在北米日本人研究の栞 第2号

東京 文・生書院
1
The Bulletin of the Publication Project for Japanese in North America
[奥泉栄三郎
]:
(JINA) No.2 (October, 2006) Editor/Okuizumi Eizaburo[
奥泉栄三郎]
[小沼良成
] Bunsei Shoin Tokyo,Japan
小沼良成]
Publisher/ Yoshishige Onuma[
目次
﹃座談会﹄
滞米日本人の情報と生活 ︱ 歴「史と現在
日時 2
: 005年1月12日午後6時半より
場所 シ:カゴ大学・ファカルティークラブ
」
頁
出席者︱坂口満宏 ︵京都女子大学教授・文博︶三竹大吉︵:紀
:
・
伊国屋書店サンフラ ンシスコ営業所々長︶竹・内清太︵中
: 西部
頁
日本人会・シカゴ日系人会々長 )・
土屋裕敬︵同
: 上会々報編集
担当 奥
)・泉栄三郎︵シ
: カゴ大学図書館・司会︶
新異国異聞②
日本開国以前の情報主導情景 ︵1︶ 奥泉 栄三郎
﹃在北米日本人の記録﹄
第一期刊行ご案内
﹃在北米日本人の記録﹄
第二期刊行ご案内
﹃パイオニア情報館 2
(︶人物情報編﹄拾遣 ①①①①①
12
3
本誌は弊社刊行の
第2期の刊行に際して、可能
「初期在北米日本人の記録」第2期
な限り配本に併せて発行しようとするものであります。
下記にご意見ご
感想をいただけますれば、
本誌に掲載いたします 叉原稿をいただけます
れば、本誌に掲載いたします。掲載の採否などは弊社にお任せください。
〒 113-0033 東京都文京区本郷6−14−7電話:81+(0)3-3811-1683
Fax:81+(0)3-3811-0296 e-mail: editorial@bunsei.co.jp
2
﹃座談会﹄
滞米日本人の情報と生活 ︱ 歴「史と現在
」
司会 :
今回は皆さんには多忙のところお集まりいただき
ありがとうございます。只今から約1時間程、異
色のテーマと異色な顔合わせで座談会を進めて参
りたいと思います。本日は﹃新風﹄の完全セット
をいただいたり、歴史家で広義の﹁日本人アメリ
カ移民史﹂を手掛ける坂口先生にもご参加してい
ただいております。また本日は例年に無く暖かい
日でした。この座談会も心に温もりを感ずるよう
な話題と情報の交換になればと思います。お食事
をいただきながら、お気軽に御発言下さい。それ
では、早速ですが、まず自己紹介からはじめてい
ただきましょうか。
坂口先生からいかがですか?
坂口 :
京都女子大学の坂口満宏です。北海道生まれです
が、同志社大学に進んで以来、関西で暮らしてい
ます。そして今は、2004年4月から1年間、客
員研究員としてペンシルバニア大学の東アジア研
究センターで勉強しております。過去10年あま
り、アメリカに渡った日本人移民の歴史を調べて
きましたが、今回は視点を変えて、アメリカから
日本へ渡ったキリスト教宣教師、特にクエーカー
︵教徒︶と呼ばれた人たちと日本との関わりに焦点
を当てながら、その平和運動や日本人移民支援活
動について勉強していす。
司会 :
坂口先生が移民史に興味を持った動機について、
少々お話ししていただけますか?
