく。オッサンが官房長官だった ら官房副長官になったが、官房長官になるのに時
︵昭和 ︶年、政府は戦後初めて、防衛費の対 間がかかり過ぎた。総理にも、と思っていたかも
GNP︵国民総生産︶比1%枠を突破したが、同 しれないし、実際、次期首相選びが難航した時に
年1月に閣議決定された﹁今後の防衛力整備につ 擬せられたこともあった。しかし、糖尿病で倒れ
いて﹂には﹁文民統制を確保し、非核3原則を守 て緊急入院。それに高齢だったから、遅かった。
すごいと思うのは、政治家になり田中派に入っ
り つ つ、 節 度 あ る 防 衛 力 を 自 主 的 に 整 備 し て き
た。その方針は今後とも堅持する﹂と明記してあ ても、子分をつくらなかったこと。本当は他のほ
とんどの政治家に不信感を持っていたのではない
る。ここにオッサンの真意が込められている。
か。﹁エラそうなことを言っても、足元を見てみ
︻メモ④︼後藤田氏は自衛隊の海外派遣には終 ろ﹂﹁すねに傷を持ってるくせに﹂とよく言って
始慎重で、イラン・イラク戦争でペルシャ湾への いた。買っていたのは小沢一郎氏で、理由は、彼
武装艦艇派遣問題が起きた 年には﹁戦闘海域へ が小選挙区制を熱心にやろうとしたから。オッサ
の 派 遣 は 憲 法 上 無 理﹂ と 反 発。 計 画 を 撤 回 さ せ ンは、徳島がそうだったように﹁全県一区制が政
た。 ︵平 成 3︶ 年 の 国 連 平 和 維 持 活 動 ︵P K 治 腐 敗 の 根 源﹂ が 信 念 だ っ た。 後 に な っ て か ら
O︶協力法衆院通過の際も﹁自衛隊を一度でも海 は、警察庁の現役の後輩に評判が悪くなった。オ
外に出せば、無制限でどこへでも出ざるを得なく ッサンのところに人員増を陳情に行っても﹁人を
増やすより中身を良くしろ﹂と怒られて反論でき
なる ﹂ な ど と 反 対 し 、 本 会 議 を 欠 席 し た 。
ない。そのうち﹁警察出身なのに警察に厳しい﹂
﹁官 房 長 官 な ら 一 番 ﹂ だ が ⋮
と陳情に行くのを怖がるようになった。
安保法制? もちろん反対しただろう。認める
官房長官在任中の ︵昭和 ︶年9月、ソ連の
戦闘機による大韓航空機撃墜事件が起きた。防衛 はずがない。オッサンにとっては﹁右﹂からのク
庁は、撃墜命令の傍受記録を首相官邸より先に米 ーデターと﹁左﹂からの革命を防ぐのがテーマ。
軍に渡していた。オッサンは﹁アメリカが強引に かつての内務省はものすごい力を持っていたが、
国連で発表しそうだったので、その前に公表に踏 そ れ で も 軍 部 に 押 さ れ、 戦 争 を 防 げ な か っ た。
。そのことが一
み 切 っ た﹂ と 述 懐 し た。 そ う し な い と ﹁文 官 統 ﹁もっと何かできたのではないか﹂
制﹂ではなく﹁米官統制﹂になるところだった。 番悔しく、それが政治姿勢の〝背骨〟になってい
87
58
た。いま人物を振り返ってみると、官房長官なら
一 番 だ が、 首 相 と し て は ど う か な と い う 気 も す
る。下がついていけなかったのではないか⋮⋮。
︻メ モ︼後藤田氏は政界引退後もさまざまな役
職 を 務 めながら、テレビ番 組に出 演。﹁政 界のご
意見番﹂として、政治の現状に警鐘を鳴らす発言
を続け、特に﹁憲法改正﹂や自衛隊海外派遣など
の 動 き に は 強 い 危 惧 を 示 し た。 2005 ︵平 成
︶年、病院で内視鏡による精密検査を受けた際、
肺を傷つけて肺炎になり、9月 日、死去した。
19
政治哲学の全体像は未解明│構成担当者から
17
私は後藤田氏とは縁もゆかりもなく、会ったこ
ともない。﹁警察官僚出身で金権政治の権化﹂の
イメージを持っていた。しかし、井内氏の話や回
顧録などから浮かぶのは、全く異なる人物像。大
多数の意見にも流されない理知的・合理的な思考
と、判断に対する絶対的な自信、剛直な姿勢は、
官僚としても政治家としても異色で孤高だ。昔の
イギリスの政治家に通じるような骨格を感じる。
それでも、現役時代のタカ派ぶりと晩年のハト
派的言動の落差は大きい。戦時中の体験の意味が
重かったとしても、どこが分岐点なのかが見えな
い。 中 曽 根 元 首 相 の 行 財 政 改 革 を 高 く 評 価 し た
が、一方で、現在の安倍晋三首相の防衛・安保政
策の〝源流〟が中曽根政治にあることは間違いな
い。
そうした点をどう考えるのか。後藤田氏の政治
哲学の全体像はなお未解明だ。
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メ デ ィ ア 展 望
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調査報道の明と暗
崇城大学教授
10
井芹 浩文
20
取材過程の開示か情報源の秘匿か
最近、期せずして﹁調査報道﹂の重要性を指摘
する2本の記事が目に留まった。 月 日付朝日
新聞に載った北海道大学准教授で朝日新聞紙面審
議会委員の中島岳志さんの﹁わたしの紙面批評﹂
と 月 日付朝日新聞に掲載されたジャーナリス
トで東京工業大学教授の池上彰さんの﹁新聞なな
め読 み ﹂ の 寄 稿 だ 。
10
池上彰さんはこれに先立ち、朝日新聞の新聞週
間特集﹁朝日新聞は変わりましたか﹂の対談で、
﹁頑 張 っ て ほ し い の は や っ ぱ り 特 ダ ネ。 調 査 報 道
って大事だと改めて思うんです﹂とも指摘してい
た。同時に、この対談では、テレビでドキュメン
タリー番組が減少し、雑誌メディアでルポや事実
を追った原稿が少ないことを嘆いた。
日付寄稿では、 日付朝刊1面トップで報じ
た ﹁辺 野 古 環 境 委 員 に 寄 付 ・ 報 酬﹂ の 記 事 を
﹁調査報道の神髄を見た気がする﹂と珍しく褒め
上げた。特に、池上氏が高く評価したのは、取材
過程を開示している点だ。
確かに朝日新聞は、国の﹁普天間飛行場代替施
設建設事業に係る環境監視等委員会﹂の委員 人
全員の所属大学・法人に経理書類を情報公開請求
し、委員本人に直当たりして取材した結果として
報じている。
われわれ記者はかつて、しきりと﹁取材源の秘
匿﹂の重要性を教えられた。しかし、よく考えて
みると、取材源の秘匿と取材過程の明示とは相反
するようにも思える。実際、1980年、ワシン
トンポストのジャネット・クック記者が8歳の少
年の麻薬中毒を扱った﹁ジミーの世界﹂という記
事を書いて、ピューリツァー賞を受けた時、社内
で疑問の声が上がったものの、彼女は﹁情報源を
明かせば身に危険が及ぶ﹂として編集幹部にさえ
情報源を秘匿していた。
彼女のウソがバレるのは、ワシントン市長や市
警察の懸命の救出捜索にもかかわらず、少年を発
見できなかったことと、彼女の学歴詐称が判明し
たことが端緒になり、やがてジャネット記者は新
聞社幹部の聴取に対し虚偽報道を認めた。これも
まさに調査報道ゆえの事件だったということを肝
に銘じておかなければならない。
発表報道との対比
中島岳志さんも﹁圧倒的な速報性を持つインタ
ーネットが定着した今、﹃調査報道﹄こそが新聞
ジャーナリズムの生命線だろう﹂と、調査報道の
重要性を指摘。朝日新聞の最近の調査報道の具体
的な成果として、2014年7月から翌年3月ま
での﹁検証 集団的自衛権﹂と 年5月から始ま
っ た﹁ 年 目 の 首 相﹂シ リ ー ズ の﹁系 譜 編﹂﹁思
想編﹂﹁苦闘編﹂を挙げる。
筆者が注目したのは、中島さんが﹁調査報道﹂
を﹁発表報道﹂と対置していることだ。日本の報
道界の閉鎖性の象徴として記者クラブ制度が取り
上げられる。特に外国報道機関の記者からそうし
た指摘がなされ、一部のクラブは外国人に門戸を
開きつつあるが、発表報道のほとんどは、この記
者クラブを舞台に展開する。
記者クラブ制度の問題点は、﹁国内対外国﹂の
報道機関間の公平性・透明性という文脈で語られ
ることが多いが、それ以上に、﹁報道界対当局﹂
の力関係という磁場で考えた時、当局︵政治家で
あったり、官僚であったりする︶による記者コン
トロールの装置となっているのではないかという
ことだ。中島さんが指摘する﹁﹃発表報道﹄がメ
ディアを覆う﹂状況は、そうした情報操作を受け
やすい環境が出来上がってしまっていることも留
意しておくべきだ。もちろん発表報道の中には、
例えば最近のくい打ち疑惑で記者会見︵発表︶の
度に事実が次々と明らかになったことを考えれ
( 30 )
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13
