Taro-ニュース73 jtd

The
The Rope
Rope News
News
M o d e l S h i p B u i l d e r's Cl u b
No.73
2011年10月31日
ザ ・ ロープ
発行日:1,4,6,10,月の各末日(年4回)
企画・発行:ザ・ロープ幹事会 編集:安藤雅浩
Issue date:1,4,6,10,each end of the month(quarterly) Publication planning:The Rope Board, Edit:Masahiro Ando
例会・発表会
Regular Meeting
平成23年度第1回例会・発表会を開催 The First Regular Meeting in 2011
9月25日(日)、12時30分から日本橋サリュ・コパンにて例会と発表会を開催した。例会ではイラストレーターで海洋
画家の谷井 健三氏の講演と第37回展示会、船の科学館の休館、帆船教室等の状況報告があった。発表会は福田
正彦さん、山下和夫さんおよび田中嘉明さんがプレゼンテーションを使った発表を行った。
講演 「画家の眼から見た帆船の話」 Sailship story as seen from the painter's view
谷井 健三
谷井先生のプロフィールは日大芸術学部卒業後、フリーのイラストレーターとして歴史書の挿絵を多数制作。和
船、帆船、軍艦をはじめ様々な船のイラストや絵画が得意分野で、船の科学館も多数の所蔵と展示がある。
「45年前、和船研究で著名な元日本海事史学会の石井謙治先生と知り合い、
和船の事をいろいろ教わった。石井先生は物理が得意で、絵を画く際は対象の
基本的な構造を調べる事を重要視していた。例えば弁才船を描く時はタイプは
前期か後期かから船体形状や構造を調べる。それに乗組員を画くには昔の絵
から仕草や着物まで調べる。絵馬からスケッチしたこともある。和船は油絵で下
書きし、細かいところはアクリル絵の具を使っている。細い線は片手に筆とガラス
棒を持ち、物差しの溝をガイドにして筆で線を引くと0.2mmまでの線が描ける。
谷井先生 K. Tanii
海や空にはグラディエーションメデュウムと絵の具でぼかしを行う。描いた絵は和
船が多いが、遣唐使船、戦国時代の水軍船、弁才船、維新の蒸気船から大海戦の軍艦まで多岐にわたる。学研の
歴史群像シリーズの挿絵では
船の合戦と共にチャンバラの
絵も随分描いた。」 先生の絵
は何れも精密情景画で、歴史
資料としても価値が高い。
会場では沢山の絵と構造図
をスライドで映しながら説明さ
弁才船および船体構造
Benzaisen and her structures
れた。とにかく絵のリアルさは
写真よりも細密である。先生には例会後の懇親パーティにも出席戴き、質問や懇談が続いた。
発表会
ブルーノーズは大西洋を走った -ルーネンバーグでの経験-
福田 正彦
Bluenose sailed the Atlantic Ocean ーExperiences in Lunenburgー
今から21年前の1990年9月、60歳の時に模型同好会の仲間とカナダを訪問した。
カナダ訪問の目的はブルーノーズのクルーと交歓会をして、ついでにカナダ各地
を見ようということで結構贅沢な旅行になった。参加者は武川伸治さん、金森弘一
さん、鈴木雄助さん、志村嘉則さん、金丸信次郎さん、平戸重男さんと私で、後は
奥方達と金森さんの知人に添乗員の丸山忠彦さんを加えて総勢17人です。丸山
さんがカナダ側と事前に打ち合わせをしてブルーノーズの日程に合わせたことで、
福田さん
M. Fukuda
旅は極めてスムーズに運んだ。武川さんが一番年寄りで、言いだしっぺでもあり、
また姪御さんがカナダ在でコンタクトして頂いたとかで、カナダ側に対して団長に
なっている。日程はトロントからナイアガラの滝、ハリファックス、ルーネンバーグ、カルガリー、レイク・ルイーズ、バンフ、
バンクーバー、ビクトリアと11日間にわたる旅になった。9月21日、ハリファックス空港からバスで街に入ると橋の上から
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港が見える。第二次大戦当時この港から英国や、後にはソ連向けの護送船団が出発した由緒あるところで、ダグラス・
リーマンなどが小説の題材に取上げている。今はひっそりと静まり返っている。やがて格調ある市庁舎が見え、中に入
った。市長室に続くたぶんレセプションルームでしょう、広い立派な部
屋で市長さんに迎えられた。市長さんの歓迎の辞を聞いている最中、
市長って英語でなんといえばいいのか悩んだ。英語の苦手だった私
が中学時代の英語で唯一覚えていたのがジョセフ・ジャコブス(英語
では多分こう発音するのだと思いますが)の「ディック・ウイッティングト
ンと猫」の話です。いいご主人に恵まれながら、コックに苛められて逃
げ出そうとした彼に鳴る鐘 「ターン・アゲイン・ウイッティングトン/ス
ライス・ロード・メア・オブ・ロンドン」あれです。中学時代、英語は敵性
語だと禁止されている中で我が中学は敵を知らずしてどうして勝てよ
市庁舎と市長 City hall and Mayor
うかと英語の授業をしていた。そうだそうだ、「イッツ・ナイス・トゥ・ミ
ート・ロード・メア・オブ・ハリファックス」と言えばいいんだと納得はしたものの、話が終り、私のところに握手をしに来た
市長に、情けないことながらへどろもどろしてナイス・トゥ・ミート・ユウがやっとという、せっかくの思い出しがが台無しと
いうありさまだった。市長さんは我々を議会場に案内して、自ら着けていた代々の市長の象徴である金の頸飾を武川
さんにかけ議長席に着いて写真を取ったらどうだというのです。その後レセプションルームでワインをご馳走になったが、
恰幅のいい女性の収入役さんの話ではここでワインを飲んだのは初めてということでしたから、われわれは破格の待遇
を得たことになる。観光客は赤毛のアンで有名なプリンスエドワード島までは来るが、ここまではなかなか来ないという
不満がある市長さんだけに、われわれの目的が嬉しかったのでしょう。ハリファックス市は日本の
函館市と姉妹都市の関係にあり、市長の娘さんが函館に留学し、その友人の日本人がハリファ
ックスにいてレセプションにも参加した関係もあって、この市長さんは日本贔屓でもあったようで
す。我々には州の象徴であるブルーノーズの真鍮製のレプリカが贈られた。それは武川さんの
ところにあると思うが、それを型取りして石膏像を作り金属塗装してみんなに配ってくれたのがた
ぶん平戸さんだった。それを黒檀の台座(カティ・サークのプランキングに使った残り)に乗せて
我が家に飾ってあるのが左の写真です。玄関口で写真を撮ってから、われわれはハリファックス
城塞に向かった。山の上にあって湾を一望するこの城塞は大規模で、英国軍の侵入を撃退す
るために作られながら、戦いはなかったという歴史から、大きな大砲が今でも残されている。この砲は大きな割にはどう
見ても先込め砲でいったいどうやって弾を込めたんだろうと思わせる。海に面したこの城塞は海上の艦船に信号を送
るのも役割の一つだったようで今でも立派な信号所が残り、信号索の索止めは帆船と同じです。
城塞、大砲および信号所
Castle,Gun and Signal station
一度、ハリファックスの町に戻り、マーケットを見学したとき目についたのがこの氷河水です。(ミネラルウォーターは
私の専門) カナダは法律で英語とフランス語を併記することになっています。そこから一路ルーネンバーグに向かい、
港でブルーノーズと顔を合わせた。港にはノバ・スコシア州観光局の職員でブルーノーズの運行責任者であるピータ
ー・ブラウンさんが出迎えてくれ、ブルーノーズはそこに静かに係留されている。我々が集まると、船を見に来ている一
般客を尻目に何はともあれ乗船を依頼された。周りの人たちは何で?と思ったでしょう。下の写真がその時のもの。
船長さんは我々を歓迎して、普段乗客には行動を制限するのだが、皆さんは 「専門家」だから(われわれの「専門
家」は7人)どこへ行ってもどこを見ても構わない、と言ってくれた。ルーネンバーグに留学している日本人の女性で数
学専攻と聞いたが、長年ここにいるので英語は話すが日本語の方が怪しいというお嬢さんが通訳になった。早速船内
の見学が始まったのですが、どういう手を使ったのか英語は全くダメという鈴木雄介さんが機関長を捕まえてエンジン
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氷河水 glacier water
ブルーノーズ BLUE NOSE Ⅱ
州職員の歓迎 welcome by the state staff
ルームに入ったきり出てこないという不思議なことも起こった。私も早速一等航海士と仲良くなり部屋を見せようか、と甲
板下にある彼の私室を見せてもらった。船の通例で狭い部屋ですがなかなか快適に過ごしているようで、彼はとても恰
好のいいチョッサー氏です。甲板はダグラスファーだそうで、これはカナダに無数に生えている松の一種だが、柔らか
乗船 embark on Bluenose Ⅱ
船内見学 study tour
救命ブイ life buoy
くて ニューヨークでのアメリカ建国200年祭のときは乗客が多くて張替えたのだといいます。周囲は見物の人たちが
一杯で、なんだろうと思ったらドーリー(平底船)の競技があるそうです。少し遅くなるがそれが終わったら出航するから、
とチョッサーが言います。ええっ、出航?われわれはクルーとの交歓が目的だと思っていたが、ブルーノーズは航海
してくれるというではありませんか。思いがけぬ成り行きにみんな欣喜雀躍。ドーリー
競技の監視船兼見物船を横目にして、本船はエンジンをかけ港外に出ると総帆を挙
げた。あいにく当日は風がなくてエンジンを止めての帆走はかなわなかったが、2時
間ばかり大西洋(太平洋ではありませんぞ!)を満喫した。士官室を見学し、救命ブ
イで写真を撮り、舵輪まで握らせてもらった。やがて港へ向かうとチョッサーは一心に
双眼鏡を使って航路を見極め舵手に静かに進路を伝える、そのやり取りが全く格好
いい。そのうちダウンホールを引くからみんな中央にいてくれと指示
が出ました。スクーナーの大きな帆を降ろすにはそれなりの人手が
いる、何人かのクルーがダウンホールを握って猛烈な勢いで船首に
向かって走る。志村さんが「あの女の子のケツのでっかいこと!」とか
なり現実的な感想を漏らすほどの勢いでした。クルーには 2人女性
がいて志村さんの目を引いたのはマギーです。(この感想はお話の
後の懇親会で「おれは彼女の掌がタコですごいことになっているは
知っているけど、でかいケツなんて言っていないよ」と抗議を受けた。
彼の名誉のために付け加えますが、確かに聞いたように思うんだけ
チョッサー氏 mate 帆の操作sail operation
どなぁ…) 桟橋に向かう途中、右舷側に見えるのが造船所で、こ
の船もここで建造されたのだとか。バウンティ号の叛乱で使われた船も確かここでの
建造。帆の始末をしているうちに船は桟橋に着岸、そこにヘラルド紙のミッチェル・
ドイルさんが待っていた。 降り立ったばかりの我々の写真を撮り、武川さんを捕まえ
ていろいろ聞いている。後にヘラルド紙に掲載された。続いて港のすぐ近くのレス
トランで、クルーとわれわれとの交歓会が始まった。武川さんが挨拶を述べ、というよ
ミス マギー Miss Maggy
り用意した原稿を読んだのですが失礼ながらまた見事な英語で、たまたま隣に座っ
