―――<あとがき>―――――――――――――――――――――――――――――――― 久しぶりに通信の発行が遅れてしまいました。申し訳ありません◆私は、5月の交流会での顔面の ゲガ、その後、モンゴル4週間の滞在、帰国してからの蒸し暑さで疲れが溜まったのか、ダウン気味 ◆さて、前号から、通信の印刷(特に写真)が若干悪くなっています。これは、ひとつに、以前、馬 場さんよりの援助のあった10万円程する高級なプリンターが壊れてしまったためです◆しかし、こ れまでプリンターでの印刷は、時間がかかることと、費用も馬鹿になりませんでした◆しかし、前回 からは、「今市市市民活動支援センター」が開設され、ここの印刷機が利用できるようになったことか ら、早く、費用がかからず印刷できるようになりました◆いまだ残っている問題は、製本に多くの時 BKYUKL YEMUNAY VGLHN 間を要することです。さらに、より内容ある通信にしていければと思います。特に、内容についての ご意見、モンゴル滞在などについての投稿をしていただければと思います。<大島> *<表紙の子ども/コンサート来日予定のメルエッシュさんの息子> ナイラムダル(友好)コンサート 10月!! モンゴル交流協会ナイラムダル案内 URL http://:www.d6.dion.ne.jp/‾nairamgo/ E-mail nairamgo@d6.dion.ne.jp Z"KY−BKYUKLSY HGJNLWGGYS YGAJGB:GL YNAUTBLTU ナイラムダル ・ ・ ・ “YGAJGB:GL”「友好」という意味です。 なぜ、モンゴルとの交流 ・ ・1984年個人的なモンゴルの仲間との交流をきっかけに、モンゴル の生活・文化に興味ある仲間が集まり、身近に友だちができるような交流を通じて 「豊かな社会を互いに考えながら、理解と友好を深めていきたい」と設立。 モンゴルの仲間 ・ ・ 「モンゴル・日本“友好クラブ”」は、演奏家、科学者、学生、勤労者、遊牧 民など。ホームステーの受入。 活動していること *モンゴル民族音楽ナイラムダル・コンサート/1992年から毎年開催。この間、各 地で199公演。内小中学校・養護学校・施設などで75公演。 開 催/東京都、千葉県、神奈川県、栃木県、山梨県、佐賀県、長崎県、兵庫県、福岡県、長野 県、埼玉県、宮城県、青森県、愛知県、福島県 tel.fax. 03-3976-9183/富永 *夏、モンゴル交流の旅/1991年から、ホームステー、特設 ゲル滞在と乗馬、遊牧民ゲル訪問。 <年間を通し、ホームステー、遊牧民ゲルステ―可能> tel.fax. 0288-26-0130/大島 *通信「モンゴルからの風」1993.7 創刊/季刊 A5 版24 P. *展示会、モンゴル紹介展示品貸出、小学校等での授業 ①モンゴル紹介展示会/30回、及び、コンサート会場で開催。「写真パネル」「子供たち の絵画」「モンゴル各種民具」「民族服」「民族楽器」などを所有。 ②小学校などへ写真パネルなどの貸し出し(29小学校)。 (貸し出しは無料ですが、会員になってください) ③小学校での国際理解「モンゴル紹介」授業(18小学校)。 会員は ・ ・ ・全国各地に200人程。年会費2000円。 郵便振替/「モンゴル交流協会ナイラムダル」 00150−1−763089 扱っています ・ ・ ・会話集、民族音楽CD、ビデオ「草原の子たち」、モンゴル関係小冊子など。 バヤン・ウルギー県の鷹匠 URL http://:www.d6.dion.ne.jp/‾nairamgo/ 発 行 モンゴル交流協会ナイラムダル 321-2345 今市市木和田島 1526−152 携帯 090-4200-8099 tel.fax.0288−26−0130 /大島 武行 Z"KY−BKYUKLSY HGJNLWGGYS NO.37/2002.07夏 YGAJGB:GL YNAUTBLTU モンゴル交流協会ナイラムダル この10数年で、生活苦から市内の街路樹が薪として切られたことがあり、その後、植樹も行われま いま モンゴルは したが、うまくすすまず、今年になって、改めて、植樹が大規模に行われていました。また、一日中、 2002.05.18−06.15/モンゴル滞在 23日間、モンゴル西方地域見聞4000キロ紀行から/おおしま 渋滞のでる車量の中で、道路の修理工事も盛んになっています。さらには、歩道が、きれいなレン ガを敷き詰められています。 これら公共投資によって、公共の場を改修するため多くのモンゴル人の働く場が確保されていま す。しかし、これらで働く人たちは、一時的な日雇い労働です。表面上は、街がきれいになって、 失業者の一時的収入源になっています。こんなことを続けていていいのでしょうか。 なぜ、以前のような工場など定職で働く場の再建が後回しにされているのでしょうか。たぶん、資 本主義経済というので、政府は関わらないということなのでしょう。また、街中はきれいにすることが 23日間、モンゴル西方地域見聞4000キロへの出発 今回、23日間で西方地域をまわる計画は、これまで、20回ほどモンゴルを訪れ、ずいぶん地方 を回りましたが、7∼8年前に、モンゴル人の生活感覚を知りたいと、馬でモンゴル一周を計画した 第一という発想は、どこから学んだのでしょうか。多くの人々は、明日の生活に展望なく生活してい るということに、どう対処しようとしているのでしょうか。ここが最重要なことではないかと思うのです が。そう、同じことが日本では繰り返されています。 延長でした。しかし、馬でということは、準備、体力、日程など、大変で、そのため準備時間が持て ないでいました。また、今回にしても、事前の準備、地方の事前情報を集めることも、時間的な限 遊園施設を新たにつくった、子どもの遊び場のねらい!? 界がありました。しかし、準備ができないということで、実行できないことにジレンマを持ちながら、 今年になって、デパートの裏手、サンボー通りのにあるヤラルト映画館右横手、旧レーニン博物 他方、地方の人々、遊牧民の生活が年々厳しくなってきていることから、準備という発想をやめ、ま 館前に子どもの遊園地(遊び場)がつくられました。当初、知人に聞くと6月1日の子どもの日に向 ず、目的のため、出発することにしました。それは、 けてつくっているんじゃないかとのことでした。しかし、時がたつにつれて、常設施設として作られ 1.遊牧民の生活の実態や変化を知る。 たようでした。 2.地方都市、村での生活実態と変化を知る。 3.広大な大地を移動する中で、モンゴルの自然の広大さと、そこに住みつづけてきたモンゴル人 の心を実感したい。 そして、こんな話を聞くようになりました。大きな集会は、国会議事堂前のスフ・バートル広場で行 われてきましたが、小さな集会は、よくこの広場で行われていました。そんなことから、特に民主主 義をもとめる集会や、労働組合の集会を締め出すためにつくられた。と!? 4.その他/①今年のコンサート・グループの打合せ準備、また、来年以降、今後のコンサートの ために、途中訪れる県立劇場の実情、特徴などをつかむ。 ②コンサートとの関わりから、バヤン・ウルギー県、ホブス県立音楽・ドラマ劇場のCD作成のた めの録音をする。地方の特徴ある民族音楽を紹介し、残したい。 造花が花盛り!?資本主義の象徴か!! 地方に行っても、小さな村に行っても、道路沿いの新しく出来た食堂へ行っても、ホテルに行っ ても、店でも、そう、ウランバートルの空港でも、きれいな花がいろとりどり飾ってあります。それも造 花です。遠くから見ると実にきれいですが、せっかく心を和ます花も、造花とわかると、がっかりです。 今年は、例年になく早い草原の色づき 5月18日、空からモンゴルの大地を見ると、薄っすらと緑がかって見えます。空港から市内に向 かうと、今年は、そうとう早く春が来たようです。気温も20度と、さわやかな日よりです。例年ですと、 5月の末になってから草原が色づき初めるのですが。 今年は、日本でも桜の開花の季節が2週間ほど早かったことと同じように、モンゴルでも春が早ま ったようです。しかし、20日は、わずかですが、雪が吹っかけていました。やはりモンゴルです。 なにか、資本主義を思わせます。すなわち、表面だけ飾ったきれいな社会ですが、実際は、弱肉強 食の人を疑う社会です。 これら造花は、中国から大量に輸入されていますが、確かに水をやることもなく、面倒なく遠くか らはきれいで、“まやかしの花”で心をなごませます。しかし、生きた花々の生命力を感じとることは なく、なにか無味乾燥な空間を作っています。造花の空間と生花の空間では、何か違います。 これまでモンゴルでは、社会主義時代に、子どもたちは、9月1日の始業式に担任の先生に花を 持っていくようになっています。この花も、造花になるのだろうか考えるとゾッーとします。また、教 ウランバートル市内は、急ピッチできれいに!日雇い労働者が増加!! 室での花を育てるところも多くみかけましたが、生花の心を大事にしてもらいたいものです。 長い冬から春になって、ウランバートル市内は、“街路樹”“道路”“歩道”などの整備が急ピッチ また、以前は、地方の役場や公的施設のまわりは、花が咲き乱れていました。現在は、心も時間も で進められていました。多分、これもODAの援助金を使ってのことだと思うのですが、見る見るう 生活も、ゆとりがなくなってきているのでしょうか。この花が消えかかってきているところが多くなって ちに街の中はきれいになりつつあります。 います。 02 03 異常気象が進行してきているのか!? 今回23日間に渡るモンゴル西方地域をまわるなかで、異常気象と思われる光景や、人々のか らの話を聞きました。 苦しみ続く遊牧民の葛藤する生活 ここ10年余り、“ゾド”が頻発してきています。一般には、雨が少なく牧草が不足し家畜が死ぬこ と。さらに、大雪によって、枯草を食べられなくなり、死ぬことです。 ウランバートルからフブスグルへ向かうなかで、フブスグルに近づく頃から、それまですっきりと また、協同組合システムから、個人所有に変ったことから、全て独自に家畜を飼うことの困難さ、 晴れ上がっていたのですが、いつのまにか遠くの景色がボーッとくすんできています。それは、ウ それに加えて、資本主義化で失業者の創出・増大によって、社会生活が不安定になっています。 ランバートルまで戻るまで続きました。これは、きっと雨が降らず、車の往来で砂塵の巻き上げと、 そんなことから、多くの遊牧民からは、以前の社会主義時代は、食べるものもあったし、現金収 風によって巻き上げられた砂塵がスモックとなっていたのではないでしょうか。 車での走行中は、すごい砂塵を巻き上げていますが、窓を開けて乗っていると、サングラスの裏 側に砂塵が付くほどです。 春や秋に見られる竜巻を何度か目撃しました。また、よく遊牧民などからも、今年は秋のような 風が吹いているという話を聞きました。 雨は、23日間で3度ありましたが、2度は、“カラスのしょんべん”のように、水滴が顔などに当た 入もあって、物も安かったし、仕事もあったという声が多く聞かれました。 現在、遊牧民の生活は、厳しい葛藤が続いています。 1.ゾドで一気に家畜を失う危機 2.家畜泥棒の横行。 3.現金収入として、家畜の毛の値段に関心を寄せています。また、道路沿いには、簡単 な現金収入ということからグワンズ(食堂)を開く遊牧民も多くなってきています。 るほどで、大地を見れば雨は確認できないほどです。1度は、大地の表面が薄っすらと濡れた程 4.子どもの教育問題。家畜を増やすと、労働力が不足して、子どもを学校にやれない。 度で、しみこむほどではありませんでした。行く先々で遊牧民に聞いても、この1ヶ月雨は降ってい 高等教育をと考えて、家畜を売って大学に生かせても、働く場がない状況。 ないという声でした。 フブスグルからザブハン県に入る手前では、大地が50∼60メートルに渡って4∼5メートル盛り 上がり、そこが腹を裂いたように20∼30cmほどの地割れです。なんとも不思議な光景です。近づ いて亀裂の中をのぞくと、50∼60cm下には、厚い氷がのぞいています。 草原の5∼10m下は氷の層と言う話や、井戸をのぞいて氷の層を見たことはありますが、こんな 現象は素人の私には理解できません。 5月から6月というのに、連日のように夏のような暑さが続きました。そのことから、バヤン・ウルギ おおはやり道路沿いのゴアンズ(食堂)!! ウランバートルからハルホリンへ向かう道は、以前から舗装され、もっとも多くの車が行き交うこと から、多くの食堂、キオスクが開店していました。最近は、小奇麗なレストランも建て始まっていま す。そして、さらに地方の道にも食堂が数多く見られるようになっています。 地方の道沿いの食堂は、ゲルで営業しているのも珍しくありません。食堂をはじめるには、改め て資金がまったく必要ありません。道沿いに移動する費用だけといってもいいくらいです。 ー県に近づくと、あまりにも暑い日が続いたことから、山の雪も融けはじめが加速、川が増水して さて、地方では、どんな人たちが、どういう理由で食堂をはじめているのでしょうか。 車が渡るのに苦労しました。また、山の雪が急速に解けることは、今後の水資源に影響を与えるこ ①遊牧民が現金収入を得るため。たやすく現金収入が得られる。②失業した家族が現金収入 とにつながります。特に、ホブドは、アルタイ山脈に囲まれた盆地ですが、30度を越す暑さが続き、 のために開店。ある村では、失業者が村から少し離れた道沿いに30以上のゲルを建てて営業し 夏のようでした。 ていました。③ゾドで家畜を失った遊牧民。何もやることが無くなり、生活が出来なくなった遊牧民 また、今年の冬は、特にゴビアルタイ県、バイヤンホンゴル県では、冷え込みが激しく、大雪にも 見回れました。 が始めました。 今後、遊牧民を訪れると、その対応が加速度的に生活の価値基準がカネになっていくでしょう。 さらに、多くの場所で大地が白く塩(モンゴルでは、ホジオルと言って、家畜や動物が舐める塩) が噴出してきている光景が目に付くようになっています。 日本の援助で村落発電機設置!