カンボジア日本友好学園友の会ニュースレター No.1 2006 年 4 月 (1) カンボジア日本友好学園 友の会ニュースレター No.1 2006 年 4 月 カンボジア日本友好学園友の会事務局 カンボジアの農村出身の大学生に 学資の援助を! カンボジア日本友好学園友の会代表 藤田 悟 04 年から夏休みに「日本語教育ボランティア」という活動を始めました。 日本の若者たちにこの国の現実に触れてもらいたいとの思いからです。05 年 9 月に第 2 回を実施しました。ちょうど友好学園が初めての卒業生を出 したばかりの時期でした。このとき学園創立者のコン・ボーン氏から、大学 生の学資サポートの依頼を受けたのです。 カンボジアでは都市部の、教育機会にも経済的にも恵まれた家庭の子弟が 高等教育をほとんど独占しています。経済力や知識レベルの格差がいよいよ 拡大・固定化しつつある現状を知ると、 「農村出身のエリート」を作り出そ うというコン・ボーンさんの企ての持つ意味がよく理解できます。 学園滞在中、学園を卒業し大学に入ろうとしている若者たちがいろいろ面 倒をみてくれたのですが、彼らが、 「貧しい農村の人々のために働け!」と いうコン・ボーンさんの理想を肝に銘じている人達で、しかも各々が実に立 派な人物であることが、このサポートプログラムを始める決定的な動因で あったと思います。05 年度の入学生については 11 名を 10 名 ( 組)の方が サポートしてくださっています。 第 2 世代サポーター求む! 06 年秋入学の第 2 世代に関してサポーターを募る時期になりました。在 学予定の 4 年間、年に 5 万円の学資援助をします。1 人(1 組)のサポーター が 1 人の学生を支援するというやり方です。学生から年に最低 3 回の報告 の手紙が届きます。カンボジアを訪問する機会があれば、学生に会い案内し てもらうことも可能です。 サポーターになっていただける方は、できるだけ 5 月中に、同封の用紙に ご記入の上、ご連絡ください。なお、現地の必要に関する観測や当会の力量 から、当会では本年度「10 名程度のサポーター」を得ることを目標として います。もし、幸いにも予定以上の方々にご賛同いただけることになった場 合にはなんらかの調整をさせていただく可能性がありますので、あらかじめ ご了承ください。 第 1 世代、2 年目の奨学金 第 1 世代(05 年入学生)の 2 年目の送 金については、年度末に学生からレポー トがあり、その中で 2 年目の支援を要請 されることを受けてから、サポーターに 当会への入金をお願いし、まとめてカン ボジアに送るという手順です。 コン・ボーン氏からの連絡では、8 月 初めに授業料を支払う必要があるとのこ とですので、国内でご送金いただくのは 7 月 15 日を締め切りとさせていただきま す。学生からの第 3 報告はそれ以前に到 着するように要請しました。 また直前にご連絡いたしますが、スケ ジュールの確認をお願いいたします。 事務経費カンパのお願い 当会の運営は現在のところすべて事務 局関係者の手弁当でまかなわれています。 できれば事務費などは独自の財源を持つ べきであろうと考えます。大学生の学資 サポートをしておられる方もおられない 方も、カンパをお寄せいただけると助か ります。ニュースレターを御礼の意味で 送らせていただきます。 当会の銀行口座は下記の通りです。 東京三菱銀行新丸の内支店(422) 普通口座 4800753 名義:カンボジア日本友好学園 友の会 (2) Friends of Cambodia-Japan Friendship School 学生紹介 その壱 ブン・ターリットさん 友の会は第 1 期(05 年秋∼)として 11 人の学生を支援しており、今回はその中からブン・ターリットさんをご紹介します。 