劉‖‖‖‖‖‖‖ⅢⅢⅢ‖‖ⅢⅢ‖ⅢⅢ‖‖Ⅲ‖‖ⅢⅢ‖Ⅲ‖‖ⅢⅢ‖ⅢⅢ‖‖ⅢI::‖ ‖ 大学海洋研究所 ニュースレター N o l 1 5 20ロ フ.3 ‖‖Ⅲ‖‖ⅢⅢⅢⅢIIIⅢ ヨ││IⅢ ⅢⅢⅢ‖‖ⅢlllⅢ Ⅲ‖ⅢⅢIIIIIIⅢ ⅢIIIⅢ ⅢⅢⅢⅢIllⅢ ⅢⅢⅢ‖‖ⅢⅢ‖Ⅲ‖ⅢⅢⅢ‖‖!l‖ ⅢⅢⅢⅢⅢⅢ:ⅢⅢⅢⅢⅢI ●退官 に あた って 海洋研 究所 での30年 を思 い起 こ して の あれ これ 海洋化学部 門生元素動態分野 教授 小 池 勲 夫 退職 に関す る書類 を見 て海 洋 研 究 所 に助 手 で就 職 して 紹 介 で 、 ス ク リップ か らす で に31年が 過 ぎて い るこ とに改 め て思 い が い た っ スの 研 究船 に よ る南 た。大 学 院 の修 士 時代 か ら勘 定す る とこの研 究所 にお世 極 海 の航 海 も合 め て 話 にな ったの が40年近 くにな る。 私 の 世 代 は海 洋 研 究所 足掛 け 2 年 に 及 ぶ ラ での第二世 代 に 当た り教 員 で大 学 院 か ら研 究所 に入 った ホ イヤ で の 滞 在 が 可 人が 多 くな った 頃 で、 教 員 。学 生 と も研 究船 を使 って新 能 に な った。また、8 0 しい海洋 学 に取 り組 む とい う気 負 い が 全体 に感 じられ る 年 代 の 終 わ りに ス 時代 で あ った。私 が研 究 テ ーマ と した海 洋 の 生 物地球 化 タ ー トしたJGOFS― 学 とい う分 野 は、世 界的 に も比較 的新 しい研 究分 野 で、 S S C へ の 参 加 な ど研 様 々 な研 究 背景 を持 つ 研 究者 が 参 入 してお り、学 際 的 な 究生 活 の 節 日、節 目 色彩 が強 か った。 学 部学 生 の 頃 か らフ ィール ドで の科 学 が 、 このカナ ダでの何 年間 での体験 と結びついて い る。 を志 向 し、 理学 部 の地 理 か ら植 物 へ 、 それ か ら海 洋 研 究 この こ とを考 えると学生 を海外 に積極的 に出 して くれた 所 へ とさま よったが、化 学 的 な分 析 手法 を使 って海 洋 現 指導教官 の有 り難 さを今 さらなが ら痛感す る。 国内、海 場 での窒 素 の 生 物 活 動 に よる循 環 を解析 す る研 究 は面 白 外 を問わず良 い研究上 の先生、先輩、友人、後輩に恵 ま く、 の め りこむ の に充分 な研 究対 象 で あ った。 れ ることが、大 学 の研究者 とい う一 見 自由な立場で も極 特 に院生 の 頃 か らカナ ダ、 バ ンクー バ ー 島 で の 長期 に めて大切 な ことは言 うまで もな いか らである。 わ た る共 同研 究 に参 加 す るチ ャ ンス を得 て、 ア タ リカ、 私 が研究 を始 めた70年代 には炭素や窒素 の地球表層で カナ ダ、 ヨー ロ ッパ の 生 物 海 洋学 、 あ る い は生 物 地球 化 の 循環 とそれ を支配 して い る生物プ ロセスの研究 はまだ 学 の一 流 の 研 究者 と生 活 を共 に しなが ら仕 事 を し、論 文 を書 く経験 を得 た こ とは、 そ の 後 の 研 究生 活 を続 け る上 基礎科学 の 色彩 が強か った。 しか し、80年代 になって地 球温暖化 が注 目され るようにな ると、炭素 。窒素循環 に で精神 的 に も実質 的 に も大 きな支 え とな った。 この 共 同 係 わ るフラックスの正確 な見積 もり、 その制御機構 の解 研 究 で世 話 にな った ス ク リップ ス海 洋 研 究所 の 研 究者 の 明 とシ ュ ミレー シ ョンモデル による再現 が次第 に地球環 ① 境 問題 として大 き く取 り上 げ られ るようになった。IG をま とめ る総 合科学技術会議 の環境分野 に関係 す ること BPの ような大型 の地球環境 変動研究 の 国際 プ ログラム になった。 また、 それ以来、地球温暖化 を中心 とした環 が、海洋 を含む地球表層での炭素循環の解 析 を 1つ の大 境科学 ・技術 の とりまとめや評価 に関与す る場面 も多 く きな 目標 として動 き始 めた。海洋 での炭 素循環 のプ ログ なった。 この 過程 にお いて、 多 くの異分野 の研究者や行 ラ ム で あ る JGOFSの 発足 時 の科 学 執 行 委 員 会 政担 当者 と知 り合 うこ とが 出来、 さらに様 々 なことに興 (SSC)に 入 り、さらにこれ らの地球環境プ ロ グラム を統 味 を持 つ 習性 の ある自分 を再発見す るこ とに もな った。 括す る IGBPの 委員会 に90年代 になってか ら参加 す る しか し、海洋分野 の基礎 の研究者 として感 じる 1つ の 間 ようになってか ら、 日本 にお ける研究 の進 め 方 とアメ リ 題 は、基礎研 究 と施策 的 な応用 研 究 との バ ラ ンスで あ カ、 ヨー ロ ッパ でのや り方 にかな りの違 いがあ るこ とが る。最近の施 策的な大型研究費 は、如何 に成果 が社会 に 知 らされた。 還元 出来 るかが、評価 の 重要 な視点 となって い る。 その 研究者 は通 常学会 に所属す るが、 日本 の場合所属 す る 結果、時間がかか る地球 システ ム その ものの理 解 に必要 学会は大学 の時 の 出身 の専攻 に よって決 まって い るこ と なプ ロセ ス研究 は後 回 しにな って い る ように も思 われ が 多 い。従 って地球環境研究 の ような新 しい研究分野 は る。一方、基礎的 な研究 を行 ってい る研究者 もその成果 研究者が多 くの学会 ・研究会 に分 散 して しまい、その 結 の 出 日が どこか について 常 に意 識 して い るこ とが必 要 で 果 として似 た ような分 野 で研究 して いて も情報交換 が無 ある。海洋科学 の ような分野では基礎 的な研究 と施策的 く海 外 の シ ンポ ジウム な どで始 めて知 り合 う こ と もあ な研究が うま く連携 す るこ とで、 よ り大 きな成果が挙げ る。一方、研究者の流 動性 の 高 いア メ リカな どでは、情 られ、外 に もそれが見 えや す いか らである。 報 の流通が極 めて早 い。 この ような違 いか らは じめは国 大学 の研究所 の 良 い ところは自分 の考 えに従 って、 自 際的 な組織 の 中で、 日本 の地球環境分野 の 全体像 を捉 え 分が組 みたい と思 った研究者 と共 同 して研究 を進 め るこ て発言す るこ とが難 しかった。 日本 か らの まとまったプ とが出来 る点であると思 う。私 は この利点 を これ まで国 ロ ジェク トの提 案 や 情報 発信 も同様 で あ った。最 近 で 内で も国外で も充分活用 させ て貰 ったこ とを感 謝 して い は、研究 費 の相互乗 り入れ も進 み共 同研究 に対す る研究 る。 しか し、国立大 学 が法人化 され 各大学 が様 々 な道 を 者 の理解 もあ って事態 はかな り改善 され、 日本発のプ ロ 模索 して い るこれか らは、大 学 附置 の研究所 も教育へ の ジェク トも多 く提案 され るようになって来 た。今 ではわ 加重 は増 えて くるこ とが充分予想 され る。良 い研究者 は が国 において も地球環境 の研究 を支 える大 きな柱 である 必 ず しも良 い教育者 ではな い と言 う現実 もあ るので、研 生物地球化学 あるい は生 物地球化学的な解析 と言 う表題 究 と教育 のバ ラ ンスは難 しい。 しか し、優 れた研究 を通 は、他 のフ ィール ド科学 の研究者 も多用 され るようにな して良 い学生 を育てて行 くとい う大学 附置 の研究所 の利 り、 この分野 は大 き く進展 して い る。 点が維持 で きるように、 これか らもがんばって頂 きた い 国際組織 とのギャップか ら国内での風通 しの 良 い研究 と願 って い る。 環境 をと言 って い るうちに、第二期 の科学技術基本計画 ② ●退官 にあた って 海洋学 を志 した頃 の思 い出な ど 海洋生態系動態部門底生生物分野 教授 大 田 秀 私が海洋研 の海洋生物生態部門 (19700417設 置)に り、 日本海 と祖母 の 実家であ る酒造会社の酒樺 で産湯 を 新任助手 として着任 したのは1972年春 であった。