動いている旧ソビエト製も日本製に!! 一般には、大雨が降り、大地にしみこんだ水分が、その後、すぐ高温の天候で急速に水分が大 日本の無償援助で村落発電施設改修計画がすすめられています。すなわち地方の発電は、こ 地表面まで吸い上げられることによって、大地に含む塩分を表面まで吸い上げるというものです。 の10年余り資本主義経済に移行する中で、整備・修理がおろそかにされたり、重油の費用不足 また、大地にある氷の層が融けて大地表面に吸い上げられているのでしょうか。 のため、動かなくなったり、稼働が不充分になっていました。そんななかで、現在も稼働している発 ゴビアルタイ県内の山岳地帯では、大型の野生動物が全滅の危機に陥っているといいます。 電機も効率が悪いと、日本製に変えています。 以上の異常気象について、私たちは、身近な生活で、例えば、ひとつの例として、車社会化して、 日本の企業社員は、村では、日本製の発電機に取り替えることに理解が得られず、トラブッたこと そんな中で、ある村では、動いているのになぜ変えるのかという疑問です。これに、請け負った 排気ガスの放出、多くの道路の拡大、駐車場によって自然の破壊など関係しているのではないか ということを考えていきたいものです。 04 もあったと。その他にも、疑問があります。日本のODAを改めて検証していきたいと思います。 また、先日、この発電機入札でも、三井物産が不当に落札したことが報じられました。 05 2002 第11 次 「モンゴルからの風」 モンゴル民族音楽ナイラムダル(友好)コンサート <バヤン・ウルギー県、ホブド県> モンゴルの最西端にあって、アルタイ山脈の アルタイ山脈<ホーミーの故郷ホブドとカザフ族>のひびき 4000m級の山々に囲まれています。その中 馬頭琴・ホーミー・民族音楽・歌・踊り で、中心地ウルギー、ホブドは、山々に囲ま 2002年コンサートは、モンゴル国最西端、アルタイ山脈の高地に位置する、ホブド県、バヤン・ れた盆地にあります。ウランバートルからは、 1636キロ、1425キロも離れています。 ウルギー県の県立音楽ドラマ劇場所属の演奏家4人が来日します。特徴は、アルタイ山脈の高地 で生まれてきた“ホーミーのふるさと”ホブドのひびき、馬頭琴や讃歌の民族音楽や、バヤン・ウル ギーに住むカザフ族のひびきを紹介します。馬頭琴、ドンブル、ホブズの弦楽器など民族楽器、 <ホブド県立音楽ドラマ劇場所属演奏家><バヤン・ウルギー県立音楽ドラマ劇場演奏家> ホーミー、讃歌などです。<バヤン・ウルギー県立音楽・ドラマ劇場演奏家、日本初公演!!> 後援 モンゴル国大使館 来 日(コンサート日程)10月09日(水)∼10月26日(土) 09日(水)UB−成田着 10日(木) 11日(金)東京都練馬区光が丘区民センター 12日(土)栃木県今市市生涯学習センター 13日(日)千葉県習志野市民会館ホール 14日(祝)千葉県柏市民文化会館小ホール 15日(火) 16日(水)昭和第一高等学校(東京)/予定 17日(木)山梨県敷島総合文化会館 18日(金)敷島町立敷島小学校 敷島町立敷島北小学校 敷島町立敷島南小学校 19日(土)千葉県市原市民会館 20日(日)福島県原町市内 21日(月)福島県小高町立小高中学校 22日(火) 23日(水)長野県(財)信州国債音楽村 24日(木) 25日(金) 26日(土)成田-UB <演奏家紹介> 今年200公演を迎える!! モンゴル民族音楽ナイラムダル(友好)コンサート モンゴルの民族音楽を通じて、モンゴルの生活・文化を知り、理解と交流を深めようと毎年開催 しています。開催にあたっては、会員の協力で手作りのコンサートを行っています。また、特に次 代を担う子供たちの国際交流を大切にして行きたいということから、小中学校、養護学校などでも 開催しています。合わせて、モンゴル民具・子供たちが描いた絵画・写真・作家の絵画、民族服試 着などモンゴル紹介展も開催。この間199公演。内、小中学校・養護学校など75公演。 開 催/東京都、千葉県、神奈川県、栃木県、山梨県、佐賀県、長崎県、兵庫県、福岡県、長野県、埼玉県、宮 城県、青森県、愛知県、福島県 <地域、小学校などでのコンサート希望は、ご相談ください!!> 090-3530-9936<冨永> 06 090-4200-8099<大島> ホーミー /N.センゲドルジュ ホブド県立音楽ドラマ劇場所属 馬頭琴・ドンブル奏者/Kh.チャパエブ バヤン・ウルギー県立音楽ドラマ劇場所属 歌手/B.メルエシュ バヤン・ウルギー県立音楽ドラマ劇場所属 ホブズ奏者/J.マリヤ バヤン・ウルギー県立音楽ドラマ劇場所属 07 来日演奏家の素顔、家族など モンゴル最西端の地 バヤン・ウルギー県カザフ族の生活 バヤン・ウルギー県ノゴンノール村/ここはカザフ族の村 オブス県ウランゴムから最西端のルートでバヤン・ウルギー県に入ると、道の向うにポッンと塔の ように大きな奇岩が見えてきました。その左側には村落が見えます。しかし、これまでとはまったく 様子が違います。家は、木造ではなく、粘土で作った家々です。カザフ族が住む村に入ってきまし た。土を長方体に型とりして、天日乾されています。これを家や塀に使います。 劇場の仲間たちと(センゲドルジュ前列右/奥さん後列左) チャパエブと奥さん 実に、自然に即した街です。右側は、奇岩の山々が続いています。なにか幻想的な街です。 カザフ族のゲルは、より高度なつくり カザフ族のゲルの特徴は、中央に2本の柱が無いこと、さらに、丸みをおびていることです。たい へん広く、より快適な空間になっています、 ウルギーへ向けて走る 途中、アルタイ山脈の4000m級の白い山々がつらなっています。白い山々を背景に、草原では、 羊、山羊が草をついばんでいる光景は、山岳近い独特に光景です。カザフ族の飼う羊、山羊は、 一般的にモンゴルで飼われているものより、一回りほど大きく、肉、毛など良質なものが得られると いいます。 ウルギーの工場は廃墟、しかし、アルヒの工場だけが稼働 県の中心地ウルギーに入ると、大きな工場であろう建物が廃墟になっています。これは、ここに メルエッシュの妹と子ども マリーナと息子 限ったことではなく、どこの県の中心地、村に行っても同じ光景を目にするので、驚くことはないの ですが。 博物館で、社会主義時代の写真が展示してあったので、これらたくさんの工場は、今、どうなっ コンサート・グループのビザ発給について/ダッシュドルジュが代理申請! 今後のビザ申請について、3月に外務省と話し合いを持ったところです。今回、具体的取り扱い について、日本大使館(菊地氏)と相談することになりました。これを受けて、5月20日14時/菊 池氏(日本大使館)と話を持ちました。参加/ダッシュドルジュ(“友好”クラブ代表)、バトマー(通 訳)、大島(ナイラムダル) 地方の(コンサート・グループ)査証申請者の取り扱いについて、ダッシュドルジュによる代理申 請でよい。査証発給の際は、ダッシュドルジュが窓口で確認し、後日、申請者本人が窓口に出向き 受理する。 08 ているのか尋ねました。