ブン・ターリット(Bun Tharith 1987 年生) 王立農業大学 農業経済・農村開発学部 (Faculty of Agricultural Economics and Rural Development, Royal University of Agriculture) 英語が得意で、町を散策するときや他の学生との通訳などを、こちら の意図を汲み、テキパキとこなしてくれました。 ◇ターリットの家族◇ 高校教師@村 父 母 農業@村 ◇ターリットの大学◇ プノンペン市内に住んでいるターリットは、南の郊外に ある農業大学まで片道 20 キロ、自転車で 1 時間半かけて通 学しています。キャンパスは水と緑の多い田園地帯にあり、 実習畑や田んぼ、牧草地などがあります。 大学の授業は午前 8 時∼ 12 時(月‐金)午後1時∼ 5 時 (月、水)で、午後の授業がない日は農業大学やプノンペン 大学の図書館で勉強をしています。休日には宿題や家事、ま た英語の上達のため英字雑誌の翻訳などをしています。1 年生の現時点ではすべての授業を教室内で受けていますが、 今後は実習もあるそうです。 大学の同級生はみんな親切で仲が良く、そのほとんどが ターリットのように貧しい農村の出身です。そのため、比 較的高価なオートバイや携帯電話を持っている学生は 1 割 ほどとのことです。(プノンペン全体でいえば、ほとんどの 学生が携帯電話を持ち、自動車で通う学生もいる大学が多 いです。)http://www.rua.edu.kh/(王立農業大学の HP) 兄 大学卒業後勤め@プノンペン 姉 農家に嫁ぐ@村 兄 大学で会計学を学ぶ@プノンペン 本人 弟 友好学園高校で学ぶ@村 妹 友好学園中学で学ぶ@村 ターリットは友好学園から 2 ∼ 3 キロほど離れたスナイ プルム村で育ちました。家族は 8 人で、父親が高校で教え る他に、稲作と自家用野菜や果樹の栽培、ニワトリ、アヒル、 豚を飼育しています。お米と果樹(多いのはマンゴーとバ ナナ)は自家用を残して売ったり、池で稚魚を放流して自 家用に養殖しているそうです。2 人の兄が大学に進学してい ること、農業で野菜や果樹を栽培していることから、ター リットの家庭はこの一帯では比較的裕福で教育熱心だと思 われます。 ◇ターリットの住まい◇ ターリットの長兄は学生時代にすんでいた学生寮の管理 人をしています。長兄は寮の 4 階に住んでおり、この部屋 にターリットとひとりの友人が居候しています。この階に は入居者が自由に使えるテレビのある大部屋、次兄が住ん でいる二段ベッドが並ぶ学生用の寝室、それに勉強室、ト イレ、台所などがあります。学生寮の家賃は年に 40 ドルで、 通常の半額以下。 建物自体はキリスト教徒の中国人の所有で、2 階と 3 階は 貧しい若者向けの学校(塾のようなもの)として使われて います。また兄の給料はそれほど多くないものの、住み込 みのため、通常月数十ドルする家賃を支払わなくて済んで います。 農業大学正門前に立つターリット ◇ターリットの夢◇ ターリットの祖父母はみな農家でしたが、父や兄には小 さい頃から勉強しなさいといわれて育ちました。現在従兄 弟が Country Developer として働いており、ターリット自身 も現在、換金作物の推奨、人口抑制、井戸や灌漑の整備、2、 3 毛作の普及、生産技術や知識の普及などを学んでいます。 卒業後はこれらを通じて、農村復興の力になりたいと思っ ています。カンボジアでは人口の半分が内戦終了後に生ま れた世代です。人口爆発とそれに伴う食糧・雇用問題に対 する取り組みが急務で、ターリットによるとプレイベン州 に関しては河川が近くにあるため、灌漑をきちんと整備す れば農業生産の向上が期待できるそうです。 ◇ターリットの将来◇ 結婚は経済的に安定してからで、相手は自分で選ぶこと も親に薦められることもあるそうです。子供の人数が 6 ∼ 7 人の家庭が多いのですが、養育費のことなどを考えると 2 人か 3 人が良いと思っています。そして、将来は両親や家 族の面倒を見たいそうです。 