たマギー(あの〝マギー〟です)にわかる?と聞いたら大丈夫と言っていたから、
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意味は通じたようです。それから大騒ぎになりました。何せ若い連中相手なのと、こちらも模型の写真など持ち込んで、
私も近代ヨット“バハン”の製作過程の写真を持ってきたのですがいつのまにか回覧され、若い士官にこれはだれが作
ったの!といわれて、ぼくだ、ぼくだと立ち上がって応じるという始末。鈴木さんは機関長と離れがたくて、という風情で
した。一方奥方も活躍し、いつ用意したのかペギーは武川夫人から折り紙の手ほどきを受けるなど和気あいあいだっ
た。名残を惜しみながら、ピーター・ブラウ
ンさんと通訳さんに見送られ、ルーネンバ
ーグの町中を少し見て回り、ペギー岬に向
かった。これはブラウンさんが手紙の中で
行ってみるといいよと言ってくれた場所で、
当地の名所でもある。群像の彫刻と国土林
野省の州立記念公園という看板を過ぎると
交歓会 Reception
群像の彫刻 Sculpure of the group
大西洋に面してぽつんと灯台が岩盤の
上に屹立し、白い三角屋根の建物とうまく調和している。 9月という温暖な季節でも寂寥感漂うところですから、冬季の
厳 しい季節ではこの辺りは大変だろうなと思わせる。でもこの時期、恋人たちには絶好の環境で、異国のおじさんお
ばさんでは全く絵にならない。土産物屋でここの絵ハガキとエッチングを買ったが、絵葉書の中にベージュ色一色の何
も映っていないペギー岬1枚がありました。誤植?と思ってよくよく説明を見たら「濃霧のペギーズ・コウブ」とあって、や
られた!と感嘆しきり、連中だったらグッド・ジョーク!というところでしょう。 この辺りは小さな漁村でしょうか、森閑とし
ていますが何とも風情があって写真の対象としてはなかなかのところです。最
後に「Order of the Good Time」に触れておきます。ちょっと大げさに“日々是
好日”をもじって「好日騎士団」と訳したが、いわばノバ・スコシア州の気の利い
た宣伝ではあるのですが、なかなかどうしてうまいやり方です。その説明書の最
後のところに騎士団から4つのお願いとして、いい日を送ってほしい、われわれ
を懐かしく思い出してほしい、われわれのことを上手く宣伝してほしい、とある。
私はこれまでこの3つは何とか果たしていると自負していますが、最後のお願
い「もう一度帰ってきてほしい」 はいまだに果たしていません。いつか、生ある
「好日騎士団」 Order of the Good Time
海運業界50年の歩み
間にこの素晴らしい場所を再訪してその約束を果たしたいものだと心から思う。
一体験談-
50 Years of the Shiping Industry
ーExperiencesー
山下 和夫
日本の海運業界も世界情勢に影響されて集約と再編、M&Aを経て総合海運業
になった。大手は6社体制が20年続いたが、現在は3社になった。変遷を振り返
ると ① 業界がベルトコンベアーの様になりロマンを失った。帆船模型を始めたき
っかけの一つである。② 業界の規模が大きくなった。15年前の2倍の規模。これ
らの経緯をプレゼンテーションで説明した。ところで、今後50年先はどうなるか。
LNGの増加、原発事故および海賊などのテロでエネルギー情勢の変化があり得
山下さん K. Yamashita
る。ところで、アフリカ・ソマリアやインドネシアの海賊は社会の混乱が原因で、目的
は積荷ではなく身代金にある。船が出す識別信号から襲撃が容易で、金になる
船を狙い、身代金も海賊保険の普及をあてにしている。解決の難しい問題であるが、日本の商船はジグザグ運航で波
を起こしてボートの接近を防いだり、海上自衛隊の護衛艦がヘリを使っての連携で模範的な取り組みになっている。
ラ・ク-ロンの製作に挑戦中
La Couronne in the challenge of making models
田中 嘉明
帆船模型の製作は今回で5隻目になる。ラ・クローンの様なガレオン船は上級者向けと聞いている。
製作中のラ・クローンはイタリヤ・コーレル社のキットで中・上級者向けとなっていたので製作に挑戦している。
電動工具は相応に揃えて使っている。今回、手がかかったのはガレオンのシアーラインを正確に出すことと砲門の
位置決めである。船体の二次元図面を三次元の模型に転写するにトースカン、尺立て治具等を使い砲門の高さと
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左右の位置を合わせた。この趣味の楽しさは製作プロセスにある。また、仲間との絆が大事である。
田中さん Y. Tanaka
研修会
ラ・クーロン La Couronne
Work in Progress
第1,2回 研修会を開催 The First and Second Work in Progress
今年度の新規プロジェクトである帆船模型製作研修会を7月23日(土)と10月
22日(土)に開催した。今年度は11月と来年1月を合わせて4回開催の予定。目
的はテクニックのグレードアップで、毎回数名の会員が製作途中の帆船模型を
持参し、説明後に質疑応答を含むフリーディスカッションを行う。説明者は2回分
で5名。安藤さんと土屋さんはシリーズとして同じ模型を継続して製作する。会場
は水道橋の貸会議室「内海」で、アクセスはJR駅から徒歩2分。開催時間は13
時30分から17時。
バーサの製作
Production of VASA by Masahiro Ando
安藤 雅浩
コーレル社のキット「ヴァーサ」縮尺1/75を製
作している。キットで使うのは板材と金属製の
彫刻類で、大砲類は作り直し、船体は構造模
型に変更している。キットの砲身は上部デッキ
以外は前半分だけなので、別途購入した真
鍮製砲身をシリコンゴムで型取りし、レジンを
安藤さん M. Ando
複製した砲身 Cloned barrels of resin
流し込んで複製した。船体はキールとフレー
ムを組み合わせ、外板を少し貼って後、フレー
ムを取り除き、構造模型のフレームと入れ替えている。フレームの組み方は17世紀の代表的な構造にしている。キッ
トを組んでから、一部壊していく方法について「初めから構造模型として作った法が早いのでは」との質問を戴いた
が、この方法のメリットは外形の詳細図面が不要なこと、既に箍が出来ているので型くずれがでにくい事です。
ブルーノーズの製作
Production of BLUENOSE by Hideji Okumura
奥村 英二
モデルシップウェー社のキット「ブルーノー
ズ」縮尺1/64を製作した。製作上、一番梃子
づったのはデッキのブルワーク両舷にある排
水口で片舷だけで87箇所ある。
寸法は幅
1.2mm高さ0.4mmと小さく、排水口の間にフレ
ームのスタンションがある。穴開けは極細ヤス
リを使い、専用治具で位置決めをした。近世
奥村さん H. Okumura
ブルーノーズ Bluenose Ⅱ
の帆船のため、リギングにターンバックル、
シャックルなど金属部品を使っている。キットには素材が入っているだけで自作が必要になる。加工はそれほど難し
くはないが、正しいスケールに作るのに苦労した。上手く出来たのは船首の唐草状彫刻で次の方法で立体的模様
を作った。① 模様を薄い和紙に転写する。② 転写した模様に沿ってロープを切貼りする。③ 接着剤が乾いたら、
模様がバラバラにならない程度に出来るだけ和紙部分を切り取る。④ 切り取った模様を船体に貼り塗装する。
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ベルリンの製作
Production of BELRIN by Motoo Wada
和田 元夫
帆船模型の製作はこのベルリンで8隻目に
なる。キットはモボ・コーレル社のもので、寸
法が図面毎に異なる。また、金属飾りは寸法
が短い。電動工具は丸鋸、バンドソーぐらい
で後は力仕事である。デッキを張った状態だ
が、キットは合板1枚で甲板材は入っていな
い。甲板の釘跡は楊枝を使うと大変なので
和田さん
M. Wada
ベルリン Belrin
昆虫用注射針とスタンプで付けている。こ
の針は尖っていないので好都合。滑車の磨きは釣りに使うフライヤーのクリップで挟んで行う。マスト、ヤードのテーパ
ー削りはミニカンナの前に毛羽止めのロウを塗り、反対方向に動かして削る。刃には油を付けない。ボートを初めてク
リンカー張りで自作している。
ル・シニューの製作
Production of Le Cygne by Katsuji Tsutiya
土屋 勝司
長年、大型の構造模型を手掛けているが、今回は皆さんが挑戦出来
るような、小型の構造模型を作りをシリーズで続けたい。材料もサクラ、
カツラ等ではなくホームセンターで手軽に入手出来るアガチスを使う。
構造模型は考証が必須で、先ずどのような構造模型を作るかを決
める。例えば戦列艦でもフランス艦とイギリス艦はフレームの組み方
が違う。フランス艦はダブルフレームになり、イギリス艦はダブルフレ
ームとシングルフレームの組み合わせになる。そのため良い図面、正
土屋さん
K. Tsutiya
確な図面を入手する。次ぎに加工用に電動工具を準備する。さしあた
り、糸鋸(またはバンドソー)、丸鋸、ベルトサンダー、シックネスサンダー(板の厚みを揃える)程度が必要になる。欧米
博物館の構造模型の見本をスライドで説明し、フレーム図面の航空ベニヤ板への転写方法やフレームを重ねる際
の基準位置の決め方などを説明した。製作中のル・シニューは縮尺1/72で手頃な構造模型である。
スター・クリッパーの製作
Production of Star Clipper by Jun Hida
肥田
純
スター・クリッパーの実船は
全長109m、2700トンの大
型帆船で、これを縮尺1/125
で製作している。縮尺はプラ
イザー社の人形1/125を基
準にしたもの。フルセールで
帆送中のジオラマとして作り
船底には電飾を入れる。完
肥田さん
J. Hida
マスト取付前のスタークリッパー Star Clipper
成後は暗いところで点灯し一
杯やりながら想像の世界に浸ることを楽しみにしている。組立上の注意は殆どが塗装仕上げになるため、予め塗装
しておくこと。塗料はクレオスのMr.COLOR(合成樹脂塗料)で、筆塗り仕上げ。
「船の科学館」が老朽化で展示を休止
"Museum of Maritime Science" is closed
昭和49年に海と船の文化を伝える海洋博物館として開館した「船の科学館」は37年の経過で、本館と展示品が老
化してきた。これを機に、次世代の海洋教育拠点へのリニューアル準備のため、ひとまず9月末に本館展示を休止し
た。なお、南極観測船「宗谷」、屋外展示およびプールの体験教室は継続するが、羊蹄丸は保存、展示を終了した。
開館以来の来館者は1800万人を超え、休館前の2ヶ月間は見納めの来館者で賑わった。
羊蹄丸の「夢工房」が始まった頃
When "Dream Workshop" began in Youteimaru by Yoshifumi Matsumoto
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松本
善文
1.「夢工房」の始まった日・・・「我が日記」から(抄)
平成16年(2004)年7月17日(土)晴れ。起床5時、船の科学館羊蹄丸に
行く。10時。常設展示場・夢工房オープン。夢の膨らむ第1歩が刻まれた!
