│ 京都 橘 大学 文化政策研究センター ニ ューズ レター v o l 。 33 institute for Cultural Policy Studies CONTENTS KYOTO TACHlBANA UNlVERSiTY Arts&Life 24 京都 文化 ベ ンチャー コンペ ティション 堀 補子 京都文化 ベ ンチャー コンペ ティション実行委員会事務局 ( 京都府文化環境部 文化芸術室) inte rface文 化政策との出会い 第 5 回 垂畿盤 慾畿欝 ミシュラン・Sushi。国際化 ― 外食文化 とグローバ リゼーションー 南 直人 本学文学部教授 京都モダニズム建築を訪ねて 第 3回 爾策 自動車株式会社本社屋 河野 良平 本学現代 ビジネス学部講師 Book Review 第 3回 ー 一 び わ 『 湖 ホ ル オ ペ ラ を つ くる 創 造 し発 信 す る 劇 場 』 上原 恵美 (他)著 (新評論 2007年) びわ湖 ホールの挑戦 の記録 端 信行 兵庫県立歴史博物館 館長 報告 公 開研究会 「びわ 湖 ホ ール 問題 が 投 げか けた もの 一 指 定管理 者 と公 共性 」 中村 美帆 東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研究専攻博士課程 報告 文 化経済学会 〈日本〉関西支部 主 催シンポジウム 21世紀の博物館 と考古学∼文化政策の視点か ら」 「 「 文化 。 芸術 ・ 歴史 と自治体文化政策」 阪本 崇 本学現代 ビジネス学部准教授 interview文化政策の風景 第 27田 モ ノ づ くり & ま ち づ くり そ の キ ー ワ ー ドは 「協 働 」 清水焼と山科 のまちづ くりをめぐる、さまざまなコラボレーションの試み 白谷 保 夫 清水焼団地協同組合 理事 事 務長 Artsだ受 Life 24 京都文化 ベ ンチャー コンペ ティション Yuko 堀 裕子 Hori′ 京都文化ベ ンチャー コンペティション実行委員会事務局 ( 京都府文化環境部 文化芸術室) 京都府 では、文化 ・学術団体、経済団体、NPOな ど の参加 を得 て、平成 19年 度か ら 「 京都文化ベ ンチ ャー コンペ テ ィション」を実施 してい ます。 この取組 は、京 都 の文化 を新 たな角度か ら捉 え、新 しい生活の輝 きを 生み出す独創的な 「 知恵」を募集 し、 しっか りと育てる ことによ り、京都全体 の文化力を高め、 い きい きとした た、 「アイデア部門」では、安野侑志 さんが、「 世界紙芝 居 コ ミュニケー シ ョンの創造」を提案、京都府知事賞最 優秀賞を受賞されました。 受賞対象 となった提案は、京都 の伝統的な技法や素材 を活か した新 しい ライフス タイルの提案や芸術 を活か し た京都の活性化へ の取組 な ど 「 文化ベ ンチ ャー」な らで はの提案が数多 く見 られ、これ ら受賞者に対 しては、事 京都 を創 出 しよ う とい う もの で す 。 「京都 文化 ベ ン チ ャー コンペ ティシ ョン」は、文化資源や文化芸術 の力 を活用 して新 しいビジネスモデルや ビジネスアイデアを 業の実現化 に向けて継続的に支援 を行ってい くこととし てお り、京都 の文化力 の向上、ひいては京都全体 の活性 幅広 く公募 し、優 秀 な企画提案 を支援 して い く全 国初 の取組 です。 化に大 きく寄与す るもの と期待 してい ます。 平成 20年 度 も第 2回 日の京都文化 ベ ンチ ャー コンペ 第 1回 日の平成 19年 度には、北は北海道、南は宮崎 県 まで、若 い世代 の方 を中心 に幅広 い年齢層 の方か ら ティシ ョンを実施 します。今年度 も、文化資源や文化芸 「文化 ビ ジネスモデル部 門」60件 、「文化 ビジネスアイ デア部門」180件 の計 240件 に及ぶ応募 をいただ き、京 都 における文化の力、 関心 の高 さを再認識す るに至 り ました。 この 240件 もの応募の中か ら、1次 ・2次 の審査 を経 モデル部門」8組 、「アイデア部門」13組 の方 々が て、 「 プレゼ ンテー ションに挑 まれ、その結果、京都府知事賞 や京都経済界賞をは じめ、多 くの団体や企業か ら提供 さ れた 27に も及ぶ賞が決定 されました。 モ デル部門」では、 起業 を視野 に入れた提案 を行 う 「 有限会社絞裏庵が 「 京鹿 の子絞 の伝統技術 と独 自技術で ある立体加工技術 を施 した製品の販売及びブラ ン ド化」 を提案 し、京都府知事賞最優秀賞 を受賞 されました。 ま 02 授賞式 ( 文化 ビジネスモデル部門 京 都府知事賞最優秀賞 有限会社絞裏庵) 京都 文化 ベ ンチ ャー コ ンペ ティション実 行 委 員 会事 務 局 〒602-8570京 都市上京区下立売通新町西入 京都府文化環境部文化芸術室内 TEL 075-414-4219 FAX 075-414-4223 E― mail bungei@pref.kyotO.lg.jp URL.hip:〃 www pref kyOto iP/bungei/venturecompethion.html プレゼンテーション ( 文化 ビジネスアイデア部門 ・京都府知事賞最 優秀賞 安 野侑志さん) 授賞式 ・記念撮影 術 の 力 を活 用 した ビ ジネスモ デ ル ・ビ ジネス ア イ デ アで 、 規性 ・独創性」「 社会 に与 えるイ ンパ ク ト」等 について 審査 を行 い ます。 社 会 に対 して新 しい 文 化 的 イ ンパ ク トを与 え る もの 、 幅 広 く文化 を対象 とし、 「 伝統的文化」か ら 「 新たなライフ スタイルの提案」まで、心豊かでより質の高い生活 に寄 与す るものを募集 します。 このコンペ ティションは、応募後、単 に審査するのみ で終 わるのではな く、 ブラ ッシュア ップのためのセ ミ ナーや個別指導 を含め、募集 を開始 してか ら最終審査に その中か ら、起業支援団体、金融機関、文化関係者、 企業家等 で構成す る審査委員会で審査 を行 い ます。書面 による 1次 審査、面接審査 による 2次 審査 を経て公開プ レゼ ンテー シ ョン等による最終審査 とな ります。文化 ビ ジネスモデル部門においては、「 新規性 ・独創性」「 社会 姦るまで約 9箇 月も時間をかけて精度の向上 を図 り応募 者を支援 していきます。 本年 も、全国か らさらに多 くの応募 をいただ き、質 ・ に与えるイ ンパ ク ト」「 実現可能性」「 市場性」等 につい て、 また、文化 ビジネスアイデア部門にお いては、 「 新 い活力 を生み出す気運が広がってい き、京都全体の活性 化につ ながってい くもの と考 えてお ります。 