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15
ば、当事者の首根っこを押さえてぎりぎりと記者
会見で追及することの重要性は言うまでもない。
それでもなお調査報道には発表報道にはない要
素がある。それは、①報道すべき価値そのものを
創造することさえある︵問題の発見︶②政治家や
行政担当者の価値観と違う視点から報じることが
できる︵視点の転換︶③競争的な取材の場合であ
る よ り、 単 独 の 取 材 と な る こ と が 多 い ︵独 立 取
材︶④何を取材するかは他からの強制でなく、強
い意思と目的意識の下に行われる︵取材意思︶
││
など の 特 徴 が あ る 。
そうした特性をわきまえた上で調査報道に力を
入れるためには、もう一つ重要な要素がある。単
に報道陣の個人技でなく、報道機関の﹁機関﹂と
し て の 意 思 決 定 も 必 要 だ。 編 集 主 幹 な り 編 集 局
長、担当部長の見識、戦略的判断もまた問われる
と言 わ な く て は な ら な い 。
出家詐欺報道と﹃クロ現﹄全体評価は別
そうした調査報道にも死角がある。NHKの報
道番組﹁クローズアップ現代﹂で取り上げた﹁追
跡〝出家詐欺〟∼狙われる宗教法人﹂の報道には、
調査報道︵しかも映像が伴うテレビ報道︶が抱え
る問題が多々、垣間見える。この問題は6月号で
も 取 り 上 げ た が、 新 た な 進 展 が あ っ た。 放 送 倫
理・番組向上機構︵BPO︶の放送倫理検証委員
会︵委員長・川端和治弁護士︶が 月6日、意見
書を 公 表 し た の だ 。
意 見 書 の 中 で は 二 つ の 論 点 を 提 起 し た。 一 つ
11
は、本来のやらせ疑惑についてであり、意見書は
﹁報 道 番 組 で 許 容 さ れ る 演 出 の 範 囲 を 著 し く 逸 脱
した表現と言わざるを得ない﹂と断じた。もう一
つは、政府・与党の介入についてで、
﹁放送の自由
と自立に対する圧力そのもの﹂と厳しく批判した。
放送倫理検証委員会は﹁報道は、事実を客観的
かつ正確、公平に伝え、真実に迫るために最善の
努力を傾けなければならない﹂との放送倫理基本
綱領に基づき審議し、その役割を十二分に果たし
たと言える。﹁第三者機関﹂というのは、政治権
力を背景にすることなく、放送機関に物申すとい
う極めて難しい立ち位置にあることは理解してお
かなければならない。
意見書に対する新聞各紙の報道は、またもメデ
ィアディバイド状態を呈した。それはまず見出し
の違いに端的に表れている。第1論点を専ら取り
上げたのが読売新聞で、本記の見出しで﹁BPO
わい きょく
﹃重 大 な 倫 理 違 反﹄
/ 演 出﹃事 実 を 歪 曲﹄﹂と し、
本文部の全 行のうち、第2点はわずか9行を割
いたにすぎない。社会面に載せた要旨の中では1
行も触れていない。サイド記事でも高市早苗総務
相の反論を載せるために3行だけ書いただけ。3
面 の﹃ス キ ャ ナ ー﹄で は﹁報 道 の 許 容 逸 脱 /
﹃隠
し撮り﹄相手と打ち上げ/
﹃突然の取材﹄を演出﹂
とNHKの非を華々しく報じており、読売新聞だ
けの購読者は、BPOの権力批判についてはほと
んど印象を残さなかったろう。
産経新聞もまた第1論点を重視し、
﹁
﹃NHK重
大な倫理違反﹄﹂を主見出しとしたが、副見出し
には﹁異例の政府批判﹂を取っている。
これに対し、朝日新聞は﹁自民聴取﹃圧力﹄と
批判﹂を主見出しに取り、毎日新聞も﹁BPO 異 例 の 政 府 批 判 / N H K や ら せ 疑 惑 ﹃放 送 ヘ 圧
力﹄﹂との見出しを掲げ、NHK に対する報道倫
理違反の指摘は二番手に置かれた。ちなみに共同
通信配信を基にした熊本日日新聞の見出しもこれ
と同工異曲で﹁自民聴取 圧力と批判/番組﹃重
大な違反﹄
﹂とした。
BPO意見書に対しては、安倍晋三首相が 日
の衆院予算委員会で﹁国会議員はNHK予算を承
認する責任がある。事実を曲げているかどうか議
論するのは至極当然だ﹂と反論。菅義偉官房長官
は﹁順守事項を単なる倫理規範だとするのは、放
送法の解釈を誤解している﹂と批判した。
本来、リベラルな立場かとも思われた谷垣禎一
自民党幹事長さえ、同様の問題があれば放送局側
からの聴取を行う可能性を否定しなかった。谷垣
氏は﹁﹃報道の自由があるから、やらせに対して
一切、口をつぐんでいる﹄というのがよいとは思
わない﹂と首相と同趣旨の主張をしたが、問題は
方法論であり、政権与党が党本部に放送局幹部を
呼んで聴取する手法自体が威圧的なのだ。
NHKの﹁クローズアップ現代﹂は、比較的良
質な調査報道を行ってきた番組だ。出家詐欺報道
の行き過ぎはあったにしても、そのことと﹁クロ
現﹂全体の実績や価値とを混同しないことも大事
だ。ただ来年4月の番組改変時に時間帯の移動な
どが取り沙汰されているのは気になるところだ。
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10
サイトの記者594人で、同弁公室では、 年末
容自体でネット世論が炎上し、当局への抗議や暴
動にさえつながる。 世紀に入って、多発する中
国の集団抗議事件は新興メディアの発展によって
にこれら のニュースサイトに属する記者全員に
記者証の発行を行う予定であり、引き続き民間の
触 発 さ れ る ケ ー ス が 目 立 ち、 こ の 青 書 の 刊 行 自
体、当局への危機管理対策の提言となっている。
こうした提言を受け、中国では胡錦濤総書記の
た。つまり、大衆のメディア利用が、既に伝統メ
て、メディア政策の転換が大きな課題となってい
通して、世論の管理を進めてきた中国当局にとっ
り、これまで新聞、テレビなどの伝統メディアを
中 国 で は こ こ 数 年、 新 聞 離 れ の 現 象 が 顕 著 に な
本連載で、これまで何度も触れているように、
ュースの取材、発信を同集団発行の新聞ニュース
とした情報発信サイト「澎湃網」を開始した。ニ
新聞グループ、「上海報業集団」が携帯電話を主
ニュースサイトに力を入れ、上海では唯一最大の
示している。指示を受けて伝統メディアも自身の
も就任以来、何度もネットを通した世論管理を指
の管理、誘導が課題となっている。習近平総書記
時代から、インターネットメディアを通した世論
ディアから、コンピューターや携帯電話などを通
の転載ではなく、傘下の「東方早報」の記者約2
息弁公室(インターネット情報事務室)」は
た っ て、 政 府 発 行 の 記 者 証 が 必 要 と さ れ て き た
と発表した。中国ではニュースの取材、編集に当
者、編集記者に対して、記者証を初めて発行した
事件・事故の最初の情報源は、ニュースサイトが
中国国内のインターネット上で議論の的となった
機管理報告」
(通称「世論情況青書」
)によると、
実際、2015年版の「中国社会輿論情況与危
信を行っている。従って、ニュースサイトの記者
版LINE)に、公式アカウントを持ち、情報発
を浴びてきた。また政府自身も微博、微信(中国
スには他のメディアにはない特ダネが多く、注目
の取材、発信に努めてきた。「澎湃網」のニュー
が、これまでは新聞やテレビなど伝統メディアの
ンターネットのニュースサイト記者も発行対象に
イト
か微博(中国版ツイッター) ・1%、政府系サ
・ 3% 、 テ レ ビ 5 ・ 4% の 順 と な っ て い
なったことで、一見規制緩和措置とも見える。だ
る。新興メディアが ・9%、伝統メディア ・
34
網」「新華網」「中国網」「中国日報網」「国際電視
今回、記者証の発行が認められたのは、「人民
ますますその傾向がはっきりしている。初報の内
年段階では伝統メディアが ・3%だったから、
1%と新興メディアの優位が歴然としている。
65
台網」「光明網」「中国青年網」など のニュース
10
がそ の 実 、 管 理 強 化 だ と の 批 判 も 出 て い る 。
13
41
対象となったニュースサイトの名称から分かるよ
と批判を残している。というのも、記者証の発行
しかし、今回の記者証発行は内外に大きな不満
記者証が出たのは機関メディアのサイト
していたといっても過言ではない。
への記者証の発行と記者の養成はむしろ遅きに失
迫られていた。
したインターネットメディア(新興メディア)へ
報道の中心はインターネットへ
にも対象を広げていく、と説明している。
ポータルサイトのニュースページを担当する記者
21
16