坂口 :
それは今から15年前、初めてシアトルを訪問し
たときのことです。ワシントン大学が所蔵する﹁北
米日本人会﹂の記録に出会
いました。それは1890
年代から1940年に至
る膨大な日本人会の文書
で、会報や日本語学校の書
類、各種統計資料が含まれ
3
ていました。明治生まれの一世たちが書き残した
ものですので、毛筆の手紙もあれば英文タイプの
書類もありました。それら2万ページ分がマイク
ロフィルムに収録されていたのです。かねがね、ア
メリカに渡った日本人移民の生の声を再現しなが
ら歴史を描いてみたいと思っていましたので、こ
の資料と出会ったことが私の移民史研究の原点と
なりました。そして当時の人々の記録を丁寧に読
み解いていくと、アメリカに生きた移民の人々の
声が、出身地日本と定住地アメリカの双方に発せ
られていることが分かり、
﹁在米日本人﹂と呼ばれ
た人々の生活空間が、日本とアメリカの二つの文
化が交わりあった、ゾーンとでも呼ぶべき世界で
あったことが分かりまし
た。
そして、ここシカゴは、第
二次世界大戦後、シアトル
から再定住した人々が多い
土地だと聞いています。そ
の意味においてもシカゴを
訪問できたことに歴史のつ
ながりを感じています。
司会 :
坂口先生、ありがとうございました。太平洋の双
方の史料と情報を緻密に調査・研究した成果には
敬服いたします。また、追って質問させていただ
いたり、われわれに答えさせる質問を出して下さ
い︵笑い︶
。それでは右廻りで土屋さん、自己紹介
を・・・。
土屋 :
出身は千葉県です。家族は大学生の長男︵19歳︶
と高校生の次男︵15歳︶
、それに妻と私の4名で
す。
息子2人は日米二重国籍です。日本の大学では
︿アメリカ研究﹀
︵ American Studies
︶を専攻しま
した。そこで知り合った米人の妻とは日本で結婚
し、1984年にシカゴに来ました。ですから、滞
米年数は20年になります。 現在は Mid-America
︵略称:マジャック: MAJC/JAAC)
Japanese Club
の会報﹃新風﹄の編集をし
ています。﹃新風﹄はこの会
の発足直後から発行が続
いており、この8月には5
0号が発行される予定で
4
本語です。
彼女は翻訳の仕事などの校正、
プルーフ・
す。
2003年から2004年にかけて、シカゴで
リーデイングなどで手伝ってもらっています。
も日米150周年の記念行事が数々行われ、
それに
因んだ記事を﹃新風﹄でも特集しました。今後も会
員の活動報告と平行して、
在米日本人と日系人の足 司会 :
跡を辿る記事も大いに掲載していきたいという希望
土屋さん、どうもありがとうございました。それ
をもっております。職業は渡米後、翻訳・通訳・コ
では次に三竹さんに自己紹介をお願いいたします。
ンサルティングをしており、技術・ビジネス・法律・
三竹 :
医療などを主なサービス分野としています。
米国紀伊国屋書店の三竹と
申します。出身は神奈川県。
司会 :
土屋さんもシカゴ入りして以来20年にもなりま
現在サンフランシスコに家
すか。私と同じ時期ですね。もっとも私は、ワシ
族と暮らしています。 家内
ントンDC経由でして、あそこに約10年、意外と
と子ども二人︵高校生の長
頑張りましたよ。今からみればです︵笑い︶
男と二男︶の4人構成です。
。さて、
土屋さん、お話を伺っておりますと、いよいよ公私
今度の3月で丸4年の滞米となり、その前にシド
の活躍に油が乗ってきて順風ですね。
ニーに2年半、シンガポールに7年半、都合14年
家の中では英
語が日常語ですか? 奥様も土屋さんの本業をヘル
の海外生活となっています。
仕事は大学など研究機
プしておりますか?
