少年 平成二十六年十一月二日発行 十一月号 一〇〇〇円 வ༃āāāိᇿ༃āॢێਖ ฆࠆێěᇿਖ !! ʩῴʠђĆᇿਖ āāāāāā ! வ༃ āʩῴʠђĆᇿਖĆߒॢཡāāāāိᇿ༃ॢێཡ ฆࠆێěᇿਖ ༤ࣽઔāāॢێਖ ฆࠆێěᇿਖ 有季定型のときめき 自然随順のやすらぎ 切磋琢磨のよろこび 俳話断章・歳時記の使い方 稲田眸子 俳句歳時記は、座右に置き 、 折にふれて 読む と季節 の移ろ いを 知 るこ と のでき る良き 読み 物 で もある。句会で兼題 がでれ ば 、それを 繙き 、 該 当 す る 項 を 読む と 、情 報 を 知 るこ と がで き る。 郊外等 に吟行 にで か け る時 にも歳時 記は役立 つ。 なかなか便利なツールである。 その使い方が適 切で あるか どうか 、吟味 して おく 必要があ る。 例えば、或 る時、上五と 中七に良きフレー ズ が思い浮かび、さて 、下 五はどうしようかと悩 んだ場合を想 定しよう。歳時記を ペラペラ と捲 り、その 中から フィッ トしそうな季 語を選び、 下五 に据え る場合 はないで あろ うか。これ は避 けたいもの。類句類想に陥りやすく、所謂、 「季語が動く」結果となりやすい。上五と中七 のフレ ーズ に、最 も合 う 季感は 何かを とこ とん 吟味すべきで ある。 その結 果、生まれ 出た俳 句 は、「季 語が動かないか」と 問われても 、「動 かない」と言い切れるのではなかろうか。 その 結果、授かった作品が、実 は先人の作品に類似 して い な い か 、 あ る い は 、 例 句 に 類 句 は な い か 、 類想 句はないかを 確認するために、歳時記を活 用 す る ので あ る。こ の方 法の 意味 す るとこ ろ を しっかり と理解 し、その実践を お勧めしたい。 俳話断章 稲田眸子 裏表紙 ー ) 小野京子 稲田眸子 特集・鍛錬会 in 大分 眸子の俳句紀行 号 6 0 1 柴田芙美子 首藤加代 巻頭作家招待席 秀句ギャラリー鑑賞 巻 通 少年の俳人達 ( 少年の抄 後藤 章 稲田眸子選 虚子嫌いが読む虚子の歳時記 溝口 直 特選三十三句 小野京子・佐竹白吟・和多哲子 銀幕の季語たち 穴井梨影女 稲田眸子選 号 6 1 ・ Ⅳ 梨影女の俳句夜話 篠﨑代士子 彩時記燦々 ト 代士子の万華鏡 平田節子 パ 花曼陀羅 中嶋美知子 次 自叙伝「私は軍国少女」 松村れい子 小野京子 れい子の宝箱 梅島くにを 京子の愛唱一○○句[癒し] くにをの絵手紙紀行 荒木輝二 目 輝二さんのつれづれ紀行 稲田眸子 山岡英明 この本、この一句 稲田眸子 英明さんのフォトアルバム 四季の句暦 便りの小箱 編集ノート 絵/福井美香 表紙題字/泉 澂 挿 200 198 194 188 180 173 169 51 23 14 2 1 13 22 27 164 171 178 184 192 196 199 ) ) 俳話断章 稲田眸子 裏表紙 ) ) 小野京子 稲田眸子 特集・鍛錬会 in 大分 眸子の俳句紀行 号 6 0 1 柴田芙美子 首藤加代 巻頭作家招待席 秀句ギャラリー鑑賞 巻 通 少年の俳人達 ( 少年の抄 後藤 章 稲田眸子選 虚子嫌いが読む虚子の歳時記 溝口 直 特選三十三句 小野京子・佐竹白吟・和多哲子 銀幕の季語たち 穴井梨影女 稲田眸子選 号 6 1 ・ Ⅳ 梨影女の俳句夜話 篠﨑代士子 彩時記燦々 ト 代士子の万華鏡 平田節子 パ 花曼陀羅 ー 中嶋美知子 次 自叙伝「私は軍国少女」 松村れい子 小野京子 れい子の宝箱 梅島くにを 京子の愛唱一○○句[癒し] くにをの絵手紙紀行 荒木輝二 目 輝二さんのつれづれ紀行 稲田眸子 山岡英明 この本、この一句 稲田眸子 英明さんのフォトアルバム 四季の句暦 便りの小箱 編集ノート 絵/福井美香 表紙題字/泉 澂 挿 200 198 194 188 180 173 169 51 23 14 2 1 13 22 27 164 171 178 184 192 196 199 ) 稲田眸子の俳句紀行 隼の視界 児童らの点字の投句天高し 子 の掟 村 の掟や 亥の子突 目貼してこの頃夫婦仲よろし 口切や磨きあげたる畳の目 み仏の国に生まれて十夜講に 辻に立 つ 托鉢僧を霰打つ 隼 の視界 の中の餌 の動き 研ぎ澄まされた感覚 埼玉県芸術文化祭協賛事業として、小中学生俳句 コンクールがスタートしたのは、二十一年前の平成 五年のこと。昨年度の第二十回小中学生俳句コンク ールには、県内九十五校から、一万一六九九人、二 万四六○句の応募があった。予選通過句は一○八四 句、入選句は五一八句、応募句の○・二%であった。 去年の応募校の中に、埼玉県立特別支援学校塙保 己一学園があった。初めての応募である。学園案内 には「障害のある子どものための専門的な教育を行 う特別支援学校の中では、埼玉県内で最も古い、歴 史と伝統のある学校です。障害のある幼児・児童・ 生徒の自立に向け、幼稚部教育相談は0歳児から、 幼稚部は三歳から五歳児までの三年間、小学部は六 年間、中学部は三年間、高等部普通科の三年間を一 貫した教育を行っています」と記されている。 学園の児童等の作品は、優秀作品に選出されなか ったが、五句が入選した。埼玉県俳句連盟会長の許 しを得て、特別表彰を新設し、学園を表彰すること にした。今年も一万二五三四人から二万二二二一句 の応募があり、学園からは、十人、十七句の応募が あった。児童達は、感覚を懸命に研ぎ澄まし、作句 したのであろう。思わず熱いものがこみ上げてきた。 ―1― 鍛錬会 in 大分 小野京子 一 はじめに 「眸子主宰をお招きして、大分で句会が出 来るといいね」。長い間ささやかれてきた言 葉だ。けれど、主宰のご多忙さを考えると、 実現には至らなかった。今回、溝口 直先生 のご尽力で実現の運びとなった。 皆さんにお話すると「喜んで参加します」 の声。大野城市の佐竹先生からも参加します との声をいただき、眺望の素晴らしい日出町 のホテルソラージュで一泊しての会となった。 「やるのであれば、鍛錬会と名づけ、三回 は句会をしましょう。句会の形も考えながら ね」と眸子主宰。その熱い思いに私達も熱く なった。 参加者…二十三名 二 日程 一日目(九月十四日) 十三時~二十一時 受付 十二時~十三時 開会式 進行 平田節子 発起人挨拶 溝口 直 主宰挨拶 稲田眸子 (自己紹介) 第一句会 進行 眸子主宰 第二句会 三グループで合評会 懇親会 発起人挨拶 溝口 直 主宰挨拶 眸子主宰 乾杯 佐竹孝之 閉会のことば 篠﨑代士子 二日目(九月十五日) 九時~十一時半 前日の兼題投句(締切 朝八時) 第三句会 進行 眸子主宰 主宰講話 眸子主宰 閉会挨拶 篠﨑代士子 三 ―2― 鍛錬会出席の仲間達 主宰挨拶(一日目) ―3― 稲田眸子主宰 市川和子 小野京子 河野キヨ 佐々木素風 佐竹孝之 貞閑千寿子 篠﨑代士子 首藤加代 利光幸子 長田民子 錦織正子 平田節子 本田 蟻 牧 一男 溝口 直 小野啓々 佐志原たま 佐藤辰夫 高司良惠 中嶋美知子 藤井隼子 松村勝美 四 第一句会(一日目) 「文」「志」のお題をいただき、三句を事 前投句、主宰が清記して下さった作品の中よ り三句(一句特選、二句入選)を選び合評に 入る。たちまち俳句モードにスイッチオン。 先ず、季語の扱い方という事で三句を取り 上げ、イメージに頼りすぎない句作りを、季 語が定まらない時には、焦らず、しばらくね かせておく事も大切だとのご指導をいただく。 また、季節感を大事にすること、類句をあま り恐れないことについてもふれられた。歳時 記の例句をチェックすることによって、類句 類想の句があれば、その時点で潔く捨てるこ となど、歳時記の活用法にについてもご指導 をいただく。 合評は、作者名は伏せられたままで進行。 絶筆の兄の文読む敗戦忌 季語を生かす言葉を使い、迫力ある句に仕 上がっているが、くれぐれも留意したいこと は季語をなぞる(説明する)ことをせずに、 季語を生かす言葉を探すことが大切である。 季語に凭れかかることはできる限り避けたい。 寸 志 て ふ 腕 一 杯 の 秋 桜 おもてなしの心が読みとれる。「秋桜」の 季語が良い。豊かな感性の持ち主であり、詩 人だと思う。 日の雫月の雫や実むらさき 「日の雫」「月の雫」は詩的な言葉。それ ―4― を久しく観察している人ならではの作品であ る。このような句は歳時記の例句にはないは ず。歳時記に頼りすぎるととかく類句類想に 陥りやすい。歳時記は作句の後、自分の作品 のレベルを確認するために使いたい。 原爆忌戦火の絶えぬ星に住む 「国に住む」では観念的な世界に入りがち であり、読み手に作者の心が伝わってこない。 「星に住む」と表現したことで、この句が生 きた。たった一字の違いで句が生きたり、死 んだりするのである。 底霧の底に暮しのありにけり 「底霧の中に」でも句は成立するが、それ では平凡。「中」を「底」と表現することで、 作品に深みと臨場感が出てきたように思う。 この句も一字の使い方で成功した例である。 高点句 絶筆の兄の文読む敗戦忌 子には子の志す道天高し 底霧の底に暮しのありにけり 一行の文の重さや素十の忌 読みさしの本に文鎮柿ひとつ 生きるとは志すこと冬銀河 寸 志 て ふ 腕 一 杯 の 秋 桜 日の雫月の零や実むらさき 返信の文字滲みゐる野分かな 主宰の選ぶ特選句・入選句 特選 入選 良惠 正子 勝美 京子 たま 眸子 啓々 京子 代士子 志 ん 生 の 問 は ず 語 り や 鉦 叩 代士子 子 に は 子 の 志 す 道 天 高 し 正子 底霧の底に暮しのありにけり 勝美 デ モ の 列 犬 も 同 志 や 鰯 雲 加代 絶 筆 の 兄 の 文 読 む 敗 戦 忌 良惠 秋 寂 や 閉 店 ビ ラ の 掠 れ 文 字 美知子 経石の文字を読み解く夜長かな 民子 ―5― 3グループで合評会(一日目) 合評会(二日目) ―6― 隼子 素風 たま 節子 幸子 一男 原爆忌戦火の絶えぬ星に住む たま たきあがる粥のにほへる白露かな 蟻 人混みの中のひとりや大文字 直 萩咲きてあの日の文はセピア色 立志伝刻む石碑や里の秋 読み止しの本に文鎮柿ひとつ 客去にてけふを終りぬ酔芙蓉 若き日の大志を今もいわし雲 身に入むやセピア色した文机 五 第二句会 「瞳」「秋刀魚」のお題を含め三句を投句。 短時間での作句に、清記担当の民子さん、 隼子さんは大忙し。お二人の清記を待って、 三つのグループに分かれ、選句基準をしっか り持っての合評会に入る。各グループごとに リーダーを選出してもらい、そのリーダーを 進行係として議論。グループとしての総意を とりまとめ、発表する。 話題になった句をあげておこう。 仕上がりの瞳を入れて茄子の馬 時間的な経過、達成感が伝わってくる作品 である。意外な発見のある句。 うら蓋の菊の蒔絵や京料理 詩的な句である。だが、菊の蒔絵は季語とし ては弱いのではなかろうか。季感が受け取れ るかどうか…。 主宰からは、句会ではいろいろな方から選 んでもらえるのは嬉しい事であろう。しかし、 句座の中に自分の目標としている作家を見つ け、「あの人が選んでくれた」という喜びを 感じながら、勉強すると上達がはやくなるの ではなかろか。身近な句座の中で、目標とす る人を見つけ、その人と切磋琢磨していくこ とである。 また、長年、俳句を作っていると、昔作っ た作品の焼き直しをしていないかどうか、自 己研鑽も大切である。 何とも耳が痛い話である。即、改めたいと ―7― 思う。 各グループで話題になった句は次のとおり。 辰夫 キヨ 少 年 の 瞳 の 中 の 秋 の 虹 京子 秋刀魚焼く七輪の角かけてをり うら蓋の菊の蒔絵や京料理 眸子 ショパン聴きながら秋刀魚を食ふ暮し 眸子 う ら 蓋 の 菊 の 蒔 絵 や 京 料 理 キヨ 落 し 蓋 開 け て 味 見 の 栗 南 瓜 たま 搬 ば る る 牛 の 瞳 に あ る 青 芒 一男 秋刀魚焼く七輪の角かけてをり 辰夫 蓋とれば噴き出す泡や夏果てる 六 懇親会 司会は、素風さん、辰夫さんのお二人。絶 妙のコンビで会を盛り上げて下さる。直先生、 眸子先生のご挨拶のあと、全員が自己紹介。 それが終ると自慢の喉のご披露となる。勝美 さん、孝之さん、代士子さんの歌の後は、民 子さん、幸子さんのデュエットで会場が湧く。 次は、司会者によるクイズ、蟻さんの指揮に よる「青い山脈」の斉唱。 佐竹さんの一本締めと代士子さんの閉会の ことばで、本日の全日程を終了。 懇親会の会場で、三人の方に明日の兼題を 発表してもらう。明日の八時までに、「秋の 海」「薄紅葉」「稲穂」で三句提出となった。 皆さん、お疲れになったと思うが、その素 振りもみせず至って元気。早くも明朝の会に 思いを馳せているようだ。 洩れ聞くところによると、男性陣の有志が 主宰の部屋で、夜中まで酒盛りをしていたと のこと。これまた愉し。 ―8― 民子 七 第三句会(二日目) 主宰が清記して下さった作品の中より、特 選一句入選二句を各自で選び、合評。この句 会では、披講に合わせ、名乗りをあげる。 話題句について記しておく。 秋の海島への赴任迷ひをり たま 気持ちは出ているが、「秋の海」の季語が 動かないかどうかの吟味が必要。 義民が碑立ちて波打つ稲穂かな 良惠 情景が浮かんでくる句である。「義民が 碑」は義民がたてた義民の碑なのか、後世の 人が義民のためにたてた碑か。後者であれば、 「義民の碑」の方が適切ではないか。また、 「碑立ちて」は「碑建ちて」が正しい表記の はずであるが。 神社まで一直線の稲穂かな 啓々 風景をうまく切り取った作品である。下五 の「かな」は詠嘆の「かな」であろうが、や や気になる。「稲穂道」とすると神への祈り の心までもがより鮮明に伝わってくるように 思う。 馥郁と立てる稲穂に垂る稲穂 代士子 「馥郁」というようなオブラートで包んだ 言葉はできる限り使わないよう心がけること が大切。 産土神に初の稲穂を祀りけり 眸子 「祀る」とは捧げるという意味を持つ。 「けり」という切字をうまく使って詠嘆の気 持ちを表している。「初」の措辞が生きてい る。敬虔な気持ちが滲み出てくる句である。 秋の海祈れば心癒えてきし 季語が動かない。作者の気持ちがうまく詠 い込まれており、心に沁みる。 ―9― 眸子主宰のお話 「このような鍛錬会では、どうして自分の 句を取ってくれないのか」といった意見が出 てくると、句会がもっと面白くなる。 二日間、皆さんとともに学びたかったのは、 次の三点である。 ◇季感を大切にしながら作句を 大事なことは、感じ取った季感を、十七音 字に写しとることが大切である。見ていると、 歳時記を引っぱり出し、その中から季語を拾 い出し、言葉をくっつける人がいる。これで は、頭の中で作句する悪い癖ができてしまう。 移ろいゆく季節の感じをどうすくい取ってく るかにもっと力を注いでほしい。 ◇腸詰め俳句をやめよう 何をどのように抜き取ってくるか、それが ポイント。読者がわかってくれないのではな いかと心配し、色々なものを詰め込んでしま いがちである。これは止めにしてほしい。詰 め込み過ぎると何が言いたいかったのか、読 者にはわかり難い。 表現したい核心部分を抜き取ってくる、表 高得点句 神社まで一直線の稲穂かな 風はたと止みて稲穂に刻止る 義民の碑建ちて波打つ稲穂かな 正装の芸子の髷の稲穂かな カーナビの地図に無き径薄紅葉 良惠 節子 千寿子 良惠 節子 たま 蟻 和子 現する際は大胆に省略することも必要である。 ◇詩心を 俳句は、十七音字の詩ともいえる。底流に 詩心がないと、報告や説明になってしまいが ちである。詩心を持ち続けるのはなかなか難 しいが、そのことをもっと意識してほしい。 何処に情がひそんでいるのか、いつも問い続 けてほしい。 主宰の選ぶ特選句・入選句 特選句 神社まで一直線の稲穂かな 空 と 海 分 け る 群 青 秋 の 海 稲穂垂れいちめん豊の実りかな ― 10 ― 主宰講話(二日目) ― 11 ― 奥入瀬の風のはざまの薄紅葉 湾に沿ひ灯の連なりし秋の海 正装の芸子の髷の稲穂かな 石 垣 に 残 る 鐘 楼 薄 紅 葉 風立ちぬふと見上ぐれば薄紅葉 空澄みてきらきらひかる秋の海 遠 浅 の 向 ふ が 故 郷 秋 の 海 京子 隼子 蟻 正子 幸子 千寿子 直 八 おわりに 主宰は、ご自分の講話を短くし、全員に二 日間の感想を求められた。 ・今回の鍛錬会を契機とし、俳号を先生にお 願いし、新しい出発をしたい。 ・前からこういう会を願っていた。夜遅くま で句を作り、充実した二日間だった。楽し みがまた一つ増えた気がする。 ・参加して良かった。もっと若い頃にタイム スリップできたなら…。 ・鍛錬会は初めての体験。皆さんと学び自分 の句を見直すよい時間をいただいた。 ・この様な刺激的な句会にまた参加したい。 ・自分の未熟さの原因が見えて来た感じがす る。この気持ちを持ち続けたい。 ・参加して良かった。皆さんの暖かい言葉に 生きていて良かったと感じた。 ・何年間分もの力をいただいた感じがした。 佐々木素風さん) 皆さんの感想をお聴きしながら、参加者の 熱意がこの会を『少年』を盛り上げ、創り上 げていることを改めて感じた。 (写真提供 ― 12 ― 巻頭作家招待席 柴田芙美子 多感なる少女の瞳鳳仙花 柴田芙美子 散歩をする二条城のお濠沿いに二つの中学、 一つの高校がある。放課後となると、部活の 女生徒が列になって走って来る掛け声が勇ま しい。 校庭には、テニスのラリーの音が軽やかで ある。弾けるような元気の良さにこちらも元 気を貰う。少女達に目が行くのは、我が孫達 も女子中学生で離れて暮らしているので、い つもこの少女達に想いを重ねている。勉強も スポーツも、そして多くの情報の中、思いが 膨らんで行くであろう。 おしゃれにも興味津々、我が家へ来ると、 こっそりマニュキアなどしている。五歳の子 も真似て、真剣なその瞳はキラキラ。 その昔、鳳仙花の花弁の汁で爪を染めたと いう。今も昔も、おしゃれ心に変りはない。 鳳仙花が真っ直ぐに伸び、花を咲かせている。 [誌友へのメッセージ] 俳句のはじまりは吟行で した。私はハイキング気 分で、句が出来なければ 句会は欠席しようとお誘 いを受けました。季節の 移ろいを改めて感じるの が吟行。楽しいことです。 ハイキング気分は今も続いています。 [自選の三句] 結 界 を 一 刀 両 断 鉾 す す む 動くもの雲の影のみ大枯野 青 空 や 粧 ひ は じ む 比 叡 山 [趣味等] 花道、茶道、その他スポーツ観戦、観劇と 浅く浅く、何にでも興味があります。 [現住所] 〒六○四 八八六一 京都市中京区壬生神明町一の二○一 ― 13 ― - 5 9 4 3 1 1 8 5 7 0 : L E T 秀句ギャラリー鑑賞 〈 パ ー ト Ⅳ ・ 十 五 号 分〉 柴田 芙美 子 首藤加代 多感なる少女の瞳鳳仙花 山田洋子 鳳 仙 花 は か わ い ら し い 花 を 沢 山 つ けて 、 実 を 結 ぶ と 弾 け て 飛 び ま す 。 花 の イ メ ー ジ か ら して 女 性 と い う より 少女 が似 合 い 、 出 句 に そ の イメ ー ジ が 多 か っ た よ うで す 。 子 ど も の 頃 、 どこ の 家 に も 鳳 仙 花 は 毎 年 咲 いて い ま した 。 そ ん な見 慣 れ た 鳳 仙 花で す が 、上 五 が 効 い て いて 句 を 引 き 締 め て い ま す 。 澄 ん だ 少 女 の 瞳が 思い起こ され ま す。 二重跳び巧みな少女鳳仙花 敷 波澄 衣 小 野京 子 北 里典 子 鳳 仙 花 の 実 が 弾 け 飛 ぶ 感 じ と 、 二 重 跳び が 上 手 な 少 女 が 相乗 効 果を 発 揮 し 、 句 に 躍 動 感 を 感 じ ま した 。 子 ども の 頃 、二 重跳び の 練 習を し た り して 縄 跳 び で 遊 ん だこ と を 思 い 出 し ま し た 。 又 、鳳 仙花 と 言 え ば ま まご と 。 ままごとの献立表に鳳仙花 ままごとの大小の皿鳳仙花 ままごとの遊びに夢中鳳仙花 お 家 の 人 の 仕 草 を 真 似 て 余 所 行 き の 顔 を して ご 馳 走 を 拵 え る の で しょ う 。 献 立 表 に 鳳 仙 花 の フ ル コ ース 。 大 小 の お 皿 に ご 馳 走 の 鳳 仙 花 、 す ま し 顔 の 小 さ な お 母 さ んで す 。 ま ま ご と 座 敷 の お 客 様 に な りた いも の で す。 今 で も 、 私 は ま ま ご と を して い ま す 。 白 湯 の 汲 出 しか ら 始 め 、 大 掛か り で は あ り ま す が 、 夫 に ま ま ご と と 言 わ れ て い ま す 。 普 段 も ま まご と の 延 長 で す 。 食 事 の 支 度 を す る 人 は 、 皆 ま ま ご と を して い る の か も しれ ま せ ん 。 ― 14 ― 秋風や使はぬままの阿六櫛 水 野幸子 武 末和 子 句 か ら 木 曽 路 の 秋 風 が 吹 い て 来 る よ うで 、 使 わ な い け れ ど 、 大 事 に し ま って い る 阿 六 櫛 を 愛 お し む 気 持ち が 伝 わ っ て 来 ま す 。 秋 風 が 句 を 支 配 し て 風 情 を 醸 して い ま す 。 阿 六 櫛 を 通 して 何 か を 懐 か しむ 床 し さ が 感 じ ら れ ま す 。 櫛 で 梳 く 虱 の 頭 終 戦 日 濱 佳苑 水野す みこ 母 や 祖 母 が 虱 取 り を して く れ ま し た 。 こ の 梳 き 櫛で 髪 を梳 く ので す。 昭和 三 十 五年 頃 、 私が小 学 生 の 時 、 学 校 に 女 子 だ け タ オ ル を 持 って 来 る よ う に 命 じ られ 、 頭 に D D T を 掛 け られ たこ と が あ り ま し た 。 タオ ル は そ の 頭 を 包む た め で し た 。 今 で は 、考 えられ な い よう なこ とが あり ま し た。 露けしや母の遺品に祖母の櫛 櫛 けず る 病 み伏 す 夫 の 木 の 葉髪 阿 六 櫛 は 、 三 代 に渡 って 使え る と き き ま す 。 ど ん な櫛 で あ れ 母 か ら 伝わ った も の 、 悲 喜 こ も ご も 篠﨑代士子 櫛 に 語 り 母 の 慈 愛を 思 い 起こ し 、 思 い 直 し て 今 日 を 過 ご す 。 又 、 大 切 な 櫛で 病 む 夫を 櫛 け ず り ま す。 ど ん な 言 葉 よ り 病 人 も 励 ま さ れ るこ と で し ょ う 。 兼 題で は あ り ま し た が 、櫛 だ か らこ そ の 句 が 出 来た と 思 いま した 。 水牛の櫛で髪梳く晩夏かな 浜田正弘 過 ぎ 行 く 夏 を 惜 し む 気 持 ち に 、ひ ん や り と し た 水 牛 の 櫛 が 季 節 の 移ろ いを 思わ せ ま す 。 こ の 夏 の 思 い 出 が 甦 り ま す。 色 々 あ った けれ ど 、 今 が 一 番 しあわ せ。 時 が 少し止 まって く れた ら良 いのに と 、 こ の 句 に 思 い ま した 。 古納屋に祖母が励みし蚕棚 富 岡 の 製 糸 工 場 が 文 化遺 産 に 登 録 され ま した 。 早 速 、 ツ ア ー 等 が 組 ま れ 観 光 客 が お し か けて い る よ うで す 。 日 本 の 養 蚕 が 花 形 だ っ た 時 も あ っ た の で す。 沢 山 の 蚕 を 飼 う養 蚕 農 家で は 、 寝 る 部 屋 も 無 い ほ どで あ っ た と 聞 き ま す 。 蚕 は 終 日 夜 も す が ら 桑 ― 15 ― 小 野啓々 佐 志 原た ま 川さち 子 の 葉 を 食 べて 上 族を 急 ぐ ので す 。 寒 け れ ば 、 部 屋 を 暖 め 、 本 当 に お 蚕 様 と して 大 事 に さ れ ま し た 。 そ の 名 残 で し ょ う か 、 蚕 棚 を 捨 て るこ と が 出 来 な い の で す 。 我 が 家 で も 、 祖 母 が 蚕 を 飼 って いた 時 の 話 な ど して く れ ま し た 。 話 を 聞 き な が ら 、 祖 母 が い か に働き 者で あ っ た か が わ か り ま した 。 掲 句 に あ る 中 七 の 「 祖 母 も 励 み し 」 に 語 ら れ て お り 、 私 の 原 体 験 そ の も ので す 。 我が 家 の蚕棚 は 、納屋を 建て 替 え るまで ありま し た。 懐か しさ と 共に臨場感を 覚えました 。 鋤 は ま だ手 にあ り 釣 瓶 落と し か な 忘れ ものあるよな釣瓶落としかな 釣瓶落とし牛舎へ急ぐ牛の群れ 野 良 仕 事 は 、 限 り が 無 く 次々 に 仕 事を こ な して い る と つ い 時 間 が 経 っ て し ま い ま す 。 け れ ど もこ の 時期 は釣瓶 落 とし、 日 が翳り 始め るとたち まち 暗 く な って し ま い ま す 。 今 日 一 日 の 畑 仕 事 に 満 足 し つ つ も 、 も う 少 し 仕 事 を し て おこ う か と 思 案 の 顔 が 見 え る よ う で す 。 そ して 帰 り 仕 度 を 始 め る と 、 仕残 したこ とが ある よう な何か 釈 然 と し ない 釣瓶 佐々木紀明 落と し、 忘れ もの が あ る よう な 気 にさ せら れ ま す。 釣 瓶 落 と し に 遅れ な い よ う に 、 放 牧 の 牛 た ち の 群れ も 牛 舎 へ 急 ぎ ま す 。 釣 瓶 落 と し は 、 馴 染 み 深 い季 語で も あ り 郷 愁を 感じさ せ ます。 一粒の米の重みや厄日過ぐ 安 武 く に子 二 百 十 日 、 二 百 二 十 日 い く ら 警 戒 し た とこ ろ で 台 風 に は 無 防 備で 、 無 事 に 過 ぎ 行 く の を 祈 る の み で す 。 丹 精こ め て の 米 作 り 、 一 粒 に そ の 心 を 汲 む 人 た ち が 重 み を 知 って い ま す 。 お 米 を い た だ け る 有 難 さ 今 年 も 又 、厄 日 が 過 ぎ た 、 安 堵 感 に 浸 っ て いるところで す。 田を守りきて八朔の小豆飯 農 家 に嫁 い だ 友 人が ご 主 人の 病気 の 折 、女 手 一 つで 田 植え など を した 事 を 思 い 出し 、八 朔の 季 語 が 効 い て い る な と 思 い ま した 。 作者 も 一 人 農 業 、 周 り の 方 々 の 支 え が あ って 、 と り あ え ず 今 年 は う ま く 行 った 。 八 百 万 の 神 に感 謝 、 小 豆 飯 を 供 え 安 堵 感 と 共 に こ れ か ら のこ と も 無 事 田 を 続 け ら れ ま ― 16 ― 河 津昭子 す よ う に と 願 う 様 子 が 小 豆 飯 に 現 れ て いま す。 八朔や田ごとに祀る竹御神酒 冨 岡賢 一 田 が 出て く る と ど う して も 神 様 と 一 体 で 、 日 本 の 風 土 、 慣 習 と 切 って も 切 り 離 せ ま せ ん 。 自 然 に 対す る 畏敬の 念が 現れ て い るか らで し ょ うか。 先 祖 よ り 受 け 継 いで き た 慣 わ し を 今 も 守 り 、 受 け 継 いで 行 く 気 持 ち が 伝 わ って き ま す 。 八朔や五風十雨をよろこびぬ 佐藤辰夫 何 と なく縁 起 の 良 い 数 字 が並 び 、語 呂 も 良く 自 然 体 で 親 し み や す さ を 感 じ ま す 。 豊 作で あ れ ば 、 一 揆 な ど も 起 ら ず 社 会 は 安 穏で す 。 今 の 世 も 米 の 不 作 が 伝 え ら れ る と 買 占 め に 走 る 、 先 を 争 って の 事 ゆえ 人 心 穏 や かで は あ り ま せ ん 。 五 風 十 雨を よ ろこ ぶ 作 者 の 優 し い 句 に 、同 感 の 誌 友 も 多 い ので は と 思 って い ま す 。 八朔や父の風呂から浪花節 城 戸杉 生 今 年 は 豊 作 だ った の で しょ うか 、 機 嫌 の 良 い お 父 さ ん で す 。 自 然 相 手 の 稲 作 に 豊 作で も 不 作で も 、 感 謝 す る 心 、 そん な お 父さ ん だ と 思 い ま す。 浪 花 節 に 託 す 自 然 へ の 畏 敬 が お 風 呂 よ り 聞こ え てき ます。 二タ畝の家庭菜園にも厄日 厄 日 、 見 逃 して 欲 し い で す 。 た っ た 二 タ 畝 な ん で す か ら 、 大 して 出 来 も し な い の に 、 私 も 鍬 一 丁 の 家 庭 菜 園を して い ま す 。 ヒ ヨ ド リ にや ら れ た り 、 風 雨 に 痛 め つ け ら れ た り 、 それ な り に 丹 精こ め て 作 って い るの に 、た っ た 二 タ 畝 にも 自 然 は 猛威 を 奮 うので す。 起 き 抜 けの 田 の 見 廻 りも 厄 日か な 穴井梨影女 田 の 見 回 り と て 、 稲 が 倒 れ て いて も 打 つ 手 は 無 い の だ け れ ど 、 丹 精こ め た 田 ん ぼ に 足 が 向 き ま す 。 起きて も 寝て も 収 穫が 済 む まで 気 が 抜 け ませ ん。 作者 の 稲 作 に 愛 情 を 感 じ ま す。 ― 17 ― 棚経の僧に団扇の風送る 杉 本美 寿 津 髙 司良 惠 門 火を 炊 い て 迎 え た 霊 に 棚 経 を 供 え 、 団 扇 の 風 を 送 る 。 僧 に 向 け た も ので は あ り ま す が 、 亡き 人 に 。 変 わ ら ぬ 優 し さ に 仏 も 喜 ば れ るこ と で し ょ う 。 時々 、ふ っと 現れ る誰 彼の俳 句 に人と な りを感 じ さ せ ら れ ま す 。 こ の 句 に も それ を 感 じ ま す 。 一 湾 の 波 頭 を 走 る 稲 光 阿部王一 一湾 の数字の一が稲光を際 立たせ、閃 光が走 る よ う に 思わ れ ま した 。 こ の 句 は 若 々 し く 、 力 に あ ふ れ て いて 、 そ れ で い て 写 生 句 。 お な じ 場 所 に い て も こ の よ う に 写 生 は 出 来 な い だ ろ う と 感 心 して し ま い ま した 。 残像の稲妻にまた稲妻す 稲 妻 の 閃 光 が 恐怖 と 共 に残 って い るの に 、 続け て の 稲 光 。 た いて いの 人 が 自 分 の 所 に 落 ち は し な い と 高 を 括 って い る よ う で す 。 そ ん な 時 、 閃 光 が 走 り 家 中の コ ン セ ン ト に 繋 が っ て い た 全て の 電 気 高橋紘子 製 品 が シ ョ ー ト して し ま っ た の で す 。 ゴ ロ ゴ ロ と な った か と 思 い き や 柱 を 伝 っ た 雷 が 押入れ を 通り 床下 に 逃 げた。 友 人二 人 の 体 験談で す。 油断 禁 物で す 。 臨 場感 あ ふ れ る 稲 妻 の 句 に 、 改 め て 自 戒 の 私で した 。 雷鳴の禊祓受けし西大寺 河野キ ヨ 場 所 は 違 い ま す が 、こ の 句 と 同 じ よ う な実 景 の 中 に 居 た こ と が あ り ま す 。 それ で 、 雷 鳴 の 禊 祓 の 情 景 が 目 に 浮 か び ま す 。 神 社で 茅 の 輪 く ぐ り を 待 って い た 時 、 雷 鳴 轟き 続 い て の 大 雨 、 そ れ で も 行 列 の 人 々 は た じ ろ が ず 八 の 字で 輪 を く ぐ り 難 除 け を した ので す 。 作 者 も 雷 鳴 に 一 層 穢 れ の 祓わ れ る 思 い の した こ と で し ょ う 。 上 五 が 句 を 大き く した よ う に 思 い ま した。 棚 経を そそ く さ と上 げ 立ち 去り ぬ 失 礼 を 承 知 で 言 え ば 、 何 しろ 書 入 れ 時 。 ア ル バ イ ト を 雇 う わ け に も い か ず 、 檀 家 を 全て 回 ら ね ば ― 18 ― 佐々木素風 な ら な い 。 檀 家 に と っ て は 、 黄 泉 比 良 坂 越 えて 霊 が 帰 って き て い る の に 、 し み じ み と 話 の 一 つ も し て 欲 し い と 思 って い ま す 。 誰 し も 身 に 覚 え の あ る はず で す 。 事 情 も 分 か った 作 者 の 諦 め の 潔 さ が 俳 諧 味 を 出 して い て 可 笑 し く て 楽 し い 句 と な り ま し た 。 千枚の棚田浮かばせ星月夜 河津昭子 平田節 子 宮崎チ ク 倉田 洋 子 虫 の 音 も 聞 こ え るの で しょ う か 。 耕 して 天 に 到 る棚 田 。 特に 美 しい今 夜の 星月 夜は 回り に降 って 来 る よ うで す 。 今 回 、 棚 の 兼 題 に 私 は 一 句 も 作 るこ と が 出 来 ま せ んで した 。 朝 、 昼 、 夜 と や は り 吟 行 が 大 事 で す 。 二番草刈り終へ棚田清清し 棚 田 よ り 吹 く 出 来た て の 青 田 風 幾重にも棚田波打つ青田風 て つぺ ん の 棚 田 に 殿 様飛 蝗 か な 稲 作 に は 本 当 に 手 が か か り ま す。 二 番 草を 刈 り 終 え ま し た 。 道 路で も 庭 で も 、 草 刈 の あ と は 清 清 宮 崎敬 介 し い も の で す 。 ま して や 緑 な す 棚 田 の 草 刈 後の 清 清 し さ で す 。 観 察 眼 の 賜で し ょ う 。 棚 田 の 労 苦 は 皆 の 知 る とこ ろ で す が 、 そ の 棚 田 より 風が 吹いて き ます 。 稲は 良 く育ち 、 出来たて の 風 が 、 次 々 に 吹 いて き ま す 。 小 さ な 棚 田 に も 波 の よ う に青 田 風。 一 番 上 の 棚 田 に は 殿 様 飛 蝗 、 扇 の よ う に 広 が る 棚 田 を 睥 睨 して い ま す 。 全 山 ゆ さ ぶ り今 生の 喜 雨 と な る 倉田 洋 子 地 球 は 壊れ て し ま っ た か の よ う に 、 日 照 り 続 き 、 雨 続 き の どち ら か に 偏 り ま す。 そ ん な 折 、 日 照 り 続き の 時 に 夕 立 が 来 ま し た 。 そ の 夕 立の 凄 ま じ さ が 山 を 揺 さ ぶ っ て い る よ うで す 。 万 物 に 等 し く 惜 し みな く 、欲 し いまま 雨 が降 り ま す 。 まだ檜にほふ神棚新走り 檜 の 良 い 匂 い と 新 酒 の 荒 くて 清 清 し い 香 り が 鼻 腔 に 漂 って く る よ う で す 。 下 戸 で あ って も 容 易 に 情 景 が 浮 か び ま す。 こ の 檜 、 一 昔 前 森 林 浴 と して フ イ ッ ト ン チ ッ ド ― 19 ― 高橋 敏惠 が 持て は や さ れ ま し た が 、 最 近 は あ ま り 耳 に し な く な り ま し た 。 それ が 、 昨 今 の 健 康 志 向 と 相 ま っ て 、 森 林 セ ラ ピ ー と な り戻 って き ま し た 。 檜 、 杉 から ピネ ン、リモネン等の精 油 が発散され ると い うの で す 。 それ に より ス トレ ス ホル モ ン が減 少 す る と い うこ と が 分 か っ て い ま す 。 そ の 説 を 借 りれ ば 、 檜 か ら ピ ネ ン が 発 散 され 、 リ ラ ッ ク ス 状 態 に あ る とこ ろ に 新 酒 の 発 酵 臭 、 更 に癒 された感 の あるところで しょうか 。 私の飛 躍 しす ぎたこ の 句 に対す る思 い入れ かも しれ ませ ん が 、 私 に は 酩 酊 状 態 に さ せ る効 果 が あ り ま す。 棚 の 上 に 荷 物と ご つ ち や 寝登 山 宿 富 士 登 山 の 折 、 山 小 屋で の 情 景 と 気 持 ち を 全 て 言 い 表 して い て 頷 き ま し た 。 私 は 一度 だ け 、 富士 登 山 を し たこ と が あ り ま す 。 仮 眠 を した 山 小 屋 が 蘇 って 来ま す。 蚕 棚 の よ う な 所 に 寿 司 詰 め 状 態で 寝 る の で す 。 小 さ な ア タ ッ ク ザ ッ ク を 枕 代わ り に 寝 た こ と を 思 い 出 し ま し た 。 こ の 句の 荷 物 とご っ ち ゃ 寝 に 、 一 蓮托 生の 登 山 者 た ち の 連 帯感 、 表 され て お り 臨 場 感 が 感 じ ら れ ます。 薮 入 り に 買 う て 貰 う た 櫛 さ して 佐 竹孝 之 上田雅 子 薮 入 り の 主 は 、 奉 公 人で し ょ う か 、 お 嫁 さ ん で し ょ う か 。 こ の 句 と 全 く 関 係 の 無 いこ と で す が 、 私 に 甦 って く る 記 憶 が あ り ま す 。 そ れ は 三 十 五 年 前 の こ とで す 。 職 場 の 山 岳 部 で 、 宮崎 の 五葉岳 山 行の折 、縦 走路の途 中で 見た女郎 の 墓 で す 。 山 の 中 、 そ れ も ち ょ っ と や そ っ とで は 来れ な い ほ ど の 山 の 中 の 僻 地 。 こ ん な 所 に 連 れ て 来ら れ た だけで も悲し いの に、 身の 上 が 女郎と は 。 こ ん な 山の 中 に 、三 百 年 も 前 、 錫の 鉱 山 が あり 、 栄 え て い た と い うこ と で し た 。 薮 入 り の 文 字 に 思 い 出 し た 記 憶で す。 