ワンダフルワールド通信51号

ワンダフルワールド通信 No.51
日本ルイ・アームストロング協会 (ワンダフルワールド・ジャズ・ファウンデーション)
〒279-0011 浦安市美浜 4-7-15
WJF 事務局
ホームペ−ジ
℡047-351-4464
2007 年 5 月発行
FAX047-355-1004 Email: saints@js9.so-net.ne.jp
http://users.tapstep.net/saints/
発行人
代表
Blog
http://wwjf.seesaa.net/
外山喜雄
編集長
山口義憲
ワンダフルワールド通信51号記念
WW通信発行50回、活動13年間を振り返って
∼WJFを支えてくださっている皆様に深く感謝!!!∼
∼ご挨拶∼
そして、WJFの活動の柱となっている会報発行
1994 年、皆様の暖かい応援をいただき発足した日
は今回が前号までに50号、多くのユニークな特集
本ルイ・アームストロング協会(WJF)は、13 年
記事を掲載した50回でした。今回記念すべき51
間の活動を続け、今年 2007 年7月には活動 14 年目
号の発行にあたり、長年私たちの活動を支えてくだ
の年に入ります。世界でも珍しいといわれる多くの
さっている会員、スタッフ、並びにジャズファン、
企画を含む日本ルイ・アームストロング協会例会は
ジャズ関係者、そしてミュージシャンの皆様に、心
回を重ねて41回。WJF活動のハートともいえる
よりご支援感謝する次第です。
ニューオリンズの子供たちへの楽器寄付・・・ハリ
今後も皆様のご協力をいただきながら活動を続
ケーン・カトリーナの襲来という悲しい出来事もあ
け、会報 100 号、、ちょっと無理でしょうか、、
、ま
り、現地へお送りした楽器は650点を超え、また、
で頑張る心意気で、古き良きリアル・ジャズを愛し、
不幸にしてハリケーンで被災したミュージシャン支
サッチモを愛し、ニューオリンズを愛して行きたい
援のために送った寄付総額は800万円に届こうと
と思います。
しています。毎夏の恒例サッチモ行事、サッチモ祭
引き続き会員の皆様のお力添えを、お願いいたし
は第27回目、今年も7月16日(海の記念日)の
たく存じます。
開催となります。
1
外山喜雄
ワンダフルワールド通信
を支えて
ワンダフルワールド通信 50 号を振り返る
理事 ワンダフルワールド通信編集長 山口義憲
理事 奥村 清文
日本ルイ・アームストロング協会の会報 ワンダフ
ワンダフルワールド通信50号突破、おめでとうご
ルワールド通信 の第1号は 1994 年 9 月に発行さ
ざいます。
れた。同年 7 月 6 日に開催された協会設立記念パー
多くの素晴らしい会員の方々はじめ、外山喜雄.恵子
ティーや第1回例会の記事などが掲載されている。
ご夫妻&デキシーセインツの方々とジャズを通して1
以降、大体年 4 回のペースで、例会やクリスマスパ
3年の長いお付き合いが出来ましたことを大変嬉し
ーティー、サッチモ祭りなど協会の活動、ニューオリ
く、また大きな誇りとなっております。
ンズの子供たちへの楽器プレゼント、ニューオリン
会社勤めの経験を生かして、
少しでもお役に立てる
ズ・ツアー、会員からの投稿、ジャズやサッチモに関
ことが出来ればと、会則や会計報告、理事会議事録な
する話題を取り上げて、本年、1 月発行号で 50 号を
どの作成、会場手配の折衝など、会の運営などについ
迎えた。
て会長はじめ理事の方々と何回も理事会を開催し、楽
ジャズ評論家の先生方にも会報に協力をいただい
しく議論を重ねてまいりました。
た。第 2 号( 94 年 12 月)からはジャズ評論家、
特にこの WJF 通信は、会の活動報告と会員各位の
故いソノてルヲ氏の特別寄稿「ルイ・アームストロン
情報交換や交流の中心となるものだけに、編集長はじ
グの思い出」の連載がスタートした。第 4 号( 95 年
め投稿してくださった会員の方々、写真や各資料を提
4 月)では故油井正一さんの例会でのトーク「私のジャ
供してくださった方々に改めて心よりお礼申し上げ
ズ体験」を掲載、また同号に故池上悌三さんの「ルイ・
ます。長い期間の間に、著名なジャズ評論家や会員も
アームストロングについての昔話」を寄稿いただき、
数人、天国に召されてしまいました。今後、若い会員
第 5 号では昭和 14 年発行の ヴァラエティ 7 月号
さんを積極的に募り、リアルジャズの伝統を引き継い
に掲載された池上さんのデビュー作「ルイ・アームス
で欲しいと思います。 これからは、ジャズ生誕10
トロングの音楽と其のレコード」を再録・掲載した。
0年を超す歴史の中で、多くの貴重な資料が散逸して
第 17 号( 98 年 9 月)では生誕 100 年記念シリ
いくのではないかと危惧しております。わが国の多く
ーズ・コンサート第 1 回「若き日のサッチモ」におけ
のジャズ関係者と手を携えて、いわば皆様の心の中の
るジャズ評論家瀬川昌久さんのトークを掲載した。
『日本ジャズ博物館』を目指し、後世の方々に喜ばれ
協会会長である外山喜雄さんの精力的な執筆も注
るような活動を続け、会員の皆様とジャズを楽しんで
目に値する。現在も続く「サッチモちょっといい話」
いきたいと思います。 どうぞ忌憚のないご意見をど
は第 4 号からスタート、その後、外山喜雄・恵子さん
しどし事務局までお願い致します。
の著書『ニューオリンズ行進曲』に収録されている。
「僕達のジャズ・エイジ」
(第 6 号、 95 年 8 月)
、
「ローレンス・マレロのバンジョー」
(第 7 号、 95
年 11 月)
、
「ルイからの手紙」
( 96 年 9 月)
、Jazz
Men Stories①「サッチモ・セルフ・ポートレイト」
(外山喜雄訳、第 13 号∼全 13 回連載)
、②「キッ
ド・オリー」
(第 29 号∼全 2 回)
、③「ジェリー・ロ
ール・モートン」
(第 34 号∼全 3 回)
、
「外山喜雄サ
ッチモ特別講座 サッチモのトランペット・テクニッ
ク」
(第 46 号∼全 3 回)などが掲載された。また 46
日本ルイ・アームストロング協会スタッフの面々:
左から奥村理事、山口編集長、外山喜雄、恵子、
細川ハテミ(事務局)、小泉理事
号では「サッチモ・ヤング・アンド・オールド」の文
章を紹介している。
2
楽器プレゼンに関しては毎号取り扱っているが、第
一昨年でしたか、そんなお話を「サッチモ祭」を取
9 号( 96 年 6 月)では「サッチモ・ハウス募金」
材にきていた NHK 国際部の女性記者と話していたら、
をよびかけ、第 12 号( 97 年 3 月)で「サッチモ
彼女「私もそうなります!」
。うーんミイラが増えて
ハウスへ1万ドル寄付」を報じた。第19号( 99
いくなあ、WJF は…。ま、外山夫妻あっての WJF。
年 3 月)では楽器プレゼント特集を組み、楽器プレゼ
みんなでミイラ取りになりましょう!