関に学術書やサービスをご提供する仕事です。
いわ
ば書店の外商部門ですが3ヶ国でそうした外商部門
の立ち上げに関わってこれたことは私自身にとって
貴重な経験でした。
本日の坂口先生とは出版社を通
して面識を得、
奥泉様とは日頃書物を通じてお世話
土屋 :
我が家では息子達同士では英語、親と話すときは
チャンポン。英語が中心ということです。妻とは日
5
竹内 :
私は名古屋出身です。 シカ
ゴでは妻と私の二人暮しで、
シカゴ生まれの娘はこちら
のハイスクール卒業後一人
で日本へ戻りました。 娘に
は シ カ ゴ に 因 み
=志佳子 ・ア
Chicagoanne
ンヌと命名しました。
アメリカ生活の第一歩を19
63年12月7日ハワイのホノルル空港で踏み出し
フランシスコを中継地点に北米全土へ良質のサービ
になっております。
スを普及させたいというのが希望でしょうか。
アメ
リカの研究図書館を見ていて感じるのは、
選ばれた
司会 :
良質の本があるべき場所にあり最高の環境で提供さ
三竹さん。三竹さんも男子高校生2人の教育とサ
れているということです。司書の方は︵いわば︶そ
ポート、ご苦労様です。歴史的にいえばサンフラ
この番人でもあり利用者とのコーディネーターで
ンシスコは渡米日本人の表玄関の役割を果たして
す。
同時に歴史の重みをとても感じさせてくれます
きた街であったわけですが、それは同時に日本情
ね。とても。
報の中継地点でした。その意味で三竹さんが今、常
駐・専任で、日本発の情報・知識・文化産業を展開
なされていることは、頼もしいですね。地味なお 司会 :
では、今度は竹内さんお願いします。
仕事ですが、歴史の継続性や文化面でとらえると、
これは古くして新しいお仕事のタイプですね。米
国人の研究者も含めて人脈・ネットワークの構築
が必至でしょう。敢えて今後の目標や抱負といっ
たら・・・?
三竹 :
我社が34年前、海外に初めて店舗を構えたのが
サンフランシスコでした。
営業所を正式に設立した
のが4年前ですから実に30年を経て外商の第一歩
を踏み出したことになります︵笑い︶
。ご指摘の通
り昔も今も日本発の情報を取り扱っています。
サン
6
ました。
シカゴでの生活は1964年2月から始ま
り40年の年月を楽しませてもらっています。
只今
バイオ・メディカル関連の自営業をしており、20
03年4月から2005年3月まで2年間日本人ク
ラブの会長役を奉仕させていただいています。
司会 :
竹内会長の︿シカゴ生活40年﹀は5年周期でドラ
マチックに動いた、と聞いています。なんでも、何
でも楽しんだ最初の5年間は独身時代で、
次の5年
間は面白いほど事業がうまく行って、その次がド
ル・ショックで苦境の5年間でしたですね。そんな
時でもニコニコと楽観主義者でおられたんですか
︵笑い︶
。え?、奥様もコボされた、違いますか?︵ま
た笑い︶
竹内 :
いろいろありましたよ。気が付けば自己流の努力
もして来たんですね。
その5周年説でいえば平成1
7年は右肩上がりの︿助け合い・協力﹀の時代で
す。感謝してます。
司会 :
それでは最後になりましたが、
私も自己紹介をひと
つ。
群馬県の出身で奥泉栄三郎です。名前だけは立
派ですが、精神は︿たそがれ侍﹀風、身体にはヤヤ
陰り、といったところです。私の滞米生活も30年
を越えて参りまして、
現役の世界では古参の一人と
なりました。5歳で一緒に連れてきた﹁子供たち﹂
も既に結婚し一人はアトランタ︵小児科医︶、あと
の一人︵国連系弁護士︶はベルギーに定住です。現
在はアフリカ駐在です。
本年は2人目の孫の誕生を
期待しています。アメリカの良いところでしょう
か?子供たちは大学を出てからも、
シカゴ市内の日
本食堂で働いたり、セスナ機の操縦などに興じた
り、
東南アジアの研修に出たり、小心な父親として
はハラハラの連続でした。双生児の﹁娘たち﹂だっ
たから余計です。
仕事ですか?本業は相変わらずボ
チボチです。それではここらで一休止しましょう。
︵笑い︶
司会 :
自己紹介やご発言が一巡しました。それでは、や
や突っ込んだテーマを話題にしてみましょうか?