こ の 句で は 、 嫁 も 奉 公 人 も 自 由 に は 為 ら な い 身 の 上 、 それ を 櫛 まで 買 っ て 貰 い 半 年 に 一 度 の 休 日 、 作 者 の 優 し い 人 柄 が 口 語 に 偲ば れ ま す 。 籐寝椅子耳鳴り もまた友 となる も う 五 年 も 前 、 「 い つ まで も 虫 が 鳴 く ね 」 と 夫 ― 20 ― 中嶋美 知子 に 言 った ら 、 「 虫 の 鳴 き 声 は 、 も う 聞 こ え な い よ 」 と 言 わ れ ま し た 。 そ れ で 私 に 聞こ え る の は 、 自 分 の 耳 鳴 り だ と 気 が つき ま し た 。 多 忙 で あ っ た り 、 何 か 夢 中 に な って い る と 耳 鳴 り は 聞 こ え ま せ ん が 、 静 か に して い る と 聞 こ え て き ま す 。 籐 寝 椅 子 に いると 耳 鳴りは 自 然 に聞こ えて き ま す 。 聞 こ え 始 め た ら 、 も う 付 き 合 う し か 手 立て は あり ま せん。これ から の友 人な ので す 。 耳鳴り を 持つ 人 にしか 実 感は無 いと 思い ますが 、 本当にま た 友 と な るとこ ろ なので す 。 山車を引く荒男の眉の一文字 椎名 よ し江 作 者 は 、 時 に 年 齢 不 詳 と なり ま す。 私 の 大先 輩 で す が 、 本 当 に 若 々 し く 力 強 い 句を 作ら れ ま す。 お祭 と も なる と 耳ピ ア ス 、茶髪 の兄 ちゃ んた ち も 、 眉 を き り り と 引 き 締 め て 真 剣 そ の も の の 顔 を して 山 車を 引 い た り 、 神輿 を 担 い だ り して 祭 に参 加 し ま す。 荒 男 の 力 瘤 が見 え る よ うで す 。 気 負 い 無 く 生き て 余 生 の 遠 花 火 笠村昌代 花 火 の 音 が す る と 、 二 階 に 上 が り 遠 花 火を 見 ま す。 掌に 乗 る ほ どの 花 火が見 え ます。 若 い 時 に は 、場 所 取 り を して ま で 花 火を 見 ま し た 。 ド ~ ン と 揚 が るご と に 音 と 振 動 の 時 差を 楽 し みま した 。風 の無 い時 など煙 が 充 満 して 花 火が 良 く 見 え な いこ と も あ り ま し た 。 そ れ が 、 今 で は 掌 に 乗 る ほ ど の 遠 花 火で も 満 足 して い る ので す 。 「 気 負 い 無 く 生き て 」 に 、 同 感 して 自 然 体 で い る 作 者 を 見 習 い た い も の で す 。 蝉 し ぐ れ 切 なき まで の 激 し さ に 地 上 生 活 の 短 い 蝉 。 今 生 の 地 上 で の 命 を 生き 急 ぐ よ う に 、 鳴 き 続 けて い ま す 。 作 者 は 蝉 の 声 に 耳 を 傾 け て 、 短 い 地 上 生 活 を 愛 し んで い ま す 。 俳 句 に 作者 の 人 と な り が 表 れ て い ま す。 先 日 、 弟 を 亡 く し ま し た 。 六 十 一 歳で し た 。 物 静 か で 意 志 の 強 い 人で し た 。 生 き 急 ぐ 蝉 と 弟 が 重 な りこ の 句 に 感 じ 入 り ま し た 。 生 へ の 闘 志 が 激 痛 を 耐 え さ せ て い た の か と 、今 更 な が ら に 思わ れ ま す。 ― 21 ― ~少年の抄~ 少年の俳人達 五十嵐千恵子 北里信子 西川青女 溝部美和子 髙松くみ 武田東洋子 田﨑茂子 武末和子 中嶋美知子 富岡いつ子 冨岡賢一 中川英堂 新谷慶洲 本田 蟻 長田民子 津田緋紗子 利光幸子 濱 佳苑 堀内夢子 (本号入会者五名) 梅島くにを 藤井隼子 和多哲子 上田雅子 穴井梨影女 飯野亜矢子 石塚未知 福田久子 水野すみこ 松村勝美 林 奈美子 平田節子 市川和子 大平青葉 水野幸子 松嶋民子 橋本喜代志 橋本やち 阿部鴫尾 大塚そうび 一男 浜田正弘 石渡 清 榎並万里 牧 中田麻沙子 錦織正子 永福倫子 松村れい子 御沓加壽 布田尚子 村田文雄 宮崎敬介 加藤和子 宮本陸奥海 宮森和子 南 桂介 山口 小野啓々 溝口 直 山岡英明 荒木輝二 鎗水稔子 笠村昌代 宮崎チク 安武くに子 山本枡一 小野京子 矢下丁夫 山田洋子 勝浦敏幸 小野柳絮 川名はる絵 北里千寿恵 北里典子 川西ふさえ 河津昭子 佐々木素風 山口慶子 奥土居淑子 落合青花 神永洋子 後藤 章 田みゆき 川さち子 阿部王一 佐藤年緒 柴田芙美子 佐藤裕能 高橋敏惠 下城たず 篠﨑代士子 篠田和美 佐渡節子 佐藤テル子 佐藤辰夫 高橋紘子 杉野豊子 宮川洋子 河津せい子 河野キヨ 佐藤美代子 貞永あけみ 佐藤白塵 城戸杉生 河津悦子 倉田洋子 佐竹白吟 敷波澄衣 髙司良惠 修 佐々木紀昭 佐志原たま 首藤加代 椎名よし江 杉野正依 ― 22 ― 特選三十三句 日 の 雫 月 の 雫 や 実 む ら さ き の子餅はにかみながら配りけり 念 仏 を 噛 み し め な が ら 十 夜 粥 子 稲田眸子選 小 野 京 子 佐 竹 白 吟 和 多 哲 ― 23 ― 妊 り し 娘 に 持 た す 亥 の 子 餅 屋 根 裏 の 祖 母 の 目 貼 や た る み 無 し 猫 破 る 障 子 の 目 貼 幾 重 に も 強 風 に 目 貼 の 紙 の 膨 ら み ぬ 節 穴 の 丸 に 四 角 の 目 貼 か な あ た ら し き 目 貼 の 匂 ひ か ぐ 子 猫 目 貼 し て 机 の 向 き を か へ に け り 目 貼 し て 温 泉 街 の 射 的 場 佐藤美代子 濱 宮本陸奥海 橋 本 や ち 長 田 民 子 北里千寿恵 並 山 口 慶 子 中田麻沙子 佳 苑 里 重 箱 に あ ん こ た つ ぷ り 亥 の 子 餅 津田緋紗子 万 往 診 の 医 師 に も ひ と つ 亥 の 子 餅 ― 24 ― 亥 の 子 餅 畦 道 通 り 配 ら る る 亥 の 子 餅 米 寿 の 母 と 搗 き ま せ う 城 戸 杉 生 安武くに子 る 果 立 福 田 久 子 か 夜 煙 数 珠 の 輪 に 集 ふ 縁 者 ら 十 夜 寺 抜 十 く 川奈はる絵 射 て 焼 つ け を 敷 波 澄 衣 つ 殻 武田東洋子 裃 籾 お 十 夜 の 弥 陀 に 托 せ し 後 生 か な 西 川 青 女 の 寺 か か さ ず に 参 り し 母 や 十 夜 講 十 つ 講 夜 鉦 に 直 溝 口 眼 る 口 切 や 薄 化 粧 し て 伏 し 目 が ち き 加 藤 和 子 強 隼 笠 村 昌 代 の 隼 の つ ば さ 驟 雨 に 鞭 打 た れ ― 25 ― 波 頭 大塚そうび し 隼 水 野 幸 子 り 隼 や 伊 良 湖 の 風 の あ を あ を と 佐 藤 白 塵 尖 も ち 米 の 稲 穂 の 丈 の や や 低 し 佐 藤 裕 能 く 教 へ 子 の 文 抱 き て 逝 く 葉 月 か な 平 田 節 子 白 人 生 に 辻 と い ふ 岐 路 秋 あ か ね 小 野 啓 々 や 渡 り 鳥 数 多 の 点 の 動 く な り 掌 中嶋美知子 合 異 国 め く 丘 の 学 園 花 カ ン ナ は 大 平 青 葉 螂 棗 落 つ ア リ バ バ 噛 ん だ や う な 痕 蟷 山 田 洋 子 枯 生き 甲 斐は 死 に 甲斐 なりと 炉辺の 僧 き 髙 司 良 惠 尽 す 力 ― 26 ― 彩時記燦々 稲田眸子選 目貼して牛の産待つ一家かな 蟻 杉野正依 目貼して世情にうとく暮らしけり 本田 橋本やち 目貼して机の向きをかへにけり 山口慶子 目 貼 し て 古 里 遠 く な り に け り 水野幸子 目貼して世事には疎うなりにけ 田みゆき 目貼して薄き絵柄の花ちらす 布田尚子 目 貼 し て な ほ も 厳 し き 山 暮 し 川さち子 溝口 直 目貼して孤独に慣るることなか 宮崎敬介 目貼して空襲警報鳴り渡る 目貼して長き手紙を認むる 目貼せし生家廃家となりにけり 山岡英明 ◇目貼(めばり)【 冬・人事 】 目貼してそれでも聞こゆ外の音 荒木輝二 目貼することも面倒老いにけり 北里信子 目 貼 し て 温 泉 街 の 射 的 場 中田麻沙子 目 貼 し て 人 訪 れ ぬ 日 も 楽 し 石塚未知 目 貼 す る 仮 設 住 宅 隙 多 し 神永洋子 水野すみこ 目 貼 し て 老 い の 夫 婦 の 冬 支 度 北里典子 目貼する母に寄り添ひ語り合ふ 目貼して築百年の帯戸かな 目貼して秘密基地めく小部屋か 佐々木素風 目貼する家の中にもあるエロス 貞永あけみ 目 貼 し て 山 の 分 校 五 人 な り 中嶋美知子 目貼して夕餉の香り部屋に満つ 佐藤辰夫 大 広 間 離 れ 座 敷 も 目 貼 し て 和多哲子 溝部美和子 目 貼 し て 凌 ぎ し な ご り 古 机 佐藤裕能 ― 27 ― 野戻りの孕み牛にも目貼する 厩の窓目貼筵を下げる孫 今年また終の棲家の目貼りする 高橋敏惠 杉野正依 杉野正依 首藤加代 穴井梨影女 厚目貼子らは大人の真似をする 住み馴れん奥阿蘇暮し目貼して 隙 間 貼 る 去 年 貼 り た る 跡 の 上 上田雅子 目 貼 て ふ 手 技 に 祖 母 の 心 意 気 津田緋紗子 あたらしき目貼の匂ひかぐ子猫 榎並万里 飯野亜矢子 猫破る障子の目貼幾重にも 強 風 に 目 貼 の 紙 の 膨 ら み ぬ 長田民子 窓といふ窓に目貼や炭住街 五十嵐千恵子 目貼みな済ませしと母便りあり 仮住まひここに目貼のカレンダー 隙間貼る戦中戦後を生きて来し 奥土居淑子 山 小 屋 に 目 貼 あ ち こ ち 煤 の 色 堀内夢子 あちこちに目貼ほどこす庵かな 篠﨑代士子 仕 事 場 の 目 貼 賑 や か 始 ま り し 下城たず 節 穴 の 丸 に 四 角 の 目 貼 か な 北里千寿恵 母の間のまこと律儀な目貼かな 倉田洋子 教 室 の 目 貼 テ ー プ や 米 屋 の 子 勝浦敏幸 目 貼 あ と 指 で な ぞ り て 母 偲 ぶ 落合青花 山 宿 の 目 貼 重 ね て あ る 窓 辺 河津せい子 旅 一 夜 目 貼 の 宿 で 寝 酒 か な 矢下丁夫 目 貼 無 き 家 に 一 筋 隙 間 風 川西ふさえ 目貼とは遠く貧しき日々のこと 平田節子 山 の 宿 目 貼 の 古 き 硝 子 窓 橋本喜代志 橋本やち 武末和子 早 々 に 目 貼 了 へ た る 老 ひ 住 居 小野柳絮 その頃の母の目貼のすぐ剥がれ 柴田芙美子 ― 28 ― 東 に 傾 く 古 家 目 貼 か な 安武くに子 (じゅうやてら)・十夜講(じゅうやこう) 十夜寺へ急ぐ善男善女かな 十夜寺太き柱に寄りて座す 堀内夢子 津田緋紗子 小野柳絮 【 冬・人事 】 軒低き小さな漁村十夜寺 津田緋紗子 屋根裏の祖母の目貼やたるみ無し 目貼なき家に住まひて老いの朝 御沓加壽 日暮れまで煮炊きの匂ひ十夜寺 福田久子 宮本陸奥海 目貼など見たこともなき団地つ子 数珠の輪に集ふ縁者ら十夜寺 平田節子 押さへても戻るサッシの目貼かな 阿部鴫尾 拝み合ふ心がありて十夜寺 鐘 楼 に 子 の 声 弾 む 十 夜 寺 矢下丁夫 一男 山本枡一 説 法 も 経 も 短 き 十 夜 寺 南 桂介 牧 破 れ 障 子 母 の 目 貼 の 花 模 様 山本枡一 精 進 の お 膳 に つ ら れ 十 夜 寺 武末和子 佳苑 災 害 を う け し 心 の 隙 間 貼 る 笠村昌代 人 の 世 の 静 ま り 返 る 十 夜 寺 貞永あけみ 早々と庫裏灯りたる十夜寺 濱 心にも目貼のほしき日もありぬ 河野キヨ 農 神 に 赤 飯 供 へ 十 夜 庵 司良惠 叱られて目貼を終へて褒められて ◇十夜(じゅうや)・十夜婆(じゅうやばば)・十夜寺 十 夜 寺 籾 殻 を 焼 く 煙 立 つ 川奈はる絵 ― 29 ― 御 先 祖 に 日 頃 無 沙 汰 の 十 夜 粥 松村勝美 十夜粥すすりてぬくき六腑かな 田みゆき 十夜粥坊守さまは手八丁 落合青花 法 要 の 明 か り 洩 れ ゐ る 十 夜 寺 神永洋子 お十夜の眠気に揺らぐ阿弥陀堂 橋本喜代志 お十夜の弥陀に托せし後生かな お 十 夜 の 念 仏 唱 ふ 檀 那 寺 篠﨑代士子 かかさずに参りし母や十夜講 拝観の塔に列なす十夜講 武田東洋子 市川和子 善女の手やはらかきかな十夜粥 佐竹白吟 佐志原たま 世話役がゐてお十夜の寄付を請ふ 母語るお十夜のこと生き生きと お 十 夜 の 灯 り に ひ か る 傘 雫 牧 一男 敷波澄衣 思 い 出 は 語 る に 甘 し 十 夜 粥 冨岡賢一 念仏を噛みしめながら十夜粥 佐藤テル子 お 十 夜 の 不 断 念 仏 朝 の 靄 佐藤辰夫 椎名よし江 お十夜の土間子どもらで賑はひし 錦織正子 藤井隼子 大鍋のままにつぎ分け十夜粥 十 夜 粥 婆 の 遺 影 に 手 を 合 は す 阿部鴫尾 修 ひたすらに南無阿弥陀仏十夜婆 佐藤裕能 嫁 姑 説 話 に 承 く る 十 夜 婆 山口 おしゃべりの押さへ難くて十夜婆 寺 の 門 掃 き 清 め ら れ 十 夜 入 り 鎗水稔子 お十夜の法要の灯のゆらぎをり 笠村昌代 く つ き り と 指 輪 の 跡 や 十 夜 月 川西ふさえ 老 僧 の う な じ 白 々 十 夜 の 灯 松村れい子 松嶋民子 居 眠 り の 一 人 二 人 と 十 夜 経 津田緋紗子 ― 30 ― 新谷慶洲 母在らす遠きふるさと亥の子餅 薩摩芋小豆餡入れ亥の子餅 宮崎敬介 宮崎チク 蟻 眞如堂師を慕ひ打つ十夜鉦 落合青花 亡 き 母 の 子 ら は 息 災 亥 子 餅 松村れい子 家 中 の 神 に 供 へ し 亥 の 子 餅 本田 仏真寺名のみ残りし十夜かな 下城たず 里 山 の 里 の 味 す る 亥 の 子 餅 牧 一男 自 づ か ら 祖 母 と 十 夜 の お 念 仏 水野すみこ 開け放す御堂のお経十夜かな 松村れい子 妊 り し 娘 に 持 た す 亥 の 子 餅 濱 佳苑 松籟に燭定まらぬ十夜かな 慇 懃 に 押 し 頂 き ぬ 亥 の 子 餅 山田洋子 鉦 講 の 裃 つ け て 十 夜 果 つ 西川青女 椅子に座す老女ばかりの十夜かな 唐 臼 で 米 搗 き し 母 亥 の 子 餅 北里千寿恵 一 つ づ つ 父 そ し て 母 亥 の 子 餅 倉田洋子 (いのこつき) 亥の子唄(いのこうた)【 冬・人事 】 ◇亥の子(いのこ)・亥の子餅(いのこもち)・亥の子突 厚 厚 の 餡 の せ て ゐ る 亥 の 子 餅 城戸杉生 重箱にあんこたつぷり亥の子餅 佐藤美代子 戦さ無きあの頃のこと亥の子餅 川西ふさえ 幸あれと子らは両手に亥の子餅 笠村昌代 故 郷 の 唄 な つ か し や 亥 の 子 餅 河野キヨ 市川和子 爺 を 越 す 齢 重 ね よ 亥 の 子 餅 佐竹白吟 往診の医師にもひとつ亥の子餅 津田緋紗子 点と点結ぶ星座や亥の子餅 田 の 神 に 祈 り 捧 げ る 亥 の 子 餅 佐藤美代子 焼 き 印 の 縞 目 の 走 る 亥 の 子 餅 錦織正子 富岡いつ子 もてなしの盆に山盛り亥の子餅 司良惠 ― 31 ― ・ ふるさとや食べたきものに亥の子餅 城戸杉生 菓子鉢のひとつ取り分け亥の子餅 亥の子餅米寿の母と搗きませう 小野啓々 安武くに子 西川青女 亥の子餅回覧板と配らるる 佐志原たま 亥 の 子 餅 父 の ふ る 里 壱 岐 の 島 大塚そうび 亥の子餅今日も元気に遊ぶなり 亥の子餅搗かねば去らぬ蠅とや 河津悦子 小野京子 亥 の 子 餅 嫁 の 手 捌 き 鮮 や か に 河津昭子 一族のまばらとなりし亥の子かな 裏口に陽の差してゐる亥の子かな 水野幸子 カレー鍋ことこと煮えて亥の子かな 堀内夢子 亥 の 子 餅 母 八 十 五 歳 恙 な く 高橋紘子 亥 の 子 唄 歌 ふ 子 餅 を 頬 張 る 子 溝部美和子 亥 の 子 唄 ま た 口 づ さ む 七 十 翁 御沓加壽 疎開せし頃の亥の子のこと語る 山岡英明 亥の子餅ほうばり子等は健やか 田﨑茂子 地 に 響 き 天 に も 届 け 亥 の 子 唄 佐々木素風 亥 の 子 餅 畦 道 通 り 配 ら る る 城戸杉生 亥 の 子 餅 炉 の 間 の 広 き 春 徳 寺 富岡いつ子 亥の子突声大き子の褒めらるる 長田民子 亥 の 子 突 子 等 口 そ ろ へ 囃 し 歌 佐竹白吟 和多哲子 村 人 の 家 々 明 し 亥 の 子 突 勝浦敏幸 亥の子餅はにかみながら配りけり 亥 の 子 餅 村 よ り 消 え し 童 唄 松村勝美 ― 32 ― 綱を引く子等は賑やか亥の子突 佐々木紀昭 口切や席譲りあふひとときも 西川青女 藤井隼子 口 切 や 母 手 づ く り の 竹 茶 筅 中川英堂 口切や晴着も湯気も改まる 布田尚子 ◇口切(くちきり)【 冬・人事 】 口切や母は葡萄茶の似合ふ歳 口切や母の面輪のあはあはと 大平青葉 口 切 や 一 幅 掛 の 一 円 相 永福倫子 口 切 や 茶 道 に 三 家 さ か へ を り 本田 口 切 や 青 春 の 日 の 稽 古 事 小野柳絮 口切や手許に残す楽茶碗 口切や土間炉にも神酒塩供へ 市川和子 穴井梨影女 口 切 や 侘 び の 心 に ふ る る 夜 松村勝美 口切や逝きたる人を偲び合ふ 口切や薄化粧して伏し目がち 口切や米寿の父を正客に 溝部美和子 溝口 直 濱 佳苑 蟻 口 切 や 遠 来 の 客 三 人 あ り 奥土居淑子 口 切 や 茶 壺 の 紐 の 良 き 結 び 石塚未知 口 切 や 明 る き 庭 を 背 に し た る 後藤 章 章 口切の一会思はぬ人と会ふ 口 切 や 姿 見 に 立 ち 帯 ぽ ん と 山田洋子 口 切 や 母 に 似 て 来 し 子 の 仕 草 水野幸子 口 切 や 膝 を 正 し て 控 へ を り 水野すみこ 口 切 や 漏 れ 来 る 声 は 水 屋 よ り 後藤 章 落合青花 口 切 や 水 屋 箪 笥 も 古 び た り 後藤 口 切 の 草 履 一 つ を 新 調 す 小野啓々 口切や俄茶人となりて座す 口 切 や 塵 一 つ な き 四 畳 半 神永洋子 口 切 の 一 輪 に 身 を 正 し け り 笠村昌代 五十嵐千恵子 口 切 や 茶 入 れ に 小 さ き 象 牙 蓋 敷波澄衣 ― 33 ― 口 切 の 席 に 秘 蔵 の 茶 碗 あ り 橋本喜代志 口 切 の 水 屋 に こ こ ろ 正 し け り 錦織正子 口切の招待状の封を切る 口 切 の 茶 事 の 風 呂 敷 千 羽 鶴 篠﨑代士子 口 切 の 心 新 た に 門 く ぐ る 北里典子 口切のお薄の茶銘松の華 隼 の つ ば さ 驟 雨 に 鞭 打 た れ 笠村昌代 隼 の 如 き 列 車 に 後 す ざ り 河津悦子 隼の強き眼に射抜かるる 隼の真つ逆さまや餌を狙ふ 隼の縄張りにある我が家かな (ちょうげんぼう) 加藤和子 上田雅子 奥土居淑子 【 冬・動物 】 ◇隼(はやぶさ)・鷹(たか)・差羽(さしば)・長元坊 鎗水稔子 口 切 の 挽 き 茶 の 緑 あ ら た な り 福田久子 隼 の 滞 空 の と き 胸 躍 る 和 の 心 し か と 茶 壷 の 口 を 切 る 佐竹白吟 口 切 に 笛 の 師 の ゐ て 主 客 な る 山岡英明 口 切 に 芋 羊 羹 の 届 け ら れ 松嶋民子 隼 の 飛 ん で み 空 の 青 深 む 敷波澄衣 隼 の 雄 姿 ぽ つ ん と 暮 れ 行 き し 椎名よし江 隼 の 十 字 切 る ご と 土 手 の 空 佐藤辰夫 隼 の 瞳 に 映 る 日 本 海 佐志原たま 髙司良惠 口 切 の お 茶 を 飲 み 干 す 奥 座 敷 御沓加壽 隼 の 獲 物 追 ふ 眼 の 爛 々 と 佐々木素風 堺 な る 口 切 茶 会 に ぎ に ぎ し 新谷慶洲 隼 の 哀 し き ま で に 眼 澄 む 濱 佳苑 北里千寿恵 口 切 に 名 水 汲 み て 来 り け り 松村れい子 威儀を正して口切のおもてなし 阿部王一 隼 の 一 気 の 降 下 餌 に 迫 る 村田文雄 ― 34 ― 隼 を 怖 い と 孫 や 檻 の 中 阿部鴫尾 隼 を 見 る こ と も な き 街 に 住 む 堀内夢子 隼 を 追 ふ 目 親 子 の 目 の 似 た る 宮崎敬介 隼は夢まぼろしか空の果て 隼は翼をひろげ弧を描く 隼 や 白 く 尖 り し 波 頭 隼の急降下して何捕らむ 隼の飛礫の降下波頭まで 隼の鋭きまなこにある虚ろ 榎並万里 隼 や 逆 落 し く る 屏 風 岩 山田洋子 隼や伊良湖の風のあをあをと 篠﨑代士子 水野幸子 大塚そうび 溝口 直 山口 山口慶子 散 居 村 鷹 渡 る あ の 垣 根 か ら 大平青葉 鷹 匠 は 凛 々 し い 娘 笛 一 吹 高橋紘子 一 湾 の う ね り 一 と 潮 長 元 坊 布田尚子 天 空 で 差 羽 は 点 に 伊 良 湖 岬 山口 剥 製 の 隼 を 置 く 奥 座 敷 ハヤブサを天空高く見失ふ 旋 回 す 隼 高 く な を 高 く 渡りきて隼海に弧を描く 野辺送りふいに隼現るる 高橋敏惠 浜田正弘 宮崎チク 平田節子 利光幸子 崖 上 に 隼 一 羽 大 瀬 崎 富岡いつ子 断 崖 に 隼 翼 休 め を り 佐藤美代子 柴田芙美子 隼 に つ い に 襲 は れ 雀 の 子 佐藤テル子 鷹 匠 の そ れ と 声 か け 鷹 放 つ 松嶋民子 断崖を一瞬隼かも知れぬ 隼と眼と眼が合うてしまひけり 阿部王一 ◇秋の暮(あきのくれ)【 秋・時候 】 修 天 空 の 隼 の 眼 に 威 嚇 さ る 荒木輝二 辻 に 立 ち 帰 り を 待 つ 秋 の 暮 髙松くみ 修 何 も か も 見 通 す が ご と 隼 の 目 篠田和美 ― 35 ― 点描の絵に見とれゐて秋暮れぬ 札 の 辻 東 海 道 の 秋 の 暮 宮本陸奥海 新谷慶洲 ◇秋(あき)【 秋・時候 】 宵 闇 の 辻 雪 洞 も 風 の 盆 川西ふさえ 辻 々 を 踊 り 流 る る 風 の 盆 佐藤裕能 秋航や島影暗く点じたる 加藤和子 点 点 と 宿 の 灯 映 ゆ る 秋 の 潟 福田久子 秋暮るる辻占売りの女の子 ◇天高し(てんたかし)【 秋・天文 】 穴井梨影女 辻 の 茶 屋 山 か け う ど ん 天 高 し 下城たず ◇秋彼岸(あきひがん)【 秋・時候 】 橋本やち 棟上げの乾杯いよよ天高し この辻にいつも会ふ人冬ぬくし 大塚そうび 秋 彼 岸 一 点 見 据 へ 耐 え て を り 首藤加代 袋 提 げ 月 の 客 と や 十 七 人 佐渡節子 満 点 の 子 の 答 案 や 冬 ぬ く し 五十嵐千恵子 折 り 返 し 地 点 す ぐ そ こ 天 高 し 武田東洋子 大 木 と な れ る 記 念 樹 望 の 月 奥土居淑子 ◇小春(こはる)【 冬・時候 】 坊 守 の 得 度 の 報 せ 秋 彼 岸 安武くに子 虚子愛でし満月の庭吾も愛でる 中川英堂 辻に出てどつちへ行こか街小春 宮本陸奥海 辻 馬 車 の 轍 の 響 き 天 高 し 利光幸子 名 月 や 辻 に 零 る る 人 の 声 小野啓々 欠 点 も 長 所 の 一 つ 小 春 凪 利光幸子 ◇冬ぬくし(ふゆぬくし)【 冬・時候 】 ◇風の盆(かぜのぼん)【 秋・人事 】 ◇寒し(さむし)【 冬・時候 】 ◇月(つき)【 秋・天文 】 三 味 の 撥 真 夜 高 高 と 風 の 盆 和多哲子 ― 36 ― 破魔矢買ひ樽の枡酒もてなされ どの巫女の手より破魔弓授かろ 梅島くにを 梅島くにを 【 新年・人事 】 ◇秋風(あきかぜ)【 秋・天文 】 ◇御輿(み こし)【 夏 ・ 人 事 】 湯 の 町 の 辻 占 売 り に 風 寒 し 佐志原たま 辻 か ら 辻 へ 秋 風 通 る 陣 屋 跡 中田麻沙子 豊穣を願ふ御興や宮の夏 辻 地 蔵 揃 ひ の 赤 き 毛 糸 帽 高橋敏惠 老 妻 や 籠 に 五 色 の 毛 糸 玉 梅島くにを ◇毛糸(けいと)【 冬・人事 】 と き め き の 文 携 へ て 小 鳥 来 る 小野京子 往 還 の 辻 一 番 地 小 鳥 来 る 河津悦子 ◇小鳥来る(ことりくる)【 秋・動物 】 赤トンボ辻で別るるランドセル 山口慶子 川奈はる絵 秋 風 や 古 り た る 辻 の 道 し る べ 水野すみこ 四 つ 辻 に い よ い よ 神 輿 現 る る 南 桂介 ◇夜業(やぎょう)【 秋・人事 】 ◇蟷螂(かまきり)【 秋・動物 】 点眼の頬にそれゐし寒さかな ◇霜(しも)【 冬・天文 】 ◇赤蜻蛉(あかとんぼ)【 秋・動物 】 夜 業 す る 芭 蕉 の 辻 と 職 場 神永洋子 小 斧 も た げ て 威 嚇 す る 子 蟷 螂 北里典子 倉田洋子 林 奈美子 辻 に 出 て 子 ら を 見 送 る 霜 の 朝 浜田正弘 赤蜻蛉群れて愛しき辻の空 捗 ら ぬ 栗 の 皮 剥 く 夜 な べ か な 河津昭子 一 点 を 見 つ め 蟷 螂 動 か ざ る 宮森和子 かな 霜 晴 や 声 は り あ げ て 点 呼 と る 濱 佳苑 ◇破魔弓(はまゆみ)・破魔矢(はまや) ― 37 ― ◇曼珠沙華(まんじゅしゃげ)・彼岸花(ひがんばな) 【 秋・植物 】 宮森和子 畦 道 の 右 側 ば か り 曼 珠 沙 華 藤井隼子 その辻を曲れば師の家彼岸花 ◇草の花(くさのはな)【 秋・植物 】 勝浦敏幸 芙 蓉 咲 く 辻 が 目 印 お い で ま せ 川奈はる絵 ◇稲穂(い なほ)【 秋 ・ 植 物 】 点々と雀隠れる稲穂かな も ち 米 の 稲 穂 の 丈 の や や 低 し 佐藤白塵 ◇大根(だいこん)【 冬・植物 】 一灯を点ず大根の煮ゆる頃 清 人 生 に 満 点 は な し 草 の 花 本田 萎 び ゆ く 青 首 大 根 日 が 暮 る る 榎並万里 石渡 里 人 の 守 る 辻 堂 や 草 の 花 松村れい子 ◇葉月(はづき)【 秋・時候 】 蟻 ◇木犀(もくせい)【 秋・植物 】 教へ子の文抱きて逝く葉月かな ◇芙蓉(ふよう)【 秋・植物 】 雨 の 日 の 深 き お じ ぎ や 萩 の 花 宮川洋子 気楽にと言ひつつ御点前萩の花 宮川洋子 ◇萩の花(はぎのはな)【 秋・植物 】 四 つ 辻 に 移 り 気 な 風 金 木 犀 橋本喜代志 沸 点 の 薬 缶 の 悲 鳴 今 朝 の 秋 落合青花 ◇今朝の秋(けさのあき)【 秋・時候 】 秋 立 つ や 辻 の 三 叉 路 道 し る べ 宮崎チク ◇秋立つ(あきたつ)【 秋・時候 】 辻 に 吹 く 風 白 秋 と な り に け り 福田久子 ◇白秋(はくしゅう)【 秋・時候 】 佐藤裕能 辻 々 の 金 木 犀 を 嗅 い で ゆ く 御沓加壽 芙蓉咲き今朝も聞きゐる辻説法 佐々木紀昭 ― 38 ― ◇秋うらら(あきうらら)【 秋・時候 】 ◇秋の日(あきのひ)【 秋・天文 】 辻 に 立 ち 給 ふ 露 け き 炎 焔 仏 武田東洋子 加藤和子 秋 う ら ら 辻 に 募 金 の 女 高 生 富岡いつ子 ◇台風(たいふう)【 秋・天文 】 一 点 を 見 つ め ゐ る 孫 秋 の 空 佐渡節子 ◇秋の空(あきのそら)【 秋・天文 】 秋の日の点となりたる湖心かな 北里信子 長田民子 ◇秋涼し(あきすずし)【 秋・時候 】 秋涼しどのベンチにも人のゐる ◇身に入む(みにしむ)【 秋・時候 】 身に入むや吾が禅宗に十夜無し 佐藤年緒 こ こ だ け の 話 拡 が る 大 花 野 平田節子 台風の接近憂ふ異国の空 ◇鰯雲(いわしぐも)【 秋・天文 】 ◇苅田(かりた)【 秋・地理 】 ◇霧(きり)【 秋・天文 】 幼 ら の 遊 ぶ 声 し て 鰯 雲 藤井隼子 図書館へ苅田の道を抜けて行く 上田雅子 ◇花野(はなの)【 秋・地理 】 ◇羊雲(ひつじぐも)【 秋・天文 】 ◇川澄む(かわすむ)【 秋・地理 】 山 裾 を 撫 で つ つ 霧 の 流 れ 消 ゆ 長田民子 偏 西 風 吹 き て 空 に は 羊 雲 田﨑茂子 や ん ば る に 生 き る 人 々 豊 の 秋 松嶋民子 ◇豊の秋(とよのあき)【 秋・人事 】 安 曇 野 へ 山 又 山 や 川 澄 め り 永福倫子 桂介 ◇十三夜(じゅうさんや)【 秋・天文 】 辻占と目が合ふてゐる十三夜 南 ◇露けし(つゆけし)【 秋・天文 】 ― 39 ― 点 滴 の 母 の 病 室 秋 簾 村田文雄 ◇秋簾(あきすだれ)【 秋・人事 】 清張の「点と線」読む夜長かな ◇夜長(よなが)【 秋・人事 】 母 語 る 十 二 歳 の 頃 震 災 忌 松くみ 鍛 冶 町 の 辻 を 曲 が り て 温 め 酒 南 桂介 ◇温め酒(ぬくめざけ)【 秋・人事 】 口切の新走りまづ仏壇に 里 祭 子 に せ が ま る る 辻 芝 居 上田雅子 ◇里祭(さとまつり)【 秋・人事 】 微笑みを浮かべし夫の魂迎え ◇魂迎え(たまむかえ)【 秋・人事 】 武末和子 ◇新走り(しんばしり)【 秋・人事 】 ◇盆(ぼん)【 秋・人事 】 ◇夜学(やがく)【 秋・人事 】 佐渡節子 盆 近 し 辻 の 家 未 だ 留 守 の ま ま 安武くに子 百点は取れずじまいや夜学の子 首藤加代 秋 灯 読 み 返 し ゐ る 「 点 と 線 」 宮森和子 ◇秋灯(あきともし)【 秋・人事 】 稲架裾に赤い靴見えかくれんぼ 中嶋美知子 ◇稲架(はざ)【 秋・人事 】 辻 売 り の 姉 さ ん 被 り 菊 車 中嶋美知子 再 会 を 約 し て 今 朝 も 墓 洗 ふ 杉野豊子 ◇墓洗ふ(はかあらう)【 秋・人事 】 辻 々 に 掛 け 声 高 し 秋 祭 杉野豊子 ◇秋祭(あきまつり)【 秋・人事 】 新 盆 の 辻 の 家 あ り 萩 白 し 杉野正依 ◇新盆(にいぼん)【 秋・人事 】 佐藤テル子 ◇菊車(きくぐるま)【 秋・人事 】 ◇震災忌(しんさいき)【 秋・人事 】 ― 40 ― 椎名よし江 ◇燈火親しむ(とうかしたしむ)【 秋・人事 】 愛読書燈火親しむ枕辺に ◇敗戦忌(はいせんき)【 秋・人事 】 山岡英明 辻褄の合はぬ話や蚊の名残 ◇渡り鳥(わたりどり)【 秋・動物 】 小野柳絮 首藤加代 渡 り 鳥 数 多 の 点 の 動 く な り 小野啓々 敗 戦 忌 加 藤 隼 戦 闘 隊 ◇稲雀(いなすずめ)【 秋・動物 】 燕 去 ぬ 豪 雨 の 多 き 国 後 に 城戸杉生 ◇帰燕(きえん)【 秋・動物 】 稲 雀 満 腹 の 腹 抱 え 飛 ぶ 山口慶子 ◇秋例大祭(あきのれいだいさい)【 秋・人事 】 辻々に秋例大祭の旗なびく ◇穴惑ひ(あなまどい)【 秋・動物 】 人 生 に 辻 と い ふ 岐 路 秋 あ か ね 平田節子 ◇秋茜(あきあかね)【 秋・動物 】 百 舌 鳥 を 追 ふ 隼 鋭 く 一 啼 き し 浜田正弘 ◇百舌鳥(もず)【 秋・動物 】 六 尺 の 桶 の 露 天 湯 桐 一 葉 鎗水稔子 ◇桐一葉(きりひとは)【 秋・植物 】 旅 人 の 貌 し て 過 ぐ る 芒 原 川さち子 ◇芒(すすき)【 秋・植物 】 瓜 坊 は 亥 の 子 も 亥 の 子 人 気 者 杉野豊子 ◇瓜坊(うりぼう)【 秋・動物 】 ◇雁(かり)【 秋・動物 】 ◇木犀(もくせい)【 秋・植物 】 水野幸子 竿 や が て 点 と な り ゆ く 雁 の 空 錦織正子 木 犀 の 名 残 の 空 に 燈 を 点 す 中田麻沙子 辻堂に消えてゆきたる穴まどひ ◇蚊の名残(かのなごり)【 秋・動物 】 ― 41 ― ◇露草(つゆくさ)【 秋・植物 】 異 国 め く 丘 の 学 園 花 カ ン ナ 中嶋美知子 ◇花カンナ(はなかんな)【 秋・植物 】 ◇棗(なつめ)【 秋・植物 】 ぱぴぷぺぽ半濁点の吾亦紅 ◇吾亦紅(われもこう)【 秋・植物 】 紅 葉 酒 語 尾 を 濁 し て 別 れ け り 石塚未知 大平青葉 飯野亜矢子 露 草 や 切 石 一 つ 馬 の 墓 中嶋美知子 棗落つアリババ噛んだやうな痕 小野京子 ◇紫式部の実(むらさきしきぶのみ)【 秋・植物 】 日の雫月の雫や実むらさき ◇花木槿(はなむくげ)【 秋・植物 】 ◇葛の花(くずのはな)【 秋・植物 】 辻 々 に 盆 花 絶 え ぬ 地 蔵 尊 中川英堂 ◇蜜柑(みかん)【 秋・植物 】 銀杏を踏みしタイヤのかろき音 佐藤白塵 ◇銀杏(ぎんなん)【 秋・植物 】 清 葛 咲 け り 水 塚 に 遺 る 水 禍 あ と 中田麻沙子 四 つ 辻 の ど の 道 ゆ く も 密 柑 山 川さち子 石渡 宮森和子 ◇萩の花(はぎのはな)【 秋・植物 】 点々と花粒おとし風の萩 ◇竹の春(たけのはる)【 秋・植物 】 箒目に日の移りゆく竹の春 ◇コスモス(こすもす)【 秋・植物 】 ◇木の実(このみ)【 秋・植物 】 花 木 槿 供 物 あ ふ る る 辻 地 蔵 敷波澄衣 辻塞ぐコスモスを手で矯め会釈 佐藤白塵 石 段 に 木 の 実 降 る 音 弾 む 音 宮川洋子 ◇盆花(ぼんばな)【 秋・植物 】 ◇紅葉(もみじ)【 秋・植物 】 ― 42 ― 落ち栗やここも過疎なる村の辻 河津せい子 ◇栗(くり)【 秋・植物 】 ◇冬晴れ(ふゆばれ)【 冬・時候 】 冬立つや治療に通ひ 早や二年 ◇師走(しわす)【 冬・時候 】 辻売女蟹を並べし師走かな 宮本陸奥海 矢下丁夫 錦織正子 お 点 前 に 畏 ま る 子 の 膝 寒 し 河津せい子 ◇寒し(さむし)【 冬・時候 】 冬晴れの辻風の声子らの声 清 清 ◇団栗(どんぐり)【 秋・植物 】 石渡 ど ん 栗 の 唄 を 歌 う て 母 老 い ぬ 石渡 ◇葡萄(ぶどう)【 秋・植物 】 黒ぶだう甘し赤児の寝息もや ◇紫蘇の実(しそのみ)【 秋・植物 】 ◇歳晩(さいばん)【 冬・時候 】 歳 晩 や 足 踏 み で 待 つ 交 差 点 高橋敏惠 大平青葉 ◇林檎(りんご)【 秋・植物 】 ◇時雨(しぐれ)【 冬・天文 】 紫蘇の実の如慎ましき家系かな 点 描 の り ん ご は 紅 し 卓 の 上 小野京子 寒 空 の 中 大 樽 に 菜 を 漬 け る 榎並万里 ◇寒空(さむぞら)【 冬・天文 】 木 枯 し や 空 缶 こ ろ げ ゆ き し 辻 松村勝美 ◇木枯し(こがらし)【 冬・天文 】 時 雨 る る や 猿 の 守 り し 猿 ケ 辻 佐々木素風 直 清 ◇霜月(しもつき)【 冬・時候 】 霜 月 の 声 裏 返 る 辻 楽 士 石渡 ◇冬に入る(ふゆにいる)【 冬・時候 】 辻馬車も消えし湯布院冬に入る 溝口 ◇冬立つ(ふゆたつ)【 冬・時候 】 ― 43 ― ◇枯野(かれの)【 冬・地理 】 点 と 線 列 車 の 旅 を 冬 の 海 貞永あけみ ◇冬の海(ふゆのうみ)【 冬・地理 】 凍 星 や 傍 点 を 打 つ 福 音 書 大塚そうび ◇凍星(いてぼし)【 冬・天文 】 咳 ひ と つ 点 灯 さ れ し 門 を 入 る 冨岡賢一 ◇咳(せき)【 冬・人事 】 辻褄の合はぬ話の日向ぼこ ◇日向ぼこ(ひなたぼこ)【 冬・人事 】 は ん な り と 変 身 ど す ゑ 冬 帽 子 布田尚子 ◇冬帽子(ふゆぼうし)【 冬・人事 】 河野キヨ 点 滅 の 信 号 過 ぎ て ま た 枯 野 田みゆき ◇木の葉髪(このはがみ)【 冬・人事 】 点 呼 と る 夜 学 教 師 や 木 の 葉 髪 佐竹白吟 辻を曲がり帰宅の父の咳聞こゆ 山岡英明 焼 き 芋 の 車 が 辻 を 曲 り く る 武末和子 ◇焼き芋(やきいも)【 冬・人事 】 四 つ 辻 に 二 八 行 燈 夜 鷹 蕎 麦 村田文雄 溝部美和子 ◇衿立てる(えりたてる)【 冬・人事 】 辻々に吹く風に皆衿を立て ◇障子(しょうじ)【 冬・人事 】 ◇猪垣(いのがき)【 冬・人事 】 ◇夜鷹蕎麦(よたかそば)【 冬・人事 】 さ く ら 型 目 貼 ね ん ご ろ 白 障 子 山田洋子 猪 垣 と お も ふ 電 流 一 瞥 す 川奈はる絵 ◇咳(せき)【 冬・人事 】 ◇炉(ろ)【 冬・人事 】 ◇冬休み(ふゆやすみ)【 冬・人事 】 生き甲斐は死に甲斐なりと炉辺の僧 山田洋子 ― 44 ― 辻ごとに子等の喚声冬休み ◇酉の市(とりのいち)【 冬・人事 】 修 石塚未知 酉の市年増ばかりのバーに寄る 山口 ◇クリスマス(くりすます)【 冬・人事 】 ◇筆はじめ(ふではじめ)【 新年・人事 】 一 点 を 見 つ め 一 気 に 筆 は じ め 田﨑茂子 ◇初芝居(はつしばい)【 新年・人事 】 目張りせし海老様見栄切る初芝居 辻 一 つ 入 り て 老 舗 の 酢 茎 漬 市川和子 ◇酢茎(すぐき)【 冬・植物 】 辻 四 つ 曲 れ ど 続 く 枯 芙 蓉 五十嵐千恵子 ◇枯芙蓉(かれふよう)【 冬・植物 】 力 尽 き 枯 蟷 螂 は 合 掌 す 髙司良惠 ◇枯蟷螂(かれとうろう)【 冬・動物 】 辻 町 の 一 賑 ひ や 歳 用 意 和多哲子 ◇歳用意(としようい)【 冬・人事 】 ◇柳(やなぎ)【 春・植物 】 原子の火点火の極みフクシマ忌 山本枡一 ◇フクシマ忌(ふくしまき)【 春・人事 】 辻 ご と の 古 き 矢 印 遍 路 道 利光幸子 ◇遍路(へんろ)【 春・人事 】 由 布 院 の 辻 馬 車 開 き 春 浅 し 阿部王一 ◇春浅し(はるあさし)【 春・時候 】 巫 女 二 人 初 鶏 へ 餌 運 び 来 し 梅島くにを ◇初鶏(はつどり)【 新年・動物 】 山本枡一 ◇冬至南瓜(とうじかぼちゃ)【 冬・植物 】 城 郭 の 都 市 の 水 辺 の 青 柳 佐藤年緒 点 滅 の 出 窓 の 灯 り ク リ ス マ ス 村田文雄 辻 売 に あ が な ふ 冬 至 南 瓜 か な 田みゆき ― 45 ― 朝 涼 や 水 上 に 吹 く 神 楽 笛 西川青女 ◇朝涼(あさすず)【 夏・時候 】 海 苔 ひ び に か も め 点 点 点 点 と 和多哲子 ◇海苔(のり)【 春・植物 】 何よりも冷麦好きな孫来る ◇冷麦(ひやむぎ)【 夏・人事 】 甲子園汗の拳の猛るかな ◇甲子園(こうしえん)【 夏・人事 】 真つ新の大船鉾や辻回る ◇夏休み(なつやすみ)【 夏・人事 】 点々と小さき足跡夏休み ◇日傘(ひがさ)【 夏・人事 】 柴田芙美子 倉田洋子 北里千寿恵 