・0%でトップ、続いて新聞 ・8%、このほ
6日、インターネットのニュースサイトの取材記
11
記者にしか発行されていなかった。今回初めてイ
24
15
34
( 32 )
14
中国のインターネットを管理する「国家網絡信
高井 潔司
00 人 を「澎 湃 網」兼 務 と し て、「澎 湃 網」独 自
記者証発行で管理強化され
るニュースサイト
移っており、当局の情報発信、宣伝工作も転換を
中国
月
桜美林大学教授
14
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報」 な ど 共 産 党 や 政 府 の 機 関 紙 、 メ デ ィ ア ば か
チャイナデーリー)」、「国際テレビ局」、「光明日
「人 民 日 報」、「新 華 通 信 社」、「中 国 日 報(英 字 紙
うに、実は発行が認められたニュースサイトは、
あると判断しているのだろう。
も、機関メディアを通じて、管理しやすい環境に
傘 下 に あ り、 当 局 と し て は、 記 者 証 を 発 行 し て
と説明している。もともと当局の機関メディアの
材、編集チームは既に十分な検証を受けている」
が返ってくる。
理念を深く宣伝し、貫徹できる記者」という答え
治的に厳しい訓練に耐え、総書記のネット管理の
な記者が求められているのかという質問にも「政
ターネットメディアのツールの便利さもあるが、
そもそも、大衆のニュース受容の変化は、イン
り。 一 般 大 衆 が よ く 利 用 す る 「新 浪 網」、「騰 迅
網」 な ど の 民 間 ポ ー タ ル サ イ ト は 含 ま れ て い な
会的事件さえも当局の通達一本で報道できない伝
新聞、テレビが当局によって管理され、重大な社
これでは規制緩和どころか、管理強化が狙いで
統メディアの報道にあきれ、真偽はともかく情報
すばり「管理強化が狙い」
記者証の発行については、昨年、同弁公室と、
はと言いたくなるが、実は記者証発行開始を発表
があふれるインターネットに移ったという経緯が
い。 前 出 の 「 澎 湃 網 」 さ え 含 ま れ て い な い 。
これまで伝統メディアの記者証を発行してきた
した記者会見では今後の計画や目標などを聞か
インターネットメディアに移籍するケースが相次
「国家新聞出版広電(ニュース出版放送)総局」
管理の強化では、記者証の発行は1年更新とし
いでいた。制度が不備な空間を工夫して民間サイ
ある。それに伴い、これまで伝統メディアで華々
央の伝統メディアのうち機関メディアが開設する
審査結果によって資格停止する制度を設け、ブラ
トは活発な報道を仕掛けていた。記者証のない民
れ、同弁公室の姜軍メディア局長は臆面もなく、
第1類のニュースサイト、民間のポータルサイト
ックリストも作成し、ネット情報発信秩序の規範
間のネット記者も曖昧な管理の間隙を縫い、伝統
が連名で「ニュースサイトにおける新聞記者証の
が開設する第2類のニュースサイトに分類した。
化を進める。サービス改善では、記者証を保持す
メディアの報道不在を補ってきた。現実には大半
しい活躍をしてきた新聞記者、テレビキャスター
その上で、第1類のニュースサイトのみを対象と
る記者の正常な取材活動を保証し、同時に監督・
のニュースが機関メディアからの転載でしかなか
記者証発行の狙いについて、1に管理の強化、2
して記者証発行の申請を受け付け、1年間かけて
検査を強化して許可証の権利乱用を防止する。優
った民間のポータルサイトの方が、むしろ大衆の
審査、発行に関する通知」を発表した。通知は、
その審査を行ってきた。今回ようやく第1類のニ
秀作品のコンクールを実施して表彰を行う。3の
人気を集めてきた。
が、ニュース発信に対する管理が不備で、手薄な
ュースサイトへの記者証発行を実現したというこ
養成強化では、関係部門を動員してネット記者の
今回の措置は、記者証を持たない民間サイトの
にサービスの改善、3に養成の強化を挙げた。
と に な る。 し か し、 大 衆 に 人 気 の 民 間 の サ イ ト
専門指導と試験制度を実施し、党中央のインター
取材への管理強化につながりかねない。北京の大
その中でインターネットのニュースサイトを、中
は、最初から第2類に分別されて、記者証発行の
ネット上の宣伝と世論誘導工作の新しい任務を貫
衆紙「新京報」のニュースサイトの、このニュー
サイトは「厳格なニュース管理制度があり、良好
ニュースサイトがある。同弁公室では、第1類の
フトな言葉がちりばめられていたが、今回は「管
は、「報 道 の 多 様 化」と か「正 常 化」と い っ た ソ
従来、こうしたメディア政策の転換に当たって
見抜いている。
為をアウトへ」。大衆紙は発表の裏側をしっかり
網絡信息弁公室、民間のニュースサイトの取材行
スに関する速報の見出しが振るっていた。「国家
かんげき
対象 外 に な っ て い た の で あ る 。
徹するよう促す──と説明している。
な業務の訓練制度を持ち、全国人民代表大会(国
理の強化」が前面に押し出されている。どのよう
中国のインターネット上には現在、約200の
会 に 相 当) な ど の 重 要 な 宣 伝 報 道 に 従 事 し 、 取
( 33 )
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「 9 条」は「現実」に
さらされ揺れ動く
「思えば遠くへ来たもんだ」
ジャーナリスト
小池 新
今年も残り1カ月足らず。後になってこの年を
振り返る時、頭に浮かぶ映像は、
「新語・流行語大
賞」にノミネートされた「戦争法案」や「アベ政
治を許さない」と叫んで国会前を埋め尽くす安全
保障関連法案反対の群衆と、ラグビーワールドカ
ップで、日本代表・五郎丸歩選手がゴールを狙う
「五郎丸ポーズ」ぐらいではないだろうか。先月号
で「一過性」と書いた。時代の底では重大な変化
が起きて広がっているのに、表面では物事が次々
流れ去っていく──。そんな風潮が続いている。
けいちょう ふ はく
社会もメディアも軽 佻 浮薄と言わざるを得ない。
NHKBSで放送中の「刑事フォイル」という
イギリスのテレビドラマは、普通の推理劇ではな
い。 第 2 次 世 界 大 戦 中 の 地 方 都 市 が 舞 台 で、
要性を積極的に国民に訴えてもらいたい」と後押
し。安保法は、集団的自衛権行使容認などの点で
「実質的な改憲」ともいわれる上、6月の衆院憲
法審査会で、与党推薦の参考人が同法を「違憲」
と批判した責任を問われ 月 日、船田元・自民
党憲法改正推進本部長が更迭された。翌 日付朝
刊では、朝日が「首相の改憲戦略〝白紙〟」
、毎日
が「自民 改憲論議抑制へ」と報道した。
こうした流れに危機感を抱いたのか。産経は、
月2日付のコラムでジャーナリスト櫻井よしこ
さんが「今が憲法改正の好機」と指摘。憲法公布
から 年を迎えた3日の社説でも「安保法で終わ
りではない」と訴えた。改憲ムードの冷え込みを
防ぐため、比較的抵抗の少ない緊急事態条項に的
を絞って攻めておこうという、政権と軌を一にし
た狙いがうかがえる。読売も3日付朝刊の「論点
スペシャル」の中で、記者が「国民理解へ議論加
速を」として改憲の必要性を主張した。
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23
難問「攻めて来たらどうする?」
69
24
年以上前、ある勉強会で、最近亡くなった著
名な護憲派憲法学者の講演があった。質疑の時間
に私は聞いた。「第1章の天皇条項はどうするの
か?」。彼の答えは「いまそれを持ち出したら改
憲派の思うつぼ。だから、触らない」だった。こ
うした、憲法を金科玉条とする〝守旧的な〟態度
が、現在の憲法の危機を招いた要因だと私は考え
る。そうした、政権に批判的な護憲派に、安保法
審議の間も含めて投げ掛けられていたのは、具体
( 34 )
「 Foyleʼs War
(フ ォ イ ル の 戦 争)」 と い う 原 題 が
示すように、発生するさまざまな事件と、それに
関わる人々の生活には戦争が濃い影を落としてい
る。地味だが、戦争が市民にどんな影響を及ぼす
かを描いていて、今の日本ではまず作られないド
ラマだ。最近見た「ヒトラー暗殺、 分の誤算」
というドイツ映画も、普通の市民生活の間にナチ
スの影が徐々に侵入してくる描写にリアリティー
ふ かん
があった。視点を定めて経過を俯瞰し、そこから
真実を見いだそうとする姿勢が必要ではないか。
10
臨時国会召集見送りは民主党の責任?
