THE NEWSLETTER OF NISHINOMIYA CITY MUSEUL仁 西宮市 立郷 土資料館 ニ ユース 第27号 西宮市立郷土資料館 兵 庫県西宮市川添町15番26号 〒 662-0944 kyodo/ 電話 0798-33-1298 email nmc00065@nishi.orjp web www.nishi.orjp/∼ 虎屋 の店先 (大上 報文参照) 鳩小屋下 (大上報文参照) 資料紹 介 洗は 『 卿 の し クリーニ ング 虎屋』の洗張 り道具 館嘱託) 大上 直美 (当 1。は じめに 洗 は りゆの し ク リー ニ ング 虎 今 回は、 1937年頃か ら1999年まで西宮市小松西町 で 『 屋 』 を営 んで い た赤松 正 夫氏 (大正 6年 1月 2日 生)の 洗張 りについ て紹介 します。洗張 りとい うのは、着物 な どを解 いて反物状 に してか ら洗濯す る技術 の こ とで、それに使用 し て い た道具 一 式 を受贈 しました。内容 は、看板 、 しわをの ばす のに使 った道具 (砧)、手 ー 桶 、桶、 た らい (金た らい)、 ミシ ン、ゆ の し釜、ゆ の し釜 に火 をかけ る道具 (ガスバ ナ ー、ガスバ ー ナ ーの台、釜 をお く台)、ハ ケ 4、 石 けん 2、 石 けんの入 ったポ リバ ケツ、 ベ ンジン、液体洗剤 の容器 、作業用 エ プ ロン、 しん しば り (伸子針)多 数、 しん しば り (張 り木)59、 道具箱 (伸子針収 納)、 道具箱 (張り木収 納)、 ヒモ類多数、 ふ りきり、鯨 ざし、 に ぎりばさみ、張 り木 3、 湯 の し棒 4、 板 17、足付 き台、箱台 (3)、 アイ ロ ン置台、 ア イ ロン台、 アイ ロン 2、 倉又式噴霧器 、 もの さし、 たわ し、竹か ご、 カバ ー、糸 2、 パ ラ ヂウム、ハ イ ドロサ ル フ ァイ ト、御通 2、 包み紙 3、 ヒモ類、 ボ タ ン類、布 きれな ど合計 132点です 。 和服 か ら洋服 へ 日常着 の転換 、手洗 いの洗濯 か ら洗濯機 の普及 な ど現代 生活 の変化 に と もな って、 これ らの道具や洗張 りの光景 も見 る ことがな くな りました。 虎屋」 の赤松氏 か ら伺 った話 を通 して、西宮 にお け る洗張 り 戦前 か ら近 年 まで続 い た 「 職人 の生活、 そ の技術 の 一面 が伝 え られた らと思 い ます。 2。 虎屋 の仕事 赤松 正 男氏 の 話 に よれば、昭和 の は じめ頃、西宮 (芦屋 か ら宝塚付 近 までの こ と)に 今、道 の角 々 にたば こ屋 があるみた い は、洗 い張 り屋 は140件ほ どあ り、そ の様子 は、 「 にた くさんあって、たば こ屋 よ りも多 い くらいだった。西官 には、酒屋が多かったので、 (それに ともなって)桶 屋や紺屋 も多か った。そ うい った ところで使 う印半纏 、大 工が親 方 か らもらうはっぴな どの作業着 のほか、板前 なんか も、長 い歯 の下駄履 き (雨が降る と はねがつ くか ら)に 着物 を着 てい るのが多 か ったか ら、男物 の洗張 りもた くさんあ った。 2 女の人はみんな着物 だったし、昔 は全部着物 は家 で縫っていた。布団も全 部 といて、綿 う ちして作 り直 して使 ったものだった。布団はどこで も余分にある ものだ ったか ら、1枚 だ 」 といい ます。虎屋では、着物 だけでな く布団の注文 も けでな く客用 の布団 も出て きた。 1)は 受けてい ました。布団用 の張 り木儘 、着物に使 う張 り木 よ りも大 きなものです。 赤松氏 は、安井小学校 を出てか ら数え年13歳で大阪の市岡にある洗張 り屋 に見習 いに行 きました。 「 昔 は働 くところはなかったし、仕事がた くさんあるわけでないか ら、手 に職 をつ けなあかんとい うので若 い衆 は小僧 として見習いに行 った。徒弟制度だらた。住み込 みで働 くのが多 くて、着物 の洗 い張 り屋だと少な くて も 3人 は住み込みがいた。通 いの人 はだいたい所帯 をもっている人だった。 関西 は何 で も一流 といって、散髪でも、料理 で も 」 とい う 何 でも大 阪 に習 い にい った。 関西 で一人前になった もんは ピカビカだ とい った。 ように職人見習い には大阪へ 出ることが多 かったのか も知れません。