飯野亜矢子 辻 溢 れ 宵 山 の 灯 の 煌 々 と 宮崎敬介 ◇宵山(よいやま)【 夏・人事 】 ナ イ タ ー の 白 熱 続 く 一 点 差 宮崎チク 点 描 の 画 伯 の 花 火 打 ち 揚 が り 高橋紘子 ◇花火(はなび)【 夏・人事 】 天 空 に 鐘 打 ち 鳴 ら す 夏 帽 子 椎名よし江 ◇夏帽子(なつぼうし)【 夏・人事 】 佐藤年緒 鎗水稔子 ◇炎暑(えんしょ)【 夏・時候 】 青信号待ちの四辻の炎暑かな ◇炎天(えんてん)【 夏・天文 】 炎 天 や 昇 龍 刻 む 屋 根 瓦 ◇花火(はなび)【 夏・人事 】 ◇蝸牛(かたつむり)【 夏・動物 】 日 傘 さ す 女 描 き し 点 描 画 佐藤年緒 点 と 線 清 の 花 火 絵 音 聞 こ ゆ 篠田和美 墓 碑 銘 の 句 読 点 め く 蝸 牛 永福倫子 ◇ナイター(ないたー)【 夏・人事 】 ◇船鉾(ふなほこ)【 夏・人事 】 ― 46 ― ◇薔薇(ばら)【 夏・植物 】 永福倫子 点眼の頬にそれゐし寒さかな 川奈はる絵 霜 晴 や 声 は り あ げ て 点 呼 と る 濱 佳苑 一点を見つめ蟷螂動かざる 薔薇咲くや辻馬車走る石畳 ◇韮の花(にらのはな)【 夏・植物 】 人 生 に 満 点 は な し 草 の 花 本田 宮森和子 陽 当 り て 蝶 数 を 増 す 韮 の 花 穴井梨影女 気楽にと言ひつつ御点前萩の花 宮川洋子 秋 航 や 島 影 暗 く 点 じ た る 穴井梨影女 折 り 返 し 地 点 す ぐ そ こ 天 高 し 武田東洋子 点描の絵に見とれゐて秋暮れぬ 宮本陸奥海 ◇点 秋 灯 読 み 返 し ゐ る 「 点 と 線 」 宮森和子 点 滴 の 母 の 病 室 秋 簾 村田文雄 一 点 を 見 つ め ゐ る 孫 秋 の 空 佐渡節子 秋の日の点となりたる湖心かな 沸点の薬缶の悲鳴今朝の秋 一灯を点ず大根の煮ゆる頃 点々と雀隠れる稲穂かな 加藤和子 落合青花 石渡 勝浦敏幸 蟻 ◇百日紅(さるすべり)【 夏・植物 】 点 点 と 宿 の 灯 映 ゆ る 秋 の 潟 福田久子 清張の「点と線」読む夜長かな 武末和子 飯野亜矢子 秋 彼 岸 一 点 見 据 へ 耐 え て を り 首藤加代 百点は取れずじまいや夜学の子 首藤加代 辻 多 き 住 宅 街 の 百 日 紅 満 点 の 子 の 答 案 や 冬 ぬ く し 五十嵐千恵子 竿 や が て 点 と な り ゆ く 雁 の 空 錦織正子 清 欠 点 も 長 所 の 一 つ 小 春 凪 利光幸子 ― 47 ― お 点 前 に 畏 ま る 子 の 膝 寒 し 河津せい子 点 描 の り ん ご は 紅 し 卓 の 上 小野京子 ぱぴぷぺぽ半濁点の吾亦紅 点々と花粒おとし風の萩 木犀の名残の空に燈を点す 飯野亜矢子 宮森和子 中田麻沙子 墓碑銘の句読点めく蝸牛 点描の画伯の花火打ち揚がり 日傘さす女描きし点描画 点々と小さき足跡夏休み 点と線清の花火絵音聞こゆ ナイターの白熱続く一点差 永福倫子 高橋紘子 佐藤年緒 飯野亜矢子 篠田和美 宮崎チク 海 苔 ひ び に か も め 点 点 点 点 と 和多哲子 歳晩や足踏みで待つ交差点 ◇辻 渡 り 鳥 数 多 の 点 の 動 く な り 小野啓々 凍 星 や 傍 点 を 打 つ 福 音 書 大塚そうび 札 の 辻 東 海 道 の 秋 の 暮 新谷慶洲 一 点 を 見 つ め 一 気 に 筆 は じ め 田﨑茂子 点 滅 の 出 窓 の 灯 り ク リ ス マ ス 村田文雄 点 呼 と る 夜 学 教 師 や 木 の 葉 髪 佐竹白吟 咳 ひ と つ 点 灯 さ れ し 門 を 入 る 冨岡賢一 点 滅 の 信 号 過 ぎ て ま た 枯 野 田みゆき この辻にいつも会ふ人冬ぬくし 大塚そうび 宵 闇 の 辻 雪 洞 も 風 の 盆 川西ふさえ 辻 々 を 踊 り 流 る る 風 の 盆 佐藤裕能 名 月 や 辻 に 零 る る 人 の 声 小野啓々 辻 馬 車 の 轍 の 響 き 天 高 し 利光幸子 辻 の 茶 屋 山 か け う ど ん 天 高 し 下城たず 高橋敏惠 点 と 線 列 車 の 旅 を 冬 の 海 貞永あけみ 原子の火点火の極みフクシマ忌 山本枡一 ― 48 ― 秋 風 や 古 り た る 辻 の 道 し る べ 水野すみこ 辻 か ら 辻 へ 秋 風 通 る 陣 屋 跡 中田麻沙子 湯の町の辻占売りに風寒し 辻に出てどつちへ行こか街小春 佐志原たま 宮本陸奥海 秋 う ら ら 辻 に 募 金 の 女 高 生 富岡いつ子 秋立つや辻の三叉路道しるべ 辻 に 吹 く 風 白 秋 と な り に け り 福田久子 芙 蓉 咲 く 辻 が 目 印 お い で ま せ 川奈はる絵 芙蓉咲き今朝も聞きゐる辻説法 辻 占 と 目 が 合 ふ て ゐ る 十 三 夜 南 桂介 宮崎チク 佐々木紀昭 辻 に 出 て 子 ら を 見 送 る 霜 の 朝 浜田正弘 倉田洋子 かな 赤蜻蛉群れて愛しき辻の空 盆 近 し 辻 の 家 未 だ 留 守 の ま ま 安武くに子 辻 に 立 ち 給 ふ 露 け き 炎 焔 仏 武田東洋子 四つ辻にいよいよ神輿現るる 南 辻 売 り の 姉 さ ん 被 り 菊 車 中嶋美知子 山口慶子 辻 地 蔵 揃 ひ の 赤 き 毛 糸 帽 高橋敏惠 里 祭 子 に せ が ま る る 辻 芝 居 上田雅子 赤トンボ辻で別るるランドセル 往 還 の 辻 一 番 地 小 鳥 来 る 河津悦子 新 盆 の 辻 の 家 あ り 萩 白 し 杉野正依 鍛 冶 町 の 辻 を 曲 が り て 温 め 酒 南 桂介 そ の 辻 を 曲 れ ば 師 の 家 彼 岸 花 宮森和子 辻 々 に 掛 け 声 高 し 秋 祭 杉野豊子 夜 業 す る 芭 蕉 の 辻 と 職 場 神永洋子 里 人 の 守 る 辻 堂 や 草 の 花 松村れい子 辻 々 に 秋 例 大 祭 の 旗 な び く 山口慶子 桂介 辻 々 の 金 木 犀 を 嗅 い で ゆ く 御沓加壽 辻堂に消えてゆきたる穴まどひ 水野幸子 四 つ 辻 に 移 り 気 な 風 金 木 犀 橋本喜代志 ― 49 ― 辻 々 に 盆 花 絶 え ぬ 地 蔵 尊 中川英堂 辻褄の合はぬ話や蚊の名残 人生に辻といふ岐路秋あかね 小野柳絮 平田節子 辻ごとに子等の喚声冬休み 焼き芋の車が辻を曲りくる 四つ辻に二八行燈夜鷹蕎麦 辻褄の合はぬ話の日向ぼこ 石塚未知 武末和子 村田文雄 河野キヨ 辻 町 の 一 賑 ひ や 歳 用 意 和多哲子 辻塞ぐコスモスを手で矯め会釈 佐藤白塵 花木槿供物あふるる辻地蔵 辻 四 つ 曲 れ ど 続 く 枯 芙 蓉 五十嵐千恵子 敷波澄衣 四 つ 辻 の ど の 道 ゆ く も 密 柑 山 川さち子 辻 一 つ 入 り て 老 舗 の 酢 茎 漬 市川和子 辻 売 に あ が な ふ 冬 至 南 瓜 か な 田みゆき 落ち栗やここも過疎なる村の辻 河津せい子 清 石渡 辻 ご と の 古 き 矢 印 遍 路 道 利光幸子 霜 月 の 声 裏 返 る 辻 楽 士 冬 晴 れ の 辻 風 の 声 子 ら の 声 矢下丁夫 青 信 号 待 ち の 四 辻 の 炎 暑 か な 鎗水稔子 由 布 院 の 辻 馬 車 開 き 春 浅 し 阿部王一 錦織正子 直 辻売女蟹を並べし師走かな 辻 溢 れ 宵 山 の 灯 の 煌 々 と 宮崎敬介 辻馬車も消えし湯布院冬に入る 溝口 時 雨 る る や 猿 の 守 り し 猿 ケ 辻 佐々木素風 真 つ 新 の 大 船 鉾 や 辻 回 る 柴田芙美子 辻 多 き 住 宅 街 の 百 日 紅 飯野亜矢子 木 枯 し や 空 缶 こ ろ げ ゆ き し 辻 松村勝美 辻々に吹く風に皆衿を立て 薔 薇 咲 く や 辻 馬 車 走 る 石 畳 永福倫子 溝辺美和子 辻を曲がり帰宅の父の咳聞こゆ 山岡英明 ― 50 ― 五十嵐千恵子の俳句紀行 一会 口切の一会思はぬ人と会ふ 目貼して煙草くゆらす父老いし 目貼みな済ませしと母便りあり 点 眼 の 泪 目 仰 ぐ 時 雨 空 満点の子の答案や冬ぬくし 辻に建つ祖母の地蔵や夕時雨 辻四つ 曲れど続く 枯芙 蓉 祖母のお地蔵様 祖母の親は、娘を可愛がっていた。その娘は三十 歳過ぎで亡くなってしまった。両親は、若くして逝 った娘を哀れに思い、地蔵様を建てた。 地蔵様の「地」は大地を意味し、「蔵」は包み込 むという意味。地蔵様はすべての命を育む大地のよ うに、私達を包み込み、苦しみから救って下さる仏 様だと言われている。娘への慈しみの心と合わせ、 残された家族を見守ってほしいとの思いも込めたの であろう。 父は、十二年前に九十歳で亡くなった。その父は、 晩年、風化し始めた生母の地蔵様の写真を撮っては、 私達に見せてくれた。父は、「よく似た顔に作って あるなあ~」と生母を懐かしんでいた。 父は、継母に育てられたが、子供の頃の私は、一 緒に居た祖母が父の本当の母だと思って暮らしてい た。近くに建てられた地蔵様が父の生母の姿だと知 らなかったのである。 私が親のことを思い出すのと同様に、幾つになっ ても、生みの親のことは、忘れないのだと父の話を 聞きながら思ったものである。 ― 51 ― 北里信子の俳句紀行 亥の子 親猫の吾を威嚇し子猫逃げ 甘酒の口切といふ甘くなし 中 元 の 一 月 遅 れ 梨 届 く 子供らに懐きし亥の子喰はれしと 身に入むや吾が禅宗に十夜無し 目貼することも面倒老いにけり 隼は飛ぶこと速き鳥なりし 亥の子 或る日、ご近所の方が亥の子を庭で飼うことにな った。近所の子供達に交じって、まだ幼かった息子 も「イノちゃん、イノちゃん」と、毎日看に見に出 かけていた。ところが、亥の子が育った或る日、忽 然と姿を消した。ご家族に食べられてしまったよう だ。息子は、不審がったが、私は「山に帰ったんだ よ」となだめた。 戦後、私が嫁いだ小国町は、阿蘇山の火山灰の影 響もなく、林業の盛んな町であった。山という山に は、杉や檜が植えられていた。材木は、爺さんが植 え、孫が伐る、と言われたものだが、樹齢何百年と いう大木も所々にあった。 戦後は、戦災を受けた熊本、福岡、北九州方面の 需要が多くなり、山主は笑いが止まらなかったので はなかろうか。伐り山、製材所、運送業も景気がよ かった。この大切な立木に、牙で傷をつけるのが亥 の子である。亥の子は山主にとっては天敵であった。 因みに、私は菜食主義者とまではいかないが、子 供の頃は、肉を食うのは亥の子に可哀想で食べきら ず、叱られていた。お陰で、日陰のもやしのような 体型で、八十の坂を生きながられえている。 ― 52 ― 西川青女の俳句紀行 辻音楽師 朝涼や水 上に吹く神楽笛 聞き慣れぬ小鳥の声もうち交り 秋日濃し辻音楽師辻をかへ 鉦講 の裃つけて 十夜果 つ 菓子鉢のひとつ取り分け亥の子餅 口切や席譲りあふひとときも 隼 や 五 島 列 島 凪 に 浮 く お十夜 伊勢守貞経の弟、平貞国が阿弥陀仏に願いをたて、 三日三夜、真如堂に籠もり不断念仏を修したところ 夢のお告げがあり、さらに七日七夜、計十夜の念仏 を修した。そのことに由来し、京都真如堂では、お 十夜が行われている。その法要に参加した時のこと。 錦林車庫前のバス停からしばらく行くと辺りは真 っ暗闇。手探りで闇を進むと、遠くから鉦の音が聞 こえてくる。久しく真の闇に遭遇しなかったので衝 撃的であった。御堂の障子明かりに照らされた境内 を通り、本堂の鉦講衆の前に辿り着く。八人の鉦講 衆を見上げる高い所に舞台が設えてあり、それぞれ が普段着姿で鉦を打ち、唱和するその姿は心地よく、 素朴で短調な繰り返しの肉声に、一人ひとりの心が 伝わってくるようである。その間、十夜婆は立った り座ったり、灯明の油を継ぎ足しにゆく。 一瞬、遥か昔に引き戻された感がする。脈々と受 け継がれてきた地霊や言霊に触れた思いである。 その夜は宿坊に一泊し、いよいよ最終の結願の朝 を迎える。十夜柿や十夜粥が台に並べられ、ここで も十夜婆は大活躍である。八人の鉦講衆が昨夜とは 打って変わった裃姿で現れたのにはびっくりした。 まるで歌舞伎役者の早変わりである。 ― 53 ― 溝部美和子の俳句紀行 母に寄り添ひ 夏の日の一つの恋や消滅す 星月夜彼に寄り添ひたしと思ふ 口切や逝きたる人を偲び合ふ 亥の子唄歌ふ子餅を頬張る子 目貼りする母に寄り添ひ語り合ふ 辻々に吹く風に皆衿を立て 吾も 欲 し隼 のごと 鋭き 眼 新しい自分 何事も過ぎてしまえば、何ということはないのだ が、渦中の時は、自分を見失いそうで、自信もなく なり、周りの存在さえも危うく感じてしまう。 そんなことがこれまでに何度もあった。それは、 私だけのことではないと分かっていても、虚しさは 増すばかりである。 思い浮かぶ様々なシーンを打ち消したり、また引 き戻しなぞってみたり。しかし、全て過去のこと。 どうにもならないことばかりである。それでも、そ の時の服装や交わした言葉など思い出してしまう。 思い出を全て燃やし灰にしてしまおう。新しい一 歩を踏み出そうと思い直し、自分をガラガラに崩し てしまおう。小さなガレキになった自分の一つひと つ大切な所だけ拾い集め、新しい自分を作ろうと決 めた。それは、深い井戸の底から上を見ているかの ようだった。 時々、新しい自分に頼りなさを感じることもある けれど、自分で決めた新しい一歩だ。 「いってきます」 と、昔の自分に手を振り、今日もドアを開ける。 ― 54 ― 和多哲子の俳句紀行 辻町 海苔ひびにかもめ点点点点と 亥の子餅はにかみながら配りけり またも激しき雨の音秋深む 十夜粥すすりつ経に和してをり 三味の撥真夜高高と風の盆 大広間離れ座敷も目貼して 辻 町 の 一 賑 ひ や 歳 用 意 ぜんざい 私の故郷は福岡県柳川市。その小さな町に「辻 町」という所がある。二本の道が交わっている周辺 を「辻町」と呼んでいる。その道の両側に店があり、 本、金物、乾物、服、和菓子などほとんどのものが そこに行けば揃い賑わっていた。その道の一本は西 鉄電車の柳川駅へと延びている。今では近くに広い 道ができ、店も分散しているが。 六十年以上も前のこと。私が五、六歳頃か。その 辻町の店で「ぜんざい」を食べたことが今でも心に 残っている。貧しい暮らしの中、外食などしたこと もなくそれが初めての事だったかもしれない。 私の記憶の中では、そこには母と私だけがいた。 五人も子どもがいるのに。それに私は四番目なのに。 「何故私だけ?」「どこかへ行く途中のこと?」と 時々不思議に思うことがある。もしかすると、そこ には姉や妹たちもいたのかもしれない。 唯、小豆のたっぷり入ったぜんざいのおいしかっ たこと。喜ぶ私を見て笑っている母の顔。ガラス窓 の外に雪が降っていたことと共に、自分一人にスポ ットを当てて心に残っているのかもしれない。 ― 55 ― 阿部鴫尾の俳句紀行 旅の思案 灯を点しひとりの宵ぞぬくめ酒 野仏を染めてをりたり濃紅葉 秋深 し人語 り 行く 夜 の 辻 秋灯下旅の思案に夜の更けり 十夜粥婆の遺影に手を合はす 隼 を 怖 い と 孫 や 檻 の 中 目貼など見たこともなき団地つ子 修学旅行 小学校六年生の孫娘が修学旅行で、日光へ行くと という。もうそんな歳になったかという感慨と同時 に、自分自身の幼い頃が蘇ってきた。 焼け野原の東京・中野へ、やっとの思いで疎開か ら帰ったのであったが、学校は焼失、三十分歩いて 焼け残った隣の学校へ、時に国民学校三年生であっ た。講堂を間仕切りして教室を作り、午前組と午後 組みの二部授業、本校舎へは立ち入りできず、便所 も遠慮がちに使用、晴れた日は校庭の隅や、焼け残 った近所の神社の境内での青空教室、これが結構楽 しかったことなどが思い出される。 そうこうするうちに集団疎開の先輩達が帰って、 焼け跡にバラック校舎が建てられ、借り校舎時代は 終わった。新憲法が発布され、日の丸の旗を振って 行列したのは六年生、世の中も少しは落ち着きを取 り戻し、修学旅行も復活した。 修学旅行は箱根一泊、強羅公園での記念写真、軍 隊で使っていた雑嚢などを提げていた。食糧は統制、 米は配給制であったので、宿では番頭さんが拡げた 大風呂敷に各々持参の二食分の米を小袋から出した 光景が懐かしい。平和で、豊かな時代の修学旅行は、 どんな旅だったのか、聞くのが待ち遠しい。 ― 56 ― 穴井梨影女の俳句紀行 鄙のくらし 屈託もなく揺れ蝶と韮の花 陽当りて蝶数を増す韮の花 秋 航 や島影 暗く点じ たる 石蕗の黄を点じたる縞サヨウナラ 口切や土間炉にも神酒塩供へ 住み馴れん奥阿蘇暮し目貼して 炭窯の古りゆくままに湯田の辻 小さな命 今日の暑さに耐え、縁側に坐り、ぼんやりと庭を 眺めていた。とその時、一株の黄菅に揺れ動くもの があり。はたと気付いた。黄菅の開く時刻だと。今 日こそ、あの素敵な花の姿となるまでを、ちゃんと 観察してみよう、と思った。 揺れている一茎が振り子の幅をひろげてゆく。ま るで血管が通っているかのように、その茎を黄緑に 染め上げてゆく。この一茎のみが今日の花を開くの であろう。蕾にも潮のように黄色が満ちてきた。振 り子の幅をひろげ、開かんと懸命にふり絞る力! どのくらい経ったであろうか…。先端の空気を一 と蹴りして「ピッ」と花の一片を撥ね、一瞬にひろ げ立てた。「あっ」と息をのみ、一緒に体を揺らし ながら、次の花びらを待った。花びらは易々とは続 き開かず、揺れに揺れ、力を振り絞る一生懸命なな 様は、人の小さな命の誕生と同じだ。六枚の花弁が 揃った時、胸にこみあげてくるものがあった。 夕暮れには、花弁を思い切り反らし、澄み静まっ た。ここにまた、小さな命の尊さを見た夕べだった。 又 の 名 を 夕 菅 と か や 今 ひ ら く 梨影女 ソリストのごと夕菅の開き反る 同 夕 菅 の 狭 庭 日 日 楽 し け り 同 ― 57 ― 飯野亜矢子の俳句紀行 旅立ち 点々と 小 さき 足 跡夏休 み 辻 多 き 住 宅 街 の 百 日 紅 ぱぴぷぺぽ半濁点の吾亦紅 宴 会 の 爺 口 切 の 咳 払 ひ 仮住まひここに目貼のカレンダー 露 草 の旅 立 つ姿思は るる 隼 のす るど き 眼魚ね らふ ドライバー 数年前、テレビドラマを見ていると、中年主婦が 毎日のストレスかせ逃れたくて、解消のため運転免 許をとり、家出して一人旅をしていた。私も何時か はと思い、一大決心をして運転免許取得にチャレン ジした。三十歳後半の取得であり、しっりと勉強を し、その甲斐あって合格。早速、中古車を買った。 少し慣れてからと、市内、近郊を走り回っている うちに、二十五年が過ぎてしまった。と言うよりも、 一人旅をして発散しなければならないストレスも溜 まらずに来てしまったのかも知れない。 年齢が増してくると、駐車場での事故をよく耳に する。アクセルとブレーキを間違えて踏み、お店に 突っ込んだり、屋上駐車場から落ちたりなどの事故 をニュースで聞いた。最近では、知り合いが自宅の 玄関に突っ込んだ。怪我はなかったが、玄関を修理 するのに大金がかかったとぼやいていた。 今や高齢者の枠に入る目前、何時まで運転してよ いのであろうか。近隣を走ると、自動車に乗ってい る老人をたくさん見かける。大都会ではない限り、 買い物や用足しに便利に使いたくなるのだ。他人に 迷惑をかけてしまう前に止めた方がよいのでは…。 思案のしどころである。 ― 58 ― 石塚未知の俳句紀行 語尾を濁して 二人ゐて尚人恋し夜長かな 紅葉酒語尾を濁して別れけり 亥の子餅まろき姿や膝の前 口切や茶壺の紐の良き結び 辻ごとに子等の喚声冬休み 目貼して人訪れぬ日も楽し 隼 の 急 降下 して 夕日 裁つ 武蔵野平林寺 延び延びになっていた、「きつねのかみそり」と いう珍しい花の群落を見に、武蔵野の野火止用水を 訪ねた。 作家田山花袋が「武蔵野の昔を忍ぶのは、野火止 の平林寺付近がいいね」と語っていたというように、 この近辺は豊かな武蔵野の自然が溢れている。 平林寺は、禅修行の同情を持つ臨済宗の名刹で、 埼玉県岩槻に開山された。その後、今の野火止の地 に移されたという。広大な境内には様々な樹木が植 えられ、紅葉の頃はさぞかしと思われた。 思えば十代の頃、病を得てこの近くに一年程療養 の日々を送った。その折、長い療養から社会復帰を 許されると、この平林寺に健康祈願をし、退院して ゆくのが通例であった。青春時代の忘れられぬ地で もあり、文学の楽しさに巡り会ったのもこの地であ る。 なにせ、病院生活は時間がたっぷり、安静が第一 となれば、読書だけが時を過ごす日々であった。隣 接の療養所に、俳人石田波郷が入所していたことも あり(すれ違いであったが)、食堂で開かれる句会 を覗いたのも懐かしい思い出となっている。 ― 59 ― 石渡 清の俳句紀行 秋の蜂 どん栗の唄を歌うて母老いぬ 箒目に日の移りゆく竹の春 黒ぶだう甘し赤児の寝息もや 木漏れ日や句碑を舐めゐる秋の蜂 一灯を点ず大根の煮ゆる頃 霜 月 の 声 裏 返 る 辻 楽 士 隼 や 窶 るこ となき 相模灘 秋日 好天の一日、久し振りに江戸川堤を散策してみた。 銀色に揺れる芒の穂、川面の煌めきなど秋色は其処 彼処に。陸橋を渡って流山方向に進み、土手を下り 近藤勇陣屋跡に着くまでに、目に付いた秋の季語を 指折り数えてみれば、忽ち十指に余るほど。 陣屋跡では、ボランティアの方々が解説をする観 光客の輪に紛れ込み、しばし耳を傾ける。これから 板橋の宿まで足を伸ばすという、元気な老夫婦を 横目に見ながら一茶ゆかりの双樹亭に向かう。偶々 句会が二組あるとのことで座敷には入れず、仕方な く一茶句碑に対面する床几でお茶と干菓子を頂く。 座敷では今や句会が大盛り上がり、披講の度にど よめきや笑い声が湧き起こる。「川風を秋風にして …」「…みりん工場二百円」云々。 皆様秋の一日を存分に楽しんでいらっしゃる。成 程、俳句とは良いものだなと、つくづく思う。 句碑を見やれば、秋の陽に蜂も戯れて。 ― 60 ― 市川和子の俳句紀行 古都今昔 辻一つ入りて老舗の酢茎漬 六 道の辻は 多次 元暮 早し 点滴のリズムゆるやか冬浅し 点と点結ぶ星座や亥の子餅 拝 観の塔 に列なす 十夜講 口切 や手許に残す 楽茶碗 黙とけて旅の口切る小六月 亥の子 もう七十年以上も前の話である。大阪から早々と 故郷へ帰ってきた我が家の或る夜の光景。 母が昼間から霰餅を炒り、当時はもう少なかった 砂糖を塗して、小袋に入れたものを幾つも作り、子 供達を待っていた。 やがて、夕闇が迫ると、隣といっても百メートル 以上も離れた処から、提灯に先達された声が段々と 近づいき、小流れの石橋を渡って、我が家に近づい てきた。まるで、狐の嫁入りのような行列をぶるぶ る震えながら待っていた。白い布で巻かれた重石を 引き摺りながら「亥の子、亥の子…」。それから先 の歌の文句は記憶にないが、地面をとんとん叩きな がら歌い、家々を廻ってゆく。 子供達はお菓子を貰い、また、歌いながら、次の 家へと遠ざかってゆく。その歌と灯を見送りながら、 夜空を仰ぐと星が透き通るように美しかった。まる で、映画の一シーンのように思い出される。 今でも、日本ではあのような光景を見ることがで きるのであろうか。多分、提灯に先導されて言うよ うな事はもうないに違いないと思う。 亥の子の兼題を頂いた時、あの昔の一場面がまざ まざと思い出されるのである。 ― 61 ― 上田雅子の俳句紀行 目貼 里祭子にせがまるる辻芝居 秋の草供えてありぬ辻地蔵 図書館に通ふも楽し夜長かな 図書館へ苅田の道を抜けて行く 目貼する仮設の小さき窓を貼る 隙間貼る去年貼りたる跡の上 隼の真つ逆さまや餌を狙ふ パソコンの世界 パソコンをようやく変えた。新しいパソコンを買 ったのは今年の三月。ウインドウズXPのセキュリ ティ問題が言われたので慌てて買ったのだが、イン ターネットの設定などを頼むのをだらだらと先延ば ししていたら今頃になってしまった。月日の経つの は本当に速い。もう少しゆっくりにして貰えないも のだろうか、或いはお願いしたらちょっと待って貰 えるとか…。これに慣れるのはいつのことやら。 画面は明るく綺麗になったし、つながるスピード もとても速くなった、しかもやたらに親切だ。「パ ソ」と打っただけでパソコン、パソコンの、パソコ ン通信など候補が一覧で出てくる。「いちら」と打 てば、一覧を、一覧から、一覧表…という訳だ。変 換キーを押していたというと笑われそうだ。 旧パソコンにもあった機能だが、路線検査をする と行き方の候補ごとに「早」「早楽安」などの印が ついて、早くて安くて楽な(乗換の少ない)候補が 一目で選べる。その上念のためと思う人(私のよう な)のためか、前三本、後三本の電車時刻の候補も 見られる、まったくちょっと怖い程の親切だ。痒い ところに手が届くというが、痒っ、と言っただけで 手が出てくるようなパソコンの世界である。 ― 62 ― 梅島くにをの俳句紀行 友涼し 埼玉を涼しからんと点結ぶ 京涼し辻まがる度寺ありて 友涼し辻の社のなつかしと 遙か点なりし月鉾動き出す 辻まがる月鉾見んと背伸びして 家古くなけれど書斎目貼せん 口 切 や 別 院 近 き 鐘 の 音 我が句会の新人 町の神明社で、涼を求める句会を開いた。 あらくさ句会の中川英堂さんが、横浜市の家を引 き払い、奥様の実家へ移られた。私の家から四キロ 近くのところである。そして、私が会長を務める福 野糸瓜句会に入られた。句会へ新風を吹き込んで下 さることになった。 お父上は、私の店のお客であったことも記憶にあ ったし、少年時代の英堂さんは、町の小、中学校で 過ごされていて、中学校同窓会名簿に名があった。 八月三日の句会で、英堂さんを歓迎するべく、次 のような言葉を私は述べた。 「孔子のことばで 朋あり遠方より来る とある。学に志す者には、同じ学に志す者が訪ねて きてくれる喜びがある」 孔子の論を引用して、英堂さん歓迎の一節を語っ た。句会に出席していた人達は、今日こんなに暑い のに、会長の話で涼しさをおぼえたと言う。 私は、一層、親しみの湧く英堂さんであることを 胸に刻んだ。 ― 63 ― 永福倫子の俳句紀行 一円相 墓碑銘の 句読 点めく蝸牛 薔薇咲くや辻馬車走る石畳 安曇野へ山又山や川澄めり 虫の 音や漁火 点る五 島灘 毛糸帽かぶる四辻の地蔵尊 引鶴の太棹点となりにけり 口 切 や 一 幅 掛 の 一 円 相 上高地 八月下旬、信濃、飛騨高山を旅した。 安曇野から上高地へ…何年ぶりであろうか。 ホテル到着後、早速、河童橋へ。梓川の水野流れ、 瀬音の美しさは以前訪れた時と少しも変わらない。 冷たい水を手に掬い、その感触を楽しんだ後、ウェ ストン碑まで散策した。早くも芒が穂を出し、野菊、 露草、ヤマホタルブクロ…が目を楽しませてくれた。 翌朝、五時五十分にホテルを出発して明神池へ。 河童橋に立つと、きのうは頂上が見えなかった穂高 連峰がすっきりと見え、その雄大な姿を川霧の梓川 に映していた。やはり早起きは三文の得ねっといい ながら、目的地へ向かった。早朝なのに、散策する 人、重いリュックを背負った登山者、キャンパスに 絵筆を動かす人等、沢山いたので驚いた。 梓川に沿いながら、一時間半ほど歩くと明神池に 到着。まず、穂高神社奥宮に参拝、霧の明神池は幻 想的な風景だった。証拠写真を撮って戻ってきたが、 往復三時間、一万七千歩と我ながらよく歩いたもの と感心した。 そのあとの朝食のおいしかったこと、疲れはバス に乗せて飛騨高山へと向かった。 ― 64 ― 榎並万里の俳句紀行 夕暮れ 秋 雨 の 辻 の 角 か ら 犬 の 鼻 母 想 ふ 夫 の 横 顔 十 三 夜 あたらしき目貼の匂ひかぐ子猫 隼 は 翼 を ひ ろ げ 弧 を 描 く 寒空の中大樽に菜を漬ける 北風受けカラカラと辻の魚籠 萎びゆく青首大根日が暮るる 華子 田舎の実家には父が拾ってきた猫がいる。その愛 らしい顔と、甘えん坊ぶりから、名前は華子(はな こ)と命名され、神棚の真下に名前を貼ってもらい、 大事に育てられている。 昨年の秋はまだ赤ん坊で、 障子を貼り変える母の後ろで、いたずらしては優し く注意されていたものだ。その後、きれいに貼り終 えた障子に飛び込み、本気で母に怒られていたのも 一興である。 厳しい冬を乗り越えた頃、華子ちゃんにある試練 がやってきた。田舎で家の外に出さず家の中だけで 飼う猫にすると決められていたのだが、避妊手術を することになったのだ。 初めての病院だからと心 配する母。しかし心配は不要である。何故ならば、 華子は実はオスなのだ。可愛い顔だから、という理 由だけでメスだと思い込み名前をつけた父が悪いの である。 手術は無事終わり、華子はニューハーフとして晴 れて名と体が一致し、めでたしめでたしとなったの である。 ― 65 ― 大塚そうびの俳句紀行 父のふる里 この辻にいつも会ふ人冬ぬくし 口切や慣れぬ和服も華やぎて 亥の子餅父のふる里壱岐の島 十夜粥音気遣ひて啜りけり 厚 目貼 話佳境に 入りけ り 隼 や 白 く 尖 り し 波 頭 凍星 や 傍点を 打つ福 音 書 成熟とは? 以前、大分の平田節子さんがエッセイ欄で、次の ようなエッセイをお書きになっておられた。 お仲間同士で互いの体の不調を言い合っている時、 一人の方に向かって「貴方は元気よネ、何処も悪く ないでしょ」と話を向けた時、その方の放った言葉 は「いいえ、私は意地が悪い!」というものだった。 それを読みながら、私は思わず吹き出してしまった。 何とおおらかでユーモラスな方だろうと。そのよう なお仲間に囲まれていらっしゃる節子さんが羨まし い。自分もそのような冗談が言ってみたい…と。 チャンスは意外と早くやってきた。私達の場合は、 お決まりの孫自慢に始まって、「社交ダンス」「木 彫り」「油絵」と自慢話が続く。出尽くした頃、 「大塚さんは俳句が上手なのよネ」とお鉢が回って きた。私は、すかさず言いました。「ううん、私の 得意は別にあるのよ」「何よ、勿体ぶらずに言いな さいよ」「私の得意はお喋り!」とかぐに反応した。 ある有名な作家が「自分の弱さ、足りなさを人に 言えるようになった時、初めて人は成熟したといえ る」と言っていた。私も冗談ではなく、本音で、そ のような会話の出来る大人になりたい、そう強く思 ったものである。 ― 66 ― 大平青葉の俳句紀行 紫蘇の実 棗落つアリババ噛んだやうな痕 秋思する子に現れる辻がある 口切や母は葡萄茶の似合ふ歳 目張してそつが無いのは次女の方 紫蘇の実の如慎ましき家系かな 散居村鷹渡るあの垣根から 隼よ居久根と垣入北にあり 散居村 三郷に住んで数年、週末は自転車に乗って街を移 動している。その中で興味を覚えるのは、家々の背 後から横にかけてある屋敷林の存在である。三郷に は屋敷林を持っている家が多い。おそらく、散居を 形成した農家や元農家の影響があるのだと思う。 屋敷林とは、散居を風から守る垣根であり、目隠 しでもある。私の故郷の東北辺りでは、居久根(い ぐね)と呼び、北陸の砺波地方辺りでは垣入(かい にょ)と呼ばれ親しまれている。地方や家でそれら の特徴のばらつきはあるものの、いまだに守り続け ている人がたくさんいる。 中でも面白いと思うのは、それらに植えられた木 々は、先祖の意図でもって植えられたということで ある。いわば先祖の生きた証であり、何かしらの理 由があって植えられた可能性を否定できない。例え ば、杉の木の中に一本の栗の木があるならば、それ を必要と見越した先祖がいたということである。 屋敷林に限らず、我々は知らず知らずに祖先の設 計図の中で遊び、暮らしている。それらの面影を見 つけようと今日も自転車に乗って移動する。 ― 67 ― 奥土居淑子の俳句紀行 隼 新涼やプラットホームに鳥の羽 大木となれる記念樹望の月 口切 や遠来 の客三 人あ り 無愛想に教壇に置く亥の子餅 住職となれる教へ子十夜講 隼の縄張りにある我が家かな 隙間貼る戦中戦後を生きて来し 東京 「どうぞこちらへお掛けください」 背の高い青年が、二、三歩先の席を立って私の側 に立たれた。驚くほど明瞭に発せられたことばは、 混んだ電車の中で、周りに立つ人々を制する効果も あったろう。私は、ありがたく少し離れたその席へ 掛けさせていただいた。JR山の手線でのことであ る。 次男の暮らす東京へたまに出かけるが、見知らぬ 方に親切にしていただくことが多い。 逗子の友人を訪ねた日のこと。乗り換え駅のホー ムで、隣に立つ乳母車を押した夫人にホームの確認 をすると、「あれ、それは確か向こうのはずです よ」と、乳母車を残したまま後ろ側へ尋ねに行かれ た。すぐに男性と一緒に戻って来られたが、会社員 風のその男性は、手帳に記された時刻表を示しつつ、 自分のいた側のホームに○時○分発の逗子行きが入 ることを教えてくださった。あっという間の一連の 動きであった。 タクシーの運転手さん、八百屋のおかみさん、お 寿司屋さん、美容師さん…みんなあたたかく心に残 る。東京で嫌な思いをしたことは一度もない。 ― 68 ― 落合青花の俳句紀行 草の花咲く 沸点の薬缶の悲鳴今朝の秋 辻曲り草の花咲く道となる 口切や俄茶人となりて座す 十夜 粥坊守さまは手八 丁 仏真寺名のみ残りし十夜かな 年毎に減りゆく人口亥の子餅 目貼あと指でなぞりて母偲ぶ 覚悟しておかねば 雨ばかりの今年の八月が終った。九月に入り、漸 くお日様の顔を見る日が多くなったが、秋になった のを心から感じる事が出来ないでいる。 そんな時、「敬老会何時だったったけ」と突然、 夫が言い出した。「十三日の土曜日よ、どうして? アナタ欠席するって返事出したでしょう? 行く 気になったんだったら、電話してみましょうか?」 と返事。(いよいよ来たか! 彼も認知症に近づい てるのかな?)と内心不安な思いが胸を過ぎった。 夫も七十七歳を過ぎ、昨年から区の敬老会の案内 を受ける身になっているのだ。「僕には関係ない! 敬老会なんて絶対行かないよ」と言い張っていた 彼。今年の案内にも目もくれず、即座に欠席と決め ていたのに、間近になってやはり気になるのだろう か? 退職後、新聞販売店の手伝いをしていた。その仕 事も今年三月には「いい年になったし、この辺がシ オドキだね」と辞めた彼。急に何かが変わり始めた 気がする。日に何度となく同じ事を言ったり、聞い たり。もしかしてこれって、認知症の初期なんじゃ ないのかしら? 覚悟しておかねば…。 ― 69 ― 小野京子の俳句紀行 ときめき ときめきの文携へて小鳥来る 辻馬車を駆り出かけたし大花野 日の雫月の雫や実むらさき 師を慕ひ集ふ輩や銀河濃し 一行の文の重さや素十の忌 点描のりんごは紅し卓の上 一族のまばらとなりし亥の子かな 爽やかなひと 「お早ようございます」 元気な声は、月に一度、干物を持って来て下さる ご夫婦だ。このご夫婦とのおつき合いは、私が現職 の頃からだから、かれこれ四十年近い。 ご夫婦は俳句をされてかなりになる。「今度、卒 寿を迎える句会のお友達に俳句を作ってお祝いをし ようという事になった。皆さんはお祝いの気持ちを 『美しく老い、老いて美し』の言葉で表現しようと 考えられているが、私達はその言葉を使わないで、 お祝いの気持ちを表したいと考えている」のだと言 う。 真摯に、俳句に打ち込んでいるその姿に心打たれ る。俳句作りが楽しくて仕方がないというお二人の 姿に感激する。共に寄り添い、仲睦まじく老いてゆ くその姿を尊いと思う。 「よい俳句が出来たらお見せします。先生どうぞ お元気で」 ご主人の爽やかな声が、朝の空気をふるわせる。 真っ白な長袖のワイシャツがまぶしい。 ― 70 ― 小野啓々の俳句紀行 草履一つを 名月や 辻に零 るる 人の声 渡り鳥数多の点の動くなり 口切 の草履 一つを 新調す 亥の子餅回覧板と配らるる 脚 揃 へ 隼 迫 る 野 の 鼠 目貼して音高うして踊りけり 海に身を沈め鮟鱇灯を点す 開墾 草取りを終えると夕食の打合せのメールが入って いた。「草取りをしてたのでメールの発見が遅れ た」と一報。 夕食を取りながらの会話である。「小野さんも草 取りをするのねえ」。俄然、張り切る私。 「今日のはねえ、草取りなんてものじゃなかった わよ、開墾、開墾よ」 数年前から敷地内に彼岸花が出来るようになった。 なにか縁起が悪い気がして敷地内にある彼岸花は全 部駆除?することにしているが、去年サボったもの と見え、今年は四、五本ずつ花をつけた所が五ヶ所 もあった。掘り起こすと、直径三センチくらいの球 根が寄り集まって、直径十センチほどの塊を成して いる。手に取ると重い。 視線は三十センチほどに伸びた桑の木に行く。あ れも掘らなければ。スコップを入れるがどうも根が 横に張っているようである。四方に伸びた根を追っ てゆく。根は土の中で柔らかい。剪定鋏で切りなが らの作業である。 以上、一気にまくし立てた次第である。 ― 71 ― 小野柳絮の俳句紀行 辻褄合はせ 点々と 紅深 めゆく 吾亦紅 辻褄の合はぬ話や蚊の名残 口切 や青春 の日の稽古事 うりん子の黄色にまみれ亥の子餅 早々に目貼了へたる老ひ住居 十夜寺太き柱に寄りて座す 矢を射るごとし隼の飛翔かな 国宝「仮面の女神」 例年、八月の五、六日を山荘で過ごすようにして いる。今年は少し遅れて、十八日から五日間滞在さ せてもらった。二十日には足を伸ばして、白馬、八 方尾根へとでかけた。 その晩、山荘へ帰ると、テレビ(長野版)でなに やら騒ぎになっている。縄文時代の土偶「仮面の女 神」が国宝に指定されたというニュースである。茅 野市ではすでに「縄文のビーナス」が国宝に指定さ れており、これで土偶の国宝が二体になったことに なる。市を挙げての御祝いである。 翌二十一日、私達はさっそく見学に出かけた。そ れは、茅野市尖石縄文考古館に展示されている。高 さ三十四センチ、重さ二・七キロ、作られたのは約 四千年前の縄文後期とのこと。 一番驚いたのはその形である。顔にはカマキリに よく似た面を付け、腹部から腰にかけてのふくよか さ。両脚に及んでは赤ん坊の脚どころではない。胴 よりも太い脚が、しっかり大地を踏まえてたってい る様である。ピカソもビックリだろう。迫力満点、 なんとも頼もしく、母性そのものである。 ― 72 ― 勝浦敏幸の俳句紀行 玉の声 点々と 雀 隠れる稲 穂かな 迷ひ 辻六 角堂に 曼珠沙華 口切や部屋締め出せば玉の声 教室の目貼テープや米屋の子 稲作の多面的活性化 ) ( 村 人の 家々明 し 亥の子突 パンのみに生くるにあらず十夜粥 隼のわがもの顔に一湖かな 収穫は終わった。今年初めて水稲作りに参加して、 これでワンサイクルが完了。