2.「夢工房」に託した「夢」
夢工房が始まって間もなくのころだった。二人連れの若い女性が、入口か
ら工房の方を覗き込んで、軽く会釈しながら、「夢工房ってパン屋さんじゃな
かったの?」「帆船模型を作っているところを、皆さんに見て貰う工房だよ」
二人は中まで入らず、そのまま踵を返してしまった。 夢工房のネーミングは
白井一信さんが「夢工房」という言葉が入ったものも含め、確か5つくらいの案
常設展示場 Exhibition hall
を並べて、メールで公募し、20人余りの方が回答を寄せられたと思う。「帆船模型工房」などと言ういささか定番的で平
凡な名も含まれていたが、意外にも「帆船模型夢工房」なども含め、『夢工房』が一番多かった。話は少し戻る。工房開
設の準備が進められている頃だった。時も所も記憶が曖昧になってしまったが、喫茶店でお茶を飲みながら、白井さん
が熱く語った言葉を思い出す。「あそこを。帆船模型だけでなく、色んな模型の「聖地」にしたいんだよね」 白井さんの
ソフト(注)な人柄もあったと思うが、この名を選ばれた理由には、彼のこんな夢が託されていたのだと思う。
(注)私見である。盟友であった竹内さん(ザ・ロープ創設メンバーの一人。平成13年没と白井さん。お二人とも故人
になられたので好き勝手が言い易いというわけではないが、竹内久さんの作風と白井さんの作風を絵に例えると、竹内
さんは「油絵」、白井さんは「パステル画」と言えるのではないだろうか。第30回の「ザ・ロープ展」に出展された白井さ
んの1/64の「ラ・ルノメ」の色調はその代表的なものではないかと思う。 話は飛ぶが、竹内さんの生前、ご自宅を訪ね
たとき、棚に縮尺1/48の「ラ・ルノメ」の骨組みが組み上げられた状態で置かれていた。「いま、完成した時に狂いが出
ないよう枯らしているところで、30回展に出す積りです」と言われた言葉が印象に深く残っている。もし30回展の時、竹
内さんが健在であれば、竹内vs.白井の「ルノメ」の競作が見られた筈だ。あるいは、白井さんの「ラ・ルノメ」出展は、竹
内さんが果たせなかった夢を代わって果たしてあげようという亡き友への心遣いだったのかもしれない。
3.白井さんが描いた構想を肥田純さんが形にした
船の科学館への道筋を付けたのは白井さんだ。きっかけは、竹内さん亡き後、遺された膨大な帆船関係の蔵書コレ
クションの預かり先ないしは寄贈先を探していて、行きついたのが船の科学館だったと聞いたことがある。ともあれ、当
時「羊蹄丸」の3Fの広いスペースが来館者の休憩室となっていたところを、ザ・ロープ会員の帆船模型の展示場とし、
また帆船模型の製作の様子を見て貰う工房も設けようということになった。羊蹄丸の現役時代、ショップのあった左舷側
を常設展示場にする案は割合すんなり決まったと聞くが、工房の場所は
多少の曲折があったようである。白井さんの頭の中には「夢」があった。手
本となったのはパリ・シャイヨー宮の「パリ海事博物館」の工作室である。
いらした方はご存知と思うが、展示場を出て廻ると、広いガラス張りの部
屋があり、収蔵品の補修や作品の製作などをやっており、その作業の様
子を眺めることが出来る。そんな部屋を作りたいという夢だ。羊蹄丸の現
役時代、団体休憩室となっていた右舷側のスペースに、四面ガラス張り
の囲いを作り、中に工作台や旋盤などの工作機械を置いて、モデラーた
夢工房計画図(肥田さんのプラン)
J. Hida's 1st Work Shop plan
ちが仕事をする有様を来館者に見て貰おうという構想であった。残念
ながら、コストも理由の一つだったかもしれないが、船内に新たな構造
物を作るということは許されなかったため、旧「喫茶カウンター」を改造することになった。それを受けて肥田さんが改造
プランをデザインした。前面が「ガラス張り」になっているのが興味を惹く。ガラス張りの理由は、ここで旋盤等の工作機
械(竹内さんのご遺族から贈られたもの)を使って部材などの加工する様子を見せようという考えがあったので、切粉の
飛散などによる見学者への影響を考えた、安全上の理由からである。しかし機器は動かさないで展示に留めるというこ
とにしたので、前面はオープンにした。結果論であるが、来訪者との距離感が消え、対話が弾む効果が生まれた。
4.それはアルチザン小林正博さんから始まった
いま、自宅で予後療養中の小林正博さん宅に押しかけて、夢工房が始まった頃の話を伺った。以下は小林さんか
らの聞き書きである。「白井さんに見込まれてねぇ・・・。」 工房で帆船模型製作の様子を来訪者に公開する仕事は、ま
ず小林正博さんに白羽の矢が立った。工房入口の立て札は小林さんが牡蠣採り舟と呼んでいた「ウイリーベネット」を
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製作中の姿を写して、来訪の人たちを呼び込んでいる。工房の前には、こんな文句が書か
れた小さな札が立てられていた。「話好きの親父です。遠慮せず声をかけてください」仕事
に熱中しだすと、目の前に人が立っても手許から目を離さず、無視してしまうアルテイィザ
ン小林さん。誤解してはいけないが、立札に書かれた通り、本当は「話好きな人」なのだ。
この小さな札は、そんな小林さんを気遣った白井さんか肥田さんの心配りだったのだろう。
「白井さんに見込まれてねぇー」に戻ろう。大方の諸兄は、長年、展示会場の一隅に机を構
えて製作実演をしていた小林さんの姿が、まだ記憶に残っていることであろう。無礼な言い
方かもしれぬが、人に見せるとか進んで愛嬌を振りまくというよりは、「見たい奴は見ろ」「聞
きたい奴は聞いてこい」というスタイルだった。かえってこれが、周囲に独特の雰囲気を醸し
工房の案内立札
Workshop signs
出していた。大方の仲間は「一言居士」という印象を持たれているのではないか、しかし、
懐に飛び込んでみると根っこにあるのは「人間大好き」な人である。でなければ、あれほ
ど長い間、展示会場で、不特定多数の人を相手にしながら製作実演をやり続けた筈はあるまい。白井さんが見込んだ
のは、小林さんの帆船模型に対する該博な知識や高い製作技術は言うまでもないが、これに加え、長年の製作実演
によって身に着けられていた、アルティザン気質の人にはあまり見られない「人馴れ」だったのだろう。
5.幻となった「大ジオラマ」
白井さんがここに託した「模型の聖地」という夢。その象徴ともいうべき「大ジオラマの構想」があったことはあまり知ら
れていないであろう。それはこんな構想だった。白井さんの夢を受けた肥田さんがこんな「プラン」を描いた。
船の科学館本館から羊蹄丸までを含む大ジオラマ。肥田さんの頭の中にはすでに「ラフ・プラン」が出来上がってい
た。"場所は休憩室だ。大きさは3メートル四方。沖の航路には「帆船パレード」を展開。新・旧の『日本丸』・『海王丸』、
『海星』、『あこがれ』、ちょっとダサいが『咸臨丸』が並ぶ。本館は、どなたか建築模型作家にお願い。 『羊蹄丸』と『宗
谷』は「ミンダナオ会」にお願いしようか。『ゆりかもめ』も入れたいな。これは「鉄道模型クラブ」のどこかに頼もう。上空に
は飛行機が飛んでいるといいな。無論「TSMC」にお願いだ”。構想を持ち込まれた船の科学館も、当初は乗り気だっ
たと聞く。残念ながら高額に見積もられる製作費用のこともあり構想は夢のまま消えた。先日、肥田さんと話したことで
ある。「もしあれをやるとなっていたら、プロジェクトのメンバーはザ・ロープ展は1回パスだったよね」「今度撤収というこ
となるのだが、もしでき上がっていたとしたらどうするかな?」「大きすぎて出口はないし・・・。壊すだけだな」
6.小林さん単独態勢から分担態勢に移る
当初の「夢工房」運営計画では、八月の夏休みに「工房」を開き、せいぜい秋口で閉じることになっていた。
その間の土曜・日曜を小林さんは一人でやる、ということを考えておられたようである。「一人で、七回くらいやったか
な?」(実際は6回であった)ところが・・・。8月5日昼過ぎ。突然小林さんから電話が掛かってきた。
「我が日記から」(抄) 8月5日(木)晴れ、時々薄曇り、風終日やや強し・・・昼過ぎ小林正博さんから突然電話。入院
中の奥様の病状。予想だにしなかった症状が判ったという。長々と苦悩を訴えられる。なんとも返事のしようがなく、た
だ聞くのみ。7日(土)の夢工房は松本が行くので休んでもらうことにする。7日以降のことも、手を打つので、気にせぬよ
うにと言う。夕刻、白井さんにメール。事情を連絡。7日以降のシフトを至急組むことと「当番日誌」の作成方慫慂され了
解。8月7日(土)、代打トップの松本を皮切りに、この年は毎週土・日と祭日、11月3日まで、役員並びに一部有志で
当番を務める。当番は原則一名態勢。参加者は下記の皆さんだった。一門龍男さん、田中武敏さん、安藤雅浩さん、
白井一信さん、浅川英明さん、塩谷敏夫さん、新井芳文さん(既に退会)、松本善文。
7.『夢工房日誌』の一部紹介(抄) 8月7日(土)薄曇り
蒸し暑い1日
当番;松本善文
小林さんの奥様、症状予断を許さぬ状態の為、急遽白井さんの配慮で組まれた代打シフトの第一日。小学生四人組
から質問を受ける。① ここからアメリカまで昔の帆船なら何日くらいで行けるのか? ② 昔の帆船の船員はどんな食
べ物を食べていたのか? ③ 寝るのはどんなところだったのか? 製作経験者から:① リギングロープの張る強さはど
のくらいか?② 「たるみ」の出し方はどうするのか? 知人の帆船モデラーという方 : 作り方が初めて判った。
8月28日(土)曇
時々小雨
当番:白井一信、松本善文
白井さんの教室のレゾリューション製作(キット)の受講者で熱心な方が見えて長時間、製作方法について学ばれて
帰った。船の科学館の「夏休み工作教室」の流れの小学生グループが押し寄せ、自作の模型ボート(簡単に木を貼り
合わせたもの)を白井さんにグレードアップ(ナイフで角を落として流線形にするもの)を頼む一幕あり。一隻やると我も
我もと寄ってきて頼みだし「白井グレード・アップ工作室」大繁盛。
