367.ジミーをしのぶ 京都新聞「凡語」2012.9.23. (傍線:吉田祐起引用) 初めて会ったのは米テキサスの広大な牧場だった。牧童の彼は、東部から牧場主に嫁いだ美女 をまぶしそうに見つめていた。その後石油を掘り当て、大金持ちに成り上がる▼次の出会いは西部 の街。彼は出生の秘密を探り、父親を喜ばせようと大豆の取引に懸けていた。三度目は高校生で、 転校早々、度胸試しのチキンレースに巻き込まれていった▼銀幕を通して-と言ってもリバイバル なので、実際の公開順とは異なる。それぞれ「ジャイアンツ」「エデンの東」「理由なき反抗」。彼とは、 もちろんジェームズ・ディーンだ▼役柄は一見バラバラだが、通底する青春像があった。周りとなじ めず、社会を斜めに見る。満たされない思いを抱え、愛に飢えている。世界中の若者に影響を与え たが、自動車事故を起こし、24歳でこの世を去った。次回作の予定だった「傷だらけの栄光」は代 わってポール・ニューマンが主演した▼1950年代と現代、米国と中国では比べようもないが、反 日デモで暴徒化する姿は、当時の若者には どのように映るだろうか。ディーンなら、離れた場所で 壁にもたれ、冷めた目を向けていただろうか▼事故死から9月30日で57年になる。生きていれば 81 歳だが、「青春の象徴」の老いた姿は想像し難い。代役からスターの座をつかんだニューマン に重ねようにも、既に彼もない。 吉田祐起のコメント: ジェームス・ディーンは生きていれば私と同年配。彼の三作「ジャンアンツ・エデンの東・理由なき反 抗」は観ました。彼の事故死から9月30日で57年。ということは、私が24歳頃のこと。本稿が説明 するような同作品の分析はでき得なかった時代と言えるでしょう。 当時、私はよくからかわれました。「吉田さんはジェームス・ディーンによく似てる!」と。これって、 別段、自慢するべきことはサラサラありませんが、彼の写真をみると、自分でも分かるほどよく似て いたものです。 歳とった現在の私は、ロバート・デニーロに似ている!と言われることがたまにあります。ボクの顔 って、日本人離れしていることは確かです。在日中でも言われたことは、「吉田さんには外人の血 が混じっているの?」と、ホンキで言われたものでした。じじつ、この国に来てからは、十中八九、ア メリカ人だとよく言われます。私が話す英語がアメリカアクセントであることからでしょうが、ま、イッ カ!デス。さて、本稿に接した読者は下記の写真をみて、どう思われるでしょうか・・・(笑い)。今年 1月の写真です。ウェブサイトに掲載しています。 Back to 私が選んだインタネット情報&吉田祐起のコメント」」(第1編:№1~№300) Back to 私が選んだインタネット情報&吉田祐起のコメント」」(第2編:№300~)
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