一反五畝で約十俵 玄 米六百キロ の収穫であった。 稲刈機が左回りに四角く渦状に中心部に向かって 刈って行く。かなりのスピードである。刈ると同時 に、脱穀してしまう優れものである。 素人六人の管理する田は、所有者が高齢であると かの理由で、耕作放棄地となっていた土地をお借り したものである。 農業の課題として、農業者の高齢化と農業人口の 減少がある。また、耕地が狭く、生産性の低下、国 際競争力の弱化がもたらされている。しかし、一方 で厚い補助があり、自然と触れ合える農業への新規 就業希望が増えているとも聞く。 稲作を支えているのは、兼業農家である。栽培技 術は確立しており、働ける間は就業が可能である。 稲作は、古来日本の農業、農村景観、日本人の精 神形成、文化に大きな影響を与えてきた。稲作の持 つ食糧生産面だけでなく、癒し、景観、環境、観光、 文化の多角的な面に着目して、稲作農業の保存・活 性に努めなければならないだろう。 ― 73 ― 笠村昌代の俳句紀行 幸あれと 蜩 を聞き ゐて 思ふ 幸不幸 口切の一輪に身を正しけり 幸あれと子らは両手に亥の子餅 お十夜の法要の灯のゆらぎをり ねんごろに十夜の粥にもてなされ 隼のつばさ驟雨に鞭打たれ 災害をうけし心の隙間貼る 老いはどこから 老いはどこから来るのだろう。目から? 頭か ら? それとも…と、忍び寄る老いは避けられない ものだ。もしね若々しい万能細胞があったなら、と 大空へ夢を見る。 今年の仲秋の名月は、素晴らしかった。スーパー ムーンは、レモンのように瑞々しく輝いていた。十 六夜、立待月、居待月と、私の心を掴んで離さない 恋人のような月である。 芭蕉は「物の見えたる光、いまだ心に消えざるう ちにいひとむべし」と、作句の極意を伝えている。 考えてみれば、作句も人の生涯も、ほんの瞬間。 「光陰」の「光」は日、「陰」は月。つまり瞬時 に過ぎてゆく時間のことだという。この光陰のうち に、さまざまなことに出会っては、感応して作句し てゆく。俳句も、この儚さの上に立っているのだろ うか。 今日は敬老日。「元気で長生きしてね」と励まさ れる。いつも笑顔でいたいものだと思っている。 ― 74 ― 加藤和子の俳句紀行 目薬 温かきものを注文暑気払ひ 点眼 の清 涼 感や秋立ち ぬ 秋の日の点となりたる湖心かな 秋暮るる辻占売りの女の子 夕冷えの辻行灯の飲み屋かな 隼 の 強き 眼に射 抜 かるる 丁重に島の亥の子を見送りし 湖の秋 今月の小句会は、郊外にある鳥屋野潟という沼へ 吟行することになつた。私には少し遠かったが、い つも私のために近くの公園ばかりでは刺激がなくな ってしまい、申し訳ない。 私も一と月に一回、彼女達と会うのがうれしくて、 少しばかりの無理をしてでも出かけることにした。 不順な天候続きであったが、当日はとても穏やか な日和であった。湖畔は、桜の老木が横に拡がり、 葦も丈高く生い茂り、うす暗いほどである。沼がそ の間からきらきら光って見え、全体は見えない。遠 くに目を移すと、対岸にサッカー場の白い建物が見 える。近くには図書館、博物館、野球場等々があり、 また、犬の訓練や散歩をするのに適した広々とした ところである。季節がまだ晩夏のようであり、それ でいて秋めいてもいるようだ。焦点が絞り込めず、 苦吟であった。 外で句会をしようということになり、テーブルの ある四阿に集まり、句座を囲んだ。風が爽やかであ った。次はいよいよお待ちかねの食事。近くのレス トランへ向かう。途中の暗い樹々の下に真っ赤な彼 岸花の叢には驚いた。 ― 75 ― 神永洋子の俳句紀行 吾亦紅 口 切 や 塵 一 つ な き 四 畳 半 亥の子餅喰めば健康体となり 法要の明かり洩れゐる十夜寺 目 貼 す る 仮 設 住 宅 隙 多 し 夜業する芭蕉の辻といふ職場 みちのくの父母の墓吾亦紅 朝 顔 や 今 日 一 日 は 薄 化 粧 夜業 OL時代、仙台の某証券会社に勤めていた。その ビルの角には「芭蕉の辻」と書かれた古い小さな石 柱が立っていたが、その頃は、ああここがそうなん だくらいしか思っていなかった。十年程前訪ねた時 には、きれいに整備され、大きな碑が建っていた。 当時の証券会社は、活況を呈しており、とても忙 しく、女性でも毎日が残業続きであった。当時は規 定で夜の七時を過ぎれば規定内の値段で出前をとり、 八時を過ぎると、女性は会社の前のタクシー会社の タクシーを使って帰ってよい事になっていた。 当時は皆手作業で、毎月末には品調べといって、 金庫から株券を全部出し、皆で株券の会社名と株数 等を帳簿と照合する仕事があった。殆ど毎日が夜業 なので、労働基準監督署から睨まれ、今夜調査が入 るという噂が入った時、女子は全員、暗い二階の会 議室の机の下に潜って隠れていた事があった。幸い、 その日は何も起こらなかったが、当時、女性の勤務 時間は八時までと決められていた様だった。 品調べの時は、お菓子やキャンディ等が出された。 優しい支店次長に一番高いボストンパイをおねだり したものだった。今では、そのお菓子は何処にも売 っていないが、夜業と共に懐かしい思い出である。 ― 76 ― 川西ふさえの俳句紀行 指輪の跡 秋の空点になりゆく機影かな 宵 闇 の 辻 雪 洞 も 風 の 盆 口切の茶事に招かれ竹の道 目貼 無き家に 一筋隙間風 くつきりと指輪の跡や十夜月 戦さ無きあの頃のこと亥の子餅 隼といふ名の機有り海に果つ 点 本号の兼題である「点」について思いを巡らせて いると、戦争中に見た或る風景を思い出した。 赤い糸を白い布に一つ宛、縫玉を作って付けてゆ く女性達の姿である。 「千人針」。それは、日清戦争、日露戦争の頃に 始まった。「虎は千里行って、千里帰る」の言い伝 えから、寅年生まれの女性千人の手に成ったもので、 出征兵士達に贈られた。 のちに、戦争が激しくなり、寅年の女性だけでは 間に合わなくなったので、干支は問われなくなった。 近所に染物屋があり、そこでこの千人針の布が作 られていた。 白い布の上に、千個の穴で虎の絵や、武運長久と 描かれた版板を置き、赤い染料で染めてゆく。出来 上がってその版板を持ち上げると、鮮やかな赤の点 が千個、輝いていた。 父、兄弟、夫、子を涙を見せずに送り出した女性 達の悲痛な祈りを込めた千人針。千個の点を再び赤 で染めてはならないと、強く思う。 ― 77 ― 亥の子餅 河津昭子の俳句紀行 しゅん 隼 といふ名の外孫や日焼け顔 国 境 の 唐 黍 畑 の 広 々 と 捗らぬ栗の皮剥く夜なべかな 辻地蔵 芒の中 に独り坐す 点滅の 信号待ち や群蜻蛉 亥の子餅嫁の手捌き鮮やかに 張り替えの面倒なりし目貼かな 湖畔能 孫娘は小学二年の頃から、穴井梨影先生にお謡と 仕舞を教えてもらっている。ご縁があり、平成十六 年六年生の夏休み、東京の家元の子役として、フラ ンス公演に出かけることになった。小国からも、梨 影先生、河津悦子様、私が、孫のお供として一行に 合流し、渡仏した。 フランスといってもむしろスイスジュネーブの近 くのアヌシー湖畔能での公演であった。生憎、雨と なり、ホテル内での舞台であった。フランス人に、 日本伝統の「能」が理解できるのだろうかと思った りもしたが、万雷の拍手を受け公演は終わった。 目の前のアヌシー湖は、まるでお伽の国かと思う ほど美しく、避暑地として各国から訪れる人も多い。 私も命の洗濯ができた心地がした。 三、四日滞在後、列車でパリに到着。ホームを降 りると、若者がずらりと並び、「ジャパニーズ、チ ャイニーズ」と近寄ってくる。怖かったので、一行 は手をつないでホームを出た。パリに一泊。一行の の中には、大金入りのバックを置き引きされたり、 ショルダーバックから財布を抜き取られ、青ざめて いる方もいた。早く帰りたくなった。 十三時間の空路を終え、無事帰国。ほっとした。 ― 78 ― 河津悦子の俳句紀行 小鳥来る 天高し帯引く飛機の点と消ゆ 往還 の辻一番地小 鳥来る 三匹の亥の子が親と田に下る 隼の 如き列 車に後す ざ り 渋紙で被ひし茶壺口切りす 米 倉の燻 蒸支度目貼 しぬ 亥の子餅搗かねば去らぬ蠅とやら 往還 私の生家は参勤交代の往還辻にあり、村の入口な ので一番地だった。 二十年程前、トルファンの旅をしたことがある。 その道すがら木陰で繭から糸を引き出し紡いでいる 情景に出くわした。その途端、子供の頃のことを思 い出した。近所の小母さんが往還の木陰で、繭を煮 ていたのである。その匂いが鼻をつくので、走って 通り過ぎたことを。辻には椋の大樹があり、秋には 鳥の啄んだおこぼれをもらった。黒く丸々とした実 を嘗めた時のほの甘さが忘れられない。 その昔、家の往還で行き倒れた人を先祖が助けた 事があった。そのお礼に、膏薬製法を教えてもらっ た。それは後の家業の一つにもなった。入れ袋は木 版刷りで、表は「金仙膏」、裏には関取の踏ん張っ た絵に、膏薬の貼り所が画かれてあった。販売ルー トは、県内は勿論、東京、新潟、富山、北海道、ハ ワイまで及んだ。北海道旭川のアーケードには、関 取の踏ん張った看板が高々と掲げられてあった、と 母が言っていた。戦時中となり、中国、ロシアから の原料調達が難しくなり、家業の一つも終った。 古家のなまこ塀に「金仙膏」の看板が残っていた が、河川工事により建て直されることになった。 ― 79 ― 河津せい子の俳句紀行 畏まる子 本棚に「少年」三冊秋初め 落ち栗やここも過疎なる村の辻 山宿の目貼重ねてある窓辺 お点前に畏まる子の膝寒し 熊鷹の巣山は云へぬと山男 鷹舞ふや今年子二羽と云ふ漢 病葉の一枚舞ひて風すぎる 思い出ひとつ 幼い頃、私の家族は、筑後川の上流の杖立川の辺 りに住んでいた。川には、木造りの吊橋があり、渡 る人の下駄の音がカタコトと響く。 橋へは五、六段の石段を登り下りするのだが、そ の横に水槽が作られており、一番上が飲み水、二番 目が西瓜や胡瓜、お茶等が冷やしてあり、一番下は 洗い物に利用されていた。太陽が高くなると、それ 等の水がキラキラと光り、暗い家の中を照らしてい た。そこには、ガラスの壜が幾つか置かれ、赤青黄 のカラフルな飴玉が輝く。思い出の中に、何時も浮 かび上る風景である。 病弱な父が無尽の仕事(今は銀行となっている) を手掛けており、時々、土産を持って帰ってきた。 終戦の頃の事だから、大した物はなかっただろうが、 小学生になった或る日、立派な写真の絵本を渡され た。マッカーサー元帥の本であった。パイプを銜え た大きな人が、飛行機から降りて来る構図のものだ からご存じの方も多いと思う。 「変った本を買うね」と言われたぞと母に話して いる声が聞こえた。それから二年後、父は亡くなっ た。小学生の夏の事だ。どう言う気持ちであれを買 ってくれたのか聞かず仕舞いであった。 ― 80 ― 川奈はる絵の俳句紀行 十夜 芙蓉咲く辻が目印おいでませ 十 夜 寺籾 殻 を焼く 煙立つ 鷹の舞ふ松島あたり波静か 目貼する地震に傷みし祖父の庵 口切や初めて参加するひとと 猪垣とおもふ電 流一 瞥す 点眼の頬にそれゐし寒さかな 新豆腐 おぼろ豆腐は、豆乳ににがりを入れ固まったばか りの物で、柔らかくて崩れやすい「おぼろげな様 子」から「おぼろ豆腐」と言われている。 お隣さんから、その笊豆腐をいただいた。 笊豆腐は、固まったばかりのおぼろ豆腐をざるに 盛り、水切りした豆腐のこと。 その美味しさに満足した。季節限定の枝豆豆腐も あるらしい。 毎週金曜日に、お母さんのお見舞いにゆく。街道 にその豆腐屋さんがあるというので、注文すること にした。水のきれいな、奥多摩街道の老舗専門店と のこと。豆腐好みで、こだわりの私としては、楽し みが出来て喜んでいる。 この頃は美味しいものを少しと、バランスの良い 食事を心掛け、一緒に美味しさを分かち合える人が いることが今の幸せである。 ― 81 ― 北里千寿恵の俳句紀行 亥の子餅 「二十四の瞳」さながら夏の川 何よりも冷麦好きな孫来る 点滴の光落つるや秋に入る 唐臼で米搗きし母亥の子餅 節穴の丸に四角の目貼かな 隼 の 滞 空 の と き 胸 躍 る Uターンの名跡僧の十夜かな 夏の川 熊本県と大分県とに跨る湧蓋山は、別名、小国富 士と呼ばれ、近隣の人々に親しまれている。湧蓋山 を水源としている北里川が里の近くにある。その川 で、毎年遊ぶことを楽しみにしている我々兄弟の孫 達十二人。彼等は三歳から十二歳の男女である。 川をプール化しして泳いだり、蟹や小魚をとって は遊んでいる。まさに「二十四の瞳」が満面の笑顔 と共に光る。 特に、私の孫達は一年で一番この時を待つらしい。 見守る十一人の祖父母と甥夫妻の顔も自然にほころ ぶ。 一時間半ほどして、雨がポツポツと落ちてきたの で、一斉に上がらせ、帰り支度。十二人の満足そう な顔に田んぼの向日葵がほほえむ。 この向日葵は、義兄が東北大震災復興支援のため に植えたもので、見事に満開である。 ― 82 ― 北里典子の俳句紀行 目貼 目貼して老いの夫婦の冬支度 美しく目貼だらけの窓の家 山越えや点在する灯の侘びしさよ 口切 の心新たに 門くぐ る 辻向かひ下がる苦瓜塀の外 小斧もたげて威嚇する子蟷螂 今まさに蝉の脱皮や透き通り 石楠花園 我が家の近くの山里に、種から苗を作り、二十年 ががりで二万本ほどの石楠花を植えた人がいる。主 人の友達だ。 自宅の周りの山を整理し、一町以上の広さに石楠 花園を作りあげた。散策道の途中には休憩所もある。 植えた石楠花は、今では見事な花が咲かせるまでに 育った。園主は「自由にご覧下さい」と開放して下 さっている。 石楠花の花が咲く頃、それはそれは見事な園とな り、蝶、蜂などの集う長閑な春の始まりとなる。そ の中をゆるり、ゆるりと花を愛でながら、時折は俳 句の材料にもさせてもらっている。 豊富な水にも恵まれており、夏になると、ソーメ ン流しのイベントも催され、楽しむ所が多い場所だ。 我が家に少しある畑、庭などの草取りをするだけ でも時々苦になるのに、あんなに広い園のお世話を することは伺い知れない苦労があるであろう。しか し園主は何事もなかさったかのように、それを楽し んでいるようだ。何の見返りも求めず、訪れてくる 人達が喜んでいる顔を見るのがうれしいという園主。 頭が下がる思いである。私も人の心を大事にした生 き方がしたいと思うこの頃である。 ― 83 ― 倉田洋子の俳句紀行 亥の子餅 甲 子 園 汗 の 拳 の 猛 る か な 鷹発つや両翼つよく尖らせて かな 赤蜻蛉群れて愛しき辻の空 冬瓜のうすうす透ける穏しさよ 秋天をうち仰ぎつつ点字読む 母の間のまこと律儀な目貼かな 一つづつ父そして母亥の子餅 味の記憶 八月のある土曜日、京王八王子駅で友人のFさん、 Kさんと待ち合わせ。Kさんとは一年半ぶり、Fさ んとは、実に、四十年ぶりの再会だ。 私達三人は、四十年前、北海道を二十日間に渡っ て旅した、いわゆる「旅友」で、Kさん宅に落ち着 くやいなや、その旅の思い出話になった。昼食、夕 食をはさみ、翌朝の四時まで延々と、時の経つのも 忘れて話がはずんだ。 初めての北海道の旅で、楽しかったこと、驚いた ことが山ほどあったという点は、三人とも同じ感想 なのに、記憶していることは三様で、記憶に自信が あるもの同士の事とて、「え~、そうだっけ」を連 発する思い出話になった。 後日、Fさんが克明につけていた旅日記が送られ てきて、記憶に三者三様の脚色があることがわかっ た。それぞれの性格、好みに応じて、記憶も、増幅、 強調されてしまったらしい。 ただ一つ、三人の記憶が一致したのが、網走の 「かにっこラーメン」のこと。味の記憶に四の五の はなく、シンプルに「本当に美味しかった」。 ― 84 ― 河野キヨの俳句紀行 口切 点と線アートの秋の美術館 口 切 棗 の 由 来 聞 き 至 る 故郷の唄なつかしや亥の子餅 参 籠 の 十 夜 念 仏 真 如 堂 隼 の 飛 翔 迅 速 急 降 下 心にも目貼のほしき日もありぬ 辻褄の合はぬ話の日向ぼこ 「ごきげんよう」 さてどちらを向いても複雑な世の中に心が痛む。 「花子とアン」も昭和の一頁に残るであろう。 ご多分に洩れず、大分市の大空襲「ヒュルヒュル ヒュー」。あの音は今でも忘れることができない。 落ちた途端、地震どころではない横揺れ、防空壕の 入口は吹っ飛び、小砂混じりの風に覆われた。幸い にも、不発弾で生き延びる事ができた。一町先には、 平田節子(旧姓草本節子)ちゃんの家があった。家 は現在のトキハの前のパチンコ店の場所。病院が中 央救護所となり、怪我人は勿論、機関銃掃射を受け た人達もいた。 話は変わるが、或る日の新聞に、どうする国語力、 文化庁調査、広がる誤用、慣用句の意味の取り違い、 「チンする」「事故る」「パニクる」なと゜、名詞 や擬音、英単語の一部などに「る・する」を付けて 動詞化した造語が拾い世代に浸透しているらしい。 幼い頃の愛蔵本は、大人になっても懐かしい。美 しい日本語、敬語は大切に守りたいと思う。昭和一 桁の八十の曲り角の先には何が見えるのか。心がけ 次第、周囲に踊らされない様、ゆっくりと人間ウォ ッチングを楽しみたいと思う。「ごきげんよう」 ― 85 ― 後藤 章の俳句紀行 口切 口切や南の窓に日はありぬ 気に入りのモカ口切の如く開け 口切 や妻 に 稽古の昔あ り 口切や明るき庭を背にしたる 口 切 や 雀 顔 出 す 軒 の 先 口切や漏れ来る声は水屋より 口切や水屋箪笥も古びたり ウスターソース 料理には一家言もつ男に聞いたところソースはそ の濃さでトンカツソース、中農ソース、ウスターソ ースに分かれるという。男が冗談めいていうには一 番粘度が薄いから「薄ターソース」、「薄」は分か るけど「ター」は何だと聞いたら「薄カッター」が 縮まったのだと言ってのけた。 語源的には十九世紀英国のウスターシャ州の主婦 が偶然に作りだしたことにある。スカウスという料 理はイングランドの肉じゃがだがウスターソースを 入れて煮る。 朝ドラ「マッサン」でエリーが作って塩を入れら れた料理がスコッチ・ブロスでスカウスとほぼ同じ 料理。料理がまずい英国で生まれたソースが日本で 大活躍するのは皮肉だが、仏蘭西人はなんでもウス ターをかける英国人を揶揄して「百の宗教があるが 一つのソースしかない」といった。 日本はそれよりはましで「八百万の神にソースも 三つある」最近は仏蘭西人も醤油、味噌にぞっこん だと聞く。 ― 86 ― 佐々木素風の俳句紀行 秘密基地めく 気が付けば潮騒聞こゆ夜長かな 口切の香り漏れくる躙り口 地に響き天にも届け亥の子唄 隼の獲物追ふ 眼 の爛々と 目貼して秘密基地めく小部屋かな 時雨るるや猿の守りし猿ケ辻 辻 堂 の 仏 に 供 ふ 梅 の 花 知の連鎖 以前から文字や絵に興味があったのだが、三年前、 市の美術館で浮世絵を鑑賞した際に、その中の文字 に改めて関心を抱いた。 その後、その文字で書かれた江戸中期の大人向け の絵本「黄表紙」に関する解説書を購入し、浮世絵 の文字がくずし字と言われるものであることが判明。 そこで今度は、くずし字の入門書を購入して原文、 読み下し文、現在語訳を比較しながら文字に慣れて 行き、今ではかなり読める様に…。 その間には、著名な浮世絵師が描いた版本の復刻 本を購入、絵を楽しみながら、くずし字を読み解い て行った。最近、たまたまこの本の完全復刻版が随 分前に限定出版されていたことがわかり、インター ネットを介して、幸運にも古書店で購入することが 出来たのだった。 三年前の浮世絵の中の文字に始まり、現在、原色 の復刻本を手元に、江戸の出版当時の雰囲気を感じ つつ、御贔屓の歌麿の絵を鑑賞しながらくずし字を 読み解く、まさに知の連鎖による「至福の時」を過 ごしている。 ― 87 ― 佐々木紀昭の俳句紀行 辻説法 口切や表替えして客を待つ 綱を引く子等は賑やか亥の子突 経の声空腹みたす十夜かな 隼や 友 の後 ゆく 野辺送 り 芙蓉咲き今朝も聞きゐる辻説法 運 動 会赤組 二点入つ たぞ バス待ちにスマホ打ち込む案山子かな 国語世論調査 文化庁の国語世論調査の記事を見た。慣用句の意 味で「世間ずれ」五五%、「まんじりともせず」五 二%、「やぶさかでない」四四%の人が誤用してい た。まんじりともせずは、〇喜んでする、×仕方な くするである。また、「る・する」を付けて動詞化 する言葉では、電子レンジで加熱する意味の「チン する」は九〇%の人が使っていた。国語力が低下し ているとは思わないが、日本語のあり様が変わって いく傾向にあるのだろう。 かつて、ワープロが出た時漢字が書けなくなった といわれ、パソコンでは手紙を書かなくなったとい われた。スマホの登場で、短縮・絵文字等言語の乱 れが進み、新聞・雑誌類を読まない若者が増えてい る様子。漢字かな文化が育んできた日本人の感性が 衰え、日本人的なものが消えていくのだろうか。 小学校で英語教育が始まり今度は道徳教育という。 政治・歴史・自然・文化等をきちんと教えられない まま大人になっていくように思える。そうした中、 主宰が広めているジュニア俳句はすばらしいと思う。 かくいう年長の孫は書道、英語、音楽と週三日の 稽古ごとに通っている。日本の将来を託す子をどう 育てればよいのか自問している今日この頃である。 ― 88 ― 佐志原たまの俳句紀行 点と線 小 言 言 ふ 口 元 よ ぎ る 秋 茜 口切や夫婦二人のミニ茶会 亥の子餅今日も元気に遊ぶなり 善女の手やはらかきかな十夜粥 「点と線」また読んでゐる夜長かな 湯の町の辻占売りに風寒し 隼 の 瞳 に 映 る 日 本 海 無人駅 九月十四日、「鍛錬会in大分」に参加させても らった。次の日は生憎、何カ月も前から予定してい た用があったので、懇親会の後、残念な気持ちで一 人ホテルを後にした。 しかし、呼んでもらったタクシーがなかなか来な かい。運転手さんに電車の時間を言うと、暗い夜道 をビンビン飛ばして「大神」駅に無事到着。駅舎に 灯りはついているが、誰もいない。恐る恐るICカ ードで入場し、灯りセンサー付きの踏切を渡りホー ムに出たが、暗く長く、乗り馴れない私にはまった く見当がつかなかった。真ん中辺りに居ればいいだ ろうと待っていたら、来た!が、ホームで減速する ことなく走り去ってしまった。特急ソニックだった。 ちょっとして、目指す電車がやって来た。何と、 はるか後ろの方に停車した。というより、私が間違 った位置で待っていたのだ。走って乗り込むと、運 転手さんは見当たらない。無人列車かと思ったが、 そんな訳ない。「ワンマン」と書いてあった。ま、 とにかく無事に乗り込んで大分駅に着くまで、第三 句会の兼題に取り組んだ。「鍛錬会」でドキドキし、 無人駅でまたドキドキ。「いい、一日でした。あり がとうございました!」 ― 89 ― 佐竹白吟の俳句紀行 亥の子 むくげ咲く辻を曲がれば地蔵堂 辻立ち の笠を濡らして時雨去る 和の心しかと茶壷の口を切る 爺を越す齢重ねよ亥の子餅 亥の子突子等口そろへ囃し歌 点呼とる夜学教師や木の葉髪 念仏を噛みしめながら十夜粥 亥の子 亥の子の「亥」は十二支のイノシシに当たる。 イノシシが多産であることから子孫繁栄を願う意 味でも縁起の良い動物とされ、古代の宮廷では亥の 日、亥の刻に「亥の子祝」が行われた。 また、亥の月は旧暦の十月で、丁度収穫の時期で もあり、収穫の祭として、主に西日本の各地で「亥 の子祭」を行う風習があった。 「亥の子祭」では地域の子供たちが、棒状に束ね た藁や、縄で縛って引っ張るように作られた丸石で 地面を叩いたり、突いたりして家々を回る行事が行 われた。これは「亥の子突き」とよばれ、その土地 の邪気を払い収穫を祈るという意味が込められてい た。これに合わせて子供たちはお目出度い囃子言葉 を唱え、終われば何がしかの「おやつ」が貰えるの である。「亥の子餅」はそのような食べ物だったの であろう。 ところで最近、我が国では外国の風習を取り入れ て行事をすることが流行のようだ。我が家の孫など はハロウイーンの仮装をして「おやつ」を貰いに来 る。もう少し我が国伝来の風習を大切にしても良い のではと思うこの頃である。 ― 90 ― 貞永あけみの俳句紀行 点と線 口切やほぐれぬままに足袋の先 亥の子餅ゆつくり暮れる祖父の家 人の世の静まり返る十夜寺 隼 や 一 直 線 に 空 の 青 目貼する家の中にもあるエロス 点と 線列 車 の旅 を 冬の海 辻馬車の駆け湯布院冬紅葉 東京出張 次女が東京に住んでいるため、東京出張は一緒に 時を過ごすようにしている。これが楽しみとなって いる。都合があえば、次女の部屋に泊り、一緒のベ ットに寝る。部屋でゆっくり積もる話をすればよい のだが…。 会議や講演会の後、仕事帰りの次女と待ち合わせ。 お腹ペコペコで、何か美味しいものをと店を物色し、 とりあえず、ビールで乾杯! 一日の仲で一番幸せな瞬間である。そのあと、二 人でワインを飲む。ボトル一本が空いてしまう。 帰宅前に近所のスーパで、食糧を一杯買い込み、 部屋で二次会。次女がお風呂に入っている間に、必 ず味噌汁を作り、おつまみや、時にはカレーを作っ ておく。お風呂から出てまたビールで乾杯! お味 噌汁を飲み、おつまみを食べる。 あっという間に深夜となり、気がつくと、次女は ベットでダウン。結局は、飲み会のような夜となっ てしまう。それでも頑張っている生活を垣間見る事 ができて、愛しくなる。いつまで続くのかな…。 ― 91 ― 佐藤年緒の俳句紀行 城壁 城 郭の都 市の水 辺の青柳 日 傘 さ す 女 描 き し 点 描 画 丘の上の城郭に舞ふ夏の蝶 炎 天 や 昇 龍 刻 む 屋 根 瓦 台風の 接近憂ふ 異 国の空 口切のココアの香り秋深し 目貼りせぬまま爪痕年を越す 水原の古都 「日韓青少年水フォーラム」に参加するため、韓 国の水原(スオン)市を訪ねた。十八世紀末の李朝 国王が都を移そうと築いた城郭都市。「華城」と呼 ばれる宮殿は、世界文化遺産でもあり、ドラマ「チ ャングムの誓い」のロケ舞台にもなった。漢字の 「水原」は「水源」という意味もある。山から引い た水を都の南北に通し、城壁のアーチ型水門から水 の流れる姿は格調高い。 この川も都市の発展とともに生活排水で汚れ、商 店街の駐車場のために一部が暗渠になった時期もあ った。環境意識の高まりとともに住民が立ち上がり、 暗渠を撤去し、川の景観を取り戻した歴史がある。 その市民運動のリーダーが現在のヨム・テヨン市長 であり、聞けば「当たり前のことをしただけ」と謙 遜する。教育にも熱心で、子どもたちは学校でだけ でなく、川で生きた学習をしてほしいと願う。 そんな市長の下、地元の環境団体が主催したフォ ーラムでは、日韓の中高生が二泊三日で環境問題解 決に共にできることを探った。同じ空の下、同じ海 を囲む両国は水で繋がっている。「政府の間で緊張 関係が続いても、自治体同士での青少年交流はしっ かりと進めたい」という市長の言葉に感銘を受けた。 ― 92 ― 佐藤テル子の俳句紀行 亥の子餅 手温めと隣ににも分け亥の子餅 大鍋のままにつぎ分け十夜粥 隼 に ついに 襲はれ雀 の子 目貼して籠る小部屋の暖かし 点々と四五戸の灯り夕時雨 悲しくてそして忙し新盆会 微笑みを浮かべし夫の魂迎え 亥の子餅 昭和の初め、私の家は十人の大家族で八十六歳の ひいばあちゃんをはじめとして祖父母、父母子供五 名、当時、父は日支事変で出征していて、父親のこ とは、あまり知らずに育った私達であった。 「お父さんがどうか元気で帰って来ます様に」と 毎朝、手を合わせて神様にお願いする。それだけの 父であった。 五人の子供を育ててくれれた祖父母や母の苦労は、 いかばかりであっただろうと、今更ながら頭の下が る思いである。 ある日、祖母と一緒に蓬を摘んで「今日は亥の子 だから、団子を作るよ」といって、餡こ入りの蓬餅 を作り、「隣のばあちゃんに手温めですといってあ げて来なさい」といわれ、近くの年寄りの人二、三 人に配ったことを覚えている。帰りに、五厘玉をい ただき、口いっぱいに頬張って帰ったものだった。 どこの家にも庭一面に籾が干してあり、我が家の 庭も余すところなく、筵を拡げ、乾いた籾の匂いと、 亥の子餅の蓬の匂い等、本当に忘れられない遠い昔 の思い出である。 ― 93 ― 佐藤辰夫の俳句紀行 辻地蔵 風の止み水面に落つる稲の花 ご灯明点じやすらぐ秋彼岸 コスモスに抱かれてゐる辻地蔵 灯は仄か子らの声やむ亥の子餅 目貼して 夕餉の香り部屋に満つ お十 夜の 不断念 仏朝の靄 隼の十字切るごと土手の空 伝承文化 『少年』では知らなかった言葉にたくさん出会い、 多くの事を教えられる。今回の兼題「亥の子」も、 その一つである。 幼い頃に父の昔話の中で聞いた記憶はあるが、か つて西日本一帯を中心に行われ、今も一部地域で伝 承される重要な行事であることを、今回の作句で知 った。そういえば私の幼い頃、中秋の名月にご近所 を回り、ふかし芋や柿や飴などを頂く「みいげつさ ま」と言うよく似た行事があった。残念ながら、こ の行事は、私の子どもに伝わっていない。 最近、農家の多いこの地域で子どもたちに稲刈り 体験をさせる行事が行われている。私たちの子ども の頃は、農繁期に家の農作業を手伝うのは当然の事 で、稲刈り経験のない子どもはいなかった。しかし、 農業は小規模化、機械化され休耕地も多くなった地 域での、子どもの生活環境も大きく変化している。 山や農地の姿形は変わらずとも、その機能は大き く変化し、同じような環境ながらも、世代によって その捉え方はかなり違うようだ。それにより、人が 環境と共に育む文化も変化する。文化を伝承する事 のむつかしさをあらためて痛感した。我々の文化を 育んでくれる自然環境、大切にしたいものである。 ― 94 ― 佐藤美代子の俳句紀行 亥の子 リフォームの板間流るる秋の風 球を打ち競ふ点数赤とんぼ 辻 々 の 信 号 守 り 天 高 し 口切 や 新調 の 帯にじり 口 重箱にあんこたつぷり亥の子餅 田の神に祈り捧げる亥の子餅 断 崖 に 隼 翼 休 め を り リフォーム第二弾 八月に入り、リフォームの第二弾として、台所と 玄関の床板張り替えが始まった。 前日までに台所の食器類や流し台の下に入れてい る鍋その他の物を別室に運び出した。当日、大工さ んたちが食器、戸棚、他重い物やTV等を運び出し てくれた。大工、電気、水道屋さんたちが入れ替わ り、立ち替わり仕事に取りかかった。毎日のおやつ にも気を使った。三日ほどで台所がきれいに完成し、 電気もLEDに。戸棚等確認しながら、元の位置に 置いてくれた。その夜から食器等を元の位置に戻す 作業を開始。大掃除のつもりで元に納めながら、使 わないものを破棄していたら、その多さに呆れた。 「親の家の片付けをどうするのか」等の本も出版 され、話題になっていとる、息子がこの夏帰省した 折、話していた。子ども達には迷惑をかけないよう にしたい。 玄関の床板は檜づくりとした。大工さんが腕を振 るって、三日ばかりで完成。道具を片付けた大工さ んは、上り框を撫でながら「明るくなったなあ」と。 主人と私は「こんなにきれいに直して頂いてあり がとう」とお礼を述べながら、大工さんの好物のビ ールを手渡した。 ― 95 ― 佐藤白塵の俳句紀行 稲穂の丈 いにしへの板戸に祖父の目貼跡 墓 洗 ふ 線 香 点 か ぬ 小 糠 雨 辻塞ぐコスモスを手で矯め会釈 銀杏を踏みしタイヤのかろき音 秋の蚊を打てばこうべを垂れてをり 澄ましがほ種籾採りの田の稲穂 もち米の稲穂の丈のやや低し 種籾ともち米 今年は母の見舞いによく故郷へ帰った。そ の折々に田んぼの様子が移り変わる。田起こ しから、代掻き、田植え、消毒、草取り、と 病室の窓越しに順に稲作イベントを眺めた。 いよいよ稔りの季節となった。畦道に降り て歩くと垂れた稲穂は今年の太陽の光を十分 に受けた証左としてどれも充実している。当 たり前だが面白いもので、春に雨の中で田植 え機が走ったとおりに株の列が並んでいる。 稲の株は、初めは心もとなく傾いでいるもの もあったが、今では一つひとつ力強く田の泥 を掴んでいる。一枚一枚の田を見ると微妙に 趣が違う。その中に、赤字の札を立てた一枚 には地元農協であろうか、「種籾用苗地」の 表記が。この田んぼの米は今年の食料となる のではなく、来年の稲作りのための貴重な種 籾なのだ。そう思って見ると、この田だけ、 稲穂が他と違った誇らしげな表情にも見えた。 さらに歩くと、そこには比較的濃い緑色の 葉が風に揺れる田が一枚あった。よく見ると 周りの田んぼの稲穂より明らかに一段くらい 背が低い。それはもち米の田であった。 ― 96 ― 佐藤裕能の俳句紀行 十夜 教へ子の文抱きて逝く葉月かな 口切 や迷ふ 着物と 帯の柄 ひ たすらに南無阿弥陀仏十夜婆 点々と有磯海ゆく烏賊釣り火 辻々を 踊 り流るる風の盆 目貼して凌ぎしなごり古机 隼 の 羽 音 鋭 く 雲 の 上 諸行無常 一番上の孫娘が、今春三月大学を卒業と同時に埼 玉県の教員に採用され、隣接する市の小学校に赴任 し、三年生三十七名の担任となった。朝五時半に家 を出て十一時過ぎに帰宅する毎日である。大学では、 児童の自然体験が道徳教育に如何に反映するかを研 究して理想に燃えていた。 その娘の笑顔が消えたのに最近気づいた。考え込 むような仕草が多くなった。理想と現実、指導要綱 と授業現場、学校と父兄、新米教師には相当なスト レスがあったようだが、学校の出来事は聞けない。 その彼女が二学期の始まる前の八月未、突然命を 絶ってしまった。死に顔は微笑みとほっとしたよう な顔であった。一体何があったのか? 解らない。 八月未、葬儀を滞り無く済ませた。弱冠二十二歳 なのに、小中高校、大学の友人、恩師、研究機関、 勤務先など五百余の方々が別れを惜しんで下さった。 何時こんなに多くの方々と…交際の広さに驚いた。 笑顔やさしく思いやりのある真面目な先生がなぜ …との声を聴くたびに、無念さと彼女の元気な笑顔 が交錯する。 十月には浄土宗の十夜の念仏法要がある。今年は 心ゆくまで孫娘の為に、念仏法要をする心算でいる。 ― 97 ― 佐渡節子の俳句紀行 名月 一点を見つめゐる孫秋の空 霧かかり阿蘇の青田のちらほらと 袋提 げ月 の客とや十七 人 口切 の 新走 りまづ仏壇に 口切の茶事は幼き孫の手で 犬小屋の目貼新たに心地良き 亥の子餅幼き頃の思い出よ 孫に感謝 私は八人の孫に恵まれている。同居している長男 には男の子三人、女の子一人の四人。家族八人の賑 やかな毎日である。娘達二人も、この「きよらの 里」南小国に嫁ぎ、二人ずつの子供がいる。 高校生三人、中学生二人、小学生二人、保育園一 人の八人の孫達。保育園が大好きな孫には「早く、 早く」と急かされながらの送り迎え、自転車で通学 の中学生も雨の日は迎え、部活で遅くなる小学生も、 偶には迎え、保育園から高校まで、何か行事のある ことに、孫の晴れ姿を見にあっちこっち走り回る。 少しでも若さを保ち、元気でいる為に、嬉しいこと だと思い、主人と二人交互に、時間の空いている方 が車で動くのである。 外好きな私は、孫達からパワーを貰いながら、動 き回る楽しみ、そして、喜びを味わっている。 「八人の孫達よ、ありがとう。あなた達がいてく れて、私は元気いっぱいです。いつまで続くか分か らないけど、車の運転の出来る限り、健康に気をつ けて頑張るから、あなた達とつきあわせて下さい。 よろしくね。ありがとう!」 ― 98 ― 椎名よし江の俳句紀行 燈火親しむ 天空に鐘打ち鳴らす夏帽子 愛読 書燈火 親しむ 枕辺に 行く秋や友遠ざかる交差点 お十夜の土間子どもらで賑はひし 口切の茶事しなやかに宗家門 隼の雄姿ぽつんと暮れ行きし 旅一座目張り隅取り十二月 山に魅せられて 日本一早い秋として、北海道大雪山系黒岳の紅葉 の写真が掲載されていた。錦織の美しい布で覆われ たかのような山々、残雪とのコントラストも美しい。 何年か前、初めて山の旅の計画をして出かけたの が、大雪山旭岳であった。山麓駅からロープウェイ で十分、天空の姿見駅に降り立った時の感激。ザク ザクと雪文を踏みしめながら抜けると、自然探勝路 カムイミンタク(神々の遊ぶ庭)に出る。幾つもの 池、沢山の高山植物の群落に出会う。道を少し登る と、大雪愛の鐘の塔がある。慰霊の思いをころて打 ち鳴らしたことを思い出す。 姿見池の真正面に大雪山主峰旭岳(二二九○メー トル)の雄姿を仰ぐ。こんなに近くで見る山の何と 神々しいことよ。その雄姿をバックに記念写真。 山の魅力に取り憑かれ、その後の旅のプランは山 ある風景を目指した。岩手山、八甲田山、秋田駒ヶ 岳、白馬の山々。遠くは、九州の阿蘇山、九重連山 の深山霧島の美しかった山並みは、生涯忘れること ができない。 今もう一度なぞらえてみたい旅である。しかし何 かを求めて振り返っても、そこにはただ風が吹いて いるだけなのかも知れない。 ― 99 ― 敷波澄衣の俳句紀行 青深む 花木槿供物あふるる辻地蔵 新刊の一 文 そへて 盆供養 月今宵天空さらに瑕瑾なし 口切や茶入れに小さき象牙蓋 お十夜の弥陀に托せし後生かな 目貼して心鎧ふがごとく在り 隼 の 飛んで み 空の青深む 昭和 ひさし 石川・富山ゆかりの著名人七十八人のエッセイを 集めたストーリー編と報道写真のアルバム編をセッ トにした「昭和あのとき」という豪華本が八月に、 北国新聞社・富山新聞社から発刊され、私もエッセ イを書いた。 昭和十四年の春に入学し、昭和十九年に卒業した 私たちの女学生時代を知る方はもうほとんどいらっ しゃらないので、きびしかった青春の日をまとめて みたのである。「学徒出陣の壮行式に校旗を持って 行進」というタイトルで第一章、戦中、昭和二十年 代にランクされている。第一回女子挺身隊の隊長と して、軍需工場で働くお下げ髪姿の私の写真が当時 の新聞紙上に載っているので、今回も使わせてもら った。 執筆者では、一九二二年生れで元文化庁長官だっ た白山市出身の安嶋 彌 氏についで二番目の年齢で ある。作家の加賀乙彦氏にはじまり、堺屋太一氏、 仲代達矢氏、坂東眞理子氏などメンバーは多彩で、 政治ジャーナリストの後藤謙次氏の「昭和最後の日 を小渕氏の間近で見続けた」で終る貴重な本であり、 私にとっても記念の一冊である。 ― 100 ― 柴田芙美子の俳句紀行 亥の子餅 真つ新の 大船鉾や 辻回る 口 切 の 由 緒 の 話 長 々 と 緋毛氈落葉もまじる野点かな 一山を響かせお十夜明かりかな 和菓子屋の主の手捌き亥の子餅 その頃の母の目貼のすぐ剥がれ 断 崖を 一瞬隼 かも 知れ ぬ 秋の七草 今年の夏は雨天続きで、各地で記録的な豪雨を伴 い、油断のならない八月であった。 白露も過ぎ、やがて秋彼岸である。