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9月19日(日)晴
当番:白井一信
今日はプールでAMEG(「アメッグ」:RC走 らせる船の会+当会より歴史があ
り、海外でも知られている)が走航会をやって
いた。2時~3時、アドミラルホールで犬養智
子さんの 「私と船」 と題する講演会あり。終
了後、先生が工房に見える。製作中の船
(注)を説明し、展示場を案内。(注)「工房」
には製作途中の竹内さんの「セント・ヘレ
ナ」1/48と白井さんの「ファントム」1/48を
竹内さんのセント・ヘレナSaint Herena 白井さんのファントムPhantom
展示し、製作工程の説明に供された。
8.寄り道;起→承→転→結の「転」
堅苦しい話からちょっと離れて、しばし息抜きで寄り道してみよう。工房がスタートした夏から秋にかけて、世界的に著
名なアーティストの訃報が相次いだ。名指揮者カルロス・クライバー、写真家アンリ・カルチエ・ブレッソン、作家フランソ
ワーズ・サガン。死者に対して不謹慎な言い方かもしれぬが、二人のフランス人アーティストへの時の大統領シラクの
哀悼の言葉が「洒落れた一言」だったのが印象に残っている。我が日記に貼り付けた「新聞の切り抜き」である。
8月3日、写真家アンチ・カルチエ・ブレッソン死去、享年95歳。写真を「記録」から「芸術」に昇華させた男と言われる。
一般によく知られているのは「サンラザール駅裏、パリ」。代表作は写真集「決定的瞬間」(原題は「逃げ去る映像」この
直訳の方が内容を適確に表しているか?) シラクの哀悼の言葉 「フランスは天才で生粋の写真家を失った」9月24日、
作家フランソワーズ・サガン死去、享年69歳。18歳で「悲しみよこんにちは」で衝撃的デビュー。「ブラームスはお好
き」など。シラクは哀悼の言葉をかく贈る「フランスは仏文学界で異彩を放ち、繊細そして傑出した人物を失った」
9.その後の動きや変革を簡単に述べよう
(1) 平成17年は前年同様、夏休みに入った8月4日から工房を開いた。
第1日の当番は、1年ぶりの小林正博さん。小林さんの「夢工房日誌」から「8月4日(木)晴、1年ぶりの羊蹄丸の夢
工房に戻って来た。今日は海辺(ママ)に関するイベントがあり。子どもも多く、展示してある模型船の説明に追われ
た。復帰第1日目としてはまぁまぁだと思う」
(2) 平成17年、壁面展示を会員の作品写真で飾ることにした。
先ず、常設展示場の壁面ディスプレーを全面改めることから準備は始まった。昨16年のスタート時の壁面ディスプ
レーは次のようであった。船尾側壁面 「帆船の黄金時代そして現代」 は文章による説明パネル。舷側側壁面(船尾
側から船首側に向かって) 「船首像、日本&アメリカのクラブ紹介」→「ザ・ロープの紹介」→「ミニチュア模型の世界
&模型作りの工具」→「帆船模型の出来るまで」 これらも多くは,文字を多用した説明パネルであった。来訪者の関
心を観察していると、模型は見てくれるが、文字の入った説明パネルは、まず見てくれない。観衆は「模型の帆船」
を見ているのであって、説明、就中文字にはほとんど目も呉れない。製作者側の主張が前面に出過ぎて、観覧者側
の視点に立った展示になっていなかった故である。この反省から壁面は、東さんの手を煩わして、会員全員の作品
写真を展示することとし、およそ120点を超える写真をパネルに貼って取り付けた。来訪者の多くがこれらに見入っ
いる風景がよく見られるようになった。以後、閉幕まで、会員の新入・退会に応じ写真を入れ替えながら、このスタイ
ルは続けられた。
(3) 『夢工房』当番を会員ボランティアで担当する態勢にした。
会員に呼び掛けてボランティアを募り、交代で「夢工房」当番を務めて貰うこととした。
(4) 平成18年になってから・・・
常設展示場の展示作品は、オープン以来2年間、「選抜秀作展」といったスタイルであったが、この年から、展示場
や『夢工房』への会員の認識を高め、多くの会員に参加意識を持って貰うことを目的として、当年展の出展者に出展
を呼びかけ、希望した会員に出展して貰うという形をとる全員参加型とした。以降、このスタイルで平成23年の幕引
まで運用が続けられた。また、横浜同好会展を知らせる有隣堂のショウウインドウを飾った宮島俊夫さんの「ジグソー
パズル」を頂いて、「工房」の前に置き、来訪者のほぼ半数を占める子供たちに対応した。予想以上に大好評。時に
は待ちが出る程で、嬉しい誤算だった。宮島さんからはその後追加のセットを幾つか頂いた。
(5) 平成20年4月29日、白井一信さん死去、享年56歳。
船の科学館との繋がりへの道筋を付けた白井さん。「夢工房」の名付け親。あまりにも早すぎる死だった。初期の傑
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作「ラ・フロール」は洋上模型へも変身するアイデアを持った作品。私事だが帆船模型に興味を持つキッカケとなっ
た作品でもある。代表作は10年の歳月をかけた鏤骨の名作、縮尺1/48『HMSビクトリー』。著書「帆船模型製作
技法」(ザ・ロープ創立30周年記念出版)は帆船モデラーのバイブルとなっている。 シラク流の表現を借りるならば、
次の通りか?「ザ・ロープは優れた技量と優美にして魅惑的な表現力を持った帆船モデラーを失った」
(6) プライベート・サークル「わいわいくらぶ」キックオフと「工房案内板」取り替え。
平成20年、「伊東屋B1」の工房閉鎖に伴い、 B1ボランティアの仲間たちが、ここで生
まれた絆を持ち続けたいという思いから、会場を「夢工
房」横(旧喫茶)に移して、自主サークルを結成。サーク
ルのネーミングは東康生さんの「ワイワイガヤガヤやろう
よ」という言葉から頂いた。キックオフは6月17日。初代
世話役は松本善文。月1回の例会は,今も途絶えること
なく続いている。工房案内板 も、宮島俊夫さんが「伊
ワイワイくらぶ風景 Wai hum club
東屋B1」の為に作って頂いたものを移設し取り替えた。
工房案内板 Work Shop Guide
10.「夢工房」の終焉そして撤収
船の科学館は今年9月30日を以て休館となった。平成16年7月以来8年2ヶ月の歴史を刻んできた我が「夢工房」も
「常設展示場」と共に一応幕を引いた。最後の「夢工房」は9月24日。3代目の担当幹事の木村護さんが締めくくりの当
番を務められた。 そして10月2日、撤収。リーダー木村護さんの周到な事前準備と采配で、1時間ほどでで撤収作業
完了。羊蹄丸の3階は、平成16年6月以前の静かなたたずまいに戻った。『サヨナラ そして アリガトウ 羊蹄丸』
全ての展示物を撤去した展示場
The exhibit ends removed.
元の喫茶カウンターに戻った工房 羊蹄丸(8年前に較べパウダリングが進む)
Workshop was on the counter.
Youteimaru aging.
11.おわりに
最後になったが、8年余りの年月、船の科学館の皆様には大層お世話になった。高い視野から活動全般を見て下
さった「小堀信幸さん」。企画から立ち上がりに掛けて数多くのご配慮を賜った「飯沼一雄さん」。日常の運営への支援
・時に助言をいただいた「清水潔さん」。各位から賜わった御厚意にあらためて深く感謝申し上げる。思えば平成16年
6月から肥田さんの御手伝いで羊蹄丸とのお付き合いが始まった。以来8年あまりの羊蹄丸と日々。長いと言えば長い
年月だった。お世話になった羊蹄丸には、素敵な「お嫁入り先」が見つかるよう祈っている。この稿の多くは、小林正博
さんと肥田純さんへの聞き書きをもとにした。図々しい我がインタビューに快く応じて頂いた両兄にも深く感謝する。
白井一信さんの言葉は松本の記憶にすがった。言うまでもないことであるが、両兄に伺った話も、故白井さんとの会
話も、私の聞き違いや勝手な解釈によって事実と異なるかもしれない。また私自身の「思い込み」による誤った記述も
あろう。(文中の期日は手許の『夢工房日誌・第1冊』および個人の『日記』による。写真の内3枚は東 康生さん提供)
隅田川の納涼会
Summer evening meeting of the Sumida River
猛暑が続いた今夏の7月31日、隅田川の屋形船納涼会を開催した。参加希望者は家族を含めて30名。夕刻、JR
こととい
両国駅前に集合し、送迎バスで隅田川の吾妻橋「水上バスのりば」桟橋に行く。別名「言問団子桟橋」と言われる。名
物である言問団子の店前にあることに因む。屋形船は畳敷で和風宴会スタイル、30人が座るとほぼ満席になり、貸
し切り船になった。吾妻橋から南下してお台場まで行き、Uターンする2時間コースである。料理は揚げたての天ぷら、
刺身の盛り合わせ、串焼きなど、お酒は生ビール、焼酎、日本酒などが飲み放題。終わりは味噌汁にご飯でボリュー
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ム満点。食べて飲んで、話に熱中し、川を眺めるのに忙しく2
時間は直ぐに過ぎる。誰かが隅田川には橋が3つしかないと
言った。エッ? 20幾つかあるのにと思ったら、殆ど「ばし」で
「はし」は隅田川大橋、中央大橋それに佃大橋である。シャレ
もいいが橋桁を下から眺めるのもいい。特にいいのは橋桁が
アーチ型になっている駒形橋は素晴らしい。屋形の頭が橋に
当たりそうな状態で通過するの
はスリルがある。上機嫌で土手
に上がると来年もまた来たいね
でお開きになった。イラストは引
き替えし点のお台場を宮島俊夫
宮島さんのイラスト T. Miyajima's Illust
お知らせ
さんが描いたもので、拡大すると
お名前が判る、素晴らしい絵。
アーチ型の吾妻橋
Azuma bridge
Announcement
第3回帆船模型製作研修会の案内 Information about the 3rd sailing ship model workshop.
