ISSN 0913-4220 モンテッソーリ教育 第41号 巻頭言 子どもたちを「忘れられた市民」にしてはならない .......................................................................................... ドメニコ・ヴィタリ(1) 講 演 人間の可能性を発達させるモンテッソーリ教育の普遍性について .......................................... シルヴァーナ Q. モンタナーロ 訳 深津高子(2) 子どもが生き、成長するよりよい環境をめざして ........................................................................................ ドメニコ・ヴィタリ(21) シンポジウム いま日本の幼児教育にもとめられていること 第1シンポジスト 幼児教育と食育....................................................藤村重文(31) 第2シンポジスト 軽度発達障害の特徴に寄り添った幼児教育を ................................................................................................... 司馬理英子(38) 第3シンポジスト 丁寧な日本の暮らし............................................. 深津高子(43) 第4シンポジスト 保育界の動向に伴うモンテッソーリ教育界の取り組み................ 甲斐仁子(51) 司会者としての報告 ...........................................................................林信二郎(58) 論 文 モンテッソーリの「いと小さきもの」へのまなざし................. 前之園幸一郎(62) モンテッソーリ教育を基盤とした音楽指導について................... 渡子かおり(80) 実践報告・事例報告 小児科開業医としてモンテッソーリ的アプローチが効果的であったAD/HD 症例に関する考察...............................................................................青木 正(94) 話しことばから書きことばの獲得 ........野原由利子、森下京子、村田尚子(103) 教育エッセイ ........................ クラウス・ルーメル(116) モンテッソーリ教育 40 年を顧みて (1) 図書紹介 森貞子著『音楽する?』.................................................................... 前田瑞枝(133) ヨーン・スウェンソン著 渡邉奉勝訳『ノンニとマンニの不思議な冒険』 ........................................................................................................ 鈴木弘美(138) 第41回全国大会参加報告 第 41 回大会を振り返って ................................................................. 米島幸子(145) 支部報告 ....................................................................................................................(147) 教員養成コース報告 ................................................................................................(161) 事務局報告 ............................................................................................... 松本良子(170) ≪英文摘要≫........................................................................ クラウス・ルーメル(180) 編集後記 ................................................................................................... 江島正子(201) 2 0 0 8 日本モンテッソーリ協会 巻 頭 言 子どもたちを「忘れられた市民」にしてはならない ドメニコ・ヴィタリ, S.J. (日本モンテッソーリ協会副会長 イグナチオ教会 主任司祭) マリア・モンテッソーリは 1951 年 10 月 31 日に、「忘れられた市民」と いうタイトルの記事を書きました。 1951 年といえば今から 57 年前、まだ世界は第二次世界大戦の混乱の中 にありましたが、モンテッソーリは記事の中で、次のように語っています。 「大人の生活環境がますます良くなっている一方で、子どもが生活する 環境は悪くなっている。 」 「田舎での生活も、お母さんと一緒にいる時間も、また大人の生活への 参加も少なくなってしまっている。 」 言いかえれば、自由に自然に接する機会が少なくなり、またどうしても 欠かせない人的な環境であるお母さんや大人との生活も、奪われてしまっ ているということを指摘しております。 つまり、この 1951 年の時点で、子どもの周辺に手本となる大人の存在 がなくなりつつあり、子どもが自由に活動するスペースや体験する機会が 少なくなっていたのです。 さて、ここで現代社会の子どもたちに視点を移してみるとどうでしょう。 モンテッソーリが「人類の父であり教師である」と言い切った子どもたち は、その通り大切に育てられているでしょうか。 モンテッソーリの 57 年前の言葉は、現代においてもまったく色あせて いません。むしろ、現代を予言しているかのようです。子どもたちの才能 を引き出すことよりも武器にお金をかけたり、子どもたちをマーケティン グの対象にしてお金を儲けたり、彼らに性的虐待を行ったり、戦場で人を 殺すことを教えたり、さらに彼らを売買さえしている現代の社会で、子ど もたちは「忘れられた市民」どころか、 「虐待され搾取されてしまってい る市民」にまでおとしめられています。 狭い教室を越えて、世界中のモンテッソーリ教育者や協会が連帯をして、 子どもたちのための運動を起こそうではありませんか。 −1− 講 演 人間の可能性を発達させる モンテッソーリ教育の普遍性について シルヴァーナ Q. モンタナーロ (医学博士、AMI 0 ~ 3 トレーナー) 訳 深津高子 会場の皆様、2007 年には世界中でモンテッソーリ・メソードという幼 い子どもたちの驚くべき精神的、社会的、そして道徳的発達の発見につな がった教育法の 100 年祭をお祝いしました。この教育法を受けた子どもの 家族の社会的、経済的背景に関係なく、またその過程にどれ程資金が投入 されたかにも関わりなく、大成功した原因が何であったのか、100 年目の 節目は私たちをふりかえらせてくれます。 モンテッソーリ・メソードは普遍的な価値があり、どんな場所でも、ど の時代にもうまく応用できることがわかってきました。 過去の長い歴史が証明しているように、現在、世界中の 110 ヶ国にわたっ て、22,000 のモンテッソーリスクールがあります。重要なのは、何故この ように世界中に広まっているのか、その理由を明らかにすることだと思い ます。 モンテッソーリ・メソードが普遍的な教育法だといわれる根拠は、科学 的な側面があるからだと私は思います。このメソードは、人生の最初の数 年間に起こる精神的な発達の法則を見せてくれた子どもたちを観察し、さ らにそれを研究し、さらに知識を応用した結果生まれてきました。このメ ソードは偉い学者の個人的見解から生まれたものではなく、子どもたち自 身がこのメソードの普遍性をある人に見せてできたわけです。その人は、 科学的によく準備ができていて、子どもの教育に関心がある人でした。最 初は障がい児、後に健常児へと興味を変えていきました。 モンテッソーリ博士はこのことをよくわかっていて、それを彼女の本『子 どもの発見』の最初に説明しています。 もう一度、ご一緒にこの本をひもとき、人類の偉大なる業績を見てみま しょう。 「もし科学的教育学を確立したければ、これまで使われてきた道とは異 −2− 講演 なる方法を調べる必要があります。教師の養成と学校の改革とは同時に行 われる必要があります。もし養成中、私たちが観察力を持った教師を育て、 実践の手ほどきをしたとすれば、学校でも教師が同じような活動を継続で きるようにしなければなりません。科学的教育学のプログラムに最低限必 要な要素は、子ども一人ひとりが自由に自己を発達できる学校でなければ なりません。 」(1) 「私たちは、児童心理学がすでに確立したような既成概念からではなく、 子どもに自由を与えるプログラムから出発し、それによって子どもの自発 的な動きを観察することによって本当に科学的な心理学を導きだすのです。 このようなプログラムは、たぶん大人に大きな衝撃を与えることでしょう。 実際のところ、私が今紹介しているのは、新しい教育法の一部分でしか ありません。これは 3 歳から 6 歳の子どもたちに適用したものだけですが、 彼らから得られた驚くべき結果は、さらなる研究を進める力になるだろう と信じています。 」(2) 「 『子どもの家』の教育法の源泉は、実際にはさらに昔にさかのぼります。 健常児に対する実験は短期間しか行われていませんが、実はそれに先立つ 障がい児に対する教育的な実験が基礎にあり、それを長期にわたって試行 錯誤した結果生まれたのです。 こうして私は知的障がい児に関心を持ったので、エドワード・セガンに よって考案された障がいを持った子どもたちのための特別な教育法を知る ようになりました。治療に際して、教育学と医学が統合しなければならな いという事実は実践的な成果であり、理学療法(Physical Therapy)が重 要視されました。 私は同僚とは違って、知的障がい児は医学の問題ではなく、教育学の問 題であると直感的に感じていました。 」(3) 1898 年のイタリアのトリノで開催された教育学者の大会で、モンテッ ソーリは知的に低い子どもたちの話をローマから来た教師たちに話しまし た。これがきっかけになり、治療教育師範学校で教師の養成が始まり、モ ンテッソーリは、ここで 2 年間指導に当たりました。 「さらに重要なことは、知的障害児の教育を学ぶためにロンドンとパリ に滞在したのちに、私自身が子どもたちを教え始め、他の教師の仕事の指 導も始めたことです。私の働きぶりは小学校の教師以上でした。 −3− 私は朝の 8 時から夜 7 時まで休むことなく、自ら子どもたちを教えまし た。この実践の 2 年間は、私にとって最初の、そして真の教育者としての 肩書きになると思います。 」(4) モンテッソーリはさらに続けます。 「知的障がい児の教育に献身した 1898 年から 1900 年の初めから、私は この教育法がただ知的障がい児を援助するだけにとどまらず、当時施行さ れていた教育法よりも、はるかに合理的な教育原理を含むものだと感じて いました。特に知的障がいを持った子どもたちが発達する援助になってい たからです。 知的障がいの子どもたちの施設を離れた後、この直感は私の中でさらに 確かなものになり、もしこのような教育法を健常児に適用したら、その個 性を驚くほど発達させることができるだろうと次第に確信に至りました。 」(5) 「偉大な信念が私を駆り立てました。私はこの研究のため、他の仕事を いっさいなげうちました。あたかも未知の使命に自分を備えるかのよう に。 」(6) その後、モンテッソーリはパリとロンドンへ向かいますが、両方の場所 であることに気づきます。 「人々は、 『新しい教育』が地平線の向こうに生まれたことを知らず、そ の教育が障がい児を優れたレベルに高めることや、また健常児をも向上さ せることができることも理解していませんでした。」(7) 「その後 2 年間、私はローマで知的障がい児を教える経験を積みました。 セガンの著書に書かれている助言に従い、イタールの感嘆すべき実験は、 私にとって真の宝物でした。 私には、自分の研究のために作らせた、たくさんの教具の備えがありま した。使い方を知っている人の手にあれば、これらはすばらしく優れた援 助になることが分かりました。 」(8) 「私は精神病院の何人かの障がい児を手伝った結果、彼らはあまりにも 上手に読んだり書いたりできるようになり、健常児と一緒に公立学校の試 験を受け、見事にパスしたのです。この驚くべき成果は彼らを見た人々に すれば、殆んど奇跡のように思えました。 」(9) モンテッソーリという偉大な科学者は、このような奇跡を起こしたのは 自分ではなく、精神病院の少年たちが、健常児と一緒に合格できたのは、 −4− 講演 ただ彼らを別の道に沿って導いたからです。障がい児たちには精神的な発 達を促しましたが、それに反して健常児たちは、押し付けられ、抑圧され ていました。 (個人的に、この時期はモンテッソーリにとって、とても特別なモーメ ントであったと思います。なぜなら彼女は人間教育の問題点に気づき始め たからです。 ) 「知的障がい児をこのように素晴らしく発達させた特別な教育法は、い つか健常児にも適用できるのではないかと私は考えました。そうなるとこ の奇跡はもう奇跡でなくなり、障がい者と健常者の間の深い溝に橋を架け る必要が無くなるのです。 」(10) 「皆が私の知的障がい児の進歩に感嘆する一方で、私は普通の学校に通 う健全で幸せな生徒が、学力試験で私の障がいのある生徒たちに追いつか れるほど低い水準に引き留められている背景について考えをめぐらしてい ました。 」(11) モンテッソーリはペスタロッチの考えに同意しています。 「教師は特別な訓練を受けなければならず、それは知的な勉強だけでな く、子どもの魂に触れ、自分が教えている子どもたちを尊敬し、共感しな ければならない…」(12) またモンテッソーリは次のことも理解していました。 「しかしこれは、子どもの魂を目覚めさせるために必要な最初の第一歩 に過ぎません。次に、子ども自身の活動は、自己成長に導いてくれるもの でなければなりません。この 2 番目の部分に、科学的教育学が寄与してい ます。 こんにち 今 日、私たちが経験してきたことのおかげで、教師は―たとえその子 どもが荒れていても、また活気がなく抑圧されていても、彼らのために準 備された教育的環境とのつなぎをする人だといえます。 子どもはまず、正常化されなければならない。 」(13) モンテッソーリはイタールやセガンの本を読むため、知恵遅れの子ども たちとの仕事を辞めました。彼女はこれらをじっくり読む時間が必要だと 感じ、またこの本をイタリア語に訳そうと思いました。その頃ニューヨー クから英語で 1866 年に出版されたセガンの第 2 版が贈られてきました。 彼女はこう言っています。 −5− 30 年にわたって障がい児の教育をしてきたこの教師は、健常児に同じ 生理学的教育法を用いると、それは全ての人類を再生させることができる ことを述べています。これには次のようなことが基本となっています。 「生徒一人ひとりの研究とその子どもの教育課程中に現れる生理学的、 精神的現象の分析です。 」(14) 「私の頭の中は、学校と教育の根本的概念を完全に変えるかもしれない 重大な仕事に圧倒されました。 」(15) 同じころ、モンテソーリは哲学と実験心理学を勉強していました。また 教育人類学の研究もやっていて、 「イタールは、アヴェロンの野生児を治療したとき、とても科学的な方 法を用いて知的障がい者で耳が聞こえず、話せない人間を社会生活に戻す ことに成功しました。 」(16) 「私自身も、個人を研究することと、科学的な器具、そして知能テスト を使って、障がい児と呼ばれる、以前は教育不可能と言われ学校から追い 出されていた子どもたちを健常児と一緒に試験を受けられるまで変えるこ とが出来ました。彼らは社会の中で、知的で有能な人として受け入れられ るようになったのです。 したがって、科学的な教育とは、科学に基づいていて、人間をより優れ た個人にするのです。 」(17) また彼女はこう付け加えます。 「もし新しい教育法が科学的な方法で導かれたら、学校や今までの教育 法を完全に変え、 『新しいかたちの教育』が生まれるでしょう。」(18) 「セガンが子どもとの関わりで試された沢山の教育法を実験したいと思 いました。まず彼のやり方は、全く勉強したことがない 6 歳から受け入れ ます。 私は同じメソードをまさか就学前の子どもたちに適用するとは思ってもい ませんでした。それをするようになったのは、あるきっかけからでした。 」(19) 皆さん、私たちはもう皆サンロレンツォで、いえローマを離れて世界中 で何が起こったか知っていますね。モンテッソーリが夢見た新しい教育は、 現在更に豊かに発展し拡大してきました。彼女の言う奇跡は これらの奇跡は科学的な知識に裏づけされていてそれ由、普遍的です。 これらの奇跡はモンテッソーリがいう心理的発見と、健常児に対応した科 −6− 講演 (20) 学的な教育の発見のすばらしさを物語っています。 初めての「子どもの家」の誕生により、モンテッソーリ・メソードは 100 年前のローマで始まりました。 ローマから、このような新しいタイプの学校が全ての大陸に広がったの です! 1907 年 1 月 6 日に開校したのはご存知ですね。この日はキリスト教の けんげんせつ 顕現節にあたります。彼女は式典で、イザヤの 60、1―5 章を読み、最後 にこう言いました。 「たぶん、 この「子どもの家」は新しいエルサレムになることができます。 もしこれが世界中の見捨てられた人々に広がれば、教育に新しい光をもた らすことでしょう。 」(21) 「私が、2 年間にわたって「子どもの家」で実践したことの意義はここ にあります。それは、ある数名の人たちが実践した子どもたちへの新しい 教育方法の一連の実験結果であります。 この 2 年間の仕事の土台は、フランス革命の時代にさかのぼり、セガン とイタールが全生涯をかけた努力のお陰です。私は、セガンの英語の本の 出版から 30 年後に、彼の考え、あえて言わせて頂ければ、彼の仕事を引 き継ぎました。10 年間、私は現場で実験し、この卓越した二人の仕事や 考えを深く考えました。合計 50 年に及ぶ積極的な準備が、この 2 年間の 試行錯誤の前段階にあったわけです。 私はこう言っても思い違いはしていないと信じていますが、この仕事は イタールから私まで 3 人の医者の仕事をあらわしていて、精神医学への道 の最初の一歩を踏み出したといっても過言でないと思います。」(22) モンテッソーリは、この体験を次のように言っています。 「最初の「子どもの家」が設置された環境は、教育に極めて適していた に違いありません。なぜなら、初めの子どもたちが見せた驚くべき結果は、 その後のどんな変化とも比較ができないくらいだからです。」(23) 私はここで申し上げたいことがあります、そしてここ日本の仙台でお伝 えすることに喜びを感じます。私も彼女と同じような大きな変革を子ど もにも、大人にも目撃して参りました。それは社会的に貧しいメキシコシ ティーの周辺だったり、また同じ国の片田舎の森の中にある村落でも体験 しました。 −7− 私はそこで、モンテッソーリを勉強した地域のボランティアの先生たち が、経済的に恵まれない子どもたちを教育するのを手伝いました。この特 別な仕事は 1979 年から 1985 年まで続きました。後で、活動がわかるよ うにスライドをお見せします。 もし科学的に準備された環境が子どもたちの教育のために提供されれ ば、全ての場所に奇跡の可能性があります。 モンテッソーリは続けます。 「 『子どもの家』での仕事が、真の科学的な方法に基づいて実践できたの は、それを妨げる障害物が全くなかったからです。子どもの家が、ある種 の心理学的実験室であり、固定概念や先入観から自由だったのです。」(24) 今日、私たちは次のような裏づけにより、モンテッソーリ・メソードの 普遍性を容易に支持することができます。 「過去 30 年間、科学者はベビーベッドの中や、ベビーサークル、保育園 や就学前の学校を研究しています。何百というたくさんの科学的研究がな され、いかに赤ちゃんや幼い子どもが考えたり学習できるかということを 発表しています。このような研究は、子どもや乳児の見方を革命的に変え、 人間の心や脳の姿を明らかにしくれました。 ベビーベッドの中を覗いて、私達は人間になるとはどういうことかを学 んできました。子どもの心を学ぶ新しい科学があります。それを認知科学 と呼びます。認知科学は心理学と哲学、言語学、コンピューターサイエン スと神経科学を結びつけました。 」(25) この科学者は言います。 「ベビーベッドの中には前代未聞の最高の脳が存在する。宇宙で一番パ ワフルな学習マシーンだ。 小さな指や口は探求の道具で、まわりの世界を火星探知機より緻密に調 べる。しわくちゃの耳は不可解な音を拾い、それを完璧に意味のある言語 に置き換える。 見開かれた目は、あるときは深く人の心の中に入り込み、相手の一番深 い心の中を解読する。 最初に出てくる頭は、毎日何百万というコネクションをつなげる脳を囲 んでいます。これは少なくとも、30 年間にわたる科学的研究が教えてく れたことです。 」(26) −8− 講演 「私たち人間、つまり数ポンドのたんぱく質と水しかない存在が、宇宙 の始まりを理解し、自然のなりたちや自分自身のことも分かり始めたのです。 どうやってそんなことができるのでしょう? いつの間に、ここにたどりついたのでしょう? わかってきたことは、世界のことや、自分自身のことが分かるようにな るのは、実は幼児期に源があるということです。 私たちは宇宙の秘密を発見する能力と、自分自身の心がわかる能力があ るのです。 」(27) モンテッソーリ博士が、どこまで深く子どもの心を発見していったかは 驚異的であります。また彼女の科学的な研究、忍耐強い観察力、そして適 切な環境におかれたときに乳幼児が見せる果てしない可能性に対する深い 尊敬の念を忘れてはなりません。 このような壮大な研究と調査によって、私たちが科学的に立証できるの はモンテッソーリの発見は普遍的特性があるということです。 どこでやっても、いつやっても、同じ素晴らしい結果が得られるのは、 皆、人間の脳の可能性と繋がっているからです。モンテッソーリ・メソー ドの科学的土台が、普遍性の答えになっています。しかし、今、わかって いるのは、この豊かな脳は、始めの頃から丁寧なケアーが必要だというこ とです。好ましい環境がなければ外に表現されることはありません。1000 億というニューロンが母体の胎内で形成され、その人間らしい素晴らしさ は、科学的な援助がなければ一度も表現されることがないのです。 モンテッソーリは、このメソードの普遍性に着目していました。 過去における運動の歴史をみてわかるように、同じような教育が、ある 程度の調節で、どの社会の階級にも応用でき、世界中の全ての国にも可能 です。 このメソードは幸せな家庭からの子どもにも、また地震や他の災害で恐 怖の中にある子どもにも適用されます。 「私たちの時代には、子どもたちは暗闇に打ちひしがれている人々に、 新しい希望の原動力となることが明らかになっています。」(28) 「これらは子どもの科学的教育法の由来で、これは全ての教育に影響を 与えうるものとしての希望があります。 」(29) 今日私たちは、この教育法の普遍的価値を信じています。なぜならこれ −9− は、人間に内在する特別な可能性を発見するのに、完璧に対応できるから です。 たぶん universality「普遍性」ということばと、 形容詞である universal「全 世界の」という意味を説明したほうがいいかと思います。形容詞は、宇宙 すべてを理解し、全てを受容し、包み込むようなもの。全ての人に使われ、 理解されるもの。地球や人類をいつでも全て理解しているもの。宇宙全体 に関わることで、宇宙全体に有効なこと。(30) 普遍的という形容詞は、全 てとか、一般、満場一致と同意語に使っています。 モンテッソーリ教育は、どの時代でも、どの場所でも、子どもの発達の ために、最適な方法で摘要できる教育方法です。 この概念をよりよく理解するために、モンテッソーリの本、『人間の形 成について』を参考にしましょう。彼女の生きた時代背景に基づいて世界 情勢が描かれていますが、同じことが現代の世界にも当てはまります。 「精神的な人間はどこか他の情況の救済に消え去り、今人間は自分の創っ てきたものを破壊するデストロイヤーになりつつあります。ですから、人 間性の再生のための普遍的な世界運動が必要で、それには道は一つしかあ りません。 その唯一の目的は、人間性のバランスや、精神的な健全さを保護するこ とや、現在の外界への安全な方向性を見つける手伝いをすることにあります。 この運動はある国やある特定の政党に制限されず、目的は人間の価値の 具現化、または実現化であり、それはどんな政治的、国々の違いを超えた 共通の関心事です。 」(31) 「今では教育は、全ての人にとって、社会的にも人類共通の関心となっ てきました。そしてその土台には次のものがなければなりません。 ・子どもの個性を保護するための心理学 ・私たちの文明の明確な理解 それによって個々の人格は、混乱のある情況下でも守られ、 (その人は) 歴史の中での自分の位置を意識できる人になるでしょう。 ・歴史の宇宙的ビジョン、そして人類の進化を含み近代社会における人 間の役割が理解できる概要。 環境に人間が適応する際の知恵を教えることなしに、いったい教育の目 的は何があるというのでしょうか? − 10 − 講演 ・最後に、教育の諸問題は、宇宙的秩序の法則に従って解決されなけれ ばなりません。それは人間の精神的構築を担う不変的法則から、地上にお ける社会の進化を手助けする変化する法則にまで及びます。これらの宇宙 の法則を尊重することは非常に重要なことです。 これらの法則を基本にしているから、外界の社会構築を扱う多種多様な 人間の法律を判断したり、変更したりできるのです。」(32) みなさま、この本『人間の形成について』のプログラムが持つ、明確さ と深遠なる暗示に感動せずにはいられません。特に、1955 年に彼女がこ の本を書いたことを思うとなおさらです。 彼女は人生の中で、また仕事の中で、cosmic「宇宙的」や universal「普 遍的」という形容詞をよく使いました。それによっても地球上における彼 女の人間の存在と行動に関するビジョンがどうであったか理解でき、また 宇宙という枠組みの中で、その素晴らしさを汲み取ることができます。 彼女はつぎのことを確信していました。 ここにいる私たちすべては、この地球上で、特別で個性豊かな仕事をして、 創造を完成するためにいます。一人ひとりに、特別の(ユニークな)仕事 があり、個人を成長させることと、宇宙を育てるという使命があります。 モンテッソーリ博士のビジョンはいつも普遍的で(universal)、その意 味は、たとえ個人的な生活も成長も宇宙という枠組みの中にあるといいま した。私たち、人間は、偉大な可能性を持ち、1000 億のニューロンがあ る脳を発達させようとしていて、これは偉大な生命の贈り物としてどの子 どもも持っています。この贈り物は、一人ひとりが、宇宙的使命に基づい た個々の個別活動によって自己発達をすることに目的があります。 同じく、私たちがこの個別活動をしているとき、私たちを内包する宇宙 が満たされることに貢献しているのです。 これは何と、感動的な考え方でしょう!! 宇宙も私たちとの協力を必要としています。私たちのどんなに小さなア クションも、これが自分自身と宇宙への貢献だと気づくと、何と力強い気 持ちになることでしょう! この本『人間の形成について』を読み続けると、「私たちの現代社会」 と題された社会の分析が出てきます。ここには、ある歴史的瞬間の哀れな 人間の姿が現れてきます。でも彼女の指摘が、現在の世界情勢にも完全に − 11 − 重なることは、印象深いものです。 今日、人類はその環境の奴隷となってしまいました。なぜなら、環境に 比べてとても弱い存在になってしまったのです。 この奴隷制度はどんどん広まり、勝者と弱者の間にはびこっている状態 です。今までで、人間がこのような無力な存在になったのは、初めてです。 人はもう何一つ安全でないということを知らないのでしょうか? 銀行に預けたお金がある日突然、持ち主に戻らなくなってしまったり、 金持ちでさえ自分の住みたい国へ行けないことさえあるのです。そんなこ とをすると国境で検査され、尋問され、服を脱がされたりするおそれがあ ります。 本来は人を保護する目的で作られたパスポートですが、時に、煩わしさ をもたらしています。昔は、犯罪者ですら義務付けられていなかった自分 の写真や指紋の携帯が、自国にいても指示されています。 もはや、誰の生命も保障できません。無意味な戦争が始まって、全ての 人―若者も年寄りも、女性も子どもたちも生命の危険にさらされます。一 般市民は爆撃され、人々は地下にある防空壕に避難し、ちょうど原始人が 洞窟に逃れて、獣から身を守ったようなものです。 人類は自ら征服され、奴隷の状態になりました。今や、勝利者も敗北者 も奴隷の状態におとしめられました。打ち負かされ、不安で、恐怖におの のき、懐疑心があり、敵意に満ち、自己防衛のために略奪やスパイ行為をし、 自己防衛という名で不道徳さが助長されています。かつて人間社会を高め た精神的、知的価値観は、つながりをなくしてしまいました。勉強は退屈 で、味気のない、精神を高めない、単なる消耗させる事柄となるでしょう。 学習は、ただ単に仕事を得る手段となり、その結果不確実で不安定なもの になってしまいます。(33) モンテッソーリは続けます。 強い印象を受けるのは、この名前のない奴隷制度にはまった人々が、自 分たちは自由で独立していると叫んでいる事実です。(34) 「人類は、すべての生命の価値とエネルギーを結合し、自己の解放のた めに準備しなければなりません。もはやお互いに戦ったり、相手を征服す る時ではありません。人間は、ただ自己を高めることのみを考え、狂気の 狭間に押し込まれるような無益な束縛より解放されなければなりません。 − 12 − 講演 本当の敵は、人類自身が作ったものに対する無力さです。これはまるで 人間性の発達を人間自身が破壊しているようなものです。 この敵を消滅させるには、環境に対して今までとってきた反応や行動を 変えることが大事で、そうすれば本当の富と幸福がもたらされるでしょう。 私たちに今、必要なものは世界規模の革命です。 この改革にはただ人間がその価値を高め、自分たちが作り出した環境の 奴隷やその犠牲者になるのではなく、主人になることです。」(35) しかし、モンテッソーリは常に楽観主義者で、世界中の子どもたちを目 撃した奇跡から、人間が変わる可能性を信じて疑わず、すぐに解決法を提 案しています。 「治療法は新しい教育法にあります。 新しい教育の役割は、人類が進むべき新しい道を切り開くことにありま す。丁度、病院が病人を介護し、更に生きられるように助けるようにです。 我々も人類が救われるように助けなければなりません。我々は地球規模 の病院の看護師になるべきなのです。 この問題は現在考えられているような学校にだけあるのではありません。 教育は、人類を保護しその存在の質を高めることによって普遍的な人類 解放に寄与するか、または逆に、まるで生命の進化の中で使われなかった 有機体のある器官が萎縮したようになるでしょう。」(36) 「現代ではまったく新しい科学の動きが、あちらこちらで互いに相互関 係のない結果を示していますが、近い将来にはこれらが互いに統合するよ うになるでしょう。 この動きは、実は教育の部分ではなく、むしろそれは心理学に属してい て、教育学から生まれてきたものではなく、大人の精神病や異常な状態を 少しでも緩和するために生まれてきました。 この医学の領域から生まれた新しい心理学は、動揺されたり、幸せでは ない子どもたちに向けられていき、生き生きした生命力は圧迫され、正常 な道から逸脱しているのです。教育はこの動きと一緒にならなければなり ません。 」(37) 「私を信じてください。子どもたちを圧力より解放しようとだけ努める 現代教育は、正しい方向ではありません。彼らをしたい放題にさせ、簡単 な作業で楽しませ、荒っぽい自然のままの状態にするだけでは問題解決に − 13 − はなりません。問題は「再構築」することで、 それには人間の脳科学をもっ と深く探求しなければなりません。 これは忍耐のいる仕事で、この目的に献身する何千という人の研究調査 の上に成り立っています。 この理想は普遍的なスケールで全人類の救出です。 たくさんの忍耐強い働きが人間の解放と安定のために必要とされていま す。 」(38) 「はっきりわかっていることがあります。 教育学は、今までのように同情や共感、慈善によって動かされた哲学者 や博愛主義者が形成した固定概念によってつくられるべきではないのです。 教育学は心理学に従わなければならず、その心理学とは教育に応用され、 固有の特徴ある名前を持つべきです。 心理教育学(Psycho-pedagogy) この領域では、まだたくさんの発見がされるべきであって、人間の解放 は、驚くべき発見をもたらすでしょう!」(39) (彼女の予言は現実になり、現代の多くの脳神経学者の調査研究は、す でにこの講演中で引用している) モンテッソーリは継続してかなり明確に子どもとの仕事のガイドライン を話しています。 「生命を助ける、手伝うということが一番重要で、基本の原理です。 心理的な発達の道を、誰が自然な形を明らかにできるでしょう?これは 子ども自身です。一度子どもが子どもでいる環境にいることを許されたな らば。 我々の最初の教師は子どもたちです。より適切に言えば、彼らを無意識 の内に導いている宇宙の法則に従っている生命衝動なのです。 子どもの意志というものは神秘的で、それが人格形成へと子どもを導き、 これこそが、私たちのガイドであるべきです。 」(40) 「子どもの本当の姿を見るのは容易に達成できますが、困難なのは、大 人による子どもへの古い先入観や固定概念です。ここに完全な無理解が存 在します。 私たちの貢献できること:それは小さく、完全ではありませんが、大き な先入観という邪魔ものを照らし出し、個別な活動を破壊するのを防ぐこ − 14 − 講演 とができると思います。 」(41) 皆様、どうか 100 年間という期間に試されたモンテッソーリ教育はどん な場所でも、どんな情況でも応用可能だということを覚えていてください。 このメソードの普遍性は、土台に幼い子どもたちのなかにある人間の傾 向性の科学的な発見があるということです。 この星の全ての子どもたちがこの教育を受けることができるよう、強い 決心をもって挑まなければなりません。 モンテッソーリ博士はいつも生命と、人類の可能性への教育に普遍的な ビジョンを持っていました。このビジョンは彼女の著書や講演に沢山表現 されています。過去 50 年間に、さまざまな領域で科学者は同じようなビ ジョンを表現しています。ここで、いくつかモンテッソーリを含む何人か の識者からの言葉で終わりたいと思います。まずはモンテッソーリ自身の 言葉から…。 「星の世界にまで侵入した人類は、より高められ、宇宙を新しい生物と して出会うようになりました。子どもたちは、新しい子どもたちであり、 無限の可能性を獲得するよう運命付けられています。」(42) (『教育と平和』) 「人間の一生涯を通じて普遍性の風が吹いていなければなりません。 人間がよく準備され、自分たちの宇宙での役割を認識していれば、新し い平和な世界を作り上げることが出来るでしょう。」(43) (VI International Montessori Congress, コペンハーゲン 8 月 1937 年) 「子どもを愛し、知ることだけでは教師として十分ではありません。教 師は宇宙をも愛し、宇宙を知っている必要があります。」(44) ( 『乳児から青年期へ』第 5 章) 「発達の法則を知らなければなりません。つまりそれは人間構築の仕事で す。 」(45) (1946 年 ロンドンコースにて。未出版。AMI 所蔵) 「どの子どもも希望であり、人間性の約束です。私たちの一番貴重な宝 物として胎児を世話することは、人類の偉大さにむけて仕事をすることで す。 」(46) ( 『教育と平和』 、コペンハーゲン 1937 年 5 月 22 日) − 15 − 「人生を通して普遍性の風(blow of universality)が必要です。この宇宙 の役割を意識し、準備されると、私たちは平和な世界を構築することがで (47) きます。 」 ( 『教育と平和』 、コペンハーゲン 1937 年) 「現代の物理学では宇宙はあまりにもダイナミックで分離できない固ま りで、常に観察者もその中に含む。これに関して、従来の空間と時間、物体、 原因と効果はその意味をなくしてしまう。そのような体験では、東方の秘 境に似ている。 」(48) (フリチョフ・カプラ(論理的物理学者)『物理のタ オイズム』 、シャンバラ 1975) 「組織が複雑であればあるほど、自己超越していく、それぞれの部分は 協力し合い、再編成する」(49) (イリア・プリゴギネ(化学哲学者)ノー ベル賞受賞 From Being to Becoming, San Francisco 1979) 「宇宙には形成しようとする傾向があり、それは辿ることができ、星座 やクリスタル、ミクロオーガニズムにみることができる。更に複雑な生命 活動や、そして人間には、更なる秩序に向けての進化的な傾向性があり、 更に複雑になり、更なる相互依存が見られる。 人類にはこのような傾向性は一つの細胞の状態から見られ、それがもっ と複雑な有機的活動になり、意識下のレベルでも知ったり感じたりし、有 機体にも外界の世界にも気づいていて、次に人類も含む宇宙の調和や統一 という超越的な気づきにまで至る。 」(50) (カール・ロジャーズ A Way of Being, Houton Miffling, Boston 1980 p.133) 「宇宙は巨大な精神的―霊的な現実である。宇宙の物語は、現れ出る意 識の過程の物語です。全てのものはこれに関わっていて、表現されるのは 極小レベルです。私たち人間は、宇宙の大部分はしめませんが、また宇宙 の中に存在する生き物でもありませんが、宇宙そのものであります。私 たちは宇宙が反映するものであり、喜びにあふれている。それが、生き ることを謳歌する目的である。 」(51) (トム・ベリー神父 Global Survival Conference , Oxford, 4月 1988 年) − 16 − 講演 「石器時代から、人間は無限や口で表現できないことを想像したり、ま た知性の存在に関する宇宙論的なことを考えたりする頭脳を持っていまし た。私の考えでは、原始時代の人々の最初の認知活動は、このような実存 することへの問題解決で、初期の美術、ダンス、神話、ドラマは暗示的 であれ、明示的であれ、主題は宇宙でした。 」(52) (ハワード・ガードナー Intelligence Reframed ,Basic Books, New York 1999, p62) 私の個人的な普遍性の見解は次のようなことです。 何が起こっても、何をするにしても、私たちは宇宙という大きな枠組み の中で考える継続的な努力が必要です。星を眺めると、自分達と、それ以 外の世界や宇宙とのつながりを発見するでしょう。このような内なる変革 が、私たちのする仕事に現れ、使う言葉ももっと刺激を受け、情報を渡す ときそれは本当の知識となるでしょう。それはエンライトメント、啓蒙が 起こるのを手伝い、忍耐強く、思いやりがあらわれます。生活の中で起こ る困難さや挑戦を理解し、互いに協力し合います。偉大な人間の運命に向 う模範となる人を作ります。 最後に、私の好きなマリア・モンテッソーリの文章を紹介したいと思い ます。彼女のビジョンがよくわかります。 (訳注:マリア ・ モンテッソー リは第一次大戦後、スペイン内戦が勃発した 1936 年に、次のような講演 をブリュッセルでの平和会議でしています。これによって彼女がいかに壮 大な計画、ヴィジョンを持っていたかを感じることが出来るでしょう。) 「現代に生きる私たちは皆、ただ一つの組織体、つまり単一の国家を形 成しています。こうしたユニークな単一の国家という考えは、普段あまり 意識されていませんが、人の心の奥にある、精神的かつ宗教的なあこがれ であります。 人間が地球上に出現して以来の、あらゆる努力をその中に統一する超計 画が、現実のものとなりました。私たちは、そういう現実の中に生きてい るのです。その証拠となるものとしては、人間を今日、固有の本性以上に 高めた、奇跡に近い種々の努力が挙げられます。 例えば、人間は空を飛べるようになり、それは宇宙に秘められた人目に つかないエネルギーを使っています。 そして天空の奥深くや、無限のかなたを観察することができますし、大 − 17 − 海原を超えて話もできますし、世界中の音楽を電波の受信によって聴くこ とができます。 さらに、人間は物質の変容を可能にする秘密を手に入れ、遂にいまや、 人類という大きな国家の市民となったのです。 このような自然にまさる力を持つ人々が、オランダ人、フランス人、イ ギリス人、イタリア人であるのは、とても愚かなことです。彼らは新しい 世界の新しい市民です。 彼らは、宇宙の市民なのです!」(53) ( 『教育と平和』 ヨーロッパ平和 会議、ブリュッセル、1936 年 9 月 3 日) ありがとうございました。 Notes : (1) Maria Montessori, The Discovery of the Child (Ballantine Books, New York 1972) p.19 (2) Ibidem, p.20 (3) Ibidem, p.21 (4) Ibidem, p.22 (5) Ibidem, p.22-23 (6) Ibidem, p. 23 (7) Ibidem, p. 26 (8) Ibidem, p. 26 (9) Ibidem, p. 27 (10) Ibidem, p. 28 (11) Ibidem, p. 28 (12) Ibidem, p. 30 (13) Ibidem, p. 30 (14) Ibidem, p. 31 (15) Ibidem, p. 31 (16) Ibidem pp. 31-32 (17) Ibidem, p.32 (18) Ibidem, p.32 − 18 − 講演 (19) Ibidem p.33 (20) Ibidem, p.34 (21) Ibidem, p.36 (22) Ibidem, pp. 36-37 (23) Ibidem, p.37 (24) Ibidem, p.38 (25) Alison Gopnik, Andrew N. Meltzoff, Patricia K. Kuhl. The Scientist In The Crib (William Morrow and company, Inc. New York 1999) p. VII - VIII (26) Ibidem, p.1 (27) Ibidem, p.3 (28) Maria Montessori, The Discovery of the Child (Ballantine Books, New York 1972) pp. 39-40 (29) Ibidem, p.39 (30) Webster Dictionary and Dizionario Enciclopedico Italiano (31) Maria Montessori, The Formation of Man (Kalakshetra Publications, Madras 1975) pp. 8-9 (32) Ibidem, p.9 (33) Ibidem, pp. 9 -10 -11 (34) Ibidem, p.11 (35) Ibidem, p.12 (36) Ibidem, p.12 (37) Ibidem, pp.12-13 (38) Ibidem, p.13 (39) Ibidem, p.14 (40) Ibidem, p.14 (41) Ibidem, p.15 (42) M. Montessori, Education and Peace (43) M. Montessori, Education and Peace , VI International Montessori Congress (Copenhagen, August 1937) (44) M. Montessori, From Infancy to Adolescence (45) M. Montessori, London Course 1946 (unpublished, AMI property) − 19 − (46) M. Montessori, Education and Peace (Copenaghen, May 22, 1937) (47) Ibidem (48) Fritjof Capra, The Tao of Physics (Shambala, 1975) (49) Ilia Prigogine, From Being to Becoming (San Francisco, 1979) (50) Carl R. Rogers, A Way of Being (Houton Miffling, Boston, 1980) p.133 (51) Father Tom Berry, Global Survival Conference (Oxford, April 1988) (52) Howard Gardner, Intelligence Reframed (Basic Books, New York 1999) p.62 (53) Maria Montessori, Educazione e Pace European Congress for Peace. Brussels, September 3rd 1936 (Garzanti, Milano 1953) pp.30-31 − 20 − 講演 子どもが生き、成長するよりよい環境をめざして ドメニコ・ヴィタリ, S.J. (日本モンテッソーリ協会副会長) 皆さんと一緒に子どものことを少し考えたいと思います。別段新しいこ とを申し上げるというわけではないのですが、子どものことを本気に考え ることが、少しでもみなさんのお役に立てばと思います。そしてこのこと は、私自身にとっても有意義なことです。 皆さんはドロシー・ロー・ノルトというとても素敵な教育者のことをご 存知だと思いますが、その方の『人生と親友になれる生き方』という本の 中で、次のようにおっしゃってます。 「私たちは見る、目を閉じたまま 私たちは聞く、耳をふさいだまま 私たちは理解する、わかろうとはせずに 私たちは学ぶ、それを生かすことなく 私たちは差し出す、与えることなく」 時々子どもに対して私たちは、まさにそういうことをしてはいないで しょうか。実際に目で見て心で何か感じるけれども、理解せずに結局無視 して、子どもの声を聞き入れられないという状態ではないかと思います。 本当に子どものことをもっと真剣に考えるべきだと思います。 世界は歴史的にはいろいろな面で発展を遂げてきましたが、子どもに対 してもそうでしょうか。私たちはもう一度真剣に考えなければなりません。 子どもたちは今の社会で、育っているのでしょうか。いろんな事件を見る と、育っていないと言わざるをえないのではないでしょうか。一昨日も桐 生の高校の野球部員が、自分の性欲を満足させるために女の子を乱暴した、 という事件がありましたが、次々いろんな事件が起こっています。親を殺 したり、数年前でしたか、6 年生の女の子が友達を刺し殺しました。彼女 はいつもそんなにおかしい子ではなく、普通に振舞っていたそうです。こ のような事件を起こす子どもは、たいてい正常であったと説明されます。 正常であると言われながらこういうことが起こるということはいかに私た ちの社会が狂っているかということです。その狂った社会の中でそういう − 21 − 事件が起こるということは、そこで悩んでいる子どもたちがたくさんいる ということです。 先日、自傷行為のために、リストカットで手首の皮膚が膨らんでいて、 腕の辺りにもたくさんの傷跡のある女の子がいました。「なんでそんなこ とをするのか」と問えば、 「苦しくてたまらないからだ」と言うのです。 子どものときよく育ってこなかったからだと思います。「何回されました か」と聞くと、 「もう数えられないくらいした」と言うのです。そこまで 子どもたちも苦しんでいるのですね。孤独で苦しんで、それを他の苦しみ で消そうとする、なんておかしな社会になっているのでしょうか。 先日大阪の橋下知事が、 「子どもたちが笑える大阪」というキャッチフ レーズを掲げました。子どもたちが笑ってないというのですね。日本には 本当にブスっとした子どもが多いのですが、フィリピンの道端では子ども たちの笑い声が聞こえます。私たちの子どもが笑えなくなってしまったと いうことは、一体どういうことなのかを真剣に考えなければなりません。 私たちがこういう社会の中で、どういう手助けをしなければならないかを 考えていかなくてはなりません。 さ て、 自 然 の 中 で 動 植 物 が 生 ま れ、 生 き て ゆ く に は、 生 息 地( = habitat)としての環境が必要です。モンタナーロ先生と瑞巌寺に行きまし た。瑞巌寺にはとっても立派な杉があります。ここには杉がよく育つのに 適した環境があるのです。砂漠には、動植物が生きられる環境がないので す。何も生えることもなく、生物はだんだん生息しなくなっていきます。 タンザニアのセレンゲという国立公園で、ライオンが増える地域があれば、 ほかのところでは減ります。食べ物があるところでは生き物は増え、そう でないところでは子孫が減っていきます。動植物の次世代が生活できる環 境とそうでない環境があって、環境が適していなければ滅びていくのです。 私のいる教会では花を植えて水をやっています。同じところに、元気に 茂っている雑草が綺麗な花を咲かせています。暑さも寒さも関係なく、そ こに適してないものは枯れていきます。ちょうどいいところで花は咲き出 します。土地も風も日も、ちょうどいいところで伸びていくのです。咲い ている花の色もとても綺麗です。