社会主義時代は、ウルギーに数々の工場がありましたが、現在は、全て廃 墟になってしまっています。しかし、唯一の工場は、アルヒ(ウオッカ/酒)の工場ということです。 カザフ族の文化は大事にされてきた! バヤン・ウルギー県は、人口の90%ほどがカザフ族です。社会主義時代は、カザフ族の文化が 大事にされて、独自のカザフ語の学校も認められていました。そんなことから、カザフ族の中には、 現在でも民族の文化が大事にされています。いや、モンゴルでは、少数民族ということから民族意 識が強いという面もあります。 2年前は、カザフスタンに移る人も多くでていましたが、現在は、これまで住んできたバヤン・ウル 09 ギー県に戻ってきているとのことです。 ここ、カザフ族には、生活文化として“鷹匠”が有名です。“鷹匠”のまつりは、1月、3月22日と、 ナイラムダル(友好)コンサート・メンバー選択模様!! 10月上旬に祭りがあるとのことです。今年10月は、最大150の“鷹匠”が集まるということです。 馬肉を食う!カザフ人の気さくな給仕! 今年の“友好コンサート”は、昨年3人の女性演奏家の失踪ということから、演奏家との信頼関係 今年2月23日、ウルギーの劇場前のホテルに宿を取りました。2年ぶりのウルギーですが、最近 を持ってやれるだろうかという不安がありました。そして、10年続けてきたコンサートを辞めるかどう は、ロシアからビジネス・マンが増えて、ホテルは満員状態です。バルハスと夕食を取ろうと1階の かで悩んできました。しかし、モンゴルの社会・生活状況が厳しくなってきていることを理解して、困 レストランに顔を出し、せっかくここに来たのだから、カザフ料理を食べようということになりました。 難だからこそ続けようとなりました。 しかし、馬肉がうまいとのことで注文すると、2時間ほどかかるといいます。注文して、部屋に戻りま 今年の予定は、バヤン・ウルギー県です。そして、①まだ、信頼について不安があったことから、 す。そして、私は、来客との話しに熱中していました。すると、わざわざ、レストランから料理ができ 信頼できる演奏家の同行、②バヤン・ウルギー県には、ホーミーと、馬頭琴奏者の確保が困難。と たと、若者が料理を持ってきてくれました。たいへん丁寧で、お茶が欲しいというと、すぐ持ってき いうことから、隣県で、ホーミーのふるさとであるホブドの協力が浮かび上がりました。そこには、信 ますと、微笑んで出て行きました。すかさずバルハスは、「カザフ人は、モンゴル人と違うでしょう」と。 頼できるホーミーのセンゲドルジュさんがいることが、救世主になりました。 今回、まず、ホブドを訪れたのは、こんな理由がありました。 モンゴル人のつっけんどんな対応との違いを言いました。 馬肉は、ちょうど話が弾んでいた県立音楽・ドラマ劇場長が、食べ方をと、馬肉をさばいてくれま 2月22日、私は、センゲドルジュさんに事情を話し、賛成を得ました。馬頭琴奏者は、以前来日 した。馬肉は、腸詰めにされ、乾燥させたものを、ゆでたものです。ナイフでさばき、中には骨付き した“ムンフスフ”は、入院しているということから、新たな馬頭琴奏者を紹介されます。25歳のトゥ のものもあります。そして、さばかれた肉は、手で食べることになります。実にこくのある味で、馬肉 ーフシン、以前、小学校の教員として音楽を教えていました。彼は、中学校の時、センゲドルジュ のうまみが凝縮されていて、うまさは格別でした。 さんのツォールの演奏を聞いて、興味を持ち、演奏をやりたいと、音楽の先生になりました。そして、 彼は、ホーミー、ツォールを奏で、昨年から劇場に所属して、馬頭琴を習い始めました。たいへん 真面目で、練習熱心さが伝わってきた青年でした。彼の希望は、世界のさまざまな楽器を見たい バヤン・ウルギー県/ウルギー県庁前、掲示板から<05月30日> とのことです。 23日、私は、センゲさんも同行を得て、バヤン・ウルギー音楽・ドラマ劇場長ファンガン氏と打合 (バヤン・ウルギー県の人口は約10万人) せをし、24日、さっそくカザフ族中心の民族音楽コンサートを聞きます。(2年前も訪れ観賞) *失業者数(労働人口49,242人/16才∼60才) 紹介されたコンサートのプログラムは、さまざまな民族楽器、歌、踊り、合わせて、馬頭琴の演奏 2001.02/4,122人(内女性1,722人) と、23のプログラムを用意してくれました。 2002.02/4,284人(内女性1,722人) その中で、馬頭琴の演奏は、たいへんよかったことから、バヤン・ウルギーで頼めること。しかし、 *労働人口1000人中の失業者数 県全体 2001.02/ 89人 2002.02/ 87人 最悪の地区 DELUGY 128人 最良の地区 WTYUTL 119人 *県内の失業者層(2002.02) 16∼24才 1060人 内女性/455人 25∼34才 1486人 内女性/682人 35∼44才 1612人 内女性/675人 45∼60才 126人 内女性/83人 *人口増減数 2001.02/389人増 (生400人/死11人) 2002.02/404人増 (生414人/死10人) 10 18人 17人 ホブドのセンゲドルジュさんの意向もあります。あとは、カザフ族の民族楽器、歌、踊りということに なりました。2台のドンブルを同時に奏でる若者、さらに、男性の鷹の踊りや、首を横に振る踊り、さ まざまな珍しい民族楽器など-興味を引かれます。 そして、私は、ホブドのセンゲドルジュ、バヤン・ウルギーのファンガン氏と話し合った結果、馬頭 琴奏者(チャバエブ)は、ドンブル奏者でもあり、歌を歌うということや、センゲドルジュさんが、よく 知っていると、馬頭琴奏者として素晴らしいとのことで決まりました。他に、弦楽器ホブズ、歌や踊り ということで、2人の女性を決めることになりました。弦楽器ホブズ奏者は、マリアに、歌手、ドンブ ル奏者でもあるメルエッシュに決定しました。 劇場長ファンガン氏から、ぜひ、カザフ民族音楽を紹介するには、もっとメンバーを増やせない のかとの要望も出ましたが、資金やスタッフ体制で難しいことを理解してもらいました。 また、今後2005年には、ウランバートルでナイラムダル(友好)コンサートをやりたいと、互いに 展望を持つ話になりました。 (2002.02.25/大島) 11 モンゴル青少年の状況と、その評価・調査報告書2000 Editor/T.Tuya 境から働かなければならない子どもを含めて、退学率は高くなっています。これらの学校へ行かな い子どもは、教室や寮の暖房設備が不十分だったり、一般的に学校の建物とサービスの老朽化 に起因しています。 過去40年の間、都市地域に移住する人口が増え、2000年には、モンゴル人口の半数以上が 都市に住み、32.5%が首都ウランバートル市内に住んでいます。残りの人口は、地方に住み、い 市 市場 場経 経済 済が が進 進む む中 中で で、 、い いま ま若 若者 者た たち ちは は− −2 2 ろんな特色のある地域に渡り、県の中心地や村に定住しています。