帆船模型製作の基本習得とグレードアップが目的の第3回研修会を開催しますので積極的な参加をお願いします。
1.日時
11月26日(土)
2.場所
「貸教室・貸会議室 内海、101会議室」千代田区三崎町3-6-15、東京学院内
3.講師とテーマ
受付13時、13時30分~16時30分、質疑他で約3時間
① 安藤 雅浩
シリーズの第3回 「ヴァーサ」の製作
③ 堀岡 長紀 「アーク・ロイヤル」の製作
④ 土屋 勝司
② 瓜生 法男 「ベル・プール」の製作
シリーズの第3回 「ル・シニュー」の製作
⑤ 松本 善文 「キットの紹介」
4.参加費
資料代 200円
Sailship model School News
帆船模型教室便り
佳境に入った帆船模型教室
川島 壮介 Sousuke Kawashima
4月から月1回開校の帆船模型教室も10月で7回目なった。教材はウッディジョー
の「チャールズ・ヨット」。参加者は13名。教室は佳境に入り、マスト建てとリギングの
段階になった。マストが建つと自分の作品に愛着がわいてくる。次の教室での出来
映えが楽しみになる。参加者はビギナーから経験者まで様々です。夏には暑気払
いを実施して、帆船以外の分野で話が盛り上がるなど、講師共々和気藹々です。
会員便り
The member's letter
我が家のキット状況
The Kit stock of my house by Tadashi Sakanakura
肴倉
忠
3月11日の震災の際、青森市内に住む私に会員の
皆様からお見舞いと励ましの電話を戴き改めて会の
絆の強さを知り感謝しております。地震で相当揺れま
したが棚の上にある帆船模型・ボトルシップも落下せ
ず、津波による被害もありませんでした。平穏無事な
日常生活を続けています。しかし、ラジオ・テレビのニ
肴倉さんT. Sakanakura
完成が近いレジーナ REGINA
ュースから 「明日のことは誰にもわからない」と妙な
気持ちに取り憑かれ、キットのサルタナ、チャタム、サ
プライの3隻を7月までに完成させました。現在、パナルト社の捕鯨ボートとビリングボート社のレジーナを製作中で、
完成後はキットの在庫はなくなります。完成後には次の目標を立てなくてはと思案中です。一方、造船業の合間に
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好きな水彩画でポーツマス港のビクトリーやオランダ帆船パレードの風景を思い出しながら描き、一日を楽しく過ごし
ております。来年4月の展示会場で皆様と再会出来ることを期待しております。
海外ツアーレポート
International Tour Report
WSMC&E2011参加とアメリカ東海岸・西海岸ツアー旅行記(その2)
Tour Reports WSMC&E2011 and join East Coast West Coast tour (2it)
ノーチラス博物館とニューヨーク見学記
USS Nautilus Museum and New York Town report by Mitsuru Matsubara
松原 滿
3月30日(水)はコネチカット州のノーチラス潜水艦博物館を見学後、ミスティック駅からアムトラック列車に乗ってニ
ューヨークへ移動し、到着後は専用バスにより市街見学までを一日で行う過密スケジュールである。
3月31日(木)はニューヨークの自由行動、4月1日(金)は東海岸から西海岸まで一日かけて大陸を横断する。
1.ノーチラス潜水艦博物館
3月30日(水) 快晴。午前8時半、男達6名はタクシー2台に分乗しミスティックの町から10kmほど北西のグロトン
へ向かう。ここには潜水艦基地があり、その隣に
世界初の原子力潜水艦「ノーチラス」と博物館が
ある。入口前の広場に第二次大戦中の日伊米
の小型潜水艇4隻と戦略原潜のミサイルハッチ
を展示している。日本の小型潜水艇は甲標的・
甲型特殊潜航艇。この潜水艇は日本へ進撃し
甲標的特殊潜航艇と九軍神 Ko-Hyoteki submarine and 9 heros
てくる敵艦隊を近海で迎撃し、艦隊決戦前に敵
兵力を漸減する目的で戦前に開発されたもの。航続距離は速度6ノットで僅か140km、魚雷は2本、乗員2名で攻
撃後は伊号潜水艦により乗員を収容する前提になっていた。艦内は魚雷、バッテリー、モーターおよび乗員で満杯
状態。 ところが、真珠湾攻撃が航空機攻撃になったため、5隻の潜航艇(乗員10名)は各々伊号潜水艦で運ばれ
て真珠湾攻撃に投入された。1941年12月8日、海軍航空隊の攻撃機が真珠湾を襲撃する1時間前に湾内に進
撃したところで駆逐艦に発見されて撃破された。内1隻が、コンパスの故障で座礁し捕捉され、乗員の酒巻和男少
尉は捕虜第1号になった。残り9名は死亡し、
九軍神になる。その外、シドニー湾攻撃に投入
されたり、乙型、丙型等の改造で多く建造され
たが、戦果は何もなかった。なお、
戦後に甲型1隻がアメリカにより
海底から引き揚げられ里帰りして、
マイアーレ(Il Maiale)
現在、呉の江田島に屋外展示さ
Net cutter
れている。イタリヤの潜航艇「マイアーレ(豚の意)」はイギリス艦隊への攻撃で大きな戦果を上げた。マイアーレは母
艦の船底に設けた扉から海中発進して、停泊中の敵艦船の底に時限爆弾を仕掛け、脱出する仕組み。2名のフロッ
グマンが跨って乗り、湾入口で海面から海底まで張られた防潜網のワイヤーをネットカッターで切断して進入する。
カッターのフックをワイヤーにかけ、カッターの刃をピストンで前に押し出してワイヤーを切断する。ジブラルタル
ではイギリス戦艦2隻を大破した。
その外の潜水艇はアメリカ海軍が従
来型潜水艦が入れない浅瀬に進入す
る目的で開発した実験潜水艦SSX-1と、
シールと呼ばれる水中爆破チームの
運搬潜水艇を展示している。ロサンゼ
原潜のミサイル「トマホーク」ハッチ
Missile Hatche in US Navy SSN
ルス・クラス原潜の巡航ミサイル「トマホ
ーク」の発射ハッチと赤い弾頭の実寸を
目前にすると、現実の厳しさが伝わってくる。ハッチや座の板厚は原潜の最大潜航深度を現しているため、現在も国
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によって国家機密扱いである。9時の博物館開館時間になり、戦略原潜「オハイオ」の船殻径を表した巨大なアーチ
を抜けて入館する。ロビーの天井にはジュール・ベルヌ原作の古典SF小説「海底2万哩(20000 Leagues Under the
Sea)」に登場する潜水艦「ノーチラス」の模型が
吊り下げられている。壁には小説の推進機関挿
絵。この模型の原型は1954年ディズニーが映
画化の際、製作したもので、映画は大ヒットしア
カデミー賞を受賞した。ジェームス・メイスンが
演じたネモ艦長のアクセントと仕草が受けて当た
り役になった。原潜の呼称ノーチラスはこの小説
に因む。ノーチラスとはイカに似て殻を持つオ
ウムガイの意。なお、東京ディズニーシーの「ミス
ノーチラスの模型と映画
model of Nautilus and Movie
テリアス・アイランド」はネモ艦長の秘密基地を再
現している。話は戻って、博物館の入場料は
無料である。まずここで一番の見世物であ
る原潜「ノーチラス」へと向かう。グロトンと
対岸のニュー・ロンドンの間を流れるテーム
ズ川に浮かんだ「ノーチラス」に乗艦する。
入口では若い水兵の hello! welcomeに
続いて、バッグを預け日本語音声案内のイ
ノーチラスと潜望鏡室
USS Nautilus(SSN 571) and periscope room
ヤホンセットを渡される。このオーディオ・セ
ットの貸出、返却により乗艦、退艦の人数を管理している。艦内は各部屋にマネキンが置かれ当時の原潜内の勤務
や生活が判るような展示になっている。見学通路には透明な仕切りがあるが、広い感じがする。さらに居住区が2階
になっていて、階段が付いた最初の潜水艦である。この艦の形状は後の原潜のようなマグロやサメの様な葉巻型で
はなく、艦首などは第二次大戦時代の直線的なライ
ンを持ち兵器は魚雷でミサイルはない。離艦後、最
初に入館した建物に戻って、模型や兵器の各種展示
物をざっと見る。独立戦争中にブッシュネルが作った
最初の潜水艦タートル(レプリカ)、USSガトーの縮尺1/
6カットモデル、魚雷の構造、機関砲などを見て回り
潜水艦戦の記録映画を途中で切り上げ、ミュージア
ム・ショップを通って外に出ると予約していたタクシー
タートルとガトー級の模型
Turtle and Gato-class submarines model
が2台待っていた。ホテルに戻り荷物を持って男性は
歩いて10分ほどのミスティックの駅へ。女性は荷物と共にホテルの車で駅へ送られる。小さな田舎の駅でプラット・ホ
ームと外との仕切りがない。駅で待つこと25分。定刻の11時5分、アムトラックの列車がゆっくりと到着。車掌が高い
床まで重いスーツケースを引き上げてくれる。車両は座席車(Coach class)で自由席、空いている席にバラバラに
座る。ニューヨークまで3時間の列車旅だ。正午を過ぎ車内の売店で飲み物とサンドイッチなど各自買い求め昼
ミスティック駅フォーム、アムトラック列車
Mystic station,Amtrak and Coach class inside
食をとる。緑の景色がニューヨークに近づくにつれ、次第に茶灰色になり多くの落書きが目につくようになる。やがて
列車は地下に入り、午後2時過ぎにペンシルベニア駅地下ホームに到着。ホームには現地ガイドの宮城氏(鹿児島
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出身でみあんじょうと読む珍しい名前)が出迎えており、地上に出るとそこはマンハッタンの喧騒のど真ん中である。
ニューヨークも快晴であったが寒い。
2.ニューヨーク半日市内観光
早速、宮城氏の案内で専用大型バスに乗り込んだ。行程はペンシルベニア駅から南下し、時計の反対回りでマ
ンハッタン島を半周し、最後はセントラルパークの南西にあるホリデイ・イン・ミッドタウンホテルに至るルートである。
明日は終日、自由行動なので、各自の参考にとマンハッタン島の南北の道路Avenue(番街)、東西の道路Street(丁
目)の説明とポイントになるいくつかのランドマークの説明を受けた。最初はロワー・マンハッタンに向かい、ハドソン・