自然界の中でハビタット(生息地)が適 していないと動物も植物も消えていくのです。私たちの子どもの場合も似 ていると思います。子どもたちが育ち、伸び、生きる力を持って自分の力 − 22 − 講演 を発揮できる環境はいったいどういう環境なのでしょうか。現代の社会は それに適している環境なのでしょうか。今、家族はどうでしょうか。私た ちの幼稚園はどうでしょうか。子どもが持っている能力を発揮させること が出来るでしょうか。これらを考えなければなりません。 まず子どもたちを迎え、認めるということだと思います。いかに子ども たちが偉大で潜在能力が大きいかということを、まず素直に認めましょう。 神様から私たちに与えられる一番大きな一番素晴らしい贈り物として彼ら を認めなければならないのです。ご存知のように聖書の中では神は人間を 自分に似せて作られた、と言われています。神様に似たものとして子ども を作られ、神様が自分と等しいものとして私たちに子どもをプレゼントし ているのですね。マリア・モンテッソーリが 101 年前にローマで最初の子 どもの家を開設した日は 1 月 6 日で、イエズス様を迎えていろんな贈り物 を持っていく日ですね。そのときマリア・モンテッソーリはイザヤの預言 書の言葉を引用して次のようにおっしゃっています。 「起きよ光放て、あなたを照らす光は上り、主の栄光はあなたの上に輝 く。 」 これはイエズス様についてだけではなく、子どもについての言葉でもあ ります。光り輝くという役割を子どもたちは果たしています。子どもたち がいなかったら、子どもの笑い声がなかったら、光輝くということはなく なり、この世はだんだん沈んでいくでしょう。子どもには希望に満ちた未 来があり、新しさも驚きも感激もあります。だんだん歳を重ねると物事に 対して慣れっこになり、探すこともなくなり、そういうことは感じられま せん。ですから子どもは光であり、希望であり、そこに未来を見出すこと が出来るのです。 何億もの細胞を持って、子どもは生まれて来ます。潜められた力を持っ ているのです。モンタナーロ先生がおっしゃるには、立派な人も、持って いる宝を 5%くらいしか活かしていないそうです。生後いかに早くから、 子どもがその発達にふさわしい環境に触れ合うかによって子どもの人生は 変わってきます。3 歳~ 6 歳までの人格の形成期に、一生の間の大切なこ との種がまかれていると、指摘されています。文科省の新しい幼稚園教育 要領の中でも環境の大切さが指摘されていますが、そこでは主に物質的な 環境を指摘しています。子どもには動きたい、見たい、触りたい、そうい − 23 − うような自由さが必要であるということはいうまでもないことです。しか し、それ以前に、人的環境、まずお母さん、お父さんによって子どもが喜 んで迎えられ、愛されて育てられることが大切です。 しかし今の社会で、そこまで恵まれている子どもは少なくなっています。 ですから子どもを迎えて、まず親が、言葉や感覚やいろんなことを自分の 中で経験しながら子どもを発達させていくことが必要です。モンタナーロ 先生は、子どもの命に奉仕するという立場が私たちにはあるということを 指摘しています。 『生命のひみつ』という本の中で、命への奉仕というこ とを強調しています。しかしながら私たちが子どもの持っている力を発揮 させるための手助けをするためには、現代の社会では多くの障害がありま す。それについては私たちが反省しなければなりません。子どもへの手助 けを妨げるという原因の一つは、現代の社会で子どもがあまり望まれてい ないということです。いろんなアンケートをとっても、子どもを迎えよう とする人が少なくなっているのがわかります。自分の仕事や自由時間を尊 重するあまり、子どもはうるさいと言って子どもを迎えようとしない人た ちもいます。先日も新聞を読んでびっくりしたのは、有名な人の名前も出 ておりましたが、「犬を二匹飼っているから子どもは要らない」という意 見が述べられていたことです。さらに、 「主人も要らないから離婚した」と。 わがままに暮らすことに多くの若い人たちが慣れっこになっている現代の 社会の中で、子どもを迎え、子どもの力になってあげようとする人たちが 少なくなり、離婚もどんどん増えるのですね。子どもがいて離婚する場合 には、その前に子どもに聞くべきだと思います。そうすれば、誰も離婚で きないと思います。 先日イグナチオ教会で、大人 2 人と女の子の 3 人を見ました。 「今日は 幼稚園に行かなかったの?」と聞くと、 「行かなかった」と言うのです。「ど うして行かなかったの?」と聞くと、 「お父さんがお母さんを叩いたのを 見た」と子どもが答えました。そして、お母さんは実家に帰ってしまった ので、おばあちゃんとその子どもと一緒に教会に来たのです。お母さんを 叩いたお父さんを見た、というその子どもの顔を見ると、子どもが大きく なって、もしお父さんに会ったらどうするのでしょうか、と感じました。 これは、モンテッソーリの平和教育をよく理解させてくれます。子どもは 成長して、親の喧嘩や対立をどう思うでしょうか。捨てられたことを子ど − 24 − 講演 もはどう思うでしょうか。親への復讐を心の中で感じる子どもたちが大き くなったらどうするのでしょうか。子どもの教育から始めなければ、本当 の世界平和を実現するための平和教育にならないというのはこういうわけ です。 ふたたび動物界に目を向けてみましょう。南極皇帝ペンギンの雄は一ヶ 月以上も卵を温めます。雌はえさを捜しに行っているのです。その間、雄 は何も食べないから 100kg あっても 60kg になってしまいます。たまに雌 が遅れると、子どもがだんだん大きくなって、たくさん食べたがるのです。 すると自分の胃袋の液体を出して子どもに食べさせるのです。結局自分の 体を食べさせるということです。また珍しい、私の知らないオオミズナギ ドリという鳥は、よくわからないけれど日本から南へ 1000km 移動してえ さを探しに行くそうです。自然の動物界の中で、子どもを残す以外の目的 はありません。子どもを育てるために全部時間を費やして自らを擦り減ら し、そして死ぬのです。ある昆虫は死ぬことによって次の子孫を残します。 神様は人間もそのように作ったのだと思います。しかし理屈っぽい人間が 現れて、自分たちが生きる目的は子どもだけじゃない、自分たちだって楽 しみたいのだと主張し、今自分たちが幸せならばそれだけでいいとさえ考 えるのです。離婚もあり得るわけです。確かに子どもを持たない生き方も あるでしょうが、しかし元々自然が目指しているのは子どもです。現代の 親は仕事も大事にし、自分の時間や自分の生活を尊重します。そして、そ ういう生き方を親はよく子どもに教えています。いろいろなことが楽にな りすぎて、そういう生活をすることが可能になり、従来の人的な環境が崩 れるところでは子どもは育ちません。 さらに、現代は少子化時代といわれていますが、これは正確な表現では ありません。何で少子化なのか、不思議です。子どもが生まれないという ことではなくて、子どもを生まないというのが真実でしょう。ですから、 堕胎もよくされているこの時代に子どもがいないと本気で言うのはおかし な話です。本当に子どもがいないというのではなく、子どもは結構いるの ですが迎えないというのが現実です。そんな環境の中で、どうして子ども がよく育つことが出来るのかということを、私たちは反省しなくてはなら ないと思います。 さらに、子どものために親は人生を捧げるべきなのに、今の社会はかえっ − 25 − て子どもを利用し、搾取して儲けようとしているのではないでしょうか。 子どもを労働させたり、あるいは玩具、食べ物、服を対象とした商売では、 子どもを狙えと言わんばかりの宣伝広告がいっぱいあります。アメリカで 出され、訳された本の中には、子どもを利用して儲けて楽をする、あるい は性的虐待をする、子どもを自分の楽しみの道具にしてしまうという大人 のことがいっぱい書かれています。そういう社会では、子どものために生 きるのではなくて、子どものように自分が楽な生活をしようとしている大 人が珍しくはないのです。 本当に何ともいえない社会、それはよその国のことばかりでなく日本で もそうです。様々な玩具を作り、それを売ろうとする人は子どもの教育を 思っているのではなく儲けるために作っています。どんどんいろんな玩具 が出されていますが、それが脳の発達には役に立つと思いますか。全く役 に立ちません。子どもには経験が必要です。人に会う、接する、見る、触る、 そういう体験を必要としています。いろんな玩具で遊び、テレビを長く見 るのは、子どもの脳の発達には役に立ちません。モンタナーロ先生はそれ について細かい論文を書いていますが、やはり儲けるための企業は儲けさ えすればよいのであって、子どもを潰すか、教育しないか、殺すか、だと 指摘しています。 武器を渡して人を殺すことを教え、子どもを戦わせるという現実もあり ますが、そんなことまでさせて、一体なぜ今の世界は子どもたちを守るこ とが出来るでしょうか。できないでしょう。先日の新聞によると、世界の 先進 10 カ国の軍事費は殆ど 100 兆円だそうです。これを教育のために使 えば、どんなに子どものためになるかと思います。なぜ 100 億円もする戦 闘機が作られているのでしょうか。それは人を守るためだと言われますが、 本当のところは金儲けです。一番発展している国がそのようにしているの です。子どもが利用され、搾取され、大人の楽しみや、金儲けのために使 われています。今の社会の中で子どもを本当に守り、その罠に陥れること がないようにしなければならないと思います。 今、子どもたちがさらされている過酷な世界の中で、彼らのために、私 たちは何をどのようにできるのかを考えなければなりません。 まず思い出したいのは、子どもが神様のイメージに作られているとい うことです。私たちに与えられる子どもは、神様のようになるという目的 − 26 − 講演 があることを忘れてはいけません。イエズス様が山上の説教で、「父であ る神が完全であるようにあなたたちも完全なものになりなさい」とおっ しゃったように、子どもに与えられた目的は素晴らしい目的です。また、 神様のように正しい道を示すという役割があります。その役割を考えると 本当に今の社会は、子どもの大きな役割の一つを忘れているのではないで しょうか。子どもは単に小さいから、力がないから助けなければいけない というわけではなくて、私たちも子どもによって助けられているのです。 ですからイエズス様はおっしゃいました。 「子どものようにならなければ 天の国に入れない」と。私たちの考え方は全部大人を基準にしていますね。 イエズス様は逆説的に、 「子どもを中心に考えなさい」と言います。この ことをモンテッソーリも言います。子どもが人類の父である、人類の教師 であると。少し言い過ぎているのではないかと最初は思ったのですが、よ く考えたら子どもたちを中心にすれば自分のわがままも抑えることが出 来、家族は子どもを中心にして犠牲をもっと払おうとするのです。あるい は別れたり喧嘩したりしないのではないのでしょうか。 前にも申しましたが、子どもを生活の中心とするのは動物の世界の中で はよくあることです。生まれてきた子どもを中心にして、その子たちが育 つのを守ります。こういう例は、大人の象の群れの中に小さい象を入れて 移動する風景として、多分皆さんが映画やテレビでご覧になったことがあ ると思います。そんなふうに、子どもをもっとも安全な場所に配して生活 すること、子どもが基準であることを、私たちは忘れています。 モンテッソーリが嘆いていることは、今の社会は大人のためのもので、 街作りも大人を中心に考えてなされているので、子どもにとっては人的 環境だけでなく物的環境も悪くなっているということです。彼女は 1951 年、亡くなるちょっと前にこういうことを嘆いていたのです。さらに結論 としておっしゃったのは、子どもにとってお母さんと居る時間はどんどん 少なくなっていき、そして自由に動けるスペースも少なくなっていくとい うこと。車だらけの街になり、子どもは危険にさらされ、悪い大人がいる し、さらにもう一つは田舎での生活も少なくなっていくと。やはり文科省 もおっしゃっているように、自然に接することによって子どもは刺激を受 け、そういう経験が子どもをとても豊かにするわけです。仙台には木も多 いがそんな街でさえも、子どもたちは一般的には外に出ないで部屋に閉じ − 27 − こもってテレビを見たり、ゲームをしたりするような、そういう生活をす るようになっているのではないでしょうか。 一般に親との触れ合いは少なくなっているでしょう。数年前、岡山県の ある地方の小学校で朝の給食を出すようになりました。朝食を食べて来な い子どもがいるからです。朝食を家族と食べずに学校へ行くのです。家族 と一緒に食べることもないばかりか、過ごす時間も少ないのです。夜、仕 事からお父さんが帰って来ても、疲れて子どもからいろんな話を聞きたく ない、お母さんもどういうわけか同じように仕事をしてイライラしていま す。そういうような状態で、モンテッソーリは親と、特にお母さんと子供 が一緒に過ごす時間が少なくなってきていることを憂いています。 もう一つの大事なことは、親以外の成人との生活も少なくなっているこ とです。モンテッソーリは成人との生活が少なくなっている人的な環境は、 子どもにとっては決定的にマイナスだと指摘します。身近なところでは、 親を見て学ぶ、親の生き方を見て自分の生き方を見出す、ということがあ りますが、親を含む大人との生活はとっても大事です。大人を見ながら子 どもは育っていくのは動物界の中でもあります。昨日は島々を観光しなが ら、一緒になった障害児のグループと話したり握手したりしました。モン タナーロ先生はおっしゃいました。障害児だけを集めるのはあんまり役に 立たないと。なぜかというと、障害児だけだとあまり正しい言葉、発声が 聞こえないし、あるいはお互いに真似してしまうので、彼らにとってよく ないと指摘しました。やはり大人に接して大人と一緒に生活をして、その 大人の姿を見ることで子どもは成長するのです。これはとても理想的なの で、ものすごい憧れを感じます。 イタリアには小学生でタバコを吸ってしまう子どももいます。タバコを 何で吸うのかというと、大人の付き合いをしたい、大人の中で認めてもら いたいからなのです。子どもを家庭の中で一人一人大切な存在として認め て相手をする、一人のメンバーとして迎えることは大切です。幼稚園での 縦割りはそういうことも狙っています。小さくても一つの家族、一つの共 同体です。助け合っている先輩を見て、だんだん自分も一生懸命やろうと するわけです。今の家庭も社会も、大人を中心として組み立てられていま す。子どもに合わせることが出来ないからこういう社会なのだと思います。 もっと子どもを中心に考えたら私たちの社会は必ずよくなっていくと思い − 28 − 講演 ます。いろいろ考える材料がありますが、子どものために時間をかけると いうことは欠かせないと思います。特に家庭においてはそうであってほし いものです。一人一人の子どものためにできるだけ時間をかけ、そして一 緒に過ごす時間は大切です。家庭での仕事とモンテッソーリは言っていま すが、それは、子どもと一緒に過ごす、どんな小さいことでも評価する、 真剣に子どもにかかわってやることです。そしてそこに未来の大人が育っ てゆき、大人の姿がだんだん形成されていくのです。忍耐強く、子どもの ペースに合わせて私たちは時間をとらないといけません。特に親にはそう してほしいものです。絵本を読むことは親の大きな役割です。子どもと同 じように興味を持って絵本を読みましょう。子どもと一緒に同じことを考 える、あるいは子どもの質問を本気に受け止める、そういうようなことは とても大事です。積極的にそのようにしていけばいいのではないのでしょ うか。 学力テストの成績が、日本は去年も少し落ちましたが、フィンランドは 一位でした。ある先生によると、フィンランドでは絵本の読み聞かせをよ くするそうです。それは、小学校の終わりまで行われ、しかもお母さんだ けでなくお父さんも 20 分くらい毎日読み聞かせをされるそうです。学力 テストPISAの成績が一位になっている原因として、その先生はこのこ とを挙げられています。結局子どもと一緒にいて、一緒に考える、同じ立 場に立って一緒に何かを読んで考える、同じ問題を一緒に分かち合う、こ れが大切だと思います。そしてその中で、親や先生が素直に自分のことを 言えばいいのです。いつも親や先生として指導や管理の立場に立つ必要は ありません。子どもと同じように分かち合う、というようになれば一番い いのではないかと思います。 もう一つ申し上げたいのは、食事です。最近の文科省も、食事でなく食 育と言っています。食事の場は、単に体だけでなく心も養われる場である べきです。食育とは、そのような含みを持った表現だと思います。しかし 現代は 15 分か 10 分温めるだけで食物を出す、いわゆるファストフードの 時代です。イタリア生まれのスローフードをもっとお勧めしたいと思いま す。手を使って、子どもと一緒に作ったり食べたりすればいっそう楽しい ものです。私が園長をしていたときに、お別れパーティを催した折に、スー プやスパゲッティを作ったりしておりました。不思議に子どもたちが、作っ − 29 − たものを最後まで何も残さずに食べました。 「なぜ全部食べたんですか」 と聞いてみたら、 「私たちが作ったものだから」 。子どもたち自身がかかわっ て作ったものはおいしいのですね。実際においしいかどうかは別として、 時間をかけて、自分が作ったものはやはりおいしいのです。だから全部食 べるのです。気が付かないかもしれませんが、ファストフードは高いです。 鶏がらを買ったら 60 円ぐらいですが、インスタントのスープを買ったら すぐ 100 円以上します。ですから、豊かな時代に節約を覚えていないから、 おいしいものを食べられないのです。10 分で済ませればよい、そこには お母さんの心が感じられないのです。食育が大事であることを、幼稚園で も家庭でも、もっと大事に考えてほしいと思います。 最後になりますが、子どもは説教されすぎていると思います。モンテッ ソーリは感覚を重視する立場から、見たり体験したりすることによって子 どもは一番よく覚えると言っています。つまり、抽象的なことを言っても 役に立たないということなのです。多くのものを覚えさせようとして、親 たちはいろんな塾に子どもを送りますが、特に幼稚園の間は物を覚えさせ るより生き方を覚えさせて欲しいですね。親も背中を見せて、そういうこ とを意識しながら手本を示してください。幼稚園では先生方が子どもにま ずして見せる、家庭でも親自身がまずして見せるということです。そうい うことによって、子どもがそれらを身近なものとして受け止められるので す。知識・技術という問題ではなく、この私たちの生きる姿を見せて子ど もを導き、未来への憧れを感じさせることは望ましいことです。お父さん のようになりたい、お母さんのようになりたい、先生のようになりたい、 ということを子どもに感じさせられたらいいですね。私たちが子どもを教 育するに当って直面している大きな課題は、子どもに求めることをまず自 分がしてみることです。いろんな課題があるけれど、要約すればこれが一 番大きな課題かもしれません。現代の日本の社会の子どもたちも世界の子 どもたちも、私たちの手助けを必要としています。今の社会ではどうも利 益や自分の都合ばかりが優先されているようですが、その中で落ち着いて 子どものことを良く見つめて、子どもの目を心に留めて、その手助けを寛 大に、忍耐を持ってするように致しましょう。 − 30 − シ ン ポ ジ ウ ム いま日本の幼児教育にもとめられていること 幼児教育と食育 第 1 シンポジスト 藤 村 重 文 (東北大学名誉教授) はじめに 人間は生まれながらにして将来の多くの可能性を持っており、性格や感 性や資質といったようなものは幼児期に形成され、それらの多くの部分は 生涯持続するものである。また子どもは親の鏡といわれるように親の影響 を受け、子どもを見れば、どのような親かわかるともいわれている。 戦後 63 年経た今、親の世代交代が進み、社会状況の激変とともに幼児 をめぐる環境も著しく変化している。近年育児放棄や幼児虐待をする親や 低年齢の凶悪犯罪等の増加は、子育てや幼児教育に関する深刻な課題が山 積していることを示している。戦後続いてきた幼児教育そのものも反省の 時期にあるといえる。 本稿において筆者は、いま幼児教育に求められていることに関して、最 も卑近な子どもの食育の観点から考察した。 1.問題の背景 幼児教育の今日的問題のひとつとして現在の子どもの育ちの変化につい て考えなければならない。 現在の子どもたちの特長としては、基本的な生活習慣の欠如、コミュニ ケーション能力の不足、自制心や規範意識の欠如、小学校生活への不適応、 学びに対する意欲や関心の低下、等があげられている(1)。今日の幼児教育 における種々の問題の背景には、ひとつに我が国社会の急激な変化とそれ に伴う地域社会や家庭の教育力の低下がある。 現在わが国では、合計特殊出生率が人口維持に必要な 2.08 を下回った 1970 年代後半から減少傾向が続き、最近では 2002 年 1.32、2003 年と 2004 年は 1.29 となり、2005 年は 1.25 まで低下し、その一方では 65 歳以 上が総人口に占める割合は近年次第に上昇し、2000 年では 17.4%であっ たが、2007 年 19.9%を経て、2020 年には 28%ないし 29%と、現在から − 31 − 10 年後には 10 人に 3 人が高齢者になり、さらに 2050 年には 35.7%に達 すると推定されている(2)。 高齢化と少子化が核家族化現象を伴って非常に速い速度で進行している という、世界のなかでも類をみないほどの特殊な社会状況下の我が国では、 都市化や情報化などの経済社会の急激な変化がある。さらにこのような社 会の変化に伴って、人間関係の希薄化や地域でのつながりの希薄化などと ともに、近年大人優先の社会風潮があり、従来から美徳とされてきた我が 国特有の伝統的情緒にも影響が出てきている。また、社会の変化としては 個人の価値観が多様化してきたこともあげられるであろう。 日本経済社会は、第二次世界大戦後の 1947 年から 49 年のベビーブーム といわれる年に生まれた団塊の世代の成長と並行するように高度成長を遂 げてきた。しかしながら 90 年代のバブル経済の崩壊とそれに続く不況は 10 年以上に亘って持続し、日本社会は失われた 10 年といわれるような厳 しい冬の時代を経験した。またそのことは、その時代を生きる人々の心に も大きな影響を及ぼした。日本社会は、半世紀以上に亘る期間でグローバ リゼーションと称される欧米化へと急速に移行している。このことは、と くに幼児や少年少女など成長期にある人間の精神構造を従来の日本的なそ れとは異なった方向に転換させていったといっても過言ではない。 現在の子どもの親の多くは、戦後第二次ベビーブームといわれる時代を 含む 1970 年代から 80 年代に生まれた団塊の世代後の人々で、それ以前の 工業生産が優位であった高度成長が終焉した後の時代の社会を経験してき た。くり返すようだが、現在の子どもたちの親の時代には、高度経済成長 時代とバブル経済時代、そしてそれが崩壊し不況となった冬の時代があっ た一方では、生活様式が欧米化するとともに、物質的豊かさが増した社会 へと移行し、人びと個人の精神構造は価値観や倫理観を含めて様変わりし た。少子化と高齢化が並存するという世界に類を見ない現象が加わった社 会的背景の下で、将来は世に出て競争に耐える資質を備えるべき子どもた ちの現在の育成環境にも変化が生じているのである。 2.地域と家庭における教育力低下 地域社会の教育力の低下は、従来のような子どもが育つ環境に変化をも たらした。これは子ども同士で遊び葛藤しながら成長する体験機会の減少 − 32 − シンポジウム や身近な自然や遊び場の減少、近隣の大人の無関心等ということに反映さ れ、家庭教育力低下にも影響した。地域社会の教育力の低下は、子育て孤 立化による親の育児不安や情緒不安定を誘い、子育てに夢を抱きづらい状 況を醸しだし、子育てが過重労働化することへとつながる。家庭教育力が 低下していることに関して子どもと同居している親の 2/3 以上が実感して いるという調査結果もある(3)。 家庭教育力の低下は子どもの精神面のみならず身体の健康にも大きな影 響をもたらす。最近多発している大人や子どもをめぐる痛ましい事件の底 には、制御されなくなってしまった精神構造がある。巨視的にみても最近 の世相から見出されることとして大人も子どもも含めて、他人のせいにす る、恥を知らない、倫理観に乏しい、自己中心的である、他人の心を忖度 できない、などのかつてはそれほど大きく表面に出ることがなかったよう な社会風潮である。子どもは大人を映す鏡であるが、家庭教育力の低下は 大人の醜悪な面をあからさまに表現するとともに、社会生活に適応すべく 教育され制御されることがなくなった結果、多くの子どもたちが野生化し てしまったとしかいいようがない。 3.子どもの知的・身体的能力の低下 OECD による 15 歳生徒の 3 年サイクル毎の学力調査結果(PISA)を みると、わが国生徒の成績は、2000 年、2003 年、2006 年で、総合読解力、 数学的応用力、科学的応用力などの基本的な学力が次第に低下しているこ とが示された。このことはわが国の社会風潮の変化に伴う教育水準の劣化 の一端を反映しているのではないかと考えられる。この調査は、中学3年 生徒を対象にしたものであるが、その結果は、若い世代全体の応用力の低 下という現象の一端を現していると考えられる。物事を考える力が弱まっ ているのである。現在の若い世代においては応用力や創造力が期待された ほど醸成されておらず、今後この状況を改善するためには高等教育以前に 幼児教育から見直さなければならないと考える。 育成環境と生活習慣の変化は子どもの知的能力ばかりでなく身体能力の 低下をもたらしている。戦後日本はこれまで、平和のうちに奇跡的な経 済成長を遂げた結果、見かけ上は物質的な豊かさにあふれている。食糧自 給率が低いもかかわらず好きな時に世界中のものを殆ど何でも手に入れて − 33 − 食べることができるといっても過言ではない。しかしながら 2006 年農水 省発表によると、わが国の 2005 年における食糧廃棄量は 1136 万トンで、 そのうち再利用されたのは 670 万トン(59%)であり、残りの 579 万ト ンが廃棄されているのである。このような状況のなかで、飽食が横行する 一方ではそのために生じるメタボリック症候群の概念が最近重視されてい る。文科省学校保健統計調査によると、子ども(6 歳〜 12 歳)の肥満は 1977、88 年、96 年、2006 年でそれぞれ 4.98%、6.18%、8.01%、8.11% と次第に増加しており、しかも小児肥満の約 70%は成人肥満に移行する といわれている。最近では子どものメタボリックシンドロームの診断基準 もある(4)。 4.脳の発育と幼児教育 著者は、第 18 期および第 19 期日本学術会議に関与したが、ここでは第 19 期学術会議「子どものこころ特別委員会」報告(5)を参考にして脳の発 育の観点から幼児教育について考察したい。同報告書においては「こころ は脳の中にある」ことを前提としている。 ヒトの脳は約 1,000 億個のニューロンといわれる神経細胞から構成され ている。ヒトの大脳は、神経機能の中で最もヒトとしての特徴づけに関っ ている部分であり、大脳のそれぞれの部位によって機能が異なっている。 大脳は左右の大脳半球に分かれており、基本的には共同して働くものの、 右脳は、身の回りの手の届く範囲で行う運動と関連する機能や、立体感覚、 言語、時間記憶、基本感覚、運動、感情などが優勢である。一方、左脳は、 遠くを探索する方向感覚や、言語記憶、知性、計数、思考などが優勢であ ると考えられている。 大脳半球はそれぞれ前頭葉、頭頂葉、後頭葉、側頭葉に分けられ、それ ぞれ優位を示す機能局在がある。たとえば、 運動性言語中枢(ブローカ中枢) は左側に優位に存在し、その障害で運動性失語が生じる。一方、感覚性言 語中枢はウェルニッケ中枢ともいわれ、左側頭葉に存在し、その部を中心 とした障害により、人の話を理解することが難しいというような感覚性失 語(ウェルニッケ失語)が生じる。物事に感動するということなどは、前 頭葉機能に関係することが多いと思われる。前頭葉は、大脳皮質総面積の 約 1/3 を占め、主として運動機能に関るが、言語中枢や感情や判断力、さ − 34 − シンポジウム らに創造力などの高次脳機能といわれるような機能を発揮する部分でもあ る。 脳の発達においていくつか重要な事項がある。ヒトの脳の基本的な構造 や機能が完成するのはほぼ 10 歳前後で、その後は脳神経細胞が変性・減 少に転じていくことが知られている。幼児期の子どもの脳は学習しながら 発達し、反復刺激によって伝導効率が増強するといわれている。反復刺激 によって伝導効率が増強することは可塑性ともいわれ、神経細胞のつなが りを意味する。可塑性に基づく機能獲得には臨界期(決定的に重要な時期) があり、例えば視覚野や言語野ではそれぞれ 1 歳〜 3 歳、および 8 歳位で あろうといわれている。子どもの脳の健全な発達に最も重要なことは「環 境」の豊かさである。人とのコミュニケーションそのものが脳の発達期(臨 界期)にある乳幼児の環境を豊かにし、乳幼児の生活習慣、とくに食習慣 は環境の豊かさに密接に関与している。一方、テレビ・ビデオなどの長時 間視聴は、幼児の有意言語出現や情緒発達の遅れをもたらすとされ(アメ リカ小児科学会・日本小児科学会) 、豊かな環境ではなくなる。 5.幼児教育と食育 食育に関しては、わが国ではすでに 1898 年石塚左玄が著書『通俗食事 養生法』のなかで「今日学童を持つ人は、体育も知(智)育も才育もすべ て食育にあると認識すべき」と述べ、 1903 年村井弦斎が著作『食道楽』で「小 児には、徳育よりも、知(智)育よりも、体育よりも、食育がさき。体育、 徳育の根元も食育にある」と記載している(6)。食育が教育上極めて重要で あると認識されるが、最近まで教育分野で特別に取り上げられることはな かったのはなぜであろうか。最近までの『広辞苑』や『大辞林』などといっ た辞書にも「食育」はみあたらなかった。 食育は漸く最近になって国の政策のひとつに取り上げられるようになっ た。平成 17 年 6 月 10 日に成立した「食育基本法」は、近年における国民 の食生活をめぐる環境の変化に伴う諸々な課題に対応するために制定され た。その基本理念は「国民の心身の健康増進と豊かな人間形成」「食に関 する感謝の念と理解」 「食育推進運動の展開」 「子どもの教育における保護 者、教育関係者の役割」 「食に関する体験活動と食育推進活動の展開」「伝 統的な食文化、環境と調和した生産等への配慮及び農産漁村の活性化と食 − 35 − 糧自給率向上への貢献」 「食品の安全性の確保等における食育の役割」等 が謳われており、国、地方公共団体、すべての食育関係者、国民等の責務 のほか法制上の処置等に関する内容である。これら多岐にわたる内容はご く当たり前のことであり、それだけ現在の我が国の日常生活の基礎的規範 が薄らいでいることがわかる。 幼児教育において健全な食生活は脳の発達によい環境をもたらす。食育 は食べることばかりではなく、生物の存在やその生命について触れ考える ことや食物が出来るまでの過程等も含む。 最近の「はやね、はやおき、あさごはん」運動におけるような規則的に 食事をとる習慣は脳機能を活性化させる(7)。食事中は食事に集中し、五感 で味わうことが大切なことである。食前の祈りをし、感謝の気持を持ちな がら一定のマナーのもとで食物を視覚・嗅覚・味覚・触覚・聴覚を使って 食事するという習慣を身につけることが必要である。 まとめ 今日本の幼児教育に求められていることについて現状・課題とその対応 策について考察した。子どもをめぐる社会の状況はその健全な発育をむし ろ阻害することが多いのが現状であろう。その結果子どもの体力や知能・ 学力の低下、さらにメンタルヘルス問題の発現など、多岐にわたる問題が 顕在化している。それらの課題を将来よい方向に解決するには、基本的に は子どもにとってよい環境をつくり、よい生活習慣のもとに子どもを育む ことである。そのための最も大切なことのひとつとして食育の重要さを再 認識しなければならない。 一定年齢に達するまでは子ども達の家庭や学校での生活を十分に管理し 制御する教育が必要であることはいうまでもない。 おわりに 「三つ子の魂百まで」という譬えは、今では「一生変わらない」という 意味ではなく「三歳頃までの環境が大切である」ということの譬えとして 認識される。基礎教育としての幼児教育では、 当たり前のことであるが、 「よ い環境において、可能性を引き出し、自分で考えて計画し、実行する力を 備える」教育が求められる。そのよい環境を作るために食育が重要である。 − 36 − シンポジウム 文献 (1) 中央教育審議会答申「子どもを取り巻く環境の変化を踏まえた今後の 幼児教育の在り方について」 、 『子どもの育ちの変化―幼児教育の今日 的課題』 、平成 17 年 1 月 (2) 厚生統計協会 「国民衛生の動向」 『厚生の指標』第 53 巻第 9 号、2006 年、 、 33 頁−38 頁 (3) 国立教育研究所内家庭教育研究会、平成 13 年度文科省委託「家庭の 教育力再生に関する調査研究」 (JWord 検索) (4) 児玉浩子「小児を生活習慣病から守る食習慣―食育の立場から―」 『日 医雑誌』第 136 巻、2008 年、2361−2365 頁 (5) 金 澤 一 郎「 子どものこころと脳科学」 『医 歯 薬 ア カ デ ミ ー News』 No.8、2004 年 12 月、19 頁−21 頁 (6) 内閣府食育推進室、第 1 回『食育基本法検討会議事録』、2005 年 10 月 19 日、22 頁(JWord 検索) (7) 川島隆太「子どもを健全に育むには」 『平成 19 年度北部ブロック道県 教育委員会協議会報告書』 2007 年 6 月、4 頁−6 頁 − 37 − 軽度発達障害の特徴に寄り添った幼児教育を 第 2 シンポジスト 司 馬 理英子 (ADHD(注意欠陥多動障害)専門 司馬クリニック院長) 「普通の子」といわれてきた子どもたちにもサポートを 今まで 「 普通の子 」 といわれてきた子どもたちの 1%に知的遅れのない 自閉症スペクトラムの子どもが認められている。こうした子どもの抱える 困難さに気づき、適切な援助をしていく必要性がある。 「ADHD(注意欠陥多動性障害) 」は 5%、「 高機能自閉症(あるいはア スペルガー症候群) 」 は 1%以上の子どもに見られる。このうち、知的な遅 れのないタイプは 5 割でその大半は通常学級に進級している。また、 「LD (学習障害) 」は 5 ~ 10%に見られる。この「LD(学習障害)」では、全 般的な知的な遅れはないのに読み、書き、算数など特定の領域で小学校低 学年のうちは 1 学年程度の遅れが、小学校高学年においては2学年程度の 遅れが起こる。 「ADHD(注意欠陥多動性障害) 」は、不注意(集中力の持続が困難)、 多動性(落着きのなさ) 、衝動性(待てない)が特徴的で、具体的には以 下のような症状が見られる。 「不注意」 :ケアレスミスが多い。指示通りにできない。宿題など精神的 努力の持続を必要とする課題をしない。必要なものをなくす、毎日の活動 を忘れる。整理整頓が困難。集中力の持続が出来ない。外からの刺激で簡 単に注意がそれる。 「多動性」 :手足をそわそわする。教室等で席をはなれる。静かに遊べな い、 じっとしていない。エンジンで動かされているように行動する。おしゃ べり。不適切な状況で走り回ったりする。以上のような症状が年齢によっ て変化していく。 「衝動性」 (待てない) :質問が終わる前に答える。順番が待てない。人 の邪魔をする。 これらの症状は幼稚園卒園直後の小学校 1 年の 4 月であれば障害を持た ない子どもでも起こりえることであるが、1 学期の終わりでも出来ない場 − 38 − シンポジウム 合は問題がある可能性がある。 自閉症スペクトラム 上記の ADHD 様の症状を呈す子どもがいたら、必ず、「 自閉症スペクト ラム 」 の特徴もあわせもっていないかを見る必要がある。同一の症例でも LD と診断したり、PDD(広汎性発達障害)であったりと、診断自体が医 師により異なることもある。診断が「ADHD」であっても、「 自閉症スペ クトラム 」 の対応が有効なこともある。いずれにせよ、「 自閉症スペクト ラム 」 の方がより本質的な障害である。 この「自閉症スペクトラム」には次のような特徴がある。 1)社会性(対人関係)の障害 2)コミュニケーションの障害 3)想像力の障害(こだわり) 以下、それぞれの特徴について、さらに細かいタイプに分けてみる。 1)社会性の障害 ・孤立群:人との関わりを持たない。 ・受動群:人から関わりを持たれればそれに受動的に応ずる。 ・積極奇異群:積極的に人と関わりを持とうとするが、その仕方が奇異 な印象を与える。 2)コミュニケーションの障害 ・話し方の特徴:一方的でまとまりがない、形式的、儀式的、唐突、イ ントネーションの使い分けが出来ない、アナウンサーのような話し方、 声の大きさの調節ができない、不明瞭な発音。 ・表現が乏しい、何を答えればよいのかわからず、同じ表現を繰り返す、 細かい表現へのこだわり。 ・文字どおりの解釈をし、言葉やその場の雰囲気を取り違える。 ・アイコンタクトや身ぶり、表現に乏しく、奇妙な身ぶりをする。 3)想像力の問題 ・遊びが限られている:同じ遊びを繰り返す。 ・こだわりがある。 ・相手の気持がわかりにくい。 ・決められたやり方にこだわる。 ・先の見通しを立てるのが苦手で、変更に弱い。 − 39 − 「自閉症スペクトラム」のうちの「アスペルガー障害」とは臨床的には 著しい言語の遅れがないタイプで、例えば、2 歳までに単語を用い、3 歳 までにコミュニケーション的な句を用いることが出来る。急に爆発的に言 葉が出るようになることや、3 歳で敬語を使うといったように賢い子ども に見えるアスペルガー障害の子もいる。さらに、認知の発達、年齢に相応 した自己管理能力、対人関係以外の適応行動、及び小児期における環境へ の好奇心について臨床的な明らかな遅れがないという特徴がある。 早期発見の大切さ こうした子ども達の親は育てにくさを気づいていても、周りからは「し つけが悪い」と扱われ、相談も出来ず、孤立化して援助を得られないまま、 場合によっては虐待、母親の鬱につながるケースも多い。子どもと接する ことが不得手な母親が比較的多いことを臨床経験から私は感じている。ま た、集団への適応が困難な一方、大人との関わりが良好なことが多いため、 発見が遅れることもある。早期の療育によって、言語能力、対人スキルを 育てることが可能なので、3 歳で IQ50 程度であれば、5 歳までに平均 35 は上昇し、徐々に追いつくことが出来る。従って 3 ~ 5 歳は療育には必須 の時期である。 保育園・幼稚園での対応 まずは楽しく園に通ってくることが出来るように環境を整える。 ・人的な配慮:座席は先生の近く、出来ればその子と相性のよい担任に、 また、クラスメートの配慮をする。 ・避難場所の用意:静かになれる場所や一人遊びの出来る時間等、 例えば、 お気に入りのタオルや人形を用意する、いつも同じ隅っこの場所など を作ることにより安心した環境を作ることができる。 ・学習面:描くことを遊びにうまく取り入れることで書字の練習に繋がっ ていく。また少人数グループで遊び方を具体的に教えていく。 ・親との協力体制:園での状況は親に適宜伝えることが必要である。 ・スケジュールの明示:行事のときは前もって手順を教える。入学式の 予行練習を行ったり、運動会や行事のビデオを見せ、よく伝えてあげ る。 「来年は小学校だから…」というような言葉は子どもにとって「怖 − 40 − シンポジウム い言葉」かもしれないということを理解する。 子どもの行動を記録し分析することで、保育者も症状に対処することが 出来るようになる。記録の内容としては、 ・毎日の気分、天候、行事。 ・子どもがかんしゃくを起こす時の状況。 ・反抗的になる時の状況。 ・その前にあった出来事。これは保育者にとって大したことではなくて もその子どもにとっての何らかのきっかけであるはず。 ・問題行動の起きる時間 ・うまく行った時の状況 などがあげられる。このような記録したことを見直し、相談することは、 問題となる状況を回避できる対策として効果的である。 PDD(広汎性発達障害)の子どもの不安と緊張の原因 変化に弱い、つまり、クラス替え、担任の交代、新しい場所・新しい単 元、運動会や合唱コンクールなどの行事等、新しいことが苦手な傾向があ る。また、言語・状況の理解力の不足も緊張の原因になり、叱られても叱 られる理由が判らず、恐怖心だけが高まる。 「大丈夫、大丈夫」と言ったり、 あばれるのを止めようと後ろから羽交い絞めをしたりすることは余計に恐 怖心を高めることになる。さらに、普通の子どもより感覚が過敏なため、 大勢の子どもの声、予期せぬ物音、特定の人の声、明るすぎる光、人との 密着、触覚、味覚、におい等を敏感に感じる。また、特定の物、例えば人 形や人、建物などへの不安も不安と緊張の原因となる。 アスペルガー障害の子どもへの基本的対応 曖昧な指示を避け、より具体的な指示を与えることが基本的対応の方法 となる。 (例参照) 例) (曖昧) (具体的) ちゃんとしなさい → 背中をまっすぐに伸ばして座りなさい。 はやくしなさい → 9 時 20 分までにプリントを終わら せなさい。 みんなと同じようにしなさい → 授業中はおしゃべりをしないで先生 − 41 − が黒板に書いたものをノートにうつ しなさい。 従って、 「相手の気持を考えなさい」と言ってもわからないので、この ような指示は避けるべきである。 話しているのと同じように子どもが理解している、と考えると実際より 過剰評価になるので、 「話しことば」でなく、指示自体をカード等に「書く」 といった、視覚的な指示を与えることが効果的である。そして一日のスケ ジュールや、朝のスケジュールを明示して、 「見通し」をつけることも大 切である。 指導の目標 まず、大人との関わりから始め、少しずつ他の子どもとの関わりを持た せるようにしていく。得意なことを尊重し、少しずつ出来ることを増やし、 コミュニケーションも手段を増やしていく。子どもの成長のスピードはそ れぞれで、決して急がせてはならない。急がせることにより、二次障害が 起きることもありうるからである。 最後に、私が思う「大人に一番学んでほしいこと」は、その子どもが家 族や教師に受け入れられていること、その子らしさが認められているとい うこと、そして愛されていると感じられることです。 − 42 − シンポジウム 丁寧な日本の暮らし 第 3 シンポジスト 深 津 高 子 (元国際モンテッソーリ協会理事 NPO 法人幼い難民を考える会理事) 今日のファストな現代社会は、幼い子どもたちを「早く、早く!」と急 がせ、じっくりと考える時間を奪い、本来あるべき「子どものぺース」に 従って生きることを困難にしている。せめてモンテッソーリ教育を実践し ている幼稚園 ・ 保育園では、子どもの発達段階に見合った「やりたいこと」 を心ゆくまで繰り返すことができ、間違いに気づいたらそれを自己訂正で きるような、豊かで安心感のある生活共同体であることを願う。今日のシ ンポジウムのテーマは、 「今、日本の幼児教育に求められていること」だが、 そのヒントをインドシナ難民キャンプで暮らしたつたない経験と、消えつ つある日本の丁寧な暮らしの中に探りながら考えてみたいと思う。まずは (少し)私の自己紹介から始めることにする。 【難民キャンプでの学び】 ‘75 年~ 79 年にかけて、インドシナ 3 国(ラ オス、カンボジア、ベトナム)の共産化政策に 伴い、多くの人々が難民となり隣国タイへと避 難した。写真① その頃タイ・ラオス国境でボラン ティアをしていた私は、物資援助をすればする ほど配給品に人が群がり、結果として更に難民 が出てくるという悪循環を目のあたりにし、 「戦 争や難民が世界からなくなるにはどうすればよ いのか」に対する根本的な答が見つからずに悩 んでいた。 私 が モ ン テ ッ ソ ー リ 教 育 に 出 会 っ た の は、 ちょうどその頃だった。カンボジアの人々が収 容されていた難民キャンプ内の保育園「希望の ①恐怖と不安の中、命から がらキャンプにたどり着い たカンボジアの人々 家」では、余儀なく故郷から離され、危険なジャングルや大人による殺 − 43 − 戮を生きのびて来た子どもたちに、 安心して暮らせる場を提供してい た。 「幼い難民を考える会」(*) を 中心に集まった心ある大人たちは、 可能な限り外国から物を持ち込ま ず、キャンプ内で調達できる材料 で遊具やモンテッソーリ的な配慮 のある道具を作っていた。子ども ② たちはその大人の姿や、手のいと なみを見ながら、人間本来の温か さや祖国カンボジアの生活文化に 触れていった。写真②③ 【ゆっくりと自然とつながる時間】 では日本の幼児教育で今、何が 足りないのだろう。私は、まず減 少しつつあるまわりの自然と子ど もが出会い、自然を楽しいと思える ゆったりとした時間や、それを可能 ③「子どもたちのために」と、少しずつ まわりの大人が協力するようになり、子 どもたちはその心を感じながら育った にする場作りが必要だと思う。バー チャルな画面からではなく、必ず視 覚、味覚、聴覚、触覚、嗅覚という 人間の持つ全ての五感を通して体 験されなければならない。写真④ 子 どもが触れたときに「きれいなラッ パ水仙だねえ」とその体験に対応 する語彙や感覚的な言葉を紹介し、 子どもの頭の中に豊かなイメージ ④時間と場を与えるだけで、子どもは自 ら自然の素晴らしさを発見する が形成されるように手伝う。また 「環境への配慮」と呼ばれる活動の屋外版、例えば花や野菜に水をやった り、小動物の小屋をきれいに掃除したり、落ち葉をコンポストに集めたり という活動がいつでも出来るよう子どもの生活環境に準備されていること − 44 − シンポジウム も大切だ。写真⑤ こういう経験の積 み重ねが、子どものより深いとこ ろで自然を愛する心や、守ろうと する心に育ち、単なる知識の蓄積 で終わらない。私たち大人も、機 会あるごとに森や海を訪れ、有史 以前から地球上にいた大先輩であ る鳥や、昆虫や樹木に触れてみよ う。すると生命同士の相互依存の ⑤食卓に飾ってもらうのをクラスの一番 小さい人に頼むと大喜びで仕事する 仕組みが見え、全てがつながりあい補い合っていること、また自然界に不 要な生命などないことに気づくだろう。 【道具を使い、手や身体を動かす】 人類の共通遺産とも言える「手仕事」 は、人間の普遍的な傾向性であり、脳 の更なる発達に不可欠だ。何百万年と いう進化の中で淘汰されてきた「手を 使う」という人間らしい特徴を大切に し、後世に継承していくこともモンテッ ソーリアンの使命だと思う。クラスの 棚に置かれた「目と手の協応」のため の教具だけでなく、家庭でするような ⑥片方の手はおさえ、片方の手はむく という両手による協同作業 生活の中で手を使うことが当たり前に できるような保育環境でありたい。写真⑥ 0〜6 歳の AMI コースが開かれた富 山県宇奈月で伝統的な藁細工のワーク ショップがあった。村のお爺さん、お 婆さんが熟練した見事な手つきで藁を ご ざ こも よって縄やすだれ、草鞋、茣蓙や薦に 編んでいく。走り回っていた子どもた ちも、まるでとりつかれたようにその 手さばきを見つめていた。写真⑦ − 45 − ⑦熟練した年配者の手仕事をみる機会 を増やしたい 【ちょっと不便な楽しい生活】 子どもたちは、便利な効率優先 の機械より、 「どうやってそうなる のか」が解る手動式やアナログ式の 道具が好きだ。例えば電気鉛筆削 り。最初はアッという間に削れる 魔法のマシンに関心を持つが、徐々 に手回しの鉛筆削りが面白くなり、 最終的には小刀で鉛筆を削ること が楽しくなり、辞められないくら い深い集中を見せる。 便利な電化製品より自分のエネ ⑧ 46 段の階段を誇らしげに登っていく (朝日新聞社提供) ル ギ ー を 使 い た い 子 ど も た ち は、 動きたくて仕方がない。ハングリーで疲れ知らずの子どもたちは、手や身 体を使えるチャンスをあらゆる場面で見つけ出す。写真⑧ 【日本の手仕事文化を見直す:職人の仕事】 伝統的な日本の家具や道具には、量販店で売っている安価な合板のテー ブルとは異なり、作った人の誇りや喜びが感じられる。 例えば大工さんが作ったこの文机。写真⑨ 引き出しや取手、金具、側面 の開口部など、 「日常生活の練習」に含まれる活動:例えば木を磨く、金 属を磨く、埃をはらう、机を拭く…など、多くの仕事がこの机一つに含ま ⑨子ども時代にこそ本物と暮らしたい ⑩美しい国産のシュロタワシや箒 用途に応じて素材も形状も異なっている − 46 − シンポジウム れている。幼い時期にこそ本物に触れ、物を大切に慈しむ心を育てていき たい。それには日本の職人の手仕事の素晴らしさと工業製品の違いを私た ちも日頃から触れ、味わうことが大切だ。写真⑩ 非常に残念なことに、現在多くの職人の高齢化が進み、若い後継者がい ないことも私たち日本人が早急に検討しなければならない課題だ。 【消費者としてのモンテッソーリ教師】 私たちはモンテッソーリ教師であると同時に、一人の消費者でもある。 あるフェアートレードの店の看板にこう書かれていた。「私たちは物を買 うことで誰かの役に立てることがある。自然を守れることがある。……反 対に物を買うことで人を傷つけ、自然を壊すこともできる。私たちはどち らの物も買うことができる。だから買うことに責任をもってほしい。…」 私たちは、これからも世界の紛争の原因になり、その価格が高騰し続け る石油を原料にしたプラスティック製品を買い続けるのか。また他国の森 林を伐採して出来た割り箸やティッシュを使い捨てるのか。今、安い輸入 雑貨店がにぎわっているが、教師として、また一人の消費者として、何処 でクラスの教材や道具を買うのかも考えなくてはいけない時代がやってき た。 【道具マイレージ】 最近、食べ物の地産地消やフード マイレージが話題になっているが、 道具や日用雑貨も同じ地産地消やマ イレージの問題を抱えている。例え ば欧米からある素敵な箒を買うとす る。飛行機に乗って大量に CO₂を排 出して運ばれて来る一本の箒を購入 するのと、日本の森で育った成長の 早い「竹」でできた箒を比べると、 もちろん後者の方が道具マイレージ ⑪伝統的な道具には洗練された「用の美」 があり持続可能な材料で出来ている は低く環境への負荷は少ない。写真⑪ 更にもし自分の職場近くでこのよう な道具を販売する小売店や商店街があれば、なお道具マイレージは低くな − 47 − る。