ント活動キャンペーンの一環として刷り部数も増刷
継続は力なり
して各所で配布を行った。
皆様に感謝!!
理事 外山恵子
2005 年 9 月、カトリーナ被害の「ニューオリン
日本ルイ・アームストロング協会が来る7月6日
ズ救援緊急特集」号外が発行された。以降、会報では
で13年!そして、会報50号突破!
毎号、ニューオリンズ救援の記事が特集されている。
何よりも
「ミイラ取りがミイラになった」お話
継続は力なり
を実感しています。
協会発足時には予想もしなかった、実に色々な活動
理事 小泉良夫
をして参りました。こうした様々な活動のすべてを、
「ワンダフルワールド通信」50 号突破おめでと
会報で皆様にご報告出来ましたことを嬉しく思い
う! 素晴らしい!の一言です。第 1 号は 1994 年
ます。
「9 月吉日」とありますね。
「編集長」はいまも同じ
この会報は協会の活動記録、歴史でもあり、また
「山口義憲」さん。まだまだやる気満々のようですよ。
貴重なジャズの資料も満載です。当協会の会報は
みんなで 100 号をめざしましょう!!
見てくれに反して
中身は実にすばらしいもの、
かく言う私は、当時そんなことは、ぜ∼んぜん知り
と誇れると思います。会報編集に携わってきた山口
ませんでした。外山夫妻に初めてお会いしたのが、
編集長、小泉良夫さん、奥村清文さん、30号から
1995 年 6 月 27 日だったからです。このとき私は
の編集をご担当いただいた友永麻里子さん、そして
55 歳のフレッシュ休暇(有給)を取って学生時代か
外山喜雄会長の実に精力的な執筆!
らの憧れの地・ニューオリンズへ一人で 2 週間も行っ
ご協力いただいたすべての皆様に・・・・有り難
てきて帰ってきたばかりでした。タイミング良く、そ
うございます。そしてこれからもどうぞよろしくお
んな折に外山夫妻の「サッチモの孫たちに楽器を贈ろ
願いいたします。
う」という活動のニュースが伝わってきたのです。ま
そして何よりも、長い間日本ルイ・アームストロン
あ ほとんど窓際 でやることもなくなっていた私と
グ協会をご支援いただいている会員の皆様、又、協会
しては、これ幸いと夫妻を取材に浦安の外山邸に押し
の活動にご協力いただいているすべての皆様の暖か
かけたわけです。
いお気持ちに胸がいっぱいです。
その初めての記事が「夕刊フジ」に載ったのが、7
本当に皆様、有り難うございます。
月 4 日(かつてサッチモの誕生日と言われていたアメ
リカの独立記念日)というのも、何か因縁めいたもの
を感じますねえ。この記事がいまも浦安 HUB の入り
口に大きく張り出されているのには、うれしいのです
が、気恥ずかしさもちょっぴり。
それ以後、書いた、書いた、書いた! おまけに外
山さんにも、夕刊フジに連載を書いていただいたり…
しまいには(夕刊フジの)編集局長から「もういいでし
ょう」と引導を渡されて!?しまいました。これが私
の言う「ミイラ取りがミイラになった」お話です。
3
ブハウス、ティピティーナ・ファウンデーションの音
ニューオリンズの人々に
感謝されているWJFの活動
楽家支援基金に寄付を送ってきてくれました。さらに
100人が、実際に活動の手助けをもしに来てくれて
います。
盛大に開催されたマルディグラのお祭り当日
献身的な仕事をしに来てくれた人々・・・
新聞の人気コラムに、
日曜日のコラムでアルシア・タナーさんと彼女の愛
日本のジャズファンへの感謝の言葉が!!
犬ジャックとの再会について書きました。 迷子のペ
先日2月20日、マルディグラのお祭りが、派手や
ットを飼い主に戻す ・・ハリケーン直後からそんな
かに開催されました。当日の新聞タイムス・ペキュー
活動を続けてきたボランティア達、アメリカ各地出身
ン紙朝刊に、人気コラムニスト、シーラ・ストラウプ
の数人の皆さんの努力のたまものでした。
さんが日本からの支援についてコメント、空港で楽器
ニューオリンズ東部地区の被災者用トレイラーハ
をプレゼントされた黒人少年が涙をながして喜んだ
ウス に住むアルシアさんを訪ねると、
数人のメノー派
場面が、ニューオリンズ支援の活動で忘れられないシ
教徒の人々が彼女の家のフローリングを修理中でし
ーンだった、
、と感謝の言葉を書いてくださっていま
た。
神様のお陰です。助けの手がさしのべられまし
す。以下ご紹介します。
た そう彼女は言いました。
世に知られぬ英雄達
マルディグラのパーティーへようこそ!!