11
13
政府・与党は首相の外交日程などを理由に、野
党の臨時国会召集要求を拒否。 月 、 日の両
日、衆参両院の予算委で閉会中審査に応じた。野
党は高木毅・復興相の香典支出などを追及した
が、時間切れ。在京紙の社説では、政権に批判的
な朝日・毎日・東京がそろって臨時国会開会を求
めたのに対し、読売は 日、「本来は召集するの
が筋だが」
「
(見送りに)やむを得ない面はある」
と苦しい弁明。日経は 日、「開かせたいなら世
論の追い風が必要。機会を生かせなかった責任の
大半は民主党にある」とした。私には逆立ちした
論理に思えるが……。安保法成立以降、内閣支持
率にもひどい落ち込みはなく、政府・与党はひと
まず〝ほとぼりを冷ます〟のに成功した形だ。
安倍晋三首相は両院予算委で、憲法「改正」に
よる緊急事態条項の新設について「極めて重く大
切な課題」と強調した。産経は 日の社説で「必
11
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メ デ ィ ア 展 望
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的な安全保障政策、突き詰めれば「では、敵が攻
めて来たらどうするのか」という問いだった。
朝日の佐伯啓思・京大名誉教授のコラム「異論
のススメ」は、例の「誤報事件」が連載のきっか
けだったか、異なった保守の視点からの評論で一
読の価値はある。7月3日付の同欄で同氏は「国
を守るのは誰か」と題して「野党がもしこれ(集
団的自衛権行使容認)に反対し、従来の平和憲法
のもとで対処できるというのなら、その根拠を示
さなければならないだろう」と書いた。毎日のコ
ラム「風知草」6月 日掲載分でも、山田孝男・
政治部特別編集委員が「(安保法案)反対派の批
判には国防全体を見渡す総合性がない。政府の情
勢認識は認めつつ、矛盾を突くが、では、どう国
を守るかという具体的構想はない」と指摘した。
両氏の論の根っこにあるのは「現実」であり、
そ の 範 囲 で は 正 論 だ。 た だ、 現 実 に こ だ わ る 限
り、理論的に安全保障に際限はない。「敵」が軍
備を増強すれば、対抗してエスカレートせざるを
得ない。一定の歯止めをかけるには、日米同盟と
いう名の下に、アメリカの〝核の傘〟に守られつ
つ対米従属を続けなければならない。イタチごっ
こで、日本が独自の立場をとるのは至難の業だ。
「左 折 の 改 憲 」 提 案 相 次 ぐ
29
一方、リベラルな立場から新たな「憲法9条」
の提案が相次いでいると、 月 日の東京「こち
ら特報部」と、 月 日付朝日朝刊の文化欄が取
り上げた。「専守防衛の自衛隊を明記」(ジャーナ
11
10
10
14
リスト今井一氏)「国連憲章重視・在日米軍の活
動制約」(伊勢崎賢治・東京外大教授)、「集団的
自衛権禁止を明記」
(映画監督・想田和弘氏)
……。
共通するのは、従来の「護憲」の位置から抜け出
そうという「積極的護憲主義」だ。中でも、文芸
評 論 家・加 藤 典 洋 氏は近 著「戦 後 入 門」
(ち く ま
新書)で①現在の自衛隊の戦力を国土防衛隊と国
連の待機軍に再編②交戦権を国連に委譲──など
の改憲案を示した。これまでの9条順守から一転、
憲法制定時の南原繁・東大総長らの国連中心主義
にルーツを求めた。朝日記事では「米国との同盟
から国連との同盟への転換」と説明している。
私にはこれらは、「攻められたらどうするか」
と「日本独自の立場をどう取るか」という、二つ
の現実的な問いに対する苦渋の回答に思える。前
にも書いたが、私は憲法全体を今のまま守るべき
だとは思っていない。作家・池澤夏樹氏が朝日の夕
刊コラム「終わりと始まり」4月7日分で書いた
「左折の改憲」の試みは当然だし、必然だろう。
憲法9条は「現実」にさらされ、揺れ動いてい
る。それにしても、「自衛隊違憲」が叫ばれたこ
ろから考えれば隔世の感。「思えば遠くへ来たも
んだ」という思いは拭えない。しかし、そもそも
憲法は、現実的かどうかということだけで判断す
べきものなのだろうか。石橋政嗣・元社会党委員
長が1980(昭和 )年に書いた論考に、評論
家・大塚英志氏が解説などを付けて2006年に
出版した「非武装中立論」(明石書店)という本
がある。その中で大塚氏は、非武装中立論を「い
まだ机上の空論にもなり得ていない」と認めた上
で、日米同盟強化などの安全保障論自体が空論か
不健全な論だと断言。「対極にある選択の一つと
して、非武装中立論は改めて語られなくてはいけ
ない」と訴える。私もほぼ同感だ。確かに、非武
装中立論は現実的とはいえず、最近は論議の対象
にもならない。しかし、「現実」の方向性が本当
に 正 し い も の な の か ど う か、 対 比 し て 検 討 す る
「基準点」として、遠く輝く北極星のように、頭
に置いておかなければならない理念だと思う。
28
20
( 35 )
再審決定事件の報道、検証すべきだ
1995(平成7)年に小6女児が自宅浴室で
死亡した大阪市の火災で、殺人などで無期懲役が
確定していた母親らの再審開始が 月 日、確定
した。車から漏れたガソリンの自然発火の可能性
が強いというのが大阪高裁の決定理由。 年前の
逮捕当時の大阪の各紙紙面を見ると、「保険金目
当ての放火殺人」という警察の〝見立て〟通りの
報道が目立つ。「浪費たたり借金漬け」、「気づく
のを遅らせるためシャワーを浴びさせた」、「『助
けて』はカムフラージュの演技?」
…。
私も警視庁詰めの経験がある。事件取材の情報
源がほぼ警察一本になってしまうことは知ってい
るし、人ごとだとは思えない。しかし最低限、再
審が決まった段階で、当時の自社報道を検証すべ
きではないか。今回は、東京が 月3日の「こち
ら特報部」でメディアの責任に触れただけ。これ
では読者=国民の信頼を得るのは難しい。
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欧州
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読者とのつながりがより重要に
欧州メディアのトレンド報告
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在英ジャーナリスト
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ぎん こ
小林 恭子
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99
90 11
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20
ン)が開催された。
ービス「エスプレッソ」を始め、毎朝、5本の短
いニュースを配信する。エコノミスト本誌の記事
ではなく、分かりやすい文章によるミニニュース
を別個に作っている。5本の中で1本は無料で読
めるが、全部読む場合は月に2・ ㍀(約460
円)の有料購読となる。 年 月のサービス開始
から カ月で、専用アプリは 万回ダウンロード
された。仏夕刊紙「ルモンド」は、毎朝 本を配
信するサービスを開始。3分の1までは無料で、
全部読む場合は月に6・ ユーロ
(約930円)を払
う仕組みだ。
トレンド③は「政府や大手メディアによる新興
ニュースメディアへの支援」だ。オランダでは1
970年代から政府が「ジャーナリズム基金」を
設置して、財政困難に陥ったメディアを支援して
いるが、 年からは新たなメディアの立ち上げを
中心に力を貸している。年間購読制を取ることで
じっくりとジャーナリズムに取り組む「コレスポ
ンデント」や記事を1本ごとに購入できる仕組み
の 「ブ レ ン ド ル」 は 基 金 の 支 援 を 受 け て 成 長 し
た。
ブレンドルには米紙ニューヨーク・タイムズや
ドイツの新聞大手アクセル・シュプリンガー社が
出資もしている。
ドイツの週刊新聞「ディー・ツァイト」は若者
を起用してニュースサイト「 zett.de
」を 立 ち 上 げ
たほか、独ニュース週刊誌「シュピーゲル」も若
者向けに「 bento.de
」を開始している。
アクセル・シュプリンガー社は9月末、米新興
10
広告収入よりも購読料が幅を利かせる
トレンド①として、「世界の新聞業界全体では
広告収入よりも購読・販売収入が大きくなったこ
と」 が 挙 げ ら れ る。W A N ─ I F R A は 毎 年、
「世界の新聞トレンド」をまとめ、発表している。
エキスポの会場に置かれた最新のトレンド・リポ
ート(実質的には2014年の数字)によると、
新聞業界の収入の %は紙の販売(購読料、広告
収入など)から生じている。ネットニュースが拡
大しているが、紙版はまだまだお金を稼げる状態
だ。しかし、収入の内訳を見ると異変が起きてい
た。紙版・電子版の販売から生じる収入が広告収
入を初めて上回ったのである。WAN─IFRA
れい
は「分水嶺の年」と呼ぶ。お金を払って買う人=
購読者=が新聞業をより大きく支えている。
トレンド②は、「モバ イルでの閲読が前提」で
あることだ。目新しいトレンドに思えないかもし
れないが、スマートフォンでニュースを見ると、
見出しが途中までしか入っていないことがありが
ちで、メディア側には本腰の対応が求められてい
る。
動画をスマホ画面に合うように縦型で出す、1
人で視聴することを前提に「語り掛けるようにリ
ポートを作る」(BBC 動画担当者)といった工
夫のほか、スマホ専用のニュースサービスを老舗
メディアが開始している場合もある。例えば英ニ