久しぶりに郊 外に出ると、彼岸花が勢いよく伸び、稲の穂も色づ き、天高しの秋である。 秋の野、花野とイメージが広がる中で、秋の七草 のことを思う。野辺に咲く秋草と日本人の美意識の 深い繋がりを指摘したのは、京都の美術史家、源豊 宗氏だという。 秋は過ぎゆく時を強く感じ、移ろいの美、愛惜の 情を象徴して来たのが、秋草である。日本の美術作 品の中にも、絵画や工芸品の蒔絵など多く描かれて いる。 昨今、藤袴などは準絶滅危惧種とされているが、 家庭の菜園などで各々大切に育てられていることも あって、七草も健在である。 今月の吟行でも、女郎花が真っ黄にかたまって咲 いていた。萩も咲き始め、色をこぼしながら揺れて いた。秋の七草は控えめで清楚な姿に心和ませてく れる。色なき風がよく似合う。 ― 101 ― 篠﨑代士子の俳句紀行 口切 口切の茶事の風呂敷千羽鶴 亥の子突く慣はし失せし過疎の村 お十 夜の念 仏唱ふ 檀 那寺 隼は夢まぼろしか空の果て あちこちに目貼ほどこす庵かな 小春日や繰り返し読む「点と線」 辻が花晴れ着の似合ふ初句会 時代 長年所属している団体のチァリティイベントが九 月二十三日、大分オアシスタワーホテルであった。 大分県佐伯出身の歌手「KUSUYO」が会長の肩 入れで、ランチショーに決まった。経歴は不明であ るが、シャンソンを歌うそうである。 シャンソンは、フランスの大衆歌謡であり、エデ ット・ピアフは大道芸人の父と、街頭で悲惨な暮し を歌った。情感をこめた歌唱力で世界的な歌手にな る。「バラ色の人生」や「愛の賛歌」は日本でも流 行り、ファンも多い。イタリア生れのイヴ・モンタ ンの「枯葉」は映画の主題歌。モンタンは俳優とし ても成功した。当日のプログラムが楽しみである。 さて、アメリカ帰りの料理長のメニューは、盛り つけも美しく好評であった。会場の雰囲気も盛り上 がり、コンサートが始まる。彼女はトークも上手だ し、衣装も美しい。マイク使いも華やかだが、エコ ーを効かせたカラオケの伴奏が気になると友人に話 すと、「嵐もAKB48もミュージカルも録音で歌 っているよ」とのことである。黒衣を着て、人生を 歌うシャンソニエールのイメージは過去のものとな った。 ― 102 ― 篠田和美の俳句紀行 花芙蓉 ウォーキング励ます如しげんのしょうこ 八月の雨蛇の目の傘に佇みし 地平線天との辻に西日落つ 風の辻ゆきつもどりつ萩にふれ 点と線清の花火絵音聞こゆ ゆらゆらと夢を見てゐる花芙蓉 何もかも見通すがごと隼の目 蛇の目傘 梅雨も明けたというのに、八月になっても雨続き。 我が家の小さな畑は、草が生え放題になっている。 横目でビーグル犬が諦めたように、それを見ている。 昔、実家の近くに、今では珍しくなった蛇の目傘 を作っている家が二軒ほどあった。竹の骨に紙を張 り、上端を中心に同心円状の蛇の目のように作った 日本独特の傘が蛇の目傘。 天気のよい日は、傘の花が咲いたように干してあ った。それが子供の頃の原風景となっている。 先日、孫を抱いていたら雨が降り出してきた。傘 をさし、♪雨雨降れ降れ…♪と童謡を詠っていると、 幼子が♪ランランと♪と満面の笑顔で歌い継いだ。 二人でしばらく雨の中に佇んでいた。それ以来、雨 不利には傘をさすようになった。 しかし、蛇の目傘に降る雨音と今の傘に降る雨音 とは違うような気がする。いつだったか、テレビで 音の風景を放送していて、目に写るものばかりでは なく、音も変わってゆくことを知った。 何時か、孫に蛇の目傘に降る雨音を聞かせたいと 思っている。 ― 103 ― 首藤加代の俳句紀行 秋彼岸 秋彼岸一点見据へ耐えてをり 寄せ来るは稲に生まるる稲の波 百点は取れずじまいや夜学の子 地蔵盆ひときわ明き辻灯り 過 疎 の 村 明 り 点 々 地 蔵 盆 稲 雀 満 腹 の 腹 抱 え 飛 ぶ 今年また終の棲家の目貼りする 指輪 飛行機からは、白砂青松がくっきり見えて美しい。 尾根にかかる山襞が黒々と影を引く。いつもの景色 である。世の中は何の変わりも無いのに…。 夫の弟に癌が分かったのは、昨年の十一月であっ た。米寿を迎えたばかりの義母には伏せて、年越し に帰ってもらうことにした。甥は入籍を済ませたば かりのお嫁さんも伴い弟夫婦と甥夫婦の四人と賑や かな年越しが出来た。入籍の報告との話に、元気な 弟を見て母は喜んだし、何も気づかなかった。 その弟に食事を摂れるのも九月一杯と言われたと、 弟嫁から電話があった。お見舞いに駆けつけた。五 月には、入籍済みの甥夫婦の結婚式が立川で行われ た。その時は、癌は誤診かと思わせるほど弟は元気 であったのに。 無口な上に我慢強く、殆ど痛いとかは言わないと 弟嫁は気遣う。治療の有無の選択を迫られた時、迷 わず治療を選択した。配偶者のために長生きをした いのである。 弟は、病床であまり喋らなかったが、相槌をうち ながらも一点を見据え痛みに耐えていた。左手の薬 指の指輪が闘病の彼を支えている。 ― 104 ― 城戸杉生の俳句紀行 亥の子 一 点 の 露 輝 け る ご と 偉 業 燕 去 ぬ 豪 雨 の 多 き 国 後 に 亥の子餅畦道通り配らるる ふるさとや食べたきものに亥の子餅 亥の子餅作りし母を遠くせり 厚厚の餡のせてゐる亥の子餅 お十夜に適わぬと聞く一善女 祝準V錦織圭 九十パーセントは優勝するだろうとの予想に反し、 錦織圭は準優勝となった。恐らく、本人も納得して いないだろう。しかし、この偉業を心からお祝いし たい。 テニスUSオープン準Vニュースは大きく報道さ れたので、もやは知らない人はいないだろうが、日 本人がグランドスラムのファナリストになることは 夢のようである。 グランドスラムとはテニスの四大大会のことで、 全豪、全仏、全英(ウインブルドン)、全米(US オープン)である。一試合5セットマッチで行うた め(四大会以外は3セット)、フルセットを戦うと 四時間以上にもなる。そして、優勝するためには二 週間で7試合しなけばならない。技術と体力、精神 力がすべて揃わないと勝つことは出来ないのだ。 彼の魅力は、好青年であり、素朴純粋さである。 今回の帰国中、食べたいと言っていた「鮎」や「の どぐろ」も食べられたようである。 今後は、グランドスラム優勝と世界ランキング一 位を目標としている錦織圭。テニスをしている一人 として私も今まで以上に応援してゆきたい。 ― 105 ― 下城たずの俳句紀行 寺 寺の庭僧は花守る十夜かな 開け放す御堂のお経十夜かな 辻の茶屋山かけうどん天高し 点滅 の街灯 に迷ふ秋 の虫 仕事場の目貼賑やか始まりし 朝月の大向日葵はうつむける 青 栗 に 翔 平 窯 の 煙 立 つ お彼岸 九月九日は、私達のお寺玄徳寺にお彼岸のお参り にくる人達を接待する当番である。 組の門徒七名がこのお世話をした。朝八時には、 それぞれの家から一品ずつを持ち寄ることにした。 お寺では、まず八十人分のお膳を用意する。お彼 岸は、お斎お膳で、黒塗りの八十椀を使う。おひら はお煮しめ、つぼは素麺、酢の物、ご飯、みそ汁を 八十人に盛りつける。 十一時頃より、そろそろお客さんが来るので、長 台に、一人ひとりのお膳を組み、七人が持ち寄った 一品を皿に盛り、点々と置き、準備が整った。 この日は、玄徳寺の長男の得度披露もあった。小 さい身体に黒紋付きを羽織った小学五年生の長男は、 立派なお坊さん。その姿に感動した。 八十椀の拭き上げをし、お彼岸のお接待を無事終 了した。 ― 106 ― 杉野豊子の俳句紀行 秋景色 辻々におはす野仏曼珠沙華 辻 々 に 掛 け 声 高 し 秋 祭 虫たちの点となりつつ夢の中 母となる亥の子可愛いや吾亦紅 瓜坊は亥の子も亥の子人気者 再会を約して今朝も墓洗ふ 敬 老 を 祝 ひ て 紅 の 舞 扇 おかえりなさい 九月初め、静岡県伊東市に住む義妹が何と二十二 年振りに、鹿児島の実家に遊びに来た。今までどの ような生活をしていたのか、聞かなくても良いこと まで聞いた。 私の夫とは四歳年下で、六人兄弟の下から二番目、 子供の頃は勝ち気で、喧嘩ばかりしていたそうだ。 兄さん、姉さんとは随分年齢が離れ、年の近い夫と は、特に仲が悪かったそうだ。男まさりの義妹はく ってかかっていたようだ。六十歳になった今では、 若いときのような元気さはなく、お互い丸くなった のか、昔話を懐かしく話している。 その様子を見ながら(いいなあ、兄弟の多いって いうのは)と思った。私は三人兄弟の一番上なのだ。 母も口に出さないが、九十五歳の義母も目が喜ん でいる。一人住まいを心配していたので、安心した のであろう。 「元気でまたね」と言いながら別れた。 束の間の二週間の旅を終えた義妹。後ろ髪を引か れる思いであったろう。 ― 107 ― 杉野正依の俳句紀行 目貼 目貼して牛の産待つ一家かな 厩の 窓目貼 筵を下げ る孫 野戻りの孕み牛にも目貼する 新盆 の 辻の 家あ り萩 白 し 月を待つカルデラ灯り点々と 歌碑を守り句碑守るさるすべり盛り 阿 蘇 颪 狐 火 話 月 を 待 つ 月見 九重阿蘇連山の裾野の重なる処より昇る月が草原 を真っ赤に染める。中秋の名月は大観峯でお迎えし たいと、女三人と出かけた。昨年、雲行きは悪いが、 昇る昇とコンビニで飲み物とおにぎりを買い、明る い内に、場所取りに行った。 大勢の中に、三脚を立てたカメラマン。カルデラ の町に灯が点り始める頃、電車の行き来を見ながら、 おにぎりを食べつつ待っている時の事、カメラマン の三脚と人の間を行ったり来たり、犬と思っていた が、よくよく見ると、尾が細長く耳が立っていて、 小柄ながら立派な狐の姿であると気付き、車のドア を開けると、寄って来るので驚いた。 狐に気をとられている間に、月は昇り、狐に気付 かずカメラマンはシャッターばかり切手いる。 狐に気付いた月見人は次第にざわめき、慌てて車 に乗り込み、ドアをパタンパタンと音高く閉め、窓 越しに見ている。毎日の観光客に馴れているのだろ う。人を怖れることもなく、飼い馴れた犬のように、 人に近づき、人の中をうろうろしている。 月はいよいよ高く昇り、芒を吹く風の音の中の月 見であった。 ― 108 ― 髙司良惠の俳句紀行 彼岸花 廃校のグランド淋し彼岸花 彼 岸 花 列 整 え て 辻 地 蔵 口切 の招 待 状 の封を切 る もてなしの盆に山盛り亥の子餅 隼 の 鷹 狩 り 跡 や 芒 原 農 神 に 赤 飯 供 へ 十 夜 庵 力 尽 き 枯 蟷 螂 は 合 掌 す 六十九年振りの再会 久し振りとはいいましても、六十九年振りの再会、 この空間をどうしたら埋めることができのかと、そ ればかり考えていました。約束したホテルで再会し た途端、その思いはあっという間に吹き飛んでしま いました。お互いに、六十九年前の友達の姿に、懐 かしさに、言葉もでませんでした。熱い、熱いその 絆に涙がでました。 母校の跡、町並み、学徒動員の腕章、戦場に送る 弾作り、高らかに「学徒動員」の歌を歌った日々が 甦ってきました。ふるさとの移り変わった、長い長 い年月の重みを今回の再会で実感させて頂きました。 手作りのお弁当、涙を拭きながら車中でいただき ました。残り半分は佐伯のお土産として、夕食に、 妹と二人で頂きました。おいしいおいしいおにぎり でした。 かしこ 友との二日間は夢のように過ぎ、駅で手渡したに ぎりめしを、あんなにもよろこんで食べてくれたこ とに私も涙がでました。「よかつなあ」。 彼女からのお便りは、私の大切な宝物としたい。 六十九年振りの再会に乾杯! ― 109 ― 高橋敏惠の俳句紀行 目貼 辻 地蔵 揃ひ の赤き毛糸帽 四つ辻の供花に置かるる露の玉 厚目貼子らは大人の真似をする 空港に隼飛ば し 野鳥 追ふ 剥 製 の 隼 を 置 く 奥 座 敷 藁拾ふ 律儀な子もゐて 亥の子餅 歳晩や足踏みで待つ交差点 生き切る姿 同窓会の打ち合わせをした時の彼は私の目の前に いたのにも関わらず、私は暫く彼だと気付く事はな かった。気付いた時、「エッ!」と驚いた。 彼との関わりは「彩の国いきがい大学」での絵画 クラブや班活動などのお仲間と頻繁に会っていた。 「女房には朝、俺は死んでいるって言っているん だ」と冗談に言っていた。一年ほど前より、膵臓癌 の痛みをモルヒネで抑えているとも言っていた。不 整脈もひどかった。そんな体であるにも拘わらず沢 山の役を引き受ける奉仕の姿に頭の下がる思いでい た。「同窓会には俺はもういないよ」と。 打ち合わせ会の後、二泊のスケッチ旅行を無事に 終え、翌日は病院の予約日で行ったところ即、入院 と言われて入院、その二日後に亡くなられたという。 絵画展でのチャリティー収益寄付金の一円単位まで の収支決算報告など全ての役目を果たしての旅立ち であった。 ご自身の予言通り同窓会には間に合わなかった。 真似のできないお姿をお伝えしたい気持ちでプライ バシーに関わることかも知れないけれどエッセイに させていただいた。「エッ!」の、あの時すでに生 き仏であられたように思う。 合掌 ― 110 ― 高橋紘子の俳句紀行 打ち揚げ花火 空蝉やすがりつく葉の雨に揺れ 点描の画伯の花火打ち揚がり 古刹なる青き銀杏掃き寄せり 口切や期待ふくらむ茶の香 亥の子餅母八十五歳恙なく 鷹匠 は凛々 しい娘笛 一吹 目貼する腰の曲がりし母を見る 懐かしい我が家 生家は、明治元年に建てられた古い古い家。壁は、 どの部屋も黒ずんでいた。唯一の装飾は、田園風景 の油絵だった。 座敷の四隅には紐下がっていた。夏の蚊帳を張る ためのものである。 蚊帳の中で聞く昔話が思い出される。隙間だらけ の家は、天然のクーラーが効き、夏は快適。しかし 冬は悲惨である。暖房器具は、火鉢、炭火を使った 堀炬燵。自然換気、中毒の心配はない。 初霜が降りる頃になると、寒さを和らげる為の目 貼をした。黒光りする引き戸。戸と戸の間は隙間だ らけ。その隙間に合わせ細く、広く貼ってゆく。貼 り終えると白い縞模様が出来る。母は「この冬もこ れでどうにか過ごせそう」と、伸ばした腰を叩く。 私は切ない気持ちで母を手伝った。これを繰り返し、 父亡き後十年独居を通した。 我が家に来た人の多くは「隙間風のない部屋は暖 かさが違うね」と呟く。 目貼という兼題を得て、○十年前を懐古すること ができた。 ― 111 ― 髙松くみの俳句紀行 母語りけり 辻止まり住む人もなく芙蓉咲く 母語 る十 二歳の 頃震災忌 残る蚊や今年は俳句遠ざけり 辻に立ち帰りを待つ子秋の暮 急坂を 上 りて 古き十夜寺 木 の扉隙間 に目貼 山 の家 点 々 と 鳥 の 足 跡 雪 の 道 友人の一句 女郎花が見頃で光に映え美しい。友人のMさんと 都立の殿ケ谷戸公園に行った。彼女とは、彼女の息 子が小学六年の時、私が担任をした縁で親しくなっ た。今は句友という関係である。 園内は、萩のトンネル、竹の小径、山野草などが 心地よい距離感で点在している。Mさんはいつもよ り口数が少ない。 一年前に鬱病の御主人が病気で他界した。施設に 入居中の高齢の姑に気を配りながら、同居している 息子父子の世話をしていた。最近その息子が結婚し て家を出て行った。やっとゆっくりした時間を神様 がくれた、暫く休みたいと言っていた。 庭園は、昔、岩崎彦弥太の別荘だったところであ る。湧水源から続く池の飛び石を渡っていると、翡 翠がすうっとすぐ傍らに飛んできた。こんなに間近 に翡翠を見たのは初めてだ。思わず見入ってしまう。 彼女はぽつりと言った。「甲状腺の二度目の検査 でもひっかかり、近い打ちに手術をすることになっ たの」と。そして、続けた。「癌を告知された友人 の句が何故か冴えてくるのよね」と。そこに設置さ れていた投句箱に一句投じ、公園を後にした。 ― 112 ― 武田東洋子の俳句紀行 露けき仏 折り返し地点すぐそこ天高し 辻に立ち給ふ露けき炎焔仏 煌 々と勅 使御 門の上 の月 コンバイン一直線に稲を刈る 田の神に祈り供へる亥の子餅 かかさずに参りし母や十夜講 新婚の仮の住まいや目貼する 季節の移ろいの中で 本誌の俳句とエッセイを読んでいると、素晴らし い先輩方がいらっしゃるので、尻込みしてしまう。 俳句がなかなか作れず、エッセイも纏められず、締 切が近づいてくると不安になってしまう。 この夏は異常気象でとにかく暑かった。脱水症で 病院に運ばれた方が多くおり、水分補給を心掛けた。 雨の予報になると、今まで経験したことのない雨が 降り、土石流による災害も発生した。被災した人々 のことを思うと心が痛んだ。 そうこうしていると、月見の句会の開催。農家で はコシヒカリの刈り取りの始まる。黄金色に輝く田 んぼの美しさに、「瑞穂の国」に住む幸せを感じる。 先生のご指導や俳句仲間に支えられ続けている私。 身辺のちょっとした気づきや感動を俳句で詠えるよ うになりたい。努力あるのみ。 ― 113 ― 田﨑茂子の俳句紀行 健やかに 名月は東にありて餅をつく 偏西 風吹きて 空には 羊雲 口切や壺の紐解き香り立つ 一瞬 のくま 蝉つ かむ 隼が 目貼して風吹き渡る古屋敷 亥の子餅ほうばり子等は健やかに 一点を見つめ一気に筆はじめ 秋のつれづれ 雨が多かった今夏であった。そのため野菜が高騰 し、消費者のふところは厳しいものである。今年の 稲の実りがちょっと心配である。黄金色に輝くこと ができたであろうか、旨い米を食べることができる か、と。 今年の梨は、水分が多く、しずくが滴り落ちる様 である。葡萄も房に粒をいっぱいつけ、紫に色付い ている。柿はまだ色づき始めたばかり。実りの秋の 到来は歓迎であるが、太るのが心配だ。太らないよ うに食べる方法はないであろうか。 今の私は、医者に痩せるように言われ、努力して いるが、体重計に乗るたびに淋しい思いをしている。 が、一年後を目指し、適正体重まで張りたい。女子 に二言はない。 今日は秋祭。収穫の感謝祭である。いつもは静か な町であるが、子供らの声が響いている。限界集落 となり、何年後かに消えてなくなる地方都市が多い と聞いている。私達の町もその一つである。このよ うな事態は、ご先祖様には思いもよらないことであ ろう。田舎には田舎の良さがある。それを忘れるこ となく、次の世代に伝えていきたい。 ― 114 ― 武末和子の俳句紀行 点と線 終 戦 日 隼 の 名 の 戦 闘 機 清張の「点と線」読む夜長かな 口切の缶のり食ぶ音さやかなり 亥の 子 祭氏神 様の草 競馬 精進のお膳につられ十夜寺 窓といふ窓に目貼や炭住街 焼き芋の車が辻を曲りくる 虫の知らせ 母は明治二十二年生まれ、私は母が四十四歳の子 である。 家業は薬局をしていた。母が四十八歳の時、中風 で倒れた。私は四歳であつた。母は右半身が不自由 になったが、我が家の切り盛りは母がやっていた。 店では、肘がつける籐椅子に腰掛け、客と応対して いた。客からは「おごう様」と慕われていた。 紀元二千六百年のお盆は母が倒れて八年目になる。 その間、墓参をしていないので「お墓参りがした い」と母が言うので、お手伝いさんと私の三人で墓 参に出かけた。父が世話役をしている西本願寺別院 の報恩講に「お参りしたい」と思い、早朝の法話に 間に合うよう、父と出かけた。年末になると、紀元 二千六百年の記念にと、写真屋を呼び、家族と母の 一人写真を中庭で撮ってもらった。 それから十日ばかりして母が急死した。病名は腸 捻転であった。僅か三日ばかりの病床であったが、 母は、座敷におまるを置いてもらい、最後まで自分 で用を足していた。中風の母ではあったが、家族の 手を煩わすこともなく、見事な生涯であった。 母は享年五十五。私は小学四年生であった。 俗に言う虫の知らせはあるようだ。 ― 115 ― 津田緋紗子の俳句紀行 医師にもひとつ 口切の晴れ着の帯の萌葱色 往診の医師にもひとつ亥の子餅 十夜寺へ急ぐ善男善女かな 日暮れまで煮炊きの匂ひ十夜寺 居眠りの一人二人と十夜経 隼や狙撃手の目のただ一途 目貼てふ手技に祖母の心意気 一枚の窓の向こうに 友人が難病と闘っている。多発性骨髄腫。春先急 激に進行した症状は、何箇所もの骨折を起こし、体 を起こすのすら難儀である。感染症予防のため入室 の際の消毒やマスクは当然のこと、生花は禁止、カ リウム抑止で果物も缶詰とゼリー少量に制限されて いる。 北アルプスを愛し、野鳥の会に入り、野の花歩く 辞典と呼ばれていた彼女が、今、無機質の病室に横 たわっている。集中治療室から個室へ、幾らかの回 復の後一般病棟へ。その度に彼女の希望は只ひとつ。 「窓から木の見える部屋を」 三階の窓のすぐ側まで枝を伸ばす泰山木。被爆を 生き残ったこの大樹は、初夏には真っ白な大きな花 を次々と咲かせ、私達は今日は幾つと数えた。遠く には楠の木。葉の色とそよぎに、彼女は風と季節の 移ろいを感じ取った。そして僅かに頭を覗かせる花 水木。この木々の間に見える空を彼女は楽しむ。 「今朝の空の色は鮭の色」「ひこうき雲だ」「ひ どい雨になりそう」…。ようやく持ち上げられるよ うになったスマホで短いメールを送ってくれる。 彼女はあきらめていない。 ― 116 ― 利光幸子の俳句紀行 轍の響き 辻曲がり虚子の句碑へと秋日傘 辻 馬 車 の 轍 の 響 き 天 高 し 口切やきりりと帯を締め直す 目貼剥ぎ差し入る光部屋中に 野 辺 送 り ふ い に 隼 現 る る 欠 点 も 長 所 の 一 つ 小 春 凪 辻 ご と の 古 き 矢 印 遍 路 道 懐かしい初任地 昭和四十四年四月、親元を離れ、日田郡上津江村 立雉谷小学校(現在では廃校となり、中津江小・上 津江小が合併し、日田市立津江小学校)に赴任。我 が教師生活の出発である。雪深い三級僻地での三年 間、「新採用の三年間が勝負」と二人の校長に厳し く、温かく鍛えられた。お二人とも国東からの単身 赴任。教師としての芯を通して頂いた。 三部屋続きの教職員住宅の右端に校長、真ん中は 空室、左端が私の部屋。当時の窓はサッシではない。 冬が近づくと見よう見まねの厚目貼。豪雪のため陸 の孤島になることもしばしば。バスが不通となり、 帰省することもままならない。閉塞感に襲われ大分 が恋しかった。 待ち焦がれた春。目貼りを剥ぐと早春の光が差し 込み、狭い部屋が一気に明るく広くなった。子ども 達が遊びに来てくれ、笑い声が溢れた。 送別会の時、「女の先生で三年間、ここに居りき ったのは、先生が初めて。感謝や」と、PTA会長 さんに言われたが、感謝は私の方だ。根気よく育て てくれた校長先生や先生方、快く協力頂いた保護者 や地域の方々、そして子ども達の笑顔。全てに感謝。 時折、夢に出て来る子ども達も五十路の半ばだ。 ― 117 ― 富岡いつ子の俳句紀行 大瀬崎 秋うらら辻に募金の女高生 無の文字の点繰り返す秋の宵 口切 に姿 勢を 正す 客五 人 亥の子餅炉の間の広き春徳寺 椅子に座す老女ばかりの十夜かな 目貼する築八十年の遺影かな 崖 上 に 隼 一 羽 大 瀬 崎 女子会 六十代から八十代までの女子会に参加した。集合 は美術館。県展作品をゆっくりと楽しんだ。入賞し た知人の仮名文字や漢詩作品に惹き付けられた。油 絵に日本画、水彩画に写真など、しばらく日常の雑 事を忘れてていた。 長崎で話題になった廃坑の島(軍艦島)の油彩、 廃船、漁村の廃屋、川沿いの昭和の家、老木の根っ こ、船溜り、漁網など、絵を描く人はこういう風景 に心を動かし、エネルギーを注ぐかと思った。 一方、写真の方は、虫や動物、祭の人々、女子高 生など人間の生き生きとした一瞬の輝きをよく捉え ていた。題名を身ながら、俳句と共通するような気 もしてきた。羽化の一瞬、水面のあめんぼうの一瞬 などなど。 先日の友人の水彩画展の画題も、季語に似た名前 を見つけ、作者の思いを想像しながら楽しめた。 女子会は昼食会だったのに、大いに盛り上がった。 どこの店も出勤しなくてもよい人々の昼食は女性が 元気なようだ。 ― 118 ― 冨岡賢一の俳句紀行 西へ 独り身が亭主になると秋の辻 口切 や雀 結びに 香り立つ 今少し育つを待つや亥の子餅 思い出は語るに甘し十夜粥 隙探し目貼漏れ来る朝日かな 隼 が 獲 物 と 掴 む 白 鷺 城 咳ひとつ点灯されし門を入る 男句・女句 昨日まで徳島では阿波踊りが行なわれ、多くの見 物人が押し掛けたようだ。阿波踊りには力強い男踊 りと華麗な女踊りがあり、どちらも魅力的だが、私 は編笠を目深に被り、浴衣の裾を突出し、艶っぽく 踊る女踊りにより惹かれる。 私の始めた俳句の中にも男性らしい豪快さや、男 ならではの感性が出た男句と、女性ならではの華麗 さや生活感がより鮮明な女句があるような気がする。 男句としては芭蕉の〈荒海や……〉や子規の〈柿 食えば……〉等女句としては加賀千代女の〈朝顔に ……〉や池田澄子の〈じゃんけんで……〉等が浮か ぶ。 私が俳句を作るとバランスの悪い男句は出来るこ とがあるが、日常生活をさり気無く表現した女句は とても作れない。目下私の目標は女句作りである。 この目標のため自己分析をしてみた。なぜ生活実 感のある女句が作れないか…。その分析の結果、原 因の一部がわかって来た。私には家庭における日常 生活が殆んど無いからかも知れない。目標達成には まず日常生活の確保(家事の手伝い)が急務なので あろう。 ― 119 ― 長田民子の俳句紀行 露草 秋涼しどのベンチにも人のゐる 無花果の汁拭ひつつ朝の卓 山裾を撫でつつ霧の流れ消ゆ 行く 秋 の明 り 点々終電 車 露草に見つめらるごと野辺の朝 強風に目貼の紙の膨らみぬ 亥の子突声大き子の褒めらるる 美しい嘘 公民館での九月の句会。最初に、句会の代表をさ れている方の句が、ある俳句大会で大会賞を受賞し たという報告があった。みんなで「すごい、すご い」と拍手で称えた。いつもいい句を詠んでいる方 なので、さすがだと思った。 その句のことで「この燕は本当はいなかったけど、 蜻蛉では弱いので燕にした」という説明に、入会し たばかりの人が「見たことを詠まなくていいんです か」と言った。「句に合うように変えていいし、黛 まどかさんも、俳句は美しい嘘をつくものと言って いる」と答えていた。 私はやり取りを聞きながら新鮮な気持ちになった。 「ありのままを素直に」と俳句を始めた誰もが出合 うことのようだ。私も「無いものを有るように」の 疑問や驚き、「何だ作り事だったのか」という落胆 みたいなものを感じたものだ。俳句も創作であるこ とを納得するのに、何年もかかったような気がする。 「平明で美しくあるものが私の俳句観であり、平 明で美しい嘘をつくことが私の俳句の作り方」と仰 るまどかさんの美しい嘘には及びもしないが、句意 がより伝わるため、想像力や創造力を駆使した言葉 で嘘がつけたらと思う。 ― 120 ― 新谷慶洲の俳句紀行 隼 堺なる口切茶会にぎにぎし 亥の子餅捧げ奏でる亥の子唄 眞如堂師を慕ひ打つ十夜鉦 望 の 湖 め が け 隼 急 降 下 目貼せる北窓なほも風叩く 点と線交叉はげしき美展秋 札 の 辻 東 海 道 の 秋 の 暮 ひとり ひとりで寂しいと思った事はない。詩歌は寂しさ を突き詰めたところに生まれる。「幾山河越えさり ゆけば」と牧水が詠っているように、生家を訪れ、 牧水と共感を頒つ。 幼児期、兄妹が多いのに、私は十年に一人児で、 母が外出中は一人で留守番、狭庭にカナリヤが鳴い ていた。人類七百万年の歴史で、家族を作り出した のは近年である。動物は夜行性「尽行性」とあり、 単独性「群性」とある。トラとライオンの差である。 幼い頃、父からの言で「教育は授けます。あとは 戦ってみなさい」と。一応、医者になり、オペラ歌 手になったが、教育、結婚と凡て一人で決めてきた し、責任は独りで負った。しかし、多くの支えもあ っての事で、父母、兄妹、友人、知人と数知れない。 二昔前、夫と死別。「方丈記」を追って隠遁を試み、 人知れずの熊野古道に居を移した。この里山で、オ ペラを歌えば、聴衆は驚くばかり。歌も音楽も、言 葉にリズムとメロディがついたものと穿ったバーン シュタインの言である。 ひとりと申しても多くの人々に支えられての事。 感謝に耐えない。ひとりで平穏である。 ― 121 ― 中川英堂の俳句紀行 満月の庭 過疎村の勢ひ戻せ獅子の舞 一点を見つめるやんまたじろがず 虚子愛でし満月の庭吾も愛でる 日本晴飛び交ふ隼空に消え 辻々に 盆 花絶え ぬ地蔵 尊 口切や母手づくりの竹茶筅 亥の子餅粘りの生気この子等に 酔いしれた句会 故郷富山となみ野に帰って初めての句会に参加し た。お聞きするとこの地は古くから俳句の盛んな土 地柄であるとのことである。 私の初参加の句会は、中秋の名月の夜であった。 場所は、虚子がほぼ五十年前に句会を催した古い民 家であり、記念の句碑が立っている。こじんまりし て、ほど良く手入れされた庭、その一角に月見のお 団子、秋の野菜、稲穂・豆等収穫物が供えてある。 庭のをちこちからは、虫の鳴き声が音色・強弱さ まざまに織りなして聞こえてくる。そこに素晴らし い和服姿のお師匠様(もちろん会員ですぞ)が弾く 優雅な琴の音が流れる。その琴の音と競うがごとく 虫の鳴き声の音色が変わり、ボルテージが上がる。 この大合唱に酔いしれての句会…。このような句会 は、今まで経験がなかったので、大変感激し、嬉し かった。 こんなに恵まれた場に臨みながら肝心の作句には 苦労した。本当に非力な自分に失望し、未だ修行・ 研鑽が足らないと思い知らされた夜でもあった。で も、新しい仲間の方にご指導・ご鞭撻をいただきつ つ(役人言葉が抜けませんね)向上していきたいと 思っている。 ― 122 ― 中嶋美知子の俳句紀行 亥の子餅 異国めく丘の学園花カンナ 辻 売りの姉 さん 被り菊車 露 草 や 切 石 一 つ 馬 の 墓 雁 の 棹 点 描 と な る 茜 空 稲架裾に赤い靴見えかくれんぼ 還暦の義母が臼搗く亥の子餅 目貼して山の分校五人なり 稲架日和 日田市在住の頃、文教祭句会で上野台地を吟行し たことがある。その時、「稲架日和」の四文字に快 い響きを感じ、深い郷愁を覚えた。あの日の上野台 地は、正に、稲架日和にぴったりの日和であった。 台地の周辺に散在する素朴な藁屋根。軒毎に枝も 折れんばかりの鈴なりの柿。その一つひとつが秋日 を浴びて艶やかな光を放っていた。 台地の大半を占める稲田の眩しいばかりの黄金波。 既に稲刈りを終えた田圃には、稲架が整然と立ち並 び、地面にくっきりと黒い影を落としている。その 稲架の合間では、稲架裾に赤い靴を覗かせながら隠 れんぼをしている何とも微笑ましい幼子の姿が。 刈田の片辺では♪花いちもなめ♪のリズムに乗っ て、男女仲睦まじく手をつないでいる和やかな光景。 遠くの方では、友の名を呼び交わしながら、刈田の 道を駆けてゆく。何処を切り取っても、素朴で明る い台地の光景。 この秋気に満ちた上野台地を漫ろ歩きしながら、 幼き日の思い出に浸り、刻の経つのを忘れていた。 自然が一杯の故郷はかけがえのない心の宝なので ある。 ― 123 ― 中田麻沙子の俳句紀行 目貼して 木 犀 の 名 残 の 空 に 燈 を 点 す 辻 か ら 辻 へ 秋 風 通 る 陣 屋 跡 秋 深 し 黒 塀 に 黒 猫 の ゐ て 葛咲けり水塚に遺る水禍あと 御十夜へ行燈回廊灯のうるむ 河口へとはやぶさ天鵞絨のマント着け 目 貼 し て 温 泉 街 の 射 的 場 灯り 甲州勝沼の戦で敗れた新選組は、やがて終焉の地 流山に辿り着く。陣屋のあった辺りは小路が迷路の ように続き、神社や寺が点在する。 流山で白味醂が誕生して二百年。「一茶双樹記念 館」の秋元双樹邸や、キッコーマンのルーツ堀切家 跡地に、みりんや江戸川の舟運で栄えた往時の面影 をみる。 河岸で賑わった本町界隈では蔵のある呉服屋、寝 具店、料理屋、菓子舗などの歴史ある建物を活かし、 修復して新たな観光拠点にと、数年前から動き出し た。見世蔵の茶舗が万華鏡ギャラリーに、足袋屋が イタリアンレストランに。又一昨年からは切り絵作 家による意匠を凝らした切絵行燈が店の先々に並ぶ。 夜の帷につつまれ、趣のある灯が幻想的な雰囲気を 醸し出す。 秋も深まると燈火が一層親しい。 寒 燈 の 中 の 一 つ は 近 づ く 灯 千代田葛彦 父が亡くなって十二年。実家には未だ古い山小屋 のランプ風の外灯がある。仄かに照らす橙色の灯。 今日も母は日課の如く点していることだろう。 ― 124 ― 錦織正子の俳句紀行 口切 竿やがて点となりゆく雁の空 焼き印の縞目の走る亥の子餅 口切の水屋にこころ正しけり 谷 川 を 目 掛 け 隼 急 降 下 世話役がゐてお十夜の寄付を請ふ 目貼して川音窓を離れゆく 辻売女蟹を並べし師走かな 川開き もう十五、六年前になるあろうか。日田の友人に、 三隅川の川開き観光祭の招待を受け、二つ返事で快 諾した。 夕暮れの三隅川には屋形船の赤い提灯が船形に灯 り、揺れていた。これから何が起こるのか、心が浮 き立った。間もなくお膳が運ばれ、友人の健康とお 礼を申し上げ、乾杯。鮎料理も堪能させてもらった。 隣の屋形船では、芸者二人の弾く三味線に合わせて 賑やかに踊っている。我々もコーラスで対抗した。 やがて、ざわめきが起こり、闇の中から篝火が川 を照らし、鵜舟が近づいてきた。鵜匠が数匹の鵜を 巧みに操っている。鵜が潜り、首を上げた時には、 鵜匠が喉を押さえて跳ねている鮎を見せ、魚籠に入 れる。その度に大きな拍手をした。やがて、鵜舟は 闇を引きながら次の場所へと移動して行った。 刻限が過ぎるとざわめきも静まり、やがて下船が 始まった。ふと目を移すと、一番大きく強そうな鵜 が目を閉じ、舳先に止まっているのに気が付いた。 鵜の世界にも序列があることを後日知った。 その夜は、友と二人で語り明かした。今年は、そ の友の七回忌になる。懐かしい思い出である。 ― 125 ― 橋本喜代志の俳句紀行 十夜 点滴の光やわらか夏終わる 天 高 く 逆 転 満 塁 本 塁 打 四つ辻に移り気な風金木犀 口切の席に秘蔵の茶碗あり 本 堂の十 夜念 仏街に出で お十夜の眠気に揺らぐ阿弥陀堂 山 の宿 目貼 の古き 硝 子窓 十夜 最初は「十五夜」では?と思った。 しかし歳時記をみると「浄土宗で陰暦十月五日か ら十日間行われる念仏法要」とあり、お十夜、十夜 粥、十夜婆などの用例がでている。 我が家は浄土真宗。先月まで参加していた仏教講 座でも、この言葉は勉強していない。はたと困って しまった。 それではと思い、他のテーマに移ったのであるが 気になって仕方がない。そこで、関係する経験を思 い浮かべながら想像で作ることにしたのである。 まず東京で浄土宗というと増上寺。都心ながら自 然があり、堂々としたたたずまいが好きで、現役時 代、近くのオフィスからよく散歩したものである。 次に用例の「十夜婆」で思い浮かぶのが昔の映画 「阿弥陀堂だより」。いまは携帯電話のお母さんの 樋口可南子と北林谷栄のおばあさんが、信州の山と 田んぼの田舎で進行させるいい映画だった。 これでなんとか二句できた。こんな俳句の作り方 はいいのであろうか? ― 126 ― 橋本やちの俳句紀行 絵柄の花 辻馬車で初秋の白壁家並行く 棟上げの乾杯いよよ天高し 祖母が作る亥の子餅手に日向縁 亥の子餅遠き思い出手繰り寄す 猫破る障子の目貼幾重にも 目貼して薄き絵柄の花ちらす 隼といふ戦闘機あり赤トンボ 母の後ろ姿 私の姑は、隣村の「お屋敷」と呼ばれる旧家の出 身で、大正の初めに現在の家に嫁してきた。大所帯 であったため、苦労をしたそうだ。戦後、私は三男 に嫁し、母として仕えることになった。 当時は、戦後の大改革で、五丁部制限により、地 主はお米が手にはいらず、小作田は返還されず、杉 山を伐採した跡地には馬鈴薯、南瓜、唐芋等を植え、 代用食に工夫を凝らした生活であった。飛行兵学校 の教官であった主人は、教師になり、私達も近くに 家を持ち、父と母の手伝いに時々行っていた。 父が六十七歳の初冬、軽い脳卒中に罹った。最初 はそれ程でなかったが、歳月とともに、体が不自由 になり、母は父の看護に掛かり切りの生活になった。 旅行に行くことも、外泊することもなく、母の生涯 は父の看護に捧げたようなものであったが、愚痴一 つ言わず、時々、父が叱っても口答えなどしたこと がなかった。。或る日、母が「貴郎がこんな難病を 一人で負うているので、私は達者で貴郎を看ること が出来ます」と言った。父は軽く頷いていた。その 姿に、私は深い感銘を受けたものである 今は二人とも天国に旅立ったが、母の後ろ姿は教 訓として私の胸にいつまでも刻まれている。 ― 127 ― 濱 佳苑の俳句紀行 霜晴 口切や 米寿の父を 正客に 妊りし娘に持たす亥の子餅 早々と庫裏灯りたる十夜寺 隼の哀 しきまで に眼澄む 丹念に 女 所帯の目貼し ぬ 霜晴や声はりあげて点呼とる 辻切りの藁の蛇乗る冬木かな 隼 近頃、家の周りで雀や燕を見かけることが少なく なったように思う。それもそのはずで、ある調査に よると日本の雀の数は、なんと五十年前の約十分の 一に減少しているそうだ。原因は農耕地の衰退、里 山の宅地化、住宅の洋風化だという。もはや、この 辺りも営巣出来る環境ではなくなってきているのか もしれない。 しかし、今年も最寄りの駅の出入口に「燕の落し 物に注意」の貼り紙を見つけた。私は、ほっとする のを通り越して感動さえ覚えてしまった。 巣を見上げてみると、セメント色の泥でしっかり と修復がしてあった。この地下鉄の出入口は終業時 間にはシャッターが下りてしまうけれど、ここまで 鴉も入っては来ないだろう。 一方、猛禽類の隼は本来の営巣地の断崖絶壁と似 ているためか、高層ビルの屋上やベランダに進出し てきているという。都会の公園には餌となる鳩がた くさんいる。その鳩や椋鳥などを追って都会に来た らしい。公園の鳩には気の毒だけれど、私は都会で 頑張って子育てをしている絶滅危惧種の彼らを見守 り、エールをおくりたい気持ちでいっぱいである。 ― 128 ― 浜田正弘の俳句紀行 霜の朝 秋の日の夕日が沈む瀬戸の海 辻に出て子らを見送る霜の朝 口切は部屋をも満たす茶の香り 手を合はす十夜の宵の妻の顔 百舌鳥を追ふ隼鋭く一啼きし ハヤブサを天空高く見失ふ 点点と炬燵に続く猫の足跡 何かを取り戻すかのように 仕事柄、地方の港を訪れることも多い。上手に話 を聴くことができるか、取材の下準備はできている のかどうか等々、心配ごとは若い頃と同じで今も不 安は尽きない。そうは言いながらも最近では僅かな 時間を作って港の周辺を歩くのを楽しみにしている。 かつては船の離発着で賑わったであろう港町が定 期船の廃止と共に活気を失い、住む人も無く荒廃し た古い旅館や飲食店がところどころに残り、消えか かった看板の文字で微かにそれと気づかせてくれる。 今回は四国の某港に行く旅だった。