都市化は、生活様式の違いの モンゴルの青少年 ます。家庭内と一般社会での青少年に対する権利や責任については、大人の態度が違います。 様に、都市と地方に住む子供の間に、教育・情報化・健康と福祉のサービスの格差が広がってい 1999年の国の統計によれば、モンゴル全人口の46.6%が20才未満の未成年で、全人口の2 さらに、地方の子どもの能力を発達させる機会は、遠方に離れていることから限られています。 4.1%にあたる581,186人が青年(10−19才)です。グラフは、過去40年間の人口の推移です。 従来の価値観は、生きるために社会の構成員として責任をある強い意志を持っていますし、要 青年期の高い人口比率の表れは、急速な人口増加や、1950年以来の特に女性と子供に関係 望、権利や責任を新たに知る手立てを与えられてきています。しかし、生きていくための技術や道 した健康管理の改善の政策によるものです。今世紀、過去10年間の幼児の死亡率をみれば、19 徳教育を習得する条件が出来ていません。また、青少年にとって自らの要望、権利や責任につい 90年には1000人の出生に対して乳児死亡が64.4人、1998年には、35.3人の死亡に減少しま て、大人に相談する機会がほとんどありません。青少年は、全人口の3分の1を占めますし、自ら した。(政府の統計資料に が生きている社会で重要な力となる能力を持っています。そして、社会の中で重要な力を持って よる)。 行くことでしょう。これら青少年の権利や能力は、両親や大人たちの意識の中に反映されていませ どこ の 青少年 も、急速 に異なった変化をしてい る世界の中で、相対的に ん。家族の中において理解されていくことが難しくなっていますし、その上、人間関係や若い人々 にとって自ら発展させていくことが限られています。 18才の青少年であろうと、選挙権と1998年の成熟度の健康調査(国内調査局/国連人口基 成長していきます。加えて、 金)によると17歳ということから、結婚年齢として認められています。そして、1996年の人口統計 モンゴルの青少年は、家 調査によると、結婚年齢の平均は、17.5歳としています。 庭生活・教育・健康管理・ 1990年以来、モンゴルでは、出版の自由、報道の独立の政策をとっています。このことは、社会 経済安全に不安な影響を 主義時代に厳しい検閲下に置かれていたことからの劇的な変化です。この変革は、諸刃の剣でし 与えている政治・経済・社 た。マイナス面の影響を及ぼしているものは、ゴシップ記事や官能的なものを扱った新聞や雑誌 会の強烈な変化と向き合 の急増、“Yellow Press/扇情排外的新聞”として知られています。さらに、暴力やセックスを扱 っていかなければなりません。アルコール中毒、家庭内暴力や離婚は増加し、子供や青少年の幸 った輸入ビデオや映画が益々大量に売られています。これらの情報の全ては、若者たちが簡単 福に大きく影響を与えています。1998年の統計によれば、片親の家庭で育つ子どもが26%、19 に手に入れられ、目にすることで、マイナスの情報として、若者たちに生きていくことに悪い影響を 99年の統計では、調査した660人のウランバートルに住む青少年の43%が親による暴力の犠牲 与えています。 になり、また、それと同じ比率(43%)の子どもが、十分な食べ物や、学校へ通うための適当な服を 学校への修学率は、興味深く、女子が男子を上回っています。高等学校においては、女子が 与えないという親の怠慢が報告されました。この報告の親の怠慢は、多くが単に貧困であることが 61.5%、男子が38.5%です。さらに大学においては、より一層その比率は劇的に広がって、女子 影響していました。 の70%の学生に対して、男子は、30%あまりです。それにもかかわらず、職業やその地位につい 1996年の調査では、6.3%の未成年の少女が妊娠しました。その内の約半分(43.3%)が妊 ては、女性に対する疎外があります。たとえ女性の占める割合が、初等学校教員で92.8%、中等 娠を望んでいませんでした。これら望んでいない少女の妊娠の51.1%は出産し、17.4%は中絶 学校で69.5%、高等学校教員で70.1%であっても、それら学校長の女性の割合は、たったの22. されました。1999年の調査では、1998年に子どもに暴力を振るう虐待の74%が20才以下の青 5%にすぎません。国会議員にいたっては、76人の内8人です。さらに、女性が大臣に任命され 少年で、その内の50人が15才以下でした。母親が青少年の幼児死亡率は、全体よりも24%も高 たのは、やっと昨年になってからです。家族の中で女子が家事をするという比率はたいへん高く、 くなっています。安全でない性行為や、その結果として起こる性病の危険性は、増え続けて問題 それは、都市でも地方の家族でも同じです。村の定住者は、青少年の49%が、都市は37%が、 です。喫煙や飲酒をする青少年の数は増え、意気消沈・精神不安・自殺行為に発展して、大きな 女子は、自由な時間があれば、家事をするようにと言われています。 <翻訳/星> 問題となってきています。家庭暴力のために、ホームレスや群れになったりする子どもや、家庭環 12 13 モンゴル奮闘記 *目・ハエ・卵!! 06.23 乗馬中、バルハスが何やら大島さんやバドマに話している。そのまま川へ向かい、取り出したの は一本のタバコ。『なぁんだ』と思っていたら、紙を破いて葉っぱをバルハスの目に入れているでは ∼長年の夢ついに叶う!∼ 3 <髙宗 ないか!! ハエが目の中に卵を産みつけたらしい!もともと、動物の目に産み付けるハエがい 郁子> て、それがうっかりバルハスの目に産んでしまったという。身の毛のよだつ出来事でした・・・・。 タ バコのニコチンで卵を殺し、川の水で洗い流し一件落着。バルハスの冷静さに心の中で拍手をし た私です。 昼はのんびり乗馬、夜はアルヒ(モンゴルウォッカ)を飲みながらゲームをして、二日間を楽しみま した。 *遊牧民ゲル⇒ツアー用仮説ゲルへ・・・ 町へ用事があるという母と、孫のインクバイル(15才)がジープに同乗する。涙の別れをした後と *ウランバートルへ・・・!! いうのとわずかな時間という事で、何故だか車内は静かな空気に包まれた。一番仲がよく、弟のよ ここでは、アパートに住んでいるお宅へ泊めてもらった。18歳の女の子ジャガーがいるのだが、 うに思っていたお喋りな彼が黙り込んでいたのがつらくて、“ミニーエイジ”を口ずさむ。彼と一緒に 都会っ子で、日本の子とそんなに違いはない様に思えた。彼女は片言の日本語を話し、日本に よく歌った歌である。 興味を持っていた。モンゴルに来た初日もここへ泊めてもらったのだが、挨拶しか話せなかったの 彼は歌わなかった。けれど、最後に日本語で『さようなら』と言い、少し笑った。テレ屋で一生懸 命な彼を、私はとても好きだった! が少し話せるようになっていたので、お母さんは嬉しそうに話し掛けてきた。伝わらないときの『困 ったなぁ』という反応は、モンゴルでも都会人の反応だった。 風呂に入れさせてもらった。