赤松氏が洗張 り職人 になったのは、 「 年 いってか らも出来るで」 とい う御尊母の言葉がきっかけです。その頃 の初任給 は50銭、風呂屋代 は4銭 でした。 「 20歳で 3円 もらえた ら最高、月給10円もらえ るようになれば一人前」 と言 われました。 独 立 したのは数え年21歳の頃、兄弟が亡 くなったのをきっかけに両親 に呼ばれて帰 った 虎屋」 を屋号 にして、 西宮 の実家 で店 を構 えました。奉公先だった親方 のところと同 じ 「 自宅の中庭 と和室 を住居兼作業場 として始めました。 仕事 の注文 は、近所 の人や近所 の人達 の回伝えな ど持ちこみもあ りましたが、ほとんど 自転車で注文を と りに行 きました:荷 物 の運搬 も自転車です。得意先 のひとつ は遊郭 でし た。 「 遊郭なんかだと、料金が安 くて も量があるか ら注文を取 りに行 った」そうです。親 方のところでは、遊郭へ着物 の賃貸 しもしてい ました。 1日 の仕事 をす る時間は決まってい ませんでした。 「 好 きな時間に始めて、仕事 の区切 りがつ けば早 く終 わった。朝早 くか らす ることもあるが、夜 の方がよ く仕事 した。また、 天気 のいい時 は忙 しかった。天気が悪かった ら休 んで、中仕事をす る。天気 は大事。盆 と 正 月 は仕事 はしない。盆に仕事をしている人を盆のアホ働 きとい った。冷 たい時、寒 い時 はしない。 こんな時 にはつ らい仕事 だった。 」 とい うように、受注 した仕事 の量 よ りも特 に天候 に左右 される仕事であった ことがわか ります。御家族 によれば、「 天気は本当にびっ くりす るほどよ くあてた」そうです。 仕事 の量は、 「lヶ 月 に100反は出来なかった。丁寧 にすれば、80反しか出来 るもので はない。半襟は 1日 に40∼50本に もなることもあ り、朝か ら昼 までかかることがある。今 はナイロンだが、昔 はち りめんだった。 」 といい ます。 10円でいい着物が買えた当時の洗張 りの値段 は、1反 を 1円 として 1ケ 月約80円の もう けにな りました。半襟は10銭で受けてい ました。 3。洗 張 りの作業工程 虎屋 では、次 のように洗張 りを行ない ました。 「まず始めに、着物 をほどく。 ほどいた着物 は、むか しの米袋の回の縫 い 日のように端 縫 い して反物 にす るQの。 儘め それか ら、洗 いの作業 をす る。洗 い は、中庭 に作 りつ けた洗 い桶 の上 に板 を渡 して、 そ の上 に反物 を置 い て洗 う。 洗 いがおわると、ゆす ぎをす る。洗 った反物 は、 まず洗 い桶 に渡 した板 の上 に備 えてお い た丸 い桶 でざぶ ざぶ ゆす ぎ、それを下方 の洗 い桶 に垂 れ落 として い く:洗 い桶 の 中で ま たゆす ぐ。それ を今度 は別 のた らい に入れてゆす ぐ。 これを くり返 し 3回 ゆす ぐ。 それをしぼ り機 儘のにか けた あ と、 しん しば りで干す 彎→。 儘の 仕 上 げ は、端縫 い をほ どい た生地のほつ れた ところをハ サ ミで そ ろえる。 ミシ ン で 0。 縫 い合 わせてか らアイ ロンをかける 湯 の しは、 二 人で湯 の し釜 をはさんで立 って反物 の両端 を持 って蒸気 にあ てた はめ。」 4. 洗 張りの技術 と道具 」と 怒 られてばか りで、 自分で見て習った。仕事 は教えて もらったことなんてない。 「 いうのが赤松氏の見習い時代です。小僧の仕事はゆす ぐのと干すのだけで、洗うのははげ てしまうのでで きなかったそ うです。 タワシで洗うのは職人だけでした。 です。 「 ‐ 洗い」 着物の洗いは上手下手ができる。 洗張 りの作業工程のなかで難しいのは 「 生地のつやとかを出すように丁寧にした」 という言葉の内に絹物の扱いの難 しさが窺われ ます。 洗いには竹製のささらはのが使われました。虎屋ではハケと呼んでいました。洗剤 には、 パ ラヂウムは0や ハイ ドロサルファイ トQO、 固形石けん儘②などを使用 したようです。ほ かに 「 石井のベ ンジン」の容器があ ります。洗いのあ とに使うしぼ り機ですが、それは手 動式です。取 っ手を回す と内槽部分が回転 して、本体外面に開けられたたくさんの小穴の ところから水気がとぶようになっています。昭和のはじめ頃には市販 されていたといいま 4 | す。