リバー沿いのグランド・ゼロと呼ばれるワールド・トレード・センター跡地で下車し、跡地が一望できる近くのビルに
入りやや上から見学。すでに、建築工事が進んでおり、中心となる建物は「フリーダム
タワー」で2013年の完成後は世界一の高さ541mになるという。ここで小休止をとった後、
マンハッタン島の南西端にあたるバッテリー・パークに向かう。バッテリーとはかってここに
砲台が築かれていたことからの名称で、ここで下車しパーク先端の岸壁まで歩いた。ほ
ぼ正面3km沖にリバティー・アイランドの自由の女神像があるが、曇ってややかすんでい
たために鮮明には見えなかった。ここから再びバスで東に向かい、マンハッタン島の東側
イースト・リバー沿いに北上する。最初にサウスストリートシーポートにある帆船のマストが
見え、ついで19世紀架橋工学の結晶と言われるブルックリン橋が見える。続いてマンハッ
タン橋、ウイリアム・バーグ橋を過ぎると薄いのっぽの国連ビルの建物が見えてくる。
国連ビルの前で下車し、横の広場にある大ききな金属製の地球儀をかたどったオブ
建設中のフリーダムタワー
Freedom Tower
ジェを見学しながら慌ただしく記念写真撮影。再びバスに乗りイースト・リバー沿いに北
上。アッパー・マンハッタンで西方向に曲がり、メトロポリタン美術館の正面を通り、セントラ
ルパークの南端で下車。多くの観光用の着飾った馬車が客待ちをしていた。ここで周辺の有名店など観光スポット
の説明を受けた。続いてミュージカル等の華やかなエンターテインメントで賑
わうブロードウェイ界隈を車窓から見学し、再びセントラルパークに戻り下車。
オノヨーコが寄贈したというパーク内の道路上にあるジョンレノンの「イマジン」を
イメージした装飾模様を見学。若きジョンレノンの写真と多くの花が捧げられて
いた。市街観光の最後は、生まれ変わったというハーレム地区を見学してホテ
ルに入った。ハーレムは清潔な町ではあるが、かつての状況を知らないのでこ
れといった印象は受けなかった。夕食は全員が同じ市内レストランでとった。
3.ニューヨークの自由行動
ペキン号他 Peking in East River
3月31日(木)朝小雨のち曇り。これまで東海岸の旅行は天気に恵まれてい
たが、初めて朝方小雨に降られたものの、後に雨も止んだ。今日は終日自由
行動の日であるが、午前中は全員でメトロポリタン美術館に行き、午後は個
別に分かれて観光することになった。美術館へは地下鉄の「コロンバス・サー
クル駅」から乗り、途中乗換えて「88丁目駅」で下車し徒歩で向かう。入館料
は20$/人。日本語のカタログとオーディオガイドはあるものの、限られた時間
では多くの作品を鑑賞することはできない。そこで分かれて、予めぜひ見た
いと思っていた作品を探し、鑑賞することになった。しかし館内はとても広く
メトロポリタン美術館
The Metropolitan Museum of Art
展示室も多いので迷って近くの館内スタッフに尋ねることが多く、目的の作品
を見出すことに結構苦労した。多くの人はマネ、セザンヌ、モネ、ルノアール、
ゴッホといった19世紀の主にフランスのロマン派から後期印象派までを中心とした絵画やレンブラント、フェルメー
ルといったヨーロッパ絵画の一部、ピカソなどの20世紀美術を中心に鑑賞した。あらかじめレイアウトと見たい作品の
場所を良く頭に刻みこんでおけばもう少し効率的に廻れたかもしれない。正午に入口近くの集合場所に全員が集ま
り、近くのレストランで昼食。ガイドの勧めもあったので、近くにレンブラント、フェルメールの絵画があることで有名な
フリック美術館まで歩き、全員入館した。個人のコレクションを、邸宅をそのまま美術館に増改築して1935年から公
開展示されているものであり、絵画の他に彫刻の傑作もある。当時の豪華な家具調度類も多数展示されておりメトロ
ポリタン美術館とはまた違った雰囲気であった。入場料12$/人。これ以降2グループに別れて行動することになった。
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第1グループは男性の大半で、マンハッタンの南端にあるサウスストリートシーポートミュージアムへ向かう。女性が中
心の第2グループは繁華街の5番街に行くことになった。
(1) サウスシーポートミュージアム
19世紀に賑わっていた港と街並みをミュージアムとして保存して残した地区であり、当時の帆船や博物館を見学
したいと出かけた。まず埠頭に行ったがミュージアムとしてのエリヤがよく分からず、やっとのことでビジターセンター
を探し、10$/人の共通チケットを購入。まず16番埠頭に停泊中のペキン号(PEKING)に乗船。ペキン号は1911年
ドイツで建造され、鉱物や穀物等の貨物船で南米航路に使用し、その後イギリスで訓練用として使用された。現存
ペキン号とデッキ
PEKING and her deck
アンブローズ号 AMBROSE
する帆船の中では世界最大級の一つである。1974年にイギリスから購入した。雨模様のウイークデーだが、大きな
船なのに見学者は殆どいない。そのせいかどうか船室内も汚れがひどく、室内掲示の説明パネルも少ない上にモノ
クロで鮮明さがなく、メンテナンスが充分にされていないような印象を受けた。続いてアンブローズ号を乗船見学した。
1908年に建造されたオフショア・ライトシップ(沖合灯台船)である。航行船舶を安全に誘導するためにニューヨーク
湾口に掘られたアンブローズ水路の入口を知らせるために真赤に塗装されている。全長41m、2本あるランタンマス
トは高さ20.4mである。雨や霧が深い時には強力なフォグホーン(濃霧号笛)で航路を知らせた。こうした沖合灯台
は1964年に海底に繋がれた4本足のあるタワーに代わった。隣の15番埠頭には1885年にイギリスで建造されたウ
エイヴァーツリー号(WAVERTREE)を係留していたが、時間がなく見学を取りやめ、近くのコーヒーショップで小休憩の
のち、ミュージアム棟を探し見つけたが、残念なことに休館中であった。
(2) 5番街から7番街の散策
女性中心の第2グループは繁華街の雰囲気体験から先ず観光名所の5
番街57丁目角にあるティファニーのニューヨーク本店に向かった。オードリ
ー・ヘップバーン主演の映画「ティファニーで朝食を」が大ヒットしたお陰で名
所になった。映画は夜明けにイエローキャブに乗ったヘップバーンが店の前
で下車し、店前の歩道でバーガーを食べてゴミをくずかごに捨てるだけのこと
で、お店とは何の関係もない。しかし、ヘンリー・マンシーニ作曲の主題歌「ム
ーン・リヴァー」の甘い調べがアカデミーの音楽賞を受けたこともあり店は一躍
ティファニー本店 Tiffany & Co.
有名になった。客で賑わう1階から2階に上がりネックレス、イアリング売場で
ケースを眺めていると店員がさり気なく個々の価格を教えてくれる。直ぐに円換算が出来ないような数字であるが、
ケースの中にある商品タブの表面には価格が記載されていない。もしや価格が間違っていないかと思い、たまたまタ
ブの裏側にある価格が見えたので較べてみたら一致していた。目の保養が終わって店を出てからブロードウェイ・
左からタイムズスクエア、ブロードウェイミュージカルディストリクト、ロックフェラーセンター
Times Square ,Broadway Musical District and Rockfeller Centers GE Builging
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ミュージカルに出かける方と散策組に分かれた。散策組は55丁目のディズニーストアで土産を買い、ブロードウ
ェイ通りと7番街が交差するタイムズスクエアーに向かった。ミュージカルのメッカ「ブロードウェイ・ミュージカ
ルディストリクト」地区は当日半額券売場が人だかりでダフ屋が声を掛けてくる。続いてニューヨークを代表す
るロックフェラーセンターの中で、クリスマスツリーとカウントダウンで有名な超高層GEビル前で小休止し、記念撮影。
GEビルは高さ260m、70階建で見上げても頂上が見えない。ビル前には万国の国旗とプロメテウスの黄金
像があり、半地下のアイススケートリンクでは寒さを感じないのか大勢がアイススケートを楽しんでいる。その外
に見たい所はたくさんあったが、日暮れになりホテルに帰った。
4. 東海岸から西海岸へ移動
4月1日(金)、ホテルのレストランで朝食をとり、午前9時に専用大型バスでニューヨーク・ラガーディア空港に向か
う。車中でガイドの宮城氏からニューヨークに長く生活しての感想や不動産状況などを聞く。「又のお越しを」の
話になったが、丁寧なガイドであった。ニューヨークからカリフォルニアまでのフライトはシカゴ空港乗換えの国内便
シカゴ空港の乗り換え
サンタアナ(ジョン・ウエイン)空港のコンコースとジョン・ウエインの銅像
Transit at Chicago O'Hare Airport
Santa Ana(John Wayne)Airport and John Wayne statue
である。国内便は座席が横4列の中型機で離陸してからシカゴ空港まで2時間41分。シカゴ空港での乗換待ち時間
は1時間12分の予定であったが、出発が遅れたために30分程度になった。手頃な時間と思ったが、シカゴ国際空
港は4旅客ターミナルと7本の滑走路を持つ巨大空港のうえ、到着ゲ-トから出発ゲートまで距離が長くて早足で
の移動になった。シカゴ空港からカリフォルニアのローカル空港であるサンタアナ空港まで4時間41分のフライトで
ある。シカゴの乗換に荷物の移動は間に合うか心配したが、到着するとコンベヤーから全員分出てきた。
サンタアナ空港は近くのニューポートビーチに俳優のジョン・ウェインが住んでいたことから、別名ジョン・ウェイン
空港とも呼ばれている。ロビーに身長の2倍程の銅像がある。空港ではSMA会員であり、ザ・ロープ名誉会員の小
森田氏と奥様のクレオさんの出迎えを受けた。小森田夫妻には以後フルアテンドで、随分お世話になる。
サン・ディエゴ見学記
土屋 勝司
San Diego report by katsuji Tsuchiya
4月4日(月)旅行の10日目。カリフォルニアのメキシコ国境
近くになるサンディエゴへの旅行である。朝6時40分に起き
てホテル内でパンとジュースを買い、部屋で簡単に朝食を済