修理中でチョロチョロの湯だったが、なんせ20日近くまともに体を洗 結局、予定より短い10日間の遊牧民ゲルスティであった。仮説ゲルには、ツアーで来ている新し い仲間が待っている事だろう。 っていなかったので(川では洗っていたが)出るは出るは、垢の凄さにビックリしてしまった!気分 爽快!! 今日は、ゴビ(砂漠)に行く日だったらしく、帰り途中の仲間とはちあわせた。(待っていたのか な?)小4のマコちゃん、母裕子さんがジープに乗り、私とバドマは皆と馬で帰った。20㎞の道のり *タクシーでアイス!? をとばして帰った 何が食べたい、と聞かれ「アイスクリームを食べたい」と答えると、外へ出てタクシーをとめた。歩 が、とても清々し いていけないかと聞くと、どうやら美味しい店があるらしい。日本では、ほとんどタクシーに乗らない か っ た !( 10 日 が、ウランバートルではよく乗った。料金は1km30円位。ちなみに、ワッフルコーンの W で50円。 ぶりに耳にする 高いんだか安いんだか・・・。モンゴルの経済状況も色々と奥が深いみたいです。アイスを食べな 日本語に、正直 がら歩いていると、『少し下さい』とくっついてくる子供がいた。また、寺に行った時、私とジャガー ホッとする私がい で歩いていると、私めがけて「ヤポンヤポン(日本人)」と数人の子供が我先にと寄ってきて、鳩の た) キノコを探し 餌を売りにくるのだ。 私的には、 に行ったが、収 ジャガーは日本人となんら変わ 穫は4つ・・・。 らないので、どこで見分けてい るのか・・・やっぱり顔らしい。 *肉うどん∼ *ネグ、ホイル∼、ネグ、ホイル∼♪ 私のために、お母さんはホシュ モンゴル式フォークダンス!バドマとトルガに教わったのだが、なかなか難しい。トルガの足を何 ールやセロリの肉炒めを作って 度踏んだことか。夜は明るいので、秘密の特訓は12時まで続いた・・・!小学生ぶり?の男性との くれた。遊牧民の所もそうだっ ダンスに、ちょっぴりドキドキしてしまったひと時でした(笑) たが、テーブルが小さいので、 14 15 何かしら手に持たないと乗せ切れないのである。お母さんが仕事へ出掛けたので、昼食をジャガ ーと二人で作った。家事の当番表が貼ってあり、料理は作っている様なのでうどんの作り方を教わ ナイラムダル春の<ゲル>交流会 った。何てことはない、ただこねて伸ばすだけの事だが、結構な力仕事で、コツもいる。うどん用の 5月5日(日)∼6日(祝) 大きなまな板があるのはモンゴルの家庭ならではなのか。塩だけの味付けで、シンプルな肉うどん ■比留川宅(市原市) が完成した。これがまた、私は好きだったりする。日本に帰って作ろうと思ったが、未だ作れずにい 比留川さん宅で以前輸入したゲルを、 ます・・・。 参加者が建て、交流会がもんれました。 「モンゴル料理つくり」「モンゴル滞在・遊 *ザハ(自由市場) 牧民ゲル滞在体験の話を聞く」「ビデオ とにかく人の多さに参ってしまったが、たまの人ごみに興奮気味の私は、始終キョロキョロしっぱ 鑑賞」など予定していましたが、充分やる なしだった。こんなもの売れるのか??という代物から、服・食べ物・化粧品・自転車、色々な物が ことが出来ませんでした。 溢れていた。案の定はぐれてしまったが、すぐに皆と会うことが出来てよかった。私はサテンの綺 しかし、ゲルを建てについては、初め 麗な生地を買い、帰ってからバッグを作った。 ザハのトイレでお金を払ったのには驚いた。10円 ての人も多かったのですが、参加者の協 程だが、これも民主主義の流れかなぁ・・・と、微妙な感じがした。 力で、割合楽に *関西空港から羽田へ・・・ 立てることが出来 ボーっとしながら、ふと窓の外へ目を向ける。すると、一面に敷き詰められた雲のじゅうたん ました。また、朝 が・・・!雪のような、綿のような。そして、そこへ大きく突き出す富士の山。日本へ帰ってきたことを 樹君、哲人君は、 あらためて感じ、長いことその景色に見入っていたのである。 バレー部の活動 で日中は参加できませんでしたが、寮生活をしている大 *ただいま!!! 思い返すと、実にアッという間の20日間であった。自分の中で何かが変わった様な気もするが、 気のせいかも知れない。ただ一つ今でも思うのは、再びあの地を訪れ、広い広い大地を踏みしめ たい、馬で駆け回りたい!ということ。ちっぽけな悩みなど、満点の星空の下では一つの星でしか 樹君(高校3年生)は、1日戻ってきて参加しました。また、 5男の天風君は、食事の手伝いなど大活躍でした。 宿泊は、ゲルの中で雑魚寝になりました。そして、 6日は、26人全員がゲルの中で、焼肉をやって交流 ないのだ。 日本での生活に戻り一年が経ち、あの時の気持ちがどこかに行ってしまうときがある。そんなこん しました。肉は、養豚業を営む比留川さん宅の美味し なでバタバタと過ぎ行く中、就職が決まり一人暮らしを始めた。時々、モンゴルの事を思い出す。 い豚肉をたらふく食べました。みなさん、お疲れさま 小さいうちから馬に乗り、毛刈りや乳搾り、火をおこすための糞を何kgも背負ったり・・・・。さぁ、今 でした。 日もガンバロ∼!と思うのだ。 <参加者> 5日 高宗、小野寺、土屋、土屋T、馬場、鳥木、鳰川夫妻、 大島、比留川宅(10人)/19人 6日 5日参加者、林、福田、秋元、成島、冨永、冨永M、 芝崎、三代川/26人 <会 計>収入 39,000円/支出 24,447円/ 残金 14,553円 (ナイラムダル援助金へ) ∼∼実家より若干田舎で暮らしている私だが、一つ困った事がある。虫が苦手なのだ・・・。ゴキブ リや蜘蛛を発見し、大騒ぎをした後、『よくこれでモンゴル行けたなぁ・・・』と、一人苦笑する日々な のでした・・・。 再びモンゴルに行く日を夢見て・・・!!∼ ≪END≫ **2003年は、比留川さん家族と、市原のグループが準備します。よろしく!** ◆案 内◆ 房総餅豚を食べてみませんか!<比留川宅/tel.fax.0436-96-1230> 柔らかい肉質と、ビタミン B1が普通肉の倍近く含まれ、抗生物質を使用しない安全な豚肉です。 16 17 ハワリンバヤル(モンゴル春の祭り) ◆04月20日(練馬区光が丘) 参加/冨永、杉山、大藤、大島 遊牧民ゲル生活体験2ヵ月1995年4月29日∼7月15日 モンゴルの春の祭り“ハワリンバヤル”は、モンゴルからの留学生が中心になって、4月20日、21 日に練馬区光が丘で開催されました。ナイラムダルは、21日、雨になってしまったことから、20日 の1日の参加でした。 ナイラムダルは、他の出展したグル ープの中で、特に目立ちました。「写 真の展示」「モンゴル服の試着」は、 たいへんン好評で、モンゴルに関心 のある人だけではなく、モンゴルの留 学生も興味深く見入ったり、子ども連 れの家族、若い人、モンゴルの留学 小さな遊牧民と暮らして 生が民族服を試着して、和やかな雰 <その後>−1 囲気でした。 <参加します!!