7
先程から坂口先生も何かと関心を寄せられておら
れるようですね。
坂口 :
ええ、それではこんな良い機会に遠慮なく質問さ
せていただきます。シカゴ周辺に暮らす日本人や
日系人にとって、日本人会や日本人クラブの果た
してきた役割も時代の移り変わりのなかで変化し
てきたことと思います。日本人会の活動の盛衰や
日本人クラブ誕生のいきさつ、今求められている
ことなどについて教えていただきたく存じます。
司会 :
なるほど。いろいろ見方はありましょうが、竹内
会長の目からみてご感想をお聞かせくださいます
か?
竹内 :
私どものクラブは1993年3月に設立されたも
ので、新一世と呼ばれる団塊の人たちが共済・相
互扶助をはじめ数件のミッションを掲げていまし
た。1998年には大先輩団体であったシカゴ日
系人会を合併・吸収するという、会にとっては大
きな節目がありました。引き継いだ行事の一つに
︿日本祭り﹀ があります。 また、そのあとに別団
体であった JWV
︵ Japanese Women's Volunteers
︶
の行事 <Charity Yard Sale>
も引き継いで、 こ
れがもうひとつのメイン・イベントとなっており
ます。毎年、地元周辺の意義ある団体や事業に寄
付して来ています。
﹁ギブ・アンド・テイク﹂
、善
意は回りもの・・・というか、善いことを事とし
てこそ各方面から我々のクラブと︿日本祭り﹀へ
の協力・支援が得られるものと信じています。
役員・理事の運営チーム︵金銭的に無報酬の経営
陣︶を維持していくことは終わりのないチャレン
ジ事項であると思います。ボランティアー集めと
か、メンバーを増やすことは我々のクラブだけで
なく、どこでも苦労しているようです。
この傾向は発起人たちが情熱をもち希望に燃えた
創設時代から、10年も経った今ではマンネリ化
や﹁くたびれ﹂が目立つようになります。諸行無
常、ハイテク時代の流れは激しくて、 経済環境、
8
個々の生活環境、健康環境などボランティアー活
動をするこころの余裕を減少させていることを認
識させられます。私がリーダーになろう・・・と
自信をもって言い出せる人が少なくなった世相だ
と思います。これからの組織運営に於いてはメン
バーたちが特定の強いリーダーに依頼心を持ち過
ぎると、中々役員になる人が出てきません。たと
えば、大小を問わず一つのプロジェクトを三人の
世話役がサポートし合って、 必要なボランティ
アーを集める方法も必要だと思います。お手伝い
はしますが、﹁長﹂のタイトルがあるリーダーは
仕事の関係で無理です・・・と心情を打ち明けら
れると強引に頼めなくなります。また、よその諸
団体とネットワークを組んで効率を上げるアイ
ディアも育てる努力が必要と思います。ただ、他
の団体との共同の催しとなると﹁人の協調﹂とい
うもっと難しいものに対応する必要があります。
も根気よく人の養成を続けてゆく
要するに、 NPO
ことですね。年齢層というのか、団塊というのか、
空間が大きく空くと苦しくなります。終わりの無
いタスクでしょうね。
坂口 :
だいたい私の想定した情報が得られました。
ありが
とうございました。現役のリーダーの言葉として
説得力があります。もうひとつ、聞きたくてしょ
うがないことがあります。 奥泉さん、いいです
か?
司会 :
どうぞ、どうぞ。
坂口 :
アメリカに20年以上滞在され、すでに永住権も
お持ちになっている方々にとって、
日本政府や日本
企業に期待すること、求めることとは何でしょう
か?