そのほか、オイル缶を転用して作った湯の し釜に火をかける時に使 うガスバーナーの 台や箱台など手製の道具があります。箱台は3個組み合わせて収納できるように作 られて います。 以上、い くつかの道具について挙げましたが、このように、洗張 り道具を一括 して収蔵 する例はあまり聞きません。職人の話を伴 った貴重な資料 として当館展示で公開する予定 です。 [ 作 業場平面見取 り図 ] 1階 2階 アイロン台 鳩小屋 主 言 (註 1)木 製、長 さ133.3cm高 さ3.4cm幅 3.5cm。 (註 2)縫 製 は、奥 の 間 (四畳 半和 室 )で して い た。作 業 台、踏 み 台、仕 上 げ た着物 を しまってお く整理棚 、 ミシ ン、 ハ サ ミ、 アイ ロ ン、 アイ ロ ン台 な どの小 道具が置かれ て い た。 (註 3)コ ンク リー トで作 られ た専用 洗 い桶 。 自宅改 築 の ため 、受 り取 りに行 った ときには既 に壊 サイ され た 後 だ った。桶 跡 の 寸 法 は、長 さ約 179.Ocm幅 約 145.Ocm。赤松 氏 に よれ ば、 「 ズ は特 に決 まってい ない 。 自分 の家 の庭 に合 わせ て作 った。広 けれ ば広 い方が いい が、 (自 分 の ところは)ガ ヽさい 。 」 とい う。 (註 4)し ぼ り機 は、洗 い桶 の横 に積 んだ ブ ロ ック上 に固定 されて い た。 か な り重量 が あ る。鉄製、 本体長 さ77.5cm高 さ69.Ocm幅 52.Ocm、内槽 高 さ27.5cm、直径43.Ocm。 干 し場には広いスペァ (註5)し んしばりは、玄関前の道のところでしていた。赤松氏 によれば、 「 スが必要で、奉公先には干 し場があつた。大 きい ところだと30尺の屋根つ きの干 し場が設 けられていた」 とい う。 NEW JAPANESE SEWING MACHI□ ( 註 6 ) 鉄 製 、 長 さ3 9 . 5 c m 高さ2 4 . 2 c m 幅2 3 . 7 c m 。 「 FORVNGIRI」 EASY の 亥J印 が あ る 。 ( 註 7 ) 奥 の 間 にあ る作 業 台 の上 に さ ら に箱 台 を載 せ て 、 ア イ ロ ン を立 っ て か け て い た 姿 を よ く見 たとい う御家族の話があつた。 (註8)普 段、湯の しの作業は中庭で しましたが、雨の 日だけは、居間 (八畳和室)の 真 ん中に湯 のし釜を置いて した。湯の しはひとりではできないので、手伝 いの人を一人頼 んで来ても らっていました。湯のしと着物をほどいたりする作業には妻の手伝いがあつたという。 意 匠登 録 出願 中 特 1号 (註 9)竹 製 、長 さ6.5cm幅 3.lcm。新 品 の ラベ ル には、 「 栃 木県藤 岡 町 阿 部商事」 とあ る。 PARAGIUM 専 (註10)プ ラス テ イ ツク製容器 の ラベ ル には、 「 RAGIUM,KYOTO JAPAN,図 MARAK,全 賣特許 パ ラヂ ウム 防水剤料 、PA― PARED BY OHARA,EXCELLENT WATERPR00F,TRADE 型登録」) ハ イ ドロサルファイ ト、HydrO Sulphitc,500g、 未 (註11)プ ラス テイック製容器 のラベ ルには、 「 来 を見 つめ生活 を化学する、恵比寿薬品化工株式会社 本 社 ・大阪市 中央区内平野町 3-3 -2 工 場 。大阪市西成区出城 2丁 目2-20,040511」 NEW純 せ つけん、品名 洗 濯用石 けん、成分 純 石 けん分 (98%) (註12)ナ イロン製袋 には、 「 脂 肪 酸 ナ トリ ウ ム、玉 の 肌 石 鹸株 式 会 社 〒 130東京 都 墨 田 区緑 3-8-1203-363牛 1345,190g」 とあ る。 付記 本資料 は、2000年5月 か ら6月 かけて、 3度 にわたつて収集 しました。赤松氏 とお会 い したのは 2度 目の時です6前 日に病院か ら退院 されたばか りだつたのですが、た くさんのお話 を教 えて下 さ い ました。はつ きりとした口調 で話 され、 まさか 2日 後 に訃報 を聞 くことになろ う とは想像 もして い ませんで した。赤松正夫氏が洗張 り道具 の 中で もっ とも大切 に してい た ものは、 ミシ ンとにぎり 当時 の ばさみです。