カンボジア日本友好学園友の会ニュースレター No.1 2006 年 4 月 (3) カンボジア旅行記∼学生に会って∼ 水野博文(第1期サポーター) 特にこれといった理由もなく ●僕は大阪の商社に勤めてもうすぐ2年になります。休みを けでした。アンコールワットがカンボジアにあるのも知ら もらって1月 28 日から 2 月 3 日までの日程でカンボジアに なかったし、今回のような誘いがなければ、きっと行くこ 行ってきました。前半がアンコールワットとシェムリアップ とはなかったと思います。僕が奨学金を出すサポーターに の観光で、後半にプノンペンで支援している学生の寮にお なることを決めたのも、特にこれといった理由はありませ じゃましたり、大学の見学をしたり、友好学園に行きました。 んでした。ただ年間5万円を出すだけで、貧しい国のまじ 僕にとってのカンボジアのイメージは、インドの北東くら めな学生が大学へ行けるようになるのならやってみようか いにあって今でも戦争をしてそうな危ない国、ということだ なと。 ●実際に旅行してみて印象に残っているものはアンコールワット、友 好学園と周辺の村の風景、プノンペン大学、そして学生の住んでいる アパートです。友好学園を見学させてもらって驚いたのは、衣食住が 厳しい中でも生徒たちがまじめにコツコツ勉強している姿や、屈託の ない楽しそうな笑顔がたくさんあったことです。僕は、3年前に中国 で現地の学生を相手に日本語の教師を一年半していました。そして、 そのときに出会った学生たちにも、同じような勉強に対する純粋な希 望を持った笑顔がありました。それから村には電気や水道が通ってい 思いがけずアンコールワット なく、そんなところに行った事も無かったので貴重な体験でした。 (夜、 井戸の水で体を洗うのに電気をつけたら虫がたくさん飛んできたのに は参りましたけどね) ●僕がサポートしている学生に、今通っている 大学(王立プノンペン大学)を案内してもらっ たのですが、学生たちがキャンパスを紹介して いるときの誇らしげな様子が印象的でした。電 気や水道もないような村に生まれ、日本の国立 大学くらいの大きな大学に通っているのだか ら、誇らしげになるのも不思議ではないなと 思ったのですが、 彼らにはそれだけではない「こ れから頑張って夢を叶えるぞ」といった強い気 持ちが感じられました。 4人の学生が住む部屋 右側のベッドで4人が眠る 授業を受ける友好学園生 夢を叶える勇気を与えてくれた その後に学生のアパートも見せてもらったのですが、それがほん の6畳くらいしかない、風通りの悪い部屋で、しかも部屋の中に自 転車が置いてあり、寝るところは4畳くらいしかありませんでした。 こんな部屋に男の学生が4人すんでいることにもびっくりしたので すが、こんな劣悪な生活環境でも、大学に行けて勉強ができている 楽しさの方が上回っているような、無邪気な笑顔が印象的でした。 (ほんとに楽しそうでした) ●友好学園を見たり、サポーターをしている学生と話をしたりし て、改めて実感したことは、僕が日本という豊かな国に生まれたお かげで、自分の頑張り次第で色々な挑戦ができる環境にいる、とい うことの有り難さでした。僕がサポーターになった動機はほんとに プノンペン大学の廊下でサポートする学生(右)と 些細なことだったのですが、実際に学生に会ってみて、話を聞いて みて、本当にこの活動に参加して良かったなぁと感じています。僕 気を与えてくれたように思います。この活動は、僕 らにとってはたわいもない金額の支援ですが、友好学園の学生達に たちがほんの少しの気持ちを提供することによって、 とっては自分の夢を叶えてくれる大きな架け橋になっていると感じ 大きな希望を持って一生懸命勉強をしている学生を ました。また、学生たちのがんばっている姿は僕に夢を叶える勇 サポートできる非常に有意義な活動だと思います。 (4) Friends of Cambodia-Japan Friendship School カンボジア日本友好学園 「カンボジア日本友好学園」は首都プノンペンからホー チミンへと向かう国道 1 号線を南東に車で走ること約 2 時 間半、メコン川を渡ったプレイベン州の電気も水道もない 農村地帯にあります。