量 ともに実 りのある取組 として盛況に実施 してい くこと はもちろんの こと、これを一つの きっかけとして、新 し insjtute for Cuに ural Policy studies News Letter 33 03 interface 文 化政策との出会い 第 5回 ミシュラン ・SuShi・ 国際化 ― 外食 文化 とグ ロ ーバ リゼ ー ションー 南 直人 M i n a m iN ′a o t o 本学文学部教授 M i C H E L i N G U I D E 東京 2008 文化政策 の 領城 にお いて食文化 はか な り重要 な位置 を ほんのわずかに与えられたにす ぎず、た しかに美食の最 占め る と思 われ る。 と くに外食 の文化 につ いて少 し私 な 高峰を示す ものではあるが、それのみでフラ ンスの レス トラ ンを語 ることはとうていで きないのである。 こ うし りの 考 祭 を して み た い 。 昨 年 1 1 月 、 『M i C H E L I N G ∪ I D E 東 京 2 0 0 8 』力汗J 行された さい、 マス コ ミを中心 に、 日本料理が世界 に認 め られた とか、 フラ ンス人 には 日本 の食文化 は理 解 で きない な どとい うようなさまざま な諸説が飛 びか った。 この 問題 は外食文化 を考 える上で の手がか りになる と思 う。 星」の数 のみが 議 「ミシュ ラ ン狂騒 曲」で は もっぱ ら 「 論 された よ うだが、 これは ミシュラ ンとい うものの本質 をい ささか誤解 した議論である。周知の ように ミシュラ ンガ イ ドは、 もともと約百年前 に 自家用車 で郊外 へ の ド ライブ旅行 をす る顧 容 のための宿泊 ・飲 食情報サ ー ビス た網羅的な ミシュランガイ ドは、今 日ではイギ リスや ド イツ、イタリア、スペ イ ンなどヨー ロ ッパ の他 の多 くの 国で も刊行 されるようにな り、そうした結果、 ミシュラ ンガイ ドはホテルとレス トラ ンの国際的な評価基準 とし ての地位 を確立することとなった。それに くらべ、東京 版は星つ きの レス トランのみを掲載するにす ぎず、 ガイ ドとしての機能は著 しく劣る。 しか し、やは リミシュランが東京 に進出 して きた とい う事実 は、 日本の外食文化のグローバ ル化 とい う点にお いて大 きな一歩を画するもの となるであろ う。 日本料理 備や料理 の質 を評価 して格付 けをす る ようになった。本 その ものは 1 9 7 0 年 代位 か ら欧米の大都市 を中心 に徐 々 に紹介 されて きたが、それは鉄板焼 きパ フォーマ ンスに 家 フ ラ ンスの ミシュ ラ ンガ イ ド ( 赤版) は 、全 国 の小 さ み られるような、 まさに奇果 な果文化 の産物 とい う扱 い な市 町村 にいた る まで多数のホテ ル とレス トラ ンが評価 で しかなか った。 ところが最近では、過剰栄養や B S E つ きで掲 載 されてお り、各都市 の観光名所 の評価 や地図 問題 などを背景 とす る健康食志 向の強 ま りの 中で、「 健 康 な日本食」とい うイメー ジが定着 し、 日本料理 は海外 の諸都市で人気が高 まって きた。 とくに 「ファッシ ョナ としては じまった もので、後 にホテ ルや レス トラ ンの設 もあわせ て旅行 ガイ ドとしての機能 も充実 してい る。 い わゆ る 「星J は 、 ここに掲 載 された厖 大 な レス トラ ンの 04 「 Sushi″は国際語 ブ ル な回転 寿 司」の ブ ー ム を通 じて、 ″ として認 め られ、それぞれの国や地域 の独 自の食文化 と ″ 融合 したオ リジナ ル な Sushi″も登場 す るよ うになって い る。 日本食 もさまざまにア レンジされ、現地 のス タイ ル にあ わせ て ず いぶ ん変貌 を とげ た 「日本食」もあ り、 一 部 の偏 狭 な 「食 ナ シ ョナ リス ト」か ら、 「正 しい 日本 食」の基準 を決めてそ こか ら逸脱す るものは排除 しよう などとい うような珍妙な主張が出されるほどである。 この現象 はむ しろ、 日本食が本格的グローバル化 の段 階を迎 えた とい うように解釈すべ きであろう。中国料理、 イ ン ド料理、イ タリア料理な どが世界各地 でアレンジさ れてい ったの と同 じ現 象 である。その結 果 として、 ミ シュランとい う国際的な料理 ジャーナ リズムの最高峰が、 いよいよ 日本 の外食文化 をも評価の対象 として自らの出 版活動 の ターゲ ッ トにしはじめたわけである。 逆 の動 きもある。それは、 日本料理 を代表するような 料理人たちが、海外へ 日本料理を発信 しようとする試み である。た とえば 「日本料理アカデ ミー」とい う組織 は フランスの料理人 との交流事業な どをおこなってお り、 こうした活動 は今後 さらに拡大 してい くこととなろう。 ただそのさい忘れてはな らないことは、 日本料理その も のが海外か らのさまざまな要素 を取 り入れつつ歴史的に 形成 されて きたものであ り、 また地域的な多様性 も当然 大 きい わけで、 いわゆる 「 純粋 な伝統的 日本料理」なる ものはフィクションにす ぎない とい うことである。そ う したことを踏 まえて、高級料亭 の料理 だけではな く、幅 広 く日本 の外食文化 を海外 に紹介 し、 さらには日本の食 文化 の全体 的特 質が国際的 に理解 されるような試みが もっとなされて しかるべ きであろう。 食 の分野での文化政策は何か と考えつつ、い ささか大 風 呂敷 を広げす ぎたか もしれない。た とえば、 フランス 料理 は最 もグ ローバ ルに発展 をとげたわけだが、そ の 根 っこにあるのはフラ ンス各地域 の郷土料理であ り、そ うした意味で地域性 とグローバ ル化が フランス料理 の中 で結合 しているわけである。 日本料理 において もそ うし たことは可能であろう。山科の食材か ら京料理が作 られ、 それが世界へ発信 される、 こうしたことは夢物語ではあ るまい。 ジュネーヴの持ち帰 りSUSHl店 (筆者撮影) insutute for Cuttural Po icy Studies News Letter 33 05 京都 モ ダニズム建築 を訪ねて 第 3回 や さか 輛榮 自動車株式会社本社屋 Ryohei 河野 良平 Kohno′ 本学現代 ビジネス学部講師 開築 自動車本社屋 ・南側外観 (写真 :筆 者撮影) 京都市内で車 を運転すると、三つ葉 のクローバ ーマー クを付 けたタクシー をよく目にする。