ケム川散歩道 第三帖 平成 17 年 3 月 甘くやわらかな春風が薫り、春の息吹がそこここに感じられ始めたといえども、雪やみぞれを従え た気まぐれな春雨がまだ肌に寒い季節ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。待ち焦がれた季節の 到来を先取るかのように春色鮮やかに路傍を彩り始めたクロッカスやらっぱ水仙などの花々や、啓蟄 を過ぎてうららかな春光と気の早い草木にそそのかされて顔を覗かせる虫や小動物たちも、心なしか 私たちの足取りを軽やかにしてくれているような気がします。学内の暦では、月末に控えるイースタ ー休暇を前に、教鞭を執られている方々、研究に勤しまれている方々、そして修学中の皆さん、それ ぞれが三者三様に意気を高められている頃ではないでしょうか。 さて、去る先月 26 日(土)、第 3 回十色会セミナーとして、高分子コロイド化学をご専門にされて いる藤井秀司さんをシェフィールド大学より壇上に招き、 「日常生活とコロイド」 “Polymer Colloids in our Life”と題するご講演をいただきました。私たちの生活を趣深く華やいだものにしてくれているの にも関わらず、地味な演技ゆえに日の目を浴びることの少なかった影の役者コロイドと、彼らの手と 手を取り合わせ、人々の脚光を浴びる機会を与えた高分子化学について、豊富な写真やサンプルを照 らしながら、日常生活から宇宙空間まで時空を超えた壮大なドラマを熱く語っていただきました。以 下に連名させていただく出席者の誰もが、その多彩な活躍ぶりに瞠目し、果てしない前途有望性に心 を馳せたのではないでしょうか。 出席者(敬称略): 青野祐美、天ヶ瀬葉子、大島利雄、岡田康夫、小川秀朗、管野浩子、管野政明、 後藤利江、田中英資、平位匡、松村秀一、矢野浩二朗 もう間近に迫った 3 月 19 日(土)には第 4 回セミナーとして、社会人類学を専攻されている田中 英資さんによる『トルコの大地の「ギリシャ」的な過去:ペルガモン・ゼウス祭壇返還運動における 「場所」の役割』“The ‘Greek’ Past on Turkish Soil: the Role of Place in the Repatriation Campaign for the Zeus Altar of Pergamon”と題するご講演を予定しております。太古の昔より人々の生活や芸術の軌跡 を刻み、有形なものとして後世に残してきた文化遺産。歴史的にも文化的にもギリシャ的過去が影を 残すトルコの地でドイツ人によって発掘された文化財をめぐり、個々の利権が複雑に交錯する状況に おいて、民族のアイデンティティと文化遺産の処遇がどのような相互作用を織り成してきたかについ て、多角的な観点から洞察されます。古くから歴史の流れとともに文化的営みを続けてきた日本人、 特に英国の在で博物館や美術館等で文化遺産を目にする機会の多い私たちにとって、非常に興味深い テーマではないでしょうか。前回と同様に Clare Hall の Meeting Room にて 7:30pm の開始を予定して おります。皆様ふるってのご参席を幹事一同心よりお待ちしております。 不順な天候が続き、春寒未だ冷め遣らぬ折ですが、皆様どうぞご自愛ください。 会長(President):小川秀朗 Hideaki Ogawa (Engineering、Clare Hall、ho227@cam.ac.uk) 書記(Secretary):矢野浩二朗 Kojiro Yano (Physiology、ky231@cam.ac.uk) 会計(Treasurer):天ヶ瀬葉子 Yoko Amagase (Hutchison/MRC、St. Edmund’s、ya209@cam.ac.uk) 庶務(General Affairs):平位匡 Tadashi Hirai (Development Studies、Clare Hall、th299@cam.ac.uk) 幹事一同 < 平成 16/17 年度 第 4 回セミナー開催予定> 題目:『トルコの大地の「ギリシャ」的な過去:ペルガモン・ゼウス祭壇返還運動における「場所」の役割』 The ‘Greek’ Past on Turkish