友好学園はコン・ボーン氏と故村井 孝至氏が設立に尽力し、両氏のカンボジア復興と平和の教 育に懸ける思いに賛同した多くの人々に支えられています。 友好学園は中等部(1999 年開校)と高等部(2002 年完成) からなり、現在は 7 年生(中学 1 年生)から 12 年生(高校 3 年生)まで 782 人の生徒が学んでいます。 友好学園は設立当初から日本との交流が盛んで、頻繁な 団体や個人による訪問、そして学園生の日本訪問などが行 われています。また、日本の支援団体による長期滞在ボラ ンティア教員の派遣、校舎の建設や備品の提供、教員の給 与サポートなどもなされています。団体での訪問時には運 動会などの行事や日本語特別授業などが行われ、また、正 規のカリキュラムではないものの、1 年を通してボランティ アによる日本語教育が全学年に対して週に2時間おこなわ れています。 生徒たちの多くは農家の生まれで、長距離を自転車で通 学している生徒や、友好学園付近の親戚の家に居候したり、 学園の近くに小屋を建て共同生活をしている子どもたちも 友好学園とその周辺 います。農繁期や悪天候によって授業が休みになる場合も ありますが、毎朝 7 時 11 時、14 時 16 時に行われる授業 を生徒たちは楽しそうに、そして熱心に受けています。また、 放課後や休日は農業や家事の手伝い、下宿の生徒たちは自 分たちで簡単な料理を作り、ろうそくやアルコールランプ で勉強したりしています。 カンボジア日本友好学園友の会ニュースレター No.1 2006 年 4 月 (5) 学 生 生 活 その壱 学生の 1日 ヌウチャン・ラスメイさん(Nou chann Reaskmey 女性) 6 時 起床・朝食…Ⅰ 7 時 授業開始…Ⅱ 11 時半 昼食・塾…Ⅲ 14 時 帰宅・昼寝・勉強…Ⅳ 19 時 夕食…Ⅴ 23 時 就寝…Ⅵ ☆アルバイトをせずに(できずに?)奨学金と仕 送りで生活しています。また通学時間も短いため 比較的ゆっくりと時間を使えているようです。 Ⅰ 朝 6 時に起きてご飯とお漬物を買って朝食。その後歩 いて 10 分ほどの法経大学へ。 Ⅱ 7 時から 11 時半まで大学の授業を受けてから、学校の 近くの食堂で昼食をとる。 Ⅲ 昼食を急いで済ませてから 11 時半から 13 時半まで英 語とパソコンとそれぞれ 1 時間の塾に行く。 Ⅳ 14 時ごろに帰宅して宿題をしてから昼寝。その後、大 学の図書館で勉強をする。 Ⅴ 帰宅してから夕食を作り、19 時ごろに夕食。 Ⅵ ルームメイトとおしゃべりしたり、授業の予習をした りしてから、23 時ごろに就寝。 イン・ユットさん(Yin Yuth 男性) 6 時 起床・朝食…Ⅰ 8 時 授業開始…Ⅱ 11 時半 日本語クラス…Ⅲ 13 時半 講師アルバイト…Ⅳ 16 時 帰宅・夕食…Ⅴ 23 時 就寝…Ⅵ ☆家族からの仕送りを減らしたいという思いと、さ らに英語を学びたいという理由で、アルバイトを 沢山しています。 「アルバイトを始めてから経済的 には安定したけど、毎日慌しく過ぎてゆく」と言っ ていました。 大学の正規授業 ほとんどの大学で授業は朝の 7 ∼ 8 時から始まり、その後 11 ∼ 13 時頃の 昼の時間帯、もしくは 14 ∼ 17 時ごろ の時間帯に授業があることが多い。専 攻や学校によって差があるものの、毎 日3∼6時間ほどの授業を受けます。 また、ある 1 人の学生は午前ではな く 14 時から 17 時に授業を受けていま す。 他の授業 大学の必修科目以外にも午前の授業 の後に、各大学での外国語コース(選 抜試験や授業料のあるところも、週に 3-5 日)があり、4 人の学生が受けて います。 また、街の英語、数学、パソコン などの塾(1 時間 300 ∼ 500 リエル、 4000R = 1 ドル)では、9 人の学生が 昼から 19 時ごろまでに 1 ∼ 2 時間通っ ています。 