今回紹介する建物 は、それ らの タクシーが所属する輔築 自動車株式会社 の 評論』とい う雑誌 に 「 昭和四十八年春建築界作家番付表」 とい う記事が掲載 されているが、富家は西前頭 3 枚 目に 本社屋 である。開榮 自動車 の歴 史は、大正 6年 (1917) に交付 された 「 京都府営業用 自動車鑑札 第一号」の木札 鑑本しにまでさかのぼる。ハ イヤー ・タクシー業の草分け であ り、他 にも観光バ ス、路線バスや 自動車販売事業な どの事業 を展開 しているヤサ カグループの本社である。 西の横網 は前号 で紹介 した 「 京都会館」の設計者である に面す る現在 の敷地 に新社屋が建設 されることとなった。 当時粂田晃夫社長 は 「わが国で も一流 と評価 される建築 事務所 に設計 を依頼 し、壁か らカーテ ンに至 るまで色彩 共建築 を中心 に膨大な数の設計 を手がけて きた建築家だ。 ( 中略) 作 品の系譜は途中で大 きく変化 してい る。1 9 5 0 ラ ンクイ ンしてい る。ちなみに、東の横網は丹下健三で、 前川囲男 となってい る。その頃、富家が 日本 を代 表す る一流 の建築家であった ことが窺 える。代表作 に 『 比叡 山国際観光ホテル』( 1 9 5 9 ) 、F 京都府立文化芸術会館』 北村美術館』( 1 9 7 7 ) な どがある。現在、本 ( 1 9 6 9 ) 、『 会社設立当初は本社 を中京区壬生仙念町においていたが、 学 で非常勤講師をして頂 いている富家大器先生 のお父上 で もある。 業務 の拡大、社屋 の老朽化や従業員へ の福利厚生提供の ため新社屋 の建設が望 まれるようになった。そのため、 さて、京都工芸繊維大の中川理教授は、富家宏泰 に直 ー ー ンス メ トリ トとなった五条通 り 公 拡幅 され京都市内の 接聞 き取 り調査 を行 い、次 の ように紹介 している。「 の調和 に配慮 して仕事 の能率向上 と従業員の士気高揚 を 1と抱負 を述べ ている。 図 りたい」ネ 粂田社長 に一流 と評 されたこの建物の設計者は富家宏 泰 (19192007)で ある。京都大学大学院を卒業 し、京 大で講師を勤 めた後、昭和 27年 (1952)富 家建築事務 所 を設立 した。京都大学 では主 に構造 を学 び、棚橋諒 京都市交通局」の設計者で構造 の (前々号で紹介 した 「 一 専門家)の 番弟子 であった。昭和 48年 (1973)『建築 06 年代後半か らの初期作品は、上質で生真面 目なモ ダニズ ムの美 しさが実現 されている。 ところが、途中か ら突然 造形がおお らかな表現に変わ り、モ ダニズムの緊張感が 生み出す美 しさが失われて しま う」* 2 とぃ ぅ。その後、 1 9 7 0 年代か らは、建築家の職能 を正 しく行政 に認め さ せ る運動 に没頭 し、建築 「 作家」と並行 して建築 「 活動 家」 として も活躍 された。中川先生は、1 9 7 0 年 代以降、 生産』を根拠 にした造形が意味 を見失 うことで、丹下 「『 氏 は新 しいモダニズムの行 き場 を海外の都市デザイ ンに 「 求 め、一方 で富家 は、それを政治的活動 に見出そ うとし たのではないか」とし、「 建築家 といって も、その活躍 したフィール ドはまった く異なる二人だが、 ともに、生 涯 をかけて モ ダニ ズムを貫徹 しよ う とした ことは同 じ だったのではないか」と指摘する。中川先生 の言葉に従 上質で生真面 目なモ えば、 この輔集 自動車 の本社屋 は 「 ニ いる ズムの美 しさが実現 されて ダ 」筈 であ る。では たせようとしたのかもしれない)。 このように見てくると、富家がモダニズムのもつ緊張 感を、二つのヴォリュームを対比させることで表現 しよ うとしていたことが分かる。大きく持ち上げられた緑色 の箱 の下か らタクシーが衛へ 出て行 く姿は、多 くのモ ダエス トが思い描 いた近代建築の姿にオーバ ー ラップ するはずだ。 実際に図面 と写真か らその美 しさを検証 してい きたい。 竣工 は昭和 35年 (1960)1月 、建物概要は地上 3階 、 地 下 1階 の 鉄 筋 コ ン ク リ ー ト造 で 、 延 床 面 積 は 5080.15m2で ぁる。当時 の各 階の機能 は、地階 に食堂、 調理室、浴室、乗務員休憩室 ・更衣室、1階 に受付、応 接室、配車室、休憩室 と仮限室、2階 に事務室、社長室 と役 員室、 3階 に大小会議室、応接室、教習室、電話 交換 室 な どで構成 されて い る。建物北側 にはガ レー ジ があ り、150160台 分 の車両が収容 で きる。 この建物 の外観 は緑 と白の 2つ の直方体が組合 わさっ たように構成 されている。淡 い緑色 のタイルが貼 られた 大 きな直方体のヴォリュームを南側 に配 し、その北西部 に白い階段室 と便所が塔状 に取 り付 いている。南側 の直 方体 は 2・3階 部分が地上か ら持 ち上げ られ、外壁 には 1階配車室 (中央営業 センター)手前上部に設置 されているのは配車板 (写真 :筆 者撮影) 横長連続窓が南側 か ら西側 まで開け られている。逆 に階 段室には上下方向に連続 した窓が設け られてお り、2つ のヴォリュームが ここで も明確 に区別 されてい る様子が 理解で きる。1階 南側 で 目立 っているコンクリー トの柱 は 2・3階 にお いて直方体 の内部 に取 り込 まれ、1階 か ら3階 まで建物 を貫通 している様子が連続窓か ら窺 える。 断面図を見 るとハ ッキ リす るが、南側の 1階 部分は外壁 位置 が後退 し、仕上が 2・3階 部分 と変 え られているの で、淡 い緑色 のヴォリュームが よ り強調 されて見 える。 1階 中央部分 のピロテ イは車路 になっていて、 ここを抜 けてタクシーが五条通 リヘ と出て行 くよう劇的に計画 さ れている。 また、外観か らは気付かないのだが、平面図 を見ていると、階段室が台形 になっている。東側 の階段 室は敷地形状 に沿 っているのだが、塔状 の階段室の平面 が台形 になってい るのは謎である (階段室に広が りをも 竣工当時の 2 階 事務室 ( 社内広報誌 F ヤサ カ』第 2 1 号 昭和 3 8 年 2 月 よ り) * 1 粂 田社長の抱負 を含め、この辺 りの記述 は開榮 自動車社史 ヤサカ 5 0 年 の歩み』を参考にしている。 