ュース週刊誌「エコノミスト」は早朝ニュースサ
2015年末時点で、欧州を中心としたメディ
アのトレンドは何か。 月に独ハンブルクとベル
リンで開催された二つのメディア会議を通して見
えて き た 、 幾 つ か の 特 徴 を 拾 っ て み た い 。
ハンブルクで開催されたのは「世界出版エキス
ポ」( 月5日から7日まで、世界新聞・ニュー
ス発行者協会=WAN─IFRA=主催)だ。W
AN─IFRAは世界の新聞社の国際的組織で、
日本も含む120カ国以上の3千余の企業が会員
とな っ て い る 。
ベルリンでは国際テレビ会議「 News Xchange
(ニュース・エクスチェンジ)」( 月 日と 日
が本会議、 日がワークショップ、主催は欧州放
送連合=EBU=傘下にある組織、ユーロビジョ
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ビジネスサイト「ビジネスインサイダー」を巨額
で買収し、業界を驚かせた。デジタルメディアへ
の転換を模索する既存メディアによる新興ネット
メデ ィ ア 買 収 は 今 後 も 拡 大 し そ う だ 。
日本でもサービス開始間近の、米のバイラルサ
イト「バズフィード」。英国では老舗ガーディア
ン紙をはじめ、大手メディアからバズフィード英
国版への人の移動が目に付くようになってきた。
以上、エキスポでの発見である。
読者とつながる試み
トレンド④は「読者との関係性(リレーション
シップ)を築くこと」。平たく言えば、「つながる
こと」だ。これまでは、新聞は不特定多数の読者
に向かって、編集部が「知るべきこと・読むべき
こと」を決定して、提供してきた。これからは、
読者一人一人と新聞とがつながり、一つのコミュ
ニ テ ィ ー を つ く る 方 向 に 向 か う。 ト レ ン ド ① の
「 読 者 の 購 読 料 が 新 聞 業 を 支 え る」 こ と に も 重 な
って く る 。
「 ニ ュ ー ス ・ エ ク ス チ ェ ン ジ」 で は こ の 流 れ に
沿ったさまざまな試みが紹介された。この会議に
は主としてテレビ局の編集幹部が出席するが、報
道メディアとしてはテレビも新聞も同じであり、
ネット時代に抱える課題も似ている。不特定多数
の視聴者に番組を流すのがテレビ局の仕事だが、
もはや「上から目線」だけでは十分ではなくなっ
たし、これを承知の上で、各メディアが動いてい
る。
ニューヨーク・タイムズのデジタル化戦略につ
いてのリポート執筆者の一人、アダム・エリック
氏 は 会 議 の 中 で、 同 紙 の 編 集 ス タ ッ フ の 仕 事 は
「原稿を作って、掲載した後に始まる」という。
ウェブサイトに記事を載せただけでは半分しか仕
事をしたことにならない。記事をソーシャルメデ
ィアで拡散する、データを使って最も効果的な拡
散方法を考案することが大事になるという。
トレンド④を推し進めた形となるのがトレンド
⑤で、「ソーシャルメディアを含む、利用者が生
み 出 す コ ン テ ン ツ (ユ ー ザ ー ・ ジ ェ ネ レ ー テ ッ
ド・コンテンツ=UGC)の活用」である。UG
C と い う 言 葉 や 考 え 方 自 体 は 新 し く な い。 し か
し、「素人が作った、あるいは目撃した情報など
のコンテンツを、プロが自分たちのコンテンツの
完成度を高めるために使う」という解釈では十分
に説明し切れないほど、UGCの重要度が大きく
変化している。
ネット上には情報があふれている。ソーシャル
メディアの世界にはいわゆる「素人」が発信する
情報とプロの記者が出した情報とが混在してい
る。 情 報 が あ ふ れ て い る か ら こ そ、「信 ぴ ょ う
性・信頼性」がさらに重要になってくる。火事が
発生した時、その場にいた人が撮影した画像は信
ぴょう性が最も高い。素人かプロかではなく、そ
のコンテンツに信ぴょう性があるかどうかが、問
われるようになっている。
ニュース・エクスチェンジのワークショップの
一つは、アイルランドで 年前に生まれた「スト
ーリーフル」による検証方法を取り上げた。スト
ーリーフルは、独自に編み出したアルゴリズムを
使ってソーシャルメディアをモニターし、「次に
何がトレンドになるか」を探し出す。事件・事故
が発生すれば、現場で撮影された画像・動画を見
つけ、これが本当にそこで撮影されたのかどうか
を確かめる。画像を撮った人物に連絡し、状況を
聞き出し、グーグルマップなど複数のツールを使
って、検証する。現地にいるジャーナリストに連
絡 を 取 り、 ど こ で 撮 ら れ た 画 像 な の か を 確 認 す
る。 信 ぴ ょ う 性 が 十 分 に 保 証 さ れ た と 確 信 す れ
ば、ストーリーフルは該当する画像が本物である
ことをテレビ局などに伝える。
ストーリーフルが「信頼できる」と認定した画
像・動画は素人が撮影したか、あるいはプロのも
のだったのかは関係がない。以前は一段低いもの
と見なされていたUGCはニュースの素材を提供
する生態圏にすっかり溶け込んでいる。
読者の関係性の重要性を近年、アピールしてき
たのが、米ブログサイト「バズマシーン」のブロ
ガーで、ニューヨーク市立大学のジェフ・ジャー
ビス教授だ。
ニュース・エクスチェンジの最後のセッション
に登壇した教授は「マスメディアは死んだ。これ
からのメディアは一人一人の利用者と関係性を築
くために奉仕する存在になる」と述べた。挑発的
な物言いに聴衆の大部分が面食らった表情を浮か
べていたものの、「読者とのつながり」が重視さ
れるのは当たっているような気がした。
( 37 )
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でどうするか」などと荒木に迫った。しかし「閣
僚の中で誰一人として自分を支持する者はなかっ
た」と原田に語る。テロの恐怖と憲兵による抑圧
に、政治家の沈黙が始まっていた。
中野正剛を自殺に追い込む
43
東条「憲兵政治」の
実態
( 38 )
私兵化させ権力維持に使う
年2月1日、貴族院本会議。東条は戦争に敗
れるのは「第一に陸海軍が割れる時、第二は民心
が割れる時」だとし、陸海軍が割れることはない
から「国内の結束を乱す言動に対しては徹底的に
今後もやっていく。たとえその者がいかなる高官
であろうと、容赦はいたさない」と言明する。こ
の議会では「戦時刑事特別法」の改正法が成立し
「国政変乱罪」が新設される。
「国政を変乱しその
びんらん
他安寧秩序を紊乱することを目的として著しく治
安を害すべき事項を宣伝したる者」への処罰が新
設された。東条の言明を法律化した内容で、内閣
打倒の活動・言動や政府批判は封殺される。
この時期、ミッドウェー戦での大敗、攻防が4
カ月に及んだガダルカナルからの撤退、ニューギ
とうしょ
ニアの島嶼で日本軍の玉砕が始まっていた。勝っ
た勝ったという虚偽の大本営発表、ガダルカナル
からの撤退を「転進」と称しても、戦争の先行き
や東条に対する不安と不信が国民の間に広がりだ
していた。改正法の狙いは東条批判を抑え込もう
ということにあった。
内大臣『木戸幸一日記』 年 月 日、全国の
警察を指揮する内務省の町村金五警保局長が報告
に訪れる。「今朝六時を期し、中野正剛以下東方
21
共同通信社社友
持が東条を経て、全部の官吏に伝らず、又東条の
気持も国民に伝らず、評判が悪くなった。この三
つではないかと思う」。大きな要因の第二に挙げ
られたのは「憲兵政治」という手法である。
憲兵は陸軍相の指揮下にあり、本来は海軍を含
め た 軍 人 と 軍 属 を 対 象 に、 そ の 非 行 や 不 正 を 監
視 ・ 摘 発 し て 「軍 隊 の 秩 序 を 維 持 す る」 の が 任
務。それが 年の満州事変を契機に、軍部が台頭
するにつれて憲兵が権力を振るいだし、内務省傘
下の特別高等警察(特高)と並んで政治家、新聞
人、言論人はもとより一般国民を監視・弾圧する
組織になっていく。
原田熊雄著『西園寺公と政局』 年1月 日の
まこと
記 述。 斎 藤 実 内 閣 の 閣 議 で、 剛 直 な 高 橋 是 清 大
蔵相が荒木貞夫陸軍相を詰問する。
「今の日本に、
よ ろん
こくろん
輿論とか國論とかいふものは全くありはしないじ
ゃないか。ちょっとでも軍部の不利益なことを言
へば、すぐに憲兵が來て剣をガチャガチャやった
あっぱく
り、拳銃を向けたり威嚇する。言論の壓迫今日よ
り甚だしきはない」
「まるでスパイ政治のやうに、
憲兵が一々政治家を尾行したり、とにかく甚だけ
しからん」
高橋は、前年の五・一五事件のとき菊竹六鼓編
集局長・主筆が軍部批判と憲政擁護の論陣を張っ
た福岡日日新聞(現・西日本新聞)に対し、爆撃
機を飛ばして社の上空から威嚇したことや、取材
に訪れる新聞記者たちが「私達もまるっきり言い
たいことが言へない状態です」と嘆いていること
ごと
を挙げ「君の監督下にある憲兵がかくの如き状態
10
国分 俊英
19
18
東 条 英 機 内 閣 が 1944 ( 昭 和 ) 年 7 月
日、総辞職した。首相就任時から陸軍相を兼任し
て2年8カ月間、太平洋戦争を主導、新設した軍
需 相 に も 就 任 し、 こ の 年 2 月 に は 参 謀 総 長 を 兼
任、戦争遂行の4役を一手に握っていた。東条の
言いなりだったことから「東条の副官」とやゆさ
れた嶋田繁太郎海軍相にも軍令部総長を兼任させ
た。政治、軍政、統帥(作戦・用兵)の権限を独
占し 独 裁 体 制 を 築 い て い た 。
『昭和天皇独白録─寺崎英成御用掛日記』。その