ます。8時15分ハイヤット・リージェンシーホテルをチャータ
ーの真っ黒なバスに乗りサンディエゴへ向かってスタートす
る。運転は、チャーターバス会社の日本人社長の杉浦さんで
ある。同乗はSMAからビル・ラッセルさん、ダン・ドレッセルさ
んガス・アガスチンさん夫妻、小森田さん夫妻の6名、オース
トラリアからリチャード・キースさん、ケビン・ハドソンさん夫妻
の3名、フランスからミッシエル・マンテインさん、ジャン・ク ロ
空母ミッドウェイ前で記念写真
In front of USS Midway
ードさん夫妻の3名、それと私達10名を合わせて22名であ
る。サンディエゴまで160km、フリーウエーを100km以上のスピ
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ードで南へ向かう。1人で参加の私と塩谷さんはバスの最後尾に座るが、このバスのクッションが日本のバスでは味
わった事が無いくらい凄い。少し段差が有ると、天井に頭を打ち付けそうなくらいにバウンドする。腰痛になりそうであ
る。それでもフリーウエーの法面に咲く赤や白、ピンクや黄色の花々に癒されながら、佐藤さん、松原さんを交えてカ
メラ談義・模型談義にも花が咲く。佐藤さんのカメラは、出発直前に購入したと云う最新式のカメラで、なんと現在地
が分かるナビ付である。今どの辺りを走行しているかすぐ分かる。途中、ラグナビーチ辺りではフリーウエーに隣接し
て無造作に原子力発電所がある。日本では福島原発の事故があったばかりなので、よくこんな所に原発がと思って
しまう。低い草木の荒野を走り、海兵隊のキャンプ・フェンデルトンを過ぎると、入江・湖沼が散在し、そんな中に芝生
の庭つきの家々が散在し、とても綺麗な景色だ。サンディエゴ市内に入り、9時50分USS空母ミッドウエーに着く。空
母をバックに集合写真を撮る。カメラマンはガス・アガスチンさん、皆のカメラが10台以上集まりガスさんも戸惑い気
味だが笑顔でシャツターを押し続ける。入艦料はシニアで15$/人である。10時20分乗艦。日本語のイヤホンセット
を借り、館内を歩き始める。艦内に入るとそこは甲板の下の巨大な格納庫で、まずF4Uコルセアが有る。その他第
二次大戦時代の名機が並んでいる。各箇所に番号が有り、手に持った端末でその番号を押すと、その個所の案内
格納庫のコルセア F4U Corsair
オフィサー室 Officer Room
ブリーフィングルーム Briefing Room
が始まる。それぞれの個所で日本語案内を聞きながら艦内進む。セカンドデッキに降りると、オフィサー室やパイロ
ットのフライト前に行なわれるブリーフィングルーム、寝室、調理室、食堂などがある。各部屋には制服を着た人形 も
置いてある。船尾近くには各スクリュー軸に直結した蒸気タービンが見れる。1基53,000馬力で、4基では212,000
馬力に達する。端末で説明を聞きながら一回りし、フライトデッキに出る。デッキは長さ296mに及ぶ平らな滑走路で
ジェッ ト戦闘機の展示場である。古くはF9Fパンサーから、F9Fクーガー、A-6イントルーダー、F-4ファントム、F-18
蒸気タービン Turbine Engine
ブラスバンドの演奏 brass band
スカイレーダ- A-1H Skyraider
ホーネット、F-14トムキャットと雑誌「航空ファン」でお馴染みの名機が眼前に圧倒的に広がる。ジェット戦闘機に交じ
り、ヘリコプターや朝鮮戦争初期の名機スカイレーダーもあった。元プラプレーンマニア(私も30年以上前はそうであ
ったが)の安藤さんは、非常に詳しい。得意中の得意の分野である。広い甲板上で真っ赤な制服姿の小中学生ブラ
スバンドが「錨を上げて(Anchors Aweigh)」を演奏していた。集合時間にせかされて急いで艦を後にする。 私達男
性陣が空母を見学している間、女性陣はコロナドアイランド観光に行った。1800年代建造の超高級ホテル「デルコ
ロナド」へ入り、オースチン製の古い素敵なエレベーターに感動したそうで、「デルコロナド」の電気システムは有名な
エジソンの設計との事だ。昼食は湾内ツアーに出る桟橋でそれぞれ簡単 に済ませ、12時30分、ポイント・ロマ号に
乗船、サンディエゴ湾内一周のツアーに出港する。スター・オブ・インデア号、サプライズ号、ミッドウエーがどん
どん小さくなり、ノース・アイランド海軍基地の沖を先に進む。海中に浮かぶ桟橋状の筏の上で20頭程のシーライオ
ン(あざらし)がのんびりと寝そべっている。船は原潜基地近くでUターンした。 以前、基地にテロ攻撃があった事から
ガードが厳しくなり、1時間で一但帰港した。そこで新しい客をのせ、今度は反対方向のコロナドアイランドの南の周
遊をする。14時45分帰港し、映画「マスターアンドコマンダー」の舞台になったサプライズ号に乗船する。この辺り一
帯が、サンディエゴのマリタイムミュージアムとなっている。ようやく帆船クラブ本来の見学だ。皆サプライズ号各所の
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チェックに余念がない。「太いステイの芯に金属のワイヤーが入っている」とか「ハンギングニーが鉄板である」とか
「ガンデッキがなぜか80cm高くなって段差がついている」とか、チェックは厳しい。この帆船は1970年にアメリカで建
造されたレプリカ船「ローズ」を20世紀フォックス社が撮影のために買収し、船首、船尾楼などを大改造したもので、
船内ガンデッキの段差も時代考証によりその時に作った。ゆっくりと写真撮影をする暇もなく30分の見学時間が来て
しまい下船する。隣にあるミュージアムの外輪船「バークレイ号」は船内が船の資料などを販売する売店が主体であ
ミッドウェイ USS Midway
サプライズ号 Surprise
あざらしの昼寝 Sea Lion
る。16時にはその隣に係留している帆船スター・オブ・インデア号に乗船する。ここも見学は30分しか時間が無い。
内部と甲板上を一巡し16時30分にサンディエゴを出発。18時にホテルに到着しホテル内レストランで各自好みの
夕食を済ます。こちらの料理の量は1人前がほとんど私達の2人前である。一人で参加の塩谷さんと私はいつも二人
で一人前を注文する。今夜は豪華にヒレステーキのレアーを注文した。二分の一で丁度良い量だ。別にオニオンス
ープを取り、会計は1人30$(2,550円)であった。
同好会の展示会レポート
JSMCC Member's Exhibition Report
横浜帆船模型同好会 「第33回世界の帆船模型展」 を訪ねて
The Yokohama model ship club Exhibition Report
猛暑の7月13日(水)から18日(祝)までの6日間、横浜帆船模型同好会の第33回帆船模型展が開催された。
会場は昨年から利用している横浜「みなとみらいギャラリー」のクイーンズモールで、最寄りのアクセスはJR、地下鉄、
東急東横線の桜木町駅から徒歩。最終日の18日、駅から横浜ランドマークタワーに向かいエスカレーター、歩く歩
日本丸の全展帆 Nipponmaru
クイーンズモール Queens Mall
展示会場 Exhibition Hall
道を行くと帆船「日本丸」でボランティアによる展帆が行われていた。海の記念日で祝日のためか、人通りが多くビル
の商店街、展示会場もお客が多い。展示作品は56点に特別出品の船首像が8点である。今回の展示品の中で新し
い作品、新しく工夫されたテクニック、ユニークな作品および精密に作られた作品をピックアップした。 富井さんの縮
富井 浩さんのパンドラ
Tomii's Pandora
濱中 聖之進さんのフリースランド
Hamanaka's Friesland
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西谷 眞宏さんのムーレタ
Nishitani's Muleta
尺1/64「パンドラ」1779年、イギリスで建造された砲24門のフリゲート艦でコンウェイ社のアナトミーシリーズを基に構
造模型として製作している。もう少しで完成する状態で、フレームやビームの工作が素晴らしい。 濱中さんの縮尺
1/75「フリースランド」は昨年、ロアーマストにロアーリギングの状態で出品していたものにヤードとリギングを取り付
けて完成させた作品。見所は昨年と変わらないが、完成してみると見事なバ
ランスで仕上がっている。船首・船尾の飾り彫刻は厚紙とエポキシパテから
作られている。パテ細工でここまで仕上げる技量は、カーモデルのワイヤー
ホイール作りで培った繊細加工テクニックの延長か?。また、塗装もドライブラ
シでアンティーク感を出している。次ぎに宮島さんのレリーフ「コロンブスの航
海」がユニークである。図書館でコピーした絵を基に掘り出したもの。絵は神
話の世界らしくダイアナ、ポセイドン、ヘラクレスに地獄の番犬ケロベロスが登
場している。お話の内容は判らない。彫刻の素晴らしさは流石に宮島さんで
宮島俊夫さんのレリーフColumbus' Expedition ある。
ザ・ロープオーサカ創立35周年記念「木製帆船模型展」を訪ねて
The Rope Oosaka 35th Anniversary Exhibition Report by Taketoshi Tanaka
田中 武敏
7月17日(日)猛暑の中を、オーサカ帆船模型展をお祝い兼ねて訪問しました。展示会は7月16日(土)から18日
開場入口 Entrance
会場風景 Exhibition hall
スタッフ一同 Staff
(月)まで3連休を使った3日間であるが、今回は35回記念展でもあり、会場内は来場者が多く、正に熱気むんむんと
云った感があった。展示会の歴史は、同好会のJSMCC内では当会に次ぐ実績です。今回の出品数は、50作品。
内訳はキット及びそのレベルアップが28,スクラッチビルドが22作品。その中で今回の特徴でもあるが、畑会員の
個人展(10作品)が会場の一角を賑わしていた。大森会長にお聞きすると、出品実績が10作品以上になると個人展
が開催できるルールとの事。しかしここ10年以上、個人展はなかった由である。また、会場奥には故・白井元当会副
会長のビクトリー(1:48)が記念展に華を添えていた。今回の展示会を拝見して、一番に感じた点は「こだわりの作品
畑会員の個人展(10隻)
Hata's Individual Exhibit.