『 * 2 中 川理 「 丹下 の死はモ ダニズムの終焉」F 建築季評』読売新聞、 2005622夕 刊 insdtute ror cuに ural Policy Studies News Letter 33 Book ReviexA/ ノヽ びわ湖ホール オペラをつ 『 一創造 し発信するalj場 』 第4回 る 続 る く 上原 恵美 *(他)著 (新評論 2007年 ) *本 学現代 ビジネス学部教授 │ 〕 びわ 湖 ホ ー ルの 挑戦 の 記録 o b uuγ ki 端 信行 H t t aN′ 兵庫県立歴史博物館 館長 なぜ い ま文化政策 な のか 08 はかな りた くさん開設 されたので、比較的身近 に 思える美術館 ・博物館 です ら、わざわざ足 を運ば な くてはならない。 ましてや内部で どのような活 芸術 や 文化 活 動 の 分 野 で は、 いつ の 間 にか観 容 ・利 用 者 (需要 サ イ ド)と 作 者 ・演 者 (供給 サ 動が行われているのか、一般にはほとん ど知 られ イ ド)と の 身体 的距離 が ず いぶん とか け離 れて し ていない。 まった。 日本人の暮 らし方はもともとそ うい うも それが劇場やホール となると、一段 と距離が遠 くなることになる。演 目に魅せ られて足 を運んだ のではなかった。 日々の生活のなかに、季節季節 の節 目の折に、芸術や文化が息づいていたはず で として も、わた したちは客席 とい う囲いの なかか あった。住 まいでは季節 ごとに襖や障子 を張 り番 えた り飾 り物 をな らべ 、地域では祭礼や様々な行 ら、鑑賞 とい う名 において舞台で上演 される作品 を視聴することを強い られる。作品が上演 される 事 に音出や舞踊 を演 じた り奉納 した りして、生活 その ものが芸術や文化活動 と一体的に営 まれてい までにどのような準備が必要で、それ らをどのよ うな人が担当しているか、一か ら十 まで解 らない た。わが国の博物館 の父 といわれる棚橋源太郎 は、 わが国の博物館美術館の源流 は暮 らしの原点であ る住 まい方に求 め られると言ってい る。 それが今 日ではどうだろうか。文化 ・芸術 とい ことばか りである。 両者 の距離はなかなか埋 まらない。 ここに、今 日、アー ツマネジメン トや文化政策が唱えられる 原点がある。住居が い まや家族の きわめて私的な えば、少 な くともどこかへ足 を運ばな くては手に 入 りに くい もの となって、わた し達の 日常の暮 ら 営みの空 間になって しまい、地域社会 における文 化 ,芸術 の共有が失われて しまった以上、文化 ・ しとはどこか飛びはなれて しまっている。現在 で 芸術 の (共有 の場〉の再構築が、地域社会 におい ― て重要 な意味 を もつ 時代 になっている。それ をい か に実現す るかが い ま問われて い るのである。 公演かさもなければ海外の著名 な歌劇田 (ほとん どが劇場 と一体 になっている)の 巡回公演であっ びわ湖 ホ ー ルの挑戦 て、わが国では劇場やホールがオペ ラをつ くると い うのは珍 しい。びわ湖ホールはそれに挑戦 した 新評論社 の シリーズ 《アー ツマ ネジメ ン ト》は、 上記 のような課題に応 えるみの り多 いシリーズで ある。 この シリーズは、 同書 によると、 「 舞台芸 術の各分野の第一線で活躍 している専門家が、い ま劇場 ・ホー ルで何が求 め られているかを、 自身 のである。 オペ ラは総合芸術である。音楽演奏、歌唱、ド マ ラ 、舞台装置、そ して歌手。 これ らがすべ て一 定の水準 で総合化 されなければならない。それ ら を誰が どう進めてい くのか。本書はその過程 を逐 一専門家に語 らせている。これ もまた例のない試 の体験 をもとに執筆す るもので、舞台芸術 の専門 家 と舞 台 を愛 す る観客 や聴衆 とを結 びつ ける」 みであった。 21世 紀 の専 門書 の実現 をめざす とい う。 いか に して く 共有 の場〉を創 りだすか、 このね らい こそ、 現場 の優 れた技芸が語 る説得力 い まもっとも求め られている課題なのである。 本書が こ うした劇場 ・ホー ルの多面的な側面 の解説に成功 しているのは、ひとえにびわ湖ホー その 5冊 日として上原恵美教授が中心 になって 『びわ湖 ホール オ ペ ラをつ くる一創造 し発信す る劇場』が出版 された。オペ ラヘ の入門、劇場 ・ ホールの仕事、劇場 ・ホールが地域文化に果たす 役割 と地域の人びととの関係性 など、アー ツマ ネ ジメ ン トや文化政策か らみた基本的な課題が実に わか りやす く語 られている。 何 よ りも注 目されるのは、びわ湖ホールが何 を やろうとして きたのか、それをス タッフはどの よ うに考え、 どのように実現 して きたのかが、それ こそ第一線で活躍する専門家が 自らの体験 を通 し て、懇切丁事 に語 ってい ることであろ う。 館長 を務める上原は、「オペ ラを創造すること がで きる劇場、それがびわ湖ホールであるともい える。公立 の劇場で創造する劇場 は珍 しい存在で もあ り、他府県か らの問い合わせ も多 い。 しか し、 オペ ラをつ くろ うと思 って も、そのノウハ ウは個 人やチームの なかにだけあって、 まとまった形で の本や教科書はない。 この世にないな らば、私 た ちでつ くってみたい」と語 っている。 この数行 の上原 のことばのなかに、びわ湖ホー ル と本書の もつエ ッセ ンスが込め られている。た ルの専門のス タッフが執筆 を担当 しているか らで あろう。劇場 。ホールを動かすのは、何 といって も現場 のス タッフである。熟練 した現場のス タッ フが、長年 の経験か ら身 につ けた技芸か ら発す る ことばは、 まことに説得力がある。 芸術や文化活動 における需要サイ ドと供給サイ ドとの身体的距離のあいだには、実はこの現場 ス タッフの技芸が横たわっているのである。本書 の 冒頭で もふれ られているように、こ うした現場 ス タッフの技芸 は書かれることがな く、当人の経験 として語 られるのが普通である。それではいつ ま でたって も身体的距離のあいだは埋 まらない。そ うした距離 を埋める第一歩は、現場 スタッフの優 れた技芸を知ることであろう。 まずは知識 として 共有す る。次には、その知識 を実践することで身 体的に共有することが可能になる。わずかで もそ うした身体的共有が生 まれるな ら、芸術や文化活 動 は観客 ・利用者にまった く新 しい次元 の世界 を もた らす にちがいない。か くして文化 ・芸術 を 共有する場〉が創造される。