東条が退陣に追い込まれたことについて、天皇は
あま
こ う 語 る。「一、マ リ ア ナ の 失 陥 二、余 餘 り に
憲兵を用い過ぎて、国民の感情を害した事 三、
ため
餘り多くの兼職を持ち、多忙を極め、為に私の気
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、それが不十分と知
会関係、天野辰夫以下まことむすび関係(略)約 「議員の身分保障(に関わる)
八十名を検挙す。(略)戦時刑事特例法の被疑事 らば(政府に協力してきた)議員が反対の心持に
件として処置する見込みなり」「三田村武夫の証 なる恐れがある」と反対。未明までの論議は、結
拠品中に閣員名簿あり。首相宇垣(一成、陸軍) 論が出なかった。
東条が指示した行政拘束は予審判事により却下
大 将、内 相 中 野 正 剛(略)等 の 顔 振 な り」。中 野
も三田村も衆院議員。東条内閣を打倒し、宇垣内 される。中野は警視庁から釈放されると、東京憲
閣樹立を企てたとし、この改正法を適用し警視庁 兵隊の四方涼二隊長が直ちに憲兵隊に拉致する。
しかし、判事の決定に反して拘束して置くわけに
に留 置 し た 。
右翼団体・東方会を主宰していた中野は 年か はいかない。中野は帰宅となったが、監視の憲兵
ら「吾に自由を与えよ、然らずんば死を与えよ」 2人が付く「自宅軟禁」だった。四方は東条の腹
などと演説し、激しい東条批判を展開し始めてい 心の一人。議会閉幕を待って本格的に取り調べを
た。 年元日付朝日新聞に中野が寄稿した「戦時 始めるための措置だった。中野は帰宅翌日、自殺
宰相論」が東条の目に留まった。「朝食の卓上こ する。東条の弾圧が引き金だったことは間違いな
れを一読するなり、怒気満面、傍らの電話を取り い。
上げ、彼自ら情報局に朝日新聞の発売禁止を命じ
情報、脅しなどにフル活用
た」(朝 日 新 聞 主 筆 ・ 緒 方 竹 虎 著 『人 間 中 野 正
剛』)。東条は中野に含むところが多くあったので
中野事件は憲兵の「私兵化」を象徴するものだ
ある 。
が、四方指揮下の憲兵隊は東条政権維持のために
その3日後、東条は首相官邸に内務、司法、国 狂奔する。 年6月 日「絶対国防圏」の要衝で
務の各閣僚それに法制局長官、警視総監、警保局 あ る マ リ ア ナ 諸 島 の サ イ パ ン に 米 軍 が 上 陸 を 開
長、検事総長、東京憲兵隊長を招集し、中野に強 始、マリアナ沖海戦でも敗北、戦局はもはや絶望
硬措置を取るよう号令する。『東条内閣総理大臣 的となった。東条内閣打倒、終戦に向けての動き
機密記録』によると、東条は「中野一派の行為は が重臣(首相経験者)
、議会の双方から本格化する。
ま
い
許すべからざるものだ」「法を枉げてやれとは云
重臣の中心は岡田啓介。近衛文麿、米内光政、
っ て お ら ぬ。 法 の 解 釈 で 合 法 的 に や れ な い か」 平沼騏一郎、若槻礼次郎が同調した。東条体制を
と、起訴を前提とした行政拘束の発動を迫る。し 崩すため岡田は、まず海軍内で不評の嶋田海軍相
かし、松坂広政・検事総長は議会召集が翌日に迫 を辞めさせる作戦を立て6月 日、東条に会う。
その様子を岡田から聞いた近衛は『近衛日記』
っており「議会中、議員を行政検束するのは憲法
あなた
上間違っている」、衆院議員の大麻唯男国務相も に記す。「東条はイキナリ、貴方の行動は情報で
皆 知 っ て い る。 こ れ は 倒 閣 の 陰 謀 だ」 と 拒 否 し
た。
「情報」とは岡田ら重臣たちを憲兵が見張り、
尾行、盗聴して集めたもので、東条は「おつつし
みにならないと、お困りになるような結果になり
ますよ」(『岡田啓介回顧録』)と脅したという。
首相秘書官・赤松貞雄(陸軍大佐)の『東条秘書
官機密日誌』によると、「策動している連中を一
時拘束して、裏面工作を阻止すべきである」とい
う 強 硬 論 も 出 て い た。 中 野 に 対 し た と 同 じ 手 法
で、東条がそれに乗っていた節もうかがえる。し
かし「佐藤賢了(陸軍)軍務局長の意見」で取り
やめになったという。
議会にも憲兵が出張って議員を監視していた。
みさお
衆院書記官長(現・事務総長)であった大木操の
『大 木 日 記』 7 月 日 ─「武 知 (勇 記) 氏 等 十 数
名、憲兵隊に呼び出され、悲観論的なことは慎む
よう言われた由」。憲兵隊が反東条の衆院議員を
人以上呼び付けていたのである。唯一の政治団
体「翼賛政治会」しかなかった議会は、それまで
陸軍相と海軍相から戦況報告を受け、「陸海軍に
感謝決議」するだけだったが、7月6日の翼賛政
治会の代議士会は「その空気は東条内閣引退一点
張りの如し」(
『大木日記』
)
。
東条は、内閣改造により挙国一致体制を作るこ
とで政権維持を図ろうとする。しかし、木戸幸一
内大臣ら宮中、重臣、議会の包囲網により改造す
ることができず、総辞職する。守備隊と民間人4
万人以上が玉砕したサイパン陥落の 日後であっ
た。
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る中国の介入がデモのきっかけとなった。
●特派員リレー報告 ︵ ︶
これまでの長官は、金融業界や建設業界などの
各業界代表と立法会や区議会の議員ら1200人
香港雨傘運動1年、しぼむ民主化機運
か ら 成 る ﹁選 挙 委 員 会﹂ が 投 票 し て 決 定 し て い
中国対抗への恐怖とあきらめがまん延
た。選挙委員は、中国との結び付きの強い業界団
せり
た
体から多くが選出されるため親中派が大多数を占
共同通信社香港支局長 芹 田 晋 一 郎
め、 民 主 派 の 当 選 は 不 可 能 な 仕 組 み と な っ て い
香港で昨年9月末から約2カ月半にわたって、 する恐怖と、抵抗は無駄だというあきらめがまん る。 年に行われた長官選では、親中派の梁氏は
民主化を求める学生ら最大 万人が中心部の幹線 延し、デモ当時の熱気はうそのように消え去って 689票を獲得して当選。同じ親中派で対抗馬だ
道路を占拠した﹁香港大規模デモ﹂が発生した。 しまった。香港社会はデモ賛成派と反対派に真っ った香港政府前政務官、唐英年氏は285票、民
警官隊が使用した催涙スプレーに対し、学生らが 二つに分断され、統率力を欠いた民主派は立法会 主派最大政党・民主党主席の何俊仁氏はわずか
雨傘を開いて身を守ったことから﹁雨傘運動﹂と ︵議会︶議員などの旧来の勢力と若者との間に深 票だった。
呼ばれ、1997年に英国から中国へ香港の主権 い亀裂が入った。デモを主導した学生団体﹁香港
この選挙制度について、中国全国人民代表大会
が返還されて以降では最大の混乱だった。背景に 専上学生聯会︵学聯︶﹂の当時の代表、周永康氏 ︵全人代=国会︶常務委員会が昨年8月 日、
﹁市
は、影響力を増し続ける中国に対する若者の警戒 ︵ ︶=香港大5年=は、デモ発生から1年を前に 民1人1票﹂の〝普通選挙〟を初めて長官選に導
感や 嫌 悪 感 、 不 信 感 が あ っ た 。
し た 筆 者 の イ ン タ ビ ュ ー に 対 し ﹁運 動 は 失 敗 し 入する改革を決定した。だが﹁選挙委員会﹂と同
だが中国から民主化に向けた譲歩を勝ち取るこ た﹂と総括し﹁デモは中国を利することになって じ方法で選ぶ﹁指名委員会﹂を発足させ、指名委
とはできず、具体的な成果は何一つないままにデ しまった﹂と語った。香港の民主化機運は急速に 員会の過半数の支持を得た2、3人が普通選挙に
モは警官隊の強制排除によって終了した。中国政 しぼみ、民主派が新たな闘争目標も設定できぬま 立候補できるとの規定も同時に決めた。この方法
府は、デモ主導団体幹部の学生らに対して中国入 ま中国の攻勢に歯止めをかけられない厳しい局面 では、指名委員会の大多数を親中派が占めること
境を禁じる﹁ムチ﹂で締め付けを強化。その一方 を迎えている。
となり、反中意識の強い民主派は過半数の支持を
で、中国マネーによる不動産投機などで住宅価格
得 ら れ な い た め 出 馬 で き ず、 有 権 者 は ﹁1 人 1
催涙弾が拡大の〝決め手〟
が高騰を続け、若者の間で家が買えないことへの
票﹂を行使できるが、誰を選んでも親中派の行政
不満が高まっていることに配慮し、香港政府が安
香港は中国に主権返還後、共産党の一党独裁下 長官が誕生するという構図となる。
価な公共住宅を大量供給する﹁アメ﹂の対策も打 にある社会主義の国にあっても資本主義を保障す
この決定に反発したのが民主派の各勢力で、誰
ち出 し た 。
る﹁一国二制度﹂が採用され﹁高度の自治﹂を享 でも立候補できる〝真の普通選挙〟を求めて全人
中国経済に大きく依存する香港で、中国に行け 受している。この制度下で香港政府トップを務め 代に決定の撤回を要求した。戴耀廷・香港大准教
ないことは就職を控えた学生には大きな痛手だ。 るのが行政長官で、2017年に現在の梁振英長 授 や 陳 健 民 ・ 香 港 中 文 大 准 教 授 ら 3 人 が 始 め た
デモ発生から1年がたち、若者の間に中国に対抗 官の任期満了に伴う選挙がある。この選挙をめぐ ﹁愛と平和のセントラル︵中環︶占拠運動﹂グル
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り、 日︵日︶未明に戴氏が若者の熱気に押され で、中国の決定のどこに問題があるのかを正確に
る よ う に ﹁中 環 占 拠﹂ を 前 倒 し で 開 始 す る と 表 理解している人は驚くほど少なかった。では何が
明。同日夕方から数万人規模の若者が本部庁舎前
万人もの香港の人々をデモ参加に駆り立てたの