司会 :
さあー、困りましたね。どなたか名回答を出して
いただけますか?竹内会長かな、この問題は。
竹内 :
大きく絞ればこんなことではないでしょうか。こ
9
ころの通ったコミュニケーションの出来る環境つ
くりに双方が努めることでしょう。
根気よく相手と
知り合おうとする意欲が必要ですね。
しかし現実に
は立場が一見﹁月とスッポン﹂ほどの違いがあれ
ば、接点つくりは難しくなりましょう。私たちマ
ジャック︵MAJC︶は個人の集団で構成された
小さな団体です。ですから政治力は特別に無かっ
たと思います。これからはこのあたりも研究すべ
き点でしょうか。私自身は﹁こころ﹂のつながり
を道具にして工夫の出来るクラブに育てることが
善いことと思っています。
司会 :
同感ですね。ギブ アンド テイクの精神が基盤
ですね。広い意味の善意発動でしょョ。いろいろ
な機会に日本人社会の総合力をこの国の一般社会
のために提供していただきたいと思います。それ
と同時にわれわれもこの社会から提供してもらえ
ること、参加の機会、こんなものがたくさんあり
ますね。日本政府や日本企業に期待することと、求
めることは、大アリです。同時に、われわれも何
か出来ます、
という時代にさしかかって久しいと思
います。︿共生﹀の時代、市民社会、グローバル
化時代などという場合、そういう意味合いがある
かと思います。現在、数字でいいますと、米国に
は百万人の日系人とNYだけでも6万人の在留邦
人がおります。我々はこのグループのどちらかに
所属中です。何ダースという日本の中小都市の総
人口に匹敵します。これは日米両国のグレート・
パワーですョ。ところで、出版関係では大企業の
三竹さん、開き直って、在米邦人社会や日系人会
に逆に望むことと言ったら ・・・・・。
三竹 :
ウーン。これはまた難しい︵笑い︶
。やわらかく言
えば、竹内さんや奥泉さんがおっしゃったような
ところに帰着することになるん
じゃないでしょうか。 この先は
将来の宿題にさせて下さい。
司会 :
三竹さん、 うまく逃げたんじゃ
ないですか。アレ、隣の部屋の明
かりが消えましたネ。 閉館時間
10
のようです。今回は竹内会長はじめ皆さんに、本
音の本音をチラッと披露していただきました。各
位各様の﹁人生﹂を彷彿させる情報が出揃いまし
た。坂口先生は在外研究期間満了で3月末にご帰
国と伺っております。どうぞ、これからもお元気
で良い成果を発表してください。
所感 座
:談会には2倍の時間を費やしてしまった。
全員居心地が良かったに相違ない。坂口先生は進
行中の研究プロジェクトを自家製紙芝居よろしく
披露された 写(真 。
小
) 道具良し内容良しの極み。2
005年の新春にあたりシカゴ大学図書館では、
広域シカゴ在住日本人および日系人そしてシカゴ
市民の情報を満載した﹃新風﹄や﹃シカゴ新報﹄
︵マ
イクロフィルム版の2003年まで︶を入手した。
前者が約10年の歴史、後者は堂々の創刊60周
年目に入った。これらの文字・画像媒体は、現在
においても将来においても利用・閲覧するという
場では、
﹁公共遺産﹂と呼ぶにふさわしい。勤務先
の図書館蔵書は、日本語書籍だけでも20万冊を
突破しています。日本に関する研究・教育と関連
情報の蓄積・発信・デジタル化の諸領域では、将
来があるのではないかと感じています。蛇足なが
ら、この座談会には女性のご参加が得られません
でした。原案には紅一点の名が上っていたのです
が、急用のためお見えになれませんでした。次回