Ⅰ 朝 6 時に起きてご飯を炊きおかずを買って朝食。日に よっては水浴びをしてから自転車で 30 分ほどの経営大学へ。 Ⅱ 午前は 8 時から 11 時まで教養科目の授業があり、昼食 は学校の食堂で食べる。 Ⅲ 11 時半から 13 時まで日本語の選抜クラスで授業。 Ⅳ 13 時半から 15 時半まで京都日本語センターで日本語 講師のアルバイトを 2 コマこなす。 Ⅴ 16 時ごろに帰宅して宿題などをしてからご飯を炊き、 おかずを買って来て 19 時半ごろに夕食をとる。 Ⅵ 水浴び、宿題、そしてアルバイトの準備をして 23 時過 ぎに就寝。講師のアルバイトは始めたばかりなので、準備 に時間がかかる。 アルバイト プノンペンでは大学に通いながら できる短時間のアルバイトは少なく、 日本語の塾講師をしている2名以外 に、アルバイトを定期的にしている 学生はいませんでした。(ある学生が 去年、1ヵ月だけレストランでアル バイトした時は毎日 17 ∼ 25 時の労 働で日給 1 ドルだったそうです。) また、不定期で大家さんの子供に日 本語を教えていたり、居候先の手伝 いをしている学生もいました。 食事回数 今回紹介した 2 人は朝食を食べて いますが、多くの学生は 1 日 2 食です。 理由としてはお金の節約を挙げる学 生が多かったのですが、経済的な状 況を踏まえると、そのうちの半数ぐ らいは友好学園時代からの習慣で食 べないのではないかと考えています。 また、経済的に厳しい学生は夕食 も時々欠食するそうです。 住まいと移動手段 多くの学生が部屋をシェアーした り、親戚の家やお寺に居候したりし ています。 通学時間は大学の近くに住んでい る学生は徒歩か自転車で 15 分以内で すが、半数ほどは自転車で 30 分以上 かけて通っています。また、日常生 活の中ではバイクタクシーは使わな いようでした。 その他 カンボジアでは湯船のあるお風呂 はなく、水を浴びます。回数は 1 日 に 1 回∼ 3 回ほどで、寝起き、昼休み、 就寝前が水浴びの多い時間帯です。 ほとんどの学生が 5-6 時に起きて 22 時半から 23 時半頃に寝ます。昼 寝をする学生も数名いました。 住まいにお邪魔したところ、同世 代と一緒に住んでいる学生が多くワ イワイ楽しそうにしていました。 注 人数はすべて 11 人中の数字です (6) Friends of Cambodia-Japan Friendship School カンボジア日本友好学園友の会と奨学金プログラム カンボジア日本友好学園友の会 や学業についてのレポート提出 <2006 年 2 月 > サポー カ ン ボ ジ ア 日 本 友 好 学 園 友 の 会( 以 下、 友 の 会 ) は ター 4 名がカンボジアへ渡り、支援している奨学生と交流。 2005 年 9 月に藤田悟と若者たちの計 9 名がカンボジア日 大学を見学し友好学園へも訪問/事務局の藤田暁生がカン 本友好学園(以下、友好学園)に滞在したおりに、カンボ ボジアを訪れ、生活や勉強についてのインタビュー。 ジア日本友好学園運営委員会(以下、運営委員会)理事長 のコン・ボーン氏(カンボジア日本友好学園創立者)から の依頼を受けて、経済的理由により大学進学が困難な友好 国内イベント報告・今後の予定イベント 友好学園理事長のコン・ボーン氏のお孫さんで、友好学 学園卒業生の学資を支援する目的で翌 10 月に発足しまし 園の運営に携わっているブンティ氏が来日され、2005 年 た。友の会はサポーター募集のほか、運営委員会と共に学 12 月 10 日に「ブンティさんを囲む会」が開かれました。 資補助金の送付と合意文書の締結を主とする橋渡しを担い ブンティ氏・サポーター・関係者及び事務局スタッフが友 ます。 の会事務局(藤田宅)に集った交流会には途中参加も含め ☆友の会スタッフ 17 名が集い、お昼過ぎからのんびりと進行し、お菓子をつ 代表 藤田 悟(大学教員) 事務局長 藤田 暁生(無職) まみながら自己紹介やカンボジアとのつながり、サポート することについての想いなどを語らいました。