明るい時間帯 に瀬戸内海を渡り、行き来する船や島々を見ること が出来ると期待をしていたが、思いのほか日が暮れ るのが早く、私が海峡の橋を通過する頃は海も空も 闇の中に溶け込み、自然の眺望は叶わなかった。漁 船か島で暮らす生活の灯であろうか、小さな灯りが 遠くにぼんやり点滅しているだけだった。 私は何かを取り戻すかのように、意地汚くその灯 りが見えなくなるまで見続けていた。 ― 129 ― 林 奈美子の俳句紀行 宮祭 新緑の眩しき阿蘇や安穏に 投げ上げて早苗の御興人替はる 豊穣 を願ふ 御 興や 宮の夏 奔放に咲き増えし百合禅の庭 蝉 の声重なり続 く 禅の庭 月表れて営む生活受け継がれ 陽炎の道をほつほつ猫の行く 阿蘇山 朝起き、阿蘇の涅槃像を拝し、ほっとする。いつ も変わらず雄大に横たわる根釈迦山。お涅槃会の時、 お説教師は「阿蘇に住む人は仏様の様な暮しが出来 ていいところですね」と話された。毎日暮らしてい ると、マンネリ化してしまい、恵みを忘れてしまう。 神仏を崇拝し、一年の内にはよくお祭りが行われ る。豊穣を祈るお祭「おん多祭」や作物を霜の害か ら守り、霜を封じ込める「火焚き神事」等々、古来 から伝わる行事が守られ伝えられている。 秋には野山の草は枯れ、冬には雪景色、全山を被 う銀世界となる。三月になると、山に火が放たれ、 原野は人を寄せ付けないほどの火の海と化す。やが て、末黒野となり、春になると、草花がが芽吹き、 黄スミレや様々な花が咲き始める。夏になれば、次 第に草丈も伸び、山々には涼しい風が吹き渡り、大 きな風のうねりとなる。芒が出揃い、秋になれば、 満月の出をひたすら待つ。 車を運転して、小国方面によく出かける。山々の 変化を横目に、ついついスピード出てしまう。何と 心地よいことだろう。大観峰より下界を望むと、外 輪山に囲まれた盆地には五万人の人々が住み、それ ぞれの営みがある。住めば都である。 ― 130 ― 平田節子の俳句紀行 猫じゃらし ここだけの話拡がる大花野 来るものは拒まず風の猫じゃらし 人生に辻といふ岐路秋あかね 拝み合ふ心がありて十夜寺 目貼とは遠く貧しき日々のこと 口切や風流を後の世につたふ 渡 りきて隼 海に弧を 描く 岐路 軽い気持ちで、ぼんやりとテレビを見ていた。お 笑い芸人が少年院に収容されている子供達の前で講 演している場面が映し出されていた。「辛い(つら い)」という字に「一」棒を加えると「幸せ(しあ わせ)」になるということを説明していた。辛い時、 ちょっと頑張ることで、幸せになるというのだ。成 る程と思った。 次に、黒板に「難」のつく言葉を書き始めた。は っきりメモをしていないので正確でないかも知れな いが、苦難、困難、災難などの字が書かれていたと 思う。「君たちはいろいろな難を乗り越えて来たと 思う。でもそれを乗り越えられることは有難いこと なんだよ」。子供達が目を輝かせた。難があったこ とは有難いことなのだと説明していた。メモをとっ ている子供もいる。目頭を押さえて涙を拭っている 子供もいた。凄く感動のシーンであった。 さて、『蕗』が終刊となって、各々が岐路に立た されている。難題を抱えて悩んでいるようだ。うん と悩んで各々が己の方向を決めていくことでいい結 論が出ると思う。「難」が「有り」と書いて「有難 い」である。難題を抱え、それを乗り越えていくこ とも大いに有難いことなのだと思った。 ― 131 ― 福田久子の俳句紀行 数珠の輪 辻に吹く風白秋となりにけり 新蕎麦を啜る響きの心地よさ 点点と宿の灯映ゆる秋の潟 山路風葛の葉ゆらし花に添ふ 口切の挽き茶の緑あらたなり 数珠の輪に集ふ縁者ら十夜寺 白羽のごとく隼を放ちたる あるじ 新蕎麦 加賀白山を源流とする手取川に沿って、十割そば 屋が幾箇所かに点在している。 真っ白な蕎麦の花が一面に咲き乱れる頃、蕎麦好 きは、一刻も早く新蕎麦を食したくなる。 新蕎麦の打ち始めに、甘皮の風味を生かした奥深 い味の十割蕎麦をまず所望する。通称「田舎そば」 と言うが、屋号「唐変木」の主は、馬方と称してい る。 屋号からも窺えるように、駄馬で荷物を運ぶ馬方 ではなく、将軍の乗馬の調練を司る馬方の味である。 主 に与えられた特有の技が、この地のそば粉の特 性を引き出すのであろうか。歯ごたえのある弾力も 噛み締めた時の甘味と香りが口の中に広がる。 澄み渡る空、白い浮雲、その奥に白山連邦が見え 隠れしている。清らかな水、山里の美しい空気に恵 まれた新蕎麦である。 十五席あるロッジ風の造り。蕎麦を啜る音。 「おいしいよ」「おいしいね」と伝えあっているか のような二部合唱に聞こえた。主も「ありがとう」 と心で応答しているような三部合唱の空間である。 客と主の沈黙の間が、蕎麦通には堪えられない。 ― 132 ― 藤井隼子の俳句紀行 灯 幼 ら の 遊 ぶ 声 し て 鰯 雲 虫 の 声 合 唱 終 り 闇 残 る 畦道の右側ばかり曼珠沙華 湾に沿ひ 連な る灯秋 の暮 口切や晴着も湯気も改まる いつからか十夜なくなり里閑か 母語るお十夜のこと生き生きと Sさんご夫妻 いつも、Sさん宅の前を通ってポストに手紙を出 しに行く。県庁を退職されたSさんは温和な方で、 弟の上司でもあり、お世話になった。そのSさんご 夫妻がお二人とも相次いで亡くなられた。 Sさんは八十歳近くになった時、三班の班長を早 めにさせてほしいと申し出た。「これ以上歳をとる と班長としてのお世話ができなくなる。元気なうち に済ませておきたい。夫婦二人で一人前だけど今な ら何とかやれそうだ」とおっしゃって、まだ、順番 がきていないのに班長を引き受けてくださった。 諸々の仕事を二人で力を合わせてされている姿は 微笑ましく、ありがたかった。三月の最後の日に二 人並んで、「皆さんのご協力で無事終えることがで き、ほっとしています。ありがとうございました」 とご挨拶された。 Sさんは班長の役目を終えて程無く亡くなられた。 そして、奥さんも後を追うようにして亡くなられた。 順番もきていないのにがんばって班長の仕事を済ま せ、二人して仲良く旅立たれていった。 Sさん宅の前を通ると、和風だったお二人の家は 洋風に改築され、新しい家族が引っ越してきていた。 ― 133 ― 堀内夢子の俳句紀行 雪女郎 唐寺の口切の茶事に誘はるる カレー鍋ことこと煮えて亥の子かな 軒 低 き 小 さ な 漁 村 十 夜 寺 山小屋に目貼あちこち煤の色 隼を見ることもなき街に住む 小春日や父の書棚に「点と線」 四つ辻をいくつもぬけて雪女郎 西瓜と梨 今年の夏は天候不順。台風も次々に発生、自転車 並の速度で進み、雨がよく降って、蒸し暑い日が続 いた。そして、ある日突然秋となり、夏を惜しむ間 もなく、朝晩は涼しい風に安心していると、昼間は 三十度となり、秋日濃しの陽射しに悲鳴をあげた。 ここ長崎地方は、外出には日傘が必需品。昔は白 い日傘を一本大切にしていた。最近は晴れ間兼用が 大活躍。色も黒い日傘が多く、三~四本を使い分け ている。 毎日、日焼け止めを顔にしっかりと塗っていた。 美容上大切なことは、朝晩の洗顔と日焼けしないこ と。日焼けこそ皮膚の老化を早める恐ろしきもの。 今年の夏は、西瓜を毎日よくいただいた。子育て の頃は、西瓜を口にしなかったが、友人と海外旅行 をした折、朝昼晩、山盛りの西瓜を食べたのである。 それからは、私も彼女の真似をして、西瓜を食べる ことにした。日本の西瓜は世界一。甘くて、冷たく し、食前いただくと生野菜代わりになる。お陰で、 この夏を西瓜で乗り切れた。 最近は、西瓜に代わり、大きな頭くらいの荒尾梨 や新高梨。冷たくして、サラダの代わりに食前にい ただいている。西瓜も梨もしばらく忘れていた私。 ― 134 ― 本田 蟻の俳句紀行 隼 隼のまはれる空の高みかな 家中の神に供へし亥の子餅 目貼して世情にうとく暮らしけり 御僧のつどひて修す十夜かな 口切や茶道に三家さかへをり 人生 に満 点はな し草の花 高原の春辻馬車のはしり初む 猫 夏目漱石は「吾輩は猫である」を著したくらいだ から、猫好きだったに違いない。彼の猫は白い毛が 一筋も混じらない大きな黒猫で、飼い主に幸運をも たらす「福猫」だったとどこかで読んだ記憶がある。 わが家の先代の猫は、シャム猫の血の混じった白 い猫で二十四歳まで生きた。若い頃は垂直のカーテ ンをかけ上がるほど身軽だったが、晩年は一日の大 部分を居間のソファーの上で眠っていた。そして、 私が電話で話していると、後ろでニャーニャーと鳴 くのだった。 長い間いつも身近にいたこの猫が事故で死んだ時、 私は大声をあげて泣いた。何をする気もなくしてし まった。もう猫は飼うまいと思ったが、次の冬のこ と、窓の外で寒さと飢えに震えている仔猫を見て、 つい餌を与えた。それがきっかけでずるずると飼う はめになってしまった。 その仔猫はあまり器量がよくなかった。一口に言 うとハイエナに似ていた。でも不思議なもので飼う ほどに、眼から険しさが消え体つきも丸みをおびて 可愛くなった。今では、すっかりわが家の猫に収ま り、気まぐれな猫の本領を発揮している。 ― 135 ― 布田尚子の俳句紀行 目貼して 口切や母の面輪のあはあはと 白 日 の日 の色拡ぐ十 夜柿 一湾のうねり一と潮長元坊 感性は磨きぬくもの亥の子突 暁 寒の 辻に来 向ふ 赤信号 はんなりと変身どすゑ冬帽子 目貼して孤独に慣るることなかれ ボクのひとり言 ボクとママが出会ったのは、五年半ほど前のとて も蒸し暑い夜のこと。知り合いのおじさんの車でマ マの家に連れて行かれ、そのまま同居しているよ。 ボクには過去があって、三人の里親を経験したよ。 でもぼくはあきらめなかった。きっとやさしい人に 出会えると、おじさんの所で待っていたんだもの。 でもネ、ママは大変だったと思うよ。勝手のわか らぬままに、女手一つで育ててくれたんだもの。感 謝しているよ。これからもずっと一緒だよ。 今年七才のボクに出来ることは、ママの話し相手 になること、朝夕の散歩につれて行くこと、ゴミ出 しに一緒に行くこと、留守番をすること、その他い ろいろあるよ。何せ、ママは若く見えるけど、本当 は年を重ねているらしい。だって夕方になると、疲 れた、疲れたと言って、ソファに坐りこむよ。その 後、野球中継を観るみたい。オレンジのタオルを振 って応援するチームが大好きで、その中で格好いい お兄さんがホームランを打つと大喜びしているよ。 今のボクはとても幸せ。毎日が楽しいよ。また、 朝早く起きて、ママを散歩に連れて行くから、早め に寝るよ。これからも、ママの近況書くから読んで ね。マルチーズの五郎でした。 ― 136 ― 牧 一男の俳句紀行 終戦日 どこからか辻音楽師に花の塵 狂言「膏薬煉」 膏薬のはらりと取れし暑さかな とりわけの冥福祈る終戦日 里山の里の味する亥の子餅 お十夜の灯りにひかる傘雫 押さへても戻るサッシの目貼かな 隼の尾羽が払ひし小雪あり 中津留達雄大尉 九月十一日、私は大洲総合運動公園内に「神風特 別攻撃隊発進之地」の碑を訪ねた。 それは何か人目を避けるかの様に、公園の奥まった 所に建っていた。両脇に植えられた記念樹の豊後梅 も殊の外うなだれた秋の暑い日であった。私は両手 を合わせた。 昭和二十年八月十五日午後四時三十分、宇垣長官 を乗せた中津留大尉以下十一機の急降下爆撃機「彗 星」は終戦になったにも拘わらず、沖縄方面へ向け、 ここ大分海軍航空隊の基地を飛び立った。 津久島出身の中津留大尉は二十三歳。七月二十八 日にお七夜を迎えたばかりの愛娘鈴子に会う為に帰 省している。これが愛娘との一期一会の別れとなっ た。城山三郎氏の「指揮官たちの特攻」の中に、出 撃を見送った人の感想として「操縦席で発進準備中 の俯き気味に計器を点検している後姿を見た瞬間、 えも言われぬ『悲愁』と『無常』を感じ云々」とあ った。さぞ心残りであっただろう。 その著者のあとがきのお世話になった方々の中に 「倉田紘文」の名を見つけた。「君も中津留大尉に 会いに来たんだね」と、先生に言われている様な気 がした。 ― 137 ― 松嶋民子の俳句紀行 音響係 口切に 芋羊羹の 届けら れ 秋の日を浴びスクランブル交差点 新 米 の 音 響 係 文 化 祭 やんばるに生きる人々豊の秋 おしゃべりの押さへ難くて十夜婆 辻店にはや灯のともる秋の暮 鷹匠のそれと声かけ鷹放つ やんばるに生きる 私の手元に「沖縄 高江 やんばるで生きる」と いう写真集がある。 今年の夏、「標的の村」という自主上映のドキュ メンタリー映画を見た。すばらしい自然の中で子育 てをしながら、農業や伝統工芸品を作って暮らして いる、沖縄の高江の人々がいる。その村を取り囲む ように、米軍のオスプレイのヘリパッドが、住民の 反対を押し切って、建設されつつある。座り込みや 支援の呼びかけに対して「通行妨害禁止」という判 決があったり、防衛局の力づくでの行動があったり して高江の人々は大変な目にあっておられる。 また、普天間基地の移設先に決定した辺野古の海 上ボーリング調査を阻止するために、二○○四年頃 地元の人々はカヌーを出して調査船と対峙した。最 近になって、この調査がまた強硬に始まったようだ。 私たちの安全、平和のために、沖縄の人々が今で もこんなにも犠牲になっているということに、私は せめて関心をもち続けたい。沖縄の人はどんな時も 明るく歌い踊ることを忘れない。私たちが失いつつ ある本当の豊かさがある。 高江の人達、稲刈りはもう済んだだろうか。今度 いつか、高江に行ってみたい。 ― 138 ― 松村勝美の俳句紀行 亥の子餅 口切や侘びの心にふるる夜 亥の子餅村より消えし童唄 御先祖に日頃無沙汰の十夜粥 隼 の 一 瞬 の 影 翅 音 去 る 波風のたちて夫婦に目貼かな 点滴を見つめつつ知る老いの秋 木枯しや空缶ころげゆきし辻 村から消えたもの 「亥の子」は、関西以西の収穫祭の一つで、新穀 の餅を搗き、田の神に供える行事と季語集にある。 子供の頃、十一月の終りになると、藁槌を作り、 一軒一軒の坪庭を叩き、土竜を追い払った。その際、 子供達は一斉に「今夜の亥の子餅祝わんものや…」 と唄い、お小遣いと蒸し藷、唐黍等をもらった。し かし、いつの頃からかその風習も消えてしまった。 改めて、村から消えた風習について考えてみた。 春、秋の祭は無くなり、「敬老の日」にそれらしき 事を催している。だが、「御接待」は残っている。 昔は、各村で祭日が異なっており、仲のよい同級生 の家に行き、互いに泊まり合っていた。お盆には盆 踊りをしてその年に亡くなった方の家で供養踊りを した。子供達は盆の三ケ日、御神輿を担ぎ、家々を 廻り、お金をいただいた。「あの家は何ぼじっや た」と聞き合った。初盆の家は多かったようだ。そ れを年配順に分配していた。懐かしい思い出である。 正月の羽子板突きや独楽を回す子供達もいなく゜ なった。それと共に、ある物を皆で分かちあう運命 共同体、絆も途絶えつつある。少し昔は、村に小中 学生が二、三十人いたが、今は二、三人となってし まった。そのうち、野良猫の方が多くなるかも…。 ― 139 ― 松村れい子の俳句紀行 草の花 辻馬車のしゃんしゃん鈴や花野ゆく 里 人の守る 辻堂や 草の花 老僧のうなじ白々十夜の灯 口切に名水汲みて来りけり 亡き母の子らは息災亥子餅 松籟に燭定まらぬ十夜かな 目貼せしひ とり暮しは世に疎く 食育 昨今の子供教育の一環として「食育」が取り上げ られて久しい。教育現場のことはよく分からないが、 この「食育」という語源は明治時代の文筆家・村井 弦斎なる人物が「小児には徳育よりも体育よりも食 育が先き」と説いたことに始まると、広辞苑に載っ ていた。 思うに戦後の飢餓の時代(恥ずかしながら記憶に ない)、とにかく生きることに必死だった時を経て、 現代の飽食時代になぜか反比例するかのごとく人心 が荒廃していく。毎日のように有り得ない出来事が 次々に報道されて痛ましい。 日本人のように高潔で清々しい国民はないと世界 に称賛されるかと思えば、親や友を殺めても心に痛 みさえ覚えない事件がまるで日常化するように起こ っている。何故なのだろう。 ここに至って「食育」が見直されると言うことは、 食卓を囲む家族の団欒が薄くなっている故か、朝食 を抜く、偏食、即席物? 主婦がキッチンに立つ時 間が減っているのは確か。 兼題の亥の子餅から「食育」に話が飛んでしまっ た。これも老婆心からとお許しいただきたい。 ― 140 ― 御沓加壽の俳句紀行 口切 金木犀辻を曲がると目の前に 辻々の金木犀を嗅いでゆく 天高し爆音の飛機点となり 目貼なき家に住まひて老いの朝 亥の子唄また口づさむ七十翁 九十路口切る手前確かなり 口切のお茶を飲み干す奥座敷 亥の子 旧暦十月の最初の亥の日に行われた行事で、かつ て中国、四国、九州の農村地方に残っていたという。 藁束を縄で巻き上げ、端を二つに分け片手が入る程 度の輪っかを作り結わえる。子供たちはこの藁ぼて を持って集まり、各家の門前の地面を叩いて回った。 叩いてもらった家では、餅、ぼた餅、握り飯、団子、 菓子などをお礼として与えた。 地面を叩くとモグラが土を持ち上げないと言われ たが、無病息災、豊穣を願ったことは言うまでもな い。口上(唄)は七十路を超えた今も口をついて出 てくる。 「今晩の亥の子祝わん者は、鬼産め蛇産め、角ん (の)生えた子産め」。当時はどのような字を書く のかを考えたこともなかったが、父が編纂に加わっ ていた町誌を紐解いて確かめることができた。 少年俳句会に縁があり、兼題に「亥の子」が出さ れ、自らも俳句を詠んだおかげで父親が残した形見 の本も役に立った。何とも不思議な巡り合わせに感 謝する一時である。 ― 141 ― 水野幸子の俳句紀行 亥の子 辻堂に消えてゆきたる穴まどひ 点々と列 を 崩さ ず雁渡る 口切や母に似て来し子の仕草 裏口に陽の差してゐる亥の子かな 八十の友に寄り添ふ十夜かな 目貼して古里遠くなりにけり 隼や伊良湖の風のあをあをと ボランティア 五年ほど前から、介護老人保険施設で「唄」のボ ランティアをしている。以前から介護のボランティ アをしていたので、唄のボランティアもやろうとい うことになった。私がたまたまウクレレを習ってい たので、その話はすぐ決まった。 メンバーは、女ばかり三人。それも八十代、七十 代と、施設を利用しておられる方とあまり変わらな い年代である。三人全員が俳句仲間。「カトレアシ スターズ」と少し恥ずかしくなるような名前での出 発である。 歌は、童謡から演歌、民謡、軍歌と幅広く、何で も唄う。唄うというより、唄わせてもらうのである。 十年も習っているのに、少しも上達しない私のウク レレは、飾り物同然である。それでも曲に合わせて、 伴奏を取るだけでも少しは訳立つので、無いよりは 良いと仲間の二人が励ましてくれる。 そんな頼りないボランティアなのに、終ると「次 は何時来てくれるの」と声を掛けて下さる。最後に 一人ひとりと握手しながら、「有難うございまし た」とお礼を述べると「また来てね」と笑顔が返っ てくる。その笑顔に励まされ、月五回のボランティ ア。これからも続けていきたいと思っている。 ― 142 ― 水野すみこの俳句紀行 十夜 秋風や古りたる辻の道しるべ 接点はほんの行きずり吾亦紅 隼 の 如 天 翔 け て 戦 へ り 目貼して築百年の帯戸かな 自づから祖母と十夜のお念仏 頂きしまだやわらかき亥の子餅 口切や膝を正して控へをり 目貼 定例の句会の宿は、築百年の茅葺き屋根の旧家で ある。今は砺波市が管理し、「かいにょう苑」とな り、暖房も冷房の設備もないが、夏は散居村ならで はの「かいにょう」(防風林)があり、戸を開け放 つと、涼しい風が入ってくる。 この家は元女学校のクラスメートの実家であった。 今でも帰郷の折は、庭の父上の胸像に会うのが楽し みだと語っていた。 築山のお庭の手入れも行き届き、四季折々の草花 も咲き、俳句の題材には事欠かない。句会の部屋は 二タ間続きで、広間との仕切の大きな帯戸は築百年 の重みで開け閉てが重く、隙間が出来ているので、 目貼がしてある。天井も低いので、披講の声もよく 通る。 夏は朝顔簾が心を和ませてくれる。冬は玄関から 台所まで通し土間で雪蓆が敷き詰められ、部屋の暖 房もストーブ二つでも結構暖かい。秋は色づいた柿 の実が手の届くところにぶら下がっている。今は焚 かれていないが、拭き艶のある炉の間もあり、部屋 数も多く、一日五百円である。庭先の灰小屋の片辺 の帚草の一群も紅葉の色が深まってきた。来月の句 会には、柿も色づいていることであろう。 ― 143 ― 溝口 直の俳句紀行 空襲警報 傘壽とは祝はるるもの十夜粥 口切や薄化粧して伏し目がち 平成や亥の子亥の刻忘れられ 目貼して空襲警報鳴り渡る 隼 の 急 降 下 し て 何 捕 ら む 清張の「点と線」読む冬曇り 辻馬車も消えし湯布院冬に入る 戦時下の俳句 戦時中、俳人たちはどんな俳句を詠んでいたのだ ろう。季語集以外、あまり俳人の書を読んだことが ない私は、ふと思った。戦争を生きた俳人でも、戦 後発表する時には意識的に避けたのではなかろうか。 忠君愛国の思想はボツになったのだから。当時は俳 人たちとて体制に協力しなければならなかっただろ う。戦争完遂のために俳句雑誌は休刊させられてい たかもしれない。 父の遺稿集を見ていたら、次の句が目にとまった。 君が代を守りぬき散れよ山桜 紫浪 燕低う空襲サイレン鳴り響く 同 花 いばら壕の隙洩る月青く 同 これこそ、日常の庶民が日々作句を続けていた証 拠だろう。紫浪とは私の父の俳号。第一句は「硫黄 島の君へ」と添えてある。硫黄島の激戦の頃だった のであろう。第二句は昭和十八年頃。その頃はまだ 焼夷弾ではなく町の兵器工場めがけての爆弾である。 ヒュー・ドスン、地響き。第三句、明け方に起こさ れて家の庭にほられた防空壕に入ると、シーンとし た壕の蓋から洩れる月のひかりは青白かった。うち の生垣は野いばらだった。五月には花がたくさん咲 いて綺麗だった。昭和二十年みんな焼けた。 ― 144 ― 南 桂介の俳句紀行 涼新た 四つ辻にいよいよ神輿現るる 指先に触るる点字や涼新た 一 点に泣く 少年に 天 高し 鍛冶町の辻を曲がりて温め酒 辻占と目が合ふてゐる十三夜 説 法 も 経 も 短 き 十 夜 寺 咳の子にゲームソフトを約束す 湯平温泉 この夏、大分県にある湯平(ゆのひら)温泉を訪 ねた。男はつらいよ第三十作「花も嵐も寅次郎」の ロケ地にもなったところでもある。 歴史は古く、開祖は鎌倉時代と言われている。現 在のような温泉街の骨格が出来上がったのは江戸後 期で、工藤三助という人が石畳を作ったのがきっか けとのこと。 その後、大正から昭和初期に大いに栄えた湯治場 である。今はすっかり鄙びているが、それがまたい い味を醸し出している。 駐車場に車を止め、少しばかり坂道をのぼったと ころに案内所がある。眼鏡をかけた穏やかなご婦人 が懇切に案内をしてくれた。石畳の緩い坂道をのぼ る。両手には古びた旅館が立ち並び、玄関の上り場 にはきちんと揃えられたスリッパが客を待っている。 すれ違う人もまばらである。旅館の裏手から川音 が響き、旅館と旅館の間には狭い石段が伸び、紫陽 花が咲き残っていた。昼下がりの時間がゆっくり流 れ、鄙びていることがこんなにも人の心を癒してく れるものなのかと感じずにはいられない。 あの有名な由布院温泉からわずか十キロほど南、 心安らぐ静かな温泉場があった。 ― 145 ― 宮川洋子の俳句紀行 萩の花 山登り落葉踏みしめ分岐点 夕焼や点滴の間に包まるる マラソンの折り返し点過ぎ初秋 気楽にと 言ひ つつ御点前萩の花 雨の日の深きおじぎや萩の花 石段に木の実降る音弾む音 点字本図書館の棚の秋深し 双子のベビーカー 毎朝、涼しい時間帯に、双子のベビーカーを押し ながら散歩しているお母さんに出会う。雨の日は、 車にベビーを乗せ散歩している。朝食後、散歩をし、 帰ってから朝の家事をなさるのであろう。そうすれ ば、ベビーは気分転換して、気持ちよく遊んで過ご し、家事もはかどり、ベビーもお母さんも気持ちよ く一日を過ごせるのではないかと想像する。 私の子育ては、家事を早く片づけて、子供の相手 を作りたい、作らなければならないと思っていた。 子供が何か言うたびに「ちょっと待ってて」と言い ながら。しかし、双子のお母さんの散歩姿を見てい て、私は、反対のことをしたいたのでははないかと 思うのである。双子のお母さんは、聡明で、子育て 上手な方だと思う。 この様に、ベビーの心地よさ、ストレスの少ない 生活を優先されて育つベビー、子供は、伸び伸びと 育つだろう。どんな大人に成長するのか、その姿を 見たいものだと思う。 「お早うございます。行ってらっしゃい」「行っ て来ます」の挨拶を交わす日が続いている。 ― 146 ― 宮崎敬介の俳句紀行 秋の声 辻 溢れ 宵山の灯 の煌々と ひと恋へば山河響きて秋の声 筏組む星すれあひし銀河痕 母在らす遠きふるさと亥の子餅 在りし日の灯下の祖父母十夜粥 隼を追ふ目親子の目の似たる 目貼して長き手紙を認むる 自然と愛の統合 ハイデガーは、ヘルダーリンの「自然」について、 このように論攷している。 一、真に存在するもの、聖なるもの 二、不可思議に遍在せるもの、美しきもの 三、時間的に最古のもの、始源的なるもの 四、一切をいのちあらしめ、霊で満たすもの 五、生動し調和する全一、生命活動の根源 六、聖なる全一、生気をもたらす究極者 ヘルダーリンの究極者は、人間を配慮する神であ り、その神は、自然の根源的な力である。 次に、自然と愛の二種の世界の統合について A自然を中心に(ギリシャ的、価値をめざす世界)、 生命、力の充溢、美、大いなる調和等 B真の愛(イエスの愛、価値を越えた世界) 貧しき者、病める者へも注がれるイエスの愛は、 その最も高い現れであろう C要請として、愛は高次のものでありながら、それ は自然の生命に充ちて、生々と活動するもの ヘルダーリンは、自然と愛の、至高の統合という 苦闘の重さを負いながら、倒れたのである。嗚呼。 ― 147 ― 宮崎チクの俳句紀行 旋回す ナイターの白熱続く一点差 大木に広がり合歓の花咲けり 秋立つや辻の三叉路道しるべ 点滴の空しく別れ秋に入る 川音の淋しく聞こゆお初盆 薩摩芋小豆餡入れ亥の子餅 旋 回 す 隼 高 く な を 高 く 干草切り 今の季節になると四十年ほど前の干草切りを思い 出す。広い野原に帯のように大鎌で両方から切り寄 せる。二日間干した後、小鎌と膝で押し寄せ、一輪 に束ねるのである。一輪に束ねた草の重さは十五キ ロほどもあったろうか。 条件のよい場所に、六十輪ずつ寄せ、中に三輪、 その周りに十二輪まるく立て、三段ほど積み重ねる。 雨に濡れないように、風に飛ばされないように、積 み上げた上に茅葺きをする。二軒四方の茅葺きの小 屋を建て、草泊りのカンテラの生活が始まる。カン テラとは、布に油を浸し、電灯代わりに灯を点した ものである。天候に恵まれれば、九月下旬から十月 の初めに終わる。 冬の飼料を蓄えるため、朝早くから干草切りに出 かけた。作業が終わって、我が家に帰れる時は本当 にうれしかった。 ここ数年、機械化が進み、草ロール車での作業と なった。運搬手間も省け、干草切り作業も効率的に なった。草刈切り作業の時季になると、昔の人の知 恵と力に感謝するとともに、その作業に励んだあの 頃のことが懐かしく思い出されるのである。 ― 148 ― 宮本陸奥海の俳句紀行 散歩道 この坂を登れば今日も菊の香が 点描の絵に見とれゐて秋暮れぬ 悪童等畦行き誉めらる亥の子の日 冬立つや治療に通ひ早や二年 屋根裏の祖母の目貼やたるみ無し 天空 の鷹朝 夕の 国見かな 辻に出てどつちへ行こか街小春 鷹の独り言 儂は鷹の源三郎。昔、将軍や水戸藩が鷹狩りをし た下総小金牧の大堀川(柏市内)が手賀沼へ流れ込 む下流域を縄張りにして五十年になる。そろそろ、 ここを息子に引き渡して隠居せにゃならん。 爺さんがまだ元気な頃聞いた話だが、儂等の先祖、 爺さんの曾爺さんは、鷹の産地「蝦夷松前」の生ま れで、藩から将軍に献上されたそうな。松前から北 前船で大坂を経由し、菱垣廻船で江戸に着き、将軍 の鷹狩りのお役目を四半世紀果たしてから、水戸街 道沿いのここに居着いたと言う。 六十五になってから、子供の頃のことを良く思い 出すんヨ。爺さんが「鳩ばかり食うな。鼠や蛇も食 べるんじゃ」「手賀沼うなぎが旨そうでも、あれは 『みさご』や鵜に任せエヨ」、「暗くなったら早う 巣へ戻って、『夜の親父』梟とは喧嘩をせんことじ ゃ」「餌はその日の家族分だけでええ。この縄張り じゃ儂等が殿さんじゃから、絶対獲りすぎるな」と 親父に何度も話しておった。 好きじゃった爺さんの教えは、儂も守ってきたわ い。隣の叔父さんの縄張り「青田の森」もこの大堀 川沿いも元気な餌が次第に増えとるし、高田の湧き 水も昔の旨さが戻って来とるんで結構、結構。 ― 149 ― 宮森和子の俳句紀行 十夜 一点を見つめ蟷螂動かざる 煙立つ所にグループ秋刀魚焼く ニッコリと少女うなづく吾亦紅 その辻を曲れば師の家彼岸花 秋灯読み返しゐる「点と線」 点々と 花粒おと し風 の萩 点滅の留守番電話無月かな 素敵な贈り物 満員のバスに乗った時の事である。私は人混みに 押されながらも倒れない様に、椅子の背をしっかり と掴んで立っていた。よく揺れるバスであった。 その時、小さな声が私を呼んだ。「おばちゃま、 お席を代わります。代わらせて下さい」。見ると、 小学一年生くらいの少女が私を見上げていた。 バスは揺れ、乗客は混み合い、小さい子が立って いるのは危なかった。その旨を話し、気持ちはとて も嬉しいとお礼を言い、断った。 少女はつぶらな瞳で私を見上げ、一生懸命に言っ た。「おばちゃま、私は子供で元気です。大丈夫で す。学校で一日一つ良い事をしましょうと、校長先 生のお話があったの。私はその良い事をおばちゃま にして差し上げたいの」。私はその清らかで優しい 少女の言葉に胸がいっぱいになった。私は喜んでそ の席を譲ってもらった。少女が危なくならないよう に、一生懸命抱き留めながら。 素敵な贈り物を少女に頂いた。バスを降りる時、 お礼を言う私に、少女はニッコリとほほえんで言っ た。「私も、良い事が出来て嬉しい。おばちゃま、 ありがとうございました」 ― 150 ― 村田文雄の俳句紀行 祝餅 亥の子餅亥の月亥の日亥の刻に 隼 の 一気の降下 餌に迫る 目貼した撓る硝子戸暴風雨 点 滴 の 母 の 病 室 秋 簾 点滅の出窓の灯りクリスマス 四つ辻に二八行燈夜鷹蕎麦 一升の餅を背負ひて泣きながら 五十五年前のお礼 亡き母は足腰が強かったが、九十歳を過ぎてから 外出が億劫になり、実家を訪れる度に散歩に誘った。 お母さん散歩しようよ涼しいよ 文雄 いつもの様に母の手を取り、川の遊歩道を下流に 向いゆっくり歩く。春は桜、秋は紅葉が美しい。 南こうせつが歌った「神田川」の歌碑を通り過ぎ、 橋を渡って上流へ戻る。やがて、実家の対岸になる Tさん宅前のベンチで休憩。 ここを通る度、楽しかったクリスマスを想い出す。 私が幼少の頃、Tさんご夫妻は近所の子供たちを招 いてクリスマス会を開いてくれた。甘い物に飢えて いた頃の珍しいケーキ、夢中になったゲーム。 遅くなるとご迷惑になると母が迎えに来た。「こ んな楽しいのにもっと遊びたい」と訴えた。すると、 Tさんは「もう少しいいでしょう」と優しかった。 想い出にふけりながら、休憩していると、庭で柿 の収穫をしていた姪御さんが「お元気ね」と声を掛 けてくれた。そこで、クリスマス会の事をお話し、 お礼を天国のご夫妻へ伝えて頂く様お願いした。 お礼が言えて良かったなと心の中で呟きながら再 び母と一緒に歩き始めた。 ― 151 ― 矢下丁夫の俳句紀行 初冬 口切や 濃 青の空鳥 の行く 受売りの由来を説きて亥の子餅 鐘 楼に子 の声弾む 十 夜寺 隼 の 眼 光 鋭 し 檻 の 中 旅一夜目貼の宿で寝酒かな 冬晴れや点と消えゆく羽田発 冬晴れの辻風の声子らの声 「辻」から 漢字の「辻」は、国字、すなわち和製漢字である。 調べると国字は意外に多い。なかでも、会意といわ れる、意味を表す漢字を組み合わせたものが多いそ うだ。いかにもという感じの「峠」などが国字であ ることはよく知られている。「辻」や「峠」などは 地形に関する基本的な概念である。漢字の原産国中 国にないそうだが、たくさんの漢字を生み出したの に何故だろうとも思う。 わが国では、漢字を輸入してから、万葉仮名とし ての活用、平仮名、片仮名の発明、さらに国字の創 作と、漢字に多彩な加工を加えてきた。日本的なと いうべきか、その柔軟性は見事だと思う。 明治時代に開国して西洋から新たに文化や文明、 知識が一気に入ってきたときには、新たに国字を作 るほか、西洋の概念を新造熟語で日本語化すること が盛んに行われた。 最近は、グローバル化時代と言われるが、外国語 がアルファベットや片仮名表記のままで用いられて いることが多い。適当な日本語がありそうであって も用いられないことも多く見かける。簡便で今日的 なのかも知れないが、言葉の変遷においては創造的 でないように思う。 ― 152 ― 安武くに子の俳句紀行 秋彼岸 石窯の消 炭光る夏カフェ 盆近し辻の家未だ留守のまま 坊 守 の得 度の報せ秋 彼岸 点々と稲穂に付きし黒こうじ 辻風の刈田に起こり川渡る 亥の子餅米寿の母と搗きませう 東 に 傾 く 古 家 目 貼 か な 村祭 小国郷は祭の季節となった。一番手は、九月第一 日曜日の仁瀬権現様の祭である。熊野の神様他幾つ かの神が祀られており、二十五世帯から家族揃って 集う。昔ながらの小さな村祭である。 男達は早朝から地域の道つくり(補修、草刈り)、 女達は祭座のお供え、煮炊きなどの準備を行う。そ してこの日は敬老会もかねて行う。 近年、若者が減り、子供も少なくなり、敬老席は どんどん増えてゆく。高齢者は、道つくりや準備に 汗を流し、急いで着替え、エプロンを解いて、敬老 席に座る。 「何とも時代の流れ、しょうがねえなあ」と言い ながら、皆明るく元気。 が、今年の祭の後半、改革の意見が出た。高齢化 は男性が少なくなる事、核家族化、地域外から移り 住む人が三分の一近くになった。昔ながらの素朴な 祭を続けたいのは山々だが、注連縄、赤飯や煮〆の 大量の炊事等々が課題となった。伝承への思いはい っぱいである。祭の形は別として、神々に感謝の日 々であれば、少々の変更は許して頂けると思うが、 いかがであろうか。 ― 153 ― 山岡英明の俳句紀行 亥の子 帰 省子 の東京駅 の 点と 線 敗 戦 忌 加 藤 隼 戦 闘 隊 疎開せし頃の亥の子のこと語る 口切に笛の師のゐて主客なる 「ユメ十夜」原作を読む漱石忌 目貼せし生家廃家となりにけり 辻を曲がり帰宅の父の咳聞こゆ 夢十夜 英国留学後、虚子の勧めで書いた「吾輩は猫であ る」で一躍文名が上がった夏目漱石。彼の小説は中 ・長編小説の何篇かは読んで感動したが、短編の 「夢十夜」については全く意にも解していなかった。 映画「ユメ十夜」は、二〇〇七年に公開された日 本映画である。夏目漱石の小説「夢十夜」を原作と する十一人の監督によるオムニバス作品である。 あらすじは、「作家の百聞が妻のツグミと穏やか に暮らしており、いつものように机に向かっていて も一向にその筆は進まない。土間の茶店で働いてい て魚鉢を割ってしまったツグミは新しい金魚を夫に ねだる。やがて彼女は静かに着物を脱いで畳に横た わり、遺言めいた言葉を夫に残して死んでしまう」 のである。十人の監督が一夜ずつ映画化したもので、 監督もキャストもそれぞれ超豪華であった。 原作「夢十夜」は、夏目漱石の作品中の異色作で、 夢の枠組での書かれた小説で、暗い幻想の神経衰弱 を病む漱石の反映とも言われ、現在(明治)を始め、 神代・鎌倉・百年後と、十の不思議な夢の世界を綴 っている。「こんな夢を見た」という書き出しは有 名で、つい引き込まれそうになる言葉である。 夢は死ぬまで見続けるものかもしれない。 ― 154 ― 山口 修の俳句紀行 塩引 辻 に 立 つ 僧 の 衣 に 初 時 雨 隼 の 飛 礫 の 降 下 波 頭 ま で 天空で差羽は点に伊良湖岬 小家また馴れにし我が家目貼りする 嫁 姑 説 話 に 承 く る 十 夜 婆 酉の市年増ばかりのバーに寄る 共 に 居 る 辛 口 酒 と 塩 引 と 酉の市 全国各地の鷲(大鳥)神社で行われる商売繁盛や 開運招福を願う祭礼が「酉の市」。年によって酉の 日が二度の時と三度の時があり、最初の酉の日を 「一の酉」、それに続いて「二の酉」「三の酉」と いう。 鷲神社の本社は大阪・堺の大鳥神社であるが、酉 の市の中で最も有名で活気が溢れているのは東京・ 下谷(台東区千束)の鷲神社で催される「酉の市」。 暮れの下町の風物詩としてテレビのニュースやドラ マで取り上げられている。特に、縁起物の熊手の糶 の風景は華々しくも、年の瀬の迫りくる一抹の寂し さを感じさせる。 四、五年前に、句作の肥やしを求め、浅草、鷲神 社、吉原、一葉記念館(一葉忌は十一月二十三日) などを探索したことがある。 地下鉄日比谷線の三ノ輪駅を起点に歩いたのであ るが、妙にけばけばしいところと、下町のなぜかも の寂しいものとの渾然に、相当くたびれてしまった。 これらの異物を同時に飲み込んで整理がつかない 気持ちを静めようと、馴染みのバーに寄り、年増に 会って、なぜか安心した次第である。 ― 155 ― 山口慶子の俳句紀行 辻の別れ 豪邸の売りに出されて泡立草 辻々に秋例大祭の旗なびく 赤トンボ辻で別るるランドセル 編笠の乙女みやびや風の盆 目貼して机の向きをかへにけり 目貼して部屋に籠もる子幸あれかし 隼の鋭きまなこにある虚ろ 越中八尾おわら風の盆 九月三日、越中八尾おわら風の盆に行く。風の盆 は九月の最初の三日間、夜に行われる。 「おわら」とは地名かと思っていたら、「大笑 い」という言葉を唄に入れたことから「おわら」に なったとか。「大藁」から転じて「おわら」になっ たという説もある。 八尾には十一の支部があり、それぞれの支部がそ れぞれの町で踊る。どの町も七時あるいは八時から 踊り始める。 街灯の光は全くなく、すべて燈籠の灯りなのでう す暗く、それが町全体を一層幻想的な雰囲気にして いる。 西町、東町の流してゆく踊りを追いかけ、鏡町の おたや階段に席をとって見物する。 三味線、太鼓の囃子に哀切な胡弓の音が加わり、 哀調を帯びた唄が流れる。若者は股引と法被の粋な 姿で切れのよい動き、乙女は編笠を深く被り、差す 手引く手のたおやかなこと。最後に男女それぞれ三 人がペアを組んで、何とも情緒溢れる踊りを披露。 