部門創 浴び、小学生時代 の 夏休 み と冬体 みはすべ て叔母の嫁 ぎ 先である相川町 二 見や達者 (尖閣湾 :新 潟大学臨海実験 設時、教授 は山形大 学 理 学部 か ら配置換 えで着任 した山 本護太郎先生 (故人)、助教授 は,lll洋 研助手 か ら東大総合 研究資料館助教授 (現東大総合,F究博物館)を 経 由 して 所所在地)と い う景勝地 の荒磯 で過 ご し、定置網 の場網 1972年02月に着任 した堀越増興先生 (故人)、向井宏助手 はな い。実 は物 がなか った時代 であ り、人付 き合 いが苦 (19714'08月 験 所教授)、 着任 :現 北大釧路臨 lll実 技官 に 手だ ったので ある。 片性1合では進 学や受験 な どとい う意 相生敬子 ・長谷山則夫両氏、技術hli佐 員 に岩城 嬢 とい う 識 は皆無であ り、 また、学校 の授業 か ら期待す る もの は 顔 ぶれであった。東大理学部生物学科 を卒 えて理学系大 ほ とん どなか った。 1段を もてあま し、兄姉の教科書 や参 1課程 に在学 し、陸生 ヤ ドカ リ類 の 視覚 に 学院動物学専『 考書、学校図書館 の蔵書 を読 み尽 くし、口rに残存 して い ついて実験行動学 ・生理学的Of究を行 っていた私 が、 ヤ た鍛冶屋、漆塗lT、京染BIの仕事、 はては芸 者 の練習 ま ドカ リ類 の選択 す る巻員類 の種 同定 の指導 を総合研究 資 で を日がな一 日眺めて い た り、プ リキ屋、竹細工屋、指 先生 にお願 い し、 また 自前の双眼実体顕微鏡 料館 のllL越 購 入資金 ほ しさに堀越先生の マ クロベ ン トスの ソー テ ィ 物師 や大工 、 自転車屋で職 人技 を見習 っていた。その う ングや、阿部宗明専任講師 ・富 永助 手 の 日本魚類学 会 誌 ・日本水産学会誌 の校正アル バ イ トを したのが私 と海 人の 兄の天体望遠鏡趣味 と父の天 文趣味 が今 の私 を決定 や鴨 ・雉猟 に明け暮 れた。何 も過去 を美化 して い るの で ち、叔 父たちが譲 って くれたカ メ ラや顕微鏡、そ して友 づ けて しまった らしい。 洋研 とを結びつ ける一 つの縁 となった。 当時同級 の 友 人 しか し、理 学部生物学科 の学生 とな り、三崎 の臨海実 であった佐藤寅夫氏 とと もに 日本復帰前 の沖縄本島や八 重山諸 島 にナキオカヤ ドカ リやヤ シガニ の生態観 察 と珊 習 でびっ くりした。 それは、大平洋岸では一 日の潮位 が 瑚礁魚類採集 に出かけた り、11日には毎週 の ように三崎 臨海実験所 に出かけ、 ス ノーケ リングや ス キ ューバ ダイ 一 日の潮 位差 がな く、せ いぜ い遠浅 の砂浜 の汀が 「1, ビングで過 ご して い た。 また、重井陸夫氏 (当時東大三 崎臨海実験所助手 :元 京都工繊 大学教授)、井田斉氏 (当 の 眼 か ら鱗 が落 ちた、 いや、震撼 した。lllに すむ生物 へ 土屋禎 三 時東大総合研究資料館助手 ;元 北里大学教授)、 (当 氏 時東大 理学物動物学教室助手 :元 神戸大学理学部 教授)、山 日正士 氏 (元琉大海洋学科教授)、雨宮昭南氏 う惑星 と海洋 を意識 しだ した。上 の二つ を契機 として、 (元東大新領域倉1成科学教授)ら の 諸先輩 とともに伊豆 「1, 2m上 下」す るこ とであった。 日本海 はほ とん ど 2m前 後」す るにす ぎな い。大袈裟 にい えば井 の 中の蛙 の趣味 と、星座 と神話の 天文趣味が核融合 し、地球 とい 生理学 を志 して い た大 学院学生 の 身 であ りなが ら、海洋 研 へ の 助手 と して の IfIきが あ った とき、躊躇 は な か っ た。 半島、房総半島、伊豆諸島 に出かけ、 お茶大 の 臨海実験 しか し、 1972年の 春 に着任 し、 い きな り5月 に出港す 所候補地 の選定基礎調査や、海洋生物相調査 に趣味 と実 るメL茂隆三教授 が 1世話す る自鳳丸KH 72 1の 75日 間東 益 を兼ね て参加 して い た。 また、ll● 洋研海洋 生理部門 の 南 ア ジア航 海 の ベ ン トス班 の 番頭 を勤 め る洗 礼 を受 け 平野哲 也先生 (当時助手)が 伊豆諸島海域 に部門初の淡 た。深海 トロール 、SM採 泥器や グラビテ ィコアラー によ を組んだ際 に、研究補助学生 として雇われ、実 青九llL海 質 アルバ イ ト乗船 もした。 この 際、小生 のみが荒天 に も っ か った。堀 る採泥、深海 カ メ ラによる海底撮影 をlrpせ 越先生の 日頭 のみに よる希望 と指示 を受 け、現場 の神様 かかわ らず船酢 い を しな い こ とに気付 いた。川 口弘一 氏 た る当時 の 中井俊介 ・逃本浩志 ・乙部弘隆観‖1機器室技 (当‖ キ新任 の助手)が 激 しい船酔 い に悩 まされなが ら作 官、 お よび大学院生 であった寺崎誠氏 (テラさん :現 海 業 をす ることに驚 き、平野先生が 万一 の事故 に備 えて辞 表 を胸 に仁 J:立ち して い た こ とが慎 か し く思 い 出 され 洋研所長)の 指導 と助言 のみが頼 りであった。 自分 たち の観測点 に到達す るまでは、割 当 ワ ッチでバ ン ドン採水 る。 やMTDな そ もそ も小生 は四 周 を海 に 円 まれ た佐 渡 島出身 で あ どの 甲板作業 と研究室での溶 存酸 素滴定や塩 検 な どのル ー チ ン分析 をこなす。大型 バ ン ドン採 水器 の 取 り外 じと受 け取 りはテラさんに腰 の 入れ 方 を習 い、そ を訪ねては適応部品 を探 り当てた。 当時、電子回路 はア の 能率 を争 え るようにな り、MTDに つ い ては谷 日旭氏 ナ ログ制御 か らデ ジタル制御 へ の切 り替 え時 であ り、 ま (当時北大助手)に 元田先生 の 開発 と改良 の積 み 重ね の たオペ ア ンプ 、IC、 発光 ダイオ ー ドの曙 の時代 であった 苦労話 を伺 った。 ときに、ナ ンセ ン採 水器 と転任1温度計 が 、幸 か 不幸 か 小生 は 5極 真 空管、3本 足 トラ ンジス に よる測深補正、六分儀 に よる測位 の 占典的海洋学 のilri ター、論理回路 ‖ キ代 を経 て い るので アナ ロ グ部品 とデ ジ 習 を中井 さんに指導 を受 けたが 、 さす が にタイガ ー 手回 タル 部品 の 双方 を組 み合わせ 、原理 を理解 しつつ新規設 計算機 ではな く、 モ ンロー 電動nl^算 機 が 実用 され始めて [代である。今 の ようにIC化 されたブ ラック ilが で きる‖ い た。 ポ ックスや既 製『:を扱 うので はな い楽 しみが駆 動 力 と 測点 での 作業前夜 は徹 夜 の PDR測 深 で,″ltt地 形 を探 り、測器 の準備 では素手で くる くると回 った り締 まらな なった。独 身ft族の利 を生か し、時間 と給料 の大部分 を 流 し込む こ とがで きた。 い シ ャックル や ス イブル をポイ とレッコ して しまう鬼の 1年 か けて 山作 した超深itr用 水 中ス テ レオカ メ ラは、 富 岡甲板次長 (当時)に 甲板作業 を しごかれ、テ ーパ ー 徹夜 りIけの淡青九KT 74 14駿 河湾研究航海 か ら使用で ドワイヤ ー仕様 で ジャ ジャ馬 な旧自鳳丸の 1番 ウ ィンチ きるようにな った。航 空写真浪1量の原理で撮影面積 と被 をよい とまけでだ ま し、ウ ィンチに雑索 をかけて採泥器 写体 のサ イ ズ決 めが 口 I能 とな り、 メガベ ン トスの 定量化 の着底 をセ ンシング した り、 ウ ィンチ張 力llで トロール のめ どが立 った。 しか し、 また また回路 の焼損事故 に見 の アタ リをああだ こ うだ と論議 したの も今では ltL語 りと な った。トロール サ ンプルの ソー テ ィングは今島実氏 (元 舞われたカ メ ラを改 良 し、本格稼働 が実現 したの は大森 助 手 :元 水産大学教授)と 信氏 (当‖ キプ ランク トン部rЧ 国立科学博物館)、岡村収氏 (元高短1大学教授)、,‖ 生重 (元 雄氏 横浜国立大 学教授)ら に教わ ったが 、 これ ら 3 のKT 75 14駿 わ∫ 湾 サ ク ラ エ ビ調 査 と、連 続 したKT 7515駿 河湾 ベ ン トス調査 であった。海洋学 の処女論文 氏 はアル コールが 入 らな い と船 Lで の仕事や研究がで き はサ クラエ ビの 日周垂直移動 の 直接証明 と昼間 における な い強 の者 であったが、イヽ 生 には さらに標本写真撮影が 残 されて いたので 、 おつ きあ い はで きなか った。 