本書はそうした可 く 能性を示した好著と言えよう。 しかにオペ ラといえば、それは国内歌劇回の 自主 insHtute For Cuttura Po icy Studies News Letter 33 09 報告 公 開研究会 「びわ湖 ホ ール 問題 が投 げ か け た もの 一 指定管理者 と公共性」 Miho 中村 美帆 Nakamura′ びわ湖ホール 東京大学大学院人文社会系研究科文化資源学研F究専攻博士課程 い わ ゆ る 「び わ湖 ホ ー ル 問題」は、 2008年 3月 、滋 賀県 の 08年 度予算 の 審議 過 程 で 「原案 で 削減 され た福 祉予算 ・約 4億 円 を増額す る。その財 源 として滋 賀県立 2.公 共劇場 の戦略 一方 で、芸 術 を扱 うイ ンス テ ィテ ュー シ ョンとして ど の よ うな仕組 みが望 ましい か、そのために指定管理者制 芸術 濠J場びわ湖 ホ ー ル を半年 間休館、そ の 間に民 間会社 度 をは じめ とす る現状 の制 度が適切 か どうか は、別途 検 も含 め た指 定管理者 を公募 して 自主運営 費 を削減す る」 証 を要す る。既存 の制度では使 い勝手が悪 い とい うな らば、 と報道 された こ とに始 まる。果議 申 し立 ての署名活動が 劇場 の 実情 を踏 まえた新 た な仕組 み を考 えな けれ ば な 活発 に行 なわれ、最終 的 に全 国か ら集 め られた 3万 名近 い署名 と日本 オペ ラ連盟 をは じめ とす る諸団体 か らの賛 らない。 同文書 が、知事 と議長 に提 出 された。原案 の修正 に よる 更 なる削減 は食 い止 め られたが、原 案 にあ った 2008年 た背景 にあ る芸術 の公共性 の 問題、芸術 を公共政策 の対 象 とす ることへ の合意形成 も考えた い。狭 い意味での 「 福 度 1億 1千 万 円、2010年 度 1億 5千 万 円の削減 は決 まっ 祉」す ら削減対 象 とされ、芸 術予算 の正 当化が難 しい状 ている。 況で、公共劇場 には両面 的な戦略が求め られ る。芸 術 の 潜在 的 なニ ー ズを探 る一 方で、芸術 の外部性 を社 会 に知 1.指 定管理者制度 とは何 だったか 「公共」劇 場 としては、 今 回 「芸術 か福祉 か」と問われ らしめ、理 解者 を増 やす努力 も必要 だ。普段 か ら広 く市 指定管理者制 度 に対す る批 判 は多 いが、限 られた数 年 民 に向けて役立 つ 姿 をア ピー ル して い れば、議 員や行政 間 とはいえ、 複数 の 年度 にわた って決 め られた予算が契 約 で守 られ、 よ り自由に文化施設 の経営 を考 える可能性 も無 関心 ではい られ ない。 今 回、 イ ンター ネ ッ トを通 して全 国か ら多 くの署名が は秘 めている制度の はず だった。行政 の事情次 第で当初 寄せ られたことは評価で きるが、顔が見 えない ネ ッ トワー の 契約 条件が変更 されて しまうので は、その可能性 が根 クには課題 もある。例 えば今 回署名 した 3万 人が 1人 5 幹か ら危 う くなって しまう。今 回の件 では、報道 された 千 円ず つ 身銭 を切 って支 えれば、削減額 を上 回 る 1億 5 原案 の修正 の 内容以前 に、原案 にあった 1億 1千 万 円の 千万 円 を確保 で きる。文化 を支 える意思表示 として 自 ら 予算削減 そ の ものの是非 か ら問われなければな らない。 行政 は協働 パ ー トナ ー となる指定管理 者へ のマナ ー と 資金 を出す、そ う した資金 集 め を容易 にす る寄 付や税 制 して、内容が明確 で実効性 を伴 う契約 の履行 を徹底す べ の仕組 み も、今後 の課題である。逆 に民 か ら資金 を集め るホ ー ル側 には、 これ まで以上 に公立文化 施設 としての きだ。民 間の指定管理者か らは行政が何 を求めて い るか 存在意義、専 門性 や卓越性 が閥われてい くだろ う。 わか らない とい う声 もあ る。 今後 は指定管理者 の方が、 そ して施設 間で連携 して対抗 して い く可能性 も、 もっ と検討 されて いい。 びわ湖 ホ ー ル 問題で はオル タナテ ィ 年度 ご との指 定管理料 を担 保す る契約や仕 様書 の 内容等 か ら、 パ ー トナ ー と して信 頼 で きる行 政 を選 ん で い く ブ ・スペ ー スで活動す るア ンチ ・ホー ルの 若手 の反応 が だ ろ う。 冷 たか った とい う声 も聞かれた。それぞれ活動 が異 なる とはい え、芸術 の存在意義 が問われ る事態 において は連 携 を考 える こ とも重要である。 10 報告 文 化経済学会 (日本〉関西支部 主 催シンポジウム 21世 紀 の博物館 と考古学∼文化政策の視点か ら」 「 「 文化 ・芸 術 ・歴 史 と 自治体文化政策」 o′ Takashi 阪本 崇 sakam航 本学現代 ビジネス学部准教授 5月 か ら6月 にかけて、文化経 済学会 〈日本〉関西支 部が主催するふたつの シンポジウムが 開催 された。5月 17日 に大阪市 天王寺区民 セ ンター にて開催 された シン 21世 紀 の博物館 と考古学 ∼文化政策の視点 ポ ジウム 「 か ら」(日本文化政策学会、 日本考古学協会、全 日本博 物館学会、大阪府 の博物館 を支援す る会 との共催)と 、 6月 28日 に大阪歴史博物館で開催されたシンポジウム 「 文 ・ ・ 化 芸術 歴史 と自治体文化政策」である。筆者 自身 も 前者 には一聴衆 として、後者 にはパ ネ リス トとして参 加 した。 両 シンポ ジウムが 開かれた背景には、約 5ヶ 月前か ら つづ く一連 の出来事がある。2008年 1月 2ア日、対立 大阪府立弥生文化博物館 候補に圧倒的な差を付けて、橋下徹大阪府知事が誕生 した。 財政赤字 の大幅な削減 を主張 して当選 した橋下知事 は、 両 シンポ ジウムに参加 して改 めて感 じたのは、文化施 設 に関わ る人々が、 よ り広 く社 会 一般 と関わる ことの重 就任直後か ら大胆 な歳出削減の方針 を打ち出 した。その 要性 であ る。そ こでは文化 の重要性 や公共性 といった こ なかで も大 きな反響 を呼んだのは、「図書館以外」 とい とは主張 された ものの、 なぜ それ を 自治体 が支 えるべ き うわずかな例外 とともに示 された、文化施設の統廃合案 なのか という点については、文化行政論の視点か ら見た 「 大 である。 