> 田 口 ふぐ “ふ ぐネ ネッ ットト” ――――国際交流・協力団体「ふくしま地球市民ネットワーク」―――― ナイラムダルは、昨年、福島県主催の未来博に参加したことから、“ふぐネット”国際交流・協力団 体「ふくしま地球市民ネットワーク」に参加していきます。 “ふぐネット”は、うつくしま未来博「国際交流ゾーン・ワールドビレッジ」フレンドシップハウスの成 治/2001.06.22 私は、1995年4月29日∼7月15日、はじめてモンゴルに滞在し、遊牧民ゲル生活体験しまし た。その体験は、「小さな遊牧民と暮らして」という小冊子にまとめました。その後、6年余りたって、 その体験を振り返りながら、どういう生きてきたか整理してみました。 “ホームステーの動機”は、過去の記憶をたよりに、“冊子を振り返って”“その後の遍歴”は、日 記と記憶をたよりに、そして、今の自分を振り返ってみました。 果を継承し、会員の情報交換、広報、協働、相互協力、等を行うことにより、会員の活動の活性化 と活力ある地域社会の実現を目的としています。<年団体会費/3000円> ナイラムダルは、この間、福島県内で“ナイ ホームステー動機 ラムダル・コンサート”を3回開催してきました。 また、今年も原町市で計画しているところで 今、思うと、“高校を卒業して、両親との生活から離れたかった”これがホームステーを思い立っ す。あわせて、福島県内にも会員がいること た出発点だったのかもしれない。衣食住が一様満たされた生活は、私に安らぎを与えてくれた。そ から、積極的に“ふぐネット”関わっていきま れは両親のおかげである。また、私は、思春期で父を避けていたにもかかわらず、父は、家族会 議を意識的に設けてくれた。母もパートで働きながらいろいろ気を掛けてくれた。今、思えば、物 す。 心両面で満たされた生活していたのだと思う。しかし、どことなく居心地の悪い感じもしていた。満 “あなたの街のNGO” “栃木県編”で 「モンゴル交流協会ナイラムダル」紹介される!! 雑誌「国際協力プラザ」5月号/(財)国際協力推進協会発行 18 たされつづけることで、将来の自分に不安を感じていたのだ。「このままではいけない!」と。 卒業後、小学校の教師を目指していた私は、通信制の大学で学び始めた。同時に契約社員と して、ある卸業の会社に入った。初めてのことばかりの生活は、現実の厳しさを身にしみて感じる 毎日であった。なかなか覚えられない仕事、怒鳴られ、嫌味を言われながらも、一日一日を這うよ うにこなしていった。そうした自分へのいらだちから、涙を流すことも会った。 19 当然勉強は、当初の予想を大きく外れ停滞し、大学からの課題に対して、さまざまな文献を読 しれないが、ただ単にそれだけの国でないことが、この本を読んで感じた。また、モンゴルには遊 んだ上でレポートを提出しなければならない。教科書だけの学習では、大学は認めてくれないの 牧民が多くいる。その人たちの生活がどのようなものなのかを知るために、椎名誠の本を読んだ。 である。そこには主体的に学習しなければ道は開けないという、新たな考え方を私の中に芽生え 写真入りのその本は、現地の生活の匂いがしてくるような本だった。 させてくれたのだった。レポートが合格したら試験を受け、これを合格しなければ単位は認定され こうした経過を踏んで、モンゴル旅行を取り扱っている旅行会社にホームステーの仲介を頼みに ない。高校を卒業していきなりの二足のわらじは、私という人間が日常に流されやすいことを照明 いった。しかし、理由は忘れてしまったが断られてしまった。そのためどうしたらホームステーに行 する機会となってしまった。 けるのか悩んでいると、通信制の大学で知り合った女性から、ある団体の機関紙をいただいた。そ そうした自分が栄養をもらう一時があった。それは学習会と大学のスクーリングであった。学習会 の団体がやがてお世話になるモンゴル交流協会「ナイラムダル」となるのである。さっそく代表の大 は、地区毎に行われ、日々の学習についての相談や先生を招く等の学生主体の活動であった。 島さんに電話をしてホームステーについての話を伺うことにした。話を聞いていくうちに遊牧民の スクーリングは、直接大学の先生の授業を受けるもので、適度な緊張感が私の学習意欲を呼び起 人たちと生活を共にすることは、日本人にとって相当たいへんだったということを知った。 こしてくれた。また、忘れてならないのが友人である。学習会・スクーリングなどをきっかけにして知 り合居、関係を深めていけたことは、今でも大きな力となっている。 例えば、食生活が違うこと、私たちは米やパンを主食としてよく食べるのに対して、遊牧民は、羊の 肉やチーズ、バターなど乳製品を食べる。チーズやバターといっても日本で食べるようなものとは しかし、日々生活しているとどうしても自分の中に物足りなさを感じ、何が物たれないのかは分か 違うというのだ。また、観光で短期間滞在するのとは違い長期に渡って過ごすならば、自分なりの らない。とにかくいつもと違うことをしたかった。そこで休日を利用して一人旅に出た。三浦半島や 目的がないとやっていくことは難しいとも言っていた。目的といわれても馬に乗ることだけしか考え 伊豆半島などにサイクリングに出かけた。計画を立てずに出かけたので、いきあたりばったりの旅、 ていなかった私には、何かの課題を課せられたような気がした。しかし、実際にモンゴルで生活し 暗くなってから宿泊し、寝袋での野宿もあった。旅先で見知らぬ私を泊めてくれた親切なおじさん てきた人の言葉なのだから真剣に考えなければならないことであった。 もいた。道案内をしてくれた少年たちもいた。サイクリング中に知り合った日系ブラジルの方と色々 な話をしながら、自転車を走らせたこともあった。それは、人の温かみに触れる旅であり、いつもと 違う体験のできるひと時でもあった。 また、いつもと違うひと時という点で、書道塾での体験は貴重で、当時、字の下手な私は、恥ずか その日からホームステーの為の目的探しが始まった。どうやって探していったかは、はっきりとは 覚えていないが、頭の中に浮かんだことをノートに書き出したような気がする。「仕事を一緒にする。 日本の歌を紹介する。モンゴルの歌を覚えてくる。料理を覚えるなど」 しくない字が書けるように塾通いを考えていた。仕事が゜終わってから自転車でぶらぶら探してい こうした目的が決まる間、大島さんの事務所でのモンゴル語勉強会に参加した。先生は、両学生 ると、塾の看板が目に入った。早速入会をお願いしたその先生は、風格のあるおじさん先生であ のバトチメグさんだった。生徒は仕事帰りの男性や女性で、毎回楽しそうに参加していた。内容は、 った。幼い頃からお祖父さんに触れる機会が乏しかった私にとって、不安はあったが嬉しかった。 挨拶や方向、数などの生活に密着した言葉の学習で、自分自身がホームステーに行く時のことを 週2回通ううちに、書のことだけではなく政治や世界の動き、さらに先生自らの戦争体験の話も聞け 想像しながら参加した。自主的に参加した勉強が「こんなにも楽しく、こんなにも自分の中に吸収さ るようになった。先生はよく「人間は生かされている」という話をしていた。