Soil: the Role of Place in the Repatriation Campaign for the Zeus Altar of Pergamon 発表者:田中英資 Mr. Eisuke TANAKA (PhD candidate, Social Anthropology, Hughes Hall) 日時:3 月 19 日(土)、午後 7 時 30 分~9 時 30 分 会場:Meeting Room、Clare Hall 講演要旨: 本発表では、トルコによる古代ギリシャ時代の文化遺産の返還運動における「場所」の役割について 考える。ユネスコの世界遺産指定などにもみられるように、近年、文化財・文化遺産とみなされる考古 学的もしくは歴史的な遺跡、遺物の保全・保護は、国際的にみて非常に重要な課題のひとつとなってき ている。この文化遺産保護の一環として、盗掘などによる違法な文化財の持ち出しの防止、また不法に 持ち出された文化財の返還が挙げられる。これは、考古学的、歴史的な価値のある遺跡・遺物が国民・ 民族の歴史・過去を具体的に表現し、保存しているという意味で、一般に国民・民族アイデンティティ の生成に非常に重要な役割をはたしていると考えられていることが大きな背景にある。 トルコ国内では、古代ギリシャ・ヘレニズム時代の考古学的・歴史的な文化財が数多く発見されてい る。そして、トルコの隣国ギリシャではそうした古代ギリシャ的な文化財は、現代ギリシャ人の「ヨー ロッパ人」意識を形作るうえで非常に重要視されている。しかし、トルコ政府はトルコ国内から発見さ れる文化財はすべてトルコのものであるという見解であり、トルコ国外への違法な文化財の持ち出しを 厳しく規制している。また、特に 1980 年代以降、および盗掘などにより国外に持ち出されて、欧米の 博物館に展示されている文化財の返還に力を入れている。しかし、トルコ政府が所有権を主張している ものの中には、むしろ「ギリシャらしさ」と結び付けられる古代ギリシャ、ヘレニズム時代の彫刻・装 飾が含まれている。この意味で、トルコによるこうした直接的に「トルコ」的とみなされにくい文化遺 産の返還の主張は、考古学的・歴史的遺物と国民・民族意識の結びつきを直接的に反映していないので はないだろうか。 トルコによる、「ギリシャ」的な文化財の所有権の主張を説明するために、本発表では、トルコがそ うしたものが「発見された場所」であるということに着目する。19 世紀にあるドイツ人技師によって発 掘され、現在はベルリンのペルガモン博物館に展示されているペルガモンのゼウス祭壇に対するトルコ の返還要求を事例としてあげながら、本発表では以下のような問いについて検討していく。 ・ 「ギリシャ」的な過去を表わすと考えられる古代ギリシャ時代の文化財を、トルコが所有する意義 はどのようなものか? ・ そうした「ギリシャ」を連想させる文化財に対するトルコ側の所有権の主張のなかで、「発見され た場所」ということがどのように表現・説明されているのか? ・ 「発見された場所」という概念が文化遺産の所有権意識の生成にどのように関わっているのか? < 平成 16/17 年度 第 3 回活動報告> 題目:「日常生活とコロイド」“Polymer Colloids in our Life” 発表者:藤井秀司 Dr. Syuji FUJII (Research Associate, Department of Chemistry, the University of Sheffield) 日時:2 月 26 日(土)、午後 7 時 30 分~9 時 30 分 会場:Meeting Room、Clare Hall 発表後記:藤井秀司 Dr. Syuji FUJII なぜ晴れた日の空は青いのか?そこに浮かぶ雲は白いのか?そして、なぜ夕焼けは赤色に見えるの か?なぜ、牛乳は白く見えるのか?といった日常生活で目にし、当たり前のように捉えている現象に 疑問を投げかけ、それを科学的に説明する楽しみに魅せられて、私はコロイド化学の研究に興味を持 つようになりました。また、様々な形、大きさ、硬さに合成することができ、ある刺激によりその性 質をも変化させることもできる高分子(ポリマー)が我々の身の回りで様々な形で用いられ、日常生 活を快適にしていることを認識することで、高分子化学にも心を捕まれました。