これ を受けて、文化の公共性や、それにたいす る公的支援の必要性 についての研究 を主要テーマの ひと 阪維新 プ ロ ジェク ト」条 へ の疑 問 を提示 された中川幾郎 つ としている文化 経済学会 〈日本〉関西支部 が企画 した のが、上で紹介 した 2つ の シンポジウムである。 両 シンポジウムでは、各パ ネリス トによって様々な観 帝塚山大学教授 (文化経済学会 (日本〉関西支部長)以 外 にほとん ど触れ られなかったように思 う。た とえば、稀 下知事 の発言 の中に 「 歳入に見合 った歳出」とい う言葉 があるが、文化施設関係者 の発言 の中にも 「 府 の財政が 点か ら文化施設や文化 に関わる活動の持つ意義が示 され、 厳 しい ときに一定の歳出削減は当然」とい った趣 旨の内 財政支援無 しで残 った ものが文化」とい う知事 の考 え 「 容が しば しば見 られる。 しか し、これは 「出るを量 って に対す る疑間が提示 された。紙幅の制約 もあ り議論の全 入るを制する」とい う財政学 の基本的なテーゼか ら見て てを紹介することはで きないが、特 に印象 に残 ったのは、 本末転倒である。 自治体が文化 を支えるべ きであると主 それぞれ別の シンポ ジウムのパ ネリス トであったにもか 張す るのであれば、文化 の重要性 について語ることも必 要であるが、 こうした行政上の問題点 について も的確 に 女子大学名誉教授 (児童文学)か ら、各文化施設 にはそ 指摘する必要があろう。その両輪がそろって初めて、多 べ れぞれ独 自の意義があ り、容易な統廃合はす きでない、 くの市民が行政が文化 を支えることに賛意を示す ことに と一致 した意見が語 られたことである。 なるのではないだろ うか。 かわ らず、金関恕 弥生文化博物館館長 と三宅果子 梅花 nstRute for Cukural Policy Studies Newsと etter 33 intёrviehA/ 山科 に清 水 焼 団地 が で きた ワケ 文化政策 の風景 第27田〈 京都府京都市〉 木下 京 都 橘大学で は、2001年 の文化政策学 部 (2008 年 よ り現代 ビジネス学部 に名称変更 )の 創設以 来、臨地 まちづ くり教育 として大 学 と山科地域 の連携活動 を展 開 して きました。最初 の 4年 間 は 「山科文化 開発 プ ロ ジェ ク ト」 として、その後 3年 間は文部科学省 の現代 的教育 ニ ー ズ取組 支援 (現代 GP)と して発展 させ 、特 に清 水 焼 団地 と大 きな接 点 を持 つ ことがで きました。 自谷 さんは、永年 にわたって金融 機 関に勤務 された後 、 2005年 度か ら清 水焼 団地協 同組合 の事務長 をな さって い ます。私 どもも常 々お世話 になってい ますが、非常 に ユニ ー クかつ新鮮 な視点 をお持 ちで、ぜ ひ一 度 じっ くり とお話 をうかが い た い と思 って い ま した。 まずは じめに、なぜ山科 に清水焼団地があ るのですか。 清水焼 の産地 といえば、一般的には五条坂周辺が想起 さ れるか と思いますが。 臼谷 登 り窯の媒煙が公害問題化 したことか ら、行政の ご指導 もあって、閑静な山科 に清水焼 の工業団地 をつ く ろ うとい うことにな りまして、45年 ほ ど前 に、陶器用 原料屋 さんか ら木箱製造、陶磁器や茶道具の卸屋 さんな どの関連業種 も含めて、清水焼 に携 わる大部分の方が 引っ越 してきました。 ゲス ト 臼 谷 保 夫 u s u m n i ′Y a s u o 清水焼団地協同組合理事 ・事務長 清水焼 の 「とらえどころのなさ」には 理由がある 木下 清 水焼 には 「高級 品」の イメ ー ジが あ ります が、 見 た 日の特徴 は、備前焼や 九谷焼 ほ どにははっ き りして い ませ んね。 聞 き手 Tatsufumi 木下 達文Kinoshim′ 白谷 他 の焼物 産地 の場合 は、その土地の上 を使 って、 そ の土地 に必要 な生活用 品 をつ くるのが 一 般 的ですが、 本学現代 ビジネス学部准教授 清水焼 は、京 の都 が生産地 で、主 な顧客 は裕福 な権力者 モノづ くり&ま ちづ くり そのキーワードは 「 協働」 清水焼 と山科 の まちづ くりをめ ぐる、さまざまな コラボ レーションの試み 層の人び とで したか ら、その要望に応 えるために、作家 や職人は競 うように努力や工夫 を重ねました。 また、そ うい った顧客には、似たようなものを大量生産するわけ にはいかない。 しか も、土地柄、食器 のみ ならず、茶道 具や花器 なども製作す るようになったんです。 本下 そ うい うなかで多種多様な作品が生 まれ、概念 を 把握 しに くい焼物 になったんですね。 白谷 私 も、 この事務局で仕事 をするまでは、 「 清水焼 とい うのは白い生地に呉須の絵付けをした器」とい うイ メー ジがあったのですが、実際には、「これが清水焼だ」 対談風景 とい う典型がないんですね。で も、使 ってみると、その 良さは確実 にわか ります。実は私 も、時々、 自宅用に清 水焼 を買 って帰 るのですが、連れ合 いが 「このお茶碗、 臼谷 経 済が高度成長 を続 けて い る間は、団地 も順調 に 進展 しま したが、 この 1 0 年 ほ どの 間 に経 済規模 は約 3 軽 い し、使 いやす いわ。口にあたる感触 も優 しい」と言 うんですね。それに、和食は、 もちろんのこと、パス タ 割 に落 ちた とい う話 もあ ります。や は り、需要構造が激 な ども意外 にぴった り似合 う。そ うい う懐 の深 さも清水 焼 の魅力かなと思 い ますね。 清水焼 は、 もちろん地場でも使われてい ますが、全国 に出荷 していて、東京の高級料亭や百貨店の頒布会など で も、以前は、 まとまった単位で売れ ました。 ところが、 高い技術力 と、原料調達から出荷 まで 全工程が完結できる一 それが団地 の強み 現在 は、高級料亭 の廃業や、 この不況下での個人消費の 木下 自 谷 さんか らご らんになって、 この田地の強みは どこにあるとお思いですか。 みで飲むもの」とい う感覚 も薄れてきました。 白谷 出 来合 いの惣業 を、家でその トレーの まま食べ る 白谷 ま ずは高い技術力 を持 った人がそろっている点で すね。実際、お客様 の評価 も非常 に高い し、家業 を継 ご 人 も増 えているようで、器を使 っていただ く機会が減 り うとい う人 も他 の伝統産業に比べ ると多い。