諏訪町の石畳の坂の燈籠が両側に果てしなく並び 続く光景が、目に焼きついている。 ― 156 ― 山田洋子の俳句紀行 口切 口切や姿見に立ち帯ぽんと 慇懃に押し頂きぬ亥の子餅 名 刹 の 住 職 交 代 十 夜 講 隼 や 逆 落 し く る 屏 風 岩 さくら型目貼ねんごろ白障子 赤ペンでテスト採点小夜時雨 生き甲斐は死に甲斐なりと炉辺の僧 伸行君ブラボー! わたしは目を軽く閉じ、ピアノ演奏に耳を傾けて いた。奏者は辻井伸行君。憧れのピアニストである。 阿吽の呼吸で娘が券を求め、連れて来てくれた会 場「りゅーとぴあ」。新潟市民芸術文化会館で、二 千人収容のアリーナ形式のコンサートホール。 辻井伸行、加古隆、レ・フレールの斎藤兄弟連弾 のプログラムだが、私のお目当ては伸行君。盲目の ピアニスト。テレビ番組で紹介される度、関係書を 読み、ノートした。 お母様の「今日の風は、なに色」を読んで思うに、 母親の実況解説が彼の心の眼を養い、神の手が備わ った奇跡の人、伸行君。 「ウェービング」のぶりんダンスとも言われ、音 楽に集中すると、首を大きく左右に振る癖が特徴。 ピアノの音は透明感に溢れ、そくそくと胸を打つ。 演奏が終り、ピアノから指を離す瞬間、ふわりと羽 根のように指をおさめる。その仕草がたまらない。 入場前にCDが欲しいと呟いたら、「はいはい」 と娘が買ってくれた。 毎日、CDをかけて、新聞を読み、本を読んでい ると、まことに癒される。至福の時間である。 ― 157 ― 山本枡一の俳句紀行 点火 花嫁のドレスの薔薇や紅一点 シャッター音指差す先の鷹一羽 叱られて目貼を終へて褒められて 破れ障子母の目貼の花模様 家庭菜園 ( ) 点滴や耳を澄ますと除夜の鐘 目張りせし海老様見栄切る初芝居 原子の火点火の極みフクシマ忌 仕事柄、農業に興味があり、趣味と実益を兼ね、 十数年前より家庭菜園 盆栽的農業 を始めた。本を 読み、テレビで学習。 つい数年前は近所の農家が全てを指導する農園で 修行。ここでは、農園仲間とそれぞれの工夫を披歴。 褒めたり自慢したり。共通の感想として、天気はま まならず、結果、毎年、出来が違う、野菜作りは難 しい、というのが結論であった。 私の見解は、完全無農薬は極めてハードルが高い、 植物はいじめてやる方が強くなる、例えば強く剪定 する、多肥投入しない、水遣りしすぎない等々。 そんな中、今年ほど、胡瓜とトマトがうまくでき たことはなかった。胡瓜などは、世間では一本百円 等というとき、毎日十本近く収穫。露地栽培の大玉 トマトは、今までうまくいったことはないのだが、 今年は、樹上完熟トマトを満喫できた。 保温と保湿を兼ね稲藁を使っていたが、今年は、 黒マルチシートに変えたのがみそのようだ。来年は、 更に一工夫と思案しているところである。 ― 158 ― 鎗水稔子の俳句紀行 口切 青信号待ちの四辻の炎暑かな 夏落葉薬師の湯まで材曳いて 六 尺の桶 の露天湯 桐一葉 口切 のお薄 の 茶 銘松 の 華 口切の言葉なつかし母在りし 寺の門掃き清められ十夜入り 牧狩の古文書隼てふ文字あり 習い事 生家の右隣に浄土宗のお寺があった。そのお寺の 奥さんが、お茶とお花の先生を始められた。母が頼 まれたらしく、お寺の娘さんと私が最初の生徒にな った。私は、小学五、六年生であったる お茶は長時間正座しなければならない。足が痺れ て身動きできない私の足を、先生は歩けるようにな るまで、さすり揉んで下さった。先生の優しさをよ そに、私は外で遊んでいる友達の声が気に掛かり、 お点前は何回稽古しても身に付かなかった。適当な 理由を見つけてさぼっていると、「今誰も来ていな いから…」と先生から声がかかった。何しろ隣なの で、いつも母に叱られながら、しぶしぶ稽古に行っ ていた。 その母は私が十九歳の時、思わぬ病に倒れ、僅か 一週間でこの世を去った。母亡き後も学校卒業まで 稽古は続けていたが、いつの間にか止めていた。 結婚が決まった時、先生がお祝いにと下さったの は、お茶とお花の教授の免状だった。勿論、資格は 最下位のものだけど。 「口切」「十夜」の兼題は、多感な少女時代の出 来事を懐かしく思い出させてくれるものだった。 ― 159 ― 田みゆきの俳句紀行 目貼 口切や紐うつくしき呂宋壺 黒ごまと肉桂香る亥の子餅 十夜粥すすりてぬくき六腑かな 隼のしかと山巓見つめをり 目貼して世事には疎うなりにけり 点滅の信号過ぎてまた枯野 辻売にあがなふ冬至南瓜かな ずいずいずっころばし 「宇治」と言えば平等院と宇治茶が看板のような 役割を果たしている。十円玉のデザインでお馴染み の平等院鳳凰堂は平成の大修理が終わったばかり。 JR宇治駅前には大きな茶壺の形をした郵便ポスト が設置されている。 平等院の修理中には激減していた観光客が戻り、 商店街も活気づいてきているが、宇治茶には厳しい 状況が続いている。かってのように花嫁修業で茶道 を習うことが減っている上に、最近は家庭でも食事 のあとで湯茶を飲むのが当たり前ではなくなって、 急須で煎茶等を淹れて飲むという習慣が廃れてきて いるとのこと。ペットボトルの普及で会議中に出さ れるお茶も、湯飲みが使われなくなってきた。 「口切」という兼題をいただいて、ふと宇治の歴 史にも思いを馳せた。江戸時代の初めには宇治に茶 問屋がずらりと並び、将軍へ新茶を献上する茶壺道 中が一六三三年から制度化された。「茶壺に追われ てトッピンシャン」と、その行列の権勢を怖れて戸 を閉めたというのは遥か昔のこととなった。宇治茶 には厳しい現状が当分続きそうである。 ― 160 ― 川さち子の俳句紀行 旅人 萩こぼれ山恋ふことのしきりなる 旅 人の貌 して 過ぐ る芒原 落ちながら一点仰ぐ木の葉かな 四つ辻のどの道ゆくも密柑山 四辻の一角蜜柑売られをり 目貼してなほも厳しき山暮し あつ隼消え去つて在る杉木立 駒繋ぎ 山路で、それは色濃く美しく咲いた萩の小株が目 に入った。 「これは連れて帰らねば!」 我が家の庭に住んで五、六年。今年も萩は咲きこ ぼれる。しかし、山に居た時と違って、随分大きく 育ち、色は少しうすくなった。 萩の仲間で「駒繋ぎ」というのがある。子供の頃、 山路でよく見かけていた時は、小さな株が所々に有 るくらいで、「これに馬を繋いでおけるものだろう か?」と不思議に思っていた。 高速道路に沿う土堤に、土止めの為、びっしりと 丈夫そうな萩が植えられている。 「あれがコマツナギだよ」と教えられた。 「えっ? あれが? あれが!」 私はその日、それはそれは小さな鉢に植えられた 「駒繋ぎ」の一株を頂いた。 ― 161 ― 阿部王一の俳句紀行 おもてなし 威儀を正して口切のおもてなし 少子化や亥の子の残る城下町 豊後町出でて寺町十夜かな 隼と眼と眼が合うてしまひけり 点眼の後の灯下に親しめり 由布院の辻馬車開き春浅し 辻馬車の菜の花の海泳ぐごと 安心院ワイン 今年で十二回目を迎えた国産ワインコンクールで 「安心院スパークリングワイン2012」が二年連 続三回目の部門最高賞を受賞したという新聞記事を 目にした。同コンクールは国産ブドウを百%使用し て造られたワインが対象ということだが、私も地産 地消ということもあり、時々飲んでいるワインだけ に嬉しいニュースだった。 また、安心院では国営の緊急農地再編整備事業が 計画されているとのこと。一九六五年度から八〇年 度にかけて約五百ヘクタールが区画整理されてブド ウの産地育成が進められだが、生産者の高齢化、後 継者不足、水利施設の老朽化などが課題となってい るという。国が同じ地域で大規模な再造成をするの は九州初で全国的にも珍しい事例らしい。再整備で 農村振興を図ることが目的とのこと。企業の参入も 視野に入れているらしいが、うまくいくことを期待 したい。 先日ブドウ狩りに行った農園は十五年ほど前に大 阪から脱サラをして移住してきたそうだ。広いハウ スの中で説明を聞きながら多くの品種のブドウを味 わうことができた。 ― 162 ― 荒木輝二の俳句紀行 パソコンとe メール - 隼の眼 口切つて読む新刊今朝の秋 メガネ変へ一点に合ふ秋の夜 目貼してそれでも聞こゆ外の音 辻の木々椋鳥の声ぎゃあぎゃあと 濃き匂ひのローズマリーの十夜会かな 孫二人元気一杯亥の子かな - 天 空 の 隼 の 眼 に 威 嚇 さ る 六十五歳の時、脳溢血を発症した。その後、入退 院を繰り返した。 そのような中、稲田先生に出会い、『少年』に入 会した。定年退職後、東京・金町のオープンハウス というところで句会に入り、俳句の基礎は分かった つもりだが、『少年』は更にエッセイ、つれづれ紀 行も入り、隔月といえアイデアをひねり出すことは 苦しい。しかし、楽しくもある。 過ぎ去りし私の過去を振り返ることもしばしばで あった。それには過去の写真のアルバムも随分参考 になった。歳時記を見る前にパソコンネットで語句 を入力すると写真つきで解説しており、よく見てい る。小説を読んでいるいるとき過去の事件等が取り 上げられることも多く、これらのことも調べている。 これらの他に、e メールは手紙として重宝して いる。ペンで書く手紙は激減した。パソコンはその ものを記録するという機能もあり、時々過去のメー ルを見ることもしばしばである。 更に、私の日程管理にも使っている。日時、場所、 テーマを都度入力している。従来、日記をつけない 私には強力な助っ人である。 ― 163 ― 章 虚 子 嫌 い が 読 む 虚 子 の 歳 時 記 〈一 ○ 六 後藤 〉 ◆島原太夫道中 京都にあって何故「島原」というのか、昔 から少し疑問に思いつつ調べもしなかった。 でもやっぱり九州の島原と関係があったので ビックリした。 この花街は豊臣秀吉が京都の再興にあたり 二条柳馬場に作ったのが最初で、その後何度 か田舎へ田舎へと移転させられ、一六四一年 に現在の西新屋敷に移転する際、あまりにも 急なことでてんやわんやの様だったらしく、 その混乱と当時九州で起きた島原の乱が人々 の意識の上で重なって、そののちこの辺を島 原と読んだらしい。悪所へゆくとき男どもは 良く隠語を使うが、それと同じ事が当時もあ ったということだろう。 我 も 亦 太 夫 待 つ な る 人 の か げ 虚子 制作年不明 女義太夫追っかけの虚子にしてみれば見逃 せない道中であった。 ◆先帝祭 解説に寄れば、平家が壇ノ浦で滅亡した際、 安徳天皇も入水され、その霊を祀るために下 関の赤間神社において行われている祭である。 もとは阿弥陀寺内安徳天皇御陵の上に一一九 一年に作られた御影堂らしいが、明治の廃仏 毀釈で、天皇家が仏教から神道へ切り替わっ たため現在の赤間神社で行われている。 解説では七百年も廃絶することなく続いて いると書いてある。 新歳時記 の初版にも同 様のことが書いてある。初版は一九三四年で あるから計算がちょっと合わない。まあ四〇 年くらいのさばはよんでも良いだろう。「滑 稽雑談」「俳諧歳時記栞草」にはこの季題は 見あたらないので、天皇の時代になった明治 に季題とされたものであろう。 はじめ朝廷が執り行った行事とあるが、そ の後いつからか遊女が女臈や官女のなりで参 拝するようになった。これは歴史家網野義彦 ― 164 ― 「 」 氏指摘の天皇家と遊女のつながりを示す一例 かも知れない。 ◆鮒膾 やっと宗教関係の季題から抜け出した。宗 教系は考えさせてくれはするがちょっと辛気 くさい。理屈が先に来るからなのかも知れな い。 先日、木村定生に文章が下手だといつも言 われていることをいつものように言われて、 少し傷付いているが、いつものようにこれも 修行と心を入れ替えているが、こんなとき宗 教系は辛い。何れにしても文章が下手だと言 うことは、意思が伝わらないということで、 それは自分の考えがしっかり定まっていない ことが原因であろう。理解が及んでないとこ ろをごまかして書こうとすれば、すぐ見破ら れてしまうと言うことだろう。 だが、エッセイと論文では違うのではない かと思う。論文の場合、その論旨が面白いか どうか、発見があるかどうかが第一のポイン トであるはずだ。文章が旨いかどうかは二の 次であろう。しかし旨い方がよいのは事実だ。 これも修行だ。 [閑話休題] 虚子の例句だが、例によって人をバカにし ているのかどうか分からない句である。 船 人 の 近 江 言 葉 よ 鮒 膾 虚子 明治三八年 どこがバカしているところか。フナビトと フナナマスの音を重ねて洒落ていると思わせ ているところ。次に、鮒膾と言えば琵琶湖の 源五郎鮒に決まっているのに近江言葉とくる、 この安易さ。これだけ揃えば、句会なら普通 採らないし、結構非難を浴びるだろう。だが 虚子は歳時記の初版から改訂、増訂とこの例 句を変えていない。「稲畑新歳時記」もこの 句を採用している。よっぽどこの句を好きな のか、ほかに句がないのかどちらかであろう。 そこでこの年に虚子は京都方面に言ってい るのかどうか調べてみた。右文書院の「高浜 虚子研究」の年譜によれば「三尾に遊ぶ。晩 秋 奈良に遊ぶ。初冬」とある。春ではない。 三尾とはどこか?正解に至る前にいろいろ想 ― 165 ― 像した。まずは三尾をサンビと読んで京都の 高雄、栂尾、槙尾あたりをいうのだそうだ。 三尾めぐりといい高山寺、神護寺、西明寺を 拝観する観光地である。 次に候補としてあげられるのは、和歌山県 日の岬の美浜町三尾である。ここはアメリカ 村などがあって昔から海外移民で有名で、灯 台守悲話があり、それに感動した虚子の句碑 がある。 しかしながらここまで調査したとき、「高 浜虚子研究」の年譜を再度見直してページを めくったら、 ホトトギス 明治三九年七月号 に「三尾の晩秋」としてエッセイを書いてい るのを発見してしまった。詮索するよりもこ れを読めば分かることだ。この続きは国会図 書館で調べてからご報告することとする。し かし寄り道して意外なことが分かったことは 収穫だ。 国会図書館に行くまでもなく正解が分かっ た。たまたま新潟に出張した折、時間があっ たので県立図書館に行った。そこで西村和子 氏の「虚子の京都」があったので読んでみる と、三尾はサンビ巡りの三尾であることが書 かれていた。これで一件落着。 しかしながら秋に京都に遊んだのに、作ら れた句は春の季題を使用していることになる。 考えられることはこの鮒膾の句は席題か何か で作られた句であることだ。京都に遊んだの はその年の秋ということになる。いい加減な 句とのつき合いはこの辺で切り上げる。 ◆山吹 虚子は解説で「葉や茎の濃い青さとの取り 合せのこれくらゐ美しい花はすくない」と書 いている。確かに美しいのだがちょっと表現 が大げさである。「稲畑歳時記」では「花の 黄色が葉や茎の緑に浮いて明るく美しい」と 控えめで普通の表現である。「これくらゐ美 しい花はすくない」とまで書くのは他の歳時 記ではない。改造社の「俳諧歳時記」の 「春」は虚子編集であるからと思い開いてみ ると、やはり「花の鮮黄色と、茎や葉の濃い 青さとの取り合せのこれくらゐ美しい花はす くない」と書いてあった。 ― 166 ― 「 」 この原稿は虚子が書いたわけではなかろう。 解説執筆陣の中に川端茅舎がいるが、この感 覚は絵画的センスが影響している気がするの で彼かも知れない。 山本健吉の「基本季語五○○選」では色目 について書いている。これは平安時代の女房 の服装の規則のようなモノである。重色目と 襲色目の二つの表現があるが「カサネのイロ メ」と読むようである。二つあるのはそれな りに理由があるようで、袷仕立ての表、裏の 布を指す場合は「重」で、装束として何枚も 重ねて着る場合の色目は「襲」を使うらしい。 この点で行くと山本健吉が解説で「襲の色目 に『花山吹』(表は薄朽葉色、裏は黄色)が ある」と書いているのは間違いということに なる。正しくは「重の色目」と表現するべき である。 京都書院アーツコレクションに「かさねの 色目」という本がある。長崎盛輝という人が 書いている。世の中には様々なことを研究し ている人がいるモノだ。色票が示されている のでなるほどと納得できる。 この本を観ると、平安時代から日本人は季 節に合わせて服装の色を変えていたことがよ くわかる。繊細な美意識である。この本によ れば重の色目にはこのほか、裏山吹、山吹匂、 青山吹が示されているが、この歳時記にいう 「これくらゐうつくしい」取り合せの色目は 青山吹ということになる。「表青・裏黄」で ある。これが「襲の色目」の花山吹となると 青、黄、淡朽葉、同、同、同、同、紅の順に 重ねるようである。まったくもって当時の日 本人の繊細さに驚くばかりだが、清少納言、 紫式部の作品が繊細なわけである。 俳句、短歌の背景にはこのような美意識が 積み重なっているのである。この重さとの格 闘が近代俳句の歴史かも知れない。一方この ような考え方が間違いなのだとどこかで虚子 が笑っているような気もする。近代の意識と は、このように古き伝統を克服しなければな らないという強迫観念なのかもしれない。た だあるように、この美意識を受け入れればよ いのでは無かろうか。 しかしながら例句を読み進めるとそのよう ― 167 ― な伝統的美意識の世界にどっぷり浸かって予 定調和のような句が多い。他の歳時記の例句 と見比べてみるとその事をより一層感じる。 秋櫻子の嫌悪も宜なるかなとも思う。 風呂を焚く姉さんかむり濃山吹 静雲 この句などはその典型である。誰もが否定 できない日本的情緒の風景を切り取った句で ある。その「甘えの構造」が見えてしまうと 嫌になる。これを例句に載せる虚子は嫌いで ある。その虚子の例句は 川 波 に 山 吹 映 り 澄 ま ん と す 虚子 昭和六年・四月二二日作 この句は秋櫻子の歳時記も採用している。 確かにこの句は山吹の美しい有り様が句の背 後から現れている気がする。秋櫻子もそれを 認めたのであろう。だが紀貫之の有名な歌が 果たして背景になかったかどうか疑問である。 吉野川岸の山吹ふく風に 底の影さへ移ろひにけり 紀貫之 昭和六年四月二日に虚子は土佐を旅してお り紀貫之の邸跡に行っていることを考えると 必然という気がする。 昭和六年といえば秋櫻子が「自然の真と文 藝上の真」を十月に出して ホトトギス 流の 客観写生を批判した年である。その年に作成 されたこの句を、自らの歳時記に採用した秋 櫻子の考えはいかがなものであったのであろ うか。秋櫻子は虚子の俳句が嫌いではなかっ たのである。その取り巻きの事実写生俳句が 堪られなかったのであろう。西山泊雲、原月 舟などの事実報告写生句がどうしても受け入 れられなかった。どの世界でも取り巻きの方 が急進的である。自問しないで盲信して心の 安定を願うからである。少なくても文学とい われる以上、お稽古ごとでないならば師とい えどその文学観には批判の目を持って当たる べきであろう。この辺の塩梅が俳句の場合は 難しい。 ― 168 ― 「 」 直 銀幕の季語たち(十二) 溝口 ― 169 ― 昭和に咲いた大輪の「彼岸花」 昭和三十三年、東京オリンピックにむけて 日本が復興の糸口を作ったころの小津安二郎 の作品「彼岸花」が今回HDリマスターされ てDVDでよみがえった。 明治を引きずって家父長的な考えを押し通 す父親、昭和の新しい風に乗って自由な結婚 を目指す娘たち、そんな家族の微笑ましい日 常を描いた作品。 娘に家柄にあった見合いを目論む父(佐分 利信)、自分の勤めの会社の男性(佐多啓 二)と結婚したい娘(有馬稲子)。困った娘 は一計を案じて、親友(山本富士子)に、自 分の結婚を許さない母に困っていると稲子の 両親(佐分利信、田中絹代)から結婚をとどまるよう 説得される有馬稲子 父佐分利の意見を求める。人の娘となると自 由恋愛を勧める佐分利信に、それは佐分利の 娘の有馬稲子のことだといって佐分利に稲子 の結婚を承諾させる。佐分利は我が子のこと なので、納得のいかないまま理屈に屈して不 承不承娘の結婚を認める。 という話なのだが、頑固な父は父ながらに 娘を思い、娘は自由に振舞いながらも父を案 じる。まだ平成の若者たちの自由とは程遠い 昭和の古いよき時代の男と女、親と子の愛情 をじっくりと描きだした。小津安二郎監督は、 いつものように、じっくりと小道具にも凝っ てローポジションのカメラを据えて悠然たる 構えだ。しかも主役は有馬稲子、山本富士子、 久我美子、佐多啓二らの大スターをそろえ、 佐分利信、田中絹代、笠智衆らの名優たちが じっくり脇を固める。 この彼岸花は、小津の初めてのカラー映画 で、リマスターでよみがえったこの作品は、 色彩がなんとも華麗で、さながら一幅の昭和 に咲いた大輪の彼岸花を見るようであった。 (二○一四年〔平成二十六年)九月五日 「俳句文学館」より転載) ― 170 ― 穴井梨影女 梨影女の俳句夜話(三) 春雷 わいたさん 「小国富士」とも親しまれる標高一五○○ タケ メートルの、湧蓋山 の四季に抱かれ、関わり ゆ 暮らしの、山の温泉「岳の湯」「はげの湯」 というがある。標高七三○メートルほどで、 三十五、六戸の小村で登山宿の古い、懐かし い佇まい。道の辺の棚田に、畦に、畠に、地 獄煙が濛々と噴き上がっている。戸ごとに噴 気の蒸し場というを坪先に持ち、仕事のき戻 りに、何かを放り入れ、持ち帰りして火を焚 く事も無く、美味しい食事をいただける。 家の中には温泉炬燵を設え、小学校は教室が オンドルの様に温められ、その末端に流れ出 るお湯でお掃除等々…。地獄畠に育つ「黒 菜」はこの血の特産で、その風味は格別。 この山の温泉へ、毎年、大牟田の俳人十余 名が年越しにやって来られた。遠入たつみ先 生のお弟子さんでもあり、香月梅邨、笹原耕 春の俳友ばかりであった。 昭和三十何年であったか、高野素十先生と たつみ先生をお迎えし、晴れれば野焼、山焼 を見られる事もあるかと、大牟田勢、小国勢 中に、耕春り妻美代女、従姉妹の扶美、梨影 女の女三人が加わり、十数名で、はげの湯へ 向かった。 今は定期バスも走り、各戸に自家用車があ るが、その頃は、湧蓋山の麓の「七曲り」と いう一軒家の停留所で下車。これより一里半 程山道を歩く外なく登るのであった。雨後の ぬかるみも凄く、霜解の著しい処もあった。 途中、三、四人の杉植えの最中の山もあった。 素十先生は、さっさと道脇の土手を上り、植 えた杉の穂をつまみ、小杉の周りを踏みつけ、 廻っている若者と、何やら話を交わされてい た。 ― 171 ― 泥土が容赦なく靴の周りに厚々とくっつい て、まるで草鞋を履いている様で、足が重た くなり、お互い笑う力もやっとという有様で、 たけの湯宿「松屋」に着いた。やれやれと思 いながら、ふっと目の前の湧蓋山を見た。濛 々と地獄煙が立ち、やや山へ靡きかげんだ。 この村で地獄煙が山へ靡けば雨、反対なら晴 と言われているとの話を思い出した。 山間の我が町が遙か下に見下ろされて、入 る温泉は誠に命の洗濯というようで、村人は 自由に入湯できる。さすがに夕食後は、皆こ とりと寝床に入った。私等女三人は朝まで死 んだ様に眠った。 気持ちいい目覚めの処に「眠れたか?」と 兄耕春が入ってきて、昨夜の山の大雷雨の話 に、眠り込んで全く知らなかった私等三人に 驚いた、と呆れながら、大雷雨の様子を話し てくれた。 稲光と共に、部屋の消えている筈の全ての 電灯が、ポカッポカットと灯ると共にジュー ツ、ジューツと音がする。大雷鳴の激しさは、 宿の畳が皆立ち上がるのではないかと思うほ どで、「おお!!お!!愉快だな…愉快だ …」と素十先生の大きなお声が聞こえていた と言う。 朝食は、昨夜の大雷雨の話で賑わっが、知 らぬが仏の私達三人であった。 さて、食後の第一句会。素十先生の御選の 中で、 春雷に愉快愉快と覚めてをり 梨影女 途端に、ワッハッハ、ワッハッハと笑った。 自分でもおかしさと恥ずかしさで、一緒に大 笑いした。 とその時、素十先生が「よろしいよろしい、 こういう作句法あってよし」と一言。 地獄田といひて耕牛入れられず 素十 花のなき綾杉と云ふ杉の苗 同 杉 挿 し て 間 々 を 足 で 踏 む 同 十 年 の 交 は り 菜 飯 緑 か な 同 ― 172 ― 篠﨑代士子 代士子の万華鏡(五十四) 鎌倉 鶴岡八幡宮 東京ステーションホテルを九時三十分出発、 鎌倉まではバスの旅である。梅雨晴というの か晴天でありがたい。旅程表には「鶴岡八幡 宮参拝と天ぷら和定食の昼食」と書いてある。 バスガイドの説明を聞きながら、都心は知 っているようで案外知らないことが多いこと に気がついた。 物の本によると、鎌倉の鶴岡八幡宮は、源 の頼義が京都の石清水八幡宮を勧進したのが 起源だと伝えられているが、そもそも、その 八幡宮は、豊前(大分県)の宇佐で、渡来人 が報じていた神様であったらしい。 ともあれ、源頼朝は、自分が清和源氏の嫡 だん 流であることを天下に知らす必要があった。 頼朝と北条政子が鎌倉に入った当時は、屋 敷もなく仮住まいであった。大急ぎで若宮大 路をつくり、鶴岡八幡宮を造営した。 若宮大路の二の鳥居から三の鳥居の間に段 かずら 葛 という一段高い歩道がある。頼朝が政子の 安産祈願のために築いた参詣路といわれてい る。 表参道を歩くと日差しが強く汗ばむ。途中、 舞殿で立ち止まり一息入れる。吉野で捕らえ られた静御前が「しづしづ賤のをだまきくり かえし…」と義経を慕う舞を披露した朱塗の 舞台を風が吹き抜けていった。 樹齢千年の大銀杏が本宮に上る階段の左手 にあったが、大風により倒伏してしまった。 この大銀杏のかげに頼朝の孫の公暁がひそみ、 叔父の源頼朝を殺した。公暁は頼家の遺児で、 実朝を父の仇と狙った。公暁もその場で殺さ れた。 血で血を洗う頼朝の血脈はすべて跡絶えて しまった。源平池には白い蓮の花がほつほつ ― 173 ― 朱塗の舞殿 静御前が「しずやしず…」と舞ったと言われる。 源平池の白い蓮の花。極楽に咲く花。 ― 174 ― と咲いていた。仏教では極楽に咲く花とされ ている。 のりきよ 西行と頼朝 西行が鶴岡八幡宮で頼朝と一夜を語り明か したと聞くと、絵空事とも思われるが、この ことは「吾妻鏡」に書かれていると、司馬遼 太郎が「銀の猫」で書いているので孫引きす る。 西行は東大寺の勧進(募金活動)を頼まれ て、陸奥の藤原氏に黄金の寄進をもとめた旅 の途中に、鎌倉に寄った。そして、頼朝に声 をかけられたのである。歌人として、西行は 有名であった。 西行は六十九歳、頼朝は四十歳であった。 ただ、頼朝が西行にたずねたことは、歌のこ とではなく、武芸のことだった。 西行の俗名は佐藤義清、二十歳の頃、鳥羽 院の北面の武士に選抜された。院の警護のた めには、弓馬の道はもとより、眉目秀麗で、 詩歌管弦に堪能である等、人の羨むような職 である。二十三歳のときに、職も妻も捨てて た ま こ 漂白の僧になった。 発心のおこりは、鳥羽天皇の中宮、待賢門 ぎんづくり 院璋子への恋にほかならなかった。 頼朝が西行に乞うたのは、弓馬の道を語る ことだった。これに対して西行は、朗々とこ とわった。が頼朝はあきらめずにさらに問い かけ、西行は仕方なく、夜を徹して語ったと 「吾妻鏡」のなかに記されている。 関東の武者は、戦に強くても、儀式、神事、 警護の振る舞いは知らない。武の文化の作法 の教えほ北面の武士であった西行に教えを乞 うた。 いわば、在野の武人が、元近衛士官から武 の文化を聞いたことになる。 西行は、頼朝の屋敷で一泊した。頼朝は謝 礼のしるしに「銀 作の猫」をあたえたと書い てあるが、ひょっとすると銀のインゴットだ ったかも知れない。 再議用は、銀のかたまりを有難く受けたが、 門前で遊んでいた子供にくれてやったと、 「吾妻鏡」に書いている。 講談のような話である。 ― 175 ― 長谷寺の山門の真っ赤な提灯 アジサイの花越しに由比ヶ浜の海を望む ― 176 ― やつ 長谷寺と成就院 鎌倉駅から江ノ電に乗り、長谷寺に行く。 開通は明治三十五年の骨董品のようなミニ電 車であるが、軒すれすれに家並を縫って走り 抜けるのがスリルか゜あって面白い。 長谷駅で降りる。長谷寺への道は舗道から はみ出す人が多く、警官が交通整理に汗を流 している。 月曜日の昼下がりなのに、ラッシュアワー なみの人出にうんざりする。 長谷寺の山門の真っ赤な提灯が目に入り、 ほっとするが、境内の人の多さに足が萎える。 眺望散策路はパスして、涼しい木陰で千寿 子の下りてくるのを待っていた。 江ノ電でひと駅、極楽寺の切り通しの途中、 石段を上った小高い所に成就院がある。弘法 大師の開山と伝えられる。 三方を山に囲まれ、南だけ海に面した鎌倉 は大と谷が多い。山を掘り割って、人工的に 作った道路を切通しと呼び、鎌倉では七つあ った。 今回、歩いた道、極楽寺坂切通しは、京都 方面の出入り口であった。 この成就院の目玉は「アジサイの花越しに 由比ケ浜の海を望む」とのこと。参道の両脇 に二六二株のアジサイが植えられている。た だそれだけのことであるる そのあと、切通しを、テクテク由比ヶ浜ま で下った。 潮風に吹かれながら、相模湾を眺めている と、古都の歴史の翳が深いことであった。地 形の似ている故郷の山河がいとおしくなった。 ― 177 ― 花曼陀羅(四) 木犀 平田節子 夫が開業した医院が木犀の生け垣で囲まれ ていました。 日赤病院の外科に勤務していた夫に開業の 話が舞い込み、とんとん拍子で話が進みまし た。夫三十五歳、私は二十六歳の二月でした。 忙しい夫の唯一の楽しみは、医院の横を流れ る大野川で鮎釣りをすることで、大漁の日は 鮎の塩焼きが患者給食に出されました。 医院を開いて四年目、患者さんの数も増え、 順調に事が運んでいました。そんな中で新年 を迎えた或る日、知人の神主さんが訪ねて来 られました。亡くなった夫の父が夢枕に立ち、 夜釣りで命を落とすから決して夜釣りに行か ないようにというお告げでした。その頃、胸 まであるゴム長靴を履いて川の中に入って釣 りをしていた夫のこと、 節子 体力が弱っていく中で、長靴に川の水が入っ たら、溺れてしまいます。一方、時を同じく して、夫の体の中では、癌細胞がどんどん蝕 んでいたのです。 夫に胃癌が発覚して熊大の付属病院に入院 した時、大野川で釣りをしていた男性が溺れ たという記事が新聞に出ました。複雑な思い でそれを見ました。 夫は開腹手術をしたものの、末期癌で余命 三ヶ月を宣告されました。三ヶ月間の闘病生 活は、今思い出してもこみ上げてくるものが あります。 昭和四十一年制定初の体育の日、春秋に富 む三十九歳の命を霊界に移してしまいました。 最後の日、医院の生垣の木犀を叔母が一輪持 って来てくれました。意識が薄れゆく中で、 木犀の香りを嗅ぐことができたのか定かでは ありません。あの日三歳だった二男の一人息 子もこの春、大学生になりました。 木犀や父知らぬ子が父となる ― 178 ― 石蕗の花 節子 テレビ大分の番組で「楽しい仲間」という のがありました。紘文先生率いる西日本婦人 文化サークルのメンバーーが全員出演するこ とになりました。各々どの句を出すかだけを 決め、あとは司会進行の紘文先生におまかせ で、ぶっつけ本番ということになりました。 新しき一つの過去や石蕗の花 節子 句が読み上げられ、「新しい過去は何です か?」と質問されました。全く想定外でちょ っと困った私は「御想像にお任せします」と 逃げました。紘文先生は何か面白い返答を待 っていたようでした。思わせぶりなこの一句、 思い出すたび、先生に申し訳ない気持ちにな ります。 分別のある日なき日の石蕗の花 今は亡き溝口博子さんが褒めてくれました。 「初めて見た時、意味が分からなかったけど 節子 今なら分かるよ。これからもお互い、分別の ある日なき日が続きそうだけどがんばろう ね」。その頃、クリニックを開業した二男の ことにもふれて、母子家庭で良く頑張ったね、 と。紘文先生からも句評をいただき、角川の 俳句大歳時記にも掲載されている、と句友か ら知らせを受けました。 石蕗の花涙涸れてもまた哭きし 十一月一日、長男が急逝しました。親孝行 で本当にやさしい子でした。享年四十歳。父 親が三十九歳で亡くなったので、四十歳から 先の人生を考えたことがないと言っていまし た。 十月十日、夫の命日を「木犀の忌」、十一 月一日、長男の命日を「石蕗の花の忌」と勝 手に呼んでいます。 今年もまた裏庭の石灯籠の周りに、石蕗の 花が咲くでしょう。地味で淋しい花だけれど、 やっぱり好きな花です。 木漏れ日をあびている時、そしてまた夕暮 れ時の黄の色は殊に美しいと思います。 ― 179 ― 京子の愛唱一○○句[癒し] 十六 ( ) 小野京子 つまだちて咲くものばかり秋の苑 片山由美子 夜風に乗ってかすかに甘い香りが漂 ってくる。香りの主をたぐって行くと、 生垣の金もくせいだ。 昨日までは硬い小さなつぼみが枝に しっかりとくっついていたのに、雨が 上がったとたんに花が開き始めたらし い。 金色の花のかたまりが、硬い緑の葉 の間から顔を覗かせている姿は、何と もほほえましい。 今か今かと出番を待つ踊り子のよう だ。窓を開いて、今夜も花の香を楽し みたいと思う。 蜻蛉のあとさらさらと草の音 古舘曹人 気まぐれな風が土手のコスモスを揺 らしている。足許の草のなかから大き なバッタが「ブルルルン」と羽音をた てて飛び出してゆく。 九月終りの川は、やや疲れた表情を 見せ、小石につまずきながら流れてゆ く。…ゆるやかに、そしてものうげに …。 季節の変わり目の或る一瞬、何か忘 れ物でもしたかのような空間がある。 瞬間がある。 その刻のはざまに身を置きながら、 私の心は自由になる。 ― 180 ― 秋耕の畝が入りくる家の中 宮坂静生 「お届け物です」。大きなダンボー ルの箱が届いた。中から一枚の手紙。 なつかしい筆跡だ。 「新米を送ります。九月十二日刈り 取りの米作りも三年目となりました。 毎年、土作りから田植え、草取り、稲 刈りを行っています。今年は五%の減 収です。是非、お味見を」 写真家のたけしさんからの便りだ。 たけしさんはいつも人を驚かせるのが 好き。早速いただいてみる事にしよう。 赤とんぼたしかに風に止りけり 大槻一郎 「交通事故防止」の防止と帽子をか けて手作りした、小さな帽子のストラ ップ二百個を、中央警察署に届けた。 署長さんと親しくお話ができ、嬉しか った。 贈呈式をという事で、若い記者の方 からインタビューを受けたが、「おい くつですか」の問いにとまどってしま った。「女性に年齢を聞くのは失礼だ ぞ」。署長さんは笑っていらっしゃっ たが、私は大きな身体を縮めて呟いて いた。「年は取りたくないものね」 ― 181 ― おととひのことなつかしき芋の露 山本洋子 「お元気ですか。大分の空は晴れて いますか」。米寿を過ぎても現職と変 わらないファイトを持ち、若々しい声 の主は、鹿児島県の大先輩Oさんだ。 鹿児島大会の折には、受付で一時間 半も待っていて下さった。 大会の終了時には、大先輩の方々が 入口に立ち、全会員のお見送りをして 下さった。 そのお姿を今も思い出している。大 先輩の方々のお心をつないでいくこと、 これが私達の努めだと改めて思う。 束にせむ思ひの丈や草の花 神崎 忍 デパートの入口のドアは重い。次に 続く人の為に、ドアを開けておく事の 大切さに気づき、最近はそれを実行し ている。 雨の午後、いつもの様にドアを開き、 次の人を迎えていると、飛び込んで来 た若い男性二人。「有難うございます。 次の方々には僕等がドアを持っていま すので、お買物をどうぞ!」 爽やかな笑顔とその心づかいが嬉し かった。周辺の空気が一度に和らいだ 気がする。 ― 182 ― ― 183 ― 山岡英明 英明 さ んのフ ォト アルバ ム(二十九) ~ 水 鳥・ 生息 地 ~ 水 鳥 は 水上 で 暮 ら す 鳥 の 総 称 で あ る。 秋 に 渡 っ て 来て 冬 を 越 し 、 春 に な る と 帰 って ゆ く 鳥 が 多 く 、 河 川 ・ 湖 沼 ・ 海 な どで 見 か け る 。 日 常 よ く 見 か け る 鳥は 鴨・ 雁・ 白 鳥・ 鳰 ・ 鴛鴦 ・ 冬 鴎 な ど 水 上 に 暮 ら し 水辺 に 彩 りを 添 え て い る 。 白 鳥・ 鴨・ 雁・ 冬 鴎 な ど は 北 か ら 渡 って く る 鳥 だ が 、 鴛 鴦 は 山 中 の 渓 流 か ら 冬 に な る と 平 地 の 水 辺 に 移 って く る。 鳰 は 一 年を 通 し て 湖 沼 や 河 川で 普 通 に 見 ら れ 、 辺 り が 枯 れ 果 て た 中で 目 立 つ 鳥 で あ る 。 水 鳥 の 生 息 地 は 全 国 各 地 に あ り 、 旅 行 な どで 水 鳥を 見 るの は 楽 し い。 在所 の 近 くで は 、 船橋 三 番 瀬 、 谷 津 干潟 、 印 旛 沼 、江 戸 川 河 口 等 が あ る。 谷 津 干 潟 は ラ ム サ ー ル 条 約 に 登 録 さ れ た 湿 地で あ る。 東 京 湾か ら 約 二 百 メ ート ル も 内陸 部 にあり 、 全 周 囲 が 埋 立 地 で 海 に 面 して は い な い が 、 干 潟 は 二 つ の 細 い 川 で 東 京 湾 へ 繋 が って い る 。 三 番 瀬 に は 干 潮 ・ 満 潮 に 関 係 な く 干 潟 、 浅 瀬 が あ る ので 、 鳥た ち は谷 津 干潟か ら 船橋三 番 瀬の 干 潟・ 浅瀬 へ 飛 翔 して 採 餌 、 休 息 を して い る 。 ラ ム サ ー ル 条 約と は 、 一 九 七 一 年 に イラ ン の ラ 英明 ム サ ー ル と い う 町で 、 水 鳥 と 湿 地 に 関 す る 国 際 会 議 が 開 か れ 、 水 鳥 の 生 息 地 と して 国 際 的 に 大 切 な 湿 地 に 関 し て 取 り 決 め ら れ た 条 約で 、 町 の 名 前 を 取 って ラ ム サ ー ル 条 約と 呼ば れて い る 。 湿 地 に は 、 泥炭 地 、 湖 沼 、 河 川 、 海 や 入 り江 、 干 潟 、 マ ン グ ロ ー ブ 湿 地 や 人 工 的 な ダ ム な ど が あ り 、 微 生 物を 始 め と す る い ろ い ろ な 生 物 が 育 ち 繁 殖 して い る 。 特 に 国 を 超 え て 飛 んで い く 水 鳥 た ち を 中 心 に し て 、湿 地 の 環 境 を 世 界の 国 々 が守 って 行こ う と す る の は 大 切 なこ と で あ る 。 