近くで買い物をすることで近所同士が仲良くなり、地域経済も活性化 する。もし保育園 ・ 幼稚園が街の中心に位置し、そのまわりにどんどんコ ミュニティーが形成された街は、子どもたちに安心感を与え、親同士も孤 立せず、困ったときは助け合いができる理想的な環境になるだろう。もし こんな地域に道具の職人がいたら、彼らの手仕事が伝承されるよう消費者 としてサポートもでき、子どもたちと彼らの仕事場を訪ねたりする行事も いいだろう。 【無駄のない動き】 国産の材料で作った子どもサイズの道具 (熊手やほうき、ちりとりなど)を使い続け、 定期的に購入することで、森を、また職人を 守ることができる。もし高齢化や後継者不足 で、彼らの存在が無くなるということは、単 に物だけが無くなるのではなく、モンテッソー リ教育の大きな目的の一つでもある「調整の 取れた美しい動き」が日本文化から消え去っ てしまうことになる。畳職人であれ、左官屋 であれ、彼らの仕事には、長年の経験に裏付 けられた理にかなった段取りがあり、作業を する姿には無駄が無く、道具・素材・身体が 一体化され本当に見ていても美しい。写真⑫ ⑫ 101 年祭の奈良大会で講演 して下さった藤原房子さんの 著書『手の知恵』 35 種類の日本の動きが美しい 写真と共に紹介されている(山 手書房) 【手入れと修理を楽しむ時間】 毎年する餅つきの行事。東京の高尾子どもの家では、毎年使った餅つ きね き道具は、子どもがきれいに洗い、乾かし、ささくれた杵の先を滑らかに きね 研磨しておく。これは次の年に使う人への配慮でもあるが、同時に杵とい う「物への配慮」でもある。このように次に使う人の為や、大切な道具を 末長く使う為に手入れしておくことは、昔から日本の暮らしに当たり前に あった習慣で、これこそ未来世代の日本の子どもたちに伝承していかなけ ればならない。写真⑬ 新しい商品をどんどん購入して子どもを刺激するのではなく、既に持っ − 48 − シンポジウム ている物の手入れのや修理の仕方、 物を末永く大切に使う暮らしをもっ と子どもと一緒に保育の中で実践し たい。そして実は子どもたちは本来 そういう暮らしが大好きで、私たち を待っているのである。 【エコロジーとモンテッソーリ】 もしまだマリア・モンテッソーリ 博士が生きていれば、きっと彼女の ⑬使った後の道具の始末や、元の状態に 戻す作業は丁寧な暮らしに不可欠だ デザインする「子どもの家」は、太 陽や風、雨水などの自然エネルギー を効率良く利用したモンテッソーリ スクールだと想像する。無駄なエネ ルギーを使わずに、自然界にあるも のを上手に利用し、野菜を育て、子 どもたちとそれを収穫し、調理し、 楽しく食し、そして食べ残しは捨て ずにコンポストやミミズにあげて堆 肥を作っただろう。写真⑭ ⑭太陽光や青森ヒバを無駄なく取り入れ た神奈川県橋本にある「むくどり風の丘 保育園」 クラス内にモンテッソーリ教具を 揃えることでモンテッソーリスクールらしくなるのではない。本当のモン テッソーリスクールの姿は、地球環境に負荷を与えない生き方を園全体で 取り組んでいるか、また限られたエネルギーを賢く節約することを子ども との生活に取り入れているか、またそこで働く大人自身もそんなエコロジ カルな生活を楽しんでいるかも重要な指標になると思う。 【地域自慢の「あるものさがし」 】 難民キャンプの例でお伝えしたように、外から地域に無いものを持ち込 むのは簡単だが、その前に既に地域に存在する「あるもの探し」に焦点を 当ててみたい。 例えば、ある地域が昔から味噌で有名だったらその独特の作り方を年配 − 49 − 者に教えてもらったり、和綿の産地だった東大阪市で子どもたちと有機農 法で綿の木を育てたり、ペットボトルのお茶でなく本物のお茶の葉っぱを 遠足で摘みに行ったり、カラスも食べない渋柿を見て「干し柿を作ろう」 と思いついたり…。アイデアは探せば身近にあり、そんな作業は子どもた ちの創造性を刺激し、彼らは共に協力する次世代のパートナーになってく れるだろう。 【最後に】 今、幼児教育に求められていることは、それは子どもではなく大人から 始めなければならないと思う。現在のあまりにも便利で手間をかけない生 活は、保育する私たちからも楽しく深く生きるチャンスを奪っている。恒 例になっている保育園・幼稚園の年間行事やイベントを見直し、手作りの 喜びや、創意工夫する人間らしい時間を取り戻そう。そして今日お話した ような日本人の心に古くからあった丁寧な暮らしをゆっくりと分析して見 せてあげよう。子どもにとってこのような時間こそ一生残る贈り物だ。こ んな時代だからこそ、日本にモンテッソーリ教育の出番がやってきたと思 う。 1980 年に設立されたNPO法人。 現在もカンボジア国内で保育所や女性の自立のた (*) めの機織り教室を運営している http://www.cyr.or.jp − 50 − シンポジウム 保育界の動向に伴うモンテッソーリ教育界の取り組み 第 4 シンポジスト 甲 斐 仁 子 (藤女子大学) はじめに モンテッソーリ教育は、異なる時代、多様な社会や文化のなかで、継承 され展開されてきた。独自の変容を遂げてきたアメリカのモンテッソーリ 教育界活動に具体的事例を見いだすことができる(1)。同様に、我が国のモ ンテッソーリ教育界も、社会や教育界の動向に応じて発展を遂げてきた。 現在、 我が国では社会的諸要因に伴う教育再生が試行され、保育(幼児教育) 界においては、多様な政策が展開されている。我が国の現状と将来を視野 に入れた対策とはいえ、結果としては、保育(幼児教育)界に多くの課題 が与えられている。我が国の保育(幼児教育)の主流に沿いつつも、独自 の教育内容や方法を展開してきたモンテッソーリ教育界は、このような動 向をどのように受けとめ、対応していくべきなのだろうか。モンテッソー リ教育の本質を確証すると同時に、モンテッソーリ教育的視点で現代の動 向を捉えることを試みたい。 Ⅰ 教育界の動向と幼児教育の重視について 日本国憲法の精神を基盤とする「教育基本法」は 1947 年に制定され、 2006 年に改正された。家庭教育・幼児期の教育・学校家庭及び地域住民 などの相互の連携協力に関する規定が、今回の改正の特徴となった。さら に、 「学校教育法」 (2006 年)および「児童福祉法」(2007 年)の改正は、 2008 年の「幼稚園教育要領」 「保育所保育指針」改訂へと連鎖した。2008 年の「教職員免許及び教育公務員特例法免許法」は、2009 年度実施とな る「免許更新制」へと連動した。2008 年閣議決定により、教育基本法第 17 条に基づく教育振興基本計画に即した教育の振興に関する施策が実施 される。このような教育関連法規改正を促した要因として下記の 3 点を挙 げることができる。 1)教育再生 − 51 − 社会、学校、家庭、地域の変化に対応する政府レベルでの教育再生が求 められた。科学技術の進歩、情報化、国際化、少子高齢化、核家族化、価 値観の多様化、社会全体の規範意識低下、教育力の低下、地域社会の連帯 希薄化などの現状、さらに、様々な子どもに関する問題(基本的生活習慣 の乱れ・学力低下・体力低下・社会性の低下・規範意識の欠如など)が指 摘され、教育現場/教師の質にまで及ぶ内容が 2006 年教育再生会議でも 議論された。 2)少子化対策 1989 年の合計特殊出生率「1.57 ショック」は、国家を支える人口構造 や経済問題として捉えられ、政策的な枠組みでの少子化対策が考案実施さ れた。我が国の社会経済を支える労働力の確保・就労人口の拡大という側 面から、保育(幼児教育)界が重要視されることとなった。1994 年の「エ ンゼルプラン」策定を始めとして、 1999 年「新エンゼルプラン」、2004 年「新 新エンゼルプラン」が各 5 か年計画で示された。その間、1999 年「少子 化対策推進基本方針」 、2003 年「次世代育成支援対策推進法」成立、2004 年「少子化社会対策大綱」策定、さらに、新たな次世代育成支援に向けて、 2007 年「子どもと家族を応援する日本」重点戦略、 「日本経済の進路と戦略」 2008 年などが試みられた(2)。 2004 年、総務省は「少子化対策に関する政策評価書」において、末子 が 6 歳未満の児童のいる世帯の母親の就業率上昇、出産・育児を理由とし た離職者数低下など新エンゼルプラン政策の効果を開示した(3)。しかし、 子育てに伴う経済的負担軽減、仕事と子育ての両立のための雇用環境整備、 育児休業給付金の充実、さらに低年齢児保育や幼稚園による子育て支援の 充実などが望まれ、新新エンゼルプランの策定に反映されていった。 3)子どもを取り巻く環境の変化 三世代家族以上が減少、核家族が増加するなど家族構成に変化が生じた。 また、核家族世帯に含まれる「夫婦のみ」 「父子または母子家庭」の増加、 単独世帯の増加も明らかとなった(4)。 「ライフサイクルの変化」 (1920 年 と 1990 年の比較)に、晩婚化、出産期間や子育て期間の短縮など男女の 価値観の変化を見いだすことができる(5)。未婚率の上昇(晩婚化の進行と 生涯未婚率の上昇)なども加味すると、結婚・子育てに関する価値観が変 化していると考えられる。このような状況において、子育て力の低下や子 − 52 − シンポジウム 育て経験不足、モンスターペアレントと称せられる常識を逸脱した保護者、 教育に対する保護者の「消費者」意識、子育てインターネットブログでの 情報交換など、 保護者の子育てに対する意識や質の変化も指摘されている(6)。 Ⅱ 子育て支援(応援)活動総合推進事業と保育の多様化 ベビーホテル、駅型保育所、ナニーやベビーシッターなどの多様な保 育サービスは、従来認可外として個人や民間業者によって提供されてきた が、NPO 法人、企業、政府や地方公共団体などによる子育て支援(応援) 活動総合推進事業によって多様化した。3 歳未満児低年齢児を対象とした 2001 年の「待機児童数ゼロ作戦」により、保育所や幼稚園の保育時間延 長、家庭福祉員(保育ママ) 、住民団体・区市町村・社会福祉協議会運営 によるファミリーサポートセンターなど自治体単独施策等が実施された。 2002 年に開始された幼稚園における預かり保育を始めとして、延長保育、 一時 ・ 特定保育、休日保育、夜間保育なども実施されている。教育・保育・ 子育て支援の総合的な提供推進に向けて、 「就学前の子どもに関する教育、 保育などの総合的な提供の推進に関する法律」が 2006 年に制度化され、 従来の保育所と幼稚園の機能を備える新たな総合施設「認定こども園」制 度も誕生した(7)。しかし、このような保育の多様化において、子どもが主 体とされているかは疑問である。たとえば、保護者のニーズを反映した待 機児童解消策は、子ども自身のニーズに対応しているのか明確ではないし、 延長保育や預かり保育における保育の質の問題も残されている。また、日 本小児科学会次世代育成プロジェクト委員会提言や日本保育協会調査によ る長時間保育・延長保育の子どもに与える影響も課題となっている(8)。 地域の子育て支援センター、子育てサポーター養成事業、子育てネット ワーク事業、子どもホットライン・子育てホットラインなど、保育に関わ る機能や人材も多様化されている。他方、既存の保育所や幼稚園、および 専門職としての保育者の質向上が求められている。2008 年「保育所保育 指針」改正の特徴として、質の向上という観点から大臣の告示化による最 低基準としての性格が明確化され、各所における創意工夫を促す観点から 内容の大綱化が試みられた。さらに、保育の質を高める保育者の専門性強 化 ( 研修会、免許更新など )、小学校との連携、保護者に対する支援・計画・ 評価など資質向上が求められている。2008 年「幼稚園教育要領」改訂に − 53 − おいては、発達や学びの連続性、幼稚園と家庭などでの生活の連続性、子 育ての支援と預かり保育の充実、障害を持つ子どもの指導、小学校との意 見交換や合同研究の機会、情報提供、保護者同士の交流の機会提供などが 求められている。このように正規の専門職である保育者、保育現場への要 求はより複雑にさらに高度なものとなっている。 Ⅲ 保育者養成の再構築 上記のような保育現場への要求、すなわち、多様な専門性を有する保育 者の必要性は、既成の保育者養成に波及する。子育てに関する専門性、保 護者への対応、さらに、家庭の保育力支援、地域社会の保育資源や情報発 信源に関与できる人材を育むことが求められる。保育内容や方法のみなら ず、ソーシャルワーカーとしての技術や知識、カウンセラー、療育などを 導入した教育課程充実も求められる。他方、保育者養成校では、若い世代 の実体験不足や学力低下を補う入学後の導入教育も検討しなければならな い状況にある。2005 年に実施されたアンケート調査(北海道の私立幼稚 園 228 園 1,703 名)によると、現職教諭の養成校への要望として、コミュ ニケーション能力、社会性、マナー、一般常識、礼儀作法、協調性、感性、 創造性、個性、判断力、自主性、自己判断力、知識教養、基礎学力などが 記されていた(9)。保育思想哲学を学ぶ必要性については皆無に近く、生活 体験・実際体験の必要性が記されていた。また、全国保育者養成協議会は、 人として日常性の中で人格形成をすること、多様な経験と単一ではない価 値観の獲得、そのためのボランティアや学外でのアルバイトを含めた実践 体験や多様な経験の意義を指摘している(10)。子育て支援の場を学内に開 設し、子どもだけでなく保護者や地域との関わりを深める体験の場とする 傾向も養成校に生じている。 Ⅳ 保育界の動向に見いだす課題とモンテッソーリ教育的視点からの見解 社会経済を含む将来構想と関連する教育再生計画や子育て支援対策は、 保育所や幼稚園という保育現場に変化をもたらし、さらに、保育者養成校 にも影響を及ぼしている。しかし、 「子ども」に視点が定められているの かという疑問は常に存在する。さらに、 「保育の本質」とは何か、「保育者 の専門性や資質」とは何か、 「保育者養成の核」とは何かという基本的な − 54 − シンポジウム 疑問も生じてくる。このような疑問に対して、モンテッソーリ教育的視点 からの考察は意義ある示唆となる。 1)モンテッソーリ教育視点による現動向分析 モンテッソーリ教育の特色によって、前述した我が国の現教育動向を捉 えると、対照的な構図となる。現在の教育は、法規に沿った政策という一 貫性で示されている。しかし、保育(教育)の本質、保育者の役割、保育 の質、保育者養成の核、保育の専門性、園・家庭・地域・養成校の関連、 発達や学びの連続性などの視点では、一貫性を見いだすことはできず、 「部 分的措置」 「部分的機能」 「部分的体制」とも言える。さらに、教育再建は、 大人の視点や状況を基盤としたものであり、子どもに起因しているとはい えない。施策評価にしても大人の評価であり、子ども自身による評価では ない。一方、モンテッソーリ教育は、教育内容と方法において、一貫性/ 系統性がある。保育の本質、保育者の役割、保育者養成なども、独自の理 論と方法で体系化されている。また、真の民主主義社会形成に至る教育思 想は、子どもを起点としたものである。特定な社会での一過的政策ではな く、多くの国で長期間におよび導入展開されており、異文化社会・時代を 超えた普遍性を有している。教育に対する評価は、子ども自らが実証して きたことは明らかである。子どもの発達や学びの連続性は、科学的実証と 方法(知識と技術)によって実証され、確実な教育内容や方法によって保 障されている。保育現場である「子どもの家」は、モンテッソーリ教育を 基軸として、家庭・親・地域と関連づけられ、保護者教育、家庭教育をも 展開してきた。モンテッソーリ教育においては「法則性」 「一貫性」 「系統性」 「連続性」で人間の成長発達が捉えられているため、就学前や就学後の教育、 個と社会との関連においても、断片的部分的な解釈や措置をとることはな い。 2)モンテッソーリ教育の現代的意義 モンテッソーリ教育は、 「子ども」を起点としており、大人社会を基軸 /起点とした現在我が国で生じている教育再生や子育て支援対策とは全く 逆の発想に立っている。大人社会の改善を目指す手段としても、モンテッ ソーリ教育は、子どもを起点とする。行政や法規ではなく、医学的視点、 心理学的視点、科学的視点から教育を推進した。さらに、食育、親教育(子 ども理解・家庭教育・育児支援) 、地域教育、女性の社会化、国際的視点、 − 55 − 発達の連続性など現保育界が対応しているあらゆる課題にすでに対処して きたことも再認識しなければならない。教師養成においては、新たな研究 や分野を導入しつつも、一つの理論や方法を核として体系化された内容が 提供されている。現在の保育(教育)の動向と課題に対し、モンテッソー リ教育の意義を改めて見いだし、試行していくことが求められているので はないだろうか。 Ⅴ 現動向に対するモンテッソーリ教育界としての提言 モンテッソーリ教育界は、変化する時代や社会のなかで、100 年間以上 継承され現在も実践研究されている事実に改めて目を向ける必要があるだ ろう。モンテッソーリ教育は、現在でも活用できる多くのことを提唱して きた。様々な多くの教育方法や思想が長期にわたり継承されなかった原因 理由と共に、モンテッソーリ教育が現代に存在できる要因、特性を確実に 分析し、現代に生かしていくことは、一般の保育(教育)界への貢献にも なるだろう。モンテッソーリ教育的視点にたち、社会や教育界の変動を捉 え、すでに実践され実証されてきた多くの内容を現在に生かす試みこそ、 モンテッソーリ教育界に与えられた課題ではないだろうか。モンテッソー リ教育的視点を有した保育者であれば、現在の子育て支援や延長保育など 多様な保育ニーズにも一貫した独自の対応が可能となるだろう。 注 (1) 甲 斐 仁 子「Maria Montessori and Howard Gardner: Educational Development in Different Cultures」 『藤女子大学紀要』第 44 号、 2007 年、69−74 頁; 「アメリカにおけるモンテッソリ教育組織研究 ―AMS について(その2)―」 『藤女子大学紀要』第 40 号、2002 年、 109−144 頁、他。 (2) 内閣府『少子化社会白書』 (平成 17 年版〜平成 19 年版)佐伯印刷。 伊藤経人「保育行政の動向と課題」 『全国保育士養成協議会総会講演 資料』2008 年 5 月 24 日。原田真紀子「保育行政の動向と課題」『全 国保育士養成協議会第 46 回研究大会講演資料』2007 年 9 月 12 日。 (3) 総務省「少子化対策に関する政策評価書」[On-line]. Available: http:// www.soumu.go.jp/s-news/2004/040720_3_y.html、2004 年。 − 56 − シンポジウム (4) 厚生労働省大臣官房統計情報部編「国民生活基礎調査(平成 16 年) の結果から」 『グラフでみる世帯の状況』厚生統計局、2006 年。 (5) 森上史郎編「第Ⅱ部幼児教育・保育関係資料」『最新保育資料集』ミ ネルヴァ書房、2008 年、3 頁。 (6) モンスターペアレントおよび親の消費者意識に関する参考資料とし て下記の 3 編を用いた。中央教育審議会生涯学習分科会第 37 回議 事録/配布資料 [On-line]. Available: http://www.mext.go.jp/b_menu/ shingi/chukyo/chukyo2/siryou/001/06110803.htm 、文部科学省。山 下絢・岡田聡志「学校教育に対する保護者意識の実態―ターゲット/ プロファイリングによる『学校教育に対する保護者の意識調査』の二 次分析―」 SPSS、 2008 年。喜入克 『高校の現実―生徒指導の現場から』 草思社、2007 年。 (7) 文部科学省「認定こども園概要」[On-line]. Available: http://www. youho.org/gaiyo.html (8) 参考資料として、下記の3編を記す。 日本保育協会「延長保育・一時保育の実践研究 ―保育所の保育 内容に関する調査研究報告書―」[On-line]. Available: http://www. nippo.or.jp/cyosa/hei16/1/01/01_ta.htm、2004 年。 安 梅 勅 江「 夜 間におよぶ長時間保育のケア・デザイン ―5 年間の追跡研究による 科学的根拠を踏まえて」[On-line]. Available: http://www.crn.or.jp/ KODOMOGAKU/etc/research01_7.html、日本こども学会、2005 年。 日本小児科学会次世代育成プロジェクト委員会「わが国の社会への『保 育環境の整備に関する』提言」[On-line]. Available: http://www.jpeds. or.jp/saisin.html#135、2008 年。 (9) 北海道幼稚園教諭養成懇話会研究委員会(2008 年に懇話会を連絡協 議会に変更) 「北私幼現職教育向けアンケート」2005 年 12 月実施 2006 年 2 月回収、CD 編集で未刊行。 (10)全国保育士養成協議会「保育士養成システムのパラダイム転換Ⅲ―成 長し続けるために養成校でおさえておきたいこと」『保育士養成資料 集』第 48 号、2008 年、161 頁。 − 57 − いま日本の幼児教育にもとめられていること ―司会者としての報告― 林 信二郎 (川口短期大学) 昨年、駒沢女子短期大学を会場として開かれた、第 40 回全国大会は、 「子 どもの家開設 100 周年記念大会」でもあったが、その大会テーマは「モン テッソーリ教育の継承と創造」であった。そこでは様々なことが論じ合わ れたが、観察にもとづく子ども理解と、子どもに学ぶ精神のもと、モンテッ ソーリ教育の基本とするものをしっかりと継承すること、そして、その継 承の上に立って、日本の教育が当面している現代的諸課題に対して柔軟に 生かしていくことが大切であるとの共通理解が得られたと言える。今回の 大会テーマ「よりよいモンテッソーリ教育を!―日本文化への適応を検証 する―」は、その成果を受けて、設定されたものであると思われる。 今大会は、その挨拶においてもそうであったが、多くの会場で、少子化、 高齢社会化、青少年の凶悪犯罪の多発化、家庭や地域の教育力の低下など、 様々な現代的課題をめぐって発表がなされ、活発に論じられてもいた。 シンポジウムのテーマが「いま日本の幼児教育にもとめられていること」 とされているのも、この一連のテーマ設定の中に位置づいているものであ り、モンテッソーリ教育が、現在の日本の教育課題にどう生かされうるの かを検証しようとするものである。 シンポジストは、それぞれその専門の立場から興味深い意見表明を行わ れた以下の 4 名である。 藤村 重文氏(東北大学名誉教授、前宮城県教育委員会委員長) 日本で初めて肺移植を行い成功させた実績を持つ。現在お孫さんとのか かわりの中で改めて幼児期からの教育のあり方について危機感を持ち、 考えるようになっている。 司馬 理英子氏(司馬クリニック院長) 前日の研究発表「開業医としてモンテッソーリ的アプローチが有効で あった ADHD(注意欠陥/多動性障害)症例に関する考察」という興味 深い発表をされた小児科医青木正氏が、その発表において再三評価され、 − 58 − シンポジウム 言及されていた。 深津 高子氏(国際モンテッソーリ協会(AMI)元理事、NPO 法人幼い 難民を考える会理事) 前日のシルヴァーナ Q. モンタナーロ医学博士の基調講演「人間の可能 性を発達させるモンテッソーリ教育の普遍性」の名通訳で印象の新しい ものがあった。 甲斐 仁子氏(藤女子大学人間生活学部保育学科教授) 第 34 回全国大会が北海道で開かれたとき、地域として会員の少ない中 で、大活躍をされ大会を盛大に盛り上げ、大きな成果を挙げられた。英 語力とコンピュータの卓越した能力を駆使され、アメリカでのモンテッ ソーリ教育の現状や課題についても貴重な情報を提供し続けてくれてい る。 シンポジストの提言内容の詳細については、各氏からの報告があるので、 ここでは司会者として印象的に受け止められた事柄について述べることと する。 まず、 藤村氏は、 「幼児教育と食育」 なるテーマの下に提言された。それは、 高度経済成長とバブル経済、そしてその崩壊の過程の中で、生活様式が急 速に欧米化するとともに、物質的豊かさが増した社会へと移行し、個人の 精神構造は価値観や倫理観を含めて様変わりしていることを指摘した。こ の様変わりがもたらしたものとして、少子化と高齢化があり、幼児教育に 最も必要な家庭における教育力の低下への憂慮を示された。 このような状況に対する取り組みとして様々なものが考えられるが、氏 は、その優先的に取り組むべき課題として、基本的生活習慣の育成から始 めるべきであるとし、その中でも最も重要なことの一つは望ましい生活習 慣を作るための「食育」であるとした。 次いで、司馬氏は、 「軽度発達障害の特徴に寄り添った幼児教育を」な るテーマの下に提言された。先ず、軽度発達障害と呼ばれているものの中 には注意欠陥/多動性障害や高機能自閉症や学習障害などが含まれている ことを明らかにし、これらの障害の実態が正しく理解されないと、わがま まな子、しつけられていない子と誤解され、厳しく叱責されたり親が批判 にさらされることがあることに警鐘をならし、これらの子どもたちへの深 い理解と彼らの特徴にあった接し方が不可欠であることを述べられた。 − 59 − 深津氏は、 「丁寧な日本の暮らし」のテーマで、豊か過ぎるものに囲まれ、 多すぎる刺激の中で追い立てられるように忙しく生きている私たちの生活 を見直し、心がこもり伝わる手作りの家具や、5 感を通じて生命に触れる 喜びや大切さに触れ、使い捨て文化の見直しを提唱した。それは、今強く 求められているエコロジーの問題であり、宇宙的秩序から教育を構想しよ うとしたモンテッソーリ教育の源流を掘り起こそうとするものでもあっ た。鮮明な映像を提示しながらの説得力のある興味深いものであった。 甲斐氏は、 「保育界の動向に伴うモンテッソーリ教育界の取り組み」の テーマの下、保育界の動向の具体的諸事項として、幼稚園教育要領・保育 所保育指針の改定、認定子ども園の開設、免許更新制の導入、多様な保育 サービスや子育て支援などを取り上げ、その内容を詳細に紹介した。そし て、これらの動向を促したものとして、少子化対策、労働力確保、家庭の 教育力の低下などを挙げられた。これらの社会的背景に対応するものとし て、保育に関わる一連の改革は、子どもを主体としたものであるのか、大 人中心の考え方であり、その中で子どもは犠牲にされてはいないかを問い 続けなければならないとした。 以上のような提言の下、フロアーからの質問や意見、シンポジスト相互 での意見のやり取りなどがなされたが、その概要は以下のように要約され るのではないかと考えられる。 その一つは、科学技術の進歩と経済的発展がもたらしたものは、物の豊 かさと生活の便利さや刺激の多さであった。これらのものは戦後貧しさか らの脱却として追い求め獲得したものに他ならない。しかし、今改めて考 えなければならない局面に立たされている。 まず、物の豊かさに関していえば、物に対する感謝の気持ち、物を大切 にする気持ちの希薄化をもたらしている。深津氏の言葉を借りれば「もっ たいない」という気持ちをどう呼び起こすかということであり、使い捨て 文化を見直すことでもある。これは、未来の地球を考えるという視点であ り、 「エコロジーとモンテッソーリ」のテーマで論じられることであると ともに、大切に使われ、伝えられる物には、それを使った人のぬくもりと 心が伝わるということでもある。 さらに、物に対する感謝の気持ちの中には、食物に関する感謝の気持も 含まれており、命をいただくという「いただきます」という言葉が自然と − 60 − シンポジウム 出ることにもつながることである。これは、藤村氏が提言された「食育」 の基本でもあり、さらにいえば、モンテッソーリの食事に関する諸見解に は今日改めて学ぶべきことが多くある。 一方、生活の便利さに関しては、様々な電化製品の普及などにより「道 具を使い、手や身体を動かす」ことを通して学ばれていた 5 感を通して物 を知る貴重な機会が失われていることにも目を向けなければならない。映 像で示された、わらを編む女性とその姿を食い入るように見つめる子ども の姿は感動的であると同時に大変印象的であった。 さらに、刺激の大きさ、激しさという点で生活に大きな変化が見られて いることにも注目しなければならない。テレビからは世界から発信されて いる情報が流れ、精巧に作られたゲーム機は子どもを飽きさせることがな い。しかし、その中で、これも深津氏が指摘していることであるが、 「ゆっ くりと自然とつながりなおす時間」が奪われている。 これらの、子どもにとって本当に大切な経験が失われている背景には、 大人中心の効率主義の考え方とその推進がある。そのことの現れの一つが、 甲斐氏が指摘する一連の保育行政の改革の中に見られるものである。これ らは政府の一連の行政改革の中で進められているものであるが、子どもの 生活とその子らしい育ちを大切にした視点を欠いてはいないかの問題意識 を常に持ち続けなければならない。 また、効率主義の保育の中でともすれば見落とされがちなのは、個別的 な子どもの存在に対するきめ細かい見取りであり、わけても、障害を持ち ながらそれが正しく把握されないことからくる不幸である。ここで改めて 述べるまでもなく、モンテッソーリ教育の原点には障害を持った子どもの 教育があり、発達障害に関する知見には目覚しい発展が見られている中で、 司馬氏が提言し、示唆してくださった提言も大いに生かし学んでいかなけ ればならないことであると考える。 − 61 − 論 文 モンテッソーリの「いと小さきもの」へのまなざし ―『科学的教育学の方法』 の改訂と 「子どもの家」― 前之園 幸一郎 (日本モンテッソーリ協会会長 青山学院女子短期大学名誉教授) はじめに モンテッソーリの主著は『子どもの家における幼児教育に適用された 科学的教育学の方法』 (Il Metodo della Pedagogia Scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini, 1909. 英語訳『モンテッ ソーリ・メソッド』 。以下、 『方法』と略称)である。これは、刊行後に 4 回にわたる増補改訂が行われ、1950 年には『子どもの発見』と書名も変 更されて最終版として刊行された。本稿では、1)『方法』がイタリア中部 の地方都市チッタ・ディ・カステッロにおいて刊行された経緯ならびにそ の後の『方法』改訂に見られる特徴について、2)サン・ロレンツォの「子 どもの家」に続いて開設されたヴィア・ジュスティ「子どもの家」、ペス ケリーア地区サン・タンジェロ「子どもの家」 、ピンチョの丘「子どもの家」 のそれぞれの背景ならびに特色とその根底を貫く教育の原理について、3) 子どもの内部的な自然性とモンテッソーリによる教師の備えるべき基本姿 勢について、考察を行う。 1. 『方法』の出版とその後の 4 回にわたる増補改訂版の刊行 マリア・モンテッソーリの主著『方法』初版本は、首都ローマから遠く 隔たったウンブリア(Umbria)州のペルージャ(Perugia)県チッタ・ディ・ カステッロ(Città di Castello)の印刷所 S. ラーピ社 (Tipografia della casa editorice S. Lapi) から 1909 年に出版された。タイトルページには、 著者の肩書きとして「ローマ大学教員」 (Docente all’Università di Roma) が添えられていた。 1913 年にはローマのエルマンノ・レッシァー社(Ermanno Loescher) から『方法』第 2 版改訂版が刊行された。1913 年版タイトルページにお いては初版本の「ローマ大学教員」の肩書きが削除され、初版とは異な る紋章(stemma)が印刷されている。さらに、 「増補第 2 版」(Seconda − 62 − 論文 edizione accresciuta ed ampliata)の文字が明記され、出版年も 1913 年と 印刷されている。 1926 年版はローマのマリオーネ・ストリーニ社(Maglione & Strini) から出版された。タイトルページには「増補第 3 版」(Terza edizione accresciuta ed ampliata)と印刷されている。続く 1935 年版『方法』の出 版社は、ローマのマリオーネ社となっている。これは 1926 年版の出版社 ローマのマリオーネ・ストリーニ社の名称からストリーニの文字が削除さ れ、マリオーネ社と出版社名が変更されたものである。しかし、1926 年 版と 1935 年版はそれぞれ異なる紋章がタイトルページに印刷されている とはいえ、全体としてはそれまで同様の体裁を残している。 『方法』は , 1950 年にそのタイトルが『こどもの発見』(La scoperta del bambino)と改題されてガルザンティ社(Garzanti)から出版され た。1926 年ならびに 1935 年の増補改訂版、そして 1950 年の『こどもの 発見』に共通して見られる特徴は、それ以前には存在しなかった「序文」 (Introduzione)の部分が付け加えられたことである。 『こどもの発見』の「序文」には次のような趣旨の内容が述べられている。 「わたしの仕事の最初の頃に書かれたこの本の初版が、ほとんどそのま まの内容で版を重ね、42 年後の現在また『子どもの発見』として刊行さ れることになった。それについては説明が必要であろう。今回の出版の 理由は、私が追究するテーマが当初から常に変わらないということによ る。この版においては、新しい教育法を創造することよりも、いくつかの 主題を明確にしつつ、私たちの仕事がもたらした結果について明らかにす ることに努めた。そして、私たちが到達した結論は、この本の表題にある 如く『子どもの発見』であった。もっともこの本の内容の大部分は私たち の実験の初期にすでに明らかにされたものである。時代は大きく変わり、 科学は大きな発展を遂げた。それにもかかわらず私たちの諸原理はますま す確かなものとして認識され、私たちの信念も揺るぎないものとなってい る。私たちが、子どもの発見(alla scoperta dei bambini) と、人格形成の 過程にある子どもの人格の偉大なる能力の発達(allo sviluppo della grande potenzialità della personalità umana in corso di formazione)に注目して、 その援助のための努力を行うならば、子どもの人間性(l’umanità)が人類 の平和と統一を含む現代の諸課題を解決するための大いなる希望となり得 − 63 − るであろうと確信する。 」1 モンテッソーリは、 『方法』初版から『子どもの発見』にいたるまで、 揺らぐことのない「いと小さきもの」へのまなざしによって優しく子ども によりそい、人類に対する希望としての子どもについて語り続けている。 1.1.フランケッティ男爵夫妻と初版『方法』の誕生 1909 年に出版された『方法』には、次のような献辞がフランケッティ 男爵夫妻に対して捧げられている。 「高貴なる淑女アリス・フランケッ ティ・ハルガルテン男爵夫人ならびにイタリア王国上院議員レオポルド・ フランケッティ男爵にこの書物を捧げます。これはお二人によって出版が 切望され、お二人のご援助によって、科学的論文として〈子どもの家〉の タイトルが与えられ、本日、ここに刊行されることになったものでありま す」2。この献辞は 1913 年の第 2 版においては「アリス・フランケッティ 男爵夫人の大切な思い出のために」(Alla cara memoria della baronessa Alice Franchetti) と改められ、1926 年第 3 版と 1950 年『子どもの発見』 においては完全に削除されている。しかし 1935 年版においては献辞が再 び復活し、 「アリス・フランケッティの大切な思い出のために」(Alla cara memoria di Alice Franchetti) と述べられている。しかし、そこには「男爵 夫人 (baronessa)」の言葉はなく、献辞は簡略化されている。 さて、いずれにせよ上の献辞から明らかなように『方法』の執筆とその 出版の背後にはフランケッティ男爵夫妻のモンテッソーリに対する好意的 で友情溢れる助言と援助があったことがうかがえる。フランケッティ男爵 (Franchetti, Leopoldo,1847-1917) は、国家統一後のイタリア社会が直面す る経済問題、非識字問題、移民問題、特に南イタリアの文化的・経済的振 興策について国会議員として積極的に発言し指導性を発揮した政治家であ る。アリス・ハルガルテン・フランケッティ夫人(Franchetti, Hallgarten Alice,1874-1911) は若いときにローマ市内で社会福祉活動に参加し、社会 改革運動を通じて男爵と結ばれた。 結婚後、二人はチッタ・ディ・カステッロの広大な所領に生活の本拠 地となる居を構えた。フランケッティ夫人は、チッタ・ディ・カステッ ロの中心地から離れた自分の農地にある別荘「モンテスカ荘」(Villa “La Montesca”)に居住したが、そこは僻地の農村地帯であり公立学校は存在 − 64 − 論文 しなかった。彼女は、その周辺の農民の子どもたちのために、この地に、 1901 年にモンテスカ (Montesca) 小学校を設立した。それに続いてもう一 つの領地ロヴィリアーノ(Rovigliano)においても 1902 年に田園学校を 開設した。教育をもっとも必要としている子どもたちのために、豊かな自 然環境のなかで新しい教育を与えたいとの考えにもとづいていた。フラン ケッティ夫人は、伝統的教育の改革を模索する国際的な新教育運動の潮流 に共鳴し、しばしば欧米の新学校の訪問を行っていた。そして、ロンドン から自然観察学習の実践家として著明なルーシー・ラター夫人(Latter, Lucy, 1860-1908)をモンテスカに招聘していた。これらの事実は、男爵 夫妻が農村地帯における農民の生活改善について、特に農民の女性や子ど もたちの教育の問題に対して、いかに大きな関心を寄せていたかを物語っ ている。 さて、すでにローマのサン・ロレンツォ地区の「子どもの家」を何回も 訪れて深い感銘を受けていたフランケッティ夫人は、夫のフランケッテ ィ男爵にもぜひそこを訪問することを薦めていた。「子どもの家」の具体 的な教育を見学させたいと念願していたのである。しかし、多忙を極め る男爵にはその機会が久しく巡ってこなかった。だが、ついに「子ども の家」見学の機会が訪れた。アンナ・マリア・マッケローニ (Anna Maria Maccheroni) によると、終始、無言で「子どもの家」の実際の様子を観察 して見学を終えたフランケッティ男爵は、突然、モンテッソーリに対して 「あなたはこの教育実践について何か記録を残していますか」と質問した 3。 見学後の印象については何も述べないまま、男爵はすぐに「子どもの家」 についての書物を執筆するようにモンテッソーリに促した。そして彼女が 執筆に集中できるように仕事場として自分たちの別荘「ボルコンスキー荘」 (Villa “Volkonsky”) を提供した。堰を切ったように執筆に集中したモンテ ッソーリは、わずか 20 日間あまりで『方法』の原稿を完成させた。 フランケッティ男爵は、仕上げたばかりの原稿を手にしたモンテッソー リを伴って汽車でチッタ・ディ・カステッロへ向かった。男爵は、夫人と ともに彼らが農民のために教育活動や社会的活動を展開しているチッタ・ ディ・カステッロにおいてモンテッソーリの著書が出版されることを望ん だのである。男爵夫妻は、この農村地域の若い女性たちの教育や職業訓練 のために彼らが開講している女子教育カリキュラムの中に、後で触れるよ − 65 − うにモンテッソーリによる幼児教育の授業を加えることを念頭においてい た。そして、後に、彼らの設立になるモンテスカならびにロヴィリアーノ の2つの農園の学校に「子どもの家」が開設されることとなる。 『方法』が、ローマの書店ではなくチッタ・ディ・カステッロの出版社 から刊行されたことの背景、 そしてフランケッティ男爵夫妻への献辞が『方 法』の巻頭に述べられていることの背景には、以上のような経緯があった。 1.2. 「モンテスカ荘」における第 1 回モンテッソーリ・コースの開催 フランケッティ男爵夫人は、自分たちの所領の農地で暮らす農民たち の厳しい生活の現実を日常的に目にしていた。彼女は、農民の家庭生活に おける道徳的な退廃や、物質的貧困による悲惨な現実が、特に、農民の女 性たちの無教養と労働体験の未熟さによって引き起こされていることを 見抜いていた。そして農民の女性たちが貧困から解放されるためには教 育が不可欠であることを痛感していた。そのため、彼女たちが経済的に 自立できることを願って、すでに 1907 年に「ウンブリア手織物作業場」 (Laboratorio “Tela Umbra a mano”)を設立していた。その作業場は、労 働訓練とともにそこでの労働に対して賃金を支払い、農村の女性たちが積 極的に生活に立ち向かう意欲と行動力を養い高めることを目標とするもの であった。また、 農民の母親と幼児たちのための 「母親支援センター」 (Aiuto Materno)も設置されていた。これは母親に対して幼児に関する医学的・ 栄養学的助言を行い、子どもの成長の援助を目的とするものであった 4。 フランケッティ男爵夫人はその領地内の農民の意識改革と生活改善をね らいとするさまざまな教育的試みを行ったが、 その一環として「フランケッ ティ成人学校」 (Istituto Franchetti)が 1909 年にチッタ・ディ・カステッ ロに開設された。これは、農民の女子労働者に対して教育活動を日常的に 行いたいとする男爵夫人の考えにもとづいて、短期間の無料教育コース を継続的に組織化することをねらいとするものであった。その成人学校の 第 1 回目の試みとして実現されることになったのがモンテッソーリによる コースである。それは、当初は農村の働く女性たちを対象として計画され た「日常生活への準備学校」の予定であった。しかし、実際に実施された のは当初の目的とは異なって、モンテッソーリの『方法』の出版記念とそ のお披露目を兼ねた高度の学術的な連続講演会であった。そしてそれが、 − 66 − 論文 モンテッソーリが初めて彼女自身の教育実践の内容とその理論の輪郭につ いて体系的に明らかにする歴史的な講義の場となったのである。 この第 1 回モンテッソーリ・コースは、1909 年 8 月 1 日にチッタ・ディ・ カステッロの「モンテスカ荘」において開催された。その講義内容は、科 学的教育学は何を目指すか、未来の学校と教師の新しい在り方、子どもの 自由と自己教育の具体的実現に向けて、教師と両親の役割の協力の必要性、 幼児の成育歴カードの活用、幼児保健・幼児栄養の基礎原理、手仕事・制作・ 土による作業、諸感覚の教育、知的教育など、 『方法』の内容の流れに沿っ て構成されていた。このコースへの参加者は、ほとんどがイタリア国内か らの幼稚園教師や園長たちであった 5。 アンナ・マリア・マッケローニは、 「受講した生徒たちについては、正 確には記憶していないが 100 名ぐらいだったと思います」と述べている 6。 その中で、実際に正式に登録したのは 61 人の女教師であり、ほかに 9 名 の聴講生がいた。受講生のなかには後にモンテッソーリの信頼厚い協力者 となるアデーレ・コスタ・ニョッキ(Adele Costa Gnocchi)、アンナ・マ リア・マッケローニなども含まれており、スイス、ドイツからの 4 名の外 国人受講生もいた。イタリア・ウンブリアの片田舎から発信されたモンテッ ソーリの教育思想は、このコース開催を機会に、その後、世界に瞬く間に 広まっていくことになる。 「モンテスカ荘」において親しくモンテッソー リの謦咳に接し、モンテッソーリ思想の洗礼を受けた人々が、各地におい て彼女の教育法の実践を通して大きな影響力を発揮したからである。 モンテッソーリが『方法』についての最初の講義を行った場所が、フラ ンケッティ男爵夫妻の生活の根拠地チッタ・ディ・カステッロであったこ とは、 けだし当然と言うべきであろう。モンテッソーリの「いと小さきもの」 へのまなざしが、農村女性の伝統的因習と経済的貧困からの解放を真剣に 願うフランケッティ男爵夫人の熱情と共鳴するものであったからである。 1.3. 『方法』第 3 版(1926)における「序文」(Introduzione)の導入 第 3 版においては『方法』出版の恩人であるフランケッティ男爵夫妻に 対する「献辞」が削除されて、新たに「序文」が挿入された。その第 3 版 「序文」には以下の3つの特徴が見られる。 その第 1 は、ローマ教皇ベネディクトゥス十五世(在位 1914 - 1922) − 67 − の祝福の言葉で序文が始められていることである。第 1 次世界大戦の勃発 直後に教皇に選出されたベネディクトゥス十五世は、戦争による無益な流 血を糾弾し、キリスト教的な正義・平和・愛を説いた教皇として知られる。 モンテッソーリは 1918 年にベネディクトゥス十五世に拝謁する機会が与 えられた。その謁見の後、教皇はモンテッソーリの活躍を評価して彼女に 祝福の書簡を与えた。教皇は、さらに、バチカン図書館が彼女の著書を収 蔵するように命じた。その後、8 年間も秘蔵されていた教皇のその書簡の 一部が『方法』第 3 版の巻頭を飾ったのである。そこには、「(愛する娘モ ンテッソーリに)ローマ教皇が与えるこの祝福が、『方法』をより豊かな ものとする天の恵みと恩寵に満ちたものとなりますように」と述べられて いた 7。 第 2 は、モンテッソーリ教育法が厳密な科学的手法にもとづいていない との批判に対して彼女自身の立場が明確に述べられている点である。モン テッソーリの基本的な立場は、何よりも子どもへの信頼を教育の基本にお くところにあった。彼女は、精密な研究によって論理的で厳密な結論に到 達すればよいとする機械論的な教育の科学主義には批判的であった。彼女 は、 「私の教育的試みにおいて、 子どもたちの行動の現われ(manifestazioni) は、科学的研究の枠の制限を超えて、岩間から湧き出す泉のように生命あ るものからほとばしりでる新しい事実を示してくれた」と述べている。さ らに、彼女は続けている。 「私は、 (アラビアン・ナイトに登場する)単純 率直なアラジンのように、なお残された未踏の地に私を導いてくれる魔法 のランプを手にしていると真剣に信じていた。しかし、思いもかけず私が 発見したのは、子どもの魂の奥底に隠された宝物 (il tesoro nascosto nelle profondità dell’anima infantile) であった」8。 モンテッソーリは、 『子どもの秘密』のなかでも、同様のたとえ話を「子 どもの家」の創設当初を振り返りながら述べている。即ち、モンテッソー リは、最も貧しい家庭からの何らのしつけもうけていない、50 人ほどの おずおずとした様子の小さな子どもたちを相手に、サン・ロレンツォで仕 事を始めた。それは、 「小麦の種と、それを自由に蒔くための土地の肥え た畑を与えられた農夫の仕事のようであった。しかし実際には違っていた。 私は畑の土くれを耕すやいなや、小麦ではなく黄金を見出した (io trovai oro invece che grano.) のだ。畑は貴重な宝物を隠していた。私は自分が予 − 68 − 論文 想していたような農夫ではなかったのだ。私は、隠されている宝物を開く 鍵を、 それとは知らずに手にしていた愚かなアラジンのようなものだった」9。 モンテッソーリは、子ども自身が語りかけてくれている真実に耳を傾ける ことの重要性を訴えている。 第 3 は、子どもがその内面に秘めている真実を自然な形で表示すること を可能とするような「内部発現的環境」 (Ambiente rivelatore)について の言及である 10。モンテッソーリは、 教師のお手本や示唆によってではなく、 子どもの様々な内的必要にもとづいて整えられた環境、即ち、子どもが自 分自身の内部を自由に表示するように導かれる環境の重要性を強調してい る。それは、子どもの知的・身体的諸能力が自己発露的にあらわにされる 環境と言い換えてもよいだろう。 2.時代的趨勢と「子どもの家」の展開 『モンテッソーリ・メソッド』 、即ち、 『方法』のイタリア語タイトルは“Il Metodo della Pedagogia Scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini”である。その「カーセ・デイ・バンビーニ」〈Case dei Bambini〉に注目してみよう。 「カーセ(Case)」は「カーサ(Casa)」 の複数形である。そして、 「子どもの家」は、複数形の“Case(いくつか の家) ”で表示されている。したがって、上記タイトルを厳密に翻訳する ならば、 『いくつかの<子どもの家>における幼児教育に適用された科学 的教育学の方法』となるだろう。これから明らかなように「子どもの家」は、 サン・ロレンツォ地区のヴィア・デイ・マルシ(Via dei Marsi)58 番地 に開設されたものだけではなかったのである。複数の「子どもの家」が存 在しており、モンテッソーリはそのそれぞれの「子どもの家」における教 育的試みとその成果を踏まえて『方法』を執筆したのであった。 例えば、1908 年にローマ市内のプラーティ・ディ・カステッロ(Prati di Castello)地区のヴィア・ファマゴスタ(Via Famagosta)通りに「子 どもの家」が設けられた。この場所はバチカン市国の北部にあたり、カト リックの総本山サン・ピエトロ寺院への最寄り駅であるローマ地下鉄 A 線 オッタヴィアーノ駅の近くにある。この地域もローマ住宅改良協会によっ て新しい住宅建設が行われた。しかし、この地区は、サン・ロレンツォ地 区とは異なり、その居住者は中産階級が中心であり、父母の教育にたいす − 69 − る関心も高かった。そして、 ローマ住宅改良協会の責任者ターラモ (Talamo) 氏は、この地における「子どもの家」はサン・ロレンツォにおける「子ど もの家」の成果を上回る成功をおさめたと述べている。 ミラノにおいても、ローマのサン・ロレンツォの「子どもの家」開設直 後に「人道主義協会(la Società Umanitaria) 」によって労働者の居住地で あるヴィア・ソラーリ(Via Solari)に「子どもの家」が開設された。アンナ・ マリア・マッケロ-ニがその責任者となった。