初めは、生きているのは れていくのか」と新鮮な感動を覚えた。 自分自身なのだから、先生の「生かされている」という言葉の意味がわからなかった。しかし、水、 具体的な出発日やパスポート申請などの話を大島さんとしていくうちに、「いよいよ大きな旅がで 空気、太陽といったものがなければ植物や動物たちはもちろん、人間さえも生きていけない。当た きるぞ!」という、子どもの頃に体験したような懐かしい胸の高まりが加速していった。しかし、初め り前のことに対して考え、感謝することの大切さは、今でも私の中に息づいている。 て乗ることになる飛行機に対して不安も感じていた。ちょうどその頃、阪神姫路大震災があった。 仕事をしながらラジオを聞き、テレビでその様子を見ていくうちに「自分がこのままモンゴルに行っ 具体的にモンゴルへのホームステーを考え始めたきっかけは、こうした日々の中であった。それ てもよいのだろうか」と思うようになっていった。そして、「3月で会社を退職するのだから、そのまま は、あるテレビ番組を見たときであった。毎週日曜日の午前中に放送される番組は、二十代前半 ボランティアに参加してもいいのではないか」とも考えるようにもなった。しかし、しかし、退職するこ の様々な若者が外国にホームステーするものであった。なかでも馬に乗って大草原を走るシーン とや、今日に至るまでの準備を考えると、どうしてもホームステーを断念することはできなかった。そ がでていたモンゴルは、私の心を捕らえて離さなかった。それは、とても大きな自然の中で心を解 こで何らかの援助はできないものかと考え、少なくはあったが義援を送り、献血に出向いて、自分な 放し、心を委ねているような気がした。私も大自然の中に、この身を置いて、馬に乗って生活して りに納得のいくことをしてみた。それが被災者に対してできる最大のことだと信じて ・ ・ ・ 。 みたいと思うようになったのである。 さっそく、本屋でモンゴルに関する本を買い、ページをめくっていくと、首都ウランバートルには たくさんの住宅やお店があることを知った。また、モンゴル・ソ連軍と日本軍が60年前に衝突した ことや、チンギスハーンゆかりの国だということも知った。広大な自然がモンゴルのカラーなのかも 20 3月上旬に会社の寮を引き払って、弟のアパートに身を寄せた。いろいろな思いをした会社では あったが、辞めてみると少し淋しいような気もした。いま思えば、自分を鍛えてくれた良き場所だっ たのかもしれない。4月下旬まで弟と生活をし、出発前日に大島さんの事務所に泊まった。 つづく 21 MAIL 届きました−35 ★近況などお便りお待ちしています★ (敬称略) センゲドルジュ/6月∼7月にかけてアメリカ公演 チャパエブ、メルエッシュ/8月、9月にカザフスタンなどの海外公演 オトゴンフー(ホーミー)、スーレンフー(馬頭琴奏者)/2000年コンサート来日(オブス県)。ウ ランバートルで“TSUKI HOUSE”というショー・ホールで働いているとのこと。今年、日本に来 日予定とか。 オトゴンフー(ホーミー)/オブスの2000年コンサートグループで来日。オブス劇場のヨーチン 奏者と結婚。 エルデネ/2001年トフ県コンサート・グループ。日本人にも馬頭琴を弾いてほしいと、自作の馬 頭琴製作や、馬頭琴演奏の教習ビデオを作製中。元気でやっています。今だ、失踪した3人 は帰国していません。 アマルボルト/消防局勤務。1996年、モンゴルでモーター・パラグライダー飛行に協力。防災 の交流のため1997年7月来日。6月14日、消防局前で偶然再会。事務所に行き、大きなモ ンゴルの地図を広げて、現在の火災状況を話してくれました。今年は、例年より遅く、5月、6 月に草原・森林火災が頻発しています。 ゴンブジャブ/CD「モンゴルからの風−5」 “ホーミーとツォールの響”のツォール奏者。 昨年、病気のため若くして亡くなりました。 <1968年生> <ナイラムダル活動予定>2002.07−11 09月22日 29日 10月09日∼26日 11月10日 “ボランティア・フェスタ2002”/モンゴル紹介展示/栃木県今市市 “いわき地球市民フェスティバル2002”/福島県いわき市 第11次 ナイラムダル(友好)コンサート/モンゴルからの風 “鹿沼ワールド・フェスティバル”栃木県鹿沼市 <ナイラムダルの主な動き>2002.04−07 04月20日 ハワリンバヤル(練馬区光が丘)/冨永、杉山、大藤、大島 29日 福島県国際交流ネットワーク/会合/大島 05月05日∼06日 交流会(ゲル設営など)市原市/比留川宅 18日∼06月15日 モンゴル滞在(大島)/コンサート・グループ準備 07月06日∼08月19日 モンゴル交流の旅 07月12日 国際理解授業/栃木県河内町立岡本西小学校6年生/大島 <スタッフ募集!!> 参加してみませんか!! 1.ナイラムダル(友好)コンサート/10月09日∼26日 10月の友好コンサートに向けて、準備、及び、コンサート当日、協力していただける方を探 しています。無理なく協力できること、時間が取れる範囲で結構です。相談ください 090-3530-9936<冨永> 090-4200-8099<大島> 2.“ボランティア・フェスタ2002” 3.“いわき地球市民フェスティバル2002” 4.“鹿沼ワールド・フェスティバル” 栃木県今市市(9月22日) 福島県いわき市(9月29日) 栃木県鹿沼市(11月10日) ナイラムダルは、以上の地域で、“モンゴル紹介”“ナイラムダル活動紹介“”活動資金 CD 左/ゴムブジャブ、右/センゲドルジュ ウルジンルハム(ヨーチン)/オブスの2000 年コンサート・グループ。5月27日、2年ぶり の再会。以前の明るい人柄で、迎えてくれまし た。そして、たくさんの飲食料の差し入れを受 けました。 ←中央/ウルジ、右/彼女の夫、左/大島 ゾルゴー/ダッシュドルジュの長男。2年間、 ニューヨークに赴任していましたが、9月からは、 単身赴任で福岡に法律の研修に来る予定。 つくり“のため参加を予定しています。 内容は、写真展示、モンゴル服試着、スーティ・ツァイ(牛乳茶)・民芸品・CDなどの販 売をする予定です。会場には、家族ずれも多く参加すると思います。“民族 服の試着”“販売”“モンゴル紹介”などのスタッフとして参加してみませんか。 090-4200-8099/0288−26−0130<大島> <新会員紹介>2002年04月∼07月 納入分(敬称略) *日比野明美、*松永真理、*葛山堅斗、*西本涼、*春日亀千尋、*中村洋子、*増池由香 利、*羽鳥隆、*河内町立岡本西小学校 <ナイラムダルへ活動援助金> 14,553 円(5月の交流会残金) <援助金・物資 預かりました>(敬称略)今後、モンゴル滞在の際に、渡してきます。 片居木(所沢市)/衣類 約10キロ <援助物資手渡す> 5月18日∼06月15日 モンゴル西方地域見聞の旅で遊牧民に渡しました。/衣類15キロ 22 23
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