ただ、量産 で きる焼物ではないので、数をこなして技術 を学ぶ とい うや り方が難 しい点は課題でもあると思 い ます。 もうひとつの強みは、原料か ら作陶、製箱、卸 まで関 変 した ことが大 きいで し ょうね。 落ち込みか ら、全体 としての受注 も減ってい ます。 本下 そ れに、ベ ッ トボ トルが普及 して、「お茶 は湯呑 ます。「 使 わないか ら、良さがわか らない。良さがわか ら ないか ら、買わない」とい う悪循環 に陥って しまいます。 清 水 焼 と 京 仏 具 が コ ラボ レ ー シ ョン ー 「新 山 科 ブ ラ ン ド商 品 」 連業種がすべ てそろっていて、組織的 に生産活動 に取 り 組 めるとい う点ですね。 木下 厳 しい状況にあるとはいえ、清水焼団地へ の期待 木下 い ま日本経済全体が冷え込んでい ますが、産業 と は非常に大 きなものがあると思います。現状 を打開す る しての清水焼の現状 はいかがですか。 方策は ? ︲ ︱︱ ︱ ︱ 臼谷 保 夫 ︱ 清水焼団地協同組合理事 。事務長 昭和 43年 、京都信用金庫入社。 平成 17年 4月 、定年退職。 同年 12月 、清水焼団地協同組合理事 ・事務長就任。 ︱︱ ︲ ︱ ︱ insStute For Cukura Po icy Studies News Letter 33 一 十 自谷 実 は山科 には仏具 と京扇子の工業団地、史跡、特 徴ある商店街 もあ ります。そ うい う地域資源を観光に活 か して、山科 の魅力 を発信 しようとい うことで、清水焼 団地協同組合、京都伝産仏具工芸協同組合、山科経済同 友会、京都商工会議所 で京都 山科観光プロジェク ト実行 委員会 を発足 させたんです。 そ こでは、清水焼 と京仏具 の協働 による 「 新 山科 ブラ ン ド商品」の 開発 に取 り組んでい ます。気鋭 の若手工業 デザ イナ ーの山下順 三 さんが総合 プ ロデューサ ーで、 en」とい うブラ ン ドを立 ち上げ、主 にケー タリング用 「 テーブル ウエ アの試作品を製作 し、東京 と京都で発表会 採ったんです。「この器は、 こんな場面で、 こうして使 うと、お料理がいっそう映えます」とか 「こんな使 い方 もできます」というように、提案しなが ら売ることが必 要だなと痛感しました。そうすれば市場はもっと広がっ ていくだろうと思います。 同時に、産業全体 として見た場合には、気軽にふだん 使いができるような、現代の生活スタイルに合った器の 開発も必要だと考えています。 使 い 手 の 願 い とつ くり手 の 技 術 を つ な ぐ 一 伝 統 産 業 協 働 バ ンク も開 きました。 木下 仏 具の技術 をテーブルウエ アに活かす とい うのは、 本下 こ れだけ産業 としての集積 があ る団地 ですか ら、 お もしろい発想ですね。反応はいかがで したか。 需要 を把握 して、そ こに組織 的 に対応 で きれ ば、組合 と しての強みが発揮 で きますね。 臼谷 お おむねよい評価 をいただ きました。われわれ と しては使 い方 も含めて提案 しようとい うことで、照明を 落 とした部屋 にろ うそ くの灯 りをともし、真 ん中のテー 白谷 組 織 の強み を活か して、行政 と共 に外 に打 って出 ブルに料理 と食器 をセ ッティングして、そこにスポ ット ライ トを当てる とい うパ ー テ ィーの よ うな展示方法 を 業協働 バ ンク (略称 :伝 産 バ ンク)と い って、伝統 産業 に携 わ る企 業 ・工 房 や職 人 へ の 受注 窓 口 を設 けて、個 る方 向で動 いてい ます。 た とえば京都府 は、京都伝統産 人 のお 客 様 の注 文 や要望 を取 り次 ぐ仕 組 み をつ くって 清水焼団地 ・総合展示場 い ます。 本下 「 こん なデザ イ ンの器 を特 注 で つ くってほ しいん だけ ど、… ・。」とい う ときに、 このバ ンク を通せ ば、最 適 のつ くり手 を紹介 して もらえる、そんな仕組みですか。 白谷 は い、お客様 の好 み も多様化 して い ます し、 つ く り手 の得意分野 な どのデ ー タを集積 してお いて、 スムー ズな受発注 につ なげ、お客様 の満足 と伝統産業の振興 の 両方 をめざそうとい うことです。清水焼団地 も登録 され ています ので、お客様か ら問い合わせがあれば、 さらに 詳 しくご要望 を伺 って、最 もふ さわ しいメンバ ーにつ な ぎます。 木下 lT時 代 な らではのダイナ ミックな動 きですね。 白谷 た しかに。 しか も、つ くり手個人では難 しい仕事 清水焼団地協同組合事務所 総 合展示場 intervievv モ ノ づ く り & ま ち づ く り そ のキーワー ドは 「 協働」 清水焼と山科のまちづくりをめぐる、さまざまなコラボレーションの試み 14 京都市山科区川田清水焼田地町 1 0 - 2 TEL 075-581-6188 E― mail.infO@kiyomizuyakl or3 に取 り組 んで こそ、窯業 関係 の協 同組合 として存在価値 があ るので はないか と思 って い ます。 それ に、組合 の 内部 だ けでな く、外 に出て、広 い視野 で判 断 し、夢 を持 って動 いたほ うが、清水焼 団地 も山科 の まち も元気 になれ る と思 い ます。 補助金 を受けてい ます。 このプロジェク トでは、体験型 も含めた山科観光 ツアー も実施 してい るんです よ。 本下 な るほど。他方、せ っか く清水焼団地があるので すか ら、山科 の人たちに清水焼 をもっと使 ってほ しい し、 この団地にも来てほしいですね。 臼谷 ま った く同感です。それで当組合 は、地元の小学 まちづ くりは、まちの人びとが動かない と 始 まらない 本 下 山 科 地域 の まち づ く りや観光 につ い て 感 じる こ 校 に給食用食器 を 1学 年分、提供 したんです。 これ も京 都市 の補助事業ですが、清水焼 の まちで育 った子 ども たちに、 この先ず っ と清水焼 にな じんで もらえば と思 い ます。 とは ? 臼谷 こ の団地では、 もう少 し食事ので きる場所があれ ば、滞在時間が長 くなって、お客様の行動 にも広が りが 出て くると思います。 伊万里市では、た とえ窯元であって も小売 リスペ ース はギ ャラリーのような しつ らえです し、風情のある散策 路や陶器 の破片でモザイク模様 にした橋があって、歩 い ているだけで楽 しめるまちです。