いや、 の蝸集 の 定量報告 となった。 海底lli Lへ その 後 カ メ ラー海底間 のモ ニ ター装置 の改良 と撮影技 小生 は前述 した ように幼 児時代 に既 にアル コール は卒業 Xて 海底撮影 の 鬼 と化 したが 、なん とカメラ 法 の 熟練 をl」 して いた。 当時 の最新式海洋観測は ピンガー装者 の深illl は4:物 の生活 と海底 をあ りの ままに伺わせ なが ら虚 画lr■ カメラで教わ った。 中井 ・蓮本 ・乙部氏 らの 後見でセ レ ベ ス海、 スル海 の5000m級 の最深部での撮影 に成功 して lrlに 過 ぎな いこ とに改 めて気付 か された。 多様 な る生物 有頂天 になった。他 の 研究者 の1■眠中はフ ィルムの現像 ることか ら トロール採 集 と標本同定、底層流 の流向流速 と写真 の 引伸 ば しで就眠時間 がな い ことはた いへ ん つ ら の実測 がrlせ られた。 当時、深海 トロール は軟体動物採 ttを 目指 し、 ドレ ッジ的な曳網 を主張す る L司 や技官 と い。 しか し、小生 に とっての このOF究処 女航lllが 、電気 生理学 を通 して手慣 れて い た電子機器 の活用lと ll発に よ TTの写真 を同定す るには実標本採集 の 裏付 けが必要であ る深海 ベ ン トス学 の近代化 と、深海底 を直接 ビジュアル 合 いが つ けがた く、 また、標本類 は共 同研究 として '7り った 諾研究機 関 の分lll研 来 り合 究者 に流 れて しまう悩 み に観察す るこ とが 自分 の 当面 の使命である こ とを悟 るよ とい ‖い なが らの作業 であった。 まず、ORE型 深海 トロー い機会 となった。 ルの新規設計 と曳網法 を確立す る ことで採集能率 を一桁 メ ラが しか し、部 門nl設費 で「 してあ った深 illlカ lll入 Lげ た。 そ して、 で きる限 り多 くの分類群 の生物種 を自 たったの 2年 で使用不能 となった。 2千 万円超 の新規機 ら同定す る訓練 をTlね、採 集 された標本 の計濃1と重量‖1 器購 入は助手の手 に負える もので はな い。絶望 の淵 に‖i か ら4LttllH重 定 で 、口l17■ 量 を求 め る基礎 デ ー タを集積 んで小学生時代 に眺 めた職 人たちの魂 が私の 中 に復lfし し、 各種4i物の4L息深度分帯 や生物地 理学的分布デー タ た。残 った超耐圧容器 と予備部 品の 中の 水中補正 レンズ ベー ス構築 ルー チ ンが 「は った。 これ らの作業 の総合 か ら:Ⅲ直 に見下 ろ した画lrlで、 rFllIを 同定す る特技 (図鑑 を生か して、 カ メ ラとス トロポを 自作 して ス テ レオ千卜様 とし、 メガベ ン トスの 定量評4Jtを 可能 とす るこ とをH標 に据 えた。子供時代 にlrt足 には果 たせ な かった本格的:│: めて図示 されて い る 1)や 、二 次 類 はほ とん ど横 か らリヒ IFL存 の か ら生 物 元 映lr■ 量や流 向流速 を読 みIIRるとい う飛 作 の夢 を実現 す るべ く、秋葉原通 いで 電子「1路を組 み 立 路が "「 能 となった。 て、金工室で構造部品製作 の格 闘 が始 まった。 却 ll離職 この 自分 の専ドlとす る研究 の 開始 の 合間 に も、山本護 直前 の金工 室藤野技官か ら旋盤 とフラ イス盤使用 の 手ほ 太郎教授 の磐梯 rl色沼調査、堀越助教授 の石垣 島川平湾 どきを受 け、光学機器 メー カー、電 子部ギ:メー カー、 ス トロボ管製作所、小型 ギア ー ドモー ター 製作所 の技術者 のJ」 lrJlttllll域 4:態 J・ l 杢、パ ラオfLl瑚 礁海域海外学術生態 Jll査に 4・ 5年 間参加 し、 多様 な環境 を経験す る貴 重な ,lt出 部の 西│ ' 太1 ●) : 背弧海 盆 4 1 1 水 盆 、 マ リアナ l l t t l l等 「し、 日本海 I X 水 機 会 を得 たが 、輛l 越助 教授 が教授 に イ ' 「 l 山 「され す ぐれ な 研か 宗雄 先4 i が助 教授 と して着 イ ',‖ い健 ‖t に もかか わ らずl l t i′ r r の 写 真 に よる卜1 定 にi l l k的 身 f し生 物 l r 集 の 探 索 や 子 と兄 を i l l 続し た。 9 1 成 抑1 の な 協 力 と指 導 で、 や っ と本 業 を中 に 来 った。 't道 1 9 7 6 1 1 木に 出 発 す る8 5 1 ‖ I の自 鳳 丸I く H7605次 な い。さ らに 自 llAメ しKH 93 3次 ∬J年で に本 ',れ 賢 策 ・‖i4i俊敬 ・イf井ni秋諸lt F)とと もにクリltした イ ン JAMSTECの ス タ ッフ と火 ´)に と化 して イi ,た 共 市 I“: 業 は忘れ 1 ぼ毎 り ′) 途次 、 イ ン ド洋 : │ :ξ 赤道 i 毎 城 の 水深 5 千 n l で , 1 派な突 起 を1 1 えた エ ボ シナ マ コの ‖t 影 と採 朱 が l t り l 出4 i のサ イ ド洋 │卜央 lj lll調 査 に端 を発 し、 ‖[紀の 変 わ り‖の20α)年 に 遂 に夕 した イ ン ドill l央 1人 淋 水艇 Kaikoで り(llι 海 lll熱 ン とな った。 来船 , 「 究 杵の ‖ι ヤ{ 1 の 寄 せ ギF き力ヽ不え られ た 水噴 出イL′J勿│卜集 の 発 見バ 朱海 際 検 」の 仲 ′ dを 飾i,́た。 ワ インラベ ル は、 お 「と して い まなお保 r r して い る。 そ の 後 はむ しろ潜 水艇 Jl査で は結 果的 に手 ilとな った一 般 に 共同 究 が 開 放 され た 「しん か い ')一 "「 ク) l l来を開始 ・ 2000」 で きた こ とで 、l t 午海 底 写 , ` と こ トロー や 海iYl城 生物 調 イン )デ ー タベ ー ス化 に残 る努 般 の 大 ill底 ル で1 り の 直接 探 訪 の 夢 が 実 l l L した。 t し て きた海 l l t へ υ卜 て い る。 1 9 8 1 年か 力を傾 注 しだ したが、 日,日 して,■ ,上しの感 に さい な まれ 」 麒 投 ・教授 時 rヽに そ れ な りの 数 の 国 内 クトの ,■′ liやJカ 1 9 8 7 1 1 にはア メ リカの イ1 人淋 水艇 ア ル ビ ン リに よる西大 1 1 1 [ 城初のマ リアナ 背 弧海 盆 中 り こ部 の 熱 水, J t 出 イL t t l 1│7 ‖ 沖 の シ ロウ リガ まだ果 た し得 な い ラ イ ', tヽ ー ー ベ フ ワ クの 深 ll14i物 スの 集積 を 許:して もらえ デー タ `し ー ル リに よ る 日 イ‖卜集 の 発 ) と A I I く0 1 : 卜 、 日l lK、 1 1 で ノチ た の は感 llにltえ な い。 太陽 に背 を 旬け て奈 落 とつ きあ 本海│ ‖てフ) , t み込 み ‖卜の 冷 │ " 水性 イ ビr 合 成4 i 態系 の 発 見 う35年 ‖ Jで あ ったが 、女 が」支吹 して くれ た 美術 と言 │、 そ に 参加で きた こ とは在1 繊中l X の ハ イ ラ イ トとな り、 その の 支え とな って い た。 そ し して草 木 や ベ ッ トヘ の 受 が ′ しヽ 辺 i‖ 後 しば r , 〈│ ま各国 の 有 人i l 水 卜I F ゃt l K‖ JiljK術 ■門l f と へ の 移 行期 に て 、 大学法 人化 後 のせ せ こ ま しき‖ キfて と も に 和i 規 に ‖ H ′とし た , 朱i l l 曳詢 t フ ラ ッ トフ ォ ー ′、 を免れ て 定 年退 Il lを 迎え′ ,れ た こ とは十 せ とい うべ き ■、 IDESMOSで マ ヌス ll盆 で あ ろ うか。 に 参画 で き、 可内 で は相 模湾 初 集 発)と ・` 1・ ■ 情西 諸 I ち l l 盆 J ヒ フ ィジー l l l F・ 助 教授 に 支え られ な が 小 ・ 、 自鳳 丸 K H 9 0 3 次マ ヌ ス背弧 海 盆 調 査 航 海 で 深海 曳航 式 プ ラ ッ トフ ォー ム D E S M O S を 準備 中 の 筆 者 と渡辺正 晴 氏 。 ⑤ 牢 ●退 官 にあた って 船 の 思 い 出 国際沿岸海洋研究 センター 戦時 中、海コ: 技術i 将校 を して い た父 の影響 で、幼少 の 教授 寺 崎 誠 景 は、1970年代 の タイは ドイツか ら取 入れた効率 の 良 い エ ビ トロー ル rr法で エ ビ を穫 り過 ぎたた め 資 源 が 村i渇 頃 よ り海 に興味 を もち、 いつ かは船 に来 って七つの に ' 1 11 行 きた い とい う夢 もあ りま したので、 1 9 6 6 年4 月 に本4撃 し、革 エ ビの養殖 に成功 して い る日本 に養殖技術 の導 入 の 農学部水産学不 1 に進学 してか ら樹F 究案 を決 め る時 もな を要請 した もので す。種ri生,1に用 い る親 エ ビの‖1獲の るべ く乗船 で きる水産l l l 洋 学講座 に しま した。 学科 の 3 に ため水産九:の漁業調 査船 に も禾船 しま したが、航 lll中 年 の ア ジ ・サ バ J l 査の 実習 の時 には じめて三崎 の漁船 に 朝、昼、晩 と3レlエビ料 IEが 出て くるの で い ささか食傷 来船 し、三崎か ら大「 もの波浮港 まで4 千きましたが、 この ぎみにな りま した。 1 1 はじめて船n l t ぃ を体験 しま した。 この実習 の 後、同学 1977年の本 にイ ■期満 了 でり lIJし た後 は、次 に地 中海 に ) と 一緒 に神 奈 ` b 大 川水試 の 江 ノI b メ しに l ヶ 月乗船 しサ ンマの 調査 を手伝 面 したチ ュニ ジアの海洋‖F究,llで イト事をす るこ とを頭 の い、船 に もだ い. S f r Iを信もちま した。 4 年 では米国 ワシ ン トン大学 か らり 牧勇蔵 先生 につい て 1 } 国したばか りのイヽ 槌臨海7F究 セ ンター 長 を兼務 されて い た恩師 の 九茂,Il長 プ ランク トンの分4 , 生態』 を研究 卒論 で 1 黒潮域 のI l l 物 に採 用 され ま した。大槌 ではプ ラ ンク トン調 査、湾 の 定 し、 自分 の 試本「 を新造 の ¬鳳 メ しで採集す るとい う幸運 に 期観測 などで毎 日の ように舟艇 に来船 し、 自分で も操船 t ま した。 も恵 まオ で きるように と小型船舶操縦 Lしの 資格 も修得 しま した。 年 の松 日1 治氏 ( " チ 洋微4 i 物部門 : 広 中 に描 い てお りま した ところ、5月 頃、 当時、新設 の 人 か ら助 手に応 募す るよう話があ り、10月 1日 付けで助 手 研究所 プ ランク トン部ド1に進学 し、九茂 修 十か らlil洋 の 舟艇 を改 jとした 「 1982年に入るとr ilrl九 弥生Jの 代船 隆三先生 のご指導で 「 大平洋 における こ顎類 の生態学的 建造 の 話が持 ち 11がり、川村忠船 長、藤井繁幸技官 とと 研究』 に従事 しま した。 この時代 の一 番の思 い 出は自鳳 九の 長期航海 に来船 し、 は じめての 外地、 ハ ワ イ、 タヒ 験所 の殉艇 を見学す る とと もに新riに もに各地 の 晰llll実 ある漁船 協会1'務所で の 設計│「介せのため頻繁 に 11京し チ、西 サモアを訪れ た事 です 。 1ド ル =360円 で外貨持 ち ま した。 で したの で学 41には夢 の よ う 出 し制限が500ドルのIII代 なiFでした。 この航海 には元田茂先生、西洋敏先生、小 弥生代船竣 liの直前 の1983年 4,]に プ ラ ンク トン部‖l の 助教授 と して10年振 りに 中野 キャ ンパ ス に戻 りま し IE先生 な ど所外 か らも著名な先生方が参加 され ま し 倉紀 」 lJ手の西 Il た。 当時 の部Plの体制 は根 本敬 久教授 の も と」 たの で航 ,1,中に い ろ い ろな こ とを教 えて い ただ きま し 谷研 さん (東大農学生 命研究科)、技官 の ll 周平 さん、 11「 した。院生 ッ トが試作 されたの もこのfljtilllで の最年長 は博 1:311の 高橋 正征 さん (高知 人)で 、大変 ん、イiメ 井弘子 さん、水llktt iさ しイ1枝さん、大学院には 岩崎望 さん (高舞1大)を 筆頭 に菊池知I彦 (横浜国大)、‖l lK信11(在 仏)、戸│││ 田敦、宮 正樹 (千葉県中央ri)、保」 た。MTDネ に│1学で当時 か ら余裕がある方だ と感銘 を受 け ました。 ■顎類 に含 まれ るカ ロテノイ ド色素の 分析 をご指 導 い た 龍樹 (nl価大)、中 お明沫 (韓国 :洪 陽人)、徐海I(草 ホ1可 :全 南大)、 ワグデ ィ ・ケルグス (エジプ ト国 ir海洋研究 だ き、同部門 の 利IHI人太郎 先生 とは後 に安定同位体 の仕 HL、夜遅 くまで 所)、の 9名 が4irFし活気 に溢 れてお り、■ 11をご一 緒す ることにな りま した。小4iの大学院時代 は OF究にFllん で い ま した。 この年 の 夏 か らはH,1か らは じ まだ海洋研究所 も 者 が 少な かったので淡青九 ・自鳳 ン採集 のため頻繁 に来船 し、1973年3 にはプ ランク ト'f究 'し り !の学位論文提 出時 には未船 日数 は40011を超 えてお り ま る 根 本 先 4:を 主 席 と す る 自 鳳 丸 南 極 illl nlt lll (BIOMASS)の 準備 で 多忙 な ‖を送 って お りま した が、 豪州 の フ リーマ ン トル経 IHで市極海 に入 りは じめて ました。 水 山を見た時 の 感激 は忘れ られな い もの で した。その 後 またこの航lllを 縁 に海洋生イ ビr部 門 の 藤田善彦先生 には 大学院修 了後 は運良 くタ イでエ ビ養殖開発のプ ロ ジェ 1994年、2111)111に もt席 研究員 として南極海 を訪れ る機 ク トの立 上 げに参加す ることがで き、lll外 技術協 力事業 会 があ りま したが、KH 83 4航 liljの 日1象が一 番強烈で した。 幸運 に も一 番良 い水 (約10万年Jj)が 最 後 の南柾 lJ(OTCA:JICAの 前身)の 派遣 で農 業協卜l組合省水1/i lうにrjJ務 す ることにな りま した。 このプ ロ ジェク トの 背 で採 れ ま した。 tjt海 ⑥ の r 算 で自鳳丸 f ヽ 198711度 船建造が認 め られ ると建 造 えした無機化学 部門 た小生 とと もに レエニエ 人公をおJ Il」 委i l 会の 幹1 1 にな り居 住│ ズ・船 内環境 お よびR I 実験 室 の野崎義行 さん もこの ‖ L にい な い と思 うと感慨深 い もの を引1 当す るこ とにな り、設「I J 「 合せ な どで 三菱重■l F 関 の 参加研究者 は7 6 名で海洋研究, ウ があ ります。 このH l t 海 「 所 「 の 造F l t、長 l r l 究所 に よく足 を迎 び ました。1 9 8 9 1 1 春 か ら全l l t l l 船 j 来したのは逃 本 さん、稲 ltllllで 竣 1 1 を前 に 当時所長 を して い たl l k 本 先生が 1 処久書 ん、J L 川り │: "LFさ 「l さん、研究生 の秋 本泰 さん と小4 : の5 名 で した。 本 1 1 どこに行こうか ? │ と 尋 ね ら′したの で 、小イ liは 即座 に 「世 に忘れ るJ ' ので きな い大航海 で した。 ゞ ふ 界川航 を実現 しま しょうJ と 答 え、た いマ 1 ってか 時 が糸 ら1 9 8 9 年1 0 , 1 か′ , l L 界一 月航海 を行 うこ とが ‖i 式に決定 その 後プ ランク トン‖ では杉崎宏哉 ( 中央水0 0 、 エ `間 リック ・トューセ ン ( 米1 1 オリンピア大) 、安日1 智共 ( 1 1 い出 に残 る i l 洋″1 究l l 始まっ しま した。小生 の 1 : l l 思 iの 米) 、1 1 川雅哉 ( 中央水O f ) 、小林暉i 美、西川淳、共本詰、 石垣哲治、 J l 村美和、海キ )1科 学国際 共同研究 セ ン ター で ・ は二宅裕志 、 トラ ビス ジ ョンソンの1 1 名の 大学院′ │:の て以 来の大航海 を中i に、 この航i , に乗船 が決 まった 乗組 の方 しんでお りましたが 、淡 i , メ i t の方 々は小r l l l lて,喜 し は残念そ うで した。 1 0 月2 7 1 1 の出港 を l l に 航i l l f事長 冷 と オ 教官 を務 め 、彼 らを連 れて「l l j l、淡青メ 九 しによ く乗 " 導 しま 1 9 9 4 イ した。 