周辺の歩道に続々と集まって来て、人が車道にま だろうか。
であふれ出す形で誰も意図していなかった幹線道
最も大きな要因は﹁嫌中感情﹂の高まりだ。香
路の占拠が始まった。これが 日間に及んだ﹁雨 港では貧富の格差が急激に拡大しており、約72
0万人の全人口のうち5分の1は貧困層で、上位
傘運動﹂の発端だ。
若者が占拠した道路は、香港東西を結ぶ最重要
%の富裕層が富の ・5%を支配するいびつな
道路で、警官隊は 日夕から 日未明にかけて
社会構造となっている。そこに大量の中国マネー
発もの催涙弾を発射して強制排除を試みた。しか が不動産投機などで流入して住宅価格は上昇を続
しデモ隊は催涙弾が爆発した瞬間は逃げるが、煙 け、 将 来 へ の 不 安 を 募 ら せ る 若 者 に は 特 に ﹁嫌
が薄くなるとすぐに戻って来るといういたちごっ 中﹂が広がっている。これに拍車を掛けるのが中
こで排除に失敗。さらに一般市民からも﹁若者に 国人観光客のマナーの悪さだ。昨年香港を訪れた
向けた催涙弾の発射は許せない﹂と警官隊に強い 中国人は前年比 %増で、延べ約4720万人に
批判が巻き起こり、 日には同調する市民らも巻 達した。香港の人口の6倍以上で、全旅行客の8
き込んで金鐘に加えて九竜地区の繁華街、モンコ 割を占める。だが中国人の親が、香港の地下鉄車
ック︵旺角︶と香港島の繁華街、コーズウェイベ 内や繁華街の歩道で子供にしゃがんで用を足させ
ている様子が動画でネットに投稿されて大きなニ
イ︵銅鑼湾︶でも幹線道路を占拠した。
長官選をめぐる中国の決定に反発する一連の抗 ュースになるなどマナーの悪さは社会問題化。中
議行動に対して、警察が次々に繰り出す強硬対応 国人排斥を訴えるグループも多数現れた。
﹁雨傘運動﹂の最中、香港有数の百貨店がそび
に反発する形でデモ隊は日を追って膨れ上がり、
催涙弾使用が〝決め手〟となってデモは一気に3 え立ち、多くの貴金属店が並ぶ一大繁華街である
カ所にまで拡大した。大規模デモ発生は、後手の 銅鑼湾のデモ拠点で連日寝泊まりしていた会計士
の男性︵ ︶に話を聴くと﹁中国人が香港に来な
対応に終始した警察の明らかな失態だった。
くなっても全く問題ない﹂と言い切った。銅鑼湾
香港を取り戻す闘い
には昔はおもちゃ屋や文房具屋、小さなおかゆ屋
だがデモに加わった人が、本当に皆﹁真の普通 などが立ち並んでいたといい、 歳の頃両親に連
選挙﹂を求めていたかというと実態はかなり違っ れ ら れ て 来 て、 当 時 香 港 で 大 人 気 だ っ た ア ニ メ
た。先述したように長官選の仕組みはかなり複雑 ﹁機動戦士ガンダム﹂のプラモデルを買ってもら
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ープは、香港中心部のビジネス街﹁中環﹂の車道
に1万人以上で座り込んで占拠する抗議活動を行
うと正式に宣言。 月1日から始める予定だった
が 、 そ れ に 先 立 ち ﹁ 学 聯﹂ と 高 校 生 主 体 の 団 体
﹁学民思潮﹂︵黄之鋒代表︶が授業ボイコットを始
め、香港島中心部のアドミラリティー︵金鐘︶に
ある政府本部庁舎前で連日抗議集会を開いた。金
曜日だった9月 日に夕方から多数の学生と生徒
が集まり始めると一気に激化し、同日深夜から未
明にかけて庁舎前広場に柵を乗り越えて多数の若
者が侵入して警官隊と衝突し 人が逮捕された。
週末に入った翌 日︵土︶午後には、この警察の
対応に抗議するためさらに多くの学生らが集ま
シンボルの雨傘を開いて香港中心部の幹線道路を埋め尽く
したデモ隊(2014年10月28日、筆者撮影)
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ったのが﹁一番の思い出だ﹂と懐かしんだ。それ
が中国人観光客の増加に伴い、なじみの店は次々
と閉店し、宝石を買いあさる中国人が街にあふれ
る様子を見て﹁自分の家が他人の家になってしま
っ た よ う だ。 香 港 を 香 港 人 の 手 に 取 り 戻 す 闘 い
だ﹂ と 、 デ モ に 参 加 す る 理 由 を 話 し た 。
デモ発生前の昨年6月に行われた香港大による
世 論 調 査 で は ﹁ 自 分 は 香 港 人﹂ と の 回 答 が ・
2%で、最少時の ・1%︵2008年6月︶か
ら急増。一方で﹁自分は中国人﹂との回答は最多
時の ・6%︵同︶から ・5%に急減し完全に
逆転した。デモ隊の中心は1997年の中国返還
前の時代をほとんど知らない若者。この世代を中
心に、自分たちは﹁中国人﹂ではなく﹁香港人﹂
だとのアイデンティティーが急速に確立されてき
てい る 。
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中国は〝長期化・自滅〟戦略
付けたのと同様に、香港デモ発生から約2週間後
の昨年 月 日付の論評でデモを﹁動乱﹂と表現
し違法と厳しく批判するなど、極めて強い姿勢を
見せた。しかし、市民の心が離反していくのを見
ると、﹁デモ隊に決して譲歩はしない﹂と﹁強制
排除で流血の事態は起こさない﹂との方針を掲げ
るようになった。共産党筋は、首都・北京で起き
た天安門事件と違って遠い香港でのデモ発生は危
機感が全く違ったと指摘、﹁いくら長期化しても
構わなかったし、長引く程経験のない学生デモ隊
が 崩 壊 し て い く こ と は 分 か っ て い た﹂ と 話 し、
〝長期化・自滅〟戦略を採っていたことを明かす。
中国のもくろみ通り、デモ発生から2カ月近く
たつ頃になると、テントを張って連日幹線道路に
泊まり込んでいたデモ隊の疲労はピークに達し、
参加者は激減。そのタイミングを狙って警官隊が
まず旺角の拠点を強制排除し、さらにデモを主導
していた3グループのうち旧来の民主派勢力が中
心 の ﹁中 環 占 拠﹂ も 脱 退 を 表 明 し た。 残 っ た の
は、 学 生 団 体 ﹁学 聯﹂ と 高 校 生 主 体 の ﹁学 民 思
潮﹂。戦略無きまま座り込みを続け、求心力を失
い昨年 月 日に全ての拠点が大きな抵抗もなく
強制排除されてデモは終了した。
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普通選挙は白紙撤回
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結局、中国が決定した民主派を排除する長官選
の 改 革 案 は 今 年 6 月、 香 港 の 立 法 会 で 否 決 さ れ
た。可決には全 議席の3分の2以上となる 議
席の賛成が必要だったが、3分の1を超える議席
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ただデモは当初こそ多くの市民から支援の声が
上がったが、幹線道路占拠による道路の大渋滞や
市 民 の 日 常 の 足 で あ る 2 階 建 て 路 面 電 車 ﹁ト ラ
ム﹂の一部区間運行停止によって、通勤や通学に
普段の数倍の時間がかかるようになったことか
ら、﹁早く解散しろ﹂との声が強くなり急速に支
持を 失 っ て い っ た 。
中国も当初は、国際的な金融センターである香
港が混乱し経済に打撃を受けることを恐れ、共産
党機関紙、人民日報が1989年の天安門事件に
つながった学生らの民主化運動を﹁動乱﹂と決め
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を確保している民主派議員が﹁NO﹂を突き付け
たのだ。とはいえ、誰でも立候補できる〝真の普
通 選 挙〟 へ の 道 は 全 く 見 え ぬ ま ま 否 決 に よ っ て
﹁普通選挙﹂導入は白紙に戻った。各業界団体か
ら選ばれる﹁選挙委員会﹂が従来通り次期長官を
決めることになり、元のもくあみとなった。
香港の若者の間ではデモで成果を上げられず無
力感が漂う中、﹁これまでの平和的な運動では何
も変えられなかった﹂と、強硬な運動の必要性を
訴える人が増え、﹁香港独立﹂すら掲げる急進派
グループが乱立。彼らは、香港が自分たちの﹁本
土﹂だとして大陸から来る中国人を排除しようと
することから﹁本土派﹂と呼ばれ、親中派市民と
衝突事件をたびたび起こしている。
長らく民主化に取り組んできた香港の旧来の民
主 派 が 天 安 門 事 件 を 契 機 に ﹁民 主 的 な 中 国 の 建
設﹂ を 最 重 要 目 標 に 掲 げ る こ と に 対 し、 若 者 は
﹁まず香港の民主を建設するべきだ﹂と主張して
大きな亀裂も生まれた。
﹁何 の 成 果 も 上 げ ら れ ず、 み ん な 自 信 を な く し
て し ま っ た。 ま ず 心 の 傷 を 癒 や し て い き ま し ょ
う﹂。発生1年を翌日に控えた今年9月 日、最
大拠点だった金鐘で開かれた集会で、﹁学民思潮﹂
の 女 性 幹 部、 周 庭 さ ん ︵ ︶
= 香 港 浸 会 大 2 年=
が、夢破れた若者らに再起を目指そうと切々と訴
えた。デモ当時〝民主の女神〟と呼ばれ、連日数
万人を前にスピーチをしていた周さんだったが、
集会参加者はわずか数十人。香港の民主化の厳し
い現実を図らずも示していた。
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金子敦郎 著 (リベルタ出版、4000円+税)
『核と反核の 年
しゅうえん
焉』
~恐怖と幻影のゲームの終
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だい ご み