早川会員のローラ
Hayakawa's Rola
大槻会員のキャロライン
Ootsuki's Royal Caroline
-ここまで凝るか!」が多い事である。順不同で独断と偏見で一部だけ紹介します。早川会員「ローラ」(米、1868、
1:30)スクラッチでNYベイスループの原点を忠実に制作。当時のセンターキールは木製で、重しの為に中央に鉛を
埋め込んでいたとの事。30cmの小作品ながら細部まで美しい。大槻会員「ロイヤル・キャロライン」(英、1749、1:47)
スクラッチで塗装はせずにパーツ毎に木材の種類を代えて使用しており誠に美しい。加えてキャップスタン、キャビ
ン入口ドア、碇やマストトップなどの手作りはまるで家具職人をしのぐ出来映え。中嶋会員「HMSエレファント、フリー
スランド」氏の制作スピードは驚異的で、キットを使用した年間の制作は何と5隻。このスピードはとても真似は出来な
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中嶋会員のフリースランド
Nakajima's Friesland
尾崎会員のラ・クローン
Ozaki's Le Couronne
持麾会員のHMS ビクトリー
Mochizai's HMS Victory
い。接着剤には全て瞬間接着剤使用しているとの事。尾崎会員「ラ・クローン」(仏、1636、1:115)は金属部分も含
めて全てスクラッチ。蝋付けには氏が開発に携わった低温粉末銀ロウ付けを使用。この細密な作品には京都の伝統
工芸分野から表彰を受けた由。持麾会員「HMSビクトリー」(英、1805、1:72) スクラッチビルトで5年目の根気には敬
服。細部まで忠実。片岡会員「HMSダイアナ」(英、1794、1:64)ジョティカ社のキットのバランスが良い作品。畑会員
は1984年~2011年にかけて制作された力作ばかりの10隻で、構造模型に魅
せられて全て手作りを実践。今年制作のHMSキングフィッシャーも素晴らし
い出来映え。その他素晴らしい作品も多いが、ここで書ききれないのが残念
です。終了後に大森会長から、今年から帆船模型教室および子供向けの親
子帆船教室を「なにわの海の時空館」で開催計画中。当会にそのノウハウの
提供依頼があったので快諾しました。併せて会場には、札幌帆船模型同好
会の小林会長が来られて、JSMCC活動の件で打ち合わせをする良い機会
を持つことが出来ました。小林会長と共に、終了後のパーティー更には2次
片岡会員のダイアナ
Kataoka's Diana
同好会からの便り
会にも参加させていただき大いに懇親と船談義に花を咲かせてきました。
JSMCC Member's Letter
福島帆船同好会 「吉田会長の思い出」
The recollections of Mr. Yoshida,Fukushima's chairman by Kazuko Sasaki.
事務局長
佐々木 和子
始まりは平成2年1月の“ザ・ロープ展”でした。銀座・伊東屋さんで開催の展示会に伺い、受付で“福島市”と記帳
すると「2、3日前にも福島から来た方がいますよ!」という思いがけない言葉に心が躍りました。その方の名前と住所
を聞き、3月頃に相馬市の鈴木琢磨さんを訪ねました。初対面にも関わらず帆船模型の話で意気投合し、「近々帆
船模型の展示会を開きましょう」という話まで盛り上がりました。二人の帆船模型を合わせると10隻余り、あと何隻あ
れば?・・・そこで「せきや模型店」の前社長に相談したところ「帆船模型を作っている人たちに声をかけてみます」と
のこと。その後、展示会開催が実現して、10月10日の福島稲荷神社大祭に合わせて、会場はSEKIYA(模型店)3階
例会 Reguler Meeting
第17回模型展 The 17th Fukushima Exhibition
のホールを提供していただき開催しました。ちょうどその頃、ザ・ロープ山形で帆船模型展示会を開催していることを
知り、会場づくりの参考にしようと見学に行きました。大林さん(ザ・ロープ山形会長)に会い、早速、福島でも展示会
を開くことを話すと会場に来ていたザ・ロープの小林正博さんを紹介していただきました。「まず、アンケート用紙を作
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り、仲間を集め“模型の会”を作ること!」と勧められました。また、模型作りの話では木へのこだわり木肌のまま仕上
げること、部品も手作り・・など小林さんの熱意が伝わってきて、圧倒されると共にいろいろと刺激を受けました。ただ、
無念だったことは開催直前、展示会を楽しみにしていた鈴木琢磨さん訃報の連絡が入り、素晴らしい作品がすべて
遺作となってしまったことです。その後、同好会を設立しようということで、せきや前社長と相談し、いろいろな会の名
称が提案されましたが、『福島帆船同好会』に決定しました。最初の会員は会場アンケートにより希望の17名で、ま
た、その中から鈴木 栄一さんを会長として同好会がスタートしました。・・・そうして、始まった 『福島帆船同好会』も
設立から20年!。20年と言えば、成人式です。当会もやっと一人前の会となったのかもしれません。振り返ればい
ろいろなことがありました。いつも活発に活動できていた訳ではありません。ほとんど活動もなく、名ばかりになった時
もありました。会員も20名を超えることはなく、新陳代謝(?)を繰り返しています。現在、会員は17名。皆さんの住ま
いは福島市内ばかりではなく、県内のいろいろなところ、三春・猪苗代・郡山・二本松・いわきと多彩です。それに最
近は栃木県の方もおいでです。そうそう、東京からの参加もあります。奇数月に例会を開催し、秋に展示会を開催す
るのが大まかな会の活動です。例会は1月新年会、11月は展示会です。そうです、展示会!毎年恒例で11月前後
の“芸術の秋”に開催しています。第9回展まではSEKIYA3階のスペースでの開催でしたが、第10回からその前年
にできた現在の“ふくしましんきんギャラリー”での開催になりました。今年は3月11日の大震災以来全国の皆さま
にご心配いただいている福島ですが、以前と変わらぬ毎日を送って
います。福島は本来、人も土地も穏やかで食べ物も空気も景色もい
いところです。同好会の活動も皆さんで和やかに楽しい時間を過ご
されています。例会はいつも後半のフリートークを楽しみしていらっし
ゃるように思います。製作途中でわからないところがあれば、何人か
がそれぞれの方法を教えあったり、時には実技も含め、ワイワイガヤ
ガヤです。その輪がいくつもできることもあります。そして、不思議な
のは船のことを話し始めて、いろいろと話しの世界は拡がるものの、
第18回木製帆船模型展 会場
The 18th Exhibition hall
最後は船の話しに落ち着きます。ほんとに皆さん、船がお好きなのだ
と思います。この頃は第18回展示の準備で忙しくしています。一時、
開催が危ぶまれましたが、会員の熱意と全国の仲間からの応援で予
定通り展示会を開催しました。第18回展示会の会期は10月27日
(木)から11月8日(火)までです。趣味の仲間はほんとうにうれしいもの
です。ありがたい。今回はザ・ロープから10隻、横浜帆船模型同好会
から4隻、マイ・シップ・クラブから4隻、神戸帆船模型の会から1隻、
仙台帆船同好会から2隻、ザ・ロープ山形から3隻の友情出品があり、
それに福島帆船同好会の32隻を合わせ56隻の作品を展示していま
す。また、開催前日にはザ・ロープ、横浜帆船模型同好会、神戸帆船
第18回展の設営が終わって記念写真
模型の会、仙台帆船同好会他の出品者方々がお越しになり歓談しま
Hall management staff
した。同好会皆様のご来場をお待ちしています。
仙台帆船同好会の現況
代表幹事
堀江 昭男
The situation of Sendai sailship club by Akio Horie
2005年5月、「仙台帆船模型製作研究会」として発足し、2011年6月に
会の名称を「仙台帆船同好会」に変更した。会員数20名で、会長は佐藤
恵太郎氏です。会の結成は仙台市内の某カルチャースクールで佐藤恵太
郎先生が「男のための講座」がほしいと頼まれたことが発端になった。スク
ールで「夢の帆船模型をつくる」講座を開き、生徒は最初3人であったが、
その後次々と人数が増えてきた。 作品数も増えたので帆船模型の魅力を
広く皆さんに知って貰らうため2006年10月、第1回作品展を東北電力グリ
第1回作品展 The First Exhibition
ーンプラザで開催した。会期は6日間であったが、来客数は2000人を超え、
帆船に関心のある人が多いことを実感した。以来、今年の2月まで作品展 を5回開催してきた。次の第6回作品展
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に向けて準備を始めようとした時に東日本大震災に見舞われた。会員の
中には船が壊れたり、工具類をなくした人が多く、現在も立ち上がれない
状態なので作品展は延期しました。今後、開催するときは皆様にお知らせ
します。当面の活動は節目ふし目の飲み会、秋は紅葉時などに集まって
情報交換の場を持ちたいと考えています。私達はまだまだヒョッ子もいいと
ころなので、JSMCCの皆様には今後もよろしくお願いします。
左の写真は土曜日の昼下がりにメンバーが集まった時のもの。当日集ま
れなかった方が4名いるが、帆船の魅力で集まるメンバーのチームワーク
メンバー Members
新刊案内
はバッチリだ。
BOOK NEWS
図説
英国の帆船軍艦 帆船の誕生秘話
BUILDING THE WOODEN FIGHTING SHIP by James Dodds and
James Moore 1984 ジェ-ムズ・ドッグ/ジェ-ムズ・ム-ア(渡辺 修治訳)
18世紀中頃、木造帆船の建造技術は進歩の極に達していた。当時のイギリスは帆
船軍艦の建造を重要視しており、建造費も高価だったため木材の調達にはじまり、
造作から、艤装、兵装の仕事、さらに建造にかかわった各種職人にいたるまで正確
な記録が残されている。本書は帆走軍艦の最高傑作と言われる74門艦の「サンダラ
ー」について、その誕生から、材料、設計図、部品製作ね規格の説明および兵装ま
で建造の課程を多数の図版で解説したもの。さらに職人達の暮らしや働きぶり、さら
に秘話などのエピソードも交えて解説している。 A5変型234頁、2011年7月25日
刊、原書房、定価3,990円
ISBN4-562-04722-2
訳本の初版は1995年
原書房から出版、本書は再販本。 注文はインターネットからも可能。 www.harashobo.co.jp/
支払はブックサービ
ス(株)扱い代引きの場合、送料無料+手数料200円。 なお、現金書留(前払い)も同額になる。
会の行事予定 The Events Calender
平成23年11月から平成24年4月までの行事予定
年月
23/11
12
幹事会
発表会・例会【会場:サリュ・コパン】
4日(日) 14:00~17:00 例会・忘年会 11日(日) 12:00~17:00
24/1
2
4
研修会【会場:貸会議室・内海】
第3回 26日(土) 13:30~16:30
第4回
28日(日) 13:30~16:30
19日(日) 14:00~17:00 発表会・例会 26日(日) 12:00~17:00
第37回ザ・ロープ帆船模型展 15日(日)~21日(土) 10:00~19:00 東京交通会館B1ゴールド・サロン
*帆船模型教室の予定
11/13、12/4、24年1/15の日曜日、10:30~12:30
会場はルノアール貸会議室銀座6丁目店1号室
ザ・ロープ事務局 塩谷 敏夫
〒338-0816 さいたま市桜区塚本 323-34
メール toshioshioya@ybb.ne.jp
ザ・ロープ ホームページ
JSMCC ホームページ
会費の入金口座
http://www.geocities.jp/therope1204/index.htm
http://www.geocities.jp/jsmcc1204/index.html
【郵便振替】 口座番号:00120-1-187264
加入者名:ザ・ロープ
【銀行振込】 みずほ銀行銀座中央支店 普通預金:2142080 口座名義:「ザ・ロープ 会計 岩本和明」
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