私がコラムに取り上げた人々、
、
、
・・・学校の休暇に泥だらけの水を屋根までかぶっ
たセント・バーナード地区の家の内部を掃除してくれ
コラムニスト シーラ・ストラウプ
た大学生達。
・・・結婚式の前1ヶ月もの間、ここに
やってきて働いてくれた若いカップル。
・・・新品の
今日、マルディグラの日、パレードの道筋に立ち、
漂ってくるバーベキュー・チキンの香りをかぎ、名物
楽器を若いミュージシャンの為に、と東京からやって
のケーキの中から人形が出てくる キングケーキ を
きたジャズを愛する人々。
頬張り、 カーニバルタイム の様なマルディグラ・
TBCブラスバンドの先頭に立ってルイ・アームス
メロディーに往年のマルディグラの朝を思い起こし
トロング国際空港のバゲッジの所まで行進した外山
ている、
、
。そんな感慨に耽っている皆さん、
、
、是非あ
喜雄さん、
、
、
。彼が光り輝く楽器を手に取り、 これは
なたの周りを見回して下さい!!そこには地元のル
君たちのだよ!! と言ったとき起こったことを忘れ
イジアナ南部出身ではない人たち・・・・私達大切な
ることが出来ません。大柄な逞しいミュージシャンが
この街に命を吹き込む手助けをしに来てくれた人々
オー・マン・・スゴイ と言って何処かへ消えまし
た、
、
、感激の涙を人に見られるのが恥ずかしかったの
の姿があります。
です、
、
、
。
カトリーナの話題はもう沢山!!
そんな冷ややかな声も聞こえる中、この国は、まだ
最初から援助の手をさしのべてくれた人々・・・
まだハリケーン被害を心から心配してくれる人々で
数週間前、コモン・グラウンド・リリーフの代表ブ
いっぱいです。頼りにならない議員達、フットボール
ランドン・ダービーさんに会いました。このグループ
のニューオリンズ・セインツを破ったシカゴベアーズ
は、泥水をかぶってかびだらけになった住居の内部を
のマナーの悪いファン達、この街で過去17ヶ月間何
撤去する草の根援助活動をしています。彼は自分のグ
が起こっているか全くわからないのに遠方から投書
ループのことを、単に手助けをしたいと言う全米の
を送ってくる投書マニア、
、
、そんな人々一人につき1
人々のネットワークに過ぎません、と言っていた。彼
00人もの人々が、ハウジングを提供するハビタッ
はこの活動を立ち上げた人々の一人で、ハリケーン直
ト・オブ・ヒュマニティーのキリスト教団体や、ライ
後にこの街にやってきました。
4
彼はこう言います。 鳥が一羽もいない、そして、
もっともハリケーン被害の大きかった
ナインス・ウォードの小学校バンドへ
5000ドルを寄付
木や草の緑も全くないときでした。最初にアリの行列
を見つけたときは、感激しましたね!! 。
彼等は、最も被害の大きかった第九区(ナインスワ
ード)のセント・マリーズ・パリッシ・スクールを本
ニューオリンズで最もハリケーン被害の大きかった
ボランティアが援助の手をさしのべに、ここにやって
地域、第九区、ナインスワードは、独特の黒人文化の
きてくれました。他にも数え切れない団体の方々・・・
生まれ育つ黒人居住地域でした。カトリーナから1年
宗教団体、企業、学校、有りとあらゆる人々が未だに
半が経とうとしている今でも、場所によってはハリケ
やってきてくれています。私達がニューオリンズの街
ーン直後の瓦礫がそのままの残され、復興から取り残
でそうした人々を目にすることは、殆どありません、
、
、
されてた地域と言われます。
750人いた生徒が、現在は200人、
、
、幼稚園の
彼等は最も被害の大きかった地域で、懸命に働いてく
校舎を借りて授業をしているマーチン・ルター・キン
れているのです。
グ小学校、
、
、
、 洪水で楽器も教材も全て失いました。
でも、マルディグラの日・・・今日は、パレードの
楽器、譜面台、ユニフォーム、楽譜、
、まだまだ不足
沿道でパレードの山車から投げられるマルディグ
しています、
、 という要請の声に答え、日本ルイ・ア
ラ・ビーズに手を伸ばし、マルディグラ・マンボのス
ームストロング協会は4月に5000ドルの寄付を
テップをならっている彼等を目にする事が出来るか
お送りしました。また、全国から寄付していただいた
も知れません。
楽器が7月に日本通運のご協力でニューオリンズに
そんな時は、皆さん、是非、彼等にプレゼントをあ
到着、サッチモ・サマーフェストに出演する私たちの
げて下さい・・・キング・オブ・ズールーのパレード
バンドも出席し、同小学校で贈呈式を行う予定で
名物のココナッツとキングケーキと、心のこもった
す!!!
ハグ を!!!