い通信社記者の醍醐味を感じさせる文章だ。
レイキャビク会談で決裂寸前に、米戦略防衛
構想(SDI)では一切譲歩しなかったレーガ
ンが、「私は間違っているか」と走り書きした
メ モ を シ ュ ル ツ 国 務 長 官 に 渡 し、 シ ュ ル ツ が
「あなたは正しい」と書き込んで返した場面も
す ご い。「こ の 対 立 が 五 年 間 で 核 ミ サ イ ル の
%削減を達成して、次には核全廃に向かおう
という、まさに歴史的な合意を土壇場で葬り去
った」と書いてあるが、核廃絶の一歩手前まで
進んだ瞬間が過去にはあったのである。
核兵器が長崎を最後に、 年間で一度も使わ
れなかった理由の考察も興味深い。トルーマン
以来の「核を使ってはならない」というタブー
が継承され、核拡散防止条約(NPT)をはじ
めとする国際的な条約や国連決議などさまざま
な枠組みで、そのタブーが「制度化」されてき
たからだとの説明は説得力がある。
では、ウクライナ危機後に再び米ロ対立時代
に向かいそうな世界で、中国の軍事的台頭とい
う要素を加えて、核軍縮や不拡散はどう進むの
か。著者は「世界が大国に期待するのはこうし
た時代におけるリーダーシップである。中でも
米国への期待は大きい」と強調している。
核兵器の削減から廃絶へと道筋をつくる外交
には、指導者の信念と多大なエネルギーが必要
だ。もちろん、レーガンとゴルバチョフが交渉
に取り組んだ時のような真剣さも求められる。
ひょうぼう
その意味では、
「核なき世界」を 標 榜しながら、
現実の壁に阻まれ大きな成果を上げられなかっ
たオバマ大統領を引き継ぐ次期米大統領の責任
は重い。
和康 =時事通信社解説委員)
(明石
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ふれる筆致が特徴だ。
広島と長崎に原爆が投下されてから、ちょう
何よりも、トルーマンからアイゼンハワー、
ど 年。この節目の年に、核兵器開発の歴史に
ケネディ、レーガンへと歴代大統領が核兵器の
までさかのぼって、歴代の米政権が核戦力をど
扱いに苦しんだ過程は読み応えがある。
う扱ってきたかを詳細に論じたタイムリーな著
広島、長崎への原爆投下を命令したトルーマ
作である。しかも、ウクライナ危機や南シナ海
ンが、その後は「原爆は女性や子どもに対して
問題にも言及してあり、ロシアのプーチン大統
使ってはならない」と肝に銘じて、朝鮮戦争で
領が最近、戦略核ミサイル 基の配備増強を打
の核兵器使用を拒否したこと。
「大量報復戦略」
ち出したホットニュースにも触れている。
を採用しながら、台湾海峡危機(1954年)
評者は、著者と約 年の時を隔てて、ワシン
やベトナム戦争(同年のディエン・ビエン・フ
トンでジョージ・W・ブッシュ前大統領の時代
ー陥落時)など、核を使うかどうかの判断を何
を取材しただけに、大変興味深く、一気に読了
度も迫られ、その都度思いとどまったアイゼン
した。
ハワーの決断。さらには、キューバ危機でソ連
冷戦が終結してから四半世紀余が過ぎ、米ソ
との核戦争をぎりぎりで回避したケネディの
時代のような軍事的緊張感が薄れていた中で突
如、2014年3月に起きたロシアによるクリ 「真の勇気」など、数々のエピソードが読者を
引き付ける。
ミア半島併合。これで、世界の流れは明らかに
しかし、何と言っても、読ませるのは著者自
大きく変わった。欧州を舞台に米国や北大西洋
たい じ
条約機構(NATO)とロシアが軍事的に対峙 身 が 現 場 で 取 材 し た レ ー ガ ン と ゴ ル バ チ ョ フ
すれば、再び核兵器の脅威が現実のものになり (ソ連 共 産 党 書 記 長)のジュネーブでの初 会 談
( 年)と、核 廃 絶で 合 意 しかけ なが ら 決 裂 し
かねない。
そんな大転換期に、これまでの核戦略の歴史 たレイキャビク会談( 年)の情景描写だろう。
を 振 り 返 る の は 極 め て 重 要 で あ る。 し か も、 ジュネーブ会談終了時に発表された共同声明を
「
『核不戦の誓い』を大見出しに想定
「核軍事の専門家ではない普通の記者の感覚で 評価して、
つづ
とらえて書き綴ったつもり」と著者自身が述べ した記事を本社に送った」というくだりは、重
ているように、本書は通信社の記者らしい分か 大ニュースに接した際、自分の判断だけを頼り
りやすさと数値の正確な引用、そして臨場感あ に、誰よりも早く記事を送稿しなければならな
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No.648
要領など問い合わせは新聞通信調査会事務局(03-
調 査 会 だ よ り
3593-1081、担当:鈴木)までお願いします。
◎「格差社会」をテーマにシンポジウム開催へ
入寮生募集、寮費は朝夕 2 食付き月 3 万円
新聞通信調査会の兄弟財団で、学生寮の運営
新聞通信調査会は、雇用、男女、世代、地域など
や奨学金事業を行っている公益財団法人同盟育
さまざまな格差の現状を分析し、改善に向けてメデ
成会は平成28年度の同盟学寮新規入寮生を募集
ィアの果たすべき責務を討議するシンポジウム「広
しています。同盟学寮は男子寮が東京都文京区
がる格差とメディアの責務」を12月10日(木)に東
白山に、女子寮が東京都新宿区市谷にあり、い
京駅丸ノ内側にある JP タワー・ホール&カンファ
ずれも都心の閑静な住宅地です。寮費は朝夕 2
レンス(東京都千代田区丸の内 2 - 7 - 2 )で開催
食付きで月額 3 万円と格安です。詳細は同盟育
します。時間は午後 1 時半(午後 1 時開場)から 5
成会ホームページにある募集要項をご覧くださ
時まで。社会活動家で法政大学教授の湯浅誠氏が基
い。お問い合わせはメール、電話、FAX 等で財
調講演を行い、続いて松本真由美氏(東京大学教養
団事務局までお寄せください。
学部客員准教授)と谷口学氏(共同通信社客員論説
ホームページ:http:www.doumei-ikuseikai.or.jp
委員)がコーディネーターを務め、軽部謙介氏(時
E メール :ikusei-k@soleil.ocn.ne.jp
事通信社解説委員長)、大沢真理氏(東京大学社会
電話 :03-3593-2055
科学研究所教授)、曽根英二氏(阪南大学国際コミ
FAX :03-3502-3550
ュニケーション学部教授)、今野晴貴氏(NPO 法人
「POSSE」代表理事)が出席し、パネルディスカッ
ションを行います。聴講は無料ですが、事前登録が
必要です。ご希望の方は当調査会のホームページか
◎ TPP で中川淳司・東大教授が講演
ら申し込みいただけるようになっています。
新聞通信調査会は11月18日、東京都千代田区内幸
町にある日本プレスセンタービル内の講演会場で11
◎メディア関係の研究本出版に補助金‼
月定例講演会を開催しました。講師は東京大学社会
新聞通信調査会はマスメディア関係の研究成果を
本にして出版する場合に補助金を提供する事業を新
科学研究所教授の中川淳司氏、演題は「環太平洋連
携協定(TPP)で日本はどう変わる」でした。
たに始めました。メディア分野について調査・研究
編集後記
している人がその内容を出版する際に編集、校正、
印刷、発送までの工程の一部、または全てを補助し
▶今年初めのシャルリエブド襲撃テロ事件か
ます。発行本を東京都内の公立図書館、国立国会図
書館、マスメディア関係機関に無償で配布するなど
ら 1 年もたたないうちに再度パリで同時多発テ
公益性を持たせた形で事業展開することが条件とな
ロ事件が起きました。またも過激派組織「イス
ります。残った部数は自由に販売することもできま
ラム国」(IS)が犯行声明を出しています。卑劣
す。補助金の上限は 1 件当たり500万円まで、応募
としか言いようがありません。12月号の編集校
正間際のことでしたが、「海外情報(米国)」で
定価150円 1 年分1,500円(送料とも)
発行所 公益財団法人 新聞通信調査会
〒100-0011 東京都千代田区内幸町 2 - 2 - 1
日本プレスセンタービル 1 階
☎ 03-3593-1081(代) FAX 03-3593-1282
E-mail:chosakai@helen.ocn.ne.jp
いずれかの方法で購読代金を前払いしてください
◇郵便振替口座 00120-4-73467
(通信欄に購読開始月も記入してください)
◇ゆうちょ銀行 〇一九 店 当座 0073467
(振り込む際、必ず上記アドレスにお名前、郵便番
号、住所、電話番号、購読開始月を連絡ください)
印刷所 株式会社 太平印刷社
ISSN 2187-2961 Ⓒ新聞通信調査会2015
津山恵子氏が触れてくれています。
▶佐藤優氏の特別講演会は、約440名もの聴講
しょう へい
者があり、盛況でした。同氏の招 聘 に当たって
は時事通信の大室真生常務取締役のお世話にな
りました。大室氏と佐藤氏はモスクワ駐在時代
からの旧知の間柄です。また時事出版から「佐
藤優の地政学リスク講座2016~日本でテロが起
きる日」が刊行され、好評です。
▶長崎を旅行する機会があり、その折、長崎
市永井隆記念館を見学しました。前館長の故永
まこと
井誠一氏(永井隆博士のご子息)は時事 OB で、
存じ上げている方です。永井氏の旧宅も爆心地
近くでした。帰ってきて共同 OB の木谷隆治氏
の「戦後70年に想う( 9 )」を読み、筆舌に尽く
し難い原爆の惨禍について深く考えさせられま
した。
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とし お
(倉沢章夫)