総合研究所 - 聖学院学術情報発信システム「SERVE」

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NEWSLETTER 聖学院大学総合研究所 : Vol.20, No.4, 2010
聖学院大学総合研究所
聖学院大学総合研究所 Newsletter, Vol.20-4 : 0-36
http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/detail.php?item_i
d=2793
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聖学院学術情報発信システム : SERVE
SEigakuin Repository for academic archiVE
Vol. 20, No. 4, 2010
[巻頭言]
1
[報 告]
2
5
7
8
9
12
土方 透
アポリア
自己同一性の隘路―自律から他律へ
田澤 薫
寺崎恵子氏報告 子どもの島 ─ルソーのイメージ─
平 修久
地域主権改革の行方―政権交代に伴う動向と税財政改革―
平 修久
大都市の公共交通政策
越智裕子
現代人の孤独を考える
越智裕子
現代社会におけるポスト合理性の問題
松谷好明
中国におけるプロテスタント神学教育の現状
[共同研究報告]
20 ニーバー兄弟の経済倫理
20 人権理念におけるピューリタニズムの伝統
21 アメリカ合衆国における政教分離について
22 違憲審査制と民主主義
22 文化とキリスト
総合研究所News
24
28
31
33
一臨床医のナラティブ
現代社会におけるポスト合理性の問題
福祉の役わり 福祉のこころ
聖学院学術情報発信システムを活用した公開に向けて
《 総合研究所の活動 2010年11月1日から1月31日 》
共同研究
回数
開催日
第1回
11月29日
アラン・サゲート
(ダラム大学名誉教授)
〈児童〉
における 第 3 回
「総合人間学」
の
第4回
試み研究
第6回
12月15日
土方 透
(聖学院大学教授)
Culture and Christ:A Sacramental Approch
(文化とキリスト:サクラメント的アプローチ)
差異に生きる=共に生きる:子どもとおとな
1月7日
村山順吉
(聖学院大学教授)
C・ドビュッシー作曲
「子供の領分」
をめぐって
14名
11月15日
大木英夫
(聖学院大学総合研究所所長)
30名
第7回
12月13日
安西文雄
(九州大学大学院教授)
第8回
1 月17日
田中 浩
(聖学院大学大学院教授)
人権理念におけるピューリタニズムの伝統
違憲審査制と民主主義―アメリカ憲法と違憲
審査制を巡る論点
アメリカ憲法とハリントン
『オシアナ共和国』
―明治憲法とヴァイマル憲法
1 月14日
藤掛 明
(聖学院大学総合研究所准教授)
1 月29日
白井幸子
(ルーテル学院大学大学院教授) 末期患者に対する交流分析の応用
ニーバー兄弟の経済倫理─ヴェーバー理論に
東方敬信
(青山学院大学大学院教授)
関連して
地域主権のゆくえ―政権交代に伴う改革動向
谷 隆徳
(日本経済新聞編集委員)
と税財政改革
大都市の公共交通政策―地下鉄のあり方を中
塚田博康
(都市・情報研究室)
心に
組織神学研究
憲法研究
牧会心理研究
第3回
(第一グループ)
臨床死生学研究 第 2 回
ニーバー研究
地方自治研究
第3回
11月 6 日
第2回
11月11日
第3回
12月16日
講座・シンポジウム
開催日
スピリチュアル・ケア講演会
11月19日
カウンセリング講座
11月11日
11月12日
12月10日
1 月14日
国際シンポジウム
(共催:政治経済学部)
11月23日
「福祉のこころ」
講演会
11月27日
ポリシーカレッジ総括シ
ンポジウム
12月18日
研究発表者
研究発表者
主
題
―
主題
西野洋
(安房地域医療センター メディカル
一臨床医のナラティブ
ディレクター)
窪寺俊之
(聖学院大学大学院教授)
カウンセリングとスピリチュアリティ
藤掛 明
(聖学院大学総合研究所准教授) 映画・ドラマに学ぶカウンセリングマインド
藤掛 明
(聖学院大学総合研究所准教授) 自分のための、コラージュ療法体験講座
藤掛 明
(聖学院大学総合研究所准教授) 映画・ドラマに学ぶカウンセリングマインド
カール・アッハム
(リンツ大学名誉教授)
ヨハネス・ヴァイス
(カッセル大学名誉教授)
姜 尚中
(東京大学大学院教授)
現代社会におけるポスト合理性の問題
細見和之
(大阪府立大学教授)
―ヴェーバーの遺したもの
荒川敏彦
(東京外国語大学・東京大学非常勤講師)
土方 透
(聖学院大学教授)
岸川洋治
(横須賀基督教社会館館長)
住民の力とコミュニティ形成
金井利之
(東京大学教授)
穂坂邦夫
(前志木市長)
地域主権の国づくり、地方議員の役割を考える
(読売新聞東京本社編集委員)
青山彰久
佐々木信夫
(聖学院大学総合研究所客員教授)
人間福祉スーパービジョンセンター
スーパーバイザー
実施日
2010年度グループ・スーパービジョン
(埼玉)柏木昭
(聖学院大学総合研究所名誉教授) 11/ 9 、12/14、 1 /11
2011年度グループ・スーパービジョン
(石川) 柏木昭
(聖学院大学総合研究所名誉教授) 11/11、12/ 8 、 1 /12
柏木昭
(聖学院大学総合研究所名誉教授) 11/14、12/17
個別スーパービジョン
助川征雄
(聖学院大学人間福祉学科長)
12/ 9 、12/16、 1 /18、12/17
スーパーバイザー支援制度
柏木昭
(聖学院大学総合研究所名誉教授) 12/ 4
12月15日
スーパービジョンセンター委員会 事業報告、第 6 回ピアSVと第 1 回SVR情報交換会反省、第 7 回ピアSV
カウンセリング研究センター心理相談
赤坂グリーフケア・ルーム
スーパーバイザー
藤掛明
(聖学院大学総合研究所准教授)
村上純子
(聖学院大学非常勤講師、カウン
セラー)
11/10、11/15、12/15、1 /12 カウンセリングセンター委員会
Faculty's Meeting
11月10日
11月17日
国際シンポジウム
「現代社会におけるポスト合理性の問題」
11月23日
12月 1 日
12月 8 日
12月15日
1 月12日
1 月19日
実施日
11/ 8 、11/15、11/29、12/ 6 、12/20、 1 /17、
1 /24、 1 /31
11/ 1 、11/ 8 、11/15、12/ 6 、12/13、 1 /17、
1 /24、 1 /31
出席人数
12名
24名
21名
22名
7名
30名
21名
17名
15名
出席人数
83名
18名
17名
12名
12名
84名
56名
72名
相談者
8名
11名
2名
3名
1名
相談者
11名
14名
巻頭言
アポリア
自己同一性の隘路
――自律から他律へ――
近代は、デカルトから始まると言われる。デカルトは、すべての知識の確実性を最終的に保証する原
点、すなわち「究極的な確実性」を求め、
「なくてはならないただ一つのこと(unum necessarium)
」を探
究した。そこで得たものが、
「疑っている自己の存在の確実性」であり、そこから直証的な確実性をもつ
哲学の「第一原理」として、有名な「われ思う、ゆえにわれ在り(cogito ergo sum)
」を導 き出した。
「近
代的自我論」
「自己同一性の議論」の始まりである。
ところで、自分が自分であるということを《わたし》はどう認識するのであろうか。自己が、自己につ
いて、他者のけっしてもつことのない特徴をいかに数多く述べようとも、それは自己の必要条件にしかす
ぎない。その特徴を自己以外の他者が持ちえていないという確証は得られない。結局、自己の確認は、
「他
人でないところのもの」というのがせいぜいである。では「他人」とはなにか。この問いについても、答
えは同様である。その「他人」からみた「他人」ではないところのものである、としかいいようがない。
つまり、
《わたし》が何であるか、誰であれ《わたし》において決定することはできない。
さらに言うと、わたしの身体的特徴を《わたし》は、どうやって知るのだろうか。たとえば、鏡の前の
自分の姿を他ならぬ自分の姿だということを、
《わたし》はどうやって知るのだろうか。その場合、
《わた
し》は、他人の姿をこの眼で確認し、その姿が鏡のなかで(逆象であれ)実際の他人の姿と同様なもので
あることを知る。この鏡の機能を知った《わたし》は、その知識を自分の鏡像にも応用し、自分の姿をか
くかくしかじかのものと推定することになる。ここで自己の像の確実性は、他人の像の確実性から類推さ
れるものにすぎない。つまり、より不確実な現象である。したがって確認する自己にとって、確認された
自己は、他者よりも遠い存在といえる。
このように考えると、デカルトを出発点とする近代的自我の確実性の議論が、その根本において危うく
なっていることが示唆される。すなわち、自己は他者から規定し直さなくてはならないのではないだろう
か。かつてヘーゲルは自律的個人を想定し、そのうえで「最高の共同は、最高の自由である」と記した。
しかし、現代社会における異文化との出会い、価値の多元化は、自己の同一性よりも、他者の圧倒的な存
在を感じさせる事態である。そろそろコペルニクス的転回をはかる時機にあるかもしれない。すなわち、
「自律」は「他律」に基づくと。この変更を基底に、自由や平等、あるいは主体、人権、尊厳など、自律
的個人に備わるものとして、これまで金科玉条のごとく前提とされ、天賦のものとして用い続けられてき
た諸概念が、再定式化されるべきであろう。
聖学院大学政治経済学部長 土方 透
報 告
<児童>における「総合人間学」の試み研究
寺崎恵子氏報告 子どもの島 ─ルソーのイメージ─
田澤 薫
2
ニューズレター第 2 号で既報のとおり「子ども
て、教育を子どもの学習活動への助成的介入の行
の『領分』研究」を共通テーマとして開始された
為と見る、つまり消極教育(éducation négative)
今年度の<児童>における「総合人間学」の試み
の考え方が表れ始めたとなる。つまり
『エミール』
研究会であるが、その第 2 回目研究会が 6 月30日
は、教育観を転換させていくはたらきを持った。
㈬18:00 ~ 20:00、聖学院大学 4 号館第二会議
ルソーが「子ども期」をどのように捉えたのかを
室において開催された。
考えておかねばなるまい。
研究会では、寺﨑恵子研究員(聖学院大学児童
以下、
『エミール』の内容を検討する。
学科助教)により「子どもの島 ―ルソーのイメー
Educationは、学校教育に限定されず、広く人生
ジ―」と題する報告がなされ、その後、参会者に
に関わることである。ルソーは、educationの基に
より活発な意見交換がなされ、時間を一杯にして
なるeducatioというラテン語の意味を取り上げて
会を閉じた。報告の概要は以下の通りである。
いる。
「産婆は引き出し、乳母は養い」という表
ジャン・ジャック・ルソー J.J.Rousseau(1712
現があるように、educatioは、educereとeducare
~ 1778年)の『エミール または教育について』
という 2 つのかたちを持つ。つまりそれは、母と
(1762年)は「子ども」を焦点に議論が尽くされ
子と、そしてそれを助ける第三者による「産み」
ている感があるが、子どもは人生のある一時期で
と「育て」である。そもそもeducation、éducation
あるという点についてのルソーの理解については
は、産婆や乳母も含めた女性と子から成り立つ三
あまり知られていない。
者 関 係 で あ る。 さ ら に 意 味 を 加 え る な ら、
まず始めに、研究会の共通テーマ「子どもの領
educatioは「育む」という意味、未成熟な弱きも
「領分」ということばには「隅、
分」に関連して、
のを包む意味を含むと考えられる。それから、
角、端、曲がり角、人目につかない秘密の場所、
educatioは栄養を与えることだが、
「栄養を与え
果て、領域、窮地」と多くの意味があり、隅っこ
る」にはnutrireというラテン語があり、これは今
の目立たない場所という共通のイメージを持つこ
の英語のnurseやnurseryへと発展していく。中内
とが確認された。市川浩がいうところの「生きら
敏夫によれば、educare、
「乳母は養い」を表わし
れる空間」を参考にすれば、子どもは、弱い者と
たeducareが、
「栄養を与える(nutritio)
」という
して隅にいる人と考えられる。子どものもつ弱み
ラテン語と結び付いていくことになる。
には、弱み特有の性質、例えばあいまい、捉えど
「ただ一人の指導者に従うべきだ」については、
ころがない、不定形態にある、予測不能、不確実
educatioが三者関係によって成り立つ説明に矛盾
さがある。鷲田清一の『<弱さ>のちから』によ
するようにみえる。一人の指導者とは、自然とい
れば、弱さを持つからこそ、他者に関わりを誘発
う偉大な指導者の指示に従って子どもに添い立つ
する存在である。
(
「育つ」は、
「添い立つ」を語源にも持つという