入る と理 二 船 Fに 学書│ ` 附 属 崎臨海実験所 して観‖蟻 器室 の進 本# i 志さん、乙 H . ツ 、 降 さんに千伝 っ て いただ きl l 備に り │ け幕れ る日々を過 ご しま した。航l l は 東京―サ ンデ ィエ ゴーパ ナマ 運河 ―マ イア ミー リスポ の 森l l k ″ I長 (ガ に助 J :, ‖ チ洋研O B ) か ら臨l i ヴ L 代船 の姓 j と ンーモナ コー スエ ズ迎河 ― ゴア ー シンガボール ー東京 で 後、大l l L の 弥生代船 の姓i とに も参加 したの で 、 つ くづ く 各 レグの う1 ' r l は 1 4 啓介 ―寺崎 ―. I 崎―根 本 一i l l l― 川■ H7tの 建造 に も縁 の ある人引i であると実感 しま した。 力 してほ しい 旨の依頼 があ り勿論、1 た i ‖しま した。 この 山 イ l ―杉 本の 5 名 で、寄港地 の スクリ ソフ ス F 究所、 l lド ‖国 幅 l l l マ イア ミ大学、 リスポ ン、 モナ コ、 ゴア の"イj ン き師、 先1 : 、卜 1 僚、 1 ' 務職 員、院生i r イ i にも恵 まれ本・ 1 l l f l 所では l究 17t大 な新船 お披露 ‖パー テ ィー が ‖{ ‖され に充 実 した もの であ り、院4 : 、 職 員 の 方 々 と楽 しんだサ ッ ま した。特 にモナ コでは元 1 1 のレエニ エ大 公一 行が船 を カー、 ソフ トポール 、本泳、 スキー な ど も楽 しい思 い出 )1味 , ど「され、l M , い丁作 りの大婦ギ ク を1 軸ヒされ ま した。 です。 1 6 1 1 ‖ l 務めた 東大 ポ クシング部長を定年で選任す 人航海 と も縁 の あ る リスポ ンでは全 “ 員異国 での新 1 1 を大 るの は後ろ髪 をひかれ る思 いですが 、2 1 1 前 に就任 した い に楽 しみ ました。I I 本先4 i はl k lをお 魔 して所1 こ 業の忙 の1 戴務は 4 月 か ら 東京都アマ チ ュアポ クシング連盟 会l こ しい中 スク リ ソフ スでの レセフ シ ョンに出 I され、 また は益 々増 えそ うで、 どうや ら小4 1 の第 2 の 人生 も1 亡しそ リスポ ンー モナ コ‖ ‖を来船 され ま した。先4“: はこの航, ` J うです。 lご ■ したЮ 年間 は大l l l 、 l i l l研究所でl 洋 ‖わず よ 中野 を‖ 1ド L ﹁ヽ の 後、東大病院 分院 に入院 され夏に他 界 され ま した。 ま 写 真 │ : モ ナ コ ・レエ ニエ 大公 の 来 船 ( 世界 周 航 、 9 9 0 年 1 月 ) 写真 2:白 鳳 丸南極 航 海 (995年 1月 ) ⑦ 写 真 3:船 上 での シ イ ラ釣 り ▼ 押 し上 げて、海底 に露出 した もの であるとい う作業仮設 を提 出 した。更 に蛇紋岩海 山はキプ ロスの トロー ドス ・ この ような我 が ままを御許 し Fさ つた皆 様 の 寛大 さ に、改 めて深 く感謝 申 し Lげ る。 オフ ィオライ トの、 そ して トンガ前弧域 はオマー ン ・オ フ ィオ ライ トの 、それぞれ モ ダ ンアナ ロー グである とい これか らの人 々への望 み 海洋科学 を含む地球科学 は、重要 さ、科学的 ロマ ンの う作業仮説 を提 出 し検証 中であ る。 (lC)IPOD Leg59で の九州 パ ラオ及び西 マ リアナ海嶺 豊富 さの書1には、 日本 では欧米等 に比 べ馴染 が薄 く、研 の掘 肖1岩石 の研究で、島弧 としての 発達 が 未熟な比較 的 究者 の 層 も限 られて い る。大学 に所属す る海 洋 の基礎的 地殻 の薄 い西マ リアナ海 嶺 で、低温 の カル クアル カ リ岩 研究機関 としては、 IIt一 東京大学海洋耐F究所が存在す る の存在 を確認 した。 だけであ り、 しか も、私 は唯 一の海洋底物質科学 の専従 (2d)自 前 で採 集 (イ ン ド洋、アデ ン湾)し た岩 石 にODP (Leg203,Leg 200)の 岩石 を加 えMORBの 岩石学的基 研究者 として岩石、堆積物、生物硬試料等 を合 む海底試 料 の ドレ ッジによる採 集 (採集装置 の保守開発 も合む)、 礎研究 も行 って きた。 (2e)近 年 はlFI洋プ レー ト深部構 キ ュー レイテ ィング、 解析研究 を行 うと共 に、岩石切断 ・ 成岩石 の物質科学的 ・岩石学的探 索 に 力を入れて い る。 つ まり、海洋域 の地球深部岩石研究 には深海掘削 コアに 薄片室、 X線 分析室等 の陸上研究施設 の 、整備、機器開 発、機能向上 、保守及 び 、共同利用研究 (外来研究員 を 加え、海洋底 に露出す る (例えばマ リアナ海溝南部陸側 合む)に 努 めて きた。 一 方米国には、 よ り大規模 な海洋 斜面)斑 レイ岩や マ ン トル カ ンラ ン岩等 の地球深部 由来 研究所が10カ所以上 もあ り、海洋底物質科学 の専従研究 岩石 の研究 は、大変重要 であるに も拘 らず 、Of究が手薄 者、技術者 も各 々数 名以上有す る。 この こ とか らも理解 であることを認識 したか らであ る。 で きるように、海洋底科 学 分野では 日米 の差 は大 きく、 (3a)日 本 ウナギの耳石 のEPMA解 析、サ ンゴ骨格 の面 特 に海 洋 の 物 質科学 としての 面 は更 にその 傾 向 が 著 し 分析や フ ォスフ ォライ トの 成因 に関す る共同研究 に も携 く、今後特 にこの分 野 での 研究 ・教育 の充実 が早急 に図 わって きた。そ してウナ ギの成長 史の解明、 サ ン ゴの成 られ るこ とを望 む。 長 史 と古水温 の lll係を明 らかにす る研究 の お手伝 い もし 日本 の陸上地質 の70%以 上 は、前弧域 を合む海洋底 由 た。 (4a)私 は今 まで室内での研究は勿 論 の こと、海洋研究 来 の 物質 か ら構 成 され て い る と言 って も、過言 で はな Plrと│ヽう、 底地 質過程 の集積 として理 解で きる。陸上地質 の理 rlll洋 (4b)全 国共同利用研究所 に在席 したため に、その制 度 の 下にある外来研究員常1度 (因みに、外来研究員総件数 解 に も、海底地 質 ・岩石 の研究 は不可欠 であるとい う認 の 2∼ 3害1にあたる10-15件 を毎年 お世話 して きた)等 を活用 して持 ち得 た、内外 の 多 くの研究者 との 交流、 (4 洋 底研究 に向けさせ る事が可能であると考 える。 しか し C)国 内船 は もちろんIPOD(Leg59)、 な いこ とか ら、 この 分野 の重要性 が十分 に理解 されて い ODP(Leg125、 い。陸上 の地 質 は過去 の地 質過程 の 集積、つ ま り現在 の 識 が重要 である。 この観点 か ら陸上研究者 の 関心 を、海 現状 では、 海洋底物質研究 を主 とす る研究者、学生 の 少 Atlanis Ⅱ等 の 、外 国船 による長期 研究航海、有人潜水艇 (アル ビン、ノチ ー るとは言 い難 い。そ して、その原因は海底試料 へ の アプ ル、 しんか い6500、 しんか い2000)に よる深海潜航調査 しか しこの 問題 も以下 の観点か ら打 開で きる もの と考 Leg203)、 Melville、Moana Wave、 ロー チの 困難 さに求 め られ るのか もしれな い。 える。既 に採集済 の試料 の活用。 自鳳九 ・淡青丸 (学部 研究、 (4d)長 期 出張 に よる海外で の共同研究、 つ ま リシア ト 生 の乗船 が重要)の み な らず、」AMSTEC(学 ル ・ワシン トン大學 ・地質学教室で約 1年 の 月の岩石 の 船 可)を は じめ とす る公的機関船舶利用公募 に対す る、 研究、 カナ ダ ・グル ハ ウジー大學 ・地質学教室で約 2年 応募研究 に よる活用。外国船舶 の共同研究 による活 用。 の海洋底岩石特 にマ ン トル カ ンラ ン岩 の初F究、米国 のス 国際深海掘削 (DSDP,ODP)試 ミソニ ア ン研究所で約 1年 の 島弧火山岩 の研究、 る。 部学生乗 料 の活用、等 が考 えられ (4e)海 外学術調査研究 (杉村新、米倉伸 之を代表 とす に も積極 る南大平洋 における海面変動 =HIPAC)等 あた り100個を限度 として配分 され るのみで あ り、 残 りの 的 に取 り組んで きた。 これ らの機 会 を通 し、地質学 。