マーティン・ルーサー・キング小学校バンドの指導
そして、彼等に言いましょう・・・ 来て下さって
者、ボーウェンスさんから、お礼状をいただきました。
有り難う!! と。
同氏はカトリーナで被災し、昨年、愛知県の西村さん
マルディグラの日に・・・
のご厚意により送ってくださった、お父様の遺品のサ
ックスを贈呈しました。
『親愛なる日本ルイ・アームストロング協会の皆様
本日、日本からの 5000 ドルの小切手受け取りま
した。私たちの復興に援助の手をさしのべてくださる
皆様のご親切と意欲に対し、私は、マーティン・ルー
サー・キング校の音楽の生徒と教職員全員とともに感
謝申し上げます。私たちの学校は、本来の場所―ロー
アー・ナインス・ウォード(第九区)の敷地に6月に
は戻れる可能性があります。8
月までに送っていただける楽器
が必ず無事到着するよう、正確
な住所をまたお知らせいたしま
す。ありがとうございました。
』
アロンゾ・ボーウェンス
ニューオリンズの新聞タイムスぺキューン紙
社会面トップを飾るシーラ・ストラウプさんのコラ
ムは、多くの読者に愛される人気コラム。
音楽指導教師
5
私にとって何とも嬉しい限り。今回も会場いっぱい
の 150 人超が詰めかけた。この WJF 会報「ワン
外山喜雄・恵子がご案内するサッチモワールド
ダフルワールド通信」編集長、山口義憲さんの名司
--再びジャズの古典に挑戦!
会でタイムカプセルのフタが開けられましたよ。監
2007 年 1 月 11 日
アテネフランセ文化センター
修・解説の労をとって頂いている瀬川昌久さん(ジ
ャズ評論家)、ジャズ修行のためニューオリンズへ
ルイ・アームストロングとたどるジャズの歴史
第 3 回 サッチモ黄金時代(その 2)
1928−1934
ニューヨークからヨーロッパへ
…そして昭和初期の日本のジャズへの影響
船出してから今年、記念すべき 40 年を迎える外山
夫妻も目を細めて、サッチモを迎える。
タイムカプセルのフタが開いて飛び出したのは…
ベティーちゃんとサッチモの共通 歴史認識 !?
禁酒法時代のルイを再現---甘いサックス陣を背に
生き生きと奏でるトランペット
(小泉良夫
第 1 部は「サッチモ、ニューヨークへ」
(1929 年
写真と文)
=昭和 4 年)
。カプセルからいきなり飛び出したの
は、漫画のベティーちゃん、サッチモ・バンドの奏
外山喜雄・恵子がご案内するサッチモワールド、
お待たせしました!
でる軽快な「YOU RASCLA YOU」に追われて仲
そう、ちょうど 1 年ぶりの
間ともども逃げまどうシーン。サッチモの巨大な顔
旅立ち です。今回はシカゴを離れて我らがサッ
(イラストやら実写やら)が歌に合わせてパクパク
チモは、いよいよニューヨークへ入っていきます。
そしてさらにヨーロッパへ、世界へ!
と口を開け追い回す。彼らをいまにも一飲みにして
なんと日本
しまいそう…。映像は『ベティーちゃんの蛮地探検
にも、その波紋が伝わってきていました。ルイ・ア
/1932 年』。「いやあ、いまの感覚で見ると、い
ームストロングとたどるジャズの歴史(全 5 回シ
ろいろ問題もありますが…」と外山さん。でも、サ
リーズ)の第 3 回「サッチモ黄金時代(その 2)」
ッチモは次々と立ちはだかる差別も、同じ黒人たち
は 1925 年∼34 年。まだまだ禁酒法(1920∼
からの非難も笑顔で乗り越えていく。凄いですねえ。
33)の下で暗黒街にはギャング達がひしめいてい
これはジャズファンとしての共通の 歴史認識 で
ます。いやあ、さすがサッチモも、あの大きな目を
ジミー・スミスさんも大張り切
りで。ジャズの歴史に挑戦
した。
まんまるに開けて驚いていましたねえ。
さっそく演奏に入る。演奏曲目とその名解説は、
当日のプログラムに詳しいので、ま、外山さんにお
1 月 11 日、所はお馴染みの御茶ノ水「アテネフ
任せ!
ランセ文化センター」あの顔、この顔…WJF のお
JAMES INFIRMARY (セント・ジェーム病院)」
馴染みのメンバーが新年のあいさつを交わし合う。
で幕を開けたことで、もう大感激。ホント、いい企
今回は直前に産経新聞が文化面に取り上げてくれ
画だなあ…と、勝手に折り紙を付ける。1 部の演奏
たこともあって、この記事を読んで初めて参加して
くれた読者も少なくなかったとか。 産経出身
それにしても、私の No.1 愛聴曲「ST
は、デキシーセインツの外山喜雄(tp,vo)、外山恵
の
子(p,bj,g)、鈴木孝二(cl,as)粉川忠範(tb,vo)
6
藤崎羊一(b,tuba,vo)、それにゲストとしてジミ
は、昭和初期の日本のジャズ4曲が再現されます。
ー・スミス(ds,vo)、下間哲(tp)、広津誠(as,bs,cl) 、
はじめの曲は「ダイナ」。南里文雄さんとディック
小林淑郎(ts,cl)のみなさんも加わる。
峰さんの演奏の再現で、下間さんが南里さん独特と
いう ウエストエンド風イントロ で入る。で、デ
「ルイはね、このような甘いサックス陣の前で
ィックさんの歌は…なんと藤崎さん!
朗々とトランペットを吹くのが、何よりの幸せだっ
ベースの
弾き語りでディックさんもずいぶんと若返る。藤崎
たんですよ。今日は外山さんも気持ちがいいでしょ
さんの弾き語りは「赤鼻のトナカイ」(日本語バー
う」と瀬川さん。大きくうなずく外山さん。当時の
ジョン)がお馴染みですが、これは!