さて、ルソーの『エミール』は、ルソーの後半
説がある)指導者を意味し、これによって新たな
生に書かれた作品である。この作品の教育思想史
éducation関係を形成するとルソーは考えているの
上の意味を中内敏夫の『教育思想史』から考える
で は な い か。 大 人 と 子 ど も と の 関 係 で あ る
と、教育は大人の側が子どもの才を引き出すとい
éducationにおいて子どもは弱いものである必要性
う従来の見方に対して、
『エミール』の公刊によっ
があり、それに添い立つ者、育てる者の必要性が
生じる。éducationは植物の栽培に例えて説明され
であり、その質は弱さで説明される。この弱さは
る。
「私たちは弱いものとして生まれる、私たち
強さの欠如ではなく、強さを持つ以前の不均衡な
には力が必要だ、私たちは何も持たずに生まれ
不安定な状態である。 3 つめに、
「子どもである」
る、私たちには助けが必要だ、私たちは分別を持
というのは、enfanceとadolescentというこの 2 つ
たずに生まれる、私たちには判断力が必要だ、生
の性質を持つ状況で構成されている。enfanceは
「子
まれたときに持っておらず、大人になって必要と
ども」
「幼児」と訳されるが、ルソーはフランス
なるものはすべて教育によって与えられる。
」つ
語の中にふさわしい言葉がなかったからというこ
まり弱いものとして生まれたものが、やがて成長
と で、 生 ま れ て か ら 三 期 に 当 た る ま で の 頃 を
する過程で必要になるものはすべてéducationに
enfanceととらえ、 5 つに分けたうちの残りの二期
よって与えられると考えられている。
をadolescent青年期とし、変換期の15歳ごろを第
ところで、エミールは実在の子どもではなく
2 の誕生と言い換えている。第 2 の誕生をもって
フィクション・仮構の設定で、一種の思考実験で
指導者であるわたしは本格的にéducationに関与す
ある。また、エミールは孤児と設定されており、
ると述べ、
指導者も
「誕生」
にかかわる。 4 つめに、
親子関係を免れて大人と子どもの関係を考えてい
子ども期はかなり長い。 5 つめに、大人になるま
こうとしていると考えられる。そして、作品のも
での間、 1 人の指導者が子どもに付き添う。 6 つ
う 1 人の重要な人物、つまり、ただ一人の指導者
めに、大人と子どもとのかかわり合いのひとつの
である「わたし」が語り手になる。指導者は、教
かたちがéducation である。このとき、
enveloppe
(包
育に携わるにふさわしい年齢、健康状態、知識あ
まれた状態)からdevelopper(開くこと)を大人
らゆる才能を持つ。指導者の役割は、父母の義務
と子どもとのあいだに起こるéducationと読みとる
を引き受ける(in loco parentis)ことにある。
ことができる。
生後一人前になって自分自身の他に指導する者
このようなルソーの子ども期のとらえ方は、ヒ
を必要としなくなるまでが子ども期であり、教育
ポクラテスやセビリアのイシドルスなど歴史上の
(éducation)の時期となる。子ども期をさらに区
子ども期のとらえ方と比較すると類似点が明らか
分して、それぞれの時期の状況を示すことをル
である。とくにイシドルスは人生を輪、円環、サ
ソーは考えた。
『エミール』は、序から始まり第
イクルとしてとらえた。ルソーも、
始まる・生きる・
1 編から第 5 編まであるが、子どもの時期25年間
終わる・始まる・生きる・終わるという円環とし
を 5 つに分けて、子どもの状況・コンディション
ての人生のイメージを持っていたと考えられる。
を知る、というしくみを持たせている。つまり子
ところで、
『エミール』が小説として書かれた
どもの成長は連続ではなく、断続して起こると考
ことから、読者の大人が読書という個別経験を通
えられる。
じて子ども期を確認していく作業を、ルソーは企
『エミール』の草稿を見ると、ルソーは、12歳
図したことになる。
までが自然の時期、15歳までが理性の時期、20歳
ルソー自身は『エミール』が新しい育児書とし
までは力の時期、25歳までは賢明の時期、そして
て読まれることに否定的だったが、時代的要請の
その後の人生は幸福の時期ととらえている。
『エ
なかで『エミール』は育児書として影響力をもっ
ミール』において示される子どもは、以下の 6 点
『エミール』を契機に従来の育児法を改める
た。
で説明される。
反省が起こったと指摘される。それまでの育児方
まず、子どもは25歳位までで、大人以前の状態
法、さらには親としての生き方を変えて新しくし
にある人である。 2 つめに、子どもは大人と異質
ていこうという気持ちが読書経験から生れた。同
3
じ時期に、伝統的な育児法は衰退し、家族関係は
educationが「包む」という性質を持つことは、
閉じていき、閉じた家族関係において育児が行わ
大人になった時点で子どもがそこから出ていく必
れるようになる。読者である若い親たちは、未経
要を生む。大人になるということは包という関係
験なことを『エミール』で確認し、現実の子ども
を解除していく。子どもの時期を終えた者は、
の育て方を創出することで「子ども期」を補償す
educationから解除される者でもある。ただ、
エミー
るかのような育児を生み出した。また、
『エミー
ル自身はこれに失敗した。指導者のいう通りに
ル』の影響を受けて、子どもを主人公にした子ど
育ったエミールは『エミールとソフィ』のなかで
も向け作品が次々と作られた。仮構をみる
(読む)
ソフィという女性と出会い、離婚をし、education
ことで大人は自身の中に子ども像を確認でき、そ
で学んだことは崩壊するという経験をした。
の子ども像を基にして子どもを見る。このときの
ルソー自身について付言すれば、生後まもなく
子どもは、大人の意識の端っこに存在が確認され
母親を亡くしたことで、母のようなものと関わる
てから、子どもを見る大人の眼のなかに現れる。
「包」という部分が欠落をして育ったといわれ
子ども向けの作品は大人にとっての鏡であった。
る。その意味では『エミール』で、ルソー自身は
中川久定は、
『エミール』の当時は舞台や小説
失われた子ども期を補償したのではないか。ル
のモチーフに島が多く使われたと指摘する。表出
ソーは晩年島にこもり、
そして埋葬された。ルソー
された島は現実の社会を逆照射する機能を持っ
は時代の子として島の中に眠り、
そして「子ども」
た。リアルに描かれたものが人々にとって欠陥を
も島で生きる幸福な理想的な子どもであると『エ
知る機会となることが小説を読む思考実験のなか
ミール』の中で説明できる。島は人生の中ではほ
「島」は、周りから突出した場
に起こっていた。
んの一部ではあるけれども、そのほんの一部の部
所である。あるところから島へ移るには、渡るか
分が実は島全体の意味を持ってくるという、錯綜
飛び越えなければならない。
『エミール』に、
「あ
した作品が『エミール』である。
の世を期待しつつ、君の地上の楽園、パラダイス
をつくりだすのだ」とある。この楽園は渡った先
のことを思い描いたものである。草稿版にあった
J.J.ルソー、今野一雄訳『エミール』岩波文庫、1962 ~ 64
ように、子ども期の後の人生は幸福な時期であ
市川浩『
〈身〉の構造―身体論を超えて』青工社、1984
り、子どもである時期とはそれを思い描くときで
鷲田清一『
〈弱さ〉のちから―ホスピタブルな光景』講談社、
あり、理想の楽園を作り出そうとするのが子ども
の役割だと語られている。ルソーは島つまり囲わ
2001
中内敏夫『教育思想史』岩波書店、1998
れた地に住む幸福感を考え始めていた。そして、
(文責:たざわ・かおる 聖学院大学人間福祉学
島、つまり小説にライフステージつまり人生の舞
部児童学科准教授)
台モチーフに載せられていた子どもを『エミー
ル』は語っていく。
子どもというのは人生の一角を占める者であっ
て、子どもとして生きることが大人によって保障
される。弱さを持つ子どもには
「包む」
「連れ添う」
関わりが必要であり、これがeducationである。
「包
む」
「連れ添う」の両方を担うのがあの指導者の
役割である。
4
参考文献
報 告
地方自治研究
地域主権改革の行方
―政権交代に伴う動向と税財政改革―
平 修久
2010年度第 2 回地方自治研究会において、日本
検討されている。しかし、府省の一次回答はほぼ
経済新聞社論説委員の谷隆徳氏を講師にお招き
ゼロ回答のため、菅首相が差し戻した。
し、地域主権改革の行方について講演して頂い
一括交付金制度を設けた場合、誰が、どのよう
た。講演の概要は以下のとおりである。
な基準で配分するのかという難問がある。第二の
2009年12月に、民主党政権が地域主権戦略会議
地方交付税になるという批判もある。そもそも、
を設置した。議長は総理大臣、上田埼玉県知事や
地方六団体は、一括交付金ではなく、税源移譲を
橋下大阪府知事もメンバーになっている。同会議
求めている。
のテーマは、①国の出先機関の改革( 8 府省13機
地方税財政制度についても課題がある。片山総
関の約500の事務が対象)
、②義務付け・枠付けの
務相は、補助金化している交付税を問題視し、質
見直し(第一弾として約900項目が対象)
、③基礎
の改革を進めようとしている。また、地方債の発
自治体への権限移譲(第一弾として384項目が対
行の自由化も模索している。さらには、現在、法
象)
、④補助金の一括交付金化である。①~③は
人税の引き下げが検討されているが、そうすると
自民党政権下で設置された地方分権改革推進委員
交付税の財源が不足することになる。
会の勧告をベースにしている。①について、府省
地方分権は 5 年前からほとんど進展していな
は地方に任せてよい事務は 1 割程度と回答し、菅
い。一般市民にはわかりにくいので、議員にとっ
首相が再度の検討を指示した。10月末までに二次
て票につがらない。マスコミもわかりやすく伝え
回答する予定であったが遅れている。
ることに苦労している。つまり、分権の必要性が
④については、90年代前半に分権推進委員会に
市民に十分に伝わっていないところに、分権がな
おいて補助金改革の議論をしたが成果が得られな
かなか進まない根本的な原因がある。
かったため、総合補助金制度を制定したことが
市民の理解を高めるために、片山総務相は、住
ベースになっている。対象範囲をさらに拡大した
民自治の拡充の必要性を訴えている。鹿児島県阿
ものが一括交付金である。
久根市の市長リコールや、市議会と対立している
小泉政権の三位一体の改革の中で、 4 兆円の補
名古屋市長主導による議会リコールが、二元代表
助金を削除し 3 兆円を地方に財源移譲した。民主
党は2003年の衆議院選挙において、
「国の補助金
18兆円を廃止し、 5 . 5 兆円を税源移譲、12兆円を
一括交付金にする」とマニフェストに掲げた。
2007年の参議院選挙においては、
「補助金の廃止
と一括交付金で 6 . 4 兆円の財源を生み出す」と変
更し、税源移譲を削除した。現実的には、社会保
障の補助金の使途を自由にしても、地方が必要と
する額に変化はない。
一括交付金は、地域が自己決定できる財源を各
府省の枠を超えて設置という方針だったが、2010
年度は、 3 . 3 兆円の投資的経費のみが対象として
日本経済新聞社論説委員の谷隆徳氏の
「地域主権改
革の行方」
と題する講演を聞いた。
5
制の根本を問い直すできごととして注目されてお
り、地方自治法の抜本的改正の必要性が浮上して
いる。これに伴い地方自治に対する市民の関心が
高まれば、地方主権改革が進む可能性がある。し
かし、内閣支持率の低下により、政治家の指示に
官僚が素直に従う状況ではなくなっており、改革
は頓挫している。
(文責 たいら・のぶひさ 聖学院大学政治経済
学部コミュニティ政策学科長、教授)
(2010年11月11日、新都心ビジネス交流プラザ聖
学院教室)
2011年度グループ・スーパービジョン
受講者募集のお知らせ
保健・社会福祉現場や一般企業で対人援助の
仕事をしている人にご案内します。
10名程度の固定グループで、お互いの実践現
場のかかわりについて事例提供をしながら、
共に考え、共に学びます。年間10回のプログ
ラムになります。
開催日:2
011年5月から2012年3月の毎月第2
火曜日(但し8月はお休みです)全10回
時 間:18:30 〜 20:30
場 所:新 都 心 ビ ジ ネ ス 交 流 プ ラ ザ( 予 定 )
(JR埼京線北与野駅西口前、または
JRさいたま新都心駅徒歩10分)
料 金:年間3万円(聖学院大学卒業生1万円)
グループ・スーパービジョンでは都合が悪い
方には次のようなプログラムもあります。
個別スーパービジョン
個人の要望に応じた支援を行う。
1回1.5h程度、日時は相談による
場所:聖学院大学など相談による
料金:1回6千円(聖学院大学卒業生2千円)
スーパーバイザー支援制度
スーパービジョンを行っている人を支援す
る。
1回1.5h程度、日時は相談による
場所:聖学院大学など相談による
料金:1回 8千円(聖学院大学卒業生5千円)
スーパービジョンとは?