ブンティ氏 会計 伊藤 千枝(塾講師) からは友好学園の様子やカンボジアの概況など様々なお話 会計 高丸 満美(会社員) を伺い、夕食を囲みながら和やかな会は夜遅くまで続きま 庶務 伊藤 久美子(大学院生) した。 今後もコン・ボーン氏の来日のおりには「コン・ボーン 奨学金プログラム さんを囲む会」の開催や、サポーターと関係者の懇親会を 友の会は学生一人あたり年間 5 万円の学資補助に賛同頂 開きたいと考えています。また、友の会スタッフまたはサ けるサポーターを募集し、奨学生へは返済不要の給付とし ポーターがカンボジアを訪れた際には、その報告会や勉強 ています。学資補助とは学費以外の学生生活に必要と考え 会というような形で集えれば、とも考えています。食事な られる費用も含みます。また、サポーターは同一の学生を どを交えつつサポーターとの親睦を深め、支援に関する要 4 年間サポートすることを前提とし、学生からは年間最低 望や疑問、不安などについて話し合える場にしたいと思い 3 回の報告の手紙がサポーター宛に届きます。 ます。 農村部から大学のある首都プノンペンへと生活の場を移 した学生は、都市での生活の中で新しいものに刺激を受け、 また友人関係や金銭感覚の違いなどに戸惑う場面も多いこ とでしょう。経済的支援に留まらず、サポーターからの温 かい言葉や人生の先輩からの助言、そして同年代からの共 感や励ましは、これからの国の復興を担う若い世代の心に 響き、学生の支えになるのではないかと考えています。 友の会は一対一での長期的な支援によって、サポーター と学生の交流が深まることを願っています。手紙の私的な やり取りや、カンボジアに訪ねて行くといった積極的な交 流は大歓迎です。既にカンボジアへ学生の様子を見に行か ブンティさんを囲む会 れたサポーターもいますので( 『カンボジア旅行記』参照)、 支援や交流方法に関し何かご希望・ご質問がありましたら、 お気軽に友の会までご連絡ください(連絡先は裏表紙)。 サポーター 2005 年度は非常に短い呼びかけの期間にもかかわらず、 2005 年度活動内容 10 名(組)の方々にサポーターとしてご協力いただきま <2005 年 10 月 > 奨学金の送金 < 同 11 月 >「カンボジア した。年齢層は大学生から定年退職された方までと幅広く、 日本友好学園友の会による補助金給付プログラムに関する 大学生やフリーター、高校教員、会社員、元高校教員、幼 合意書」への署名/サポーターから友の会口座へ入金 稚園経営者、主婦などの方々にご協力いただいています。 < 同 12 月 > サポーターと友好学園関係者との交流を深め 親子それぞれで別の学生を支援されている方や、 「家族親 る会を開催/カンボジアの大学や学生の生活状況などを記 戚一同で温かく見守ります」という方、友人同士で一人の したお知らせを発行/奨学生からサポーターへの生活状況 学生を支援しているグループ、と支援のかたちは様々です。 カンボジア日本友好学園友の会ニュースレター No.1 2006 年 4 月 (7) <学生からの手紙> チャイ・ラッタナーさんからサポーター戸川祐馬さんへ 各サポーターには年に最低3回サポートする学生から手紙が届きます。今回はそのひとつをご紹介します。 こんにちは ゆまさん! お元気ですか?私は元気です。 ゆまさんは私に 50000 円= 431.17 $の奨学金をくれてとてもうれしかったです。どうもありがとうございま した。コンボーンさんからゆまさんの名前を聞いてもらったあとでとても驚きました。私に奨学金をくれる人は ゆまさんです。うれしかったです。たのしくてものがいえません。ほんとうにどうもありがとうございました。 いま私は Royal University of Law and Economics で経済、ニュース、ビジネスを勉強しています。大学へ行く のはたのしいですが、ちょっと忙しいです。 大学は 9 月 5 日からはじまりました。