デューク・エリントン楽団の「EAST ST. LOUIS
ここで会場は 100 万本のバラが投げ込まれたよ
に登場したのがバリトンサックスの広津さん。エリ
うに艶やかになりました。ボーカルの祥子さんが登
ントンはこのバリトンサックスのサウンドが大好
場してきたのです。東京理科大数学科卒業、特技は
きだった(瀬川さん)そうですね。それにしても、
姓名判断、趣味はギャンブル、「地球環境保護」運
名曲とはいえ、このようなジャズの古典に挑んだ演
動を推進中という実力派美人歌手。とってもセクシ
奏者みなさんは大汗かいての熱演。「練習が大変で
ーだし…。外山さんと♪砂漠に日は落ちてーの「ア
したよ」と口を揃える。
ラビヤの唄」のデュエット。ついでトロンボーンの
瀬川昌久先生の名解説とWW通
信編集長山口さんの名司会
TOODLE-OO 」など 2 曲も演奏されたが、ここ
粉川さんに♪いいのね、いいのね…と迫る「ザッ
ツ・オーケー」。掛け合いの粉川さん、少々テレ気
祥子さんと粉川さんの ザッツ・
オーケー で昭和初期へ、、
味に♪オーケー、オーケー、ザッツ・オーケー!!
「ン 10 年ぶりですねえ」とは小林さん。「昔の人
たちの気持ちに触れることが出来て幸せです」(下
間さん)。
「ST LOUIS BLUES」では、外山さんが
そして、これは服部良一さんのオリジナルで笠置
顔を赤らめサッチモに負けじとハイトーンを奏で
る。
「彼の魂が乗り移ってくるんです」という熱演。
シズ子さんが歌った「ラッパと娘」。パラマウント
「血圧が上がってしまうのではないかと心配でし
映画「芸術家とモデル」でのサッチモとマーサ・レ
たよ」と、司会の山口さん。でも、ちゃんと目の前
イの掛け合いシーンに触発されて服部さんが作っ
に WJF 会員でもある中村宏さん(医学博士、ジャ
たといいます。アップテンポでノリまくる祥子さん。
ズ評論家)が控えていらしたから安心。1 部の最後
でも、この曲歌ったのはこの日が初めてだったそう
は、スクリーンに映し出されたサッチモと愛妻リル
ですよ。いや脱帽、脱帽!
のツーショットを背に外山オシドリ夫妻のデュオ、
ったのも当然ですね。
南 部 に 思 い を 馳 せ た 「 DEAR
OLD
盛大な拍手が沸き起こ
祥子さんの歌にすっかり聴き惚れていましたが、
SOUTHLAND」でした。
世界へ飛翔するサッチモに戻りましょう。この禁酒
日本のジャズの曙に見た!サッチモの面影
法の時代、サッチモはシカゴのアル・カポネと NY
美人歌手・祥子がセクシーに歌い、魅せた!
ハーレムとブロンクスとハーレムを仕切るダッ
チ・シュルツの間での サッチモ争奪戦 に巻き込
第 2 部は「ヨーロッパへ…そして世界へ」。まず
まれたりして命の危険性まで味あうことになる。
7
「サッチモがロスや南部に一時帰ったり、ヨーロッ
ジャズ評論家いソノてルヲ夫人・磯野博子さんら
パにまで足を延ばした背景には、こんなギャングの
WJF 会員も多数駆けつけてくれた。これからもよ
争いがあったんですよ。逆に考えると、ギャングの
ろしくお願いします。
お陰でジャズが世界に広まったともいえるわけで
演奏曲目
第一部
ST JAMES INFIRMARY
1928
I CAN'T GIVE YOU ANYTHING BUT LOVE 1929
AIN'T MISBEHAVIN 1929
ST LOUIS BLUES 1929
DINAH 1930
TIGER RAG 1930
EAST ST. LOUIS TOODLE-OO ELLINGTON 1927
ROCKIN' IN RHYTHM
DUKE ELLINGTON 1931
SHINE 1931
DEAR OLD SOUTHLAND
1929
第二部
日本のジャズ
ダイナ
砂漠の歌
ザッツ・オーケー
ラッパと娘
CHINATOWN
1931
SUNNY SIDE 1934
す」と外山さん。
ジャズを世界に広めた
功労者
はギャング!?
ヨーロッパへ進出したサッチモの背後に…
最後
の最後にジミー・スミスさんのボーカルを交えた
「YOU RASCAL YOU」。あのサミー・デイビス
Jr がまさにジュニア時代の 3 歳?のころのサッチ
モの物まねでこの大ヒット曲を歌う映像が映し出
される。ジミーさん、この頃、生まれていた?
ま
さか!? 「私は 1938 年生まれです」。とんだと
ころで年齢を 白状 してしまった。それはともか
く、ジミーさんのボーカルは、前回のブルージーな
「St. Louis Blues」といい、毎度、素晴らしいフ
ィーリング。例会には不可欠のものになりましたね
YOU RASCAL YOU
1931
え。
しまった!
玉手箱ならぬタイムカプセルのフ
タを開けてしまったせいか、会場のみなさん、浦島
7月16日(月)です!!
第27回サッチモ祭開催
太郎ではありませんが、髪の白さが目立ってきたよ
うですよ(かくいう私も)
。♪月日のたつのも夢のう
今年も海の記念日に!!
ち…では、この辺でフタを閉じさせて頂きます。み
ガーデンプレイス恵比寿麦酒記念館
なさん、また次回お目に掛かりましょう。お待ちし
12時∼7時30分
ていまーす!
入場無料
27年目の真夏の昼下がり、
冷たいサッポロビールとジャズ
ご支援ありがとう、お陰様で 1000 万円!!