すでに触れたように、チッタ・ ディ・カステッロにおいてもフランケッティ男爵夫妻の強い意向と支援の もとにモンテスカとロヴィリアーノの二つの農園にそれぞれ「子どもの家」 が開設された。 2.1.ヴィア・ジュスティの「子どもの家」とメッシーナの子どもたち ローマ市内ヴィア・ジュスティ(Via Giusti)通りのマリア・フランチェ スコ女子修道院(convento delle Suore Missionarie Francescane di Maria) に 1910 年に「子どもの家」が開設された。この「子どもの家」は、モンテッ ソーリがこの修道院の院長の好意的な助言のもとで幼児のための宗教教育 の試みを始めたことでも知られている。しかし、特に有名なのは悲劇的な 大地震で家族を失ったシチリア・カラブリアの幼児たちを受け入れて保育 を行ったことである。 1908 年 12 月に南イタリアにおいて発生した大地震は、特にメッシーナ とレッジオ・カラブリアに壊滅的な被害を与えた。これに対してすぐさま 全国的な救援活動が展開された。最優先の課題は、被害の深刻な地域にお ける子どもたちの救援の問題であった。高名な歴史学者 G. サルヴェミー ニ(Salvèmini)は 1910 年当時のことを次のように述べている。「すべて の人に痛感された最重要な課題の 1 つは、幼児の救護問題であった。多く の子どもたちが、町のいたるところで所在無く時を過ごし、ぬかるみか路 傍の土ぼこりの中で 1 日を無為に送っていた。また、農作業に多忙を極め る親たちは、幼い子どもの子守と世話をその子の年長の兄・姉に委ねてい た。そのために、多くの者が小さな弟妹の面倒を見るために学校に行くこ とができなかった。さらに、幼児のなかには、月々僅かな給金で子守女の 家に預けられる者もいた」11。 震 災 後、 年 月 の 経 過 と と も に 悲 劇 的 な 状 況 が 次 々 に 明 ら か に な っ − 70 − 論文 た。1910 年に「イタリア南部利益のための全国協会(“l’Associazione Nazionale per gli Interessi del Mezzogiorno d’Italia)」(ANIMI)が結成さ れた。これは、地震災害地域への援助活動の調整を行い、南イタリア諸 地域の再生と発展に継続的に貢献することを基本的目的とするものであ り、政治家や学識経験者の参加によって特に深刻な教育問題の解決を図る ことを目指していた。その有力メンバーの中には、上に引用した G. サル ヴェミーニや文部大臣経験者で歴史学者のパスクアーレ・ヴィッラーリ (Pasquale Villari)など、そしてレオポルド・フランケッティ男爵も含ま れていた。 発足直後のこの「イタリア南部利益のための全国協会」によって行われ た最初の仕事の1つが、幼児施設の普及であり、さらに救護諸団体によっ てすでに設置されながらも資金不足のために放置されている幼児施設の充 実を図ることであった。設備・備品を整備し、教師を適正に配置する課題 が残されていたからである。その幼児施設のほとんどにモンテッソーリ法 が導入されることになった。そのモンテッソーリ法の普及に貢献したのは 言うまでもなくフランケッティ男爵であった。 メッシーナならびにレッジオ・カラブリアの罹災地からの孤児たちが 1910 年にローマ市内ヴィア・ジュスティの「子どもの家」に受け入れら れることになった。その当時のことをモンテッソーリ自身が次のように思 い起こしている。 「ローマにある〈子どもの家〉の 1 つにメッシーナの大災害に遭遇して それを生き延びた孤児たちが受け入れられた。彼らは地震の後の廃墟の中 から救出されたばかりの約 60 人の幼児たちである。彼らは、自分たちの 名前も、自分たちが以前どのような暮らしぶりであったかも分からなかっ た。全員が大きなショックに打ちのめされ衰弱していて、口もきけず放心 状態にあった。彼らに食事を与え、眠らせることは困難であった。 そのとき、このような子どもたちのために、とても楽しげな環境が整え られた。イタリア王国の王妃(la Regina d’Italia)エレーナ ( Èlena, 18731952 -筆者 ) がこの子どもたちのために慈悲深くも様々なご配慮を賜った からである。小さくて明るく輝く家具が作られた。戸のついた小さな食器 戸棚、色鮮やかな短いカーテン、鮮やかな色のとても背の低い円形のテー ブル、その外にちょっとそれより背の高い長方形のテーブルやイスや肘掛 − 71 − け椅子もあった。そして特に子どもたちに魅力的な食器類、小さなフォー クセットや小さい皿、小さなナプキン、子どもの手にふさわしい石鹸やタ オルまで備えられていた。いたるところに装飾品があり、細心の配慮の痕 跡が見られた。壁には絵が飾られ、花の活けられた花瓶がいたるところに 置かれていた。… 少しずつ子どもたちの食欲も回復し、安眠することが できるようになった。子どもたちのこの変化は、周りの大人たちに深い印 象を与えた。… それは、喜びに向かう再生の中で、悲しみと放棄された 寂しさから彼らを自由にする精神的な変化なのであった」12。 メッシーナの子どもたちのヴィア・ジュスティの「子どもの家」におけ る感動的な変化が話題となり、エレーナ王妃の意向と援助のもとに後援組 織が結成された。そして 1910 年にマリア・フランチェスコ女子修道院に おいてモンテッソーリ教師養成の理論・実践コースが開始された。これは 8 ヶ月間の養成コースであり、最初の 4 ヶ月間の終りに第1段階ディプロ マが、コースの最終時に第2段階ディプロマが授与された。それは 1910 年 3 月 2 日から開始された。授業はモンテッソーリが行い、彼女がディプ ロマに署名を行った。 2.2.ペスケリーア地区サン・タンジェロ小学校におけるモンテッソーリ 教育 モンテッソーリの新しい幼児教育の方法の有効性に注目し、彼女の教育 思想に賛同していた人物の一人に当時のローマ市長エルネスト・ナターン (Erunesto Nathan)がいた。彼はイタリア国籍を取得した元来は英国出身 の政治家であり、1907 年にローマ市長に就任すると革新的な行政運営を 積極的に行っていた。ナターンは、ローマ市内の公立学校の小学校低学年 ならびに幼稚園においてモンテッソーリ教育を実験的に実施する方針を明 らかにした。 1910 年 10 月 26 日にローマ市内のペスケリーア (Pescheria) 地区のサン・ タンジェロ (Sant’Angelo) 小学校の 1 年生のクラスにモンテッソーリ教育 の実験クラス「子どもの家」が開設された。それは公立小学校においてモ ンテッソーリ教育法による日々の教育実践がどのような結果をもたらすか を具体的に研究する試みであり、6 歳前後の 45 人の女児が対象とされた。 サン・タンジェロ小学校がある場所は、中世期から続くゲットー(Ghetto) − 72 − 論文 とよばれるユダヤ人街の中心地に位置していた。その地域は、建物はそっ くり昔のままで、衛生状態も劣悪であり、頻繁に病気の蔓延する狭く不潔 な袋小路の居住区であった。そこでは多くの貧しい家族がひしめき合いな がら生活していた。夜には母親と一緒に朽ち果てた建物の玄関口でわらの 上に眠り、 家財道具はナベ一つしかないという子どももいた。モンテッソー リは、この貧困の極限にある子どもたちと接することに興味を抱いた。 このサン・タンジェロ小学校の「子どもの家」においても、サン・ロレ ンツォでの奇跡が再現された。言葉遣いや作法の訓練を少しだけ受けたに 過ぎなかったが、子どもたちは誇らしげに秩序と清潔さを身につけていた。 学校には素晴らしい秩序がほぼ完璧に確立され、子どもたちの読み書き能 力は、目を見張る長足の進歩を遂げた。ある外国の評論家は「子どもたち の 1 人 1 人に、また、その行動すべてに、生命、喜び、個人の独立が満ち 溢れている。 … ユダヤ人街の小さな浮浪児たちも、ここで 1 年を過ご すうちに、個人の自由と自己制御を学んだ。これだけでも、人が自己の最 善を尽くし、周囲の環境に適応するためには十分であろう」と述べている 13。 さて、この場所は、現在では、ヴェネツィア広場からヴィア・デル・テアー トロ・マルチェッロ通り(Via del teatro Marcello)を抜けてユダヤ教の 礼拝堂シナゴーグ(sinagoga)のある場所に至る、その途中の地帯である。 大まかな位置関係としては、映画「ローマの休日」で有名になった「真実 の口」に近い界隈だと考えたらよいだろう。サン・タンジェロ小学校にお けるモンテッソーリ教育の実験は、上のように子どもたちに大きな変化を もたらした。 2.3.ピンチョの丘の「子どもの家」 同じ時期にローマ市長ナターンに対してローマ市に居住する上層階級な らびに外国人外交官などから自分たちの子どもの教育についての要望が寄 せられた。それは、ヴィア・ジュスティの「子どもの家」におけるような 就学前の幼児教育を自分たちの子どもたちにも与えることはできないかと の声であった。その要望はローマ市によって受理された。ボルゲーゼ公園 の一画のピンチョの丘の坂の途中にあるサンタ・マリア・デル・ポポロ修 道院跡地 (ex-convento di S. Maria del Popolo) にモンテッソーリの指導の もとに「ピンチョ子どもの家(La Casa dei Bambini al Pincio)」が 1911 − 73 − 年に開設されることになった。その「子どもの家」は有料とされた。入 園児の父母は授業料の納入が必要であり、さらに施設拡充費や人件費な ど特別な費用に充当するための寄付金の納入も求められた。当時の新聞 報道によると、その開設準備と運営に当たったのは上流階級の女性たちか らなる「イタリア婦人全国評議会教育問題女性委員会(“una commissione di signore della sezione Educazione del Consiglio Nazionale delle Donne Italiane”) 」であった 14。 ポポロ広場に近い「ピンチョ子どもの家」は、市内の上流階層の子ども たちや外国人家庭の子どもたちを受け入れてスタートした。ローマの貴族 や政府高官の子どもたち、ローマ駐在のイギリス大使や大使館職員なら びに外交官の子どもたちからなる集団は、習慣も出身家庭も話す言葉も異 なっていた。そのために当初は大きな混乱が見られた。しかし、その「バ ベルの塔」も、 1 ヶ月も経たないうちに楽しく活気溢れる共同社会に変わっ たといわれる。この「子どもの家」は、それまで一般民衆の子弟のために 設立されてきた 「子どもの家」 と基本的に異なるところはなかった。しかし、 「ピンチョ子どもの家」における教育を際立たせるものが1つだけ導入さ れた。それは「手工(lavoro manuale) 」である。モンテッソーリは、フラ ンチェスコ・ランドーネ(Francesco Randone)教授による陶器の美術と その製作を導入した。その意義と重要性については『方法』初版の「手工 - 壷の美術とその製作(Lavoro manuale L’arte vassaia e le costruzioni)」 の章において詳細な論述がなされている。 さて、 「ピンチョ子どもの家」を見学したある米国人教授は次のような 印象を述べている。 「スラム街に数年前に建てられた<子どもの家>が、 今では社会階層的に見て、正反対の位置を占める<子どもの家>と並ぶよ うになった。ピンチョの丘の〈子どもの家〉では、蝶よ花よと育てられた 特権貴族の子どもたちが、算数教材を使い、社会訓練を受けている。一方、 もっとも貧しいペスケリーア地区の公立サン・タンジェロ小学校の〈子ど もの家〉でも、ユダヤ人街の子どもたちが、同じ教材を使い、同じ訓練を 受けている。この両極端の中間に位置するのが、 ジュスティ通りにある〈子 どもの家〉である」15。 モンテッソーリは、知的遅進児の子どもたちに対する教育から学んだこ とを健常児の教育に適用した。それと同様の原理によって、今回は貧しく − 74 − 論文 恵まれない子どもたちに接して学んだことを、裕福な子どもたちに当ては める試みを行った。その原則は同じであり、そして大きな成果を挙げたの でる。 3.教育における自然と社会的生活 『方法』における感動的な場面の 1 つは、イタール(Itard)の野生児に 対する働きかけを通して見られるイタールと少年との間の2人の関係の変 化である。イタールは、野生児を自然的生活から社会的生活に導き入れる ための忍耐強く慎重な努力を行い、併せてその子の知的障害に対する知的 教育をも企てた。その子どもは、当初、以前の原野での生活で行っていた ように自然に浸り、雨、雪、嵐などにわが身をさらして楽しんでいた。し かし、イタールの教育は徐々に成功をおさめ、最終的にはイタールの人間 的愛情が自然の持つ野生的愛情に勝利する。アヴェロンの野生児は、雪の 中をころげ回り、星のきらめく夜空を眺めて一夜を明かす喜びよりも、イ タールの愛情、愛撫、彼のほほを伝う涙を心で感じ取り、それを好むよう になった。ある日、田舎へ逃げ出した。しかし、その野生の少年はつつま しく後悔して、おいしいスープと暖かいベッドを求めて自発的に戻ってき た。 モンテッソーリは、文明生活とは、このように人間を自然という大地の 懐から奪い取ることであり、それは新生児を母親の胸からもぎ取るのと同 じようなことだとしている。しかし、また、それは新しい生活の始まりで もあるとも述べている。モンテッソーリによると、幼児教育においては、 イタールのこの教育的ドラマが再現され繰り返されている。われわれ人間 は生物の中の 1 つであって自然に属している。そして、子どもは、その自 然から心身の発達に必要な力を引き出している。それなのに、幼児教育は、 本来自然に属する人間を人為的な社会生活のために準備しなければならな いからである。 ここで強調されているのは、われわれの日常的な文化的生活が自然の生 活の放棄によって成り立っているという一見矛盾する事実の指摘である。 それでは、自ら成長する生命力に満ちた幼児を、社会生活に導きいれるに はどうしたらよいのだろうか。モンテッソーリは、その移行がなだらかに 行われるためには、教育活動のほとんどを自然そのものに委ねるべきだと − 75 − 述べている。 3.1.自然観察と自然との交感 自然という教育者が持つ多くの力を尊重し活用するためには、自然が行 う創造の業に子どもの魂を直接に接触させる必要がある。それは、例えば、 植物の栽培や動物の飼育などを通して、自然についてじっくりと知的な観 察を行わせる方法によって可能となる。これがモンテッソーリの考えだ。 モンテッソーリは、チッタ・ディ・カステッロの農園ロヴィリアーノの田 園学校にフランケッティ男爵夫人によって招聘されていた英国人ラター夫 人の自然観察学習から多くを学んだ。ラター夫人は発展する生命の過程を 凝視する中に宗教の根底となるものを見ていた。子どもの魂が目の前にあ る被造物から出発して、その創り手である創造主へと向かうからである。 彼女は、知的教育の出発点もそこに見出した。 しかしながら、モンテッソーリは同時にラター夫人のあまりに表面的 で技術的な以下のような見解には批判的であった。ラター夫人が、「園芸 (giardinaggio) 」的作業を一面的にとらえて、その目標を、農作業から生 じる植物、昆虫、四季についての観念の学習や、栽培し育てた野菜の調理 の準備、台所道具の後片付け、食器洗いなど家事についての家庭科的概念 の学習にとどめていたからである。モンテッソーリは、ラター夫人が折角 注目しながら、深く分析することをしていない子どもの魂を宗教的感情に まで導く自然観察の方法について、 一歩進めて考察を行っている。モンテッ ソーリによると、それにはいくつかの段階が存在する。その主要点は次の ように要約される。 1)子どもは、植物の栽培や動物の飼育を通して、まず、最初に生命に おいて展開される様々な現象の観察に導かれる。2)ついで、子どもは、 動植物の栽培・飼育において、水やりや食物の世話をもしも怠るなら、植 物は枯れて死んでしまい、動物は飢えに苦しむことを知る。この経験は、 責任・自己教育による将来への配慮(previdenza)の能力を育てる。3)地 面に種子を蒔き、それが、発芽し、生長し、開花し、結実する植物の一生 の過程は、生命に対する忍耐と確信に満ちた期待を抱くように子どもを導 く。4)自然は創造の驚くべき不思議さ、多様な奇跡に満ちている。幼児 は、ミミズや肥やしの中のコムシの幼虫の動きにも興味を示し、小動物の − 76 − 論文 生命との間に魂の交感を行っている。生きたものの栽培、例えばバラの栽 培は、美しい花が開花することによって栽培の労苦に報いてくれる。子ど もは、 このような自然に対する生き生きとした感情によって鼓舞される。5) 子どもは、人類の発達の自然の道のりに従って、自然的人間から社会的・ 文明的人間への移り変わりを徐々に遂げる。モンテッソーリの自然観察に 対する理解と姿勢は、以上に見られるように彼女の幼児教育における方法 でもあった。 3.2.モンテッソーリの子どもへのまなざしと期待される教師像 アンナ・マリア・マッケローニは、モンテッソーリが周囲から感傷的な ロマンティストだと誤解されていることに対して述べた言葉を思い起こし ている。 「子どもを抱きしめキャラメルを与えるために、私が学校訪問を 行っているなどという誤解は、もう、うんざりです。私は厳格な科学的研 究者なのです。ルソーのような文学的理想主義者ではありません。私は子 どもたちの内に人間を発見しようと、子どもの内に真の人間精神、創造主 の意匠を見ようと努めているのです。つまり、科学的かつ宗教的な真理の ためにこそ、私は自分のメソッドを用いるのですし、これは人間を尊重す るものです。私のほうから子どもたちに教える必要は何もありません。魂 が歪められていないかぎり、好ましい環境に置かれれば、私を教え、精神 の神秘を明らかにしてくれるのは子どもたちなのです」16。 アンア・マリア・マッケローニは、さらにモンテッソーリがいつも口に していた言葉「指導者というものは、観察しながら自分自身を導く人をい うのです(la dirigente guida se stesso osservando.)」を伝えている 17。こ せいこく の言葉は、正鵠を得た子どもの観察が教師自身の内部的な自己変革を引き 起こすことについてモンテッソーリ自身の経験として述べられている。同 様に、モンテッソーリのモットーとして知られているのが、 「観察しなが ら待つ(aspettare, osservando.) 」18 である。彼女の観察とは、子どもが内 面から必死に発しているメッセージに、子どもの仕種、表情、目の輝きに よる魂の訴えと語りかけなどに、耳を澄まし、目を凝らすことであった。 しかしながらモンテッソーリによると、子どもたちの現実の姿は「ピン でとめられた蝶のように(come farfalle infilate a uno spillo)」、外部から 注入された無味乾燥の知識の翼を広げて座席や机に固定されているのが実 − 77 − 状であった 19。それは、手足に打ち込まれた釘のために十字架上で身体を 動かすことのできないキリスト像を思わせるとも述べている 20。その悲劇 は、子どもは大人が満たしてやらなければならない空の器のようなものだ との偏見によって引き起こされている。それによると、大人はあたかも創 造者のような存在であり、子どもは独裁的な大人の意思にただ盲従するだ けということになる。 だが、実際には、子どもは単に保護と援助のみを必要とする弱々しく無 防備な存在ではない。子どもは、生まれつき「心的生命(vita psichica)」 を与えられており、人間としての人格を積極的につくりあげていく存在な のだ。そうであるからこそ、大人のなすべきことは「創造の業に仕える者 (il servitore della creazione) 」としての使命を果たすことだ、とモンテッ ソーリは述べている 21。では、その創造の業とは何か。それは、自然によっ て定められている子どもの内部の発達のプログラムの存在である 22。そし て、それに従うことを意味する。空の星たちが目に見えない軌道に沿って 一定不変の動きをするように、子どもは自分のプログラムに従っているの だ。偶然や気まぐれによってそれが変更されることはない。 ここに教師の責任と役割が生まれる。モンテッソーリは比喩的表現で次 のように述べている。教師は、子どもの人間としての知的覚醒に立ち会わ なければならない。子どもの魂の中にまどろんでいる人間に呼びかけるこ とができなければならない。なぜなら、未来の人間的能力の秘密がそこに 閉じ込められているからだ。そして「本物の教師は、子どもそのものから 教育者として自らを完成させる方法を学ぶであろう」23。 モンテッソーリは、 〈いと小さきもの〉への奉仕者としてその生涯を貫 いた。彼女の思想の全体を集約する言葉が、 〈いと小さきもの〉への期待 としてオランダに眠る彼女の墓地の墓碑銘として刻まれている。「何事も 可能にすることのできる親愛なる子どもたちが私と一緒に人類と世界の平 和の建設のために協力することを祈っています」“Io prego i cari bambini che possono tutto di unirsi a me per la costruzione della pace negli uomini e nel mondo.” − 78 − 論文 1) M. Montessori, La scoperta del bambino, Garzanti, 1993, p.VIII. 2) M. Montessori, Il Metodo della Pedagogia Scientifica applicato all’educazione infantile nelle Case dei Bambini, Edizione critica, Istituto Superiore di Ricerca e Formazione dell’Opera Nazionale Montessori, 2000, p.59. 3) Anna Maria Maccheroni, Come conobbi Maria Montessori, Vita dell’infanzia, 1956, p.49. 4) 拙著、 『マリア・モンテッソーリと現代』学苑社、2007、第 2 章参照 5) Sante Bucci, Educazione dell’infanzia e pedagogia scientifica Da Foebel a Montessori, Bulzoni, 1990, pp.113-115. 6) Come conobbi Maria Montessori, p.50. 7) Il Metodo, Edizione critica, p.64. 8) Ibid., p.65. 9) Il segreto dell’infanzia, p.151. 10) Il Metodo, Edizione critica, p.66. 11) G. Salvemini, Il problema della scuola popolare in provincia di Reggio Calabria, “Nuova Antologia”, 1910, pp.521-536. 12) Il segreto dell’infanzia, pp.192-194. 13) Rita Kramer, Maria Montessori A Biography, Da capo press, 1988, p.149 14) Giovanna Alatri, Le prime Case dei bambini a Roma tra 1907 e il 1914 da San Lorenzo al Pincio, passando per via Giusti, Vita dell’infanzia, novembre/dicembre 2007. 15) Maria Montessori A Biography, p.150. 16) Ibid., p.251. 17) Come conobbi Maria Montessori, p.71. 18) Ibid., p.87. 19) Il Metodo, Edizione critica, p.88. 20) Il segreto dell’infanzia, p.305. 21) Maria Montessori, Educazione e pace, Opera Nazionale Montessori, 2004, p.69. 22) Il segreto dell’infanzia, p.273. 23) Il Metodo, Edizione critica, p.87. − 79 − モンテッソーリ教育を基盤とした音楽指導について 渡 子 かおり (エリザベト音楽大学大学院生) Ⅰ はじめに ―モンテッソーリ教育における音楽教育の位置― モンテッソーリ教育における音楽教育の当時の資料は、わずかな教具と 提供法、楽譜集と断片的な活動報告のみである。しかし、マリア・モンテッ ソーリ自身は「音楽家ではなかった」(1)にもかかわらず、 「モンテッソー (2) リメソッドはその思想と方法において深く音楽教育の本質をついており」 、 「音楽的教育は深く配慮され」 、実際に子どもの家では「豊かな音楽活動が 展開されていた。 」との報告がある。 マッケローニ (Anna Maria Maccheroni) やバーネット (Elise Braun Barnett) らを中心に、美しいピアノ演奏に合わせて子ども達が自由に聴い たり歩いたり、ダンスをしたりする様子や、楽器の手ほどきを受け、個別 にあるいはグループで演奏する提案、年長児がベルを使って楽譜の読み書 きの導入を経験する様子などがいくつかの資料で紹介されている。 モンテッソーリは音楽の芸術面での教育開始に先立ち、その基盤は「日 常生活練習」 、 「感覚教育」にあると考えていた。具体的には感覚教具とし ての雑音筒、音感ベルによる活動、日常生活における線上歩行、静粛など である。それらが音楽教育において重要な柱をなすことは、モンテッソー リ教育の音楽に関わる多くの教師、研究者の共通する認識である。それに もかかわらず、現実のモンテッソーリ教育現場で「おしごとの時間」(3)は 穏やかで充実していても、いざ音楽の時間となれば、専任や担当の先生に 預けっぱなしにしたり、横割り・縦割りと区分されて子どもが右往左往し たり、行事前に慌ててトレーニングに入り、パート分けも子どもの自由選 択より「できる」 「できない」で教師が区別してしまう事態が容易に起こっ ている場合も少なくない。 では、 モンテッソーリ教育方法そのものの基盤である「日常生活練習」 「感 覚教育」と音楽活動は、お互いにどうつながり、子どもの成長と発達の中 でそれぞれどのような位置づけとなるのであろうか。 筆者は音楽大学で音楽教育学専攻を卒業以来、20 年近くにわたり、広 − 80 − 論文 島市を中心にいくつかのモンテッソーリ教育の幼稚園で音楽に関わる仕事 をさせていただいた。その間それぞれの現場の悩みに寄り添いつつも、音 楽を経験し学ぶことの喜びと本質を子ども達と分かち合いたいと模索して いた。その結果、もしモンテッソーリの教育理念をしっかりと理解し整理 づけたときに、それぞれの音楽活動は、子どもの発達の中で一本のライン につながるのではないかという仮説が見えてきたように思う。そしてモン テッソーリ自身は、むしろ積極的に音楽を採り入れ、音楽的に深い洞察を もった人であり、モンテッソーリ教育の構造全体が、そのまま音楽教育の 全体に関わるのではないかと実感するのである。 本稿では、これまでの実践から特に楽器演奏における問題点を事例に、 モンテッソーリ教育における「音の感じ方」 「筋肉の使い方」とその「意識」 、 について先ず考察する。そして、この考察を切り口として、モンテッソー リ教育の全体構造と関連する音楽教育の位置を考察する。美しく歌える時 や演奏できる時は、身体が正しく使えている時である。モンテッソーリ教 育の全体構造と音楽教育との関連を正しく理解することは、音楽の正しい 理解と演奏に連なることを本稿で明らかにしたい。 Ⅱ 音楽指導とモンテッソーリ教育における「運動」 1、合奏で大太鼓を選択した子どもの事例 筆者が月に 1 ~ 2 回研修指導に訪れていた幼稚園(4)では毎年 12 月に年 長児の合奏をするが、子どもが希望したパートを最大限尊重しようと、そ の人数バランスによってむしろ編曲の方をセンスよく変えようと試みるほ どの姿勢で取り組んでいた。ある年、大太鼓を選んだYくんについて相談 を受けた。今回ばかりは可哀想だがパートを降りたほうがよいのではない かと思うが、様子を見てほしいというのである。 この年はヨハン・シュトラウス作曲〈美しく青きドナウ〉を演奏予定で あった。大太鼓は三拍子のワルツの 1 拍目をおもに叩くのだが、その重要 な 1 拍目が、 “ちょうど 1 拍”あるいは“1 拍近く”遅れ、どんなに熱心 に個人練習しても直らないというのである。 訊くと、本人は多少身体の線は細いが、話も聞き、やる気はあるという ことであった。当初大太鼓には三人の男児が立候補した。うち二人は教師 が内心「この子なら安心して任せられる」と感じていたが、彼らを相手に − 81 − Yくんが頑として譲らず、とうとうひそかに叩いてほしかった二人が「ぼ く、いいよ。 」と引き下がってしまったそうである。 “ちょうど 1 拍”遅れるのみならば読譜や解釈上の勘違いが原因として 考えられたが、 “1 拍近く”の時もあると聞いて、本人の聞こえ方や身体 機能の問題であろうかと怪訝に思った。 登園したYくんを大太鼓のあるホールに呼んでいるということだったの で、早速会いに行った。振り向いたYくんの目線はやや下向きであった。 叱られはしないが、何度やっても先生の顔がパッと明るくならないことや、 初対面の音楽教師に少し不安を感じているかのようでもあった。自己紹介 の後「Y くん、今日は一緒に大太鼓やろうね。Yくんがもっともっと上手 になれるようにって、先生来たんだよ、よろしくね。」と告げ、まず担当 の先生の指揮のもとでテープに合わせ演奏してもらった。 その結果、二つの点に気がついた。一つは本人の立ち姿勢と場所、腕の 使い方、もう一点は教師のタイミングであった。 まず本人の、叩くたびに「く」の字に傾く上半身を支えるため両足を肩 幅ほどに開き、床についた足裏の重心を意識した。ついで膝、お尻、腰、 背中、と下から触れながら一緒に意識した上で、どっしり立ってみた。次 に、撥の頭が勢いよく臍の前に来た時にちょうど太鼓の打面に当たるよう、 太鼓の位置を決めた。立ち位置を確認し、床に印をつけた。 また、大太鼓のような大きな撥は、腕全体を使わなければ手首を痛める。 しかも力まかせではなく、上腕からひじ下、手首にかけて、ぐらつかず、 かつしなやかでないと、よい音も出ない。Y くんとはまず太鼓なしで、撥 の頭で遠くを指差すようにゆっくりと振る練習をし、手と連動する意識を 味わってから、太鼓を鳴らしてみた。 担当の先生には、叩く拍の一拍前に呼吸拍を出すよう提案した。これは 指揮法の基本であり、一般の合奏ではこの前拍の方がむしろ大切なことも ある。年少児の合奏では例外もあるが今回は年長児であり、奏法の特徴 からして振り上げる1拍が必要だと感じたのである。Yくんはまじめな子 だったので、教師が「よく見てね!」と前触れなく出す一拍目の指示に必 死で応え、腕を振り上げた分“約 1 拍”遅れていたのである。教師もまた、 Yくんの上達を願うあまり懸命に振り下ろし悪循環に陥っていたのである。 Yくんが身体の使い方を覚えて、意図する瞬間に力強い音が出せるよう − 82 − 論文 になり、教師が前拍を指示できるようになると、その後数日で彼はみるみ るテンポ通りに演奏できるようになり、本番直前には指揮が不要になった ほどであった。Yくんの成長ぶりに教師は喜びの拍手を送り、交代させて 傷つけずに済んだことに安堵したという。 さらにこの翌年以降、大太鼓の座にYくんのように線の細い子ばかりが 三年続けて立候補してきたという。Yくんやその後の子ども達が、大太鼓 の座を「頑として」譲らなかったのは、本当にやりたかったからである。 彼らは我が強くて譲らなかったのではないことが、その静かに秘めた表情 からうかがえた。教具棚のお仕事を、できなくて教えて欲しいから選ぶよ うに、それは子どもとして自然体の選びであった。細身のYくんは曲全体 の提示を見た時、大きな筋肉を使うこの楽器を心から「やりたい」と望ん だのである。後に続いた子らも、同じような望みをもち、成長の機会をつ かみたかったのであろう。 2、モンテッソーリ教育の「運動」 「提示」理論と音楽指導 モンテッソーリは、自分の教育の新しさの一つは「運動に着目したこと」 であるといった。随意筋と知性の働きとの関係に着目し、意志と知性を働 かせて正しい動き方を学ぶ過程を援助する方法を生み出した。それがモン テッソーリ教育方法の中にある「教える技術」である。 今挙げた事例の中にモンテッソーリ教育から得た技術がどのように存在 しているかを、次に述べる。(5) 1.正しい身体の使い方を示す 立ち位置、撥の持ち方、撥の振り方など、子どもにとって一番良い音が 出るための身体の使い方を、教師は正しく提示しなければならない。 2.要素を分析して、意識させる 大太鼓の場合は楽器が大きく、一打演奏するだけでも、足の先から胴体、 腕の先までいろいろな筋肉を使う。ただ「しっかり弾きなさい」「正しく 弾きなさい」ではなく、一つ一つ意識する場所と動作を具体的に確認しな がら示すことが大切である。 また必要に応じて、音楽に合わせることと筋肉を動かすことを別々に練 習することもある。例えば音楽を聞きながら拍手だけ行ったり、音楽なし で撥の振り方だけを意識したりする。 − 83 − 3.動作と言葉を離して伝える これは幼い子どもへの提示の基本でもあるが、音楽は特に、音楽そのも のの中に言語を超えたコミュニケーションやメッセージがある。それを大 切にしたい。 ではこれらの「教える技術」を真に生かすために、モンテッソーリ教師 として子どもの事実と音楽教育をどう理解し実践すべきであろうか。今回 Yくんと筆者との関わりは、応急的取り組みであった。本来おしごとに存 分に取り組み、しっかりと日常の身体を使っている子どもは、身体の準備 ができていると同時に音楽的なポイントを伝えるだけで演奏のこつをつか むはずである。次章でその可能性を検討したい。 Ⅲ 「日常生活練習」と音楽活動 1、身体の使い方と音楽 大太鼓を叩くための足、腰、背中、腕の筋肉の使い方は、もともと「日 常生活練習」の活動にたくさん出てくる。 「立つ」 、 「座る」はもちろん、 腰と腕、手首を使って「運ぶ」 、仁王立ちで「洗濯をする」時なども然り である。シンバルやティンパニの演奏も同様である。 「あけうつし」や「じゅうたん巻き」 「アイロンかけ」、 、 「折る」、 「貼る」など、 手首を使い、指先を洗練させながら、且つ正確に物を移動させていく過程 は、楽器演奏においては二本の撥でより細やかに打つ小太鼓をはじめ、木 琴、鉄琴など狙った鍵盤を美しくしなやかに打つ動きとつながるであろう。 しかし「日常生活練習」の教具と同様、楽器もただやみくもに鳴らすも のではない。 「美しい」 「楽しい」 「合わせたい」と心から思う音楽と提示 があり、そこに向けて身体を使う喜びを統合させていくのである。教師は 身体の使い方を知らせながら、やがて子どもが音楽そのものとの関係にお いてひとり立ちできるまで見守っていくのである。 2、 「線上歩行」と音楽 線上歩行そのものは運動の洗練を目指した一つの完成された提供であ り、その延長にリズム運動が目標づけられるものではない。しかし、マリ ア・モンテッソーリの著書の中には、充分に線上歩行を味わった上で徐々 に音楽に変化をつけていく提案がある(6)。また助手であったエリーゼ・バー − 84 − 論文 ネットも「行進」や「走る」 、 「ギャロップ」などを採り入れて子ども達と 音楽を楽しんだ報告をしている(7)。線上歩行を通して得られる身体のコン トロール、自己信頼、安定した感情、音楽への味わいがしっかりと基盤に なるならば、曲調や動き方の変化は子ども達の、音楽とともに動きたい望 みと喜びにつながるであろう。 またある資料によれば、マリア・モンテッソーリとリトミックの創始者 ダルクローズは同年代で活躍し、接点をもって協力し合っていた(8)(9)。こ の事実からモンテッソーリのリズム運動を大切にした音楽活動は、リト ミックの概念と共通したものがあったであろうと考えられる。 3、 「静粛」と音楽 「静粛」については、マリア・モンテッソーリ自身その教育法発見の初 期の段階から「聴覚教育」と並立させて繰り返して述べていることから(10)、 その重要性を窺うことができる。また子どもにとってモンテッソーリの「静 粛」練習は、はじめ「静けさ」そのものを楽しむ活動であっても、外の音 を聞き、自分を取り巻く世界の音を聞き、やがて自分の内面の音や声にも 耳を傾けられるようになる、ある意味実に生き生きとした、豊かな活動で あるといえる。 音楽的には森貞子も述べているように、どんな音でも無音から始まり無 音に戻る、 「幼児の音楽行動を援ける根っこには、 ( 中 略 )先ず『静けさ』 を置」(11) くことである、といえる。静けさを覚えた子どもは、楽音のも つ微妙な高低差やリズム、音色を聞き分けていくのである。 筆者が子どもの音楽指導においてしばしば経験したことは、たとえ低 年齢であっても、曲の始まりと終わりに音も動きもピタリと止まる一瞬を もって来ると子どもの表情が変わることである。目が合う子もいるし「あ れっ」という顔をして一瞬の静寂に気づく子もいる。どんなに賑やかなグ ループでも心の落ち着く瞬間があり、教師がその瞬間を逃さず提示すると、 徐々に子ども達はそれを心待ちにして演奏に入るようになる。 Ⅳ 感覚教育と音楽活動 1、音楽活動の原点 ― 聴く― 胎児のうちから、子どもは既に多くの音を聴いていることは、今日では − 85 − 常識になっている。筆者は、胎内で子どもが完全に母親の声を聴いていた ことを実感した経験がある。出産直後まだ産湯の湯気が立っている息子 をいきなり脇に寝かせてもらった時、とっさにかける言葉が見つからず、 思わずいつも気分転換に歌っていた子守唄(12)を歌った。彼は今まで「ホ ギャー」と号泣していたのをにわかにやめ、 「あの声のあの人だ」という 顔をして目を大きく開いたのである。目は次に半開きになり、タオルに包 まれたまま全身を耳にして、身体をすり寄せるようにして静止した。不安 いっぱいで生まれ出た彼にとってその時「聴こえた」体験は、生きる拠り 所の確認に他ならなかったはずである。 マリア・モンテッソーリは、子どもがその発生と細胞分裂の段階から精 神と肉体を構成していく過程を、 まるで聖書の詩篇のように著している(13)。 同時代のハンガリーの音楽教育家コダーイ (Zoltán Kodály) は、音楽教育 は子どもの年齢のいつから始めるかというインタビューに「生まれる 9 ヶ 月前から」(14)と明言している。日野原重明は「聴く」という感覚について、 人間の五感のうち最も早く機能し始める感覚の一つであると同時に一生の 最後まで残る機能であること、よって生まれる前からの親子の対話が大切 であり、晩年には、身体が動かず目がかすんできても、最後まで交わされ る心のこもった会話や音楽が、その人の人間としての尊厳を保つのだと述 べている(15)。 2、 「聴覚」とモンテッソーリ教具 モンテッソーリ教具の中で、聴覚を洗練させ「音」そのものを直接目的 とする感覚教具として「雑音筒」と「音感ベル」が挙げられる。 「雑音筒」は六種類の異なる材料(豆や砂など)が入った木筒を振って、 音色や音の強弱を聴き分ける教具である。六本の木筒は 2 セットあり、各 筒の蓋の色は赤(基準用)と青(活動用)に分けられている。納める木箱 も同様の色分けがされており、そこから出し入れをして子どもは自己活動 をする。 「音感ベル」は木の台で支えられた金属製のオープンベルを撥で打ち、 ・ : 音色を味わいつつ音の高さを識別する教具である。「ハ」~「ハ」の 1 オ クターブ内の 13 音が 2 セットあり、各セットの木台は白色系(基準用) と自然色系(活動用)に色分けされている。白色系ベルの派生音の木台は − 86 − 論文 黒色に作られ、現在の鍵盤楽器に視覚的に結びつくようになっている。 「音感ベル」で音階を充分に識別後は、メロディを演奏したり、歌った り創作したりする活動が広がる。また「読み書き」としての楽譜への導入 (17) の提案もなされている。(16) いずれもはじめは「同じ音が分かる(同一性合わせ)」「差が分かる(漸 次性合わせ)」という感覚教具としての基本的な活動から、徐々にダイナ ミックな、あるいは微妙な聞き分けとなり、その体験と感覚がやがて音楽 的な様々な要素―例えば大小、高低、速度、音色などを区別し味わうこと へと進展していく。 もちろんこれらの要素は、 聴覚以外の感覚教具にも存在する。例えば「ピ ンクタワー」の大小、 「赤い棒」の長短、 「色板」の色彩やその濃淡などで ある。すなわち正確に作られ準備された感覚教具を存分に子どもが味わっ たとき、そのすべての具体的な感覚は、音楽を構成する様々な要素への明 確な感性の基盤になる。 Ⅴ モンテッソーリ教育における音楽活動の要素 1、基本としての「歌」 「歌う」の語源が「訴える→うったう」にあるという説もあるように、 歌と言語は切り離すことはできない。歌声は人が誰でももっている楽器で あり、太古からの文化財であり、思いや心を表現し、コミュニケーション の手段でもある。なにより子どもは歌が好きであり、音楽演奏のきわめて 大切な基本といえる。 ・ 子どもの最初の発声―産声が、多くの赤ちゃんにおいて「イ」音に近い 音で集中していることは音楽教育者の中で興味深い事実として定着してい (18) (19) る。 赤ちゃんはその後 100 日にも満たないうちに「お腹がすいた」 「眠 い」 「痛い」 「抱っこして」などを泣き分け、あるいは母親が感じ取り、生 きるための対話が成り立っていくことは周知のとおりである。 そして母親や家族の、赤ちゃんに対する愛情のこもった様々な語りか け―例えば「りさちゃん」 「おしめ換えようねー」など、優しい抑揚の繰 り返しが子どもの内面も発語も育てていく。子どもは、初めは泣いたり、 「アー」 「ブー」などの喃語だけであったりしても、日本語の場合「かあさん」 「あのね」など自然に高低の抑揚がついた会話が可能になる。気持ちのふ − 87 − くらみが大きいほど、それは大きく豊かである。 やがて大人や家族、昨今ではメディアも含めて、子どもはその会話や歌 を模倣する。子どもが生活の中で何を常に「聞いて」育つか、教師や家庭 は心を配る必要があるであろう。 一方子どもがリラックスして、気持ちが膨らんだり満たされたりした時 には実に自然な美しい声で歌う。決して「聞けよ」とばかり、がなりたて て歌うことはない。また子どもが本当に歌を覚えたいときには、真剣に聞 き、よく見る。特に、すぐれた歌の中にある大切な言葉、メロディ、響き、 リズム、形式をきちんと伝えることができた時には、子どもはみごとに表 現する。提示者の癖や声の質、好みまで感じ取っている時もある。その意 味では、歌の提示には教具の提示と同様の配慮と練習が必要であることが 分かる。 2、言語、数、文化とのかかわり マリア・モンテッソーリが歌について直接述べている資料はほとんどな い。しかし例えば、選曲の豊かさ確かさは、教師の文化への理解や価値観、 それに伴った声かけや環境設定の配慮の中に既に存在している。歌のもつ リズムと旋律を感じ取り表現できるための、自由にコントロールできる身 体の育ちは、 「日常生活」の中に当然配慮されているであろう。なぜなら、 その子なりに身体がきちんと動き自律した子、あるいは「おしごと」の充 実したクラスの子がよく歌える傾向にあるからである。 また、言語活動において「読み書き」に至るためにたくさんの「話す」 経験が重要であるように、音楽における「読み書き」即ち「読譜」の基本 には必ず歌がなければならない。さらに音階や音の長さ等について本質的 に理解するためには、数学的思考が欠かせない。 管、弦楽器、ピアノなどの演奏者にとっても、表現するために実際に歌 うことは欠かせない。たとえ機械のように指が動いても、自分の口できち んと歌えないパッセージは音楽的には決して弾けていないのである。 Ⅵ モンテッソーリ教育を基盤とした音楽指導 ―実践例をもとに― 以上検討してきたすべての内容が基盤となった上、あるいは教師に理解 された上で、初めて小さな手に音楽としての楽器が握られる。 − 88 − 論文 クラスで丁寧に提示された歌を何度も味わい歌ううち、拍手をしたり小 さな打楽器を加えたりして楽しめる曲がいくつか出てくる。例えば初めは、 拍手の部分に教師が楽器を奏でて紹介する。年長児にだんだんと役割を 譲ったり、楽器の数や種類を増やしたりしながら、少人数から大人数まで、 また異年齢同年齢のグループいずれでも合奏の提供と練習は可能である。 また紹介した楽器を好きな時に好きなだけ演奏できる場を準備すること もできる。二つの幼稚園(20)で試みたところ、子ども達が入れ替わり立ち かわり喜んで活動にやって来た。初めは銘々勝手に鳴らしているように見 えても、教師が小さな声で歌いだすと、まるでさざ波が広がるようにアン サンブルが始まったのである。子ども達は好みの楽器で自分に可能な、し かも適切な場所で奏で、彼らは何度繰り返しても飽きなかった。 叩く、振る、はじく等様々な打法で奏でる楽器を充分に経験した子ども 達には、やがて木琴、鉄琴のように細やかに撥で叩くメロディ楽器を提供 できるであろう。 筆者はよく〈おへんじ〉と題して、手首を「右、左、右」と動かす曲を 導入に用いている(譜例) 。わずか三音の曲であるが、当たればとりあえ ず鳴った今までの打楽器に比べ、特定の鍵盤を狙い美しい音で打つことは、 子ども達にとってかなりのハードルである。 Q Q Q & Œ 「 は あ い 」 立ち姿勢の安定と腕のコントロール、手首のスナップが不充分な場合は、 ポンと響いた余韻のある音は出ず、撥の頭を鍵盤に押しつけて音を止めて しまう。 「ボールが跳ねるように」とか「 『熱っ』と触るように」など、子 どもが分かる日常生活で体験する言葉を使って、あるいは正しい身体の使 い方を黙って見せながら奏法を伝えていく。困難点を分析した前段階が必 要な場合もある。 この曲で一人一人の呼びかけと独奏を聴き合ったり、二人以上の名前を 順に歌って最後に同時に叩き、音や休符がぴたっと揃うことを楽しんだり する。さらに教師が低音などで伴奏をつけながらつなげて弾くと、小さい − 89 − ながら形式感のあるアンサンブルとして仕上げることもできる。 二小節、四小節の曲とレパートリーが広がるにつれ、同じ交互打ちであっ ても同音の連打をしたり、上行下行の旋律においては腕を交差したりする 必要が出てくる。子ども達の身体にとっては新しい挑戦である。 広島市の聖母幼稚園(21) では、 「オルフ楽器」(22) のうちいわゆる木琴・ 鉄琴を使って、先述の打楽器と同様好きな時に好きなだけ鳴らせる時間と 場所を作っていた。子ども達は代わる代わるやって来て、弾きたい楽器が 空くのをふざけもせずに待ち、手狭な部屋の中をスルスルと移動しながら 各々楽しみ、助けて欲しい時には告げに来た。特に鍵盤を「五音音階」と 呼ばれる不協和な半音程を取り除いた音階に設定しておくと、複数の子ど もが自由に音を鳴らしても、部屋全体がどこか統一感のある音空間となり、 騒然とした感じはなかった。また彼らの中には自己活動の過程で小さな創 作も始める子もでてきた。 教育の現場では、今日を生きる子どものために、子どもの発達を軸に、 分担をこえた互いの確認と連携、学び合いが常になされなければならない。 子どもにとっては、保育室で心と身体をしっかりと正しく使ったことで音 楽への力が発揮できる場合もあるし、楽器との出会いそのものが動機とな り媒体となって、他の活動や社会性の育ちにつながることもあるのである。 マリア・モンテッソーリは、日々目の前の幼い子どもを観察し、そこに 厳然とした生命の法則を見た。その法則に基づいて援助すると、内面に秘 められた可能性が立ち現れ、子どもが喜びと平和のうちに生き始める。幼 児期に生命の法則に沿って伸ばされた能力は、10 年後 20 年後の知的社会 的展開の基盤となり、文化的活動の土台となる。音楽を専門とする筆者は、 このモンテッソーリ教育の理念と原理を理解し、様々の音楽活動との関連 を整理し、意識して与えていくことによって、成長とともに音楽する喜び を味わい、平和な心を生きる人、平和を実現する人が育つことに仕えたい と願う。 (今回の執筆に際し、保育の課題に関わる実践例を紹介することを快く承 諾くださった先生方に心より御礼申し上げます。 ) − 90 − 論文 (1) 森貞子『幼児の音楽行動』相川書房、1987 年、1 頁。 (2) 西千雅子「モンテッソーリメソッドによる幼児の音楽教育」、クラウス・ ルーメル監修『モンテッソーリ教育用語事典』学苑社、2006 年、281 ~ 282 頁。 (3) モンテッソーリ教育では室内外における自由選択作業のことを「おし ごと」と呼ぶ。 (4) 暁の星幼稚園(山口県下関市)にて 2001(平成 13)年度~ 2003(平 成 15)年度の保育記録による。 (5) これに関しては、相良敦子の著書はじめ次の箇所にある。 ・E.M. スタンディング K. ルーメル監修 佐藤幸江訳『モンテッソー リの発見』 、エンデルレ書店、1975 年、十三章、十四章。 ・ モ ン テ ッ ソ ー リ 鼓 常 良 訳『 幼 児 の 秘 密 』、 国 土 社、1968 年、 十五。 ・モンテッソーリ 菊野正隆監修 武田正實訳『創造する子供』、エ ンデルレ書店、1973 年、第十三章。 ・モンテッソーリ 鼓常良訳『子どもの発見』、国土社、1971 年、五。 ・相良敦子『ママ、ひとりでするのをてつだってね!』、講談社、 1985 年、137 ~ 148 頁、154 ~ 165 頁。 ・相良敦子 『子どもは動きながら学ぶ』 、 講談社、1990 年、132 ~ 141 頁。 ・相良敦子『お母さんの「発見」 』 、文春ネスコ、2000 年、Ⅲ、147 ~ 153 頁。 ・相良敦子『幼児期には 2 度チャンスがある』、講談社、1999 年、第 八章 160 ~ 180 頁。 ・相良敦子『お母さんの工夫』 、文藝春秋、2004 年、98 ~ 100 頁。 ・相良敦子『親子が輝くモンテッソーリのメッセージ』、河出書房新社、 2007 年、17 ~ 44 頁。 (6) モンテッソーリ 鼓常良訳『子どもの発見』、国土社、1971 年、324 ~ 327 頁。 (7) E.B. バーネット、フランス・ボーン 桑村清子共訳、『モンテッソー リ音楽:3 才~ 8 才の子どものための動きのリズム』、エンデルレ書店、 1981 年、3 ~ 7 頁。 (8) E.B. バーネット、前掲書、3 頁。 − 91 − (9) 千葉和恵「リトミック」 、クラウス・ルーメル監修『モンテッソーリ 教育用語事典』学苑社、2006 年、290 〜 293 頁。 (10)1909 年著された『子どもの家の子どもの教育に適用された科学的教 育の方法』 (邦語訳『モンテッソーリ・メソッド』)は、42 年後『子 どもの発見』として再版されたが、章立てから大きく改訂された箇所 もある中で、音や聴覚に関する部分は常に「静けさ」と並立して記さ れている。また『モンテッソーリ・メソッド』では、感覚教育以前の 段階から「静けさ」による心の準備や、 「静粛」の概念、練習の様子が、 交互に繰り返しはさみこまれている。 (11)森貞子、前掲書(1) 、23 〜 25 頁。 (12) 〈童神〜天の子守唄~〉古謝美佐子作詞、 佐原一哉作曲、2002 年、 『NHK みんなのうた』4・5 月号第 35 巻第 1 号、日本放送出版協会、2003 年。 (13)モ ン テ ッ ソ ー リ、 鼓 常 良 訳『 幼 児 の 秘 密 』 国 土 社、1968 年 初 版、 2005 年新装版、23 ~ 29 頁。 (14)DVD:Forrai,K., Kodály Zoltán “ZeneMindenkie”(Budapest: Pannonia Filmstudio.1983) , Japanese Version Vol.1. (15)堀田(渡子)かおり・松原秀樹「人間と音楽の相互作用についての一 考察―療法としての音楽を中心として―」 、『エリザベト音楽大学研究 紀要Ⅷ』 、1988 年、53 ~ 78 頁。拙稿執筆に際し日野原氏への直接取 材による。同氏は 1980 年代、音楽療法研究に関連して「日本バイオ ミュージック研究会」設立にあたり、全国各地で講演と執筆を行って いる。 (16)信望愛学園モンテッソーリ教師養成コース、提供法アルバム。 (17)音楽講習会受講録、ジュディ・オライオン講師、神戸市恵みの園幼稚 園会場、2003 年 11 月 15 日〜 16 日開催。 (18)加藤ともやす「子どもの声とことば」 、 『子どもと音楽 第二巻』、同 朋社、150 頁。 (19)全 国大学音楽教育学会 中四国地区学会「うたう・きく・表現する 保育者になろう 保育士、幼稚園教諭養成テキスト」、音楽之友社、 2006 年、7 頁。 (20)マ リア幼稚園(山口県光市)および暁の星幼稚園(前掲(4))にて 1996(平成 8)年度~ 2003(平成 15)年度の保育記録による。 − 92 − 論文 (21)広島市、 1989(平成 1)年度~ 1995(平成 7)年度の保育記録による。 (22)ドイツの作曲家、カール・オルフ (Carl Orff、1895 〜 1982) が子ど もの音楽教育のために考案した楽器の通称。自由に鍵盤の取り外しが できる木琴(クシロフォン)および鉄琴(メタロフォン、グロッケン シュピール)と様々な打楽器などからなる。その他の特徴は、材料を 吟味したこと、音程の正確さと音色の美しさに妥協していないこと、 子どもが自分で運んだり取り扱ったりできる形状であることなどであ り、モンテッソーリが教具において特徴づけた点と共通点が多い。 − 93 − 実 践 報 告・事 例 報 告 小児科開業医としてモンテッソーリ的アプローチが 効果的であった AD / HD(注意欠陥/多動性障害) 症例に関する考察 青 木 正 (青木医院) (1)はじめに 症例は、AD / HD(注意欠陥 / 多動性障害)の診断基準を満たした初 診時 2 歳 9 ヶ月 12 日の男児である。 背景としては、種々の要因があり、この患児に対して、まず、日頃の保 育者が母親のみに近い状態であり、その接触度合いの高いことから、母親 に対して、 「日常生活の練習」を説明し、取り入れさせ、毎週の外来通院 とした。その上で、外来での診察時間を毎回 2 時間以上割き、まず「患児 の行動観察とその考察」を行い、 その結果から考えたいくつかの「課題(お 仕事)の提示(提供の指示) 」という形式で診療を毎週繰り返し、初診か ら 3 ヶ月で劇的な改善を見たので、ここにその経過等を小児科開業医の立 場から報告し、医師として、モンテッソーリ的アプローチの治療上の効果 等の考察を述べるものである。 (尚、この報告内容は、2008 年 8 月仙台で開催された日本モンテッソーリ 協会(学会)第 41 回全国大会に於いて、 「研究発表 7」として発表した内 容である。 ) (2)症例の提示 ○患 児:W.Y(2 歳 9 ヶ月 12 日) 主 訴:落ち着きのなさ、多動、目が合わせられない 既 往 歴:感染症・先天異常など特記すべきものなし 妊 娠 経 過:分娩時、吸引分娩を試みるも娩出できず、やむなく帝 王切開に切り替え出産となった。 陣痛初来後、出産まで 60 時間かかった。 起始及び経過:患児は、東京在住の関西人のご夫婦の家庭に出生した − 94 − 実践報告・事例報告 児である。出産後、 期待の我が子、可愛い我が子として、 託児所などに預けられることもなく養育された。 その為、2 歳台から幼児教室と英語教室に通わせ、 家庭内は日本語(関西弁)でありながらも、英語教育 をしようと努めた。 普段は、洋服の着衣・脱衣は勿論、可愛い我が子ゆ え、全ての作業・動作に手を貸し、トイレット・トレー ニングも「そのうちなんとかなる」という思いから行 わず、オムツか、せいぜいさせても男児であるにも関 わらず、本人希望の座位での排尿をさせていた。 また、 発語も、 例えば「黒」が「クーワ」であったが、 そのまま、両親共患児の言葉を強引に理解しようとし て聞き入れていた。 この他、3 文字の単語の構語がほぼ出来ない状況で あった。 また、行動としては、手足は終始動かし、他の子ど もが座って聞き入るような場面でも教室内を走り回 り、静かにしておれず、席に座れず、順番は待てず、 他の子どもの順番の邪魔をしたり、会話中も目を合わ せないという状況であった。それ故、この落ち着きの なさ、多動、目が合わせられないという症状から、幼 児教室の先生から、小児科受診を勧められ当院受診と なった。 初診時所見:○「注意欠陥(不注意) 」の症状 ・シール貼りを見せても注意を向けられない ・玩具を出しても、注意の持続が困難 ・話しかけても「うわの空」の状態 ・玩具を返すように言っても出来ない ・すぐ気が散ってしまう ○「多動性」の症状 ・手足がじっとしておれず、もじもじが顕著 ・診察室の中で母親の抱っこから離れて歩き出す − 95 − ・診察室を走り回る ・すぐかんしゃくを起こし、奇声を上げる ○「衝動性」の症状(母親の話から) ・順番を待てない ・他人の邪魔をする 環境・背景 : ①長年の不妊治療の末、やっと誕生した唯一の子どもであった。 ②可愛さの余り、 両親が全ての日常の作業(脱衣・着衣を初め全ての事象) に手を出し、自立を妨げてきた。 ③家の中では、全てが関西弁でありながらも、今後の教育を鑑み英語の ビデオをかけ、週 1 回の英語教室と日本語の学習幼児教室に通わせて いた。 ④トイレット・トレーニングもせず、男児でも本人希望の座位での排尿 を認めていた。 ⑤両親の愛情が強い余り、患児の全ての発語を両親が強引に理解をして いる形で、対話し、誤った日本語であっても訂正もせず、そのまま理 解していた。 ⑥父親が、母親に「音痴だから童謡を歌わないように。」と指示し、家 庭では童謡を歌うこともなく、音楽をかけなかった。 ⑦母親は、パートに出ることもなく、専業の主婦として、このまま実行 し続けた。 ⑧核家族であり、両親の祖父母はこの家を訪れることはなかった。 ⑨通わせていた教室内でも、もう一人 AD / HD 様の男児がいた。 診断: 医学的には、 「PDD(広汎性発達障害)と AD / HD の重複診断はせず、 PDD が優先される。 」というルールがあるが、本症例は、PDD の診断基 準を満たさず、AD / HD の診断基準を満たした。 ⇒従って、本症例は、 「AD / HD」と診断した。 − 96 − 実践報告・事例報告 (3)本症例の治療方針: AD / HD の治療指針に従い、直ちに、 ○まず、刺激の多い環境を避ける ○毎日、同じことを同じように繰り返さすこととした。 具体的には、排除できる要因の排除に努め、英語教室の退会、親の過干 渉の是正、誤りの訂正を明示すること、子どもの発語の強引な親側の理解 をしないこと、を行った。 従って、初診時 2 時間以上の診察時間をかけ、患児の行動観察を行い、 ①まず、子どもの感受性の高い時期に、子ども自らが感じ、一人で出来 るようにする大切さを母親に説いた。 ②具体的には、 本来の子どもの「マイルストーン(一里塚)」に合わせて、 一度、0 歳レベルにまで落とし込んでから、治療を開始した。 ③方法論としては、モンテッソーリ的アプローチを用い、「日常生活の 練習」を中心に行った。 ○環境への配慮 「歩く」 、 「物を運ぶ」 、 「折りたたむ」 、 「タオルを絞る」 ○自己自身への配慮 「鏡を見る」 、 「着る」 、 「脱ぐ」 、 「手を洗う」 、 「鼻をかむ」、 「ボタン」、 「ス ナップ」 、 「ファスナー」 、 「靴下をはく」 、 「靴下を脱ぐ」、 「靴をはく」、 「靴 を脱ぐ」 ○社会への適応 「戸を開ける」 、 「戸を閉める」 ○運動の分析と調整など 「線上歩行」 、 「静粛の練習」 ④外来の間隔を毎週とし、毎回、課題、いわゆる「お仕事」の提供を行い、 親が、労作に関して、 「まずは、ゆっくり、してみせる」ということ を説き、そして慌てずに一つ一つステップアップするように指導する ことを説明するとともに、子どもの状況を確認し続けた。 − 97 − ⑤両親共に、関西の方で、いわゆる「せっかち」の方であったので、まず、 「見る」 、 「観察する」ということと、過度な干渉は禁忌とした。そして、 すぐ、平手打ち等をしていたので、極端な賞罰も禁止した。 (4)治療経過 ① 3 ヶ月間の外来管理後の状況 ・2 文字の単語しか発語できなかったのが、 「はさみ」などの 3 文字の構 語・発語が可能になった。 ・30 分間静かに座っていることが可能になった。 ・着衣も、当初の胸部前面に来るプリント柄を見て、そのまま洋服を着 て(つまり、前面の柄を、背中に着る、 「後ろ前、反対の着衣」をして)、 首に引っ掛けながら 180 度回転させて、 「後ろ前、反対」を直すとい う状態から、きちんと着れるようになった。 ・脱衣も出来るようになった。 ・当初、サ行・ラ行は言えなかったが、50 音が発語出来るようになった。 ・立位での排尿が可能になった。 ・ジェスチャーなどの空間明示やヒントを与えない質問、例えば、「朝、 起きたら何ていうの?」という質問にも回答出来るようになった。 ・目を合わせることが可能になった。 ②外来 3 ヶ月目以降、10 ヶ月目までの経過 ・親に対して、秩序観の「ズレ」を生じている患児が行った行為に関す る理由に耳を傾け、まずは結果よりも経過に重点を置いて接するよう に、と説いた。例えば、排尿はきちんとトイレでするものの、排便だ けは、トイレで行おうとせず、本人の意思で、敢えて下着の中で行っ ていたが、それを今迄のように、すぐ「怒る」のでなく、 「出た」と言っ ているのだから、ズレを親が理解し、言っていることは正しいのだか ら、そこから「ズレ」を修復させるようにさせていった。 ・患児に、一つのことに集中する体験を促すように母親に説明し、その 都度、行動の調整方法を考えながら、 「日常生活上の労作を行えるよう にすること」 、即ち「日常生活の練習」を子ども本人の自己選択性を確 保しつつも、行うように努めさせた。 (特に、AD / HD などでは、一 見単に不器用な子どもに見えるが、それは、独特の秩序観を有し、か − 98 − 実践報告・事例報告 つ指から得られる情報の統合性に問題を抱えていることがあるので、 指先の巧緻性の重要性を説いて、実践していただいた。) ・患児に、日常での行為に関して、見通しを持たせるように工夫しても らうように母親に説明し、また、行動を調節する介助者・保育者の大 切さを理解していただき、それに努めてもらった。そして、決められ た行動が行えるように、細心の注意を払うようにしていただいた。例 えば、トイレではなく、部屋の隅に行くと、ズボンのまま、下着の中 に排便をする習慣があることが分かったので、患児にとっては、その 場所が「排便の場所」というように、独特の「ズレ」があることも理 解して頂き、 そこに行ったら「ウンチ」なのかを尋ねるように、まずは、 トイレに行かせ、そこで排便するように見守ってもらった。 ・この患児に関しては、医師が外来で使う言葉である「このまま様子を 見ましょう」といった『経過観察』は一切せずに、積極的に医師・保 護者が治療に関わっていく、所謂「攻めの保育」・「攻めの治療」を取 り入れた。 ・活動に集中する経験の積み重ねは、 「達成感」や「意欲」を引き出すので、 子どもが集中できるように、まず親が過干渉せずに、一歩引いて見る ことの重要性を理解していただいた。 ・自発的には集団生活に参加しづらい状況が想定された為、外来 7 カ月 目の 4 月の入園前までを一つのターニングポイントと位置づけ、状況 に合わせて、徐々に入園後の集団生活に備える為、敢えて意識的に、 同年代のお友達の家庭と交流を図ってもらった。(入園直後からの、健 常児とその保護者に、患児とその家族に対する拒否的な構えが生じな いようにする為) ・言葉のみでの指示が理解できないこともあり、空間での提供・明示(例 えば、 「食事の前になんて言うの?」では、答えられない為、「いただ きます」の決めポーズをしたら、 「いただきます」と言う)などの工夫や、 意思の伝達のため図・絵を用いるなどの工夫を両親に依頼した。 ・成育医療センター(旧国立小児病院)の「発達専門外来」で MR・聴 性脳幹反応・知能テストなどを施行の上での、セカンドオピニオンを とった。 ・これらの結果、外来 5 ヶ月目には、5 文字の単語がしゃべることができ、 − 99 − 挨拶なども出来るようになった。 ・幼稚園入園後は、言葉の遅れが残っているものの、5 月には当初の AD / HD 症状よりも、 「自閉症スペクトラム」という状況になっていった。 ・外 来 9 ヶ月目には、イントネーションこそおかしいが、「ありがとう ございます」も何とか言えるようになり、 単なる言葉の遅れ(構音障害) という状態にまでなった。 ・外 来 10 ヶ月目には、言葉の遅れは数ヶ月のところにまでなってきた と思われた。 (5)この症例の今後の課題 ・現在は、 「AD / HD」というよりは、 「自閉症スペクトラム」の状態で あり、今後も定期的な観察が必要であるということと、それを両親が 理解すること。 (途中で中断しやすいため。 ) ・また、時間的に、幼稚園を優先せざるを得ず、外来になかなか来れな くなること。 ・今迄の様に、子どもに関わる者が両親のみという状況でなく昼間、通 園している幼稚園(特殊な幼稚園でなく、 一般園)の教師も関わるため、 患児に対する認識が充分かどうかが、やや不安であること。 ・両親・医療機関・園との密接な連携が必要であるということ。 (理由)①来 年、年中クラスになるが、その際、教師(昼間の保育者) との接触度合いが、年少クラスと比べ少し密でなくなる可能 性があり、そこで再び、症状が再燃・悪化する可能性がある こと。 ②幼 稚園、両親を含めた周囲が「情緒不安定」と「発達障害」 をきちんと認識し、区別してもらえる環境かどうかで、患児 の予後が変わってしまうので、3 者が常に客観的な判断をし続 けなければならないこと。 (なぜなら、外見上異常がないため、 「発達障害」を理解していない周囲では、 「躾がなっていない」、 「愛情不足だ」と揶揄される場合があり、この場合、患児にも、 両親にも良い影響を及ぼさないからである。) ・不妊治療で出産した患児だが、再び同様の治療を施して、下に弟や妹 が出来た際にも、再び、症状が再燃・悪化する可能性があること。 − 100 − 実践報告・事例報告 ・言語発達が、このまま追いつかない場合もあり、両親が「我が子を障 害児である。 」ということを受容する困難さを周囲がきちんと理解する こと。 (治療開始時、両親は児の状態を受け入れていても、快方に向か うと、 「単なる言葉の遅れのみ」と思いたくなる傾向がある。) ・今後の患児の成長と共に、患児の状況と年齢に応じた対応が、両親や 周囲がきちんと取れるかどうか。そして、このような児を単に児童福 祉センターや子供発達センターのみで対応するのでなく、日本ではま だ少ないモンテッソーリ的手法を用いた小学校等の施設で受け入れて もらう等、小学校側の整備も合わせて必要と思われる。 (6)今回の症例から AD / HD 児にモンテッソーリ的アプローチが有効で あったことに関する考察 ①診察・治療体制に関して、重要な要因であったと思うこと ○診断にいたる迄の各種要因把握の為に、特に初診時には、問診をはじ め、行動観察をするため診察時間を十分に割いたこと。 ○再診時も、4 回までは初診時同様、十分な時間を割いたこと。 ○患児の行動をよく観察した上で、各再診毎に、マイルストーン(成長 の「一里塚」 、 「目安」 )に合わせて、 行動の目安を指導し、医師の立場で、 課題としてのお仕事の提供を行い、母親もそれを理解し極端な賞罰を 与えないで、忠実に行い続けたこと。 ○排除すべき要因を両親が素直に認め、直ちに改めるなど非常に協力的 であったこと。 ○日に日に患児の症状が改善し、それによって「医師―患児の両親」と の間に善良な信頼関係が成立し、所謂「好循環」が起こったこと。 ②今回のアプローチが、AD / HD の治療に有効であった状況・理由 ○自立促進が阻害されてきた患児では、静かな状況で、マニュファクチュ アリング的な「手」の動きを駆使することは、自己の成長・改善となり、 これは、AD / HD においても治療方法の一つになりえる。 ○特に、シナプスの数の増生期の 3 歳前後においては、モンテッソーリ 的なアプローチは、 「同一事象をその患児のペースで繰り返させるこ とになる」ので AD / HD の治療方針に合致している。 ○「日常生活の練習」の中に、 「静粛の練習」が入っており、ある程度の「日 − 101 − 常生活の練習」の習得の後、 「静粛の練習」を行うことは、 「動」と「静」 が見極められることにもなり、AD / HD 児においては、飛躍的に改 善を見込める可能性があると思われる。 (7)まとめ ①「日常生活の練習」をはじめとするモンテッソーリ的アプローチは、 シナプスの数の増生期である 3 歳前後の AD / HD 児においては、大 変有効な治療方法の一つになりえる。 ② A D / HD 児に関しての治療については、阻害要因の把握と状況の把 握の為に、充分な問診の上、初診と再診の数回までは長時間を割くべ きで、外来管理開始後 10 回程度は毎週管理を行うべきである。 ③阻害要因は完全に排除し、その上で、改善しなければならないことを きちんと改善させることが重要である。 ④医師として、各再診毎に、行動の達成状況を見極める為に「行動観察」 を細かく行い、子どもの自己選択性を確保しつつも、日常の生活の中 で行える労作内容のレベルを少しずつ上げ、課題としての「お仕事の 提供」をした上で、子ども自身が一人でこれらの労作を行うようにと、 両親に十分に理解・認識してもらうことが大切である。そして、「医 師―患児・家族」の優良な信頼関係構築の上で、「静粛の練習」を行 うことは、AD / HD 児においては「動」と「静」が見極められるこ とにつながり、飛躍的な改善を見込めると思われる。 − 102 − 実践報告・事例報告 話しことばから書きことばの獲得 ―生活、遊び、モンテッソーリ教具活動を通して― 野 原 由利子 (名古屋芸術大学) 森 下 京 子 (瑞穂子どもの家) 村 田 尚 子 (野並保育園) Ⅰ.研究の目的 乳幼児は、生活と遊びの中で、自然に話しことばを獲得していくように みえるが、その過程には、受容的な大人の存在や適切な働きかけが必要で ある。 書きことばの獲得には話しことばよりもさらに複雑な手立てが必要であ る。 例えば 1)視覚・運動統合能力、2)空間関係把握・統合能力、3)音 節分解力、4)音節抽出力、5)文字が拾い読みできる段階、6)実際には 書かない段階での文字学習、7)実際に書く段階での文字学習、8)ことば、 文、文章の意味を理解して読める段階、9)文法の基本の理解等である。 子どもたちの日常の生活と遊びの中では書きことばはどのように獲得さ れていくのか。 そして、①興味付け、②個々の生活場面や遊びの場面での理解の援け、 ③言語の法則の体系的な把握などにモンテッソーリ教具はどのように有効 に働くのか。 二つの、モンテッソーリ教育導入園の実践を通して深めてみたい。 Ⅱ.研究の内容 1.平成 20 年、 「学習指導要領」 「 、幼稚園教育要領」 の改訂、 「保育所保育指針」 の改正に伴う、 「言葉」とりわけ書きことばの習得に関する変更点につ いて (1)平成 20 年の「幼稚園教育要領」 、 「保育所保育指針」の書きことば − 103 − に関する記述 平成 10 年「幼稚園教育要領」 「環境」の領域の「ねらい」のところで 「 (3)身近な事象を見たり、考えたり、扱ったりする中で、物の性 質や数量、文字などに対する感覚を豊かにする。」とあり、 「内容」のところで、 「 (9)日常生活の中で簡単な標識や文字などに関心をもつ。」として いる。 そして、 「内容の取扱い」のところで、 「 (4)数量や文字などに関しては、日常生活の中で幼児自身の必要 感に基づく体験を大切にし、数量や文字などに関する興味や関心、 感覚が養われるようにすること。 」とされていた。 また、平成 10 年「幼稚園教育要領」 「言葉」の領域の「内容」のと ころで、 「 (10)日常生活の中で、 文字などで伝える楽しさを味わう。」とあり、 「内容の取扱い」のところで「 (3)幼児が日常生活の中で、文字な どを使いながら思ったことや考えたことを伝える喜びや楽しさを味 わい、文字に対する興味や関心をもつようにすること。」とされて いた。 平成 20 年「幼稚園教育要領」では上記の記述は全て全く変わって いない。 平成 20 年「保育所保育指針」も、告示となったため、年齢別の保 育内容に関する記述が簡潔化され、書きことばに関する記述は「幼 稚園教育要領」と同じ文言となっている。 (2) 「小学校学習指導要領」国語 第 1,2 学年の学習目標 平成 10 年の「小学校学習指導要領」 「国語」第 1,2 学年では、 「経験したことや想像したことなどについて、順序が分かるように、 語や文の続き方に注意して文や文章を書くことができるようにす る」ことが目標となっていた。 平成 20 年の「小学校学習指導要領」 「国語」第 1,2 学年では、 「経験したことや想像したことなどについて、順序を整理し、簡単 な構成を考えて文や文章を書く能力を身に付けさせるとともに、進 んで書こうとする態度を育てる」ことが目標となっている。 − 104 − 実践報告・事例報告 (3) 「幼稚園教育要領」 、 「保育所保育指針」における書きことばの習得 目標と「小学校学習指導要領」第 1,2 学年における学習目標との接 続について 幼児期から児童期へ、すべての子どもたちの学習活動の始期に向け て、十分な接続の手立てが用意されているといえるだろうか。 幼児期における「日常生活の中で文字などに対する興味や関心、感 覚を養う」から、1,2 年生における「順序を整理し、簡単な構成を 考えて文や文章を書く能力を身に付けさせる」への接続が十分配慮 されていないために、幼児期から小学校の文字指導を早く始めてし まう園、園での指導に不安をもち、幼児教室へ通わせる家庭、小学 校の学習の速度について行く事ができず、立ち歩き、勉強ぎらい、 はては不登校にまでなってしまう子どもたちも多いのが実態ではな いだろうか。 この幼小接続の課題を克服するために、今回は書きことばの獲得に 焦点を当て、生活と遊び、そして幼児期にふさわしい手と感覚を十 全に使い、操作しながら知性を拓いて行くことのできる教具活動を 通して、幼児期にどのような力をつけることができるのか、二つの 園における実践の検討を試みたい。 2.名古屋市天白区社会福祉法人立「野並保育園」の話しことばから書き ことば獲得への実践 (1) 「先生!“ぼうし”って書いてあるでしょ」 〈3 歳児クラス〉 保育室の環境の名称や所持品の片づけ方の流れなどを絵と文字で表示し てある。 新学期当初は「先生、どうするの?」 「先生、ここでいいの?」と、表 示を見て理解し進んで動くといった姿ではなかったが、新しい環境に慣れ ていくにつれ“自分から行動する”といった過程に変わっていった。 「先生!“ぼうし”って書いてあるでしょ」 「 “トイレ”って書いてある んでしょ」と保育者に伝えてきたK男は、保育室の環境の中から文字への 関心を示し、まだ書きことば・読みことばを獲得していないものの、絵と 文字を一致させながら得意そうな表情を見せていた。 「K君、すごーい!字が読めるんだね!」と保育者が伝えると「うん!」 − 105 − と言い満足そうなK男は、この日を機会にモンテッソーリ教具選択活動で は言語教具を選び取り組む中で、 「五十音の箱」では五十音の配列、 「絵カー ド」では文字と絵の一致に興味、関心を高めながら書きことばの獲得につ なげていった。 (2) 「あおいちゃんの“あ”と同じだね」 〈3 歳児クラス〉 初めて「五十音の箱」の提示を見て興味を示した子ども達は「あ・い・う・ え・お」 「ありのあ」 「いぬのい」 「同じだね!」と伝えてきた。 言語教具「絵カード・どうぶつ」に親しんでいた経験の中で「あり」 「いぬ」 の文字を形でとらえていた事で、よりスムーズに「五十音の箱」に関心を 深めていたように感じた。また、系統立てられた言語教具によって、他の 教具とのつながりが整理されることが子どもの姿から伝わってきた。その 後「あおいちゃんの“あ”と同じだね…」などと、文字を一文字・一音節 で捉え、友達の名前を読み出席カードをお友達に渡してあげたりなど、子 ども同士の関わりの姿も見られるようになった。 (3) 「お友達と仲よしになりたい」 〈4 歳児クラス〉 子ども同士の関わりを深め、友達とのやりとりが嬉しくて仕方がない子 ども達は、お家でかいた絵を友達にこっそり渡したりなど、「お友達と仲 よしになりたい」という思いが伝わってきた。 お手紙を渡すといった活動を通して文字への関心も芽生え、モンテッ ソーリ教具選択活動では、ひらがなの文字スタンプのお仕事で友達の名前 を押し、楽しむ姿が見られていった。 保育室の環境の中で、ロッカーや靴箱などの名前シールから、文字の形 を捉え獲得していく中で、文字スタンプを使っての文字の抽出へとつなげ ていった子ども達は「お友達と仲良くなりたい!」「お友達にあげたい!」 という思いが満たされていく活動となった。 文字の読み方がわからないと「まなちゃんの“ま”はどれ?」「これは どう読むの?」と保育者に尋ねたりしていたが、「ひらがなゴム印」のお 仕事を繰り返し取り組む中で五十音の配列を理解し、友達と文字探しを完 成していく喜びへと変わっていった。 友達と親しくなりたいという仲間意識が、言語教具を通して、文字の抽 出や単語の分析と組み立てに気付く活動へと導かれていったのではないか と感じている。徐々に絵を描いての手紙から文字への手紙になり、「先生 − 106 − 実践報告・事例報告 お手紙あげる」と保育者の絵と名前が書かれた内容や「先生、すき」と自 分の思いを表現するなど、書きことばの獲得によって、自己表現が豊かに なってきている子ども達の姿が見られた。 (4) 「メタルインセッツ大好き」 〈4 歳児クラス〉 4 歳児の子ども達に大変人気のあるメタルインセッツのお仕事を通して、 正しい姿勢・正しい鉛筆の持ち方に子ども自ら気付きはじめている。 手首のコントロールや指先の発達を獲得していく中で、筆圧も強くなり、 様々な図形を組み合わせて楽しむ姿が見られたりなど、「書く」間接準備 として位置づけられているメタルインセッツのお仕事は、子ども達にとっ て魅力ある活動である。 メタルインセッツの活動で獲得した手首のコントロールや指先の発達に より、線を自由に強く描ける様に成長していった子ども達。版画活動の下 絵描きの時には、細かな部分もしっかり表現してスチロール板に描き、す てきな作品の出来上がりとなった。 しっかり強く描かれた下絵が生かされていく中で、メタルインセッツ活 動の成果が版画活動につながり、子ども達の表情を豊かにしていったので はないかと感じた。 (5) 「夏野菜の収穫」 〈5 歳児クラス〉 新学期がスタートし、クラスのお友達と初めて行う共同作業として夏野 菜の苗植えを喜び、プランターごとに野菜の名前をひらがなで書いた札を 立て、日々成長を楽しみにし、お世話をしていた子ども達は、その様な活 動を通して文字への関心を深めていく姿が見られていた。 友達と協力し、野菜の収穫からクッキングへと展開していく中で、野菜 の名称のひらがな文字並べのお仕事が展開され、やがて「ピーマン」「ト マト」 「キュウリ」とカタカナの文字並べへと変わっていった。 夏野菜の世話をし、成長をお友達と喜び合う中で、生育の仕方や成長過 程を図鑑で調べたり記録に残したりなど、自主活動を重ねていく経験を通 して「ひらがな」 「カタカナ」に親しみを持ち、 「移動五十音の箱」のお仕 事から、実際に文字を書くお仕事を喜び、取り組んでいた。 (6) 「赤いカードやりたい!」 〈5 歳児クラス〉 友達と一緒に行う言語教具「赤いカード」のお仕事は、子ども達にとて も人気である。 「赤いカードやる人!」とお友達を誘い合い楽しむ姿が見 − 107 − られる中で、T君(5 歳児)は「先生も一緒にやって!」と保育者に伝え ていた。文字への関心がなく、4 歳児クラスでは言語教具のお仕事は「絵 カード」という段階にとどまり、まだ文字が読めないT君であった。友達 と一緒に「赤いカード」をやりたいという思いが感じられていく中で、 「文 字が読める様になりたい」 「書ける様になりたい」という文字への関心が 強く芽生えていった。 「先生、ふなはしの“ふ”ってどう書くの?」と保育者に尋ねながら言 語教具への興味を深めていったK君は、 「砂文字板」のお仕事を繰り返し 取り組む中で、自分の名前が書ける喜びを味わえる様になっていった。K 君の文字への興味につながるきっかけは「友達と楽しみたい」という要求 であったが、書きことば・読みことばへの関心が芽生えた時に環境の中に 準備されていた言語教具が生かされ、本児の力が発揮されていった。七夕 飾り活動では、保育者の見本を見ながらではあるが「たなばた」と短冊に 自分で書き、飾りつける姿はとても満足そうであった。 (7) 「 “ぞ”のつく物は?」 〈5 歳児クラス〉 「物と名前カード」のお仕事では、清音のみまたは、濁音が入る動物の 名称を、ミニチュアと名前カードを使い、清音・濁音の整理が出来た子ど も達は「ぞう」 「 “ぞ”のつく物は?」とお友達とことば集めをし、伝え合っ ていた。 「次にごりらの“ご”がつく物は?」と今まで蓄えたことばを思 い出しながら「ごはん」 「そうだよね」とお友達と認め合い、確認し合い ながら活動を楽しむ姿が見られていた。 その後「移動五十音の箱」を使って、身近な濁音の名称並べへと展開さ れていく中で「清音」 「濁音」 「半濁音」 「促音」 「拗音」「拗長音」などわ かりやすく整理された言語教具によって、自然な形でスムーズに子ども達 の中にことばの内容の認識、又特殊な音の読み方に子ども自ら気付きなが ら単語を読む楽しさが味わえる様になっていった。絵本や図鑑を見ながら 「先生、どう読むの?」と尋ねたりしていた子ども達であったが、読みこ とばの獲得によって大好きな『きたきつね』の絵本を読み終えるまでにな り、嬉しそうな表情を見せていた。 − 108 − 実践報告・事例報告 3.名古屋市瑞穂区「瑞穂子どもの家」の話しことばから書きことば獲得 への実践 学習しなければ文字は獲得できない、文字の獲得は子どもにどのような 変化をもたらすか、 この 2 点が「文字獲得の動機付け」を考える原点になっ た。 「話しことば」の獲得は、自分と周りとの関係を築く力を確かなものに する。 子どもを取り巻く環境(物的環境と人的環境)と子どもの心身の応答的 関係によりことばは獲得される。一対一の関係から、やがて三項関係を築 き、集団の中でのやり取りが可能になる。相手の立場になって考える観念 的二重化が可能になる。また同時に、いかに表現をしたら相手を納得させ られるか、どのように表現したら自分を受け入れてもらえるかなど、子ど もは相手との関係の中で、表現の方法を学んでいくと考えられる。 応答的環境であることにより、受け止め方、伝え方は身に付くが、テレ ビが相手であったり、少ない人間関係の中では、パターンが固定化し相手 に合わせた応答をすることが育ちにくい。 兄弟がない、あっても 2 〜 3 人では家庭の中に十分な環境を求めること が難しく、保育園や幼稚園、子どもの家などの保育機関にそのことが求め られることになる。 乳児期が人間形成の土台であり、そこでの人間的なかかわりが重要であ ることは周知の事実である。ここでは、3 歳以降の子どもの言語活動、① 文字の獲得における動機づけについての考察、②その後に展開する活動内 容について報告する。 ①文字の獲得における動機づけについて 〔子どもの観察〕 2 歳代~ 大人のすることを真似したがり、鉛筆やボールペンを持って書きた がる。 手、指の運動能力は個人差が大きく、箸を巧みに使って、つまむこ とができる子どもは、鉛筆もしっかり持ち、指に力を入れて、線描き ができる。絵とも文字ともつかない線や点を書く。 「日常生活の練習」 − 109 − がもっとも適している時期ではあるが、模倣期でもあるため、すでに 大人と同じようにしたいと思い、筆記用具にも大変興味を示し、使い たがる。その中で筆記用具にも慣れ、 自由に線や点を書けるようになっ ていく。 3 歳代~ 指や手の動きは洗練され、細かい動きが獲得できる準備が整う。動 き方、方向などが理解できる。形を模倣する、再現するなどの、理解 力を必要とする活動が可能になってくる。 自由に描くことから、決まった形の線を書くということへ意志を働 かせるようになり、繰り返す中で、形を再現できるような手指の運動 の洗練がなされてくる。 特に、 「幾何タンス」の活動の、形をなぞって枠に合わせる活動では、 形の認識と形を再現するための動きの獲得となっている。カードの線 と図形板の一致には、微妙な差を見分ける力が必要である。これは文 字を書くための繊細な注意力をも養っているのである。つまり、線の 角度や長さ、線で囲まれた形の大きさなどの見分けは、字形の認識の 土台となっている。 面から形を捉えていた子どもが、線だけでも正確に形を捉えられる ようになるころには、字形を認識し、再現する準備ができてきたといっ てもよい。しかし、たくさんある「ひらがな」から、どの文字を提示 していくのか、 「瑞穂子どもの家」では、子どもの意思を尊重した結果、 名前にある文字から提示していくことになった。 〔文字を身につけるための動機〕 3 歳になると縦割り全日クラス(年少枠)へ移行できる。同じ 3 歳でも、 体力、気力など考慮するので、3 歳 0 ヶ月の場合もあれば、3 歳 6 ヶ月の 場合もある。 この移行が、文字を子どもに伝える大切な提示の時期になる。 20 数名のクラスに入るので、靴箱、荷物かけ、個人引き出し、出席帳 どれも名前が必要になってくる。覚え切れる量を超えたところで、媒介物 が必要となってくる。この中で一番に記名を必要とするのは「出席帳」で ある。どれも同じで、場所もいろいろなところに移されるので、靴箱や、 荷物掛け、引き出しのように場所で覚えておくわけには行かない。そして、 − 110 − 実践報告・事例報告 名前のない状態から、名前を書き、 「これで、今から、この出席帳は、○ ○○さんの出席帳になります。このように名前を書いておくと、誰のもの かすぐわかります。 」1 〜 2 冊他の子どもの出席帳を見せ、名前の部分が 違うことを知らせる。 こうして、自分のものと他の人の物を区別する。作品に名前を書いて、 自分が作ったということを明らかにする。コーヒー豆をひく順番は、立っ て並ぶ代わりに名前を書いて順番を明らかにする。年少児ではまだ名前を 書けない子も多いが、年中児、年長児に代わりに書いてもらったり、ゴム 印で書く。当たり前のように、自分のものに名前を書き、また名前の書い てないものは誰のものかはっきりしないということを共通の理解にしてい く。自分だけは「分かる」と言い張る段階から、子どもたちの存在そのも のが、社会化のために「名前を書く」ことを必要とするようになっていく と考えられる。文字の獲得が社会化のスキルとして有効に働き、そこで各々 の存在を共に認め合っていく。文字導入の有効な提示ではないかと考えて いる。 ②その後に展開する活動内容 こうして、自分の名前を書けるようになると、お友達の名前、ものの名前、 知らないものの名前を知りたい、書いて覚えておきたいと、文字活動が非 常にスムーズに展開していく。 もちろん、字形の正しい獲得のために「砂文字板」や「移動五十音の箱」 を使った活動はその後に展開する。 線の完成度を要求する時期の子どもは、 「メタルインセッツ」で細かい 線をびっしりと書いていく。型どりで、描かれたシャープな線は魅力的で あり、そこにフリーハンドで書き込むことでより美しい造形があらわれる。 型の合成で描き出される美しい線も同様に、造形的な達成感を味わうのだ ろうと考えられる。 「移動五十音の箱」 、 「ゴム印」は、まだすべての文字が書けない子ども に有効であるとともに、ひらがな表記に続いて、カタカナ表記を自動的に 身に付けるのに有効である。ひらがなとカタカナの「移動五十音の箱」、 「ゴ ム印の箱」を 2 段にならべておけばよいのである。ひらがなを並べ、同じ 場所を、カタカナの箱から探せば自動的に、カタカナで表記できるのであ − 111 − る。文字印は、単語に並べてから、押すことが大切である。音だけを頼り に探すので、単語として並べて、音に出して確認することが必要である。 誤りの訂正がここでできることになる。 一音一文字の原則を了解してやってきても、それに当てはまらない表記 がある。名前などではそのまま覚えてしまうが、それら特殊な例を、清音・ 濁音・半濁音の紹介、特殊音節の紹介として提示する。その際、身の回り のことばから探すことも必要で、ミニチュアをおいて、書かれた文字を発 音し、意味の取れる読み方をして、物とカードを一致させていく。ミニチュ アと名前カードがあれば個人活動が自由にできる。 文字を使った活動ができるようになると、本を読むこと、図鑑を使うこ とができるようになる。知識欲旺盛な何でも知りたい時期の子どもに、た くさんの名称を獲得させることができる。もちろん概念形成をする時期で あるので、本物を経験を通して知ることが重要である。一定量以上の語彙 が身につくと、物事の理解が進み、表現の自由が拡張できる。 「劇あそび」ではストーリーの理解、あらすじを理解することからはじ める。大切なところ、見ている人にわかってほしいところをみんなで出し 合い、ストーリーと台詞を決める。台詞をどのように言うかが次なる課題 であるが、決まり文句をそのまま言うことからはじめ、役になること、つ まり役を理解し、自分の感情をこめた表現ができるところまで行くまでに、 全員の台詞を全員でやり取りする。すると、自分の台詞を、相手がどのよ うに受け応えるかがわかり、受け応えで劇が成り立っていることがわかる。 劇の中でも、感情のやり取りで台詞がうまく言えるようになる。演じる ことで、もう一人の自分を体験し、自分以外の人の感情や、存在を意識で きるようになるのではないかと考えている。子どもたちにとって、人間の 役は大変難しく、動物などの、キャラクターがデフォルメされた役のほう が、役作り、イメージが作りやすいようである。そのため衣装は何度も着 て練習できるものとして作り、役作りの一助をなすようにする。瑞穂子ど もの家では、1 年に一回、大きな劇を上演している。どの年も、いつも読 んでいる絵本が土台になっており、その年の子どもの興味・関心にあわせ て内容・テーマを決めている。 劇作りで発揮されるのは、読む力、理解力、表現力、記憶力などの総合 的な能力と、集団の中で発揮される協調性、調整力である。一つのことを − 112 − 実践報告・事例報告 全員の協力の下に作り上げる楽しさ、ダイナミックさは、子どもたちに全 体としての調和と共感を感じさせ、達成感を味わわせることのできる機会 となるのではないだろうか。文字の獲得は個人的な能力であるが、発揮さ れるのは、常に社会的な役割を担ったときといえるのではないだろうか。 「瑞穂子どもの家」は集団も小さく、何もかもがすぐ分かりきってしま う環境である。だからこそ、初めての経験や、紹介を大切にしてその経験 がいつでも、どこでも、子どもの家とは異なる場面でも通用するよう、引 き出され、役立つように心掛けていこうと思う。学び方を学んでいける環 境を整えたいと思っている。 4.実践の考察 以上の二園の実践を分析してみると、次のような場合に分類することが できる。 ①生活の中で文字・書きことばへの関心を育てる場合として 野並保育園の実践(1)保育室の環境の名称、所持品の絵と文字 野並保育園の実践(5)夏野菜の収穫と名札づくり 瑞穂子どもの家の実践 自分の名前から:靴箱、荷物掛け、引き出し、 出席帳、作品、コーヒー豆を引く順番、3 歳 児はゴム印から などが例示できる。 ②遊びの中で文字・書きことばへの関心を育てる場合として 野並保育園の実践(3)お手紙ごっこ 瑞穂子どもの家の実践 劇 遊び(あらすじの理解、役と台詞の理解、 他人の気持ちや存在の理解、読む力・理解力・ 表現力・記憶力・協調性・調整力・調和と共 感の達成感、社会的役割の自覚) などが例示できる。 ③生活の中で教具が有効に役割を果たす場合として 野並保育園の実践(5)夏野菜の収穫から 「ひらがな」 「 、カタカナ」 「 、五十 音の箱」へ 瑞穂子どもの家の実践 「砂文字板」 、 「五十音の箱」 などが例示できる。 − 113 − ④遊びの中で教具が有効に役割を果たす場合として 野並保育園の実践(4) 「メタルインセッツ」の活動 野並保育園の実践(6) 「赤いカード遊び」をやれるようになりたい一 心で文字への関心を持ち始めた例 野並保育園の実践(7) 「ことば集めあそび」から「移動五十音の箱」へ 瑞穂子どもの家の実践 「幾何タンス」の形をなぞる活動 瑞穂子どもの家の実践 「メタルインセッツ」の活動 瑞穂子どもの家の実践 「ミニチュアと名前カードの一致」 などが例示できる。 ⑤「体系的な教具」の使用が文字・書きことばの理解を援ける場合として 野並保育園の実践(2) 「五十音の箱」の活用 野並保育園の実践(7) 「清音」 、 「濁音」 、 「半濁音」 、 「促音」 、 「拗音」 、 「拗長音」の絵カードを活用した理解から絵本 を読める力へ 瑞穂子どもの家の実践 砂文字板による字形の正しい獲得、 「ゴム印」、 「移動五十音の箱」による文字の使用方法の 獲得、ひらがなの箱の下にカタカナの箱を二 段に連ねて置くことでのカタカナの容易な習得。 などが例示できる。 5.野並保育園の「体験の中で獲得する話しことばから書きことばとモン テッソーリ言語教具の活用に関する年間カリキュラム」 野並保育園では 4 月から 3 月まで、①季節の中で体験する生活と遊び、 ②生活と遊びを通して獲得されていく言語活動、③モンテッソーリ教具を 活用した言語教育の相互を見通しながら実践していけるようなカリキュラ ム化を試みている。 (研究発表の場では配布したが、今回は紙数に限界があるため表示でき ない。必要な方は園の方へ請求いただきたい。 ) 6.瑞穂子どもの家の「日常生活と関連した教具活動に関する年間カリキュ ラム」 瑞穂子どもの家では一人ひとりの子どもに生活記録をつけている。その − 114 − 実践報告・事例報告 際の発達状態を把握するための参考資料として、一応の年間カリキュラム を作成している。 (研究発表の場では配布したが、今回は紙数に限界があるため表示でき ない。必要な方は園の方へ請求いただきたい。 ) Ⅲ.研究のまとめ J. ピアジェが、モンテッソーリからも学んで、 「象徴的思考段階」と「形 式的操作思考段階」の間に、 「具体的操作思考段階」を位置づけたように、 モンテッソーリが子どもの観察により発見した手と感覚を駆使して操作す る教具の活用は、二つの園の実践を通じても、幼児期から児童期にかけて 書きことばを獲得していく際にも大きな効果をもたらすことができること がわかる。 生活と遊びの中で書きことばに関する興味・関心を育てることの意義は、 子ども自身の興味・関心に基づく活動のため、身につきやすい、というこ とだ。留意点としては、①家庭や園の生活の質や偶然性に左右されるため、 個人差が生じやすい、②一過性で繰り返し体験することが出来にくいこと が多い。 モンテッソーリ教具の活用の意義としては、①子どもの環境の中に、興 味・関心を持てる活動の一つとして用意することができる、②個々の子ど もの興味・関心にそいながら、計画的に多くの子どもたちに力をつけるこ とができる、③繰り返し練習することができ定着しやすい。④必要に応じ 体系的な理解を援助できる、などが挙げられる。 モンテッソーリ教具など半具体物・半抽象物である教具が、具体と抽象 を繋ぐ橋渡しを行うものとして、日本でも保育・教育の場にもっと活用さ れるべきであると考える。 − 115 − 教 育 エ ッ セ イ モンテッソーリ教育 40 年を顧みて(1) クラウス・ルーメル, S.J. (日本モンテッソーリ協会名誉会長) 1.序文 日本モンテッソーリ協会の編集委員会から「モンテッソーリ教育 40 年 を顧みて」という題目で 400 字詰 40 枚の原稿を書いて下さいとの依頼が あったときに迷いました。92 歳の超高齢者に対する無理な注文ではない かという感じでしたが、小生も本編集委員会のメンバーなので、責任を果 たさなければと思いました。一方でやはり、日本イエズス会の中で最高 高齢者になってしまい、健康管理の厳しいロヨラハウスから、2008 年夏、 仙台まで新幹線に乗って出かけることは許可が出ませんでした。それで仙 台白百合学園で開かれた第 41 回モンテッソーリ大会中に開催された全国 理事会や全国編集委員会等に欠席でした。やはりそのような状況に鑑みて 考えると、 編集委員会から小生に 40 枚の原稿依頼がきたことは、何だか「欠 席裁判」のようではありませんか。 でも、原稿執筆依頼書をよく読みなおすと、 「論文 / 教育エッセイ?」 とありました。論文とエッセイは全く異なります。論文ならば、絶対に間 違いのないデータとその根拠になる資料に基づき論旨を展開しなければな りません。しかしエッセイならば、1960 年代前半から小生がモンテッソー (1) リ教育に関わりを持ち始め、 収集した諸資料のデータとまだ消えていな い小生の記憶に頼って執筆できるように思いました。そうすることによっ て数少ない当時からの生存者から、確実な歴史的事実を見出せる、一つの 機会になると思います。そのような意味で執筆しますので、読者の中で異 なった意見等があったら知らせて頂ければ幸いです。それによってこの「教 育エッセイ」の価値をメタ理論でより普遍的・科学的に高めたいと思いま す。 また、このエッセイは「グローバル」なモンテッソーリ教育についてで はなくて、第 40 回全国大会のテーマにもなっている「『子どもの家』開設 100 周年―モンテッソーリ教育の継承と創造」の上に立ち、それから第 41 − 116 − 教育エッセイ (モンテッソーリの研究発表について「カトリック教育」 1962 年 8 月 1 日付) − 117 − 回全国大会のテーマ「よりよいモンテッソーリ教育を!」があって、私た ちの未来に向けて「よりよいモンテッソーリ教育」を探求するというので しょうから、 「モンテッソーリ教育 40 年を顧みて」という本題目は、この 日本におけるという意味だと解釈します。とは言え、40 年前の日本のモ ンテッソーリ教育は、本当に「輸入品」だったので、海外のモンテッソー リ教育も、ここで全く無視する訳にはいかず、その関連から述べなければ ならないでしょう。 2. 「日本モンテッソーリ協会」の誕生 しかしながらまた、 「40 年」というのは、多分、「日本モンテッソーリ 協会」が 1968 年、今から 40 年前に設立されたからだと思います。確か に、小生の手元にある資料によれば、 「1968 年の 7 月 21,22 日に東京の 上智大学」を会場にして「第 1 回 日本モンテッソーリ協会総会並びに講 習会」が開かれました。その第一日目、 「7 月 21 日、午後 3:30 - 4:30」(2) に設立総会が開催されたのです。そこで「日本モンテッソーリ協会」 (Japan Association Montessori; JAM)が承認されました。そう、日本モンテッソー リ協会が誕生したのです。場所は上智大学です。しかしそこに至るまでに 何があったか。その後、どのような動きがあったか。1968 年のその時に どういう人たちが、どういう訳で、また何のために集まっていたかについ て自分の今まで収集してきた資料ファイルから調べてみました。 そうしたらまず興味深い事実を発見しました。第 1 日目に、当時の上智 大学教授で大学理事長だった、また幼児期にモンテッソーリ教育を受けた ジョセフ・ピタウ(Giuseppe Pittau;現在;大司教)師が開会の挨拶をな さっていることです。さらに興味深いことに、ローマの「子どもの家」開 設 100 周年の記念すべき一昨年の大会、つまり日本モンテッソーリ協会第 40 回大会という大きな節目にあたる全国大会(会場;駒沢女子短期大学 実行委員長;天野珠子氏)において、 このピタウ師が第 1 日目の基礎講演「マ リア・モンテッソーリ(Maria Montessori)の教育改革」を行っているこ とです。これは誰も気づかなかった、不思議なめぐり合わせのような気が しました。たぶん講演者自身も、主催者側も、誰も気づいておられないこ とでしょう。 さて、この 1968 年の「日本モンテッソーリ協会」の誕生となった、第 1 − 118 − 教育エッセイ (3) 回モンテッソーリ全国大会のプログラムは以下の通りでした。 すなわち、 「昭和 43 年度 第 1 回 日本モンテッソーリ協会総会並びに講習会」 日本モンテッソーリ協会は、昨年秋以来、同志発起人会の努力によって 結成の運びがつづけられていたが、本年 4 月 1 日を期して発足し、ここに 第 1 回総会を兼ねて講習会を開催することになった。 幼児教育の研究が盛んであるにもかかわらず、なお模索の域をでていな い現時において、正しい生命観にもとづくモンテッソーリ女史の教育法こ そ、世界に真の光を与えるものと信じられる。 同好有志の多数の入会と聴講を願ってやまない。 要 項 1.期日 7 月 21 日(日) 、22 日(月) 2.会場 上智大学 3.