半年の試験が近づいてです。がんばって勉強しています。RULE 大学の 規則はとても厳しいです。あるときは 7 時から 1 時まで勉強します。時々朝飯を食べる時間がありません。 生活はちょっと大変ですからアルバイを探しています。お母さんはいっていました。「もし奨学金をできなかっ たら大学で勉強する機会ぜんぜんありません。いまできたら自分でがんばってください(Do your best)」。いま初 めてプノンペンで生活をしています。自分のために勉強しながら働きたいです。プノンペンの生活は私にとって とてもいい経験だと思います。 ほんとうにありがとうございました。 いつかまたカンボジアにきますか。 注1 戸川さんはラッタナーさんと面識があります さようなら! 2 編集段階で原文の平仮名を漢字に直しました <カンボジア関係の情報コーナー> ☆カンボジア教育支援基金(CEAF) ☆アンコール遺跡群フォトギャラリー 「カンボジアの復興・平和には教育が不可欠」との思いか アンコール遺跡群やカンボジアの伝統文化をテーマに、暮 ら 1992 年に設立された。友好学園中等部への支援を中心 らしや現代文化まで幅広く取り上げている。カンボジアの に、教員給与補填や奨学金、ボランティア教師の派遣、ス 旅の記録や勉強会など、様々な情報を掲載。 タディーツアーの開催などの活動を行っている。 http://www.angkor-ruins.com/ http://www.boreas.dti.ne.jp/ akiyukio/ceaf ☆文化交流プロジェクト ☆カンボジア教育支援フロム佐賀(CESS) 藤田悟の勤務する茨城キリスト教大学文化交流学科の文化 1998 年設立され、故村井氏の出身地である佐賀県から支 交流プロジェクトとして、友好学園での日本語及び英語教 援している団体。主な活動としては高等部へ教員給与補填、 育ボランティアや学園祭でのアジアンバザールが行われて ボランティア教師の派遣などの支援、また大学進学者への いる。 奨学金支援も行っている。 http://www.icc.ac.jp/subject/c/project/project1.html http://www.npo-cess.net/ http://www.icc.ac.jp/subject/c/project/project2.html ☆クメール伝統織物研究所(IKTT) ☆『殺戮荒野からの生還』 1996 年に友禅職人だった森本喜久男さんが、カンボジア コン・ボーン ( 著 )、菅原 秀 ( 編集 )、リベルタ出版 の伝統絹織物の復興を目指して設立。内戦で傷ついた人々 「殺戮荒野」を脱け出し、奇跡的に生きのびたカンボジア の生活の安定と、次の世代にこの豊かな織物文化を伝える 人ジャーナリストが、自らの体験を通じて恐怖の体制の内 べく活動している。500 名以上を雇用しシェムリアップ最 側を明かすスリルと感動のヒューマン・ドキュメント。 大の事業所になった。 http://homepage3.nifty.com/pub-liberta/422.html http://iktt.esprit-libre.org/ (8) Friends of Cambodia-Japan Friendship School ブン・ターリット ハン・ソクンティ パット・ソピア スオン・ソヴァンナリ ミア・サミーエット イン・ユット チャイ・ラッタナー ヤン・サマル マオ・リーナ ヌウチャン・ラスメイ ユン・メッカラ クロ 目次 1- 表紙・呼びかけ 2- 学生紹介 3- カンボジア旅行記 4- 友好学園紹介・写真 5- 学生生活 6- 友の会と奨学金について 7- お手紙紹介・情報コーナー 8- 裏表紙 〒 145-0065 東京都大田区東雪谷4−5ー1 藤田気付 TEL/FAX 03-3720-8149 friendsofc_j@yahoo.co.jp
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