地 大半は (特に米国 の研究者 か らは)殆 ん ど顧 み られ るこ 球科学 ・生物学 ・海洋底科学 ・惑星科 学諸分野で の見聞 と もな く保存 されて いて、極言すれば過去30年間に渡 り を広 め る こ とがで きた し、専門分 野 の 同異 にかか わ ら ず、多 くの研究者 と議論 し、又共同調査研究 を経験 で き 蓄積 された国際深 lll掘 削 の 岩石試料 の 多 くは、ほぼ体眠 状態 に在 る と言 って も過言 で はな い。 (しか し、幸 い に た。 も、岩石試料 の保存状態 は非常 に良好である。)国際深海 特 にIPOD、 ODPで 採集 された岩 石試料 は乗船 研究員 掘削計画最大 の利■ 学遺産 と して llもが認め る、 ポー リン ではな いであろ う。この ことは、実 に示唆 に富 んでお り、 グ ・コアの有用活用 についての議論 は、ODPの 中 で積 にお い て も兄習 うべ きだ と思 われ る。特 に筆 海洋底l l l 究 の分析 レ 極的 に行 われて いた とは 言いlllい 。更 に、rFL在 ベル か らすれば全ての 岩イi・鉱物 のlll分 析、そ してそれ 者は、東京大学海洋O F 究所所有試料 だけの活用 には限界 を感 じて い たこ とに加 え、 O D P の 科学 立 案評価 パ ネル に基づ く再考察 が 不可欠であ る。私 自身 はスク リップ ス ( I S S E P ) 及びr l 学委 j t 会 ( S C I C O M ) 等 の委員 として、 海洋研究所、テキサ スA&M大 学、ラモ ン ト地 質研究所、 ブ レーメン大学 (独)の コア保存11を各 々複数Ⅲl訪れ (ラ L I 際深l l l j‖ 掘 J 試料保管庫 を訪れ見問 した際に、実 に「もっ モ ン トは 1「│)良質 な 」 t料 を採 集、 共同研究 のみ な らず 、 至った。 た い な い」 と思 い、1 1 記科学造産 の活用 を強 く考 えるに ]f内外 の修 │:・li l:論 lll洋 文研究 に す る等、有効活用 'ヽ を図 って きた。 れ る様 に海 底 火 山活 Ill、IJt冷湧 水 活 動 、 μ千島弧 、縁 海 、 DSDP、 H)OD、 ODPの 保存 コアを、日本 の 多 くの 大学 海 │11海洋 ib、蛇紋 岩質 前弧 海 山、多岐 に波 るマ ン トル カ で修論又は卒論 レベ ルか ら教育 ・研究 に活 用す るこ とに ン ラ ン岩 の 産 出等 々、欧 米 の ,f究 者 に とって は羨 望 の 的 より、 日本における地球掘 llホ 1学、海洋底科学研究 の底 辺 を質量 ともに拡大す るこ とが ‖ ∫ 能 とな り、21世紀 の海 で あ る変 化 に富 ん だ 米精 査 の 研 究対 象 が 山積 して い る。 更 に、 日本 周 辺 の 海 rttには 、特 に フ ィ リピ ン illに 見ら キ │に 1お部 マ リア ナ l雌 陸 側 斜 面 に は縁 海 を伴 う島 弧 ―海 洋底科学 の 発展 が期待 され る。近 い将 来 には、ODl)保存 │‖系 の地 般 の 上 部 (堆積 層 と火山岩 )か ら ド部 (深成 岩 )、 更 に li部マ ン トル 至 る地 lit断面 の 世界 で唯 一 の 大 規模 な コアの 内、西太平洋お よび イ ン ド洋 の約 150 k lnl分 の コア が 高知大学 の コアセ ンターに移管 され る 「定 との ことで IIKり tを つ ことな く、一 亥Jもlllく あるが、 そブ 掛 か ら1ュ 露 出 が あ り、地 球 科 学 の 総 合i調査 研 究 が 待 た れ て い る。 `寺 ばな らな い。 特 にOD21は 地球科学 に携 わ る多 くの■F究者 Of究 の 組織 化 も可 能 で あろ う し、若 い海 洋 底科 学 研 究者 の協 力無 くしては成 ilしえな い大プ ロ ジェク トであ るた の 多岐 に波 るi f l 躍 が望 まオ t る。 め、地球 科学 に興味 を持 ち参 加 に 意欲 の あ るオ∵手OF究 者 。学 /1を 含 めた 研究者集 11の育成 ・拡 大が急務 で あ おわ りに これ らを対 象 と し、OD21111111候補地 点 を も/4L据 え た共 同 り、共同利用Of究所である東京大学海洋研究所 には、特 にその ような FI手研究者 ・学 /1集団を育成す ることが望 あ ま り遠 慮 す るこ と もな く皆 様 を撮 影 させ て頂 い て参 り じる。 まオ ま した。 多 くの 方 々に快 く被 写体 をお引 き受 け頂 い た こ は写 真撮 影 を趣 味 と して いつ もカ メ ラ を持 ち歩 き、 型、 海:羊 底研究 の機会 は飛躍的に増加 した とは い え、良質 とに、改 め て感 謝 中 し Lげ ます。私 自身 が 被 写 体 にな る なllll洋 底地 質試料 へ の アプ ロー チ は、未だ容 3/Jで はな tヽ 。一 方、 近年 の 日本 における宇宙科学 の飛躍的 発展は、 こ とは あ ま り多 くあ りませ ん で したが 、最 近 塚 本勝 巳、 j7L兵両氏 か らrflぃた写 真 は私 の お気 に入 りです。 紙 に 面 南柾隕イfとい う良質で攣富 な研究試料 の人 手及び、分析 余 裕が あれ ば 、ltuttrrtけ る と幸 い です 。 機器 の飛躍的発展に よ りもた らされた と言 って も、過 言 写真 │:大 槌 にて、塚本勝 巳氏撮影 写真 2:海 洋研 にて、堤員氏撮影 ⑩ ●シンポジウム 白鳳丸 ・淡青丸研究成果発表会 「 海學 間」 を終 えて 「 海Frl‖ 1」プログラム委ll会世話人 海洋底科学部rl海洋底llL質 学分ltr・ 教授 徳 英 一 の とな りま した。 また、 劉 皮の 分 T l にまたが る l j 洋学 を ・1 鳳丸 及 び淡 i l メ 研 究l l 了 しは 1 : 成1 6 1 1 1 ) ] に 東 京 大1 ■ " : )″ 「F 究河i からl l i ) │F″ 究開 イ と機1 体に 移1 ↑され ま した。 移管 す る場 が 今 卜│ の発表 会 で l l かで は あ るが1 ■ 4Yt断 的 に議 , 論 供 で きた もの と考え ます。 後 は 東 京 大学 海 │ 1 耐F 究所 が ‖1 究船 O l t 海 計画 策 定 、 観1 1 支 援 等 の 側F 先に係 わ るl r J 「 運竹 は 全I H 共同 利 制の Ч ' │ │ ( 本 ' 1 の もと東京 大学 海 │ ) [ " F t t l lll がl し、 方海洋 ″F 究 ‖発機 方で、 会 の 開催 趣 旨 を広 く利 用 竹に徹 底 す るに 1 1 1 , は原 則 不 支給 で あ る な か った こ と 発表 者へ の 参 加 旅 t セ r l 眈船 の 連続 を1 1 1 1 する こ とに な りま した。 この F l │ ‖│ ょ しい体‖1 に移イi し て 2 カ 1 1 が経 l l しl l F 究 成果 力` 次 々 とグ と こ との情 報 伝 達 が 徹 l l t し て い なか った こ と、 発表ロ キ間 の ´ の‖ , たこ l r l x l lよび議 'お 1論 か が で と、 │ う) に確 1 米 きな キ間 ー I I J l 発表 か ボ ス タ 発 表か の 選択 をフ ロ グラ′、委 l i 会が 表 され てお ります。 この よ うな状 況 をツ f i まえ ‖「先 者「 ‖ でさ′ , な る議 1 倫を進 め るの み な らず 、広 く│ ‖ :‖ 月に成 果 を :‖ ‖して い た だ く‖1 4て、 ′ ,F先 ′山i での 成 果 に 責務 公 表 し, ‖ 決 定 した こ と、 な ど反 省点 も多 々あ りま した。 今後 の : 米 題 と 考 え ます。 また 、 「 淡 ri以 し代船 へ のl k り組 み 」と銘 │ 「った 公l l l 刊 論 │″ li‖ : する‖「 1究 究成果 会を 東京 大学 海 │ ヽ r r ‖ 'iが L 大ま し ` 1: う する こ とが 、 i 研究船 運営 委 i t 会でl t 案 `され 開‖ た。 これ を受 け、 キ崎 誠サ 体F ' F 究船 運 営 委i l 会委 i t 長は 9 り1 8 日 ( 金) 、9 月 9 ‖ ( l i ) に 日本不 1 学 米 米館 ( 東京 を 1告 の あ と活 発 1・後 に企 ,1し ま した。 基 o・ l‖ j半 :沿 た文を対 象 とす な議 論 が 交 わ され 、il,ル ヽと「 I域 を結 .