日程 第 1 日 7 月 21 日(日) 司会 平野智美(上智大学教授) 午前の部 9:00 受付開始 9:30 挨拶 ジョセフ・ピタウ師(上智大学教授、大学理事長) 10:00 講演「モンテッソーリの科学的教育とは何か」鼓常良氏 (京都市右京区桂、児童教育研究所長) 11:00 講演「モンテッソーリの業績について」神藤克彦氏 (上智大学教授) 午後の部 1:30 モンテッソーリ教育法実践指導 鼓常良氏 小谷善一氏(愛知県立大学教授) 伊藤敏郎氏(岐阜県福岡町田瀬幼稚園長) 赤羽恵子氏(上智大学付属保育所主任) 松本尚子氏 3:30 日本モンテッソーリ協会総会 1.経過報告 − 119 − 2.会則承認 3.役員選挙 4.会長挨拶 5.其他 第 2 日 7 月 22 日(月) 司会 平野智美(上智大学教授) 午前の部 9:00 受付開始 9:30 講演「新教育運動におけるモンテッソーリ」 クラウス・ルーメル師(上智大学教授) 10:45 講演「子供における自由の問題」 霜山徳爾氏(上智大学教授) 午後の部 1:30 モンテッソーリ教育法実践指導 小谷善一氏 伊藤敏郎氏 赤羽恵子氏 松本尚子氏 4:00 有志懇親会 於・上智会館第 1 会議室 1968 年設立当初の「日本モンテッソーリ協会」の事務局は、東京都足 立区梅田 7―20 上智大学付属保育所「うめだ子供の家」に置かれました。 というのも、保育所「うめだ子供の家」はその頃に上智大学で設立された ばかりの文学部社会福祉学科の付属施設だったからです。「うめだ子供の 家」はその後 1971 年 12 月 17 日に新しく認可された「社会福祉法人から しだね」の下に移行しました。理事長は現在、カトリック教会白柳誠一枢 機卿です。 2.1.日本モンテッソーリ協会の前史―上智大学教員内の動向―種々の名称 「日本モンテッソーリ協会」の設立総会が東京四谷の上智大学で開催さ れたのは、東京が日本の首府であるためばかりでなく、 「日本モンテッソー リ協会」の設立にあたって、一番努力したのが上智大学教授のペトロ・ハ − 120 − 教育エッセイ イドリッヒ(Petro Heidrich)師と、その周辺の人たち、すなわち上智大 学の教員であったことは大きな要因だったと思います。 「日本モンテッソーリ協会」設立の前史について述べると、1967 年、上 智大学文学部教育学科の教員たちは「モンテッソーリ教育研究会」をつくっ て、教育のうち、特にマリア・モンテッソーリの幼児教育に関する研究会 を開いて研究を積んでおりました。モンテッソーリ教育の研究会の事務局 は教育学研究室でした。 しかしながらエピソードになりますが、上智大学の教育学科教員によっ て構成された、この「モンテッソーリ教育研究会」は、最初から「モン テッソーリ教育研究会」という名前には統一されていませんでした。教育 学教員関係者の間で色々な意見があったのです。ペトロ・ハイドリッヒ 師と神藤克彦氏ははっきりと最初からモンテッソーリの名前を研究会につ けることを主張しました。しかし平井久氏は教育という広い教育概念の中 にモンテッソーリ教育をも含めれば良いというように考えていました。そ れで、「日本モンテッソーリ協会」設立の前史としての色々な動向のなか では最初の頃、 「上智大学幼児教育研究会」とか、「児童発達研究所」など を付けたり、そこに( )を付け、その中に(旧称モンテッソーリ研 究会)等を付けるというように種々な書類、お知らせ、ご案内が出回りま した。因みに、 「児童発達研究所」の 1967 年 10 月 27 日の会議の出席者 は菊野正隆氏、神藤克彦氏、ペトロ・ハイドリッヒ師、クラウス・ルーメ ル師、平井久氏、平野智美氏、山下栄一氏、赤羽恵子氏でした。又、こ の会議は例えば 1967 年 6 月 2 日、7 月 7 日、9 月 29 日にも開催されま した。その他、アムステルダムの国際モンテッソーリ協会(Association Montessori Internationale; AMI)の事務局長で、マリア・モンテッソーリ のご子息マリオ(Mario Montessori, sen.)氏がペトロ・ハイドリッヒ師に 宛てた 1967 年 7 月 18 日や、 1967 年 11 月 28 日付け手紙の中には「Research Institute Montessori;モンテッソーリ研究所」という研究所の名称も記載 されています。 − 121 − (1967 年 7 月 18 日付 マリオ・モンテッソーリ氏から ぺトロ・ハイドリッヒ師宛の手紙) − 122 − 教育エッセイ 2.2.1967 年 7 月 31 日~ 8 月 4 日の研究大会 「幼児教育研究会」の名称が使われた当時の活動として、1967 年夏(「日 本モンテッソーリ協会」設立 1 年前) 、いまの日本モンテッソーリ全国大 会の前表のような全国レベルでのモンテッソーリ研究大会が開催されてい ます。(4)つまり、 「上智大学幼児教育研究会」主催による全国レベルの研 究会です。これは今はもう懐かしい手書きのガリ版ずりのご案内であって、 「昭和 42 年度 幼児教育研究会のご案内」が小生の資料の中にありまし た。それによると、 「モンテッソーリ教育法を主軸とした幼児教育研究会は、 昨年の夏はじめて、上智大学付属『うめだ子供の家』で行われましたが、 同様の研究会を希望される保育者諸姉の熱意に応えて、今夏に下記要項に したがい研究会を開催することになりました。皆様のご参加を期待してお ります。 」と書かれています。要項については、以下の通りです。 期 日 昭和 42 年 7 月 31 日(月)から 8 月 4 日(金)まで 時 間 午前 9 時から午後 3 時半まで 場 所 東京都足立区梅田町 7 の 20 上智大学付属「うめだ子供の家」 会 費 金 2 千円(ただし学生は半額) 申込期日 7 月 15 日まで 申 込 先 東京都足立区梅田町 7 の 20 上智大学付属「うめだ子供の家」内「幼児教育研究会」係 申込は添付の「申込書」に記載し、会費(現金書留便)にて同 封すること。 講 師 ☆クラウス・ルーメル師(東京・上智大学教授) ☆中 脩三氏(前大阪市立大学教授 大阪 三国丘病院長) ☆神藤克彦氏(東京・上智大学教授) ☆赤羽恵子氏(国際モンテッソーリ研究会々員「うめだ子供の 家」主任) ☆松本尚子氏(国際モンテッソーリ研究会々員) スキャンしたこの「ご案内」は次の通りです。 − 123 − (手書きのガリ版刷りの資料データ「昭和 42 年度 幼児教育研究会ご案内」) − 124 − 教育エッセイ このようなモンテッソーリ教育に関する動きの中で次第に平井久氏もペ トロ・ハイドリッヒ師たちの見解に賛同し、上智大学文学部教育学科の「幼 児教育研究会」は「モンテッソーリ教育研究会」へと名称が固定化し、結局、 モンテッソーリの名前を前面に出すようになった経緯があります。名称付 けにも試行錯誤があったのです。 しかし上智大学の、この「モンテッソーリ教育研究会」が大学当局の組 織体や、大学の理事会や教授会の中でどのような位置付けであったのかは 定かでありません。しかしながらはっきりしていることは、この研究会が 上智大学の教員だけの研究会というような、閉鎖的なグループ活動ではな く、開かれた、開放的な活動を行っていたことです。例えば、1967 年 11 月 23 日付の 12 月 1 日の研究会開催のお知らせの中では、以下のように記 されています。すなわち、 「…会議を…開催いたしますから御出席下さい。なおこの会には、去 る 11 月 23 日、 私どもが行って話し合いをしてきました京都のモンテッ ソーリ専門翻訳家鼓常良氏のことをご報告申し上げますと共に鼓氏の 共同者である小谷善一氏(愛知県立大教授、付属幼稚園長)及び伊藤 保朗氏(岐阜県福岡町立田瀬保育園長)の二人にも出来れば出席して もらいたき旨案内してありますのでお含みの上、是非御参会下さいま すようにお願い申し上げます。…」(5) というように愛知県からと岐阜県からの、また上智大学教員以外のモン テッソーリ教育に興味をもつ人たちが研究会に参加しているのです。因み に、このモンテッソーリの研究会開催の会議の案件は会則の再修正案が議 題になっていました。又、開催日時は 1967 年 12 月 1 日(金)で、午後 3 時~ 4 時 30 分に開催され、場所は上智会館の第 2 会議室でした。本会議 召集者は上智大学教授の神藤克彦氏の名前が記されています。なお本資料 はブルーコピーです。 2.3. 「日本モンテッソーリ協会設立趣旨書」 既述の 1967 年 7 月 31 日 (月) から 8 月 4 日 (金)まで開催されたモンテッ ソーリの全国レベル大会は直ちに、全国組織の「日本モンテッソーリ協会」 − 125 − 設立の「設置母体」になったようです。つまり、1967 年 8 月 4 日「日本 モンテッソーリ協会の設立準備会」を発足させています。 この 1967 年 8 月 4 日付の、日本モンテッソーリ協会設立準備会立ち上 げへの協力を訴える「日本モンテッソーリ協会設立趣旨書」によれば、 「幼 児の世界、幼児の教育について、今日ほど関心がよせられている時はあり ません。けれどもいかに教育していくかということになると、幼児に関す るおびただしい書物の発行にもかかわらず、 種々困難にぶつかっている」(6) のです。設立準備会を発足させた人たちはモンテッソーリ教育の研究成果 も披露しながら、さらに「子どもには自分を教育する力があるという発見 と、それの可能性を実証して、現代の教育界に新しい光を与えているのが モンテッソーリ女史の思想と、その遺した業績の意味に外なりません。 私たちは、この、真に子供の自然と本質に根ざした教育法を深く研究し、 自己自身の法則にしたがって力強く発達していく子供たちを育てることに よって、次の時代に明るい希望とつなぐことができると信じております。 」(7) と「日本モンテッソーリ協会」設立への趣旨を記しています。 なお、発起人としては、鼓常良氏(京都) 、クラウス・ルーメル師(東京)、 神藤克彦氏(東京) 、菊野正隆氏(東京) 、伊藤保郎氏(岐阜)、塚本伊和 男氏(東京) 、マルコム・マックファーデン師(奈良)、松本尚子氏(東京)、 平塚益徳氏(東京) 、 ペトロ・ハイドリッヒ師(東京)、中沢儀三朗氏(山形)、 小谷善一氏(愛知) 、 鷹觜達衛師(青森) 、 萬代彰子氏(大阪)、赤羽恵子氏(東 京)の名前が連なっており、浅井陽子氏(東京) 、野辺地きみ子氏(東京)、 南郷治代氏(東京)が事務・会計係です。(8) なおこの 1967 年8月 4 日の本趣旨書によって、「日本モンテッソーリ協 会」の会則のたたき台の案も作られ、その後案修正の審議が重ねられて、 本格的には 1968 年 1 月 31 日や 1968 年 2 月 23 日に会議が開かれています。 中心になってその連絡係のようにして活躍されたのは神藤克彦氏(上智大 学教育学研究室) です。そして 1968 年7月 21 日に開催された「日本モンテッ ソーリ協会」設立総会の審議・決定に従って、 「会則」が定められました。 しかしながら 1967 年 8 月 4 日の本趣意書に署名した方々が、その後の「日 本モンテッソーリ協会」の理事になりました。1968 年に設立された「日 本モンテッソーリ協会」の役員構成は以下の通りでした。 − 126 − 教育エッセイ 会 長 鼓常良氏 理事長 神藤克彦氏 副会長 小谷善一氏 理 事(◎印は常任理事)◎赤羽恵子氏、◎ペトロ・ハイドリッヒ師、 平野智美氏、◎伊藤保郎氏、菊野正隆氏、クラウス・ルーメル師、マル コーム・マックファーデン師、◎松本尚子氏、◎宮下郁司氏、萬代彰子氏、 中沢儀三朗氏、尾形利雄氏、◎坂本堯師、鷹觜達衛師、竹村一氏 監 事 川村浩一氏、長谷川きぬ子氏 また、会則はその後も絶えず時代の推移と共に変更が重ねられました。 その時の最初の会則によれば、第 1 条(名称)で、本会は日本モンテッソー リ協会と称する。第 2 条(事務局)で、本会の事務局は、東京都足立区梅 田 7 の 20 上智大学付属保育所「うめだ子供の家」におく。第 3 条(目的) で、本会は日本におけるモンテッソーリ教育研究者間の連携協同により、 モンテッソーリ教育の原理と実践を研究し、その普及を図る事を目的とす る。そしてこの目的を実現するため、即ち第 4 条(事業)で本会は、前条 の目的達成のために次の事業を行う。つまり、 (1)モンテッソーリ教育研 究会(会則は別に定める)の設立。 (2)モンテッソーリ教育法の実践なら びに普及。 (3)モンテッソーリ教育法の指導者の養成。(4)モンテッソー リ教育教材の研究製作ならびに普及。 (5)講演会、研修会および研究発表 会の開催。 (6)モンテッソーリ教育に関する印刷物の発行。(7)海外諸国 のモンテッソーリ協会との交流ならびに情報の交換。(8)その他、本会の 目的達成のために必要な事項。第 5 条(会員)で、本会の会員は、本会の 趣旨に賛同して所定の入会手続きをへたものとし、会員には本会発行の出 版物が配布される。第 6 条(機関)で、本会に次の機関をおく。(1)総会 (2)理事会 (3)運営委員会について、例えば総会は本会の最高の議決 機関であって全会員をもって構成するというようにそれぞれが第 7 条、第 8 条、第 9 条、10 条できめ細かい規定を設けています。さらに役員に関す る内容も第 11 条(役員) 、第 12 条(役員の職務)、第 13 条(役員の選出)、 第 14 条(役員の任期)について規定があります。事務局に関しては第 15 条(事務局)で、 会計関連については第 16 条(会計年度)、第 17 条(経費)、 第 18 条(施行期日)となっています。なお、 「日本モンテッソーリ協会」 − 127 − 設立当時、会長職とは別に理事長職が置かれていましたが、いつの間にか 同一人物が会長と理事長を兼ねるようになっています。(9)因みに一番新し い「日本モンテッソーリ協会」の会則は、 「日本モンテッソーリ協会」の 機関誌『モンテッソーリ教育』の第 41 号(191 頁)にも掲載されています。 協会設立当初と最も新しい会則とを比較するのも興味があり、さらに色々 と時代の推移を感じさせるものがあるでしょう。 なお、 「日本モンテッソーリ協会」設立に際して東京とは別に、ペトロ・ ハイドリッヒ師以外のもう一人の「中心人物」がおられたことを忘れては なりません。それは京都の鼓常良氏です。ペトロ・ハイドリッヒ師は既に 1965 年に東京の足立区で、日本におけるモンテッソーリ教育が実践でき るように、ドイツのケルンなどドイツ・カトリック教会からの寄付金で保 育所を新築しました。それが東京都足立区の「うめだ子供の家」です。鼓 常良氏はモンテッソーリ教育の実践を行えるように彼の関係していた京都 の桂月見ヶ丘「子どもの家」の一クラスをそのちょっと前に改造工事をし ています。鼓常良氏は日本でモンテッソーリ教育運動を広げるため重要な モンテッソーリ自身が執筆した 3 大文献(10)を翻訳しておられますが、「日 本モンテッソーリ協会」設立年の 1968 年以前に既に、そのうちの一冊『子 供の秘密』を日本教文社から 1957 年に出版しています。その新装改訂版 は『幼児の秘密』として国土社から、 「日本モンテッソーリ協会」設立直後、 1968 年 7 月 25 日に初版が刊行されました。 3.マリア・モンテッソーリ生誕 100 年祭(1970 年 京都) 既述の通り「日本モンテッソーリ協会」が誕生(1968 年)したときに 定められた会則によると、 「日本モンテッソーリ協会」の主要な目的はモ ンテッソーリ教育の理論と実践の研究とその普及がありました。そのため の大変良い機会が間もなく現れました。マリア・モンテッソーリが生まれ て 100 年目の記念、すなわち、 「マリア・モンテッソーリ生誕 100 年祭」 です。 この機会を鼓常良会長はモンテッソーリ教育の理論と実践の研修や普及 の目的のために利用することを考えられたようです。そして立派に、日本 の教育界でモンテッソーリ教育が際立つため、この機会を使うことを考え られたようです。それで京都の鼓常良会長は、日本の国際会議施設の中で、 − 128 − 教育エッセイ ニューヨークの国連ビルやジュネーブのパレ・デ・ナシオンと肩を並べら れる世界有数の世界的会場、国立京都国際会館に決められました。会場に ついては必ずしも、すべての理事たちの意見が統一されていたようではあ りませんでした。例えばペトロ・ハイドリッヒ理事の鼓常良会長に宛てた 手紙によると、費用がかかり過ぎるし、空席が沢山できる可能性があるの で、国立京都国際会館よりも安くて、小さく、地味な会場を勧めているよ うでした。しかし結果として鼓常良会長の希望通りに、京都国際会館で開 催されることになりました。 大会中、日本モンテッソーリ協会の第3回理事会と総会が開かれてい ますが、詳しい報告は大会実行委員長の宮下郁司氏が「生誕 100 年記念・ 第 3 回講習会に参画して」として『モンテッソーリ教育』第 3 号(11)で発 表しています。この『モンテッソーリ教育』第 3 号はモンテッソーリ生誕 100 年祭に関連した記事が掲載されているので、ぜひ読まれることをお勧 めします。(12) 生誕 100 年記念のプログラムで、理論と実践をうまく結びつけることに なりました。具体的に言えば、大会の最初の 3 日間、8 月 1―3 日までの 3 日間の実践研究のために多彩なプログラムが組まれ、会場が京都市中京区 川原町通三条上ル信愛幼稚園ホールで実技が行われました。実践について は松本静子氏(イタリア・デプロマ取得) 、松本尚子氏(イタリア・デプ ロマ取得) 、赤羽恵子氏(ドイツ・デプロマ取得)たちが中心になってい ました。実践では大会の日数は少ないので、あまり深入りは出来ませんで したが、モンテッソーリ教育の5領域「日常生活・感覚・数・言語・文化」 が取り扱われました。8 月 4 日の理論と総会が行われた国立京都国際会館 の大会議場では、鼓常良会長が「マリア・モンテッソーリ生誕 100 年に当 たって―モンテッソーリ教育と現代の日本」と第 1 講演をされ、竹村一氏 (芦屋大学教授)の「わが国の幼児教育の将来について」という第 2 講演 が続き、サンディップ K. タゴール氏(インド)が「モンテッソーリ教育 に於けるインドの意義」について第 3 講演をされています。又、オランダ 文部省監修による学術文化映画「モンテッソーリ教育法」という 40 分の 16 ミリの映画を赤羽恵子氏が紹介し、そして高橋陽子氏が「ハイデラバー トのトレーニング・コースから帰って」と体験談を話されています。また、 モンテッソーリ教育とは直接的に関係がないけれども、大阪万博見学をも − 129 − 8 月 5 日に入っていました。万博のイタリア館ではモンテッソーリ教具が 陳列されていたと聞きました。 少々余談になりますが、生誕 100 年記念祭は大変立派な国際会議になり ましたが、ある理事が予想した通り、蓋をあけてみると、参加者の会費収 入と出費との収支決算で 50 万円位の赤字が残ったようで、それまで乏し い会費だけで蓄えた「日本モンテッソーリ協会」の財産は空っぽになって しまいました。 実は、私は京都のこの第 3 回全国大会中に開催された理事会や総会の現 場にはいませんでした。ちょうど 1970 年は、当時の日本は大学紛争の激 しかった時期で、総務担当副学長を務めていた小生は連日昼夜を問わず会 議や、その対策に追われ大学を離れて、京都へ行くことは不可能でした。 だから、事後報告を受けただけです。また、それがきっかけであったかど うかは分かりませんが、正義感の強い鼓常良会長は責任をとられ「日本モ ンテッソーリ協会」会長を辞任されました。しかし彼は協会顧問として相 変わらずのご協力を惜しまれませんでした。理事長は神藤克彦氏が続けま した。 その頃、坂本堯師は「日本モンテッソーリ協会」の運営にかなり関係し ていたせいか、次期の会長に国立教育研究所の平塚益徳氏を紹介してきた ようです。そして「日本モンテッソーリ協会」の第 2 代目の会長を平塚益 徳氏に依頼することになりました。坂本堯師は、当時「日本モンテッソー リ協会」の機関誌『モンテッソーリ教育』の編集長を務めていました。や がて事務局長にもなりました。彼は、上智大学のキリスト教文化研究所の 所長を務めていたので、キリスト教文化研究所の事務室は「日本モンテッ ソーリ協会」の事務所をも兼ねるようになりました。「日本モンテッソー リ協会」が誕生した当時、事務局は足立区の「うめだ子供の家」に置かれ たのが、上智大学内に移ったのです。 平塚益徳氏は東大や九州大学の正規教授を務められ、その後東京の国立 教育研究所の所長になられました。平塚益徳氏は「日本モンテッソーリ協 会」が大変お世話になった学研の社長と同郷というご縁で仲良くしておら れ、学研からもモンテッソーリ教育の発展に大きな貢献がなされました。 しかしながら「日本モンテッソーリ協会」が、商業ペースで経営される学 研の歩調に合わせることができない側面がありました。例えば、モンテッ − 130 − 教育エッセイ ソーリ教育の普及のため、通信教育を開講することです。「日本モンテッ ソーリ協会」設立直後から通信教育を行う強い希望が学研から出されまし たが、しかし「日本モンテッソーリ協会」は 通信教育だけでマリア・モ ンテッソーリの教育理論と実践を学ぶことは不十分という線を辿っていま す。 1970 年と言うと、皆様のご記憶にあることは、恐らくはその年、大阪 で開かれた万国博覧会(万博)でしょう。その組織委員会の委員長は小生 が親しくお付き合いさせて頂いた石坂泰三氏でした。日本の繁栄段階は、 1960 年代「所得倍増」という経済スローガンを掲げた内閣が実現し、日 本の経済は毎年輸出黒字が続き、経済的に恵まれた時代にあったことです。 しかしその同じ 1960 年代に、日本の教育制度においては色々と修正され たりしました。例えば、中等教育段階で技術を中心にした5年制の専門学 校ができたり、大学でも高い技師者を養成するために理工学部を設けた時 代です。上智大学も含め、このようにして日本の繁栄ぶりは大変なもので した。ただ、モンテッソーリは彼女の著書の中で度々指摘していましたが、 日本もそれが当てはまってか、経済的・技術的なその繁栄ぶりの最中にあっ ても、児童、とりわけ幼児は日本の社会の中で常に「忘れられた市民」と なっていました。 そのような状況のなかで、多くの日本人はモンテッソーリ教育の理論と 実践を見直しました。マリア・モンテッソーリの言うことに耳を傾け、モ ンテッソーリ教育に秘められた哲学、文化、生理学、生物学、教育的人類 学を研究し、子どもを理解する努力を始めました。小生もそのうちの一人 でした。特に小生の関心を引きつけたのは、モンテッソーリ教育が理論レ ベルに止まらず、密接に実践と結びついていることでした。 こうしたモンテッソーリ教育に引かれ、関わり合いが生じて、1977 年 夏国際モンテッソーリ大会が開かれたミュンヘン滞在中、事務局長の平野 智美氏から小生が「日本モンテッソーリ協会」の第 3 代目の会長に選出さ れたと連絡がありました。これもやはり、何だか「欠席裁判」のようでは ありませんか。その後、30 年間、会長を務めました。この教育エッセイ 「モンテッソーリ教育 40 年を顧みて」は、本号では、1968 年 7 月 21 日の 「日本モンテッソーリ協会」設立から、3 年後の 1970 年 8 月 4 日の「生誕 100 年祭」までの 3 年間しか顧みられませんでした。モンテッソーリの教 − 131 − 員養成コース、事務局が学研へ移行し再度上智大学の上智会館へ、富坂キ リスト教センターへと移行したこと等など次号に続け、小生に与えられた 題目「モンテッソーリ教育 40 年を顧みて」の執筆責任を果たしたいと思 います。 注 (1)「カトリック教育」1962 年 8 月 1 日第 1 面参照。 (2)「第 2 回 日本モンテッソーリ協会総会 昭和 43 年度事業報告 昭和 43 年 4 月~昭和 44 年 3 月」を参照。 (3)「昭和 43 年度 第 1 回日本モンテッソーリ協会総会並びに講習会」の 申込書を参照。 (4)「うめだ子供の家」 ではモンテッソーリ教育の実践講習会が 1965 年(30 名)や、1966 年(90 名)にも開催。 (5)「1967 年 12 月 1 日のモンテッソーリ研究会開催の件」のお知らせを 参照。 (6) 昭和 42 年 8 月 4 日付の「日本モンテッソーリ協会設立趣旨」を参照。 (7) 同上 (8) 同上 (9)「第 2 回日本モンテッソーリ協会総会」議事録。 (10)マリア・モンテッソーリ著 鼓常良訳『幼児の秘密』国土社 1968 年、 1976 年。 マリア・モンテッソーリ著 鼓常良訳『子どもの心』国土社 1971 年、 1974 年。 マリア・モンテッソーリ著 鼓常良訳『子どもの発見』国土社 1971 年、 1976 年。 (11)宮下郁司「生誕 100 年記念・第3回講習会に参画して」 『モンテッソー リ教育』第 3 号 日本モンテッソーリ協会、1970 年、143-153 頁。 (12) 「モンテッソーリ会報」 創刊号も 1970 年に新たに発行されました(1970 年 5 月 18 日) 。 − 132 − 図 書 紹 介 森貞子著 『音楽する?』 前 田 瑞 枝 (洋光幼稚園) モンテッソーリ教育の理論に沿った音楽教育は、女史自身の音楽に関す る記述が多くないので、どの現場も手さぐりの状態で混乱している部分で はないだろうか。保育者の多くが自身の生い立ちの中で、或いは大学の幼 児教育科の授業で受けた音楽教育が体から出ていくのか、何の疑問もなく 音楽教育の部分だけが、この著書にもあるように“クルッとチャンネルが 変わったようにモンテッソーリ教育とは別物のカリキュラムになって行事 向けやお定まりの音楽活動”でおわるケースは少なくないように思われる。 著者森貞子氏が、この本を著したきっかけは二つある。一つは、第 39 回日本モンテッソーリ協会全国大会が岡山ノートルダム清心女子大学で開 催されたとき、森貞子氏が 10 年前ごろまで指導していた福山幼年教育研 究所小百合園の卒園生たちを 10 数年ぶりに指導し、僅か 2 ヶ月間、週 1 回だけの指導だったにも拘わらず見事な演奏をして大会参加者を感動させ た出来事である。そのときこの著者は、2 歳から積み重ねたものを幼児期 にもっている人が卒園後 10 年くらい過ぎたときにも現わす「集中力」「も のの探し方」 「悟り方」などを見て、 「あぁ、やっぱり!」と確認したこと。 もう一つは、モンテッソーリ教育に学びながら「音楽の領域」を 40 年間 も追いかけつつも「まだ時ではない」と沈黙していた著者が、自分の足跡 を素直に聞いてくれる若い音大生に語る機会を得て、4回に亘ってエリザ ベト音楽大学幼児音楽専修の学生たちに講義したことである。 本書は、その講義録を加筆修正したもので、4 回の講義が 1 回分ずつ一 章にまとめられている。学生への語りかけ口調で平易なことばで書かれて いるが、森貞子氏が長い時間をかけて実践し、模索し、沈黙のうちに蓄積 してきた深遠な言葉に満ちている。学生たちは、受身で聞くだけでなく、 五感を使って感じ、受けとめていく授業として編成されている。 − 133 − タイトル『音楽する?』は、日本語としては聞きなれない言葉だが、こ こには音楽教育の原点が含まれている。著者はかねてより「音楽教育」と いう言葉に違和感をもっていたという。 「音楽教育」というと、単純に「音楽」 を教えるという感じで、曖昧な言い方ではないかと思っていたのだそうだ。 著者がお茶ノ水女子大学音楽教育学専攻の学生であったとき、ドイツ語で 「音楽する」 (musizieren)という言葉を知り、 「音楽すること」を教えるこ とが大切なのではないかと思うようになったという。本書を読み進むうち に、著者がまだ音楽教育学を専攻する学生であった頃から溜めてきた「音 楽する」という言葉の内容と考察が、モンテッソーリ教育に出会うきっか けとなり、また本書のタイトルとなったことがわかる。 以下に章構成とその概要を紹介したい。 第一章 第 1 回目の講義 - 2007 年 10 月 17 日 大学の教室で机に着いて授業を待っていた学生に、机を片づけて、書く ものも何もなく椅子だけで“膝つき合わせて”相対するかたちでの授業が 提案される。机やノートというものが、意外にガードになっているという ことを実際に学生に感じさせながら、幼い人たちの感じ方、わかり方が伝 えられていく。まず相手との信頼関係をつくること、教えようと構えるの でなく安心感を共有することから始まる 。 モンテッソーリ園では 、 教具で感覚の訓練をするので、 「音」の長い短い、 明るい暗い、というような概念的なことや抽象的なことも、教具と関連さ せて説明すると子どもたちはよくわかる。だから、教具を使っている子ど もたちをよく観察して、そのことの何が音楽に結びつくか、教具から何を 学びとっているのか、それを音楽に置き換えたらどういう場合に該当する かなど「翻訳」してみることが大事だという。 また音楽が得意な人ばかりでなく得手不得手があるのだから、同質の見 方と異質の能力を持ち寄って役割分担する「協働」の必要性、「子どもの 状態に合わせる」ために教師の「移調」やアレンジ力の必要性、また自分 の受けてきたレッスンを客観的に見て音楽教育を再考し、それなりのビ ジョンをもつべきこと、などが学生にわかりやすく八つのポイントにまと められている。 特に、 「静けさ」の体験は、モンテッソーリ女史の音楽的な想いの深さ − 134 − 図書紹介 を表しており、幼児期に先ず静けさから始める教育をモンテッソーリの音 楽教育と考える点というには注目したい。 第二章 第 2 回目の講義 - 2007 年 11 月 14 日 この日は実践を加えての講義である。まず音楽なしの線上歩行から始ま り、次に音楽が流れるとどのように気持ちが安定していくか、学生にその 違いを体験させる。そして、テンポ、ピアノのボリューム、選曲、音域な どの指導がなされる。また、線上歩行の線の幅や長さ、ピアノの位置など 実践しながら、音楽指導の場での環境設定への助言がなされる。次に、自 分で自分を育てる要素、 教具に含まれている原理と教具と音楽の関連が「幾 何タンス」を使いながら語られている。 「音楽」は単なる音ではなく、音に記されて伝わってくるものが音楽の 正体であり、 「音楽する」ことのトータルの中でしか育てられないのでは ないか。 「音楽の正体」が「音楽教育の教具」なのだというところに行き 着く。現場の教師として「音楽作品(材料) 」をよくよく吟味し、とりあ えずは「自分の演奏から出る音(味) 」に厳しくならねば、特に感覚の鋭 敏な幼児の前で幼児のための「音楽教育の教具」は成り立たないらしいと いう。 第三章 第 3 回目の講義 - 2007 年 11 月 18 日 著者は実践しながらモンテッソーリ教育から大切な留意点を学んでいる が、それを次の 5 点に整理する。今回の授業では、この中の③までが話さ れている。 ①息を吸うことについて ②フレーズ感について ③歌うことについて ④楽器の奏法について ⑤ 「わかる」 「越える」ことについて ①では息を吸うことを意識させることで、幼児であっても演奏のフレー ズの頭がきれいに出せること、そしてその延長線上にフレーズを意識させ ることを初めに丁寧に伝えることが述べられる。 − 135 − ③の歌うことについては、 「雨降りくまのこ」と「まっかな秋」の二曲 を用いて次のようなポイントの一つひとつを実にこまやかに実技指導して いる。 ・発声は自然に ・発声は明瞭に ・歌詞を「詩」として大切に ・伴奏、前奏、後奏をていねいに 第四章 第 4 回目の講義 - 2007 年 12 月 12 日 最終回のこの講義は、音楽教育に限らず、生きていく上での大事な人生 訓ともいえる重い内容が語られる。例えば「わかる」 「越える」というテー マが、合奏でまとまってこない、先へ進まない、といったスランプ状態を 「越える」場面を例に挙げたりしながら語られるので、 「わかる」 「越える」 ということの重要性、そして「越えさせる」教師の役割がよくわかる。著 者が幾重もの体験を経て確信した貴重な人生訓でもあるので著者の言葉を そのまま次に引用しよう。 何かが「わかった」っていう時はね、ある「一瞬」じゃない? 何かが、じわじわじわっていうのは、前段階であって、その最後に「わ かった」って、秒針の動きのような瞬間が来る。 そして、そこを乗り越えないと、次が開けない、のだと思う。 子どももそうなのだろう、 と私は思います。二歳の子どもでも、 「わかっ た」という瞬間を迎えるところは、同じなのではないかと思う。…… ある程度の到達点に近くなった時に、 もうひとつ越えてそれを着実に自分のものにするか、 それとも越えるという認識さえないままに漠然とした線に留まるか、 その差は大きい。とっても大きい。…… その「わかった」はその時その人のものになって、その人の内にとど まる、と私は思っています。越えさせて教師もその時一緒になにかを 越えて、わかりはじめるのよ。 最後に、 「二歳に始まる教育によって、その子の内側になにかがピピッ と立ってくる」という言葉に注目したい。その頃から子どもの中に発生し、 − 136 − 図書紹介 満ちていき、体に覚えたモノを、卒園してから各人各様の環境下で、あた かも持って生まれたモノのごとくに使って育っていく事実を、著者は自分 の目で見、耳で聴き、本書でそれを伝えている。 既存の音楽教育に違和感を抱いていた著者が、モンテッソーリ教育に出 会い、自らの感性でひたすら尋ね歩んできた半世紀の模索が結晶した書で ある。最後まで一貫して「子どもから学ぶ」ことに軸足をおいた著者の謙 虚さが、本書の深みと温かさになっている。 本書は単なる音楽教育の方法論ではなく、モンテッソーリ教育を実践す る人たちが音楽教育をどう位置づけていくかの大切な道しるべといえる書 である。 相川書房(〒 112-0002 東京都文京区小石川 5-31-6) 2008 年 7 月、127 頁、定価 1,470 円 − 137 − ヨーン・スウェンソン著・渡邉奉勝訳 『ノンニとマンニの不思議な冒険』 鈴 木 弘 美 (HYS 教育研究所) Ⅰ はじめに 久々に恩師のルーメル先生に電話をおかけした。先生は、第 1 に、『ノ ンニとマンニの不思議な冒険』を幼児時代にご自身で読まれていること、 第 2 に、70 年前に四谷の上智大学でその著者と生活を共になされたとい うこと、第 3 に、今再び来日 70 周年記念ということで、この本を日本語 訳でお読みになったこと、 ということについてすぐに「講義」を始められた。 先日満 92 歳のお誕生日を迎えられた先生のお声は、張りのあるお声だ。 「『ノンニとマンニの不思議な冒険』を知っていますか。世界中で 600 万 部も読まれているのだよ」という先生のお言葉に「いえ、知りませんでした」 と答えて、私は恥じ入った。先生の講義はまだまだ続くのであるが、まず は標記の本のあらましを紹介して、その世界を味わってみたい。 Ⅱ 『ノンニとマンニの不思議な冒険』 ノンニとは、著者ヨーン・スウェンソン(Jón Svensson, 1857〜1944) の少年時代の愛称である。物語は 55 歳になった著者が、幼いころ自分の 経験した出来事を語る、という形式で進行する。文の主語の「ぼく」は原 則的にノンニである。 「ぼくがまだ 11 才の少年で、故郷の、アイスランドのアークレイリとい う町に住んでいたときのことです。 」 (6 頁) という書き出しで本書は始められる。 ある日、ノンニの家にアングリムさんという人が訪れた。この人はノン ニの家の遠縁にあたる人だったので、家族は大歓迎をした。 ノンニは、アングリムさんがその時吹いてくれた笛の音があまりに美し かったので、彼に笛の吹き方を教わった。一生懸命練習したので、ノンニ は一晩でなんとかひとりで吹けそうになった。アングリムさんは、笛の音 には不思議な力があって、これを聞くとどんな動物もうっとりして魔法に − 138 − 図書紹介 かかってしまう、とノンニに語る。さらにノンニは魚の集まってくる方法 をアングリムさんに聞く。船で、海のさびしいところまで出て行き、それ から静かに笛を吹き始めて、音を長く伸ばしながら、心にしみ入るように 吹き続けるのだよ、とノンニは教えられる。これを聞いたノンニは笛を手 に入れて魚を呼び寄せることを決心した。 ノンニは父に頼んでなんとか笛を買ってもらい、その小さなシンチュウ の笛で一生懸命練習した。その結果、知っている曲はみんな吹けるように なった。 魚を釣りに行く冒険を始めるのにひとりでは心細いので、ノンニは弟の マンニを誘った。ボートで湾の外に出るつもりだったのだが、これは母に は秘密にするという約束をした後で、彼らは母から「けっして、岸から遠 くへはなれないこと」を条件に許しをもらう。 出航した日は好天に恵まれ、広々とした湾の中には、デンマークやノル ウェーなどからの商船や捕鯨船が浮かんでいた。ノンニとマンニはフラン スの軍艦パンドラ号に招き入れられ、もてなしを受けた。 やがてパンドラ号から離れて、ふたりはボートをぐんぐん進めた。すで に母との約束を破り、湾から遠く離れて、フィヨルドの真ん中に出ていた。 彼らはここで、夢中になって笛を吹いて魚を呼び寄せようとした。しかし、 魚はそれほどには釣れず、知らぬ間に危険な場所に来てしまっていた。 さらに、天候も悪くなり、霧が濃くなり、ボートは岬の先の外海の方に ぐんぐん流されていた。彼らは、生と死の境目にいたのを自覚していた。 マンニは目を涙で一杯にし、ノンニはその弟の両手を握りしめた。寒さは ますますひどくなり、ノンニは弟を抱きしめた。ますます青ざめていく弟 の顔を見て、ノンニは弟を誘ったことを後悔した。しばらく目をつぶって いた弟が目をあけ、 「そうだ、ふたりでお祈りをしよう。 」(22 頁 ) と言った。彼らはボートの底にひざまずき、静かに祈った。マンニは母 から教わった「清らかなみ使いが、われらを、悪しきものより守ってくだ さいますように」(22 頁 ) というお祈りもした。マンニは、心を込めてお 祈りをすれば、神様はきっと守ってくださるという母の言葉を兄に伝える。 マンニの口を通して、神様がふたりに話しかけてくださったような気がし てノンニは感動し、弟を抱きしめる。そして、希望が見出された。その後、 − 139 − ふたりはぐっすりと眠りについてしまうが、その間にもボートは、深い霧 の中をどんどん外海へと流されていた。 やがて彼らはクジラの集団に驚かされ、ボートの栓が抜けて浸水し、転 覆の危機に瀕する。マンニの機転により、帽子で水をかい出すことによっ て、ふたりは絶体絶命のピンチを乗り越える。しかし、助けは来ず、暗闇 の中で寒さに凍えるふたり。その時マンニが、 「もう一度お祈りをしよう。 そうすれば神様はきっと助けに来てくださる」と言ったのでふたりはまた お祈りをした。 さらに、マンニが急に言い出した。船乗りが危ない目にあったときには、 よく神様に誓いをたてるそうなので、自分たちも誓いをたてようと。ノン ニとマンニの母はフランシスコ・ザビエルの話をよくしてくれたので、ふ たりともザビエルの話をよく知っていた。そこで、つぎのような誓いをた てた。 「も し、このおそろしい危険から、ぼくたちを救ってくださるならば、 ぼくたちはきっと、ザビエル聖人のように、神様のお使いをするため にはたらく人になります」(28 頁 ) でも、なにも変化は起こらず、マンニはノンニの胸の中で眠る。そして、 夢をみる。目をさましたマンニは夢の中でザビエル様にお会いしたことを 兄に話す。ザビエル様に手をとられて高く空の上へ行くと、そこには大き な教会があって、その祭壇のところにイエス様が立っていらしてマンニを 抱き上げてくださったのだと。マンニの話に感動したノンニは、 「ほんとうに、おまえはよい夢をみたね。マンニは、神さまにかわいが られているんだね。 」 (29 頁) と言う。すると、やっぱり神様は来てくださった。きのう遊びに行った フランスの軍艦パンドラ号が、霧の中からぼんやりと姿を現したのである。 水兵たちはなかなかふたりに気付いてくれなかったが、今度もマンニの 機転によって、なんとか船の中の人々が、彼らを助けに来てくれた。お医 者さんがふたりの脈をとり、温かい飲み物をもってきてくれた。そしてふ たりは、長時間眠った。 目を覚ましたふたりを、お医者さんがもう一度診てくれた。ふたりは起 き上がることを許され、それからお腹一杯の食事をいただいた。甲板にで たふたりは、アークレイリ港に向かう途中であることを確信し、神様のな − 140 − 図書紹介 さったことの偉大さに改めて歓喜する。 パンドラ号のみなに感謝のうちに別れを告げ、ふたりはデンマークの軍 艦フィラ号に引き渡された。彼らの無鉄砲な冒険は、彼らを父母のもとに 送ったデンマーク船の水兵の、 「ふたりが海の上で苦しい目にあったのは、それだけで、じゅうぶんば つになっているから、 どうぞ、 この子たちをしからないでください。 」(35 頁 ) と言う言葉のおかげで、父母から責めを受けることなく、ふたりは喜ん で父母に迎えられた。 デンマーク人の水兵と別れた後で、ノンニは、あの海の上で神様に誓っ たことをしきりに思い出した。ノンニはマンニに、海の上で神様に誓った ことをどんなことがあっても守ろう、と言った。ぼくらにザビエル聖人の ようなことができるだろうか、とノンニがマンニに問いかける。 「ぼくは、神さまができるようにしてくださると思うんだ。だから、す べて神さまにおまかせしようよ。 」(37 頁 ) これは、マンニが困ったときや苦しいときにいつも言う言葉だった。ノ ンニはマンニが神様を信じ、ほんとうに愛しているのだと思った。 それから 1 年後、ノンニはザビエル聖人のような人になるために、フラ ンスのイエズス会の学校に入学した。3 年後には、マンニもその学校に入っ た。悲しいことに、心優しく、清らかなマンニは、卒業を待たずして死ん でしまった。でも、マンニが、あのボートの中で見た夢のように、イエス 様にお会いして、とうとうその手に抱かれていったのだと思うと、ノンニ の悲しみは少し軽くなってゆくのであった。 Ⅲ 『ノンニとマンニの不思議な冒険』をめぐって ルーメル先生の電話での「講義」は、本書についての豊かな知見に満ち ていた。その後お送りいただいた『ノンニとマンニの不思議な冒険』の「解 説」および「あとがき」とルーメル先生の 「 講義」に依拠して以下に本書 の持つ意義を述べたい。 まず、本書は、 「ノンニ訪日 70 周年記念出版」として、今日世に出され た。実は、80 歳をすでに過ぎていたが、ノンニは 1937 年(昭和 12 年)3 月、横浜に上陸した。そして、上智大学に修道士として滞在した。滞在中 に新聞で、「 第二のアンデルセン 」 とか 「 欧州のマーク・トウェイン 」 と − 141 − して話題になり、日本各地で 50 回以上もみずからの童話について講演し たそうである。 愛称ノンニことヨーン・スウェンソンをいわば 「 発掘 」 したのは、本書 の訳者である、前在アイスランド臨時代理大使の渡邉奉勝氏である。氏が ノンニを知ったのは 2007 年、アークレイリに出張した折に、たまたま立 ち寄ったノンニ博物館で、日本の子どもたちに囲まれたノンニの写真や日 本滞在中の新聞記事の展示を見たときのことだった。アイスランドでは対 日好感度、親日度が高いのだが、これは、この地では有名なノンニが日本 を好意的に紹介してくれたことに遠因するのではないかと、渡邉氏は推測 した。 日本帰国後、氏はさらにノンニについて調査と取材を重ねた。明らかに なったのは、92 歳のルーメル先生は上智大学の修道院でノンニと共同生 活をし、80 歳以上の自由学園や大和学園(現聖セシリア)卒業生は、ノ ンニの講演を記憶していることなどである。また、関連新聞・写真・雑誌 資料も多数発見された。 ここで、話は前後するが、ノンニことヨーン・スウェンソンの生涯を 「解説」を手がかりに概観しておきたい。ヨーン・スウェンソンは、1857 年、北アイスランドの港町アークレイリの郊外に生まれた。父が若くして 亡くなったので、家は豊かではなかったが信仰心厚い母の手で育てられた。 1870 年、13 歳のとき、幸いにもカトリックの神父に見出され、デンマー クを経てフランスのアミアン神学校に留学した。フランスの貴族の援助を 受けてのことであった。ノンニは、少年時代たくさんの読書をした。先祖 の歴史を愛読し、 『アラビアン・ナイト』のような冒険に満ちた物語を好 んだ。シャルルヴァオという人の日本歴史を読んで、日本が好きになった。 バイキングの末裔であるアイスランド人らしく、勇敢で冒険心豊かであっ たのだろう。 ノンニの母は、ノンニがフランスへ留学したあとカナダへ移住して亡く なった。彼は母と再会することがなかった。また、弟のマンニは、前述の とおり、兄と同じ神学校に入学したが、卒業を待たずに夭折した。 ノンニは、1878 年神学校卒業後、デンマークやイギリスでカトリック の神父や教師として過ごした。しかし、1912 年、55 歳で健康を損ね、オ ランダで静養した。そのとき、童話作家を志し、最初に書かれたのが、 『ノ − 142 − 図書紹介 ンニの冒険』であった。これが大成功を収め、次々に 12 冊の本が書かれ、 それらはたちまち世界の 30 ヶ国以上の言葉に翻訳された。ヨーン・スウェ ンソンは 20 世紀のもっとも人気のある童話作家のひとりになったが、彼 の作品は、おとぎ話や創作童話の類ではなく、彼が実際に経験した出来事 をもとにしている。 1937 年から 1938 年にわたる日本滞在後はオランダに暮らしたが、第二 次世界大戦の戦禍を避けて病身で各地を転々とし、最後にケルンの病院で 亡くなった。1944 年 10 月、 ノンニは 86 歳であった。彼の墓はケルンにある。 ところで渡邉氏によると、2007 年 9 月には、生誕 150 周年記念行事と してアイスランド国立図書館でノンニ展示会が行われたそうである。同年 11 月のケルンでの展示会に続き、2008 年には、ドイツ各都市でノンニ展 示会が巡回されているそうである。 渡邉氏は、ノンニをぜひ、もう一度日本に紹介し、親日感情のルーツを 探したい、また、日本とアイスランドの友好促進、親善の橋渡しをした功 に報いたいという思いを募らせた。その思いが、 「ノンニの 70 年後の再訪 日」というタイトルで、日本アイスランド協会、日本アイスランド学会、 ノンニ博物館、自由学園の主催により、展示会・シンポジウムとして結実 した。これは、2008 年 10 月 14 日から 18 日まで、ノンニがかつて講演し たことのある自由学園明日館で開催された。そのさい、ルーメル先生も講 演をされた。 かつて出版されたノンニの本を、手にとって読めるようにすることが大 切ではないかと渡邉氏は思われたが、それらはすでに絶版になっていて復 刻も難しかった。そこで、 氏みずからが翻訳に取り組まれた。訳出にあたっ ては原書がかなり縮められたが、その流れと精神をできるだけ正しく訳す ように努められたとのことである。 Ⅳ おわりに 児童文学には素人であるとおっしゃる渡邉氏のこのようなご努力と、長 年子どもたちにお話を語ってこられている茨木啓子さんのご協力のため、 この話はとてもわかりやすい文章表現で語られている。ノンニの思いが、 子どもたちにもよく伝わることであろう。 ノンニからのメッセイジは、本文中にはもちろんのこと、新聞や雑誌の − 143 − 記事の掲載もあり、実際に本書を手にとっていただくことをお勧めするし だいである。 この話は、清らかな信仰心に満ちたノンニが、愛する弟のマンニのさら に強い神への信頼と機転のきいた発想により、きびしいアイスランドの海 での難局を乗り越えるという話である。しかし、既述のように、その後神 学校に入ったノンニは母と再会できず、弟は若くして亡くなってしまう。 なんて悲しい話ではないか。大切な存在を失いそうになると、人は誰でも、 この人を助けてほしいと神に祈る。でも、その人が亡くなってしまうのが 普通である。弟が、あの海の上で夢をみたように、イエス様にお会いして その手に抱かれたのだと思うとぼくの悲しみは少し軽くなるという最後の 一文に、死の意味を改めて考えさせられた。 わかりやすい文章で、ほとんどの漢字にはルビがふられているが、ひと りで読めるのは、小学校中学年頃からか。 ヨーン・スウェンソンはモンテッソーリより 13 歳年上だ。両者の接点 を具体的に見出すことは今のところはできないが、ふたつの世界大戦の戦 禍をそれぞれの場所と方法で生き抜いたこのふたりのヨーロッパ人は、お そらく天国で、今でも子どもたちのために祈りをささげているだろう。 連絡先 〒 177-0044 東京都練馬区上石神井 4-32-11 イエズス会修道院 ハインリヒ・ヨキエル, S.J. 出帆新社(〒 156-0053 東京都世田谷区桜 2-18-13) 2008 年 10 月、47 頁、定価 1,400 円 − 144 − 第 41 回 全 国 大 会 参 加 報 告 第 41 回全国大会を振り返って 米 島 幸 子 (日本モンテッソーリ協会 (学会)東北支部 事務局長) 2 年前、第 41 回モンテッソーリ全国大会は東北支部ですから仙台でお 願いしたいというお話を伺ったときは、すでに日本カトリック幼稚園連盟 の全国大会の準備を実行委員長として始めておりました。モンテッソーリ 全国大会の事務局として同時進行で進めていけるでしょうか ? 仙台市内 のモンテッソーリ園は 3 園ともカトリック幼雅園です…先生方の前向きな 姿勢に励まされ、理事会のご好意で日程は 2 日間にさせていただき、大会 実行委員長の鷹觜神父様はじめ実行委員のメンバーは、中身の濃い充実し た内容になるようにと 2 年近く準備を重ねてまいりました。基調講演には シルバーナ Q. モンタナーロ先生を、また、市民公開講座にはピタウ大司 教様をお願いいたしました。そして、カトリック幼稚園の全国大会が終了 した 7 月 30 日の午後と 31 日はスタッフ全員で準備に当たり当日を迎えま した。緑豊かな仙台の地へようこそ!スクールバスで続々と到着なさる参 加者の方々を感動のうちにお迎えしました。 大会テーマ「よりよいモンテッソーリ教育を!」—日本文化への適応を 検証する—は、モンテッソーリの「子どもの家」開設 101 年目を日本とし てどのように歩み始めるか。初心に帰ろうという思いからでした。研究発 表の内容もそれに基づいての項目を挙げて募集いたしました。12 名の方々 が発表してくださり、興味深い内容に参加者の方々はどれを選ぼうか迷う とおっしゃり、どこの会場も一杯で熱心に聴き入っていらっしゃいました。 基礎講座、応用講座では理事長様、理事の方々が快く引き受けてくださり、 それぞれの分野で学会ならではの豊かな内容に学びと発見がありました。 今年は、モンテッソーリの宗教の実践を交えた講演を企画いたしました。 「神の国の歴史」 、「良き牧者」の提供とお話には「とても感動した。 」と言 う感想をたくさんいただきました。シンポジウムではフロアとのやり取り も活発になされ、充実した 2 日間の日程を終えました。