に期待しましょう。皆様、更なるご奮闘とご発展
を、そしてご協力の程を︵司会者︶。
豆事典 :
︿移民﹀ という言葉は、 時と
場所により漸次使用されなく
なっており、一方で日系人を
含めた︿アジア系アメリカ
人﹀ (Asian
American)
が新
用語として定着しつつある。
一方、日本国内では︿海外日系人﹀をして﹁日本
から海外に本拠地を移し、 永住の目的を持って生
活している日本人並びにその子孫で、 国籍、混血
は問わない﹂ と定義している︵海外日系人協会 ・
東京︶。そして、彼らの90%が米国とブラジルの
両国に集中しており、 そのうち約33万人が逆流
︿在日日系人﹀ であるという。 海外日本人人材の増
加傾向、質的な多様化・高度化の中で、如何に連
携強化のネットワークが構築出来るか、 この点が
新しい世界を開く ﹁鍵﹂であるだろう 奥
( 泉記 。
)
11
日時: 2005年1月12日午後6時半より
場所:シカゴ大学・ファカルティークラブ
(右より三竹氏・竹内氏・奥泉氏・土屋氏の順)
新異国異聞②②②②②
日本開国以前の情報主導情景 ︵1︶ 奥泉 栄三郎
︵一︶
徳川幕府の鎖国政策により、
18世紀は日米両国間
の直接交渉は絶無であった。ただし、密貿易は世の常
であり、1830年代初頭に、加賀の銭屋五兵衛がサ
ンフランシスコに渡り財をなしたという伝説がある。
鎖国下の日本で、密出国が意外と少ない理由は、幕藩
体制化で監視が厳しかったほかに、
海洋を渡り切る大
型船の建造自体が禁じられていたからである。一方、
日本側が海外知識・情報︱︱特にアメリカ情報︱︱を
収集・入手する方法は二つあった。そのひとつは不定
期的な情報源で、
帰国漂流民や密入国外国人に依るも
のであった。第二の方法は、長崎・出島を情報源とす
るものである。これはかなり定期的で重要な﹁公式﹂
ルートであった。出島に入港する中国︵唐︶やオラン
ダ船は、直話・書物・報告書をもたらした。報告書は、
特に風説書
︵ふうせつがき︶
と呼ばれて重要視された。
12
事実、
﹁オランダ風説書﹂の伝えた情報の確度は抜
群で、後にペリー提督をして、日本の上層階級の海外
知識の豊富さにつき、驚嘆せしめることになった。む
ろん、日本は中国書または中国経由の書物等から、欧
にならない。当時の常識を破って、幕府本陣に最も近
い﹁江戸湾﹂またはその周辺の近くと切り出し譲らな
かった。幕府側も粘り腰のやり取りで、とうとう﹁一
寒村﹂
︵下田港︶を提供し、江戸に寄せ付けなかった。
すると、
アメリカ政府に当時の金額で3万ドルを供出
させ、日本関係文献・資料の収集にあたったといわれ
る。その手はニューヨークはおろか、ロンドンの古本
街を潤わせたというから、これが歴史上最初の﹁日本
アメリカの対日知識および情報は、
かなり漠然とし
たもので、
オランダ方面の書や情報筋等からの請け売
りであった。このことから言うと、ペリー提督は、
﹁日
本学﹂の始祖ではないが、その仕掛け人であったと呼
べるかも知れない。
ペリー提督は日本遠征計画が決定
米の最新海外ニュースを入手していた。佐久間象山・
吉田松陰・横井小南等の海外知識は、主に中国方面か ︵二︶
らの情報源によったものである。
ペリー艦隊の来航︵1853年︶は、日本の開港・
通商を迫るという、
極めて明確な目的をもったもので
あったが、 日本側に学問や文化面で計り知れない刺
激・開眼をもたらした画期的な国際事件であった。周
知のように、
オランダは日本側の海外知識を学ぶセン
ターとして欧米に一歩も二歩も先行していたが、 ペ