ふ 会 を 211Hの る 先端海 洋 観 測■)が喫緊 に必 要で あ る こ とで 合意 され 、 〔κ r i 梅 ) に お い て 、 究 成 果 発表 会 を r l ‖ : する こ 4 ` 江舛 " 「 とを, 夫定 し、 『「 究 発表 会 の 企画 を学 術 1 合連航 部 会 に [ 1 1 人は 部 会長 の 徳 l l 英一 が I' F J究l する こ とにな 委任 し、 ‖ 建 造り33に Flけ て益 々の 努 力 をす る こ とが 1侮認され ま し た。 ││″ 本 シ ンポ ジウ ム には 、 全 可共 1利 り f究舟 イ ト 評価 委 it会 (外‖,委員 7名 か ら構 成 )に 御 出‖Itヽただ きま した。 そ の Jl l山 は、 実 際 に研 究 発 表 をお 聞 き きl■ l 究成果 の 「 平価 '質 を して い ただ くの み な ′ ,ず 、淡 ザiメし代船 につ い て もそ の りま した。 そ こで 、 部 会 委i t でプ ロ グラム 委 l i 会を 主ち : け、 発 の 中 で 各関 表会 の 企画 方針 に つ い て 議論 しま した。 議 i 倫 ノ 、 の ン シ ジウ ポ が昨 今では 連 学 会等 が i i│イ す る海 関 係 重 要性 を11解 して い ただ くこ とで した 。 評 価 ′喘 評 を )と る限 り、11記 の ‖的 が あ る程 度満 足 され た と ます。 `え 会 に は 211で 延 べ 307名 の 参 加 竹を数 え 、また 公募 に は l l 々企 画 され て い る こ とか 1 ) 、対 象 とな る参 加 者を想 定 し、イ 1 色 の 有 る シ ンボ ジウン、にす るた め 一 1 1 人が 必 要で あ る とク) 意) レ ゞ 出 され ド‖ 己の 方針 でフ ロ グ ラ′、を( 1 : 成 1想 を L卜1る総 ,i+40(11の 応 りIを 頂 きま した。 また、 フ ロ グラ′、委員 会 と連 携 しロ シ ステ ィッ クス を夕t当す る実 行 す る こ とに な りま した。 1 ) r F 際的 な利F 究題 ‖ 3 1 け r i はど の‖ 企l ηし、 卜分 な議 , 論 イる、2 ) │ の l l . サ イエ 1 円 をl l米lす が 参加 し、 究企 口11ヽ 委it会 にγr洋 研 1'務部 お よび観 ‖1夕「 (8H17昨 45分 -191キ45分 :日 本不 発 表会 お よび 懇 親 会 1 ン スの セ ッシ ョン ( 場 !員 1 公外) を 設 け る、3 ) │ I J 費発表 ・ ホ ス ター 発表 をイ る、1 ) l l l 究成 果 発表 会 の 名称 を ││││す 崎コ ン 「海 I 卜 出l J とす る、5 ) そ れ それ の セ ッシ ョンに1 1 ` 学 未 米館 7「 の レス トラ ン)を 円111に運営 す る こ とが 出 れに感 illlう 女 来 ま した。 フ ロ グラ ム 委 it会 をfて表 し 力係 各イ します 。 さ らに 、 「 海 」に 協 ,tr資ぃ た海 il10F究3H発機 `"間 します。 構 、機 格卜展 示 に 参加Tliいた 各社 に感 ,lll致 ビー ナ ー を運1 た‖; 会委員 か 出 し、 コ ンビー ナ ー が l l ',選 徴 の 有 るフ ロ グラ ム を企 「1 する。 のフ ロ グラ ノ、が決 ま りま した。 その 結 果、 ドF 己 セ ッシ ョン 1(│IJl`と表 ):1可際 人11フ ロ ジ ェ ク トと,■ │ルした0日i航 海 の 成 果 (招待 :5(11) セ ッシ ョン 2(lJI発 表 ):‖ 申 帯 術環 系 にお け る生 態 系 変 ll(招 待 :5(11) セ ッシ ョン 3(H JI発 表 ):ムtり ■の 「1究llk果 オ キ集 (公募 :1()f'1) セ ッシ ョン 4(H Jl発 掏 山 :夕iしい視 ‖│「,去の 開 発 (イ{ イ │:5『 卜) ボ スターセ ッシ ョン (公カ メ:30件) llll 発表のほ とん どは淡 riメ し・「1鳳メ しを中ly/とした消゛ '11祝 の 結果 を水12と したit新 rll究 成果であ り、あ らためてlt 力1呵のi毎 における111イ i)tl,f究 I置 │、 , のイ 1 けの 1重さを′ ヽす も ⑪ ●国際シ ンポ ジ ウム 第 2回 日韓海洋科学 シンポジウム 生物回環境学」 教授 木 オ 海洋研究連携分野 「 l 伸 平成 18年9月 22日∼23日、釜慶国立大 学校海洋科学共 同研究所 (K10S)の 講堂 を会場 と して 第 2回 日韓海洋科 学 シンポジウム (The 2nd KIOS ORI Joint Symposium on Marine Science)がllli“ :され ま した。 この シ ンポ ジ ウム は、東京大学海洋研究所 と釜 慶国 立大学校海洋科学 共同研究所 との 間 における学術交流協定 に基づ くシンポ ジウムであ り、第 1[│は 平成 14年 8月 に釜慶国立大 学校 の 関係者 を海洋研究所 に14j聘し開催 されたことか ら、今 回 は本所関係者 が 同校 を訪問 してシ ンポジウム を開llLす る運びになった もの です。 第 2回 の シンポ ジウム 開催 に 先だって、寺崎誠所長、塚 本勝 巳 」際交流委員長、私 が 吾 と多岐 にわたる研究分野 に関 わ る もので したが、一堂 に 会 して両国間 の共通OT究課題 を改 めて認識で きた ことは 極 めて有意義 であった とい え ます。発表 された話題 は、 溶存有機物 ・無機物 の 動態、海底湧水、 ウナギの FI遊、 微 小プ ラ ンク トン ・パ クテ リア の 分4i、ベ ン トスの 4i 態、進化 学、 ク ロマ グ ロ ・イカの生態、資源解析 と `L物 資源管 FJl、 海 底堆積物、地形表IFa手 法、海洋気象、表層 ・ 深層循環 な どで、韓 国側 の 発表 には朝鮮半島周辺海域 を に重 なる部分 対象 とした演題 が 多 く見受 け られ、地 llll的 でIJk々 に とって も共J Liの 興味や知見が得 られた もの と考 えます。 に 当た っては、単なる意見交 今回の シンポ ジウムllll催 出席 して、 この 国際交流 協定 の更新締結 が平成 18年 2月 27日に卜 ]校 にお いて行われ ま した。 換、情報交換 に終始す るこ とな く、 それ をさらに発展 さ 今回の シ ンポジウムに は、 日本側 か らは寺崎所長以 下 23名が出 fllし 、 また韓 国側 か らは50名以 卜の 出席者 があ せ 、具体的な共同研究 を実施す るための ド地作 りに念頭 が 置 かれて い ます。 そ こで、協同オ ー ガナ イザ ー はこれ り、26件の 日頭 発表 と1911のポスター 発表が行われ ま し を議論す るための総 合討論 を最後 のセ ッシ ョンとして企 た。 協同 オ ー ガナ イザ ー と して、KIOSか らSeok Yun 画 し、座長 となったSuam Kim教 授 とと もに具体的 な提 Kim教 授 とGwang Hoon Lee教 授 が 、llll洋 OF究所か らは 朴進午助教授 と私がその任 に 当た り、近 泰子 tl際交流係 案 を行 うこ ととな りました。 その結果、生物、化学、地 研 究分 野か ら淡 青丸研 究tlL海公募 に応募 し 学、物 llJの 長には事務的 な対応 に尽 力 して頂 きま した。 シンポジウ ムの オ ープ ニ ングには、K10Sの Han Soeb Yang所 長 と 寺崎所長 の スピー チが あ り、 今後 も継続 した両研究 所間 て、 H樟 の研究者 が 協力 して研究航 lllを 実施、 さらにそ tlll洋 の研究成果 を第 3回 日│・ ン ジウムの 中で発 シ ポ 科学 の結束がFll認されて い ます。それ に引 き続 き、釜慶国立 表 しようとい うこ とで合意 がな され ま した。共同研究実 施 に向け た 各分野 の コー デ ィネー ター として、塚本1か巳 大学校Yun Soo Mok総 長うι 辞、韓国農林水産部長官 や国 会議員 の メ ッセ ー ジが あ り、韓国側 の並 々な らぬ熱意 を 教授 、‖i生俊敬教授、川幡穂高教授、道 「I豊助教授が対 応項 け るこ ととなってお り、その一 部 はJ:L々と2007年度 強 く感 しました。 今回 の訪‖ ‖では、空港 か らの送迎 、懇 規会、市内 ・魚市場見学 な ど、釜慶国立大学校上 げ ての か ら実施予定 となって い ます。 