スーパーバイザー(熟練のソーシャルワーカ
ー)が経験の浅いソーシャルワーカーに対
し、その人の能力を生かし、よりよい実践が
できるように支援を行うものです。
連絡先 聖学院大学総合研究所
TEL:048-725-5524
research@seigakuin-univ.ac.jp
6
報 告
地方自治研究
大都市の公共交通政策
平 修久
2010年度第 3 回地方自治研究会において、都市・
の拡大に伴い、JRや近郊民営鉄道との相互乗り入
情報研究室の塚田博康氏を講師にお招きし、大都
れをするようになった。また、1958年から都営地
市の公共交通政策について講演して頂いた。講演
下鉄の建設、運行が始まり、世界的には稀な地下
の概要は以下のとおりである。
鉄 2 社体制が誕生した。
公共交通は、国民国家の成立、移動距離の拡大、
そして、現在、東京メトロと都営地下鉄の統合
交通技術の革新といった背景から成立した。都市
が東京にとっての大きな課題の一つになってい
が発展し、職住分離により郊外が誕生し、都市間
る。
交通ばかりでなく、都市内交通の重要性が増して
乗客の利便性向上(運賃体系の統一、乗り換え
いった。後者は前者と異なり市街地を走るため、
の便宜など)
、大都市基幹交通網の整備促進、経
少ないばい煙や騒音、他の交通手段との交差の回
営の効率化(人員、施設、設備、車両、消耗品の
避が求められた。そのため、高架鉄道や地下鉄道
調達、関連事業)のため、両者の統合が必要であ
が建設され、さらには、蒸気から電気へとその動
る。しかし、繰越損益が約2,100億円の黒字(2009
力を転換した。
年)
、長期債務が6,800億円の東京メトロに対して、
その後、都市間交通と都市内交通のターミナル
都営地下鉄は、近年減少傾向にあるとはいえ、繰
が徐々に建設された。パリやロンドンでは、都市
越損益が約4,300億円の赤字、 1 兆円を超える長期
の中心部の重要な歴史的建造物等を守るため、そ
債務を抱えているため、統合の実現は厳しい。
のようなターミナル駅は都心部のすぐ外側に複数
統合のためには、都営地下鉄の収益率向上と累
造られた。そして、ターミナル駅を地下鉄が結ぶ
積赤字の解消、長期債務の減少策を明示する必要
という交通網が整備された。東京も当初は方面別
がある。都営地下鉄にとって、スカイツリーの完
にターミナル駅が分散していたが、東京駅の誕生
成が、浅草線の乗客増加に伴う増収をもたらすも
により、多くの方面から上りの終着駅が東京駅に
のと期待されている。一方で、運賃体系統一に伴
なった。
う減収対策(現在、初乗り運賃は都営が170円に
そして、軍事上の要請から明治時代に都市間交
対して東京メトロは160円であり、その区間が都
通が国有化された。都市内交通についても、都市
営が 4 kmで東京メトロが 6 km)など、統合に向
計画との整合性の確保、利潤追求の抑制と運賃の
けた行程の検討が求められる。併せて、赤字経営
低廉化等のため公営化された。
となっている都営交通(都電、バス、新交通シス
戦後、自動車交通の増加にともない、大都市に
テム)の位置づけを見直す必要もある。
おける市電が姿を消した。都市中心部では高架鉄
道の増設が困難になり、地下鉄の整備が進められ
(文責:たいら・のぶひさ 聖学院大学政治経済
た。一方、山手線のターミナル駅から郊外に延び
学部コミュニティ政策学科長、教授)
る鉄道は、沿線の不動産開発も併せて民間企業が
(2010年12月16日、新都心ビジネス交流プラザ・
行った。
聖学院教室)
東京メトロの前身の帝都高速度交通営団は、第
二次世界大戦中に、戦時統制上の理由で民鉄 2 社
の統合により生まれた。戦後、丸ノ内線の整備を
皮切りに 9 路線を運行するまでに至った。通勤圏
7
報 告
カウンセリング研究会講演会
現代人の孤独を考える
―ロンリネスからソリチュードへー
越智 裕子
2010年10月22日、聖学院大学総合研究所カウン
の落ち着かない状態)
、時期(いつやってくるかわ
セリング研究センター主催の講演会が開催され
からない)に焦点をあて意識化を行う必要がある。
た。本研究会の目的は、人間存在を巡るこの時代
ところが、孤独が深まると、不安や恐れがある
の最も大きな課題である現代人の孤独をどう乗り
ため、自分に向き合うことに耐えられず何かに没
越えて行くかを共に考えていくものである。そのた
頭しようとする。そうすることで孤独は一時的に隠
め、キリスト教会の牧師で、臨床パストラルスー
蔽されてしまう。例えば、さまざまなアディクショ
パーバイザー、聖学院牧会電話相談カウンセラー
ン行為で解決するなどの、誤った対処法を用いる
である堀肇氏が、
「現代人の孤独を考える―ロンリ
場合がある。しかしながら、確かに、孤独は危機
ネスからソリチュードへ―」と題した講演を行っ
でもあるが、創造的、超越的な世界に心を向ける
た。以下、本講演の概要について報告したい。
契機ともなりうる。孤独は、空しい孤独感からたっ
「現代人の孤独を考える」
た一人のかけがえのない存在であるという認識へ
本講演では、キリスト教会の牧師の立場から現
導かれる機会でもあり、本当に自分に向き合った
代人の孤独について考察されていた。
時、深い自分に根を下ろす時に、深い暗闇に気が
そもそも孤独は誰の内にも持っているものであ
つくこと、人間を超えた世界、もう一つの声を聞く
り、人間にとり最も根源的で、かつ究極的な課題
ことのチャンスでもあるのだ。
である。また、孤独は心理発達段階のいたるとこ
講演者は、最期に、孤独とは異なり、自分自身
ろで生起するものであり、個別性が強いため、孤
でいることをソリチュードと述べた。これは、独り
独といっても単純ではない。
でいられる孤独であり、人と交わることができるも
初めに講演者は、孤独の性格について述べた。
のである。そして、孤独であること、ロンリネスか
それには、①普段は意識化されない漠然としてい
らソリチュードへどのように向かえるかが課題とな
るもの、②だれも理解者がいないと感じるもの、
る。また、その過程には、一方向的に進んでいく
③関係が断たれ、孤独・孤立した状態であるもの、
ものではなく、行きつ戻りつしながらも、前進をし
④一人でいることのできるものとがある。
ていくことが大切であると述べている。この、ロン
また、現代人の孤独は、それまでとは少し異なっ
リネスからソリチュードへの旅の過程では、①神
ており、家族や社会病理を背景とした深さが備わっ
の前で鎮まる黙想、②霊的旅路の同伴者を持つこ
ている。心の内部の悩みと孤独は比例しており、
とが必須となる。
悩みが大きいと孤独になる。そのため、現代の孤
このような旅の終着には、神との繋がり、自分
独は、傷ついた孤独とされ、孤立や逃避といった
との繋がり、そして人と繋がる時には、人は真の
性格を帯びたものとなる。そして、孤独の本質は、
意味で独りを勝ち取ることが可能となるのである。
誰とも繋がっていない状態で「見捨てられ感」が
存在する。
(文責:おち・ゆうこ 聖学院大学大学院アメリ
一方、われわれが孤独に対処するためには、時
カ・ヨーロッパ文化学研究科博士後期課程)
に、孤独を意識化することも必要である。例えば、
(2010年10月22日、新都心ビジネス交流プラザ 4
孤独の原因(ものごとがうまくいかないとき、先が
階会議室)
見えないとき)
、自覚症状(心の動揺、不満感、心
8
報 告
国際シンポジウム
現代社会におけるポスト合理性の問題
――ヴェーバーの遺したもの――
越智 裕子
2010年11月23日、聖学院大学総合研究所・聖学
を「目的合理性」
「価値合理性」と論じていたが、
院大学政治経済学部の主催で、国際シンポジウム
彼は合理性を、目的ではなく価値に向けられた行
が開催された。
為として示そうとしていた。⑵は、例えば、世界
本講演では、
「現代社会におけるポスト合理性
像や神話を合理的であると見解し、神話は論理的
の問題――ヴェーバーの遺したもの――」という
で、経験的に正しい言明だとはみなされないが、
テーマに基づき、まず、グラーツ大学名誉教授 それは説得力と蓋然性を持ち、機能的解釈に基づ
カール・アッハム氏より「行為、歴史、および説
くなら、合理的で自分たちの居場所が理解可能な
明の原則としての合理性――マックス・ヴェー
やり方で象徴的に表現されているとしていた。
バーに関する考察――」が論じられ、次に、カッ
セル大学名誉教授 ヨハネス・ヴァイス氏より「カ
2 .宗教の脱魔術化と経済的合理性について
リスマ――社会学の境界線上で」が論じられた。
ヴェーバーが示そうとする、世界の諸物に内在
また、各講演者へのコメントが、東京大学大学院
する神の理性を辿ろうとする試みは、長期的には
情報学環・学際情報学府教授 姜尚中氏、大阪府
信仰の内容から理解機能を切り離すという結果を
立大学人間社会学部教授 細見和之氏、東京外国
もたらし、その過程で、世界だけでなく、生き方
語大学、東洋大学非常勤講師 荒川敏彦氏、聖学
の合理的秩序の原理もまた、宗教的に正当化され
院大学政治経済学部教授 土方透氏により述べら
るという変化に至った。一方、宗教を通して正当
れた。
化されていた美徳は、自由という政治的イデオロ
ここでは、アッハム氏とヴァイス氏の講演内容
ギーによって正当化され、ヴェーバーの業績は、
を中心に報告したい。
その差異を強調し、政治的自由、社会福祉と社会
講演 1 .「行為、歴史、および説明の原則としての
保障、科学の促進、民衆の教育と知識の普及など
合理性――マックス・ヴェーバーに関する
考察」から
アッハム氏によると、ヴェーバーの唱えた「合
すべての進歩や寄与物となった。
3 .科学の脱魔術化とその意味について
理性」に対する社会学的な意義は、自然の科学的
宗教は、救済という知識が、今までの世界内在
理解とその技術的支配を可能にし、やがて社会の
的な進歩に取って替わられ、世俗化し、科学は、
科学的理解とその社会工学的な制御をも可能に
科学の意味価値が効用価値によって置き換えら
し、この文化の成立過程を解明するための理論を
れ、科学や宗教は脱魔術化のプロセスとして進行
示したことにある。
した。そして、自然科学は、技術的に返還された
1 .行為と言明の合理性について
ときに役立つ認識や自己像や世界像への貢献を通
し、実存的な重要性を持つ認識を保証するように
合理性は、⑴行為(人間行動学的合理性)と、
なり、大きな意味価値を獲得する。自分たちが宇
⑵言明(認識論的合理性)により説明がつく。⑴
宙のどこにいるのかを示し、人間が自らの行為に
は、ある行為は、それが行為者によって追及され
適切な方向づけを得ることを可能にする。
る目的に客観的によく当てはまっている場合に合
理的であるとされる。そして、ヴェーバーはこれ
9
4 .科学の合理的根拠づけを巡るいくつかの
新たな試みについて
られた支配関係に影のように付きまとっている
が、それを分かりながらその危険性に係る間違い
もあると指摘している。一方、ヴェーバーは、正
新たな試みとして 2 つの考え方がある。⑴機能
確に規定できず、おろそかにされるべきではない
主義的な「社会構成主義」と、⑵「言語ゲーム」
諸 現 象 を 包 括 さ せ た 概 念 で あ る「 残 余カ テ ゴ
理論である。⑴は、構成主義的見解の支持者は、
リー」についても説明している。しかし、ヴェー
知覚は解釈から独立してはおらず、解釈は種々の
バーにおいて不信の念や批判を引き起こしたの
社会的利害の関心に条件づけられているというこ
は、真正の人格的なカリスマである。そして、問
とである。⑵は、
「言語論的転回」は言語哲学を
題は優先的に社会学的概念と理論の形成の標準モ
超え、人文科学や社会科学に浸透し、諸事実には
デルへ「躊躇なく」適合するようなパースペクティ
それぞれ固有の概念枠組みが対応していると考え
ブや、それからカリスマの問題を考察することで
る。全ての認識は、それによって確認された事実
ある。これには、以下の 2 つの視点をもつ必要が
も、われわれ「言語ゲーム」の中で溶けあわされ
ある。①カリスマ支配が理解社会学上の「社会関
ており、そこに基礎を持っていると考える。
係」として解釈されるのであれば、カリスマ支配
5 .道具的合理性と実質合理性について
の描かれ方を究明しなければならない。②そし
て、その過程や、範囲における社会関係の意味は、
合理性という概念には両義性があり、合理的、
社会学上の「解釈的理解」で明らかになるか、い
かつ経験的認識、つまり理論理性の内容に関連す
かなる限界がこの理解に対して方法論的根拠から
るかと思えば、規範と諸価値の認識、つまり実践
設けられるのかも考察しなくてはならない。
理性の内容に関連もする。自然技術的に、および
さて、ヴェーバーはカリスマを、支配を可能と
社会技術的な関連で応用される「目的―手段―合
し、これを正当化する特定の人間の卓越さとして
理性」
、あるいは「道具的合理性」
「実質合理性」
いる。この支配類型は政治的領域に限られるわけ
から区別されるとしている。
ではなく、
「主張する個人」の「特定の内容命令」
が服従へと突き動かし、その服従を当てにできる
10