それは、独立 した ときに大工 を してい た御尊父 が買 って きて くれ た品です。 「 お金で 3円 、今 で 3万 円 くらいす る もの。安 いの とは全然違 う。高 い方 は きれが いい」 といって、 いい方 のはさみ」 だ け は手元 に残 されたのが 印象 に残 っています。本稿 をもって、赤松 正夫 この 「 氏 の御冥福 をお祈 り致 します。 また、御協力 い ただいた御家族 の方 々 に心 よ り御礼 申 し上げます。 -ky www.nishi.orjp / odo/ イ ン ター ネ ッ トウ ェブペ ー ジの ご紹介 当館 では、1998年か ら、西宮市 立郷土資料館 on the webと して、イ ンター ネ ッ トウ ェ ブベ ー ジ (ホー ムペ ー ジ)を 設け、西宮地方 の歴史 と文化 に関す る種 々の情報 を掲載 して い ます (『 西宮市 立郷土資料館 ニ ュース』第25号参照)。おおむね 1か 月 に 1度 の更新 によっ て、現在、約 500フ ァイ ル を公 開 して い ます。 メニ ュー は、 トビ ックス (更新 した内容、最近 の ニ ュース) 展示室 PLUS+(展 示 ・講座 ・ハ イキ ングな ど) 収蔵庫 書庫 (西宮市 立郷土資料館 ニ ュース、 カタログ、西宮 の歴史 と文化 を知 る参考図書) 文化財 (文化財情報) 行事予定 (西宮市 立郷土資料館 の行事予定) 西宮市立郷土資料館 に行 くには (地図、連絡先 ) 西宮市 立郷土資料館 on the webについ て 阪神 間の美術館 ・博物館 となってい ます。単なる行事 の広報媒体 ではな く、特 に、ニュースや カタログなどのテキ ス ト情報、市内指定文化財の情報、 これまでに開催 してきた展覧会の もようや講演会など のデー タを充実させ、資料館アー カイブとして、西宮の歴史 と文化や館 の活動を知 ってい ただ くことに主眼をおいてい ます。 URL=http://www.nishi.orjp/∼ kyodo/を ア ドレス にタイプしていただ くか、西宮市 の ホームペー ジ (httpノ / www.nishi.orjp)の 歴史 と文化財」か らも入場す るこ とができま 「 G oogleほか、主要 な検索 エ ンジンか らもた どるこ す。また、Gooや Yahoo、Infoseek、 とがで きます。 ご訪間をお待ちしてい ます。 寄贈資料 一覧 (平成 12年 7月 ∼ 12月、敬称略 ) 一 煎茶 セ ッ ト ・写真 (織田彫子 )、瓦木村解村記念硯 式 (池内美規)、単級小学尋常 日本讀 本巻 二 ・巻 三 (河野安 政)、教科用 図書 ・アサ ヒグラフほか (玉川浩介)、 日本建築協会主 催住宅改造博覧会絵 はが き (南波壮 八 ) ご寄贈 あ りが と うござい ました。 西宮市立郷土資料館 春 の催 しもの 収蔵民具で20世紀 を回顧す る」 第18回 企 画陳列 「 1期 『 仕掛けて、大漁 !』 1月 9日 ω ∼ 2月 4日 (D 2期 『 ) 男 の装 い』 2月 6日 ω ∼ 3月 4日 (日 ● 3期 『 器 の中の絵画世界』 3月 6日 の∼ 3月 25日(D 平成12年度 第 3回 歴 史講座 臨地学習会 『 丹波篠山を訪ねて』 3月 11日0午 前 9時 ∼午後 5時 ころ 2月 23日必着 で、往復 はが きでに名前 。住所 。電話番号 。年齢 を書いて、 申 し込んで ください。応募多数の時 は抽選 にな ります。 いずれも、 くわし くは、西宮市立郷土資料館 までお問い合 わせ ください。イ ンターネット 電子 メー ル で もくわ しい情報 をご覧 になることがで きます。 (電話番号0798-331298、 kyodo/) NMC00065@nishi.orjp、uRL=http://www.nishi.orjp/∼ 目冽 CONTENTS I 資料紹介 「 洗 は りゆの し ク リー ニ ング 虎 屋」 の洗張 り道具 (大上 直美)¨ ・2 kyodo/インター ネ ッ トウ ェブペ ー ジの ご紹介 www.nishioorjp/∼ 寄贈資料 一覧 8 西宮市 立郷 土 資料館 春 の催 しもの 8 西宮市立郷土資料館 ニ ュース第2 7 号 2 0 0 1 年 2 月 1 4 日 8 7
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