リー提督はほとんどこれを意識的に無視し、
一夜にし
て日本のオランダ学を﹁アメリカ学﹂一辺倒に塗り替 旋風﹂であったかも知れない。ペリー提督は自分の頭
多数の
えてしまったのである。彼は毅然たる態度で臨み、日 と黒船の中に日本情報を存分積み込んだほか、
遠征のもうひとつの成果とし
本側と終始優位に応対し、かつ、数トンの﹁お土産﹂ 学識経験者を乗船させ、
なる見聞録を完成した。この記録は、
を用意してきたのである。会見場所も﹁出島﹂では話 て、﹃日本遠征記﹄
13
日本の文化・風俗・自然・地理の挿し絵付きの集大成
なかったが、ペリー提督日本来航時代には、まだまだ
な往還航路である。
権限と海洋知識に抜きん出ていた。
太平洋のアメリカ
捕鯨船団は数百隻の規模であり、
一航海は数ヶ年を要
した。何故アメリカで捕鯨産業かと問えば、食用とし
てはなくランプ等の灯油として鯨油が最重要な時代を
迎えていたのである。アメリカ漂着には、黒潮︵日本
海流︶
という天の恵みが味方をした。
この潮の流れは、
日米の両岸を洗って太平洋を一巡しているのだ。
壮大
次(号へ続く )
た。1800年代の捕鯨船団の乗組員は、当時の花形
職業に就いた海の男たちであり、寛容で、どちらかと
いえばリッチであった。特に船長ともなれば、船中の
している。
これは或る意味では、
驚くべき数字である。
漂流民の全部が全部、
アメリカで手厚く遇されたわけ
でもない。 捕鯨船に救助された漂流民は幸運であっ
で、アメリカ政府の公式記録として公にされた。意識 オランダ語や中国語が公用語であった。
日本人の庶民
にあったか否かは別として、上記﹁風説書﹂とは量質 ︵漁民︶が英語に接した機縁は、漂着・漂流によるも
において桁違いの記録で、 記述は大いに科学的でも ので密航ではない。日本は島国であるから、鎖国時代
あった。またもこの政府刊行物の出現後に、アメリカ ですら、
アメリカだけでも40隻以上もの漁船が漂着
市民の間で日本ブームがおこった。
この日本ブームの
影には、アメリカが西洋︵欧州︶の列強を尻目に、日
本を開国の方向に持っていったという自負の念があり、
期待される直接の実益に加えて、
ソフト面ではアメリ
カの外交力を世界に示す、 という前途洋々たる面が
あったであろう。
日米接触を言語文化の面から見ておく必要もあろ
う。鎖国の日本の外国語修得の大勢は、むろん、オラ
ンダ語にあった。いうまでもなく、日本における中国
語の伝来は古い。しかし、日本における中国語は文献
的に読めれば良いという時代が長く続く。
これに引き
換え、オランダ語や英語力の修得は、はじめ、オーラ
ルであった。
鎖国下でも日本の英語力の水準は低くは
14
第一期
全34冊
奥泉栄三郎 監修
Publications of Early Japanese
in North America
1. 蒙古事件 / 北米墨土哥植民案内 /
在米同胞発展史
¥19,425
2. インターマウンテン同胞発達史¥23,100
3. 南加州同胞発展写真帖
¥19,950
4. 南加州と鹿児島県人
¥16,800
5. 在米岡山県人発展史 / 岡山県人
海外発展略史
¥11,550
6. 最近の在米同胞
7. 在米日本人人名辞典
¥23,625
8. 米国西北部在留日本人
発展略史
¥8,400
9. 奮闘の第一線
¥23,100
10. 加州人物大観
¥17,325
11. 在米広島県人史
¥25,200
12. 加州と福島県人
¥18,375
1.
2.
3.
4.