講演 2 .「カリスマ――社会学の境界線上で」から
のであれば支配は語られるとしている。そして、
ヴァイス氏は、カリスマを説明する前に、キル
服従への意志は激情的、あるいは価値合理的なモ
ケゴールの理論を含め、
「例外」と「一般」につ
チーフが決定的であり、
「服従への意志」がなけ
いて説明している。例外とは、卓越し、特別な才
れば、被支配者の側に立つことはできないが、彼
能を持っているものであるが、それは無条件に誰
ら自身、行っている行為については理解している
もが当てはまるものであるとの説明をしている。
と述べている。また、カリスマによって動機づけ
次に、彼は、ヴェーバーのカリスマの問題を挙
られた支配関係の下では、世界を根底から変革す
げ、彼は、ブルジョア・エリート的であるため反
る全く新しい何かがあることが重要であり、支配
社会的であり、マルクス主義的批判がこの流れの
の成否は、その証明にかなっている。
中で展開されたと言及している。そして、ヴェー
しかしながら、このカリスマ的支配を超自然的
バーは、カリスマの傲慢さや、その演出の形式を
なものとみなし、科学的合理性という手段では解
一層鋭く批判している。つまり、知と道徳性の従
釈しえない、非合理的なものであると捉える意見
来の基準が下落することや、その基準の大規模な
もある。この一方で、社会学的理解では、特定の
溶解という危険性は、カリスマによって動機づけ
諸前提の下にある人間を、超自然的で、いずれに
せよ経験的・科学的に理解できない諸力の実在性
と真理を信じることへともたらすことができる諸
根拠に照準を当てているのである。
ヴェーバーはカリスマ概念をまったく価値自由
的であるとしたり、それを別の現象形式から引き
出すような状況として捉えたりしている。
「真正
の」カリスマと「作為的な」カリスマの区別を放
棄できないのは明らかであり、区別のための評価
を事柄における区別から鋭く区切らなくてはなら
ない。
そして、カリスマの場と意義は、本来の「真正
の」形式において示され、カリスマは一般的には
左から 2 番目よりカール・アッハム氏、ヨハネス・
ヴァイス氏、姜尚中氏
宗教の歴史、個別的には政治的改革と変革の西洋
方法で知覚する。そのため、真剣に受けとるため
史の力とみなされる。過去の社会学者たちは、真
には、完全には分離されていない事柄を、社会的
のカリスマや純粋にカリスマ的な指導者には意味
に一般的なものとして理解する。こうした場合に
があり、その革命的な力や影響力はどこに基礎づ
おいては、社会学的分析の厳密さが、どれほど現
けられるかを実例的に突き付けてきた。ヴェー
実に即しているのかを測る助けになっている。
バーにとってのカリスマは、理念型的な純粋性の
以上が、
「現代社会におけるポスト合理性の問
「存在形式」の中で姿を表し、他の社会学者の指
題――ヴェーバーの遺したもの――」というテー
導要求が「純粋に宗教的に」動機づけられていた
マに基づいた、アッハム氏とヴァイス氏の講演内
ことにカリスマは本質に属しているのである。
容である。
近年、これまでのヴェーバー的なカリスマ社会
学が行ってきた批判的・懐疑的な関わりが、生産
(文責:おち・ゆうこ 聖学院大学大学院アメリ
的社会の中で、つまり政治、広告、娯楽産業の領
カ・ヨーロッパ文化学研究科博士後期課程)
域、日常の領域の中で、カリスマの意味と価値が
(2010年11月23日、メトロポリタン・プラザ12階
インフレーションを起こしてしまっている。この
会議室)
中で、社会学は「カリスマ主義」の研究の下で、
達成可能であるものを顧みず、目の前にある社会
シンポジウム全体の概要、及びアンケート結果
的実存性に対する独自の評価によってでもなく、
は28ページをご覧ください。
事柄における独自の差異化・分化をもって立ち向
かうならば、社会学は当面批判的になる。
ゲオルク・ジンメルは「社会化された存在様式
は、社会化されていない存在様式によって規定さ
れているし、その決定に参与している」と述べて
いる。
個別化の存在形式は、ジンメルとヴェーバーと
では平行線上に規定されている。そのため、一方
を主題化にすれば、社会学が個-性を一方向的な
11
報 告
中国におけるプロテスタント神学教育の現状
松谷 好明
筆者は 1 月 3 日㈪から12日㈬までの10日間、
和神学校が出すB.Th.およびM.Th.の学位はCCC
四度目の訪中をし、上海、南京、重慶、成都に
が認定しているだけで政府が認定しているもの
ある三つの神学校と一つの聖書学校における神
ではないため、同校の卒業生で優秀な人を海外
学教育の現状を調査した。
(上海、南京には日
の神学校、大学に留学させようとしても上級の
中教会史を専攻している筆者の四男で日本基督
課程への入学を認めてもらうことが難しい。何
教団の牧師、曄介が通訳を兼ねて同行した。
)
とか対策を立てねばならない、といったこと
以下はその報告である。
だった。
1 .総論
昼食時には、日本NCCの招きで去る12月に来
日した中国教会代表団の一員で、筆者が東京で
⑴今回筆者の各校訪問のために連絡の労を取って
お会いしていた両会本部の社会関係部門の若き
くださったのは、中国プロテスタント教会(政
主任者、顧夢飛(Gu Mengfei)氏も加わり、楽
府に登録している公認教会)全体を統括してい
しく有益だった。
る中国キリスト教協会(CCC)の副総幹事(国
際交流・教育部門の責任者)で、旧知の包佳源
⑵中国の政府登録にされた教会の信徒数は、現在
(Bao Jiayuan)
牧師である。1 月 4 日㈫筆者は、
おおよそ約 2 千万人である(一般に「家の教会」
各校訪問の前に、全国両会(
「中国基督教三自
とか「地下教会」と呼ばれる未登録教会の信徒
愛国運動委員会、Three-Self-Patriotic-Movement:
数については 2 , 3 千万人から数千万人と諸説が
TSPM」と「中国キリスト教協会、China Christian
あるが、本報告の教会、神学校、聖書学校はす
Council:CCC」の両者を合わせて中国ではこう
べて公認教会のものである)
。正規の神学教育
略称される)本部(上海市九江路219号)の包
を受け任職された牧師は恐らく全国でまだ1000
牧師の執務室で、中国教会全体の神学教育の現
人に満たないから、牧師を補助する伝道師、信
状と課題について同牧師から全般的なガイダン
徒伝道者を加えても、中国教会における神学教
スをしていただいた。同氏が最も強調していた
育拡充の必要は緊急かつ大である。ちなみに、
のは、①全土における牧師の数の圧倒的不足
全国両会発行の2011年「信徒手帳」に掲載され
と、②牧師の養成に当たる神学教師の質、量、
ている〈全国主要城市教堂地址及礼拝時間〉に
両面におけるレベル・アップの必要、③金陵協
掲載されている教会を数えてみると504教会で
あるが、一つの大きな教会の場合幾人もの牧師
がおり、また、主要な都市以外の小さな都市に
も教会があり、更に神学校、聖書学校の教師、
両会の職員として働いている牧師たちがいるこ
とも念頭におかなければならない。
⑶中国のプロテスタント神学教育は三つのレベル
で行なわれている。第一は全国から学生を募集
する神学校で、これは現在までのところ南京に
ある金陵協和神学院(通称で南京神学校とか、
左:包佳源牧師、右:筆者
12
南京ユニオン神学校と呼ばれる)ただ 1 校であ
る。第二は数個の省、特別市などから学生を募
都市のような大学や研究機関の多い新しい地
集する地方神学校(神学院)で、これは現在11
区)にある。昨年までに移転作業はすべて終わ
校ある。第三は神学校(神学院)より低いレベ
り、旧キャンパスの建物(美しい風格のある建
ルの聖書学校(聖経学院、キリスト教養成班、
物)はリサーチ・センターとして継続使用され
専門学校などの名で呼ばれる)で、
現在10校(う
ている。中央政府の財政支援を受けて建設され
ち、貴州省および重慶市にある 2 校は、政府か
た新キャンパスは敷地が計 3 万 8 千坪で、校舎
らまだ学校として認められていない)ある。第
(約1400坪)
、学生寮、図書館(蔵書数は 6 万
一、第二、第三、合わせて22校である。
冊)
、チャペル、事務棟のほか、約 3 千坪のスポー
ツ・グラウンドが見事に配置されている。ただ
⑷筆者はこれまで2007年 9 月に東北神学院(瀋
陽)と吉林聖書学校(瀋陽)
、2008年 8 月に金
し、500人収容可能なチャペルは資金不足で建
築工事が中断したままであった。
陵協和神学院(南京)
、華東神学院(上海)の
4 校を個人的に訪問しているが、今回は金陵協
⑵神学院の体制は昨年 3 月~ 5 月に一新された。
和神学院(南京郊外の新キャンパス)と華東神
新理事長、新理事が選出されたほか、新院長に
学院を再訪したほか、
新たに四川神学院(成都)
CCC会 長、 神 学 院 理 事 長 で も あ る 高 峰(Gao
と重慶聖書学校の 2 校を訪問した。 4 校の教室
Feng)牧師、
新副院長(教務、
海外関係担当)に、
(中国のほとんどの神学校、聖書学校では教室
陳逸魯(Chen Yilu)牧師(CCC副総幹事、全国
が自習室を兼ねているので、教室の各自の机の
両会神学校教育委員会ディレクター、広東神学
上には教科書、辞書類が並んでいる)
、寮に、
院院長を兼任)を選出、
もう一人の副院長に(リ
明(Wang
暖房は一切ない。気温 2 , 3 度の中で頑張ってい
サ ー チ 部 門、 図 書 館 担 当 ) に 王
る教師、学生たちの姿を思い浮かべながら、こ
Aiming)牧師を再任した(主要人事で唯一の再
の報告を記す。
任のように筆者には思われる)
。
2 .金陵協和神学院―唯一の全国的規模の神学校
⑴2005年 1 月に起工式が行われ、2007年に完成し
⑶学生のコースは基本的には二つで、 4 年制の神
学士(B.Th.)課程(学部)と 3 年制の修士(M.Th.)
た新キャンパスは南京市中心部の旧キャンパス
課程(大学院)である。このほか、牧師の継続
から神学院のバスで 4 ,50分の郊外(つくば学園
教育のための特別なプログラムが随時設けられ
る。学部の場合、受験資格は①高卒以上の学歴
を持ち、
(学部 3 年への編入希望者の場合は、
聖書学校卒)
、30才以下の熱心な信者 ②各地
の教会、CCCからの推薦。入学者は中国の文部
省の規程に従った基礎的な文化系の科目と語学
(カリキュラムの約30%)
、および聖書、神学、
教会史、
実践神学などのキリスト教関連科目(カ
リキュラムの約70%)を 4 年にわたって取り、
卒業論文を提出して卒業する。多くの人は出身
地の教会に赴任し、少数の人が大学院に進む。
金陵協和神学院全景
大学院のコースには本神学校卒業生のほか、
13
他の神学校を卒業した人の中で特に優秀な人々
前後いる。専任教師の多くは当神学校の卒業生
が少数送られてくる。院生は組織神学、キリス
で、中には大学を出ている人々もいるが(神学
ト教思想史、教会史、中国キリスト教史、旧約
の勉強で国内では博士号を取得できない)
、海
学、新約学、実践神学などの科目を 2 年間にわ
外で神学を学び博士号を取得している人は、副
たって取り、 3 年目は主として論文執筆に当た
院長の王 明(Wang Aiming)教授、ただ一人
る。大学院終了後、多くの人は各地の神学校の
である。 7 人の教授のうち何と 5 名が博士号取
教師となるが、一部は出身地の教会の牧師とな
得のため現在ヨーロッパに留学中とのことだっ
る。
た。本校で行なわれている中国最高のプロテス
タント神学教育も、中国の一般の大学教育のレ
⑷学生数は学部が毎年160 ~ 170人、大学院が30
ベルと比べるならば、学生、教師共に解決すべ
~ 35人、計200 ~ 210名(近い将来、これを500
き課題が多いことが見て取られる。1980年代以
名にしたいというのが学校当局のビジョンであ
降、特にこの10年間に出版されている神学書、
る)であり、全員寮に入って学んでいる。寮は
注解書の翻訳とキリスト教関連の研究所の執筆
原則的に 2 人部屋で、他の神学校、聖書学校の
の多くは、神学校の教師によってよりも、大学
寮
( 4 ~ 10名の部屋)
と比べると恵まれている。
や政府の研究機関で働いている「キリスト者と
授業料、寮費、食費などを含め、学生が負担す
非キリスト者」
(従来は総じて「文化キリスト
る費用は5000元(現時点の日本円で約 7 万円)
者」と呼ばれることが普通だったが、現在では
で、多くの学生は出身教会や家族、地方のCCC
「知識人キリスト者」と呼ばれることが多い)
からの援助や学校からの奨学金などでまかなっ
の研究者によってなされていることも中国にお
ているという。
ける顕著な現象である。
⑸全国の神学校、聖書学校の中ではただ一つ、本
神学院ではヘブライ語、ギリシャ語のクラスが
設けられている(選択科目)ほか、英語教育が
重視され、アメリカ人宣教師による実践的な英
語と神学的英語のクラスが設けられているのが
印象的だった。前週ですべての講義が終了し
て、学生たちは 2 週間後の試験に備えていたた