私は伊万里 を訪れた と さまざまな体験、異文化 との遭遇、 立ちはだかる壁 ― そのすべ てが 自分 の 栄養になる 木下 本 学 の学生 も商品開発 やイベ ン トに参加す る機 会 を いただ い てい ます が、 ど う ご らん に なって い ま すか ? き、 「この まちは焼物で生 きようとしてい るな」と、意 気込み とい うか決意のようなものを感 じました。そ うい 白谷 ま ず先生方 との距離が非常に近 い。 これは、学生 のみ なさんにとって大 きな意味があると思います。 う点 は大いに学ぶ必要があると思います。 また、時には壁 に突 き当たることもあるか と思います。 でも、壁 は当たってみない と、厚 いのか薄いのか もわか らない し、壁 を乗 り越 えれば強 くなれるし、問題解決能 木下 地 場産業 を観光資源 として活かすわけですね。 白谷 山 科 の企業や神社仏閉、福祉施設や各種団体 は、 ″ ″ 「お こしやす や ましな 協議会」とい う NPO法 人を立 ち上げて、観光マ ップをつ くった り、ホームペ ー ジで山 力 も身につ きます。ですか ら、いろいろな経験 を積 むこ とや、違 う考 え方を持 った人 と出会 うことや、壁 にぶつ 科 の魅 力 を発信 した りして い ます。 まち全体が コラボ レー シ ョンして山科 の魅力 を打ち出していこ うとい う機 かることを避けないでほ しい。その意味で、 まちづ くり の活動 も、 自分 を成長 させる機会 として大いに活用 して 運が出て きた感 じですね。 本下 ま ちづ くりには資金が必要ですが ? ほしいですね。 本下 温 かいお言葉をあ りが とうござい ます。大学 とし 白谷 「お こしやす」の よ うに、 山科 の 当事者 自身が動 ましては、今後 も臨地 まちづ くり教育 を推進 したい と考 えてい ますので、自谷 さんも学生たちを大いに刺激 して き出す と、行政 も補助事業等で動 き出 して くれます。先 ほ どの 「 新 山科 ブラン ド商品」を開発 してい る京都 山科 観光 プ ロジェク トの取 り組みについては、経済産業省 の ください (笑)。本 日はあ りが とうござい ました。 insjtute tor Cuに ural Policy Studies News Letter 33 ンン ン ンンンン`諸ン識替 伝続産業 の リノベ ーション イ ンタビューの 冒頭 にもあるように、京都橘大学が山 科地域 と連携 したプ ロ ジェク トを展 開 し始 めて、今年 学ぶこととなるが、その奥行 きの深 さには計 り知れない ものが あることを知 ることとなった。 と同時に、一方で、 文化政策学部」と (2008)で 8年 目を迎 えた。当初 は 「 い う名称 で学部がス ター トしたが、今年度か ら学部名称 が新 たに 「 現代 ビジネス学部」と改名 している。 まちづ くりや文化開発 はもとよ り、 コミュニテ ィビジネス ・観 光 ビジネス ,環境デザイ ン ・アー ツマ ネジメン ト ・地域 山科 に清水焼団地のあることを知 らない人が多 いことも 明 らか となった。 と くに4年 間山科 とい う地 で勉強を行 う橘大学生達にア ンケー トをとってみると、驚 くべ きこ とに大多数の学生が 「 知 らない」あるいは 「 知 って いて マーケテ ィングなど、当初の コンセプ トを引 き継 ぎ、今 も、行 ったことがない」と回容 してい る。なん ともった いないことであろうか。 さらには、「 行 ってはみたが、 日的なニーズを捉 えなが ら、各先生方がそれぞれのテリ トリーの 中で、「山科」とい う空 間を研究 と実践 の舞台 買 える商品がない」「お店 に入 りづ らい」とい う回答 も あった。清水焼 に限 らず、多 くの伝統産業 の課題が こう として活 動 を続 けている。8年 前 に誕生 した 「山科文化 した点に存在することをみて とることがで きよう。 つ ま り、需要 と供給のバ ラ ンスが以前 とは変わって き 開発 プ ロジェク ト」は、本文化政策研究セ ンターの研究 プロジェク トとしてス ター トした。その後の 4年 間にお ける連携活動 の成果 は、 セ ンター ライブラリー (02)と ていることがあげ られる。清水焼団地が五条坂か ら山科 に移 った 40年 前 の状況 と今 日とでは、時代が まった く して 『 文化開発 の可能性― コラボ レー トす る山科 か らの ― 提案 』(織田直文 ・木下達文編、晃洋書房、2004)に 異なっている。生産の方法 は変わ らないが、社会状況 と 消費者 の意識はどん どん変化 しているのである。今 日の まとめ られた。そ して、次の 3年 は文部科学省の現代的 教育 ニ ー ズ取組 支援 プ ロ グラム (現代 CP)に 発展 し、 日本で手に入 らない ものはないのではないか と思えるほ どモノに溢れ、 またそのモノの背景 を考 える余裕 もない ほ ど時間はスピーデ ィー になって しまった。従来であれ ようや くそのプログラム も終了 し、 これか ら新たな段階 大学 と清水焼田地 との関係 は学部設立当初か らあった ば 「清水焼」の価値 を誰 もが知 って い た と思 う。 しか し、ペ ッ トボ トル とプラスチ ック トレーで生活 をす る が、個人的な ことを書 くな らば 2002年 10月 に大学で 行 ったラウ ン ドテーブル 「コラボ レー トす る山科 ― その 可能性 をさ ぐる一 」が とて も強 く印象 に残 っている。そ 現代 の若者 にそれを認知 させ るのは大変困難なことなの である。 しか しなが ら、本来 もっている清水焼 (もう山 ・ ・ 科焼 なのであるが・ )の 価値 と魅力 を、現代的な手法で の時 に思い知 らされたのは、山科 に陶器の伝統産業拠点 があ りなが ら、われわれの生活 はすでに 「 紙 コ ップ」と ペ ッ トボ トル」の容器文化 に感染 して しまって いるこ 「 とであった。その後、清水焼文化 ・産業について徐 々に もって総合的に伝 えてい くことをしていけば、伝統産業 とい うものは確実 に再生 してい くもの と信 じている。 に入 った と言える。 (木下達文) News Letter第 33号 (2008年 10月 1日) 発行 : 京都橘大学 文 化政策研究 センター 〒6 0 7 - 8 1 7 5 京 都市山科区大宅山田町 3 4 Telephone1 075-574-4186 Facsimile:075-574-4149 u.ac.jp E― maiにicps@tachibana― 16 京都橘大学 文化政策研究センター
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