新布哇
明治 41・2 年布哇邦人活躍史
布哇日本人発展史
布哇活動の大和民族 / 布哇
開国史
13. 在米日本人史観
¥16,800
14. 在米福島県人史
¥22,050
15. 在米闘士録
¥23,100
16. 在米宮城県人史
¥16,800
17-18. 対米移民問題ニ関スル日米
交渉経過英文付属書
¥46,200
19-20. 対米移民問題ニ関スル日米
交渉経過
¥38,850
21. 在米甲州人奮闘五十年史
¥19,425
22. 在米福岡県人ト事業
¥25,725
23. 在米邦人の観たる
米国と米国人
¥15,750
24. ハリウッドの畸人田中柊林
¥15,750
25. 米国に住む日本人の叫び
¥14,700
¥33,600 5. 布哇同胞発展回顧誌
¥23,100 6. 布哇日本人史
¥29,400 7. 大日本海外移住民史
8. 布哇日本語教育史
¥18,900 9. 布哇邦人野球史
¥21,000
¥31,500
¥23,100
¥24,150
¥33,600
【初期在北米日本人の記録】 第一期
:別冊 ①ー③
第一期:
2006 年6月20日 発行
1.
2.
3.
416 頁 ISBN 4-89253-311-4
定価 ¥ 6 , 3 0 0 ( 税込)
1600 余名の日系人・日本人の人名録 . 385 名の肖像画(計 452 枚)付
288頁 ISBN 4-89253-312-2 定価
¥4,725(
税込
)
¥4,725(税込
税込)
(初期在北米日本人の記録 - 全 34 冊の総目次集)
¥ 3 , 6 7 5 ( 税込)
3 冊組セット ISBN 4-89253-310-6 定価 ¥14.700
310 頁 ISBN 4-89253-313-0
定価
15
【既刊分】
刊行番号 2006 年 9 月刊行済
(再版
)
27 海外活動之日本人
海外活動之日本人(
再版)
在米同胞人物月旦
( 第 1 篇)
在米同胞人物月旦(
冊数番号 分冊数 定価
[27] 2 冊
¥12,600
[28]
刊行番号 2 0 0 6 年 1 0 月刊行済
29 復興線上に躍る歸還同胞
31 角里伏爾尼亜開化異聞
32 ヤキマ平原日本人史
( 渡米の志るべ
43 渡米のしるべ
渡米のしるべ(
渡米の志るべ)
新渡米法
冊数番号 分冊数 定価
[30] ¥12,075
[32] ¥6,825
[33] ¥12,600
[48] 2 冊
¥11,550
[49]
刊行番号 2006 年 11 月中刊行予定
冊数番号 分冊数 定価
:其 1 [26] 26 在米日本人写真帖南加州の部
在米日本人写真帖南加州の部:
¥12,600
30 平和記念寓眞帖南加在留代表的日本人 [31] ¥26,250
42 新渡米北米事情日本人成功策
[45] 3 冊
¥11,550
続新渡米 北米事情日本人成功策
[46]
増補訂正版
渡米之栞
(1902)
渡米之栞(1902)
(1902)増補訂正版
[47]
44 學生渡米案内
[50] 3 冊
¥11,550
績渡米案内
[51]
渡米之秘訣
[52]
46 日本婦人
[55] 2 冊
¥10,500
日本婦人
[56]
47 My New York Life 紐育生活
[57] 2 冊
¥9,450
紐育之日本
(紐育の日本
)
紐育之日本(
紐育の日本)
[58]
刊行番号 2006 年 12 月中刊行予定
冊数番号 分冊数 定価
48 学生の見たるアメリカ
[59] ¥12,125
49 民族発展の先駆者
[60] ¥17,325
50 米国加州日本語学園沿革史
[61] ¥11,550
[62] 2 冊
¥15,540
51 米加に於ける第二世の教育
海外二世教育の体験を語る (新規追加合本・価格変更) [62+1]
)
曄子
52 AKIKO(
AKIKO(曄子
曄子)
[63] ¥12,600
53 千代の帰国 (Chiyo's return)
[64] ¥12,600
54 あめりか生活
[65] ¥12,600
『在北米日本人研究の栞』 The Bulletin of the Publication Project
for Japanese in North America (JINA) No.2 2006 年 10 月 30 日発行
編集人:奥泉栄三郎 発行人:小沼良成
㈱文生書院 発行
〒 113-0033 東京都文京区本郷 6-14-7 電話(03)3811-1683 Fax(03)3811-0296
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