め、残念ながら授業参観はできなかったが、キャ
ンパス内、特に食堂における学生たちは実に生
き生きとしていた。ただし、食堂のテレビから
は絶えず通俗番組と商品のコマーシャルが流れ
ていたから、資本主義、消費文化、教会内外の
世俗主義の誘惑との神学生たちの精神的な戦い
は中国でも容易ではないことを痛感した。
左:王 明教授、中央:筆者、右:夫人 王芃先生
3 .華東神学院(上海)
⑴地方神学校の中で最も有力な神学校の一つがこ
の神学校であろう。1985年に創立された本校は
2000年に上海郊外(ここも学園都市として開発
14
⑹現在約30名いる専任教師陣は、全体として若
された地区)の広い敷地(約5600坪)に建てら
い。外部の教育機関から来る非常勤講師も10名
れた新校舎(建坪約2700坪)に移り、経済的に
もゆとりのある運営がなされているように思わ
才)は南京神学院の卒業生、
その妻の陳先生(キ
れる。謝炳国院長
(兼任)
、
徐玉蘭副院長のもと、
リスト教思想史担当)は、本校卒業後、南京神
専任教師18名、外部からの非常勤講師(哲学、
学院に送られ、修士課程を終えて本校に教師と
文学、歴史などの科目を上海の諸大学の知識人
して戻った人だった。
キリスト者が教える)で、
教育がなされている。
常勤の外国人教授はおらず、時々、上海と全国
の両会を通して外国人の客員教授が来て、 6 時
間を限度に講義をすることがある。図書館の蔵
書数は約 8 万冊である。
⑵四つの省(山東省、浙江省、江西省、福建省)
と上海から学生を募集するが、浙江省からの学
生が最も多く、豊かな上海からは最も少ないと
いう。中国では都会の若者たちはキリスト者と
いえども、高校を卒業して神学校に行くより
左:陳先生、中央:筆者、右:蘇先生
は、厳しい受験戦争に勝ち抜いて大学に入学
し、経済的に恵まれた職業に就きたいと考える
⑷本神学校の男性教師の定年は60才、女性教師は
傾向がある。本校は 4 年制の神学課程に115名、
55才とのこと。筆者が「それでは女性差別だと
2 年間の教会音楽課程に20名、計135名の学生
いう批判が出ないのか」と尋ねたのに対し、王
が学んでいる。学費、寮費は無料で、食費のみ
先生は笑いながら「男性に比べて女性は仕事と
月300元(現在の日本円で約4200円)払うシス
家庭の二つの重い責任を負っているので、少し
テムとなっている。こうしたシステムを採れる
早く楽にしてあげた方がよいと思う」と私見を
のも、経済力のある上海はじめ 4 省の諸教会が
述べた。男女間の定年の差は、激変しつつある
毎年 1 回行う「神学校日献金」
(その日の礼拝
中国の教会と社会に残っている伝統的な社会制
献金をすべて神学校にささげる)
のお陰である。
度と見てよさそうに思われる。
本校の受験資格も①高校卒業、②教会および
地方の両会の推薦で、受験者は 5 科目(国語、
歴史、政治、英語、キリスト教常識)の試験を
受け、約90%の人が合格する。大卒で受験する
人も 2 , 3 割いるが、全員同じ試験を受けるとの
こと。
⑶卒業生のほとんどは出身地方の教会に牧師とし
て赴任し、ごく少数の者が南京の金陵協和神学
院の大学院に送られ、終了後、神学教師となる
人が多い。筆者を迎えて案内してくださった教
務主任の王先生(45才)は本校の卒業生、若い
左:王
(教務主任の先生)
、中央:筆者、右:松谷曄介
神学教師(教会史、組織神学担当)
、蘇先生(30
15
4 .四川神学院(成都)
⑴この学校は中国の西南地方、すなわち、雲南省、
貴州省、四川省の 3 省と重慶市の牧師養成機関
として四川省の省都、成都に1983年に創立され
た。成都は他の都市と比べて空気と川の水が比
較的きれいで、落ち着いた街である。かつてア
メリカのメソジスト教会が所有していた土地、
建物の半分ほどが政府から両会に返還され、教
会堂が恩光堂(教会)として使用され、それに
隣接している 7 階建ての石の堅牢な建物(建坪
教室内の学生たち
約900坪)が、四川神学院の校舎、教師室、事
務室、学生寮として使用されている。現在は 1
で、心打たれるものがあった。学生たちは授業
学年30名の 4 年制の課程のみを設けており、学
料、寮費、食費など総額で年2500元(現在の日
生は約120名、うち少数民族の学生が約30%で
本円で約 3 万 5 千円)を各自納めなければなら
ある。専任の教師は李棟(Li Dong)院長、袁世
ないが、約半数の学生は経済的に困難で、さま
国(Yuan Shiguo)副院長はじめ10名(うち南京
ざまな形での支援を受けているという。遠くの
神学院卒のいわゆる老教授は 2 人、シンガポー
地から来ている学生たちの中には休暇中に帰省
ルや香港で修士号を取って帰ってきた教師たち
する交通費がなくて寮に留まらざるを得ない人
が 4 名)
、外部からの非常勤の教師は 5 名ほど
もいるようである。学生たちの経済的援助をど
である。
のようにするかで始終頭を痛めている、と袁先
生は言っておられた。なお、図書室の蔵書は1.1
万冊。
⑶毎年約30名の卒業生のほとんどは出身地の教会
に牧師として赴任するが、年に 1 人か 2 人、南
京神学院に送られ、更に学ぶ者があるとのこと
だった。卒業生が赴任する中国西南地方、特に
奥地、の教会は全体として貧しく、自ら農作業
などをして働きながら伝道牧会を続けている牧
師も少なくないという。
前院長の毛仰三教授のクラス
16
5 .重慶聖書(聖経)学校
⑵筆者は袁副院長の案内で授業中の三つのクラス
⑴1938(昭13)年から1943(昭18)年の 5 年半に
に入り短い挨拶をし、更に四年生の第一コリン
わたる日本軍の爆撃で死傷者約 2 万 5 千人を出
ト 4 章のクラスは 1 時間傍聴させてもらった
したことで知られる重慶は、至る所が坂だらけ
が、どのクラスの教師、学生たちもクリスチャ
で、スモッグですべてがかすんで見える大都会
ンらしく、表情は明るく、態度は非常に友好的
(人口 3 千万人)である。聖書学校は、街中心
課程で、神学校(神学院)同様、一般教養科目
と聖書および神学の基礎と英語、音楽などを学
ぶ。筆者は、外部講師による授業の後15分程挨
拶と質疑応答のときを持った。学生たちは全体と
して素朴で恥ずかしがり屋だったが、中には学ん
だ日本語の挨拶をして笑いを誘い、クラスの雰囲
気を盛り上げる元気な女子学生もいた。
⑶教師たちは使命感と熱意に溢れていたが、与え
られている課題の大きさと所与の諸条件(限ら
れた人材、校舎、設備、学生の数と質、待遇等々)
重慶CCC総幹事の廖牧師に聖学院大学総合研究所か
ら出しているTheology of Japanのシリーズを贈呈。
左端は通訳をしてくださった韓先生
の間で苦闘しているようにも感じられた。
6 .まとめ
部から車で30分程坂道を上っていった「山中」
⑴キリスト者人口 1 %の現実の壁
(丘の上と言うべきか)にある教会(救主堂)
今回訪問した 4 校には熱心に学ぶ学生たちが
に付属した 4 階建ての古いビルである。2008年
それぞれ30 ~ 200人いて、このような神学校、
に開校したばかりで、まだ政府から学校として
聖書学校が全土で20余に上り、毎年新たに数百
認可されておらず、現在は第 1 期生30人(男性
人の伝道者が増えていくと聞けば、中国の教会
は 6 人のみ)が一つのクラスで学んでいる。彼
の未来は明るいと日本のキリスト者の多くは考
らが今年卒業すると、今秋第二期生が入学して
えるかもしれない。また、中国の諸都市の教会
くる予定である。専任の教師 3 名はいずれも若
はどこも数百人から千人、二千人の礼拝を日曜
く、30才前後。図書館の蔵書は見たところ2, 3
日ごとに何度も行っていて、一見すると日本の
千冊ではないかと思う。
教会とはその規模が到底比較にならないように
思われる。筆者が仕えている教会は礼拝出席者
⑵聖書学校の目的は将来牧師として任職される人々
が約20人だと言うと、中国の神学教師の一人は
の教育ではなく、伝道師や教会音楽、教会事務
吹き出してしまい、
「本当にあなたはたった20
等の面で奉仕する人々の養成である。 3 年間の
人の人に毎週説教しているのか⁈」と、信じら
れない様子だった。しかし、中国の各個教会が
大きいのには特別な背景がある。実は、中国の
人口は日本の10倍以上であるが、歴史的、政治
的な事情から現在では教派は認められておら
ず、教会組織はただ一つであり、また政府から
返還されている教会の不動産は限定的だから、
教会数はごく限られているのである。先に触れ
た「信徒手帳」によれば、人口1400万人の上海
には24教会、3240万人の重慶に17教会、1100万
人の成都にはわずかに 3 教会、600万人の南京
聖書学校の学生たち
にも 3 教会しかない(もっと南京の場合、実際
17
には下関や鼓楼の近くにも教会はあるので、こ
る。また⑵に述べた歴史的諸条件も、また神学
れらの数字はあくまで主要な教会のみであり、
教育の一環として必須とされている「政治教
また一つの教会が数個の集会所を持っているこ
育」
(筆者はそのテキストを入手して概観した
ともあるが)
、といった具合である。各個教会
が、それは三自の立場から見た「中国近現代教
の礼拝者数が大きいのはこうした事態の反映で
会史」と言うべきものである)も、必ずしも否
ある。地方CCCの責任者の一人は、自分たちの
定的にのみ捉えるべきではないと考える。そう
地域のキリスト者人口は多分 1 %位ではないか
した者の一人として中国教会と神学教育に対す
と話していた。キリスト者人口が 1 %と考えれ
る筆者の祈りと期待は、
次のようなものである。
ば、中国の神学校の数やレベル、学生数、教師
4
数、図書館・図書室の蔵書数などが必ずしも十
①三自の原則は、近代日本の教会と神学が、曲
分ではないこと、等々、について我々が抱くい
りなりにではあるが、いち速く実践しようと
ろいろの疑問が、解けてくるように思う。
努めてきたものである。東アジアの国の教会
4
4
4
4
4
4
4
4
4
として中国教会は、日本のキリスト者人口は
⑵歴史的条件
1 %にすぎない、日本の教会と神学から学ぶ
中国における神学教育が比較的自由に行われ
ものはない、などと考えず、
「来たりて見よ」
るようになったのは1980年代以降であるから、
である。欧米の教会のような規模の経済的援
その歴史はわずかに30年と言ってよい。19世
助を日本の教会はできないだろうが、ペトロ
紀、西欧列強による植民地支配と19世紀末から
と共に「わたしには金や銀はないが、持って
20世紀中葉にかけての日本の軍事的侵略と支
いるものをあげよう」と言うことはできる。
配、内戦と中華人民共和国成立後の種々の政治
隣人として神学研究・教育において協力でき
運動、とりわけ1966年~ 77年のいわゆる文化大
る余地が大きいと考えるからである。そのた
革命の中で、中国における伝道と教会建設はも
めに、何よりも日中間の神学教師の交流の拡
とより、神学の研究と教育が自由闊達に進めら
大が望まれる。
れる余地はほぼ皆無だった。周恩来→鄧小平主
導による改革開放路線が定着して以降、教会と
②中国教会の機構は、外部の者には少々分かり
神学はようやく息を吹き返したのであるから、
にくい。特に、両会と神学校との関係はそう
神学校、神学教育における学的水準の向上、図
思われる。例えば、神学校の院長や教師の名
書館の充実、物質的諸条件の改善などの面で今
刺の肩書にはいくつもの役職があり、責任、
後なさねばならない課題が中国教会に山積して
権限の面でのその相互関係がよく分からな
いるのはむしろ当然である。
い。また、神学校の人事や教育内容の決定は
両会、政府との間でどのようになされるの
⑶三自(自治、自養、自伝)の原則の新たな展開
に向けて
列強支配下の前近代的中国における福音伝道
か。これら一連のことは、中国教会における
三自がより教会的になる必要があることを示
唆しているように筆者には思われる。
と教会の在り方に対する厳しい批判と反省から
共和国成立後の中国において海外教会に依存し
18
③日本の教会と世界の教会が中国の教会とキリ
ない三自の原則を中国教会が深く受け止めたこ
スト者から学びうる最大のものは、もろもろ
とに、筆者は理解と敬意を覚える者の一人であ
の苦難と死の中から主なる神の恵みによって
救い出され、命を与えられた証しであろう。
にお招きして相互の交流を深めることに努めた
しかし、そうした真実の証しには、人間の失
いと考えている。
敗や挫折も含まれなければならない。そうし
て初めて
「福音書」
となる。そうした
「福音書」
※補遺
が記されるためにはなおしばしの時が必要だ
⑴中国の神学教師、牧師たちからよく聞いた現代
ろうが、特に神学校、聖書学校における神学
の欧米の神学者、牧師たちの名前は、日本の我々
教育の歴史が中国人神学者によって将来著わ
にも馴染みのあるもので、主流派、福音派、両
されて、世界教会の「福音書」となることを
方のものがあった。例えば、ウィリアム・バー
期待している。それまでのしばらくの間は、
クレー、バルト、ニーバー、ボンヘッファー、
アメリカ人の神学者(オランダ改革派教会、