心配しておりまし た参加者数も当日までに 520 名 (会員 280 名、 非会員 240 名)に達しました。 ワークショップは東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンターの松 − 145 − 本静子先生にお願いし、延べ人数 420 名の方々が参加してくださいました。 手元がよく見えるよう、映像も写しましたが十分期待に添えなかったとこ ろもあり申し訳なかったと思っております。また、市民公開講座はピタウ 大司教様の急な海外出張に伴い急遽変更となりました。司会をお願いして おりましたドメニコ ・ ヴィタリ神父様が引き受けてくださり、とてもわか りやすいお話をしてくださいましたが、ポスター作成、配布が遅くなり外 部の参加者が数名だったことはとても残念でした。 会場当事者、スタッフといたしましては不行き届きな点、連絡不足でご 迷惑をおかけしたことも多々あったと思いますが、発表者、講演者、参加 者の皆様方は寛大に受止めてくださり、とても良い大会だったとねぎらい と感謝の言葉をたくさんいただきました。今、振り返りながら全国大会の 持つ意義と会員一人ひとりの協力の大切さを感じております。 − 146 − 支 部 報 告 北海道支部 支部長 前 鼻 百合江 (宮の沢さくら保育園) 1 活動報告 19 年 12 月 17 日北海道支部会を開催、8 名の参加を得て懇親を深めた。 継続課題はこれまで同様、道内の連携と支部組織の活動展開である。 また、支部ニューズレター第 5 号の発行も検討課題としたい。 今期は支部主催の研修会はできなかったが、共催の研修会をさせていた だいた。 ①平成 20 年 1 月 27 日 宮の沢さくら保育園にて(参加者 53 人) モンテッソーリ教育における言語教育の見直しと提示の実践 2 会計報告 2007年度会計報告(2007年8月1日〜2008年6月30日) 収 入 の 部 支 出 の 部 単位(円) 区 分 前年度からの繰越金 雑収入 利息収入 計 通信費 決算額 摘 要 827,908 18,500 寄付 559 預金利息 846,967 1,600 総会会場費 会場費 81,470 打ち合わせ会場費 計 83,070 次年度繰越金(846,967 円- 83,070 円= 763,897 円) 平成 20 年 7 月 5 日 上記の通り相違ありません。 会計担当 城 由利子 − 147 − 東北支部 支部長 佐々木 信一郎 (こじか「子どもの家」) Ⅰ.第 32 回東北研修会 1、2007 年 10 月 20 日 (土) ~ 21 日 (日) 聖ドミニコ学院幼稚園において 2、参加者数:施設 18、個人 7、 計 107 名 (青森県)ファチマ幼、弘前大清水保、藤保、八戸聖ウルスラ学院幼 (岩手県)一関藤保、盛岡白百合学園幼、盛岡大学、個人 2 名(宮城 県)角田カトリック幼、仙台白百合学園幼、聖ドミニコ学院幼、聖 ドミニコ学院北仙台幼、小百合園、米川聖マリア保、個人 4 名 (山形県)山形聖マリア幼、蔵王めぐみ幼、にこにこ子どもの家 (福島県)郡山ザベリオ学園幼、 個人 1 名(北海道)八雲マリア幼(大 阪府)松本科学工業 3、講 師:松本静子先生、野村緑先生 4、研修内容: a、講話: 「新しい支部長として」 佐々木信一郎 「支部規定について」 鷹觜達衛神父様 b、実技指導: 1)感覚教育…「色 板 1・2・3、 幾 何 立 体 の か ご、 茶 色 の 階 段、 赤い棒、雑音筒、二項式の立方、三項式の立方、 桃色の塔と茶色の階段のバリエーション、十項 式のカード並べ」 2)数 教 育…「数の記憶遊び」 5、第 32 回研修会会計報告 収入 902,439 円 支出 686,705 円 残高 215,734 円 Ⅱ.支部役員会 月 1 回のペースで、仙台白百合学園幼稚園において、第 41 回 JAM 全国 大会の準備に関する話し合いを行った。 Ⅲ.第 33 回支部研修会開催予定: 2008 年度は第 41 回 JAM 全国大会のために研修は行わない。2009 年度は、 例年通り研修会開催予定。 − 148 − 支部報告 Ⅳ.平成 19 年度支部会計報告 (平成 19 年 4 月 1 日~平成 20 年 3 月 31 日) (収入) (支出) 前年度からの繰越金(郵貯) 237,812 研修会補助 100,000 国際モンテッソー 〃 (現金) 0 リ教育 100 200,000 +1 年祭 寄付金 支部研修会残高 215,743 郵貯利息 218 合 計 平成 19 年度末残高 453,764 合 計 300,000 153,764 円(次年度への繰越金) 内訳 現金…0 円、郵普預…153,764 円 平成 20 年 7 月 3 日 上記の通り相違ありません。 会計担当 米島幸子 関 東 支 部 支部長 町 田 明 (恵泉幼稚園) Ⅰ.活動報告 今年度は、上智・東京コース同窓会の年度総会記念講演会並びに公開保 育見学会を、東京支部と共に共催させて頂きました。以下の通リです。 日時・会場:平 成 20 年 5 月 24 日(土)9:00 ~ 16:00・学校法人亀 ヶ谷学園宮前幼稚園 講 師:亀ヶ谷忠宏先生―宮前幼稚園園長・上智コース第 13 期生― テ ー マ: 「幼稚園で培われる一生を支える力」~130 枚の写真から~ 参 加 費:同 窓会員= 1,000 円、非会員= 2,000 円。参加者= 52 名 中関東支部からは 12 名。 当日の講演講師であり宮前幼稚園の現園長である亀ヶ谷忠宏先生が、平 − 149 − 成 4 年にお父上から引き継がれた二園の敷地面積合計は 5,805㎡、園舎面 積合計= 1,095㎡と広大なもの。先生は、 「今、最大の教育課題は、人と生 きていくための“人と関わる力”を培うこと、又“幼稚園は面白くなけれ ば幼稚園ではない、響き合っていかなければ幼稚園ではない” 」 と考えられ、パンフレットには宮前幼稚園の特長としての 12 項目が挙げ られています。 中でも「環境の中で子どもは育つ」として「子どもたちにとって大切な 保育環境とは、先生と子どもたちがともに響き合い、育ち合う“こころの 環境”とでも言うべきもの!そんな環境をこそ大切なものと考えていま す。」と記していらっしゃいます。 午前中の公開保育はそのような先生のお考えによって整えられた、自然 を豊かに巧みに取り入れた環境の中で、園児たちも教師たちも、更には土 曜日とあって、父母専用のログハウス前では父親たちが「竹とんぼ作り」 を楽しそうに行っている姿も見られました。 亀ヶ谷先生自ら撮影の 130 枚の写真は、すべて本当にすばらしいシャッ ターチャンスでご講演のテーマに納得のひとときで、参加者は有意義な学 びを感謝しつつ散会しました。 Ⅱ.会計報告(平成 19 年 8 月 1 日から平成 20 年 7 月 10 日まで) <収入の部> 単位=円 <支出の部> 単位=円 月/日 摘 要 8/1 前年度よりの繰越金 平成 20 年 4/1 利子 5/24 講演・保育参観参加費 7/10 合計 <繰越金内容> 郵便貯金 598,154 円 手持ち現金 0 円 金 額 599,054 1,290 24,000 624,344 月/日 平成 20 年 4/1 5/2 5/2 5/2 5/9 5/23 5/24 5/24 7/10 7/10 摘 要 金 額 利息への税金 255 入力アルバイト料 ・ 含交通費 1,410 コピー代 1,800 会員宛て通知発送料 7,690 日本モンテッソーリ協会へラベル料 4,800 コピー代 130 講師への謝金 10,000 祝儀袋代 105 合計 26,190 次年度への繰越金 598,154 平成 20 年 7 月 10 日 上記の通り相違ありません。 会計担当 松本良子 − 150 − 支部報告 東 京 支 部 支部長 天 野 珠 子 (愛珠幼稚園) Ⅰ.活動報告 ①第 40 回日本モンテッソーリ協会(学会)全国大会の実施 平成 19 年 8 月 7 日から 9 日までの 3 日間、開催された東京支部担当の 全国大会は、モンテッソーリ女史が「子どもの家」を開設して 100 年目 に当り、また当大会も第 40 回という節目を迎えた記念すべき大会でした。 東京都稲城市の駒沢女子短期大学を会場に、総参加者数 627 名中、東京支 部関係者は支部参加者トップの 63 名でした。 多くの東京支部員が、裏方として大会準備および大会中の係を分担して 協力頂き、盛会のうちに無事終了できました。ここにご支援を頂いた皆さ まに感謝申し上げます。 なお、第 40 回大会の詳細は、 「モンテッソーリ教育 40 号」の大会報告 をご覧下さい。 ②研修会の開催 平成 20 年 5 月 24 日(土) (9:00 〜 16:00)に関東支部、上智・東京 コース同窓会との共催で、神奈川県川崎市の宮前幼稚園において、保育見 学と講演会を行いました。 ・講演テーマ 「幼児期の集大成 五歳で花開く一生を支える力」(130 枚の写真から) ・講 師 亀ケ谷忠宏先生(宮前幼稚園々長 上智コース 13 期生) ・参 加 者 総 参加者数…52 名 内、同窓会々員以外の東京支部関 係者数…10 名 凝った造りの園舎と子どもの楽園を思わせるすばらしい園庭で、自由に 活動する子ども達の姿に、時を忘れる充実したひとときを与えられました。 − 151 − Ⅱ.会計報告(平成 19 年 8 月 1 日〜平成 20 年 7 月 7 日まで) 年月日 摘 要 H19. 8. 1 前年度繰越金 収 入 支 出 150,234 10. 1 郵貯利子 第 40 回大会支援金 12.26 …第 40 回大会事務局より はがき(180 枚)…東京支部員宛大 H20. 3. 8 会決算報告送付のため 3. 8 ラベル・送料(M 協会宛)… 々 102 335,760 9,000 9,030 3. 8 送金手数料 120 4. 1 郵貯利子 ラベル・送料(M 協会宛)…研修会 5. 7 案内用 5. 7 送金手数料 252 6,600 120 5. 7 80 円切手(100 枚)…研修会案内用 8,000 5. 8 封筒…研修会案内用 1,050 5. 8 コピー用紙… 々 512 5.24 研修会参加費(東京支部関係 10 名分) 宮前幼稚園へ研修会謝礼金(東京支 5.24 部分) 7. 7 合 計 20,000 10,000 506,348 44,432 次年度繰越金 461,916(内訳:郵貯…426,322 現金…35,594) 平成 20 年 7 月 7 日 上記の通り相違ありません。 会計担当 佐藤加寿子 以上 − 152 − 支部報告 北 陸 支 部 支部長 前 川 さちえ (つぼみ保育園) 1 活動報告 北陸支部の支部長を未熟な私がお引き受けして最初の活動報告となりま す。第 42 回全国大会を北陸支部が担当し、福井県で開催することになり ました。何もかもが初めてのことで面食らっていますが、幸い京都モンテ ッソーリ教員養成所も近く、赤羽恵子先生を中心に多くの方々の強い応援 をいただくことになりました。大変ありがたく思っているところです。さ っそく全国大会の内容やプログラムの検討、実行委員の選任等の指導を赤 羽恵子先生や板東光子先生から受けました。また、松本良子先生には福井 までおいで願って、予定している大会会場やワークショップ会場を見てい ただきご指導をいただいた次第です。 そして、実行委員会を立ち上げる運びとなりました。 (1)北陸大会実行委員会開催 ・第 1 回実行委員会(平成 19 年 11 月 26 日) 大会開催日を平成 21 年 8 月 1 日(土)〜 3 日(月)に、会場を福 井市「アオッサ会館」の 8F、6F に決定。大会テーマは「教育に希望 をつなぐために」 、 サブテーマは「モンテッソーリ教育の真髄をさぐる」 です。3 日間の大会日程のアウトラインを決めました。 ・第 2 回実行委員会(平成 20 年 2 月 26 日) 常任理事会において審議された大会プログラム案について報告し、 大会内容の検討とその役割について話し合いをしました。 ・第 3 回実行委員会(平成 20 年 6 月 16 日) 全国支部長会議に提出する書類の確認と、第 41 回全国大会参加者 とその役割、第 41 回大会終了後より必要となる事柄について話し合 いをしました。 (2)福井県内を中心に行った研修会 ・モンテッソーリ教育における言語領域の研修として、3 歳児における 言語教育の実践を年 3 回、3 歳児担当職員(24 人)を対象に行いまし た。参加者は 3 回とも同じ職員で、一年を通して課題をもって言語指 導にあたりました。 − 153 − 2 会計報告(平成 19 年 8 月 1 日から平成 20 年 7 月 31 日まで) 収入 54,000 円 (内訳) 研修会参加費(1 人 1,000 円) 24,000 円 平成 19 年度活動費 30,000 円 54,000 円 合計 支出 51,150 円 (内訳) はがき代(30 枚) 1,150 円 手紙(10 通) 800 円 第 1 回実行委員会弁当代 25,200 円 言語研修参加者の弁当代及び会場費 24,000 円 51,150 円 合計 次期繰越金 2,850 円 郵便貯金 2,850 円 以上のとおり相違ありません。 平成 20 年 7 月 4 日 会計担当 海道洋子 − 154 − 支部報告 中 部 支 部 支部長 野 原 由利子 (名古屋芸術大学) 中部支部では 2007 年度は以下のように月 1 回の定例研究会を行ってき ました。 9 月 日本モンテッソーリ協会全国大会 報告会 参加者の内 4 名より 福地春生、武石協子、村田尚子、野原由利子 10 月 文化教育の理論と実践 森下京子 11 月 文化教育の理論と実践 森下 12 月 中 国のモンテッソーリ教育実践園杭州市人民政府立林門幼児園の 見学報告 野原 保育士 35 年を振り返って語り継ぎたいこと 武石 1 月 文化教育の理論と実践 森下 2 月 生活、遊び、教具活動を通して獲得する数量概念について 野原、 村田 3 月 音楽リズムの実技交流 武石、各園より 5 月 T UDOI の会 福岡エミール保育園長江口裕子「0 〜 3 歳の理論と 実践」講演参加 6 月 「0、1 歳児のモンテッソーリ教育の理論と実践」みこころ母の家 糸原孝子 愛知県と三重県からは熱心な参加を得ていますが、08 年度は他県の方 のご要望をお聴きし、遠方からでも参加したい講演会兼見学会などを工夫 してみたいと思っています。 2007 年度 中部支部会計報告 <収入>参加費 9/1 1800 円× 26 人= 46,800 円 10/13 1800 円× 22 人= 39,600 円 11/10 1800 円× 17 人= 30,600 円 12/1 1800 円× 20 人= 36,000 円 1/19 1800 円× 22 人= 39,600 円 2/9 1800 円× 18 人+ 500(学生)= 32,900 円 3/29 1800 円× 14 人= 25,200 円 − 155 − 6/14 1500 円× 17 人= 25,500 円 日本モンテッソーリ協会からの支部援助金 カンパ 400 円 利子 70 円 2006 年度 繰越金 86,971 円 収入小計 276,670 円 収入合計 393,641 円 <支出>講師謝礼 30,000 円 128,000 円 会場費 24,000 円 通信費 10,320 円 アルバイト代 12,800 円 渉外費(慶弔・愛知子ども NPO センター会費など) 39,467 円 材料費 2008 年度 繰越金 7,000 円 172,054 円 支出小計 221,587 円 支出合計 393,641 円 以上の会計報告に相違ありません。 平成 20 年 6 月 22 日 中部支部会計担当 村田尚子 − 156 − 支部報告 近 畿 支 部 支部長 相 良 敦 子 (エリザベト音楽大学) Ⅰ、活動報告 近畿支部の皆さまに心からお詫び申し上げます。支部長の相良が平成 19 年度よりエリザベト音楽大学に移籍したために、広島市をはじめ中国 地方での仕事が増えて本命の近畿圏での仕事を全くすることができません でした。和歌山県の御坊市におられるシスター小池副支部長と日本各地で の教員養成に奔走なさっている赤羽理事と広島で仕事をしている相良とが 集まって近畿支部研修会を企画する時間を見つけることができなかったの です。本当に申し訳ありません。 Ⅱ、会計報告(平成 19 年 4 月 1 日から平成 20 年 4 月 1 日まで) 収入 前年度繰越 利子 821,405 円 1,385 円 支出 0円 残高金額 822,790 円 平成 20 年 7 月 5 日 上記の通り相違ありません。 会計担当 相良敦子 中 国 支 部 支部長 奥 山 清 子 (ノートルダム清心女子大学) Ⅰ.活動報告 (1)中国支部研修会 日時:2007 年 11 月 11 日(日)11:30 ~ 15:30 場所:ノートルダム清心女子大学 520ND 教室 講師:東北大学医学部臨床教授(小児科医)田澤雄作先生 演題: 「―親子の絆・幼い脳・慢性疲労―テレビ・ビデオ・ゲーム・ネット・ ケータイの光と影」 11:30 から 13:30 まで、昼食を囲みながらイタリア・アメリカで行わ − 157 − れた「子どもの家」誕生からの 100 年祭の模様を話題に話し合いのひと時 をすごした。 14:00 から 15:30 まで、田澤先生が仙台医療センター小児科医長・ 「子 どもとメディア」対策委員会副委員長としてのお立場から、身体所見に現 れた数々の慢性疲労の実態を示され、子どもたちの置かれた危機的状況に ついて、また、家庭・地域社会で出来る対策についても示唆に富んだお話 を展開され学ぶことが多かった。参加できなかった方々へ抄録とその後の 質疑応答と植樹祭の案内を送付した。 (2)植樹祭への参加 2008 年 1 月 13 日(日曜日)11 時から広島市中区幟町・聖母幼稚園に おいて園児たちとともに、アンドレ・ロバーフロイド AMI 会長ご夫妻が 更なる平和の 100 年をねがって「平和の樹」を園庭に植樹する催しがあり ました。この記念すべき植樹の催しに、モンテッソーリ教育を継続してこ られた幼稚園や教職員の方々、保護者の方々とともに、中国支部会員が参 加し、この樹の生長と共に、私たちの心に平和の心が育まれることを祈念 しました。 Ⅱ.会計報告(平成 19 年 8 月 1 日から平成 20 年 7 月 31 日まで) 収入 前年度繰越 364,708 円 利子 550 円 収入合計 365,258 円 支出 通信費 8,000 円 反省会昼食代 8,190 円 支出合計 16,190 円 差引残高 349,068 円 中国支部の平成 20 年度への繰越金は 349,068 円となります。 平成 20 年 7 月 5 日 上記の通り相違ありません。 会計担当 髙月教恵 以上 − 158 − 支部報告 四 国 支 部 支部長 乾 盛 夫 (鳴門聖母幼稚園) 1.活動報告 四国支部の組織的活動はしていない 1 年だった。四県の地域では、それ ぞれの現状に積極的に応える工夫と努力がなされて、地域の人々からの安 定した信頼を受けていると聞こえている。2 歳児、3 歳児への支援コース や親子参画の年間子育て支援プログラムを進めるなどの活動が、モンテッ ソーリ教育指針に沿ってできていることは喜ばしいことだと言える。 また、堅実な私学の充実には欠かせない学園内研修が積み重ねられてい る。これは、ややもすれば時間をつくれないとかで流されやすいのを、連 休などに職員の向学心を大切にして実践しているのは、当然と云いながら も素晴らしい体制だと確言できる。どの国に行っても、モンテッソーリ教 育の人格形成の内容が高く評価されているところには、必ずこの姿勢が堅 持されているものである。子どもと共に刷新し続けてほしいと祈っている。 大切なことは、第 43 回大会の担当順番が四国支部だと云うことで、何 人かの先生方には心づもりをお願いして来たが、諸事情は私の力の及ばな いところで変わって行くことがある。幼児が体感していく環境を意識して 働く者だから、こういう諸事情に驚いていて、今さら子どもと共に創造さ れた世界の平和を追う歩みを乱すことになってはならないと思っている。 協会の中でもっとも少人数の四国支部ではあるが、生まれ出てきた大事な ひとり一人が素晴らしい人間性の構築に手を繋ぐ思いをつよく持って、対 応して行けるようにと祈っている。この子達が自分で掴んだ真実を知恵と 自由をもって次世代に貢献できるとの希望に応える環境でありたいもので ある。ここに一言、改めてご協力をお願いしておきたい。 2.会計報告 収入 前年度繰越金 14,910 円 銀行(受取)利子 4/1 11 円 2008 4/1 13 円 支出 次年度繰越金 0円 14,934 円 乾 盛夫 − 159 − 九 州 支 部 支部長 中 尾 昌 子 (八幡カトリック幼稚園) Ⅰ.活動報告 平成 19 年度(2007 年度)は、 支部主催としての活動は行っていませんが、 元来、モンテッソーリ教育に関心をもつ幼稚園、保育園の多い九州地区で は、各地で独自の研修会が行われました。 九州幼児教育センターでは、初心者・卒業生・在校生対象に 5 回にわたり、 日常・数・数から感覚・言語の領域にわたって実践講習会が行われました。 このように、各地で行われます研修会が連絡をとりあいながらさらに対象 を広げ、モンテッソーリ教育の啓蒙に役立つことが出来ればと願っていま す。 Ⅱ.会計報告(平成 19 年 4 月 1 日から平成 20 年 7 月 2 日まで) 平成 19 年度会計報告 収入 前年度繰越金 701,746 円 利子 592 円 収入合計 702,338 円 平成 21 年 1 月 25 日 支出 「講演会&シンポジウム」研修開催予定 ウェル戸畑 中ホール施設使用金 前払い 16,510 円 準備金 100,000 円 支出合計 116,510 円 差引残高 585,828 円 九州支部の平成 20 年度への繰越金は、585,828 円となります。 平成 20 年 7 月 3 日 上記の通り相違ありません。 会計担当 下條富子 以上 − 160 − 教 員 養 成 コ ー ス 報 告 NPO 法人 東京モンテッソーリ教育研究所 ・ 付属教員養成コース クラウス・ルーメル, S.J. コース長 本コースは、2007 年 3 月末日をもって、閉鎖された上智モンテッソー リ教員養成コース(以下、 上智コース)を引継ぎ、 特定非営利活動法人(NPO 法人)東京モンテッソーリ教育研究所付属教員養成コースとして、日本モ ンテッソーリ協会よりモンテッソーリ教員養成コースとしての許可証をい ただき、平成 18 年度より開設致しました。今年平成 20 年度は、三年目と なり、三期生を迎え入れています。 教場も、養成のための専用教室ができ、モンテッソーリ教育の学びの場 としてふさわしい環境を作ることができました。 今年、3 月 9 日には、第一期 37 名の修了生を送り出しました。修了式 には、モンテッソーリ協会会長はじめ、関係各位のご出席を賜り、祝福の お言葉をしっかりと胸に刻み、それぞれの現場へと巣立って参りました。 ここまで順調に参りましたことは、モンテッソーリ協会ならびに、関係 各位、富坂キリスト教センターのご協力によるところが大きく、心より感 謝申し上げます。 上智コースからの実践講師全員が、当研究所の理事、または、会員とな り運営致しております。不手際のことも多々ございまして大変ご迷惑をお かけしておりますが、モンテッソーリ教育実施園、他、関係機関各位のご 協力、ご理解をいただき、お許しいただいておりますこと、心より感謝申 し上げます。 今までの歴史を引継ぎ、さらに、この大切な教育の使命を担っていく努 力を重ねて参りたいと思っております。 今後とも、ご指導、ご鞭撻をよろしくお願い致します。 当コースについての概要を、お知らせ致します。 事務局、およびコース会場 〒 112-0002 東京都文京区小石川 2 丁目 17 番 41 号 富坂キリスト教センター 2 号館 − 161 − Tel.(03)5805-6786 / Fax.(03)5805-6787 ホームページ http://www.ti-montessori-e.main.jp/ 学生数 一年次生 21 名 二年次生 27 名 (4 月 7 日現在 ) 講義項目および講師 当コース、コース長は、上智コース同様、クラウス ・ ルーメル(上智大 学名誉教授、日本モンテッソーリ協会名誉会長)、教務主任には、堀田和 子(モンテッソーリ原宿子供の家、すみれが丘子供の家園長)が就任し、 上智コースの授業内容と同等の講義を行うこととし、実践、および理論の ほとんどの講師は、引き続き当コースで講義を行っております。また、新 たに理論講師には、前之園幸一郎先生、林信二郎先生などモンテッソーリ 協会の会長、理事の先生方にもご参加いただき、充実した講義となってお ります。 各領域ともコース実践講師の次世代育成も大切な時期ですので、上智コ ース修了の中堅の方々が各領域の副担当として活躍しています。 各講師による講義項目は、当コース案内を参照ください。 2008 年 9 月 3 日には、 「モンテッソーリ教育をめぐる諸問題」というテ ーマにて、上智大学名誉教授の平野智美先生による特別講義を開催しまし た。 モンテッソーリ教育が、今日まで継承されている理由と、また、それゆ えに起こったさまざまな批判について、詳細な文献をもとに講義をお聞き しました。 学生達は初めて聞く批判に目を丸くしながら、そのような批判や中傷に 会いながらも、100 年続いているモンテッソーリ教育の普遍性について考 えているようでした。また、崇高な教育と考えていたモンテッソーリ教育 だが、疑問に思ったり、ここは、このように変えてみるのはどうなのだろ うか、といった自分の考えなど、かえってモンテッソーリ教育を伸び伸び と学んでいこうとする気持ちが沸いてきたようで、皆同様に、モンテッソ ーリが目指していた教育とは何か、今日どのように引き継いでいくべきな のかを心に刻んだよい機会となりました。 今後とも、当コースでは、学生達が、深く、豊かな気持ちでモンテッソ ーリ教育を学び、継承と改革を進めていけるよう、講師一同努力して参り − 162 − 教員養成コース報告 ますので、関係各位のご理解、ご指導、ご協力をお願い申し上げ、ご報告 とさせていただきます。 東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンター 松 本 静 子 所長 2008 年 3 月の卒業試験には、国際試験官としてヒラ ・ パテル先生をお 迎えし、昼間部 33 期生 21 名、夜間部 25 期生 12 名が卒業いたしました。 ヒラ ・ パテル先生は、ロンドンのコースでトレーナーをされた後、試験官 として世界中を訪れていらっしゃり、3 度目の来日となりました。試験期 間を通じて貴重なお話をうかがうことができ、また同窓会主催の講演会に て『知ること、愛すること、そして仕えること』というタイトルでご講演 をいただきました。 パテル先生からもアドバイスをいただき、子どもにとって活動しやすい 環境のモデルとなるよう、春休みにセンターの実践室を模様替えいたしま した。全体的に提供棚を低くし、低い水道を設置しました。 2008 年度は、昼間部 19 名、夜間部 38 名、計 57 名が在籍しております。 2009 年の国際モンテッソーリ協会はインド ・ チェンナイにおける第 26 回国際モンテッソーリ大会で幕を開きます。前回のシドニー大会から 4 年 ぶりの世界大会、アジアでの開催は 1991 年奈良大会以来となります。イ ンドはマリア ・ モンテッソーリ先生が約 8 年間を過ごされ、大きな影響を 与え、また受けられた地であり、モンテッソーリ先生と同じように、未来 への希望としての子どもの教育の重要性を訴えたガンジーの国でもありま す。意義深い感動的な大会となることを楽しみにしておりました。しかし、 11 月に起こったテロの影響で、外務省から危険情報が出されて日本から の大会参加ツアーが実施できなくなり、私も参加を断念いたしました。卒 業生の中川晶子さんがお一人で参加されたのが幸いではありましたが、私 から皆様にご報告できないことを大変残念に思うと同時に、「子どもから − 163 − 始まる平和」を目指し地道に努力を続けてきた私たちの道がまだまだ遠い ことを思い知らされております。 研修生制度 モンテッソーリ園ご勤務の方、ならびに既卒者を対象とした制度で、分 野毎に実践の授業を聴講することができます。正科生への編入、ディプロ マ取得、アルバム製作は認められません。 各分野の授業開始日程及び諸規定等詳細につきましてはお問い合わせく ださい。 2008 年 5 月 関西研修会(伊丹) 8 月 AMI 第 25 回短期実践研修会(相模原) 8 月 JAM 全国大会(仙台) 8 月 新潟教区研修会 8 月 信望愛コース 20 周年記念 2009 年 1 月 10 日〜 12 日 九州研修会(鳥栖) 3 月 21 日 AMI 国際試験官講演会 5 月 関西研修会(和歌山) 7 月 21 日〜 23 日 第 26 回短期実践研修会(相模原) 11 月 21 日〜 23 日 東北研修会 ◇例年 8 月に行っております短期実践研修会は、今年は会場の都合で 7 月 21 日からの開催となります。内容等の詳細はお問い合わせください。近 くなりましたらホームページでもご案内いたします。 * HP………http://www.geocities.jp/ami_tokyojp/ * E-Mail … ami_tokyojp@ybb.ne.jp * AMI …… http://www.montessori-ami.org/ − 164 − 教員養成コース報告 九州幼児教育センター・モンテッソーリ 教員養成コース 藤 原 江理子 委員長 平成 20 年度現在の当コース在籍生は、2 年次生 13 名 ・1 年次生 23 名で す。皆様の変わらないご指導とご支援に感謝申し上げますと共に、主な活 動を下記に報告致します。 1. 実践講習会 当コース主催の実践講習会は、モンテッソーリ教育のより広い普及を目 指すだけでなく、1 年生をはじめとする既受講者の学習の見直しにもよい 機会になっています。今年の実施概要は次の通りです; ・春期実践講習会(日常生活課程) 平成 20 年 5 月 3 日〜 5 月 5 日 ・夏期実践講習会(感覚課程) 平成 19 年 7 月 24 日〜 7 月 26 日 ・同上(言語課程) 平成 20 年 8 月 21 日〜 8 月 24 日 2. センター主催研修会『MF2008』 当センターは『モンテッソーリ・フィールドチャレンジ(通称 MF)』を 企画・主催し、福岡市内で隔年実施しています。モンテッソーリ教育法の 実践を重視する講習会とは趣を変え、次のような研修趣旨を掲げています。 1)多様な分野の理論や研究・実践に触れる機会を通して、モンテッソ ーリ教育法に対するより深い理解を目指す 2)幼児教育を取り巻く最新の情報を発信しつつ、九州におけるモンテ ッソーリ教育の普及と活性化を図る 3)モンテッソーリ教育に興味・関心をもつ様々な人々の交流の場を提 供する 今回は日本モンテッソーリ協会九州支部の後援を得て、2006 年に続く 二度目の実施となりました。 ・日程 平成 20 年 11 月 1 日・2 日 − 165 − ・会場 福岡県立ももち文化センター ・講師 江島正子 ・ 針塚進・関聡(敬称略) 信望愛学園モンテッソーリ教師養成コース 佐々木 良晴, S.J. 委員長 当コースが創立されて 20 周年を迎えるにあたり、種々の記念行事が企 画されている。 卒業生研修会の最終日には、記念講演会(講師:松本静子先生)と祝賀 会があった。愛と祈りの心に満ちたすばらしいお話だった。祝賀会は、ほ とんど女性なので、華やかな宴となった。思い出話やスライドを通して、 20 年の歴史の流れがよく理解できた。 20 年の基礎の上に今後の更なる発展を願って、それぞれの現場に戻った。 2007 年度の活動は次の通りである。 ・園 長 主 任 会:1 回…6 月 26、27 日 45 園、59 名参加 相良敦子先生を講師にお招きした。 ・実習指導者研修会:2 回…6 月 19、20 日 12 園、16 名参加 10 月 30、31 日 12 園、16 名参加 ・卒 業 生 研 修 会:1 回…8 月 23、24、25 日 157 名参加 ・講 習 会:5 回…4 月 3、4 日 日常 35 名参加 7 月 24、25 日 感覚 43 名参加 7 月 26、27 日 数 44 名参加 11 月 27、28 日 言語 15 名参加 11 月 29、30 日 文化 10 名参加 ・ス タ ッ フ 研 修 会:3 回…5 月 1、2 日 9 月 21、22 日 12 月 21、22 日 各回 13 名参加 ・本 科 生:20 年度 1 年生 51 名 2 年生 54 名 ・卒 業 生:45 名(2008 年 3 月 28 日卒業) − 166 − 教員養成コース報告 京都モンテッソーリ教師養成コース 赤 羽 惠 子 委員長 2008 年 3 月 8 日(土)夕刻 5 時から第 35 回本コース卒業式が深草こど もの家で行われました。北海道から九州まで日本全国から集まり、(月に 1 回、土・日の集中講座)2 年間喜び、苦しみを共にした仲間が、ローソ クを手に、線上歩行の曲に導かれ、ホールを埋め尽くしました。 九州地方から 9 名、中国・四国地方:8 名、近畿地方:18 名、北陸・中 部地方:24 名、関東以北:7 名、合計 63 名でした。 式終了後、「あいうえおの歌」三部合唱を高らかに歌い、その笑顔で記 念写真撮影。パーティーは有志が持ち寄った自慢の郷土料理で自由におし ゃべりするのが慣わしです。 京都コースの役割は、京都に来て下さる新人の養成以外に、これら遠く 離れて任に就いている数多くのモンテッソーリ教師をいかに応援すること が出来るかに重い責任があります。 そこで恒例の夏期講習会の今年のテーマは――Mission – Passion – Action ――(保育者の使命を―情熱を込めて-実践しつづけよう)となり ました。 7 月 20 日(日) 於:京都 大谷ホール(全体会) 講演: 「保育への情熱と保育者のセンス」 講師:山下栄一先生(関西大学名誉教授) 「保育への情熱は“良きセンス”に裏付けられなければならない」 講演: 「子どもといっしょに絵本の世界へ」 講師:中村柾子先生(児童文学者) 「絵本をえらぶときの基本は、まず子どもを知ること、見ること。 子どもはどんどん変わっていくことを忘れないこと」 7 月 21 日 ( 月・祝日 ) 於:深草こどもの家 4 コースに分かれて、保育実践の問題を討論しました。 ☆教員養成状況 1.専門コース 新 1 年生 40 名 2 年生 63 名(含む編入生) − 167 − 2.基礎コース 75 名 ☆問い合わせ先:京都モンテッソーリ教師養成コース 住所:京都市伏見区深草向ヶ原町 17 番地 電話:075-641-8410 FAX:075-642-8588 純心モンテッソーリ教員養成コース 松 川 暢 男 長崎純心大学人文学部 児童保育学科 学科長 平成 17 年度から始まった本コ一ス第 1 期生の実技資格試験を、信望愛 学園モンテッソーリ教師養成コースの諸先生のお導きの下、8 月に実施い たしました。第 1 期生は、3 学年(平成 15 年、16 年、17 年入学)の 23 名が受験しました。実技資格試験は卒業後 2 年目、1 年目、現大学 4 年生 という実体験の差のあるコース生が対象でした。そのため、受験生の 1 年 4 ヶ月の保育現場体験、4 ヶ月の体験、実習だけの体験の違いはさまざま な面で見受けられ、今後の学生指導のために貴重な示唆を得ることが出来 ました。第 1 期生のコース修了は平成 21 年 3 月になります。 第 2 期生である 3 年生は 19 名、第 3 期生は 10 名で、第 4 期生となる 1 年生の希望者は、7 月末で 17 名ですが後期 10 月に確定します。第 2 期生 からは、本学卒業と同時に、日本モンテッソーリ協会認定のモンテッソー リ教員免許取得者になります。本学コースの教育の重大性と責任をひしひ しと感じております。 今年度実施いたしましたコースの授業は以下の通りです。 1. 理論科目 モンテッソーリ教育学特論Ⅰ 前期 90 分授業 15 回 第 4 期生対象 モンテッソーリ教育学特論Ⅱ(4 年間の集中講義 ・90 分授業 24 回) 10 月 6 日 集中講義 モンテッソーリの児童観 − 168 − 相良敦子先生 教員養成コース報告 5 月 10 日 同上 保育の場におけるモンテッソーリ教育 下條善子先生 2. 実践科目 第 1 期生 4 月〜 5 月 5 日間 総練習及びペーパーテスト 第 1 期生 8 月 モンテッソーリ教員免許取得のための実技資格試験 第 2 期生 毎週 90 分の授業科目 モンテッソーリ教具提供法Ⅱ 第 3 期生 毎週 90 分の授業科目 モンテッソーリ教具提供法Ⅰ 3. 専攻演習Ⅰ ・ Ⅱ 第 1 期生 ・ 第 2 期生(3・4 年生)各毎週 90 分 内容「モンテッソーリ教育に関する卒業論文」「教具アルバム作成」 「教具提供の練習」…これらの未完成分は自主研究 4. 自主練習 授業の空き時間 ・ 土 ・ 日曜日等に教具等の自主練習 5. モンテッソーリ教育実習指定園における教育実習 第 1 期生 4 年生 幼稚園教育実習Ⅱ 2 週間 モンテッソーリ教育特別実習Ⅱ 1 週間 第 2 期生 3 年生 幼稚園教育実習Ⅰ 2 週間 第 3 期生 2 年生 モンテッソーリ教育特別実習Ⅰ 1 週問 第 4 期生 1 年生 モンテッソーリ教育実習園 見学実習 3 日間 6. 総練習 各年次とも土曜日等に「補講」として必要時間設定 − 169 − 事 務 局 報 告 − 170 − − 171 − 事 − 172 − 松本 良子 19 鈴木 成一 山本 雅子 − 173 − 平成 19 年度編集委員会年間収支決算書 上記の通り相違ありません。 平成 20 年 6 月 28 日 編集委員長 江島 正子 ㊞ 第 42 回全国大会—予告— 開催期間:平成 21 年 8 月 1 日(土)・2 日(日) ・3 日(月) 会 場:福井市地域交流プラザ「アオッサ」 〒 910-0858 福井市手寄 1 - 4 - 1 ☎ 0776(20)1535(JR 福井駅東口より徒歩 1 分) 大会テーマ:「教育に希望をつなぐために」 ―モンテッソーリ教育の真髄をさぐる― 基調講演講師:小西 行郎 (日本赤ちゃん学会理事長・同志社大学教授) 大会事務局:☎ 0776(66)2564 / 0776(66)5715 E-mail : info@tubomi.jp つぼみ保育園内 第 43 回全国大会—予告— ・例年通り、四国支部担当にて開催するが、詳細に関しては、 目下審議中 − 174 − 日本モンテッソーリ協会役員 ) 名誉会長(名誉理事長) (青山学院女子短期大学) 会長(理事長) 副会長(副理事長) ドメニコ・ヴィタリ (愛珠幼稚園) 松川 暢男 (こじか「子どもの家」 ) (信望愛学園モンテッソーリ教師養成コース) (宮の沢さくら保育園) (東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンター) − 175 − (こじか「子どもの家」 ) 野原由利子 (名古屋芸術大学) − 176 − 20 年度入会者支部別一覧表 平成 20 年度 次の方々と施設がご入会なさいました。 東京支部 東北支部 北 3334 佐藤 真澄 東 3361 浅上 ちひろ 北 3335 佐藤 ひとみ 東 3363 井口 温代 東 3365 小澤 ゆかり 東 3367 小林 鈴香 関 3344 大澤 彩 東 3368 小俣 文子 関 3345 太田 聖美 東 3369 滝沢 みき子 関 3346 大原 梢 東 3370 中村 友美 関 3347 金子 未来歩 東 3371 日置 敬子 関 3348 小山 香織 東 3331 雨森 政恵 関 3349 関口 舞 東 3362 荒西 嘉子 関 3350 瀬戸 明美 東 3364 大草 利恵子 関 3351 多胡 尚美 東 3366 金 炯範 関 3352 千葉 亮子 東 3374 孫 秀萍 関 3353 濱野 由佳 関 3354 保正 和恵 関 3355 堀田 海也 陸 3338 川島 秀美 関 3356 三橋 吾郎 陸 3378 澤田 佳江 関 3357 吉田 緩美 陸 3379 五十嵐 康子 関 3358 横井 陽香 陸 3380 達川 憲子 関 3359 渡辺 暁子 関 3360 渡辺 亜美 関 3333 神谷 きよみ 中 3332 星野 香里 関 3342 帆高 壽壯 中 3382 石川 久子 関 3343 安藤 陽子 関 3373 丹治 えみり 関 3375 田川 勝 畿 3337 林 光子 関 3376 風間 あき子 畿 3377 山中 香織 関東支部 北陸支部 中部支部 近畿支部 − 177 − 中国支部 国 3339 佐々木 良晴 九州支部 九 3340 江口 浩三郎 九 3341 横尾 洋子 九 3372 森 都 海外支部 海外 3336 程 鈺菁 維持会員 維持 99 信望愛学園 220 諏訪の森保育園 団体会員 団体 団体 221 大阪信愛女学院幼稚園 団体 222 葛カトリック幼稚園 団体 223 聖マタイ幼稚園 団体 224 木の実保育園 団体 225 清水台保育園 団体 226 学校法人みどり学園 団体 227 ゆたか幼稚園 団体 228 登別カトリック聖心幼稚園 団体 229 はぎの保育園 団体 230 しろき保育園 団体 231 聖母のさゆり保育園 団体 232 モンテッソーリ子供の家ぽこぽこ 団体 233 マリア幼稚園 幼愛園 団体 234 松文保育園 − 178 − 退会者会員 以下の方々と施設は、ご退職その他の事由によりご退会なさいました。 ご在会中のご活躍とご支援を覚え、心から敬意と謝意とを表させて頂き、なお、今後のご健勝と ご発展を祈らせて頂きます。 ほんとうに有り難うございました。ご機嫌よろしく、さようなら。 支部 会員番号 海 海 関 関 関 関 関 関 関 関 関 関 関 関 関 関 関 関 関 関 関 関 関 関 関 関 関 関 関 東 2449 3100 3167 3178 3046 1127 3283 2859 2614 504 3071 2818 3105 3106 3086 3165 2948 3058 2698 3116 3169 3170 3109 3110 3056 3131 3226 2931 3117 578 氏 名 本間 房 安部 知里 永田 美和 渡辺 功 井上 まりあ 青木 ミツ 朝一 絵里 小山 敦子 柴田 克子 小林 博子 持田 彩 石井 美代子 岩渕 加弥 遠藤 美智代 大橋 詔子 加藤 香織 北尾 都 齋藤 朋子 鈴木 美幸 矢崎 恵美子 堀切 紗恵子 松柳 絵美 北見 美佳 小泉 直登 郡司 宏美 横谷 大輔 岡田 明日香 山田 裕美 山口 基子 中林 康子 支部 会員番号 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 陸 陸 中 中 畿 畿 畿 国 国 国 国 四 四 維持 維持 団体 団体 団体 団体 団体 − 179 − 3266 3182 3252 2390 3121 3186 3070 3190 3306 3325 3053 74 3177 2195 2622 2365 3154 3142 2300 2768 2882 3081 2118 3029 56 92 156 114 74 102 226 氏 名 若月 靖子 岡田 真裕美 元山 清香 岸 英子 鈴木 陽子 瀧澤 直子 三谷 美子 光枝 美佳 大屋 美佐 生島 恵 川端 涼子 奥原 望 若月 奈央 竹内 通夫 小長井 茂里 村田 京子 小川 梨絵 西原 恵美 遠藤 康子 室賀 素子 原田 秀子 最上 学 下田 武雄 岡村 淑子 エミール保育園 宮の沢さくら保育園 八幡浜聖母幼稚園 太田カトリック愛児園 加世田聖母幼稚園 (社福)太陽の町 伊井保育所 May Children no Longer be Forgotten Citizens! Domenico Vitali, S.J. (Vice-President of Japan Association Montessori) In the October 31, 1951 issue, of the journal “Vita dell’Infanzia”, Maria Montessori wrote an article titled “Forgotten Citizens.” Written in the unsettled aftermath of World War II, 58 years ago, the article pointed out that while the living environment for adults was improving, that of children was becoming worse. “Children have less life with nature in the countryside, they spend less time with their mothers, less participation with adults.” What was true then has not improved today, it has become even worse. We have the responsibility to propagate this message of M. Montessori and the task to create throughout the world a better life for children. − 180 − The Universality of Montessori Method for the Development of the Human Potential Silvana Quattrocchi Montanaro, M.D. ( Montessori Institute AMI of Rome ) During the year 2007 we have celebrated, all over the world, the Centenary of the Montessori Method, an educational method linked to the discovery of the very young children. This celebration pushes us to look for the reason of such great success that is not linked to the richness of the means employed or to the social and economical conditions of the families whose children have the opportunity to attend a school where this method is applied. The Montessori Method has an universal value, it can be applied, successfully, in every place and in every time as its long history clearly shows: today. There are, all over the world, 22.000 schools in 110 countries, where this method is used. But it is certainly very important to consider attentively the reason for such a world-wide success. I believe that we can declare that universality of the educational method which brings the name Montessori must be attributed to its scientific character. This method derives from the study and application of knowledge coming from scientific observation of children who have revealed the laws of mental development of human beings in the first years of their life. − 181 − Toward a Better Environment for Children to Live and Grow up Domenico Vitali, S.J. (Vice-President Japan Association Montessori) The World in its history has advanced in many ways - does this also apply to our children? Once again, we should consider this problem seriously: Are our children really growing up properly in our present society? Looking at various incidents, must we not say on the contrary that they are not growing up properly? To quote some incidents − a member of a baseball team, to fulfill his own passion seduced a girl; getting mixed up emotionally children killed their own fathers; elementary school children kill their own companion − many such incidents are reported recently. On the other hand, mass media report that these were ordinary children that there was nothing wrong with them before. Is not a society crazy which reports such children as <ordinary> children? Yet, children have to grow up in such a society. What kind of educational assistance could we offer under these circumstances? Children in Japan, children allover the world, need our help. The Montessori method based on scientific research is being widely discussed. Adults, educators, parents should watch their children closely, try to understand their hearts with patience and magnanimity. − 182 − A Look at Montessori’s “The Least of These” - A Revision of “A Method of Scientific Education” and “The Children’s Home”Koichiro Maenosono (President of Japan Association Montessori) Montessori’s main writing is The Method of Scientific Education Applied to Early Childhood Education in the Children’s Homes (Il Metodo della Pedagogia Scientifica applicato all’ educazione infantile nelle Case dei Bambini, 1909). The English translation is The Montessori Method, below abbreviated as “The Method.” Since its first publication in 1909, there have been four revisions. When the last revision was published in 1950, the title of the book was also changed to Discovery of the Child. This article will deal with the following three points. 