あの人、あの顔、みんな駆けつけてくれました
この日、外山喜雄 WJF 会長からニューオリンズ
メディアに、ルイ・アームストロング及びハリケーン
支援関連記事が同時に掲載されました。
支援の寄付金が 1000 万円を超えたことや昨年の
ツアーで楽器と寄付金を贈呈したイーストセント
# 音遊人(ミュージン) 4月27日発売
ハリケーン・カトリーナのその後を現地取材
WJFのニューオリンズ支援活動を紹介
ジョン高校のバンドがダラスのコットンボールで
演奏したとの報告があった。「ミヤ・ジャズイン
# 月刊 プレイボーイ
4月25日 発売
来日ジャズの巨匠達
サッチモのトランペットを吹いてしまった私
ルイ・アームストロングの楽屋に忍び込みトランペ
ットを吹かせてもらったエピソードを紹介
2006」などで募金活動を支えてくれた宇都宮のみ
なさんも、はるばる会場に足を運んでくれてこの報
告に笑顔で耳を傾ける。NHK のラジオ深夜便で中
# 日刊スポーツ 4月29日から5日間の連載
ニューオリンズに届け、こころの音色
日刊スポーツ 石井秀一記者
楽器を送って下さった皆さんの心温まる手紙と
逸話
高年に絶大な人気のみなみらんぼうさんは、もう皆
勤賞。真夏の「サッチモ祭」を全面支援して頂いて
いるサッポロホールディングスの岩間辰志さん(前
社長)も姿を見せた。本当にありがとうございます。
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WJFスタッフ 渡辺研介さん
んがどこへとも無く姿を消すと、あたり一面外人だ
体当たり体験ツアー・レポート!!!連載
その一
らけです。いかに語学が苦手とはいえ、とにかく英
語で何か言わないことにはご飯は食べられない、寝
海外旅行初挑戦、
ニュー・オルリンズへ一人旅
写真と文
る場所も無い、それ以前にここはまだ経由地のシカ
ゴ。目的地のニュー・オルリンズにたどり着くこと
渡辺研介
すら出来ません。空港のマクドナルドでハンバーガ
ーを食べるのにも一苦労です。空港のインフォメー
WJF のスタッフとしてお世話になっております、
渡辺研介です。このたびは会報WW通信51号発行、
おめでとうございます。
ションで怪しい英語を駆使しながら何とか国内便
出発ロビーにたどり着き(なんと空港内を移動する
専用のモノレールが走ってます)、ニュー・オルリ
昨年の暮れから一週間ほどニュー・オルリンズを旅
ンズ行きの搭乗口が二転三転してやっと目的の国
してきました。実は海外旅行初挑戦。それまで海外
内便に乗ることが出来ました。安心して眠っちゃっ
旅行なんて縁の無い生活を送っていたのですが、社
たので着陸のショックで目が覚めたのですが、着陸
用でパスポートを申請することになり、さらに今年
のときに眼下に見える湿地帯がとてもきれいなん
の正月休みは入社以来初の 10 連休。前から一度行
だそうです。
ルイ・アームストロング国際空
港ロビーを飾るジャズの絵
ってみたいと思っていたニュー・オルリンズ行きを
決行するには今しか無いと思ったわけです。
初めての海外旅行で一人旅は心配なのでネット
で旅行会社のパックツアーとか探してみたのです
が、「ニュー・オルリンズに一週間」なんていう物
好きなツアーは無いようです。そんな折、たまたま
見掛けたのが、WWJF のツアーでも皆さんもお世
話になったローボック美貴さんの会社「三日月コネ
クション」のサイトでした。外山さんご夫妻にもい
ニュー・オルリンズ・ルイ・アームストロング国
ろいろとご相談に乗っていただきながら、美貴さん
際空港。とうとうやってきました。空港ロビーに漂
にメールで連絡をとったところ、現地のライブハウ
うスパイスの香り、壁画に描かれたジャズ・ミュー
スの様子やホテルの料金まで調べていただいて、す
ジシャンたち。20 年も前に父親の書棚から見つけ
っかりその気になってしまった僕は会社帰りに近
た外山さんの『聖者が街にやってくる』(冬樹社)
所の旅行会社で航空券を購入、いよいよ 2006 年
を読んで以来、いつかは一度来てみたいと思ってい
12 月 30 日に海外旅行初挑戦で単身ニュー・オル
たニュー・オルリンズです(でも空港の所在地はニ
リンズへと旅立ったのでした。
ュー・オルリンズ市内じゃないらしいです)。エア
便はユナイテッド航空だったのでシカゴ経由で
ポートシャトルで外山さんに紹介していただいた
す。ANA と相互運行だったので行きの国際線はク
ホテルに着いたのが夕方。すでに暗くなっていまし
ルーもアテンダントもみんな日本人。とても安心な
た。さらにあいにくの雨。でも気候は暖かくとても
旅でした。入国手続きも無事終了。会社の経費で取
快適。ホテルの部屋でシャワーを浴び、早速夕食が
得したまっさらな僕のパスポートには社用で使う
てらフレンチ・クォーターに散歩に出かけました。
前に私用でイミグレのハンコが押されてしまいま
バーボン・ストリートはハリケーンの被害が嘘のよ
した。帰国後、上司にはちゃんと白状しておいたの
うな賑わい。お巡りさんが一杯いて夜でも出歩くこ
で大丈夫でしょう。いざとなったら私費で語学研修
とが出来ます。
に行ったと言い張ることにします。ところがここか
ニ ュ ー ・ オ ル リ ン ズ で 最 初 の 食 事 は Acme
ら先が問題。一緒の飛行機だった団体旅行のお客さ
Oyster House でカキを頂くことに。出発前に外山
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さんから再開していたら Felix がお薦めと聞いてい
2 日目。時差ぼけのせいか、まだ暗いうちに目が
たのですが残念ながら閉店したままでした。Felix
覚め、一回のダイニングルームでホテルの朝食。巨
から通りをはさんで斜め向かいがこの Acme です。
大なクロワッサンを頂きました。ホテルの食事は朝
生ガキを半ダースとサイドメニューでジャンバラ
食のみ。街中クレオール料理のレストランだらけな
ヤを注文、こちらのカキは日本のに比べると味が淡
ので、ランチとディナーは外でとるのが普通のよう
白でいくらでも行けそうです。これなら 1 ダース
です。とりあえず明るくなるまで一人歩きは危険な
頼んでもよかったかな?