パネンベルク、ジョン・ストット、ビリー・グ
R C A)、M a r v i n D . H o f f編
の“C h i n e s e
ラハム、パッカー、ゴードン・フィー、ゴンザ
Theological Education, 1979-2006”
(Eerdmans,
レス、
マクグラス、
リック・ウォレンなどである。
2009)
で満足しなければならないように思う。
⑵中国の神学校の華人系神学校との交流は、年を
追うごとに活発になっている。具体的には、台
湾の福音派神学校(中華福音神学院、台湾浸信
、
会神学院Taiwan Baptist Theological Seminary)
香港のルター派学校(信義宗神学院)
、香港中
文大学崇基学院、シンガポール三一神学院など
である。
⑶中国の神学教育についてはネット上にもさまざ
まな情報がある。例えば、
1月6日
(木)
、筆者
(右)と息子
(左)は、戦後のプ
ロテスタント神学界の指導者で元、南京神学校の
院長だった陳澤民先生
(中央)を南京のお宅に訪問
した。
華東神学院HP http://www.ectssh.com
金陵神学院HP http://www.njuts.cn/
CCC / TSPMのHP http://www.ccctspm.org/
愛徳基金(The Amity Foundation)HP http://
⑷希望と期待
www.amityfoundation.org/
現在の中国教会とその神学教育に大きな課題
が山積していることは繰り返し述べた通りであ
るが、訪問中にお会いした諸先生、学生たちの
(まつたに・よしあき 聖学院大学総合研究所特
任教授、日本基督教団館林教会牧師)
教会の主、イエス・キリストに対する愛と、海
外の主にある兄弟姉妹に対する開かれた姿勢
は、政治的、社会的安定がありさえすれば、中
国教会がそれらの課題をよく担い、果たすであ
ろうことを筆者に確信させた。筆者としては、
多くの方々の協力を得て近い将来、そうした課
題を担う中国の指導的神学者・神学教師を日本
19
共同研究報告
【ラインホールド・ニーバー研究】
ニーバー兄弟の経済倫理
-ヴェーバー理論に関連して-
カ ナ ダ で 活 躍 し た「 キ リ ス ト 教 社 会 秩 序 教 会
FCSO」の所論を検討する作業を通じて明らかに
したのは、ニーバー的な垂直の関係に人間の逆説
的意味があるだけとするなら、人間の水平の関係
つまり社会的、歴史的関係の中に積極的意味が指
11月 6 日㈯、本年度 3 回目の研究会が聖学院大
摘できなくなるという問題性である。しかし、ま
学本部新館 2 階において催された。参加者は21
たFCSOにも問題はある。それは「相互性」を重
名。今回は青山学院大学大学院教授の東方敬信氏
視する「神学的人間学」には希望の世界を待ち望
に発表していただいた。
む「忍耐」が欠けているというものである。そこ
東方氏は、これまでキリスト教の経済倫理につ
で模索されるべきは、多元的人間論(センやユヌ
いて多くの論文を発表してきているが、今回の講
ス)などを土台にした「オータナティヴ・エコノ
演はその延長に位置するものである。今日の金融
ミーの世界」ではないかと東方氏は結論付ける。
危機の問題に対して、アメリカの神学雑誌が特集
東方氏の発表後、ティータイムを経て、いつも
を組むなど、経済に対する神学の関心は高い。そ
のように質疑応答の流れとなった。その際、東方
の際、20世紀前半の経済恐慌から出てきたクリス
氏が学生とともに実施しているフェアトレードの
チャン・リアリズムから学ぶことは多いはずであ
取り組みが紹介された。
る。
東方氏の所論をまとめるとこうである。20世紀
(文責:兼松誠 聖学院大学大学院アメリカ・ヨー
初頭の社会的福音運動は経済活動についての神学
ロッパ文化学研究科博士後期課程)
であり、神の国が歴史の中で実現するという楽観
(2010年11月 6 日、聖学院本部新館 2 階)
的なものであった。ニーバーはこれを批判する。
かわりに彼が提示したのが、神との垂直的な関係
(愛と応答)を大切にしつつ、
正確な現実理解(正
義と権力)を徹底する「神学的倫理学」であった。
【憲法研究】
人権理念におけるピューリタニズムの伝統
しかし、彼の「神学的人間学」に欠けているもの
があるとしたら、それは垂直的な関係と正確な現
2010年11月15日㈯、聖学院本部新館 2 階におい
実理解を媒介する先駆的共同体理論ではないか
て、本年度第回 6 回憲法研究会が30名の参加の下
と、東方氏は考える。東方氏が、世界恐慌の時期、
に開催された。講演者は、本大学大学院長大木英
夫氏を迎え、上記の表題についての発表を頂い
た。概要は以下の通りである。
大木氏によると、人権論へのまえがきとして、
人権の由来について、これまでの日本の知的世界
の認識は、 1 )人権理念をフランス革命の人権宣
言から由来すると見る歴史上の誤り。 2 )明治時
代の自由民権的な民権論に出ているような思想的
解釈の誤り。以上の二つの誤りを犯してきて、そ
れは未だに是正されておらず、またこれらの二つ
の誤りは根底において絡みあっていると冒頭で論
東方敬信・青山学院大学大学院教授
20
じられた。
次に、人権理念と憲法から導入し、トーマス・
ペインとエドマンド・バーク、ロバート・フィル
マーとジョン・ロックとトーマス・ホッブスらの
思想、人権理念の噴泉としてのパトニー会議、ウッ
ドハリスとリンゼイの解明、セイバインの所説、
スキナ―の見解、ロージャー・ウイリアムスの問
題、ケルゼンとブルンナーとニーバー、ケルゼン
法学の問題、更に、人権のグロバリゼーションに
ついて触れ、ニーバーのキリスト教的リアリズム
と神学的相対主義まで発展して論じられた。
まとめとして、人間学としてのキリスト教弁証
安西文雄・九州大学大学院教授
学の試みとして、Apologeticsとは何か投げかけを
され、次に人格と人権、人間の再建、新しい時代、
発表を頂いた。概要は以下の通りである。
新しい文明の課題を掲げらて閉じられた。
先ず、アメリカ合衆国における政教分離に入る
最後に質疑応答では、
「大正デモクラシー」
「フ
前の導入として、安西氏は、我が国のあり方の判
ランス革命の人権宣言」
「神のぺルゾナ」などの
例として、昭和52年 7 月13日の津地鎮祭事件を提
論点を中心に自由で活発な論議が交わされた。
示された。これは、市体育館の起工式を神職者の
主宰の地鎮祭として執り行い、経費を市が負担し
たものである。これを、高裁は、完全分離、根拠
複合論として、また最高裁は、限定分離、根拠単
一論とした。
次に、アメリカ合衆国の政教分離条項と連邦主
義と題して、 1 )連邦と各州の関係では、各州に
おける政教関係に連邦は介入しない。 2 )大州と
小州との関係では、大州が連邦を掌握し、連邦の
国教樹立。この 2 点を述べられ、1947年の判例で
ある、州法により公立学校及び私立学校の生徒に
「人権理念におけるピューリタニズムの伝統」と題
して発表があった
たいし、通学費補助。また、カソリック系私立の
生徒にも補助が出された事案についての判旨は、
編入理論で修正14条を通じて、政教分離条項は州
(文責:松田寿美子 聖学院大学大学院アメリカ・
にも適用されるという判例を提示された。
ヨーロッパ文化学研究科博士後期課程)
続いて、政教分離条項の根拠をマトリックスで
(2010年11月15日、聖学院本部新館 2 階)
説 明 さ れ て、 更 に、 判 例 の 展 開 と し て、 1 )
Lemon判決、 2 )1980年代の判決、 3 )1990年代
【憲法研究】
アメリカ合衆国における政教分離について
の判決、 4 )2000年代の判決を提示された。その
他、我が国の資料として、愛媛玉串料事件の最高
裁判決やアメリカ合衆国憲法の第 1 条、修正 1
条、 9 条、10条、14条が添えられていた。
2010年12月 6 日、 聖 学 院 本 部 新 館 2 階 に お い
最後に質疑応答では、
「政教分離」という言葉
て、本年度第回 7 回憲法研究会が21名の参加の下
の定義のあり方を皮切りに、
「モーゼの十戒」
、な
に開催された。講演者は、九州大学大学院教授の
どの論点を中心に自由で活発な論議が交わされ
安西文雄氏をお迎えして、上記の表題についての
た。
21
(文責:松田寿美子 聖学院大学大学院アメリカ・
(文責:松田寿美子 聖学院大学大学院アメリカ・
ヨーロッパ文化学研究科博士後期課程)
ヨーロッパ文化学研究科博士後期課程)
(2010年12月 6 日、聖学院本部新館 2 階)
(2010年12月13日、聖学院本部新館 2 階)
【憲法研究】
違憲審査制と民主主義
―アメリカ憲法と違憲審査制を巡る論点―
【組織神学研究】
文化とキリスト-サクラメント的アプローチ
11月29日の組織神学研究センター研究会で、イ
2010年12月13日㈪、聖学院本部新館 2 階集会室
ギリスのダラム大学名誉教授アラン・サゲート
において、本年度第回 8 回憲法研究会が22名の参
(Alan M. Suggate)氏による講演が行われた。参
加の下に開催された。講演者は、一ツ橋大学法学
加者は12名であった。講演は、氏があらかじめ用
大学院教授の阪口正二郎先生をお迎えして、上記
意していた原稿を読み上げる形で為された。会の
の表題についての発表を頂いた。概要は以下の通
参加者にはその翻訳文も用意されていた。通訳を
りである。
務めたのは、聖学院大学総合研究所教授・藤原淳
はじめに、 1 )グローバルなレヴェルでの立憲
賀氏である。
主義の台頭と違憲審査制の流行、 2 )アメリカに
サゲート氏の講演は、世俗化の時代における教
おける違憲審査制に対する最大の懸念「反多数決
会のあり方をめぐるものであった。キリスト教徒
主義という難題」
、 3 )制憲期との対称性「フェ
は、あの世とこの世の二つの共同体に対する忠誠
デラリスト第78篇」
、 4 )なぜ「反多数主義」が
の間で強烈な緊張関係のもとに置かれている。サ
懸念されるのか?「反多数主義という難点」論の
ゲート氏は、個人は秩序ある共同体に属してお
起源はどこか?、 5 )他方で現在では違憲審査制
り、そこにおいて人類の共通の利益と同様にそれ
は完全に定着している。なぜ定着しているのか?
を超えた天の生を求めるべきであると力説する。
以上の 5 点について述べられた。
かつてアングリカンのテンプルは、我々はサク
次に、Lochner という問題について、 1 )Lochner
ラメント的世界に生きていると考えた。そこに見
判決の「悪名」
、 2 )歴史の中のLochner、 3 )違憲
受けられた楽観論は、イングランドの労使紛争、
審査制に対する批判の台等、 4 )大恐慌、ニュー
社会紛争、そしてナチズムの台頭によって修正を
ディール政策と連邦最高裁、 5 )ルーズヴェルト大
受けるけれども、テンプルは世界の受肉的そして
統領の「コート・パッキング・プラン」とその挫折、
サクラメント的見解を棄て去らなかった。テンプ
6 )West Coast Hotel CO.V Parrish(1973)による連
ルは、聖餐式はキリスト教礼拝の中心だという。
邦 最 高 裁 の 転 換、 7 )United States V.Carolene
Products Co.(1938)による新しい違憲審査の方向
性、9 )最高裁にとっての教訓について発表された。
引き続き、ウォーレン・コートという問題、憲
法学から学ぶいくつかの理論的応答、
「反多数主
義という難点」論にたいする最近の動向を提示さ
れた。
最後に、 1 )日本の特殊な違憲審査制、 2 )日
本の特殊性を形成しているものは何か?について
の 2 点を結びに代えられた。
質疑応答では、アメリカ最高裁の裁判官の終身
制の論点を中心に活発な論議がなされた。
22
講師のアラン・サゲート ダラム大学名誉教授
(右)
通訳の藤原淳賀・聖学院大学総合研究所教授
(左)
サゲート氏は、まさにこの聖餐式に注目する。第
一に聖餐式は言葉ではなく、なされた何かであ
る。聖餐式は、一度限りのカルバリにおいて成し
聖学院大学出版会
新刊のご案内
遂げられた、キリストにおいて神がなさった偉大
〜シリーズ〜
の救いのわざを黙想し現臨させる。第二に聖餐式
スピリチュアルケアを学ぶ 1
は共同の行為だということである。人々が教会に
来るのは、キリストの体を作るためである。この
時代に、もし神の王国が確立されるなら、それは
キリストと共にあり、取られ、祝福され、裂かれ、
御力の内に解放された人々を通してである。サク
ラメント的アプローチの長所は、この世の具体的
な現実に、そして信仰の現実に、我々を正面から
向かわせることであると、サゲート氏は言う。
(文責:兼松誠 聖学院大学大学院アメリカ・ヨー
ロッパ文化学研究科博士後期課程)
癒やしを求める魂の渇き
―スピリチュアリティとは何か―
(2010年11月29日、聖学院本部新館 2 階)
窪寺俊之編著 税込¥1,890
「スピリチュアル」という言葉が氾濫してい
る現在だが、「スピリチュアリティ」とはい
ったい何であろうか?