日 本 は 一 九 八 〇 年 に ラ ム サ ー ル 条 約 に 入 っ た 。 正式 題 名 は 「 特 に 水 鳥 の 生息 地 と して の 国 際 的 に 重要 な 湿 地 に 関 す る 条 約 」 で あ る 。 平 成 二 十 六 年で は 、 日 本 全 国 で 四 十 七 ケ 所 が ラ ム サ ール 条 約 に登 録 され て い る。 地 球 上 の 生 物 環 境 は 、 温 暖 化 等 で 変 化 し 壊れ つ つ あ る 。 水 鳥 も 年 々 減 少 して い る よ う に 思 わ れ る 。 地 球上 の 生 物 は み な 末 永 く 共 存 共 栄 で き る よ う に 、 人 間 の 叡 智 を 傾 けた 努 力 を 希 求 す る 者で あ る。 水 鳥 や 地 球 環 境 愁 ひ を り ― 184 ― ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ①谷津干潟 ②船橋 三番瀬 ③東京港野鳥公園 ④勝浦漁港 ⑥印旛沼 ⑤沖縄・マングローブ ― 185 ― ~水鳥・仲間たち~ 水 鳥 の 大 半 は 秋 か ら 冬 に か け て 日 本 に 渡 って く る 鳥 が 多 く 、 海 や 川 や 湖 沼で 冬 に 一 番 多 く み ら れ るか ら冬季 とさ れて いる 。 ま た 季節 に 関係の な い 留 鳥 の 家 鴨 等 も 、 水 鳥 と して 詠 め ば 冬 季 で あ る 。 水 鳥 は 水上 に 浮 か ん だ ま ま 首 を 後 方 に 曲 げ 、 翼 の 間 に 嘴 を う ず め て 眠 って い る 姿 を よ く 見 か け る が 、こ の よ う な 水 鳥 の 所 作 か ら 浮 寝 鳥 と も 言わ れ 浮 寝 鳥 も 冬 季 で あ る。 水 鳥 が 浮 く の は 、 密 生 して い る 羽 毛 に 油 脂 腺 か ら 出 る 脂 を くち ば し や 頭 に つ けて 体 じ ゅ う の 羽 毛 に 塗 り つ け て 水を は じ く よ う に し 、体 の 内 側 に は 綿 羽 と い う 軽 い 綿 の よ う な 羽 と 外 側 の 羽 と の 間 に 空 気 を た めて 、さ ら に 羽 は 水 を は じ くこ とで 、魚 の よ う に 浮 き 袋 が なくて も 浮 くこ と がで き る と い わ れ て い る 。 水 鳥 た ち は 、 鴨 な ど の か た ま って 浮 く 物 、 鷺 な ど の 一 羽 二 羽 と 離 れ て い る 物 、 水 に潜 る 物 、 飛 び 立つ 物など 水 の上 に さまざ ま な姿を繰 り 広げ る。 水鳥 は冬の 間 に雄が 美 し い生殖 羽 にな る物が 多 く、 荒 涼 と し た 水 辺 に 彩 を 添 えて く れ る 。 水 に 潜 る 鴨 な ど は 、 貝 や 水 草 な ど を 食 べ る ので 、 水中で 泳ぎやす いよ うに足が体の後ろ について い 英明 て 、 背か ら 腰 にか け て も 流 線 型 に な って い る。 飛 び 立 つ 時 は 、 重 心 が 下 に あ る ので 、 飛 行 機 が 飛 び 立 つ 時 の よ う に 水 面 を 走 ら な い と 飛 び 立 つこ と が で き な い。 キ ン ク ロ ハ ジ ロ の 潜 水は 小 気 味 よ い 所 作で あ る 。 一 方 、 潜 ら な い 鴨 は お し り が 上 が っ て い て 足 が 体 の 真 ん 中 に つ い て い る 。 潜 るこ と が ほ と ん ど な い の で 、 水 草 を 食 べ る 時 も 逆 立ち を し て 体 が 届 く 浅 い所 の 物 しか 取 るこ と が で き な い 。 足 は 真 ん 中 に つ い て い る の で 歩 くこ と は 得 意で 陸 に 上 が って 草 を 食 べ るこ と も あ る。 水 面 か ら は 、 い き な り 飛 び 立 つ こ と がで き 、 マ ガ モ や オ ナ ガ ガ モ な ど の 元気 な姿 を 生 息 地 で よ く見 か け る 。 歳 時 記 に は 、 水 鳥 の な か まで 、 鴨 ・ 雁 ・ 白 鳥 ・ 鳰 ・ 鴛 鴦 ・ 冬 鴎 、 鴛 鴦 、 都 鳥 、 鶴 な ど は 、 単 独で も季語 と して 掲 載されて いる。 個々 の鳥たち の採 餌 、 換 羽 、 羽 の 手 入れ と 脂 塗 り 、 水 浴 び 、 求 愛 行 動 な ど 見 て いて 楽 し く 、 そ の 素 直 な 行 動 に 見 る 人 達 は 癒 され た り 反 省さ せ られ た り す る。 万 物 が 元 気 に 生 き て 活 動 で き る こ と に 感 謝で あ る 。 水鳥の仕種だれかと似てゐたる ― 186 ― ② ① ③ ③ ④ ⑤ ⑦ ⑥ ①浮寝鳥とアオサギの争い ②オナガガモの番の食餌 ③キンクロハジロと鯉 ④コサギの食餌 ⑤マガモの求愛行動 ⑥セイタカシギの食餌 ⑦カモメの休息 ― 187 ― ( ) 中嶋美知子 自叙伝「私は軍国少女」 十一 母の死 努さんがいなくなった谷村の家は、益々冷 え冷えとして耐えられない程の寂寥感に襲わ れる日々だったが、幸い、登校すればその寂 しさも何とか紛らわすことが出来た。 ところが、神は非情にも、私の一番大切な 母までも奪ってしまったのだ。 いよいよ学年末になり、期末テストが始ま った。(母さんに誓ったように、学年トップ を…)。意気込んで臨んだ。一日、二日と順 調な滑り出しで始まったテストも、いよいよ 最終日に入った。全科目のテストを終え、ほ っとした気分で隣席の友達とふざけていると、 突然、教室の入り口で、主任の小野先生が、 「鹿毛さん、一寸」 手招きしている。怪訝に思って主任の側に 行くと、「叔母さんから電話があって…。急 用が出来たから、直ぐ帰るようにと…」 言葉少なく告げると、そそくさと去ってし まった。(学校にまで電話して来るなんて、 もしかして…)。一瞬黒い影が頭の中を過ぎ った。急に胸騒ぎがして、力の限り自転車を 走らせながら、どうか、何事もありませんよ うに、と祈り続けていた。 谷村の家が見えた時、家の前で人待ち顔の 叔母の姿が目に入った。私を見るなり、 「えらい遅いじゃなかの。早う電話したとに。 急いで鞄ば置いて…」 叔母の苛立った様子に、またしても頭の中 を黒い影が過ぎった。 あれや、これや考え倦ねているうちに、タ クシーが来た。 「早う、早う」 叔母は気ぜわしく手招きをしながら、タク ― 188 ― シーに乗り込んだ。私は急かされるままに大 急ぎで、叔母と並んで腰を下ろすと、「下毛 の溝部金山まで」。命令口調で運転手に行き 先を告げた。(ああ、矢っ張り。母が…)。 当たって欲しくない予感が当たってしまった ようだ。 直ぐに事情が聞けると思ったが、沈んだ顔 をしていて口を開こうとしない。自分から尋 ねてみようと思ったが、どんな言葉が返って くるか不安で、躊躇してしまう。そうっと叔 母の様子を窺って見ると、その途端、冷たい 物がずうんと背中を走り抜けていた。何と叔 母の手には紫の房の付いた水晶玉の数珠が握 られているではないか。堰を切ったように私 の目から涙がどっと溢れ出した。胸が締め付 けられるようだった。 車が伏木の坂道に差しかかった頃、叔母が 漸く重い口を開いた。 「母さんの死に目に合わんじゃたんは可哀想 じゃが、義姉さんも、さぞ会いたかったじゃ うち ろうに…。秋男さん(兄)が家に遠慮ばして、 ちょっとも知らせてくれんとじゃね」 日頃になくしんみりとした優しい叔母の言 葉であった。私は次々に滴り落ちる涙を拭お うともせず、叔母の言葉を虚ろに聞いていた。 「まあ、あんたの方は、そう力落とすことも うち 無かたいの。嫁に行くまでは家で面倒みる事 になっちょるけん。そん事にゃ 、義姉さんも 心残りは無かじゃろうけん」 叔母の目にもうっすらと涙が光っていた。 タクシーは伏木の坂を登り始めたようだが、 夏休み帰省の時の景色を眺める気分等あろう 筈も無く、唯々、母の穏やかで嬉しそうな顔、 愛情に満ちた一つひとつの言葉が…。殊に、 別れ間際に雑炊を食べた後に、「ああ、美味 しかった。矢張り女の子じゃね」 目を細め、感慨深げに洩らした一言が、鮮 明に甦って、またしても涙が溢れ出した。 溝部の家に着いた時は、陽は既に西に傾い ていた。玄関の扉を開けて中に入ると、薄暗 い部屋に線香の匂いが漂っている。自分の目 で母の死を確かめるのが辛く、部屋に上がる のを躊躇っていたが、(いけない。母さんの 所へ行かなけりゃ)。気を取り直して、部屋 ― 189 ― に入り、叔母の横に坐った。 「義姉さんが、急に…」 「遠い所をどうも…・日田にいる頃からの持 病で…。此処に来てからも殆ど床に着いて …」。兄の沈痛な声に胸が痛んだ。 「ほんに、気の毒な生涯たいね」。叔母は、 母の枕元にそっと寄り、こよりの先に水を含 ませ、母の唇に塗りながら、「あんたも、お 別ればせんの」 叔母に促され、色を失った唇をそうっと濡 らした。すると、水で潤んだ唇が、心なしか 微かに動いたように思えた。(屹度、私の名 前を呼んでいるんだ)。そう重うと、我慢し ていた涙がどっと溢れ落ちた。 透き通るような青白い肌、落ち窪んだ瞳、 げっそりした頬。でも、苦痛の跡が少しも見 えない穏やかな顔だった。 「ほんに、苦労のし通しで…。里はあげんよ か家に生まれて…。出入りも出来んちゃ、ほ んにむごかことたいね」 「自分で選んだ運命じゃから。次から次に難 儀を背負うて、よう生きてこれたもんじゃ が」 「女手一つで三人の子をちゃんと育て上げた んじゃから、たいしたもんたいね。もう、何 も苦労も心配もせんでよかけんね。安らかな いい顔しちっよってじゃ」 叔母の涙声の一言一言に真意が籠もってい た。 翌日の午前中にお坊さんを呼んで、形ばか りの簡素な葬儀を済ませ、叔母と一緒にタク シーで帰途に着いた。 暗い過去を一身に背負い、荊の道を生き続 けた母。私の為に骨身を削り、育ててくれた 母。唯々、ありがとうの気持ちで一杯だった。 (見ていてね。母さんの期待を裏切るような 事は絶対にしないからね) 三枚の賞状 (ああ、もう母さんはいないんだ)。無性に 淋しくなり、ふっと涙ぐんでしまう。たとえ 遠く離れていても、私の事を思ってくれてい ると思うだけで、心の中にほんのりと明るい 灯が点っていたのに。母の存在の大切さをし ― 190 ― うち みじみと痛感していた。(駄目だ、駄目だ。 こんなに落ち込んでいちゃあ)。心を新たに、 忍びの勉強を再び始めた。 いよいよ一年生最後の終業式の日。その式 場で奇しくも三枚の賞状が授与された。成績 優良、当用漢字テスト優秀、皆勤賞だった。 (母さん、やったよ)。心の中で叫んでいた。 皺々の顔に、満面の笑みを浮かべている母の 顔。 「ようやった。日赤より女学校へ行ってよか ったろう」。薄い唇に満足気な笑みを浮かべ ている中尾先生。「矢っ張りね。よく頑張っ たね。おふくろさんも喜んじょるぞ」 喜びの声は直接聞けないが、以心伝心。私 の心にははっきりと聞こえるのだ。 家に帰り、一寸躊躇はあったが、叔母も少 しは喜んでくれるのではと、淡い期待をして、 通知表と三枚の賞状を差し出すと、 「学校でそんなに優等生なら、家でん優等生 になって貰わにゃのう」 素っ気ない言葉。(矢っ張り見せるんじゃ なかった)。叔母から逃れるようにして、裏 の空き部屋に入り、机の代わりに使っていた 林檎箱の上に 、母の写真を立て、通知表と 三枚の賞状を広げ、 「母さん、ありがとう。こうして今の私があ るのは全て、母さんのお陰だからね」 合掌しながら感謝していた。 その夜、小倉工廠の努さんに報告の手紙を 書いた。努さんからは、以前に二通の分厚い 激励の手紙を貰っていたし、私の方も谷村の 状況等書き綴って送っていた。 五日後、漸く今までの中で一番分厚い封書 が届いた。妹にでも話しかけているように、 驚きと喜びの気持ちが長々と記されており、 温かい気持ちがひしひしと伝わってきた。殊 に、おふくろさんに見せたら、どんなにか喜 んだろうね、何よりの恩返しになったね。辛 抱した甲斐があったよ等と母への思いが切々 と書かれていた。 ああ、矢っ張り私にとって掛け替えの無い 人だと改めて痛感していた。 ― 191 ― 松村れい子 れい子の宝箱(七) 秋空晴れて 友人の引っ越しの手伝いに行ってきました。 彼女の新しい出発にもろ手を挙げて賛成した 手前もあって断ることもならず、夜逃げなら ぬ昼逃げの片棒を担いだのです。 ひとさまの家庭の内情を暴きたてるつもり はありませんが、二十年に及ぶ家庭生活をこ んな形で壊してしまってよいものか、逆にこ んな形でなければ離婚することができないの かと同じ女の身であるだけに哀れで、非力の 悲しさを味わいました。家を出ることだけが 精いっぱいで、手持ち金も心細く不安だらけ の自立のようです。彼女が我慢と忍耐の限界 だと涙するならば、身内のいない友のために 姉妹のように心の支えになれればと考えての 助成でした。しかし一度だけお会いしたこと のあるご主人にすれば、夕方会社から帰宅す ると家族の半分が身の回り品とともにいなく なっているのですから、さぞかしほぞをかん だであろうし、「あのおせっかいばばあめ」 と私のことを恨んだであろうと思うと、義き ょう心からとはいえ、やはり軽率ではなかっ たかと反省をしたのです。 二週間ほどして彼女を訪ねました。部屋は 新しい電化製品や家具が買い足されており、 すっかり整とんされていました。前途に不安 を抱きながらも、しゅうとめや夫から解放さ れた心の安らぎは彼女の表情を和やかにして いました。 「後悔はしていないの?」と尋ねると「これ からは前向きの人生にしたの。仕事も見つか ったわ。子供のためにも自分のためにも一生 懸命働かなくちゃ。苦労は覚悟よ」と、頼も しい言葉とさわやかな笑顔が胸に染みました。 ― 192 ― 数日会わない間に彼女はたくましく自分の道 を歩み始めたようです。引っ越しの日はまだ 暑かったのに、きょうはもう秋風が立ち始め、 青空が天高く広がっていました。 *** 手話 「今年は台風の当たり年でね、また大きいの が来るみたいよ」と、母に話しかける。無論 反応はないが、握りあった手が渡しの手をさ する。私もさすり返す。 ここ一年の間にほとんどの顔も表情も、言 葉も無くしてしまつた母との唯一残された会 話ではないかと思うのです。母は誰の手であ っても無意識に触ってくれる人の手を握りさ すっているだけかも知れない。でも、娘の気 持ちとして、これは母の通信手段の手話に違 いないと。 指輪のよく似合う透き通るように白くシミ 一つない手。この手に包まれると、言葉が生 まれ、会話となって私は癒される。 *** 父からの贈り物 父の法事で早めに帰省した姉と、夜のウォ ーキングに出た。常夜灯の届かぬ所は闇がう ずくまっている。月は天心にあり、微かな風 に金木犀やオシロイバナが甘く匂い立つ。 父の思い出を語り合いながら、虫時雨の中 を歩いていると、ひときわ透る虫の音が聞こ えた。高い石垣の上の、小さな草むらのスス キの根元辺りから、チンチロ、チンチロリン と、澄んだ空気を打ち鳴らしているかのよう な金属的な音色。そう、声の主はマツムシだ った。 この世にこんな愛らしい鳴き声があるのか しら。もしかして、風流人だった父からの贈 り物かも知れない、そう思った。 ― 193 ― 槌 くにをの絵手紙紀行(五) 梅島くにを 相 私が父母の店のあとを継いで六十年も過ぎ た。父の在世中に来ていたお客さんがひょっ こり来られて、「昔、あんたのオトッチャン に、私を見下げた事を言われてから来とらん がゃちゃ」であった。私は父の分を謝った。 お客が、理容椅子での小一時間、共通点を さがし、美男子になって帰ってもらう。 母さんが幼児を連れて来られるが、馴れな い。我が息子夫婦は、客待ち椅子で子供の目 線での絵本や玩具の名前で友達になる。時間 はかかるが、殆どのお子さんが誘導尋問にひ っかかる。 昔は、私らは長い長い白衣を着ていて、お 医者さんに間違われ、店の外でいやいやと泣 き暴れるお子さんが多かった。今は、お帰り になる時は、手を振って「バイバイ」なのだ。 小学生から中学生へ、そして、社会人とな った当時のお子さんは、私らの弗箱として末 永くご愛顧下さると確信しているのである。 ― 194 ― 茶 碗 母は、百歳の長寿を全うした。長生きして くれても目出度くなかった。それは、父母共 に嫁いじめが凄かった。ミルク代や保育料さ え小言をならべたのだ。しかし、父が認知症 で入所した途端に、母の態度がやさしさに急 変した。老人施設が遠いので、私の車を頼る ことになったからかも知れなかった。 母は、よく友達を招いて抹茶を点てていた。 妻は、「母さんの米寿祝いに茶碗を贈ろう」 と言った。私は「いじめた母なのにあんたは 優しいな」と言いながら承知した。 町のお茶屋さんで格好の品が私らの目にと まった。母は、嬉し涙を流した。早速に私ら はお手前頂戴となった。私らの休日には、三 人でよく抹茶の時間を過ごした。母の逝った 二年後、妻に病魔が入り、半年後に仏様の許 へ帰った。 茶棚には、いくつもの茶碗が並ぶが、米寿 祝いの品に目を移すと、私は妻に教えられた ものだと合掌している。 ― 195 ― 輝二さんのつれづれ紀行 大手町町内会沖縄(琉球)旅行 荒木輝二 この旅行は毎月している読書会を中心とす る大手町内会の母体で総勢八名実施した。 実施時期は、平成十四年十一月十四日~十 六日の二泊三日。足は観光ジャンボタクシー を利用。目的は「戦争と基地を考える」「農 業と市場を見る」「歴史と文化に触れる」 「自然に接する」「食べ物と酒を味わう」。 ◇十四日 那覇空港に下りた時は随分蒸し暑かった。 昼食は沖縄そば。 旧海軍司令部壕(大田実少将)が指揮をとっ ていた所)→サザンファーム「パパイア農 園」→識名園(今で言う迎賓館)→回遊式庭 園(ユネスコの世界遺産)→首里城(守礼の 門、園比屋武御嶽石門・正殿)→玉陵(守礼 の門近くある琉球の墓の代表的なもの破風墓、 亀甲墓、尾形墓いずれも風葬が主流の名残) →共済会館八汐荘(公立学校共済組合那覇宿 泊所)を観光した。 夕食は沖縄料理。 ◇十五日 嘉手納基地・安保の丘長い滑走路が見えた。 万座毛(バンザイクリフと呼ばれた岬)→沖 縄サミット館。昼食後、国指定重要文化財で ある中村家住宅(人糞をブタが食べる施設が ある)→今帰仁城跡(まさに城そのもの長い 城壁があった)→今帰仁グスクパイン畑→国 際通りに面した四つ竹国際通り店(民族衣装 の踊り子さん)→琉球料理と舞踊を観光。 金一旅館宿泊。 ◇十六日 新金一旅館発、知念村にある斎縄場御嶽 (荘厳な感じで東を仰ぐ)→糸数アブチラガ マ玉泉洞(琉球のお墓)。 ― 196 ― 昼食は、沖縄そばそーきそば(旨かった)、 ゴ―ヤチャンプンプル、糸瓜チャンプルプル ー、王陵(たまうどん) 平和祈念資料館→平和の礎(大勢の亡くな った人の名のプレートがあった)→ひめゆり の塔(深き洞穴が見えた)→牧志公設市場 (雑然としていて豚足があった)。 那覇空港にて反省会。 施政権の返還は、昭和四十七年であるが、 いまだに空は轟音、宮の森小学校にジェット 機墜落、平成十六年八月CH53-Dヘリ、 沖縄国際大学に墜落、墜落時は米軍が来て規 制線を張り器材等キャンプに持ち帰った。 「ひまわり」という映画が長塚京三、能年 玲奈、須賀健太、福田沙紀らを中心に文部科 学省選定として亀有リリオホールで沖縄復帰 四十年企画作品として映画会があった。この 映画はいろいろ配慮されたものだった。目の 不自由な方には音で示し、耳の不重由な方に は字幕で示していた。大田実少将率いる、壕 の中で果てた、しかし遺体、頭部はいまだに 見つからず。 中城門 ― 197 ― この本、この一句(三十二) 高野素十 倉田紘文 稲田眸子 高野素十『初鴉』全評釈 ばらばらに飛んで向うへ初鴉 素十の句集嫌いは有名である。「夙くに出 づべきはずであったのが…」で始まる虚子の 序文のある『初鴉』でさえ、菁柿堂主人に句 集出版を再三勧められながらも断り続けた素 十。なぜ出版する気になったのか。次のよう なエピソードがある。 昭和二十二年の或る夜、菁柿堂主人から食 事に誘われた素十。「こゝにいる全部にご馳 走してくれるなら行くよ」と応えたとか。あ の食料難の時代、七、八人で大変なもてなし を受け、その恩義に報いるためやむなく出版 を承知したというのだ。いかにも素十らしい。 収録句は菁柿堂主人に任せたが、句集名だけ は自らが判断し『初鴉』と命名。掲出句は素 (「俳句界」平成二十四年二月号より転載) 十にとってそれほど大切であったのだ。 本著は、『初鴉』の全作品を「蕗」誌上で 三百回にわたり連載評釈したもの。掲出句の 〔 句 意 〕を 次 の よ う に 述 べ て い る 。 「 元 旦 の 朝 方、一群の初鴉がばらばらに散らばって、そ れは常の如く向うの方へ遠く飛び去って行っ た。鴉は去年も今年もないのであるが、作者 の心は新年の気分でそれを『初鴉』と見、じ っと佇ったまま、静かに見送っている」と。 〔 評 考 〕で は 、 尾 崎 放 哉 の 〈 烏 が だ ま っ て と ん で行った〉と対比しながら素十俳句の神髄を 述べている。即ち、「『飛んで向うへ』とい う時間的空間的ひろがり、更には、只の写生 なら放哉の句のように『鴉』で良いものを、 『初鴉』と言ったその『初』に込めた作者の 新年の精気を見落としてはならないのである。 素十の写生は写真ではない」と。「蕗」主宰、 大分県生まれ。 ― 198 ― 四季の句暦(三十)稲田眸子 七月中旬頃、江戸川の堤を歩くとぎらぎら した太陽に狙い撃ちされた気分になり、本格 的な夏を実感する。最近、河川敷の地形が変 化していることに気付く。河川敷は、生き物 達の保育場であり、餌場であり、休憩場でも ある。茂みの中に入ると蛇やバッタがおり、 広場では子ども達がサッカーや草野球に汗を 流している。生き物達と共存できる河川敷に してほしいものである。 この辺は蛇の出た場所草動く 橋本喜代志(さつき平) 蛇に睨まれると固まってしま う。そうだあの場所で蛇に睨ま れたな、と思いながらその辺り をみていると草が動いている。 揺れているのではない、靡いて いるのではない、動いているの である。思わず身構えてしまっ た作者。その姿が垣間見えるよ うである。 【蛇・夏・動物】 (「りぶ る」平成二 十 六年 七月号 より 転載) 蝉時雨ゴールネットを揺らすほど 御沓加壽(早稲田) 「ゴ~ル!!」大歓声と共に、 衝撃のボールを吸い込み、揺れ 続けるゴールネット。蝉時雨の 浴びた時のあの感動を、サッカ ーゴールのあの瞬間に譬えた作 者。蝉時雨を「ゴールネットを 揺らすほど」と譬えた作者の感 性に脱帽。出会った瞬間、唸っ てしまった。 【蝉時雨・夏・動物】 ― 199 ― 便り の 小箱 紫式部の実が輝く朝です。 この度は、少年俳句会鍛錬会 in 大分にご参加 いただき、二日間にわたるご指導、真に有難うござ いました。参加者全員、先生にお会いできた喜びと、 細 や か な ご 指 導 に 心 揺 さ ぶ ら れ ま した 。 先生とご一緒に勉強できたことは、私共二十二名 にとって至上の喜びであります。この感動を忘れず に作句に励み、日々充実させるべくがんばりたいと 思 い ま す。 遠路はるばる、本当に有難うございました。 平成二十六年九月十六日 発 起 人 溝口 直 平田節子 佐藤辰夫 佐々木素風 利光幸子 首 藤加 代 小 野京 子 * 薔薇のつぼみが風に揺れる朝です。 先 般 の 「 鍛 錬 会 i n 大 分」 、 本 当 に お 世 話に な りました。皆様から、感謝のことばと、また計画を …という声が届いています。 小 野京 子( 大 分市 ) * 先 日 は お忙 し さ の 中か ら 、 私 達 の た め に 時 間を と って下さり、本当にありがとうございました。 実り多い鍛錬会で、みんな満足して帰りました。 はじめての人とも仲良しになれ、本当に楽しい二日 間でした。 平田節子( 大分市) * 先日の「少年」鍛錬会では、たくさんのご指導を 賜 り 本 当 に 有 難 うご ざ い ま し た 。 主宰の懇切なご指導をはじめ、多くの先輩の方々 の立ち居振る舞いやお言葉の一つ一つから、多くの 事 を 学 ば せ て い た だ き ま した 。 出席された皆様に感謝申し上げます。ありがとう ござ いま した 。 こんごの作句で如何ほど表現できるかは心もとな ― 200 ― い限りではございますが、牛歩の一歩の糧とさせて いた だき た い と思 います。 佐藤辰夫( 大 分市 ) * 鍛 錬 会 、 勉 強 に な り ま した 。 三回の句会は、時間との闘いで大変だったのです が、皆、楽しかったと言っていました。 特に、私個人的には、司さんが出席できたこと が嬉しい事でした。京都の十周年のときは、台風の 影響で電車が運休となり、嬉野の十五周年のときも、 参加できませんでした。司さんが「私はどこにも 行け な い 」 と 言わ れ た こ と が 耳 に残 って いて 、大 分 で行われる今度こそ参加できると思っていました。 また、司さん特選にもなり喜ばれていました。 席も 隣同 士で 良か ったで す。 一 昨日 、はがき も頂き 嬉しさ一入です。 この鍛錬会を機に、先生がおっしゃられたように 句会 が 出 来る ように な ると嬉 し いで す。 とりあえず、お知り合いになりました本田蟻さん が 、 お 月 見 の お 茶 会 にご 案 内 く だ さ る そ う で 、 楽 し みにしております。知り合いが増えて、句会になり ますよう願っております。 * この度は大分県までお越し下さり「鍛錬会」にて 様々なご指導を賜り誠に有難うございました。私は 『少年』にご縁を頂きながら、これまで主宰には直 接お目にかかることなく過ごして参りました。ご無 礼を 重ねて 参 り ま した 事 誠 に申し 訳 なく 思って 居 り ます。 私は俳句については全く独学に近い状態で、「か わず句会」に参加してはいましたがお酒を飲みつつ 食事をした後に句会をするといった気楽なものでし たし、『蕗』に投句して倉田紘文先生に「今月は何 句選んで戴いた。良し!」といった調子でした。 『 少年 』 へ の 投 稿 も 、 思 い つ く ま ま に 書 い た エ ッ セイを掲載していただき、俳句作品につきましても、 巻頭を二度頂きました事もあって「凡そこんな事で よ い か ~ 」 と い う 思 い も 何 処 か に あ り ま した 。 た だ 、 先 日の 九月 (パートⅣ十五号 )掲載の「ねんころ り」や櫛のテーマに「薮入り」を持ってき来たこと が、「これで良いのだろうか」といった自己反省は 感じ ながら 居 た 次 第で す。 どち ら も テ ー マの 欄の 一 番最後に置いたある事が何らかのサインであろうか などと考えていました。以前にも「青春抒情」の題 ― 201 ― 名で甘ったるい句を出したこともありました。漠然 とそんな気持ちで過ごして来ましたが、なかなか 「切磋琢磨」の状態ではなかったと思います。 この度の「鍛錬会 in 大分」は主宰にお会いで きる絶好のチャンスでもあり、紘文先生亡きあとの 空白状態の中で何か進むべき方向が得られる機会に なるのではないかと小野京子様のお知らせにすぐ反 応した次第です。 今回の三回の句会は私にとってこれまでにない厳 しいものでした。耳の痛いご批判も頂きましたし、 参加された皆様の俳句に取り組む姿勢もひしひしと 感じながらの二日間でした。 主宰には誠に厚かましいお願いでしたが、目指す べき方向性のご示唆を頂けるとの事で大変嬉しく思 って居ります。またこれを機会に俳句人として過ご す上で俳号を持つことも大切かと主宰にご配慮をお 願いした次第です。お忙しい中、お時間を取って戴 くような事で大変申し訳なく思っていますが、何卒 宜 し く お 願 い 申 し上 げ ま す 。 福岡にも『少年』の会員の方が何人かいらっしゃ る様ですし、時には俳誌を中心にして俳句のお話な どをすることも、或いは主宰がこの方面にお出での 機会には一緒に寄って食事をしながらでもお話が聞 けたら嬉しい事だと思います。そんなことも今後ぜ ひ 宜 し く お 願 い し た い と 思 っ て 居 り ます 。 佐竹孝之( 大野城市) * 鍛錬会は有意義で、とても勉強になりました。私 にとっては感謝で一杯です。暗から明へと俳句転機 でした。ありがとうござました。二日間、とてもう れ か った で す 。 司良惠( 佐伯市) * 先日は、レベルの高い句会に参加させて戴き、あ り が と うご ざ い ま し た 。 鍛錬会という名称を見た途端に度肝を抜かれ、私 如きに耐え得るかと懸念致しておりましたが、皆様 の温かいお心遣いで、帰る時には、心身共に充実、 元気一杯で帰宅致しました。 出発の際から、帰路に着くまで、終始温かいお心 遣いで、精力的に会員に接し、ご指導下さる先生の お姿に、敬愛の念と感謝で一杯でございます。 中嶋美知子(大分市) * ― 202 ― 本当にお忙しいなか、大分までお越しいただき手 のかかる私どもの…(「ども」は他の方に失礼かも しれません)…指導に当たられ、さぞお疲れのこと と思います。 『馥郁』に代表される明確な指針をいただき、本 当にありがとうござ いました。 「 ま ず い な … 」 と 思 いな がら 「こ の 辺で 手を 打 と う」との安易な姿勢も止めることにします。 「 切れ 」 は 「 間 」 と い う 考 え 方 は 非常 に 分か り や すかったです。最近、志ん生を聴いていますので、 特に「間」がすとんと胸に落ちました。 観賞のコツは、推敲のコツでもありますね。出す 前に見直す余裕をを持たなければとも思いました。 小 野 啓 々 ( 大 分市 ) * 「 鍛錬 会 」で は 、 ま た 先 生 の ご 指 導 を 受 け る 事 が でき、幸せな気分で帰らせていただきました。 お仲間も素晴らしい方ばかりで、『少年』に参加 できて、本当に良かったと改めて感じました。 またの機会に、是非ご指導くださいますよう、お 願い申 し上 げ ま す 。 佐志原たま(大分市) * 先 日 は 貴 重 な 休 日 を 私 共 の た め に お 越 し いた だ き 、 ありがとうございました。たっぷり勉強をした充実 の二日間でした。 また 、私 より 年配の方々の 輝き 溢れ る実力 に 、学 ぶことがたくさんありました。また機会がありまし たら、よろしくお願いいたします。 長田 民子( 大 分市 ) * 垣 間見 た 三 郷 俳 句 塾 俳話断章に「活気に満ちた我が三郷俳句塾を覗き にお出でませ」との一行を実地した。 併せて、川越喜多院あたり、向川百句花園、そし て、我が家族の引揚者への町からの配給通帳、理髪 業許可証(戦前は営業していた)や理容師試験合格 証 、私 の 小 学 校 時 代 の 品 々 を 九 段 下 の 昭 和 館 に 寄 贈 していたので、それを見るため、昭和館にいくため で あ った 。 宮川さんは、私の全行程をエスコートして下さっ た。 電 車 、 J Rで は 列 に並び 、 駅 ホ ー ム へ は 、エ レ ベーター、エスカレーター、あるいは、階段を使っ た。コ ース と 時 刻 表 に 目を 凝ら し 、 迷わ な い よ う 、 ― 203 ― 気を使って下さる。時の鐘や喜多院では散策も楽し ん だ。 百花園へは、四十五年ほど前に一人で行ったこと があり、今回歩いて見て、その良さを再確認した。 コンビニで買った弁当を、園内の四阿でかけ込んだ。 蚊 遣 香 が 焚 か れ て い た が 、 蚊 に 刺 され た 。 池 の 上 に 、 ス カ イ ツ リ ー を 間 近 に 見 上 げた 。 こ の 墨田 区 の 山 崎 昇 区 長 さ ん は 、 私 の 隣 在 所 の 出 身なのだ。東京へ行ったら、是非遊びにおいでね、 と声がかかっているけど…。 句会 場 の 瑞 沼 市 民セ ン タ ー に は 、 二 十 名 ほ ど が 集 ま り 、 句 座 を 囲 ん だ 。 山 岡 英 明 さ ん と は 、 『 少年 』 の十周年の京都大会で、お酒を酌み交わした仲だっ た。出席者全員が、並選と特選の中の一句を選び、 合評では、眸子先生の司会進行で、それぞれ選んだ 理由を述べ合った。私も、地元に帰ったら、この方 法を採用しよう。五年間で十名も増えた糸瓜句会、 も っ と 底 辺 をひ ろ げ よ う 、 そ う 思 った 。 翌 朝は 、昭 和 館 へ 行 った 。 前 日 は 、 三 郷 駅 前 の 居 酒屋で、眸子先生、山岡さん、御沓さん、宮川さん が、私の歓迎会をして下さった。その席で、昭和館 や大宮までの交通手段を詳しく調べ、宮川さんに教 えてくれた。そのメモにしたがって連れて行っても ら った 。 昭和館では、戦中戦後の厳しかった生活ぶりの記 録を見てまわった。靖国神社へは長い参道と二つの 大鳥居をくぐり、神様近くでお参りした。 慌ただしい私の全コースを誘導して下さった、華 奢な風格の宮川洋子さんには、この紙面を借り、お 礼を 申 し上 げ る。 梅 島 く にを ( 南 砺 波 市 ) * 中 川 英 堂 様 と 名 月 句 会 を ご 一 緒 致 し ま した 。 梅 島 く にを 様 の 紀 行 文 に も あ り ま した 、 虚 子 、 立 子 来 遊 の折、昼食をとられ、休まれた篠塚半木宅で、虚子 句碑もあり、仲間の筝の演奏で楽しい月の宴でした。 英堂様とは初めての出会いの筈なのに、十年来の 知己の様に、心置きなく語ることができ、『少年』 の絆を実感しておりました。 話し合っている内に、幼い頃、私の実家の近くに お 住 ま い だ っ た こ と がわ か り ま し た 。 英 堂 様 の お 母 様のお顔は、今でもはっきりと覚えています。 水野すみこ(砺波市) ― 204 ― パ ー ト Ⅳ ・十七 号 ( 平成 二 十 七 年 一 月 号 ) ( 共通テーマ 兼 題 ○初鶏 ○破魔弓 ○御降 ○ 七 福神 詣 ○寝正 月 ○ピン ○毛 パ ー トⅣ ・十 八 号 ( 平 成 二 十 七 年 三 月 号) ) ( 共 通テ ー マ 兼 題 ○雲海 ○片陰 ○ 花氷 ○夜濯ぎ ○夕凪 ○クリツプ ○卓 ) ( 平 成 二 十 七 年 七 月 号) パー トⅣ・二 十号 共 通テ ー マ 兼 題 ○ 雪間 ○ 干潟 ○ 白子 干 ○ 花菜 漬 ○田楽 ○針金 ○裏 ( パ ー ト Ⅳ ・ 十九 号 ( 平成 二 十 七年 五 月 号) ( 共 通テ ー マ 兼 題 ○ サ イダ ー ○ 水羊羹 ○山開き ○矢車 ○や ませ ○傷 ○ メモ ― 205 ― ) ) ― 206 ― ― 207 ― ― 208 ― 少年俳句会のホームページがリニューアルされました。 アドレスは下記のようです。 http://shonen2106.mond.jp/ アドレスの覚え方 少年 2106(つとむ眸子の本名) モンド(門戸) 上記のアドレスに、アクセスし、ご覧になってください。みなさ まの作品が、丸ごと入っています。 このリニューアル版は、御沓加壽様のご尽力によってできあがっ たものです。今後の更新管理も、御沓様にお願いしています。 [ホームページの構成] ☆俳句雑誌『少年』に関する記事 創刊の辞/主宰者プロフィール/少年(バックナンバー) 入会案内/行事予定/交流広場 ☆その他の記事 三郷市俳句連盟/三郷俳句塾/Jr俳句スクール/リンク先 ☆表紙絵・作家/ホームページ担当 ― 209 ― [執筆者住所] ◇巻頭作家招待席/柴田芙美子 〒604-0017 京都市中央区壬生神明町1-201 TEL:075-811-3495 e-mail:sbt23yk@iris.eonet.ne.jp ◇秀句ギャラリー鑑賞/首藤加代 〒870-0849 大分市賀来南2-10-7 TEL:097-549-0139 e-mail:catcat@oct-net.ne.jp ◇梨影女の俳句夜話/穴井梨影女 〒869-2501 熊本県阿蘇郡小国町宮原1750-1 TEL:0967-46-2438 ◇虚子嫌いが読む虚子の歳時記 〒331-0044 大宮市日進3丁目34ー1 ハウス大宮日進101 TEL:0975ー68ー6566 e-mail:goto.drico@nifty.com ◇銀幕の季語たち/溝口 直 〒870-0952 大分市下郡北3-24-2 TEL:0975ー69ー5074 e-mail:sunaomi@fat.coara.or.jp ◇代士子の万華鏡/篠﨑代士子 〒874-0033 別府市上人南町11組 TEL:0977ー66ー0015 ◇花曼陀羅/平田節子 〒870-0875 大分市青葉台2ー2ー11 TEL:0975ー45ー8707 ◇英明さんのフォトアルバム/山岡英明 〒274-0816 船橋市芝山6-36-3 TEL: 047-461-6683 e-mail:yamaoka-ei@s8.dion.ne.jp ◇京子の愛唱百句「癒し」/小野京子 〒870-0873 大分市高尾台2丁目8番4号 TEL:097-544-3848 ◇自叙伝「私は軍国少女」/中嶋美知子 〒870-0864 大分市国分1975-18 ◇れい子の宝箱/松村れい子 〒 870-0826 大 分 市 大 字 永 興 城 南 西 町 1 A33-331 TEL:097-544-4941 ◇くにをの絵手紙紀行/梅島くにを 〒939-1552 富山県南砺市柴田屋114-1 TEL:0763-22-2764 ◇自註シリーズ/吉田みゆき 〒611-0011 宇治市五ケ庄戸ノ内50-67 TEL:0774ー32ー5914 e-mail:MiyukiYoshida@fm2.seikyou.ne.jp ◇輝二さんのつれづれ紀行/荒木輝二 〒341-0036 三郷市東町370-1-604 TEL:048-956-5637 e-mail:a449ari@earth.ocn.ne.jp ― 210 ―
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