のでホテルの中庭で一休み。古い趣のある素敵なホ
ACMEシーフード店の行列
1ダース頼めば良かった、、
。
テルです。約束の時間までまだ少し時間があるので
明るくなってきたところで市内観光。昨日はまった
く足を踏み入れなかったホテルのリバーサイド側
を散歩してみました。セントルイス大聖堂にジャク
ソ ン 広 場 、 日 本 に も チ ェ ー ン が あ る Cafe du
Monde、その裏側は土手になっていてその向こう
はミシシッピー河です(意外と川幅が狭い)。ちょ
うど河の向こう側から朝日が昇ってくるところ。残
食事の後はもちろん Preservation Hall へ。すでに
念ながらちょっと天気が悪かったのであまりきれ
演奏は始まっていて満員で入れないとのこと(実際
いな朝日ではありませんでしたけど…。リバー・ボ
は英語なのでほとんど何を言っているのかわから
ート・ナッチェス号も停泊中。明日にでも乗ってみ
なかったのですが)。受付のおばさんが 9 時 20 分
ることにします。
にもう一度来いと教えてくれました。というわけで
約束の時間に泊まっているホテルのロビーへ。こ
時間まで再びバーボンストリートを散歩。屋外のテ
こでお会いしたのが今回お世話になるローボック
ントで演奏しているトリオを発見。Steamboat
美貴さん、そして美貴さんのシカゴでのお友達、加
Willie and his New Orleans Band です。腕も達
藤さんご夫妻。加藤さんご夫妻は、たまたまニュ
者で珍しい曲を一杯やっているのでなかなか楽し
ー・オルリンズに滞在中で、僕と同じホテルにお泊
めます。ちょっと早めに Preservation Hall に戻っ
りとのこと。途中で合流したのはやはり美貴さんの
たのにすでに行列。入場料 8 ドルを払えば終演ま
お友達、遠藤さん。日系企業の駐在員の奥様だそう
でいてもいいらしいのですが、ほとんどのお客さん
で、ニュー・オルリンズにお住まい。うらやましい
は 1 セットで帰っちゃうみたいで僕も無事入場す
…。車で連れていっていただいたので方向音痴の僕
ることが出来ました。話には聞いていましたが、木
にはどの辺りなのかさっぱり見当もつきませんが、
造の本当に古ぼけた感じの建物です。ちょっと観光
住宅街のど真ん中 Greater St. Stephen Baptist
化されちゃった感じの演奏で物足りない部分もあ
Church にやってきました。日本でいうと街の公民
りますが、僕たちがイメージしているニュー・オル
館みたいな立派な建物です。お説教はもちろん全部
リンズ・ジャズが聴ける貴重な場所です。日本人の
英語。何を言っているのかさっぱりわかりませんが、
ピアニスト渡辺真理さんが弾いておられました。こ
なにか感動的なところが不思議です。最後に牧師さ
の時点ではまったく面識は無く、数日後に美貴さん
んが歌い出し、聖歌隊がそれに続くと最終的には礼
のご紹介でランチをご一緒することになろうとは
拝に集まった信者の皆さんも加わって教会全体の
夢にも思いませんでした。時差ぼけのせいかなんだ
大合唱。天井からゴスペルのコーラスが降ってくる
か眠くなってきちゃったのでニュー・オルリンズ初
っていうか、からだ全体がゴスペルコーラスに包ま
日はここまで。ホテルに帰って休むことにします。
れているっていうか、なんとも例え難い不思議な感
明日はいよいよ美貴さんにお会いしてゴスペルの
覚を味わいました。牧師さんのお話の中身や、コー
教会と被災地に連れていっていただきます。
ラスの詩の意味もわかるともっと感動的だったの
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かも…。もうひとつ感激したのは教会に集まってい
フレンチ・クォーターだけを観光して帰国していた
る地元の人々がとてもフレンドリーなこと。これが
ら想像すらできなかったであろう被災後のニュ
噂に聞く「サザン・ホスピタリティー」ってやつで
ー・オルリンズの舞台裏です。最近はメディアでも
しょうか?同じ街で銃やドラッグがらみの犯罪が
ほとんど取り上げられることのなくなった被災地
社会問題になっているなんてちょっと信じられな
の状況ですが、復興は未だ手付かずというのが現実
い感じです。
のようです。
教会の前のフレンドリーな人々
サザン・ホスピタリティー!
街をはさんでミシシッピー河の反対側に水平線
の見えるような大っきな湖があります。ポンチャー
トレイン湖。なんだかのどかな光景で Lower 9th
ward を見てきた後でここにやってくるとほっと
しますが、湖畔のボートハウスは壊滅状態のまま、
あちこち瓦礫の山で、ひっくり返ったボートもその
まま放置されています。この近くに今回お世話にな
った美貴さんのかつてのお住まいがあります。何も
おっしゃらずに連れていってくださって、この家が
さて、礼拝の後はランチ。Commander's Palace
ご自分のお住まいだったこと、被災直後の状況など
っていうちょっと高級なレストランに連れていっ
淡々と説明してくださったのですが、ご本人はどん
て頂きました。ちょうど日曜日だったのでトランペ
なお気持ちだったんでしょう…。
続く
ット、ギター、ベースのトリオが各テーブルを回っ
てリクエストに答えてくれるというジャズブラン
チをやっていました。お料理も昨日の夕食で訪れた
ジャズツアーへのお誘い
Acme と比べると上品な味わい。ただ、デザート
ロサンゼルス スウィート&ホットジャズフェスティバル 2007
のケーキの甘さだけは半端じゃありません。こっち
+サンフランシスコの旅
のスウィーツってみんなこんな感じなんでしょう
今年もロサンゼルス空港のマリオットホテルで 4 日間クラシック
か?