身体は癒やせても、医学的に癒やせない痛み
「スピリチュアル・ペイン」がクローズアッ
プされている。スピリチュアルの真の意味を
探り、
スピリチュアルケアの世界を描き出す。
― 目 次 ―
スピリチュアリティと心の援助
(窪寺俊之)
病む人の魂に届く医療を求めて
(柏木哲夫)
スピリチュアリティの現在とその意味
(島薗 進)
悲嘆とスピリチュアルケア
(平山正実)
スピリチュアルなものへの魂の叫び(窪寺俊之)
全国の書店で注文できます。
amazon.co.jp で購入することもできます。
聖学院大学出版会
〒362-8585
上尾市戸崎1-1 TEL:048-725-9801
E-mail:press@seigakuin-univ.ac.jp
23
総合研究所 News
2010 スピリチュアル・ケア研究室講演会
一臨床医のナラティブ
講演について
普通
4%
良くない
2%
実施結果―アンケート集計結果の概要―
医療、看護、介護、教育にとってスピリチュア
ルケアが重要であることが分かってきた。高度医
良い
94%
療で多くの病が治るようになっても、人の魂は飢
え渇いている。人は何のために生き、死後はどこ
に行くのか。魂へのケアが必要である。
年齢
亀田メディカルセンターの西野洋先生は最近
70代
14%
『実践スピリチュアルケア』
(翻訳)
を出版された。
30代
8%
40代
16%
西野先生の臨床経験でのスピリチュアルケアにつ
いて講演を伺う。
日 時:2010年11月19日㈮14:00 ~ 16:30
60代
44%
50代
18%
場 所:新都心ビジネス交流プラザ ₄ 階会議室B
*参加者の年齢は、60代が最も多く44%、次に50
【プログラム】
主催者挨拶、講師紹介
代18%だった。
性別は、女性67%、男性33%。
窪寺俊之(聖学院大学大学院教授)
性別
講演 「一臨床医のナラティブ」
男
33%
西野 洋
安房地域医療センター メディカルディレクター
質疑応答
閉会あいさつ、大学案内、次回の講演案内
女
67%
閉会
職業
【結果の概要】
・参加者は83名。内、アンケート回答者は49名。
・講演について「良い」という意見が最も多く
牧師
19%
その他
31%
カウンセラー
6%
会社員
2%
94%と高い評価を得た。
・自由意見として「意義深いお話だった」
「大切
なことを教えられた」
「参考になった」
「良いお話を感謝する」など。
施設職員
6%
無職
19%
教員
2%
ボランティア15%
*職業別では、
「牧師」
「無職」が19%と多かった。
「その他」の内容は、
「フリーライター」
「介護職」
「看
護師」
「団体役員」
「伝道師」
「音楽療法士」など。
24
習総合センターで相談ボランティア、埼玉カウ
参加の動機
35
ンセリングセンターのメンタルサポーターとし
30
て、災害時には駆けつけることになっていま
25
す。頑張れる間は頑張りたいと存じます。
20
・ご自身の心の話を隠さずお話くださり、とても
15
10
その他
ケアの大切さがすっと入ってきました。スピリ
自宅に送られた案内を見て
心の中の動きが伝わってきて、スピリチュアル
0
教会に送られた案内を見て
5
チュアルケアにより心が開かれる、見送る側に
もあたたかいものが残る人生の最後を迎えた方
は、
とても素晴らしい人生だったと思いました。
・親、兄姉との終りの時、本当にケアの大切さを
学んでいます。14年前の姉の死、どうしても夫
*参加の動機として、
「自宅に送られた案内を見
て」が最も多かった。
「その他」の内容は、
「知り合いの勧め」
「友人の
紹介」
「施設宛の案内を見て」など。
自由意見
・末期がん患者の傾聴を志しておりますので、と
ても参考になりました。また参加したいと存じ
ます。
・私も 6 年前に母を亡くして、生き方が変わった
ものですから、共感する部分が多かったです。
を許す事が出来ない葛藤を見ました。許して逝
かないと、天国で神様の前に立てませんよ!許
しの祈りを学びました。本日の学びは本当によ
かったです。
・学術的講演ではない、淡々としたお話の中か
ら、大切なことを教えられ感謝です。肩の張ら
ないこの様な場がとても大切であり、必要だと
思いました。
・医療者として、スピリチュアルケアについて学
んできましたが、今回の講演で、自分自身のス
ピリチュアルペインに寄り添う、ゆるしのペイ
・私はただのおじさんですので、ボランティアを
ンについて学び、ハッと気付かされました。誰
することにしました。さいたまNPOセンターで
かのスピリチュアルな面を知るには、自分自身
発送作業、デイケア施設で車椅子障害者の介
のスピリチュアルペインを見出して考えていか
助、子ども教室で安全管理、県立がんセンター
なくてはいけないと思いました。
で傾聴ボランティア、宇宙劇場で天体観覧会の
・今日はありがとうございました。長年、難病病
お手伝い、さいたまサイエンスショークラブで
棟(筋ジストロフィー)のボランティアをやっ
小学校特別理科実験のアシスタント、市生涯学
ています。日頃病人ご本人と家族への心に寄り
添うことの必要性、大切さを感じております。
今日のお話は、これからの私のボランティア活
動を含めた日々の中で、示されること、教えら
れることが沢山ありました。ありがとうござい
ます。
・ありがとうございました。日本の医療にこれか
ら必要とされる問題だと思います。よろしくお
願いいたします。
・第三者へのスピリチュアルケアよりも、まず自
分のスピリチュアルペインに向き合うこととい
安房地域医療センター メディカルディレクター
西野洋氏
う考えに共感しました。
・症例を使ってお話をして下さって、とても分か
25
か?(不思議な体験をしたい)
。医者の担当は
一人ではないため、毎日30分向き合って話をす
ることは難しいことなのではないでしょうか。
ただ少しでも理想に近づけるように努力しない
といけないと思います。
・ゆるやかな口調で真摯に「スピリチュアルケ
ア」にたどり着いたプロセスはとても感心して
聞き入りました。 4 つの言葉は、今日々生きて
いくうえで、交わす言葉ではないかと思いまし
た。
臨床経験に基づくスピリチュアルケアの講演を伺った
・医師として働いている方が、ご自分のスピリ
チュアルペインを非常に素直に、自然にお話下
りやすかったです。とても心が暖まる思いでお
さったことに驚き、また感動しました。まず自
聞きしました。ありがとうございました。
分自身のスピリチュアルペインに向き合い、魂
・なかなか伺うことのできないプライベートなお
の状態を知ることが必要なのだと、とても深い
話も聞かせていただき、とても参考になった。
ところで納得できるように思います。感謝しま
これからくる自分の死に際して、家族に対し、
す。
どういう話をしておくとよいか、などを考える
・
「他者のスピリチュアルペインに寄り添うため
のにとても役に立つ。
ありがとうございました。
には、まず自分のスピリチュアルペインを明ら
・ご自身が経験なさったことなので、分かりやす
かにすることから始める」とうかがった時は驚
く心に響きました。スピリチュアルケアは自分
きました。しかし講演が進むうち、他者と魂の
自身又、家族、友人などの人間関係にも役立つ
レベルで繋がるためにも、絶対必要なことと感
お話だと思いました。スピリチュアル・ジャー
じました。でも正直、自分にできるか不安です
ナルをためしてみたい。夢は見ないほうなの
・人生の最後の人はどう向き合うのか、勉強に
に入院されている友人がいるが、いろんな恨み
なって大変よかったです。有意義なセミナーを
や思いを抱えている人で、これからどう変わら
開講下さり感謝します。
れていくのか。少しずつ変わられていると聞く
・スピリチュアル…TVなどで私は少々うさんく
が、どう許す気持ちになれるか、最後まで人は
さい感じで見ていました。でも今日考えを改め
変われることを信じたい。と、お話を伺いなが
ます。今、医療に欠けているもの、
「心」だと
ら思いました。
思います。医者にかかるのも、入院するのも、
・年齢を考えますと、
「みとる」より「みとられる」
病院、
その後も全て「お金」
、
何か変です(医者、
立場にあり、そうした場合の心得のようなもの
患者、政府)
。その何か「変」を答えに出して
を感じました。
くれた様に思います。母をがんで亡くしました
・ありがとうございました。20年も求道されてお
られた先生が、神と出合った瞬間のお話、お母
様との対話、一つ一つに心打たれました。
が、今でも「ホスピス」に私は抵抗がある。な
かなか固定観念は捨てられません。
以前、池袋での講演に興味をひかれるものがあ
・care giverが神にcareされているということがス
りましたが、聖学院はほとんどが大宮周辺なの
ピリチュアルケアの根本にあるといつも感じて
ですね。私には少々遠くて…。今回初めて参加
います。本日その深い所に触れて下さり感謝し
して良かったです。またいいのがあれば聞きた
ます。
・先生のような経験はどうやったらできるんです
26
が。ありがとうございました。
で、夢解析が出来ないのが残念です。ホスピス
いです。
・具体的で非常にわかりやすいお話でした。又、
自分自身のこれからを考えていたこの時期に
聞き、
私の今もそんな状態なので安心しました。
ピッタリな出会いであったと感じました。仕事
・これからも是非この様な勉強の機会を備えて下
や自分自身のこれからの生活にもいかしていき
たいと思います。今まで感心を持っていたこと
や考えていたことをこれからもさらに大切にし
さい。とても感謝しています。
・専門ではない人が、この様なお話をして下さる
と、とてもよく分かります。
ていきたいと改めて感じられました。ありがと
・よいお話をありがとうございました。
うございました。
・実体験のお話で私自身の生き方についても参考
・ありがとうございました。スピリチュアルケア
になりました。
についてあまり分かりません。参考になりまし
・とても良いお話を感謝しています。
た。スピリチュアルケアに関心と興味がありま
・大変意義深いお話に感謝します。
す。
・さいたま市在住ですが、聖学院の講演をたくさ
・先生の証しをお聞きしているような気持ちでし
ん聞きたいのですが、大学では宮原からのス
た。私自身、 5 月に母を亡くし、そのひと月前
クールバス利用で不便。出来る限り交流プラザ
に、子どもの頃からの心の奥にあったわだかま
を会場としていただきたい。
りを、母との何気ない会話の中から和解の気持
・著書を購入できたらよかった。
ちへと変えられ、母を送る事ができた経験があ
ります。自分自身の痛みを覗く、癒されること
がカウンセラーとして大切だと学んでいます。
今回のお話はとても共感できました。現在、障
リクエスト
・実際のワークとご自身の変化について、また詳
しくお聞きしたいです。
害のある方々の会でボランティアをしています
・太田和功一氏。
が、We are the medioineの言葉を今後大切にし
・キッペス氏。
ていきたいと思います。
・生の回顧について。
・
「心の深い闇(自分)
」を知る学びが受けられた
・柏木哲夫先生。
らと思います。最初、この講演会に申し込みを
・佐々木道人先生。
した時、難しい内容になるのではないかと思っ
・心の病とスピリチュアルケア。その方法論や病
ていましたが、心に響くものがありました。
・私自身も実父を今年の一月にがんで亡くしまし
た。無宗教の人でしたが、とても良い主治医の
先生で寄り添ってくださり、とても最期はよ
かったと思います。
・自分のスピリチュアルケアで精一杯という話を
の癒しのためのスピリチュアルケア。
・三枝好幸氏。
・スピリチュアルなお話でしたら、どのような内
容でも聞きたいです。
・特にリクエストはありませんが、これからも
様々な方のスピリチュアル・ケアについてのお
話を是非お伺いしたと思います。
・奥様のみゆきさんのお話を聞いてみたいです。
・ホスピスケアにおけるスピリチュアル部分の関
わりと実態。
・時代の流れ(現代)とスピリチュアリティの関
わりについて。
・もし、他の宗教で活動している人がいたら、お
話を伺ってみたいです。
83名の参加者があった
27
現代社会におけるポスト合理性の問題
――ヴェーバーの遺したもの――
実施結果―アンケート集計結果の概要―
ポスト・モダンについての議論が一段落し、世
ディスカッション
コーディネータ:土方 透(前揚)
通訳:松戸行雄(元ハイデルベルク大学私講師)
紀の変わり目を経て、さらには 9 .11以降、わたし
たちは「近代」について、ようやく反省的に語る
【アンケート結果の概要】
ことができるようになった。はたして合理性は、
・参加者は84名。内、アンケート回答者は26名だった。
近代の正統な所産なのか。聖学院大学総合研究所
・講演について、
「良い」が96%。コメントにつ
は、これまでマックス・ヴェーバーについてさま
ざまなシンポジウムを企画してきたが、今回はそ
の総仕上げとして「ポスト合理性(非合理性・脱
いて「良い」が100%と高い評価を得た。
・自由意見として、
「内容は難しいが、満足した」
「時間がもう少し長ければ」など。
合理性・超合理性)
」の問題について議論するこ
ととした。
主催:聖学院大学総合研究所
聖学院大学政治経済学部
日程:2010年11月23日 14:00 ~ 17:30
場所:メトロポリタン・プラザ12階会議室
【プログラム】
主催者挨拶
70代
12%
年代
20代
34%
60代
19%
50代
15%
40代
12%
30代
8%
*回答者の年齢は、20代が最も多く、34%次に、
60代19%、50代15%となった。
聖学院理事長、聖学院大学総合研究所長
大木英夫
性別
第一部 講演
「行為、歴史、および説明の原則としての合
理性―マックス・ヴェーバーに関する考察」
女
32%
カール・アッハム K. Acham(グラーツ大学
名誉教授)
男
68%
翻訳:渡會知子(聖学院大学政治経済学部兼任講師)
「カリスマ――社会学の境界線上で」
ヨハネス・ヴァイス J. Weiss(カッセル大