1) Why was the “The Method” published in Città di Castello, a city in the province of Italy. I will explain this by an examination of the intimate relationship between Baron Franchetti and Montessori and the distinctive features that can be seen in the four revisions of “The Method.” 2) The background and various distinctive characteristics of the establishment of the Children’s Home at Via Giusti (“Casa dei bambini a Via Giusti), the Children’s Home of St. Angelo in the Pescheria District, Rome (“Casa dei bambini” di S. Angelo in Pescheria a Roma), and the Children’s Home on the hill of Pincio (“Casa dei bambini” at Pincio), which were built in succession after The Children’s Home at San Lorenzo (“Casa dei bambini” at San Lorenzo), are outlined and the educational principles permeating the foundation of all the “Children’s Homes” are considered. − 183 − 3) And finally, what Montessori thought about children’s internal nature and what she highly regarded as the basic posture that teachers must prepare themselves to assume is investigated. − 184 − Teaching Music Based on Montessori Education Kaori Tonoko (Graduate student, Elisabeth University of Music) In the course of my work in Japanese kindergartens and elementary schools, I have identified many essential elements common to both Montessori education and music education. I have found that various musical activities such as listening, singing and performing connect on a direct line with “the exercises of practical life” and “sensory education” in children’s development. Moreover, the teacher’s awareness of the children and the method of instruction she uses as well as the cooperation of other teachers are of great importance for proper development in musical activities. Correct use of the body is the basic condition for beautiful singing and musical performance. In this study, I discuss in particular sensitivity to sound and awareness of muscle movement in instrumental performance. I give examples of the activity of 6-year-old children learning Japanese folk drumming and consider the basic musical activities – listening, silence, singing, rhythmic movement – leading to the introduction of instrumental performance. Maria Montessori stated that “attention to movement” constituted one of her important discoveries. Her work clarified on a physiological basis the process through which voluntary movement leads to the growth of intelligence. I have found that her viewpoint and method of presentation can be used to advantage at every stage of teaching music to children. − 185 − Report by a Pediatrician of an Independent Clinic on the Effective Treatment of an ADHD (Hyperactivity) Patient Using the Montessori Approach. Tadashi Aoki (Aoki Clinic) The patient fulfilled the conditions of the diagnosis of the ADHD standard test. He was 2 years 9 months 12 days old when he had his first medical examination. There was also a variety of aggravating factors. The patient was nursed exclusively by his mother, hence he was very much attached to his mother. The mother was informed about the necessity of the assistance to develop a peculiar sensitivity during the development stage in early childhood. She was instructed about the “Exercises of Daily Life” and practiced it in routine work. The patient was ordered to come to the Clinic every week for the management of his treatment. At the beginning, the examination was extended to 2 hours or more. His behavior was observed, assessed and evaluated. Then new work was assigned to him. Based on the result of the work on the “Exercises of Daily Life” activity was decided and repeated in every week session. Three months after the first interview considerable improvement was recognized. As pediatrician working at an independent Clinic and as medical physician I report on the progress achieved through treatment applying the Montessori Method on the patient. − 186 − The Acquisition of Written Language from Spoken Language Yuriko Nohara (Nagoya University of Arts) Kyoko Morishita (Mizuho Kodomo no Ie) Naoko Murata (Nonami Hoikuen) In the “Kindergarten Education Guideline”, “Nursery School Childcare Guideline” and “Elementary School Teaching Guide for Study of Japanese (Grade 1-2)” is a considerable difference concerning the goal of achievement. There is agreement on the basic learning of becoming interested through life activities and play, though but it is not free of regularity and continuity. Difference may occur due to the varying of life conditions, attention should be payed to the importance of Montessori materials for pre-school age by which hands are used and by which through repeated work a basic understanding of the written word is acquired. I present experience in two different Kindergarten paying due attention to life and play, of how children acquired in a playfeel manner an understanding of the written word using Montessori materials. I present examples proving that Montessori language materials are helpful (1) in promoting interest in writing, (2) deepening understanding, (3) improving skills, (4) understanding continuity. − 187 − 40 Years Montessori in Japan (1) Klaus Luhmer, S.J. Hon. President of Japan Association Montessori As I was present on July 21, 1968 when the Nihon Montessori Kyokai (Japan Association Montessori; JAM) was founded, there are un-numerable memories in my mind when I look back to those 40 years. Since what I write will be based on my memories and various materials which I collected; there may be some omissions – I apologize and invite the reader to supplement my weak memory. At the outset, there were 2 focuses in the JAM movement, one centered around father Peter Heidrich, S.J. in Tokyo, the other centered around Prof. Tsuneyoshi Tsutsumi in Kyoto. It goes without saying that JAM from the time of its foundation, always had to be careful not to offend anybody, to respect various channels (Italy, USA, India, Germay, etc) influencing the development of JAM, most of all the precarious contact to the Association Montessori Internationale (AMI). The General Secretary of AMI Mario Montessori jr. insisted very much that there should be only one Montessori Association in Japan – I thank all of you readers that so far we were able to keep his desire, asking your further support. − 188 − モンテッソーリ教員養成コース I. 日本モンテッソーリ協会公認モンテッソーリ教員養成コース ・NPO 法人東京モンテッソーリ教育研究所・付属教員養成コース コース長 クラウス・ルーメル 〒 112-0002 東京都文京区小石川 2 丁目 17 番 41 号 富坂キリスト教センター 2 号館 ☎ 03-5805-6786 / fax 03-5805-6787 http: //www.ti-montessori-e.main.jp/ ・九州幼児教育センター・トレーニングコース (モンテッソーリ教員養成コース) 所長 藤原 江理子 〒 811-3425 福岡県宗像市日の里 7-21-4 ☎ 0940-36-7008 E-mail: ktcourse@mb.infoweb.ne.jp http: //homepage4.nifty.com/ktcourse/ http: //hpm3.nifty.com/ktcourse/(携帯サイト) ・信望愛学園モンテッソーリ教師養成コース 委員長 佐々木 良晴 〒 735-0014 広島県安芸郡府中町柳ヶ丘 36-7 ☎ 082-581-1337 ・京都モンテッソーリ教師養成コース 委員長 赤羽 恵子 〒 612-0817 京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 17 ☎ 075-641-8410(8280) E-mail: mc.Kyoto@theia.ocn.ne.jp ・純心モンテッソーリ教員養成コース 長崎純心大学人文学部 児童保育学科 学科長 松川 暢男 〒 852-8558 長崎県長崎市三ツ山町 235 ☎ 095-846-0084(代) − 189 − II. 国際モンテッソーリ協会公認モンテッソーリ教員養成コース 東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンター 所長 松本 静子 〒 228-0801 神奈川県相模原市鵜野森 2-20-2 ☎ 042-746-7933 E-mail: ami_tokyojp@ybb.ne.jp http: //www.geocities.jp/ami_tokyojp/ III. 日本モンテッソーリ教育綜合研究所教師養成コース 〒 145-0063 東京都大田区南千束 2-3-1 ☎ 03-3727-9864 E-mail: montessori@gakken.co.jp http: www.sainou.or.jp@monte-new/ IV. うめだ・あけぼの治療教育職員養成所 〒 123-0851 東京都足立区梅田 7-19-23 ☎ 03-3889-1700 − 190 − 日本モンテッソーリ協会会則 第 1 条(名 称) 本会は、日本モンテッソーリ協会という。 第 2 条(事務局) 本会は事務局を〒 112-0002 東京都文京区小石川 2 - 17 - 41 富坂キリスト教センター 2 号館に置く。 第 3 条(目 的) 本会は、日本におけるモンテッソーリ教育研究者間の連携協同により、 モンテッソーリ教育原理と実践を研究し、その普及を図ることを目的と する。 第 4 条(事 業) 本会は、前条の目的を達成するために次の事業を行う。 (1)モンテッソーリ教育法の実践及び普及。 (2)モンテッソーリ教育法の指導者の養成及びモンテッソーリ教育養 成コースの認定。 (3)モンテッソーリ教育教材の研究作成及び普及。 (4)講演会、研修会及び研究発表会の開催。 (5)モンテッソーリ教育に関する印刷物の発行。 (6)海外諸国のモンテッソーリ協会との交流及び情報の交換。 (7)その他、必要な事項。 第 5 条(会 員) 1、本会の会員は、本会の目的に賛同して所定の入会手続きを経た個 人及び団体とする。 2、会員は本会則第 19 条に定める会費を納入しなければならない。 3、会員には本会発行の印刷物を配布する。 4、第 1 項に定める会員以外に、 本会の運営水準を保つ賛助金出資者を、 維持会員という。 ただし、維持会員は、理事選挙の選挙権、被選挙権を持たない。 5、会員が次の各号の一に該当する場合には、その資格を失う。 (1)会員である個人が死亡、又は一身上の事由によるとき。 (2)会員である団体が消滅したとき。 (3)1年以上会費を納めないとき。 − 191 − 第 6 条(支 部) 1、本 会は、会員の希望により、一定地域の中で、支部を設置するこ 2、支部の設置及び運営に関しては、理事会に申請し、理事会及び総 会の承認を得るものとする。 3、支部は、本会の理事選挙規定に則って理事及び支部長の選出を行う。 とができる。 第 7 条(役 員) 本会に次の役員を置く。 名誉会長 1名 会長(理事長) 1名 副会長(副理事長) 2名 常任理事 若干名 理 事 若干名 監 事 2名 顧 問 若干名 第 8 条(役員の職務) 役員の職務は次のとおりとする。 (1)名誉会長は、本会の活動理念に基づき、会長(理事長)に対して 意見を述べ、若しくはその諮問に答え、又は報告に徴すことがで きる。 (2)会長は、本会を代表し理事長となり、本会を総督する。 (3)副会長(副理事長)は、会長(理事長)を補佐し、会長(理事長) に事故ある時にその職務を代行する。 (4)常任理事は常任理事会を構成し、本会の常務を審議し、職務を行う。 (5)理事は、理事会を構成し、本会の重要な事項を審議し、職務を行う。 (6)監事は本会の会計及び業務の執行状況を監査し、その結果を総会 に報告する。 (7)顧問は、会長(理事長)が委嘱し本会の諮問に応ずる。 第 9 条(役員の選出) 1.理事の選任は次のとおりとする。 (1)本会の定める選挙規定に従って各支部ごとに選出された者 14 名。 (2)各モンテッソーリ教員養成コースの代表者又はこれに代る者、 並びに事務局長。 − 192 − (3)上 記 1、2 号の理事によって推薦され、会長(理事長)の任 2.会長(理事長)、副会長(副理事長)、常任理事は、 理事の互選とする。 命による者、若干名。 3.監事は、 理事又は本会の職員以外の会員から会長 (理事長) が推薦し、 委嘱する。理事又は本会職員をかねてはならない。 第 10 条(役員の任期) 役員の任期は 3 年とし再任を妨げない。 第 11 条(機 関) 1.本会は次の機関を置く。 (1)総 会 (2)理 事 会 (3)常任理事会 2.必要に応じて、各種委員会をおくことが出来る。 第 12 条(総 会) 1.総会は、本会の最高の議決機関であって全会員をもって構成する。 2.総会は、年一回以上会長(理事長)が招集する。 3.総会に議長を置き次の事項を議決する。 (1)事業計画及び予算 (2)事業報告及び決算 (3)会則の改正 (4)その他、本会が必要と認めた事項 第 13 条(理事会) 1.理 事会は、理事をもって構成する。監事は、理事会に出席するも のとする。 2.理事会は、総会に属する議事決定事項以外でこの会が必要とする 重要な事項を議決する。 ただし総会を開くいとまがない時は、総会に代わって議決するこ とができる。 3.理事会は会長(理事長)が招集する。 第 14 条(常任理事会) 1.常任理事会は理事の互選によって選ばれた者で構成する。監事は、 常任理事会に出席するものとする。 2.総会は理事会を開くいとまのない時は、総会又は理事会に代わっ て議決することができる。 3.常任理事会は会長(理事長)が招集する。 − 193 − 第 15 条(各種委員会) 1.本会は必要に応じて委員会を設置することができる。 2.委員会は理事 2 名以上が委員となり、当委員会の課題によって会 員の協力を求めて委員会を組織する。 3.委員会は経過、結論を理事会に報告するとともに、その目的を達 成したときは、これをすみやかに解散する。 第 16 条(表 決) 総会及び理事会と常任理事会の決議は出席者過半数の同意をもって決 し、可否同数のときは議長又は会長(理事長)の決するところによる。 第 17 条(事務局) 1.本会の事務を処理するために事務局を置く。 2.事務局には次の職員を置く (1)事務局長 1名 (2)書 記 若干名 (3)会 計 1名 3.前項第2号及び3号の事務局職員は常任理事会が委嘱する。 第 18 条(会計年度) 本会の会計年度は、毎年 8 月 1 日に始まり、翌年 7 月 31 日に終る。 第 19 条(経 費) (1)本会の経費は、入会金 2000 円、個人・団体年額 5000 円。入会金 不要の維持会費年額一口 10,000 円、寄付金、その他の収入による。 (2)維持会費は、個人・施設とも一口以上、上限は定めない。 第 20 条(規 定) (1)この会則に定めない事項で、本会の運営のために必要と考えられ る規定(別表参照)は、理事会の議を経て総会で定めることがで きる。 この会則に定めない事項で本会の運営のために必要と考えられる規定 (別表参考)は以下のとおり。 [別 表] (1)選挙管理委員会規定 (2)理事選挙規定(投票要領は別にあり) (3)編集委員会規定(投稿・査読に関する規定・要領は別にあり) (4)支部規定 − 194 − [創 立] 日本モンテッソーリ協会の創立月日 昭和 43 年(1968 年)7 月 21 日 附 則 1.この会則は、昭和 43 年 4 月 1 日から施行する。 1.この会則は、平成 7 年 8 月 1 日から一部改正し、施行する。 1.この会則は、平成 10 年 1 月 10 日から一部改正し、施行する。 1.この会則は、平成 16 年 7 月 30 日から一部改正し、施行する。 1.この会則は、平成 17 年 8 月 1 日から一部改正し、施行する。 1.この会則は、平成 19 年1月 27 日から一部改正し、施行する。 1.この会則は、平成 20 年 8 月 1 日から一部改正し、施行する。 − 195 − 『モンテッソーリ教育』第 42 号原稿募集 <論文、実践報告・事例報告> 内容……自由、分量……原稿用紙(400 字詰)25 枚以内(ヨコ書き) <書評・海外情報> 分量……原稿用紙(400 字詰)10 枚程度(ヨコ書き) <執筆要領>(論文、実践報告・事例報告) 『モンテッソーリ教育』への投稿は、次の規定に従うものとする。 1.論文のテーマは、モンテッソーリ教育に関する理論と実践についての研究、 およびモンテッソーリ研究に関連したものであること(未刊行のものに限る) 。 2.論文原稿は、ヨコ書きとし、次の点を厳守すること。 ①本文は、図、表、注を合わせ、400 字詰原稿用紙 25 枚以内とすること。 (た だし、注および引用文献は、1 字 1 ますとする。算用数字と欧文は 2 字 1 ま すとする)。パソコン使用の場合は 32 字 33 行の書式で 10,000 字以内。 ②図、表は文中に挿入せず、別の用紙に貼付し、論文原稿には挿入すべき箇所 を指定しておくこと。 ③制限枚数をこえた場合は、書き直しを求めることがある。 3.原則として常用漢字、新仮名づかいを使う。 4.注および引用文献は、原則として文中の該当箇所の右肩に(1) (2)として 表記しておいて、論文原稿の末尾にまとめる。 5.引用文献の記述の形式は、次の通りである。 (1)紀尾一郎『モンテッソーリ教育学』エンデルレ書店、1995 年、30 〜 35 頁。 (2)藤井 勝『モンテッソーリ教育学の性格』、東京太郎編『モンテッソーリ 教育の理論』新教育学全集第 3 巻、西風社、1994 年、230 〜 236 頁。 (3)太田さゆり「モンテッソーリと新教育」 『ペスタロッチ学会紀要』第 5 巻、 1995 年、50 頁。 (4)Montessori, M., Das Spannungsfeld (Wien:Herder. 1979) pp. 33-40. (5)Moller, A., “Models in a New Education”, In Merton R. K, (ed, ), Sociology Today (New York: Paulist Press, 1959), p.145. (6)Newman S., “On the Montessori Tomorrow”. German Review 24 (1959), p.750. (7)ibid., p. 779. 6.欧文摘要(200 語程度)及びその邦訳(400 字程度)を添付すること。 − 196 − 7. 原稿は 3 部(コピーでよい)提出すること。パソコン使用の場合は完成原 稿のほかにそのファイルを入れた CD-ROM(MS-DOS テキスト変換したもの) を添付し、ディスクの表に使用機種名および氏名、ファイル名を記入すること。 なお、和文の句読点はテン(、)及びマル(。)を使用のこと。 <原稿締切> 2009 年 9 月末日(期日厳守) <原稿提出先> 〒 162-0845 東京都新宿区市谷本村町 2―15―308 四谷モンテッソーリ研究所 日本モンテッソーリ協会 『モンテッソーリ教育』編集委員会 編集委員長 江島正子 *原稿には勤務先、氏名(フリガナ付記)を記入して下さい。 *図版等で多額の出費を要する場合、執筆者に負担を求めることがあります。 *連続投稿はご遠慮下さい。 *ディスクと一緒にハードコピー(出力紙)を添えてご提出下さい。文字化けが 生じても、復元することができます。 *ソフトは、Word(ウインドウズ、マッキントッシュ)や Excel をご使用下さい。 その他のソフトをご使用の場合には、テキストファイルで保存したデータをご 用意下さい。 *ディスクはケースに入れる等、破損を防ぐ工夫をお願いします。 − 197 − 『モンテッソーリ教育』論文投稿規定 『モンテッソーリ教育』における「論文・実践研究」については、以下の投稿規 定に従うものとする。 投稿資格 1)本学会会員 2)本学会会員と共同研究を行う者 3)特に編集委員会が認めた者 投稿原稿 1)投稿原稿は未発表のものに限る。また、他の学術雑誌に投稿予定 の論文は投稿することができない。 2)分量および書き方は、別に定める執筆要領による。 採否 1)投稿原稿は編集委員会で査読する。 2)査読結果により、所定期間内に旧原稿と修正箇所を明記した文書 を添えて再提出する。旧原稿の返却後、期限内に再提出されない 場合は、期限切れにより原稿の撤回とみなされる。著者の都合に より撤回する場合は、その旨を編集委員会に書面で連絡する。撤 回された原稿が再度提出された場合は、新投稿論文として扱う。 3)投稿者は査読結果に異議があるとき、編集委員会に書面により反 論を申し述べることができる。それに対して編集委員会は書面に より回答する。 著作権 本誌の掲載文に関する著作権は原則として日本モンテッソーリ協会に 帰属する。したがって、本学会が必要とする場合は転載し、第三者か ら本学会著作物等の複製あるいは転載に関する承諾の要請があり本学 会において必要と認めた場合は、著作者に代わって承諾することがで きるものとする。また、編集委員会が本業務を代行する。 − 198 − 日本モンテッソーリ協会編集委員会規定 (目的・定義) 第 1 条 日本モンテッソーリ協会編集委員会(以下「委員会」という)は、会 則第 4 条第 5 号に則り設置され、学会誌『モンテッソーリ教育』の刊 行を目的とし、年 1 回発行する。 (使命) 第 2 条 本 誌はモンテッソーリ教育の理論と実践に関する研究、論文、実践、 書評、学会通信等、会員のモンテッソーリ教育研究活動に関連する記 事を記載する。 (構成) 第 3 条 本誌の編集には、理事会の委嘱を受けた委員から構成される委員会が あたるものとする。 (任期) 第 4 条 編集委員の任期は 3 年とする。但し、再任を妨げない。 (委員長) 第 5 条 委員会には委員長 1 名をおく。委員長は委員の互選によって選出する ものとする。 (幹事) 第 6 条 委員会の事務を円滑に行うため幹事若干名をおく。 (業務) 第 7 条 本誌各号の内容及び投稿論文の掲載採否については、委員会の合議に よって決定する。 第 8 条 掲載を予定される原稿内容及びその他について、委員会が再考を求め ることができる。 第 9 条 図版等で多額の出費を要する場合、執筆者の負担を求めることがある。 第 10 条 執筆者による校正時の大幅な修正は、原則としてこれを認めないもの とする。 附則 2006 年 8 月 9 日 施行 − 199 − JAPAN ASSOCIATION MONTESSORI Board Klaus Luhmer*(Hon. President) Koichiro Maenosono Ph. D.*(President) Domenico Vitali*(Vice President) Akira Machida*(Vice President) Ryoko Matumoto*(General Secretary) Keiko Akabane* Tamako Amano* Mitsuko Bando Masako Ejima Ph.D.* Eriko Fujiwara Shinjiro Hayashi* Morio Inui Kimiko Kai Chizuko Kataoka Yoshieko Koike Masako Nakao Yuriko Nohara Kiyoko Okuyama Atsuko Sagara Shinichiro Sasaki Yoshiharu Sasaki Yukie Shimojo Satoshi Seki Sadayoshi Tai Inspector Seiichi Suzuki Masako Yamamoto *member of the Executive Board Yurie Maehana Shizuko Matsumoto* MONTESSORI EDUCATION Editors Masako Ejima Ph.D.*(Chief Editor) Klaus Luhmer* Tamako Amano* Shinjiro Hayashi* Kimiko Kai Koichiro Maenosono Ph. D.* Shizuko Matsumoto* Yuriko Nohara Kiyoko Okuyama Atsuko Sagara Satoshi Seki Hiromi Suzuki* Domenico Vitali* − 200 − Secretaries Yoshie Honda Kaori Hirotsu Hiroko Tanaka *Executive Editors 編集後記 『モンテッソーリ教育』第 41 号をお届けします。 2008 年 8 月、仙台白百合学園で開催されました第 41 回全国モンテッソーリ大 会での全国編集委員会を皮切りに、数回の常任編集委員会および緊急編集委員会 を経て、このように内容豊かになって喜ばしく思います。 今号ではドメニコ・ヴィタリ氏の「巻頭言」を筆頭に、シルヴァーナ Q. モン タナーロ先生とドメニコ・ヴィタリ先生の2つの講演や前之園幸一郎先生の講演 が本機関誌に掲載できたことは、諸事情によって先の全国大会に参加できなかっ た会員の皆さまにとってこの上ない喜びとなるでしょう。藤村重文氏、司馬理英 子氏、深津高子氏、甲斐仁子氏、林信二郎氏による「シンポジウム」の内容にも 感動を覚えられるでしょう。仙台全国大会の研究発表からは渡子かおり氏や青木 正氏の研究発表の投稿がありました。また野原由利子氏と森下京子氏と村田尚子 氏の共同研究の投稿もありました。意欲的なモンテッソーリアンの執筆活動に嬉 しく感謝します。 日本モンテッソーリ協会設立の最初から関わりを持っておられ、現在は本協会 名誉会長であられるクラウス・ルーメル氏に本号からの新ジャンル「教育エッ セイ」で日本の「モンテッソーリ教育 40 年を顧みて」を執筆していただけたこ とは日本モンテッソーリ協会の歴史を内側から見て、歴史を回顧し、現代にどの ような意義を持つかを吟味するに際して、これは大変貴重な日本のモンテッソー リ教育の資料です。「図書紹介」では前田瑞枝氏が森貞子著の『音楽する?』と、 鈴木弘美氏がモンテッソーリと同時代のスウェンソン著の『ノンニ』の著作を紹 介して下さいました。このようにして今号はモンテッソーリ教育の実践と理論、 実践理論と、モンテッソーリ教育の特徴を踏まえた上での豊かな内容になりまし た。今後とも、『モンテッソーリ教育』を益々充実させるためには会員各位のご 協力とご支援が必要ですので、全国大会で素晴らしい研究発表をなさった諸会員 は積極的に投稿して下さい。 さて、最初は希望に満ちた 21 世紀だったはずなのに、たった数年経過しただ けで、もう 100 年に1度の世界的な金融危機とかで不透明な時代に突入しました。 教育の行方も混沌としてどうして良いのか分からない時代的推移の中で、モンテ ッソーリ教育への期待は大きく、モンテッソーリ教育が果たさなければならない 使命は重大な意味を持っております。これからも会員皆さまのご協力とご参加を 心からお願い致します。 (江島正子) − 201 − 『モンテッソーリ教育』編集委員会 委員長 江島正子(明和学園短期大学) 委 員 クラウス・ルーメル(上智大学) 前之園幸一郎(青山学院女 子短期大学) ドメニコ・ヴィタリ(聖イグナチオ教会)松本 静子(東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンター) 江島正子(明和学園短期大学) 天野珠子(愛珠幼稚園) 奥山 清子(ノートルダム清心女子大学) 甲斐仁子(藤女子大学) 相良敦子(エリザベト音楽大学) 鈴木弘美(HYS 教育研究所) 関聡(久留米信愛女学院短期大学) 野原由利子(名古屋芸術 大学) 林信二郎(川口短期大学) 欧文校閲 クラウス・ルーメル 幹 事 本多ヨシヱ 廣津香織 田中浩子 2009 年 3 月 31 日 発行 発行所 日本モンテッソーリ協会編集委員会 〒 162-0845 東京都新宿区市谷本村町 2-15-308 四谷モンテッソーリ研究所 『モンテッソーリ教育』編集委員会 Tel・Fax(03)3260-3079 日本モンテッソーリ協会事務局 〒 112-0002 東京都文京区小石川 2-17-41 富坂キリスト教センター 2 号館 B 棟事務室 Tel・Fax(03)3814-8308 郵便振替口座 00110-7-71777 代 表 会長 前之園幸一郎 編 集『モンテッソーリ教育』編集委員会 江 島 正 子 © 日本モンテッソーリ協会 印刷 (株)プリントボーイ 日本モンテッソーリ協会公認 東京モンテッソーリ教育研究所 付属 教員養成コース 日本における初めてのモンテッソーリ教員養成コースとして昭和45年より活動してま いりました「上智モンテッソーリ教員養成コース」を引き継ぎ、教師一同は平成18年よ り「特定非営利活動法人 東京モンテッソーリ教育研究所」を立ち上げ、付属教員養成 コース(コース長クラウス・ルーメル)を開設いたしました。 平成22年度第5期生を12月より募集いたします。募集要項をご希望の方は下記へお問い 合わせください。 夏期研修会(第 1 回) テーマ:言語教育教材づくり 日 時:平成 21 年 8 月 29 日 (土) 10:00∼16:00(昼食休憩あり) 会 場:愛珠幼稚園(世田谷区経堂) 対 象:上智コース・東京コース修了者 (同伴者は上記以外も可) 定 員:50 名(教材費実費) 講 師:東京コース言語担当者 ※詳細は後日修了生宛に案内状を送付します。 特定非営利活動法人 東京モンテッソーリ教育研究所 理事長 天野珠子 〒112−0002 東京都文京区小石川 2−17−41 富坂キリスト教センター 2 号館 (Tel)03−5805−6786 (Fax)03−5805−6787 東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンター 国際モンテッソーリ協会公認 3~6歳コース(国際資格) 昼間部(1 年コース) 夜間部(2 年コース) 東京国際モンテッソーリ教師トレーニングセンターは、国際モンテッソーリ協会(AMI)から認可 された日本で最初の国際トレーニングセンターです。 1975 年 10 月 19 日開所以来、これまで 1700 人以上の国際レベルのモンテッソーリ教師の養成にあたっています。 ●応募資格 幼稚園教諭、保育士、各種教員資格、及び、これに準ずる資格を持つ方。 大卒、短大卒、専門学校卒の資格を持つ方。 AMI(国際モンテッソーリ協会)が認めた方。 (上記いずれかの資格、または平成 22 年 3 月取得見込の方) ●願書受付 平成 21 年 11 月 1 日~平成 22 年 1 月 5 日 ●選考に関して 日 時 平成 22 年 1 月上旬 内 容 面接 ・小論文(選考日前に郵送提出) 研 � � � � ●募集人数 � � � � 学生の練習風景 本コースの卒業生の補習として、また、モンテッソーリ教育実施園の 職員を対象に分野毎に聴講できる研修生制度を設けております。 昼間部 若干名 (受講受付中) ●講義期間・開講時間 1分野 3~4週間 月 ・金…13:00~16:00 火~木… 9:30~12:00 ●授業内容 各分野の理論と実践 (実習、アルバム製作、レポートはありません。) ❖言語教育(平成 21 年 9 月開講) ❖数教育 (平成 21 年 10 月中旬開講) 本コースへのスライド編入、及び、国際資格取得は認められません。 ����������������������� 所長 松 本 静 子 〒228-0801 神奈川県相模原市鵜野森2-20-2 ℡ 042-746-7933 FAX 042-741-9495 E-mail:ami_tokyojp@ybb.ne.jp URL:http://www.geocities.jp/ami_tokyojp/ ╙ 26 ࿁ ᄐᦼ⍴ᦼታ〣⎇ୃળ 平成 21 年7月 21 日(火)、22 日(水)、23 日(木) グリーンホール相模大野 どなたでも参加できます。 プリントボーイ ビジネス サポートは、印刷や印刷周辺で発生する、 さまざまなビジネスシーンをサポートする貴社の社内印刷室です。 当社独自の商品、技術、サービスをご活用いただき、 さまざまなビジネスシーンにお役立てください。 ●紀要・論集・テキスト など大学印刷物全般 ●社内報、マニュアルな ど各種ビジネス印刷物 ●カタログ、パンフレット など広告・宣伝印刷物 ●デジタルカラー印刷機 によるカラー印刷物 ●データ作成、出力処理 などデジタル処理サー ビス ●在庫管理や保管サービス ●発送代行サービスやデ リバリーサービス お客様の多用なご要望にお応えするため、ネットワークや専門家集団を組織しています 株式会社プリントボーイビジネスサポート 〒157-0062 東京都世田谷区南烏山6丁目24番13号 TEL:03-3309-1861 FAX:03-5315-3414 皆様のお陰でこの度、世界で3番目に国 際モンテッソーリ協会(AMI)本部より 認可され、モンテッソーリ教育に必要な、 教具・教材の製作・販売等、を許可され ました事、お知らせします。 国際モンテッソーリ協会(AMI) 設立後、初めて0∼6歳教師養 成コースが MATSUMOTO KAGAKU JAPAN て! け 駆 先 世界に ※詳しくお知りになりたい方は、 当方までお問い合せください。 松本科学工業有限会社 モンテッソーリ教育環境心理学研究所 松 本 修 二 ・ 愛 子 〒579-8002 東大阪市池の端町8―16 TEL 0729-81-4875 FAX 0729-86-0168 E-MAIL 123@hct.zaq.ne.jp MONTESSORI EDUCATION No. 41 2008 Contents Foreword: May Children no Longer be Forgotten Citizens .................Domenico Vitali (1) Lecture: The Universality of Montessori Method for the Development of the Human Potential ............................. Silvana Q. Montanaro Translated by Takako Fukatsu (2) Toward a Better Environment for Children to Live and Grow up .......Domenico Vitali (21) Symposium: Proposals for Early Childhood Education in Japan 1. First Symposist: Early Childhood Education and Nutrition ..................................................................................Shigefumi Fujimura 2. Second Symposist: Early Childhood Education Adaptability to Children with Special Needs ..........................................................Rieko Shiba 3. Third Symposist:Graceful Practical Life in Japan ......................Takako Fukatsu 4. Fourth Symposist:Montessori Education in the Context of Childhood Educational Trends in Japan .............................................Kimiko Kai Summary by the Leader of the Symposium ................................Shinjiro Hayashi (31) (38) (43) (51) (58) Articles A Look at Montessori’s “The Last of These” –A Revision of “A Method of Scientific Education” and “The Children’s Home”– ................................................................................. Koichiro Maenosono (62) Teaching Music based on Montessori Education..................................... Kaori Tonoko (80) Practice Reports Report by a Pediatrician of an Independent Clinic on the Effective Treatment of an ADHD (Hyperactivity) Patient Using the Montessori Approach..............Tadashi Aoki (94) The Acquisition of Written Language from Spoken Language ...................................Yuriko Nohara, Kyoko Morishita, Naoko Murata (103) Educational Essay 40 Years Montessori in Japan (1) .......................................................Klaus Luhmer (116) Book Reviews Sadako Mori, Ongaku Suru?.................................................................Mizue Maeda (133) Jón Stefan Svensson, transl.by Motokatsu Watanabe Nonni to Manni no Fushigi na Boken...............................................Hiromi Suzuki (138) Attending the 41st National Convention...............................Sachiko Yoneshima (145) Reports from Local Chapters................................................................................. (147) Reports from Training Courses............................................................................. (161) Reports from the Office of JAM ................................................Ryoko Matsumoto (170) English Résumées .....................................................................trsl. Klaus Luhmer (180) JAPAN ASSOCIATION MONTESSORI
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