ジャズの大フェスティバルが開かれます。私達セインツは
食事の後は一度フレンチ・クォーターに戻って、
16 回目の出演です。もちろんその間のオプショナ
いよいよ被災地に連れていっていただきます。車で
ルの観光ツアーもご自由に。ジャズ祭のあとは、ロサ
走ることしばし、Lower 9th ward にやって来ま
ンゼルスそしてアメリカで最も美しい街といわれるサ
した。雑草だらけの更地…。外山さん達ツアーの一
ンフランシスコをご一緒に楽しみましょう。
行が訪れた 8 月は「ゴースト・タウン」だったそ
期間:8 月 30 日(木)∼9 月 7 日(金)(7 泊 9 日)
うですが、僕が訪れた 2006 年の 12 月は瓦礫も
概算費用:330,000 円 定員 25 名
すでに撤去されており、道路だけがきれいに残って
取扱旅行社 日通旅行
いて、あとは見渡す限りの荒涼とした野原、もはや
お問合せ・お申込み:(有)ノラ・ミュージック 外山ま
「ゴースト・タウン」ですらなくなっていました。
で
点在する廃屋と雑草の下に見え隠れするコンクリ
ートの基礎だけが、どうやらかつてはここに街があ
ったらしいことを思い起こさせてくれますが、まる
で古代の遺跡のようです。1 年半近く前までここで
人々が生活していたなんて、にわかには信じがたい
光景です。フレンチ・クォーターの賑わいとのギャ
ップがあまりにも大きくて唖然としてしまいます。
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(電話、FAX、メールで)
〆切 7/10
楽器のご寄付と嬉しいお便り
サッチモの絵本 CD2枚付きで発売!!
ありがとうございます!!
ベートーベン、モーツアルト、ショパン等、子
供たちのためのCD付き絵本、 お話音楽会 シリー
松本圭市・・通称ポテトヘッド・・様(文京区)
ズを発行する博雅堂出版から、サッチモの絵本が発
サッチモが若き日に使用したといわれる
売されます!!監修、外山喜雄、東芝 EMI、ユニバ
ヨーク社製のコルネット!!
ーサル・ミュージックのご厚意で、すばらしいCD
桐蔭学園文化センター 宮越榮一様(横浜市)
が2枚付き。3150 円。お申し込みは,WJFまで。
トロンボーン、ユーフォニューム、ホルン、
六本木ヒルズのサッチモ講座4回楽しく終了!!
バスクラリネット、アルトサックス、
舘野マリ子様(宇都宮市)
都心を見晴らす六本木ヒルズ17階、桐蔭生涯学習
トランペット
センター六本木校で、2月6日から27日、毎週火
柴田昌男様(宇都宮市)トランペット 3本
曜日に開催された外山喜雄のサッチモ講座が、楽し
コルネット
く終了しました。出席した30名のみなさん、16
ジェフリー・ジェイムソン様(東京都)
歳(2名)から70数歳まで、
、
、みなさん大満足で
トロンボーン
した!!・・・・私も楽しみました!!!(外)
飯塚政子様(練馬区) バイオリン
三船雅代様(船橋市)フルート
★WJF会員募集中!
!
はじめまして。楽器の寄贈に興味があり調べてい
ジャズを愛する皆様、どうぞ会員になって下さ
ましたところこちらのサイトにたどり着きました。
い!!また皆様のお知り合いの方々に、ぜひWJ
20年以上前、中学校の吹奏楽部に所属していたと
Fへのご入会をお勧め下さい。
きに使っていたフルートを寄贈したいと思います。
=WJF年会費=
送付先などの情報を教えて下さいませ。楽器はフル
一般会員(General Membership)
\6,000
ートで メーカーは pearl です。確かな製造年月
学生会員(Student Membership)
\3,000
日は分かりませんが、20年ほど前に購入したもの
賛助会員(Friends of Louis Armstrong)\12,000
です。損傷などなく、割と良い状態だと思います。
■会費のお振込み先■
郵便振替
00110-4-415986
ワンダフルワールド・J・F
銀行振込
三菱東京 UFJ 銀行浦安駅前支店
普通:5175119 ワンダフルワールド
お問い合わせは TEL047-351-4464
Fax047-355-1004 WJF事務局
・・・そして後日、
、
本日、フルートのほうをお送りさせて頂きました。
長い間眠っていたこのフルートが、ニューオーリ
ンズでお困りのどなたかの手に渡り、新しい命を吹
き込んで頂き、そしてまた僅かながらもその方のお
Email:saints@js9.so-net.ne.jp
助けになるのだと思うと私まで幸せな気持ちに満た
日本ルイ・アームストロング協会HP
検索エンジン:Yahoo,Google で
されます。
皆様の素晴らしい活動に感謝いたします。
ルイ・アームストロングを検索
︽編集後記︾
50号、13 年間のワンダ フル
ワールド 通信 を振り返ると 、ジ
ャズが好きで 始まった 協会活動
への参画が、確実に成果を生み
出したのだ、と実感する。
編集方針は、 ジャズ/ 例会やア
カ デ ミ ッ ク な ジ ャ ズ 研 究論 文 、
ニ ュ ー オ リン ズ の子 供 た ち へ の
楽 器 プレ ゼ ン ト 、 W J F 会 員 の
方々の紹 介を3本柱と して 、会
報を編集して きた。2 005年
秋からは 、ハ リケーン 被 害 のニ
ューオリンズ 支援に関 する 記事
が メイ ン と な っ て い る 。 今 後 も
協会の活 動や ジャズと ニ ュ ーオ
リンズ に 対 す る 想い を 伝 え て ま
い り ま す 。 よ ろ し くお 願 い いた
します。︵山︶
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