*性別は、男性68%、女性32%となった。
学名誉教授)
翻訳:佐藤貴史(聖学院大学総合研究所助教)
第二部 コメントとディスカッション
コメント
講演について
普通
4%
姜 尚中(東京大学大学院情報学環・学際情報
学府教授)
細見和之(大阪府立大学人間社会学部教授)
荒川敏彦(東京外国語大学、東洋大学非常勤講師)
土方 透(聖学院大学政治経済学部教授)
28
良い
96%
コメントについて
良い
100%
講演について
・両先生の講演は、各々別の機会でしたが、拝聴
講演を受けて 4 氏のコメントが述べられた
したことがありました。今日のお話は、ヴェー
バー研究の範囲にとどまらず、シンポジウムの
・論点が鋭く、本質をついていたのでは。
問題意識をより一般的なコンテクストから考え
・ 4 人の方々がそれぞれの立場から、コメントし
るうえで、大変面白い問題提起ではなかったの
ておられ、
その違い(視点の)が大変興味深かっ
ではないでしょうか。その意味で非常に興味深
た。
く伺わせていただきました。
・社会における合理性、非合理性の議論をドイツ
語圏の方にしていただく事はとても興味深く、
重みがあったと感じました。
・ドイツ語での直接の講演が可能であれば、と思
いました。
・事前に資料が欲しかった。そうすれば、講演内
容の理解がより深かったであろう。
・海外のスピーカーにマイクは必要ないのではな
いか。通訳が聞きづらい。
・難しかった。
・事前に資料が欲しかった。
・難しい内容だったのでコメンテーターの方のコ
メントで少し理解が出来ました。
・素晴らしい陣容だったと思います。
・専門的なことを易しく言い直してくれた。
・講演での問題提起をうけて、さらに議論を深め
るうえで、有益なものではなかったかと思いま
す。とりわけヴェーバー研究に枠組を限定しな
かったことが良かったと思います。
・非常に多彩で発展性のあるコメントと思えまし
た。
コメントについて
自由意見
・コメントをもっと聞いてみたかった。
・本当に刺激をいただきました。今後も是非シン
ポジウムを続けていただければと思います。よ
ろしくお願いいたします。
・講演者のコメントに対する答えが、誠実でしか
も興味がもてた。お 2 人にとってのMax Weber
とは何かにまで、
議論が及ぶと良かったのでは。
・
「合理性」
「非合理性」の名において、様々な問
題が絡むことを再認識し、大変勉強になりまし
た。是非継続してご研究を続けていただければ
と思います。
・ドイツ語及び、和訳の原稿をいただけたので、
講演者のカール・アッハム グラーツ大学名誉教授
(左)
とヨハネス・ヴァイス カッセル大学名誉教授
(右)
理解の助けになりました。ディスカッションな
どの通訳のタイミングについて少し申し上げま
29
すと、例えばパラグラフごとになさると、時間
を節約できるのではと考えました。丁寧に事前
準備がなされているように、シンポジウム全体
を通じて感じました。関係者のみなさま、貴重
な機会をありがとうございます。
・本日の講演、コメント内容は、今後の勉強(知
的探求)に役立つものであった。
カリスマ・合理的(性)の理解が深まった
最後の司会の〆が良かった。
・一番私が知りたかったのは、日本人はマック
ス・ヴェーバー的にいえば、どういう宗教意識
86名の参加者があった
をもっているかという事でした。例えば「武士
道と資本主義の精神」
。プロテスタンティズム
でコーディネーターを含め三人が言及すれば、
と武士道との関係は。
時間的にも内容のかみ合いもよりうまくいった
・私自身は、ヴェーバー研究者ではありません
し、ヴェーバーについてはそれ程勉強しており
のでは。ただし、お三人方のどなたかが不要と
いう意味ではない。
ませんが、
「近代」をめぐる問題については一
・社会学をもっと深く勉強したくなった。今はま
貫して関心を抱いております。以前は、20世紀
だ読んでいる本も少なくて、自分の意見もはっ
以降のドイツ思想について多少ですが接したこ
きりとは言えないけれども、非常に勉強になり
ともあり、最近は英語圏での主に社会学などの
ました。
近代モタニティをめぐる議論などを下敷きに、
・評価は 3 択ではなく、 5 択くらいのほうが良い
「近代」のあり方をその問題性とともに考えを
のでは?時間が限られているので、講演者は 1
めぐらせています。その様な立場から、大変刺
人にした方が議論がより深まったのではない
激的な議論に啓発を受けたと感じております。
企画として面白かっただけではなく、その内容
も含めて有意義な催しであったのではないかと
思います。
・社会学と人間学、
「マス」と「個人」といった
対立する領域の学問を超えることができる、壮
大なテーマでした。
・ 2 人の講演に対しては、 2 人のコメンテーター
か。
・とても興味深いお話が伺えて、とても良い勉強
になりました。次回も期待しています。
・内容は難しいものでしたが、学問に触れること
ができ、満足しました。
・考える良い機会となりました。是非次回を期待
しています。
・もう少し時間が長ければよかったと思います。
・フロアーの意見も吸収すべきかと思う。時間が
足りない。
・大変素晴らしいシンポジウムで、参加出来たこ
とをうれしく思います。
・本日与えられた資料を前もって読んでいたら、
もっとこのセミナーに参画できたと思う。
・全体的にもっと時間が欲しかった。
・残念ながら、翻訳、通訳がよくない。
合理性・非合理性・カリスマなどについて議論が重ねられた
30
性別
2010 年度 「福祉のこころ」研究 講演会
福祉の役わり 福祉のこころ
実施結果―アンケート集計結果の概要―
戦後いち早くE・W・トムソンという米国の宣
教師が横須賀市田浦地区に福祉の拠点を作り、地
女
43%
男
57%
域住民のニーズに応えようとした。それが横須賀
基督教社会館である。第 2 代館長の阿部志郎氏は
住民のニーズに応えるばかりでなく、住民が「自
分たちの町の社会館」というコミュニティ意識を
・性別は男性がやや多かったが、大きな男女差は
なかった。
持つよう軌道修正を図った。そして社会館への住
民の主体的な関与を熟成させようと努力している
講演
第 3 代館長である岸川洋治氏を迎え、新しいビ
普通
3%
ジョンのもと、社会館が今後どのような発展を遂
げるのかについてお話を聞く。
日 時 2010年11月27日 ㈯13時30分 ~ 15時45分
良い
97%
(開場13時)
場 所 聖学院大学 4 号館 4 階4401教室
・
「良い」が97%を占めた。
【プログラム】
挨 拶 阿久戸 光晴(聖学院大学学長)
対談
講 演 「住民の力とコミュニティ形成」
良くない
3%
岸川洋治(社会福祉法人横須賀基督教社
会館 館長)
対 談 岸川洋治(前掲)
柏木 昭(聖学院大学総合研究所名誉教授)
普通
39%
良い
58%
【結果の概要】
参加者の人数は56名。
内アンケート回答者は35名。
N/A
9%
年齢
・良いが58%、普通が39%であった。
20代
25%
70代以上
11%
60代
26%
30代
14%
50代
6%
40代
9%
・参加者は20代と60代の割合が比較的高いもの
の、あらゆる年齢層にわたっていた。
横須賀基督教社会館・館長 岸川洋治氏
31
講演について
・一人暮らしの高齢者が増えている今、社会館で
おこなわれている活動を積極的にすることで、
高齢者の人々がよりよく自分らしく生活できる
ようになればよいですね。
・小さな住民によるコミュニティや民生委員の力
の偉大さを知ることができ勉強になりました。
・地域の方々が自発的に声を上げたり、立ち上
がったり、活動されているのは本当に素晴らし
いことで感動しました。また、その活動をつな
参加者は56名であった
いだり支えたりする役目を果たされているのだ
なと感じました。
たです。
・地域のコミュニティの問題は高齢者だけでな
・ご婦人を訪問した話を聞き、快適な場所や暮ら
く、
若い人たちにもいえるような気がしました。
しやすい場所で生活することが、その人の願っ
・経過を含め、具体的説明で特徴のある田浦町の
ている生活であるとは限らないのだとわかりま
社会福祉活動の現実が良くわかりました。
した。
・私は施設職員です。今日の話を聞き、今施設が
・自分が死んだ時に仲間が来てくれるから安心!
いかに閉じられているか、密室化しているかを
と言った人の言葉は意味が良くわからなかっ
改めて感じました。地域に根づく施設と掲げて
た。生きているうちに仲間が来てほしいのなら
いても、私の施設はその場限りになりがち、孤
理解できるけど。
立しがちにあるように感じます。コミュニティ
・成功事例が多かったので参考になりましたが、
とは何か。改めて考えていかなければという私
成功しなかった事例・課題などももう少し取り
の課題を今日見つけることができました。あり
がとうございました。
・地域のニーズは何か、変わっていく、新しいポ
イントを読めるようにしたい。・・・また伺いた
い。ニーズ見直し賛成。
・具体的にどのように活動を展開しているのかを
丁寧に説明していただき「コミュニティの形
成」とはどういうものかがイメージしやすかっ
混ぜて欲しかったです。
・テーマ、実績は素晴らしいが、もっと活動につ
いて具体的な話が聞きたかった。
・後半部分をもう少し深めていただけたらと思い
ました。
・とても有意義なお話で感銘を受けました。
・この地域に同じような社会館があれば良いと思
います。
・説明がわかりやすかった。
対談について
・地域から孤立させない福祉サービスについて、
困難は多いかと思いますが、そのことを目標に
やっていけたら本当に良いと思います。
・
「地域と共に」は自分のことも含まれ、将来自
分のためになるようなことだと思います。
・目に見える活動をすることがコミュニティの最
初の一歩だとわかりました。
講演に続き対談が行われた
32
・住民と社会がつながることで、より良い福祉が
できるのだと理解しました。
・コミュニティ形成について、自分はどう考える
かをまず考えてみたいと思いました。
・給食サービスというと戦後のMSAによる給食の
イメージが強く、仲間と食事するなら会食サー
ビスのほうが目的にも合うと感じる。
・密度の濃いお話で感銘を受けました。
・もっと時間をとって欲しかった。
・一方的な講演ではなく、対談形式を取り入れて
いただいて良かった。
・対談なのでキャッチボールをもう少しして欲し
かった。
・対談というより、二つのテーマを二人の人が話
したという感じであった。もう少し微調整が必
要ではないか。
・柏木先生の話が長く対談になっていません。
もっと質問に対する岸川先生の話が聞きたかっ
たです。
・対談とはいえ、
柏木氏の話(自分の考え・主張)
の時間が長すぎたと思う。柏木氏は講演者の岸
川氏から話の引き出し役に徹すべきであった。
来場者に対して質問表を提出してもらったにも
かかわらず、その質問時間が少なくなってしま
い残念である。柏木氏は自分自身の役割・姿が
見えていないと感じた。
・講演のタイトルにある「福祉のこころ」をもう
少し取り入れて欲しいと思った。
自由意見
・長年の実績を分かち合ってくださり感謝しま
す。
・コミュニティーは「あいさつ」からを心におき
たいと思います。
・私はコンピュータの世界の者です。地域社会を
研究成果の公開
聖学院学術情報発信システム
(SERVE:SEigakuin Repository for academic
archiVE)
を活用した公開に向けて
聖学院大学総合研究所の研究活動の成果を
公開するために、
『 聖学院大学総合研究所紀
要』
( 年3号 )と『 聖 学 院 大 学 総 合 研 究 所
Newsletter』
(年5号)を発行している。2010年
度までに紀要は50号、Newsletterも20巻を数
えるにいたった。それぞれの成果物は、国内
外の研究機関に322通、また個人に279通、宅
急便郵送してきた。
しかしここ数年、研究機関また研究者から
は、
「収納する場所がなくなった」という理由
で、送付中止の連絡が多くなった。そこで、
11月 に 発 行 し た 紀 要48号 に、 紀 要、
Newsletterの送付を継続するかどうかのアン
ケート調査を実施した。その結果は継続の希
望が189であった。
現在、
『紀要』と『Newsletter』が発行されて1
ヶ月程度でSERVEによって、発信されてい
るが、今後は、印刷版も発行するが、より
SERVEによる発信の比重が増していくこと
になる。
学術情報の電子化は、STMといわれる理
工、医学分野だけでなく、人文社会などあら
ゆる分野で進められているが、インターネッ
トにより、図書館、資料館に行かなくとも、
居ながらにして学術情報が入手できる便利な
環境が生まれている。
本研究所の研究成果の公開も、すでにシン
ポジウム、セミナーの『資料』の公開など、こ
れまで外部に公開していない資料もSERVE
を通じて公開している。
『 紀要』
『Newsletter』
のバックナンバーも現在入手できないものが
多いが、遡及的に公開していくことになる。
SERVEにアクセスいただき、電子化された
論文をごらんいただきたいと願っている。
http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/index.php
支えるコンピュータシステムの研究をしたいと
思っております。
・学長さんの短い話の中に共感する話題があった
ように感じた。ボランティア的な程々の働き方
で工夫する社会が良いのかなと思った。
・ありがとうございました。
聖学院大学総合研究所 Newsletter
Vol. 20-4, 2010
2011年2月28日発行
発行人 大木 英夫
発行所 聖学院大学総合研究所
〒362-8585 埼玉県上尾市戸崎1-1
TEL:048-725-5524 FAX:048-781-0421
e-mail : research@seigakuin-univ.ac.jp
Homepage : http://www.seigakuin-univ.ac.jp
33