その結果、私は両者 をつなぎ合わせた学問である高分子コロイド化学の習得、応用を志すようになりました。 発表の中では、高分子微粒子の塗料、トナー、口紅など最終的にフィルム形態での使用例、そして 液晶ギャップ調整材、高い隠蔽性を示すインク、感圧複写紙、電子ペーパーなど微粒子形態のままで の使用例を挙げさせていただきましたが、他にも、接着剤、農薬、動物飼料などとしても高分子粒子 は利用されております。高分子微粒子の応用は非常に広範で、アイデア次第で新しい学術、工業分野 も開拓できるものと感じています。私は、コロイド化学、高分子化学の基礎を習得し、新しい物創り、 新規な概念の構築に活かしていきたいと思っています。 平日は、研究室でほとんど朝から晩まで閉じこもって実験をしておりますので、頭が固くなり、偏 りのある一面的な考え方しか出来なくなるような時があります。 夕焼けを見て、 なぜ赤く見えるのか? と科学的に物事を捉える心と、美しいな!と感じる心を共に持ち合わせて研究生活を楽しみたいと思 っております。 最後になりますが、ケンブリッジ大学に所属しないこのような私に、セミナーでお話をさせて頂く 機会を与えてくださった小川秀朗さんをはじめとする十色会の幹事の皆様、セミナー前日にも関わら ず司会を快く引き受けてくださった青野祐美さん、十色会を紹介してくださった天ヶ瀬葉子さん、そ して週末の貴重な時間を使ってセミナーに参加し、貴重なご意見を下さった皆様に心より感謝の意を 表したいと思います。また、面白い粒子の使用方法を思いつかれた方がおられましたら、ご連絡くだ さると幸いです。ともに人間の生活を豊かなものにしていきたいと考えております。 司会後記:青野祐美 Dr. Masami AONO(Department of Engineering) プラスチック容器にペットボトル、化学繊維や電化製品など私たちの生活に高分子(ポリマー)は 欠かせない材料です。今回ご講演くださった藤井さんのご専門は、このポリマーでできた小さい玉だ そうです。この髪の毛の太さよりはるかに小さいポリマーを使った身近な物質から最新の研究内容ま で幅広いご講演でした。 ポリマーの小さい玉のような目には見えないほど小さな粒子が水や空気のような連続した物質と 均一に混ざり合った状態をコロイドと呼びますが、講演の前半はコロイドが如何に我々の生活の中に 多く存在しているかを教えてくださいました。一見すると均一な成分でできているように見えるバタ ーが実は油の中に小さな水の粒が浮いた状態であったことをご存知でしたでしょうか。また昼間の空 は青く、夕方は茜色に見えることを我々は当たり前のこととして日々過ごしておりますが、科学的な 観点に立つと美しく壮大な自然現象も実はコロイドの効果によるものだそうです。牛乳や写真のフィ ルムもまたコロイドだそうです。特に女性としては「落ちない口紅」のメカニズムに思わず感嘆の声 を上げてしまいました。 後半ではコロイドの原料にもなるポリマーについて、なぜ複写紙は上に書いた文字が下の紙に写る のかといったことから、土星探査機カッシーニまで幅広くご講演くださいました。中でも聴講されて いた方々の関心は電子ペーパーに集まりました。電子ペーパーはその名の通り従来の紙に代わる電子 ディスプレイで、ポリマーの小さい玉を使って情報を表示し、パソコンに使われている液晶より消費 電力が少なく、角度によって見えにくいということもなく、紙のようにかさばることがない上、紙同 様に情報を保持したまま持ち歩くことができる利点があります。また 20 年前、無重力下のスペース シャトル内で作られたという大きさが均一なプラスチックの玉は、なんと 1 キログラム当たり 6 億円 もしたそうですが、玉はその後何に使われたのか、興味は尽きないところです。 概念のつかみにくいポリマーやコロイドは門外漢にとっては難解で退屈しがちな内容ですが、美し いスライドとユーモアを交えながらのご説明は聴講者の関心を深く惹きつけていらっしゃいました。 すばらしいご講演を本当にありがとうございました。
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