第 3回 は 日本で開催 F定 であ り、柏 キャ ンパ スに建 設す る新 しい lll洋 研 究所 のお 歓迎 を受 け深 く感謝 した次第です。 披露 Hシ ンポジウム となるこ とが期 待 され ます。 シンポジウムの 話題 は物 理 ・化学 ・生物 ・地学 ・水産 ●国際交流協定 イ ン ド国立 海洋研究所 との協定 が締結 され る 海洋科学 国際共同研究 センター 教授 植 松 光 夫 [ 界各 J の 「F 究者 近 年、 イン ド洋 での予r i i i l lIlJ測 査 月に ‖ 研究所協議 会の委員 をされ て い る名占片: 大学 才里 「放郎教 の ガ心が 集 まって い ます。 これは イ ン ド1 1 1 の 持 つl ● 有の デ ィレクター 授、海洋, F 究開発機I I の北 1 1 洋プ ロ グラ′、 勿 して気1 美 無峻素ハ イの 形成や物 質l r 環、水産F i l、そ 変化 ヽ ー ク) フ レ の に対 しての1 : 態系へ の☆ 人陸 ト 1 重点で ナ 応、 4 ・ l L 質学的な J ‖ な ど I 可な的な対応でl R り利│ むべ き課題 の お二 人に も列‖「して い ただ きま した。 イン ド側 か r , 務 定に係わ る l i f r 研 究者、 l i 務官 が並び 、 各 l t l 係 者の / L 守 が次 々 とl L 案され つつ あるり1 状を 映 して い ます。 'え この流 れ の 中 で、2 ( ) ( ) 4 - 2 0 0にか 5 年 けて 日本学徘j 振興 双方か r ) の記 念│1キ は 1交 換 後、S h e t y e , l i i ら、今後 tか る中、な ごやかに署 名が行われ ま した。 教 育 につ い て も交流 が 出 来 るように とl t 案 を受 け ま し ‖ 会客 1 1 研究 i t として海洋0 1 究 卜右i して いた イン ド1 1 "iに 111し 「と塚 本1 , 巳前1 1 捺セ 所 のD i l c c p K u n l n 博 ' i F t t f 究 ー ンタ 長が起案 し、 本所 との学椰i 協定 を締ホ 占す るに1 1 り た。 東京大学 が国際迎│ ル交流拠点 をイ ン ドに持 つ 言lμl が あ る. l i を 抜露 し、 イ ン ド洋 へ の 「1 鳳メ L t t l l l.もI 画されて ました。 与 い くこ めに、 1 1“ な どに も不 ず ‖ l 交l i t J i 業 i小 曖的 に │ l i iして い るl i を イ 介 しました。 今後、共同観■1 ・f , F 究 を行 うた 20061110月 511、り古 川 L口 │‖‖11‖ │よ り、イ ン ドlJ ll,`撃 洋 f'F とで 合意 しま した。 l l 内の青様 か J 詢: 的な共卜1 耐F 究 不 ',も い が して ます。 提案 出 され るこ とを '01待 の1 ]印式が行われ ました。 日本か らは、 先所 との 協定 「 司 卜 キ山, ,「 長代, I としてい1 際セ ンター 長である│ 「 i 松と、海洋 ル 「¬ lT・ 日 日 [ l :l¬ '「 ⑬ ●所内行事 JAZZ in ORI 事務部総務課 片 桐 和 子 /所 長 寺 崎 誠 1月 の新春 ll楽会で ス ター トした2006年の所内厚生委 員会の活動 も8月 の ソフ トボール 大会 に続 いて12月 4日 た。 の ジ ャズ コ ンサ ー トで終 了 しま した。 この コ ンサー トの トー クが あ り、専 F ] 的な解 説 の 中 に もユ ニ ー クな人生観 きっか けは2005年の 夏 に大槌 で 開催 された坂 円り1ト リオ を交 えた洒 脱 な語 り日が 参 加 者 の 実 い を誘 い ま した。 初 め にD V D を 使 っ た坂 田 氏 の ミ シ ン コ に つ い て の による演奏会で した。演奏会後坂 Hl氏 とジャ ズ喫茶 「ク 続 い て海 洋 研 の 名 にふ さわ し く、 海 に 関 わ る坂 は1 氏の イー ン」で会食 し、翌 日は大竹先生 と一緒 にセ ンター を オ リジナ ル 作 品 を合 む 「水母 ∼ A g o o d f o r n o t h i n g、」 案内 しま した。 この時、 いつか機 会 があった ら中野で も Banad for Taco」 「 等 7曲 が時 には歌 も交 えなが ら演奏 演奏 して下 さい と頼 んだ記憶 があ ります。 この縁 で よう や く待望 の コ ンサー トが坂 円明氏 (サ ックス ・ク ラ リ され ま した。 ス テー ジか ら奏で られ る、時 に しみ しみ と 心 に r.りか け、1コこ魂 を揺 さぶ るようなサ ウン ドに全員 バ カポ ン鈴木氏 (ベー ス)、廣木光一 氏 (ギター) ネッ ト)、 が酔 い しれ、充実 した時間 を共有 しま した。 ア ンコール れ ました。 この企lTを成功 さ をおIrJきして講堂 で 開llLさ の イタ リア映画 「ひ まわ り」 テーマ 山が終 了 した時 には せ るため一 月前 に実行委員会 を立 ち Lげ 、ポ スター ・パ 拍手 が鳴 り止 まず、感動で満 ち足 りた輿奮 に会場 が包 ま ンフ レ ッ トの 作成、会場設営、演奏会後 の 食事準備 な ど れ ました。 また、用意 した椅子 は満席 とな り、立 ち見が にあた りま した。会場 に入った所員 は普段 の イ メー ジと 出るほ どの盛,兄で、販売 されたDVD、 CDも ,寅 奏終 了後 に はが らりと変わ った講堂 の飾 り什 けに度肝 を抜 かれ ま し は飛あゞよう│こ 売れ ま した。 ⑭ ●新スタッフ紹介 正隆 黒沢 (国際沿岸海洋研究 センター ・技術職員) 野上 規子 (海洋底科学部門 ・海洋底 テク トニ クス分野 ・技術 職員) 出身は岩手県大槌町 趣味は釣 り。 セ ンター付近 も幼 い頃 か ら知 って い る 穴場が沢山あ ります。愛船 『 新山メL(06t)』で出る事 ります。 もあ 将来 への抱負 あるいは海洋研究所 への期待 故郷 の海 の 自分の知 らな い一面 を見 られ ることで、 出身は大阪府岸和 田市 趣味 は本 を読 む こ と、歩 くこ とで す。 将来 への 抱負あ るいは海洋研 究所 への 期待 修 士時代 に自鳳丸 に乗船 させ て項 い た関係 で今 回、 勤務 させ て項 けるこ とにな りま した。最新 の 海洋研 新鮮な毎 日です。自分 の技術 を生 か し、安全な操船 に ′ がけ、 みなさんの研究の力 になれれば幸 いです。 じヽ 究が行われて い る場 で、色 々 な こ とを見間 で きる こ とは嬉 しいです。臨時採用 なの で短 い期間です が、少 しで も研究 のお役 にたて るように頑張 ります ので、 よろ しくお願 い致 します。 杉村 聖治 (総務課長) 馬渕 浩 司 (海洋生命科学部門 ・分子海洋科学分野 ・助手) 出身は埼玉県 さいたま市 (1日 浦和市)です。 趣味は孫娘 との可愛 いデー ト 将来 への抱負あ るいは海洋研 への期待 13年ぶ りに本 郷 キャ ンパ ス を離 れ、早 5ヶ 月が 過 ぎ、中野の地へ の通勤、郊外部局の雰囲気 に も馴染み 出身 は滋賀県彦根 市です。高校事業後 、仙 台、愛媛 (南予)、大阪、京都 と移動 して今 に至 ります。 趣味は草野球。海洋研野球 部 の 世話役 を してお りま す。昼休 みに練習 してお ります ので 、お気軽 にご参加 下 さい。 将来 への 抱負 あ るいは海洋研 究所 への期待 だ した ところです。大学環境が大 きく変化す る中、研 究所 の抱 える様 々な課題 等 に、今 まで培 った経験 を 生か しなが ら、柔軟な発想 ・見地 に立ち、海洋研 の発 展 と活性化 に取 り組 んで ゆ きた い と思 ってお りま す。皆様、 どうぞ よろ しくお願 いいた します。 昨年 8 月 に身分 が変わ リス タ ッフ とな りま した。海 洋研 に来 てか ら 6 年 経 ち ます が 、 これか ら も所 の盛 上 げに少 しで も寄与 で きるよう、研究 に部活 に励 み た い と思 ってお ります。 ど うぞ よろ しくお願 いい た します。 ⑮ 東京大学海洋研 究所 〒1 6 4 8 6 3 9 東京 都 中 野 区 南 台 1 - 1 5 - 1 Tel : 03-5351-6342 Fax:03-3575-6716 ホームページ : h t t p : / / w w w o r i u _ t o k y o a c j p / ⑩
© Copyright 2025 Paperzz